#江戸川区相続登記
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kirigaya-jun · 3 months ago
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親の家の名義、大丈夫?登記を放置して後悔したくない人へ 江戸川区船堀の司法書士・行政書士が解説
こんにちは、東京都江戸川区船堀に事務所を構える「相続」に特化した事務所、司法書士・行政書士の桐ケ谷淳一(@kirijunshoshi)です。 はじめに|母の家の話をしただけで、険悪になりました 「ねぇお母さん、家の名義のこと考えてる?」「縁起でもないこと言わないで!」 こんな会話、最近本当に多いんです。 私が司法書士として仕事をしていても、「親が嫌がるから話が進まない」という娘さんからの相談が本当に多くて…。 特に40代で子どもがいる方だと、自分の生活と親の介護、そして将来のことが一気にのしかかってきますよね。 その中で、親の「家」の名義の話は、できれば避けたい。 ��も、避けて通れないのが、名義変更の問題なんです。 今回は、そんな「親の家の名義がそのままだけど、なんとなく心配…」というあなたに向けて、司法書士の立場からリアルな話をお届けします。 名義変更をしないまま…実…
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fukagawakaidan · 10 months ago
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「お化けの棲家」に登場したお化け。
1、骨女〔ほねおんな〕 鳥山石燕の「今昔画 図続百鬼』に骨だけ の女として描かれ、 【これは御伽ぼうこうに見えたる年ふる女の骸骨、牡丹の灯籠を携へ、人間の交をなせし形にして、もとは剪灯新話のうちに牡丹灯記とてあり】と記されている。石燕が描いた骨女 は、「伽婢子」「牡丹灯籠」に出てくる女つゆの亡霊、弥子(三遊亭円朝の「怪談牡丹灯 籠」ではお露にあたる)のことをいっている。これとは別物だと思うが、「東北怪談の旅」にも骨女という妖怪がある。 安永7年~8年(1778年~1779年)の青森に現れたもので、盆の晩、骸骨女がカタリカタリと音をたてて町中を歩いたという。この骨女は、生前は醜いといわれていたが、 死んでからの骸骨の容姿が優れているので、 人々に見せるために出歩くのだという。魚の骨をしゃぶることを好み、高僧に出会うと崩れ落ちてしまうという。 「鳥山石燕 画図百鬼夜行」高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 「東北怪談の旅」山田 野理夫
2、堀田様のお人形
以下の話が伝わっている。 「佐賀町に堀田様の下屋敷があって、うちの先祖はそこの出入りだったの。それで、先代のおばあさんが堀田様から“金太郎”の人形を拝領になって「赤ちゃん、赤ちゃん」といわれていたんだけど、この人形に魂が入っちゃって。関東大震災のとき、人形と一緒に逃げたら箱の中であちこちぶつけてこぶができたから、修復してもらうのに鼠屋っていう人形師に預けたんだけど少しすると修復されずに返ってきた。聞くと「夜になると人形が夜泣きしてまずいんです」と言われた。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
3、ハサミの付喪神(つくもがみ)
九十九神とも表記される。室町時代に描かれた「付喪神絵巻」には、「陰陽雑記云器物百年を経て化して精霊を得てよく人を訛かす、是を付喪神と号といへり」 という巻頭の文がある。 煤祓いで捨てられた器物が妖怪となり、物を粗末に扱う人間に対して仕返しをするという内容だ が、古来日本では、器物も歳月を経ると、怪しい能力を持つと考えられていた。 民俗資料にも擂り粉木(すりこぎ)や杓文字、枕や蒲団といった器物や道具が化けた話しがある。それらは付喪神とよばれていないが、基本的な考え方は「付喪神絵巻」にあるようなことと同じで あろう。 (吉川観方『絵画に見えたる妖怪』)
4、五徳猫(ごとくねこ)  五徳猫は鳥山石燕「画図百器徒然袋」に尾が2つに分かれた猫又の姿として描かれており、「七徳の舞をふたつわすれて、五徳の官者と言いしためしも あれば、この猫もいかなることをか忘れけんと、夢の中におもひぬ」とある。鳥山石燕「画図百器徒然袋」の解説によれば、その姿は室町期の伝・土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれた五徳猫を頭に 乗せた妖怪をモデルとし、内容は「徒然袋」にある「平家物語」の 作者といわれる信濃前司行長にまつわる話をもとにしているとある。行長は学識ある人物だったが、七徳の舞という、唐の太宗の武の七徳に基づく舞のうち、2つを忘れてしまったために、五徳の冠者のあだ名がつけられた。そのため、世に嫌気がさし、隠れて生活するようになったという。五徳猫はこのエピソードと、囲炉裏にある五徳(薬缶などを載せる台)を引っ掛けて創作された 妖怪なのであろう。ちなみに土佐光信画「百鬼夜行絵巻」に描かれている妖怪は、手には火吹き 竹を持っているが、猫の妖怪ではなさそうである。 ( 高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』)→鳥山石燕『百器徒然袋』より 「五徳猫」
5、のっぺらぼー 設置予定場所:梅の井 柳下 永代の辺りで人魂を見たという古老の話しです。その他にも、背中からおんぶされて、みたら三つ目 小僧だったり、渋沢倉庫の横の河岸の辺りでのっぺらぼーを見たという話しが残っています。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収) のっぺらぼーは、顔になにもない卵のような顔の妖怪。特に小��八雲『怪談』にある、ムジナの話が良く知られている。ある男が東京赤坂の紀国坂で目鼻口のない女に出会い、驚き逃げて蕎麦 屋台の主人に話すと、その顔も同じだったという話。その顔も同じだったという話。
6、アマビエアマビエ 弘化3年(1846年) 4月中旬と記 された瓦版に書かれているもの。 肥後国(熊本県)の海中に毎夜光るものが あるので、ある役人が行ってみたところ、ア マビエと名乗る化け物が現れて、「当年より はやりやまいはや 6ヵ月は豊作となるが、もし流行病が流行ったら人々に私の写しを見せるように」といって、再び海中に没したという。この瓦版には、髪の毛が長く、くちばしを持った人魚のようなアマビエの姿が描かれ、肥後の役人が写したとある。 湯本豪一の「明治妖怪新聞」によれば、アマピエはアマピコのことではないかという。 アマピコは瓦版や絵入り新聞に見える妖怪で、 あま彦、天彦、天日子などと書かれる。件やクダ部、神社姫といった、病気や豊凶の予言をし、その絵姿を持っていれば難から逃れられるという妖怪とほぼ同じものといえる。 アマビコの記事を別の瓦版に写す際、間違 えてアマビエと記してしまったのだというのが湯本説である。 『明治妖怪新聞」湯本豪一「『妖怪展 現代に 蘇る百鬼夜行』川崎市市民ミュージアム編
7、かさばけ(傘お化け) 設置予定場所:多田屋の入口作品です。 一つ目あるいは、二つ目がついた傘から2本の腕が伸び、一本足でピョンピョン跳ねまわる傘の化け物とされる。よく知られた妖怪のわりには戯画などに見えるくらいで、実際に現れたなどの記録はないようである。(阿部主計『妖怪学入門』)歌川芳員「百種怪談妖物双六」に描 かれている傘の妖怪「一本足」
8、猫股(ねこまた)  猫股は化け猫で、尻尾が二股になるまで、齢を経た猫 で、さまざまな怪しいふるまいをすると恐れられた。人をあざむき、人を食らうともいわれる。飼い猫が年をとり、猫股になるため、猫を長く飼うもので はないとか、齢を経た飼い猫は家を離れて山に入り、猫股 になるなどと、各地に俗信がある。 このような猫の持つ妖力から、歌舞伎ではお騒動と化け猫をからめて「猫騒動もの」のジャンルがあり、
「岡崎の猫」「鍋島の猫」「有馬の猫」が三代化け猫とされる。
9、毛羽毛現(けうけげん) 設置予定場所:相模屋の庭 鳥山石燕の「今昔百鬼拾遺」に毛むくじゃらの妖怪として描かれた もので、 「毛羽毛現は惣身に毛生ひたる事毛女のごとくなればかくいふ か。或いは希有希現とかきて、ある事まれに、見る事まれなれば なりとぞ」とある。毛女とは中国の仙女のことで、華陰の山中(中国陝西省陰県の西 獄華山)に住み、自ら語るところによると、もともとは秦が亡んだため 山に逃げ込んだ。そのとき、谷春という道士に出会い、松葉を食すことを教わって、遂に寒さも飢えも感じなくなり、身は空を飛ぶほど軽くなった。すでに170余年経つなどと「列仙伝」にある。この毛羽毛現は家の周辺でじめじめした場所に現れる妖怪とされるが、実際は石燕の創作妖 怪のようである。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕 画図百鬼夜行』→鳥山石燕「今昔百鬼 拾遺」より「毛羽毛現」
10、河童(かっぱ) 設置予定場所:猪牙船 ◇ 河童(『耳袋』) 江戸時代、仙台藩の蔵屋敷に近い仙台堀には河童が出たと言われています。これは、子どもたちが、 なんの前触れもなく掘割におちてしまう事が続き探索したところ、泥の中から河童が出てきたというも のです。その河童は、仙台藩の人により塩漬けにして屋敷に保管したそうです。 ◇ 河童、深川で捕獲される「河童・川太郎図」/国立歴史民俗博物館蔵 深川木場で捕獲された河童。河童は川や沼を住処とする妖怪で、人を水中に引き込む等の悪事を働く 反面、水の恵みをもたらす霊力の持ち主として畏怖されていた ◇ 河童の伝説(『江戸深川情緒の研究』) 安永年間(1772~1781) 深川入船町であった話しです。ある男が水浴びをしていると、河童がその男 を捕えようとしました。しかし、男はとても強力だったので逆に河童を捕えて陸に引き上げ三十三間堂の前で殴り殺そうとしたところ、通りかかった人々が河童を助けました。それ以来、深川では河童が人 間を捕らなくなったといいます。→妖怪画で知られる鳥山石燕による河童
11、白容商〔しろうねり〕
鳥山石燕「画図百器 徒然袋」に描かれ、【白うるりは徒然のならいなるよし。この白うねりはふるき布巾のばけたるものなれども、外にならいもやはべると、夢のうちにおもひぬ】 と解説されている。白うるりとは、吉田兼好の『徒然草」第六十段に登場する、 芋頭(いもがしら)が異常に好きな坊主のあだ名である。  この白うるりという名前に倣って、布雑巾 の化けたものを白容裔(しろうねり)と名づけたといっているので、つまりは石燕の創作妖怪であろう。古い雑巾などが化けて人を襲う、などの説 明がされることがあるが、これは山田野理夫 の��東北怪談の旅』にある古雑巾の妖怪を白 容裔の話として使ったにすぎない。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編
12、轆轤首〔ろくろくび〕
抜け首、飛頭蛮とも つな いう。身体から首が完全に分離して活動する ものと、細紐のような首で身体と頭が繋がっているものの二形態があるようである。 日本の文献には江戸時代から多くみえはじ め、『古今百物語評判』『太平百物語』『新説 百物語」などの怪談集や、『甲子夜話』『耳 囊」「北窓瑣談」「蕉斎筆記』『閑田耕筆』と いった随筆の他、石燕の『画図百鬼夜行」に 代表される妖怪画にも多く描かれた。 一般的な轆轤首の話としては、夜中に首が 抜け出たところを誰かに目撃されたとする内 容がほとんどで、下働きの女や遊女、女房、 娘などと女性である場合が多い。 男の轆轤首は「蕉斎筆記』にみえる。 ある夜、増上寺の和尚の胸の辺りに人の 首が来たので、そのまま取って投げつけると、 どこかへいってしまった。翌朝、気分が悪いと訴えて寝ていた下総出 身の下働きの男が、昼過ぎに起き出して、和 尚に暇を乞うた。わけ その理由を問えば、「昨夜お部屋に首が参りませんでしたか」と妙なことを訊く。確か に来たと答えると、「私には抜け首の病があります。昨日、手水鉢に水を入れるのが遅い とお叱りを受けましたが、そんなにお叱りに なることもないのにと思っていると、 夜中に首が抜けてしまったのです」 といって、これ以上は奉公に差支えがあるからと里に帰って しまった。 下総国にはこの病が多いそうだと、 「蕉斎筆記』は記している。  轆轤首を飛頭蛮と表記する文献があるが、 これはもともと中国由来のものである。「和漢三才図会』では、『三才図会」「南方異 物誌」「太平広記」「搜神記』といった中国の 書籍を引いて、飛頭蛮が大闍波国(ジャワ) や嶺南(広東、広西、ベトナム)、竜城(熱 洞省朝陽県の西南の地)の西南に出没したことを述べている。昼間は人間と変わらないが、夜になると首 が分離し、耳を翼にして飛び回る。虫、蟹、 ミミズなどを捕食して、朝になると元通りの 身体になる。この種族は首の周囲に赤い糸のような傷跡がある、などの特徴を記している。中国南部や東南アジアには、古くから首だけの妖怪が伝わっており、マレーシアのポン ティアナやペナンガルなどは、現在でもその 存在が信じられている。 日本の轆轤首は、こうした中国、東南アジ アの妖怪がその原型になっているようである。 また、離魂病とでもいうのだろうか、睡眠中に魂が抜け出てしまう怪異譚がある。例えば「曽呂利物語」に「女の妄念迷い歩 <事」という話がある。ある女の魂が睡眠中に身体から抜け出て、 野外で鶏になったり女の首になったりしているところを旅人に目撃される。旅人は刀を抜いてその首を追いかけていく と、首はある家に入っていく。すると、その家から女房らしき声が聞こえ、 「ああ恐ろしい夢を見た。刀を抜いた男が追 いかけてきて、家まで逃げてきたところで目 が醒めた」などといっていたという話である。これの類話は現代の民俗資料にも見え、抜け出た魂は火の玉や首となって目撃されている。先に紹介した「蕉斎筆記』の男の轆轤首 も、これと同じように遊離する魂ということ で説明ができるだろう。 轆轤首という妖怪は、中国や東南アジア由 来の首の妖怪や、離魂病の怪異譚、見世物に 出た作りものの轆轤首などが影響しあって、 日本独自の妖怪となっていったようである。 【和漢三才図会』寺島良安編・島田勇雄・竹 島淳夫・樋口元巳訳注 『江戸怪談集(中)』 高田衛編/校注『妖異博物館』柴田宵曲 『随筆辞典奇談異聞編」柴田宵曲編 『日本 怪談集 妖怪篇』今野円輔編著 『大語園』巌谷小波編
13、加牟波理入道〔がんばりにゅうどう〕
雁婆梨入道、眼張入道とも書く。便所の妖怪。 鳥山石燕の「画図百鬼夜行」には、便所の台があるよう 脇で口から鳥を吐く入道姿の妖怪として描かれており、【大晦日の夜、厠にゆきて「がんばり入道郭公」と唱ふれば、妖怪を見さるよし、世俗のしる所也。もろこしにては厠 神名を郭登といへり。これ遊天飛騎大殺将軍 とて、人に禍福をあたふと云。郭登郭公同日 は龕のの談なるべし】と解説されている。 松浦静山の『甲子夜話」では雁婆梨入道という字を当て、厠でこの名を唱えると下から入道の頭が現れ、 その頭を取って左の袖に入れてまたとりだすと 頭は小判に変化するなどの記述がある。 「がんばり入道ホトトギス」と唱えると怪異 にあわないというのは、江戸時代にいわれた 俗信だが、この呪文はよい効果を生む(前述 ことわざわざわい ●小判を得る話を含め)場合と、禍をよぶ 場合があるようで、「諺苑」には、大晦日に この話を思い出せば不祥なりと書かれている。 また、石燕は郭公と書いてホトトギスと読ませているが、これは江戸時代では郭公とホト トギスが混同されていたことによる。 ホトトギスと便所との関係は中国由来のようで、「荊楚歲時記』にその記述が見える。 ホトトギスの初鳴きを一番最初に聞いたもの は別離することになるとか、その声を真似すると吐血するなどといったことが���されており、厠に入ってこの声を聞くと、不祥事が起 こるとある。これを避けるには、犬の声を出 して答えればよいとあるが、なぜかこの部分 だけは日本では広まらなかったようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『江戸文学俗信辞典』 石川一郎編『史実と伝説の間」李家正文
14、三つ目小僧
顔に三つの目を持つ童子姿の妖怪。 長野県東筑摩郡教育委員会による調査資料に名は見られるが、資料中には名前があるのみ で解説は無く、どのような妖怪かは詳細に語られていない。 東京の下谷にあった高厳寺という寺では、タヌキが三つ目小僧に化けて現れたという。このタヌ キは本来、百年以上前の修行熱心な和尚が境内に住まわせて寵愛していたために寺に住みついたものだが、それ以来、寺を汚したり荒らしたりする者に対しては妖怪となって現れるようになり、体の大きさを変えたり提灯を明滅させて人を脅したり、人を溝に放り込んだりしたので、人はこれ を高厳寺小僧と呼んで恐れたという。困った寺は、このタヌキを小僧稲荷として境内に祀った。この寺は現存せず、小僧稲荷は巣鴨町に移転している。 また、本所七不思議の一つ・置行堀の近くに住んでいたタヌキが三つ目小僧に化けて人を脅したという言い伝えもある。日野巌・日野綏彦 著「日本妖怪変化語彙」、村上健司校訂 編『動物妖怪譚』 下、中央公論新社〈中公文庫〉、2006年、301頁。 佐藤隆三『江戸伝説』坂本書店、1926年、79-81頁。 『江戸伝説』、147-148頁。
15、双頭の蛇 設置予定場所:水茶屋 「兎園小説」には、「両頭蛇」として以下の内容が著してある。 「文政7年(1824)11月24日、本所竪川通りの町方掛り浚場所で、卯之助という男性 が両頭の蛇を捕まえた。長さは3尺あったという。」
文政7年(1824)11月24日、一の橋より二十町程東よりの川(竪川、現墨田区)で、三尺程の 「両頭之蛇」がかかったと言う話です。詳細な図解が示されています。 (曲亭馬琴「兎園小説」所収『兎園小説』(屋代弘賢編『弘賢随筆』所収) 滝沢馬琴他編 文政8年(1825)��国立公文書館蔵
16、深川心行寺の泣き茶釜
文福茶釜は「狸」が茶釜に化けて、和尚に恩返しをする昔話でよく知られています。群馬県館林の茂 林寺の話が有名ですが、深川2丁目の心行寺にも文福茶釜が存在したといいます。『新撰東京名所図会』 の心行寺の記述には「什宝には、狩野春湖筆涅槃像一幅 ―及び文福茶釜(泣茶釜と称す)とあり」 とあります。また、小説家の泉鏡花『深川浅景』の中で、この茶釜を紹介しています。残念ながら、関 東大震災(1923年)で泣茶釜は、他の什物とともに焼失してしまい、文福茶釜(泣き茶釜)という狸が 化けたという同名が残るのみです。鳥山石燕「今昔百鬼拾遺」には、館林の茂森寺(もりんじ)に伝わる茶釜の話があります。いくら湯を 汲んでも尽きず、福を分け与える釜といわれています。 【主な参考資料】村上健司 編著/水木しげる 画『日本妖怪大辞典』(角川出版)
