#昭和だった
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Capítulo 2: El camino hacia el enigma - Sean bienvenidos, japonistasarqueológicos, al siguiente capítulo de las ruinas Weda en el capítulo anterior estuvimos hablando de donde se localiza el asentamiento, cuáles son los ríos que lo rodean el emplazamiento, de cuando data el mismo y cuando se empezó a cultivarse el arroz. También comentamos que había misterios desde los periodos Yayoi tardío al Kofun, ya que había pocos asentamientos continuos, pero sí que hay del periodo Heian. - La primera prospección fue llevada a cabo en 2013, dichos resultados no arrojaron luz suficiente a los restos para una mayor comprensión del asunto expuesto. Habría que esperar a la segunda para qué arroja nuevas esperanzas, la cual se descubrieron restos de viviendas en foso del siglo IX d.c¿Qué se encontraron? Los restos que salieron fueron los siguientes: Un horno de herrería, con una estufa de cocina, ambos restos arqueológicos fueron tanto como un taller y una residencia. - También se encontró una fosa con una zanja que rodeaba el asentamiento, se ha excavado un producto de cobre con forma de pájaro la fecha y el propósito de su elaboración no está resuelto, todavía esperemos que próximos estudios arrojen luz a los restos y al yacimiento. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones de arqueología e historia de Japón. - 第2章:謎への道 - 日本の考古学者の皆さん、ウェダ遺跡の次の章へようこそ. 前の章では���集落がどこにあるのか、その場所を囲む川は何か、稲作が始まったのはいつから、いつ始まったのかについて話しました.弥生時代後期から古墳時代にかけての謎もあり、連続した集落は少ないが、平安時代のものはある。 - 最初の調査は 2013 年に実施されましたが、これらの結果は、露出した物質をよりよく理解するのに十分な光を遺物に当てはめませんでした。新たな希望を与えてくれる第二の発見を待つ必要があり、西暦 9 世紀の堀の住居跡が発見されました。出てきた遺跡は次のとおりです。 鍛冶屋のオーブン、キッチンストーブ、両方の考古学的遺跡はワークショップと住居の両方でした. - 集落を取り囲む溝付きの穴も発見され、鳥の形をした銅製品が発掘されましたが、その精緻化の年代と目的は解決されていません。とサイト。 - あなたがそれを気に入ってくれて、日本の考古学と歴史の将来の出版物でお会いできることを願っています. - Chapter 2: The path to the enigma - Welcome, Japanesearchaeologicalists, to the next chapter on the Weda ruins. In the previous chapter we were talking about where the settlement is located, what are the rivers that surround the site, when it dates back and when rice began to be cultivated. We also commented that there were mysteries from the late Yayoi to the Kofun periods, since there were few continuous settlements, but there are from the Heian period. - The first survey was carried out in 2013, these results did not shed enough light on the remains for a greater understanding of the matter exposed. We would have to wait for the second one to shed new hope, in which remains of moat dwellings from the 9th century AD were discovered. What were they found? The remains that emerged were the following: A blacksmith's oven, with a kitchen stove, both archaeological remains were both a workshop and a residence. - A grave with a ditch that surrounded the settlement was also found, a copper product in the shape of a bird has been excavated, the date and purpose of its production is not resolved, we still hope that future studies will shed light on the remains and the site. - I hope you liked it and see you in future publications on archeology and history of Japan.
