#母親節前夕
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私立K高校にまつわる怪談話を、そう言えば親父から聞いたなと、貢は思い出した。理事長室の本棚にある「我が学園の歴史 ◯◯周年記念号」と節目ごとにまとめられ、今でもOBであれば購入が可能とされている記念誌を眺めながら、彼は例の事件について書かれた記載に目が留まった。その記念誌には一行ぐらいしか書かれておらず、
「まァ、都合の悪いことは書かないだろうな…」
と貢は思ったが、たまたまその隣に操が書いた日記があった。操は、その日にあった出来事をまめに記録する性格だった。「ケセラセラ」に生きてきた貢とは違っていた。
「へぇ〜、こんなの付けてたンだ」
と彼はそう思いながら、「一九七八年」とテプラで貼られたその日記の頁を開いた。事件が起きる前、何度か操は他の教師からその生徒について話を聞いている様だった。
“六月十日
校長の杉山先生から、「堀川啓介」という男子生徒がよからぬいじめを受けているとの話を聞いた。「よからぬ」とは、流石に全くの「ノンケ」である杉山先生にとってはケツの谷間を両手で覆いたくなる様なものらしい。オレにとっては逆に「おっ広げ」になりたくなるが…。
啓介君は、両親が教育熱心なのか必ず国立T大に合格させたいという思いが強く、比較的、国公立大学への進学率が良いウチに入学「させられた」様だが、オレにしてみれば馬鹿馬鹿しい。人生八十年と言われるご時世に、大学だけでその先の人生なンて決まるとは限らないと思う。
しかし、その啓介君、ウチに来たことで「ホモ」の洗礼を受けただけでなく、凌辱されることに快感を得てしまった様だと、杉山先生。ある夕方、たまたま浴室を見回った時に彼がブリーフ一丁で脱衣場の鏡の前に立っていたが、背中にあちこち鞭打たれた様な跡があり、思わず声をかけたそうだが、彼曰く、
「校長先生、父さんや母さんには黙ってて! オレ、縄で絞められるのが好きなンだ…。快感なの! これでイッちゃうの! 勉強勉強って、オレ、おかしくなっちゃうよ!」
彼はそう訴えながら杉山先生に抱きつき、号泣したらしい。
嗚呼、そんなに追い詰められるのなら、いっそのこと、新宿二丁目や上野の入谷などで男娼をしていた方が幸福なンじゃないか? オレだったら、啓介君を優しくしてあげたい”
“七月一日
たまたま、オレが寮の当直をすることになった。まァ、久しぶりに生徒らとアハハオホホとやってもイイだろう。
その二日目、ちょうど昨夜だが人気がない筈の浴室に誰かがいたのでそっとサッシを開けてみると、其処には全裸の啓介君がいた。やはり背中や胸には鞭打たれた跡があり、痛々しかった。しかも、その日は首筋に「キスマーク」もあり、余程凌辱されたのだなと思った。彼はブリーフを穿くと軟膏を手の届くところに塗り、時折首筋にできたキスマークに触れた。彼は微笑を浮かべ、
「…もっと欲しいよ」
と呟いた。まるで、情事の後に独り残された娼婦の様だった。オレは彼を好いてしまった。そんなオレに彼は気付いていたのか、サッシの方を振り向いた。
「だ、誰ッ!?」
オレは仕方なく脱衣場の中に入った。理事長だと判ると、彼は顔を赤らめながら慌ててTシャツを着た。彼は言った。
「何故、理事長先生が!?」
恐らく、始業式や終業式の時にオレは必ず挨拶をするから顔を憶えていたのだろう。まさか、理事長でさえ寮の当直をするのかと、彼は疑ったに違いない。オレは、
「大丈夫、今週だけ当直に入っただけだから。杉山校長からは、君のことは聞いているよ。縄に絞められるのが快感なンだろ?」
と聞いた。彼は不安気な表情を見せてはいたが、頷いた。
「…快感でたまらないンです」
オレは、どうかしていたのかもしれない。何故かそのまま彼を抱きしめたのだ。優しくしてあげなければならない気がしたのだ。
その夜、当直室でオレは啓介君を愛した。鞭打たれた跡に皆キスをし、そのうちに彼も涙を流しながら、
「嗚呼、愛されてる…」
と言葉を漏らした。オレは、
「凌辱だけが快感を得る手立てではないよ。君は優しく愛されたいンだ」
と唇を奪った。
次第に、彼はオレを強く求める様になり、オルガズムに達した。オレの内腿の間に下半身を挟め、愛液が二人の下腹部に跳び散った。
「…啓介君、君が好きだ」
気分は、アダムとエバの様な感覚だった。教育者とその教え子という関係を逸脱し、オレは一人の男子として彼を愛してしまったのだ。も��や後戻りはできない。このまま「世間体」と言う名の境界を越え、何処かへ逃亡しようかとも思った。彼は、
「理事長先生…」
とオレの頬に触れ、そっとキスをした。
情事は、夜明けまで続いた”
“七月二一日
この日は終業式だった。ほぼ全員の生徒が帰省していく中、啓介君だけが寮にとどまっていた。彼は怯えていた。担任の山本先生が彼の両親に事情を離したが、特に母親は猛反対していたと、電話の後に話していたっけ。
「理事長、どうしますか?」
と杉山校長が困り果てていたが、啓介君の家の事情を何も知らなかったオレは、
「じゃ、オレが一緒に送りに行くよ」
と安易な判断をした。
啓介君の家は東京のS区にあった。最寄りには私鉄O線の駅名にもなったS学園があり、所謂「高級住宅街」だった。オレは馴れない道を自ら運転しながら彼を送り届けた。本来なら理事長であるオレは動くべきではなかったのだろうが、一度彼とは肉体的に「契り」を結んでしまったから、何故か責任を感じていた。
彼は助手席に座っていたが、ずっとうつむいていた。信号待ちの合間、時折彼の手を握ってあげた。
「大丈夫、怖くないよ」
彼の家には、母親が待っていた。一見、感じのよい雰囲気ではあった。オレは自分の名前を名乗ると母親は、
「あらら、理事長先生がこんな遠くまで!? 大変ご迷惑をおかけしました」
と深々を頭を垂れた。彼はそのまま無言で家の中に入って行ったが、その間ずっとオレの姿を目で追っていた。それでも、
『これでよかったのだ』
と自分自身に言い聞かせるしかなかった”
“八月一日
杉山校長から、啓介君から電話があったと話があった。オレは書類整理をしていたが、どういう経緯かは不明だが例の鞭打たれた跡について母親が気付き、その問い合わせがあったらしい。半ばヒステリックな声だったと、彼は言っていた。オレは心配になり、
「ちょっと行って来る!」
と自分のセドリックに乗った。
夕方近くに到着したが、出迎えた母親は泣き腫らした様子だった。開口一番、
「理事長先生! どういうことですか!?」
と訴え、隣に座っていた啓介君の着ていたポロシャツをたくし上げた。彼は泣きじゃくっていた。
「う、うちの啓介、いじめに遭ってるンですか!?」
と彼女は聞いた。オレは返す言葉がなく、ただ黙っていた。
その後、母親の狂気じみた声が居間に響きわたった。オレも流石に耐えかねたが、
「母さん! もう止めてよ!」
と啓介君が突然立ち上がり、悲鳴の様な声で制止した。彼は言った。
「オレはもう嫌なンだ! ずっと『イイ学校』『イイ会社』って言われ続けながら母さんには黙っていたけど…。ただ国立T大学に入ったら何やるの!? 僕ァ、父さんの様な平凡な人生は送りたくない。た��結婚して家庭を持って…全然夢がないじゃないか! 僕はそんな人生に価値はないと思う。今のK高校に来て、僕は気付かなかった人生を見つけたンだ…。母さん、僕は男が好きです! あのアザは僕が好きな先輩と『セッ◯ス』して出来たものです!」
これまで自己主張もせずにただ両親の言われるがままに行きてきたのだろう。オレは彼の方を見入っていた。母親は、恐らく我が息子のこの様な言動に遭ったことがないのだろう、ますます錯乱した様だった。啓介君はオレの手を持ち、
「理事長先生! 僕、寮に『帰ります』! こんな家にいたら、僕、自殺しそう!」
と訴えた。オレは彼の放った「自殺」という言葉に衝撃を受けた。
「啓介君! 生んで育ててくださったお母様の前で『自殺』という言葉はないだろう! 先生も怒るぞ!」
「否、僕は本当のことを言っているンだ! もうイヤだ…」
「…」
二人の嗚咽が居間に響き渡った。オレは、この家自体を憎んだ。一体、何がそうさせたのだろう? 性の歓びを見出し、本来の自分自身を見出した啓介君、一方で一流の大学や企業に進めば苦労しない人生が保証されるという世間の「呪縛」に囚われそれを良かれと我が子に訴えてきた母親…どちらとも悪くはない。オレは言った。
「…お母様、これまで啓介君をここまで育て上げるのに色々なご苦労をされたかとお察しします。確かに、今は一流の大学に進めば一流の企業に入れ、そのまま一生涯安泰と「年功序列」の思想が根付いています。未だ日本は成長をしていくかと思いますが、いつまでもその状況が続くとは限りません。私どもは可能な限り、その様な時代の変化に対応できる将来の人材を育成すべく教育しております。
しかし、啓介君を含め、この十六、十八歳という年齢は思春期ということもあり、自我が芽生え始める時期でもあります。彼の様に性を通じて本当の自分自身に気付くお子様も少なくありません。きっと、これまでの教育方針に対し自我の芽生えによって啓介君も葛藤をされてきたのでは…?
今回、身体に出来たアザについては他の教職員からは聞いていたものの、ご連絡しなかったことについては申し訳ありません」
これが、オレができる最大限の謝罪だった。母親は未だ冷静になれない様だった。啓介君も大粒の涙を溜めていた。オレは、今日は彼を寮に連れて行かないことにした。オレは言った。
「もし何かありましたら、私どもの方までご連絡ください。夜間でも寮に当直がおりますので、お電話いただければ対応いたします」
帰り道の車中にて、オレはこれまでにない疲労感を感じた。この夜は流石に爆睡だった”
“八月三日
杉山先生から、寮の当直をしていた山本先生から啓介君より連絡があったと話あり。やはり寮に戻りたいと訴えていたらしい。あれから両親とは話ができたのか、気掛かりで仕方がな��った。
理事長室の隅に置かれた時計が秒針を刻む音に半ば苛立ちながら、オレは情人(アマン)が来るのを待ちわびるかの様な心情に駆られた。一度は肉体同士の接触があったが、それだけでオレは彼と一心になっていた感覚でいた。もし教育者と一生徒という関係でもなければ、あの場で彼を連れて帰っていた。母親を弁護することもなかったろう。
午後二時になり、啓介君が帰って来た。オレは直接来たのかと聞くた。彼は言った。
「…先生、会いたかった」
すると彼はオレの背中に両腕を伸ばし、抱いてきた。途端にオレの胸の中で涙を流し、やがて嗚咽も聞こえてきた。
「大丈夫、泣くのはおよしよ」
とりあえずオレは啓介君を寮に連れて行き、当直をしている山本先生に事情を話した。まずは様子を見て欲しい、と。また、一昨日彼の家に行った時のことも話した。山本先生は、
「じ、自殺!?」
と驚いていたが、今の精神状態なら大丈夫だろうと伝えた。”
“八月四日
一晩過ごしたが、山本先生からは何の連絡もなかった。オレは大丈夫だったのだろうと安堵した。
午前九時過ぎ、理事長室に啓介君がやって来た。彼はオレを抱きしめてきた。すっかり好いてしまっている様だった。オレは彼にキスをした。舌を彼の唇の隙間に忍ばせ、込み上げてくる唾液を呑み合った。彼はそれが「快」と感じたのかスラックスのベルトを外し始めた。オレは声をかけた。
「此処ではまずい」
オレは雑木林の中にある「別荘」に連れて行った。しばらく寝泊まりしていなかったからか、室内はジメジメしていた。そんな中でオレは彼のワイシャツのボタンを外した。ブリーフだけになった彼を目前に、オレもワイシャツを脱いた。ブリーフだけになると早くもチ◯ポの先端が濡れていた。こんな性衝動は初めてだった。彼をこれでもかと言うくらいにキスをし、乳房や股間を愛撫した。自殺なンて馬鹿なことは考えるなと、繰り返し心の中で叫びながら…。
気付くと二人は真っ裸になっていた。白いブリーフがベッド元に重なっている。これは身も心もさらけ出していることを意味していた。オレは彼と一体になった。
「あッ、あァ、あはァァァん…」
何度も乳房を鷲掴みにし、吸い続けた。その度に彼は歓喜の声を上げ、乱れに乱れた。ほのかにサーモンピンクへと全身が火照り、彼はオレの唇を求めた。
「…け、啓介」
いつしかオレは敬称を付けずに呼んでいた。ただ十六歳の彼をオレは愛した。全身に無数の汗が滴り、シーツが濡れた。
啓介君は、用を出すだけしか知らなかった穴をもって女の様に快感を得ることを知ってしまった。いつしか彼は激しく腰を揺さぶり、オレの身体にしがみついた。
「あ、愛してる…!」
耳元で彼はそう囁き、オルガズムに達した。オレも彼の体内に愛液を噴射させ、
「啓介!」
と激しいキスをした。
情事の後、ベッドで抱き合いながらオレは言った。
「もう『自殺』という言葉は使わないで」
すると、
「…死にたくない。こうやって愛してくれてるから」
と彼はオレにキスをした。
これで総てが終わったと思った。啓介君が愛されることで新たな人生の方向性を見出し、進んでくれるとオレは信じた。”
貢は、父・操もまた一人の生徒を愛してしまったのかと思った。オレは生徒には手を出したことがないし、そんな度胸もなければやってはいけないと、頁を進めた。しかし、日記はしばらく何も書かれておらず、急に「九月一日」まで飛んでいた。恐らく、その間に啓介が自殺をしたのだろう。
“九月一日
啓介君が雑木林の中で首吊り自殺を図り、憔悴する暇もなく両親が教育委員会に訴えると騒いだ。父親は、杉山校長に訴えた。
「国立T大学への進学率がイイと聞いて入学させたら『ホモ』にさせられた挙げ句、自殺まで追い込んで...。この悪党! 人殺し!」
父親は国家公務員だった様だ。彼は他の保護者から、お宅のお子さんは大丈夫か、「ホモ」にさせられてないかと根掘り葉掘り聴取し、何人かの生徒からその気がある様だという話を聞きつけるや、
「理事長を出せ!」
と罵った。杉山校長は流石にビビッてしまい、
「理事長! 何とかしてください!」
とすがりついた。殴り込みに来た父親に対し、オレは土下座もした。罵声を浴びさせられた挙げ句、胸ぐらもつかまれた。正直、辛かった。啓介君を愛していたのに、自ら生命を絶ってしまったのだから…。裏切りの何物でもない。
オレは父親が帰った後、雑木林の中で慟哭した。啓介君が首を吊った杉の根元にひざまずき、喉がやぶれてしまいそうなほど声を上げながら泣いた。”
この部分を読みながら、貢は高校二年だった頃を思い出した。そう言えば、両目を泣き腫らした様子で操が家に帰って来たのだ。母の茉莉子がどうしたのかと心配したが、彼は、
「…すまないが、独りにさせてくれ」
と言って部屋に籠もってしまったのである。ちょうど父の書斎の隣に貢の部屋があったのだが、壁越しに号泣する声が聞こえたのだ。しかし、何故泣いているのかを聞くことはできなかった。嗚呼、きっと啓介君のことだったのだろうと、彼は思った。
もし岩﨑の言う通りにその啓介君の声が聞こえたのだとしたら、オレに何ができるだろうと貢が考えた。
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ホワイトデーだった。彼が高価なチョコレートを買ってきてくれた。わくわくしながら箱を開けたら、12粒入りだったけれど、半分くらいしか食べられるものがなかった。同じブランドのトリュフアソートだったら全部食べられたのに、と勝手に落胆しては、そもそも人の好意を無碍にする自分って最悪だなと思ってさらに落ち込んでいる。
さて、今日もスーパー自己開示タイムをしようと思う。今回は食生活編。先に言っておくが後半で理解のある彼くん(笑)(言ってみたかった)の惚気が入るよ。ここはとても静かで良い場所だから、別に嫌がる人はいなさそうだけど。
他人からの好意を無碍にしてしまった経験を、幾度となくしてきた。そしてそれのうち、ほとんどが食べ物に関するものだ。以下に思いつく限りの具体例を挙げていく。
高校生のとき、とある男子運動部のマネージャーをしていた。高1の春、学校外での外練の後、学校に戻る途中にあるシュークリーム屋に寄る流れになった。わたしはべつにいらないな、と思ったので、同じく買わないメンバーと一緒に、お店の外で待っていた。主に3年生の先輩がこぞって買っていたはずだ。先輩たちがお店から出てくると、その中の一人の先輩がわたしにシュークリームをくれた。わたしの分を買ってくれたらしい。ありがたく受け取りはしたが、先輩との間に恋は芽生えなかった。わたしは生クリームが苦手なのだ。
大学生の頃、美容院の予約日がちょうどバレンタインデーだったので、担当の美容師(メンズ)に既製品のチョコレートをあげてみた。翌月の施術の時、ホワイトデーのお返しをもらった。「甘いの苦手って前に言ってたから、控えめのやつにしてみたよ」と言われ、会話覚えててくれたんだ〜と嬉しくなった。中は謎の焼き菓子だった。家に帰ってひとくち食べた。普通に甘すぎて食べられなかった。家族にあげてしまった。
ある年の冬、友人と待ち合わせをしていたとき、相手がすこし時間に遅れて、寒空の下で待ったことがあった。遅れてきた友人はコンビニで買ったであろう暖かい紅茶をくれた。午後の紅茶のストレート。飲んでみたら、甘かった。ストレートのくせに甘かった。調べてみると、午後の紅茶はミルクとレモンが入っていない状態の紅茶をストレートと定義しており、ストレートと表記されているものは飲みやすさを重視して、若干量の砂糖が含まれているのだそう。わたしは完全に無糖の紅茶しか飲めない。一口でオエってなって、それ以降飲めなかった。
恋人と高価格帯のおしゃれなバーで飲んでいたとき、座っていたテーブル席に虫が出た。店員さんに対処してもらった。その後、不快な思いをさせてすみません的なお詫びで、お店からシャインマスカットの盛り合わせをサービスとして出された。ありがたくいただくことにした。一口食べた。あまくてそれ以降食べられなかった。
数年前に研究関連の用事で台湾に行ったとき、出先でお弁当などをよく出してもらった。だが、どうしても匂いが受け付けなくて、一口も手をつけられなかったということが何度もあった。去年フィリピンに行ったときも、帰りの飛行機の時間が早朝だったのでホテルが朝食としてお弁当を準備してくれたのだが、食べずに空港のゴミ箱に捨ててしまった。
食べ物を粗末にしたら地獄に落ちる系の言葉はきっとわたしのためにある。誰かが準備してくれたり、労力をかけてくれたり、お金をかけてくれた好意を、わたしはこんなにも簡単な形で切り捨ててしまう。わたしは本当に地獄に落ちた方がいい。
食に関する悩みが人生においてずっとつきまとっている。決まった時間に食事をとるのが苦痛だ。毎日決まった時間にご飯を食べている人間、あまりにも文化的存在すぎて尊敬する。あとわたし、単純に好き嫌いが激しすぎる。嫌いなもの・気分じゃないものを食べるくらいだったら一食抜いてもいいや、という、どう考えてもおかしい判断がまるで正当かのようの思われてしまう。
一般的に太りやすいと思われている食べ物が軒並み食べられない。ポテチはのり塩以外たべられない(のり塩でも別にいらない)。甘いもの、大半はむり。ミルク・ビターのシンプルなチョコレートは大丈夫だけど、ケーキ全般、生クリーム、和菓子、パフェ、ドーナツ、シュークリーム、大抵は無理で、ミスドのチョコファッションのチョコレートの部分が小さくなったという話題についていけなかった。バスキンロビンスことサーティワンアイスクリーム、わたしはオレンジソルベしか食べられない。唐揚げやカツなどの揚げ物も好きじゃない。ステーキも別にいらない。焼き鳥もべつになくても生きていける。天ぷらもいらない。ていうかうどんの天かすマジでいらない。ハンバーガーも食べない。牛丼もいらない。焼肉屋ではホルモンしか食べない(付き合いで他の肉を食べることはもちろんある)。菓子パンも苦手。ついでにフルーツも、柑橘系とりんごしかたべない。
じゃあ何食うの?? って感じだと思うけど、おさかなと野菜、あと各種麺類です。カップ麺は食べられるので助かっている。わたしあと3年は学生なのでまだいいけど、社会人になったら飲み会とかですごく苦労しそうだからもうすでに怯えている。
偏食だという事実をふわっと誰かに話すと、ほぼ確実に「羨ましい」と言われる。甘い物と脂っこいものを食べないから細いんですね、いいなあ、と。でも、違うんだよ。生きづらいよ。アフターヌーンティーとか行ってみたいんだけど、無理なんだよ。ほぼ全部食べられないから。パスタ屋に入ってもオイルベース系かジェノベーゼしか選べないし、ピザ屋のピザもトマト系はまず無理だから選択肢がないし、ジェラート屋さんに行って食べられるものが一つもないとかザラだし、カフェのフードメニューから食べられそうなものを探す作業も苦痛だ。行ったことのない店に行くと、これは食べられるものか、という認知判断が食事に先立つからいちいち疲れるんですよ。だるい。
わたしは実家で暮らしていた約20年間、ことごとく母親を困らせてきた。もともと家族全員で食事をとる習慣がないうえに、わたしは上記の通り病的な偏食なので、よく何も食べずに適当に過ごしていた。ネグレクトとかじゃなくて、家族それぞれ別のものを別の時間帯に食べることが多いというかんじ? 母はふつうに料理をしていたと思う。だけどみんなバラバラの場所で適当に食べるから、なんかぬるっと夕食をパスできる家だった。母はわたしが食事を残すことも、連絡なく勝手に夕食を外で済ませてくることも、なんなら夕食があるのにそれをパスして部屋でカップラーメンを食べるのも(これはわたしが最低すぎる)、べつにとやかく言わなかった。母はたまに気まぐれで、「今日あなたが食べられそうなもの作ったけど食べる?」とか聞いてくるから、そういうふうに言われたら食べるようにしていた。わたしが自室以外で食事を摂ると、父にいつも「珍しいね」と驚かれる。当時はべつに引きこもっていたわけでもないのに。
↑は夕食の話だけど、それ以外にも母はよくスーパーでお惣菜を何種類か買ってきて、どれかを食え、と選ばせてくれた(選ばれなかったものは父や弟の昼食になる)。知らない間にウイダーやカップ麺をよく自室の学習机の上に並べられていた。わたしがとあるブランドのグミにハマると、飽きてもういらん!となるまで母は毎日そのグミを買ってきた。お願いだから何か外で食べてこい、とお金を渡されることもしばしばだった。母のために食べた。母はわたしが何かをむしゃむしゃ食べているところを見ると安心するのだそう。あまりにも親だ。迷惑かけてごめんなさい。
空腹をそこまで苦痛に感じない。お腹がすいた、よりも、動きたくないな、の方が強い。トイレに立ったときに立ちくらみがすると、そこでやっと「そういえば食べなきゃ」が勝つ。そういう生活。
実家を出て恋人と同棲しているが、ここでも彼を困らせている。放っておくと何も食べない。彼が夕方に仕事から帰ってくると、「今日は何か食べた?」と尋ねられ、「まだ〜」もしくは「さっきウーバー頼んだから今日はもういらない〜」と答える会話をほぼ毎日している。約一日何も食べずに過ごした日曜日の夕方、お願いだからすこしでも食べて、と懇願されて、ねるねるねるねと茶碗蒸しを食べたこともあった。ウェーブ体型なのが相まって、さいきん肋骨が出始めてきた。アー食べなきゃ、と思うけど、お腹いっぱい、の感覚が嫌いすぎるのでたくさん食べられない。ジュースを飲んで糖分を摂取した気になっている。わたしはそのうち病気になると思う。死にたくないな〜。
温泉旅館に泊まったりして、いつもより多い量のご飯を食べると、絶対に次の日は反動で食べられなくなる。これも人体の、否、我が身体の謎だ。
不健康自慢なんてクソダサいからしたくないんですよ。だけどどうしたって食と睡眠に関してはガタガタすぎて困ってる。せめて2日に1回ウーバーイーツを頼む生活をやめたい。
ていうか自炊できる人ってすごくないですか?? 毎日働いて、生活してる人って本当に尊敬する。わたし、生活を捨ててそのほかの欲望に忠実でいることで、気が狂いそうな毎日の中で精神性のバランスをとっている節があるから、自炊をするようになったらたぶん心が壊れる気がする。あと、それとは別で、ウーバーを愛用してしまうのは自炊をするのに必要な文化的資本がないからなんですよ。わたし、まったく料理ができない。それは、「色々と大変な状況下でわたしに家事手伝いまで強制させたらあまりにも気の毒だから」という理由で母がわたしに家事手伝いを強制しなかったという一種の愛の副作用でもあるが、それよりもわたしにやる気がなさすぎるのと、ふつうに自炊に必要な道具も食材も足りていないのが根本の原因だ。もちろん、道具と食材とレシピと動機があればやるのかもしれない。だがわたしの頭はほんとうにおかしいから、作るのが面倒だから食べなくていいや、になるの。それだと死ぬからウーバーを頼む。スーパーにいけば安いお惣菜があるけれど、家から出るのがだるいから食べない、になるの。それだと死ぬから、ウーバーしかないんですよ。家に届いたら食べるしかないから。こういう思考回路。あほじゃん。3月までは同年代の人よりも多くの額の収入があったからウーバー漬けの生活でまかり通っていたけど、4月からはそれがごっそり減るので、やはり怯えている。
ご飯を食べなきゃって思いながら過ごす生活、だるいです。どのタイミングで食べるかを考えるのがしんどい。ログインボーナスをもらうために一日一回ソシャゲにログインしてる感覚に近い。今日もやらなきゃ、みたいなね。午後に出かける用事があればそれが終わるまでは大抵何も食べないから、用事が終わったあとに、やば今日何も食べてないじゃん、と思ってあわてて外食するみたいな。だるい。味のないゼリーとか飲んだら1日分の栄養が摂取できるとか、そういうのってないんですか?? 味も食感もいつか飽きるからしんどい。
なんか今日の記事いつにも増してキモすぎるからみんなに引かれそうでこわいな〜。おねがい、嫌いにならないで…。
冒頭の話に戻る。結局その後彼は、同ブランドのトリュフアソートをまた買ってくるねって、にこにこしながら言ってくれた。罪悪感とほんのりとした嬉しさがぐちゃぐちゃに交わってなきそうです。面倒くさくてごめんねっていう���たしの中のメンヘラの部分が顔を出していると同時に、こんなわたしにも怒らないでいてくれるんだっていう安心感にやさしく包み込まれている。ありがとね。たぶん、彼のそういうところが好きだ。
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無題
過日、中途覚醒の季節。未明に目覚めてスマホで時刻見ると、なんか大体いつも3:34。サンザシ、と寝ぼけた頭でそれを読み上げる。サンザシが何なのかよく知らないけど、たぶん山の木の実で、1センチくらいの小さな赤い粒が秋から冬にかけて密集して成る。味は酸っぱいけど、砂糖で煮詰めてジャムにしたりする。知らないけど。
*
近所のスーパーでトマトが一顆¥298もした。同じ値段ならYEBISUビール買うわ。トマトと卵の炒めものが作りたかっただけ。資本主義経済はかくもグロテスク。冷凍食品売り場の前で幼い姉弟が揉めていた。ジグザグがいい! と叫ぶ弟。お姉ちゃんは皮付きのやつがいい様子。じゃんけんしよう、と宥める母親。冷凍なんだし、両方買えばいいのにね。資本主義経済はかくも不条理。夕焼け空が大炎上してた。夜空が黒いのは焦げているから。
*
眼鏡を新調した。円いチタンフレームの軽い、山型ブリッジが瀟洒でいかしている。本読みは丸眼鏡を掛けるものだと大江健三郎がいっていた。柳田國男も折口信夫もサルトルもジョイスも丸眼鏡だった。
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田園の中の喫茶店にて
最近単発のバイトに中々入れず、退屈な日々を過ごしている。
前のようにパチスロに行く気もなくなり、秋が深まる山やら滝やらに行っては数枚の写真を撮って帰る。
普段カフェインを控えているが、温かい珈琲が美味しい季節になったから、前から気になっていたカフェを周り始めた。
今日来たところは木曜から土曜までしか営業していない、海の側から少し山に入った田園地帯の真ん中にある喫茶店だ。
古民家のような外見から中に入ると立派な梁がある。ピアノやギター、コントラバスまであって、音楽イベントをやっていると聞いた。
オリジナルの珈琲を頼む。
客は自分ひとりで、お店の人も一人だった。

