#東京住家外送
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gleezysk608 · 1 month ago
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yu-en · 11 months ago
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
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明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京芸術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
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芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かのお祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
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今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
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都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
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飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
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喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
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日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
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Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)4月14日(月曜日)
      通巻第8738号 
 中国人留学生は東大へ3396人、早稲田に3220人、
中国人留学生の2904名が授業料免除、生活費支給。日本人学生は生活苦
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 日中関係とは何だったのか? 
日本の善意は骨の瑞までシナにしゃぶられた。贖罪意識という「かれら」が日本人に植え込んだ心の病が、そうさせた。精神が操られてしまったといえまいか。戦後八���年、日本は国家百年の大計を忘れた。外国のパワー増長に骨身を削って、肝腎の日本は痩身、栄養失調、活力を喪失した。
 田中角栄が訪中して日中が国交を回復して以来、日本の底なしの善意は徹底的にシナに利用され、経済支援、技術協力の結果は中国を軍事大国に押し上げることに費やされた。すべてが悪用された。
 国益を考え、国家百年の計を思慮すれば中国に何をなすべきであり、何をなしてはいけないかの判断はできる。だが、田中角栄のような利権政治家には土木事業の発想しかなかった。ものごとを深く考えない人が、ものごとを戦略的に考える人のところへいくのを「飛んで火に入る夏の虫」という。マオタイ酒ですっかり酔わされて、結果的に田中角栄は売国的行為に突っ走った。
 第一に賠償代わりに中国に供与した貴重な国民の血税がある。中国への無償援助である。
 日本の対中支援額は、有償資金協力(円借款)が約3兆3165億円、無償資金協力も累積で同額。技術協力が約1858億円である。
 第二に所謂「残留孤児」の引き取りは、同胞救済、人権という立場から言えば良かったが、偽造書類によって「育ての親」とか「親戚」を名乗るシナ人がおよそ数万人。ぞろぞろと付録のように日本に移住してきた。この詐欺集団は日本語を習得する意思を持たず、かれらの八割が生活保護支給を申請した。
くわえて里親、保障人の志願者まであらわれ、善意の日本人第三者が生活費の面倒までみた。
満州からの新移民二世らは不良グループ「チャインドラゴン」を結成し、殺人強盗を含む数々の狼藉を働いた。22年8月時点で日本に永住帰国した残留孤児は20911人、その親族を名乗るシナ人は数万、なかには「親戚」を名乗って91名が一挙に来日した。その後の調査でインチキ親戚を強制送還した。
2023年8月時点でまだ中国に残留する日本人孤児は2818人と見積もられている
第三に中国人留学生や研修生を受け入��た途端、インチキ学生が夥しく日本社会に流入し、凶悪犯罪こそ減ったが、オレオレ詐欺が激増した。山形の日本語学校では入学生の殆どが登校せず、日本国内に雲隠れした。
現在、日本にいる海外からの留学生は24万2000人、このうちの11万4000名が中国人である。
▼日本人学生はローンに追われアルバイトに汗を流すが、中国人留学生は授業料免除、生活費支給組が三千名。
もっとも多いとされたのは早稲田大学。海外からの留学のうち中国人は3220名。ところが直近のデータでは東大が早稲田を抜いた。東京大學が受け入れた5404名の外国人のうち、3396名が中国人、京都大学が1674人となった。
昨今目立つのは美大で京都精華大学(学長はマリ人)を筆頭に、京都芸大、武蔵野媚態、多摩美大、文化学園などでは70%~80%が中国からの留学生、かれらはアニメ産業に就職するらしい。
 問題は日本政府が中国人留学生のうち、実に2904名の授業料免除、生活費支給という特典を付与していることだ。この恩敬に浴したかれらが反日活動家になるのだから、廃止あるいは制限しろという国民の声があがっている。 
 第四に企業研修生をみると、日本に41万人をこえる海外からの研修生がいるが、ベトナムが52%、ついでに中国人が二割の8万人だ。給与は日本人と変わらない。15万円から20万円が支給され、全寮制で食事支給という厚遇もある。
 贖罪意識という心の隙を突いて、シナは日本の底なしの善意をしゃぶりつくした。
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shihlun · 4 months ago
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西武現實主義(Seiburealism)
/ Victor Burgin, 1989
四月的東京。在上野公園,櫻花低垂如雲,野餐席遍布其下。啤酒潑灑成水漥,載著狂歡人群的塑膠布筏子順著櫻花樹大道漂流(每艘筏邊整齊地擺放著一圈鞋子)。這些瀝青河流的兩岸擠滿觀光客,他們既為櫻花短暫盛放的美感所吸引,也沉醉於花見野餐所展現的景象——櫻花短命的綻放成了這場狂歡的道德藉口、一種死的提醒(momento mori)。櫻花影像被傳輸到西武百貨澀谷店,以環境影像的形式出現在店內各處。透過十二層樓的螢幕、交錯的手扶梯與電梯中,櫻花在商場每個角落綻放;如同富士山的影像(櫻花融化為山景,伴隨著約翰·藍儂《Imagine》的旋律);又或是街上的路人影像,被隨機捕捉,短暫地使螢幕成為千扇窗戶,讓人望向外部世界。(從外頭望上,百貨外牆橫跨數層樓的數位螢幕上,行人可能只看見巨大的魟魚,在海底悠然擺動,然後畫面轉化為像素化的動畫新聞,播報最新的人質危機。)
班雅明(Benjamin)曾視十九世紀的購物商廊為從街道過渡到百貨公司之間的中介階段。商廊——一條室內街道——白天靠天窗照明,這種大片透明玻璃得以實現,乃因為鐵架的支撐使其成為可能。抬頭望去,人們可見白日的雲朵,或夜晚的星空。在西武百貨中,這些鐵框玻璃矩形彷彿已從格子中爆裂而出;我想像它們在電腦動畫中慵懶地翻滾,變形為無所不在的視訊螢幕。在一種與時間無關的均勻冷光照射下,這些螢幕可以顯示雲朵、火星地貌,或任何可用二進位編碼定義的影像。東京位於富士山以東約百公里之處。從江戶時代(1600年)起至明治末年(1912年),富士山仍可間歇而清晰地從市內望見——成為一種固定的時空精神指標(在東京,能望見富士山之地即為「名所」)。如今,建築與空氣污染抹去了富士山的輪廓,至少在肉眼中是如此。新的參照點、新的「山」,在城市中自身誕生,成為僅能從百貨公司中看到富士山的景觀。儘管如此,觀看富士山的現象學經驗仍保留於百貨空間中——人們在穿越商場、從一處螢幕移動到另一處時,如同昔日穿越建築縫隙偶爾瞥見山景一般。
日本人稱為「立讀(tachiyomi)」的行為,是一種移動中、隨機式、斷續式的閱讀方式:翻閱漫畫與雜誌,只是路過隨手翻看,並無購買意圖;或在地鐵上從鄰座撿起報紙隨意瀏覽。安德烈・布勒東(André Breton)曾回憶戰時與賈克・瓦謝(Jacques Vaché)在南特的日子,他們的習慣是「無論正在播放什麼,都隨意走進電影院,看到哪裡算哪裡,一旦感到無聊便馬上離席,前往下一家影院,如此不斷輪替」。如今我們不斷切換電視頻道。(有段時間,在紐約某些餐廳流行「瀏覽式點餐」——這嚐一點、那吃一口。)觀光客也像這樣「套餐式」地體驗文化:在這座城市待兩天,再去另一座城市幾日(就像我如今在這區閒晃,在那區遊蕩)。而日本人不也常被說是「瀏覽」西方文化、取其所需再「本土化」的代表嗎?如果文化本身是複雜的文本,那麼它們如今已成為富裕與閒適者邊走邊翻的文本——無須承諾,只是移動中的一瞥。
在這間西武百貨的書籍部(藏書四十萬冊,我甚至找到兩本由密西根安娜堡的UMI學術出版社出版的超現實主義論文),一整面牆成為了放映螢幕,播放經典好萊塢電影的片段——以主題分類,其中之一是「戰爭」。畫面上,美國轟炸機正準備夜襲(東京曾在戰爭中遭遇毀滅性燃燒轟炸),畫外音堅定表示:「無論敵人藏在哪裡,我們都會追擊。」螢幕右側,在轟炸機飛出畫面之處,擺放著一座展示模型——燒焦的塔樓,其頂部爆炸場景正是電影《魔鬼剋星》(Ghostbusters)結尾的鏡頭之一。
(布勒東初識瓦謝是在1916年的軍方精神病院,當時布勒東是實習醫生,瓦謝是病人。其他病人中,有一人堅信所謂的「戰爭」不過是模擬場景;砲彈是道具,傷口是化妝;死者是從醫學院解剖台上帶來的屍體,趁夜散佈在假的「戰場」上。)美軍轟炸機由畫面左側飛向右側,如同西方的閱讀方向。而在書區翻閱時,我又看到一部漫畫,開頭描繪的是日本轟炸機自右向左起飛。它們先摧毀珍珠港,然後轟炸美國本土。接著,日本士兵踢破美國住家的大門。一戶家庭——男子、女子與一名幼童——蜷縮在客廳中,被士兵襲擊。男子遭殺害。士兵開始撕扯女人衣服,孩子哭喊。一名日本軍官抓起孩子的腳踝,以一個橫跨雙頁的弧線將他甩向牆壁。孩子的臉部從頭顱撕裂開來,飛越畫面,拖出一道墨筆揮灑般的筆觸,讓人聯想到禪宗書法。接下來半頁畫面中,女人遭輪暴(其哀號以英文呈現),最後士兵們聚集起來,坐在��塌自由女神像的伸展手臂上合照。下一頁,也是最終頁,我們看到裕仁天皇騎馬現身。有人說,東京之所以安全,是因為所有暴力都被收納於這些漫畫中。
布勒東在《超現實主義第二宣言》中曾寫道:「最單純的超現實主義行動,就是手持左輪手槍,走到街頭,盡你所能隨機射擊群眾。」如今,這樣的行為雖然不常見,卻也成為日常生活中的一種現象。有評論指出,第二次世界大戰的爆發令超現實主義失效,因為現實世界的暴力早已超越藝術所能預見。(盟軍登陸時,超現實主義攝影師李・米勒(Lee Miller)遊走於滿目瘡痍的街道,每扇門像是通往駭人而奇幻的風景。有次她不慎踩到一隻人手,撿起後憤怒地將其拋向街道。)但人們往往忘了,超現實主義始於第一次世界大戰,其戰間期的重要使命之一,正是將日常生活中的恐懼與失落加以昇華——轉化為幻想,特別是在性愛的範疇中。
