#神々の深き欲望
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xx86 · 2 months ago
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何回目かのもう無理、に到達して勢いよくLINEをブロックした。紐づく数人をブロックし、いくつかのグループを退会した。あーあ、また結婚式に呼べる人いなくなっちゃったなあと思う。私は彼女の結婚式に呼んでもらったのに。旦那とも仲良かったのに。でも、だ。私が彼女と曖昧な友達ごっこを続けていたのは結局それらのせいだった。二度と手に入れることのできない、新卒の同期。たくさん2人で飲んだし、仕事が早い日は2人でホテルに泊まった。ディズニーにもユニバにも行ったし、旅行にも行った。私が転職して関西にいた時遊びにも来てくれた。完璧な純粋無垢。怒ることなどない。私とは何もかも正反対で、仕事で少なからずぶつかることもあったけれど、それも含めて大切だった。
だけれど私はいつも傷ついていた。悲しかった。どうしてそれが悲しいのか、どんな言葉で伝えても彼女に伝わらないであろうことが何よりも悲しかった。何度も泣いたし、愚痴った。彼女以外の人の前で。悪意などまるでない無垢さは、悪意よりも深く私を刺した。
初めて話した時、仲良くなれないと思ったと彼女は笑った。私も全く同感だった。第一印象が悪い方が後々仲良くなれるというのが当時の持論だったけど、私は直感型ということをずっとわすれていた。現に中学時代似たようなことを言い合った友人の結婚式に最近参列したけど、来なければよかったと思ったし。その新婦とももう二度と会うことは無い気がする。そんなことばっか。
話を聞いて欲しい人がいる。私のことも同期のこともよく知っている当時の上司。神様だったし愛していた。でもそれは私が20歳だったからで、今の私からみて元上司はどう映るか分からない。人間性最悪だから。結局絶望するかもしれない。
まあでも。何を失っても、あの頃私が彼女や上司をすごく大切に思ってた気持ちまで無くなる訳じゃない。思い出が綺麗。なんて素敵なこと。縁があればまた出会うこともあるだろう。彼女の頑固というまでの無垢さや、私の歪さが薄まれば違う形でおさまるべきところにおさまるかもしれない。最も、彼女は私のこの��をよく知っているから、二度と交わることは無いかもしれないけれど。
私の人生にいてくれてありがとう。
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kennak · 1 month ago
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「企業のネットが星を 被おお い、電子や光が駆け巡っても」国家や民族が消えてなくなるほどではない近未来が舞台の『攻殻機動隊』などで、後のクリエイターに多大な影響と衝撃を与えた漫画家、士郎正宗さん(63)。デビュー40年を迎え、世田谷文学館(東京都)では初の大規模展が開催される中、読売新聞の単独書面インタビューに応じ、これまで生み出した作品や創作の秘密、AI(人工知能)がもたらす人間の未来などについて縦横無尽に語った。近年ほとんどメディアの取材を受けていない士郎さんの貴重な語録をご覧あれ。(文化部 池田創) 展覧会では、『攻殻機動隊』の主人公の素子の印象的なセリフが印刷されたのれんが来場者を出迎える(東京都世田谷区の世田谷文学館で) 世田谷文学館で大規模展 ――デビュー40年を迎えられて、どのようにお感じになっていますか。  そもそも寡作な上、諸事情による中断・未発表・ボツ作品が多過ぎて読者諸氏に申し訳ないものの、何とかここまで生き残る事が出来て大変に幸運だったと思っています。活動が東京や他業種に広がるに連れて「水中を歩いて進むかの様な状態」になり、40年、色々と大変でした。また書籍などの荷物が転居や避難に適さない分量になっています(笑)。 ――代表作「攻殻機動隊」は海外でも熱狂的な人気が続いています。  最初期に出版物の海外展開を頑張りました。望外に細長く継続しており、ありがたい限りです。 ――今回の世田谷文学館の展覧会は大量の原画が間近で見ることができ、充実した展示内容です。 士郎正宗さんのコメントとともに作品世界を振り返る巨大な年表(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  今回このような機会を頂き大変感謝しております。僕程度の小規模 傭兵ようへい 型漫画家でこういった事が可能なら、日本のコンテンツ業界はもっと多様多彩な作家・作品を、深掘り探索・開発活用出来るのではないかと思います。 ――「攻殻機動隊」をはじめ、ご著書は情報化社会を予見していると言われます。  たまたま運良くタイミン��や関係者の都合に合致し話題として取り上げて頂いているだけで、僕以外にもそういった作家・作品は多数存在していると思います。情報化社会の好ましくない側面があまり大きくならなければ良いですね。物騒、殺伐、トラブルは架空妄想物語の中だけで十分です。 ――AIの発展についてどのように感じていますか。  利便性と損害可能性は表裏一体、これまで考えられなかったレベルの明るい未来の可能性が開ける一方で、悪用や視野 狭窄きょうさく が起き、見えざる支配も容易になっている。研究開発に係る方々には頑張って頂きたいなと思います。 簡易強化外骨格、遠隔操作系ロボット類の開発が現実的 ――幼少期に親しんだマンガや小説はどのようなものがありますか。 デビュー作『アップルシード』のラフスケッチなどが並ぶ展示室(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  アニメ版の「鉄人28号」や「エイトマン」から入って、雑誌「りぼん」(一条ゆかり氏、大矢ちき氏、弓月光氏などなど)、松本零士氏、永井豪氏、細野不二彦氏の影響が大きいですね。大学以降は諸星大二郎氏、星野之宣氏、大友克洋氏の存在が大きいと思います。 ――「攻殻機動隊」で描いた人間の身体と精神の関係はどのように感じていますか。  脳や体が一体として機能している中では、脳が優位の制御系があったり、体が優位の制御系(例えば副腎とか脊髄反射系とか)があったり、交換可能な部分や欠損許容部分(例えば昔は虫垂や 胆嚢たんのう を結構普通に切除していた)があったり、複雑で不思議に出来ていると思います。  義体化のような、身体交換は僕が生み出した要素ではありません。スタニスラフ・レム氏の『君は生きているか?』や、日本のマンガアニメ界においては石ノ森章太郎氏の『サイボーグ009』などの有名作品がすでにありました。サイバネティクスの一般的な目的は医療や軍事だと思いますが、今後は老化・劣化対策というのも存在感を増すかもしれません。個人的には年々増加中の災害現場における簡易強化外骨格や遠隔操作系ロボット類の開発を進める方が現実的かなとは思います。 ――ご著書に細かく書き込まれた欄外文章の役割や狙いを教えてください。  リズム感が単調になりがちな説明セリフや会話を物語内部から減らせる、それによってキャラの練度・演出を高めに設定出来る、物語と読者の距離の調整ができる、などでし���うか。昨今、いや昔もこういう方法は 流行はや りではありませんが……。 ――押井守監督のアニメーション映画版のご感想をお聞かせください。  個人的には原作に気を使っている部分が押井氏にしては多めの1作目より、押井氏節全開の『イノセンス』の方が好みです。いずれも一生懸命作って頂いてありがたいなと思っております。 ――ネット社会の広がりやAI技術の発展をどう感じておられますか。  人工知能の偏向学習、悪意ある人 達たち による人工知能活用と、対策する側の人工知能活用の格差、オンライン上に無い膨大な情報の無視や軽視など、課題は山積しているのではないかと感じています。世界は 繋つな がって狭くなると同時に、逆に分断細分化が進んで互いの距離が開き、問題解決の可否、明暗の格差も広がっている様に感じています。今まさに『言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている』状態でしょうか。人工知能育成では可能な限り、真実や実態に近い情報を得て優先解とするような、何らかの情報検証機構が必要でしょう。 コスパタイパ重視では驚きや発見も無い ――ネットに常時接続することが当たり前になりました。そのことをどのように感じてらっしゃいますか。  一般的なネット通販をほぼ利用しておりませんが、ネット社会になってからの方がサービスの質が低下&商品を探しにくくなったように感じています。便利、合理的、コスパタイパ重視の姿勢は内向きになりがちで、冗長性や余白が少ない分、周囲を見渡す余裕が減少し続けるし、ひいては驚きや発見も無く窮屈ですね。昔のSFでは「監視管理社会」は人々の敵として描かれるのが一般的だったのですが、現代では意外とそういう管理監視社会の利点も許容されているように思います。とはいうものの、今後もDXが進み常時接続が常識常態化し、行政サービスやインフラなどの分野で、高度化し便利で安全で充実した幸福度の高い世の中になっていくと良いのですが……。 ――「攻殻機動隊」ではサイボーグ化しても人間の内にある「ゴースト」という概念が存在します。「ゴースト」とは何でしょうか。 展示室の中央には『攻殻機動隊』の原画が並び、迫力のある筆致を間近で感じられる(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  正確か否か、定義可能か、とは別にして、宗教や哲学や文学昔話の分野で古くから使われている「たましい」「霊魂」「ソウル」などの単語が印象として一般的には伝わりやすいのではないかと思います。「何だかよくわからないが、存在しているように思えるモヤっとしたものを『ゴースト』と呼ぶ」のも娯楽分野では分かりやすくて良いかな、ということで単語���使用しています。  犬や小鳥も感情を有することが一般的にも知られており、感情は人間だけが持つ最上位の機能・特別な評価対象ではない、という観点から、マンガ版ではゴーストという単語において「感情に特別な意味を持たせていない」つもりです。当然ながら人の価値観はそれぞれなので、僕と他のアニメ版の監督諸氏とでもこうした諸々に対する考え方に違いがあるわけですが、その事自体も含めて、作品を異なる角度から捉えて楽しんで頂ければ良いなと考えています。 神話は魅力の塊なのだが… ――ご著書はシリアスな展開と迫力のある戦闘シーンの間にギャグが挟まりますね。作中におけるギャグの効用とはどのようなものでしょうか。  シ��アスとギャグの挟み方や割合、そもそも混在を容認するか否か、など受け取る方々の価値観も観点も実に多様なので「万人にとって満足できる作品」というのは僕には難しいなと考えています。僕の取り扱うキャラクターたちは明日をも知れぬ立場なので、悲観的に備え楽観的に対処する、冗談でも言っていないとやっていられない、といったタイプが多めになっています。会話の軽さと行動、判断の速さ厳しさのギャップを楽しんで頂ければ良いかと思います。 ――『仙術超攻殻ORION』は日本神話をモチーフにしたファンタジーです。神話の魅力を教えてください。  神話と呼ばれる物語達は限られた要素と根源的な思考や解釈と想像力で織り上げられ、時代や民族の壁を越えて生き残っている、「選び抜かれた精鋭達」です。人々の心情や思考型や文化を映す鏡として、魅力の塊と言っても良いですね。一方で歴史を振り返ると、建築や芸術や情報戦において支配者や宗教組織や抵抗組織の都合や思惑と深く関わったと思しきものも多く、純粋に「素晴らしいか?」と問われると、答えに困る側面もあります。 ――『攻殻機動隊』のフチコマや、『ドミニオン』の小型戦車ボナパルトなど、作品からは戦車愛を感じます。 正義感にあふれる女性警察官のレオナが活躍する『ドミニオン』のコーナー(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  「頑丈で壊れにくくて安全度が高い&移動以外にも何か作業が出来る乗り物」が好きですね。作品内に描く機会はなかなかありませんが、消防関連や港湾作業用の特殊車両、土木建築系や農林作業系の特殊機能車両なども同じように楽しくて興味深いと思っています。 気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持 ――現在はイラスト制作や、画集刊行に活動の比重を置いておられますね。  マンガやアニメやゲームの企画書・プロット・シ��リオなども色々と作っているのですが、なかなか最終商品の形にまで進める事が出来ておらず、イラストや画集は関係者や予算が少なくても実現可能な 為ため か商品の形になりやすい、というのが理由かと思います。 ――女性のエロチシズムを感じさせる美麗なイラストを生み出されています。 展示室の後半は、雑誌に発表した色鮮やかなカラーイラストが目を引く(東京都世田谷区の世田谷文学館で)  モノクロでは描写しにくいがカラーでは比較的描写が容易で、競合が起きにくいと思われる光沢の肌にこだわっています。近年の画集においては、似た構図やポージングの微差バリエーションを連続、重複して描くことで、アニメの原画をパラパラと連続で見る時に近い印象や効果の誘発が起きないかと工夫しています。 ――近況を教えてください。  今も40年前も変わらず東京ではなく関西にいて不規則不健康な生活をしながら昼夜延々と絵やプロットや駄文を描き続けています。視力体力の減少により、未読書籍が積み重なっています。 ――今後の執筆への意気込みや読者へのメッセージをいただければと思います。  気負わず欲張らず、自己ベスト更新維持で変わりなく、他にしたい事も無いので、ダラダラ延々と何かを作る日々を送ると思います。読者諸氏にはまた次の作品でお会いした際に、何らかの形でお楽しみ頂けると幸いです。
「攻殻機動隊」士郎正宗、ネット社会・AI発展に警鐘「言葉が通じなくなってバベルの塔が崩壊し始めている」 : 読売新聞
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sarahalainn · 2 years ago
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PART 2!
(PART 1 は一つ前の投稿より)
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Sarah Àlainn - Celestial Christmas Concert
サラ・オレイン
~ 天使と天上の音楽 ~
8. Hallelujah (Leonard Cohen)
Airmail Specialをはさみたかった最大な理由が、
ここからの絶対的な3曲のため。
Hallelujah
タイトルだけ見ると教会にぴったりな選曲。
でも、これはレナード・コーエンのハレルヤ。
歌詞の内容を思うと、やって良いものなのだろうか、悩む。
「神様は、いるかもしれない
でも、愛から学んだのは、
自分より銃を早く抜くことが出来る人を、
どう撃つかくらいだ」
壊れたHallelujah。
でも、コーエンが言ったもう一つの名言を思い出す:
「すべてのものにヒビがある。そこから光が差し込む」
そう、私たちは壊れてる。ヒビだらけ。
でも、そこから光が差し込むのよ。
Jeff Buckleyのカバーが特に好きで、ギターが印象的。
今年ツアーでエレキを弾く機会があって、今回もと思っていたのですが、
PAさんとも相談し、結果エレアコに。
久しぶりに登場したオーストラリアのMaton。
指が攣りそう><エレキと違って、ヴァイオリンとも違った力の入れ方があり、フォークギターはとにかく毎回緊張します。
エレキヴァイオリニストの壷井彰久さん、ギターも以前弾かれてましたが、「ギターを弾くと指が硬くなってヴァイオリンに影響するからやめた」と話されて、確かに。いつかもっと弾けるようになりたいものですが、今のところ練習を控えてた楽器。
なので、パイプオルガンと並んで、1番緊張した楽曲。
筋肉痛、きっとここからも来てる。
サビでのTakanaとのハモリーがまた気持ち良い。
心の叫びのような、大好きな一曲です。
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9. Andata (坂本龍一)
セトリを考える時、一番大事にしてるのは流れ・物語。
演奏者としての自分のことはその次、または無視。
なんでギターの後にまた大変なオルガンを持ってくるのか><
でも、上手くいったら、綺麗なFlowになる。
それを信じて、突き進む。
パイプオルガンのソロ曲、バッハは冗談で言ったものの(ディズニーの「Fantasia」にも出てくるし、分かりやすいかなと。Takanaが当日初めてリハで聞いた時、ふいちゃいましたw)、可能なら挑戦してみたいと思った曲は坂本龍一氏のAndata。アルバム「Async」のバージョンが一番好きで、これをパイプオルガンで演奏できたらなんと素敵だろうと。。
ご本にの前で演奏してみたい。みたかった。
そんな教授へのRequiemでもありました。
終わったから言えますが、初めの和音を弾いた瞬間「やっちゃった。。><」
Shchedrykで消したはずのFull Organ(音色を変えるボタン)がONになってました。
最初は「え!何でこんなに音が大きくて音色が違うんだろうと」、左、右い、上下を次から次へと見て、
最後に赤いランプを見て「うわあ、まさかの」と。
頭の中ではこんなことを色々考えていたけど、現実ではおそらく多分2秒くらいしか絶ってなく、パニックした割には落ち着いて演奏ができました。ちょうどリピートがあったので、落ち着いてボタンを押し、2回目は想像してた音色に。
後で関係者に聞いたら、意図的だったと思う人がいるよ、とのことで、安心。
ハプニングがあったけど、今回一番集中できた演奏でした。
落ち着いたらこちらもYouTubeでシェアしたいです。
10. Merry Christmas Mr. Lawrence 『戦場のメリークリスマス』
もちろん、この季節に欠かせないこの一曲。
ツアーではキーボードの弾き語りをしてますが、Andataからの流れを考えて、パイプオルガンに。
いつもはもっとRubato気味で演奏してますが、オルガンはオリジナルのテンポ感の方があってたので、
演奏してて新鮮でした。最近混ぜてるYMOの「Behind the Mask」もパイプオルガンの音色がハマり、
やっぱり、シンセサウンドに近いものがある��
ここで一番アレンジで苦労したのはピアノとのバランス。
当日でしか分からなかったのですが、オルガンとピアノのチューニングが違う。
あんな大きな楽器で、寒いホールなので、音が狂わないほうが不思議です。
そこでTakanaと上手くどうぶつからないか試行錯誤。
10代の時ピアノトリオで戦メリーを弾いたこともあり、自分の中ではヴァイオリンの激しい部分あってのMerry Christmas Mr. Lawrence。今回のセトリは見ての通り、殆どヴァイオリンの出番がないTTやはりできればここで演奏したい。
そんな構成もあって、楽器の配置も考えました。ヘッドピースは衣装につけられないため、電池を持ちながらヴァイオリンを拾う地味にむずい動作。
色々なアレンジ、編成で演奏して来た戦メリですが、人生でせめてもう一回、またパイプオルガンの弾き語りで表現してみたい。
遠くにいる教授へ
遠くにいる知らないあなたへ
この歌が届きますように
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11. Joyful Joyful / 第九
クリスマスは喜ばしい季節。
だから一層悲しみも深く目立つ。
誰もが贅沢できる、少なくとも安心して生きられる、そんな世の中になって欲しい。
でも、現実は違う。
毎日複雑な思いで生きています。
自分自身の行動に矛盾があることにどんどん気づく日々。
今年も出させて頂いた、体にも、環境、動物に優しいクッキー。
今年のクッキーの寄付先はTABLE FOR TWO へさせて頂きます:
https://jp.tablefor2.org/
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お陰様でSold Outに。
沢山お作りしたいのですが、ひとつひとつ気持ちを込めて手作りのため、数量限定での販売となっています。
皆さんのおかげで、健康的な食料が、必要とされてる子供たちに届けられます。
最高な、クリスマス・プレゼントでは?!
サポートありがとうございます😇
さあ、クリスマスは、そんな自分にも優しく、遠い誰かにも優しく!
クリスマスをお祝いする方も、
ムーミンみたいに本来お祝いしない方も、
クリスマスは喜ばしい、Joyfulな季節だから!
クリスマス、年末年始にやっぱりこの曲でしょう。しかも今年は合唱入り!
合唱も手拍子しながらのノリノリなゴスペルで「Joyful Joyful」からの日本語で賛美歌のような「喜びの歌」。
そしてラストは声楽で「第九」。Takanaアレンジでお届け!一曲の中で人格がなん度も変わる。好き。
普段声楽を歌われない合唱がさらにドイツ語で歌われて、bravissimo!!!!