17、家鳴(やなり) 設置予定場所:大吉、松次郎の家の下)  家鳴りは鳥山石燕の「画図百鬼夜行」に描かれたものだが、(石燕は鳴屋と表記)、とくに解説はつけられて いない。石燕はかなりの数の妖怪を創作しているが、初期の 「画図百鬼夜行」では、過去の怪談本や民間でいう妖怪などを選んで描いており、家鳴りも巷(ちまた)に知られた妖怪だったようである。 昔は何でもないのに突然家が軋むことがあると、家鳴りのような妖怪のしわざだと考えたようである。小泉八雲は「化け物の歌」の中で、「ヤナリといふ語の・・・それは地震中、家屋の震動 する音を意味するとだけ我々に語って・・・その薄気 味悪い意義を近時の字書は無視して居る。しかし此語 はもと化け物が動かす家の震動の音を意味して居た もので、眼には見えぬ、その震動者も亦(また) ヤナ リと呼んで居たのである。判然たる原因無くして或る 家が夜中震ひ軋り唸ると、超自然な悪心が外から揺り動かすのだと想像してゐたものである」と延べ、「狂歌百物語」に記載された「床の間に活けし立ち木も倒れけりやなりに山の動く掛軸」という歌を紹介している。 (高田衛監修/稲田篤信・田中直日編『鳥山石燕画図百鬼夜行』、『小泉八雲全集』第7巻)
18、しょうけら 設置予定場所:おしづの家の屋根 鳥山石燕「画図百鬼夜行」に、天井の明かり取り窓を覗く妖怪として描かれているもの。石燕による解説はないが、 ショウケラは庚申(こうしん) 信仰に関係したものといわれる。 庚申信仰は道教の三尸(さ���し)説がもとにあるといわ れ、60日ごとに巡ってくる庚申の夜に、寝ている人間の身 体から三尸虫(頭と胸、臍の下にいるとされる)が抜け出し、天に昇って天帝にその人の罪科を告げる。この報告��より天帝は人の命を奪うと信じられ、対策とし て、庚申の日は眠らずに夜を明かし、三尸虫を体外に出さ ないようにした。また、これによる害を防ぐために「ショウケラはわたとてまたか我宿へねぬぞねたかぞねたかぞ ねぬば」との呪文も伝わっている。 石燕の描いたショウケラは、この庚申の日に現れる鬼、ということがいえるようである。
19、蔵の大足
御手洗主計という旗本の屋敷に現れた、長さ3尺程(約9m)の大足。(「やまと新聞」明治20年4月29日より)
20、お岩ちょうちん
四世鶴屋南北の代表作である「東海道四谷怪談」のお岩 を、葛飾北斎は「百物語シリーズ」の中で破れ提灯にお岩が 宿る斬新な構図で描いている。北斎は同シリーズで、当時の 怪談話のもう一人のヒロインである「番町皿屋敷のお菊」も描 く。「東海道四谷怪談」は、四世南北が暮らし、没した深川を舞台にした生世話物(きぜわもの)の最高傑作。文政8年(1825) 7月中村座初演。深川に住んだ七代目市川團十郎が民谷伊 右衛門を、三代目尾上菊五郎がお岩を演じた。そのストーリーは当時評判だった実話を南北が取材して描 いている。男女が戸板にくくられて神田川に流された話、また 砂村隠亡堀に流れついた心中物の話など。「砂村隠亡堀の場」、「深川三角屋敷の場」など、「四谷怪 談」の中で深川は重要な舞台として登場する。
21、管狐(くだぎつね)  長野県を中心にした中部地方に多く分布し、東海、関東南部、東北の一部でいう憑き物。関東 南部、つまり千葉県や神奈川県以外の土地は、オサキ狐の勢力になるようである。管狐は鼬(いたち)と鼠(ねずみ)の中間くらいの小動物で、名前の通り、竹筒に入ってしまうほどの大きさだという。あるいはマッチ箱に入るほどの大きさで、75匹に増える動物などとも伝わる個人に憑くこともあるが、それよりも家に憑くものとしての伝承が多い。管狐が憑いた家は管屋(くだや)とか管使いとかいわれ、多くの場合は「家に憑いた」ではなく「家で飼っている」という表現をしている。管狐を飼うと金持ちになるといった伝承はほとんどの土地でいわれることで、これは管 狐を使って他家から金や品物を集めているからだなどという。また、一旦は裕福になるが、管狐は 大食漢で、しかも75匹にも増えるのでやがては食いつぶされるといわれている。 同じ狐の憑き物でも、オサキなどは、家の主人が意図しなくても、狐が勝手に行動して金品を集 めたり、他人を病気にするといった特徴があるが、管狐の場合は使う者の意図によって行動すると考えられてい���ようである。もともと管狐は山伏が使う動物とされ、修行を終えた山伏が、金峰山 (きんぷさん)や大峰(おおみね)といった、山伏に官位を出す山から授かるものだという。山伏は それを竹筒の中で飼育し、管狐の能力を使うことで不思議な術を行った。 管狐は食事を与えると、人の心の中や考えていることを悟って飼い主に知らせ、また、飼い主の 命令で人に取り憑き、病気にしたりするのである。このような山伏は狐使いと呼ばれ、自在に狐を 使役すると思われていた。しかし、管狐の扱いは難しく、いったん竹筒から抜け出た狐を再び元に 戻すのさえ容易ではないという。狐使いが死んで、飼い主不在となった管狐は、やがて関東の狐の親分のお膝元である王子村(東京都北区)に棲むといわれた。主をなくした管狐は、命令する者がいないので、人に憑くことはないという。 (石塚尊俊『日本の憑きもの』、桜井徳太郎編『民間信仰辞典』、金子準二編著『日本狐憑史資料 集成』)
22、かいなで 設置予定場所: 長屋の厠 京都府でいう妖怪。カイナゼともいう。節分の夜に便所へ行くとカイナデに撫でられるといい、これを避けるには、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文を唱えればよいという。 昭和17年(1942年)頃の大阪市立木川小学校では、女子便所に入ると、どこからともなく「赤い 紙やろか、白い紙やろか」と声が聞こえてくる。返事をしなければ何事もないが、返事をすると、尻を舐められたり撫でられたりするという怪談があったという。いわゆる学校の怪談というものだが、 類話は各地に見られる。カイナデのような家庭内でいわれた怪異が、学校という公共の場に持ち込まれたものと思われる。普通は夜の学校の便所を使うことはないだろうから、節分の夜という条件が消失してしまったのだろう。 しかし、この節分の夜ということは、実に重要なキーワードなのである。節分の夜とは、古くは年越しの意味があり、年越しに便所神を祭るという風習は各地に見ることができる。その起源は中国に求められるようで、中国には、紫姑神(しこじん)という便所神の由来を説く次のような伝説がある。 寿陽県の李景という県知事が、何媚(かび) (何麗卿(かれいきょう)とも)という女性を迎えたが、 本妻がそれを妬み、旧暦正月 15 日に便所で何媚を殺害した。やがて便所で怪異が起こるようになり、それをきっかけに本妻の犯行が明るみに出た。後に、何媚を哀れんだ人々は、正月に何媚を便所の神として祭祀するようになったという(この紫姑神は日本の便所神だけではなく、花子さんや紫婆(むらさきばばあ)などの学校の怪談に登場する妖怪にも影響を与えている。) 紫姑神だけを日本の便所神のルーツとするのは安易だが、影響を受けていることは確かであろう。このような便所神祭祀の意味が忘れられ���その記憶の断片化が進むと、カイナデのような妖怪が生まれてくるようである。 新潟県柏崎では、大晦日に便所神の祭りを行うが、便所に上げた灯明がともっている間は決して便所に入ってはいけないといわれる。このケースは便所神に対する信仰がまだ生きているが、便所神の存在が忘れられた例が山田野理夫『怪談の世界』に見える。同書では、便所の中で「神くれ神くれ」と女の声がしたときは、理由は分からなくとも「正月までまだ遠い」と答えればよいという。便所神は正月に祀るものという断片的記憶が、妖怪として伝えられたものといえる。また、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」という呪文も、便所神の祭りの際に行われた行為の名残を伝えて いる。便所神の祭りで紙製の人形を供える土地は多く、茨城県真壁郡では青と赤、あるいは白と赤の 男女の紙人形を便所に供えるという。つまり、カイナデの怪異に遭遇しないために「赤い紙やろう か、白い紙やろうか」と唱えるのは、この供え物を意味していると思われるのである。本来は神様に供えるという行為なのに、「赤とか白の紙をやるから、怪しいふるまいをするなよ」というように変化してしまったのではないだろうか。さらに、学校の怪談で語られる便所の怪異では、妖怪化した便所神のほうから、「赤い紙やろうか、白い紙やろうか」とか「青い紙やろうか、赤い紙やろうか」というようになり、より妖怪化が進ん でいったようである。こうしてみると、近年の小学生は古い信仰の断片を口コミで伝え残しているともいえる。 島根県出雲の佐太神社や出雲大社では、出雲に集まった神々を送り出す神事をカラサデという が、氏子がこの日の夜に便所に入ると、カラサデ婆あるいはカラサデ爺に尻を撫でられるという伝 承がある。このカラサデ婆というものがどのようなものか詳細は不明だが、カイナデと何か関係があるのかもしれない。 (民俗学研究所編『綜合日本民俗語彙』、大塚民俗学会編『日本民俗学事典』、『民間伝承』通巻 173号(川端豊彦「厠神とタカガミと」)ほか)
23、木まくら 展示予定場所:政助の布団の上 江東区富岡にあった三十三間堂の側の家に住んだ医師が病気になり、元凶を探した所 黒く汚れた木枕が出た。その枕を焼くと、死体を焼く匂いがして、人を焼くのと同じ時間がかかったという。 (『古老が語る江東区のよもやま話』所収)
24、油赤子〔あぶらあかご〕鳥山石燕の『今昔 画図続百鬼』に描かれた妖怪。【近江国大津 の八町に、玉のごとくの火飛行する事あり。土人云「むかし志賀の里に油うるものあり。 夜毎に大津辻の地蔵の油をぬすみけるが、その者死て魂魄炎となりて、今に迷いの火となれる」とぞ。しからば油をなむる赤子は此ものの再生せしにや】と記されている。 石燕が引いている【むかし志賀(滋賀) の】の部分は、「諸国里人談』や『本朝故事 因縁集」にある油盗みの火のことである。油盗みの火とは、昔、夜毎に大津辻の地蔵 の油を盗んで売っていた油売りがいたが、死 後は火の玉となり、近江大津(滋賀県大津 市)の八町を縦横に飛行してまわったという もの。石燕はこの怪火をヒントに、油を嘗める赤ん坊を創作したようである。 『鳥山石燕画図百鬼夜行』高田衛監修・稲 田篤信・田中直日編 『一冊で日本怪異文学 100冊を読む」檜谷昭彦監修『日本随筆大成編集部編
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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yotchan-blog · 5 months ago
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2025/1/30 21:00:15現在のニュース
<リストあり>八潮の道路陥没 足立区が区内の銭湯入浴料を無料に お風呂使えない12市町の住民対象(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/1/30 20:59:31) 入札すっ飛ばし不適切発注、過去5年で1123件あった 江戸川区「区民のためだった」 疑惑の契約は他にも(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/1/30 20:59:31) 旅券の発給拒否、高裁も「違法」 ジャーナリスト安田純平さんが勝訴:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/1/30 20:57:10) 土砂崩れの主因は大雨 松山城山の道路整備工事も地形変更に影響か(毎日新聞, 2025/1/30 20:57:05) ディープシーク、オープンAIのAIモデルが学習した内容を「蒸留」か…「不適切に利用した可能性」([B!]読売新聞, 2025/1/30 20:54:32) 大阪万博の子ども招待、58万人に 4割が鉄道利用 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:54:23) 道路陥没 穴の内部へスロープ、重機で土砂取り除きへ…模索続く(毎日新聞, 2025/1/30 20:49:51) JR九州、「eきっぷ」など割引切符を値上げ 4月から - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:48:23) 公明・斉藤代表「通称使用拡大含む制度もあり得る」 選択的夫婦別姓導入の必要性強調([B!]産経新聞, 2025/1/30 20:48:16) <独自>災害ボランティア団体登録制、市町村が住民情報提供 漏洩なら罰則、関連法案明記([B!]産経新聞, 2025/1/30 20:48:16) NHK稲葉延雄会長、元島民に謝罪を検討 軍艦島映像「緑なき島」の悪用巡り自民党部会で([B!]産経新聞, 2025/1/30 20:48:16) 「リモート勤務」も影響? 東証元社員インサイダー事件、検証委指摘(朝日新聞, 2025/1/30 20:46:25) 南海電鉄の経常益306億円で最高 4〜12月、配当金で - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) JR東日本、東北から東京への観光キャンペーン 若者に的 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) ���ビジネスINSIDE〉晴れぬ航空燃料不足リスク 元売り、世界基準超える検査要求 成田の「直接輸入」阻む旧習 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) JR松江駅の待合室「やくもラウンジ」に 3月下旬にも - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) JR北海道、札幌―旭川・網走間の特急割引率引き上げ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) リニア開業で静岡・浜松へひかり停車増 JR東海社長方針 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) 福島第1原発「デブリ」に原発部品以外の成分 海水由来か - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) 新幹線「ひかり」早割、2人以上で東京―新大阪2500円安く - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/30 20:42:23) 宇都宮の井戸水で指針値超えるPFAS 新たに5カ所で検出(毎日新聞, 2025/1/30 20:42:05) 「不開示もうやめて」 赤木さん妻、遺影手にし涙 森友文書判決(毎日新��, 2025/1/30 20:42:05) 大阪市のクジラ処理問題 外部監察委「1404万円減額の余地あった」(毎日新聞, 2025/1/30 20:42:05) クジラ処理、最大1400万減額の可能性指摘 大阪市の外部監察委(朝日新聞, 2025/1/30 20:38:40) 人口が倍になった船橋の定数を放置…裁判長「異常だ」 千葉県議選、1票の格差「合憲」にただひとり反対意見:東京新聞デジタル([B!]東京新聞, 2025/1/30 20:36:37) 衆院予算委、参考人招致の多数決は51年ぶり 安住氏「山を越えた」(毎日新聞, 2025/1/30 20:34:56) 性被害、口封じさせない 守秘義務契約の法規制、欧米で拡大 映画プロデューサー告発、英女性が運動:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/1/30 20:33:16) 次世代原子炉の高熱で水素製造、大洗町に建設計画…原子力機構が規制委に審査申請へ([B!]読売新聞, 2025/1/30 20:30:38) フジテレビの遠藤龍之介副会長「お金よりも信頼を取り戻さないと」…CM差し止め相次ぎ([B!]読売新聞, 2025/1/30 20:30:38)
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shintani24 · 9 months ago
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2024年10月15日
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島根原発2号機 中国電力が原子炉に核燃料入れる作業を申請(NHKニュース)
中国電力は、12月に再稼働を計画している島根原子力発電所2号機について、原子炉に核燃料を入れる作業を今月28日から行いたいとする申請書を15日、国の原子力規制委員会に提出しました。そのうえで12月上旬にも原子炉を起動する方向で調整を進めています。
中国電力は2012年以降停止している松江市にある島根原発2号機について、ことし12月の再稼働を計画していて、準備を本格化させています。
そして一連の安全対策工事が予定どおり進んだとして、原子炉に核燃料を入れる作業を今月28日から行いたいとする申請書を、15日、原子力規制委員会に提出しました。
作業は1週間程度を見込んでいるということで、そのあとの安全確認などが順調に進めば、12月上旬にも原子炉を起動する方向で調整を進めています。
島根原発2号機は事故を起こした東京電力の福島第一原発と同じ沸騰水型と呼ばれるタイプで、このタイプで再稼働するのは、今月29日にも原子炉を起動する工程を示している東北電力の女川原発2号機に続き2基目になる見通しです。
中国電力は「引き続き安全確保を第一に検査を進めるなど、再稼働に向けた一つ一つの準備を着実に進めてまいります」とコメントしています。
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島根原発、12月上旬に再稼働 2号機、10月末に燃料装填(共同通信)
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島根原発2号機、12月上旬再稼働 中電、10月28日に燃料装荷開始(中国新聞 10月15日)
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島根原発2号機、12月上旬再稼働 中国電、10月末に燃料装荷(産経ニュース 10月15日)
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島根原発2号機 28日燃料装荷開始 12月上旬再稼働へ(BSS 山陰放送 10月15日)
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島根原発2号機、再稼働は「12月上旬」10月28日に燃料装荷開始 中国電力(山陰中央新報 10月15日)
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島根原発2号機、12月上旬に13年ぶり再稼働 28日から燃料装荷(朝日新聞 10月15日)
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島根原発2号機再稼働認めない仮処分退ける 広島高裁松江支部(NHKニュース 5月15日)
再稼働に向けた準備が進む松江市の島根原子力発電所2号機について、広島高等裁判所松江支部は、地元の住民が地震や火山の噴火などの想定が不十分だと主張して再稼働を認めないよう求めた仮処分の申し立てを退ける決定を出しました。
