#気づきのヨガ
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前の記事で話した合宿から帰宅した。
学位プログラムの履修要件である授業の一環として行われたのがこの合宿だったが、なんとびっくり、内容はコミュニケーション能力増強合宿だった。大学からバスで1時間程度揺られ、昔ながらの古い合宿所で、1泊2日の合宿がはじまる。メンバーは前回の授業ではじめて顔を合わせただけの、ほぼ初対面どうしだった。研究室の同期(教授に詰められてよく泣く子)しか知らない状態だ。
言ってしまえば人間関係を構築するために必要なこととか、アイコンタクトとか、傾聴の仕方とか、そういうことに関する講義と演習を通して、コミュニケーションスキルを高めましょう、みたいなかんじ。コミュ難のわたしにはぴったりだった。
だがひとつ、気になることがあった。合宿のために来てくれた特別講師が、若干スピっていたのだ。スピというか、思想強め、みたいな感じだ。
その講師はべつに大学教授というわけでもない、フリーのマナー講師みたいなひとだった。企業の新人研修などによく呼ばれているらしい。最初、そのひとに対しては、やさしそうなオバチャンだなあ、くらいのイメージしか抱いていなかった。
だが、初日午前中の講義がおわって昼食を食べているとき、同じ班のYくんが言った。「あの先生、ヤバいひとらしいよ」と。どうヤバいのか。尋ねると、元気の「気」という字を、旧字体の「氣」を使って書くひとらしい。あと、脳力開発みたいな、そういうワードチョイスを好むらしい。ぞわ、とした。
とはいえ、授業自体はふつうだし、勉強になることもあった。授業は滞りなく進み、そこそこ得られたものもある。山の中にある合宿所のなかで、メンバー同士の連帯感もそれなりに強まった。
だが、最終日に違和感を覚えた。
先生が言う。「わたしたちは幸せになるために生まれてきたんです」と。嘘をつけ。幸せは結果であって目的ではないはずだ。だがみんな頷いている。わたしと同期以外はほぼ理系だ。論理のズレに気付かない。その時点で警戒心を強めた。
さらに先生が言った。
「暗病反(あんびょうたん)、明元素(めいげんそ)というものがあります。暗病反はネガティブな言葉、明元素はポジティブな言葉です。暗病反は使わないようにしましょう。特に、忙しい、という字は、心を亡くすと書きます。使わない方がいいですよね。こういった暗い言葉は、明元素で置き換えましょう。では、みなさんで明元素の言葉を音読してみましょう!」
全員で音読をさせられた。「明るい! 楽しい! 元気だ! 素晴らしい! 満足だ!」……等。
こわこわこわこわ。カルトのはじまりみたいでガチこわ。山奥の合宿所に閉じ込められて、みんなの連帯感が高まってきたところで、人間は幸福になるために生きているという意識を刷り込んで、ポジティブなワードリストを音読させられる。こわいよ、すごくこわい。はじまりは些細なものだけど、抵抗するのがマイノリティになる。みんなその歪みに気づかない。ネガティブな言葉を使ってはいけないと刷り込むことは、とても危険だと思う。自分の本当の気持ちを無視するのだから。生活がつらい人がいたとして、本当は精神疾患があるかもし��ないのに、「ポジティブな言葉しか言ってはいけない」という意識のせいで、適切な機関に助けを求めるのが遅くなってしまうかもしれないのに。そんなこと、心理学をやってたらあたりまえだ。なぜこんな講義が、うちみたいな名門国立大でまかり通る? なぜ? こわいよ。ほんとうにこわい。それに対して誰も意を唱えないのがこわい。でもわたしだって言えなかった。糾弾されるのがこわいから。
講義後、「あの先生スピってるよ」と教えてくれたYくんの姿を見た。Yくんは熱心に、先生に質問をしていた。ドン引きした。おまえこっち側じゃなかったんかい。なに毒されてんの。きも。
同じ合宿に参加した研究室の同期の子に、「ちょっと最後の授業やばくなかった?」と言ったら、深く頷いていた。「音読させられたあたりから雰囲気変わったよね」と。よかった。それだけで安心した。
はじまりなんて結局どれも些細なことなのだろう。オウム事件だって、あの教団の最初はただのヨガ教室だったのだ。徐々に人々が連帯して、毒されて、過激になっていく。とくにメンバーのプライドが高いと尚更だ。あの事件だって、教団員の幹部のほとんどが高学歴。この合宿の参加者は、博士課程の院生。「おれたちはすごいのに、世間が認めてくれない」と思ってる人ほど毒されやすい。ほら、同じだ。この合宿に感じた違和感の正体はこれだった。ほんとうにきもちわるい。
合宿はぶじに終わったけれど、合宿メンバーでの講義は夏までまだ続く。学位プログラムの必修単位なので行かないわけにはいかない。それがひどくおそろしい。コミュ力なんてなくていいから、おまえは二度とうちの大学で授業をするな。
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2024/12/1

12月1日 昨晩は、昨日あった友人から、彼女が定時制高校で勤めていた時の教え子さんが出ている、と教えてくれたドキュメント72時間をみた。練馬のコインロッカーの野菜販売所の回。

今日は実家のクリスマスツリーの飾り付けをして、堤防を散歩して、帰ってきて何か気持ちに余裕があり、夕方のヨガへ行って一駅歩いて川を渡って帰ってきた。 生活の手を抜く練習と、日中にものを食べる練習を全くできずに明日からのフルタイム勤務を迎えてしまって、不安しかないのに、なぜか今日のところは余裕な気持ちで、夕方まで出歩いてしまって、もうちょっと明日からはどうにどもなれ?という感じ。

用無しになってしまったキャリーケースが玄関でずっとゴロゴロして邪魔だったの��、それを引いて実家へ行った。 今日も駅まで母が迎えにきてくれて、今年は異例な頻度で実家に行っているので、車内の会話もスムーズになってきた。最近あったことや、これからの予定等、お互いの今の話を、あまりたくさん説明せずにしても大丈夫になった。 窓の外の風景の変わったところや、すれ違った同級生の話、みたいな、昔話を交えた会話をしなくてよくてなった。

実家にはクリスマスツリーが二つあり、一つは休日にいつも車を走らせていた某街道沿いの、今はニトリで、その前にアイワールドというホームセンター(だった気がする)で買ったクリスマスツリー。 思ったより小さいな、と毎年出すたびに思っていた。だから今日は想像通りの大きさだな、と思った。 母は「思ったより小さい」と言っていた。

もう一つは、このクリスマスツリーを買う前、10年くらいメインクリスマス飾りだった母が作ったタペストリーのクリスマスツリー。歯切れの布で縫い合わせたタペストリーのツリーにボタンがついていて、そこに飾りをひっかけるタイプ。 これを作る方がよっぽどお金と労力がかかるのでは?と今見ると思ってしまう。 母が裁縫が好きだったかはわからなくて(今は裁縫で何か作るようなことは無い)、当時の母は、母っぽいことをしたかったのかな?とか勝手に思いながら飾り付けをした。

こんなにディズニーランドに行った記憶はない!と思うほど、ディズニーキャラクターのマスコットのピンバッジがいた。彼らもタペストリーに付けた。
サンタクロースの格好をした動物たちのマスコットにも久しぶりに会えて嬉しかった。それぞれタグに名前がついていて、どれも少し気の抜けた名前で、読み上げては母と笑っていた。 モッパとかそんな感じ。
一番日の当たるウッドデッキのすぐ室内側のスペースで飾り付けをしたので、日差しで頭が少し痛くなるくらい暖かかった。 中学生の頃は、この場所に椅子を持ってきて、その椅子をテーブルがわりにして試験勉強をしていた。

一通り飾り付けて満足してしまい、堤防に散歩をして、もっと満足して、また駅まで送ってもらった。 散歩をしながら、妹が引っ越しをすることや、母はこれから。大学の同級生と第九のコンサートに行く予定と、年末に九州旅行に行く予定と、年明けすぐに職場の同級生達とディズニーシーに行く予定がある話を聞いた。あと明日は人間ドックもあるらしい。 みんな忙しそうだった。

「クリスマスツリーの片付けをしにきてね!」と言われて、もともと今年はお正月に実家に行くつもりだったので、良い口実ができたかな、と思った。 写真も撮れると良いな。
堤防で2人小学生の女の子がベンチで話をしていて「クリスマスって何食べる?」と言っていた。1人は「毎年違うけど、去年はしゃぶしゃぶだった!」とのこと。もう1人は「うちはいつもビーフシチュー!」と言っていた。
気づいたら来週は高松に行く予定なので、下調べを本格的に始めないと。少なくとも空港から目的地までの移動方法とかは調べておきたい。
今日のところはなんとかなっている。 いただいたアドベントカレンダーのハーブティーは、明日から始めようと思う。

