#炭火焼仕立てのあごだし焼うどん
Explore tagged Tumblr posts
Text
instagram
マルちゃん 炭火焼仕立てのあごだし焼うどん
シンプルにだしで勝負する潔さ(人によっては薄味と感じるかも)
かやくはパッケージ写真ほどのボリュームはないかな( ꒪Д꒪)
2 notes
·
View notes
Text
【かいわいの時】天保八年(1837)二月十九日:大坂町奉行所元与力大塩平八郎決起(大阪市史編纂所「今日は何の日」)
難波橋を渡った大塩軍は、二手に分かれて今橋筋と高麗橋筋に進みます。森鴎外の『大塩平八郎』には次のように描写されています。
方略の第二段に襲撃を加へることにしてある大阪富豪の家々は、北船場に簇(むら)がつてゐるので、もう悉く指顧の間にある。平八郎は倅格之助、瀬田以下の重立つた人々を呼んで、手筈の通に取り掛かれと命じた。北側の今橋筋には鴻池屋善右衛門、同く庄兵衛、同善五郎、天王寺屋五兵衛、平野屋五兵衛等の大商人がゐる。南側の高麗橋筋には三井、岩城桝屋等の大店がある。誰がどこに向ふと云ふこと、どう脅喝してどう談判すると云ふこと、取り出した金銭米穀はどう取り扱ふと云ふこと抔(など)は、一々方略に取り極きめてあつたので、ここでも為事(しごと)は自然に発展した。只銭穀の取扱だけは全く予定した所と相違して、雑人共は身に着つけられる限の金銀を身に着けて、思ひ/\に立ち退いてしまつた。鴻池本家の外は、大抵金庫を破壊せられたので、今橋筋には二分金が道にばら蒔まいてあつた。(七、船場)
この時の模様は、被害に遭った商人側でも詳細な記録が残されており、たとえば、三井文庫所蔵の史料「天保七年 浪速持丸長者鑑」(写真=コメント欄)には、焼き打ちされた商家に赤線が引かれています。ランク順に並べてみると
鴻池善右衛門(総後見)、三井呉服店(行事)、岩城呉服店(行事)、米屋平右衛門(東小結)、鴻池他治郎(西小結)、鴻池正兵衛(西前頭)、米屋喜兵衛(西前頭)、日野屋久右エ門、炭屋彦五郎、米屋長兵衛、甥屋七右衛門、和泉屋甚治郎、鴻池徳兵衛、長崎屋与兵衛、米屋与兵衛、泉屋新右衛門、紙屋源兵衛、小西佐兵衛、越後屋新十郎、よしの屋久右衛門、大庭屋甚九郎、昆布屋七兵衛、さくらいや八兵衛、平野屋喜兵衛、某
など、25商(店)の名前があがっています。今橋筋、高麗橋筋の商家は軒並み焼き打ちに遇っています。肥後橋の加島屋久右衛門(西大関)はコースから外れていたため難を逃れたようです。
(写真)「天保七年 浪速持丸長者鑑」1837(公益財団法人 三井文庫蔵) 相撲の番付表のように商人をランキングした表で、大塩の乱で被害を受けた商家に赤線が引かれている。三井、鴻池などが被害にあっていることがわかる(三井広報委員会)。
また、諸家の記録から、事件当日の様子や対応策、その後の復旧策を見てみると
(鴻池家)加島屋某筆とされる『天保日記』(大阪市立中央図書館所蔵)では天保八年(一八三七)二月十九日、火見台から望見して「鴻池本宅黒焰大盛二立登、其恐懼シキ事不可云」、幸町別邸めざして落ちのび、そこで加島屋某らが「鴻池於隆君・勝治・和五郎」らと無事出あうところが生々しくえがかれている。和泉町の鴻池新十郎家の記録 『北辺火事一件留』(大阪商業大学商業史資料館所蔵)でも、鴻池本家当主の善右衛門が土佐藩邸、長音は泰済寺、そのほか瓦屋町別荘などへ逃げ、鴻池深野新田農民をガードマンとして急遽上坂させるなど、その被害状況や防衛対策が丹念に記録されている。
(三井呉服店)三井では、同日三郎助高益(小石川家六代)が上町台地の西方寺に避難し、「誠に絶言語、前代未聞之大変にて」と、 ただちにレポを京都に送り、木材・釘・屋根板・縄莚などをすぐ仕入れ、はやくも三月八日に越後屋呉服店大坂店の仮普請完成=開店している様子が詳細に記録されている。(コメント欄参照)
(住友家)住友家史『垂裕明鑑』には、大塩事件のまっただなかで、泉屋住友が鰻谷(銅吹所その他)から大坂城にむけて鉛八千斤(弾丸)を三度にわけて必死で上納運搬したこと、事件による住友の被害として、「豊後町分家、別家久右衛門・喜三郎掛屋敷の内、備後町・錦町・太郎左衛門町三ケ所延焼」に及んだこと、そして住友の親類の豪商としては、「鴻池屋善右衛門、同善之助、平野屋五兵衛、同郁三郎」家などが軒並み“大塩焼け”で大きな被害をこうむったこと等々が、 生々しく記されている。
三井家では、享保の大飢饉の後に起きた江戸における打ち毀し(1733年)に衝撃を受け、以後、食料の価格が暴騰すると近隣に米や金銭を配って援助したり、また飢えた人々に炊き出しをしたりするなど、三都(江戸・京都・大坂)において施行を継続しています。それが、大塩平八郎の乱では標的にされ、襲撃された大坂本店は全焼、銃撃による負傷者まで出るほどであったと伝えています(三井広報委員会)。
儒学者の山田三川が見聞きした飢饉の様子や世間の窮状を日記風に書き留めた『三川雑記』には、乱の前に大塩は鴻池・加島屋・三井の主人らと談じ、富商十二家から五千両ずつ借りれば六万両となり、これで何とか八月半ばまでの「飢渇」をしのげると、「しばらくの処御取替」を依頼していたとあります。同意した加島屋久右衛門は襲われず、三井と鴻池は反対したため焼き打ちに遭ったとも言われています(山内昌之)。
ただし、『浮世の有様』の天保八年雑記(熊見六竹の筆記)には、この話は「或説」として取り上げられており、それによると、「十人両替へ被仰付候処、町人共御断申上候筋有之」とあります。三井はもちろん、鴻池や加島屋にも記録はなく、風評の域を出ないものと思われます。
(参考文献) 中瀬寿一「鷹藁源兵衛による泉屋住友の “家政改革”-大塩事件の衝撃と天保改革期を中心に-」『経営史学/17 巻』1982 三井広報委員会「三井の苦難(中編)」三井グループ・コミュニケーション誌『MITSUI Field』vol.39|2018 Summer 山内昌之「将軍の世紀」「本当の幕末――徳川幕府の終わりの始まり(5)大塩平八郎の乱」文芸春秋2020 山田三川『三川雑記』吉川弘文館1972 矢野太郎編『国史叢書 浮世の有様』1917
16 notes
·
View notes
Text
新千歳空港やスーパーで手にいれる! 地元民もイチオシの「北海道みやげ」6選 - ライブドアニュース
以下引用
●北海道は観光シーズン真っ只中を迎えようとしています!
北海道を訪れるなら、どんなお土産を買うべきか悩むところ。今回は、「北海道土産(主に函館)」6選をご紹介!。お土産はもちろん、自分用にも買ってしまいたい絶品です!
新千歳空港でも買える絶品スイ��ツ「チーズオムレット」
まずは、函館の人気洋菓子店『ペイストリースナッフルス』の「チーズオムレット」。厳選されたミルクとチーズを使用し、職人が一つひとつ手作りするこの生菓子は、チーズのほどよい酸味とミルキーな甘さが絶妙な一品です。日持ちはしませんが、自分用や親しい人へのギフトにぴったりです。
トラピスト修道会が製造する「トラピストバター」

