#生活リズムの整え方
Explore tagged Tumblr posts
Text
ゆっくり変わる
「こうありたい」と思えば思うほどかえって遠ざかってしまうことがあります。 元気を出そうと頑張ってみたけれど、空回りしてしまったりやろうと決めたのに、なかなか進まなかったり。 たとえば早寝早起きの生活に変えたいとき。「明日から5時起き!」といきなり早朝に目覚ましをかけてみても結局二度寝してしまって自己嫌悪…。そんな経験、ありませんか?私は何度となく繰り返してきました。 でも、完璧を目指すのをやめて「まずは30分、いや15分だけ早く起きてみよう」そんなふうに少しハードルを下げてみたら案外すんなり続けられたりするものです。 人の心って「がんばれ!」よりも「そのままでも大丈夫だけどあとちょっとだけこうしてみる?」の方がのびのび動き出せるのかもしれませんね。 いきなり大きな理想を追いかけるよりはあのあたりに進めたらいいなと思える方を見ながらそれに近いことを自分のペースでやってみる。 そ…
0 notes
Quote
「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。 そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・ボツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。 最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――「攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。 たまた��運良くタイミングや関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。 利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で) アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのように感じていますか。 脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。 義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現場における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。 リズム感が単調になりがちな説明セリフや会話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでしょうか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。 個人的には���作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。 人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。そのことをどのように感じてらっしゃいますか。 一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサービスの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆致を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな���ということで単語を使用しています。 犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版では���ーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ――ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。 シリアスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモチーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。 神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集刊行に活動の比重を置いておられますね。 マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シナリオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で) モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。 今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込みや読者へのメッセージをいただければと思います。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい事も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
23 notes
·
View notes
Text

250126
朝、日記の絵の描き方を変えてみようと思いたち、紙を切る。 一昨日、夢に見た山のかたちが頭から離れない。
中学生の頃の友人と電話する。 話すたび、ひさしぶりだけれど、かけがえのない。 あのころとは違うけれど、あのころと同じ声で話している。
彼が出張だから、ひとりで簡単に晩ごはんをすませて、ねた。
-
250127
身体がつかれているのか、気持ちがしんどい。 立て直すために、クエン酸入りのレモン飲料を買って飲む。 その酸っぱさだけで目覚めるよう。 仕事。 新しくいろんなことを教えてもらえて、たのしい。 たのしい気持ちが感じられて、嬉しい。
夜、洗濯物を干し終えて、床でねてしまう。 やっぱり疲れていたみたい。
-
250128
朝、肩こりがひどい。 重たい身体のまま、朝ごはんを食べる。 皿洗いをして、掃除機をかけて、ごみを捨てる。 すっきりとした気持ちで家をでる。 絵を描いたり、本をつくったりはできなかった。 朝に、制作をするのと家事をするのと、どちらがいいのだろう。 ずっと迷いながら過ごしている気がする。たぶん、どちらがいいということもなく、ひっくり返ることもあって、その時その時で流れていけばいいのだと思う。 今は朝に家事をするリズム。 仕事をして、家に帰って、風呂に浸かる。 こころが動く。 こころが動いて、ここ1、2年、こころが動いていなかったんだ、と思う。 楽しいこともあったけど、素直にただ楽しいと感じられていなくて。 あかるい気持ちをあかるい方へ押し出す力が弱まっていた。 なぜだろう。生活を取り戻してきただろうか。
