#歌う姿勢
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simamamoru · 11 months ago
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汚辱の日々  さぶ
  1.無残
 日夕点呼を告げるラッパが、夜のしじまを破って営庭に鳴り響いた。
「点呼! 点呼! 点呼!」
 週番下士官の張りのある声が静まりかえった廊下に流れると、各内務班から次々に点呼番号を称える力に満ちた男達の声が騒然と漠き起こった。
「敬礼ッ」
 私の内務班にも週番士官が週番下士官を従えて廻って来て、いつもの点呼が型通りに無事に終った。辻村班長は、これも毎夜の通り
「点呼終り。古兵以上解散。初年兵はそのまま、班付上等兵の教育をうけよ。」
 きまりきった台詞を、そそくさと言い棄てて、さっさと出ていってしまった。
 班付上等兵の教育とは、言い換えれば「初年兵のビンタ教育」その日の初年兵の立居振舞いのすべてが先輩達によって棚卸しされ、採点・評価されて、その総決算がまとめて行われるのである。私的制裁をやると暴行罪が成立し、禁止はされていたものの、それはあくまで表面上でのこと、古兵達は全員残って、これから始まる凄惨で、滑稽で、見るも無残なショーの開幕を、今や遅しと待ち構えているのであった。
 初年兵にとつては、一日のうちで最も嫌な時間がこれから始まる。昼間の訓練・演習の方が、まだしもつかの間の息抜きが出来た。
 戦闘教練で散開し、隣の戦友ともかなりの距離をへだてて、叢に身を伏せた時、その草いきれは、かつて、学び舎の裏の林で、青春を謳歌して共に逍遙歌を歌い、或る時は「愛」について、或る時は「人生」について、共に語り共に論じあったあの友、この友の面影を一瞬想い出させたし、また、土の温もりは、これで母なる大地、戎衣を通じて肌身にほのぼのと人間的な情感をしみ渡らせるのであった。
 だが、夜の初年兵教育の場合は、寸刻の息を抜く間も許されなかった。皓々(こうこう)とした電灯の下、前後左右、何かに飢えた野獣の狂気を想わせる古兵達の鋭い視線が十重二十重にはりめぐらされている。それだけでも、恐怖と緊張感に身も心も硬直し、小刻みにぶるぶる震えがくるのだったが、やがて、裂帛(れっぱく)の気合
怒声、罵声がいり乱れるうちに、初年兵達は立ち竦み、動転し、真ッ赤に逆上し、正常な神経が次第々に侵され擦り切れていった。
 その過程を眺めている古兵達は誰しも、婆婆のどの映画館でも劇場でも観ることの出来ない、スリルとサスペンスに満ち溢れ、怪しい雰囲気につつまれた素晴しい幻想的なドラマでも見ているような錯覚に陥るのであった。幻想ではない。ここでは現実なのだ。現実に男達の熱気が火花となって飛び交い炸裂したのである。
 なんともやりきれなかった。でも耐え難い恥辱と死につながるかもしれない肉体的苦痛を覚悟しない限り抜け出せないのである。ここを、この軍隊と云う名の檻を。それがあの頃の心身共に育った若者達に課せられた共通の宿命であった。
 この日は軍人勅諭の奉唱から始まった。
「我ガ国ノ軍隊ハ代々天皇ノ統率シ賜ウトコロニゾアル……」
 私は勅諭の奉唱を仏教の読経、丁度そんなものだと思っていた。精神が忘れ去られ、形骸だけが空しく機械的に称えられている。又虐げられた人々の怨念がこもった暗く重く澱んだ呻き、それが地鳴りのように聞こえてくるそんな風にも感じていた。
 勅諭の奉唱が一区切りついたところで、一人の古兵が教育係の上等兵に何か耳うちした。頷いた上等兵は、
「岩崎、班長殿がお呼びだ。すぐ行けッ」
 全員の目が私に集中している。少くとも私は痛い程そう感じた。身上調査のあったあの日以来、私は度々辻村机長から呼び出しをうけた。あいつ、どうなってんだろ。あいつ班長殿にうまく、ゴマすってるんじゃないか。あいつ、俺達のことを、あることないこと、班長殿の気に入るように密告してるんじゃないか。同年兵も古兵達も、皆がそんな風に思っているに違いない。私は頑なにそう思い込んでいた。
 つらかった。肩身が狭かった。
 もともと私は、同年兵達とも古兵達とも、うまくいっていなかった。自分では余り意識しないのだが、私はいつも育ちや学歴を鼻にかけているように周囲から見られていたようである。運動神経が鈍く、腕力や持久力がからっきし駄目、することなすことがヘマばかり、ドジの連続の弱兵のくせに、その態度がデカく気障(きざ)っぽく嫌味で鼻持ちがならない。そう思われているようだった。
 夏目漱石の「坊ちゃん」は親譲りの無鉄砲で子供の時から損ばかりしていたと云うが、私は生まれつき人みしりのする損なたちだった。何かの拍子にいったん好きになると、その人が善人であれ悪人であれ、とことん惚れ込んでしまうのに、イケ好かない奴と思うともう鼻も引つかけない。気軽に他人に話しかけることが出来ないし、話しかけられても、つい木で鼻をくくったような返事しかしない。��んなことではいけないと、いつも自分で自分を戒めているのだが、こうなってしまうのが常である。こんなことでは、同年兵にも古兵にも、白い眼で見られるのは至極当然内務班でも孤独の影がいつも私について廻っていた。
 あいつ、これから始まる雨霰(あめあられ)のビンタを、うまく免れよって――同年兵達は羨望のまなざしを、あいつ、班長室から戻って来たら、ただではおかないぞ、あの高慢ちきで可愛いげのないツラが変形するまで、徹底的にぶちのめしてやるから――古兵達は憎々しげなまなざしを、私の背に向って浴せかけているような気がして、私は逃げるようにその場を去り辻村班長の個室に急いだ。
 2.玩弄
 部屋の前で私は軽くノックした。普通なら「岩崎二等兵、入りますッ」と怒鳴らねばならないところだが、この前、呼び出しをうけた時に、特にノックでいいと辻村班長から申し渡されていたのである。
「おう、入れ」
 低いドスのきいた返事があった。
 扉を閉めると私はいったん直立不動の姿勢をとり、脊筋をぴんとのばしたまま、上体を前に傾け、しゃちこばった敬礼をした。
 辻村班長は寝台の上に、右手で頭を支えて寝そべりながら、じっと私を、上から下まで射すくめるように見据えていたが、立ち上がって、毛布の上に、どっかとあぐらをかき襦袢を脱ぎすてると、
「肩がこる、肩を揉め」
 傲然と私に命じた。
 私も寝台に上がり、班長の後に廻って慣れぬ手つきで揉み始めた。
 程よく日焼けして艶やかで力が漲っている肩や腕の筋肉、それに黒々とした腋の下の毛のあたりから、男の匂いがむっと噴き出てくるようだ。同じ男でありながら、私の身体では、これ程官能的で強烈な匂いは生まれてこないだろう。私のは、まだまだ乳臭く、淡く、弱く、男の匂いと云うには程遠いものであろう。肩や腕を、ぎこちない手つきで揉みながら、私はふっと鼻を彼の短い頭髪やうなじや腋に近づけ、深々とこの男の乾いた体臭を吸い込むのだった。
「おい、もう大分、慣れて来たか、軍隊に」
「……」
「つらいか?」
「いエ……はァ」
「どっちだ、言ってみろ」
「……」
「つらいと言え、つらいと。はっきり、男らしく。」
「……」
「貴様みたいな、娑婆で、ぬくぬくと育った女のくさったようなやつ、俺は徹底的に鍛えてやるからな……何だ、その手つき……もっと、力を入れて……マジメにやれ、マジメに……」
 辻村班長は、岩崎家のぼんぼんであり、最高学府を出た青白きインテリである私に、マッサージをやらせながら、ありったけの悪態雑言を浴びせることを心から楽しんでいる様子であった。
 ご��りと横になり、私に軍袴を脱がさせ、今度は毛深い足や太股を揉みほぐし、足の裏を指圧するように命じた。
 乱れた越中褌のはしから、密生した剛毛と徐々に充血し始めた雄々しい男の肉茎が覗き生臭い股間の匂いが、一段と激しく私の性感をゆさぶり高ぶらせるのであった。
 コツコツ、扉を叩く音がした。
「おお、入れ」
 私の時と同じように辻村班長は横柄に応えた。今時分、誰が。私は思わず揉む手を止めて、その方に目を向けた。
 入って来たのは――上等兵に姿かたちは変ってはいるが――あっ、辰ちゃんではないか。まぎれもなく、それは一丁目の自転車屋の辰ちゃんなのだ。
 私の家は榎町二丁目の豪邸。二丁目の南、一丁目の小さな水落自転車店、そこの息子の辰三は、私が小学校の頃、同じ学年、同じクラスだった。一丁目と二丁目の境、その四つ角に「つじむら」と云ううどん・そば・丼ぶり物の店があり、そこの息子が今の辻村班長なのである。
 私は大学に進学した関係で、徴兵検査は卒業まで猶予されたのであるが、彼―― 水落辰三は法律通り満二十才で徴兵検査をうけ、その年か翌年に入隊したのだろう。既に襟章の星の数は私より多く、軍隊の垢も、すっかり身についてしまっている様子である。
 辰ちゃんは幼い時から、私に言わせれば、のっぺりした顔だちで、私の好みではなかったが、人によっては或いは好男子と言う者もあるかもしれない。どちらかと言えば小柄で小太り、小学校の頃から既にませていて小賢しく、「小利口」と云う言葉が、そのままぴったりの感じであった。当時のガキ大将・辻村に巧みにとり入って、そのお気に入りとして幅をきかしていた。私が中学に入って、漢文で「巧言令色スクナシ仁」と云う言葉を教わった時に「最っ先に頭に想い浮かべたのはこの辰ちゃんのことだった。ずる賢い奴と云う辰ちゃんに対する最初の印象で、私は殆んどこの辰ちゃんと遊んだ記憶も、口をきいた記憶もなかったが、顔だけは、まだ頭の一隅に鮮明に残っていた。
 辻村班長は私の方に向って、顎をしゃくり上げ、辰ちゃん、いや、水落上等兵に、「誰か分かるか。」
 意味あり気に、にやっと笑いながら尋ねた
「うん」
 水落上等兵は卑しい笑みを歪めた口もとに浮かべて頷いた。
「岩崎、裸になれ。裸になって、貴様のチンポ、水落に見てもらえ。」
 頭に血が昇った。顔の赤らむのが自分でも分った。でも抵抗してみたところで、それが何になろう。それに恥ずかしさに対して私は入隊以来もうかなり不感症になっていた。部屋の片隅で、私は手早く身につけていた一切合切の衣類を脱いで、生まれたままの姿にかえった。
 他人の眼の前に裸身を晒す、そう思うだけで、私の意志に反して、私の陰茎はもう「休メ」の姿勢から「気ヲ付ケ」の姿勢に変り始めていた。
 今日は辻村班長の他に、もう一人水落上等兵が居る。最初から突っ張ったものを披露するのは、やはり如何にもきまりが悪かった。しかも水落上等兵は、私が小学校で級長をしていた時の同級生なのである。
 私の心の中の切なる願いも空しく、私のその部分は既に独白の行動を開始していた。私はどうしても私の言うことを聞かないヤンチャ坊主にほとほと手を焼いた。
 堅い木製の長椅子に、辻村班長は越中褌だけの姿で、水落上等兵は襦袢・軍袴の姿で、並んで腰をおろし、旨そうに煙草をくゆらしていた。班長の手招きで二人の前に行くまでは、私は両手で股間の突起を隠していたが、二人の真正面に立った時は、早速、隠し続ける訳にもいかず、両手を足の両側につけ、各個教練で教わった通りの直立不動の姿勢をとった。
「股を開け。両手を上げろ」
 命ぜられるままに、無様な格好にならざるを得なかった。二人の視線を避けて、私は天井の一角を空ろに眺めていたが、私の胸の中はすっかり上気して、不安と、それとは全く正反対の甘い期待とで渦巻いていた。
 二人は代る代る私の陰茎を手にとって、きつく握りしめたり、感じ易い部分を、ざらざらした掌で撫で廻したりしはじめた。
「痛ッ」
 思わず腰を後にひくと、
「動くな、じっとしとれ」
 低い威圧的な声が飛ぶ。私はその部分を前につき出し気味にして、二人の玩弄に任せると同時に、高まる快感に次第に酔いしれていった。
「廻れ右して、四つん這いになれ。ケツを高くするんだ。」
 私の双丘は水落上等兵の手で押し拡げられた。二人のぎらぎらした眼が、あの谷間に注がれていることだろう。板張りの床についた私の両手両足は、時々けいれんをおこしたように、ぴくッぴくッと引き吊った。
「顔に似合わず、案外、毛深いなアこいつ」
 水落上等兵の声だった。突然、睾丸と肛門の間や、肛門の周囲に鈍い熱気を感じた。と同時に、じりッじりッと毛が焼けて縮れるかすかな音が。そして毛の焦げる匂いが。二人は煙草の火で、私の菊花を覆っている黒い茂みを焼き払い出したに違いないのである。
「熱ッ!」
「動くな、動くとやけどするぞ」
 辻村班長の威嚇するような声であった。ああ、目に見えないあのところ、今、どうなってるんだろう。どうなってしまうのだろう。冷汗が、脂汗が、いっぱいだらだら――私の神経はくたくたになってしまった。
  3.烈情
「おい岩崎、今日はな、貴様にほんとの男ってものを見せてやっからな。よーく見とれ」
 四つん這いから起きあがった私に、辻村班長は、ぶっ��らぼうにそう言った。辻村班長が水落上等兵に目くばせすると、以心伝心、水落上等兵はさっさと着ているものを脱ぎ棄てた。裸で寝台の上に横になった水落上等兵は、恥ずかしげもなく足を上げてから、腹の上にあぐらを組むように折り曲げ、辻村班長のものを受入れ易い体位になって、じっと眼を閉じた。
 彼白身のものは、指や口舌で何の刺戟も与えていないのに、既に驚くまでに凝固し若さと精力と漲る力をまぶしく輝かせていた。
