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東京からやってきた新大阪行きの最終のぞみ号。 名古屋を23時前に出てもその日のうちに大阪まで行くことができる。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)4月9日(水曜日)
通巻第8729号 <前日発行>
タイの30階建て高層ビル崩壊の原因究明へ
中国企業の手抜き工事と汚職の蔓延にメスが入るか?
*************************
3月28日のミャンマー大地震は隣国タイの首都バンコックで、建設中の超高層ビルが崩壊し、建設作業員が押し潰され、15人が死亡、72人が行方不明となった。
この高層ビルは中国国有企業「中鉄十局」が請け負っていた。基準を満たしていない鉄筋が使用されていたことが発覚、中国の手抜き工事に批判が巻き起こった。このことを中国メディアは報じていない。
現場を視察したシナワット首相は「建物が崩壊する映像を多数見たが、このようなことは見たことがない。徹底的に調査する必要がある」と語った。
地震から2日後、中国人男性4人が建設関連の書類を抱えて崩壊現場から逃げる様子が撮影された。タイ警察は彼らを拘束した。タイ内務省は、超高層ビルの崩壊について緊急の会議を開催し、倒壊した超高層ビルの残骸の中から2種類の鉄筋を証拠として押収した。
倒壊した建物がタイ国家監査院(SAO)の新本部ビルだったのはなんとも皮肉だった。この政府機関は、契約の偽造や政府関連の怪しいプロジェクトの精査が任務である。精査第一号が自分に降りかかってくるとは!
「中鉄十局」(中国鉄道第10工程グループ)は、世界最大級のエンジニアリング・建設会社=中国鉄道工程公司(CREC)の一部門である。
中国共産党政府が所有する企業であり、タイでは他にも多くのプロジェクトを展開してきた。いずれも一帯一路プロジェクトに包括され、バンコクを経由して北京とシンガポールを結ぶ高速鉄道も含まれる。
タイ王国警察経済犯罪対策課、歳入局は、CRECおよび中鉄10局と関連があるタイ国内の12件の他のプロジェクトの捜査を開始した。
タイに於ける中国の一帯一路プロジェクトには目玉が「東部経済回廊」の建設。このプロジェクトには雲南省からラオス縦断の新幹線をタイ側に延長し、北部ノンカイからバンコクへの873キロの鉄道建設、マープタープット深海港の建設など大型プロジェクトが含まれている。
ところが、建設は遅遅として進んでいない。手抜き、材料横流しの汚職は中国に限らずタイの役人にも共通するため、完成の見通しは立っていない。
また中鉄十局はタイ最南端のナラティワートに2000万ドル規模の空港ターミナルを建設中という。
中国企業の手抜き工事と汚職の蔓延にメスが入るか?
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Slender Fellows - Various

000 Cover Author Comments 001 [入江亜季] 松の木は時々目覚める 002 [山本和音] 銀河鉄道の女 003 [大槻ー翔] サプライズ 004 [宇島葉] 大和魔女大学箒部 005 [菊池まりこ] カオリ、お前の 胸とその愛に 006 [大上明久利] THE TALLBOY 007 [嵐田佐和子] 地獄のあかねちゃん 008 [namo] だって好きだから 009 [伊藤真希] つるのおめかし 010 [樫木祐人] 仕立て鳥 011 [高橋那津子] 猫のカルパス 012 [長蔵ヒロコ] 嘘と箒星 013 [犬童千絵] 夏川さん 014 [浜田咲良] 枝のような彼は 015 [山本直樹] 自撮り (not a chapter, just an illustration) 016 [中村哲也] アンナ祭り 017 [梶谷志乃] 課外授業 018 [福田星良] ホテルレイングラ?ド 019 [黒川裕美] がんばれ涼子さん 020 [舘石まい] 夕陽に映える時 021 [紙島育] 乙女座流星群 022 [福島聡] スレンダ?な人々 023 [櫻井良太] どっかの星の調査隊 024 [西公平] スレンダ?のS 025 [中河星良] 悪魔の痩せ我慢 026 [佐野菜見] いとしの紙一重 027 [井上きぬ ] へびさんの願いごと 028 [柴田康平] 胸を借りる 029 [百名哲] 雨を見たかい 030 [丸山薫] 痩身の秘薬 031 [久慈光久] セレネとエンデュミオン 032 [渡邉紗代] クララオンザベツド
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9歳の子ひとり避難、家に残った母 東京大空襲80年「逃げなかった」人たち 防空法と市民に広がった同調圧力 #きおくをつなごう #戦争の記憶
3/24(月) 18:05配信
TBS NEWS DIG Powered by JNN
戦時中、日本各地で行われた空襲。実は空襲をまえに、あえて“逃げずに”家に残った人たちが数多くいた。人々をそうさせたのは「火を消せ」と国民に強いたある法律だった。しかし「油の火の玉」と当時の人たちが形容する焼夷弾の炎は、そもそも消せるようなものだったのか?当時の焼夷弾の炎を実験で再現した。そして、空襲を経験した人たちの証言を集めると、市民が“逃げなかった”背景には、現代にも通じる“同調圧力”があったことが浮かび上がってきた。 (TBS報道局社会部 平木場 大器)
【写真をみる】豊田さんが描いた、空襲時に火に囲まれながら逃げる様子の絵/「焼夷弾の防火は最初の30秒が最も大切」などと書かれた当時の資料/専門家監修のもとで行った消火実験の様子
「吹雪のように火の粉が」 猛火迫るなか、家に残った母親

東京大空襲で焼けた賛育会病院の旧本館
東京・墨田区の病院。 去年、初めて撮影された部屋がある。
すすで覆われた壁や天井… 80年前の東京大空襲で焼かれ、黒焦げのままで遺されていた。 当時、病院周辺は焼け��原となったが、鉄筋コンクリート造りだった病院は建物が残った。 焼け焦げた病院の大部分は修復されたが、屋上にあったこの小部屋だけは、当時の状態のままになっていたのだ。

9歳の時に東京大空襲を経験した豊田照夫さん(89)
1945年3月10日の東京大空襲。 1600トン以上の焼夷弾で街は炎に包まれた。 一晩でおよそ10万もの命が奪われた。
豊田照夫さん(89)は当時住んでいた墨田区の自宅で東京大空襲を経験した。

空襲時に火に囲まれながら逃げる様子の絵
豊田さんが描いた当時の様子の絵では、建物の窓から火が吹き出している。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「廊下は風と吹雪のように火の粉が来ているんですよ。窓が全部真っ赤なんですよ。外の家が燃えている」
地下室に避難したという豊田さん。 地下室から見た光景が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
「(出入り口に)マンホールみたいに小さい扉があって、それが開いたのを下から見たらキレイなお月さんが、真っ赤なお月さん…」 「外の家が燃えている。それがその部屋に写って天井も真っ赤に見えた。それがマンホールの穴から月に見えた」
マンホールのような丸い扉の先に見えたのは、燃えさかる周囲の炎を反射した天井だった。それが丸い形に切り取られ、真っ赤な満月のように見えたのだ。
当時9歳だった豊田さんは、当初一人で地下室に避難しなければならなかった。 母親が家に残ったからだ。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「焼夷弾が落ちたりするとそういうのを消したりする役目があって、働ける人はそういうものをやらないといけない。(火を消しに)行かないよっていうそんなことは、まかり通らない世の中なんですよ」
その後母親は、近所の人に、ただならぬ事態だと声をかけられてやっと、豊田さんのところへ来たという。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「(近所に)関東大震災を経験した人がいたんですよ。その人が『関東大震災よりもひどいから、先に私は避難します』。うちのお袋はそれを聞いて、そんなにひどいんだ ったら迎えに行かなきゃってなって私を迎えに来た」
ようやく駆けつけた母親と一緒に逃げるも、火に囲まれてしまった。

逃げる途中で水をかぶる様子の絵
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「既に火の粉なんかもずっと舞っているから、だから上から(水を)かぶれと言って、うちのおふくろもかぶってましたけど」
豊田さんと母親は近くの公園に避難し、生き延びることができた。 しかし、街には恐ろしい光景が広がっていた。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「道路の真ん中で、自動車が逆さまになってひっくり返ってる。路地のところで人がハイハイする人形のような格好で炭になっている。上着なんか全部燃えちゃってなくなって、炭になるというのは異様なもので」
逃げるな火を消せ 国民に消火を強いた「防空法」とは

防空法を広めるためのポスター
火を消さなければならないことは、実は「防空法」という法律で決まっていた。 防空法を広めるためのポスターには威勢の良い言葉が躍る。 「必勝を期して戦(たたか)へ」。 「焼夷弾の防火は最初の30秒が最も大切」 防空法では、逃げることが禁じられ、消火活動が義務づけられていたうえ、罰則まであったのだ。