在街頭,人群偶爾會突然分開,使人瞥見某個身影、某張臉,但那一瞬即逝,卻觸動了情慾神經。班雅明稱之為「最後一瞥的愛情(Love at last sight)」。百貨公司則提供這一現象的變體:透過那些輕薄帷幕圍成的小空間,女性離開觀眾群,成為被觀看的對象——不僅為了自己與其他女性目光的觀賞,也為那因帷幕掀開而勾引來的非法凝視所設(羅蘭・巴特曾問:「身體上最具情慾性的部分,不正是衣物掀開之處嗎?」)。我匆匆轉移視線;某些光線在鏡面空間內反射、延遲,在我視網膜上形成混亂(與其說是超現實,不如說更像立體主義),只能依靠記憶,在其中提取出一段熟悉的、被愛的身體片段。班雅明在論述超現實主義的文章中寫道:「在秘儀式的愛情中,女人本身並不重要。布勒東亦如此。他與娜佳(Nadja)親近的,不是娜佳本人,而是娜佳身邊的事物。」我們可以將這種「秘儀愛」以臨床術語命名——「戀物癖(fetishism)」。百貨公司,作為商品戀物的神殿,也召喚著佛洛伊德所言的戀物心理。男性漫遊者(flâneur)若欲前往正當之地,勢必得穿越洋裝海洋與香水濃霧的���漠。他別無選擇,只能進入這些禁忌之地。他的藉口天衣無縫,而內心的罪惡快感則無可迴避。當他在衣架間無意識地翻看服飾時,或許以為自己在為情人挑選禮物,但同時他也正盲目地觸摸著母親的身體。某刻我在西武感到口渴,找到了飲水機,其透明上層水流覆蓋著石礫——彷彿是一段溪流被切割下來,擺放於展示台上的自然部件。
在街道層,有一家以廢墟為造型的酒吧(採用「後末日建築」風格),其立面突出一段飛機機翼,下懸的引擎艙象徵性地讓人聯想到曾夷平越南的 B-52 轟炸機。在奈傑爾・柯茲(Nigel Coates)設計的 Café Bongo 中,「內部空間」衝破與「外部空間」之間的脆弱邊界。在同一個六本木(Roppongi)地區,為時裝設計師安傑洛・塔拉齊(Angelo Tarlazzi)設計店鋪的建築師八束一(Hajime Yatsuka)曾說,他將整棟建築構思為城市的「內部」。班雅明曾評論:「對於漫遊者(flâneur)而言,街道就是他的住所;他在房屋立面間的感受,猶如市民置身於四面牆內一樣自在。」百貨公司已成為那些從榻榻米小房間逃出的富裕難民的共同居所,他們在地鐵裡入睡。在城市各處,人們沉睡的景象隨處可見。男性躺在西武百貨各樓層扶梯轉折處旁的寬大沙發上,看似專為此而設(否則用途為何?),進入沉睡。
在這家百貨公司底下的有樂町地鐵站內,年輕的女性上班族也入睡著。她們從城市邊緣通勤,來回奔波於狹窄的住處與辦公地點,週末則重返澀谷、銀座、池袋,或其他西武分店。她們購買的是三宅一生(Issey Miyake)、Comme des Garçons 等品牌的服飾,而這些品牌對歐美的同齡女性來說幾乎遙不可及。從她們狹小房間出發,搭乘約一個半小時的列車,度過一天如遊蕩者般的生活,徘徊於西武那奢華至極的空間——這些空間透過無所不在的環境影像,開啟通往無限空間的通道。作為來自英國北部工人階級家庭的流離者,我想起了那位較富裕的姑媽家中的「前廳」(frontroom)。那是一間擦得發亮、充滿蠟香的房間,平時封閉,只在打掃或有訪客來時才會開啟。來客可以看,但不能碰,只能站在敞開的門前觀看,而不能踏入其中(這間「起居室」沒人坐,這間「客廳」裡也無人交談)。這房間彷彿是一個全息投影的模擬空間,只為提供心理上的額外生活空間,如同西武百貨所帶來的慰藉一般。在西武百貨,正如其西方對應對象(至少在這方面),家具部就如同無數富人家庭的前廳;彷彿從其原始情境中抽離,再「傳送」到這座城市的樓層中——這座由無數「前廳」構成的城市,雖然沒有牆壁,卻以內部街道相互隔開,主要用途就是用來閒逛(flânerie)。
尚–盧・高達(Jean-Luc Godard)曾表示過這樣的想法:既然任何東西都可以被拍進電影,那就所有東西都應該被拍進電影。比起電影,西武百貨更是一場由異質集體所創作的組合展——包括買手、租戶精品店業者、駐場視覺藝術家、圖書管理員、旅行社人員等。這裡沒有「作者控制」或「敘事封閉」的概念(因此也不需要布勒東與瓦謝式的逃避);其組織原則早已是非整體的、務實的、機會導向的。在某種程度上,這場組合也可視為一種整體,由此構成的過程類似於超現實主義者的集體書寫實踐。
西武百貨是超現實主義於後現代階段的作品,一件無盡變奏的作品,由遊蕩者(flâneur)「自動書寫」而成,其對於商品的興趣與對所處空間的興趣無高下之分。(班雅明有句格言:「建築是在分心狀態中被欣賞的。」)
在日本,想看一場重要的藝術展覽,你有很大機率會在百貨公司,而不是美術館看到它。當西武百貨展出尚・杜布菲(Jean Dubuffet)的作品時,東京上野公園內的東京都美術館也於1988年4月開展名為《1920年代的日本》的展覽。我在那裡得知,1923年摧毀東京的關東大地震,被視為日本「機械時代」藝術的開端。布勒東的《超現實主義宣言》與《超現實主義革命》首期,也是在1924年的巴黎發表。在東京都美術館,我發現大量機械美學影響的證據,特別是包浩斯(Bauhaus)對���覺藝術——攝影、繪畫、��築、工業設計、電影、劇場設計、時尚等的深遠影響。同時也能看出德國表現主義的廣泛影響,尤其在劇場與電影領域;而隨著1920年代結束,愈來愈多政治啟發下的「寫實主義」創作開始盛行。然而我幾乎找不到任何關於超現實主義的明確跡象。並沒有理由認為當時的日本在1920年代對於超現實主義的了解會比其他歐洲美學運動來得少。1970年,瀧口修造(Shūzō Takiguchi)——在布勒東與艾呂雅所編的《簡明超現實主義辭典》中被列為「超現實主義作家」——曾寫道:「在日本,從未出現過像法國那樣的超現實主義團體。」我無法判斷超現實主義在戰間期或今日的日本意味著什麼,也無從推測它未能代表什麼;我確定的是,它的意義絕對與我自己的理解不同。許多超現實主義研究者認為,這場運動的編年史應該終結於1968年五月事件。而就在同一年,一個法國電視台團隊前往東京郊區採訪三島由紀夫。他是傳統價值的擁護者(兩年後,他將以近乎完美的切腹行動實踐他的理念),當時他住在一間宛如法國蔚藍海岸別墅的宅邸中。一樓以十八世紀法國風格裝潢,而樓上則採用現代國際風格設計。三島說道:「在這裡,只有看不見的部分才是日本的。」
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kennak · 6 days ago
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所沢市職員のマイナンバー不正、親族ら40人以上を扶養家族に…所得控除で不正に215万円を得たか  公務員の立場を悪用し、親族の個人番号(マイナンバー)を不正に入手していた事件で、埼玉県警は31日、虚偽の申請書で親族の戸籍謄本を他の自治体から取り寄せたなどとして、埼玉県所沢市職員の男(31)(東京都八王子市)を虚偽有印公文書作成・同行使などの容疑で再逮捕した。  捜査関係者によると、男は2023年2月、親族の80歳代男性の戸籍謄本を職務で使うとする虚偽の書類を作成し、県外の市役所に郵送するなどした疑い。公文書を作成する役職で、市長印を押していた。県警は同様の手法で複数の自治体から親族の戸籍謄本を得ていたとみている。「マイナンバーの照会に必要な親族の正確な住所や生年月日を知りたかった」と供述し、容疑を認めているという。  男は、戸籍謄本に記載された個人情報を市役所の住民基本台帳ネットワークシステム(住基ネット)に入力し、親族のマイナンバー���把握、親族の扶養状況を確認し、延べ40人以上を自身や妻の扶養家族として所沢市に申請していたという。市によると、所得税の控除などで約215万円を不正に得ていた。  男はマイナンバー法違反容疑(職権乱用収集)で10日に逮捕された。 https://news.infoseek.co.jp/article/yomiuri_20250731_oyt1t50082/
マイナンバーを不正取得し親族ら40人以上を扶養家族にしていた所沢市職員(31)を逮捕 [632443795]
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1003books · 12 days ago
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8/29 トークイベント“懐かしい未来”遠野 —「わけの分からないもの」と向き合うために—
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何も知らずに東京から移り住んだ岩手県遠野市。『遠野物語』の世界で出会ったのは、“シシ”になる人々だった。岩手・宮城を中心に継承されてきた郷土芸能「シシ踊り(鹿踊・獅子踊)」。ひょんなことからその踊り手となり、自らその土地で“シシ”として生きる作家・プロデューサーの富川岳が書き下ろした渾身のノンフィクションが6月23日に出版された。
河童やザシキワラシが躍動する遠野という土地、そしてシシ踊りが放つ魅力について、富川が注目するのはその「わけの分からなさ」だ。消化も言語化もできないような体験。それは初めて目にするものであり、一方で遠い記憶に刻まれた景色のような気もする。“懐かしい未来”とも言える瞬間にどれほど立ち会えるか、そこに豊かさがあると力説する。かたや、現代美術家として“未来に残る現代”をテーマにした作品、空間を生み出す岡本亮。それ��れの視点から「わかる」と「わからない」の淡いに対峙してきた二人の表現者が考える、わからなさの魅力、異界との向き合い方とは?聞き手は、同書の解題と用語解説を担当した桜井祐が務める。
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“懐かしい未来”遠野 —「わけの分からないもの」と向き合うために—
富川岳『シシになる。──遠野異界探訪記』(亜紀書房)刊行記念トーク
日時:2025年8月29日(金)19時〜
場所:神戸元町1003(神戸市中央区栄町通1-1-9東方ビル504号室)
定員:20名
参加費:1,500円
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申込方法:1003の店頭・メールにて受付。 メールの場合は 件名を「8/29シシになるトーク」として 「①お名前 ②電話番号 ③人数」をお知らせください。 1003からの返信をもって受付完了といたします。 3日経っても返信のない場合は、メールの送受信にトラブル発生の可能性がありますので、下記問合せ先までお電話ください。 
申込先(mail):[email protected](担当:1003 奥村) 
問合せ先(tel):050-3692-1329(1003)
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##出演者プロフィール
富川岳
シシ/作家。1987年、新潟県長岡市生まれ。岩手県遠野市在住。都内の広告会社にプロデューサーとして勤務した後、2016年に岩手県遠野市へ移住。恩師との出会いをきっかけに『遠野物語』に戦慄して以来、民俗学をベースとした様々な創作活動や文化振興を行う。2018年から張山しし踊り(遠野郷早池峰しし踊り張山保存会)に所属。郷土芸能「シシ踊り」に傾倒する日々を送る。2023年『本当にはじめての遠野物語』(遠野出版)、2024年『異界と共に生きる』(生活綴方出版部)、2025年6月『シシになる。──遠野異界探訪記』(亜紀書房)。株式会社富川屋代表、遠野市観光協会理事。遠野文化友の会副会長。
https://www.instagram.com/gaku.tomikawa/
岡本亮
現代美術家。1977年、兵庫県加古川市生まれ。高校卒業後イギリスに渡り、ロンドンのキャンバーウェル大学、セントラル・セント・マーチンズ大学で芸術を学ぶ。世界各国を巡った後、2002年輸入・オリジナルブランド雑貨「EINSHOP」を立ち上げる。2009年、アート活動を再開。2010年から加古川で再び生活を始める。2018年にアートブランド「CALMA」を立ち上げ、「未来に残る現代」「土地に根ざした生活スタイルが生む重要なメッセージが潜む部族」をテーマに、価値や素材を未来に残すため作品、空間を生み出す。2022年には加古川市の老朽施設を文化と自然の拠点としてプロデュースし「ON THE HILL」をオープンさせた。
