#福島の真実
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私の「ダブスタコレクション」にまた新作が加わりました。他にもあったら教えてください。 ・保守派言論人が差別発言 ⇒「人権侵犯だ!」「差別扇動者だ!」 ・左翼言論人が差別発言 ⇒「真意は測りかねる」「コメントは控える」←New!! ・与党議員が批判を受ける ⇒「国民の声に耳を傾けろ!」 ・野党議員が批判を受ける ⇒「アンチの罵詈雑言!」「怒涛のような攻撃に辟易!!」 ・与党議員が事前運動疑惑 ⇒「公職選挙法違反!」「逮捕しろ!」 ・野党議員が事前運動疑惑 ⇒「政治活動の発言だ」 ・与党議員が地元有権者にクッキーを渡す ⇒「公職選挙法違反!」「買収だ!」 ・野党議員が地元有権者に日本酒を渡す ⇒「会合の対価だ」 ・与党議員が政治資金収支報告書に不記載 ⇒「裏金だ!」「脱税にあたる重大犯罪だ!」 ・野党議員が政治資金収支報告書に不記載 ⇒「記載ミスなので訂正した」 ・与党が世襲候補者を擁立 ⇒「異常事態だ!」「政治不信を招く!」 ・野党が世襲候補者を擁立 ⇒「世襲っぽいけど世襲じゃない」 ・与党議員が不祥事で謝罪 ⇒「疑惑はより深まった!」 ・野党議員が不祥事で謝罪 ⇒「本人が撤回しているので、それでいいのではないか」 ・与党議員が特定宗教と付き合い ⇒「特定宗教から祝電や取材を受けるだけでもアウト!」 ・野党議員が特定宗教と付き合い ⇒「個人の思想なので問題ない」 ・与党議員が演説中に薬莢を投げつけられる ⇒「暴力ではなく抗議活動」 ・野党議員事務所に生卵が投げつけられる ⇒「民主制を脅かす卑劣なテロ!」 ・リベラル弁護士が懲戒請求や監査請求をやる ⇒「正当な権利行使!」 ・リベラル弁護士が懲戒請求や監査請求をやられる ⇒「リーガルハラスメント!」 ・与党や右派を批判し、ネタにする漫才 ⇒「見事な社会風刺!」「お笑いの本当の役割を教えてくれた!」 ・野党や左派を批判し、ネタにする漫才 ⇒「完全に無理」「冷笑系しぐさ本当にやめた方がいい」「テレビ消した」 ・韓国女性DJがビキニ ⇒「男性に媚びるのではなく、自己表現としてのセクシーさ!」「自分の好きな格好をして何が悪い!」 ・グラビアアイドルがビキニ ⇒「男性に媚を売り、性的消費を助長する!」「悪い大人に無理矢理着せられた被害者!」 ・天皇陛下の写真を燃やす映像展示 ⇒「表現の自由だ!」 ・二��元萌え絵広告 ⇒「環境型セクハラ!」「男が思い描く女の虚像!」「性的搾取だ!」 ・我が国が防衛力強化 ⇒「軍事大国になるぞ!」「1発撃てば何百発も返ってくる!」 ・北朝鮮からミサイル ⇒(ダンマリ) ・不法行為をおこなう外国人問題について国会質疑 ⇒「外国人差別だ!」「ヘイトスピーチだ!」 ・難民申請中の外国人が女子中学生に性暴行 ⇒(ダンマリ) ・福島第一原発から処理水を放出 ⇒「欺瞞だ!」「毒は薄めても毒!」「断じて許せない!」 ・中国の原発から、福島第一原発処理水の9倍量のトリチウムを放出 ⇒(ダンマリ) 結局マスコミは「自分たちの書き方ひとつで国民はコロっと騙せる」と完全に我々を舐めてかかってるんですよ。私たちはこんな姑息なやり口に断固として乗るべきではありません。「事実をありのままに報道する」というまともな働きひとつできないならサッサと滅んでください。
新田 龍 / X
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大原 優乃は、日本のグラビアアイドル、女優、ファッションモデル、ダンサー、YouTuberである。エイベックス・マネジメント所属。Dream5の元メンバー。 鹿児島県川内市。 神村学園高等部卒業。 ウィキペディア



出生地: 鹿児島県 鹿児島市
生年月日: 1999年10月8日 (年齢 24歳)
身長: 154 cm
カップサイズ F
学歴: 神村学園高等部 (2018年)
事務所: エイベックス・マネジメント
愛称は、ゆーの、ゆのふぃー。趣味は、枝豆を育てること、雑誌を読むこと。特技は、犬と蛙の物真似。
魚のアレルギーがあり、加工食品も含めて食べることを控えている。一度でも魚の調理に使った器具を用いた他の料理や、魚の調理中の排煙や匂いなどにも過敏に反応してしまうため、飲食については制限があり、専用のメニューを用意してくれる学校選びなど、本人と家族は大変苦労したという。
文字は右手で書くが、その他は左利き。テレビドラマ『ゆるキャン△』(テレビ東京)で演じる「各務原なでしこ」が右利きだということに気づかぬまま、クランクイン前日に「右でやってみようか」と言われ、準備をする間もなくクランクインしてから練習したが全然つかめなくて悔しい思いをしたとインタビューで述べている。なお、同作品の第2シーズンにはなでしこが福原遥演じる志摩リンと共に鰻重を食べるシーンがあるが、前述の理由からなでしこが鰻重を食べる最中の姿は描かれておらず、撮影時も魚を扱うフリをしたり、代替食を用意したり、店舗外へ避難させたりと、徹底した安全対策が取られている。
2013年3月22日、当時13歳の大原は、Dream5のブログで、憧れのモデルとして桐谷美玲と北山詩織の名を挙げている。2019年3月24日(19歳時)のインタビューでは、土屋太鳳が女優としての目標で、芝居はもちろん、人柄や文章、表情の豊かなところにも魅力を感じていると言い、ダンサーとしての格好良さにも憧れていると答えている。
声優の高橋李依の大ファンを公言しており、自身が出演するドラマ『ガールガンレディ』(毎日放送)の主題歌を高橋が担当することになった際には高橋のTwitterにリプライを送った。
グラビアアイドルでは浅川梨奈を尊敬しており、グラビアで活躍でき���のは彼女の存在があったからと公言している。浅川も「グラビアをけん引する存在」と大原を高く評価しているほか、後輩のアイドルにも人気が高く、本郷柚巴、田中美久、和泉芳怜などが大原のファンを公言している。
Dream5のメンバーとして活動していた頃にはすでに大きかったバストを目立たせないよう、晒(さらし)を巻いて活動していたという。
映像や雑誌を通して発信される大原のイメージは“いつも明るく前向きな女の子”であるが、先述したようなネガティブな実像とのギャップに悩んだことも多いという。大原本人は、グラビアモデルのデビュー当初は水着姿を撮られることに自信が無かったことや、生来の高い声も、Dream5に属していたころは他のメンバーとの調和が取れないと考え、自己紹介の際にわざと低めの声を使うこともあったことを述べている。