次に紹介するのは、北斗市のトラピスト修道会が製造する「トラピストバター」。フランスのシトー会修道院に伝わる伝統的な製法で作られる発酵バターで、一度食べたら一般的なバターには戻れないほどの美味しさです。ミルクのコク、香り、甘みを存分に堪能できます。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/bar-restaurant/84791/
『セイコーマート』限定「山わさび塩ラーメン 改」
『セイコーマート』の「山わさび塩ラーメン 改」は、各メディアでも話題の一品。北海道ならではの山わさび(ホースラディッシュ)の強烈な刺激と骨太な塩スープがクセになります。筆者自身も帰省のたびにまとめ買いするほどの愛用品です。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/column/74572/
北海道限定のご当地ラーメン「スープカレーラーメン」
東洋水産の工場がある北海道だからこそ手に入る「スープカレーラーメン」。スパイシーなコクとチキンや野菜の旨みが絶妙で、トッピングに素揚げした野菜や鶏肉を加えるとより本格的に楽しめます。残ったスープでおじやを作るのも通な楽しみ方です。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/column/73185/
お酒好きにおすすめ「大人の塩辛 みそ味ラー油」
函館七飯町の『有限会社たかせ』が発売する「大人の塩辛 みそ味ラー油」は、辛党のおつまみにぴったり。味噌とワインで仕込んだイカの塩辛は、味噌のコクとラー油のピリ辛が絶品で、ご飯やバゲットにもよく合います。 ●過去の掲載記事はこちらからチェック! https://www.syokuraku-web.com/column/72413/
『ハセガワストア』の冷凍やきとり
最後に紹介するのは、函館のB級グルメ「やきとり弁当」を販売する『ハセガワストア』の冷凍やきとり。真���パックされたやきとりは湯煎するだけで炭火焼の香ばしさが蘇ります。濃い味の「塩ダレ」や「うま辛」、「みそだれ」が特におすすめです。 ●過去の掲載記事はこちら。 https://www.syokuraku-web.com/gift/79918/
まとめ
北海道旅行では、ぜひこれらのおすすめ土産を手に入れてみてください。友人や家族へのお土産、自分へのご褒美に最適です!旅行計画を立てる際の参考にしてください。
5 notes
·
View notes
Quote
先日のやり取りで、どうやら「まだまだ石油はたくさんあるから大丈夫」「石油以外のエネルギーもたくさんあるから大丈夫」という人が少なくない様子。これらについてちょっと考えてみたいと思う。 石油の埋蔵量自体はたくさんある。2020年の石油消費量の実に50倍以上の石油があると言われている。私が子どもの頃、「あと30年で石油はなくなる」と言われてから40年たっていて、まだ50年分あるんだったら大丈夫な気がしても不思議ではない。ただし、埋蔵量という指標に実は問題がある。 原材料を100円で仕入れてきて、タコ焼きに加工して90円で売る人がいたら、大損するだろう。それと同じで、石油を掘るには、掘るために必要なエネルギー(採掘エネルギー)よりもたくさんの石油が採れないと意味がない。採掘時のエネルギー消費の何倍の石油が採れたかを示す指標をEROIという。 石油の利用が始まったばかりの頃は、地面に穴をあけるだけで石油が噴水のように噴き上げた。このとき、採掘時のエネルギー消費の200倍の石油が採れたから、EROIは200だった。しかし近年は10倍を切り、どうやら7倍前後の油田もあるらしい。急速に数値が悪化している。 近年注目されたシェールオイルは、実はEROIの数値が10を切り、7程度のところもあるという。これは、水を高圧で地下に注入することにより、石油を搾りだすという手法をとっているためで、採掘に多大なエネルギー消耗がある。このため、石油がたいして採れない。 EROIが3を切ると、石油はもはやエネルギーとして価値を失うという。石油をガソリンや軽油に加工するエネルギーも賄う必要があるからだ。世界の油田は、この「3」という数値にどんどん近づいていっている。なるほど、埋蔵量はたくさんあるようだが、掘っても赤字になる石油が多い。 「新技術が開発されればまだまだ石油は採れる」と信じたくなるが、その新技術であるシェールオイルでさえ、水を高圧で送り込んで石油を搾りだすという技術だから、石油を搾るのにエネルギー浪費が大きくなり、EROIの数値が悪化するばかり。いずれ、石油はエネルギーとして利用できなくなる。 また、石油は投資家たちから「座礁資産」とみなされ始めている。投資しても儲からない資源になりつつあるためだ。投資して新しい設備にしても、投入したエネルギーの7倍程度しか石油が採れないのでは、利幅も小さい。投資が集まらず、設備を更新できず、廃止する油田も出てきているという 石油よりも太陽光発電のような新エネルギーの方が投資先として魅力を増しているという。すでに述べたように、石油は採掘で消費したエネルギーの7倍程度しか取れなくなってきたが、太陽電池なら20倍のエネルギーが得られる。こちらの利幅の方が大きいとして、投資が集まりやすくなっている。 では、新エネルギーさえあれば石油がなくなっても大丈夫か?というと、話は単純ではない。一部の電気自動車を除き、自動車、船、飛行機などの輸送機械はいまだに石油で動いている。その率、なんと98%。石炭でも天然ガスでも自然エネルギーでもない。石油でしかそれらは動かせない。なぜか。 石油ほど優れたエネルギーが今のところ、他にないためだ。現時点で最も優れている電池は、リチウム電池。しかし、同じ1Lサイズでも、リチウム電池は石油の約5%程度しかエネルギーを貯められない。電池はかさばるし重い。このため、乗用車程度しか動かせない。 大型トラックや、農業用のトラクターなどの電化を進める研究が行われているし、メーカーも華々しく宣伝していたりするけれど、まだ実用的なものは開発できていない。電池が重すぎて、重量物を運んだり、パワーの必要なものを動かすには、貯められるエネルギーが小さすぎるためであるらしい。 あいにく、ほとんどの自然エネルギーが電気を作るタイプ。太陽電池、風力発電、地熱発電。また、自然エネルギーではないが、原子力や核融合も。これらはエネルギーを電気としてしか生めないが、電気は貯めることが非常に難しい。リチウム電池の次の世代、全固体電池でもまだパワー不足。 電気を貯める技術としては、揚水発電がある。まあ、ダムのこと。電気が余っているときに下流の水をダムの中に貯め込み、電気が足りないときに放水して発電する。しかしダムの新規建設は難しく、揚水発電でもっと大量に電気を貯めるということは、困難。 新たな蓄電技術として、重力発電が注目されている。電気が余っているときにコンクリートブロックを持ち上げ、足りなくなった時にブロックを落とす力で発電するという仕組み。かなり巨大な施設になるけれど、日本のエネルギーを賄おうとすると、250万基設置する必要がある。ちょっと非現実的。 電気を貯めることができない以上、太陽電池や風力発電のようにお天気任せの発電方法では、夜間や風のない日にエネルギーを供給できなくなる。電気を貯める技術開発が求められるが、まだ決定打となるほどの技術は実用化されていないのが現状。 では、安定的に電気を作れる原子力はどうかというと、これも実は資源枯渇が心配。現時点での原発の数で済むなら、170年分のウランがある。しかし各国が原発を増やそうとしており、もし計画通りに原発が増えると、30年分しか資源がない。実はウランも限りあるエネルギー。 プルトニウムを使えば半永久的に発電することができる。ただし、それを実現するには高速増殖炉という特殊な原子炉を実用化する必要がある。残念ながら、原子力先進国である日本、フランス、アメリカなどのどこも実用化できていない。夢の技術は夢で終わる可能性が結構高い。 プルトニウムを普通の原子炉で燃やすプルサーマル発電という技術がある。ただし普通の原子炉でプルトニウムを燃やすと、アメリシウムという厄介なゴミができて、燃料が本当のゴミになってしまい、資源として再生できなくなってしまう。結局、原子力も限りあるエネルギーというのが実態。 核融合なら無限にエネルギーを取り出せる、実用化も目前だというじゃないか、という人も多いかもしれない。私も興味を持って、「投入したエネルギーよりも大きいエネルギーを核融合で発生させた」というニュースを読んでみたら、要するに小さな水爆を爆発させただけだった。 核融合の燃料を小さなプラスチックビーズに詰め込み、これに強力なレーザー光線を四方八方からぶつけて水爆を爆発させた、というもの。その爆発のエネルギーが、投入したレーザービームよりも大きかった、というのだけど、それでどうやって発電するねん、という話。 もし持続的に発電しようと思うなら、燃料を詰め込んだビーズを、餅つきの合いの手のように、リズムよく投入する仕組みが必要。でも水爆が爆発したせいで炉内がぶっ壊れてしまう。一発勝負で爆発させても、エネルギーを得ることは困難。 また、レーザービームもかなり強力なものが必要で、一発発射するともう使い物にならなくなるのだという。交換に時間がかかってしまう。核融合でエネルギーを得るには、レーザービームを連続で長期間打てなきゃいけないのに、それもメドが立っていない。 また、核融合で発生する温度は1億℃。他方、鉄がとろける温度(融点)は1500℃程度、融点が比較的高いタングステンで3500℃程度。1億℃という温度にたえられる炉心を作るメドが立っていない。人類は、巨大すぎるエネルギーから電気を作る技術をまだ持ち合わせていない。 こう考えると、核融合は、研究が続けられるべきだと私は考えているが、すぐにでも実用化できるというものではない、全然メドが立っていない、という認識が必要だろう。 さて、自然エネルギーには地熱発電も期待されている。日本は火山が多く、特に地熱に期待が集まっているが、実は減っている。 日本の地熱発電は1997年にピークを迎えた後、実は減少の一途。なぜか。日本の火山は硫黄が多く、これが硫酸に変化し、配管に穴をあけてしまうので採算をとりにくいらしい。また、めぼしい場所は温泉地にすでになっていて、優良な場所が少ない。 アイスランドは地熱発電が盛んだけれど、これは私の考えでは、硫黄が恐らく少ないのと、溶岩の粘性が低い、というのも大きいような気がする。アイスランドは溶岩の流れる川を見るツアーがあるくらい、溶岩の粘り気が少なく、火山も爆発的な噴火がしにくいみたい。でも日本の場合。 溶岩の粘り気がひどく強く、そのために溶岩で噴火口がふさがり、高圧になってから爆発するという、非常に危険な噴火の仕方をする。このため、火口に近い場所で知力発電を行うのは危険すぎる。安全性も考えてとなると、地力発電の適地というのはごくごく限られたものとなり、採算があいにくい。 さて、電池で電気を貯めるのも、揚水発電や重力発電で電気を貯めるのもイマイチであるなら、いっそ電気で水素を作り、水素エネルギーとして活用しては?と思われる方も多いと思う。確かにこの方面の研究も盛んにおこなわれていて、私も注目しているが、実用化にはいくつもの課題が残されている。 水素を安全に貯める技術が不十分。水素分子はあまりに小さくて、金属に染み込んでしまい、金属を脆くする「水素脆化」という現象が知られている。このため、水素を何とか液化して金属タンクで貯蔵しようとしても、いつ劣化して破裂するか分からない。水素を高密度で貯めることが困難。 そもそも、水素ガスを液体化するのも困難。どれだけ冷やしても水素は液化せず、さらに高圧をかけないと液化しない。液化するだけで結構なエネルギーの消耗がある。液化できても水素脆化のためにためることが難しい。水素は、非常に貯めにくいエネルギー。 そこで、アンモニアが注目されている。アンモニアは水素をくっつけたりはがしたりして、水素の運び屋として使えることが知られている。そこで、アンモニアの形で水素を運び、必要に応じて水素を取り出す技術の開発が進められている。アンモニアは液化も簡単だし、保管も比較的楽だし。 ところが、アンモニアも課題がある。アンモニアは肥料としても重要な成分で、アンモニア製造だけで世界のエネルギー消費の1~2%を消耗していると言われている。実は、アンモニアを製造するにはものすごくエネルギーが必要。これは、ハーバー・ボッシュ法という昔の製造法しか事実上ないため。 この製造方法では、空気中の窒素ガスに高温と高圧をかけてアンモニアを製造する。このとき、大量のエネルギーを消耗する。だから、アンモニアを製造すること自体がエネルギー消耗を巨大にしてしまう要因でもある。また、アンモニアを製造するには、天然ガスか石炭を原料にしている。二酸化炭素増加。 天然ガスや石炭を燃やさずにアンモニアを製造する研究もおこなわれている。サウジアラビアで、太陽電池のエネルギーでアンモニアを製造するプラントを試作しようという動きもあるらしい。しかしアンモニア製造という化学反応は、24時間同じ調子で動かすから効率がよいけれど、太陽電池は昼間だけ。 夜間、アンモニア製造に必要なエネルギーをどうやって賄う?という課題が出るだろう。恐らく、天然ガスなどの化石燃料を燃やすしかあるまい。まだ人類は、電気のエネルギーだけでアンモニアを安定的に製造する技術体系を確立できているとは言えない状況。 水素もアンモニアもまだ実用化に時間がかかるとすれば、バイオエタノールやバイオディーゼルなどのバイオ燃料はどうだろう。実は、バイオ燃料でエネルギー的に黒字なのは、ブラジルのサトウキビ由来バイオエタノールだけ。他は軒並み製造時に消耗するエネルギーの方が大きい。エネルギー的に赤字。 ブラジルのバイオエタノールは、「砂糖を大量製造するついで」という好条件と、サトウキビの搾りかす(バガス)を燃料にして、バイオエタノールを水と分離する蒸留を可能にしているので、製造時の7倍以上のバイオエタノールがつくられる。これ、バイオ燃料の中で例外中の例外。 たとえばアメリカでは、トウモロコシを原料にしてバイオエタノールを生産しているが、製造に要したエネルギーより小さなバイオエタノールしか得られない。エネルギー的に赤字。作れば作るほどエネルギーが減る構造。いったい何のためなのやら、といった感じがする。 菜種油などの油を原料にしたバイオディーゼルでも、製造時に消耗したエネルギーより小さな量のバイオディーゼルしか製造できない。バイオ燃料は、ブラジルのバイオエタノールを唯一の例外として、「作れば作るほどエネルギーが減る」という実態がある。 「だけど航空機はSAFといって、バイオ燃料で一定程度飛ばすことが義務付けられているじゃないか」と思われる方もいるかもしれない。実は、理由は「二酸化炭素を減らしたい」から。バイオ燃料は作れば作るほどエネルギーが減ってしまうのだけど、二酸化炭素の排出は石油より少なくて済む。理由はそれ。 飛行機は恐らく、石油系の液体燃料か、バイオ燃料でないと今後も飛ばすことはできない。電気で乗客を乗せて飛ばすのは困難。飛行機はエネルギー的に大赤字の交通手段だが、これを飛ばし続けるには、まだしも二酸化炭素排出が少ないバイオ燃料に置き換えるしかないのかもしれない。 日本には大量の森林資源があるし、バイオ燃料もこれらを原料にすればいいじゃないか、発電にも利用すれば、と思われるかもしれない。しかし、日本の森林を全部伐採して発電に回したとすると、0.9年分は発電できるが、あと50年は電気無しで暮らしてもらわないといけない。その間、木は切れない。 森林は年に1億㎥成長するので、この分だけ発電に回すと、6日分の電力を作れる。あとの359日は電気無しの生活。このように、森林資源は大量にあるようだけれど、エネルギーとしてみると微々たるもの。石油エネルギーの巨大さ、安価さがこの点からもよくわかる。 石油がエネルギーして利用できなくなる時代がどうやら近づいている。2020年になって急にアメリカや中国の態度が変わり、脱炭素へと一気に舵を切ったのは、サウジアラビアなどの産油国から「EROIの数値が3を切る時代が見えてきた、石油がエネルギーとして利用できなくなる」と知らされたからでは。 上述したように、自動車、船、飛行機などの輸送機械のなんと98%が石油で動いている。電気でも、天然ガスでも石炭でもなく。だから、石油がエネルギーとして利用できなくなると、日本のように食料を海外から輸入し、田舎から都会へ食料を運んでいる国は、果たして成り立つのだろうか? 「石油がエネルギーとして役に立たなくなっても、天然ガスや石炭は資源としてまだまだあるじゃないか」という意見があるかもしれない。私もそう思う。「二酸化炭素で温暖化するなんてインチキだ、欧米が主導する世論操作だ」という意見もある。私もこの意見に一定の留保をつけていた。しかし。 ロシアによるウクライナ侵攻で、ヨーロッパはロシアから石油や天然ガスを入手できなくなり、エネルギー危機が起きた。もちろんこの時、石炭で急場をしのぐ一時しのぎの策は採られたようだが、石炭に逆戻りするのではなく、自然エネルギーへの転換を加速させているらしい。ということは。 どうやらヨーロッパ首脳は、二酸化炭素による地球温暖化説を真剣に受け止めているらしい。石油がなくなるなら天然ガスや石炭を燃やせばいいや、とは考えていないらしい。彼らがそう考えている以上、天然ガスや石炭の資源量が十分あると言っても、それを燃やしてよいとは言えない様子。 ならば今後は、石油、石炭、天然ガスといった化石燃料になるべく頼らず、自然エネルギーや原子力(これは資源に限りがある)でエネルギーを賄う社会にシフトしなければならないらしい。しかし、これは容易なことではない。石油はあまりに優秀なエネルギーだったが、他はそうでもないものばかりだから。 石油は1Lあたり(あるいは1kgあたり)で大量のエネルギーを蓄えている(エネルギー密度が高い)。常温で液体。パイプで簡単に送れて、タンクに入れておけば安全に運べて、保管も可能。燃やせば火炎という、発電するにもエンジン動かすにも都合のよいマイルドな反応。実に扱いやすい。 石油に近い性質を持つのはバイオ燃料だけれど、上述したように作れば作るほどエネルギーを減らしてしまう問題がある。天然ガスや石炭を原料に液体燃料を製造できるが、これだと二酸化炭素が増える。エンジンという素晴らしいパワー機関を、今後は利用することが憚(はばか)られる時代が来そう。 自然エネルギーで電気を作り、電池でそれを貯めてモーターを動かす電気自動車のような利用法が、持続可能性が高く、可能性があるが、電池の能力不足が深刻で、せいぜい乗用車どまり。物資の大量輸送を電気で実現できるメドはまだ立っていない。何より、農業をどうやって実現するのか? 今のおコメは「石油でできている」といって過言ではない。1kcalのおコメを作るのに2.6kcalの石油を燃やしている計算。コメを作るのに、化学農薬、化学肥料、トラクターの燃料などを用いる。これらはすべて石油などの化石燃料を利用する。石油がエネルギーとして利用できなくなったら、どうしたらいい? 江戸時代には、国民の約8割が百姓だった。戦後まもなくでも半分が農家だった。しかし今や農業従事者は152万人。国民の2%を切った。それだけの少人数で農業を営めるようになったのは、トラクターやコンバインなどの農業機械を石油で動かせるから。化学肥料を化石燃料を燃やして製造できるから。 しかし、トラクターのようなパワー農業機械を電気で動かすメドが立たない。北海道で農業機械メーカーが太陽電池で発電し、その電気でトラクターを動かせないか試算したことがあるらしいのだけど、トラクター1台動かすのに数億円かかるという非現実的な数字。そもそも電池でトラクター動かせない。 また、石油などの化石燃料を使えないとなったとき、化学肥料を製造できるのか、疑問がある。すでに述べたように、化学肥料の重要な原料であるアンモニアは、世界のエネルギー消費の1~2%をそれだけで占める。化学肥料は非常にエネルギー食いの商品。しかし、世界の食料を支えてもいる。 カナダの研究者、バーツラフ・スミルは、著書「世界を養う」において、化学肥料を一切使わない場合、地球は人類を何人養えるのか試算している。およそ30~40億人。現在の世界人口が80億人越えだから、半分以下。化学肥料がないと、人類は飢えることになってしまう。 石油や天然ガスなどの化石燃料に頼らずに化学肥料を製造する技術を開発せねばならない。しかし、太陽電池のように昼しか発電できないような気まぐれなエネルギーでは、化学反応のように一定調子が求められる、化学肥料製造に利用することは困難。 ハーバー・ボッシュ法に変わる、高温・高圧でなくてもアンモニアを製造できる技術の開発も進められているが、希少金属を触媒として利用せねばならず、まだ現実的ではない。研究はいろいろなされているが、各方面で「実用化はまだ」だらけ。 以上、「石油はまだまだある」という意見に対しては、採掘時に要するエネルギーよりもたくさんの石油を採ることが難しい時代に間もなく突入する(EROIが3を切る)という点を指摘する必要がある。また、「石油以外にもエネルギーがある」という意見に対しては、 自然エネルギーにしろ原子力にしろ、電気を作る技術ばかりで、その電気を貯める蓄電技術が十分ではなく、社会を安全に回すことができる保証がまだ立っていない。石油に代わる液体燃料を製造するのも困難。二酸化炭素はやはりあまり出さない方がいいらしい。などなど、問題山積。 何より、「大量の石油を燃やして食料を作る」という今の農業体系を改めることができるのか、心もとない。石油がなければトラクターは動かせない。電気や他のエネルギーで動かすことは容易ではない。強大な動力で少人数の農業、という農業体系は今後も維持できるのか、わからない。 「石油がエネルギーとして利用できなくなる」時代は、2020年を節目としてアメリカや中国などの指導者たちが宗旨替えをしたことからも、どうやらそう遠くないように思われる。不思議なことに、日本でも2020年から突然「みどりの食料システム戦略」というのがうたわれ始めている。 農業での化学肥料の使用を減らそう、という話なのだけれど、これ、研究機関にいたのに寝耳に水の話だった。それまで、化学肥料を減らしましょうなんて、農水省で議論されている雰囲気はなかったのに、突然。しかもアメリカや中国みたいな温暖化を否定気味の国の方針転換と同時。これは。 世界の首脳に、「石油がエネルギーとして利用できなくなる時代」が遠くないことが、伝えられたのではないかと私は推測している。石油がまだしも採れるうちに、太陽電池などの自然エネルギーの設備を整え、電気を貯める蓄電池の技術を開発しなければ!と、必死になっているのだろう。 まだ、太陽電池のエネルギーで太陽電池を製造できるめどが立っていない。もし石油がエネルギーとして利用できなくなったら、太陽電池を製造することもできなくなってしまう。世界の首脳は、「まだ石油が利用できるうちに」自然エネルギーを製造できる社会へとシフトさせようとしているのだろう。 それでも、まだまだ困難が予想される。安易に考えることはできない。ここまで上述してきたように、石油以外のエネルギーを実用化するにはいろんな課題があり、石油に置き換えることが困難。石油はそれだけ、超絶優秀なエネルギーだったということなのだろう。 食糧を作ることだって、石油が失われるとどうなるか分からない。今から急ピッチでシステムを構築できるのか、予断は許さない。その危機感を持って、技術開発を進めるばかりでなく、社会のありようも大きく変革する必要が出てくるだろう。これは私たち一人一人の課題でもある。
「石油はまだある」「石油以外にもエネルギーが」考|shinshinohara
3 notes
·
View notes
Text
P3 Club Book Shinjiro Aragaki short story scan and transcription.