松江市にある島根原発2号機は、定期検査で運転を停止した2012年から稼働しておらず、3年前に原子力規制委員会の審査に合格したことなどを受けて、中国電力はことし12月に再稼働させる計画で準備を進めています。
これに対し、島根県と鳥取県の住民4人は、地震や火山の噴火などの想定が不十分だとして、去年3月に再稼働を認めないよう求める仮処分を、申し立てました。
これまでの審理で住民側は、「中国電力が想定する原発周辺での最大規模の地震の揺れは低すぎるほか、島根県内で火山が噴火した場合に降り積もる灰の量も過小評価している」などと主張したのに対し、中国電力側は「想定される地震の揺れは科学的知見を踏まえた合理的なもので、住民側が指摘する規模の噴火が起きる可能性は十分に小さく具体的な危険はない」などと反論していました。
これについて、広島高等裁判所松江支部の松谷佳樹裁判長は、15日、住民側の主張を認めず、申し立てを退ける決定を出しました。
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「あまりにも早急」島根原発2号機 28日から核燃料装てん・12月再稼働に抗議 市民グループが中国電力に申し入れ(RCCニュース 10月16日)
中国電力が島根原発2号機を12月上旬に再稼働させると明らかにしたことを受けて、市民グループが抗議しました。
抗議の申し入れをしたのは広島県内の5つの市民グループです。中国電力の担当者は抗議文書を関係部署に伝えるとして受け取りました。
中国電力は15日、10月28日から島根原発2号機の原子炉に核燃料を装てん、検査などが順調に進めば12月上旬に原子炉を起動し、再稼働させることを明らかにしました。
申し入れでは、島根原発2号機が停止して13年が経つことから、「部品の劣化や原発の運転員の未経験者が増えていることなどが考えられるため、再稼働は危険だ」などとしています。
上関原発止めよう!広島ネットワーク 溝田一成 共同代表「地震に耐えられるかどうかなどそういうことをもう一度考え直してから、燃料装荷してほしい。あまりにも早急すぎる。」
島根原発2号機の運転再開は、定期点検で停止した2012年1月以来となります。
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原発5キロ圏の児童ら避難訓練 12月再稼働、島根2号機(共同通信 10月19日)
中国電力島根原発2号機が立地する松江市は19日、原発から約5キロ圏内の予防防護措置区域(PAZ)にある幼稚園や小中学校に通う子どもを対象に重大事故を想定した避難訓練を実施、一部を報道陣に公開した。島根2号機は12月に再稼働を予定している。
訓練には園児や小中学生、保護者ら約千人が参加。幼稚園や学校から、退避所となる市の体育館にバスで移動した児童らを保護者に引き渡す手順を確認するなどした。
小学生の子と参加した松江市の会社員津森哲郎さん(48)は「実際に事故が起きたとき、訓練があるのとないのとでは違ってくると思う」と話した。
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【速報】金の国内小売価格が過去最高値を更新 初の1万4000円台に(テレ朝news)
中東情勢の緊迫化などを背景に、金の需要が国際的に高まり、日本国内の金の小売価格が過去最高値を更新しました。
金の国内小売価格の指標とされる、田中貴金属工業のきょうの店頭販売価格は、1グラムあたり1万4069円となり、営業日として最高値を更新しました。
金の価格は、およそ1カ月で1000円以上上昇しています。中東情勢が緊迫していることや、アメリカの金融政策が利下げに転換したことなどが要因とみられています。
金は「有事の金」ともいわれ、戦争や災害など世界経済を揺るがすような事態が発生すると需要が高まる傾向があります。
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アベノマスク契約めぐる訴訟 裁判長も「全て口頭で?」と突っ込み(朝日新聞)2024年10月15日
大量の在庫が問題になった新型コロナ対策の布マスクを巡り、業者との契約過程を示す文書を開示するよう上脇博之・神戸学院大教授が国に求めた訴訟で、複数省庁による「合同マスクチーム」のうち業者と直接やりとりした職員ら3人が15日、大阪地裁(徳地淳裁判長)に証人出廷した。「やりとりは口頭が基本で、文書は残していない」と口をそろえた。
マスクは2020年4月に安倍晋三首相(当時)が各戸配布を表明し、政府が400億円超をかけて約3億枚を調達したもので、「アベノマスク」と呼ばれた。需要の乏しさから約8300万枚が残り、国会などで税金の無駄遣いが指摘された。
この日の証人尋問で経済産業省からチームに出向した職員は、「募集に応じた業者からはチーム宛てに電話やメールが毎日のように来ていた」と説明。ただ自身が受け取ったメールは「容量が限られているため2~3日に1度消去し、保存していない」と証言した。
「文書作っている余裕ない」に、反応した裁判長
原告側から業者選定のためにやりとりを記録しておかないと「不便では」と問われると、「いちいち文書を作っている余裕はなく、上司が近くにいる時に口頭で価格や数量、納期などを報告していた」と話した。
���地裁判長からも「単価や枚数は間違えると大変なことになる。全て記憶して口頭で報告していたのか」と突っ込まれると、「そうです」と答えた。
原告側が裁判所に求めて業者側から入手したチームとのメールには、この職員が業者の担当者と会って直接打ち合わせをした記録が残っていた。
職員は「どんな業者か確認するために上司から頼まれたら打ち合わせをセッティングしていた」としつつ、原告側から打ち合わせで話した内容や同席職員を問われると「覚えていない」と証言。その時の記録は「余裕がなくて作った記憶がない」とした。
行政文書管理規則では、意思決定の過程や事業の検証に必要となる行政文書の保存期間は「原則1年以上」とし、共有フォルダーに保存するとしている。メールもこの対象に含まれうるが、職員は「スピード感を求められていた。残した記憶はない」と話した。
事業規模小さい会社に大量発注、原告側「不自然」
続いて出廷した経産省の課長補佐(当時)は、マスクチームのメンバーではなく「サポートする立場だった」と説明。募集の意思を示した業者に枚数や納期を聞き取り、チームに報告していたという。
課長補佐が担当した会社は、20年の時点で設立3年弱でウェブサイトを持たず、従業員が5人しかいなかったことが原告側のとった登記簿などで判明している。会計検査院の報告書によると、政府はこの会社と2カ月で計約30億円の契約を結んでいた。
原告側は事業規模に見合わない大量の発注をしているのは不自然だとして、受注能力を登記簿などで事前に確認したかを尋ねた。課長補佐は登記簿も決算書も「確認していない」が、「金額や枚数、納期の点では問題がなかった。ベーシックなところは確認した」と証言。やりとりを示す文書は「保存していない」とした。
上脇教授は20年7月までに複数回、情報公開請求をした。契約書は開示されたが、経過を示す文書やメールは「不存在」とされたため、「巨額の税金が使われた契約の過程を国民に説明する義務が国にはある」として21年2月に提訴していた。
裁判はこの日で現職の省庁職員6人全員の証人尋問が終わった。次回12月24日に原告・被告双方が最終的な主張をして、結審する。(大滝哲彰)
コメントプラス
綿野恵太(文筆家)【視点】 <「徳地裁判長からも「単価や枚数は間違えると大変なことになる。全て記憶して口頭で報告していたのか」と突っ込まれると、「そうです」と答えた」
なかなか常識的に考えられないですよね。たとえ同じ職場の人間であっても、伝達ミスを防ぐためにメールで記録を残したりするものですが……
明石順平(弁護士・ブラック企業被害対策弁護団)【視点】 全部口頭。まあ嘘であろう。火事場泥棒を隠そうとしているようにしか見えない。マスク配布を奇貨として政府関係者に金を配っただけではないか。それがばれるのが怖いから、こんな言い訳をしている。
あの布マスクはサイズが小さ過ぎる上に、素材が布であるから、感染予防の観点からも不適切であった。また、1世帯2枚しか配られなかったので、数の点からも中途半端である。
感染予防効果からすれば不織布マスク一択であるが、国が粗悪な布マスクを配ったせいで、同じく感染予防効果の低いウレタンマスクなども許容される状況が生まれたと感じる。したがって感染対策について実害が生じていたと私は思う。
安倍総理だけがアベノマスクをかたくなに着用し、周囲が不織布マスクを着用している光景は異様だった。
単なる思い付きにすぎない有害な政策ですら誰も止められない状況は、国家機能不全状況を示す象徴的なものだった。
このアベノマスク問題は絶対にうやむやにしてはいけない。
ダースレイダー(ラッパー)【視点】bコロナ対策の検証がなぜ必要か? それは今後、新たな感染症や災害に見舞われた際にどの対策がどのように有効で、どれが失敗したかを後世の人たちに参考にしてもらうためです。
全国一斉休校もマスク配布もどのような効果があったか? あるいは無かったか?今回の裁判で明らかにされたような意思決定が為され、検証可能な証拠が何も残っていないとすれば、その点を持ってして対策として失敗しています。
政治家がよく使う未来のためにというフレーズは、具体的には上記のような検証作業を繰り返すことで実現するものだと考えます。
今、まさに選挙が行われています。例えばこのマスクの件に対してどういう態度を取るか?だけでも資質がわかると思います。
岩尾真宏(朝日新聞名古屋報道センター長代理)【視点】 血税が投入された新型コロナ対策の布マスク配布をめぐって、やりとりが本当に「口頭で」なされていたとすれば、あぜんとするばかりです。ただ、役所の習性を踏まえると、この説明を真に受けるには無理があるように思います。この当時、忙しかったことは事実でしょうが、これほどの規模の事業に関することを「口頭で」進めていくでしょうか。
ちなみに、石破茂首相は首相就任前の2020年6月のブログで、この「布マスク」が早急に届いていないことに触れた上で、次のような指摘をしています。「届いたマスクには生産したメーカーの名も、連絡先も記載がありません。マスクには法的な表示義務はないものの『全国マスク工業会』の自主的な表示基準として記載すべき事項が列挙されているのですが、これら事項の表示もありません。内閣総理大臣肝いりの政策��こんな杜撰なことでよいわけがありません」
ご指摘の通りで、内閣総理大臣肝いりであろうとなかろうと、税金を投じた事業について、後にその決定過程を検証できないようなことでよいわけがありません。
いま、過去の自身の発言が色々とはね返ってきている石破首相ですが、「納得と共感」のためにも、以前の政権下での政策検証もぜひ取り組んで頂きたいと思います。
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monotime · 2 years ago
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2023年10月のおしらせ
7(土)吉祥寺ZINEフェスティバル
14(土)第一回分倍河原ZINE fes.
22(日)第17回文学館まつり フリーマーケット
28(土)-29(日)KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKET
SURIMACCAサミット-いきもの編-
25(水)から「図案とおはなし」展/海老名市立中央図書館にて
10/7(土)吉祥寺ZINEフェスティバル
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吉祥寺ZINEフェスティバルに参加します。今回は武蔵野公会堂での開催になります。当日、ホールにてアニメーションの上映会も行われるそうです。ご興味のある方はぜひチェックしてみてください。 吉祥寺ZINEフェスティバル 開催日:10月7日(土) 開催場所:武蔵野公会堂(吉祥寺駅徒歩3分) 開始時間:12時から17時 入場料:100円 現金払い
10/14(土)第一回分倍河原ZINE fes.
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初開催!第一回分倍河原ZINE fes.に参加します。告知画像を制作させて頂きました。主催は書肆海と夕焼さん、共催はマルジナリア書店さんで、分倍河原駅を降りて目の前のビルの3階にあるマルジナリア書店さんの向かいのスペースが会場になります。 参加者も募集されているそうです。詳細はこちら。 第一回分倍河原ZINE fes. 開催日:10月14日(土) 開催場所:マルジナリア書店向かい(分倍河原駅徒歩0分) 開始時間:11時から18時 入場無料
10/22(日)第17回文学館まつり フリーマーケット
町田市民文学館ことばらんどにて毎年開催されている文学館まつりのなかで、今年は自費出版の本やZINEを販売するフリーマーケットが行われます!展示室では「生誕100年遠藤周作展 ミライを灯すことば」展、映画上映会や、寄席などのプログラムもあります。 ほかにもこの日、町田では「ゆうゆう版画美術館まつり」「町田時代祭り2023」「生涯学習センターまつり」が同時開催されるとのこと。ぜひ町田へ遊びにいらしてください。
第17回文学館まつり 日時:10月22日(日)10時から16時 会場:町田市民文学館ことばらんど(原町田4-16-17) JR横浜線「町田駅」ターミナル口から徒歩8分 小田急線「町田駅」東口から徒歩12分 入場無料
10/28(土)-29(日) KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKET
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KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKETに参加します!「あいだで考える」シリーズ・戸谷洋志さん著『SNSの哲学』(創元社)でもお世話になった、ambooks 矢萩多聞さんのブースにお邪魔させて頂けることになりました。 MARKET、FOOD、WORK SHOP、BOOK、LIVE、TALKと、もりだくさんの二日間。新刊「貝がら千話⑦」も持って行ける予定です。がんばります。
KITAKAGAYA FLEA 2023 AUTUMN & ASIA BOOK MARKET 日時:28(土) 12時から19時    29(日) 11時から18時30分 会場:CCO クリエイティブセンター大阪    大阪市住之江区北加賀屋4-1-55 名村造船所跡地 入場料:各日 500円(税込)再入場可・飲食物の持ち込み禁止 主催: LLCインセクツ
SURIMACCAサミット-いきもの編-
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SURIMACCAサミットとはリソグラフ印刷などでおなじみのJAMさんによる、シルクスクリーンの体験イベントです。今回は「いきもの編」。各地の会場にて、たくさんのいきものイラストからお好きないきものを選び、シルクスクリーンキット・SURIMACCAを使ってトートバッグにハンドプリント体験をすることができます。 SURIMACCAはわたしも普段からTシャツにプリントをする際などに使っています。ブロックみたいなカラフルな枠を好きなサイズに組み立てて、刷り終わったらコンパクトに片づけられるのでとっても便利。わたしは作品62「ねこのはなし」で参加しています。ぜひたくさん刷って頂けたら嬉しいです!
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現時点での開催予定は下記のとおりです。 開催期間(第一弾)「紙マーケット」 開催日:2023年10月20日(金)から22日(日) 時 間:10時30分から18時30分(22日は17時まで)予定 場 所:JAM/大阪市北区豊崎6-6-23 「紙マーケット」会場内にワークショップコーナーが登場します。 開催期間(第二弾) 開催日|2024年1月13日(土)から3月31日(日) JAM(大阪)、SURUTOCO(東京)、JAM(台湾)、全国のSURIMACCA+にて開催。 各店舗の日程は、こちらをご覧ください。 また、会場へ出掛けることが難しい方に、2023年10月19日10時から2024年1月18日までオンライン受注受付を行う予定だそうです!詳細わかり次第、追記致します。
10/25(土)から11/12(日) 「図案とおはなし」展 海老名市立中央図書館にて
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海老名市立中央図書館にて、図案から生まれたおはなし、そして原画作品を紹介する「図案とおはなし」展を開催します。展示場所は図書館2階の、3階へと続く階段室の一角です。 ぜひたくさんの方に見て頂けたら嬉しいです。
「図案とおはなし」展 開催日:2023年10月25日(水)から11月12日(日) 時 間:午前9時から午後9時まで 場 所:海老名市立中央図書館     神奈川県海老名市めぐみ町7-1     小田急線・相鉄線・JR相模線 海老名駅より徒歩7分
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展示期間中の11月5日(日)にはワークショップ『「図案とおはなし」してみよう』を実施します。図案を見て、どんなおはなしが思い浮かぶでしょうか?一緒にたのしい時間を過ごせたら、と思っています。
「図案とおはなし」してみよう 日時:11月5日(日) 16時30分から17時50分頃 場所:海老名市立中央図書館 1F学びのエリア 定員:12名 小学校高学年から お申し込みは10/18(水)から、1F図書館カウンターまたはお電話にて受付いたします。
------------ 11月にも引き続きたくさんのイベント・展示を予定しています。 いまのところの予定は以下の通りです。 お近くの際はぜひぜひお立ち寄りください。
・11/3(金)から23(水)トロールの森  蔵書室ふもと「本から始まる“対話”の世界」 ・11/11(土)文学フリマ東京37 ・11/18(土)-19(日)円頓寺 本のさんぽみち ・11/25(土)から   「貝がら千話7 刊行記念原画展」奈良 蔦屋書店にて
以上、どうぞよろしくお願いいたします。
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tsuneminnn26 · 4 years ago
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Kanazawa-Kuruwa
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郭の中の金沢、辺京の小宇宙
郭_この辺京の遊郭には、金沢の美しさと醜さがくるわれている。
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郭は...