https://www.instagram.com/calma.rt/
桜井祐
九州産業大学芸術学部准教授、TISSUE Inc. 共同設立者/編集者。1983年、兵庫県生まれ。2008年、大阪外国語大学大学院言語文化研究科修士課程修了。「媒介的実践としての編集的知」をテーマに、学際研究プロジェクトの実施やアートプロジェクトのキュレーション、アーティスト作品の企画・編集ディレクションなどを行う。2017年、クリエイティブディレクションを中心に行うTISSUE Inc./出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。共著書に『新世代エディターズファイル 越境する編集』(BNN、2021年)など。
https://www.instagram.com/yuacme/
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富川岳『シシになる。──遠野異界探訪記』(亜紀書房)
東京の広告会社で働いていた著者が、河童やザシキワラシをはじめ妖怪、精霊、神々など…この世ならざる気配に満ちた遠野に導かれるように移住し、いつの間にか400年続く郷土芸能「シシ踊り」の踊り手となって、人から”シシ(獅子)”へとトランスフォームしていく激動のプロセスを描いたノンフィクション。
岡本太郎も目にし、民俗学者・柳田国男を戦慄させた「シシ踊り」。牛の角、龍の鼻、鹿の目を持つ霊獣シシ。人はなぜ獣を被って今も踊り続けるのか、また踊り続けなくてはならないのか。デジタル偏重時代の今、僕は一体何を取り戻そうとしているのか──。その問いはやがて、民俗学の夜明けを告げた歴史的名著『遠野物語』の最終話に秘められた謎をも解き明かしていく。
いつしか周囲に生まれる、奇跡のような出会いと物語——民俗学をベースとした様々な創作活動や文化振興を行い、いま各界から注目を集める若きプロデューサーが10年にわたるリサーチと実践、そして研究者との協業をもとに熱量を込めて書き下ろした、渾身の商業出版デビュー作。この本を読まずして遠野は語れない。民俗学の聖地に新時代をもたらす物語がいま始まろうとしている。
[解題&用語解説]桜井祐(九州産業大学准教授)
[造本設計]吉岡秀典(セプテンバーカウボーイ)
[推薦]森田真生(独立研究者)&ドミニク・チェン(情報学研究者)
[巻末漫画]五十嵐大介(��海獣の子供』『リトル・フォレスト』)
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kyoto4 · 1 year ago
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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triflingdoodle · 11 months ago
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在日をやってると100
 最近、文章やスピーチをお願いされることがチラホラとあって、内心、「僕なんかに依頼して大丈夫なのか」と戸惑いながらもせっかくだしと引き受けては後になって後悔するというのを繰り返している。
 自分で読み返すと、語彙力も無いしなんて程度の低い感想文なんだろうと思うし、後になってあれも書けなかったこれも書けなかったと気が付いて反省することが多い。
 このブログでもシェアしたけれど、関東大震災の朝鮮人・中国人虐殺から99年目の2022年の9月1日にはGQ JAPANに「関東大震災朝鮮人虐殺事件から99年目──僕たちは差別を止める側、弱者を助ける側に回れるのか?(https://www.gqjapan.jp/culture/article/20220901-great-kanto-earthquake-massacre)」というコラムを書かせてもらった。2年経ったいまは在日クルド人をターゲットにしたヘイトスピーチがかなり危険ところまできていて社会はなかなか良い方向に進まないなと暗い気持ちになってしまう。  過去も現在も未来も、あの問題もこの問題も繋がっているというのがわかるようなのが書きたいなと思いながらなんとか書き上げて掲載してもらえたけれど、読み返すと、あのこともこのことも書けなかったし書くべきだったなと密かに反省していた。特に虐殺された中国人や社会主義者のこと。虐殺された社会主義者のことは僕の記事では完全に抜け落ちてしまっているし...。まとめて語られがちだけれど、数の多い朝鮮人の話がメインで語られる傾向があるけれど、そうなることでみえなくなっていることがある。虐殺された中国人ついてはぜひ @fukuyoken3daime さんのツイートの連投を読んでみてほしい。 (https://x.com/fukuyoken3daime/status/1830043385396342866)
 今年はいまのところ、2つのコラムを書かせてもらっている。一つは8月6日に発売された、広島から平和を希求するマガジン「TO FUTURE ZINE 2024 -ISSUE 18-」で、2023年と2024年の入管法改悪についての文章を書かせてもらった。もう一つは、先日開催された「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の配布資料に掲載される文章。
   TO FUTURE ZINEの方はネット(https://online.recordshop-misery.com/items/88231992)で購入可能です。「スナック社会科横浜映画祭#2 特集:飯山由貴」の方ですが、公開して良いとのことなのでせっかくなので掲載しておこうと思います。作品をすでに観た人もまだ観たことない人も少しだけ違う視点をで作品を観れる文章が書けたらいいなと思いながら書いたけれど、読み返すとやっぱり上手く書けていないなと思ってしまって、あちこち手直ししたい気持ちになってしまう。でもいまそれをする時間の余裕もないのでそのままにしておきます。 
無題(スナック社会科横浜映画祭#2 特集: 飯山由貴映画祭 によせて) 
初めて飯山由貴さんの作品を観たのは、2022年10月15日、16日と京都の龍谷大学響都ホールでの「オールドロングステイ」の上映会に実行委員会の一人として参加させてもらった時だった。 
ヘイトスピーチデモのカウンター行動で知り合った友人が、 僕が入管収容の問題に関心を持ち 大阪入管に収容されている人たちや一時的に収容から解放された���放免の状態で生活してい る人たちの支援をしていることを知っていて映画に興味があるのではと声をかけてくれた。 
入管の被収容者や仮放免者を支援するようになって、 難民、 犯罪等で在留資格を取り消され た人、 技能実習先から逃げ出すなどさまざまな理由で非正規滞在となりそれが発覚し収容され た人、ほんとうにいろいろな人と出会ってきた。 いつも支援をしながら 「特別永住」という在留 資格で生活する自分の状況と彼ら彼女らの状況を照らし合わせて考えてしまう。 
支援を始めてすぐの頃、「永住者」 が犯罪で在留資格を取り消され退去を迫られている現実に 衝撃を受けた。「日本にしか生活基盤がない人に帰れってどういうこと?」 という僕の素朴な疑 問は世間一般の日本人にはなかなか理解してもらえない。 
難民が入管に強制的に収容されているというのも衝撃だった。 「特別永住」の在日朝鮮人の 中には戦後、政治的な迫害(済州島四・三事件など)から逃れるために「密航」してきた人たちも いる。 元技能実習生の面会では彼らが戦前戦後の朝鮮人労働者の状況と重なった。 
特別永住の資格ができる狭間で在留資格を得られなかった韓国人の老夫婦の帰国の支援を したことがある。 最初は「密航」で日本に来日し、親戚を頼って生活していたが、あるとき摘発さ れて大村収容所に収容され強制送還となってしまった。 「特別永住」の資格ができたあとに観光 で来日し、在留期限が過ぎた後もオーバーステイのまま滞在しずっと大阪でひっそりと生きてた という。 僕と出会った時の夫婦の年齢は80歳前後。 病気で倒れるま���現場作業でバリバリ働 いていたけれど、 非正規滞在のため健康保険も非加入で公的支援も何も受けられず、どうにも ならないと帰国することになってしまった。 1度目の強制送還がなければもしかしたら 「特別永 住」を取得する道もあったんじゃないだろうか。 僕よりも長く (最初の来日から数えると50年 以上)、ただ働いて生きてきただけなのになぜ医療も生活保護も受けられず日本から追い出さ れないといけないのかいまだに理解ができずにいる。 
日本人と外国人の間に引かれた線、 特別永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた 線、 永住の外国人とそれ以外の外国人の間に引かれた線、 あちこちに引かれた見えない線がほ んとうに正しいのか社会に問いかけるにはどうしたらいいのか。 そういうことを日々考えてい たときにたまたま観ることになった「オールドロングステイ」は大きなヒントをくれたように感じている。  外国人登録令による日本国籍喪失とその後の参政権や社会保障からの排除、 民族教育を否定 する通達、日本国憲法の制定過程など植民地主義を根にするさまざまな問題、ハンセン病療養 施設における朝鮮人差別��格差是正運動、 帰化制度における差別、 在日朝鮮人の中の障害者差別など、 在日であり障害者であることで受ける差別の背景に広く深く迫ることで引かれた線を次々に可視化しているのが良かったし、普段はなかなか可視化されない声なき声を描くのに、安易にわかりやすくして伝えない、受け手の本気度が試されるような表現の仕方もおもしろいと思った。  その後に観たのは、戦前に都内の私立精神病院に入院していた2人の朝鮮人患者の診療日 誌のことばをモチーフに、ラッパー・詩人の FUNI の声と身体で映像化した作品「In-Mates」。 この作品は東京都の指定管理施設「東京都人権プラザ」で開催された企画展「飯山由貴 あな たの本当の家を探しにいく」 (2022年8月30日~11月30日) において上映が禁止とさ れて大きな話題となった。 (詳細は記事を参照→東京都人権部による飯山由貴 《In-Mates》上 映不許可事件は、何を問うのか https://t.co/7fk561FzCn )
上映禁止について語られることが多いこの作品。 自分自身が在日朝鮮人であり、さらには父 親がアルコール依存症で精神科病棟に強制入院となってその中で死亡していること、そして、今 現在、入管の収容施設に強制収容されている人たちや、仮放免という身分で一時的には外に出 られたものの、 就労も、 健康保険加入も、移動の自由も制限され、ほとんど何もできない生活を 強いられている人たちの支援をしていることもあって、 強く心を打つ作品となった。 患者 A、患 者Bの生きてきた環境やそれによって形成されたアイデンティティを想像すると言葉にならな い感情が湧いてきた。 
入管の被収容者や仮放免者の支援をするようになって”自由”に対する感覚が随分とかわっ た。 アクリル板の向こう側、 握手すらできないところで何ヶ月も何年も小さな部屋に閉じ込めら れている人との会話。 仮放免された瞬間の表情としばらくして就労もできず結局は自由がない 生活に苦しんでいる表情。 
「In-Mates」のエンディング、ニーナ・シモンの「I Wish I Knew How It Would Feel To Be Free」は支援で出会った人たちの表情を思い出してしまいとても重かった。 
無いことにされてしまっている声、 叫びに気付き可視化していく飯山由貴さんの作品。 この先も追いかけたい。