ソース写真/source photo:https://naganomaibun.or.jp/research/east/和田遺跡・和田1号塚/
#日本#考古学者#考古学#ユネスコ#日本の歴史#日本原史#古代世界日本#遺跡#考古学調査#和田遺跡#長野県#梓川#鎖川#稲作#故弥生#後期古墳プレードド#昭和だった#明治時代#住居跡と工房#鳥の形をした銅製品。#太子堂#マルヒロ#考古学博物館#Japan#archaeologist#archaeology#unesco#NaganoPrefecture#Azusariver
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男を2種類に分けている 例えばヒス女にヒスられた時とかにクソ黙るか鬼逃げるかで
八木さんとちんよわと伴ちゃんは逃げるとこを立ち塞がられたら平手打ちでどかすタイプだと思っている しずとなるは諦めてクソ黙る 言うて全員大正昭和生まれ
ていうあけおめにふさわしくない情報らくがきなのだった
みなさん年末年始も拍手ありがとね〜がんばる〜嬉しい〜
キャラの出身地情報がなぜ必要なのかも教えてもらえてよかった そうか そうだったのか…
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味噌カツ定食、780円
むか〜しから、変わらない定食部門。やや肉の薄いトンカツに甘めの味噌だれでいただきます。味噌が被っているが、赤だしは、濃い味噌で、やや渋みがあるけど、まぁクセになる味。以前と変わったのは、添え物のサラダとスパの量か?若干少なくなったような。
ここ、ボンジュールは、昭和の佇まいそのもので、開店以来、改装することなく(店構えも内装も)メニューまで、昭和の頃と同じなんです。
ノスタルジィ、、、、に浸れる嬉しい喫茶店でした。
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朝鮮学校を支援している人がいるようですが、その前に知っておいて欲しいことがあるのです。少し長くなりますが大切なことです。 ★大阪朝鮮初級学校の元校長だった金吉旭は国外移送目的略取容疑(日本人・原敕晁さん拉致実行犯)として平成18年に国際手配されています。 ★山口朝鮮初中級学校の元校長だった曺奎聖は北朝鮮・元山から漁船を使い、覚せい剤249.3キログラムを持ち込んだ容疑で平成12年2月に国際手配されています。 ★広島朝鮮初中高級学校の教員だった金徳元は自分の教え子である朝鮮学校の生徒をヘロインの運び屋に仕立て��という事件を昭和54年に起こし、生徒は成田空港で逮捕、本人は逃亡しています。 ★神奈川県南武朝鮮初級学校(川崎市)の校長・梁瑞鳳は16歳女子高校生のスカートの中を盗撮したのを警察官に目撃され、平成30年4月に県迷惑行為防止条例違反の疑いで現行犯逮捕されています。 このような事実を知った上で朝鮮学校を支援されるつもりなのでしょうか。学校関係者の行いは生徒たちには関係のないことだとは思いますが、自分は朝鮮総連指導下にある朝鮮学校の存在そのものが日本国の国益に反していると考えています。
Xユーザーの六衛府さん: 「朝鮮学校を支援している人がいるようですが、その前に知っておいて欲しいことがあるのです。少し長くなりますが大切なことです。 ★大阪朝鮮初級学校の元校長だった金吉旭は国外移送目的略取容疑(日本人・原敕晁さん拉致実行犯)として平成18年に国際手配されています。 https://t.co/G2MqYTX7xm」 / X
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● ‘S’, which was popular from the Taisho to the early Showa period.
Acronym for Sister, a special relationship between female students who are not related by blood, or between female teachers and others.
The two ‘es’ were not confined to the framework of ‘friends’, as the junior students called the senior students ‘sisters (Onee-sama)’, corresponded with them and gave each other gifts, and had a friendship that was close to romance, involving longing and admiration.
The background to the popularity of this culture was the fact that at the time, there was a strict focus on pre-marital relationships between men and women. (Even in the illustrations of girls that were popular at the time, men and women were rarely depicted together.) It was perceived by the public as a ‘rehearsal for love to become a good wife and mother’ or as a ‘transient emotion’ and was tolerated in platonic relationships.
●大正〜昭和初期に流行した「エス」とは
Sisterの頭文字を取った名称で、血のつながりのない女学生同士、あるいは女教師などとの特別な関係のこと。
エスの2人は、下級生は上級生を「お姉様」と呼び、文通をしたり、プレゼントを贈りあったりと、「友達」の枠には収まらない、思慕や憧れを含んだ恋愛に近しい交友がありました。
このような文化が流行した背景には、当時は結婚前の男女交友に厳しい目が向けられていたことがあります。(当時流行した少女イラストの中ですら、男女が一緒に描かれることが殆ど無かったほど。) 世間からは、「良妻賢母となるための恋愛の予行練習」であったり、「一過性の感情」であると認識され、プラトニックな関係においては容認されていました。
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みんな知らない「実は略語」の言葉をまとめました。詳しくは...

