#映画感想 裁き 青い鯨
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socialmoviesblog · 8 years ago
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■映画「裁き」と「青い鯨」のメモ
▼インド映画界の新鋭、チャイタニア・タームハネー監督作「裁き」は、演じるべき宛先が失われた舞台で上演される不条理劇のような映画だ。
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▼「劇」は、舞台となる場所に非日常の空間を作り出し、そこで交わされる言葉に特別な「力」を宿らせる。その「力」は、特別であるがゆえに舞台という空間を越え、観客たちの人生にも影響を与えることができる。
▼だからこそ、その「力」を「誰が誰のために使う」のか?「劇」の宛先がどこなのか?が重要となる。
▼古代より、その「力」は「仲間たち」のために使われてきた。
▼たとえば古代ギリシアならば、演劇は、娯楽としてだけでなく、ポリスの市民たちがふまえるべき「教養」を伝えるものでもあった。そこで上演された言葉を「市民という仲間ならば知るべき言葉���としてふまえることで、市民たちは互いに議論をすることができ、都市国家の行くべき方向を決めることができた。
▼だからこそ、舞台の役者、合唱隊、裏方スタッフなどは、市民たちが輪番で務めることが義務となっていた。
▼また、近代に入っても「劇」は「国民」という仲間の形成に大きな役割を果たした。フランスなどでは「演劇をパリのブルジョワジーに独占させない」として、地方に「公共劇場」がいくつも設立されることとなった。その結果、そこで芝居を観ているものは、都会も田舎もなく「国民という仲間」だという意識が形成されていったのだった。
 ▼非日常の空間を作り出し、そこで使われる言葉を、「真理(知るべき)の言葉」や「正義の言葉」として伝え「仲間」の人生に影響を与えていく…この映画「裁き」では、そんな回路がしだいに蒸発していく様子が描かれる。
 ▼映画は、とあるアパートの一室から幕を開ける。そこでは本作の主人公であるカンブレ老人が、集まった子供達を相手に私塾を開いている。「インドで一番長い川は?」と問う老人に、「ガンジス河」などと答える少年…
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▼そこでは、アパートの一室が教室という「非日常の劇場」となり、そこで「真理の言葉」が伝えられる。ここに来ている少年少女たちはおそらく下層階級の出身で、満足に学校にも通えていないのだろう。それでも、カンブレ老人はこの教室という劇場で「国民にとっての真理の言葉」を伝えることで、彼らがインド国民という仲間からハジかれることがないようにしているのだろう。
▼そんな彼は、授業を終えると足早にバスに乗り込む。実はカンブレの本職は「民衆詩人」。「民衆詩」とは、いわば被差別カースト向けの演歌のようなもの。日本の演歌も、もともとは「演説」を「歌」にした政治的メッセージの強いものだったが、この「民衆詩」も、20世紀初頭よりはじまった独立運動や社会運動の現場で場を盛り上げるために作られた。
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▼カンブレ老人は、この「民衆詩」のベテラン歌手だった。彼が向かったのは、とある集会所。そこでは被差別カーストによる差別改善のための演説会が行われており、その余興として曲を披露することになっていたのだ。
▼舞台にあがるや強い調子で「権力批判の歌」を歌い始めるカンブレ。この「劇場」でも、先の「教室という劇場」と同様、誰が誰のために「特殊な言葉の力」を使うのかが明白だ。
