asagaquru
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1997 浅賀くる 札幌
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asagaquru · 5 days ago
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「4連休暇だー!」とSNSで叫んだら、高校の同級生から連絡が来たのでお茶をした。限局した地方都市である札幌。友人とはすぐ街で集合できるから良い。札幌市民の言う街というのは、札幌駅からすすきの駅周辺を指す。ビル群と大通公園、繁華街がある一帯だ。
11月のひとり東京を楽しむべく、行きたい場所をピックアップしたら、上野と国分寺、三軒茶屋と分散してしまった。余裕を持って1日で全て巡るのは難しく、ふと東京の人たちは遊ぶってなったらどこで集合するのが一般的なのだろう、と思った。
お茶した友人に「***は東京に行くものだと思っていた」と言われて、「あそこはきっと目的がないと住めない場所なのかなと思っている」と返した。確かに札幌に留まることに違和感を感じていた頃もあった。でも、だから東京、というのはわたしにとってリスキー過ぎた。常に彼氏がいる人生だったし(男の人がいないと生きていけない)、今の安定を手放してしたい仕事もなかった。「現実主義、安定志向なんだよなあ」と言うと「高校の頃は1番どこかへ飛び出していきそうだったのにね」と返された。つい先日にも大学時代の友人に会った時に「***は丸くなっちゃった代表みたいなものだよね」と言われたのを思い出していた。
悪い気はしない。だってそれはきっと、自分の人生を肯定できるようになった証拠だと思うから。ずっと何者かにならなきゃいけないと思っていた。自分は何か大きなことを為す人間だと思っていた。ここは居場所ではないと思っていた。でもそれは全て思い込みで、今は今で自分は自分でしかなかった。幸せになるための努力を少しして、あとは真っ当に生きる。幸せは訪れるものではなく、感じられる心次第なのだ。自分を肯定するには、手の届く範囲の幸せを謳歌するだけで良かったのだ。
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asagaquru · 12 days ago
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結婚したかった理由のひとつに、未婚のまま妊娠するのが怖かったことがある。今はダブルハッピー婚とも言うらしいが、できちゃった結婚という言葉のイメージは拭えない。ただでさえ悪阻やら身体的負荷がかかるのに、職場で肩身の狭い思いをするのが嫌だった。世間や職場の同僚からの目や、妊娠をきっかけに結婚して仮に離婚した時に「やっぱりね」と引き合いにだされるのも嫌だった。考えすぎだと思われるかもしれない。けれどセックスをする度に「今日は排卵日だ」「今日はきっと大丈夫」と考えることも少なくなるし、生理が遅れて妊娠を怖がって、経血を見て安心するということをしないで済む。実際、結婚してみて「いつ妊娠しても体裁は保たれるのだ」と思えることはかなり心強く、同居人を夫と呼べるだけで結婚に対する焦燥感も無くなった。
もう少しで結婚指輪が届く。半年弱、指輪のない新婚生活だった。変わったのはわたしの苗字と、他人に話す時に「夫」「妻」とそれぞれ呼称するぐらいだった。結婚指輪とか、結婚式って覚悟するための儀式だなと思う。誰かと生きていくための覚悟、互いが夫婦だと認め合うための覚悟、不貞をしないための覚悟、互いを一番であり続けるための覚悟、いつかふたりが父と母になるための覚悟。だからこそひとつひとつの儀式を、自由な意思と自分たちのタイミングで選択して執り行うのだ。
結婚って美しい足枷のようだ。他の男という選択肢の諦めと、この人を愛し続ければいいのだという覚悟。美しい装飾の施された枷に噛まれていることに安堵する。これが目に見える形で存在するとすれば、それこそが結婚指輪なのかもしれない。
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asagaquru · 13 days ago
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きっとわかってる
そしてずっとおぼえてる
しあわせになれ
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asagaquru · 25 days ago