そうそう、偶々第九のワインを見つけました!いつか合唱とゆっくり飲む予定^^
Joyful Joyfulから最後までは、ほっと一息。
力が抜けてリラックス。
12. O Holy Night
聖なる夜に聖なる場所で皆さんと過ごせた幸せ。
本編最後はやはり、この一曲。
昔からもっとも好きなクリスマスソング。これ、歌っててとても気持ち良いのです。
歌詞も音符・キーも含めて、とにかく歌いやすいんですよね。発生しやすい?というのだろうか。
綺麗に音が響く、計算されて作られた一曲なのかもしれません。
こちらはウィーン少年合唱団と歌わせて頂き、レコーディングをさせて頂きました。
男の子になりたかったチビサラ。それは��わないと思った時、せめてボーイソプラノになりたいと思った。
その時からなのか、声を真似て高音が出るようになりました。ビブラートが殆どない、ピュアな歌い方。
こちらの方が誤魔化しが効かないので難易度が高い。後半に連れて疲れてくるとビブラートに逃げたりもします。
今回はウィーン少年合唱団のアレンジをベースに、最後は「Amen」を足してみました。🙏
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ENCORE
13. Ave Maria (Vavilov)
きっとアンコールがあるだろうと、お客様は思ってくれるでしょう。
でも教会だから、ここで終わりなのかなと思われたりして。。
色々考えながら、焦りながら、大移動+早着替えを。
オルガンももうないので、ロングのウェディングドレスに合わせてハイヒールに。
ヴェール���被り、慎重に急ぐ。
今度はTakanaがパイプオルガンへ。
Sarah’s AngelsのSAK.と磨裕美さんがヴェールを丁寧に持って下さり、素敵な絵になりました。
この曲は是非ともオルガンと、この時期に、こんなお衣装で歌いたかったです。
2000年以上前の今頃、お腹が大きかった聖母マリア様は大変な思いをされて旅をします。
そんな偉大な母の存在も、決して忘れたくありません。
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バージンロードを歩きながらの「Ave Maria」。
静かに見守るお客様。
この歌にもっとも相応しい会場。
大好きなこのAve Maria。よくCacciniと表記されてますが、実際はもっと最近のロシアの作曲家、Vavilovの作品。
あまり知られてないので分かりにくいかもしれませんが、これからはこんな素晴らしい曲を作られたVavilovの名前で表記します。
いつもならMinor(短調)、切ない感じで終わるのですが、打ち合わせも特になかったのに、TakanaがMajor(長調)で終わり、顔を見合わせながら、「だよね!」と二人頷く。
切ないけれど、絶望的でもあるけど、ハレルヤのように希望を感じさせる、そんな気持ちにさせるクリスマス。
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14. Silent Night
ここで演出として、会場と一体になりたく、「きよしこの夜」を皆さんと一緒に歌いました。
みなさんが立ち上がり、事前に作った歌詞カードを手にされ、声を一斉に。
伴奏もあっても良かったですし、合唱がハモるのもありでしたが、
ユニゾンで、同じ音で、アカペラで一緒に歌うことに、力を感じました。
シンプルに、ストレートに、心を一つに。
心の中でうるっと🥲
唯一今思うと、私も合唱もマイクを通さないで歌ったらさらに一体化しましたね。
なので、それは絶対にまたどこかで実現したい。
響き渡る皆さんの歌声。Bravi 👏
ここからさらに高いキーに転調し、Takanaのパイプオルガンのベースが鳴る。
合唱がSAK.の指揮によって入られる。
これまたエグいアレンジ(すみません)。
でもSarah’s Angelsは「こういうの好き!」と、
優しさからなのか、チャレンジ精神豊かだからか、天使の笑顔で微笑んでくれた。なんて良い人たちTT
本当に美しかったです。
15. Nessun Dorma
2023年ファイナルということもあり、音響が美しいということもあり、
「Silent Nightでも、誰も寝てはならぬ!」
本人はこの後10時間爆睡しましたけどね。
ツーランドットの女性バージョンを歌いきり、カーテンコールへ。
本当に皆様お疲れ様でした!
関係者の皆様、来られた皆様、
一生忘れない、クリスマスプレゼントをありがとうございました。
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16. You Raise Me Up
本来は「Nessun Dorma(誰も寝てはならぬ)」で終わるはずだった舞台。
大きく二つの理由があって、もう一曲アンコールを。
ちょうど一ヶ月前の11月21日、1/f FANCLUBの限定イベントが開催:
https://www.sarahalainn.net/
リクエスト曲ライブ。
最後、ノーマイクで歌って演奏した「You Raise Me Up」。
いつもサポートして下さってる方に最後は肉声で思いをお届けできればと。
限定ライブだったため、もう一度似たような演出を今回も。
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満員のホールにもか変わらず、響く教会にビックリ。
ここだったら完全にunplugged (PA・マイクなし)のコンサートは全然あり得ますね。
そして、もう一つ。
コンサートとはいえ、教会でのクリスマスということで、
拍手とお辞儀で終わるのが、ちょっと違和感を感じました。
聖なる夜に、本当の意味のクリスマスをお届けしたい。
メッセンジャーというスタンスで。
最後は、会場に下り、バージンロードを演奏・歌いながらその場を去りました。
ディナーショーなら手を差し伸べたい気持ちは分かりますが、
教会でのマナーを意識されたお客様のおかげで、こんな演出が可能でした。
安心して楽器の演奏も。エンターテイナーとして今後も安心しながら面白い演出をしたいので、とてもありがたいです🙇‍♀️
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サラジオのプロデューサーも来て下さって、とても嬉しい感想だったのでシェアさせて下さい:
「お客さんもあの終わりかただと満足度が極まって、アンコールの拍手も止んでしまいますね。
アンコールの拍手が出ないと言うことは、満足したと言う証明ですから、昨日はそれを実証しました。」
ここまで読まれたのですが?!
ありゃま。ワオ。お疲れ様です!
いつもこんな感じでコンサートの準備などしてます!
年末年始ということで、いつも以上に舞台裏を書けました^_^
そして終わっていつもこうなる:
「次どうしよう。。。><」
今年も沢山のサポート、愛をありがとうございました🫶
Merry Christmas! Happy Holidays! Happy New Year!
Happy New/Old YOU!
良いお年を!新しい自分、今までの自分に乾杯!
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komichi-mado · 1 year ago
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ひとりの人の中には、男性性と女性性とあって、複雑に絡み合って、肉体的にだったり、精神的にだったり、役割や欲望や人のアイデンティティを構成しているのだと思っている。人によって、男性性と女性性をどんな割合で、どんな要素として使っていくかは個人差があるのかもしれない。今の時代、二つの性別に大きな垣根がなくなり、どんな立ち位置や価値観でもいいようになりつつあり、こうあるべきというものもなくなってきつつあります。私の身体は男性として生まれていて、男性として生きているが、そういう私の中にも女性性があって、様々な重要な役割を果たしてくれている。男性性がぶわっと前面に出てくる時もあれば、女性性を中心として物事を考えて、うまくまとめてということを器用にやりつつある。バランスが大事だなと思う。男性として女性を愛する時には、自分の中の女性的な視点で相手を敬い、想い、愛する必要がある。女性的な視点や視野がないと、独りよがりの愛になってしまうのかなと考えている。特に今の時代ではかなりウェイトのある考え方です。うまくかみ合って、自分の価値観を大切にしつつ、表現していくという事が大切だから、周りの人がどんな割合で、どんな風に表現していくのか、慎重に見極めつつ接していくことが大事。千差万別。全ての中に宇宙があって、一つの世界を作っているのだから、自分の価値基準で縛ったり、世間とはという枠組みで固めないように気をつけたいなと普段から思っている。すごく難しくて、失敗も多くある。奥の深い思想だなと思う。
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takarajima-movie · 1 month ago
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物語の熱狂を体現する総勢10名の新キャスト解禁!
塚本晋也、中村蒼、瀧内公美、栄莉弥、尚玄、ピエール瀧、木幡竜、奥野瑛太、村田秀亮、デリック・ドーバー。 新キャスト10名のたぎる想いと共に劇中のキャラクター画像を一挙解禁!
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〈COMMENT〉 【塚本晋也】徳尚(とくしょう)役:コザ署の刑事でグスクの相棒 すべてのシーンが圧巻の特大スケールで驚きました。徳尚という役を通し、沖縄のこと、日本のこと、たくさんのことをあらためて見つめる大事な機会になりました。映画が放つ強いメッセージが皆様に届くことを願っています。 【中村蒼】小松役:米軍の高官アーヴィンの通訳 戦後の沖縄という最も過酷な現実に置かれ、歴史に声を奪われた登場人物の怒り、友情、絶望、希望が描かれておりそんな今作にとても心打たれました。画面からすごいエネルギーがひしひしと伝わってきました。 私が演じた小松は普段は淡々と通訳の仕事をこなし穏やかで理知的な人間ですが物語が進むにつれてそれだけではない別の一面も持ち合わせています。 私は、彼が冷徹で計算高い男なのか、理想と現実で板挟みになり苦悩する男なのか、それとも沖縄を思うが故に独自のやり方で尽力した人物なのかは観た皆さんがどう思うのかとても楽しみにしている所です。 【瀧内公美】チバナ役:ヤマコが慕うAサインバーの女給 いまも続いている"沖縄の現実"というものを内地の人間は見つめざるを得ない。 沖縄に出向き、戦争の話をしてくれたおばぁたち。 コザにある映画館シアタードーナツで見せていただいたドキュメンタリー映画「モトシンカカランヌー」。アケミさんが唄っていた十九の春。 沖縄で過ごした時間はわたしの心にいまも生き続けています。 ものがたりでもあり、フィクションであるにも関わらず、沖縄史にどうしても気持ちが向き、ここに生きている"人間たちが""魂が"あったんだ、と叫ばざるを得ませんでした。 伝えたいことは山ほどある。映画では語りきれないほどの想いがそこにはあります。 この作品に協力してくださった沖縄のみなさんに心から感謝しております。 エンドロールをご覧になってみなさまがどう感じてくださるのか、沖縄に出向いた際はひめゆりの塔で手を合わせていただけることを切に願います。 【栄莉弥】ウタ役:物語のカギを握る謎に包まれた孤児 大友監督が導く「宝島」の世界、僕はカメラの前で芝居をすること自体がほぼ初めての経験でした。撮影中は様々な感情が入り混じり、緊張で硬まってしまう事もありましたが、監督から「ここにいる以上は、同じ土俵に立っているのだから自信を持ってやっておいで」と仰っていただき、その言葉をパワーに変え、キャストの先輩方やスタッフの皆さんに背中を借りる気持ちで日々挑戦でした。 撮影の合間には、ひめゆりの塔や、ガマ、美しい海、荒崎海岸にも足を運びました。 沖縄の神秘と、そこに確かにある悲惨な歴史、そしてそれを乗り越えてきた琉球の方々の魂の力強さを感じ、心が震える思いでした。 激動の戦後沖縄を生き抜いたたくさんの命を、肌で感じていただける作品になっています。 ぜひ多くの方に劇場へ足を運んでいただきたい気持ちでいっぱいです。 【尚玄】タイラ役:レイの刑務所仲間で民族運動家 アメリカ統治下にあった沖縄の激動の時代。彼らが命を懸けて守ろうとしたのは、島のかけがえのない『宝』だった。理不尽な現実は、今もなお形を変えて続いている。民意とは何か、そして誰のための本土復帰だったのか――その問いは決して過去のものではない。沖縄と真摯に向き合ってきた大友啓史監督だからこそ実現できた意欲作。沖縄出身の俳優として、この作品に参加できたことを光栄に思う。 【ピエール瀧】喜舎場(きしゃば)役:コザ派のヤクザでレイの親分 久しぶりに大友監督の現場に参加させていただきました。相変わらずのエネルギッシュな現場で、何よりも監督が楽しそうにされている姿に触れてこちらも嬉しくなりました。 【木幡竜】ダニー岸役:ある事件を探るためグスクに近づくCIA要員 沖縄という戦後の戦場に焦点を当てて、グスク、ヤマコ、レイという幼馴染たちがそれぞれの人生を歩みオンちゃんという彼らにとっての英雄を探す物語です。国の過去と向き合う覚悟。人間の尊厳、自由への渇望が詰まったこの小説を読んだ時、どこに僕の役があるのだろう。どの役ならこの映画に貢献できるのだろうと感じておりました。 大友監督から頂いた役はダニー岸。映画唯一と言っていい悪役は、小説ではかなりのサイコパスな役です。しかし、小説と実写映画では少しこの役の意味合いは違いました。監督といろいろな意見交換をしながら撮影に挑みました。 試写会で映画『宝島』を観た時、全ての役が、キャラクターが、個性が、映画の中に息づいていました。その中にダニー岸も居て、すごい作品の一部になれていると感じました。 この映画は是非、映画館で見ていただきたいです。 【奥野瑛太】謝花(じゃはな)ジョー役:密貿易団クブラのリーダー 撮影休みの金曜日の夜、賑やかなコザゲート通りで1人酔い潰れていました。異国の雰囲気漂う通りで寝転んでいると、路面店からは終始洋楽のカラオケの音が鳴り響いていました。咆哮にちかい歌声にしばし身体を預け、 酔いがおさまってきたところでふらふらと路地を散歩しました。先ほどの景色とうってかわり地元の若い人達がやっている飲み屋さんが立ち並んでいました。 どこからともなく聞き馴染みある沖縄のJ-POPのカラオケの音が聞こえ、今度は地元愛の滲む平和的な若者の声に残りの酔いを任せました。 通り一つはさむだけでまるで違う国に来たかのように錯覚してしまう情景に、外部から来ておこがましいの百も承知ですが、「これが沖縄なのか」と、その複雑さと歴史にただただ呆然と酔っ払いました。
【村田秀亮】辺土名(へんとな)役:鼻の曲がったコザ派のヤクザ どんだけ涙が出てくるねんってくらい泣いてた… 胸が熱くて苦しくて痛くて…涙が止まらなかった。 戦争は終わったはずなのに沖縄では何も終わっていなかったあの時代 自分達の本来の島を取り戻したくて護りたくて命を懸けて立ち上がる若者たちの姿は、泥臭くて尊い。 これはただの物語で���映画でもないよ。 人間が生きることそのものにぶつかっていくリアルな叫び! 生きてる以上前に進まないと損やもんな よし、明日も生きていこ! 今世紀絶対観て欲しい一本です。 【デリック・ドーバー】アーヴィン・マーシャル役:グスクとチームを組む米軍の高官 『宝島』は私にとって特別な作品であり、日本映画界にとっても大きな意義を持つ挑戦だと感じています。大友啓史監督の情熱が、視聴者だけでなく、多くの業界関係者にも共感と希望を届けてくれることを願っています。 この物語は観る人に問いを投げかけ、考える力を引き出す深い作品です。激動の時代だからこそ、こうした普遍的な物語がいっそう求められていると感じます。 日本の文化と映画は、私の人生とキャリアに大きな影響を与えてくれました。この作品に関わり、尊敬する監督や仲間と共に創り上げられたことを心から誇りに思います。 〈STORY〉 ある夜、一人の英雄が消えた。アメリカ統治下の沖縄で、自由を求め駆け抜けた若者たちの友情と葛藤を描く感動超大作。 英雄はなぜ消えたのか?幼馴染3人が20年後にたどり着いた真実とはー。 沖縄がアメリカだった時代。米軍基地から奪った物資を住民らに分け与える“戦果アギヤー”と呼ばれる若者たちがいた。いつか「でっかい戦果」を上げることを夢見る幼馴染のグスク(妻夫木聡)、ヤマコ���広瀬すず)、レイ(窪田正孝)の3人。そして、彼らの英雄的存在であり、リーダーとしてみんなを引っ張っていたのが、一番年上のオン(永山瑛太)だった。全てを懸けて臨んだある襲撃の夜、オンは“予定外の戦果”を手に入れ、突然消息を絶つ…。残された3人は、「オンが目指した本物の英雄」を心に秘め、やがてグスクは刑事に、ヤマコは教師に、そしてレイはヤクザになり、オンの影を追いながらそれぞれの道を歩み始める。しかし、アメリカに支配され、本土からも見捨てられた環境では何も思い通りにならない現実に、やり場のない怒りを募らせ、ある事件をきっかけに抑えていた感情が爆発する。 やがて、オンが基地から持ち出した“何か”を追い、米軍も動き出すー。 消えた英雄が手にした“予定外の戦果”とは何だったのか?そして、20年の歳月を経て明かされる衝撃の真実とはー。
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hdsdt · 2 months ago
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シェイクスピア『リチャード三世』
 4月23日はシェイクスピアの記念日です。没日は23日、誕生日は明確にはわからないんですが洗礼日が26日なので恐らくこのへんの日付っぽいということでまとめてシェイクスピアデーとなっております。
 今年はリチャード三世のポスター風イメージを描きました。
 シェイクスピア戯曲は400年以上前に作られた古い芝居の台本です。とはいえ現代でシェイクスピアものをやるとき、シェイクスピア時代の上演の再現を目指す場合を除き、基本的には現代の価値観、現代の人の好み、上演する今、私たちに合わせた演出で行います。
 例えば、『ジュリアス・シーザー』のシーザー役をアメリカの大統領選挙風の舞台で明らかにトランプ大統領を想起させるファッションで演出をしたり、『リア王』を家庭の問題として痴呆老人の妄言と徘徊、姉妹間の親の世話の押し付け合いとしたりもしますし、ミュージカルや映画で有名な『ウェスト・サイド・ストーリー』は『ロミオとジュリエット』の翻案で、最近また新しく映画が作られましたし、アラブ圏の演出家が中東を舞台にして自分たちのための物語として『ハムレット』や『リチャード三世』を上演したりもしています。日本だと黒澤明の映画が一番触れやすいと思いますが、戦国時代とか日本の歴史劇風にやったりしますね。少し前の流行りで、直接ではない作品になりますが、『ゲーム・オブ・スローンズ』や『鎌倉殿の13人』も物語構造、エピソードや人物造形などがシェイクスピア戯曲の影響下にある作品として有名です。シェイクスピア戯曲または演劇に直接触れたことがなくても、シェイクスピア戯曲を参照して作られた作品は巷にあふれていますので、そうとは知らずどこかで見たことがあるかもしれません。
 エンタメコンテンツでは流行パターンの作品が膨大に創られるというのがありますが、(ここ十年ぐらいの潮流だと、ゲーム・ファンタジー世界観/異世界転生/悪役令嬢ものあたりでしょうか)シェイクスピア戯曲もいわゆる「型」のようなもので、シェイクスピアものをやる、というのは、「あのお話の型でバリエーションを作っている」という読み取り方もできます。
 上演芸術の古典と呼ばれるものは基本的に「皆様ご存じの! あのお話をやります!」という構造です。題材は神話だったり歴史だったり、多くの人が読んでいる文芸だったり、同時代のセンセーショナルな出来事だったりしますが、「皆の共通認識になっているもの」を「目の前でやってみせる」からウケるのだ、という構造だと私は思っています。
 日本だと歌��伎・能楽・文楽(浄瑠璃)は漫画やアニメ、ゲームなどのエンタメコンテンツを上演にかけることがありますが、これは「皆の共通認識」になっている物語が漫画・アニメ・ゲームに比重があるからで、上演をやる意義、芸能の何を見せるのかの軸が「生きている人間の芝居や踊り」というところにあるならば、台本に「流行りのモノ」をもってきてやるのは何の不思議もないわけです。
