#棕櫚ほうき
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棕櫚ほうき、5玉幅のものはよく見ると思いますが、3玉幅のものもございます。
この幅の細さは小回りが利くので、狭い空間や凸凹が多い空間、床に物が多い部屋など、
掃除機だと丸く掃いちゃいそうなところをスッキリきれいに掃き掃除できます。
棕櫚ほうきは、毛先が細く、細かい目地のゴミを掻き出し、細かい塵を繊維の間に巻き取ります。時々繊維の間の綿ゴミを手で取ってあげてください。
掃除機より断然軽くて持ち運びが楽なのも利点。お年寄りになると掃除機の重さがしんどくなるので、高齢のお母様に贈って差し上げるのにおすすめ。
離れて暮らしていると、娘といえども、母親が何に困っているのか、何が好きなのか、今気になるのは何か、分からなくなるのが普通。
花やお菓子もいいけれど、毎日の家事でのお困りごとを少しでも楽にしてあげられたら、1人で身じまい出来るから助かる、ありがたいという独居老人は多いものですよ。
通販→https://goo.gl/jJNyYt
#棕櫚ほうき #暮らしの道具 #掃除が楽になる #便利さは年齢によって変わる #インテリア雑貨 #和雑貨 #江古田 #新桜台 #西武池袋線 #練馬区 #贈り物 #プレゼント #ギフト
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【かいわいの時】宝暦十四年(1764)四月六日:対馬藩通詞鈴木伝蔵、大坂に滞在中の朝鮮通信使節随員を殺害し出奔(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
(事件のあらまし) 朝鮮の上々官名ハとううんとうと申を、対州の家中通詞役鈴木伝蔵といふ者、右上々官を鑓の穂先壱尺��残し是を以て咽を突通し自害の体をしつらいさし殺しけり。右上々官ハ日本にて大目附役の人なるよし其趣を聞に、西国にて人参を荷打せしと偽りて金銀を私欲したる事ありて此役人に伝蔵より返済せねばならぬ金子有しを毎々催促しける、大坂にて相渡べき約束なりしをいまだ相渡さず、よって厳しく催促致しける故、何とやら私欲の義も露顕に及ぶべきやうになりしゆへ止事を得ず、右のごとく害しける由也(『明和雑記』)。
(犯行現場および時刻) 西本願寺津村別院棕櫚の間(朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図)。初七日戊子陰寒(『趙済谷海槎日記』)。コメント欄に写真 ▼朝鮮人来朝大坂旅館西本願寺座割兼小屋掛絵図 조선인래조대판려관서본원사좌할겸소옥괘회도 京都国際学園「関西に残された朝鮮通信使の足跡」より。
(殺害方法および凶器) 寝所へ忍入、鑓の穂先壱尺斗残し是を以て咽を突通し、自害の体をしつらいさし殺しけり(『明和雑記』)。関の兼永の槍(『通航一覧』)長さ4寸ほど(『差上記』)。
(事件の目撃者) このとき賊は、三房格軍(水夫)の姜右文の足を誤って踏み、驚いて目を覚ました姜によって目撃されている(『日東荘遊歌』訳注)。
(指名手配) 一 行年廿六歳 一 背ノ高サ五尺三寸中肉にて顏の色白ク眼は少シ大キク張強シ人体骨柄賤からず 一 其節之着類黒羽二重之袷下には群内大嶋の襦袢 右体之者見付次第訴出候ハゝ御褒美被下候間可遂吟味者也 四月九日(「鈴木伝蔵人相書」)。
(犯行の動機) 崔天悰は高麗人参の密貿易に絡んで鈴木伝蔵を叱責した。事の露見を恐れた伝蔵が崔を殺害した(『明和雑記』『摂陽奇観』)。伝蔵の自白によると、人参の取引がもとで殺したというが、真相は到底わからず(『日東荘遊歌』)。
(事件の背景) 朝鮮と対馬の通詞が手を組んで密貿易(積荷の横領)を繰り返していた(『扶桑録』『東槎日記』「海遊録』)。舞台は主に大坂であり、一行はできるだけ長く大坂にとど��ろうとした(『扶桑録』)。「裨将の言うままに放っておいたら《略》崔天悰事件のようなこと必ずやまた起こるでありましょう」(金仁謙)。※鈴木伝蔵は通信使が絡んだ密貿易の一味。崔天悰もそうであったかは不明。
(事件の余波) この一件を初めに歌舞伎化したのは並木正三で、67年(明和4)2月大坂嵐雛助座(角の芝居)で《世話料理鱸庖丁(すずきぼうちよう)》を上演。史実に近かったため2日間で中止を命ぜられ、ただちに奥州藤原の世界に改めた《今織蝦夷錦》を上演した。『世界大百科事典(旧版)』【韓人漢文手管始】より。
(写真)「世話料理鰭庖丁 絵番付」1467(『摂陽奇観』所収)
(浜松歌国は)鈴木傳藏の朝鮮信使殺害事件を詳記し、次に其の事件があってから四年目、この事件が角の芝居嵐雛助座に於て、並木正三により新狂言に取組まれたことを書き加へたのみでなく、當時板行の繪番附を其のまゝに貼りつけてゐます。この鈴木傳藏事件が上演されたは、歌國が生れる十年前のことで、その當時の繪番附を手に入れることは容易ではなかつたらうと思はれます(校訂者識)。『浪華叢書 第四』より=写真も。
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棕櫚の姫
そのコンクリートの塀を城壁と呼んでいた。広い広い敷地を囲って、高さもあり、壁の上には有刺鉄線が張り巡らされいかめしい。書道教室の行き帰りにいつも通る道で、城壁の作る影は湿っていた。苔が生え、蟻や蜘蛛が這っていた。蟻を目で追い、歩いていると、足元がぼこんぼこん鳴った。壁とはちがう色のコンクリートで蓋がされており暗渠だった。かつて川だったところにかけられた蓋で、ところどころ揺れる。城壁だなんて巨大に感じていたのはわたしが小さかったためだろう。
城壁の内側は二階建ての細長い建物で、庭が広いのでぽつんとして見える。クリーム色の壁がくすんでいた。そんなに豪華な建物ではないのでかえって城だった。余計な華美は避け、質素に屹立している。ほんとうの城はこうでなくっちゃと納得し、庭の芝生がかなり禿げていてそういう滅びの気配も城だと思った。どうやらどこか大学か会社の寮であるらしく、何々寮という文字が見えた。といっても、城門はめだたないつくりで奥まったところにありそっちへ行くのはこわかった。どんな寮だか、どんな人が住んでいるのか、ちゃんと見たことはなかった。
わたしが見ていたのは壁と棕梠シュロだった。お城の庭には一本だけ、背の高い棕梠の木があった。灰色の壁の向こうですっくと伸びている。壁よりも建物よりも高く、ぼさぼさの幹が風にしなっている。棕梠という名を知ったのはもっとあとで、わたしはあれはヤシの木だと思っていた。��の揺れ方は南国だなあと、南国のことを知らないのに感心していた。雪の降りそうな寒い低い雲の日でも、冷たい風に手の甲が痒くても、壁の向こうのヤシの木だけ南の島で、お城の中だから当然だと思った。壁の外から見上げる葉はいつも影になり、動物の毛みたいにぎゅっと密集して見えた。
この木の下にどんな人が住んでいるのだろう。なんとなく、人魚姫の姉たちを想像した。絵本の話、もっとわたしが小さかったころの話。母が、人魚姫の姉たちが泳ぎ回るページを開いて、「この中だったら誰が好き?」とわたしに選ばせた。深い意味はなかったと思うが——人魚の姉たちは色とりどりで、きっとわたしに色の名前を言わせたかった——、わたしは青い髪のお姉さんを指した。彼女の髪の毛はそんなに長くないがAラインにふわふわ広がっていて、ひたいに垂らしたアクセサリーが大人っぽく、いちばん素敵だと思った。そうして青い髪の人魚はその一ページだけの登場で、人魚姫に短刀を渡すシーンにはいなかった。それもよかった。きっと海の底で静かに悲しんだ。悲しみはするが彼女にはその後の人生があり、死なない。青い髪の姉についてわたしは幾度も想像した。棕梠のお城にいる誰かを想像すると、彼女になった。
やがて暗渠の町からは引越して、わたしは川に挟まれた町に住むことになった。両親が離婚し、母と二人の家になり、近くに祖母と伯母が住んでいてちょくちょく行き来した。蓋のない、どころか、おおきなおおきな川で河川敷もだだっ広い。二つの川はカーブし、町はレモンの形をしている。アーケードの商店街があり暗渠の町よりだいぶ騒がしい町だったが、学校は小さかった。わたしの学年はそれまで三十九人で、わたしが引っ越してきたことにより四十人になり、あなたのおかげで一クラスだったのが二クラスになったのだと春休み明けの転校初日に先生に言われ、自分が福音なのか災厄なのかわからなかった。
新学期早々ずっと休んでいる子がいて、盲腸で入院しているとのことだった。クラスみんなでお見舞いの手紙を書きましょうと先生が言った。色画用紙が配られ、一人一通、工夫してメッセージカードを作るよう言われ、まだ一度も会ったことがないのにわたしも書くんですかと先生に尋ねたら、「みんなクラスの仲間でしょう」とたしなめられた。でも知らないんだよな、となりのクラスの子たちは書かないのかな、わたしが来なければひとつのクラスだったのにな……と思った。
どうせ知らない人に書くのなら棕梠のお城にいるはずの彼女、青い髪の人魚に宛てて書きたかった。棕梠のお城の人魚たちには足があり、城壁の外では完璧に人間のふりができる。��子に恋をせず生き続け、芝生の上を駆けたり寝そべったり、真夜中、お城の中でだけ人魚に戻る。庭に水をまいて海にするかもしれない。そうか、だから芝が禿げていた。棕梠の葉ずれの音を聞きながら足の使い方を練習し、人魚の下半身がいらなくなったらお城——寮から出て行く。でも彼女たちは人間のふりも人魚でいることも好きだから、のらりくらりお城に住みつづけ、出て行かない。棕梠はどんどん伸びてゆき、葉の重さで腰が曲がる。青い髪の彼女はぼさぼさの幹をやさしく撫でてくれる。それなら手紙を書けるのだ。書けるか? わたしはなにを書くだろう?
たとえばいつも棕梠を見上げていたこと。黒い葉。風。書道教室は畳の部屋で薄暗かったこと。流しの水がいつも細く、冷たくて、お湯は出ず、わたしは手についた墨汁をきれいに落とせなかった。黒く染まった指先をきつく握って、すれちがう人たちから隠した。なぜ隠さなければと思ったのか、わたしがあらゆる視線をおそれていたためだが、そそりたつ棕梠にはぜんぶばれている気がした。人魚を見守る南の島の木は、わたしのことだって知っていたはずだ。墨汁はいつも風呂で落とした。浴槽で足を伸ばし、そのころにはもう一人で風呂に入るようになっていた。墨の溶けた湯だからほんとうは透明ではない、目に見えない黒色の混じった湯なのだと思った。そういうことを書く。書いた。学校から帰ってきて便箋につづり、糊をなめて封をした。でもこれでは、わたしが思っていることを書いただけで、受け取る相手、青い髪の彼女に向けてなにか発信しているわけではないなとも思った。
盲腸のクラスメイトには、画用紙を切ったり貼ったりして「飛び出すカード」を作り、おだいじにとか当たり障りのないことを書いた。
レモンの町では書道教室に通わなかった。伯母はフラダンス教室の先生をやっており、招かれたので何度か見学したが、自分にはできる気がしなかったので(踊るのは恥ずかしい)、見学しただけだった。伯母はフラをやるからこまかいウェーブの髪がすごく長くて、想像の人魚よりも長かった。教室はおばあさんが多く、ハイビスカスの造花がたくさん飾ってあり、でもヤシの木はなかった。
盲腸のクラスメイトとは友だちになれた。退院してすぐ話しかけられ、飛び出すカードすごくかわいかった、どんな子が転校してきたのだろうと楽しみだったと言われ、わたしはちょっと申し訳なく思った。
だからというわけではないがかなり仲良くなった。すみれちゃんという名前で、しばしば自分の名前をSMILEと書いた。たとえば授業中に回ってくる手紙、ノートの切れ端にぎっしり書かれたいろいろの最後にSMILEとあり、それは署名だけども、受け取ったわたしには「笑って!」というメッセージにも見え、わたしはすみれちゃんの手紙がけっこう好きだった。
きのうみた夢とか、好きな��楽とか、誰々が雑誌のインタビューでこう言っていた、ラジオでこんな話をしていた、いますごく眠い、親とケンカしてすげえムカついてる、そういう日記みたいな手紙で、いや日記でもないようないろいろで、思っていることを書くだけでもちゃんと手紙になることを知った。わたしが手紙を読むときすみれちゃんはもう眠くないし、すげえムカついた気持ちもいくらかおさまっている。その時差こそが手紙の肝だと思った。
手紙ではたまにシリアスな悩みも吐露され、そういうときはSMILEの下に「読んだら燃やして」と強い筆跡で書かれていた。わたしはすみれちゃんの手紙を一度も燃やしたことはなかった。うちにはマッチもライターもなく燃やし方がわからなかったためで、ガスコンロで火をつけるのもこわかった。父親がいたらライターがあったろうか。ないな。たばこは吸わなかった。うちに小さな火がないのは父とは関係ない。父にはときどき会った。父も暗渠の町から引っ越したので暗渠の町に行くことはなくなった。
中学に入り、すみれちゃんの家が建て替えすることになった。古い家をぜんぶ取り壊すからラクガキしていいよということになり、友だち何人かで誘われた。すでに家具はぜんぶ運び出されからっぽになった家の壁や床だ。油性マジックとか書道の墨汁とかカラースプレーとか、みんなでいろいろ持ってきて、こんなことは初めてだったから最初わたしたちはおそるおそるペンを握ったが、だんだんマンガの絵を描いたり好きな歌詞を書いたり、家じゅう思い思いにラクガキした。腕をぜんぶ伸ばし、肩がもげるくらい大きなマルを描いてみた。マルの中に顔も描いた。すみれちゃんの妹が壁いっぱいの巨大な相合傘を描いた。片側に自分の名前、もう片側はいろんな人の名前で、芸能人もマンガのキャラクターもあったがやがて尽きたのか、後半は「優しい人」「うそをつかない人」「趣味が合う人」と理想を並べていた。すみれちゃんは最後、床に大きく「ありがとう」「SMILE」と書き、このラクガキは家への手紙だったのかと思った。
あとになってGoogleマップで暗渠の町を見たら棕梠のお城はなくなっていた。見つけられなかっただけかもしれないが、区画整理にひっかかったのか、暗渠の道もないように見えた。お城を取り壊すさい誰か壁にラクガキしたろうか。しなかったろう。だからすみれちゃんの家はとても幸運だったろう。そうして道の形が変わっても、地面の下にかつて川だった跡は残っているとも思った。
あのとき人魚に宛てて書いた手紙が、このあいだ本棚のすきまから出てきて、なにを書いたかだいたいおぼえていた。恥ずかしいなと思いつつ封を開けたら、しかし便箋は白紙だった。文字はどこかに消えてしまったのか、書いたというのはわたしの思い込みだったのか、ぜったい後者なんだけど、後者なんだけど……と思う。すみれちゃんはマスカラを塗るとき、ビューラーをライターの火であたためる。小さな火���持っている。
ペーパーウェルというネットプリントの企画に参加します。
セブンイレブン【24438044】 10/8 23:59まで
ファミマ・ローソン【DA5W82BGB9】 10/9 16時ごろまで
これは4年くらい前に書いたやつ。読んだことある人もいるかもしれない(覚えていてくださる方がいたらうれしい)。
今回のペーパーウェルのテーマが「時間」だったので、時間のことを考えながら書いた小説にしました。いやどこらへんが?って感じなんだけど、自分の中では…。過去のことを語るときの距離感、時間の長さとか流れを探りたかったというか。
つい最近読んだ川上弘美のインタビュー記事ですが、「年をとって記憶がいっぱい自分の中に貯まっているせいか、ある時期から、一瞬にフォーカスして書くよりも時間の流れを書くことが多くなってきた」とあって、なるほどなあと思いました。そして「��もコロナのもとで生活しながら小説を書いていると、なぜだか自然に、今この瞬間にフォーカスした書き方に回帰していくことになりました」と続き、とても興味深かった。
『群像』のweb記事で、「物語るために遠ざかり、小説全体であらわしていく」という題の鴻巣友希子との対談です。
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シュロ
棕櫚(しゅろ)は、ヤシ科の常緑高木である「シュロ」の葉や幹のことを指します。シュロは、日本原産の植物で、主に沖縄や九州南部などの暖かい地域で生育しています。棕櫚は、その葉や幹がさまざま��用途に利用されてきました。葉は、繊維が丈夫でしなやかなことから、縄や蓑、ほうきなどの民具や工芸品の材料として使われます。また、幹は木材として利用され、杖や柱などに用いられます。棕櫚は、その利用価値の高さから、古くから人々の生活に欠かせない存在でした。現在では、棕櫚を使った伝統工芸品や、棕櫚の葉で包んだ「シュロ縄」がお正月のしめ縄として使われるなど、日本の文化や伝統と深く関わりのある植物です。
手抜きイラスト集
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「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here」展