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11月に友人の結婚式で東京へ。東京駅すぐ近くが会場だと言うので八丁堀という場所にホテルをとった。東京はきっと大学4年生ぶりだ。Tumblrで書いた日記を作文にして、大学の廊下で見かけたコンクールに送ったら受賞した。その時の授賞式以来だ。もし受賞したらエントリーシートに書けるな〜という不純な気持ちと忘れられない出会いだったから誰かに読んでほしいな〜という素直な気持ちで応募したのをよく覚えている。スーツで東京タワーまで歩いて「でけー」と言って帰った。
今回もひとりで行って帰ってくる。海外旅行は年に数回行くけれど、東京に宿泊することはないから「ひとり東京!」と胸を躍らせている。年甲斐もない。本当は2泊したいけれど、仕事の休みが取れないので1泊。博物館にでも行って、なにか美味しいものを食べられたらいいなと思う。
この前、夫を父親にしてあげたいなとふと思った。
けれども、まだまだ楽しいこと、したいことがあって、まだ見ぬ我が子に人生を譲れない。妊娠して、出産して生活が変わってしまうのを避けてしまっている。でもそうこうしているうちに30歳になってしまっていそうで、妊孕性を考えてしまうと恐ろしくなってしまう。27歳をあと3回繰り返したい。欲を言うのであれば、札幌に雪のない季節を3回。焦らずに、悩まずに気の赴くまま、身勝手に、それであって美しく、自分本位で過ごしていたい。
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asagaquru · 29 days ago
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思えば、2022年の札幌の近代美術館に古代エジプト展にはそれぞれ違う男と2回行った。「もう1回行ったの?」とそれぞれに聞かれたけれど、友達とねーと適当な嘘をついた。その3年後、エジプトにはまた違う男と行く。それが今の夫。
帰国した時、「人生だった」とまだ恋人であった夫が言った。人生だった。2人で生き抜く人生の縮図。日本の変わらない人口ながらも95%が砂漠であるエジプト。5%に人間が住まうので、人が本当に多かった。エジプトポンドが安く、外国通貨で取引される観光資源に頼り切る貧しい国だった。道を歩けば永遠に老若男女問わずドルをねだられ、買い物しようとすればぼったくられる。言葉通じない中、悪意と善意を見分けるのに苦労した。世界で3大ウザい国一つらしい。後ふたつはインドとモロッコ。インドに行けば人生変わると言われることがあるけれど、わたしにとってみたら19歳で行ったインドよりも、エジプトの方が人生だったように思う。モロッコには行かない。
1週間かけてナイル川に沿って南下した。首都にあるカイロ空港に深夜降り立ち、その日の午前にピラミッドとスフィンクスを見に行った。エジプトの気候はカラッとしていて過ごしやすかった。どうやってこんなに積み上げたのだろう。日常にピラミッドがあるエジプト人たちは、神々しいとか、パワースポットなんだとか感じるのだろうかと思ってきた。かつてピラミッドは化粧石に覆われ白く輝いていたらしい。
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カイロで数泊して博物館を巡った。エジプト人の国民性なのか出土数が多すぎて価値が暴落しているのか、展示品は触っても怒られなかった。ピラミッドの頂点に飾られるキャップストーンの展示に手をついてパワーを感じているかのような女性がいて、ふたりで真似してみたがひんやりとして気持ち良いだけであった。ツタンカーメンのマスクは360℃のみならず、内側さえも黄金だった。教科書には写真が載っていないマスクの裏側を知る。かつて子供の頃にテレビや教科書で知った世界の記憶を、大人になって本物を見て回収していくが、旅の面白さだと思う。
カイロの次はルクソールへ行った。ナイル川を挟んでルクソールの西は死者の国、日が昇る東は生者の国とされている。ツタンカーメンの墓は、ルクソールの西に位置する王家の谷にある。墓とマスクは別に位置しているとは考えたことがなかった。王家の谷まで、大抵はバスに乗って行くらしいが、ロマンを求めるふたりだったので、街のレンタルサイクル屋で子供から自転車を借りた。ガイドブックでレンタルサイクルは粗悪な自転車しかないと書かれていたのに、マウンテンバイクを借してくれた。良いサービスにだけ、チップを払う。わたしが旅先で心得ていることだ。良いサービスをすればチップが弾むと思って店員の対応が良くなれば、後に来る旅人のためにも、回り回って観光を受け入れる国の発展にもなるのではないかと思っている。王家の谷までの道中は、砂漠の岩肌を削った跡をなぞるものだった。スターウォーズのEP1みたいだなと思った。
