#男子高校生弁当
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一日出勤してまた大型連休と、秀一は新しく引っ越してきたアパートの荷物整理をしていた。この四日間で終わらそうと段ボールに入ったものを確認しながら、
「果たして終わるだろうか?」
と、一度は取っておこうとしたものをゴミ袋に入れたりと骨折った。
秀一は、黒いカットソーにジーンズという格好で片付けをし、昼食は最寄りのコンビニで弁当を買って済ませた。ベランダの物干しには昨日着た白いワイシャツやビキニブリーフなどが風になびき、天気も良かった。嗚呼、こんな時は近くのT天満宮にでもお詣りを兼ねて周辺を散策したいなァと、内心は思いつつ、未だ解体していない段ボールを見ると溜息をついた。
部屋は「二LDK」だった。つまり、八畳の洋室が二室、その一室に隣接する様に台所があり、トイレと浴室は別である。ようやく寝室として使う部屋が片付き、彼はストレッチをしようとベランダに出た。すると、フェンス越しに何処かで見たことがある青年だなと、彼は���をかけた。相手も、嗚呼、益子先生だなと気付いて振り向いた。黄色いTシャツに、長袖の青が主のマドラスチェックのシャツを羽織り、ベージュのチノパンツを穿いていた彼は、翔だった。彼は何故か洗濯物の方に視線が向き、白いビキニブリーフを見るとこう言った。
「先生、ブリーフなンすね」
秀一は何故そっちに目が向くンだよとツッコミを入れたくなったが、敢えて聞き流したのを装い、
「何、散歩?」
と聞いた。
「はい、ちょっと買い物でも行こうかと思って」
「ちょうど引っ越しの合間で休んでいたンだけど、上がる?」
「え、イイんですか?」
「コーヒー淹れてあげるよ」
翔は上がり框で靴を脱ぎながら、教壇から見て一番奥の右側に座っていたのによく顔を憶えたな、と怖くなった。これまで塾の講師に横恋慕はしたが叶わなかったこと以外は、一度も父親を除く男にはほぼ関わりがなかった彼にとって、秀一の部屋に入ることにドキドキしていた。昨日、初めての射精を経験したのに股間が熱くなるのを感じた。嗚呼、あのブリーフでオ◯ニーしたい…。秀一がペーパーフィルターをドリッパーにセットしている間、彼はその後ろ姿を見詰めながら、カットソーからうっすらと浮き出ているタンクトップの線に男らしさを感じていた。どんなスポーツをやっていたのだろう?と、彼は思った。
マグカップにコーヒーを淹れて秀一がテーブルに置くと、彼は自分のものを口に付けた。彼は聞いた。
「確か、一年二組にいたよね?」
「はい、諸井翔と言います」
「ふ〜ん、今時の名前だね」
「父が『薫』って言うンです」
「お父さんは何やってるの?」
「システムエンジニアです。海外出張が多くて…」
「じゃあ、大変だね〜」
翔の父親は、今はインドの方に長期滞在している様だった。三ヶ月に一度は帰って来るが、一週間以内にはすぐ戻ってしまう。ずっと父親がいない日々を送っていたからか、思春期の頃に色々話したいことはあったができずにいた。たまたま話す機会があっても、
「お母さんに話しなさい」
と応じてくれなかった。
彼は、母親がいない時には父親のクローゼットを開けては背広やトランクスなどの「匂い」を嗅ぎ、淋しさを紛らわせていた。未だ性衝動が起きない頃である。ともかく男のいない周辺がつまらなかった。小、中学生の時は女性の教師がずっと担任だったし、優しい言葉かけもあまりなかった。色々と昔を振り返りな��ら、彼は秀一と話をし、次第に好意を持つ様になっていた。オレに何故、こんなにも優しいのだろうと。翔は、
「早くゴールデンウィーク、終わらないかなァ…」
と言った。
「早く皆と仲良くしたいよ」
「先生も、寮の宿直、やるンでしょ?」
「うん、するしかないよねぇ〜」
すっかり二人は打ち解けた様だった。
昨夜、「別荘」で一夜を過ごした貢は朝食を作って亮司と一緒に食べた後、K高校と単科大学の間にある自宅に戻って行った。一応、養子に迎えた甥の夫婦と同居しているのだが、孫と一緒に出掛ける約束をしていると亮司に話した。彼は、
「親父は『バイ』だったけどオレは『ゲイ』だから」
と話した。世間体で結婚はしたが「インポテンツ」を理由に子作りができなかったと、女房には話していると言った。亮司は、
「全然『インポテンツ』じゃねぇだろうよ!? オレのケツの穴、バッコンバッコン掘ってたじゃん!」
と言った。
「そんな下品な言い方すンなよ!」
と、流石にオレにもデリカシーはあるンだと、貢は口調を強くした。それでも別れる時には接吻を求め、
「今のオレには亮ちゃんが必要なンだ」
と怒っている様子はなかった。
再び一人になった亮司は、休みだが刈払いでもやるかと作業服に着替え、麦茶を淹れた水筒を片手に土手の方へ歩いて行く。未だ五月になったばかりなのに長袖では日差しが強く、少し動くと汗ばむ陽気だった。グランドではサッカー部が練習に励み、陸上部もトラックを走っていた。嗚呼、懐かしい風景だなと亮司は思った。彼は、トラックを走る一人の生徒を秀一と重ねた。
当時、都立A高校に赴任していた亮司は、その年の四月に秀一と出会った。中学校の頃から陸上部に所属し、総体でも優秀な成績を残していたが母子家庭だった彼は所謂「鍵っ子」だった。姉がいたが大学へは行かずに看護師をしていた。入部して早々、
「先生。オレ、頑張ります」
と誓った。もしかしたらあの頃から彼はオレを好いていたのか���と、亮司は振り返った。
まさか、その秀一がこの私立K高校に入職するとは…。できれば深々と帽子を被ってコソコソと仕事をするしかないなと、亮司は思った。あとは、昨日寝た翔にも「口止め」をしておく必要がある。彼は土手の刈払いをしながら、何とか秀一に知られずに済む方法を探っていた。
寮では、正美が自分の部屋でオ◯ニーをしていた。カーテンを閉め、密かに自宅から持って来た『薔薇族』のグラビアを眺めながら、スエットパンツの片方を��に絡ませたまま、赤と青のラインが施されたセミビキニブリーフ越しに股間を弄っていた。すでにチ◯ポは硬くなり先走り汁も滴っていた。時折、包皮の先端から覗かせる口先を手指で「こねくり回し」ながら、
「あッ、あん、気持ちイイ…」
と漏らした。乳房も「勃ち」、次第に血の流れが激しくなっているのを実感していた。
正美は精通が遅かった。中学二年の終わり頃、たまたま更衣室で着替えていた男性教師の姿をドアの隙間からたまたま見え、興味を持って覗いてしまったのがきっかけだった。その教師は、当時は四十代前半で社会を教えていたが、剣道部の顧問をしていた。髪を七三分けにし、若干白髪もみられていた。正美の母親の幼馴染でもあり、たまに自宅にも来ていた。謂わば「近所のおじさん」でもあったが、この日ばかりは一人の男として見ていた。ジョギング型のチェック柄のトランクスから縦縞のビキニブリーフに穿き替える時に、シルエットではあったものの剥き出しになったチ◯ポが見え、ビキニブリーフを穿く時に一瞬持ち上がる様子に正美は興奮し、初めて性衝動を覚えたのだ。
実は、正美が同性に興味を持った要因がもう一つあった。母親と姉が、所謂「やおい系」の漫画が好きだったことである。時折、幼馴染であるその男性教師にも母親は見せていた様で、
「京子ちゃん、そんな漫画を正美君に見せるなよ。影響しちゃうから」
と注意していたのを密かに見ていた。正美の母は、
「たかが漫画でしょ? 絶対にないわよ。周ちゃんだって女の子のスカートめくり、再三してたでしょうよ。中学校の先生になったと聞いてびっくりしたわ」
その男性教師は、八坂周二と言った。八坂は、
「あれは、年頃の男の子なら誰にでも起こり得るンだよ」
と言った。
「あらあら、そうやって正当化するンだから…。まァ、正美が万一『ホモ』に目覚めてもアタシは構わないけどね〜」
その母親の言葉通りに、正美は同性に目覚めてしまったのだ。しかも、八坂という父親の次に身近だった男に対して。彼は、八坂が更衣室に入る時間を見計らっては覗き見、トイレの個室でオ◯ニーをした。
そんな日々に終止符を打つ出来事が起こった。いつもの様に正美が八坂の着替えている様子を覗いていた背後に、一人の女性教師が声をかけた。彼は慌ててその場から立ち去ったが、翌日になり八坂が呼び出したのだ。相談室に導かれた正美は血の気が引いた様子で、
「…先生! オ、オレ…先生が好きになっちゃったンです!」
と、いっそのこと「告って」しまった方がイイと思い、言った。その言葉に対し、八坂は両腕を組みながら困った表情を見せた。しばらく沈黙していたが、
「…正美君が好きなのは、おじさんではなくてオレの肉体だろ? 部��の時はトランクスじゃ袴付けた時に落ち着かないからビキニブリーフに取り替えてるだけだけど…。君の様な齢の男の子は肉体も変わっていくから興味を持つのは仕方ない。でも… 」
と言葉に詰まった。正美は嗚咽を上げながら、
「…だ、だって、おじさんのチ◯ポ見たら、何かドキドキしちゃって、アソコ勃っちゃったンだもん」
と本音を言った。八坂が溜息をついた。まさか、京子ちゃんに注意した言葉が現実になるとは…。彼は考え込んでしまった。オレには妻子もいるし、一度も男をそんな目で見たことがない。どうしたら良いかと、この日は結論を出せずに終わった。
次の日、八坂は正美が塾で遅くなるのを見計らって京子に話をしたいと、学校帰りに寄った。これまでの経緯を話したが、彼女は爆笑しながら言った。
「う、嘘でしょ!? 周ちゃんの何処が、正美が好きになったのよ? まァ、チ◯コは貞子さんにしか解らないだろうけど…そんなにイイもン持ってるの?」
「京子ちゃん! 笑いごとじゃねぇよ! オレ、困ってるンだよ! 正美君がオレの肉体に欲情してオ◯ニーしてるンだよ!? どうしたらイイんだよ!?」
「いっそのこと、抱いちゃったら?」
「バ、バカ言うな! オレは教師だぞ!? そんなことしたら…」
「だって、正美が周ちゃんを好きになっちゃったンでしょ? 応えてあげてよ〜。あぁ見えてあの子、意外と寂しがり屋なのよ。旦那も連日仕事で忙しくて構ってあげられないしさァ…。大丈夫、教育委員会に告発することはしないよ」
「だ、抱くって…」
「いくらでもあるじゃない? 車の中とか」
コイツ、正気でそんなことを考えているのか? まァ、昔からズレてるところはあったけど…。八坂は深く溜息をついた。
色々考えた挙げ句、一度くらいだったらと八坂は授業の後に正美に声をかけた。ちょうど塾へ行く日ではなかったので了承し、学校が終わると人気のないところに停めた八坂の黒いセダンに乗った。車を走らせながら、とんでもない過ちを犯したらどうしようと不安になりながら八坂は山林の中にあるモーテルに向かった。
正美は、まさか八坂が所謂「ラヴホ」に連れて行くとは想像もしなかったが、部屋に入ると彼は家にあった「やおい系」の漫画の通りに、
「…おじさん、抱いて」
と接吻した。唇が重なると、自分の女房以外とは「キス」をしたことがなかった八坂は徐々に溶ける様な感触に理性が失せていくのを感じた。気付くと、正美をベッドの上で学生服を脱がしていた。彼もTシャツとトランクスだけになり、卑猥なテントの先端が先走り汁で濡れているのを認めた。オレもその気があったのか…!? そう疑いつつも勢いで、教え子で京子の子どもでもある正美の開いた内腿に下半身をうずめた。白地に黒くブランド名が施されたウエストゴムの、正美のセミビキニブリーフもいやらしいほどに真ん中が隆起していた。正美は、
「おじさん! 欲しい、欲しいの!」
と、離さじと八坂の背中に両腕を回しながら訴えた。
その後、無我夢中に肉体を弄んだ挙げ句、二人は絶頂に達した。八坂は、
「ま、正美君! おじさん、イクぞ!」
と、黄色い声を上げながら正美の身体に愛液をぶちまけた。これまで経験したことのないエクスタシーを感じた一方で、
『オレの人生は、終わった』
と呟いた。嗚呼、教師失格だと空虚感も込み上げてきた。一方、正美は八坂と自分の愛液にまみれた身体を見ながら、
「お、おじさん…。スゴい」
と至福の様子だった。これで良かったのか? 正美君があんなに喜んでいる。オレは彼を抱いて正解だったのか? 未だに萎えることのない肉棒を両手で覆いながら、
「正美君…。御免、御免よ…」
と罪責感の故に号泣した。
そんな、八坂にとっては情けないと悔やんだ情事だったが、正美は勉強に集中できる様になったと喜んだ。彼の母である京子も、八坂は一緒に寝たと自白はしておいたが、
「勉強を教えるよりセッ◯スする方が才能あるンじゃない?」
と高笑いされ、
「オレは教師だぞ!? 男娼じゃねぇよ!」
と突っ込んだが、定期的に正美と寝る様になった。その時ばかりは、時折部活動の時にしか穿かないビキニブリーフを選び、正美を欲情させた。いつしか「イク」時の切迫感が彼にはエクスタシーとなり、
「…ま、正美君。おじさんと気持ち良くなろう」
と、すっかりただの「エッチなおじさん」と化していた。
正美は、高校に入学してから、八坂も密かに『薔薇族』を愛読していたのを知った。道理で手慣れているなと、情事を重ねる度に疑ってはいたが…。彼は、八坂の接吻する時にタバコの「匂い」が漂う柔らかくて分厚い唇と、うっすらと胸元に生えた体毛、そして血管が脈々と浮き出る勃起したチ◯ポを思い出しながら、
「…おじさァ〜ん、もっと欲しいのォ〜」
と声を上げた。
オルガズムは、ブリーフの中に淫液を漏らした。生温かくねっとりとした感触が股間全体を覆い、正美は背徳感を覚えた。このシチュエーションも、実は八坂の性癖だった。受験シーズンが終わろうとしていた時に、執拗に彼自身も穿いていたトランクスに「中出し」をし、
「…お漏らししちゃった」
と赤面していたのだ。この頃にはすっかり正美を教え子でも幼馴染の子どもでもなく、自分の「慰めもの」の様になっていた。
「…セッ◯スしてぇ」
彼は、淫液で汚れたブリーフを脱いで洗面台のシンクで冷水に浸し、黄ばまない様に衣類用ハイターを加えながらシャワーを浴びに行った。
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息子への毎日のお弁当
朝5時半に起きる生活が一ヶ月経過。
