#松永天馬殺人事件
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fukagawakaidan · 10 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形��拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺら��ー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小泉八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫��される。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されてい���。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の『東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが記されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825) 国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さんし)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告により天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という��現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられているようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害し��。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ、その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉���ごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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15 notes · View notes
hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せし��偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとどまろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰���そうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各���島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘���刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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wangwill66 · 1 year ago
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致命玩笑:死亡與復活秀
H:「完整的紀錄「致命玩笑合唱團」各團員的想法,以及之間有趣的軼事,是樂迷們最棒的精神食糧。」精神食糧是什麼?查查。空思妄想,想太多,空泛,就是李白「抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。」最佳寫照。人人需要精神食糧,提供人生再戰的勇氣和信心!20240624W1
網路資料:
致命玩笑:死亡與復活秀
本片為限制級影片,必需年滿18歲以上方可觀看
2013
2小時30分
限制級
7.6
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音樂雜誌評論音樂水準是五顆星,樂團道德水準只有一顆星!
1979年,傑斯·科爾曼在倫敦街頭排隊領救濟金時,認識鼓手保羅·弗格森,為找尋樂團的其他成員,傑斯相信保羅的建議,在公寓地板構築起魔法陣,以大量蠟燭增加其魔力,下場是徹底燒毀公寓…。所幸隨後,綽號「小子」的貝斯手-馬丁·葛洛弗、綽號「東北人」的吉他手-凱文·沃克加入,衝擊樂壇30餘年「致命玩笑合唱團」就此誕生。「致命玩笑合唱團」草創時,英國樂壇大都是充滿商業氣息的龐克樂團,唯一能被稱是龐克樂團的性手槍合唱團又瀕臨瓦解邊緣,崛起之時可謂掌握天時與地利!完整的紀錄「致命玩笑合唱團」各團員的想法,以及之間有趣的軼事,是樂迷們最棒的精神食糧。
今日片語 單字“food 食物” 是個常見詞,“thought 思想” 在日常對話中出現的頻率也很高。 這���個詞搭配組成“food for thought”,字面直譯為“思想精神食糧”,即“引人深思的事情”。 若一件事情讓某人認真思考,引起深思,那此事則“give somebody food for thought”。
精神食糧,是一個網絡詞彙,意思是指讓人覺得精神充實,不虛度時光的東西。
中文名
精神食糧
定義
讓人覺得精神充實,不虛度時光的東西
你是否曾經在心情沮喪低落時沒有食慾?食慾的改變,與連帶的體重顯著變化,是處在憂鬱心情的人或憂鬱症患者可能會有的現象之一。
好比工作挫敗被主管貶低;失業覺得自己沒路用;親密愛人離自己遠去;重要親人過世後自己一蹶不振⋯⋯這些經驗都可能深深地將人拋向內心淵谷而爬不起來。
我們的內在生命是否存在精神食糧,供給自我價值感與平靜喜悅等養分?
給自己機會思索,原本支撐著自己心裡的某些部份是否只是暫時消失了?是不是有機會重新用另一種形式再次給自己力量。透過閱讀、旅行、人際互動、心理諮商等方式,給自己時間去尋找答案。
但是要相信:「能夠邊哭邊吃飯的人,活得下去。」(引自日本影后松隆子所主演日劇《四重奏》第三話劇中對白)
先慢慢地從好好吃飯、照顧好自己的生活起居開始。可以的話,做些自己平常喜歡的事,就是身處憂鬱低落之時能踏出的一大步。
抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。
出自於李白的《宣州谢脁楼饯别校书叔云 / 陪侍御叔华登楼歌》
朝代:唐代
作者:李白
棄我去者,昨日之日不可留;
亂我心者,今日之日多煩憂。
長風萬里送秋雁,對此可以酣高樓。
蓬萊文章建安骨,中間小謝又清發。
俱懷逸興壯思飛,欲上青天攬明月。(覽 通:攬;明月 一作:日月)
抽刀斷水水更流,舉杯消愁愁更愁。
人生在世不稱意,明朝散發弄扁舟。
「精神食糧」指一種非物質的資料、思想,能夠對我們產生思考、理解,感動. . . 精神食糧一種是別於物質以外的必需品。
精神食糧便是這些思想的產物,它們通常的表現形式為書籍、音樂、藝術品什至「次文化」的動漫等。他們都為我們的平淡的人生帶來「色彩」。
改變教育方針,從孩子小時候灌輸知識,發掘興趣,才能真正解決問題。改變教育方針,從孩子小時候灌輸知識,發掘興趣,才能真正解決精神食糧缺乏的問題。
精神食糧
zhuyin[ㄐㄧㄥㄕㄣˊㄕˊㄌㄧㄤˊ]
pinyin[jingshenshiliang]
nourishment for the mind; intellectual food; mental food; spiritual food
什麼是精神食糧?優秀的圖書、影視劇作品,群眾喜聞樂見的文化活動等,這些都可以稱為精神食糧。就是人類為了滿足精神需求的事物。
每個人的精神糧食不是不盡相同的
有時候是一本書
有時候是一集電視劇
有時候是一首歌 一首詩
“精神”是人的意識,包括人們的思維活動和一般的心理狀態。如認識、情感、意志、信念、言行、行動和習慣等內容,凡是為此所需要的為精神食糧。精神食糧也有不好的,比如賭博對於賭鬼來說就是精神食糧,而沉醉其中有可能使人沉淪。
人的精神糧食是什麼`?
一、是家人對你的關心和愛護。
二、有朋友對你的支行。
三、呵呵,有女朋友在背後默默的支持你。
四、就是為了你的理解而努力吧。
大連話長精神頭意思解析:說明領悟能力強,洞察仔細,會見機行事。
邵雨薇精神糧食:
「有時候,我們要試著練習釋放悲傷,而不是只忙著帶著微笑拼命在人前綻放。」
「即使每天都得面對現實的打擊或困難,我還是希望大家都能偶爾花一個小時,做回孩子般的自己。」
「漸漸懂了,不用再為不安加油,把所學的一切盡情揮灑,享受舞台帶來的滿足。那個光彩,絕對是不安給不了的,而我,不會是永遠的菜鳥」
「以後一定還有什麼課題等著我,但管他的,現在比較重要,以後的卡關以後再說。」
「不要懷疑自己,沒有一條路是絕對正確的,你每一天選擇創造的故事都在為你寫下存在。」
「我們不一定最特別,但我們一定有機會得到幸福。對嗎?」
博客來介紹:
精神食糧:偉人故事陶冶靈魂 (電子書)
作者:馮志��
語言:繁體中文
出版社:千華駐科技
出版日期:2023/06/01
內容簡介
《精神食糧:偉人故事陶冶靈魂》是一本關於世界各國偉人的故事集,透過這些傳奇人物的事蹟,讓讀者能夠感受到他們的成就與精神,並從中獲得啟發和激勵。
總而言之, 《精神食糧:偉人故事陶冶靈魂》是一本值得每個人閱讀的書籍。它不僅讓讀者瞭解到世界各地的偉人事跡,更讓讀者深刻體會到偉人們所帶給人類的不可磨滅的精神力量。此書可以幫助讀者找到內心的力量,面對挑戰和壓力,從中獲得啟示和激勵。這本書所涵蓋的偉人故事豐富而精彩,能夠激發讀者的思考和想像力,讓他們從中獲得成長和提升。
目錄
前言
愛國志士的故事
林則徐
虎 門 銷 煙
巧布尿壺陣
關天培
虎 門 浴 血
鄧世昌
黃海捐軀昭後人
陳天華
以身殉國,喚醒同胞
敲響警世鐘
張學良
青 少 年 教 育
少見的英才
西 安 事 變
左權
馬本齋
1.中國的夏伯陽
2.「黨就是我的母親」
3.設計殺敵
4.高紀莊血戰突圍
5.「馬本齋同志不死」
聶耳
人民作曲家
張自忠
軍人的楷模
戰鬥英雄的故事
李廣
蔔式
霍去病
楊繼業
戚繼光
猴子幫助抗倭
巧用竹槍刺倭寇
懲舅治軍紀
鄭成功
收復臺灣,流芳千苦
借潮趕走荷蘭兵
馮婉貞
馮婉貞智勝強敵
姆克瓦瓦
坦桑尼亞民族英雄
崔可夫
1.亂世從軍,兩度出使中國
2.為斯大林格勒勇敢戰鬥
3.得之不易的庫爾斯克之戰果
4.攻打戰爭的最終目標——柏林
革命先烈的故事
秋瑾
巾幗英雄鑒湖女俠
楊靖宇
1.精忠報國
2.戰重圍,巧妙跳出包圍圈
3.灑熱血,英勇不屈喪敵膽
劉胡蘭
少年黨員
董存瑞
「兒童團長」經歷
捨身炸碉堡的董存瑞
楊根��
特級英雄楊根思
黃繼光
用身體堵槍眼
邱少雲
烈火中永生
貞德
奧爾良少女
版權頁
每個人的生命中,都需要一些精神上的支援和鼓勵,來幫助我們面對人生的挑戰和困難。而書籍,可以成為一個不錯的精神支柱,帶給我們充足的知識和啟示,甚至是力量和信心。
總體而言,本書是一本非常值得閱讀的精神食糧,特別適合那些希望從偉人故事中獲得啟發和鼓勵的人。透過閱讀這些故事,我們可以瞭解到偉人們在人生中所面臨的挑戰和困難,以及他們是如何克服這些困難、發揮潛能並最終獲得成功的。這些故事可以啟發我們對生命的信心和勇氣,讓我們更有動力地面對人生的挑戰和困難。
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nccwa · 1 year ago
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舊雨浥今塵–奧本海默的聯想
                  夏烈(夏祖焯)
           人類在瞭解它之前不會怕它,但在使用它之前不會瞭解它。 - 奧本海默(有關原子彈)
    近觀兩部電影:《奧本海默》及《媽的多重宇宙》,引起一些回憶及感觸,千山懷往釀成繽紛的秋季,無聲,煙霧楓紅交融,昨日默然降臨。
原子概念始自連環圖畫
    原子的概念小時就開始了,不外是癌症放射治療及原子彈,那時還沒有核能電廠。唸小學時在台北市南昌街小攤子上租連環圖畫看:原子彈是一顆大炸彈在天空中爆炸後分解,產生千千萬萬顆小炸彈,每顆後面有一隻白色小降落傘,鋪天漫地的大批降下……這是對原子彈原理的最初瞭解。能有這種想像力的連環畫家也算是別具創意了。兩顆原子彈在日本落下後超過20萬人立即死亡,所以「原子」本身是個威力強大的新物種,也進入我們的日常生活。作曲家姚敏當時曾譜一流行歌曲〈夫妻相罵〉:
   妻):自從嫁了妳呀,幸福便算完 _ _ _ _這樣的家庭簡直是殯儀館 (此句重複一次)
   夫):自從娶了妳呀,每天聽你煩 _ _ _ _這樣的女人簡直是個原子彈 (重複一次)
    原子彈型的女人威力應是很強大。後來又有「原子筆」出現,取代墨水鋼筆;「原子襪」是尼龍製襪,不容易磨損;「原子褲」名出自香港;還有原子錶及原子鐘,內容不詳;反攻大陸的民國四十年代,台北有位大發明家陳永松君,研究一種可以「對抗原子彈的新武器」,一枚可以炸毀台北市,二枚消滅共匪的上海市。何凡在聯副「玻璃墊上」專欄表達憂慮陳君在台北市做此偉大研究實驗:「萬一失手爆炸了怎麼辦?」   
    所以,那時代全世界不分強弱,都已進入原子時代。下去是醫藥治療,核子動力潛艇、航母、船艦等等,核子飛機及核子衛星至今尚未出現。蘇聯在1954年建成第一座商用核能電廠。以後是否會出現核子人工智慧?如果人工智慧與核子混合,威力會更遠超越人類史上最強大,最有名的能量公式E=mc² 。E是能量,m是質量(重量),c 是每秒30萬公里的光速,因為光速的平方是天文數字,所以落在廣島及長崎的原子彈只不過用了幾十公斤的濃縮鈾及僅6公斤的放射性佈,就產生約2萬噸黃色炸藥的殺傷能量。
    我所有的學位都是工程,與核子物理無關。在德克薩斯州念書時與李文和博士同學,而且同屬一個台灣留學生組的伙食團,他做一手好菜,甚至能做出全桌酒席大菜。他後來進入製造原子彈的新墨西哥州洛斯阿拉莫斯國家實驗室工作,也就是奧本海默在沙漠中建立的原子彈聖城。李兄在那兒不是做菜,是做原子彈。他被誤為中國大陸核子間諜,無故坐牢九個月。其實他是非常台灣本土思想的工程科學家,喜好文學及古典音樂,曾協助審閱我寫的大學教科書《近代外國文學思潮》(聯合文學出版)。終於,法官判無罪,還在庭上向他道歉,賠償165萬美金,好像課稅及律師費用之後只拿到一半。後來我推薦他回到他母校成功大學教書一年,至今他竟已出了三本英文的核子工程有關專業書籍,也真是傑出人才了。他是台灣唯一內陸縣南投農家出身,手巧能修許多機電及木工物件,為人忠厚老實,甚至有些天真,如此才會變成美國官方內鬥犧牲品。
    另外一個與原子彈有關的台灣人是張憲義上校。他是中山科學院核能研究所的副所長,因向美方舉報台灣發展原子彈狀況而逃往美國。此舉對台灣人民安全是有害還是有利?見仁見智。因為大陸曾表示攻台的三大原因之一是台灣製造出原子彈。
宇宙浩瀚,原子細微
     鑒於量子力學有機率的特質,所以多重宇宙或平行宇宙的概念出現。如果進入世界(或世間)的起源,亞伯拉罕三教(猶太教,基督教及伊斯蘭教)咸認世界是上帝(或阿拉)創造的。佛教則認為世界起源無始,乃由眾生無息無止、共業感召生成,我們在三界中生死輪��,居住的娑婆世界,乃是一佛所化三千大千世界的中心。即使有宇宙物理學或宗教學不同的解釋,《媽的多重宇宙》並沒有表達複雜、模糊未定的天體科學理論,或是充滿幻想及神話的宗教體認。只是利用多重宇宙的背景,為一個簡單的移民奮鬥及家庭倫理故事添增情節,令這影片更有魅力,甚至離奇。觀眾對此片的反應相當兩極化,顯然與年齡有極大關聯。年長一代基本上無法進入狀況,觀賞不到三分之一就入睡或離場。我課堂上年輕大學生則個個叫好。但寫實的《奧本海默》影片表達方式顯然迥異。
    在另一個宇宙的太空遨翔,那是個無限靜寂、魅麗、遙濶、充滿綺思的世界,令人流連忘返。然而在原子彈爆炸的那一霎那,無限的火焰及紅光,巨大的聲響,則是美麗而醜陋的世界,充滿了毀滅灰煙,此種感受只能做形而上的描繪。這兩部電影給人的聯想會是歡愉還是痛苦?天堂還是地獄?或是百感交集,不能自已?
    奧本海默由歐洲學成返美,在柏克萊加州大學教書,也是最先研究黑洞及引進量子力學到美國的科學家之一。「曼哈頓計畫」有18人得到諾貝爾物理獎,「原子彈之父」奧本海默被提名三次,卻未得獎。他有學問,有才華,但在物理學的研究上沒有聚焦點,無重大發現 ─物理學只是他的眾多愛好之一。這說明了什麼?你能告訴我嗎?
     電影中沒提到他與李政道、楊振寧、吳健雄的關係。他曾說過:『我最喜歡看見的景像就是李政道與楊振寧並肩在普林斯頓大學的草坪上散步。』吳健雄在產生原子彈的「曼哈頓計畫」遇到連鎖反應無法延續的難題時,協助解決,否則原子彈轟炸日本勢必延緩。多久,沒人知道。奧本海默稱吳健雄院士為「姐姐」。   
     影片的上映引起一些議論,因為奧本海默是80年前原子彈生產計劃的總負責人,卻曾與美國共產黨有關,又公開發表言論反對原子彈及後續氫彈的進展,成為爭議性人物。實際上不投原子彈,美軍登陸會遭遇日本「本土決戰」死鬥,估計將產生起碼上百萬至數百萬軍民的死亡,奧本海默不可能不���。這筆帳要怎麼算?而他後來竟有悔意,在心理上算不算是個堅強及有理性的人?他太聰明,是失去腳的鳥,不停飛翔,不能棲枝或落地,終將帶著他泥濘的人生,疲憊以終。
原爆生存者來聽我演講
    加州大學在地柏克萊的圖書館,亞洲部門主管是台北畫家郭雪湖先生的女公子郭惠美,和她長兄郭松棻都是台大外文系出身,所以重視文學。我被惠美邀請演講12次,每次五百美金,講完一概掏出來請大家吃晚餐,皆大歡喜。有一次講木下惠介導演,高峰秀子主演的反戰名片「二十四の瞳」(「二十四隻眼睛」),因我用英文講,有大批日本後裔前來聽講,場地爆滿,講台前地毯上都坐滿了聽眾。講完問題回答時間有一位矮小
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                       高峰秀子主演「二十四の瞳」                     
平頭,面容粗糙的老人站起用日本腔英文發言,告訴大家他曾經歷廣島原爆,因距離逃過一劫,沒說多遠,但是他說看到強烈的亮光。我請他多報告一些,同時也表達他的感想,但他英文說不好,聽不太懂,大家只能點頭稱許。這是此生唯一見到吃過原子彈的人 (我忘了問他:是否見到千百顆後面戴著白色降落傘的小炸彈冉冉飄下)。
   另一位與原爆有關的是蔣渭水先生的長子蔣松輝學長。他是建中(日據時代台北一中)校友,畢業入長崎醫大讀醫。後因蔣渭水留下的奠儀生活���用罄而輟學轉往上海謀生。他前腳走,後腳就是長崎原爆。所以他說是因窮活命。此事我寫在〈紅樓賦〉一文,發表在前幾年的聯副。另一台中清水友人蔡寬博士 (因他父親喜愛菊池寬的小說,而為他取單名寬),當時全家住在關西,被日本政府下令疏散,以躲避美國空軍的大肆轟炸。他們決定往北遠走北海道,要是往西近處走,就進入廣島原爆,後來也不會畢業於政大新聞系,與我同在密西根州的研究所同學了。我兩不同行,聊天卻很愉快,因為我到底是新聞家庭出身。
    《奧本海默》與《媽的多重宇宙》都與科技有關,都採用數個故事線交叉剪輯的製片技巧,也都摻入許多科技名詞,如量子力學、平行宇宙、連鎖反應、有機率、分子波函數……等等。片中也出現我當年在工學院念書時讀到的科學家、工程師及數學家如費米、愛因斯坦、勞倫斯、尤勒、貝塞爾、泰勒、鮑林、波爾....等等。有幾位在舊金山灣區的場合見到過,並無上前握手交談的經驗,但在影院黑暗中見到這些熟習的名字,還是很高興。我後來轉業在新竹清華及台南成大教授近代歐洲文學及日本文學。雖仍與工程界掛勾,那只是為了有許多老朋友及從事風險性投資賺錢,實際上已與工程、數理(STEM)本體脫鉤。有一天走到地下室儲藏間清理,恰巧看到唸研究所時使用已塵封的教科書及筆記。打開一看,艱深複雜的數學公式簡直就是天書,我很驚訝那時我居然這麼聰明,有這麼大的本領能看得懂這些天書 ─ 現在已經不聰明了!
