#昨晩のお月様
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書影出とった 昨晩のチンおじが告知お漏らししたみたいになっとるやないかい
下巻の表紙は蛍火キャラの中でカラー映え一番の伴ちゃんにしました。
書店で通りかかった変態虫たちの目を引けますよう… がんばれ小物全部乗せばんちゃん
帯は上巻の時も言ったけど何にも知らないいたいけミリタリーおじさんが「あ!零戦だあ!」と間違えて買ってしまわない様に、クセ強の文言にしています。
最初は「勃起をしたのは〜」にしようとしたけど普通に会社からNG食らったのでこっちになったと聞いた。
シーモアさんだけ描き下ろしイラストの特典が付きます。
値段高いですが背表紙の幅3センチくらいあります
12月9日 開戦の次の日 よろしくどうぞ…!
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は雨が降ったり止んだりのお天気です。
昨日は朝からかかりつけ医さんへ定期検診。
前日の市民検診で受診しなかった、特定健康診査をしてもらうため、朝ご飯を食べたので3.5時間空けての、アレコレと検診…
2か月前の定期検診時に、数年前から高くなってきた血圧を、先ずは1か月測ってみましょうとの事でしたが、その後も出張やらアレコレとあり、中々毎朝晩の測定が出来ずにおりましたが、病院での過去からのデータやら最近のデータやらで、飲みたく無かったのですが、弱いお薬を服用する事になりました。
50歳を過ぎ身体も変わって来ている様です…
そして昨夜のオラ家の晩酌セットは、川連漆器で竹の子の小味噌煮とうどの雑魚炒めで一杯し、蕨たたき入りのタコライスで晩ご飯。
今日もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今日も、良い一日と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #50歳からの身体づくり #高血圧 #オラ飯 #オラ家の晩酌セット #オラ家の晩ご飯 #伝産法改正 #個人の未来と産地の未来 #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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250103
朝、柴田聡子の雑感が頭の中で流れている。 今日も日の出くらいの時間に目覚める。 今の私には12時就寝7時起床がちょうどいいらしい。
9月の日記を打ち込んでいたら、わたしはつくることを仕事にはしない、と書いていた。 そうだった。だから、お金を稼ぐためには仕事を増やさなければならなかったのだ。
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250104
車の温度計が-15℃を表示していた。 痛いくらいに空気がつめたい。 アルバイトをして、神奈川から帰ってきた彼とインデアンでカレーを食べる。 この1週間でわたしは少しやせたらしい。 ひとりで生活することになると、あまり量をたべなくなる。 彼は少し太った。
夜、そろそろ寝よう、という気になって制作がはかどってしまい、ねるのが遅くなった。 こうしたらいいかも、の連鎖。 明日のためにもうねよう、と切り上げて、ねた。
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250105
朝、ストーブが点く前に目覚めてしまい、少し布団にもぐっていた。 太陽はすごい。どんどん世界を朝にしていく。
個展の作品を郵送する。 どのような状態にしたら無事につくのかわからなくて、何度も彼に確認してもらう。 緩衝材が足りなくて、折りたたんだダンボールやストール、ざぶとんを詰めてみた。
晩ごはんはガストのチーズinハンバーグ。想像よりもチーズがたんまりでおいしかった。
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250106
アルバイトをして、大学での仕事。 疲れたつもりはなかったけれど、疲れていた。 雪がゆっくりと落ちていて、きれいだった。
ここ数日、個展の準備で余裕がない。 そして、その様子をみた彼が連動して気分を崩してしまう。 ひとりでいたい。アトリエがほしい。
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250107
朝、アラームは何度も鳴るのに起きられなかった。 イライラしている人をみて、嫌な気分になる。 どうしてわたしたち、一緒に暮らしているのだろうね。
仕事。 人と会話することなく、もくもくと手を動かす。 あまりにも気がらく。 帰って来てからはずっと個展の準備をしていた。 お腹がぼんやりと痛い。
この間、テレビでローソンのスイーツ特集をみてから彼がせっせとローソンのスイーツを買って帰ってくる。 昨日は濃厚なチョコクレープ。今日は調和のとれたモンブラン。おいしかった。
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250108
朝、肩が痛い。 ばたばたと荷造りをし、たくさん忘れ物をして、飛行機にのった。 空にいるといつもは近すぎてわ��らない大地の全体を眺めることができて、嬉しい。 東京につくと、寒くなくて、春がくるんだ、と思った。 肌が空気に触れていても痛くない。北海道の寒さの厳しいことを思い知る。最高気温も氷点下の世界のつめたさ。
陶器のトリを買う。 父の還暦祝い。 角のないフォルムが可愛らしい。ずっと寄り添ってくれるといい。
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Maomao no Hitorigoto Episode 29: “Moths” / 猫猫のひとりごと 第29話 『蛾(が/Ga)』
→Link to X
Please note that the English lines are just my translation.
I'd appreciate if anyone of you would advise me about red-colored sentences.
猫猫「今回も一時(いちじ)はどうなるかと思ったが、特使たちのあの驚(おどろ)きようと言ったら…フフフ~ン。それにしても…月の精は文句(もんく)(もんく)のつけようもない完成度(かんせいど)だったな…うわあああ…猛毒(もうどく)と同様(どうよう)、人を狂(くる)わせる威力(いりょく)を持っている…。厳重(げんじゅう)に封印(ふういん)しておかねば」
Maomao “Konkaimo ichijiwa do-narukato omottaga, tokushi-tachino ano odoroki-yo-to ittara… Fufufuuun. Soreni-shitemo…tsukino seiwa monkuno tsuke-yo-mo nai kansei-do dattana… Uwaaaa… Modokuto doyo, hito’o kuruwaseru iryoku’o motte-iru… Genjuni fuin-shite-okaneba.”
Maomao “I was worried about what would happen for a while this time too, but the envoys were that surprised…Hehe. But anyway…the moon spirit was perfect, beyond reproach… Uwaaaah…it had the power to drive people insane, just like deadly poison… We must seal it away securely.”
一時は(いちじは、いっときは/Ichijiwa, Ittokiwa): for a while
AのBと言ったら…(AのBといったら…/A no B to ittara…): How B A was…, (I felt XXX) with the result that A was that B. Sometimes it continues like 「特使たちのあの驚きようと言ったら、予想以上(よそういじょう)だった」: “The envoys’ surprise was beyond my expectations.”
完成度(かんせいど/Kansei-do) = 完成(かんせい/Kansei): perfect + 度(ど/do): degree, level
〇〇度 = the level of 〇〇
壬氏「薬屋。またひとりごとか?」
Jinshi “Kusuriya. Mata hitorigoto-ka?”
Jinshi “Apothecary. Are you talking to yourself again?”
猫猫「壬氏様。大役(たいやく)、お疲れ様でございました」
Maomao “Jinshi-sama. Tai-yaku, otsukare-sama-de gozai-mashita.”
Maomao “Master Jinshi, thank you for your hard work on this important role.”
大役(たいやく/Tai-yaku): a big role, an important role
Don’t read it as “Dai-yaku” because “Dai-yaku” means another word 代役(だいやく): substitute.
壬氏「お前こそ、ご苦労(くろう)だった。…しかし、月夜(つきよ)に舞(ま)う光(ひかり)の正体(しょうたい)が、蛾(が)だったとは…」
Jinshi “Omae-koso, gokuro datta. …Shikashi, tsukiyo-ni mau hikarino shotaiga, ga datta-towa…”
Jinshi “Thanks, but it was really thanks to you. …But I never imagined that the light dancing in the moonlight was actually moths…”
Does “Thanks, but really its you.” work? I got it from Google Translation but I’m not sure if this phrase is okay with “its” instead of “it’s”. Anyway, the meaning is “Thanks, but it’s really you to have worked hard.”
正体(しょうたい/Shotai): true identity, true character, what it really is
猫猫「はい。虫に詳(くわ)しい知人に助けられました」
Maomao “Hai. Mushi-ni kuwashii chijin-ni tasuke-rare-mashita.”
Maomao “Yes. I was helped by an acquaintance who knows a lot about insects.”
知人(ちじん/Chijin): an acquaintance
助けられました(たすけられました/Tasuke-rare-mashita): was helped
Verb + される、られる = be 〇〇ed (passive voice)
Verb + される、られる can be also used in Keigo (honorific form). So, many Keigo change their forms;
言う(いう/Iu): say → Keigo…おっしゃる(Ossharu), Passive…言われる(いわれる/Iwareru)
食べる(たべる/Taberu): eat → Keigo…召し上がる(めしあがる/Meshi-agaru)/お食べになる(おたべになる/Otabeni-naru), Passive…食べられる(たべられる/Tabe-rareru)
猫猫「ここで、猫猫の豆知識。蛾の中には、尾状突起(��じょうとっき)と呼ばれる器官(きかん)の長さでオス・メスを判別(はんべつ)できる種類(しゅるい)が存在(そんざい)する。メスはオスに比(くら)べて突起(とっき)が短(みじか)い」
Maomao “Kokode, Maomaono mame-chishiki. Gano naka-niwa, bijo-tokki-to yobareru kikan-no nagasa-de osu mesu’o hanbetsu-dekiru shuruiga sonzai-suru. Mesuwa osuni kurabete tokkiga mijikai.”
Maomao “Here’s Maomao’s bits of knowledge. There are some species of moths whose males and females can be distinguished by the length of an organ called a tail-like prongs. Females have shorter prongs than males.”
猫猫「判別をしてくれた子翠と小蘭に、月餅(げっぺい)でもごちそうするか」
Maomao “Hanbetsu’o shite-kureta Shisui-to Shaoran-ni, geppei-demo gochiso suruka.”
Maomao “I’ll treat Shisui and Xiaolan to some mooncakes (or something) for helping me figure it out.”
壬氏「…して、いつ切れるのだ?」
Jinshi “…Shite, itsu kireru-noda?”
Jinshi “…So, when will this end?”
猫猫「は?何のことでしょうか?」
Maomao “Ha? Nanno koto deshoka?”
Maomao “Huh? What do you mean?”
壬氏「だから、蛾がついてまわる効力(こうりょく)は、いつ切れるのかと聞いている。昨晩(さくばん)から離(はな)れなくてな…」
Jinshi “Dakara, gaga tsuite-mawaru koryokuwa, itsu kireru-noka-to kiite-iru. Sakuban-kara hanare-nakute-na…”
Jinshi “So, I’m asking when the moth’s effect will end. I’ve been unable to get away from them since last night…”
猫猫(どういうことだ…?衣(ころも)に付けたメスの匂(にお)いは既(すで)に取(と)れているはず。人だけでなく昆虫(こんちゅう)まで狂わせるとは…!恐(おそ)ろしや…ささささささ…)
Maomao (Do-iu kotoda…? Koromoni tsuketa mesuno nioiwa sudeni torete-iru-hazu. Hito-dakede-naku konchu-made kuruwaseru-towa…! Osoroshiya… Sasasasasasa…)
Maomao (What’s going on? The female scent on the clothes should have already worn off. He’s driving not only people but insects crazy too…! How frightening…! Sneak, sneak, sneak…)
恐ろしや…(おそろしや/Osoroshi-ya…): How frightening…!
Adjective + や = How (adjective)!
(This way of saying is old and not often used today.)
壬氏「薬屋!どこへ行く!」
Jinshi “Kusuriya! Doko’e iku!”
Jinshi “Apothecary! Where are you going!?”
猫猫「次回(じかい)、『みたび、水晶宮(すいしょうきゅう)』。またあそこに何かが隠(かく)されている…」
Maomao “Jikai, ‘Mitabi, Suisho-Kyu’. Mata asokoni nanika-ga kakusarete-iru…”
Maomao “Next episode, ‘The Crystal Pavilion, for the Third Time’. Something is hidden there again…”
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2024/12/29