王家の谷にはその名の通り、王家の墓が点在しており、しかもそれは盗賊に見つからないよう隠されている。なので、今も新たな墓が見つかることがあるようだった。ツタンカーメンの墓の中には、彼のミイラがガラスのケースに横たわっていて、没後3000年以上経っても休まらないなと思った。ツタンカーメンがどうしてこう有名かというと、盗賊に盗まれないまま20世紀の探検家によって見つかった墓だからである。権威があったり、有名なファラオではなかったにも関わらず、沢山の金銀宝石財宝が見つかったと言う。他の盗賊に遭ったファラオの墓はどんな財宝があったのかと思う。それとエジプトで私が1番見たかったのは夜の書というものだった。空では体に星を散りばめた天空の神ヌトが体を伸ばして世界を覆っているという。他の墓より高い天井一面に描かれた夜の書に息を呑む。こんなに色濃く壁画が残っていることに驚いた。古代エジプト人の技術にも想像力にも。
翌日は、高所恐怖症というか、海外ましてやエジプトで安全性のわからない気球には乗りたくないと言う夫を説得し、気球にも乗った。世界で1番安く気球に乗れるらしい。なおさら怖い。夜のうちにルクソールを出て、夜明けと共にぽわぽわと大きな気球が浮かんでいく。ルクソールはなんだかいつもピンク色だった気がして、エジプトで一番好きな街だ。宿の窓からは、遠くに王家の谷がいつも見えた。
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3番目に訪れた街はアスワンで、エジプトで最後の神殿を見るためだった。ボロボロのバスに乗り込み、100km/h以上のスピードで砂漠を突き抜けていく。5時間以上車内で揺られて(というより飛んで)神殿は必ず朝陽が当たるように造られている。神殿のヒエログリフを指でなぞり、旅の終わりと5000年前に生きた人たちを思った。
帰国した半年後に結婚した。新婚なので、よくどうして結婚したか問われる。一緒にエジプト行ってくれるような男だったから、といつも答えている。一緒に残りの人生を面白おかしく過ごせて、この人とだったらたとえ地球の裏側でもサバイブできる。パートナーとして、伴侶として、バディとして、そう思うから結婚したのだ。
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asagaquru · 2 months ago
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夫と出会わなければ、わたしはジャズは32小節の短い曲であり、その後は曲のコードを真似てアドリブソロをしているなんて知らなかったし
わたしと出会わなければ、夫は紫陽花は土壌の酸性度によって色を変え、酸性であれば青く、アルカリ性であれば赤紫になるなんて知らなかっただろう
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asagaquru · 2 months ago
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パートナーと一緒に暮らしてみて驚いた良い意味や悪い意味の生活のズレのようなものはありますか?
例えば、風呂釜を洗う頻度だったり、餃子にかける調味料の違い、洗濯物の干し方や、人へのプレゼントにかえるお金の違い家族観などなど。
煩わしかったり、面白かったり、可笑しかったり、育った環境によってこんなにも人は違うのだと驚かされることがあって、そんな話を人とするのが自分は好きです。
ぜひ、聞かせてください。
使った食器はシンクに溜まってから洗いたい彼。わたしは綺麗なシンクのためにひとつでも食器を洗うし、排水溝掃除も毎日したい。家事って気になった方が永遠に気になってしまうから、煩わしくなってしまいますよね。そんな彼は、洗ったタオルはぱんぱんと振ってパイルを立ち上がらせてから干します。「フワフワのタオルで体を拭きたい」とのこと。そんなこと今まで思ったこともしたこともなかった。生まれ育ってきた家族特有の慣習やルールに基づく生活。ズレばかりです。
彼は真っ暗闇でないと眠れず、日の出と共に目が覚めてしまいます。戸を閉め、カーテンを閉め切っても、隙間から細く陽の光が差し込むのも許せないようです。しまいには、毎晩真っ黒いプラ板を窓に立てかける徹底ぶり。他人が横で寝ていることでも睡眠障害が起きがちなので、同棲前に一緒に寝ていたセミダブルでも苦言を呈していました。わたしが一人暮らしを始めるのに、男を連れ込んで一緒に眠るだろうからと購入したセミダブルは2年で手放すことになりました。睡眠に関して繊細すぎる彼とわたしが行き着いたのは、シングルベッドとクイーンベットを別部屋に所持すること。今は週1回か2回あるかないかのペースで一緒に眠っています。今週は一緒に寝ていないかも。一人でクイーンベッドで眠っている。同棲当初は毎日一緒に眠らないと不機嫌になる可愛い女をしていましたが、今はむしろ一緒に眠るベッドを狭く思う気持ちの方が大きい。友人にこの話をすると「大丈夫?」と仲を心配されることもありますが、ソファで隣に座っていたら手を繋いでくるくらい仲は良いのです。
