#汝、星のごとく
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汝、星のごとく by Nagira Yuu
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晚星
我考慮著各方面的事情,考慮得太多,反而動彈不得。我離開這座島,卻又找不到在這座島上求生的方法。我感到不安、感到害怕,所以把心壓得很平很平,碾得很薄很薄,讓自己麻木地活下去。我假裝無所謂地活著,淡漠到讓人受不了地唾棄「那個人根本沒在思考吧」的地方——實際上心情卻像走在無止盡的長夜。 摘自第三章〈海淵〉,凪良汐《宛如星辰的你》頁216(簡捷譯)
誰會不陷落春埜櫂這樣的對象,那麼包容而無盡溫柔,那麼自由自在而帥得毫不自知;但誰又不是井上曉海,那麼盡力收納自己的欲望以求周全,那麼決絕認清自己的格局而緘默安靜。
從前以為是走散。或許先是走失了,理所當然也就散了。
常石磊為林憶蓮〈幻覺動物〉寫詞:
「我們都在被拐賣的歸途/爭先恐後匍匐 惹了一身驚豔的世故」
他們都寫得真確。久久不能掩卷的那份心情。像是在這長夜裡看見突現的光點,淒迷迤邐,隨著自己的思緒閃爍,詫異不已。
但願這樣的懂得,帶給自己片刻的溫暖。
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自分の人生はどうしようもなく自分で面倒を見るしかない。かつ、「生まれたときに宝石をたくさん持っている人もいれば、宝石は一つもないけど足枷をたくさん持っ���いる人もいる」というのは残念ながら事実だと思う。かつ、後者と前者を何もせず平等にする法律や制度や魔法はなく、後者は前者にちゃんと腹が立つし、後者の存在を知らなかったり知ったうえで自分が上だと陰で思うような前者が多数だ(これは言いすぎかしら)。
かつ、どちらかと言えば後者の私は生まれ変わっても自分になりたいとは今のところ思えない。それはあまり自分で言いたくはないけど波瀾万丈にも程があったこともそうだし、その時々で自分の思うMAXを常に出せていたわけでもなかったし、その時々の行動や選択に後悔もちゃんとしているからだと思う。
じゃあ、自分は全くのマイナスだったかというと、それは違うのではないかと思える。あの泥水の中で、ただ流されるのではなく、ちゃんと泳いで、いわゆる踏ん張ることもやれた。きっと今の私を幼い頃の私が見たら、こんな風に生きているんだねと少しは安心して泣いてくれたりするんじゃないかな。
それに、色んな経験をしてきた私だからこそ感じることのできる気持ちだったり、話せる言葉だったり、気付ける視点がある気がする。これらや、泥水の中で泳いだり踏ん張ったりした経験はきっと多くの人が持っているものではなく、こんな価値のあるものを持てているのは、きっとその時々の私のおかげだ。清流の中の人たちほどに頑張ることはさすがにできなかったけど、その時々の私が一生懸命もがいたから得られたものだ。
だから、私はちゃんと、過去の私を認めてあげたい。そんな風に思えるようになったなんて、なんて進歩なの。
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誰が許さないの? 自分の人生を生きることを、 他の誰かに許されたいの?
— 凪良ゆう『汝、星のごとく』より
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朝、安定の7時起きスタート。
インスタサーフィンしてたら、、
箕面萱野、萱野、石橋阪大に
素敵なお店をみつけまして、
支度して出発。
沢山素敵な出会いあったな。
またすぐいこーー、
今週末は10週間ぶりに誰とも出かけなかったな。
同期には一瞬だけあったけど、ほんと一瞬で。
1人時間を満喫しておりました。
誰かと出かける週末も好きだけど、1人で
出かけるのもやっぱりすきだなーー。
石橋阪大のカフェで、
「汝、星のごとく」をやっとやっと読み終えまし
た。落ち着く曲流れる貸切空間だったので、
スラスラと読み進めることができた。
読み途中、自然と涙がでて、ずっと止まらなか
った。最初から最後まで素敵だったな。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月7日(火曜日)
通巻第8584号 <前日発行>
中国軍、最新鋭ステルス戦闘機を披露、空母も三隻の陣容だが。。。
この二年間に14人の軍人が全人代から消えた。汚職容疑だ
******************************
2024年12月26日は毛沢東生誕131年にあたった。中国軍は最新鋭ステルス戦闘機J─36を公開した。いずれドローン攻撃機との共同連携による超近代的な戦争ができるようになると豪語した。
新タイプの戦艦076シリーズは、はやければ26年末までに就航すると海軍幹部は語った(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、25年1月6日)。076は強襲揚陸艦で第一号艦は「四川」と命名された。
近代史を回顧すると、1894年、李鴻章率いるシナの北洋艦隊には外国人顧問団が多数。猛訓練を重ねていた。司令官は丁汝昌である。ドイ���から輸入した装甲艦「定遠」「鎮遠」は当時、世界最高最強と言われた。ほかに無数の軍艦。李鴻章の北洋艦隊は偉容を誇示し、日本の海軍なんぞ歯牙にもかけない風情だった。
日清戦争での海戦は黄海海戦と豊島沖海戦で、結果は日本海軍の勝利だった。シナ自慢の定遠は大破、鎮遠は日本が戦利品として鹵獲し、つぎの日露戦争に投入された。
降伏した丁汝昌は敗戦の責任をとって服毒自決、日本側は丁寧に弔い、捕虜を厚遇した。軍人にはモラルがあった。
拠点は山東省青島の北、威海衛の沖合にある劉公島である。ここには江沢民の肝いりで建造された甲午戦争博物館がある(中国では日清戦争とは呼称しない。甲午戦争と命名してはいるが日本に負けたとは展示パネルには書かれていない)。