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ignitiongallery · 2 months ago
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『珠洲の夜の夢/うつつ・ふる・すず さいはての朗読劇』戯曲集刊行記念「うつつ・ふる・すず」上映会+トーク
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作曲家・阿部海太郎の声かけにより、演出・長塚圭史、戯曲・大崎清夏によって2022年、23年と奥能登珠洲で上演された『さいはての朗読劇』全戯曲『珠洲の夜の夢 / うつつ・ふる・すず』の刊行を記念して、
映像作品「うつつ・ふる・すず」の上映と、大崎清夏、長塚圭史、阿部海太郎によるトークを、7月7日にtwililightで開催します。
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“この戯曲集が完成する頃には、能登半島地震から一年半が経つことになります。珠洲の復興への道のりについては、私にはわからないことだらけです。でも、この戯曲集によって、ひとつの珠洲の物語をこの先の未来へ手渡すことができれば、少なくともそれは珠洲を愛する私にとって、ひとつの復興の形になるのではないかと思います。”(あとがきより)
“草むらのほうから、夏の終わりのいい風がざあっと吹いて、会場を吹き抜けた。 「あいの風だ。」 と誰かが言った。“(本文より)
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日時:2025年7月7日(月)
開場:19時 開演:19時30分 終演:21時頃
会場:twililight(東京都世田谷区太子堂 4-28-10 鈴木ビル3F・屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
料金:2000円+1ドリンクオーダー
定員:25名さま
出演:大崎清夏、長塚圭史、阿部海太郎
件名を「『珠洲の夜の夢 / うつつ・ふる・すず』刊行記念」として、お名前(ふりがな)・お電話番号・ご予約人数を明記の上、メールをお送りください。
*このメールアドレスが受信できるよう、受信設定のご確認をお願い致します。2日経っても返信がこない場合は、迷惑フォルダなどに入っている可能性がありますので、ご確認ください。
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《出演者プロフィール》
大崎清夏(おおさき・さやか)
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二〇一一年、第一詩集『地面』刊行。第二詩集『指差すことができない』で第十九回中原中也賞受賞。 詩集に『暗闇に手をひらく』『踊る自由』『新しい住みか』、小説やエッセイに『湖まで』『私運転日記』『目をあけてごらん、離陸するから』などがある。 協働制作の仕事に、奥能登国際芸術祭『さいはての朗読劇』(二〇二二、二〇二三)の脚本・作詞、舞台『未来少年コナン』(二〇二四)の劇中歌歌詞、オペラ『ローエングリン』(二〇二四)の日本語訳修辞、ダンスパフォーマンス『渋谷への手紙 ~LOVE HATE SHOW~』(二〇二 五)の共同構成・語りなど多数。 二〇二五年春から拠点を奥会津の山あいに移し、執筆活動を続けている。
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長塚圭史(ながつか・けいし)
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劇作家・演出家・俳優
1996年、演劇プロデュースユニット阿佐ヶ谷スパイダースを旗揚げし、作・演出を担う。2008年、文化庁新進芸術家海外研修制度にて一年間ロンドンに留学。2011年、ソロプロジェクト「葛河思潮社」を、2017年には新ユニット「新ロイヤル大衆舎」を始動。2021年4月にKAAT神奈川芸術劇場芸術監督に就任し、『王将』-三部作-、『近松心中物語』、KAATカナガワ・ツアー・プロジェクト第一弾・第二弾、ミュージカル『夜の女たち』、『アメリカの時計』、『花と龍』などを手がける。その他近年の作品に、阿佐ヶ谷スパイダース『ジャイアンツ』、『GOOD -善き人-』など。『さいはての朗読劇』には、「珠洲の夜の夢」構成・演出、「うつつ・ふる・すず」演出で参加。また、俳優として、舞台『蜘蛛巣城』などに出演。第55回芸術選奨文部科学大臣新人賞、第14回読売演劇大賞優秀演出家賞受賞。
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阿 部 海 太 郎( あ べ う み た ろ う ) 
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ク ラ シ ッ ク 音 楽 を は じ め 世 界 の伝統的器楽への造詣をベースに、巧妙な編成による音色と独 創的な旋律で詩的な世界を浮かび上がらせる。舞台、ドラマ、 映画、さまざまなクリエイターとの作品制作などで作曲を手掛 け る ほ か 、独 創 的 な コ ン セ プ ト で コ ン サ ー ト 企 画 や ア ル バ ム 制 作 も行う。主な仕事に、蜷川幸雄演出のシェイクスピア作品、舞 台『 未 来 少 年 コ ナ ン 』、映 画『 碁 盤 斬 り 』、N H K 連 続 テ レ ビ 小 説『らんまん』など。
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ari0921 · 4 months ago
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「宮崎正弘の国際情勢解題」 
  令和七年(2025年)4月14日(月曜日)
      通巻第8738号 
 中国人留学生は東大へ3396人、早稲田に3220人、
中国人留学生の2904名が授業料免除、生活費支給。日本人学生は生活苦
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 日中関係とは何だったのか? 
日本の善意は骨の瑞までシナにしゃぶられた。贖罪意識という「かれら」が日本人に植え込んだ心の病が、そうさせた。精神が操られてしまったといえまいか。戦後八十年、日本は国家百年の大計を忘れた。外国のパワー増長に骨身を削って、肝腎の日本は痩身、栄養失調、活力を喪失した。
 田中角栄が訪中して日中が国交を回復して以来、日本の底なしの善意は徹底的にシナに利用され、経済支援、技術協力の結果は中国を軍事大国に押し上げることに費やされた。すべてが悪用された。
 国益を考え、国家百年の計を思慮すれば中国に何をなすべきであり、何をなしてはいけないかの判断はできる。だが、田中角栄のような利権政治家には土木事業の発想しかなかった。ものごとを深く考えない人が、ものごとを戦略的に考える人のところへいくのを「飛んで火に入る夏の虫」という。マオタイ酒ですっかり酔わされて、結果的に田中角栄は売国的行為に突っ走った。
 第一に賠償代わりに中国に供与した貴重な国民の血税がある。中国への無償援助である。
 日本の対中支援額は、有償資金協力(円借款)が約3兆3165億円、無償資金協力も累積で同額。技術協力が約1858億円である。
 第二に所謂「残留孤児」の引き取りは、同胞救済、人権という立場から言えば良かったが、偽造書類によって「育ての親」とか「親戚」を名乗るシナ人がおよそ数万人。ぞろぞろと付録のように日本に移住してきた。この詐欺集団は日本語を習得する意思を持たず、かれらの八割が生活保護支給を申請した。
くわえて里親、保障人の志願者まであらわれ、善意の日本人第三者が生活費の面倒までみた。
満州からの新移民二世らは不良グループ「チャインドラゴン」を結成し、殺人強盗を含む数々の狼藉を働いた。22年8月時点で日本に永住帰国した残留孤児は20911人、その親族を名乗るシナ人は数万、なかには「親戚」を名乗って91名が一挙に来日した。その後の調査でインチキ親戚を強制送還した。
2023年8月時点でまだ中国に残留する日本人孤児は2818人と見積もられている
第三に中国人留学生や研修生を受け入れた途端、インチキ学生が夥しく日本社会に流入し、凶悪犯罪こそ減ったが、オレオレ詐欺が激増した。山形の日本語学校では入学生の殆どが登校せず、日本国内に雲隠れした。
現在、日本にいる海外からの留学生は24万2000人、このうちの11万4000名が中国人である。
▼日本人学生はローンに追われアルバイトに汗を流すが、中国人留学生は授業料免除、生活費支給組が三千名。
もっとも多いとされたのは早稲田大学。海外からの留学のうち中国人は3220名。ところが直近のデータでは東大が早稲田を抜いた。東京大學が受け入れた5404名の外国人のうち、3396名が中国人、京都大学が1674人となった。
昨今目立つのは美大で京都精華大学(学長はマリ人)を筆頭に、京都芸大、武蔵野媚態、��摩美大、文化学園などでは70%~80%が中国からの留学生、かれらはアニメ産業に就職するらしい。
 問題は日本政府が中国人留学生のうち、実に2904名の授業料免除、生活費支給という特典を付与していることだ。この恩敬に浴したかれらが反日活動家になるのだから、廃止あるいは制限しろという国民の声があがっている。 
 第四に企業研修生をみると、日本に41万人をこえる海外からの研修生がいるが、ベトナムが52%、ついでに中国人が二割の8万人だ。給与は日本人と変わらない。15万円から20万円が支給され、全寮制で食事支給という厚遇もある。
 贖罪意識という心の隙を突いて、シナは日本の底なしの善意をしゃぶりつくした。
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yutakayagai · 11 months ago
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幸雄は二日間、佐伯家でお世話になった。その間、浩二は時間を見て茨城県内をドライヴして回った。一日目は大子の袋田の滝や常陸太田の西山荘など県北、二日目はつくばの学園都市や土浦の霞ケ浦などの県南の名所を回り、常陸秋そばや常陸牛も堪能した。美津雄は小百合とずっと家にいたが、浩二の幸雄に対するおもてなしが異常だと思った。しかし、まァ、恐らくこれが冥土の土産になるンだろうと小百合は美津雄に話し、様子を見ることにした。
東京に一足早く戻ったみいは、夕方になると電話をした。彼女は、
「浩二さん、御免なさいね〜。幸雄さんも齢なンだからそちらでお陀仏されちゃ困るンだけど…。一応、橋場の息子さん達には事情を説明して了解を得てるので、何かあったらお電話してくださいね」
と話した。浩二は、
「いえいえ、とんでもないです。筑波山へロープウェイを使って筑波山神社にもお詣りをしましたが、その際に息子さんを連れて万博にも連れて行ったらしくて、記念公園に来た時はとても喜んでらっしゃいました。今のところお元気ですよ」
と伝えた。
いよいよ翌日、美津雄と小百合と一緒に東京に���ることになった前夜、幸雄は荷物をまとめていた。浩二は様子を見に部屋を訪れ、忘れ物はないか聞いた。彼はないと言ったが、
「申し訳ないが、こんな年寄りの最後の我儘だと思って聞いて欲しいンだが…」
と話した。浩二は何ですかと聞くと、
「後でもイイから、浩志と一緒に撮った写真を送ってくれないかのぅ…。もしオレが死んだ時に、息子らに棺の中に入れて欲しいと遺書に残そうと思って…」
と言った。もはや浩志のいないこの世には未練はなく、明日にでも死んで構わないとの事。だが、幸雄さんは長生きしますよと、一昨日の夜、浩志と絡む夢を見て夢精してしまったことを思い出し、苦笑しながら浩二は話した。