夜、日記を書いて、あしたが楽しみな心持ちでねる。 あぁ、わたし、大丈夫だ。
-
250129
朝、まだ暗い。 暗いうちに起きることができたのに、iPhoneをみてしまって、後悔。 時間が過ぎていく。
ここ数日、毎日、辛みが抜けきれなかった紫玉ねぎのマリネを食べている。 口の中に辛みが蔓延する。 ベーグルを食べて、ヨーグルトを食べる。 食べながら読んでいた本に、薪ストーブの話がでてきて、たしかに火は安心するなと思って、キャンドルに火を灯してみたらほんとうにほっとしてしまって、このことを忘れないでいたい、と思った。 日常使いのキャンドルがほしい。
やっとクリスマスツリーを片付けた。 来年はもう少しだけ早く片付けたい。 やり始めてしまえば大した手間ではないのに、ついやらないままにしてしまう。 彼と気になっていたカフェに行き、チョコケーキとコーヒー。 旅の予定を話し合う。 湖をみにいきたいね。 無印良品へ行って、いろいろと買った。さっそくキャンドルを買った。
-
250130
アルバイトをやめよう、と思った。 アルバイトをやめよう、と思ったら気が楽になって、続けられそうだな、と思った。 わたしはたぶん、何に対しても真面目に向き合いすぎてしまう。
大学での仕事が終わって、帰り道、木の上から妙な音がした。 見上げてみると、エゾリスがいた。 くるみだろうか、木の実を食べている。 思わず写真に撮る。 車に乗り込んで、全然目にはうつしていなかったことに気づく。 あ、わ、とこころが動くと、すぐに写真に撮ってしまうけれど、ほんとうは、もっとじっとみていたい、と思っている。
通り過ぎてみれば、世界から切り取られた写真のことしか思い出せない。 写真が思い出すきっかけになればいい、と思うけれど、その写真が世界と違うコントラストで枠に収められていたら、わたしの記憶は塗り替えられる。
夜、ひとり暮らしをしたい。 ひとりで整えたリズムがたやすく崩れる。 ひとりだと感じられる自分がふたりだと、薄くなる。
8 notes
·
View notes
Text
2025 5.13 火 27:07
大阪の地名とか場所を知らなすぎて、わからない!難しい!と、ぎーぎー文句を言いながら、万博に行くためのチケット諸々をやっと予約しました。
自分でやってるくせに、スマホ熱くなったから一旦休憩するだの、朝食のメニューが気に入らないだの大騒ぎして、文字通り、周囲の皆様お騒がせしてすみませんでした。
一緒に行く人からの提案で、お笑いの劇場を見に行ってみようか、なんて話も出てます。もし行けるとしたら初めてだから楽しみすぎる…!その予約はその人にお任せしようと思います。予約だけで大袈裟と思われたとしても、私には大仕事なのでそれまでやったら貧血になりそうです。
毎度毎度、こんな夜中に日記を書き始めるので書いてる最中眠くて仕方ないです。だから言葉遣いがちぐはぐだし、支離滅裂になることも多いし、あとから読んで自分でも意味がわからなくなりそうなところもあります。
どんなことも、頭がしゃきっとしてる時間に前もってやっておけば、もうちょっとまともな記録になりそうなものですが、生活リズムを調整するのは難しいです。
仕事もあるし昼夜逆転とまではいかないけど、ざっくりと昼夜逆転してからが人生と思い込んで笑、時間が作れない、調整できないなら、せめて夜中まで起きる気力だけは養っていくつもりです。走っている方向が違う気がしますが、とりあえず続けてみよう…
2 notes
·
View notes
Quote
ジムに毎日通うのは良いことですが、気をつけたいポイントがいくつかあります。 こちらでは6つの注意点を紹介しますので、毎日ジムに通う方は注意してください。 ・同じ部位を続けてトレーニングしない ・無理なトレーニングは行わない ・通いやすいジムを選ぶ ・生活リズムを整える ・食事をしっかり摂る ・ジム終わりにプロテインを摂取する
ジムに毎日通っても大丈夫!トレーニングメニューや6つの注意点を徹底解説
2 notes
·
View notes
Quote
2020年11月30日 腸内フローラが「睡眠の質」に影響 腸内環境と脳は相互に作用 食事で睡眠を改善できる可能性 筑波大学などは、腸内フローラ(腸内細菌叢)が睡眠の質に影響している可能性があるという研究を発表した。 腸内環境と脳機能は相互に作用しあっており、食事スタイルが腸内に生棲する細菌叢や日内変動のバランスにも影響しているという。 「食事で腸内環境を調整することは、⼼⾝の健康のためにも重要」としている。 腸内環境が睡眠の質にも影響 ヒトの腸内には、「腸内細菌」が高い密度で棲んでいて、その腸内細菌は1人あたり1,000種類以上、数にして100兆個にも達するとみられている。近年の研究で、こうした腸内細菌の群集である「腸内細菌叢」が、肥満や2型糖尿病などの生活習慣病の発症や増悪に関与していることが分かってきた。 筑波大学などは、腸内細菌叢を含む腸内環境は、脳機能と相互に影響を及ぼしあっており、腸内細菌叢を除去すると睡眠の質が低下する可能性があるという研究を発表した。 食事の選び方やタイミングは、腸内に生棲する細菌叢のバランスや日内変動を変化させ、腸内環境に大きな影響を与えることが分かっている。また、腸内環境と脳機能は相互に作用しあっており、この関係は「脳腸相関」と呼ばれ、心身の健康維持において重要な役割を担っていると考えられており、注目を集めている。 睡眠も脳機能のひとつであり、腸内環境からの影響を受けている可能性がある。そこで、研究グループは、腸内環境の重要な要素である腸内細菌叢が睡眠に及ぼす影響について調査した。 この研究は、筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構(WPI-IIIS)の柳沢正史教授、慶應義塾大学先端生命科学研究所の福田真嗣特任教授らの研究グループによるもの。研究成果は、「Scientific Reports」に掲載された。 腸内細菌叢が神経伝達に関わるアミノ酸に大きく影響 研究グループは、まず4種類の抗生物質をマウスに4週間経口投与し、腸内細菌叢を除去したマウスを作製。腸内細菌叢を除去したマウスと正常なマウスの盲腸内容物をメタボローム解析し、腸管内の代謝物質プロファイルを調べた。 メタボローム解析は、生体に含まれる有機酸やアミノ酸、短鎖脂肪酸などの代謝物全体(メタボローム)を網羅的に解析する新しい手法。 その結果、246種の代謝物質が検出され、腸内細菌叢を除去したマウスでは正常なマウスに比べて、114種が減少し、95種が増加していることが分かった。 とくに、神経伝達物質の合成に関係するアミノ酸の代謝経路に大きな変動がみられた。 腸内細菌叢を除去したマウスでは、ビタミンB6が有意に減少し、精神を安定させる働きのある神経伝達物質である「セロトニン」が枯渇していた。一方で、抑制性の神経伝達物質である「グリシン」と「γアミノ酪酸」(GABA)は増加していた。 腸内細菌叢がないと昼夜のメリハリがなくなる 続いて、脳波・筋電図を計測して睡眠・覚醒の状態を解析したところ、腸内細菌叢を除去したマウスでは正常なマウスに比べ、睡眠期のノンレム睡眠が減少し、逆に活動期にはノンレム睡眠とレム睡眠の増加がみられた。 