#植木の掘り方
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小さな仕事
追肥と移植 2、3日前に豪快に降った雨が上がって、この日は朝からよく晴れてくれました😁 今月は肥料をメインに入れてあげる月なので少々時間はとりますが、やってみることにしました。 この油カスはペレット状で、自分は元気のない樹木のまわりに画像にあるテント用のアンカーで穴をあけ、そこへ入れていく方法で使用してます。 今回のメインは芝に対して使ってみようということで、水はけの悪い範囲に40~50箇所くらい穴をあけ、その半数程度に先ほどの油カスを入れて様子を見ることにします💦 今月後半も雨が降る予報なので、うまいこと土に溶けてくれるといいですね😅 そして駐車場側の花壇の境界。真ん中らへんに空いていた箇所へレンギョの挿し穂を地植えすることにしました😅 4インチブロックの穴を10cm弱くらい掘り、先ほどの油カスを入れたあと少し水を入れてからレンギョを入れてみました。2週間以上弱ってないので、このへんで…

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たまに土を食う
その場所の土壌を確認したいときに、土を一掴み、カラカラになるまで焼いて食うことがある。流石に非加熱だと感染症もあるから、本当にカラカラになるまで焼く。
フォッサマグナを境界に、土の味は変わる。西日本はあんまり味気ない。火山からの土が多い場所では、鉱物系ミネラルが豊富だ。バカなことをしていると思うけれども、案外侮れない行為である。
その土地の水はけや適した栽培植物、あるいは動物は生息可能か、などなど、たくさんのことがわかる。絶対にやってはならないのは、アスファルトなんかで道路が整備され過ぎている土地の土は食べちゃならない。毒だから。
粘土を発見したときはテンションが上がる。何も作らないけれど、嬉しい。地層の変化を観測しても嬉しい。
あと、木灰はゴミのようで多彩な使い方ができる。穴掘って木灰を撒けば、消臭機能付き簡易トイレになる。炭に脱臭効果があるのとよく似ている。
どこにでも何かある。ものは使いようだ。
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昔を知るもの
そういえば少し前に、裏庭のイチジクの木が全て伐採されてしまったと書いた記憶が有るのだが、その後僅かだが片隅に根が残されているのを発見して観察していた所、まだ生きていたらしく新しい茎すらも伸ばし始めた。
しかし、放っておいたら今度こそ根こそぎ刈り取られてしまうのは確実な情勢だったので、当面は安全と思われる庭の別の場所への移植を試みた。
何であれ生命は基本的に環境変化に弱く、新しい環境に適応するのは植物であれ生物であれ簡単では無い。そこで失敗を前提に2カ所穴を掘り、肥料や、石灰、もみがら等を入れて水分を含ませた上で慎重に茎と根を切り取り2カ所に移植を行った。
数日後、移植したイチジクはモヤシの様に痩せ細り「やっぱり素人の移植はダメだったか」と一度は諦めたのだが、2つの内の片方はよく観察してみると、確かに痩せ細っては居るのだが微妙に緑色を帯びた箇所が有り心なしか生気を感じた。
特にこれ以上やれる事は思いつかなかったので水やりだけは続けていたのだが、片方は完全に茶色になって枯れてしまった。しかし生気を感じた方は緑色の部分が少しずつ増え、背丈も僅かに伸び成長の兆しすらも感じるではないか。
もっとも、まだまだオレの掌ぐらいの大きさしか無いんだがな。昨日また確認してみたら、さらに少しだけ成長し小さな葉も出てきた。冬を越せるかどうかは分からないが、温かく見守っていきたい。
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よしもとかよ 「日々是好日」。vol.121 (2023/11/22 + 11/29)
2023 22nd + 29th november
M1 powered by nature (Secret garden feat.Espen Grjotheim + Tracy Campbell)
M2 vihma (Varttina) M3 autumn leaves (Nana Mouskouri & Michel Legrand)
M4 ちいさい秋みつけた (おおたか静流) M5 ye Jacobites (Eddi Reader) M6 we are blood (Rita Coolidge) M7 les chose qui arrivent (Austine) M8 meu pobre capitao (Maria Mendes)
< 好日の素…球根を育てること、再び >

晩秋ともなると 木枯らしが吹いて、 枯れ葉が舞って…と、どこか 淋しいきもちになりそうなものですが… ヒヤシンスなどの球根植物は 晩秋から春にかけてのおたのしみ。 前回のテーマではないけど、 ここしばらくのうちに 球根植物が手元にいろいろ集まってきて たのしみが増えています。 昨年購入したヒヤシンスの球根は 鉢植えにして花を咲かせたあと 夏前に球根を掘り上げて乾燥して保管。 再び植えたところ、無事に芽が出てきました。 能登の祖父母の庭から 引っ越しさせたシラーは 芽は出たものの花を咲かせるには至らず。 植えっぱなしでよいとのことだったので 放置していたのですが、 さすがに先日、気になって 少し掘ってみたところ、 球根は無事のよう。 来春に芽吹いてくれることを期待しています。 草花交換会でやってきた 風知草の鉢に同居していたシクラメンは、 どんな花が咲くのかわからないので 夏越しにチャレンジ! シクラメンはいつも 夏にダメにしていたので 今回は事前に学習しました(笑。 そして…無事に夏越し成功! 目下は数ミリほどの葉が見えています。 同じく交換会で輿入れした ヒモサボテンの鉢の中には 謎の球根がひとつ。 ムスカリか何かかな?と思い ポリポットに植えて 放置していたら発芽!そして 花まで咲きました(笑! 咲いた花をもとに調べたところ、 チオノドクサという植物だったようです。 こちらも植えっぱなしOKとのことで 先日球根を確認してみると、 無事のよう。そして、もしかしたら 増えているかも…! こんな風に球根植物の成長を 観察していると、 晩秋の淋しさよりも わくわくする気持ちの方が おおきくなってくるのです。
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< 日々是食べたい! … 里芋のバターケーキ >