「いくぞ」
 今は褌もはずし、男一匹、裸一貫となった辻村班長は、猛りに猛り、水落上等兵を押し分けていった。
「ううッ」
 顔をしかめ、引き吊らせて、水落上等兵は呻き、
「痛ッ……痛ッ……」と二言三言、小さな悲鳴をあげたが、大きく口をあけて息を吐き、全身の力を抜いた。彼の表情が平静になるのを待って、辻村班長はおもむろに動いた。大洋の巨大な波のうねりのように、大きく盛り上がっては沈み、沈んでは又大きく盛り上がる。永落上等兵の額には粒の汗が浮かんでいた。
 凄まじい光景であった。凝視する私の視線を避けるように、流石の永落上等兵も眼を閉じて、烈しい苦痛と屈辱感から逃れようとしていた。
「岩崎、ここへ来て、ここをよーく見ろ」
 言われるがままに、私はしゃがみこんで、局部に目を近づけた。
 一心同体の男達がかもし出す熱気と、激しい息づかいの迫力に圧倒されて、私はただ茫然と、その場に崩れるようにすわりこんでしまった。
 戦いは終った。戦いが烈しければ烈しい程それが終った後の空間と時間は、虚しく静かで空ろであった。
 三人の肉体も心も燃え尽き、今は荒涼として、生臭い空気だけが、生きとし生ける男達の存在を証明していた。
 男のいのちの噴火による恍惚感と、その陶酔から醒めると、私を除く二人は、急速にもとの辻村班長と水落上等兵に戻っていった。先程までのあの逞しい情欲と激動が、まるで嘘のようだった。汲(く)めども尽きぬ男のエネルギーの泉、そこでは早くも新しい精力が滾々(こんこん)と湧き出しているに達いなかった。
 「見たか、岩崎。貴様も出来るように鍛えてやる。寝台に寝ろ。」
 有無を言わせぬ強引さであった。
 あの身上調査のあった日以来、私はちょくちょく、今夜のように、辻村班長の呼び出しをうけていたが、その度に、今日、彼が水落上等兵に対して行ったような交合を私に迫ったのである。しかし、これだけは、私は何としても耐えきれなかった。頭脳に響く激痛もさることながら、襲いくる排便感に我慢出来ず私は場所柄も、初年兵と云う階級上の立場も忘れて、暴れ、喚き、絶叫してしまうので、辻村班長は、ついぞ目的を遂げ得ないままであった。
 その時のいまいましげな辻村班長の表情。何かのはずみでそれを想い出すと、それだけで、私は恐怖にわなない��のであるが、辻村班長は一向に諦めようとはせず、執念の劫火を燃やしては、その都度、無残な挫折を繰り返していたのである。
 その夜、水落上等兵の肛門を責める様を私に見せたのは、所詮、責められる者の一つの手本を私に示す為であったかもしれない。
「ぐずぐずするな。早くしろ、早く」
 ああ、今夜も。私は観念して寝台に上がり、あおむけに寝た。敷布や毛布には、先程のあの激突の余儘(よじん)が生温かく、水落上等兵の身体から滴り落ちた汗でじっとりと湿っていた。
 私の腰の下に、枕が差し込まれ、両足を高々とあげさせられた。
「水落。こいつが暴れんように、しっかり押さえつけろ。」
 合点と云わんばかりに、水落上等兵は私の顔の上に、肉づきのいい尻をおろし、足をV字形に私の胴体を挟むようにして伸ばした。股の割れ目は、まだ、水落上等兵の体内から分泌された粘液でぬめり、私の鼻の先や口許を、ねばつかせると同時に、異様に生臭い匂いが、強烈に私の嗅覚を刺戟した。
「むむッ」
 息苦しさに顔をそむけようとしたが、水落上等兵の体重で思うにまかせない。彼は更に私の両足首を手荒く掴んで、私の奥まった洞窟がはっきり姿を見せるよう、折り曲げ、組み合わせ、私の臍の上で堅く握りしめた。
 奥深く秘められている私の窪みが、突然、眩しい裸電球の下に露呈され、その差恥感と予期される虐待に対する恐怖感で、時々びくっびくっと、その部分だけが別の生き物であるかのように動いていた。
 堅い棒状の異物が、その部分に近づいた。
 思わず息をのんだ。
 徐々に、深く、そして静かに、漠然とした不安を感じさせながら、それは潜行してくる。ああッ〃‥ああッ〃‥‥痛みはなかった。次第に力が加えられた。どうしよう……痛いような、それかと云って痛くも何ともないような、排泄を促しているような、そうでもないような、不思議な感覚が、そのあたりにいっぱい。それが、私の性感を妖しくぐすぐり、燃えたたせ、私を夢幻の境地にさそうのであった。
 突然、激痛が火となって私の背筋を突っ走った。それは、ほんのちょっとした何かのはずみであった。
「ぎゃあッ!!」
 断末魔の叫びにも似た悲鳴も、水落、上等兵の尻に押さえつけられた口からでは、単なる呻きとしか聞きとれなかったかもしれない。
 心をとろけさせるような快感を与えていた、洞窟内の異物が、突如、憤怒の形相に変わり、強烈な排便感を伴って、私を苦しめ出したのである。
「お許し下さいッ――班長殿――お許しッ ――お許しッ――ハ、ハ、班長殿ッ」  言葉にはならなくても、私は喚き叫び続けた。必死に、満身の力を振り絞って。
「あッ、汚しますッ――止めて、止めて下さいッ――班長殿ッ――ああ――お願いッ――お許しッ――おおッ――おおッ―― 」
「何だ、これくらいで。それでも、貴様、男か。馬鹿野郎ッ」
「ああッ、……痛ッ……毛布……毛布……痛ッ――汚れ――汚れますッ――班長殿ッ」
 毛布を両手でしっかりと握りしめ、焼け爛れるような痛さと、排便感の猛威と、半狂乱の状態で戦う私をしげしげと眺めて、流石の辻村班長も、呆れ果てで諦めたのか、
「よしッ……大人しくしろ。いいか、動くなッ」
「うおおおー!!!」
 最後の一瞬が、とりわけ私の骨身に壊滅的な打撃を与えた。
「馬鹿野郎。ただで抜いてくれるなんて、甘い考えおこすな。糞ったれ」
 毒づく辻村班長の声が、どこか遠くでしているようだった。
 終った、と云う安堵感も手伝って、私は、へたへたとうつ伏せになり、股間の疼きの収まるのを待った。身体じゅうの関節はばらばら全身の力が抜けてしまったように、私はいつまでも、いつまでも、起き上がろうとはしなかった。 
 班長の最後の一撃で俺も漏らしてしまったのだ。腑抜けさながら。私はここまで堕ちに堕ちてしまったのである。  瞼から涙が溢れ、男のすえた体臭がこびりついた敷布を自分の汁と血で汚していた。
 どれだけの時間が、そこで停止していたことか。
 気怠(けだる)く重い身体を、もぞもぞ動かし始めた私。
 「なんだ、良かったんじゃねぇか、手間取らせやがって」
 おれの漏らした汁を舐めながら辻村班長が言った。
 そして汚れたモノを口に突っ込んできた。
 水落上等兵は、おいうちをかけるように、俺に覆い被さり、聞こえよがしに口ずさむのであった。
 新兵サンハ可哀ソウダネ――マタ寝テカクノカヨ――
        (了)
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koch-snowflake-blog · 1 year ago
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猫宮 あすかは、日本のグラビアアイドル、タレント。東京都出身。ブルースカイ所属。 ウィキペディア
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身長: 155 cm
カップサイズ: E
スリーサイズ: 80 - 61 - 87 cm
事務所: ブルースカイ
出身地: 日本・東京都
現年齢: 23歳
生年月日: 2000年7月9日
趣味:シナモロールグッズ集め。
特技:UFOキャッチャー、ダンス。
日本とフィリピンのハーフ。人形のような顔立ち、頭身からドーリー系グラビアアイドルの異名を持つ。
小顔から写真では長身に思われることが多いが、実際の身長は155センチと小柄である。
人見知りするタイプで、デビュー前は人前で話すことも苦手としていた。撮影会で「素直に伝えれば周りが応えてくれる」ことに気づき、徐々に克服していっているという。一方でヲタク気質であり、打ち解けたり、好きなことならばかなり喋ると自己分析。また、口数が少ない割に自己肯定感が高いことから「生意気」といわれることも多いという。
ショーダンサー的なものへの憧れがあったため、面積の小さい水着を着ることには抵抗がない。もともとは歌って踊るアイドル志望であった。
イーネット・フロンティア担当者は印象を「仕事に対する姿勢はまじめ」と答えている。
同じく「猫」の字が苗字に入る蒼猫いなとは、2022年より「ねこねこセッション」「猫×猫コラボ」と等と称し、たびたびペアでの撮影会を開催している。
名前は猫宮だが、猫か犬かで言えば、犬派。  
  
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sarahalainn · 2 years ago
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
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サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
念願だった日本の協会でのクリスマス。
11年目でやっと実現できました。
色々なサライブをプロデュースして来ましたが、どれも特別な思い入れがある中。
今回は1番印象に残るステージの一つになりました。
これをきっかけに、また日本の教会でコンサートが実現できれば幸せす。
個人的にはとても長崎に行きたく、、、チャンスに巡り合えることを祈っています!
では、プロデューサラからのライナーノート。
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今回のセトリ。デザインさせて頂きました^^
夏のオーストラリアで育ったため、リースのサラは半袖。
寒さにとても弱いものの(昨日のライブでもカイロを貼ってて落ちないかドキドキ)、
クリスマスはやっぱり寒いのがしっくり。
1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
5. Eight Melodies 『MOTHER』
6. Hijo de la Luna
7. Airmail Special Xmas Vers.
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
9. Andata (���本龍一)
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
11. Joyful Joyful / 第九
12. O Holy Night
ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
14. Silent Night
15. Nessun Dorma
16. You Raise Me Up
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海外の協会や大聖堂といえば、キャンドル🕯️
本物はNGとのことで、こちらに。帰って我が家のツリーの下に🎄
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今回のサラスタイルは、一番好きな純白。
1部はサラッと見つけた衣装!今回ネックだったのは、パイプオルガンの弾き語り。
普段はもっと高いヒールを履いて��フォーマンスをしているのですが、ペダルがもちろんキツく不可能。
因みに、ペタンコな靴でも試したところ、これもこれで初心者にはとても踏みにくく、多少ヒールがあった方が演奏しやすかったです。
長いスカートも足の動作の邪魔になるため、とても苦労しました。最終的には普段より低いヒール(これで)に動きやすいドレスに出会えました。オープニング、アンコール、エンディングの演出としてバージンロードを歩きたかったため、
それにし��はカジュアルすぎる姿かなと思い、裾が長い素敵なビジューのケープに出会えました。
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アンコールではお世話になってる方々のお衣装:
Instagram
Dress: DRESS SALON Lu:Che @dress_salon.luche
Veil: @paradisewest
Hair & Make up: @west_kuboki
アー写でも着てた一点もののヴェールとウェディングドレス。
華やかな衣装も大好きだけど、普段着も含めて、基本一色でシンプルなスタイルが1番好き。
見えにくかったはずですが、アクセサリーには十字架のネックレス。
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Sarah’s Angels
チャーリーズ・エンジェルともちろんかけてます。
ピアニストの宮本貴奈さんは色々な意味で今回救いの天使でした!
Soprano/ SAK.
Mezzo Soprano/ 渡辺磨裕美
Alto/ 会原実希
Tenor/ 大山桂佑
エグイアレンジにも関わらず🙇‍♀️サラッと歌われて素晴らしかった👏Bravi!
