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【DIY】初心者でも15000円で作れるダイニングテーブル









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完成見学会のご案内
これまでの経験の中で一番キツい工程でしたが、やっとのことで完成見学会にこぎつけることが出来ました‼️ お世話になった職人の皆様には本当に感謝感謝です‼️!!
それでは、ご案内です。 開催日:令和6年3月15(金)・16(土)・17(日)・ 23(土)・24(日) 時 間:10時~16時 完全予約制 開催場所:金ヶ崎町 見学申込方法:弊社HPのお問いわせ または 下記電話より ★tel. 0198-41-5615 ★mobile. 090-3755-0155 (申込受付後に詳しい場所をお知らせさせていただきます)


⭐︎『ベースボールハウス』のご紹介 野球が大好きなファミリーが伸び伸び暮らせる家が出来ました。 緑の山々に映える切妻屋根の板貼りの家は、どこか野球(ホームベース)を連想するような外観です。 外装の板材は岩手県産材の杉、内装に使われている床と階段材は岩手県産材の赤松、天井の羽目板は杉と何処にいても木の香りとぬくもりを感じられるお家となりました✨ LDKにはお子さまの背比べを刻んでいく桧の柱が立っています。木の経年変化と共にお子様の成長を暖かく見守ってくれるお家です☺️ 野球少年のお子さまとお父さんが広い庭でキャッチボールをする姿が今から楽しみです‼️😊
UA値0.22W/㎡K Q1.0住宅Level-3 許容応力度計算による耐震等級3 BELS⭐︎5評価取得
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[Saku City, Nagano] Discover Nakagomi Station: Retro Charm and Relaxed Local Living in Japan 【長野県佐久市】中込駅の魅力とは?レトロな駅舎とローカルな暮らしを楽しむ。

Nestled in the peaceful town of Saku City in Nagano Prefecture, Nakagomi Station is a charming local stop along the Koumi Line, offering visitors and residents a glimpse into Japan’s nostalgic side. Located just about 40 minutes by car from the famous resort town of Karuizawa, the Nakagomi area is gaining quiet attention as a potential relocation spot or second home destination.
Originally opened in 1915, Nakagomi Station features a well-preserved wooden station building that evokes the atmosphere of Japan’s Showa era. Stepping through its modest ticket gates feels like a trip back in time. Though small, the station is surrounded by quaint kissaten (retro cafés) and old-fashioned local shops, creating an inviting, slow-paced lifestyle vibe.

If you're looking for a place where nature, community, and comfort blend harmoniously, Nakagomi might be the perfect match. Whether you’re considering a move or just looking for an authentic, off-the-beaten-path experience in Japan, Nakagomi Station and its surroundings offer a true taste of local life—quiet, retro, and refreshingly real.
Please also check out my blog.

長野県佐久市にある「中込駅(なかごみえき)」は、小海線(こうみせん)の一駅として、地元の人々に愛されているレトロで温かな雰囲気が魅力の駅です。観光地・軽井沢から車で約40分ほど、自然豊かでのどかな空気が流れる中込エリアは、移住先や別荘地としても良いのではと個人的に感じています。
中込駅は、1915年開業という歴史を持ち、木造の駅舎が今も現役。改札を抜けると、まるで昭和にタイムスリップしたように感じさせてくれます。小さな駅ですが、周辺には味のある喫茶店や昔ながらの商店などが立ち並んでます。そこは、ゆったりとした“地元の日常”を感じさせてくれます。
「自然も、暮らしも、ほどよく楽しめる場所」として、じっくりと腰を据えて住むのにも、気軽に遊びに来るのにもぴったりな中込駅周辺。観光客の賑わいから少し離れて、佐久市の“リアルな暮らし”を感じてみませんか?
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ガソリン代を下げるのは本当に大きいですよ!田舎で実際に生活して見たら良く分かるよ 田舎の人は本当に買い物一つ、子供の送り迎えでも農作業でもとにかく車は必要不可欠 しかも一家に2台以上ある事も多い 自民党議員さんはほとんどそんな生活とは関係無く不自由無く暮らしているのかな? 走行税に通勤税とかも、田舎より都会に住んだ方がお得ですよって言ってるようなものですよね。それも分からず地方活性化とか言わないで頂きたい
玉木代表「経済政策は国民民主党が引っ張っていく」 緊急対策を決定 ガソリン減税・“壁”178万円など(FNNプライムオンライン(フジテレビ系))のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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2025.1.23
中村明珍のイベント会場がオープン!
元銀杏BOYZのギタリストで、現在山口県の周防大島で農家兼僧侶として活動中の中村明珍の企画ユニット「寄り道バザール」が、戦後まもなく建てられた木造の芝居小屋を買い取りました。長年地域の交流、文化発信の場として使われてきた会場が解体回避、存続決定となりました。会場名を新たに『和佐星舎』と名づけ、いよいよ3月から活動をスタートします。
その柿落としとして、落語会と音楽イベントの開催が決定しました!