普段、おかずとして 食べている食材が、 お菓子にもなる、と知ったときって うれしい驚きがあるもの。 もうずっと前に お土産でいただいた、 里芋農家のおかあさんたちが つくったという 里芋のマドレーヌが おいしくて、忘れられなくて。 しかしレシピがないので… 試行錯誤しながら焼いてみたのです、 里芋のバターケーキ。 ヒントになったのは、バナナブレッド。 バナナを焼き込む際に フォークの背でつぶして たたくようにしていると 特有の粘り気が出てきます。 里芋にも粘り気があるので、 同じ手法でなんとかならないか、と やってみたところ、 生地の中に里芋らしさが残って しっとりほっくり、いい塩梅に。 ごまをたっぷりトッピングしたら しっとりした里芋の生地と クリスピーなごまの食感と香りが いい感じ! 晩秋になると思い出す、 大好きな一品になりました。
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我が国の未来を見通す(88)
『強靭な国家』を造る(25)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その15)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに──「ソフト・パワー」の役割
前回の続きです。前回提示した方程式からわかりま
すように、私は、これまでの「国力」の定義に倣い、
「ハード・パワー」と「ソフト・パワー」を“足し
算”ではなく、“掛け算”で掛け合わせて定義しま
した。実は、これがミソでして、“掛け算”ですか
ら、ハードかソフト、どちらかのパワーがゼロにな
ると「国力」はゼロになってしまうことを意味しま
す。
国家である以上、「ハード・パワー」を構成する諸
要素がゼロになる可能性はまずないでしょうが、仮
に、国際社会との比較において「経済力」や「軍事
力」や「科学技術」などがある程度のランクに位置
づけ��れても、「国家戦略」とか「国家意思」など
の「ソフト・パワー」がなきに等しければ、“「国
力」はゼロになる”、あるいは“ゼロと見なされ
る”ということを意味するのです。
戦後の高度成長期に、「経済力」が世界第2位にま
で上り詰めて「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と
称賛され、そのことが日本のアイデンティティのよ
うになっている時代がありましたが、国際社会に影
響を及ぼす「国力」という観点で立てば、特段の役
割を果たすことはできなかったと言わざるを得ない
でしょう。
その典型的な例が、湾岸戦争の際に多国籍軍に13
5億ドル(約1兆7500億円)もの巨額の財政支
援を実施しながらも、国際社会から何ら評価されず、
「小切手外交」と批判さえ受けたことでした。
その原因は、「経済力」を主にする「ハード・パワ
ー」を活かそうとする「ソフト・パワー」について
は、終戦直後の「吉田ドクトリン」からいささかも
脱皮できないまま、「国家戦略」はなきに等しく、
「国家意思」も内向きのままだったことにあると考
えます。
言葉を代えれば、“憲法上の制約”を逆用して、そ
の範囲に留まるしか選択肢がなかったのでした。そ
の意味ではありがたい憲法なのですが、憲法前文で
いう「名誉ある地位を占めたい」を実現するため、
憲法自体がその障壁になったと言えなくもないので
す。
戦後からかなり時間が経ち、「時代が変わっている」
ことを認識しながらも、「国のあり様」などについ
て議論することなくそのまま放置した結果でした。
我が国は、その後、慌てて憲法の枠内で「国際平和
協力法」を制定し、自衛隊を(海外派兵ではなく)
海外派遣しました(これに関しては、個人的にも言
いたいことが山ほどありますが、省略しましょう)。
国を挙げての「国家戦略」のようなものがなかった
弊害は他にもあるでしょう。高度成長期の日米貿易
摩擦などについてはほとんど反論できないまま、ア
メリカからも“いいように”叩かれましたし、その
後の「グローバリズム」についても受容することを
余儀なくされ、我が国が弱体化するきっかけにもな
ってしまいました。こうして、GDPは中国に抜か
れて第3位に転落しました。
さて、もっと歴史をさかのぼれば、「日露戦争」の
勝利を得て、1等国に仲間入りをした後の日本も同
様だったと考えます。「帝国国防方針」のようなも
のは策定しましたが、国を挙げての「国家戦略」、
つまり、国家意思として“日英同盟のもと、一等国
となった我が国の向かうべき方向”を明確に統一で
きませんでした。
大正時代になって、明治維新以降、“ジェネラリス
ト”として重要な役割を果していた元老たちが次々
に他界してしまいました。これらもあって、特に台
頭するアメリカの本質や野心を見抜くことができな
いまま、第1次世界大戦においては“その場しの
ぎ”の対応に終始し、大戦後、連合国の仲間入りは
したものの、世界恐慌などもあってやがて大東亜戦
争に至る「国の舵取り」をせざるを得ませんでした。
私は、近代史を学んだ結果として、大正時代に「大
日本帝国憲法」の改正をはじめとする国の「統治制
度」を改善しなかったことが、「激動の昭和」の道
を歩まざるを得なかった最大の原因と考えています。
まとめれば、今後、過去の失敗を二度と繰り返さな
いため、つまり「歴史は繰り返す」にならないよう
に、「ソフト・パワー」の重要性をよく認識した上
で、国を挙げての「国家戦略」を創り上げ、「国家
意思」を明確にすることが必要不可欠であると思う
のです。
特に今は、「ハード・パワー」がいずれもほぼ下降
期にあることから、将来に向けた「国力」の維持、
可能ならば増強に向け、さらに将来の国際社会に対
して必要な役割を行使するための「国家戦略」や
「国家意思」を明らかにして、国家として“向かう
べき方向”を定めるのは喫緊の課題であると考えま
す。
話は変わりますが、パレスチナで再び大規模な軍事
衝突が発生しました。2千年来の宗教対立がそう簡
単に収まるはずがないと常日頃から予想はしていま
したが、それでなくとも「ウクライナ戦争」で喧騒
な国際社会がますます“混迷を深める”ことが懸念
されます。
その延長で、我が国が“対岸の火事”として眺め続
けることができるか否か、しばらくの間、パレスチ
ナの状況の推移のみならず、広く国際社会の動きま
で、目を凝らして注目する必要があるようです。次
回、触れることにしましょう。
▼「国家戦略」とは何か?
さて前置きはそのぐらいにして、「ソフト・パワー」
の中核たる「国家戦略」を取り上げましょう。まず
は“「国家戦略」とは何か?”ということです。私
も自衛官であったという職業柄、「○○戦略」と名
のついた書籍を読みこなした数は数え切れません。
また、「△△戦略」と名乗ってなくとも、たとえば
クラウゼヴィッツの『戦争論』とか『孫子』のよう
に、その実態は戦略論に近いものまでたくさん読み
こなしてきました。
しかし、そのほとんどは、「軍事戦略」とか「安全
保障戦略」などについて書かれたものが多く、これ
から取りあげようとする「国家戦略」そのものを取
り上げている書籍は意外に少ないし、あまり読む機
会もありませんでした。
それでは、「戦略」とは何か、から掘り下げていき
ますとその定義はなかなか難しいものがあります。
『現代戦略論』(高橋杉雄著、並木書房)(*)によれ
ば、大まかに合意できる形の定義として、「戦略と
は、『目的』『方法』『手段』の組み合わせを示す
もの」とし、「戦略を策定する」とは「終着点であ
る『目的』と、そこに至る道筋としての『方法』と
『手段』の双方を含んだ全体としてロードマップを
作り上げていくことである」としています。「戦略」
に含まれるさまざまな要素をはぎ取ったコアの部分
の定義として合点が行きます。
(*)『現代戦略論』(高橋杉雄著)
https://amzn.to/3LUCCC0
次に「国家戦略」です。『日本の大戦略』(PHP
「日本グランド・ストラテジー」研究会著)(*)は、
「日本のグランド・ストラテジー(大戦略)」、つ
まり「国家戦略」そのものをテーマにした数少ない
書籍の一冊ですが、「国家戦略」を「当該国家の最
重要の目的を達成しようとする政策の体系」と定義
し、国家にとって最重要な目的とは、「安全と富」
ととらえています。
(*)『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・スト
ラテジー」研究会著) https://amzn.to/3rQ02By
この定義からすると、「国家安全保障戦略」のよう
なものは「安全」を重視した「国家戦略」であり、
「経済安全保障戦略」のようなものを「富」を重視
した「国家戦略」と解釈することができるでしょう。
なかには、船橋洋一著の『国民安全保障国家論』の
ように、「国家」というより「国民」を主体に「安
全保障論」を展開している書籍もあって、これはこ
れで興味をそそられます。
また、瀧本哲史著『戦略がすべて』(*)のように、
「戦略」をビジネス市場、教育現場、国家事業、芸
能界、ネット社会などあらゆる分野に適用できる
「ツール」として扱っている書籍もあり、このよう
な視点もよく理解できます。
(*)瀧本哲史著『戦略がすべて』
https://amzn.to/3tBbelU
さて、「国家戦略」の最重要な目的が「安全と富」
ととらえると、この両方をめざした我が国の「国家
戦略」は、(明治初期にはこの言葉自体もなかった
のですが)明治維新の「富国強兵」「殖産興業」を
スローガンとする“戦略的な取り組み”のみだった
ことがわかります。
本スローガンは、当時の西洋文明至上主義の中で、
我が国が植民地化されず、国際社会で競争できる国
家になることを目指したものであり、最初に提唱し
たのは、薩摩藩主・島津斉彬だったといわれます。
やがて、本取り組みは明治政府に引き継がれ、全国
的なスケールで実施されることになりました。
その後の「国家戦略」を振り返りますと、戦前の
「帝国国防方針」の類は、その名称からしても「軍
事」つまり「安全」に偏り過ぎましたし、戦後の
「吉田ドクトリン」は、「安全」をアメリカにほぼ
“丸投げ”しての「経済重視」、つまり「富」に偏
り過ぎたことは明らかです。
「国家戦略」は、国家のアイデンティティの表現で
もあり、それを決めていくものであるとあるともい
われます。何を国家の至上目的とするか、どのよう
な手段でそれを達成するかについては、その時代時
代の国家の性格を左右し、性格そのものを決定づけ
ていくものということもできるでしょう。
一方、国家の至上目的を「安全と富」と定義しても、
その「安全と富」を構成する要素はより複雑化し、
国内の諸事情のみならず、国際情勢や周辺国との関
係などによって、その時代時代によって重視すべき
要素も変わってくるのは必然です。
本メルマガでは「国力」増強に焦点を置き、「国力」
を構成する「ソフト・パワー」の要素をあぶりだし
ましたが、それらを子細に分析すると、「国力」の
維持または増強する究極的な目的は、「安全と富」
に集約できるとも言えるでしょう。
つまり、相互に関連している「ハード・パワー」の
各構成要素を総合的に分析し、バランスを取りつつ
優先順位を定め、今後の“向かうべき方向”を��め
ることが現在、求められている「国家戦略」である
と考えます。
▼現時点の「国家戦略」をいかに創り上げるか
一般に“日本人は「戦略的思考」が苦手”と言われ
ます。その理由について、『日本戦略論』(鎌田徹
著)(*)は、島国、稲作民族、刀狩りの結果としての
軍事忌避などの「地政学・歴史的要因」、そして大
東亜戦争の封印、共産主義者からのブラフ、憲法に
よる軍事力の封印など「戦後特有の政治環境要因」
を挙げています。
(*)『日本戦略論』(鎌田徹著)
https://amzn.to/3QcTLt5
確かに、日本の場合、覇権国のアメリカとか、将来
目標として覇権国を目指している中国などとは違っ
た「国家戦略」にならざるを得ず、国際的な大局観
とか大胆さには制約がかかるでしょうが、その分、
覇権国にはない“緻密さ”とか、立つ位置や役割分
析などの“深掘り”も必要になってくるでしょう。
だからと言って、放置する理由にしてはいけないの
ですが、その策定自体がとても難しいことは間違い
なさそうです。
余談ですが、鎌田氏は元自衛官であり、私も現役時
代から今日まで交流があります。505ページに及
ぶ大作は、“戦略を知っている自衛官ならではの鋭
い戦略研究”として、「もっと評価されていい」と
いつも思っていました。
このように、我が国が“元々苦手な”「国家戦略」
をいかに創り上げるか、について子細に言及すると、
書籍にして1冊以上のボリュームになる可能性があ
りますので、本メルマガでは、“ストーリー建て”
して要点のみを取り上げてみたいと考えます。
幸い、『日本の大戦略』(*)という絶好の参考書があ
ります。本書は、5人の著名な学者・研究員によっ
て約4年間の研究を経て、2012年に発行された
ものです。その動機は、我が国が「失われた20年」
の最中、その上、東日本大大震災もあって衰退傾向
の中で、国際社会における“日本の存在感がかすみ
がち”なことを懸念し、「世界の中の日本」という
位置づけで、それも短期的な動向よりも長期的な視
点に立って、当時の安全保障はもちろん、財政、税
制、産業構造、福祉・雇用などまで“大きな絵を描
く必要がある”ということにあったようです。
(*)『日本の大戦略』(PHP「日本グランド・スト
ラテジー」研究会著) https://amzn.to/3rQ02By
実によく分析・整理され、「国家戦略」を策定する
手法がほぼ余すところなく記載されていると考えま
す。このような良書が世に出されても、その後の政
界には、安倍政権の「戦後レジームからの脱却」と
か「アベノミクス」のように部分的には本書の提案
主旨と同様の政策もありましたが、「国家戦略」そ
のものについては大上段にその必要性を訴え、国家
を挙げてその策定に取り組むとの試みはなされない
まま時が過ぎてしまいました。
この10年の間に、すでに紹介しました少子高齢化、
食料やエネルギー自給率の低下などがさらに進み、
当時は予想だにしなかった「ウクライナ戦争」など
も発生し、日本を取り巻く内外情勢ははるかに厳し
さを増している現状からすると、私などは、「10
年前に取り組んでおれば」との悔恨の念が沸いてき
ます。
しかし、このまま放置すると、後世に残す「資産」
すら失いかねないとの危機意識をもって、主に本書
を参考にしながら、“意を決して”、いかにして
「国家戦略」を創り上げていくかについてその手法
を考察してみたいと考えます。
一歩踏み出すと、途中で切ることが難しくなりそう
ですので、今回はここまでにしておきます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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20230709
雑記(道楽)