現在の中国海軍は空母三隻に原潜、上陸強襲艦、駆逐艦、巡洋艦など盛大な装備を誇り、空軍はアメリカのF22と並ぶ第六世代のステルス戦闘機のパイロット飛行に成功、また宇宙ロケット軍は米国より先に月の裏側に着陸し、有人宇宙ステーション、無数の通信、偵察衛星にくわえてキラー衛星も配備している。
壮大な軍事力である。アジア太平洋からインド洋を脅かす軍事的脅威となって西側の前に立ちふさがった。
さて、似ていないか。「張り子の虎」のはったり、日清戦争前夜の光景に。
空母が典型だろう。搭載機はスキージャンプで離陸は出来るが着陸がむずかしく、すでに訓練で六機が着陸に失敗し、パイロットは死亡した(うち一名は女性だったとか)。そこで垂直離着陸機を投入したら甲板に穴が空いた。二千度の高圧に耐えられる鋼材、特殊鋼ではなかった。いずれも故障ばかりで、一度訓練航海に出ると半年か一年はドックにはいる。
空母一号は『遼寧』、ウクライナから鉄の塊を曳航し、十年かけて艤装工事を行った。二号空母は「山東」でおなじくスキージャンプ型である。
三隻目の空母『福建』はカタパルト方式だが、訓練の模様をなかなか公開しない。どのていどの技術を計測できないと米軍専門家はいう。
▼西側から盗んだ技術を活かす能力が欠如している
中国のハッカーがいかにして不器用な泥棒から軍事兵器を模倣するまでに成長したか。「米国のインフラと通信に対する大規模な『タイフーン』サイバー攻撃は、貴重なデータを収集し、カウンター防諜を阻止し、西側社会を大混乱に陥れることができる態勢を整えた」とサリバン補佐官は秘密会で説明した。戦争は総力戦だから別の手で攻める訳だ。
バイデン大統領の国家安全保障担当大統領補佐官からのメッセージは驚くべきものだったという。
サリバンは2023年秋ごろに、ホワイトハウスで秘密会議を開いた。その席で、「通信・IT企業幹部に対し、中国のハッカーらが米国の港湾、送電網、その他のインフラ施設を何十カ所も意のままにシャットダウンする能力を獲得した」と語り、「政府は侵入者を根絶するために企業の協力を必要とする」と述べた(『ウォールストリート・ジャーナル』、25年1月5日)。
寿司職人がちゃんと寿司を握れるようになるには三年かかる。昔は飯炊き三年と言われた。寿司の一流どころの板前さんは十年の修行を積んでいる。
中国軍が 最新の技術を盗んでも模倣しても、ノウハウがないから、つまり最新鋭の装備、兵器システムを誇示しようとも、それを使いこなせる軍人がいない。技術に追いつけないのである。
くわえて軍内の蔓延る汚職、部品や弾薬のチョロマカシ、横流し。品質管理の欠如。技術を修正し向上させようとする能力が欠如している。
2024年9月26日の『ウォールストリート・ジャーナル』は同年五月か六月頃に中国海軍の最新鋭原子力潜水艦が「沈没した」と報じた。これは武漢の造船所で発生した事故で「周」級の第一号艦だった。現在までに放射能漏れは確認されていない。
軍の高官で全人代委員(敢えて西側と比較すれば国会議員だ)のメンバーでもあった14人が、この2年間で失脚し、表舞台から消えた。理由は汚職容疑である。
中国人は賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂の世界だから驚くことはないが、それにしても何と言うことだろう。習近平お気に入りの国防大臣が不在となり、新しい国防大臣も滅多に人前に出てこない。
苗華以下、なだたる軍人は規律違反とかで表舞台からいなくなった。
▼中国共産党の空軍創設も日本人パイロットが協力した
また西側では英・豪の退役軍人らが、高給でルクリートされて、中国空軍パイロットの訓練を指導していたことが判明し、問題となった。
台湾や韓国の半導体エンジニアが、やはり高給につられ、あるいはハニートラップにひっかかって中国の半導体開発と指導をしている。
日本人技術者も千名単位で中国企業に雇われていた。日本の文科省統計では日本の電気メーカーのトップクラスのエンジニアが中国へ196名、韓国へ490名、タイ、台湾へ350名が渡航したとするが、公式統計の三、四倍の日本人エンジニアが各地へ散っている
思い出すなぁ。フライングタイガーとは米軍の「志願パイロット」が中華民国空軍だといつわって事実上、対日戦で活躍したことを。
戦後の中国共産党空軍は、満州で残った日本人軍人が教えたのだ。
初の中国共産党航空学校「東北民主連軍航空学校」創設は、林弥一郎(関東軍第2航空部隊第4練成飛行隊隊長)が中国共産党中央東北局の彭真書記に要請され、中国空軍の創設に協力したのである。
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「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」展
大阪市立東洋陶磁美術館で、リニューアルオープン記念特別展「シン・東洋陶磁―MOCOコレクション」を見る。惹句にあるように“オールスター・珠玉の約380件(国宝2件、重要文化財13件含む)”が揃った、なんとも贅沢な特別展である。全面的に撮影可能。無料のアプリをダウンロードすれば音声ガイドも聞ける(書き起こしもあって文字でも読める)。
また、美術館の公式サイトでは収蔵品画像オープンデータが公開されており、この展覧会に出品されている作品も参照することができる。さらに、公開されている画像は“当館への申請が必要なく、自由にダウンロード、複製、再配布することができます。例えば出版物やウェブサイトへの掲載、講演会等でのスクリーンへの投影、テレビ番組での放送、販売商品への印刷など、営利・非営利に関わらず利用が可能です”とのこと。でも、公式画像は美しいけれども展覧会の臨場感(?)が出ないので、いつもどおり自分で撮ったしょぼいスマホ写真を載せることにする。
展示は全部で13のパートに分かれており、それぞれに格好良さげなタイトルがついている。
1 「天下無敵(てんかむてき)-ザ・ベストMOCOコレクション」
この展示室では陶磁器と六田知弘の写真作品《壁の記憶》との取り合わせが楽しめる。《壁の記憶》は写真家が世界各地で撮った壁の写真のシリーズのようである。展示風景はたとえばこんな感じ。