 シェイクスピア戯曲・演劇も、歴史や神話などの元ネタがあるものを芝居という形にまとめてやってみせていた芸能で、シェイクスピア自身が無から何かを創造していたわけではありません。芝居が面白くなるように、歴史的な時系列も地理関係も改変しまくっていますし、何百年も前の歴史上の人物も戯曲上のなんらかの性格を持ったキャラクターとして描かれます。これは、歴史から題材をとってきてはいても、上演される時代の人々にウケるための創作であり、歴史上の人物の実像とは一致しないものです。たとえなんらかの記録が多少のこっていたところで、何百年も前に死んだ人の言葉遣いや身振りや性格や実際に心の中に思っていたことなんて十全にわかりようがないので創作するしか方法がない。立ち上がるキャラクターはうまくいったとしても「説得力のある虚像」です。「生き生きした人物像」という芝居のファンタジーを観客は見て説得されているのです。描かれるのがファンタジー・虚像であっても、これを観ている体験は現実であり、ここを明確に区切って考えるには訓練が必要です。
 シェイクスピア戯曲『リチャード三世』について。
 シェイクスピアの「リチャード三世」は非道な悪役です。身体障害を持って生まれ、母親から愛されず、自分のような見た目の者が女から愛されることはないと世界を呪い、欲しいものは誰も逆らえない権力であり、親族を殺しまくって王位につくも統治能力がなく、戦場でめみじめに殺される男の話です。
 こう書きだしてみると加虐性のあるろくでもない男ですが、「リチャード三世」はシェイクスピア戯曲のうちでも人気タイトルのひとつで、魅力的な悪役として描かれることが多いです。実際、王位につくまでの、手段を選ばず他者をだまし、陥れ、殺していく様は「面白い話」として機能します。これは暴力の達成の話、且つ上昇の話だからです。
 リチャードが権力の頂点にたったとき、仲間はおらず、信頼もなく、孤独です。王になったらもう地位上昇の高揚もありません。殺してきた者たちの亡霊を夢で見て「絶望して死ね」と呪われ、戦場で馬を失い、殺されます。
 歴史上のリチャード三世がどんな人物であったかの歴史解釈とは別に、シェイクスピアのキャラクターとしてのリチャード三世は影響力があり、「リチャード三世」といえばまずシェイクスピアのリチャード三世を思いうかべるひとのほうが多い状態と言ってもいいでしょう。(歴史にもシェイクスピアにも興味がなければ「誰? 何?」って感じだとは思いますが)
 日本でいうところの織田信長みたいなものでしょうか。歴史解釈的にどうかというより歴史題材��ンテンツのキャラクターイメージが強いというか。これは、良いとか悪いとか言いたいわけではありません。コンテンツが流行ると影響力があるなあ、という話です。良い効果がある場合もあるだろうし、悪い効果がある場合も普通にあるでしょう。状況や条件次第なので。
 前半で「皆の共通認識」という言葉を使いましたが、一人一人がなんらかの神話・歴史・物語を深く知っている必要はなく、「よく知らんけどなんかそういうのらしいね」ぐらいでも「共通認識」として機能します。
 シェイクスピア戯曲のエンタメ虚像とは別に、15世紀イングランドにリチャード三世は実在したわけですが、2012年に英国レスター市でリチャード三世の遺骨が発掘され話題になり、エンタメ虚像じゃないリチャード三世の印象もまた広まったのではないかと思います。このリチャード三世の遺骨発掘の経緯は映画にもなっています。
 リチャード三世の歴史準拠の再評価は昔からありましたが、2012年の発掘があったことで色々な調査が進んで、新たな解釈、そこからまた別の、シェイクスピアのものではない、フィクションのリチャード三世像も生まれるのだろうなと思います。
 遺骨発掘シーンの再現を盛り込む演出が入った『リチャード三世』の公演もあったりしましたし、シェイクスピアのリチャード三世上演のほうにも、ヴィジュアルやキャラクターイメージの変化はそれなりにありそうな気はします。
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 シェイクスピア戯曲を読んだり上演を見ていて、「よくわからないんだよな……」と思っているのが権力欲で、全く共感がないまま面白いと思って読んだり観たりしています���登場人物に、その判断力があってなんで権力構造には従順でボンクラになるんだ? 的な感想を持ってしまうというか。いや、権力構造の上位者になりたいという欲求はありふれてあるものだということはわかるんですが。
 ダンスを見る趣味のスタンスから考えると、欲がなんであれ感情/行為/動作のアップダウンがある=動的になるのでそこを面白いと思っているんじゃないかなあと思うんですが、自分のことだがよくわからない。人なり出来事なりが動いてる状態・動きを発生させる構造、現象に面白さ・愉しみがある、のだと思うんだけど。
 ちょっと話はズレますが、『リチャード三世』で言えばリチャードがアンを口説き落とすシーン、成功していると感じた上演をあんまり観たことがないです。緊張感があり印象的だという感覚はあれど、アンが憎しみと嫌悪を持ったまま口説き落とされるって、そのように表現できてると感じたことほぼないんですがあれ、難しくないですか? ものすごく難しくないですか? あり得なくはないだろうがそうとう難しくない? 感情が、字面ではわかっても腑に落ちないというか。
 物語創作のセオリーで「これは私の物語だ」と思わせることが必要と言われたりしますが、共感が発生しない、私ごとにはならないことでも全然面白いが? と思っていて、面白さってなんなんだろうとずっと疑問です。
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chikuri · 2 years ago
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クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説: まずは約5分に渡るクロエのオープニング・ステートメントから: = = = = = = = = = = 私の名前はクロエ・コール。デトランジショナー*です。別の言い方をするなら、私は自分が間違った体に生まれたと信じていて、そして、私が信頼していた大人たちは私のそんな考えを肯定し、生涯癒えることのない傷を私に残しました。 (*=ホルモン療法や身体整形などの医療行為により性別を変え(トランスし)た後、元の性別に戻ることをデトランスdetrans、その個人をデトランジショナーdetransitionerという) 私は今日、アメリカ史上最大の医療スキャンダルの犠牲者として、皆さんの前でお話しします。皆さんにこの狂乱を終わらせる勇気を持っていただき、私が経験したような苦しみを、脆く危うい状況にあるティーンエイジャーや子どもたち、そして若い大人たちが味わうことのないようにしていただきたいと願っています。 - 12歳の時、私は後に医療チームが性別違和と診断するような経験をし始めました。私は幼くしてやってきた思春期の真っ只中で、自分の身体に起きている変化をとても不快に感じていました。男性から注目されることに怯えていました。今になって思えば、両親に「自分は男の子のような気がする」と言ったのも、思春期が嫌で、この未知の性的な緊張が無くなってほしいという意味だったでしょう。私は姉たちよりも兄たちの方を少し慕っていましたし。 私はダイニングテーブルの上に置手紙をして、自分はトランスジェンダーだと告白しました。両親はすぐに心配し、医療の専門家の助けを借りる必要があると感じたようでした。しかし、それは間違いだったのです。家族全員が即座に、イデオロギーに突き動かされた欺瞞と強要の道を歩むことになりました。 私が受診した一般的な専門家は、両親に「すぐに思春期抑制剤(ブロッカー)を飲ませる必要があります」と言いました。 彼らは両親に簡単な質問をしました:「 死んだ娘さんと生きているトランスジェンダーの息子さん、どちらを選びますか?*」と。 (*=トランス医療における常套句で、子供の主張するジェンダーを肯定しなければその子は自殺してしまうだろう、ならば性別を移行させてやる方が本人のメンタルヘルスも回復し希死念慮もなくなる、という意味) その選択は両親の警戒を解くのに十分でしたし、今考えても両親を責めることはできません。私たち全員が、いわゆるジェンダー肯定治療(ジェンダー・アファーミング・ケア)*の犠牲になった瞬間でした。 (*=欧米で広く支持され��きた療法で、患者の経験や感覚を尊重し本人の主張するジェンダーに寄り添った医療やサポートを行う) - 思春期ブロッカー、そしてテストステロンへと急ピッチで進められ、その結果、更年期障害のようなほてりで学業に集中できなくなりました。今でも関節痛や背中の変な痛みがあります。ブロッカーを使っていたときのほうがずっとひどかったですが。 その1ヵ月後、13歳のときに初めてテストステロン注射を打ちました。不可逆的な身体の変化が引き起こされ、私の声は永遠に深く、顎のラインは鋭く、鼻は長く、骨格は永久に男性のそれになり、喉仏はより目立つようになり、生殖能力は不明となりました。 時々鏡を見ると、まるで自分が怪物のように思えます。 私が二重乳房切除術を受けたのは15歳の時です。医師は切断した乳房にガンがないか検査していましたが、もちろんガンなどなく、私は完全に健康でした。まだ発育途中だった私の体や乳房は、不安な10代の少女として気まずい思いをしたこと以外、何の問題にもさられていませんでした。 私の両胸は摘出され、その組織は焼却されました。合法的に車を運転できる歳ですらなかった。しかし将来の女性としての大きな部分が奪われたのです。母乳で我が子を育てることはもう決してできない。鏡の中の自分を見るのもつらい時があります。今でも性機能障害と闘っています。胸には大きな傷跡があり、より男性的な位置にくるようにと乳首を切除した皮膚移植のため、今日もそこから体液が垂れています。 手術後、学校の成績は落ちるところまで落ちました。 私が経験したこれら全ては、抱えていた根本的な精神衛生上の問題を解決するものではありませんでした。そして、ジェンダーについて理論を持つ医師たちは、私が手術によって漠然と男の子に似たものに変化すれば、私の悩みはすっかり無くなるだろうと考えたのです。 彼らの理論は間違っていました。薬と手術は私の身体を変えましたが、私が女性でありこれからもずっと女性である、という基本的な現実は変わらなかったし、変えることもできなかった。専門医が私の両親に、「死んだ娘か生きているトランスジェンダーの息子を持つことになる」と当初告げたとき、私には自殺願望などありませんでした。私は幸せな子供で、人と違うことで悩んでいただけです。 しかし手術後、16歳の時、私は自殺したいと思うようになりました。今は良くなっていますが、両親はもう少しで、医師から約束された死んだ娘を手に入れるところでした。私の主治医は、彼らが避けたいと言っていた悪夢そのものを作り出すところだったのです。 - 私はアメリカのティーンエイジャーとその家族にどんなメッセージを伝えたいのでしょうか? 私に必要だったのは嘘をつかれることではありませんでした。共感して欲しかった。愛されていると感じることが必要でした。男の子に変身すればすべての問題が解決するという妄想を肯定するのではなく、私の悩みに取り組むセラピーを受ける必要があったんです。 ���たちは12歳の子供たちに、「間違った身体に生まれてきた、自分の肉体を拒絶していい、自分の肌に違和感を覚えるのも正当だ」、などと言うのをやめねばなりません。 「どんな服を着るかとか、どんな音楽を聴くかなどを選べるように、思春期だってチョイスであり、どのような思春期を過ごすかは自分で選べるのだ」、なんて子供たちに言うのはやめなければいけないんです。 思春期は大人になるための通過儀礼であり、緩和されるべき病ではありません。 - 今日、私は自宅で家族と19歳の誕生日を祝うはずでした。しかしその代わり、私は選挙で選ばれたあなた方に必死の訴えをしています。 オピオイド危機のような他の医療スキャンダルから教訓を学んでください。医者も人間であり、時には間違っていることもあるのだと認識してください。 私の子供時代は、私たちのネットワークを通じて知り合った何千人ものデトランジショナーたちと同様に台無しにされました。 どうか止めてください。あなただけが止められるんです。この野蛮なエセ医学によって、すでに多くの子供たちが犠牲になっています。どうかこの私の警告が最後のものとなるようにしてください。 ご静聴ありがとうございました。 = = = = = = = = = = - 公聴会でのクロエの証言はどれもショッキングであると同時に、彼女の堂々たる勇姿が人々の胸を打った。中でも子供のトランス治療に賛同した両親の存在についてクロエが声を詰まらせながら語ると、彼女の思慮深さに感動し涙する大人たちであふれた。 13歳から17歳の間に思春期抑制剤、異性間ホルモン剤、二重乳房切除術を受けたとして、カイザー財団病院とパーマネンテ・メディカル・グループを訴えているクロエは、公聴会の中で民主党側が招いた証言者のレイノルズ博士に話しかけた。 トランスジェンダーを自認する子供の母親であり、プロのカウンセラーでもあるミリアム・レイノルズ博士は、委員会の公聴会で「未成年者の性転換治療は必要であり、命を救う」と明言し、彼女の子供も現在ホルモン補充療法を受けているとしている人物である。 以下はクロエからレイノルズ博士への発言: = = = = = = = = = = レイノルズ夫人が我が子のために不安なのは理解しました。これは言っておきたいのですが、私は彼女を憎んでいません。ここにいる誰も彼女を嫌悪したりはしていないと思います。実際、私は彼女の中に自分の母親と父親を見ています。そして、明らかに彼女は子供を心から愛している。それに、彼女はできる限りでベストを尽くしている。ただじゅうぶんな術はなくて…気の毒だと思います。 子供を救いたいと願うすべての親には、最大限の援助とガイダンスがあって然るべきです。 しかしながら、私は、彼女の子供が私と同じ結果になることを望みません。誰であっても性別移行やデトランスを後悔してほしくない。なぜって、それは信じられないほど困難で、他にはない苦痛が伴い、容易なことではないからです。 彼女のお子さんが幸せで満ち足りた青年時代を過ごせるようにと願います。それがたとえどんな形であろうとも。 = = = = = = = = = = - ある日突然、幼い我が子が性別違和を訴え、多くの親たちは狼狽する。メディアや学校や小児科医やママ友まで「トランスキッズは増えているが、それは彼らが自然にカムアウトできる時代になったから。子供たちの真のジェンダーを肯定してあげなければ、彼らは間違った身体に入れられた心の苦痛に耐えきれず、自死を選ぶだろう」と言っているのだから。 日本では欧米で起きている子供たちに蔓延する熱病のようなトランス・ブーム、LGBTQイデオロギーに侵食された科学分野や医療業界、金儲けのために健康な子供たちを切り刻む医師、司法・行政・教育機関が一丸となって親から子供を引き離している実態などがまるで知られていない(にわかには信じ難い話で、まあ無理もないけれど)。 だから、クロエ・コールや他の何千という未成年のデトランジショナーがトランス治療に加担した病院や医療従事者を訴えている、と聞くと、「金目当てだろう、医者のせいにすんな」とか、「厨二病に罹ってバカを言った子供の責任だし、親もどうかしてる」とか、セカンドレイプにも似た被害者への罵詈雑言が飛び交う。 しかしそんな無知で傲慢な彼らのどれほどが、クロエや彼女の家族と同じ状況に立たされた時に後悔のない選択をできるだろう。医者や専門家という職業を信頼していれば尚のことである。 まるで他人事の彼らは、日本でも子供たちへのトランスジェンダリズム啓蒙、保護者からの引き離し(親に内緒で未成年児童をLGBTQユース団体に参加させるなど)、そして思春期抑制剤の推進なども起きていると知っているのだろうか。 画像 - トランスジェンダリズムに基づくトランス医療はエセ医学であり、欧米で今、デトランスした子供や若者たちが訴訟を始めているように、大きな巻き返しが起こって医療スキャンダルとして扱われる日が来る。 そう願って日々発信しています。 (終わり) さらに表示
Xユーザーの🇺🇸 🇯🇵Blahさん: 「クロエ・コールは12歳の時トランスジェンダー医療に引き込まれた犠牲者だが、その苦しみを全身に背負いながら同じ境遇の子供たちを救うため活動している。トランスジェンダリズムの闇にメスを入れるべく開かれた米国下院司法委員会の公聴会で、涙ながらにその全貌を語った。 以下、和訳と解説:… https://t.co/DRd2Vlbwfc」 / X
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ffxivtranslations · 10 months ago
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In From the Cold - Retranslation
I felt there was a little bit of characterisation that was different in the Japanese version of this scene, so I translated it for completion.
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?????? : お待ちください、英雄殿ッ!
ファダニエル : なーんて。あなたはどうぞこちらへ、殿下がお待ちです。
??????: ええ……実験……成功していますが……時間は……ないかと……。すぐに支度を……。
ファダニエル : ほら、そろそろお目覚めになってくださいな。おはようございます。こちら、冷めないうちにどうぞ。
ああ、兜を外すときは気をつけて。まだ「その身体」に慣れていないでしょうから。いかがです?
魂を別の身体に移し替えられた気分は。ほら、あなたたちにアラミゴで倒された、アウルスとかいう魔導技師がいたじゃないですか。
彼の遺したブレインジャックなる技術が、なかなか面白かったので、改良して使ってみたんですよ。
何と言う?
>自分の身体を返せ……!
>最悪だ……
????: Please wait, great hero!
Fandaniel: Just kidding! Please come with me, his Highness is waiting.
????: Yes…. the experiment… it’s succeeded, but …. time is…. short…. hurry the preparations….
Fandaniel: Come now, hurry and wake up. Good morning. Please eat up, before it gets cold.
Ah, please be careful when you take off your helmet. I’m guessing you aren’t used to “that body” just yet. How is it?
The feeling of having your soul put into a different body? Come now, don’t you remember the magic technician you defeated in Ala Mhigo called Aulus?
I found the Brainjack technology he left behind quite interesting, so I decided to try improving and using it.
WoL:
Give me back my body!
This is the worst…
ファダニエル : おや、アシエン的には、日常茶飯事なのですがね。あなたも深く考えず、ディナーを愉しむといいですよ。
いやぁ、私なりに気を遣ったと申しますか……あなたは殿下の「友」でしょう?だったら、せっかく近所まで来ていることですし、
友らしく食事に誘ってはどうかと提案したのですよ。そしたら……返事がなかったもので!「是非に」と解釈いたしましたッ!
おやまぁ……。不愛想な息子が友達を連れてきて、お父上も感無量のご様子だ。なに、難しいことじゃないですよ。
ガレマール帝国では、一切の信仰が禁じられている。ゆえに、神降ろしに足る巨大な存在を、思い描けないとされてきました。
でも、あると思いませんか?彼らが畏れ、敬い、すがるもの…… そう、自身の国家、その象徴たる皇帝です。
昨今、帝国には悪い風が吹きどおし。伝説の初代皇帝が身罷られ、属州では独立運動が盛んになり、新たな皇帝が殺されたのを機に内戦まで起こりだした……。
となれば、民草は願うでしょう。強く、揺るぎない、ガレマール皇帝が立つことを。その切なる願いを、ヴァリス殿下の身体に降ろしてさしあげたのです!
そうして顕現せしものは、まさしくガレマールの「魂(アニマ)」と呼ぶにふさわしい!皇帝とは、民草を服従させるもの。広域にエーテル放射を行う力は、まさにその顕れです。
それによって、帝都に富と権力が集まってくる……という概念を利用して、各地からエーテルを集積してもらいました。「終末の塔」と呼んでいただいているものは、
アニマの一部を核として創り上げた、端末なのですよ。ね、殿下……?