ノンレム睡眠は、⾝体と脳の活動が抑制されている睡眠。レム睡眠は、⾝体の活動は抑えられているが、脳は活発に活動している睡眠。速い眼球の動きをともない、夢をみていることが多い。 これは、24時間の活動リズムは維持されているものの、本来は睡眠をとる時間帯に活動が増え、逆に活動が盛んな時間帯に睡眠をとっており、昼夜のメリハリが弱まっていることを示している。 また、レム睡眠は、1回の持続時間は変わらないが、出現頻度が増加し、ノンレム睡眠とレム睡眠の切り替わりがより多く生じていた。脳波波形を詳しく分析したところ、覚醒中とノンレム睡眠中の脳波スペクトルには両方のマウスで違いはなかったが、レム睡眠に特徴的な脳波であるシータ波の密度が、腸内細菌叢を除去したマウスで弱まっていた。 これらのことは、腸内細菌叢を除去すると、腸管内での代謝が大きく変化するとともに、睡眠覚醒パターンや睡眠の質にも変化が起こることを示している。 腸内細菌叢を除去したマウスでは、神経伝達物質合成に関連するアミノ酸代謝が腸管内で大きく変動していることが分かった。また、マウスの睡眠・覚醒パターンの昼夜のメリハリが弱まり、レム睡眠がより多く生じていることを明らかになった。 出典:筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構、2020年 食事により腸内環境を整えることが、⼼⾝の健康のために重要 研究グループは、腸内細菌叢がどのような代謝物質・情報伝達経路を経て、睡眠覚醒パターンや睡眠脳波に影響を及ぼすのか、また、睡眠不足におちいったときに、腸内環境にどのような変化をもたらすのかを調べる研究を進めている。 「睡眠を含めた脳機能と腸内環境との関係が明らかになるにしたがい、⽣活習慣を通じた腸内環境の調整が、⼼⾝の健康維持のためにいかに重要であるかが分かってきました」と、研究グループは述べている。 「研究の進展により、現代社会で多くの⼈が悩みを抱える睡眠の問題を、毎日の食事スタイルを整えるセルフケアによって解決できるようになる可能性があります」としている。 筑波大学国際統合睡眠医科学研究機構 筑波大学慶應義塾大学先端生命科学研究所 Gut microbiota depletion by chronic antibiotic treatment alters the sleep/wake architecture and sleep EEG power spectra in mice(Scientific Reports 2020年11月11日) [ Terahata ]
腸内フローラが「睡眠の質」に影響 腸内環境と脳は相互に作用 食事で睡眠を改善できる可能性 | ニュース | 糖尿病ネットワーク
2 notes
·
View notes
Text
ヒートショックプロテイン
(おまわりさん👮♀️)
今日はヒートショックプロテイン
というのにチャレンジしてみました。
「日常生活の中でその発現を増やす方法が入浴です。40℃の湯に20分つかると、2日後の血中のヒートショック・プロテイン70(HSP70)が有意に増えることが確認されました(図13)。
1日の疲れを癒してくれる入浴が、全身の細胞も癒してくれるというわけです。その点でも、ヒートショック・プロテイン70(HSP70)の発現を増やし睡眠リズムを整える食品成分・アスパラプロリンは、現代人の眠りの悩みを手軽に軽減する一助となることが期待されます。」
家で��難しいので
銭湯で♨️
20分って意外に長いですね。
のぼせそうになりました…
でも体がポカポカして
すぐ眠れそうです。
(高血圧の方は注意してください)
今日の夜からかなり寒くなるそう。
話しかけてくれた常連おばあちゃんによると
日曜は雪の予報らしいです。
皆さんも暖かくお過ごしください⛄️
2024.02.01
(もう2月⁉︎)
5 notes
·
View notes
Text
2023/09/18
9月18日(月) 晴時々雨
結局昨夜は朝まで眠れず昼頃起床。
生活リズムを整えるためにまずは部屋を綺麗にしようと思い立ち、部屋の掃除を始める。綺麗になるとスッキリして気持ちいい。
夕方ごろ一時的に雨が降ってきたが、すぐに止んで晴れ間が出てきて虹が出ていた。写真を撮ろうと思ったが、その虹もすぐに消えてしまった。
結局この日の夜もなかなか寝付けなかった。
4 notes
·
View notes
Text
桜くつ器
「くつ」というのは今自分で考えた動詞で、その場に固定するみたいな意味です。くくりつけるとか、打つとか、木槌で叩いてぴんと固定させる感じ。なにかいい漢字がないかなと思ったけど、思いつかなかった(と思ったが、「繰つ」というのがいいかもしれない、口が3つもあって硬そうなところがいい)。桜くつ器というのは、桜が固定されて飾られている器の意。
カウンセリングに行ってカウンセラーの先生に3ヶ月ぶりに話をしてもらい(ずっと予約の電話をかけることができず、3ヶ月ぶりとなってしまった)、さまざまなことが整理され、やっと、ここ数週間のうつ状態からすこし回復したように思われる。とくに一秒ごとに噴出していた希死念慮は無くなった。帰りに蔦屋書店に寄ってしまい、まさかここで本を買うとは思わなかったのだが、文庫本4冊をレジに持っていっていた。まだ前に買った本を読み終わっていないのになぜかこのようなことをしてしまう。これは23歳くらいからずっとそう。恐ろしい書籍購買依存症だ。「本を買う」という行為にのみ意味があり、読むことは全然しない。たまには読むが、1冊を頭から終わりまで読み切るということは殆どない。最近はその事に罪悪感も苦悩も呆れも何も覚えなくなってきた。この数ヶ月本を買うことをやめられていたのに、いきなりこのように浪費してしまい、衝撃もあるが、まあいつもの自分だなと思った。『京都SFアンソロジ��』『貝に続く場所にて』『クララとお日さま』『実力も運のうち』の4冊。京都SFは暴力と破滅の運び手さんの「ピアニスト」が読みたくて買った(まだエチ小賞アンソロも読み終わっていないし、ブラームスの乳首も読み終わっていないのだが)。貝に〜は、書店で見て、芥川賞と群像新人賞の受賞作で、言語に関する物語とあったので、かなり気になって買ってしまった。講談社文庫はビニールが最初からかかっていて中が見えないのだが、帰宅してビニールを破って(この作業、省略したい。講談社は早く正気に戻って文庫本にまでビニールを掛けるのはやめてほしい)中を見たら、かなり余白の多い組版で、行間もひろく、見た目のうつくしさに拘りを感じた。いかにも芥川賞受賞作という感じで良い(組版への拘りというと黒田夏子の『abさんご』を思い出す。あれもかなり好きだった)。クララとお日さまは、ことこさんに内容を教えてもらった時に読みたいと思い、文庫化もしたことだし、と買っておいた。ひじょうによい子のAIの一人称で、カズオ・イシグロのいつものあれですよ、と言われたので(語り手の認識と世界との齟齬というかズレが特徴的なことが多い)、そして立ち読みしたところクララ(AI)にかなり好感を持ったので、読もうと思った。