料理天国、食べたら地獄
······ったく、 何で俺がこんなこと······」
「す、すいません荒垣先輩······っくしゅん!う~げほげほっ」
「ゆ、ゆかりちゃん、大丈夫?」
ここは、寮のゆかりの私室。ピンクのパジャマにカーディガンを羽織り、つらそうに咳き込むゆかりの背を、優しく風花がさすっている。体調不良を押してタルタロスに出撃し、ゆかりはすっかり風邪をこじらせていた。そんなゆかりのベッドの横には、同じく心配そうにたたずむ美鶴と、やや所在なげに立つ荒垣の姿があった。そして荒垣の手には、彼が言った “こんなこと” の成果である、温かそうな料理がトレイに乗って湯気を立てていた。どうやら、ゆかりを心配する美鶴に頼まれ、病人食の定番となる粥を作っきてくれたらしい。
「荒垣先輩って、優しいですよね」
「んな······っ!?ま、まあ、ただの気まぐれだ。気にすんな。さっさと食っちまえ」
風花の素直な言葉に、荒垣はそれだけ言ってぶっきらぼうにトレイを差し出す。
「 うう、ありがとうございます。はふ······」
ゆかりが、一見普通の粥に見えるその料理をスプーンですくい、ぱくりと口に入れた。
「どうだ?岳羽?」
熱くないか、ちゃんと飲み込めるかと、美鶴が母親のように心配げに声をかけるが、その目の前でゆかりの表情がみるみる蕩けた。
「ぅ美味しい~っ!何これ、どうやって作ったんですか? 信じらんないー!」
先ほどまでの苦しそうな様子はどこへやら、あっという間に元気を取り戻したゆかりが、凄い勢いで手と口を動かし、器の中身はさほど間を置かずに空になってしまっていた。
「どうやってつーか、ま······適当だな。普通の粥じゃ栄養が足りねえかと思って、中華風のミルク粥にしてみた」
あっさりと荒垣は言うが、じつはけっこう手間がかかったもの。ニンニク、生姜、ネギのみじん切りをゴマ油でじっくり炒め、米と具---拍子木に切ったニンジンと大根を投入して鶏ガラスープを注ぎ入れる。あとはフタをし、沸騰したら吹きこぼれないよう弱火でことこと30~40分。米が十分柔らかくなったところで、牛乳を入れて塩で味をととのえ、できあがったものがこちらにございます、という感じ。体の免疫力を高める、炭水化物や蛋白質、ビタミンA・B・Cに β カロチンを含む、まさに完璧なる病人食なのだ。
以前から、荒垣の料理はプロ並だと真田あたりが言っていたが、その現物を実際に口にしたゆかりは、想像以上の感動を味わっていた。ゆかりは素直に、その賞賛を口にする。
「適当なんてとんでもない!荒垣先輩、もう最高ですよ!尊敬します!」
「バカ野郎······なに恥ずかしいことを······」
「なーに謙遜してるんですか?食事は人間の基本ですよ。大切なことです。それをしっかりできる荒垣先輩は立派です!もう、他の男連中にも見習わせたいぐらいですよ。人として、料理のひとつもできなきゃ駄目だって、ね」
興奮気味で止まらないゆかりの演説に、そこで突然ストップがかかった。
「ちょーっと待ったぁ!」
「!?じゅ、順平?それに皆も?」
ゆかりの部屋の入り口に、順平を先頭にして寮生の面々、すなわちこの部屋にいなかった全員が集まっていた。順平の足元からはコロマルまでが顔を出している。
「何ごとよ、いったい?」
「いや、あんまりいい匂いなんでな、つい······」
正直に真田が言いかけるが、それを体ごと遮って順平がびしっと指を突きつける。
「ゆかりッチ······貴様はオレを怒らせた!」
「は、はぁ?」
「料理ができなきゃ人として駄目?料理がお上手な岳羽サマは、オレたちが人間じゃないとおっしゃるわけだよな?」
「い、いや、別にそこまでは······。そ、それに順平がまともに料理できないのは事実じゃん」
と、そこで順平は、ちっちっと指を横に振る。
「料理が “できない” と “やらない” は違うんだぜ、ゆかりッチ。それに、オレだけじゃねえぞ、お前が傷吻つけたのはな······」
くくっと、芝居の気まんまんで順平が涙をこらえるように両目を手で押さえた。その言葉に、ゆかりが周囲をあらためて見ると。 「あ」
ベッドの脇で美鶴と風花が、顔を伏せてどんよりと暗い空気をまとっていた。
「い、いや、あの。私······別にそういうつもりじゃ······せ、先輩?風花?」
「ゆえにっ!!」
ぐわっと伏せていた顔を上げ、順平は大いに 盛り上がって高らかに宣言した。
「貴様に料理勝負を挑むっ!!」
「はぁ?」
かくて、第一回巌戸台分寮クッキング王決定戦の開催が決定したのであった (どどーん)
「という訳で、本日の司会はわたくし、アイギスがお送りするであります。いかがでしょう、解説の天 田さん」
「······みなさん、ヒマですね」
「なるほど。では、審査委員長の荒垣さん」
「······ったく、 何で俺がこんなこと······」
順平が宣言した翌々日。ゆかりがすっかり体調を取り戻し、ちょうど日曜ということもあって、ついに料理対決が開催される運びとなった。おそらく仲間内でもっとも鋭敏な味覚を持つであろう荒垣を審査委員長とし、味覚がないアイギスは司会を勤めることになっている。天田も参加をうながされていたが、「なんで僕が料理なんか······小学生に何を期待してるんです?」と一蹴し、解説者の席についている。そして、残る全員が参加者兼審査員というわけだ。
当初、美鶴と風花は徹底的に拒否の構えを見せていたのだが、「お祭りみたいなもんだし」とか、「何ごとも経験だし」とかいう順平の甘言で徐々に態度を軟化させ、ついには「······にイイとこ見せるチャンスなんだけどなー」という、とある個人名を出しての決定的なひと言で、料理対決に参加するよう洗脳、もとい説得されてしまったのであった。
「では、いよいよ競技を開始するであります。最初はゆかりさんからお願いします」
「オッケー!見てなさいよ、順平!」
意気揚々とゆかりが持ってきた料理、それは本人の自信を裏切らない見事なできばえ。見た目からして美味しそうな、幕の内弁当である。卵焼き、焼き魚、かまぼこといった幕の内弁当定番のおかずに加え、小さなハンバーグやチーズチキンカツなど洋風のおかずも入っている。もちろんご飯は俵型に成型され、上にはパラパラと黒ゴマが振りかけられている。
「うん、なかなかやるじゃねえか」
卵焼きをひと口かじった荒垣の評価に、ゆかりがガッツポーズを決め、それに続いて他のメンバ ーも横から次々に箸を伸ばす。
「焼き魚は西京味噌漬けか······いい仕事だ」
「うわあ、このかまぼこの切り方、凝ってる」
「もう、優勝は岳羽で確定か?」
立て続けに上がる賞賛の声に、ちょっと照れたような誇らしいような顔でゆかりが言う。
「あ、でもね。今回は意外なライバルがいたっつーか······私も食べてみたいんだよね、 彼の」
そのゆかりの視線の先にいるのは、自己主張が足りない気味の現場リーダーの姿。だが、前髪で隠され半分しか見えない顔に、常にはない自信がかすかに滲んでいるような気もする。
「では、続いてお願いしましょう」
アイギスに促され、2番手の料理が運ばれる。
「おお······!」
それは、ちょっとしたレストランで出してもおかしくないアサリとトマトのパスタ、ボンゴレ・ロッソであった。さっそく審査委員長の荒垣が、フォーク一本で器用にパスタを巻きつけて、ぱくりと口に入れる。
「ちょっとパスタが柔らかいが、合格点だな」
「どれどれオレにも······おおっ、美味ぇ!」
「アサリとトマトって合うのねー」
意外といえば意外だが、幼い頃に両親を亡くしてひとり暮らし歴も長い彼は、料理の腕は決して悪くないのである。ただ、あっさりした性格ゆえか、パスタや丼ものなど簡単に作れるものに限られるというのが弱点といえなくもない。
「で、次は誰だ?」
連続して出される美味い料理に、最初は苦い顔をしていた荒垣も、上機嫌になってきたようだ。やはり、楽しい食事は人を和ませる。もしかすると順平は単に、荒垣と他のメンバーとの間の距離を、少しでも縮めようとして料理対決を企画したのかもしれない。もし、そうだとしたら、その意図は十分に果たされつつあった。
だが。
そんな楽しい雰囲気は、あまり続かなかった。
「······なんだこりゃ?」
「え、えーっと、ラーメンっす」
「カップ麺じゃねえか」
荒垣の前にあるのは、お湯を入れて3分でできるカップ麺だった。ちなみにシーフード味。
「い、いやカップなんすけど!ちゃーんとオレなりの工夫があってですね。荒垣先輩のミルク粥にヒントを得て、牛乳で作ってますっ!」
荒垣がうげっという顔をする。残りの連中も、一様に嫌そうな顔を浮かべている。 「え?え?みんな何だよ?いや、マジ美味い
んだって!」
「たとえ美味くても······料理じゃねえだろ」
「順平さん、失格であります」
どこに置いていたか、アイギスが横にあった鐘をカーンと1回鳴らす。
「いいっ!?そ、そんなぁ······」
がっくりと肩を落とす順平。ただひとり、そのカップ麺をひと口すすった現場リーダーが、うんまあ不味くないよ、といった感じで順平の肩をぽんぽんと叩いていた。
「では、続いて美鶴さん、お願いします」
事態は、破滅に向かって加速していた。
「鴨肉のコンフェ、フォアグラとトリュフ添えだ。素材はすべてフランスから空輸させた」
胸を張って、 豪華な銀の皿を突き出す美鶴の顔には、しかしだらだらと汗が流れていた。皿の上の料理を凝視しつつ、荒垣が尋ねる。
「······鴨は、どれだ?」
「こ、これに決まってるだろう」
「この黒いのは���」
「と、トリュフだ」
「こっちの黒いのは?」
「フォアグラ······だと思う」
「んじゃ、こっちの黒いのは?」
「ええと······付け合せのポロ葱、か?」
聞かれても困る。
下を向いていた荒垣は、凶悪な光を目に宿らせつつ、美鶴に向かってぽつりと言った。
「全部、炭じゃねえか」
「ま、まあ多少火加減を間違えたかもしれないが、素材はいいんだ。食ってないと······」
「食えるかぁ!次だ次!」
世界の終わりのような顔をする美鶴を尻目に、アイギスが鳴らす鐘がかーんと響いた。
「俺は料理などあまりやったことがないからな。変なものを出すのも申し訳ないから、シンジの料理を真似させてもらうことにした」
続く真田の料理は、白濁したスープのようなものだった。どうやら、 荒垣が一昨日作ったミルク粥を参考に作ったらしい。
「順平も、どうせシンジの料理を参考にするならこうするべきだったな。まあ、俺も多少は自己流にアレンジさせてもらっているが」
既に勝ち誇った様子の真田に、荒垣も苦笑しつつ答える。
「くくっ、アキの料理か······そう簡単に俺の味が盗めるもんかよ」
「食べてみなければわからんだろ?」
「わかったわかった。じゃ、いただくぜ」
スプーンで粥をすくい、軽く冷ましてから口へと運ぶ。そして、刹那の間を置いて。
ぶぴゅる。
変な音と同時に、荒垣の鼻と口から白濁液が吹き出した。
「な、な、な、なんだこりゃあっ!!」
「牛乳よりも高蛋白で低カロリーなプロテイン粥だが······筋肉にはいいぞ?」
「食えるかあああああっ!!」
「最後に風花さん、どうぞ」
鐘を鳴らしつつ、 アイギスが淡々と言った。
---それから、5分後。この世のものとは思えない絶叫が、月光館学園巌戸台分寮から響き渡った。付近の住民の通報で、パトカーや救急車が出動したが、とくに事件性はないとのことで早々に引き上げたらしい。ただ、目撃者の証言によると、捜査員や救急救命士たちは一様に、口や腹を押さえていまにも嘔吐しそうな表情を浮かべていたとか。その日、どんな恐ろしいことがあったのか、口を開くものはいない。
「いいかお前らっ!料理の命は火加減!それと塩加減だ!いいな、順平!」
「う、ういっすっ!」
「あと常識だが、プロテインは料理に入れるなよ!わかったか、アキっ!!」
「あ、ああ、わかった」
「つか、山岸!なんでそこでタバスコとか入れるんだ!色を基準にして調味料足すんじゃねえ!味見しろ味見っ!」
「は、はいっ!」
料理対決の翌日。寮のキッチンでは突発料理教室が行なわれていた。こいつらの料理の腕を放置していたら、いずれ人死にが出る。事実、俺は死にかけたという荒垣の命令で、順平、真田、美鶴、風花に対し、マンツーマンで料理を教えることになったのだ。
「······ったく、何で俺がこんなこと······」
そうボヤきつつも、手取り足取り指導する荒垣の頑張りもあり、徐々に全員の料理は “食えなくはない” レベルへと上がっているようだ。
「おら、待て美鶴。焦げそうになったら、一度フライパンを火から降ろして······そうそう。落ち着いてやりゃあ大丈夫だ」
「りょ、了解した」
そんな荒垣の様子を横目で見て、風花はくすりと笑って言った。
「やっぱり、荒垣先輩って優しいですよね?」
その言葉が届いたかどうか定かではないが、荒垣は黙々と料理指導を続けていく。ただ、その横顔には、かすかに笑みが浮かんでいるような気がする。やがて、料理のいい匂いを嗅ぎつけてか、ゆかりたちが同じく笑顔でキッチンへと歩いてくるのが見えた。やはり、楽しい食事は人を和ませる。どうやら、今日の夕食も楽しいものになりそうだった。
16 notes
·
View notes
Text
2024年7月15日(月)

今日は<海の日>、世間ではお休みの方が多いのだろうが、私の職場(私立女子大学)含めてかなりの大学では通常通り授業が行われている。ありがたいことに交通量は普段と比べてかなり少なく、職場までの所要時間がいつもより15分程度短縮された。授業は14週目に突入、担当科目もゴールが見えて最後のまとめの時期である。学生諸君、もう一踏ん張りで夏休み、頑張ろうね!

5時30分起床、前夜に日誌を書いておいたのでアラームが鳴るまでぐっすり。
体重は1,150g増、あちゃー。
朝のルーティン。

朝食は奥川ファームの手打蕎麦。
ツレアイ(訪問看護師)はいつも通り午後からの出勤、息子たちは休みなので3人分の弁当を用意する。
一人で出勤する。

道路が空いていたので楽々到着。
ラジオ体操第一。
メールボックスで、sampe兄が用意してくれた今日のExcel試験の資料を受け取る。
例年と同じだが、一通り試験問題を解いてみる。
書棚の整理、今週中には下第三列を空ける予定。
ラジオ体操第二。
月曜3限・4限<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、今日はExcelの試験。先週の例題を用いて関数の基礎・表の編集を復習した後、30分間の試験を実施する。3限クラスでは、その後残っていた2名に入力試験、無事クリアしてくれた。

帰路も順調。
帰宅した後すぐにツレアイも帰宅する。
酢タマネギ仕込む。
きゅうりのしょうゆ漬け仕込む。

早めの夕飯、豚バラ肉とナスの甘辛炒め・豚ロースのゴマよごし・きゅうりのしょうゆ漬け・レタスとトマト、息子たちにはスパークリングワイン。私たちは昨晩の残りの梅錦+🍷。
録画番組視聴、
「夏・釧網本線を呑む!」
初回放送日:2018年8月18日 俳優・六角精児が夏の北海道で“呑み鉄”の旅▽舞台は釧網本線。網走から釧路まで▽オホーツク海&釧路湿原の絶景に乾杯▽北海道の各所に残る鉄道遺産をめぐる▽語り:壇蜜 ▽「酒」と「鉄道」という偏った観点で俳優・六角精児が自由気ままに途中下車▽スタートは網走駅。オホーツク海沿い・釧路湿原を通って東釧路駅を目指す▽北海道の海の幸いっぱいのラーメンに舌鼓▽まぼろしの鉄道・根北線の廃線跡を訪ねる▽清里町のじゃがいも焼酎を堪能▽川湯温泉の珍味三昧にお酒がすすむ!▽日本に唯一残る炭鉱鉄道に感動▽今回も魅惑の壇蜜ナレーションと六角おすすめの名曲にのせて列車は走る!