なれてきた頃だけど
周りのママたちも子も
結構疲れがでてるな〜
私もその一人
風邪なのか鼻喉調子悪いわ〜ずるずる。
男子高校生のお弁当箱850ml
これなかなかのボリュームで埋めるのが大変。笑
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ホワイトデーだった。彼が高価なチョコレートを買ってきてくれた。わくわくしながら箱を開けたら、12粒入りだったけれど、半分くらいしか食べられるものがなかった。同じブランドのトリュフアソートだったら全部食べられたのに、と勝手に落胆しては、そもそも人の好意を無碍にする自分って最悪だなと思ってさらに落ち込んでいる。
さて、今日もスーパー自己開示タイムをしようと思う。今回は食生活編。先に言っておくが後半で理解のある彼くん(笑)(言ってみたかった)の惚気が入るよ。ここはとても静かで良い場所だから、別に嫌がる人はいなさそうだけど。
他人からの好意を無碍にしてしまった経験を、幾度となくしてきた。そしてそれのうち、ほとんどが食べ物に関するものだ。以下に思いつく限りの具体例を挙げていく。
高校生のとき、とある男子運動部のマネージャーをしていた。高1の春、学校外での外練の後、学校に戻る途中にあるシュークリーム屋に寄る流れになった。わたしはべつにいらないな、と思ったので、同じく買わないメンバーと一緒に、お店の外で待っていた。主に3年生の先輩がこぞって買っていたはずだ。先輩たちがお店から出てくると、その中の一人の先輩がわたしにシュークリームをくれた。わたしの分を買ってくれたらしい。ありがたく受け取りはしたが、先輩との間に恋は芽生えなかった。わたしは生クリームが苦手なのだ。
大学生の頃、美容院の予約日がちょうどバレンタインデーだったので、担当の美容師(メンズ)に既製品のチョコレートをあげてみた。翌月の施術の時、ホワイトデーのお返しをもらった。「甘いの苦手って前に言ってたから、控えめのやつにしてみたよ」と言われ、会話覚えててくれたんだ〜と嬉しくなった。中は謎の焼き菓子だった。家に帰ってひとくち食べた。普通に甘すぎて食べられなかった。家族にあげてしまった。
ある年の冬、友人と待ち合わせをしていたとき、相手がすこし時間に遅れて、寒空の下で待ったことがあった。遅れてきた友人はコンビニで買ったであろう暖かい紅茶をくれた。午後の紅茶のストレート。飲んでみたら、甘かった。ストレートのくせに甘かった。調べてみると、午後の紅茶はミルクとレモンが入っていない状態の紅茶をストレートと定義しており、ストレートと表記されているものは飲みやすさを重視して、若干量の砂糖が含まれているのだそう。わたしは完全に無糖の紅茶しか飲めない。一口でオエってなって、それ以降飲めなかった。
恋人と高価格帯のおしゃれなバーで飲んでいたとき、座っていたテーブル席に虫が出た。店員さんに対処してもらった。その後、不快な思いをさせてすみません的なお詫びで、お店からシャインマスカットの盛り合わせをサービスとして出された。ありがたくいただくことにした。一口食べた。あまくてそれ以降食べられなかった。
数年前に研究関連の用事で台湾に行ったとき、出先でお弁当などをよく出してもらった。だが、どうしても匂いが受け付けなくて、一口も手をつけられなかったということが何度もあった。去年フィリピンに行ったときも、帰りの飛行機の時間が早朝だったのでホテルが朝食としてお弁当を準備してくれたのだが、食べずに空港のゴミ箱に捨ててしまった。
食べ物を粗末にしたら地獄に落ちる系の言葉はきっとわたしのためにある。誰かが準備してくれたり、労力をかけてくれたり、お金をかけてくれた好意を、わたしはこんなにも簡単な形で切り捨ててしまう。わたしは本当に地獄に落ちた方がいい。
食に関する悩みが人生においてずっとつきまとっている。決まった時間に食事をとるのが苦痛だ。毎日決まった時間にご飯を食べている人間、あまりにも文化的存在すぎて尊敬する。あとわたし、単純に好き嫌いが激しすぎる。嫌いなもの・気分じゃないものを食べるくらいだったら一食抜いてもいいや、という、どう考えてもおかしい判断がまるで正当かのようの思われてしまう。
一般的に太りやすいと思���れている食べ物が軒並み食べられない。ポテチはのり塩以外たべられない(のり塩でも別にいらない)。甘いもの、大半はむり。ミルク・ビターのシンプルなチョコレートは大丈夫だけど、ケーキ全般、生クリーム、和菓子、パフェ、ドーナツ、シュークリーム、大抵は無理で、ミスドのチョコファッションのチョコレートの部分が小さくなったという話題についていけなかった。バスキンロビンスことサーティワンアイスクリーム、わたしはオレンジソルベしか食べられない。唐揚げやカツなどの揚げ物も好きじゃない。ステーキも別にいらない。焼き鳥もべつになくても生きていける。天ぷらもいらない。ていうかうどんの天かすマジでいらない。ハンバーガーも食べない。牛丼もいらない。焼肉屋ではホルモンしか食べない(付き合いで他の肉を食べることはもちろんある)。菓子パンも苦手。ついでにフルーツも、柑橘系とりんごしかたべない。
じゃあ何食うの?? って感じだと思うけど、おさかなと野菜、あと各種麺類です。カップ麺は食べられるので助かっている。わたしあと3年は学生なのでまだいいけど、社会人になったら飲み会とかですごく苦労しそうだからもうすでに怯えている。
偏食だという事実をふわっと誰かに話すと、ほぼ確実に「羨ましい」と言われる。甘い物と脂っこいものを食べないから細いんですね、いいなあ、と。でも、違うんだよ。生きづらいよ。アフターヌーンティーとか行ってみたいんだけど、無理なんだよ。ほぼ全部食べられないから。パスタ屋に入ってもオイルベース系かジェノベーゼしか選べないし、ピザ屋のピザもトマト系はまず無理だから選択肢がないし、ジェラート屋さんに行って食べられるものが一つもないとかザラだし、カフェのフードメニューから食べられそうなものを探す作業も苦痛だ。行ったことのない店に行くと、これは食べられるものか、という認知判断が食事に先立つからいちいち疲れるんですよ。だるい。
わたしは実家で暮らしていた約20年間、ことごとく母親を困らせてきた。もともと家族全員で食事をとる習慣がないうえに、わたしは上記の通り病的な偏食なので、よく何も食べずに適当に過ごしていた。ネグレクトとかじゃなくて、家族それぞれ別のものを別の時間帯に食べることが多いというかんじ? 母はふつうに料理をしていたと思う。だけどみんなバラバラの場所で適当に食べるから、なんかぬるっと夕食をパスできる家だった。母はわたしが食事を残すことも、連絡なく勝手に夕食を外で済ませてくることも、なんなら夕食があるのにそれをパスして部屋でカップラーメンを食べるのも(これはわたしが最低すぎる)、べつにとやかく言わなかった。母はたまに気まぐれで、「今日あなたが食べられそうなもの作ったけど食べる?」とか聞いてくるから、そういうふうに言われたら食べるようにしていた。わたしが自室以外で食事を摂る��、父にいつも「珍しいね」と驚かれる。当時はべつに引きこもっていたわけでもないのに。
↑は夕食の話だけど、それ以外にも母はよくスーパーでお惣菜を何種類か買ってきて、どれかを食え、と選ばせてくれた(選ばれなかったものは父や弟の昼食になる)。知らない間にウイダーやカップ麺をよく自室の学習机の上に並べられていた。わたしがとあるブランドのグミにハマると、飽きてもういらん!となるまで母は毎日そのグミを買ってきた。お願いだから何か外で食べてこい、とお金を渡されることもしばしばだった。母のために食べた。母はわたしが何かをむしゃむしゃ食べているところを見ると安心するのだそう。あまりにも親だ。迷惑かけてごめんなさい。
空腹をそこまで苦痛に感じない。お腹がすいた、よりも、動きたくないな、の方が強い。トイレに立ったときに立ちくらみがすると、そこでやっと「そういえば食べなきゃ」が勝つ。そういう生活。
実家を出て恋人と同棲しているが、ここでも彼を困らせている。放っておくと何も食べない。彼が夕方に仕事から帰ってくると、「今日は何か食べた?」と尋ねられ、「まだ〜」もしくは「さっきウーバー頼んだから今日はもういらない〜」と答える会話をほぼ毎日している。約一日何も食べずに過ごした日曜日の夕方、お願いだからすこしでも食べて、と懇願されて、ねるねるねるねと茶碗蒸しを食べたこともあった。ウェーブ体型なのが相まって、さいきん肋骨が出始めてきた。アー食べなきゃ、と思うけど、お腹いっぱい、の感覚が嫌いすぎるのでたくさん食べられない。ジュースを飲んで糖分を摂取した気になっている。わたしはそのうち病気になると思う。死にたくないな〜。
温泉旅館に泊まったりして、いつもより多い量のご飯を食べると、絶対に次の日は反動で食べられなくなる。これも人体の、否、我が身体の謎だ。
不健康自慢なんてクソダサいからしたくないんですよ。だけどどうしたって食と睡眠に関してはガタガタすぎて困ってる。せめて2日に1回ウーバーイーツを頼む生活をやめたい。
ていうか自炊できる人ってすごくないですか?? 毎日働いて、生活してる人って本当に尊敬する。わたし、生活を捨ててそのほかの欲望に忠実でいることで、気が狂いそうな毎日の中で精神性のバランスをとっている節があるから、自炊をするようになったらたぶん心が壊れる気がする。あと、それとは別で、ウーバーを愛用してしまうのは自炊をするのに必要な文化的資本がないからなんですよ。わたし、まったく料理ができない。それは、「色々と大変な状況下でわたしに家事手伝いまで強制させたらあまりにも気の毒だから」という理由で母がわたしに家事手伝いを強制しなかったという一種の愛の副作用でもあるが、それよりもわたしにやる気がなさすぎるのと、ふつうに自炊に必要な道具も食材も足りていないのが根本の��因だ。もちろん、道具と食材とレシピと動機があればやるのかもしれない。だがわたしの頭はほんとうにおかしいから、作るのが面倒だから食べなくていいや、になるの。それだと死ぬからウーバーを頼む。スーパーにいけば安いお惣菜があるけれど、家から出るのがだるいから食べない、になるの。それだと死ぬから、ウーバーしかないんですよ。家に届いたら食べるしかないから。こういう思考回路。あほじゃん。3月までは同年代の人よりも多くの額の収入があったからウーバー漬けの生活でまかり通っていたけど、4月からはそれがごっそり減るので、やはり怯えている。
ご飯を食べなきゃって思いながら過ごす生活、だるいです。どのタイミングで食べるかを考えるのがしんどい。ログインボーナスをもらうために一日一回ソシャゲにログインしてる感覚に近い。今日もやらなきゃ、みたいなね。午後に出かける用事があればそれが終わるまでは大抵何も食べないから、用事が終わったあとに、やば今日何も食べてないじゃん、と思ってあわてて外食するみたいな。だるい。味のないゼリーとか飲んだら1日分の栄養が摂取できるとか、そういうのってないんですか?? 味も食感もいつか飽きるからしんどい。
なんか今日の記事いつにも増してキモすぎるからみんなに引かれそうでこわいな〜。おねがい、嫌いにならないで…。
冒頭の話に戻る。結局その後彼は、同ブランドのトリュフアソートをまた買ってくるねって、にこにこしながら言ってくれた。罪悪感とほんのりとした嬉しさがぐちゃぐちゃに交わってなきそうです。面倒くさくてごめんねっていうわたしの中のメンヘラの部分が顔を出していると同時に、こんなわたしにも怒らないでいてくれるんだっていう安心感にやさしく包み込まれている。ありがとね。たぶん、彼のそういうところが好きだ。
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その事件は私が1歳の時に起きました。覚えていることはありません。 中国人の父と母は、大きくなってからも私に語ろうとはしませんでした。 中国政府は事件の死者数を319人としていますが、それよりもはるかに多いという指摘もあります。 あれから35年。真相は今も、明らかにされていません。 あの時、私のもう1つの祖国で、何が起きたのか。 (中国総局 高島浩) 日本人の祖母と中国人の両親 私の祖母は日本人です。満蒙開拓団として旧満州に渡りました。 戦後、帰国できずに大陸に残った「中国残留婦人」で、養子に出されていた中国人の男の子を引き取り、育てました。のちの私の父です。 父は中国人の母と結婚。1988年に中国東北部・黒竜江省で私が生まれました。そして6歳の時、国の援護事業のもと家族4人で帰国し、私と両親は日本国籍を取得しました。 私が生まれた翌年に起きた「天安門事件」 1989年6月4日。中国の首都・北京で、あの事件は起きました。 天安門広場に集まった民主化を求める学生や市民たちを、当時の共産党指導部が軍を出動させて武力で鎮圧した「天安門事件」です。 軍による発砲などで多くの犠牲者が出ました。中国政府は死者数を319人としています。 しかし当時、北京に駐在していた各国の外交官の報告などから、犠牲者の数はそれよりもはるかに多いという指摘が根強くあります。 中国政府はこの事件を、政治的な「騒ぎ」で「すでに結論が出ている」という説明を繰り返しています。 「知る必要はない」父のひと言 戦車の前に立ちふさがった市民の姿。民主化の動きを武力で制圧した事件。 天安門事件の前の年に生まれた私は、日本の教育で学ぶまで、こうした事件の表面的な情報でさえ、知りませんでした。真相を公表せず、事件を人々の記憶から消し去ろうと腐心してきた中国政府からみれば、もくろみどおりに育った、ある意味で“優秀な中国国民”だったでしょう。 中学生の時、一度だけ父に事件について尋ねたことがあります。そのときの父のことばが記憶に残っています。 「よく知らないし、知る必要はないよ」 記者になって、父と私のもう1つの祖国でもある中国のことを話すことが増えました。父は自分が共産党員だったことを明かしてくれました。共産党の実態を知っているからこそ、私に忠告したのです。 