▼だが、歌がサビに差し掛かろうとした時…「ちょっと待て」とばかりに舞台にズカズカと上がり込んでくる者たちが。警察だった。彼らはカンブレが歌を歌っているだけなのに身柄を拘束。そのまま拘置所まで連行していく。
 ▼すると、これまで有効に機能していたかにみえた、非日常の空間から生み出される「特殊な力を持った言葉」と、その言葉が向けられるべき「宛先」との関係が、急激に狂い始めていく…
 ▼「彼が逮捕された理由は何だ?」…その後、カンブレの弁護士となるヴィナイが拘置所に駆け付け警察に問う。すると、彼らはこんなことを言い始める。
●「先日、ムンバイのマンホールで、下水道の清掃作業員の死体が見つかった。彼は自殺をしたのだが、その原因はカンブレにある。」
●「なぜなら前日、カンブレは付近の集会で自殺を扇動する歌を歌っていた」
●「その歌に扇動され作業員は自殺した疑いがある。よってカンブレを自殺教唆で起訴する」……
▼カンブレが歌を歌った後、近くに住んでいた人が自殺したから彼には罪があるという…あまりにもな論理だが、結局、この論理が通り彼は裁判にかけられることとなる…
 ▼そこではまさに「不条理劇」としかいいようのない「法廷劇」が展開する。
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▼弁護士ヴィナイが「殺人罪が通るには、被害者を殺す理由がいる。カンブレは何が理由で清掃員を殺したのか?」と、もっともな追求をするが、すぐに「時間切れ」で次の裁判となってしまったり…
▼検察側も「100年前の法律」を引っ張り出してきて裁こうとしたり…
▼「検察側証人」は金で雇われた人物らしく、別の裁判でも「証人」として現れたり…
▼一体、何を正そうとするためにこの「裁き」は行われているのか?誰の利益を守ろうとしてこの「裁き」は行われているのか?
▼法廷という劇場が生み出す「法の言葉」=「特殊な力」は、誰のために使われているのか?
 ▼その後、この裁判と並行し「特殊な力」��宛先を失った不条理劇は、映画のそこかしこに拡散していく。
▼「カンブレ事件」を担当する女性検事が休日観に行った「国立劇場」では、他州出身者の排斥をネタにしたヘイトスピーチまがいの喜劇が上演されていた。それを観客たちは楽しそうに観劇している。これは「国民という仲間たち」のために作られた「国立劇場」で上演されるべき演目なのか?
▼また、裁判中に、カンブレはとあるイベント会場で歌うことになるが、そこでは彼の民衆詩が歌われた後、アイドル女子5人組によるダンサブルな歌と踊りが展開される…これは、一体、誰に向けたショーなのか?「民衆詩とアイドルソングが聴きたい観客」とはどんな人たちなのか(笑)?(どこか、近年の「紅白歌合戦」を観ているようでもあるが…)。
 ▼人の人生にも大きな影響を与える「特殊な力を持つ言葉」を誰が誰のために使うのか?映画では「力」と、それが振り向けられる「宛先」が、次第に結びつきを失い、舞台が「不条理劇」と化していく様子が描かれる。
 ▼そして、それと並行して描かれるのが「インド社会のバラバラ化」だ。
▼映画では、法廷劇とクロスしながら、弁護士、女性検事、裁判長、彼らの家族など、様々な人間たちの日常生活が描写される。
▼そこに映し出されるのは、ワイン片手にノートパソコンをいじりながらオシャレな部屋で仕事をする弁護士、下町のアパートのような家で子供を育てながら暮らす検事、そして郊外の大邸宅で大家族と暮らす裁判長、さらには裁判長一族の会話中に登場するIT企業に入り数年で自分たちの年収を追い抜く親類の息子…
▼互いを「仲間」だと思うには、かけ離れすぎてしまっている彼らのライフスタイル。こうした「バラバラ化」が、「同じインド社会を生きる市民」という仲間意識を蒸発させる。そして、そのことが舞台の宛先の消失をもたらしている。この映画はそう言っているように思う。