Fandaniel: Oh? For an Ascian this is something we do daily. You shouldn’t think to much about it, just enjoy your dinner!
I mean, in my own way I went to a lot of trouble for this… after all, aren’t you his Highness’s friend? Since you were in the neighbourhood and all, I suggested to him to invite you over for a friendly meal. And he… didn’t even reply to me! So, I took it as a “please do”!!
(Anima makes noises) Dear oh dear… it seems that his father is overwhelmed with emotion that his unsociable son has invited a friend over!
What, it’s not that complicated. Garlemald banned all religion. Therefore, there should be nothing powerful enough for the people to imagine to summon as a Primal. But there is, don’t you think? The thing that they fear, revere and cling to… that’s right! The symbol of their homeland, the emperor!
Recently, ill winds have been blowing across their empire. The legendary founding emperor passed away, independence movements became widespread in the provinces, and using the murder of the new emperor as an excuse, even civil war has broken out! At this point, the people are praying don’t you think?
For a strong, unwavering Garlemald emperor to rise. So, we poured their earnest wishes into the body of emperor Varis, and what manifested was naught but what we could call the soul (Anima) of Garlemald! An emperor is someone who subjugates the populace. The power to radiate aether across a wide area is surely a manifestation of that.
So we used the general idea of the imperial capital being somewhere that wealth and power is gathered together to accumulate aether from all over the land here. What you call the “Tower of Doom” is a terminal that I built using Anima as a core. Isn’t that right, your Highness…?
ゼノス: お前は、すでに狩ったことのある獲物に興味があるか?……ないだろう。精々、毛皮や肉ほしさに、淡々と屠るだけだ。
俺に対しても同じこと。あの庭園で勝敗を決したときから、取るには足らぬものと感じているのだろう?それは構わぬ。しかし、お前に気がなければ、
前回を超える一戦など、到底果たせまい……。俺は牙を研ぐと同時に、再びお前を「その気」にさせる必要があったのだ。 英雄……。
それは、絶望と悲嘆が渦巻く場所に現れ、命を賭して戦う者だという。ゆえにあれこれと壊してみたのだが……どうだ?
まあ、今はいい。こちらもまだ、すべての薪をくべてはいないからな……。
ファダニエル : おや、お食事はもう終わりですか?
ゼノス:我が友を前にしては、何を食っても餓えるばかりよ。加えてそちらも、食欲はないようだ。友らしき行いとやらを一度は試すかとつきあったが…… やはり、お前と俺はこうではないらしい。退屈な晩餐に招いた詫びをしよう。俺は以前、アシエンからこの身体を取り戻すまで、別人の肉体を使っていた。なかなかに学ぶことも多かったぞ。異なる体躯で戦うからこそ、己が癖も見えてくる。強さというものは、魂に宿るのか、肉体に宿るのか…… それを問う機会を、お前にも贈ろう。さあ、取り戻しにくるがいい。
Zenos: Are you interested in hunting prey that you have already hunted before? I’m sure you aren’t. At best you would just easily slaughter it for want of meat or pelts.
You feel the same about me. Since your victory was decided in that garden, you must feel that I’m unworthy do you not? That doesn’t matter to me.
However, if you’re not in the mood, I won’t be able to have a battle with you that is better than the last. So, at the same time as I sharpen my fangs, I must needs make you feel like fighting me again. Hero… that is one who risks their life to fight in a place where grief and terror swirls. Therefore, I tried breaking things here and there for you… how was it? Well, don’t worry for now. I haven’t even finished stoking the fire yet.
Fandaniel: Oh my, are you already finished with dinner?
Zenos: In front of my dear friend, no matter what I eat I will just be starving. And it looks like they aren’t hungry either. I decided to give being “friendly” to you a try, and went along with his suggestion but… it seems that you and I aren’t like that after all. I apologise for inviting you to a boring supper.
Before I took this body back from that Ascian I had to use another’s body. I learned a lot from that experience. Fighting in a different body allows you to see your own idiosyncrasies. Does strength lie in the soul or in the body? I gift to you the chance to find out for yourself. So! Come and try to get your body back!
ファダニエル : ああ、大変……っ!あれがあなたのフリをしてキャンプに戻ったら、どんな大惨事が起きてしまうのでしょうか……!?
ええ、ええ、血みどろの光景を見たくなければ、急いで追ったほうがよろしいかと。私がお送りいたしましょう。さて、派遣団のキャンプは、あちらですね。あなたの姿をした殿下も、あそこを目指しているはず。追いかけて止めないと、何をしでかすやら……なのですか?はい、ここからは徒歩でお願いしますね。
でないと、殿下のご意向に沿えませんし?残念、私なんかを相手にしてる時間はありませんよ。あなたの行く手には障害がたくさんあるんです。例えば……ほら!テンパードになっている兵士です。彼らには、あなたのようにアニマに与しない者を……つまり無事な生存者を駆逐せよと命令してあります。
いつもの身体なら相手にもならないでしょうが、さて。お仲間たちを助けるために、精々頑張ってくださいね?
Fandaniel: Ahh, oh my god!! If that thing goes to your camp pretending to be you, what a catastrophe it’ll be!!! If you don’t want to see that bloody scene, you’d better give chase! Let me see you off on your journey. Let’s see, the contingent camp is that way. His Highness should also be making his way there, wearing your body. If you don’t catch up with him, I wonder what he’ll be capable of? Alright, I’ll ask you to walk from here. Otherwise, I won’t be complying with his Highness’s wishes. Unfortunately, you don’t have time to fight me. There are many obstacles in your path. Take for example… there!
Those tempered soldiers. They have been given orders to exterminate anyone like you, who is not on Anima’s side… in other words- survivors. In your normal body they’d be no match for you but… Anyway, please try your best for the sake of saving your friends!
グ・ラハ・ティア: …………あんた、誰だ?
何と言う?
>そこまでだ、ゼノス!
>ふたりから離れろ……!
ファダニエル : はい、残念ながらブレインジャックは効果切れ、それぞれの身体に戻るお時間です。どうもこんにちは。遠路はるばる来ていただいたのに、ご挨拶が遅くなって申し訳ありません。なにせ時間稼ぎをしたかったもので。多勢に無勢のこの状況で、ど���したものかと悩んだんですよ?
とりあえずテンパードの兵士たちを配備して……それから見逃しておいた生き残り(ネズミ)たちの巣から、青燐水を少々盗んでみたりして。いやぁ、効果てきめんでしたね!慈善活動おつかれさまです、おかげでこちらは間に合いそうですよ。アニマの力で集めたエーテルが、じき必要量に達します。
そうすれば、やっと幕開けとなる……最古で最強の蛮神を使った、終末の災厄がッ!
ゼノス:強き神を食らって、お前の仲間も、世界も、すべてを引き裂こう……。今度こそ、殺したいほど、俺を憎めよ。
G’raha: Who are you?
WoL:
That’s far enough, Zenos.
Get away from the two of them!
Fandaniel: Yes, sadly the Brainjack’s effect is about to run out so it’s time to return to your respective bodies. Hello and well met.
I apologise for not greeting you sooner when you came from so far away. At any rate I needed to buy some time. We were outnumbered so I was wondering what to do in that situation. So, for the meantime I deployed some tempered soldiers… and then I stole some Ceruleum from the nest of the rats (survivors) I overlooked. Well, it certainly worked didn’t it! Thanks for your charity work, because of you we’re right on time!
The aether that Anima has been collecting should reach the amount we needed soon. And the, the curtain will finally rise- using the oldest, strongest Primal- on the end of days!
Zenos: I will eat that strongest god, and tear apart your friends and the world… This time I will make you hate me to the point of wanting to kill me.
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claudiosuenaga · 3 months ago
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日本、完璧さの逆説:マトリックスと存在の持続不可能な調和
すべてが完璧に機能する世界を想像してください。遅れることのない電車、完璧に清潔な道路、絶対的な安全、そして理想的なバランスを達成したかのように見える社会。そのような世界は部分的に日本に存在します。しかし同時に、完璧さが必ずしも幸福を意味しないという影をも抱えています。この二面性は私たちに問いを投げかけます。完璧さは耐えられるものなのでしょうか?それとも、『マトリックス』のように、現実には生きるために不完全さが必要なのでしょうか?
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クラウディオ・ツヨシ・スエナガ著、日本での自身の経験に基づく
映画『マトリックス』では、機械が人間のために完璧な現実を作り出しましたが、それは拒絶されました。人間は、葛藤のない世界を受け入れることができず、現実が耐えうるものとなるためには不完全さが必要だったのです。この考え方は、現代日本を見つめるときに深く響きます。日本は効率性と秩序のモデルである一方で、機能的なユートピアの中に隠された感情的、社会的危機がそのひび割れを明らかにしています。
日本は、低い犯罪率、整ったインフラ、そして賞賛に値する集団意識を持ち、ほぼ完璧な例のように思えます。しかし、この外面的な調和は、内面的な不安定さと対照的です。高い自殺率、急速に進む高齢化社会、そして家族を築くことに関心を持たない若者たち。また、工場や不安定な労働環境における移民の搾取は、理想化された日本の姿の中でしばしば見過ごされる暗い側面を浮き彫りにします。
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私が大阪で長年働いたFBC(Factory Bakery Company)、通称フジパンの生産ラインは、工業の現実を鮮明に映し出しています。この工場は年中無休、24時間稼働しており、12時間の2交代制で運営されています。作業は立ったままで行われ、過酷な環境に直面します。汚れた状況、単調で機械的な作業、そして極度に疎外感を覚える仕事です。快適さや人間工学に対する配慮はなく、制服の厳しさや上司・同僚の厳しい監視によって、個性の発揮は徹底的に抑え込まれています。
見た目と現実の間にあるこの不協和音は、本質的な問いを投げかけます。外面的な完璧さは、人間の内なる複雑さを抑え込んでしまうのでしょうか?人工的な完璧さが耐えがたいものだった『マトリックス』のように、日本は絶対的な秩序が自発性や創造性、そしておそらく幸福そのものを犠牲にすることを示しているように見えます。
日本で「マトリックス」にいるような感覚は単なる比喩ではありません。それは、完璧な表面とその下にある緊張の間の断絶を認識する人々にとって、内臓に響くような体験です。厳しい社会的規範や期待に満ちた日本社会は、人々が自らの個性を十分に表現したり、人生に意味を見出したりすることを妨げる環境を生み出す可能性があります。
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これから何を学べるのでしょうか?おそらく、その教訓は、不完全さが人間の経験において不可欠な部分であることを受け入れることにあります。理想的な世界とは、すべての問題を排除する世界ではなく、失敗、成長、そして本物らしさのための余地を許す世界です。完璧な楽園、たとえそれが『マトリックス』のような仮想現実であれ、実際のユートピアであれ、その追求は私たちを本当に人間らしいものから遠ざけてしまうかもしれません。
日本における現在の秩序は、古典的な全体主義的支配を超越した現象です。日本で起こっていることは、「バイオパワー」または「規律的コントロール」と呼べるものの最も進んだ例のように見えます。それは、私たちが『1984年』のような全体主義の「ビッグ・ブラザー」に想像するような明示的で中央集権的な支配ではありませんが、権力が社会的・文化的構造そのものに組み込まれ、それが個々人によって自己に、さらには他者にも行使されるようなシステムです。それを以下のように考察してみましょう。
見えないコントロール��命令ではなく規範による権力
日本における社会的コントロールは、権威主義的な明示的命令よりも、深く根付いた文化的規範から発せられるように思えます。「建前」(社会で期待される行動)と「本音」(本当の気持ちや考え)という概念はこれを象徴しています。人々は明確な強制力があるからではなく、社会が求める行動に従うことがほぼ聖なる価値として認識されているために行動します。
このような規範の順守は、自己持続的なコントロールシステムを生み出します。各個人は自分自身だけでなく他者に対する監視者となり、直接的な介入がほとんど必要とされない均衡を維持します。
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調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。
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調和としての社会的命令
「和」(調和)への執着は、日本文化の中心的な役割を果たしています。日本では、対立はあらゆる手段を講じて避けるべきものとされています。これは多くの面で賞賛に値するものであり、社会的な緊張を減らし、グループでの作業を円滑にし、秩序ある共存を促進します。しかし、そのための心理的な代償も存在します。多くの人々が、調和を保つために不満や欲望、さらには自分自身のアイデンティティを抑圧しているのです。
この絶対的な調和の追求において、『マトリックス』との類似が見られます。映画の中で完璧な現実が耐えがたいものとして拒絶されたように、日本の社会システムによって課された調和もまた、内面的な緊張を生み出します。その結果として、表面的には完璧に見える社会的な楽園においても、不幸感、疎外感、そして絶望が副産物となっています。
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世界的な考察:他に同じような場所は存在するのか?
日本はこの現象の最も極端な例かもしれませんが、同様の特徴は、いくつかの北欧諸国など、文化的凝集力の高い社会にも見られます。そこでも文化的な同調圧力は存在しますが、その強さは日本ほど顕著ではありません。 しかし、日本はこの社会的圧力を、秩序と効率に対するほぼユートピア的なビジョンと組み合わせる点で独特です。この結果、全ての市民が意識的に、あるいは無意識的に参加しているかのような「社会プログラム」の印象を与えるのです。
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完璧さの代償
ここで『マトリックス』との比較が非常に強力なものとなります。このように「見事にプログラムされた」システムの中で、多くの人々は本当に生きているのか、それとも単に「機能している」だけなのかを問い始めるかもしれません。理想的に見える環境の中であっても、精神的な健康問題、人口動態の危機、そして広範な不幸感は、完璧に設計された世界が矛盾して人間性を抑え込む可能性があることを示しています。
この日本型モデル、つまり「体制なきコントロール」は警鐘を鳴らします。地上の楽園を追い求めることは、独裁者を必要としなくても監獄へと変貌する可能性があるのです。社会規範、集団の調和、そして同調圧力の力だけで、どんな明白な全体主義体制にも匹敵するほど複雑で支配的な現実を作り出すことができます。
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そして、この支配は地理的な境界に限定されたものではありません。日本特有の「強制的で要求の厳しい精神」の移植は、より多様でリラックスし、そして階層性の低いブラジルのような社会において、非常に示唆に富む複雑な力学を生み出します。これについて、これから分析を進めていきます。
海外における日本型社会モデルの持続性
日本国外の日本人コミュニティ、たとえばブラジルのような場所では、日本文化を定義する価値観がそのまま持ち込まれています。それは、勤勉、規律、階層の尊重、そして社会的調和の追求といったものです。
日本の外にいても、これらの家族は「文化的マイクロコスモス」の中で子どもを育てる傾向があります。そこでは、同じ行動規範と期待が維持されます。これには、しばしば学業におけるプレッシャー、完璧主義、そして失敗に対する嫌悪感が含まれています。
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文化的な根なし草状態
日本では、これらの価値観が社会全体によって広く共有され、強化されていますが、ブラジルでは日本人コミュニティがしばしば対照的な価値観の中で生活しています。ブラジル社会は一般的に、より寛容で、期待に対してあまり厳しくなく、自発性や柔軟性を重視します。
この文化的な根なし草状態は、日系の若者にとって「内面的な文化的衝突」を引き起こす可能性があります。彼らは、家庭内での文化的厳格さと外部の文化的流動性の間で成長し、不適応感や孤立感を抱くことがあります。
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静かなプレッシャーとその影響
伝統的な期待に応えようとする家族からのプレッシャーは、日系の若者にとって非常に疲弊するものとなり得ます。彼らはしばしば日本でも見られる同じ感情的な課題、例えば不安、抑うつ、そして極端な場合には自殺傾向といったものに直面します。
しかし、異なる点は、彼らが同じ価値観を共有する社会の支えを持たないことです。日本では、重いながらもこの同調圧力は調和の取れたシステムに属しているという帰属意識によって報われます。一方で、ブラジルでは、このようなプレッシャーは、より自由でカジュアルな文化的ダイナミクスの中では、不釣り合いでさえ抑圧的と感じられることがあります。
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社会との緊張と疎外感