「天安門事件に関心を持つことで、いつか中国に赴任した時、どのような理不尽な目に遭うかわからない」 遺族取材の担当に もう逃げない 4年前の2020年、希望がかなって中国南部の広州駐在の記者となりました。 当局の厳しい監視下に置かれた人権派弁護士の家族などを取材。私自身も当局者に連行され、警察署に留め置かれる経験をしました。 国家の安全を最優先する習近平指導部は言論統制を一段と強め、外国メディアの取材環境はますます厳しくなっていることを身をもって感じてきました。 天安門事件は、そうした中国社会の中でも最もタブー視されていて、深く取材すればどんな目に遭うのか。恐怖すら感じていました。 私と同じように中国の若い世代は事件を知りません。私がおおまかな概要を話すと、「うそを創作するのが上手ですね」と、まるで信じようともしません。今の中国社会の現実です。 事件がまた1つの節目を迎えたことし、北京に赴任、遺族取材の担当となりました。 そして、誓いました。事件を深く知ろうともしてこなかった過去から逃げず、まっさらな気持ちで取材しようと。 集会を断念した遺族グループ 6月4日に向けて取材を始めたところ、ある情報が入ってきました。 これまで5年ごとの節目に、遺族グループが開いていた追悼集会が断念に追い込まれたというのです。原因は当局による厳しい監視のためでした。政府が例年以上に神経をとがらせていることが感じられました。 遺族グループの名��「天安門の母」。グループは集会の代わりに先月(5月)、海外の動画投稿サイトに声明を公開しました。 「私たちには軍隊が銃撃に及んだ真相を知る権利がある」 「政府は社会に謝罪し、私たちに公正と正義を返しなさい」 事実を隠ぺいし、遺族の日常生活への干渉を続ける政府を強く非難する内容でした。 そして、いまなお分からない犠牲者の正確な数や名前の公表、犠牲者と遺族への賠償、責任者への法的な追及を求めました。 厳しい監視、通信遮断の面会 声明が公開される少し前、グループの中心メンバーの遺族を訪ねました。今の気持ちを伝えたいと、当局の監視をかいくぐって取材に応じてくれた張先玲さん(86)。 遺族に直接、話を聞くのはこれが初めてです。心臓がバクバクと打つ胸を必死でおさえました。 張先玲さん 呼び鈴を鳴らすと、張さんがやや固い表情で出迎えてくれました。周囲をうかがうように招き入れてくれたあと、すぐに携帯などの電源を切るよう伝えてきました。当局の盗聴を警戒していたのです。 自身も自宅の通信設備の電源をすべて切っていて、奥の部屋に移るまで、会話もしないよう身振り手振りで伝えてきました。 記者を志した息子の死 張さんは、事件で当時19歳だった息子の王楠さんを亡くしました。 記者を志していた王楠さん。天安門広場で起きている歴史的なできごとを記録に残したいと、事件前日の3日深夜、カメラを持って自転車で現場に向かったそうです。 張さんの息子 王楠さん そして4日午前1時すぎ、人民大会堂の北門の向かいで軍の銃撃を頭部に受けました。地面に倒れた王楠さんを現場にいた人たちが助けようとしましたが、軍の部隊が近づくことさえ許さなかったといいます。兵士たちはひざまずいて助けさせてくれという人たちの懇願に対し、「あいつは暴徒だ」と聞き入れなかったそうです。 のちに現場で目撃した人から聞くなどしてわかった当時の状況です。張さんは、中国政府がひた隠しにする、あの事件の真相の1つだと信じています。 なぜあの時… 消えぬ後悔 張さんの自宅のリビングの壁には笑顔の王楠さんの遺影がかけられていました。毎日のようにその写真に手をあわせながら、張さんは胸にある後悔を拭いきれずにいます。 なぜ、あの時、息子を送り出してしまったのか… 張先玲さん 「天安門広場に向かう前、息子が私に聞いてきました。『まさか軍が発砲することはないよね』と。私は『まさか、ありえないよ』と答えてしまったのです。今もずっとあの言葉を後悔しています。生きていれば、今ごろは父親になって家庭を持っていたでしょう。私の脳裏にある息子は、永遠にあの日の、あの晩の、19歳の時でとどまったままです」 黙り続けることは許されない 王楠さんの遺体はほかの犠牲者とともに天安門の西側にあった中学校前の草むらに埋められていました。雨で遺体は地表から露出し、3日後、衛生当局などによって発見されたそうです。変わり果てた姿の息子。 張さんの脳裏から焼きついて離れず、毎年6月4日が近づくにつれて、張さんは体調を崩しています。 息子はなぜ死ななければならなかったのか。この日も体の調子が悪く、取材に応じてくれた時間は10分余り。それでも張さんは気力を振り絞るように、遺族の声を広く伝えてほしいと、1人の母親としての怒りを伝えてきました。 張さん 「国家が進歩していく上で、この事件が解決されないのは正常なことではない。『人民のために奉仕する』という中国政府が、人民の尊い命を奪っておきながら、なんの説明もなく、30年以上も知らないふりをして黙り続けるのは到底許されない」 「ごめん、生きてくれ…」最後のことば 今、遺族グループの活動の中心は犠牲者の親たちから、そのパートナーや兄弟に移っています。その中の1人に会うことができました。 尤維潔さん 尤(ゆう)維潔さん(70)。事件で当時42歳だった夫の楊明湖さんを奪われました。 政府系の経済団体の職員だった楊さんは、当日の深夜、銃声を聞き、広場に集まった学生たちを心配して現場に向かったといいます。そこで、下腹部に銃弾を受けました。倒れた楊さんをその場にいた人たちがリアカーで病院に運びました。撃たれた骨盤は粉々に砕けていたといいます。 病院に駆けつけた尤さんに、手術室から出てきた楊さんはこう漏らしたそうです。 尤さんの夫 楊明湖さん 「ごめん、しっかりと生きてくれ」 2人が交わした最後の会話となりました。2日後、楊さんは息を引き取りました。わずか6年の結婚生活。国によって突然、終止符を打たれました。 尤さん 「35年がたっても、あのときの記憶は少しも消えていません。一瞬一瞬が頭の中に残っています。夫を見守った2日間で涙は流し尽くしてしまい、今はもう出ません。遺族は皆、この世を去らないかぎり、暗い記憶の中を生き続けるのです」 若者たちはなぜ立ち上がったのか 天安門事件とは結局、何だったのか。その疑問を持ちづけていた私に、尤さんは「若者たちが立ち上がったのは、社会に対する責任感だった」そう説明してくれました。 天安門事件は、1980年代に共産党トップの総書記を務め、言論の自由化など政治改革にも前向きだった胡耀邦氏が4月15日に突然、死去したことに端を発しているとされています。 胡氏は、学生の民主化運動に理解を示したなどと保守派に批判され、失脚していました。 学生や市民による胡氏の追悼集会は、民主化を求めるデモに変わり、各地に拡大。5月には10万人が参加する大規模な集会に発展していきました。訴えは汚職の撲滅や言論の自由などを求める社会的なうねりとなっていったのです。 天安門広場に集まった市民や学生たち 尤維潔さん 「当時、北京の市民は皆、天安門広場にいた学生たちをとても心配していました。特に印象深いのは、戒厳令が最初に出された日です。市民たちが天安門広場に軍隊を行かせてはいけないと、路上にバスを止めて道路をふさぎました。多くの人たちが、ハンガーストライキを続ける学生たちに食料や水を届けていました。すべてが自発的な行動だったのです。その光景に私はとても感動しました。政府はなぜこうした状況を理解できなかったのか、思い出すと、今でもとても腹立たしい」 “隠ぺい”と“沈黙”の35年… さらに大事なことを話してくれました。 当時、軍によって制圧された天安門広場やそれに続く大通りなどあちらこちらには死体の山があったそうです。連絡が取れない人も多く、尤さんの夫とともに病院に運ばれ、その後死亡した男性も身元が分かっていなかったといいます。 しかし、中国政府は事件発生から犠牲者や行方不明者についてほとんど説明を行ってきませんでした。それどころか、事件から1年余りの間、政府は「天安門広場に行ったのか」や「デモに参加したのか」など多くの人に聞き取りを行うなど徹底的に調査していました。 尤さんはこうした政府の心理的な圧力が、今の中国社会につながっていると語気を強めて訴えました。 尤さん 「政府の圧力によって、市民は自分たちの家庭で何が起きたのか、言い出すことを恐れていきました。時間の経過とともに真相を語る人を探し出すことはいっそう難しくなっています。今では多くの人が事件についてよく知りません。35年がたち、若い世代は天安門事件に関心すらない状況です。これはこの間、政府が隠ぺいと沈黙を続けてきたからだと思います」 メッセージアプリに突然、使用制限 今、中国政府は、事件を国民の記憶から消し去ろうとする動きをさらに強めています。 遺族グループの今の活動の中心メンバーとなっている尤さんに対する監視は、6月4日が近づくにつれて厳しさを増していました。 尤さんのメッセージアプリ「ウィーチャット」は、4月ごろから機能が突然、制限され、ほかの遺族とのグループでのやりとりが一切できなくなりました。 ウィーチャットは中国国内では、使っていない人はいないほど、最もポピュラーなSNSです。“遺族どうしがつながることを阻みたい”、35年という節目に当局が神経をとがらせている様子がうかがえました。 尤さんが所在不明に 警告、そして尾行 尤さんに話を聞いてから、およそ1か月半たった先月(5月)31日。私は再び彼女の自宅を訪れました。もう一度話を聞きたい、そう思ったからです。 しかし、不在でした。連絡すらつかず、所在がわからなくなっていました。 自宅から立ち去ろうとした時、突然、警備員に呼び止められ、「何をしに来た。2度と来るな」そう警告されました。さらに、私服警察官とみられる2、3人の男たちが、私のあとを追うようについてきました。尾行は、私たちが車に乗り込むまで続きました。 尤さんとようやく連絡がついたのはその4日後、6月4日の午後でした。電話口の声は重く、監視役としてそばにいるとみられる当局者らしき女性の声が聞こえました。 「しばらく自宅にいることができない。近況も話しづらい。ごめんなさい」 短く状況を伝えてくれました。身に危険はないか心配する私に、彼女は「大丈夫」そう返し、電話は切れました。 男たちに囲まれて警告、墓地に近づけず あの日が近づくにつれて、天安門を東西に突き抜ける大通り「長安街」は異様な雰囲気に包まれていきました。前日3日午後、同僚のカメラマンが、多くの犠牲者が見つかった木※せい地という場所に向かいました。(※木へんに「犀」) 今は地下鉄の駅があり、隣には警察の派出所が設けられています。撮影機器が入ったリュックサックを開けようとした瞬間、十数人の男たちに取り囲まれ、立ち去るよう警告されました。 厳しい警備の共同墓地 6月4日の様子 そして4日当日。犠牲者が埋葬されている北京郊外の共同墓地には、多くの警察官が配置され、厳戒態勢が敷かれていました。近づくことすら許されず、命日の墓参りに訪れる遺族への取材はできませんでした。 天安門の叫び、今も 「天安門事件は、中国共産党による『国民の虐殺』にほかならない」 遺族たちのこうした訴えは「人民のために奉仕する」という共産党の正当性を、根幹から揺るがすことになりかねない、そう政府は考えているのかもしれません。だからこそ、政府は沈黙を貫き、時がたち人々が事件を忘れ去るのをじっと待っているように感じます。 かつて、私に「知る必要はないよ」と語った父と同じように、多くの国民が知らされずにきた35年。 それでも中国国民のなかには、天安門広場で民主化を叫んだ若者たちと同じように、一党支配への不満や、社会への責任感を持つ人がいます。 北京での白紙運動(2022年11月) おととし、中国政府のゼロコロナ政策への不満を背景に起きた抗議活動「白紙運動」。 そして去年、李克強前首相の急死後に各地で広がった追悼の動きと現指導部を暗に批判する追悼のことば。 私は、もう1つの祖国で今、事件とどう向き合うのか。 取材に応じてくれた張さんと尤さんの2人のことばを反芻しています。 「生きている間に事件の解決は見ないかもしれないが、それでもかまわない。 息絶えるその瞬間まで、生きているかぎり、訴え続ける。あなたも、この声を多くの人に届けてほしい」 (6月4日 ニュース7などで放送)
中国の習近平政権下で強まる抑圧と監視 天安門事件35年 記者にも尾行が?遺族が訴え続ける意味とは? | NHK | WEB特集 | 中国
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高校生男子のお弁当なんて「肉とめし」でいいんじゃないかなという気もしますがどうでしょう? 例えばですね、タッパータイプの仕切りのない弁当箱にご飯を詰め込む、豚コマを焼いてご飯の上に敷き詰める、上から全体に醤油をかける、以上。これがボトムラインです。ちなみにこの料理(?)の考案(?)者は吉田戦車氏です。 これではさすがにあんまりだと思われるかもしれませんが、この上にネギや胡麻や紅生姜や刻み海苔でもパラパラ撒けば、ビジュアル的にも大層立派なものになると思います。クラスメイトにはむしろ羨ましがられる確信があります。なぜなら僕も高校生男子だった頃を思い出すと、こういうのでいい、というかむしろこういうのがいいと思っていたからです。家��は確かにいろんなおかずが一度に並ぶとテンションが上がりましたが、それと毎日のお弁当はまた全く別の話です。
来週から、弁当作り生活が始まります。対象は肉!ボリューム!野菜はあんまり…の高校生男子です。 私は、家族の食事担当15年以上になりますが、いまだに自分の味付けが薄いか濃い、なにかぼやけるので、レシピ本はかかせず、調理には時間がかかります。(本に頼りすぎて自分で味を見るというの… | mond
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再履バスは役者紹介の筆が乗る
らびやで 役者紹介書くで
みなさんにオススメの水族館の生き物も書いていきたいと思います。
※OBOGはネタバレ注意ダヨ!