北陸の美学の結晶であった。 卯辰山へまっすぐ伸びる石畳、黒光るボッテリとした能登瓦、弁柄色の木虫籠(きむすこ、細い桟の出格子)。九谷の襖の手掛けや輪島塗りの調度品、べっ甲のかんざしや色とりどりの菓子や酒、夜遅くまで鳴り響く唄、笛、鼓の音色。
同時に人身売買の巣窟でもあった。 極めて幼い頃に身売りされた少女は���楼主と養子縁組を結び、自らにかけられた身代金を返すまで拘束を受け、芸妓・娼妓として働いた。町を彩った女のいくらかは楼主となった。
今回は、金沢の光であり影である茶屋街について、制度・人びと・建物・遊び・性の観点から明治・大正の茶屋を前提にご紹介する。
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(参照:『金府大絵図』金沢市立玉川図書館所蔵)
明治に生まれた主計町を除けば、ひがし・にし・きた・愛宕の郭は2つの大きな川、犀川と浅野川の金沢城から見て外側に位置している。(これは、江戸の吉原が常に皇居から見て川向いに建てられて、都市の外周部に位置していたこと同様の理由で、穢の場所を都市の外側に配置するためであろう。)
その中でも、金沢人が憧れと嫉妬を込めて名付けた東の廓(言うまでもなく京都の祇園・東山にかけている)であるひがし茶屋街は、北陸の最も代表的な茶屋街であった。
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(参照:『金府町絵図』金沢市立玉川図書館近世資料館所蔵)
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A:郭の制度
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金沢の花街の仕組みは京都と同様にお茶屋が客の要望に応じて、芸妓を置屋か ら呼ぶ方式である。芸妓は置屋に所属し、お茶屋から依頼があれば、料亭やホテルなど地域外へも出張することが可能なのも、京都と同様の取引制度である。 さらに金沢の三茶屋街の特色として、お茶屋と置屋の兼業が挙げられる。つまり、お茶屋は場所を提供するのだが、同時に芸妓を抱え、他のお茶屋に派遣することもでき、食事は飲食店から取り寄せることとなる。
お茶屋には上茶屋、中茶屋、下茶屋の3つがあり、上茶屋は5等級に格付けされていた芸者の中でも、一等級のものしか置かなかった。上茶屋は農家の出や他国の婦女は抱えたがらない気風があり、それを誇りにしていた。加賀血筋を大事にし、みっちり芸と作法を仕込むとのこと。明治時代には能登半島をはじめ、日本全国から身売りされた少女が芸妓として所属しており、朝鮮出身の芸妓の記録もある。
郭では「旦那」は芸妓の経済的な保護者であり、後援者であった。旦那は月々お手当を置屋の女将に渡すかわりに、贔屓の芸者を自分一人のものにすることができた。女将は抱え芸者の旦那から一ヶ月の手当をもらうこと大きな収入源であった。ある置屋の抱え芸者が、別の置屋の客を旦那としている場合、旦那はその置屋の女将に毎月の斡旋料を支払うこととなっていた。
お茶屋では客は一見の客は挙げない。理由は、遊興費が後でもらえるか不安なことと、もう一つは酒癖が悪い客を案じてであった。たちの悪い客の中には、火鉢の中に小便をしたり、掛け軸に盆をぶつけたり、美人画を盗む客もいたという。二度目から置屋は電話で芸者の予約を受付け、時間の打ち合わせをする。客は遊興費を何ヶ月に一度、現金で女将に直接手渡しでまとめて払っていた。
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B:郭のひとびと
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お茶屋に以下の人々が住み込んでいた。どこの家もかなりの大所帯で、大抵は十数人で寝ていた。
①女将:
多くは元芸者で、お茶屋の経営をするとともに芸妓と養子縁組を組み芸妓を育てるとともに労働者として管理する。
②芸妓、娼妓:
女将と養子縁組を結び、芸者として客に奉仕する。住み込みと通いがあったが、殆どが住み込みで、通いは芸者でも年季明けの終わった歳高の人たちだけだった。年季明けや旦那がお金を支払った場合は妾として茶屋街の周辺に暮らしていた。
③たあぼ:
行儀見習いと諸芸習得の傍ら、日中は走り使いの雑用、夕方からは芸者衆の座敷勤めな三味線をもって供をなし、供先きの置き屋とか料亭では家族用玄関の片隅で芸者衆の座敷終わりを待つ。12歳になると振り袖芸者と呼ばれ見習いの芸者とみなされ、さらに15,6歳になると留め袖芸者と呼ばれ水揚げが行われた。このころには体だけではなく、三味線・踊り包などの芸も一人前の扱いを受けた。
④ばんば:
年寄りが多く、飯炊賄いが主な仕事。
⑤べえべ:
10-40代、女中、下働きの女で賄い全般、掃除洗濯、女将の身の回りの世話をした。やりてばばあと呼ばれるべえべは客から以下にして金を使わせるか、寝床での振る舞いを芸妓に教え込んだとのこと。
男衆:
登楼のの客引き、芸者の世話役として付き添い、用心棒兼見張り役をする。
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C:郭の建物
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
茶屋は2つの大門を持ち、文字通り塀によってくるわれていた。門の外には妾宅が並んでいた。2本の大通りは卯辰山に向かい、卯辰山がアイストップの役割を果たしている。かつては壱番町へは小川を越えてアクセスするようになっていた。
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(参照:『浅野川茶屋町創立之図』文政3年(1820年) 石川県立図書館蔵 「旧東のくるわ」伝統的建造物保存地区保存対策事業報告書 1975年 金沢市教育委員会)
建物の外観は、1階は出格子となっており、木虫籠と呼ばれる細い縦格子がはめてある。縦桟は断面が台形になっており、外から中が見えにくい仕掛けとなっている。2階は今では小窓付きの雨戸になっており、全て開け放てる仕組みになっている。祭りの際には大通りにステージが設けられ、開け放した2階の座敷から芸者の踊りを見下ろしていたのだという。現在では失われているが、かつては木部分に紅殻色の塗装が施されており、赤い色彩と卯辰山の緑が生えたことだろう。また、屋根はかつて石置き板葺きであったが、今では釉薬を全面に施した北陸特有の黒く厚い瓦が葺かれている。
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平面は時代を経て大幅に変更されており、機能上の要求から下記図面の小さい方の平面図(明治以降)へと変更されていったようだ。
明治以降の平面図を前提に話すと、まず玄関を入ると黒漆塗りの大きな階段があり、ハイサイドライトから薄光が差し込んでいる。階段の横は長火鉢が置かれた茶の間であり、女将が座って一切を指示していた。奥座敷と茶の間は主に女将が使用する部屋で、奥座敷は仏間、寝室として使用していた。
みせの間は支度部屋で、芸妓が詰めていたから、街路には芸妓の声がよく聞こえていたことだろう
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2階は大きく表(前2階)・中・奥(広間)の3室に分けられ、表と奥を座敷とし、中は��ビーのように使用されていた。間口が大きい場合は表と奥は2室に分けられ、4畳の部屋を芸妓が踊り演奏するステージのように使用していた。2階の更に奥には廊下や小階段を隔てて「離れ」があり、数寄屋風のしつらえとなっている。水揚げや日中の娼妓の使用にはこの部屋は人目につかないので都合が良かった。
3階はどの家にもあるとは限らないが、座敷を1間もつ場合がある。
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
座敷の土壁は紅殻色が用いられる場合が多く、柱は紅殻と灰をあわせて塗装されている。金沢では紅殻色や群青色が来客の場所に使用されることが多いようである。
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(参照:https://www.kanazawa-kankoukyoukai.or.jp/spot/detail_10094.html)
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(参照:https://www.pinterest.de/pin/523332419194794021/)
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D:廓遊び 
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(参照:金沢「東の郭」の復元 平井聖・大林組)
宴会は夜だけではなく、遊びなれた客は深更にきて朝帰りということも珍しくなかったし、庄屋の番頭などが小僧の手前もあって夜抜け出せないために早朝に密かに遊びに来ることもあったし、昼遊びの客もあった。これらの時間の揚げ代は夜よりもむしろ高かったとのことである。
客としては、加賀友禅などの伝統工芸の職人の親方や商人、旅の客などがいた。
廓の花代の1単位は45分だった。1時間を1番木と言って、拍子木が隣の控えの間で打たれた。合図の1番木で、芸者は時間切れを伝えて帰り支度をはじめ、そこから客を送り出すまでを15分と見ていたようだ。これは線香1本が燃えるまでに40分かかったことからきていると聞いた。
婚礼の祝宴が夜通し続いたりすると、芸者たちは三日三晩睡眠を取ることもできないこともあった。
芸妓は昼に芸を磨いた。自由を厳しく制限された分、芸に自らの存在価値をかけたからなのであるが、当時の売れっ子は芸を磨くだけの時間的な余裕がなかった。遊客は気に入った芸妓がいると追い回し、昼夜となく名指しをしたため、彼女らは歌や踊りの稽古などしている暇がない。流行りっ子ほど無芸という結果になったのであった。しかし、芸に精進することは文字通り体をいじめ抜くことになり、体の形を崩してしまったようで、例えば、笛の達人と言われた美津は増えをあてがう下唇がミミズ腫れのように腫れ上がっていたとのことである。
お茶屋遊びは数多くあるが、ここで流行ったものに「かんざしえらび」がある。座敷で客と芸妓は輪になって歌った。
お姫さんと寝るがに かんざし引こう お姫さんを抱くがに かんざし引こう 人のかか抱きゃ せわしない ほれ せっせっせ せっせっせ
黒く塗った丸い盆の縁にかんざしが10〜20本、妓の数だけ放射状に置かれ、客たちはじゃんけんをして勝ったものからかんざしをとり、そのかんざしの持ち主と一晩寝ることとなった。
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E:郭の性
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中店以下にいる芸者は、多くは二枚鑑札を持っていた。芸者と娼妓を使い分けなくては前借りを支払うことができなかったからである。上店では芸者と娼妓の区別が一応はひかれていたが、明治から大正にかけてはほとんど建前になっており、体を張ることによって何十円と貰いが増え、前借金を返すことができたから、体を張る者も多かった。
朝から夜まで客が来た。一人は娼妓を置かなくては営業許可が降りなかったため、芸妓は自分の代わりに一日中客の相手をしてくれる娼妓には感謝していたとのことである。
日露戦争の折には、松山、習志野、大阪に加えて金沢もロシア人俘虜の収容地となり、4000人近くの俘虜が寺院などに収容された。彼らは「大切に」扱われたというが、国から通達を受けた市当局が置き屋の女将に協力を要請し、廓の芸者らがロシア人の相手をしたそうだ。廓には梅毒の予防のために「下洗い」する建物が設置され、性的搾取の対象となった。
第二次世界大戦の際には、芸者は三味線を弾くことや太鼓を禁じられ、専ら復員や動員に押しかける兵隊を相手に慰安婦、接待婦として働いた。
15歳ほどになると水揚げがある。水揚げの相手の旦那は、女将同士であらかじめ相談し、決められ多くは老人だったとのことである。若者では手荒く、過ちがあると良くないと考えられたためと、水揚げをするには大金が必要だったからである。相手が年寄りであることは女たちは皆嫌がった。水揚げというものは一回きりで一人前の女になるというわけではなく、二度も三度もしなければならない。水揚げは特別に料金が高いからお茶屋が儲かったとのことである。場所は自分の住むお茶屋とはとは限らず、離れの間が使用される事が多かった。
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(旦那衆が人目を避けて利用した梅ノ橋とかつての妾邸)
金沢の芸妓の生涯を描いたノンフィクション小説である『郭の女』(井上雪著)には花街の美しさと醜さがよく描かれている。
読者は気がつく。 あの美しく見えた芸妓は木虫籠という籠に囚われているのだと。
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harawata44 · 4 years ago
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以下引用
 落語などでも有名な「やぶ医者」。風が吹くと 薮やぶ が揺れ、風邪が 流行はや ると、評判のよくない医者にも患者が押し寄せるとの 洒落しゃれ から「薮」、呪術を用いる「野巫」、田舎者を指す「野夫」……。どれも「やぶ」と読むが発祥には諸説が入り乱れ、まさに<薮の中>。多くは腕の悪い医者の代名詞だが、その“常識”を覆す語源説が兵庫県 養父やぶ 市に伝わるという。はたして真相は……。(小坂渉)
語源の地
 養父市で6月、今年で8回目となる「やぶ医者大賞」の受賞者が決まった。いずれもへき地などで人々に寄り添いながら奮闘する北海道と滋賀の医師2人だ。
 大賞は、市が地域医療の担い手をたたえようと創設。ただ、その命名は思いつきのだじゃれではない。「やぶ医者」とは名医を指し、その語源の地が養父との説に由来するという。
俳文集に記載
「根拠は、これです」
 市教委文化財専門員の谷本進さんが見せてくれたのが「風俗 文選もんぜん 」。江戸中期に俳人・松尾芭蕉の門弟・森川許六(1656~1715年)が編さんした俳文集だ。
 「世にやぶ医者と呼ばれるのは……」で始まる一節に登場するのが、「但州養父」(現在の養父市)に隠れ住む「良医」。いまわの際の病人をたびたび回復させ、教えを請う者は全国に広がったと。まさに名医の〈ブランド〉だったのだ。
 その名声が、なぜ地に落ちたのか。
 「弟子と名乗って、おざなりな治療で金儲けに走る者が続出したためです」と谷本さん。不届き者のせいで「腕の悪い医者」に転じてしまったというわけだ。
 ともあれ、その名医説こそが、古里をこよなく愛する養父市民にとって“常識”に近い。ただ、かつて、養父に本物の名医がいたことは、あまり知られていない。
実在していた?
 許六と同じ時代に生きた長島的庵(=秀世、1647ごろ~1723年)がその人。
 徳川幕府が大名などの系図をまとめた「寛政重修諸��譜」や郷土史家の研究では、祖父も父も、養父(ここは「ようふ」と読みます)も医者とされる。養子に出された養父で腕を磨き、江戸に戻って幕府に仕えるまでに上り詰めたという。
 「『文選』のくだりと的庵の姿がだぶりますね」と谷本さん。両者の関連は定かではないものの、名医説は、いつから地元で知られていたのだろう。
 今から半世紀以上も遡る1966年、「平成の大合併」前の旧養父町広報紙で、「文選」を引き合いに、その説が展開されている。
 92年には、町史の編さんにあたった元教師・大橋如生さん(故人)が町文化協会報に書き残し、3年後に発行された町勢要覧のほか、地元ゆかりの人や著名人に委嘱した「やぶ大使」にも紹介されている。これまでに地元の<誇り>として何度か脚光を浴びてきたようだ。
みんなの宝物
 だからこそ、「やぶ医者大賞」には地元の思い入れ、敬愛の念がこもる。受賞する「良医」も北海道から九州までと全国区に育ってきた。
 その表彰式には、受賞者の患者やお年寄りら多くの応援団が駆けつけ、「みんなの宝物」などと横断幕を掲げつつ“おらが先生”に感謝と祝意を届ける。
 そして、表彰式でかつて披露されたのが「やぶからぼう(薮から棒)たいそう」。医者だけに頼らず、自ら元気に長生きを――という、ご当地体操だ。お年寄りが「養父から命輝いて~~」と棒を手に、生き生きと楽しみながら健康寿命を延ばしている。
 「やぶ医者=名医」の真偽も医師の少なさも、まとめて笑い飛ばしてしまうかのような「やぶ」のしゃれっ気とたくましさ。くだんの良医も、雲の上でたまげているに違いない。
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kirigaya-jun · 3 months ago
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親が亡くなったら何をすればいい?相続財産ごとの手続き完全ガイド 江戸川区船堀の司法書士・行政書士が解説
こんにちは、東京都江戸川区船堀に事務所を構える「相続」に特化した事務所、司法書士・行政書士の桐ケ谷淳一(@kirijunshoshi)です。 はじめに|相続手続き、何から始めればいいの? 親が亡くなったけど、何をどうすればいいのかわからない… 相続財産をどう分けるのか、手続きが難しそう… 相続が発生すると、「現金・預貯金」「不動産」「株・投資信託」「生命保険」「年金・退職金」など、さまざまな財産の手続きを進めなければなりません。 さらに、名義変更をしないまま放置すると、大きなトラブルにつながることも…! この記事では、相続開始後の手続きに特化した司法書士・行政書士事務所として、スムーズに手続きを進めるコツをわかりやすく解説します。 1.…
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ichinichi-okure · 5 years ago
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2020.11.1sun_tokyo
朝の8時半ぐらいに目が覚めて、そのままシャワーを浴びる。髪が長いのもあるが、トリートメントを多めに使ってしまいがちになり、どうも髪からそれがうまく流れ落ちていないような気になってしまう。そのため、シャワーの締めは年中関係なく、冷水で終わらすので修行のようなことになっている。ただ、冷水のほうが明らかにトリートメントも全部流れていって、髪がキュキュとする。あと、冷水を浴びると嫌でも目が覚める。そもそも目覚めはいいので、シャワーも歯磨きもしなくていいのなら、起きてから5分以内には家を出れるが、この特技はあまり活かされない。 ドライヤーは使わないタオルドライ派なので、一気にタオルでクシャクシャにして水分をできるだけ取って、着替えて歯を磨いて家を出る。9時35分から宮下公園(現:MIYASHITA PARK)の前にあるヒューマントラスト渋谷で上映される『博士と狂人』のチケットを取っていた。映画は世界最大の英語辞典「オックスフォード英語辞典」誕生に関わった一人の博士と一人の狂人についての実話を元にしたものだった。毎月1日は「映画の日」なので、なにか観ようと考えていたら、ちょうどこの映画を見つけた。家の最寄駅は三軒茶屋駅だが、渋谷までは大抵の場合は歩いていく。