食パン:主食用パン
食パンの語源に関しては複数ありどれが正しいかわかりませんが、有力な説を2つ紹介します。1つは、「主食用パン」の略。パンが日本に入って来た当時はイースト菌などもなく、比較的小さな菓子パンだけが作られていました。それからパンが大きく膨らむようになり、米の代わりになり得るようになったため、「主食用」と名付けられました。もう1つは、消しパンではない「食べられるパン」の略。昔は美術のデッサンなどでパンを消しゴム代わりに使用していたためです。
ブログ:ウェブログ
ウェブサイトの一種で日記形式のもの。英単語でも”blog”がありますが、もともとは”Web”と記録を意味する”log”が合わさった言葉である”web log”の略です。
軍手:軍用手袋
元々軍隊用の手袋として使われていたためです。日露戦争の際に、寒冷地を戦場とする兵士に支給するために考案されたものです。その後、荷物運搬や土いじりなど日常生活で使われるようになりました。
演歌:演説歌
元々は自由民権運動の政治運動家(壮士)たちが演説の代わりに歌った壮士節が始まりとされます。1930年代にジャズやクラシックが大衆歌に組み込まれていき、歌詞も政治とは関係のない叙情詩的なものに変わっていきました。
教科書:教科用図書
主に小・中・高および特別支援学校などで学ぶ時に配布される中心的な教材のことで、「教科用図書」の略です。教科書と教材の違いは、文部科学大臣の検定に合格したものが教科書と呼ばれます。
チューハイ:焼酎ハイボール
焼酎とハイボールを組み合わせた「焼酎ハイボール」の略語。焼酎やウォッカなど無色で香りのない酒類をベースに、炭酸で割ったものを一般的に指しますが、炭酸ではなくウーロン茶で割ったウーロンハイもチューハイの一種です。
ジャガイモ:ジャガタライモ
ジャガイモはそもそも南米原産の食材であり、日本には16世紀末にインドネシアのジャカルタからオランダ人により伝えられました。そのため当時は「ジャガタライモ」と呼ばれていましたが、後に略されていきました。ちなみに日本では中国語由来の馬鈴薯とも呼ばれます。
ワイシャツ:ホワイトシャツ
主に男性が背広の下に着るシャツのことですが、元々は和製英語である「ホワイトシャツ」の略。よく「Yシャツ」と記載されることがありますが、これは完全に当て字です。一方で、「Tシャツ」はアルファベットのTの字に似ているためこう呼ばれるようになりました。
割勘:割前勘定
友人との飲み会などでよくある割勘は「割前勘定」の略。割前とは分割してそれぞれ��割り当てることを意味する言葉です。江戸時代後期の戯作者で浮世絵師として有名な山東京伝が発案されたと言われており、当時は「京伝勘定」と言われていたそうです。ちなみに世界的に見ると割勘の文化は少数派で、男性や年上が払うのが一般的のようです。
カラオケ:空オーケストラ
歌のないオーケストラの意味で、「空(から)オーケストラ」から「カラオケ」と略されました。カラオケは日本で1960年後半に誕生したとされ、その後世界に広がっていきました。そのため英語でも”karaoke”と書きます。ちなみに中国語では「卡拉OK」と突然アルファベットが出てくる不思議です。
バス:オムニバス
ラテン語で「すべての人のために」という意味の「オムニバス」が語源で、フランスの乗合馬車の発着所の雑貨屋の看板に書かれていたことに由来します。そこから多くの人が利用する乗合自動車をオムニバスと呼ぶようになり、その後略されました。
リストラ:リストラクチャリング
英語で「再建」を意味する”restructuring”から略されたものです。リストラと聞くと人員削減をイメージしますが、本来の意味は事業構造を再構築することです。その中の一環として、人員削減が起こります。
リモコン:リモートコントロール
英語で「遠隔操作」を意味する”remote control”から略されたものです。TVなどに向かってリモコンから赤外線をデジタル信号で送ることでチャンネルや音量などを操作することができます。
ソフトクリーム:ソフト・サーブ・アイスクリーム
海外では「柔らかいクリーム?」となり伝わらない和製英語です。英語では” soft serve icecream”であり、ソフトクリームサーバーの製造などを行っている日世の創業者・田中穰治が日本でソフトクリームを広めるのにわかりやすくするために省略したとされています。
ペペロンチーノ:アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ
唐辛子をオリーブ油で炒めたパスタ料理。正式名称は「アーリオ・オーリオ・ペペロンチーノ」と言います。イタリア語で「アーリオ」は「ニンニク」、「オーリオ」は「オリーブオイル」、「ペペロンチーノ」は「唐辛子」を意味しています。
経済:経世済民
中国の晋朝について書かれた歴史書である『晋書』に書かれた「経世済民」を略した言葉です。現在の政治と同じような意味で昔から使われていました。明治以降、”economy”の訳語として頻繁に使われるようになったようです。
首相:首席宰相
首席はトップを意味し、宰相は辞書で調べると「古く中国で、天子を補佐して大政を総理する官。総理大臣。首相。」と載っています。首相の言葉の中に首相が含まれている二重表現のような言葉です。ただ「首相」は日本国憲法��記載された言葉ではなく、報道などで使われる内閣総理大臣の通称です。
切手:切符手形
お金を払って得た権利の証明となる紙片のことを古くから「切手」と呼んでいました。日本の近代郵便制度の創始者である前島密が、“郵便物に貼って支払済を表す印紙”に「切手」という言葉をそのまま当てたそうです。
出世:出世間
元々は仏教語で、仏陀が衆生を救うためにこの世に出現することを指す言葉で、「出+世間」でした。そこから略され、日本では僧侶が高い位に上ることを意味するようになり、世間一般でも役職が上がることなどを指す言葉となりました。
断トツ:断然トップ
2位以下を大きく引き離すことを指す言葉ですが、元は「ずば抜けて」の意味を持つ「断然」と首位を表す英語の”top”が合わさった言葉の略。そのため「断トツの1位」という表現は二重表現になります。
押忍:おはようございます
朝の挨拶である「おはようございます」から「おっす」と短くなり、さらに「おす」へと略されました。そこから「自我を押さえて我慢する」という意味を込めて「押忍」という漢字が当てられました。
デマ:デマゴギー
大衆を扇動するための政治的な宣伝を意味するドイツ語の「デマゴギー」を略したものです。元の意味の通り、政治的な意味合いを持つ言葉でしたが、昭和になってから、単純に「嘘」や「根拠のない噂」の意味で使われるようになりました。
おなら:お鳴らし
屁を「鳴らす」の名詞である「鳴らし」に「お」をつ���て婉曲に表現した言葉で、そこから一文字略されました。元々の言い方の方が上品な感じがあって良いですよね。というのも、一般庶民は昔から「屁」と言っていましたが、宮中に仕える女房たちは隠語として用いていたためです。
電車:電動客車
電動客車をより細かく表現すると、「電動機付き客車」または「電動機付き貨車」となります。電車は架線あるいは軌道から得る電気を動力源として走行しています。
電卓:電子式卓上計算機
計算機という本来役割を表す意味の言葉が略されています。1963年に世界初の電卓が登場し、1964年に現在のシャープから日本初の電卓が発売されました。当時の価格は53万5千円と車を買えるほどの値段でした。今では100均で売られているものもあるのに驚きですね。
ボールペン:ボールポイントペン
英語で”ball-point pen”と言い、これを略した言葉です。ボールという単語が使われている理由は、ボールペンの構造上、先端に小さな回転玉(ボール)があるためです。
インフラ:インフラストラクチャー
英語で「下部構造」や「基盤」を意味する”infrastructure”から略されたものです。電気・ガス・水道・電話・道路・線路・学校や病院などの公共施設など、私たちの生活に欠かせないものを指す言葉となっています。
シネコン:シネマコンプレックス
「コンプレックス”complex”」が「複合の」を表す英単語で、同一ビル内に複数のスクリーンを備えた複合型映画館のことを表します。国内の代表的なものとしては、TOHOシネマズ、イオンエンターテイメント、MOVIX、ユナイテッド・シネマなどがあります。
シャーペン:エバー・レディー・シャープペンシル
シャーペンが「シャープペンシル」の略ということを知っている方は多いと思いますが、実はこれも略語。1838年にアメリカで「エバーシャープ」という筆記具が登場し、その後1915年に現シャープの創設者である早川徳次氏が国内初となるものを考案し、「エバー・レディー・シャープペンシル」という商品名をつけヒットさせました。
ピアノ:クラヴィチェンバロ・コル・ピアノ・エ・フォルテ
イタリア語で「小さい音と大きい音を出せるチェンバロ」という意味です。いつの間にか「小さい音」を表すピアノだけに略され、楽器を表す名詞となりました。元のピアノの意味は今でも音の強弱を表す「メッゾピアノ」や「ピアニッシモ」と合わせて音楽記号として使われていますね。