和佐星舎オープニング記念『Up Around The Sun w/ Bosco Japan Tour 2025』
日時:2025年3月16日(日) 開場 18:00 / 開演 19:00出演:Up Around the Sun w/ Bosco (from Austin, Texas) メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle)
二階堂和美 with 黒瀬みどり、Vanishing Men
チケット 一般 / 前売 3,500 / 当日4,000円(各+ドリンク代) 中学・高校生 / 前売 1,000円 / 当日1,500円(各+ドリンク代) ※要学生証提示 ※未就学児・小学生無料(必ず保護者同伴)
チケット取り扱い:https://yorimichishop.com/ 主催:寄り道バザール 制作協力:ベストフレンド・COFFEE コナ 後援:和佐自治会・周防大島町・周防大島町教育委員会
Up Around The Sun -- パンクとファンクを融合したBig Boys を始め数々のバンドのギタリストでビジュアルアーティストであるTim Kerrと、Banjo奏者Jerry Haginsの2人組ユニット。今回はそこにフィドル(ヴァイオリン)奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。前回来日時にこの3名で録音された最新アルバムとともに、レジェンドの生の演奏をご堪能ください。
そして今回はさらにスペシャル、なんと歌手の二階堂和美さんが出演を快諾してくれました!寄り道バザールの周防大島でのライブ1回目に出演してくれて以来約10年ぶり、待ちに待ったライブです。唯一無二の歌声、バイブレーション。この場所で全身で浴びられる幸せ。
なによりこのライブを作るきっかけとなった大切なバンド、大阪からMasaki Poserと横須賀のNathanによるユニット、Vanishing Menも来島。お二人は2年ぶり2回目の出演。深く揺らぎ、美しい旋律の気持ちよさに浸ってください。
この三組でのライブの場が生まれるなんて。うれしさMAXです。皆さんとともに楽しめるのを心から楽しみにしております。 プロフィール
Up Around The Sun w/ Bosco メンバー:Tim Kerr (Acoustic G) ・ Jerry Hagins (Banjo)・Bosco (Fiddle) オースティンのレジェンド、Tim KerrとJerry Hagins によるアコースティックデュオ。そこに、前回来日ツアー時にレコーディング参加したFiddle奏者・Bosco氏が加わるスペシャル3人編成。大阪で録音されたそのアルバムは2024年7月にセルフタイトル”Up Around The Sun w/ Bosco“として発表。 2025年の日本ツアースケジュールは以下の通り 3/14(fri) Kyoto Gorey Café3/15(sat) Nagoya K.D.Hapon3/16(sun) Suo Oshima 和佐星舎3/18(tue) Osaka Bake Brown3/19(wed) Osaka Namba BEARS3/20(thu) Shizuoka 8th Rest3/22(sat) Tokyo La Cana3/23(sun) Tokyo La Cana"Tim Kerr Exhibition"3/12(thu)-19(wed) Osaka BARRICADE3/17(mon)-23(sun)Tokyo Kit Gallery
Tim Kerr(Up Around The Sun) make art, play music, take photos, breathe1956年3月11日生まれテキサス・オースティン在住。BIG BOYSを始め、POISON 13, BAD MUTTHA GOOSE, MONKEYWRENCH, JACK O’FIRE, LORD HIGH FIXERS, THE NOW TIME DELEGATIONなどのバンドでギタリストを努める。パンクにファンク、ブルース、ガレージなどを融合した音楽の先駆け的存在。また、国内外の数多くのバンドのレコーディング・プロデュースも含め、その影響力は多大で多岐にわたる。絵画と写真のアーティストとしても活躍し、レコードジャケット、ポスター、本、広告、スケートボードデッキなどを手がけるほか、世界中で個展を開いている。
Tim Kerr インスタグラム
二階堂和美 ジャンルにとらわれない音楽性と、類いまれな歌唱・表現力で国内外から幅広く支持されているシンガーソングライター。1999年のデビュー以来多くのミュージシャンと共演し、その変幻自在ぶりを発揮。現在までに約20作を発表。代表作は2011年発表のアルバム『にじみ』。スタジオジブリ映画『かぐや姫の物語』(2013年)で、主題歌「いのちの記憶」を作詞・作曲・歌唱。NHK「おかあさんといっしょ」への楽曲提供曲に「ショキショキチョン」(作詞・作曲)、「ぎゅーっはかせ」(作曲:渋谷毅)。著書に『負うて抱えて』(晶文社) 他。CM歌唱も多数。広島県在住。浄土真宗本願寺派の僧侶でもある。
www.nikaidokazumi.net Vanishing Men Masaki Poser(BRONxxx、LP)とNathan Bennett(Capricorns, Bridge & Tunnel, White Daughter)によるユニット。30年前にサウス・ロンドンで出会い、ハードコア・パンクへの共通の愛で結ばれた。2022年、ふたりは日本に住みながら、なぜ一緒に活動しないのか不思議に思っていた。そして、バンドよりもデュオの方が手間がかからないということを経験から学び、Vanishing Menが誕生した。 中村明珍 農家兼僧侶。1978年東京生まれ。2013年までロックバンド銀杏BOYZのギタリスト・チン中村として活動。2013年3月末に山口県・周防大島に移住後、「中村農園」で農業に取り組みながら、僧侶として暮らす。また、農産物の販売とライブイベントなどの企画を行う「寄り道バザール」を夫婦で運営中。2021年3月に初の単著「ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ」(ミシマ社)を刊行、現在続きを連載中。2024年から真言宗善通寺派・「不動院」住職。 和佐星舎開館までの経緯かつては塩づくりを行っていたといわれる地域・和佐。昭和24年に、住民たち自らの手で山から木材を切り出し、船で海の上を運びながら、「青年会館」の名で建立。