緑道沿いに進んでいく池尻大橋の目黒川が見える場所、国道246に出る。そこからは道玄坂を目指して進むと渋谷の道玄坂に出れる。たいてい30分から40分の間ぐらいかかる。ただ、ヒューマントラスト渋谷は宮下公園のほうなので、プラス10分程度はかかる。シャワーと歯磨きをして家を出たのが、8時55分だった。なぜか映画開始を9時45分だと勘違いしており、旧山手通のファミマの赤信号で待っている時にその時差の10分に気づいた。45分開始なら着いても5分以上は余裕があるはずだった。でも、このままだ��上映開始ちょうどに着く計算だ。 ああ、余裕がないのは嫌だ。 予告編が始まる前には座っていたいのに。それに「映画の日」だし、いつもより安く観れるからアイスコーヒーも劇場で買おうと思っていたのに、これだとなにもかもギリギリだ。青信号、とりあえず、早足で進む。道玄坂のラブホとライブハウスのほうに降って東急方面に向かっていくとハロウィーンの残り香をラブホのスタッフらしき人たちが清掃をしていた。そのまま東急百貨店からH&Mに向かって、H&Mの横をまっすぐに新生渋谷パルコ方面に向かっていく。日曜日朝だが、ハロウィーン帰りの人はあまりいない感じだった。空き缶や空き瓶もなく、吐瀉物も見かけなかった。良くも悪くもコロナ に奪われた熱狂や欲望はどこに回収されるんだろうか。
渋谷パルコとかつての単館系映画館を雄とされていたシネマライズ、現:渋谷WWW&WWW Xのスペイン坂をのぼっていくと渋谷パルコの一階というかオープン前にかかわらず家族連れやカップルやたくさんの人たちが並んでいた。たぶん、任天堂ショップのポケモンとかそういうなにかをGETするために並んでいるんだろう。僕はアプリゲームもハードを使うゲームしないからよくわからないが、そんなものをしなくても東京は歩くのたのしいのになと思うけど、説得力はないのはわかっている。こちらは時代遅れだ。そんな人たちを横目に見ながらやっぱりパルコ前の信号で捕まって待っていた。昔はこの交差点もマリカーコスプレした集団のカートたちが我が物顔で走っていた。彼らももういない。 信号はすぐに青になったので、そのままタワレコ方面に下っていく。渋谷はその名前の通り、谷であり、坂が���くさんあって、起伏が激しい街だ。歩いていると知らない間に小さな山を登り下りしているようなものだ。東京の23区内、山手線の内側に入るとさらにそれを感じられるようになる。
タワレコ横を通り過ぎると「MIYASHITA PARK」が現れる。ここに居たホームレスの人たちはどうしたのだろう、死んだのだろうか、いや、その場合は行政と商業が殺したに等しいと思う。毎回JRの高架下を通る度にわずかに残っているホームレスの人たちがいるとホッとする。 失礼だがこうはなりたくないとは思う自分もいるが、どこでなにが崩れ落ちてしまうかは誰にはわからない。セーフティネットはなくて、自助でなんとかしろという政府に文句も言わないで彼らを支持する人たちは、なぜ自分がホームレスになってしまう可能性を考えていないのかいつも不思議だ。それはきっと僕が38歳の現在まできちんと就職をしたことがないというのもあるんだろう。 たまたま生き延びている、といつも思っている。 同時になにかあれば、誰にも告げずに世界から消えようと決めている。基本的に人に相談するタイプではない、勝手に決めて事後報告することはあるけど。人が人に相談するのは話を聞いて欲しいから、悩みについての考えを肯定してもらいたいから、あるいは相談者が決めたり、悩みの回答への流れを決めてくれると、もしなにかあっても相手のせいにできるから、言い訳を作りたいという要素はゼロではないと思う。甘えたいんだと思う。そういう冷たいことを平気で思っていると案外、逆に相談される側になるのはけっこう不思議だ。だから、話は聞くけど相手が求めることは言わないようにしている。それもあってか、自分から人に相談しようと思うことがない。 えっと、何の話だっけ? 商業施設に成り果てた「MIYASHITA PARK」を通り過ぎるとヒューマントラスト渋谷が入っているビルが見える。時間は9時30分を過ぎている。ちょうど間に合う。信号を渡ってエスカレーターで3階まで登るが、ここから映画館がある階までエレベーターは使わないで、各階をエスカレーターをガシガシと歩いて、上へ上へ上っていく。7階にはドリンクを売っているエリアがあるので、すぐさまメールのQRコードでチケットを発見し、アイスコーヒーを注文する。初回を観る人は料金が割引で半額になるから160円だった。なんか申し訳ない気持ちになりつつ、上の8階に上がってチケットを出して劇場に入った。
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いやあ、やっぱりショーン・ペンは素晴らしいな、壊れていく人の魂についての表現というか、それでも残る知性みたいなものを体現していた。映画の内容は辞書を作る話だけど、メル・ギブソン演じる博士とのやりとりとかにおける友情や知的な会話など好奇心が揺さぶられるものだった。こういう地味ながら良質な作品を観れるのはうれしい。
終わってから、来た道を戻っていくと坂を今度は上っていく感じになる。途中で東急百貨店の「ジュンク堂書店渋谷店」を覗く。そして、いやらしさや仄暗さも吐瀉物もない道玄坂のラブホ街を上っていく。なにかがとても健全な日曜日。そのまま家路に帰ろうかと思ったが、まだ12時過ぎだったので旧山手通りのファミマが見える交差点をそのまま三茶方面には進まずに左折して鉢山町方面に進んでいく。日差しはわりとあってパーカーだと汗ばむ、帰ったら溜まっている洗濯物と一緒に洗おうと思った。
通りの途中に教会がふたつある。ひとつはカトリックでもうひとつはバプテスト。毎回、バプテストってなに?と思ってスマホで検索する度に納得して忘れる。バプテストというのはイングランド国教会の分離派思想から発生したキリスト教プロテスタントの一教派とある。難しい、とりあえず、プロテスタントという理解でOK?  神父はカトリックで、牧師はプロテスタント。我が家の曾祖父母の墓石には聖書の文言が刻まれていて、昔祖母にその理由を聞いたら、父が幼い頃までは家の近所に教会があったので通っていたらしい。我が家はかつてキリスト教だった。そんな父は「牧師」さんたちがいなくなったので、教会は潰れたと言っていたので、近所いあったのはプロテスタントの教会だったはずだ。 牧師がいなくなった後、祖父母はいとも簡単に真言宗に鞍替えをして、山の上にあったお寺に毎週日曜日に参るようになっていて、僕と兄も幼い頃はそれに付き合わされた。とにかく、早く帰ってアニメの「ビックリマン」が見たかったので年々上り下りは早くなっていった。もしかすると僕が歩くのが好きなのは、幼少期にお参りがてら山を上り下りしていたことが原風景にあるのかもしれない。
代官山蔦屋に着いて、入り口で手を消毒する。店内で先日読んだ『玉電松原物語』が遺作となった坪内祐三さんのデビュー作『ストリーズワイズ』の講談社文庫を探したがやはりなかった。ジュンク堂書店渋谷店にもなかった。 Uターンするように旧山手通りと246が交差する場所まで戻っていく。この日ずっと聴いていたのは銀杏BOYZの新譜『ねえみんな大好きだよ』だった。新譜が出る期間はだいぶ空いているが、ずっと長く続けている人はほんとうに凄いなと思う。生き延びるのは大変だ、表現し続けるのは過酷だ、でも、続けている人がいるからその轍からあたらしい人たちがやってくる。そんな風景をこの10年、20年、東京に上京してから見ている。生き延びている人は後世になにかのバトンやプレゼントを手渡すことができる人だとも思う。
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交差点を左折して246沿いを三軒茶屋方面に下っていく。246の上には首都高が走っている。『玉電松原物語』は世田谷区の赤堤で生まれ育った坪内さんのエッセイだが、近くの経堂だけではなく三軒茶屋や世田谷線となった玉電沿いの駅の町並みが描写されている。 1964年の東京オリンピックの前には赤堤にも牧場があって、普通に牛がいたらしい。やがて、五輪に合わせて環七ができて、首都高ができていったという。僕が今見て歩いている風景はたかだが半世紀前にできたものだった。そう考えるとかつてこれらがなかった時代と現在の層、レイヤーが重なると時間の層ができる。 例えば、月島とか埋立地を歩いていると、ここは江戸時代にはなかった土地だと思うと、海の上を歩いているような気がする。歩いているとそういう想像ができる。それは読書にすごく似ていて、読むことと歩くことは似ている、と思う。 読みながら歩いて、歩きながら読む、ことができる。僕はいろんな時代や空間を歩いてみたいし、読んでみたい。これは日記なのかわからないけど、歩いている時は脳内で連想ゲームが始まっていて、今���書いたようなことが脳内でいつも展開している。
-プロフィール-
碇本学 38歳 東京 ライター、「monokaki」編集スタッフ @manaview https://note.com/manaview
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kamagaya · 5 years ago
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author 石井幸一
演出家。梨農家。
1979年生まれ。千葉県鎌ヶ谷市在住。東京農業大学卒。
鎌ヶ谷アルトギルドと一徳会の主宰者/京葉演劇研究會メンバー/かまがや南初富演劇部芸術監督/(公財)舞台芸術財団演劇人会議会員/第20回BeSeTo演劇祭実行委員/演劇活動体La+メンバー/利賀演劇人コンクール事務局(2013年、2014年)/鎌ケ谷市梨出荷組合組合長(2017-2018)/梨直売まるた石井園所属
【お問い合わせ連絡先】
【略歴と受賞歴】
2002年(横溝正史生誕100年の年)、『百日紅の下にて』を東京農業大学百周年記念講堂に於いて上演。以降、一徳会名義にて横溝正史の小説を連続して舞台化。並行して鎌ヶ谷アルトギルド名義にて東西の古典戯曲、近代戯曲に取り組む。
2007年、(公財)舞台芸術財団演劇人会議が主催する利賀演出家コンクールにおいて優秀演出家賞を受賞。
2009年、利賀演劇人コンクール10周年記念大会に参加。別役実『象』を上演。
2013年、富士山世界文化遺産登録記念ふじのくに野外芸術フェスタ新世代ショートスペクタクルに招聘され、グランシップ芝生広場にて『M78-光の国から-』を上演。
2013年、第2回アジア演出家フェスティバルに日本代表演出家として出場。A・ストリンドベリ『令嬢ジュリー』の演出において中国、韓国、台湾の演出家とともに奨励賞を受賞。
2014年、ふじのくに野外芸術フェスタに招聘される。清水マリンパークと浜名湖ガーデンパークの2会場にて『白鳥の湖まで』(原作:チャイコフスキー)を上演。
2017年、舞台『ACCA13区監察課』(原作:オノ・ナツメ)の演出をする。
2020年、鎌ケ谷市主催の市民参加型創作プログラムにて、『東海道四谷怪談』(原作:鶴屋南北)を演出する。
2020年、京葉演劇研究會を結成。三好十郎『胎内』にて旗揚げ公演を行う。
2021年、長野県芸術監督団事業「NAGANO ORGANIC AIR」に参加。
2022年、月影瞳コンサート「Home coming」に演出と美術で参加。
2022年(横溝正史生誕120年の年)、長野県上田市の劇場【犀の角】との協働により横溝正史『犬神家の一族』を舞台化。
【演出】
一徳会+犀の角『犬神家の一族』(原作:横溝正史)@犀の角[2022年12月]
文化財de文化祭『月影瞳ライブ』@安楽寺[2022年10月]
鎌ヶ谷アルトギルドのドライブインシアター2『名人伝』(原作:中島敦)@まるた石井園直売所の駐車場[2022年7月]
月影瞳コンサート『Home coming』@サントミューゼ[2022年2月]
長野県芸術監督団事業NAGANO ORGANIC AIR小諸『破戒-試演会-』(原作:島崎藤村 脚色:黒岩力也)@ブルーベリーガーデン黒岩[2021年7月]
鎌ヶ谷アルトギルドのドライブインシアター『folklore』(宮沢賢治「春と修羅」、他)@百景社アトリエ駐車場[2020年7月]
京葉演劇研究會『胎内』(作・三好十郎)@まるた石井園直売所[2020年3月]
きらりホールでお化け屋敷!?『東海道四谷怪談」(作:鶴屋南北)@鎌ケ谷市民会館きらりホール[2020年1月]
KPR/開幕ペナントレース【息子企画】『息子』(作:小山内薫)@ギャラリーエフ浅草
『THE DIVER』(作:野田秀樹)@まるた石井園直売所、百景社アトリエ
『恋愛曲線』(原作:小酒井不木)@渋谷HOME
舞台『ACCA13区監察課』(原作:オノ・ナツメ)@品川プリンスホテルクラブex[2017年11月]
『ユメノ劇』(原作:夢野久作「一足お先に」)@石井園直売所
ネルケプランニング昭和文学演劇集5『孤島の鬼-咲きにほふ花は炎のやうに』(原作:江戸川乱歩)@赤坂レッドシアター[2017年2月]
『リチャード三世』(作:W・シェイクスピア)@鎌ケ谷市東部学習センター内レインボーホール
『いつも心に太陽を』(原作:つかこうへい)@百景社アトリエ、まるた石井園直売所、七間町このみる劇場、テアトル・ドゥ・ベルビル
都市生態演劇博inソウル『プロメテウス体験』(原作:アイスキュロス「縛られたプロメーテウス」)@西江大学メリーホール
『蜘蛛の糸』(原作:芥川龍之介)@石井園仮設野外劇場
ふじのくに野外芸術フェスタ2014『SL-白鳥の湖まで-』(原作:チャイコフスキー「白鳥の湖」)@清水マリンパーク、浜名湖ガーデンパーク
ネルケプランニング昭和文学演劇集3『蝶々殺人事件』(原作:横溝正史)@紀伊国屋サザンシアター
第20回BeSeTo演劇祭『わが西遊記』(原作:中島敦)@アトリエ春風舎[2013年10月]
アジア演出家フェスティバル2013『令嬢ジュリー』(作:A・ストリンドベリ)@利賀芸術公園リフトシアター
富士山世界文化遺産登録記念ふじのくに野外芸術フェスタ2013新世代ショートスペクタクル『M78-光の国から-』(原作:創世記)@グランシップ前広場
『四人の俳優による「授業」』(作:イヨネスコ「授業」)@神楽坂ディプラッツ[「授業」フェスティバル2012年5月]
『悪霊島』(作:横溝正史)@まるた石井園仮設野外劇場[2012年3月]
『オイディプス王』(作:ソフォクレス)@静岡県舞台芸術公園BOXシアター
利賀演劇人コンクール10周年記念大会『象』(作:別役実)@利賀芸術公園利賀山房、2009年8月
『龍を撫でた男』(作:福田恆存)@日暮里d倉庫
『蔵の中』(作:横溝正史)@ザムザ阿佐谷[2008年2月]
『熊野』(作:三島由紀夫)@利賀芸術公園リフトシアター[利賀演出家コンクール2007]
『ひとり八つ墓村/丹夫人の化粧台』(原作:横溝正史、脚本:野呂淘汰)@乃木坂コレド
『鬼火』(原作:横溝正史)@STスポット横浜
『お前はもう死んでいる』(原作:古典落語「粗忽長屋」)@鎌ヶ谷市三橋記念館
『三つ首塔』(原作:横溝正史)@千本桜ホール
『白と黒』(原作:横溝正史)@千本桜ホール
『塙侯爵一家』(原作:横溝正史)@千本桜ホール
『殺人鬼』(原作:横溝正史)@大塚ジェルスホール
『百日紅の下にて』(原作:横溝正史)@東京農業大学百周年記念講堂[2002年12月]
【脚本】
*pnish*プロデュース『黄金仮面』(原作:江戸川乱歩)@全労済スペースゼロ、北國新聞赤羽ホール、神戸朝日ホール[2011年2月-3月]
ネルケプランニング昭和文学演劇集2『少年探偵団』(原作:江戸川乱歩)@青山円形劇場
ネルケプランニング昭和文学演劇集3『蝶々殺人事件』(原作:横溝正史)@紀伊国屋サザンシアター
ネルケプランニング昭和文学演劇集4『孤島の鬼』(原作:江戸川乱歩)@赤坂レッドシアター
ネルケプランニング昭和文学演劇集5『孤島の鬼-咲きにほふ花は炎のやうに-』(原作:江戸川乱歩)@赤坂レッドシアター[2017年2月]
舞台『ACCA13区監察課』(原作:オノ・ナツメ)@品川プリンスホテルクラブex[2017年11月]
きらりホールでお化け屋敷!?『東海道四谷怪談』(原作:鶴屋南北)@鎌ケ谷市民会館きらりホール[2020年1月]
【他】
『億土点の第3夜』(作:夏目漱石/演出:億土点)@鎌ケ谷市民会館きらりホール[2022年10月]プロデュース
鎌ケ谷市民会館きらりホール主催『劇場入門!』講師
文化財de文化祭『月影瞳ライブ』@安楽寺[2022年10月]舞台美術デザイン
かまがや南初富演劇部『骨と記憶』(作・演出:伊藤全記)@鎌ケ谷市郷土資料館[2022年7月]監修
第二回鎌ケ谷市民創作ミュージカル『大仏さまの折り鶴』(作・演出:相澤美智子)舞台美術デザイン
鎌ケ谷市民会館きらりホール夏の舞台ワークショップ講師
きらり☆かまがや冬期舞台ワークショップ講師
百景社『誤解』(作:カミュ/演出:志賀亮史)@百景社アトリエ[2020年10月]舞台美術デザイン
月影瞳コンサート「Home coming」舞台美術デザイン
梨園の宴々主(プロデュース)
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xf-2 · 5 years ago
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一 はじめに
(日本オリンピック)  五輪史上初の衛星生中継。世界が見守る中、聖火を手に、国立競技場に入ってきたのは、最終ランナーの坂井義則(よしのり)さんでした。  八月六日広島生まれ。十九歳となった若者の堂々たる走りは、我が国が、戦後の焼け野原から復興を成し遂げ、自信と誇りを持って、高度成長の新しい時代へと踏み出していく。そのことを、世界に力強く発信するものでありました。  「日本オリンピック」。坂井さんがこう表現した六十四年大会は、まさに、国民が一丸となって成し遂げました。未来への躍動感あふれる日本の姿に、世界の目は釘付けとなった。  半世紀ぶりに、あの感動が、再び、我が国にやってきます。  本年のオリンピック・パラリンピックもまた、日本全体が力を合わせて、世界中に感動を与える最高の大会とする。そして、そこから、国民一丸となって、新しい時代へと、皆さん、共に、踏み出していこうではありませんか。
(新しい時代へ踏み出す)  「日本はもう成長できない」。七年前、この「諦めの壁」に対して、私たちはまず、三本の矢を力強く放ちました。その果実を活かし、子育て支援、教育無償化、更には働き方改革。一億総活躍社会を目指し、まっすぐに進んでまいりました。  厳しさを増す安全保障環境を直視しながら、平和安全法制を整備し、防衛力を抜本的に強化しました。地球儀を俯瞰(ふかん)する視点で、世界を駆け回り、ダイナミックな日本外交を展開してきました。  我が国は、もはや、かつての日本ではありません。「諦めの壁」は、完全に打ち破ることができた。その自信と誇りと共に、今、ここから、日本の令和の新しい時代を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