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うんこと死体の復権
うんこと死体の復権@下高井戸シネマ/監督:関野吉晴/2024日本
「グレートジャーニー」で知られる探検家で医師でもある関野吉晴はアマゾン奥地の先住民との暮らしを通して、自然とヒトとの関係について考え続けてきた。そして2015年から『地球永住計画』というプランを練り始める。地球への悪影響を減らして生き続けるためにはどうすればいいかを考える場。そこに集った3人の求道者。
野糞をすることに頑なにこだわり、半世紀に渡る野糞人生を送っている伊沢正名。うんこから生き物と自然のリンクを考察する生態学者の高槻成紀。そして、死体喰いの生き物たちを執拗に観察する絵本作家の舘野鴻 。
その生き方を通して、不潔なものとされ見えない存在にされてきたうんこと死体を見つめると、そこには無数の生き物たちが織りなす、世の常識を覆す「持続可能な未来」のヒントが隠されていた...。
昨夏に始まった私の耳鳴り、自律神経失調に起因するとのことで、早寝早起き・ヨガ・ウォーキング・漢方薬などさまざまな対処を試み、快便やお肌のしっとり感など自律神経は大幅に改善された様子なのだが、耳鳴りは依然続く。
特に12月に鍼治療を始めてから、静かな日とうるさい日が一日おきに訪れ、かつ静かな日には肩こりが重い傾向がみられる。片頭痛や腰痛を抱えている人は低気圧や前線通過に左右されるとよく聞くし、私も以前はそれを感じていたが、鍼以降はほとんど影響ない。明確なのは、代謝が良くなり、血圧が持続的に下がったこと。どうやら、東洋医学の言う「気・血・水の流れが生命活動の本体」の言葉どおり、痛みなどの神経的な症状は常に波のように押したり引いたりを繰り返し、下半身の冷えや硬直が神経過敏な耳鼻咽喉の症状につながったり全体の相対性が問題の本質。干潮でも耳鳴りがゼロになることはないし、満潮でも氾濫することは滅多にない。そして先週、眠前に激しい下痢が襲って、7回くらいトイレに行ったが眠っている間も少し漏らし、深夜に洗濯機を回す。翌日から一日おきのうるさい日が3日に1回に変った。
男女コンビの某女芸人、有名大卒で男の方は同じ大学を除籍された屑キャラということで、うわべ優秀そうなのだが、あるとき「人類の文明は外部からもたらされたと信じています」的な発言をしていて一気に蔑みの目で見るように。
多くのファミリーが行列する���ィズニーランドを、私は気持ち悪いと感じるが、それもその筈、ウォルト・ディズニーは幼少期に厳しい自然環境で育ったことで、自然を敵視し、人工的なユートピアを作りたいという信念を持つに至った、キリスト教帝国主義アメリカの権化のような人物ゆえ。ユダヤ/キリスト教の一神教には、天空(人類・脳・男根)から地上(自然・肉体・女陰)を支配するという観念的な狂気が宿っている。この狂気は、脳が発達しているゆえメスザルよりオスザルが生きづらく、ボスの座を争ったり仲間に残虐行為をはたらく、人類が人類である前から用意されたもの。私も一匹のオスザルに過ぎない。
電車のドア付近から奥へ入っていこうとせず仁王立ちでスマホを操る若い女たち。食事はパンやお菓子。この映画の印象的な、うんこや死体にたかって蠢く甲虫やウジやバクテリアがとても神聖に見えること。そしてから揚げなど脂っこい食事をした翌日のうんこを、数日後に観察してみると通常のような分解が進んでおらず、一匹のセンチコガネが死んでいた。揮発性の毒が発生して、掃除役の生き物たちが集まらないとみられる。文明社会とは脳の欲望を外部化したものであり、スマホの女やスターバックスの若者は、健康の維持や子育てに必要な協同化から疎外され、一分一秒まで資本に還元されてしまう、文明の狂気の犠牲者といえないだろうか。
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今日は、
親友達と延期になっていた誕生日会です。
何をするのか聞かされていないのですが、
おそらく温泉いくのかな、たぶん。
楽しみー。
飲んで食べるぞーってことで
朝一でヨガ行ってきました。
自分に自身をつけるためにも
自分を大切に日々過ごそう。
自分のありのままを好きなってくれる人がいるこ
とをずっと願ってきたけど、それは憧れであって
現実ではないと、、気づいた。
人から好かれるためには努力が必要。
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「眼を瞑(つむ)って、そう、大きく、大きく息を吐くのよ」 辛いときお袋に相談すると、いつもそう言われて育った。成績が悪かったとき、友達から嫌われたとき、ささくれだった心を治してくれた。いまでこそ、成長して大人になって、それが「集中力のゾーンに入る」とか「怒りの制御(アンガーコントロール)」といったガクモン的な言葉になって理解できるようになった。まあ、大人になったから良かったかと言われると微妙なところではある。子供のころは、単にヨガ好きのお袋がことあることに呪文のように言っていることを、素直に繰り返しているだけだった。でも、お袋が話を聞いてくれた、それだけで良かったのを思い出す。 そういう、ちょっとしたアイデアを伝えてくれたあの優しいお袋は、何も言わず、少し硬いベッドでわずかにほほ笑んだように眠っていた。 私は、眼を瞑った。 数年前、帰国したばかりの私の電話が鳴って、駆け付けたときには、お袋は別人のようになっていた。重度の脳梗塞という。「幸いにして命は取り留めそうだが、どのくらい身体の機能が回復するのかは分からない」と担当した医師は告げた。深刻そうな顔だ。看護師も、こちらからの質問に対しては決して楽観的なことを言わない。これはもう、しょうがないと思った。諦めているのではない。手の届かないところで起きてしまったものは仕方がない、としか思えなかったのだ。そう自分に言い聞かせながら、診療室でぼんやり医師の話を聞いていた。 担当医の説明が一通り終わると、外の廊下の長椅子で親父がしょぼくれて座っていた。普段は意味もなく「ガハハハ、ガハハハハ」と豪快に笑っている男であったのに、長年連れ添ったお袋が病床に臥すと途端に意気消沈するものらしい。改めてみると、親父もずいぶん老け込んだ。私が子供のころは怖いぐらいに筋肉質の大男だったのに、30年の歳月を経て風船が破裂したようにしなびた老人になっているのを見ると、数年後には豆粒ぐらいの大きさにまで縮小しているんじゃないかという猜疑心すら湧く。そのまま土に埋めて水でも撒いたら親父の双葉が芽生える勢いだ。親父とお袋は老夫婦二人で暮らしている状態だったので、世話になっている警備会社に連絡を入れて、入院の間は一人暮らしの父のためにヘルパーと買い物の補助や弁当のサービスを契約してやった。 血を分けた息子である私には優しいが、お袋は機嫌が乱気流のように激しくて、そのたびに家族やら親族やら出入りの業者やら、誰かれ構わず喧嘩をしていた。幸いにして見つけた私の伴侶たる家内とも些細なことで喧嘩したまま、家内は家内で体調を崩してしまった。どこの家にも姑と嫁の問題はあるかもしれないが、客観的に見て家内のほうが物を申す筋は圧倒的に正しかったので家内に申し訳なくて、最終的に私もお袋と話す気力もなくなった。それもあって、実家から足はさらに遠のいた。家内の父も母も決して体調は芳しくなく、育ち盛りの子供たちの育児にも奔走せざるを得ないので、必然的に親父やお袋の世間的な面倒は私が看るしかなかった。家内の助力は得ようがないとは悟っていたが、書類その他整理するだけでもこんなに苦労するものだとは思ってもみなかった。それにしても保険証だ銀行の印鑑だと年寄はモノを失くす。たったいま捺したと思ったその判子をいきなりどっかにやってしまうのだからどうしようもない。 数日経って、お袋の意識が回復して一般病棟に移ったというので病院に足を向けてみると、お袋が懸命にフガフガ言っている。何かを必死で伝えたいらしいが、口が動かず何を言いたいのかさっぱり分からない。ただ、深刻な表情のままの医師から、半身不随にはなったが一命は取り留めたと聞いて、俄然親父が元気になった。もうお袋を連れ帰る気マンマンである。倒れたばかりで、これからリハビリだぞ。無理に決まってるじゃねーか。病室の薄い扉の向こうまで響く「ガハハハ」という声が入院棟にこだまして、眉をひそめて困惑する看護師たちにおずおずと注意されるまで、口の回らないお袋相手に親父はずっと話しかけ続けては大声で笑っていた。親父なりにホッとしたのか、あるいは気遣いもあったのか。 お袋が急性期を脱してリハビリ病院に転院すると、長引く入院が堪えたのかお袋は一日も早く退院したいと訴えはじめ、親父は親父で「ママのご飯が食べたい」と言い出した。年寄どもめ、こちらの気持ちも分からずに我が儘ばっかり言いやがって。ここから制度上目いっぱい入院できる半年間のリハビリ病院の生活が待っている。