芝居小屋として、自身たちが舞台に立ったり、歌舞伎座を呼んで興業を行ったりしながら、のちに地域住民の「公民館」として幅広く使用されるようになりました。和佐の出身である作詞家・星野哲郎ゆかりの地であることから、鳥羽一郎や島津亜矢、水前寺清子などの多くの歌手も出演。のちに寄り道バザールではキセル、二階堂和美のライブや立川志らく、立川談笑の落語会、山縣良和によるワークショップなどを開催。ところが2019年、住民の話し合いで「解体」が決定します。修繕が必要な箇所はあるものの木材は丈夫なため、解体を回避する方法を模索していくことに。6年後の2024年10月、町から売却が告示され、2025年1月寄り道バザールが購入。存続が正式に決定しました。新公民館がすでにあることから、名前を「和佐星舎」に改名。前述の作詞家・星野哲郎や和佐の海岸「星のビーチ」、周防大島の正式名称「屋代島」の由緒にちなんで名づけました。今後もこれまでの地域での愛され方を継承しながら、老若男女問わず楽しめる、新しい居場所になるようにいろいろ企画していきます。経緯について、詳しくはweb「みんなのミシマガジン」(ミシマ社)の「ダンス・イン・ザ・ファーム2」にて連載中。

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📢写真教室 木漏れ日の森photoよりお知らせです。
2024年がスタートいたしました。
今年は年明けから地震に事故に落ち着かない日々が続いていますね。被災地の方々には1日も早くあたたかなお布団でゆっくり過ごせる日が戻りますよう心から願っております。
そんな年初めではございますが、
木漏れ日の森photoでは、神戸市北区、芦屋、西宮にてカメラ初心者さん向けのカメラレッスンがスタートいたします。
カメラをこれから始めたい方、学び直したい方のお越しをお待ちしております。
お気軽にお問い合わせください。
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◆カメラをはじめよう!次回2024年スタート『ココカラクラス』【今日からCAMERAのある暮らし/♡生徒さん募集中
🌷有馬の学び舎 →開講決定いたしました。引き継ぎ受付中
🌷芦屋の学び舎 →お待ちの方がいらっしゃいます。引き継ぎ受付中
詳細・お申込みはハイライト、ストーリーズよりご確認頂けます。
http://komorebi360.com/2023/12/19/kokokara/
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和五年(2023)12月27日(水曜日)参
通巻第8070号
AIは喜怒哀楽を表現できない。人間の霊的な精神の営為を超えることはない
文学の名作は豊かな情感と創造性の霊感がつくりだしたのだ
*************************
わずか五七五の十七文字で、すべてを印象的に表現できる芸術が俳句である。三十一文字に表すのが和歌である。文学の極地といってよい。
どんな新聞や雑誌にも俳句と和歌の欄があり、多くの読者を引きつけている。その魅力の源泉に、私たちはAI時代の創作のあり方を見いだせるのではないか。
「荒海や佐渡によこたう天の川」、「夏草や強者どもが夢の跡」、「無残やな甲の下の蟋蟀」、「旅に病で夢は枯野をかけ巡る」。。。。。
このような芭蕉の俳句を、AIは真似事は出来るだろうが、人の心を打つ名句をひねり出すとは考えにくい。和歌もそうだろう。
『春過ぎて 夏来にけらし 白妙の 衣干すてふ 天香具山』(持統天皇)
皇族から庶民に至るまで日本人は深い味わいが籠もる歌を詠んだ。歌の伝統はすでにスサノオの出雲八重垣にはじまり、ヤマトタケルの「まほろば」へとうたいつがれた。
しかし人工知能(AI)の開発を米国と凌ぎを削る中国で、ついにAIが書いたSF小説が文学賞を受賞した。衝撃に近いニュースである。
生成AIで対話を繰り返し、たったの3時間で作品が完成したと『武漢晩報』(12月26日)が報じた。この作品は『機憶(機械の記憶)の地』と題され、実験の失敗で家族の記憶を失った神経工学の専門家が、AIとともに仮想空間「メタバース」を旅して自らの記憶を取り戻そうとする短編。作者は清華大でAIを研究する沈陽教授である。生成AIと66回の対話を重ね、沈教授はこの作品を「江蘇省青年SF作品大賞」に応募した。AIが生成した作品であることを予め知らされていたのは選考委員6人のうち1人だけで、委員3人がこの作品を推薦し
「2等賞」受賞となったとか。
きっと近年中に芥川賞、直木賞、谷崎賞、川端賞のほかに文学界新人賞、群像賞など新人が応募できる文学賞は中止することになるのでは? 考えようによっては、それは恐るべき時代ではないのか。
文学の名作は最初の一行が作家の精神の凝縮として呻吟から産まれるのである。
紫式部『源氏物語』の有名な書き出しはこうである。
「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり」
ライバルは清少納言だった。「春は曙、やうやう白く成り行く山際すこし明かりて、紫立ちたる雲の細くたなびきたる」(清少納言『『枕草子』』
「かくありし時すぎて、世の中にいとものはかなく、とにもかくにもつかで、世��経るひとありけり」(道綱母『蜻蛉日記』)
額田女王の和歌の代表作とされるのは、愛媛の港で白村江へ向かおうとする船団の情景を齊明天王の心情に託して詠んだ。
「熟田津に 船乗りせむと月待てば 潮もかなひぬ今は漕こぎ出いでな」(『万葉集』)。
「昔、男初冠して、平城の京春日の郷に、しるよしして、狩りにいにけり。その里に、いとなまめいたる女はらから住みけり。」(『伊勢物語』)
▼中世の日本人はかくも情緒にみちていた
「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶ泡沫(うたかた)はかつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし」(『方丈記』)
『平家物語』の書き出しは誰もが知っている。
「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。 沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理をあらはす。 奢れる人も久からず、ただ春の夜の夢のごとし。 猛き者も遂にはほろびぬ、 偏(ひとへ)に風の前の塵におなじ」。
『太平記』の書き出しは「蒙(もう)竊(ひそ)かに古今の変化を探つて、安危の所由を察(み)るに、覆つて外(ほか)なきは天の徳なり」(『太平記』兵藤祐己校注、岩波文庫版)