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【かいわいの時】寛政元年(1789)六月二十日:7月にかけて、玉造稲荷砂持大にぎわい(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。ママ。『年代記・明和の春』では十八日、『摂陽奇観』では二十六日。
寛政元年(1789)五月末より七月にかけて、玉造稲荷の社殿築造に伴い、東横堀の久宝寺橋東詰や安堂寺橋の浜(神社の真西)から砂を浚い上げ、いったん神社南西の真田山「土取場」に集結し、稲荷社まで運ぶとゆう神事が行われました。六月中頃に「社内を地上」するため、諸人に勧進しようと社人などが市中を巡回したことに始まったとされています。砂持の願主は、大坂三郷を中心に近郷より昼夜を問わず参集し、労働奉仕だけでなく、財貨や、米、炭、薪、桧皮、材木等を奉納しました。その際、「ねりもの之出立」という仮装行列や俄が催され、これを「砂持風流」といいました。
(写真)「ねりもの之出立」。白蔵坊『栄々集』1789序(大阪府立中之島図書館蔵)(写)より。
本図は、まさに、砂持風流を代表する絵です。「大手」「中」(大手町の町中か)の集団が、行灯を先に立て、桃灯を灯りに進む。おかめや狐の面をつけ、囃子詞のように鍋釜に蠟燭を立て(丑ノ刻参りのパロディーか)、天秤棒やもっこ、子どもは籠で砂を運んでいる。米俵に立て札���竹を立てて注連を張って奉納しています。
『栄々集』 大阪府立中之島図書館蔵『栄々集』は同館書誌情報によると、書名「よいよいしゅう」(略)著者は「白蔵坊」とあり、同館ウェブサイト「おおさかeコレクション」に写真掲載されている《略》版本の体裁をとっているものの出版は確認できず、内容的には孤本の写本である《略》「序」末によると、同書を同年初秋(旧七月)に記したとあり、残暑の残る二か月以上にわたる砂持の最中と直後に、現地での見聞や記事異聞を、虚実綯い交ぜに記した随筆であろう。創作もあろうが、単なる読み物でなく、基本的には見聞した事実を踏まえている。例えば、噂を聞いたが見ていない部に「竹田近江戯場・楽屋面ゝ」が挙げられ、江戸中期の京坂の舞台で活躍した歌舞伎役者の伝聞が記されている(福原敏夫)。『仮装と俄の祭礼絵巻』岩田書院2020より。
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週末の朝、まだ夜の残滓が肌にまとわりつくような時間に、僕は車に乗り込んだ。三年目の正直というべきか、もはや恒例となったセミナー撮影のためだ。寝不足で鉛のように重い身体に鞭を打つ。東北道を北上しながら、去年のセミナーを思い出していた。認知症は神様からの贈り物だと語る、どこか浮世離れした雰囲気の先生だった。「死の恐怖から逃れる術として、あるいは老後のささやかな我が儘を受け入れてもらう余白として、認知症は存在する」そんな話に、会場は何度となく頷き共感に包まれた。
「たくさん笑って、たくさん人に触れて、たくさん幸せホルモンを出して生きてください」。その言葉が、助手席に置かれたコーヒーカップの湯気のように、ふわりと脳裏をよぎる。
新しい車に搭載されたクルーズコントロール機能は、まるで有能な秘書のように僕の運転を楽にしてくれる。おかげで、過去の記憶の断片が、思考の海を漂う小舟のように次々と浮かび上がってきた。毎年心待ちにしている朝ラーの暖簾をくぐり、熱い麺をすすり終えると、いよいよ撮影の準備に取り掛かる。今回の講師は、PTSDの専門家だ。

彼の言葉は、まるで精密な外科手術のように、心の奥底に潜む感情の結び目を解きほぐしていくようだった。「悲しみに心が死んでしまうと、あらかじめプログラミングされたアンドロイドのように学習された日常を繰り返すだけになる。哲学的ゾンビのような状態だ。話すべき時、そして話すべき人に触れた時、初めての悲しみは、真の悲しみとして流れ落ちていく」。弱音を吐ける場所が、人には不可欠なのだと彼は語る。福島の地で、放射能の風評被害を恐れて薄っすらとした言論統制が敷かれ、心の傷を語ることが難しい人々の話。一方で、戦争の記憶が深く刻まれた沖縄には、弱音を吐くことを許容する文化があるという。それがどれほど人の心を軽くするか、彼は研究結果を交えながら静かに、しかし力強く訴えかけた。男は年を重ねるごとに弱音を吐けなくなる。そういう仲間を失い、自らもまた、その殻に閉じこもっていく。それはつまり、受容の欠如だ。愚痴をこぼしたところで、「まぁまぁ、それはね、仕方ないじゃん」と、紋切り型の慰めで片付けられる。なるほど、僕が適当な感情を分け合える相手は、いつも決まって女友達だった。その事実に、苦いコーヒーをもう一口、喉に流し込んだ。

