#海南島攻略
Explore tagged Tumblr posts
Text
―近年のアメリカと中国は、経済的な相互依存が進んでいたはずですが、逆に国家間の貿易戦争に陥ってますね?
中野 そうですね。当時のアメリカでは、グローバリゼーションの深化によって、国家主権の概念までもが時代遅れの産物となるという極端な論調すら珍しいものではなくなっていましたが、今となれば、楽観が過ぎたと言えるでしょうね。
ただし、当然のことですが、アメリカには、より現実主義的な言説もありました。その代表者のひとりが、カーター政権の国家安全保障担当の大統領補佐官やオバマ政権の外交顧問などを務め、米国外交に隠然たる影響力をもった政治学者のズビグニュー・ブレジンスキーです。彼は、1997年に発表した『壮大なチェス盤』において、地政学的な観点から冷戦後の世界情勢を分析し、21世紀におけるアメリカの世界戦略を雄弁に語りました。
彼が重視したのは、「ユーラシア大陸の支配者こそが世界の支配者になる」というマッキンダー以来の地政学でした。「ユーラシア大陸=壮大なチェス盤」というわけです。
そして、彼は、ソ連崩壊によって、アメリカが、西側からはNATO、南側からは中東諸国との同盟、東側からは日米同盟という三方面からユーラシア大陸を取り囲んだことにより、一国家が単独でグローバルな覇権国家になったと考えました。しかも、ユーラシア大陸がユーラシア大陸にない国家によって支配されるという、世界史上かつてなかった新しい地政学的状況にあることに気づいたんです。
――たしかに、アメリカがユーラシア大陸を支配するというのは、考えてみれば、非常に特殊な状況に思えます。
中野 そうなんです。だからこそ、ブレジンスキーは決して楽観的ではなかった。地政学的な環境は移ろいやすいですから、アメリカの圧倒的地位が長く続くものではなく、もってもせいぜい一世代程度のものだろうと考えていたのです。そして、それまでの間に協調的な国際秩序を構築することにアメリカは全力を挙げるべきだと主張したのです。
――なるほど。
「最悪の事態」を招いたアメリカは、何を見誤ったのか?
中野 そのうえで、ブレジンスキーはアメリカがとるべき大戦略について、このように論じました。
まず、ユーラシア大陸の西側においては、ロシアの覇権を阻止すべく、EUとNATOを東方へ拡大し、この地域の最重要ポイントであるウクライナを西側陣営へと帰属させる。ロシアはこれに反発するだろうが、アメリカは「拡大西洋」とロシアの協調関係を形成し、ロシアを西洋化し、無害化すればよい、と。
次に、ユーラシア大陸の東側においては、日米同盟によって中国の領土的な野心を牽制しつつも、東アジアを安定化させる地域大国である中国とアメリカの協調関係を維持する。つまり、アメリカは、東アジアにおいて米中日の勢力均衡を保つバランサーの役割を演じるべきであると論じたのです。ちなみに、ブレジンスキーは、日本についてアメリカの「保護領」と語っていることも押さえておいたほうがいいでしょう。
――「保護領」ですか……。
中野 ええ。率直な発言だと思いますね。ともあれ、ブレジンスキーは、以上のような戦略をユーラシア大陸の西と東において同時に遂行することで、アメリカはグローバル覇権を維持できると主張したわけです。そして、実際に、アメリカの大戦略は、おおむねブレジンスキーが描いたように進められてきたと言っていいでしょう。
ただ、もしこの大戦略が失敗したらどうなるか? ブレジンスキーが最悪の事態として恐れていたのは、ロシア、中国、イランの三大勢力が反米同盟を結成し、アメリカをユーラシア大陸から駆逐するというものでした。もしアメリカが、ユーラシア大陸から駆逐されれば、世界は無秩序状態に放り込まれる。これが、ブレジンスキーが最も恐れた事態だったんです。
――え……アメリカは、いま現在、まさにその三大勢力との関係が緊迫しているのでは?
中野 そうです。まさに、ブレジンスキーが最も恐れていた事態に陥ってしまったわけです。それも、1997年の時点で一世代はアメリカの覇権が続くことを想定していたにもかかわらず、20年もたたないうちに、東ヨーロッパ、中東、東アジアの三方面において、地政学的な不安定化が同時多発的に生じてしまった。
これについて、国際政治学者のウォルター・ラッセル・ミードは、ロシア、イラン、中国の三大勢力が、冷戦後に成立した国際秩序を修正しようとしているのだと解釈しています。
ロシアはかつてのソ連の勢力圏を復活させたいと願っており、中国は、アジアからアメリカの勢力を追い出そうとしている。イランは、サウジアラビアを盟主とするスンニ派勢力に支配された中東を、イラン率いるシーア派が支配するものへと代えるという野心をもっている。そして、この三大勢力にとって共通の敵が、アメリカなのだ、と。
――恐ろしい話ですね。なぜ、そんなことになってしまったんでしょう?
中野 アメリカが根本的に見誤っていたことがあるんです。
――何を見誤っていたんですか?
中野 地政学の祖とも言われる、イギリス人であるマッキンダーの地政学と比較するとわかりやすいんです。
マッキンダーが活躍した20世紀初頭の世界ではイギリスの覇権が衰退し、ロシアやドイツといった新興大国が既存の国際秩序に挑戦しようとしていました。そのため、マッキンダーの問題意識は、イギリスがいかにして世界の支配者となるかという「攻撃的」なものではなく、ロシアやドイツが世界の覇権を握るのをいかにして阻止するかという「防衛的」なものでした。
したがって、「東ヨーロッパを制する者がユーラシア大陸を制し、そして世界を制する」という公理のもとでマッキンダーが設定したイギリスの戦略目標は、東ヨーロッパを制することではなく、ロシアやドイツが東ヨーロッパを制するのを阻止ことにありました。だから、東ヨーロッパはロシアとドイツが手を結ぶのを防ぐために緩衝地帯として位置付けられたんです。
ところが、ブレジンスキーは、20世紀末の世界においてアメリカが唯一無二のスーパーパワーになった時点で、アメリカが世界の支配者としての地位をできるだけ長く持続することを考えていました。そのため、マッキンダーの地政学が、他国に覇権を握られるのを阻止する「防衛的」なものだったのに対して、ブレジンスキーの地政学はアメリカによる世界支配を実現するための「積極的・攻撃的」なものだったんです。
そして、アメリカの覇権国家としてのパワーを過大視していた。たしかに、アメリカの軍事力、経済力、技術力は比類ないもので、中国、イラン、ロシアは遠く及ばなかった。しかし、「積極的・攻撃的」に世界秩序を築くほどには強くなかったんです。
――強気に出過ぎた、と?
国家の「安全保障」は、「経済的利益」に優先する
中野 もちろんです。そして、結果として、アメリカにとって非常にまずい状況が生まれました。アメリカは、ロシアに軍事的に対抗する方針は早々に放棄して、経済制裁によって対抗しましたが、これがロシアが中国に接近する事態を招いたのです。
――中国とロシアという二大反米勢力が接近するのは、非常にまずいですね……。
中野 そうですね。ここで注意しておくべきことがあります。第一に、ロシアにクリミアを奪取されることで、NATOは地政学的に不利な立場に置かれますが、同盟国であるアメリカは早々に軍事的な対抗を放棄したことです。ここから類推すべきなのは、もし中国が尖閣諸島を奪取しても、アメリカは軍事的な対抗をしない可能性があるということです。
第二に、アメリカやNATO諸国はロシアに経済制裁を加えましたが、ロシアはそれを織り込んだうえで軍事行動を起こしたという事実です。つまり、国家の安全保障の利益は、経済的利益よりも優先するということです。ロシアのウクライナ侵攻は、ローズクランスの「貿易、金融、生産要素の移動を開放すればするほど、国際秩序は安定するのだ」という言説が楽観的すぎることを実証したわけです。国家の安全保障のためには、経済的利益を度外視した行動をするのが、国際政治の現実なのです。
――なるほど……。
中野 そして、この「楽観論」が東アジアの軍事バランスを大きく揺るがす元凶となりました。
――どういうことですか?
中野 1990年代のアメリカは、中国に対して、グローバル経済への統合を支援するという戦略を進めていました。中国を経済的な相互依存関係の中にからめ取り、グローバルなルールや制度の下に服させることで、アメリカ主導のアジア太平洋の秩序を認めさせようとしたんです。
この方針に基づいて、アメリカは、中国に対して恒久的な最恵国待遇を付与し、WTOへの加盟を承認しました。しかし、中国政府はWTOへの加盟の承認を勝ち取るために、アメリカ議会やホワイトハウスに対する工作活動を行っていたことが明らかになっています。アメリカを利用した「富国」による「強兵」が中国の目論見だったんです。
こうしてアメリカの協力によってグローバル経済に統合された中国は、2000年代、年平均でおよそ10%の高度経済成長を遂げ、同時に軍事費を年率二桁台という急速なペースで増大させたわけです。そして、2000年代半ばから、中国が軍事的にも経済的にも無視することができない大国として台頭し、東アジアにおけるアメリカの覇権に挑戦するようになりました。
もちろん、軍事費で見れば、現在でもまだ、アメリカは中国の3倍近い規模を誇ります。だけど、アメリカはその軍事力をグローバルに展開しなけ��ばならないうえに、中国と対峙するには太平洋を横断して制海権を維持しなければなりません。自国の周辺の展開のみに注力できる中国との東アジアにおけるパワー・バランスは、すでに中国側に傾いているとみられるのです。
――中国は、アメリカの楽観的な「経済的相互依存」戦略を利用したわけですね? 中国が一枚上手だった、と?