防空法に詳しい早稲田大学法学学術院・水島朝穂名誉教授
専門家は防空法が作られた目的は「市民を戦争に参加させるため」だと語る。
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授 「市民がどこにいても焼夷弾から逃げないで、そこに��どまって火を消すことが前線における兵士たちの戦いと同じなんだと。火の中に市民を突撃させると、そういう性格に末期の方ではなっていったように思います」
陸軍の幹部は国会でこう述べている。
●佐藤賢了陸軍省軍務局軍務課長(1941年11月の衆議院の防空法改正委員会での発言) 「空襲を受けた場合、実害そのものはたいしたものではない。戦争継続意思の破綻になるのが、もっとも恐ろしい」
また、焼夷弾の炎は「簡単に消せる」と盛んに伝えられた。 国が各家庭に配布した、空襲への備えなどが記載された冊子にはこう書かれている。
●時局防空必携 「焼夷弾も心掛けと準備次第で容易に火災とならずに消し止め得る」
焼夷弾の炎は消せるのか? 当時の消火を再現 火たたき棒でたたいて…

竹と縄で作られた火たたき棒で消火を試みるも消えず
焼夷弾の中にはゼリー状のガソリンが入れられていて、 火がつくとガソリンが飛び散り、家の壁や柱にへばりついて燃え続けるようになっていた。
これに対して、当時は焼夷弾の火は、バケツの水、竹や縄でできた火たたき棒などで消せるとされていた。
当時の消し方で、“焼夷弾の火”は消せるのか?専門家監修のもと、実験を行った。 木の板に布をまきつけてガソリンを染み込ませ、焼夷弾の中身が床などにへばりついた状況を再現。
点火すると瞬く間に激しく燃え上がった火。
資料を元に作った火たたき棒を水につけ、叩いたり、こすったり。 3分以上、巻きつけた布がちぎれるほど繰り返すも、火を完全に消し切ることはできなかった。

続いて、バケツの水をかけてみるが、計8回かけても消えなかった。
●火災に詳しい 東京理科大・松山賢教授 「ガソリン自体が水を弾いてしまうことが起こりますので、水をかけて消火するというのは、消せる状態には程遠いんじゃないかなと。(ガソリンを)固めたことによって、なかなか消えにくいというところにプラスされて、継続的な燃焼が起こり得る」

水に浸っても燃え続ける火
ゼリー状のガソリンに見立てた布は、水に浸ってもなお燃え続けていた。
●実験を監修 東京理科大・桑名一徳教授 「ガソリンは蒸発した気体に火がつくことで燃えるんですけども、その蒸気が色々なところにありますから、火を完全に消すことができれば消える。しかし、火が少しでも残っているとそこから蒸気に燃え移って燃え続けますので、いつまで経っても火を消すことができない」
実際に焼夷弾の火を消そうとした、小林暢夫さん(94)。 ”油の火の玉”をまえに、「何をしても消えなかった」と証言した。

当時のバケツリレーのやり方を記者に教える小林さん
●空襲で消火活動を経験 小林暢夫さん(94) 「バケツリレーをして水をかけて、火たたき棒で消す。でも消えない。油脂焼夷弾だから。防空演習をやっていたのとは全く違う。油の火の玉だから。古い木造家屋の塀なんかに当たると、すぐにバンって燃え出す」「本当に怖さだね。何やったって消えないんだから」
それでも逃げなかった理由 隣組による“同調圧力”

隣組の集合写真
消えない炎。 それでも人々が火を消そうとした理由を、小林さんが語ってくれた。
●空襲で消火活動を経験 小林暢夫さん(94) 「何事か危険な状態になれば、自分で真っ先に逃げようというそういう意識はあるんだろうね。あるんだろうけども、表には出せない。隣組は。みんなで共同体だから。それは戦争中、特にそうさせられたわけだ」
「隣組」。お互いを助け合う地域の組織で、配給や防空���練などの役割があった。 しかし、その助け合いの結びつきが、逆に“同調圧力”を生んだと専門家は見ている。

当時のバケツリレーの様子
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授 「法律がただ禁止しているだけじゃない。隣組とか自治会とか生活圏における社会的な圧力、これが構造的に働いて人々はいわば“逃げなかった”」
そして、もし現代に「防空法」のようなものがあったら―。 「隣組」の役割が、現代では「SNS」に置き換わって、市民たちが空気に流されて行動してしまうのではないかと指摘する。
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授 「SNSが当時あったら、うちのお父さん一生懸命火を消しているのに『あの家のお父さん子供を連れて逃げてるよ』というのを動画で撮って晒したらどういうことになります?大変なことでしょう。(当時は)SNSというツールがなかっただけで、もし今同じような仕組みができて、国家が『市民はそこに留まって協力しないと駄目だぞ』みたいなことを、仮にやったとしたら。みんながお互いを監視し合って『あの家逃げたぞ』とやって晒したりすることが起きたら。同じような機能を果たすんじゃないでしょうか」
“同調圧力”が漂う状況のなかで、 人々は逃げられなかったのではなく、逃げなかったのだ。
空気に抗い“逃げた”人も 日本刀を振りかざして…