そして、朝になって幸雄は美津雄と小百合と一緒に水戸駅へ向かい、浩二と改札口で別れた。彼は、
「色々よくしてくれて、本当にありがとう」
と、両手で浩二の右手を握りながら会釈をした。やはり九十代とは思えない、背筋が伸びた様子に浩二は改めて驚いた。年齢詐称でもしているのではと疑うほどだった。
幸雄たちを見送り、家に戻った浩二は再び独りになった。色々あり過ぎて疲れたなと思いながら応接間のソファに横になった。彼はそのまま昼過ぎまで寝入ってしまった。窓を全開にし、風がカーテンを翻しながら室内を行き交う。心地よさの故になかなか起きれずにいると、インターホンが鳴った。誰だろう…? 浩二はソファから身体を起こし、声をかけた。その声は江利子だった。珍しいなと彼は思った。
「こんにちわ。お休みでしたか? 御免なさ〜い」
「いえいえ、先日はありがとうございました」
江利子の片手には、広樹の職場でもあるK百貨店のショッパーがあった。今、営業終了したI百貨店の跡地に移転するらしく、新店舗が建築中だった。江利子に差し出されると、
「そんな、お気遣いいただかなくても…」
と浩二は断ったが、彼女は満面の笑みを浮かべながら言った。
「実は、わたしたち、佐伯先生のお宅の隣に引っ越すことにしました!」
佐伯家の隣には、祖父母の代からずっと一組の夫婦が住んでいたが、最近子どもが水戸の郊外に二世帯住宅を建てたとのことで売却し、最近取り壊されて更地になっていた。浩二は、
「かえってよろしくお願いします。でも、何故?」
と聞いた。江利子は話した。
「佐伯先生から、『大樹君、共働きで面倒を見るのが大変ならオレが代わりに見てやるよ。浩二もいるし』と、生前言われてたンです。まさか亡くなるとは思わなかったから…。でも昨夜、先生が夢に出て来たンです! 『わりぃな、オレが約束しておきながら果たせずにくたばっちまって…。でも、浩二がいるから大丈夫だっぺ』って」
オイオイ、オレは何も聞いちゃいねぇよと内心思いながらも、
「…父さんが、夢に?」
と、ついに他人の夢にまで出始めたか!?と呆れてしまった。
利江子は仏前に線香をあげ、先生の好きなお酒買って来たわよ〜と備え、満代先生となかよくねと言い、帰って言った。突然の知らせに浩二は考え込んでしまったが、まァ、これも父さんの遺言だと受け止め、引き受けるかと決心した。
一年後に、広樹と江利子が小学五年生に進級した大樹を連れて来て、浩二は二人が仕事でいない時には面倒をみることになるのだが、最初は結婚も子育ての経験もなく戸惑うばかりだったものの、大樹も次第に浩二がいるのが当たり前だと思う様になっていった。そして、中学校に入学して間もなく大樹は精通し、第二成長期を迎えるのだが、浩二を最初の情人(アマン)として受け入れることになった。浩二も彼を愛し、一緒に寝ない時はないほどに布団の中で絡んだ。嗚呼、父さんの悪いところを譲り受けてしまったと、後に彼は後悔するのだった。
東京に戻った幸雄と美津雄・小百合は、上野駅の中央改札でみいと幸雄の甥が待っているのを認めた。別れ際に美津雄は、
「じいさん、元気でな」
と言った。幸雄は深々と頭を下げながら、
「…本当にお世話になりました。これ以上、思い起こすことはないよ。明日にでも逝っちゃってもイイ」
と話した。それを聞いたみいは、
「ほらほら、縁起でもない! ダメよ、浩志君だってびっくりするわ」
と強い口調で言った。
甥・俊介は幸雄が持っていた荷物を持ちながら、
「お義父さん、疲れたでしょ? ウチに帰ろう」
と声をかけた。俊介より幸雄の方が身長が高いことに美津雄と小百合は驚いた。
こうして幸雄はみいと俊介と一緒に地下鉄の乗り場の方へ向かって行った。美津雄と小百合も、御徒町駅前のスーパー「Y」で正夫と岳次が飲もうと誘われているので、このまま上野広小路を目指した。
この夜、俊介と家路に着いた幸雄は夢を見た。幸雄は、何故か浅草の「Kバー」で独りデンキブランを飲んでいたが、後から浩志が来て向かい側の席に座った。客はおらず、店員だけが二人の為に注文を受けていた。互いに齢を重ね、串カツやもつ煮を肴に二人はグラスを傾けた。完全に貸切りだった。夜なのか外は静かだ。ほろ酔い気分で二人はKバーを出て、車も人もいない歩道を言問橋の方へ歩いて行った。東武鉄道すら通らない、静かな花川戸の界隈を二人は歩いて行った。幸雄にとっては異様に感じたが、浩志がこの場を用意してくれたのだろうと思うことにした。
言問橋のちょうど真ん中に立った時、幸雄の脳裏にオスバルドプグリエーゼの「思い出」が流れた。両腕を広げ、浩志の片手を握り、もう片方の手を彼の腰に回した。二人は円を描く様に踊り始めた。夜空を仰げば満月が見え、その光が二人を照らしていた。浩志は幸雄の胸元に顔を寄せ、涙を流した。腰に回していた方の手指で幸雄は、浩志の頬を伝う涙を拭った。
「…泣くのはおよし」
そう言いながら、幸雄は浩志に接吻した。いつしか、未だ学生服を着ていた浩志に同じことをしたなと幸雄は振り返った。これを機に、浩志はアルゼンチンタンゴのレコードを集め始めたのだ。最初に買ったのは藤澤嵐子だったっけ? 「夜のプラットホーム」が大のお気に入りで、楽器で効果音をも表現するタンゴの魅力に惹かれ、すぐにアルマンドポンティエルのレコードを買い求めていた。「花火」と言う曲が脳裏に流れる中、隅田川花火大会の時には浅草の人気ないところで激情のままに浩志を愛したっけ? 次から次へと思い出が蘇り、幸雄も涙を流した。嗚呼、永遠に踊り続けたい…。しかし、まるで映画の様にブラックアウトし、夢は終わってしまった。
朝になり、幸雄は目を覚ました。上半身を起こしながら、
「…夢か」
と言葉を洩らした。彼は、近いうちにあの世へ逝くかもしれないと思った。
数日後、幸雄のところに郵便物が届いた。開封すると、恐らく彼が定年で新聞社を退職した時だろう、互いに笑顔を見せる浩志とのポートレートが入っていた。幸雄は俊介にその写真を見せ、大いに喜んだ。
そして、浩志の四十九日が終わったとみいを通じて話を聞いた夜、眠る様にして幸雄は九十余年の生涯に幕を下ろした。告別式には浩二も参列し、みいも駆け付けた。俊介は、
「まさか浩志さんの四十九日が終わった後に亡くなるなんて…。何か運命の様ですね」
と話した。みいはハンカチで目頭を押さえながら、
「…何だかんだ言って、これで良かったのかもね」
と言った。浩二��、
「きっとあの世でタンゴを踊ってますよ」
と、幸雄の遺影を見ながら涙を浮かべた。
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書簡[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に滞在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の身分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“無錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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blue-aotan · 3 months ago
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ハロー(´ー∀ー`)2025.5.25
最近は前ほど映画を観ていないのですが、サブスクも観たいものがあまりないなーと思いつつ、映画熱があまりないだけなのかもしれません。来月はイカゲームシーズン3が始まるのでその頃にネトフリに入って色々観ようと画策中です。
先日、GEOのSwitch2抽選結果がでました。なんと当選しました😭メールが来た時は鳥肌が立ちましたwそして姉も当選しました🤣これで発売日入手が確定いたしました(別に発売日に確実に欲しい!!!ってことでもなかったのですが←)楽天ブックスもAmazonも外れたので、GEOも外れるのだろうって思っていたので驚きました。感謝の気持ちでお祈りしました〜神様ありがとう🙏
ということで6/5が楽しみですねヽ(´>∀<`*)ノマリカセットが当たったので姉と姉の子供達とチャットを繋げて遊びたいと思います笑
(周辺機器とか画面保護シートとか買わないといけないですね…というか必要なものがあるか調べないとだな)
「思い出のマーニー」を見返しながらこのブログを書いていましたが、やっぱりこの映画は号泣してしまいます。主人公のアンナが段々笑顔を取り戻していく様子も、あの湿地の屋敷に住むことになった東京からきたサヤカちゃんもめちゃくちゃ良い子だし、病気静養でお世話になったおじさんとおばさんもとても良い人だし、アンナを引き取ったおばちゃんの辛さとかにも感情移入してしまうと泣けるし、何よりマーニーの謎が解けた時の感動が何度も泣いてしまう😭
過去と繋がって、アンナがいかに周りの人に愛されていたかということに気づいていくとても心温まるストーリーですよね。マーニーがとっても可愛い。かなりデトックス効果が高めの作品です。
そして土曜に半年ぶりくらいに映画館へ行ってきました。
「ミッション:インポッシブル ファイナルレコニング」
169分という長さでしたが、トムクルーズは本当にすごい・すごい・すごすぎるといった感想しか出てきませんでした←
今作でタイトルに「ファイナル」とついている通りシリーズの終わりってことなのでしょうか。ストーリー的には綺麗に終わりました。エンティティと呼ばれみな口々に「それ」と言ってましたが、AI(それ)対人間対人間みたいな笑
AIに牛耳られ人類は滅ぶのか、AIを掌握し自分の思い通りにしようと企む者、そしてAIを止めようとするチームイーサンの奮闘劇って感じでした。
結構ハラハラドキドキする展開が多くて、かなり体に力が入ってしまったり今回チームイーサンの中で死亡者も出たりして泣いたのもあったしかなり鑑賞に疲れましたw w
でも本当に面白かったです。しかしトムは63歳であんなに全力疾走を何回もできるもんかね…かなり走らされてました←でもあの走り方好きなんだよねぇ😌🏃💨
そして今作1で出てきた人が出演したりして、そんな繋がりがあったのか〜とか(正直1の内容覚えてないけど)過去作の映像も色々出てきたりしてこんなに長尺になったのだろうかとか考えちゃったよねん。
海の中に潜水するシーンが多くて、めちゃくちゃ苦しくなったしミサイルがいつ爆発するのかとハラハラしたし、窮地に陥って深海で裸一貫になるトムとかもうめちゃくちゃすぎるんですよ。
AIと繋がったり、プロペラ機の翼の部分でしがみついたり。でもね、敵をボコボコにするシーンを音だけで見せなかったり結構気絶させられてからの場面転換とか多くてその辺がミッションインポッシブルな感じしましたよね←(どんな感じだよ)
63歳のトムを気遣った展開なのかなとか、もちろんゴリゴリにアクション頑張っているのですがちゃんと抜くところは抜くといったところなのかw
宿敵ガブリエルとの死闘のラストが何ともお笑い全開で笑ったよね。というか笑えるポイントもいくつかあってホッとしたよね。
チームイーサンで亡くなったキャラは本当に残念すぎたけど、その後は皆無事だったから本当によかったです。(爆弾処理班が最後10秒でまあまあ遠い避難通路に走ったのは本当に間に合ったのかという疑問が出てくるが←私だったら確実に死んでる)
そしてラストがね、私的には本当によかった。人類をAIから救ったイーサン達を誰も知ることなく、あの大衆の中でチームが解散する終わり方はとてもかっこいいと思いました。だって多分ほとんどの人間が地球がそんなことになっていたとは知らなかったはずだし、普通に生活を送っている間にイーサン達や軍関係者、大統領が動いていた事とか知らなかったはずだと思ったんですよ。
だからあの大衆=映画を見ている私達なんだとも受け取れるなと感じたし、その何も知らない私達の側に確かにチームイーサンは居るんだってメッセージを私は受け取りました。
今の現実世界へ向けての大きなメッセージもあるなと感じたんですよね。AIの問題とかただの絵空事ではないと思うし、都市伝説の話とかも好きだからよく見るけど7月の予言の事とかもあるけど【もしも人間が窮地に陥ることが起きたとしても人と人は助け合える】みたいな壮大なメッセージを感じました。