台北被轟炸毀壞 
 
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    有些人說原子彈轟炸日本���對黃種人的種族歧視。其實本來是準備核爆德國,因為德國的原子彈研究遠比日本成熟。但在美國試爆成功時,德國已投降。美國在日本投降前,曾對許多城市(甚至有些中小城市) 做大規模、一般性炸彈及燃燒彈的轟炸,包括平民市區,死亡人數比兩顆原子彈還多許多倍,這一點奧本海默應也有深刻認知。實際上,最先空襲日本的不是美國飛機,而是事後任空軍總司令的徐煥昇將軍。他於1938年駕機夜航空襲日本,在幾個城市投下數百萬份傳單,令日人瞭解中國空軍也能飛入日本領空。大名昭彰的美國空軍杜立特將軍則是四年後的1942年才開始轟炸日本,卻出了大名。
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                             28歲的徐煥昇上尉(右)駕馬丁轟炸機空襲日本
    我在美國任工程師時,有一次調查加州某一老舊機場的跑道損壞情形,他們告訴我以前杜立特將軍在此起飛多次,不可能是去轟炸東京,因為航程太遠。兩顆原子彈是小心翼翼地海運去關島以北的天寧島機場,然後在1945年8月由B-29載去廣島及長崎投彈。那艘運原子彈去天寧島的巡洋艦印第安那波利斯號,不久被日本潛水艇以魚雷擊沉。這令人想到:如果在運原子彈到達天寧島之前被擊沉,會是什麼樣的局面?要何時才能投下原子彈?但是那時美國已計畫在1945年底前共製造出九顆原子彈。8月15日日本昭和天皇「玉音放送」宣布投降,所以剩下的原子彈不需使用了,聽說現仍存在洛斯阿拉莫斯國家實驗室,不知是否公開陳列,以招徠世界各國觀光客。當然是拔了塞不會爆炸,否則就如陳永松君在台北市試驗炸彈一樣。陳君的炸彈「一枚可以毀滅台北市」。
    又想到曾到舊金山灣的阿拉米達港參觀已除役的大黃蜂號 Hornet 航空母艦,現在���航母博物館。艦上可看到承載飛機,甲板起落架,海軍官兵起居餐廳,飛行員起飛作戰前的戰報室。還看到1969年人類首次登陸月球返回地球降落太平洋,被大黃蜂號接應吊起的太空艙。記得首步踏上月球土壤的太空人阿姆斯壯說道:『這是我的一小步,卻是人類的一大步。』(One small step for a man, one giant leap for mankind)那天我是在密西根州大的結構工程教授家觀看此歷史鏡頭。他和我同樣對文學有興趣,工程之外的文學暢談總是極為愉快,不能罷休。如今他已離世,一些談得來的朋友都走了,我也逐漸老去,何時會再遇到一位 ─ 還是遇不到了。
    大黃蜂號曾對台灣轟炸多次,甲板下飛機庫牆上有一張掛圖顯示轟炸台灣的次數。記得台灣被標示為Formosa。基本上,台灣並未像廣島、長崎、小倉、新瀉、京都等被列入原子彈投擲候選名單。但是對台灣的一般性轟炸先是軍事目標,然後是港口及工業, 1945年展申到城鎮市區。5月31日的大轟炸以台北市的總督府(今總統府)為轟炸集中點,週遭台銀、台大醫院、地方法院都被潑及,重慶南路的第一女高(北一女)及南海路上的台北一中(建中)也吃了炸彈。北一女災情我不知道,但建中紅樓西側被炸得斷垣殘壁,我唸書時還未清除,猜是國共內戰百廢待舉之故。數學傅禺老師的《建中養我三十年》書中提到一些野狗在那兒築窩。建中之前我念隔壁的台北實小,不記得實小有任何損毀。建中紅樓正對面是植物園國語日報社址的前「建功神社」,也不記得有任何損毀。我小學時常去此神社,因為先嚴曾是國語日報的社長及發行人。
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      1945年5月31日總督府南側被炸毀  
       
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大黃蜂航母轟炸Formosa (右第五行)
    轟炸台灣其實始自1938年,以蘇聯與日本是宿敵,所以蘇聯飛行員駕援華飛機轟炸台北飛行場(今松山機場),因那時日本海軍航空隊駐紮於此 (日軍編制無空軍,戰機屬海軍或陸軍航空隊)。以後除美國外,英國、澳洲及墨西哥的空軍也曾轟炸台灣。墨西哥人因講西班牙語,所以曾有一隊空軍駐紮前西班牙殖民地的菲律賓。1944及1945的多次轟炸,在台灣共炸死六千多人。澎湖因有日軍設施,也遭轟炸多次。我服少尉軍官役於野戰第51步兵輕裝師,曾調防澎湖5個月,駐守過山水海灘及拱北嶺頂雷達站,倒沒聽耆老鄉親說過曾被轟炸的事,相信也沒什麼值得探討的,山的那邊就是墳墓,或是天堂。 
    彼時有許多戰爭,所以死亡不是陌生人。那些化為千風的孤魂,在白雲藍天飄逸。台北是我故鄉,曾在夢中見到過降雪的台北,大地一片銀白,無聲無息的雪花飄落,那豈是進入秋天最後旎旖的回憶。走筆至此,冬日即將到來,輕柔壓抑的情緒依然熟悉,觸景生情,心中感概不已,但願人長久,台北故鄉爾後安然無恙。
(2024年1月7日及8日聯合報副刊連載)
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jimonjitoh · 2 years ago
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高橋太郎左衛門
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高橋 太郎左衛門(たかはし たろうざえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の農民。出羽国庄内藩の遊佐郷で大肝煎を務めた[1]。
酒井氏入部後の農政
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初代藩主酒井忠勝が入部した後、庄内藩は検見法によって年貢を徴収していた[2]。しかし、元和9年(1623年)から総検地を行なって領地高を大幅に増加させ、寛永2年(1625年)からは定免法を採用した[3][4]。
大肝煎罷免
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寛永3年(1626年)は凶作で多くの餓死者が出て(『余目町史年年表』)、同7年もかなりの不作だった。しかし、定免法が適用されたため、作柄相応に減免(納める年貢の量を減らすこと)されなかったために多くの未進米が発生した。未納分に対しては年利5割の利息が付けられ、それらの取り立てが翌年、翌々年に厳しく取り立てられた[3]。
そのため寛永9年(1632年)10月に、川北の遊佐・荒瀬両郷から多くの領民が由利・仙北(現・秋田県)に逃散した[3][4]。
藩はその事態を招いたのは大肝煎の責任とし、遊佐郷大肝煎の高橋太郎左衛門と荒瀬郷大肝煎の池田刑部左衛門の両名を罷免し、太郎左衛門を投獄した[1][3][4][5]。
翌10年(1633年)に庄内に幕府巡見使が来ることになったが、藩はこの件が表沙汰になることを恐れて、太郎左衛門を殺害することも検討したという(『鶴岡市史』上巻[3][4])。
藩の苛政に対する訴え
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寛永10年12月に太郎左衛門は釈放されるが、藩による殺害計画を知って、江戸に逃げる。翌11年(1634年)5月、弟の長四郎とともに江戸に潜伏していた太郎左衛門は、目安を江戸幕府に提出した。その内容は、庄内藩の苛政を訴える13ヵ条だった(『雞肋編』下巻[1][3][4])。
総検地以前は、実際の収穫に応じて、水損・日損といった天候や自然の影響を考慮した差し引きもあった。しかし、最上氏統治時代に5700石余だった年貢が、検地以後は一万石に増加し、定免法に変更された。さらに寺社の知行地にも新たに縄入れし、年貢をとるようになったため、鳥海山の宗徒・僧侶の中にも身を売る者が出ている。
遊佐郷では年貢納入のために男女1000人が身売りをしている。そのため岩川村や東村からは大半の百姓がいなくなったことで人返しを実施。身売りも出来なくなったことから、妻子を殺すか欠落(かけおち)や逃散をするしかない状況に追い込まれた。欠落百姓への成敗は厳しく、小物成の納入でわずかな不足でも入牢になり、妻子は城に召し遣わされたり、他国に売られたりした。年貢納入のため8ヵ年に身売りした男女は5000人から6000人にのぼり、そのほか牛馬売りも多かった。
庄内の塩浜の百姓は塩を焼いて、それを米に代えて生活をしていた。ところが、塩浜と隣村、酒田と在郷との間などに口留め所を設けて、庄内浜や飛島の魚売買を禁じ、塩であろうと塩を交換した米であろうと年貢として没収された。塩や魚介類を諸商い物と交換・販売することを禁じられた漁民たちは、御城米を高価な敦賀米の値で借りるしかなく身上が立ち行かなくなった。そのため、飛島の漁民のうち60軒ほどは女房・子供を引き連れて庄内で乞食をしている。酒田の商人は商物や代金を没収され、御城米を高利で貸し付けられたため、家や船を売り、中には身を売る者までいた。
遊佐郷の百姓が城に納める八木・糠・藁・草のことで出入(訴訟)を申し上げたところ入牢となりそのまま9ヵ年におよんで、あるものは牢中で死亡した者もいた。
巡見使の下向に際し、藩は郷中町中の諸役を差し引く条件で目安を提出しないよう命じた。しかし巡見使が帰った後は約束は守られず、差し引きもなかった。
留山、留谷地を定めて、統制をきびしくしたため、町人・百姓は薪や萱に不自由している。
などで、これらの苛政のために農民は生活を維持できないとして、酒井氏の悪政を告発していた[1][3][4][5]。
訴状は酒井氏の親族にあたる老中松平信綱[注釈 1]が受理。信綱は庄内藩との間を仲介して、この件を和解に持ち込み、太郎左衛門と池田刑部左衛門はともに大肝煎に復帰した。
事件後
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寛永15年(1638年)、太郎左衛門は新知200石を賜わって家中に召し出されて鶴ヶ岡に移り、弟の長四郎が代わりに大肝煎になって100石を与えられた[3]。
庄内藩の成立期の農政は、年貢の増徴だけでなく、それ以上に新しい村の存立・安定を目的としていた。そのためには、自主性の強い農民に対する意図的な締め付けを行ない、旧領主は排除する必要があったが、地元の土豪層とは妥協することも必要で、太郎左衛門が大肝煎に復帰できたのも特例ではなかったと考えられている。肝煎かその子に一律に知行100石を与えて家中に準じた身分を与えたことも、大肝煎の懐柔策であったとされる
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iseilio-blog · 2 years ago
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Poseidon 變幻
波賽頓 - 維基百科,自由的百科全書 (wikipedia.org)
赤江 瀑 赤江 瀑 - 搜尋 (bing.com)
集英社文庫
( 在「Poseidon 變幻」中不斷追殺 鯊魚 的青年漁夫的唯一生存
目的,就是不斷的追殺殺害了他的母親、弟弟、他的父親、他的父親
的父親 的鯊魚。然而他的戰鬥顯然是失敗了。漁夫壯絕的生命就在
追殺鯊魚的過程中走向完成,一步一步的以自己肉體被吞食,走向
消滅。)
1 ,
在Florida 西海岸擁有Kane研究所 的 Hardman .W Ocondole 博士,
在報章雜誌發表他 海的研究紀錄,是在去年的七月初。
Hardman博士 是康乃迪克大學的生物學教授,美國權威的魚類學者之
一。尤其對鯊魚的研究,有著世界名望。
「藍色海魔記」,是以Hardman博士 多年鯊魚生態實驗報告為中心,
加上與研究所的學者、友人、家族、在地的漁夫交流,寫一些以藍色
海洋,粲然陽光為背景,富含機智的,關於四海遊歷的文章。
華麗的海底世界為封面的書,在我和我的學友、稲角 榮 之間成了
惡魔書,就來自那書的名字。因為 Poseidon 的翻譯就是 「海魔」。
沒有這個書名,我們也不會知道有這本書。
鯊魚是在現存的脊椎動物中最古老的太古原始動物,外形與三億
數千年前沒有兩樣。可以說是拒絕進化,謎樣的動物。存活之中,
全身秘藏著化石的時代,直到今天還是飢渴著血腥,環游於世界
海洋的兇惡魚類。
「藍色海魔記」;Polynesia 藍珊瑚的美麗、Flirida海岸明亮的紅樹林
的亞熱帶風土、眾多海洋學未知之謎、海的神秘 . . .. . 等等等,如同
地獄一般,一味的向我們招手。我 與 榮,就是受到這一手的呼喚,不
得不啟程,遠赴那棲息著巨大海魔海洋。
2 .
G女子學院大學國文科的 稻角 榮,出了 R書店,走向忙亂的新宿車站
之間,忽然有兩個男人抓住她的手腕,一開始不明事態,愣了一下
望著那個男人,再度被帶回到了剛剛 R書店的事務所。
「不是 . . . . . ,」她叫著。「不是那樣!只是沒注意。」
「沒注意?沒注意的偷了?」
年青的書店職員抓除了書本,丟在桌上。
「那有收據吧?拿出來看看。」
「不知道。是真的不知道。」
她淒厲的聲音崩潰了。
稻角 榮 這時並沒有說謊,不相信為什麼自己怎麼會把書抱在胸前。
「幫我,理子 . . . . . 幫幫我 . . . . .」
接到電話的時候,我正在夏季講座的教室。馬上驅往 R書店。失去
血色的臉孔,榮 坐在堆滿書籍後面的地上,一個人自言自語。
「電話打給妳之後就不再說話。已經一個小時了。好了,快回去
吧!」
這是第一次看到「藍色海魔記」這本新書。似乎要被南方海洋的藍色
吸入的封面,非常漂亮。
「〈海魔〉、那紅色的文字突然跳入我的眼睛。我不知不覺的翻開
目次。〈追著鯊魚〉、〈獵鯊〉、〈吃人鯊〉. . . . . 那鉛字一下子
襲攏了上來 . . . . . ,讓我回想到那件事。清醒了一下,又沉浸入書
中,不,不要。鯊、鯊、鯊,翻著書頁,追著鉛字,寫些什麼也
忘了 . . . . . 就是一味的追著鉛字 . . . . .」
榮 忽然張大了眼睛,
「然後 . . . . .」榮 喘著氣,無法靜下來。
我再度想起來在R書店時異樣的感覺,她似乎有著什麼奇妙的不
正常。
「176頁 . . . . 讀那裡!」
榮 高張了聲音。
「就那鯊魚 . . . . . 鯊魚殺了 Hiro哥 . . . . .,有寫著!」
「不會吧 . . . . .」
「真的!我有看到。殺了Hiro哥的鯊魚跳出了海面,很清楚的看到。
比船還大。畸形的、像怪物一般的頭 . . . . . 跳出海面,在空中看著
我。忘掉,忘掉吧。可是那如同玻璃的紫色眼睛!就是那隻鯊魚
沒錯!」
榮 顫抖著,看著我哭訴。
榮 的哥哥、 稻角 滉 去年夏天在山陰的海中被鯊魚襲擊而過世,當時
唯一目擊者的我也相當知情。不過當時的狀況到現在也還是無法在
腦中鮮明的顯現。榮 和 滉,榮 是母親的孩子,滉 是父親的孩子,
彼此是異父母的兄妹。那個夏天,滉與榮在 古姬 度過,向漁夫借了
小舟,一起出海釣魚。離開入海口的岸邊也就不到十公尺的淺海,
當時在地的人們都無法相信,因為從來沒有被鯊魚襲擊的事件。
大夏天,沒有波浪的海面,停著一艘船。用 榮 的話說:「寂靜而
目眩,海與天空都燃燒著 . . . . . 凝視著幾乎就會被吸入」的正午。
從水裡被拖上岸的小舟的櫓,不知何故從舟底發出著 嘎啦嘎啦 的
聲音。抬起頭望向 滉。
滉 的確就在那裡,不過,沒有臉。
沒有臉的 滉 的身體在舟上搖晃著。
穿著短褲與黃色波羅衫,也沒有水濕的跡象。
發生了什麼事,榮 並不知道。為陽光照射的海的四周,一片平穩。
望著 滉 那沒了頭的身體,如湧泉一般的流著血。
她看到鯊魚是在那件事之後。
榮 後頭的海面忽然湧動著,一條水濡的巨大鯊魚騰空而起,小舟上
滉 的首級是如何被鯊魚咬食掉,滉 又正在做什麼?握著釣竿,還是
正在假寐?
稻角 榮 受到的衝擊可以想像,她的精神狀態在事件之後,陷入極度
的不安也是事實。我沒看到,滉 沒有頭的身體不是被刀切斷,尖銳
的鯊魚齒痕也很清楚,對她與她的父母,一想起來就如同惡夢。那個
夏天過去了,接著的夏天,滉 就要成為我的先生了。等著他一出校
門,我們原本就要一起的。
出發去 古姬 的前一天,滉 啃喫著我的身體。「我不能離開妳 . . . . .
明年夏天就要去度蜜月了 . . . .「不過有些擔心 . . . . . 我大學還有兩年
. . . . 」「沒關係 . . . . .我會說服爸媽 . . . . . 」「榮 知道的話,不知道
會說什麼 . . . . .」「一定是贊成的嘛 . . . . .」
那年青充滿自信與天真獨善的頭,進入了官能與色情,瘋狂起來特別
的雄偉,無法替代的,充分的滿足了我的那個頭,一瞬間就消逝了。
所以不說 榮,一看到「海魔」的書名,��該我也會一樣也說不定。
因此 榮 看到「藍色海魔記」的異樣,很可以理解。
「藍色海魔記」的第196頁這麼寫著:
──(略)鯊魚的種類達�� 250種,並不都是狂暴,會侵襲人類的其中
12種會吃人(列舉鯊魚種類名稱不記。),被害件數相當多。(略)
我曾經在 Sydney 被十數隻的鯊魚旋回圍繞,他們游到我要上岸的
岩礁,很有耐性的與我周旋。可是另一方面也有與家族在水深只有
30公分處玩耍的幼童就被咬去了兩隻腳的實例。(略)──
「 Hiro哥 . . . . .」榮 說,
「 他要我讀這本書。這不是偶然。一定是的,哥在呼喚著我!」
「 呼喚?」
「 對!」榮 斷言道,
我反射性的看著 榮 的眼睛,
「 哥哥浮不起來。哥的頭想回來。找出來吧、的叫著。他在拜託
著我 . . . . . 」
「 榮,鎮定一些,」
可是她聽不進去。
「 不這樣不行」榮 說著,
「 這怎麼有辦法呢!」
「 可以的,」
「 只要找到那條鯊魚就可以,殺掉就可以,」
「 榮 . . . 」
3 .
我 和 稻角榮 出發去山陰西岸,離開 古姬 10公里的 衣笠村
是那年的九月中。
沿著河口,為三角洲與築港的堤防圍繞的細長海灣,塗著白色油漆的
木造建築是一棟增建的二樓房子,衣笠漁協 就在這裡。
漁夫的名字很快就查到了。不過已經在七年前死亡。
五十上下的漁業課長還記得 友永教授。
「 我算是他繼任的好友。」
「 教育委員會來了電話,說有客人想問些 軍瑪 的事情,請安排
一下。」
軍瑪 的本名叫 井崎軍松,就是那個漁夫的別號。
「 可是已經是十二三年前的事了 . . . . . 」
「 這附近很多鯊魚嗎?」
「 這裡一出海就是 對馬暖流,有透抽、鰹魚等等,也有鯊魚。」
「 其他還有鯊魚的被害者嗎?」
「  被害 . . . . . 沒有聽說過耶 . . . . . 」
「 不是有一位叫 軍松的 . . . . . 」
「 那個人特別一些。其他就沒有了。衣笠 主要是以 延縄釣 為主,
都去到東海。海岸則是老人與小孩,不會去捕鯊魚啦。」
「 那,軍松 都在那個附近捕魚?」
「 那個人也真可惜了 . . . . . 從以前就是個怪人 . . . . . 原本也不是
在地的。與人們也不是談得來。海岸的那邊就是 舞島,軍松 就出生
在那裡。近海的漁夫都會去到那邊 . . . . . 」
「 不是有鯊魚嗎?那邊 . . . . . 」
「 有、也有人看過很大的。不過不下海,也就不會也危險。」
「 不是說 軍松一家人被一大群鯊魚侵擾 . . . . . 」
「 應該是運氣不好吧 . . . . . 海洋是活的,要發生什麼事不知道的 . . . . .