「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」(『徒然草』)
古代から平安時代まで日本の文学は無常観を基盤としている。
江戸時代になると、文章が多彩に変わる。
井原西鶴の『好色一代男』の書き出しは「「本朝遊女のはじまり、江州の朝妻、播州の室津より事起こりて、いま国々になりぬ」
上田秋成の『雨月物語』の書き出しはこうだ。
「あふ坂の関守にゆるされてより、秋こし山の黄葉(もみぢ)見過しがたく、浜千鳥の跡ふみつくる鳴海がた、不尽(ふじ)の高嶺の煙、浮島がはら、清見が関、大磯小いその浦々」。
近代文学は文体がかわって合理性を帯びてくる。
「木曽路はすべて山の中である」(島崎藤村『夜明け前』)
「親譲りの無鉄砲で小供の時から損ばかりしている。小学校に居る時分学校の二階から飛び降りて一週間ほど腰を抜ぬかした事がある」(夏目漱石『坊っちゃん』)
「石炭をば早はや積み果てつ。中等室の卓つくゑのほとりはいと静にて、熾熱燈の光の晴れがましきも徒らなり。今宵は夜毎にこゝに集ひ来る骨牌カルタ仲間もホテルに宿りて、舟に残れるは余一人ひとりのみなれば」(森鴎外『舞姫』)。
描写は絵画的になり実生活の情緒が溢れる。
「国境の長いトンネルをぬけると雪国だった」(川端康成『雪国』)
谷崎潤一郎『細雪』の書き出しは写実的になる。
「『こいさん、頼むわ』。鏡の中で、廊下からうしろへ這入はいって来た妙子を見ると、自分で襟えりを塗りかけていた刷毛はけを渡して、其方は見ずに、眼の前に映っている長襦袢姿の、抜き衣紋の顔を他人の顔のように見据みすえながら、『雪子ちゃん下で何してる』と、幸子はきいた」。
「或春の日暮れです。唐の都洛陽の西の門の下に、ばんやり空を仰いでいる、一人の若者がありました」(芥川龍之介『杜子春』)
▼戦後文学はかなり変質を遂げたが。。。
戦後文学はそれぞれが独自の文体を発揮し始めた。
「朝、食堂でスウプをひとさじ吸って、お母様が『あ』と幽(かす)かな声をお挙げになった」(太宰治『斜陽』)
「その頃も旅をしていた。ある国を出て、別の国に入り、そこの首府の学生町の安い旅館で寝たり起きたりして私はその日その日をすごしていた」(開高健『夏の闇』)
「雪後庵は起伏の多い小石川の高台にあって、幸いに戦災を免れた」(三島由紀夫『宴のあと』)
和歌もかなりの変質を遂げた。
正統派の辞世は
「益荒男が 手挟む太刀の鞘鳴りに 幾とせ耐えて今日の初霜」(三島由紀夫)
「散るをいとふ 世にも人にも さきがけて 散るこそ花と 吹く小夜嵐」(同)
サラダ記念日などのような前衛は例外としても、たとえば寺山修司の和歌は
「マッチ擦る つかのま海に霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや。」
わずか三十一文字のなかで総てが凝縮されている。そこから想像が拡がっていく。
こうした絶望、空虚、無常を表す人間の微細な感情は、喜怒哀楽のない機械が想像出来るとはとうてい考えられないのである。
AIは人間の霊感、霊的な精神の営みをこえることはない。
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240626
いつもより早く起きて札幌へいく。 近所のパン屋でパンを買って、朝食。 ふたつ山のクリームのはさまったパン。柔らかくて甘くておいしかった。 札幌にくるたびに札幌って遠い、と思う。 北海道という括りだけれど東京―静岡くらいの感覚。 あと、都会。帯広が田舎であると気づく。 水族館にいって、みたかった写真展へいく。 夏帆の写真。 写真に写ったのがたまたま夏帆だった、というような雰囲気が心地いい。 写真ってひかりだ。 写真みたいな絵を描いてみたい。 リアルな、というのではなくて、空気感を捉えるというか。
帰路は夕方の陽の光がきれいで、街も山も木も、全部が思い出みたいだった。
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240627
これから新しくアルバイトを始めるから早起きを習慣づけていきたい、と思って、少し早く起きた。 今日は研修。 ホテルの部屋やカフェのいたるところに本があって、ここで働くならきっと大丈夫、と思っていた。『かなわない』植本一子、とか三角みづ紀さんの詩集たちとか。十勝での暮らしの本もあるみたいで読んでみたい。 少し疲れてしまった。 帰宅して、床でごろごろとして、米を買いに行った。 5㎏の米、意外とすぐになくなる。
友人から沖縄土産と東京のおすすめの品が届く。 ぎっしり詰まっていて、わくわく箱だった。 お土産リストにきゅんとした。 ちんすこう…沖縄土産の定番。クッキーみたいなかんじ のどぐろだし塩…お土産じゃないけど、最近はまって使ってるやつ
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240628
朝、鼻がつまっている。 そういえば、一昨日くらいからくしゃみもよく出る。 風邪だろうか。何かアレルギーだろうか。 今日は天気がいいから毛布の洗濯をする。 展示初日がスタートした。 ずっとそわそわしていた。 大丈夫かな、と不安。ギャラリーの方が写真を送ってくれて、棚いっぱいに展示していただいていることを知る。見ることができて、安心。でもやっぱり自分の目でも見たかったな。 お金が満足にないから、こういうときの行動が制限されてしまう。くやしい。
夜、『どこにでもあるケーキ』を読んで、ねた。
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虚子自選揮毫『虚子百句』を読む Ⅵ
花鳥誌2024年6月号より転載

日本文学研究者
井上 泰至
10 思ひ川渡れば又も花の雨
初出は『ホトトギス』昭和三年七月号。「貴船奥の宮」と前書き。『五百句』には、「昭和三年四月二十三日 (西山)泊雲、(野村)泊月、(田中)王城、(田畑)比古、(同)三千女と共に鞍馬貴船に遊ぶ」と注記。
成立の事情は『ホトトギス』昭和三年九月号の、「京都の暮春の三日」なる虚子の紀行文に詳しい。二十一日夜、大阪で「花鳥諷詠」の初出とも言うべき毎日新聞社での講演の後、東山から鞍馬・貴船・大原と洛北を巡った。二十三日当日は、前日ほどの雨ではないが、天気は悪く、かなり寒かった。鞍馬から貴船に向かい、昼食の後、幸い雨もあがって貴船神社から奥の宮へと向かい、宿に戻って句会を行い、掲句は「春の雨」の形で披露されている。