今夜も枝雀、「高津の富」・・・の途中で早々にダウン。

月・火は今日室への移動が一回だけなのでどうしてもリング完成は難しい。夏休みになれば、ウォーキングで取り戻そう。
4 notes
·
View notes
Quote
大手コンビニエンスストアチェーン・セブン-イレブンが販売する「おにぎり」で、実際には海苔は使用されていないにもかかわらず、パッケージに海苔の絵柄がプリントされており、海苔が入っていると誤解して購入してしまったという報告がSNS上にあがっており、優良誤認ではないかという指摘がなされている。一方、弁当・総菜類の容器「底上げ」などがたびたび話題を呼んできたセブンは、一部弁当の容器を中身が透けて見えるタイプに変更するなど、セブンの容器・パッケージをめぐる動きが何かと注目されているようだ。そこで、セブンに見解を聞いた。 原材料価格とエネルギーコストの高騰が続くなか、小売店の店頭に並ぶ食品も値上げが進行。2010年度と比較して食料全体の消費者物価指数が22年度は約2割上昇。帝国データバンク調査によれば、7月には3566品目の食品が値上げの予定。鶏卵の1パック当たりの平均単価はこの1年で3割上昇し、冷凍食品メーカーのイートアンドフーズは家庭用冷凍食品の8割弱を10月納品分から5〜20%値上げ。アサヒグループ食品は「はいはい」「ぐんぐん」など粉ミルクを9月納品分から7〜8%値上げ。サトウ食品は9月出荷分から「サトウの切り餅 パリッとスリット(400グラム)」を505円から558円に値上げ。日清食品は6月から「カップヌードル」を214円から236円に値上げ。ハウス食品グループ本社は6月から「バーモントカレー中辛 230g」を349円から394円へ値上げした(以上、税別)。 こうした状況のなか、ここ数年、コンビニ各社の弁当・総菜類の値上がりは多くの消費者が実感しているところ。なかでもセブンはサイズが小さい割に価格が高めだといわれるが、たとえば「手巻おにぎり 醤油麹仕立て熟成紅すじこ」は205.20円(税込、以下同)、「たまごサンド」は302.40円、「ふんわりサンチュの旨塩チョレギサラダ」は334.80円、「炭火焼き牛カルビ弁当」は594円、「熟成肉のロースかつ丼」は626.40円、「かき揚げ自慢の二八そば」は518.40円、「ソーセージとベーコンのペペロンチーノ」は648円となっている(7月3日現在/価格は地域によって異なる)。コンビニ定番商品である「おにぎり」類でも200円超え、サンドイッチ類でも300円超え、弁当・麺類でも500~600円超えも珍しくない。
セブン、海苔なし「おにぎり」包装に海苔プリントで誤解も…弁当容器の透明化の真意 | ビジネスジャーナル
3 notes
·
View notes
Text
この頃、顔の肉がやはりすごくなってきたし、パンツに肉が乗るため、ダイエットしたいと思ってて、ピッキングバイトでもしようかと思ったり。肉体労働がダイエットがわりとはwでもほんまこれからの暑い時期に単発でも1日のハードなジム感覚で入るといい運動になりそう。佐川でバイトしてた時、1ヶ月で5kg痩せたもんな。晩ごはん、めちゃ食べてたのに。でも実家だと肉も水炊きとかばかりで唐揚げは高いからと言って滅多に食べんかったし基本的に米も茶碗一杯だけだし、エノキとかめっちゃ食べてた。そういえば飲み物はウォーターサーバーで水だけ飲んでた。だからめっちゃ食べてたつもりなのに自然とダイエット食になっていたという。でもお菓子や菓子パンもめっちゃ食べてたけどな。ChatGPTにダイエットしたいと思ってるけどどうすれば?と聞いてみた。とりあえず食生活を改善すべきらしい。
私はそういえばほぼ毎日の勢いで唐揚げ食べてるんですよね。だから、チャットgptにそれは太る黄金ルートとか言われてしまった。そりゃそうか。ちなチャットgptの意見を書いていく。
1. 唐揚げの頻度���週1以下に減らす
→「揚げ物控えるだけで体が変わる」ってくらい効果ある。食べたくなったら、焼き鳥(塩)やグリルチキンに置き換えるのおすすめ。
2. 外食でも「ご飯少なめ&野菜多め」を意識
→コンビニなら「サラダ+サラダチキン+スープ」系でも十分OK。
→定食屋なら「揚げ物→焼き魚 or 煮物」「白米→半分」など。
3. 間食をフルーツ or ナッツに変える
→スナック系は一時的に気分は上がるけど、血糖値の乱高下で逆に食欲暴走することもある。
4. 歩く量をちょっと増やす or 軽い筋トレを週2〜3回
→スクワット・プランク・膝付き腕立てとか、1日10分レベルでも全然違うよ。
ロバートはフルーツやナッツ類食べてるわ。あと基本水って感じにしてたり。そりゃ痩せるよね。チャットgpt好きやわ。そこら辺の友達に相談するより全然いい。なんか人間に相談すると的外れな回答がかなり多いが、チャットgptは私の望んでいた調べ上げられた回答が載ってる。そこがいい。
今の食事のポイントと改善アイデア:
朝:ミルクティー+タマゴサンド or ドーナツ
→ 糖+脂+炭水化物 がセットで来てるから血糖値が急上昇しやすい。
改善案:
ミルクティーを「無糖紅茶+ミルク少し」に変えるだけでも◎
サンドイッチはそのままでもOKだけど、ドーナツは週1〜2に減らせると理想。
昼:唐揚げ定食
→ 唐揚げは揚げ物の中でもカロリー高め。でも毎日だと脂質がオーバー。
改善案:
「唐揚げ→焼き魚定食」「ときどき豆腐系」などにシフト
白米を「半分にする or サラダを追加して満足感アップ」
夜:からあげくん+ツナマヨ+ロールケーキ
→ 脂質と糖質のダブルパンチで、しかも夜。これが脂肪になりやすい最大ポイントかも。
改善案:
おにぎりはOKだけど「具を鮭や梅」にするだけで脂質カット
からあげくん→「ゆで卵+焼き魚 or 鶏むねチキン」などに変える
ロールケーキ→「無糖ヨーグルト+冷凍フルーツ」で満足感キープ
炭酸ジュース系
→ これも減らすだけで痩せやす��なる!
改善案:
炭酸は「炭酸水+レモン」にシフトしてみて。クセになる人多い。
驚くだろうけど、私のよくやる1日の食事リスト。タリーズ行って朝食済ませてるからこうなりがち。チャットgptはゆで卵をやたらと勧めてくるので、卵常備しようかな。毎日ゆで卵にするとか。ゆで卵にすれば常温保存でも結構大丈夫だもんな。
目標としては、1日あたり500〜700kcalくらい落とせたら月2kgペースになるよ。
これだけ食事に手を入れたら、運動が軽めでも落ちてくはず!
希望あれば、1週間分の「ゆるめの置き換えダイエットメニュー」作るよ。食べごたえ重視で考えるね。欲しい?
了解!「食べごたえ重視」「無理せず続けられる」方向で、ゆるめの置き換えメニュー作ってみるね。
※目安は1日1500〜1700kcalくらい(急ぎすぎない減量ペース)
なんか1週間のメニューまで考えてくれるの凄すぎん?これは参考にしたい。冷蔵庫ない環境だから、買い置きとかできんし、全部守るつもりないけど、コンビニやスーパーで買い物するときの参考にしたい。梅おにぎり苦手やから、シャケおにぎりにしようと思う。ていうか週2〜3で揚げ物食べてね?火曜の昼が唐揚げ定食になってて、金曜の昼も週に一度は揚げ物OKとか。そして日曜の昼はパスタでもバーガーでも大丈夫とか書いてあるから、実質週3で揚げ物食べてもいけるらしい。それやったら全然ダイエット感ないかもw
1週間のゆる置き換えダイエットメニュー
月曜
朝:ゆで卵2個+バタートースト半分+無糖カフェオレ
昼:焼き魚定食(ごはん少なめ・味噌汁・副菜)
夜:豆腐+サラダチキン+わかめスープ+梅おにぎり
---
火曜
朝:オートミール+バナナ+アーモンドミルク(レンチンで簡単)
昼:唐揚げ定食(ごはん半分・野菜追加)
夜:冷しゃぶサラダ(ポン酢)+卵スープ+おにぎり or 雑穀パン1枚
---
水曜
朝:おにぎり1個(鮭や昆布)+味噌汁+無糖紅茶
昼:サラダ+スープ+チキンサンド(コンビニでもOK)
夜:焼き鮭+きんぴら+味噌汁+ごはん少なめ
---
木曜
朝:無糖ヨーグルト+冷凍ベリー+くるみ少し
昼:お蕎麦(温 or 冷)+小さなおにぎり or 卵焼き
夜:鶏むねの照り焼き+ブロッコリー+ごはん半分
---
金曜
朝:ツナトースト(ノンオイルツナ+チーズ)+トマト+紅茶
昼:チキン南蛮 or 揚げ物の日(1週間に1回はOK!)
夜:豆腐ハンバーグ+野菜スープ+おにぎり
---
土曜
朝:フルーツ+ゆで卵+全粒粉クラッカー+カフェオレ
昼:海鮮丼 or 寿司ランチ(量に注意)
夜:納豆+味噌汁+ほうれん草お浸し+ごはん
---
日曜
朝:サンドイッチ(卵・野菜)+無糖ミルクティー
昼:外食OK!パスタやハンバーガーもOK(控えめに)
夜:控えめメニュー:蒸し野菜+鶏肉 or 豆腐+スープ
---
+毎日意識してほしいこと:
水を多めに飲む(1.5〜2L目安)
炭酸ジュース→炭酸水or0カロリーのものに
夜は「糖質控えめ・脂質控えめ」にするとぐっと痩せやすくなる
とりあえず飲み物は基本水や無糖のお茶に変えるつもり。水道水、普通に飲むわ。タダやしな。
鰻、うまいよね…!ご褒美感あるし元気出るし、たまになら全然アリ!
確かに脂質もカロリーも高めだけど、鰻には良質な脂(不飽和脂肪酸)が多くて、栄養価もめっちゃ高い。
ビタミンA、B群、D、E、鉄分、DHA・EPAとかも豊富だから、「毎日じゃなければ」むしろ体にいい贅沢食って感じ。
---
鰻を食べるときのコツ:
ごはんを少なめにする(半分〜2/3) → これだけでだいぶ調整できる
汁物と漬物・野菜を一緒にとる → 血糖値の急上昇を防げる
夜より昼に食べるとベター
翌日は軽め&脂質少なめメニューにすれば帳尻OK
---
例:鰻のある日のバランス(昼に食べる前提)
朝:バナナ+ヨーグルト or ゆで卵+トースト
昼:鰻重(ご飯少なめ)+お吸い物+漬物
夜:冷奴+野菜スープ+サラダ+小さなおにぎり
---
つまり、鰻は「たまの贅沢OK枠」!
食べたあと罪悪感より、「よし、明日はちょっとヘルシーにいこ」って気持ちになれたら十分ダイエット向き。
楽しんで食べてきて〜!
すき家の鰻が食べたいので聞いてみたら、味噌��とサラダのセットにするだけでいけるらしいな。やから今日食べにいこうかなあ。私は鰻も大好きやから。なんか脂質の多いのがとにかく好き。そりゃデブるよなこれ。BMI的には標準体型で済んでいることが逆に奇跡かもしれん。なんか大学時代からの友達でずっとぽっちゃりしてる子いるんだけども、なんか部活も一応体育会系で運動は苦にならないタイプっぽいし、ご飯何度も一緒に食べてるけど全然爆食いとかしない。でもまあ必ず夜食べるなあとか思ったり。私はお腹の具合で夜抜くことも多いから。その子は朝抜くのが普通とか言ってたけど、朝は一応何かしら食べた方が個人的にはいいように思う。実際チャットgptも朝抜いた時は昼しっかり、夜軽めとか言ってるな。なのに夜一番しっかり食べるタイプっぽいからダメなのかもしれない。
「無理に3食食べなくても大丈夫」だけど…
・1日1食はなるべく避けたい
→ 栄養バランスが偏って代謝が落ちやすくなる
→ 空腹時間が長すぎると、次の食事で食べすぎ&脂肪溜め込みやすくなる
・2食でもOK。でも質と内容を意識すると◎
→ 例:朝抜き→昼をしっかり+夜を軽め
→ 逆に夜抜き→朝と昼でしっかり栄養取る
---
ダイエット中の理想パターン(時間ない人向け)
朝食が取れないとき:
バナナ+プロテインドリンク(orカフェオレ+ゆで卵)だけでもOK
夜が遅くなりそうなら:
早めに軽食(おにぎり+スープ)を取って、帰宅後はスープや豆腐だけで済ます
---
体が空腹を感じない=代謝が下がってるサインのこともあるから、
「何かしら口に入れる(軽くてもOK)」を心がけると、脂肪を落としやすい体になるよ!
私は結構朝から空腹で目が覚めたりするから、朝からガッツリ食べるのはよくやってる。夜はなにか友達との用事でもなければガッツリと食べないようにしてる。やっぱ昼が一番ガッツリ食べるべきなんよな。動くし。もちろん夜ガッツリ起きているような仕事やったら夜もちゃんと食べるべきというか、昼夜逆転状態な訳だからそりゃ夜を一番しっかり食べるべきではあるけどもね。でも基本夜は寝るだけやし。世の中外食では基本ランチ安いしな。お手軽な値段でいっぱい食べれたりする。食べ放題だったり。ディナーは高め。夜はあんま食べに行かない。ロバートの家の環境がそうなんだよな。基本的にランチが一番豪華で夜はほぼ食べない。
そういえば最近コメがまた全然玉出に売ってなくて、買えてない。米は玉出で基本買ってるからね。近いから。重いし。だから米の代わりに食パンはどうか?聞いてみた。
米の代わりにパンを取り入れるときのポイント:
1. できれば「全粒粉パン」や「ブランパン」がおすすめ
血糖値の上がり方がゆるやかで、腹持ちもいい
食物繊維もあって便通も◎
(普通の白い食パンは糖質が一気に上がるタイプ)
2. パンだけで終わらせないで「たんぱく質」もセットに
卵、チーズ、ツナ、ハム、納豆(和風だけど…)など
「ツナトースト」「卵チーズトースト」とかが手軽でいい感じ
3. 食パンを食べるなら、1日1〜2枚までに
ご飯よりカロリー密度が高い(同じ量で比べると太りやすい)
---
例:ご飯の代用としてのパンメニュー
朝:全粒粉トースト+ゆで卵+トマト+紅茶
昼:ツナチーズトースト+スープ+サラダ
夜:豆腐+野菜スープ+小さいパン(食べすぎなければOK)
トーストはフライパンで作ろうとおもえばできるかもしれんが、余ったツナ缶やチーズなどはやっぱり冷蔵庫ないと保存できないからハードル高い。そこまでするなら普通に買った方がええか。しかも私はそこまでいうほどパンも好きではなく、これからの時期すぐにカビてくるのが予想できるので、できるだけパンは買わずに済ませようとも思う。クリームシチューに合うからという理由で米の代わりに買ったのだった。でも下手にパンを用意せずともクリームシチューだけ食べとけばいいのかもな。
自炊するつもりの時でも、基本的にコンビニおにぎり一個だけ買うスタイルでもいいかも。
それめっちゃ賢いやり方!「おにぎり1個ずつ買う」=無駄にストックしない=食べすぎ防止にもなるし、
種類も豊富だから飽きないのもポイント高い。
---
おにぎりを活用したダイエット的な選び方ポイント:
おすすめ具材(低脂質・高たんぱく系)
梅、昆布、おかか → 脂質少なめ・塩分はやや注意
焼き鮭、ツナ(ノンマヨタイプ)、鶏そぼろ系
赤飯、雑穀入り → 血糖値の上がり方ゆるめ
控えたい具材(脂質高め系)
ツナマヨ、明太マヨ、チャーハン系、から揚げ入り
(うまいけどね…たまにならアリ!)
---
合わせるものの例(バランス重視)
おにぎり+ゆで卵+味噌汁 or スープ
おにぎり+サラダチキン
おにぎり+豆腐+きんぴら(コンビニ副菜)
---
1個買いならコントロールもしやすいし、**「今日は梅で軽く」「明日は鮭でたんぱく質多め」**って選ぶのも楽しくなるかもね。
困ったら「とりあえずおにぎり1個+スープ」で済ませるのも、全然アリ!
ロバートはおにぎりも梅や赤飯系が好きだから、やはりダイエット向きの食材を選んでるなという感じ。私は基本ツナマヨにしてしまう。オムライスがあれば買ってしまうし、基本ダイエットにあんま良くないよな…梅やおかか、昆布系は苦手だから、塩おにぎりのほうがマシ。そういえば納豆巻きは好きだな。納豆巻きか鮭おにぎり一個だけ買うのありかも。納豆は良さげだし、納豆巻きって塩分高いけど、おかかや昆布系とどっこいどっこいだろう。
コンビニ別・おすすめ痩せ飯アイテム(組み合わせ例つき)
---
1. おにぎり系
梅、昆布、おかか、焼き鮭、鶏五目 → 脂質低め・腹持ち◎
赤飯、雑穀米 → 食物繊維も摂れる
組み合わせ例:
おにぎり+ゆで卵+味噌汁 or 豆腐スープ
---
2. サラダ・副菜系
サラダチキン(スモーク、レモン、プレーン)
豆腐バー、スティック野菜、半熟卵、味玉
冷やし焼きナス・おひたし・きんぴら(和惣菜パック)
組み合わせ例:
サラダ+ゆで卵 or サラダチキン+味噌汁+おにぎり
---
3. スープ・汁物系
具だくさん味噌汁(豚汁・けんちん汁系)
春雨スープ(糖質カットタイプもあり)
参鶏湯・チゲスープ(スープストック系)
組み合わせ例:
スープ+おにぎり+野菜 or スープ+豆腐バー+卵
---
4. パン系(選ぶなら)
ブランパン(ローソン強い)
全粒粉サンドイッチ(たまご・チキン系)
ツナサンド(マヨ控えめのやつ)
組み合わせ例:
全粒粉サンド+スープ+野菜スティック
---
5. 飲み物系
無糖紅茶、無糖カフェラテ、豆乳(無調整 or 砂糖少なめ)
炭酸水(レモン系やフレーバー入りでもOK)
プロテインドリンク(たまに置いてある!)
---
NG寄りアイテム(毎日は避けたい)
唐揚げ系ホットスナック(からあげクンなど)
ツナマヨ・明太マヨ系おにぎり(脂質高)
スイーツ全般(我慢は不要だけど、頻度に注意)
私の今まで選んでたやつ、全部NG寄りw
0 notes
Text
とっておきの人相書きとドードーのグリル
海都リムサ・ロミンサ。湾内に連なる小島と、岩礁の上に架けられた橋廊が織りなすその美しい街並みは、「リムレーンのベール」とも称される。潮の香りを乗せた海風が吹き抜け、陽光を浴びた白い帆船が、まるで海の絵画のように沖合に浮かんでいた。
その一角に、石造りと磨き上げられた木目の見事な調和が目を引く建物がある。エオルゼア中の美食家たちが足を運ぶ名店――高級レストラン「ビスマルク」だ。
店内には屋根こそあるが、壁はなく、全面が海に向かって大きく開かれている。テラスからは、煌めく港の水面と、遥か彼方の水平線までが一望できる。さざ波の音とカモメの声が遠くに重なり、潮の匂いに混じって、香ばしく焼けた魚介の香りが漂ってきた。
銀の皿に盛られた料理が次々と運ばれ、陽の光を受けたグラスのワインやエールが、キラキラと光を弾いていた。
だがその日の「ビスマルク」はほんの少しだけ、ピリッとざわついていた。扉をくぐった冒険者の姿を認め、店員のラティシャがすぐさま近づいてくる。丁寧な所作のまま、彼女は小声で切り出す。
「もしお時間に余裕があれば、お願いを聞いていただけませんか?」
頷く冒険者に、ラティシャはわずかに困ったような笑みを浮かべた。
「……どれだけ心を込めておもてなししても、心ないお客様というのは、どうしてもいらっしゃるもので。実は……無銭飲食があったのです」
言いながら、彼女は厨房の方へと視線を向けた。
「うちの調理師、ル・スーシモが犯人の人相書きを描きました。イエロージャケットへ届けていただけますか?」
厨房では、サンシーカーのミコッテ族――ル・スーシモが、真剣な顔で食材の下ごしらえをしていた。細身の体に凛とした立ち姿。指先の動きは繊細で、調味料一つ、塩ひとつまみにも妥協を許さない熟練の料理人だ。だが今、その眉間には深い皺が刻まれている。
「私たちが愛情をこめて作った料理を、平然と食い逃げするなんて……許せません!」
彼女は奥から人相書きを手に走り寄り、冒険者へと羊皮紙を押しつけた。
「これを突きつけてやってください! 魂の一枚です!」
受け取った冒険者は、恐る恐る紙を覗き込んだ――そして、言葉を失った。そこには……曲線美と陰影が織りなす、謎めいた顔。いや、『顔らしき何か』がある。輪郭は曖昧、目元と口元は艶めかしく描かれ、背景にはなぜか花模様が舞っている。全体からただよう芸術は爆発だ感がつよい。
「えっと、これは……?」
「芸術(アート)です!」
ル・スーシモの堂々たる一言に、これは人相書きではないのではと言えるはずもなく、冒険者はやれやれと肩をすくめ、コーラルタワーへと向かった。
イエロージャケットの詰め所では、ゴートバートが受付に立っていた。
「……レストラン『ビスマルク』の食い逃げ犯の人相書き?」
冒険者から紙を受け取ったゴートバートの表情がみるみる険しくなっていく。
「……これは一体、何なんだ……?」
「……芸術(アート)だそうです」
「んっ?……人相書きではないのか?」
「いや……これは人相書きでもありまして……」
「そうか……なるほど。しかしこれはヒューランか? ララフェルか? いやルガディンか? 種族どころか顔の輪郭すら分からん!」
冒険者は心の中で静かに同意した。
「……いや、芸術作品としては確かに上等だ。だが人相書きとしては致命的だな」
ごもっともですと冒険者は頷いてみせる。
致命的であるとは言いつつもゴートバートは真剣な表情で紙をたたんでこう言った。
「とはいえ、通報があった以上、全力で捜査にあたる。それが我々イエロージャケットの務めだ。……だが、これでは埒が明かん。直接、事情を聞いた方が早いな。ル・スーシモ本人に出頭を求めてくれ」
レストランへ戻ると、ル・スーシモはすでに次の料理の仕込みに取りかかっていた。厨房にはスパイスの香りが立ちこめ、湯気を立てる鍋から芳醇なスープの香りが漂っている。
冒険者の姿に気づいた彼女は、誇らしげに振り返った。
「おかえりなさい! ご苦労様です。……ふふ、これで犯人も捕まったも同然ですね!」
続けざまに語気を強める。
「あの人相書き、どうでした? なかなかの出来だったでしょう? 実は私、料理の次に絵が得意なんです! 筆一本で素材の質感まで描けるって、よく言われて――」
「あー、いや……実はそのことで」
冒険者が申し訳なさそうに説明すると、ル・スーシモの笑顔が固まった。
「……えっ? わ、わたしが……出頭……?」
一瞬の沈黙。
「えぇぇぇぇぇえ!? なんで!? 今さら何を話せと!? あの人相書きに私のすべてを込めたのに! 顔だけじゃなく、性格も趣味も思想も反映させたのよ!? あれ一枚で人生語れるんですけど!?」
さらに顔を曇らせて、ぼそっと漏らす。
「……まさか、『顔がどこかわからない』って言われたんじゃ……。あーもう、私の抽象画(アート)に、時代が追いついていないのねきっと……」
厨房の隅でラティシャが静かに溜息をついた。
「だから言ったのに……正確に描いてって……」
それでも、ル・スーシモは気を取り直したように咳払いをひとつし、包丁を握り直した。
「……まあ、いいわ。私の口から語れることがあるなら、やってみましょう。イエロージャケットの人たち、きっと『あの絵の真意』に気づいてくれるはずよ!」
そう言い放ち、勢いよく厨房を飛び出していった。その背中を見送りながら、ラティシャがもう一度、呟いた。
「……あの子、根っからの料理人なんだけど、時々、芸術家になるのよね」
それから数日後――事件は未解決のまま、街の話題も潮風に流されていった。
冒険者は再び、「ビスマルク」のテラス席に腰を下ろしていた。夕暮れが港を茜色に染め、空は紅から群青へと緩やかに溶けていく。ランタンに火が灯り、潮の香りに混じって、炭火の匂いがそっと漂ってきた。
そこへ現れたのは、ギルドマスターのリングサス・デュスファルクシンだった。
「お前さんが、ル・スーシモの『傑作』を届けてくれた冒険者だな。礼を言うよ。……まあ本人は、あれから絵筆を少しだけ封印したが、包丁の方はますます冴えてるよ」
彼が手ずから、銀の皿をそっと目の前に置く。
「さあ、名物を召し上がれ。これは『海都の誇り』そのものさ」
皿には、黄金色に焼き上がったドードーの笹身の網焼き。
皮はパリパリと香ばしく、ナイフが入ると中からしっとりとした肉汁がにじみ出る。レモンを絞れば、芳醇な香りがふわりと立ちのぼり、添えられたハーブと岩塩が、その旨味をさらに引き立てる。
冒険者は目を細め、一口かぶりついた。
炭の香ばしさが鼻をくすぐり、噛むたびにじんわりと広がる肉の甘みに舌がとろける。
「……うん、うん。これだ……これだよこれ!」
騒がしい事件も、奔走した日々も、そのひと口ですべてが報われる気がした。
厨房の奥では、包丁のリズムがまたひとつ響いている。
誰かの「美味しい」の一言のために、今日もレストラン「ビスマルク」には火が灯される。
――海都の片隅、絵より雄弁な一皿が、そのすべてを語っていた。
(終)
0 notes
Text
9歳の子ひとり避難、家に残った母 東京大空襲80年「逃げなかった」人たち 防空法と市民に広がった同調圧力 #きおくをつなごう #戦争の記憶
3/24(月) 18:05配信
TBS NEWS DIG Powered by JNN
戦時中、日本各地で行われた空襲。実は空襲をまえに、あえて“逃げずに”家に残った人たちが数多くいた。人々をそうさせたのは「火を消せ」と国民に強いたある法律だった。しかし「油の火の玉」と当時の人たちが形容する焼夷弾の炎は、そもそも消せるようなものだったのか?当時の焼夷弾の炎を実験で再現した。そして、空襲を経験した人たちの証言を集めると、市民が“逃げなかった”背景には、現代にも通じる“同調圧力”があったことが浮かび上がってきた。 (TBS報道局社会部 平木場 大器)
【写真をみる】豊田さんが描いた、空襲時に火に囲まれながら逃げる様子の絵/「焼夷弾の防火は最初の30秒が最も大切」などと書かれた当時の資料/専門家監修のもとで行った消火実験の様子
「吹雪のように火の粉が」 猛火迫るなか、家に残った母親