縦縞コリー
一周回ってこりのすごいとこは体力ですかね。どのシーンやっても自分がいて稽古絶対しんどいだろうにピンピンしてる。最初はどうなることかと思いましたが例のシーンは自分の中でもかなり好きなシーンに仕上がったと思います。
日本にはラッコが2つの水族館にしかいない(当時)ということを熱弁してくれたのがすごく印象的なのでラッコです。
あろハム権左衛門
この役に決まった後にすぐ新人のアローを観に行きました。かなり一緒だし…勝手に勉強させてもらいました(ニチャア)アローの自分の役への熱意、いつ見てもすごいなと思っています。そりゃ良い演技するよな…って……
キャスパではしなやかで力強い動きを発揮してくれるのでイルカで。
衿君
外公に引き続きシンメです。私が勝手に思ってるだけかもしれません。エリちゃんの演技って誰よりも説得力がありますよね。やっぱり筋肉なんでしょうか?ということで私もエリちゃんの体幹に憧れて最近は筋トレをしています。
オススメの生き物はタコです。体の90%以上が筋肉だからです。
テキストを入力
白子に対抗できるとしたらこいつしかいない。通しで初めてしっかり見たけど衝撃でしたね。今期の授業は個人的にちょっとしんどいのですが、エピの時間割を思い出して元気になろうと思います。
タカアシガニと書いておけばあとは伝わるでしょう
こけまる
去年の新歓で「村上1グランプリて、おま、それもうM-1(村上市原)グランプリやんけ!ギャハハ!!」とかウケてたんですけど、全然笑い事でも他人事でもなかった。ヒロインって難しいんですね……苔丸のすごさが分かります。
意外とマイペースなので、カピバラ
白
友達の居ない吹田支部に吹田というだけでぶち込まれた被害者。まだ一回も見かけた事ないのでいつか会えると良いな。ガク適性がかなり高い。アイスといい吹田といい変な奴らの集まりにぶち込まれがちですが、我々のノリでぶらんが笑ってくれているとすごく嬉しいです
雰囲気がなんとなく似てるので、カワウソ
紅みそか
ハーイ。みそかでーす。これいつの間に本人まで伝わってしまったんでしょうか…いつかみそかに怒られないかヒヤヒヤしながらやっています。ごめんなさい。どうせならもっとみそかへの解像度を上げてガチガチに寄せたいです。
自分の時間を生きてるって感じがする……カメで
ミル鍋
S-1監獄仲間( ◜ᴗ◝)ゆにちゃんのお芝居は、ちょっとした一言からでもこの人上手い人だ…って分かるのですごいですよねぇ。アホか超賢いか両極端で草、でも今回の役めちァ好きなんだよな…
ゆにちゃんは、絶対に、メンダコ。
埖麦
創作物において、私は弱ってたり絶望してたりする男性(創作物の)が好きという気持ち悪い癖(へき)を持っているのですが、むぎの演技は一番刺さりそうな気がします。新人とかまさに。新歓関係なくてごめん&キモくてごめん
ヒョロッとしてるからチンアナゴとか?
鞠凸二郎
ちゃうかにとって貴重な体格を生かし迫力ある恐ろしい役に仕上がっている。見る度に怖くなってる。今回のロゴメッッチャ好き!映像もすごいのに宣美も強いのかとびっくりした。膝お大事にね〜
でかい!つよい!かっこいい!シャチで。
中森ダリア
ひらりがいる座組あるある、楽しい。お人形さんみたいな顔が一瞬にして目ん玉むき出しでオラついてるの好きすぎる。オデが着こなせなかった柄シャツ着こなしてくれてありがとう。一緒にショッピングしたいな〜〜ほんmoney
華やかなのでベタ。ベタにね
雨々単元気
白湯チームは演じ分けしなければならないのですがその最たる例が彼です。一緒のシーンが無かったのであまり稽古の様子を見れていないのですが、見るたびに深みが出てきて素敵なマスターだなぁと思っていました。
なんとなくマグロとか!
東愛莉
てにと同じくこちらもまた細かい演じ分けが大変な役ですね。今回は色んなあずを見られてめちゃくちゃ楽しいです。しかし私は彼女の喉が心配です。いつも可愛く絡んでくれてありがとう、癒されています
愛嬌エグいみんなのアイドルなので、アザラシとか?
帝京魂
集団下校の友達。こんちゃんが勇気を振り絞って「い…いっしょに…帰ろっ!」と声を掛けてくれた日のことは涙無しでは語れません。とはいえ一緒に帰るのはかなり素に近い感じ��話せるので好きな時間です。
寂しがりやなのでペンギン
海泥波波美
パパみ。意外と的確なダメをくれる。アサギはなんというかカリスマ性がある。こいつについていけば絶対楽しいやろ!的な…アサギ演出の稽古場が楽しいのもそういう事だと思います
ちゃうかという大海のパパとして我々を見守ってくれるジンベエザメの様な存在といったところでしょうか
再履バス
私にとって再履バスは、大好きなあの場所へ連れてってくれるカボチャの馬車です。そしてめちゃくちゃ筆が乗る。再履バスが無ければこんな風に役者紹介書いてなかったかもしれませんね。再履バスに感謝。最近は、満員の再履バスでも堂々と宣美作業を行いチラシを周りに見せつけるという巧妙なステマを行っています。2ステ、再履バスの分も頑張って走り切るぞ〜!!!!!!!
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2025年3月30日(日)

今日は長兄の三回忌、ほぼ二年ぶりに阪急宝塚線・清荒神駅に降り立った。沿線の桜はまだまだ三分咲きともいかないが、清荒神参道から長兄宅へ向かう途中に大きな枝垂れ桜、いい目の保養をさせていただいた。集まった兄姉たち、どんな場合も私が最年少なのだが、それが70歳になったというのは私以上にショックだったようだ。次に会うのは七月の母の十三回忌、どうか皆と(無事に)再会出来ますように。

5時30分起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
珈琲を淹れる。
洗濯物を干す。
8時15分に自宅を出て、バスの都合で阪急西院駅から乗車、桂駅で特急に乗り換え、十三から宝塚線で清荒神駅まで。
長兄の四十九日が一昨年<5月21日>のこと、時間の前後が曖昧なのはエイジングのなせるわざとして責めずにおこう。とにかく、なんとか10時30分の約束の時間には間に合った。
次兄が導師を務めてまず近所の墓前に参拝、その後長兄宅で法要を済ませて11時45分、みなで昼食を頂く。

兄姉と孫たちで16名(多分)、仕出し弁当を頂きながらあれやこれや���食後に仏壇を真ん中に集合写真、あとはダラダラ話すのは辛いので先に失礼することに。ところが、玄関を出ると急に雹が降り始め、長兄の長男が急きょ車を出して宝塚駅まで送ってくれた。

帰宅すると、日曜日ではあるけれど先日ノリで解説した三菱UFJ銀行のキャッシュ&デビットカードと、熊野からデコポンが届いていた。早速、デコポン代金を銀行に振り込む。
彼女は着替えてすぐに買物に走る、今夜は奥川ファームの大根と人参をフィーチャーした葛切り鍋に決定。
今日の移動中、私の契約している<IIJ Mio>はほとんど回線が繋がらず役に立たない。他の回線と同様に<NuroMobile>に戻すことにして、手続きをする。2ヶ月で2度変更、手数料が馬鹿らしいがストレスなく使用出来なければ携帯電話の意味が無い。

早めの夕飯開始、昆布だしをきかせた鍋を手作りポン酢とすりゴマで頂く、美味なり。
録画番組視聴、土曜は寅さん。

アメリカから日本へ、ビタミン剤のセールスにやってきたものの、やることなすこと上手くいかないマイケル・ジョーダン(ハーブ・エデルマン)が、御前様の善意あるアイデアで、とらやに下宿する。マイケルに親切にするとらや一家。そこへ、アメリカ大嫌いの寅さんが帰って来て、対決か! と緊迫の一瞬を迎えるが、満男の英語塾の先生・めぐみ(林寛子)と、その美しき母・圭子(香川京子)が現れて、寅さんは方向転換してしまう・・・ ハリウッドのコメディ映画で活躍してきた名傍役・ハーブ・エデルマンをゲストに迎え、アリゾナロケを敢行した華やかな一編。同じ旅人同士、言葉の壁もなんのその、心を通わせる寅さんとマイケル。博とさくらの日本的な夫婦関係に疑問を感じたマイケルが、さくらに思慕を寄せる。坂東鶴八郎一座の「蝶々夫人」とさくらをだぶらせるマイケル。自分の気持ちをストレートに出すアメリカ人と、表には出さない日本人。コミュニケーションをテーマに、寅さんとマイケルの友情が育まれる。
知的美人の香川京子さんは大好き、無くなった高校落研の同士・I兄のご母堂がそっくりだったことを思い出した。
片付け、入浴、体重は600g増。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。

明日は3ヶ月ぶりの内科受診、本当はもう少し体重を落とすはずだったのだが・・・。
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Famitsu 916 Persona 3 part pictures and transcription.




期待の新作特搜隊
期待の新作TOP30にランクインしたソフトの最新情報を特捜隊が徹底調查!
2006年も半分を過ぎようとしている今日このごろ。我らが特捜隊は、今週も読者が期待を寄せるビッグタイトルを総力取材!厳選された新作情報を見逃したら、話題に乗り遅れちゃうぞ!!
今週のラインアップ 期待の新作TOP30は44ページ
ペルソナ3 254ページ
うたわれるもの 散りゆく者への子守唄 258ページ
メタルギア ソリッド4 ガンズ・オブ・ザ・パトリオット 260ページ
ファイナルファンタジーⅢ 262ページ
その他の期待作 266ページ
本作の概要はここでCHECK!
人気RPG、『ペルソナ』シリーズの最新作。これまでのシリーズとは異なる世界設定、異なる登場人物による、新たな物語が描かれるのだ。主人公を始めとした"ペルソナ"を召喚する能力を持つ仲間たちが、人間の精神を喰らう"シャドウ"と戦うことになるぞ。こうしたシャドウとの戦いは、午前0時になると訪れる"影時間"に行われる。一般の人間には、その存在を認識することすらできない闇の時間が、人類の存亡を懸けた戦いの舞台となる!!
主人公
私立月光館学園に転入してきた17歳の少年。学園寮への入寮当日にシャドウ襲撃事件に巻き込まれ、その際にペルソナ召喚能力を覚醒。シャドウ討伐部隊、"特別課外活動部"のリーダーとなる。メンバーの中で唯一、複数のぺルソナを自由につけ替える力を持っている。
初期ペルソナ
オルフェウス
P3
Persona3
ペルソナ3
またもや新たな登場人物が判明!でも、なんか怪しい感じ⋯⋯?