12月29日 美容院へ行って、ぬいぐるみを洗って、土手へ下りた日。 朝の美容院の予約へ向か��道中、年末にやっておきたいことが頭の中でわ〜〜っとなり始めて、別に12月31日と1月1日なんて1日しか変わらないのに、2024年年末までに私が自分の個人的な何かをしたところで、できなかったところで何も起きないのに、それでも突然に「やらなくては!!!!」となってしまった。 2024年のことについてインターネットに置きたい言葉や写真の準備や、なるべく日記の更新をしたいことや、年賀状を12月31日までに出したい事など、頭の中でどうしたってあと3日間しかない今年中に済ませたい事の計画を立てていた。

同時並行で生活の不足しているものや、年末年始のお休みに生活を整えるべく、生活用品の在庫を思い出しながらamazonの注文をした。
昨晩、30枚買った年賀状の宛名を書いていたら全く足りていないことが発覚。 予約した時間まで少し余裕があったので、ナチュラルローソンでインクジェットはがき10枚を買おうとレジへ行くと「もうバラのハガキ2枚しかないけどどうしますか?」と言われる。 とりあえず2枚だけ買った。

美容室ではいつも通りただ座っていた。 今日はとてつもなく眠たくて、髪を切ってもらっている間もうとうとしてしまいそうで、そのせいで美容師さんのカットの手を煩わせてしまうのでは…と睡魔と戦った。
こんなにも担当の美容師さんと会話をしなくていいのか…?!と、少し不安になるくらい、他の席のお客さんと美容師さんは和気あいあいと何かを話しているのに、私の担当の美容師さんは最低限の確認の会話くらいしか話してこなくて、私もそれに、はいやいいえで答える程の会話しかしない。 いつもこんな感じなので気まずさも全くないし、でも今日は改めて、なぜこの美容師さんを私は選び続けているのだろう?と思ったし、美容師さんももしかしたら、なぜ自分が私に選ばれ続けてしまっているのだろう?と思っているのかもしれない、と考えていた。

頭が痛すぎて、一回帰宅してロキソニンを飲んで、ぬいぐるみを洗った。 毛並みが水に濡れていく様子が良かった。 水から上がって毛並みがぺったり張り付いている感じも可愛かった。
まだ明るい時間の夕方にカメラと三脚を持って土手へ行った。 今日は私以外にも三脚を立てて何かを待って、何かを撮影しているおじさんが3人くらい土手にいた。
前回歩いたところまで行って、初めて土手の下の河川敷の野球場へ降りてみた。 何枚か撮影してフィルムを撮り切ったので明日現像に出したい。 ちょっと出かけるつもりで、防寒対策をそこそこに撮影とお散歩に出てしまったので体が冷え切ってしまったし、へとへとになってしまった。

最寄りのファミリーマートに行くと、まだ年賀状が販売されていてインクジェット10枚セットを購入できた。
こ��町で5回目の年末年始を迎えている。 毎年この木材屋さんは次の干支の絵を木材の断面に描いた絵を飾っているな、とか、このスーパーは元旦もやっているな、とか、年末年始の土手って空が紫だよな、とか、ちゃんとこの町(アド街ック地獄!)の恒例を自分なりに掴みつつある気がした日だった。

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2025年4月21日(月)

三重県紀北町・奥川ファームから隔週に届く定期便、昨晩届いたものを紹介しよう。いつものように、平飼い有精卵・特別栽培米・畑無農薬野菜・手打十割蕎麦・手作りパン、そしてこのところメンバー入りしたのが金沢のお酒、さらにこの時季ならではのアオサだ。ご母堂の介護と田植えが重なった超多忙な様子、心配するだけで何の力にもならないのだが、奥川さん、どうぞ睡眠を十分にとって体調管理にご留意ください。

5時30分起床。
洗濯開始、天気が良いので布団カバーを洗うことにした。

朝食を頂く。
洗濯物を干して、2回目の洗濯開始。
珈琲を入れる。
2回目の干し物。
奥川ファームに今月分を振り込んで、来月分を予約する。
8時40分、二男が出勤する。

五条七本松のセブンイレブン、そして西大路七条のセブンイレブン、ウォーキング兼ねて落語会のチケットを発��する。最後にコレモ七条店で買物、今日は牛乳が安い日だ。
前の職場から源泉徴収票が届く、確定申告しなければならないので、来年の住民税が厳しくなるなぁ。

ランチ、三男にはサッポロ一番塩ラーメン、彼女にはツナチャーハン。
買い物したあとで、彼女が自転車で出勤、今日は訪問1件。
私は軽く午睡。
洛友会(農学研究科の同窓会)からメール、一昨日の情報更新(=退職したこと)を確認したとのこと。
あちこちメールアドレス変更の連絡。
セブンイレブン梅小路店へ、イープラスで購入した落語会のチケット発券。
17時、彼女が帰宅。

今夜の夕飯、鰆の塩焼き・タケノコとソーセージのバター炒め���新ジャガの甘辛煮・レタスとトマト。
録画番組が無いので、早めに片付ける。
ウトウトしかけたが、彼女に起こされて入浴、体重は50g減。
パジャマに着替えて日誌書く。