皆さんのシックな衣装が会場にぴったりでした。
実はAngels’のスタイリングもしてたのですが。。なんと、衣装が間に合わず(本番の次の日に到着><)
いつかまたぜひこちらも着て一緒に歌いたいものです!
では、音楽のもう少し詳しい編成や演出について。
聖なる場所で、今回はとても分かりやすいテーマとメッセージがあったこともあり、
MCを最小限にし、音楽中心のコンサートに。
アルバムやテレビと違って、コンサートでは自分の思いを自由に語れる貴重な場なので、
基本話せる時は話したいですが、今回はより音楽に集中できたため(ツアーでは毎回MC=ー「笑い」に命をかけていますw)、こういうコンサートも続けたい。
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1. Pie Jesu (Andrew Lloyd Webber)
Takanaのクリスマス・アドリ��から始まり、イエスキリストを讃える一曲へと繋がる。
色々な作曲家のPie Jesuがありますが(Faureフォーレのも好きで迷いました)、アルバムに収録されてることと、京都音舞台での思い出もあり(お寺でのPie Jesuなんて、日本の神は心が広い)、Andrew Lloyd Webberバージョンに。
皆さん驚かれたかもしれませんが、後ろから登場し、キャンドルを灯し、歌いながらバージンロードを歩きました。
教会の大きな十字架✝️を見ながら歌う感覚。
色々な感情が心に重く、深く、宿る。
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2. Bring the Snow『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』
クリスマスは基本違和感と寂しい思い出しかなかったですが(夏のオーストラリアで、クリスマスを祝わない家族)、
昔からクリスマスソング・キャロル・讃美歌が大好き。とても嬉しいことに、オリジナルのクリスマスソングを歌わせて頂いています。それも、憧れのムーミンの。映画『ムーミン谷とウィンターワンダーランド』で英語版と日本語版で主題歌を歌わせて頂くクリスマスの奇跡が起こりました。
そんなムーミン一家も、クリスマスはお祝いしません。
クリスマスが何なのかすら、知りません。
でも、「クリスマスさんがやってくる!」
人と勘違いしてる?
ツリーの飾り方も分からず独特。テッペンには薔薇。
そんなムーミンは、何よりも大事なクリスマスのメッセージに気づきます。
そんなハートフルなクリスマスソングを教会でも歌えるなんて。
年に一度しか使えないと思ってゲットした鈴は、今日も大活用。
3. Toccata (J.S. Bach) ~ Shchedryk/Carol of the Bells
さあ、ここからが難関。思いだすだけで冷や汗。
人生初のパイプオルガン演奏。弾き語り。そして途中で指揮。
本来予定してなかったのですが、教会の下見に行った時、オルガンを見て、これは演奏してみたい!、と燃えてしまいました。
どの楽器も���スターするのに難しいですが、その中でもパイプオルガン奏者にはリスペクトしかありません。
ピアノ、チェンバロと違って、鍵盤が三段階。それぞれ音色は違いますが、その音色をさらに左と右横にあるストッパーで調整する。演奏中引っ張ったり押したり大忙し。シンセも昔から好きだったので、感覚が似てて、音色を選べるのはとても楽しいです。演奏してる間は別問題ですが^^;そして、私にとって何よりも困難だったのはペダル。ペダルも鍵盤になっているんです!ひ〜
エレクトーンの経験もないので、シクシク家で妄想練習。手書きの鍵盤。
あるピアニストがピアノがなくて紙の鍵盤で練習したという都市伝説を聞いたことがあったけど、
本当だったかもしれない。
最初はオルガンソロのみ予定してて、何が良いかなと思って、冗談で「バッハのトッカータとフーガニ短調BWV 565」なんて!と言ったら、ピアニストの塩入俊哉さんが、「それで良いんじゃない」と真面目に答えられてから、やることになっちゃいました(塩入さん、体調回復されて、元旦でお会いします^^)
どうやって鍵盤を弾きながらペダルを踏んで歌うのだろうか。。。練習ができないため、
今回はずっと足を見て演奏するしかない。
そのため、普通のマイクではなく、ヘッドセットをお願いしました。
ここで合唱が登場したらカッコ良いなと思い、バッハからウクライナの新年の曲「Shchedryk」、別名「Carol of the Bells」(ホームアローンやテーマパークでもよく流れるクリスマスの定番)に繋がる。
ペダルを踏んでない時は指揮。オルガンが大きくて見えにくい位置でしたが、さすが聖歌隊、
Sarah’s Angels見事について来ています。
「Carol of the Bells」 「鐘のキャロル」というだけに、パイプオルガンにも鐘があるので、このチャイムをペダルと鍵盤でもONに。
今回は合唱のアレンジをさせて頂き、こちらも燃えました。
GLORIA CHAPELだけに、アレンジに「Gloria」(讃美歌)も取り入れました。
ウクライナ語、早口英語(合唱お見事)、脳みそがフル回転に働かされる一曲でした。
足元の動画をとってあとで見返してみると、おそらくこの姿勢で筋肉痛になったかと。
YouTubeにアップしました!
動画編集に苦戦。いくつかのカメラが音と映像がシンクしない。多分カメラの位置とホールの響きの影響も?
また、見返して思い出したのは、音のディレイ。特にオルガンは、鍵盤を弾いてる時と、実際に聞こえてくる音とズレがあります。ゆっくりなところは大丈夫でしがた、早いパッセージは心臓バクバク。
【LIVE】Shchedryk Carol of the Bells /Pipe Organ, Voice & Choir|Sarah Àlainn サラ・オレイン | パイプオルガン弾き語り
<初!パイプオルガン弾き語りinウクライナ語+指揮🎄>
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4. Eternal Rest 『蒼き革命のヴァルキュリア』
ここでやっと普通のMC。
次からは合唱メインの選曲へ。
今回リーダーのSAK.に合唱についてご相談させて頂きました。SAK.とのご縁はゲーム音楽のコンサート。
そんな繋がりもあり、一番最初に合唱とやりたい!と浮かんだ曲は、ゲーム音楽でした。
私の歌のデビューは光田康典さんのゲーム音楽『ゼノブレイド』の「Beyond the Sky」。
よくライブで歌わせて頂いている大切な楽曲。SEGAの 『蒼き革命のヴァルキュリア』でもコラボが実現。
ラテン語で英語で作詞させて頂き、とても好きな世界観。でも、ライブでは一度も歌ったことがありません。
レコーディングでは自分の声を何重に重ねたセルフ・クワイヤー。
ループするようなラインでもないため、ルーパーでも一人でライブでは歌えません。
今日までは!
合唱のおかげで、やっと生でこの歌が届けられる!テーマも「Requiem(レクイエム)」なので教会にもぴったり。
ゲームの中では死神の歌なので、プレイヤーとしてはあまり聞きたくない曲かもしれませんが^^;
さらに、この曲は完全にアカペラ。オリジナルと同じように表現できた喜び。
アカペラが大好きで、合唱の皆さんにまたハードルが高い曲を2曲目に持って来たのにも関わらず、Bravo!
正面向きながらの指揮。
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5. Eight Melodies 『MOTHER』
ルーツのvgmが続きます
ご縁があり、作曲家のChip Tanaka(田中宏和さん)の前で彼の作品をいくつか演奏する貴重な機会がありました。私が最初にプレイしたゲーム機はGAME BOY(ゲームボーイ)。唯一入ってたゲームがDr. Mario。今でも完璧に覚えてるあのチップチューン。それがまさかのChipさん作曲。そんなDr.MarioとRPG『MOTHER』をご本人の前で演奏させて頂く夢のようなステージがありました。
その時はサラカルの編成だったため、歌とヴァイオリンはルーパーを使ってました。
この名曲をSt. Paul’s Cathedral Choirが歌われてるバージョンをサラジオでも以前お届けしましたが、
これぞ教会で聞きたい一曲!ゲームでは8つのメロディーが物語のキーとなるのですが、アレンジバージョンには英語歌詞がつきました:
Take a melody, simple as can be
Give it some words and sweet harmony
Raise your voices, all day long now, love grows strong now
Sing a melody of love, oh love…
作詞:Linda Hennrick
作曲:鈴木慶一さん/Chip Tanaka
簡単なメロディーをとって、歌詞をつけて、
優しいハーモニーを当てて、
声をあげて、愛のをメロディーを共に歌おう。
何とも純粋な美しい歌詞。。。
以前のループも生かしつつ、合唱とピアノ演奏を加えた教会バージョンにアレンジ。
Chipさんに映像を送らなければ〜年末は休めるのだろうか^^;
今回は出番が短かったですが、ここでサラ・オリジナル八ヶ岳カリンバが重要なところに登場。
シンプルなメロなので、これもいずれ皆さんとカリンバで演奏するのが夢です^^
6. Hijo de la Luna
合唱がミステリアスなピアノアドリブの中ゆっくり去っていく。
ガラッと雰囲気を変えて、不思議なスペイン語の世界へ。
スペイン語は話��ないので、早口言葉がとても難しい一曲です。
子供の時ラジオでも流れてたヒットで馴染みがある一曲なのに、大人になってから歌詞の意味を知り、びっくり:
かなりダークです
当日のセリフをそのまま:
『母といえば、息子が欲しかったお月様の話、ご存じでしょうか?
ある女性の望みと引き換えに、息子を手にした、お月様
女性は望み通り、夫をもらった。
でも、その間に産まれた子は、夫と違い、肌色が真っ白だった。月のように。
あまりの怒りに、夫は女性に怒り、最悪な結末に。
お月様は、こうして母になった。
「お月様、腕がなくて、あなたはどうやって息子を抱くの?」
「三日月になって、息子を揺らすのよ。」
Hijo de la Luna 月の息子』
やっぱり怖い。
ヨーロッパで大ヒットしたMecanoの名曲。オリジナルがとにかくカッコ良い。
Takanaからお借りしたシェーカー(振り方、角度によって音が変わる!欲しい)も登場。
音楽的にはシンプルに1番、サビ、という構成ですが、違和感がある転調があったり、
演奏してみると意外とミスしやすい(そして目立ちやすい)、難関な曲。
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7. Airmail Special Xmas Vers.
今回のセトリからカットされそうになった一曲。
でも、リハで試しに一回Takanaとやってみて、これはやっぱり入れなきゃとcome-backしたジャズナンバー。
「天上の音楽」とはかけ離れたイメージだけど、普段のライブなら元気に盛り上がる・アップテンポな曲が入ってからの重ための曲の流れを意識してるので、やっぱり息抜きできる一曲が必要。
炭水化物好きでもたまには野菜を挟んだほうが良い、的な?
ただ、中々息する暇もない、かなり��アップテンポで音かずが多い一曲。
以前ハマジャズで急遽この曲をやることになり、必死にElla Fitzgeraldの音源を完コピ。
バンドが初めて歌ったと信じてなく、嬉しくも複雑な(嬉しい)ライブでした。あんなに必死に歌を覚えたのは初めてです。
ヴァイオリンでは速い曲はたくさんありますが、歌はどうしてもバラードが多く、
こういう一曲を待ってました!
クリスマスネタをあちらこちらにアドリブで飾っていく。
さすがJazz出身のTakana。刺激されて、色々湧きでくる、セッション!
ちょうど次の曲のセットチェンジもあるので、ここで会場に降りました。
ワンピ+ヒールが低いと本当に簡単に動き回れる〜
Airmail Specialと並んでYoasobiさんの「アイドル」が同じ部類のもの。癖になる。
続きはPART 2 で!
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takarajima-movie · 1 month ago
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物語の熱狂を体現する総勢10名の新キャスト解禁!
塚本晋也、中村蒼、瀧内公美、栄莉弥、尚玄、ピエール瀧、木幡竜、奥野瑛太、村田秀亮、デリック・ドーバー。 新キャスト10名のたぎる想いと共に劇中のキャラクター画像を一挙解禁!