母の死を考える。油断するとすぐにその沼に浸ってしまう。
なぜ、これほどまでに、これでよかったと思えないのだろう。母との関係が残した障害は、まるで古い家具についた傷のように、いつまでも僕の心に刻まれている。母が息を引き取ってからというもの、そのことばかりを考えていた。母は苦しみながら死んだ。それに引き換え、義父は「もう悔いを残すことはない」と言い残して逝った。その差ではないか?母との関係のこじれが、永遠に心に深い影を落としている。母の信仰を受け入れることができない以上、仕方のないことだと頭では理解している。それでも、なお、だ。忘れることもできない。許されることもない。ただ、僕がこの世を去る時、娘には「悔いはない、ありがとう」と伝えよう。この、底知れぬ思いだけは、娘に味わわせたくないのだ。
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GWは実家に戻った。
上京するまでGWは田植えの時期だし周りの人は何で遊べるのかさっぱりだった。
手慣れた田植え。カエルとよく遊ぶ。
午後の畑は頭痛が酷くてダウンした。熱中症だと思う。
家族旅行で福島に行った。
学生の時に教えられたさざえ堂。こんなものかと写真を撮った。
赤べこがいつの間にか好きで絵付けができると知り大人4人で子供に混じって絵付け。父が言っていたけど子供が私のべこをみてママに向かって「かわいいね」と言っていたらしい。
サウナの整うがわかってきた。これって一時的なブリブリと変わらんと知り、合法的なものだなあと。
海外にいる恋人に手書きで手紙を書いてたけど反応はなかった。その国に住みたいというので「私は?」となっている。
祖母から仕事も辞めて女としての幸せを掴めと言われている。だから祖母に年々会いたくないんだ。手に入れた仕事を捨てて��舎に戻れるかアホが。ただでさえ生きるのも大変なのに子供だなんて。と伝えると「それはワガママ」と一蹴された。
自分の幸せに自分で枷をかけていると思っている。どうやって幸せって手に入るんだや。
エラーくんの投稿みてたらほのぼのとした
実家で買えてなかったマンガの途中を買い読んだ。少年のアビスの結末になんとも言えなかった。
宝石の国は一体どうして…
海夢ちゃんとごじょーくんよかったね!!!泣
凪のお暇の主人公の年齢をいつの間にか超えていた。クゥ
チーズケーキとシフォンケーキを作って食べた。美味しく作れたね。
東京に帰ってからインスタで美味しそうだったライスペーパーカツオのやつ作って食べた美味しくて満足!
明日からの仕事頑張れば出張→遊び 適度に頑張りましょうね。
恋人のニット帽作ったよ。弟に被せたらちょっと小さかったけどどうにか被ってもらお。








