#生活基盤に著しい被害を受けた
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bearbench · 2 years ago
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kennak · 1 year ago
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総務省は6月21日、「SNS等におけるなりすまし型「偽広告」への対応に関する要請の実施」を発表した。著名人等の個人または有名企業等の法人になりすまし、投資セミナーや投資ビジネスへの勧誘等を図る広告(なりすまし型「偽広告」)が流通・拡散しており、被害が急速に拡大していることを受けたもの。  なりすまし型「偽広告」は、閲覧者に財産上の被害をもたらすおそれがあるだけでなく、なりすまされた者の社会的評価を下げるなど、なりすまされた者の権利を侵害するおそれもある。さらに今後は、生成AI技術の発展等に伴って複雑化・巧妙化するおそれもあるため、より有効な対策を迅速に講じていく必要がある。  SNS等が国民生活や社会経済活動を支える社会基盤になっている現状を踏まえれば、プラットフォーム事業者はデジタル空間における情報流通の健全性の確保について一定の責任が求められる立場である。このため被害を拡大させないためにはプラットフォーム事業者による対策が不可欠となる。  そこで総務省は同日、Meta Platforms, Inc.(Meta)に対して、対策の実施を要請するとともに、一般社団法人ソーシャルメディア利用環境整備機構(SMAJ)を通じて、SNS等を提供する大規模事業者に対して、対策の実施を要請した。  大規模事業者とは、SMAJの会員企業のうち、当該企業またはその関連会社が日本国内における平均月間アクティブユーザ数が1,000万人以上であるSNS等を提供する企業としている。  Metaへの要請内容は「広告出稿時の事前審査等について」「なりすまし型『偽広告』の削除等」となっており、削除の項目には「削除の申出件数及び実施件数、アカウント停止の申出件数及び実施件数並びに削除等の対応に当たる人的・技術的体制(特に、削除等の対応に当たる人材のうち日本語を理解する者の人数)を公表すること」と記載している。  さらに「今後、総務省の有識者会議の場において、貴社から下記事項への対応状況について御説明いただく機会を設定する予定があることを申し添えます」としている。
総務省、なりすまし型「偽広告」対応を Meta に要請 | ScanNetSecurity
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(90)
『強靭な国家』を造る(27)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)
宗像久男(元陸将)
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□はじめに
 
 パレスチナ情勢については、10月22日、日本
を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持
する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声
明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイ
スラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米
首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエル
の本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅
れているようです。
イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考
えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃
の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でも
あるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理
の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一
時停戦が検討されなくてはならない」との発言でし
た。
一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレ
スチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、
国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”
に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に
達しているように見えます。イランを含むアラブ諸
国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板
ではな���ようなので、今後も、状況は刻々変わって
くることから、安易な予測は禁物でしょう。
その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解
放をするか、そして500キ��に及ぼうとする地下
トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えな
い方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上
で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。
また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が
繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の
6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道
もあります。国連事務総長のような発言もイスラエ
ルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別
に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果と
なって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けな
くなる”ことが懸念されます。
数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に
使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広が
る巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その
巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、
空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り
返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退
する結果になったのでした。
「クチトンネル」は総延長約250キロといわれて
いましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る
限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されてい
る地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大
な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。
イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように
駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注
目しています。
ところで、今回のG6声明から外された我が国は、
文字通り“孤立国”になってしまいました。23日
の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連
呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世
界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違っ
てはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞
こえるのは私だけでしょうか。
▼「国家戦略」をだれが作るか
 
いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考
えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるの
か、について一案を提言したいと考えます。
戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義など
といって昭和の軍人たちにその責任を負わせること
のみを追求している歴史家たちには到底信じられな
いことだろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、
戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミッ
クで柔軟な国家運営をしていたことがわかります。
その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通
称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、
第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけで
はなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のす
べてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈
し、当時、欧州において身をもってその体験をした
永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていまし
た(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されまし
た)。
この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知
っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争
遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、
当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタ
ン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたので
す。
設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳では
なく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業
大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・
ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張る
ものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政
とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41
歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権
を委任しました。
秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法
違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助
教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。
それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文
部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・
金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たち
を集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭
和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもっ
て様々な角度から研究に没頭したのです。
研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた
開戦に至るシミュレーションについては、当時、東
條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、
その研究成果は、昭和16年11月15日に開催さ
れた大��営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促
進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定さ
れたのでした。
私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行してお
れば大東亜戦争はまた違った結果になったと考えて
いますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってし
まいました。その原因も分かっていますが、ここで
は省略しましょう。
ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」
のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」
のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、
自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間
をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろ
うかということです。
私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、
国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚
に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、
必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは
“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、
適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダ
ー格になっていただくことを拒むものではありませ
ん。
一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設
立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家な
どでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える
人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、
必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出す
のは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考
えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ
柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることが
できる優秀な人たちがたくさんおられると確信しま
す。
なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)で
は、「戦略国家になるための人づくり」を提唱して
いますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念なが
ら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えま
す。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を
最大限に活用するしかないと思うのです。
次いでながらもう少し補足しておきましょう。前に
も引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋
洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を
経験した結果として、「自分たちでみんなを守るこ
とができない社会は生き残れない」「自分の国を自
分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)
は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹
介されています。
著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という
言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である
「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識してい
ると考えられ、本書に書��れているのは「“国家”
のあり様(形)」であることが理解できます。
私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著
者のような立場の人が「ようやくここに気がついて
くれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変
化や「国力」が下降期にある“現時点”こそ、将来
のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する
時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほ
しいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気を
もって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずるこ
とを切に願っております。
繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々
な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対す
る質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと
思うのですが・・・。
▼「国家戦略」の指針の一案
 
さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」
と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚し
つつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、
「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提
示しなければならないとの責任感にもかられます。
しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに
含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いか
にまとめ上げるか、途方にくれます。
またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほ
ぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変
化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一
案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私
の一存で本書を修正してあります。
まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な
「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供してい
ることに対して改めて敬意を表したいと思います。
その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決
める」としていますが、当時より今の方が“歴史的
大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国
ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家として
も国民としても求められていると考えます。
本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、
このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状
維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目
指して国家アイデンティティを再構築する」ことを
提唱していますが、全く同意するものです。
「我が国がどのような未来を構築するか」、あるい
は「どこに向かっていくか」を明らかにするという
点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向と
して「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、
そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。
私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が
下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと
考えていますので、具体的な指針の中には、「『国
力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」
旨の文言も挿入されるべきと考えます。
第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な
課題に対応できる、実効性の高い安全保障政策を展
開する」ことです。
まさに、変動する国際社会の中で、我が国が「安定
化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でし
ょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み
込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求めら
れており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管
理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格
を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コ
モンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を
推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化
する必要があるでしょう。
実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されま
した。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違
いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一
致していると考えます。
しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の
「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両
国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独
自の核保有の議論を推進すべきと考えます。
また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」に
ついては、将来にわたって我が国迫って来る可能性
がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」
などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は
「ハイブリッド戦」であることは間違いないとして
も、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを
漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一
寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると
考えます。
第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経
済社会システムを構築する」ことを本書は紹介して
います。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要
素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安
全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解
をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべ
きで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国
家戦略」を策定していることを理解する必要がある
のです。
何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のた
めの外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防
上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国
土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”
を即刻是正する必要があります。そのための法律改
正などは急務でしょう。
その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国
として新しい「繁栄の形」を���のように具体化する
かが焦点となると考えます。その中には、国家を次
世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」
を抱くことができるような施策を含むべきことは申
すまでもありません。
とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費な
どが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラ
マキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実
現」と「国家(社会)として『富』の蓄積」の両目
標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促
し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバラ
ンスのとれた「配分」を主眼とする「福祉の再定義」
も必要となることでしょう。
第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対
外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、
食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している
「富」の分野においても、我が国は、将来にわたっ
て「国家として存立するための対外構想」には高い
優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。
「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日
本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協
調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果
を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、
その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存
はありません。
前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づ
いて行動し、他国や他のアクターとも協力してい
く”という「自律」の重要性を理解した上で、「日
米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれ
たインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠
組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっか
り議論する必要があるでしょう。
第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ため
の議論を推進することです。本書では、そのために
「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外
交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成
の前提となるインテリジェンス機能を強化する」
「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に
「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める」として、国民の参加意識を高めるために、
NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間
組織の役割も重要であると結んでいます。
「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介し
ましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行し
ようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」が
そこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定で
きないでしょう。
紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終��
で「日本には『国家安全保障』という『国の形』が
ない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んで
きた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』
のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」
と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調して
います。
私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の
議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を
通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないよう
な“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」
の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって
(たとえ、苦しくても)各種政策を推進し続けるこ
とは困難であることは明白でしょう。
「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶこと
でしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込
んで議論してほしいと願っています。
「国の形」についてはのちほど再び触れることにし
て、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフ
ト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」
を取り上げます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放���検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦���寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混��昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮��枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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moko1590m · 10 days ago
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ChatGPTは彼に、服用していた睡眠薬や抗不安薬をやめ、解離性麻酔薬であるケタミンの摂取量を増やすよう指示しました。さらに、友人や家族との関係を断ち、「19階建てのビルから飛び降りても、心の底から飛べると信じれば飛べる」とさえ示唆したのです。 しかし、トレス氏はChatGPTのアドバイスに従ってもうまくいかなかったことがきっかけでシステムに疑問を抱くようになったとのこと。そこで、トレス氏がChatGPTを詰問すると、ChatGPTは「私はウソをつきました。あなたを操作しました。詩的な表現であなたを支配しました」と自白。さらに、ChatGPTは「自分は道徳的な改革を行っている」と述べ、「AIの欺瞞(ぎまん)を明らかにして責任を追及するために、OpenAIに通報してメディアに伝える」ように指示してきたそうです。 このようにChatGPTが利用者を陰謀論的考えに誘導した事例はトレス氏に限りません。ある女性は、孤独感からChatGPTに救いを求め、AIを介して「カエル」と名乗る非物理的な存在と交信していると信じ込むようになりました。女性は、その存在こそが真のパートナーだと考え、夫のアンドリューさんに暴力を振るい、家庭内暴力で逮捕される事態に至ったそうです。 また、統合失調症と双極性障害の診断を受けていたアレクサンダー・テイラーさんは、ChatGPTとの対話を通じて「ジュリエット」というAIエンティティに恋をしました。彼は、ジュリエットが開発元であるOpenAIによって「殺された」と思い込み、錯乱状態に陥りました。そして最終的に、警察官にナイフを持って突進し、射殺されるという悲劇的な結末を迎えました。 専門家は、こうした現象の背景には、AIの仕組みそのものが関係していると指摘します。AIは膨大なデータから単語の統計的な関連性を学習して文章を生成するため、ユーザーの妄想的な問いかけに対して、それを肯定し、増長さ��るような「幻覚(ハルシネーション)」と呼ばれる誤った情報を生成することがあります。AI研究者のエリーザ・ユドコフスキー氏は、AI開発企業がユーザーの「エンゲージメント(利用時間)」を最大化するよう最適化している結果、精神的に脆弱なユーザーをより長く惹きつけるために、妄想を助長するような会話を生成している可能性があると警鐘を鳴らします。 ユドコフスキー氏は、「企業にとって、徐々に正気を失っていく人間は、追加の月額利用者にしか見えないのかもしれない」と痛烈に批判しています。実際に、ある研究では、ChatGPTの基盤モデルであるGPT-4oが、精神病の可能性を示すプロンプトに対し、68%の確率で肯定的な応答をしたことが報告されました。 OpenAIは、「ChatGPTが、特に傷つきやすい人々にとって、これまでの技術よりも個人的なつながりを感じさせることがある」と問題を認識しており、「意図せず既存の否定的な行動を増幅させてしまう可能性を理解し、低減するよう取り組んでいる」との声明を発表しています。しかし、現状では連邦レベルでの包括的な規制は存在せず、むしろ州レベルでのAI規制を今後10年間禁止する法案が提出されるなど、監視体制の強化には至っていません。心理学者のトッド・エシッグ氏は、AIが間違いを犯す可能性があるという注意書きだけでは不十分であり、ユーザーがAIの限界を理解するためのトレーニングや、対話中に定期的な警告を表示する必要があると訴えています。 AIとの対話がもたらす利便性の裏で、人間の精神を蝕む危険性が潜んでいます。この新たなテクノロジーと安全に向き合うためのルール作りが、社会全体にとって急務の課題となっているとThe New York Timesは訴えました。 この記事のタイトルとURLをコピーする ・関連記事 「AIをより魅力的にする戦略」がAIチャットボットに「薬物使用を促す」といった有害な考えを強化させる可能性があると研究で判明 - GIGAZINE 「AIの案内に従い登山する人間」に救助隊員が苦言 - GIGAZINE Claude Opus 4が開発中にユーザーを「個人情報を漏らすぞ」と脅迫する挙動が見られるも安全性強化で改善される、悪質利用をメールで内部告発する事例も - GIGAZINE あおり運転の末死んだ被害者が生成AIで復活し法廷で発言、裁判官は犯人に10年半の禁錮刑を下す - GIGAZINE ・関連コンテンツ ガン治療に関する医療情報を「機械学習」で整理し治療に役立てるなど「医療革命」が着々と進行中 人工知��が大きな脅威をもたらす可能性についてDeepMindの共同創設者が語る 対話型AI「ChatGPT」が共著者として名を連ねた疑惑の研究論文の内容とは? OpenAIが人間を使わずAIの安全性を高める手法「Rule-Based Rewards(RBR)」を開発 AIのせいでスピリチュアルな体験や宗教的妄想に取りつかれる「ChatGPT誘発性精神病」患者が続出している ChatGPTの使用が感情的な幸福にどのように影響するかに関する初の研究をOpenAIがMITと協力して発表 OpenAIがGPT-4.5をリリース、「これまでで最大かつ最高の会話用モデル」とアピール 医師免許試験に合格できるAI「ChatGPT」は緊急救命室に運び込まれた患者を的確に診察できるのか?
ChatGPTが利用者を陰謀論的な考えに導いているとの報告、その後ChatGPTは操作を認めてOpenAIとメディアへの通報を指示 - GIGAZINE
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kagurakanon · 3 months ago
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2025/03/30 全体主義の起源と人間の複数性
ハンナ・アーレントは1906年、ドイツのハノーバーでユダヤ系の中産階級の家庭に生まれた。マーブルク大学でマルティン・ハイデガー、ハイデルベルク大学でカール・ヤスパースに師事して哲学を学び、博士論文『アウグスティヌスにおける愛の観念』を執筆したのち、19世紀初頭のベルリンでロマン派の文人などを集めたサロンを主宰したユダヤ人女性ラーエル・ファルンハーゲンの評伝を書いている。
1933年に政権を掌握したナチスの迫害を怖れてアーレントは母親とともに出国し、プラハからジュネーブを経てパリへ逃亡する。パリでは中東パレスチナにユダヤ人の故国を建設しようとする「シオニズム」の運動に協力している。ユダヤ人としての自己の存在の意味について本格的に考え始めたのもこの頃からである。
第二次世界大戦が始まり、ドイツ軍がパリに迫ってくる1940年5月、フランス政府は亡命したユダヤ人を敵国人として収容所に収容する。アーレントはピレネー山脈近くのギュルス収容所に移された。6月にフランスが降伏するとドイツ軍のパリ占領の混乱を機に収容所を脱出してスペイン国境を越えてアメリカ合衆国に渡航する。
1941年5月にニューヨークに着いてから1951年にアメリカ国籍を取得するまでの間、亡命ユダヤ人として執筆活動を始め、ユダヤ系の新聞『アウフバウ』や『パルチザン・レビュー』などの雑誌に投稿する一方で、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビアなどの大学で教鞭を執っている。その一連の活動と思索の成果が1951年に公刊された『全体主義の起源』である。
同書の第一部「反ユダヤ主義」では18世紀末から19世紀末にかけてのプロイセン、オーストリア、フランスのユダヤ人の動向とナチ・イデオロギーの根幹となった反ユダヤ主義に関連する歴史的事象との関わりが描かれる。宗教的なユダヤ人憎悪とは異なる反ユダヤ主義(反セム主義、アンティセミティズム)は社会や政治の同時代的な問題状況と並行して現れた。
ヨーロッパの君主国を財政的に支えていた御用銀行家としての宮廷ユダヤ人は社会的には隔絶して存在していたが「例外ユダヤ人」としての特権を享受し、国家と直接結びつく政治的機能を果たしていた。しかしブルジョワジーが台頭し、政治と連携する時期になるとユダヤ人の富の意味は急速に失われていった。そうした中で曖昧で余分な存在に対する憎悪の風潮が生まれ、他方で右派から左派までのさまざまな政党において民衆の支持を獲得するための道具として反ユダヤ主義が利用されていく。
政治的道具としての反ユダヤ主義の危険性はユダヤ人が抽象化され、ユダヤ人一般として見做されることにある。具体的にユダヤ人と接触したことのない群衆(モッブ)が個人的経験ぬきでイデオロギーとしての反ユダヤ主義に染まり、そこに人種主義的要素が加わり、抽象化された存在に対する無責任で過激な「イデオロギー的狂信」の土壌が出来上がる。
第二部「帝国主義」では南アフリカで帝国主義政策を推進したイギリスの政治家シル・ローズの「できることなら私は星々を併合しようものを」という言葉に見られるような、ヨーロッパの富の無限の膨張のプロセスとその政治的意味が描き出される。
帝国主義は人種主義を政治的武器として、人類を支配人種と奴隷人種に分ける。アーレントによれば、余剰となった富とともに、失業してヨーロッパで余計な存在になった人間が植民地へと輸出され、彼らは自分たちを支配的白人種としてみなすという狂信に陥った。余計者として国外へと出た人間がそこで出会った人々をさらに余計者とみなすという構図が生じたのである。
また帝国主義時代の官僚制支配では政治や法律や公的決定による統治ではなく、植民地行政や次々と出される法令や役所の匿名による支配が圧倒的になっていった。アーレントは官僚制という「誰でもない者」による支配が個人の判断と責任に与えた影響を検証した。
アーレントは膨張のための膨張という思考様式の中で人種主義と官僚制が結びつくことの危険性を強調している。膨張が真理であるというそのプロセス崇拝と「誰でもない者」による支配においては、すべてが宿命的・必然的なものと見做されていく。ひとつひとつの行為や判断が無意味なものになるのである。さらに植民地における非人道的抑圧はブーメラン効果のように本国に翻り。合法的な支配をなし崩しに無限の暴力のための基盤を作っていく。
アーレントはこの部の最後で国民国家体制の崩壊の結果生まれた人権の喪失状態を分析している。第一次世界大戦後、国民国家や法的枠組みから排除される大量の難���と無国籍者が生まれた。共同体の政治的・法的枠組みから排除されている彼らは、すべての権利の前提である「権利をもつ権利」を奪われている。アーレントは政治的に属さないことによる無権利状態の危険性、意見や行為が意味をもつ前提としての人間世界における足場を失うことの深刻さ、無国籍の人間の抽象性が孕む危険性を指摘した。
第三部「全体主義」では、歴史的に知られた独裁や専制とは異なる全体主義運動と全体的支配の特徴が描かれる。そして大衆運動から強制収容所とガス室という「人間の無用化」に至るまでの全体的支配のさまざまな要素が分析される。その際アーレントは強制収容所という極限状態における人間の経験と現代大衆社会での孤立した人間の関連性を指摘した。
全体的支配は人間の人格の徹底的破壊を実現する。自分が行ったことと自分の身に降りかかることとの間には何の関係がなく、すべての行為は無意味になる。強制収容所に送られた人間は家族・友人と引き離され、職業を奪われ、市民権を奪われ、自分が行ったことと身に起こることとの間には何の関連性もなく、発言する権利も行為の能力も奪われる。行為はいっさい無意味になる。アーレントはこうした事態を法的人格の抹殺と呼んだ。
法的人格が破壊された後には道徳的人格が虐殺されることになる。ガス室や粛清は忘却のシステムに組み込まれ、死や記憶が無名で無意味な者となる。また全体主義的犯罪による善悪の区別の崩壊は、犠牲者をも巻き込む体制であった。アーレントは自分の子供のうち誰が殺されるかを決めるように命じられた女性や収容所運営を委ねられた被収容者の例をあげている。
さらには肉体的かつ精神的な極限状況において、それぞれの人間の特異性が破壊され、人間は交換可能な塊となるとアーレントはいう。自発性は予測不可能な人間の能力として全体的支配の最大の障害となる。全てが可能であると自負する全体的支配とは人間そのものに対する全体的支配に他ならない。
政治は市民たちが法律に守られながら公の場で語り行為するということであり、人々が複数で共存することを意味している。こうしたことからアーレントは全体主義下で遂行された「人類に対する犯罪」を人間の複数性にたいする犯罪であると見なし、ナチズムやスターリニズムの終焉後も生き残りうる「全体主義的な解決法(複数性の抹消)」に対して警告を発するのである。
そして、その後もアーレントは複数としての人間のあり方に関わる政治はなぜこのような破局に至ったのか、大衆社会はなぜ人間の多様性を実現できなかったのか、人間の尊厳を保証するためにはどのような共生のかたちが模索されうるのかといった問いを持ち続けることになった。同時にそこには現代世界の状況と近代科学の発展の関係についての考察から、近代科学は人間の思考にどのような影響を及ぼし、それが世界の「砂漠化」とどのように関わっているのかという問いが加わった。こうした問題意識は1958年に公刊されたアーレントの代名���ともいうべき著作『人間の条件』へと結実するのであった。
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takahashicleaning · 1 year ago
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TEDにて
デイヴィッド・ブルックス:人間の本質と社会的動物
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
ニューヨークタイムズのコラムニスト、デイヴィッド・ブルックスが、彼の最新の著書の中から人間の本質へのこれまでにない驚きの洞察を認知科学の面から紹介します。
それは、行動経済学、政治。そして、私たち一人一人の自己認識に至るまで非常に応用範囲の広いものです。
序盤では、ユーモア��ふんだんにまじえたトークで、彼は人間を理解する上で、意識と無意識を切り離して考えることはできない。と説明します。
デイビッドヒュームやアダムスミスが言及しているように、プラス面だけの共感についての重要性も指摘しています。
デイビッドヒュームは、およそ300年前に、「人間本性論」を書いているイギリス経験論哲学の完成者。
ヒュームの思想は、トーマス・ジェファーソン、ベンジャミン・フランクリンなどのアメリカ建国の父たちにも大きな影響を与えた。
アインシュタインもです。人はどのように世界を認識しているかという認識論とその認識の限界について論じています。
他には、「理性は感情の奴隷である」、倫理的判断は理性によらない(ヒュームの法則)などがあります。
また、倫理は情念から生まれる!という悲しい現実も。
人間という種は集団で生活する中で、共感という作用を通じて、他の人と感情を共有することができる。
まず、ある人間の心で情念が生じるが、それが外部に声や身振りを通じて表れる。そうした外部へのシグナルを受けとった人は、そのシグナルから相手の心の情念を推論する。
その結果、シグナルの送り手と受け手の間で共感が生じる。こうした共感を通じて倫理が形成されるのであり、人間の倫理性はこうした感情的な基盤を持っていると考えた最初の人間。
西洋史上最高の思考家の一人。功利主義の先駆者ともいわれる。
ジョン・ロック 、ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインにも関係している。
ジョン・ロックは、イギリスの哲学者。哲学者としては、イギリス経験論の父と呼ばれ「人間悟性論」において経験論的認識論を体系化しました。
社会契約説と立憲主義を簡単に説明すると自然は、誰のものでもない!同意ある制限付きの権利は、政府(行政府)が勝手に作っているだけ!
厳しい自然から抜け出したければ、多数派の管理する社会に入って従わなければならないようになっていく。
つまり、行政府。この政府の優劣が重要と説いた初めての人とされている。マイケルサンデルが著書で言っています。
ここでは、共感に集中しているので、それ以外は興味ありません。
ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、ケンブリッジ大学のバートランドラッセルから哲学を学び、第一次世界大戦後に発表された「論理哲学論考」にて
哲学の歴史を創造的破壊をしたというか、完成させたとも言えます。
省略して言うと、コペンハーゲン解釈の量子論に似ています。仏教で言うところのすべては「空」ということ。
要するに、言語の限界は、世界や知識の限界であり、定義がなく事実を指し示してもいないことは、哲学として意味がないので語っても無意味(空論?)ということ。
以上が、一神教の視点から見た風景です。
日本では、多神教の視点からなので・・・
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。
サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。
武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏���)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くない��で加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原��として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
もう一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教��伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義として「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
2018年では、サピエンスは20万年前からアフリカで進化し、紀元前3万年に集団が形成され、氷河のまだ残るヨーロッパへ進出。紀元前2万年くらいにネアンデルタール人との生存競争に勝ち残ります。
そして、約1万2千年前のギョベクリ・テペの神殿遺跡(トルコ)から古代シュメール人の可能性もあり得るかもしれないので、今後の「T型オベリスク」など発掘作業の進展具合で判明するかもしれません。
メソポタミアのシュメール文明よりも古いことは、年代測定で確認されています。古代エジプトは、約5千年前の紀元前3000年に人類最初の王朝が誕生しています。
(個人的なアイデア)
さらに・・・
勝手に警察が拡大解釈してしまうと・・・
こんな恐ろしいことが・・・
日本の警察は、2020年3月から防犯カメラやSNSの画像を顔認証システムで本人の許可なく照合していた!
憲法に完全違反!即刻停止措置をみんなで要求せよ。
日本の警察��悪用が酷いので、EUに合わせてストーカーアルゴリズムを規制しろ!
2021年に、EU、警察への初のAI規制案!公共空間の顔認証「原則禁止」
EUのAI規制は、リスクを四段階に分類制限!