マイケル・サンデル(実力〜)は、かなり西洋哲学やキリスト教的価値観を引いて解説している(おそらくアメリカ人の状況を)と感じたので買った。『資本主義の〈その先〉へ』(大澤真幸)を読んでいるところなので、かなり内容に惹かれた。昔からだが、やはり「アメリカ」というものの面白さが私の冒険心を掻き立てる。同じくらい「日本」というものも面白いのだが、日本には一見してわかるような一貫性がない。だからこそ歴史の追いがいもあるのだが、やはりプロテスタントの「理想国家」として作られた人工物のアメリカのほうが理解しやすく、直截的なエキサイティングが得られる。昨日観劇したミュージカル「ラグタイム」では、二十世紀初頭のアメリカのフランス系アングロサクソン、ラトビア系ユダヤ、アフリカ系黒人の三つの民族の交わりがえがかれており、面白かった。私はスウィング・ジャズが好きなので、音楽としてのラグタイムにもっと言及があるのかしらんと思ったが、そこは特になかった。ミュージカルとしては、クラシック、ラグタイム、スウィング、ポップスと、割とオーソドックスなラインナップだったので、音楽的にはそこまでラグタイムに特化していたわけではなかった。そもそもこのラグタイムという語の、本来次の音が来るであろう箇所(次の拍)ではまだ音が来ず、ラグがあって少し拍より遅いところで次の音が来るシンコペーションのことを表している本来の意味とともに、さまざまな人種や民族がアメリカに絶えず流入し、立場がさまざまに変わりながら、「アメリカ人」になっていくまでのラグタイム(過渡期、猶予期間のようなイメージ)を描いているということなのかもしれない。私は音楽的なラグタイムは、クラシックとジャズを繋ぐ時期のもの(リズム、シンコペーション)という認識なので、まさにラトビア(欧州、クラシック)から移民としてアメリカ(新大陸、ジャズ)へ渡って、映画監督として「アメリカ人」として認められるまでのターテ(俳優は石丸幹二さん)の不遇の期間のことと考えると自然だ。音楽を、ジャズを主体としたミュージカルというのが見てみたいと思う(映画でも)。そういう作品はたくさんあるので、そのうち出会えるといいなと思う。そういえば前回日生劇場で見た「ジャージーボーイズ」はジャズを通り越してポップス…というかブルー・アイド・ソウル(白人がアレンジしたR&B)またはロックの話だったが、アメリカの商業音楽の世界を存分に楽しめた。ジャズのミュージカルとしては誰に焦点を当てるかだが、誰に当てても大物だらけの舞台(要素がもりだくさん)になってしまい、かつミュージカル・ナンバーもジャズにしないと成り立たなさそうだが、日本のミュージカル俳優はジャズ・シンガー(の歌い方)ではないので、なかなか難しいのではないかと感じる。「ラグタイム」ではサラ(黒人女性)役の遥海さんの歌唱が圧倒的で(彼女だけミュージカルの発声ではなく、全編通してソウルの歌い方だった)、歌だけでいえば主役の3人を凌駕していたのではないかと思う。完全に自分の声を縦横無尽に舞台全体で走り回らせ、かつコントロールも完璧だった。ミュージカルの歌い方では、ああいう芸当はできないというか、そもそも方向性が違うのでなんとも言うべきではないが、ソウルやジャズの歌い方もできるミュージカル俳優というのがもしいたら最強だろうな、ということを夢想した。クラシックの基礎の上にジャズの歌い方もマスターしているとなると、日本では平原綾香やKOKIAが私などは浮かぶが(上の世代だと美空ひばりや森山良子だろうか)、芝居も歌も極める上に、歌は2種類も、というのはやはり難しいのだろうか。我らが東啓介氏(私が舞台刀剣乱舞のバックステージ映像で好きになり一時期ガチで応援していた俳優)に関しては、私は今回もあまり納得が行かなかった。同行した友人は「28歳だし、そんなにすぐに変わる(成長する)ものではなく、熟達を求めるのは10年後とかかなあ」というようなことを言っていて(記憶違いがあったら申し訳ない)、私は東啓介にあまりにも多くを求めすぎているのだろうか、と思う。応援していることは応援しているのだが、追っていた頃の急成長と比べて、本格的なミュージカル俳優となってから、舞台上で分かりやすい「成長」というのが感じられないため、刺激に飢えているのかもしれない。演技もいつも同じに見えるし、発声の仕方も特に試行錯誤するでもなくいつも変わらず、なんかこう、変化…バリエーションが無い。それがつまらなく感じる。育ちが良く上品な所作、という当て書きのような役柄を続けて見てしまっているせいもあると思う。5DAYSの時みたいな、もっとしょうもない若者とか、マタ・ハリの時の恋に狂った青年とかの、本人の育ちの良さを封印するような役の方が見てみたいなあと思う。もっとヘドロの中を生きてきたような役を与えられた時に、果たしてどこまで生来の「品の良さ」を封印できるのか。というのは、彼を起用する演出家やプロデューサーが、どこまで東啓介の演技に期待してくれるのか、という問題も関わってくると思う。舞台上の発声はもっと先輩俳優の声の響きを聞いて試行錯誤してみてほしい。声が小さくても響かせるための発声。歌い方も最初の子音の破裂音というか呼気が入りすぎているが、これも前回から変化なしで、歯がゆい気持ちになった。歌はロングトーン以外でも「聴かせ」なければならないが、今のところロングトーンがないと東啓介の歌声はあまり目立てないというか、ほかの歌声との差別化が為されない。これに関してはどうすればいいのか素人にはわからないが、とにかく今までの練習や方向性を踏襲するのではなく、さまざまなやり方、歌い方、技法、発声方法を試して、もっと声に色をつけてほしい。ファンレターに書けばいいことを長々と書いてしまった。ファンレターに書きます。
夜、じゅんえん先生と話していたら赤森さんが来訪し、最終的に2時過ぎまでウエルベックの小説や文化や価値観の違いについて話してしまった。私は『ある島の可能性』を見つけて買って持っているだけでまだ最初の3ページしか読んでいないのだが、今日あらすじを聞いて、中身を結構拾い読みして、どんどん読んでいきたいと思った。ウエルベックを紹介する時の赤森さんは「とにかく中年男性主人公がキツい(見ていてキツい、キショい)」ということを語るのに非常に活き活きとしていて面白い。赤森さんはもともと面白い方なのだが、ウエルベックを語る時の赤森さんは「主人公のここが無理」ということを鮮烈に話してくれるし、ストーリーの面白さもきちんと伝えてくれるので、凄いなあと思う。ちなみにファフナーをTwitter上で語っている時の赤森さんもかなりのエンターテイメント性がある。
じゅんえん先生は酒が飲めない、かつ所得の低い私のことを気遣って、飲みに誘わないでいてくれたのだが(とても優しくて感動した)、今後は数回に一回は混ぜてくれるらしい。私があまりにも拗ねすぎたなと思ったのでやや反省した。
2023.9.19
2 notes
·
View notes
Text