而且 . . . . . 」
人看起來不錯的漁業課長話忽然混濁了起來。
「 唉 . . . ,不就是村子嗎 . . . ,村子就是會有鯊魚不是 . . . , 」
「 一定有鯊魚?」
「 聽說以前在島上 軍松 的父親不也是因為鯊魚。兒子、老婆 . . . ,
還有 軍松 的船也遭到大浪而遭難 . . . ,三天後只有屍體浮在島的
岸邊 . , . 手腳都被咬爛了 . . . . 」
「 被鯊魚嗎?」
榮 似乎探出身子問到,
漁業課長 沉默著,
「 那個 舞島 在那裡?」
「 有多遠?有沒有定期船?」
漁業課長搖頭。
「 以前十天有一班。四五年前只剩下四五戶 . . .. . 」
「 都沒有人了?」
結果我們住了下來。請 漁業課長 幫我們在市場後面的公會堂弄了
一個榻榻米的小房間。
井崎軍松。28歲,就是那個漁夫的兒子。
如果我們沒有碰到 軍松 的話,也許就回到原本平穩的生活。
戶數不到三百的這個漁村,誰也不關心鯊魚,我和榮每天站在這個
村外面海的軍松的房子。是個支柱傾頹的廢屋。很自然的眺望著大海。
那並不像是如同 榮 的想像所說的,曝曬於白光閃耀的大海。炫目的
魔,靜寂的魔,灼熱的魔,都消失了。剛來到時,看不到曾經為魔
纏繞的白色妖光的 古姬 的海。滿溢的只有茫漠,無邊的水。海面
稍微的一點風浪,都讓我慌忙後退。
似乎探透了我,
「 理子 . . . 」榮 說道「 一直麻煩妳,很不好意思。還要去學校吧
. . .  ,妳先回去吧。」
「 沒關係,再讓我待會兒。」
「 不行,妳會暈船。去到 舞島 有 38公里。」
這個時候,我感到 榮 可能什麼都知道。
「 沒問題。不過他真的會來嗎?」
晴朗都天氣,可是一點也看不到 舞島 的蹤影。
4 .
等了十天,井崎軍松 並沒有出現。
衣笠也有幾艘船,不過不可思議的是這個村子的人不喜歡女人上船。
榮 開始有點耐不住,這一點我也能夠瞭解。
稻角榮 不見人影,就在第十天的早上。
「 搭船先走了。你也回去吧,回到東京再向你報告。 」
只留下一張紙條放在我的枕頭邊。
海,怒吼著,
打開窗戶,沖擊著海岸的波浪,在幽暗的岸邊似乎觸手可及。
「 你回去吧!」
這個時候,讓我對 榮 有點憤恨。
去到魚市場,看到穿著灰色外套、黑長鞋,頑健的體格的男子,正用
鉤子拖著剛從漁船卸下來的魚箱。隨著他的腳步,去到拍賣場,那
兇惡的影子出現了。
( 軍次 . . . . !)
男子背後的鯊魚露出著牙齒。
Shark Teeth | SHARK ACADEMY - YouTube
「 告訴我,告訴我那鯊魚的事情。什麼都好,什麼事情也沒有關係
. . . . 」
「 知道那些事 . . . . 要幹什麼?」
他望著海。
「 是誰殺了我愛的人 . . . . 他是在船上,什麼水沫都沒有,為什麼會
被鯊魚殺死?」
「 當那鯊魚飛越船的上方,身體稍微碰到了。那時我正在船頭
睡覺。」
我知道鯊魚,是由與牙齒相同的性質的皮膚包覆著。如同刮鬍刀一樣
鋒利的無數密生的牙,就是牙齒的擴大與變形,以牙的形狀成長,在
皮膚中發育。換句話說,鯊魚的皮膚,其實就是無數密生的牙。
那一天的快中午,井崎軍次 的船停在 衣笠漁協 前面。不到三噸的
船,不過看不到他,不在船內,也不在附近。
「 去買東西了吧。」漁業課長說著。
. . . . 他在還是少年的時候,就在這條船失去了母親與年幼的弟弟嗎?
. . . . 。這時我眼前起了幻覺,看到了少年軍次的臉。他或許在尖
叫著,或許沒有。無表情的睡著的軍次的眼,重疊到少年的臉上,
這時我感到這艘船,到處都滲著苦汁。
我走向了在岬外那已經沒有支柱,日曬雨淋的廢屋。這是他誕生的
屋子。他的父親離開了家,終於在本土蓋了屋子,小小的屋子。
現在他也離開了。
是什麼讓他離開的?我感到害怕了起來。
我環繞著屋子看了一下。找他的話應該就是這裡。
可是這裡也沒有 井崎軍次。
晴朗明亮的日本海,這時再度的怒吼了起來。
5 .
稻角 榮 回到東京是我回來的隔天。她忽然很有精神,
「 怎麼回事?」榮 一進入屋內就說。「 去了學校,說你沒有去,
所以以為妳在 衣笠。」
我拉著棉被,轉身向著牆壁。可以的話想說「 回去!」
「 起來吧。有好消息。」 榮 一進來就去開玻璃窗。
「臭;女人的房間耶。」
「 門關起來,我頭痛。」
「 見到他了。在回程的海上碰到的。問他名字也不回答。我突然的
問到鯊魚的事。他忽然變了臉色看著我。
「 然後呢?」
「 這樣而已。不過看他的眼睛,他一定是知道的。」
稻角 榮 是單身,從 古姬 再去 舞島 是再一個禮拜之後。
我知道卻更是在那三天之後。
載 榮 去 舞島 的船夫說她有說 10天後再來接我。年老的船夫完全不
知道 榮 母親的出身是 古姬。
「 沒問題吧,颱風。」
「 小颱風而已,島上反正沒有什麼。」
「 明天就沒事了。」
海 一整晚的狂嘯,在老人家叨擾一晚的我,直到天快亮才稍微入眠,
一早醒來竟然是個大晴天的日子。
我去到 舞島 則是四天後。到今天想起來,為什麼那個早上能夠撘上
船自己都還覺得不可思議。在去 舞島 的海上,我是在昏睡中過去。
6 .
「 島上的屋子是空的。振作起來,理子 . . . . 」
似乎有了什麼夢魘,當我醒過來的時候,已經不是在衣笠,或者 古姬
的漁村。腳底從根搖晃,只聽到暴戾,轟然的聲音。晴朗的夜裡,
月光照射進了破屋,榮 走出了屋外。
榮 走下了屋外的斜坡。舞島 真的就是一個死絕的廢村,到處都是無人
居住的屋子。到處充滿著由「」自然的妖氣而來的瘴氣。
閃爍著銀青色光芒的海,反射浮現著小屋。走進了兩三步,門板忽然
激烈的打開,榮 衝出滾落在地上。
「 不要過來。」粗厲的聲音。
榮 雖然被掠倒了,還是拼命的再靠近。小屋內沉寂了一下子,我站在
沒關的門口,又一會兒,突然小屋開始發出咆哮的聲音。不間斷的
唸叨著。
我窺看進去,只見 軍次 躺著,榮 的頭被他夾著,
「 拜託 . . . . ,殺了吧 . . . . 找出那隻鯊魚 . . . . 殺了吧。」
榮 那淒厲的聲音,到現在還留存在我的耳際。 7 .
我們必需離開 舞島 的前一天,我看到了 軍次 奇怪的行動。
海灣北側有一個洞窟。那一天他從洞窟抱著一個保麗龍的桶子走
出來。出來之後,放下了桶子,拿出刀子開始切斷自己的腳趾,
將血注入桶子中,我走進他,可是他視而不見的繼續著。桶子
放出了血的腥臭。
暗紅色的液體,裡面浸漬著佘目魚。
「 在幹什麼?」
我一面說著看著桶子裡面,我的臉為之色變。
「 那是 . . . . 」
「 沒錯,是我的血。」
軍次回答到 :「 一半是我的血,一半是魚的血 . . . . ,已經三天了,
我的血已經不新鮮,換一些新鮮的。」
「 為什麼?」
軍次毫不變色。「 不這樣那傢伙不吃。」
我環繞著屋子看了一下。找他的話應該就是這裡。
可是這裡也沒有 井崎軍次。
晴朗明亮的日本海,這時再度的怒吼了起來。
5 .
稻角 榮 回到東京是我回來的隔天。她忽然很有精神,
「 怎麼回事?」榮 一進入屋內就說。「 去了學校,說你沒有去,
所以以為妳在 衣笠。」
我拉著棉被,轉身向著牆壁。可以的話想說「 回去!」
「 起來吧。有好消息。」 榮 一進來就去開玻璃窗。
「臭;女人的房間耶。」
「 門關起來,我頭痛。」
「 見到他了。在回程的海上碰到的。問他名字也不回答。我突然的
問到鯊魚的事。他忽然變了臉色看著我。
「 然後呢?」
「 這樣而已。不過看他的眼睛,他一定是知道的。」
稻角 榮 是單身,從 古姬 再去 舞島 是再一個禮拜之後。
我知道卻更是在那三天之後。
載 榮 去 舞島 的船夫說她有說 10天後再來接我。年老的船夫完全
不知道 榮 母親的出身是 古姬。
「 沒問題吧,颱風。」
「 小颱風而已,島上反正沒有什麼。」
「 明天就沒事了。」
海 一整晚的狂嘯,在老人家叨擾一晚的我,直到天快亮才稍微入眠,
一早醒��竟然是個大晴天的日子。
我去到 舞島 則是四天後。到今天想起來,為什麼那個早上能夠撘上
船自己都還覺得不可思議。在去 舞島 的海上,我是在昏睡中過去。
6 .
「 島上的屋子是空的。振作起來,理子 . . . . 」
似乎有了什麼夢魘,當我醒過來的時候,已經不是在衣笠,或者 古姬
的漁村。腳底從根搖晃,只聽到暴戾,轟然的聲音。晴朗的夜裡,
月光照射進了破屋,榮 走出了屋外。
榮 走下了屋外的斜坡。舞島 真的就是一個死絕的廢村,到處都是無人
居住的屋子。到處充滿著由「」自然的妖氣而來的瘴氣。
閃爍著銀青色光芒的海,反射浮現著小屋。走進了兩三步,門板忽然
激烈的打開,榮 衝出滾落在地上。
「 不要過來。」粗厲的聲音。
榮 雖然被掠倒了,還是拼命的再靠近。小屋內沉寂了一下子,我站在
沒關的門口,又一會兒,突然小屋開始發出咆哮的聲音。不間斷的
唸叨著。
我窺看進去,只見 軍次 躺著,榮 的頭被他夾著,
「 拜託 . . . . ,殺了吧 . . . . 找出那隻鯊魚 . . . . 殺了吧。」
榮 那淒厲的聲音,到現在還留存在我的耳際。 7 .
我們必需離開 舞島 的前一天,我看到了 軍次 奇怪的行動。
海灣北側有一個洞窟。那一天他從洞窟抱著一個保麗龍的桶子走出來。
出來之後,放下了桶子,拿出刀子開始切斷自己的腳趾,將血注入
桶子中,我走進他,可是他視而不見的繼續著。桶子放出了血的腥臭。
暗紅色的液體,裡面浸漬著佘目魚。
「 在幹什麼?」
我一面說著看著桶子裡面,我的臉為之色變。
「 那是 . . . . 」
「 沒錯,是我的血。」
軍次回答到 :「 一半是我的血,一半是魚的血 . . . . ,已經三天了,
我的血已經不新鮮,換一些新鮮的。」
「 為什麼?」
軍次蠔不變色。「 不這樣那傢伙不吃。」
「 那是魚餌?」
「 你每天去嗎?」
「 鯊魚的餌什麼都可以。新鮮的,腐壞的,什麼都吃。一般是這樣。
可是這畜生不是人的血,他就是不吃。」
「 軍次 . . . . 」
「 你碰到了。你找到那隻鯊魚了。」我喘息著。
「 這傢伙」他說,
「 只在夏天出現在這個海,到九月就消失不見蹤影,而且也不是每年
如此。」
「 用吧」
一說完,拿起 軍次 的刀子就要切下自己的右手手指。
「 用我的。多少都可以。你就停止吧。」
井崎軍次 怒吼著。
「 出去。現在馬上給我出去。」
軍次的眼充滿異樣的血絲。
「 不是為你們殺,是為我自己 . . . , 」
「 滾回去。不要在我身邊。」
軍次 手上的刀尖顫動著,手緊緊的握著刀柄。
「 我的弟弟 . . . . 」軍次 說道,「 不是不小心落了海。父親 . . . . 父親
去做了餌。」
我無法忘記那時的 軍次。他如同少年一般的掉著眼淚。
「 鯊魚確實是靠了過來 . . . .  可是,我沒有注意到母親。母親睡在
弟弟的身旁 . . . . 我看到的時候,父親將弟弟放入撈網中,伸出到
海上。右手握著手刀。. . . . 只有一隻,厲害的傢伙脫離了魚群,
遠遠的繞著船。父親凝視著鯊魚 . . . . . 我在島上也曾經聽說過吃了
祖父的鯊魚的事情 . . . . 。父親其實也不願意這樣。不過以弟弟為餌,
母親悲鳴著跑了出來,撈網就掉落了。」
在回程的船上,一直想睡,只覺得很悲哀。就要睡著了,巨大的頭
剩下一半的鯊魚浮上了腦海。
8 .