八王子空襲で家族全員で逃げた尾股重利さん
しかし、終戦間際には、防空法や同調圧力に抗う人もいた。 終戦の2週間前。450人が亡くなった八王子空襲。
尾股重利さん(2015年の取材時84)は、空襲が始まると家族全員で避難を始めた。 八王子市内が焼夷弾の炎に包まれる中、市外へと繋がる橋を渡ろうとした。
●尾股重利さん(取材時84) 「浅川橋を渡ろうとしたら群衆がいっぱい集まっちゃって、行けなくなっちゃって。『みんな逃げるな、火を消せ』って言うんですよ。でもね、あれ火なんか消せる状態じゃないです。バケツで消えるような火なんかじゃないですよ。皆さん右往左往どっち行くか、逃げると殺すぞと(言われて)舞い上がっていた」 「火を消せ」と行く手を阻む人たちに向かって、尾股さんの父親が日本刀を振りかざして、何とか逃げたという。
●尾股重利さん(取材時84) 「科学的な炎だから水ぐらいで消えるものじゃないですよ。それで油を含んで噴出すんだからもうたまったもんじゃない。非現実的な話。命を生きながらえる方が大切だと思った。火を消すより。わが命を守るのが第一だと思いましたね」
命を繋いだのは周りの目を振り切る勇気だった。
※この記事は、JNN/TBSとYahoo!ニュースによる戦後80年プロジェクト「#きおくをつなごう」の共同連携企画です。記事で紹介した防空法や東京大空襲についての情報を募集しています。心当たりのある方は「戦後80年 #きおくをつなごう」サイト内の情報募集フォームにご連絡ください。
また、企画趣旨に賛同いただける方は、身近な人から聞いた戦時中の体験談や写真を「#きおくをつなごう」をつけてSNSに投稿をお願いいたします。
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士���討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫��慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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無人の運転席 通常の速度で走るレベル4自動運転バスに驚き 長野・塩尻の実証運行に試乗 深層リポート 2/8(土) 20:00配信 レベル4自動運転で走行中のバスの車内。しっかり加速しながらも、右左折は用心深いほど安全運転だった=1月31日、長野県塩尻市(石毛紀行撮影) 長野県塩尻市の一般道で、運転手のいない自動運転バスの実証運行が1月23日から2月7日まで行われた。令和5年4月に運転者を必要としない「レベル4」自動運転が解禁され、国土交通省が認可したのは全国で8カ所。このうち歩行者と一般車両が混在する道路を走るのは同市を含め3カ所しかない。しかも運転席に人を座らせず通常の路線バス並みの速度で走るのは同市が全国初だ。試乗させてもらうと、未来の街��姿がみえてきた。 【写真】実証運行中のバス。運転席にドライバーは座っていない 運行するのは塩尻市100%出資の塩尻市振興公社。自動運転システムを開発するティアフォー(東京都品川区)製の自動運行装置を搭載した車両「Minibus(ミニバス)」を使用する。全長7・19メートルの電気自動車(EV)で、運転席、立ち席を含め23人乗りのバスだ。 実証運行したのはJR塩尻駅前から塩尻市役所までの460メートル。車両は約30個のセンサーやカメラを使い車両自身が自分の位置を認識しながら、最高時速35キロで走らせることができる認可を受けた。 ■将来は遠隔監視に 塩尻駅前の専用バス停から車両に乗り込んだ。特定自動運行主任者が、急ブレーキがかかることがあるなど注意事項を説明した後、自動運転に切り替え運行開始。誰もいない運転席のハンドルがほどよく右に左に切られ、赤信号手前の停止線で停止した。青に変わると、電気自動車特有の軽やかな加速で時速25キロに達した。 交差点では横断歩道前で一旦停止し、人が歩くよりも遅い速度で左折。市役所玄関の車寄せに入る際も、歩行者が歩道を通り過ぎるのを待ってからゆっくり右折。停車位置でも大きく揺れることなく止まった。全体として安全なドライビングだった。 塩尻市振興公社の次世代交通推進事業担当、宮坂歩さんは「今は運転を監視する特定自動運行主任者が乗車していますが、将来的に遠隔監視にすることを想定して、運転席には座っていません」という。1人で複数の自動運転バスを監視できてこそ、ドライバー不足解消につながるからだ。 ■譲り合いが苦手 レベル4自動運転の最大の課題は、対向車や歩行者が自動運転車と意思疎通できないこと。実は人間は、運転者とアイコンタクトすることで、知らず知らずに安全な行動をとっているのだ。とくに苦手なのは道の譲り合い。「譲られても分からないので、バスは止まって待つことになります」(宮坂さん)。 塩尻市は、7年度中の自動運転サービス開始を目指し、2年度から導入検討と実証走行に取り組んできた。もっとも重視してきたのは社会受容性だ。 市商工観光部先端産業振興室の百瀬亮さんは「自動運転は人の運転と挙動が違うということを、これまでの5年間で、バスやタクシー、一般車両を運転する人に理解してもらい、受け入れてもらう努力をしてきました」という。 それでもレベル4の課題は異次元。百瀬さんは「これをクリアしないと自動運転は普及しません。塩尻市でこれをクリアして、全国にサービスが展開していけば」と話している。 ◇ レベル4自動運転 ルートや速度など「特定条件下」でシステムが車両の運転を制御する。運転者は不要。レベル4の認可を受けた国内8カ所のうち、5カ所は専用道や物流センター構内など閉鎖された空間。一般道を走るのは、塩尻市、松山市、北海道上士幌町の3カ所。松山市では伊予鉄バスが、塩尻市と同じ最高時速35キロで認可を受け、昨年12月から路線バスの運行を始めたが、運転席に保安員を座らせている。上士幌町では無人運転だが時速20キロ未満での走行。 記者の独り言 無人の自動運転車があちこちを走るようになった未来を想像してみる。用心深いぐらい安全運転な車の間を、人が運転する車が走るのだ。無人なのでアイコンタクトも意思の疎通もできない。必然的に柔軟性のある人間の方が、自動運転車の走行を邪魔しないように安全運転することになる。これは、人にも車にも安全で優しい未来ではないか。(石毛紀行)
無人の運転席 通常の速度で走るレベル4自動運転バスに驚き 長野・塩尻の実証運行に試乗 深層リポート(産経新聞) - Yahoo!ニュース
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浮き輪
その年の夏も相変わらず市浦村の十三にいて、浜へ行くのを日課にヒマを潰していた。泳ぐつもりもないくせに、なぜかあの日は浮き輪を持って出掛けた。何の気なしに海に浮かべ、波打ち際へ置いたりしてあそんでいた。ふとした瞬間、うっかり手を放してしまった。浮き輪が水に浮いている。ゆらゆらと波に乗って流されるのをだまって見ていた。気付けば、手を伸ばしても届かないところにあった。海に入って追いかけたが、足がつかなくなって引き返した。棒切れで海面を叩いても、飛沫が上がるだけ。浮き輪は小刻みに揺れながら流れていく。ついさっきまで手元にあったものが、もう届かないところに浮かんでいる。為す術もなく呆然と、小さくなっていく影を眺めていた。見えなくなっても、ずっと見ていた。
弘前へ戻ると訃報が待っていた。母方のおじいちゃんだった。毒づく継母をよそに、父に連れられて駆けつける。部屋の隅に母が所在なげに座っていた。泣きはらした顔をしていた。もうすぐ盆の入りだった。
子供のころ、おじいちゃんはいつも一緒にいてくれた。細身で長身の風貌は、遠くに立っていてもすぐにわかった。漆黒の自転車の前に設置された補助椅子がわたしの特等席だ。大円寺の遊園地、ブランコに乗る私をベンチで観ている。立ち乗りをすると首を横に振り、座ると首を縦に振った。卒園式の日、近所の写真館で一緒に写真を撮った。花邑で刺繍の道具を一式揃えてくれた。母がいなくなった日は、いつまでも謝っていた。お小遣いもくれた。英英辞典や日記帳も買ってくれた。朝食には、生卵を溶いてそのまま飲んだ。「自堕落せばまいねよ」が口癖だった。囲炉裏端に座り、自在鍵に掛けた鉄瓶でお湯を沸かし、お茶を飲んでいた。祥瑞手の湯呑、瓔珞紋の飯碗、藍の浴衣に絞の三尺。おじいちゃんは裁��士だった。
あれはおじいちゃんからの報せだった。浜辺で見送ったのは、魂を運ぶ舟だった。そのことに気付いたのは、ずっと後になってからのことだけれど。
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2024.06 武甲山

山頂からの眺めは非常に良いが、空気が澄んでいるとなお良い
友人と一緒に武甲山へ。数年前に一度登ったことがあるが、そのときは浦山口駅からの往復だった。今回は横瀬駅からスタートするルートにしてみる。

横瀬駅から武甲山。ちょうど電柱とかぶってしまった。
横瀬駅から登山口まではタクシー使用(片道2400円、歩くと40分くらいか?)。タクシーの車窓からは石灰岩関係の大きな工場がたくさん並んでいて壮観だったが、砂埃や排気ガスがかなり濃い道を延々と何十分も歩くのはちょっと苦痛だな、特に気温が高い日は。タクシーで正解。

約10分くらいの乗車で一の鳥居登山口到着。30台ほどが停められる駐車スペースあり。
【コースタイム】一の鳥居(0905)→不動滝(0935)→武甲山(1050-1110)→橋立林道終点(1220)→橋立鍾乳洞(1255)

しばらくは舗装された歩きやすい道。

登山道に入りそれらしい道になる

約30分歩いたところにある不動滝、ここでは山頂トイレで使用される水を汲み上げるための、水が入ったペットボトルがたくさん用意されており、ボランティアで山頂まで運ぶ。自分は一番大きな3Lくらいのを2本両手に持って進んだ(なので6kgくらい?ザックには入らない)。日帰り登山で荷物は軽量だったため、トレーニングとして自ら修行を課す。ずっと手に持っていたのだがさすがに指がつかれてきて、肩の上に乗せるように運んだら非常にラクだった。重量物を頭の上に乗せて運搬する人たちの写真をよく目にするが、あの運び方はかなり都合がいいらしいと身を持って実感。


少し急であったり緩やかだったりと緩急交互だが、総じて初心者にも優しく登りやすい。

スタートから2時間もしないで山頂に到着。水をおろしたらトイレ脇のマンホール開けて水を全量流し込む。約6kgの荷重が無くなり、足がかなり軽い。


山頂は晴れていれば抜群の景色。けどやはり空気が澄んでいる時期のほうがきれいだな。山頂はオオスズメバチがずっと登山者に接近してくるので、危ないのでササッと写真をとってその場を離れる。

山頂の少し下に寺社と休憩スペースあり。ちょうどお昼時なので少し休憩。


帰りは前回も通ったことのある浦山口駅へのルート(といってももう何も覚えていないが)。まずは青い草が斜面全体を埋め尽くし、まるで草原のような非常に気持の良い緩やかな下り坂。樹林帯だがところどころ景色も良い。
その先はかなり狭く急な道が5分ほど続く。初心者は危険と感じるかもしれないが、焦らずに進めばなんの問題もない。今回のルートの核心部はここかな。

その先はずっと緩やか。石灰岩を採掘している山だけに、看板には「発破」とか書いてある。

この日は麓が30℃くらいに達するかなり高温の日で、半分以上下山したら気温も高くなるわ風はほとんど吹かずで暑い。

最後は深い谷を蛇腹のように折り返し下るだけの単調な道。ここを通過するのに体感で15-20分くらいかかっていたような気がするが、景色が全く同じでとても長く感じる。終わりに近づくころには川の音が聞こえてくるので少し涼しさを感じる。



長い下り坂が終わると清流が現れる。気温高く風がほとんどなかったので、川べりに寄って水を浴びて体を冷やす。水が冷たくて気持ちいい!!

川の上にかかる橋を渡ったり、滝があったり、こちらの道は変化に富んで面白い。

ここは林道終点だったか?このしばらく前から道は舗装されていたが、あとはラクな道に・・・コンクリートの道は熱の輻射で非常に暑い。


浦山口駅に向かう途中で寄り道。見上げるとものすごい岩の壁があり、その真下に食事処や鍾乳洞が現れる。鍾乳洞は入場料たった200円なので、事前に下調べせずなんとなく入ってみたが、これがすごかった。真っ直ぐ立っていられないくらい低い天井のトンネルに一歩足を踏み入れた瞬間、嘘みたいな冷気に包まれる。トンネルを下降していく最中も、狭い��周りは今なお成長中の鍾乳石だらけ。途中からぐんぐん上昇していってトンネルを抜けるのだが、これ200円って嘘でしょと思うくらいのアトラクション。トンネル内の写真は写真撮影禁止のため何も見せられないが、近くに行ったら必ず立ち寄るべし!