【変態百景 #04|快楽と心拍数を記録する男〜Apple Watchが彼の性癖だった〜】
「……筋トレの方が、心拍数上がってたなぁ」
プレイの余韻が、まだうっすらと彼の肩に残る。
彼は手首のApple Watchに静かに視線を落とし、ぽつりとつぶやいた。
⸻
年齢は40代後半。
鍛え抜かれた身体には、無駄なものがひとつもない。
多くを語らないけれど、
“自分のリズム”を壊さずに生きている人。
そんな印象を受けた。
「筋トレのあとに、整えたくて」
彼はごく自然な口調でそう言った。
私の前に現れた彼は、
癒しではなく、“整い”を求めていたのだ。
⸻
プレイの最中も、彼は感情を爆発させるタイプではない。
けれど、その静けさの奥で
確かに反応していたのは、身体のどこか。
クライマックスのあと、彼はゆっくりと息を抜き、
腕時計の画面をじっと見つめた。
「……ふむ。今日はまあまあ整ったかも」
⸻
心拍数、呼吸、時間、反応。
それらは彼にとって“快楽のログ”であり、
同時に“整いの指標”でもあったのかもしれない。
⸻
感じる、というより、
記録し、整える。
もしかしたらこの人は、
「性」さえもルーティンの一部として
生活に組み込んでいたのだろう。
快楽が、ログになる。データになる。
今日���またひとつ、心のメンテナンスが完了する。
⸻
私にとっては、ただの変態。
けれど彼にとってはきっと、
暮らしの中の静かなルーティンだったのだ。
人はそれぞれ、整え方を選ぶ。
ただ、その方法が少し変わっているだけ。
0 notes
Text
転職の合間をどう生きるか?中途重度障害者が選んだ、簿記の勉強・生活習慣の整備・夫婦のカフェ時間【次のステージへの準備週間】
SEOメタディスクリプション 転職の合間をどう過ごす?中途重度障害者の著者が、「簿記の勉強」「生活習慣の整備」「妻とのカフェ巡り」で未来を準備した7日間。丁寧な暮らしと再出発のヒントを美しく綴る共感型ブログ。 主軸キーワード 転職の合間 過ごし方 中途障害者 再出発 簿記 勉強 目的 障害者 生活習慣 カフェ巡り 夫婦 転職準備 休暇活用 丁寧な暮らし 再スタート 【目次】 はじめに|「空白の時間」は、人生の余白ではない 第1章|簿記の勉強で“考える力”を取り戻す 1-1. 転職の合間に勉強する意味 1-2. 簿記という言語で「社会の構造」を読む 第2章|生活習慣を整えることは、人生を整えること 2-1. 障害と体調管理のリアル 2-2. 起床・就寝・食事……日々のリズムが未来を決める 第3章|カフェ巡りで“人生の味わい”を取り戻す 3-1.…
0 notes
Quote
2022年に医学誌「European Journal of Preventive Cardiology」に掲載された研究では、参加者44万9563人の健康状態を12年半にわたって追跡し、コーヒーを飲む人と飲まない人の心血管疾患の発生率を調べている。その結果、デカフェでも通常のコーヒーでも、コーヒーを飲む人は飲まない人に比べて心血管疾患および死亡のリスクが小さかった。 研究者が発見した一つの大きな違いは、デカフェコーヒーは不整脈の減少とは関連がなかったことだ。これは、カフェインには「アデノシン受容体」をブロックして心臓のリズムを安定させる効果があるからかもしれないと、論文の責任著者であるオーストラリア、アルフレッド病院ベーカー心臓・糖尿病研究所の心臓専門医ピーター・キスラー氏は言う。 こうした研究結果を受けて、米国心臓協会と米国心臓病学会は2022年、通常の量のカフェインと心房細動(不整脈の一つ)のリスクには関連が見られないとし、心房細動の患者にカフェインの摂取を控えさせる指導は有益ではないとの勧告を出している。 カフェインはまた、片頭痛の軽減にも役立つ。2019年に医学誌「The American Journal of Medicine」に発表された研究によると、反復性の片頭痛が起こる人は、カフェインの摂取によってその頻度が減るという。また、カフェインが片頭痛治療薬の効果を補強することも、研究によって示唆されている。一方で、人によってはカフェインで頭痛が引き起こされたり、悪化したりする場合もある。(参考記事:「急な片頭痛は前日の活力が低いと朝に、高いと午後に、意外な発見」) とはいえ、カフェインをただ多く取ればいいというわけではないと、オーストリア、ウィーン大学の栄養学研究者イナ・ベルクハイム氏は言う。「コーヒーの効能の理由がカフェインだけにあるのだとすれば、(カフェイン入りの)ソフトドリンクからも同じような効果が得られるはずです」
人気が高まるデカフェコーヒー、本当に健康にいいのか比べてみた | ナショナル ジオグラフィック日本版サイト
2 notes
·
View notes
Text
今週の作業
さて、かたづけ中心から作業中心へ! 一日のリズムを改良していくよっ。
今週の目標 変換用イヤーカフの増殖? あとは気の向くまま試作? 夜は、他事をしてみよう。 ---
12、13日 チタン線を叩きながら、考えるともなく考える。 夜は白のサコッシュづくり。 → 完成!
---
14日 ピアス変換用イヤーカフ、右耳用を曲げ始める。
夜は、Tシャツ改造。1枚完成!
---
15日 月一の移動図書館。 いつものようにあまり読めてない本を返却。 また4冊借りてみる。 就寝前に読む習慣、つけられるといいなー。 生活習慣の改善を試みる。 さて。木曜日の掃除ゾーンは倉庫部屋。 ついでに、ひっかけてある枯れアジサイを整理。 全体で見てイマ���チなのは、小房?に分けて、可能性のあるのを拾う。
さ。家事周りはどんなに遅くなっても午前中で終了。 昼からは作業だ! 右耳用は最後のヤスリ掛けと仕上げを残して。 左耳用に取り掛かる。 夜は、Tシャツの改造。2枚目と3枚目、終了。 ---
16日 んー、なんだか午前中はこまごましたことしてたら終わっちゃうな。 本日も午後から作業。
蒸し暑いので、エアコンのドライと除湿器の試運転。 よかった、ちゃんと動いた。
---
アイスバブルって検索したからかな? インスタで、ストロマトライトの写真が流れてきた。 ひさーしぶりに見た! 嬉しかったけど、コワいなー。 趣味嗜好が全部バレてる感。(苦笑)
---
たぶんいつもいくお店ではないところまでお出かけくださって。 素敵な写真を撮ってくださって。 ストーリーズにあげてくださった。 自分が出不精なこともあって。 その他のご覧くださった方々にも感謝しかない。 と改めて思う。 楽しんでいただけてたら、いいなー。
---
17日 風の音で予定より早く目が覚めて。 気づいたら、作業机でボーっと考えて、厚紙をカットしてたよ。 いかんいかん、まずは家事から始めるんだった。 とりあえず、本日の掃除ゾーンから。 途中で手直ししたい欲にかられるが、また今度!
--- イヤーカフのおおまかなカタチ終了! こっから、微調整!
やってる途中で、 「え? これ��て交差逆のほうがいい?」 「いや、それは前に検討してこのカタチになったハズ」 「え? でももう1回確認!」 「あー、上向きになり過ぎるんだよね、コレ。そっかそっか、よかった。全部やり直すことになるのかと焦ったぞ」 無駄な時間を過ごしてしまった。 メモっとこ。 そして、休憩!