東京大空襲で焼けた賛育会病院の旧本館
東京・墨田区の病院。 去年、初めて撮影された部屋がある。
すすで覆われた壁や天井… 80年前の東京大空襲で焼かれ、黒焦げのままで遺されていた。 当時、病院周辺は焼け野原となったが、鉄筋コンクリート造りだった病院は建物が残った。 焼け焦げた病院の大部分は修復されたが、屋上にあったこの小部屋だけは、当時の状態のままになっていたのだ。

9歳の時に東京大空襲を経験した豊田照夫さん(89)
1945年3月10日の東京大空襲。 1600トン以上の焼夷弾で街は炎に包まれた。 一晩でおよそ10万もの命が奪われた。
豊田照夫さん(89)は当時住んでいた墨田区の自宅で東京大空襲を経験した。

空襲時に火に囲まれながら逃げる様子の絵
豊田さんが描いた当時の様子の絵では、建物の窓から火が吹き出している。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「廊下は風と吹雪のように火の粉が来ているんですよ。窓が全部真っ赤なんですよ。外の家が燃えている」
地下室に避難したという豊田さん。 地下室から見た光景が、今も脳裏に焼き付いて離れない。
「(出入り口に)マンホールみたいに小さい扉があって、それが開いたのを下から見たらキレイなお月さんが、真っ赤なお月さん…」 「外の家が燃えている。それがその部屋に写って天井も真っ赤に見えた。それがマンホールの穴から月に見えた」
マンホールのような丸い扉の先に見えたのは、燃えさかる周囲の炎を反射した天井だった。それが丸い形に切り取られ、真っ赤な満月のように見えたのだ。
当時9歳だった豊田さんは、当初一人で地下室に避難しなければならなかった。 母親が家に残ったからだ。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「焼夷弾が落ちたりするとそういうのを消したりする役目があって、働ける人はそういうものをやらないといけない。(火を消しに)行かないよっていうそんなことは、まかり通らない世の中なんですよ」
その後母親は、近所の人に、ただならぬ事態だと声をかけられてやっと、豊田さんのところへ来たという。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「(近所に)関東大震災を経験した人がいたんですよ。その人が『関東大震災よりもひどいから、先に私は避難します』。うちのお袋はそれを聞いて、そんなにひどいんだ ったら迎えに行かなきゃってなって私を迎えに来た」
ようやく駆けつけた母親と一緒に逃げるも、火に囲まれてしまった。

逃げる途中で水をかぶる様子の絵
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「既に火の粉なんかもずっと舞っているから、だから上から(水を)かぶれと言って、うちのおふくろもかぶってましたけど」
豊田さんと母親は近くの公園に避難し、生き延びることができた。 しかし、街には恐ろしい光景が広がっていた。
●東京大空襲を経験 豊田照夫さん(89) 「道路の真ん中で、自動車が逆さまになってひっくり返ってる。路地のところで人がハイハイする人形のような格好で炭になっている。上着なんか全部燃えちゃってなくなって、炭になるというのは異様なもので」
逃げるな火を消せ 国民に消火を強いた「防空法」とは

防空法を広めるためのポスター
火を消さなければならないことは、実は「防空法」という法律で決まっていた。 防空法を広めるためのポスターには威勢の良い言葉が躍る。 「必勝を期して戦(たたか)へ」。 「焼夷弾の防火は最初の30秒が最も大切」 防空法では、逃げることが禁じられ、消火活動が義務づけられていたうえ、罰則まであったのだ。

防空法に詳しい早稲田大学法学学術院・水島朝穂名誉教授
専門家は防空法が作られた目的は「市民を戦争に参加させるため」だと語る。
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授 「市民がどこにいても焼夷弾から逃げないで、そこにとどまって火を消すことが前線における兵士たちの戦いと同じなんだと。火の中に市民を突撃させると、そういう性格に末期の方ではなっていったように思います」
陸軍の幹部は国会でこう述べている。
●佐藤賢了陸軍省軍務局軍務課長(1941年11月の衆議院の防空法改正委員会での発言) 「空襲を受けた場合、実害そのものはたいしたものではない。戦争継続意思の破綻になるのが、もっとも恐ろしい」
また、焼夷弾の炎は「簡単に消せる」と盛んに伝えられた。 国が各家庭に配布した、空襲への備えなどが記載された冊子にはこう書かれている。
●時局防空必携 「焼夷弾も心掛けと準備次第で容易に火災とならずに消し止め得る」
焼夷弾の炎は消せるのか? 当時の消火を再現 火たたき棒でたたいて…

竹と縄で作られた火たたき棒で消火を試みるも消えず
焼夷弾の中にはゼリー状のガソリンが入れられていて、 火がつくとガソリンが飛び散り、家の壁や柱にへばりついて燃え続けるようになっていた。
これに対して、当時は焼夷弾の火は、バケツの水、竹や縄でできた火たたき棒などで消せるとされていた。
当時の消し方で、“焼夷弾の火”は消せるのか?専門家監修のもと、実験を行った。 木の板に布をまきつけてガソリンを染み込ませ、焼夷弾の中身が床などにへばりついた状況を再現。
点火すると瞬く間に激しく燃え上がった火。
資料を元に作った火たたき棒を水につけ、叩いたり、こすったり。 3分以上、巻きつけた布がちぎれるほど繰り返すも、火を完全に消し切ることはできなかった。

続いて、バケツの水をかけてみるが、計8回かけても消えなかった。
●火災に詳しい 東京理科大・松山賢教授 「ガソリン自体が水を弾いてしまうことが起こりますので、水をかけて消火するというのは、消せる状態には程遠いんじゃないかなと。(ガソリンを)固めたことによって、なかなか消えにくいというところにプラスされて、継続的な燃焼が起こり得る」

水に浸っても燃え続ける火
ゼリー状のガソリンに見立てた布は、水に浸ってもなお燃え続けていた。
●実験を監修 東京理科大・桑名一徳教授 「ガソリンは蒸発した気体に火がつくことで燃えるんですけども、その蒸気が色々なところにありますから、火を完全に消すことができれば消える。しかし、火が少しでも残っているとそこから蒸気に燃え移って燃え続けますので、いつまで経っても火を消すことができない」
実際に焼夷弾の火を消そうとした、小林暢夫さん(94)。 ”油の火の玉”をまえに、「何をしても消えなかった」と証言した。

当時のバケツリレーのやり方を記者に教える小林さん
●空襲で消火活動を経験 小林暢夫さん(94) 「バケツリレーをして水をかけて、火たたき棒で消す。でも消えない。油脂焼夷弾だから。防空演習をやっていたのとは全く違う。油の火の玉だから。古い木造家屋の塀なんかに当たると、すぐにバンって燃え出す」「本当に怖さだね。何やったって消えないんだから」
それでも逃げなかった理由 隣組による“同調圧力”

隣組の集合写真
消えない炎。 それでも人々が火を消そうとした理由を、小林さんが語ってくれた。
●空襲で消火活動を経験 小林暢夫さん(94) 「何事か危険な状態になれば、自分で真っ先に逃げようというそういう意識はあるんだろうね。あるんだろうけども、表には出せない。隣組は。みんなで共同体だから。それは戦争中、特にそうさせられたわけだ」
「隣組」。お互いを助け合う地域の組織で、配給や防空訓練などの役割があった。 しかし、その助け合いの結びつきが、逆に“同調圧力”を生んだと専門家は見ている。

当時のバケツリレーの様子
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授 「法律がただ禁止しているだけじゃない。隣組とか自治会とか生活圏における社会的な圧力、これが構造的に働いて人々はいわば“逃げなかった”」
そして、もし現代に「防空法」のようなものがあったら―。 「隣組」の役割が、現代では「SNS」に置き換わって、市民たちが空気に流されて行動してしまうのではないかと指摘する。
●早稲田大学 水島朝穂名誉教授 「SNSが当時あったら、うちのお父さん一生懸命火を消しているのに『あの家のお父さん子供を連れて逃げてるよ』というのを動画で撮って晒したらどういうことになります?大変なことでしょう。(当時は)SNSというツールがなかっただけで、もし今同じような仕組みができて、国家が『市民はそこに留まって協力しないと駄目だぞ』みたいなことを、仮にやったとしたら。みんながお互いを監視し合って『あの家逃げたぞ』とやって晒したりすることが起きたら。同じような機能を果たすんじゃないでしょうか」
“同調圧力”が漂う状況のなかで、 人々は逃げられなかったのではなく、逃げなかったのだ。
空気に抗い“逃げた”人も 日本刀を振りかざして…