久しぶりの12,000歩越えは嬉しい。
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今から数年前に1万円で家を売った。 5月のある朝、突然携帯電話が鳴り、誰かと思ったら母からだった。 今、A県(亡き父の実家のある県)の警察から電話があって、伯父(父の兄)が遺体で発見されたと連絡が来たとのこと。家の中を捜索していたら、母の名前と電話番号があり電話してきたと言われた。しかし、持病もあるので息子と話してみると伝えたと。 簡単に言えば、遺体の引き取りの件で連絡が来たということだ。 父は今から30年ほど前にすでに他界してる。そして父方の実家には父の兄である伯父が単身で住んでいた。年にして80歳ぐらいだっただろうか。 その連絡が来る、1~2週間前にふと気になり、母に父方の実家の名義は誰になっているか尋ねたところ、私だと言う。 祖父が昭和30年代に建てたらしいが、その祖父が亡くなり、祖母の名義になり伯父は独身で祖母と伯父の二人暮らしだった。そして祖母も亡くなり、伯父の名義になっているかと思っていたが、弟、次男である父の名義であると以前聞かされていた。 そして、父はがんで今の私の年齢のぐらいで30年ほど前に亡くなった。そこで長男である私が自動的に相続していたようだ。 その後、父方とは音信が途絶え、関わりもなくなり、まさかと思い尋ねたら私名義だったと言うことだ。 これはまずいと思い、ネットで調べてみたら名義変更の相談は最寄りの法務局でとあったので、法務局の連絡先などを調べていたところ、伯父が急死した。 警察に電話をしたところ、死後3日ほど経っているが、検死の結果、事件性もないと判断した。よって遺体の引き取りをお願いできるかと言うことだった。 ふと、考え込んでしまった。あの家の名義は私ではあるが、音信不通になっていた期間は数十年。なぜ私が?と。 そこで私が迎えに行かなかった場合どうなるのかと担当刑事に尋ねたら、無縁仏に入ることになりますと。ああ、菩提寺あったなと思い出した。しかもそこのお寺のご住職は同級生でよく遊んでいたと父からも聞いていた。 仕方ない。迎えに行きますと答えた。そこからとりあえずで準備して、そのまま新幹線に乗り、レンタカーを借り、夜中の10時過ぎに警察署についた。 当直の職員に名乗ると、ああ、とすでに理解しているようで担当の者を呼んできますといい、取調室のような、応接室へ通された。他の刑事さんがお茶を持ってきてくれた。遠いところお疲れ様でしたと言うような挨拶はしたと思う。 担当の刑事さんともう一人の刑事さんがやってきて名刺を渡され、状況の説明と見つかった所持品の説明を受けた。 庭で発見され、全く外傷はなく、さらに雨風もなかったので全く汚れなどもない状態で発見され、検死をお願いしている大学病院でも、CTなどを撮ったが内臓からの出血もなく、外傷もなく、事件性はかなり低く、さらに病気も見つからなかったと言う。よって自然死としか言いようがないとのことだった。いわゆるぽっくり逝ったようだ。庭で作業していて心臓が止まり、そのまま亡くなったらしい。 発見は新聞配達の方が新聞が溜まっているのを見て、地元の民生員さんに連絡してくれて、110番して、警察が発見したとのこと。ありがたい話だ。 そして遺体安置所へ案内され、遺体と対面した。冷凍で安置されていたためか少し霜柱が鼻などについていたが間違いなく伯父であった。 再度、応接室に戻り、今後どうされますかとのことだったのでできれば、明日には荼毘と納骨は済ませて帰るつもりだと伝えると、遺体を一晩預かってくれる葬儀屋を紹介してくれた。葬儀屋さんが来ると手際よく、ワゴン車に棺を乗せた。刑事さんたちにおせわになりましたと挨拶をし、葬儀屋さんへ向かった。 一晩預かってもらうことができ、明日に運良く火葬場で荼毘ができるとのことだった。明日の朝再びこの葬儀屋で待ち合わせとなった。 料金は一晩で25万円とのこと。後払いで結構ですのでと気を遣ってもらった(?)振り込み用紙を折りたたみ財布に入れた。 とりあえず遺体は置いておけるが問題は自分だ。0時も回って今から泊まれる��ころはありますかねと相談したところ、葬儀屋さんが探してくださり、駅前の東横インに泊まれると。そのままレンタカーのナビに目的地を入れて向かう。 ホテルにつき、カウンターで支払いをする。一晩朝食付きで1.2万円ほど。 部屋へ行き、スマホの充電を繋ぎ、シャワーだけ浴びて、そのままベッドへ。はー、来てよかったと思った。 朝、ホテルで朝食を食べ、再度葬儀屋へ。途中コンビニにより、ATMで3万ほど下ろした。 葬儀屋さんの案内で火葬場へ。そのまま荼毘へ。焼き上がるまでお茶を飲んで待つ。荼毘を待つのはいつ以来だ?母方の祖母か?あれ?どっちが先だったか? そして、骨を広い骨壷に収めてもらい。挨拶をして、骨壷を助手席に乗せて菩提寺へ向かった。着いてから気づいたのだが、事前に連絡できなかったなと。 しかし、ご住職に会うと、事情は知っておりますとのことで話は早かった。このまま納骨させてくださいと伝えるとわかりましたと。その場で埋葬許可証を渡し、父方のお墓まで行き、納骨を済ませたところで、大変少なくて失礼ですが、こちらをと先ほどのコンビニでおろした3万円を包んだ封筒を渡した。ご住職はいえいえと恐縮されていたが、こちらとしても始末をつけねばならない。 そして、帰り際にこちらから、これにてこちらの家系は終わり、最後の納骨になりましたので、ひいては年度末に墓じまいもお願いしたくと申し出た。 では、年度末ごろに改めてご連絡しますとのことになった。よろしくお願い致しますと挨拶をした。 そのあとは実家周辺のお宅全てにご挨拶に行った。私は〜家の親族のものです。この度は大変ご迷惑をおかけしましたと、決まり文句を続けた。 全ての方が、まさか私が来るとは思ってもみなかったようで、どちらにお住まいの方?と尋ねられ、伯父の弟の息子で、B県に住んでいる。警察から電話が来て昨日の夜ついて、無事納骨までできたとこれも決まり文句で話し続けた。 皆一様に驚いていたが無事解決してよかったと。 その日は陽が暮れる頃に帰途に着いた。 そして、帰宅してからは「家」をどうするかと言う点だけが気になった。 無人の家に放火、居座られる(これを一番不動産屋が心配していた)、災害による周辺宅への被害は過失になる可能性があるが火災保険には入っていない。 名義は私だが何にも関係はない。住むこともない。なぜ私の名義になったのかはわかる。そして次男である父に名義が行ったのも以前から聞いていた。事情があった。その事情で伯父は孤立無縁だった。ちなみにこの時は血縁関係者は一人も現れなかった。事情は知っているが来なかったと言うことだ。 早く私としても終わりにしたいので、このご時世だ。県名を入れて、不動産売買のサイトで5社ほどに買取の件で一斉送信した。 すると買取不可が3社。仲介販売が1社。建物をこちらで解体したら土地のみを引き取りたいと言う会社が1社返答があった。 ちなみに地域的には限界集落である。バスもない、駅もない。人気もない。 仲介販売は200万円で売りに出しましょうと言う非現実的な提案だったのでお断りした。 引き取りたいと言ってきた会社に連絡をしたところ、いつ現場でお会いできますかと言う話になり、7月ならと。電気もガスも電話も固定資産税なども事情により父、母が支払っていたので、物が腐っても解体するのならいいと思った。冷蔵庫のものは知らんと。 ガスと電話、そして新聞を止めた。特に新聞は支店にも電話して丁重に挨拶をした。支店では事情を皆が知っているようで電話口の女性も同情してくださった。電話も遠くの地だと知るとさらに同情してくれた。 7月。不動産会社の方と現地で待ち合わせした。スーツを着た男性で30代半ばぐらいの方だろうか。お話を聞くと、東京で大手不動産屋さんに勤めていて、出身のこちらに戻ってきて不動産屋を開店したばかりだと言うことだった。 早速、解体についてお話を家の前で立ち話でした。おおよそ200万ぐらいはかかると思うと。家の前の道が狭いのでダンプなどが入れないため、余計に費用がかかるはずとの説明だった。 さらにこちらに来る前に登記簿を取ったが、複雑な登記になっており、道から家の間にお隣の方の土地があると。 お隣の方も出てきていらして、そうそうと。登記の確認の書類を持っていた。ああ、あんた、ここの持ち主さんかい?と。わかる、わかるよと。こちらは幼い頃に遊んでもらったことぐらいしかわからないのだが。 確認書には平成一桁代、つまり父が亡くなり私が自動的に相続した時に、ついでだからどこからどこまでがどうなっているのか確認しようとなり、お隣さん主導で確認し、ビス?を地面に打ってもらったと。そして、その確認のサインがあると言う。 紙をピラっと出してきた。そこには紛れもなく、私の筆跡の名前があった。私はこんな重要な書類にサインしていたのかと。驚いた。全く記憶にない。 ではということで、解体したら引き取りということで良いですかと確認したところ、不動産屋さんが、額に手を置いてしばらく考え込んでいた。 何かと思っていたら、すみません、1万円で引き取らせてくださいと言う。 え?無料でもいいんですが?と返すも、いいえ、それが無料だと色々税金やら何やらと面倒なのでと言うことだった。 売買ではなく贈与ということになるのか?まぁともかく1万円だ。これでおさらばだ・・・と思ったが、200万円の赤字だ。プラス新幹線代、葬儀場代etc...プラス100万になりそう。 話がまとまったところで、後ほど郵送で書類などお送りしますと。そして室内に入ることにした。誰もない父の実家。懐かしい。夏休みにはこちらにきていたが、祖母と父は駅前にマンションを購入し、そこで二人暮らしをしていた。 父は私が小学5年生の時に単身赴任でこちらにきていたが、それから10何年経っても、戻ることなく癌で死んだ。のちに知ったが上司と喧嘩して左遷されたそうだ。 事情により、伯父と祖母と父の3人で住むことなく、父と祖母は家を出たようだ。それも当時は祖母の通院のためと聞かされていたが・・・。今回、死亡して色々わかった。伯父は一族から絶縁されていた。絶縁に法的根拠はないが、一切関わらないということだと思う。 ちなみに村八分は火事と葬儀は協力するが他の8割は協力しないということ。絶縁ももっとすごいと思った。 まさに独居老人だなと思っていたが、生活保護を受けて、元気に自転車を乗り回していたらしい。全くの無病で、慎ましやかに生活されていたと役所の担当ケースワーカーから聞いた。 ところで、25万と火葬費用がかかったので葬祭扶助くださいと申し出たのだが断られた。生活保護は死んだら支給停止なのでと。 は?おかしいでしょ?と言ってもダメだった。 こちらで再度調べたが、やっぱり支給されるようだが・・・。 無知なケースワーカーに当たるとめんどくさい。縁を早く切りたかったので再度役所に出向いたりするのも嫌なので、連絡を取るのはやめた。 室内は死んだ時の状態そのままかなと思えた。布団は万年床になっている感じ。 小さなブラウン管のテレビがあるところに布団が敷かれていた。 電話は薄緑色の回転式の電話。これ。 NTTに解約の電話をしたところ、最後のお支払いで「買取」をしてくれればそのまま捨てても良いとのことだった。数百円だったと思う。で、そのままにしておいた。 問題はこれから真夏の7月に電気を切るので、冷蔵庫の中身だった。 物は独居老人だったので少なかったが、腐り始めているのもあって面倒だったがコンビニで買ったゴミ袋に全て突っ込んで捨てた。 ちなみに靴は脱がなかった。足の怪我が怖かったし、もう思い入れもない。 以前からあった場所に仏壇があった。そこには父からの手紙もあった。どうやら色々と揉めていたらしい。90年代の手紙だった。~の親族には挨拶に行けなど指示的な内容が多かった。 差し出しの住所は父が癌で入院していた病院だった。そして、仏壇の引き出しからは、若い頃の祖母と父、伯父、見知らぬ女の子が写っている写真が出てきた。 その女性は戦前食糧難の時に青梅を食べて食中毒を起こして亡くなったらしいと聞いている。 伯父は結婚したものの、一人娘を交通事故で亡くしており、その後離婚。相手方を見た記憶は私にはない。 さらっと家の中を片付けて、このまま全て処分してくださいとお願いした。 あ、あとケースワーカーから聞いていた、保護費が振り込��れる口座のある銀行にお金が少しは入っているのでそれを葬儀代に当てて欲しいと言われていたので、印鑑と通帳を見つけた。すぐに見つけられるところにあるのは、男一人って感じ。 ではと解体をお願いし、その足で銀行へ行ったところ、受けてくださった行員さんは大変困惑し、私は一体何者なのかという点と、すでに死亡しているので相続の問題があるとのことだった。 何者かを証明するには戸籍謄本などが必要だが・・・と。しかも相続の対象になるかどうか、ここの口座から引き出すことも閉じることも、事実上不可能だと。 相続の対象者は過去に離婚した奥様、そのお子さんなど全てで、私が現金を手にするには、その全員から印鑑をもらわないととダメだという。すると不可能なことになる。これが億などの大金なら、弁護士や何やら雇って解決する方法もおすすめできるが、おそらくそんなに多くはないはずで、他の多くの方もそれで諦めてしまうことが多いと。そのお金はどこへ?と聞くと、不明金として一旦本社に行き・・・おそらく国庫かとという回答だった。 しかし、そこで行員さんが少々お待ち下さいと、上席の方に相談してくださり、支店長まで来てくださり、今回は支店長決済ということで、私の身分証明書、伯父の印鑑、通帳があれば、引き出しと解約をさせていただきますとのことだった。大変助かった。 引き出せた金額は一桁万円。しかも年金だった。保護費は残っていなかった。つまりこの金額だから、支店長決済で対応もらえたのだと思った。 年金が振り込まれているが・・・。これはどうすればいいのかと銀行の方に尋ねるも、これは年金事務所へ行っていただかないと分かりませんということだった。 車で数十分、最寄りの年金事務所へ行った。事情を話したところ、全くどうなるか、わからない、本体の年金機構に尋ねるので時間が欲しいと。どれぐらいかかりますか?と尋ねると。わからないという。 では、年金機構の対応部署を教えて欲しいと尋ねるも、わからないという。どうやって尋ねるのですか?と聞くと、わからないですという。じゃあ、とりあえずどこに尋ねるかわからないけれど、相談は受けるということか。 じゃあ連絡待ってますと伝え年金事務所を後にした。 その後、半年経っても何も連絡が来ないので、年金事務所に連絡したが、わからないという。年金機構のどこに連絡したのかと聞いてもわからないという。 もう流石に話にならないので年金機構の問い合わせに電話したところ、そのような事情はわからないと。担当部署が対応していると思うので年金事務所がそう言っているのなら、連絡を待って欲しいと。え、担当部署はどこですか?と尋ねると、年金機構でもわからないという。あの、仕事していますか? その後、今に至るまで連絡なし。私は葬儀代として考えている。これから返せと来ても一生かけて争ってやる。 さて、家のその後だが、7月に解体のお願いをして、8月に永田町の司法書士事務所にて1万円で売買した。その時に司法書士の立ち会いのもと行われましたという旨が書かれた書類をもらい、名義変更も終わった。これで何があっても私の責任は無くなった。 これで終わりだと思った。一応不動産屋からは解体が終わったらご連絡しますと言われていて、9月とか10月には来るのかなと思っていたら、次の年の2月に連絡が来て、メールには解体されて更地になった土地の写真が添付されていた。土には雪が積もっていた。 今、ストリートビューで見てみたが、まだ家が残ってる。とても嫌な気分だ。 追記、その年度末には一通の手紙が税務署から届いた。何か不動産の取引をしましたよね?納税はありませんか?と。ない、むしろマイナスであると書き込み返信した。すごいよ、税務署の仕事ぶりは。年金機構も見習って欲しい。
1万円で家を売った - カメラが欲しい、レンズが欲しい、あれもこれも欲しい
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【冬仕事】にゃむくまいぶりがっこ