東京都現代美術館で「岡﨑乾二郎 而今而後 ジコンジゴ Time Unfolding Here」展を見る。造形作家で批評家としても知られる岡﨑の大規模個展で、作家自身が作品解説も書いている。本人濃度(?)の極めて高い展覧会と言えそうである。
冒頭の画像は、チラシやポスターにも使われている作品。そのタイトルは以下のと��り。
左 Amid the sea’s savage darkness, the little bird glimpsed a single piercing ray of light. What could it be? Awakened, it flew through the storm. Fish, enduring these raging waters, seem stronger, wiser than humans. Beyond twenty feet, wave-roars silence human speech. Reefs transform: slippery, spiked, twisted, sharp—their endless forms leave me utterly lost. 右 The roar of waves and wind deafens me. In reef shadows, I hear phantom whispers, mysterious sea flutes. Mesmerized by the rainbow sheen of fresh fish, divine rapture overtakes me. Sinking through swirling waves, consciousness dissolves. A voice echoes through silver air, "Wild storm! Yet garden, sea, sky—all ablaze." Pale fingers now grasp, cradle.
すべてではないが、かなりの数の作品が非常に長いタイトルを持っている。それも含めて作品が成立しているのだろうと思うので、なるべく正確に書き写すよう努めたが、誤入力があるかもしれない。
展示室は1階から3階まで続き、ミュージアムショップ近くのスペースにも展示が少しある。
展示室1階は「2020年までの仕事」と「さまざまなプロジェクト」。最初に掲げられていたのは、作家が「こづくえ」と名付けた工作物。これを1年あまり壁にかけて眺め、なぜかおもしろいと感じ、のちにシリーズ化していった由。平面を立体化する発想は、洋服の型紙などに通じているようである。