このようにコーディネートされており、意外性もあってなかなかよかった。上の赤い写真作品の壁はベネチア(イタリア)、下の白っぽいのはサンティアゴ・デ・コンポステーラ(スペイン)。

展示室から展示室へと移動する途中に特別あつらえらしい展示ケースがあり、国宝の油滴天目が鎮座していた。たしかに美しいが、正直なところ自分の好みではあまりなく、油滴天目なら以前別の美術館で見た別のもの(もっと油滴が細かくて繊細に光る感じ)のほうが好みだったなあと思い出すなどした。

2 「翡色幽玄(ひしょくゆうげん)-安宅コレクション韓国陶磁」
青磁好きにはたまらない展示室。あれもこれも全部青磁、もちろんクオリティも高い。


3 「粉青尚白(ふんせいしょうはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
下の写真の3点は日本では三島とか三島手と呼ばれるタイプの焼き物。三島は朝鮮半島製のほうが日本のより圧倒的に良い出来で、とても好き。

そして次の3点は粉引の瓶。日本の茶人などの間で好まれたタイプで、たしかに良い風情である。

4 「清廉美白(せいれんびはく)-安宅コレクション韓国陶磁」
《青花 草花文 面取瓶》。日本では「秋草手」と呼ばれる文様。面取の具合も文様も端正で美しい。

《白磁 角杯》。遊牧民族が酒などを飲むのに用いていた角の形の杯を模したもの。王室用の白磁らしく、品がある。

ロビーの展示ケースにあった、ルーシー・リー《青ニット線文鉢》。

これもロビーにあった、《青花 虎鵲文 壺》。18世紀後半、朝鮮時代の作。ここに描かれた虎が美術館のキャラクターに採用されて「mocoちゃん」と呼ばれることになった。MOCOは美術館の英語名の略である。

6 「優艶質朴(ゆうえんしつぼく)-李秉昌コレクション韓国陶磁」
《青磁象嵌 雲鶴文 椀》。象嵌技法にすぐれた一品。釉薬の貫入がまったくないのも特徴。

《白磁鉄地 壺》。下半分はちょっと見には焼き締めのようだがそうではなく、鉄絵具を塗ったもの。16世紀朝鮮時代の作だが不思議と現代的に見え、たとえば「ルーシー・リー(あるいは誰か他の現代の陶芸家)の作品だよ」などと言われたらつい信じてしまいそうである。無理を承知で言うならこれはうちにも欲しい。

6 「陶魂無比(とうこんむひ)-日本陶磁コレクション」
中国や朝鮮半島の優品を見てしまうと、日本の焼き物は正直かなり見劣りしてしまう。悪くないものはあるのだが、ほうっと溜め息をついたりつくづく感心しながら眺めるようなものはなかなかない(好みの問題かもしれないが)。そんな中で自分の目に留まったのはこれ。料理が映えそうなデザインで、実際に使ってみたいと思った。

7 「陶花爛漫(とうからんまん)-李秉昌コレクション中国陶磁」
このパートに展示してある作品は、古いものだと新石器時代ごろまで遡る。中国文明の先進ぶりを目の当たりにして恐れ入る。この下の美しい白磁の杯も、さすがに紀元前とまではいかないが隋の時代(7世紀)の作。高台に釉薬が溜まって緑がかって見えるのもチャームポイント。

8 「喜土愛楽(きどあいらく)-現代陶芸コレクション」
現代の作家の作品がロビーにいくつか並んでいた。下の写真は金子潤《2フィート・トール・ダンゴ》。ガラス張りのロビーだが、作品の背後には薄手のシェードが掛けてあった。

9 「明器幽遠(めいきゆうえん)-安宅コレクション中国陶磁」
MOCOのヴ��ーナスこと《加彩 婦女俑》。自分がお目にかかるのはこれで2度目である。360度回転する展示台にお乗りあそばされている。

こんなふうに回っておられる。

後ろ姿のなんと優美なことか。

《黒釉刻花 牡丹文 梅瓶》。白化粧をした上に黒釉をかけ、黒釉を削り落として文様を表現する技法(掻落し)で作られたもの。掻落しで自分の好みに合うものはあまり多くないのだが、これは堂々とした存在感でひときわ目を引いた。

《木葉天目 茶碗》。本物の木の葉(桑の枯葉)を焼き付けて作られた天目茶碗。加賀藩前田家伝来とのこと。

10 「天青無窮(てんせいむきゅう)-安宅コレクション中国陶磁」
点数は少ないが、うっとり眺めてしまうようなものばかり集めた特別な室。
《青磁 水仙盆》。これは以前この美術館を訪れた際にも見たので、またお会いできましたねと声をかけたくなった。宋の時代に宮廷用の青磁を生産していた汝窯の逸品。美しいが、これよりもっと素晴らしいのがこの世に存在している(台湾の故宮博物院が持っている)というのもまたすごい。

国宝《飛青磁 花生》。自分のスマホ写真では到底うまく色を再現できないのが残念。

この特別な展示室では自然光による採光がなされているのが大きなポイント。青磁の微妙な色合いをよく見ることができるとされる。

11 「皇帝万歳(こうていばんざい)-安宅コレクション中国陶磁」
中国の皇帝の身辺を彩るにふさわしい、文様が華やかだったり色鮮やかだったりする作品の多い室。
《釉裏紅 牡丹文 盤》。銅顔料が使われており、たまたま中央部の牡丹の花のところだけ赤っぽく濃いめに発色したというのがおもしろい。