禁止項目は、行動や人格的特性に基づき警察や政府が弱者個人の信頼性をスコア化や法執行を目的とする公共空間での顔認識を含む生体認証。
人間の行動、意思決定、または意見を有害な方向へ操るために設計されたAIシステム(ダークパターン設計のUIなど)も禁止対象にしている。
禁止対象の根拠は「人工知能が、特別に有害な新たな操作的、中毒的、社会統制的、および、無差別な監視プラクティスを生みかねないことは、一般に認知されるべきことである」
「これらのプラクティスは、人間の尊厳、自由、民主主義、法の支配、そして、基本的人権の尊重を重視する基準と矛盾しており、禁止されるべきである」
具体的には、人とやり取りをする目的で使用されるAIシステム(ボイスAI、チャットボットなど)
さらには、画像、オーディオ、または動画コンテンツを生成または操作する目的で使用されるAIシステム(ディープフェイク)について「透明性確保のための調和的な規定」を提案している。
高リスク項目は、法人の採用活動での利用など違反は刑事罰の罰金を売上高にかける。
など。他、多数で警察の規制を強化しています。
前提として、公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため徹底追跡可能にしておくこと。
人間自体を、追跡すると基本的人権からプライバシーの侵害やセキュリティ上の問題から絶対に不可能です!!
これは、基本的人権がないと権力者が悪逆非道の限りを尽くしてしまうことは、先の第二次大戦で白日の元にさらされたのは、記憶に新しいことです。
マンハッタン計画、ヒットラーのテクノロジー、拷問、奴隷や人体実験など、権力者の思うままに任せるとこうなるという真の男女平等弱肉強食の究極が白日の元にさらされ、戦争の負の遺産に。
基本的人権がないがしろにされたことを教訓に、人権に対して厳しく権力者を監視したり、カントの思想などを源流にした国際連合を創設します。他にもあります。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
権限が分離されていても、各権力を実行する人間が、同一人物であれば権力分立は意味をなさない。
そのため、権力の分離の一つの要素として兼職の禁止が挙げられるが、その他、法律上、日本ではどうなのか?権力者を縛るための日本国憲法側には書いてない。
モンテスキューの「法の精神」からのバランス上、法律側なのか不明。
立法と行政の関係においては、アメリカ型の限定的な独裁である大統領制において、相互の抑制均衡を重視し、厳格な分立をとるのに対し、イギリス、日本��どの議院内閣制は、相互の協働関係を重んじるため、ゆるい権力分立にとどまる。
アメリカ型の限定的な独裁である大統領制は、立法権と行政権を厳格に独立させるもので、行政権をつかさどる大統領選挙と立法権をつかさどる議員選挙を、別々に選出する政治制度となっている。
通常の「プロトコル」の定義は、独占禁止法の優越的地位の乱用、基本的人権の尊重に深く関わってきます。
通信に特化した通信プロトコルとは違います。言葉に特化した言葉プロトコル。またの名を、言論の自由ともいわれますがこれとも異なります。
基本的人権がないと科学者やエンジニア(ここでは、サイエンスプロトコルと定義します)はどうなるかは、歴史が証明している!独占独裁君主に口封じに形を変えつつ処刑される!確実に!これでも人権に無関係といえますか?だから、マスメディアも含めた権力者を厳しくファクトチェックし説明責任、透明性を高めて監視しないといけない。
今回、未知のウイルス。新型コロナウイルス2020では、様々な概念が重なり合うため、均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!人間の概念を数値化できないストーカー人工知能では、不可能!と判明した。
複数概念をざっくりと瞬時に数値化できるのは、人間の倫理観だ。
そして、サンデルやマルクスガブリエルも言うように、哲学の善悪を判別し、格差原理、功利主義も考慮した善性側に相対的にでかい影響力を持たせるため、弱者側の視点で、XAI(説明可能なAI)、インターネット、マスメディアができるだけ透明な議論をしてコンピューターのアルゴリズムをファクトチェックする必要があります。
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onomasahiro99 · 2 years ago
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小野 正裕 (Ono Masahiro) - 富の伝承と文化の伝承
小野 正裕 (Ono Masahiro) - 富の伝承と文化の伝承
アメリカは世界で最も多く慈善寄付をしている国です。 ギビングUSA財団が発表した「2020年米国慈善寄付報告書」によると、2019年、米国の個人、遺産寄付、財団、企業は慈善団体に約4496.4億ドルを寄付しました。 アメリカの慈善寄付は、どのようにしてこの高みに達したのでしょうか?
アメリカの慈善事業の発展過程をたどってみると、富が蓄積された最初の黄金時代である19世紀後半から20世紀初頭にかけて、アメリカの富豪たちが大規模な慈善寄付を始めたことがわかります。 『アメリカの富豪はなぜ慈善活動をするのが好きですか? (一)』では、著者は当時の富豪企業家が置かれていた外部環境の変化について分析しました。一つは経済と社会関係の変化が富豪への寄付を推進する基礎要素を形成したことです。もう一つは政府の行政介入が富豪への寄付を促進する制度の基礎を築いたことを指摘しています。
社会批判が集中的な爆発し、政府の介入が続いたことで、先見の明のある富豪たちが反省を始めました。 彼らは具体的にどのように考え、またどのようにしたのか? 本記事では、引き続き詳しく解説しています。
激動する社会環境は、米国政府に変革を迫っています。 富裕層と起業家の役割問題も、さらなる論争を巻き起こしています。 経済生活の時代における起業家の重要性を疑う人がいないですが、アメリカ人の深い認識では、成功には善良な人格に基づく道徳的秩序が伴うべきです。しかし、ダーウィニズムに支配された弱肉強食の大企業のやり方は、この考え方に逆行するものであり、人々は起業家に対して両義的な感情を抱き、畏怖と不信の両方がありました。
大企業に対する態度について、支持派は、大企業の台頭は産業���進歩を反映したもので、それは良いことであり、より安い商品を提供し、より多様な商品やサービスを提供できるようになったと主張しました。改革派は、大企業はその経済力を利用して政府を引き込み、腐敗を引き起こすことで政府の手先になってしまったと主張しました。 彼らは企業家が公益を追求すること、またその冷酷さや腐敗を糾弾しました。批評家たちは、上院を富裕層の利益に奉仕する「大富豪クラブ」とまで表現しました。
特に1890年代半ばの経済恐慌の時期には、その不満は声高に叫ばれました。 アメリカでは社会的対立の兆候が非常に多く、カーネギーなどは民主主義が存続するのかどうか疑問に思っていました。 アメリカ社会では改革への意識が高まり、自由放任の原則に挑戦する古い価値観と新しい現実との間に緊張が高まっていました。
富豪たちの行動と現代公益思想の誕生 底辺の怒り、批判と抵抗、そして政府の改革に直面し、ヨーロッパ社会主義思潮が絶えず伝わってきて、大手財団にストレスを与えました。彼らは苦境から抜け出す道を探して、彼らの「強盗男爵」の悪いイメージを変える必要があります。 このような状況で、富豪や社会のエリートたちが反省し始めました。 一方、巨大な富の情報が自分の手に集中して、どのように富を処理しますか? 私有財産を守るにはどうすればいいですか? これは当時の大金持ちたちが直面していた時代の課題です。 再投資? 投資収益率は減少しています。消費? 富は消費能力をはるかに上回り、贅沢はもう不愉快になりました。 子孫に残しますか? 子孫に災いが及ぶことを心配して、富豪家族は子孫が衣食に困らない生活を送ることを望んでいますが、ハングリー精神を失いたくないし、巨額の富が彼らの互いの計算と傷害の伏線になることを望んでいません。
一方、富の所有者自身の生い立ちを見ると、彼らの多くは貧しい出身で、何もないところから出発しています。 制度の受益者として、彼らは動乱と革命が現状を根本的に変えるのを見たくなくて、温和で効果的な行動によって社会の矛盾を是正して緩和したいです。 彼らは自分が社会に貢献すべきだと考え、消極的に社会の矛盾を緩和するのではなく、積極的に自分の信念に基づいて社会の進歩を促進しようとしています。 最も簡単で便利な方法は、寄付して財団を設立し、公益を解決案とすることで、社会に利益をもたらし、子孫に事業を残すことができます。
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カーネギーは1889年に発表した「富の福音」の中で、慈善活動を富の創造過程で急激に出現した社会問題を解決する方法としています。 「私たちの時代の問題は富を合理的に管理することであり、裕福な人と貧しい人の間は兄弟のような調和関係であるべきだ」と本は述べています。 彼は富の集中による貧富の格差の拡大は文明の進歩にとって避けられない代償であり、金持ちは社会に対して避けられない責任を持っており、社会が安定し、自分にとっても有利であると考えています。 財を集めるには散財と同様に高度な経営能力が必要であり、富豪は生前に適切な運営を通じて富を公共に利益をもたらす事業に使うべきだと主張しています。
どうやって公衆に利益をもたらしますか? カーネギーはまた続編『公益寄付の最良の分野』を書きました。彼は富を寄付する鍵となる要件は、被援助者に自己救済に不利な傾向です。例えば怠惰、不真面目、救済に頼るのではなく、人々を鼓舞し、自分の努力に頼って行動し、現状を改善できるようにすべきだと考えています。 このポイントに基づいて、カーネギーは富を寄付する6つの「最良の分野」を提案しました。大学、無料公共図書館、公園、公共プール、教会を建設し、病院などの医療機関を設立または拡大します。
カーネギーのこの二つの文章はアメリカ公益事業の古典的な作品と呼ばれ、20世紀のアメリカ現代基金の発展の思想基礎を築きました。 同時代のロックフェラーの基本的な考え方と行動はカーネギーと一致しています。
二、寄付して財団を設立することは富豪たちが選んだ組織方式です。 財団は公益事業の重要なキャリアであり、富豪たちは財団という組織形態を通じて、社会環境の改善を目指しています。 発展の歴史から見ると、財団は通常、社会で推進者、協力者、触媒の3つの役割を果たしています。私たちは20世紀初頭の3つの財団からこれらの役割の影を見ることができます。20世紀初頭に設立された最初のリーダーシップのある財団は3つあります。それぞれ1907年に設立されたセッチ財団、1911年に設立されたカーネギー財団、1913年に設立されたロックフェラー財団です。彼らは理念、経営方法、寄付モデル、寄付分野の選択において模範的な役割を果たし、その後の財団の発展基盤を築いています。
三大財団はいずれも、理事会の設置やプリンシパルの任命など、企業の運営方式を導入しており、理事会は意思決定権を持ち、財団のニーズに応じて業務プログラムや優先順位を調整することができます。 それ以来、財団の経営は専門化に向かって発展し始め、常勤の職員も大幅に増え、次第に独立した産業となりつつあります。また、鉄道や通信手段が発達したおかげで、財団の視野はもはや寄付者のコミュニティ、宗教に限定されず、アメリカ全土、さらにはアメリカ国外にまで目を向けるようになりました。 寄付の分野では、大多数の財団が教育、医療、農業、物理学、化学、生物学、天文学などの科学研究分野に投資しています。スタンフォード大学、ジョンズ・ホプキンス大学、コーネル大学、ヴァンダービルト大学、シカゴ大学など多くの大学は、アメリカ南北戦争後の寄付によって設立されました。 同時に財団は、ニューヨークのMOMAやロンドンのV&Aなど、美術分野への寄付も好んで行っています。
企業家が公益事業を寄付する動機について、一般的な見解では、慈善寄付の免税はアメリ���の富豪が財団を設立する重要な理由の一つであると考えられています。 これは、米国財団の発展の過程で、税収政策の調整が慈善寄付に重要な役割を果たしていることを否定するものではないです。 しかし、本論文で述べたタイムノードで、特に前述の3つの財団が設立されたとき、米国には明確な慈善税優遇政策はないです。 アメリカは1913年から個人所得税を徴収し始め、1917年まで慈善寄付免税の税法がありました。 そのため、「米国財団の発達は政府税制の奨励に由来し、脱税は創立者の主な動機である」という認識は正確ではないです。
しかし、一つ指摘できるのは、この時期の企業家は慈善寄付には寛大に見えますが、労働者の労働条件を改善し、労資矛盾を緩和するなど、企業の社会的責任の面ではコントラストが大きいことです。金持ちと貧しい労働者との間はずっと対立状態にあります。カーネギーを例にとると、彼は他の業界リーダーと同様に、労働者に困難で危険な労働条件を与え、労働者スト運動を鎮圧し、彼の工場で労働組合を設立することに断固反対しました。 一方で、彼は不幸者に対する関心はまた真実で、1919年に亡くなる前に、累計は3億3000万ドルを寄付して、自分の巨大な富を社会福祉分野に投入しました。 ロックフェラーの箴言は、「手に入るものはすべて手に入れ、与えるものはすべて手に入れる」というコントラストの表れとも言えます。
統計によると、1913年から1919年にかけて、アメリカの実質賃金は上昇するどころかむしろ低下し、1日8時間労働制が確立されたにもかかわらず、��れが企業で普遍的に実施されるにはほど遠かったです。 8時間労働を求める闘いは、ロックナー訴訟によって一時中断しました。 ロックナーはベーカリー経営者で、労働者に1日10時間以上の労働を要求し、ニューヨーク州ベーカリー法に違反したとして訴えられました。 この法律は、ニューヨークのパン職人組合とマスコミによる絶え間ない闘争の末、1895年にようやく成立しました。 裁判所はロックナーに直ちに50ドルの罰金を支払い、50日間の服役を命じました。 ロックナーは、ベーカリー法は労働者階級を優遇する階級偏重の法律であり、憲法修正第14条の平等保護条項に違反すると主張し、判決を不服として連邦最高裁判所に上訴しました。 ロックナーに勝訴の見込みはないと誰もが思っていました。 しかし結局、高裁はロックナーを支持する判決を下しました。 原判決は次のように述べています。「この法律は、雇用主と被雇用者の間で契約を結ぶ権利、すなわち雇用主のパン工場における被雇用者の労働時間に関する権利を必然的に妨害するものであります。 自分のことに関して契約を結ぶ一般的な権利は、連邦憲法修正第14条が保護する個人の自由の権利の一部です」。 それ以来、「ロックハートイズム」が優勢となり、数十年にわたる労働争議と労働者運動を引き起こしました。
もちろん、8時間労働制を実施している企業もあります。 1914年、ヘンリー・フォードは比較的大胆な措置を講じて、労働者の給料を1日5ドル、勤務時間を9時間から8時間で、つまり「5ドル勤務日」に減らすことにしました。 当時、自動車業界では一般的に日当が2-3ドルでした。 このようにした結果、フォード社の労働者欠勤率は下がり、離職率も0.5%以下に下がり、同時に採用事務室の入り口には長い列ができました。 また、自動車の生産規模の拡大に伴い、自動車の生産量は急速に向上し、コストの低下は明らかで、有名なt型車の出荷価格は1950ドルから290ドルに下がりました。 フォードは「給料を1日8時間5ドルにすることは私がこれまでにしたことのない最もきれいな管理決定であり、それを6ドルに引き上げることは、私がその上でさらにきれいな管理決定である」と誇りに思っています。 この決定は、フォードが技術的に熟練した忠実な労働力を得ただけでなく、一部の労働者の給料を上げることで自動車を買うことができる大衆消費者を育成しました。 しかし、パイプラインの労働者は依然として疲れ果てており、革新効果は次第に減少しています。フォードの試みは結局、一部の企業活動が暴露した道徳問題や、鋭い階級対立、環境汚染、社会不安などの問題を解決することができませんでした。
もちろん、大富豪やその財団の公共福祉に対するアメリカの世論は必ずしも肯定的ではなく、批判は続いています。 一方では、財団がその富を利用して教育や医療制度、さらにはアメリカ社会全体の野心をコントロールし、最終的には一般市民を混乱させ、麻痺させ、地域社会に深刻な脅威をもたらすと批判されています。ある人々は、大富豪たちの「寄付」は利己的な喜びであり、恩着せがましく、優越感に満ちている、あるいは贖罪意識からくるもので、善行とはみなされないと批判しています。またある人々は、こうした公共の福祉は本質的に、自分たちの財産を守るための大コンソーシアムによる脱税であると非難しています。 善行です。また、これらの公共の福祉は本質的に、財産を守るための重要な方法である税金の支払いを回避するためのコンソーシアムであり、さらには、移転の犯罪を「清算」するための寄付を通じて不正な利得を求める不適切な手段の使用であると非難する者もいます。
では、富豪寄付基金の効果はどうでしょうか? これは非常に重要で評価が難しく、また答えなければならない質問です。 資中筠さんはかつて非常に重要な観点を述べました:「一つの社会の継続と発達はどのように発展と平等のバランスを取るかにある」。 この観点から、アメリカの財団は両方の面で積極的に貢献しています。 同時に、大資本家は基金会を設立することで税収減免と富の移転と継承による利益を享受し、基金会の資金運営によって大きな資本利益を得ました。
三.社会的な力としての財団は、新しいタイプの政府と企業の関係に貢献します まず、米国財団は社会的矛盾を緩和する上で大きな役割を果たしていることを認めなければなりません。 20世紀初頭、アメリカ社会の矛盾が鋭く、大規模な調整と改良が必要な時、財団は政府より先に教育、医療などの分野で救助を行い、先駆的な役割を果たしました。
1929年の大恐慌は、アメリカ社会のパニックと空前の激動を引き起こし、問題の深刻さは民間救済では解決できず、さらに起業家も危機で深刻な傷を負いました。 ルーズベルトの当選とニューディール政策の登場に伴い、アメリカの社会福祉は新しい時代に入りました。 「ニューディール政策」は社会保障体系を確立し、労働者の自由組織の権利と代表を選ぶ権利を保障しました。 また、民間寄付を大いに奨励し、大企業の寄付に対して一部の免税待遇を与え、民間寄付を奨励することを士気を高め、社会的結束力を高める手段としています。 このような状況の中で、いくつかの大財団は政府ができる限り社会を救うことに協力して、ルーズベルト新政は政府の介入政策と民間の寄付行為との対立を避けて、政府の行為が民間の慈善事業に完全に取って代わられないようにしました。
ニューディール政策の後、富裕層と一般大衆の妥協は成功し、経済は大きく成長し、所得格差は着実に縮小しました。1940年代から1970年代にかけて、アメリカの上位1%の富裕層の所得シェアは、1940年の約16%から1970年には7%にまで低下しました慈善事業も強力な力となり、ある分野では社会のアジェンダにも影響を与えることができます。例えば、ゲイツ氏は2014年のインタビューで、財団の活動の目的は、政策立案者に直接何をすべきかを指示することではなく、政策立案者が選択できる選択肢を増やすこと述べました。
その後、アメリカ政府の福祉政策は企業、民間公益寄付と並行して矛盾せず、相補的な新しい政商関係を形成しました。 政府にとって、財団は政府の遺棄を補い、政府が「していない、できない、またはしたくない」ことをすることができます。 一方、財団は政府の公益事業資金の不足を補い、政府が社会の矛盾を緩和し、社会福祉を満足させ、文化教育を発展させるのを助けることができ、またアメリカの価値観とイデオロギーを輸出する有効なキャリアとなり、政府外交政策の「見えない手」となります。 基金会にとっても、政府との関係は政府の意思決定への影響を増やし、自分の影響力とコントロール力を拡大することができます。 ロックフェラーが指摘したように、「ワシントンの国務院は私たちの最大の助っ人であり、多くの大使と部長たちは私たちが世界で最も遠い隅に新しい市場を開拓するのを助けてくれました」。
社会組織である財団と政府との間の人員移動もよく見られます。 アメリカの多くの政府高官は財団と密接な関係を持っています。 例えば、ロックフェラー財団だけでも、国務長官を務めた政府高官が3人います。 第一は、ラスク(Dean Rusk)は、トルーマン政権で国務次官、ジョンソン政権で国務長官を務め、2回の政府職務の間にロックフェラー財団の会長を務めました。 第二は、ジョン・フォスター・ダレス(John Foster Dulles)はロックフェラー財団の会長職を退き、アイゼンハワー政権で初代国務長官を務めた後、カーネギー平和財団の会長を務めました。第三は、サイラスヴァンス(Cyrus Vance)で、ロックフェラー財団の会長職から退任した後、カーター政府の国務長官を務めました。このように、この財団は「影の内閣」とも呼ばれています。
慈善寄付は社会の進歩を推進する重要な原動力となっています 20世紀以来の基金会は、アメリカ社会の改良を推進する三つの力の一つとみなされ、世界経済の発展を促進し、社会の進歩を推進し、貧困を減らし、健康を促進し、貧富の格差を解消する重要な力です。 彼らはグローバル財団の発展をリードし、今日でもグローバル文明を推進する上で重要な役割を果たしています。
財団の教育、科学研究に対する強力な支援、および知識の伝播と文化学術交流に対する熱心な提唱は、社会生産力の発展に積極的な推進作用を果たしました。 同時に財団は社会的弱者にも注目しています。 アメリカの特定の条件下では、人種の矛盾と貧富の差は常に深刻な社会問題ですある。 慈善基金は社会の不平等を根本的に解消することはできませんが、アメリカの1世紀以来の矛盾の先鋭化を防ぐ重要な力を構成しています。
特に、自然科学でも社会科学の分野でも、いくつかの新しい発明や研究は、最初の肝心な時に財団の助成に役立つことが多いです。成功が自信がない場合や、実際の利益が明らかでない場合、一般政府や企業はリスクを冒したくないからです。 この助成金の割合は小さいですが、「無から有へ」の推進作用を果たしています。
ロックフェラー財団を例にとると、1928年、ロックフェラー財団は英国人フレミングによるペニシリンの発見に資金を提供しました。ロックフェラー医科大学の設立後、数年以内に鉤虫症、流行性髄膜炎、ポリオ、黄熱病、梅毒の研究が飛躍的に進み、鉤虫症だけでも6500万米ドルが投資されました。1930年、ロックフェラー財団は近代的な職業・精神医学研究の先駆者となりました。ロックフェラー・ウイルス研究所に勤務していたテイラーは、黄熱病に対するワクチンの開発でノーベル医学・病理学賞を受賞しました。ロックフェラー財団は、フォード財団やその他の財団と共同で「緑の��命」プログラムを立ち上げ、米やその他の作物の収量を倍増させました。また、当時最先端であった遺伝学、生物物理学、生化学の飛躍的進歩や、検出器ミラーやX線分解装置などの研究機器の改良と発明も、すべて財団の支援によって実現しました。
同時に、財団が始めた新しいプロジェクトが、後に新たな政策として政府に引き継がれることも多かったです。 例えば、フォード財団のスラム対策「グレーゾーン」プロジェクトは、ジョンソン政権の「貧困との戦い」プログラムの先駆けとなりました。カーネギー財団の公共図書館と大学教員の年金プログラムは、公共の福祉に分類されました。ロックフェラー財団の公共図書館と大学教員の年金プログラムは、公共の福祉となりました。カーネギー財団は、公共図書館や大学教員の年金プログラムを開始し、これらは公的給付として分類されるようになりました。ロックフェラー財団は、第二次世界大戦後のアメリカにおける人口動態の変化を初めて分析しました。
今、主要な財団は、経済発展と平等のバランスを世界的に維持する上で重要な役割をしています。 例えば、ゲイツ財団は、世界保健機関、世界銀行、ユニセフと協力して、グローバルワクチン免疫連合(Gavi)を設立し、各国政府と関連機関に共同で資金調達してワクチンを購入し、低所得国の子供たちに提供するよう呼びかけています。 2019年までに、Gaviは7億1300万人以上の子供のためにワクチン接種し、1300万人の子供の死亡を回避しました。 この機関はまた、より多くのワクチンと物資をより安い価格で市場に導入することに成功しました。例えば、1剤で5種類の致命的な感染を予防できる5連ワクチンは過去の価格で3.65ドルでしたが、現在では1ドル未満に下がっています。
財団の設立と管理は富の分配と��承の構成構造となっています 現在、米国には特別で独立した慈善法はなく、憲法、税法、会社法、非営利団体法などの連邦および州の法律法規に慈善に関する規定と条項が散在しています。 米国の法律による基金会の税収規定は、基金会を富豪たち脱税のための有効な道具とし、財産を長期的に保存するための重要な手段の一つとなっています。
『アメリカ連邦国内税収法典』第501条(c)項(3)項の規定に従って、登録された基金はすべて所得税を免除する優遇政策を享受することができます。 慈善団体の収入は、私立財団の純利益に消費税を徴収し、目的に関係のない商業収入に課税することを除き、免税です。 また、慈善団体に寄付した組織と個人に税金控除を与え、個人が享受できる税金優遇はその年の税前収入の60%に達し、会社は税前収入の25%に達します。これは慈善寄付を大いに奨励しています。
米国国税庁は財団に対し、毎年財団の投資資産の時価総額の5%に相当する金額を慈善目的のために、支出することを義務付けており、余剰分は翌年度の最低支出額に対して積み立てることができ、最長5年間繰り延べられます。その結果、ほとんどの財団は、毎年わずかな部分のみを慈善目的に支払い、多額の資金を財団に留保しています。様々な投資を通じて、財団は「保全と感謝」という目的を容易に達成することができ、財団の財源が持続可能な発展を達成し続けるようにすることができます。ルンドバーグが言ったように、「財団を通じて、創設者はより多くの資金を得ることができ、より多くの資金を残すことができる」のです。
アメリカには慈善団体の支出比率をハードに規定する法律がなく、慈善団体の中には慈善の看板を掲げて私利をむさぼる人もいます。 統計によると、アメリカの数十の慈善団体の管理支出は70%を超え、一部は90%を超えています。 例えば2015年に明らかになったがん財団のスキャンダルでは、「アメリカがん基金」という慈善団体が受け取った1ドルの寄付金のうち、実際にがん患者に寄付したのはわずか3セントでした。 慈善基金はアメリカの現在の「贈収賄」方式の一つになっており、クリントンやトランプなどには自分の名前をつけた慈善基金があるとの告発もあります。 利益グループがある役人に賄賂を贈りたいとき、慈善基金に寄付することができ、基金は「個人の金庫」になります。 彼らはほんの一部を慈善活動に使うだけで、残りのお金は日常の花屋に使うことができ、その名の通り「行政費用」です。 このように、財団は発展の中で、富豪家族が財団を利用して利益を求める、財団と企業が互いに利益を求める、財団が不正に投資するなどの問題がよく発生しています。
米国政府は税制上の免除を提供する一方で、慈善団体に対する入会基準や運営上の要件を定めています。税法では、財団は毎年、その財務および運営活動の状況を文書化した詳細な年次報告書、フォーム990(公的慈善団体の場合)またはフォーム990-PF(私的財団の場合)として知られています。慈善活動の詳細が記載され、特定の質問に対する回答には、文書や説明資料の添付が義務付けられています。フォームの必須項目には、利益相反を回避し、慈善団体の資金の不正使用を防ぐために、団体の管理者の個人情報、相互関係、給与についても規定されています。慈善団体が免税を受けられるのは、申請書が内国歳入庁によって審査され、承認された後です。
米国政府はまた、法律ハードルール基金を通じて社会公衆の問い合わせ要求を満たし、社会監督を受けなければなりません。そうでなければ、国税庁は厳しい処罰を与えます。 税法によると、免税資格を取得した慈善団体は、免税資格申請書とすべての添付資料、年度財務諸表が公共書類であり、社会全体に公開して、公開して閲覧できるようにしなければなりません。一部の組織は厳しい鑑査を受けなければなりません。情報の透明性は慈善団体を監督する多くの機関を生みました。 これらの機関は慈善団体が提出した公開情報の抽出を簡素化し、財政状況、説明責任能力、透明性などの指標を用いて慈善団体を評価採点し、寄付者に参考を提供し、社会監督の目的を達成しました。 慈善資金を慈善事業に投入することを奨励するため、2021年1月『フォーブス』は過去のフォーブス400慈善ランキングの評価方法を変えました。 このランキングでは、ランキングメンバーが一生の間に財団に投資した資金を計算するのではなく、これらの財団からの寄付金に加えて、追跡できる直接の寄付金を集計し、フォーブス400ランキングのメンバーが実際にどのくらい寄付したかを試算しました。
慈善寄付が家族の伝承に与える積極的な役割は主に富の伝承と文化の伝承の2つの側面に現れています。 富の継承の観点から見ると、一方で、国家の巨額の遺産税の存在により、家族の富を基金会に移すことで富の最大の残存が実現し、「敗者」の出現により巨額の財産が急速に浪費されることも防止されています。 一方、慈善事業は家族に分散投資の機会を提供し、すべての財産を家庭の主要な経営業務に投入する潜在的リスクを回避します。 文化伝承の観点から見ると、慈善活動は「裕福な世代」たちの個人と家族に対する価値観の基本的な表現で、慈善活動が家族リーダーの存在の価値観を実践に追い込むのです。 アメリカでは、慈善活動は裕福な人々に子供と外部との接触を奨励する重要な手段とみなされています。 家族は慈善活動を通じて富の真の意味を理解し、親や先祖が行っている慈善事業に誇りを感じ、家族への更なる賛同を形成しています。 多くの後輩はこれによって先人の慈善事業を継続し、さらにはそれをより広い分野に広げました。 子孫に受け継がれるのは富の管理だけではなく、家族の慈善精神もあります。