窓際のいい席に座れた。文庫本を開いてたまに外を見るというのを繰り返す。
すると車が店の前に止まり、女性が一人店の中に入ってきた。
予約していた人なのだろうか、店主は女性の顔を見ると豆を挽き始めた。
香ばしい香りが店内に広がる。
読んでいた桜木紫乃の短編小説にいいアクセントをくれる。
七、八分くらいしてそれが出来上がったようで、女性は袋を持って会釈しながら店を出た。
それから五分ほどして、店主が申し訳無さそうに、珈琲カップを持ってきた。
「大変お待たせしました」
「いえいえ」
「エチオピアです」
「ありがとうございます」
もしこれが町中にあるチェーン店のコーヒーショップならクレームを入れる人もいるだろう。
でもここは時がゆっくり進む田んぼの真ん中の喫茶店。早さなんか求めてはいない。
大人の例えをするならば、メイクをしている相手を待っている時間と同じで、完全に相手が美しい状態で出てくるのはどれだけ待ってもいい。

珈琲を一口飲む。取っ手が無いタイプだから少し指が熱かったがそれもいい。
あっさりした飲み口だがコクがある。苦味は程々で酸味はあとに少し残るくらい。バランスの良い味で、毎日飲むのにはうってつけの味だった。
小説を読み終えて文章を書く。
聞こえるのは少し前にオーダーした珈琲牛乳を作る音と外にいるカラスの声。
そういえば、と思い出したのは自分の誕生日と一ヶ月違いで大学の同期だった香菜の事。今日がその誕生日だったのをスマートフォンの日付を見て思い出した。二年前くらいに突然泣きながら電話があって以来、たまにやり取りをする。
香菜とは色々あった。大学に入って最初に仲良くなった女の子が香菜で、初めて女の子の部屋に泊まったのも彼女の部屋だ。不思議なものでそんな関係だったにも関わらず、ある時期から互いを嫌うようになって口も聞かなければ目も合わせなくなった。
だから泣きながら電話してきたのは何故なのかわからなかったが、それをすんなり受け止めて泣き止むまで話を聞き続けた自分もどうしてなのかわからない。
とりあえず誕生日メッセージを送っておいた。
珈琲牛乳がテーブルに置かれる。