抹茶色が特徴的な《茶葉末釉 双耳方形瓶》。茶葉末釉は個人的にそれほど好きな色ではないのだが、これはとても出来が良いように見えて印象に残った。

12 「百鼻繚乱(ひゃくびりょうらん)-沖正一郎コレクション鼻煙壺」
いわゆる嗅ぎタバコ入れが勢ぞろい。下の写真はほんの一部である。

この虫づくしのはどこか現代的な感じがする。とてもいい。虫好きな人がこぞって欲しがるのではないか。自分も欲しい。

13 「泥土不滅(でいどふめつ)-現代陶芸コレクション」
現代の陶芸作家の作品がいくつか展示されていた。これは星野曉《表層・深層》。

併設のカフェには「陶片クッキー」なるメニューがある。これは注文せざるを得ない。作家がひとつずつ彩色(アイシング)を施しているというから凝っている。ふたつとも涼しげな色合いなのは、もしかして夏だから? 海や水辺をイメージしたとか? 別の季節にも行ってクッキーの色合いを確かめてみたい。なお、味のほうはいまいち口に合わなかった……惜しい。

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けれんみの日常
英語の日記などもtumblrではよく流れてくるのでなんとなく読むが、私は英語で日記を書こうとは思わない。それは私の技術が未熟で、まだ英語のリ��ムやメロディを自分の好きなように操ることができず、楽しくないからである。そのくらいには日本語のリズムとメロディ、そして見た目が好きである。英語でもそれらを好きと思えたら、書けると思うのだが。見た目は結構好きである。とくにアルファベットの小文字。リズムがどうしても全然まだ魅力的に思えない。そう言いながら英詞のジャズを歌っているのだが、音楽は音楽に言葉が乗っているから、言葉自体のリズムは死んでいて、そこはもう関係がなくなっている。音楽にのる英語は、ただ母音が伸びるとか、同じ音で韻を踏むとか、そのへんは日本語と変わらない。そうではなくて、読み言葉としての英語のリズムにまだ魅力を覚えない。英語の詩にふれてみたらどうか、と思ったこともあったが、根本的に「かっこよすぎる」と思ってしまう。シャラシャラしている(子音が多いということだと思う)。私はもっとべちゃっとした土っぽいのが好きなので、結局日本語を使うということになってしまう。英語以外の様々な言語のどこかには好きな言語もあると思うのだが、英語を学ぶキャパシティしか今のところない、というか、英文法がおもしろくて好きなのである。これは日本語にはない感覚。日本語の文法なんか全然おもしろくない。文法と呼べる文法なんかないのではと思えてしまうが、これは母語だからだろう。英語の文法はなんてシステマチックで、構造的に美しいのだろうと感じる。その美しさの中にも土着の歴史の古臭さや面倒くささがあり、そこがまたロマンだ。詩的言語としては私は英語を好まないが、批評や論じる際の言語としては、限りなく知性を感じて好きかもしれない。日本語は批評や論文でも、ある程度詩的でないと読む気がしないので、これは大きな違いだ。言語が違うだけで自分の好みも変わってくる。それとも私は文学ではない英語の文章にこそ(そしてできるだけ文法が複雑な)詩を見出しているのだろうか。なににしろ私の体は詩情でしか動かないようになっている。
短歌も詩も書きたい、書いてみたい、小説も書きたい、という気持ちはあるが、書くための好奇心がいま批評の文の方に向いている。私は文学の方向に向かう時はある程度その位相に没入しないと書けないので、そのモードに入るのに苦労するが、批評系の文章であれば日常のモードのまま書けるので楽である。書けると言っているが、別にこれもまだ書いていない。書くためのネタを毎日必死に考えているという感じです。宇野常寛さんの講座に入ってから、とにかく毎日頭の中がドライヴしていて、こんなこともあんなことも結びつくかも、いや、これはこうか?など、楽しく考えている。今日は気圧の低下と疲労により1日寝てしまったし、三宅香帆さんの教養講座も横になりながらスマホで視聴するという体たらくだったが、『娘が母を殺すには?』の良い導入を聞けた(実際には結論までお話されていた)。早く読みたいが、今月はもうお金を使いすぎなので、欲望のままに本を買うのはやめた方がいいと思う。読んでいない本(特に小説)が積まれたままじっと待っている。町屋良平『生きる演技』はかなり早く読みたい、と思って毎日開こうとはするのだが、そこまでたどり着けない。やることが…やることが多い!いしいしんじ『マリアさま』、凪良ゆう『汝、星のごとく』など、積んでいる。井戸川射子『共に明るい』は途中だし、絲山秋子『神と黒蟹県』はどこに積んだかも忘れている。エーリッヒ・フロム『愛するということ』新訳、沖縄の少女たちのノンフィクション『裸足で逃げる』は早めに読み終わっておきたい。
今日の講座で三宅さんが『母という呪縛 娘という地獄』にふれていて、私も読んだが、正直虐待を受けた子供の末路で、こうなるしかなかったと本人も言っているように、たんに被虐待児の被害の果ての結果でしかなく、なんの新鮮味もないと感じた。虐待問題を長く考えたことのある人にはこれは虐待の当然の過程と結末であり、そこに母娘の特異性などは見いだせないのではないかと感じていた。ただ、虐待を受けたことがない人はここに新しい視点を持ち込めるのだろうなということは想像できる。そこで、じゃあこの虐待を受け続けていた本人が加害者である母を殺さずにすんだifがあるとしたら、それはどの時点でどう行動すればよかったのか、ということを考えてみようか、と少し思った。虐待を受けた人間でも、親を殺さずに逃げ切った人は多い。そういう人と、親(加害者)を殺してしまった人との性質の違いや、分岐点となる考え方や受け止め方の違いは存在するのか、ということを突き詰めていけば、虐待を受けてもその心を守ったり、被害を少なくしたまま逃げ切る方法も出てくる可能性があるのではないかと考える。虐待を受ける立場に生まれてしまったら、基本的には逃げ切るまで虐待は続く。誰も助けてくれない。日本の法律や制度がそうなっていないからだ。助けてもらえる人は0.03パーセントくらいの人口と思っている。つまり、多くの子供たち(年間11万人)が、家庭の中で痛めつけられながら、生き延びていかなくてはいけない。それもできる限り自分の心を守りながら。虐待の問題は、社会の問題ではなく、こうして個人の問題へと矮小化され、それも被害者である「子供」の独力での防衛を支援することでしか、親権が有効である限り、コミットできない。というかこれはコミットと言えないと思うが。虐待を受けるとその後成人して逃げられても、精神に大きな不均衡をもち、社会に上手く適合できずに苦しみ続けるし、虐待を受けていた子供のうちに、大人により適切な場所へ逃がしてもらうことが一番である。そのことは揺るぎない。しかし、繰り返すがそのような法律や制度はない。あっても、ほとんど機能していない。多くの子供は助からないまま、傷ついたまま、安全に眠れる場所がないまま成人する。だからもう、虐待を受けている子供に対して、こういう時はこう考えて心を守るんだよ、と伝えることしか現状できることがないと思っている。1人でも多くの子を物理的に救えたら、と思うが、それをしつつ、多くの救えない子供たちに防衛方法を少しでも伝えることが今できる精一杯だと思う。防衛方法とは何か、というと、そんなものはない、となるかもしれないが、とにかく考えていくことはやめずに生きていきたい。