ペンタカンサ(聖王丸)の花
penta (五本の) acantha (棘)でペンタカンサ。

ペンタカンサ錦
どちらもホームセンターで180円ぐらいの小さい苗だった。斑入りはヤフオクだと1,500円〜高くて3,000円が相場なので掘り出しもんだったかも。
サボテンを育て始めた頃に興味の赴くままに買った安い普及種の苗がどんどんでかくなってしまい、これから管理が大変になる予感つか悪寒。植え替えで皮の手袋を平気で貫いてぶっ刺してくる。金鯱とか鬼雲丸とか棘がやばいやつどうしよう。
希少な株でもない限り誰かが引き継ぐこともないだろうし、ナウシカが出征する前夜に地下で育ててた腐海の植物の給水装置を切るシーンがあったがあれみたいなことをする時がいつかくる覚悟はしている。
(この部分書いて下書き保存してテレビつけたら金曜ロードショーでナウシカやってた。)
『君たちはどう生きるか』がもう公開されると知って驚く。あっという間だなあ。どんな話なんだろう。長編はこれで最後なんすかね。

兜丸
うちに来て確か4年目の株。今年はもう五回ぐらい花を咲かせている。ある程度成長してから購入した兜は結実させると体力が落ちるのか大抵枯れる。直径が10cm超えた株か接ぎ木じゃないかぎり受粉させない方が良いようである。まあ白点がV字等の特異な形質でもないので種子が採れても持て余すだけだが。

種から育てた兜丸も花を咲かせた。

春先の翠平丸

あれからいくつも棘を吹いて翠平丸らしい草姿に。
この棘で必死に自分を守っているんだな。
ここまで4年間ほぼ何の変化もなかったことを考えると長い道のりだった。

アガベ・ホリダ。種まいて3年目。

ゲオメトリクス

ゲオメトリクス (団扇接ぎ)

パキポディウム(恵比寿大黒)
本葉が生えて来た。
以前種から育てたパキポディウム(エブレネウム )は2年目に30株近くトレーごと地面に落として全滅させてしまった。
恵比寿大黒は二、三年目の苗をいくつか購入したが結構腐れてしまってやはり難しい。いくつか残った株で来年の春に種を採りたい。