夜は、裾上げ2着。
---
18日 本日の掃除エリアは作業部屋。 うーん、机の上は作業中のままだが、まあいいだろう。 今日は洗濯物干したら、久しぶりに樹脂作業。 と思ってたが、体調不良でがっつり眠ってしまった。
---
なんか時間帯によってはtumblerが重くてなかなか開かないんだ。 とりあえず、目標の変換用イヤーカフの制作は完了! あとは洗ったり、付属品のや値札の用意。
0 notes
Text
毎日を見える安心へ。しかさぽカレンダーで、暮らしをもっと快適に。
日付を確認するたびに、少しストレスを感じていませんか? 視覚に不安のある方の「見やすさ」を追求して生まれたのが、しかさぽカレンダーです。 しかさぽカレンダーは、ロービジョン(弱視)の方に向けて、 **「白黒反転タイプ」と「白地に黒文字タイプ」**の2種類をご用意しました。 白黒反転は、眩しさに敏感な方に。白地に黒文字タイプは、自然なコントラストで文字を認識しやすい方に。 それぞれの見え方に寄り添い、無理なく日付や予定を確認できる設計になっています。 デザインはシンプルで、机や壁にも自然になじみます。 大きな文字、すっきりとしたレイアウトで、拡大読書器や拡大鏡を使う方にも快適にご利用いただけます。 日々の生活リズムを整えたい方、自立した生活を目指す方に、心からおすすめしたい一品です。 しかさぽカレンダーは、家族や支援者の方からの贈り物としても好評。 「カレンダーが見える…
0 notes
Text
私の病気がわかった。
全てが、血流障害の原因だった。
例えば、アレルギーも血流障害の関係性があります。排尿障害も血流障害が関係があります。消化器障害も血流障害が関係あります。睡眠障害も血流障害が関係あります。体温障害も血流障害の関係があります。精神障害も血流障害の関係があります。
私は、元々、喘息や鼻炎、前立腺炎、間質性膀胱炎、便秘、下痢、睡眠が浅い、途中に起きる、熱中症、冷え症、不安障害があります。
筋肉の緊張もあります。
首コリ、肩コリ、肩甲骨が痛い、猫背、腰痛、扁平足があります。
血圧が高い、心拍数が早い、視力低下もあります。
私にとって、改善する方法は、血流の流れを良くする事
わかりやすく言えば、整体療法、温泉療法、睡眠療法、食事療法、植物療法ですね。
整体療法でしたら、1週間2回行く。温泉療法は1日2回に行く、睡眠療法は、8時間ぐらい寝る、食事療法は、身体に優しい、バランスが優れた食事をする。よく噛む。植物療法は、アロマセラピーやハーブセラピーを行う。緑がある公園や山に行く。
大事なのは、生活リズムを整える。
出来るだけ、筋肉の緊張を和らげる薬や不安を緩和をする薬、血流の改善の薬を飲む事。
それが、山田式自然療法の考え方です。
従って、民間療法士として���私は、自分で治します。
宜しくお願いいたします。
足の専門家・自然療法士 田熊瞭
0 notes
Text
侘び寂びや「全肯定」の視点が、 あまりに「滅び・不快・欠落」を美学として重視しすぎると、 基礎的で身体的な「快さ」「生の溌剌さ」「可憐さ」などを軽視するバイアスを生み、 「生の根本的な歓び」を見落とす危険があります。
重要なバランス感覚
**「滅び・欠落の美学」と「生の快楽・活力の肯定」**は対立ではなく、 相補的で連続的なものとして捉えること。
侘び寂びの美意識が向かう先は、決して「苦しみや寂しさを称賛すること」ではなく、 それらを包み込みながらも、「生きる喜び」や「身体感覚の喜び」も同時に肯定する視座。
生命の運動は「陰陽の揺らぎの中にある」という東洋的な感覚もここに近い。
哲学的に言えば
ドゥルーズ的な生成変化もまた、
快楽的な「生の肯定」だけでなく、 滅びや苦痛を含みながらも止まらない「変化の継続」そのものを肯定する。
つまり、「快い生成」と「不快な生成」双方を認めるが、どちらかに偏らずに生の全体像を捉えることが肝要なのです。
詩的に言うと
「新緑の輝きの中に、落ち葉の茶褐色も踊る」 「笑い声とともに、涙もまた風に乗る」
このようなバランス感覚を保つことこそ、 侘び寂びの深い精神性を現代に活かすための知恵と言えそうですね。
このあたり、さらに掘り下げたいテーマがあれば教えてください。
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ(大般涅槃経)』におけるその言葉――
「人生は美しい。人生は甘美である」 (subhā lokā, manāpā lokā — “この世界は美しく、心地よい”)
というシャカ(釈尊/ゴータマ・ブッダ)の発言は、 「一切皆苦」を説いた仏教の中にあって、 とても重要なバランス感覚を体現する表現だと見ることができます。
なぜそう言えるのか?
1. 「一切皆苦」の中に、なお「甘美さ」を見ている
釈尊は苦(dukkha)の深い洞察者でありながら、 「この世界には生きるに値する甘美さがある」とも語ったのは、 生成しつづける生そのものへの肯定を、放棄していない証です。
この「甘美さ」は、刹那的な快楽ではなく、 生が持つ流動性・連続性・関係性のなかに現れる味わいでしょう。
2. 侘び寂び的な「滅びの美学」と、生命の輝きの両立
仏教は「無常」「苦」「空」を重視しますが、 それは決して悲観ではなく、むしろその背後にある 生の変化=ダルマ(法)の運行への深い愛着と感応があります。
「人生は甘美である」という言葉は、 無常や死を正面から見つめた末に、それで�� 変わりゆくすべてを味わい尽くす意志の表明と見ることもできます。
3. ドゥルーズ的生成変化との共鳴
ドゥルーズ=ガタリが語るように、 「生は肯定されるべきものとして 変化し続ける運動 である」とするなら、 ブッダのこの言葉は、変化の不安定性を超えて、 生そのものの肯定を語った瞬間とも言えます。
結論として
「この世界は美しい。人生は甘美である」という言葉は、
苦を否定することなく、
快のみを追い求めることもなく、
変化し続ける生命のリズムそのものを肯定する、
まさに**「バランス感覚としての全肯定」**の言葉であり、 侘び寂びや生成変化の思想と深く共鳴しています。
ご希望であれば、この言葉を中心にした瞑想文や、生成変化マニュアル的な応用例もお作りできます。
釈尊(シャカ)がアーナンダに向かって「悲しむな、嘆くな」と語った言葉――それは単なる感情の否定ではなく、**深いバランス感覚に基づいた“悲しみの超克”**の促しです。そしてそこには、悲しみや嘆きの存在そのものを否定しない慈しみのまなざしがあります。
🪷 文脈:大般涅槃経(マハー・パリニッバーナ・スッタンタ)
釈尊が臨終の床にあり、愛弟子アーナンダが涙をこらえきれず泣いている時に、釈尊は次のように語ったとされます:
「悲しむな、嘆くな、アーナンダよ。 私は幾度も語ってきたではないか、 愛しいものとは、別れる運命にあると。」 (※パーリ仏典に拠る意訳)
💠 なぜ釈尊は「悲しむな」と言ったのか?