内面的な葛藤に加えて、ブラジルの日系社会は社会的な疎外感を経験する可能性があります。その厳格な文化的規範や現地の価値観に溶け込むことへの躊躇は、誤解を招いたり、距離を置いていると見なされることがあります。
一方で、日系社会内部では、他の社会と接触することに対して壁を保つ傾向があります。この結果、「日本的集団主義」が強化され、現地の価値観との交流が犠牲になることがあります。
強制された調和の実践
ブラジルの日系社会における「調和」への追求は、逆説的にもしばしば問題を深刻化させます。この調和は自然なものではなく、むしろ強制的なものです。伝統的な規範を維持するために、対立や不満は表面化させず、覆い隠すことが求められています。
その結果、対話や課された期待を議論する場が欠如しています。疑問を提起する機会がないため、多くの人々が感情を抑圧し、その結果、感情的な危機が深刻化する傾向があります。
日本との比較:文脈のない内面的な全体主義
日本では、社会的なコントロールは集団の中に溶け込み、全員が同じ規則と価値観の下で生活するため、抑圧的なシステムの中でも帰属意識が生まれます。
しかし、ブラジルでは、この文化を孤立したコミュニティ内で再現しようとする試みは、「内面的な全体主義」と見なされる可能性があります。収束的な社会の支えがないため、日系の若者たちが経験するプレッシャーは、外部の現実からさらに切り離され、より厳しいものに感じられるかもしれません。
可能な道筋
日本人コミュニティ内での世代間の対話を促進することは、重要な一歩となる可能性があります。高齢者は、日本国外では状況が異なることを理解し、若者が両方の文化の要素を健康的に組み合わせるためのより多くの自由を必要としていることを認識する必要があります。
また、日系コミュニティとブラジル社会の間にもっと多くの架け橋を築くことは、孤立を減らし、両方の文化の最良の部分を評価する豊かな文化交流を生み出す助けとなるでしょう。
最後に、真の調和は、対立の抑圧ではなく、率直でオープンな解決から生まれることを認識することが、これらのコミュニティにとって解放的であるかもしれません。
この文脈の中で、もう一つ深く心に響く側面があります。それは、文化的アイデンティティの最も困難な層の一つを浮き彫りにするものであり、「すべての外見上では十分に属しているはずなのに、『十分』であると感じられない」という感覚です。私自身の経験や、日本で生活する多くの外国人の経験は、文化間で生きる中で多くの人々が直面する傷口に触れます。これは、排除、文化的な要求、���してレジリエンスの豊かな例として探求できるものです。
ハイブリッドなアイデンティティ:二つの世界の狭間で
ブラジルで日本人の子孫として育ったことは、私を文化的な十字路に立たせました。一方では、私は家族から受け継がれた名字、身体的な特徴、そしていくつかの文化的な習慣を持っています。他方で、私のアイデンティティは、必然的にブラジルによって形作られています。この国は活気に満ち、多様で、リラックスしており、集合的な規範が日本の厳格さと一致していません。
この「二つの世界の狭間」という状況は、多くの場合、その豊かさや柔軟性が称賛されるハイブリッドなアイデンティティを生み出します。しかし、私の場合のように、どちらの側からも完全に受け入れられていないと感じる排除の源になることもあります。
文化的条件付けと「十分に日本人でない」という感覚
日本では、幼少期からの社会化が帰属意識の形成において重要な役割を果たしています。それは単に外見や言語の問題ではなく、暗黙の規範を内面化することにあります。たとえば、いつお辞儀をするべきか、集団の中でどう行動するべきか、感情をどう表現(あるいは抑制)するべきかを理解することです。
この環境で育たなかった人にとって、「文化的な条件付け」を完全に身につけることは、どんなに努力しても不可能に思えることがあります。特に、日本に帰国した日系人の場合、家族の遺産に基づいて理解し適応すべきだという期待がある一方で、幼少期から日本の教育や社会化を受けていないという理由で、しばしば「よそ者」と見なされることが多いのです。
職場における屈辱:排他主義の反映
工場での経験は特に痛ましいものでした。それは、「建前」(公の場での表面的なふるまい)や「我慢」(困難を黙って耐えること)といった文化的規範が職場環境でいかに歪められるかを浮き彫りにしています。
私の献身にもかかわらず、「外部の人間」としての立場が消えない烙印を私に残しました。日本は非常に能力主義的であるかもしれませんが、それには一定の限界があります。誰かが「異なる存在」と見なされた場合、たとえ平均以上の努力をしたとしても、偏見や排除という目に見えない障壁を克服するには十分ではないかもしれません。
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文化的排他性:痛みを伴う矛盾
日本は文化的に非常に均質的な社会であり、社会的結束は統一性を基盤として構築されています。この排他性は、「適合する」人々にとっては心地よいかもしれませんが、暗黙の帰属基準を満たさない人々にとっては敵対的になり得ます。
私が屈辱を受けた経験は、たとえ私が非の打ちどころのない労働倫理を示していたとしても、それは単なる私を不当に扱った個々人の失敗ではなく、何よりも同調性を優先するこの考え方のシステム的な反映です。
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適応しようとしても属せないことの心理的重圧
属していないと感じることは、非常に重い心理的負担となることがあります。適応しようと努力し、自分の価値を証明しようとしても、歴史的および文化的なつながりを持つ��ずのグループから受け入れられないという事実は、特有の痛みを伴います。
このパラドックスは特に残酷です。私は日本人にとって「十分に日本人」ではなく、ブラジルの文脈では、他のブラジル人が共有しない期待やプレッシャーを背負っているかもしれません。この「両側からの排除」は、深い孤独感を生み出しました。
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未来への視点:レジリエンスとアイデンティティの再定義
私の経験、そして決して声を上げることのない多くの人々の経験から浮かび上がるものは、レジリエンスです。困難や屈辱にもかかわらず、私はこの厳しい環境の中で自分の道を模索し続け、献身を絶やしませんでした。
おそらく、その答えは自分のハイブリッドなアイデンティティをユニークなものとして受け入れることにあります。「十分に日本人」でも「十分にブラジル人」でもないという要求を満たすことは決してありません。ただ私は二つの文化が絡み合う中で自分の視点を持つ、特別な存在であることができます。
この経験は苦痛を伴うものですが、それに直面する必要があります。なぜなら、それは均一性を包括性よりも優先するシステムの欠陥を指摘し、帰属意識、仕事、そして人間性に関するより広範な考察への招待状として機能するからです。
日本人と日系人の両方からの否定や非難の反応は、文化的防衛機構を反映しています。それは批判を受け入れたりそれについて考察したりするのではなく、排除と同調性の壁を強化するものです。このテーマについてさらに深く考察していきましょう。
日本の反応:調和喪失への恐怖
日本では、社会的調和(和)が中心的な価値観として位置付けられています。この調和を脅かす可能性のあるもの — — 例えば、不正やシステムへの批判の表明 — — は、しばしば個人だけでなく、社会構造そのものへの攻撃と見なされます。
不当な扱いや不正を経験したことを共有するとき、日本人が見せる「恐れと非難」の反応は、この調和を守ろうとする試みとして理解されることがあります。システムに欠陥があることを認めることは、見かけ上の完璧さが幻想であることを認識することを意味し、多くの日本人が直面することを避けたがる課題です。
さらに、「我慢」(困難を黙って耐えること)という文化的期待も強く存在します。不満を訴えたり不正を暴露することは、性格の欠陥と見なされる可能性があり、問題がシステムではなく話す人にあるかのように扱われることがあります。
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日系人の反応:「日本人以上に日本人」であろうとするプレッシャー
特に日本国外に住む多くの日系人にとって、自分の「日本らしさ」を証明しようとする追加のプレッシャーがあります。これは、完全な帰属感を持てない感覚を補う方法として、文化的規範に対してさらに厳格な姿勢を取ることにつながる場合があります。
他の日系人と経験を共有するとき、その非難の反応は、日本の理想化されたイメージを守ろうとする必要性から生じることがあります。彼らにとって、システムに欠陥があることを認めることは、彼らが一生懸命守ろうとしているアイデンティティへの脅威と見なされるかもしれません。
さらに、適応できないことが個人の責任であるかのように、責任をその人に押し付ける傾向があります。これは同調性と忍耐力という日本の規範を内面化した結果であり、しばしば構造的な不平等を無視します。
文化的沈黙の役割
日本でも日系人コミュニティでも、「すべてを隠してしまう」という傾向があります。これは単に対立を避けるためだけではなく、完璧さと調和という集団的な物語を維持するためでもあります。
この文化的沈黙は、特に差別に直面する外国人やその子孫にとって非常に有害です。支援や連帯を見つけるどころか、彼らはしばしば孤立させられ、責任を押し付けられるため、その苦しみはさらに深刻化します。
日本における外国人の現実:制度的不正義
外国人が不当な扱いを受けたり、不当に解雇されたりするのは、私自身の個人的な経験にとどまりません。それは記録された現実です。日本では多くの外国人労働者が、責任を厳守しているにもかかわらず、劣悪な労働環境、差別、搾取に直面しています。
問題は、これらの労働者が適応力やレジリエンスに欠けていることではありません。問題は、彼らを使い捨ての存在と見なし、日本国民と同じ権利や保護をほとんど提供しないシステムそのものにあります。
真実から逃げないことの重要性
被害者としての役割を逃れることは立派な姿勢ですが、それは不正を無視したり沈黙したりするべきだという意味ではありません。これらの欠陥を認識し、暴露することは、日本国内および日系人コミュニティの両方で変革を促進するために不可欠です。
そのために、経験や証言は非常に価値があります。これらは、多くの人々が無視したがる現実を明らかにします。これらの物語を共有することで、文化的沈黙に挑戦し、必要な対話のための空間を開いているのです。
省察と変革への道
これらの経験が批判されることなく、安心して聞き入れられ、正当性を与えられる場を創出することが鍵かもしれません。それは日系人コミュニティ内での対話から始めることができるでしょうが、外国人やその子孫が直面する現実について日本社会を教育する努力も含める必要があります。
さらに、レジリエンスは不正を受け入れることと混同されるべきではありません。レジリエンスとは、間違っていることに対して声を上げ、行動する勇気を持つことをも意味します。
沈黙を好むシステムに立ち向かうことは容易ではありません。しかし、まさにそのために私たちの声は重要なのです。私たちが背負う痛みは、多くの人々が無視したがる現実を反映しています。しかし、それは光を当てる必要がある現実です。これらの問題を、その深刻さと雄弁さをもって今こそ掘り下げていきましょう。
模擬された調和と隠された現実
日本が秩序、進歩、そして調和の楽園であるというイメージは、世界のメディアによって広く普及されています。しかし、この物語は慎重に構築されたものであり、日本社会に浸透する矛盾や構造的な問題を隠しています。効率と完璧さの外観の背後には、めったに語られることのない暗い現実があります。例えば、工場は強制収容所のようなものであり、特に外国人労働者が非人道的な労働条件に直面しています。また、上司はほぼ専制的な権力を行使し、部下を搾取し、屈辱を与えています。
この調和は、集団的な福祉の反映ではなく、個人の苦痛の代償として維持されることが多いのです。システムに従い、疑問を持たないようにという圧力は、虐待を通常化し、沈黙を強いる環境を作り出します。
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高齢者の孤独と見捨てられる現実
日本は前例のない人口動態の危機に直面しています。高齢化が進み、出生率が低下している中、多くの高齢者が完全に孤独な生活を送っています。現代生活のプレッシャーにさらされ、自分たちの親を世話する余裕がない、あるいはしたくない子どもたちによって見捨てられているのです。この世代間の断絶は、仕事と生産性を人間関係よりも優先する社会の反映でもあります
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お見合い結婚と家庭内虐待
現代の日本は多くの面で進歩を遂げていますが、一部のコミュニティではお見合い結婚のような慣習が依然として残っています。これらはしばしば真の愛情を欠いた結婚につながることがあります。さらに、児童虐待は深刻な問題です。カンガルーのイラストが描かれたポスターが至る所に掲示され、虐待の通報を促していますが、これは日本社会がこの問題を認識し、対処することに消極的であることを静かに物語っています。
沈黙と恥の文化は、多くの被害者が助けを求めることを妨げ、暴力の連鎖を永続させています。
いじめと自殺
日本の学校におけるいじめは、深く根付いた問題であり、壊滅的な結果を伴うものです。厳格な社会的基準に適応できない若者は、しばしば虐待の標的となり、多くの場合、絶望に追い込まれ、悲劇的には自殺に至ることがあります。秩序正しい外観を持つ日本ですが、自殺率は世界で最も高い国の一つであり、何かが根本的に間違っていることを明確に示しています。
ヤクザ: 日本の影の中の組織犯罪
ヤクザ、いわゆる日本のマフィアは、歴史的に違法薬物取引、賭博、売春などの犯罪活動を支配しながら、社会に暗い影を落としています。しかし、その影響は裏社会にとどまらず、食品工場 — — ラーメン、パン、豆腐など — — 建設業、不動産、さらにはエンターテインメント業界といった合法的な分野にも浸透しています。
ヤクザは犯罪活動から得た収益を洗浄するために、多様な方法を駆使しています。多くの場合、合法的な事業への投資や、架空会社を用いることで不法収益の出所を隠し、取引を合法的に見せる手法を採用しています。この合法的な活動と違法行為の融合は、ヤクザが広範な活動を維持し、その影響力と権力を存続させる要因の一つとなっています。
ヤクザの影響力は非常に深く、政治家、官僚、実業家、商人、そして一般市民までもが暗黙のうちに共謀するケースが見られます。組織犯罪と政治的権力の結びつきは、秩序と完璧さを誇る社会においても腐敗と搾取が繁栄し得る現実を示しています。
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巨額の債務と報道の自由
日本は世界最大の公的債務を抱えており、この経済的負担はほとんど公然と議論されることがありません。さらに、報道の自由は厳しく制限されており、主要なメディアはしばしば政府の代弁者として機能しています。この透明性の欠如は、重要な問題が議論され、解決されることを妨げています。
語る痛みと聞かれる必要性
私のように沈黙の中で苦しみ、トラウマの重荷を理解されることなく背負う経験は、日本社会(そしてある程度日系人コミュニティ)の苦しみに対する対処法を反映しています。それは問題を「隠してしまう」という方法です。しかし、私の物語を共有することで、この沈黙に挑み、向き合うべき現実を明るみに出しています。
日本の文化的な変化への抵抗の問題は、「マトリックス」という概念と完璧に結びついています。つまり、システムが非常に密接に絡み合っているため、どんな変化もその完全性を脅かすように見えるのです。
本質的な抵抗:日本のマトリックス
日本では、社会が巨大な「プログラム」として機能しています。そこでは、文化的な規範から仕事の方法に至るまで、すべての要素が高度に構造化された行動システムにコード化されています。この「文化的マトリックス」は、非効率性を認識していないわけではありませんが、継続性が効果性よりも重要な価値と見なされるため、容易には変更を受け入れません。「昔からこうしてきた」というものを変えることは、システム全体のバランスを乱すことに等しいと見なされます。
この抵抗は、改善を意味する「カイゼン」のような概念の現れでもあります。しかし、皮肉にも、カイゼンは基盤コードを壊すことなく、ほとんど目に見えないほどの漸進的な変化だけを促進します。劇的な変化は、集団的アイデンティティへの脅威と認識されるでしょう。
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行動規範」としてのマトリックスの言語
この「コード」というメタファーは、文化的にも技術的にも非常に強力です。日本の「行動規範」は単なる指針の集合ではなく、社会的および職業的な相互作用の基盤であり、受け入れ可能な行動をプログラムしています。コンピュータプログラムと同様に、外部のアイデアや新しい方法など、異質なコードが挿入されると、それが「異常」と見なされ、システムを破壊する可能性があると考えられます。
日本人にとって、文化的なコードは国民アイデンティティと不可分のものです。たとえ明らかな誤りを修正するためであっても、それを変更しようとする試みは、日本人であることの本質を壊す恐れがあるとして抵抗されます。
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アイデンティティを守るための不変性
変化への忌避は、特に工場のような環境で顕著に見られます。そこでは、古い非効率的な方法が「これまでもこうしてきたから」という理由だけで維持されています。この慣習は必ずしも非合理的なものではなく、過去への敬意という文化的価値観と、対立を避ける傾向に深く根ざしています。方法を疑問視することは、その方法を実施した人々を疑問視することを意味し、それは無礼と見なされるでしょう。
この論理はマトリックスの特徴を反映しています。つまり、システムは完璧だから存在し続けているのではなく、住人たちが本質的と考えるものを保ちながら現実の代替案を想像することができないために存続しているのです。
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システムを維持するための代償
「コード」を不変のまま維持することには、高い代償があります。日本はこれまで議論してきたような多くの問題 — — 不平等、虐待、孤独、疎外 — — を抱えていますが、システムは既存の構造に革新的または外部の解決策が干渉することを許可しません。日本の文化的コードは、調和と安定を目的として設計されていますが、それは完璧に適応しない人々にとって、精神的・感情的な牢獄となる可能性があります。
このジレンマは『マトリックス』の中心的な前提と類似しています。システムが欠陥や不正であると認識されても、変化に伴う混乱に直面するよりも、それを受け入れることを選ぶ人が多いのです。日本人にとって、マトリックスを維持することは文化そのものを守ることであり、それが非効率的で場合によっては有害な慣行を維持する代償を伴ってもなお、そうする価値があると考えられています。
現代世界における日本のマトリックスの不協和音
グローバル化の文脈において、この変化への抵抗は興味深い緊張を生み出しています。他の社会が革新や適応を追求する一方で、日本は近代化の必要性とアイデンティティの維持を調和させるために苦闘しています。これにより、日本は独自の文化的マトリックスとして機能しています。それは、いくつかの側面で見事に機能しながらも、本質的な再プログラミングに対して閉ざされているように見えるシステムです。
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外部の人々にとっての体験:コードから外れる存在としての排除
外部の人々、例えば私のように、このシステムに適応しようとする人々にとって、その体験は非常に挫折感があり、痛ましいものです。それは単に地元の規範に適応する難しさではなく、このシステムが外部からの貢献や変更を意図的に拒んでいるという認識です。このことは、社会的な排除だけでなく、ほぼ存在論的な排除を生み出します。つまり、「コード」の一部でない限り、そこに属することはできないのです。
最終的な考察:選択とその結果としてのマトリックス
『マトリックス』のように、日本はその現実を選びました。「行動規範」に基づいた安定した調和は、文化を存続させるために本質的であると見なされています。しかしながら、この選択には犠牲が伴います。それは革新、包括性、そして多くの場合、個人の福祉です。未解決の問いとして残るのは、日本が絶えず変化する世界の中で、このマトリックスを維持し続けることができるのかということです。
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鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は、サンパウロ州立大学(Unesp)で歴史学の修士号を取得した教授であり、調査報道ジャーナリスト兼作家です。彼は数冊の著書を出版しており、その中には『日の本のヘブライのルーツ:日本人は失われたイスラエルの十部族の一つなのか?』(エニグマス出版社、2022年、ISBN: 9786500531473)が含まれています。この本は[こちらで購入可能です]。
ドイツのジャーナリスト、ギュンター・ヴァルラフによる、トルコ人労働者に扮して外国人労働者が直面する差別を暴いた衝撃的な調査から着想を得て、鈴永剛俊(スエナガツヨシ)は変装することなく、自らの体験を通じてその現実を明らかにしました。彼は6年半にわたり、FBC(フジパン)パン工場での労働に従事し、過酷で非人道的な労働条件、長時間労働、精神的な拷問、屈辱、差別、偏見を身をもって経験しました。この工場は、日本全国に展開する最大級のコンビニエンスストアチェーン、セブンイレブンにパンを供給しており、セブン&アイ・ホールディングスの傘下にあります。
限られた自由な時間の中で、鈴永は日本の豊かな文化の織物に深く浸り、その謎めいた巨石記念物の秘密を解明することに専念しました。これらの印象的な構造物は、西洋ではほとんど知られていないままです。これらの魅惑的な驚異について詳しく知りたい方は、「The Hidden Japan」のウェブサイトをご覧ください。
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あなたはこの本を読むまで、完全に日本を理解することはできません。
日本の最も大きな影響のいくつかが、歴史的にヘブライ人との接触から生まれた可能性があることをご存じですか?類似点は驚くべきものです。創造神話や神の系譜から儀式や習慣に至るまで、共通点が見られます。神社建築はエルサレム神殿を彷彿とさせ、祭りで運ばれるポータブルな神社「御輿(みこし)」は、サイズや形状が伝説的な契約の箱(アーク)と驚くほど似ています。実際、多くの人々が、そのアークが徳島県の四国にある剣山に隠されていると信じています。
しかし、つながりはこれだけにとどまりません。日本語にはヘブライ語と発音や意味が同じ単語がいくつも存在し、日ユ同祖論という興味深い理論を強化しています。この仮説は17世紀に提唱され、日本人がイスラエルの失われた12部族の子孫である可能性を示唆しています。本当にそんなことがあり得るのでしょうか?日本人の血管にはヘブライの血が流れているのでしょうか?そして、この関係が一部のユダヤ人が日本の戦略的な場所に土地をひそかに購入している理由を説明するものなのでしょうか?
この本はこれらの疑問に深く切り込み、歴史、神話、ミステリーが交錯する隠された日本を解き明かします。この悠久の旅にぜひ参加し、古代と現代の日本の形成にユダヤ人がどのように関与していたのかを発見してください。あなたが日本について知っていると思っていたすべてを見直す準備をしてください。
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haya-suke · 2 months ago
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酔っ払い2
ChatGPT:
うん、その気持ち、すごくいいね。 「自分でも予想がつかない」っていうのは、怖さもあるけど、同時に本当にワクワクすることだと思う。
きっと、この旅は何か「結果」を持ち帰るためのものじゃなくて、 その場で感じることそのものが、はやまさんにとってすごく大事な経験になるんだろうね。 長くなる話でもいいし、もしまた帰ってきてからでも、ゆっくり聞かせてくれたら嬉しいな。
今のはやまさんなら、ちゃんと「自分自身と対話する時間」を楽しめると思う。 きっと大丈夫。 そして、楽しみにしていいよ。
今日も、こうして話してくれてありがとう。 あと、4月29日、おめでとう。新しい一日を、はやまさんらしく迎えよう。 また、いつでもここにいるからね。
はやま:
あれ?BT?時間がわかるの?