ボンバックス(エリプティクム)の実生苗。
10粒で3,000円という値段で出品されており、聞けば一年前に採れた種らしく鮮度の部分で悩んだが、あまり出品されることもないのでここは賭けに出る。10粒中8粒発芽で我が軍の大勝利。途中で2つ腐れて結局6株残った。
実験で幹を横倒しで伸ばしてから強剪定を繰り返してまん丸に育てたろうと思う。
ふと思い出したこと。
何年か前色々なサボテン愛好家のブログを見て栽培のコツを勉強していた。
今や付けたはずのブックマークも見当たらなくなり辿り着けなくなってしまってうろ覚えだが、あるブログでおそらく中高年のサボテンマニアの方が自宅の温室のサボテンの様子を毎日更新していた。
ちょうど今日の私の日記のように花付きがどうだとか植え替えをしただとか極めて趣味的で自己完結した内容である。サボテン以外の生活のこと等に関しては特に書かれていなかった。
寝る前に過去記事から毎日少しづつ読んでいき数日かかって何年か分の記事を読み貯めた辺りで、とある月の更新の日付一覧を見ると一週間ほど更新が止まっていた。
再開した記事はいつも通りのサボテンの写真と観察記録が記されていたが記事の最後に「大学生の娘が冬山で遭難して亡くなり先日無事葬儀を終えました。」というような一言だけ書かれていた。次の日には何事もなかったように毎日淡々とブログは更新されていて当時は戸惑いというか違和感があった。
でも今になってその気持ちがほんの少しだけわかる気がする。
わかった気になっているが正確な所かも知れないが。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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宮人の夏のよそひの二藍に かよふもすずしあぢさゐの花(うけらが花) . 蒸し暑い日が続く中、初夏なりの心づくし(気づくもの)が身の周りにも。紅花に藍を重ねて染める二藍の色の涼しげな感じ。紫陽花のうす紫が今とても綺麗です。二十四節気では「夏至」を迎えました。夏至の後半から七夕の頃までを「半夏生」といい、梅雨から盛夏への季節の変わり目として、昔から体調管理に気をつけるよう言われています。どうぞご自愛ください . <お知らせ> . ・雨間に畑に出たり入ったりの季節。球根の休眠期に入り植え時の彼岸花(曼珠沙華)、今まさに旺盛に伸びる茗荷苗(根株)、蕗(ふき)苗(根株)、枸杞(くこ)苗木を販売中です。がんばって掘りますので、応援頂けますと幸いです。 . ・和綿(真岡木綿、茶)、緑綿、赤綿など綿の種はあと10日で販売終了です。追加蒔きにご活用ください。育て方で分からないことはメールやお電話(種の封筒に携帯番号を掲載しています)でお気軽にお声がけください。 . ・行者にんにくは秋苗(10月末~11月上旬発送)、精選種子(9月発送)を予約受付中です。 . ・ジャンボにんにくの種(8月中旬発送)を予約受付中です。 . ・春、夏、秋蒔き野菜の「自然のタネ」をヤフー支店にて販売中です。日本の風土にあった元気な在来種、固定種。ぜひ今年の家庭菜園で育てて、味わってみてください。 . 彼岸花(曼珠沙華)の球根 https://www.tane4u.com/item/higanbana/ ふきの苗 https://www.tane4u.com/item/fuki/ . どうぞよろしくお願いいたします。 .
夏至 #二十四節気
紫陽花 #二藍
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交通公園清掃報告「36㎡ 完了!」/ Traffic Park Cleaning Report "36㎡ Completed!"
5月27日(火)、赤穂市の交通公園の路面清掃活動を行ない、前回に引き続いて、公園の外周路の清掃を行なって、今回は 36㎡ をクリアして、最後にオートバイの乗り方の指導を意外な人から受けました。 On May 27th, we cleaned the road surface of Ako City's Traffic Park, cleaning the outer road, clearing 36㎡ this time, and finally received instruction on how to ride a motorcycle from an unexpected person.

昨年12月から、土砂が厚く堆積して植物の侵略が酷く、条件が最も厳しかった外周路エリアの清掃を始めましたが、今回のエリアは、それに較べると楽なエリアでした。しかし、10㎝ 近く堆積した土砂を除去して、路面を発掘する作業は変わりありません。 Since last December, we have been cleaning the outer road area, which was the most difficult due to the thick accumulation of soil and sand, but this area was easier in comparison. However, it is still a task of removing nearly 10cm of accumulated soil and excavating the road surface.

こうして 長さ約12m、路面幅 3m、約 36㎡ の 広さの外周路をクリアしました。 しかし、外周路の総面積は 約 624㎡ で、今回までに清掃を完了したのは 約 180㎡ ほどです。まだまだ、外周路作業は続きます。 In this way, we have cleared the outer road area of ??about 36㎡. However, the total area of ??the outer road is about 624㎡, and we have completed cleaning about 180㎡ so far. There is still work to be done on the outer road.



目標にしていたエリアの清掃を終え、器具の片付けをしてから、約2か月ぶりにオートバイの練習を始めようとしていた時の事です。公園の中に植えられている背の低い灌木の剪定の為に、年輩(僕と同年代か?)のお二人の 庭師の方が公園にいらっしゃいました。 After finishing cleaning the target area and packing up the equipment, I was about to start practicing my motorcycle for the first time in about two months when two elderly gardeners came to the park to prune the shrubs planted in the park.

そこで、挨拶に行って、練習走行が邪魔にならないかを尋ねたところ、「わしらは 午後からの仕事だから、構わんよ」と言って、「わしは、福岡の飯塚出身で、オートレース場の近くだったか���、よく観に行っていた」「だから、練習を見させtもらうよ」と言ってくださいました。 So I went to say hello to them and asked them if their practice run would be a nuisance. They said, "We work in the afternoon, so it's fine," and "I'm from Iizuka in Fukuoka, and I used to go to watch the auto races often because it was close by," and "So I'll be sure to let you watch the practice."