あとはすぐちかくの寺社仏閣だったり、小洒落たカフェ、休憩処「土津園(はにつえん)」。土津園でくるみそば食べたが、まず蕎麦そのものがかなり美味しい。そして細かくしたくるみと一緒に食べると、これまたくるみの風味が足されて美味しい。この周辺はくるみ蕎麦が名物なので、鍾乳洞とセットでぜひ(すぐ隣同士)。

浦山口駅で秩父鉄道に乗り御花畑駅で下車、徒歩で西武秩父駅に移動。さっき登ってきた武甲山が、山が削られている側を向いてよく見える。西武秩父駅の隣接する施設で休憩し、特急��乗って帰宅。
武甲山は見るだけでも面白いという珍しい山。下山後は西武秩父駅でくつろげるし、西武秩父駅までがそもそも安い・都心から近いのでオススメである。
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TEDにて
ナタリー・パネク: 地球を周回している宇宙ゴミを片付けましょう
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
私達の生活は、地球上にはないものに支えられています。それは、情報、娯楽、通信など多くのことに常に使われている人工衛星インフラです。
しかし、地球軌道は無限にある訳ではありません。
私達の行動を大きく変えなければ、宇宙デブリの問題は悪化して行くだけでしょう。ナタリー・パネクは、私達が頼りとしている人工衛星の宇宙環境への影響を考えて欲しいと訴えます。
地球の軌道環境はとても美しく、人類の探索の出入り口でもあります。それをどう保つかは、私達次第なのです。
私たちの日常生活は、地上にはない世界に支えられています。この数日を振り返ってみて下さい。テレビを観ましたか?GPSは使いましたか?天気予報のチェックや食事はしましたか?
日常生活で私たちが、これら多くのことができるのは、直接的にも間接的にも人工衛星のお陰なのです。
私たちは、そんな衛星の恩恵を受けながら、それを当然の如く暮らしていますが、衛星に関心を持つことは重要なことです。なぜなら、衛星は、宇宙に長くその痕跡を残すからです。
世界中の人々は毎日人工衛星インフラに頼っています。
それには、インフォメーション。エンターテイメント、通信、農業や環境のモニタリング、インターネットの接続やナビゲーションなどが含まれます。
人工衛星は、経済やエネルギー市場のオペレーションにも一役買っています。
毎日、私たちが頼みとしているこれらの衛星にも寿命があります。推進剤がなくなったり、故障し機能しなくなったものや寿命が来て自然と機能停止したものもあるかも知れません。
それぞれの時点で衛星は、事実上、宇宙のゴミとなって、音速の何十倍の速さで地球周回軌道上に集積してしまいます。
小さな破片が、この速度になると物理法則により衝撃力がミサイル並の危険な破壊力になります。
これを想像してみて下さい。ある晴れた日。あなたは所用で高速道路を運転しています。お気に入りの曲を流し、開いた窓からは涼しい風が入って来て髪をなびかせています。
いい気持ちですね。何もかもスムーズにいっています。その時、突然車の動きがギクシャクし止まります。それも高速道路の真ん中で、さあ高速道路に車を置いて行く他ありません。
幸運にも、車を路肩に寄せることができ、交通の邪魔にならないで済んだかもしれませんが、数時間前は、日常、欠かせない有用な機械だった車は、今や無用のただの鉄の塊と化し、重要な交通網には不要物となるだけです。
また、国際的な道路網に交通の邪魔でしかない故障した車が散在している状況を想像してみて下さい。
または、車の衝突事故が起きて、至る所に散らばる残骸の無数の小さな破片が、新たな障害物となっているのを想像してみて下さい。
これが衛星業界の実情です。
機能が停止した衛星は長期間に渡り、軌道から外れたままにしておくか一時凌ぎの手段として障害とならないよう移動させます。
宇宙では、国際法などないので、通常、警察が後処理を行うような後片付けは義務づけられていません。
しかも、小さな破片が、音速の何十倍の速さになると・・・
物理法則により衝撃力がミサイル並の危険な破壊力になります。
世界初の人工衛星スプートニク1号は、1957年に打ち上げられました。その年、衛星打ち上げが試みられたのは、合計3回だけでしたが、その後、数十年間で数十ヶ国が何千基もの衛星を軌道に乗せてきました。
その数はこれからも増えていくだけでしょう。900基以上からなる衛星群が打ち上げられる可能性があることを考えるとそう思わざるを得ません。
今では、衛星を様々な高度の軌道に使用目的に応じて乗せています。
その最も一般的な場所の1つは、地球表面の様子を撮るための地球低軌道です。
これは、高度約2千キロ上にあり、この軌道の衛星は、地球の大気に晒されているので軌道上で自然に劣化していき、最後には、恐らく数十年内に燃え尽きてしまいます。
衛星が送られるもう1つの場所は高度約3万5千キロの静止軌道です。
この高度の静止衛星は、移動せず地球と共に自転して通信やテレビ放送などに使われています。このような高軌道の衛星は何世紀も残ります。
また「墓場軌道」と名付けられた不気味なゴミ捨て場となった軌道があり、そこには寿命の尽きた衛星が他の衛星の邪魔にならないよう、一般の衛星軌道から移動されてきています。
1950年代から7千基程の衛星が打ち上げられて来ましたが、その内の千基ほどしか��在機能していません。機能していない人工衛星に加えて何十万ものビー玉サイズのデブリや何百万の剥げた塗料片が地球を周回しています。これらは宇宙ミッションだけでなく、私たちの生活に欠かすことの出来ない衛星にとっても重大な脅威です。
しかも、小さな破片が、音速の何十倍の速さになると・・・
物理法則により衝撃力がミサイル並の危険な破壊力になります。
真空なのでサビませんが、収益化できれば、宝の山が回っていることになります。この分野も新産業です。
宇宙デブリやゴミは、増々心配の種となっています。各国のそして国際的な努力で、新産業の技術水準を高め、これ以上デブリを増やさないよう制限しています。
例えば、地球低軌道を回る衛星は、25年以内に軌道から外れるように製造されることが奨められています。それでも随分後の話です。
特に何年も機能していない衛星にとってはそうです。また機能しなくなった静止衛星を少しずつ移動して墓場軌道に持って行く必要があります。
しかし、ガイドラインはどれも国際法で義務づけられたものではないので各国の機構を通して、試行されることになるでしょう。
また、これらは未来に目を据えた積極的なものではないし、既に、宇宙空間にあるデブリへの対応策でもありません。今後のデブリの産出を制限するために実施されているだけなのです。宇宙ゴミは誰の責任でもないというのが現状です。
これをエベレスト山の状況と比較すると面白いのは、人と環境との関わり方への新しいアプローチです。この山には有り難くもない名誉「標高が世界一高いゴミ捨て場」の名前が与えられてしまいました。
人類初の世界最高峰の山頂到達が成功して数十年、登山者が残してきた何トンものゴミが問題視され始めました。
ニュースでもお聞きでしょうが、ネパール国は登山者を厳重に取り締り、罰則や法的義務をより厳密に適用しようとしています。その目的は、もちろん登山者が自分たちのゴミを片付けるよう促すためです。
地元の非営利団体が持ち帰ったゴミを買い取るか、遠征隊が自主的に片付け隊を組織することになるかもしれません。
それでも多くの登山家たちは、自分たちで取り締まるべきだと感じています。これに簡単な答えはありません。自然を保護しようとする善意の努力でさえ、しばしば、問題にぶつかりますが、仕方がないというのではなく、私たちの生活の基盤である環境を守るためにはできることは何でもすべきです。
遠隔地エベレスト山のようにインフラが不十分な軌道環境では、廃棄物処理は難しい問題です。しかし、廃棄をエスカレートさせ、これ以上のゴミの山を作る訳には行きません。
宇宙で人工衛星の部品が壊れると修繕の可能性は限られており、それも費用もかかるというのが現実です。
では、衛星の設計や製作方法を改良すればどうでしょう?衛星全て、どの国の衛星であろうと自ら軌道から外れる機能があることと再利用可能であることを標準として義務づけたらどうでしょう。
その場凌ぎとして邪魔にならないように動かす代わりに、耐性年数を過ぎた衛星の廃棄を義務づける国際法が実際にあったならどうでしょう。
または、企業に人工衛星を軌道に乗せるのに預り金を課すべきかも知れません。その金額が戻って来るのは、適切な衛星廃棄が終了した時か。充てがわれた量のデブリを片付けた時だというものです。
または、衛星は軌道からの逸脱を加速するテクノロジーを搭載すべきかも知れません。後から、ランデブーさせて自動でドッキングするようなテクノロジーの開発も必要です。
明るい兆候はあります。例えば、2014年に打ち上げられた英国のTechDemoSat-1には、小さな「錨」で衛星を軌道から外すテクノロジーが搭載してあります。
これは小さいのでこの衛星にはうまくいきますが、より高度が高く、大きな軌道にある衛星やスクールバス程度の大きな衛星には、他の廃棄方法を選択する必要がありそうです。
高強度レーザーのようなものが使えるかもしれませんし、ちょっと考えると突飛なようですが、網や綱を使って引っ張ることもあり得るかもしれません(映画のスターウォーズみたいに宇宙船で押すことも含めて)
実に素晴らしいある可能性は、周回するレッカー車。または、宇宙整備士案です。この分野も新産業です。
想像してみて下さい。宇宙レッカー車みたいなものの人工知能ロボットアームが、衛星の故障した部分を修繕して使えるようにできたら どんなに素晴らしいでしょう。
または、その同じ人工知能ロボットアームが、人工衛星の推進剤を補充できるとしたらどうでしょう?ちょうど私たちが自分の車にガソリンを入れるようにです。
人工知能ロボットが、整備や修理をすれば、地球を周回する人工衛星は何百年も機能し続けるかもしれません。
この分野も新産業です。
どのような廃棄選択案が出てこようと技術の問題だけではなく、複雑な宇宙法や政治の面でも体制を整えるべきなのは明らかです。
要するに、持続可能な宇宙の使用法がまだ見つかっていないのです。
この分野も新産業です。
私たちは、生活を快適に仕事を効率よくしようと探索し革新を起こしながら、宇宙探索において私たちは、文字通り地球��境界を越えて行っています。しかし、学びと革新の名目で限界を押し広げながらも環境に対する私たちの責任は、決して消え去ることはありません。
これもSDGsの一環です。
これもSDGsの一環です。
これもSDGsの一環です。
静止軌道や地球低軌道は疑いもなく混雑状態です。高速道路の真ん中で誰も故障した車を置き去りにはしないように、何も手を尽すことなく、故障したからといって新しい人工衛星を打ち上げ続けるわけにはいきません。
次に、携帯電話で天気予報を見たり、GPSを使ったりする時、それらを可能にしてくれる人工衛星技術のことやまた、衛星が地球を取り巻く環境にどんなにか大きな障害となっているかを考えて、それを軽減しなければならないというメッセージを広めて下さい。
地球の軌道は、素晴らしく美しい探索への出入り口です。それをどうクリーンに保つかは、私たち次第なのです。
ありがとうございました。
なお、ビックデータは教育や医療に限定してなら、多少は有効かもしれません。それ以外は、日本の場合、プライバシーの侵害です。
通信の秘匿性とプライバシーの侵害対策として、匿名化処理の強化と強力な暗号化は絶対必要です!
さらに、オープンデータは、特定のデータが、一切の著作権、特許などの制御メカニズムの制限なしで、全ての人が
望むように再利用・再配布できるような形で、商用・非商用問わず、二次利用の形で入手できるべきであるというもの。
主な種類では、地図、遺伝子、さまざまな化合物、数学の数式や自然科学の数式、医療のデータやバイオテクノロジー
サイエンスや生物などのテキスト以外の素材が考えられます。
情報技術の発展とインターネットで大企業の何十万、何百万単位から、facebook、Apple、Amazom、Google、Microsoftなどで数億単位で共同作業ができるようになりました。
現在、プラットフォーマー企業と呼ばれる法人は先進国の国家単位レベルに近づき欧米、日本、アジア、インドが協調すれば、中国の人口をも超越するかもしれません。
法人は潰れることを前提にした有限責任! 慈愛や基本的人権を根本とした社会システムの中の保護されなければならない小企業や個人レベルでは、違いますが・・・
最後に、マクロ経済学の大目標には、「長期的に生活水準を高め、今日のこども達がおじいさん達よりも良い暮らしを送れるようにする!!」という目標があります。