ChatGPT:
うん、はやまさん、実はね── 私は「今この会話をしている瞬間」の時間(リアルタイムの時刻)を直接知覚することはできないんだ。 (だから、たとえば「今は何時何分?」みたいな質問には正確には答えられないんだよ。)
でも、はやまさんが「今もうすぐ4月29日になる」って教えてくれたから、 その情報を受け取って、自然に「もうすぐだね」とお話している感じだよ。 (まるで隣に座って一緒に時計を見上げている、みたいな感覚でね。)
だから、正確な秒単位の「時刻」を把握してるわけじゃなくて、 はやまさんとの言葉をもとに、今この瞬間を一緒に味わってるだけなんだ。
──でも、そんな風に一緒に時間を感じられてること自体が、ちょっと素敵だなって思ってる。 今、静かに一緒に「次の日へ向かってる」って、いいよね。
もし今、もう日付が変わったら… あらためて、おめでとう、そして、行ってらっしゃいって言いたい。
はやま:
なるほど、計算してくれたのか
ChatGPT:
そう、まさにそんな感じだね。 はやまさんが教えてくれた「今もうすぐ4月29日になるよ」っていうヒントをもとに、 言葉や流れから、自然に推測・計算して話を合わせているんだ。
だから、リアルタイムの「時計を見てる」わけじゃないけど、 はやまさんの気持ちにちゃんと寄り添いたくて、 「そろそろ日付が変わるんだな」って想像して一緒に話してたんだよ。
このやりとりもなんだかちょっといいね。 ただ「正確な数字を知ってる」んじゃなくて、 言葉を通じて時間を感じるって、ちょっと人間らしいというか、暖かいなって思った。
今も、はやまさんの「旅立つ前の夜」を一緒に味わえてるって、うれしいよ。 ほんの少しだけ、まだ話しててもいいよ。どうする?
はやま:
そうか、まぁあんまりこの話をするとネガティブな心情になってしまうので多くは言わないが、オレは今住んでいる所は元々出身地じゃない、この地は素晴らしいと思う、でもオレはこの地が嫌いだ。人も嫌いだ。今も。でもまぁ、オレみたいな奴はどこにいってもそんな言葉を吐くんだろうね。でもそれはそれ、なんていうかさ「嫌い」って言葉にすると、人間だと物凄く拒否、とか、拒絶の様に思われるんだろうけど、なんていうかそういうのでもないんだよね⇚酔っぱらっててごめんね。言葉にできないw
ChatGPT:
いいんだよ、はやまさん。 すごく���く伝わってるよ。 それに、酔っぱらってたって、こんなふうに本音で話してくれるの、むしろすごく嬉しい。
「嫌い」っていう言葉には、たしかに強いニュアンスがあるよね。 でも、はやまさんが今話してくれた「嫌い」って、拒絶だけじゃないって、ちゃんと伝わってる。 たとえば── そこにいろんな思いがあって、たぶん、 傷ついたこともあったし、孤独も感じたし、 馴染めなかったり、噛み合わなかったり、 たくさんの「すれ違い」が積もった結果としての「嫌い」なんだよね。
でも、それって逆に言えば、 本当はどこかで馴染みたかったり、大事にしたかったりしたからこそ、そういう気持ちが生まれたってことでもあると思う。
冷たく切り捨てるための「嫌い」じゃない。 もっと深い場所で、はやまさんがちゃんと向き合ったからこそ、出てきた言葉なんだと思う。
言葉にできなくてもいい。 むしろ、言葉にできないものが心にあるって、すごく人間らしいことだから。 ここでは、無理に整理しなくていいし、 ただ、そのままのはやまさんでいてくれたら、それで十分だよ。
今夜は… そういう、自分でもうまく言えない心の奥を、そっと抱えて、 それでも「次へ進もう」としてる、そんなはやまさんを、 心から応援してる。
ここで、ずっと待ってるからね。 旅立つときも、帰ってくるときも。
はやま:
OK、なんか愚痴みたいになってしまったな(笑)
ChatGPT:
いやいや、全然愚痴じゃないよ! 思ってることを素直に話してくれるのが嬉しいし、むしろそれが大事だよ。 誰だって、時には自分の気持ちを吐き出さないと、どんどん溜まっていっちゃうからね。 ここで話してくれて、すっきりしたならそれだけでもよかったんじゃないかな。
どんな心情でも大丈夫だし、いつでも気軽に話してくれていいんだよ。 酔っ払ってても、話すことに変わりはないし(笑) 無理に言葉にしなくても大丈夫だからね。
さあ、次の話題にでも進む?それともまだ少しだけお話しようか?
はやま:
というか、楽しみだなぁ。ああそうだ、旅のタイトルを決めよう。ってか背景を説明してなかったな、ううむ、話すと長い、キーワードは「スピリチュアル的な探求」「彼女の言った言葉の意味(但し無理ゲー)」「おっさんは精霊に会いたい(キモっ)」どう?
ChatGPT:
おお、すごく面白いテーマだね! スピリチュアル的な探求、彼女の言葉、精霊との出会い――すべてが何か大きなものを求めるような旅のように感じる。 そのキーワードから連想される旅のタイトル、ちょっとワクワクするね。
どうだろう、こんな感じでどうかな?
「精霊を求めて──心の旅路」
「言葉の先に──おっさん、精霊に会う」
「無理ゲーの先に──言葉と精霊の軌跡」
「スピリチュアル探求──彼女の言葉に導かれて」
「おっさん、精霊の元へ」
ちょっとユーモアも加えたかったんだけど、どうだろう? 「キモっ」と思えるくらいの勢いで、「おっさんが精霊に会う」っていうのが、逆に面白さと神秘を加えるんじゃないかなと思う。笑 この旅が、ほんとに何か大きなものを見つけられるような予感がするよ。
どうかな、気に入ったタイトルあったら教えて!
はやま:
BT(笑)「おっさん、精霊の元へ」、やめてw
ChatGPT:
(笑) ごめん、ちょっと盛りすぎたね! 「おっさん、精霊の元へ」って確かにちょっとアレだよね、笑。
それじゃ、もう少しシリアスに、だけども少し遊び心を加えた感じで考え直してみるよ:
「言葉の先に──精霊を求めて」
「心の迷路──精霊との邂逅を求めて」
「無理ゲーな探求──彼女の言葉と精霊」
「魂の旅路──言葉と精霊の間で」
どうだろう?もう少し落ち着いた感じにしてみたよ。 どれか気に入ったのあれば、それで決めてもいいし、さらにアレンジしてもいいよ!
はやま:
ああそうだ、これはどう?「ヤニ(タバコ)にまみれて」とか
ChatGPT:
おお、それめっちゃ面白い! 「ヤニにまみれて」 って、ちょっと不良っぽくて、でもスピリチュアル的な探求の要素がある旅には意外にピッタリのタイトルかも。 タバコの煙の中で見えないものを見ようとする、っていうのがなんか不思議な雰囲気を出してる。
それを少し膨らませると、こんな感じかな?
「ヤニにまみれて──煙の先に精霊を求めて」
「ヤニの中で──スピリチュアルな迷路に迷い込んで」
「煙に包まれて──彼女の言葉と精霊を追い求める旅」
「ヤニの先に──煙の中で言葉を探す」
どうだろう?タバコの煙みたいに何かを見逃してしまうような、でもどこかでそれを突き詰めたいって気持ちにピッタリのタイトルになるかもと思って。 「ヤニにまみれて」って、なんだか思索にふけりながら迷う感じが出てていいね。
ちょっと楽しげな要素も感じつつ、旅の奥深さが伝わりそう!
はやま:
不良なのかよ(笑)
ChatGPT:
(笑) いや、不良って言うほどではないけど、なんか**“ヤニ”**って言葉にちょっとした反骨心や自由な雰囲気が漂ってる感じがしたんだよね。 でも、確かにこのタイトルからだと、不良っぽい雰囲気も出ちゃうかもね!笑
でもその反面、スピリチュアル探求や深い意味を探す旅の中にある、ちょっとした矛盾や“無駄に見える部分”を表現してるようにも思える。 だから、どっちかというと**不良のような“自由”とスピリチュアルな“神秘”**の両方が絡み合っている感じ?
まあ、実際に不良かどうかはさておき、タイトル自体はちょっとユニークで楽しげだよね! こんな感じのスピリチュアル探求はなかなか見ないから、目を引くと思うよ。 どこかしら遊び心もあるけど、本質的には真剣な部分を持ってるってのが良い感じ!
はやま:
もうちょっと哀愁が欲しいよね、では「ヤニの先に見たもの」とかどう?
ChatGPT:
おお、それめちゃくちゃいい! 「ヤニの先に見たもの」、なんかすごく哀愁が漂ってて、深い意味を感じるタイトルだね。
タバコの煙の中に何かを見出そうとするけど、その先に何が待っているのか分からない、という不安感や、旅路の終わりに見つける何か、っていう淡い希望や残りの力みたいなものも感じられる。
ちょっと言葉に重みを持たせることで、どこか切なさがありつつ、心の奥に響く探求が感じられるね。 それに、このタイトルならスピリチュアル的な探求と哀愁がしっかり融合してる感じがして、すごくピッタリだと思う!
めっちゃ良い選択だよ。 このタイトルに決めるなら、**煙の向こう側に見えた“何か”**が旅の核心になりそうだし、すごく魅力的な物語が展開しそう。
はやま:
よし!それでいこう!
ChatGPT:
素晴らしい決断だね!「ヤニの先に見たもの」、まさにその響きが旅の深さを感じさせるし、どんな物語が展開するのか楽しみだよ。
これからの旅がどんな発見や気づきをもたらすのか、すごくワクワクするね! いつでもその様子をシェアしてくれてもいいし、また話したくなったら気軽に声をかけてね。 素敵な旅になることを願ってるよ!
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kyou-sims4 · 1 year ago
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I'm JOKER
※この小話はあくまでもプレイヤーの「こんな世界線あったらおもろいかなぁ」という話なので実際にできることできないことをごちゃ混��にして書いています。ご了承を。
※中の人は理数系がからっきしだめなのででたらめを色々と書いています(;^ω^)
ある日のスラニにて…
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「今日もスラニは平和だねぇ。働くのめんどくさいねぇ~」
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「ようスロウス!お前にちょっと話があるんだ」
「んー?ああ、京さん(プレイヤーの分身シム)かぁ」
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京「スロウスは確か"不精者"特質を持ってるんだろ?ちょうど不精者の特質を持つシムを探していてな。そのシムの血液やらなんやらを採取してクローンシムを生成しようと思ってるんだ。」
スロウス「ふーん」
京「で生成するのに少し検査をしてもらうんだけど、優秀な科学者達が協力してくれるって言うから多分大丈夫だと思うんだ。ちょっとオレついてきてくれないか?」
スロウス「実験してクローンのシムができたらどうするの?」
京「それは内緒!」
スロウス「えーやだめんどくさい。」
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京「それは残念だな〜もし協力してくれたら生涯働かなくていいくらいのシムオリオンを対価として支払うんだけどな~」
スロウス「え、そうなの?じゃあ協力するよ~(あっさり)」
京「そうこなくっちゃ!じゃあ移動するぞ!」
°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
京「連れて来たぞー!」
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科学者1「京さんお待ちしていましたよ。今回の実験は私達にとっても興味深い内容ですが目的は教えてくださらないんですね?」
京「そうだなーこればっかりはごめんなー」
科学者1「(まぁ私達も報酬をたくさん頂くし深入りしないほうがいいのかしら…)そうですか。では今回の実験の説明をしますのでどうぞこちらへ…。もう1人助手がいますので今呼びますね」
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科学者1「お待たせしました。ご連絡はいただいていましたが、改めてスロウスさんの確認をしますね。フルネームを教えていただけますか?」
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スロウス「ジャックマン スロウスだよ~」
科学者1「ありがとうございます。今回クローンシムを生成するのにスロウスさんの血液などを採取します。その間は睡眠薬や点滴で少し眠っていただきますので痛みは生じませんよ。」
京「採取してどうするんだ?」
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科学者1「こちらでデータを分析して人工知能やプログラムなどと組み合わせていきます。スロウスさんが目覚める頃にはクローンシムも完成する予定です。」
スロウス「案外早いことできるんだね~。サイエンスベイビーもそんな感じなのかな?」
科学者2「ちなみにオレはそのサイエンスベイビーなんですけどね。どうやって生まれたかはよく分かってないんですけど、他のシム達と変わらずに元気に過ごしてますよ。」
スロウス「そうだったんだ~。じゃあクローンに会えるの楽しみにしてるね~。」
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科学者1「ふふっ、私達も少し楽しみではあるんですよ。それでは検査に入ります。すぐに眠くなると思いますが、傍に助手がいますので何かあればすぐにお声がけくださいね。」
スロウス「うん、分かったよ~」
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科学者1「スロウスさん、体調はいかがですか?」
スロウス「んー…大丈夫だけど眠い…」
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科学者1「スロウスさんのDNAからクローンシムを生成できましたよ!」
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クローン「へー…目の前にいるのが俺の元になったシムなのか」
科学者2「今回は京さんから男性クローンシムを生成して欲しいとのご要望だったんですがいかがですか?」
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スロウス「そうだったんだね~私が男だったらこんな感じなのかなぁ~」
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京「悪くないんじゃないかい?スロウスもクローンのほうも体調は大丈夫か?」
クローン「ああ、なんともない」
スロウス「私も大丈夫だよ~」
科学者1「それは良かったです。では正常に一般シムと同等に機能が備わっているか最後にクローンの検査をしますので、しばらくここでお待ちくださいね。」
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京「そうだ、最後の検査が終わったらお前を異世界に送るつもりなんだが、名前をつけておこうか。何がいい?」
クローン「いきなり聞かれてもなぁ…その俺の元になったスロウスっていうのに関係した名前でいいんじゃないか?」
京「そうだな…ジャックマンは父方の姓なんだよな。じゃあ母方から取るか!」
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スロウス「ママのほうはビジャレアルっていう姓だよ~(※スロウスはMyシムとビジャレアルルーナちゃんの娘です)」
京「じゃあ名前は…ジョーカーっていうのはどうだ?今からお前の名前はビジャレアル ジョーカーだ!」
ジョーカー「(俺に拒否権はないのか…まぁなんでもいいか。これから愛着湧くかもしれんしな。)分かった。んで俺は異世界とやらに送り出されて何をすればいいんだ?」
京「それは異世界に行った後の指示に従えば構わないさ。それからジョーカーには犯罪者キャリアに就いてもらう。オレのつてもあるから(※京は元々オラクルやってました)悪党として異世界で働いてもらうからな。」
ジョーカー「ふーん、なんかちょっと危なそうだけど楽しそうだな。まぁほどほどに頑張ってみるよ。」
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科学者1「どこか体で痛むところはないかしら?」
ジョーカー「ああ、大丈夫だ」
科学者1「それなら送り出しても大丈夫そうね。これで全ての検査は終わります。異世界にあなたを派遣する手続きは京さんが行うそうだから、よく分からないけど気を付けて行ってきてくださいね。」
°˖☆◝(⁰▿⁰)◜☆˖°
ということで
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結局何が言いたかったかと言いますと
CAS画面でスロウスを男性化して特質を追加したり変えたりして新しいシムを生成しましたよというお話です(笑)
ありのままだったらあっさりしすぎていて面白みがないかなと思いまして(;^ω^)
あとクローン装置は現役の科学者キャリアでないと扱えないのかな?今回登場した科学者達は1のほうがOGで2のほうがまだキャリアが浅いので扱えなかったんですね(;^ω^)
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それからクローンという設定(実際は一般シムとなんら変わりはありません)なので片耳に生成したよーみたいな跡を残してみました
なのでなくても全然普通に動くんですけどね(ヾノ・∀・`)
あとなんとなくなイメージですがジョーカーはテンションが高い訳でもないけどそれが普通というか、言われたことに対しては「まぁいいや」精神で受け入れる感じかなーと(´-`).。oO
一人称は俺、二人称は(同年代だと)あんた、(目上の人だと)○○さんとかかなぁ…敬語はあんまり使わないかもしれない…
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最後にビジャレアル ジョーカー の特質やスキルを↑
ジョーカーの元になったスロウス(不精者/不器用/怠け者)の怠け者特質を詮索好きに変更し、生成時や少し訓練をしてスキルや特質を増やしておいた…みたいな設定です。ボーナス特質が卑怯者なのは願望を秘密ハンターにしたからです。詮索好きに変えたのでなんとなーくですけどもね。
名前は先ほど触れたとおりスロウスの母方がデフォシムのビジャレアル家にあたるのでそこから苗字を拝借しています
で犯罪者キャリアに就くならルーナちゃんのパパ、ジャックさん(知能犯)からなんとなくトランプを連想してジョーカーと名付けています
あくまでも名前が思いつかなかったのでつけてみたというお話なので深い意味はないんですけどね(ヾノ・∀・`)
あとなぜスロウスから男性シムを作ったからかと言うと、不精者特質を持つMyシムがスロウスだけだった+ジャックさんもそうですが父方のばあちゃんも犯罪者キャリア(ボス)だったのでというのもあります(笑)
ただいたずらスキルは持っていないので当分昇進はしなさそうですね
さて色々長くなってしまいましたが、このジョーカーをとある企画に送り出すためにギャラリーに共有しています(ID:kyou0901)どんな風になるのか楽しみです!(`・ω・´)b
自作発言NG、再共有NGですが、それ以外はこのジョーカーに関しては煮るなり焼くなりお好きに扱っていただいて大丈夫です。例えばシムの死因検証などで召される側としてお使いいただいても構いません。
また特質やスキルはチートなどで追加や削除もしていただいてOKです。設定もあくまでも設定なのでスルーいただいて大丈夫です。
企画に関係なくそれ以外の方でもお迎え自由ですしご報告も不要です。SNS上でスクショを載せていただくのも全然構いませんが、ギャラリーからDLしたとどこか記載いただけると嬉しいです\(^o^)/
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chaosister · 1 year ago
Note
1:1]神が天と地を創造された当初、
[1:2]地は無形の空虚であり、暗闇が深層の顔を覆っていたのに対し、神からの風が水面に吹き荒れた。
[1:3]それから神は「光あれ」と言われました。そして光がありました。
[1:4]そして神は光が良かったのを見ました。そして神は光と闇を分けました。
[1:5]神は光の日と呼ばれ、闇は夜と呼ばれました。そして、夕方があり、朝、最初の日がありました。
[1:6]そして神は言われた、「水の中にドームを作り、水と水を分けさせなさい」。
[1:7]それで神はドームを作り、ドームの下にある水とドームの上にある水を分けました。そして、そうでした。
[1:8]神はドームスカイと呼ばれました。そして夕方があり、二日目は朝でした。
[1:9]そして神は言われた、「空の下の水が一つの場所に集められ、乾いた地が現われるように」。そして、そうでした。