二 復興五輪
 二〇二〇年の聖火が走り出す、そのスタート地点は、福島のJヴィレッジです。かつて原発事故対応の拠点となったその場所は、今、我が国最大のサッカーの聖地に生まれ変わり、子どもたちの笑顔であふれています。  常磐自動車道に続き、本年三月、JR常磐線が全線開通します。これに合わせ、双葉町、大熊町、富岡町の帰還困難区域における避難指示の一部解除に向け、準備を進めます。  浪江町では、世界最大級の、再生エネルギーによる水素製造施設が、本格稼働します。オリンピックでは、このクリーンな水素を燃料とする自動車が、大会関係者の足となります。そして、大会期間中、聖火を灯し続けます。リチウムイオン電池、AIロボット。未来を拓く産業が、今、福島から次々と生まれようとしています。  津波で大きな被害を受けた、宮城県を訪れる外国人観光客は、震災前の二倍を超えました。岩手県では三倍となっています。昨年九月に陸前高田市で開業したばかりの道の駅では、僅か一か月で十万人の観光客が訪れ、賑(にぎ)わいを見せています。  来年度で復興・創生期間は終了いたしますが、次のステージに向け、復興庁を司令塔に、政治の責任とリーダーシップの下で、福島の本格的な復興・再生、東北復興の総仕上げに、全力で取り組んでまいります。  九年前、ファーディーさんは、ラグビーチームの一員として、釜石で、東日本大震災を経験しました。  「ここで帰ったら後悔する」  オーストラリア大使館から避難勧告を受け、家族から帰国を勧められても、ファーディーさんは、釜石に残り、救援物資の運搬、お年寄りや病人の搬送。困難に直面する被災者への支援を続けました。  その感謝の気持ちと共に、本年、釜石は、オリンピック・パラリンピックに際し、オーストラリアのホストタウンとなります。岩手県野田村は台湾、福島県二本松市はクウェートなど、二十九の被災自治体が、支援を寄せてくれた人々との交流を深めます。  心温まる支援のおかげで力強く復興しつつある被災地の姿を、その目で見て、そして、実感していただきたい。まさに「復興五輪」であります。  東日本大震災では、百六十三の国と地域から支援が寄せられました。我々が困難の時にあって、温かい支援の手を差し伸べてくれた世界の方々に、改めて、今、この場から、皆さんと共に、感謝の気持ちを表したいと思います。
三 地方創生
(観光立国)  全体で五百近い市町村が、今回、ホストタウンとなります。これは、全国津々浦々、地域��魅力を世界に発信する、絶好の機会です。  北は北海道から、南は沖縄まで。アイヌの皆さんが受け継いできた伝統音楽や食文化、琉球舞踊など、我が国が誇る全国各地の地域文化に触れていただく「日本博」を、本年、開催いたします。  国の文化財を積極的に活用できる制度を設け、地域のアイデアによる観光地づくりを後押しします。自家用車による有償の運送サービス制度について規制緩和を行い、外国人観光客の皆さんの地方での足もしっかりと確保いたします。  首里城の一日も早い復元に向け、全力を尽くします。三月には、那覇空港第二滑走路の供用を開始します。発着枠を十万回以上拡大することにより、アジアのゲートウェイとして、沖縄の振興に取り組んでまいります。  オリンピック・パラリンピックに向けて、サイバーセキュリティ対策、テロなど組織犯罪への対策に万全を期すことで、安全・安心をしっかり確保いたします。五年後の大阪・関西万博も視野に、多言語化、Wi‐Fi環境の整備など、観光立国の基盤づくりを一気に進めます。高い独立性を持った管理委員会の下、厳正かつ公平・公正な審査を行いながら、複合観光施設の整備に取り組みます。  更には、外国人観光客の多様なニーズに応える宿泊施設など世界に冠たる観光インフラを整え、二〇三〇年六千万人目標の実現を目指します。
(農産物輸出)  世界に目を向けることで、地方に新しいチャンスが広がります。  昨年、EUへの牛肉やコメの輸出は、約三割増えました。TPP諸国への乳製品の輸出も、二割を大きく上回る伸びとなりました。甘い「紅はるか」は、シンガポールやタイで大人気です。さつまいもの輸出は、昨年、四割以上増加しました。  先月、中国への牛肉輸出について、解禁令が発出されました。今月発効した日米貿易協定も活かし、おいしくて、安全な、日本の農林水産物の世界への挑戦を、力強く後押しいたします。  農地の大規模化、牛の増産や、水産業の生産性向上など、三千億円を超える予算で、生産基盤の強化を進めます。販路開拓など海外への売り込みを支援します。  神戸牛、ルビーロマン、ゆめぴりか。農家の皆さんの長年にわたる努力の結晶である、日本ブランドを、海外流出のリスクからしっかりと守ります。  CSF対策を一層強化します。野生動物の感染が発見された場合にも、家畜伝染病予防法に基づき、移動制限などのまん延防止措置を実施できるようにします。ASFについても、海外から持ち込まれる肉や肉製品の検疫を強化し、水際対策を徹底します。
(地方創生)  昨年の台風十九号では八ッ場ダムが利根川の被害防止に役立ちました。水力発電や農業用水などを目的とするダムについても、緊急時には省庁の縦割りを打破し、一元的に活用するための対策を、全ての一級河川を対象に、この夏までに取りまとめます。  相次ぐ自然災害の教訓を活かし、全国で、川底の掘削、堤防の整備、無電柱化を進めます。送電線の計画的な更新、電力会社、自衛隊、自治体の平時からの連携などにより、強靱(じん)な電力供給体制を構築します。防災・減災、国土強靱(じん)化を進め、災害に強い故郷(ふるさと)を創り上げてまいります。  東京から鉄道で七時間。島根県江津市は「東京から一番遠いまち」とも呼ばれています。二十年以上、転出超過が続き、人口の一割に当たる二千八百人が減少した町です。  しかし、若者の起業を積極的に促した結果、ついに、一昨年、転入が転出を上回り、人口の社会増が実現しました。  原田真宜(まさのり)さんは、パクチー栽培を行うため、東京から移住してきました。農地を借りる交渉を行ったのは、市役所です。地方創生交付金を活用し、起業資金の支援を受けました。農業のやり方は地元の農家、販路開拓は地元の企業が手助けしてくれたそうです。  「地域みんなで、手伝ってくれました」  地域ぐるみで若者のチャレンジを後押しする環境が、原田さんの移住の決め手となりました。  「地方にこそ、チャンスがある」。そう考え、地方に飛び込む若者を、力強く応援してまいります。東京から地方に移住して起業・就業する場合に最大三百万円支給する制度を、更に使いやすくします。「移住支援センター」を全国一千の市町村に設置し、移住へのニーズを実際の人の動きへとつなげてまいります。  都市に住む皆さんの地方での兼業・副業を促すため、人材のマッチングや移動費の支援を行う新たな制度を創設します。関係人口を拡大することで、将来的な移住につなげ、転出入均衡目標の実現を目指します。  企業版ふるさと納税を拡充し、地方における魅力ある仕事づくりを一層強化します。独占禁止法の特例を設け、まちづくりの基盤である地方の金融サービス、交通サービスをしっかりと維持・確保してまいります。地方の創意工夫を、一千億円の地方創生交付金で、引き続き応援します。  若者が将来に夢や希望を持って飛び込んでいくことができる。地方創生の新しい時代を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
四 成長戦略
(中小・小規模事業者)  「東洋の魔女」が活躍したバレーボール。そのボールを生み出したのは、広島の小さな町工場です。その後、半世紀にわたり、その高い技術を代々受け継ぎ、今なお、五輪の公式球に選ばれ続けています。  全国各地の中小・小規模事業者の皆さんが、長年培ったオンリーワンの技術で、地域経済を支えています。しかし、経営者の多くが六十歳を超え、事業承継は待ったなしの課題であります。そして、若い世代の承継を阻む最大の壁が、個人保証の慣行です。  この春から、先代の経営者と後継者から個人保証を取る、いわゆる二重取りを原則禁止いたします。商工中金では、今月から、年間三万件、二兆円の新規融資について、個人保証なしの融資を原則とする運用を開始しました。  信用保証協会では、個人保証なしで後継者の皆さんの融資を保証する新制度を、四月からスタートします。経営の磨き上げ支援も行い、専門家の確認を得た後継者には、保証料をゼロとします。個人保証の慣行は新しい世代には引き継がないとの強い決意で、あらゆる施策を総動員してまいります。  七年前、十年ぶりの大改正を行った下請振興基準を、更に改正し、対象を拡大します。大企業に対しても、新たに金属産業、化学産業で、自主行動計画の策定を求めます。業界ごとの取引慣行に詳しい専門人材を下請Gメンに採用し、下請取引の更なる適正化に取り組んでまいります。  デジタル技術の進歩は、中小・小規模事業者にとって、販路拡大などの大きなチャンスです。デジタル取引透明化法を制定し、オンラインモールでの出店料の一方的引上げなど不透明な取引慣行を是正します。
(規制改革)  IoT、ビッグデータ、人工知能。第四次産業革命の大きな変化の中で、デジタル時代の規制改革を大胆に進めます。  本年から、無人自動運転を解禁し、中山間地域の皆さんに、安全で便利な移動手段を提供します。自動制御ブレーキを備えたサポートカーに限定した新たな免許制度を設け、その普及を拡大します。  AIが解析するデータのボリュームが、競争力を左右する時代です。個人情報を匿名化し、その詳細な分析を可能とすることで、ビッグデータの世界をリードしてまいります。  フィンテックによる多様な決済サービスが登場する中、金融分野の業法による縦割り規制を抜本的に見直します。マイナンバーカードの取得を促し、来年度中に健康保険証としての利用を開始します。あらゆる行政手続の電子化を進め、対面での確認が必要なものなどを除き、二〇二四年度までに完了いたします。  技術の進歩による急激な変化に対し、消費者の安全・安心を確保していきます。個人データの利用停止を可能とするなど、個人情報保護を強化します。あおり運転を刑罰の対象とし、道路へのカメラ設置などにより、悪質な運転者の取締りを徹底します。空港施設へのドローン飛行を禁止し、飛行経路の安全を確保してまいります。
(イノベーション)  吉野彰(あきら)先生のノーベル化学賞受賞を、心よりお慶び申し上げます。  吉野先生に続く、未来を担う若手研究者に、大胆に投資します。自由な発想で挑戦的な研究に打ち込めるよう、資金配分を若手に思い切って重点化します。安定的なポストを確保し、海外留学を含めたキャリアパスを確立することで、若者が将来に夢や希望を持って研究��世界に飛び込める環境を整えます。  変化のスピードを先取りし、これまでにない価値を生み出す鍵は、ベンチャー精神です。大企業などからベンチャー企業への投資を税制で支援し、いわゆる自前主義からの発想の転換を図ります。国の研究機関によるベンチャー企業への出資を促すことで、蓄積された研究成果や技術を新しい産業へと成長させてまいります。  第四次産業革命がもたらすインパクトは、経済のみにとどまらず、安全保障をはじめ、社会のあらゆる分野に大きな影響を及ぼします。国家戦略としての取組が必要です。  その基盤インフラは、通信です。5G、ポスト5G、更にその先を見据えながら、大胆な税制措置と予算により、イノベーションを力強く後押しします。安全で安心なインフラが、これからも安定的に供給されるよう、グローバルな連携の下、戦略的に取り組んでいきます。  次世代暗号などの基盤となる量子技術について、国内外からトップクラスの研究者・企業を集める、イノベーション拠点の整備を進めます。  月を周回する宇宙ステーションの整備、月面での有人探査などを目指す新たな国際プロジェクトに、我が国として、その持てる技術を駆使し、貢献いたします。将来的な火星探査なども視野に、人類の新たなフロンティアの拡大に挑戦します。  Society 5.0の時代にあって、教育の在り方も、変わらなければなりません。本年から小学校でプログラミング教育を開始します。四年以内に、全ての小学生、中学生に一人一台のIT端末を揃(そろ)えます。企業エンジニアなど多様な外部人材を登用することで、新しい時代の教育改革を進めます。
(アベノミクス)  今般取りまとめた新しい経済対策は、まさに、安心と成長の未来を切り拓くものであります。事業規模二十六兆円に及ぶ対策を講じることで、自然災害からの復旧・復興に加え、米中貿易摩擦、英国のEUからの離脱など海外発の下方リスクにも万全を期してまいります。  日本経済は、この七年間で十三%成長し、来年度予算の税収は過去最高となりました。公債発行は八年連続での減額であります。経済再生なくして財政健全化なし。この基本方針を堅持し、引き続き、二〇二五年度のプライマリーバランス黒字化を目指します。  この六年間、生産年齢人口が五百万人減少する一方で、雇用は三百八十万人増加しました。人手不足が続く中で、最低賃金も現行方式で過去最高の上げ幅となり、史上初めて全国平均九百円を超えました。足元では、九割近い中小企業で、賃上げが実現しています。  雇用環境が好転している今、就職氷河期世代の皆さんの就業を、三年間集中で一気に拡大します。この世代に対象を絞った求人を解禁するなど、あらゆる施策を講じ、意欲、経験、能力を活かせるチャンスを広げていきます。  兼業や副業をやりやすくするため、労働時間に関するルールを明確化します。労働施策総合推進法を改正し、大企業に中途採用・経験者採用比率の開示を求め、多様で柔軟な働き方が可能となるよう、改革を進めます。  経済社会が大きく変化する中、ライフスタイルの多様化は時代の必然であります。今こそ、日本の雇用慣行を大きく改め、働き方改革を、皆さん、共に、進めていこうではありませんか。
五 一億総活躍社会
(全世代型社会保障)  この春から、大企業では、同一労働同一賃金がスタートします。正規と非正規の壁がなくなる中で、パートの皆さんへの厚生年金の適用を更に広げてまいります。三千億円を上回る、ものづくり補助金、IT補助金、持続化補助金により生産性向上への支援、社会保険手続の負担軽減を行いながら、従業員五十人を超える中小企業まで段階的に拡大します。  高齢者のうち、八割の方が、六十五歳を超えても働きたいと願っておられます。人生百年時代の到来は、大きなチャンスです。働く意欲のある皆さんに、七十歳までの就業機会を確保します。  こうした働き方の変化を中心に据えながら、年金、医療、介護全般にわたる改革を進めます。  年金受給開始の選択肢を、七十五歳まで広げます。在職老齢年金についても、働くインセンティブを失わせることのないよう、見直しを行います。  二〇二二年には、いわゆる団塊の世代が七十五歳以上の高齢者となる中で、現役世代の負担上昇に歯止めをかけることは、待ったなしの課題です。  年齢ではなく、能力に応じた負担へと見直しを進めます。七十五歳以上であっても一定以上の所得がある方には、窓口での二割負担を新たにお願いすることを検討します。併せて、かかりつけ医機能の強化を図るため、大病院の受診に定額負担を求めることで、現役世代の負担上昇を抑えます。  医療や介護について、予防への取組を強化することで、いつまでも健康で、活躍できる社会づくりを行います。  子どもたちから、子育て世代、現役世代、そしてお年寄りまで、全ての世代が安心できる「全世代型社会保障制度」を目指し、本年、改革を実行してまいります。
(子育て支援)  子どもたちの未来に、引き続き、大胆に投資してまいります。  昨年の幼児教育・保育の無償化のスタートに続き、この四月から、真に必要な子どもたちの高等教育の無償化が始まります。私立高校の実質無償化も実現し、子どもたちの誰もが、家庭の経済事情にかかわらず、夢に向かって頑張ることができる社会を創り上げてまいります。  保育の受け皿整備を進め、待機児童ゼロを実現します。これまでの取組により、待機児童の数は、昨年、調査開始以来、最少となりました。いまだゼロが実現できていない自治体には、保育ニーズに応じた整備計画の策定を求め、取組を強化していきます。  妊娠、出産、子育てへの切れ目ない支援を行います。来年春までに、子育て世代包括支援センターを全ての市町村に設置します。所得の低いひとり親世帯への支援を拡大し、子育てしやすい社会づくりを更に強化します。「希望出生率一・八」の実現を目指し、深刻さを増す少子化の問題に真正面から立ち向かってまいります。
(一億総活躍社会)  我が国には、意欲と能力あふれる女性たちがたくさんいます。全ての女性に活躍のチャンスを創り、その持てる可能性を十二分に開花することができれば、日本の経済社会は一変するはずです。  この六年で、女性の就業者数は、新たに二百九十万人増加しました。就業率は、二十五歳以上の全ての世代で米国を上回っています。M字カーブは確実に解消に向かっています。引き続き、女性活躍の旗を高く掲げ、女性の皆さんが働きやすい環境づくり、女性リーダーの拡大に向けた取組を一層進めます。更に、民間シェルター支援によるDV対策などに取り組んでまいります。  女性も男性も、若者もお年寄りも、障害や難病のある方も、更には一度失敗した方も、誰もが多様性を認め合いその個性を活かすことができる社会、思う存分その能力を発揮できる社会を創る。一億総活躍社会の実現こそが、まさに少子高齢化を克服する鍵であります。  バリアフリー社会の実現に向けて、公共交通機関における取組を強化します。耳の聞こえない方に対する、無償で手話通訳を利用できる電話リレーサービスを整備します。重度障害者の皆さんの就労の意欲を後押しするための仕組みを強化します。  「その能力は磨けば無限である。」  中村裕(ゆたか)医師は、長年、障害者雇用に熱心に取り組んでこられました。  「身障者の社会進出のためにもスポーツを奨励しなければならない。」  中村先生の情熱によって、一九六四年、東京パラリンピック大会が実��しました。その後、パラリンピックは四年おきに継続的に実施されるようになりました。中村先生の思いは受け継がれ、半世紀以上の時を経て、再び、日本へと帰ってきます。  本年のパラリンピックを、世界中の人々に夢や感動を与える、素晴らしい大会とする。障害のある皆さんが、世界で最もいきいきと生活できる国・日本を、皆さん、共に、創り上げようではありませんか。
六 外交・安全保障
(積極的平和主義)  日本が、初めてオリンピック精神と出会ったのは、明治の時代であります。その時の興奮を、嘉納治五郎はこう記しています。  「世界各国民の思想感情を融和し以て世界の文明と平和とを助くる」  オリンピック・パラリンピックが開催される本年、我が国は、積極的平和主義の旗の下、戦後外交を総決算し、新しい時代の日本外交を確立する。その正念場となる一年であります。  日朝平壌宣言に基づき、北朝鮮との諸問題を解決し、不幸な過去を清算して、国交正常化を目指します。何よりも重要な拉致問題の解決に向けて、条件を付けずに、私自身が金正恩委員長と向き合う決意です。  もとより、我が国の国民の生命と財産を守るため、毅(き)然として行動していく。その方針はしっかりと貫いてまいります。米国、韓国をはじめ国際社会と緊密に連携してまいります。  北東アジアの安全保障環境が厳しさを増す中で、近隣諸国との外交は、極めて重要となっています。韓国は、元来、基本的価値と戦略的利益を共有する最も重要な隣国であります。であればこそ、国と国との約束を守り、未来志向の両国関係を築き上げることを、切に期待いたします。  プーチン大統領と長門で合意した、元島民の方々の航空機によるお墓参り、そして四島での共同経済活動は、着実に前進しています。一九五六年宣言を基礎として交渉を加速させ、領土問題を解決して、平和条約を締結する。この方針に、全く揺らぎはありません。私と大統領の手で、成し遂げる決意です。  日本と中国は、地域と世界の平和と繁栄に、共に大きな責任を有しています。その責任をしっかり果たすとの意志を明確に示していくことが、今現在の、アジアの状況において、国際社会から強く求められています。首脳間の往来に加え、あらゆる分野での交流を深め、広げることで、新時代の成熟した日中関係を構築してまいります。