すでに終わった「アメリカのユーラシア支配」
中野 そうなりますね。しかも、2000年代に、欧米や日本が、グローバリゼーションによ��経済的相互依存の深化によって、世界秩序は維持できると信じていたころ、中国の戦略理論家たちは、孫子や毛沢東に加えて、マッキンダーやマハンなどの地政学を参照しながら、軍事戦略を熱心に論じていたのです。
たとえば、中国は自らをグローバル経済に統合して富を得るためには、貿易ルートの安全を確保する海軍力がなければならないと考えました。つまり、西太平洋への出口を確保しなければならないわけですが、その出口とは、沖縄から台湾、フィリピンを通る「第一列島線」にほかなりません。
しかし、「第一列島線」はアメリカによって押さえられている。したがって、「第一列島線」をアメリカから奪取して確保しなければならない。そして、尖閣諸島は、まさにこの「第一列島線」上にあるわけです。
つまり、中国が東シナ海や南シナ海において、日本、フィリピン、ヴェトナムそしてアメリカと頻繁に紛争を引き起こすようになったのは、グローバル経済に統合されたことの当然の帰結だということです。ところが、アメリカの対中戦略は、中国側の戦略意図を見落としていた。しかも、イラク戦争以降、中東の泥沼に巻き込まれていたジョージ・ブッシュ政権下のアメリカは、中東に注意を奪われて、中国の台頭を看過してしまったんです。
――すべての話はつながっているんですね……。
中野 そして、2013年に、習近平国家首席が打ち出したのが「一帯一路」構想です。アジアからヨーロッパ、アフリカにまたがる地域の開発を、陸路と海路の双方から進めるという壮大な計画です。さらに、中国は、「一帯一路」構想の一環として、アジア地域のインフラ整備のための資金供給を目的とした「アジアインフラ投資銀行(AIIB)」を設立しました。
しかも、この中国の動きへの各国の反応が、アメリカの国際的影響力の著しい低下を印象付けることにもなりました。
AIIBの構想が打ち出された当初、先進諸国はこれを、戦後のアメリカ主導による世界銀行やIMFを中心とした国際金融体制に対する中国におる修正主義とみなし、消極的な姿勢を示しました。特にアメリカはAIIBを強く警戒し、各国に参加しないように圧力をかけていたとみなされています。
ところが、イギリス、フランス、ドイツなどの主要国が相次いで参加を表明すると状況は一変。BRICsやアメリカの同盟国である韓国やオーストラリアのみならず、中国との間で領土問題などが緊張関係にある台湾、��ェトナム、フィリピンまでもが参加し、2019年7月時点で、100カ国・地域が参加するまでになりました。主要国で参加していないのは日米くらいのものです。
そして、ユーラシア大陸に鉄道などの輸送インフラを整備し、大陸の資源を確保するという「一帯一路」構想が、マッキンダー的な地政学的ヴィジョンに基づいていることは明らかです。実際、中国の著名な研究者たちが「一帯一路」構想の意義を説くに当たって、マッキンダーに言及しています。
その後の動きを見ていても、「一帯一路」構想の最終的な目的は、単なる需要創出や経済発展の基盤整備ではなく、ロシアやイランなどユーラシア大陸の主要な修正主義勢力と連携し、さらにはヨーロッパ諸国をも引き入れることで、アメリカによるユーラシア支配を終わらせることだと見るべきです。
――つまり、冷戦後のアメリカの戦略ミスによって、アメリカのグローバル覇権はすでに大きく揺らいでいるということですか?
中野 ええ。アメリカも、それをとっくに認めているんです。
27 notes
·
View notes
Text
『親愛なる日本国民よ!
平和を大切にする世界の全ての人よ!
私は、戦争によって歴史の石に影のみを残すことになってしまったかもしれない国からここへ来た。しかし、私たちの英雄的な人々は、私たちが戦争をこそそのような影にしてしまうべく、歴史を戻している。
私は、世界に戦争の居場所はないと信じている。人類は、とても長い道を通ってきたのであり、血塗られた対立で多くの命を失ってきた。死が空から降ってきて、死が海からやってきた。放射線が死をもたらした。人々は、互いに死を持ち寄ってきた。ある者は、人類の歴史は戦争抜きには想像できないと述べる。私たちは、人類の歴史は、戦争抜きにしなければならないと述べる。
ウクライナは殲滅戦の中心地にいる。私たちの大地には、私たちウクライナ人を単に服従させたいだけではない侵略者がやってきた。ロシアは世界に嘘をついている。あたかも「ウクライナ人など存在しない」と。
もし私たちがこれほどまでに勇敢でなければ、ロシアの私たちに対するジェノサイドは成功してしまっていたかもしれない。ウクライナは影だけになってしまっていたかもしれない。全ての人々が、影だけに!
しかし、ウクライナ人は、果てしなく勇敢である。果てしなく自由を愛している。そして、私たちは生きていく! そして、私たちは自由に生きていくのだ。
敵は核ではない兵器を使っているが、ロシアの爆弾と砲弾で焼き尽くされた町々の廃墟は、私が先ほどここで見たものと似ている。私にとっては、その平和記念��を訪れられたことは光栄である。そのような機会を与えてくれたことにつきとても感謝している。あなた方の民が自分たちの歴史で目にしてきたことは、何千という家族のありふれた生活の代わりに、灰だけが残り、町の代わりに焼け落ちた廃屋が残り、建物の代わりに瓦礫だけが残る、というものだ。
今、広島は復興している。そして、私たちは、現在、ロシアの攻撃の後で廃墟となっている全ての私たちの町、一軒たりと無傷のものの残っていない私たちの一つ一つの村の復興を夢見ている。
私たちは、自分たちの領土を取り戻すことを夢見ている。ロシアに占領されていた北部の領土を取り返したように、私たちは、東部と南部のウクライナ領を取り返さなければならない。私たちは、現在ロシアに拘束されている人々を取り戻すことを夢見ている。それは、捕虜や、民間人や、追放された大人や拉致された子供だ。私たちは、勝利を夢見ている! 私たちは、勝利の後の平和を夢見ている。
しかし、そのためには、その侵略者が負けなければいけないだけではなく、現存する戦争の野心が敗北せねばならないのだ。そして、それは世界中の全ての人にとって重要なことである。私は、世界にウクライナの団結の呼びかけを聞いてもらうために、ここ、広島にいる。
ロシアは、文明的なものの全てを踏みにじった。ロシアはもう、1年以上私たちの最大の、欧州にて最大の!原子力発電所を占拠し続けている。ロシアは、戦車から原子力発電所を砲撃した世界のテロ国家である。原子力発電所を武器や弾薬の保管用演習場にした者は他に誰もいない。ロシアは、私たちの町を多連装ロケットシステムで砲撃するために、原子力発電所によって身を隠しているのだ。もし世界の誰かが、ロシアの他の戦争犯罪をまだ無視することができるのであれば、そのような人道に対する罪は、間違いなく全ての人を行動に駆り立てしまうことだろう。
これを話しているのは、1986年にチョルノービリの放射線の惨劇を経験せざるを得なくなった、私たち、ウクライナなのだ。私たちの大地の一部は、いまだに立入禁止区域、汚染区域である。想像して欲しい。ロシア軍はその区域を通って進軍してきたのだ。彼らは、ソ連時代に放射線に汚染された物質を埋めた森に塹壕を掘っていたのだ。
そのような水準の悪と愚行のロシアの行動が悪い結果をもたらすことなく放置されるのだとすれば、世界は間違いなく破滅するだろう。国の要職に就く他の犯罪者たちが同じような戦争を望んでいる中では、それは時間の問題に過ぎない。
もしロシアに占領した領土をほんの一片でも与えてしまったら、国際法はもう決して機能することはないだろう。
ウクライナは「平和の公式」を提案した。公正で現実的なものだ。その最初の項目は、放射線・核の安全だ。ロシアは、放射線・核で世界を脅迫することを止めて、現在占拠している原子力発電所をウクライナと国際原子力機関(IAEA��の完全な管理下に戻さねばならない。
私たちの平和の公式には、全部で10の項目があり、その1つ1つの意味が国連(総会)決議によって確認されている。そこには、私たちの国に対するロシアの戦争を終わらせるために機能するあらゆるものが含まれている。
しかし、ウクライナの「平和の公式」の力は、ロシアの侵略の野心を止めて、ロシアが侵害した安全を回復した後でなお、世界にもう1つの追加的な結果をもたらすものでもある。それは、他の潜在的侵略者を麻痺させる、というものだ。戦争を望む者一人一人が、世界が平和を望む時にはどれだけ団結し、どれだけ覚悟を示すのかを目にしたら、戦争を始めることには意味がなくなるのだ。
これまで世界には、侵略者を止められるような公式がなかった。ウクライナはそれを提案している。ウクライナは世界に、戦争からの救いを提案している。そのためには、団結して、ロシアを最後の侵略者にしなければならない。そのロシアのウクライナへの侵攻の敗北後に、平和のみが栄えるようにだ。
私たち、人類は、異なる文化、異なる見方、異なる国旗を有している。しかし、私たちは、自分のため、自分の子供、孫のために等しく安全を望んでいる。そして、戦争が訪れてしまったら、私たちの命は、等しく灰じんと化してしまうのだ。
戦争からは影のみが歴史の石に残るよう、それが見られるのが記念館だけとなるようにするためには、世界の誰もが、あらゆる可能なことをしなければならない。
世界の誰もが、他国の人々を尊重しなければならない。
世界の誰もが、国境を認めなければならない。
世界の誰もが、正義を守らなければならない。
世界の誰もが、命を大切にしなければならない。
世界の誰もが、自らの義務として平和を受け止めなければならない。
広島よ���この数日間、通りで見られた青と黄の旗について、私はあなたに感謝している。ウクライナの旗があるというのは、自由への信念、命への信念、私たちを信じる心があるということを証明している。ありがとう!