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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなってい��。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置��んですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手順で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 という暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認できず、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が���了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。うち零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あ��りにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思わず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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午後十二時、浩志は上野駅にいた。正面改札の前で、壁に寄りかかりながら猪熊弦一郎が描いた絵を見つめていた。彼は、大学を卒業して帰郷することになった時のことを思い出していた。あの日、幸雄とはしばらく会えないと何度も上野駅のホームで抱擁と接吻を交わし、発車直前の電車に乗ったっけ。当時は未だ特急がなかったから上野から水戸まで二、三時間かかった。脳裏に渡辺はま子の「夜のプラットフォーム」が流れ、ホームが途切れるまで幸雄は手を振りながら見送ってくれたなァ…。再上京した時も彼は抱擁し、おかえりと言ってくれた。
そんな記憶が次から次へとよみがえり、浩志はため息をついた。過去と現在が彼の中で交差する中、生天目が手を振りながら走ってきた。一緒に働いていた時より腹が出ているなと、浩志は思った。生天目は言った。
「久しぶりだな、元気か?」
「あぁ。しかし、お前…太ったか?」
「実は、お前が学校を辞めた後に結婚したンだ。嫁さんが料理好きで…。子どもも二人いるンだ」
嗚呼、幸福太りかと浩志は思った。結婚すると男も変わるンだな。オレは結婚したとしても、あぁはなりたくないなァ…。そう思いつつ、二人はこの界隈で食事をすることにした。交差点を渡ってすぐのレストラン「J」で、二人は定食とビールを注文した。この日は家族連れで混雑していた。恐らく、「上野動物園」へのお客さんが殆んどだろう。浩志は子どもの声が嫌いだが、まァ、生天目は酒に「飲まれる」質だからとすぐ食事が済んだら喫茶店でも行くかと思い、我慢することにした。
互いに乾杯をし、一口飲むと生天目はハァ〜と笑顔で、
「美味いなァ!」
と声を上げた。すっかり「デブ」と化してしまったなと、浩志は苦笑した。嗚呼、もし「ノンケ」じゃなければ連れ込み宿でいじめてやりたいと、彼は思った。
生天目は、忍が卒業してからも文通をしていることを話した。東京には月イチで来ては上野の美術館を観て回っており、あの忍の裂けてしまった学生服のスラックスを縫った家庭科の女性教師と結婚したのだそう。浩志はあの、スラックスの後ろが上から下まで縫い目がほどけ、弾けるほどに肉付きのよかった忍の真っ白なブリーフを思い出した。やはり、忍も話していたが、浩志の代わりを務めたラグビー部の新しい顧問はあまり熱心でなく、最終的には廃部になった様だった。浩志が教えていた時には英語が好きだった生徒も、担当が変わったことで嫌いになってしまった者もいたらしかった。生天目は、
「お前のいない県立M高校は、本当につまらなくなってしまった」
と話した。彼は続けた。
「オレが今の県立J高校に異動する前、実は忍のお姉さんが直接話に来たな。彼女はてっきり佐伯が忍に手を出したと思ったらしく、教育委員会に告発してしまったと。しかし、親父さんから『忍には手を出していない』と言われたンだろうな、彼女は自分の勘違いだと思って謝罪したそうだよ」
この言葉に浩志は、何を言うンだと思った。どれだけオレが傷付いたのか解っているのか?と、彼はビールをもう一杯注文した。生天目も、オレもと追加を頼んだ。おいおい、大丈夫か?と浩志は心配そうに生天目の表情をうかがった。ビール一杯で顔はうっすらと赤くなっていたが、急に彼は真面目な顔つきになった。
「…佐伯。また教壇に立つ気はないか?」
一瞬、浩志は周囲のざわめきが聞こえなくなった。え、何だって? 彼は酔った勢いで言いやがったンだなと思い、
「おいおい、冗談はよせよ。オレ、二度と教師はやらねぇよ。学習指導要領だって変わっちまったッぺよ。それに、いったん懲戒免職になったンだ。何処も使ってくれねぇよ」
と、彼は揚げだし豆腐を口に運んだ。しかし、生天目は急に正座をし、頭を垂れた。
「お願いだ、また戻って来てくれ!」
二人のすぐ隣に座っていた数人がびっくりして振り向いた。浩志は、土下座するンじゃねぇよ!とあたふたした。ここでは���ょっと無理だなと、とりあえず食事を済ませて他でじっくり話すことにした。
現在はマルイとなっている通りを二人は入り、ちょうど御徒町駅の間に位置する純喫茶「O」に向かった。古めかしい、今の言葉でいえば「レトロ」なシャンデリアが室内を照らす空間で、二人は先刻の話の続きを始めた。生天目は、恐らく独身の頃から着ているのだろう、歩いているうちにはみ出したワイシャツをスラックスのホックをいったん外して直した。チラッと赤と青のラインがはしったブリーフのウエストゴムが見えた。浩志はその様子を見ながら、
「生天目、少し痩せないとヤバいぞ」
と言った。彼は、
「…嫁さんからもそう言われてるンだよ。一度、学校で忍みたいにスラックスがケツのところで裂けちゃって…。授業中でのハプニングで恥ずかしかった」
と話した。
コーヒーを片手に、二人は話を再開した。こんなオレを使ってくれる学校があるのか?と浩志は聞いた。すると、
「実は、水戸駅南にある私立S高校ってあるだろ? まァ、私立だから『滑り止め』だけどね。大学時代の友だちが勤めているンだが英語が教えられる教師を探してるらしいンだ。でも、名前を書けば入れるところだからレベルは低い。よほどタフな精神力がなければならないらしいよ。お前、大学時代からラグビーをやって全国大会までチームを導いた実績もあるし、適任かな?と思って」
と生天目は言った。私立S高校…昔からある学校ではあるなァ。親父が再三バカにしてたっけ。浩志は若干気持ちが向いたが、この東京での生活も申し分ないし、迷った。それに、幸雄とまた離れるのは辛い。彼は、コーヒーをスプーンでかき混ぜながらしばらく沈黙した。今夜、幸雄に相談してみるか…。
「…ちょっと考えさせてくれ」
浩志は生天目にこう言った。
午後三時に浩志は生天目と上野駅で別れた。生天目は、連絡を待ってると電話番号を書いたメモを渡した。今住んでいるのは常北町らしかった。随分、田舎の方に住んでいるなと、浩志は思った。
正面改札で生天目を見送ると、浩志は営団地下鉄の方に向かい、浅草まで銀座線、東武鉄道で向島へ行った。幸雄はこの日はずっとアパートにいると、予め公衆電話からかけた時に言っていた。たどり着くと玄関で幸雄は待ってましたと言わんばかりに浩志を抱きしめ、唇を奪った。あれ���あれよと彼はワイシャツのボタンを外され、スラックスも脱がされてしまった。幸雄も欲情のままに下着だけになり、ブリーフ越しに己の股間を浩志のものに押し付けた。
喘ぎ声と、何度も愛の囁きを呪文の様に繰り返しながら、二人は絡み合った。職場は同じでも、ここ二週間は情事が殆んどなかった。浩志も幸雄も、これまで溜めていた愛���を枯れるまで跳ばし合い、快楽の極地まで流されていった。
午後七時を回っていた。二人は最寄りの銭湯で身体をキレイにし、少し散歩でもしようかと言問橋の手前で階段を下り、隅田公園を歩いた。大学時代、一秒でも一緒にいたいとよく散策をしたのを浩志は思い出した。水戸に戻る前日もそうだった。未だ、ちらほらと梅の花が散らずに残っていた。微かに沈丁花の香りもし、もうじき春を迎えるなと浩志は思った。背後から幸雄の姿を追いつつ、彼は言った。
「…実は」
なかなか次の言葉が言い出せずにいた。あんなに沢山愛してくれた後に再び別離の話をするのは、正直心苦しかった。幸雄は振り向くとこう言った。
「…もう一度、教師を目指すのか?」
えッ!?と、幸雄には一言も話していないのにと浩志はびっくりした。彼は、
「な、何で知ってるの…!?」
と聞いた。すると、幸雄は近寄って浩志身体を両腕の中に包み込んだ。グッと引き寄せながら、
「先刻、君が途中泣いてたし、何度もオレの名前を呼びながら強く抱いていて、何となく…」
と言った。彼も、浩志が東京を離れる前のことを思い出していた様だった。胸の中で抱かれながら、浩志は幸雄のぬくもりにふと涙した。彼は言った。
「昔の同僚が知り合いのいる高校で英語を教える教師を探してるって話をされ、一昨日は昔の教え子も来て…。何か、行かなくちゃならないかなって…。幸雄とまた離れるなんて…」
「…否、オレはいつでも待ってるよ。また辛くなったら来ればイイ。オレは君が幸福に生きてくれればそれでイイんだ」
「…幸雄!」
翌日、浩志は勤めていた新聞社に辞表を提出した。間もなく私立S高校で面接もあり、浩志は四月から正式に勤めることになった。みいは、また水戸に戻ることに半ば淋しさを感じながらも祝盃を共にした。幸雄も、水戸に戻る前日に銀座の「Lビヤホール」で一緒に飲んだ。そして、向島の下宿で朝まで愛し合った。
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ニーチェ的「末人(おしまいの人間)」の特徴と、現代的類似形態の詳細
1. 適応過剰性と主体性の喪失
権威(国家、企業、上司など)に従順で、自発性に乏しい。
社会制度や通念に対して疑問を持たず、内面化して生きる。
安全・安定を最優先にし、挑戦や創造には消極的。
自己決定を恐れ、他者の評価やルールに依存。
2. 上下関係の内面化
上には媚び、下には高圧的になる傾向(権威主義的性格、アドルノらが論じた)。