下の作品《3時12分》は、箱に入れて送ったら「梱包材しか入っていなかった」と報告され、ごみ箱の中から梱包材とともに発見されたといういわくつきだそう。壁にかかっていれば周囲から際立った存在たり得るが、置かれた環境によっては作品とは認識されない事例。

このシリーズは、以下のような大きな立体作品にも発展した。


広い展示室でいちばん存在感があったのは、アクリル絵具による絵画作品群だった。透明感のある絵具と不透明な絵具の使いかたがおもしろく、大胆に描き殴ったかのようでありながら、ごちゃついておらず、すっきりした印象にさえ見える。とても長い作品タイトルは、発表当初はかなり奇妙なものと受け取られたらしい。
左 この方角がわたしにとっては、いつとはなしに生きる方角になっていたというわけだ(ぼくらが近づくと消えてなくなる水���)。衰弱していたので海までは出られない。わずかに見える地平線、光線の具合か、砂漠に反射するまぶしい光がぼくらの目を灼く。わずか一滴でも砂の底から草の芽を、緑の火花を誘い出す水。その残してきたすべてを飲み干す。 右 北へ向って五時間歩いたら景色が変った。なにしろできるだけ遠くまで行き(ぼくらは大股に! 歩いた)何もみつからなかったら日没までに戻らなければならない。真昼に消えて夜にはまた生れるあの雲の、日中のさいごに残る積雲の影。そのひとつひとつが、水の動きと水の深さをそなえた森の茂みをあらたに作り出すのだ。見わたすかぎり忙しなく。

左 あな��がたの考え(善悪)は紙に書かれる。この紙きれを火にくべよう。紙が燃えたらその考えこそ過ちとなる。紙は炉に投げ込まれ、しばらく火の中にあったが、やがて焼けも焦げもせずふわり、ふわりと飛びだしていく。楽園に神が生ぜしめた(花も葉もめだたぬ)善悪を知る一本の木。その木から(禁じられた果実と同じく)紙きれも作られたのである。 中央 天使は翼があるから鳥という。顔かたちは玉のように清らか、声のさまも女のよう。心を寄せても返事は文ばかり、耳に入るは羽音だけ。 右 野には(この世界では見えぬ)育ちも摘まれもしない無数の種子が眠る。言葉は種子である。あなたの見る水は、いつのまにか漲り涸れる河のように水蒸気が作るのではない。地の底から、泉のように想起されるのである。