日本よ、ありがとう。岸田文雄首相よ、全ての日本の人たちよ、包括的な支援をどうもありがとう!
戦争の全ての犠牲者を永遠に追悼する。
平和が訪れますように!
ウクライナに栄光あれ!』
4 notes
·
View notes
Quote
元はまず、第一次侵攻(文永の役)で数万人のモンゴル・高麗連合軍を朝鮮半島経由で送り込んだ。ただ、この時期の元は中国南部の南宋をまだ滅ぼせておらず、日本侵攻は南宋への牽制を兼ねた大規模な威力偵察としての側面が強かったとされる。 ��方で第二次侵攻(弘安の役)は、第一次と同じ朝鮮半島からの東路軍に加えて、南宋の滅亡で接収された漢人兵士を主体に構成された江南軍も、東シナ海を経由して送り込まれた。元側の兵力は東路軍と江南軍の合計で十数万人以上にのぼったとみられ、本気で日本征服を念頭に置いた陣容だった。 元はさらに第三次侵攻も計画したが、内紛などで結果的に中止した。一方、日本側も鎌倉武士団の奮戦で防衛に成功したものの、対外戦争の負担は鎌倉幕府が滅びる遠因になった。
なぜ中国人は元寇を知らない? 公教育が避ける「中華民族による侵略の歴史」 | Web Voice|新しい日本を創るオピニオンサイト
7 notes
·
View notes
Quote
中国は、日本に対し領空侵犯、領海侵犯を行ったばかりであり、安全保障上の明確な対応策を講じることができない状態のまま、日中間の「戦略的互恵関係の包括的な推進」の維持を表明することは時期尚早であろう。 中国に対し、尖閣諸島への侵攻の停止、日本の管轄海域内に中国が設置したブイの撤去、領空侵犯、領海侵犯の再発防止の確約など要求すべきことは多い。 石破政権は、尖閣諸島の管理に関して行動の指針を未だに示していない。 また、中国の南シナ海侵攻への対応、フィリピンへの海上警備体制の支援が継続されるのかも懸念されている。 石破政権は、安全保障上、早急に対応すべき案件を多くかかえている。
日中懸案、解消見通せず 石破首相、習氏反応に手応えも(時事通信)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
3 notes
·
View notes
Text
NoBarbenheimer
今回の件、原爆投下/原水爆をミーム化/ネタ化する動きの加速に対して。フェミニズムな作品であることがとても楽しみだったバービーの……“公式アカウント”が乗っかっていたという事実。そのショックについて。自分も抗議を送ったりTwitter/Tumblrでタグを使ったひとりですが、
「日本のみ」が被爆国ではないし、「日本人とされれる人々のみ」が被爆被害者ではない。
凡ゆる国と地域で被爆被害があり、凡ゆる国や地域の人々が、被害者が、世界中にいること。
“戦争被爆国”としての日本においては、戦時下で、軍国主義/差別主義の中で更に更にマイノリティとして虐げられた人々が、植民地支配/強制連行による被害者や、捕虜として収容されていた人々が、沢山、犠牲になっているし、その後も苦しみ続けている。日本/政府による迫害と差別に晒されている。その存在が、事実が、歴史が、蔑ろにされ続けている。
原爆/原水爆の犠牲者が、被害者が、いまも、世界で、さまざまな場所で、苦しみ続けていること。その歴史について。
それらを踏みにじるような言葉も、それらについて誤った認識を与える言葉も、Twitter上では多く(差別主義者/ネトウヨ/極右なども、バービーという作品そのものとそこにあるフェミニズムや多様性に対する一方的な揶揄/叩きや、韓国へのデマ/ヘイトや、他の悲惨な歴史や事件を更に��ームにして茶化し出すという……醜悪な最低最悪な行いをぶち撒けながら、この抗議タグをTwitter上で利用してきているこ��もあり、)かなり蔓延してきてるようなので。
Twitterで今回自分がRTさせて頂いた……さまざまな方々が紹介していた記事やアーカイブ/今までTwitter上で自分がRTしてきたり引用してきたりした記事なども、自分用と兼ねて、いくつか、改めて、此方にも引用してみます。
また、再度、強調したいのですが、
日本は、今なお、戦争責任/加害の歴史に向き合おうとしない。戦争の責任と記録と歴史を忘却し、捻じ曲げようとする歴史修正主義が、まさにいま、どんどん勢いを増し続けている現状。核廃絶について背を向けるばかりか、核武装について“柔軟な議論”などとほざいて嬉々として語り出す連中が、差別主義者の糞どもが、万年与党であること。
そこを無視することこそ、恐ろしいことで、忘れてはならないこと。(これもほんと繰り返しだが、この現状だからこそ、戦争/核を軽視しないための抗議の責任があること、強調したい)
・日本だけではない、被爆国
「核兵器を開発するためには実験が必要です。1945年、アメリカのニューメキシコ州で世界で初めての核実験が行われてから、これまで2,050回以上の核実験が行われきました。
アメリカはネバダ砂漠や太平洋でロシアはカザフスタンや北極海で、イギリスはオーストラリアや太平洋の島国で、フランスはアルジェリアや南太平洋の仏領ポリネシア・タヒチで中国は新疆ウイグル自治区で実施しました。ワシントンやモスクワなどの大都市から遠く離れ、多くの場合は植民地や先住民族の暮らしている土地でした。(川崎 哲「核兵器はなくせる」、岩波ジュニア新書、2018)」
・Hiroshima and Nagasaki: A Multilingual Bibliography
「ABOUT US: The Aim of Our Project
In 2014, a year before the 70th anniversary of the atomic bombings of Hiroshima and Nagasaki, we started our survey and research into the multilingual publication of atomic bomb literature. Our goal is to make a comprehensive survey into the process of worldwide acknowledgment of Hiroshima and Nagasaki for 70 years.」
・外国人戦争犠牲者追悼核廃絶人類不戦碑
「この戦争の末期、長崎では数次にわたる米軍の空襲、潜水艦攻撃、そして八月九日の原爆 によって七万余の日本人、数千の朝鮮人、中国人労働者、華僑、留学生、連合軍捕虜(イギ リス、アメリカ、オーストラリア、オランダ、インドネシア等)が犠牲となった。
特に浦上刑務所のあった隣接する丘では、三十二名の中国人、十三名の朝鮮人が、日本人 受刑者とともに爆死し、また香焼や幸町の捕虜収容所では、被爆前に病気や事故などによ って数百名の連合軍兵士が死亡した」
「碑の建立に力を注いだのは、戦時中に収容所の職員だった田島治太夫さん(九九年死去)。一緒に運動した鎌田信子さん(72)は「日本人だけでなく、多くの外国人が犠牲になったことを知ってもらいたい」と語る。」(2005/07/15 掲載記事)
・被爆2世、女性として直面した複合差別 ――「韓国のヒロシマ」陜川から
「2023年2月7日、被爆者の援護を定めた法の対象外となっているのは不当だとして、被爆2世が国を訴えていた裁判の判決が広島地裁で言い渡された。「不当な差別とは評価できない」などとして、原告の訴えは棄却された。被爆2世に対しては、厚生労働省が定めた要綱に基づく健康診断が実施されているものの、がん検診はそこに含まれず、各種手当の交付なども受けられない。」
「原爆被害に加え、それ以前からの植民地支配に翻弄されてきた韓国人被爆者の次世代も、「線引きの外側」に置かれ、公的な支えを受けられずに生きてきた。」
・80歳を過ぎて語り始めた被爆体験――福島へ手渡したい思いとは
「切明さんの話は、「あの日」から始まるのではなく、軍都「廣島」の話から始まる。
「広島は今、平和を守ることや、核兵器廃絶を掲げていますが、77年前までは軍国主義の街でした」
切明さんが国民学校2年生の時、満州事変が起きる。広島城の周辺には陸軍の師団が置かれており、宇品港は中国大陸や、その後の東南アジアの国々侵略のための出発港だった。」
・「存在しない」とされた残留放射線、内部被ばくの被害を認めない政府
「こうした政府の態度の根底にあるのは、残留放射線による内部被ばくの否定だ。放射性物質を体内に取り込む危険性から目を背ける、その姿勢の源流を知るためには、日米の歴史を紐解く必要がある。
『原水爆時代〈上〉―現代史の証言』(今堀誠二)や 『核の戦後史:Q&Aで学ぶ原爆・原発・被ばくの真実』(木村朗、高橋博子)��も示されているが、原爆投下から1ヵ月後、マンハッタン計画の副責任者であるトーマス・ファーレル氏は、下記のような声明を発表したとされる。
「広島・長崎では、死ぬべきものは死んでしまい、9月上旬において、原爆放射能の余燼ために苦しんでいる者は皆無だ」
残留放射能が存在しないとした理由について記者からの質問を受け、ファーレル氏は「相当の高度で爆発させた」ことを挙げていた。
なぜこうした声明を出すに至ったのか。『核の戦後史』の他、『封印されたヒロシマ・ナガサキ』などの著者でもある奈良大学の高橋博子教授は、占領を円滑に進める必要がある米国側の意図を指摘する。