本井英氏は「虚子『五百句』評釈(第五五回)」(『夏潮』)で、昭和十年三月発売の「俳句朗読」レコードに添えられた自注を紹介している。それによると、貴船神社を参詣後、貴船川という小川にそってさらに物寂しい奥の宮に着くと、ほとんど参詣する者もなく、辺りには桜がたくさん咲いており、落花もあれば老樹もあった。貴船神社でも雨だったが、しばらく降ると止み、奥の宮にゆく道にある思ひ川が貴船川に流れ込んでおり、そこでまた降り出した、という。
当初「春の雨」としたのは、京都特有の、降ったりやんだりする「春雨」を実地に体験した報告として成った、ということだろう。それが様々な桜を濡らし、花を散らして川に流す方に重心を置いて「花の雨」とした。ここで「又も」が報告に終わらず、奥山の桜の様々な姿態を想像させる、繚乱の華やかさを得るに至った。
「思ひ」は、和歌では恋の火を連想させ、貴船には恋の説話が堆積している。恋多き女、和泉式部も夫の心変わりに貴船にお参りをし、貴船川を飛ぶ蛍を見て、歌に託して祈願をしたら、ほどなく願いが叶い、夫婦仲が円満に戻ったという故事がある。
さらに、謡曲「鉄輪」では、嫉妬に狂った公卿の娘が 貴船社に詣で、鬼神にしてほしいと祈願し、明神の託宣があって、娘は髪を分け、五本の角をして、足に松明をつけ、これを口にもくわえ、頭にも火を燃え上がらせて鬼の姿に変じたという。
虚子は、こうした幾多の恋の話を面影に、一句を絢爛たる「花の雨」に転じて詠み留めたのである。
なお、田畑夫妻は祇園の真葛原でにしん料理屋を営む。吟行に侍した三千女は、かつて千賀菊の名で祇園の一力に出ていた舞妓であった。虚子の祇園を舞台にした小説『風流懺法』の三千歳のモデルである。
11 栞して山家集あり西行忌
『五百句』に「昭和五年三月十三日 七宝会。発行所」と注記。
この句については、『夏潮虚子研究号』十三号(二〇二三年初月)に私見を披露しているので、ここにそのあらましを再記する。
最近提出された岸本尚毅氏の掲句に対する解釈の要点は、以下の通りである。「山家集」と「西行忌」という、氏によれば同語反復に終始したこの句は、
「定型と季題以外何物もない」句ということになる(『高濱虚子の百句』)。そもそも膨大な数残る虚子句から、配合の句に絞って論じた所に本書の狙いがある。通常季題と季題以外の取り合わせに俳人は苦心するが、氏に拠れば、虚子にはその迷いの跡がない、と言う。その理由を探ることが本書の目的でもある、とも言う。
従って、標題句もそうした関心から選ばれ、「人の気配がない」句として解釈されるに至る。その真意は、本書の最後に置かれた「季題についての覚書」に明らかである。岸本氏によれば、虚子の配合の句は、一般のそれより季題に近いものを集めた「ありあわせ」なのだという所に落ち着く。虚子の工夫は、季題を季語らしく見せることにあり、それは季題のイメージの更新でもあった、という仮説が提示される。
ここまで確認したところで、掲句を眺めれば、「西行忌」から「山家集」を「ありあわせ」、「栞」がどの歌になされているのか、その折の情景や人物はほぼ消去されているというのが、岸本氏の解釈であろう。
ただし、岸本氏は、「おしまいにまぜっかえすようなことを」言うと断りを入れて、「句はあるがままにその句でしかない」というのも虚子の真意だったろう、と記している。
これを私なりに敷衍して述べれば、虚子にもともと二物衝撃のような俳句観は極めて希薄だったのだから、標題句のような一見すると同語反復に見える「ありあわせ」については、季題がどれで季節がいつかといった議論を無効にする句作りがなされていたことになる。したがって、「同語反復」の良否を議論することは、虚子の句の評価においては、本質的ではないことになる。
虚子の読書を題材とした句にも、標題句より取り合わせの色が多少は濃いものがある。
焼芋がこぼれて田舎源氏かな
昭和八年の作なので、標題句から詠まれた時期も遠くない。『喜寿艶』の自解はこうである。
炬燵の上で田舎源氏を開きながら焼藷を食べてゐる女。光氏とか紫とかの極彩色の絵の上にこぼれた焼藷。
絵入り長編読み物の合巻『偐(にせ)紫田舎源氏』は、本来女性向けの読み物であった。白黒の活字印刷ではない。木版本で、表紙および口絵に華麗な多色摺の絵を配した。それらは、物語上の主要な人物を描くものではあるが、顔は当代人気の歌舞伎役者の似顔絵となっていた。
「読書」というより、「鑑賞」と言った方がいいこの手の本への接し方は、色気を伴う。主人公光氏は、光源氏のイメージを室町時代の出来事に仕立て直したものである。そこに食い気を配した滑稽と、冬の余り行儀のよくない、それが故に微笑ましい、旧来の読書の季節感が浮かんでくる。確かにこれから比べれば、西行忌の句は人物の影は薄いし、西行の繰り返しということにはなる。周到な岸本氏は、
去来抄柿を喰ひつつ読む夜哉
落花生喰ひつつ読むや罪と罰
など、虚子句から同じ発想のものを、「焼芋」句の評で引いてもいる。 そこで、標題句の解釈の焦点は、「栞」が「山家集」のどこにされているのかについての推論・推定に絞られてくる。まずは『山家集』中、もっとも有名な次の歌が想起されよう。
願はくは花の下にて春死なむ そのきさらぎの望月の頃
西行は出来ることなら、旧暦二月の望月の頃に桜の下で死んでゆきたいと願った。『新歳時記』よりさかのぼり、標題句の成立から三年後に出された改造社版『俳諧歳時記』(昭和八年)の「西行忌」の季題解説は、虚子が書いている。この歌を引いて、その願望の通り、二月十五日か十六日に入寂したことを伝えている。従って、掲句についても、この歌と願い通りの入寂を想起するのが順当であろう。その意味で、この句は「花」の句の側面を持つことになる。
ここまでくると、一句の解釈は、読み止しにした人も、「願はくは」の歌に「栞」をした可能性が出てくる。また、仮にそうでななくとも、「西行忌」に「栞」された「山家集」からは、西行と花の奇縁を想起するのは、当然のことと言えるだろう。
花有れば西行の日とおもふべし 角川源義
例えば、この句は「西行忌」ではなく、「花」が季題だ、という事に一応はなるだろう。また、「西行の日」を「西行忌」と考えてよいのか、という問題も残る。しかし、一句は「桜を見れば、桜があれば、その日を西行入寂の日と思え」という意味であり、「西行入寂の日」の奇縁、ひいては西行歌と西行の人生全体への思いがあふれている。むしろ、「西行忌」という枠を一旦外すことを狙った、広義の意味での「西行忌」の句と言えるだろう。
逆に虚子の句は、「西行忌」に「山家集」を持ち出すことで、和歌・俳諧の徒ならば、西行の作品とともに、その生きざまに習おうとする思いは一入のはずではないか、というところに落ち着くのだろう。「栞」をした人を消すことで、逆に西行を慕った人々に連なる歌俳の心が共有される句となっているわけで、かえってここは、具体的な人物など消して、西行の人生と歌のみを焦点化した方がよかったのである。