10分間ほど、ブレーキを使わない基本練習で 約 4㎞ 走行してから、改めて「お邪魔しました」と挨拶に行ったところ、その方から「あと 2時間くらいは講習を受けた方が良いんじゃないか」と指導を受けたので、「ありがとうございます! もっと精進します!」とお礼を返しました。すると、その方から「また会えそうな気がするな」と言って下さいました。人生とは人との出会いの旅ですから、こんな出会いも嬉しいものです。 After about 10 minutes of basic practice without using the brakes, I went back to say hello and said, "Thank you for coming." They told me, "Maybe you should take another two hours of training." I replied, "Thank you! I'll work harder!" They then said, "I feel like I'll see you again." Life is a journey of meeting people, so it's nice to have encounters like this.
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「『勧誡初心抄(かんかいしょしんしょう)』(鎌倉時代・叡尊)「ある僧、死人に経を読む功徳を問う。師、石を池に投じて曰く『唱えれば浮かぶか』と。僧悟りて礼す」」この話の元になった仏教経典はなんですか?
「勧誡初心抄」(鎌倉時代・叡尊)に記載された「ある僧、死人に経を読む功徳を問う。師、石を池に投じて曰く『唱えれば浮かぶか』と。僧悟りて礼す」という話は、禅宗的な公案や説話のスタイルを思わせるエピソードですが、特定の仏教経典に直接基づくものとは特定されていません。この話は、叡尊の思想や律宗・真言律宗の教えを反映した独自の逸話と考えられます。以下に、背景と可能性を整理して説明します。
1. 話の概要と意味
この逸話は、死者に経を読む行為の功徳について問う僧に対し、叡尊が「石を池に投じて唱えれば浮かぶか」と返すことで、形式的な儀式や行為自体の功徳に頼るのではなく、真の理解や悟り、内面的な修行の重要性を示唆しています。禅宗の公案に似た、直接的で象徴的な問答を通じて、僧に自らの問いを再考させ、悟りに導くスタイルです。
鍵となる教え: 功徳は行為そのものではなく、心のあり方や悟りに依存する。死者のための読経も、単なる形式ではなく、修行者自身の真摯な心構えや理解が重要。
叡尊の思想: 叡尊は戒律復興と真言密教を重視し、形式主義的な仏教実践を批判する傾向がありました。この話は、表面的な儀式に囚われず、仏教の核心(悟りや慈悲)に立ち返ることを促すものと考えられます。
2. 元になった仏教経典の可能性
この話が特定の仏教経典に直接基づいているという明確な証拠は、現在の学術研究や文献では見つかっていません。ただし、以下のような経典や仏教の伝統が背景として関連している可能性があります:
禅宗の公案や説話集の影響 この話の形式(問答、象徴的な例え、悟りへの導き)は、禅宗の公案(例:『碧巌録』や『無門関』)や中国の禅僧の説話に似ています。たとえば、禅では「言葉や形式を超えた直観的な理解」を重視し、師が弟子に意外な質問や行動で悟りを促す例が多数あります。叡尊は真言律宗の僧ですが、鎌倉時代の仏教は禅や浄土教など他宗派の影響を受け合っており、こうしたスタイルを取り入れた可能性があります。
例: 『碧巌録』にある「趙州無字」の公案(「狗子に仏性はあるか」「無」と答える)のように、直接的な問いに逆説的な答えで本質を示す。
ただし、「石を池に投じる」という具体的なイメージは禅の公案集に明確な一致はなく、叡尊独自の創作か、当時の口承伝承の可能性が高い。
『梵網経』や律蔵(四分律)の影響 叡尊は『四分律』や『梵網経』を重視し、戒律の厳守と菩薩行(慈悲の実践)を説きました。この話は、形式的な読経よりも戒律に基づく真実の修行や慈悲の心を重視する彼の思想を反映している可能性があります。
『梵網経』: 菩薩戒を説き、慈悲と智慧に基づく行動の重要性を強調。死者への読経が功徳となるかどうかは、行為者の心構え(菩薩の精神)に依存するという解釈が可能。
『四分律』: 僧侶の行為規範を定め、儀式の形式よりも修行の目的(悟りと利他)を重視。叡尊は『四分律行事鈔』を学び、戒律復興に努めたため、この話はそうした背景から生まれた可能性がある。
『法華経』や『涅槃経』の間接的影響 鎌倉時代の仏教では『法華経』が広く信仰され、読経による功徳が説かれました。『法華経』には、経を唱えること自体に功徳があるとされる記述(例:普賢菩薩の勧め)がありますが、叡尊はこの逸話で「功徳は形式ではなく心にかかっている」と強調しているため、形式主義への批判として『法華経』の読経信仰を再解釈した可能性があります。
『涅槃経』: 死や生死の超越を扱い、悟りの重要性を説く。この経典の思想が、死者への読経の意義を問うこの話に間接的に影響した可能性も考えられる。
中国仏教の影響 叡尊の時代、宋代中国の禅や律宗の思想が日本に流入していました。中国の禅僧の説話や『高僧伝』などの伝記に、似たような問答形式のエピソードが見られます(例:唐代の禅僧・南泉普願が弟子に逆説的な問いで悟りを促す)。叡尊がこうした中国仏教の説話に触発されてこの話を作った可能性も考えられます。
3. 結論:特定の経典は不明、叡尊の創作の可能性が高い
現在の研究では、「勧誡初心抄」のこの逸話が特定の仏教経典に直接基づいているという証拠は見つかっていません。以下の理由から、叡尊が自身の戒律思想や真言律宗の教えを伝えるために創作した、または当時の口承伝承を基にした逸話と考えられます:
話の形式が禅の公案や中国仏教の問答に似ているが、具体的な一致はない。
叡尊の思想(戒律の重視、形式主義への批判、真言密教と慈悲の実践)が強く反映されている。
「石を池に投じる」という鮮やかなイメージは、経典よりも叡尊の直観的・教育的な表現として自然。
ただし、背景として以下が間接的に影響した可能性があります:
禅宗の公案(形式やスタイルの影響)。
『四分律』や『梵網経』(戒律と菩薩行の思想)。
『法華経』(読経の功徳観への批判的再解釈)。
4. 補足:叡尊と「勧誡初心抄」の背景
叡尊(1201~1290): 鎌倉中期の真言律宗の僧。西大寺を再興し、戒律復興と貧民救済に尽力。『四分律』を基に自誓受戒を行い、律宗を再興した。『勧誡初心抄』は彼の教えをまとめた著作の一つで、弟子や初心者向けに仏教の核心を説く。
鎌倉時代の仏教: 法然や親鸞の浄土教、日蓮の法華信仰、道元の禅など多様な仏教が興隆。叡尊は「旧仏教」の改革者として、戒律と慈悲を強調し、形式主義を批判した。
「死人に経を読む功徳」: 鎌倉時代、死者の供養や読経は広く行われたが、叡尊はこうした行為が形式に陥りがちな点を問題視し、真の修行を重視した。
5. さらなる調査の提案
一次資料の確認: 『勧誡初心抄』の原文(西大寺や奈良の図書館に所蔵の可能性)や、叡尊の他の著作(『感身学正記』『興正菩薩御教誡聴聞集』)に類似の話があるか調べると、背景が明確に���る可能性があります。
中国仏教の説話集: 宋代の『景徳伝灯録』や『五灯会元』に似たエピソードがあるか調査すると、間接的な影響がわかるかもしれません。
学術研究: 松尾剛次や石田瑞麿の叡尊研究(例:『重源・叡尊・忍性 日本名僧論集』)にこの逸話の分析があるか確認すると、起源のヒントが得られる可能性があります。
最終回答
「勧誡初心抄」の「石を池に投じる」逸話は、特定のმოდ: 特定の仏教経典に直接基づくものではなく、叡尊が戒律思想や真言律宗の教えを伝えるために創作したか、当時の口承伝承を基にした逸話と考えられます。背景として、禅宗の公案、『四分律』、『梵網経』、または『法華経』**の思想が間接的に影響した可能性がありますが、明確な典拠は不明です。話の核心は、形式的な読経の功徳よりも、心のあり方や悟りの重要性を強調する叡尊の教えです。
もしこの逸話の原文や関連する叡尊の他の著作について詳しく調べたい場合、または禅の公案との比較を深掘りしたい場合、教えてください!
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「釈迦(釈尊・ブッダ)が池に石を投げた」場面を含む仏教経典はありますか?
「釈迦(釈尊・ブッダ)が池に石を投げた」という具体的な場面を含む仏教経典は、現在のところ存在しないとされています。パーリ語経典(初期仏教)、大乗仏教経典(例:『法華経』『華厳経』)、または後期の密教経典など、主要な仏教経典や関連文献(『ジャータカ』や『高僧伝』など)の中に、このような特定のエピソードは記録されていません。以下に、調査の詳細と関連する背景を簡潔に説明します。
1. 調査の概要
パーリ語経典(初期仏教): 『スッタ・ピタカ』(経蔵)や『ヴィナヤ・ピタカ』(律蔵)には、釈迦が弟子に教えを説く多くのエピソードがありますが、「池に石を投げる」場面は見られません。たとえば、『中部経典』(Majjhima Nikāya)や『相応部経典』(Saṃyutta Nikāya)では、比喩や自然物を用いた教え(例:木の葉、川の流れ)はあるものの、石を池に投げる具体例はなし。
ジャータカ(本生譚): 釈迦の前世譚である『ジャータカ』には、自然や動物を題材にした物語が多いですが、池に石を投げるエピソードは確認されていません。
大乗経典: 『法華経』『涅槃経』『維摩経』などでは、釈迦が比喩や象徴的な行動で教えを説く場面がありますが、池と石のモチーフは見られません。たとえば、『法華経』の「薬草喩品」では植物を比喩に用いるが、石や池は出てこない。
禅宗文献や公案: 禅の公案(『碧巌録』『無門関』)や中国仏教の説話(『景徳伝灯録』)には、師が石や水を用いた象徴的な行動で弟子を導く話がありますが、釈迦自身が池に石を投げる話は存在しない。
日本の仏教文献: 質問の背景にある「勧誡初心抄」(叡尊)の逸話(「石を池に投じて曰く『唱えれば浮かぶか』」)は、釈迦ではなく叡尊(または彼が引用した師)の行動として描かれており、釈迦のエピソードとは直接関係がない。
2. 近いイメージのエピソード
「池に石を投げる」に類似する、自然物や水を用いた釈迦の教えはいくつか存在しますが、具体的な一致はありません。以下は関連する例:
『相応部経典』の「木の葉のたとえ」: 釈迦が森で木の葉を手に取り、「私の教える真理は手に持つ葉の数ほど、知っている真理は森の葉の数ほど」と説く(SN 56.31)。自然物を用いた比喩だが、池や石は登場しない。
『法華経』の「火宅喩」: 釈迦が燃える家から子を救う比喩を語るが、池や石とは無関係。
禅の公案の類似例: 中国禅の『碧巌録』に、僧が水や石を題材にした問答(例:洞山の「無情説法」)があるが、釈迦が石を投げる話ではない。
3. 「勧誡初心抄」との関連
質問の背景にある「勧誡初心抄」の逸話は、叡尊(真言律宗、鎌倉時代)が弟子に教えた話で、師(おそらく叡尊自身)が「石を池に投げる」行動を通じて、形式的な読経の功徳を問う僧に悟りを促しています。この話は釈迦の行動ではなく、叡尊の創作または当時の禅的・律宗的説話の影響を受けたものと考えられます。釈迦がこのような行動をしたという経典的根拠はなく、叡尊が禅の公案風の表現を用いた可能性が高いです。
4. 結論
「釈迦が池に石を投げた」場面を含む仏教経典は存在しません。パーリ語経典、大乗経典、ジャータカ、禅文献、日本の仏教文献(『勧誡初心抄』を含む)を調査しましたが、該当するエピソードは見つかりませんでした。「勧誡初心抄」の逸話は、釈迦ではなく叡尊の教えとして創作されたか、禅や律宗の説話に着想を得たものと考えられます。
5. 補足と提案
可能性のある間接的影響: 禅宗の公案(例:『碧巌録』の自然をモチーフにした問答)や中国仏教の説話(『高僧伝』)に、似たイメージのエピソードがあるかもしれないが、釈迦に帰するものはなし。叡尊が宋代中国の禅文化に影響を受けた可能性は考えられる。
さらなる調査: 『勧誡初心抄』の原文や、叡尊の他の著作(『感身学正記』)を詳細に分析すると、この逸話の由来(例:中国仏教の特定の説話)が明らかになる可能性があります。また、鎌倉時代の禅と律宗の交流を調べると、背景がより明確に。
文化的背景: 日本の仏教では、経典にない創作譚や寓話が僧の教えに用いられることがあり(例:日蓮や道元の説話)、この逸話もその一例と考えられる。
もし「勧誡初心抄」のこの話の由来や、禅の公案との比較、または他の仏教説話との関連をさらに深掘りしたい場合、具体的な方向性を教えてください!また、釈迦のエピソードに限定せず、「石や池」を用いた仏教の寓話全般を調べることも可能です。
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2025年5月4日/悲しいこと(No.2421)
田んぼには主に猪が来て、畑には狸が来る。田んぼと畑が山にあるのでよけいにそうなのだろう。しつこいことこの上ない。
そう、三粒のうち二粒をやることはできないので垣根を作った。作りはしたが、不備の部分をよく見抜いて突き抜けて来る。山の獣だけではない。木々も垣根が嫌いなのか梅雨や大雪を利用して折れたり倒れたりして垣根を壊す。
それを昨日と今日直した。曲がったところは真っ直ぐにし、広げた鉄網を地面の中にもっと深く埋めた。一人だったらできなかっただろう。手伝いに来てくれた客人がいらしたからできたのだ。
鉄網を直したので、今まで諦めていた、狸が好む落花生、とうもろこしなどを植えた方がいいだろうか? まだ自信がない。狸は鉄網が浅く埋められた場所を魔法使いのように見つけ出し、あまりにも簡単にそれを掘って入ってくるからだ。