八王子空襲で家族全員で逃げた尾股重利さん
しかし、終戦間際には、防空法や同調圧力に抗う人もいた。 終戦の2週間前。450人が亡くなった八王子空襲。
尾股重利さん(2015年の取材時84)は、空襲が始まると家族全員で避難を始めた。 八王子市内が焼夷弾の炎に包まれる中、市外へと繋がる橋を渡ろうとした。
●尾股重利さん(取材時84) 「浅川橋を渡ろうとしたら群衆がいっぱい集まっちゃって、行けなくなっちゃって。『みんな逃げるな、火を消せ』って言うんですよ。でもね、あれ火なんか消せる状態じゃないです。バケツで消えるような火なんかじゃないですよ。皆さん右往左往どっち行くか、逃げると殺すぞと(言われて)舞い上がっていた」 「火を消せ」と行く手を阻む人たちに向かって、尾股さんの父親が日本刀を振りかざして、何とか逃げたという。
●尾股重利さん(取材時84) 「科学的な炎だから水ぐらいで消えるものじゃないですよ。それで油を含んで噴出すんだからもうたまったもんじゃない。非現実的な話。命を生きながらえる方が大切だと思った。火を消すより。わが命を守るのが第一だと思いましたね」
命を繋いだのは周りの目を振り切る勇気だった。
※この記事は、JNN/TBSとYahoo!ニュースによる戦後80年プロジェクト「#きおくをつなごう」の共同連携企画です。記事で紹介した防空法や東京大空襲についての情報を募集しています。心当たりのある方は「戦後80年 #きおくをつなごう」サイト内の情報募集フォームにご連絡ください。
また、企画趣旨に賛同いただける方は、身近な人から聞いた戦時中の体験談や写真を「#きおくをつなごう」をつけてSNSに投稿をお願いいたします。
TBS NEWS DIG Powered by JNN
0 notes
Text
2024年9月第2週
2024/9/9(月)
ぽっかり空いた休日。やることはあるけどなんとも最近気力が湧かないし、景気付けに餃子でぽっかりを埋めてやろうかと宇都宮にゴー。青春18きっぷもこれでちょうど使い切った。
大学の時にもこうやって宇都宮に餃子食べに行ったなーとか思いながら、電車の窓から外を覗く。昔住んでいた街を通った。あの頃からいろいろ変わったつもりでいたけど、あの日と今日に限っては同じ気持ちだった気もする。よく覚えていない。
5軒9皿54個。たくさん餃子を食べた。最初に食べたお店の水餃子が、ツルツル生地で小麦の味もしっかり感じてとても好みだった。自分で作るときはもちもちにしがちだがこれも良い。つるっとむふっと。
楽しい1日になった気がする。よくわかんない。なんかごまかしごまかしの休日だった気もする。心の穴が満ちてはいないかもしれないけど、体は確実に満たされているはずだから、よく寝てちゃんと体に肉つけよ。
2024/9/10(火)
明日から家を離れるので、冷蔵庫に残っていたレバーパテをトーストに塗って朝ごはんとする。贅沢なこと。家にレバーパテがあるだけでだいぶ生活が潤うのでみんなも作ったほうが良い。
どれだけ気が滅入っていても身体はいつも元気。すんすん寝てもりもり食べられる。本当は心も元気なんじゃないか?と自分を疑ってもいるけれど、なんとか生活が成り立っているのはこの体質のおかげだと思う。あざす。
同僚に頼りながらどうにか仕事を終え、また家に戻る。少し残しておいたレバーパテを餃子の皮を焼いたものに挟んで食べる。普段は夜、炭水化物を摂らないようにしてるけど、餃子の皮ならトーストよりマシだと自分を許す。
市販の餃子の皮はトースターで焼くだけでパリパリして美味しいのでこれもみんなやったほうが良い。スープに入れても美味しいし、ピザにも出来る。
そういえば今日、年上らしくないと言われたなー。そういえばとか言ってるが、この人、言われてからずっと年上らしさ…と考えている。あまり普段周囲の年齢を気にしていないから、そう言ったものが必要だとは思わなかった。ううむ…なんだろ、とりあえず明日は朝が早いので寝る。こういう判断ちゃんとできるのは大人っぽくない?
2024/09/11(水)
実家にいる自分は間違いなく大人っぽくない。全然高校生だった頃と変わりない。さっき親にエアリズム買ってもらった。
大人っぽさって調べると余裕があるとかポジティブとか、まあ良さそうな言葉が並んでるんだけど、これって弱さを見せないってこと?まさか歳を重ねることで弱さがなくなるなんてことはないし。
僕はコミュニケーションにおいて、弱さを見せることで親しさを作ることが多いから、なかなか難しい問題だ。弱さを隠したら多分上手く人と親しくなれないし、弱さを抱えたままひとり衰弱していくな、きっと。墓の前で大人っぽい人だったねとか言われても、そこに私はいません。
かと言って弱い弱いいつも言うてるのも楽しくはない。今は言うとしても、弱さがあることを早く当たり前のことと消化して、強調しないようにはなりたいですね。いやはや。
2024/09/12(木)
夜ご飯、お寿司。海鮮が豊かな土地なので、帰ってくるたびに家族とお寿司を食べに行く。昔はなんでも美味しい美味しいって食べていたのに、歳を重ねたせいか、これは美味しいあれはまあまあだとか思うようになって少し悲しい。なんでも美味しく食べたい。
ここ一年ほど、以前より繊細な料理を食べる機会が増えて、この現象が急激に増えている。舌が肥えるってやつ。そりゃ機会があればより美味しいものを食べたいんだけど、更新するたびに美味しいと思えるものは減っていく。そのうち超一流なものでしか反射的な美味しさを感じられなくなるのか。資金が潤沢ならそれでもいいけど、きっとそんな人生にはならないから、やっぱり悲しい。こうなりゃもっと突き詰める自炊をしなきゃな。
2024/09/13(金)
本を買いすぎた。リュックちぎれそう。明日久々の演奏、楽しみ。ここしばらく憂鬱であまり練習が捗らなかったのが悔やまれる。でも楽しむ。
2024/09/14(土)
内容はともかく、とても楽しかった。演奏をもっとしたい、上手くなりたいと確かに思っている。いつもそのはずなのになぜ練習が手につかないのだろう。お前は気持ちが足りてないんだと測れないものを責めても仕方ない。具体的な目標がないから上手に取り組めないのかも。始めることなんて簡単なはずなのに、分からないから怯えている。ありきたりだけど小さい目標を重ねていくことを改めてやってみよう。ギェ。
一週間ごとに日記をまとめてみようとしている。その方が1日ごとの内容が薄くても成り立つので気楽に感じる。流れができることも楽しいし。これでもう一週間分なので三日坊主とは呼ばせません。
0 notes
Text
かまど さん レシピ ご飯 以外

かまどさんは、料理が好きで日本料理を探求したい人にとってインスピレーションの源です。 おいしくて簡単に作れるレシピで、かまどさんは家族や友人のためにおいしくて栄養価の高い料理を作るのに役立ちます。今日, gohanasahiruyoru.com の記事では、かまど さん レシピ ご飯 以外について詳しく見てみましょう。
かまどさんと日本料理における人気
かまどさんオーブンは、かまどとしても知られ、陶器で作られた日本の伝統的なかまどです。 かまどの歴史は古く、江戸時代(1603年~1868年)から調理、暖房、さらにはお茶を焚くために使用されてきました。 今日、かまどさんオーブンは、その優れた利点により、日本および世界の料理でますます人気が高まっています。

このタイプのケーキのイラスト
かまどさんオーブンのメリット:
- 優れた保温性:かまどさんオーブンは厚いセラミックで作られており、非常に優れた保温性を備えています。 そのおかげで、かまどさんオーブンは安定した調理温度を長時間維持することができ、料理に均一な火が通り、より美味しくなります。 - 多機能:かまどさんオーブンは、焼く、燻製、ロースト、煮る、炒めるなど、さまざまな料理を作ることができます。 - 燃料の節約:かまどさんオーブンは燃料の使用量が非常に少ないため、調理コストの節約に役立ちます。 - おいしい味:かまどさんオーブンは、食品の自然な風味を保ち、美味しくて栄養価の高い料理をお届けします。 かまどさんオーブンは日本食レストラン、飲食店、家庭でますます人気が高まっています。 多くの有名な日本のシェフがかまどさんオーブンを使用して、美味しくてユニークな料理を作ります。
かまど さん レシピ ご飯 以外
かまどさんはご飯ものだけでなく、さまざまな食材や調理法を使ったおいしいレシピがたくさんあることで有名です。 以下にいくつかの提案を示します。

このタイプのケーキのイラスト グリル: - 焼き肉:かまどさんは、牛肉、豚肉、鶏肉から魚介類まで、肉を焼く達人です。 かまどさんの秘密は、炭火を使用し、適切な焼き温度を調整することで、肉に均一に火が通り、柔らかくなり、肉本来の風味を保つことにあります。 - グリル野菜: かまどさんは、グリルした肉やベジタリアン料理の付け合わせとして、ジャガイモ、ニンジン、ブロッコリーなどの野菜もよくグリルします。 かまど窯で焼き上げた野菜は甘みやビタミンを逃さず、栄養たっぷりでおいしくお召し上がりいただけます。 - グリルピザ:かまどさんはピザも焼くことができます。 かまどオーブンは高温を作り出し、ピザを素早く均一に焼き上げます。ピザベースはカリカリ、チーズは濃厚にとろけます。 煮込み料理: - スープ:かまどさんは、味噌汁、鶏スープ、野菜スープなどのスープをよく作ります。かまどかまどで炊いたスープは、素材の栄養をそのままに、風味豊かに仕上がります。 - 肉のシチュー:かまどさんは、牛肉、豚肉、鶏肉などの肉の煮込みにも使用できます。かまどオーブンで煮込んだ肉のシチューは、ジューシーでスパイスを吸収し、口の中でとろけます。

このタイプのケーキのイラスト 煮込み料理: - 魚の煮込み:かまどさんは醤油、ガランガル、生姜、唐辛子などで魚を煮込むことが多いです。かまどかまどで作った魚の煮込みは美味しくてコクがあり、長期保存も可能です。 - 肉の煮込み:かまどさんは、豚肉、鶏肉などの肉の煮込みにも使用できます。かまどオーブンで煮込んだ肉は、ジューシーでスパイスを吸収し、口の中でとろけます。 その他の項目: - トースト:かまどさんを使ってパンをトーストすると、カリッとおいしく仕上がります。 - 卵焼き:かまどさんは卵焼きにも使え、卵に均一に火が通り、黄身が柔らかく滑らかになります。
エピローグ
かまどさんオーブンは、美味しくて栄養のある料理を作るのに役立つ優れた調理器具です。 多用途で燃料効率の高いオーブンをお探しなら、かまどさんオーブンが最適です。 以上、かまどさんのご飯以外のレシピでした。 粘土オーブンで調理された美味しくてユニークな料理を発見したい人にとっては、素晴らしいインスピレーションの源です。 今日の記事が興味深く、あなたの質問に役立つことを願っています。 Read the full article
0 notes
Text
東京駅だけで買える!「Calbee+」×「東京ばな奈」の進化系ポテトチップス「じゃがボルダ」が二刀流に進化! - Peachy - ライブドアニュース
以下引用
2020年東京駅にオープンした「じゃがボルダ」は、「Calbee+」と「東京ばな奈」がコラボレーションした進化系ポテトチップス専門店。東京駅にしかない店舗ということもあり、東京土産としても人気だった。それがよりパワーアップするために2025年4月22日にリニューアルオープンした。
■独自製法の厚切りポテトチップス
「じゃがボルダ」と言えば、厚切りのポテトチップスが看板商品。厚切りポテトチップスに凝集したおいしさのしずくをふきかけることで、外はパリッと、中はサクサクの食感に仕上げている。しかも、KGT、つまり、K:粉、G:が、T:手につきにくい、のが特徴。
今回のリニューアルで登場したのが、「炙りおさつチップス」。これまでジャガイモのポテトチップスだけだったが、サツマイモのチップスが仲間入りした。
「炙りおさつチップス」の原料となっているのが蔵で熟成させることで甘味が増した「紅天使」という品種のサツマイモ。これは濃厚な甘さが特徴の「カルビーかいつかスイートポテト株式会社」のオリジナルブランド。これを厚切りにすることで濃厚な甘味が味わえる。しかも、味付けは和食の名店「広尾 小野木(おのぎ)」が監修。「発酵バター味」と「クリームブリュレ風味」の2種がそろう。
さらに独自の「おさつチップスATU製法」で、味に深みをプラス。ちなみにATUはA:炙る、T:と、U:うまい、という意味。噛むほどに濃厚な味わいが口いっぱいに広がる、贅沢なチップス。「熟成芋の発酵バター味」は、サツマイモの甘さと発酵バターのまろやかなコクの組み合わせで、次々と手が伸びてしまうクセになる味。
「熟成芋のクリームブリュレ風味」は、パリッと香ばしいブリュレ仕立てのチップスで、キャラメリゼを表現した濃厚な甘さはスイーツのような味わい。「じゃがボルダチップス」と交互に食べると、甘いしょっぱいの無限ループにハマるはず。
■「じゃがボルダチップス」に新フレーバー登場
「じゃがボルダチップス」は、定番の「黄金コンソメ」をはじめ、「鰹と昆布のうまみだし味」、「貝だしとあおさ味」、「牛だしとわさび味」(各1047円)の4種。こちらも「広尾 小野木」が味付けを監修。ポテトチップスに合う素材本来の旨味を追求した、進化系ポテトチップスに仕上がっている。
そこに新作の「帆立の炭火焼きバター醤油味」(1134円)が期間限定フレーバーとして加わり、バリエーション豊かなラインナップ。1種だけでも、いくつか組み合わせてもジャガイモやサツマイモのおいしさを堪能できる。
パッケージのデザインもリニューアルされ、高級感のある装いになったことで、より手土産やギフトとしても重宝しそうだ。
■イタリアンおやき「ポティジェッラ」が新登場
さらに今回、店舗内に厨房を設置し、ブランド史上初の店内厨房ベイク商品「ポティジェッラ」(3個入り1393円)が登場。“イタリアのおやき”「ティジェッラ」から発想を得た新感覚のセイボリーおやつで、もっちりした生地の中になめらかなマッシュポテトと北海道産生乳100パーセントのモッツァレラチーズ入り。
こちらは、東京・麹町のイタリア政府公認レストラン「エリオ・ロカンダ・イタリアーナ」が味を監修。玉ネギやゴーダチーズ、生クリーム、バターを合わせたマッシュポテトとイタリアの職人が作ったモッツァレラチーズの組み合わせが楽しめる。
店内厨房で仕上げ焼きをし、1日2回、11時~と17時~の販売。販売時間であればホカホカの状態で食べられる。テイクアウトの場合は自宅で電子レンジやトースターを使ってリベイクすることでおいしく食べられる。今までなかった新しい“イタリアのおやき”「ポティジェッラ」はぜひ味わいたい一品。
▲「じゃがボルダ」があるのはJR東京駅のみ
オンラインショップはあるものの、「じゃがボルダ」があるのはJR東京駅1階改札内 グランスタ東京のみ。ほかでは手に入らないという点でも手土産や東京土産におすすめ。「じゃがボルダチップス」と「炙りおさつチップス」を組み合わせれば、甘いもの好きの人にもしょっぱい系好きの人にも喜ばれそう。もちろん自分用のご褒美おやつとしても楽しめる。東京駅に来たらぜひ足を運んでみよう。 ※記事内に価格表示がある場合、特に注記等がない場合は税込み表示です。商品・サービスによって軽減税率の対象となり、表示価格と異なる場合があります。
0 notes
Text
『クラユカバ』『クラメルカガリ』