昔、母親が作ってくれたような優しい甘さ。
ミルクの膜があってそれをスプーンですくって食べるのが好きだ。
村上春樹の短編を読む。三分で読み終わるくらいあっさりしたものだが、村上春樹の色が確かにそこにあって、純粋にさすがだなと思った。
まだ外でカラスが鳴いている。洗い物をする店主の息遣いと厨房の奥で流れるピアノの音楽が微かに背中越しに聞こえる。
香菜から返信が届く。
お礼と今度公開される映画の監督を務めた事を報告してきた。
おめでとう。さすがだね。と返した。香菜はずっと優秀だった。いや、人に評価されるのが得意だった。作った作品を面白いと思ったことはないが、教員や審査員たちに認められる物を多く作っていた。
反対に俺は落ちこぼれのような物で、自分主演のハードボイルド作品を作ったり、クドカンもどきの恋愛コメディを書いたりしては、不評を買っていた。
そんな二人が今こうして連絡を取り合ってるのを同期が聞いたら驚くだろう。
そんな事を考えていたら珈琲牛乳が温くなってしまった。
閉店時間も近い。
家に帰りたくない。
ずっとこんな風にどこかの店の片隅で本を読んだり下手な文章を書いたり誰かと話をしていたい。
窓の外の田んぼからは、稲のひこばえが大きく育っている。もう秋も深いというのに元気だ。
店にあるアコースティックギターを弾きたいなと思ったが、恥ずかしいので店主に言えないまま店を去る。
夕飯なのか夜の部の仕込みなのかコンソメスープの香りがした。
家の今夜の晩御飯はヒレカツだ。
今日もまた酒を飲んで睡眠薬を一���多めに飲んで寝るのだろう。最近上手く眠れない。
明日は面接。
帰りにまた寄ろうかな。
この田園の中の喫茶店に。
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2024.1.6sat_tokyo
鳥の声で目が覚めた。ちゅんちゅんちゅん。こんな朝の起き方理想的すぎないかと思うのだが、朝、雀がめっちゃ庭に来る。ちゅんちゅんちゅん。
と言っても今は10時、正月の名残ということで昨日はわざと目覚ましをかけずに寝た。わざとじゃなく1月3日は目覚ましをかけ忘れて、新年最初のイベントには遅刻した。
昨日も朝から稼働した担当イベントの後に23時までコワーキングのラウンジでご飯も食べずに仕事した。えらい。帰ってから夜中に能登のニュースをずっと見てしまったので眠い。昨日は好きな人たちとたくさん話したし、地味に疲れて本当に体が動かないので、2度寝する。 11時にむくっと起きる。昨日水につけておいた小豆を炊く。大きい小豆のお汁粉大好き。いつも一応ちゃんと飾るお飾りも鏡餅も、なんだか気持ちが乗らなくてできなかったので、鏡餅用に買った餅を飾らないまま焼く。切り込みも入れたのに、ちくびみたいなお餅が焼けてしまった。おもろいな〜。
来週は甲府にも行くし(楽しみにしてた天然ラジウム増富温泉・不楼閣にいく!)、夜もずっと予定があるので、今日明日はいろんな仕事を終わらせておきたいので頑張る。
15時、また動けなくなって地面に横になる。布団は危険だからだめ。こんな日は結構珍しいのだが、頭が考えることでパンクしてるのも影響してる気がする。無理すぎる。目を瞑る。考えることがたくさんある。GAZAのこと��戦争のこと、能登半島のこと、自分のこと、家族のこと、仕事のこと、近い未来のこと。
こういう時は音楽も、映画も、色々を見るのがキャパオーバーで難しくなる。なので家で作業する時はずっと無音。だけど、写真だけはみたい気がしていて、写美で始まったホンマタカシさんと、 松蔭美術館の牛腸茂雄さんや瀧口修造さんの展示は見逃さずに行きたいとぼんやり思う。
身体は地面に垂直のまま、石川県輪島市の知人である漆工の桐本滉平くんのインスタのストーリーをチェックする。今回の地震で、代々守られてきた、明治時代に工房として建てられた自宅が全壊全焼したと投稿していた。リアルな景色に目を覆いたくなるけれど、ニュースでは得られない、桐本くんのまさに今を切り取っている投稿を見ながら、今できることを考える。といっても寄付くらいしかできないのかもしれない。でも、こうやって遠くでも想うことができること、情報が共有できる時代というのは、本当に希望も多くある。 桐本くんは元旦から今もずっと、輪島の未来や、会ったことのない誰かを救うために、全力で動いていて、避難所のこと、道のこと、今この瞬間のみんなが必要な情報をSNSで発信し続けている。きっと本当に多くの人がこの投稿に助けられている。
私の1/1の16時6分は、埼玉のおばあちゃんちで10数人の親戚一同で集まっている時だった。お寿司を食べて、ビンゴ大会の手前でこの地震が起きた。まずはじめに私の携帯が聞きたくない大きな音で鳴った。その30秒後くらいにみんなの携帯が鳴って、すぐ地震が起きた。自分の携帯にはYahooの災害アプリが入っていて、画面には36秒後に地震が起きますと書いてあった。たった30秒だけれど、みんなの携帯とは30秒の差があったのだった。親の携帯にもアプリを入れなければ。そのままテレビをつけて、地震の情報を流しながらみんなで過ごした。私はXを見ながら地震や津波の情報を集めまくる。石川県には大事な友達たちも��る。途中お母さんが、血圧が高めで眩暈がすると横になりに寝室に行ったが、私は変わらず画面に張り付けになっていて、横にいたいとこの旦那のわたるくんが「ニュースも気になるけど僕は寝室の方が心配だよ」と言ってくれて、まさに…と思って、寝室に様子を見に行った。気持ちを落ち着かせながらその場にはいたけれど、帰る前に寝てた身体を起こして、お母さんから渡された”幸せが訪れますように”と書かれた封筒には3万円と���ール券が入っていて、北の国からの泥だらけの1万円札くらい使えねえよ…………………………。とか考えながら、帰宅する電車の中でいろんな気持ちになり小さくバレないように泣いてしまった。
地震のSNSのこと。尊敬する、信頼する人たちからの情報はなるべく信じたい。そうなのだけど、発信をすることについて、映画監督の枝さんが信憑性の話をしていて、シェアができない、というようなことをSNSに綴っていた。良心を騙すような、いろんな詐欺も起きていて、ちゃんと調べてから行動したいと思いつつ、今は瞬発力なのではと思ったり、寒い季節がやってくるよなあと、頭がごちゃごちゃする。寄付について考えているとき、わざわざの平田はる香さんが「被災地に感情移入しすぎて普段の生活を失わないように。寄付はできる範囲で継続的に。1万円を一回より千円を10回百円10回でも。長期間にわたって支援しよう」と書いていて、まさにそう、1回で満足しないで、何度でも、と頷いたり。でも、自分の暮らしもちゃんとしなくちゃとか、ぐるぐるする。
ガバッと起きて、下北沢ボーナストラックに向かう。自転車で10分ちょっと。ギャラリースペースではカレンダーマーケットが開催中で、友達や自分がお誘いした出店者さんがいるので、挨拶をしに。到着してすぐにミヤジが良いカレンダーを案内してくれておもろい。ビール飲んで、ゲラゲラしながら、出店中のヤマグチナナコちゃんと、SAITOEさんに阿部龍一ブースの良さを発表して満足する。阿部の作品や思考は本当に素晴らしい。
同施設内にあるキッチンスペースでは、今日は養生家の鈴ことさなえさんと、mizudoriのまみさんが出店していて、場所を管理しているりさPが、紹介したいと言って連れて行ってくれた。以前山梨の0-site���開催されたイベントで、ちまきとホットワインを購入したことがあって、さらに昨年末にeatrip soilで開催のイベントでも見かけて気づいてくれていたらしく、その話もしつつ嬉しい再開。美味しい白味噌の雑煮と、出汁割り、おこぼれで微発泡の日本酒、出汁もご馳走になる。残り福。身体にあったお出汁や日本酒のことをお話しして、一息つく。ほっとする。今年一緒に何かやりたいな〜とお話する。嬉しい。
続けてラウンジで残って仕事をしようと思ったけど、真っ直ぐ帰宅する。帰り道、怒鳴りながら自転車を漕いでる人がいて、「こわ〜」と思いながら、私が動線を塞いだようになった瞬間に(絶対に悪くない)罵倒されてしまったが、心を無にして道を変えたら、矛先がなくなったからか、さらに大きな声で背中越しにまた罵倒された。さらに無になって大きく深呼吸して、「あの人にもあの人なりの理由があるのだ」とほんの少しだけ思考して、記憶装置から抹消した。毎日いろんな人がいろんなことを抱えて生きてる。
さっきお雑煮食べたので、夕飯は野菜だけのサラダにする。菜の花が美味しいよ〜。そのまま残った仕事をしながら、明日も担当のイベントがあるので早く寝なくちゃとお風呂に入ろうと思ったところ、建築集団 々の野崎将太さんが、インスタライブをしていたので開く。実際に野崎さんは地震が起きてすぐに被災地に向かっていて、現地で簡易トイレを作ったり、生のその日の様子をレポートしつつ、今何をするべきなのかを投稿に残していた。野崎さんとは1回しか会ったことがないけど、仲の良い友人たちが信頼している人で、場作りも含めて作る建築は本当にかっこいいなあと思う。人としても。今回はあやおさんという実際に被災をした方と話す機会を設けていて、報道やSNSで流れていることと、実際に体感したことの違いや、これから起こりえること、今実際に起きていることなどを話していた。現状、今は被災した家に侵入する盗難が多発しているらしく、家を守るために車中泊して見張っている人も多くいるという。被災地が渋滞になるから、ボランティアに来ないでくださいという投稿もよく見るけれど、実際緊急物資などは、一般の人が通れない大きな道を使っているので、現状実際には関係ないこと、スカスカの道もあること、言ってるようにすごく渋滞している道もあること、だけどそれは明日にはわからないこと、被災地には本当に若者がいないことなどを丁寧に話してくれた。これから雪深くなり、外に出れていた人が避難所の中だけで過ごすようになることでのストレスのことなど、本当に今起きていることを話してくれていた。
あと、桐本くんが、地震直後、楽天モバイルだけが使えたことや楽天のキャリアが一番先に避難所に到着して救われたことを書いていて、忘れないようにしようとか。災害メモ作らなきゃとか。色々また巡ってしまい整理する。野崎さんは、阪神淡路大震災の時の経験が、今回の行動にもつながっているというようなことを話していた。身近な友達のアグネスも阪神淡路を経験していて、出かけるときはコンセントを全て抜くと話していた。私は3.11の時も京都に住んでいたので、大きな地震は経験したことがない。
お風呂に入った後に、GAZAのことを発信してくれている波田野州平くんのストーリーもチェックする。自分じゃ拾えない情報を集めてくれて、ずっと発信してくれている。戦争も本当にやだよ。自分にできることも考えるけど、もうちょっと勉強をすることもしなくては。自分は無知すぎる。 (そういえば1/13-19まで下高井戸シネマで2019年作の「ガザ 素顔の日常」という映画が上映される!見なければ)
お正月に起きたいろんなこと、秋から続く悲しい出来事、全部ぜんぶ終わりますように。願うし、動きたいし、できること考えたい。でも、まずは自分が悲しくなって倒れないように、心のケアもしつつ。メディアからも距離をとることをちゃんとして、一人で考えないで、隣の誰かと話すこと。会話して安心すること、みんなが考えてることを知ること。何もできなくてもちゃんと想ってるだけでもいいと思う。あとテンション上がりすぎないように、ちょっと落ち着くこと。余裕が無くならないように、自分のことも考えること。深刻になりすぎないように日常を過ごすこと。この日記も、そういう安心の場になるといいなといつも思う。日常をみんなに綴ってもらえるというかけがえのないこと、を、続けたいです。
元旦から文章にしたくて、自分の番じゃないけど日記を書いてしまいました。こんなことを考えながら、1m以上ある立派な泥ごぼうを夜中に炊き、ホクホクのごぼうができたよ。うまいです。幸せ。明日は楽しみにしてる新年会もあるのです。みんなに会えるの嬉しい。おやすみなさい。
-プロフィール- 鷹取愛 東京 山ト波
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20231021