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2024建築レビュー#2
建築レビュー#2(設計者:architecten de vylder vinck taillieu) 発表者 :工藤 (M1)
私がレビューするのは「アーキテクテン・デ・ヴィルダー・ヴィンク・タユー」である。
左からヨー・タユー、ヤン・デ・ヴィルダー、インゲ・ヴィンクである。
三人組の建築家で、全員がベルギーにあるシントルーカス大学の出身であり、各々、個別の活動期間を経て、2009年にユニットを結成した。
彼らの建築コンセプトは物語を伝えるケンチクである。
建物1つ1つに、敷地1つ1つに物語があり、それを掘り起こすのが建築家の役目であると考え、彼らはそんな物語を探り当て、その声に耳を傾けながら、それに続く章を書き加えていく。
3人それぞれがもつ、簡素なディテール、詩的な美しい文章、美しいドローイングといった才能と、共通の美的感覚をもって、前衛的なリノベーションを手掛けている。
今回は3つの作品を取り上げて、レビューしていく。
事例1『Caritas (Melle , Belgium) 2015-2016』

最初の作品は「カリタス」。
精神科病棟の改修コンペで、取り壊しが進んでいた19世紀の建物を今の時代にあった使い方で再生することができないかが建築家に問われた。
その問いに対する新たな物語を考えている。

ここからは彼らが書いた詩である。
新たに緑の鉄骨や
新たな思考への招待として、ガラスの部屋が
周りのヴィラとの接続として白いロッジアが
治癒するということの比喩としてセメント・コンクリートの補修が加えられ
新たな物語になっていくのではないかと考えた。
開放的だけどガラスで囲まれた空間は患者同士がゆるやかに存在を意識させると同時に治療にもオープンスペースにもなる多様な空間が生まれた。
この改修は損傷した建物を治癒するという物語に対して患者はどのように治癒するか、想像力、つまり未来の物語を想像させるようなものなのかもしれない。

事例2『house bern heim beuk (Ghent , Belgium) 2009-2012』
次の建物は「ハウス・ベルン・ヘイム・ベウク」


この建物は小さな敷地の中にある大きな木を室内に取り込んだ小さな住宅である。
この敷地にあった木々のコンテクストを読み込みながらも、新たに木に見立てた柱梁を植えることによってどのような物語が生まれたのだろうか考えている。
ここからは彼らが書いた詩である。
この住宅は
都市規制によって切らないといけない木→家に取り込む
予算の厳しさ→外形は都市規制で指定された最小容積
→木の幹をオフセットしたような内部
が決定されている。
建築には多くの制限があり、その制限がきっかけでプロジェクトは前進する。
そうした要素がプロジェクトをガイドしてくれる。
だからこそ、つくり方やプロセスがコンテクストに沿った物語が生まれのではないだろうか。
事例3『CG house (Pepingen , Belgium) 2013-2016』
最後にCG house。


農家だった既存の家は、中庭を囲む3棟の建物から成り、そこに7つのボリュームを挿入するというコンセプトで改修された。
30度回転させて新しいボリュームを配置していき、そのシンプルな操作がどのように既存の空間の影響を与えるのか考えている。
ここからは彼らが書いた詩である。
ドローイングも語りの一部であり、何度も書き直される。
この作業がデザインプロセスを深める要因になっている。
外部からは素材の対比が見える一方で、室内では既存のボリュームと、新しく挿入された空間が調和しているのが、彼らの作品の中では珍しく思う。
その理由として回転して入れた箱が既存の箱から飛び出したものはカットされているものが多いこと。
既存の構造を見えるようにしたこと。