(※私の勝手な解釈です)
みなさんぜひ映画館で観てください!!!と大きな声で伝えたいです。
そしてラストも涙が出て私は退場する時、階段を降りているところで鼻の両穴から鼻水が盛大に吹き出しマスクの中が鼻水祭りになったことをお伝えしたいと思います。
(どうでもいい情報だし汚いわ←
そんでさー、ソウXを観に行った時も気分悪くて途中吐いたって言ってたんだけども今回も結構気分悪くなってずっと息苦しかったんですよね。映像の点滅もきつかったし、大画面での情報過多もきついと感じることがありました。これはもしかしたら映画館という閉所がダメになりつつあるということなのか、他人が密集する閉所がダメっていうことなのかこの症状は一体何なのでしょうか。今ネットで調べてみたら「パニック発作・広場恐怖症・閉所恐怖症」などが該当しそうに思えました。今後は映画館へは気軽に行けないかもしれないなと感じましたね😭あまりに酷いようだったら病院に行くという手もあるだろうし、今のところは映画館だけなので行かないようにすればいいという対策ができるので大丈夫でしょう。悲しいけど…
そんなこんなで書き忘れていた少し前に見た映画の感想↓
「インサイドヘッド2」
とにかくライリーにイライラした。そして「シンパイ」が超イライラした←
ライリーの学生生活に何一つ共感する部分がなくて、親友達を大事にできないことに無性に腹が立ちました。私が友達だったらライリーとは友達やめます←
ただ多部未華子さんが声優めちゃくちゃお上手でした。声も可愛いよね。でもあの可愛い声じゃなくて、ちゃんとシンパイのキャラに合った声になってました。
「ライオンキングムファサ」
子ライオンって何であんなに可愛いのでしょう。ムファサっていうよりスカーの子供時代タカの話って思えた。あんなに誰よりも優しいタカがスカーになるなんて…何か嫌だよね←
しかもそのきっかけが雌ライオンの取り合いだし、ムファサがちょっと抜け駆けした嫌な奴だった←
モヤモヤだよねー。
「君たちはどう生きるか」
これさー、はっきり言うと全然面白くなかったんだよね←
今までのジブリって8割わかって2割わからんみたいな比率だと思っていたから、その2割わからん部分が見る側の解釈を広げるんだとも思っていたし子供の時と大人になって見返した時の感想が変わるのが魅力だと思っていたんだけども。
この作品は2割わかって8割わからん感じでした。(※個人の感覚です)
8割わからん=面白さも皆無
というかストーリーが本当に意味わからない…ざっくりで言うと母親が火事で亡くなって父親が母親の妹・夏子と再婚してお腹には子供がいて、主人公のマヒトが夏子の大豪邸の実家へと引っ越してきたところから始まるんだけどもそこで起こった不思議体験みたいな感じです。この複雑な家族関係もそうだし、マヒトの夏子への感情はただの苦手意識とか受け入れられないといった感情だと思っていたけどどうやらそうではないことを感じながらストーリーが進んでいくんだけど、転校先でいじめられて帰り道に自分で石を頭にぶつけて流血するシーンは「???」ってなりました。
ただ単に学校休みたかっただけなのか?とも思ったけど、よくわからんかった←
そして青鷺が現れて、言葉を喋りそこから不思議な世界へと誘われていくんだけども、その理由も行った先の世界の理とかも一切意味不明w w
どうやら生まれる前の世界のような場所ってことは何となくわかったし、あのワラワラという生物が人間になっていくということは理解できたけど、わからない部分の方が多すぎて「ふーん」ってなる事が多かった←
その世界で若かりしなのか過去世の母親なのかヒミという女の子に会います。私としてはこの女の子とマヒトの会話も意味わからなかったし距離感とかもちょっと気持ち悪さを感じました。
総じてこの作品を観て宮崎駿の性癖のようなものに触れた感じがして、私としては気持ち悪いという感情が1番に湧いてしまったことが反省点ではあります←
レビューを色々読んでいたら「ジブリファン向けの作品」と書いてる人がいたけど、ジブリ結構好きだったけど受け入れ難い作品だと思ったし、この作品を観たことによって過去作の様々なシーンへの解釈が変わってくる毒素もあるなと強く感じました←
そしてあまりにもわからなさすぎたので、この作品を考察している動画をYouTubeでいくつか見てみたら、気持ち悪いと感じる原因もわかったしこの作品の本質もきちんと考察してくれている方がいて大変わかりやすかったです。ですがその人もこの作品はどちらかというと面白くはないですってはっきり言ってて笑いました🤣
ただアニメーションの最高峰っていうのは納得の映像ではありました。未来でまた見直すかと問われたら答えはNOですが←
最後に言わせて欲しいのは「青鷺って青色じゃないよね」
(どーでもいーわ←
とまだまだ書きたいことはあったのですが長くなってしまったので今回はこの辺でおしまいです。
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kennak · 26 days ago
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イット!が今週月曜に報じたSNS上で相次ぐサーキュレーターの偽広告。 前回は、アイリスオーヤマと東京工業大学による共同開発したサーキュレーターとうたい、 「1秒で室温を20度下げる」などとアピール。 しかし、実際に届いたのは、広告とは「似ても似つかない商品」で被害を訴える声が相次いでいた。 そして今回、新たな商品の偽広告が出回っていることがわかった。 「パナソニック開発の世界最小エアコン」と��す偽広告 その広告がこちら。 「パナソニックが開発した世界最小のエアコンはどこにでも装着でき…」 「外気温が40度でも16度の風を感じられます。」 「最新のAIスマート冷却技術と軍事級の冷却チップを搭載し…」 「起動から3秒以内に体感温度を16度下げます。」 新たに出回っているのは、パナソニックが開発した「世界最小のエアコン」と謳う、小型扇風機の広告。 「3秒以内に体感温度を16度下げる」という驚きの性能をうたい、1個4990円で販売されている。 「今回は日本のお客さまへの感謝として、88台限定で特別割引を提供しています。キャンペーンは明日で終了しますので、リンクをすぐにクリックしてご購入ください。」 しかし、パナソニックに取材すると、「全く無関係で、こうした商品は売り出していない」という。 さらに、別の広告画像には…。 記者リポート: こちら、TikTokで流れている、同じ小型扇風機の広告になりますが、このようにヤマダデンキのロゴが入っています。さらに、その下には東京消防庁のおすすめという情報に加え、楽天アウトドア用品ランキング第1位と書かれています。 番組でそれぞれの企業などに取材をしたところ、これらの商品に関する情報はすべて偽物だった。 さらに、ホームページ上で「専門家監修」として、顔と名前が出されている札幌市立大学の齊藤教授に取材すると…。 札幌市立大学・齊藤 雅也 教授: 全く関与してません。全くそういうやりとり一切ございませんので。札幌市立大学の公式ホームページの画像を貼り付けてあるような感じで出てたので、勝手に使われちゃってるなっていうふうな形ですね。 今回の小型扇風機とサーキュレーターの広告と比較すると、ヤマダデンキのロゴや、 グッドデザイン賞のマークが入っているほか、 「東京工業大学の最新省エネ技術を搭載」と書かれているなど、共通点が多くあった。 今回の小型扇風機のホームページに書かれていた、上海にある販売会社の住所に向かうと、住所の番地にあったのは、工場などが点在する田園地帯。 しかし、書かれていた57棟を探すと…。 記者リポート: 敷地内を歩き回りましたが、いくら探しても57という番号の建物は見つかりません。 付近の住民: 57棟は聞いたことも見たこともないよ。 嘘だらけとわかった小型扇風機の広告。 勝手に名前を使われた齊藤教授は、このように注意を呼びかける。 札幌市立大学・齊藤 雅也 教授: こういう広告を作る人は、今後いくらでもでてくると思うけども、広告元に問い合わせたり、使われている企業に問い合わせたらすぐ分かることなので、だまされないようにしてほしい。 (「イット!」7月10日放送より)
【独自】ウソだらけの「小型ファン」広告 “世界最小エアコン”“驚きの性能で4990円”表示も…専門家「だまされないで」(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース
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shihlun · 2 years ago
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大江健三郎 - 後退青年研究所(1960)
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黑暗的深淵在這個世界到處張著大口保持沉默。現實世界向遍布各處的深淵漏斗狀地傾斜,所以對傾斜敏感的人會不知不覺或者有意識地順首傾斜滑下去,墜入深淵黑暗的沉默之中,從而體驗現實世界裡的地獄。
我曾經像地獄把關人站在一個黑暗的深淵邊上,我所體會的對滑入深淵的漏斗狀傾斜的敏感,是指那些在政治或思想上道受過挫折的青年、心靈受到創傷的青年。當然,他們中的許多人在肉體上也有傷痕。
現實世界的一座地獄,即稱之為黑暗的深淵的話,就在大學旁邊不動產公司大樓三樓,房間總是亮堂堂的(啊,人為什麼自古以來就如此熱心努力使自己的周圍照得光明亮堂呢?人為什麼比野獸更強烈地討厭黑暗呢?我只是一個日本青年,不是基督教徒,對這些不感興趣,但每次一想到人對黑暗的恐懼,就想起「原罪」這個詞)。地上鋪著漆布,油光閃亮,不鏽鋼的辦公桌椅顯得清爽氣派,而且具有高效率,等待著合適能幹的主人。
但是,當我目送從走廊推門而入的挫折青年在回答我為了登記卡上的必要事項提出的、僅僅是卡片未曾明確記載但又必須記入卡片的簡單問題後,走進隔壁房間的時候,還是感覺到這間明亮的辦公室是地獄的一個入口。
隔壁房間有鬼嗎?有美國東郊的大學受過非常好的高等教育的嶄露頭角的年輕心理學家戈爾遜先生和擔任翻譯的東京女子大學學生在等待著。在思想或政治上受到挫折的青年邁出憂鬱的一步踏進這個房間,他們滿腦子苦惱,準備談談心裡話。我的大學同學把這間房間稱為「後退青年研究所」。其實正式名稱叫「戈爾遜訪談室」,英文縮寫為GIO。但沒有人稱呼它的正式名稱。結果戈爾遜先生的問題只提一個:「你為什麼後退了?」因為大家都是來談「自己為什麼年紀輕輕就後退了」的。
那個時期,是韓戰結束後相對穩定的時期,是學生運動處於如氣潭中間四陷的波谷時期。學生對社會的關懷表現在合唱俄羅斯民歌,在兩三年激烈動蕩的學生運動中受到創傷的學生重新回到學校,變得憂鬱苦悶,暗自舔著自己的傷口消磨時光。
於是,一個美國國籍的年輕學者就在東京大學旁創立了這家以遭受創傷的學生運動家為主要調查對象的研究所。它每天吸引不少所謂的後退學生。開始它只在校刊上刊登一則《戈爾遜先生恭候先前的學生運動活動家光臨!》的廣告,結果學生絡繹不絕。
我是在這兒打工的學生,今年剛剛二十歲,對青年神情憂鬱、臉色充滿抹不掉的髒垢的陰影般的苦悶可以說漠不關心,因此大概不會懷有同情之心。但如果GIO是對日本人炫耀優越者傲慢的那種研究所,我也不會接受接待戰戰兢兢地前來訴說自己內心陰暗的皺襞深處殘留的思想疙瘩的同胞這種工作,也許自己也會成為一個憂鬱症「病人」低垂頭把帽子貼在胸前排在長長的學生隊伍後面。
戈爾遜是個標準的開朗的美國人,雖然留著油煙色的短唇鬍,其實還不到三十歲,所以我在他這裡工作不覺得什麼強烈的自卑感。來日本的美國知識分子似乎要不是目空一切旁若無人或和藹可親寬厚溫敦,我們稱之為戈爾遜先生的這位芝加哥出生的社會心理學家可以說溫良敦厚的典型代表。
我現在還說不清楚戈爾遜先生為什麼跑到日本來調查受創傷學生的精神傾向,廣義地說,是否不少美國人在韓戰結束後很快就對日本學生的挫折心態發生興趣? 用美國社會心理學的方法調查日本學生,結果對美國人有什麼用?