隔年夏天,我在 衣笠 的村子見到了 井崎軍次。
他用手鈎鈎著魚箱來到了市場。
看到了我,似乎與我毫不相識。
再一年的冬天,稻角榮 還是在 衣笠 的村子見到了柱著拐杖的
井崎軍次。也沒有靠過來,只是用沒有感情的眼「看到我」,
榮 說道。
這時,一隻手臂,強壯的腳,垂在船邊你望著海,浮現在我們
的腦海。
只是就這樣望著也沒有什麼意思。
這時,忽然
( 終究不會說 滉 的魂魄就在那鯊魚裡面吧 . . . . )
想像著,不免膽怯了起來。
不過,我與榮,一次也沒有沒忘記 滉。不會忘記吧,我們相信是
不會再去那裡了。當然,不再會兩人以起前往了。
現在夏天就要過去了。
我開始收拾行裝,準備啟程 . . . . .。
節錄 的 方法 https://iseilio-blog.tumblr.com/post/730945556297416704
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shihlun · 3 months ago
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風景的螢幕實踐 第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
風景的螢幕實踐|佐佐木友輔
第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
由影像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔執筆,圍繞電影、攝影、美術與動畫中的「風景」與投射風景的「螢幕」為主題,縱橫論述各式作品的連載文章。以1970年前後的「風景論」爭辯為出發點,企圖加以更新。本篇首回將攝影師中平卓馬與西澤諭志對���,以大阪萬博為關鍵轉折點,思索現代社會中權力=風景的樣貌。 中平卓馬——風景的殘骸(Detritus)
中平卓馬與《風景的死滅》
1971年10月25日發行的松田政男著作《風景的死滅》(田畑書店)封面,使用了中平卓馬拍攝的海景照片。這張照片也出現在中平於1970年出版的《為了未來的言語》一書中,為書中跨頁照片右側經裁切後使用的版本。畫面上方三分之一為天空,下方三分之二則為白浪翻湧的海面,水平線略為右斜向下。水面上的複雜紋理、拍攝當下的模糊與晃動、粗顆粒感等元素交織在一起,構築出難以分割的視覺關係。再透過高光澤的銀墨印刷,反射出帶有物質感的黯淡光澤。
取下書衣後,書本本體的封面也同樣使用了海景照片,這次是取自《為了未來的言語》跨頁左側經裁切後的圖像。畫面中省略了天空,以海面全面覆蓋畫面為設計。印刷質地比封面更為粗糙,一眼看去甚至難以辨���是否為海洋。既像是沙灘表面的紋理,也彷彿是印表機故障所致的錯誤印刷。
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如眾所周知,這種模糊晃動的照片正是中平卓馬在《Provoke》時期的典型風格。拍攝者或被攝者的移動造成的晃動與模糊、粗顆粒、曝光過度或不足、無視水平線的不穩定構圖……這些靜止畫面中卻具有動態特質的風景,既可視為中平攝影行為的刻印記錄,也強烈主張那是由「攝影機之眼」——與人眼截然不同的視角——所捕捉的風景。中平排斥那些如內心反射或意識形態投影般的主觀、感傷攝影,致力於將攝影作為如實記錄事物的工具。
《風景的死滅》收錄了許多與1960年代末至70年代初「風景論爭」有關的松田重要論述。而中平也是這場論爭的中心人物之一,透過攝影與言說雙重實踐,發展出獨自的風景論。若讀者對當時論述不甚熟悉,聽到「風景論」一詞,或許會以為是探討「以風景為主題的攝影」或「應該記錄哪種風景?哪種風景最美?」這類直觀問題。但對中平而言,「風景」是如同「一層塑膠膜般的面紗」,遮蔽了應真正凝視之物的存在。
某個夜晚,或許是清晨,我匆忙爬上地鐵的階梯。就在轉角處,與兩位少女不期而遇。她們短暫地愣住,確實是兩位少女。高個子的是姊姊,矮個子的是妹妹——這也無誤。但當我開始凝視她們,她們迅速失去「姊姊」、 「妹妹」、「少女」的特質。我急促地、盡可能大聲地喊著:「少女們、 姊妹們、建築物、工業區,這是少女啊!」若不這麼做,這些事物就會被 從我頭顱頂部下垂的那層塑膠面紗所吞噬——這層面紗才是將我眼前一切事 物還原為所謂〈風景〉的元兇,這點已不言自明。
當某物乍現於眼前,人往往將自身內在或意識形態投射其上、賦予意義,並用「風景」這層面紗將之覆蓋,從而無法看清真實的現實。為對抗此現象,中平選擇捨棄嚴格的取景與構圖,有時甚至不透過觀景窗,任憑直覺與偶然拍攝,即所謂的「模糊晃動攝影」實踐。他的目標不是捕捉風景,而是在風景將其覆蓋前搶先按下快門,揭露其背後真正存在之物。
進一步來說,中平的風景論也受到了松田政男提出的「作為權力批判的風景論」的影響。松田曾針對1968年連續槍擊事件犯人永山則夫的動機提出見解,認為永山是被國家權力強加的均質化風景所逼迫,才開槍試圖撕裂那景觀。中平亦呼應此說,指出:「若要撕裂被權力均質塗抹的『風景』,只需一聲槍響,一道閃爍的刀光便已足夠。」那份模糊晃動所帶來的粗暴感,正蘊含著如刀劍揮下的軌跡或子彈命中的衝擊。中平的攝影,是風景的屍體,是風景被殺害現場的記錄。 無止盡的貓捉老鼠遊戲
然而,「模糊晃動攝影」迅速樣式化與形式化,不僅無法再撕裂風景,反而變成模糊投射拍攝者內在的手段。具體實例便是中平對「發現日本(Discovery Japan)」(以下簡稱D・J)活動的猛烈批判。D・J 是國鐵(今JR)於1964年東京奧運與1970年大阪萬博後為避免旅遊熱潮冷卻而發起的觀光推廣活動。初期的幾張海報(如第2號、第3號),以模糊晃動手法拍攝結合了現代都市女性與鄉村風景的畫面,營造出「美麗日本」、「美好舊時代日本」、「故鄉」等難以具體指認的匿名式、抽象式圖像,激起觀者的旅遊情感。中平尖銳指出:「就如1970年萬博成功地轉移了我們對70年安保的關注,最終讓民族主義獲得歡呼,這個D・J活動亦具有將我們的視線自現實中的種種問題引開,並持續鼓吹民族主義的政治功能。」
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對D・J的批判進而演變為對自己過去風格的反思與否定,中平捨棄原先的模糊晃動攝影,徹底排除個人情緒或意義投射,嘗試捕捉事物本來面貌。例如他在1971年巴黎青年雙年展中展出的裝置作品《循環——日期、地點、行為》,每天拍攝並當天沖印、展示,照片填滿整面牆、地板與接待台,營造出多視角、多元空間,對抗「我與世界」這種從單一視角理解世界的西方式遠近法構圖。他於1973年將這些實踐概念化為「植物圖鑑」,主張應該捕捉的是物對人的注視,而非人對物的情感投射。此過程中,中平的照片也逐步由模糊晃動轉為清晰、由夜晚轉向白晝、由黑白轉為彩色。
若硬要借用風景論的詞彙來說,中平可謂窮其一生,不斷切裂眼前出現的風景。然而,當他撕開破爛的面紗、試圖捕捉真實時,那景象轉瞬間又凝固成新的風景,視野再次被不可見的面紗覆蓋。若欲以另一手段再度撕裂,又會有新的風景湧現並阻擋視線。如此周而復始,宛如無盡的貓捉老鼠遊戲……
其實這不僅是中平作家的個人問題,或權力過於強大的證明,更關乎「風景」概念本身的侷限。文學評論家加藤典洋指出,「風景」的混亂來自於兩種相反行為同時被「風景」一詞涵蓋:一是將某地經驗對象化所形成的「風景化」;另一是風景本身被視為觀看對象而廣泛定著的「風景」。依此劃分,中平的攝影終究仍是「風景化」的範例——只是另一種尋找新風景的嘗試。即使是清晰的彩色照、多視角的裝置作品,一旦發表,就會被定型、樣式化、對象化,進入應被觀看的「風景」之列。只要繼續使用「風景」這一概念,我們就永遠無法真正逃脫風景。若真有自由的一刻,那也僅是舊有風景被新的風景取代前,那段短暫的過渡時期而已。
風景的殘骸——回顧展《中平卓馬 火―氾濫》
自2024年2月6日至4月7日,在東京國立近代美術館舉辦了中平卓馬的回顧展《中平卓馬 火―氾濫》(策展人為攝影評論家暨攝影史學者增田玲)。對這場展覽,我懷有一絲擔憂——是否會將中平卓馬整個人生對象化,作為某種凝固成型的「風景」來呈現?從模糊晃動的攝影風格到「植物圖鑑」的創作,歷經急性酒精中毒導致的失憶,最終成為如純粹攝影機般,持續記錄現實的偉大攝影家——這樣的神話。或者,被視為投入與「風景」之間一場注定無法獲勝(同時也無法完全敗北)的戰鬥之中、悲劇又英雄的攝影家——這種浪漫化的想像。如果將中平對風景不斷切裂的苦行姿態加以通俗化,那他也可能被歸類為「一位不斷逃離陳腔濫調表現的攝影家」,成為另一種陳腔濫調。
然而,這些不安終究只是杞人憂天。毫無諷刺地說,在展場中,我一張也沒有看到能被稱為「如實記錄現實」的照片,也幾乎沒有見到任何企圖偽裝那類影像的展示設計。映入眼簾的,是龐大的風景殘骸——中平所切裂、撕成破布的風景面紗的碎片,有的作為「作品」,有的則作為「資料」或「記錄」呈現。
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之所以產生這樣的印象,是因為展場中陳列的,多半並非強調藝術品獨一性與原真性的底片或原始印刷品,而是刊登於雜誌或書籍封面、裝置藝術的記錄照片等——這些反而強調攝影為複製技術媒介之性質的物品。其中甚至包含了一些在二手書店或拍賣網站上仍可購得的資料(雖然可能價格偏高)。這些大量生產的媒體,有些甚至原本就不以長期保存為前提,有的會被隨意翻閱、塗鴉、裁剪。借用電影與電視研究者保羅・格雷因奇(Paul Grainge)的用語,這類媒介可稱為「短暫媒體(Ephemeral Media)」。
“Ephemeral”這個詞原意是短暫、稍縱即逝,在媒體研究中還帶有邊緣性、一次性與可拋棄性等含義。或者,為了更進一步強調這些短暫媒體雖薄弱但仍具有物質性的特質,也許應採用電影與媒體研究者阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)提出的「殘骸(Detritus)」概念——原意為「碎片」或「有機堆積物」*。
將中平的照片視為「風景的殘骸」,其意義之一在於,將這些影像作為過去實踐過程中所產生的副產物或廢棄物來對待,有助於避免過度神話化與理想化,同時分析當時人們所處的「權力=風景」的動態樣貌,以及對其各種抵抗實踐的方式。
中平經常選擇以偽裝成他所刊登媒體的方式呈現自己的攝影。舉例來說,在名為〈囚禁之旅〉的報導中,他在看似觀光地的照片角落加上說明文字,例如「就像DISCOVER JAPAN海報中那樣的摩登打扮」、「再次不斷拍攝證據照片,反覆獲得安心」等,對觀光客的視線加以諷刺。
表面上看來,這與中平自己曾批判攝影被用作語言插圖的言論似乎相互矛盾,但他並不執著於原則與主張的一貫性,而是優先因應「權力=風景」每次變形後的樣貌,展開如游擊戰般的實踐——偽裝成敵人、寄生於敵人體內,從內部動搖、破壞之。
特別是當他偽裝成雜誌等短暫媒體時,實際上是在拒絕讓自己的攝影成為具永恆價值的紀念碑,而是鼓勵觀者將這些影像作為暫時性文獻,使用一次即丟,最好在它們凝固成「風景」之前就丟棄。
引入「殘骸」概念的另一個意義,是透過強調攝影的物質性,使本應是個人且僅一次性的風景經驗、或原本抽象且無形的權力得以具體化,從而能夠被收集、組合、改造與破壞。即便只是殘骸,中平的照片也非歸於虛無,而是作為具有短暫物質性的「物」留存至今。若非如此,我們便無從得知中平過去所身處的「權力=風景」為何,也無從理解他進行了怎樣的抵抗。
透過觀看那些具實體的照片——重複翻閱、塗鴉以創造新風景、收集後並列於桌上仔細比較、依時間順序排列來追蹤權力變化的樣貌——我們便能嘗試想像那些殘骸出現之前的風景原貌,或構想出與既有風景不同的風景。透過這樣的「接觸」體驗,我們不只是以知識方式理解歷史,而是以身體實感,體會自過去至今那層層堆積的歷史厚度。這些「風景的殘骸」所堆砌而成的土壤,正是我們當下觀看世界的視角與新風景之所以能構築其上的基礎。
*在這裡,也讓人聯想到阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)為說明「殘骸(Detritus)」概念而舉的便利貼(Post-it)例子。便利貼是用來記下靈光一閃或備忘的東西,當完成其功能後就會被丟棄,具備短暫媒體的特性。然而,海斯蒂也關注於便利貼上遺留的無數思考碎片——這些片段如何被解釋、翻譯、拼接,最終形成一個完整的想法或概念。媒體研究中的「殘骸」亦同樣如此:它們是某種經驗或記憶所留下的知識碎片,透過蒐集、組合與銜接這些碎片,我們得以重建它們在變為殘骸之前的樣貌,以及使用這些媒體的經驗歷程。 出處:Hastie, op. cit. p.171.
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urbangarde · 4 years ago
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夏だ一番! #松永天馬殺人事件 まつりでした。東京は新型コロナ感染者が日に日に増えていく危機的状況、そんななか足をお運び頂き誠にありがとうございました。 松永天馬殺人事件は映画についての、或いはハラスメントについての映画です。映画は配信ではなく映画館にしかありません。ハラスメントも現場にこそ真実が隠されています。 何事もリモート、現場を目撃しづらい時代です。だけど本質は、少なくともこの映画の本質は、現場に宿っています。また暗いところで待ち合わせしましょう。 #松永天馬 #アーバンギャルド https://www.instagram.com/p/CShLB6mh_qN/?utm_medium=tumblr
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lovely-narichan · 6 years ago
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続いて同じく名古屋シネマスコーレで、絶賛上映中の 〈MOOSIC LAB2018〉で~すヽ(^。^)ノ 長編部門「松永天馬殺人事件」松永天馬監督 を観ま~すヽ(^。^)ノ 主演・音楽・監督の松永天馬監督の舞台挨拶が あります\(^o^)/ 本邦初、名古屋バージョンになります❣️ #冨手麻妙 #松永天馬 #松永天馬殺人事件 #MOOSICLAB #シネマスコーレ (シネマスコーレ) https://www.instagram.com/p/BvWU9mijgcb/?utm_source=ig_tumblr_share&igshid=1u2hrw9d2xl4p
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nihofun-blog · 6 years ago
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4/13 (土)シリーズ・江戸川乱歩短編集 1925年の明智小五郎「D坂の殺人事件」
00:40 NHK総合
江戸川乱歩の短編小説をクリエーターたちが映像化。演出・宇野丈良。長屋で起きた密室殺人。被害者の女と幼馴染の明智小五郎(満島ひかり)が犯人と疑われる。その真相は
詳細は: https://www.nihofun.com/Program/program_405323.html
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nanndemonai · 5 years ago
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沈恩敬、張震主演日本攝影大師上田義彦導演處女作《椿の庭》新劇照曝光!
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《椿の庭》|上田義彦|2020|日本
韓國影人近年來的氣勢銳不可檔,不管是在電影、戲劇亦或是流行音樂上的表現都不斷的在突破自我。同時間,他們也以發展成熟的娛樂產業在國際上發光發熱,並且締造歷史。
韓國影人除了今年《寄生上流》成為美國「奧斯卡金像獎」史上第一部拿下最佳影片的外語片之外,在鄰國日本中同樣打破了歷史紀錄。在今年有著「日本奧斯卡」美名的日本電影學院獎上,韓國女演員「沈恩敬」以主演的日本電影《新聞記者》拿下了「最優秀女主角」,擊敗資深影后吉永小百合與宮澤理惠(宮沢りえ)等人。而沈恩敬也因此成為史上第一位以外國演員身分拿下最優秀演技類獎項的演員。不過沈恩敬並不是第一位角逐日本電影學院獎的外國演員,在 2010 年時,同為韓國女演員的「裴斗娜」就曾以《空氣人形》獲得「優秀女主角獎」,可惜當年輸給了《維榮之妻:櫻桃與蒲公英》的松隆子(松たか子),沒能順利登上最優秀女主角。
▼ 《新聞記者》電影劇照
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如今,沈恩敬接棒學姊裴斗娜成為了日本影后,今年在日本電影學院獎獲獎時更激動的落淚感謝學院的肯定以及《新聞記者》幕前幕後的工作人員們。事實上,童星出道的沈恩敬並非巧合而輾轉到日本發展,他曾在日本的訪談中表示,他在國中時期深受岩井俊二以及是枝裕和等日本導演的作品影響,且從小就著迷於日本文化,以至於他一直相當憧憬能夠前往日本從事演藝工作。而到了 2017 年,因緣際會下和現在日本的經紀公司 humanitè(ユマニテ)接洽,才讓他終於實現了到日本發展的願望,並且相繼演出了日本版《每個好男孩都該得恩寵》的舞台劇和主演了兩部電影《清晨天空無限藍》和《新聞記者》,更立馬以第二部主演的日本電影《新聞記者》登上了日本影壇最高榮譽的影后,他的日本演藝之路可說是一片光明。
有趣的是,曾公開表示崇拜是枝裕和導演的沈恩敬和導演也有著相當多的機緣。不只前輩裴斗娜就是以是枝裕和執導的《空氣人形》成為了第一位獲得日本電影學院獎演技類獎項的外國演員。而沈恩敬今年以《新聞記者》獲得的最優秀女演員前一屆得獎者即是演出是枝裕和拿下坎城影展高榮譽金棕櫚獎《小偷家族》的「安藤櫻(安藤サクラ)」,且他同樣所屬 humanitè 經紀公司。此外,在《新聞記者》上映前就搶先欣賞過電影的是枝裕和更曾公開讚賞過這部電影。在多重的巧合之下,沈恩敬和是枝裕和導演的合作想必是指日可待的了。
而在達成與偶像是枝裕和導演合作的願望之前,沈恩敬也依然馬不停蹄的繼續他的演藝事業。近來他也睽違 6 年的重回了韓國小螢幕,和高洙及李聖旻主演了 tvN 的電視劇《金錢遊戲》。在日本電影方面,目前手上則有兩部作品尚未公開,分別是電視劇《架空OL日記》的同名劇場版電影,他演出了劇場版所新加入的角色,也是他和夏帆繼《清晨天空無限藍》後的二度合作。除此之外則還有另一部名為《椿の庭》的電影將在今年七月正式上映,也即是接下來要詳細為大家介紹的電影新片。
▼ 《清晨天空無限藍》電影劇照 
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《椿の庭》為日本知名廣告攝影大師「上田義彦」首次執導的電影長片,理所當然的也親自編寫了劇本且同時擔任攝影。上田義彦獨特的美學早已享譽國際,不管是動態的廣告攝影或是靜態的圖像寫真都深受日本國內外的推崇,而這次他則執起了導演筒將帶來他人生第一部的導演作品。
據悉《椿の庭》是導演上田義彦構想長達 10 數年才終於完成的作品。故事是如此述說的:曾經與夫君漫談並且養育著子女們成長的這個家,如今由女主人「絹子」和他的孫女「渚」一同住著。剛送走老伴的春之朝,平常照顧的金魚也離開了,她們用椿之花(山茶花)包覆著小小的身軀將牠歸於塵土。稱之為生命的事物終將化為腐朽。打理著家中與庭院的大小事,絹子也陷入了曾經在此的日日回憶之中,直到一通電話響起。
《椿の庭》以一對祖孫為主角,他們住在一個綻放著引以為傲的椿之花的大宅中,電影描寫著在一年之間不時上門拜訪的客人與她們之間的互動。並且同時刻劃著這對祖孫在四季中感受著庭院裡生長著的花草樹木,以及疼惜著身邊還陪伴著的家人們。
▼ 《椿の庭》電影劇照 
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早在廣告與靜態攝影中與無數大明星合作過的導演上田義彦這回當然也找來了星度十足的演員陣容助陣。其中女主角「絹子」即由日本的資深傳奇影后「富司純子」飾演。對台灣觀眾來說,富司純子曾經替動畫電影《夏日大作戰》中的老奶奶「陣內榮」的配音應是最為耳熟能詳的了。而他同時也是知名女演員「寺島忍(寺島しのぶ)」的母親,《椿の庭》將是曾由母女第一次合演的電影《待合室 -Notebook of Life-》睽違 14 年後讓富司純子再次擔綱女主角的電影。至於在電影當中的孫女「渚」則是由本編文章的女主角,也就是沈恩敬所演出。
除此之外,還有其他實力堅強的演員們也都參與了《椿の庭》的演出。包括曾經以日劇《華麗一族 豪門世家生死鬥》等作品聞名的「鈴木京香」飾演渚的叔母「陶子」;《夢想起飛:菜鳥空姐的處女航》男演員「田辺誠一」飾演拜訪祖孫家中的男子「戸倉」;曾演出經典日劇《一個屋簷下》的資深男演員「清水紘治」則飾演絹子逝去丈夫的舊友「幸三」。
▼ 《椿の庭》電影劇照 
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最後,我們台灣享譽國際影壇的「張震」也在《椿の庭》尬上了一角,在劇中飾演和戸倉一同拜訪祖孫的「黃先生」。觸角早就伸至日韓影壇的張震事實上並非和導演上田義彦首次合作。在 2010 年時,張震演出了一支日本三得利烏龍茶的廣告,在短短 30 秒中張震大啖雞腿又吮指的帥氣臉龐就是由上田義彦所捕捉,導演也一直是三得利烏龍茶該系列廣告的御用攝影師,其作品享譽國際,包括范冰冰和孫儷也都曾演出。而在最新公開的《椿の庭》消息也指出,張震表示這次在電影中因為日文的劇本和台詞而特別研讀了日文,也為了這部電影觀賞了多部由富司純子主演的電影作品。此外更特別讚賞沈恩敬,被她的演技所驚艷。
《椿の庭》目前處於後製階段,預計於 7 月在日本正式上映,由 BittersEnd(ビターズ・エンド)負責發行。值得一提的是,致力於獨立與藝術電影發行的 BittersEnd 也正是《寄生上流》、《清晨天空無限藍》以及 2017 年《牯嶺街少年殺人事件》日本重映的發行商。而從目前的檔期看來,期望《椿の庭》有機會能夠在坎城影展中首映。 
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munintheraven666 · 5 years ago
Text
The Past
你的過往
 琴聲脈脈催人老,驚起而不知綠肥紅瘦。
 Author: Munin
Paring: Kiko Loureiro/Dave Mustaine, Past-Cliff Burton/James Hetfield/Dave Mustaine
Rating: NC-17
Warning:這是一篇情色的童話。通篇都是黏答答的、潮濕的、溫熱或燙熱的、鹹的。
Dave Mustaine,缺愛的老男人,像一個隨時發情的騷貨,但很傲嬌。老馬少女實錘。我承認我這樣寫我有病我有病我有病。
還有,我這個人……寫這種文的時候聽的是韓語歌和爵士。所以(你曉得)……
 Text:
 這太奇怪了。
 畢竟Kiko Loureiro才認識了他Dave Mustaine不到一個月——也許這個時間對於建立一段戀愛關係來說已經足夠了,但是……不,他們這也不是戀愛關係啊……不,即使是認識了超過一個月也不對!……總之不應該這樣!
 無論他娶妻與否,這二十多年裏都不應該有第三個跟他扯上一腿的男人。
 Dave覺得自己並不是同性戀。
 然而從第一次見面起,每次那個小了他整整十一歲的吉他手仿佛是只要稍微靠近他一點,就會有一陣顫慄順著他的脊柱而下。
 他們第一次見面是在田納西,簡直就好像Dave去見的並不是即將加入自己樂隊的吉他手,而是真的約會的對象那樣。他甚至已經不太記得第一次親耳聽到Kiko在自己面前彈琴時是怎樣的聲音了,而只能記得那一天兩人在城市裏四處閒逛聊天的內容,甚至於Kiko的神態和語氣……他的發絲飄動的方向。
 Kiko是個漂亮的男人,這點他再清楚不過。一個年輕漂亮的拉美裔,有著濃密的深色捲髮——在練琴時他總喜歡紮起來。同樣是深色的眼睛大概是最靈動的部分,無論以何種眼神盯著他,總是靜謐的、溫柔的。還有飽滿的唇形和圓潤的下巴,使Dave總想傾盡一切力氣逗笑他,就能看到那雙優美的嘴唇產生柔和的弧度。
 另外,他很高。
 總感覺要比自己高一點點吧……也許是因為Dave經常會有從下方微微仰視他的想法。
 明明是一個晚輩,但無論是但凡在他拿起琴之後還是兩人獨處時,Dave都偶爾會忘記了這個事實。
 倒不像他叫David作Junior叫了二十幾年那樣。
 Kiko根本就不像他的晚輩。或者說……老天,怎麼會有一個比他少練十一年吉他卻能讓他感到難以超越並且為人還成熟和幽默並重的孩子?