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〈COMMENT〉 【塚本晋也】徳尚(とくしょう)役:コザ署の刑事でグスクの相棒 すべてのシーンが圧巻の特大スケールで驚きました。徳尚という役を通し、沖縄のこと、日本のこと、たくさんのことをあらためて見つめる大事な機会になりました。映画が放つ強いメッセージが皆様に届くことを願っています。 【中村蒼】小松役:米軍の高官アーヴィンの通訳 戦後の沖縄という最も過酷な現実に置かれ、歴史に��を奪われた登場人物の怒り、友情、絶望、希望が描かれておりそんな今作にとても心打たれました。画面からすごいエネルギーがひしひしと伝わってきました。 私が演じた小松は普段は淡々と通訳の仕事をこなし穏やかで理知的な人間ですが物語が進むにつれてそれだけではない別の一面も持ち合わせています。 私は、彼が冷徹で計算高い男なのか、理想と現実で板挟みになり苦悩する男なのか、それとも沖縄を思うが故に独自のやり方で尽力した人物なのかは観た皆さんがどう思うのかとても楽しみにしている所です。 【瀧内公美】チバナ役:ヤマコが慕うAサインバーの女給 いまも続いている"沖縄の現実"というものを内地の人間は見つめざるを得ない。 沖縄に出向き、戦争の話をしてくれたおばぁたち。 コザにある映画館シアタードーナツで見せていただいたドキュメンタリー映画「モトシンカカランヌー」。アケミさんが唄っていた十九の春。 沖縄で過ごした時間はわたしの心にいまも生き続けています。 ものがたりでもあり、フィクションであるにも関わらず、沖縄史にどうしても気持ちが向き、ここに生きている"人間たちが""魂が"あったんだ、と叫ばざるを得ませんでした。 伝えたいことは山ほどある。映画では語りきれないほどの想いがそこにはあります。 この作品に協力してくださった沖縄のみなさんに心から感謝しております。 エンドロールをご覧になってみなさまがどう感じてくださるのか、沖縄に出向いた際はひめゆりの塔で手を合わせていただけることを切に願います。 【栄莉弥】ウタ役:物語のカギを握る謎に包まれた孤児 大友監督が導く「宝島」の世界、僕はカメラの前で芝居をすること自体がほぼ初めての経験でした。撮影中は様々な感情が入り混じり、緊張で硬まってしまう事もありましたが、監督から「ここにいる以上は、同じ土俵に立っているのだから自信を持ってやっておいで」と仰っていただき、その言葉をパワーに変え、キャストの先輩方やスタッフの皆さんに背中を借りる気持ちで日々挑戦でした。 撮影の合間には、ひめゆりの塔や、ガマ、美しい海、荒崎海岸にも足を運びました。 沖縄の神秘と、そこに確かにある悲惨な歴史、そしてそれを乗り越えてきた琉球の方々の魂の力強さを感じ、心が震える思いでした。 激動の戦後沖縄を生き抜いたたくさんの命を、肌で感じていただける作品になっています。 ぜひ多くの方に劇場へ足を運んでいただきたい気持ちでいっぱいです。 【尚玄】タイラ役:レイの刑務所��間で民族運動家 アメリカ統治下にあった沖縄の激動の時代。彼らが命を懸けて守ろうとしたのは、島のかけがえのない『宝』だった。理不尽な現実は、今もなお形を変えて続いている。民意とは何か、そして誰のための本土復帰だったのか――その問いは決して過去のものではない。沖縄と真摯に向き合ってきた大友啓史監督だからこそ実現できた意欲作。沖縄出身の俳優として、この作品に参加できたことを光栄に思う。 【ピエール瀧】喜舎場(きしゃば)役:コザ派のヤクザでレイの親分 久しぶりに大友監督の現場に参加させていただきました。相変わらずのエネルギッシュな現場で、何よりも監督が楽しそうにされている姿に触れてこちらも嬉しくなりました。 【木幡竜】ダニー岸役:ある事件を探るためグスクに近づくCIA要員 沖縄という戦後の戦場に焦点を当てて、グスク、ヤマコ、レイという幼馴染たちがそれぞれの人生を歩みオンちゃんという彼らにとっての英雄を探す物語です。国の過去と向き合う覚悟。人間の尊厳、自由への渇望が詰まったこの小説を読んだ時、どこに僕の役があるのだろう。どの役ならこの映画に貢献できるのだろうと感じておりました。 大友監督から頂いた役はダニー岸。映画唯一と言っていい悪役は、小説ではかなりのサイコパスな役です。しかし、小説と実写映画では少しこの役の意味合いは違いました。監督といろいろな意見交換をしながら撮影に挑みました。 試写会で映画『宝島』を観た時、全ての役が、キャラクターが、個性が、映画の中に息づいていました。その中にダニー岸も居て、すごい作品の一部になれていると感じました。 この映画は��非、映画館で見ていただきたいです。 【奥野瑛太】謝花(じゃはな)ジョー役:密貿易団クブラのリーダー 撮影休みの金曜日の夜、賑やかなコザゲート通りで1人酔い潰れていました。異国の雰囲気漂う通りで寝転んでいると、路面店からは終始洋楽のカラオケの音が鳴り響いていました。咆哮にちかい歌声にしばし身体を預け、 酔いがおさまってきたところでふらふらと路地を散歩しました。先ほどの景色とうってかわり地元の若い人達がやっている飲み屋さんが立ち並んでいました。 どこからともなく聞き馴染みある沖縄のJ-POPのカラオケの音が聞こえ、今度は地元愛の滲む平和的な若者の声に残りの酔いを任せました。 通り一つはさむだけでまるで違う国に来たかのように錯覚してしまう情景に、外部から来ておこがましいの百も承知ですが、「これが沖縄なのか」と、その複雑さと歴史にただただ呆然と酔っ払いました。
【村田秀亮】辺土名(へんとな)役:鼻の曲がったコザ派のヤクザ どんだけ涙が出てくるねんってくらい泣いてた… 胸が熱くて苦しくて痛くて…涙が止まらなかった。 戦争は終わったはずなのに沖縄では何も終わっていなかったあの時代 自分達の本来の島を取り戻したくて護りたくて命を懸けて立ち上がる若者たちの姿は、泥臭くて尊い。 これはただの物語でも映画でもないよ。 人間が生きることそのものにぶつかっていくリアルな叫び! 生きてる以上前に進まないと損やもんな よし、明日も生きていこ! 今世紀絶対観て欲しい一本です。 【デリック・ドーバー】アーヴィン・マーシャル役:グスクとチームを組む米軍の高官 『宝島』は私にとって特別な作品であり、日本映画界にとっても大きな意義を持つ挑戦だと感じています。大友啓史監督の情熱が、視聴者だけでなく、多くの業界関係者にも共感と希望を届けてくれることを願っています。 この物語は観る人に問いを投げかけ、考える力を引き出す深い作品です。激動の時代だからこそ、こうした普遍的な物語がいっそう求められていると感じます。 日本の文化と映画は、私の人生とキャリアに大きな影響を与えてくれました。この作品に関わり、尊敬する監督や仲間と共に創り上げられたことを心から誇りに思います。 〈STORY〉 ある夜、一人の英雄が消えた。アメリカ統治下の沖縄で、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描く感動超大作。 英雄はなぜ消えたのか?幼馴染3人が20年後にたどり着いた真実とはー。 沖縄がアメリカだった時代。米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ(広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。 やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出すー。 消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とはー。
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bearbench-img · 2 months ago
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ニホンダシ
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歌川国芳の浮世絵「猫愛で日本橋」は、猫好きとして知られた国芳ならではの作品です。この絵は、日本橋のたもとで、大勢の猫たちが集まり、楽しそうに戯れている様子が描かれています。猫たちは、橋の欄干に座ったり、寝そべったり、じゃれ合ったりと、のどかな雰囲気を醸し出しています。背景には、江戸の街並みと日本橋が描かれ、人々が行き交う活気ある様子が伝わってきます。国芳は、猫の愛らしい姿や表情を細かく描写し、猫への深い愛情を表現しました。この作品は、猫好きの人々に人気が高く、国芳の代表作の一つとして知られています。猫の可愛らしさと江戸の風情が融合した、魅力的な浮世絵と言えるでしょう。
手抜きイラスト集
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ryotarox · 3 months ago
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ヴァーグナー後期の半音階的語法を出発点に無調や12音音楽へと果敢に向っていったのが新ウィーン楽派の3人(シェーンベルク、ベルク、ウェーベルン)である。
一方、カトリック国として教会でグレゴリア聖歌を歌う習慣が残っていたフランスでは、フォーレやサティ、ラヴェルらによって教会旋法のエッセンスを取り込むことにより調性の世界を拡張する方向が模索されていた。
ドビュッシーも、自らの創作のベースとなる音高組織に極めて意識的だった作曲家である。彼の作品では部分��パッセージ毎に、12半音階的な書法や、6音より成る全音音階、デイアトニックな7音の教会旋法や長短旋法、東洋的な5音音階などが注意深く選び取られている。
シェーンベルクらが「12音技法」というただ一つの理論��系で創作を統御しようとした一神教的な姿勢とは反対の、多神教的なアプローチと言えるかもしれない。
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kennak · 9 months ago
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お嫁さんにお願いされて、大好きだったももクロのBDやグッズを全て売った結果、生きる気力が完全になくなってしまった。 自分��研究者を目指していた時にメンタルを完全に病んでしまい、希死念慮に苛まれていた時に救ってくれたのがももクロだった。当時はそれほど歌もダンスも上手くなかったけど、笑顔で全力で歌い踊る姿に本当に励まされた。下手でも未熟でもアンチに叩かれようとも舞台に立ち続け、全力でお客さんを楽しませようとする姿に心を打たれて、未熟でも良いからその時の自分の全力で書いた論文を発表しようと奮起することができた。ももクロがいなかったら、自殺していただろうし、その後に何本も論文を書くことはできなかっただろう。研究者の道を挫折した後にも不貞腐れずにコツコツと研鑽を積んで、ITエンジニアとしてそれなりに成功できたのも、ももクロのひたすらに前向きな姿勢のお陰だった。 ももクロに会う前は、論文は完璧なものでなければ世に出してはならないという偏見に囚われていて、完璧な論文を書くことのできない己の無能さに絶望しきっていた。今から振り返るとなんと傲慢な考え方をしていたのだろうと思うけれども、増え続ける奨学金の額と将来への不安から自分を追い込んでしまいどうにもならない状態だった。そんな時にももクロに出会い、スーパースターのような才能がなくても、不出来なごく普通の人間でも、仲間同士でお互いに支え合って生きていけば良いのだというごくごく当たり前のことにようやく気付くことができた。 多分、そのことに気付くきっかけはももクロでなくても良かったのだと思う。映画でも、小説でも、旅でも、友人でもきっかけにはなったのだろう。でも、自分にとってはたまたま偶然に、ももクロだったのだ。だけれども偶然ほど価値のあるものはない。科学法則や技術のように一般性や再現性がなく、人生という物語の中で、たった一度しか起きなかった偶然が自分の心を救ったのだ。 お嫁さんには、そのことを話して、ももクロのグッズやBDだけはどうしても手放したくないと説得しようとした。しかし、お嫁さんとしてはまるで元カノのことを話されているようで気分が悪いので、全て捨てて欲しいとお願いされた。自分にとってももクロは元カノとかでは全くなく、心の支えだったのだと何度も説明したが、お嫁さんからはアイドルなんて若くて可愛いだけが取り柄で、何の才能もなくて歳を取ったら価値のない存在なのだと全否定された。そこで引き下がれば良かったのだが、自分もついかっとなってしまい、ももクロは結婚しても子供を産んでもアイドルを続ける覚悟があり、日本人の働き方や生き方に対する考えを変えようとする素晴らしい理想を持っているのだと熱弁してしまった。お嫁さんはそれに対して、どうせももクロなんて、1人1人が優れた才能があるわけでもないし、群れないと何もできず、大した思想もなく、社会的影響力もないんだからすぐに解散するに決まっているなどと、ももクロに対する罵詈雑言を捲し立ててきた。そんなお嫁さんに対して、大人気ない自分は、ももクロのような飛び抜けた才能がない人達がありのままの自分を受け入れ、それでも不貞腐れずにコツコツ努力して、チームワークで活躍する姿こそが人々の胸を打つのだと言い返してしまった。そのあとはずっと平行線のままだった。 お嫁さんは本当に自分のことを好いてくれていて嫉妬で怒ったのだろうと思ったのだが、全くそうではなくアイドルが好きな人自体が大嫌いなようだった。だから、職場で同僚女性が韓流アイドルの話題で盛り上がっていると物凄く嫌な気分になるのだと話してくれた。アイドルを好きになる人のメンタルそのものが嫌いなのだそうだ。 新婚生活を無事に過ごすためには、ももクロのグッズを捨ててお嫁さんの気持ちを宥めるしかないと諦め、今日は全てブックオフに売ってきた。まさか、ネット掲示板でよく見かける夫婦のトラブルに自分自身が巻き込まれるとは全く想像していなかった。 お嫁さんはとても喜んでくれたが、自分は今完全に生きる気力を無くしてしまった。それは思い出の詰まったグッズがなくなってしまったからではない。自分自身の人生の意味の根幹に関わる価値観や人格を完全に否定されてしまったからだ。他人が全人生をかけて愛しているものが、自分にとって理解不能だったり、否定したいようなものでも、面と向かって否定しないのは人として最低限の礼儀だと自分は思っていた。そういう礼儀を欠いている人間とは絶対に関わりたくないと思って生きてきた。 お嫁さんは顔がとても好みだし、一緒に過ごしていて本当に楽しい。自分みたいなどうしようもない男と結婚してくれる人は2度と現れないだろうと思い、自分自身のこれまでの価値観、人生観を全て捨ててお嫁さんに合わせようと覚悟したはずなのに今は虚しさしかない。