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50年前の日本は「英語ができなくても困らない社会」だった。それはひとえに明治維新から戦後にかけての学者が大変賢く、その賢さに見合った義務感を持ち合わせた立派な人間達で、外来語が一般普及する前にそれを日本語に次々翻訳していったからである
逆に今の日本が「英語ができなくて困る社会」になったのは、昭和後期~現代までの学者が愚かで無責任で倫理観の欠けた性接待に溺れるゴミカスばかりになり、外来語の翻訳と定着を怠け、利権を貪っていたからに他ならない
かつて学者の地位が高く研究費が豊富だったのは「立派な人間がその功績に見合う扱いを受けていた」のであり、今の学者の待遇は「カスがカス扱いされてる」だけである
学者はWindows95が出た時期に渡米して、PCが職場に普及するより早く「ソフトウェア」の日本語訳を作る義務があったが平成のカス学者共は、誰もパーソナルコンピュータを翻訳しなかった。それどころか英語を理解する自分達の優位性を誇示するばかりで、誰も社会貢献など考えもしなかった。ゴミとクズの集まりである
パソコン用語の社会への定着によって、日本のアカデミアの社会的無価値は証明されたのである
1995年に無価値なゴミだと証明されて死んだものが、左翼にすがり、女にすがり、中国にすがり、土に還るのを拒んで腐臭を撒き散らしながらゾンビのように動いているだけだ
いま危機に瀕しているのは周りの社会であって、大学は排除すべき社会の脅���そのものである
https://x.com/satetu4401/status/1923961409022591002?s=46&t=XBYGx0NYt69itB5p-cHcLg
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「漂流」
もの悲しく、衰退していくリーマンの心情をこの胸に刻んだあの日から
釣りもせずに、撮り続けた、水面の浮遊物
さぁ歌っていただきましょう!子供の頃の夢はサラリーマンになること、挫折も味わった。罵倒もされた、24時間働けますか、昭和育ちの、平成を生き抜き、令和の老害リーマンmojiあなたのコブシを聞かせて、漂流
皆さんご一緒に♪
#演歌#これから、あれから、どうなった♪#ゆらり、揺られて、あの街へ♪#そんなこんなで、失敗は失敗なのよ、認めてちょうだい、現実を♪#夢が叶ったリーマンで、なんとかかんとか生きてきた♪#今度ばかりは、今度ばかりは、取り返しつかへんでぇ♪#涙を流した、あの電車、土下座もしたよ、あの会社、こんなの嫌で、あーあーあー人生漂流しちゃぁたーよー♪#もう、時間切れだ、いつものあなたが作った地獄の世間へ戻りなさい。そして苦しめばいいさ。
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カッパカントリーと大倉記念館
前記事の続きです。京都の伏見桃山エリアには、昔から有名な酒蔵があり、お酒にちなんだ施設があります。
中でも人気なのが、黄桜のカッパカントリーと月桂冠の大倉記念館です。
まずは、カッパカントリーから。

日本の昭和時代を知ってる人なら「黄桜=カッパ」と、すんなり結びつくはず。

酒造メーカーの黄桜は、1955年(昭和30年)に広報用キャラクターとして、「カッパ」を起用。
テレビCM開始が、2年後の1957年(昭和32年)だそうです。
私は昭和51年生まれ。
子供の頃に、黄桜のCMにカッパが出ていた事はなんとなく覚えてます。
カッパカントリーは、黄桜直営のレストラン。
結構大きいです。

黄桜のお酒や麦酒、それにあう和食、おつまみなどを堪能できます。

メニューも貼ってありました♪

隣に、麦酒工房があり、麦酒の方が推しのようです。
出来立ての地ビールが飲めるそうです🍺

そういえば、数ヶ月前にコンビニかどこかで、黄桜のビールを見つけて飲みましたね。
私の中では、黄桜と言うと、日本酒のイメージが強いのでビールがあるのが意外でしたが、そうでもないのですね。
向かい側には、黄桜の歴史がわかる記念館もありました。

そして、月桂冠の大倉記念館。
月桂冠をはじめ、京都伏見のお酒造りの歴史や技がわかる博物館です。
黄桜のカッパカントリーのような飲食エリアはありませんが、お酒の味見ができるところはあるようです☺️
ここは、結構人が出入りしていて、写真があまり撮れませんでしたが
また、中に入って見学した時に写真撮ります。

近くには、月桂冠の本社?もありました。