両親と兄の存在には苦しめられ続けたが、私は両親と兄が心から大好きだった。そういう子供だった。そのぶん打撃は大きく、そのせいで傷が大きくなってしまった。自分を害する人間を愛してはいけない。しかし、一体だれが、自分が誰かを好ましく思うことを、止められるだろうか?それはコントロールできることなのだろうか。好きだと思う気持ちを捨てることは、特に子供には、かなり難しい。私は親や兄に何をされても相変わらず彼らが好きだったが、それではいけないのだと唐突に気づいたのが思春期である15歳のときだったため、その際の混乱と大きな絶望、ショックなどで重いうつ状態をその後10年続けることになる。それからさらに10年が経った今、かなり症状は軽快している。治療と、人間的成長によるものだ。生きていれば必ず人間は成長せざるを得ず、傷は治らざるを得ない。だから私は友人たちになるべく自死せず、一日でも長く生きてほしいと伝えている。そうしたら幸せになれる可能性が高まる。幸せになれない可能性は依然として大きいが、幸せになれる可能性は生きれば生きるほど大きくなる。スタートがマイナスだった者たちは、この理論が適用されると信じている。スタートがマイナスでなかった人達にはどのような人生観があるのか、私には全く分からない。私は生きれば生きるほど人生はよくなっていく、と感じているので、老いや死への近づきを悲しむ心がない。顔が老けるのも、自然で、抵抗するようなことではないと思っている。生きれば生きるほどよくなっていく。25歳で治療を受けてからのこの感覚は、私が生きるのに大きく、善く、貢献している。生きることの難しさはおのおの、さまざまあると思う。私はもう無い。いちばん苦しかった時はもうとっくの昔だし、その頃の生きづらさ、脅威がないというだけで、とにかく無法に幸せである。自分を害するものがいない空間、時間、それらを噛み締めている。だから(親や兄と離れて)生きているだけでかなりの幸せを感じる。お得なことかもしれない。
しかし小さい頃に夢見たことの不達成ということは、なかなか苦しめられる瞬間がある。好きな人と付き合ってみたかったとか、家庭を持ちたかったとか、子供が欲しかったとか、高校や大学で好きなだけ思い切り勉強してみたかったとか、仕事でキャリアを積んでみたかったとか、そういう、「普通の人」がやっているようなことだ。それらが自分には与えられなかったと感じる時、途方もなく悲しくなる。過去と比べて相対的に今は幸せだが、絶対値としては、私は私の夢をあまり叶えられなかった。それでも、毎日本を読んだり、文を書いたり、文章の講座を受講したり、好きな場所でつつましく働いたりして、日々を楽しんでいる。なによりも、いつも勇気づけてくれる友人がたくさんいること。私は友人たちに囲まれてさえいれば、それでとくに不満はない。「してみたかった」の希望を上げればきりがないが、そんな無意味なことをしてもただ傷つくだけで無為だ。できてよかったことやこれからやりたいことだけを毎日考える。私たちはまだまだこれから生きる時間が残されている。やりたいことはたくさんできるし、本当に生きていて良かったと思う。
同時に、できるならもうこの生を終わりにして楽になりたいという気持ちもある。これ以上生きても、もちろん世界の足しになることはあるだろうが、この体力の低さと病気を抱えて、何も達成できないままでずるずると生きることは、時に拷問にも感じる。そう思うのは生きているうちのほんの一瞬だが、ああ、今死ぬことができたら、と思うことは全然よくある。地震の揺れを感じるたびに、地震で死ねたら楽なのになあ、と思う。これはネガティブというより、ただの「疲れ」なのだ。この「疲れ」の感覚を持っている人には、私は帯同を感じてしまう。
なんだかずっと被虐待児の話をしてしまった。あんまりそういう事を言うのもな、と思ってはいるのだが、考えていると結局全部そこに行き着いてしまう。私が救いたいのは彼らだし、正直彼ら以外のことはどうでもいい。他の人は他の人でいろいろなことに心を痛めたり活動すればいいと思うが、私がそうする先は、いつも決まっている。幼少期から虐待を受けて、死ぬ事もできずに成人して生きてゆくことが、この世でいちばん辛いことだと思っている。これは多くの、苦しんでいる人々を見てそう思うということで、私が苦しんでいるわけではないので大丈夫です。私は病院とカウンセリングに通い、それなりに安定した人生を送っていますので、自分が社会に恩返しする番だというか、とにかく「助けなきゃ」という思考に捉われがちであります。
今考えているのは、被虐待児のための、自習スペースの提供。とにかく家(危険な場所)以外に安心して過ごせる場所、勉強ができる場所をつくり、そこで1秒でも長く過ごしてもらうしかない。心は壊れる。壊れるとしても、壊れきらずに上へ向かおうとする子だけでも支援したい。本当は全員救いたいが、まずは勉強で身を立てる被虐待児の数を増やすことで、社会に虐待問題に理解のある人口を増やす。そうしてしか、法律や制度は変えられないと思う。
それとは別に、私には本屋を続けるという夢がある。ゆくゆくは自分が店主になって店を構えたい。雇われの正社員がいかにつらいかは、いままでの店舗でいやというほど見てきている。私は知性と教養のための本屋をひらき、この社会をよくしようとする人を1人でも増やしたい。チェーン店の雇われ店長では、それをするのは難しい。大きな会社は利益を出すことが最優先だから。その利益で、たくさんの人を食わせている。そこに否やはない。ただ私の目的はそこにはない。売れる本を置いて人々の知性を下げるのではなく、本屋がどんどん人を育てていく。そういう場所を作りたい。そこはさらに学際的な場所であってほしい。なんなら貸本屋でもいい。というか、積極的にレンタル業務もやって行ければと思う。
夢を語れば果てがない。あと20kg痩せたい。どうにか自炊をしてまず1kg減った。このまま減らしていく。
2024.5.21
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いま読んでるんだけど、間違えて続編の方買っちゃった。この前の「汝、星のごとく」は1回も読んだことないのに。でも、これめっちゃ読みやすい。
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ゲーム日記20241124: FF16終わりました