「声明には、原爆投下が国際法違反であることを否定し、広島を取材した連合国軍記者による報道を打ち消す狙いがあったと思われます」 」
「 「日本政府は核兵器の残酷さや非人道性を訴えるどころか、その“威力”を重視し、原爆攻撃をした米国と一緒になって、核兵器の有効性を世界に向けて訴えてきたといえます。核の“パワー”の肯定的イメージを拡散してきた、世界に対する責任は重いと思います」 」
・«さもしいといって下さいますな» 福田須磨子さんの思い 原爆を背負って(30)
「 《何も彼(か)も いやになりました 原子野に屹立(きつりつ)する巨大な平和像 それはいい それはいいけど そのお金で何とかならなかったかしら “石の像は食えぬし腹の足しにならぬ” さもしいといって下さいますな 原爆後十年をぎりぎりに生きる 被災者の偽らぬ心境です》
1955年8月、被爆詩人・福田須磨子さん=74年に52歳で死去=が詠んだ詩「ひとりごと」です。須磨子さんは23歳のとき、爆心地から1・8キロ地点で被爆。高熱や脱毛など後遺症に苦しみ、紅斑症にもかかります。身体的、精神的苦痛と生活苦にさいなまれる日々…。3千万円の巨費を投じて造られた平和祈念像を見て、この詩を詠みました。」
・問われる空襲被害者の戦後補償
この記事は2020年放送のNHKスペシャル「忘れられた戦後補償」を下��にした2021年放送のクローズアップ現代の記事です。もとのNHKスペシャルを記事化したページは……もう削除されてしまい、この別番組の記事しか残っていない状況です。
被爆被害とは違った話なのですが、日本が戦後も、ずっと、いかに、国内外問わず、戦争責任に向き合っていない国であるか。民間人/市民を切り捨て、権力者/軍部を優遇してきたか。それがわかりやすい記事のひとつとして、引用します。
以下はNHKスペシャルの特集記事から当時引用した文面です。
「大将経験者の遺族には、戦犯であっても、兵の6.5倍の補償を実施。閣僚経験者に対しては、現在の貨幣価値で年1000万円前後が支払われていた。その一方で、旧植民地出身の将兵は、恩給の対象から外された。」
「国家が総動員体制で遂行し、破滅への道をたどった日本の戦争。犠牲となった民間人は80万人。戦後、国家補償を求めた民間被害者の訴えは一貫して退けられてきた。」
「ドイツやイタリアと違い、軍と民の格差が時代とともに拡大していった日本の戦後補償」
(しかしNHKの戦争責任を問う特集関係の読みやすいWEB記事や記録は……数年しか残さない、消されてしまうし。オンデマンド配信に全て入る訳ではないようだしで。戦争の真実シリーズの731部隊の特集の書籍化は何年も延期が続き、今年やっと……出版されそう……?である現状(何かしらの検閲を受けていないかが、不安である)、本当に不気味で、最悪だ)
15 notes
·
View notes
Text
トランプはいいところもあるが、これ一つで全ての美点を帳消しにしてマイナスだわ
ロシア、中国、韓国の領土侵略に直面している日本は、日本が中国とかロシアに攻められたら 「九州や北海道くらい割譲せいや、米兵がなんで日本のためにしななあかんねん」、って言われるのやだからね
だからいざというとき日本が頼りにするのは唯一自衛隊のみ
現在防衛力増強の方向にあるのは正しいが、とっとと改憲して自衛隊が日本防衛のためにフルに動けるようにしとかんと、マジで戦争になるぞ
軍事費増額というのは、敵の戦力に見合う戦力を保持して平和を維持するためするもんだ ここのところ 意識高い系の坊ちゃん、嬢ちゃんや、認知能力減退気味のサヨク老人たちは良く理解しておけ
つっても、絶対理解できないのはわかってるけどさ
2 notes
·
View notes
Text
蔡英文秘史 家史
先祖告誡我們——
瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
蔡
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。
蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。
據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。
濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。
據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶���的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。
明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。
蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。
蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號
蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因力氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。
行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。
此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。
乾隆五十一年十���月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。
臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖然人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。
乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯猷在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。
三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。
林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。
嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
3 notes
·
View notes
Text
家史
先祖告誡我們—— 瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
蔡
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。 蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。 據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。 濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。 據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶曉的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。 明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。 蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。 蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號 蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因力氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。 行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。 此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。 乾隆五十一年十一月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。 臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖然人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。 乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯猷在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。 三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。 林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。 嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