上下関係を自然なものとみなし、抑圧を再生産。
弱者に対して連帯せず、むしろ攻撃する(スケープゴートを求める)。
3. 形骸化した美意識
形式や規範に固執し、本質を見失う。
個性や創造性よりも、既存の「正しさ」「整い」に価値を置く。
「美」はファッションやマナー、インテリアなどの型に還元されがち。
4. 表面的なポリコレ(政治的正しさ)の遵守
内発的な倫理観ではなく、外的規範に合わせるためのポリコレ実践。
その遵守自体が自己肯定感や優越感の源となる(道徳的ナルシシズム)。
他者にもその規範を強制し、逸脱者を排除する傾向。
5. 希望の喪失と抑圧的自己認識
世界を変える可能性や自己変容の可能性を信じない。
自虐的・自己卑下的な語りをするが、そこに妙な誇りがある。
抑圧された自我を正当化する言説(「これが現実」「大人になるってそういうこと」)を反復。
6. 不自由なプライドと支配欲
無内容な「正しさ」や「常識」を盾にプライドを保つ。
自身の狭い経験や価値観を普遍化し、他者に押し付ける。
教訓・説教・忠告の形式で他人を支配しようとする。
7. 快楽の均質化と怠惰な幸福
「心地よさ」「無難さ」「便利さ」が幸福の基準。
不快や混乱、対話や変化を避ける。
消費社会的な快楽(娯楽、買い物、SNS)に閉じこもる。
8. 過剰な自己保存本能
生命や社会的立場の維持が最優先で、「生の昂揚」は軽視される。
ニーチェがいう「生の意志(Wille zum Leben)」に従っているが、「力への意志(Wille zur Macht)」を欠く。
9. 規範の内面化による監視社会的性格
自分の内に「監視者」を住まわせて、自己検閲・自己管理を行う。
他者の逸脱に敏感で、それを咎めることで自我を保つ。
「世間的正しさ」を無自覚に武器化する。
10. 意味の貧困と深みの喪失
深い問いや形而上学的関心を「非生産的」として切り捨てる。
宗教・哲学・芸術が、単なる趣味や装飾に矮小化される。
内的対話が失われ、自己の深みに潜る能力が減退する。
近代批判の系譜との関連
フロムの「自由からの逃走」:自由を恐れ、権威に服従する性格傾向。
マルクーゼの「一元的思考」:技術的合理性が全てを覆い尽くし、対抗的想像力を失う。
アドルノの「権威主義的パーソナリティ」:ナチズムを可能にした心理的傾向として分析。
ライヒの「性の抑圧とファシズム」:リビドーの抑圧が支配構造に適応的性格を生む。
現代の「末人」的傾向を加速する社会的要因
SNSによる承認欲求の制度化(「いいね」による快楽回路)
教育における標準化と評価主義(偏差値、就職偏重)
経済的不安定さと過剰労働(自発性・余白の欠如)
文化の商業化と表層化(深層的意味への関心の喪失)
規範の過剰供給と自己責任論の蔓延
このような人間像は、ニーチェが超人(Übermensch)という概念で対比的に語るように、**「生の肯定」「創造的価値の創出」「自己変容」**という方向性とは真逆の位置にあります。
必要であれば、こうした「末人」状態からの脱出のヒント(例:生成変化、アセンブリックな生のあり方、東洋思想との接続など)についても整理できます。ご希望があればお知らせください。
4o
You said:
ニーチェの「末人」と同様の分析を行った思想家・学者など、できるだけ多数教えてください。
ChatGPT said:
ニーチェの「末人(der letzte Mensch)」という概念に類する人間像の分析や批判を行った思想家・学者は、20世紀以降の哲学、社会思想、精神分析、文化批評において多数存在します。以下に代表的な人物をジャンルごとに整理し、簡単な解説を添えてリスト化します。
◆ ニーチェの「末人」的主題を引き継ぐ思想家・学者リスト
1. 実存主義・ニヒリズム批判の系譜
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
マルティン・ハイデガー『存在と時間』「ダス・マン(世人)」=平均化された匿名的存在としての人間像。自己を生きる代わりに他者の視線や世間に流される。
ジャン=ポール・サルトル『嘔吐』『存在と無』「実存は本質に先立つ」:自由から逃れ、役割や肩書きに安住する人間への批判。
アルベール・カミュ『異邦人』『シーシュポスの神話』不条理を直視せず、習慣の中に逃げる人間の姿(=末人的)を描く。
2. フランクフルト学派・社会心理の批判
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
テオドール・アドルノ『権威主義的パーソナリティ』『否定弁証法』権威に従順で他者に攻撃的な性格構造=ファシズムを支える「末人的」性格。
マックス・ホルクハイマー『道具的理性の批判』理性が自己保存と効率だけを目的とするようになった現代人=末人。
エーリッヒ・フロム『自由からの逃走』『生きるということ』自由に耐えきれず権威に逃げ込む「逃走する人間」=末人の心理。
ハーバート・マルクーゼ『一次元的人間』消費社会が人間の欲望や想像力を均質化し、批判精神を失わせる。
3. ポスト構造主義・現代思想系
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
ギー・ドゥボール『スペクタクルの社会』実体なき「イメージの支配」に取り込まれる人間像=自己喪失型の末人。
ジャン・ボードリヤール『消費社会の神話と構造』『シミュラークルとシミュレーション』現実よりもコピー(シミュラークル)を消費する人間=意味喪失の末人。
ジル・ドゥルーズ & フェリックス・ガタリ『アンチ・オイディプス』など欲望をコード化され、定型的な役割を演じる主体=脱創造的「末人」。
スラヴォイ・ジジェクポストマルクス主義・ラカン理論消費社会における「空虚な欲望」と「享楽の命令」に従う主体=「末人」的存在。
4. 宗教・倫理・東洋思想との関連
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
シモーヌ・ヴェイユ『重力と恩寵』形式的信仰や制度に埋没し、本質的な魂の渇望を見失った人間への批判。
梅原猛『仏教大学講義』など経済的合理性や制度に埋没する現代人=仏教的な意味での「迷い」の極致。
中村雄二郎『術語集』『共通感覚論』技術的合理性に染まる現代人が、感性・共感を失う危険性を示唆。
5. 精神分析・文化批判・社会理論系
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
ヴィルヘルム・ライヒ『ファシズムの心理構造』性の抑圧が支配体制に順応する性格を生み出す=「末人」的心理の構造分析。
アーサー・ケストラー『機械の中の幽霊』科学文明の発達と人間性の崩壊の乖離を批判。
ノーム・チョムスキー『メディア・コントロール』マスメディアによる認識の管理に無自覚な現代人=末人型の大衆。
6. 日本の思想家・文化批評家
思想家 主な概念・著作 関連する「末人」的分析
柄谷行人『マルクスその可能性の中心』『探求』資本制の内部に無自覚に同一化する主体の批判。
宮台真司『14歳からの社会学』など「終末的社会」の中で思考停止する大衆=末人化した現代人の診断。
中沢新一『野生の科学』『芸術人類学』近代的合理主義に押しつぶされた、野生的感性や創造性の喪失=末人的。
栗本慎一郎『意味と生命』『パンツをはいたサル』「意味への感受性」の衰退を嘆く。脳の変容と社会構造との関係を指摘。
補足:文学・芸術における「末人」的表現者
フョードル・ドストエフスキー(『地下室の手記』の主人公)
カフカ(『変身』『審判』などの不条理で抑圧的な主人公像)
三島由紀夫(『豊饒の海』など、戦後日本人の精神的空洞化への批判)
村上春樹(空虚で自閉的な語り手たち)
必要であれば、特定の思想家の議論を掘り下げたり、��較表にしたり、また「末人」から脱却する思想や実践(生成変化・スピノザ・仏教思想など)との接続も可能です。お知らせください。
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これ昨日買ったフローラウサギのお母さん🐰
今日は、母の主治医の先生の話を聞く予定が、急遽午後から手術することになってしまって、朝説明を受けて一回家に帰って、手術が終わる頃また病院に行きました。
母は、まだ口から食べられるけどそのうちそれも出来なくなるから胃瘻をつくったのです。
母はずっと、誰よりも若々しくて可愛くてパワフルな母で、ばあばで、いてくれると思ってた。でも治らない病気になってしまった。
怖い…どうしよう…と考えるとキリがないし絶望しそうになるから、今この時の母と、笑顔で過ごせるように意識してる。
一番心がけているのは、イライラしないこと。
そのためには自分の好きなことをするに限るんです。
今日は嬉しいお知らせがありまして!
NiziUのライブに当選したのだ🌈🎉🙌オーラスは落選したけどオーラス前日が当たった🥰やったー💕
初めてNiziUのライブに行った時と同じ西日本総合展示場です。
これは一生の自慢なんだけど、2022年8月のNiziUの初ライブツアー初日の福岡公演の席が、最前列のど真ん中だったの👀✨
ひとつ後ろの列がNiziUのご家族の席で、私の真後ろの席にはマコちゃんのお姉さまの山口厚子さんがいらっしゃいました。
実物のNiziUの初々しさとかわいさと努力の成果を目の前で見られてほんとに感激したし幸せだった。
その後のライブは、京セラドームは2日とも3塁側スタンド下段で、広島グリーンアリーナではアリーナ後方だったから遠かったです🔭
またいい席で見たいけど、当選しただけで嬉しいから贅沢は言うまい🤗
まだまだ先だけど楽しみな予定が入るといろんなことがんばれる💪
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2024-6月号
アンビグラム作家の皆様に同じテーマでアンビグラムを作っていただく「月刊アンビグラム」、主宰のigatoxin(アンビグラム研究室 室長)です。
『アンビグラム』とは「複数の異なる見方を一つの図形にしたもの」であり、逆さにしたり裏返したりしても読めてしまう楽しいカラクリ文字です。詳しくはコチラをご参照ください⇒アンビグラムの作り方/Frog96
◆今月のお題は「中華」です◆
今月は参加者の皆様に「中華」のお題でアンビグラムを制作していただいております。中華といえば漢字発祥の地。現代の蒼頡たちの宴をご覧ください。今月も逆さまな作字が集まっております。
ではまずはdouse氏から。