総評……ツッコミどころは多かったけど面白いゲームでした。FFのナンバリングタイトルの名に恥じない(?FFのことを何も知らないで書いています)古きJRPGの伝統を受け継いだ、現代に対するFFの「答え」という印象です。
ラスト近辺で米津ゲーだということに気づいたのが一番の驚きだった。
キャラクター……ジョシュアがとても素晴らしいスーパー主人公でした。肉体的に強靭だけど精神的に弱いところのある兄と、身体は弱いけど強靭な精神を持つ弟。現代が求める主人公像はクライヴだと思うけれども、ジョシュアの心の強さは英雄的。
「俺たちは人か?」と不安げに尋ねる兄に対し、「人じゃない。ドミナントだ」と即答するシーンが印象的でした。「その問題にはもう答えが出ている」と言わんばかり。
ストーリー……なんか知らないが悪神を倒すことになってたし、倒せた、というのが率直な印象。全てはアルテマが仕組み、失敗して、挽回のために仕組み、そして、失敗したという感じ。図星を突かれたら顔真っ赤にして本当の絶望を見せてやる!汝を消す!くっそおぉぉぉお!!!!などと喚き散らす幼稚な神様で、心配になりました。
世界観……ぐちゃぐちゃじゃないですか?笑 なんでそうなったん?そうはならんやろ。え、そうだったの????の繰り返しで心配になりました。クリスタルかベアラーがないと火も起こせない人類の世界で、ベアラーがあの扱いなのはなかなか。。。ベアラーが狙って生まれさせることができるものでもなさそうなので、全員いなくなったらどうすんだろ?とか思わないのかな?
ベアラーの扱いがあれなのも、なんか人間の黒歴史みたいで、特に深い理由がなさそう。執行者さんが正当化のために暗躍してるらしいけどまた会うこともあるだろうとか言ったきりもう現れなかった。。。
FF16 執行者 で検索したらリヴァイアサンのドミナント説とかあって声出して笑った。
戦闘……ストーリーフォーカスでやりました。オートなんとかの指輪は全部外してました。
最終的にアビリティセットは、フェニックス:ヒートウェイブ&転生の炎、シヴァ:ルックスガンビット&ダイヤモンドダスト、タイタン:ワインダップ&ギガフレア。
敵の攻撃に合わせてルックスガンビットでカウンター、攻撃が魔法だったらヒートウェイヴ、テイクダウンとったらリミットブレイクしてワインダップ→ギガフレア→ダイヤモンドダスト→転生の炎って順番に出していくだけのお手軽システム構築してました。
ルックスガンビットが大正義で、ルックスガンビットを当てるゲームと言っても過言ではありませんでした。それなりに面白かったです。
音楽……めっちゃよかったです。ただし、戦闘終了時にときどき流れる謎のコーラスが例のファンファーレのアレンジだと気づくのに長い時間を要した。
グラフィック……めっちゃよかったです。美しい国、ザンブレク。地味にウォールードの風景も好み。
キャラクターでいえば女子の眉毛が細いのがちょっとオールドな感じがするけどまあ好みの問題でしょう。エッダさんは可愛かった。
文句はこれまでに散々書いているけども、やっぱりストーリーや設定が薄っぺらい。人間の汚さみたいなのを描いていると言ったらもうそれまでだけど、あまりにも露悪的で建前すら用意しない人間が多すぎて、その言い分が通ってる、それをなんとかしたいけどできないね〜みたいなかなり終わっている世界。その中で善い心の持ち主だけが集まって仲良くイチャついているのもなんというか、見ていて不愉快なのは、「一般人」に対する壮絶な上から目線を感じるからではないかなと思いました。
社会とか差別とかを描くにしても、教科書とか課題図書とかで読んだみたいなことを散りばめているばかりで、中学生が作ったみたいな設定とか思ってしまいました。ほんとごめんなさい!!お前はもっと上手く書けんの??と言われたらごめんなさい、私にも書けないと思います!!!!凡人の素直な感想です。
つよくてニューゲ���ムとかはちょっと余裕ないですし、長く借りっぱなしなのでやらないことにします。クエストは全部終わりました。リスキーモブも全部倒した。最後のリスキーモブはディオン様を誑かしたのは貴様か!!おじさんでした。クロノス石塔群はスルーします……
次はユニコーンオーバーロードをやるか、またはしばらくスタレに集中するか……悩み中です。
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汝、星のごとく by Nagira Yuu
#汝、星のごとく#nanji boshi no gotoku#nagira yuu#josei#josei manga#romance manga#manga#manga caps#daily manga caps
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くだんのために
どこへむかって 富んで征くのか? (じつに青い鳥とは悪意であろうよ) なにをおもって 演って来た? (みじめに 揺れたのですよ) つたえることもなく、みえやしないか (極限を おもいえがいたときに) さてね、あらわれるものだから この國國の一点に細い群れの白昼夢は不協和音の彫刻。てばなし。幽かな指の間をすり抜けて、ほらね。泥を塗る。ひとびとは巧妙な多幸感のまなざしも擦り付け「星のめぐりを試す」と云い――絹の付箋に示された腐肉の正解が耳目に触れる体積は、せわしく啜る昼顔の露におなじ モダンな葬列があらわなボロを広げては沁み入るようなランプと灯し続け、存在を握る手が「わたしたることを、ただぞんざいに土に飢える。」アカツキはますます強くなり、たぶん室内はざっと数えても底しれない它翅、垂れ流したアクビであろうが たしかに手招きを模倣し運ばれた瓶と巣を、 (受け止められものと結びついたものを 解くには容易でなくてね) または制帽と羽織を冠るように押し付ける。 貴重なる海の破水されたぬいぐるみのようで 蝋細工である蛆虫の196ピースが 無数のそれは無数の、残骸は 肌に触れるとおどげでないものの誹りとして 窓窓窓に囲まれる。片道切符、苦い快感と共に 2歩歩く。葉音に群れる大事な誓いだ どの歪んだ顔。全身でわらう花を 我らを なんと呼ぼうが。燐片に備わる露骨な妄想だ ダイヤルを回し/新しいラインにのせると ――ほらね 柳の下のような気がする予。 :滅びた後も存在すると考えられることも多い 未知とはただただ かぎりなくにせもの―― 言いかけた言葉が強引に仔羊を柘榴に戻し、塞がれた風穴などまっすぐにモーテルへ続き、迂闊にもがれたのだから仕方ない。癇癪を熾した、たましい 韜晦のランタンに近づくと黒く 変色していた蝴蝶もこちらは、複雑な爪痕をやどした塒に 薄化粧した数珠はしめり、袖に隠して置いた循環。あげつらうインクのしみに正午を打つもよおし、艶やかな鳩時計があればいい鴨。スマホの奥でよだれを垂らすおくゆきこそ神、不自然な鷺の種を蒔きどこか水に流す印象、故意は乞いを語彙に敷き詰める 焦げたてんびん。混ぜ込んだのは薬剤と大小の活字、それと灰と秘蜜だよ ものぐさでもわるびれないから〝だれはばからず たれまく〟発作のよう黄昏に染まり、彼はざわめく木立の。この狂いの原因は、道楽の議論、あゝ僻地の風通しも元気か 鮮陣を疾走っていた/ですが旅鳥はその過程で立ち上がった/私を照らすのは無影灯、どこかへいく。だがきみでありぼくであれ生命とある。システムは无ム悲観に肯定する/かなたの海もあたいの山も、知らないところで。宿主は装飾の施された見世物小屋に絶えず経ち自由に選ばれる、にぶい姿態はすべて響いていた。あおいかべに消せない嶌影(その犠牲のうえに。(その代償に架けて。 賭して惨めな格好が畫かれる常々は末路など啓かれず そんなものだとて石を拾っては、お花畑にみえるならそれでいい。用途も要点もない幼稚な色彩にありつづける 汝、しかいがふみしめると ――なにもかもわすれていく ステンドグラスの焦土ですかねぇ 信号も交差点も三途の川ばかしの 綿菓子が熔けて痙攣した ざわついた骨が黙劇の訪れ、 どうせ詩を唱えているばかりだ かくしてこの初秋のことである。 不規則なある物のように、不条理にある者のように ――わたくしは死んだのですよ 過去の未来へ切断された鏡面に萎縮し、剥がれた夜気がヌメるように無常にも微笑った。