ケータイで購入
プレイステーション2
PS2
DVD-ROM
アトラス 7月13日発売予定 7140円[税込]
ドラマ RPG 要67キロバイト
ディレクター:橋野桂、キャラクターデザイン&アートディレクション:副島成記
期待の新作TOP30 ランキングデータ
今週の順位
3位
初登場4月7日号
15位
最高順位6月30日増刊号
1位
"影時間"に行動する者が⋯⋯!?
主人公ら、ペルソナ召喚能力を持つ者たちは、影時間に自由に行動することができる。それ以外の人間は、影時間に迷い込むとシャドウに精神を喰われてしまうのだ。しかし、そんな影時間に行動する、主人公たち以外の人間がいることが判明したぞ!彼らは3人組。いったい何者なのだろうか⋯⋯!?
↑影時間に入り込んでも精神を喰われないのは、主人公たちだけではなかった。彼らはシャドウに襲われないのだろうか⋯⋯?
仲間になることが判明しているペルソナ使い
たけ ば
岳羽ゆかり
声:豊口めぐみ
主人公のクラスメイトで、同じ寮に住んでいる女の子。性格は勝ち気で、明るく前向き。ぺルソナ召喚能力には覚醒したばかりだ。月光館学園に入学したのは、ある事情によるらしいが?
初期ペルソナ イオ
い おり じゅん ぺい
伊織順北
声:鳥海浩輔
主人公のクラスメイト。転校生である主人公にまっさきに話しかけてきた、明るくお調子者の少年だ。主人公の転校直後に影時間への適性=ペルソナ召喚能力を��出され、仲間に加わる。
初期ペルソナ ヘルメス
はみだし情報
シリーズのクロスレビューは何点?
PS 女神岡聞録 ペルソナ
9887
謎の3人組⋯⋯彼らの目的とは!?
ネットで話題になっている、復讐代行サイト。そこに依頼を書き込むと、復讐がなされるという噂が流れている。この復讐代行屋の正体は、シャドウに精神を喰われることもなく平然と影時間を闊歩する3人組だった。どうやら、影時間���復讐を行っているらしい。彼らがこんなことをしているのは、なぜなのだろうか?
不気味な気配⋯⋯
タカヤ
声:神奈延年
グループのリーダーらしき男。この界隈では有名な、"不気味"で、"イッている"集団をまとめている。ほかのふたりと比べて、不気味さは際立っている。その言動から、何か狂信的な思想を持っているようにも感じられるが、詳細は不明だ。
←↑荒垣と話す3人組。特別課外活動部のことを気にしているようだ。荒垣と彼らの関係性が気になるが、詳細はいまのところ不明。
荒垣と知り合い?
←復讐の代行屋⋯⋯。いかにも危なそうなヤツらだ。
ジン
声:小野坂昌也
タカヤのそばに、いつもつき添っている関西弁の男。情報収集や分析を行う、リーダーのサポート役的な立場らしい。その手に持っているのは手榴弾なのだろうか⋯⋯?何にしろ、危ない人物であることは確か。
チドリ
声:沢城みゆき
タカヤが率いる集団に、つねについて歩いている女の子。不気味な集団の中で、どのような役割を果たしているのかは不明。また、なぜ集団に身を置くのかも謎に包まれている。ゴスロリテイストの服装に、行動とのギャップを感じる。
主人公にとって彼らは敵か味方か⋯⋯?
きり じょう み つる
桐条美鶴
声:田中理恵
月光館学園の経営母体でもある大企業、桐条グループの令嬢で、局等部の生徒会長。幼少時のある事故を契機に、ペルソナ召喚能力に目覚めた。主人公を特別課外活動部に勧誘した張本人。
初期ペルソナ
ペンテシレア
さな だ あき ひこ
真田明彦
声:緑川 光
月光館学園高等部3年生で、ボクシング部主将。ストイックな性格で、シャドウとの戦いも強くなるためのトレーニング的な感覚で行っている。明彦が力を求めるようになった理由とは?
初期ペルソナ
ポリデュークス
さまざまなシステムが一挙に判明!!
ダンジョン探索や戦闘に関するシステムについて、これまで明らかにされていなかった部分が一挙に判明!さっそく、これの要素について紹介していこう。どうやら探索、戦闘の両面で計画性を持った行動が求められるようだ。事前に戦略をしっかり立てよう!
パーティーを編成して突入!
ダンジョン"タルタロス"の探索に入るまえに、パーティーメンバーを編成する。探索に挑めるのは、主人公を含め最大4人。出現する敵の属性や、仲間が持っているスキルなどをよく考えて編成しよう。
会話して
編成に加えるかを選択
誰を連れて行く?
←攻撃、回復という区別だけではなく、所持ペルソナの属性も考慮したパーティー編成を心がけよう。
ダンジョンを手分けして探索
ダンジョン内で"散開"コマンドを選択すると、パーティーが個別行動に移る。主人公以外の仲間は、自動で探索を行ってくれるぞ。ダンジョンの全体像を把握したり、宝箱を捜す際に便利なコマンドだ。
ダンジョン内部を各自単独で探索!
"散開"を指示
宝箱も見つけてくれる
←宝箱を発見したら、各自回収してくれるぞ。散開をうまく使えば探索が楽に!
散開中でも戦闘はアリ!
↑→散開中の戦闘は、それぞれ単独で戦うことになるぞ。強敵に注意すること!
探索を終えたら"集合"!
←↑"集合"を指示すれば、散開中の仲間が主人公のもとに戻ってくる。
やま ぎし ふう か
山岸風花
声:能登麻美子
引っ込み思案で、自分を卑下してしまう傾向がある女の子。戦いには参加せず、情報支援に特化した立場で特別課外活動部に参加する。機械いじりが得意だが、料理にも興味があるようだ。
初期ペルソナ
ルキア
あま だ けん
天田 乾
声:緒方恵美
月光館学園初等科所属。2年まえに事故で母親を失い、親戚からの学費援助のみで寮住まいをしている。初等科5年生という若さながらペルソナ召喚能力を持ち、特別課外活動部に加わる。
初期ペルソナ ネメシス
ピンチのときは"救護要請"
破間中に戦闘になることもある。この場合、当然ながら主人公はひとりで敵と戦うことになるわけだ。もし苦戦を強いられそうなら、迷わず"救援要請"を指示しよう。歌会していた仲間が、続々と駆けつけてくれるぞ。ひとりで無理せず、緊急時には仲間の助けを求めるのも勇気だ。
��危ないと思ったら、迷わず放後要請を出すべき。あとは仲間がやってくるまで、なんとか持ちこたえろ!
仲間が続々と集まってくる
↑←頼れる仲間が集結したら、いざ反撃。目にモノ見せてくれる!
パーティーが全員集合!!
ペルソナが成長していく!
主人公たちだけではなく、ベルソナも敵との戦いで経験値を積み、レベルアップしていく。レベルが上がるとパラメーターが上昇するほか、新たなスキルも覚えるのだ。覚えるスキルの上限まで育てるのもあり。ぺルソナ合体・育成ともに自由度高し!!
これが合図
→こうして地道にペルソナを強化していけば、ペルソナ合体の際に、より強力なぺルソナが生み出せるぞ。
ペルソナのレベルアップ!!
新たなスキルを覚えることも!
←↑新しいスキルを修得!さっそく戦闘で使い、効果のほどを確認してみよう。
所持ペルソナの組み合わせによって発動する"ミックスレイド"
主人公は、複数のペルソナを所持できる。このとき、特定の組み合わせのペルソナがいれば"ミックスレイド"が発動。強力な魔法で戦況を有利にしてくれるのだ!
ミックスレイド発動!
↑ジャックフロストとジャックランタンで発動。ほかにはどんな組み合わせが?
なんだかスゴそう!
→一転して迫力溢れる演出に!ジャックブラザーズが本気になった!?
組み合わせごとに異なる演出が入る
←"ジャックブラザーズ"という組み合わせらしい。漫才コンビのような演出で心も癒される。
そして主人公がスキルをくり出す!その威力は⋯⋯!?
コロマル
声: ? ? ?
以前は神社の神主に飼われていたが、主人を事故で失って以来野良犬として暮らしていた。ペルソナ召喚能力を覚醒させてからは、特別課外活動部の一員としてともに戦うことになる。
初期ペルソナ
ケルベロス
アイギス
声:坂本真綾
シャドウ制圧用として開発された兵器。ペルソナ召喚能力を実装するため、"自我”を与えられている。従順実直で、命令には忠実に従う。戦術面以外の知識は、あまり持ち合わせていない。
初期
ペルソナ
パラディオン
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目次
子供たちが怖い、放置され無教育
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
教育で未来を変えようとするクルド人学生
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
子供たちが怖い、放置され無教育
【70代女性、川口市上青木在住、取材】
子供たちが怖いです。昼間からウロウロしています。私の知り合いの70代の男性が10歳前後の男の子がゴミを散らかしていたので注意をすると、ピーと指笛を吹かれて、すると男の子たちが集まってにらまれました。何も言えないでいると、唾を目の前で地面に吐かれて去っていったそうです。
近くのショッピングモールで、小さい5歳ぐ���いと少し年下の男の子が、泥靴で走り回っていました。「静かにしなさい」というと、流暢な日本語で「僕たちはかわいそうなクルド人です。弟はまだ小さいので何もわからないから許してください」と言われ、じっと見つめられました。そうすると、何もこちらは言えなくなってしまいました。
(私:同じような話がXで書いてありました。誰かが教えているのかもしれません。)
私はXをやっていませんが、誰かが日本人が黙るように教えているのかもしれませんね。「僕は弱者だ」なんて言われると、日本人は何も言えなくなってしまうのでしょう
この地域は、工場の労働者向けの安いアパートが並んでいました。1970年代に建てられたものです。工場が川口から減って人がいなくなって、そうした古いアパートに中国人、最近はクルド人が入ってい��す。
中国人は日本語が話せるのですが、クルド人は日本語を話せないし、生活で態度が悪いので困っています。日本人は高齢者ばかりで、注意するのが怖いので黙って我慢をしています。
隣のアパートにクルド人が、数ヶ月で入れ替わり住んでいます。入れ替わる理由はよくわかりません。時々騒音が聞こえます。女の人は家にこもって、買い物の時しか出てきません。
あるとき若い20歳ぐらいの母親が、子供が病気になったのか救急車を呼んだようです。しかし住所不定で、そして日本語が全く話せないので、救急車は搬送できなかったのです。すると昼間、救急車の前に座って路上で、子供を抱えて大泣きしました。そんな行為より子供を助けるための行動をしなさいとハラハラしました。救急隊員も困りました。私が話を聞こうとしても、聞かずに泣き続けました。泣けば主張が通ると思っているのでしょうか。
すると工事の泥で汚れた作業服の姿のまま夫がトラックでやってきて、片言の日本語で説明し、病院に行ったようです。迷惑をかけた周囲の日本人に、その後、クルド人夫婦から説明もありませんでした。変わった人たちです。日本語を少しでも学び、最低限のルールを知らないと。
日本人支援者の迷惑、教育が壊れる
【40代女性、川口市在住】
娘が高校生です。クルド人の友達もいます。公立小学校、中学校にクルド人、中国人など外国人の子供がいるのですが、日本語の授業が成り立たなくなっています。私の見たかぎり、日本人の子供たちは差別をしていません。逆に外国人の子供に気を使っている話ばかり聞きます。
クルド人を巡っては困った話がありました。あるクルド人の子供(男か女か、小学校か中学校は、私の判断で明示しない。クルド人の児童の特定、学校の特定を避けるためだ)が、クラスで孤立しました。ものを壊してもそのままにする、当番をしないなどの問題行為を��たそうです。同じクラスにいたクルド人の子供も距離を置きました。
すると東京の活動家がそれを聞きつけて、いきなりネットメディアで「クルド人の子供がいじめられている」と報道しました。毎日新聞もいじめと断定して報じました。���動家は学校に怒鳴り込み、卒業式にまで乗り込んできて、カメラマンを連れてきて、パチパチ写真を撮ったのです。公開されないか、父兄も子供も、怖がりました。卒業式はクルド人1人のためのものでも、この人のものでもありません。この活動家は、他の何百人の子供達の卒業式を台無しにしました。
(私:その活動家、イスラム教徒のクルド人の子供たちをクリスマスパーティーに誘って、クルド人に笑われていたらしいです。クルド人のことを知りません。)
変な人なんですね。当事者の生徒の話も聞かず、川口の子供がいじめているという話を日本中に報道するのはおかしいです。日本人の子どもたちは、報道に傷つきました。
クルド人を支援する人は、今は川口市にはほとんどいなくなりました。これだけ迷惑行為をしているから離れて行きました。支援者は「変わった人」扱いです。ただし川口市民の方ではクルド人を差別したり、嫌がらせをする話はありません。逆に外国人に気を使っています。
日本人の子供が今、外国人によって、学校教育で、適切に教育を受けられない状況になっています。外国人が多いと、学校の学習進度がどうしても遅れてしまいます。私の子供は塾でほとんど勉強せざるを得ない状況でした。日本人への逆差別です。ですから、小学校、中学校で私立に行かせようとしている親が多いです。市役所も先生たちも、対応に疲弊しています。国はこうした外国人の教育の現実を知っているのでしょうか。
教育で未来を変えようとするクルド人学生

【70代男性、川口市】
以前は教師でした。定年後に、外国人に日本語を教える川口市の日本語教室の教師ををしています。
(川口市、蕨市ではボランティア、NPO、また私塾の形で日本語が教えられている。身元をぼかすため、詳細は記さない。)
他の外国人は積極的に日本語を学びにきます。クルド人は来る人が少ないです。クルド人は、ささいなこと、例えば授業の遅刻、また態度の改善を注意しただけで、すぐ怒り出します。根気もなく、すぐに教室に来なくなってしまいます。
他の国の人は合法な居住の人が多く、たいてい日本語がある程度話せます。クルド人は、難民と称して滞在しているので、言葉を学習せずに、日本にやってきます。他の民族の人は日本は好きですが、クルド人は大半が日本のことを知りません。加えて、クルド語もトルコ語も上手に読み書きできないようです。彼らは中学校を出ているかも怪しく、勉強の文化がないと、石井さんが記事に書いていました。納得できました。そのために、日本語も上手くなりません。
ただし、悪い人ばかりではありません。一生懸命学習するクルド人の中学生もいます。同胞や親が、「出稼ぎなのに難民と嘘をついて日本に来ている。それは良くない」と、状況を分かっていました。クルド人が同胞の経営者を儲けさせるために安く働かされたり、変な日本人活動家に利用されたり、弁護士や行政書士などにお金を吸い取られていることも、理解していました。石井さんの報道の通りですね。
この子は、そうした境遇を抜け出すため、また自立するために一生懸命勉強をしています。学校の成績も良いです。私は大学まで行って奨学金を取り、滞在の資格を、仮放免の立場から、留学ビザ、正規滞在に変更することを勧めています。その子も、その意欲があります。
石井さんの報道は正しいと思います。ですがクルド人に取材するほど、彼らに冷たく、厳しくなっていますね。脅迫されたためでしょうか。
(私:そうです。)
あなたの感情は理解できますが、真面目に、頑張る子供がいることは、ぜひ知ってほしいと思います。
日本人が外国人の犯罪・迷惑行為に声をあげる
ようやく川口では人々が「おかしい」と声をあげ、ほんの少しだが状況が変わりつつある。行政が動き、不法行為の摘発が少しだけ始まった。
外国人差別は許されない。合法的に、また日本人と協調して暮らそうとするクルド人、その他外国人とは共生しなければならない。しかし違法行為、違法滞在をする外国人には、法適用をし、速やかに帰国をさせなければならない。その方向に、微々たる動きだが変わりつつある。
暗い話ばかりがクルド人問題で聞こえるが、埼玉県民、川口市民が変化の希望を抱いていることも紹介して、この原稿を終えたい。私にいただいた評価も、少し恥ずかしいがそのまま残しておこう。
【川口市民、メール】
クルド人問題については「おかしい」ということに、私はためらいがありました。私の周囲の川口の住人にもあります。私たち日本人は、小さい頃から「外国人と仲良く」と刷り込まれますから。
そして国とメディアと学校が「ヘイトスピーチはダメだ」キャンペーンを続けていますよね。これはこのクルド人問題では悪い方向に働いて、日本人が物を言えない状況を生んでいるように思えます。

【埼玉県民、メール】
石井さん、身の危険を感じることと拝察します。くれぐれもお気をつけて取材を続けてください。あなたのような記者がいらっしゃることで、日本のジャーナリズムもまだ死んでないんだ、と思えました。あなたは正義感から川口市に突っ込んで「なんで自分がこんな目に」とぼやいていますし、気の毒と思いますが、そうした勇気が社会を変えます。
記者会見で権力者を怒鳴りつけたり、偉そうなことを言う記者はたくさんいますが、何の役にも立ちません。社会問題を調査し、客観的にそれを私たち国民に伝えることがメディアの役割と思います。しかし、誰も、クルド人問題でやりませんでした。大手の新聞社やテレビはいったい何をしているのでしょうか。
どうぞご自愛ください。川口市の奥富市議とか、心ある人と連携して頑張ってください。私たちの手で、川口、埼玉、日本を守りましょう!