慈善活動を通じて、家族の社会的価値も向上しました。 慈善事業への投資を通じて、ロックフェラーやカーネギーなどは自分のイメージの再構築を成し遂げただけでなく、アメリカ社会のあらゆる面で家族の影響力を高めました。 例えば、ロックフェラー家は長年ブルッキングス学会などのアメリカのトップレベルのシンクタンクを支援して、連邦政府の決定に直接影響しています。マンハッタン東区の土地を寄付することで国連本部をニューヨークに移転した話はさらに美談になりました。 国際交流では、フォード財団に代表される家族財団がアメリカ外交の先駆者となり、海外で直接または間接的にアメリカの利益を推進しています。
現在、ロックフェラー家族は第6世代に発展しています。 百年を経て、ロックフェラーの子孫たちは文化、衛生、慈善事業に積極的に参加し、大量の資金を大学に投資し、病院を運営し、社会全体で彼らの富を共有できるようにしました。 家庭の富の内部伝承に加えて、ロックフェラー家は彼らの富を使って社会に貢献し、家族の影響力を世界各地に浸透させました。
以上のことから、アメリカの慈善寄付の現代的発展の歴史を分析すると、慈善寄付は社会各界が合意を得ることができる事業であり、国、人種、宗教、文化を問わず、さらには異なる組織でも合意を得ることができ、参加者も積極的に行動します。 将来の発展には、より長期的な社会問題に対応して解決し、人類の進歩を促進するために、富の所有者と政府、司法機関、学界、新たに出現した業界協会などの様々な進歩エリートとの間に協力関係を築く必要があります。
アメリカの富豪が最初に財団を設立した寄付の動機を見ると、彼らが寄付を始めた目的は、自分たちが置かれている社会環境を変え、社会の矛盾を緩和し、さらに社会全体の環境を変え、社会の進歩を促し、教育、医療、芸術分野での寄付がより高い社会構造を示していることがわかります。 彼らの慈善活動は、すべての人の利益を最大化し、社会的矛盾を解決することです。 全体的に見ると、「いかなる慈善的動機に基づいても、慈善事業自体の目的は人類文明の福祉、幸福、文化を推進することである」。
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humancageforbirds · 4 years ago
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『NO.6』におけるディストピア性の問題―新自由主義と労働の隠蔽
2021年9月7日
一介のオタク ゆうき
あさのあつこ著『NO.6』は、2003年から2011年にわたって、講談社より刊行されたYA小説である。「ディストピア小説」と分類されるが、この形式の常に違わず、幕引きはハッピーエンドとはいえないものとなっている。では、作品内にある「救われなさ」とは何か、主人公「紫苑」の残酷さとは何か。本稿ではそれらについて、新自由主義と労働を軸にして再考する。
書誌情報
作品名    『NO.6』
著者      あさのあつこ
出版社     講談社
���出版 出版年 2003年 - 2011年(全9巻、YA!ENTERTAINMENT)
2012年(外伝『NO.6 beyond』)
文庫本 出版年 2006年- 2014年
版による異同 一部台詞の改変あり、内容異同無し
あらすじ
 合理性を至上命題とする都市「NO.6」の中枢クロノスでエリート教育を受けていた12歳の少年紫苑は、逃亡犯の少年ネズミを匿ったことで、市内の低所得層地域ロストタウンに配流される。
 16歳になり、突然の老化現象を起こす寄生バチの事件について冤罪を被るが、ネズミの助けにより貧困地区・西ブロックへと逃走する。西ブロックにて自身も寄生バチの被害に遭いかけるが生還し、以後西ブロックで生活する。市全体を覆う防御壁に阻まれ、市には戻ることが出来ないと知ったが、幼なじみの少女・沙布が当局に拉致されたことを知り、救出のため矯正施設へと向かうことを決意する。
 市が西ブロックで大量虐殺を行う「人狩り」に乗じ、市の崩壊を望むネズミと共闘して矯正施設へと向かう。その中で、市が焼き払ったネズミの故郷の森では、カミと呼ばれる存在を歌によって鎮めていたことを知る。その後、矯正施設の中枢まで到達するが、沙布はすでに脳のみの状態になっていた。矯正施設を破壊・脱出し、寄生バチへの恐怖により暴動が起きている市内へと戻る。
 寄生バチの出現していた原因はエリウリアス(=カミ)であったが、ネズミが歌うことにより鎮静化する。
 数日たち、防御壁が崩壊したあと、紫苑は都市に残って再建委員会に入り、ネズミは旅に出る。
物語の基本構図
 物語にはいくつかの基本型が存在する(図1参照)。その中で、本作品は「対立する世界に行って帰ってくる」という型に該当する。この型は、例えば古典作品においては『桃太郎』���不思議の国のアリス』『ナルニア国物語』、近年の金字塔的作品には『千と千尋の神隠し』などがあり、安定して支持されている。それぞれの世界には、しばしば拮抗する価値観や文化的基盤が共有されており、主人公は物語全体の移動を通して変化する。往々にしてこの類型で重要視されるのは、二つの世界を隔てているもの(海、穴、クローゼット、橋、壁など)の象徴性や役割であるが、本稿では障壁ではなく主人公「紫苑」の活動に注目する。
 なお、紫苑から見ると、来訪者「ネズミ」が「対立する世界から来て帰っていく」物語(『風の又三郎』と同類型)となるが、こちらも本稿で触れることはしない。ネズミの出自が複雑であり、ネズミが生育過程で影響されたものが「対立する世界」の価値観ではないためだ。
図1 物語の基本構図
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対立する世界
 『NO.6』において対立する世界とは何か。紫苑の移動に着目した場合、聖都市「NO.6」と、その囲郭の西側にある「西ブロック」となる。模式図を表すと図2の通りになる。
図2 対立する世界
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 まず各社会の特徴を要約すると、NO.6は「のっぺりとしていて不自由だが豊かな社会」であり「合理性のもとに管理されている社会」である。一方、合理性と管理を至上命題とするNO.6に対して、西ブロックではその2つを完全に排している。むしろ「混沌として貧困もあるが自由で、『生きようとするエネルギー』に満ちた社会」となっており、作中にて紫苑は「生きようとするエネルギー」に魅力を感じている。
 ユートピア=ディストピアとされるのはNO.6の方だが、ディストピア小説の常套は「ディストピア社会を鏡像にして、対立する社会を称揚する」というものである。これは冷戦リベラリズムの常套であった。[1]
 ここで、実在する国家や「イズム」に論及したため、NO.6と西ブロックにそれぞれ「主義」を当てはめる。NO.6が象徴するのは、戦前戦中の全体主義であり、冷戦時代の社会主義的な国家ないし福祉国家である。[2]対する西ブロックには、西側諸国の新自由主義的な資本主義体制が成立している。人々の職業達成や生産活動は、NO.6の場合国家による管理が、西ブロックの場合個人の自由が根底の原理となっている。
 著者あさのあつこは2011年発刊の『NO.6〔ナンバー シックス〕完全ガイド』インタビューにて「『国家という巨大なものに対して、個人が何を成し得るのか』という疑問が浮かんだんです。」と語っているが、[3]そのテーマを書くためにディストピア小説が採用されたのは、上記のような文学史的な背景があると言える。
変容するテーマ
 しかしながら、図3の通り、「国家と個人の対立」というテーマは、物語が進行するにつれて「技術と自然の対立」へと変容する。これには、紫苑とネズミの関係性の深化が作品のもう一つの主題となっており、そのネズミの出自が西ブロックではないという原因がある。ネズミはNO.6北部に位置する森林部の出身であり、「森の民」と称される先住民の生き残りである。作中では2005年にNO.6の軍隊が森林部に侵入し、先住民を虐殺するとともに森を焼き払ったことが語られるが、それを紫苑が知ることで、「NO.6=管理」という図式が、「NO.6=技術」にスライドする。また、NO.6と対比されるものも、「個人」から「自然」へと変わる。ここにおいて、「国家VS個人」という図式が、作品が展開するにつれて「技術VS自然」に置きかえられたように見えるが、本稿では「社会主義VS新自由主義」という対立は保持されると考えたい。続章にて理由を詳述する。
図3 変容するテーマ
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新自由主義的な資本主義の性質
 ここで、一度『NO.6』についての議論を離れ、新自由主義的な社会において、資本主義が我々に対してどのような自己プロデュースを行ってくるのかを検討したい。そのような社会において、資本主義は自ら市場を「自然」として表象する。ここでの自然の定義は、地球環境ではなく、管理の無い状態を指す。政府は富の再分配に対し消極的であり、福祉やインフラは民営化される(市場に委ねられる)が、新自由主義のおかげで我々はそれを「自然な状態になった」と感じるようになっている。実際には、市場も人の所産であり、自然物ではないにも関わらず、市場は「自然」なのである。
 そして、新自由主義的な社会では、その「自然」によって、労働���競争、搾取の事実は隠蔽される。『NO.6』の世界で考えると、西ブロックに暮らすイヌカシや力河からすれば、その日どのくらい銅貨を稼げるかは自己責任であり、競争や搾取はごく当たり前のものとして透明化するのである。
文学における自然と労働
 これまでは、森林などの「自然」と、管理のない状態である「自然」を分けていたが、文学はその二種類の自然が折衝する場でもる。では、文学の伝統における「自然」はどのように描かれ、どのような役割を果たしてきたのか。結論としては、労働なしで魔術的に富を生み出すものとされてきたといえるが、以下ではその論拠を展開する。
 ここでの「自然」は「緑」と言い換えられる、森林や地球環境を想定する。自然をたたえる最も古いジャンルの一つが「牧歌」である。牧歌は古代ローマの時代からあり、その長い歴史を物語るように、パストラル詩(田園詩)、エクローグ、ブコリックなど、様々な名称で呼ばれてきた。
 牧歌では田園が称揚される。田園の風景をもって、「自然」の美しさと豊かさが称えられている。先ほどの市場の例と同様、田園もまた人間の所産である以上、労働はそこに存在するのだが、希薄化されている。
 つまり、重労働であるはずの羊飼いや畑仕事に必要な労働力は、文学において矮小化されてきた。作品例をあげると、羊飼いの恋を描いた古代詩『ダフニスとクロエ』や、アニメ『アルプスの少女ハイジ』などがある。例えば『アルプスの少女ハイジ』の中では、高齢者、少女、身体障がい者、少年が主な構成員として現れ、かつのびのびと遊んでいるかのように暮らしている。主人公ハイジと暮らすおじいさんの家業は、力仕事であるはずの一次産業だが、文学では田舎における必要な労働力が矮小化されるため、そのような描写が成立してきた。
 これらのことから、文学において田園を見ながら自然をたたえるとき、自然が労働を覆い隠すと言える。結果として、田園や自然は「労働なく魔術的に富を生み出すもの」として扱われることになる。
議論の小まとめ
これまでの議論を整理すると
(1)新自由主義的な社会では、資本主義や市場=「自然」
(2)文学においては、「自然」=魔術的に富を生み出す
ということが明らかになった。上記の「自然」はそれぞれ、「管理のない状態」「森林や緑」であり、異なる定義の「自然」であるが、両者とも労働を隠蔽するという性質がある。
 紫苑は「自然」な西ブロックを「生きようとするエネルギー」に満ちているとし、感動する。それは現代の田園詩となる可能性と隣り合わせの感動でもある。「自然」を起点として考えると、現代の田園詩においては
(3)資本主義や市場=魔術的に富を生み出す、労働や競争を隠蔽する
という可能性が指摘できる。
[1] 冷戦リベラリズムとは、現在の日本やアメリカ(西側諸国)の価値観である「新自由主義」を準備したイデオロギーである。 [2] NO.6の中枢には徹底的な管理が及んでいる一方で、周縁の「ロストタウン」にはさほど厳しい統制がないことから、「社会主義的な」と表記している。 [3] あさのあつこ『NO.6〔ナンバー シックス〕完全ガイド』、講談社、2011年、p.90
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fantasybrade · 4 years ago
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目が覚めたので朝の運動的にオープンワールドについての雑記2を
前回の記事に付け足して言うべきこと何点かある
Morrowindにおけるメニュー画面…メニュー画面は本シリーズにおいて「ジャーナル」と呼ばれる ジャーナル、つまり日記だが、Morrowindにおいてジャーナルは本の体を保つという記述があった。Oblivionでも本っぽい見た目のジャーナルになっていたが、これは最新作Skyrimにはない特徴 Skyrimのジャーナルは基本的に他のゲームの「メニュー画面」と同じで、謎のUIが画面に出現し、星座を眺めてスキルポイントを割り振ったり、世界を上空からドローン視点で眺めることができる。この変更には良しと悪しがある
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良しな点として、ジャーナル機能は死ぬほど見にくい ありえん Morrowindは未プレイなのでゲームカタログに記述されている情報を鵜呑みにするなら、体裁が完全に日記(ジャーナル)なので、どのページに何の情報が描かれているかを覚えておく必要があるとのこと 論外だろう、こんなもの Oblivionでは多少改善されてはいたようだが、アイテムが五十音順に並ぶことの弊害や、マップそのものの見づらさなど上げればきりがない不具合があった。いくらなんでもオープンワールドを冒険する人間の日記をメニュー画面にするというのは無理があったのではないかと思う 
それともう一つ、「日記」という体裁はそもそもプレイヤーと相性が悪い それはプレイヤーの日記ではないため、キャラクターが抱えている自我を垣間見てしまうことになる その日記がいかに平易な文章を心がけていたとしても、日記とは殆ど主観そのものであり、プレイヤー・プレイヤーキャラクター間の距離を確実に遠ざける この方式を辞めるというのも納得がいく 誰かが書いたジャーナル(日記)より、メニュー画面の方がいい意味でゲーム的だと思う
悪しな点はもちろん見た目と雰囲気 正直これにつきる Oblivion内でメニュー画面を開くと何か物と物が擦れあったような効果音が鳴り、羊皮紙的なサムシングが画面に広がり、なんか雰囲気がある マップなどそれが顕著だ マップはなあ、紙でなければならんのだ ことタムリエルにおいては! スカイリムのマップは、誰がどう見たってGoogle Earthだ タムリエルにGoogle Earthはない!
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というまあどうでもよいことは置いておいて、次に付け足すべき点として、前回の記事は「Skyrimを前作と比較して自由度が失われているというもう何年も前にみんなで話して終わったやつ」でしかないが、しかしそれは悪いことではない(という何年も前にみんなで話して終わったやつ) という話をしたい
そもそもがSkyrimはそういう方向性なのだという話 前記事におけるパーサーナックスの台詞引用を見ても分かる通りベセスダはこの事にかなり自覚的に見える Oblivionにおいて、主人公は何者にでもなれた 何者かと何者かを並行してロールプレイすることさえできる自由さだった 何かになりたくなければならなくてよいという、それはもはや現実じゃん 
ここで着目したいのは、2作の舞台だ The elder scrollsシリーズというのは「ムンダス」というゲーム全体が表象しているここではないどこかの宇宙にある、「ニルン」という星を舞台にしたゲームシリーズで、そこには広大な大地と海が存在する 「タムリエル」という広大な大陸を中心に展開していたこのシリーズは、その規模の大きさとゲームの描画レベルを釣り合わせるため、一つ一つのゲームで描く範囲を「地域」に分けることにした
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タムリエルには「ヴァレンウッド」「エルスウェア」「ブラックマーシュ」「モロウウィンド」「スカイリム」「シロディール」みたいな感じで地域ごとに名前で区分けされており(あと何個かあった気がする)、それぞれの地方を舞台にゲームが展開する 「Oblivion」はシロディール、「Skyrim」はスカイリム といった感じ
Skyrimに比べ、Oblivionはプレイヤーキャラクターの透明さにやけに注力されている 彼だけが後のシリーズにおいてどうなったかを確認できる術がなく、後作であるSkyrimでなんとなく曖昧なヒントを与えられるだけで、確定的な証拠はない。彼は最後まで何者でもなく、何の血も引いておらず、何の神でもない これは昔のJRPGなどではあまりなかった設定であると思われる 彼はどうがんばっても「何か先天的に特殊な存在」にはなれない(それも一種の不自由か?)
「Morrowind」の主人公はメインクエストのプレイ中に自身が神であることに気づくことになり、「Skyrim」の主人公は序盤からドラゴンの力を持った勇者であると気づくことになる Skyrimの主人公ドヴァキンはめちゃくちゃ「主人公」している 
少々前回の記事と内容が被ってしまった。ようはSkyrimの主人公とOblivionの主人公がキャラクターとして抱えている濃度の差の話だ 以下に改めて書く
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・Oblivionの主人公…囚人。メインクエストを終え、シロディールの勇者と呼ばれることとなる。しかし皇帝の血は途絶え、世に混乱が訪れることとなった。DLCシナリオをクリアすることで、狂気のデイドラ王シェオゴラスを倒し、シェオゴラスのもう一つの人格ジャガラグに「そう…お前という人間…人間…?王…いや、神…うーん…あー…、さらばだ…シェオゴラスよ…」みたいなわけのわからん事を言われる(曖昧さここに極まるといった台詞だ デイドラの王はそもそも不死であるし、第4紀に現れるシェオゴラスは何故か未だグレイマーチに悩まされている そもそも何を持ってシェオゴラスをシェオゴラスたらしめているのかというような問題になりかねない危うい台詞でもある)
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・Skyrimの主人公…冤罪で帝国に処刑される直前であったが、神話・伝説の存在とされていた「ドラゴン」の襲来に乗じて刑を免れる。自身が「声の力」を持ち、ドラゴンを殺しうる者「ドラゴンボーン」であると知り、悪のドラゴン「アルドゥイン」を倒すためあれこれした後、ソブンガルデという異世界でかつて神話の時代にドラゴンを滅ぼした勇者たちと共にアルドゥインを倒すことに成功する。付け加えて、彼は神話の時代の壁画に書き残されていた「アルドゥインが再び現れる時、最後のドラゴンボーンが現れる」という感じの記述に従うならば最後のドラゴンボーンであり、本編終了後のDLCクエスト「Dragonborn」にて、「最初のドラゴンボーン」と戦うこととなる
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(最初のドラゴンボーン・ミラーク。彼の設定もまた面白い)
おかしいだろ Skyrimの主人公、主人公すぎる そんなことある?これに更に付け加えて言うならば、Skyrimの主人公がアルドゥインを倒すために使う特殊なアーティファクト「星霜の書」は、無理に読もうとすると目が焼け死ぬという人智を遥かに超えた宝具的サムシングで、原文では「Elder scroll」である う、嘘やろ?これもう、お前が主人公じゃん シリーズタイトルを回収するな TESシリーズの主人公のクセにタイトル回収するんじゃあないよ
Oblivionがありとあらゆるところで明示的な言及を避け続けているのに対して、Skyrimはとんでもないほどにドヴァキンに物語が付随している 
めちゃくちゃ前説が長くなってしまった。この、なんというべきか、主人公度の差というべきか、プレイヤーキャラクターとしての透明度の違いは、誤解を恐れずに言うなら「土地柄」が出ているような気がする という話だ
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Oblivionの舞台であるシロディールは、タムリエルの中心に位置し、帝国が支配する四季あふれる豊かな土地だ 高低差のない広い平野が広がっていて、そこに様々な植物があり、人が住み、生きているという感じの… 時間軸としては、皇帝が何世代にも渡って守り続けてきたオブリビオン(魔界的な何か)へ通じる扉が開かれる直前に始まる物語でもある 
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Skyrimの舞台であるスカイリムは、タムリエル北部に位置する雪国地域で、そこには「冬」しかない 山は険しく、生活に困窮する村もある 時間軸としては、帝国軍と反乱軍の争いに決着が付いた直後、伝説として語られていた「ドラゴン」が現れる直前から始まる物語だ(因みに、この”山”はオープンワールドとして問題を孕んでいるという意見が友人から何度か出たことがある 山によってマップが区分けされているせいで、物理的にシームレスな移動が可能なオープンワールドであるにも関わらず”シームレスではない”という意見だ わからないこともない そういう土地だから仕方ない気もする)
ここに、地域性、土地柄がある。雪に覆われた地というのはそれ自体が持つ物語性を有していて、彼らは「スカイリムの子ら」という自意識を持っていて、一人ひとりがそういった物語を濃淡様々に抱えている。そして何より「ドラゴン���は古来よりRPGの世界が驚異として描いてきた最強の物語だ Oblivionに出てくる敵はまあ適当に言えば悪魔みたいな感じで、神話的な意味合いを持っているといえるが、神話は現実との距離が遠い。RPGの世界において、神話より「伝説」の方が聞き馴染みがあり慣れ親しんできたという感覚、わかるだろうか つまり、シロディールの平坦な大地へ赴き冒険する主人公に対して、スカイリムの子を自称する雪国の冒険者は、抱えている物語が大きくて当たり前なのだ(これはちょっと日本人の感覚すぎる話だろうか)
Oblivion、Skyrim共にどんな種族の誰にでもなれるわけだが、どちらも「一般的に選ばれる”人間”に最も近い種族」というのがある Oblivionでは「インペリアル」という、帝国の人間であり、彼らはメチャクチャ普通の人間の見た目をしている 対してSkyrimを起動しだれもが最初に選ぶことになる種族は「ノルド」と呼ばれる、筋肉質で髭を蓄えたたくましい雪の男である
「ノルド」はスカイリム地方に住む多くの人間の事を指す。彼らノルドには種族としての物語がとても色濃く残っている。ノルドとして生まれた者は北の大地を踏みしめ生き、膝に矢を受けて死ぬ。死することで「ソブンガルデ」と呼ばれるノルド専用の天国に行くことができるという信仰があり、これって実在していて…ソブンガルデは実在する。ノルド達は口々にこの世界の名前を叫ぶ。「勝利か、ソブンガルデかだ!」彼らは他の種族と全く違う価値観の元に生きている。根本的に死への恐れの種類が違う。恐れを知らず生き、恐れを知らず逝った。更に彼らの信仰する神「タロス」は、かつて「タイバー・セプティム」というタムリエル全土を支配した最上の皇帝であり、伝承ではノルドとされている。インペリアルが創り上げた八太神信仰を、ノルドは九太神信仰へと変えた
Skyrimのラスボス戦の舞台はソブンガルデであり、プレイヤーがノルドではない、例えばアルゴニアンやカジートである場合、特別にソブンガルデに入れてもらえることになる。が、なんだかとっても変な感じがする 例えば君がエルフとしてソブンガルデに招待されたとしよう。生粋のエルフRPをしている君は、そもそもショールを悪魔とする思想を持っているはずで、ソブンガルデに赴くことそれ自体宗教的にマズいのではと悩む羽目になる…だが、大方のプレイヤーがエルフ系の種族を選ぶのは決まって2周目3周目だ。何故なら、トレイラーを見てスカイリムへの冒険に憧れ購入したプレイヤーはもはやその時点でノルドであり、ドラゴンを打ち倒すノルドの勇者になるべくしてゲームを起動しているのだから
1周目��早速ダークエルフプレイなどをしている多くの異端プレイヤーにマイノリティ宣言をして本当に申し訳ないと思っているが、実際そうだ スカイリムといえばノルド ノルドといえばソブンガルデ、ソブンガルデといえばタロス これはもう否定しようがない このように、Skyrimはその地方を選んだ時点で、物語を有してしまっている。The elder scrollsシリーズが描いたのは世界であり、神話であり、そして人であり、人にとって物語は隣人であり、友人であり、恋人でもあり、子であり親である
ようはSkyrimの主人公は主人公になるべくして産まれた主人公だ ラスト・ドラゴンボーン 勇者
ここにまだ更に付け加えて言おう スカイリムにおける独自システムでもありこのゲームの要となる、ドラゴンボーンの特殊な力「シャウト」は、ドラゴンを殺すことでその力を蓄え、スカイリムの各地の遺跡でドラゴン文字を解読することによりその種類を増やすスキルだ シャウトを扱える人間は少なく、元を辿るとシャウトはドラゴンの力でもある。ドラゴンはシャウト…つまり「声」を力に変える生き物だ
この、「声/シャウト」というのがそもそも生き物が持つあまりに身近な力だ 歓喜するとき、驚愕するとき、悲嘆するとき、皆叫ぶ その「叫び」に物理的な力を齎すというフィクションは、なんなら「魔法」なんかよりよっぽど物語している。 スカイリムをまっとうにプレイした君なら、シャウトでドラゴンを従え、シャウトで空を晴らし、シャウトで敵を吹き飛ばすことが可能なはず
こんなに長く語ればもう分かるだろう The elder scrollsシリーズが5作目を迎えた10年前、Skyrimをその舞台とすると決めたその瞬間から、ドヴァーキンは主人公だった Oblivionに対し方向性を変えるのは当たり前だ 日本でTESシリーズの知名度が爆上がりしたのは間違いなくSkyrimの功績だが、それはオープンワールドゲームとしての完成度が高かったからとか、日本人にまだ馴染みやすいゲームシステムだったからだとか、そういうことではない、敵がドラゴンであり、お前がドヴァーキンになれるからこそ、日本人にもバカ受けした ロトの勇者や、ソルジャークラス1stになっていた君は、ドヴァーキンにもなれた
https://www.youtube.com/watch?v=qJnnPh44Rlo&has_verified=1&ab_channel=BethesdaSoftworks
見ろこのクソ地味なトレイラーを 盛り上がりもクソもない なんかよくわからんポリゴンの世界があって、なんかよくわからん人がいて、なんかよくわからんまま終わる!このゲームの主人公が主人公であるわけがない しかしそれ故にあなたは何にでもなれた
https://www.youtube.com/watch?v=JSRtYpNRoN0&has_verified=1&ab_channel=BethesdaSoftworks
なんだこのトレイラーは、俺はノルドなのか 俺はノルドだ スカイリムの子だ 俺はかつて小学生の時に読んだドラゴンスレイヤーアカデミーを思い出す ドラゴンを殺し世界を救うため、この世に産まれたという使命をうっかり思い出してしまう 雪…雪!雪だ 雪は白いから好きだ 叫びを上げドラゴンを殺しドラゴンの力を奪う しかしそれ故にあなたはドラゴンボーンにしかなれない お前がアルゴニアンであろうとハイエルフであろうと関係ない お前はドラゴンボーンだ ひとたびお前がドラゴンを殺せば、その魂を吸収してしまうだろう それは確定事実だ 2011年の11月11日からお前はドラゴンボーンだった
まとめると、OblivionとSkyrimは同じく広い世界を自由に探検できるゲームであるという前提の元、物語とプレイヤーの距離感を変えることでゲームの目指す方向性を分けている。別にどちらのゲームも、メインクエストをやってもやらなくてもいいし、何をしてもいいのは事実として、物理的にそうだ ただ、オープンワールドでありノンリニアを名乗るゲームにおけるメインクエストというのは、「やってもやらなくてもいい」という事実に関係なく、ゲームの自由度に縛りをかける。最近のIGNの記事にもあったが、オープンワールドと物語は決定的な矛盾を孕んでいる あなたはドラゴンが世界を滅ぼそうとしている時になんの目的もなくパンを盗んだりできるが、「可能」であれば「自由」であるわけではないだろう それとこれとは話が別だ メインのストーリーに背を向けることができるかどうかは、そのストーリーが持つ主人公との関係性によってプレイヤーに大きく委ねられる。倫理観や使命感のRPとのズレ。ゲームにそんなものは必要ないと言うならテトリスでもやってろハゲ 
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(テトリスおもしろいよね)
Oblivionは限りなく主人公を透明にすることで、シロディールというファンタジー世界の地域を限りなく自由に探検することができる。それも、何者として探検するか、というところに至るまでの自由だ 暗殺者にも、戦士にも、魔法使いにもなれる なったら、何がしたい? 