最近、醤油と少しのラー油と酢で自分用に餃子のタレを作る傍ら、彼のために酢胡椒を別皿に��っている自分に気づいてなんだか可笑しかった。夫婦としてズレを修正していく中で、自分が新たな個体となっているのが可笑しいのです。かと言って、完全に彼と融合するのではなくところどころ一緒で、ところどころ違って、ところどころ知らない部分があるのが面白いのです。それが家庭なのでしょうか。
夫と付き合いたてだった頃、結婚したあなたに匿名で質問したのを思い出しました。「この人はわたしと一緒にこの感情の深みまで落ちてくれないのだろうなと諦観して恋した相手を見てしまうことがあります。全ての輪郭は永遠に理解されなくとも寄り添ってくれようとしてくれるなら、それでもいいとわたしが愛せた時には、一緒になっていいものでしょうか」という質問を覚えていますか?わたしの夫も、わたしの文章は読まないし、感情の深みまでは落ちてくれません。でも結婚して良かった。自分とは違う人間と共に生きるからこそ、ひとりじゃ見ることのなかった人生になるのですよね。きっと。それってすごく豊かだで美しいなと思うのです。
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asagaquru · 2 months ago
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日記にしなかった22
2023年11月27日
誕生日が近いからということで、金木犀の香りがする入浴剤をもらった。本州の人たちにとってみたら秋の香りかもしれないが、北海道民にとってみれば「秋の香り」というより「幻の匂い」だ
2024年4月15日
半年ぶりに傘を差す。コートに付く雪は払えば落ちるので、差す必要がない。ポツポツと傘のビニールに雨が落ちる音を頭上で聞きながら、雪にならないくらい気温も温かくなったのねと思う。
2024年7月30日
言い合いをして堪らず家を飛び出した。早く抜け出したくてエレベーターを待たずに階段で降りた。オートロックだからって家の鍵を持ってきてて、バカだなあ馬鹿だなあって思った。
2024年11月17日
秋に逆戻り。まだバブアーで凌げている。生理がこない。妊娠ではない。この2ヶ月そういったことをしておらず、欲の湧かない彼に順応して私も平気になってしまった。彼とは仲が良い。一緒にご飯を食べ、飲みに出かけ、家事をして、たまに同じベッドで眠る。静かに一定のリズムで同棲している。たまに言い合いもするも、火に焚べた薪が爆ぜるように一瞬で、その後はまたパチパチと一定の火の揺らぎに戻る。広義のパートナー、バディのようだ。まだ結婚もしてないのにこんなんでいいのだろうかと思うと同時に、多様性の世の中だ、問題なんてない
2024年12月25日
混み合う地下鉄で、ケーキの箱を抱えて座る50代ほどの男性を見かけて、心がぎゅっと抱きしめられたかのような心地がする。なぜだか泣きそうになった。毎年、何よりも好きだなと思うクリスマスの光景だ。地下鉄を降りたら、凍る路面に足を取られて気をつけて帰るのだろう。大切な人と分け合うホールケーキ。そこにあるのは愛だ。メリークリスマス。
2025年1月30日
ずっと春みたいな天気で、アスファルトまで見えていたのに、一晩でくるぶし上まで雪が積もった。除雪の間に合っていない道をしゃあしゃあと、雪を掻き分け歩く。駅構内に入れば、身体についた雪が溶けきらぬ内に払う。冬だなと思う。今年の雪は少ないねなんて話していても、結局年間降雪量は毎年同じくらいだ。となると、2月はきっともっともっと積もる。暖かくして過ごそう
2025年6月29日
夫が楽器を練習しに街に出て行ったので、家でひとり。紅茶を濃く出して炭酸水で割ったものを飲みながらタンブラーの下書きを整理している。#日記にしなかった けれど私が生きてきた証となる言葉。
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asagaquru · 2 months ago
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腰に手を回されて、夫に出会っていなかったらひとつ下のこの人と恋する夜もあったのかもなと酔って帰る夜。ほんの。ほんの少しだけ、もう結婚してしまったことを後悔する。結婚って本当に美しい足枷だな。ひとりの帰り道に小雨が降る。