「麻婆茄子」 回転型:douse氏
180°回転させても同じように麻婆茄子と読めるアンビグラムです。中華には「福到了」という福の字を上下逆さにひっくり返して貼るアンビグラム的な縁起物の風習がありますが 本作は麻婆茄子が無限に到来しそうな御目出度い回転字面になっています。対応解釈が最高ですね。この語句でこの文字組みが出来るのはきっとdouse氏だけでしょう。

「酢豚」 回転型:peanuts氏
世界範囲で有名な中華料理の一つです。酢豚は日本で付けられた��称で 中華料理においては広東料理の「古老肉」や上海料理の「糖醋排骨」が該当するようです。本作は作字のデザインと対応解釈が高次で両立した理想的アンビグラムです。「乍/月」部分のギミックは美しくてかっこいいです。

「酢豚」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
左右の鏡像図地で酢豚。作者いとうさとし氏はネガポ字(図地反転)の達人です。本作は真ん中から折りたたむとピッタリ嵌ります。まるでこの漢字がもとより嵌り合う構造を持っていたかのような自然さです。
「回鍋肉」 図地反転鏡像型:douse氏
四川料理の一つ。本作は斜め鏡像の図地反転アンビグラムです。文字の組み方がテクニカルでブリリアントカットされたような光学的な装いが抜群にカッコいいです。

「回鍋肉」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
上下の鏡像で図地反転になっている回鍋肉。日本語のアンビグラムは2022年に入ったころから飛躍的に進化発展した印象がありますが とくにネガポ字(図地反転)の進化は顕著で 英語圏でも作例はさほど多くないこのジャンルが日本ではたくさん作られるようになりました。それも本作の作者いとうさとし氏の尽力が大きいでしょう。
「酸辣湯」 鏡像型:螺旋氏
中国料理のスープの一つで 酸味・辛味・香味が特徴。本作は斜めの鏡文字で組まれています。斜めの鏡像型は漢字のアンビグラム制作に向いた対応だと思います。うまく作ればアンビグラムだと見破られない作字が可能で 本作も「束」部分が自然で驚きます。