↑ここ数日のばばにゃむくまのご報告。
この日は1月19日。寒さと太陽の熱による気温差で、もわもわと濃霧が立ち込めました。

↑ばばとにゃむくま出動の図。ストックを使いながら出動するばばを、にゃむくまが走って追いかけます。ばばに置いていかれたら、悲しくて泣いちゃうにゃむくまです。そのため必死で追いかける。

↑雪の回廊とにゃむちゃん。ニンゲンの肩あたりまで雪が積もっています。

↑この日は1月21日。樽出し生いぶりがっこと、真空パックいぶりがっこを製造するため、いぶりがっこ樽を開封して大根から出た水分を取り除いています。

↑昨年は猛暑酷暑により大根壊滅状態でしたが、それに比べたら今年はよい大根が沢山採れました。生大根を販売したり、こがね漬けにしたり、いぶりがっこにしたり、大根はいろんなものに変身できる天才野菜です。
いぶりがっこは、生も真空パックもどちらも、樽から出してから、予洗いしてこぬか等を落とし、本洗いしてシワの隅々まできれいにし、カットして規格を整えて、一晩ガス抜きして、袋詰めして、真空パックは加熱殺菌して、冷水で冷やして、ひとつひとつ水気を拭いて、ラベリングして…という数々の工程があるので、完成するまで数日かかります。現在鋭意製造中。ご予約いただいております皆様、何卒今しばらくお待ちくださいませ。
■■■おまけ■■■