少し遅れて夏服を仕舞った。
明日の朝は冷え込むと言う。
今年の夏はコロナ開けの影響か3ヶ月ぐらい忙しい時期が続いた。正直あんまり記憶がないんだな。10月頭ぐらいから心身共に疲れが出て月の裏側で暮らすみたいにひっそりやり過ごした。
それでも9月には伊豆の天城山に登り温泉に入って伊豆半島を車で一周。先日は8年ぶりに都心に出かけて東京都現代美術館でホックニー展を見た。スカイツリーを初めて近くからちゃんと見た気がする。
中央線から見える家々や地下鉄の構内に吹く茶色い風、車内アナウンス、交わることのない見知らぬ人たち。東京。私が根を下ろせなかった街。
時は流れたんだなと思った。
そんで秩父の武甲山に登った。
下りで急に目がブリジット・ライリーの絵みたいにチカチカし始め偏頭痛の発作一歩手前のような状態になって超焦ったが夕方から旧友のお母さんのお通夜があったのでカロナール飲んで気合いで秩父から帰った。
10代から20代の頃可愛がってもらいとてもお世話になったがその友人といつしか疎遠となりおばちゃんとも10年は会っていなかったと思う。
今まで確かに存在していてきっと明日もいるだろうと思っていた人がある時を境にこの世界からいなくなる。
この世に生まれ落ちて生きて死ぬことについて歳を取れば何かし��分かるもんだと思っていたが、結局輪を掛けて分からなくなっていく。
四十にして惑わずとは言うものの。
あとは最近なんかあったかね。
少し太った気がするのでランニングを再開した。
来月人間ドックを予約した。
そんぐらい。
球蹴り
そういえば最近サッカーばっかり見とる気がする。
遠藤選手のリバプール移籍でプレミアリーグ見るためにU-NEXTに登録した。でも結局一番楽しみなのはラ・リーガのレアル・ソシエダの試合、久保選手。親戚たらい回しにされるみたいな不遇のレンタル時代を見てきたので昨シーズン後半からの快進撃は非常に感慨深い。
暗黒時代だと思ってた第二次森保ジャパン。つよい。
5年も見てるとなんだかんだ愛着が出てきてもうポイチが監督でいいような。兎にも角にも運がある。
映画
海よりもまだ深く、海街diary、草の響き、cure、distance、12モンキーズ、LEON完全版、マトリックス・レザレクションズ、ヒメアノール、遊星からの物体X、ガガーリン
「火の鳥」に比肩すると言われたあの立原あゆみの大著「本気!」(マジ!)のように「蛇足!」と書いて「LEON完全版!」と読むぐらいに追加された部分に謎を感じる。
これは父性なの?女児愛してんの?と揺れ動く心を想像させる余白が肝だとてっきり思ってたんだが、なんつうか性癖一切隠す気無いんだなと思って単純に気色悪かった。
マトリックス・レザレクションズも謎だったなあ。
本編に挿入される過去作の映像の若い頃のキャリー=アン・モスが綺麗だった。キアヌ・リーブスも若かった。なんか泣けた。
誰も彼もが歳を取る。
監督のウィシャウスキー兄弟が気づいたら姉妹に変わってるくらい諸行は無常。
読書録
「熊を夢見る、中沢新一」「ユング名言集、フランツ・アルト編」「地上に星座をつくる、石川直樹」
毎度のことだが9月過ぎると早い。次ハッと気づいたら年の瀬とか全然ありうる。今年は早めに大掃除するぞい。
どっか旅行に行きたいと思い続けているが考えてた季節と少しずれてしまったのでのんびり計画を考えている。
どっか寂びれた辺鄙な島とか行きたい。
隙あらば世界大戦前夜みたいな空気出してくるけど何なのと思う。
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東京滞在日記。
◆Day1
12:45 新横浜到着。寒いと思ってヒートテックやらネックウォーマー、起毛したパジャマを持っていったにも関わらず、気温25度で照り返しがきつく汗ばむ気候。東京に住んでいた頃、関東は体感温度が関西よりも5度くらい低い気がしていたのに。レイジアゲインストザマシーンのウィズアウトアフェイス。かっこええー。96年発売の曲の中で一番好きかもしれないな。いや分かんないけど。終わるのが悲しくてリピートしてしまう。
12:57 京急に乗って雑色へ。「ぞうしき」と読むらしい。聞いた���とも見たこともない地名。最近友人が引っ越したというので、おじゃまさせてもらうことになった。ありがとう。大田区。飛行機に乗らない私にとってはあまり縁のない地区。東京タワーからは程遠く、都会とは縁のなさそうな樹々が生えていて、なんだか良さそうな街。昔ながらの商店街もある。バックナンバーからaiko、いきものがかりと平成J-popが次々と流れてくる。結構長そうな商店街。天六ほどではないだろうけど、先が見えないので抜けられるのかドキドキする。突然見覚えのある走り方をする人影が見えてきた。
13:55 友人宅到着。ちょっと駅からは離れているけど、立地は最高。大きな窓からは多摩川が見えていて、開放感でいっぱい。空港が近くにあって、すぐにここを飛び出してアメリカへでもいけそう。
14:30 友人は1日在宅ワーク。ずっとパソコンに向かってタイピング&会議私は後ろでひたすらゴロゴロ。ヒモみたいになってた。
16:00 夕方、仕事終わりの友人と茶をしばくため虎ノ門へ。むっちゃ薄暗い照明のお店。店内はマスターのオキニが詰まった宝庫みたいになっていて、グレングールドがかかっている。ライトな雰囲気のカフェと聞いていたけど、かなり荘厳な感じ。バカ話できるかな?友人登場。私が今ちょうどほしかったcasetifyのiPhoneケースを使っていてテンションが上がる。「ちょうど昨日藤原ヒロシが『便利』って言ってたよ」という話から佐川急便男子の話まで途切れることなく2時間強話しまくる。酸味の効いたコーヒーと濃厚なチョコレートケーキ、淡白なチーズケーキの相性がそれぞれ完璧だった。友人の背後からフライヤーの三島由紀夫が鋭い眼光でこちらを睨んでいた。ずっと怖かった。
19:10 『ざっくりYouTube』で見ていた池尻大橋の「喜楽亭」へ。ジュニアさんが座った席と同じところに座れてテンションが上がった。料理はもちろん極上。こう言っちゃなんだけどまずいハンバーグカレーとかあるのかなぁ。ルーとライスを綺麗に分けずに「親父ガケ」して「親父グイ」(ルーを皿一面にかけぐちゃぐちゃにして食べること)してしまう癖、治したい。というか治す。いやだわー。無意識って怖い、気をつけよう。
22:00 帰宅。友人と話す。思い出話2割、今後の話8割。昔は覚えてもないようなどうでもいい話しかしなかったのに、キャリアとか結婚とか出産とか、切ないね。けど仕方ないね。そうそう、何で雑色に引っ越したのか聞いてみた。いい場所だけど都心からはだいぶ離れているし…。友人曰く、最近の日本にますます��やけが差してきたので、すぐ海外に飛べるように空港付近にしたとのこと。かっこえ。昔から彼女の意思&意志が強くてすぐ行動に移せるところ、尊敬してる。
◆Day2
12:00 13時からの打ち合わせに向けて横浜へ。ほどよい都会感。建物の感じもどこかオシャレに見える。今日は風が強い。ふわっと香るくさいにおい。もう銀杏の季節か。『トークサバイバー2』で(シソンヌ)じろうさんが叫んでた「銀杏〜!くせえからうめえのか、うめえからくせえのか?」っていう素朴な疑問、私も思う。いつか教えてくれ。
15:30 一旦帰宅。友人会議中。多摩川を少し散歩する。『セトウツミ』の舞台ってここかなぁ?とかあらゆる平成ジャパニーズ映画のロケ地に思いを馳せながら歩いてみる。
16:50 半年ぶりに代田橋へ。行く場所は決まっているのに常に緊張する。Fat Boysを聴いて喝を入れる。
17:01 ジャスミンティー購入。手鏡にてデコに大きなおできと小さなニキビを確認。
17:10 緊張で首が左上右下に動いてる感じ。つまり吐きそう。
18:01 代田橋到着。とりあえずトイレに行く。
18:03 緊急事態。一旦酒を入れなければと彷徨う。
18:09 「納戸」は閉まっていた。がっくし。
18:18 「ジュークボックス」へ入る。マスターに挨拶するも覚えていない様子。半年ぶりだし2回目だから仕方ないかと思ったが、zineの話をしたら思い出してくれた。髪型とファッションで人は変わるということが分かる。コーヒー焼酎のロックを2,3杯入れる。美味い。
19:40 マスターに教えてもらった「大天狗」というお店に入る。焼き鳥がぶりぶりで美味しかった。この書き方だと不味そう。身が大きくて味付けも辛すぎず無すぎず、つまりちょうど良くて美味しかった。特にレバー塩。
23:39 終電に乗れた。代田橋に来る時はいつも終電と共にお別れだ。はー。終電といいながら蒲田までしか行かない。代田橋のお兄さんにもらったハイボールを片手に電車に揺られる。
0:16 蒲田駅から多摩川沿いを歩いている。徒歩22分。結構近い。友人に連絡する。川沿いで合流することに。
...

↑記憶なし
◆Day3
12:47 起床。若干頭痛。友人は会議中。
17:18 山手線に乗っている。今日学んだこと。二日酔いでも酒は飲め。但し、酒がないと話せない場合に限る。つまり緊張状態に縛られる状況の場合。
17:46 綺麗な夕焼けを写。肝心な時にカメラを持ってきていない。そして非常に落ち込んでいる。

↑夕焼け
19:15 友人とご飯に行く。カジュアルなフレンチビストロ。ここで「人生の目標」とか「働くこと」とか「死ぬこと」などシリアスな話を熱く語り合う。
20:39 多摩川散歩。酔っ払っていたので写真がすべてぶれている。

↑彗星到来。ネオ東京
◆Day4
8:45 朝から餃子を作る。大学時代から彼女とはずっと餃子パーティーをしていた。餃子で繋がる友情と言っても過言ではない。彼女の家族たちと餃子パーティーをしたこともある。今後誰と会ってもそうマウントをとっていく。味噌ダレで乾杯。パートナーの話で盛り上がる。いくつになっても色恋の話は楽しいな。しかし外食が多くて、胃が悲鳴を上げ始めてる。
10:45 多摩川の写真を撮る。毎日多摩川を見ながら生活できる幸せ。噛み締めた。川のある生活っていいなぁと実感。天気も良くて雲の形もポテトフライみたいでよかった。

↑ マンションの広告にありそうなくらい完璧な景色。うまく言えないけれど。

↑パノラマで撮った
11:00 友人と別れの時。でも12月にまた会える。でも帰り道少し���ンときた。それくらい居心地が良くて、一緒にいて落ち着ける存在だったのだと改めて思う。会うのは半年ぶりだったけど、しっかり話すのは2年半ぶりくらい。彼女はすごく…さらにいい方に変われていて、刺激をもらうと同時にすこし、自分に対して不安になったりもした。同じ歩幅で歩いてると思っていたから。全然違ってたんだ!今、小さい頃に遠方の祖父母の家に何泊かして帰らなければならない時の悲しさで涙が止まらなくなるあの感じが襲ってきてる。嬉しいのに少し寂しいな。
12:02 有楽町駅到着。映画館の前を通り、スコセッシの新作今日公開だと思い出す。でも今日は無理。ノーマネーソーリー。
12:06 ある人と待ち合わせ。その後ランチ。
15:33 新幹線到着。いよいよ帰る。おセンチな気持ちなのでブレッドのプレイリストを聴いている。ただ、ウォークマンのプレイリストは厄介。
16:03 『Dumb and Dumber』(ジムキャリーはMr.ダマー)をみる。百面相最高。we love jim carrey!!!
18:40 帰宅
.
おしまい。
東京ってやっぱり刺激のある街。ずっといたら飲み込まれそうで怖いけど。昔からそう思っている。昔東京に数年住んでみたけど、まぁ仕事とか色々なことがあって、いい思い出は全くなかった。でもきっと、その頃の自分は視野が狭くて未熟で卑屈ですごく保守的だったのだと思う。その頃の自分のことを…ようやく客観的にみれるようになった気がした。離れてみるとやっぱ東京って面白い街だと思うし、会いたい人がいれば誰にだって会いに行けるし、刺激の宝庫だなと思う。
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2023年8月10日(木)

私の職場(私立女子大学)では、今日から8/15まで職場全体が休みとなる。連日、高速道路は十数キロの渋滞が日常化している。息子たちが小さい頃は福岡の義両親の元へ家族旅行、当初は中国自動車道が全通していなかったのでずいぶんと時間がかかった。やがてフェリー利用に変えたときは、寝ながら移動できることに感激したのであった。お盆の渋滞は当たり前だったが、いずれ故郷を持たない人ばかりとなれば違う景色になるのだろう。もっとも、私がそれを見���ことはないだろうが。

5時15分起床。
日誌書く。

朝食。
洗濯。
弁当*1。
プラゴミ、45L*2。
ツレアイを職場まで送る。
酢タマネギ仕込む。
冷蔵庫の残り物をカレーに仕立てる。

久しぶりにセントラルスクエア花屋町店まで買い物、猫砂・鶏ムネ���・ネギ・パセリ(瓶)。
今日もテレビでメジャーリーグ・高校野球・台風情報。

ランチ、息子たちには昨日届いた伊勢うどん+マクワウリ、私は仕込んだばかりのカレーを頂く。
午後もテレビ+午睡。
書斎復興計画、30L*2のゴミが出た。
昨日点滴をしたココ、元気になって何度もご飯を食べに来る。ほぼ同じ成分だが少し型番の替わったカリカリ、よく見れば形状が少し変化しているの食べやすいのかも。

夕飯、鶏ムネ肉のタマネギソース煮、肉じゃが、添えた干しキュウリがポリポリと美味しい。久しぶりに<今宵堂>の酒器を出してみたが、今の季節にピッタリ。
録画番組視聴。
(60)「第三の女」
世界が愛した名探偵、エルキュール・ポワロ。アガサ・クリスティーの人気シリーズ。ポワロに「人を殺したかも…」と告白する女性。その後、彼女が住むアパートから遺体が… ポワロの家にノーマという若い女性が訪れる。作家のオリヴァの紹介でやってきた彼女は「人を殺したかもしれない」と言うのだが、詳しいことは何も語らず去って行った。ポワロがオリヴァに話を聞くと、ノーマは同じアパートに住んでおり、女性3人でルームシェアをしていた。そんな中、アパートの別の部屋に住むノーマの乳母をしていた女性が遺体で発見される。
片付け、入浴、体重は150g増。