綾がいくつかにわかれ のたり、あっというまのこと、古びた風に呑まれて 光沢の波に紛れて また、お静かに、白い海は。 「序曲でも失明でもない。まだ感じられない。時は聾唖であり、綻びかけたなにか。」だとして 追い詰められた闇の底に空想を交えた荒寥が犠牲にした、煌々と灯る、ケモノミチに。きりきざんだ潮の流れをも見つめながら、あわただしい人生の深淵に孕んでいた游び場は、水切りの塚とあしあと。わざとらしい感嘆の溜息が暮れのこり、念と透明に鉤爪の恒星はひとつかみ。とばりがまた映し出す、ことわり故 恍惚と舟に浮かび――あゝ精神は風見鶏。不甲斐なさとでも硝子の笈に湛め。異なる数の手足を持ち 今あるヒカリが跋扈する、胎盤はめまいと共に瞑想的なもので。怒りの味がするほど感覚は低い低い瞼で。じつと上澄みを未饐えてゆく 旅立つこともなく 極端にのろい切り傷がズレた ミクロコスモス /ピンホールカメラからみどりごを覗く、凪 またうまれうまれ、そらへゆくゆく /コカインでもヘロインでもあるけど 鉛筆でセカイ《赤ン坊》と書いて掌に蠢いている /輪廻など持ち込めやしない 途切れた約束を。お忘れになられたからまた /ささやくように さざなみだしたという まだ聞こえない、入道雲が沸き立つまでの距離だ 重なる檻を形成した花のかおり 秘色はまだ窺うようで、瞬間の、不格好にうわずらせた合図も恨みのまた、ざわめく植え込みが 横目で彼らを見ながら、白線の たくしあげる裾を、浮き橋に はだけながら、途はぞんざいにへばりついて、白痴という死体をみなぎらすなにかが 口に放る、 できるだけあるべき姿を縋り付くように愛称を勃たせた、大きな縫い針で 私はSOSを発しているレコード 泥舟もまた自らの手。抑圧のどこかで外したものでは無いと、またスイレンは朝まだ浅い、みみずくのこらと。この心臓に暴かれた楽園。終わりなどまざまざとカニバリズム《愛》全裸に近づくように 眼鏡のしずくとひかり、 ともに弾かれしゃがみこんだ時 すべてのものを見た。 (冷えた指はしらない。)くだんのために :また少女は《Eiserne Jungfrau》 ほんのすこし、 きれいだった、ことを おもい かえしては いたのでした 2024-08-24
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ホースの角度を調節して、上に向かって水膜を噴き上げた。
蒸し暑いオレンジ色の空に飛沫が煌めいて散る。美しいそれを眺めながら、もう少しすれば西の空に上がる宵の明星をわたしは待っている。
— 凪良ゆう『汝、星のごとく』より
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秋、一休寺。
お気に入りの場所増えました。
真っ赤よりも、オレンジがかってる方が好き
だなー。
京都から大阪へ向かう電車で
「汝、星のごとく」を読み進めた。
集中力が発揮され、完全にハマりました、この
本に。
明日もお休みなので、夜更かししてでも読み終え
ないなーってなんて思ってるところです。
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汝、星のごとく prologue (JPN->ENG)
I decided to translate part of a novel as practice. Even though I'm not at the level where I can always appreciate prose, I find Nagira Yu's writing very soothing and beautiful. I hope I conveyed that in the translation.
Once a month, my husband leaves to meet his lover.
Before he gets in the car he peeks into the mailbox, says something came, and hands it to me.
In the twilight of summer, I stop watering the garden momentarily and take the mail. Lost in the bills and advertisements is an envelope as thick as a book. It’s from Tokyo. There is no sender listed.
“Did you order something?”
Not in particular, I answer, and my husband nods, then gets into the car with an I’ll be back tomorrow.
Have a safe trip, I call out, then I go back to watering.
I press on the end of the hose with a finger, creating a thin film of water. The other day, the shower head broke. Oh, that’s right. I should have asked him to buy a new shower head. Should I call him? I thought, then stopped.
Until tomorrow, that man is not my husband. I adjust the angle of the hose, sending the thin film of water upwards. The glittering spray falls through the humid orange air. As I gaze at that beautiful sight, I wait for the morning star* that will shortly rise to the west in the night sky.
“The evening star —"
*
I closed my eyes, and strain my ears to hear the words left behind on my eardrums.
“It’s not getting much cooler, is it?”
I turn around to find Auntie Sakuma standing behind me. She wore a straw hat and long boots. Perhaps on her way back from working in the fields, she was pushing a wheelbarrow of vegetables in front of her. Zucchini, eggplants, pumpkins, tomatoes.
“Take what you’d like. Also, this is something gifted to me but…”
She hands over a neatly wrapped pound cake.
“If I leave it at home, my husband will eat the whole thing. I told him his blood sugar is too high, but he wouldn’t listen. Akimi, everyone in your house is young, so you don’t have to worry about those kinds of things.”
As we talk, Yuu-chan’s grass-green kei car pulls into the garden.
“Good morning, Auntie!”