石井孝明 経済記者 with ENERGY運営 ツイッター:@ishiitakaaki メール:[email protected]
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024年)7月17日(水曜日)
通巻第8334号
JDバンス副大統領候補は「トランプのクローン」とバイデン
中国問題が一番、ウクライナはさっさと領土割譲に踏み切れ
*************************
バイデンは共和党副大統領候補に指名されたJDバンスを「トランプのクローン」だと評した。
そうなのだ。バンスがトランプと共鳴したのは「アメリカファースト」である。
やや孤立主義的であり、強制送還を含む移民対策の強化、ウクライナ支援継続に反対し、同性婚と中絶に反対し、USスチールの日本企業の買収に反対している。ただし中絶禁止の法律は州に任せるという所までトランプと同じである。
もっとも重要なポイントは中国に対しての強硬な基本姿勢であり、米国の最大の敵という認識である。そのためにはウクライナ支援継続は意味が薄いという国際情勢の認識を抱く点でも同じ基軸から発想している。トランプは中国の背後にあるロシアを地政学的に活用するにはプーチンとの関係を良好なものにしなおすという戦略的思考がある。
それにしてもトランプはなぜオハイオ州選出の新人議員をランニングメートとして選んだのか? 激戦州を勝ち抜くためだが、次の八年間を託せる政治家に育てないとする希望もあるからだろう。
JDバンスはその自伝『ヒルビリー・エレジー』をこう書き出した(ヒリビリーは「田舎者」という意味)。
「私はラスベルトを呼ばれる一帯に位置するオハイオ州の鉄鋼業の町で貧しい子供時代を送った(鉄鋼はアームコで川崎製鉄との合弁)。その町は、仕事も希望も失われた地方都市である」(中略)「将来にのぞみのない子供の一人だった。高校では落第しかけ、この町では誰もが抱く怒りやいらだちに屈しかけていた」(関根光宏、山田文訳。光文社未来ライブラリー)。
彼は海兵隊に応募した。イラクに派遣され、社会の秩序を経験して、祖国を実感し、そして米国の矛盾を知った。オハイオ大学を奨学金とアルバイトで卒業し、つぎに、エール大学のロースクールをめざす。アイビーリーグに合格する人間は、その町にはいなかった。
バンスの人生への挑戦が始まった。かれは母親の不倫や薬物中毒、夫婦げんかをいやというほど観ながら、しかし挫けなかった。家族は血筋がバラバラでも団結していた。
アメリカンドリームを体現したいと日夜努力した。その苦労ばかりの体験を素朴に書いた。修辞はゼロ、感嘆符も形容詞もなく、文章の技巧がない、ありのままを何も飾らずに綴った。
それが『ヒルブリー・エレジー』で、プアホワイトの現実を訴えた。静かに共感を巻き起こし、時代的な環境が加勢してベストセラーとなって2020年には映画化され、バンスの人生が変わった。
ウシュ夫人はインド系移民二世でサンディエゴで育った。エール大学で同級生だった。そのうえ『米国社会の衰退』を討論するグループで同じだった。ウシュ夫人は歴史を専攻した。ふたりには2013年に結婚し三人の子供に恵まれた。
▼シリコンバレーでファンド
自伝以後のバンスは『ヒルビリー・エレジー』から「シリビリー・ラプソデー」に変わったとSNSで比喩した評論家がいるが、「シリビリー」は米国メディアの造語でたぶんシリコンバレーの金持ちという意味だろう。
JDバンスは博士号を取得してエール卒業後、しばし法律事務所に属したが、起業家精神を試そうと、オハイオ州で「ナルヤ・キャピタル」を立ち上げた。ピーター・シーエル(PAY PAL創設者)も出資した。やがてサンフランシスコへ移住し、バンスは「ミスチル・キャピタル」に二年を過ごした。同社CEOはピーターだった。
腕をみがき次にステーブ・ケース(AOLの共同創設者)がCEOの「リボルーション」に移籍した。つまりバンスはファンドマネジャーでもあったので経済政策にも通暁している。
2022年にトランプの応援を得て上院議員にいきなり立候補し、民主の対立候補に20万票の大差をつけて当選した。議会歴二年にも満たないのに、トランプに見込まれて副大統領に指名されたのも、2000年選挙で、トランプ選対のオハイオ州担当が長男のエリックだったからだ。エリックはバンスと共鳴し合った。
米国の上院議員は六年が任期で途中欠員となってもやり直し選挙はなく知事が任命権をもつ。バンスが副大統領となればオハイオ州選出の上院議員はどうするのか。
現在のオハイオ州知事はマイク・デワイン(共和党。元上院議員)で、JDバンスの空席は反WOKE運動で予備選にもでたヴィヴィック・ラムスワミ(実業家)が有力だろうと各紙が予測し始めている。
七月十四日からウィスコンシン州のミルウォーキーで、2268名の代議員が集まって開催された共和党大会は二日目にニッキー・ヘイリー元国連大使が演説する。ミルウォーキーは民主党の牙城、過去65年共和党が勝ったことがない。敵地に乗り込んだ格好である。
▼アメリカンドリームの体現者もトランプ支持へ
さてこの舞台にイーロン・マスクが闖入する。これまで民主党を支持してきたマスクは、2020年から共和党支持となり、ツィッターを買収してXとし、またウクライナ緒線ではスペースXを提供してウクライナの通信網を再構築して危機を救った。
マスクは「毎月4500万ドルをトランプPACに献金する」とした。大富豪のメロンが5000万ドルを献金したから、その一割減という洒落だが、11月まで「毎月」4500万ドルの献金を計画しているという。実現すれば、空前の政治寄付行為だろう。
狙いは何か? EV対策以外考えられないのではないか。
トランプもバンスも、EV普及に関心を持たず、自動車労組の雇用確保、ガソリン車擁護、資源開発拡大を唱えている。そのうえ中国製EVには100%関税、メキシコからのEV輸入にも高関税をかけると言っている。
となると、マスクのビジネスはあがったりになるではないか。
マスクは上海でテスラを製造し、メキシコにもテスラのEV工場を造成すると言っていた。ところが、トランプが考えているメキシコ製EVへの高関税適用は中国BYDだけが対象ではないのだ(後者は北米自由貿易協定違反だから実現は無理だろうが)。
共和党綱領が発表された。すべてがバイデン政策の否定である。
仮想通貨規制、AI規制などを撤回し、気象変動対策を廃止する。テキサス州など南部への『州兵』ではなく「軍隊」を派遣する。
中国のWTO最恵国待遇を廃止し、エネルギー開発で巻き返しを図る等、市場は歓迎しエネルギー、軍事関連株が急騰した。
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576:名無し:24/09/03(火) 14:07:29 ID:ob.96.L5 思春期入る中学生くらいの頃って、特有の男女対立みたいなのはありがちだと思う 女子「男子ふざけてないでまじめにやって!」 男子「真面目ぶって女子うぜー!」 みたいな感じの、幼い時期特有の対立 俺が中3の時のクラスでもそういう雰囲気があったんだがみんなある程度弁えてて、 手は出さない、口喧嘩も言ってはいけないラインは踏み越えない、相手を怒らせはしても傷つけない、 みたいな制限はかかってた だけど男子側に一人だけ限度を弁えてないのがいて、女子より優位に立つためなら 傷つくことを平気で言う、机や椅子を蹴り飛ばす、黒板や教卓をデカい音を立つように殴る、女子に向かって物を投げるなど DV男の片鱗を見せていて、よく男子の代表面して女子と対立してたが、男子側からも引かれて一歩距離を置かれてた 行き過ぎな行為に担任が注意もしたが、当時の担任が若くて未婚の女性だったから、舐めて一切聞き入れなかった ある時事件が起きた 俺は詳しい現場を見てなかったんだが、昼休みにDV男子と同類の別クラスのやつがうちのクラスに集まってて、 クラス委員長の気の強い女子と喧嘩になってたらしい 俺は給食当番で教室を出ており戻ってきた頃には喧嘩の終盤だったので何きっかけかはわからないが、 DV男子とその仲間がクラスの男子たちからも遠巻きにされている中、長身のDV男子が下を俯いて肩を震わせる委員長を 見下ろし、罵倒して嘲笑って、取り巻きもニヤニヤしていた 委員長は言い返さず顔を伏せたまま教室を出ていったのを女子の何人かが追いかけ、残ったクラスの男女双方とも いくらなんでもやりすぎ、謝るべきとDV男子に意見していた だけどDV男子は意地悪く笑ってるだけで、むしろクラスから委員長を排除したと武勇伝のように語ってた 掃除の時間が終わっても授業が始まっても委員長は教室に戻ってこなくて、それが原因で喧嘩のことが 担任と学年主任にまで話があがった 学年主任はとても厳しい先生だったので、勉強ができずスポーツ推薦で進学予定だったDV男子の推薦を いじめを理由に取り消した それが決まった日の翌日、DV男子が父親を連れて教室に乗り込んできて朝礼中の担任に怒鳴り声をあげた その際黒板をガンガンなぐり教卓の足を蹴り、ジリジリと担任に迫り、女性の担任を見下す姿はDV男子と瓜二つだった すぐに隣のクラスの担任が駆けつけたが、女性だったので同じように威圧し話を聞かず、 異変に気づいた先生たちが警察呼んだり体育教師を呼んだりして、その間俺達は後ろの扉から教室外に避難させられ、 1時間目をほぼ潰す形でDV親子は連行されていった その日からDV男子は学校に来なくなって、保健室登校してた委員長がクラスに戻ってくるようになった
DV男子が高校進学したのかは知らないし興味もなかったが、その後コロナ禍前に校舎建て替えに際し タイムカプセル発掘のための同窓会があり、そこでDV男子と再会した 皆30代なので年相応の貫禄が出ていたし、結婚して子持ちも多かった だけどDV男子は年齢不詳、顔は確かに老けてるけど服装と言動が稚拙な感じでチグハグだった 明らかに女性たちから避けられてたので、仕方なく男性らでDV男子と話してたんだが、立派な女叩きに仕上がってた 自分の人生が狂ったのは委員長と担任と当時俺を一方的な悪者と決めた女共が原因だと恨んでいた 謹慎処分を受けて卒業式に出られなかったのも大袈裟に泣いて 俺がいるからクラスに行けないと言い張った委員長のせいだと言っていた でも当時を見てた俺からす��と、卒業式にまで出られなかったのは明らかに教室に乗り込んできて警察沙汰にしたそいつと 父親が原因だし普段からDV男子の行動は目に余るものがあったうえ、全部見てた他の男性たちの話によると 委員長を傷つけたお仲間が人身御供のようにDV男子に罪をなすりつけたんだから 恨むならDV男子に全責任をなすりつけて逃げ切った男子たちと大事にした自分の父親と過去の愚かな行動であるべきだ 学生の頃のノリで周りの男性も一緒に女子への愚痴で盛り上がれると思ってたようだけど、 そんな思春期特有の異性との衝突は皆とっくに卒業して大人として異性にどう接すればいいか年相応に学んで 経験積んでるから、当時の幼さを恥はしてもその時のことをネタに女性たちを叩こうなんて考えもつかないわ
今年の夏に同級生と会った際にDV男子の話が一瞬出たんだけど、今でもネットで女叩きやってて呆れた 開示請求するって言われたらしくてどうしたら良い?って地元の弁護士事務所で働いてる人に相談があったみたいで 「どうしたらって、どうしようもないだろ」と愚痴ってたわ
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七月になり、ようやく広樹のギブスが取れ、サポーターだけになった。通学は自転車に戻り、時折ラガーシャツにも袖を通した。
一方、克也は広樹が辞めないで済んだことに胸を撫で下ろしたが、未だ自分自身の気持ちを言えずにいた。浩志からは、
「いつまでもウジウジしてンじゃねぇよ! チ◯ポ付いてるンだろ!?」
と一喝されていたが、男同士が好きになることに対して罪責感があった。未だ、同性愛が世間的にタブーとされていた時代である。浩志が大学生だった昭和三十年代の後半と比べると、五十年代の前半は女装したり女言葉を使ったりする芸能人も多く活躍したが、やはり偏見はあった。