↑本日の現場監督はにゃむちゃんです。
にゃむちゃんがかわいすぎて写真を撮りまくっていたら、数分の間に15枚も撮影していました。似ているものもありますが、1枚たりとも同じものはありません。にゃむちゃんの味わいのあるかわいさを数枚採用いたしましたのでお付き合いください。

↑奥で樽からいぶりがっこを出しているばば。手前にはにゃむちゃん。ばばのお仕事模様を見守っています。

↑まぶしい日差しで輝き始めるにゃむちゃん。

↑ギロリ。

↑ばば親衛隊��長にゃむちゃん。片時もばばから離れたくありません。

↑にゃむちゃんがいた台の上にはいぶりがっこの小樽を置いて予洗い作業をするので、おじゃまになって寄せられたにゃむちゃん。ちょっとすねています。
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昨晩からの大雨、警報も沢山鳴って恐ろしかったです。💦💦💦
お昼位には落ち着いて晴れ間も出ましたが、公共交通機関運休や高速道路の通行止め等があって色々大変だった皆様おつかれさまでした。☘️
今朝激しく降る雨☔を普通にプログラムオート(SS1/40)で撮ったもの、シャッター優先で1/1000で撮影してみました。(明るさはレタッチ調整してます)
雨粒が写るかと思いましたが、もっと速いシャッターで無いと無理なようです。
。。。と言うことで、今週もおつかれさまでした。
#バラの花 #雨景色 #rainyday #プログラムオート
#シャッター優先 #大雨 #豪雨 #11月の雨
#panasonic #lumixtz95 #lumix #tz95
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ラジコン備忘録 2024/9/15
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.2
レース編2日目。これでラストです。

朝起きて、着替え・チェックアウトの準備。大会の日は絶対に赤い靴を履くという決まりにしています。赤い靴を履くと良い成績が残せると誰かが言い出したことがキッカケ。それ以来、仲間も赤い靴を履きだしたのでぼくも戦闘服の一部に。普段の生活ではジンクスとかあまり信じないんですが気合の入った勝負では大切にしています。

ホテルをチェックアウトして、まずはエナジーチャージ。大会の朝はエナジードリンクで気合を入れています。いつもはモンスター派だけど、特別な日はレッドブル。

開場20分前。意外と並んでますね。

本日の陣形。一応、2日目も本気で挑むつもりです。前日の感触を元に少しだけセッティング変更。フロントタイヤ外径を少しだけ上げて、リアタイヤは前日と同じ柔らかいコンパウン���を選択。柔らかいタイヤはあまり用意してきていないので、手持ちの在庫だとタイヤ交換ペースを考えると1日持たないと思っていたら、提供してくれる人がいたので助かりました。

練習走行。相変わらず路面グリップが低すぎ。昨日の決勝レースではある程度上がっていましたが、一晩経って元通り。今日も苦戦しそうです。とはいえ、今日は昨日よりも速度域の遅いカテゴリー。スロットルジャイロは低めで行けそうです。

自分の出番の合間に仲間の走りを応援。2階から、あーでもないこーでもないと言ってます。色々とアドバイスしていた人が何人か全国権利とれて良かった。

予選1回目。2日目も1回目は微妙ですね。後列グリッドでスタートだったので、スタート後3番手についた形。1位に離され、追い上げようとするも2位の処理に手間取っていたら離されました。とはいえベストラップは一番出ているので、車の仕上がりは申し分なし。

予選2回目。スタートで少し出遅れて順位が下がりますが、その後2位をパスして1位浮上。タイム差も3秒あったので、ノーミスで決めたい気持ちでクルージング走行に切り替え。2回目はトップゴールでした。しかしながら、予選1回目の1番手タイムの方が速かった模様。
予選順位は2番手で確定です。昨日からの流れでトップタイムを刻みたかったですが、決勝で巻き返しを狙います。依然として路面グリップが低くて苦戦しているものの、それはみんな同じ条件なので気にしていません。

決勝前にコースを再度確認。路面の凹凸が大きいところ、グリップ感が変わりそうなところを確認。正直、見るだけじゃ分からないのでハッタリです。ラジコン業界においてソレっぽさはかなり大事です。




カメラも持って行ったので撮影してみました。スケールスピードが速すぎて腕もAFも追いつきません。会場も暗いので、ISO6400にしても絞り開放でSS1/250ほど。正直この被写体、1/1000くらいじゃないと止まらないので流し撮りに徹していました。AFが追従しきれない流し撮り、非常に難しい。お世話になってた人のマシンだけ撮って早々に諦めます。


決勝Aメイン8分レース。
2番グリッドから、スタート直後は順位を維持。序盤で1位のミスがあったためすぐにトップに浮上。後ろとはタイム差5秒。
3番手以降はペースが違うため、僕と予選トップ選手だけの一騎打ち。僕は残り6分をトップ維持しなければなりません。
ここで問題になるのが、相手がかなりの強豪ということですね。昨シーズン全国3位の実力の持ち主です。とはいえ、僕も負ける気はないので超ハイペース。タイム差5秒を使い切ってもいいのでトップゴールすれば良いだけです。
差が広がる訳でも縮まる訳でもない、僕にとっては一番気持ち悪いペースで後ろは走っています。そんな展開が5分くらい続きました。
残り2分くらいになって、後ろとのタイム差が縮まり始めた...。こちらはリアタイヤがタレてきた感触。超ハイペースだったので、リアタイヤの負担が大きすぎましたね。普段のタイヤだったらタレることはありませんが、柔らかいタイヤを使っている影響ですね。コーナー立ち上がりでリアが踏ん張らなくて、内側に巻く感じ。そんな挙動なので最後に何回かミス。
残り30秒、後ろとのタイム差は0.5秒。ガチンコバトルです。踏ん張り切れるかの勝負どころ。このままだと抜かれてしまうのは目に見えているので、インをガッツリ占めてブロック。挙動が安定しなくなったマシンでそんなことしているので案の定インにヒットするミス。2番手に後退。
残り20秒、トップとのタイム差0.2秒で何かできることかといえば、死ぬ気で攻めることですね。ここで攻めなくて2番手なら、一か八か攻めて最後のチャンスを狙います。一度インに差し込むものの、角度が悪い。もう一度チャレンジした��ころ、攻めすぎてミス。8分経過。そのまま2位ゴールです。

レース直後、1位選手と今回の展開について話していました。予選の走りから、僕が柔らかいタイヤを使っているのに気づいて最後にタレるのを予測していたみたいです。だから中盤で勝負に来るよりも、終盤で追い上げて勝負に行ったとのこと。中盤までタイヤ温存の走りで、最後に一気にタイヤライフを使い切るさすがの作戦。また今度の機会に要リベンジですね。
2日目は初日に比べれば少しモーターが遅いので、その分余裕だと思って制御をカットしたのもタイヤを痛める原因だったかも。少しずつの空転でタイヤが減っていたのかもしれません。

決勝2位の賞状と、意外なことにコンデレ賞をもらいました。その日に一番イケてるボディの賞ですね。コンデレってベテランのペインターが貰うイメージで、全く狙っていなかったのでビックリでした。
予選2回目でトップゴールした後、車検終了マシンを取りに行くときにコンデレって言われたんですが、これが心臓に悪い。
予選で速いマシンはモーターの回転数も測られるわけですが、車検後に呼び止められると、車検アウトの可能性が大です。そんな状況なので、呼び止められて車検アウト・記録抹消なのか不安になっていました。(過去に一度車検アウトになったトラウマも?) 車検アウトか~なんてヒヤヒヤしていたら、コンデレなんて予想外のことを言われたので頭が展開に追いつきません。非常に嬉しい限りですが...。
最近はコース上での見やすさとオリジナリティを考えてオレンジベースのペトロナスカラーで塗っていますが、他人から見てカッコイイかは分かりませんでした。こうやって公式にイケてる賞をもらえるとなんだか自信になりますね。


翌日は片付けを兼ねてホームサーキットに行って諸々の挨拶。
大会に参加していた本州からの遠征組��走っていました。大会でよく走っていた我がマシンをぜひ見たいということだったので、試走もしてもらいます。マシンの完成度の高さに驚いていましたが、そりゃ~今年一年でこのサーキットを少なくとも2万周は走っているマシンですから当然。足回り細部の写真も撮って、満足して帰ったみたいです。