買物効果で3つのリング完成、水分は1,940ml。
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10月3日
昨日、アトリエをシェアしている友達に、置いてあった「群像」2020年7月号、2023年7月号、2023年8月号を持って来てもらい、行きつけのタンメン屋で落ち合った。 野菜炒めが山盛り乗っていて、麺は濃厚なスープとよく絡んで美味しいのだけど、コンディションが良くないと気持ちよく食べきるのが難しい。 何回か行って見つけた食べきるコツは、まず麺から手をつけることだ。野菜から手を出すとあとから麺が入らなくなる。 そんなに頑張って食べて何なんだと思うが、男同士で飯を食べに行って、食べきれなくて残す姿を晒すことはできないのだ。
帰り際に有名なヒップホップグループのメンバーが入ってきた。 メンバーの1人が中学の先輩で、たまにこの辺で遊んでいることは知っていたが、こんなところで出くわすとは思わなかったし、直接面識があるわけでもないのでそのまま店を出た。 家に帰ると父親と母親が夕飯を食べていた。 最近はできるだけ父親と2人きりになったり、母親を入れた3人になったりするのを避けている。 父親が時折会話の節に混ぜてくるお前はこの先どうするんだという話題を聞き流すのがつらくて、一緒に食事に行くことも減った。 タンメン屋に有名なヒップホップグループのメンバーがいたこと、その1人が中学の先輩だということを話すか迷って、心の中でやめとけと言う自分がいたのについ話してしまった。 案の定そのグループのことを両親は知らなくて、同じ中学の先輩が有名になったことだけが響いた。 やめておけばよかったのに、と思いつつそれでお前はどうするんだと言われるような気がして逃げるように自分の部屋に行った。 自分はこういうものをつくっていると具体的に見せられるものがあればいいのだけど、それがまだないうちはこれが続くのだろう。 人に話すと状況は変わる。まずは話せるようにがんばろう。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺���券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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善導師「六字釋」今詮
善導師「六字釋」今詮(象山慶25.6.14) https://blog.udn.com/6ccc7d15/182742705
《觀經疏.玄義分》云:
今此《觀經》中,十聲稱佛,即有十願十行具足。云何具足?言「南無」者,即是「歸命」,亦是「發願迴向」之義;言「阿彌陀佛」者,即是其「行」。以斯義故,必得往生。
歸命為信,發願是願,名號即行,迴此「三資糧」向於極樂淨土,必得(彌陀攝受)往生。如是「六字三義」,乃《觀經疏》要義之一,能楷定古今:「十聲稱佛」具足「信願行」:又,南無是信願之「機」,阿彌陀佛是救度之「法」,六字名號為法體,本來具足信願行,眾生若至心稱名,機法相應,必得往生。本願念佛人,信受「彌陀為我成就不可思議之功德,納入名號,迴施於我」,《無量壽經》云:「其有得聞彼佛名號,歡喜踴躍乃至一念,當知此人為得大利,則是具足無上功德。」善導師《觀經疏》以機法二信之安心,導歸「稱名」之起行,而願生彌陀報土。蕅益師《彌陀要解》:
信願持名,一經要旨,信願為慧行,持名為行行。得生與否,全由信願之有無;品位高下,全由持名之深淺。故慧行為前導,行行為正修,如目足並運也。
信願行三資糧,缺一不可。又言:「信願為前導,持名為正修。」信願乃乘佛力而往生,稱名即是落實之行,《靈峰宗論》云:
淨土之訣,在信願行。此三非三,三只是一;此一非一,一必具三。
此義與前引善導師「六字釋」相合,所謂「十聲稱佛,願行具足」。法然上人引「六字釋」而論「諸行」、「念佛」二行得失, 成立「法體(如來)廻向」之義,故稱念「南無阿彌陀佛」,即是「皈命彌陀,念佛往生」,歸命必具「至誠、深信、迴願」三心,而成就「一心」,如天親菩薩《往生論》「我一心歸命,盡十方無礙光如來」,以此決定「捨自(機)歸佛(法)」,也就是轉依「他(佛)力」,信受、隨順,往生極樂,享有阿彌陀佛的果地功德。
六字名號之釋,既是對(有願而無行)之「別時意」的楷定,亦是對「正定業」的詮釋。稱名具足信願行,故任何人不拘「罪福」多少,「時節」久近,一向稱念,無不往生。
善導師依世親菩薩《往生論》五念門,調整為「五正行」,分別對應於本/具五部書中,更於五念之「讚嘆門」別出「稱名」行,並含攝了「作願、迴向」二門,又增入五念所無的「讀誦」正行。比較言之,五念門以「作願、觀察」(止觀)為主,五正行以「稱名」(念佛)為重。《往生論》的作願門是「奢摩他/止」,觀察門為「毗婆舍那/觀」:曇鸞師《註》卻說「作願」是「一心專念阿彌陀如來,願生彼土,此如來名號及彼國土名號,能止一切惡。」並將所觀察之極樂依正「三嚴29種」,從廣入略,結歸讚歎門的「一向專稱 南無阿彌陀佛」清淨句:「觀彼三種莊嚴……,修行者亦得如實功德。」決定得生彼土,見佛證法身、成佛度眾生。曇鸞、善導二師是從佛力詮釋「五念門」的(他力)止觀,並結云:「凡是生彼淨土,及彼菩薩、人天所起諸行,皆緣阿彌陀如來本願力故。」善導師《往生禮讚》依《觀經》而釋往生之「三心(安心)」及「五正行(起行)」。三心之「深心」,以「就人、就行」為立信之途徑。後者開為「五正行」,也就是「一心專注」的讀誦、思想(觀察/憶念)、禮敬、口稱及贊歎供養;這五種行持,專而不雜,一致指向《淨土三經》與「極樂依正」的歸命往生。五正行又以「專念佛名」是唯一正定業,餘四者助業。善導師較具獨創性的是「稱名」與「讀誦」二行,一正一助,對應於「五部九卷」的《四帖疏》與《法事讚》;《四帖疏》詮釋《觀經》,《法事讚》轉讀《小經》;前者為「本疏」(教體)、解義、安心;後者為「具疏」(事用)、行儀、起行;以教導行,以行輔教,教行一致。
明.蓮池 <除夕上堂,有出多娑婆三韻>:
「六字真經」攝義多,總持一似唱也娑。自從驀直西方去,閒殺臺山指路婆。
稱「南無阿彌陀佛」為六字「真經」,或乃區別於密教的(唵嘛呢叭咪吽)六字「真言」。總持是「以簡略的詞句,總攝其深廣的義理,生智慧,破無明」。「也娑」是《華嚴字母》第39,「一切法空」。唱「也娑」,入般若波羅蜜門,「宣說一切佛法境界」。往生成佛之路,就是一心信佛念佛,乘佛本願力而「驀直去」,不迂迴,不夾雜。六字名號是真實了義的佛經,總攝了眾多教理,稱念佛名,就似唱誦「也娑」,宣說「諸佛萬法的不可思議的(智慧)境界」;因此,只管「一心稱名,正念直來」,隨順「二尊之教」,踏上這條此遣彼喚的「二河白道」,無疑無慮,向西直去,命終必生西方極樂;如此簡明易行的「往生成佛」之道,萬修萬人去,就不須(勞)五台山禪婆子為我們另外指點「明心見性」的參禪之路了。《徹悟大師遺集》卷上:
一切法門,以明心為要;一切行門,以淨心為要。然則,明心之要,無如念佛,「憶佛念佛,現前當來,必定見佛,不假方便,自得心開。」……淨心之要,亦無如念佛,「一念相應一念佛,念念相應念念佛。清珠下於濁水,濁水不得不清,佛號投於亂心。亂心不得不佛。」……一句佛號,俱攝「悟/修」兩門之要,舉悟,則「信」在其中,舉修,則「證」在其中,「信解修證」俱攝,大小諸乘一切諸經之要,罄無不盡。然則一句彌陀,非至要之道乎。
法藏菩薩因地所發所修的就是「生佛同體,自他不二」之願, 乘眾生之「佛性」而成就一切佛果無漏業。乘(生佛)不二性,立(機法)一體願,以此功德,平等迴施於一切眾生;念佛眾生之若行若信,皆是彌陀清淨願心之迴施;以此同體/不二之果德, 同入一法句,總為六字名。眾生乘佛「本願」而稱佛「名號」,則往生淨土乃自然之所牽。
「南無阿彌陀佛」就是一心歸命無量光/壽如來;歸順(釋迦、彌陀)二佛之命,就是回應阿彌陀佛「歸去來兮」的呼喚。眾生在娑婆六道起惑造業,長劫枉受輪迴之苦,永無出離之緣(機);若能信受彌陀救度,乘彼願力,往生極樂,就與阿彌陀佛同享無量壽(法);這「二尊、二邊、二信」,因「歸命」而總結為「一佛一法一淨土」。眾生是往生歸去,彌陀是接引歸來。眾生是信機而厭穢,信法而欣淨;彌陀乃應機而施教,說法而勸請,各有去來,終歸於淨土團聚。
眾生雖發願往生,也須知阿彌陀佛的因地願行及極樂淨土的由來,也就是因行果報的內容,於「如來如去,不來不去」之中,成就報身與淨土的莊嚴,為眾生指方立相,光號攝取,所謂「無去來(理)中事宛然」。宋譯《莊嚴經》云:「彼佛如來,來無所來,去無所去,無生無滅,非過現未來;但以酬願度生,現在西方。」「如」是實相、第一義,「來」是示現於娑婆(或極樂);過去諸佛,超三界,了生死,乘真如之道而去涅槃,成佛果。「如去」是上成佛果(自利),「如來」是下化眾生(他利),諸佛不離亦不住於涅槃,從如而來,又歸於如。眾生雖發願往生,也須知阿彌陀佛的因地願行及極樂淨土的由來,也就是因行果報的內容,於「如來如去,不來不去」之中,成就報身與淨土的莊嚴,為眾生指方立相,光號攝取,所謂「無去來(理)中事宛然」。宋譯《莊嚴經》云:「彼佛如來,來無所來,去無所去,無生無滅,非過現未來;但以酬願度生,現在西方。」「如」是實相、第一義,「來」是示現於娑婆(或極樂);過去諸佛,超三界,了生死,乘真如之道而去涅槃,成佛果。「如去」是上成佛果(自利),「如來」是下化眾生(他利),諸佛不離亦不住於涅槃,從如而來,又歸於如。
阿彌陀佛以「光明/名號」之無量功德而攝受眾生;以此之故,乃有凡夫的往生成佛及還來度眾,一往一還、一去一來,皆須仰憑阿彌陀佛的大悲弘誓之力。《觀經疏》:
「如意」者有二種:一者如「眾生」意,隨彼心念,皆應度之;二者如「彌陀」之意,五眼圓照,六通自在,觀機可度者,一念之中,無前無後,身心等赴,三輪開悟,各益不同也。
極樂世界在「西方」,阿彌陀佛「現今」說法,這對於「住心取境,著相求佛」的眾生,其方位與時態很具體、很明確而可欣向;順眾生之性,令其身心有所依憑,而落實於「信、願、稱名」,平生業成而安心,命終佛迎而往生。
若就善導大師《往生禮讚》之「安心→起行→作業」,先得安心,依序漸進而有起行、作業,歸止於極樂,安住而不動,則不再六道輪迴。安心就是三心,攝歸於「意」業之信心、「口」業之稱名,心口相應,內外一如,必能乘佛願力,往生淨土。乃至於三心歸一(信)心,更以行立信,以行滿願,而只管稱念「南無阿彌陀佛」,即總括機法之信與歸命之安也。
「一心歸命」是念佛人生命與信仰的託付;也是阿彌陀佛本願的呼喚、光明的攝取;生佛感應而濃縮為「南無阿彌陀佛」六字。《往生論註》云:
夫菩薩歸佛,如孝子之歸父母,忠臣之歸君后,動靜非己,出沒必由。知恩報德,理宜先啟。又所願不輕,若如來不加威神,將何以達,乞加神力,所以仰告。
龍樹菩薩《易行品》:
阿彌陀佛本願如是:「若人念我,稱名自歸,即入必定,得阿耨多羅三藐三菩提。
日.顯意上人《竹林鈔》:
一心歸命者,行住坐臥,身口意業,或寤或寐,皆乘於「阿彌陀佛者,則是其行」之願力船,淨土「無生之彼岸」無不到,……善導和尚釋本願「至心、信樂、欲生我國」之文,唯言「稱我名號」,……淨土一門者,以「歸命」之一心為正因,「阿彌陀佛」之願力為強緣故,「名號」之法體,具足願行之道理也。
以他力三心而歸一心,以「己命歸於佛命」,是把世俗(虛假無常)的生命,轉託於阿彌陀佛的救度,其中有佛的招喚,也有我們的回應。一句「南無阿彌陀佛」,能歸(一心歸命)與所歸(極樂世界阿彌陀佛)融為一體,淨土宗三經及歷代祖師論著,千叮萬囑、千勸萬請,就這麼一以貫之曰「我若成正覺,立名無量壽;眾生聞此號,具來我剎中;如佛金色身,妙相悉圓滿;亦以大慈悲,利益諸群品。」念佛人每日的生活,隨忙隨閒,在心在口,三句不離六字「南無阿彌陀佛」,名號既出,能所一體、萬事具備,無欠無餘,現代禪李老師云:
唯有『南無阿彌陀佛』是我生命中的依靠。……南無阿彌陀佛—當這樣唸出時,不知也不覺人生還有什麼事要做,甚至宛若癡獃,沒意識到世間的存在。……一切障礙,南無阿彌陀佛;得念失念,南無阿彌陀佛;成法破法,南無阿彌陀佛;智慧愚痴,南無阿彌陀佛;……諸戒定慧及淫怒痴,南無阿彌陀佛;眾生國土,南無阿彌陀佛;地獄天宮,南無阿彌陀佛;有性無性,南無阿彌陀佛;一切煩惱,南無阿彌陀佛。
十萬億佛土之外的西方極樂,只是阿彌陀佛(指方立相)的所在之一。而眾生的歸命,雖在娑婆人間,卻不能障礙「眾生與彌陀」的感應、往來,因為歸命與往生,是靠佛之大悲大智本願力。
念佛人若於諸佛的「福滿智���,三業清淨」,有所仰知,即是法深信;又於眾生「福薄智淺,三業濁惡」,有所自覺,則為機深信。機法二信中有厭穢欣淨之心,依此而專稱佛名,具足往生三資糧:信(領納於心,入心為信)、願(發表於口,出口成願)、行(實踐於身,動作為行),就是第十八願的「至心信樂、欲生我國、乃至十念」。眾生一心歸命而稱念佛名,皆可蒙佛救度,往生極樂,此即「南無阿彌陀佛」六字之意也。
如上所說,一句「南無阿彌陀佛」代表了念佛人生活與學佛的一切內涵及行為,乃至圓成了諸佛經教的一切開示重點與結論,「六字名號」具足彌陀的無量功德,永恒不變;也總攝行者的「信願行」,畢命為期;每個人依其根機而一心稱念即可,「信者信此,行者行此」。佛的清淨心、凡夫的煩惱心,機法一體,《往生論註》:
「是心作佛」者,言心能作佛也。「是心是佛」者,心外無佛也。譬如火從木出, 火不能離木也。以不離木故,則能燒木;木為火燒,木即為火也。
《大勢至菩薩念佛圓通章》「十方如來,憐念眾生,如母憶子;……子若憶母,如母憶時」,彼此不相捨離,這就是「佛/凡相憶」,就是「入我/我入」,善導師六字釋,可歸結於一專稱佛名之正行云:
一心專念彌陀名號,行住坐臥,不問時節久近,念念不捨者,是名正定之業,順彼 佛願故。
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九月になり、嶋田は久しぶりに大樹と会った。一昨日、幸恵と二人の娘たちと阿字ヶ浦へ行ったからか、小麦色に日焼けした嶋田を図書室で見た時、
「先生、焼けたね」
と大樹は驚いた様子だった。