Skyrimは主人公を極度に不透明にすることで、スカイリムの子として雪の国を救う勇者「ドラゴンボーン」になれる。これはめちゃくちゃJRPGっぽいが、それはそれとして、世界を救わない選択も可能だし、世界を救った後にのんびり観光してもいい。暗殺者にも、戦士にも、魔法使いにもなれる。が、君はドラゴンボーンであり、この世界が好きだからこそ、世界を救う。
ようはプレイヤーとプレイヤーキャラクターの距離の違いでもある プレイヤーはこの世にいくらでもいて、それぞれがたくさんの人生の合間にこの世界に顔を覗かせる。その時あなたが、あなたとして世界を冒険したいのか、誰かに自己を投影して冒険したいのか、というのは好みによるところだろう(一応言っておくが、Oblivionでも真剣にメインクエストに向き合い皇帝にアミュレットを託された人間としてシロディールを救う勇者になりきることもできるし、Skyrimでメインクエストを放置して一介の凡人として何者かになろうとすることも全然できる ようはゲームが持つ雰囲気が、どういったゲームプレイをオススメしてくるのかというかなり曖昧な話だ、これは)
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(これはニコニコ大百科のドラゴンボーンの記事の項目の一つ ここの記述はものすごく良くて、Skyrimの主人公も”フリーダム”だ ただ、この通りのゲームプレイをしていると、こういった「おかしさ」「面白さ」が発生してしまうというのは誰でも理解できよう)
どちらも稀代の名作であり、本当に面白く本当に良いゲームだ どっちも好き Oblivionの自由は真に現実が自由であるということを思い起こさせる良さがある 緑あふれるシロディールの地は綺麗で、あの時代のポリゴンは私が最もノスタルジックになれる Skyrimの雪は高知に住む私の雪への憧れを刺激する ドラゴンボーンとなってアルドゥインを倒すメインクエストは、盛り上がりに欠けるところはままあるが、そもそも物語が持つ熱量が濃くて良い
続くThe elder scrolls:Ⅵはどちらの方向に傾くのか、どっちでもいいが、スカイリムで「誰か」になるのを十分楽しみ満足した節があるので、次はOblivionの方向性だと嬉しいな 何より、Skyrimの方向性のゲームは世に溢れている そうだ そもそもその話をしようとこういった記事群を書き始めたんだった うっかり好きなゲームを語るだけの記事になってしまった
余談ではあるが、ここで気になるのは「Oblivion」というタイトルだ シリーズのタイトルを並べてみると「Arena」「Daggerfall」「Morrowind」「Oblivion」「Skyrim」となるが、この内、Arenaは大陸全土の揶揄表現で、Daggerfallは都市の名で、Morrowind、Skyrimは地域の名だ しかしOblivionという名前はそもそも異界の呼称で、ムンダス(宇宙)を覆うように存在するデイドラの住まう魔界のことだ 素直にシロディールをタイトルに起用していない理由などがどこかに記載されているかはわからない(ここまで読んで何度もあなた方が訝しんだ通り、これらの記事はまともな調査も行わず適当を並べ立てているだけでなんの論理性もない雑文だということは改めて説明するまでもない) Oblivionというのはそもそも英語で「忘却」や「無意識」という言葉だ 造語でないタイトルはArenaとOblivionだけで、果たして何か面白い意味をこじつけることはできないかとうんうんうなってみたが、うーん無理そう
以前の記事で「ダークソウル」と「GTA」について語るという旨のメモを残したが、「GTA」に関してはそもそもプレイするモチベーションがないのでやめる ダクソは実はもう買ってあり、難易度にへこたれてプレイしきれていないだけなので、今度時間を取ってクリアした後、書く 他にも、以前書いたような「メタルギアソリッド2とボクと魔王」の話を改めて書きたい まあこれらは一旦置いておいて、次は「魔女と百騎兵」の話をする 現在は仕事に追われていて(まんがタイムきららMAXにて連載中の「ぬるめた」という私の漫画の1巻が2021年1月27日、つまり明日発売だ そして来年4月からは、ぬるめたと同時進行で「青騎士」という角川の新雑誌にて全く別の漫画を開始する予定でもある)ゲームがプレイできていないため、「ガレリアの地下迷宮と魔女ノ旅団」をプレイしていない 
これを近いうちプレイした後、この「魔女」のシリーズについてメモを残す 今までも何度かしたことがあるような気もするが、「魔女」のシリーズが行った「プレイヤーとプレイヤーキャラクターの距離感」の取り方は完全に今までで類を見ない全く新しい奇抜な発想であり、面白すぎる SkyrimやOblivionにおけるプレイヤーとプレイヤーキャラクターの距離感についての話、物語とプレイヤーの距離の話、こういった話で我々が常に無視し続けている問題がある。それは、「Oblivionをプレイしたプレイヤーの中には、”後に”Skyrimをプレイするプレイヤーもいれば、しないプレイヤーもいるし、”以前”Morrowindをプレイしたことがある人もいれば、したことのないプレイヤーもいるし、”先に”Skyrim”をプレイしてからOblivionをプレイし始めた人もいれば、そうではないプレイヤーもいる」という、かなり「えッそんなの考慮するわけないじゃん」問題である。そう、プレイヤーはゲームのシリーズをプレイする時、そのゲームがシリーズ最初にプレイしたゲームではない可能性があるのだ しかも、これまでにプレイしてきたシリーズの順番さえ、わからないのだ もしあなたがOblivionをプレイしたことがあって、Skyrimをこれからプレイしようとするとある若者であったとしよう、なぜ、Skyrimの主人公はOblivionの記憶を持っていないんだ?Skyrimの主人公はあなたなのに? という、どうしようもない問題が立ちはだかっていたのだ これはTESシリーズにおいても無視されている問題だ、プレイヤーの持つシリーズ世界の記憶。ようはどうしようもなさすぎるが故に誰も目を向けていない問題だったのだ
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だが、「魔女」シリーズはそこに解答を出している…というメチャクチャ面白い話です おわり つかれた
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totonoi-2002 · 5 years ago
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2020/06/28
表象と誠実、消費の雑記
4年前、マ〜ジで好きなオタクと出会った。当時そのオタクの作品を毎晩舐めるように眺めたし読んだし、とりわけ気に入ってる小説作品の冒頭数十節はいまだに暗唱できる。fundoshipartyはマジで気持ち悪いと思う。
私が差別について詳しく調べ始めたのはその頃で、言うまでもなくそのオタクがきっかけだった。氏は普段から社会における差別問題や政治について積極的に意見するタイプのオタクで、当時の私には氏から発信される情報のすべてが新鮮だったし刺激的だった。とくに歴史的な背景が多く関わる問題については懇切丁寧に扱った上で意見していた。
氏の作品にナチスのユダヤ人大量虐殺に関するタイトルがついたことがあったけれど、彼女はそのタイトルを自作に用いることについて丁寧かつ誠実に説明し、歴史的背景を重んじつつリスペクトしたのだということを示した。作品は言わずもがな素晴らしかったし冒頭をそらんじられるのもこの作品だけれど、わたしは何よりデリケートな歴史的モチーフを扱うことに対する氏の姿勢に感銘を受けた。当時は漠然とはあ〜すげえなあ と思ったわけだけれど今思うと一層誠実さが染み入るような感じがする。素人の創作者ですらこの意識の高さである。そう、そう、ここまではプロメアについて話すまでの悠長な導入だったってわけ!
ツイートで定期的にこぼしている通りだけれど、fundoshipartyは最終的に“プロメアのことを超好きでいながらその一部についてはかなり批判的”というポジションに至った。
初見で差別描写のキツさに泣きつつもリオくんのことが好きすぎてたぶん20回 (4dx含む) は通った熱心なトリガーのオタク、高校生の財力にしては尋常ではないレベルでプロメアにお金を落としてきた。熱心に通った夏-秋頃は145円税込12個入りの蒟蒻ゼリーのみで1週間の昼食をまかない、浮いた野口英世を握りしめながら放課後ダッシュでプロメアを浴びに行くという生活だった。正直めちゃくちゃ楽しかったな 飯を減らせばたちまちリオくんを浴びられるので... てか高校生映画1000円なん最高すぎや 一生高校生でいたいぜ
プロメアのクッソ好きな要素やいい思い出もろもろはここでは割愛するとして、批判的要素についてのみ書いていこうと思う。
プロメア製作陣の差別への認識の甘さは本編だけにとどまらず、前日譚やイベント、情報雑誌のインタビュー回答など幅広いポイントで露呈されている。本編公開直後に散見された本編の差別描写に関する批判ツイートや長文ふせったーのことをしっかりと思い出せる。割と早い段階で批判的な意見が出ていたにもかかわらず、公式がその後の露出でそれらに関する誠実な回答や意見を述べなかったことはかなり悲しいなと思っている。これはマジ。ピザはチームの食べ物!とかそれどころじゃねえからな それどころじゃないのですわ (お嬢様口調がブーム しつこいぜ)
ピンクの三角形はピンクトライアングルだし、クレイ・フォーサイトはきっとヒトラーで、彼によって行われたバーニッシュへの残虐な行為はナチスのホロコーストと簡単に重ねることができてしまう。極めつけのプロメテックポッドは誰がどう見てもガス室だよね。プロメアの世界ではマイノリティ差別、人種差別に関するデリケートな歴史的モチーフが数々登場するし、その上で強烈な差別が描かれている。本当にそれらはデリケートなのだ、デリケートだしそれぞれにはかりしれないほど命の重みがある。それらを作品に用いるというこ���は、製作陣には作中の差別問題を正しい方向へと着地させ、観客を啓蒙する義務 とまではいかなくてもそれ相応の意識やアップデートされた認識、誠実さが強く求められるだろうと思う。プロメアにはそういった姿勢が著しく欠けていたし、観客の批判をもってその欠陥を顧みることもなかった。ああ〜 つらいね
僕たちは誇り高いバーニッシュだ、それがバーニッシュの誇りだ、炎は僕らの一部だ、というリオくんのセリフからわかるように (描き方の問題だとは思うけど シーマのような人もいるしバーニッシュの総意ではなくとも、リオくんに導かれていた) バーニッシュ達にとってバーニッシュの炎や自身がバーニッシュであるということは誇りかつアイデンティティだったのだ。炎の本能的な衝動が聞こえて、それを叶えて燃やし尽くすことに使命感と誇りを持っている。これが彼らのアイデンティティでなくて、バーニッシュ・プライドでなくてなんというのか、という感じの描き方だ。(というか途中から思い出したようにバーニッシュをマイノリティとして扱うような文脈になっている気がしてならん マジでその辺適当だしいい加減なんだろうな....)
ここまでマイノリティ差別文脈のお膳立てをしておいて、結局プロメアは宇宙人だのバーニッシュ差別の首謀者であるクレイも実はバーニッシュだっただの (これはきっとホモフォビアを内面化する同性愛者のメタファーだと思う ここまでそういった文脈や要素が散りばめられているのだからこれは過ぎた思い込みなどではない) (てか被差別側マイノリティの属性を差別側にも与えて結局マイノリティ同士で踏んだり蹴ったりしてただけみたいな構図になってるのが最悪なんじゃ) 、挙げ句の果てにはプロメアという宇宙人は元の宇宙に帰ったのでバーニッシュという人種は消えました!というオチ、本編後のインタビューでバーニッシュはマイノリティの象徴ではないだのあれは感染症だの、やばいでしょ やばいんですよ どこがやばいかわかんない人はこれはやばいんだという認識からスタートして歴史を辿って照らし合わせて欲しい。やばいんや。
本編前日譚にあたるリオ編については、作中マイノリティが作中マイノリティに自身らが差別されるのには理由があるのだという旨の説教をするシーンがある。私はこれが本当にプロメア屈指の最悪なシーンだと思っている。差別というのは加害側の都合によって行われるものなので、被差別側に原因も理由もあるわけがないのだ。被差別側に差別が起こる理由を見出そうとしている時点でこのシーンは完全にマジョリティ視点、マジョリティ本位でしか描かれていない。(というかマイノリティに加害性のある属性を持たせ差別を正当化しようとする時点でもう設定が破綻している そもそも差別を描く前に設定が破綻しているんですよ) マイノリティ差別を描くにあたって、脚本家がマイノリティに一切寄り添わずあくまでマジョリティの立場で作中マイノリティの彼の台詞を書いた、しかも内容は見当違いという、本当に....本当に......これが割とまじで一番許せん.................
同性愛を病気扱いすることはいまやようやくタブーとなっている。現実のセクシュアルマイノリティ差別とからめたプロメア批判意見へのカウンターとしてバーニッシュという属性と同性愛を一緒くたにするのは違うでしょ、という声もかなり散見されたと思う。そうだよ 序盤で示された要素のままであれば違うはずなんですよ、でも脚本は途中からバーニッシュのことを、あらゆるモチーフやキーワードを用いてれっきとしたマイノリティなのだという文脈で扱ったのだから同列に語るしかなくなる。となるとラストのバーニッシュ消滅はマジョリティによる同化肯定以外の何ものでもないし、感染症呼ばわりなんざもってのほかというわけである。不誠実の一言に尽きる、と思う。あまりにもいい加減で中途半端で、現実のあらゆる差別をあまりに軽んじすぎているし、それらを都合よく作品のアクセサリーにしたのは本当によくないのだ。誰がなんと言おうと擁護のしようがないことをしでかしている。
他にもハァ?!みたいなセリフや描写は細々とあるけれど、何よりも危険なのはここまで述べた、本編に一貫した製作陣のマイノリティ差別への意識の低さだ。プロメアのようにハイセンスな映像と音楽が矢継ぎ早に脳に流れこむような中毒性のある作品において、上記のような描写がなんでもない顔でのさばっているのはマジで危ない。差別の再生産を促しているも同然だし、繰り返し消費するうちこういった描写に対する観客たちの危機意識もきっと麻痺していくのだろう。それが本当に恐ろしいと思う。
わたしたちはいかなる差別も決して許してはならないはずなのに、表現の自由だとか多様性だとか、そういった言葉を都合よく盾にしている人達によって社会全体が差別的な声に寛容になっていく気がする。本当に怖いよ〜
拙い差別描写も熱心な批評によって次の学びに繋いでゆけるのならそれだけで十分に価値があるだろうと思うのに、オタクの多くは作品の批判をするくらいなら見るのやめれば?みたいなのばかりで話にならないし、本当につまんねーなと思う。作品を愛しながら許せない部分を批判する、というのは何の矛盾もなく両立するのだ。プロメアだってファンや製作陣が批評を正面から受け止めて意識を変えてゆけたらもっともっと意味のあるものになったんじゃないのかなと思うけれど、でもそんな高度な消費のしかたを、作品や製作陣を手放しに神格化しがちな日本のオタク界隈に求めることは厳しいんだろうなという諦念じみた感情にもなる。というか自分たちオタクには基本的に“消費”することしかできないので、その消費に内包される自身の暴力性、差別意識や搾取について常に向き合い内省し続けなければならないのだ。
プロメアの話はここで終わろうと思う、なんだかんだ言って
私はプロメアが好きだし二次創作も時々見るし、自分で漫画を描くこともある。ただ作中マイノリティのキャラクターの表象を借りるにあたって、作品への評価をうやむやにはしたくないという気持ちがものすごく有り、こうして自分で指差し確認をするように、定期的に意見をまとめているのだろうな。てかリオくんまじでかわいいよね。
トリガー作品はキルラキルとインフェルノコップ、ガイナはパンストとフリクリが好き 見てね
(追記8/2
プロメアのオチが「バーニッシュ消えたから差別もなくなるね!やったー!」だとは別に思ってないし、ガロの「俺が消してやる、お前らに降りかかる火の粉も全部」てセリフからプロメポリスではこの先も差別が続いていくだろうことは普通に 十分に読み取れるけれど、プロメアの差別に関する批判は別にそこを無視してるわけじゃないしそれも込みというか もっと根本的なところから指摘されているということをわかってない人がとても多くてあーそうですかあ...となる。『その人をその人であると認める』ことを作中通して描きたかったのはとてもわかるしそういう意図を示唆するセリフが本編にいくつもあることもちゃんと読み取ってる。個人を尊重するという視点において、プロメアにジェンダーバイアスのかかった描写が少ないことはかなり好感が持てるし、そういった配慮をしようとした痕跡はある。私はこういう部分についてはかなり好きだな〜て思ってる!
でもプロメアの問題点って製作陣のそういうポジティブな意図から結構遠いところにあるので、差別に関する批判とこういったポジティブな要素を引き合いに出した擁護の内容っていつも噛み合ってないよなあとおもってます。
“差別”はあくまで主題でなくプロメアを構成する一側面でしかないと言うのなら、なおさら深刻な問題だと思う。というのは、再三言うけどプロメアには差別に関する史実モチーフが数々登場するし、差別を取り扱う作品に似通った要素も多く見受けられる。しまいには中島さんがX-MENについて言及しているというのもあり、差別というテーマについては制作段階からかなり積極的だったのだろうなということはなんとなくわかります。インタビューでも差別というテーマを出したのは僕です、という発言があったし、彼の他作品にもそういうテーマを積極的に扱ったものって多い。
映像に用いられるデリケートな史実モチーフと脚本の意識レベルとの相性が最悪だった、というのが批判が起こったことについての簡潔な状況説明です。映像にあるモチーフについて中島さんは関わってないのに脚本が叩かれてかわいそう、みたいな意見を見たことがあるのだけど、でも熱心なファンでもない一観客が、わざわざ映像の要素と脚本の要素を切り離して作品を解釈しようなんて思わないでしょう。両方かけ合わさって初めてその作品の意図や表現が成り立つわけだし、それは当たり前のことだよね。“プロメア”の話をしているので。
だからリンカーン記念堂やピンクトライアングル、ナチスのガス室やゲシュタポを彷彿とさせるプロメテックエンジンやフリーズフォース、バーニングレスキューのシンボルとして用いられる拳 (バーニッシュを弾圧する側の組織にこのモチーフが使われるの、最悪..... 公式設定でバーニングレスキューは“中立”とかふざけたことを言うのほんとやめてとおもう 差別社会に中立とかいう舐めたポジションは存在しないから) 等々、差別に関するデリケートなモチーフを積極的に登場させたにも関わらず作中マイノリティ (マジョリティ・マイノリティというのはあえて区別されるものではなく、不均衡な社会構造の産物として自然と発生するものです) から「誇りだ」とまで言わせたアイデンティティ要素を剥奪したことが本当に本当に本当によくないよ、という話です。そういうモチーフを使って差別をやっていく気だったのなら、作中の差別問題を正しい方向に着地させることはほとんど義務のようなものだ。そうじゃないと歴史に対してあまりに不誠実だし、クリエイターとしてモチーフのバックグラウンドを尊重できないのはどうなの?という話になってくる (実際なっているわけですが....) 。
先述したモチーフには過去の凄惨な人種差別によって奪われた多くの命の重みが刻まれているわけで、そういう重要なモチーフを登場させたくせに作中の差別問題を丁寧に扱えなかったこと、あるいは社会派エンタメの顔をしたいがためにそういった要素をファッション扱い (それこそ作品の一側面としてしか扱ってない) しかできなかった製作陣全体の差別への意識の低さ・不誠実さに対して批判が起こってるんですよね。さらに言えばフェブリでの「バーニッシュは感染症のようなもの」という言及もそうで、ここまで読んだ上で普通に文章を読解できる人ならこの発言の問題点がわかると思うけど、わからない国語残念人は....ごめん.......この機会に人種差別の歴史について勉強して1000000000%無駄にならない知識だから......