左 石がとどく距離なら、隈なく見渡せるさ。よって、剥き出しになった骸に気づかぬ者—水を目の前に、乾いた口で飢えを我慢するような者は、だれもいない! 悲しみは消えず、きっと肌の上に残るだろう(だから)、いつまでもきりなく泣くことはない。奇麗な死を願うのであれば(食われたくなければ)。海綿と水を用意し、今すぐ洗濯に出たまえ。 右 遠く投げた石によって、少年の肩の筋と骨とは粉々に砕かれた。距たりゆえにこの男—ダレモイナイ、自身は、自分が何をしたのか知ることもない。同じ母から生まれた者を殺したというのに。見える通りその肌はつるつる、滑らかなまま。けれど(だから)心が晴れることはもうないだろう。感じられるのは右脚の��るぶしの痛み。その痛みに大粒の涙を流す、ダレモイナイ。他国のものよ、この男と戦うつもりなら、その鼻と耳を削ぎ落とし、犬に食わすことさえも躊躇うことないぞ。

小さいサイズの作品も多く、大きいサイズのものとは違った魅力がある。左から、《出来/ルーテルの食卓》、《河内(ハノイ)/地球上ではじめての聲》、《瑠璃/西方の溌剌》、《戸口/雑巾と棕櫚の靴拭い》。

床に置かれているのはタイル作品。奥の壁に見えるのが布を使った作品。

床に置かれたタイル作品2点のタイトルは次のとおり。タイルと同じように文字を12×12に並べている。
ひ と の よ は お し よ せ る こ う ず い 、 た て 、 あ ん か ん と い え に ざ し て い て は な ら ぬ 。 れ ん れ ん と こ の よ に と う り ゅ う を き め こ む な 。 す く い の は し が げ き り ゅ う に の み こ ま れ ぬ う ち に い さ ぎ よ く た び た て 。 あ つ い じ ん あ い に お お わ れ た こ の よ に 、 こ こ ろ を あ わ そ う と は お ろ か な こ と 。 ゆ れ う ご く ど だ い に あ し を と ど め て は な ら ぬ い こ う べ き い か な る か げ も お ち て い な い ま ひ る 、 ち か く に み ず わ き い で 、 て ん が い さ な が ら か た ど ら れ た い け 、 か う せ る か 。 み ど り の く さ が も え 、 す ず し げ な み な も 。 さ ば く を は し り ま わ っ た あ し を や す め 、 ぎ ん よ う に あ い た く ち を と ざ す 。 い ち わ の か ら す 、 き ぬ の う え に お か れ た こ く よ う せ き 。 だ れ の た め に も に ふ く す
い ま は わ た し を あ ら う と き で す 、 と み ず に み を な げ た 。 こ ん な う つ く し い ひ と が あ ざ ら し に た べ ら れ て し ま う 、 と ひ と び と は な き さ け ん だ 。 み を な げ る と い な ず ま が お こ り 、 い な ず ま を み て あ ざ ら し は み ず に う か ん だ 。 ひ の く も が と り か こ み け も の た ち が ふ れ る こ と も そ の は だ か の す が た を ひ と に み ら れ る こ と も な か っ た は じ め て て ん ち が し ゅ つ げ ん す る よ り も ま え 、 ま だ な に も の も か た ち を な し て い な か っ た と き 、 い き る も の は た だ お お み ず の う え を た だ よ っ て い た 。 か み の こ と ば に よ っ て て ん ち が あ ら わ れ て か ら は い き る も の は き の う え に ず っ と と ど ま っ て い る 、 だ か ら い き る も の が う ご く た び に 、 こ の き か ら み ず が な が れ で て く る の だ
この下の画像は、布をパッチワーク的に組み合わせた作品のひとつ、《木灰木を育てる》。近づいて目を凝らして見ると、手芸作品ではないので必ずしも布を縫い合わせているわけではないようだった。

絵画ほど多くはないが、立体作品も少なからず並んでいた。
(下の画像左) ハンバウとそむきにぐるものを ホクワクととらへたり (下の画像右) テウミンとたみをとむらって バツサイとつみをきりしは

上の画像で壁に掛かっている小さいサイズの絵は《同じ名をもつ堅さと重量(頭陀袋)》。
また、展示室の隅の一区画が絵本に割かれていた。絵本の実物のほか、絵本『かく』の原画がたくさん。


数々の「ポンチ絵」。作家曰く、デフォルメされて記憶された名画の印象を、設計用薄葉紙を破って表現した、絵画の似顔絵、とのこと。

四谷アート・ステュディウム関連資料。2004年から2014年まで開校された芸術学校��、岡﨑はそのディレクターを務めていたとのこと。

このほか、公園の計画に携わったり(雪と霧の公園)、環境保護的な活動に関わったり(灰塚アースワーク)、公共の場所に設置する作品を制作したり(ファーレ立川)、といった狭義のアートの域にとどまらない仕事も紹介されていた。
2階の小さなスペースでは、岡﨑が2021年に脳梗塞で倒れたことと関連した展示がなされていた。病後のリハビリで描いたものが《T. T. T. Bot (Table Turning Tripod Robot)》の描画過程に似ていたということから、それも展示されていた。《T. T. T. Bot》は2015年の作品で、人の描画過程の速度や方向などを記録し、それを反転させた動きを画板にさせることで、画板に筆を置くだけで描いた本人以外の人も自動的に描画過程を体験できるというもの。この説明では何が何やらという感じかもしれないが、展示室には実物と映像が用意されていたので、仕組みは想像しやすかった。
《T. T. T. Bot》の描画過程の絵はたとえばこんな感じ。

ご本人の脳の写真も。

3階は「2022年からの仕事」。やはりアクリル絵具の絵画作品が主役を張っている。

(上の画像) ジャガタラ。バナナから生まれた。ある日イノシシの牙に引っかかったココナツを見つけました。持ち帰ったココナツを庭に埋めると数日で大木に育ち、花が咲きました。花をとろうと彼女は木に登り、指を切り、その血が花に落ちました。 ジャータカ。かつて菩薩は泥水を泳ぐ力強い魚でした。干ばつがありました。ルビーのような目を開き魚は言いました。助けを求めている世に如来が雨を降らせるのは初めてではありません。洪水が起こって、甘い花の香りが漂いました。 (下の画像) “You don’t see far, and you don’t see clearly,” said the Moon, “In the little pretty whirl here below.” Lute strings trembled moonlight. Gossamer threads caught starlight. Moments dissolved beneath crystal waters. “She wept for the world’s depravity, unheard by the ears of men.” Constellations pierced bamboo grove. Coral pendant caught lamplight. ‘There,’ she exclaimed, ‘there!’ and she knelt and kissed the purple carpet. Evening frost kissed pale skin. Temple candles flickered worlds. Ivory doves scattered dreams. I think she was actually weeping. Dawn shattered like sea glass.