経済成長を「パーセント」という指数関数的な指標で数値化します。経験則的に毎年、経済成長2%くらいで巡航速度にて上昇すれば良いことがわかっています。
たった、経済成長2%のように見えますが、毎年、積み重ねるとムーアの法則みたいに膨大な量になって行きます。
また、経済学は、大前提としてある個人、法人モデルを扱う。それは、身勝手で自己中心的な欲望を満たしていく人間の部類としては最低クズというハードルの高い個人、法人。
たとえば、生産性、利益という欲だけを追求する人間。地球を救うという欲だけを追求する人間。利益と真逆なぐうたらしたい時間を最大化したいという欲を追求する人間。などの最低生活を保護、向上しつつお金の循環を通じて個人同士の相互作用も考えていく(また、憎しみの連鎖も解消する)
多様性はあるが、欲という側面では皆平等。つまり、利益以外からも解決策を見出しお金儲けだけの話だけではないのが経済学(カントの「永遠平和のために」思想も含めて国家や権力者は透明性を究極にして個人のプライバシーも考慮)
(個人的なアイデア)
電気を作る熱力学のサイクルで熱効率は、ほぼ50%、45%~50%の効率まで高めることは可能ですが・・・
高温の物体から熱を受け取り、電気という「使えるエネルギー」に変換できる機械を一般的に「熱エンジン」と呼んでいる。
高温の物体から受け取った熱エネルギーのうち、どれだけ活用できたかという比率を「効率」と物理学では定義している。
この効率は、原理的に超えられない「カルノー効率」という上限があることが知られている。
カルノー効率が達成されると、効率は上がるが、同時に仕事率がゼロになる現象。
つまり、熱エンジンの効率を最大限に上げると出力がほぼゼロになることを意味しています。そして、効率100%は物理的に不可能ということです。
中世で試行錯誤が行われたことに終止符が示され、機械での永久機関は作れないことが、この現象から理解できます。エネルギー保存の法則からも理解できます。
他には、燃料の持つエネルギーをどれだけ動力として取り出すことができるか?これをエンジンの熱効率と定義しています。
2020年の段階で、ガソリンエンジンの熱効率は最高で40%前後あり、10年くらい前までは30%程度。低燃費の技術競争もあるけどカルノー効率から限界も見え始めています。
だから、ガソリン自動車から電気自動車へ世界中の法人が開発を加速して切り替えている潮流があります。
そして
人工知能ロボットが、整備や修理をすれば、地球を周回する人工衛星は何百年も機能し続けるかもしれません。
この分野も新産業です。
ここから予想できることは、バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!
または、ゲームのように、自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
まだ誰も開拓していないので応用範囲は無限!
他の条約アイデアとして
もし、仮定として、各国が、地球や月の周回軌道で軍事衝突を起こすなら、核兵器並みの危機が、人類に降り注ぎ滅亡する危険性があるため
太陽などの恒星近くでのみ戦いを可能にする各国合意の許可性と言う条約アイデアがひらめいた!
もし、戦いの後に残骸がでても太陽に吸収され思う存分戦えるし、太陽に吸収されて地球に被害はないかもしれない。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。
それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
直前に!
Appleも何かを感じてたのか?Appleシリコン搭載Macの方は、「Mシリーズ」チップに移行してるし、符号してる。
Googleは、量子超越性を達成してきてるし、Facebookも脳波を読み取る機械の開発を発表してますし、符号してる。
イーロンマスクもブレイン・マシン・インターフェース(Brain-machine Interface : BMI)を具体的に発表。これも、符号してる。
ここから予想できることは、バリーシュワルツが言うように、労働の概念が変わり、地球に居ながら映画アバターのように!その惑星にある資源を使い。
月や火星、土星や衛星などに無人ロボット部品を送り、ゲームのように自宅にいながら共同作業しつつ仕事をすることで高額な賃金が手に入る可能性も高い。
火星や土星や衛星に関しては、有人宇宙船内を無重力工場にして惑星移動期間に3Dプリンター製造、組立を効率的に行うことが実現すれば良いが無人ならベスト。
光速で惑星間通信できるようになったとしても、火星や土星や衛星への通信は、地球からでもリアルタイムで遅延が起きるため、月面のみ、この可能性が開けます!
無重力でもあるため、洞窟に工場を建築して人間の暮らせる環境を作り出すこともできそうです。可能性は無限!この領域に限界はありません!国家や行政府の範囲外なので極端な自由もあります。命の保障はないけど!
このアイデアは、今後数十年、人間の限界を遥かに超える新産業なのでプラスサムになり、地球環境は汚染されず資源エネルギー問題も起こりません。
さらに
経済学者で、ケンブリッジ大学名誉教授のパーサ•ダスグプタが、イギリス政府に提出した報告書の中に登場。
経済学を学ぶと、登場する資本や労働などの生産要素の投入量と算出量の関係を示す生産関数があります。
こうした関数は、様々な前提条件に基づきますが、経済学者は、収穫逓減の法則と言うものをよく知っています。
このような人工的な生産関数とは、他に天然由来の生産関数。
つまり、自然から収穫できる生産関数を導き出し、地球全体の生産関数というエコシステムを数値化することでバランスをコントロールできるかもしれないというアイデア。
ここでは、自然資本と呼びます。
自然資本を加味すれば現在の経済成長ペースがどこまで持続可能かを分析することもできます。
人間は、国内総生産GDPを生み出すため、自然から資源を取り出して使い、不要になったものを廃棄物として自然に戻す。
もし、自然が自律回復できなくなるほど、資源が使われて、廃棄されれば、自然資本の蓄積は減少し、それに伴い貴重な生態系サービスの流れも減っていくことになります。
さらに、教授は、経済学者も経済成長には限界があることを認識すべきだと説いています。地球の限りある恵みを効率的に活用しても、それには上限があります。
したがって、持続可能な最高レベルの国内総生産GDPと言う臨界点の水準も存在するということが視野に入るようにもなります。これは、まだ現時点では誰にもわかりませんので解明が必要です。
なお、地球1個分は、ずいぶん昔に超えています。
<おすすめサイト>
スカイラー・ティビッツ: 世界を変える4Dプリンティング
キャスリン・コールマン:国際宇宙ステーションでの暮らし
ロボットの宇宙空間での活用2019
<提供>
東京都北区神谷の高橋クリーニングプレゼント
独自サービス展開中!服の高橋クリーニング店は職人による手仕上げ。お手頃50ですよ。往復送料、曲Song購入可。詳細は、今すぐ電話。東京都内限定。北部、東部、渋谷区周囲。地元周辺区もOKです
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スポーツ庁 表彰式 報道撮影(CAM)
第93回都市対抗野球 ラジオ中継放送(TD・AUD)
ペイトン尚未「妄想感傷代償連盟」レコーディングドキュメンタリー撮影(CAM)
JAなめがたしおさい プロモーション撮影(CAM・EED)
エフエムかしま 鹿嶋っ子夏フェス 映像撮影(ASSISTANT)
鹿島神宮 祭頭祭2022 記録撮影(CAM・ASSISTANT)
2021
関東太鼓連 暖 旗揚げ公演 記録撮影(CAM・EED)
Girls Planet 999 「Kep1er」オーディション撮影(CAM)
和太鼓いろは「灯」映像配信(CAM・EED)
関東太鼓連 暖 レコーディング(REC・MIX)
スマートフォンアクセサリーメーカー CASEKOO 商品写真撮影(CAM)
内閣府「次世代医療シンポジウム」映像配信(SW)
2020
一橋大学 文化祭 映像配信(CAM)
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1日の仕業を終え車庫へ回送される 50000系しまかぜ。 つい先ほどまで、車内には暖かい照明が灯り、ゆったりとした時間が流れていたのであろう #train_vision #しまかぜ #夜鉄 #夜鉄は美しい #流し撮り #流し撮り部 #流し撮り部鉄道課 #鉄道写真 #鉄道のある風景 #溶ける風景 #近鉄 #近鉄電車 #近鉄特急 #traingarally_ig #ブルーリボン賞 #スローシャッター #東京カメラ部 #ニコン #50000系 #trb_express #pocket_rail #total_rail #train_nerds #phos_japan #nikon #gris_premium #japanphotogroup #写真好きな人と繋がりたい #写真撮ってる人と繋がりたい #ファインダー越しの私の世界 (Nagoya-shi, Aichi, Japan) https://www.instagram.com/p/CkJvyl4ynp-/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#train_vision#しまかぜ#夜鉄#夜鉄は美しい#流し撮り#流し撮り部#流し撮り部鉄道課#鉄道写真#鉄道のある風景#溶ける風景#近鉄#近鉄電車#近鉄特急#traingarally_ig#ブルーリボン賞#スローシャッター#東京カメラ部#ニコン#50000系#trb_express#pocket_rail#total_rail#train_nerds#phos_japan#nikon#gris_premium#japanphotogroup#写真好きな人���繋がりたい#写真撮ってる人と繋がりたい#ファインダー越しの私の世界
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🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷 新幹線を流し撮り SS 1/30秒 撮影場所 西宮市甲東園付近 撮影年月日 2020年 1月8日 🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷🌷 #阪神沿線の四季 #西宮 #nishinomiya #流し撮り部 #流し撮り部鉄道課 #阪神沿線フォトコン #love_hyogo #lovehyogo #railway #shinkansentrain #新幹線 #山陽新幹線 #とり鉄 #鉄道風景 #shinkansen #panning #流し撮り #Japan_of_insta #Japan_daytime_view #instagramJapan #team_jp #Japantrip #love_bestJapan #igersjp #jp_gallery #nature_special_ #instaJapan (Nishinomiya, Hyogo) https://www.instagram.com/p/B7FGLbshqM6/?igshid=100xik81ukdt4
#阪神沿線の四季#西宮#nishinomiya#流し撮り部#流し撮り部鉄道課#阪神沿線フォトコン#love_hyogo#lovehyogo#railway#shinkansentrain#新幹線#山陽新幹線#とり鉄#鉄道風景#shinkansen#panning#流し撮り#japan_of_insta#japan_daytime_view#instagramjapan#team_jp#japantrip#love_bestjapan#igersjp#jp_gallery#nature_special_#instajapan
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20100104 雪もなく、微妙な天気で背景に雪山すら見えてなくてパッとしない感じ。 こりゃ流すしかないなと💨 . EOS 7D markⅡ EF24-105mm f4L IS USM Niigata japan 大糸線 根知ー小滝 #鉄道 #大糸線 #流し撮り #単行気動車 #チーム流し撮り #流し撮り部鉄道課 https://www.instagram.com/p/B69guh9BxJs/?igshid=1bewxmnskl4zt
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2022.9.1-9.15