新校舎の昇降口の下にある自販機で缶ジュースを買い、嶋田は大樹に渡すとグランドの方へ歩いて行き、芝生の上に座ってラグビー部の生徒が練習しているのを眺めながら、
「あれから妻が子どもを連れて来て、近々一緒に暮らすことになった」
と話した。缶ジュースを飲みながら、
「へぇ〜、いつから?」
と聞いた。
「それは未だ決まってない。幼稚園が忙しいンだって」
「ふぅ〜ん」
「…せっかく独り暮らしを謳歌してたンだけどな」
「じゃ、先生の家にはもう泊まれないね」
「大樹には佐伯のおじさんがいるだろうよ」
そんなやり取りをしていると、背後から声をかけられた。嶋田が振り向くと、
「何だ、江森先生か」
と言った。江森はニヤニヤしながら、
「珍しいツーショットですね。お二人とも日焼けして…」
と冷やかした。大樹は、
「もう、充実した夏休みでしたよ〜」
と笑顔で答えると、
「コラッ、怪しまれるだろ!?」
と嶋田が口を挟んだ。
「まァ、仲良くやって下さいよ!」
と江森は笑いながら言い、校舎に戻って行った。
気付くと、無意識のうちに二人は手を握り合っていた。嶋田は慌ててつないでいた手を離し、
「何だよ、馬鹿!」
と赤面した。大樹は声を出して笑い、
「先生、かわいい!」
と言った。
一昨日、勇人から関係を持っていることを知られ、とりあえず許しをもらった大畠は、美術室で仁志と二人っきりになると声をかけ、
「この間は申し訳なかった」
と謝った。それに対し、
「いえ、かえって申し訳ありませんでした」
と、仁志の方から頭を下げた。大畠は作業台に並んで座り、彼の手を握りながら、
「でも、あれから思ったけど…君を傷付ける様なことは絶対にしない」
と誓った。その言葉に仁志は涙腺が緩ませ、
「…先生」
と頭を垂れた。
その時、廊下の方から足音が聞こえ、
「大畠先生、 そんなところにいたンですか!?」
と、何処かで会った覚えがある男性教師が入ってきた。仁志の姿を見るや彼は、
「へぇ〜、君、こっちの学校に入学したの!? ほら、説明会で君の中学校に訪問した宇佐見先生だよ!」
と言った。彼は続けた。
「半年だけこっちの学校で教えることになったから、よろしくね!」
「…はァ」
「宇佐見先生、何か?」
「ほら、今日は臨時の職員会議でしょ!? 皆待ってますよ!」
そう言われると大畠は思い出した様な表情をし、慌てて立ち上がった。仁志の手を離すと、
「ご、御免! また週末にモデルお願い!」
と言って出て行った。独り残された仁志は、
「…マジか」
と言葉をもらした。
私立I高校では、拓也が話をしたいと佐伯に声をかけた。最初に佐伯の方から声をかけて連れて行った相談室で話を聞くことにしたが、拓也は真っ先に、
「実は、伯父さんとセックスしました」
と言った。佐伯は驚いた表情で、
「どうして?」
と聞いた。拓也は話した。
「先生、伯父さんと会ってたンですか? その日の夕方、急に伯父さんから電話があって、急に『会いたい』と言ってきて...。流石に小鶴から若宮までは自転車で行ける距離じゃないンで、車で迎えに来てもらったンですけど。僕、この日はハーフパンツを穿いてたンですけど、家に着いたら伯父さん、こう言ったンです。『同性しか愛せなくても人生は破綻しないよ』って。僕、何だか解らなくて...。そうしたら接吻(キス)してきたンです。ハーフパンツの裾から手を入れられて...。でも、僕、気持ちよくなっちゃったンです。伯父さんもチ○ポが硬くなっちゃって。そのままブリーフだけになってセックスしちゃいました」
「...で、『中出し』しちゃったの?」
「いえ、イク前に脱ぎました。伯父さん、フェラ○オが巧くて...。何度もおっ○いを揉まれて何だか女の子になった感覚になっちゃって...。恥ずかしい声を何度も上げました」
何だ、結局甥っ子に手を出しちゃったのかと、佐伯は溜め息をついた。しかし、一見羞恥心の塊の様な男の子だがやっぱり変態な性質はあるのだなと、彼は思った。拓也は赤面しながら、
「あんな気持ちいいセックス、初めてでした。○液もおしっこみたいに出て、大変でした」
と言った。
佐伯は、何とコメントすればよいのか解らず、
「ハハハハハ...」
と笑うしかなかった。拓也は、
「そう言えば」
と、昌平の話を持ち出した。昌平も、この夏休みの間、勤務医である父親から自慰のやり方を教わったらしい。ずっと勉強しかせず、生殖器の仕組みも知らなければ内科医として務まらないだろうと、彼の目前で「実演」してみせたと言う。母親も、最近洗濯していて彼のブリーフが黄色く黄ばんでいるのを見て、もしかしたら溜まってるのかな?と心配した様だと、拓也は話した。もしかしたら、昌平の父親もそちらの方なのでは?と、佐伯は苦笑した。
佐伯は、中学生の頃に同性にしか興味が持てないことに気付き、やはり拓也同様、ゲイ雑誌に興味を持ち立ち読みしていたのを長谷川が知り、関係を持ったこと、今は大樹と言う父・浩志の教え子が両親の子どもと関係を持っていることを赤裸々に明かした。その間に色々な男(ひと)と寝たが一度も後悔をすることはなかったと、拓也に話した。
「だから、同性しか興味が持てないとしても、同じ人間を愛することに変わりはない。たまたま相手が同じ性だっただけ。だから悩むことはないよ」
この言葉で結ぶと、拓也の表情は明るくなった。彼は言った。
「…そうですよね? 僕も伯父さんとセックスして逆に良かったと思うし、変に偏見を持っていたンだと思います」
すっかり彼は「目覚め」てしまった様だった。その後も長谷川との情事を詳しく話し続け、佐伯は相槌を打ちながら聞いていたが、内心とんでもないことを教え込んでしまったな、第二の額田大樹をつくり出してしまったなと困惑した。
初秋の陽射しが、レースのカーテンの隙間から差し込んでいた。季節が変わる様に、佐伯を取り巻く人間模様もガラッと変わった気がした。
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散我心中意難平
H:憂愁在古人有多樣貌,
「憂愁不能寐,攬衣起徘徊。」只是煩惱,卻成千古名言。「沒輸過你絕對不會贏!愈年輕失敗,就愈早遇見成功。」「失敗帶給人們的負面影響可能是毀滅性的,但是,只要你從積極的角度看待它,下次必能反敗為勝。」「失敗是成功最大的朋友,放棄是成功最大的敵人。」「成功成為記事,失敗成為故事。」從小「失敗為成功之母」都能上口,現在有個新名詞「正確犯錯」,修仙成神成佛的必經之路。
快快失敗,快快學習,散去憂愁。「成功的道路上必然會有失敗。如果你沒有失敗,那麼你就沒有進入新的領域。」20250609W1
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願許秋風離別意,散我心中意難平,願與時光落落為安,只記歡喜不記憂。
表達了一種尋求理解、釋放煩惱的心態。將心情寄託於無形的風中,希望秋風能夠理解自己的心情,並將心中難以平靜的思緒和情感吹散。
願我們與時光落落為安的意思就是希望我們能和時光一樣獲得瀟灑自然,豁達開朗。 只記喜歡不記憂的意思是記住自己喜歡的東西,把令人煩惱的東西拋之腦後就行。
阻風泊歸舟游淨眾寺
宋代:孫應時
日落風更起,江頭船不行。
淒涼大夫宅,蕭瑟故王城。
一醉重樓晚,千秋萬古情。
愁邊動寒角,夜久意難平。
明月何皎皎
朝代:兩漢
作者:佚名
明月何皎皎,照我羅牀幃。
憂愁不能寐,攬衣起徘徊。
客行雖雲樂,不如早旋歸。
出戶獨彷徨,愁思當告誰!
引領還入房,淚下沾裳衣。
愁眉不展
釋 義
雙眉緊鎖,很憂愁的樣子。※語或出唐.姚鵠〈隨州獻李侍御〉詩二首之二。
△「愁眉苦臉」典故說明「愁眉不展」這句成語的意思是雙眉緊鎖,很憂愁的樣子。它的典源可能來自於唐朝詩人姚鵠寫的〈隨州獻李侍御〉詩。其中第二首中有二句是:「舊隱每懷空竟夕,愁眉不展幾經春。」此詩敘述一個仕途不順,被貶遠放的人,懷抱著重展抱負的希望,卻每每落空,心情憂愁而雙眉緊鎖,幾年來始終鬱鬱不得志。後來「愁眉不展」被用來指雙眉緊鎖,很憂愁的樣子。「愁眉不展」的「眉」是眉毛的意思,我們常可從眉毛在臉部的樣子,看到一個人心情的好或壞。例如:「眉飛色舞」、「眉開眼笑」、「吐氣揚眉」,雙眉分開上揚,可見心情暢快。如:「當他聽到自己通過考試的消息時,不禁眉飛色舞,喜形於色。」;而「橫眉豎目」、「愁眉不展」、「直眉瞪眼」,就是眉毛揪成一直線,皺著眉頭,表示表心情陰霾不開朗的樣子。如《西遊記》第九四回:「觀見那唐僧在國王左邊繡墩上坐著,愁眉不展,心存焦燥。」用法說明。
隨州獻李侍御二首
朝代:唐代
作者:姚鵠
彩筆曾專造化權,道尊翻向宦途閒。端居有地唯栽藥,
靜坐無時不憶山。德望舊懸霄漢外,政聲新溢路岐間。
衆知聖主搜賢相,朝夕欲徵黃霸還。
再刖未甘何處說,但垂雙淚出鹹秦。風塵匹馬來千里,
蓬梗全家望一身。舊隱每懷空竟夕,愁眉不展幾經春。
今朝儻降非常顧,倒屐寧惟有古人。
失敗帶給人們的負面影響可能是毀滅性的,但是,只要你從積極的角度看待它,下次必能反敗為勝。
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西遊記/第094回
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←第九十三回
給孤園問古談因
天竺國朝王遇偶西遊記
第九十四回
四僧宴樂御花園 一怪空懷情慾喜
作者:吳承恩第九十五回
假合真形擒玉兔
真陰歸正會靈元→
姊妹计划: 数据项
話表孫行者三人隨著宣召官至午門外,黃門官即時傳奏宣進。他三個齊齊站定,更不下拜。國王問道:「那三位是聖僧駙馬之高徒?姓甚名誰?何方居住?因甚事出家?取何經卷?」行者即近前,意欲上殿。傍有護駕的喝道:「不要走,有甚話,立下奏來。」行者笑道:「我們出家人,得一步就進一步。」隨後八戒、沙僧亦俱近前。長老恐他村魯驚駕,便起身叫道:「徒弟啊,陛下問你來因,你即奏上。」行者見他那師父在傍侍立,忍不住大叫一聲道:「陛下輕人輕己。既招我師為駙馬,如何教他侍立?世間稱女夫謂之貴人,豈有貴人不坐之理。」國王聽說,大驚失色,欲退殿,恐失了觀瞻。只得硬著膽,教近侍的取繡墩來,請唐僧坐了。行者才奏道:
「老孫祖居東勝神洲傲來國花果山水簾洞。父天母地,石裂吾生。曾拜至人,學成大道。復轉仙鄉,嘯聚在洞天福地。下海降龍,登山擒獸。消死名,上生籍,官拜齊天大聖。玩賞瓊樓,喜遊寶閣。會天仙,日日歌歡;居聖境,朝朝快樂。只因亂卻蟠桃宴,大反天宮,被佛擒伏。困壓在五行山下,饑餐鐵彈,渴飲銅汁,五百年未嘗茶飯。幸我師出東土,拜西方,觀音教令脫天災,離大難,皈正在瑜伽門下。舊諱悟空,稱名行者。」
國王聞得這般名重,慌得下了龍床,走將來,以御手挽定長老道:「駙馬,也是朕之天緣,得遇你這仙姻仙眷。」三藏滿口謝恩,請國王登位。
復問:「那位是第二高徒?」八戒掬嘴揚威道:
「老豬先世為人,貪歡愛懶。一生混沌,亂性迷心。未識天高地厚,難明海闊山遙。正在幽閑之際,忽然遇一真人。半句話,解開孽網;兩三言,劈破災門。當時省悟,立地投師,謹修二八之工夫,敬煉三三之前後。行滿飛昇,得超天府。荷蒙玉帝厚恩,官賜天蓬元帥,管押河兵,逍遙漢闕。只因蟠桃酒醉,戲弄嫦娥,謫官銜,遭貶臨凡;錯投胎,托生豬像。住福陵山,造惡無邊。遇觀音,指明善道。皈依佛教,保護唐僧。徑往西天,拜求妙典。法諱悟能,稱為八戒。」
國王聽言,膽戰心驚,不敢觀覷。這獃子越弄精神,搖著頭,掬著嘴,撐起耳朵,呵呵大笑。三藏又怕驚駕,即叱道:「八戒收斂!」方才叉手拱立,假扭斯文。
又問:「第三位高徒,因甚皈依?」沙和尚合掌道:
「老沙原係凡夫,因怕輪迴訪道。雲遊海角,浪蕩天涯。常得衣缽隨身,每煉心神在舍。因此虔誠,得逢仙侶。養就孩兒,配緣姹女。工滿三千,合和四相。超天界,拜玄穹,官授捲簾大將,侍御鳳輦龍車,封號將軍。也為蟠桃會上,失手打破玻璃盞,貶在流沙河,改頭換面,造孽傷生。幸喜菩薩遠遊東土,勸我皈依,等候唐朝佛子,往西天求經果正。從立自新,復修大覺。指河為姓,法諱悟淨,稱名和尚。」
國王見說,多驚多喜:喜的是女兒招了活佛,驚的是三個實乃妖神。正在驚喜之間,忽有正臺陰陽官奏道:「婚期已定本年本月十二日壬子辰良,周堂通利,宜配婚姻。」國王道:「今日是何日辰?」陰陽官奏:「今日初八,乃戊申之日,猿猴獻果,正宜進賢納事。」國王大喜,即著當駕官打掃御花園館閣樓亭,且請駙馬同三位高徒安歇,待後安排合巹佳筵,著公主匹配。眾等欽遵,國王退朝,多官皆散不題。
卻說三藏師徒們都到御花園,天色漸晚,擺了素膳。八戒喜道:「這一日也該吃飯了。」管辦人即將素米飯、麵飯等物,整擔挑來。那八戒吃了又添,添了又吃,直吃得撐腸拄腹,方才住手。少頃,又點上燈,設鋪蓋,各自歸寢。
長老見左右無人,卻恨責行者,怒聲叫道:「悟空,你這猢猻,番番害我。我說只去倒換關文,莫向彩樓前去,你怎麼直要引我去看看?如今看得好麼,卻惹出這般事來,怎生是好?」行者陪笑道:「師父說:『先母也是拋打繡毬,遇舊緣,成其夫婦。』似有慕古之意,老孫才引你去。又想著那個給孤布金寺長老之言,就此檢視真假。適見那皇帝之面,略有些晦暗之色,但只未見公主何如耳。」長老道:「你見公主便怎的?」行者道:「老孫的火眼金睛,但見面,就認得真假善惡,富貴貧窮,卻好施為,辨明邪正。」沙僧與八戒笑道:「哥哥近日又學得會相面了。」行者道:「相面之士,當我孫子罷了。」三藏喝道:「且休調嘴。只是他如今定要招我,果何以處之?」行者道:「且到十二日會喜之時,必定那公主出來參拜父母,等老孫在傍觀看。若還是個真女人,你就做了駙馬,享用國內之榮華也罷。」三藏聞言,越生嗔怒,罵道:「好猢猻!你還害我哩。卻是悟能說的,我們十節兒已上了九節七八分了,你還把熱舌頭鐸我。快早夾著,你休開那臭口;再若無禮,我就念起咒來,教你了當不得。」行者聽說念咒,慌得跪在面前道:「莫念,莫念。若是真女人,待拜堂時,我們一齊大鬧皇宮,領你去也。」
師徒說話,不覺早已入更。正是:
沉沉宮漏,廕廕花香。繡戶垂珠箔,閑庭絕火光。鞦韆索冷空留影,羌笛聲殘靜四方。繞屋有花籠月燦,隔空無樹顯星芒。杜鵑啼歇,蝴蝶夢長。銀漢橫天宇,白雲歸故鄉。正是離人情切處,風搖嫩柳更淒涼。