回忌の句は、俳諧の場合、宗祖を慕いつつ、一門の経営に資する世俗性が付きまとってきた。近代俳句はそういう一門の流派を嫌った子規の書生俳句から生まれたが、皮肉なことにその死の直後から「子規忌」は季題に登録され、他ならぬ虚子自身が、大正の俳壇復帰に向けて子規十七回忌を利用した経緯もある(井上『近代俳句の誕生』Ⅳ・2)。
しかし、西行ならば、広く歌俳を親しむ人々一般に、「開かれた」忌日として価値が高い。標題句が、西行一辺倒で詠まれた理由は、西行の「古典性」「公共性」に由来していたとみてよい。標題句の同語反復に近い言葉の選択の意義は、祈りの言葉に近いものであったからで、それを正面から行わず、「栞」を媒介に『山家集』の読者を無限につなげていく「さりげなさ」こそが、虚子の意識した俳句らしさであったと見る。
『虚子百句』より虚子揮毫
11 栞して山家集あり西行忌
12 紅梅の莟は固し不言

国立国会図書館デジタルコレクションより
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井上 泰至(いのうえ・やすし) 1961年京都市生まれ 日本伝統俳句協会常務理事・防衛大学校教授。 専攻、江戸文学・近代俳句
著書に 『子規の内なる江戸』(角川学芸出版) 『近代俳句の誕生』 (日本伝統俳句協会) 『改訂雨月物語』 (角川ソフィア文庫) 『恋愛小説の誕生』 (笠間書院)など 多数
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Bougainvillea という名前のようだ。この木を家の側に置いてギリシャの観光地みたいにしたいとずっと思ってる。10年くらい思っているけどまだやってない。



ふもとの貯水池。この水をポンプで上まで送っている


端っこに写っている赤いやつが水位を維持するセンサーなんだよ。この貯水槽の水を丘の上に送って貯水槽の水位が下がると自動で補充する仕組みなんだが直ぐにぶっ壊れる。蟻やヤモリが中に入って作動しないとか。


この人、電気技師さん。この人が来て修理してくれた、修理じゃなくて別の場所にあったセンサーと取り替えてくれた。全然問題が解決しないんだよな。田舎暮らしは大変だよ
#art#hilltop insane clinic#cottagecore#thailand#lifestyle#flowers#bougainvillea#photography#original photography on tumblr#ohayo prayers#boy blogger
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考えてみる、サバイバル
今年は元日に突然携帯の地震を知らせるアラームが鳴り出し、ギョッとなった。まもなく、能登で大きな地震があったことを知った。本当にいつどこで地震に遭うのかわからない今日この頃だ。日頃の備えが大事というが、どんな備えをすればいいのだろうか。どうすれば、自分や家族や周りの人の命や財産を守れるのだろうか。
「サバイバルファミリー」という映画を観た。どういう話かというと、主人公は東京のマンションに住む、中年の夫婦と高校生の息子と娘の一家。お父さんは平凡なサラリーマンで、会社から帰れば、晩酌しながらテレビをみている。息子と娘は親に関心がなく、勝手なものを食べている。お母さんはひとり台所で、実家の鹿児島から送られてきた大きな丸一匹の魚を捌こうと格闘しているけれど、誰も手伝わないし、食べたがらない。
そんなある日朝、突然電気という電気がみな��まってしまう。電気ばかりでなく、乾電池や車のバッテリーも全く働らかなくなる。お父さんと子どもたちは、文句を言いながらとりあえず会社や学校に向かう。自分のマンションだけでなく、かなり広範囲に停電していることがわかってくる。スマホで検索しようと思っても、画面には何も映らない。お母さんがスーパーに行くと、みな買い出しに来ているが、レジが動かずそろばんで計算するので、長蛇の列となる。
三日ぐらいは、ロウソクとカセットコンロとレトルト食品で凌いでいるが、水道からの水も出なくなり、会社や学校も休みとなり、多くの人がだんだんと東京脱出を始める。大勢の人が家族を伴って、ガラガラとスーツケースを引いていく。この一家はお父さんがうまく調達したおかげで、一人一台自転車がある。途中の商店では、ペットボトルの水が一本2500円の高値で売りに出されている。この家族も高値承知でありったけを買い占め、旅を始める。お母さんの実家の鹿児島を目指して。途中のお米屋さんでは、水や食べ物を持って行くと、お米一合と交換してくれる。そこにロレックスや高級車の鍵を持って交換に来る人物が現れるが、「そんなもの食えるかい! 」と突き返される。
「大阪から先の関西では電気が来ているらしい」という噂が飛び交い、今や車の走らない東名高速道路を大勢の人が歩いたり、自転車だったり、中には荷車を引く人も、西に向かう。途中のサービスエリアで野宿。寒い季節ではないのが、まだよかった。寝ている間に、水を一本盗まれて、息子がすぐに追いかけるのだが、盗んだ家族には赤ちゃんがいて、取り返すのをやめる。
脱出から16日目高速道路を降りて、川で洗濯をする。水が一見きれいだからと飲んだお父さんが下痢をする。強風に煽られて転倒し、自転車やお母さんのメガネが壊れる。次に通りかかったちょっと大きい街の無人のホームセンターを覗くと、食べ物はとうに無いが、キャットフード、精製水( コンタクトレンズに使うもの? )、自転車の修理材料などを手に入れる。火おこししようとしたもできないお父さんを横目で見つつ、おいしくないキャットフードを食べる。
さらに高速道路を走り続ける。長いトンネルの入り口で報酬と引き換えに、トンネルの案内を買って出る盲目のお婆さんたち。無視してトンネルに入るも、真っ暗な中、停まっている車や障害物に阻まれて進めなくなり、盲目のお婆さんに手引きしてもらう。
次はいやに元気な家族と遭遇する。彼らは日頃サイクリングしながらキャンプをしているらしく、装備も揃っていて、みなで楽しそうに食事をしている。「食料や水はどうしているんですか」と尋ねると、山の中の岩場の間から湧き出ている水は、周りに苔が生えていればそれは安全な証拠なのでそういう水を汲んだり、地面から直に生えているオオバコのような植物は食べられますよ、セミなどもおいしいですよ、と教えてくれる。