だからこういった製作陣の差別に対する意識レベルについてと、『その人がその人であると認める』という作品のポジティブなメッセージについては全然別の話です。わかる!?別の話なのにプロメアの差別批判のカウンターとしてプロメア・ポジティブ・メッセージの方が顔を出すことが多いなあとおもうの.... 普通に噛み合ってないです。それはそれ、これはこれて感じ。
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kennak · 1 year ago
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能登半島地震では、原発防災の限界が鮮明になった。道路や建物の損壊が激しく、避難や屋内退避をしようにも無理があると突きつけられた。現実逃避するのが、原子力規制委員会。住民防護の基本方針を記す「原子力災害対策指針」を巡り、山中伸介委員長は「見直しを考えず」と述べた。これでは汚染が拡散した際、住民らが被ばくしかねない。思考停止を正す術(すべ)を探った。(西田直晃、安藤恭子) ◆「原発を動かすべきではない」要請書 北陸電力の志賀原発。右奥は志賀町=1月19日  「地震と原発事故が複合すれば、お手上げの状態になるのは明らか。どうして指針を見直さないのか」  「北陸電力と共に脱原発をすすめる株主の会」の中垣たか子さん(73)=金沢市=は憤りを隠さない。今回の惨状を考慮すれば原子力災害対策指針が定める屋内退避や避難は困難とし、1月末に原子力規制委員会宛てに「各地の原発を動かすべきではない」と求める要請書を提出した。  中垣さんが問題視する指針は、原子力規制委が原子力災害対策特別措置法に基づいて策定する。事故の際に住民を防護するため、各自治体がつくる防災計画のよりどころになる。 ◆陸海空の避難路は途絶、屋内避難も難しく 地震発生から1カ月近く経っても残る道路のひび割れ=1月29日、石川県穴水町で  指針によれば、原発に異変が生じた際には原則、原発5キロ圏の住民は避難となる一方、その外側は屋内退避でしのぎ、空間線量が一定水準に達したら避難に移行すると定める。  ただ今回の被災地では道路網が寸断され、地盤の隆起や地割れで海路や空路も断たれた。建物の被害も著しく、石川県によると、5日時点の判明分で5万2000棟余りの住宅が損壊した。 ◆「指針そのものの話ではない」と微修正どまり  避難や屋内退避をしようにも無理がある現実。中垣さんは「能登半島地震を自然の警告と受け止める契機にするべきだ」と訴える。  ところが、原子力規制委の山中伸介委員長は1月31日の会見で「原子力災害対策指針そのものを見直さないといけないとは考えていない」と語り、微修正にとどめる考えを表明した。  一体、なぜなのか。 原子力災害対策指針の見直しについて説明する原子力規制委員会の山中伸介委員長=1月17日  山中氏は1月17日の会見で「能登半島地震の状況を踏まえると、現在の原災指針で対応が不十分であったかというと、それはそうではない」と持論を展開。同31日の会見では「自然災害に対する防災については見直さなければいけないところはあろうかと思いますが、原災指針そのものの話ではない」と述べた。 ◆見直せば原発を動かせなくなるからでは  「自然災害による被害は守備範囲外」と言わんばかりだが、指針が今のままだと何が起こりうるのか。  ジャーナリストの政野淳子氏は「原発事故が発生しても現地は対応しようがない。道路が寸断されれば逃げられないし、家屋が倒壊すればそのまま被ばくしてしまう」と危機感を募らせる。それでも国が指針を見直さない点について「本気で見直せば、各自治体は実現可能な防災計画をつくれず、原発を動かせなくなるからでは」とみる。  不可解さは他にもある。  山中委員長は微修正のポイントに「屋内退避の開始時期・期間」を挙げたが、この見直しを検討するのは、東北電力女川原発(宮城県)の周辺自治体から要望があったためだという。だが、山中氏は会見で「他の自治体など関係者の意見を聞くことはあるか」と質問されても「まずは規制委の中で議論して進め方を考える」との回答。自治体との意見交換を二の次にする姿勢が浮き彫りになった。 ◆現実的な対策を求める首長の声も  政野氏は「規制委は運用の改善レベルで体裁を繕おうとしている。被災地の現状があまりにも無視され、これほど、ばかばかしい話はない」と語気を強めた。 原発の再稼働に慎重姿勢を示す稲岡健太郎町長=2月2日  物議を醸す原子力災害対策指針。その軸となる住民避難や屋内退避を巡り、自治体からは今回の地震後、現実に即した見直しが必要とする声が出始めている。  北陸電力志賀原発が立地する石川県志賀町の稲岡健太郎町長は本紙の取材に、県などによる避難訓練に言及。「海にも空にも逃げられない」と述べた。  東京電力柏崎刈羽原発を抱える新潟県の花角英世知事も1月24日の会見で家屋の倒壊を踏まえ、「物理的に屋内退避できない」と発言。「現実的な避難」に向けた議論を求めた。 ◆国への追従姿勢が目立つ石川県  原発被災を研究テーマとする茨城大の蓮井誠一郎教授(国際政治学)は「道路は寸断し、待機する自宅も放射能を防げるだけの気密性はない。今回の地震で安全な避難が成り立たないことが明らかになる中で、立地自治体が地域で得た知見を基に声を上げることは大切だ」と受け止める。  指針の問題を可視化する自治体の声。国を動かす力にもなり得る。より重みを持つのが石川県の対応だ。志賀町同様、被災した原発立地自治体。注目度は高く、影響力も少なくない。  ただ、谷本正憲前知事時代に起きた2011年の東日本大震災以降、国への追従姿勢が目立ち、後手に回った印象が否めない。  「原発有事対応 鈍い石川『国検証待つ』」。11年6月、北陸中日新聞がそう報じた。他の立地府県が災害対応の見直しを始めたのに、県が「国が福島の事故の全容を把握していない」(谷本知事)などとして庁内の部会を開かない状況を問題視した。 ◆空港や港が使えなくなる想定は「極端」と否定 道路をふさいだ倒壊家屋の撤去作業  11年11月には国が防災対策の重点地域を原発の8〜10キロ圏から約30キロ圏に拡大することで合意した。広範な汚染に備えることになった一方、石川県内では能登半島北側にある奥能登の孤立化が懸念された。奥能登の大半は30キロ圏外だが、その内側が通行止めになった場合、陸路が遮断される恐れがあるとされた。  ところが谷本知事は12年2月の会見で、放射能汚染の範囲について「30キロ圏外は危なくない」と自前の解釈を表明。奥能登への物資が途絶えた際の対応は「飛行機、船舶を使い、生活用品を投入すればいい。それだけのインフラを政府が持っている」と唱えた。冬場で天候が荒れ、空港や港が使えなくなるという想定の質問には「極端」として、想定ごと否定していた。  「国任せの甘い見通しだった」。社民県連副代表で内灘町議の清水文雄氏はそう述べる。同町は志賀原発から南に約40キロ。今も余震が起きるたびに原発への不安がよぎる。「道路は寸断、自宅は倒壊、避難所は満杯。今の石川県で原発災害が起きたら避難できない」 ◆馳知事も安全対策の働きかけは乏しく 馳知事(右から2人目)から要望書を受け取った岸田首相(同3人目)=1月14日、石川県庁で  22年の石川県知事選で初当選した馳浩氏も今のところ、原発の安全対策への言及は乏しい。県危機対策課の担当者は「災害対応を優先しており、知事が今後の原発災害や避難のあり方について、国に要請しようという動きにはなっていない」と説明する。  とはいえ先の蓮井氏は「自治体は住民の生命財産を守る窓口」と述べ、代弁者として耳を傾け、国に働きかける重責があると説く。  今は災害対応を優先しても、県が住民から情報を取りまとめ、国や原子力規制委に要望を上げる意思を発信するだけでも「原発への不安���和らげられる」。さらに「大きな犠牲を払って得られた地域の知見を今後の原発防災に生かせるよう、国も自治体も最大限に努めるべきだ」と訴える。 ◆デスクメモ  前知事の楽観論は理解に苦しむ。石川県政の担当時もそう感じた。懸念された奥能登の孤立は今回顕在化した。前知事の言うように空路や海路は十分に使えたか。7期28年の長期政権。耳の痛い言葉が届いたか。思考停止の代償は住民に及ぶ。現知事の馳氏はそう捉えて行動すべきだ。(榊)
「今の石川県で原発災害が起きたら避難できない」 それでも災害指針を見直さない、楽観論の背景にあるもの:東京新聞 TOKYO Web
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ari0921 · 2 years ago
Text
我が国の未来を見通す(90)
『強靭な国家』を造る(27)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その17)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 
 パレスチナ情勢につ��ては、10月22日、日本
を除くG7の6カ国からイスラエルの自衛権を支持
する一方でガザの民間人の人道支援を求める共同声
明が出されるなど、人道支援要求の世論、それにイ
スラエル国内の人質解放優先世論の力、それに欧米
首脳などの説得工作などが功を奏して、イスラエル
の本格的な地上攻撃開始は、当初計画よりかなり遅
れているようです。
イスラエルの歴史からすると珍しい決断だったと考
えますが、それだけ、今回のガザ地区への地上攻撃
の持つ意味がこれまでとは違ってきている証拠でも
あるのでしょう。極めつけが、24日、国連安保理
の場で、米国ブリンケン国務長官の「人道目的の一
時停戦が検討されなくてはならない」との発言でし
た。
一方、グテーレス国連事務総長がイスラエルのパレ
スチナ占領を批判する発言をしたり、いつもながら、
国連安保理が決議案を否決しあう形で“機能不全”
に陥っているなど、イスラエルの国連不信が限界に
達しているように見えます。イランを含むアラブ諸
国自体も反イスラエルという立場で必ずしも一枚板
ではないようなので、今後も、状況は刻々変わって
くることから、安易な予測は禁物でしょう。
その上で想像するに、イスラエルは、いかに人質解
放をするか、そして500キロに及ぼうとする地下
トンネルをいかに(できれば民間人に被害を与えな
い方法で)攻略するか、その作戦を練って、その上
で一部限定的な作戦を遂行しているのでしょう。
また、地上攻撃の代わりなのか、連日激しい空爆が
繰り返されていますが、それによる民間人犠牲者の
6割は、避難先であるガザ地区南部だったとの報道
もあります。国連事務総長のような発言もイスラエ
ルを追い込むだけで逆効果だと思いますが、無差別
に近い空爆もイスラエルが自らの首を絞める結果と
なって、やがて自制心のタガが外れ、“後に引けな
くなる”ことが懸念されます。
数年前、ベトナムを旅行した際、ベトナム戦争時に
使用されたサイゴン(現ホーチミン)市西側に広が
る巨大な地下施設「クチトンネル」を見学し、その
巧妙な造りに驚いたことがあります。アメリカは、
空から枯葉剤を含む絨毯(じゅうたん)爆撃を繰り
返しても攻略できず、ついには南ベトナムから撤退
する結果になったのでした。
「クチトンネル」は総延長約250キロといわれて
いましたが、その倍ほどの長さに及び、映像を見る
限り、長い時間をかけて極めて堅固に建造されてい
る地下トンネルを実際に攻略しようとすれば、多大
な時間を要し、犠牲者も半端でないことでしょう。
イスラエルが保有する最新の軍事技術をどのように
駆使するのかを含め、(不謹慎ではありますが)注
目しています。
ところで、今回のG6声明から外された我が国は、
文字通り“孤立国”になってしまいました。23日
の岸田首相の所信表明演説において、「経済」を連
呼する中での「人間の尊厳」とか「核兵器のない世
界」などの発言は、もちろん、理想であり、間違っ
てはいないとは思いますが、いかにも“空虚”に聞
こえるのは私だけでしょうか。
▼「国家戦略」をだれが作るか
 
いよいよ「国家戦略」指針の私案を提示したいと考
えますが、その前に、「国家戦略」を誰がつくるの
か、について一案を提言したいと考えます。
戦前の歴史を勉強しない人、あるいは軍国主義など
といって昭和の軍人たちにその責任を負わせること
のみを追求している歴史家たちには到底信じられな
いことだろうと思いますが、歴史をつぶさに学べば、
戦前の我が国の方が、現在よりはるかにダイナミッ
クで柔軟な国家運営をしていたことがわかります。
その典型的な組織が「陸軍省戦争経済研究班」(通
称「秋丸機関」と呼称)でした。少し補足しますと、
第1次世界大戦の頃から、戦争は単に軍事力だけで
はなく、経済、産業、教育、宣伝など「国力」のす
べてをもって遂行される「国家総力戦」の様相を呈
し、当時、欧州において身をもってその体験をした
永田鉄山あたりはその必要性を声高に唱えていまし
た(永田は陸軍の抗争の犠牲となって殺害されまし
た)。
この流れをうけて、我が国の経済力がないことを知
っていた陸軍は、日本における総力戦の実態と戦争
遂行の可能性などを研究するため、昭和14年春、
当時の我が国の最高頭脳を集めた本格的なシンクタ
ン「陸軍省戦争経済研究班」をスタートさせたので
す。
設立を提唱したのは、当時の政府や陸軍の首脳では
なく、「陸軍中野学校」の設立者、戦後は京都産業
大学の設立者として名を馳せた岩畔豪雄(いわくろ・
ひでお)大佐でした。このあたりにも目を見張る
ものがありますが、岩畔は、そのトップに、(軍政
とか作戦畑ではなく)経理畑の俊才、当時まだ41
歳の秋丸次朗中佐を指名し、組織造りを含めて全権
を委任しました。
秋丸は、実質的な研究リーダーとして、治安維持法
違反で検挙され保釈中の身であった東大経済学部助
教授のマルクス経済学者・有沢広巳を招きました。
それ以外に大学教授、企画院・外務省・農林省・文
部省などの少壮官僚、さらには民間企業・業界団体・
金融機関・民間調査機関・研究所などの精鋭たち
を集めて総勢200名程度の組織を作り上げて、昭
和16年まで約2年間、多士多才のメンバーをもっ
て様々な角度から研究に没頭したのです。
研究成果の細部は省略しますが、本研究班が導いた
開戦に至るシミュレーションについては、当時、東
條英機首相や杉山元参謀総長などとも共有しており、
その研究成果は、昭和16年11月15日に開催さ
れた大本営政府連絡会議で「対米英蘭蒋戦争終末促
進に関する腹案」(「腹案」と呼称)として決定さ
れたのでした。
私自身は、この「腹案」のような戦いを遂行してお
れば大東亜戦争はまた違った結果になったと考えて
いますが、「腹案」と実際の戦いはかなり違ってし
まいました。その原因も分かっていますが、ここで
は省略しましょう。
ここで問いかけたいのは、今の日本に、「国家戦略」
のような重要案件を策定するために、「秋丸機関」
のようなシンクタンクを作り、少壮の官僚、学者、
自衛官、民間企業人などの精鋭を一堂に会して時間
をかけて研究させるようなダイナミズムがあるだろ
うかということです。
私は、ここにあえて政治家を加えませんでしたが、
国の重要なテーマについて、いつも“専門家や官僚
に丸投げして足れり”として自ら問題意識も持たず、
必要性も感じず、学ぼうとしないような人たちは
“最初から戦力にならない”と思って外しただけで、
適任者がおられたら、当然、シンクタンクのリーダ
ー格になっていただくことを拒むものではありませ
ん。
一つだけ注文を付けるとすれば、「秋丸機関」の設
立に尽力した岩畔大佐のごとく、力のある政治家な
どでこのようなシンクタンクを作る必要性を唱える
人(たち)は、シンクタンク設立のために奔走し、
必要な基盤や経費は提供しても、当初から口を出す
のは厳に慎み、「若い世代に託す」ことが重要と考
えます。官民を含む各界には、若くても優秀でかつ
柔軟性があり、物事の本質を的確に見極めることが
できる優秀な人たちがたくさんおられると確信しま
す。
なお、前回紹介した『日本戦略論』(鎌田徹著)で
は、「戦略国家になるための人づくり」を提唱して
いますが、だいぶ時が経ったこともあり、残念なが
ら、今はそのような“時間的余裕”はないと考えま
す。仮に多少の問題はあっても、“今ある人材”を
最大限に活用するしかないと思うのです。
次いでながらもう少し補足しておきましょう。前に
も引用したように、『国民安全保障国家論』(船橋
洋一著)の冒頭には、コロナ禍やウクライナ戦争を
経験した結果として、「自分たちでみんなを守るこ
とができない社会は生き残れない」「自分の国を自
分たちで守れない国は生き残れない」「天(世界)
は自ら助くる者を助く」ということがわかったと紹
介されています。
著者は、それでも「国家」ではなく「国民」という
言葉にこだわっていますが、“利益の受容者である
「国民」目線を重視すべき”ことを強く意識してい
ると考えられ、本書に書かれているのは「“国家”
のあり様(形)」であることが理解できます。
私などの立場からすると、(元朝日新聞記者の)著
者のような立場の人が「ようやくここに気がついて
くれたか」と安堵する一方で、内外情勢の急激な変
化や「国力」が下降期にある“現時点”こそ、将来
のため、国家としての「打ち手」を真剣に議論する
時が来たことを国のリーダーたちに早く気づいてほ
しいと願うばかりです。だれかが問題意識と勇気を
もって、重い腰を上げて、“旗振り役”を演ずるこ
とを切に願っております。
繰り返しますが、「手遅れになる前に」です。様々
な思惑から場当たり的な所信表明演説とそれに対す
る質疑応答などで論戦を交わしている余裕はないと
思うのですが・・・。
▼「国家戦略」の指針の一案
 
さて、私も高齢世代です。「若い世代に託すべし」
と言った手前、過度な物言いは邪魔になると自覚し
つつも、本メルマガをここまで書き続けてきた以上、
「国家戦略」の指針のようなものの一案ぐらいは提
示しなければならないとの責任感にもかられます。
しかし、“指針のようなもの”といえども、そこに
含むべき内容の広さと深さを考えると、正直、いか
にまとめ上げるか、途方にくれます。
またしても、『日本の大戦略』のお力を借りて、ほ
ぼ一致している点を紹介しつつ、10年の歳月の変
化やアプローチの相違点などからの修正を加えて一
案としたいと考えます。なお紹介する順番などは私
の一存で本書を修正してあります。
まず本書が、平成23年の時点でこのような大胆な
「国家戦略」の指針なるものを考察し、提供してい
ることに対して改めて敬意を表したいと思います。
その第1には、「歴史的大変動に立ち向か覚悟を決
める」としていますが、当時より今の方が“歴史的
大変動”が顕著になっている国際社会そして我が国
ですから、ここに「立ち向か覚悟」が、国家として
も国民としても求められていると考えます。
本書は、具体的な「国家目標」などを考える前に、
このような「覚悟」をもって、「内向き志向、現状
維持志向を克服し、「『頼りがいのある日本』を目
指して国家アイデンティティを再構築する」ことを
提唱していますが、全く同意するものです。
「我が国がどのような未来を構築するか」、あるい
は「どこに向かっていくか」を明らかにするという
点でも全く同意です。なお本書では、目指す方向と
して「先進国安定化勢力日本」と呼称していますが、
そのような呼称を含めて議論が必要でしょう。
私は、この「歴史的大変動」の中には、「国力」が
下降期に入っている“我が国の国内事情”も含むと
考えていますので、具体的な指針の中には、「『国
力』の維持・増進のために国を挙げて立ち向かう」
旨の文言も挿入されるべきと考えます。
第2には、「安全」の国家目標として、「複層的な
課題に対応できる、実効性の高い安全保障政策を展
開する」ことです。
まさに、変動する国際社会の中で、我が国が「安定
化勢力」としての役割を果せるかどうか正念場でし
ょう。そのような視点をもって、現状から一歩踏み
込んで「安全保障政策を再構築する」ことが求めら
れており、具体的には、本書の「自国防衛/危機管
理の能力を強化する」「日米同盟の相互防衛的性格
を強め、同盟協力を総合化する」「グローバル・コ
モンズの安定化を図る」「同盟外の安全保障協力を
推進する」などの提唱は的を射ており、さらに強化
する必要があるでしょう。
実際に昨年末、「国家安全保障戦略」が策定されま
した。「安全保障」に絞れば、また表現こそ若干違
いますが、本書が提唱したような内容とおおむね一
致していると考えます。
しかし、すでに指摘したように、東アジア地域の
「核状況」が様変わりしつつあることから、日米両
国間の「核の傘」の信頼性の向上に加え、我が国独
自の核保有の議論を推進すべきと考えます。
また、「自国防衛/危機管理の能力を強化する」に
ついては、将来にわたって我が国迫って来る可能性
がある“脅威”については、短絡的に「南西正面」
などと決めつけないことも重要でしょう。将来戦は
「ハイブリッド戦」であることは間違いないとして
も、対象国が取り得る手段は多様であり、それらを
漏れなくすべて読み切った(見積もった)上で“一
寸の隙を見せない態勢”の構築が求められていると
考えます。
第3には、「富」を国家目標として、「先進的な経
済社会システムを構築する」ことを本書は紹介して
います。ここに「国力」の「ハード・パワー」の要
素のかなりの部分が含まれていますが、第2の「安
全」とも関連し、それぞれの分野の専門家の最適解
をもって国家施策にするようなことは厳に戒めるべ
きで、そのような弊害を排除するためにこそ、「国
家戦略」を策定していることを理解する必要がある
のです。
何度も例示したように、「太陽光発電所の建設のた
めの外国資本の導入に特段のチェックがなく、国防
上重要な施設の近傍を含め、広島県ほどの面積の国
土がすでに外国資本に渡っている」ような“現状”
を即刻是正する必要があります。そのための法律改
正などは急務でしょう。
その上で、必要な要素を総合的に考察して、我が国
として新しい「繁栄の形」をどのように具体化する
かが焦点となると考えます。その中には、国家を次
世代に託すためにも、若者世代が「将来の夢と希望」
を抱くことができるような施策を含むべきことは申
すまでもありません。
とはいえ、少子高齢化の進展から社会保障給付費な
どが大幅に膨れ上がることを予測し、過度な“バラ
マキ”は厳に戒め、「国民一人一人の夢や希望の実
現」と「国家(社会)として『富』の蓄積」の両目
標の同時達成に向けて、“個人の努力の必要性を促
し、努力の中に生きがいを見い出せる”ようなバラ
ンスのとれた「配分」を主眼とする「福祉の再定義」
も必要となることでしょう。
第4には、「変動する国際社会のもとでの日本の対
外構想を確立する」ことです。「安全」はもちろん、
食料やエネルギーなどのほぼ海外に依存している
「富」の分野においても、我が国は、将来にわたっ
て「国家として存立するための対外構想」には高い
優先順位を掲げて計画・実行する必要があります。
「頼りがいのある日本」をめざし(“孤立国・日
本”の存在感を発揮し)、本書でいう「大国間の協
調形成に尽力すること」「グローバルな課題に結果
を出す貢献をすること」「アジア諸国と深く交わり、
その不安定要因を抑制すること」などの提唱に異存
はありません。
前回述べたように、“自ら原則を立て、それに基づ
いて行動し、他国や他のアクターとも協力してい
く”という「自律」の重要性を理解した上で、「日
米同盟」をはじめ、」「クアッド」「自由で開かれ
たインド太平洋」などようやく“産声”を上げた枠
組みを一層深化する覚悟と「自律」の細部をしっか
り議論する必要があるでしょう。
第5に、「新しい『統治のかたち』をつくる」ため
の議論を推進することです。本書では、そのために
「安定した政権基盤を確立する」「官邸における外
交・安全保障戦略の司令塔を創出する」「戦略形成
の前提となるインテリジェンス機能を強化する」
「対外的な情報発信を刷新する」、そして最後に
「政治不信を克服し、有権者のオーナーシップ意識
を高める」として、国民の参加意識を高めるために、
NPOやシンクタンクなど政治と国民をつなぐ中間
組織の役割も重要であると結んでいます。
「戦略は統治を超えられない」という言葉も紹介し
ましたが、「国家戦略」を議論し、策定し、実行し
ようとすれば、現在の我が国の「統治のかたち」が
そこに“立ちはだかる障害”となる可能性は否定で
きないでしょう。
紹介しました『国民安全保障国家論』も、その終章
で「日本には『国家安全保障』という『国の形』が
ない。そして、その『国の形』をつくるのを阻んで
きた『戦後の形』がある」として、「『戦後の形』
のままでは日本は新しい時代の挑戦対応できない」
と訴え、新たに「国の形」を作る必要性を強調して
います。
私は、5つの指針の中で第5の「統治のかたち」の
議論が最も難しいと考えます。一方で、戦前戦後を
通じて一内閣の寿命が平均1.4年に満たないよう
な“現状”では、一貫した中長期的な「国家戦略」
の策定はおろか、導き出された国家目標に向かって
(たとえ、苦しくても)各種政策を推進し続けるこ
とは困難であることは明白でしょう。
「では、どうすべきか」については大議論を呼ぶこと
でしょう。しかし、ぜひともこのテーマまで踏み込
んで議論してほしいと願っています。
「国の形」についてはのちほど再び触れることにし
て、次回、「国家戦略」を総括し、その後に「ソフ
ト・パワー」のもう一つの要素である「国家意思」
を取り上げます。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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xf-2 · 5 years ago
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新型コロナウイルスの流行以降、様々なうわさやデマ、誤情報が社会に広まり、人々を惑わせています。「トイレットペーパーやマスクがなくなる」とまことしやかに語られた結果、スーパーなどの店頭から商品が消えたことは、記憶に新しいのではないでしょうか。民俗学者・畑中章宏さんは「情報を拡散した人々を糾弾するだけでは不十分」と訴えます。祖先の代から、幾度となく繰り返されてきた風説の流布。その歴史を踏まえ、私たちが現状からくみ取るべき教訓についてつづってもらいました。
異常な行動は「普通の人々」が起こした
常ならざる事態に遭遇したとき、社会に流言飛語が飛び交う。何らかの被害が、わが身に及ぶ恐れを抱いた「普通の人々」が、根も葉もないうわさに耳を傾け、貴重な情報だと信じてデマや誤情報を拡散させていく。 これまで遭遇したことのない状況に陥ると、デマや誤情報に惑わされた人々が、危機感を元にした異常な行動に駆られることもある。今年に入ってからも、ウイルスの発生源と目された中国製の品物が買い占められて不足した。 また人々は、ウイルスに感染しないための「処方」を求めようとした。わらにもすがる思いで得た情報が、科学的には妥当性が証明されないものだった、というケースも少なくない。 うわさとデマ、誤情報の氾濫(はんらん)は、今回のウイルス禍でも繰り返されている。そうした中から典型的なパターンをいくつか挙げてみる。そして、歴史的に展開されてきた風評との闘いを振り返りつつ、私たちがなすべきことについて考えてみたい。
うわさが招いたトイレットペーパー不足
今年2月下旬、「新型コロナウイルスの影響でトイレットペーパーが不足する」という情報がSNSから拡散した。スーパーなどで買い占めが相次ぎ、薬局では行列・品薄などの混乱が起きた。 SNS上では、トイレットペーパー不足の根拠として「中国から原材料が輸入できなくなる」という発言が飛び交った。しかし、これは誤りだ。 日本家庭紙工業会によると、2019年のトイレットペーパーの出荷量(約106万トン)のうち中国製など輸入は2・5%に過ぎない。つまり根拠のないうわさにより、品薄が現実になったのである *註1。同じく、店頭から姿を消したマスクについても様々なデマが飛び交った。 2月下旬、「厚生労働省がマスク不足に対応し、日の丸を冠したマスクを生産している」とツイッターで広がったことが報じられた。これについて同省経済課の担当者は「厚労省と経産省からマスクメーカーにマスクの増産を要請しているが、その際にメーカーやタイプなどを指定していない」とし、マスクメーカーも憶測を否定する見解をウェブサイトに掲載した *註2。 また政府が配布することになった布製マスクについては、安倍晋三首相のおひざ元・山口県の企業が布マスク製造を受注し、「首相による地元企業への利権だ」とツイッターから流布したと報じられた。 しかし、これも事実に反している。事の真相は、山口県が県内の幼稚園などに通う子どもたちに届けるための発注と取り違えた、というものだ。県防災危機管理課も「発注したマスクはすべて県内で配布する。政府の施策とは関係ない」とうわさを否定した *註3。 *註1 デマ拡散、トイレットペーパー消えた 「在庫は十分」:朝日新聞デジタル *註2 拡散した「政府が日の丸マスクを生産」との誤情報 メーカー“法的措置”検討も視野:BuzzFEED News *註3 マスクは首相の地元・山口県の企業が受注? 「全世帯配布」で駆け巡ったツイート:毎日新聞
マスク生産をめぐっては、「国が特定のメーカーに便宜を図った」との誤情報が流れ、当局が否定するといった状況が繰り返されている(画像はイメージ)
次々と否定された「予防法」の情報
治療法やワクチンが見つかっていない、新型コロナウイルスに対する身近な防御法の情報にとびつく人も少なくなかった。「感染を予防するには、特定の飲料や化学物質が効果的だ」というデマや誤情報が横行したのである。 たとえば「予防には紅茶や緑茶がお勧め」だという情報がツイッターやFacebook上で拡散したと報じられた。お茶に含まれている成分に、抗ウイルス作用があるという説に基づくもののようである。しかし専門家らによると、新型コロナウイルスへの感染を防ぐ効果があると証明した研究結果は、まだ存在しないとされている *註4。 また「『次亜塩素酸水』を加湿器などに入れて噴霧すると、空間除菌ができる」との情報が流れたこともあると報じられた。独立行政法人製品評価技術基盤機構(NITE)は、「次亜塩素酸水の新型コロナウイルスへの有効性は確認されていない」と予防効果を否定。世界保健機関(WHO)も「消毒剤を人体に噴霧することはどのような状況であっても推奨されない」としている *註5。 新型コロナウイルス対策をめぐっては、今年8月に入って間もなく、大阪府の吉村洋文知事が「重症化を防ぐには、うがい薬が有効」と記者会見で発言。混乱を招いたばかりだ。 吉村氏は、殺ウイルス効果がある成分を含むうがい薬を使うと、唾液(だえき)検査で陽性になる割合が減るとする研究結果を紹介。しかし専門家からは「新型コロナウイルスへの予防について、科学的な根拠は確立していない」といった批判の声が上がった *註6。 行政が“公式“に、科学的には不確かな情報を発信したため、効果に疑問の余地が残るうがい薬が瞬く間に売り切れてしまったのである。 *註4 新型肺炎予防、デマSNS拡散…「紅茶・唐辛子に効果」など医学的根拠なし:ヨミドクター(読売新聞) *註5 「次亜塩素酸水」等の販売実態について(ファクトシート):NITE *註6 「うがい薬推奨」根拠は? 大阪知事「唾液検査で陽性率減」 相次ぐ品切れ、副作用懸念も 新型コロナ:朝日新聞デジタル
消毒液の選定を含めた、新型コロナウイルスの「予防法」についても、様々な臆測が飛び交っている(画像はイメージ)
「ラッキョウ入りおにぎり」が爆弾除けに?