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asagaquru · 2 months ago
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1月に新車を一括で買った。買ったのはわたしなのに夫によく運転させている。わたしは、19歳の頃からバイクに乗っていたのだ。4輪に関してはペーパードライバー(バイクと4輪の免許は同じ1枚だけれども)。運転が苦手なのは仕方ない。
車で中央区に行かないといけない用事ができて、初めて1人で中距離を運転した。バイクとは違う車という箱の中だからか風を感じず、フロントガラスの先の景色が絵画のように感じた。初夏の幻のような心地よさがよりそうさせたのだと思う。流れる景色が凪いでいて、すすきの交差点で「うわー、初めて車ですすきのだよ」と思っていたら、市電が横切る。
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バイクに乗って遠くに出かけたいが休みと天気のタイミングを逃している。こんな気温の中、風を横切って走るのが気持ち良いのだ。車にしか乗らない人は、この面白さを知らないのかと思うと、気の毒だと思う。かと言って、年々怖いもの知らずだった自分が老いていってしまっていて、守るべき人たちが明確になりすぎてしまって、バイクに乗るのも怖いなと思っているのも事実。札幌の短い夏をどう過ごそう。来年には妊婦だったりして。いつだって今年の夏が、1番若い訳で。
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asagaquru · 3 months ago
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地下鉄出入り口に入ろうと思った瞬間に、爽やかに風が香って顔を見上げる。ニセアカシアの木だ。ポップコーンみたいな花が弾けている。札幌の初夏。24℃。札幌に生まれて良かったと思う季節。
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asagaquru · 3 months ago
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5月はわたしを捨てた父の誕生日がある月であり、夫の母の命日がある月である。桜が散った札幌で、少し気持ちが鬱々としている。
お寺に行って、会ったことのない義母の仏壇に手を合わす。4回忌。お経の意味はわからないけれど、お焼香の煙がゆらゆらと昇って行くのを見ながら安らかに安らかにと唱えてくれているのだろうと思った。付き合ってすぐの時に「毎日お母さんを思い出す?」と聞いたら「そうだね」と言われた。その時は、2年も経っていなかった。お寺の帰りに同じ質問をしたら「毎日は無くなったなあ」と言っていた。
一度だけ、「がんだったのでしょ?」と聞いたこともあった。がんではなくて、死因だけを教えてもらった。彼が泣いて、申し訳なくて彼の手をただ摩った。思えば、その時に初めて夫の手に触れた。夫婦となった今も、それ以上のことは教えてもらえない。わたしも聞かないようにしている。ただ、テレビで映画を観てる時に義母の死を彷彿とさせるシーンが出たら、すぐ電源を消している。夫は気づいていない。これからも彼をあらゆるものから守っていく。夫がいない時に、彼の部屋の机の中に手紙を見つけた。元彼女のだったら嫌だなと思って開けたら、彼が札幌に進学した時に義母が書いたものだった。優しい人だったのだと思う。会って、いろんな話をしたかった。義父から「よかったら母さんにあげた婚約指輪をネックレスにしようか」と提案されたので、それならどうにかわたしと夫の結婚指輪に石留めできないかと思っている。
私の父は生きている。結婚したのをまだ報告していない。別に報告したって携帯上だけのやり取りで済まされて、それ以上ないのはわかりきっている。親が離婚している友人とその友人の母に会った時に、「きっと関わるのが申し訳ないって思っているだけだよ」と言われた。一瞬だけそうなのかな、と思ったけれど、すぐに「あの人に限ってそんなことはない」と思った。ただ「そうかなあ」と返した。この世でたった1人である父親からの愛情を信じれないなんて虚しいことだな。過去は変わらないし、取り戻せない。さっさとわたしの人生から消してしまえばいいのに、それができない。地下鉄の車窓に写る自分の顔を見て、どことなく似ているなと思ってしまう。まだこの歳なのに髪に白が混じるのを見つけるたびに、あの人の遺伝子だなと思ってしまう。地毛の色に染めても、すぐに色が抜けて、根本からはまたキラキラと透明な白髪が伸びてくる。はやく全部白髪になってしまいたい。シロクマみたいに透明でキラキラと太陽を白く透かすような白髪に。