After saying her greetings, Yuu-chan turns to me.
“I passed dad’s car earlier.”
“Tonight’s Imabari.”
“Oh, right. Dinner for the two of us is enough then. Oh, auntie, I’ll take these. Thank you for the gift.”
Bowing to Sakuma-san, she takes the basket of vegetables into the house.
“Are you alright?”
From under the brim of her straw hat, Sakuma-san casts a worried glance at me.
“Being a married couple isn’t always easy. Cheer up!”
“Don’t worry, I’m plenty happy.”
“Ah, well. You’ve always been like that, Akemi-chan.”
Sakuma-san looks a bit disappointed, then leaves pushing her wheelbarrow ahead of her.
I finished watering, then I carried the mail in my hand back to my workshop. Tonight, Yuu-chan is making dinner so I can work a little more. I sit by the window, and pick up my current livelihood: crochet. I thread a needle specialized for Haute Couture work, different from a regular embroidery needle, with a beaded string. Into cloth that evokes the night sky, I prick sparkling Swarovski crystals into a pattern. Delicately, quickly, precisely, the needle moves while my own existence fades into the background. Little by little, I feel that I am merging with the beautiful creation that emerges, and before I know it some time has passed me by.
But today I can’t seem to focus, and I leave the office carrying the mail I left on the table.
While heading toward the genkan, I hear Yuu-chan’s voice.
“Because dad isn’t here today. Yeah, he’s visiting the other woman in Imabari.”
“You guys are really something. Officially-approved cheating is so weird.”
Apparently the conversation is on speaker, so I can hear the sound of Yuu-chan’s friend’s voice. It mixes with the rhythmic chop, chop, chop of a kitchen knife cutting something. The delicious smell of garlic.
“I’m used to it now.”
“That’s what I’m saying is weird!”
Turning my back on their conversation, I leave the house in my sandals.
In the still-light twilight of August, the cries of cicadas — loud enough to make the air tremble, wash over me as I walk. A little ahead of me is a general goods store, with a bench for resting. A group of housewives sits talking. We exchange only bows as I pass, and like fish from two different habitats, part ways.
“I heard Kitahara-sensei is cheating too.”
“It’s because she started it.”
“I thought Kitahara-sensei forgave her for that.”
“No way! That’s why he got a new woman.”
Gossip that is exchanged across the island. On an island like this with little to do, the apparent failures of our household become reality TV available for all to view in real-time.
At the edge of my vision, I see the silver sea illuminated by the setting sun. The ocean is calm at this time, even the sound of waves can barely be heard. As I walk along the gently undulating coastline, a two-seater bicycle comes rushing from afar. I catch a glimpse of the uniform of the high school I attended. A boy with his foot on the hub step has his hand on the shoulder of a girl pedaling the bike. They pass by my side, hair fluttering in the wind, laughter riding on the salty wind.
In the fading back of that uniform I recall the sunlit halls of my high school in the afternoon, down to the faint smell of alcohol I once caught somewhere in the crowd of school-designated white T-shirts.
Notes: In the unlikely event that you've decided to pick up this book, it can be purchased on amazon japan, among others.
*The word here is 明星: morning star, venus, or an important person
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