オリジナルカラーのボディも増えてきたので整理。全部同じように見えて仕様が違う...。

そんなわけで、今回の大会では賞状を3枚貰いました。
ここまで結果を残せるとは思っていなかったので、本人が一番驚いています。2日目カテゴリーの方が練習時点では気合は入っていましたが、やはり1日目のポールトゥウィンというのは特別に思い入れが深いかも。地区大会でもポールトゥウィンというのは本当にごく僅かのエキスパートしか獲得できないというのが僕の考え。それに加えて最速クラスのオープンクラスで獲るというのは訳が違う。腕・マシン・運の全てが揃っていないと難しい。本当に嬉しかったです。
以下、後日酒呑みの感想......
去年は北海道大会2カ月前からラジコン練習���再開していましたが、今年は1カ月前から再開。そんなに準備の時間があるとどうしてもダラダラしてしまうからね。結果的には1カ月でちょうど準備万端まで持っていけました。ここ1年で抑えるべきところ、後回しにして良いところがよくわかったというのはあります。
表彰台に上がって、全国大会の権利が取れる状況でも今年は権利を譲ることに決めていました。結局、一年を通してラジコンするモチベーションは無いし、あまりガチでやると面倒なことも増えると感じているから...。それなら、本気で行きたい人に譲った方が幸せだと思って権利を譲りましたが、2日間とも知ってる人に譲ることができて良かった。一度全国大会は経験できた訳だし僕の性格上、次はきちんと腕前を上げてからチャレンジしたいしね。
今年は2月の全国大会に始まり、ラジコンという趣味に対して距離が近くなりすぎて、フラストレーションが溜まったり義務感でやっている瞬間が度々あった年なので、また気が向くまでお休み。やっぱり趣味なんだから、楽しい瞬間の方が多くないとね。適度な距離感で楽しむ方が僕には合っているのかもしれません。ホームコースには忘れたころに顔を出す程度で、ガチでやるのはまた今度。来年の北海道大会にできれば良いかな。
それでもきちんと結果が出たので今回の北海道大会編、終わってみれば楽しい1カ月でした。大人になってもガチンコで勝負できる環境があって、それに結果も伴ってくれば良い経験になります。今回もいろんな人のアドバイス・サポートがあって大感謝。
Miniz-Cup 2024 Hokkaido編おわり。

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今日は、昨日すると宣言した加湿器とガス台シンク掃除をした。宣言大事。
朝から夫の言葉にムッときたが気持ちの切り替えで一日穏やかに過ごすことが出来ました。引きずらない事大切です。夫が今日で仕事納め。残業時間調整で夕方前には帰宅しておりました。明日から朝昼晩のご飯対応に今からゲッソリ。
夕方のウォーキングは、先に行くねーと出た次男を追いかけての出発。なのに追いつきそうになるという。ダラダラ歩いてたら意味ないじゃないか!!と思いながら様子を伺うと。違う道へ歩いて行く。私の方が先に着き次男が後から到着。道を変えて気分転換も大事ですね。
今日一日お疲れ様でした。
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2023年12月28日(木)
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おはようございます。
秋田県湯沢市川連は、雨が降っております。
昨日も休み…で、塗り仕上げ後の管理を朝一に行い、午前中は久しぶりに少しゆっくりと…
お昼過ぎからは買物の運転手やら、ガソリン補給やら車のメンテナンスやらで一日が終了。
そして昨夜のオラ家の晩酌セットは、お客様から頂いたお酒と川連漆器で、根曲り竹の小味噌煮で一杯。
6月も最終週となりました。
今週もアレヤコレヤと有りますが、一つ一つコツコツ頑張ります。
皆様にとって今週も、良い一週間と成ります様に。
https://jujiro.base.ec
#秋田県 #湯沢市 #川連漆器 #川連塗 #川連 #国指定伝統的工芸品 #伝統的工芸品 #秋田工芸 #秋田の物作り #漆 #うるし #ウルシ #髹漆 #寿次郎 #酔鯨 #ひゃるカップ小 #一合片口 #オラ飯 #オラ家の晩酌セット #kawatsura #japanlaquer #JapanTraditionalCrafts #KawatsuraLacquerwareTraditionalCrafts #jujiro
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short trip to Inujima and styling for island trip

こんばんは。
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昨日は、久しぶりに1日お休みを頂き、日帰りの小旅行に行ってきた。
行くと決めたのも2日前とかで、どこに行こうかなんて考えていた時、最初は豊島美術館にでも行こうかなぁなんて思って調べてみると生憎14日は休館日。
そんな時、ふと思い出したのが犬島だ。
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瀬戸内海を舞台にした「瀬戸内国際芸術祭」(以下「瀬戸芸」)。
数ある芸術祭の中でも知名度・作品数やその質は国内でもトップクラスだと思っている。
そんな「瀬戸芸」には、2010年、記念すべき第1回の時に、3泊4日で訪れた。
その当時は、現在ほど会場となる島が少なかったため、3泊4日の日程でもかなりの作品を見てこれた。
今でも家に保管されている当時の美術手帖。

この当時、大学5年目の僕は、めちゃくちゃ金が無くて、でもどうしても行きたくて、本当に申し訳ないことに、会場に並んでいたこの本を連日さりげなく立ち読みをさせてもらって、日々向かう島の情報とマップを頭に叩き込み、スケジュールを組んでアートを見て回った。
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なので、この本は後日、当時は滋賀に住んでいたけど、滋賀に帰ってからバイト代が振り込まれた後に書店に購入に行った。
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そんな2010年の「瀬戸芸」第一回から会場の一つになっている犬島。
2010年の時は、島へのアクセスや時間の都合から島への訪問を見送ってしまった島になる。
まあ、関西からも近いし、また改めて行けばいいかなんて思っていたら、気がつけば14年。
そんな訳で、今回は14年前の忘れ物を取りに行くような。そんな思いを抱いて行ってきた。

そんな犬島に2010年からずっと展開されている美術館。
「犬島精錬所美術館」
犬島は明治初期、銅の精錬所があり、その精錬所跡地を利用した美術館になる。
第一次世界大戦によって銅価格が暴落し、1909年に開業した精錬所は僅か10年で閉鎖されたそうだ。
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その精錬所跡地は、忘れ去られたまま放棄されていたのだけど、現代アーティストの柳幸典と建築家の三分一博志によって美術館として再生されている。
美術館には、精錬所跡地が当時のまま保存されており、近代化産業遺産としても認定されている。
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この美術館には、エアコンなどは無くて、自然の風の力を使って空気の循環が行われているそうだ。
犬島自体が、東からの風の影響を受けやすく、その風を取り込んで銅の精錬が行われていたそうだ。
なので、この美術館もそんな自然の風などを利用して空気の循環や室内の気温を保っているそうだ。

美術館のエントランスまで続くアプローチは、黒色のレンガが積み上がっている。
これは、当時、銅の精錬をする工程で生まれた不純物を含んだものをレンガに固めていたそうで、それがそのまま放棄されていたものを活用したそうだ。
鉄を多く含む素材となり、夏は表面温度が60度から80度に。
冬は反対に非常に冷たくなるそうで、これもこの美術館が自然の力で気温調整をするのに役立っているそうだ。
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実際に触ると、確かにめちゃくちゃ熱かった。

館内には、日本の近代化に警鐘を鳴らした三島由紀夫の邸宅から出た廃材などを使った作品が並んでいて、空間もとても見応えがある。
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さて、美術館で鑑賞中にめっちゃ驚いたことに、先日西脇のコットン畑に行った際に、一緒に作業をしていた知人の足立くんとバッタリであった。笑
土曜日の段階では、犬島に来ることを決めていなかったので、まさかここで会うとは。
足立くんはどうやら家族で遊びに来ていたみたいで、めちゃくちゃびっくりした。笑

足立くん。
また来月、西脇で。
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その後は、もう一つ、犬島に行ったら見たい「家プロジェクト」。
2010年よりも施設数も増えた「犬島 家プロジェクト」。
島内を散策しながら、作品を見て回る。
ちなみに、「犬島 家プロジェクト」のチーフキュレーターは、現在「金沢21世紀美術館」の館長も務める長谷川祐子。そして、設計は同じく「金沢21世紀美術館」の設計に携わっている建築家の妹島和世。
・
作品も定期的な入れ替えなどもあったりするみたいで。
一番新しいものだと2019年に設置されているそうだ。