(安全保障政策)  いかなる事態にあっても、我が国の領土、領海、領空は必ずや守り抜く。安全保障政策の根幹は、我が国自身の努力に他なりません。  この春から、航空自衛隊に「宇宙作戦隊」を創設します。更には、サイバー、電磁波といった新領域における優位性を確保するため、その能力と体制を抜本的に強化してまいります。  昨日、日米安全保障条約は、改定の署名から六十年を迎えました。日米同盟は、今、かつてなく強固なものとなっています。その深い信頼関係の下に、二〇二〇年代前半の海兵隊のグアム移転に向け、施設整備などの取組を進めます。抑止力を維持しながら、沖縄の基地負担軽減に、一つひとつ結果を出してまいります。  日米同盟の強固な基盤の上に、欧州、インド、豪州、ASEANなど、基本的価値を共有する国々と共に、「自由で開かれたインド太平洋」の実現を目指します。
(国際社会の課題解決)  この七年間、八十の国・地域を訪問し、八百回を超える会談を重ねてまいりました。各国首脳との信頼関係の上に、国際社会が直面する共通課題の解決に向け、世界の中で、主導的な役割を果たしていく覚悟です。  中東地域における緊張の高まりを深く憂慮します。我が国は、全ての関係者に、対話による問題解決と自制的な対応を求めます。これまで培ってきた中東諸国との友好関係の上に、この地域の緊張緩和と情勢の安定化のために、これからも、日本ならではの平和外交を粘り強く展開いたします。エネルギー資源の多くをこの地域に依存する我が国として、こうした外交努力と併せて、自衛隊による情報収集態勢を整え、日本関係船舶の安全を確保します。  自由貿易の旗手として、二十一世紀の経済秩序を世界へと広げてまいります。EUから離脱する英国とも、速やかに通商交渉を開始します。TPPの更なる拡大や、インドを含めたRCEP交渉を主導します。データ流通の新たな国際ルールづくりを、大阪トラックでリードしていきます。  G20で合意したブルー・オーシャン・ビジョンには、既に五十九の国から賛同を得ています。この流れを更に世界へと広げていくことで、二〇五〇年までの海洋プラスチックごみによる新たな汚染ゼロの実現を目指します。  我が国は、五年連続で温室効果ガスの削減を実現いたしました。二〇一三年度比で十一・八%の削減は、G7の中で英国に次ぐ削減量です。長期戦略に掲げた脱炭素社会を早期に達成するため、ゼロエミッション国際共同研究拠点を立ち上げます。米国、EUなどG20の研究機関の叡智(えいち)を結集し、産業革命以来増加を続けてきたCO2を、減少へと転じさせる、「Beyondゼロ」を目指し、人工光合成をはじめ革新的イノベーションを牽(けん)引します。  世界の平和と安定、自由で公正で開かれた国際ルールの構築、気候変動をはじめとした地球環境問題への挑戦。より良き世界の実現に向かって、新しい時代の日本外交の地平を、皆さん、共に、切り拓いていこうではありませんか。
七 おわりに
 「人類は四年ごとに夢をみる」  一九六四年の記録映画は、この言葉で締めくくられています。新しい時代をどのような時代としていくのか。その夢の実現は、今を生きる私たちの行動にかかっています。  社会保障をはじめ、国のかたちに関わる大改革を進めていく。令和の新しい時代が始まり、オリンピック・パラリンピックを控え、未来への躍動感にあふれた今こそ、実行の時です。先送りでは、次の世代への責任を果たすことはできません。  国のかたちを語るもの。それは憲法です。未来に向かってどのような国を目指すのか。その案を示すのは、私たち国会議員の責任ではないでしょうか。新たな時代を迎えた今こそ、未来を見つめ、歴史的な使命を果たすため、憲法審査会の場で、共に、その責任を果たしていこうではありませんか。  世界の真ん中で輝く日本、希望にあふれ誇りある日本を創り上げる。その大きな夢に向かって、この七年間、全力を尽くしてきました。夢を夢のままで終わらせてはならない。新しい時代の日本を創るため、今日、ここから、皆さん、共に、スタートを切ろうではありませんか。  御清聴ありがとうございました。
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2ttf · 13 years ago
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shintani24 · 1 year ago
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2024年2月12日
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ラジオは滅びゆく? 浜村淳さん「十分可能性がありますよ」(毎日新聞)
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インタビューに答えるタレントの浜村淳さん=大阪市北区で2023年11月10日、川平愛撮影
「ついに来たか、と。あと50年、せめて100歳まで続けたかった」
御年89歳。ラジオパーソナリティーの浜村淳さんは、半世紀続く冠番組の節目を局側から打診された時をちゃめっけたっぷりに振り返る。
MBSラジオの長寿番組「ありがとう浜村淳です」が3月末、平日の放送を終了し、土曜のみとなる。深い知識とユーモアに裏打ちされた語りで、関西のリスナーに愛されてきた。浜村さんはラジオに、音だけで勝負する媒体ならではの可能性を感じてきたという。
番組は1974年4月にスタート。現在は月~土曜の午前8時から平日は2時間、土曜は3時間半、新聞や週刊誌情報、ラジオドラマなどを生放送で紹介する。平日の放送終了は、同局側が50周年を一区切りとして打診し、本人も「長時間の生放送でどんな事故が発生するか分からない」と了承した。
親しみやすく、なるべく楽しく
「さて皆さん」で始まる柔らかい関西弁の語りは、浜村節とも称され、親しまれてきた。信条は「難しい言葉は使わず、分かりやすく話すこと」だ。朝刊各紙をめくりながら時事問題を解説するコーナーでは「親しみやすく、なるべく楽しく、聴いて良かった」をモットーに、記事をそのまま読み上げず、言葉をかみ砕いて紹介する。
「例えば、政治の話題で『可及的速やかに』とあれば『なるべく速く』と言い換えます。事件を扱う時も朝の番組なので、陰惨になりすぎないように、ほんの少しだけポップに」
映画評論家としても知られる。登場人物の衣装や景色を細かく描写しながら、見どころやあらすじを講談調で語り、ファンから「本編よりも面白い」と評されることも。
例えば、最近はどんな映画を? 水を向けると、特攻隊をテーマにした「あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。」について名調子が始まった。「現代の女子高生がタイムスリップして昭和20年に行ってしまうんですね。そこで出会うのが初恋の相手、彰さん。これ特攻隊員なんですよ。いよいよ出撃命令が下ります。小型の飛行機に乗って、腹に針金で爆弾巻いて、片道だけの燃料で飛び立っていく……」
数年前、鹿児島の鹿屋航空基地史料館を訪ねたこともあり、周辺の情景も加える。「絵空事でなく、実感を持ってしゃべりたい」。これまでの取材経験が語りに深みを持たせている。
「今ほど悪事がはびこる時代はない」
「ありがとう~」が始まった当時は、既に大衆の人気がラジオからテレビへと取って代わられていた時代。当初はテレビに対抗心を燃やしていたが、放送を重ねるうちにラジオの強みを実感するようになったという。
音声だけだからこそ、一人一人が頭に思い浮かべるイメージは多様で広がりがある。「ラジオは説得のメディアやと思います」と、浜村さんは表現する。「映像で見えない部分を言葉で補う。そのために、しつこくしつこく説得し続ける。だからラジオに出る人間は、相当な勉強や修業が必要になってきます」
関西ローカルの番組はインターネットラジオの登場で全国で聴けるようになり、取り巻く状況は大きく変わった。「滅びゆくメディアと悪口を言う人もいますが、『まあ皆さん聴いてください』と聴き手が興味を持つように語りかけると、(リスナーは)必ず引き込まれるんです。だからこそ、愛してくれる人はこれからも居続けるはずです。ラジオには十分可能性がありますよ」
まだまだ「心身ともに健康」と胸を張る。4月以降は土曜の放送のみとなるが、「政治も事件も、今ほど悪事がはびこる時代はないと思います。それらをどのように伝えるのか課題です」と浜村さん。「聴いて役に立ったと思わせる部分が少しでもあるように、迷いながらもやっていくだけですね」。穏やかにほほ笑んだ。
番組50周年を記念したイベントを4月15日、「SkyシアターMBS」(大阪市北区)で開催する。問い合わせは06・6676・8466。【谷口豪】
川内原発延長認可後、初の県原子力防災訓練の実効性は 専門家「能登地震ふまえ最悪シナリオ組み込む必要ある」[02/12 19:22]
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川内原発は、ことし7月に1号機の運転延長を控えています。また、元日には志賀原発が立地する石川県で能登半島地震が発生し、鹿児島でも不安の声が聞かれます。
道路の寸断や建物の倒壊、生き埋めなどが発生した場合、本当に避難はできるのか?今月10日に行われた県の原子力防災訓練で見えた課題を検証します。
10日午前6時半、川内原発が立地する鹿児島県の薩摩川内市役所です。幹部職員の参集から原子力防災訓練が始まりました。
(田中良二市長)「能登半島地震のこともあり、市民の大きな注目を集めている。強い緊張感をもってやりたい」
川内原発30キロ圏の9市町と県が行う原子力防災訓練。今回は去年、川内原発の運転延長が原子力規制委員会に認可されて初の訓練ともなりました。
住民600人も含め4000人が参加し、薩摩半島西方沖を震源地とする最大震度7の地震で外部電源を喪失したとする川内原発では、2号機が非常用電源も失われて炉心損傷に至るとのプロセスで訓練が進みました。
また被ばくした職員を病院に搬送し、手当てする手順も確認しました。
川内原発から2.5キロ南の薩摩川内市寄田地区です。重大事故が起きた場合、原発5キロ圏内はただちに避難することになります。能登半島地震を受け、倒壊した建物から住人を救助する訓練もあり、住民12人は鹿児島市までバスで避難しました。
同じく、原発5キロ圏にある高江こども園です。避難指示を受け、園児6人をバスに乗せ、避難場所に向かいました。
(高江こども園・成松まつみ園長)「(能登半島地震は)かなりショックだった。実際にああいう状況になったときに、子どもたちが孤立するのが一番心配。(備えを)見直さなければならないと感じた」
住民たちが懸念するのが、ことし1月1日に起きた能登半島地震です。見過ごせないのが地震の規模。マグニチュード7.6は27年前、薩摩川内市で震度6弱を観測した県北西部地震の30倍、直接死5500人余りの阪神・淡路大震災を3倍も上回るすさまじいものでした。
石川県の災害危機管理アドバイザーも務める専門家は…
(神戸大学・室崎益輝名誉教授)「前例のない地震が起きた。質が違くというか、ことごとく壊れている。過疎地だったので230人~という犠牲者ですんだ。人口密度当たりの犠牲者の比率は阪神・淡路大震災より多い」 ※室崎名誉教授の「崎」は、たつさき
薩摩川内市によりますと、5キロ圏内の住民が避難し、被ばく者を病院に搬送する県道43号などは、いずれも土砂災害警戒区域にひっかかります。また、オフサイトセンターを始め、県や市の拠点自体が川を埋め立てた軟弱地盤の上にあり、液状化の危険性もぬぐえません。
そもそも市や県の職員を集められるのか…能登半島地震で最悪の被害となった石川県輪島市では、職員280人のうち、初日に40人しか登庁できませんでした。
神戸大学 室崎益輝名誉教授 「情報網や道路網が寸断されて、家がたくさんつぶれて、その下に閉じ込められた人たちが相当数いる。(石川県の事前想定は)最悪の事態をみるという姿勢にはなかった」
「能登半島地震の事態で気に留めておかないといけないのは、いつまでたっても奥能登から抜け出せないということは、放射能が漏えいするとみんな汚染されてしまうということ。本当に緊急に一斉に人が避難できるか?最悪のシナリオのうちのひとつには組み込まないといけない」
訓練の実効性をさらに高める必要はないのか?塩田知事は…
塩田知事 「基本的な動作をしっかりと住民含め、手順を確認するということが一番大きな役割���そういう過酷な状況も引き続き検討はしていきたい」
一方の薩摩川内市 田中市長は…
田中良二 市長 「能登半島地震が行政の防災対応に与えている影響も翻って議論をすべき。見直し改善、次回の防災訓練に生かしていきたい」
川内原発の30キロ圏に住む住民は19万5400人。原発5キロ圏の高江こども園の成松園長は、住民側の温度差に危機感も感じています。
高江こども園 成松まつみ園長 「放射線が漏れてしまった際は5キロ圏内だけに止まらない。温度差というか、緊迫感がないなと、危機を感じる」
訓練を終えた子どもたち 「(地震は)いやだ。逃げる」「身を守ります!(毎月)避難訓練をやっています!」
能登半島地震で改めて浮き彫りになった地震災害のすさまじさ。川内原発の運転延長を7月に控え、私たち一人ひとりが問われています。
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ohmamechan · 6 years ago
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煌々と、透明
 気づけば、道のガム跡を見つめながら歩いていることがある。  駅前や公園側の通りには特に多い、大小さまざまな、黒い点々模様。上京してすぐは、この黒い点が一体なんなのか、わからなかった。舗道に敷き詰められたブロックタイルの模様な どではないことはわかっていたが、その正体を知らなかった。猫の足跡のようにどこにでも点々と落ちているそれらが、吐き捨てられたガムが踏みつぶされて、固まり、取れなくなって しまったものだと知った時は、妙な気分になった。遙の知らない、いつかの誰かがここを歩いた跡だ。それも無数の。恐竜の足跡と同じ、「何者かが生きていた証し」だ。もちろん、き れいなものでも、珍しく貴重な物でもない。清掃するか、新しく舗装されない限りは、その黒い模様はそこにあり続ける。テナントビルに入った飲食店は目まぐるしく変わっていくのに 、路上のガム跡はしぶとく残るのだ。  赤信号で歩みを止めた。遙の少し前を歩いていた凛のスニーカーの底が、黒い点の端を踏みつけている。ごつごつとして重く、赤い凛のハイカットスニーカー。気に入って履き続けて いるので、ソウルは擦り減っていくばかりだ。擦り減ってどこかへ溶けていく凛のスニーカーのラバーソウルと、消えない黒いガム跡を、なぜだがじっと見つめてしまった。そこで、駅 を出てからほとんど、俯いたまま歩いていたことに気づいた。  凛には、「どこに行きたい?何したい?」と、空港で顔をあわせたそばからたずねておいた。その答えは、まる一日経って返って来た。今朝、凛はコーヒーメーカーから立ち上る湯気 に、ふかふかと煽られながら、「ぶらぶらしたい」と言った。「ちょっと買い物もしたいし」と付け加え、ガラスのサーバーを傾けてコーヒーを注いだ。アルミ製の、登山で使うような カップ、二つ分に。  なので、昼を過ぎて、いわゆる「若者のまち」に繰り出した。  その街は、上京してすぐに、真琴とスーツを仕立てたり、安くて着まわせる服を仕入れたりするために訪れた町だ。求めるものが無ければ、特に足を向けることは無い場所だった。そ もそも、「お出かけ」なんて、何か目的が無ければしないものだけれども。故郷には確かにあった、目的が無くても足を向けるような場所が、こちらには少ない気がする。海とか、神社 とか、展望台とか。無目的の人間を無条件に無関心に受け入れてくれる場所だ。そういう場所が、東京にもまったくないわけではないのだ。アパートの近くの公園とか、川沿いの桜の並 木道とか。少ないけれどもある、ということは、ここに確かに自分の暮らしがあるということだ。上京して間もなく一年が経つ。自分の足元から、細くて小さな根が生えていたりするの かな、と思う。  大きな交差点の赤信号は、待ち時間が長い。車はまるで連結した車両みたいに、絶え間なく行き交う。小春日和のあたたかい日だった。凛は、遙が貸した裏起毛のパーカーを着ている 。真夏のシドニーからは、厚手のコートを一着持ち帰るので精いっぱいだったらしい。けれども、お馴染みの黒いロングコートで出かけるには、今日はあたたかすぎた。凛が「日本は冬 もあったかすぎて、大丈夫なのか」という心配をしてしまうくらい、今年の冬はあたたかい日が続く。 「いや、天気よすぎだろ」  凛が空を見上げて、眠いみたいに言う。  ぎざぎざのビルの山脈の間に、水色のリボンがたなびくような空が覗いている。  ふー、と長く息を吐いていると、あわい水色の空に、カッターで切れ目を入れるように、大声がこだました。誰かが、拡声器を使って、金切り声で叫んでいる。近くの公園でデモが行 われているのだ。デモの声を聞くのも、その集団を目にするのも、こちらでは珍しいことではない。プラカードを掲げたパレードとすれ違ったこともある。けれど、以前耳にしたものよ りも、随分と過激だ。悪口雑言で、何ごとかを罵倒している。拡声器の音が割れていて、ところどころしか聞き取れないが、「しね」とか「出ていけ」とか、声に乗った重たい憎しみの 感情が、つぶてのように降った。その声に否応なく耳を叩かれているはずの信号待ちの人々は、何の温度もない顔をしているように見えた。  遙は、半歩前に立った凛を、掠めるように見た。凛は、スマートフォンで目的地を検索する手を止めて、声のする方に目をやっている。凛には、あの声が、どんな風に聞こえているの だろう。凛の耳を塞いで、謝りたいような気分になった。デモの声は、遙の声ではない。でも、街の声だ。何かを主張し、誰かを罵り、道行く人々にお前はどう考えるのだ、と答えを迫 るような声。あらゆる問題に対して、当事者でいなければならない、と突き付けるような声。それらが、遙の体の中にじりじりと侵入してくるように思えて仕方がない。青信号になって 歩き出しても、ガム跡の黒い点のように、声は遙の中にこびりついて離れない。  横断歩道を半分ほど過ぎてから、凛がちらりとこちらを向いた。 「疲れたか?」  え、と短い声が漏れた。「疲れたか」が、別のことを指しているように聞こえて困惑した。凛は歩みを止めないまま、言った。 「昼は軽く済ませたもんな。どこかで休憩するか?」 「いや、大丈夫だ」 「そ?」  じゃあ、もうちょっとで着くから、付き合ってくれな、と凛は軽い足取りで歩いて行く。