 ▼インドはカースト社会。だから、もともとバラバラだったのでは…という考えもある。しかし、カースト社会下では、各階級でバラバラだったとしても、「この階級はこうだからこう振舞う」「あの階級はああだからああ振舞う」といった「カースト社会というもの」についての「共通感覚」はあるはずだ。
▼しかし、おそらくこの映画で言いたいことは、その「共通感覚」���らも蒸発してしまっているということではないか。
 ▼インドについてはほとんど知識がないので、まともな分析など自分にはできない。それでも教科書的に書けば、①インドでは20世紀初頭より、ガンジーらによる非暴力運動が起こりイギリスから独立。②1947年にムスリムの多く住んでいた地域がパキスタンとして分離した後、ネルーによる統治が続く。③しかし、1970年代後半より政治が混乱。④そして混乱鎮圧��の80年代以降は、インディラ・ガンディーによる強権的な社会主義体制が続くことに。⑤また、それと並行して80年代後半より、ヒンドゥー・ナショナリズムをかかげるBJPらが勃興。そして冷戦終了による社会主義政権の崩壊にあわせ、彼らはムスリムらを押しのけながら勢力を拡大。その結果、2014年には、彼らのシンパであるモディ首相をインドのトップに据えることに成功する。⑥当選したモディは「モディノミクス」など独自の経済政策を打ち出し、その過程でムスリムが多く住んでいるグジャラード州の成長にも寄与。これは「グジャラードモデル」などとも呼ばれるが、この成功もあり、これまでBJPの敵対者の多かった州でも得票数を伸ばす。そんなこともあり政権は安定度を増している…とも言われている。
 ▼一見すれば、インドはヒンドゥーナショナリズムをベースに統一が進んでいるようにもみえる。しかし、研究によれば、③による政治混乱の後、インド社会ではそれまであった各階級の要望を吸い上げ、議会にはかってくれる政党政治が機能しなくなった。それゆえに、不満を持つ人を押さえつけるための強権政治が採られたり、新興勢力であるBJPが伸張した側面がある、という。
▼だとするなら、③の時点で「共通感覚」の喪失が始まっていたのではないか。議会政治が機能するには、階級や立場が違う人間に対しても「最低限の仲間意識」が必要になる。議会で議論して出る結論は、たいていが「妥協の産物」だ。いろんな集団の思いがぶつかり合うため、ある集団の利益が100%確保されることはない。それでも出た結果に納得するには「まあ、あいつらだって仲間なんだから」という同朋意識が必要になる。そうでないと「あんなヤツらが得する結論なんか、納得できるか!」と議会のちゃぶ台返しが始まってしまう。
▼インドでは、①②の時代にはあった「俺たちはイギリスから独立した仲間」という共通感覚が、③の時代を経る過程で蒸発していき、そのせいで政党政治が機能不全に陥ったのではないか。
 ▼そして「仲間意識」や「共通感覚」が消えていく時、人は互いに疑心暗鬼となってしまう。「あいつらは信用できるのか?」「ヤツらへの配慮を優先すれば、自分の生活はおかしくなるのではないか」…
▼もちろん、その疑心暗鬼は自分にも跳ね返ってくる。だからこそ「俺は信用できるやつだ」「おかしなところのない普通のやつだ」と、絶えず自分の「正常さ」を主張せねばならなくなる。
▼それはさながら「我々の中に人の顔をした狼が混じっている。今日中にそいつをみつけ出さなければ、明日の朝には、我々の誰かが死んでいる。だから早く狼を見つけ出せ!」という「人狼ゲーム」のようだ。
▼この「人狼ゲーム」状態ゆえに、人は絶えず「自分は狼ではない」と主張せねばならず、反対に「狼の疑いのあるやつは追い出せ」という強迫観念に駆られていく。
▼そんな「人道ゲーム」的状況こそが「俺たちはこの国のマジョリティであるヒンドゥーだ」「狼予備軍のムスリム(など)を追い出せ」というBJPの勢力拡大を支えているのではないか?