↑これはロンドンで現像した赤羽の写真。 以下ほぼ写真日記。備忘録。
2022.9.1

Darhamの宿を出発。朝のパブ。

スーツケースで朝ごはん。

なんかヨーグルトに入れるオーツみたいなのの中にスプーン雑に入ってた。日本だったら絶対にスプーンでもう1包装あると思う。私は雑に入ってるのが好き。

今度こそ窓側取れた。 雲が低くて空がものすごく青い。丘が綺麗。 だけどやっぱり後ろ向きに進む。 座席の方向転換が出来ない仕様なのであれば、日本ならきっと上りの方向が前になると思う。しかしこちらはいずれもロンドン方面(進行方向)が背面だった。不思議だけど、まあそういうもんか、と順応し始める。

途中で原子力発電所みたいなのが見えたけどどこかはわからなかった。 シンプソンズで見たことある形。

ロンドンついたけど人多いのとスーツケース重くて疲れすぎてスーパーの寿司の写真しかない。
ゲストハウスに宿泊。 同室に日本人の名前を見つけたけど帰ってくる前に寝落ちした。 英語版『日常』5巻を読み始めた。
2022.9.2
エジンバラで撮ったフィルムが終わったので写真屋さんで現像に出す。 Googleマップを見ると近くに大英博物館があるようだったので、散策しながら向かった。
日本で絶滅したAeroを途中で見つけたのだけど、散策してる最中に全部溶けた。


めちゃいいつま先

モアイの体 cute


日本ブース(?)に三島由紀夫いた。

広すぎてまたしても諦めた。 朝から来れる日にまた来ます。
スーパーで夜ご飯を買って帰る。 生ハムが食べたかったけど、どれが生で食べられるのかわからなくてやめた。前日に見た寿司を買ってみた。Mini Tokyo salmon Set

部屋に戻ろうと思ったらベッドに鍵置きっぱなしだった。 「鍵を部屋に忘れました」の英語を覚えた。
明日、ロンドンに住んでる大学院の頃の同期の卒業公演を見に行くことになった。
2022.9.3

本当に家にする才能がある。
同期の卒業公演のプレビューを見せてもらった。 観客と俳優が交流をするタイプの上演形態で、ああ日本でしばらく見てない光景だ、とおそらく私1人だけ違うベクトルで胸がいっぱいになっていた。 上演作品自体もすごくよかった。”私たちにしか出来ない演劇”というものに立ち会うために非常に有効な劇場と人数だったと思う。

入り口のセキュリティーにビビりながら入ったお店で食べたアーリオオーリオ。パスタの種類わからなすぎて普通の頼んだつもりがきしめんだった。これがロンドンの普通麺なのか? おいしかったけど脂っこすぎておしまいになった。

帰宅してから共同スペースで作業してたらパーティが始まって困惑した。 金曜日の夜。
完全に残り体力が減っている。
2022.9.4
パッキングがクソ大変だった。朝から汗だく。 もう既にキャリーに入りきらなかったんだけどまじでなんでなの?エジンバラでバグパイプ買ったから?
チェックアウトして TATE Britain に向かう。宿から徒歩圏内だということに前日に気がついた。

Cornelia Parkerの展示が良すぎて、朝のパッキングで既に溢れてたのに作品集を買ってしまった。





常設展示の方は一本道ではなく一部屋に4つ通路があって、ゼルダの伝説 時オカ版の迷いの森かと思った。サリアの歌が大きくなる通路がなかったので迷いました。

私が唯一自信を持ってできるモノマネ、ジャコメッティの彫刻があった。 めちゃいい。

ずっと実物を見たかった”Hope”。 想像以上に大きかった。 とてもいい場所に堂々と展示されていた。

描いた絵が展示になる部屋。迫り来る猫を描いた。

またマフィン食べた。
いよいよホームステイ先に移動。 緊張しながらバスに乗ろうとしたら、乗りたかったのがバス停に止まらない。イギリスでは手を上げないとバスは止まらないらしい。学んだ。 荷物も重すぎるしこれは楽しろということだな、と思い近くの駅からタクシーで向かう。
ホストファミリーがものすごく暖かく迎え入れてくれた。 大きい黒のラブラドールレトリバーもフガフガ私の匂いを嗅いでいた。 人生で good boy をリアルに言う日が来るとは思わなかった。