退院までしばらくはかかると伝えたら、今度は親父が露骨にがっかりした。年ばっかり取って、なのに、だらしない男だ。ジェットコースターのように気分が上下していて、こちらが悪酔いしそうになる。私も家内の体調が良くないし、育児その他家庭のこともあるし、極めつけは頻繁にあちこち出張もするので、実家には寄り付かず、ヘルパーさん任せで行けるところまで行こうと思っていた。 転機はあっけなくやってきた。人間、80代にもなると病気のデパートだ。お袋の退院も間近というところで、お袋の入院している近所の総合病院から「お父様が倒れました。すぐにきてください」という連絡を受けたときは、しょうがないと思った。買い物中に腹が痛いと言ってひっくり返ったという。家で倒れたら見つかるのが遅くて助からなかったはずが、人でごった返したスーパーの中で倒れるとは、親父もなかなか運のいい男だ。結局、夫婦仲良く同じ病院に運び込まれていて、どこかで見たことのある医師が相変わらず深刻そうな顔で「命には別条はありません」と説明してきた。集中治療室の窓越しに寝ている親父を見やると、口元にあてた透明の酸素マスク越しに口をせわしなく動かしている。まさか「ガハハハハ」とか笑っているのではあるまいな。 心配する家内や約束をしていた取引先に連絡を入れ、警備会社に実家の鍵を開けてもらった。正直、帰るのは十数年ぶりである。我が儘放題な親父とお袋に堪えかねて、折り合いの悪くなった我が儘放題の私は長年家を出たまま、誰からも迎えられることなく凱旋したというわけである。懐かしい記憶も、不愉快な思い出もたくさん詰まった古びた家だ。北向きの私の部屋は、半分物置になっていた。ヘルパーさんはちゃんと仕事をしているらしく、親父らしくなく綺麗に畳まれた洗濯物や、丁寧に掃除されたカーペットにはゴミ一つ落ちていなかった。ただ、どうやら私が手配した弁当屋はいつの間にか解約したらしい。親父が男手で料理したと思われる缶詰類が台所のゴミ袋に山と詰め込まれている。カロリー計算も食事のバランスもあったものではない。年寄が何ていう食事をしているんだ。そりゃ倒れるわ。 親父の保険証を探すべく、書類入れを漁ってみると、果たして後期高齢者保険証はぐちゃぐちゃながら存在した。しかし、それ以上に困ったのは支払われないまま放置された税金関連の書類と、大量に届いている請求書、そして滞納に対する督促状の束だった。どれも未開封で、一人暮らしになった親父の「絶対に支払うつもりはない」という強固な意志を感じさせるには充分な書類の数々である。いったい何をしているんだ、親父。しかし、とっくに督促期限が過ぎている住民税や固定資産税の書面にはいますぐ差し押さえるぞぐらいのことは当然書いてあるし、そればかりかまだ入院中のお袋の入院費用の請求まで無視ぶっこいてたことに気づいて、私は失神しそうになった。何で払わないんだ。仕方がないので、支払いの目録を作って一つひとつ連絡して回り、その場で支払えるものは片っ端から払っていく。 ……と、書類入れの下のほうから、これまた封の開いていない家庭裁判所から親父宛の分厚い書類が出てきた。随分、古い。中には、調停の決定という書類とともに、私の人生で見たこともない人物の名前と、それらが親父の家族であり、子供であるという内容が記されていて目を疑った。またか。別の封書には先方の代理人からと思われる文書が入っており、妙齢の女性と若かりし親父が赤ちゃんを満面の笑みで抱き上げている写真が、そこにはあった。何だこれは。腹が立つとか、悲しいとかいう感情ではない。最初に湧き上がったのは、しょうがない。これはしょうがないのだ、という虚しい心である。 私は、深く、大きく息を吐いた。 私の家でも、それなりの苦労はあったし、老齢に達して病に伏す親父とお袋をどう面倒見ていくのかという重い課題はある。しかしながら、それとは別に日々を「ガハハハ」と笑い飛ばして明るく暮らしてきた親父には幾つかの顔があり、お袋との生活の裏側にもっと幸の薄い家庭があったのかと思うと、この果てしない虚無から這い出すべっとりとした怨念のようなものを感じずにはいられない。息苦しい。その苦しさから怒りがニョキニョキ湧いてきた。 私も人生いろんな経験をし、またさまざまな人生を見てきた。私の感じる苦悩も困難も、自分なりに考え、対処しながら一歩一歩前に進み、丁寧に手を打ってこんにちがある。その間、別れて暮らしていた親父もお袋も、年を取りながら積み重ねてきたものがあると信じたい気持ちが強かった。しかし、そんな老夫婦が暮らす空虚な家に仕方なく足を踏み入れてみれば、請求書と督促状と、知りたくもなかった家族の新たな秘密だ。馬鹿野郎。みんなくたばってしまえ。可及的速やかにだ。灰も残らず消え去っていただきたい。支払いも不幸も知らないうちに、そっとお迎えが来ればみんなハッピーなんだろ。 積みあがった書類一式をぶん投げたい気持ちとともに息を大きく吐き出すと、それが退屈しない人生って奴だろ、と私の耳元で何かが囁く。こんな両親からもらった命である。しょうがない。しょうがねえなあ。病気になるのも、外に種がこぼれるのも、起きてしまったことをグダグダと考えてもしょうがねえんだよ。極論を言えば、私が生まれてここで幻滅しているのも、しょうがない世の中の避けようもない事柄の連鎖のひとつでしかない。対処できる奴が、対処できることを一つひとつ積み上げてやっていくしかないんだ。 諦めるしかなかった。この空っぽな家から生まれ落ちた自分が、親父とお袋の業を背負った生まれながらの一番の咎人なのである。主がこの現世から去ろうとするいま、私がこれを担うしかなかった。しょうがねえなあと頭をかいて事態に立ち向かうしか、きっと許されないからこそこの家は空虚なのだろう。 その空虚な家へ、一足先にお袋が退院をしてきた。半身不随とはいえ頭脳はかなり回復し、杖があればどこまででも歩いて行けるほどに機能を再獲得した。実に、元気である。待ちに待った自宅へ帰ってきたのだ。お袋は、良くしゃべり、良く笑った。親父が帰ってくるまでに、家じゅうを掃除しなくちゃね、と不自由な身体をせわしなく動かしては、せっせと居間を掃除している。ヘルパーさんが入っていて、掃除は充分行き届いているのだが、掃除をしているという気持ちがお袋にとっては大事なようだった。 もうヨガなどやることはないのに、ヨガマットを丁寧に丸めて部屋の端に立てかけた。長年愛用したマットだ。その横にある写真立てには、親父とお袋が私を挟むように写したお袋お気に入りの写真が飾られている。一通り掃除をし終わって疲れたお袋は、思い出の詰まった薄い写真立てを抱きかかえるようにして、私に「ちょっと。静かにして頂戴」と言った。さっきから、私は何も言っていない。何か幻聴でも聴いているのかと尋ねようとする間もなく、お袋は安心したのか低く硬いベッドに体を預けるとすぐに眠ってしまった。初夏の日差しは強かった。淡い色の薄手のカーテンを閉めると、私は休んでいるお袋の枕元に座った。 親父は果たしてこのまま退院するのだろうか。最悪の病状を脱し、住み慣れた愛すべき家に帰って幸福を満喫するお袋と、やはり老齢の域に達し徐々に衰えていく親父とが暮らしていくことはできるのか。知らない家族とか。財産とか。心の中に溜まった滓のような悩みを、息に乗せて深く吐き出した。 ◆ 閉じた眼を開けようとしたその刹那、私は知った。私もまた、この空虚な家の一部であることを。もう子供のころ無邪気に話した、笑う親父も優しいお袋もこの家には誰もいなくなって、やがて私は、この虚無の主となるのだろう。 すべてを、悟った気がした。その瞬間、気配を感じた。もう失われた、子供のころの、この家の何かだ。帰るところは虚無に飲み込まれて、ただ生きてきた記憶だけが紡がれる。それさえも、いずれ私が朽ちるころにはいったい何が残るだろう。 そっと眼を開いて、お袋の姿を見た。
眼を瞑って、そう、大きく、大きく息を吐くのよ | 文春オンライン