▼とするならば、⑥モディ政権の安定は、仲間意識の回復というよりも、その崩壊ゆえの「人狼ゲーム」状態の徹底こそを意味しないか。
 ▼同じ社会を生きるという「仲間意識」や「共通感覚」の蒸発と、それが引き起こす「人狼ゲーム」的状況。そのことが引き起こす「劇」の宛先喪失と、それゆえの、誰が誰のために力を使っているのか分からなくなる不条理劇化…
▼映画では、ラストに印象的なシーンが描かれる。それはこんな光景だ。
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「カンブレ裁判」で裁判長を務めた男が、休日、一族を招いて庭でパーティをしている。その後、日差しや風が心地よかったのか、男はベンチに座りながらウトウトとしはじめる。その時、「ワーッ!」と、一族の少年が眠りかけていた彼を驚かす。すると、ビックリして飛び起きた男は、カッとしたのか子供をすごい力でひっぱたく。さほど悪気はなかったのに、思いっきりはたかれたため泣き出してしまう少年…
▼「何もそこまで叩かなくても…」と観ていて思わず笑ってしまう。
 ▼だが。社会の安らかな眠りを脅かすものは、どれも「ワーッ!」という意味不明なイタズラの声に聴こえてしまう。「仲間が発した心の叫び」などとは到底受け取れない。だから、カッとしてしまい理由など度外視して反射的に暴力をふるってしまう。その様子は端からみれば、理不尽で不条理にみえ、思わず笑ってしまう。
▼いまやこの社会における「裁き」とは、そのようなものになっている…そう映画は言っているように思う。もちろん、この指摘は「インドの話」に留まらないことは言うまでもない。
 ▼と、ここで感想を終えようと思っていたが、優れた映画は、「今」のみならず、社会の「未来」をも指し示す。
▼この映画が生み出されてから3年後の今年、インドでは世にも不条理な騒動が起きている。いわゆる「青い鯨」騒動だ。
▼「青い鯨」とは、ロシアで開発されたとされるSNSを使ったゲームプログラム。
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▼これをダウンロードしたプレイヤーは、匿名の管理者から約50日に渡って指示を受け続ける。その指示は、「朝4:20に起きろ」「1日中ホラー映画を観続けろ」といった比較的実行可能なものから、「腕を自分で傷つけタトゥーを彫れ」などとエスカレートしていき、最後には「線路に飛び込んで自殺しろ」といった過激なものになっていく…。
▼「青い鯨」というゲーム名は、シロナガスクジラが、砂浜に打ち上げられ、集団で最期を遂げる習性があることに由来するそうだ。
▼プレイヤーは指示どおりに行動したらその度に、自撮りの証拠写真をSNSにUPしなければならない。できればフォロワーたちから「やるじゃん!」と称賛を浴び、できなければ「ヘタレが!」とディスられる。それが嫌で、プレイヤーは過激な指示であっても、チャレンジせざるを得なくなり、最後には線路脇で「人生最期の自撮り」をしてそのまま走る列車に飛び込んでしまう…
▼実際には、SNSの同調圧力だけでなく、「ゲームをやめたり、警察に通報したりすれば、お前や家族を襲う」とゲームマスターから脅迫され、怖くて抜け出せなくなった…といった事情もあるようだ。
▼なおロシアでは、このゲームの影響で2015年~16年の間に130人もの自殺者が出たそう。それゆえ開発者の男は「自殺教唆」で捕まっている。
▼だが、彼を捕まえても、すでに類似のプログラムがいくつも立ち上がっており、そのうちの1つが、インドに飛び火。今年に入ってからインドでは、3人の少年少女が、このゲームの影響で自殺に追い込まれたとされる。
(それにしても「非暴力の運動」により、社会の変革を成し遂げたこの国で、今、別の非暴力=自殺による社会からの離脱が起きていることは、とても皮肉なことだ。そして、このことは社会にとって大きな脅威でもある。何しろ、少年少女たちに「この社会は生きるに値しません。ゲームで死ぬ方が楽しいです」と突きつけられているのだから。)