左から On Ohrid Lake’s rocky shore, an ancient sage meditated, his bird-like face carved by time and fasting. Swallows skimmed waters. The novice’s azure beads glinted. “Master,” he murmured, “your strength wanes like autumn light.” Behind them stood a monastery, half-hidden among olive trees, its burned walls whispering tales of sacrilege. “At night, Master, I see them: Hellenic maidens weaving flower crowns with blue wildflowers, their hair flowing with their hearts’ rhythm.” The youth’s voice trembled. Through azure darkness, mysterious figures like shadows - Macedonian shepherds driving boars through olive groves, Dryads herding pearl-white goats, laughter echoing across deep blue Aegean waters. Lilies and roses, planted by long-departed Orthodox monks, wove through the garden where ferns advanced like silent armies. “The ancient Thracian gods still walk here,” the old man murmured, eyes gleaming. Beyond the flower-strewn ruins, cypress groves stretched toward horizon, harboring secrets of Cyclopes and Thessalian nymphs dancing in moonlight. “I seek the moment when immortal spirits sing,” the sage revealed, clutching his cypress staff. “When the sun passes between Ram and Lion, their song trembles through creation. Tomorrow at dawn, I shall hear it.” His eyes blazed with ancient wisdom, reflecting centuries of searching through Byzantine and Delphic lore. The youth gathered roses bright as rubies and lilies white as pearls, weaving them through rushes as the last grains of sand fell. “You’ll find me young again,” the master had promised. When dawn painted the walls with clear light, he sat motionless, embracing the dewy flowers, his quest ended.
《露齿而笑/コロッケを食べるDavy Crocket. または口笛をふくJiminy Cricket》

���Une Larme pour une Goutte d’Eau/ただ一つの慈悲》

立体作品もやはり何点もあったが、Tumblrの画像枚数制限のため少ししか載せられない。
Examine The Tone And Reasoning Too; Consider The face, How It Changes Hue/聆音察理,鑒貌辨色


(上の画像中央の立体作品) Hear the Breakers’ Deepening Roar/气喘如牛、舳艏揺曳倾海/Trampling, Trampling, Trampling, to Overwhelm the Shore! (上の画像左の平面作品) The faithful brown eyes closed in eternal sleep as the wind created an eerie howl. Through tall reeds, something leapt into deep water. “My brother, Follow the path to that volcanic pit,” I whispered. Animals absorb earth’s scent into their flesh; cubed meat wafts soil’s aroma. A large dun-colored beast moved at considerable speed across the green hillside. The stiffened limbs of our prey ceased their natural service. “It was bluish clay,” he muttered, tracking another creature. We glimpsed porcupines, an anteater, and a wild pig with curved tusks. After hunting for over an hour without securing a shot, darkness fell swiftly. (上の画像右の平面作品) The aged fish cast a vast, faint shadow on the pond’s bottom, its silhouette wavering like a mirage in the sunlight. The water’s slight murkiness and the shadow’s immensity rendered it imperceptible to the smaller fish, who swam on, oblivious to the ancient presence above. Daily, the old fish approached the shore, gazing skyward. It sampled the bitter earth, musing, “With time, I’ll adjust.” It longed to scale the bank, envisioning the wonders beyond: distant mountains, rivers, and luminous nighttime cities. The mysterious terrestrial world beckoned, teeming with countless unseen marvels.
最後に余談をひとつ。額縁やケースに入っていない作品が多いので、下の写真のように床のあちこちにテープが貼ってある。ある展示室でテープの先に踏み込んでしまった人がいたらしく、スタッフが「結界を張ってありますのでその先には入らないでください」と言っているのが聞こえてきた。結界。そう、確かに結界と言っていた、ごく自然に、当然のように、大真面目に。それが妙にツボにハマってしまい、誰かに話したくてたまらなくなったが話す相手がいないのでここに記しておく。