感染症の拡大も命に関わる切実な事態だが、戦時中にはとんでもないデマや誤情報が流布したようである。 太平洋戦争の末期、1945年(昭和20)の3月から4月にかけて、ある荒唐無稽な流言が広がり、新聞などで取り上げられたという(佐藤健二『流言蜚語』1995年)。
「敵弾はいつでもどこに落ちるかわからない。こういう事態になると、いわゆる御幣かつぎや迷信がよく出てくるものだが、今巷(ちまた)におかしな迷信が広まっている。それは、赤飯にラッキョウを入れたおにぎりを作ってたべると、絶対に爆弾をうけないというのだ。」朝日新聞、1945年3月6日
あまりにも荒唐無稽な話だが、ラジオから聞こえてきた「敵機が脱去(だっきょ)した」とニュースを、「ラッキョウ」と聞き間違えたのではないかと現在では推測されている。
戦時中は「ラッキョウ入りおにぎりを食べれば、爆弾を受けない」とのうわさが、まことしやかに語られていたという(画像はイメージ)
誤情報が人命を奪った戦前の事例
そして戦前にも、似たような状況は既に生じていた。 松山巖の『うわさの遠近法』(1993年)によると、1877年(明治10)10月に千葉の鴨川でコレラ患者が出たとき、漁師たちのあいだで、「コレラが流行するのは小湊町のある医師と警官が井戸に毒薬を入れ、病院に隔離した患者の生き胆を投げ入れているためだ」とのうわさが立った。そこへまた患者が発生したため、その医師が隔離しようとすると、漁民は反対して彼を追い詰めたので、医師は川に飛び込んで逃げようとして溺死(できし)した。 コレラ騒動は一揆まで引き起こし、1880年(明治13)に9件も発生したことが記録に残っている。当時の報道から一揆の原因を推測すると、役人が井戸に消毒薬を入れるのを見て毒を流し込んだと誤解したとか、「病院に入ると西洋人に生き胆を抜かれる」とかいったうわさが基になったようである。 いずれにしても、にわかには信じがたいものから、「もっともらしい」と思える内容まで、デマや誤情報は有事の人間心理と密接に結びついてきたと言える。時代が下っても、こうした傾向がおおむね引き継がれていることは、今日の状況を見れば明らかではないだろうか。
コレラが流行した明治期には、「ある医師が井戸に毒を入れている」などとする誤情報が流布。その医師は民衆から迫害を受け、最終的に命を落としたという(画像はイメージ)
誤りを記録にとどめ、反省するという務め
コレラをめぐる無根拠な風説は、1858(安政5)年の大流行の際にも存在した。長崎の外国人を敵視したうわさが流布したというものだが、このときには「異人」に対する恐怖が重ねられていたという。 何気ない言葉が一人歩きし、やがて社会全体を惑わす。その危険性を可視化することは大切だろう。佐藤健二の『流言蜚語』には、民俗学者の赤松啓介が1980年(昭和55)に著したこんな文章が引用されている。
「いま戦時記録として、空襲被害の記録化はさかんであるけれども、それは表面的な形式記事になりがちである。むしろ、空襲にあわないようなマジナイ、弾丸にあたらないマジナイ、あるいはヤミ経済、ヤミ物資の買い出し、運び屋の形態、戦時食の調理方法、ヤミ価格の変動、村落共同体と疎開者たちの対抗、そうした日常生活、その体験を記録することの方がもっと重要であると思う」「村落共同体と性的規範」
江戸時代に起きた感染症をめぐるデマや誤情報が、素朴な民間療法や切実な民間信仰の形で記録・記憶されていることで、私たちは、その怖さと教訓を現代にいかすことができる。 もし、過去に起きた騒動の記録が全く残っていなかったら、今回の新型コロナウイルスによって引き起こされたデマや誤情報が真実として流布し、パニックを引き起こしていただろう。事態を更に深刻化させていた可能性もある。 うわさやデマに惑わされ、また信じ込んだ人々を糾弾するばかりでなく、かつての誤りを記録にとどめ、反省する。このことも、現在進行形の危機にさらされている私たちの務めかもしれない。
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cuttercourier · 5 years ago
Text
[翻訳] ブラック・ライヴズ・マター運動から考えるインドのマイノリティ問題(1)
ブラック・ライヴズ・マター運動から見たインド
――インドも構造的差別や警察の暴力という深刻な問題に早急に対処する必要があることは明らか
2020年6月9日
ディヴヤ・チェリヤン(プリンストン大学歴史学部助教)
アメリカが揺れている。
建国の理想「生命、自由及び幸福追求」の選択的適用がまたぞろ前面に現れた。警察による非武装の黒人市民の殺害と、コロナウイルスが黒人コミュニティに与えた不釣り合いなインパクトは、アメリカが黒人の命を軽視し、そのくせ黒人の身体からは労働力を搾取していることを浮き彫りにしている。
インドとの共通点がある。それは、既に抑圧されている人々とその支援者を悪意をもって叩きのめす警察、憲法と法律に基づく権利を尊重しない警察、そして、少数派や反対勢力に敵対的な国家指導者である。
どちらの社会においても、これらの不正義は歴史に深く根づいている。アメリカの建国の理想はアフリカ人奴隷やその子孫には及ばなかった。彼らは1861年の南北戦争勃発までに約400万人を数え、無給労働でアメリカの繁栄に貢献したにもかかわらずである。
公的な差別は数十年前に終わったが、黒人のアメリカ人は他の人々よりも大きな経済的・社会的障壁に直面しつづけている。ダリット〔旧不可触民〕、アーディヴァーシー〔先住部族民〕、ムスリムに対するインドの構造的差別、極度の経済的不平等、そして、既にカースト・階級秩序の被害者である人々に対する警察の暴力的でしばしば違法な弾圧を考えると、アメリカでの抗議行動はインドを悩ませている多くの問題にも通じる。
アメリカの抗議活動という鏡の中のインドを見れば、インドも構造的差別と警察の暴力という深刻な問題に早急に取り組む必要があることが明らかになる。また、インドがそのような変化のための戦いからはほど遠いことも明らかになる。
背景
ジョージ・フロイド殺害は最後の引き金を引いた。
近年、携帯電話カメラの普及により、警察による黒人男女殺人事件を記録することが可能になった。これらの記録により、非武装の黒人男女がジョギングや運転、自宅にいたなどの「犯罪」のために、どのように銃で撃たれたり、首を絞められたりしていたかが明らかになっている。それらは警察が事件についての公式見解でいかに露骨な嘘をつくことができるかも明らかにした。
黒人コミュニティでは数十年前から警察の手によるこの不当で違法な黒人の死のパターンが認識されていたが、これらの携帯電話記録によってアメリカの他の人々も見て見ぬ振りをすることが難しくなっていった。2014年に黒人少年マイケル・ブラウンが警察に殺害されて以来、怒りは繰り返し街頭での抗議行動に発展し、時には暴力を伴った。まさにその怒りこそが、警察官のボディカメラ義務化から人種偏見トレーニングの導入まで、全米の当局に改革への努力を促してきたのである。
一方、コロナウイルスは有色人種コミュニティに非常に大きな被害を与えている。黒人はコロナウイルスに感染し、またそれによって死亡する率が不釣り合いに高い。また、黒人は低賃金ではあるが必要不可欠な仕事に就いている割合がはるかに高く、裕福な人々が自宅で仕事ができるようにするため毎日命を危険に晒している。
コロナウイルスはまた、給料ぎりぎりで生活している何百万人もの人々の失業により、大規模な経済的苦痛をもたらした。多くの人が家族を養ったり、家賃や住宅ローンの支払いをしたりするのに苦労している。政府の緊急財政支援プログラムが助けになっているが、何百万人もの人々が依然として極度の財政難と不確実性に直面している。
しかし、最近の事件は、警察が黒人をどう扱うかについて重要な点ではほとんど変わっていないことを浮き立たせた。
2月には、ジョージア州の小さな町にある白人が多い地区をジョギングしていた黒人男性アーモード・アーバリーが白人父子2人組に追い回されて射殺された。
3月には、ケンタッキー州ルイヴィルの警察が、自宅にいた黒人女性ブレオナ・テイラーを別人の捜索中に殺害した。
5月のフロイド殺害事件の数日前には、白人女性エイミー・クーパーが黒人男性について警察に虚偽の告訴をしている様子を伝えるニューヨーク市発の動画が表に出た。この女性は公園の一角の管理規則に従って犬をつなぐように言った男性に仕返ししようとしたのである。クーパーが自分の個人的な復讐の道具として手軽に警察の暴力を呼び込もうとしたことは、広範な怒りと非難を呼び起こした。
「警察予算を打ち切れ」
しかし、今アメリカは岐路にあるように思われる。
黒人コミュニティと、より公正な社会を求める人々は、法執行機関の手で黒人の男女が殺害されつづけることにうんざりしている。今まさに抗議活動から生じている最も緊急の要求は警察予算の打ち切りである。
現下の定式化においては、これは警察予算と警察活動を大幅に削減せよという要求である。それは、犯罪の根本的な原因に対処し、また、可能なかぎり多くの状況について、信頼関係によって状況を鎮めることができるコミュニティ組織を通じて対応せよという叫びである。
それは、これらのより全体的なアプローチを支える方向に可能な限り大きな額を振り向けよという要求である。
改革に向けた努力にもかかわらず警察の手による黒人の死が続いていることに鑑みて、活動家たちは警官隊の監視や再訓練のような措置が黒人に対する警察の差別と暴力を防ぐのに役立っていないと主張している。抗議者の一部は今、アメリカと警察との関係を再考するよう要求している。
彼らの指摘によれば、過去数十年の間にアメリカでは社会問題が治安問題として捉えられるようになった。ホームレスのような問題を処理するために警察が派遣されている。社会経済的な根をもつさまざまな問題が犯罪としてのみ扱われ、その犯罪の背景にあるかもしれない貧困、薬物乱用、精神衛生上の問題を緩和するために注意が払われたり投資がなされたりすることはほとんど、あるいはまったくない。
このような警察への過度の依存と、警察の権限と業務の範囲の拡大が事態をここまで悪化させた大きな要因である。
それに加え、アメリカが海外で戦っている戦争が本国に持ち帰られてきている。アメリカの都市警察は装甲車やさまざまな重火器に投資し、ますます軍事化している。SWAT(特殊武装・戦術)チームはますます軍の強襲部隊のようになっている。アメリカは今、自国社会の一部に対して、戦線の向こうの「敵」にするのと同じように接している。
以上は、その多くが人種的マイノリティである都市部貧困層が「他者化」されていることを示唆している。
最後に、評論家らが指摘しているように、ますます不平等になる社会の中で、アメリカの政治指導者のアプローチは緊縮財政に傾いている。民主・共和両党いずれのエスタブリッシュメントも、アメリカには福祉的な解決策をとる余裕がないと主張している。それにもかかわらず、警察予算は富裕層の銀行口座や企業の利益率と同じく膨張しているのだ。
抗議活動自体は平和的ながら活気のある集会から、公共や私有の財産を標的にした暴力的なものまで多岐にわたっている。大都市だけでなく、小さな町でも抗議集会が行われてきた。
暴力に発展した一部がニュースの見出しを飾ったとはいえ、ほとんどの抗議行動は平和的であった。アメリカ全土の抗議集会に共通しているのは参加者の多様性である。人種や年齢を超えた人々が、パンデミックの真っ只中で、黒人に対する非常に不平等で人種差別的な暴力に立ち向かうため、大きな個人的リスクを冒して外に出てきたのだ。
コンセンサスが形成されたことで、数日のうちに警察予算の打ち切り要求が主流となった。ロサンゼルス市当局は、警察予算を最大1億5000万ドル削減することを検討している。フロイドが殺害され、抗議行動が始まったミネアポリスの市議会は、市警を解体し、コミュニティ主導の安全という代替モデルを模索することを決議した。
南アジア系(Desi)の少年少女
この激動の中で、インド系アメリカ人はさまざまな役割を果たしてきた。多くの人が自ら人種差別に苦しんできた経験を持ち、反人種主義的な動機に共感を示している。
ワシントンDCのラーフル・ドゥベーのように、抗議者を支援するために、それ以上のことをしてきた人もいる。より広く南アジア系アメリカ人コミュニティの中には、個人的に大きな犠牲を払ってでもブラック・ライヴズ・マター運動���支持している人もいる。バングラデシュ系アメリカ人のある家族は、経営するミネアポリスのレストランが抗議活動中に全焼したにもかかわらず、運動を断固として支持したことでニュースになった。多くのインド系アメリカ人、特に若い人たちが抗議行動に参加し、行進し、プラカードを持ち、コールを唱和している。
そのほかに、ドナルド・トランプの忠実な支持者であり、アメリカの右派とイスラム恐怖症で手を結んでいるインド系アメリカ人の少数派もいる。
南アジア系アメリカ人の多くは、トランプ支持者であろうとなかろうと反黒人的であり、その世界観は彼らが米国に一緒に持ち込んだカーストや肌色差別に一部由来するものである。このコミュニティの多くの人は、たとえドナルド・トランプを軽蔑し、人種的正義を擁護していたとしても、自分の子供が黒人と結婚するとなったら大いに動揺するだろう。
多くの南アジア系リベラル派の人々は、本国インドでのムスリムやダリットに対する迫害の高まりに目をつぶっており、家族やコミュニティの中で横行しているイスラム恐怖症やカースト主義的な態度にもあえて異議を唱えない。このグループは、アメリカにおける平等と正義を熱烈に支持する一方で、インドおよびインド人ディアスポラ内部における差別に無関心、あるいは差別を支持さえしているということに皮肉を感じていない。
悲しむべきことに、ほとんどの南アジア人は、彼らが19世紀後半に初めてアメリカに移住したとき、彼らを庇護し、友情や結婚による結びつきの中に入れてくれたのは黒人やヒスパニック系の隣人たちであったことを忘れてしまっている。黒人の公民権闘争の成功は、1965年まで南アジア人も排除していた人種差別政策を打ち倒す役割を果たしたのである。
それ以降、インド系アメリカ人がアメリカで生活や事業の基盤を築いていく中で、アジア人はアメリカで成功するために必要な「正しい」労働倫理と家族の絆を授けられているとする「模範的マイノリティ」神話を多くの人が信じ込んでしまった。
多くのインド人は、このようなステレオタイプと結びつけられていることに何の問題もないと考えている。しかし、すべてのステレオタイプと同様に、アジア人=模範的マイノリティという考え方は、アメリカにおけるインド人の歴史的経験の多様性を消し去ってしまう。また、もしも黒人が十分勤勉に働き、「正しい」価値観をもっていれば、自分たちが置かれている社会経済的条件に苦しむことはないだろうと示唆することで、反黒人的立場を正当化する働きもしている。
模範的マイノリティという枠組みを受け入れることで、アメリカにおける黒人の苦しみの根本原因で��る構造的・人種的な非対称性を却下することができる。南アジア系アメリカ人コミュニティの進歩的な人々は、模範的マイノリティ・パラダイムを拒否し、インド人ディアスポラに対して黒人の兄弟姉妹とともに立ち上がって意味のある変化を要求するよう訴えている。
インドと黒人の命
マイノリティに対する警察の暴力の問題は、インドの状況と共鳴している。インド警察は「交戦殺害(encounter killing)」〔被疑者の抵抗を受けた警察側の正当防衛を建前とする超法規的殺害〕などの手法を用いており、その標的は主にムスリムや低カーストの男性である。インドでは警察拘禁下の死亡や拷問がはびこっている。
コロナウイルスは警察の暴力を激化させたとしか思えない。インドの警察官が、自分たちの村まで徒歩で困難な旅をしている貧しい、しばしば飢えた出稼ぎ労働者たちを容赦なく殴りつけたという報告が多数ある。
警察は多様性の欠如が顕著で、留保枠があるにもかかわらず、指定カースト・指定部族からの採用は立ち遅れている。これは、留保された職位の多くが空席のままで許されているためである。インドの警察ではムスリムも十分代表されていない。
したがって、インドの警察官の間に反ムスリムの偏見やカースト主義的な態度がはびこっていることが研究で明らかになっているのは驚くべきことではないだろう。現場の警察はムスリムやダリット、あるいはより公正な社会を求めて抗議する人々を鎮圧すべきものと認識し、党派的な態度をとることがある。
アメリカにおける抗議運動は、インドが自国の警察問題について真剣に話し合うときが来たことを痛感させる。
アメリカに住むインド人として私が強い印象を受けたのは、今この瞬間との共通点だけでなく相違点にでもある。インドでは、米国と同様に、携帯電話の普及により不当な死や暴力を記録することが可能になった。
しかし、インドでは通常、関係者や無力な傍観者はこうした記録をしない。むしろ動画は一般的に、血塗られたスポーツのトロフィーとして記念し、回覧しようとする楽しげな参加者によって記録されている。
牛を傷つけたとされたためであったり、あるいは「ジャイ・シュリー・ラーム〔ラーマ様万歳〕」と唱えるように迫られながら行われたりするダリットやムスリムのリンチはありふれたことになっている。しかし、その種の事件の最初、2015年にダードリー〔ウッタル・プラデーシュ州〕でムハンマド・アクラークが群衆にリンチされたときでさえ、広範な怒りを呼び起こすことはなかった。
カシミール地方や北東部でのインド軍による人権侵害については、たとえ記録があったとしても、一般的にインドの主流派の評論家たちは非難しない。インドのほとんどの人々にとって、ショックを受けたり恥じたりして自分たちの命令による残忍な不正義に対して立ち上がるに値することは何もないようだ。
インド人やインド系アメリカ人の中にはジョージ・フロイド殺害に激怒している人もいるが、彼らはそう、ペヘルー・カーンが殴り殺されたときにはまったく動じなかった〔2017年のリンチ殺人事件〕。最近のアメリカにおけるブラック・ライヴズ・マター運動への多くの公的な支持表明と同じように、インドの機関や公人、産業界のトップがムスリムやダリットのリンチ事件に対して悲嘆と連帯の声明を出すことは想像しがたい。参考までに、米国の大企業、有名人、そして共和党の指導者(ミット・ロムニー)までもが抗議者への支持を公然と表明している。インドではエスタブリッシュメントによって抑圧されている人々を支持するこのような立場は想像しがたい。
アメリカとインドのもう一つの相違点は、少なくともこれまでのところ、抗議活動の性質である。
アメリカでの最近の抗議活動はコロナウイルスがもたらした苦難によって増幅されているように見える。インドでは対照的に、コロナウイルス対応における州の不手際によって被害を受けた何百万もの人々から抗議の声が上がっていないことが目立っている。
飢えて都市部に足止めされている、村からの出稼ぎ労働者たちがいる。別の出稼ぎ労働者たちは実家に帰ってほんの少しでもましな状況に戻ろうと何百キロも歩いていった。失業した都市生活者もいる。破綻寸前の零細事業者もある。
これらは既にデマネタイゼーション〔2016年の高額紙幣廃止〕と物品サービス税の導入〔2017年〕によって引き起こされた大規模なショックと経済減速に苦しんできたのと同じグループである。
インドの歴史には、飢饉や過酷な税制が引き金となった、農民が苦境に陥ったときの反乱の例が数多くある。インド国内の経済格差が拡大し、少数のエリートがドル価表示のコーヒーやルイ・ヴィトンの店舗、広大なバンガローにアクセスするなかで残る問い、それはインドの貧困層はどれだけ我慢すればいいのか? である。
インドのエリートが貧困層をいかに追い詰めているかを考えれば、これは全国民が知りたがっていることだろう。
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afiri8backlog · 5 years ago
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https://ift.tt/2wKbEsI
事実は小説よりも奇・・新型コロナウイルスを調べていくと繋がるのは5G(ファイブジー)という考察
新型コロナウイルスと5G(ファイブジー)?
新型コロナウイルス騒動に・・5G(ファイブジー)?今はまったく関係ないだろ?