八戒道:「師父,夜深了,有事明早再議,且睡,且睡。」師徒們果然安歇一宵。
早又金雞唱曉。國王即登殿設朝。但見:
宮殿開軒紫氣高,風吹御樂透青霄。雲移豹尾旌旗動,日射螭頭玉珮搖。香霧細添宮柳綠,露珠微潤苑花嬌。山呼舞蹈千官列,海晏河清一統朝。
眾文武百官朝罷,又宣:「光祿寺安排十二日會喜佳筵。今日且整春罍,請駙馬在御花園中款玩。」吩咐儀制司領三位賢親去會同館少坐,著光祿寺安排三席素宴去彼奉陪。兩處俱著教坊司奏樂,伏侍賞春景,消遲日也。八戒聞得,應聲道:「陛下,我師徒自相會,更無一刻相離。今日既在御花園飲宴,帶我們去耍兩日,好教師父替你家做駙馬;不然,這個買賣生意弄不成。」那國王見他醜陋,說話粗俗,又見他扭頭捏頸,掬嘴巴,搖耳朵,即像有些風氣,猶恐攪破親事,只得依從。便教:「在永鎮華夷閣裡安排二席,我與駙馬同坐。留春亭上安排三席,請三位別坐,恐他師徒們坐次不便。」那獃子才朝上唱個喏,叫聲:「多謝。」各各而退。又傳旨教內宮官排宴,著三宮六院后妃與公主上頭,就為添妝餪子,以待十二日佳配。
將有巳時前後,那國王排駕,請唐僧都到御花園內觀看。好去處:
徑鋪彩石,檻鑿雕欄。徑鋪彩石,徑邊石畔長奇葩;檻鑿雕欄,檻外欄中生異卉。夭桃迷翡翠,嫩柳閃黃鸝。步覺幽香來袖滿,行沾清味上衣多。鳳臺龍沼,竹閣松軒。鳳臺之上,吹簫引鳳來儀;龍沼之間,養魚化龍而去。竹閣有詩,費盡推敲裁白雪;松軒文集,考成珠玉註青編。假山拳石翠,曲水碧波深。牡丹亭,薔薇架,疊錦鋪絨;茉藜檻,海棠畦,堆霞砌玉。芍藥異香,蜀葵奇豔。白梨紅杏鬥芳菲,紫蕙金萱爭爛熳。麗春花、木筆花、杜鵑花,夭夭灼灼;含笑花、鳳仙��、玉簪花,戰戰巍巍。一處處紅透胭脂潤,一叢叢芳濃錦繡圍。更喜東風回煖日,滿園嬌媚逞光輝。
一行君王幾位,觀之良久。早有儀制司官邀請行者三人入留春亭,國王攜唐僧上華夷閣,各自飲宴。那歌舞吹彈,鋪張陳設,真是:
崢嶸閶闔曙光生,鳳閣龍樓瑞靄橫。春色細鋪花草繡,天光遙射錦袍明。笙歌繚繞如仙宴,杯斝飛傳玉液清。君悅臣歡同玩賞,華夷永鎮世康寧。
此時長老見那國王敬重,無計可奈,只得勉強隨喜,誠是外喜而內憂也。坐間見壁上掛著四面金屏,屏上畫著春夏秋冬四景,皆有題詠,皆是翰林名士之詩:
《春景詩》曰:
周天一氣轉洪鈞,大地熙熙萬象新。桃李爭妍花爛熳,燕來畫棟疊香塵。
《夏景詩》曰:
薰風拂拂思遲遲,宮院榴葵映日輝。玉笛音調驚午夢,芰荷香散到庭幃。
《秋景詩》曰:
金井梧桐一葉黃,珠簾不捲夜來霜。燕知社日辭巢去,鴈折蘆花過別鄉。
《冬景詩》曰:
天雨飛雲暗淡寒,朔風吹雪積千山。深宮自有紅爐暖,報道梅開玉滿欄。
那國王見唐僧恣意看詩,便道:「駙馬喜玩詩中之味,必定善於吟哦。如不吝珠玉,請依韻各和一首如何?」長老是個對景忘情,明心見性之意。見國王欽重,命和前韻,他不覺忽詠一句道:「日暖冰消大地鈞。」國王大喜,即召侍衛官:「取文房四寶,請駙馬和完錄下,俟朕緩緩味之。」長老欣然不辭,舉筆而和:
《和春景詩》曰:
日暖冰消大地鈞,御園花卉又更新。和風膏雨民沾澤,海晏河清絕俗塵。
《和夏景詩》曰:
斗指南方白晝遲,槐雲榴火鬥光輝。黃鸝紫燕啼宮柳,巧轉雙聲入絳幃。
《和秋景詩》曰:
香飄橘綠與橙黃,松柏青青喜降霜。籬菊半開攢錦繡,笙歌韻徹水雲鄉。
《和冬景詩》曰:
瑞雪初晴氣味寒,奇峰巧石玉團山。爐燒獸炭煨酥酪,袖手高歌倚翠欄。
國王見和大喜,稱唱道:「好個『袖手高歌倚翠欄』!」遂命教坊司以新詩奏樂,盡日而散。
行者三人在留春亭亦盡受用,各飲了幾杯,也都有些酣意。正欲去尋長老,只見長老已���國王在一閣。八戒獃性發作,應聲叫道:「好快活,好自在,今日也受用這一下了。卻該趁飽兒睡覺去也。」沙僧笑道:「二哥忒沒修養。這氣飽飫,如何睡覺?」八戒道:「你那裡知道,俗語云:『吃了飯兒不挺屍,肚裡沒板脂』哩。」
唐僧與國王相別,至亭內,嗔責八戒道:「這夯貨,越發村了。這是甚麼去處,只管大呼小叫?倘或惱著國王,卻不被他傷害性命?」八戒道:「沒事,沒事。我們與他親家禮道的,他便不好生怪。常言道:『打不斷的親,罵不斷的鄰。』大家耍子,怕他怎的?」長老叱道,教拿過獃子來,打他二十禪杖。行者果一把揪翻,長老舉杖就打。獃子喊叫道:「駙馬爺爺,饒罪,饒罪。」傍有陪宴官勸住。獃子爬將起來,突突囔囔的道:「好貴人,好駙馬,親還未成,就行起王法來了。」行者侮著他嘴道:「莫胡說,莫胡說,快早睡去。」
他們又在留春亭住了一宿。到明早,依舊宴樂。
不覺樂了三四日,正值十二日佳辰。有光祿寺三部各官回奏道:「臣等自八日奉旨,駙馬府已修完,專等妝奩鋪設。合巹宴亦已完備,葷素共五百餘席。」國王心喜,欲請駙馬赴席,忽有內宮官對御前啟奏道:「萬歲,正宮娘娘有請。」國王遂退入內宮,只見那三宮皇后、六院嬪妃,引領著公主,都在昭陽宮談笑。真個是花團錦簇,那一片富麗妖嬈,真勝似天堂月殿,不亞於仙府瑤宮。有喜會佳姻新詞四首為證。
《喜詞》云:
喜喜喜,欣然樂矣。結婚姻,恩愛美。巧樣宮妝,嫦娥怎比。龍釵與鳳釵,豔豔飛金縷。櫻唇皓齒朱顏,嬝娜如花輕體。錦重重,五彩叢中;香拂佛,千金隊裡。
《會詞》云:
會會會,妖嬈嬌媚。賽毛嬙,欺楚妹。傾國傾城,比花比玉。妝飾更鮮妍,釵環多豔麗。蘭心蕙性清高,粉臉冰肌榮貴。黛眉一線遠山微,窈窕嫣姌攢錦隊。
《佳詞》云:
佳佳佳,玉女仙娃。深可愛,實堪誇。異香馥郁,脂粉交加。天臺福地遠,怎似國王家。笑語紛然嬌態,笙歌繚繞喧嘩。花堆錦砌千般美,看遍人間怎若他。
《姻詞》云:
姻姻姻,蘭麝香噴。仙子陣,美人群。嬪妃換綵,宮主妝新。雲鬢堆鴉髻,霓裳壓鳳裙。一派仙音嘹喨,兩行朱紫繽紛。當年曾結乘鸞信,今朝幸喜會佳姻。
卻說國王駕到,那后妃引著公主,並綵女、宮娥,都來迎接。國王喜孜孜,進了昭陽宮坐下。后妃等朝拜畢,國王道:「公主賢女,自初八日結綵拋毬,幸遇聖僧,想是心願已足。各衙門官又能體朕心,各項事俱已完備。今日正是佳期,可早赴合巹之宴,不要錯過時辰。」那公主走近前,倒身下拜,奏道:「父王,乞赦小女萬千之罪,有一言啟奏:這幾日聞得宮官傳說,唐聖僧有三個徒弟,他生得十分醜惡。小女不敢見他,恐見時必生恐懼。萬望父王將他發放出城方好,不致驚傷弱體,反為禍害也。」國王道:「孩兒不說,朕幾乎忘了。果然生得有些醜惡,連日教他在御花園裡留春亭管待。趁今日就上殿,打發他關文,教他出城,卻好會宴。」公主叩頭謝了恩。國王即出駕上殿,傳旨請駙馬共他三位。
原來那唐僧捏指頭兒算日子,熬至十二日,天未明,就與他三人計較道:「今日卻是十二了,這事如何區處?」行者道:「那國王我已識得他有些晦氣,還未沾身,不為大害。但只不得公主見面,若得出來,老孫一覷,就知真假,方才動作。你只管放心。他如今一定來請,打發我等出城。你自應承莫怕,我閃閃身兒就來,緊緊隨護你也。」
師徒們正講,果見當駕官同儀制司來請。行者笑道:「去來,去來。必定是與我們送行,好留師父會合。」八戒道:「送行必定有千百兩黃金白銀,我們也好買些人事回去。到我那丈人家,也再會親耍子兒去耶。」沙僧道:「二哥箝著口,休亂說,只憑大哥主張。」
遂此將行李、馬匹,俱隨那些官到於丹墀下。國王見了,教請行者三位近前道:「汝等將關文拿上來,朕當用寶、花押,交付汝等,外多備盤纏,送你三位早去靈山見佛。若取經回來,還有重謝。留駙馬在此,勿得懸念。」行者稱謝。遂教沙僧取出關文遞上。國王看了,即用了印,押了花字,又取黃金十錠、白金二十錠,聊達親禮。八戒原來財色心重,即去接了。行者朝上唱個喏道:「聒噪,聒噪。」便轉身要走。慌得個三藏一轂轆爬起,扯住行者,咬響牙根道:「你們都不顧我就去了?」行者把手捏著三藏手掌,丟個眼色道:「你在這裡寬懷歡會,我等取了經,回來看你。」那長老似信不信的,不肯放手。多官都看見,以為實是相別而去。早見國王又請駙馬上殿,著多官送三位出城。長老只得放了手上殿。
行者三人同眾出了朝門,各自相別。八戒道:「我們當真的走哩?」行者不言語,只管走至驛中。驛丞接入,看茶,擺飯。行者對八戒、沙僧道:「你兩個只在此,切莫出頭。但驛丞問甚麼事情,且含糊答應,莫與我說話。我保師父去也。」
好大聖,拔一根毫毛,吹口仙氣,叫:「變!」即變作本身模樣,與八戒、沙僧同在驛內。真身卻幌的跳在半空,變作一個蜜蜂兒。但見:
翅黃口甜尾利,隨風飄舞顛狂。最能摘蕊與偷香。度柳穿花搖蕩。辛苦幾番淘染,飛來飛去空忙。釀成濃美自何嘗。只好留存名狀。
你看他輕輕的飛入朝中,遠見那唐僧在國王左邊繡墩上坐著,愁眉不展,心存焦燥。徑飛至他毘盧帽上,悄悄的爬及耳邊,叫道:「師父,我來了,切莫憂慮。」這句話只有唐僧聽見,那夥凡人莫想知覺。唐僧聽見,始覺心寬。不一時,宮官來請道:「萬歲,合巹嘉筵已排設在鳷鵲宮中,娘娘與公主俱在宮伺候,專請萬歲同貴人會親也。」國王喜之不盡,即同駙馬進宮而去。正是那:
邪主愛花花作禍,禪心動念念生愁。
畢竟不知唐僧在內宮怎生解脫,且聽下回分解。
正確犯錯:哈佛學者揭開成長心態的關鍵,分辨失敗類型與應對方式,駕馭不確定的未來
Right Kind of Wrong: The Science of Failing Well
作者艾美.艾德蒙森
原文作者Amy Edmondson
譯者黃庭敏
語言繁體中文
出版社天下雜誌
出版日期2024/04/02
編輯推薦
失敗的變數與複雜性
成功的書很多,但一本講述失敗同時論述清晰且邏輯清楚的著作,作者在《正確犯錯》就做到了這一點。閱讀本書前你需要做點心理準備,因為邊閱讀會一邊不自覺檢視自己過去的失敗,並從條列的項目中,在悔恨中重新檢視自己失敗的原因,或許也能糾正你對成功價值的誤解,但無論如何,閱讀完你都能重建面對失敗的韌性。除此之外,現代化的失敗情況其實往往遠比你想像中複雜,在現代資訊科技與組織系統日益複雜下,由一系列小錯誤複合效應造成更巨大的失敗,自我覺察已不足以應付失敗的代價,訓練自己打開視野注意整體,更是現代人���學習對抗的失敗。從簡易到複雜,系統化建立失敗在不同型態的樣貌,並試圖改變抗拒本能,為你創建一個正確失敗的環境。
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產品資訊
內容簡介
《心理安全感的力量》作者 最新重磅力作
★Thinkers50管理思想家排行榜TOP 1
★榮獲年度行為科學家注目作品
★《金融時報》和麥肯錫年度最佳商業書獎
每個人都會犯錯,但是每個錯誤的價值並不一樣,
別讓不犯錯、規避失敗耽誤了你和團隊的成長!
為什麼優秀醫療團隊一起協作反而出現更高的錯誤率?
可口可樂瓶裝水怎麼陷入複雜型失敗,認列700萬英鎊損失?
外科開心手術如何歷經智慧型失敗,發展為一年200萬例的成熟手術?
在複雜且不確定的世界中,工作與生活經常充斥著出錯與失敗,傳統對待錯誤的態度又很苛刻,當事人飽受指責,使人普遍厭惡與恐懼犯錯,我們也就失去了從失敗中學習的機會。
雖然操作或判斷失誤並不可恥、也不代表無能,這樣的想法日漸獲得認同,有不少新創企業還推崇起「快速犯錯,經常失敗」的文化,但仍有更多人與組織還是羞於犯錯與認錯,極盡所能避免失敗與被究責,因為他們不認為身處有心理安全感的環境。
作者艾德蒙森是哈佛商學院教授,在全球最具影響力的 Thinkers50 名列第一,身為提出「心理安全感」概念的先驅,《正確犯錯》正是她累積25年來研究錯誤與失敗的成果。在這本新作中,她將暢談三種常見的失敗類型,指導我們辦別成因,重新架構,理性看待:
基本型:通常有SOP,常因疏忽大意而犯錯,可善用清單工具來預防
複雜型:最常出現在複雜的系統環境中,環環相扣,導致難以避免的災難結果
智慧型:總發生在進入新領域,比如研發疫苗,是進步所必須的「好的失敗」
只要你不犯第二回,智慧型失敗不算是錯誤,它需要縝密的思考,由於是犯盡可能小的失誤,不會造成不必要的傷害,且提供你寶貴的新知識,帶來新發現與新價值,還會產生有用的學習成果,增進我們的認知,這就是正確犯錯!
針對三種失敗類型,作者提出三項最新思維,幫助我們不錯失成長良機,也不冒進,從容應對與防範非必要的失敗:
自我覺察:藉由自我反省、謙遜、誠實和好奇的能力,洞察自身行為模式
狀態意識:學習解讀特定情況的失敗可能性,掌握與判斷周遭情勢
系統��識:學會觀察和充分理解家庭、組織、自然或政治系統的運作
沒有清楚辨別失敗類型的魯莽行動,將帶來無意義的失敗,虛擲機會,浪費時間與資源;只有經過明智判斷的「正確犯錯」,才能創造有價值的經驗學習,真正學到東西,達到目標的最大效益。
目錄
前 言
成功的道路上必然會有失敗
緒 論
犯錯失敗不一定是壞事
第一篇
辨別三種失敗類型
第一章
如何正確犯錯
從好的失敗中學習,避免不必要的失誤,在合作中受益
第二章
智慧型失敗
智慧型失敗是發掘新事物的必要基石
第三章
基本型失敗
基本型失敗幾乎可在小心謹慎的情況下完全避免
第四章
複雜型失敗
複雜型失敗經常發生在相當熟悉的環境中
第二篇
從失敗中學習成長
第五章
戰勝本能與自我局限
自我覺察需要我們變得非常謙虛和好奇
第六章
因應不同失敗情境與後果
狀態意識能夠評估當前處境,採取適當行動
第七章
建立系統思維與設計策略
系統意識首要訓練自己注意整體,而非關注局部
第八章
犯錯難免,如何成長進步
塑造健康的失敗文化,汲取教訓改進成長將容易許多
序
前言
成功的道路上必然會有失敗
1993年6月,當時我是哈佛大學新開設的組織行為學博士班學生,我坐在威廉詹姆斯大廳(William James Hall)15樓辦公室的舊木桌前,傾身仔細觀察我那台笨重蘋果電腦上的黑白小螢幕。我衡量附近兩家醫院團隊合作情況的一疊問卷調查表被推到桌子邊緣靠著牆放著。六個月前,數百名護士和醫生填寫了這些調查表,讓我了解他們團隊的工作情況。透過對資料的分析,我知曉有些團隊的合作程度比其他團隊要好得多,現在讓我來看看他們犯了多少錯誤。在我手中的電腦小磁片裡,保存了過去六個月來護士辛苦收集、期待已久的各個團隊用藥錯誤資料。我所需要做的就是進行統計分析,看看團隊調查資料與醫院的錯誤資料是否相關。
這是我面臨第一次重大研究失敗之前的時刻。
我很快發現這不是我第一次思量,也許自己不適合攻讀博士學位。我對唸研究所一直態度很矛盾,我欽佩那些沒有高學位、卻能在世界上做出有意義貢獻的人。我認為一般人若是聰明又能幹,應該也能夠開闢一條獨特的前進道路,從事改變世界的工作。但大學畢業十年後,我必須承認自覺有些挫敗感。