 對了,所以他們之間更不應該出現眼下這樣曖昧的關係。還是只是他聰明絕頂的Dave Mustaine想多了?
 他不知道為什麼,Kiko看著他的時候的眼神……好像從來都和看著別的樂隊成員或是粉絲的眼神不一樣。
 多了些什麼。是仰慕嗎?
 第一次他為想到這個詞被用在自己身上而有些不自在。明明他從來都是一個能夠心安理得接受一切誇獎的人。
 ……他那句話到底是什麼意思呢?
 「我不在乎,我在哪兒待都好,不過你讓我感覺Megadeth確實是目前我最喜歡的歸宿,因為有你在。」
 雖然不應當,但要是真的發生了也沒事吧?……就算不發生,我想想更沒事。
 外面下雨,已經很晚了,他沒有開暖氣,室內也沒暖到哪去。Dave慢慢從工作臺挪到沙發上,扯了塊毯子披在身上,兩只手搓著咖啡杯聊勝於無的一點熱量取暖。咖啡的熱量總是很快揮發,那麼……
 Kiko什麼時候才會想起來他連樂譜影本都放在這裏忘記帶走了呢?
 Dave本來的打算是在這兒繼續寫歌詞等那個有時候健忘得不可思議還喜歡把“but I forgot”掛嘴邊的傢伙,但不到五分鐘他就走神了。
 當然會走神,他等的可是Kiko Loureiro,在深夜、在雨很大的冷天、在即將迎來目的不明的獨處的情況下。
 然而他不知道這走神的幾分鐘就足夠使他昏昏然入睡了。
 “……Dave? ”
 Kiko見門是開著的、燈是亮著的還覺得奇怪,接著進來發現有人,被嚇了一跳,可不知道他折回工作室的時候會看到一個蜷縮成一團、毯子裹得亂七八糟的睡著的Dave Mustaine,站在門口愣了好久,直到一陣冷風滲進來吹得Dave更蜷縮緊了些他才後知後覺地想起關門。
 為什麼要睡在這裏?
 直到他下一秒就看到了壓在咖啡杯下麵的那份樂譜影本,而只有Dave和技術總監有工作室的鑰匙。
 ……原來是這樣。
 看到那睡著的時候手臂也會抱在一起的、能讓Dave看起來很不好惹的姿勢,Kiko就知道他一開始是裝睡的了。然後一不小心真的睡著了。
 這裏濕冷得難受,他會不會膝蓋疼?
 Kiko歎了一口氣,不知道說什麼好。
 第一反應就是伸手去扯Dave裹著的毯子好把它鋪平一點,但Dave不僅沒醒,還把毯子卷得死緊,怎麼扯都沒用。
 我在幹什麼?應該��醒他讓他回家睡,這比什麼都好。
 “Dave?”
 他擔心動作太大了會嚇到Dave,這傢伙的起床氣一點都不好對付。
 Kiko蹲下一些,換了個靠得更近的姿勢。
 “Dave,嘿……你得回去睡,這兒太冷了,你會生病的。我可以送你回去,這樣你就能在我車上繼續睡會兒……”
 除了一個十分不耐煩的皺眉,他還是沒有收到任何有效反應。
 老天,你到底是睡得多沉。
 他的目光自然而然地從Dave擰巴的眉毛上轉移到了微微開闔的飽滿嘴唇上。不,這事實上並不自然而然。
 更不自然而然的是,他伸出手指把Dave嘴角邊上差點就要流出來的一點口水不動聲色地擦掉了。
 我想吻他。
 從一開始就想了。
 瞧瞧他會不會因為這個就捨得開除掉我?
 真的感覺到那兩瓣嘴唇的時候,Kiko覺得自己壞透了。
 然後他明顯地感覺到被他壓著親的人抖了一下,絕對是被弄醒了。
 細小的抗拒一樣的呻吟。已經有一雙手撐在了他肩上,但僅僅是撐著就像猶豫著要不要抵抗,他沒有被推開、然後被揍。
 他把這當成了默許,捧住Dave的臉又摁住後腦,把對方最後一點假裝無事發生的僥倖也抹殺。
 真軟。
 他把Dave豐腴的下唇啜得殷紅,舌尖叩開對方因驚訝而略微開啟的齒列。剛觸及畏縮的舌葉時,Dave還沒來得及回應,上顎被舔舐就讓他顫慄著捏住了Kiko的肩膀。等到Dave能夠回應時,唇角溢出的自己的唾液已經顯得他動情得一塌糊塗。
 色情的吻。毋庸置疑。不再有任何其他理解方式的餘地。
 “你——”
 “你才醒啊,”距離他的臉極近的Kiko柔柔地笑了一下,“已經很晚,該走了。別在這裏睡,太濕冷了。”
 曖昧的沉默蔓延在空氣中。
 還是Dave渾身僵硬地往後稍退了一點,卻沒曾想到Kiko也隨著他的動作逼近過來。他實在受不了距離Kiko性感的嘴唇這麼近卻不好意思親上去,被迫示弱一樣偏了偏頭。
 “為什麼等我?”
 “……”
 “是的,我們都知道,你完全可以一個電話叫我過來而自己早早走人,或者叫上技術總監。辦法多的是,你非要——”
 裝傻?
 他住嘴了。
 這可不是他Kiko Loureiro令人熟悉的人設會說的話,也不是應當對大他十一歲的樂隊主唱用的詞。
 “那麼你在想什麼呢?”
 他未束起的頭髮被胡亂一扯,Dave被他吻濕的嘴唇又一次貼了過來,他亦毫不吝嗇地回應,甚至箍緊了Dave的腰身。這使Dave發出了比剛才那個吻更多的粘膩鼻音和呻吟。
 不是他主動的,是Dave主動的,就像這個老男人從來都不會示弱那樣,但最意亂情迷的明明也不是他。
 Dave驚訝於在這之前他竟從未意識到Kiko頸間散發的香水後調像是清冽的雪松。他迷惑地走神了,看到對方略微捲曲的黑髮和自己染成金橙色澤的、但事實上早已白透的長髮若即若離交纏,又一次悲哀地想到了:我比他大十一歲。
 “你知道的。”
 “嗯?”
 羽毛樣的吻落在他布有細紋的蒼白頸項上,過於輕柔,他慌張地一躲。
 “我不知道哦,”性感的拉美裔男人笑著說,琴弦磨出的粗糙指繭像是想要撫平那些皺褶,“而且你覺得我會在乎嗎?”
 那指尖粗硬的觸感讓Dave產生了過於縹緲的聯想,大腿像有自我意識那樣不受控制地夾了一下。Kiko分毫不差地感覺到了。
 他即便是再難鎮定地直視Kiko,也知道那雙巧克力色的雙眼顏色暗沉了。
 “讓我送你回去。”第一個音差點粗啞到無法振動聲帶。
 Dave張口,又抿唇,沒有回答。
 “還是你想就在這裏被我操?”
 上臂被用力地緊張地扯住了。
 “你敢!”
 怎麼可能,難道每天來工作室錄音都會想到入夜以後Kiko會跟他在這裏做愛?媽的,他才不要。
 從工作室離開的路上Dave腳步很快,一直走在他前面,甚至看上去……
 “你好像河豚啊。”
 Dave下意識地摸了一下自己的臉,摸到了有些鬆弛的蘋果肌。那種從未消失的沮喪和極為少見極為隱晦的自卑再次變得明顯得難以忽視。
 他想起了每天在鏡中看到的,那日趨柔和乃至幾乎要消失的下頜線條。曾經他的下頜線條是多麼鋒利啊。
 但是之後有很長很長一段時間,他受不了沒有海洛因的日子而吃了很多很多糖。雖然David也是這樣,但是……
 那傢伙的臉比他的好看啊。眼睛更大、鼻子更挺、下巴也更明顯。
 所以我原來已經……腫到這個地步了嗎……
 河豚?……
 他自以為面不改色地還是走得很快,完全沒有發現Kiko已經跟了上來,並一臉奇怪地看著他。
 Kiko覺得自己可能是說錯話了,但這之前David明明連更過分的玩笑都��過,為什麼到他這裏,隨便一句這個老男人就看起來這麼沮喪了呢?
 他其實很在意我說的話嗎?
 “Dave?”Kiko輕聲說。
 Dave剛轉頭看了他一眼,就被捧住了臉。Kiko粉色的嘴唇立刻壓了上來。他慌亂地哼哼,短暫而深入的吻隨之而來,他渾身過電似的顫了一陣,被放開的時候差點走不了路。
 強自鎮定了好一會兒。小事,小事,Kiko只是想和我上床,他不可能有別的意思。嗯,我看上去冷靜多了。
 我的天,Kiko想和我上床。
 Kiko在身後關上後座的門,兩人濕冷的身體隔著厚重衣物貼在一起。
 Dave只覺得那股雪松的冷香在雨水沁染之後愈發厚重,與他正逐漸加速的心跳同步變化著。他還是默念著那句話。我的天,Kiko想和我上床。直到現在他也想不明白為什麼今天晚上之前看上去還連他的親密朋友都算不上的Kiko今天突然就……
 突然就在他睡著的時候吻醒了他,然後把他弄進了車裏要操他。
 心跳越來越快。
 明明又不是從來沒有和男人上過床。他甚至還記得James高潮時的表情,記得Cliff在操他的時候永遠溫柔而疏離。
 可後來這兩個人離開了他的生活。
 Cliff死後,世上再沒有第三個人知道他們曾經的關係,哪怕是David,也只是知道他不喜歡碰果兒。
 他也再也沒有和第三個男人上過床。
 應該讓Kiko知道嗎?他偏過頭想。
 柔軟的針織物環住了他的脖頸,那股雪松的清冷氣味濃烈到了極點,他幾欲七葷八素。Kiko從正面壓住了他,在他的臉頰和嘴唇上來回輕啄,舌尖撬著微啟的牙關侵略他的口腔。
 他的氣味包裹了我。
 “暖氣還沒開夠,用我的圍巾,”Kiko極為輕柔地用氣音說道,有一瞬的目光竟像極了Cliff,“不然你會冷。”
 與之相反的是那雙比他的還要略加靈巧上幾分的手解開了他的羽絨服,Dave打了個寒噤。
 他看到Kiko穿的是高領毛衣和一件大衣,套在這傢伙的身上該死的好看。他記得自己十年前甚至可以穿得更少,但他現在已經受不了在這種鬼天氣穿得這麼少了,即使是穿最厚的羽絨服,他的手腳也經常是冰涼的。
 Kiko的手很暖,甚至比他的體溫要高上些許,卷起他加絨的裏衣後直接觸碰到了蒼白的皮膚,明顯的色差帶來的情色看得Dave臉上發紅。
 皮膚之間毫無間隔的直接接觸的每一秒,他的心臟都在狂跳。
 溫暖的手突然捏了一下他腰上的薄薄一層贅肉,Dave驚喘著抖了一下,極力忍著沒有像個羞赧的處女那樣按住那只手。
 他想叫Kiko不要碰那裏,他一點都不喜歡那些中年人特有的難以代謝而形成的軟軟的肉。
 ……我應該一直是瘦瘦的才對,什麼時候身上已經長了這麼多肉了?
 於是他只能假裝不在意地一直強忍著。
 但Kiko好像對他那圈肉很中意,手指捏起一點脂膏又放下,把原來涼涼的肉搓得都暖了。
 直到Dave一膝蓋頂在他肋骨下方,他才不解地目光往上瞧著Dave.
 Dave瞪了他一眼,他臉上的淺笑卻波瀾不驚,���色的虹膜像融化了的巧克力。饞人。膩人。
 Dave不知道的卻是他現在看起來又慌張又狼狽,金橙色澤的捲髮糟亂,好些壓在他後腦勺下,好些跑到前面遮在他臉上。至於他的臉,蒼白的臉頰上已經慢慢被酡紅佔據。Kiko很疑惑為什麼他還以為自己瞪人的樣子會很有威懾力。
 Kiko又看了他一會兒,手掌停留在他柔軟的小腹上一直沒動。
 “不許說我像河豚!”
 “……Dave,我還沒說呢。”
 圍巾被Kiko又在他脖子上多繞了一圈,在他領會到這個舉動的意義之前,裏衣被完全卷了起來,暴露出一整片蒼白的裸體。
 不知何時空氣已經不再那麼寒冷,而是裹挾著Kiko身上的氣味觸碰著他赤裸的皮膚。不是寒冷,他卻顫抖不已。
 “還是冷嗎?”
 Kiko乾燥的、燙熱的手掌滑過他胸前稀疏的幾叢毛髮,他涼涼的皮膚在沒有阻隔的直接接觸下輕顫,浮起一層細小的疙瘩。
 不習慣……
 好不習慣這樣的對待,好不習慣這樣的Kiko.
 他艱難地搖了一下頭,覺得自己看起來肯定非常扭捏,卻毫無辦法。事實上他現在是真的不冷。相反,他臉上燙得要燒起來了。
 他聽到Kiko突然輕笑了一聲。
 “Dave,沒想到你摸起來這麼軟。”
 他臉上燒紅,無法再反駁。
 Kiko的指尖在他胸前的一小撮毛髮裏遊走,最終找到了在角落裏縮成一團的軟綿綿的淡色乳頭。
 Dave強自鎮定,即使是在那兩顆柔軟的小東西被漸漸捏到挺立也控制住自己不要發出叫聲。
 然而過了一會兒,硬得像小石子的乳頭就被包裹進了濕熱的口腔裏,他瞠大了眼。
 “Kiko!”
 正在舔舐他乳頭的男人不為所動,抬眼看著他染上媚態的臉和微啟的濕紅口舌,舌尖將挺立的乳頭壓進乳暈裏,手指在另一邊彈了一下。
 “啊!……”他卸下了防備,只羞辱地以小臂遮住雙眼,仿佛這樣就不用面對不管過了多久,他還是擁有一副婊子的身體這個事實。
 「Dave,只是被隨便玩一下,你就硬了。」突然想起很久很久以前Cliff說的話。大概Kiko現在也是這麼想的吧?
 Cliff寬大的手掌沿著他的每一根肋骨滑過,描摹出他腰側的曲線。
 被碰到的皮膚都會脆弱地輕顫,進而發熱,進而變得黏答答的。
 Cliff最喜歡這樣摸他,直到他微紅了眼眶並惱怒地求著要被操。
 這簡直好像……與過去重疊了。
 “在想誰呢?”Kiko突然輕咬住他的耳廓,他沒忍住叫了一聲。
 居然被看出來了。Dave突然有點因此緊張,眼波流轉,不知要投注到哪兒,又看到了Kiko腿間將牛仔褲撐出了小包的性器。一瞬間腦中閃過過多淫穢的聯想,忘記了否認或是回答。
 “是David?”
 他看不到Kiko是什麼表情,只能感受到他的唇齒。
 “不是!”操,怎麼可能是那個看上去比他還要欠操的傢伙。
 “不是?”
 不知道什麼時候他的皮帶已經被解開,而Kiko的手直接伸進內褲裏握住了他已經在冒水的陰莖,重重搓了一下。
 Dave瞠大了眼哭叫出聲。他饑渴的身體已經很久、很久沒有被這樣觸碰了。
 Kiko甚至不需要費力去捉住他,他的身體就已經開始順從甚至迎合,紅熱的耳廓被含住並舔舐得濕潤,耳孔被有力的舌尖探入,黏膩的水聲刺激著他的鼓膜。
 與此同時他的陰莖也在被揉捏玩弄,鈴口被修得圓鈍的指甲輕撓就讓他發出了一連串呻吟。
 就在他快要高潮時那只手突然殘忍地停了下來。
 “說。”Kiko吻了一下他的耳孔,逼問道。親吻的聲音令他敏感地縮了縮脖子。
 明明是只能維持一個晚上的性關係,憑什麼要讓他知道我的秘密。
 於是Dave只瞪了他一眼。
 Kiko挑著眉頭,看起來也不惱,而是好像把握著很多籌碼似的。
 “我憑什麼要告訴你?”他嗤笑,是最Dave Mustaine的那個嘴角歪斜的欠操笑容。
 “過了今晚,你不會想念我的雞巴?”
 “什——”該死,他臉上一定紅得一塌糊塗了。
 “那好,這之後我們就當什麼都沒發生過好了。”
 然後兩瓣嘴唇貼上他的,綿密地吻他到他要喘不過氣來,幾乎就要出口的招供全都被堵了回去。
 不要!
 他不要這樣!
 Dave早就被玩得渾身發軟,還是用最後那點力氣撐住對方的肩膀試圖把Kiko推開。
 Kiko卻故意摁住他的後腦愈發深入地吻他,直到他急得喉嚨裏都冒出了帶著哭腔的咕嚕聲才被放開。
 “你都不知道要聽完別人說話的嗎!”
 “好,你說吧。”
 “是……啊!你、你先別動……”
 想的是你,是你行了吧!
 “是?”
 “……Cliff Burton. ”
 “喔。他啊。”
 Dave心跳如擂鼓,不知為何,他並不想要Kiko覺得他事實上是一個欠操的婊子。
 他不想要Kiko介意。
 那種該死的自卑感又一次湧了上來。
 不容他多想,Kiko的指尖繞過他的陰囊,掐了一下會陰,最終刺入了開合的肉穴。
 Dave猛地挺直了脊背,金髮散亂,從頸側流瀉而下鋪滿了座椅。
 “你的水太多,都流到後面來了。”
 透過射進車窗裏的昏黃的路燈燈光,他看到Kiko垂下的眉眼溫柔寧靜,幾乎像正在閱讀樂譜的模樣。
 然而這副波瀾不驚的模樣之下,是兩根正在他後穴裏恣意翻攪的手指。
 Kiko頓了一下,看到自己想要抽出手指時被他濕熱的腸道緊緊挽留,帶出少許粘稠液體,發出小聲驚歎。
 Dave羞得要燒起來了。
 “你?……”
 然後就被猝不及防地褪掉了長褲,接著是內褲,直到他的下身完全赤裸地暴露在Kiko的注視中。
 現在他不冷了,一點也不。
 他的腿被折了起來輕輕分開,細長的兩根手指再次探入體內。
 Dave發出綿長的鼻音,下意識地低著頭,從而鼻尖也埋進了脖子上繞著的柔軟針織物裏,鼻腔裏充斥了Kiko的氣味。
 這氣味像是能催情,令他渾身發軟。
 被情欲充斥的Dave現在就像是一只被撬開硬殼的蚌,只暴露出綿軟的肉來,太妃糖色澤的雙眼水汽氤氳,嫣紅在蒼白臉頰上愈是明顯,濕潤唇齒間的吐息灼熱無比。
 Kiko盯著這個四十多歲的男人極少流露的媚態看了許久,又吻了上去,手指仍不忘在緊致的腸道裏四處按壓,本就打亂了Dave的呼吸節奏,便把Dave吻得快要喘不過氣。
 “你的身體仍然很美,不需要擔心這個,嗯?”