43日目、やっと大阪に到着。電気は来ていない。通天閣のタワーの入り口には、たくさんのメモ紙が貼ってある。「岡山のおじさんのところに行く。◯◯」などの伝言が。娘がブチ切れて「もう嫌だ! お父さんが大阪に来ればなんとかなるって言ったよね?」「そんなこと俺いったか? 」「ほら、そうやってまたいつもの責任のがれ」「親に向かってなんだ、その口の聞き方は! 」すると息子が「親らしいことしてくれたことあったかよ! 」今度はお母さんが、「いい加減にして! そんなこととっくにわかっているじゃないの、お父さんがそういう人だってこと」ここでお父さんはがっくりとなってしゃがみ込んでしまう。水族館の前で、飼っている魚を調理した炊き出しの列に並ぶも、自分たちの前で終わってしまった。お父さんは調理していた人に、土下座をして「せめてこの子たちだけにでも何か食べ物を」と懇願するが、「無いものは無い」と断られる。
67日目、食料も水も無くなり、岡山あたりの田舎道をとぼとぼ歩いている。と、一頭の豚が目の前を通り過ぎていく。えっ、となり夢中で追いかける。四人でやっと捕まえてみたものの、どうやってとどめを刺すのと手間取っているところ、後ろから「うちの豚に何をする! 」とお爺さんの怒鳴り声。お爺さんのうちの電気柵が働かなくなり、豚たちが逃げ出したのだった。お爺さんが、持っていたナイフで手早くとどめを刺し、豚を運ぶのを手伝い、そのお爺さんの家に。庭先の井戸水を汲ませてもらい、ごくごく飲む。久しぶりの白いご飯に、卵や野菜のおかずに豚肉の燻製。近所のお婆さんがキャベツや大根を届けてくれる。「あれまあ、お客さん? お孫さんたちが帰っているのかと思った」お爺さんの家族はアメリカにいて、連絡もつかないのだ。
ご飯の後は、さっきの豚の解体を手伝う。バラバラにした肉に塩をすり込む。一週間ほど熟成させてから燻製にするのだそうだ。逃げた他の豚も、みんなで追いかけ回して捕まえる。井戸水をバケツで汲んでは、お風呂に運び薪でお風呂を沸かす。何十日ぶりのお風呂に入り、夜はお孫さんたちが着る予定だった新しい寝巻きを貸してもらい、これまた久しぶりの布団に横になる。
毎日薪割りしたり、洗濯をしたり、お爺さんの手伝いをして過ごす。一週間後、豚肉を燻製にしながらお爺さんが語る。「お前さんたちさえよければ、ここにずーっと住んでもいいんじゃぞ。わしも年取って、一人で車も洗濯機も使えない生活では大変でなぁ・・」と誘われるが、この一家は鹿児島にいるお母さんの実家のお父さんの安否も気になっていて、結局お爺さんの申し出を断り、たくさんの食料をもらって、また自転車の旅を続ける。
そのあともいろいろあって、命の危険にも晒されて、奇跡的に誰かが動かしてくれたSLに拾われて、ようやく108日目に鹿児島のお祖父ちゃんの家にたどり着く。お祖父ちゃんは元気だった! お祖父ちゃんは浜で魚釣りをしていた。それからは村人同士助け合って、魚を捕りに行ったり、畑をしたり、鶏の世話をしたり、お婆さんに機織りを教えてもらったりして、みんなで元気に楽しく一生懸命に暮らし始める。
それから、2年と126日目の朝、突然村のスピーカーから埴生の宿のメロディーが流れてくる。みんなが驚いて家を出てみると、街灯が次々と点き始めた。すっかり忘れていた電気が戻ってきたのだ。そして場面は変わって、東京の一家のマンション。日常を取り戻し、以前の生活に戻る。テレビからは、「世界同時停電の原因は、太陽フレアか彗星の異常接近ではないかと、専門家からは語っている。サイバーテロの疑いはなくなったとのことです・・」停電前はそれぞれ勝手に心もばらばらに生きていた家族だったのが、思いやりのある温かい家族になっていた。
とまあ、そういう話であったが、いろいろといいヒントがあった。非常時にはアナログが強いこと。キャンプ生活などに慣れておくこと。北杜市に住んでいて、地震などで自分の家が壊れていない限りは、ここにいた方が湧き水もそばにあるし、薪や焚き木を燃やして暖を取ったり煮炊きすることもできる。むしろここは、首都圏からの避難地域となるだろう。今できることといったら、いつでも人を迎えられるように、家の中を整えておくこと、食料や薪を備蓄しておくこと?
もうひとつ気になるのが、「年長者としての知恵」のようなもの。年長者はパソコンやスマホに弱く、操作方法などは若者に訊かないとわからないことばかり。でももしパソコンやスマホが一切使えない世の中になった時に、どこまで年長者がサバイバルの知恵を出せるだろうか。本当に長く生きた分だけいい知恵があればいいけど。
さっきの映画の話では、最初はばらばらだった家族の気持ちもだんだんとひとつになり、お互いにかけがいのない家族として心が結ばれる。停電が終わり東京に戻るのだけど、本当に戻る必要はあったのかなぁ。鹿児島にいた二年半は、みなで漁をしたり、畑をしたり、はた織りしたりして、お金も介在せずに生きていたわけだ。これからこの地震や災害の多い日本で生き抜くには、都会を出て地方でコミュニティを作って、いろんな年齢の人が、各々出せる力を合わせて生きていく以外の得策は無いのではないかしら。
2024年1月
映画「サバイバルファミリー」は、2017年2月に公開された。監督 矢口史靖。
主演 小日向文世、深津絵里、泉澤祐希、葵わかな
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板に脚をつけるだけ 机を作ってプチアウトドアを楽しむ 食事が楽しいビールがうまい!田舎 山奥の暮らし テーブルを楽しむ 木工 DIY









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タイトルは「メダカうまれたかな」 いつものようにミリペンと墨汁を用いて、 ランプライト紙に描きました。 サイズは190×273mmです。
普段は心の中にあるイメージを描くことが多いのですが、 今回の風景は明確にモデルがあります。 それは、自分の育った家です。 ここは裏庭にあたる場所で、 ソテツや金柑、松、梅などの 日本の田舎暮らしによく馴染む庭木に加え 祖母が集めた山野草やハーブの鉢が並ぶ 美しい場所でした。 水草が浮かぶ鉢の中にメダカを飼っており、 それをチェックすることを日々の楽しみにしていました。 また、日当たりのよい表の庭とは違い 常に薄暗く湿気の多いところもあり、 そこには日陰に強いコケや奇妙な形のシダ類が並んでいました。 幼いころには怖くて近寄れなかったところです。 時々ムカデやアオダイショウが出るんですよね…
休日の午前中には 私が庭の植物に水を撒く仕事を任されることがありました。 その記憶をもとに、 一番きれいだったころの裏庭の姿を再現したものが今回の作品です。 いまはもう失われてしまった場所ですから。
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23.8.3.(木)
【臨時休業日】
子どもの最後の演奏会のためお休みいただきます!