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安倍晋三元首相の銃撃事件から1週間が過ぎた。母親が宗教団体に多額の寄付をしたことで家庭が破綻(はたん)し、恨みを持っていたという山上徹也容疑者(41)。その母親と同じ団体の元信者が、幼いころの山上容疑者の様子や、当時の母親の信仰心の強さについて語った。 「かわいらしい子だったのに、あんな事件を起こすなんて信じられません」 そう話すのは、旧統一教会(現、世界平和統一家庭連合)の元信者の女性だ。 「かわいらしい子」と表現したのは、安倍元首相を銃撃し、逮捕された山上容疑者のことだ。 この元信者の女性は、山上容疑者の母親が30年近く前から旧統一教会に傾倒し、多額の寄付をしていたことを覚えており、当初は旧統一教会側も母親を大事にしていた印象があったという。 「統一教会は、山上容疑者の母親が入信したときに家系図を書かせ、預金通帳も供養するからとチェックして、こと細かに事情を聴いて資産状況を知っていたからです。山上容疑者の祖父が亡くなると、相続人の一人が母親であることをすでに知っていたようです。お母さまに、山上容疑者の祖父が亡くなる前に大阪府内の家を売却させて、法外な2千万円を寄付させていました。その時は、統一教会の幹部もすごくうれしそうな表情で、『神の祝福がある』というような話を信者の前でしていました。お母さまも『祝福があるはず。とてもうれしい』と話していました」 そして、山上容疑者の祖父が死亡すると、母親はすぐに、経営していた奈良市内の建設会社の不動産も売却した。 「三つの物件で1億円近くを寄付されていました。また、祖父の会社のお金も出していたようです。お母さまは統一教会の狙い通り、ほとんどを寄付して、その結果破産しました」 山上容疑者の祖父が大阪府に所有していた家の不動産登記簿を調べると、1998年8月に売却されていた。周辺の不動産評価から、2千万円前後だったとみられる。そして2002年には破産しており、元信者の女性の証言と符合する。 女性によると、山上容疑者の母親は熱心な信者だったという。山上容疑者の父親が自殺し、祖母も早くして亡くなった。不幸が続き、母親の不安や悩みに旧統一教会が付け入ったという見方だ。 「山上容疑者本人を見たのは、お母さまに誘われてご自宅にうかがった時です。『長男(山上容疑者の兄)は体が弱くて大変なの。けどこの子は元気いっぱいです。私が(統一教会を)信仰しているおかげです』とうれしそうに語っていました。山上容疑者が高学年だったかな。あいさつもしっかりしていて、はきはきした感じで。あんな事件を起こすなんて夢にも……」 女性はそう振り返った。さらに、自宅内に置いてあった統一教会関連の商品を見て驚いたという。 「一戸建てのご自宅には、統一教会のつぼだけで三つか四つはありました。他にも数珠、印鑑、多宝塔に、1冊何百万円という本などが山のように。時の宴ペンダント、ぶどうの実ペンダントなど1個何百万円もするようなものも並んでいました。私はお金に余裕がなく、活動で教団に尽くしてたので、(山上容疑者の家は)すごいお金持ちなんだなと思いました。お母さまは『統一教会の教えを守って、ご先祖様を供養したい』と話していました」 千葉県内の女性が旧統一教会に購入されられたという商品の一部(2008年撮影) 千葉県内の女性が旧統一教会に購入されられたという商品の一部(2008年撮影) そのころ、旧統一教会は霊感商法が社会問題化し、歌手の桜田淳子さんら著名人が韓国での合同結婚式に参加したことが、大きな騒ぎになった。 そのなかでも、旧統一教会は全国にある支部に毎月、「ノルマ」として寄付集めを競わせていたという。 「私の知る限りですが、支部には毎月、寄付の目標があります。例えば『今月は1千万円の寄付を目標に』と幹部が押し付けます。しかし簡単に達する金額ではありません。幹部は資産があるお母さまを頼るのです。それが幹部の出世につながる。お母さまは、最後、統一教会に言われて消費者金融にまで手を出して破産したと聞きました。それでも信仰を続けました。だけど統一教会は、お金がないと思ったのか冷たくしていました」 全国霊感商法対策弁護士連絡会の加納雄二弁護士は、 「統一教会の収入のうち、7割が日本からで、寄付、霊感商法、合同結婚式の参加費用関連などで占められているようです。寄付のノルマを課し、信者や支部の責任者としてはやしたて、より多くのカネを集めようとしていた。それは、統一教会がダミー会社を設立して、セミナーを開催し、高麗人参などの健康食品や家系図などを販売する手法とも同じです。ダミー会社が違法な販売で、刑事事件となり有罪判決となった例もある」 と説明する。 霊感商法で売られていた壷(1987年撮影) 霊感商法で売られていた壷(1987年撮影) 山上容疑者の母親は、統一教会の聖地とされる韓国・清平(ちょんぴょん)の教団施設で、40日間続けて行われる「HJ天宙天寶修錬苑」に何度も参加していたという。修行の内容は、ヨガやビデオの視聴、講座、祈とうなど。1回につき、渡航費を含めて100万円近くの費用がかかるそうだ。 元信者の女性が話す。 「修練会に行くというのは、修行のようなものです。多額のお金がかかり、40日と長いのでそう簡単に参加できません。信者が修行に行くというのは、支部の幹部にとっても統一教会本部へのアピールになります。お母さまは病気がちの長男を連れて親子で参加していたこともあります。『ご先祖様も安心され、長男の病気も治るはず』と言っていました」 一方で、元信者の女性は統一教会への不信感が募っていったという。 あまりに頻繁に寄付やつぼの購入などを要求され、出す人が優遇されて、出せない人は幹部からつるし上げられる。元信者の女性は、家族から「絶縁する」と言われ、周囲からの説得もあり、脱会を決意する。入信してから7、8年ほどした時だ。 「山上容疑者のお母さまからは『一緒に続けましょう』と何度も説得されました。私が脱会の決意をしたのはお母さまの破産も一つのきっかけでした。それまでお母さまを大事にしていた支部も、『金の切れ目が縁の切れ目』とばかりに、粗末に扱うようになりました。また、お母さまの親族が統一教会に入信していなかったことに幹部は『信仰が足りない』なとど叱責(しっせき)していました。今思えば、お母さまの親族が安定した仕事についておられたようで、統一教会はさらなる寄付がほしいと考えていたようです。幹部の言うことは絶対の統一教会。お母さまはいくら叱責されても、グッとこらえていました」 加納弁護士によれば、 「統一教会は、信者の家族、親族を入信させて親子何代と続けて、寄付させて、カネもうけの道具にする。そういう集金の構図をすでに完成させてします。だから、信者になると家族、親族を絶対に入信させようとするのです。ゆえに統一教会2世、3世が苦境に立たされている」 と指摘する。 高校時代の山上徹也容疑者。応援団員として活躍した=卒業アルバムから 高校時代の山上徹也容疑者。応援団員として活躍した=卒業アルバムから このように指摘される寄付について、世界平和統一家庭連合の広報部に問い合わせた。 ノルマのようなものがあったかどうかについては、 「ノルマはないです。2009年以前は、ノルマではないが、教会長によっては行き過ぎた献金指導がありました。その代表的な例として、『家土地売って、財布を置いていけ』というのもありました。教会長は罷免(ひめん)になりましたが、そういったことも含めて反省があり、09年にうちの法人の会長が謝罪し、離職しま��た。その後、コンプライアンス宣言をして、法令順守を掲げ、鋭意体制を見直しながら、より良い教会づくりに努力しています。今はそういったものはありません」 と回答した。韓国・清平の教団施設の件については、 「『清平40日修練会』といいます。修行の内容は、ヨガ、ビデオの視聴、講座、祈祷のほか、奉仕活動、原理講義の受講、奉読などです。コロナ禍になって、韓国では集団での集まりが規制されたので、この2年間くらいは日本からの参加者はいません。韓国でも修練会はストップしています。(山上容疑者の)母親が参加していたかどうかは把握していません。母親と連絡もとれていません。奈良家庭教会も、脅迫のような電話がかかってきたため封鎖しており、確認が難しい状況にあります」 と説明。参加費が100万円かかるという点については、 「渡航費も含めて100万円はかかりません。時期によっては渡航費が高くなりますが、修練会費だけでいえば、寝食も含めておそらく40万円くらい。韓国のホームページでは修練会費は70万ウォンと記載があるので、今なら7万円程度です。正確には調べてみないとわかりません」 と話した。 また、信者の家族、親族を入信させて親子何代と続けて寄付させるという指摘については、 「信者の家族や親族、友人知人を入信させていくのは、氏族伝道といいます。かつては訪問伝道、街頭伝道が主流でしたが、09年以降は氏族伝道になりました。宗教法人なので一番大事なのは布教。信者が増えないと話にならない。信者が増えると、月々の『11条献金』(月収の十分の一程度の寄付)が増えます。人が増えると献金が増えて、教会の運営も盤石になります。とにかく布教が一番になります。09年以前も、家族や友人などへの伝道はやっていました。ただ、氏族伝道という言い方はしていなかったと思います」 と話した。 旧統一教会への恨みから安倍元首相を殺害するという前代未聞の事件。山上容疑者の犯行動機の背景が明らかになるには、旧統一教会との関係が最大のポイントになりそうだ。 (AERA dot.編集部・取材班)
【独自】旧統一教会の元信者の衝撃告白 私が見た「山上容疑者」と母親の「法外な献金」 | AERA dot. (アエラドット)
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感謝!

(Light)
ブログの新規投稿が
できるようになりました!