2 notes
·
View notes
Text
家史
先祖告誡我們—— 瞭解一個人,必先瞭解其家史、身世,瞭解基因密碼與基因病變。
蔡
姓乃黃帝之後,源出於姬姓。 蔡姓始祖,可追溯到周朝時的蔡叔度。鄭樵《通志·氏族略·以國為氏》載:「蔡氏,文王第五子蔡叔度之國也。自昭侯以下,春秋後相承二十六世,為楚所滅,子孫以國為氏。」蔡叔度,周初「三監」之一,周文王之第五子,為周武王之弟。武王克商之後,叔度受封於蔡(今河南上蔡縣),為蔡國國君,史稱「蔡叔」。武王讓蔡叔與管叔、霍叔三人共同監管武庚(商紂王之子),教治殷民,稱為「三監」。武王去世,周成王年幼繼位,由周公旦臨朝攝政,蔡叔與管叔等不服,聯合武庚一起叛亂,被周公平定後,蔡叔被放逐。以後,周成王又封蔡叔之子胡於蔡。蔡國立國約600年,西元前447年被楚國所滅,蔡國遺民仍以國為姓。 據史書記載,蔡氏得姓於蔡國,發展於濟陽,故蔡姓族人大都以「濟陽」為「郡望」或「堂號」,以志家世根源。 濟陽蔡氏最初是指居於陳留考城縣的蔡氏家族。濟陽郡始設於晉代,西晉惠帝時,將陳留郡一部分劃出設置濟陽國,後改為郡,治所在濟陽,領濟陽、考城諸縣,轄區相當於今河南蘭考、民權一帶。西晉永嘉之亂,漢人南遷,蔡氏族人亦隨之遷居江南、江東。隋唐之後,蔡姓在南北各地都有發展,而在東南沿海一帶尤盛,因此至今仍有「陳林王鄭蔡,天下占一半」的俗諺。 據莆田東沙《蔡氏族譜》和仙遊楓亭譜(蔡襄族譜)記載,蔡用元乃蔡氏入閩始祖,時在唐代。自蔡用元至蔡襄共六代。蔡襄乃北宋慶曆名臣,為官清正,政績卓著,擔任泉州太守時主持建造洛陽橋,名揚天下。在泉州,「青陽衍派」堂號的故事,更是蔡氏族人幾乎家喻戶曉的。在晉江青陽蔡氏祠堂的正廳,有這樣一副對聯,上聯是「裔出周代,肇基唐代,官封宋代,長綿百代振家聲」,下聯是「脈映濟陽,支分莆陽,派衍青陽,好就三陽開泰運」。這副對聯概括說明了青陽蔡姓的源流和發展。溯本追源,青陽蔡氏根在濟陽,後又傳衍到福建莆陽,再由莆陽遷居青陽,故稱「濟陽——莆陽——青陽,三陽開泰」。 明崇禎年間,已有蔡鳴震自金門遷入澎湖。鄭成功率軍收復臺灣時隨之入臺的有不少蔡姓人,泉州、晉江、石獅許多蔡氏留在雲林、屏東等地墾植。明永歷年間,金門人蔡相將、蔡道賓兄弟等由金門遷居到澎湖。清康熙年間,又有南安人蔡為謝、蔡廷、蔡構等入臺開墾。經過400多年繁衍,如今臺北市區、臺北金山鄉、萬裏鄉、基隆市一帶,蔡氏蔚為望族。 蔡姓在臺灣繁衍發展,幾乎遍及臺灣全島各地。從南到北,從東到西,蔡姓的子孫隨處可見。據臺灣有關方面統計,臺灣的姓氏有1000多個,蔡姓名列臺灣百家姓中第8位,人口超過100萬。 蔡英文的祖上蔡攀龍(1738—1798),是大清一位大名鼎鼎的虎將,當年就是他率部一舉平定臺灣叛亂、收復了臺灣,保持了大清領土完整,受到乾隆皇帝親筆詔書嘉獎,榮獲一等功臣。
◎乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號 蔡攀龍本是貧苦出生,年少時以捕魚為生,因力氣頗大,被一老翁看上,覺得此人大有可為,便將自己的女兒許配給蔡攀龍為妻,並建議其從軍。他憑藉著自己的一身力氣參軍入伍,給自己拼一個美好的前程。聽從了岳丈的建議,蔡攀龍決定從軍。 行伍後,蔡攀龍很快就立下了戰功,並被提拔為廈門提標千總,分訊玉州。當時的廈門,海盜猖獗,時時侵擾中國東南沿海領域,身為千總的蔡攀龍假扮成商人,待海盜想要對商船搶劫之時,一舉將海盜捕獲。因為此事,蔡攀龍又被升為廈門守備。 此後,蔡攀龍步步高升,乾隆四十七年升為閔安左營守備,第二年的八月份又擔任金門鎮中軍左營遊擊,四十九年又被凋為澎湖右營遊擊。 乾隆五十一年十一月二十七日,林爽文率領義軍攻佔了彰化縣城,莊大田則從臺灣的南部發動起義,迅速攻佔了鳳山,這讓全臺灣都為之震動。 臺灣坊間傳言,駐臺的清軍準備放棄府城退守到安平,一時之間,府城從上到下人心惶惶。就在臺灣民眾因為林爽文起義而惴惴不安時,蔡攀龍奉福建巡撫徐嗣的命令率領700水師趕到了府城,雖然人並不多,但是援軍的到來暫時穩定住了臺灣府城的人心。 乾隆五十二年二月二十二日,蔡攀龍在收復鳳山的作戰中表現英勇,但是很不幸,總兵郝壯���在鳳山受到了義軍的伏擊,軍隊被迫退回府城。 三月二十七日,林爽文和莊大田的義軍妄圖趁勢圍攻府城。蔡攀龍奉水師提督常青的命令固守府城近郊的桶盤棧,保護了府城周邊的安全。蔡攀龍由於在鳳山以及府城戰役中優秀的表現,被連升兩級,擔任臺灣北路協副領一職。 林爽文起義被鎮壓之後,蔡攀龍因為赫赫戰功被提升為海壇鎮總兵,不久又改任臺灣鎮總兵,後來還曾擔任過福建陸路提督。乾隆皇帝欽賜蔡攀龍「健勇巴圖魯」的名號,請畫師在紫光閣為其畫像,用來嘉獎蔡攀龍在平定臺灣所立下的戰功。當年那個貧苦的少年,變成了威風凜凜的總兵。 嘉慶三年,蔡攀龍在金門去世,後人將蔡攀龍的屍骨安葬在了金門徑林。蔡氏的後人也將蔡攀龍奉為入臺之後的第一先祖。
1 note
·
View note
Text
企業が「黒海」に注目すべき3つの理由 地政学的重要性、ウクライナ戦争で表面化
2022年05月28日 07時30分 公開
[奥山真司, 樋口隆充(編集),
2月下旬に始まった、ロシアによるウクライナ侵攻(以下ウクライナ戦争)は3カ月以上が経過した現在も、終結の兆しが見えない。コロナ禍に加え、戦争が勃発したことで国際物流にも影響が及び、物流コストが日増しに上昇している。その要因は単なる原油価格の高騰だけではなく、戦争でウクライナ周辺の海域が「危険水域」となり、それに伴い、船舶や貨物にかける保険各社の海上保険料が値上がりしたためでもある。
物流コストの上昇は、当然のことながら小麦など原材料価格にも影響を与える。このように、日本国内で相次ぐ、飲食各社などによる値上げの背景には、戦争も絡んでいるのだ。食料自給率が約37%(2020年度)と、食料の多くを海外からの輸入に頼る日本にとって、ウクライナを巡る情勢は、遠い異国での対岸の火事ではない。
こうしたことから、今回のウクライナ戦争を通じて、海上ルートの重要性が浮き彫りになりつつあり、中でも最大の焦点となっているのが、ウクライナ周辺に位置する「黒海」(Black Sea)の地政学的重要性だ。
ウクライナ戦争では、ウクライナ東部のドンバス地方などでの陸上戦闘にばかり注目が行くのに対し、黒海が持つ「戦略的な空間」としての重要性については、世界的に潜在的なインパクトが大きいにもかかわらず、その注目度は異様に低い。
そこで本稿では、日本ではあまり注目されない黒海の地政学的重要性を、「商業」「軍事」「大国間の権益」という3つの視点から解説する。
スエズ運河通貨貨物の7割が「黒海」経由
黒海が世界的に注目を集める1つ目の理由が、世界的な「商業ルート」になっている点だ。黒海以外の世界的な海の商業ルートといえば、有名なところでは「南シナ海」や「パナマ運河」がある。
だが、欧州とアジアを結ぶものとしてはスエズ運河が代表格となる。2021年3月に日本の正栄汽船(愛媛県今治市)が契約する船が座礁し、6日間に及ぶ大渋滞を起こしたことが記憶に新しい、あのスエズ運河だ。
英フォーリンポリシー誌は4月25日付けの記事で、スエズ運河を通過する全貨物のうち70%に相当する貨物が、黒海の出口であるダーダネルス海峡を通過していると報じている。こうしたことは日本ではあまり報じられていない、黒海の重要性を示す一つの指標と言えるだろう。
だが、ロシアのウクライナ侵攻で、当然のことながら、この貨物輸送ルートは使えなくなり、世界経済に深刻な影響が出ている。
小麦不足で再び「アラブの春」到来か
ウクライナは輸出量で世界第5位の小麦生産地であり、その大半をオデーサやマリウ��リをはじめとする同国の黒海沿岸の港から運び出しているのだが、現在、この海域をロシア海軍がコントロールしているために、収穫したほとんどの量を運び出すことができていない(わずかだが陸路でも可能)。
一部では、勇敢なウクライナの農民たちによって今秋収穫分の作付けのうち、8割から9割が終わったとの報道も出ているが、その前の冬に収穫した小麦がまだサイロや倉庫に眠っていて出荷ができないため、仮にせっかく収穫できたとしても行き場のない穀物を腐らせるだけになる可能性が高い。
日本はウクライナ産の小麦をほとんど輸入していないため、この影響は限定的かもしれないが、ウクライナ産小麦の多くはエジプトなどアラブやアフリカ諸国向けである。このため、小麦の消費国において品不足になると、小麦価格の高騰によって、チュニジアやリビアなどの独裁政権が相次いで崩壊した「アラブの春」(10年~12年)のように、再び政情不安になる可能性が高まる。
英ガーディアン紙の5月19日付けの記事によると、国連は既にこの最悪のシナリオを十分に認識しており、ウクライナから小麦が搬出されないと世界的な食糧危機に至るとして警告を発しているという。
軍事ルートとして重要な黒海
2つ目の理由が、黒海が世界的な軍事ルートでもあるという点だ。これをよく示しているのが、ロシアのクリミア半島侵攻(14年)だ。
クリミア半島を、ロシアが占拠した大きな理由の一つが軍事拠点としての重要性だ。クリミア半島には旧ソビエト連邦(ソ連)時代から続く、ロシア海軍の黒海艦隊の軍港があり、97年からウクライナから租借していた形となっていたセヴァストポリを直接支配下に置くため、ロシアは軍事侵攻に踏み切った。