 他重重抖了一下,不僅是因為Kiko的另一只手又回到了他的陰莖上,還因為那種他不想承認的這句話帶來的安全感。
 腿抖得太劇烈,Dave下意識地想並起來一些減輕快要淹沒他的羞恥感。
 顯然Kiko不會讓他這麼做。
 輕柔的吻落在他蒼白的腿根上,親得他無處可躲。一旦往後蠕動便會使Kiko塞在他腸道裏的手指進入更深,弓起身子又會將不斷冒水的陰莖頂進Kiko的手心裏,Dave感覺自己的皮膚仿佛都能記住了Kiko飽滿性感的唇形。
 他的腺體並不算深,甚至十分好找。Kiko第一次試圖在他體內曲起指節的時候它就被找到了,Dave渾身彈動了一下,接著變得癱軟。
 果然不管怎樣,都是天生了副婊子的身體。
 他難過地想著,尊嚴和欲望一同在體內翻湧。
 只是這樣揉著那個堪稱暴露的腺體,又被玩弄陰莖,他就猛烈地高潮了。於是他的眼淚總算有了滑落的理由。
 濁白色,濃得不可思議。
 Kiko看上去有點驚訝。
 “你……”Kiko不知所措地用手背蘸了一下他眼角的淚水,“這麼隨便弄弄就?……”
 他的臉頓時漲得通紅。
 該死,又不是因為這個!
 眼淚掉得更多了。
 為什麼啊。
 明明只是因為想起了一些過去的事情。
 比如,每個人都是看到他光鮮亮麗的外表,哪有誰真的在乎他怎麼樣。
 層層金髮幾乎完全遮擋了他的眼睛,但也無法遮擋滑落的淚水。
 他連哭都是咬牙切齒的模樣。
 “抱歉,”Kiko想到是自己提起了他的傷心事,“不過現在你有我在了。”
 一雙手臂若有若無地環了過來,然後逐漸清晰,收緊,收緊。直到Dave主動埋進他懷裏。
 Kiko.
 他小聲說。
 靈活的兩根手指在他體內翻攪,每次微微分開擴張他的腸道時,他都會蜷縮一下,再帶著點呻吟地喘一下,蒼白的臀部不由自主地貼著Kiko的身體扭動。
 空氣變熱,他的大腿上浮起一層薄薄汗珠,Kiko的手掌撫摸而過時他便會忍不住輕蹬一下想要擺脫掉那種令他更敏感的色情觸感。
 “讓我操你,Dave.”
 他發出嗚咽,脖頸下意識地試圖躲避Kiko���上來的嘴唇,但還是被重重一吻,留下樹莓樣的痕跡。
 Dave緊閉著眼沒再看他,卻從他背上撤下一只手去分開臀肉,愈發暴露出被擴張得濕紅的入口。
 “嗯?”Kiko哼道。
 Dave沒辦法地睜開眼朝他瞪過去,臉上還是燒紅得一塌糊塗。
 “……操我。”
 “要操你的是誰?”
 他艱難地咽了一口唾沫,就感覺到Kiko將性器前端頂在了他的肛口上甚至微微刺入。他眼角殘留的淚水滑了下來,像被欺負得不行的模樣。
 “是你……Kiko,操我……唔!”
 他已預料到會被按住臀部直直插到底,及時以小臂捂住了唇齒。水潤的棕色眼睛有瞬間的歡愉和失焦。
 接下來他的反應會是怎樣的,沒有誰比他自己更清楚。
 會在被緩慢地操的時候先像貓一樣地叫著,因為每一次反復插入,他那極易被刺激到的腺體都會被狠狠擦過,帶來傳過脊柱的顫慄。
 Kiko一開始操他的動作很慢、很深,每一次抽出都會翻攪他的內壁,仿佛要把每一寸敏感的紅肉都拉扯而出,他便長長地呻吟,眉頭會皺起,眉心攢聚起紋路,金色睫毛會脆弱地抖動。
 那傢伙應該是很喜歡他這樣叫,因為每一次抽出的動作都慢得他內壁無比瘙癢,腺體也能清晰地感覺到Kiko的性器上跳動的青筋的紋路。
 然後他濕紅著眼睛捏住了Kiko的肩膀,指節內勾,用力到發白。
 Kiko被他捏痛了一會兒,還是很欠打地笑了。
 “快點!”
 下一秒體內的陰莖迅速被抽出,他尖叫了一聲,就被翻了過去,壓在座椅上。
 看不到Kiko在身後的動作,他有瞬間的恐慌而想要回頭。但他的臀肉就被大力扒開,鮮紅的肉穴再次接觸到粘稠的空氣,接著是再次直直插入的性器。
 “啊啊!……Kiko!”他被操得猝不及防,哭叫著對方的名字,只被更狠地擦過不堪重負的腺體,然後操得深得仿佛把他釘住,每被頂入一次,他都會抖一下。
 Dave知道自己正妓女一樣連續不斷地尖叫著,甚至很快就嘶啞了嗓子,這使他的尖叫聽起來像軟糯的嗚咽。
 被操得好快,好深。
 他失神地想。
 已經很久沒有過這麼舒服地被操了。Kiko年輕而健壯的身體和猛烈攻勢甚至很快就讓他感覺經受不住。
 他有氣無力地嗚咽著,然後漸漸啜泣起來,因為不知何時眼裏又攢聚了淚水,順著通紅發燙的臉頰滑落下去和他溢出唇角的唾液混在一起。看上去——
 “你真淫蕩。”
 Dave瞠大了眼,發出一聲顫抖的尖叫,射了出來。
 但仍然在他的肉穴裏狂捅的性器並沒有停下,而是精准無比地攻擊他最脆弱的腺體,插入到最深處,他爽得渾身癱軟,蜷起了腳趾,無力的手指在車窗上自己呼出的白氣上抓撓。像貓。
 Kiko的汗水滴露在他頸窩裏,然後是灌進他體內的精液,滾燙粘稠,讓他又多射出了幾股,再嗚嗚咽咽地順著車門滑下來了一點。儘管他已經努力撐住自己了。
 逐漸軟下的性器從他身體裏抽出來,他又啜泣了一聲,被翻了回去,對上Kiko情欲未消的眼睛。
 “剛才外面有人路過,往這邊看了一眼。”
 Dave鬆懈的身體瞬間又繃緊了,卻還假裝鎮定的樣子。
 Kiko用手帕把他射的亂七八糟的精液擦掉,把外套蓋在Dave身上。
 盯著那塊已經變得髒髒的手帕瞧了一會兒,瞧到Dave耳尖都紅了,他將那玩意兒放到鼻子旁邊嗅了嗅,皺起眉頭。
 “你他媽在幹什麼!”
 果然。
 耳朵和臉全都紅成一片了還這麼凶。
 “你憋了那麼久,是一直在等今晚嗎?”
 他剛要氣急敗壞地反駁,Kiko就打開後座車門下了車,又打開駕駛座車門鑽了進來。這期間車門開開關關帶進不少冷氣,只披著Kiko身上那件大衣的Dave不由得縮了縮脖子,下巴和半張臉又埋進了Kiko的圍巾裏。
 全是他的味道。
 不知道什麼時候,他就睡著了。
 “Dave,到你家了哦。”
 過了幾秒後才聽到衣物窸窸窣窣的聲音,Kiko回頭,看到Dave極不情願地蠕動了兩下,糟亂的金髮擋著臉,猶豫著還沒有動靜。
 “Dave?”
 這回連蠕動都省了。
 “那我抱你上去。”
 Dave眼皮沉重得很,迷糊間覺得自己已經進入了快速眼動狀態,被車裏的暖氣蒸得正舒服,反應過來這句話說的是什麼才一個激靈,正好迎面灌來冷風吹得他更加睜不開眼睛,然後就兩腳一懸被突然打橫抱起。
 他差點發出尖叫。
 “好了好了,彆扭來扭去的,你以為你很輕嗎?”
 “那就放老子下來啊!”
 “睡你的。”
 天哪,他又開始自卑了。儘管他很不想這樣,但他控制不住自己去想。他不僅沮喪於被嫌棄太重,還愧疚地想起了今天又忍不住地吃了好多奶糖。
 到他家門口的時候他蠕動著想要去摸鑰匙,但是此時完成這個動作實在是有些困難。
 “在我外套內袋裏有。”
 “哦。”
 Dave拿了鑰匙開門,Kiko徑直把他抱進了臥室扔在床上,就在Dave心跳驟然加速以為他的下一個動作就是整副軀體壓上來的時候,Kiko卻是退開了。
 “……”他稍微張了張口。
 然後Kiko折回來捏住他的臉狠狠親他。
 Dave差點就繳械投降任人魚肉,但在意識到這個之後他就不甘示弱地想要攻擊回去。
 還沒等到他咬住,Kiko就撤走了舌葉,捏著他臉的手也收了回去。
 Dave簡直想掐死他。
 “晚安。”
 鼻尖上落下輕輕一吻。
 Kiko關了燈,走了很久以後他才開始在室內的一片黑暗中後知後覺。
 ……媽的,Kiko居然和他上床了。
 自那天之後,他幾乎是每天都心驚膽戰地數著手指算回工作室的日期。每次到排練的時候他都提前約好David並從早到晚和David泡上一整天,直到David快要練到吐,問他Dave Mustaine你最近腦子是出了什麼毛病,他又約上Dirk,總之就是躲著和Kiko單獨相處的一切場合。
 直到Dave快要成功欺騙自己Kiko也把那個見鬼的夜晚忘得一乾二淨的時候,一通電話把他嚇得話都要說不出。
 是的,話都要說不出。但這他媽絕對只有他Dave Mustaine一個人知道。
 “Dave? ”
 “……”他能說什麼?媽的這傢伙的聲音真該死的好聽。
 “你都不會想我的是嗎?”
 他發現自己的心跳正瘋狂加速,便想掛電話了。
 “但是我——”
 “不,一點也不。你也是。”
 “可是今晚就要來排練了啊,上個月你自己計畫好的,還說誰敢缺席你就要親手剝了他的皮並把他煮了。”
 Dave焦灼地歎了一口氣,眼神慌亂躲閃。熱氣快要把他的臉都蒸熟了。
 “Dave,今晚我會好好操你。”
 Kiko於是聽到那邊傳來了帶著輕微電流聲的一聲嗚咽,然後是連續不斷的忙音。
 Dave驚喘尚未平復,絕望地發現自己已經硬了,並且渾身發軟,腦子裏不受控制地不斷閃回Kiko吻他、操他的模樣,並幾乎就要完全還原出那雙形狀優美的飽滿嘴唇在他皮膚上游移的觸感。
 他下意識地去洗澡,比過往的好長一段躲著Kiko的時間裏都要仔細地把自己裏裏外外洗得更乾淨。
 一邊洗著,還一邊羞恥得渾身發抖,不知是緊張還是期待。
 擦幹身上的水珠,他盯著鏡中一絲不掛的自己。
 腿間軟垂的陰莖因為他腦子裏盤旋的被Kiko壓在鏡子上操的想法而微微勃起。
 但他的身體是真的已不復年輕時的緊致彈性,皮膚病態的蒼白,像紙,又已經鬆弛下垂,多餘的脂肪也早已遮蓋了他的腰線。
 加上又不是什麼剛被開苞過的搶手貨,而是早就被人操熟過了。
 聲音又啞,叫起來沒見得多好聽。
 但Kiko卻是個什麼都不缺的年輕性感的傢伙。
 到底是看上我哪點了啊。
 他很快……就會對我失去興趣了的……
 莫名其妙的淚水頂了一下他的淚腺,被他咬著嘴唇忍回去。
 被水泡得微腫的蔥白腳趾在地板上糾結地輕輕蜷了一下。
 一切準備妥當出門之前,他都不敢想像自己居然把放在抽屜最深處的假陰莖拿出來塞進了屁股裏。
 ……我到底在幹什麼。
 晚上排練的每一個樂段他都早就無比爛熟於心,無論進行到何處,他的手指肌肉都能迅速做出正確的反應,以至於Dave又開始不受控制地想一些髒髒的東西。
 尤其是當他看到Kiko靈活細長的手指是如何在指板上翻飛彈動,並以那“Kiko式”的彈奏特點撥弦,就回憶起了那幾根手指上次是如何在他的腸道裏翻攪的。
 倏地Kiko毫無徵兆地對上了他的雙眼,Dave一瞬間的所有慌亂躲閃全都被看得一清二楚。他知道Kiko���有移開粘稠的視線,那視線中露骨的暗示幾乎能化做實體,在他被真正地觸碰到之前就仿佛被剝光操遍了。
 想到這裏,他的腸道一陣緊縮,假陰莖上密佈的凸起壓進濕潤敏感的嫩肉裏。他渾身發抖,彈錯了一個音。然而似乎除了他以外沒人發現。包括除他們幾個之外的調音師。
 操,不,Kiko發現了。
 他看到那個仍然像一臺不知疲倦的演奏機器一樣用手指操著吉他的傢伙的嘴角勾了一下。
 這個混蛋!
 David和Dirk都離開得很早,David甚至幾乎是一邊忙碌地接聽電話一邊奪門而出的。儘管知道這只是巧合,但Dave還是忍不住去假想是那兩人知道了些什麼。
 Kiko不知道為什麼離開了好一會兒,等他回過神來的時候發現已經只剩下他自己一個還在電腦前對著螢幕上的一堆波形發呆。
 突然一雙手環住了他的腰,他以為是David又要撓他。畢竟認識二十多年來他們之間沒少做這種事。
 “David?”
 他翻了個白眼,無奈地去推開腰間環著自己的那雙手,卻在這一刻僵住了。
 這個觸感絕不可能是David的手。
 “再給你一次機會。”
 帶著濕熱水汽氤氳而出的聲線鑽進耳孔裏,然後是隨之而來的柔軟舌尖。
 他渾身發軟,動彈不得。
 “David,嗯?”
 不依不饒的追問,他聽得陰莖迅速發硬,在最完美地勾勒出他臀部和大腿曲線的緊身牛仔褲上撐起了一個小帳篷。
 Kiko的右手即刻覆蓋上了那個小帳篷,大力揉了幾下,Dave便失控發出顫抖的呻吟。
 “你以為是他?”
 接著那只手解開了他的腰帶,讓他完全勃起並洇濕了內褲的陰莖從一直壓迫的布料中彈了出來。
 “Kiko……”
 “現在知道了?”牛仔褲被完全褪下,幾根手指隔著內褲捏住他的陰莖前端,在鈴口處輕輕打轉,“為什麼會以為是他?”
 Dave開始小聲啜泣。
 玩弄他陰莖的手指撤走,伸進他已經饑渴開合著的穴口。Dave甚至沒來得及在這之前避開Kiko偷偷把那個埋在深處的假陰莖取出來。
 Kiko也是驚訝得不行。他是真的沒想到。
 “你居然這麼……”
 居然這麼騷?
 “我才沒有!”Dave蠕動著想要躲開那幾根手指,急得眼眶都紅了。
 怎麼可能讓你躲。
 假陰莖被迅速抽出,表面上密佈的凸起用力擦過每一寸腸壁,Dave哭叫著扯住了Kiko的衣袖,就在他以為接下來操他的會是他難以立刻適應的滾燙性器時,假陰莖再次捅了進去,才被徹底抽出。
 要不是Kiko的手像個陰莖籠那樣緊緊鎖住了他的陰莖,他就要高潮了。
 他腿軟得很,已經完全站不穩,而這正好能讓Kiko用自己的腿把他的雙腿再從後方愈發分開,上身貼著他的後背將他壓在辦公桌上。這個姿勢令他根本再無逃脫或躲避的可能。
 從容地,Kiko把性器操進了他的甬道裏。粗大的陰莖輕易破開緊縮的嫩肉,擦過Dave藏得極淺的腺體,插入到深得不可思議的區域。
 Dave爽得瞳孔放大,蒼白的臉上一片潮紅,發出滿足的呻吟,像發情的母貓。
 “好深……啊……Kiko……太深了……”
 回應他的是沒給他任何緩衝的一連串又深又快的密集操弄。Dave被操得時高時低地尖叫,濡濕雙眼微微上翻的模樣淫糜,聲線從平時的沙啞變得潮濕軟糯。
 他並未察覺自己在和Kiko做愛時的反應變得更不加掩飾了。
 “Dave,你真該看看你現在的這個樣子。”
 他突然反應過來自己也許表現得過於放蕩,臉上頓時紅得能滴血,表情羞赧而尷尬。
 他太放肆了,這樣只會被嫌棄得更快的!
 “美豔的婊子。”
 滾燙的耳廓又被吻了一下,被含住,幾乎攪亂得Dave一時間無法去思考Kiko究竟是不是在誇他……
 在意識到自己淫蕩的表現後Dave無論如何都不敢再那樣叫了,咬著下唇渾身抖個不停的模樣看著更加可憐。
 “叫大聲點,反正這會兒只有我能聽到。”
 Dave猶豫地搖頭拒絕了他。
 “不好。”
 然後被捉著臀部操得一番嗚嗚咽咽的哀叫。腺體被密集摩擦的快感尖銳無比,他想求Kiko慢點,因為他總感覺自己要被操壞了,但他現在話都說不全,開口就是綿軟的、時高時低的哀叫。
 “還記不記得我上次說的,要在工作室裏操你?然後���每一次來這裏幹正事,都會想起我是如何把你操成一灘水的。”
 Dave啜泣著射了,不僅被操哭,還哭得臉上一塌糊塗。渾身都抖得厲害,像灘水一樣趴在辦公桌上,金髮散亂而略微汗濕,貼在他的後背和前額上。
 “這樣能滿足你嗎?嗯?”Kiko指尖搓著他殷紅挺立的乳頭,性器仍在他的腸道裏操進操出。
 Dave瀕死般癱著,動彈不得,只下意識地躲著乳頭上過於尖銳的刺激。
 “還是說你需要連David也一起叫上……”
 “不!”Dave眼中頓時流轉過恐慌,棕色的瞳孔裏全是委屈。
 不,他不想再經歷一次……不想再經歷一次同時牽掛著兩個人的痛苦了。何況這麼多年來David真的沒有和他有超乎密友以外的關係。David連他淫糜的過往都一無所知。
 Kiko摸了摸他沾著黏黏淚痕的臉,然後手就一直無比輕柔地放在那裏沒有離開。掐一把他微微鬆弛的面部皮膚,遊移到他蒼白的嘴唇上,往下摹著他的頸紋,接著是耳後和肉肉的耳垂。
 像愛撫一只貓。或者是比一只貓要珍貴的什麼。
 “你不是和他一直挺好的?”
 “我們又不是那種關係!”
 “嗯,也對哦。”
 愈發猛烈的攻勢,才稍得喘息的Dave又一次被迫捲入情欲的漩渦,一邊承受著過度的操弄一邊弓起背脊啜泣。
 ……可能還是因為他年紀大了,讓Kiko感覺他並不是一個那麼令人滿意的床伴吧。
 “或者是James?”
 Kiko將手臂在辦公桌上倏地撐住,就在Dave的身側。Dave嚇得一個激靈,腸道裏瞬間夾得死緊。
 Kiko抽了一口涼氣。
 “老騷貨。”他笑罵。
 Dave卻把這句調笑當真了,眼裏更多淚花。但他覺得對方肯定看不出,便哭得更肆無忌憚。
 劈裏啪啦的,金豆豆掉了一桌子。可他的長頭髮擋著,看起來也不甚明顯。
 “噯,問你話呢。”
 腺體上猛的一頓操,他忘乎所以綿軟地叫個不停,好不容易眼睛又對上焦了才記起那麼件傷心事。
 “才不可能是他……嗯嗯……唔……”
 Kiko猶豫了一秒。
 “他是不是也操過你?”
 Dave痛苦地默不作聲地以頭髮遮掩著一塌糊塗的臉孔。
 “嗯……”
 “像Cliff那樣?”