8/4(金)は通常営業です
何卒宜しくお願い致します🙇
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写真は @hoshihitodaichi.iwamizawa
の活動拠点 岩見沢のBD有機農場の星耕舎さんです
いつも子どもたち大人たちの素晴らしい体験の場を提供してくださっています
秋には収穫祭もあります ぜひ美味しいお米やパンや野菜を1度食べに来てみて下さい🤤◎
【喫茶 まめ暮らし】
火・水・木・金 open 12:00-16:30(l.o.16:00)
岩見沢市緑が丘3-191-27
(あやめ公園手前の駅前通り沿い 板張りの三角屋根です)
《ご予約について》
カウンター以外の座席がご予約可能です ソファー席ご希望の方はお知らせ下さい 可能な限りご対応させて戴きます
ぜひご利用下さい
※当日はメールやDM等作業接客で気づかない場合があります なるべく前日までにご連絡ください🙇
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#日記 #喫茶まめ暮らし #まめ暮らし #岩見沢 #岩見沢カフェ #岩見沢ランチ #空知 #札幌カフェ #札幌近郊カフェ #珈琲 #紅茶 #人参ケーキ
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秋の夜。街中の公園を散歩していて、リーリーリーと甲高い、大音量の虫の音に包まれたことはないだろうか。スズムシでもコオロギでもない、聞いたことのない虫の音。「いったい何者なのか」と、疑問を抱いたことはないだろうか。その虫の正体は、横暴な外来昆虫第3弾のアオマツムシだ。 大音量で知られる秋の虫の代表は、かつてはクツワムシだったが、都市近郊ではあのガチャガチャという鳴き声を耳にすることが、ほとんどなくなった。代わりに登場してきたのがアオマツムシだ。クツワムシは体が大きいので、あの大音量も納得なのだが、アオマツムシはさして大きな虫でもない(スズムシよりやや大きい程度)のに、ともかくうるさい。 羽を広げて鳴くアオマツムシのオス。その音量はすさまじい。 何度か捕まえてきて、飼ったことがあるが、たった1匹でも、こいつと一緒の部屋ではとても眠れない。室内での飼育はやめた方がいい。マンション生活なら、ベランダに出していても、お隣から苦情が来る。公園などでやつらが集団で鳴き出すと、セミの大合唱より騒々しい。 原産地は中国と言われ、1900年ごろから国内の記録があるので、日本滞在歴は長い。しかし急増し始めたのは1970年ごろからという。昆虫記者が都心でこの騒音を気にし始めたのは2000年ごろだった。田舎に行くとあまり目につかなくなるので、都会派の虫なのだろう。 鳴き声(羽をすり合わせて出す音)は伊達ではなくメスを呼ぶ求愛行為 ほーら、メス(手前)が寄ってきた。すさまじい音量の成果ですね。 どうやら無事カップル成立のようです。 アオマツムシは樹皮下のほか、人工物の隙間にも産卵するらしく、基本的に樹上生活者なので、土の地面が少ない都心の公園や、道路脇の並木でも、何の苦もなく繁殖できる。 そんなアオマツムシは、コンクリートジャングルの中で暮らす都会人にとって良き相棒なのかもしれない。童謡「虫の声」のような風情はないものの、遠くで鳴くアオマツムシの声は、都会人の心を潤すかもしれない。在来種の本家マツムシは急減していて、店で買うと値段は定番商品のスズムシの何倍もする。これに対し、アオマツムシは無料で、近所で簡単に捕まえられる。 下の写真が本家のマツムシ(メス)。今ではマツムシと言えば、アオマツムシのことと思っている人も多いらしい。 地味な本家のマツムシ 店で売られている秋の虫の代表はこのスズムシ。 しかし、これだけは、しつこく警告しておく。「安眠を望むなら、アオマツムシを家に連れ帰るべからず」。まあ、アオマツムシを飼おうなどと思うのは、昆虫記者などごく少数派なので心配には及ばないだろう。でも「怖いもの見たさ」ということもあるかもしれない。
都会を代表する秋の虫の地位を不動のものにした外来のアオマツムシ(天野和利) - エキスパート - Yahoo!ニュース
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今週の入手本(0708-0714)
『夜来たる』(アイザック・アシモフ著/美濃透訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版)
『鋼鉄都市』(アイザック・アシモフ著/福島正実訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版)
『そして誰もいなくなった』(アガサ・クリスティー著/青木久惠訳/早川書房クリスティー文庫/Kindle版)
『キッチン』(吉本ばなな著/カバーデザイン:増子由美/幻冬舎文庫/Kindle版)
『かもめ食堂』(群ようこ著/装画:牧野伊三夫/カバーデザイン:井上庸子/幻冬舎文庫/Kindle版)
『羊飼いの暮らし──イギリス湖水地方の四季』(ジェイムズ・リーバンクス著/濱野大道訳/早川書房/Kindle版)
『宇宙のランデブー 改訂決定版』(アーサー・C・クラーク著/南山宏訳/ハヤカワ文庫SF/Kindle版)
『明けない夜を逃れて』(シャロン・サラ著/岡本香訳/mirabooks/Kindle版)
……上記8冊は、Amazonのまとめ買いキャンペーンを利用して購入しました。見聞きはするけれど読んではいなかったものや、読み終えてはいたもののほとんど内容を忘れていたものなどです。
『恋をする躰』(ジャネット・ウィンターソン著/野中柊訳/装丁:馬場崎仁/講談社)。先週入手した『フランキスシュタイン』を意識していたわけでもないのに、偶然にもジャネット・ウィンターソンの本が続きました。
『掬われる声、語られる芸 小沢昭一と『ドキュメント 日本の放浪芸』』(鈴木聖子著/装幀:芦澤泰偉/春秋社)。"はじめに"で語られる「のぞきからくり」と同型のものかはわかりませんが、偶然にも今日ついさっき、国立歴史民俗博物館で見学してきました。
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