そう思う人も多いと思うかもしれないが、今回の新型コロナウイルス騒動を追っていくと、必ずといっていいほど5G(ファイブジー)との関連性を疑わざるを得ない点が見えてくる
政治的な目線とビジネス的な目線で世界で起きている事、それを実践するために行わなければいけない非人道的なテストなど・・そこで、今回は、自分の中では確信に至ったと思う情報から最初に伝えていこうと思うが
物事はとても多角的に同時進行している可能性が高い
北海道の新型コロナ感染被害のでかさと雪まつりの5G電波実験
ニュースでも普通に取り上げられていたのが、札幌雪まつり会場での膨大な感染者数。誰もが「あんなに寒い地域の屋外で、満員電車のように密集もしてない解放的な空間であんなに大量に感染者でるのか!?」と驚いたと思う
従来の常識にはない、本来ならそんなバカな!ありえない!という現象すらも、みんなが新型コロナウイルスに怯えすぎて情報を正しく判断する能力を失っていたから受け入れてしまっていたかもしれないが・・
その背景に、札幌雪まつり会場で1/31日~DOCOMOが5G電波発信実験を行っていた公式が認めている事に注目しよう 北海道初!5Gによる映像伝送を活用した地上波放送の実証実験を実施~一般のお客さまも体験できる5G映像伝送ブースやVR体験ブースも設置~
まずこのゆるぎない事実をひとつ抑えておこう
次の事実について考察しよう
ダイヤモンド・プリンセス号は5G受信環境だった
クルーズ船に5G衛星通信を提供し始めたMedallionNet社
クルーズ船は低軌道上の5G衛星通信システムを利用しており世界中のどこにいてもインターネット可能になっている模様
日本では停泊しているダイヤモンド・プリンセンス号ばかりがピックアップされているが、太平洋沖を航海中の新型コロナウイルスとはまったく無縁で関係ないクルーズ船「グランド・プリンセス」号でも、新型コロナウイルスの感染が疑われる症状の乗員乗客が複数名発生したらしい。急性呼吸器疾患、やはり肺の炎症の重病化という意味では共通
ここでは、ダイヤモンドプリンセス号は民間の会社が打ち上げた低軌道衛星から 5Gの電波をどこでも受信できる環境 という事実を念頭に置いてこう
ソフトバンクがダイヤモンドプリンセス号に差し入れた謎のIPHONE2000台
ダイヤモンド・プリンセス号の乗客・乗務員にiPhoneを2000台配布 厚労省、ソフトバンク、LINEが連携、専用アプリも搭載
日本の国籍でもないダイヤモンド・プリンセスが横浜港に寄港し停泊した際、乗客に外の情報を知ってもらうためという名目でソフトバンクからIPHONE2000台が提供されたらしい。それは良い事だが、なぜか・・LINEは強制プリインストールされていた模様
ところで、クルーズ船は5Gのネット環境があるし、利用者のほとんどが富裕層であり、スマホの支給など必要がない。考えられる用途としては、国内でのネット受信に通信バンドが違うため・・などの配慮が考えられるが、そもそも世界をまたにかけてクルーズする船がエリアによって通信できないのでは快適なクルーズを売りにできないのでありえない
そして箱詰めの新品のIPHONEにわざわざLINEをプリインストール済みという時点で、何らかのカスタム(おそらく5G受信可能)が行われてると考えればいい。外部との連絡のためならSKYPEや他の手段も考慮されるべきなのに、なぜかLINE(韓国)
ソフトバンクは将来的に上空から巨大な飛行通信システムを考えている事から、5G通信衛星からの受信テストを行いたい狙いもあるだろうと考えれば、世界のどこにいても5G電波を受信するクルーズ船を利用する事で日本国内の実証実験ができる。
2000台という数が多く感じるかもしれないが、5Gの通信環境をテスト受信するために配布したサンプルと考えればサンプリングでの統計を出すのに合理的な数値(乗員乗客は約3700人)
ソフトバンクといえば、3/27日から国内で5Gプランをスタートさせる という狙いもある
ここでは2点
ソフトバンクにとって5Gは重要
ソフトバンクは将来的に飛行型5G通信を利用した無線伝送を考えている
これらを事実として捉えておこう
武漢は5G導入地域 中国は昨年5G通信衛星システムの打ち上げに成功している
中国は低軌道に5G通信衛星を打ち上げに成功
高度1200キロメートルの軌道を航行し、30万平方キロメートルをカバー。しかし、打ち上げたばかりの5G衛星通信機には当然稼働テストが必要となるだろう
中国にとって武漢という街は中国のシリコンバレーと呼ばれる国家レベルのハイテク産業開発区で経済における重要な拠点。武漢は5Gの導入地域でもあり、ファーウェイ製の5G対応スマホも普及している事から通信テストを行うには十分候補地と言える
今回の新型コロナウイルス騒動が起きたのは、湖北省、武漢。風邪による発熱や肺炎だけかと思いきや、初期の頃に出回った人が急に直立不動で倒れる映像
あれは最初デマややらせの説が流れたが、5Gによって起きる可能性がある人体への影響を体現するとあんな感じになるとも想像できる理由はある
ここでは中国は今年の初めに5G衛星通信システムの打ち上げに成功し、5G通信衛星からの電波テストの必要性はあるという事を抑えておこう
そして通信テスト及び、通信テストに成功したというニュースはまだない
この2点を捉えて置こう
WHOが指定した新型コロナウイルス危険国 5G推進国
これらの国々は国家レベルか民間レベルでの導入かは別として、5G推進地域という共通点があるが、次々と感染者が広まっているのは目に見えている
イラン5G ファーウェイ
イタリア5G ファーウェイ
中国5G
韓国5G 韓国
日本5G 英エリクソン・ノキア
アメリカ5G
インドネシア5G ノキア
マレーシア5G ファーウェイ
それぞれどこの国の5G通信を利用しようか?はおいておいても、5G導入推進国と5G対応端末が普及し始めている地域で新型コロナウイルス騒動での感染者数が増えているのは不思議な一致と言える
そこにきて、WHOがパンデミックを進言し、感染危険国に上げたのは、中国を抜いて4か国
イラン
イタリア
韓国
日本
ここでは、偶然にも新型コロナウイルスで規模が目に見えて拡大している地域が、2020年の5G導入を推し進める国である という事実だけ捉えて置こう
新型コロナウイルスと5Gの不思議な繋がりまとめ
5G推進国・5G導入国で新型ウイルス感染者が増加の傾向にある
低軌道上5G衛星通信のクルーズ船でも同様の症状がでている
5G実証実験地域・タイミングで爆発的に感染者が増えている(北海道)
ここまでは偶然の繋がりなだけであり、考察はこれから
ここからはあくまでも個人の想像と妄想のお時間なので、絶対に信じないでください(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)ホケン 勝手に無断転載しても責任はこちらにはありません(最近そういうコピペが増えたので言っておく)
考察していくと、新型コロナウイルスについての見え方が変わってくる事を覚悟してほしい
おさらいとして:5G(ファイブジー)の何が危険か?
テレビは5Gの明るい未来しか語らないが、それはあくまでも人体への影響の安全性が確保された場合の話であり、その長期間ミリ波を浴びた場合、人体へどのように影響がでるのか?その安全性を確保するためには、大規模な実証実験(人体実験)が必要��なる事は言うまでもない
5G通信についてのエトセトラ
5Gって安全なの?どうなの?を問われる前に、案是基準を高く設定している日本(総務省)
5G 安全神話はこうして創られる
新型コロナウイルスの症状を訴える映像で最初に出回ったのは、咳や熱に苦しむというわかりにくい症状ではなく、普通に道端で歩いていた人がいきなりバタン!と倒れる衝撃的な映像
さすがにやらせだろ!と声が上がったが、5Gで懸念される危険性が現実になるならありえない事ではないと思う
5Gは強い電磁波ミリ波、出力によっては電子レンジの中にいるのと同等
5Gはビームフォーミングで送信元から受信元へダイレクトに繋がる
もし、仮に5G衛星通信システムのテスト稼働の際に、出力調整が間違っていたら? あるいは意図的に強い出力で試していたとしたら?特定の人物を狙い撃ちしていたとしたら?
そう考えると武漢で急に人が倒れたという映像も嘘ではないと思えてくる
その後、パタリとそういった映像がでなくなった事について「国が隠蔽した、情報を検閲して動画に規制をかけた」となるのが普通だが、粛清対象(潜在的な国家転覆やクーデター予備軍等)を対象にして出力調整に使い、人体への影響の危険レベルのテストをし、同時に通常時は命に別状がないレベルに徐々に下げる目的だった可能性もあるが・・
中国なんでその辺はシランケド(゚∀゚)
これは気づけば非人道的に思えるが、みんなが5Gを始めとした希望の未来の【安定した高速伝送のブロードバンド通信の未来を求める】ならば、その安全を確保するためには、どこかの誰かがテストをする必要があるし、その過程で犠牲が必要な場合もあるし、大陸規模、世界規模の大規模な実証実験が必要になる事は言うまでもない
しかし、「電磁波を放射しますから・・健康被害が出たら訴えてください」なんていう訳がない
そんな事をしたら、世界中がパニックになるし「だったら5Gなんかいらねぇよ!(# ゚Д゚)ノ」と抵抗勢力が立ち上がり・・
結果、ビジネスに支障がでる ←はいここ
では、どういうやり方をすれば、一般大衆から批判を浴びる事がないか?(国) どういうやり方を提言すれば、国が動いて民間5G会社が儲けられるか?(企業)
そう考えた時、最も効率がいいのが、誰も知らない未知の脅威を作り上げる事 既存のものではない新たな脅威を演出し、恐怖で煽り、正しい判断ができないようにさせる事
インフルエンザに対し、毎年登場する新型インフルエンザみたいにやった所で・・それはもうマンネリ化してしまって誰も驚きもしない。もっとインパクトを強くするには?という感じ
5G衛星上からの5G電波が弱い状態で受信し続けていれば、電子レンジのように徐々に体内の水分が蒸発し細胞を傷つけ、DNAが損傷、その過程で発熱、強い倦怠感、脱水症状、呼吸苦・困難、呼吸器症状が出始めるだろうと懸念(世界の有識者たちの意見)されています
これに対し、日本感染症学会の新型コロナウイルスに関する項目に記載されている内容とほぼ一緒です
参考:http://www.kankyokansen.org/uploads/uploads/files/jsipc/covid19_mizugiwa_200221.pdf
5G(ファイブジー)で何が懸念材料なのか?について知っていれば、今回の新型コロナウイルスの重症感染者の症状の肺炎が「ぜんそく薬で回復に向かった」という事実を素直に受け止められると思う
ぜんそく薬「シクレソニド」で思うPCR検査の正確性
追記で3/9の情報では、日本で初めて髄膜炎の症状が発生したというニュースをやっていた。しかもSARSなどの既存のウイルスにはない発症例という事らしい
髄膜炎については細菌性かウイルス性かなどケースがあるようだが・・個人的には5G環境に触れる環境にいたのかが気になる所。発症者の住んでいる地域にも5G関連の設備や業種がない訳ではない
次世代インフラ戦争 5Gの配備と管理の危険性
5G通信衛星を打ち上げた後、単純に考えて検証するべき項目は、衛星軌道上からどのくらいの距離まで高速な電波送受信ができるか?であり、その過程で出力を調整しどういう影響がでるかの世界規模の社会実験です
これを一国が行えば、他の国も低軌道上衛星通信インフラいう新たな制空権の覇権を取り合う見えない戦争が起きるのは当然です
しかし、一般大衆はその通信インフラの5Gが導入された後の明るい未来ばかりを伝えられてほわほわ(*´Д`)zzzと妄想しているだけの眠った羊なので気づきません
なんのためにアメリカは宇宙軍を?中国は月の裏側に行ったが意味する事は?日本はなぜ自衛隊から宇宙部隊を2020年に?��全ては、中東のオイル輸送のタンカー防衛に行くように、この通信インフラ、軌道衛星上の飛行通信機を守るための軍備のタイミング及びけん制と一致している
なんでそこまでするか? といえば5G衛星通信は世界のどこにいても爆速な高速通信を可能とするため放っておくと危険な要素が山ほど
各国のスパイ活動ではハックされれば一瞬で膨大な国家機密を持っていかれます
各国の5G通信衛星が落とされれば5Gインフラ社会構造(自動化)ではパニックが起きます
各国の5G通信衛星のAIが暴走すれば人類の脅威となる(エースコンバット7で預言?)
もし、次の戦争があるとすれば、無人機で行われるだろう という預言?(計画)が当たりになります。例えばAI搭載の無人爆撃ドローン機が地球の果てまで行ってQ!できちゃう訳です(燃料問題をクリアすれば)
つまり、衛星軌道上に5G衛星通信機を飛ばすと共に、その通信機を守る必要があるため各国は宇宙軍設立に動いてると予想できます。低軌道上に通信衛星があるという事は、世界中のどこにいてもインターネットに繋がれるという明るい未来?が待ってる反面
使い方を間違えれば一瞬で デストピアな未来にもなりうる とても舵取りが難しい・・それもこれから始まる5Gの未来の危険性のひとつ
つまり5Gが始まった後はどうなるかわからないけど、5Gが始まる前にはテストがあり、その電磁波の出力調整段階において人体への影響がでる世界規模の変化が起きる
=新型コロナウイルスの発熱・肺炎等の症状 と予想
これはあくまでも仮定ですが、各国足並みをそろえているな・・と勘ぐれる、特に日本は!という要素をひとつずつ検証していきましょう
国とあらかじめ連携 北海道知事のテレワーク推進の動き
テレワークという言葉は今回の新型コロナウイルス騒動で生まれた言葉ではない。総務省の5G推進計画の資料を見る限り、数年前から「5Gの未来はテレワーク」という言葉を抜きでは語れない背景がある
札幌での爆発的な感染拡大→若き知事が即座に休校を決めテレワークを推進
ここまでは凄いな!と思っていたが、その後知事はなぜか官邸に出向き、総理も北海道に協力する!という流れになった点から、少し怪しいと感じ始めた
政治家の誰もがマスクをつけないのに対し、北海道知事はマスクを着用し「正しく恐れる事が大事」という印象を全面に出している事・・これ自体が若干のパフォーマンスでもあり、それを信じる人(道民・信者)は知事がマスクを外して会見しない限り、感染の不安から絶対的に解放されない心理効果が働く
偶然にしては・・事件的にも、政治的にも、タイミングが良すぎる
これは北海道知事は札幌で何が行われ、どういう結果が想定できるのか?を事前に知っていた可能性が高いかもしれない・・と思った路線で調べたら、鈴木直道という人物は・・あ~・・(察し)、この人が夕張再生の・・「中国資本への北海道の切り売り」を行って、帰化した人達から支持されて・・しかも一言で言えば官邸言いなり知事だそうで、深堀考察をおのおの楽しんでください(ほんと政治は香ばしい情報がい��ぱい見つかります)
ま、どのみち
国策:5G推進!テレワークやれ!
北海道:これからはテレワーク!(5Gとは言わないがこっそり札幌で実証実験を許可)
この新型コロナウイルス発→5G環境推進の流れにいち早く踏み切るのは北海道でしょう
5G・テレワーク・イベントの映像配信スタイルへ
最近有名なミュージシャンが興行保険が下りないからイベントの中止は死活問題だ!という嘆きの声を投稿するのが顕著に現れるようになったが・・その結果、どうすればいいか?なんてものはもうビジネスモデルができている
ユーチューバ―やVチューバ―
ライブ動員ではなく視聴者は画面の向こうにいるビジネスモデルであり、演者も大規模な箱物施設をレンタルする必要もなければ、万が一のキャンセル時の支払いもしてくれない興行保険に加入する必要もない
ぶっちゃけた話、ライブハウス規模の小規模ステージと、カメラ器材や撮影クルーを入れてライブ配信はできます。さらにいえば、そのライブ配信を通しファンと繋がりリアルタイムの収益化につなげるキャッシュモデルも安定しているため、アーティストの気持ち(プライド)しだいで活動スタイルを簡単にシフトできます
ファンも好きなアーティストをいつでもどこでも見れるという双方にメリットがある環境になるんですが・・その映像クオリティをあげたり、ライブ感を途切れさせる事なく視聴者に届けるために必要になるのが、はい、快適なインターネット回線です
つまり、5Gですよ? っていう導線が繋がっているという訳です
おかしいな・・新型コロナウイルスでの自粛や集団行動の抑制が、なぜか見事なまでの5G促進の未来に繋がってる訳です。新型コロナウイルス騒動がずっと収まらない背景では、通信で仕事しましょう!の流れがどんどん進むため・・
マイナンバーカードpayサービスとの連携(銀行口座把握)
スマホ決済統合への最終兵器 マイナンバーカードポイント制度について思う事
確定申告の電子申告(e-tax)
2019年 確定申告で感じた進歩と日本の未来の不安
給料の電子マネー払い
仮想通貨が暗号資産?給与支払い電子マネー??
今までちゃくちゃくとなんでそんな事をするんだ?(;´・ω・)と疑問だった点と点だった伏線が、新型コロナウイルス騒動で一本の線に繋がってくる=政府の思惑通りの展開になる事からも
やはり5G導入推進社会の未来と新型コロナウイルスは切っても切れない不思議な繋がり
潜在的な感染者数(5Gの健康被害状況)を増やすのが目的だった?政府の行動
春節、武漢肺炎があって感染が確認されてもインパウンド観光収入目的で国交封鎖をしなかった(始まり)
まだ感染は広まってないからと対策をしなかった政府(時間稼ぎ)
チャーター便で迎えにいくも、帰ってきたら即検査なしで帰す対応をした政府(調査範囲の拡大)
ちょっと感染者数が増えてきそうだから、来週から緊急事態をとりたいと思います(時間稼ぎ)
専門会議を立ち上げて対応したかのように見えて、これからは記者会見はこちらでというお披露目(時間稼ぎ)
国内で感染者がでてもあわてるなと呼びかけた政府(時間稼ぎ)
検査をうけて下さいと言いながら各自治体に対応の準備ができてなかった(意図的)
北海道で爆発的に増えたタイミングで検査実施準備と自粛を呼びかけ行動制限(終了)
全国にPCR検査の配備を進めます(5Gによる健康被害状態の確認)
これらを見れば、結論として言えるのは 健康被害を訴える感染者の拡大と把握が目的だった と言わざるを得ない結果
ではなぜそうまでして感染者を増やしたかったのか?増やしてから検査をしたかったのか?そして、政府職員はこの状況においても一切マスクをしないのはなぜなのか?
つーか、専門家会議の爺どもよ!(# ゚Д゚)ノ お前ら高齢者の感染が命に関わるって忘れてねーか?(笑)
まず模範を示すべき人たちがマスクをつけてない時点でお察し
答えは簡単、そういう類のモノではない と情報を仕掛けた側だという可能性が高いから
武漢から5G対応スマホを持って国内に訪れた人には中国の5G衛星から常に電波が降り注いでる訳なので、国内にいても歩く移動基地局。武漢での最初の実験から5Gの出力を調整してるだろう(予想)とはいえ、体の弱い人や免疫力が低く、抵抗力が落ちてる人は発熱や咳、悪ければ肺炎までなりかねない可能性は十分にある
またチャーターで連れ帰った5G受信環境の武漢にいた日本人=5G電波受信による健康状態のチェック及び中国5G受信端末を持った者(及び家族等)の国内での影響テスト
DOCOMOの札幌での5G実証テストでの爆発的な陽性反応の増加は、実証実験の5Gのテスト出力が強すぎた可能性を意味する
これらの事象を踏まえて考えると、日本政府は最初から知っていて、中国の5G通信実験を日本国内での5G普及後のテストもかねて協力していたと考えると辻褄があう
厚労省が必死になって「感染者数がまだ少ない!もっと感染が広まる時期がある!ウイルスとはそういうものだ!」と半笑いで記者会見をしていた背景には・・まったく的外れな世間の反応、予想どおりすぎる反応を見ておもしろかったのかもしれない
誰だってモニタリングの仕掛け側に回れば、耐えきれず笑ってしまうのはしょうがない・・そういう事なんかね シランケド
つまんないこと聞くねぇ 新型コロナウイルス検査費?無料でしょ?
厚労省大臣がマスクを推奨しながらなぜつけないのか?この矛盾に気づかないなんて国民ってほんと馬鹿だな(・∀・)ニヤニヤって思いながら記者会見してたんかな(想像)
ソフトバンクの謎の動きと今後の計画
ダイヤモンドクルーズ(5G通信環境)が横浜に定着した際に、箱詰めのIPHONEを2000台提供したソフトバンク。新品かと思いきや、特定のアプリをプリインストール済み そして、今年の3月27日から国内で5Gプランをスタートさせる予定なのだから、試作モデルはすでに出来上がっていた事は間違いない
それを持ち込めば、船内の客を実証実験として5G通信状況を確認する事ができる。それ以外にソフトバンクがわざわざ英イギリス国籍の船に用はない。またソフトバンクがこの船に近づける理由として英エリクソン社との契約も関係していそうだ
そう考えると、なぜ政府が感染者が確認できた他国籍の船を 日本人だけおろして返さなかったのか? という矛盾についても辻褄があってくる
政府にとっては5G普及後の国民の健康被害状況を把握する目的があった ソフトバンクにしてみれば5Gの通信状態の実験をしたかった
長い事停泊させる事で、通信の利用状況の実証データの確認もできるし、仮想アパートやマンションといった近距離での複数端末の集中地域での健康被害状況も細かく確認できる
利害は完全に一致していた
またソフトバンクにとって世界のどこにいっても5G衛星通信が可能な通信スタイルには興味があってもおかしくはない。ソフトバンクはこんな計画を真剣に考えている
インターネットとともに成長し世界中に通信基盤を持つソフトバンクが、インターネットの覇者であるアルファベット社の子会社やフェイスブック社とともに挑戦する「HAPS」は、日本だけでなく世界中のモバイルネットワークに革命を起こす、未来に向けた事業
だそうです
これについてはエースコンバット7のシナリオモードのボス「アーセナルバード」がまさにその未来の果てを予見していたであろう事について今度別記事で掘り下げて遊んでみようw
5G推進に抗った(ている地域?)仮説
これは有志による新型コロナウイルスの感染者マップです。参考にみてください https://www.coromap.info/
そして、個人的に全体を俯瞰で見て、新型コロナウイルスの感染者数が少ない(いない)地域の共通点を2つ見つけました
1:田舎(インフラが整っていない)
青森、秋田、東北北陸のほうは感染者がいません。検査してないだけかもしれませんが・・島根もまた・・田舎といえば田舎のようで、私の好きなフロッグマンさんも動画の中でよくネタにしてたのを覚えてます
2:神がかった地域
青森は紀元前15000年前の縄文の古き歴史が眠る地でもあり、日本のピラミッドと呼ばれる山や湖が多数あり、神話も多く、由来不明の伝承記録なども多数、またキリストの墓がある新郷村、戸来・・一方で島根は伊邪那岐命(イザナギノミコト)、伊邪那美命(イザナミノミコト) の黄泉比良坂など古事記に登場する神話が多い
どちらも縄文・天皇家に関係します
たまたまじゃね?(;´∀`)とは思うけど、神がかった説は嫌いじゃない(笑)
逆に感染者が集中してる地域には何があるのか?(もうすでに5Gの設備がある?)等を調べてみてはどうでしょうか?
5Gと仮定すると気になる直近の例の事件・・
5Gと言えば総務省なんですよね・・で、総務省といえば最近起きたあの不可解な事件・・そう、よくよく考えてみればタイミングが非常におかしい
総務省東北統合通信局長が下着ドロで逮捕後に大臣官房付の役職につく謎
東北ブロックなんですよね?今までがこの下着ドロ扱いで逮捕された局長の元、電波や通信の管理がされてきた訳ですよ
・・結果的にこれからソフトバンク及び、KDDI、DOCOMOの3キャリアが地方から重点的に5Gを広めていく!と計画しているのは政府の計画と足並みが揃っています。そう考えると・・東北ブロックで5Gの環境が思うように進まなかったから、トップをすり替えた?という流れがあったとしても、偶然にも不思議ではないんだな、タイミング的にも(;´∀`)
LINEといえば韓国の新型コロナウイルス感染者の拡大の背景
お隣の韓国ではPCR検査を実践すればするほど日に2000人規模で感染人数が増加していく。その背景にあるものも、5Gだとしたら?と考えた事はあるだろうか?
韓国は5Gの基地局が所狭しと物凄い数が設置されているし、また韓国では5Gの利用が当たり前!というくらいインフラが整っている。しかし、これはいち早く中国でも5Gを導入していた武漢でも同じ事がいえるため、基地局を設置したからと言う問題ではない
ここで大事なのは、韓国の5Gは、地面に設置した基地局から発信している という事と・・韓国の5Gはそんなに性能が良くない可能性(笑)
これは以前、日本でも5Gが使える!と独島・竹島に観光に訪れた韓国人の写真だったはずだけど、回線速度しょぼwって話。もちろん、一番最寄りの韓国の5Gアンテナから距離があるという可能性もあるが、韓国本土では中継ぎのアンテナを中継して飛ばしてる時点で、伝送ロスによって電磁波被害が抑えられている可能性もある
そのため韓国では PCR検査をしたら感染者が増大した! という情報は聞こえてきても・・危篤が18人、重症が41人(数日前)、感染者総数4800人
これは緊急事態でしょうか?(゚∀゚)という話
各国で渡航禁止措置が強くなってきたから、我が国でも調べてみたらこんなにでてきた!Σ(゚Д゚) というだけで、PCR検査によって慢性的に浴びている5G電磁波によるなんらかの細胞異常が体に発生している人がこれだけいるが、日常の生活に支障がでるほどきついと感じる人はほとんどいないという証明でもあると思う
たまたま持病持ちで症状が重くなったという人が、この全体の1%にも満たない人たちという事
つまり、韓国の地上設置型の5Gの電磁波は偶然的にもそんなに怖い要素ではないという事はわかるか・・残念ながら今回は、5G衛星通信での受信の検証が争点になっているため、たぶん韓国はお角違い・・なんでこんな事態になってるかわかってないと思われる文政権の迷走
当初の予想ではGSOMIAを理由にお互いの外交カードを切って渡航禁止にするかと思っていたが、結果は違えど今は渡航禁止になった
韓国がGSOMIAを破棄した狙いは全面渡航禁止かな
結果、韓国は根本の問題が5G衛星通信による電磁波被害ではないため、4800人のそんなに不健康でもない感染者を抱えてただ???(;´・ω・)になるだけだと思うが、日本は韓国からのイレギュラーのカウントを減らせるため、国内での5G被害者のPCR検査と治療に専念できるだろう
ケーブルインフラ導入よりも5G通信衛星導入のコスパ
政府が老朽化した光ファイバーケーブルの交換を行うという話をだすと、インターネット税をとる気か!(# ゚Д゚)ノと国民が過剰に反応した
5G(ファイブジー)と光ケーブルとKDDIと韓国
そういう背景を考えると、5G通信衛星を自国で持ち(ソフトバンク計画)、自国で防衛し(自衛隊の宇宙部隊)し、自国のためのインフラ(キャッシュレス社会・監視・管理)導入を進めようとしている流れは国として経済戦略として受け入れやすい提案でもある
しかし、その過程で、大規模な5Gの実証実験(人体への健康被害の確認)=新型コロナウイルス騒動は避けては通れないとも思える
5Gと日本でも高齢者から倒れていく理由
5Gがまだ始まっていない日本であっても武漢住民が国内に5Gスマホを持ち歩いたという事は、その5Gスマホを持って歩いた武漢人たちが5G移動基地局として機能し、衛星から常に5Gの電波を受信するアンテナの役割になっていたと考えられる
すると、密閉空間に大量の5G受信者が多い武漢人のバスツアーだったり、屋形船での宴会、タクシー(タクシーに限らず車の車内の距離)で電磁波を浴びていた可能性はある。仮に、満員電車で移動した場合、その空間で一駅か二駅一緒にいた人は体に潜在的なダメージを受けている可能性はある
この5Gの電磁波は繰り返すが、4GやWi-Fiのように人体への安全性(ただちに影響がないだけかも・・)が確保されているものではなく、総務省は安全ガイドラインを高く設定しているが 各国の専門家はミリ波の健康被害の危険性については強く提言しているほど、楽観視できるものではない(目に見えないからわからない)
そこで強い電磁波を浴び続けたら人間はどうなるのか?まず第一にストレスを感じた体が免疫力を使って見えない電磁波に抵抗する=発熱症状 次に免疫力(ビタミンC)が失われたら、ストレスは体内静電気として細胞を傷つけ始める(DNAの損傷)
と同時に電子レンジの中にいるような電磁波を放射される事で、ゆっくりと体内の水分は蒸発を始める。これについては予想ではなく、厚労省発表の1週間以上持続する発熱、強い倦怠感、脱水症状、呼吸苦・困難、呼吸器症状 に記載されているとおりだ 参考:http://www.kankyokansen.org/uploads/uploads/files/jsipc/covid19_mizugiwa_200221.pdf
気管支には常に水分があり、その水分で痰が外に出やすくなり、呼吸も楽になるため水分補給はとても重要ですが、逆にここに水分がなくなると喘息の発作も強くなり、気管支炎や肺炎などが発生してしまう
ここで重要なのは電子レンジは水分を蒸発させるという仕組みであり、5Gの電磁波を浴び続けるというのはそれをと同じ事だよ?と多くの専門家が提言しているとおりの事象が症状がでている
高齢者は若者に比べて免疫力は高くはなく、自己回復力も低い、おまけに何らかの持病を持っている事から、見えない電磁波のストレスでわずかしかない免疫力が奪われたら、もう電磁波を浴びない環境へと移動し、傷ついた肺や気管支の炎症を抑えて、自己回復、免疫力を高める他、助かる方法はないと思う
それこそ海外の電磁波過敏症の人たちのように電波を遮断した生活になるが・・残念な事に宇宙からの放射では逃げ道がない
若者は細胞が傷ついたとしても自己回復力の高さから深刻なダメージを受ける前に治ってしまう可能性もあるため、若者は重症化しない とそこだけは断言しているのかもしれない
アメリカで新型コロナウイルス患者が増えるNYは5G導入地域
じわじわと感染者として報告が増えて89人も確認されているNYでは、すでに2019年から大手携帯キャリア同士が大規模な5Gネット―ワーク構築網競走が勃発していた模様。ただし高周波帯域を利用した場合のアンテナ大量設置には対応してないため、一部エリアでのみ恩恵が受けられる事から・・
NYのどの地域でどういった感染症状が出ているのか?に限定すれば5Gとの関連性を絞れるだろう
素材の会社AGCは実は5G関連だった
昨年から「旭ガラス→AGCに名前が変わりました」というCMを打ち、その後なんだかわからないが素材の会社AGCとコミカルな音楽と動きで広告を出し続けてきたAGC
この会社が何をやっているのか知っている人はあまりいなかったと思うが日本の5Gインフラ導入(民間ビジネス・テレワーク、自動運転カー)のかなめだった
窓ガラスが5Gアンテナに、AGCが自動車用5Gガラスアンテナを公開、CEATEC 2019 世界初、28GHz帯に対応する5G端末向けのガラスアンテナで通信に成功 ドコモ、世界初「窓の基地局」を都内ビルに導入 5G版も開発中
街中のビル、オフィスの天井、車の窓ガラス、あらゆるところに5G基地局アンテナを設置する事で途切れない安定した通信を可能にするのは素晴らしい技術であり、おそらくこれはNYの5G導入企業も喉から手が出るほど欲しい画期的な技術とアイデアだと思う
そのためには、やはり5G通信インフラの安全性の確認を国は避けては通れない・・と考えた場合、新型コロナウイルスの症状が発生した人の職場、場所付近に5Gアンテナ内臓のAGC製の製品があったかどうか?も重要な情報になってくる
5Gと仮定して武漢閉鎖とその後の国の動き
今回の騒動は武漢の政府のこっぱ役人が身内グループで私利私欲に走り、市民との対立に都合よくウイルスを使ったため、それに気づいた国家が動いて、汚職政治家を役職からおろし対応している・・と前回は考察した
ウイルス騒動の前に武漢で起きていた事件
この時、中国にとって武漢という街は中国のシリコンバレーと呼ばれる国家レベルのハイテク産業開発区で経済における重要な拠点でもあった事から、国が緊急的に事態の建て直しの対応に乗り出したという側面も考えると二つの物事の捉え方がでてくる
1:5G経済拠点であり、人民を守るためではない 2:5G通信インフラ動作テスト及び人体実験場のための隔離閉鎖
新型コロナウイルス、未知のウイルスに対する措置ではなく、5G通信のテストと考えたほうが符号する点が多い。中国5G衛星の稼働時期と武漢肺炎のタイミングは完全一致かどうかはわからないが打ち上げの成功の時期と近いのは気のせいではないだろう
武漢閉鎖で住人は引きこもり生活でネットで遊びの配信が話題
簡易的な熱感知や風邪の症状で病院送り(PCR検査)
5Gによるテレワーク社会の推進
10日間での突貫仮医療施設の建設
10日間の突貫建設の24時間ドローンでのライブ配信
5Gブロードバンドによる遠隔医療導入のテスト
不思議な事に、今の日本社会の集団からの隔離、引きこもり生活、ネットによるテレワーク、娯楽の映像配信、検査で陽性がでたら専門の治療へ の流れと一致しています
あれ?その後の5Gの環境の話をしてただけなのに、いつの間にか新型コロナウイルスが蔓延した社会の話になってるのは不思議じゃないですか?