Xユーザーのねっぴーさん
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miya-shogun · 22 days ago
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6/2~3
6/2 造形各論の授業。今回は版画について。
デジタルペンティングと版画の融合についての講義だった。講義の内容も素晴らしかったが、特に教授のお人柄に感銘を受けた。
・もっと版画もバージョンアップしてデジタルとの融合など色々なことをやっていくべき。しかし今の版画業界の重鎮たちはそれをよく思っていないらしい。だからせめてもの抵抗としてムサビの版画学科をグラフィックアーツ学科に名称変更した。よりオープンな学びができる環境に。
・学生のコメントに対し、その内容をすぐさま受け入れ自分の認識が変化したと感謝を述べていた。学生を第一に考え、意見を真摯に受け止める姿勢が素晴らしいと思った。 6/3 この日は一日雨だったけれど一人カラオケに行ってきた。やっぱり人を気にせず大声で歌えるし、デンモクに連投できるの気持ちいい��大好きな中森明菜さんの楽曲で歌えるもの全て歌ってきた。悔いはなし。好きな曲と歌いやすい曲って結構違うなと思った。今日は好きな曲の方をバンバン歌えて楽しかった! 考えたこと
赤ちゃん言葉って方言じゃね? チャリを漕ぎながらふと考えていた。バブ語と方言って似ているんじゃないか。
・赤ちゃんから大人に成長する過程が、地元から上京する過程に似ている。成長することで赤ちゃんコミュニティから脱退し、幼児語を卒業して標準語(または地方における言語)を習得するようになる。
方言とは? 1 一定の地域社会に行われる言語。一つの国語が地域によって別々な発達をなし、音韻・文法・語彙ごいなどの上で相違のあるいくつかの言語圏に分かれたとき、それぞれの地域の言語体系をいう。 2 共通語・標準語に対して、ある地方で用いられる特有の言葉。俚言りげん。
赤ちゃん言葉(幼児語)とは? 1 幼児期に特有の語彙ごい。犬を「わんわん」、食べ物を「うまうま」という類。 2 幼児期にみられる不完全な言語。「飛行機」を「こうき」と言う音の脱落、「猫が来た」を「ねこ、きた」と言う助詞の脱落などの類。 垢抜けと石について 現代日本における「垢抜け」は、岩が水によって削れる現象に似ていると思う。 川の上流にあるゴツゴツとした岩石は、人の本来の美しさや個性である。それが現代社会という荒波にのまれ、皆が同じように削られる。これは「誰でも垢抜ける方法!」といったコンテンツによるものだと考える。そうして、川の下流では皆が同じように削られた丸っころに変化する。人の手を加えたかのような、のっぺりとした石になればもうそれぞれ見分けがつくことはない。 ↓考えたことではないけど、ネムルバカのこれ刺さってつらい
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hachikenyakaiwai · 1 year ago
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【かいわいの時】文久二年(1862)四月二十三日:南画家田能村直入らが大煎茶会「青湾茶会」を開催(大阪市史編纂所「きょうは何の日」)
清湾茶会には、天気がよかったこともあり千二百人もの人が参加したと記録されています(『清湾茶会図録』)。茶席は、大長寺から桜宮まで本席7副席4の11席で、1席の定員10人。1200人だと、延べ120席を11会場で回した勘定になり、1席30分としても6、7時間は要したであろうと思われます。
ところで、この茶会に参加した国学者の近藤芳樹(長州藩士。当時、京にて情報収集活動を行う)が、周防防府の酒造家で文化人のパトロンであった上田光美に送った書簡[註1]によると、
・切符500人前を前日より発売 ・当日に300人前を追加
正規チケットを持った参会者は1200人中800人で、つまり、あとの400人はタダ乗りとゆうことになりそうです[註2]。
船の席は小舟で送迎するので混雑はなかったが、その外の席には一度に大勢の者が押しかけ大混乱。切符を持っている人が席に入れず身動きもとれず、「あいつは切符も持たんと茶ァ飲んでけつかる」などと大声で叫んで大騒動になった。(近藤書簡を超訳)
茶会は、お世辞にも「清風」とは言い難い状況で、そんな中でも、切符をもった近藤さんは、ゆうゆうと全席コンプリートしたと述懐。勤王の志士でも、茶会は別格であったようだ。本人は9席と供述。実際は11席なので、2席は飛ばしたようです。世情穏やかならぬ幕末にあっても、たまたま京・大坂に���在中であった近藤は茶会を楽しむ余裕があったようです[註3]。
[註1]『近藤芳樹書牘集一』(山口県文書館蔵)。幕末期の国学者。周防(すおう)の人。本姓田中、通称晋一郎、号は寄居(ごうな)。旧長州藩士で明倫館助教。維新後、東京に移り住んで、宮内省御用掛に任じ、御歌所寄人(よりうど)などをつとめた。本居大平、村田春門また山田以文に師事して、国文学、律令学を学んだ。同じ大平門の加納諸平を尊敬して最も歌をよくし、幕末歌壇に際立った活躍をした。学績として《令義解校本》《淫祠論》など、歌論書に《古風三体考》《寄居歌談》、紀行文に《陸路廼記(くぬかちのき)》がある(改訂新版 世界大百科事典 「近藤芳樹」の意味・わかりやすい解説 )。
[註2]売茶翁は、売茶の折、「茶銭は黄金百鎰より半文銭まではくれ次第、たゞのみも勝手、たゞよりはまけまうさず」(『近世畸人伝』1790)とゆう看板を掲げており、切符の代金はいくらであったのか定かではないが、タダで飲まれても文句はいえない。按ずるに、切符は単なる整理券で、茶会はタダだったのかもしれない。「僧侶の身分を放棄し、餓死に繋がる決断を下した売茶翁の声に想いを巡らし、且、清湾茶会が売茶翁の追善と懸賞の爲に開催されたとするなら、“無錢飮食”とゆう表現は、如何なものであらうか」(千三屋)。
[註3]近藤書簡には「伏見も大騒動ニ御座候然處大都會と申ものハ妙なものに而此内ニ過ル二十三日網島ニ於煎茶の大會御座候」とあり、丁度同じ日の夜に起こった伏見の寺田屋騒動にも触れている。
(写真)木村孔陽編・青木夙夜画『賣茶翁茶器圖』1823・1924復刻より「茶籏」 賣茶翁の茶道具は、翁と親交のあッた木村蒹葭堂が其の姿・形を記録した。翁沒後60年の文政6年(1823)に、蒹葭堂の後嗣・木村孔陽が、この圖を蒹葭堂と交友のあッた南畫家・青木夙夜に冩させ、圖譜にまとめて刊行した(千三屋)。高翁(賣茶翁)の衣の紘(切れ端)で作成、「清風」の文字は大典禅師書。
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harima-ria · 6 months ago
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★2024年読書感想まとめ
 2024年に読んでおもしろかった本の感想集です。寝て起きると昨日のすべてを忘れてる……っつう繰り返しで日々一切が過ぎていくので、一年の記録をひとつにまとめとくのもいいかなと。以下ざっくばらんに順不同で。ちなみにNot 新刊、ほんとにただ読んだものの感想です。
◆◆小説◆◆
●アンナ・カヴァン『氷』(山田和子訳・ちくま文庫) ��巨大な”氷”の進行によって全世界が滅亡の危機にさらされるなか、男はヒロインたる”少女”をどこまでも追い求める……。もっとゴリッゴリにスタイルに凝った幻想文学かと思って足踏みしてたのですが、こんなに動き動きの小説とは。意外なほど読みやすかったです。唐突に主人公の夢想(?)が挿入される語り口も最初は面食らったけどすぐに慣れたし。内容はウーン、暴力まみれの病みに病んだ恋愛小説という感じ? 構成の一貫性とかは疑問だったりしたんだけどそのへんはどうでもよく。後半尻上がりに面白くなっていくし色々吹っ飛ばす魅力があってかなり好きでした。  それと解説に書いてあった「スリップストリーム文学」というのがすなわち自分の読みたい小説群だなーという嬉しい発見もあり。つってもジャンル横断的な定義だから、該当するものを自分で探すのはムズいけどね。
●スタニスワフ・レム『惑星ソラリス』(沼野充義訳・ハヤカワ文庫)  何年も謎に包まれたままの海洋惑星に降り立った主人公が遭遇する怪現象の正体とは?……っていう超有名なSF。「実はこの海は生き物なんじゃね?」がオチだったらどうしよう……と思ってたけど杞憂、それは出発点に過ぎませんでした。途中に挟まる惑星ソラリスの(仮想)探険史の部分がすごく面白い。あとはこの小説のまとめ方はちょっと神がかってると思う……。自分はSFは全然明るくなく、ちょっと異様な感触みたいなものを求めてたまーに手に取るぐらいなのですが、その点この本はほんとにセンス・オブ・ワンダーを味わわせてくれて良かった……。SFオールタイムベスト1とかになるのもむべなるかなぁと。
●庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』(新潮文庫)  東大紛争終息直後の1969年を舞台に、あれこれ思い悩む男子高校生の一日を描いた中編。自意識過剰気味の饒舌な一人称文体が特徴で、すごくユーモラスだけど主人公がかなりナヨナヨした人物にも見える……。でもその中から、外界の強烈な変化に対してありのままで居られない精神の揺れみたいなものが浮かび上がってくるところがおもしろくて、確かに青春小説の名作かも……と思いました。  リアルタイムにはどうだったか知らんけど、今の眼で見るといわゆる”1968年”以降の状況とか、70年代カウンターカルチャー的な空気の”乱暴さ”に対する、一見弱々しいけど切実な返歌って感じもしました。  もっとも読み終えてから、この小説をあえて政治的な色で塗るならいわゆる”保守反動”的な感性に分類されるのかなぁとかはちょっと思ったけど。しかし、リベラルにあらざれば人にあらずみたいな価値観こそ断然間違ってるしなぁなどと、ひとりで勝手に問答したりもしました(笑)。それに現実的にはそんな二分法で単純に分けられるもんでもないだろうし。なんとなく「その時代の作品」という感じなのかと思ってたけど、今読んでも全然おもしろかったです。
●フランツ・カフカ『審判』(池内紀訳・白水uブックス)  理由も分からないまま突然逮捕された主人公が、裁判の被告の立場にずーーーっと留め置かれるっていうお話。何ひとつ確かでないものに延々振り回され続ける理不尽が、ときに笑っちゃうほど面白く、逆に陰惨すぎるくだりもあったりして、総じて非常に好みでした。バカバカしいけどブラックな不条理ユーモア小説? カフカって自分が漠然と抱いてたイメージよりもずっと大胆で、わりとアホなことをあっけらかんと書いたりもするのねーという発見がありました。このお話には裁判的なものの外枠と手続きのみがあって、そこに「法」はないのでは? というふうに読んでたのですが……。終盤の「大聖堂にて」っていう章が凄かったです。
●スコット・フィツジェラルド『グレート・ギャツビー』(野崎孝訳・新潮文庫)  ニューヨーク郊外に暮らすギャツビーという名の大富豪の生き方を、たまたま隣に住んだ青年が垣間見る、みたいなお話。ストーリーそのものはわりとベタだと思うんですけど、それを語る会話パートの書き方の巧さと、ドラマの合間の地の文が醸し出すほどよい叙情性がすばらしい。純粋ゆえの虚飾、虚飾ゆえの純粋さみたいな、テーマの核心部分にもちょっと飛躍があって面白いなーと。この短さの中に、アメリカっていう国の一断面をパチリと切り取ってる感じがするのもまた。ひとことで言うと絶品でした。英語圏小説のランキング上位に入ってるのもむべなるかなぁと。
●三島由紀夫『仮面の告白』(新潮文庫)  この人の長編はあんま肌に合わないかも……と思って敬遠してたのですが、初めて好きなものに出会えました。言わずと知れた一発目の代表作。同性にしか欲望を抱けない青年の葛藤を、韜晦まみれの絢爛たる文章で綴った青春小説。個人的には、いわゆる”ふつう”でない自分を露悪的に飾り立てるような自己陶酔を振りまきながら、でもそれは”ふつう”でない自分を守るための防御姿勢にすぎなくて、結局は苦々しい現実と向き合わざるを得ない……みたいな話として受け取りました。読み方合ってるのか分からんけど。前半が下地で、後半がその実践編(あるべきとされる自分との葛藤編)なのかな。特に後半のなんとも言えないみずみずしさとその帰結がよかったです。
●横溝正史『獄門島』(角川文庫)  初・横溝。瀬戸内海の小島で巻き起こる猟奇連続殺人事件に金田一耕介が挑む。事件の過程はわりとふつう……と思いながら読んでいきましたが結局かなりおもしろかったです。振り返ると1から10まで本格ミステリじゃなきゃ成立しないような物語だったなと思って。国内ミステリーベスト1になるのもむべなるかなぁと。