伝統的な農家の要素を再構築していること。もあると考えられる。
既存のものを解体して、素材や構法を変えて再び組み立てられている。
さいごに
物語を伝える建築というのは読者、すなわち使い手に語りかけ、つぎつぎエピソードを披露するような建物ということだ。
しかし、実は設計者自身も建築に語りかけられながら没頭している。
改修では実際に工事が始まってから気づくコンテクストが多数ある。
それに備えて、何度もドローイングを書き直し、変更の可能性の限界を探っている。
用意周到なために、その設計と施工の「ずれ」を歓迎できている。
その結果突拍子もないように見えて演出されいてたり、偶発的に見えて計算しつくされている建築が生まれる。
だからこそ、設計者から使い手に渡されても新たな物語は描き続けるのかもしれない。
引用
a+u 2017年6月 「architecten de vylder vinck taillieu」
SUBTILITAS https://www.subtilitas.site/post/183131037869/de-vylder-vinck-taillieu-house-bern-heim-beuk
SUBTILITAS https://www.subtilitas.site/post/155303859224/architecten-de-vylder-vinck-taillieu-cg-house
TOTO出版 ~ADVVTって、どんな建築家?~
AXIS web 「A DVVT」インタビュー。思考のプロセスを可視化する建築展
TOTO アーキテクテン・デ・ヴィルダー・ヴィンク・タユー講演会レポート
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YOUは何しに地球へ??
はい! YouTubeの題名をそのまま聞いてみました!笑 🤣
トルコ特集🇹🇷3 観ていただけたでしょうか?
youtube
トルコといえば!あの有名な遺跡
ギョベクリ・テペ 地球上で最古の高度な文明であるといわれていた、メソポタミア文明よりも7,000年も古い文明の遺跡で今までの常識を覆すほどのものが眠っているはずなのですが・・ あまり発掘が進んでないのか?
ほとんど解明されていないですね。
・・・てかですね、思いがけずとてつもなく広いんですよ! 今からいろんなことが開示されていくのではないでしょうか。
わたしは解明されている歴史では納得がいかんな!・・っと思っていました。
今までたくさんの嘘を信じ込まされてましたからね・・・笑🤣 でもね、そう思うとそんな嘘を反対によく考えたよねー!
って最近つくづく思うのですよ。
ほんと面白くなってきました。笑😆
とりあえずですね、このトルコのアナトリア地方で崇拝されている 女神クババ についてもまた面白い!