犬島 家プロジェクト F邸 名和晃平「Biota (Fauna/Flora)」

犬島 家プロジェクト A邸 ベアトリス・ミリャーゼス 「Yellow Flower Dream」

犬島 家プロジェクト S邸 荒神明香 「コンタクトレンズ」

犬島 家プロジェクト I邸 オラファー・エリアソン 「Self-loop」
お馴染みのアーティストも多いなぁなんて思いながらも、それでもやっぱり普通に楽しめたりして。
ライブにめっちゃツアーする人に似ていて、セトリが変われば別物というか。
同じアーティストでも、そもそも作品が異なればそれは別物だし、空間も変われば感じるものであったり見え方も変わる。
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オラファー・エリアソンに関して言えば、大阪・前橋・犬島と今年だけで3箇所も見ているし。
それでも、やっぱりそれぞれ良かったりして。
陽射しが降り注ぐ島内を散策しながら楽しんで作品巡りを行った。
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さて、正直そんなにお腹も減ってはいないのだけど、せっかくなら何か食べようということで、島内のカフェへ。
ここが最近、僕が成長したところ。

これまでの僕は、本当に旅の途中の食というものに無頓着で、平気で食事を抜くとか、手っ取り早くコンビニで済ませるとか。
せっかく旅に出ているのに、その土地のお店に寄らないとか平気でしていた。
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最近、ちょっとそれを改めるようにして、その土地のものやその土地のお店に入るということを意識してやるようにしている。
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ちなみに、2010年の「瀬戸内国際芸術祭」に訪れた際は、朝と晩はコンビニのパン。昼はコーラ。
マジで終わっている。
高松を拠点にしていたのに、讃岐うどんすら食べていないという。
逆に、その徹底ぶりを褒めてほしいくらいだ。
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まあ、今回は、パスタとビール。
休みだし、昼間から酒飲むのもOKでしょと。
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食事をとったら残り船の出港まで1時間ちょっと。
大宮エリーの作品を見て、そのままひたすら海岸に沿って散歩を。

海が本当に綺麗だ。
以前、夏が好きだという知人に、なんで好きなのかと聞いたことがある。「夏の瀬戸内の海が綺麗だから」という話を聞いた。
その方は、瀬戸内海に面した街の出身なんだけど、マジでそれがめちゃくちゃ分かった。
マジで海が綺麗だった。
青のグラデーション。島々の陰影。
太平洋や日本海のように、水平線が続く風景とはまた違った世界がある。
なんか、夏もいいかもなんて本当に思ってしまった。
(まあ、今日、早速大阪の夏を目の前にして、夏が嫌いだと思い出しました。笑)
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多分、きっと夏の瀬戸内が一番綺麗なんだろうなぁ。
それは僕が冬が好きだという感覚に近くて、僕は長野の松本が地元だけど、確かに冷え込みは半端ないのだけど、北アルプスが雪化粧している姿がとても綺麗で、ピリッとした冬の冷気すら気持ちよく感じてしまうからだ。

さて、僕は様々な芸術祭に足を運んできたけど、初めて行った芸術祭が「瀬戸内国際芸術祭」だった。
その2年後に越後妻有「大地の芸術祭」へ。
この2つ、エリアは違うけど、とにかくランドスケープが素晴らしい。
都市型芸術祭にはない、風景美も楽しめる。
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来年は「瀬戸内国際芸術祭」。
現在僕にとって夏旅の最有力候補だ。
犬島の風景とまた違った風景を楽しめるのだろうか。
今からちょっとワクワクしてしまう。

さて、そんな旅に何を着て行ったのか。
まあ、僕は結構旅のコーデを考える時間も楽しかったりする。
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今回、この小旅行の旅を決めた瞬間に絶対に着ていこうと決めた服が"osakentaro"の"mesh tops"だ。
船が海を行き交う柄が、まさに島旅にはぴったりだ。
僕自身も島の風景にとまでは行かないけど、そんな気持ちでピックしてみた。
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そしてボトムスは"rihei"の"Denim Pants"
"rihei"のデニムは、普段皆さんが街で目にするデニムや、保有のデニムと比べるとライトオンスデニム(厚みが薄いデニム)を採用しているので、軽やかで夏��着用しても気持ち良いのだ。
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全身を淡いブルーで。
海に媚びたコーデで楽しんできた。
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コーデの写真。
オラファーの作品で撮らせてもらうという、超贅沢なことをしてしまったけど、そんな旅コーデも楽しんでもらえると。
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ちなみに、僕の着用しているアイテムとは少し異なるかもだけど、一応"osakentaro"の"mesh"シリーズと"rihei"のデニムをそれぞれ掲載しておく。
まあ、もし気になる方がいらしたら問い合わせください。
osakentaro : rib mesh tops (sea) ¥52,800 (tax in)
osakentaro : mesh tops (bougainvillea) ¥29,700 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (people) ¥41,800 (tax in)
osakentaro : mesh × denim zigzag stitch pants (bougainvillea) ¥41,800 (tax in)
rihei : Denim Skirt (navy) ¥30,800 (tax in)
こんな感じで"osakentaro"のメッシュ素材を使ったアイテムと"rihei"のデニムシリーズをピックしてみました。
気になる方はお問い合わせください。
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それでは今日はかなり長々と、ほぼ、旅のお話でしたが、結果、何を着て行ったのか。
そんなコーデを考えるのも旅の一部であると。
特別な瞬間に特別なコーデを。
そうなると、また楽しみが一つ増すかなぁなんて思ってます。
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それでは次回もお楽しみに。
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2024年7月8日月曜日
病院の待合室にて22
くちずさむ歌はなんだい?思い出すことはなんだい?(4)
他にもいろいろな昔話をした。その中で久しぶりに聞いた言葉があった。その言葉とは「安倍教」である。安倍、とは私の苗字なので、きっと私が開いた新興宗教なのであろう。しかし、この言葉を作り出したのはTくんである。私とTくんがバンドを組んでいた時、私がポップ・ミュージックについて過度に考え、頭でっかちになってしまった挙句、明文化されたわけではないが、様々な決まりが生まれ、我々はそれに雁字搦めになってしまった。その悲劇の元凶となった思想を揶揄して、Tくんは「安倍教」と呼んでいるのである。安倍教の戒律には「しなければならない」とか「してはならない」という風に結ばれる文が多かった。例えば、「他の人と同じことをしてはならない」��シンプルな戒律であるが、実現するのは大変である。ただこの戒律に関していえば、「我々が他の人と同じような事をした場合、より上手く仕上がっているものを人々は買うことになるだろう(ここで買うものとして念頭に置かれているのは、CDやライブのチケットになります)。だからなるだけ人と違う事をして、���来は今いっちょうかもしれませんが、オリジナリティーでひとつ、どうですか、ということで買ってもらおう」という魂胆があった。少しでいい、一歩でいい、半歩でも、四分の一歩でもいいから、他人と違う事をする。たとえば十分の曲を書くとか。Eメロまである曲を書くとか。五拍子の曲を書くとか。曲の中に登場人物が四人出てくる曲を書くとか。何でもいい。ここまでに挙げた例は、ポップ・ミュージックの歴史の中で誰かがやっていることである。それでもいい。やっている人数はきっと少ない。それくらいのことでいい、とにかくチャレンジしなくてはならない。まかり間違っても「四分半くらいで、四拍子で、ABサビという構成の、僕は君のこと大好きなんだソング」だけは書くな、とそういうことである。
改めて考えると、最初は誰もが書くような曲を書いたっていいと思う。少しずつでいいから形にしていくことが重要なのだ。そして次に書く曲が、これまでの曲と少しだけでも変わっていればいい。大切なのはプロセスである。他者との比較ではない。自分がどう進んでいくか。そして自分の思ったこと、やりたいことを、素直に、無防備に、真摯に行うように努めること、それこそが肝心なのであり、それこそが新しいものを生んでいくのだと思う。ただ、私は十代の若者のこういった頭でっかちなところも嫌いではないし、正しい部分もあると思う。だから仕方ない。Tくんがその後バンドでやったことや、私がひとりで書いた曲は、その時期に対する批判という風に捉えられるものも少なくない(例えばTくんのバンドの『世界史』という曲の1stヴァースからコーラスにかけての歌詞は「僕と君が出会った/ハイカラの町で/ごめんね/今日は下北で練習だ/ごめんね/今日は会えそうにはないよ/それでも君を殺しはしないよ」というもので、何の変哲もないボーイミーツガールで始まる曲が、私小説味を帯びていき、突拍子もないコーラスの歌詞へと繋がり、オリジナリティーを生んでいる。ていうかタイトル『世界史』って)。だが最後まで安倍教の教義として我々の中に残ったもの、それが「新曲至上主義」である。とにかく新しい曲を絶えず書き、アレンジし、リハし、ライブで下ろしているバンドないしはシンガーソングライター、それこそが真にかっこいいミュージシャンであり、そうでなければやっている意味などない、という教義である。今でもちょっとその価値観は残っている。でも。でもでも。新曲なんてやんなくてたって別にいい。続けることが大事だという価値観もあるし、その中でひょんなことから曲が生まれることだってありうる。ここでも尊重されるべきはやはりプロセスである。続けなければ過程など生まれない。だからそんな教義捨てていい。かっこいいかもしんないけど捨てていい。まず何より大事なのは、形はどうあれ楽しむことである。そのことも今だからこそ分かるような気もするし、やっぱり全部間違っているような気もする。それでいい。すべては途中経過なのだから。
店員さんがラストオーダーの注文を取りに来て「あっ特にないですー」と答えた次の瞬間、「お会計ですー」という言葉と共に伝票が来る。とにかく生中のエンドレスワルツを踊っていた私は結構酔っ払っていた。会計を済ませて店を出ると、隣のビルの二階が居酒屋だったので、すぐさま我々は入店した。何を食べたのかあまり覚えていないが、スウィートハート生中は常に私の傍にいた。鯖の塩焼きを食べましたかね。鯖はおいしいね。私は何かを喋っていたが、もうどうにもこうにも瞼を開けていられなかった。目を閉じたまま、Tくんと話していて、そのうち血流が良くなった影響なのか、体のあちこちがかゆくなってきた。それに気付いたTくんが「ホテルに戻ろうか」と気を回してくれた。私に拒否権などなかった。店を出て、ホテルに戻った。Tくんは「また持ち直したら部屋で飲もうよ」と優しい言葉をかけてくれた。「そうだねー、明日の朝ごはんもねー、一緒にねー、なるー、かもねー」と私はヘラヘラしながら言い、おやすみと声を掛け合ってお互いの部屋に戻った。なんと時刻は午後八時前。早い。夜通し飲むはずだったのに。でも今日はTくんとたくさん話せてよかったし、今はなんだか頭も痛いし、ひとまずはベッドに横になろうかな。