夏休みになり、秋の試合に向けて練習にも力が入った。浩志も普段はポロシャツとジャージーと言う格好だったが、時折ラガーシャツとラグビーショーツでグランドに現れた。そんな姿に漫画研究会の利江子たちは、
「あれぇ〜? ヒロシったらラガーマンになってるぅ!」
「きゃッ! なんで、あんなにラグパン短いの!?」
「いゃァ〜ん、何か誘ってない?」
「ラグパンって、パンツ穿かないンでしょ!? エッチぃ〜!」
と、相変わらず盛り上がっていた。そんな彼女たちに浩志は、
「鶴田ッ! 一応、穿いてるぞ!」
とラグパンの裾をチラッと上げてみせた。何故、アタシの名前を知ってるのとびっくりしながら、
「ヒロシ、このスケベっ!」
と笑い転げた。他の同級生は黄色い声を上げていた。
休憩時間になり、広樹は予め作っておいた麦茶の入ったやかんを二つ、ベンチのある日陰に置き、部員に声をかけた。皆、待ってましたと言わんばかりに詰め寄って来て、麦茶の注がれたプラスチックのコップを手に取った。浩志も蛇口の水を頭から浴び、
「このまま昼飯にするぞ」
と、眼鏡を片手に持ちながら首に掛けたタオルで頭を拭き、彼は校舎に戻って行った。
その間、日陰で弁当を食べたり芝生に横になったりと、それぞれ休んでいた。克也もケヤキの幹に寄りかかった。視界には空になったやかんや、プラスチックのコップを片付ける広樹の姿があった。なかなか告白できずにいる克也は、
『今なら言えそうな気がする』
と立ち上がった。そっと近づき、広樹の手を取った。
「加藤先輩…?」
「ちょっと来て」
そう言われるがまま、広樹は克也に手を引っ張られた。連れて行かれたのは部室だった。窓を全開にしていたが殆んど風が入らず、蒸し暑かった。十二畳はあるかないかの室内で、克也は広樹と見つめ合った。両手を握りしめ、
「額田君、好きだ」
と克也は唇を奪った。身体を密着させ、広樹の背部に両腕を回し、愛撫した。広樹は嫌がることなく、奪われた唇が克也のものと一体になる様な感覚を得た。
ラグパンの中で股間が隆起していくの互いに感じながら、二人はブリーフ越しに恥部を弄った。内腿から汗が垂れ、次第に濡れていった。克也はこれまで抑えてきた感情を露にしながら喘ぎ、広樹のラグパンを脱がせた。
「あぁん、はァ、ああん…」
鼻息を粗くさせながら、二人はブリーフを膝まで下げ、肉棒の裏側を合わせながらしごいた。
「あッ、あん、ああん…」
先走り汁で手指を汚しながら、克也は広樹のラガーシャツを胸元までたくし上げ、乳房を咥えた。
「イ、イキそう…」
「オ、オレも…」
オルガズムは二人一緒に達した。ドクッ、ドクッと粘度が強い乳白色の愛液を流し合い、克也は広樹の唇を求めた。広樹も舌を絡ませ、二人は暑さも忘れて愛し合った。
練習を終え、体育館に併設されたシャワーを浴びた部員はそれぞれ、制服に着替えて帰って行った。浩志もワイシャツとスラックスに着替え、職員室の扇風機で涼んでいた。嗚呼、今日は飲みにでも行こうかなァ…。そう思っていると、
「…先生」
と克也が訪れた。浩志は、
「何だ、帰ってなかったの?」
と気だるそうな声で聞いた。克也は言った。
「オレ、額田君に告白しました」
「へぇ〜、良かったね。…で?」
「…そのままエッチしちゃった」
「へぇ〜、良かったね」
何も考えずにこう言ったが、否、「エッチしちゃった」って、何が? ようやくコトの真意に気付いた浩志は、
「ハァァァァァァ〜!?」
と上半身を起こした。
「犯っちまったのか!?」
「声が大きいよ!」
「…お前、溜まってたンだな」
「何か、気持ちが大きくなっちゃって…」
克也は、徐々に真顔になっていく浩志の様子に、嗚呼、怒られるのかなと不安になった。しかし、浩志はバンッと彼の背中を叩き、
「よくやった! これでこそ男だ! 気持ち良かったっぺ!?」
と、寧ろ喜んだ。何だ、この先生!?と克也は呆然とした。そして、浩志は克也の股間を鷲づかみにし、
「イイぞ、イイぞ! その調子でガンガン攻めろ! 若いってイイなァ〜!」
と揺さぶった。
「や、やめッ…! おしっこ漏れちゃう!」
もし誰かいたら問題になるなと、克也は思った。
この日を機に、克也と広樹は浩志から色々と「性のてほどき」を受けた。時折、部室で『さぶ』や『アドン』などのゲイ雑誌を渡され、ア◯ルセックスの仕方も山奥のモーテルで「伝授」された。克也は、
「オレは純愛が好きなのに!」
と心の中で叫びながらも、沸々を込み上げてくる肉欲に負けて広樹と絡んだ。広樹も、克也を所謂「セックスシンボル」としてしか見られなくなり、ラグビーショーツから覗くブリーフに生唾を飲んだ。克也の家も若宮町にあった為、水府橋の下で毎日の様に愛し合った。
一方、ラグビー部の成績は劇的に飛躍した。これまで県大会で二回戦以上は勝ち進められなかったのが、関東大会でも上位の方まで成績を残した。他県のシード校を打ち破った時には、浩志は嬉しさのあまりに、
「これも皆、克也と広樹の『愛』あってこそだ!」
と口走り、二人は火消しに追われた。
そんな克也と広樹だが、個別に利江子から漫画のネタに色々とインタビューを受けた。あまりにしつこいので、
「イイじゃん、愛してるンだから。好きにさせてくれよ」
と広樹は言い切ったが、
「えぇ〜!? そんなにラブラブなのぉ〜!? だったらイイじゃ〜ん!」
と、寧ろ彼女の創作意欲に火をつけてしまった。
広樹は浩志との思い出を「熱弁」した。途中、浩二は笑いをこらえるのに骨折り、
「う、嘘ッ!?」
「それ、本当ですか!?」
「高校生だったのに!?」
云々と、何度も聞き直した。
二人が話している間、大樹は座布団を半分にして折り、枕の様にして眠っていた。寝息を立てている我が子を気にしながら、広樹は目頭をハンカチで押さえた。今は高校生だった二人を浩志が手を出し、淫乱にさせたことを信じられないと思っているが、その数年後には中学生になったばかりの大樹をまさか自分がそうさせることになろうとは、考えてもいなかった。
午後九時を回り、広樹は大樹を起こした。
「長居をしてしまってすみません。告別式には妻が来ますので…。私、K百貨店に勤めておりまして、明日から秋に催される物産展の関係で北海道へ行くンです。克也、否、加藤さんは通夜には行けるそうです」
「K百貨店にお勤めですか? 大変ですね。道中、気を付けて」
玄関で広樹と大樹を見送ると、茶の間に戻って浩二は残っていたお茶を飲み干し、片付けた。徐々に、彼は浩志との永遠の別離がきているのだなと実感した。
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三十近くまで知らなかったんすよ、ほうれん草は基本、下ゆでが必要だって。みんなどこで習うんすか。おかげでおれはほうれん草があんまり好きじゃなかったんすよ。そのまんま炒めてシュウ酸ごと食ったら、そりゃ好きにはならない。いやだなと思ったら、外でも頼まない。それで、ほうれん草まずくね? と思ってたんすよ。ずっと。うまいのに。 部下が言う。弁当箱の中のほうれん草を見つめながら言う。 そうか、とわたしは言う。気の毒なことである。 そういえばわたしはいつほうれん草には下ゆでが必要だと知ったのだろう。気がついたらたいていの野菜の下処理のしかたを知っていたし、生肉や生魚の適切な取り扱いについてもわかっていた。 でもまあ、知らなかったのが「ほうれん草の下ゆで」程度ならマシなのではないだろうか。わたしの子どもの時分には家庭科の対象が女子だけだったからか、大学に上がると、マジで何ひとつ台所を知らない男子大学生が大量にいた。 男の友だちから電話がかかってきて、「あのさあちょっと聞きたいんだけど。ゴホッ。フライパンの煙を出すってどれくらい出せばいいの? ゲホゲホッ。いつ油入れていいのかわかんなくて」と言われたときには肝が冷えた。わたしは息を吸って、言った。火を止めて。油は触らないで。ぜったいに触らないで。窓をあけて、換気扇をまわして。 家が広いから何も知らないんだ。 ちょうど約束のあった友人にその話をすると、彼女はやけに自信ありげに断定した。子どもがいるリビングと台所が素通しで何もかも見えるようなちっちゃーい家で育って、おまけにおなかがすいてたら、ぼけっと親の手元を見るでしょ。それで身につく。興味を持つから自分で作るようになるし。子ども部屋? 小さいときは子ども部屋よりリビングに長くいたよ。プライバシーが欲しくなるまでは子ども部屋の意味なんかなかった。狭いしさみしいしヒマだもん。 そういうものかとわたしは思う。お金持ちの子はたいへんさ、と彼女は言う。お金持ちっていうか、子どもがおもてなしされて勉強だけしてるような家の子はたいへんよ。ごはんは出てくるもの、お金も出てくるもの、正解はどこかに書いてあるもの、っていう感覚で大人になっちゃったら、なかなか抜けないものよ。だからうちの息子はとりあえず自分ひとりで生きていけるように育てた。お小遣いなんかも、どんなにアホな使い方でも止めなかった。本人が痛い目を見てから対策会議を開くことにしてた。何なら飼い犬にだって、子犬のときに「よろしいか、この家に来たからには、意思決定と自己主張ができる犬になってもらいます」って言った。 徹底している。犬に言ってもぜんぜん効果はないだろうが、しつけの方針が一貫するという利点はあるかもわからない。 わたしはいつ子どもたちに包丁を握らせただろうか。上の子が保育園のときに子ども包丁を買ってあげて、大人用の刃物を許可したのは、小学校の、あれは何年生のことだったろうか。 子どもがけがをするとつらい。けがをしたら、と思うだけでつらい。あぶなっかしくて見ていられない。そういう気持ちは、わかる。自分の子が成人した今となっては遠い気持ちだが、こんなに小さくてかわいいのだから、痛い目になんかひとつも遭ってほしくないと、そう思っていた。思ってはいたが、子どもはばんばんけがをした。転んで、ボールにぶつかって、無茶な高さから飛び降りて、おおいにけがをした。もちろん包丁で指を切り、スライサーでも切り、気がついたら何でもできるようになって、もう小さくないのだった。 おっしゃるとおり実家は広いし、親が料理するところもあんま見てないです。 友人による「家が広く料理現場を見ない説」を伝えると、部下はそのように言う。小遣いの使い道や遊びなんかは好きにさせてくれたけど、メシは「出してもらうもの」だったな。大人になって自炊しないんならそれでもいいんだろうけど、残念ながら食い意地が張っていたので料理に手を出し、シュウ酸を過剰に摂取するはめになりました。 しかしあれですね、育った家が「出てくる」環境でも、一人暮らしをはじめたり、作る人がいなくなったりしたら、「メシは出てこない」ってわかりそうなもんだけどな。 そういうわけでもないか。ないな。考えてみれば、一人でもなんにもしないパターン、ありますね。叔父がたぶんそうです。生活がめちゃくちゃ荒れてるけど、本人は気にしてないみたいな感じです。なんでおれはそうならなかったんだろう。どこに分岐点があったんだろう。今度お友達に聞いてみてくださいよ。
ほうれん草の下ゆで、いつ覚えた? - 傘をひらいて、空を