22歳の頃に「お父さんは子供を捨てたんだもんね」と直接言って、そうじゃないよと言われた。その時はそう言って欲しかった。でもそれっきりだ。期待しても意味がないのにしょうもないなあと思う。あの人にも、自分自身にも。
7年間、母の旧姓を名乗っていた。そのまま夫の姓に変えたので、戸籍法とやらで2度と父と同じ姓に戻ることはできなくなった。正直さを積み重ねるのが愛情で、信頼だ。ある意味、父は自分に正直だった。あんな親にはなるまいと思う。 5月と共に春が逝く。
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asagaquru · 3 months ago
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日記にしなかった21
元彼氏については、彼の音楽の趣味だけが今も好きだ。Apple Musicでわざわざ彼を探し、新しいプレイリストがないか確認する。
何度も波に晒された流木のように少しずつ美しい流線を描いていくのが記憶なんだと思う
過去の恋愛を思い返してみても、色鮮やかすぎて自分の記憶じゃないように思えてしまう。煌めく星というよりは、何処かへ真っ直ぐ落ちていく隕石。大気圏内でメラメラと燃えていたそれは、今や海に落ちて冷えてしまって、周りの漂流物と区別がつかない。かつての輝くように発していた熱く白い炎の面影もない。
漠然としたあきらめや、一歩引いている見ている自分がいる。
サウナに7分も入れず、水を浴びる。
過去から見れば今の自分が1番年老いている。未来から見れば1番今の自分が若いのだから。
かき氷を一気に食べたかのように、頭蓋骨を超えて脳が冷える。わたしの歩く先にはオリオン座が瞬いている。あとは北斗七星と白鳥座しか星座はわからない。足元ではいつのまにか降った新雪が押し固められてギュギュと歩くたびに悲鳴を上げる。寒くて美しい冬のことを、毎日好きになったり嫌いになったりしている。
昨日帰ったのは0時を少し過ぎた頃だった。布団に入って
眠剤を放り込んで、睡魔が迎えにきてくれるのを待つ
なごり雪がしぶとく溶けない札幌。桜の木は咲く前が一番紅い。樹木全身に花の色をたぎらせて、春を待っている。
フロントガラスに打ち付ける小雨が、街灯に照らされてスパンコールのようにきらきらしている。
小雨降る札幌。次の季節はいつも雨が連れてきてくれる。
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asagaquru · 4 months ago
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結婚式をしようかと話になっている。叶わぬことだけどずっと読んでくれているTumblrの人たちを呼びたい。と、ふと思う。本当の名前も顔も知らず、どこに住んでいるかも桜を見た投稿で想像できるくらい曖昧な方達のことを。
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asagaquru · 5 months ago
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結婚してからというもの人生で一番「おめでとう」と祝われている。自分のことに関しては大胆なのに、そこに他人が介在すると途端に臆病になってしまうわたしは、くすぐったい日々を過ごしている。
人に祝われて素直に喜べるような純粋無垢な人になりたかった頃もあった。けれど今はこんな自分で良かったなと思う。寛容に、他の言い方をすれば細かいことに必要以上考えないように、悪い言い方をすれば大雑把になっている。心の機微を客観的に見るようになった。ここ数年でだいぶ生きやすくなった。
新婚ではあるが、寝室は別だ。そもそも同棲をした始めから家にはシングルベッドとクイーンベッドを置いている。夫がひとりっ子が故になのかひとりで寝たい人種なので、日に日に別の寝室で寝る日が増え、今や結婚して1ヶ月の間に同じベッドで寝たのは2日間だけだ。今の状態に至るまで寂しく思う夜は何度もあったが、これにも慣れた。これを変だという友人もいるけれど、お互いの寝相や就寝時間の違いを考慮した結果、睡眠効率を上げるにはこれが一番良い。寝室が別だからと言って気持ちが離れることはないのだし。ただ一つ、就寝時に心臓発作を起こしたら気づいてもらえないなと思っている。
そうこうしている間に、春の匂い。陽だまりの匂い。暖かくなって、雪がなくなって、外気が匂いをはらむようになった。今日は蕗のとうが土から顔を出しているのを見た。「冬は雪が匂いを吸着させてたのかな」と夫に話したら「冷凍庫に生ゴミを保管するのと同じじゃない?」とのこと。なんて可愛げのない表現。ともすれば、これは生きているものたちの匂い。死に向かっていくものの匂い。また季節が一巡りする。