あと私はすごく集中力が低くて
脳に問題があるのかなと思って
ネットで調べたりサプリを探したり
していました。
すると
「沸騰する音」
これがすごく心地よいことに気づきました☺️
温泉とかで聞くような音です。
今まで私の頭の中には遊園地があって
乗り物に乗ったり歌ったり
食べたり話したり
いろんなものが好き勝手してて
まとまらない状態でした。
その隙を見て勉強してましたが
疲労が半端ない😅
祈ってました。
この音を聞くとすごくスッキリして
目の前のことに集中できる気がします✨
ちょっと続けてみてまた報告します〜
(私はBoilingの音が好きです)
2024.05.07
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すべてがこわばっている
私は昔から過緊張気味で全身がこわばっている。過緊張というのは人前でのあがり症ということではなく、常に意識が全方位に向けられるみたいな状態が続いてしまう的なことで、交感神経と副交感神経のスイッチがうまくないということである。自律神経がいかれがちというやつである。
まじで身体を壊したなというタイミングは20代だった。100%仕事のストレスで、顎関節症が悪化して口が開かなくなるわ全く眠れなくなるわで散々だった。なので、当時の仕事をばつんと辞めて以降、ストレスをためたら物理的に死ぬ、ストレスはメンタルや考え方の問題というより物理ダメージ、という旗を掲げて現在まできた。ストレス緩和は心の持ちようではなく物理的になんかする必要がある。身体のケアをするとか環境をよくするとか。いっぺん受けた物理障害はなかなか全回復までいかない。歳を重ねると「身体の耐用年数ってあるんだなあ」という気持ちがめっちゃ湧く。
昔は肉体・感情労働に近かったが現在はほぼデスクワークであり、これも身体にかなり悪い。長時間座ってること自体がだめだし首にも腰にもダメージがある。ストレッチとか軽運動はしているがそれでどうにかなるようなもんではないのだ。デスクワークは身体に悪い。ヘルニア持ちなのでかなり気を遣って生きている。顎関節症もまあまあ調子が悪い。ちょっと心身に負荷がかかると敵面に顎の具合が悪くなる。ストレス過多・過緊張で噛み締めが強すぎると歯に悪影響も出る。まじで出る。具体的には歯に負荷がかかりすぎて膿んだり骨が溶けたり歯茎が下がったりする。手術もしたし抜歯もしたしわりと大事である。虫��は長いこと発生してないので口腔ケアとかの問題じゃなくて、物理的に壊れていくのだ。20代で患ってから寛解したとは言い難いのであれなんだが自律神経はだいたい調子が悪い。睡眠はもう社会性を完全に捨て、「眠くなったら(とはいうがねむみが来るわけではなく肉体の物理限界でシャットダウンみたいな感じで)寝て、自然に起きるまで寝る」を年単位で敢行したことで眠れるようにはなった。これはそれができる環境に自分がたまたまいられたからできたが、できなかったらもっと悪化したかやべえことになっていたような気がする。
首にも腰にもヘルニアがあるが、手術をするほどではないが調子はそれなりに悪くなりがち、という付き合っていくしかない持病である。首の場合は手の痺れや背中から胸にかけてのギックリ背中的な激痛を伴うことがある。これは筋肉の柔軟性がまるでだめになると起こる。ストレッチや整体を継続的にやっていくしかない。ちなみに腰の場合は腰そのものではなく下肢の神経に影響が先に出る。私の場合は「膝の調子がなんか悪い?」と思って整形外科に行ったがなんともなくて、なんだろうなと思ってるううちにギックリ腰的なものになり、腰のヘルニアですねーとなった。肩こりも腰痛も自覚がないまま、体感的には急に悪化したような感じで出るが、姿勢なりなんなりの悪さや全体的にこわばって負荷がかかり続けた結果こうなのだろう。ストレートネックどころかストレート背骨なのでぱっと見の姿勢はむしろ良い。ただめちゃめちゃ骨に負荷がかかりやすいので、筋肉が衰えると一気に悪化するだろう。筋肉はなかなかつかないが去るのは早い。肉体の維持は面倒だがやってかないと死ぬ。どこもかしこもこわばっていて、安らぐ感じになかなか辿り着けない。数ヶ月ぐらい湯治したいという気持ちがめちゃある。健康になりたいというより安心してゆるまりたいのだと思う。
最早どっちが先かみたいな感じだが、自律神経がいかれているということはホルモンのバランスもまあまあいかれていて、何が正常なのかがわからない。一応サイクルはあんまり壊れてないので、一般的な基準値ではなくても安定してるならいいんじゃないのか??? ていう気持ちで生きてる。標準に合わせようとするとそれはそれで不具合なんじゃないのかという。医者には行っているが、正解がわからないので自分基準で「生活できる」に合わせていくしかないのだ。
最近はNike Training Clubのアプリでちょっとした運動を地道にやっている。筋トレ・ヨガ・ストレッチ・呼吸法等のレクチャー動画プログラムが用意されている。無料である。すごない? 以前はジムに通っていたがトレーナーとの意思疎通が難しかったので(私は健康的に太りたいのだが、痩せる方向の意識でしか会話ができなくてやめた)。食わないと筋力もつかねえということはわかっているのだけど1日2食〜1.5食ぐらいのペースから食事量をどうしても上げられない。もうちょっと食ったほうがいいのはわかっているんだが。というか私はどうやって生きてるんだ? カロリー摂取量基礎代謝でたいがい終了してないか? 太りづらい人は筋肉もつきにくい、逆に太りやすい人はトレーニングさえすれば筋肉に変換できる! という話をスポーツやってる人が言っていた。やはりまず食うところからなのだろう。
ここしばらく身体の調子が全体的に悪い、何がどうという決定的な何かがあるわけではないが調子が悪い、と思い久しぶりにマッサージへ行った。マッサージ屋さんやサロンにも様々ある。整骨整体院がやってるものからヒーリングリラグゼーション主軸のものから美容主眼のものまで色々である。以前、首をやられて肩が動かなくなったとき、診断を受けた病院で理学療法士さんのやってるマッサージというか整体というかあっためて揉んで動かすリハビリに半年ほど通った。その時期は調子が安定していたので、ああいう風なのを継続的にやる必要があるんだなと思った。
病院にかかってるわけではない状態で、そういうのはどうやったらできるんだ? というので整体とか整骨院とかも色々行ったが、多分スポーツ寄りの整骨なり整体なりマッサージ屋さんに行くべきなんだというのがわかった。おじいちゃんおばあちゃんメインのとこだとおじいちゃんおばあちゃん向けの基準があるため私は割と健康扱いになってしまうのだ。スポーツ寄りのところだともうちょっと身体に向き合う方法に寄せてもらえる感触がある。ただガチ目アスリート向けのところに行くとお門違い感があり、健康維持ぐらいの感じで行けるところが必要で、家の近くで、と思うと限られてくる。今は街中に住んでて本当に助かっている。実家では物理的に存在しないので。
今回初めて行ったマッサージ屋さんはマッサージとはいうがカジュアルなスポーツセンターに併設しているところで、どちらかというと整体というかストレッチというかそういう調整をしてくれるところだった。なにもかもこわばっている身体でいきなり強運動するとぶっこわす(以前壊しました)ので、動ける状態に持っていく必要がある。マッサージの担当の方に「身体が硬いというよりずっと強張ってる感じですね〜」と言われた。そうなんだろうな。眠れてはいても安らいだ感じはしないので。こちらから言ったわけでもないのに「噛み締めが強い」とか「頭痛がありそう」、「首が悪い」とかどんどこ指摘されてその通りなので、身体や筋肉を理解する能力というのはすごいなーと思いながら施術を受けてきた。久しぶりに首が無理なくまわせるようになった。
私の地味な目標に、近隣の山の登山がしたい、というのがある。現状では無装備で行ける観光周遊コース程度が限界なのだが、体力と調子を用意して山に登れるようになりたい。
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(セルフ)ケアのことを恋人と話していた
「セルフケアって、何やるの?」と聞かれて、「湯船に浸かったり、化粧水塗ったり、健康なものを意識的に食べたり、はやく寝たり、ヨガしたり、からだをマッサージしたり……」と答えたんだけど、ぴんと来なかったみたい たしかにそれって、再生産労働だし、ただただ生活していてもできることではある
「しないわけではないけど、するには面倒なこと」を「ちゃんとやる」のとは、どこが違うの?という反応だった 自分にストレスかかっているか判断できないほど非-客観的ではないと思うんだけど、と
それで、わたしはなにを「ケア」と呼んでいるのだろう?と思ったのよね
音楽を恋人のとなりで一緒に聴きながら、ふとひらめいた
「ケアって、ものいわぬものへの応答じゃないか?」
たぶんこれだ!!!!!!直観がそう言ってた(ケア論やってたのに、ケアの定義すらしてない/覚えてないのもあれでしたね)
げんきが出ないときに踊れる音楽を聴くとか、ふらふらはしないけど体調が悪かった���無理せずに仕事を休むとか、気分を切り替えたいときにいい匂いのせっけんで身体を洗うとか、身体が凝ってる感じがしたらヨガをするとか、そういうことをわたしは「ケア」だと思ってそう呼んでいるのね
それは、「いまの自身の状態をみてみる、把握しようと努める」こと、そしてさらに「自分が心地よくなるために、どれが効果があるかはわからないけど、あれこれいろんな手段をためしながら使ってみる」ということなんだよね
なんとなくそれって、「赤ちゃんが泣いてるのを、どうにかこうにかして泣き止んでもらう」みたいなのと近い感じがする 明確に言葉で「これが不足している、必要なのでこうしてくれ」とかではないんだけど、「泣く」みたいなサインがあって、それに応えて、「ミルクかな、おむつかな、だっこかな」といろいろやってみるという こうすれば解決する、という一対一の対応関係ではなく、その場で反応を見ながらやってみて、慣れてきたらこの感じはこれかな?ができるようになるような…… 「泣く」というサインが、「ニーズがある」ことだけを示していて、それを探るところからはじめなくてはいけず、解決方法やアプローチもたくさんある そんな感じ