 這回沒有回答了,而是一聲響亮的啜泣,不似旖旎而是痛徹心扉。
 完了,別是欺負得太過了。
 Kiko撥開那雲絮一樣的金髮,伸手一摸,滑滑的臉皮上全是濡濕。他於是才看清Dave給他弄得有多慘,蒼白的臉上全是潮紅不說,眼睛都給哭腫了。一摸滿手的眼淚,幹透了又粘又苦的。
 他現在很怕,之前不知道Dave有如此脆弱的過往,稍一觸碰就碎了。
 “你——”他猶豫地開口。
 “我給你吸出來,這樣會快一點……”
 說完就掙扎著像要維護那最後一點尊嚴似地挪動著屁股企圖把Kiko的性器弄出去,還一臉羞恥致死地、嗚嗚咽咽地成功了。
 “啵”的一聲,操腫的穴口慢慢翕動了一陣才閉合起來。
 接著就掙扎著弓起著綿軟顫抖的軀體,想蹲下去觸碰對方的性器。
 Kiko歎了一口氣。
 “怎麼他媽能讓你這麼驕傲的人做這種事?”
 然後在毫無防備的情況下被抱起,他的腿下意識地纏住對方的腰。
 性器蠻橫地闖入了甬道,自下而上釘入體內,進入從未有過的深度令他尖叫著想要向上躲避,卻只能勉強掛在Kiko身上。
 濕熱腸道裏的一陣緊縮爽得Kiko想立刻把他操死。
 接著Dave就被壓在門背上操,指甲快要把Kiko的後背撓出血痕。
 Kiko終於將精液注入他的腸道裏時,他也跟著高潮了,渾身脫力地倒進對方懷裏,在餘韻中一陣陣發抖。
 “腰疼嗎?”
 Dave搖了搖頭。
 開玩笑,哪個老人家受得了這種操。
 “瞧你胡說八道的,等會兒送你回去。”
 Dave剛恢復點力氣,兇狠地反駁了“我沒有”就被扣著腦袋一頓親,被親得嗚嗚反抗。
 哪有整天親嘴的床伴啊,太奇怪啦。
 *
 Dave打開門。
 “我以為你要躲我到天荒地老。”
 Kiko甫一走進來,Dave就敏感地嗅到了他的味道。
 雪松的冷香,和雨水。
 還有皮革——那是Kiko正穿的夾克,和須後水的氣味。
 須後水……
 他才意識到Kiko又一次吻了自己。
 先是羽毛觸碰般的輕盈,像安撫。他看到Kiko沒有閉上眼,而是觀察著他被親是什麼樣子。
 他羞紅了臉,知道這是掩耳盜鈴,也緊緊閉起了眼睛,眼瞼不安地蟬翼般震顫。
 以為要被放開,以為這是全部,然而下一刻就被緊緊纏住腰身摁住後腦,要被揉碎了似地深吻,他甚至沒來得及換氣。
 Dave知道自己的唇舌滾燙,因為他正發著高燒。原本只是想一個人在家裏窩著,卻不受控制地叫了這個傢伙來陪。
 那絕對是隨叫隨到的……他不知道為什麼,也不敢想是為什麼。
 短暫地分開,然後整個人被摁倒在沙發上,那溫柔的氣息又一次籠罩過來,以排山倒海之勢。
 齒齦和軟齶被對方興奮的舌尖反復舔舐,隨後是舌床被肆意翻攪,每一次黏膩的摩擦都讓Dave扭動呻吟。他覺得自己的口腔正在被一條舌頭操著。
 無法思考。無法思考。無法思考。
 直到每一次舌尖的勾纏都引起他不住的顫慄,缺氧和自己發熱滾燙的體溫都讓他暈頭轉向,Dave意識到自己似乎又開始承受不住,唔唔掙扎著想要把Kiko推開,但使不上半點力氣,反而被壓得更緊。
 軟齶又被舌尖重重刷過,他洩漏一聲濕噠噠的鼻音,感覺到了內褲上自己的精液。
 Kiko立刻就發現了。
 “Dave,你射了。”
 他覺得自己臉上現在一定已經像被操得服服帖帖了那樣,口舌腫得不行,眼角也早就蓄了淚花。
 剛把人放進門,他就被吻射了。
 他超後悔,想躲起來。
 但是完全沒有地方躲。
 “你射了,你被我吻射了。”
 他像被觸動了開關,淫叫了一聲。
 “不要說了……”他嗚咽道。
 “現在這樣高溫的身體變得更敏感了吧?”
 Dave下意識地縮了縮,以最兇狠的表情和目光盯著他、警告他。
 卻迅速想起了上一次在錄音室裏爽到瀕死的高潮。
 “真怕今天就會這樣把你操死了。”
 “你敢!”
 “放心,我不會那樣的,但你可能會——”
 嘴巴被捂住了。
 Kiko的眼睛笑了,眼裏柔柔的笑意盈盈。
 那一刻Dave就想,如果他能真的擁有這個男人多好。
 手被拿了下來。
 “等我欺負夠了就好好照顧你。”
 “Kiko……”
 “嗯?”
 他欲言又止,沒敢再向那雙如水的眼睛看分毫。
 但Kiko緊緊盯著他,並非是以令人毛骨悚然的一種直視,沒有逼迫的意思,甚至含有隱約要外溢的期待。
 這只令他臉上更紅。他覺得自己要燒起來了。
 Kiko的手指僅是碰了一下他的臉,那輕碰的觸感略為冰涼,他抖著哼了一聲。
 “河豚,”Kiko說,像個孩子,但嘴唇離他極近,“快要爆炸的那種。”
 他有點心煩意亂地推開那只手,但是自己的手腕反而被捉住。
 “快點說。”輕聲催促,讓他連心臟都快要跳出來。
 仿佛是過了好久好久,他才捨得蚊子哼哼一樣囁嚅起來。
 “為什麼你會這麼隨叫隨到?”
 “因為你是Dave啊。”
 “什麼破回答……”
 他的腮幫子有點點鼓了起來,又被輕輕一戳。
 “喔,炸了炸了。”
 手又被推開。
 “那你……你……”
 “我什麼?”
 嘴唇離得極近,極近。
 “你……”
 額頭也最終貼到一起,Kiko清澈的眼睛仍然盯著他,害他目光閃躲。
 “為什麼要……吻我?”
 我居然問出來了。我不敢相信我居然問出來了。
 他有點害怕再聽到同樣的回答。但Dave發誓如果再聽到同樣的回答他一定會先捶爛面前這個人。
 “因為你是——”
 眼睛都瞪圓了,還開始氤氳。
 “你是我最喜歡的Dave啊。”
 加了定語就不一樣了嗎?
 ……
 操,加了定語就不一樣了。
 “什麼……”
 “我喜歡Dave. ”
 “哈?……”
 “我喜歡Dave Mustaine,想和他交往。”
 他要暈了。現在立刻馬上。
 “喜歡到……想要把他在浴室裏操到失禁。”
 他幾乎是被那幾個淫穢至極的字眼刺激到尖叫。
 然後Kiko立即就這麼做了,在浴室裏把他剝得像只光溜溜的蝦,赤裸地弓著背脊。
 “還要把你壓在這裏……”他看到了全身鏡裏的自己面上的潮紅一直延伸到胸前,到勃起挺立的鮮紅乳頭,還有正主動地分開的腿,半勃起著往外吐水的陰莖,“讓你知道你被我操到高潮的時候翻白眼是什麼樣子。”
 “不……不要……”但伴隨著他微弱的抗拒聲音,Kiko已經開始插入他高熱的腸道。
 “會非常的、淫蕩。”
 他恐懼失控的感覺。但他今天躲不過了。
 他的腸道勉強地吮吸著蠻橫的來客,將插入的性器一點點容納,但在完全吃入的瞬間,性器突然抽出,缺乏潤滑的腸肉被用力碾壓拉扯,Dave發出一聲帶著哭腔的尖叫,又爽又恐懼地捏緊了拳頭。
 “好像還有點幹。”
 Kiko說得滿不在意,挺身插入,Dave差點沒站穩。
 “但一會兒就有很多水了……”兩顆豔紅的乳頭都被捉住揉搓拉扯,間或將硬硬的乳粒摁進乳暈中,“甚至會流得到處都是。”
 他的小臂撐著鏡面極力讓自己遠離鏡面,否則滾燙的皮膚會在接觸到冰涼的鏡面時備受煎熬。但Kiko一直嚴嚴實實壓著他,每操進他的腸道裏一次,他的乳尖和陰莖都會順勢被擠到鏡面上,凍得他想縮起來,只被插得更深。
 幹澀的甬道裏漸漸被操出了水,讓Kiko操得越來越快,他的啜泣聲愈發響亮,看到鏡中自己潮紅的臉上全是淚花。
 Dave立刻羞恥地緊閉上眼。
 “Dave,好好看看嘛,你最不強勢也不兇狠的時候是什麼樣子。多可愛。”
 他的腦漿像被熱病攪得一團糟,直叫他順從,甚至因為被這樣誇獎而更興奮,拋卻了一點點羞恥。
 鏡子裏他的臉上已經密佈汗珠和淚痕,他痛恨的脆弱和淫蕩,又恰好是他本能憑依的。
 高熱的身體仿佛是要燃燒,從血液、到骨骼、到皮膚。然而即便如此,腸道裏操進操出的性器還是滾燙無比,將他操得吸不上氣,空氣灌進口腔裏、穿過氣管,使他只能發出破碎的啜泣和斷續的氣音。
 自己的這副模樣Dave全都被迫看得清清楚楚,而愈是痛恨自己這副淫蕩的樣子,又愈是移不開目光。無論時隔多少年,他淫蕩的身體仍然會因為被男人粗暴對待而興奮。
 淚液亦是滾燙。
 他不知道自己是什麼時候射的,吐出的精水愈發稀薄的陰莖被一只手托起,馬眼被搔刮揉捏,只能再汩汩地溢出幾滴。
 他想躲,又被體內的性器釘死了壓在鏡面上,繼續狠狠地操。
 然後是耳尖被含住舔舐,Kiko又綿又冷的吐息拍打在臉上。
 有什麼就要出來了,在Dave確信自己的陰莖已經幹到一滴不剩都時候。
 他在尖叫,其中還夾雜著氣若遊絲地叫著Kiko的聲音,像個婊子那樣。
 托住他陰莖的手開始擠壓他的陰莖,又滑下去捏捏他已經略微乾癟的囊袋,按壓會陰,接連不斷地玩弄他的性器,像真的有意無意地要再榨出點什麼。
 “別摸了!”他臉上紅得一塌糊塗,試圖去推開那只手。
 “Dave……”
 “啊啊……你是不是有病!不要捏了!”
 “DaveDaveDave.”
 置若罔聞。
 然後他再也說不出話,他所剩無幾的理智全都用於努力兜住臨門的尿意。
 他看到自己忍著尿意又被操得糟亂的模樣。他知道,美豔,並且脆弱。
 Kiko還在一遍遍重複著他的名字,帶著濕噠噠的鼻音,濕噠噠的,像他豐盈的嘴唇。
 能將他吻射的嘴唇。
 “我是���是會成為第一個看到你被操到失禁的人?”
 腺體被碾過。
 他尖叫著,身體一陣亂顫。
 “Dave……”
 細細的水柱打到鏡面上,他嗅到自己尿液的氣味,聽到自己無聲的尖叫,隱約看到自己的眼球淫蕩地向上滾動著。
 然後Kiko射在了他體內,性器拔出時還有精液順著他的大腿流下,但Dave眼前暈眩,已經感覺不到了。
 “啊,又暈過去了嗎……”
 在操之前說歸說,真的把人操暈了以後Kiko還是覺得自己有點過分了的。
 *
 “Dave,別氣啦別氣啦……”
 操完了就好言好語地哄著。
 “有布丁哦!”
 然後好吃好喝的供著。
 但要是真這麼好哄的話——
 他就不叫Dave Mustaine了。
 Kiko看上去狠沮喪。但老人家都是要面子的,尤其Dave還是非常要面子的那種。
 然後他就被抱住了,皮膚貼著皮膚的令他敏感顫慄的。雪松的氣味包裹過來,像織了一張溫柔的網,他無力抵抗。
 Dave發現自己已經退燒了。
 他歎了一口氣,低下頭,看到自己肚子上鬆弛的贅肉。
 “有什麼好喜歡的?有什麼好喜歡的?有什麼好喜歡的?”
 他問,大聲問,越來越失控,越來越哽咽。
 不能陪我五年十年二十年三十年一輩子的都滾滾滾。
 “你走開,我可不喜歡你。”他說。
 “可是你明明就喜歡我的雞巴……”
 “老子他媽的不喜歡!”
 他做了個長夢,Cliff的性器塞在他嘴裏,James跟裝了馬達似地在他屁股裏操,把他頂得喉嚨裏被一下一下地磨著,小舌都要磨爛了。
 可他就是喜歡,即使是被嘴裏塞著的性器插到難以呼吸。
 至少這是一種填滿的感覺。他並不覺得空洞。
 那兩個人這樣輪流上上下下操了他那麼幾年。
 然後想走的走了,倒楣的死了。他像個被玩膩的玩具般丟棄——也許James是更愛Cliff一點。誰他媽知道呢。誰他媽還追究呢。
 “老子他媽的不喜歡被男人操。”
 他他媽喜歡得要死。
 Kiko抱著他,像個傻白甜。然後從耳後開始一點點吻他的臉,啄他顴骨上的雀斑,豐滿的嘴唇濕潤微冷。性器一直頂在他的尾椎附近,但只是微勃,跳都沒跳一下。
 那兩個人會這樣對他就有鬼了。
 Cliff也會吻他,儘管那是在Cliff喝高了差不多要忘記自己有女朋友的時候。
 他會心跳如擂鼓。
 ……萬一是真的呢?
 然而這答案在1986年的那天之後變得毫無意義。
 “別哭別哭……”
 媽的,他又哭了。
 但此時竟有人把他的淚水一顆顆吻走。
 “Kiko……停、媽的,停下……”他使出全力推開了那副讓他分神的嘴唇。
 流動的巧克力般的雙眼疑惑地注視著他。
 “我們還是趁早恢復正常的關係比較好。”
 他說出來了,他居然有勇氣說出來了。
 Kiko的眼睛無辜地瞪圓了。
 “為什麼……”
 “廢話,你覺得這樣他媽的正常嗎?”
 “哪里不正常了嘛?”
 Dave止住了,他說不出口。
 「你又不愛我。」
 這話他可說不出口。
 媽的,他承認,他只是想被人愛著。
 只是想被人愛著。
 只是這樣而已啊……
 也許是二十幾歲的時候他造了太多孽。
 “沒有什麼好解釋的,你快點滾吧,不想看見你。”
 “Dave,你要解雇我?”
 “不可能!”脫口而出。
 怎麼可能像解雇那些主音吉他手那樣對他。
 “但我們也不能……也不能……”
 他開始語無倫次,本就沒什麼說服力的解釋變得更為蒼白。
 “你想哪里去了?”
 Dave也不知道他該怎麼想,看都不敢看Kiko一眼,假裝無比堅定地低著頭。
 “……床伴?”
 Kiko難以置信地試探著問,老天,他居然是這麼想的。
 “你覺得我像……我會——”
 “你不像那些混蛋!”
 “那……”
 “你放過我吧,你不覺得我太老了嗎?”
 好不容易說出來的時候,金豆豆掉得劈裏啪啦,Kiko只能用手一把一把地接。
 “嗯。”頸後敏感的皮膚被輕輕地吸。
 Dave打著抖叫了一聲。
 “但是你看,還是一副期待撫慰的身體。是不是有二十年……哇,二十年都沒人這樣碰過你了?”
 廢話,不然呢?
 有力的手臂蛇一樣纏著他,他卻無比感到慰安。
 “可是你這麼年輕……啊!……別弄了射不出來了!”
 他極力扭動著躲避開始玩他乳頭和陰莖的手指。
 “年輕?”Kiko聊家常似地漫不經心,“這樣就是……比你死得晚一點,你就不會那麼傷心啦。”
 “你腦子壞掉了?你覺得讓別人知道你三天兩頭跟一個老你十一歲的男人上床很長臉?”
 “還好吧……”
 Dave氣得翻白眼,直想一榔頭掄過去。
 “可是你明明就喜歡我。”
 “我不喜歡。”
 “那為什麼那天晚上故意要在錄音室等我?”
 Dave板著的一張撲克臉頓時變得通紅。
 “你好像一直沒有回答我。”
 乳頭被用力搓了一把,Dave驚喘出聲。小小的肉粒已經被玩破了皮,這樣一搓又刺又癢。
 “然後我吻你,你沒有假裝無事發生,然後和我上床了一次又一次,”Kiko的聲音仿佛變得越來越濕黏,“哪有你這樣的?
 “和我交往吧……和我交往吧,Dave……我好喜歡你好喜歡你……DaveDaveDave……”
 Kiko每黏答答地叫一遍他的名字,就在他的頸上和臉頰上親一口,輕輕揉捏他腰上的軟肉,又癢又躲不開。
 Dave覺得自己再不答應就要被他親到化了,像夏日裏的冰激淩……
 胡亂的一陣點頭,然後他才慢慢反應過來自己突然有了個比自己小十一歲的男朋友。
 而且是性感的Kiko Loureiro.
 而且——
 第二天他們周圍從捂住眼睛掉頭就走的David到目瞪口呆的臨時調音師等所有人就都知道了這檔子事。
 緊接著是排山倒海的推文。
 直到現在,Dave還是一點都不習慣網路社交平臺,但他的男朋友一直以來都適應良好。
 所以他原本一無所知,直到在演唱會上被一群女粉絲圍住嘰嘰喳喳地拷問,才知道Kiko成天在博客裏發的都是些什麼東西。
 “你不要臉的嗎?”
 Kiko吞咽下口中的食物,疑惑地看著他,然後看著他手機裏自己的博客介面。
 然後視線移回到氣得像只河豚的Dave臉上,還是疑惑。
 Dave都不想理他了。
 “那老子他媽的不要臉的嗎!”
 於是他那天晚上確實是連Dave的臉都沒有摸到。
 Fin.