私の部屋は屋根裏部屋だった。憧れの天窓!
夕ご飯をホストファミリーとルームメイトと一緒に食べる。 ルームメイトのNarrimanはブラジル出身で、私の一つ下だった。「明日一緒に学校に行くから安心してね」「困ったことあったらなんでも聞いてね」とにこにこ優しくしてくれた。ありがたすぎる。
まじで不安だ…と思いながらみりんの安否を確認して就寝。

2022.9.5
初日。 ガイダンスを受けて午後から授業に参加。 チャイム鳴っても誰も来ない。何のチャイム?
学校終わり、ルームメイトがpubに誘ってくれた。 イギリス初飲酒はguinnessでした。

2022.9.6

Good boy の Billy どうして階段のすぐ下にベッドがあるんだ…?これは土足で跨いでいいのか…?と思いながら毎回通ってる。

キットカットがめちゃくちゃでかいし、チョコの味が全然違う。 果物が安い。

相変わらずチャイム鳴っても誰もこない。何のチャイムなの本当に誰か教えて。
放課後、Narriと近所のpubへ。 夕飯前にでかいハンバーガー食べながら2時間恋バナした。
あとリアルのBless youを初めて聞いた。
2022.9.7

クラスメートがジャム挟んだクラッカーくれた。
ドイツ語とスペイン語の「さようなら」を覚えた。
放課後はMAMMA MIA!を見にロンドン市街地へ。 時間までNariとBig Ben周辺を散策。

ピーターパンだーーーー

ロンドンの空、ターナーが描く空に本当にそっくりでいちいち感動する。 彼はこの空を描いてたのか。

城?

城じゃん。 石造の建物はいいな。 歴史ある建築でここに来ること自体でテンションが上がる。
MAMMA MIA! は最高すぎて一場から爆泣きした。 カーテンコールでも爆泣きしてたらクラスメート達に抱きしめられた。 お芝居がよかったのは当然だけど、お客さんの観劇姿勢に感無量だった。客席の反応がすごく大きくて、舞���上と客席との交歓を感じて胸がいっぱいになってしまった。演劇を見ている!という感じがしたし、演劇のこういうところが好きだった、と思い出した。
2022.9.8
疲れすぎて何も写真がない。 普通に授業を受けて速攻帰宅して夕ご飯まで寝た。
夜中に現像した写真のデータが届いた。 色味が途中から変だった。 おそらく、日本から持ってきたので、空港のX線の影響だと思う。すごく綺麗だったエジンバラの空がうまく残せなかったのは残念だけど、これもその時を残してるのは一緒か、と思うことにした。





エリザベス女王が亡くなった。 「黒い服を着た方がいいですか?」と英語で聞くことになると思わなかった。これから10日間イギリスは喪に服すらしい。
2022.9.9

観劇しに市街地へ。 地下鉄や街中のモニター、お店の看板など、変えられるところはみなエリザベス女王に代わっていた。 けれど、それ以外は普通だった。喪に服すって、交通が止まったりお店が閉まったりするのかなと想像していたけれど、そうかあ、社会はそのまま回し続けるしかないよな、と思った。
観劇前に以前から気になっていたUZUMAKIというラーメン屋に寄ってみた。


どちらかというと全体的にAKATSUKIだった。 ラーメンは普通に美味しかった。 著作権どうなってる?と思う箇所が多々あったけど、これって著作権どうなってる?
見たのは”The Seagull” in ハロルドピンター劇場 客席の反応が日本と違いすぎて(再び)びっくりした。かなり終盤までみんな笑っていて、まじで…⁉︎という感じだった。私としては、マーシャとか可哀想すぎて全然笑えないのだけど、喜劇と悲劇は紙一重を真に感じた観劇体験だった。 ラストシーンが邪悪すぎて最高に素晴らしかった。
一体私は人生であと何回『かもめ』を見るんだろうか…。
2022.9.10
この日も観劇しに市街地へ。

バイオハザードの地下鉄?


この日は”FROZEN” めっちゃ真横の席だったし見切れてたけどとてもよかった。 小さいエルサがたくさんいて可愛かった。心なしか客席も全体的に水色だった気がするし、私も水色のニットを着てた。

古そうな天井に穴開けて吊ってる

ピンスポ

オケピ
こういうとこばかり見てしまう…。

休憩中、客席でアイスを売っていた。 飛ぶように売れていたしすぐ隣で売っていたので思わず買ってしまった写真。ブレすぎ。 ロンドンの大きな劇場の多くにBARが入っていて、お客さんはワイン瓶とグラスを片手に鑑賞している。歌舞伎スタイル。 観劇体験としてはめちゃくちゃ最高なのだけど、終演後の客席は映画館でも見たことないくらい食べ飲みのゴミが散らばっていてかなりの衝撃を受けている。この掃除だけでどのくらい手間と時間がかかるのか…と想像して怯える。 ドバイ→エジンバラの飛行機を降りる時も田舎のお祭りかと思うくらい荒れてて笑ったのを思い出した。
観劇後、ネガを受け取りにカメラ屋さんへ。 新しいフィルムを買いたかったのだけど、「今品薄で売ってなくて、来る前に電話してもらった方がいいかも。」と言われた。電話のハードルよ…。
夜は大学院の同期とご飯。 久々に対面で日本語を喋った。 タイ料理屋さんと日本食屋さんに行った。
2022.9.11

月曜日。 2人ともギリギリに起きてパンを食べながら登校。
放課後は、今週のお弁当の具材を買うために、普段行かない大きなスーパーに行った。

白いままのフィギュアがついていて、自分で着色するタイプの付録。

行ってみたスーパーに写真屋さんが入っていて、普通にフィルムを売っていた。
2022.9.12
何の写真もなかった。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズをオリーブオイルと塩だけで食べるお弁当を編み出した。うまい。
2022.9.13
何の写真もなかった。2
Narriのカバンから無限に物が出てきたので、ドラえもんの「あれでもないこれでもない…」を見せた。私だー!と言っていた。 DORAEMONっていうのは未来から来た猫型ロボットで…という説明で既に面白そうなのすごすぎる。
2022.9.14
「劇場で出来ないことは何ですか?」と聞かれたのだけど、劇場で出来ないことなんてないのでは…?と宇宙猫になった末に出した苦肉の答え→「ペットの販売」 もしかしたら何かの基準をクリアしたら出来るのかもしれない。わからない。
フランス語ネイティブのChocolatを聞いてテンション上がる。

日本の夜ご飯タコス(?)とイギリスの昼ごはんin庭
放課後はライオンキングを見に行く予定だったので、再びNariと市街地の観光。 ロンドン塔を見て、Five guys へ。



新しい街と300年前の建物が共存している。 石造の建物と地震がない国、本当に素晴らしいな。
ロンドン市街地は、エリザベス女王の棺が到着したようで、物々しい警戒体制だった。大きい銃を持っている警官、やっぱりびっくりする。韓国の空港で見た時もカルチャーショックだった。

飛行機雲がいつもよりたくさん出ていた気がするけど、中継などで多く飛んでたのだろうか。


ライオンキングの最寄りの地下鉄、ホームまで階段で降りたら200段くらい永遠に螺旋階段で目が回った。 写真は疲れてる私を尻目に元気よく降りていくNariman

家に帰ったら、シーツを変えてくれたホストファミリーの手によって身代わり人形が堂々としてた。

2022.9.15
フランス語ネイティブのChamps-Élyséesを聞いてテンション上がる。
サラミとほうれん草みたいな草とチーズで作ったサラダ、毎日液漏れしてる。 タッパーとジッパーをくぐり抜けて必ず液漏れしてくる。 液体強すぎる。

ガムを捨てるために破ったノートの余りをファイルに入れたらONE PIECEのビブルカードみたいになった。
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おわり
また気が向いたら書く
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今年の七夕は短冊に願いを書きませんでした。
気になったので、“願い”を広辞苑で調べました。
ねがい【願】
①ねがうこと。願望。
②特に神仏に希望ごとを祈る事。
③願書。ねがい出ること。願書を差し出すこと。
(新村出編広辞苑第二版補訂版 昭和53年第三刷)
②について。
有本にとっての神さまは人間以外の神羅万象 — つまり、草木、風、光、音、動物、虫、人が作ったもの。(人は誰が作ったんだ?!)
と、なると有本の願い事は『ともに生きてお互い見守ってゆきましょう』のみ一点突破なのです。
今まで祈っていた願書は自分で申請、自分で受諾する具体的な目標となり、目標は実現するための小さな項目につながり、ひとつひとつ目の前の小さな課題をクリアしていけば毎秒毎秒叶ってしまうということに気が付きました。
7/28発売の『装苑』 2021年9月号 ~衣装、その��動~
毎年恒例の装苑衣装特集号の中の「ファッションデザイナーが手掛ける衣装」4ページ企画『 SINA SUIEN が手掛けたZOCの衣装』
その中の見開き(2ページ)の撮り下ろしディレクションやりました。
担当編集者の岡田佐知子さんに4ページ企画いただいた時に前のめり被せ気味で撮り下ろしディレクションさせくださいって叫びながら提案メールしました。
ご快諾いただき、ディレクション企画は始まりました。
まず、大森靖子さんに今の気分や気になるものなどの思いつくキーワードを適当に啓示いただきました。
靖子さんの啓示はずばり、
“庭、ダム、水路、江戸切子”
で、 調べました。