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事件の経過 ※経過については、茨城県教育委員会の第三者委員会報告書(2019年)の内容に基づいて記述する。 いじめに関与した生徒は、女子生徒A、女子生徒B、女子生徒Cの3人だとされる。 自殺した女子生徒は成績上位で、またピアノを習っていて、��内の文化祭・合唱コンクールではピアノ伴奏者を務めたり他クラスのピアノ伴奏者が欠席した際には急遽代役を務め、また校外ではプロの交響楽団との共演コンサートをおこなったことがあるほどの実力だったという。ピアニストを目指し、音楽科の専門高校への進学を希望していた。同級生からも教員からも「争いごとなどを好まず、真面目で穏やかな性格」などとと評されていた。 3年進級の際、女性教諭(40代)が担任のクラスになった。小学校時代から仲のよかった友人とは別のクラスとなり、出身小学校も異なりそれまで特に接点がなかったとされる女子生徒Aと同じクラスになった。 Aはこの女子生徒に接近した。Aは生活指導面での課題が多い・乱暴な物言いが目立つとされていた生徒で、この女子生徒と一緒にいる様子には周囲から違和感をもたれていたとされる。 携帯電話事件 女子生徒は、2年の時に同じクラスで親しくしていて3年進級後にほかのクラスになった生徒とともに昼休みを過ごすグループを作り、そこにAが加わる形になった。しかしAが2015年6月、携帯電話でその様子の写真を撮影して無断でSNSにあげるなどの行動を取った。 そのことを把握した学校側は、校内持ち込みを禁止されている携帯電話を持ち込んだとして、Aに指導をおこなった。その際にグループの生徒についても指導をおこない、担任教諭はその場にいただけの女子生徒やほかの生徒についても「連帯責任」「近くにいただけでも、携帯電話を持ち込んだAと同じように悪い」とした。 携帯電話事件をきっかけに、昼休みを過ごしていたグループは「たまたまそこに居合わせただけなのにAの行為の巻き添えになった」という不満もあり、自然消滅する形になった。女子生徒もAと距離を置くことを図った。 しかしAが「この女子生徒から無視された」と言いふらすなどした。別の女子生徒Bもそれに同調した。女子生徒は「不本意な悪口を振りまかれたくない」と追い詰められ、Aに再接近した。 席替え事件 担任教諭は席替えの際、生活指導面で課題のある生徒の近くに、「その生徒の面倒を見る」生徒を配置する方策をとった。 女子生徒は、課題のあった男子生徒Dの隣の席になった。そのことで女子生徒とDが会話をするようになると、Dに好意を持っていた女子生徒Cが嫉妬し、女子生徒に敵意を向けるようになった。またA・BもCに同調し、女子生徒に対して、これ見よがしにひそひそ話をしたりなど、揶揄するような行動を取った。 休み時間にDと話したいからこの女子生徒が自席にいると邪魔とするCの要望を受け、休み時間になるとAとBがこの女子生徒を連れ回すようになった。 担任教諭は、その後の複数回の席替えでも同様に女子生徒をDの隣の席に配置し続けた。 その他のいじめ A・B・Cは、女子生徒に対してそのほかにも複数のいじめ行為をおこなった。 「くさや」とあだ名を付け、連日のように女子生徒のことを「くさや」と呼ぶ。 AとBが女子生徒のことを「くさい」などと悪口を言いふらし、ほかの生徒のところに女子生徒を連れて行って女子生徒の手のにおいをかがせ、「くさいんじゃね」などと中傷した。 体育の授業でバスケットボールのチーム分けをした際、Cが主導し、この女子生徒だけを故意に外すように仕向ける。 女子生徒の卒業アルバムに、AとBがこの女子生徒を中傷する文言を書き込む。 担任教諭の指導 女子生徒は従来は授業への遅刻などはなかったが、加害生徒A・Bに連れ回されるような形で、2学期以降は授業に遅刻してしまう状況も生まれた。担任教諭が担当する英語の授業に3人が遅刻した際、担任教諭はこの女子生徒だけを教卓の前に呼び出してクラスの生徒の前で叱責するなどした。 このクラスでは受験対策として放課後に居残り授業もおこなっていた。しかし女子生徒がピアノのレッスンのために参加せずに帰宅しようとすると、担任教諭は「ピアノばっかりやっていても仕方がない」などと女子生徒に嫌みを言ったこともあったとされる。 同級生によると、「担任教諭も女子生徒に嫉妬していたように見えた」「Cの嫉妬で激しくなったいじめだが、担任教諭が加勢した形に見えた」という。 担任教諭は1学期の進路指導の際、私立高校音楽科を第一志望とした女子生徒に対して、単願ではなく県立高校音楽科との併願を薦めた。当初は単願のつもりで準備していた生徒・保護者は進路指導を受けて、形式的にでも併願するという方向性に変更すると、教諭は「私立が第一志望の場合は県立との併願は認められない」(※そのような取り扱い方針はなく、教諭の誤認)と発言した上で、「志望校を受験できるかどうかは2学期の生活状況次第」と発言した。このことが、高校受験を見据えた女子生徒にとっては「学校を休むことができない」などの大きな圧力となり、いじめに苦しんでいた女子生徒をさらに追い詰めたと指摘された。 自殺当日:ガラス事件 2015年11月10日、Aが音楽室のガラスを割る事件を起こした。 ガラスを割った瞬間には女子生徒は離れた場所にいたが、ガラスを割ったAと一緒にいたBが女子生徒のところに駆け寄って3人になったとき、ガラスの割れる音に気づいて様子を見に来た非常勤女性講師と鉢合わせした。この教員が3人の名前をメモし、担任教諭に連絡した。 女子生徒は「Aがガラスを割った。自分は関与していない」と訴えた。しかし担任教諭は、連帯責任としてこの女子生徒を追及するような対応を取った。女子生徒は割れたガラスを掃除させられた。一方でガラスを割ったAは、「手にケガをした」として掃除には参加しなかった。 女子生徒は教室に戻った際、「やっていない」と訴えて泣きはらしていたのを目撃されている。 女子生徒は午後5時40分頃に帰宅した。帰宅時間が遅くなったことで母親が「何かあったの」と聞いたところ、女子生徒は「Aがガラスを割った」「私は関係ない、知らない」「ガラスを弁償しないといけないかも」などと訴えた。 女子生徒が取り乱している様子に、状況が飲み込めなかった母親は学校に連絡した。担任教諭はガラス事件の一部始終を説明し、「女子生徒がガラスを割ったわけではないが、逃げる態度を取ったのが悪い」などといったという。 母親は電話を切ったあとに女子生徒に改めて確認した。女子生徒は「本当のことをいうとAから攻撃される」「1学期の携帯電話事件の際にAと距離を置いたら悪口を言いふらされた」など訴えた。また担任教諭への不満を訴えた。 生徒の自殺 女子生徒はその後、家族の車で、茨城県つくば市の教室に音楽のレッスンを受けに行った。レッスンへの行き帰りの車中や、レッスンが終わってから帰宅した後も、女子生徒は普段とは異なる様子だったという。母親は「学校でのできごとがショックだったのだろう。落ち着いてからゆっくりと話を聞きたい」と判断していた。 女子生徒は同日2015年11月10日午後11時過ぎに自宅で自殺を図り、翌日11月11日未明に死亡した。 遺書はなかったが、生徒が付けていた日記には、同級生の実名を挙げて「もういじめられたくない」「これ以上苦しめないで」などと記載されていた。また2015年12月になり、生徒の遺品を整理していた家族が、生徒の制服のポケットに「くさや」と記された付箋があったのを見つけた。 学校・教育委員会の対応 翌日2015年11月11日早朝、生徒の自殺の一報が学校側に入った。家族側は同日のうちに「生徒の死亡は自殺だと公表してもよい」と学校側に伝えた。しかし校長は茨城県県南教育事務所・取手市教委の担当者と協議の上で、「不慮の事故」として公表する方針を決めた。 後日、「くさや」と記された付箋の存在を知らされた教育委員会側は、同級生への聴き取りを実施した。しかし「女子生徒の家庭が厳しかった」と誘導するとも受け取れる内容にもなっていたという。 学校側は2016年3月、「いじめかどうかおよび学校生活と自死との関連は判断できない」とする見解を記した報告書を、取手市教育委員会に提出した。 取手市教育委員会は2016年3月16日、当該案件を「いじめによる重大事態には該当しない」とする議決をおこなった上で、調査委員会を設置した。案件審議のために呼ばれた学校関係者は教育委員に対し、「学校側の聴き取りでは、この女子生徒へのいじめを訴えた生徒はいなかった」などと説明した。 一方で保護者側は独自に調査をおこない、女子生徒へのいじめがあったとする、複数の同級生からの証言を得ていた。 市の調査委員会が動き出したことを把握した保護者側は、「重大事態ではない」という前提の、いじめ防止対策法に沿っていない調査委員会の設置に不満を示し、調査の中止と調査委員会の解散を求めた。また文部科学省にも要請をおこなった。 文部科学省は、当該案件にかかる取手市教委の処理は不適切という見解を示して指導をおこなった。取手市教委は2017年5月30日付で「重大事態ではない」とする議決を撤回した。その後市の調査委員会は2017年6月20日付で解散した。 県の第三者委員会で調査 その後改めて、本来取手市がおこなう調査を茨城県が並行受託する形で、県がいじめ防止対策法に基づく第三者委員会を設置して調査をおこなった。 2019年3月20日に公表された調査報告書では、いじめの存在を認定し、いじめと自殺の因果関係を認めた。また担任教諭および他の教員の不適切指導についても指摘し、当日のガラス事件での担任教諭の指導は生徒を追い詰め自殺の引き金を引いたと指摘した。また自殺事案発生後の学校・市教委の不適切対応についても言及し、「重大事態ではない」と一度議決した件については違法と指摘した。 担当者の「栄転」 取手市教育委員会で事件対応に携わっていた市教委事務局参事・指導課長はそれぞれ、2019年度に市内や近隣市の校長として転任した。 赴任先の学校はいずれも、当該校校長経験者が後年に市の教育長などに就任するケースも多く、「出世ルート」と噂されている学校でもあり、異動の状況にも疑問が呈された。 関係教職員への処分 茨城県教育委員会��2019年7月25日、関与した教職員の処分を発表した。 当時の担任教諭(2019年時点では別の取手市立中学校に異動、体調不良として休職)を、いじめへの対応を怠った・いじめを誘発する言動をとったなどとして停職1ヶ月の懲戒処分にした。 当時の校長(2019年時点では石岡市立小学校校長)、教頭(2019年時点では取手市内の茨城県立高校教頭)もそれぞれ減給処分となった。当時の学年主任(2019年時点では阿見町立小学校教諭)も戒告処分とした。 さらに、当時の取手市教委教育参事(2019年時点では取手市立小学校校長)、取手市教委指導課長(2019年時点では守谷市立中学校校長)についても、それぞれ減給処分とした。 また取手市も同日付で、第三者委員会設置を怠るなどいじめ不適切対応に関与したとして、当時の市教委職員の処分を発表した。当時の市教委部長(2019年時点では再任用)を減給処分とした。当時の市教委次長(2019年時点では再任用)を文書訓告、当時の市教委参事(2019年時点では再任用)を口頭訓告とした。 当時の教育長は2019年時点では辞任しているが、在任時の給与の月額10分の1・12ヶ月分相当額を自主返納するとした。また取手市長も自身の給与を6ヶ月間減給する条例案を準備しているとした。 元担任教諭、処分取り消しを求める 生徒の担任だった女性教諭は、処分を不服として、2019年10月に茨城県人事委員会に審査を申し立てた。しかし2021年9月に却下された。 教諭は2022年3月3日付で、「いじめについて、本人・保護者や、同僚教員・学校からも、全く情報を受けていなかった」などとして、自身への停職処分の取り消しを求め、水戸地裁に提訴した。 元担任教諭は「いじめに気づけなかったことは申し訳なく思っているが、いじめを助長したような言動をとったことはない。いじめを助長したなどありえない」と主張した。また処分の内容についても、必要な事実関係の摘示や立証などがなされていないと訴えている。 水戸地裁は2024年1月12日、教諭の訴えを認め、茨城県に対して処分の取り消しを命じる判決を出した。教諭の行為について「いじめを疑い対応を取るのは困難だった」「調査委員会が、教諭の行為について、何を根拠に認定したのか不明確」などと判断し、懲戒処分理由は違法だと指摘した。 茨城県は判決を不服として、2024年1月26日付で東京高裁に控訴した。東京高裁は2024年10月31日、一審判決を支持して茨城県の控訴を棄却し、処分を違法として取り消しを命じる判決を出した。 茨城県教育委員会は2024年11月14日、二審判決を受け入れ、上告を断念する方針を公表した。
茨城県取手市立中学校いじめ自殺事件 – 教育資料庫
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃���核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均���途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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