ちなみに、月桂冠のお酒ランキングでは「月」と「山田錦」が上位でした。
飲んだことはないけど、どこのお店にもたいていは置いてあるので見たことはあります。

こういう眺め、いいですね。
ノスタルジックというか、なんというか。
日本のノスタルジックですね、きっと。
ところで前回の記事では
京都駅からこの辺りに向かう場合
京阪本線が行きやすいと言いましたが
伏見稲荷を経由しないのであれば
京都駅から近鉄線に乗って桃山御陵前駅で降りると
この辺にすぐアクセスできます。
京阪本線の伏見桃山駅と近鉄線の桃山御陵前駅はとっても近いです。
バスで移動も良いのかもしれませんが
京都は地下鉄が少ないので、電車で移動しにくいところはバスで移動する人が多いです。
なので、バスは結構混んでいると思います。
曜日にもよりますが。
電車で移動の方が無難だと思います。
後はタクシーですね。
タクシーも増えたような気がします。
四条方面に行くと、最近そう感じますね。
細い高倉通りを何台ものタクシーが通り過ぎていました。
烏丸駅近くの錦あたりから、高倉通に入ってくる歩行者が多いのもあって、運転が大変そうでしたね。
あのエリアはどこの通りも、あんな感じでしょうね。。。
お疲れ様です。
#お酒#ノスタルジック#懐かしい#和食#景色#風景#日本語のブログ#日本人#日本酒#japanese sake#japan photos#japanese#月桂冠#黄桜#カッパ#散策#京都#伏見桃山#伏見#kyoto#kyoto japan#酒蔵#麦酒#ビール#beer#博物館#伏見桃山城#桃山御陵
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CAPÍTULO 1 INTRODUCTORIO: Sean bienvenidos japonistaarqueológicos, a una nueva entrega de la serie arqueológica de la ciudad de Matsumoto en la prefectura de Nagano, las ruinas que nos acompañarán a lo largo de estos tres capítulos son las ruinas de Weda¿Qué son estas ruinas? ¿De qué periodo tratan? ¿Dónde se localizan exactamente? Todas estas preguntas y más nos van a ir acompañando a lo largo de estas publicaciones pónganse cómodos que empezamos. - las ruinas las podemos localizar en el emplazamiento suroeste de la ciudad de Matsumoto en un abrigo aluvial ¿Qué dos ríos son lo que podemos localizar? ¿Cuáles son sus nombres? Los ríos se llaman Azusa y Kusari, la arqueología ha demostrado que no hubo asentamientos que continuarán desde los periodos Yayoi tardío y el periodo Kofun¿Cuándo empezaron a plantar arroz? Se estima que sería a finales del siglo VII d.c. - ¿Qué opinan ustedes al respecto? ¿Conocían el emplazamiento? Espero que os haya gustado, nos vemos en próximas publicaciones. 導入第 1 章: 長野県松本市の考古学シリーズの新作、ジャポニスタ考古学へようこそ、この3つの章でお供する遺跡は、ウェダ遺跡です.この遺跡は何ですか?彼らはどの時代についてですか?それらは正確にはどこにありますか?これらすべての質問とその他の質問は、これらの出版物全体で私たちに付随します。快適にして、始めましょう. - 松本市の南西部に位置する沖積シェルター内にある遺跡を見つけることができます.2つの川を見つけることができますか?