『クラメルカガリ』『クラユカバ』を公開初日に続けて観てきた。面白かった。以下ネタバレがある。上の写真は3月末に閉館してしまった地元の映画館で撮った。二度と足を運ぶことのできないクラガリになってしまったが、たくさんの名画に出逢わせてもらった。
まずクラガリが「亜炭堀りの坑道」を広げる途上で発見された正体不明の地下世界である、という設定がめちゃめちゃ良い。亜炭は我々の世界でさかんに用いられていたのは昭和40年代ごろまでだったそうだが、『クラユカバ』『クラメルカガリ』の人々にとっては過去の話ではない。地下世界発見の経緯や箱庭の成り立ち、懐かしいようで見覚えのない奇妙な街並みを舞台に生き生きと描かれる人々の暮らしぶりを観て我々が抱くのは、亜炭が「現在」の彼らの生活を支える身近な資源であるという実感だ。しかしそもそも亜炭とは、かつて地上に生息していた木々や植物が腐敗する前に土の下に埋もれ、そのまま地中で何十何百何千万年という永い時間をかけて変質していった結果できあがる代物だ。あの人々の生活から匂い立つ(亜炭は燃焼すると甘酸っぱいような独特の匂いを発したらしい)亜炭の存在感は身近かもしれないが、亜炭のもとになった木々は人類がまだ生まれてもいない数千万年前から地上にいた、と考えると途端に途方もなさが際立つ。 亜炭とは人間の文明以前からそこに在り、亜炭が埋もれている深部の地層もまたそれだけ古い時代からそこに存在し続けてきた。つまり亜炭が眠り続けていた深さの地下世界とは、人知も神秘も及ばぬ遙か遠くの「過去」の世界、ということだ。 木々のように腐敗もせず水のように流転もせずただただ地中に横たわり続けた「過去」が、永い時のなかで亜炭のごとき変容を果たし「過去」ではない何か、暗がりではではない何かに変容してしまったのだとしたら。それが亜炭堀りたちの見つけてしまった世界のきざはし、見世物一座が「くらゆかば」と消え去った暗渠の向こう、���るいは虫喰いを辿った先にある未踏の暗がり────「クラガリ」の始まりとするならば。タンネやトメオミの装束が博物館を司る機関の制服に似ていること、クラガリに「曳かれた」人間が過去にまつわる譫言を吐くばかりになっていたこと、「クラガリの端にしてほとりのクラブチ」で荘太郎が過去の幻影に囚われかけたこと。これらの理由を想像するのが個人的に楽しくなってくる。
クラガリに「惹かれるな」ではなく「曳かれるな」、なのはクラガリがすすんで誰かを呼んでいるわけではないという意味かもと思う。過去を求めた人間が地下へ、あるいは自分の内側へ深く深く潜っていった結果クラガリに接触してしまう。クラガリが「せり上がってきている」時ですらクラガリに何かを惹きつける意志はなく、何かを曳いたところでクラガリが変わることはない。暗がりで道を選ばされるのはつねに曳かれたほうだ。 加えて暗がりで人が観るものといえば夢、映画、幻灯の類いだろう。荘太郎も大幻灯を浴びて人形劇や紙芝居やメリエスの無声映画のごとき幻影を彷徨ううち、父と母と平穏に暮らしていた幼い頃の「過去」へと歩き去ってしまいそうになる。父の帰りを待ちながら老いて亡くなった荘太郎の母は人形劇の世界で身体の色が金から白に変わっていったし、過去の幼い姿でどこかへ歩いていこうとする荘太郎の世界は色がなく、その背後に並びはためく幟も白い。金とか灯りは生きてる人間の色、白はクラガリに行ってしまったひとの色なのかもな、と思う。そこに見世物一座の「千里眼」の少女によく似た、白い髪の幼いタンネがやってきて、「これ、忘れ物」と掌を差し出す。 色々あってサキを福面党から取り戻すことはできたものの、見世物一座は「くらゆかば」と去り、父は帰らないままだ。それでも荘太郎が思い出したように探偵事務所の引き出しを開けると、そこには幼いタンネが届けてくれたあの金色の巻き鍵がある。それは事務所の壁にかけられた時計の巻き鍵だ。荘太郎が子どもの頃クラガリに行ったことがある記憶をちょっとしゃべる冒頭のシーンで、荘太郎の後ろの暗がりが映り込む演出があったけど、あの事務所は荘太郎の過去が留まり続けたクラガリでもあったと思う。だから巻き鍵によって再び動き始めた時計が時を刻む音の響くラストは、過去は取り戻せないままなれど、止まっていた時間をようやく進めることのできた荘太郎にとって明るいものだった気がするのだ。
クラガリに曳かれながらもクラガリから抜け出でて自分の道を進む人間たちの話が『クラユカバ』であるならば、クラガリの真上で変わり続ける街とともに変わりながら生きる人間たちの話が『クラメルカガリ』なのだろう。物語の序盤で「箱庭紡ぎ」は街の「点と点を繋いで紡いでいく」仕事だと飴屋が言うが、それは『クラメルカガリ』という物語の構造そのものでもある。クラガリに曳かれる人間、曳かれた人間、街の変化を愛する人間、街を日々変えていく人間、変わっていく人間。それらひとりひとりの足取りが繋がり合いクラガリの上にひとつの物語が編まれていく。その変容を地図に、あるいは自分の内側に留めていく少女カガリの足取りは日々に翻弄されながらもまっすぐで迷いがない。作中でははっきりと描かれないが、虫食いの話になるたびカガリの顔が曇ったりなにか言いたげな顔をするのは彼女の両親の死んだ理由が虫食いに関係あるからではと思うのだが、それでも紡ぎの仕事は「嫌いではない」と彼女は言う。ユウヤの地図をすごいと評したカガリの、虫食いのことは書いてあったけど鉱泉の川に通じてるあの道のことは書いてなかった、との指摘も彼女なら至りうる。 というか『クラユカバ』でクラガリの端にふれると『クラメルカガリ』で地下の「虫食い」に潜ってまで地図を作りしかもその生き方を楽しんでいるカガリの生き様がちょっと異様であることが分かる。亜炭の鉱脈の上に成り立つ「泰平さん」と「箱庭」、そのさらに地中深くから時折湧いて出る虫食いを辿ればおそらくクラガリに行き着くのだし、特に映画の時系列は伊勢屋曰く「今は時期が悪すぎる クラガリがせりあがってきている」のだ。「箱庭」は日々様相が変わる街だから地図が必要なのだと飴屋は語るが、街がどれだけ変わろうとクラガリは変わらないのだろう。変わっていくのは地上にせり上がるクラガリに「曳かれ」る街のほうでしかない。 そういう街で箱庭紡ぎの仕事を担うふたりの街に対する思いが対比になっているのが面白い。ユウヤが日の当たる場所に行くまでの繋ぎに過ぎないと思っていた「紡」の仕事がカガリにとっては人生の楽しみであるというすれ違いは、カガリが記憶していた地下の脇道を「こんな細い道 俺だったらいちど地図にしたら忘れてる」と呟くユウヤの台詞にも表れている。ただしカガリがその道を覚えていたのは紡の仕事を気に入っているからだけではない。「もったいない、一緒に歩いたの大事な思い出だよ」と笑ったカガリにとって、ユウヤはこの街の記憶ごと大事にしたい存在なのだろう。この台詞にはカガリの街への思い入れと日々紡いでいるものへの意味が宿る。日の当たる場所に行きたかったユウヤが街を一時去るとき、「わたしユウヤくんの地図、好きだから!」と橋の上から笑顔で手を振るカガリには昇り始めた陽の光が当たっている。カガリとは地中のクラガリを行くための篝火であり、ユウヤにとっても日の当たらない場所=箱庭=クラガリを照らす篝火だったのではなかろうか。
ところで『クラユカバ』で荘太郎を福面党の一員と勘違いしてしょっぴこうとしたおっさんと『クラメルカガリ』でシィナ総長に声をかけていたおっさんが同一人物なのでこの二作はそんなに時間が離れてないんだろうな。『クラユカバ』で福面党にまぎれていたムジナの男が『クラメルカガリ』では髪が伸びた風体で石猿一家をけしかけていたあたりほぼ同時期というわけではなさそう。にしても福面党のボスが「御多福」なのは洒落がきいてる。ムジナと福面党の関係も気になるところだ。 演出面では、『クラユカバ』で車両から逃げる荘太郎が「じょうぶ~!!」て叫んでたシーンを『クラメルカガリ』のカガリがアブラムシから逃亡するときセルフオマージュしてたのが楽しかった。それと『クラユカバ』では荘太郎のお父さんが荘太郎になぜ探偵をやっているのか聞かれて「ここがむかし川だったことは知っているか?」、そんなふうに世の中に隠れている謎が好きで父さんは探偵をしているんだと答えたり、クラガリの入口を探していた荘太郎が街のじいさんに「トンネルを掘るときは一旦土地を開けてから埋める だから地図を見ればトンネルがどこを通ってるか分かる」と教えてもらったりと、『クラメルカガリ』ほどではないけど地図や土の記憶が大事なモチーフとして取り上げられてたのが良かった。荘太郎の降り立った橋のあたりとカガリが坑道から抜け出て川に流れ出たあたりはぱっと見近いかなって思ったけど実際はまったく関係ない景色なのかな。観直したさがある。 にしても『クラユカバ』を観るとこの深い深い世界のどの要素から『クラメルカガリ』が構築されたのか分かって楽しいし、『クラメルカガリ』を観てこの世界をもっと深く知りたいとおもった人に『クラユカバ』は当然充分応えてくれる。『クラユカバ』の停留所には「成田亭良悟」の名前が書かれたポスターが貼られているのだけれど、栄和島と伊勢屋とおなじく「まったくの別人」ながらもこの世界に成田良悟先生の言葉もまた息づいているのだなと思えて嬉しかった。伊勢屋に自分の留守を任せていく栄和島と任された伊勢屋の反応、原作を知ってても知ってなくても激アツだったな…… そういえば自分が映画館でこれを観ていたとき、伊勢屋の店が画面に映った瞬間後方の席から「カストリ…!?笑」て困惑した男性のデカめの声が聞こえてきて面白かった。かくいう自分は自律機関が出てきた瞬間「蒸気王じゃん!?」て叫ぶところだった。閑話休題。
ムジナの男がタンネ達と出くわす前に「ナマズとご対面だ」て言ってたのが気になってる。ナマズ=鬼(鬼灯色の瞳のタンネ)の由来がちょっと思いつかないし、地下を這う車両をシンプルに喩えた可能性はあるけれど、ナマズは地震を起こすと信じられてきた生き物だからムジナにとっては地下をわずらわすめんどくさい勢力としてナマズと呼んだのかな。だとしたらムジナたちって亜炭堀りに発見されるよりずっと昔からクラガリに潜んでる勢力なのかも。石猿一家が失敗したときも地下に帰る的なこと言ってとんずらこいてたし、新聞には浮世絵じみた絵で紹介されてるし。今後続編が制作されてムジナの行動理念が明らかになったら楽しそうだ。 ちなみに『クラメルカガリ』では蛙を鳥と云って出す屋台について「あれむしろナマズっぽいよね」とコメントしてた。箱庭はナマズ食が珍しくない文化なのか…?あとカガリとユウヤがごはん食べてた屋台の壁のお品書きに「目玉の甘」てあったけどあれなに?目玉の甘煮? 『クラユカバ』で荘太郎と稲荷坂が呑んでたお店もちょっと不思議で、荘太郎が生の中を追加したら新しいジョッキが来るんじゃなくて瓶から次いでくれるんだよね。「お兄さん!」て呼ばれた荘太郎が「ああもうそんくらいで」って止めたあと何かを継ぎ足して飲んでるあたり量でお代が決まるのか?と知りたくなった。というかあれ多分ビールじゃないよな(泡の載った金色だった覚えがない。自分が覚えてないだけかも)。テーブルにあった瓶のラベルにはホッペルと書かれてた。 『クラメルカガリ』のシィナが通信傍受機と同じ鞄に箱キャラメル入れてるのもめちゃいいし、シィナと飴屋の射的のシーンもなんてことないのに良さしかなかったな。ところでシィナさんと情報屋の伊勢屋はなんで知り合いなの?気になりすぎる。
管使いのタンネが管(たぶん管狐)のことを今いる地下より「ちょっと深いところ」の生き物だって言ってたけど、カガリも「ちょっと深いところ」の話してたんだよね~どこだったかな。管の色が金色なのも荘太郎が陥りかけたクラガリの過去の幻影に関係ありそう。そもそも見世物一座の人間たちがみんな白狐の面を被ってたからな……探訪記者の名前は稲荷坂でクラガリに近い人間の名前ぽさがある。 どちらの作品もいろんな生き物の名前や意匠が取り入れられてるの面白いよね。荘太郎に情報提供した男は兎の面つけてたし、朽縄博士(くちなわは蛇と書いてもくちなわと読む)の子どもたちは牛蛙だったり虫の姿だったり公園にはザリガニがいたり。ササラちゃんはササラ電車からの命名だったりするんかな。あとアブラムシよける機械のデザインが電動の蚊遣りぽかったなと思ってそこだけパンフ見たら名前が「ムシヨケ」だったしよく見たらデザインも蚊遣り豚だったので笑った。朽縄おじいちゃんが朽縄博士だと明らかになるシーンの真打登場感も良い。 真打といえば荘太郎を演じた六代目 神田伯山さんは講談師の方なんだよね。『クラユカバ』『クラメルカガリ』はどちらも台詞回しがきもちよいけど荘太郎の語り口は抑揚の良さも相まってなおさら好きだった。あと活弁士と稲荷坂と石猿親分を演じてる坂本頼光さんは本職の活弁士の方だし、女性声優さんたちが演じるタンネやトメオミやカガリといったクラガリを探る少女たちのまっすぐに発せられる声と、クラガリとともに生きてきた男性キャラクターたちの物語ることを宿命付けられたような声が双璧を成す、両作品のキャスティングも外せない良さだと思う。寺田農さん演じる朽縄が、老兵は去らず此処にある的な台詞を最後にクラガリじみた研究所へ帰っていくのも印象的だった。 もし今後続編が制作されるのなら「僕にもわからないんだ 自分が何者でどこへ行くのか」と語っていたタンネの来た道や行く道のこと、トメオミが珍妙な慣用句を引用するたび添えていた「その道に曰く」の「その道」の意味(クラガリに繋がってる余所の道だと思う)、「轍」や見世物一座の正体が語られたらいいなと思うし、「泰平さん」の「テリヤス工業」時代の話やこのあとの箱庭の姿もまだまだ観たい。パンフに載っていたインタビューでは、監督は『クラユカバ』『クラメルカガリ』の両作品で「まだ語られていないこと、解かれていない謎」について「世界を閉じたくない」「モヤっとしたものを残すことで観た方の記憶に残したい」から謎を残していると述べているし、成田良悟先生との対談では「ちゃんと考えてはいるんですけど」「もっと面白い設定を思いつくかもしれない」から「前もってテキストに書き起こさない」とも話している。だからここまで自分が書いた感想はあくまでも現時点で得られる情報からの推察に過ぎないし、正解は監督の頭の中にしかない。いつか続編で明かされるクラガリとその周辺の世界の正体が、今回の自分の想像よりも遙かに深く面白く最高であることを楽しみにしている。『クラユカバ』『クラメルカガリ』を観たあの日の映画館の暗がりは、それでようやく自分にとっての美しき「クラガリ」になるのだから。
1 note
·
View note
Text
エスカレートする「倫理的狂気」
倫理的狂気に陥るのは、時間がたってからだ。戦争開始直後から起こわけではない。時間がたち、いくつもの出来事を経るうちに、どんどんエスカレートしていく。誰も都市に空から爆弾を落とす第一号になどなりたくなかった。しかし、敵が攻撃してきたので仕返しをした。最初は軍事目標だけを狙うつもりだったが、昼間では敵の戦闘機に攻撃されてしまう。そのため夜間に爆撃を行うことにした。問題は、昼間でも標的に命中させることができなかったことだ。にもかかわらず夜に爆撃機を飛ばすことは、都市に無差別に爆弾を落とすのを、闇に認めていたということだ。
「倫理的には、彼らは昼間でも正確に狙えなかった標的を爆撃しようとしていた」と、レン・デイトンはドイツの戦略の変化について書いている。「実際には彼らは英国空軍爆撃機軍団がしていたのと同じようにしていた。大きな市の中心部を見つけてそこに火を放ったのだ」
1941年6月、イギリスは敵国の労働者の士気とコミュニティの破壊を目的として、爆撃は夜間に行なうと公言した(ドイツが行なったのは“脅威を与えるための爆撃”で、イギリスが行なったのは、“士気を挫く爆撃”だった)。イギリスにとっては、それは当時ドイツとの戦争において、彼らが持っていた数少ない貴重な戦法の一つだった。
ドイツの作家ヨルグ・フリードリッヒは複合爆撃機攻撃の航空隊を「人間に向けられた最も不気味な兵器」と呼んだ(この取り組みを監督していた空軍元帥のハリスは戦後も、これがイギリス人兵士一世代分を丸ごと救ったと固く信じていた)。
ドイツ空軍のヘルマン・ルメイまで、第一次世界大戦のころにパイロットや兵士として戦った軍の指揮官たちにとっては、何があろうと20年前に前線で経験したことよりはるかにましだった。第一次世界大戦では英国海軍が約80万人のドイツ人(大半が非戦闘員)を餓死させたと思われているが──すべてイギリスが海上封鎖している間の戦争の原則のもと──それは西部戦線で戦っていた兵士の命を救うためだったので、倫理的に受け入れられていたと、ハリスは主張した。(もちろん誰もが受け入れていたわけではない。ドイツの姿勢はイギリスとは著しく違っていたが、それは当然だろう)。
タミ・デイヴィス・ビドルは自らのエッセー『空軍力』で「自国の兵士の命と敵国の民間人の命を、どう比較するのだろうか?」と問うた。また、イギリスがドイツへの空爆を始めたときには、平和主義の聖職者たちが、戦争に勝つためにモラル上の一線を超えるよりも、負けるほうがいいのはどういう場合かと問いかけた。
米軍空軍司令官のヘンリー・“ハップ”・アーノルドは、何十万人もの市民が死んだあとで、「適切な理解とともに使用すれば、爆撃は、事実上、すべての兵器の中で最も人道的なものになる」と述べた。最悪な大量殺戮はまさに最適な条件で起きた。(爆撃される国からすると、誤った条件下かもしれない。)ある一定の条件の下では、爆撃で火炎旋風と呼ばれる現象が起きる。ある範囲(この場合は町)にいくつもの火炎があがり、それが一つに合わさって大きな火炎となる。これが起きると熱い上昇気流が大量に発生し、地上の冷たい空気が渦を巻いて、ハリケーン級の超高温の風を生じさせる。