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shihlun · 3 years ago
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作為風景的城市(松田政男)
(1970)
真是奇妙的祭典。說是祭典,當然有神輿也有山車,因而醞釀出了其特別的華麗氣氛。由神主帶領的祭禮一行,接連引來了周邊的孩子們,向著這個地方城市狹小的中心部略高處被祭祀的神明的神社邁步前進。注意到某個極小事實的瞬間,拍攝這次祭典的我們無法抑制地捧腹大笑起來。雖然沒有地方城市的這種祭典所應該特有的遊客的身影,但是,這個小小的祭典的隊列,卻在我們失禮的哄笑之外,作為一年一度的盛夏的儀式靜靜地前進著。
我們哄笑的原因,是因為祭典的隊列是模仿諸侯出行的陣仗(大名行列)而形成的。典型的那種由毛槍朝天高舉,腳步一致,喊著「向前、向前(下ニィ、下ニィ)」的人打頭陣,搬文箱、長持的人隨後,著裃服騎馬的武士威嚴地緊跟著,簡單來說,我們聽到「大名行列」這個詞時所喚起的意象,完整地,完全像畫出來一般展現出來。不對,定睛一看,還有一群穿著只能認為是公卿裝束的男人。像前述所說,有在每個路口立定、進行除災儀式的神主,有神輿和山車,有笛子和大鼓,什麼都有。有的是我們從小在現實生活中或者畫像和影像中慢慢熟悉起來的,「祭典」的全部的類型。然後,沒有的是「祭典」所一定會伴有的「狂熱���。
那是北海道的北邊,面對鄂霍次克海的網走市。為何網走神社的祭典中會有大名行列呢?這個單純明快的疑問,與其說是我們哄笑的原因,不如說是我們怎麼也沒法不去注意的地方。不用參考網走市役所發行的《網走小史》,我們也知道這裡有原住民鄂霍次克式陶器人的遺跡與遺物,四百年以前起是江戶時代的阿依努期,是阿依努人居住之地。不用說,在松前藩的經濟支配,幕末由於軍事需要而來的幕府的政治管理的過程中,也有與日本人的來往。但是,日本人大量渡來還是在一八八〇(明治十三)年網走村設置郡役所之後的事情。因為四年後開設了小學與寺院,土地神(鎮守)的神社的創立,也自然應該是那之後的事情。
具體的歷史上從未存在過大名行列的北方城市的祭典裡,突然出現了魔幻的大名行列這件事情,對我們來說,是應該在最初的殖民者的記憶中作為遺制殘存下來的強烈的共同性中尋找嗎?我在這裡,比方說,應該也可以像《網走小史》一樣,用下面的方式,引用阿依努人原住民樸素的祭典原型,將本土的民俗與殖民者的民俗的競逐過程作為考察對象:
「為此處報春的最初的訪問者,是乘著流水而來的海豹。在冰川間的縫隙中進行的獵海豹,足夠滿足了自然的孩子的冒險的心。部落的人們,每到此時期就會乘舟靠近帽子岩,在島上設立祭壇,以幣束裝飾。一族之長對著海的方向祈禱漁業豐盛。⋯⋯帽子岩是將阿依努族的生活與神連結在一起的聖地,因此人們都將這座島稱為『充血(チバシリ)』。」
但是,我們至少在這裡,與這個名為網走的地方小城市的祭典儀式活動毫無關係,只能確定這不過是在各種意義上對中央大城市殘留的傳統祭典的最壞意義上的模仿,並將其傳達出來而已。今天,聖地「充血」不過是一塊僅僅保留了網走名字來源的記憶的奇形怪狀的石頭。而且,正如我之前所述的,網走神社祭並沒有遊客的身影的事實所示,對於這種將邊境的遺制破壞地體無完膚的直接從中央輸入的祭典方式,關心的人寥寥無幾。夏天來到網走的年輕遊客反而都在參觀離網走神社最遠之地的網走刑務所。今天,網走的聖地連名字都變成了網走番外地,其所祭拜的神,也變成了電影演員一般的存在的同時,從空洞的大名行列中讀出了強烈的諷刺的,難道真的只有我嗎?
話說回來,說到敘述的順序,這裡應該簡單提及一下我們在這裡偶然遇見網走模仿的祭典活動的攝影旅行的目的。一九六九年從夏至冬,我與很少的幾個朋友一起,追隨一名少年的足跡做了一部紀錄片。六九年末勉強工作告一段落的這部電影,以「去年秋天在四個城市用同一把手槍發生了四起殺人事件今年春天一名十九歲的少年被捕他被稱為連續射殺魔」為片頭字幕,「一九六八年秋天在四個城市用同一把手槍發生了四起殺人事件,一九六九年春天一名十九歲的少年被捕他被稱為連續射殺魔」為片尾字幕,包含了一小時二十六分的結構。如其所示,是關於「連續射殺魔」永山則夫的電影。網走是永山則夫出生、度過了幼年的地方。
這篇文章並非是要直接介紹我們的電影,但是作為完全追踪了永山則夫廣泛的足跡的結果,經過了北海道、東北、關東、東海、近畿等各大城市,根據我自己四個月的體驗,我不能不談對於出生於網走市郊呼人番外地、長於網走市內的永山則夫五歲時全家搬至的青森縣北津輕郡板柳町的印象。而且不得不說,我在這個地方小鎮感受到的是和網走完全相同的印象。我們當時看到的是明顯磨滅了地方的獨特性,只能稱作是中央的複製的同質化的風景。殖民城市網走,本土城鎮板柳,再誇張一些說,中央都市東京,在我們的眼中都以毫無差別的相同的面貌出現。
然後,不知怎的,好像不止我們,還有別人也有同樣的經驗,在北國陰暗的風土中尋找永山則夫犯罪的原因,卻被大大地欺騙了。說起來,某位電視人曾這樣記述這個兩萬三千人的小鎮:
「永山則夫一被逮捕,報紙和電視就迅速動員學者、作家、評論家們創造他的形象。……這些知識分子中最有說服力的,是同樣出身青森、有同樣遭遇的詩人、地下劇團主宰者T氏的發言。他將永山則夫形容成在東京沙漠徬徨的都會吉普賽人,令其抱有噩夢般的殺意的,據說是養育了他的『北國的荒涼的天空』。……但是,離上野十三個小時的板柳的天空卻明亮得令人訝異。沒有霧霾的明亮的藍天下,岩木山閃耀著銀白色。……」(《紀錄片青春》自由國民社刊行)
這位紀錄片作者,在直率地敘述了「荒涼的北國」的形象的破壞後,舉出了城市的豐饒的各種數據。比他晚三個月,已經過了春天而在夏天拜訪這座城市的我們,已經如前述有著和他相同的見聞。青森出身的詩人「T氏」(即寺山修司)大概可以斥責我們,認為這些感想乃作為一���不負責任的遊客的,即時且隨便的感想。的確,並未體驗到寒冬的津輕的我們,並沒有「荒涼的北國」的意象。但是可以說,我們的遊客之眼,與只能看到「中央=豐饒」、「地方=荒涼」之刻板印象的地方出身的半調子知識分子的眼,恰好形成了對照的兩極。無論是中央還是地方,都市還是邊境,「東京」還是「故鄉」,現在都只有等質化的風景。我們即使是看到了津輕平原的廣漠上連綿的蘋果園,也絕不會想到綠色的森林,而只能看到令我們聯想到我們灰色首都所散佈的污染的農業。不用說,「荒涼的天空」也是稱呼我們霧霾漂浮宙天的名字。
因此,我們在鄂霍次克沿岸的東北的平原,也沒能發現或許孕育了永山則夫的「故鄉」。不如說我們看見的不過是縮小版的「東京」。永山則夫小學時代居住的板柳町一角稱作入福住宅的小型貧民窟,大概也可以指定為東京的任何一處。谷川雁說「不要去東京,創造故鄉吧」之時,那種作為前提的「東京」對立於「故鄉」的圖式,在六十年代的死胡同中,終於不再是有效的事實,我們必須去確認。我們壟斷的高度成長,難道不是表現出日本列島作為一個巨大的都市,每天都在往一個同質化的方向發展嗎?
無需說,從資本主義經濟法則的側面,將永山則夫作為地方年輕人口向城市集中的典型事例說明,也不過是將其拉入客觀主義的大網。如此,他是在響應寺山修司「離家出走的建議」,捨棄了「故鄉」而到了「東京」來嗎?恐怕要揚棄谷川雁與寺山修司兩方的高談闊論,才有真正的答案。即,無數的永山則夫,無疑是想要前往「東京」,創造自己的「故鄉」的。正是在「東京」,才有他們所尋找的原初的東西。要說為什麼,對於他們來說的「故鄉」,不過是「東京」的模擬而已。他們對於「東京」所注入的狂熱的凝視,只能說是在不可見的領域中雕刻他們的真正的「故鄉」了。去往「東京」之旅,即是去往他們的原初世界的旅行。他們一刻不停地在進行著,與在偏僻地方和離島中找出現在的我們的過去的祖型的民俗學者方向完全相反(vector)的旅行。
從這件事來說,「離家出走的建議」的提倡者寺山修司,對於永山則夫的流浪,初看上去似乎以同情者的身份浮現,但當他結論出「人被歷史拋棄時,就會援用地理」這一巧妙的宣言時,就不自覺陷入了寺山自己排斥的「歷史性的思考」了。寺山修司著作中對於永山則夫的結論,不過是道學家式地指責其缺乏「思想的力量」、「想像力」,以及「戲劇性的想像力」而已。寺山修司從未將自己的想像靠近這一現實,即永山則夫(們)其實正是僅通過「地理」上的流浪,這群下層社會的無名大眾才能創造出他(們)「歷史」上的定在。雖然寺山說「為了判別一個行為是英雄性還是犯罪行為,過多的『狀況論』將我們緊緊束縛」,但在與「狀況論」甚至「情況論」無關之處,即便是針對將「行動的力量」而非「思想的力量」作為動力而生存的人們,以提昇道德的口吻高談「想像力的復權」,恐怕也不會有任何成果。
「歷史」還是「地理」的二選一思考方式,正是深深刻在提出者內部的歷史性思考方式,這種思考方式的所有者將其直接轉移至地理上的思考。即,在他的腦中,以他的「想像力」放上一張日本列島的空白地圖,在上面填上永山則夫流浪的足跡,最後所得到的也就是這麼多。此一永山則夫之旅,只要在某種「原初世界之旅」的前提上,便設想能透過連接他曾經過的外部世界的地點,便會浮現出其內部世界的地圖,並設想大概會出現奇形怪狀的景象吧。           在這裡,還是先交代永山則夫流浪的記錄和分期。這也同時是我們的旅程——
網走市郊外—網走市內—板柳—(離家出走)弘前—青森—函館—板柳—(離家出走)山形—福島—板柳—(為了集團應聘上京)
東京·澀谷—(辭職、秘密出航)橫濱—名古屋—香港—橫濱—小山—(就業)宇都宮—(以下各地流轉)大阪—守口—東京·羽田—川崎—橫須賀—川崎—東京·淀橋及東中野—池袋—巢鴨—小田原—熱海—名古屋—大阪—神戶—(秘密航行)橫濱—東京·練馬—西荻窪及東中野—板柳—東京—長野
橫須賀—東京·池袋—(以下各地流轉)芝—京都—橫濱—東京·池袋—函館—小樽—札幌—函館—名古屋—橫濱—東京·新宿及中野—橫濱—東京·原宿
第一次流浪的分期十五年,第二次的分期三年半,第三次的分期為半年,有各自的長度。可以視作成長、生活、犯罪三個不同的階段,各自的分期在空間擴大的同時,表現出時間上的反比關係,應該是很容易注意到的。日本列島對於永山則夫,不正是作為某種非歐幾里得空間(non-Euclidean space),奇怪地歪曲、溶解、流動嗎?然後,即使這樣還,或者說正因如此才,應該點出的是沿著永山則夫的軌跡而再現了四個月間橫貫列島之旅的我們的眼睛,看見的是已經敘述過的,所有的地方或邊境的街道上映出的,作為同質化了的風景出現的景象。
追尋已經失去的原初的「故鄉」之旅,常常以無論去何處發現的都是相似的風景而告終。種村季弘在最近的文章中,以模仿本雅明的口吻敘述了「將陌生的城市認作出生的城市,將出生的城市認作陌生的城市的反向透視法(逆遠近法)」(《都市》創刊號),而我們的日本列島所有的,恐怕無疑是「陌生的城市」與「出生的城市」之間生長出的,無可救藥的時間和空間的扭曲所呈現在眼前的風景的同質化而已。這種風景如今無法代換成自然、風土之類的詞語,因為這種風景,是天然與人工突兀地對撞、裁剪下的產物。就如同以前在《薔薇與無名者》(芳賀書店刊行)中斷言的那樣,永山則夫沒有終點的「原初之旅」,必然是「為了將風景割裂而射發了子彈」。
我們在永山則夫的紀錄片的攝影過程裡,首要任務是反覆深化我們的視角,藉此嘗試捕捉作為風景的日本列島,除此之外一無所知。即使是同樣的旅程路線,我們所經歷的時間與空間仍不同於與永山則夫的軌跡。如果在兩者的時空中提煉出某種元素,那就真的變成風景了,就像繪畫一樣的,澡堂中的巨大筆劃一樣的,毫無掩飾欺騙(何のケレン味もない)的風景本身了。我們似乎在摸索與本雅明評價二十世紀初無名攝影家阿傑(Atget)所致力捕捉的「捕捉巴黎無人的街道的風景」,與下面的格言所述恰相反的循環:
「都說他以拍攝犯罪現場的方式拍攝風景,也的確如此。犯罪現場並沒有人通過。攝影是為了創造間接證據。照片經由阿傑,開始變成了歷史過程的證物。」(《複製技術時代的藝術》紀伊國屋書店刊)
我們與阿傑相反,是以拍攝風景的方式拍攝犯罪現場。雖然本雅明認為「對於群眾,城市有時是風景,有時是房間」,我們的攝影機之眼所看到的,只有「作為風景的城市」,而從未能到達「作為房間的城市」。這恐怕處於一種我們被周圍敵對的狀態,但與喜歡言必稱「狀況」或「情況」的知識分子的語彙不同,這說不定是可以從外側的物質性去感受到,一個除了風景以外、本身一無所有的下層大眾的唯一方法。無需贅言。只需強調我們所嘗試的,是透過風景去直接面對他的,或我們自己的,那個「不可見的故鄉」。
因此,我們在旅程的終點,在永山則夫數次返回的「東京」——可以視為來自邊境、不斷流浪的下層大眾之「故鄉」原型的這個混亂的巨大都市中摸索。然而,在我們的首都,是否曾經有過從那個地方城市的「祭典」所缺失的原初的狂熱呢?無需說,是不可能的。十月末秋季的某一天,通過新宿街頭的那次稱作「新宿祭」的空蕩蕩的遊行,我們恐怕永遠也無法忘記吧。在那幾天前,由某個宗教團體的鼓號隊帶領通過的祭典隊列,竟然成為了某種電視綜藝節目的絲毫不差的仿寫物。竟然將自己生出的媒體的「影子」模仿了個徹底,這個悲慘的本體!與此對應地,這裡化作了一個人影也沒有,只有機動隊的制服與自警團的私服非常顯眼的,彷彿戒嚴令下的死亡的街道。或許,那甚至不是風景,而是風景的葬送。「噓,安靜點!葬禮的隊列要從你身邊過去了。將你的雙膝跪地拜倒吧,唱起送葬的歌謠吧!」(Lautréamont)
然而,追尋更加原初的東西而帶著初生的能量加速度,嘗試在「東京」中實現「故鄉」的下層大眾,大概並不知道該去向何處吧。厭倦了模仿的祭典,慢慢看清了「東京」的背叛,他們像列斐伏爾評價巴黎公社那般,在「『祭典/節慶』之風格即公社的風格」之意義上,為了追尋一種真正祭典的狂熱,於焉開啟了沒有終點的「旅程」。這次,為了寫這篇稿子,讀了一些城市規劃與建築專家的都市論,其中唯一不停激發我思考的,是水木薰針對羽仁五郎的激進批判,說起來,水木薰是如此評價這種「旅程」的原初型態的:
「……他們輕易地擺脫了來自家庭與地方的權力束縛,獲得自由。然而,這種自由卻是透明危殆、難以依賴的。他們在巨型都市(megalopolis)中開始了浮游的生活,那甚至能不能稱之為生活呢?與這樣的社會底部的流動相比,希臘有拱廊(agora)的城市,而文藝復興時有據說是基於市民之自由與平等建造的的城邦國家,與此相比,他們有多麼不加思索或無能為力,只要考慮其流亡之劇的各種苦痛就十分清楚了。日大鬥爭,在某種意義上來說,可以視作是捨棄了故鄉的貧窮的年輕人,對大都市東京的反抗吧。失去了目的地的地方中小城市的中小工商業者的孩子們,如果不是不停地叛亂,甚至無法生存下去。」(《革命與烏托邦》芳賀書店刊行)
「捨棄了故鄉的貧窮的年輕人」,是在「對大都市東京的反抗」中,實現他們真正的故鄉的。水木薰的都市論的優越之處在於,不在歷史或當代的標準上為城市定位,而是從生成、爛熟、死滅的具體的運動過程中找到其位置。這是比吉本隆明提出的暗示性問題「城市何以為城市」更進一步,是「城市何以不再是城市」的一種反問。啊,城市的死滅!拒絕無名大眾所不停上演的「流亡之劇」在地方和中央、農村和城市、邊境和首都等等近似的兩分法中彷彿達成了的虛假的上升的錯覺,反而能夠直視,追溯人群的「原初」旅程,其實僅是意味著從下層到下層,從底部到底部,從貧民窟到貧民窟的移動,這不正是唯有能夠提出此種論斷,看清這一事實的透徹視點之人,才首先能從口中吐出的詞語嗎?
那時,他就不再會將城市視作風景,而是將激進地貫徹城市作為房間的屬性了。
我在這裡突然想起了雷吉斯·德布雷(Régis Debray)將城市稱作「可居煉獄」的苦澀發言。不用說,德布雷是在將討論範疇小心謹慎的限定在「與苦惱於人口集中的亞洲歐洲大城市相比的⋯⋯加勒比海諸城市」,即使知道這一點,不妨讓我們再仔細看看吧。
「住在城市裡的人們,即便是同志,與游擊戰士比較起來也在不知不覺中慢慢變成了市民階級。他們對於自己的行為,即餐飲、睡眠、移動等生存所要求的物質的艱苦為何物,已經不能理解了。游擊戰士是靠自己,用自己的手,自然地製造物質的,而他們已經不具備維持生命的手段了。城市人僅僅作為一名消費者存在。……對於每個人來說,人生都是不平等的,被給予的事物。人生作為完成的商品,在商店裡排成一排……雖然���說,我們泡在社會生活的浴缸裡,但是泡太久澡對於身體也是不好的。要理解這個不溫不火的孵化器,在多大程度上令人類發育不全,令人市民階級化,僅有一種方法,那就是跳出這個孵化器。」(《革命中的革命》晶文社刊行)
雷吉斯·德布雷在這個意義上,將「城市」作為對立面,將游擊戰士的真正的故鄉認定為「山地」。能嘲笑這種關於第三世界的斷言肯定命題式都市論的教條性和形而上性,是一件幸運的事情。我們生活在高度壟斷集中的核心,身處於日本列島整體化作一個巨大城市的變化轉型期裡。毋寧說,對我們而言,可以回歸的「山地」是不存在的。但是,我們在將城市佔領、解體,作為我們共同空間的革命長期戰爭中,如欲作為一名游擊戰士而生活下去,則必須在這個「可居煉獄」的正中間,立起我們所認定的「山地」。身在日本這個懷有對第三世界掠奪與殺戮原罪的、反革命的「祖國」,我們別無他法,只能竭力將此一煉獄實現為靈魂的淨化場。
正如各種「未來」學者與其亞流所奉上的漫不經心讚辭那般,據說我們正在進入的本世紀最後二十年,可預測的長期投資額累積達到五百兆元。在考慮戰後二十年國民生產總值上升至世界第三位的日本資本主義,在這個列島上投下的資本總額已經不能以三十兆而是以五十兆元來計算的事情時,接下來二十年的十倍投資,將無疑進一步促進日本列島巨大的城市化。然而我們不能將這份壟斷的奢昂攻勢視為日本帝國主義起飛的暗號,而要將其當作耳邊的喪鐘來聽。我們已經跟上了在風景的同質化中,從一個城市流浪到另一個城市的無名大眾的足跡。他們決沒有「主張真理是屬於自己的。他們從未『說出』自己代表了真理。因為他們『就是』真理本身。」(弗朗茲·法農)我們恐怕初次見證了我們下層無產者形成階級的轉型期。他們以流浪的存在形態佔領都市,作為資本主義的掘墓人,開始慢慢浮出水面。
「不可見的故鄉」在對真實的祭典的不斷試錯中將徐徐浮現。「必要的是在暗中突然出現的偶然的縫隙。只要有『縫隙』,人類就可以開始一些行動。人類是在自己的慾望相互碰撞、混沌的雜亂(chaos)裡生存著。」水木薰此處道破的條件,不可避免地將要到來。
必要的不是對下層大眾進行什麼「戲劇性想像力的復權」的說教。我們自身必須開始,邁向一趟為實現我們自身真理而戰鬥的,超越風景的旅程。
松田政男,風景としての都市
『風景の死滅』1972年1月20日
參考翻譯:1、2
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urbangarde · 4 years ago
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