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英単語は「漢字」だと気づいたら、英単語のカタカナ表記が、漢字のひらがな表記にしか思えなくなった。そうなると、英単語は、できるだけカタカナ表記はやめて、英単語そのものをalphabetで綴って表記したほうがいいということになる。日本語の文章内の英単語をすべてカタカナ表記にしているのは、喩えるなら、日本語の文章内の漢字をすべてひらがな表記にしているくらい、いろいろと、アレ。
「わたしのおじはさいしょすいえいせんしゅをめざしたが、しんぞうのけっかんにけっかんがあることがわかって、けっかかがくしゃになった」よりも、「私の叔父は最初水泳選手を目指したが、心臓の血管に欠陥があって、結果化学者になった」の方が、断然、文章の「解像度」が高い。理解度も高まる(例えば「叔父/伯父」「化学者/科学者」或いは「血管/欠陥」も?)。
alphabetで綴った英単語が「読めない」可能性がある場合は、カタカナでルビを振ればいい(漢字はひらがなでそうしている)。alphabetで綴られた英単語の意味がわからない場合は、現状、漢���でもカタカナ表記の英語でも大抵「放置」されているので、気にしない(自分で調べろ、ということでしょ?)。
英単語をalphabetで綴る利点の一番は、漢字を漢字で表記する利点と同じ。
例えば、「アンサステナブル」というカタカナ英語。意味は「持続不可能な」ということで、同じカタカナ語の「サステナブル」に、否定を表す「アン」がついているわけだけれど、これなども、alphabetで「unsustainable」と表記したほうが断然いい。というのは、「sustain」(持ち続ける・維持する)という単語を知っていれば、「unsustainable」という単語を全く知らなくても、綴りから「un」(非)+「sustain」(維持する)+「able」(可能な)」を見て取り、大体の意味を読み取れる(「サステナ」からは分からない。そもそも。「アンサステナブル」は知っていなければ、どこが切れ目かもわからない。アンサ+ステナブル? アンサス+テナブル? アンサ+ステナ+ブル?)。漢字では同じことをしている「しゅろ」という単語を知らなくても「棕櫚」という漢字を見れば、どちらも木偏がついているので、木の名前か何かだろうと察しがつくし、「新造」という単語自体は知らなくても、「新」と「造」の意味を知っていれば、教えてもらわなくても「新造」が「新しく造られた」という意味だと分かる。
英単語をalphabetで表記する利点は他にもある。
①単数形と複数形がある。
②冠詞(a, the)がある。
①については、もう、英語を日本語に翻訳するとき、全員が「なんで、日本語には複数形がないんだ!」と叫んでいるので説明するまでもない。②は、ちょっとピンと来ないかもしれないが「分かる人には分かる」とだけ言っておこう(或る名詞に「a」がついているのか「the」がついているのか、それとも何もついてないのかで、すごく文章を理解しやすくなったりすることがあるので、これも実感として「冠詞って便利だなあ」といつも思う)。
英単語の綴りがわからない場合は、今まで通りカタカナで表記すればいい。漢字は「ちゅうちょ(躊躇)」なくそうしているのだから、なんの問題もない。
いずれにせよ、他の誰もやらなくても、私一人は、これから、カタカナ英語はできる限りalphabetで英単語を綴ろうと思う(趣味で)。多少あやふやな綴りの単語が出てきても、今は、netやcomputersで簡単に調べられるし。
(2024年8月28日 穴藤)
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各地句会報
花鳥誌 令和5年7月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
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令和5年4月1日 零の会 坊城俊樹選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 春昼や質屋の硝子なないろに 小鳥 伊勢屋質店今生の花とほく 光子 菊坂に豆煎る音や花の昼 和子 一葉の質屋は鎖して春の闇 はるか 本郷の亀を鳴かせて露地住ひ 順子 おかめ蕎麦小声で頼み万愚節 いづみ 文士らの騒めきとすれ違ふ春 三郎 一葉を待つ一滴の春の水 光子 物干に如雨露干したり路地の春 和子
岡田順子選 特選句
一葉の家へ霞の階を きみよ 金魚坂狭め遅日の笊洗ふ 千種 菊坂の底ひの春の空小さし 光子 坂の名のみな懐かしき日永かな 要 赤貧の欠片も少し春の土 いづみ 本郷の間借りの部屋の猫の妻 同 質店の中より子規の春の咳 俊樹 止宿者の碑のみ残すや蝶の舞 眞理子 本郷の北窓開く古本屋 きみよ かぎろひの街をはみ出す観覧車 いづみ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月1日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
花冷の背後より声掛けらるる 美穂 幾年も陽炎追ひて遊びけり 散太郎 濃きほどに影のやうなる菫かな 睦子 化粧水ほどの湿りや春の土 成子 画布を抱き春の時雨を戻りけり かおり 昼月は遠く遠くへ花満開 愛 シャボン玉の吹雪や少女手妻めく 勝利 麗かや砂金三つ四つ指の先 睦子 成り行きの人生かとも半仙戯 朝子 鞦韆の羽ばたかずまた留まらず 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月3日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
花吹雪卍色と云ふが今 雪 花冷に後姿の観世音 同 そぼ降りてひと夜の契り花の雨 笑 観世音御手にこぼるる花の寺 同 お精舎やこの世忘れて糸桜 啓子 逝きし友逢へないままに朦月 同 裏木戸を開ければそこに花吹雪 泰俊 御仏と咲き満つ花の句座に入る 希 愛子忌や墓にたむけの落椿 匠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月5日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
縋りつく女心や桃の花 世詩明 肌寒く母の手紙はひらがなぞ 同 啓蟄や鍬突き立てし小百姓 同 日野河原菜花の香る祭りかな ただし 菜の花や石田渡しの蘇る 同 雛祭ちらしずしそへ甘納豆 輝一 ぽつたりと落ちて音なき大椿 清女 花吹雪路面電車の停車駅 同 大拙館椿一輪のみの床 洋子 花の山遠く越前富士を抱く 同 吉野山日は傾きて夕桜 誠
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月6日 うづら三日の月 坊城俊樹選 特選句
花の下天をを仰げば独り占め さとみ 春陰やおのが心のうつろひも 都 春耕や眠りたる物掘り起す 同 左手の指輪のくびれ花の冷え 同 園児等のお唄そろはず山笑ふ 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月8日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
膝をまだ崩せずにをり桜餅 秋尚 登り来て本丸跡や花は葉に 百合子 葉脈のかをり弾けて桜餅 同 桜餅祖母の遺せし会津塗り ゆう子 売り声も色つややかに桜餅 幸子 木洩日の濡れてゐるやう柿若葉 三無 春愁や集ふふる里母忌日 多美女 伍しゐても古草の彩くすみをり 三無
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
心経をとなへ毛虫に火をはなつ 昭子 マンホール蓋の窪みに花の屑 昭子 栄螺売潮の香りを置��てゆく 三四郎 金の蕊光る夕月てふ椿 時江 禅寺の読経流るる花筏 ただし 若者の髭に勢や麦青む みす枝 龍が吐く長命水の春を汲む 三四郎 花吹雪受けんと子等の手足舞ふ みす枝 土器の瓢の町や陽炎へり ただし 海遠く茜空背に鳥帰る 三四郎 紅梅のことほぐやうに枝広げ 時江
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月10日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
片棒を担いでをりぬ四月馬鹿 三無 薬草園とふ門古りて松の花 和魚 だんだんと声ふくらみて四月馬鹿 美貴 四月馬鹿言つて言はれて生きてをり 和魚 松の花表札今も夫の居て 三無 白状は昼過ぎからや四月馬鹿 のりこ 一の鳥居までの大路や松の花 秋尚 松の花昏き玄関応へなく 美貴
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月11日 萩花鳥会
京よりの生麸草餅薄茶席 祐 不帰のヘリ御霊をおくる花筏 健雄 ただ一本ミドリヨシノの世界あり 恒雄 堂々と桜見下ろす二層門 俊文 猫に愚痴聞かせて淋し春の宵 ゆかり 杵つきの草餅が好きばあちやん子 美惠子
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令和5年4月13日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
便り待つポストをリラの房覆ふ 栄子 畑打つや鍬を担ひし西明り 宇太郎 軒下の汚れし朝や燕来る 都 桜蕊降る藩廟の染まるまで 美智子 桜蕊降るももいろの雨が降る 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 伊藤柏翠記念館句会 坊城俊樹選 特選句
何氣なく来て何気なく咲く花に 雪 神御座す杜の新樹に聞く鳥語 かづを 老の踏むひとりの音や落椿 ただし 野辺送り喪服の背に花の蕊 嘉和 夜ざくらのぼんぼり明り水あかり 賢一 喝采の微風を受けて花は葉に 真喜栄 生きる恋はぜる恋ととや猫の妻 世詩明 葉ざくらに隠されてゐる忠魂碑 同 眩しさを残して花は葉となれり かづを
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月16日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