ベッドに横たわって、テレビをつけた。テレビではTHE SECONDというお笑い賞レースをやっていた。今夜は一晩中飲むつもりだったので、リアルタイムでは見られないと思って録画してきた番組だが、あまりに早く部屋に戻ったために、ほとんど見ることができてしまった。ザ・パンチかタイムマシーン3号が優勝したらいいなと思っていたが、どちらも優勝しなかった。番組が終わって、シャワーを浴びた。睡魔の気配が全くしなかった。いつもならここで眠剤を飲むはずだが、アルコールを飲んだ日には眠剤を飲む気になれない。そんなことをしたら二度と目が覚めなさそうだから。ホテルの自販機に行って一番搾りのロング缶を買って、また一人で飲み始めた。
目が覚めると朝五時だった。朝食バイキングにはまだ早いようだったので、日課のストレッチをした。ストレッチをじっくりやって、身支度を整えたくらいで、Tくんからショートメールが来た。そこには「おはよう、10時にロビーで待ち合わせでいいかしら?」とあったので、「いいよー」と返した。朝食バイキングの会場であるロビーに下りると、大きな窓の向こうで雨がザンザン降っているのが見えた。Tくんの来徳が昨日で良かったと思った。必要以上にウインナーやスクランブルエッグを食べた後、コーヒーを淹れて部屋に戻った。まだかなり時間があったので、ひたすらゆっくりした。二度寝したら終わりだなと思いながらも二度寝しそうなくらいゆっくりした。十時五分前になったので荷物を持ってロビーに戻った。十時きっかりにTくんが下りてきた。おはよう。聞くとTくんは昨夜、部屋に帰るやいなや眠ってしまい、次に目が覚めたら朝だったという。長旅と仕事(と観光)で疲れていたのでしょう。私もそれを聞いてちょっと罪悪感が薄れました。続いて、これからどうしようか?という話になったのだが、もう飛行機までの時間もそんなにないし、とりあえず空港まで行って、時間までお土産買ったりお茶したりしようということになった。チェックアウトを済まし、中がどうなっているか結局わからなかったエレベーターみたいな立駐からオンボロ軽四を取り戻して出発した。
降りしきる雨の中、空港まで向かう車の中で話したことの一つはandymoriのことだった。「昔のandymoriの曲がTikTokで凄いバズってるんだよ」とTくんに話すと、「どの曲?」と言うので「『すごい速さ』っていう曲だよ」と言ってメロディーをハナモゲラで歌った。適当に打ち切った後で「andymoriってフォークみたいなメロディーが多いから、鼻歌だと分からないかもしれないけど…」と私が言うと、Tくんは「ああ、フォークミュージックだよね」と言った。私は、上手く言えないけど、自分の言った意味がすんなり正確に伝わったような気がして何だかびっくりしてしまった。こういう経験は久しぶりな気がした。文脈や前提が説明しなくても予め共有されている感覚。こういう友達がいることに改め���感謝(驚)しなくてはいけない、と思うや否や私は、「我々は定期的に会う必要があると思う!一年に一���とか!」と無意識のうちに言っていた。Tくんは「そうだね」と言って笑っていた。
つづく
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2024/12/25

12月25日 昨日観た展示が良かったのと、2024年の終わりが近づいているので、何か写真のことをしたい!となっている。 ちょうど昨晩レンタルの注文をしたフィルムカメラが届いた。 何かしたい。けれど本当のところは何もしたくない。年賀状も書きたい。けれど全て何もしたくない。1ヶ月後に迫ったお誕生日もポップでスペシャルな何かをしたい。けれど何かを自分でセットする元気も考える頭の余地も何もない。 今は何もしたくない。
ぅょぅょバードさんの名刺が素敵で透明iPhoneケースに入れてみた。ピンクでキラキラで嬉しい。

お仕事が普通に忙しくなってきてしまい、でも相変わらず体力が保たなくて、時間内いっぱいいっぱいになってお仕事をし、逃げる様に帰ってきている。 頭はまだお仕事モードの熱が冷めないからか、それとも本当に熱があるのか、帰りの夜道はいつもより凍えないで歩くことができた。
クリスマスの早朝の電車には、いつもは見かけない綺麗におしゃれをした女の子の姿が数名。 そのうち1人は同じ終着駅で下車し、同じ方へ歩いて行くな〜と思っていたら、そのまま学生寮へ朝帰りしていった。
クリスマスイヴとはクリスマスの夜のことで、クリスマスとは24日の日没から25日の日没の期間を指すらしいです(なので今はもうクリスマスではない)。
帰り道、乗り換え駅の乗り換え先の改札構内に新たにセブンティーンアイスの自販機が設置されているのを確認。 乗り換え前路線の改札構内の自販機は撤去されるみたいだったので(お金投入口にガムテープが貼ってある)、乗り換え先路線の改札構内へ移設ということ?

12月26日 使い勝手がいまいち掴めないけれど、レンタルしたカメラと三脚を持って出勤した。 今日が暖かい日だという予報を聞いて、今日写真を撮らないと!という気持ちで、帰り道に三脚を立てて写真を撮った。 セルフタイマーで撮影する前に、ファインダーを除いてセッティングしているところ、暗がりの中だったから人違いかもしれないけれど、たぶん隣の部署の上席の方が颯爽と過ぎ去って行った。 暗がりの中だったから気が付かれなかったかもしれないけれど、たぶん私だと気が付かれていたと思う。
ほとんど今日一日中でフィルム一本36枚を撮り切ってしまった。楽しかったのかもしれない。

明日の年内最終出勤日は、ほとんどの方がお休みの様で「良いお年を」を何回か交わして、突然終わりが見えて心が落ち着いている気がする。
今の部署に何人か感染症を患ってしまった方が出てきたり、咳をしている人が多かったり、私もなんだか頭が痛くて喉がカラカラしていて、いつもなんだけど、でも少し不安になっている。 年末くらい人のことを病原体扱いしたくないし、ちゃんと人の体調を心配したいけれど、明日は我が身の気持ち���
認知行動療法で出してもらった改善案の一つ、段階を踏んでアラームをかける、というのを昨晩実践してみた。終了15分前と終了のアラーム。 でも昨日はサランラップが巻き戻って張り付いてしまって、そのまま二つに避けて全く元に戻せなくなって大幅タイムロスをしたので、終了のアラームが鳴っても生活を片付ける手を止めることができなかった。 今日はちゃんと手を止めたい。

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