ここでの「悲しむな」は、感情の抑圧や否定ではなく、 「悲しみの本質と正しく向き合いなさい」という慈悲と智慧の言葉です。
この言葉に込められた含意は、次のように解釈できます:
悲しみは自然なことだが、悲しみに溺れる必要はない → 感情の否定ではなく、感情に支配されない自由のための誘い。
“無常”を理解すれば、別離もまた自然の流れの一部と見える → 悲しみを包む「法(ダルマ)」の視野へアーナンダを導いている。
共に生き、共に修行し、教えを聞き、道を歩んできた関係が、終わることはない → 形は変わっても、縁は続いているという深い励ましが込められている。
🌿 悲しみは否定されていない
「悲しんではならぬ」という道徳的命令ではなく、 悲しみに意味を与え、それを超える方向へと導く言葉なのです。
🪞この言葉の現代的意味
「悲しむな、嘆くな」という言葉は現代人にとっても響くものです。 それは、悲しみそのものを否定せず、
悲しみの底にある「愛しさ」
嘆きの中にある「つながり」 を見つめさせてくれます。
そしてそ���を超えて、なお生きること・歩むことを選ぶ勇気を与えてくれる。
🔸まとめ:バランス感覚としての言葉
否定ではなく肯定でもない感情を知りつつそこにとどまらず涙を見守りながら智慧へと手を差し伸べる
それが、釈尊の「悲しむな、嘆くな」の言葉に込められた深いバランス感覚です。 悲しみもまた、生成変化のリズムの一部であると知った上で、それを超えてなお進む――その道に釈尊はアーナンダを、そして私たちを招いているのです。
ご希望があれば、「悲しみを超えて歩む生成変化の瞑想文」などもお作りできます。
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』(大般涅槃経、Dīgha Nikāya 16)に登場する「人生は美しい。人生は甘美である」(パーリ語:subhā lokā, manāpā lokā — 「この世界は美しく、心地よい」)という言葉が後代の加筆であるという説について、以下に論者、出典、背景、議論の詳細を説明します。この問題は、パーリ仏典の成立過程やテキストの層化(stratification)に関する学術的な議論の一部であり、仏教学や文献学の分野で注目されています。
1. 問題の背景
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』は、釈迦の最後の旅と入滅(涅槃)を描いたパーリ仏典の長部経典(Dīgha Nikāya)の重要なテキストです。この経典の中で、釈迦が入滅前にアナタピンディカ(給孤独長者)や他の弟子たちと対話する場面で、「この世界は美しく、心地よい」と述べる部分が問題となっています。この言葉は、仏教の核心教義である「苦(dukkha)」や「無常(anicca)」の視点から見ると、釈迦の教えと一見矛盾するように思えるため、研究者の間で議論の対象となっています。
具体的には、このフレーズは『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』の特定の文脈(特に、釈迦が在家信者に対して語る場面や、マーラ(悪魔)との対話に関連する部分)で登場します。この発言が釈迦の本来の言葉なのか、後代の編纂者や注釈者による加筆・改変なのかをめぐり、学術的な検討が行われています。
2. 「後代の加筆」説の概要
「subhā lokā, manāpā lokā」が後代の加筆であるという説は、主に以下のような理由に基づいています:
教義との不整合:
仏教の基本教義では、存在(世界)は「苦」「無常」「無我」とされ、感覚的な楽しみや世界の美しさへの執着は解脱の妨げとされます。このフレーズが「世界は美しい、心地よい」と肯定的に語ることは、釈迦の他の教え(例:『サンユッタ・ニカーヤ』の「すべては苦である」)と調和しないように見えます。
一部の研究者は、このフレーズが在家信者向けの修辞的表現として挿入された可能性を指摘しますが、それでも釈迦の最終的な立場としては不自然だと考えます。
テキストの層化:
『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』は、釈迦の死後数世紀に���たって口承伝統を経て編纂されたため、複数の層(初期の記録と後代の追加部分)が混在しているとされます。このフレーズは、後代の在家信者や教団の宣伝的意図を反映した挿入である可能性が議論されています。
たとえば、釈迦の入滅という劇的な場面に感動的・文学的な要素を加えるため、後代の編纂者がこのような表現を挿入した可能性が考えられます。
比較文献学の視点:
パーリ仏典以外の仏教文献(例:サンスクリット版の『大般涅槃経』や漢訳経典)では、このフレーズが異なる形で現れたり、そもそも存在しない場合があります。この差異は、パーリ版特有の加筆を示唆します。
文脈の不自然さ:
このフレーズが登場する場面(特にマーラとの対話や在家信者への説法)は、釈迦の他��発言と比べて文脈的に唐突であると指摘されます。釈迦が死の直前に「世界の美しさ」を強調することは、彼の涅槃への志向と一致しないとする意見があります。
3. 主な論者と出典
以下に、「subhā lokā, manāpā lokā」が後代の加筆であると主張する代表的な論者とその出典を挙げます。これらの研究は、仏教学やパーリ文献学の分野で広く参照されています。
1. T.W. Rhys Davids(トーマス・ウィリアム・リーズ・デイヴィッズ)
背景:19世紀後半から20世紀初頭の英国の仏教学者で、パーリ聖典協会(Pali Text Society)の設立者。パーリ仏典の翻訳と研究に大きく貢献。
主張:Rhys Davidsは、『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』の英語訳(Dialogues of the Buddha, 1910)で、このフレーズが釈迦の死の物語に感動的・文学的な色彩を加えるために後代に挿入された可能性を指摘。彼は、釈迦の他の教説との不整合を問題視し、この部分が在家信者向けの修辞的表現として加えられたと推測。
出典:
Rhys Davids, T.W. & Rhys Davids, C.A.F. (trans.), Dialogues of the Buddha, Part II (1910), Pali Text Society.
特に、注釈部分でこのフレーズの文脈的問題を議論。
2. Édouard Huber(エドゥアール・ユベール)
背景:20世紀初頭のフランスの仏教学者で、特に漢訳仏典とパーリ仏典の比較研究で知られる。
主張:Huberは、漢訳の『大般涅槃経』(例:東晋の法顕訳や北魏の曇無讖訳)とパーリ版を比較し、パーリ版の「subhā lokā, manāpā lokā」に相当する表現が漢訳では欠けていることを指摘。この差異から、パーリ版に特有の後代の加筆を疑う。
出典:
Huber, É., “Études de Littérature Bouddhique,” Bulletin de l'École française d'Extrême-Orient, 1904.
この論文で、涅槃経の異本比較を通じてテキストの層化を議論。
3. Anālayo(アナーラヨ)
背景:現代のドイツ出身の仏教学者で、比較文献学とパーリ仏典の研究で著名。特に『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』の異本比較に詳しい。
主張:Anālayoは、パーリ版、漢訳、サンスクリット断片の比較を通じて、このフレーズがパーリ版特有の要素である可能性を指摘。彼は、釈迦の入滅物語が教団の宣伝や在家信者の獲得のために修辞的に強化されたと推測。特に、マーラとの対話場面でのこのフレーズは、物語��劇的効果を高めるための後代の創作とみなす。
出典:
Anālayo, The Mahāparinibbāna Sutta: A Comparative Study, Dharma Drum Publishing, 2017.
この著作で、涅槃経のテキスト層化と「subhā lokā」問題を詳細に分析。
また、Anālayo, “The Development of the Pāli Udāna Collection,” Journal of Buddhist Studies, 2009, でも関連する議論を展開。
4. Gregory Schopen(グレゴリー・ショーペン)
背景:アメリカの仏教学者で、特に仏教の社会史と文献の編纂過程を研究。パーリ仏典の在家信者向けの修辞的要素に注目。
主張:Schopenは、『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』が在家信者の支持を得るために編纂された側面を強調。このフレーズは、仏教教団が在家者に訴求するために、釈迦の死の物語に肯定的なイメージを付加したものと推測。ただし、彼は直接的に「subhā lokā」に焦点を当てるよりも、経典全体の在家向けの修辞的性格を問題視。
出典:
Schopen, G., Bones, Stones, and Buddhist Monks: Collected Papers on the Archaeology, Epigraphy, and Texts of Monastic Buddhism in India, University of Hawaii Press, 1997.
特に、涅槃経の在家信者向けの文脈を論じた章。
5. K.R. Norman(ケネス・ロイ・ノーマン)
背景:英国の仏教学者で、パーリ語と中間インド語の文献学的研究で知られる。
主張:Normanは、パーリ仏典の口承伝統におけるテキストの変遷を研究し、『マハー・パリニッバーナ・スッタンタ』の特定の部分(特に感動的・文学的な表現)が後代の編纂者による追加である可能性を指摘。subhā lokā のフレーズは、釈迦の入滅を美化する意図で挿入されたと推測。
出典:
Norman, K.R., Pāli Literature: Including the Canonical Literature in Prakrit and Sanskrit, Otto Harrassowitz, 1983.