極大と極小としやぼん玉宙へ 要 穴出でし蟻の列追ふ園児どち 経彦 頰をつく石仏の春愁 貴薫 酸模を噛む少年の今は無く 要 稲毛山廣福密寺百千鳥 同 瑠璃色を散らし胡蝶の羽ばたきぬ 久 春陰の如意輪仏へ女坂 慶月 棕櫚の花年尾の句碑に問ひかくる 幸風 朴の花仏顔して天にあり 三無
栗林圭魚選 特選句
蝌蚪の群突くひとさし指の影 千種 峠道囀り交はす声響き ます江 美術館三角屋根に藤懸かる 久子 こん��りと句碑へ映るも若葉かな 慶月 微かなる香りや雨後の八重桜 貴薫 朝の日に濃淡重ね若楓 秋尚 落ちてなほ紅色失せぬ藪椿 経彦
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
通勤のバスから見ゆる日々の花 あけみ 花馬酔木白き房揺れ兄の家 令子 亡き鳥をチューリップ添へ送りけり 光子 偲ぶ日の重く出��るや春の月 令子 あの頃の記憶辿って桜散る 美加
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月19日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
矢車の音きしみ合ふ幟竿 世詩明 風よりも大きく揺れて糸柳 啓子 花万朶この世忘れて花の下 同 あたたかやお守りはねるランドセル 同 甘き香の女ごころや桜餅 千加江 春場所や贔屓の力士背に砂 令子 落椿掃きゐてふつと愛子忌と 清女 春の虹待ちて河口に愛子の忌 笑子 散りそめし花の余韻も愛子の忌 同 城の濠指呼の先には花の渦 和子 花筏哲学の道清めたる 隆司 故郷の深き眠りや花の雨 泰俊 山道の明るさを増す百千鳥 同 ほころびて色つぽくなり紫木蓮 数幸 花桃に出迎へられて左内像 同 瞬きは空の青さよ犬ふぐり 雪
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 鯖江花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
忠直郷ゆかりの鬱金桜とぞ 雪 椿てふ呪縛の解けて落つ椿 同 春愁や言葉一つを呑み込んで 同 御襁褓取り駈け出す嬰や麦は穂に みす枝 鶯の機嫌良き日や鍬高く 同 ただならぬ人の世よそに蝌蚪の国 一涓 あの角を曲つてみたき春の宵 日登美 春の果次も女に生れたし 世詩明
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月21日 さきたま花鳥句会(四月二十一日)
清冽な水は山葵を磨き上げ 月惑 連写して柳絮の舞ふを収めけり 八草 天守閉ぢ黙す鯱鉾朧月 裕章 行き先は行きつく所柳絮飛ぶ 紀花 南無大師遍照金剛春の風 孝江 揚浜に春の虹立つ製塩所 とし江 柳絮飛ぶ二匹の亀の不動なり ふじ穂 筍堀り父編むいじこ背負ひ来て 康子 花吹雪ひと固まりの風の道 恵美子 満天星の花揺らしつつ風過ぎる 彩香 夢叶へ入学の地へ夜行バス 静子 啓蟄やピンポンパンの歌聞こゆ 良江
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令和5年4月23日 月例会 坊城俊樹選 特選句
真榊はあをばの中に立つてをり いづみ 水の上の空のその上鳥の恋 順子 掌の中の春の蚊深き息を吐き 炳子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの���密なる蒲公英の絮 秋尚 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 春の闇より声掛けて写真館 順子 零戦機日永の昼の星狙ふ ゆう子
岡田順子選 特選句
玉砂利の音来て黒揚羽乱舞 和子 耳朶を掠めて蝶のうすみどり 緋路 仕上りの緻密なる蒲公英の絮 秋尚 風光る誰にも座られぬベンチ 緋路 緋鯉とて水陽炎の中に棲み 俊樹 手放して風船空へ落ちてゆく 緋路 蜂唸る神の園生に丸き井戸 炳子 佐保姫は夜に舞ひしか能舞台 俊樹
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年4月 九州花鳥会 坊城俊樹選 特選句
つかまへし子亀に問へり亀鳴くか 美穂 亀鳴くや拷問石にある哀史 ちぐさ 亀鳴ける賓頭盧尊者撫でをれば 美穂 板の戸に志功の天女花朧 喜和 連子窓に卯の花腐し閉ぢ込めて かおり 大人へのふらここ一つ山の上 光子 ふらここや無心はたまた思ひつめ 同 ふらここや関門海峡見下ろして 同 さくら貝ひとつ拾ひて漕ぎ出しぬ かおり 午後一時直射にぬめる蜥蜴の背 勝利 花冷の全身かたき乳鋲かな 睦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年3月4日 立待花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
落城の如く散りたる落椿 世詩明 三人の卒業生以て閉校す 同 双葉より学びし学舎卒業す 同 氏神の木椅子はぬくし梅の花 ただし 鳥帰る戦士の墓は北向きに 同 草引く手こんなですよと節くれて 清女 雛あられ生きとし生くる色やとも 洋子 官女雛一人は薄く口開けて やす香 露天湯肩へ風花ちらちらと 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
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#棕櫚ほうき #棕櫚箒 #棕櫚 先日ご近所の床張替え工事の時に施主さんが出してきた20年近く愛用していると言う棕櫚箒。 使い方にもよるけど、古くからの専門職人が作った箒の20年もの対応年数には驚き…
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梅雨は? 「知らん」 「え?まだやったん?」 「今週中頃からやろ」 「明日からやろ」 ほんま、みんな適当に答えてくれるわ。 好きなこと言うてたらいいよねー 梅雨ぐらいのこと。 いつ梅雨くるか未解決ですが 今日も布団干し日和。 掃き出しの窓が付いたので 棕櫚の箒が🧹楽チンです。 プラとか���属とか以外はなんせ掃き出したらいいの。 今日は娘が、梅のなり口を取ってはポイ 取ってはポイとバルコニーに捨ててました。 バルコニーの下は庭なのでいずれ土に還るでしょう。 棕櫚の箒は、ビオチェドで販売中です。 板間、フローリングにモップのように掃けます。 はい!では!という事で! 今日はこれにて閉店です。 また明日ー☆ #しゅろほうき #棕櫚ほうき https://www.instagram.com/p/BzIIk7ol2Qo/?igshid=vgu0ypjz8ind
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日用品の決定版といえば ほうき👍 サッシやデスクや グリーンの周りや お茶の周りに。 ・ いろんなところで 大活躍する ミニ箒。 最近ライフスタイルショップでも 人気の棕櫚のほうき だけど アミアミした感じとか デザインが ちょっと違う。 でも海外製なので 値段はだいぶお手頃。 ちょっとした違いが 異文化。 他にもカラフルほうきとか あるので投稿します❣️ ・ #アジアの日用品店 6/21fri 〜23sun 12:00〜20:00 (最終日は18:00まで) SAAの4階で開催 3日限定・入場無料 詳細はトップページのURLからどうぞ。 #ほうき #箒 #棕櫚箒 #シュロほうき #棕櫚 #手仕事 #くらし #くらしの道具 (SAA) https://www.instagram.com/p/Byz_28XFFOA/?igshid=dy5d5jl463kn
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【母の日ギフト】今年はなにを贈ろうか迷っているあなただけに、こっそりお伝えします(^_-)-☆
この『たわし孫の手』ひと掻きすれば痒みおさまる、まるで「魔法少女のロッドのような」素敵アイテムです(痒いの痒いの飛んでけー
冗談はさておき。
四十肩五十肩、体が硬くて手が届かない方も、老若男女全員におすすめのアイテムです。痒みは我慢するのが辛い感覚、これがあれば即解決。
人に頼らずひとりで何でも自由に出来るってことが、年を取るほどに大事になってきますから、特に高齢のお母様への贈り物におすすめかと思います。
外出が減るお年頃になると、ファッション関係もらってもしまって終わりになることも多いし、おうちの中は自分が必要なものが揃っているので困って無いし・・・そういうお母様向けに、ぜひご検討くださいませ。
父の日にもおすすめしてます!
通販→https://wazakka-kan.jp/tawashi/
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かなやブラシ resotck
- goods - ▼ アイテム各種 ‣‣‣ Shopping Page
6月21日夏至です月曜日。密にならないご協力有難うございます。新作順次アップ中、オンラインでのご来店も24時間御待ちしております。
_________________________________________________________ ソコノワ | FUKU&ZAKKA +++ ONLINE SHOP 〒350-0045 埼玉県川越市南通町16-5 ヨシダビル1F 〔MAP〕 049-299-7285 12:00-18:00(短縮営業中) 不定休 contact official_instagram official_HP ________________________________________________________
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よしもとかよ「日々是好日」。vol.69 (2021/11/24 + 12/1)
2021 24th november + 1st december
M1 Teremtes (Sebestyen Marta with Muzsikas)
M2 Math was a Wizard (Adiemus)
M3 el zorzal (Juana Molina) M4 Eagle Man / Changing Woman (Mari Boine) M5 whaler’s lullaby (Susan Aglukark) M6 ミシャオの馬 (Dao Dezi feat. Tri Yann) M7 njuvccat bohtet (Ulla Pirttijarvi) M8 sarac’h (Denez Prigent)
< 好日の素 …かごを編むこと>