●筒井康隆『敵』(新潮文庫)  折り目正しく”余生”を送っている渡辺儀助の生活風景を描いた老境小説。章題が「朝食」「友人」「物置」などとなっていて、各章ではそのカテゴリーごとに儀助の暮らしが掘り下げられていき、その積み重なりから彼の老境が浮かび上がってくる、みたいな趣向。特に食生活に関する記述が多いのですが、自分がほとんど興味ないのもあって前半は正直重く……。しかし地盤が固まり「役者」が揃ってからの中盤以降がけっこう楽しく、終盤は圧巻! けっきょく御大はすごかった……。  的を射てるかは分からないけど、小説の語り口的にもかなりおもしろいことをやってるような。老主人公の生活が章ごとにあらゆる角度から掘り下げられていきますが、そこで語られてるのは「ここ数年の彼の生活のディティール」っていうフワッとした塊としての時間であって、実は小説内では「敵」関連以外ではほぼ全く時間が流れてないように思います。A→B→……→Zみたいに、出来事同士を順番につないでいくことでドラマを進行させていくのとは全然違う手法で物語を語っていて、しかもそれにかなーり成功しているような。もちろん類例はあるんでしょうけど、個人的にはとても新鮮な小説でした。
★★★総合しますと、いわゆる名作と言われてるものって確かによく出来たものが多い……っつうめっちゃくちゃふつうのことを思わされた年でした。というか単純に数を読めてないのよなぁ。
◆◆その他の本◆◆
●『石垣りん詩集』(ハルキ文庫)  石垣りんのテーマは、貧しさ、労働、生活の苦しみ、”女性”性、戦争、戦後の日本、生きること、殺すこと、食べること、それらもろもろに否応なく内在する「ここにあることの残酷さ」みたいなものかなと思いました。そうした感情を、ゴロッとした異物感のある黒いユーモアで表現している詩が自分は好き。婉曲的に表現された切実な慟哭という感じもします。特に「その夜」っていう、入院中の書き手が人生の孤独と疲労を歌う作品が凄かった……。こんなん泣いちゃうよ。  「詩」というジャンルに依然として親しめてないので、定期的に読んでいきたい。
●柳下毅一郎『興行師たちの映画史-エクスプロイテーション・フィルム全史-新装版』(青土社)  エクスプロイテーション=「搾取」。リュミエールやメリエスといった黎明期の作り手にとって、映画は緻密に作り込む「作品」ではなく興行のための「見せ物」に過ぎなかった――というところから説き起こして、観客の下世話な関心を狙って作られた早撮り・低予算・儲け第一主義映画の歴史をたどった本です。  取り上げられてるのはエキゾチズム(物珍しい異国の風景)、フェイク・ドキュメンタリー、魔術&奇術、畸形、セックス、特定人種向け映画、画面外ギミック映画などなど。現代の一般的な価値観や、映画=「それ単体で完結した(芸術)作品」みたいに捉えるとどうなのよ? ってものばかりなのですが、あの手この手でお客の関心をかき立て、乏しい小遣いを搾り取ろうとする映像作家たちの商魂たくましい姿が垣間見られる楽しい本でした。  見せ物小屋的映画論というのはある意味もっとも俗悪でいかがわしい映画論だと思うんだけど、確かにそれって実写映画のもっとも本質的な部分ではあるかも、という気がしてしまう……。個人的には、画面外のギミックで客を呼び込んだウィリアム・キャッスルの非・純粋なる邪道映画のパートが特に楽しかったです。一点だけ、エクスプロイテーションという概念設定はちょっと範囲が広すぎるような気はしないでもなかったかなぁ。でもこれを元に、観られるものをちょこちょこ観ていきたい所存。
●氷室冴子『新版 いっぱしの女』(ちくま文庫)  『海がきこえる』などの少女小説で有名な作者が、ふだん思ったことを自由に書き綴ったエッセイ集という感じでしょうか。一見柔らかいけどその実めっちゃ鋭い切り口と、それを表現するしなやか~な筆運びに痺れました。1992年に出た本だけど、新版が出てる通り読み物として全然古びてないと思う。おすすめです。
●『精選女性随筆集 倉橋由美子』(小池真理子選・文春文庫)  この方のシニカルさと毒気がもともと好き、というのはあったのですが、とても良かったです。それでも最初のほうはあまりに歯に衣着せぬ攻撃性がなかなか……と思ったりもしたけど、中盤の文学論、特に大江健三郎、坂口安吾、三島由紀夫に触れたエッセイがなんともよくて。”内容はともかく独自の語り口を練り上げた文体作家として大江を読んでる”みたいなことを確か書いてたりして、言ってることが面白い。積んでる小説作品も読も~という気になりました。
●吉田裕『バタイユ 聖なるものから現在へ』(名古屋大学出版会)  すんごい時間かかったけどなんとか読めた本。フランスの怪しく魅力的な思想家、ジョルジュ・バタイユの思想を、彼自身の記述を中心に先行テキストや時代背景なども織り交ぜて分析し、一本の流れにまとめた総論本。〈禁止と違反〉とか〈聖なるもの〉とか、彼の提出したテーマが結局面白いというのがひとつと、それらを論じていく手つきの周到さ・丹念さがすごい。特に日記や著書のはしばしの記述から、バタイユが影響を受けた先人の哲学(へーゲル、ニーチェ、マルクスとか)や同時代の思想潮流(シュルレアリスム、コミュニズム、実存主義とか)の痕跡を読み取り、そこから彼自身のテーマの形成過程を立体化していくあたりは本当に息詰まるおもしろさ。重量級の本でしたがめっちゃよかったです。もっとも自分は肝心のバタイユ自身の本を『眼球譚』しか読んでないので、現状この本のイメージしか持ててないというのはあるんだけど。とりあえず『内的体験』と『エロティシズム』だけはどうにか読んでみるつもり。
◆◆マンガ◆◆
●ジョージ秋山『捨てがたき人々』(上下、幻冬舎文庫)  いろんな意味で深ーい鬱屈を抱えた狸穴勇介(まみあなーゆうすけ)という青年が、新興宗教の信者である岡辺京子という若い女性と出会ったことで始まる物語。性欲と金銭欲を筆頭に、あらゆる現世の欲望にまみれた救われぬ衆生たちの下世話で深刻な人間絵巻、といった感じでしょうか。ふつうに考えるとまぁそこまではいかんやろ……という境界を軽々と乗り越えてくる常軌���逸した展開がすごい。それと人間っつうのはホントにどうしようもない生き物だね~という気持ちにもさせられます。学生のときに買ったんだけど当時はつまらなくて挫折、自分にとってはあまりに読むのに早すぎたんだな……と今にして思いました。最序盤の伏線とかをきれいに回収し切ってはいないんだけど、この際そのへんはどうでもいいかなと。ここまで徹底的な方向へ流れていくならもう何も言えねえわ……って感じの終盤もすばらしい。  これが2024年に読んだものの中で一番面白かったです。
●小骨トモ『神様お願い』(webアクション)、『それでも天使のままで』(アクションコミックス)  両方とも短編集。子供のころや学生時代のイヤ~~~~~~~な記憶、それもおもに自分の弱さや性欲といった、一番目を向けたくない部分がどんどん脳裏によみがえってくる、えげつないけど得難いマンガでした。10代なんてまだまだ若いし人生これから! っていうのも本当だけど、それと同時に人生自体はとっくの昔に始まってて、けっこう多くのことは取り返しがつかないし人間の根っこの部分は歳食ってもそうそう変わりはしないっていう、しんどすぎるけど(自分にとっては)大切なことを思い出させてくれたところが何ともありがたかった……。お話の展開も総じてすんごいテクニカルな気がします。  それでも新刊の『天使』のほうが、『神様』よりほんのちょっとだけ優しさを感じる部分は多いかしら。
●吉田秋生『カリフォルニア物語』(全4巻、小学館文庫)  自分はおそらく作り手への愛とか感謝の念にはめっぽう乏しいほうで、何でも作品単体で眺めて、あーでもないこーでもない、ワンワンギャンギャン吠え猛ってしまう人間なのですが、吉田秋生だけは例外。何でも好き。丸ごと好き。読めるだけで幸せ。どのへんが琴線に触れてるのか正直自分でも分からないのですが、気になる部分があっても好きがそれを上回ってしまう気持ちというのは幸せだなーと思ったりします。  これは最初の代表作に当たるのかな。ニューヨークを舞台に行き場のない若者たちを描いた群像劇。彼女の描く、イタミやすい少年少女が自分は好き……。舞台はニューヨークなのに題名がこれなのもスマートでイカしてる。  もっともファンみたいに書いたけど、実は『BANANA FISH』と『海街diary』っつう一番大きいふたつをまだ読んでません。買ってはあるんだけどなんかもったいなくて……。でも2025年中には読もうかな。
●高橋しん『最終兵器彼女』(全9巻、ビッグコミックス)  部屋の片隅に長ら~く積んである『セカイ系とは何か』をいよいよ読むべく、『イリヤ』ともども手元に揃えてやっと読了。結果、あらゆる方向に尖りまくった傑作じゃん! と思いました。世界の崩壊に対して主人公2人の恋愛という、圧倒的に超無力なモノを対峙させ、理屈ではなくエモーショナルの奔流として無理矢理! 成立させた名作という感じ。まぁこの2人にほとんど感情移入できないほど自分が歳取っちまってることは悲しみでしたが、いい意味でのぶっ壊れっぷりが面白く。  それと自分はこれを読みながら、たまたま以前読んでいた米澤穂信の某初期長編を思い出したり。世界は刻々と変化しているのに自分たちは無力な青春の中で何もできないでいる、みたいなこの感じって90年代から00年代の日本独自の感覚なんでしょうかね……。ちなみに『イリヤ』はまだ1巻しか倒してませんが読みます。今年中にはきっと読みます。読み切ることになっています。
●梶本レイカ『悪魔を憐れむ歌⑤』  4巻までで連載が打ち切りになってしまったマンガを、作者ご自身が5巻を自費出版して完結させた作品、だと思います。  舞台はさまざまな腐敗に揺れる北海道警察管区。人間の四肢を逆向きに曲げて殺害する、「箱折犯」と呼ばれる過去の猟奇殺人が突如再開され、そこからふたりの男のウロボロスめいた運命の輪がまわり始める……。  出版形態のためかは分からないですけど、最終5巻はこれまで以上に描写のタガが外れてる感じで、それがすごい楽しかったです。1巻の出だしからはこんなとこまでフッ飛んでくる話だとは思わなかった……。それでいて猟奇殺人ミステリーとしてもなるほどーと思うところもあって。この方はすごい前に『コオリオニ』っていうマンガも読んだのですが、主要キャラクターをとつぜん突っ放す感じがこわい。けど面白い。お疲れさまでした。
◆◆補足◆◆
 ・安部公房もちょろちょろ読んだり。今のところは、異常どころかめっちゃ理知的なアイデア作家という印象なんだけどこれが覆ることがあるやいなや。  ・『めくらやなぎと眠る女』というアニメ映画の予習をするついでに村上春樹の短編もちょこっと。ファンには超怒られそうですが、彼の小説ってパスタ茹でたりジャズを聴いたり昔の恋愛とか人間関係の失敗を感傷的に懐かしんだりといった、ザ・村上春樹なことをやってるときは…………なんだけど、その先で訳分からんことになる話がたまにあってそれがめっちゃ面白かったです。現状読んだものだと「ねじまき鳥と火曜日の女たち」、「UFOが釧路に降りる」、「納屋を焼く」が最高でした。できれば全作読んでみたい。  ・フランク・ハーバートの『デューン』シリーズも2個目まで。SFファンタジーの大家というイメージで読んだらメインで使う語り口(作劇法?)が超・会話劇なのが意外でした。
★★★これを書いている2025年1月現在はドスト先生の『悪霊』を読んでいます。が、全体の十分の一すぎてもまだ若者世代の話に入らないので投げ出しそう……。シニカル成分100%の語り口はけっこう好みなのですが。前に読んだ『罪と罰』と比べても視点が格段にいじわるな気がして、これを書いてたときの作者の精神状態やいかに?   2025年はもうちょい数をこなせたらいいなと思っています。ではー。
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pudknocker · 6 months ago
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B'zほど「ネガティブな批評を自ら払拭した」グループもないと思っていて。現在の40代以上の人たちほど「昔B'zはダサかった」と思っているだろうし、一方で今のB'zを聞いて「今はカッコいい」と思っていたりする。両方をリアルタイムで観測していて、これはどちらかがウソをついているわけではないと思った。   どちらも、空気感として正しい(ちなみに自分は大好き)。音楽的な素養が高い人ほど、B'zのいなたいハードロック・ブルース志向あるいは参照元を隠さない姿勢を小馬鹿にしていたし、だから30年前ぐらいを指して「当時ダサいと言われていた」は歴史的な記憶としても正しい。   ただ、そこから30年経つあいだも彼らは一切の批評に対して右往左往せず、「B'zらしさ」をつらぬき、一度たりとも活動休止せず、歴史的ヒット作品となったベストアルバム『B'z The Best "Pleasure"』以降も 「さまよえる蒼い弾丸」「ギリギリchop」「Ultra Soul」など現在でも歌われているアンセムといえる曲を出し続け、そして2007年にはアジア人のアーティストとして歴史上初めて米ロック・ウォーク殿堂入りを果たしている。   ここまでの継続性、胆力、太さ、「B'zらしさ」を維持し続けて今でもスタジアムクラスを満員にし続ける姿勢に、誰も太刀打ちできないわけですよね。「ダサい」なんて「いやいや、どこがダサいねん」ってなっている。
Xユーザーの澤山モッツァレラさん
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kaarijajpn · 1 month ago
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ヨーロッパを制覇したカーリヤ、いよいよ日本上陸!