それらの名称は何ですか?梓川と鎖川と呼ばれる川ですが、考古学的には弥生時代後期から古墳時代にかけて集落が続いていなかったことが考古学的にわかっていますが、田植えはいつ頃から始まったのでしょうか。 7世紀末頃と推定されています。 - あなたはそれについてどう思いますか?彼らは場所を知っていましたか?気に入っていただければ幸いです。今後の出版物でお会いしましょう。 - INTRODUCTORY CHAPTER 1: Welcome to japonistaarchaeological, to a new installment of the archaeological series of the city of Matsumoto in Nagano prefecture, the ruins that will accompany us throughout these three chapters are the Weda ruins. What are these ruins? What period are they about? Where exactly are they located? All these questions and more will accompany us throughout these publications, make yourself comfortable, let's start. - We can locate the ruins in the southwestern location of the city of Matsumoto in an alluvial shelter. What two rivers can we locate? What are their names? The rivers are called Azusa and Kusari, archeology has shown that there were no settlements to continue from the late Yayoi periods and Kofun period, when did they start planting rice? It is estimated that it would be at the end of the 7th century AD. - What do you think about it? Did they know the location? I hope you liked it, see you in future publications. ソース写真/source photo:https://naganomaibun.or.jp/research/east/和田遺跡・和田1号塚/
#日本#考古学者#考古学#ユネスコ#日本の歴史#日本原史#古代世界日本#遺跡#考古学調査#和田遺跡#長野県#梓川#鎖川#稲作#故弥生#後期古墳プレードド#昭和だった#明治時代#住居跡と工房#鳥の形をした銅製品。#太子堂#マルヒロ#考古学博物館#Japan#archaeologist#archaeology#unesco#NaganoPrefecture#Azusariver
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「最近は責任とるやつが減った」 っていう意見は確かによく見てその通りだと昭和生まれのワイも思うんだけど ・責任とった奴を社会的な死まで追い詰める ・責任を取る人の見返りがショボくなった あたりが原因で、当人の資質が原因じゃないんだよな。それは社会を写す鏡。
Xユーザーの野瀬大樹
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昭和の乙女だったかも知れない on X: "人気の顔ハメパネル https://t.co/cazog4bAqE" / X
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伏見の田中寿司。
昔語りな昭和の佇まい。L字カウンター席、テーブル席、お座敷とあって、プチ宴会でもできそうな感じです。
寿司も、今風じゃないけど「ど定番」は、ハズレなしです。
で、この大盛り。鉄火と河童が通常の倍だけど、握りは七貫と普通、、、、、のはずなんですが、めっちゃお腹いっぱいに。それはね〜シャリが多いのよ。3割くらい減らしてくれても良いかな?あと、酢飯の酸味がちと強いかな〜?