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asagaquru · 5 months ago
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冬を生き延びてしまった。なごり雪の残る札幌。桜は咲く前の木の幹が一番紅い。その身体全体に花びらの色をたぎらせて、春はまだかまだかと待っている。咲かずとも、君が桜だってことをわたしは春以外もずっと知っている。覚えている。
ニュースで関東の方まで桜前線がやってきたと知る。こちらはまだ氷点下。雪降らない日の方が寒い気がしている。降るとしても、お菓子に振るったような粉雪が地面に落ちるだけで。
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asagaquru · 5 months ago
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六曜より大切にしたいものがあったから仏滅に結婚した。夫も「知らないけど、アメリカではいい日だよ」と言っている。
入籍日までは、仄かな恐怖と一緒に過ごした。今死んだらみんな悲しむよなという気持ち。職業柄もあるのだろうが、常に死がそこに見えていて、大切なものが増える度に死ねないな、死ねないなと身を固くしてしまう。誰かを悲しませないように、今日も生きることを続けている。あなたのために生きている。あ���たがいつか生きる理由がわからなくなった時、わたしのために生きていて欲しい。と思っている。夫の祖母が入籍日のほんの数日前に亡くなった。わたしに報告した夫は泣くわけでもなく、ただ静かだった。理由を聞くと「94歳だよ。仕方ないよ」と話してくれた。素敵だと思った。わたしも死ぬことを許されるくらい大往生してからが良いなと思った。
結婚してからは大して変わらない毎日を過ごしながら、生活の合間で粛々と氏名変更をこなしている。夫は手続きするものがほとんどなく、呑気そうで羨ましい。戸籍謄本が出来上がらないので、金融口座の氏名変更ができないでいる。給料が入る金融口座の氏名変更ができないと職場にも書類を提出できなくて、旧姓のまま働いている。旧姓で呼ばれたり、新姓で呼ばれたり、マリッジブルーなんてものはなく、友人や職場の後輩がきゃあきゃあとわたしを新姓で呼んでいるのをどこか他人事のように聞いている。中高生の頃は、授業時間に好きな人の苗字と自分の名前をノートにこっそり繋げて書いて、うっとりとしていた。そんな気持ちこそないが、当たり前のように改姓を受け入れてしまっている自分に「へえ」と思いつつも、どこか晴れ晴れとしている。
結婚指輪も20歳くらいから決めていた彫金師の方に特別に作ってもらえることになった。とても嬉しい。育児の合間にゆっくりと制作してもらっているため、まだ手元にはない。とっておきのおまじないをかけてもらった指輪が出来上がる予定。
結婚式も妊娠についてはまだ何も考えていない。昨日、子を産んだ高校の時のクラスメイトに会った。「出産育児に対して何も後悔はないし、子は可愛いけれど産む前の生活には2度と戻れないのだなと思っている」と教えてくれた。まずは夫婦としてのふたりきりの生活を謳歌しようと思っている。日中働いて、夜はすすきのに酒を飲みにいき、たまに長く有給をとって旅行に出かけるような生活。今この文章は、ソウルへ向かう飛行機の中で書いている。夫は横で文庫本を読んでいる。旅行に行く時は必ず、旅のお供に新しい文庫本を買うような人だ。そういうところがいいなと思っている。プロポーズ前に決めた旅行が、図らずとも新婚旅行になってしまった。パスポートの名前は旧姓だし、左手薬指に指輪のない新婦と生レバーを食べたがっている呑気な新郎。
幸せって状態ではなく、感じる心だとどこかで聞いた。わたしは今、幸せなのだろう。幸せだと感じると同時に怖くもなる。夫と一緒に歳を取っていくのは楽しみであり、歳をとっていくと辛いことも多くなるのだろうと悲観してしまう。いつかどちらかが先に死んでしまうと死別が予定されている未来。夫に看取られたいと思う反面、夫を残すのは可哀想だとも思う。夫が死ぬ前にボケてしまいたい。願わくば、頑固なばあちゃんにならずに可愛くボケたい。幸せであるうちは、その幸せをいつか喪失する恐怖からは永遠に逃げられないのだろう。そんな恐怖とも、横でうたた寝をし始めた夫とも、今後とも仲良くしていこうと思う。
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