「中華そば」 敷詰振動同一型:Jinanbou氏
��想が面白いです。「華」の字の中に異なる文字を幻視し抽出するその眼力には感服します。これは文字に隠された秘密のゲシュタルトを解析する行為でアンビグラム作りには欠かせないセンスです。

「青椒肉絲」 重畳型:きいろいビタ氏
ピーマンと細切りにした肉などを炒めた中華料理。本作 重畳型は同じ図形で韻を踏み 青椒肉絲と読ませるアンビグラムです。そのまま亜細亜のどこかの国で商品のロゴとして使用されているのではと思えるほど完成度が高いレタリングです。
「杏仁豆腐(⿸广フ)」 旋回型:Σ氏
中国発祥のデザート。135°回転の旋回型アンビグラムです。「腐」の字が「广」の中に片仮名の「フ」を入れた略字になっているところが凄すぎます。この略字は実際にゲバ字(アジビラ文字)などで使用例があります。柔軟な発想ができる人のアンビグラムは読みやすいですが 本作は作者Σ氏のアンビグラムが優れている理由の一端が垣間見える好例です。
「中華/北京/上海/広東/四川」 共存型(回転・鏡像):ラティエ氏
一般に四大中国料理と言われている4つの場所に お題をプラスした多面相アンビグラム。なんと5パターンの変化が起こる作字なのです。北京/上海/広東/四川は回転型で 大きく表示された中華はその鏡像になっています。 多面相漢字アンビグラムの制作はある種「挑戦」ジャンルです。多面相を作ろうとするその発想や度胸だけでも凄いですし 本作はその挑戦に成功していると思います。
「横浜中華街」 回転型:ぺんぺん草氏
東アジア最大の中華街を回転アンビグラムに。細かい説明は無用の傑作。この完璧な対応解釈をご覧ください。けしてアンビグラマビリティは高くない語句ですが冷静的確に作字されています。最高です。
「神戸」 回転型: 「長崎」 鏡像型: 「横浜」 重畳型:.38氏
日本三大中華街。それぞれ趣向を凝らした楽しい対応解釈で可読性も充分高い設計です。 これは文字数寄にはたまらない作字ですね。そのまま都市の紋章に使用してほしいナイスデザインです。

「横浜中華街散策中隠処的拉麺店発見」 回転重畳型:超階乗氏
ブレードランナーに出てきても違和感のないサイバーパンクアンビグラムの名作。文字の各所に丼図案などが組み込まれていて そのおかげで回転重畳構造を把握しやすい親切設計です。回転重畳型とは ある図形の上に同じ図形をレイヤーで重ね、上に重ねた図形だけを規則正しく回転させて文字を形成するアンビグラムです。
「西安」 回転型:うら紙氏
陝西省の省都で、旧名は長安というのは有名でしょう。 かっちりした輪郭でありながら墨のカスレを生かしたステキなタイポグラフィですね。アンビグラマビリティの高い語句ですが図案としてきれいにまとめるには作家の力が必要で、うら紙氏はその能力に長けています。

「Qingdao/青島」 図地反転回転共存型:ヨウヘイ氏
青島(チンタオ)は中国有数の港湾都市・商工業都市・国際都市。 図地反転で漢字の隙間にアルファベットを見出そうとすると、青島は横画が多くて打ってつけの言葉なのですね。省略があっても読み取りやすい作品です。

「シャンハイ」 旋回型:つーさま!氏
上海は中国で最高位の都市である直轄市の一つ。 五面相の旋回型。「シ/ン」の点の有無のみの差をどう表現するか難しいところですが、少し角度を変えるだけで違って見えてきますね。羽様の形状とグラデーションも読みやすさに一役買っています。すばらしい作品です。

「万里の長城」 回転型:douse氏
中国にある城壁の遺跡。中国の象徴の一つでしょう。 回転中心の作り方が見事です。「の」が伸びているのも不自然に見えず、「長」の横画を切っているので「長」のバランスもよく見えます。「万/戈」の字画接続の切り替えが見事ですね。さすがの一作です。

「麺/龍」 図地反転鏡像型: いとうさとし氏
どちらも中国を象徴するものでしょう。 自然に読めすぎて言うことがないですね。図地反転にピッタリすぎる組み合わせが今回のお題によって発掘されたと言えるかも知れません。一点、「龍」の上部の突き出した部分は作者も悔しいところだと想像しますが、それを差し引いても可読性最高の傑作です。
「伝奇/でんき」 振動型:kawahar氏
中国の古典的な演劇である戯曲形式の1つ。 氏の得意な「読み漢」で一作。ぐにゃりとした書体が「ん/ム」の振動などにマッチしていますね。読み漢はひらがなしか読めない人にも漢字が読めてしまう実用的な手法ですが、適用できる漢字は少なく本作のように限られた言葉だけです。
「太極図」 図地反転回転型:lszk氏
「易」の生成論において陰陽思想と結合して宇宙の根源として重視された概念である「太極」を表した図。 中央の「極」に本家の陰陽魚太極図があしらわれています。太極図の円形を「太・図」にもあしらって統一感を出していますね。図と地が絡み合い逆転しながら文字を形成しているところが、陰と陽が互いに飲み込みあい無限に繰り返す太極の思想を表しているようです。

「造書 研究」 回転共存型:意瞑字査印氏
「造書」を90°傾けると「研究」と読める対応です。造書とは文字を造るという意味。『蒼頡、鳥獣蹏迒の跡を見て分理の相別異すべきを知り、初めて書契を造る』 そのむかし蒼頡という人が鳥獣の足跡をヒントに漢字を発明した故事からの語句選択です。なるほどアンビグラム制作とは 新文字を発明する行為とも言えますね。

「東夷/西戎」「南蛮/北狄」 回転共存型:兼吉共心堂氏
四つまとめて「四夷」、古代中国で中華に対して四方に居住していた異民族に対する総称。 筆文字の効果を生かした表現がすばらしいです。「夷/西」「虫/北」ではカスレにより字画の本数を増減させ、「南亦/狄」では墨垂れで字画密度差を克服しています。真似が難しいテクニックです。
「東夷」「西戎」 重畳型: 「南蛮」「北狄」 振動型:lszk氏
「四夷」は「夷狄」あるいは「夷狄戎蛮」とも。 お誂え向きの言葉がきれいにそろっていたものですね。というのは簡単ですが読みやすく仕上げるのは難しい字形もあります。氏は知覚シフトのバランス感覚が抜群なので調整の妙もさることながらこの対応にも気付けるのでしょう。