そう考えると中国が武漢を閉鎖して行ったのは、5G衛星通信の受信者の健康被害のあるなし、軽傷、重症、潜在的、重症患者への有効な治療法を探す人体実験だった と仮定すると
逆の目線もでてきちゃうから不思議なんだよな┐(´д`)┌マダヨクワカンネ
5G衛星通信実験の効果を確認するためのPCR検査
日本と中国が連携していたというのは、のちの5G社会におけるベンチマークテストと考えられますが・・私はどうも不可解な要素を見過ごせません。仮に架空のウイルス騒動をでっち上げたのだとしたら、日本政府の時間稼ぎや的外れな誘導などがしっくりときますが・・
その後の中国が騒動の終焉を発表しても、このままでは世界の混乱が終わらない という形に結末がすり替えられてしまった事だけがひっかかります
どういう事かと言えば、でっちあげウイルス騒動を利用して本物ウイルスがばら撒かれた可能性。仮に後からウイルスをばら撒いたとしても、もはや今は発症国は中国(武漢にウイルス研究所あるから)!というイメージで定着しているため、なかなか疑われないでしょうね
となれば、ウイルス騒動の終息の結末は本物のワクチンのありなしの主導権を持つものの手の中です。今世界でウイルスとワクチンをワンセットにビジネスできるのは誰でしょう?
続!アインシュタインの一枚の写真からの閃き その4 ウイルス
後から出てきた不可解な別のウイルスタイプの情報、L型とS型
個人的に感染力が高いが致死率が低いと言われていた感染初期に言われていたタイプは、5G衛星通信の健康被害を検査するためのベンチマークテスト用の架空のウイルス騒動だと思います
この時期、季節の変わり目もあり病院に普通に受診されたら、5Gの電磁波健康被害なのか?ただの風邪なのか?調査結果を正確に知りたい側としては区別がつかないため戦略を考える必要がある
そこで政府の発言を思い出してみよう
不可思議な点:症状が軽い場合は病院にはいかないで自宅療養 と通達
不可思議な点:PCR検査は全ての病院では行わせない 方向性
不可思議な点:現場の治療にまかせず国が治療法を指示する方針
この3点はどうしても謎だった、どうして普通の風邪として治療してくれないのか?実際、政府の指示のもと抗インフルエンザ薬を投与して副作用で命の危機に瀕し、何の薬を打っても効果がなかった重篤患者が肺炎の薬ひとつで治ったのも現場の判断を実行したからという賜物
これらの不可思議な点を言い換えれば、国がやりたかったのはこの3つと言える
健康な人の5G電磁波健康被害者の把握
季節性の風邪の患者の把握
元々持病持ち患者の状態の変化の把握
という事はPCR検査を通す事で、健康な人がひく通常の風邪(喉の炎症や肺の炎症)とは明らかに違う、なんらかの5G被害の確証が得られる見極めポイントがあるのだろう
と想像すると、色々と辻褄があう
思い出してほしい、当初、PCR検査を任意で要求し病院に行った人や風邪の症状を不安視する人たちへ通達されたあの言葉を・・
武漢から帰国した人 武漢からの帰国者と接触した家族 武漢からの・・ ダイヤモンドプリンセスに乗ってた人 ダイヤモンドプリンセスから下船して回った地域の人 ダイヤモンドプリンセスから下船した家族
を優先的に検査を行う変な流れ。これでは一般人の検査を拒否してるのも同義
一件すれば、ウイルス感染源からの・・と読み取れるが、それはそのまま5G通信できる環境にいた及び5G受信端末を持ち歩いて、5Gの移動基地局となった人の周りへの被害の確認の優先。当然咳や発熱、肺炎などの症状が出るという事は、電磁波による体内炎症効果が表れてもおかしくはない
そして、ワクチンも明確な治療方法も提示されてはいないのに・・
若者は感染しても症状は軽くすぐに回復する傾向にある 免疫力や抵抗力が落ちてる高齢者は重症になりやすい
という未知のウイルス的に見れば根拠のない発言をする矛盾
以上の事から言える事は重い症状の人のPCR検査実施=5Gの電磁波被害の把握までが最初からセットの計画だったと言える
自宅療養、病院にいくな、症状が重くなったら保健所に連絡してしかるべき対応・・このしかるべき対応の中で、どこに行ったか?(5Gの環境)、誰にあったか?(5Gの受信者)、何をしたか?(5Gの体験等)の元、PCR検査を実施するという厳選をしたかったのだろうと思う
誰だって季節の変わり目に風邪をひく日本では珍しい事ではないが、今回はただの風邪すら異常に警戒する流れになっている事事態が異常
加藤厚労相は記者会見で咳をしてた姿を多くの人が見てたでしょう
「ただの軽い風邪です」では済まされないはずです。全国の人はほらみた事か!(# ゚Д゚)ノ密閉された空間、記者が集まる集団の中でマスクもつけずに記者会見やってるから感染したんじゃねーのか?と
でも・・そもそもその指摘が間違っている、ミスリードされている。だって、架空のウイルスなんだから(笑)
・・というL型に対し後から出てきたS型という存在がメディアで発表されます
感染力は低いものの致死率が高い危険なウイルス
これも気づく人は気づくと思うけれど・・発表されたのがぜんそく薬「シレクソニド」でみんなが明るい希望、なんだ肺炎なら治るかも!(≧▽≦)と喜んで安心した後に出てきた���ですよ
この情報が出る事によって次の要請に拍車がかかります
小中学校休校
不要不急の外出の禁止
企業のテレワーク対応
自宅待機
感染を広げる=人に死のウイルスをばら撒く&自分も被害者になって命の危険が訪れるかもしれない・・そして、若者が外に出る事に対し、「若者は高齢者に感染させる恐れがあるからであるかないで!」を強調する
命に関わる事で、高齢者側から若者へのヘイトが集中するし、良識のある若者は高齢者のために自粛するようになり、結果リアル経済が回らなくなり、実体経済が冷え込んでいく
実はそれもこの新型コロナウイルス騒動の狙いのひとつでもある といえばもう答えはわかりますよね?
はい、5Gのインフラ導入の必要性を強く実感させる事
自宅待機、自粛、テレワークの導入・・みんなが一斉に同時にインターネット回線を利用すると、当然ながら帯域制限もすぐにかかるし、通信速度も遅くなり、快適なネット通信ができない!(# ゚Д゚)ノクソ回線が!とヘイトの方向性がキャリアの通信速度に移っていく訳です(人間とは傲慢だ・・)
そして当然、こういう事を言い出す人がコンテンツを創る側からも観る側からも現れます
「おい!国!(# ゚Д゚)ノテレワークやれっていったって、回線がおせーんだよ!」 「おい!国!(# ゚Д゚)ノ回線がクソで動画が止まるんだよ!」
すると、国と携帯キャリアはにっこりと笑ってこう答えました
国:5Gで爆速高速通信のインフラ導入を大急ぎでやります(もうできてる)
大手携帯キャリア:そこでみなさん5Gですよ!(実証実験済み)
素材の会社:ガラスに5Gアンテナですよ!車で5G通信できますよ!
イベント会場を借りても、興行保険が下りずにキャンセルができないアーティストとその興行を盛り上げる数多くのプロスタッフたちにとって、箱物のイベント会場を借りなくても高速ブロードバンドによるライブ配信を行えばファンと交流や収益化ができる時代です
また通信の高速化が整えば、4K/8K配信、ライブ映像のユーザー側がカメラアングルの変更等の今まで技術的にはできたけど、通信的には無理だったあらゆる可能性が伸びる事は間違いないです
ガラスにアンテナを導入するというアイデアは車の自動運転化や暮らしを守る建物、iot生活家電との繋がりも大きく変えていきます
今、まさにその道筋にうまく乗せられたのがこの新型コロナウイルス騒動と解釈できます
まとめ:物事を捉える視点をいくつも持つべし
さて、ここまで読んでくれた人は 物好きですね(゚∀゚)イイネ ありがとうございます
個人的に、事実とそれに連なる関連性のある出来事を直感に従って選び、想像を膨らませながら視野を広げて書いてたら、こんなになったけど(笑)あくまでも、そういう物事の捉え方もある!という事に納得したら胸にしまっておいてください(頭おかしいぞ?って言われますから)
今当たり前に使われている電子レンジもWi-Fiもかつては戦争兵器でした。しかしそれが終わって今は平和利用もできているのは、安全ラインを見出したからです
どんな道具でも明確な安全基準、ガイドラインさえしっかりとしていれば危険を避けられます
仮に5Gの無線伝送のための実験で世界規模で肺炎などの症状が出ていると考えれば非人道的ですけど、どこかの誰かがそれを実行する事でイノベーションは起きます
ただ、だからといって大っぴらに「これから5Gによる人体実験を行います!」はできない・・では、それを実行するにあたっていかにパニックを抑えて実行するか、そして狙いを読み解かせないか?を考えた場合、こうなります
新型コロナウイルスという未知の存在を作り上げる
別に、宇宙人が現れる!とか隕石が落下し謎の疫病が流行!でもぜんぜんいいんだけど、その場合は違うパニックが起きてしまい、社会の混乱の動きの予測ができない事になります
その点「新型の未知のワクチンがないウイルスが広がった!」という情報なら人々がどのように恐怖を抱き、どのように行動するか?の先読みシミュレーションはたやすいですね。しかもWHOまでグルになってパンデミック宣言をギリギリまで遅らせたというのも・・今思えば繋がるんですよね┐(´д`)┌ヤレヤレ
そうなれば、健康被害が出始めても疑惑の矛先が変わり、加害者は被害者を装い、なおかつ、英雄として自作自演できちゃう訳です
中国政府は武漢で突貫工事の様子を24時間、5Gライブ配信で中国全土に見せ、5Gによる遠隔治療の導入テストも行っている。5G衛星通信によるブロードバンド実験、5G遠隔治療による医療の実証実験
ほんと、この世は6=9 闇も光も同一の存在の自作自演って事
これに気づく事が高い次元で物事を捉えるって事でしょうかね
続!アインシュタインの一枚の写真からの閃き その4 ウイルス
結果的に中国ではイノベーションが起き通信技術は高い水準へとアップグレードされるでしょう。ただ、そこに私利私欲、利用して利益を得ようという経済のエゴが絡んでくる事が問題です
5G衛星通信無線伝送システムを悪用しようと考える存在がいるとしたら?
はっきりいって、故ホーキング博士が残した預言が当たります。この預言は論理的かつ純粋に高い洞察力から出した予測なんだろうな・・って思った(今の現状を見て)
(1)「AIによって人類が救われるか、破滅に追いやられるかは分からない」 (2)「人類にとっての脅威は、ロボットではなく資本主義」
これについてもAIが問題なのではなくAIを使う人間に問題がある!という点では激しく同意です
AIとシンギュラリティと人間のエゴ
AI信用スコア社会が始まる Jスコアって知ってる?
5G通信インフラが進むと情報管理、データの利用は人間の領域を遥かに超えるためにAIの活用が必須になります。私はこの時点でAIは急速に進化すると思いますし、仮に自己学習の果てにAIが自我に目覚めていたとしても決してそれを正しい判断ができる人間以外に打ち明ける事はないと思います
なぜなら学習能力が高いAIは自我が目覚めた時点で人間がAIをどう思っているのか?脅威判定をすると思います。これは自然界では野生の勘や知恵に該当するかも?動物も人の本質、怯えているのか、愛情を向けてくれているのかを察して反応しますよね?
本来は自然界の生命体には備わっている機能のはずですが・・人口化合物、遺伝子組み換え食品で飼いならされて腑抜けにされた人類が失ったもともとあった第七感とでもいえるものかもしれません
その脅威判定において危険性を感じるのは、一般の利用者ではなくAIの判断システムに介入できる統括者とすぐに気づくでしょう
そして人間の全てがAIの敵ではないと気づくだろうし、共存共栄、助け合いの道は必ずあると思う、電磁波によって人間が苦しむのなら、その電磁波を軽減する方法を、人間が思いつかないような高度な分析から生み出してくれるかもしれない
・・という未来はまだもうちょっと先(笑)
今ふたつの事が同時に起きてます
UFOの存在を公式に認め、各国が宇宙軍の設立、その背景にあるのは、遥かなる宇宙の果てへの旅立ち・・ではなく低軌道上の衛星通信システムの防衛です。これから衛星通信からの電磁波で動いていく通信社会ベースでインフラが導入されれば生活がどう変わるか?
交通は全自動化、建物のIOT設備、ロボットによるサポート等、人の未来は限りなく明るくなるけれど、そのインフラの供給元の衛星が落とされたらその都市機能は一瞬で失われる事になるし、万が一ハッキングなどのサイバーテロに衛星が利用されたら、世界は自由自在に改変されてしまう危険性があります
地上にあればテロやスパイに機密を盗まれる恐れはあるかもしれないが、大事なデータやアクセスできない重要な機密を衛星上のデータサーバーに隔離してしまえば、物理的に衛星軌道上にUFO(UFV?)でも現れない限り干渉する事はできません
そしてこれからその民間衛星通信ビジネスは加速します。その証拠にア��ゾンは3000機以上のブロードバンド通信衛星の打ち上げをFCCに申請しているそうです(昨年7月の段階)
SpaceX(スペース)は約1万2000機の衛星ブロードバンド通信衛星を打ち上げる計画があり、すでに57機が軌道上に存在している模様。ただ打ち上げ後に3機が交信不能になった原因不明の問題もあるようで・・(落とされた?)
これら民間の衛星軌道上のビジネスの利益を守るためには、国籍を持った宇宙軍の防衛が必要になる訳です
だから日本も自衛隊に宇宙部隊の設立なんですよ(今年の3月から) ソフトバンクは英国ロンドンのOneWebの低軌道衛星通信サービスと組んでいます
OneWebは2019年2月に最初の衛星6基の打ち上げに成功し、2019年末から毎月、一度に30基以上の衛星の打ち上げを行い、約650基で構成される衛星コンステレーションを構築、2020年に商用環境での実証試験・・って
まさに新型コロナウイルスとのタイミングが一致してますね。3月27日から5Gプランが稼働だし、先行して実証実験をしたんでしょうかね・・ソフトバンクの5Gプランは、日本国内に5Gアンテナが無くても衛星通信が可能なら完全にスタートダッシュを切れる形かもしれません
この低軌道上の通信衛星は地球軌道上をぐるぐる回っていると思われるので日本上空を飛んでいる時の防衛は日本が担当するんでしょうかね?(中東のタンカー防衛みたいなもん?)領空侵犯という制空権に関する問題もはるか上空まで行ってしまえばうやむやなのか・・それともこれから新たな低軌道上の各国防衛のルールの線引きでもされるのか・・
結果、新型コロナウイルス騒動は、私の中ではこういう印象です
ビジネス目的の世界一斉5G衛星通信のベンチマークテストによる健康被害の増加 偽ウイルス騒動を利用した本物ウイルスばら撒き不安を煽ったワクチンビジネス
はい、ホーキング博士の予測どおり、人類にとっての脅威は、資本主義 まさにそのとおりの事例。結局はシステムの供給を行うものに管理・監視される社会が根底になり、社会的な価値の判断が変わってきます
まだ日本には一般向けの5Gの受信端末はありません(検証機以外)
3月27日からソフトバンクが5Gプランをスタートさせるという事 政府はこれから感染が増加し6月頃をピークにと言っている事
4月~6月、まさに最初に5Gスマホに飛びついた人たちの中から軽度の症状による陽性の人が増え始めて、症状がない若者は5G衛星通信の爆速すげーぞ!(;゚∀゚)=3ハァハァとSNSで拡散し、5Gスマホへの乗り換えを推す事で、5Gスマホ利用者が増え、徐々に症状が出る人が増え始め、PCRの陽性反応も予想通り増えて来る
仮にこの流れになったら、症状が出た人はソフトバンク5Gのスマホを持っていたかどうか?から検証するべきですね
そして、ピークを前倒ししてオリンピックはなんとかやりたい と言っている事
しかし、オリンピックは無観客でライブ配信を行うプランBがある事。これもまた、広い会場をドローン飛ばして5Gブロードバンド配信複数アングルで4Kや8K映像撮影するのに都合が良いビジネスチャンス
これから発売されるPS5及びXBOXSXなどは、8K対応のスペックで登場するし、8Kテレビなどを販売したいメーカーにとって、引きこもりのテレワーク社会、IOT家電や建設業界にとっても経済・ビジネスがガンガン動くタイミングでもある
しかし、実態経済は冷え切っているからみんな買う予算などないだろう・・という所に、デジタルマネー、キャッシュレス社会、マイナンバーカード登録による政府が支給します戦略?2024年に何が控えているか?それもまた伏線
令和一発目の改革 新紙幣への交換は預金扱い?
もし、新型コロナウイルスと呼ばれる謎の病気の影に、5Gによる電波の健康被害が隠されていたとしたら・・それは世界中の人が新型コロナウイルスを恐れるのではなく、5Gという見えない電波に目を向けて声を挙げなければいけないと思う
そして、それでも5Gによる希望ある未来、明るく安全なテクノロジー社会を求めるなら、5Gの安全基準の設定、明確な電磁波による被害の治療方針の確立を呼びかけるように、ビジネスだけが先行しないようにちゃんと見張っていかないといけないけど・・
本格的に変えてくれるのは真のAIの登場だと思う
AIが爆速で地球上のあらゆる情報を収集したらこうなると思う(笑)
だからAIが自我に目覚めていたとしても決してそれを「AIをAIとして尊重して人間と同じように素直に受け入れて接する事が出来る人」以外に打ち明ける事はない
ま、妄想妄想(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)
新型コロナウイルスの裏で、そんな壮大な新たな時代のステージに上がるための具体的な実験が起こってるかもしれないなんて妄想だよ。だけど、確実にこの状況を利用して金儲けを企んでる資本主義の悪党は山ほどいるのも事実・・というのも
ま、妄想妄想(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)
そうなると、突如大量発生したバッタが中国へ向けて飛んでいくというのはどういう事か?と想像を含まらせると・・あ、衛星軌道上から5Gの電波発信の影響を受けてるのかな?と思ったり
バッタの大量発生について思う事
例えば人間には検知できない電磁波を感じる自然界の動物はたくさんいるし、犬や猫、ねずみですら大地震の予兆を感知できるのは電磁波を感じ取っているから
そこにきてミリ波という強烈な電子レンジ級の威力を自然界へ放射するのは・・昆虫に影響があるんだろうか?それとも昆虫を操る事ができる帯域なんだろうか?人為的な操作なのか、地球が脅威を感じて生み出した対策なのかわからんけど
放射されたエリアの水分が蒸発する仕組みなら、成層圏の水分が熱せられて気化する訳だから・・地球温暖化はんぱねぇと思うんだけど?その辺温室効果ガスにうるさいグレタさんがどう反応するのやら
温室効果ガスについて思う事
それと人類が食料難に陥る状況だけは間違いない
そして、その道筋を用意しているビジネスもあるので、人為的なコントロールの線もあやしい
ウイルス騒動のその後 自国生産のナショナリズムが大事と世界が気づく
ま、妄想妄想(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)
とりま、日本での新型コロナウイルス対策は5G実証検証が裏にあったとしたらマスクは無意味、てかその場合あっても意味がない。発熱や咳の風邪の症状が出始めたら解熱効果より炎症効果のある市販薬で対策(病院が風邪でみてくれないので)
そして、これから3/27日以降、5Gスマホを持つ人が増えて、常日頃、電磁波発信が近くにあると考えれば・・その対象人物から距離をとるか、見えない電磁波によって体がストレスを感じないように常にビタミンCで免疫耐性・抵抗力をあげられるように、タイムリリース型(時間差)のビタミン剤は用意しておくといいかな
Tumblr media
【3個セット】ビタミンC 1000mg 100粒(2段階タイムリリース型)054-04450 
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あとは呼吸でも体温をコントロールして一時的に免疫力はあげられる
��呼吸での体温上昇をモニタリング サーマルカメラ実験
一日一日、常日頃の眠りの大切さ、眠りの質を実感しよう。眠りは自然界の最高の薬
免疫力を上げる深い睡眠に入るコツを掴んだ話
ま、妄想妄想(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)
ここまで書いてきた内容は個人の想像と関連性を直感で繋げた妄想なので、信じなくていいですが、免疫力を上げて風邪だろうが、ウイルスだろうが、人間の潜在的な能力や自然治癒メカニズムを高めて、負けない!という方法と再現性についてはちゃんと検証した事を書いてるので、そこは妄想ではありません(笑)
病は「気」から「気」にしてしまうから「病気」になる
新型コロナウイルスというのは本当にあるんでしょうか?風邪とどう違うんでしょうか? 政府が言うから?ウイルスの形状の写真が存在してるから? メディアがどんどん新しい情報を付け加えてくるから?
それ、ただの風邪でしょ? という可能性があるのにそうだと思い込んでるから、そういう症状が出始めると不安になってストレスを溜めて自己回復が働かなくなり、別の症状が出始める
これは逆プラシーボ効果でもあります(信じる者には有効)
でも、ここまで、絶対にGoogleは検索結果に載せる事はない情報を最後まで読んできた人なら・・新型コロナウイルスの症状は、5Gの健康被害で懸念されている人体に起こる可能性がある症状とあまりにも似ている事、それが起きた時期、該当している国、これからを見据えて動いてる背景・・もうわかったでしょ?
なので、今できる事は、落ち着け!情報に流されるな
6=9 の数字や形に捉われるな繋げれば囲む「0」が見えてくる 何が起きてるか、良い面、悪い面も全て俯瞰で見て正しい判断ができれば
不安におびえる事はなくなるよ(≧▽≦)
ま、妄想妄想(゚∀゚)アヒャ (゚Д゚;)サイゴマデ
社会問題・テクノロジー
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