まぁ、でも、美味しくいただきました。
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昭和の大修理の際の西岡常一棟梁の言葉をまとめた、「法隆寺を支えた木」をぜひ読んでみてください。 1400年経ったヒノキにかんなをかけると、新品のヒノキと同じ香りがするそうです。 瓦屋根の下地には、杉の樹皮が使用されていますが、これも1000年以上前のものだそうです。 1200年前のヒノキですが、新品のヒノキと同等の強度があるという実験が紹介されていました。 ヒノキは、切り出した後から、結晶化が進行し、強度を増していくそうです。 もっとも強度が上がるのは、切断した約200年後。 すべての結晶化が終わってから、強度の劣化が始まると想定されていますが、 1200年経った、現在、切り出したときと同じ強度にまで強度が低下したのではないか、ということでした。 五重塔は、芯柱が子供がしゃがめるぐらい?浮いているらしく、 西岡常一さんは、「たぶん建築中に腐ってきたから、切断したんじゃないでしょうか?」とおっしゃっていました。 キッチン��御風呂場もなく、冷暖房による結露も発生せず、通気性抜群で、雑草はもちろん、日差しを遮る樹木もないような状況であれば、木材は腐るはずがありません。 法隆寺だけではなく、薬師寺の如来、菩薩、東大寺の仁王像、興福寺の阿修羅像、古くからある仏像などは、細い指先までも、一切腐りません。 それより不思議なのは、弥生時代の遺跡から、地下水につかった状態の杉で作られた舟が残っていたり、古墳時代からきれいな壁画が残っていた高松塚古墳を現代人が発掘し、以前と同じ環境を人工的に作り出したら、大量のカビが発生して、壁画が消えかけてしまったりすることのほうが不思議です。 法隆寺では鉄をたたいて作った釘が現在でも活躍しています。 いったん、外したのですが、同じような釘を作ろうとすると、とてつもない手間がかかるようで、同じものを使用することにしたそうです。 なんでも、鉄を何層にも重ねてたたき、さらに重ねてたたくことによって、木の年輪のように作り、奥までさびが進行しないようになっているそうです。 法隆寺に至るまでにたくさんの寺社仏閣が建てられましたが、いずれも数十年で腐ってしまいました。 山田寺など。 現在でも、木曾のヒノキを使用して、伊勢神宮が作られますが、20年ごとに建て替えています。 原因は、ヒノキの柱を地面に埋める工法を採用しているからです。 法隆寺を含めた古いお寺は、仏様を守りたいという先人たちの知恵の結晶なのでしょう。 最近では、現代人が文明を持ち込むため、たくさんの木造建築が破壊されています。 法隆寺の昭和の大修理では、金堂壁画の絵を模写して、保存しようとしていた人が、寒いからと暖房器具を持ち込んだために火事が発生し、法隆寺の金堂は全焼してしまいました。 金閣寺は、放火によって、全焼してしまいました。 東大寺の南大門は、クレーン車が、通行する際に、クレーンが上がったままになっていることに気づかず、南大門の主要建築材に多大なる破損を与えてしましました。
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2025.04.29(火、昭和の日)
月曜日にNHKの地域ニュースの中で、女性の気象予報士の方が火燈山(ひともしやま、Mt.Hitomoshi)に登ってきたとシャクナゲ(石楠花)の写真を紹介していた。
そういう季節になったんだと思い、久しぶりに登ってみることにした。
今回も「火燈古道」から登る。火燈山は急登が続くので結構ハードな山なんです。中腹まではミツバツツジ(三葉躑躅)などが咲き、シャクナゲは中腹より上の方で咲いているが、群生するシャクナゲがたぶん何回か登った中で今回が一番の開花状況だった。
天気は曇りがちで雨の心配もあったが、薄日が差す時間帯もあり、来てよかった。
ところで先日福井県警へ女性の増田本部長が着任された。
この方も登山が好きで、3年程前に富士山にも登ったいう。福井でも「山登りをやってみたい」と記者会見で語っていた。
山歩きは理屈抜きで楽しい。
けれども山歩きの時間がとれない、そういう日々。
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