 ▼さておき。開発者とは縁もゆかりもない少年少女たちが「ゲームにそそのかされ」自殺を遂げる。その光景は、歌い手とは縁もゆかりもない清掃員が「歌にそそのかされ」自殺を遂げるという「不条理な起訴」を描く、この映画とよく似ている。
▼映画を観ているときは、「なんて不条理なでっちあげ事件なんだ」と思っていたが、まさかそんな「不条理」が現実にも起きてしまうとは…
▼事件の異様さにおののくとともに、映画の「予言力」にも圧倒される。
▼だが、同時にいろいろなことを考えさせられもする。
▼一番強く思うのが、「この事件で自殺教唆は成り立つのか?」ということ。日本でも、大学生の男が交際中の女性に、「死んでくれ」とLINEで執拗にメッセージしたことが原因で、彼女が自殺したという事件があったが、この場合、彼氏と彼女は互いに互いを知っている。だから、彼が彼女を憎んで殺そうと思ったという殺意が��定できるし、それを実現するために「自殺教唆」をしたととらえることもできよう。
▼しかし、この「ゲームの開発者」とプレイヤーたちは互いに互いを知らない。だから「開発者」は、各々のプレイヤーたちに殺意はない。「このゲームで誰かが死んだら面白いな」という感覚はあっても、「このゲームで“あいつ”が死んでほしい」とは思っていないはずだ。
▼それならば、トラックで街中に突っ込む「テロリスト」だって同じだろうという意見もあるだろうが、少なくとも彼は、自分で手を下している。
▼しかし、この場合は自分では手を下していない。しかも、ゲームは開発者の手を離れ、改良され、「匿名化」しているのだとしたら、一体誰が「自殺教唆」をしていることになるのか?SNSで同調圧力を加えている全員か?
 ▼これらを図示するとこうなるだろう。
▼まず、縦軸に「既知―未知」の軸をとる。そして横軸に「直接―間接」の軸をとる。すると、Ⅰ:直接・既知を殺人。Ⅱ:間接・既知を殺人。Ⅲ:間接・未知を殺人。Ⅳ:直接・未知を殺人…となるだろう。
▼各象限の例を挙げるなら、Ⅰは、通常の殺人。Ⅱは、一般的な自殺教唆。Ⅳは、無差別テロ殺人。そしてⅢが、「裁き」で言う「カンブレ事件」であり、今回の「青い鯨騒動」のようなケースとなる。
▼しかし、おそらく社会は、Ⅲのようなケースを想定していないのではないか?なにしろ未知の人間が、間接的に人を自殺に追い込むというのだから「誰が誰に何をしたくてそうするのか?」よくわからない。
▼こんな時、一体どうやって被害を食い止めればいいのか?もし日本で起こったらどう��るのか?それこそ、このSNSに関わった時点で「共謀罪」でも使って逮捕すればいい…といった考えも出てくるかもしれない。
▼もちろん、自分だってあの法律は、「オリンピックのテロ対策」とも「パレルモ条約」とも何の関係もない理不尽なものであるとは思っている。いや、共謀罪以前に、日本には「抽象的危険犯」なるカテゴリーがあり(「スピード違反」など、それが起きた時点でただちに社会に害はないものの危険だとされる行為)、その処罰範囲が他国に比して大きいため、もともと警察の権力が大きすぎるという問題がある。そのうえに共謀罪が乗っかると、国民の自由はさらに制約されてしまう。「もうスターリン国家じゃないんだからやめてくれよ」とすら思う(ちなみに、俺は「パヨク」ではあるが、スターリン型旧左翼を批判する「オルタレフト」なのであしからずww)。
▼しかし、それでもこの未知の事態に、我々の社会は一体どんな「裁き」を下せばいいのだろうか?いや「裁き」以前に、このような騒動が起きないようにするにはどうすればいいのか?引き続き優れた映画を観ながら考えていきたい。
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