一般認為,美國人的調查是為了加強在遠東地區進行反共宣傳的基礎的一項工作。這種看法多少令人信服,但就我所在的GIO來看,至少戈爾遜先生從未給我與反共宣傳有關的印象。
戈爾遜調查室每個月都把調查結果報回本國,但接收單位是不知道他業已畢業還是尚在就學的美國東部某大學研究所,好像與美國國務院、議會並沒有直接的聯繫。當然,我在這辦公室工作期間,出於一種自我厭惡的情緒,本來就對辦公室的性質、目的十分冷淡,也不想深入了解。我坐在辦公室裡,也和來訪的學生一樣,心情極其鬱悶,但出了大學教室門,會無緣無故地朝氣蓬勃、輕鬆愉快,有一種充滿希望的解放感。
我想擔任戈爾遜先生的翻譯兼打字員的女大學生也是如此的吧。在辦公室裡,我從未見過這個高挑細瘦的女大學生一絲平靜輕鬆的表情,但偶然在東京大學和東京女子大學共同舉辦的歌舞聯��會上時看到她時,這位憂慮愁悶的我的同事簡直判若兩人,兩頰緋艷動人,興高采烈,歡聲笑語,像鳥鳴一樣尖聲歡笑。第二天,我懷著某種期待和莫名其妙害羞上班,出現在我面前的仍然是像內分泌失調似地愁眉苦臉的女大學生。
GIO的工作性質本身就極為憂鬱。 有一次戈爾遜先生說,日本的工作告一段落後打算去台灣或南韓從事同樣的工作,熱情動員我跟他一起去。那時候我很想試一試,甚至夢見自己在南韓調查受挫折的朝鮮青年,我不僅把戈爾遜先生的所有工作包攬下來,還手執鞭子像對待奴隸一樣抽打前來傾訴衷腸的青年,想來實在可笑。這也許是GIO表面上像穩重平靜的調查室,其實潛藏著將手指插進青年的傷口使勁摳攪脂肪、肉體的冷酷的一面的緣故,感覺在我的潛意識裡、在夢中重現出來。
我的工作是調查接受前來訪談的學生的履歷和訪談結束後付給學生報酬。酬金是採訪一小時五百日元。戈爾遜先生通常在發票上都寫採訪兩個小時,本來學生上學都有月票,無需交通費,但還是根據現住所到這兒的距離支付交通費,這對學生來說,是筆不壞的打工收入。但是,除了特殊情況外,這樣的「打工」只能申請一次,而且不是前不久積極參與學生運動後來倒退的這樣在思想上發生戲劇性轉變的人不要。因此,雖然不是想像的那麼難,確實比一般的打工不容易。
在GIO工作幾個月後,來訪的學生開始明顯減少,有時我的卡片上一天也沒登記一個學生的名字,戈爾遜先生無所事事,皺著眉頭像狗熊一樣悲傷地在屋裡轉來轉去。在這成績不佳的日子裡,只有翻譯兼打字員的女大學生絕不心慌意亂急躁氣惱,板板正正地端坐在桌前,閱讀袖珍本的《矛盾論》、《實踐論》。這不會讓別人覺得她思想上有所共鳴,因為那個時期,在女大學生中,毛澤東的書和羅曼羅蘭的書一樣風行。
沒有學生來的時候,戈爾遜先生就到傳達室和我聊天。他不和女大學生交談。她非常不愛說話,幾乎從不發表意見(這種徹底的沉默寡言使人覺得不正常,好像向戈爾遜先生發表見解自己也就成了前來訴說精神挫折的學生),戈爾遜先生對 她也有幾分發怵。我們一邊從辦公室窗子望著本鄉(本鄉,地名。東京大學位於此地一譯註)的大學裡高大的樹木,一邊盡量避開商業、日漸減少的後退青年的話題,漫無目的、天南海北地神聊起來。
透過這種無拘無束的漫談,我知道這個家庭一貧如洗的白人兒子靠獎學金上的大學,說不上天資聰穎才華橫溢,卻對日本的挫折青年極感興趣。一個二十八、九歲的美國青年選擇這個問題作為研究課題來到日本成立調查所,這本身就令人覺得他的精神構造不可思議有悖常規。我開始感覺到戈爾遜先生不是深淵的擁有者,而是被吸進這個現實世界的深淵裡的第一個墜落者。於是很自然地聯想到自己,我在自己的學生同胞前來訴說陰暗的情緒崩潰的外國人事務所裡工作,覺得有點近乎賣良為娼的人口販子、老鴇這樣卑鄙下賤,想起少年時光,雖然那時還是戰爭年代,對自己二十歲這個年紀依然懷抱著玫瑰色的幻想。但如今已經二十歲,而且是在和平時期,卻幹這種不清不白不三不四的差事,心頭充滿難以言狀的苦澀和自我厭惡。
可以跟我互相交流自我厭惡情緒的應該說是那個同樣打工的女大學生,但她整天愁容滿面,一有空就全神貫注地鑽進毛澤東的書裡,從不到我的屋子來走動。我一到裡屋,就不得不面對那些登記卡,被憂傷鬱悶的學生的形象擠壓得喘不過氣來,所以絕不會從我這邊推開女大學生房間的門,於是只好愁眉苦臉地和同樣愁眉苦臉的戈爾遜先生漫無邊際地神聊。啊,GIO簡直就是一座無比憂鬱的地獄!
正是在這種閒聊中,戈爾遜先生動員我在日本的工作結束後跟他一起去台灣或者韓國,也正是在這種倦怠鬱悶的時間裡,我從他不經意的動作的細微處覺察出 同性戀的傾向。他談到美國東部的鄉村小鎮,語調那麼親切眷戀,卻不遠萬裡跑到東方來,說不定是被流放到日本來的呢。外國人到大學的課餘打工科要求介紹擔任陪同聊天的人、導遊、翻譯的學生,大多都想藉此名義發展成同性戀對象。 外國人的這種別有用心現在已經變成常識了。我的一個朋友透過打工和一個外國貿易商搞上了同性戀,後來被貿易商拋棄,因此自殺。「被拋棄」這三個字是他寫在遺書裡的。這也是韓戰結束後那一陣子的事。
我和戈爾遜先生用低得能聽見隔壁翻書響動的聲音斷斷續續地聊長天,但雙方的心並沒有互相靠攏貼近。我用半瓶醋的英文跟美國人聊白開水淡而無味的閒天,覺得著急,深深地感嘆自已為什麼會在這裡幹這種事。我現在大體能體會到與美國人一起工作的日本人、尤其三十歲左右的婦女為什麼一天到晚裝模作樣矯揉造作大聲叫嚷的秘密。那些戴著很講究很派頭的眼鏡抹著大紅嘴唇以痙攣性地強調突出臉龐的女大學生們即將埋沒自己的空虛乏味的恍惚。她們和舊式婦女一樣,自我要求對工作奴隸般地逆來順受。
就我自己而言,當我看著和我相對而坐自由交談的這個美國人玻璃般透明而遲鈍呆滯的眼睛、像在果子凍上灑一層麵粉一樣發喧的胖臉和手背的皮膚、當細小的高鼻子、突然發出怪聲的嘴唇時,甚至神經質地想如果為了深入了解對方的思想情緒、為了在對方的臉上恢復人的統一感,簡單地說,如果為了發現我和對方之間人與人的聯繫,可以發展到同性戀關係。
我剛剛二十歲,從這個世界的幾乎一切追尋人與人的關係。而對年輕人來說,無論正常或變態的性關係,都是盲目地沉溺在令人感覺怪誕無序的他在之中的行為,都是賦予意義、制定秩序、變成如自己身體的一部分那樣親密的行為。如果我每天都和戈爾遜先生進行這樣百無聊賴的持續不斷的談話,我很可能要麼神經發作地和他同性戀,要麽神經發作地和他大吵一通辭去GIO的工作。
但是,在某月月初,由於上個月報回國內的調查數據實在缺少內容,本國給戈爾遜先生發來一封信指責他工作消極怠惰,信的措辭相當嚴厲。他早晨上班看了這封信後,一整個早上都在房間裡心煩意躁地急步轉圈。下午,戈爾遜先生終於下了決心,對全所人員,除清掃女工外、即我、女大學生及他本人就當前的困境發表演說。
戈爾遜先生的論點簡潔明快,本國要求他今後每個月提供上個月三倍資訊量的調查數據,如果不能保證這個基數,將解除他遠東研究員的職務。因此,我們必須提高效率。
怎麼提高效率?是在校刊上登更大的廣告,還是在校園貼廣告?《戈爾遜先生恭侯先前的學生運動活動家光臨!》
我針對戈爾遜先生的提問,發表意見說不能指望廣告的方法可以使狀況發生根本性的好轉,因為戈爾遜先生的後退青年研究所在學生中已經出名,即使出廣告,也不會有更多的精神挫折的新學生前來。
翻譯兼打字員的女大學生基本上同意我的意見,她認為即使我們在校內張貼廣告,再到處尋找可能會前來訴說自己精神受到創傷的青年,也不會像GIO調查初期那麼多。歸根究底,社會上並沒有存在很多「精神受創」的青年,並不是有無數的在學生運動中有過挫折體驗的青年在等待著GIO的召喚。大概已經見底了吧。
戈爾遜先生、我、翻譯兼打字員的女大學生心情憂鬱地討論了很久。戈爾遜先生不想現在離開日本,工作半途而廢回到美國意味著在大學裡謀不到一個好位置。 另外,我和女大學生都不想過早失去這份又安穩收入又可觀的打工。
越討論越覺得前途渺茫,大家陷於一籌莫展的時候,戈爾遜先生提出了妥協的方案。他說,下個月一個月大家好好幹,把成績提上去,全力以赴,做出好成績,就可以向國內提出報告說日本學生的調查已大體結束,這樣就會批准調到其他地方去。如果在成績惡劣、遭受批評的風頭上提出調任請求,會立即被炒魷魚,南韓與台灣就是別人的美差了。
我和女大學生覺得不是立刻丟掉飯碗,還有一個月的時間可以找別的打工。於是三個人一致決定大幹一個月全力進行調查提出高品質的工作報告。
但是,不找到幾個後退青年,我們連一張調查卡也填不了,寫報告更無從談起。 這時,我突然心血來潮,一個主意浮上心頭:我們可以製造後退青年、即心靈遭受創傷前來訴說苦惱的青年,簡單地說,就是隨心所欲地把一般青年當做後退青年,編造他們前來GIO訴說精神苦惱的假報告。說起來,這麼好的主意為什麼以前就沒想出來。我們以前聽過積極參與學生運動或黨的活動、後來遭受政治思想上的挫折的「心靈受創青年」訴說自己的真實感受。至少我和翻譯兼打字員的女大學生都聽過。「心靈受創青年」的訴說,連我們的心靈都感受到痛苦。「心靈受創青年」主動到GIO來訴說自己的內傷不僅僅要忍受痛苦,更是克服了巨大的心理障礙。其實,後退青年到GI0來本身就是極不正常的非人性的行為。
根據我的主意,只需要一般學生稍微做些表演就好。我目送這些青年走進隔壁房間接受調查時,不會覺得他們掉進黑暗的深淵而心頭難過,也不會從調查完畢出來的青年臉上看到遭受打擊一蹶不振的印象,或者由於說得太多而疲憊興奮得通紅的肌膚上出現後悔、自我厭惡這些陰暗憂鬱的污垢。因為這一切全是演戲。他們不是「心靈受創青年」。
於是我向戈爾遜先生保證我明天去大學找幾個調查應徵者來,一定是幾年前學生運動的積極分子、典型的後退青年。
第二天,我跑了一間又一間教室,還去研究室和課外小組活動室,說明我的宗旨。說是一般學生,其實對兩三年前的學生運動也很了解,而且全身都給人一種體驗過精神挫折的印象。應徵者很多,我從中挑了十個。他們都知道GIO。他們和我一樣,對後退青年研究所把他們演戲的錯誤數據信以真感到愉快。我們興高采烈七嘴八舌討論說,美國人以為能把自己的手指插進日本真正的「心靈受創青年」的傷口裡使勁摳攪,完全打錯了算盤,我們信口雌黃的遊戲奠定了他們學問的基礎。當天晚上,這十個學生去GIO的日期以及各自扮演的角色都安排妥當。