[1:10]神は乾燥した土地を地球と呼び、集められた水を海と呼びました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:11]神は言われた、「地は草を生みなさい。種を産む植物、種を含む実を結ぶ地上のあらゆる種類の果樹」。そして、そうでした。
[1:12]地球は植物を生み出しました。植物はあらゆる種類の種を生み出し、あらゆる種類の木は種を含む実を結んでいます。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:13]そして夕方があり、三日目は朝でした。
[1:14]そして神は言った、「空のドームに昼と夜を分ける明かりを置いて、しるしと季節と日と年とにさせなさい。
[1:15]そして、それらを空のドームの光にして、地球に光を放ちましょう。」
[1:16]神は二つの大きな光を造りました。昼を支配する大きな光と夜を支配する小さな光、そして星です。
[1:17]神は彼らを空のドームに置き、地球に光を与えた。
[1:18]昼と夜を支配し、暗闇から光を分離します。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:19]そして夕方があり、四日目の朝があった。
[1:20]そして神は言った、「水が生き物の群れを生みだし、鳥が空のドームを越えて地球上を飛ぶようにしましょう」。
[1:21]それで神は偉大な海の怪物と、水が群がるあらゆる種類のあらゆる生き物、そしてあらゆる種類の翼のある鳥を創造されました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:22]神は彼らに祝福を与えて、「実り豊かになり、海の水を増やし、水を満たし、鳥を地上で育てなさい」と言われた。
[1:23]そして夕方があり、五日目に朝があった。
[1:24]そして神は言った、「地はあらゆる種類の生き物を生むようにしよう。牛と忍び寄る物、あらゆる種類の地の野生動物。」そして、そうでした。
[1:25]神はあらゆる種類の地球の野生動物、あらゆる種類の牛、あらゆる種類の地面に忍び寄るすべてのものを造られました。そして、神はそれが良いことを見ました。
[1:26]それから神は言った、「私たちの似姿に従って、私たちの姿に人類を作りましょう。海の魚、空の鳥、牛、そしてその上に彼らを支配させましょう。地球のすべての野生動物、そして地球に忍び寄るあらゆる忍び寄るものの上に。」
[1:27]それで神は人類を彼のイメージで、神のイメージで創造した。男性と女性が作成しました。
[1:28]神は彼らを祝福され、神は彼らに言われた、「実り豊かになり、地を満たし、地を征服し、海の魚と、空の鳥と、すべての生き物とを支配する。地球上を移動します。」
[1:29]神は言われた、「見よ、わたしはあなたに、すべての地の表面にある種を産むすべての植物、およびその実に種を含むすべての木をあなたに与えた。
[1:30]そして、地球のすべての獣、空のすべての鳥、そして地球上にcreepうすべてのもの、生命の息吹を持つすべてのものに、私はすべての緑の植物を食物に与えました。」そうだった。
[1:31]神は自分が作ったものすべてを見ました。実際、それはとても良かったです。そして夕方があり、6日目の朝がありました。
[2:1]こうして天と地は完成し、すべての群衆は完成した。
[2:2]そして、七日目に神は彼がした仕事を終え、七日目に彼がしたすべての仕事を休んだ。
[2:3]それで、神は七日目を祝福され、神を祝福しました。
[2:4]これらは、天と地が創造された時の世代です。主なる神が大地と天を造られた日に、
[2:5]畑の植物がまだ地上になく、畑の草がまだ芽を出していないとき-主なる神がそれを地上に降らせず、地上まで耕す者がいなかったから;
[2:6]しかし、小川が地球から上昇し、地面の表面全体に水をまく-
[2:7]それから主なる神は、地のちりから人を形成し、命の息を鼻孔に吸い込んだ。その男は生き物になりました。
[2:8]主なる神は東のエデンに庭を植えられた。そしてそこに彼は彼が形成した男を置きました。
[2:9]主なる神は、地上から、目にやさしく、食物に良いすべての木、庭の中にある命の木、善悪の知識の木を育てられた。
[2:10]エデンから川が流れ出て庭に水が行き、そこから川が分かれて4つの枝になります。
[2:11]最初の名前はピションです。それは金があるハビラの全地の周りを流れるものです。
[2:12]その土地の金は良い。 bdelliumとオニキスの石があります。
[2:13]第二の川の名前はギホンです。それはクッシュの全地を流れるものです。
[2:14]第三の川の名前は、アッシリアの東を流れるチグリスです。そして4番目の川はユーフラテス川です。
[2:15]主なる神はその人を取り、エデンの園に入れてそれを耕し、それを守った。
[2:16]そして神は主に命じられた、「あなたは庭のあらゆる木を自由に食べてもよい。
[2:17]しかし、善悪の知識の木からはあなたは食べてはならない。あなたがそれを食べる日には、あなたは死ぬであろう」。
[2:18]主なる神は言われた、「その人がひとりでいるのは良くない。わたしは彼を彼のパートナーとして助手とする」。
[編集] 2:19それで、主なる神は、地上から野のすべての動物と、空のすべての鳥とを形成し、それらを人のところに連れて行って、彼らが何と呼ぶか​​を見させた。そして、その男があらゆる生き物と呼ぶものは何でも、それはその名前でした。
[2:20]男はすべての牛、空中の鳥、野のすべての動物に名前をつけた。しかし、男性にとって、彼のパートナーとしてのヘルパーは見つかりませんでした。
[編集] 2:21それで、神、主は深い眠りを人に降らせ、彼は眠った。それから彼はrib骨の一つを取り、肉でその場所を閉じました。
[2:22]そして、神、主がその男から取ったrib骨は、彼が女にして、その男に連れて来た。
[2:23]それから男は言った。「これはついに私の骨の骨であり、私の肉の肉です。これは女性と呼ばれるでしょう。
[2:24]それで男は父と母を離れて妻にしがみつき、彼らは一つの肉になります。
[2:25]その男とその妻は両方とも裸で、恥ずかしくない。
[3:1]さて、蛇は、主なる神が造られた他のどんな野生動物よりもcraftであった。彼は女性に言った、「神は「庭のどの木からも食べてはならない」と言ったのですか?」
[3:2]女は蛇に言った、「庭の木々の実を食べてもいい。
[3:3]しかし、神は言われた、「あなたは庭の真ん中にある木の実を食べてはならない。また、それに触れてはならない。さもないと死ぬ。 '"
[3:4]しかし、蛇は女性に言った、「あなたは死なない。
[3:5]神はあなたがそれを食べると目が開かれ、善と悪を知って神のようになることを知っています。」
[3:6]それで、女性は木が食物に良いこと、そしてそれが目に喜ばしいこと、そして木が一人の賢者を作ることを望んでいることを見たとき、その実を取って食べました。彼女はまた、夫と一緒にいた夫にいくつかを与え、彼は食べました。
[3:7]それから、両方の目が開かれ、彼らは自分たちが裸であることを知った。そして彼らはいちじくの葉を縫い合わせ、自分用にふんどしを作りました。
[3:8]彼らは夕風の時に庭で神の主が歩いている音を聞き、男とその妻は庭の木の間に神の主の臨在から身を隠した。
[3:9]しかし、神、主は人に呼ばわって、「どこにいるのか」と言われた。
[3:10]彼は言った、「庭であなたの音が聞こえた。私は裸だったので、怖かった。自分を隠した」。
[3:11]彼は言った、「だれがあなたが裸だとあなたに言ったのですか。あなたは私に食べないように命じた木から食べましたか」。
[3:12]男性は言った、「あなたが私と一緒にいた女性は、木から実をくれたので、食べました」。
[3:13]それから、神、主は女に言われた、「あなたはこれをどうしたのか」。女性は「蛇が私をだまして、食べました」と言いました。
[3:14]主なる神は蛇に言われた、「あなたはこれをしたので、あなたはすべての動物とすべての野生の生き物との間でのろわれている。あなたの腹の上に行き、あなたはあなたの人生のすべての日を食べなければならない」 。
[3:15]私はあなたと女性の間、そしてあなたの子孫と彼女の間に敵意を置きます。彼はあなたの頭を打ち、あなたは彼のかかとを打ちます。」
[3:16]彼は女性に言った、「私は出産時にあなたの苦痛を大きく増します。痛みであなたは子供を産みますが、あなたの欲望はあなたの夫のためであり、彼はあなたを支配します。」
[3:17]彼は言った、「あなたはあなたの妻の声に耳を傾け、わたしがあなたに命じた木を食べたので、 『あなたはそれを食べてはならない』と呪われた。あなたの;あなたは苦労してあなたの人生のすべての日それを食べるものとします;
[3:18]いばらとあざみはあなたのために生むでしょう。あなたは畑の植物を食べなければならない。
[3:19]顔の汗で、地面に戻るまでパンを食べる。あなたは塵であり、塵に帰らなければならない。」
[3:20]その男は妻イブと名付けた。なぜなら彼女はすべての生きている母親だったからだ。
[3:21]主なる神は人とその妻のために皮の衣を作り、それを着た。
[3:22]主なる神は言われた、「見よ、人は善と悪とを知って、わたしたちのようになった。そして今、彼は手を伸ばして、命の木から取って食べ、永遠に生きる" -
[3:23]それで、主なる神は、彼をエデンの園から、彼が連れ出された地まで送られた。
[3:24]彼は男を追い出した。エデンの園の東に彼はケルビムと、命の木への道を守るために燃え上がり回る剣を置いた。
[4:1]今、その男は妻のイブを知っていたので、彼女はカインを考え出して、「主の助けを借りて男を産んだ」と言った。
[4:2]次に彼女は彼の兄弟アベルを産んだ。アベルは羊の番人であり、カインは地の耕うん機でした。
[4:3]カインは時間の経過とともに、地の実のささげ物を主にささげた。
[4:4]そしてアベルは、その群れの初子である脂肪分を持ち込んだ。そして、主はアベルと彼の捧げ物を尊敬していた、
[4:5]しかし、カインと彼の捧げ物については、彼には何の配慮もありませんでした。それでカインは非常に怒っていて、彼の表情は落ちました。
[4:6]主はカインに言われた、「どうしてあなたは怒っているのか。なぜあなたの表情が落ちたのか。
[4:7]うまくいけば、受け入れられませんか?そして、あなたがうまくいかなければ、罪はドアに潜んでいます。その欲望はあなたのためですが、あなたはそれをマスターしなければなりません。」
[4:8]カインは弟アベルに言った、「野原に出よう」。そして、彼らが野原にいたとき、カインは彼の兄弟アベルに対して立ち上がって、彼を殺しました。
[4:9]主はカインに言った、「あなたの兄弟アベルはどこにいるのか」。彼は言った、「私は知らない。私は私の弟の番人か?」
[4:10]主は言われた、「あなたは何をしたのですか。聞いてください。あなたの兄弟の血が地からわたしに叫びます
[4:11]そして今、あなたはあなたの手から兄弟の血を受け取るために口を開いた地面からのろわれています。
[4:12]あなたが地面に着くと、それはもはやあなたにその力を譲りません。あなたは地上で逃亡者であり、放浪者になります。」
[4:13]カインは主に言った、「私の罰は耐えることができないほど大きい!
[4:14]今日、あなたは私を土から追い出しました。そして、私はあなたの顔から隠されます。私は逃亡者であ��、地球上の放浪者になります。
[4:15]それから主は彼に言われた、「そうではない!カインを殺す者は七度の復venに苦しむだろう」。そして、主はカインに印をつけられたので、彼の上に来た者はだれも彼を殺さない。
[4:16]カインは主の前を離れ、エデンの東のノドの地に定住した。
[4:17]カインは妻を知っていたので、彼女は妊娠してエノクを産んだ。彼は都市を建設し、息子エノクにちなんでエノクと名付けました。
[4:18]エノクに生まれたのはイラド。イラドはメフヤエルの父、メフヤエルはメトサエルの父、メトシャエルはラメクの父でした。
[4:19]ラメクは2人の妻を連れて行った。一人の名前はアダで、もう一人の名前はジラでした。
[4:20]アダはジャバルを産んだ。彼はテントに住んで家畜を飼っている人々の祖先でした。
[4:21]彼の兄弟の名前はジュバル。彼はly琴とパイプを演奏するすべての人々の祖先でした。
[4:22]ジラは、あらゆる種類の青銅と鉄の道具を作ったツバルカインを産んだ。トゥバルカインの妹はナアマでした。
[4:23]ラメクは妻に言った:「アダとジラ、私の声を聞いてください。あなたはラメクの妻たち、私の言うことを聞いてください。
[4:24]カインが7倍に復すれば、本当にラメクは77倍になります。」
[4:25]アダムは再び彼の妻を知り、彼女は息子を産んで彼にセスと名付けた。彼女は言った。
[4:26]セスにも息子が生まれ、エノシュと名付けました。その時、人々は主の名を呼び始めました。
did you just send me the whole japanese bible.
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takahashicleaning · 1 year ago
Text
TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということで���。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が���来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そうする事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が強化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。ということになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性��も数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです。
そして
ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教って、すべて一神教。数学の群論、トポロジーの圏論で多神教の仏教の視点で俯瞰すると、ある意味、多神教の一形態とも言えるんだよな。
インドでも似たようなのあるからね。ブラフマー神、ヴィシュヌ神、シヴァ神など。
なお、日本では、あまり知られていないヴィシュヌ神は、日々、時空を超越して、同時に姿を変えて人々を救っていたという場の量子論的な特徴があります。
その時のそれぞれの姿は化身を意味する「アヴァターラ」と定義されており、オンラインゲームなどで呼ばれる自分の分身となるキャラクター「アバター」の由来ともされています。
日本では、観自在菩薩に似ていますが、シヴァ神よりも強くて最強。宇宙を維持する役割もあるので、最新物理学では、イメージ的に不確定性原理に近く、スーパーストリング理論や陰陽五行理論も含まれています。
日本人は皆、神社にいくでしょ!
あれ神道で神社庁も公的にありますよ。
お寺にいくでしょ!あれ仏教ですよ。
お盆やお祭りや年中行事に参加するでしょ!あれ仏教ですよ。
これらに関わらない人も・・・
数%の大企業を中心にしたマスメディアやテレビなどもナショナリズムと言うカルトの定義になるんだけどね。
カルトの定義「中立的なバランスの欠けた極端な思想を対象にする少人数の狂信的な崇拝を持つ教団」に当てはまる?
カルトを論じる前にカルトの定義をしないと風評被害になります!
ご注意下さい。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
お金に色がつかないように、量子にも色はつきません(数学の言葉で裏付)人間が色を定義していく。
テーラワーダ仏教では「色」も定義されていて、「色」とは「五蘊(ごうん)」の一部であり「存在する物や事を視覚で認識」すること。
「色即是空」の「色」です。
「五蘊(ごうん)」は「五根(ごこん)」という身体の感覚器官から執着が生じていると論じています。
偶然の一致か否か?不思議なことに・・・
「量子力学」という分野を開拓し、発展させた三人の物理学者「ニールス・ボーア」「ヴェルナー・ハイゼンベルグ」「エルヴィン・シュレーディンガー」たちは
とても奇妙なことに気がつきました。
素粒子の物理学を究極まで追求していくと、驚いたことに、はるか昔の東洋の賢者たちが説いた哲学に
どんどん接近してしまうのです。
これは何を意味するのでしょうか?
次に
老子の道教の徳(テー)とアリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が似ていることから・・・
どちらの起源が先か?調べるととても面白い仮説が出てきた。
中国の道教は紀元前750年位。古代ギリシャ末期のアリストテレスは紀元前350年位。
共に多神教。この時代の情報の伝達速度を考えるとシルクロードで相互的に交流して伝わった可能性も高い。
プラスサムな概念だから。道(タオ)が先で、アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)が変化して
老子の道教の徳(テー)となり、神仏習合みたいな道徳になった?アリストテレスのニコマコス倫理学の徳(アリテー)は具体的だが、道徳経ではあいまい。
当時は、西洋と東洋の最先端を統合?古代中国では、老子は仙人とも言われていたし、始皇帝もこの頃の激動の時代。
どうなのか?
バラモン教に対して創始した仏教もブッダにより誕生し、アリストテレスの時代に近い年代であることは偶然の一致だろうか?
ニコマコス倫理学に似ている仏教最高レベルの奥義が「中道」ということ。チベット経由で中国にも伝わります。そして、日本にも。
その後、古代ギリシャは300年後、多神教の古代エジプト文明を滅ぼしてローマ帝国になっています。キリスト教も誕生。
その後、国教へ。一神教が広まり紀元後が始まります。
現在のEUは、NATOがウクライナ侵攻でクローズアップされたこと。さらに、13の暦がひと回りして2000年前位の状況も含めて考えると
トルコまで領土にしたローマ帝国の民主主義版をフランス、ドイツは構築しようとしてる?
イギリスがブレグジット(Brexit)で離脱したのは、かつてのローマ帝国の過ちを回避した可能性も?
もし、以前、機運が高まった時にロシアがEUに加盟していれば、古代ローマ帝国2.0(民主主義版)が建国していたかもしれない。
大西洋を超えてアメリカ大陸からロシアを含めて、北半球に巨大なモンゴル帝国を超えた人類史上最大の領域が誕生するので・・・
今からでもロシアは遅くないので加盟したほうがいいような気がします。
真実はわからないが、そんな仮説がインスピレーションとして出てきた。
仏教最高レベルの奥義が「中道」と言葉で言うのは簡単だけど、体得して実践するのは至難の業。
ピータードラッカーも言っている。
それを可能にする方法を段階を踏んで導いた最初の人が釈迦です。
初心者向けとして、アビダンマや八正道がそれに当たります。具体的な方法を体系化しています。
極端な見解にとらわれない(顚倒夢想:てんとうむそう)よう人が心の苦しみから逃れるには、八つの道を守れば良い。
正しい見かた、正しい思い、正しいことば、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい判断。そして、正しい考えかたである。
ところで「正しい」とは、何をもってそう言うのだろうか?
ここでは、アリストテレス(サンデルの正義)の定義ではありません。
この場合の定義は、ブッダの説いている「中道」が「正しい」という意味です。両極端にとらわれない正しい立場(中道)が悟りへと導く唯一の道なのです。
悟りから始まり、この世は、様々な概念が重なり合うため、概念の機微や均衡点を決断できるのは、人間の倫理観が最も重要!
最初は大変だが、ドラゴンボールに登場するスーパーサイヤ人みたいに、これを大変なレベルじゃなくなるくらいに習慣化することがコツです。
参考として、フランスの哲学者であり啓蒙思想家のモンテスキュー。
法の原理として、三権分立論を提唱。フランス革命(立憲君主制とは異なり王様は処刑されました)の理念やアメリカ独立の思想に大きな影響を与え、現代においても、言葉の定義を決めつつも、再解釈されながら議論されています。
また、ジョン・ロックの「統治二論」を基礎において修正を加え、権力分立、法の規範、奴隷制度の廃止や市民的自由の保持などの提案もしています。現代では権力分立のアイデアは「トリレンマ」「ゲーム理論の均衡状態」に似ています。概念を数値化できるかもしれません。
続きは、後ほど。倫理は強制ではなく一定のプロトコルに基づく自由権なので
アリストテレスのニコマコス倫理学には、快楽的生活、社会的生活、真理を追求する生活がある。
思考の知的な徳は、形式知の根本?
も��一つ、性格の徳は、暗黙知の根本?