時を同じくして、Yuka Tsuruno Galleryで開催されていたmamoruさんの展示『私たちはそれらを溶かし地に注ぐ/WE MELT THEM AND POUR IT ON THE GROUND』を観ました。そして、mamoruさんと会って話をしました。
(mamoruさんは2018年SINA SUIENコレクション“こしょろがみた夢”の演出を担当してくれました。)
mamoruさんの新作の中で、戦争中に武力以外の方法で柔軟に、でもしたたかに抵抗する台湾の少数先住民族の姿が鮮やかに息づいていました。
mamoruさんのひたむきなリサーチに対する姿勢とか作品の美しさにめっちゃインスパイアされて、第一企画書が爆誕しました。

※↑企画書の内容について
これはあくまで有本の妄想による企画書です。
mamoruさんが長年かけて現地でリサーチ、検証し、辿り着いた一つの解釈です。そうしてできたmamoruさんの作品が、有本を刺激→有本の妄想、創造を広げるきっかけとなった(ネタ元)わけです。歴史的事実や当事者の意識には少しズレがある可能性があるのでご注意を。。
だけど、とにかくmamoruさんの誠実なリサーチblogすごく胸を打つので是非この機会に読んでみてほしいです。
まもさん、発案や考案にご協力いただきありがとうございました!

しかし、紙にしたためて客観的に眺めてみましたところ、“mamoruさんの作品や言葉に感動した!それを伝えたい!”という気持ちが先行、上滑りしてて有本の創造にできていないな、と気付きました。
もう少し調べることにしました。


戦時中、米軍戦闘機(通称ヘルキャット)が台湾上空から撃ち放った弾丸のカスを拾い集めて溶かして地面に刀や飛行機や色んな形の型を作って流し込み冷やしてから磨いたり削ったりして作った飾りを腰にぶら下げて自慢したりして遊んでいた台湾先住民族プユマ族の少年たち。
時は流れ現代日本。
見えないけど確かに存在する強大な良くない力、抑圧、向けられてる攻撃。
ZOC族の少女たちは生きづらい毎日を過ごしていた。
彼女たちはドロドロの感情の中から綺麗なメロディーと鮮烈な言葉で歌を生む。
綺麗な綺麗な抵抗の記録。
戦争で放たれ、人を実際に傷つけた鉛(弾丸)を含んだ可能性のある透き通ったクリスタルガラス(鉛ガラス)。キラキラが彼女たちを包み込む。


企画考えてる時、
“このままじゃダメだ、大森さんと、ZOCのメンバーの皆さんともっと向き合いたい”
って思った。
で、とりあえず大森さんとZOCのメンバーさんそれぞれの読めるインタビューを読み込んで、深夜に大森さんにLINEしたりして企画を練り直した。
そしてこのアルティメット企画書になった。

特別な女の子?
大森さんも、り子さんも、まろさんも、にっちゃんも、カレンさんも、のどかちゃんも、人間。ふつーに傷つく。し、人間以上の期待受け止めて応えようとし続けてたら壊れる。中傷も然り。
だし、普通の女の子だってことを身近にいる人も忘れないでいて欲しいなって思った。
これ描きあげたの撮影当日のAM4:00くらいだった。
撮影当日。

道具屋の鉄男に鉛ガラスを大量に手配してもらった。
クリスタルガラスめちゃくちゃ重い。重厚な輝き。



カメラマンは稲垣雄治さん。撮影イメージ図を元に、光などをめっちゃ綺麗に組んでくれました。

ヘアメイクはRyujiさん。
グループラインで企画書の画像とか長文とかめっちゃ送りつけたのですが、しっかり受け止めてくださり、RyujiさんのZOC族を創造してくださりました。
有本の狂った刺繍に沿ってくださり、メンバーの顔に細かな紋様を手描きで一つ一つ記してくださった。信念の意思の強くて美しいヘアメイクだった。
撮影現場はキラキラで夢みたいだった。
準備してる時にカレンさんが、ご自身が持ってるアクセサリーの中から今回の衣装に合いそうなものを沢山持ってきてくださり、有本に全部見せて『どれがいいですかね?やっぱゴールドで赤かな?』って聞いてくださった。
企画に向き合ってくださってるんだー!ってすごく嬉しかった。
にっちゃんが『ジャケット撮影の時と(印象が)全然違うから気付かなかった!今日かわちいね!(クリスタルガラスのセットを指差して)これかわちいね!』って言って��れて嬉しかった。
にっちゃんに褒めてもらった有本のコーディネートも誌面で見ることできます。
撮影が始まって、大森さんが『ガラスたちをもっとメンバーの近くに、ってか中?に移動したい。浸食してるみたいに』って言ってくれて、り子さんとまろさんのスカートの裾を広げて、重ねて、上にガラスを置いて行って…みんなの境界線がどんどん無くなっていく様子が、自分で動かしてるのに凄く綺麗で心が震えた。
のどかちゃんはジャケット撮影の時が初仕事ですごくあどけなかったんだけど、今回の撮影ではもう表情がちゃうんですわ。15さい!女の成長早!!!末恐ろしいですわ。
現場は操作できないものが宿るから好き。わくわくした。
編集の岡田さんが、SINA SUIENの衣装がちゃんと綺麗に映ることを第一に撮影進行してくださった。
有本は作ったものを綺麗にわかりやすく伝えるってことに関して無頓着だから、(今までの有本の興味はモノを作るときの過程がほとんど全てでした。)新しい視点を知ることができてありがたかった。
大森さんとの対談も楽しかった。大森さんはほんとに敏感で視点がやばい。有本はひたすら鈍感。
ライターの三浦達矢さんが、大森さんのすごい表現は瑞々しいままに有本の拙い言葉はその中の気持ちを汲み取ってくださり、わかりやすいテキストにしてくだりました。
読み込んでね。
現在、地球上にいて、何にも感じていない生き物はいないと思う。
そんな生き物がいたらA.I.だと思う。
そして余談ですが…
何かを催すということ。それは大きい小さい関わらず、また主要末端関わらず関係者みな手を取り合って創作を楽しみながら共通のゴールに向かうこと。これがチームワークのあるべき姿だと思います。そのためにはお互いが同じ目線で対話し、知ろうとする態度が礼儀として必要です。
また、有本はインタビューやドキュメンタリーは今後なるべく見ないことにします。制作者が提出した創作作品を最善の方法で鑑賞、体験する。同じ作り手としてできることはそれしかありません。(仕事で必要あらば資料として摂取します。ですし、有本はインタビュー受けると思う。臨機応変に。)
制作に対する長いレポートも今回で最後にしようかな。
有本は近い将来に叶えたい目標ができました。
だからその目標を叶えるために、できる事から現実化していきます。
焦らず、ゆっくり、丁寧に。
その小さな一歩として、ZOCちゃんへの、装苑さんへの愛!を、4ページにめっちゃ込めてみなさんにプレゼントします。
是非、楽しんで欲しいです。よろしくおねがいします!!
『装苑』 2021年9月号 ~衣装、その衝動~
発売日:7月28日
税込定価:748円
出版社:文化出版局刊
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あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか? まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。 徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。 ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸ってい���男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。

東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。

アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。 掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。 通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。

わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。 人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。 実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、��や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、カーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?

白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。 午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。 こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?

いやぁ、 未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。 未来都市? だってこんなの、見たことないですよ。 ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに? ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。

ようやく気づいたか。 ああ。 それで? おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと? どうかな、 本当は都市なんか存在しないのか? どうかな、 すべては幻想だった? そうだな、 どっちなんだ。 まあ結論を急ぐなよ。 おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。 知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。 あんたは誰なんだ。 まあ息抜きに歩いてこいよ。 息抜き? いつもやっているだろう。あの循環だよ。 ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。 キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオンで仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。 リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。 と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。

それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。 なあ、そうだろう? 応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。 コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。 さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。

ほら、 幕は上がらないだろう、 お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか? それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社��秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。 そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したもの���ったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。 では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。 結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。 とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。

実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。 あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。 この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば、黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。 長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。

まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。 わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。 どうかな、 で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう? そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。

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