日本でのライブについて触れたインタビュー記事がアップされましたので、和訳してみました!
以下和訳⇩
すべてはユーロビジョンから…いや、正確には、10年前、フィンランドのヴァンター郊外から始まった。 「Cha Cha Cha」でヨーロッパの聴衆を沸かせ、国際的な注目を集めるコラボ曲にも参加するカーリヤは今、 日本進出を見据えている。 まったく新しいチャレンジ――日本のリスナーに、フィンランド語で、メタルの影響を受けたパーティー系EDMポップスを届ける。これ以上クレイジーなアイディアはあるだろうか? こんなクレイジーなことに挑戦できるのは、イェレ・ポウホネン=カーリヤだけだろう。そう、彼は6/12、カーリヤのアジア初となるライブのため、大阪に向かう。このライブは2025年大阪万博にて実施されるフィンランドデー、より正確には「Party like a Finn – Rock & Fashion」という夜のパーティーイベントのプログラムの一つとして開催され、カーリヤと、ヴォーカルグループTuuletarが演奏する。 とはいえ、予想以上に国際的になったカーリヤのキャリアの、次のステップとしてはこれは完全に理にかなったものだろう。ヨーロッパをは制覇した。新天地に乗り出すときが来たのだ。 「カーリヤのスーパーヒーローみたいなバイブスや、ボレロ、ボウルカットは、日本の聴衆にウケるんじゃないかとずっと考えていました。それに彼らは、ヘビーな音楽や、ほかのフィンランドの音楽も好んでいる」バーゼルからのビデオ通話で、ポウホネンはそう語った。「ずっと日本をヨーロッパの次に目指すマーケットだと考えていました。日本は巨大なマーケットで、そこで成功すれば、ずっとツアーを続けることができる。もちろん、そのためには大きな努力は必要ですが」 ストリーミング数を分析すると、アジアには成功の兆しがあった。「実は昨日、ここバーゼルで、東京から来たというファンに会ったんです。彼は僕のフィンランドのギグにも来てくれていました」そう話す彼は明らかに嬉しそうだった。 「とにかく現地に行き、ライブパフォーマンスを見せるしかない。それがKäärijäとしてずっと信じてきたことなんです。僕たちがやってることを生で見てもらえさえすれば、きっと伝わるって! それに、日本語をいくつか覚えてステージで話せるようになれば、きっと喜んでもらえると思います」
ピープルズチャンピオンの帰還
もちろん、ポウホネンはユーロビジョンのためにバーゼル入りしている。昨夜、彼は2024年のフィンランド代表エリカ・ヴィクマンとともにステージに立った。数日後には、彼は再び決勝のステージで会場を沸かせる。今回はクロアチアのベイビーラザニア(昨年の大会でファンの人気者だったアーティスト)と一緒だ。コラボ新曲「#eurodab」を、テレビで最大級の視聴者に向けて披露する。 Käärijäのワールドワイドな旅路が始まった場所がユーロビジョンだったことを考えると、これはパーフェクトな舞台だろう。2023年大会で、「Cha Cha Cha」は圧倒的視聴者票を獲得し、優勝したスウェーデンのLoreenと僅差で2位となった。 それ以降、物語は急速に動き出した。 「言うまでもなく、もし「Cha Cha Cha」がユーロビジョン関係なしにリリースされたとしたら、こんなことは起こらなかったでしょう。偶然海外の誰かがこの曲を見つけ、そこから何かは生まれたかもしれないけど、この一連のフィーバーは…ユーロビジョンのおかげですね」ポウホネンは言う。
コラボレーションの力
少し時間を戻そう。 イェレ・ポイホネンがラップに出会ったのは、フィンランド南部ヴァンターの郊外で中学校に通っていたときのことだった。 2014年ごろから、彼は自分で曲を作り始めた――EDMに、ラムシュタイン風のヘビーな要素を融合させたスタイルだ。 カーリヤの初期作品は完全にDIYだったが、やがてワーナーミュージック傘下のフィンランドの有名ヒップホップレーベル、Monsp Recordsの目に留まることとなる。 「たしか6年くらい前だったと思いますが、プロデューサーと一緒に、どうやったらドイツに売り込めるかって真剣に考えてたんです。ベルリンの街角にラジカセ持ってって、カーリヤの曲を流そうかって話までしてましたね。しかもその時点では、まだ国内でもブレイクしてなかったのに!」ポウホネンは笑う。 次の大きな課題は、「ユーロビジョン・マジック」が解けたあと、このモメンタムをどうやって維持するかということだ。 「ユーロビジョンを追いかけてない人たちも、僕の音楽を聴いてくれています。もしこれが一過性のユーロビジョンフィーバーなのだとしたら、僕たちが今もギグを完売させられるわけがない。確かに火をつけてくれたのはユーロビジョンですが、今はもうそれを超えた広がりがあるんです」 カーリヤと彼のチームはすでに、今後数年の具体的なプランを立てている。 「ヨーロッパでのツアーや、もっと規模の大きいショーの計画も立てていますし、日本には特にフォーカスしてます。もちろん、さらに先のことも考えてますよ。今後の展開についてもね」 戦略のカギとなるのは、様々な国のアーティストとのコラボレーションだ。これまでカーリヤは、クロアチアのベイビーラザニア、エストニアのトミー・キャッシュ、オランダのヨースト・クライン、そしてスウェーデンのホーヤと言った同志たちとタッグを組んできた。そして今後もさらにコラボは続く、とポウホネンはほのめかす。
すべては笑顔のために
Käärijäという名前を訳するのは難しい。文字通りの意味は「包装紙(包むもの)」となるが、フィンランド語の「“kääriä rahaa”(=あっという間に金を稼ぐ)」という表現に由来している。 この名前はアイロニックで、カーリヤは決して大金を稼ぐためにやっているわけでない。すべては楽しむためだ、とポウホネンは強調する。 「僕はこの仕事が好きだし、僕たちの生み出しが音楽すべてを愛しています。もう「Cha Cha Cha」はやりたくない、と思う日が来たとしたら、その時こそが物事を考え直すときなんだと思います」 「僕たちはただ、いいものを作り出し、楽しもうとしているだけ。僕は自分自身、そしてフィンランドの人達に、(自分のやっていることは)世界で通用するんだと証明したいんです」 ポウホネンは、フィンランド語が障壁になるとは思っていない。 「フィンランド語でいい歌を作って海外の人とつながることができれば、なんだってできるってことを、僕たちはすでに証明したと思っています」 なんだってできる――しかし、彼の一番の野望について聞くと、カーリヤはフィンランド人らしく、地に足の着いた現実的な姿勢を崩さず答えた。 「ドイツかイギリスでアリーナライブができたら、クールだと思う。まずはそこから始めようか」
<終>
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chikuri · 2 years ago
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炎上とリスクマネジメントの専門家です。宝塚の記者会見を見ましたが、組織としてまったく誠意が感じられず、「よくこんな内容で世に出したな…」と呆然でしたね。今年世の中を騒がせた記者会見といえばビッグモーターが記憶に新しいですが、あちらは「あの会社と社長なら、あれくらいやりかねないな」というある意味想定の範囲内でした。しかし今般の宝塚は、「歴史も名声もある組織なのに、これほどまでに遵法意識に欠け、隠蔽と保身に走るのか…」という幻滅に近い印象ですね。とくに気になったのは次の点です。 ・冒頭「ご遺族の皆さまに誠心誠意対応する」と宣言しておきながら、「故人に対するいじめやハラスメントは確認できなかった」と遺族の訴えを真っ向から否定 ・劇団側の調査報告は第三者委員会方式ではなく、単一の法律事務所に依頼しており、客観性・公平性に欠ける印象 ・発表者はうつむいて報告書を一方的に棒読みしているだけ。「報告書の○ページをご確認ください」と言われても、視聴者には分からない。 ・故人がヘアアイロンを額に押し付けられてやけどを負った件について「ヘアアイロンでやけどをすることは一般的」 ・週刊誌報道にあるような「『嘘つき野郎』と面罵された」等については伝聞情報のため確認できないが、(故人に対して)嘘をついてないか何度も確認されていたことは把握している ・そもそも組織全体として、公演スケジュールが過密で、休みなく稽古に入るうえ、稽古自体も複雑化して精神的余裕が奪われがちな状況であることを把握しながら、今般の事故が起きるまで積極的な対応をしてこなかった ・記者からの「ハラスメント的な体質を見逃してきたということはないのか」との質問に対して回答がしどろもどろ  劇団側としては、今般の会見に先立っておこなわれた劇団企画室長のメディアコメント「劇団としては“いじめ”という事案があるとは考えていない。加害者も被害者もおりません」との見解と整合性をとる必要があったのかもしれませんが、とにかく責任回避と保身の姿勢があからさま過ぎました。情報の受け手からの理解は得られず、危機管理として失敗でしょう。逆に、 「劇団員とは業務委託契約とのことだが、実質的に過密なスケジュール対応を要求している。実態としては雇用契約であり、偽装請負��当たるのでは���いか?」 「嘘をついていないか何度も詰問される行為は、実質的に『嘘つき』認定も同然であり、それによって心理的負荷がかかっていたのであれば、精神的攻撃にあたるパワハラそのものではないか?」 「週刊誌報道が事実無根、もしくは事実と相違があるなら、劇団が週刊誌側を名誉毀損等で訴えればよいのに、そうしないということは、やはり事実だったのでは?」 「業務量の多さは昔から変わらないはずなのに、劇団として把握できていなかったというならば、職場の安全配慮義務違反として管理責任が問われるのでは?」 といった具合に、余計な(でも真っ当な)ツッコミや疑念を生じさせてしまうことになります。もし劇団側が本当にいじめやパワハラという認識がないならば、劇団側が反省の弁として述べた「ルールを見直して改善していく」という約束も怪しいものとなるでしょう。何しろ、何がいじめでパワハラなのか認識がないわけですから、認識がないところから改善などできるはずがないのです。 私自身は宝塚歌劇自体についてド素人なもので、一部の熱心なファンの方にとっては「宝塚のことを何も知らないヤツがうるさいことを言うな!」と思われるかもしれません。しかし、どんな伝統やしきたりがあったとしても、ワークルールやハラスメントの基準は共通です。至らない点は真摯に改めて頂きたいものですね。
新田 龍 / X
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flamingo-rex · 4 months ago
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2025/02/12
日本建国2685年+1
本日は10年ぶりのファンキー末吉ソロライブ。
その後にVothmでセッションして以来だもんな
コロナもあったし、末吉さん自体、4年振りの来日。
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もう30年も中国を拠点にドラマーとして活動してて
中国ではレジェンドドラマー。
日本では爆風スランプで
スマッシュヒットを連発したスーパードラマー
久々の尾道のライブは、この度、リリースとなった
教則本 vol.1〜vol.5の難易度に沿って
解説デモ演奏とチューニングやセッティング
ドラムフレーズの考察など、めちゃんこ為になる話
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これは、どれくらいオーディエンスに伝わったか
解らないけど、本当に共感しか無い話だった
勿論、プレイは圧巻だけれど、
やはり、楽曲、歌に沿ったドラムって観点で言えば
超絶一流だ。
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やっぱ解ってる人だな〜と思うし
終焉後に打ち上げで、ちと深い話をしたけど
ギターや、歌も同様で、そこを意識して
音楽に取り組んでる人は、本当に少ないし
また、言語化出来るのは、更に別次元の話
本当に沢山の人に見て欲しいライブ
更新育成も含め、遠回りして気付けた本質を
出し惜しみする事なく、みんなにとって近道を
伝えてくれてる姿勢に、器の大きさを感じるし
プロデュース脳の持ち主だとも痛感。
あと、叩いてる姿勢の良さや、スローンの高さにも
注目して欲しい所。
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個人的に非常に濃密で、嬉しい時間だった
もっと、こういう理解者が増えると
嬉しいんだけどね。
なかなか、この手の話を出来る人は居ないからね
末吉さん!ホンマにお疲れ様でした!
ホンマにありがとうございました!