東京の人ごみには遙の方が慣れているはずなのに、凛はヨットの帆先みたいに、無数の人々の 群れの中を軽やかに進む。  疲れてなどいない。と、思う。  一年近く暮らして、こちらにも、親しい友人や、馴染みの場所が増えた。もう知らない土地ではない。どこからどんな風に日が上る���か、日暮れ時の景色はどんな色か。日々刻まれて いく街の記憶がある。でも、今、凛に「疲れたか」と問われて、無性に、帰りたくなった。どこに。アパートに。ふるさとに。プールに。どこが、自分の帰るべき場所なのだろう。どこ へ、とも知れないが、帰りたい。透明になれる場所に。この土地でずっと暮らすうちに、いつか、透明になる方法を忘れてしまいそうだ。  こっちこっち、と凛の的確なナビゲーションで辿り着いた先は、大きなCDショップだった。いや、ショップと呼ぶに納まらないほどの規模だ。入り口に、「NO MUSIC NO LIFE」とで かでかと掲げられた九階建てのビルを、思わず見上げてしまった。 「改装されたって聞いて、来てみたかったんだよな」  凛は相変わらず迷いのない足取りで、自動ドアをくぐっていく。慌てて追いかけ、凛のうしろにくっつくようにして、エスカレーターに乗った。  店内のすべての壁を埋めることに使命でもあるのか、ポスターやポップが賑やかで、目が飽きるということがなかった。また、ひっきりなしのレコメンド放送が耳を埋めた。目と耳か らの情報の洪水の中で、遙は凛の色とか形とか匂いを手がかりに、必死に立っているような気分になった。  四階に上がる頃になってようやく体が馴染んできて、フロアガイドに目をやる余裕が出来た。CDなどの音楽ソフト全般はもちろんだが、映画ソフトやAV機器も置いてあり、カフェ や本屋も併設してある総合施設らしい。 「何階に用があるんだ?」  エスカレーターを下りて、また登りの方へベルトコンベアのように体を運びながらたずねる。凛は肩越しにこちらを振り返って言った。 「順番に上から見て行きてえんだけど」  順番に、上から、というと、九つのフロア全てということだ。地元のCDショップに二人で行ったことがないわけではないが、ワンフロアのこじんまりとした店舗だった。この音と光 に溢れたタワーを、一階ずつ攻めていくのかと思うと、う、と息が詰まった。すると凛は、苦笑いした。 「わーかったよ。特に行きてえのは八階かな」  ぐいぐいとエスカレーターに運ばれながら、フロアガイドを確認する。八階は、主に洋楽の音楽ソフトを置いているフロアらしい。  ビルをジグザグに縫うように上へ上へと運ばれて、ようやく目的の階に到着した。エレベーターでもよかった気がするのだが、凛はあえてエスカレーターを選んだようだった。移動し ている間ずっと、彼は店内の様子をおもしろそうに眺めていた。縁日の屋台を見て回るみたいに。 「ここまで連れて来ておいてなんだけど、ハルは、カフェか本屋で時間潰すか?」  8F、と書かれたフロアマットを踏んで、凛が言う。ふるふる、と首を振って意思を伝える。たまにしか会えないのに、別々で過ごすのは、選択肢になかった。それに、ぶらぶらする のに付き合うのは、苦手ではない。真琴や旭の買い物に付き合うこともよくある。 「ハルには、退屈かも」  それまでまったくそんな素振りなど無かったのに、急に心配になってきたらしく、凛はやや重い足取りと、小股で移動した。陳列棚の間を進みながら、 「べつに、いい」  と返した。それでも凛は、申し訳なさそうに言う。 「わざわざショップに行かなくてもさ、いまどき、配信でも手に入るのが多いんだけど、…マイナーなやつとか、配信の方が早かったりするし。でも、なんか、ジャケットを手に取って 選びたいっつうか」 「わかる」 「ほんとかよ」  凛は思いきり疑っている。遙が音楽に興味の薄いことを知っているからだ。 「魚は、実際に捌いているところや、目を見て鮮度を確かめたい。それと同じだ」 「そうじゃねえ、とも言い切れねえ…絶妙な例えを持ってくんな」 「とにかく、俺も適当に楽しむから、気にするな」  もっと理由を説明したほうが親切丁寧なのかもしれないけれど、自分でも、なんとも説明のしようがなかった。  凛は地図アプリを見ていた時と同じように、天井に下がる案内札を見ながら迷いなく進んだ。時々、黄色いエプロンの店員に「いらっしゃいませー」と笑顔を送られながら、八階フロ アの隅にある、一区画に辿り着いた。 「改装されて、ちょっと数は減ってるけど、ここ、インディーズの品ぞろえがいいんだよな。視聴もできるし」  そう言って、凛は、宝物でも探すように頬を煌めかせて陳列棚を眺めはじめた。遙も四角いケースにパッキングされたCDの群れを眺めてみたけれど、ピンとくるものはなかった。色 とりどりのCDのパッケージより、凛を眺めている方がおもしろかった。先ほど、べつに、いい、と返したとき、このことを伝えた方がよかったのだろうか。凛の指先が、つい、とケー スの背表紙を引き出す。ケースは、表、裏に返されて、また列の中に戻される。発掘調査員みたいなその様を見ているのが、おもしろいし飽きないのだ。そう言ってみたところで、果た して理解されるだろうか。言ってもいいことなのだろうか。  試聴したい、というので、壁づたいにひっそりと設置された試聴コーナーに移動した。「掘り出しもの!」「密かに沸騰中」など、手書きのポップが躍る試聴カウンターの前に立ち、 凛はヘッドホンを手に取った。再生ボタンを押された試聴プレイヤーの中では、青い円盤がきゅるきゅると回転している。凛はCDジャケットを眺めながら、何がしかの音楽を楽しんで いる。並びには、同じように試聴する客の姿がぽつぽつとあった。ポップやジャケットをくまなく眺めた。遙も適当なヘッドホンを手に取って、耳を塞いだ。再生ボタンを押すと、しゃ がれた女性の歌声が、破天荒ででたらめなピアノの音に乗って聞こえて来た。もちろん、遙の知らない歌姫だ。隣の凛が、ヘッドホンを着けた遙をおもしろそうに見ていた。  曲を聴くというより、ヘッドホンを装着しているだけの時間を過ごしていると、ふと、先ほどの、デモの声が蘇った。どれだけ耳元で音楽が鳴っても、店内が賑やかな音で溢れていて も、街の空に亀裂を入れるような、女の叫び声を剥し去ることができない。「しね」「出ていけ」「ほろびろ」「消えうせろ」ヘッドホンをしているからか、尚更、遙の体の中のあちこ ちで跳ね返り、耳から出て行くことを許されず、モンスターみたいに暴れた。こうして暴れはじめると、遙にはなす術がない。時に任せて、薄くなって、やがて忘れてくれるのを待つし かない。    不意に、隣の凛が「あ、これ」と呟きに近い声を出した。つん、と肩を突かれて顔を向けると、凛が遙のヘッドホンを外した。そして、自分と同じプレイヤーのフックに掛けられてい たヘッドホンをぱかりと開いて、遙の耳に当てた。突然、世界が静寂に包まれた。いや、正確には、ちゃんと音楽が鳴っている。ピアノとかギターとか。たぶん、笛も?なんというジャ ンルの音楽なのか、見当もつかないが。 「これさ、」  と、凛が説明を始める。しかし、ヘッドホンをしているし、音も鳴り続けているので、うまく聞き取れない。戸惑っていると、凛が身を寄せて、右耳のヘッドホンと、遙の左耳のヘッ ドホンをこつんと触れあわせた。そして、CDジャケットの裏の、曲目リストを指で差した。数cmのところで、凛の赤い唇が動く。 「このバンドの作曲担当がさ、自然の音を録音して、サンプリングして、曲の中にミックスするのが好きなんだ」  ここまではわかった?という風に、かすかに首を傾げて確かめて来るので、こくこくと頷いた。 「それでさ、今、聞いてるのは、海の波音とか、ダイビング中の海の中の音とか、イルカの鳴き声がサンプリングされてるんだってさ。ハルなら、なんか、聴き取れそうだなって、思っ てたんだ」  凛はおもしろそうに笑って、こちらを見ている。曲も聴かないといけないし、凛の説明も聴かないといけないし、イルカや波音も聴き取らなければならないので、忙しい。それに、何 より、突然に、近いし。パーカーの布越しに、凛の体温がじわりと伝わってくる。それくらい、凛が、近い。セックスだってなんだってしているのに、こういう時、どうしようもなくな ってしまう。心音が跳ねまわって、皮膚の下で反響している。 「どう?イルカ、いた?」 「ぜんぜん、わからない」  残念だが、わかるはずがない。正直に、首を振る。それでも、凛は楽しそうだ。「だよな」と、くすぐられたみたいに、笑っている。音楽の中に溶け込んでしまった動物の声を探すな んて、無茶な話だ。でも、二人で並んで同じ音楽を聴くのは、楽しいことなのかもしれなかった。ようやく動悸を落ち着かせて、他の客に怪しまれない程度に、体の片側をくっつけて、 どこかの国の、どこかの誰かが作った音楽に耳を澄ませる。ヘイトに満ちたデモの声を聴くよりも、凛と一緒にイルカの鳴き声を探す方がよっぽどいい。  ふと、こんな風に、高校生の時も、身を寄せ合って音楽を聴いたことがあるのを思い出した。駅前の、つぶれそうでつぶれない、小さなCDショップで。やっぱりその時も、凛は遙の 知らない音楽を楽しそうに聴いていたし、遙はその横顔を見つめていたのだ。凛はもしかして、泳いでいる時も、歌っているのだろうか。あとで聴いてみようか。そんなことを、思って いたのだ。凛の記憶は、きっとどこを取り出しても、息をしているみたいに鮮や��だ。  凛はその後も、いくつか試聴し、いくつかのCDアルバムを手に取ってうんうんと悩み、二枚のアルバムを選び抜いた。凛がレジに並んでいる間、離れたところで待っていると、手招 きされた。「二枚も買ってもいいと思う?」と不安そうにたずねてくる凛は新鮮で、どこかに再生ボタンがあれば、何回も押すのに、と思った。  アルバム二枚の出費は、親に仕送りをしてもらい、ろくにアルバイトもできない身分としては、確かに思い切ったものかもしれない。支払いを済ませた後も悩ましげな凛と一緒に、九 階のカフェテラスへ上がった。屋上にあるカフェはオープンテラスで、空がぐんと近かった。暑い季節になれば、ビアガーデンとして人の集まる場所らしい。レジ横のポスターには「B BQ予約開始」の文字がでかでかとあって、一気に季節感が狂いそうになる。 「江がおいしいって騒いでたな」と、凛は試しにタピオカミルクティーとやらを注文した。手渡された透明なカップの中を、茶色の半透明の球体が、ふよふよと泳いでいる。 「ナントカって魚の卵みたいだ、とか、言うなよ」  先に言われてしまって、黙るしかない。遙はブレンドにした。カップを手にして、テラスの端っこの席に座った。  凛はやたらと太いストローを咥えつつ、さっそく、包みを開けて、歌詞カードを眺めている。出費に関しては、もう開き直ったらしい。 「それ、うまいか?」 「んー、何とも言えねえ。甘すぎないのは、いいかもな」 ���唇からストローを外して、「飲んでみるか?」と、カップをこちらに向けて来る。顔だけ寄せてストローを唇で食む。なかなかうまく吸えなかったが、微かな甘みのある液体と一緒に 、ぽこぽことタピオカの粒が口に飛び込んで来る。こういうのを、楽しむ飲み物なのかな、と思った。 「魚の味はしないな」 「当たり前だろ」  凛は呆れたように笑って、またストローを口にしようとして、はた、と止まった。ほわ、とその耳の先が赤くなる。無意識のうちに、間接なんとやらをしてしまったことに、お互いに 気づいた。真っ昼間のオープンカフェは、老若男女問わず、客で溢れている。けれど、誰も、こちらを見てなどいない。しかし凛は気になるのか、カップをテーブルに置いてしまった。 「このくらい、友だち同士でもあることだろ」 「そーだけどよ!ダチなら気にしねえよ。…でも、俺とお前は、ダチ同士じゃねえだろ」  まだ赤い耳を隠すみたいに、凛はパーカーのフードを被ってしまった。どうやら、見られているかもと意識したからではなく、単に間接なんとやらが恥ずかしくなってしまったらしい 。セックスでも何でもしているのに、お互いに、些細なことに照れてしまうのは、何なのだろう。 「この後、どうする?」  フード男にたずねる。凛はCDジャケットを見ている振りなのか、ケースで顔を隠しながら、 「ぶらぶらする」  と応えた。 「他に、行きたいところは?」 「特に、ねえけど。ぶらぶらしたい」 「いいけど」  それで、凛は楽しいのだろうか。 「ハルと、ぶらぶらしたかったから。東京でも」  フードとCDケースの間から、凛の目が覗いている。 「今日、デートっぽいだろ」 「うん、まあ…」 「デートっぽく、したかったの、俺は!」  やっぱり小声だが、凛は、自己主張は忘れない。思わず、笑ってしまった。ぶらぶらと歩いたり、CDを選んだり、同じ曲を聴いたり。自分だって、そういう何でもないことがしたか ったのは確かだ。 「ぽく、じゃなくて、しっかりデートだ。…すごく、楽しい」  凛の意見を肯定したかっただけで、言うつもりはなかったのに、最後に楽しい、と言ってしまって、自分に驚く。遙はストローをくるくると回して、タピオカのつるつるした球体をカ ップの中で躍らせた。 「結局、どんなCDを買ったんだ?」 「おー、これ?」  凛は歌詞の書かれたブックレットを遙に渡し、お守りにみたいに小さなプレイヤーをポケットから取り出した。 「スウェーデンのロックバンドなんだけど。いくつか、配信で入れたやつもあんの」  言いながら、イヤホンの片方を遙に差し出す。ころりとしたそれを受け取って、左耳に差す。凛が再生ボタンを押す。先ほど試聴したものより、少しだけかさついた音源が流れ出す。 凛が、曲のタイトルを口にして、バンドの説明をしてくれる。けれど、やはり、申し訳ないが、音楽よりも、凛の声が聴きたいだけだった。    相変わらず、デモは続いているようだった。太鼓の音と拡声器の声が不調和に入り混じってビルの壁を叩いている。おそらく、路上をパレードしているのだ。けれどその声は、遠い。 色とりどりの音と光の詰まったタワーの最上階までは、届かない。  あの叫びに耳を塞ぎ、やり過ごすことがいいことなのか、遙にはわからない。わからないけれど、今は、フードに隠れた恋人の声に、彼と半分こしているイヤホンから流れる音楽に、 耳を澄ませるので精いっぱいだ。  CDのディスク面が、力強く光を跳ね返す。 「いや、やっぱ、天気よすぎだろ」  凛が、歌うみたいに言う。ごちゃつく街の、少しだけ空に近い場所で、透明に、体が清んでいく。 end 公式ブックの、あるコメントを読んで。遙も東京暮らしに疲れることもあるのかなと思ったので。
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minatokucarpet · 2 years ago
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ペルシャ絨毯はなぜ高いのか
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ペルシャ絨毯はこんなに高価 (ペルシャ絨毯はなぜ高いのか)
ペルシャ絨毯の価格が高い理由、それは人件費が挙げられます。 ペルシャ絨毯は手織りであり、絨毯製作にかかる費用の70〜80%が人件費とされています。 現在ではイランの経済成長や機械織の登場などにより、手織りの職人が減少していますが、 ペルシャ絨毯は世界的な需要があるため、職人の賃金も上昇しました。
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ペルシャ絨毯 ペルシャ絨毯とは? 数千年以上の歴史のあるペルシャ絨毯は芸術性と実用性を兼ね備えています。これが、他の芸術作品と大きく異なる点。 そして、ペルシャ絨毯は化学物質過敏症の方にとって大敵な化学染料やVOC(揮発性有機化合物)を一切含んでいません。 ペルシャ絨毯は揮発性成分を含まないため、子供や可愛いペットにも優しいカーペットです。 ペルシャ絨毯はなぜあんなに高価なのですか? 作るのに時間がかかるからです。(税金や現地からの運んでくる料金もありますが) 基本的に機械おりは糸を引っ掛けてノリでつけています 一方ペルシャ絨毯は全て手で結んでいます。
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ペルシャ絨毯はなぜ高いのか
ペルシャ絨毯買取専門店
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ペルシア絨毯
素材 手織り職人が使用する伝統的な道具。
ペルシア絨毯の素材としてもっとも���く使用されているのは羊毛だが、綿も多く用いられている。羊毛は、コルクウール、マンチェスターウール、キャメルウールなど、様々な品種の羊からとられたものが使用されている。絹は羊毛に比べて高価で耐久性に劣り、古くなるにつれて価値が落ちていくため、絹だけで織られた絨毯はそれほど一般的ではない。絹のペルシア絨毯は、その希少性と価値、そして耐久性の低さから、床の敷物ではなくタペストリのように壁飾りとして使用されることが多い。
図案
16世紀、17世紀のペルシア絨毯には多くのバリエーションがある。様々な地方で生産されていたことが多様なデザインを生み出すことにつながった。また、共通するモチーフとして、唐草文様、アラベスク文様、忍冬文様 (en:palmette)、円形文様、幾何学文様などは、多くの絨毯に採用されている。人物文様は、イラン国内で流通する絨毯には良く見られるモチーフだが、輸出される絨毯ではそれほど採用されてはいない。 産地ごと、あるいは家系ごとに様々なデザインが継承されており、それらの多くはシンプルで直線的な文様である。このような文様を絨毯に表現する際には、特別な下絵などを使用せずに職人の記憶や経験によって制作されることが多い。曲線で構成される複雑な文様の場合は、前もって用意された下絵のデザインと色調を絨毯のサイズに合わせて写し取っていく。伝統的なデザインも時代とともに少しずつ変化しており、現在では下���を絨毯のサイズにあわせて縮小あるいは拡大するために、コンピュータが使用されている。
歴史
現存している最古の手織り絨毯として、古代文明パジリクで発見されたおよそ2500年前の絨毯がある。アケメネス朝ペルシアで制作されたと見られていたが、現在は否定されており中央アジアの遊牧系騎馬民族によって織られたとされている。ペルシア絨毯の最初の記録は古代中国のもので、224年から651年のサーサーン朝ペルシア時代の記録である。7世紀にイスラム教圏となるまで、ペルシアでは様々な王朝が勃興、衰退を繰り返し、ペルシア絨毯にも多くの変化がもたらされたが、ペルシア絨毯の生産は途切れることなく続いていた。その後、13世紀のモンゴル帝国によるペルシア侵攻のためにペルシア絨毯は衰えていたが、イルハン朝ペルシア、ティムール朝ペルシアのもと、ペルシア絨毯は再び発展してくことになる。 ペルシア絨毯に使用される羊毛、絹、綿といった天然素材は、経年変化によって腐食し、朽ちてしまう。このため、考古学者たちの古代遺跡調査によっても、ペルシア絨毯に関する有益な発見がなされることは極めてまれである。古代からペルシアで手織りの絨毯が制作されていたことを示す証拠は、数点の磨りきれた絨毯の断片しか存在しない。このような断片からは、12世紀に全盛を迎えたセルジューク朝ペルシア以前のペルシア絨毯がどのような特徴を持っていたのかを判断することは、ほとんど不可能となっている。 Read the full article
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