つまり当時のロシアは、クリミア半島を奪取することによって、黒海における海の軍事的なルートの支配権を確保しようと試み、見事、それに成功している。
こうした力による現状変更に対抗しようと、米国主導の軍事同盟「北大西洋条約機構」(NATO)参加国たちは、ロシアから黒海の軍事ルートを守るため、今回の戦争ではウクライナを軍事的に支援している。
例えば、ウクライナ南部の黒海沿岸に、オチャキフというウクライナ海軍の軍港のすぐそばに米海軍の人員を常駐させ、両国海軍の共同作戦司令部を建設する計画や、同軍港を拡張し、米海軍の艦船が定期的に停泊できるようにする計画の他、アゾフ海のベルジャーンシク港の増強計画にも合意している。
だが、ウクライナ戦争開戦がささやかれ始めた時点で、すでにNATO側は黒海内の軍事バランスがロシア側にあることを認識していた。英ロイター通信は2月25日付けの記事で、開戦前からNATO加盟国側の主要艦船はすべて黒海を離れていたと報じている。
日露戦争から分かる海洋ルートの重要性
軍事ルートとしての海の重要性は、日露戦争のときのバルチック艦隊の例を考えれば分かる。当時の世界の海は、帝政ロシアのライバルである大英帝国にコントロールされていた。
このため、ロシア帝国の海軍は、日本に向かう際にショートカットするためのスエズ運河を通れず、アフリカ大陸を大回りして疲弊していたところを、対馬沖で待ち構えていた東郷平八郎率いる連合艦隊に沈められたのである。
当時のロシアは軍事ルートとなるはずであったスエズ運河を大英帝国のおかげで使えなかったのだが、今回の戦争では逆にNATO側の船が離脱したため、黒海の軍事ルートは確保できたのだ。
NATO陣営のトルコ、黒海の出入口を封鎖
ただ、今回の戦争の場合、トルコが黒海の出入り口を封鎖しているため、ロシアは外から艦船の増援はできない。NATO加盟国のトルコが、トルコ領内のボスポラス海峡・マルマラ海・ダーダネルス海峡の通航制度を定めた「モントルー条約」(1936年制定)に則って、ロシアをはじめとする軍艦の航行を制御しているからだ。
これを大きく俯瞰して考えると、ロシアは黒海という「内海」そのものは、ある程度コントロールできている一方で、その出入り口であるダーダネルスやボスポラス海峡をNATO側のトルコによって「フタをされている」という状態なのだ。
日露戦争から100年以上の時を経た今回の戦争でも、ロシアはまたしても敵対勢力に海上での主導権を握られていることになる。
大国間勢力圏争いの最前線に位置する黒海
これまでのことから、黒海に注目すべき3つ目の理由として、NATOとロシアの権益が直接ぶつかる最前線であったという結論が導き出される。それは、そもそも冷戦開始直後からNATOとソ連が黒海を巡り、直接衝突した経緯を見てみればよく分かる。
NATOは、米国が主導する多極的な軍事同盟であるが、その実態は、それが「海洋国家の同盟」であるとも言えるのだ。
例えば、第二次世界大戦が終結した時点で、黒海周辺では共産主義を掲げるソ連の影響力が強まっていた。それに恐怖を感じたトルコとギリシャは、互いに外交的な問題を抱えているにも関わらず、同じNATOという軍事同盟に参加し、地中海の最東端で海を通じて米国とつながることを選択したのだ。
ところが黒海に接している周辺の国々、つまりルーマニアやブルガリアなどは、40年代から50年代にかけて次々と共産圏に組み込まれ、結果として冷戦期の間、黒海は「ソ連の内海」となった。
旧ユーゴは「非同盟中立」 理由は「アドリア海」
興味深いのは、バルト海の周辺国との状況との比較である。この地域で冷戦初期に共産圏に組み込まれたのはバルト三国(エストニア・ラトビア・リトアニア)、ポーランド、そして旧東ドイツだが、昨今、NATOへの参加を表明したばかりのスウェーデンも、当時は中立であったために、西側諸国はバルト海へのアクセスが困難であった。
つまりバルト海は「ロシア(ソ連)の海」であ���たために、その周辺国は(デンマークを除いて)共産化され、ソ連の影響下にあったと言える。
周辺諸国が共産化する中、ユーゴスラビアはソ連の完全な影響下には入っておらず、中立的な立場をとることができたが、これは東欧の社会主義国の中でも唯一西側の海洋ネットワークがリーチできる海(アドリア海)に位置していたという点も大きい。
冷戦後に“NATOの海”になった黒海
黒海に話を戻す。冷戦が終わると、ロシアの影響力は低下し、ウクライナやジョージアのような黒海周辺の国々も独立を果たした。ルーマニアやブルガリアなどは、NATOだけでなく欧州連合(EU)にも加盟している。
これはつまり、冷戦後の時代に入ると黒海の半分は「NATOの海」になったということだ。見方を変えれば、14年のクリミア半島侵攻から今回のウクライナ戦争に至るまでのロシアとNATOの争いは、陸上での領土争いということ以上に、黒海を巡る勢力圏争いでもあったということだ。
そしてロシアは、今回の戦争で、ソ連時代の黒海のコントロールを、一時的にせよ復活させたと言える。
「ルートを支配すること」の重要性
米海軍出身の戦略家JCワイリーは、かつて戦略の最大の狙いは、相手に対していかに優位な状況を確立できるか、つまり「コントロールできるかどうか」であると説いた。
単純な「戦場での勝利」ではなく、それを含めた状況での優位の確保が、戦争の勝利だけでなく、その後の平和の構築や維持においても決定的に重要であると見抜いていたからだ。
これを現在行われている戦争に当てはめて考えると、ロシアとウクライナ(NATO)の最大の争点のうちの一つは、もちろんメディアで注目されているような東部ドンバス地方の陸上戦闘でもあるのだが、それ以上に「誰が黒海の海上ルートをコントロールするか」にあるとも言える。
この考え方は、そのまま日本にも当てはめて考えることができる。例えば、日本経済の動向に直結する海域や海上ルートとしては、黒海よりも潜在的なインパクトの大きいペルシャ湾や南シナ海が挙げられる。こうした海域が、誰によってコントロールされるかというのは、軍事的にも商業的にもそこを利用する国々にとって致命的に重要なのだ。
軍事でも経営でも「ルートをコントロールすること」の重要性は共通しているのである。

6 notes
·
View notes
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキク��コガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤���趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
200K notes
·
View notes
Text
反省なき戦後日本を妄想してみる
御存知の通り、1945年に日本は負けて反省させられた。
世界中から激詰めされるだけのことを実際にしたのだから、それ自体を四の五の言う気はないし、その後の戦後日本の国家戦略は結果として成功だったわけだから、否定はしないのだが、ちょっとね、思考実験としてね、1945年の敗戦で全く反省していなくてその後も田中上奏文バリに世界制服の野心満々だったとしてみよう。
ならなにをする?
朝鮮戦争に参戦と言いたいところだが、これは却下だ。 あれは近代日本の蹉跌をアメリカがなぞったようなものであって、放置するに限る。北朝鮮に洛東江まで攻め込まれたときに日本義勇軍を���遣して肉壁にして、釜山を旅順や香港みたいな存在にすることはできたと思うし、それがベストだったと思うが、当時そこまで見通せというのは無理があるな。
次は中国の国共内戦。具体的には台湾。 朝鮮戦争に参戦したので中共(大陸)は国府(台湾)に攻め込む余力がなかったと言うので、史実よりも朝鮮半島に深入りしているこの世界線では、とてもではないが北京は台湾攻略などできない。 洛東江まで中国義勇軍を引き込むことによって中国は大量消耗を要求されるだろうから、国内の反発も大きかろう。台湾に引きこもった国民党政府からのボディブローなど受けたくもないが、止められない。ならば、他勢力によって止めてもらう。 これは中国の台湾完全放棄であり、すなわち台湾の日本「復帰」だ。 朝鮮半島を中国の影響下にする代わりに、台湾を日本の影響下に戻す。千島樺太交換条約みたいな、朝台交換条約。
その次は日本はベトナム戦争に参戦。とうぜんアメリカ側として南ベトナム側に参戦だ。 この役割を韓国がしたわけだが、上記の世界線では大韓民国は存在していないので(米軍と人民解放軍が駐屯している国連信託領自由釜山みたいな都市国家がある)、日本ががっつりとベトナムに参戦。30万人ぐらいは派兵する。
それはアメリカ陸軍の下請けではあるが、下請けもここまでの規模になると元請けを凌駕する。南ベトナムに基地も作るし、周辺国に対する工作のイニシアチブも得る。特にこの周辺国に対する工作は大きい。というのもアメリカはあまりにもそれが下手だからだ。
大東亜共栄圏を再興しなくてもいい。そうではなくて、アメリカの影に隠れて南ベトナムを中心に東南アジアを再植民地化するということだ。当時の言葉で言う新植民地主義というやつだ。
でもどうせベトナム戦争はアメリカが負ける。負けないにせよ北緯17度線の維持が精一杯だ。北ベトナムにしても中国に従属しなければ国家運営ができない。