何を言いたいか、何が必要なのか、明確にはわからないけれど、それでもそれに応えて、あれやこれやと、何かをしてみること
そのことが必要なのだと思うし、わたしは「ケア」と呼びたいと思う それは簡単なことでも、すぐにできることでもないんだけど、だからこそ大事にしたい
言葉ではなく、「なんとなく感情が平坦、あるいは過敏」とか、「肩が凝っている」とか「手足が冷えてる」とか、そういうサインしかないとき、それに対して「お気に入りの音楽を聴こう」とか「あったかいお風呂にはいろう、銭湯に行こうかな」とか、何かをおこなうことじゃないかなあって思う
肌が荒れたら、化粧水を塗ろうとか、お菓子を食べるのを控えようとか、コーヒーじゃなくてカフェインのない飲み物にしようとか…… そうやって、生成的な応答、試行錯誤を、わたしは「ケア」と呼んでいるんだと思う
正解がないことに耐え、それでも応えることをやめないこと
なにか違和感があることに気づき、それをほったらかさないこと
じぶんが満ち足りているか、必要なものは充足しているか、何かによって阻害されたり損なわれたりしていないか、確認すること
ものいわぬものへの応答がケアなのではないか、と思ったのよ
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心を広げると苦しみは消える
コップの水に石ころを一んつ放り込んだら、多くの水がこぼれて、大変だ。
洗面器の水だったら、こぼれるまではいかないかもしれないけど、かなり波立って大変だね。
でもプールだったら? ジャポンと音がして波立つけど、プール全体からいったら、あまり大したことはない。
じゃあ、大海だったら? 石ころ一つ放り込んだって、ほとんど影響ないね。
何を言いたいかというと、自分の心を広げれば、苦しみや悲しみは消えるんだよ。
逆に言うと、心の狭さが、どうでもいいできごとを、不満や苦しみに結び付けてるってことだ。
でも、ヨーガや仏教の定義では、本来、心というのは大海のように、無限に広がっている。それを狭めているのは、様々な『壁』だね。
他人に対する壁。
自分の中での、壁。
観念から来る壁。
まあ、あまり細かい検討は、長くなるのでここでは避けるけどね。それは皆さんそれぞれ自己分析してみたらいいと思います。
それらの壁がね、本来無限に広い、心の世界を狭めている。
だから様々な小さな出来事が、ものすごい大変な苦しみに感じられてしまうんだ。
だから逆に心を広げれば、苦しみは消えるんだ。
そのためにはいくつかの方法がありますね。
一つ一つの壁の正体を分析して消していく。これをジュニャーナヨーガの方法といいます。
あるいは、本来、完全に無限に広がっている神に心を合わせ、その完全な状態をいただく。ちょっとずるいような気がするけどね(笑)。これはバクティヨーガだね。
あるいは、周りの人々や生き物への愛をね、好き嫌いを超えた、平等な無限な愛を広げていく。これはバクティヨーガの変形としての、慈悲のヨーガだね。
あるいは、ひたすら自己や宇宙の本質に精神集中することで、その広大さを体得する。これがラージャヨーガだね。
あるいは、神秘的なエネルギーの力で、物理的に壁をぶち破る。これがクンダリニーヨーガだ。
まあ、いろいろ書いちゃったけど、難しく考えなくてもね、まずは、壁を越え、心を広げてみようと、考えるだけでもいい。
何らかの理由による心の狭さが、今の自分の苦しみを作り出しているんだということを考えるだけでも、ハッと気づけるかもしれない。
なぜなら、本来の自然な我々の心は、もともと無限に広大なんだから。
Sri Shavari
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クィアたちのZINE交換【後編】

前回の記事に書いたが、ZINE交換会で、私は7冊のZINEをいただいた。 今回の後編では、それぞれを読んだ感想をまとめてみる。
※作者がセクシュアリティをどの程度オープンにしているか分からないため、ZINEの作者名は伏せています。 ※オンラインで公開・販売されているものについては、末尾にリンクを貼っています。
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■「ノンバイナリーがわからない」というテーマ詩またはエッセイ シンプルな紙面から、生きているだけで「男/女」と申告させる社会への失望が伝わってくる。これまで深く知る機会のなかった生きづらさに気付かされる。 「お兄さん」「お姉さん」という呼びかけも、時として相手のメンタルを削ることを学んだ。会話の端々で、知らず知らずのうちに相手を「男/女」のカテゴリーに当てはめていたかもしれない……と怖くなる。
「男/女」のあわいにいる人と同じ社会に生きているのだと、もっと意識して生活しなければと思う。 そして、無意味な性別の振り分けをなくす方向に社会を変えることも必要だ。当事者を死に追いやるレベルの苛烈なトランスヘイトが実際に起きている今、一層強く感じる。 シスジェンダーの自分には、まだまだ見えていないことがあると気付かせてもらえた一冊。
■YOGA HAMSTER STAMP ���ガのポーズを、素朴なハムスターのイラストと共に解説するZINE。 モフモフしたハムスターが、1ページごとに「チャイルドポーズ」「猫のポーズ」などを決めている。手足が短いなりに頑張っていて可愛い。
様々な研究で、クィアが精神を病む率は、そうでない人よりも高いことが分かっている。 体をほぐし、リラックスする時間を意識的に取ることも、クィアとして豊かに生きる上では大事だなと認識した。いや……いっそハムスター飼う?
■LIFE LIFE LIFE vol.3 そうだ、京都行こう 写真が趣味の6人(Gender Identityは男性寄りと思われる)が、京都で撮った作品をまとめたZINE。 作品と共に、撮影エピソードも載っている。歴史ある町並みや自然の佇まい、旅の興奮が伝わってくる。
ZINE作りに参加した6人のうち、3人は一緒に撮影旅行をしたそう。 1人では挑戦しづらい着付け体験に連れ立って行き、着物姿で街を散策しながらお互いを撮り合う。スーパーで食材を買い、airbnbの宿で一緒に料理をする。朝は古い喫茶店でモーニングを楽しみ、香り高いコーヒーを優雅に味わう。 エッセイパートで若者たちの予測不能な旅の面白さを追体験しながら、友達が家庭を持ってしまった今はこんな旅行もしづらくなった……と少し切なさもよぎる。
なお、この3人のうちの1人が、旅先で気分が落ち込んでしまったときに2人がそっとしておいてくれて嬉しかったと書いており、印象に残った。 自分が相手より優位に立っていることをアピールしたり、キャバクラなどの空間で女性にケアしてもらいながら親睦を深めたりする「ホモソーシャル」なノリではなく、お互いに褒め合ったりケアし合ったりする友情の育み方が、読んでいて気持ちよかった。 作者のクィアネスについては特に触れられていなかったが、シスへテロ男性らしさを要求されないコミュニティが、作者の精神を支えているのかもしれない。
■Q&Q スモールトークが苦手なわたしのための質問カンペZINE A6版の手に収まるサイズ感と、ポップなイラスト、ドミノピザの箱のような色使いが可愛い。 イベントで初対面の人と実のある対話ができるようにという心遣いから、各ページに「今日はどうしてこちらへ?」「今の社会に足りないものはなんだと思いますか?」などの質問が並び、読者(ユーザー?)はページを指差したりめくったりして会話を進めるという仕組み。便利!
趣味や好きなカルチャーに関する比較的軽い質問もあれば、「どんなジェンダーの相手とでも、友情は成り立つと思いますか?」「自分の力で社会は変えられると思いますか?これまでに何か変えられた経験はありますか?」など、ぱっと答えられないような深い質問もある。
後ろの方には、作者が推している海外ドラマや本などの紹介も付いていて、世界が広がる。 最近はセクシュアリティの問題を扱った作品の数が増えて嬉しい反面、作り手側に深い理解や考察のない作品は観ても傷つくだけなのでうかつに手を出せないという現実もある。 セクシュアリティについて日々真剣に考えている人から、口コミで良作を教えてもらえるのは有難い。
読んだのがイベントから帰った後だったので、作者の方と会場でこれを使って喋れたら更によかったかも。次回に期待。
★おまけ★ 「どんなジェンダーの相手とでも友情は成り立つか」について: 友達になれないと感じるジェンダーの人は思い浮かばないが、テレビに出ているゲイやトランスジェンダー(ドラァグクイーン)に時折見受けられる「自由=性的に奔放」という考え方は苦手だなと思う。 タレントの恋愛相談に「積極的にどんどん行っちゃいなさいよ!そうやって経験を積んで人は大人になるんだから~」と答えるオネエ言葉の人たちは、恋愛やセックスをしない自由という発想がなさそうなので、友達になれる気がしない。知り合い止まりにしたい。 でも、あの人たちも、テレビが作り上げたステレオタイプを演じさせられているのかもしれない……どうなんだろう。 ドラァグクイーンでも文化人寄りのヴィヴィアン佐藤さんあたりは、恋愛相談に対してもっと深みのある言葉を返すのではないかと思う。
■アセクシュアルである私がどのようにしてサトシに救われ、今回の件でどのようなことを考えたか 2022年の冬、25年もの期間にわたって放送されてきたアニメ版ポケットモンスター(以下「アニポケ」)の主人公が、次のシーズンからサトシではなくなることが発表された。 このニュースは、アニポケのオタクであり、アセクシュアルでアロマンティック傾向のある作者にとって、人生を揺るがす出来事だった。
作者は、小学校時代から自身のセクシュアリティを自覚し、友人の恋バナについてゆけず疎外感を味わってきたという。 恋愛に無頓着でありつつポケモンバトルに魂を燃やし、そのまっすぐな生き方で人々に愛されるサトシの姿は、作者にとって救いだった。 脚本を書いた人は意図していなかったかもしれないが、テレビの前でアニポケを観ていた一人の小学生は、恋愛がなくても充実した人生を送ることができるというメッセージを受け取ったのだ。