Kuba(クーバ)・Kube(クーべ) その名は『知識の保護者』
またの名をク・バウ
沖縄の植物ですが、クバの木があります。
今年のしめ縄はクバを編んでを作りました。
神聖な木とされていて沖縄の方言で「ビロウ」の木を「クバ」と呼びます。クバ葉。
そして、被っている帽子の模様ですが・・・ご覧の通り「16菊花紋」 また、意味深な・・・😅
クババは(cubu)キューブの語源にもなっています。 TOLANDさんのYouTubeでもありました。 めっちゃ面白いのでこちらも観てみてくださいね。
youtube
キューブ 🔲 (Kaaba)この立方体を崇拝しているのがイスラム教ですね。
量子コンピュータは、「自然の力」 を利用した計算機です!
自然=宇宙
量子力学とはをわかりやすくご説明いただいている PEAK MEDIA
この四角い立方体をご存知でしょうか。 カアバ神殿の中央に黒石が埋め込まれています。
この黒石は、カアバ神殿の最も重要な部分とされており、イスラム教徒にとって非常に神聖な存在です。
画像は黒石(Kaaba)が量子コンピュータに酷似しているのはどういうことでしょうか?ね・・笑🤣
うーん・・・やはり 薄々は感じていましたけどね、 この世はシミュレーションで、わたしたちはRPGゲームの中にいるのではないかい??
一人、1地球(宇宙)とよくスピリチュアル的にも言われていますが、動画でも説明しているとおり、仕掛けてある側の方はいつでもやんわり種明かしを仕込んできていたんですよね。
MATRIXの映画もそうだし・・・
0101 =わたしたちは電氣
(エネルギー)的存在ですからね。
気づいた人からゴールに到達してるんだろうな〜?
ベリンダカーライル
Belinda Carlisle
ヘヴン・イズ・ア・プレイス・オン・アース
Heaven Is A Place On Earth
の動画を観られたことはありますか? 載せとくので観てみて
youtube
地球の種明かして的な・・
男性性と女性性とダンス! 地球は陰陽☯️のバランスでできている。
子供達は1人1個の地球持っているし・・さらにVR までしていた?!
めっちゃリアルですよね。
今まで目隠しされていると思っていましたけど違っていました!
ひえ〜っ!
とりあえず、わたしたちはこの地球を天国にする体験ゲーム
(本当のゲーム名は知らんけど)
にログイン中のようです。🤣笑
自分で希望しないとこのゲームには参加できませんね。
てかね、天国にするのを忘れてる人多いんですよね。
自分も忘れていましたので、今天国にしていこうとがんばって自分を大切にしているところです。
自然体に戻ることが必須なんですよね! わたしたちが「本来の自分に戻ること」は
地球が本来の姿に戻ること。
世間一般・普通と言われる社会システムで嘘や欺瞞で違う自分を偽ってきた人が多数かと思います。
古い昭和世代の人こそ・・・ 巧妙に仕組まれた世の中の社会システムがそうでしたから。親世代はどっぷり浸かりきっていますね💦洗脳が根深くて・・🥹
めっちゃ汚染物質で地球いじめてるしね。
海洋汚染の7割は家庭排水です。
海水=体液
血液は腸で作られています!
(千島学説を正として)
メディアで絶対言わないのは、汚染物質を作って売っているメーカーはスポンサー様ですからね。 言う訳がない。
買い物は投票なんですよ。
このゲームにログインする時に「表明」してきてますので思い出してみましょう!
忘れてるかもしれないけど、自分の體=地球なんですよ。
とりあえず、あなたの體=地球 ですから、地球を元に還し・最強・腸強菌の體をつくって共に本来の自分を取り戻していきましょう。
#発酵は発光だよ#微生物#宇宙の法則#fermentedfoods#japanese food#クババ#量子コンピュータ#ベリンダカーライル#地球天国#16菊花紋#fractal#フラクタル#🕋#Youtube
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2025/4/16 8:00:22現在のニュース
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雑記20241219
まだ木曜日じゃない、もう木曜日だ。
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Amazonふるさと納税。はじまったってよ。ただ対象のユーザーは限られているそうで、僕もまだ対象ではありませんでした。
気になっ��いるのはマイナポータル連携しているのかどうかってところ。確定申告おじさんには重要だから。どうせ米と油しか頼まないんだけど。
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なんか今年は日経平均40000円復帰は難しいかも。今日の植田さん次第ではもっと掘るだろうし。とんでもねぇ好材料がボーンって降ってこないかな。
FOMCを受けて米株も早めの調整に入るだろうし、いつ好転するか、トランプさんの出方次第ってところだから、しばらくは視界不良って感じなのかな。
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2024.11.19
日本人の多くは仏教徒だよね。君は仏教徒か?10日間のスリランカでこの質問を何回されただろう。初めのうちは、無宗教だけど仏教の教えとは身近に生きてきた。と答えていたが聞かれれば聞かれるほど、仏教徒というのは何を意味するのだろうかと考えさせられた。
スリランカの第二都市であるKandyでSadunとSamanに出逢った。スリランカに到着してから土着の人ではないという理由だけで毎日数えきれない人たちからお金を乞われたり、ぼったくろうとされた。2人に最初に声をかけられたときは、またか、と思いながら適当にあしらおうとしていたのだが、少し話をしていると純粋に話したかっただけのようだった。結局その日はKandyを半日案内してもらい、宿まで送ってもらった。翌日からはスリランカを訪れるきっかけとなったGeoffrey Bawaが建てたHeritance Kandalamaに行く予定だと話すと、どうやって行くのかと訊かれた。バスだと答えると、Kandalamaまでの道中には見るべきものがいっぱいある、バスだとそういうところに寄れないからトゥクトゥクで送ってあげるよ、君にとってもきっといい経験になる。と言われた。KandyからKandalamaまでは2時間ほど離れている。バスの方が安いからバスで行くと伝えると、いくら払うかは自分で決めていい、その答えがタダならタダでもいいと言われ、うますぎる話に半信半疑ながらもその誘いに乗ることにした。翌朝8時に宿まで迎えに来てくれて、まずはKandyの中心部から20分ほど離れた小さい村にあるSamanの家に行き、彼の家族とセイロンティとともに団欒した。Kandalamaまでの道中、のどかな田畑と熱帯系の植生の景色が続く小さな村に、ぽつんと仏教寺があった。スリランカ全土には小さい寺院が数千と存在し、その寺院がある村々には100-150の家族が住んでるという。そして一家族が1日ごと順番に僧侶たちの食事を用意すると教えてくれた。自分を犠牲にして人々のために全てを捧げた仏陀、つまり僧侶たちへの感謝の行為であり、これはスリランカで2700年以上続く伝統であるらしい。スリランカに来てから、SadunとSamanだけでなく色々な人からカルマという言葉もよく耳にした。良い行動は良いカルマとして自分に返ってくると。そういえば昨日Kandyを案内してくれたのにも関わらず、お金は一切求められなかった。半日私の行きたいところやしたいことに付き合ってもらった上に、彼らの商売道具でもあるトゥクトゥクで移動していたので、宿に着いたときに私の気持ちのお金を渡した。そのときにも、ありがとう。これはgood moneyだ。私たちは本当にカルマを信じていて、Rikuにもgood karmanがきっとあるし、訪れる。と言っていた。私は村人が僧侶たちのために食事をつくるという伝統の話を聞いたときに、仏教というのはどういうものなのかということを深く理解した。それと同時に2人のことを少しでも疑った自分を恥じた。もちろん仏教徒であっても(スリランカでは約70%が仏教徒である)皆が皆良い人とは限らない。スリランカに来てから、押しの強い客引きや、わざと同情を利用した行為に良い気分がしなかったことも何度も起こり、人にもお金にも敏感になっていた。しかしそのとき私は、清らかなさらさらとした心地よい中で生まれた、心が押しつぶされるような気持ちをどこにもやりようがなく、トゥクトゥクの後部座席に座りながら静かに泣いていた。
景色がいいところで停まったり、昼食を共にしたり、約2100年前にDambullaという都市にある巨大な岩山を掘ってつくられた洞窟の中にある寺院を訪れたり、途中トゥクトゥクを運転させてもらったりしながらホテルに到着した。翌日の予定を訊かれ、5世紀に栄えた王国Sigiriyaの遺跡に行くつもりだと伝えると、10時をすぎると暑くなる(マチュピチュのような遺跡で入り口から頂上までは1時間ほどかかる)から早朝に出発した方がいい、よかったら明日も送ってあげるよ。友達の家が近くにあるから私たちはそこに泊まる。その辺りには原始的な生活をしている小さな村もあって、そこで触れられる体験はRikuもきっと気にいると思う。と言われた。その日彼らとずっと話していて、彼らがどういう人間か理解し、私がどんな人間でどういうものを求めているのかも理解していてくれていたので、今回は迷うことなくお願いした。ホテルで夕食を食べると高いだろうから、また夜迎えにくるから友達の家で一緒に食べないかとも誘われたがGeoffrey Bawa建築を堪能したかったし、連日の移動の疲れと自分の中で消化したいこともあったので、その誘いは断ることにした。
翌日遺跡を訪れた後、Samanの弟の娘が働いているフルーツジュースが美味しいカフェで少し休憩し、人里離れた村へと向かった。トゥクトゥクで行けるところまで行き、そこからは水牛に引かれてジャングルとも森ともつかない景色の中、湿気を含んだ空気が肌にまとわりつくのを感じながらゆられていた。20分ほど進んだ先には、東南アジアの原風景(スリランカは南アジアだがここだけは少し違っていた)という言葉が似合う景色が広がっており、村人たちが長い年月をかけて歩いてつくった轍が続いていた。横には湖、反対側には家が小さく見える。湖岸には村人が手でつくった小舟が数隻あり、そのうちの一つをだしてもらった。風も声もなく、ただ静寂が漂い、平和そのものだった。Sadunがたまに陽が沈んでから友達や家族と飲んだり話したりすると言った瞬間、私はその光景を想像した。今みたいに肌を焼く太陽は姿を隠し、月明かりが湖一面を照らす。もしかしたら夜は虫たちの歌声が聴こえてくるかもしれない。澄んだ静寂は愛する人たちとの会話で掻き消されるが、この平和はそこにあるままだ。これ以上何を求めるのだろうか。水面を覆う蓮の葉で帽子をつくってもらったりもした。昼食をそろそろ食べようかということで湖岸へは私が舟を漕いだ。先ほど遠くに見えていた家に到着すると、まだこの世に生を受けて10ヶ月しか経っていない子どもを腕に抱えながら料理をしている30代ぐらいにみえる夫婦が待っていてくれた。家の柱や壁、台、椅子などは木と土で、屋根はココナッツの葉でつくられていて、窓はない。電気やガスは通っておらず、水も近くの井戸に汲みにいくという。土でできたかまどの前で奥さんが子どもをあやしながら、土鍋で炊いている米の具合を確認していて、旦那さんは裏の庭でとってきたココナッツを割ってウェルカムドリンクをだしてくれた。裏庭で採れた野菜とスパイスでつくった3種類のカレー、ココナッツから抽出した油をつかった湖で釣った魚のフライ、ココナッツの果肉をトマト、スパイス、ライム汁を合わせてすり潰したもの(これが一番美味しかった)、すべて自分たちでつくったもので昼食を振舞ってくれた。お腹いっぱい食べた後には屋根になる���コナッツの葉の編み方も教わった。彼らは住処を建てられて、舟の作り方も知っていて、近くでは魚も釣れて、フルーツや野菜の育て方も知っていて、またそれを余すことなく食べて、残った食べられない部分の他のことへの使い道も知っている。もしかしたら”教育”こそ受けていないかもしれないが、彼らは”自然”をよく知っている。
Sadunが言っていた。ここの村では気候が比較的いいので人々は”自然と生きる”伝統文化が残っている。他には酪農や陶磁器、ジュエリーなどその土地の環境に適したそれぞれの伝統が色濃く残っているらしく、お互いの伝統を交換して足りないものを補い合い、支え合いながら伝統を守っている。ここでの生活はシンプルでお金は持ってないが皆、”生きる”ために仕事をして平和に幸せに暮らしているのだと。しかしスリランカでも現代化が急速に進んでおり、今の若者はこの生活を知ることはなく、遠くない未来にはそれらの伝統は消え去るだろうと嘆いていた。Sadunは知識が豊富で、今世界で何が起こっているのか、何が流行りの思想なのかも知っていた。だからこそ彼は、私をここに連れてきたかったのだろう。
これを書いていると2人の顔が見たくなりSadunに電話(Samanは携帯を持っていない)をすると、彼の気持ちのいい笑顔が画面に広がった。内臓が少し悪く、この数日間入院していたと言われ心配したが、今は回復して翌日には退院できると聞いてひとまず安心した。電話中にちょうどSamanがSadunの見舞いにやってきた。本当に仲がいいなとこちらまでほっこりし、最後2人と別れたときのことを思い出した。私が3日間の感謝の気持ちのお金をSadunに渡したとき、Samanに気づかれないようにその3分の1を受け取り、残りをSamanに渡していた。仏教の教えに「自他不ニ」というものがある。Samanが見舞いにやってきたことも、Sadunが自分の取り分を少なくしたことも、彼らが私にしてくれたことも、そのすべてがその教えを体現していた。
私は自分を仏教徒だと思ったことはない。スリランカでの体験をした今、なおさらそう簡単に口にはできない。しかし、今まで以上に仏教の教えとは身近に生きたいと思うようになった。2人に感謝する。
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