もともと 編むとか織るとか、といった 手仕事が好きなのですが、 植物などをつかって かごを編む、ということには 今までほんのりと 憧れを抱いてはいたものの、 なかなか不思議と やってみよう!とならなかったのです。 それが この秋のある日、 突然に チャレンジの機会が巡ってきました…。 とある方が「やってみませんか?」と 材料持参で訪ねて来てくださったのです! 思いがけずやってきたチャンス! やってみるとなんとも奥深い…。 今回お持ちいただいたのは、棕櫚の葉。 放射状に広がる葉を裂いて、編んでいくのです。 数を数えながら手も動かすので どこか脳トレ的であり、 また単純作業を繰り返すので 機織りのように無心になる感じです。 気がつくと数時間経っていた!なんてことも。 自然の素材を 手で編み上げていくので、 出来上がりは良い意味でいびつというか、 唯一無二のかごになります。 最初は1枚の葉でつくってみて、 次は2枚を組み合わせてみたり、 つかう葉の大きさを変えてみたり。 むずかしいけど、たのしい!という 不思議な感覚、そして野趣のある仕上がりと 作業しているときに漂う 心地よい葉の香りに、 すっかり夢中になりました。
* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * < 日々是食べたい! …皮くじら>

くじらを食べる、というと 給食の竜田揚げを イメージされる方も 多いかもしれません。 個人的には、 赤身のお刺身も大好き。 そして、この皮くじらです。 くじらの背びれ?から 尾びれに向かう部分の脂身のことです。 我が家では ごぼうと一緒に お味噌汁にしていただくもの、という認識で、 父が用意した皮くじらを 祖父が「大ごっつぉ」(すごいご馳走)と喜んだものでした。 食感は、というと 豚肉の脂身の、食感がしっかりした感じ、とでも いうのでしょうか。 脂身ではありますが DHAやDPA、オメガ3脂肪酸を含む 身体にやさしい脂なのだそう。 日本の各地で食べられています。 その皮くじら、ブロックの状態で 手に入ったのですが、 さすがにお味噌汁だけでは なかなか消費がはかどらないので どうしたものか、と 調べてみたところ、郷土料理の中に 使われているのを発見。 炊き込みご飯にして、 おめでたいときや、何か節目の際に いただく、ということを知りました。 そこで、長崎に伝わるレシピで 炊いてみたところ… 脂の甘みがおいしいごはんに! 炊き込む具材は 地域によって 豆類やおあげさんなどさまざまのようですが ごぼうを加えるところもいくつかあって、 相性がいいのかな、と思ったり。 ちょっと特別な食材かもしれませんが、 わたしにとっては 祖父や父を思い出す 懐かしい味であり、 毎日さまざまなレシピで食べられたら それはそれでまたたのしいだろうな、と 思う一品です。
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九月前半日記
9/1
カレンダーをめくるの儀。今月はコスモスの絵でした。
9/2
長袖ブラウスを下ろした。ハイネックのフリルになっていてかわゆいのじゃ。シウマイブラウスと呼んでいます。
9/3
土砂降りの中おつかいに行ったので帰りに淡水パールのピアスを買いました。バロックパールでかわいいの。傘を買う予定でしたが気にいるのがなくて今日は止した。
9/4
すっかり涼しくなったので花ござからもこもこラグに模様替え。二人で足跡をつけて遊んだ。私はどうやら扁平足になっているようです。
9/5
薔薇の夏剪定をした。ぎりぎりのタイミングですが……。あっちこっちに絡まった枝にぱちぱちと鋏を入れる。秋が深まった頃にお花を見せてね。
9/6
道具屋筋で蒸籠を買ったので色々入れて蒸した。生活のクオリティがワンランクアップだゼ!次は蒸しパン作りたいわね、マーラーカオとかね。白ワインを飲み干して二人で踊りました。
9/7
大好物のファーイーストバザールのドライフィグをとって��久しぶりに食べた。エジプシャンデーツも売っていたけれど何て言う品種なのだろ?ぴょんぬりらさんをフォローしてから棕櫚や椰子に興味が湧いています。
9/8
ぺしょんと疲れたので煙を吸ったり吐いたりした。
9/9
主人がハゼをたくさん釣ってきたので唐揚げと天ぷらでいただく。美味しすぎたのでまた釣りに行ってほしい。真っ赤っかに日焼けしておったけど大丈夫か?
9/10
土曜日は途端に電源が切れる。半日ベッドの上にいた。はよ週休三日にならんかな。
9/11
夜になってから栗の渋皮煮を作り出してしまった。アウトドア用ナイフは面白いくらい切れ味が良い。たくさんできたから栗のおやつを作りたいと思います。手始めにパウンドケーキかな。久しぶりに牧場でソフトクリームを食べた日だった。
9/12
実家から葡萄やピーマンや茄子が届く。新米は収穫が終わって乾燥中らしい。来月にはぴかぴかのご飯が食べられる!
9/13
メディヒールのティーツリーフェイスマスクを試してみたら、お肌が落ち着く感じで良い。もうちょっと保湿が欲しいかな。朝も夜も使いたいのでこれは!という一品を探している。
9/14
前髪切りたい欲がウズウズしたので美容院予約。ついでにカラーも変えたい。チョコレートブラウンとかマロンベージュとか。秋っておしゃれが捗りますね。フットネイルは血のような赤にしてもらいました。
9/15
蒸籠で蒸すとなんでもおいしいという大発見をしました。三連休、何蒸そうかなー。おうち飲茶がしたい。



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愛知がまだ独自の緊急事態宣言出す結構前、高島屋に棕櫚(しゅろ)たわし専門店 #高田耕三商店 さんがスポット出店していました。 一目で絶対いいことが分かる見事な棕櫚たわしの数々に、ボディブラシやホウキなど棕櫚製品がズラリ。 高級たわしとあるように、たわしと思えないお値段に慄きつつも、フライパン用の「ブナ柄 しゅろのやさしいたわし」と「しゅろのやさしいたわし むすび」を購入。 ちょうど長年愛用していたササラが壊れて買い換えようと思っていたところだったのもありました。 で、使ってみて…すごくいい。 中華鍋とか鉄鍋は洗剤NGってのが基本だと思うけど、タワシもあんまり固いのだと変に傷つくし、お手入れがあんまり手軽じゃないのがネック。でも、しゅろのやさしいたわしは軽くゴシゴシ洗えば汚れはきれいに落ち、傷も付かない。柄の長さもちょうど良くて、使いやすい! あと、良かったのはテフロンにも使えるってことです。ほとんどの鍋やフライパンがテフロンだから。テフロン剥げたら元も子もないけど、大丈夫と太鼓判押されました。実際、大丈夫だった。 むすびは金具がないので、食器が傷つく心配がなく、タッパーのフタの窪みとかに入り込んだ汚れを取るのにも◎、という触れ込み。 私は主に根野菜の土汚れをゴシゴシ落とすのに使ってます。里芋の皮をこれでゴシゴシ洗ったりしてます。皮が薄くなるぐらいまでは簡単にいくので、皮付きで蒸し揚げ焼きにしたいときなんかにも便利。 とにかくお勧めの逸品でした。 いつか「紀州棕櫚のからだ用たわし」が欲しい! 公式オンラインストアのほか、楽天市場やYahooショッピング、Amazonでも買えますよ。 https://takada1948.shop-pro.jp #高田耕三商店 #しゅろのやさしいたわし (JR高島屋) https://www.instagram.com/p/B-4AVPqpu2U/?igshid=7a5vv005osy9
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店の掃除機がブッ壊れて3週間、遂に新しい掃除器が入荷しました❗️ 紀州名産の棕櫚(しゅろ)ほうき😃 完全手作りなので入荷は5月と言われていたのですが、意外と早く届きました❤️ 感想は、ホコリを吸い取るようなイメージでメッチャ使い易い☺ ほうきとしてはソコソコお値段しますが、掃除機と日々の電気代に比べれば、屁ェみたいなモンです😊 バウムにはダイソンよりも合ってる気がするので、大事に使ってキレイにしまーす❗️ 日本の職人技、スゴイわ☺ #棕櫚ほうき #madeinjapan #丁寧な手仕事 #職人技 #baumoptics #バウムオプティクス #河内長野 (Kawachinagano-shi, Osaka, Japan)
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