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また、ヤラシクお願い致します🥁
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kennak · 11 months ago
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そのじいさんが亡くなった。 昨年に父が亡くなり、私の実家は車を処分したので、実家に帰省するときはレンタカーを予約する。この連休もそうした。 安いので、地元の自動車修理工場がフランチャイズでやっているインディーズ系レンタカーにしてみたら、受付してくれた事務の親切な女性は、レンタカー約款を読み上げる間中修理工場から爆音で流れてくる演歌のUSENに向かって突然「ああうるさいっ!」とブチぎれ、「あなたもうるさいと思うでしょう!?」と私に同意を求め、同僚に修理工場につながるドアを閉めさせると、「最後に乗っていたのは平成15年式のbB(みんなの地元のDQNがよく乗ってたやつ)です。令和になってもまだ乗ってました」というある意味SDGsでは? みたいなことを平気で言う私に、令和2年式フィットハイブリッドという、まさに隔世の感というほかない車の操作方法をとても丁寧におしえてくれた。 そんな調子で車を借りて帰ったところ、母に、「同じ町内会のじいさんと私を、車に乗せて買い物に連れて行ってほしい」と頼まれた。 正直、ちょっと嫌だった。母はよく知っている人に違いないだろうが、私はそのじいさんをほとんど知らない。まさにあいさつ程度のイチゲンじいさんであり、むこうも私を同じように思っているだろう。そのイチゲンじいさんを車に乗せて買い物に行く…気が重い。万一大事故になったらどうしよう、面倒だなあとか、そもそも知らない人が苦手…などと種々のことが頭をよぎったが仕方がない。年齢的にも立場的にもそんな子どもじみたことは言ってられないので、私は母の申し出を受け入れ、じいさんと母を買い物に連れて行った。母には一瞬「ええ…」みたいな顔をしてしまったが、じいさんの前では全力の快諾顔を心がけた。 実家の所属する町内会は、会の中でまた数ブロックにわかれているらしいが、母らのブロックだけ会費が余りがちのため、いちど寄合(=飲み会)でぱっと使おうということになったそうだ。じいさんはブロックの会計掛で、だから買い出しにゆくとのこと。90代のじいさんが町内会の財布のひもを握る、これが種々の法律の目的条文に言うところの「少子高齢化の進展」ってやつだなと思った。なお、飲み会の予定は明日とのこと。何もかも急だ。 母とじいさんは、かごいっぱいに酒やつまみを入れた後になって、急に予算に収まるか心配しだし、その場で減らそうとするので、「レジ通して予算越えた時点で減らしてもらったらいいですよ」と私は横から口を出した。買い物は予算ぎりぎりにおさまっており、母は、じいさんのことを「さすが!」と謎にほめ、じいさんもまんざらでもなさそうだった。 じいさんは先述の通り90代、母は70代なので、畢竟ひとり30代の私が荷をせかせかとトランクに積み、これで一安心と思いきや、ついでに寿司の予約にも連れて行ってほしいというリクエストが出た。一瞬「マジか…」と思ったが、乗り掛かった舟というかもうすでに乗っている船なので、ニコニコ笑って「いきましょう!」とうけおい、ナビに寿司屋の住所を設定して寿司屋に向かう、その道々、寄合は公民館ではなくじいさんの自宅でやることになっているという話になった。 じいさんは、「もう暑いから、たくさん人が入るとエアコンを入れないといけないかもしれない」と言い、私は「電気代とショバ代として、今日買った酒の数本くらいご自身で晩酌にされても罰は当たらないと思いますよ。余っても最後みんなで分けちゃうんでしょうから、今日先に飲まれたらいかがです? あ、私は絶対誰にも言いません」と真顔ですすめ、それをきいた母は助手席で、じいさんは後���座席で笑っていた。 寿司の予約がすんで車にもどったところで、私はじいさんに「ほかに寄りたいところはないですか?」ときいた。じいさんが大丈夫というので、家まで送っていき、大量の酒を玄関通り越して冷蔵庫の中までわっせわっせと運び込み、私はようやくそこでお役御免となった。 じいさんの家の下駄箱の上には「努力」と彫られた大きな飾り駒があった。それは木工をしていたじいさんが昔手��から彫った工芸品だそうで、「努力」と書いた将棋の駒というまんがみたいな一品を掘れる人がこんなに近くにいることに、私はいたく感じ入ってしまった。マクロ組めるより努力って掘れるほうがぜんぜんいいな。 そしてその三日後、飲み会から数えれば二日後に、じいさんは亡くなった。布団の中で亡くなっていた。連絡がとれないことを案じた親戚がすぐにかけつけ、発見ははやかった。 その日にはもう私は実家から婚家に戻っていた。母から送られてきたLINEでじいさんの突然の訃報に接し、文字通りの突然の訃報ぶりにひどく衝撃を受けたが、母はLINEに「まあ~おとしにふそくはないでしょう」(原文ママ)とも書いて寄越し、その意外なドライっぷりにはちょっと笑ってしまった。 そうして私は、じいさんを買い物につれていくことを快諾し、道中ずっとにこにこして、精一杯ふたりを手伝ったことを、本当によかった…と思った。じいさんのために、というか、自分の精神衛生のために、よかった。すげなくした直後に死なれたら、すげなくしたという自己責任(良心の呵責と言い換えてもいいかも)を背負いきれない程度にはショックだったと思う。 それに、連休のよく晴れた日に、ちょっと妙な三人組ででかけたその買い物、なんだか私には結局楽しく思われたから。 死ぬということが、生きるということから決して遠くはなれてはいないように、死んでしまった人たちもまたそうである、と私は思う。つかずはなれず、なんとなく私の歩様にあわせて、今も隣を歩んでいるように思う。 最初に私をかわいがってくれた人を亡くしたのはまだ私が赤ちゃんの頃、母の親友のお母さん。とても愉快な人で、父との結婚を迷っていた母に、「母(はは)ちゃん、馬には乗ってみよ、人にはそうてみよ、よ」とはげました。そのうちこの世にやってきた私は、母以外の人に抱っこされると、せっかくやってきたこの世の終わりのように泣き叫ぶタイプの赤子だったのに、その母の親友のお母さんにだけはごく機嫌よく抱かれていた。そういう写真が残っている。私は、物心もつかないうちに、おしゃべりもできないうちにお別れした、母に伝えきいただけで自分では何にも覚えていない彼女のことを、いつもお守りみたいに心の中に持っている。赤ちゃんだった私に向けられたその無償の厚意を、つらいときの糧にしているようなところが今もある。 最初に友達を亡くしたのは小学一年のころ、友達は前歯が抜けていて、永久歯が生えてくる前にいってしまった。その子のお母さんは今になっても私に会うと、生きてたらあの子もこんなふうだったのかと思うという。私の節目、節目に、そう思うという。そのとき、友達がわたしの隣にいないという人はきっといない。 父親は私のことが大好きだった。父と母と私の三人で、あるいは父と二人で、父の運転する車でいろいろなところに出かけた。ときには父にさそわれて、その仕事についても行き、こんなに大きな娘さんがいるのと客先に驚かれ、父はにこにこしていた。 父は死ぬ間際までほそぼそと仕事を続け、わたしは彼が亡くなる直前にアポをとっていた客先の数件に、父が亡くなったことを知らせる電話をかけた。はじめて話をした先方は、私が電話をかけてきたことによほど驚き、父が亡くなったとの知らせにしばし絶句した後、あなたのことを先生はいつも自慢そうにしていたと言い、最後には先生がいなくなったら誰を頼みにしたらいいか、本当にお世話になりました、と泣き出した。私は、涙する相手に、○○さんのおかげでほんとうに最後の最後まで誰かの役に立たせてもらって、惜しんでまでもらえて、父はとても誇らしく、ありがたく思っていると思います、と言うしかなかった。でも父は、実のところ、そんなに殊勝な人間でもない上、けっこう変わってるよなというレベルでこだわりの少ない人でもあった。 父が亡くなる直前までLINEをやりとりしていた人たちに、そのままLINEで父の逝去を伝えようとしたのだが、父はLINEのトークをある程度の期間が経つとかならず全削除するという、こだわりのなさを通り越して、ややサイコパスのような一面をもっていた。 亡くなるひと月ほど前、父は、免許を返納することにしたというLINEをわたしに送ってきた。車というものは私たちの思い出の多くを占めており、驚いた私が父に電話をかけると、「薄暮の時間帯に信号の見落としをした。今まで一回もそんなことはなかったんだから、もう潮時だと思った」と淡々と父は言った。あれだけ運転が大得意で、大好きで、アイデンティティの大部分をしめていたように見えたのに、引き際を悟ればもうしがみつない。その、ものに拘らない姿勢に私はいたく胸を打たれたし、これができない老人が多い以上、今もって、父の最も尊敬すべき美点の一つだとおもう。 ただ、電話を切ったあと、今までいろいろなところに連れて行ってくれて、たくさんの送り迎えをしてくれて本当にありがとう、と万感の思いをこめて送ったLINEも、父が、入院後(退院してくることはなかった)母とかわしあった感謝の思いを伝え合うLINEも、亡くなった時には父はすべて消しており、それを見て、私も母もあまりの父らしさに爆笑した。 (ついでに、父が亡くなる前々日まで、もはや執念のトークの削除を行っていたので、トークルームのどのあたりの人たちにまで逝去を伝えるトークを送るべきか見当もつかず、非常に頭を悩ませることになった) そんな感じの人だったので、この世に未練というものがあったとは到底思えない。退院の手筈を整え始めていた日の深夜の3時過ぎという、家族がやや油断している上に一番身動きしづらい、マジでどうしようもない時間にいきなり息を引き取ったため、父の死に目にあえなかった母。父の逝去からしばらくして、急に「お父さん、最後に私に言いたかったことなかったんやろか」としんみり言い出したので、私は反射的にげらげら笑って「あるわけないやん」と言ってしまった。死ぬ間際まで律義にLINE全削除を続けた男にそんな情緒があるとはちょっと思えなかったのだ。母もすぐにげらげら笑いだし「そうやね」と言った。 こんなふうに父のことを思い出しているとき、私はやっぱり父がすぐ側にいるように思う、フロアシフトを挟んだスカイラインの、運転席と助手席くらいの距離のところに。 生まれてから今日にいたるまで、誰かの死はいつでもそばにありつづけた。だから死んでしまった人たちも、同じようにいつでもそばにいるように思う。 生きてとなりにいる人のように声をかければ答えるわけではない、電話をかければ出てくれるわけでもない。そうだったとしても、生きている人とはほんの少しちがう居方で、それでもわたしのとなりにいてくれているのではないか、と、わたしはいつも信じる。 じいさんは、私が買い物に連れて行った翌日の飲み会の日、つまり亡くなる三日前、近所に住むばあさんに、私のことを「車に乗せて買い物に連れて行ってくれた。あの子はとてもいい子だ」と言ったそうだ。 それを近所のばあさんから母は伝えきき、今度はわたしにそれを教えてくれた。じいさんがそう言ってくれたから、近所のばあさんは私に「会ってみたい」と言っているらしい。 ありがとうじいさん。よくわかんないけどばあさんも、私に会いたいと思ってくれてありがとう。会おう。 私は今、私に会いたいと思ってくれる人がいるなら、その人にとても会いたい。だから、次の帰省のときには、私は近所のばあさんに顔を見せに行くつもりでいる。 私の目にうつり、私が今生きている世界は、そのときには隣に、近所のじいさんがどうしたっていてくれる、そういう世界だ。
実家の近所に住むじいさんを車に乗せて買い物に連れて行った三日後
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alilyofloneliness · 1 year ago
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ポルノグラフィティの『アポロ』の、腕時計の歌詞は聴くたびにどきりとさせられる。それって僕のより、はやく進むってほんとうかい?ただ壊れてる…… はやく、遠くに向かってわたしたちは進歩してきたけれど、それってほんとうに正しかったのか?「壊れながら」人類の歴史は進んできたともいえるし、人類がこれだけ進歩しても愛のかたちが変わらないように、時の流れも変わらないとも言える。
『ハンチバック』を読んだ。「壊れながら」生きている一人の女性が主人公だ。脊椎の障がいを患った彼女はただ歩くにしても自分の身体を「壊し」ながら生きていかざるをえない。正常な姿勢を取れず、動くたびにそこら中に青痣をつくって、背骨がきしみをあげる。自分を壊すことでしか生きられない彼女はいつしか「他者」を壊すことを欲望するようになる。彼女にとって、もっとも身近な他者となり得る胎児の中絶を欲望するようになる。
『ハンチバック』はいわゆる当事者小説だから、わたしが上の歌詞と小説を重ね合わせるのは失礼なことかもしれない。けれど、あらゆる社会、あらゆる人間は巨大な歴史のなかの構造に規定されていて、誰もが壊れながら生きているとも、言えるかもしれない。壊れながら回転し続ける世界と、壊れ続けるあなたたち。あるいはわたしたちは、誰かを傷つけることでしか生きていけないとも言えるかもしれない。傷つけて、傷ついて、壊した先にあるのは約束された蜜流れる楽園だろうか?『ハンチバック』では最後のほうに旧約聖書が引用されていた。殺戮の先に約束されたカナンの楽園の再現に必死になる虐殺者たちは、自らもまた虐殺された経験がそうさせるとしたら罪深い話である。
『その日、すなわちゴグがイスラエルの地に攻め入る日に、わが怒りは現れる。
わたしはみなぎる雨と、ひょうと、火と、硫黄とを、彼とその軍隊および彼と共におる多くの民の上に降らせる。
主なる神は言われる、見よ、これは来る、必ず成就する。これはわたしが言った日である。』
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