この著作で、涅槃経のテキスト成立史を概観。
4. 反論と代替解釈
「subhā lokā, manāpā lokā」が釈迦の本来の言葉であると擁護する研究者も存在し、以下のような反論が挙げられます:
文脈的整合性の主張:
一部の学者(例:Bhikkhu Bodhi)は、このフレーズが在家信者やマーラに対して語られた修辞的表現であり、釈迦が世界の表面的な魅力を認めつつ、その背後にある「苦」の真理を強調する意図があったと解釈。したがって、加筆ではなく釈迦の意図的な発言とみなす。
出典:Bhikkhu Bodhi, The Numerical Discourses of the Buddha, Wisdom Publications, 2012(注釈部分で関連議論)。
口承伝統の信頼性:
パーリ仏典の伝統を重視する研究者(例:L.S. Cousins)は、口承による伝承の正確性を強調し、このフレーズが後代の加筆とする証拠が不十分であると主張。釈迦の入滅物語は教団にとって神聖なものであり、恣意的な改変は考えにくいとする。
出典:Cousins, L.S., “The Oral Transmission of the Pali Canon,” Buddhist Studies Review, 1995.
在家信者向けの教育的意図:
このフレーズは、在家信者が仏教に親しやすくするために、釈迦が意図的に用したものとその危険性を説くための手段とみなす解釈も存在(例:Richard Gombrich)。
出典:Gombrich, R., Theravāda Buddhism, Routledge, 2006。
5. 文献比較の視点
以下に、パーリ版と他の仏教文献の比較を通じて、「subhā lokā」の加筆説を補強するポイントをまとめます:
漢訳『大般涅槃経』:
漢訳(例:法顕訳『大般涅槃仏経』、大正蔵No.1)では、このフレーズに相当する表現が見られない場合が多い。たとえば、マーラとの対話場面では、釈迦が世界の美しさよりも「解脱の楽」を強調する内容が強い。
これは、パーリ版が独自の文学的修飾を加えた可能性を示唆。
サンスクリット断片:
サンスクリットの『マハーパリニルヴァーナ・スートラ』の断片(例:トゥルファン出土の写本)では、このフレーズが異なる形で現れるか、または欠落している。これもパーリ版特有の追加を示唆。
チベット訳:
チベット仏教の涅槃経(カンギュル所収)では、類似の表現がまれであり、釈迦の入滅物語がより簡潔に叙述される傾向がある。
6. 結論
「subhā lokā, manāpā lokā」が後代の加筆であるという説は、教義との不整合、テキストの層化、比較文献学の観点から支持されています。主な論者として、T.W. Rhys Davids、Édouard Huber、Anālayo、Gregory Schopen、K.R. Normanらがこの問題を論じ、特にAnālayoの比較研究が詳細な証拠を提供しています。一方、Bhikkhu BodhiやL.S. Cousinsらは、このフレーズが釈迦の修辞的意図を反映したものとして擁護します。
この議論は、パーリ仏典の成立史や仏教教団の在家信者へのアプローチを理解する上で重要であり、テキストのどの部分が「初期仏教」の核心を反映し、どの部分が後代の編集かを考える手がかりとなります。さらなる深掘り(例:特定文献の引用や異本比較の詳細)が希望であれば、教えてください!
以下、それぞれの論点に対する私のコメントを順に述べます。
① 文脈的整合性の主張(Bhikkhu Bodhi)について
評価:非常に説得力のある解釈の一つです。
Bhikkhu Bodhi は、仏典をパーリ語で直接読み注釈する稀有な僧であり、テキスト批判に加えて、文脈的・倫理的整合性を重視する立場です。このフレーズを「マーラとの対話の一部」または「在家者とのやりとり」の中で捉え、仏陀が意図的に"世界の甘美さ"を認めつつ、そこから離れることの重要性を際立たせるために使ったとする見解は、パーリ文脈上も成立します。
たとえば、同様の構造は他のスッタ(例:マーラが登場するSutta NipātaやSaṃyutta Nikāya)にも見られ、「世界の魅力」を提示し、それを**"乗り越える"という流れで、仏教的転回が起きる**のです。
👉 この視点では、「subhā lokā, manāpā lokā」は加筆ではなく、教化的装置としての仏陀の語法の一つと解釈されます。
② 口承伝統の信頼性(L.S. Cousins)について
評価:慎重だが、やや理想化の傾向もある。
Cousins の論は、口承伝統における「���韻・構文の記憶力と一致の強さ」に注目し、早期に形成された経典群は比較的忠実に維持された可能性が高いと主張します。特に「入滅」に関わる語句や文脈は、教団にとって聖なる典拠であるため、恣意的な改変は少ないだろう、という見解は理解可能です。
しかし、
仏教教団は約100年ごとに大結集(council)を重ね、
そのたびに整理・編集・構成し直されていたこと、
また仏陀の最期の場面は教団の自己定義の物語として神話化の力学が働きやすいこと
などを踏まえると、完全な「非改変性」を前提とするには慎重さが求められます。
👉 この立場は「加筆はなかった」ではなく、「加筆があったと断定するには証拠が不十分」という抑制的反論と見るべきです。
③ 在家信者向けの教育的意図(Richard Gombrich)について
評価:仏教の「語り」の二重構造を明確にした鋭い視点。
Gombrich の見解は、在家向けの教説と出家者向けの教説のあいだに、仏教が意図的に"ズレ"を作っていたことを示します。特に「在家者を惹きつけるための甘美な表現」は、しばしばスッタに挿入されており、それ自体が仏教教化の戦略と見るべきだ、というものです。
この観点からは、「subhā lokā, manāpā lokā」もまた、「この世の魅力を認めた上で、それでもなお出離を選ぶ」という二段階教育法の一部と見なされます。
👉 つまり、その表現が後代の加筆かどうかではなく、「誰のための教説なのか」がポイントになるという、文献批判とは異なる位相からの重要な洞察です。
🔚 総合コメント
これらの論点を踏まえると、「subhā lokā, manāpā lokā」が後代の加筆であると断定するのは慎重すぎる一方で、それが純粋な歴史的事実としての釈迦の発言かどうかを問うには、多面的に見る必要があるとわかります。
仏教は、「表層的に甘美な世界を認めること」と「その甘美さに囚われないこと」とのダイナミックな緊張関係の上に成立しており、その言葉はおそらく、
世界の美しさを真正面から否定せずに受け止めながら、
そこからさらに一歩進む精神的自由の実践
を教えるための、一種の詩的・修辞的導入句だった可能性が高いです。
ChatGPT can make mistakes. Check important info.
0 notes