主人公の少年が戦いを通じて成長するストーリーの少年向けアニメでは、多くの場合、サイドストーリーとして恋愛が描かれる。 「るろうに剣心」「NARUTO」「鬼滅の刃」など、主人公と女性キャラクターのカップルをぱっと思い浮かべられる作品は多い。 これらの恋愛は基本的に異性愛であり、同性カップルは登場しない。ほとんどの少年向けアニメの世界観は、シスへテロ恋愛規範に基づいていると言えるだろう。 こういった状況にあって、物語に恋愛を持ち込まないアニポケは、作者にとって抵抗なく楽しめる希有な作品だった。 サトシに好意を持つ女性キャラクターが登場しても、サトシにはぴんと来ず、「そんなことよりバトルしようぜ!」という態度を取る。そして、周囲はそんなサトシを責めたり馬鹿にしたりせず、「まあサトシだからね」と受け入れる。 こういった物語に触れることで、恋愛感情の湧かない作者は、自分自身も肯定されたと感じていた。
しかし、サトシが主人公のアニポケは、もう制作されない。作者の心の支えが、一つ失われてしまうのだ。
そして作者が危惧しているのは、「NARUTO」→「BORUTO」のような続編への移行だ。 「NARUTO」の続編である「BORUTO」は、「NARUTO」の主人公うずまきナルトとヒナタの息子が主人公。 この展開によって、主人公が異性と結婚して家庭を持つ=ハッピーエンド、という原作者と制作者の世界観が鮮明になった。 もし、同じように次期アニポケの主人公がサトシの子供になってしまったら――それはつまり、制作者の中に、「バトルに熱中していた少年も、大きくなれば異性を好きになって恋愛→結婚・セックスするのが当たり前」という考え方があることを意味する。 これまでアロマンティックやアセクシュアルを肯定する存在だったサトシが、シスへテロ恋愛の模範として再定義されてしまうことを想像し、作者は何度も泣いたという。 やり場のない不安を整理すべく、このZINEが作られた。
このZINEが突きつけてくるのは、恋愛や性愛のない人生を肯定してくれる物語の少なさだ。 純文学などの中には探せばあると思うが(谷崎潤一郎「細雪」とか)、沢山の人が楽しむアニメや漫画などのポップカルチャーの中に、主人公が恋愛なしで満たされている作品を見つけるのは難しい。 2022年、主人公がアロマンティック・アセクシュアルのドラマ「恋せぬふたり」がNHKで放送され、話題を呼んだ。 このような、恋愛に縛られない幸せの形を提示できる物語が、もっと作られてほしい。 そして、私も何か書けるかな……。
https://note.com/ichijosayaka_59/n/n93046e8a589f
■2306 最悪のプライド月間を、なんとかやり過ごすZINE 1968年にアメリカで起こったクィアによる反差別運動(通称「ストーンウォールの蜂起」「ストーンウォール事件」)にちなみ、6月は「プライド月間」とされている。 今年の6月も、世界各地でセクシュアルマイノリティへの理解を深めるキャンペーンやイベントが行われた。 日本でもこうした取り組みは盛り上がりを見せたが、一方でLGBT理解増進法案が保守勢力によって骨抜きにされるなど、国や社会によるクィアへの抑圧が鮮明になるような出来事もあり、国内のクィアにとっては希望を感じづらい1ヶ月となってしまった。
このZINEには、ゲイであり鬱療養中の作者がこの6月をどう過ごし、何を考えたかが記録されている。文章の合間にゆるい漫画や犬の写真が配置されているので、深刻な内容があってもそこまで肩肘張らずに読めて有難い。
鬱によって思い通りに動かない身体。過去に受けた性被害のトラウマ。 反差別というメッセージが限りなく薄められたLGBT理解増進法案や、SNSでのトランスバッシング。 彼氏が両親の留守中に犬の世話をするため実家に帰ることになり、こっそり同行させてもらうという楽しいイベント。 彼氏が両親にカミングアウトしていないため、表向きは友人を装わなければならない現実。 彼氏と犬のユズちゃんと共に過ごした穏やかな時間。 無職である後ろめたさ。梅雨時の湿気。 その時々の作者の感情が、グラデーションになって迫ってくる。
二人と一匹の間に流れる温かい空気を感じながら、二人が堂々と一緒に暮らせないことを悔しく思う。 また、病気などの理由で一日八時間労働が難しい人が社会から零れ落ちてゆくような現状も、もっと改善できないものかと感じた。 (「Marriage for All」に署名し、選挙の時も人権意識のありそうな人に投票するようにはしているが、まだ足りないんだろうな……。) 一応、作者が欲しいものリストを公開した時に、応援を込めて1品ポチッとした。まだ足りないだろうけど。
※「はじめに」のみ公開 https://nigenige2020108.hatenadiary.jp/entry/2023/06/30/090000
■恋愛も結婚もセックスもしたくない人がいるんです アロマンティック・アセクシュアルである作者が、自身のこれまでの人生と現状、将来のビジョンをエッセイ漫画にしたZINE。
作者は30代で、性自認は女性。アロマンティック・アセクシュアルでありつつ、BLが好きで百合も読む「腐女子」。 自分が恋愛や性愛の当事者になりたくはないが、フィクションの恋愛や性愛は読者として楽しめる、ということになる。
恋愛を経ての結婚をする気はないが、何かあったときに助け合える人がいてほしい気持ちもあり、いわゆる「友情結婚」にも興味がある。 助け合うことと恋愛・血縁が分かちがたく結びついている現代社会では、恋愛感情や性欲がなかったり少なかったりすると孤立しがちだな……と改めて認識する。 「恋愛経験がない/少ない=人間的に未熟」というバイアスに苦しめられるくだりは、共感しかなかった。
平日は金融機関で働き、週末にオタ活を楽しむ作者の人生は、ちゃんと充実している。 変わるべきは、「人生には恋愛と性愛があるべき」という価値観を振りかざし、無駄なコンプレックスを味わわせる世間の側だろう。 恋愛・性愛のない豊かな人生はあり得るという希望を見せてくれる、爽やかな読後感のZINEだった。
※8/11時点でこのZINEは完売、続編は購入可能 https://hinotoya-akari.booth.pm/
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こうして感想を並べてみると、作者7人のセクシュアリティと抱えている事情が千差万別であることに、改めて驚く。 本やウェブで「LGBTQ+とは?」みたいな解説を読んだだけでは絶対に見えてこない現実と実感が、それぞれのZINEから生々しく伝わってくる。
社会がカテゴライズした性別や恋愛・性愛規範に自分を無理矢理当てはめて解釈しようとすると、どこかで無理が生じる。 クィアはそうでない人より無理をしなければならないが、自分がクィアだと明確に認識していない人も、実は無理をしていることがあるのではないかと思う。 (「性自認が男なのにメイクしたいと思うのは変かな?」「恋人との時間より友達との時間が楽しいと思う私は間違ってるのかな?」といったように。)
既存の枠組みに囚われずに自分のセクシュアリティを語ることは、社会や権力の都合によって奪われた自分の一部を取り戻し、自分の生を自分に合う形にカスタマイズする第一歩なのかもしれない。
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230603
昨日の夜がつづいたまま、何かが生まれそうな、ふくらんだ気配。 絵を描きたい、と思ったまま、詩とか製本とかをする。 絵の描き始め方を忘れてしまって、絵が描けない。 絵と詩と本と、バランスのとりかたが分からない。
東京蚤の市。 台風一過、痛いくらいの晴れ。 日焼け止めを塗り忘れたことを、早々に悔いる。 太陽が眩しすぎて頭が少し痛いような。でも、あちらこちらに素敵なものが散らばっていて、あちらこちらに引き寄せられてしまう。 一緒に来ていた友人はいくつもの茶色のカップを手に取り、何度もよくみて、2つ選んで購入していた。わたしは取っ手のついたかごを買った。食器は買わなかった。 素敵と思うものはあれど、なんとなく買えなくて、友人をうらやましく思った。のは、彼女の生活かもしれなかった。 今のわたしは1Kの一人で素敵な食器を置く場所も、一緒に楽しんでくれる人もいなくて。 だから、たぶん、買えなくて。 自分で選んだ生活だけれど。
カフェで食べた、サンマルクっていうケーキ、おいしかった。
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230604
アルバイト。 今日もいい天気。 壁にうつる木々の影がたのしげ。風に揺れている。 今日は早く帰ろうと思っていたのに、画材屋へ。 紙を探しているときはわくわくと楽しかったけれど、レジは長蛇の列で、疲れてしまった。
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230605
朝、疲れが取れていないのを感じる。 金土日、休み全部、外出してしまった。
晩ごはん、じゃがいもとひき肉を炊いて、甘辛く味付けした。 せっかちなわたしにしてはちゃんとじゃがいもに火を通すことができた。
腰が痛くて、それによさそうなヨガをして、ねた。
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230606
朝、夢をみつつ、おきる。 米の上に目玉焼きをのせて食べる。 体が重く、ねむい。気圧のせいだろうか。雨。静かな雨が降っていて、濡れながら帰っても苦じゃなかった。 なすの煮びたしを作って、食べる。 ささやかでも料理をして、食べる。 生活がしっかりするような感覚。 落ち着いて制作したくて、家事を食い気味に終わらせたけれど、眠気がとまらず、5分タイマーを繰り返しかけ、ねていた。 制作はあきらめて、日記をかいて、ねた。
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2024/2/18

2月18日 すごい春みたいだった。 でも昨日、一期下の方から来週末はとても寒くなると教えてもらったので、まだ気を緩めてはいけない!と来週寒くて何もできなくなるのを見込み、たくさんの掃除や寝具の洗濯をした。2時間半かんづめになった。