從下一周開始,GIO每天都是開業以來從未有過的充實豐富。戈爾遜先生情緒極佳,幾乎天天說終於採訪到了一直想見的典型的後退青年。我只是輕鬆地把巧妙玩弄訴說把戲的青年送進隔壁的房裡,心情十分舒暢。
但是,令我稍感不滿的是,翻譯兼打字員的女大學生出人意外地突然辭去工作,戈爾遜先生決定停止調查,立即整理報告。結果我預約的兩位表演者未能上場。
戈爾遜先生也寫了一份日本工作業結束,GIO現已關閉,待命調往他地的報告,隨同本月的統計報表送回。他也答應把女大學生的工作日期算到GIO關閉為止向國內申請特殊津貼。戈爾遜先生對這個月成功的調查充滿信心,相信他的報告將一鳴驚人,博得滿堂喝采。
戈爾遜先生最得意的是我的第七個表演者,這個學生個子矮小臉色淺黑長著猴子般的額頭。我對他說不上了解,但戈爾遜先生一採訪,立刻認定他是最典型的後退青年。後來才知道,翻譯兼打字員的女大學生也因為這第七個表演者才下定決心辭去工作的。
報告空郵出去以後,GIO立即關閉。那天晚上,我們三人小聚,戈爾遜先生問女大學生為什麼要辭去GIO的工作,她回答說實在不願意看見那種厚顏無恥的日本青年。我從容不迫地看著女大學生第一次展現的深切焦慮與悲哀,覺得很可笑。戈爾遜先生一臉困惑,但沒有平時那種難以捉摸的異常感覺,而是一個不諳世故的平凡普通的學者即將發作時的不悅表情。我甚至想知道那個猴子額頭的第七個學生是怎麼表演的。
我是在另一個完全出乎意外的地方知道第七個表演者的伎倆的。GIO關閉一星期後,我從日本發行量最大的報紙上讀到有關第七個表演者的文章,也刊登了他的照片。照片排在介紹GIO活動情況的文章中,戈爾遜先生笑嘻嘻地站在第七個表演者旁邊。這一定是採訪結束後翻譯兼打字員的女大學生照的。報紙說戈爾遜先生認為第七個學生、即A君是典型的後退青年,發現他是GIO調查的最大收穫。報紙引用調查卡的記載這樣報道A君成為後退青年的經過。
A是日本共產黨東京大學支部的成員,但被懷疑為特務,慘遭監禁拷打,小手指頭第二關節被切斷,最後被開除出黨,戀人也離他而去。於是他主動向富士警署的某警察提供情報。但是他已經離開學生運動,情報沒有太大價值,當特務也沒資格。現在他非常孤獨。他恨先前的夥伴,是他們使他遭受巨大的挫折,但他的特務嫌疑問題似乎是一個背叛的同夥告的密。戈爾遜先生把A視為日本左翼學生後退的一個典型。
我覺得絕望的黑暗深淵正吞沒照片上與戈爾遜先生並排站立的、猴子一樣微笑著的第七個學生。我的身體開始顫抖,渴望確認自己在第七個學生不幸之外。我使勁從黑暗熱昏的腦子裡把女大學生的「那種厚顏無恥的日本青年⋯⋯」驅逐出去。
冬天。第五堂課結束時,整個大學籠罩著寒氣逼人的蒼茫暮色。我彎腰縮脖地走出大門,突然看見一個躲在電線桿後面的矮小男人用手套遮著側臉朝我走來。我們默默地沿著大學的磚牆在昏黑中並肩走著。
「本來打算鬧著玩的。」第七個學生萎靡不振地說,「我隨口胡編亂造,沒想到報上登出來了。」
「我也沒想到。」我陷入束手無策的困境,說,「向戈爾遜先生提抗議去。」
「已經提抗議了,我要求他撤回報道,但他不同意。他說報紙報道的內容,既有錄音又有證人,不能撤回。我說那是我鬧著玩的,是信口開河、胡說八道。 但他說不管你鬧著玩也好,胡說八道也好,你說的內容很有意義。」
戈爾遜先生淡灰色的明亮的眼睛、細小的高鼻樑、胖乎乎的粉紅色皮膚立刻統一成一個傲慢的形象浮現在我的眼前,冷酷無情地把一籌莫展驚恐害怕的猴額頭青年猛力推開。我把自己融化在戈爾遜先生傲慢的形象後面,突然變得從容冷漠。
「其實報上的照片很模糊,能認出是你的不就是幾個親近的人嗎?既然是十分親近的人,對他們解釋這是一場玩鬧,大家哈哈一笑不就過去了嗎?」
「不行呀。就說我的戀人吧,看了報紙以後看我的眼神都不對了。」猴額頭的小個子把他的左手伸過來。
我看見他小手指第二關節被切斷了。我一陣難過,停下腳步。他像受欺負的小孩一樣眼睛直勾勾地盯著我,左手戳在我的眼前。 我看著馬路上過來的公車,準備上車。
「戈爾遜先生答應一個月以後在報上發表更正啟事,而且把錄音帶還給我。你也幫我記著。好嗎?我幹嘛說那麼多呢?莫名其妙。」
汽車停下來,我上了車。我擔心他跟上來,但似乎他只是在黑暗中看著我離去。 我終於鬆了一口氣,但我也不明白他為什麼要說那麼多。我至今也沒弄清楚。一個月後,戈爾遜先生的報告受到高度評價被調任為歐洲研究所。即使他在報紙上發表「內容與事實不符」的更正啟事,也毫不影響他前往歐洲赴任。但是他並沒有發表更正啟事,在我和女大學生的送行下,從羽田機場飛走了,因為第七個學生一個月後沒有再去找他。戈爾遜先生託我把錄音帶還給第七個學生,但至今仍保存在我這裡。我想起戈爾遜先生把錄音帶交��我的時候說的一句註釋性的話:「他是一個典型的後退青年!」
於是,我感覺到身邊的現實世界到處都是滑入默默張著大嘴的黑暗深淵的漏斗狀斜面。
(鄭民欽 譯)
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tokyomariegold · 4 months ago
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2024/11/9
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11月9日 社会の全てが汚いと思い込んで外に出られないことがある。外の空気に触れたもの全てが汚いと思い込んで身につけているものを捨ててしまうことがある。 外から持って入ったものは、塩素で拭きあげないと気が済まない。 いつも、意味ないので?やめたい、と悲しくなっているのに全然やめられない。 でもビジネスホテルに泊まる日だけは、もうどうにでもなれ!と解放できていたのに、昨晩はできなかった。
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ホテルの隣がスギ薬局で(関西ってスギ薬局が多い気がする)、ハイターを買って、まず部屋中の手が触れそうなところを拭きあげていた。 急にくるしくてさみしくなって、自分が汚くなれば社会の汚さを許せるのでは?と、そのあとはなるべく雑にベッドの上でテレビを見ながらご飯を食べた。 へとへとすぎてご飯を食べながら眠っていた。
永井さんの本にあった“自分がグーフィーを選ばないと世の中のバランスが崩れてしまう”という話が好きなのだけれど、そんな感じで世の中とバランスをとりたかった。 でも朝起きて散らかった部屋を見たら、ただの迷惑客では?と申し訳程度に片付けをした。
朝は大阪公会堂や、ゴールデンウィークに取れて行ってもらった靱公園へお散歩しに行った。 途中で御菓印のあるお菓子屋さんで羊羹を買って御菓印をいただく。
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チェックアウトをして、実家の庭の箱(祖父母の家の納屋から出てきた)から発覚した、祖父が育った街、摂津本山へ向かう。 最近、大阪から神戸へ引っ越した友人達も偶然にも摂津本山に住んでいるとのことで、駅で待ち合わせをして北口の喫茶店でお茶をした。 1時間ほどの短い時間だったけれど、とても楽しくて寂しくなかった。 喫茶店の店内がクリスマスで、関西の二日間でクリスマスを実感する景色をたくさん見た気がする。
いつもの様に関西の街の事や、お休み中にみたNHKのドラマの話や、来月でんぱ組のライブで行く予定の高松の話を、ためになりつつとても楽しくお話してくださった。 お2人とも黒い服にグリーンのオーロラのコートと金色の髪がかっこよかった。 上品でかっこいい服を着たくなった。
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摂津本山は落ち着いた、ちょっと上品な、知っている様で知らない生活のある街だった。
思いがけず香川トークができて、自分にも香川トークができる引き出しがあったことに気がついた��祖母が結婚前に百十四銀行でOLさんをしていた話もしてみくなった。
今日も改札までお見送りに来て下さった。 振り返って見届けてくれている姿のお2人の写真を撮って、寂しくない気持ちで新幹線に乗った。 帰りはとても眠たくなり、いつの間にか小田原で、あっという間に東京に戻ってきてしまった。 今回は、戻ってきてちゃんと寂しくなっている。
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東京駅で乗り換えて、帰りの電車で日記を打っていたら、摂津本山に着いたあたりまで打って、誤操作で全て消えてしまい、今いつものスーパーで日記を打ち続けている。
帰宅するとポストに、amazonで注文したてらおかさんのカレンダーと友人からの贈り物が届いていた。 残暑お見舞いのお返事とレオレオニの絵本だった。 思いがけない贈り物(そしてレオレオニ大好き!)と少しハッとさせられる言葉の手紙に、とってもとってもありがたいな、と、寂しがってばかりではだめだよね、と思った(だめじゃないけどね!)。
大島さんがInstagramに投稿したイラストが、実家の、何もない、セブンティーンアイスの自販機しかない、最寄駅にとてもよく似ていて、昨日からそれを思い出しては少し震えている。
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