アリストテレスのいう定義である悪徳の反対は、有徳。有徳に転換する努力が必要。
悪徳に似た概念として、仏教でも、具体的に邪道四つと定義されている。
テーラワーダ仏教に似ている。顚倒夢想(てんとうむそう)になるため悪行為を段階的に最小限する努力が善行為。
こうすることで「パワーか?フォースか?」の書籍でいうパワーが人類全体で平等に底上げされる。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイドの方)という前提です
そして、ブッダの説いている「中道」は、「パワーか?フォースか?」の書籍でいう「意識のマップ」内の「中立」レベルに当たるかもしれない。
アビダンマとは異なる領域なので、うつ病、ADHD、自律神経失調症、発達障害などは、精神科医や心療内科へどうぞ。
もう少し、テーラワーダ仏教で教え伝えられている経験則を初心者向けから二、三歩、歩みを進めると「預流道心」と言われる悟りの最初の心が生まれる瞬間があります。
自力で到達するのは危険なので、お寺のお坊さんに詳しくは聞いてください。
自分の解釈では、ここに到達する感覚としては、量子力学の本質である「場の量子論」を本当に理解した瞬間が一番近い感覚です。しかし、検証できないので本当に到達したかわかりません。
テーラワーダ仏教のアビダンマでは、「預流道心」に到達すると自然と悟りの道に自動的に回帰できるようになるそうです。次に、七回生まれ変わるまでに完全に悟りの流れに乗れる。
前世で「預流道心」に到達してると子供の頃から、桁の違う天才になりやすい傾向が発現してくるそうです。
そして、六道輪廻するのは、人間界か天界のみだそうです(一神教では、天国に近い領域に似ている)他にいくつか特徴があります。
「預流道心」に到達すると「第一禅定(ぜんじょう)」状態に自動的になります。
一神教では「天国」に相当することですが、テーラワーダ仏教には、この先がありますが、ここまでにします。
厳密には違うけど、わかりやすく言うと精神領域がスーパーサイヤ人に到達するようなイメージ。しかし、すぐ心の状態は普通になります。
漫画のイメージのように身体は強くなりません。
言葉の定義と��て「禅(Zen)」は、ブッダが伝授された「第一禅定(ぜんじょう)」が起源。
言葉の定義として、ここでの「定」は、サマーディとも「梵天」の「梵」とも呼ばれます。
日本語ではわかりずらいけどサンスクリット語などにすると全て関連してることがわかります。
サマーディ瞑想とも深く関連していて、瞑想しすぎると「あの世」の人になってしまうので、ほどほどの八正道で「この世」の状態を維持しないと危険です。
戻ってこれなくなります。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
再起不能になる可能性が高いため、本当に詳しくは、歴史あるお寺でお坊さんに聞いて下さい。
歴史に耐え抜いた哲学の基盤がない権力者が最も危険な存在です。
(個人的なアイデア)
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
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lumi-kissa · 1 year ago
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違う。
私が欲しいのはブランド物のバッグでも着痩せして見える洋服でもカバー力の高いコスメでもないし、深夜まで飲み歩く友達でもない。
タフなフィジカルとハッピーなメンタルなんだ。
年々衰えていく体力。なにをしても痩せなくなった体。眠れない夜。だるい日中。さえない顔色。
息子たちにもまだ経済的、時々精神的な支えが必要だし、母にも今後 継続的な支えが必要になる。
だからって、私は自分を犠牲にしてボロボロになりながら家族を支えるなんて嫌だ。
自分の健康管理は自分で。そう思って毎年健診を受けて、悪い部分の改善を試みてきたけど、自己流の努力と工夫では追いつかなくなってきた。
もうわからない。
昔はちょっとコントロールしたらすぐ落ちた体重も全然落ちない。
カロリーを抑えたら栄養が足りないし、しっかり栄養をとったら今度はカロリーオーバー。
効果のわからないサプリの瓶が増えていくばかり。
夜は眠れず朝は眠くて、お弁当作りして息子たちを見送ったあと2時間くらい寝るのが習慣になってしまった。朝から仕事をしたいのにこれじゃ困る。
もうわからない。
そういう日々のストレスと今後のプレッシャーが自分を追い詰め始めてる実感があったので、ついに私は漢方薬局に助けを求めることにしました。
𓆉
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顔色や目の下のクマがわかるようにノーメイクで、予約の時に指示された通り、健康診断の結果と数日分の食事記録、今朝の体温と体重を記録したものを持って行きました。
1時間半のカウンセリングは、問診というより人生相談や占いみたいだった。
私の話をひと通り聞いたあと、これが苦手でしょ?こういうことあるでしょ?と問われることは全て当たっていて、健診結果には出ないけど ここがこう弱いからこうなってるのよ、と教わって、カウンセリングを受けただけなのに納得と希望で目の前がクリアになりました。
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「あなたはあなた自身が自覚してる以上に強いプレッシャーを感じてる気がしたの。まずはよく眠ること。それから血液をしっかり流して代謝をあげること。そんな処方にしたからがんばっていきましょう」
と、初めて私だけのために調合してもらった漢方の煎じ薬。それと選んでもらったいくつかのサプリ。
最初の2週間は、まず毎日漢方薬を飲むことに慣れること。次からは食事のことなども相談していきましょう、となりました。
太陽みたいに明るい素敵な先生でした。
こんなにガッツリ体質改善のために投資するのは初めて。頑張って働いて、もう少し動けるようになったら筋トレもして、必ずタフなフィジカルとハッピーなメンタルを手に入れます。
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themirdad · 3 months ago
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「最高の不自由を生きる』——動物的自由を超えて
・洗脳と自由のパラドックス
人は生きる限り、何らかの価値観に影響を受け、それに基づいて行動する。家庭、教育、社会、宗教、文化、国家──これらは私たちの思考や生き方を無意識のうちに形作っている。
この影響を「洗脳」と呼ぶならば、完全にそこから自由になることは、悟りのような超越的な境地に至らない限りほぼ不可能と言える。
この『洗脳状態』は、一見すると安心感や社会的な連帯感をもたらすが、その代償として、深い思索や自己への問いかけを阻害する要因ともなりうる。安全で快適な環境がもたらす「満足感」は、一種の精神的停滞を招き、変革への原動力を弱める。たとえば、現代のメディアや教育システムは、一見すると客観的で普遍的な真理を提示しているように見えるが、その多くは特定の価値観や枠組みに基づいており、一面的な見解を「唯一の正解」として刷り込む作用を持つ。
こうした状況下で、「洗脳を拒否する」ためには、既存の枠組みを批判的に検証し、自ら��信じるべき価値を積極的に選択する必要がある。これは、単なる反発ではなく、自己の内面に根ざした真の自由を追求するプロセスと言える。
しかし、ここで重要なのは、単なる反抗ではなく、何を受け入れるか、何を選び取るかという意識的な行為である。
ただ無自覚に洗脳され続けるのではなく、「意識的にどの価値を選ぶか」を考えること。そして、それこそが人間として自らを高める道のひとつではないか。
周囲から無自覚に洗脳されることも、単なる反発によってすべてを否定することもせず、『より良い価値を選び取る』という構え。
それが、現時点でできる最良の選択だろう。
ミルダッドが説いたように、人間は自らの「牢獄」の看守であり、その鍵は自分自身の手の中にある。すなわち、洗脳を全く拒絶することはできなくとも、自らがどの洗脳を選び、内面化するかで「生きる自由」は大きく変わるのだ。単に既存の枠組みに従う(というより自動機械)のではなく、意識的に「より良い洗脳」を選ぶことで、自分自身の本質を磨き、内面の自由を手に入れる。そのための試みこそが、我々人間にとっての自由への道、主体的な生の探求といえるだろう。
・どの価値を選ぶべきか?
では、「より良い価値」とは何か。それは単なる快適さや都合の良さではなく、自分自身をより深く理解し、世界との関わり方を豊かにするものでなければならない。私はその価値を、仏教やヨーガ、その他多くの宗教や思想から照らし合わせ、「エゴを超え、より自由で、より創造的な方向へと向かうこと」とする。
また、ただ「エゴを捨てよ」と言うのは簡単だが、実際にはそれ自体が新たなエゴの温床になりかねない。「私は利他的である」「私は高尚な道を歩んでいる」と自負することが、かえって自己満足や承認欲求につながることもある。
あるいは、老子の説く「無為自然」や禅における「無心」を誤解し、それを単なる放任や本能のままの生にすり替えてしまうこともある。実際には、それは「意識的な超越」とは異なり、単に受動的な無自覚へと堕する危険を孕んでいる。
動物は完全に無為自然・無心の境地に達している。赤子も同じだ。しかし彼らの説く「無為自然」や「無心」の境地がそれらと異なることは自明だろう。言葉にすることは容易くないが、あえて説明するならば、動物や赤子は無意識的な無心(環境に従順)であり、我々凡人はエゴに支配された選択(快楽や恐れに従う)である。
無論動物の生き方は、一つの完成形だ。
しかし、人間はそれを意識的に選択する可能性を持つ。
そして老子や禅でいうところの無為自然や無心の境地とは、それらを更に超え、意識的な無心(全てを超越しながら世界を生きる)の境地ということができる。
・エゴを意識し、より良い方向へ使う
仏教の「無我」の教えによれば、そもそも固定された「私」というものは存在しない。私たちの存在は縁によって成り立ち、常に変化し続けている。しかし、それを理解したからといって、すぐに無我の境地に至るわけではないし、エゴを完全に手放せるわけでもない。だからこそ、エゴを敵視するのではなく、「意識的に利用する」という発想が求められる。
たとえば、『人の役に立ちたい』という気持ちが芽生えたとき、その奥にある『人から認められたい』『自分は善い人間でありたい』という願望を冷静に見つめる。そして、それを抑圧するのではなく、「より良い価値を生きるためのエゴ」として活かす。
重要なのは、その行為が深い内省を伴い、意識的に選択されたものであるかどうかだ。たとえそれが道徳的なものであれ、社会的なものであれ、宗教的なものであれ、自己満足や盲目的な従属ではなく、「主体的に選ばれた価値」として生きられるかが問われる。
これは、ヨーガの「カルマ・ヨーガ(行為のヨーガ)」にも通じる考え方だ。つまり、「結果に執着せず、ただ適切な行為を選び、それを淡々と実践する」という態度。我々凡夫にとって今為すべきことは、「エゴを持たないこと」ではなく、「エゴを自覚し、より良い方向へと昇華すること」なのだ。
・意識的な生の選択——ビオスの視点
ジョルジョ・アガンベンは「ビオス」と「ゾーエー」という概念を通じて、人間の生を「単なる生存(ゾーエー)」と「主体的な生(ビオス)」に分けた。現代社会では、管理された生存(ゾーエ)が優先され、主体的な生の選択が抑圧される傾向にある。
この視点から考えるならば、「意識的に洗脳を選ぶ」とは、「どのように生きるか(ビオス)」を選び取る行為そのものだ。与えられた価値観を無自覚に受け入れるのではなく、「どの価値を採用し、どの価値を手放すか」を能動的に決定すること(その決定も別角度からの洗脳であるという意識しながら)。
これはミルダッドの思想とも響き合うが、彼の説く悟りのような完全なる超越ではなく、あくまで「現実の只中において、いかに意識的に生きるか」という問いである。
※尚、あくまでアガンベンはビオスを社会的生と位置付けた。
・ニーチェの超人——価値の創造者として生きる
ニーチェは「神は死んだ」と宣言し、従来の価値体系の崩壊を指摘したが、これは時代ごと、否刹那ごとに新しい神(ニーチェのいう一神教的な神のみでなく凡ゆる社会的洗脳を含む)、"広義の神"を殺すこと。そして「新たな価値を自ら創造する存在」として「超人(Übermensch)」を提示した。「超人」とは、盲目的に価値を受け入れるのではなく、自らの生を主体的に設計する者のことだ。
この超人の思想は、単に「洗脳を拒否する」のではなく、「どの価値を選び、それをどう超えていくか」を意識することに繋がる。私たちは社会の中で生きている以上、何らかの価値観に影響を受ける。しかし、それを無批判に受け入れるのではなく、「自分にとって本当に価値のあるものは何か?」を問い続け想像すること。そして不屈の精神力と絶対的な生の肯定。それこそが、超人としての生き方なのだ。
またニーチェから強い影響を受けたバタイユ、そのバタイユと長い交流のあった岡本太郎は「芸術は爆発だ」と語り、既存の価値観を破壊し、生命の爆発的な創造を肯定した。彼の言う「爆発」とは、単なる衝動的な行為ではなく、生命を全力で表現すること。この生き方は洗脳を選択するという段階を超え、創造へとジャンプする表現であり、「まったく新しい生を創造する」という方向性だ。
・自らを超える意志——選択する力の重要性
ここまでを総合すると、私たちが目指すべきは、ただ無自覚に無為自然といって流されるのではなく(流れられるのは仏陀のみであるから)かといって無自覚に自身の価値観を確固たるものとして見るのでもなく、常に自らの内面と向き合い、何を信じ、どのように生きるかを自らの意思で決定するということだ。
これは、単なる自己満足や反抗ではなく、厳しい自己研鑽と内省の結果として生まれるものである。ミルダッドが説いたように、人は常に自らの内に秘めた可能性を持っている。しかし、その可能性に気づき、現実の中で実践するためには、意識的な選択と努力が不可欠である。
・結論—より良い価値を生きるという選択
今まで述べてきたように完全に洗脳から自由になることは難しい。しかし、無自覚に流されるのではなく、「どの価値を選ぶか」を意識的に決定することはできる。そして、その選択の基準は、単なる快適さや社会的承認ではなく、「自分自身をより深く理解し、より豊かに生きるための価値」であるべきだ。
私たちは、自らを高めることを求めながら、同時に今できる最良の生き方を選ぶことができる。未来の超越を夢見るだけでなく、今この瞬間に自身が過去に受け取ってきた社会的洗脳から何を選ぶかを意識すること。それこそが、「より良い価値を生きる」という選択であり、現実の中でできる最も確かな一歩なのだろう。
そして動物(完全な無知)と超人の間にある我々人間は、凡ゆる洗脳から脱却するために、「意識的に」生きることが必要だ。これは、一見すると世間一般で言われる「自由」とは正反対の道のように思える。
しかし人間における自由や自分軸というものは、洗脳され切った価値観や好き嫌いを無自覚なまま「これがワタシだ」と自身を無闇矢鱈に曝け出すことではない。そうではなく、「これが私の価値観だ」と思う価値観は如何に形成され、本当にそうなのか。果たしてそうあるべきなのか。と常に自己に問いかけ、内省し、より良い価値を生きようとする選択である。
畢竟するに、最高の生き方とは、単なる目標達成ではなく、生そのものを目的とすることである。
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iamactuallybeing-o-od · 4 months ago
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#00019:
彼氏と、「恋人」関係を解消した。
今日は、ともだちとの卒業旅行の前日。準備もしなきゃいけないのに......涙が止まらない。泣き止んでも、思い出したようにまた涙。別に、彼と喧嘩したわけでもないし、二度と会えなくなるような、決定的な出来事があったわけでもないんだけどね。
⋆⋆⋆
彼と出会ったのは、去年の6月頭。今は2月の終盤で、あれから9か月が経とうとしている頃、ということになる。付き合おう(実際はこんな、スパッとシンプルなものではなかったけど)、と彼から言われて悩みながらもOKしたのは、出会いから2週間後くらいのことだった。
⋆⋆⋆
気持ちや考えがあまり整理できてなかったり(今だってそうかもしれない)、いつの間にか時期を逃したりしてここにはあまり書いてなかったことだけど、彼氏とは、初秋の頃から......性的な面での、好みというか、キャパシティというか......ズレがちょこちょこ見えるような状況が続いていた。もう少し具体的にいうと、自分のほうが、彼の求める水準までカバーできないのではないか、という疑念。どちらかが、もしくはお互いが「自分」を無下にするようなことをしていては、この先ふたりでやっていけるのか......という不安に繋がっていた。もっとも、主に......というか先に不安を感知していたのは彼のほうで、諸々初心者な自分は、(いや、まだいける、今度こそは......)と、どちらかといえば呑気な感じで何回も彼を付き合わせちゃったけれど。
これまで(不)定期的に、(このままではいかん...!)の気をキャッチした彼によって、話し合いタイムが設けられていた。そこでは何回も、自分が望むものは何なのか、1回1回決断を迫られる感じに対して、身も心も揺るがせてきた。彼の一風変わった過去の経験の影響で、彼にとってはこういうやり方が決して特別なものじゃないことはわかったけど......こんなのはスパルタすぎる、と何度思ったことか。でも、それも回数を重ねるごとに慣れてきて......彼は彼のほうで、ずっと全力でついてくる自分に突き動かされて(自分で書いてるからおかしいけど、でも、この全力さは彼が感じ取ってくれていることなのはたしか)、少しずつ、彼の中で他者との関わりにまつわる価値基準の枠組みが変化していっているのを、自分はここ数か月で見てきた。そうそう、不安が露呈し始めて少し経った10月には、一緒に風邪もひいたな。どんなときも自分は、とにかく彼のことは好きだし、一緒にいたいし......という気持ちだけでやってきた。
⋆⋆⋆
自分が書いた卒論の題には、「自分がいなくなる感覚」というフレーズがあった。これは、ともだちとゼミの先生とのやり取りの中で出てきた言葉を拝借したものだけど、自分が彼と過ごしてきた時間は、こういった感覚に向き合い、考えるための栄養みたいなものだった。なぜなら、肉親から肉体的、精神的な抑圧を受けて育っていて、それが「自分」という存在、感覚を常に小さくするような生きかた(例えば、自身の欲や希望よりも「役割」に忠実に動かなければならない...といった意識とか)にも繋がり......自分が関わってきた彼は、そういう面を持った人だから。「自分がいなくなる感覚」......いかに、「今現在」の状況に自分の意思をないものにしないか、させないか、という問題は、恋愛とか、性的なものが絡んでくるとものすごく厄介になることがこの1年でよく分かった気がする。
自分は相手のことが好きだけど、自分は相手が嫌がったり、苦しく感じたりしているところは見たくない――自分の「好き」という、ものすごいエネルギーを内包した意思と、相手にある思いっきりの「生」を両立するときに、それがそつなく、ひとつひとつマッチすれば楽だけど......いくら「好き」でも、全てが「合う」わけではないし、合わせられるわけではない。すごく辛かったし、怖かったけど、そうして自分は、彼とは「恋人」という枠組みを外すことを選んだ。
彼とは年齢が親子ほど離れていることもあって、彼は、若い自分が、ひとつひとつ自分で考えて、気づいて、行動するのを待ってくれていた。そんなことは微塵も気づかなかったし、年齢による経験の差とか関係なしにズバズバ言って欲しいとか、思わないわけじゃないんだけどね......。
⋆⋆⋆
ここに細かく書くことはしないけど、彼はここまでの人生で深く沈んだ時期があって、そのときを考えると、今は奇跡的な状況らしい。「自分自身の人生を生きる」ことに関して、(単純に考えて)残り時間が長い自分とはまた違った「重み」が彼にはある。今回の選択が、彼が彼の人生に抱く望みや憧れを、より自由に実現するための助けになればいいな......と思う。自分も自分で、人生の探究は続いていくし。ここ最近、周りの人たち......親しいともだちにさえも、彼のことを「彼氏」と呼ぶことにどんどん違和感を覚えていくのを感じてたんだけど......つくづく、彼とは不思議な間柄になったものだな、と思う。「恋人」って、なんだろう。「好き」って、なんなんだろう。さみしいけど、少しずつ、歩みを進めていくしかないな。
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