昭和45年(1970年)には、朝鮮半島と北ベトナムを共産党指導部から支配した中華人民共和国と、釜山と台湾と東南アジアをフィクサーとかマフィアから支配した日本とで、第二次日中戦争だ。日中だけで言うと白村江以来の第6次日中戦争だし、実態で言うとアジア版冷戦だろう。
互いにどの程度親分(ソ連やアメリカ)から支援を得ているかいないかは、状況次第。
アメリカ市場へのアクセスのおかげでそれなりに経済成長はしたがその成果を軍事費に吸い取られた、プラザ合意もバブルもない「強化版大日本帝國」たる戦後昭和日本。
vs
大躍進はともかく文化大革命はそれどころではなかったし、ソ連とも敵対はしなかったが、改革開放もなく水爆実験もなかった「大きめの中華帝国」たる新中国・中共。
1970年代にこの構図ができたとして、どっちが勝つかねえ。 どっちも勝ちも負けもしない気はする。
1980年代には東側陣営が自壊して冷戦が終わるわけだが、この状況の中国が東側かと言うとあやしいし、そもそも日本が西側かというのも怪しい。
でもなあ、1980年代の日本と西独がなければ東側は崩壊しななっただろう。西独はともかくとして日本が1980年代になっても大日本帝国の延長みたいな国家社会で、中国も文革もニクソンも鄧小平もなかったら、アジアの冷戦の帰結に対する影響度は、南米のそれと同程度だっただろう。
でも結局は、この世界では西側が勝つと思う。 この世界ではアジアで日中がずるずると戦っており、どちらもせいぜいが地域リーダーにしかならない。今のイランや南アフリカやブラジル程度だ。もっと甘く見ても、小規模なインドや、野心的なオーストラリアってぐらい。
そんな世界で、結局は経済競争で、西ドイツが東ドイツに勝つ形で冷戦は終わるだろう。アジアの事情など関係なく。ベルリンの壁崩壊だのヨーロッパピクニックだのといった東独革命の高らかな歴史を見ると東西冷戦崩壊はヨーロッパ正面で主に起こったようだが、日本も中国もベトナムも朝鮮もずいぶんと軽視してくれたものだと思う。それは西欧中心主義というものであるが、これにもそれが当てはまるというのに気づくには21世紀後半までかかるだろうな。フランスが東欧に戦術核ミサイルを撃ち込むまでは変わらないさ。
話がそれた。
1970年代にアジア方面で日中は膠着し、1980年代にヨーロッパ方面で冷戦の正面戦線が崩れる。 朝鮮戦争もベトナム戦争も経験しなかった(参戦はしたが泥沼は同盟国に押し付けて逃げ切れた)米国は、1990年現在でも超大国の座を維持している。 もうちょっと若いレーガンが出てきて、2000年に東欧が崩壊して冷戦終結だ。
ヨーロッパの歴史はそれでいいとして、中華民国と大差ない中華人民共和国と、大日本帝国と大差ない日本国とが、ずるずる対峙しているのが、この世界の西暦2000年のアジアだ。
この大義名分のない対峙って、この現実世界の2025年の中台関係に似ているかもしれない。
本当に似ているかも。 この仮想世界の日本は、1945年に台湾を手放したが、その後しばらくして台湾を取り戻す。ぶっちゃけ棚ぼただが、かくなる上は次は手放さない。中国が朝鮮を占領していて、その中国と対峙しているので、プロパガンダ的に台湾を楽園にしなければならないのもある。
民主主義、インフラ投資、多文化教育。その他諸々。 モンゴルやウイグルやチベットや朝鮮に対して強圧的な同化政策を取らざるを得ない中共北京政府に対して、帝国東京政府は緩やかな「法の下の平等」政策を取ることができる。
内地と沖縄と台湾で徴兵制を施行し、その規定を全く平等に適用する。徳川慶喜の孫もタイヤル族の首長の孫も���大阪のスラムの子も、北海道の開拓農民の子も、すべて同じく帝国陸軍二等兵だ。
彼ら4人は南ベトナムに派兵されて、同じように生きて同じように死ぬ。南ベトナム人も同じように死ぬ。彼らが平等に死んだとき、「帝国」は日本帝国ではなくなる。地理や民族や歴史や言語を超越した、死者への想像力によって成立した無名の帝国であり、それは「国民」だ。日本+沖縄+台湾+南ベトナムを一体化した新しい国民国家が1980年から2000年にかけて生まれる。
中国+朝鮮+北ベトナムもまた、日本国民との長い戦いを経て、一つの政治的実体としてまとまっていくだろう。 ただ、短期決戦で終わった朝鮮戦争+ぬるい中ソ対立+文革と改革開放なし+水爆もなし、というなんの盛り上がり感に欠ける中共政府ってどうなんだろう。
「朝鮮と満州を失った代わりに、台湾と東南アジアをアメリカの後ろ盾のもとに維持する日本」
「アメリカともソ連とも対峙せず水爆も開発せず、毛沢東も鄧小平もおらず、大躍進も改革開放もない中国」
ヨーロッパで冷戦が終わっても、ソ連がなくなっても、それでも2025年現在で、「もうちょっとましな平壌」みたいな中華人民共和国北京政府と、「戦争にしか役に立たない国民国家」の日本国東京政府が、2025年にアジア全域でずるずると対立し続けているだろう。
0 notes
Quote
ウクライナ国防省情報総局は10日、ロシアの実効支配下にあるウクライナ南部クリミア半島西部のウズカヤ湾で海上ドローン攻撃を行い、露海軍の小型揚陸艇2隻を撃沈したと発表した。沈没したことを示す写真も公表した。同情報総局は、2隻が黒海海域で露軍の防空を担っていたと指摘し、今回の喪失により、露軍の防空力がさらに低下するとした。ロシアの侵略を受け、海軍力で劣るウクライナは海上ドローンの開発・製造に着手。8月以降、黒海海域で露大���揚陸艦や哨戒艦、燃料タンカーなどに損傷を与えた。ウクライナはクリミア周辺に露軍が配備していたレーダーや防空システムを相次いで無力化しており、一連の攻撃が成功した背景には露軍の制海力の低下があると分析されている。一方、東部ドネツク州アブデーフカの防衛戦を巡り、ウクライナ軍のザルジニー総司令官は10日、1カ月で露軍に約1万人の人的損害を与えたほか、露軍の戦車や装甲車計350両、スホイ25攻撃機7機を撃破したと明らかにした。ウクライナメディアが伝えた。
ウクライナ軍、露揚陸艇2隻撃沈 クリミア西部 - 産経ニュース
3 notes
·
View notes
Text
騎單車練哪裡?
想像一下,陽光灑在台灣的山巒與海岸線上,你騎著單車穿梭於綠意盎然的鄉間小路或是沿著海邊悠遊。台灣擁有豐富多樣的自然景觀,是騎行愛好者的天堂。不論是北部淡水河畔的自行車道、南部恆春半島的海岸線,還是中部日月潭周圍蜿蜒的小徑,每一段路程都蘊藏著不同的風情與故事。選擇適合自己的騎行地點,不僅能享受運動帶來���健康益處,更能深入體驗台灣獨特的人文與自然之美。透過騎單車,我們可以遠離都市喧囂,親近土地和空氣,用最貼近大自然的方式探索這片土地上的每一個角落。因此,”騎單車練哪裡?”答案其實就在我們身邊,只要用心去發現,就能找到屬於自己的一方天地。在台灣這片充滿活力與魅力的大地上,讓我們以腳踏實地、心懷熱忱,一起開啟屬於你的精彩騎行旅程吧! 文章目錄 單車鍛鍊全攻略:核心肌群強化與平衡感提升 單車之旅:腿部肌肉雕塑與耐力訓練指南 騎乘姿勢優化:預防運動傷害與提升效率 單車路線規劃:探索台灣多元地形與風…
0 notes
Text
金門離台灣哪裡最近?
在台灣的西南方,有一個美麗的島嶼–金門。這個小島不僅擁有豐富的歷史文化,還是台灣與中國大陸之間的重要橋樑。許多人或許會好奇,金門離台灣的距離究竟有多近?其實,金門與台灣本島的距離最短處僅約130公里,這段距離在海上航行的時間也不過一個多小時。 想像一下,當你在金門的沙灘上漫步,耳邊傳來海浪的聲音,眼前是蔚藍的海洋,而不遠處的台灣本島則隱約可見。這樣的景象不僅讓人感受到兩岸的親近,更讓人思考兩岸之間的文化交流與合作的可能性。 金門不僅是觀光的好去處,更是探索台灣與大陸之間歷史與人文的窗口。無論是品嚐當地的美食,還是參觀歷史遺跡,金門都能讓你感受到那份獨特的魅力。讓我們一起走進金門,體驗這片土地的故事,感受它與台灣之間的緊密聯繫。 文章目錄 金門近在咫尺:揭秘地理距離與交通選擇 金門旅遊全攻略:在地達人帶你玩轉戰地風情 金門美食深度探索:老饕必嚐的道地風味與推薦 金門住宿精選指南:打造舒適…
0 notes
Text
軍事は、国家や集団の安全保障や利益を達成するための複雑なシステムであり、政略(グランドストラテジー)、戦略、戦術、兵器、そして情報、兵站、心理戦などの要素が相互に連携します。「騙す」「脅す」「奪う」「盗む」などの行為は、これらの要素の中で戦略的・戦術的に活用され、敵の戦力、意志、資源を弱体化させるために用いられます。以下では、これらを階層的・機能別に整理し、詳細に解説します。
1. 政略(Grand Strategy)
定義: 政略は、国家の長期的目標(安全保障、領土保全、経済繁栄、国際的影響力など)を達成するための包括的な計画であり、軍事力、外交、経済、文化などのリソースを統合的に運用します。「犯罪類型」は、敵国や国際社会に対する影響力を高めるために活用されます。
主要要素
国家目標の設定: 領土防衛、資源確保、覇権確立など。
例: 冷戦期の米国の「封じ込め政策」は、ソ連の拡張を阻止する政略。
資源配分: 軍事予算、人的資源、技術開発への投資。
例: 2023年の米国防予算約8160億ドルによる軍事力強化。
同盟と外交: 同盟構築や敵対勢力への対抗。
例: NATOや日米同盟の形成。
ソフトパワー: 文化や価値観の輸出。
例: 中国の「一帯一路」構想を通じた経済的影響力。
犯罪類型の活用
騙す: 偽の外交シグナルやプロパガンダで敵国を誤認させる。