このような状況では、人がいろいろな原因で死んでいく。ある人は爆風で死ぬ──肺が破裂し、血管等神経が衝撃を受けて死が訪れる。炎が燃え移って焼死する人もいれば、コンクリートの塊や建物に押しつぶされて死ぬ人もいる(個人が致命傷を負う弾丸と違って、爆弾は犠牲者の周囲の世界も破界する)。防空壕に流れ込んできた一酸化炭素による中毒、あるいは火炎旋風で部屋の空気がなくなって、窒息した犠牲者も多かった。
ドイツ軍の爆撃が最も激しかった晩は火炎旋風が生じ、1666年のロンドン大火以来、最悪の大火災となった。しかしそれも、ドイツの都市への報復の爆撃に比べれば見劣りがする。(ドイツ空軍は、当初はあまり考えずに戦略爆撃を重視する原則を採用していたが、戦争が始まるころには戦術空爆を中心としたやり方に切り替えていった。戦術攻撃とは、都市全体ではなくその戦場だけに攻撃を絞る手法である。急降下爆撃機(Ju87ストゥーカ)で戦車を爆撃するのが、戦術攻撃の例である)。最初の激しい攻撃は1943年のハンブルクだった。おそらく4万から5万人が焼死した。
1943年に19歳だったケイト・ホフマイスターは、爆撃を生き延びた一人だった。グウィン・ダイアーが著書『戦争(War)』に彼女の経験を書いている。そこには人間の経験として想像を超える極限状態が描かれている。防空壕を出たホフマイスターの目の前には、燃え上がる地獄が広がっていた。ガスマスクが溶けて顔にはりついている人が転がっていた。ダイアーはホフマイスターの話を引用している。「アイフェ通りの向こうには行けませんでした。道路には人がいて、すでに死んでいる人も、生きているけどアスファルトにくっついて動けなくなっている人もいました。きっとあわてて何も考えずに道に出てきたのでしょう。足がくっついて、抜け出そうとして手をついたんです。手と膝をついて四つん這いの状態で叫んでいました」
火炎旋風が起これば、次に何が起こるかは決まっていた。ロンドン大空襲では、8ヶ月を超える期間で4万人が死んだ(これは近代以前のほとんどの軍隊が、一度の戦争全体で失う数よりも多い)。ハンブルクではひと晩でそれだけの数のドイツ人が命を落とした。それは地獄の底をのぞき見て、目を背ける経験だったのかもしれない。
地獄をのぞき見た人はごくわずかだったが、英国首相はその一人だったと思われる。ウィンストン・チャーチルは、飛行機の先につけたカメラで撮影した、爆撃されたドイツ都市の被害現場の映像を見て、恐ろしさのあまり震え上がってもおかしくはなかった。当時彼と一緒にいたオーストラリア駐在武官によると、チャーチルは腰掛けた背を伸ばして、大声でこう言ったのだ。「われわれは野獣か? ここまでやってしまったのか?」。その同じチャーチルが、1940年にはこう言っていた。「自分の裏庭に火が付けば、ヒトラーは交代せざるをえなくなる。そして我々はドイツを砂漠にしてやる。そう砂漠だ」
チャーチルはまた、爆撃で失われるヨーロッパの遺産を心配していた。戦争で直接の被害を受けた人々が死んでいなくなったあとも、ローマ時代までさかのぼれる遺産の喪失は、子々孫々にわたり影響を受けることになる。文化遺産が、倫理的狂気によって破壊されるのだ。そしてそれはヨーロッパに限らない。日本、中国をはじめ多くの國で起こっていた。(たとえばイラクへの爆撃で、古代バビロニアやアッシリアの遺跡が損傷した。)
フランクリン・ローズベルト大統領は、敵の都市の爆撃について、二つの違う立場をとった。公的には反対、非公式には賛成だ。1941年8月4日の彼の発言を、米国財務長官ヘンリー・モーゲンソーが録音していたが、その内容は次のようなものだった(コンラッド・クレーンによる引用)。「ヒトラーに勝つ方法をイギリス人に伝え続けているが、彼らは聞く耳を持たない。軍事施設を狙って百機の飛行機をドイツに飛ばすなら、そのうち十機は前に爆撃されたことのない小さな町を爆撃するべきだと、繰り返して提言した。どの町にも何らかの工場があるはずだドイツ人の士気を挫くにはそれしかない」
1943年になると、死者の数が恐ろしい勢いで増え始め、それがずっと続いた。米国は、戦争最後の1年で、それまでの累計より多くの死者を出すことになる。
ダグラス・カッカーサー将軍は焼夷弾攻撃を非常に嫌っていた。補佐官の一人(基本的に彼を代弁する立場)は、それを「これまでの歴史の中でも最も容赦のない野蛮な非戦闘員の殺戮だ」と述べた。マッカーサーは実際に、市民を守るために民間施設を爆撃しなかったせいで自分の部隊を危険な目にあわせて死なせたことがある。現在でもそれは間違っていたという声がある。
世界で最も大きな力を持つ人々でも、こうした非道が行われる勢いを止めることができなかったようだ。戦争を率いた陸軍のジョージ・マーシャル元帥と陸軍長官ヘンリー・スティムソンも、その時起きていることを気に入らなかったが、止めることはできなかった。スティムソンの言によるとマンハッタン計画に参加した物理学者J・ロバート・オッペンハイマーは、焼夷弾攻撃と民間人への攻撃に対して米国の一般大衆があまり怒っていないことを不安視していた。オッペンハイマーは必ずしも攻撃を止めることを望んではいなかった。ただそれについて起こる人が少ないのが気に入らなかったのだ。
これはその時期の狂気を示すものだった。戦前の世論が女や子どもを標的にすることを許さなかったために精密に標的を狙う空軍力をつくった、まさにその当事者らが、1944年には一般大衆が怒らないという懸念を表明していたのだから。しかし都市には多くの軍事施設があるので、町全体を消滅させてしまえば、多くの軍事施設を破壊できる。
日本は産業を民間人の移住地域に移す決定をして、計り知れないほどの代償を払うことになった。一か所に集中させて爆撃を受けないよう、地域ごとに小さな工場をつくった。これが、当然と言えば当然だが、すべてを消滅させることを都合よく正当化させる要因となった。
技術の発達で、離れたところから標的を攻撃できるようにもなっていた。陸軍中佐で軍事心理学の専門家であるデイヴ・グロスマンは、距離があると殺人ができるようになる理由、そして標的との距離が遠いほど簡単に殺せることについて書いている。日本とドイツに対して行なわれたこと、あるいはドイツがイギリスに行なったこと、そのどれも、兵士が敵の顔を見て手を下さなければならなかったら、起こっていなかった可能性は高い。
グロスマンは7万人の犠牲者を出したある夜の空爆について「七万人の女子供にひとりずつ火炎放射器を向けるとしたら、いや、なお悪いことにひとりひとりの喉を掻き切らなねばならなかったのなら、その行為のむごたらしさとトラウマはけたはずれに大きく、誰にもそんなことはできなかっただろう。しかし、何千フィートもの上空からなら、悲鳴は聞こえず、焼け焦げる身体は見えない。だからだれにでも簡単にできてしまうのである」と書いている。日本で空襲を行なって戻ってきたアメリカの爆撃機の搭乗員には、焦げた人間のようなにおいがした。彼らの飛行機の底は焦げていた。そして彼らは戦果報告書を、握手して手渡していたと言われる。
コンラッド・クレー���は民間人を標的とした空爆について、米国のある当局者の話を引用している。「それは地上部隊に、戦っているときすべての民間人を殺し、すべての建物を破壊せよと命令するのと同じではないのか」
たしかにそうかもしれないが、前述したとおり、陸軍には海軍と同じように、戦時中に取るべき行動と、何が許容できて何ができないのかについての理解を、何千年もかけて体系的にまとめた指針がある。
3億人を救うためなら1億人を殺戮していいのか?
1945年2月にら、ドイツにはもう爆撃するものは残っていないので、連合軍はがれきを揺らしているだけだという不満が出ていたが、それでも爆撃は継続された。戦後、ニュルンベルク裁判で、被告は──ほとんどが人道に対する罪で絞首刑になる──連合軍のドイツの都市の爆撃を非難していた。連合軍の法律顧問の一人は、空爆は「すべての国が実行するようになり、近代戦争の一部として認められるようになった」と述べた。倫理的な問題を問うには遅すぎる、というわけだ。
連合軍からすると、事実上の敗北が決まったドイツへの爆撃を止めないのであれば、それよりは兵力が残っている日本がいる、太平洋戦域での攻撃を止めることは誰も考えなかっただろう。(ドイツ・ファースト政策によって、連合軍は第三帝国への攻撃を優先した。1945年初頭、ドイツはまだ侵攻されていない日本よりはるかに不安定な状況にあった。複数の敵国軍がドイツ国内で戦い、ドイツの大都市はどこも廃墟と化していた)さらに1945年8月、“空からのとどめ”という、ドイツに対する攻撃として想定されていたものが再び浮上した。その時点で、毎日の死傷者の数は恐ろしいほどで、終戦が1日早まるごとに、何千人もの命を救うことができた。
日本に2発の原子爆弾が落とされてから完全に降伏するまでの間に、千機の飛行機が東京に焼夷弾を落とした。まだやるのか、という話である。
しかし連合軍の爆撃だけに注目するのは、敵の危険性と性質を無視することだ。空軍の歴史を研究していたブルース・ホッパーは、1945年4月にブーヘンヴァルトの強制収容所を訪ねたあと、次のように書いている。「そこらじゅうで悪臭がした。人骨の残骸が炉の近くに山積みになっている。戦略爆撃を行なったことについての良心の呵責は、これを見れば和らげられる」。1899年のハーグ平和会議で、爆撃機はいずれ標的を狙う精度が高まって、市民を殺さずにすむ人道的な兵器になると言ったのは、米国の代表団だった。米国はまた、多くの非戦闘員を無差別に殺す軍部の策に耐えられないと感じていた。その米国が原子爆弾という、おそらくは世界史上最悪の無差別大量殺人兵器を使用した、唯一の国になるというのは、なんとも皮肉な話である。
総力戦の論理は矛盾だらけだ。
話は飛んで15年後、爆弾と高高度爆発物を民間人居住地域に使用することは合法である──なにしろどの国も使っていた──と成分化されたことで、米国自身が冷戦の間、核兵器の標的となる可能性を受け入れた。世界の指導者が3億人の命を救うために一億人を殺戮することは、倫理的に受け入れられるかという話を始めると、倫理的狂気はいっそう激しくなる。
死者の総数を最小限にとどめようとするのは、それで3億人を救えるのであれば、たしかに論理的である。しかし自分たちが使用した兵器が引き起こした1億の人間の無残な死に、健全で有益だった部分もあるというのは、どんな理由をこじつけようと無理がある。
人類が世界的な熱核戦争に突入し、再び暗黒時代を引き起こすようなことがあれば、私たちはきっと映画『猿の惑星』のチャールトン・ヘストンのように「バカども! このザマは何だ!」と叫びたくなるだろう。しかしそれは我々が招いた結末ではあっても、誰かが好き好んで起こしたことではないはずだ。
『危機の世界史』ダン・カールソン著 渡会圭子訳 2021年2月25日文藝春秋発行
THE END IS ALWAYS NEAR:
Humanity vs the Apocalypse. from the Bronze Age to Today
by Dan Carlin
Copyright © Dan Carlin 2019
Japanese translation rights reserved by Bungei Skunju Ltd.
By arrangement with Harper, an inprint of HarperCollins Publishers.
through Japan UNI Agency Inc., Tokyo.
ダン・カーリン
Dan Carlin
1965年生まれ。ポッドキャストのパイオニア的ジャーナリスト。かつてはテレビレポーター、ラジオパーソナリティ、コラムニストとして活動していたが、やがて活躍の場をインターネットに移し、彼がひとりで世界史のさまざまなテーマを、1エピソード数時間にわたって語る「だけ」のポッドキャスト番組『ハードコア・ヒストリー』を開設。そのドラマチックなテーマ選びと語り口で人気が爆発し、“Alexander versus Hitler(アレクサンドロス対ヒトラー)”、“Death Throes of the Republic(共和国の断末魔)”シリーズ、“Blueprint for Armageddon(最終戦争の青写真)”シリーズ、日本を扱った“Supernova in the East(東の超新星)”シリーズなど、60本以上のエピソードで累計1億ダウンロードを誇る。2015年の「ベスト教育ポッドキャスト賞」、2018年の「ベスト歴史ポッドキャスト賞」などを受賞。本書が初の著書となる。
渡会圭子
Keiko Watarai
1963年生まれ。翻訳家。上智大学文学部卒。おもな訳書に『the four GAFA-四騎士が創り変えた世界』(スコット・ギャロウェイ)、『習慣の力』(チャールズ・デュヒッグ)、『悪について』(エーリッヒ・フロム)、『かくて行動経済学は生まれり』(マイケル・ルイス)、『フラッシュ・ボーイズ』(マイケル・ルイス、東江一紀共訳)、『人口で語る世界史』(ポール・モーランド)など。
0 notes
Text
初篇 その八
早くも、表からは、馬のいななく声が 「ヒィン、ヒィン。」 馬の屁の音が 「プゥプゥブゥ。」 そこにまた長持人足の唄声がきこえてくる。 「竹には、さぁ、雀が、品よく、あぁ、止まるぅ、どうする、どうする。」 仕方がないと、弥次郎兵衛も北八も起きだした。 やがて、朝飯の膳も出てきた。 ここにもいろいろあったが、あまりくだくだするのもいやなので、省略する。
それより二人は、さっさと支度して、宿を出ると、向こうから続いて来る大名の長持の行列がひきも切らない。 人足の唄声が、聞こえてきた。 「箱根さァ、八里はぁ、あんぇ、あぁ、どうだか、どうだか。」
北八は、この行列を見ながら、 「弥次さん、見てみろ。重そうな物をよくかつぐぜ。 ほれ、あの、尻を振るざまは、なんだ。」 弥次郎兵衛そういわれてそちらのほうをみて、 「あいつらが、尻を振りまわすのを見ていたら、憂鬱になってきた。」 「ほう、なぜだ。」 「死んだ女房のことを、思い出すんだ。」 「ふざけるない。お前らしいが。ハハハ」 と、この間に向こうから、 「ちょんがれ、ちょんがれ」 と、早口で唱えているちょんがれ坊主が、破れた扇で手を叩きながら、二人に近寄ってくる。 「おや、ご繁盛してる旦那方、このあわれな、ちょんがれ坊主に、一文くだされ。」
<晩酌> 弥次郎兵衛、本当にいやそうに、 「やめねえか。寄りつくな。」 坊主は、早口で変な言葉を口ずさみながら、 「とことことこ、よいとこだ。」 と、隣の北八の袖を引く。
「これ、寄りつくなといってるだろう。金はない。」 こんなことでは、ひるまないこの坊主。 「ないことでは、ないでしょう。この東海道を旅するお方には、 なくてかなわぬ銭と金。さらに、杖、笠、蓑、合羽。 いくら、質素な旦那でも、足がひとつでは、歩かれぬ。 そのうえ、薬は万金丹、こりゃさ、しらみ避けの例の紐、越中ふんどしの横の紐、なくてはならぬ。そのかわり、使い込んでしまたら、それを手ぬぐいに、使ってしまえば、お徳用でよう。」 と、ちょんがれ節で大騒ぎする。
弥次郎兵衛、しかたがないというように、 「ええい、やかましい。それやろう。」 と、財布から適当に、硬貨を一枚をつかむとそれを放りだした。 「これは、四文銭だ。ありがたい」 それを拾い上げた坊主が、言うのを弥次郎兵衛ききつけ、 「なに、一文銭のつもりだったのに、四文銭か。 これ、三文釣りをよこせ。」 「ハハハ。」 坊主は、笑いながらさっさと行ってしまう。 「畜生め、��まいましい。」
二人は、早くも藤沢の宿場に着いたので、まずは、その宿場の入り口近くの怪しげな茶店に一休みすることにした。 「婆さんや、その団子は冷えてるのか。ちょっと、暖めてくれ。」 と、北八。 「どれどれ、焼きなおしてあげましょうかの。」 と、茶屋の婆さま、消し炭の火をかき回して、灰の立っているのも、おかまいなしに扇いでいる。 その間に弥次郎兵衛と北八の二人は、ほこりをはたきながら煙草をのんでいた。
すると、そこへ合羽を着て風呂敷を背負った六十歳あまりの男が、この店先に立ち止まって、 「もしもし、ちょっと物を尋ねます。江の島へはどう行ったらいいですか?」 と、弥次郎兵衛、北八に尋ねてきた。 「ほう、お前さん、江の島へ行くのかね。 そしたら、ここを真っ直ぐ行って、藤沢の清浄光寺の前に橋があるから・・・。」 と、弥次郎兵衛が話しだすと、北八が割り込んでくる。 「そうそう、橋といや、確か、その橋の向こうだったか、粋な女のいる茶屋があった。」 「それそれ、去年、俺が相模の大山へお参りに行ったとき泊まった家だ。 あの、女は、江戸者だったな。」 「なるほど。道理で気がきいていたな。」 と、弥次郎兵衛と北八は、なにやら考えて黙り込む。
先ほどの道を尋ねた男、 「で、その橋から先は、どう行きます?」 弥次郎兵衛、その男の方を見て、 「おっと、そうだ。え~と、その橋の向こうに鳥居があるから、そこを真っ直ぐ行くと…。」 と、また、北八が割り込む。 「曲がると、田んぼへ落っこちる。」 「ええい、お前は、黙っていろ。で、その道をさらに行くと、村のはずれに茶屋が二軒ある。」 「ああ、あれか、よく腐った物を食わせる茶屋だな。」 と、またまた、北八が割り込む。 「そりゃ、お前の言うのは、右側のだろう。左側の茶屋はいい。 去年俺が行った時はピチピチする鯛の焼き物を出した。 それに椀に海老のが入っているし、他にも、玉子や大椎茸に、そして…。」
つづく。
0 notes