今日はその前に3時間ちょっとかんづめでヨガを受けていた。とても眠たくて身体を動かしながら、大きい呼吸をしながらでもぐらぐら。気を抜いたら眠ってしまいそうだった。 だから帰って(ショッピングモールにも寄らず!)一度寝ようと思ったのに掃除をしていた。
1日過ごしながら、昨日観た和食展で、味噌や醤油、納豆など日本の日常使いする食品の手間がかかる工程を思い出した。 先日“なぜ我々はこんなにもせかせかと働いてしまうのか”と国民性について友人と話をした時、米は水田の管理から脱穀精米、美味しく炊き上げて食すまでの過程が難しすぎ���!これを主食とするなんて、日々小手先の技を磨きながらせかせかしてしまうよね〜と言っていたけれど、それに追加で味噌などの調味料を使い始めようものなら、日々の食卓のためだけでも休む暇がない気がしてしまう。
音声ガイドのアルバイトの同僚だった方からメッセージが来ていた。 その前のメッセージは、8年前にシフトを代わって欲しいというやりとりを交わしたものだった。 “SNSたまに見させてもらってます。写真頑張ってね!”とメッセージを下さった。 アルバイトをしていたとき、本当にいろんな境遇の人と出会ったけれど、彼女はどこかミステリアスで、でも可愛くて穏やかで、大学院まで出てい学生時代は写真サークルに所属していて、年齢不詳の美しさとス���イルがとても好きだった。
アルバイト期間のいつかの夏に「30になりました」とお誕生日を迎えていたのを覚えている。 私は昨年30歳になった時、当時のその方と同い年なんだ…!と、どこかふと思ったことがあったので、やっぱり昨日はお会いできて嬉しかった。 “またどこかでお見かけしたらご挨拶させて下さい”とお返事をした。
今まで出会った人たちのこと、なかなか忘れることができず本当にもう忘れた方がいい位の些細な人間関係までもを覚えてしまっている。 そして、続けられる関係はわりと積極的に続けようとしてしまう。人とのつながりを大切にするべきだと、頑張りすぎている気がする。 他人は他人でしかないことを知れたのだから、もっとすがりつくように関係を大切にしないでいたい(相手には大切にしたい姿勢が伝わっていないと信じている)。
昨年の今頃、職場の一期下の方々に混ぜてもらい、焼き鳥パーティーをした時、私が写真を撮っていたことが話題になったらしく「みんなで、その写真見たいね!と言ってたんですよ〜」と言ってもらったことを思い出す。 写真のつながりだと思ってなかった方々から、写真頑張ってね、とか、写真見たい!と言ってもらって少しだけ写真の楽しい部分を思い出した。
生活をするか、活動をするか、まだどちらかしかできない。 すごく静かに過ごしてしまったので、なるべく賑やかなものを観たいのにレンタルした映画はどちらもいわゆる邦画、という感じ。視聴時間は残り24時間。
いつも行かないスーパーにミモザがいたので連れて帰って、でも、わたわたが落ちるのを危惧してしまい玄関でしか飾れないでいる。
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セレブリティの生活は、華やかさと同時に厳しい監視にさらされています。ゴシップ記事やSNSの投稿、ファンからの期待、メディアの注目など、ありとあらゆる角度からのチェックにさらされているため、精神的な疲弊は避けられません。これにより、ストレスや不安が増大し、時にはうつ病や過労といった深刻な健康問題に発展するケースも少なくありません。 忙しいスケジュールは、セレブの健康維持を難しくしています。撮影やリハーサル、仕事の合間に行うパブリックイベント、プライベートも制約されることが多く、十分な休息が取れないこともあります。これに対処するため、多くの有名人は独自のルーティンやセルフケアの方法を採用しています。 長年にわたり、多くのセレブが実践しているいくつかのストレス軽減法があります。まず挙げられるのは、定期的なマインドフルネスや瞑想です。これにより、心を落ち着かせ、過剰な考えや不安を緩和し、精神のバランスを保つことができるのです。 次に、プロのサポートを受けることも一般的です。心理カウンセラーやセラピストと定期的に会うことで、感情の整理やストレスの原因を理解し、有効な対処法を身につけています。 また、健康的な食事や運動も不可欠です。セレブの多くは、栄養バランスの取れた食事を心がけ、フィットネスインストラクターやパーソナルトレーナーと連携して、身体的な健康維持に努めています。運動はストレスホルモンを減少させ、気分を高める効果もあることから、日常のルーティンに取り入れているのです。 さらに、趣味や家族との時間を大切にすることも重要なポイントです。仕事の忙しさに追われながらも、自分の好きなことや愛する人々と過ごすことで心の安定を図っています。 近年では、リゾート地や高級スパでの休暇も多くのセレブにとって重要なストレス解消法となっています。自然に囲まれた環境や専門のセラピストによるマッサージ、ヨガ、アロマセラピーなどを取り入れることで、精神的なリフレッシュを図っています。 例えば、ハワイやスイスの高級リゾートでは、プライベートな時間を過ごしながら、心と体をリセットできるプログラムが数多く提供されています。これらのリトリートは、単なる休暇ではなく、セルフケアとメンタルヘルスの向上を目的とした重要な手段として位置づけられています。 華やかな舞台の裏側には、多くの努力と工夫が隠されています。彼らは自身のメンタルヘルスを守るために、プロのサポートや自然療法、運動、趣味、家族との時間といった多彩な方法を取り入れています。彼らの姿から学べることは、自分自身の心と体のケアを怠らず、大切にすることの重要性です。 私たちも、日々の生活の中でストレスに向き合い、自分に合ったリラクゼーションやセルフケアの時間を持つことが、長期的な健康と幸福につながるのです。セレブの秘密の健康法を参考に、より充実した毎日を送るためのヒントを見つけてみてはいかがでしょうか。
現代のエンターテインメント業界において、歌手や俳優、モデルなどの有名人は、誰もが羨む華やかな世界に身を置いています。しかし、その裏側には、多くのストレスやプレッシャーが潜んでいます。公の目にさらされる日々、絶え間ないスケジュール、常に「最先端」を求められる重圧—これらの要素は、最も成功しているスターでさえも心身の健康を脅かすことがあります。 ### 公の目にさらされる重圧とその影響 セレブリティの生活は、華やかさと同時に厳しい監視にさらされています。ゴシップ記事やSNSの投稿、ファンからの期待、メディアの注目など、ありとあらゆる角度からのチェックにさらされているため、精神的な疲弊は避けられません。これにより、ストレスや不安が増大し、時にはうつ病や過労といった深刻な健康問題に発展するケースも少なくありません。 ###…
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環境に慣れてきたときに感じやすい疲れに
ブログを読んでくださっている皆さんこんにちは「悩みがあれば心理カウンセリングへ」心理カウンセラーの水野綾子です🤗 名古屋は熱中症アラートが出るほど暑い日です。熱中症にはどうぞお気を付けくださいね。 4月から新しい環境になった方、3か月ほどたちますが、慣れてきましたか? 最初は真っ白だった頭の中も、今は少しずつあなたの色がつき始め、何となく見通しがついてきた頃でしょうか? 最初は緊張状態だったメンタルも、少しずつほぐれてきた頃、今まで気づかなかった疲れがどっと出てくることがあります。 それほど頑張っていたんですよね。 その時はいつも以上にしっかり休むことを意識してくださいね。 (ヨガや入浴、お勧めですよ) 昨日の私の出来た事チャレンジ エアコン掃除が出来た!偉い、私! 私もあなたもすばらしい!今日はどんな一日でしたか?また明日、出来た事報告しあいましょう🫡
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2025年6月10日 #アーティスティックスイミング トレーニング雑感
トレーニング25分 早帰りはしたものの、出かける前の予期せぬ排泄待ち、出かけたら出かけたで移動しながらの精神介護と介護メニュー盛りだくさんになってしまった。 高齢者と暮らしつづけるにあたって、今後の介護と生活の進め方についての家族会議もあり、いよいよトレーニングや練習をこれまでと同様に続けるのが難しい状況になってきていることを痛感した。 とはいえ、せっかくできた人の縁、スポーツとの縁は切りたくないので、継続できるあり方を探っていきたいということも家族にしっかり伝えて今日の家族会議終了。 そんな流れでいろいろと迷う心ではじめたら、撮影忘れちゃった…
ウォーミングアップストレッチ
Natsumi先生からこちらのコアヨガをご教示いただいたが、この状況で60分+αの時間は捻出できず、同チャンネル内のこちらの初心者向けヨガを13分ほどやってみた 先生は「もし私のメニューに飽きたら、この人のヨガをやってみて下さい。」と仰せでしたが、決して飽きたわけではなく、今後レッスンを減らさざるを得ない状況になっていくタイミングで、自主練しやすいコンテンツをご紹介いただけたのは僥倖だったなという考えで着手してみた。 なお、今日の動画は「Stress Release」とも銘打ってるだけあって、体温上がってやる気が戻って来たので、いつものストレッチメニュー���一部実施
足出して前屈
短時間でも伸び感UPしようと内側ワンライン意識
足を後ろに出して前屈
この時点でお尻を回す意識でやってみた
上半身の後屈
身体を立てたところでお尻を回す意識と目線は正面
付け根から反ってみぞおちが天井に向く意識
伸び感UP
前もも伸ばし
お尻を回す意識で伸び感UP
サイドに倒れて腕回し
胸から回す意識
上の腕と下の腕と出した脚の内側の引っ張り意識
上向く時に胸を開く意識
さっきのヨガで伸びなかったところが伸びてる感じあり
おもり持って上半身のひねり
2分
昨日より膝が下がってる感じがしただけに撮影忘れてるのが残念
横開脚
タイマー掛けて3分
内側ワンラインを引っ張る意識してみたら、股関節まで伸び感が来た
前にしっかり倒れつつ背中を反る方向にしてみたら、終わった後お尻に良い感じの伸び感の残滓が感じられた
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