例: 冷戦期のソ連による偽装和平交渉。
役割: 敵の戦略的準備を遅らせ、国際的支持を操作。
脅す: 核抑止や経済制裁の脅威で敵の行動を抑制。
例: 米国のイランに対する経済制裁の圧力。
役割: 敵の譲歩を誘い、戦争を回避。
奪う: 資源や経済基盤の支配。
例: 日本の第二次世界大戦中の東南アジアの石油資源占領。
役割: 敵の経済力を弱体化。
盗む: 敵国の技術や外交情報を秘密裏に入手。
例: NSAの盗聴(スノーデン事件)。
役割: 敵の戦略を予測し、優位性を確保。
2. 戦略(Strategy)
定義: 戦略は、政略の目標を達成するために軍事力をどのように運用するかを計画するレベル。戦域全体や複数戦域を視野に入れ、長期的な勝利を目指します。「犯罪類型」は、敵の戦力を分散させたり、混乱を誘うために用いられます。
主要要素
作戦目標: 敵の首都占領、補給線遮断、経済基盤破壊など。
例: 第二次世界大戦の「ノルマンディー上陸作戦」。
戦力配分: 陸海空軍、サイバー戦力、宇宙戦力の配置。
例: 湾岸戦争での多国籍軍の戦力展開。
情報戦との連携: 諜報やプロパガンダで敵を混乱。
例: ウクライナ紛争でのSNS情報戦。
後方支援: 兵站、補給、医療の計画。
例: 第二次世界大戦中のレンドリース法による補給。
犯罪類型の活用
騙す: 欺瞞作戦で敵の主力部隊を誤った戦域に誘導。
例: 「フォーティテュード作戦」(偽のカレー上陸)。
役割: 敵の戦力を分散させ、味方の攻撃を成功させる。
脅す: 軍事展開やプロパガンダで敵を威圧。
例: 南シナ海での米軍の「航行の自由作戦」。
役割: 敵の戦略的選択を制限。
奪う: 補給線や領土の遮断・占領。
例: 第二次世界大戦中のUボートによる補給船攻撃。
役割: 敵の戦闘継続能力を奪う。
盗む: 敵の作戦計画や情報を入手。
例: エニグマ暗号の解読。
役割: 敵の動きを予測し、戦略を最適化。
3. 戦術(Tactics)
定義: 戦術は、戦略を具体的な戦闘行動に落とし込むレベルで、個々の戦闘や作戦単位での戦い方を設計します。「犯罪類型」は、局地的な戦闘で敵を出し抜くために活用されます。
主要要素
戦闘計画: 部隊の動き、攻撃・防御のタイミング、陣形。
例: ドイツの電撃戦(陸空連携)。
地形活用: 高地、河川、都市を戦術に利用。
例: アフガニスタンでの山岳ゲリラ戦。
部隊連携: 歩兵、戦車、航空支援の協調。
例: 湾岸戦争の多兵科連携。
即応性: 戦場での状況変化��の対応。
例: ベトナム戦争でのゲリラ即興戦術。
犯罪類型の活用
騙す: カモフラージュやフェイントで敵を欺く。
例: ベトナム戦争のジャングル迷彩、陽動攻撃。
役割: 敵の偵察や防御を無効化。
脅す: 威嚇射撃や音響兵器で敵を動揺。
例: 海賊対策での警告射撃。
役割: 戦闘を回避し、敵の戦意を削ぐ。
奪う: 拠点、兵器、捕虜の確保。
例: 硫黄島の戦いでの拠点奪取。
役割: 戦術的優位を確立。
盗む: 敵の通信や装備を入手。
例: 第二次世界大戦中の無線傍受。
役割: 敵の戦術を事前に把握。
4. 兵器(Weapons)
定義: 兵器は、作戦を実行するための物理的ツールであり、「犯罪類型」を効率的に実現する手段を提供します。破壊力、精度、機動性が重視されます。
主要カテゴリ
従来型兵器:
小火器(ライフル、機関銃)、戦車、戦闘機、艦艇、砲兵。
例: M1エイブラムス戦車、F-35戦闘機。
大量破壊兵器:
核、化学、生物兵器。
例: ICBM、VXガス。
新世代兵器:
サイバー兵器、無人兵器(ドローン)、宇宙兵器、レーザー兵器、極超音速兵器。
例: トルコのバイラクタルTB2ドローン。
非致死性兵器:
催涙ガス、音響兵器、電磁波兵器。
例: フラッシュバン。
犯罪類型の活用
騙す: デコイ(囮)や電子妨害で敵を欺く。
例: フレアや偽のレーダー信号。
役割: 敵の攻撃を無効化。
脅す: 巨大兵器や極超音速兵器で威圧。
例: 米空母の戦力投影。
役割: 敵の心理的圧迫。
奪う: 破壊兵器で敵のインフラや資源を破壊。
例: 精密誘導爆弾による橋梁破壊。
役割: 敵の戦力を奪う。
盗む: ハッキングツールや偵察ドローンで情報を入手。
例: ペガサススパイウェア、偵察衛星。
役割: 敵の秘密を窃取。
5. その他の重要要素
軍事は、兵器や戦術だけでなく、多様な支援要素に支えられ、「犯罪類型」はこれらの要素と密接に連携します。
a. 情報(Intelligence)
役割: 敵の動向、戦力、意図を把握。
活用:
騙す: 偽情報を敵に流す(例: 偽の軍事計画)。
盗む: 諜報活動で情報を入手(例: エニグマ解読)。
例: ウクライナ紛争での衛星情報によるロシア軍の動向把握。
b. 兵站(Logistics)
役割: 補給、輸送、医療で作戦を支える。
活用:
奪う: 敵の補給線を遮断(例: Uボート作戦)。
� protuberance: 敵の補給を奪う(例: ゲリラ戦での鹵獲)。
例: 第二次世界大戦中の連合国の補給網。
c. 指揮統制(Command and Control, C2)
役割: 部隊の統率と意思決定。
活用:
騙す: 偽の通信で敵を混乱(例: サイバー攻撃での偽命令)。
盗む: 通信傍受で敵の計画を入手(例: SIGINT)。
例: 米軍のC4ISRシステム。
d. 心理戦(Psychological Operations, PSYOPS)
役割: 敵の戦意や民意を操作。
活用:
騙す: 偽情報で敵を動揺(例: ビラ散布)。
脅す: 恐怖を与えるプロパガンダ(例: 「降伏しなければ壊滅」)。
例: ベトナム戦争での心理戦ビラ。
e. 訓練(Training)
役割: 兵士や部隊の戦闘能力を強化。
活用:
騙す: 偽装訓練で敵を欺く(例: 偽の演習)。
奪う: 鹵獲技術の訓練。
例: 米海兵隊のブートキャンプ。
f. 経済力
役割: 軍事力の資金や資源を確保。
活用:
奪う: 経済封鎖で敵の資源を制限(例: キューバ封鎖)。
盗む: 技術窃盗(例: 中国のサイバー攻撃)。
例: 軍需産業の技術開発。
g. 技術・イノベーション
役割: 新技術で軍事力を強化。
活用:
騙す: ステルス技術やサイバー偽情報。
盗む: ハッキングやドローン偵察。
例: ウクライナ紛争でのドローン活用。
h. 民意と政治的支持
役割: 国内の支持を確保。
活用:
騙す: メディア操作で支持を獲得。
脅す: 国民への脅迫的メッセージ。
例: ベトナム戦争中の反戦運動対策。
i. 環境・地形
役割: 戦場の条件を活用。
活用:
騙す: 地形を利用したカモフラージュ。
奪う: 戦略的要衝の占領。
例: アフガニスタンの山岳戦。
j. 国際法と倫理
役割: 軍事行動の制約を規定。
活用:
騙す: 国際法を装った欺瞞(例: 人道的介入を名目にした侵攻)。
脅す: 国際的非難の圧力。
例: ジュネーブ条約による捕虜保護。
6. 関連する犯罪類型パターン
「騙す」「脅す」「奪う」「盗む」以外の類似行為も、軍事で活用されます。
a. 妨害(Sabotage/Disruption)
定義: 敵のインフラ、通信、補給を破壊・妨害。
例:
インフラ破壊: レジスタンスによるナチスの鉄道破壊。
サイバー妨害: DDoS攻撃で敵のシステムを麻痺。
役割: 敵の戦闘能力を低下。
b. 誘導(Manipulation)
定義: 敵を誤った行動に誘導。
例:
偽の降伏: 古代中国の「空城の計」。
分断工作: 冷戦期の離間工作。
役割: 敵の団結や戦略を崩す。
c. 隠す(Concealment)
定義: 作戦や戦力を隠蔽。
例:
ステルス技術: F-35戦闘機。
秘密保持: マンハッタン計画。
役割: 敵の探知を回避。
d. 破壊(Destruction/Vandalism)
定義: 敵の資源や文化的象徴を破壊。
例:
焦土作戦: ナポレオンのロシア遠征でのロシアの戦術。
文化財破壊: ISISによる遺跡破壊。
役割: 敵の士気や基盤を弱体化。
e. 裏切り(Betrayal/Subversion)
定義: 敵の内部から崩す。
例:
内通者利用: トロイの木馬。
クーデター支援: CIAのラテンアメリカ工作。
役割: 敵の指導部や組織を無力化。
まとめ
軍事における「騙す」「脅す」「奪う」「盗む」及び関連する「犯罪類型」は、政略(国家目標の達成)、戦略(戦域全体の計画)、戦術(局地的戦闘)、兵器(技術的ツール)、および情報、兵站、心理戦、指揮統制などの要素と密接に連携します。これらの行為は、敵の戦力、意志、資源、情報を弱体化させ、味方の優位性を確保するために不可欠です。歴史的例(トロイの木馬、エニグマ解読、フォーティテュード作戦)や現代的例(ウクライナ紛争のドローン・サイバー戦)から、これらが軍事の成否を左右する鍵であることがわかります。現代戦では特にサイバー戦や情報戦が「盗む」「騙す」の比重を高め、ドローンやAIが「奪う」「脅す」の効率を向上させています。
もし特定の要素(例: サイバー戦の詳細、歴史的ケース)や犯罪類型(例: 妨害や誘導の具体例)にさらに焦点を当てたい場合、または特定の紛争や時代(例: 冷戦、現代戦)に絞った分析が必要であれば、教えてください!またよろしくお願いします!
Today's date and time is 03:05 PM JST on Thursday, June 12, 2025.
0 notes