的確,那十年的大部分時間都是充滿創意的,而且從某些角度來看,還令人羨慕。我曾擔任富勒(Buckminster Fuller)的總工程師,富勒富有遠見,他發明測地線圓頂建築。之後,在與一家諮詢公司創辦人的偶然會面後,我從工程領域轉向組織發展領域,並且很快就著迷於組織及其所犯錯誤導致的失敗!我曾與美國一些歷史最悠久、規模最大的公司合作過。我在1980年代末遇到過美國汽車行業的經理,他們看到客戶想要省油、高品質的汽車,比如從日本進口的新汽車,但無法讓他們的大型組織重新調整生產方式。在我看來,深思熟慮的管理者們都在抱怨他們的組織無法適應世界所需的明顯變化。我非常喜歡這份工作,而我的挫敗感來自於我自認已經盡了最大的努力。為了在組織行為和管理的新領域發揮更大的能力,我必須重返校園。然後,也許我就能為我心中逐漸成形的目標做出有意義的貢獻:幫助人們和組織學習,以便他們能夠在不斷變化的世界中茁壯成長。
我不知道如何研究這個問題,對於改變組織的運作方式,也不知道如何有所貢獻。但這似乎是一個值得解決的問題,我相信我可以向心理學和組織行為學教授學習,對於使人們和組織難以學習和發展的狀態,希望能找到方法來理解和加以改變,並能有所作為。
由於我對組織如何學習感興趣,身為一名迎接嶄新身分的博士生,我欣然接受邀請,加入附近哈佛醫學院研究用藥錯誤的研究團隊,這個現成的專案幫助我學習如何進行獨創的研究。你小學一年級的老師可能告訴你,犯錯是學習的重要機會來源。在醫院待過的人都知道,用藥錯誤的情況眾多,而且後果嚴重。
但突然間,這對於我的研究生涯來說似乎是個不祥的開端,我的假設顯然沒有得到支持。我曾預測,更好的團隊合作會減少用藥錯誤,衡量的方式是透過護士調查員每週多次到醫院檢��患者病歷,並與在那裡工作的護士和醫生交談。然而,結果卻顯示團隊合作愈好,錯誤率愈高,而不是愈低。我不僅錯了,還大錯特錯。
當我開始重新質疑自己能否成為一名研究人員時,我發表研究成果論文的希望也隨之破滅。大多數人都為自己的失敗感到羞恥,所以我們更有可能隱藏失敗,而不是從中學習。組織中發生錯誤,並不意味著自然就會學習和改進。由於羞於犯錯,我不敢告訴我的指導老師。
沒過幾天,檢視此次失敗的意外發現,輕輕地將我引向新的見解、新的資料和後續的研究專案,挽救並改變我的學術生涯方向。我根據這一項研究發表的研究論文,名為《從錯誤中學習,說得容易做起來難》(Learning from Mistakes Is Easier Said Than Done),這是我後來許多研究的前身,也是貫穿我一生心力和本書的主題。
我也開始明白,身為一名研究人員,成功的道路上必然會有失敗。如果你沒有失敗,那麼你就沒有進入新的領域。從早先那段時間起,在我的腦海中,對「錯誤」、「失敗」和「不幸事件」等術語開始有更細緻入微的理解。現在我可以和各位分享了。
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康乃馨什麼時候送?
在台灣,康乃馨不僅是一種美麗的花卉,更是情感的象徵。想像一下,一位孝順的子女在母親節的早晨,手捧一束鮮豔的康乃馨,當母親看到那一抹嫣紅,臉上綻放出的笑容,彷彿瞬間融化了所有的辛勞與疲憊。康乃馨的花語是「愛與魅力」,因此在母親節、生日或是任何想要表達感謝與愛意的時刻,送上一束康乃馨,無疑是最合適的選擇。 除了母親節,康乃馨也適合在畢業典禮、婚禮或是祝賀升遷等場合送出,傳遞祝福與鼓勵。這種花朵的色彩多樣,無論是粉紅、紅色還是白色,都能傳達不同的情感。選擇康乃馨,讓每一個重要的時刻都充滿愛與祝福,讓收花的人感受到你深深的心意。無論何時,康乃馨都是表達情感的最佳選擇。 文章目錄 康乃馨獻禮時機全攻略:母親節以外的溫馨選擇 康乃馨選購指南:品種、花語與送禮對象深度解析 常見問答 重點複習 康乃馨獻禮時機全攻略:母親節以外的溫馨選擇 身為一個土生土長的台灣女兒,每年母親節前夕,我總會陷入甜蜜的煩…
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紅鐵刑具的處罰(三)現世考驗
以下一位有緣人分享,來文照登:
第一次迴向不成功後,��整心態與誦經順序,隔了三週再次送件迴向,沒想到還是不圓滿,公告原因是:「誦經心態要正確,補《金剛經》、《藥師經》、《地藏經》各20次」。
這次迴向公告沒有提醒要我補懺悔,應該是業主菩薩收到我的誠意,但是佛菩薩考驗,要我自己醒悟。雖然還沒迴向成功,但由於我第一次迴向時,就已經答應業主菩薩們要把故事分享出來,因此先來整理懺悔心得。
這兩次送件迴向,該週六日我的身體都非常疲憊,胯部、腰部都痛到我躺在床上爬不起來,黑氣釋放相當明顯且劇烈。因為過去世當員外,就是用紅鐵刑具,讓業主菩薩們騎在鐵馬上受處罰,所以一直以來,我相對應的靈體部位都非常不舒服。對我來說,唸經消業障從來不是拚經文數,而是源於業主菩薩們在我靈體氣場的擾動,非得要我每日大量誦經才能減緩不適。
整理這幾週的心態懺悔與誦經方式調整:
一、誦經順序調換
這一、兩年來,唸經迴向給這筆業障,我都是早晨就起來誦兩部《地藏經》。但是這幾個月,我開始同步誦經給另一位陽世業主菩薩,早晨的前兩部經文,換了迴向的對象。回想起來,這幾個月我常常早上邊唸經邊打瞌睡。這幾周把早上自行小迴向的順序,換回給原本的這筆業障後,早晨誦經的精神居然神奇地變好。果然,還是應該依照原開示的順序唸經,不然等候多時的業主菩薩會不高興,覺得我沒誠意。迴向順序調整回來後,唸經就順暢多了。陽世業主的經文就調整到白天有空再唸誦。
二、盲點心態調整
過去世用嚴厲的手段處罰看不順眼的人事物,這世我也是直接又犀利,就算不能處罰別人的偏差行為,但心裡的情緒或言語詞句可沒在客氣。這幾年雖然已經被學生的反應,逼得我調整教育心態與手段,但底層的習氣還在。目前在教職進修,雖然沒有在教學現場磨練,但學校同學、師長和修行群組也是外在的磨練境相。
過去對於看不順眼的人事物,我都是行為忍讓,但心裡很多碎唸。這幾周開始調整心態,對於看不順眼的人事物,我開始練習以慈悲、同理的眼光看待,試著去詢問了解對方,到底發生什麼事,是否遇到什麼困難,或過去有什麼樣的經歷,造成他們現在的心態與作法。多點主動的關心與同理,讓我心裡的負面碎唸減少很多。每個人本性都是良善的,是受到過去世的業力和習氣影響,才會心性染污、行為偏差。以同理與慈悲處事,日子會寬心很多。
三、類似情境考驗
過去世當員外,會用紅鐵刑具處罰僕人們,是因為發現僕人們私下苟且偷歡,所以不努力工作。因其邪淫行為,才會採用騎鐵馬的方式來嚴厲處罰。這幾年跟著精舍修行,償還自身的邪淫業力,也努力斷除愛欲,但仍時常有考驗。
就在第二次送件迴向的周五,又迎來類似情境考驗。我和同學們約了要做教具,但母親節前夕,其他人都回家過節,只剩下我和一個男學長單獨作業,因為我們比較有經驗,所以擔任這個工作。
兩個成年的孤男寡女,一起關在研究室好幾個小時,實在話我本來沒有想太多,學長也以為一兩個小時就能做完。但是我手拙不熟練,所以實作拖很久,學長為了教我操作工具,兩人就靠很近,甚至氣息交融。我這才突然意識到男女有別,馬上用白骨觀、不淨觀,把學長觀想成白骨機器人。當下我就提醒自己,要脫離輪迴,就要斷除起心動念。觀想好一陣子,又能專心操作工具,繼續努力工作。
過去世身為員外老闆的我,不識佛法、不懂因果,才用紅鐵刑具處罰不努力工作的僕人們。如果當時我能對人性、業力、因果有更深層的理解,以同理與慈悲去了解僕人們不努力工作的原因,以智慧處理眾人的感情糾葛,或許就不會造下這筆大業障了。
雖然還沒有迴向圓滿,但還是分享以上經歷,若分享文有些許功德,願迴向給此筆業障的業主菩薩們,感謝業主菩薩的耐心等待與體諒,非常感恩。
(分享結束)
有緣人過去世當員外時,發現僕人們私下苟且偷歡、不努力工作,因為無法容忍邪淫行為,而採用最嚴厲的方式,以騎鐵馬處罰下人,導致今生相對應的靈體部位都非常不舒服。即使已經第二次迴向,還是無法圓滿,理由分別是懺悔心不足與心態問題,足見業主菩薩真正在意的是有緣人是否認真調整心性與徹底覺悟。
今世在佛法的教導下,有緣人隨著修行漸深,懂得懺悔誦經與觀心反省,檢視過去世這段造業的因緣,即使心中無限懊悔,但世間無如果,果報如影隨行。在佛菩薩與業主菩薩三番兩次的提點下,她才終於慢慢察覺,自己的心態調整尚有不足之處,允諾將這段錯誤的過往,以分享文方式傳遞出來,這便是一種對因果的體悟,也是一種願意承擔的勇氣。
有緣人說得非常好:「如果當時我能對人性、業力、因果有更深層的理解,以同理與慈悲去了解僕人們不努力工作的原因,以智慧處理眾人的感情糾葛,或許就不會造下這筆大業障了。」
有緣人在這段因果業力中,學習到「洞察、同理人性複雜與苦楚」之重要性,並將「以關懷代替責罵,以教育代替處罰」的體悟,實際運用到今生的教育場域。足見,這兩次迴向失敗並非懲罰,而是再次提醒,多誦經很重要,但當事人也需要誠心懺悔和真心改變。《阿伯的話─現場開示精華節錄》:「口誦心不轉,唸破萬卷亦宛然。」修行人誦經的重點除了數量,還要兼顧品質;除了嘴上誦讀,還需要心性轉化。
回顧過去世,有緣人因缺乏佛法與因果觀念,以紅鐵刑具懲罰因苟且偷歡而不認真工作的僕人們,因而造成如此嚴重的傷害,這不是一個簡單的「錯誤」,而是一段深刻的因果惡緣。僕人們的怨氣未散,靈魂中仍留有創傷,因而在今生成為業主菩薩,以擾動氣場的方式提醒修行者:「你該面對了」。
業主菩薩希望傳達給有緣人的,無非是她能夠從此放下傲慢,以慈悲與智慧處理眾人的情緒與問題,視人如己,愛人如己;對於偷歡的邪淫行為,能深刻體悟:「與其嚴刑峻法,不如以教育取代之,教導眾生『要出離輪迴,不僅要謹守合宜的行為,更要斷除起心動念。』」
誦經,不是與業主菩薩討價還價的手段,更不是業障清單上的數字,而是與自己靈魂最深處的對話。唯有承認自己的錯誤,願意負責和補償,業主菩薩才能真正放下,氣場才會安定。
至於有緣人未經業主菩薩同意,就擅自更動唸經的迴向順序,讓業主菩薩感覺到她的懺悔心不足,使迴向不圓滿,也再次向我們證明:真正能讓業主菩薩原諒和解的,不是經文數,而是我們的誠心。
認真修行、誠心對我們犯下的過錯懺悔,才能讓我們的人生重塑。修行讓我們從過去的黑暗中走出來,有機會重新選擇、重新做人。當我們用正能量回應生活,用慈悲心處理人際關係,用智慧化解衝突,即使面對業力的風暴,我們也能平靜安然。
此分享文提供我們一個很好的學習機會,讓我們都能跟有緣人一樣,從誦經中學會慈悲,從懺悔中學會寬恕,從修行中找回清淨、清明的自己。了解修行的真正意義,進一步理解什麼是業、什麼是悔、什麼是改,「達成經文數目」只是基本條件,更重要的是「擁有正確的修行心態」。感恩佛法的指引,感恩精舍的教導。南無本師釋迦牟尼佛。南無觀世音菩薩。
南無本師釋迦牟尼佛
南無藥師琉璃光如來
南無阿彌陀佛
南無大悲觀世音菩薩
南無大願地藏王菩薩
南無韋馱菩薩
南無伽藍菩薩
南無十方一切諸佛菩薩摩訶薩
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2015年 05月 15日
書き留めたい
11時過ぎに起きた。体が重かった。今日はお休みだから気は楽だ。コーヒー飲んで落ち着いてから母親に電話した。最近の仕事の様子を伝えたんだ。母親は元気だった。彼女は、夏が苦手だからこれからの季節辛いだろうね。僕は、『嫌だ嫌だと言ってても仕方ないから上手く付き合ってね』と言っておいた。
洗濯始めてね、最初は白いもの、次に色柄もの。洗濯機は20年位前のやつ。渋谷に引っ越した時に中古で買ったやつ。当時流行ったファジー機能が付いている。全自動でメンテナンスしながら長持ちしてる。節水考えると新しいの欲しいけど。まだ使える。
物撮りの効率を考えてあるシステムを考案してる。その為にアクリル板のオーダーメイドをする為、業者に電話して注文する為に図面を書いた。そのシステムを早く試してみたいな。
夕方になって外に出掛けた。近くのスーパーでいつも無料の水を貰いに行くんだけど最近その整水器が新しくなって使い方を店員に教えてもらった。今までは無料だったけど新しくなってからはWAONカードが必要なんだ。WAONカードは前に作ったけど無くしてしまったから新しく作り直したんだ。その時店員が『失礼ですけどお歳は?』って言うんだ。前に作った時も言われたけど、『残念でした55歳以下です』って答えた。55歳以上だと何か特典のあるカードが作れるらしい。僕も歳相応、それ以上に見えるんだね。苦笑とはこのことだ。
TSUTAYAに行った。今日は、借りる映画は決めて行った。「グット・ウィル・ハンティング」だね。「小説家を見つけたら」と「英国王のスピーチ」も一緒に。長い間TSUTAYAで借りてなかったからカードの期限が切れてて更新料を払った。
夕食簡単に済ませて早速映画を観始めた。最初は、「グット・ウィル・ハンティング」。「英国王のスピーチ」、最後に「小説家を見つけたら」。立て続けに観た。映画を欲していたんだね。映画は、2時間前後だから計7時間くらいの時間。「グット・ウィル・ハンティング」は、「小説家を見つけたら」とストーリー展開が同じだと知って興味を持った。確かに似ていた。主人公が自分にとって何が大切か気づいてハイウエイをボストンからカリフォルニアにひた走る。愛だったんだね。「英国王のスピーチ」も興味深かった。吃音。どもり。僕は兄とダブらせて観ていた。幼児時代の体験が吃音にさせる。やっぱりね。英国王と一般人でありオーストラリア人との関係。英国でも異例だったと思うけど全くないわけでもない事実。特例は好きだ。「小説家を見つけたら」は、前に観たことあるから最後にしたんだ。この映画が好きだな。年齢を超えた友情。お互いの成長。ラストシーンは気持ちいい。今夜3つの映画、全て授業に取り入れたいから観た。
明日、もう一度観て、良かったセリフを書き留めたい。
AND SO THE DANCE GOES ON ・・・ ダンスは続く。
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