「劉備玄徳/関羽 張飛」 回転共存型:KSK ONE 氏
「蜀漢」を建国した劉備と、劉備に仕えた関羽・張飛。三国志の武将からのチョイス。 髭文字ならではのハネなど遊びの部分を生かした作字ですね。一文字目の「劉」が読みやすくすらすらと読みを捕まえることができます。関連する名前同士でうまく対応付けできるのが運命的ですね。
「熊猫」 敷詰図地反転型:松茸氏
ジャイアントパンダのこと。 パンダの白黒は図地反転にもってこいの題材ですね。どうやって考え付くのかわからない図案が毎回驚異的で目を白黒させてしまいます。きちんと敷詰できるのか不安になりますがちゃんと隙間なく並びますので安心してください。

「伊布」 旋回型:YФU氏
「イーブイ」の漢字表記。 久方ぶりに参加していただきました。言葉のチョイスも氏らしいですね。図形の長さを読みやすいところに調整するバランス感覚は健在です。

「マオ」 交換式旋回型:ちくわああ氏
かいりきベア氏の楽曲名より。「猫」の意味もある中国語らしい言葉の響きです。 線種を変えているのでかわいらしい作字になっています。対応付く字画も分かりやすいですね。それでもうまく敷き詰めてみるのは骨が折れそうです。

「西游记」 回転型:オルドビス紀氏
16世紀の中国の白話小説、繁体字では「西遊記」です。 簡体字をうまく活用しているのですね。「遊」よりも自然に回りますし、「記」よりも「西」との相性がよく一石二鳥です。「西・记」の右下がりのラインと「游」の右上がりのラインの視覚効果が心地よく作字として最高の仕上がりだと思います。

「 不 此 君 我 / 当 今 災 偶 成 夕 已 為 / 時 日 患 因 長 渓 乗 異 / 声 爪 相 狂 嘯 山 軺 物 / 跡 牙 仍 疾 但 対 気 蓬 / 共 誰 不 成 成 明 勢 茅 / 相 敢 可 殊 嘷 月 豪 下 / 高 敵 逃 類 」 交換型:繋氏
「山月記」より。縦に読んでください。 7×4の組全体を縦横に交換するともう一方になるという超絶技巧です。「爪」(爪痕の装飾がにくいです)を基準にすると見つけやすいでしょう。じっくりご覧ください。
最後に私の作品を。
「截拳道」 交換式旋回型:igatoxin
≪友よ水になれ≫で有名なブルース・リーの武術、截拳道(ジークンドー)から。
お題 中華 のアンビグラム祭、いかがでしたでしょうか。御参加いただいた作家の皆様には深く感謝申し上げます。
さて次回のお題は「猫」です。長靴をはいた猫、シュレディンガーの猫、仕事猫、吾輩は猫である、猫男爵、猫目石、煮干し、マタタビ、夏への扉、蚤、百閒、注文の多い料理店、ハローキティ、ドラえもん、など 参加者が自由に 猫 というワードから発想 連想してアンビグラムを作ります。
締切は6/30、発行は7/8の予定です。それでは皆様 来月またお会いしましょう。
——————————–index——————————————
2023年 1月{フリー} 2月{TV} 3月{クイズ} 4月{健康} 5月{回文} 6月{本} 7月{神話} 8月{ジャングル} 9月{日本史} 10月{ヒーロー} 11月{ゲーム} 12月{時事}
2024年 1月{フリー} 2月{レトロ} 3月{うた} 4月{アニメ} 5月{遊園地} 6月{中華}
※これ以前のindexはこちら→《index:2017年~》
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@You3_JP

ワクチン問題研究会記者会見
福島教授:
「これは薬害ではない。はっきりと言うが、ワクチンは、ありとあらゆる毒性を持った生物兵器である。生物兵器がばらまかれ、沢山の人が死んだ。大虐殺だ。」
要旨:
マスコミや警察は、ワクチンによる被害者の声を無視し、政府は、憲法で保証された幸福追求権を無視している。知る権利が踏みにじられ、日本が深刻な民主主義の危機に直面している。絶対に許すことはできない。科学者の存在意義が問われている。
何兆円も使って、核酸医薬と呼ばれた、不完全な薬でもない、生物兵器がばらまかれ、大虐殺が行われた。
専門家たちは、被害が広がっているのにも関わらず、その実態を明らかにしようとせず、医学や科学が放棄されている。そして、メディアは、真実の報道をせず、ジャーナリズムの役割を果たしていない。
ワクチンとの関係が強く疑われる症例のみが報告されているが、それだけでも2000人が死んだ。これは、確実にワクチンが殺した人数だが、氷山の一角に過ぎない。
科学の基本は、問題が起きたら、薬のせいであると考えることである。だが、ほとんどの人は、被害届も出さず、皆んな泣き寝入りしている。ワクチンで被害にあったと訴えても、無視され、かん口令がしかれる。反ワクとレッテルを貼られ、圧力をかけられ、非国民扱いされてしまうのだ。
このワクチンによる被害は、これまでの45年分の他のワクチンの被害を上回った。各学会では、今までにない規模で、ありとあらゆる副反応が報告されている。
このような問題に向き合い、ワクチン接種後症候群の実態を明らかにしなければならない。そのためにワクチン問題研究会を作った。
世界中で同じようなワクチンによる被害が発生し、論文で報告されている。典型的な例としては、ワクチンを接種して数日に死亡する。解剖すると、心臓がフニャフニャに溶けている。
国は、隠蔽しようとしているが、これは薬害ではない。はっきりと言うが、ありとあらゆる毒性を持った生物兵器である。生物兵器がばらまかれ、沢山の人が死んだ。
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私の「ダブスタコレクション」にまた新作が加わりました。 ・自分たちに好都合な子どもの意見 ⇒「子どもの権利を大切にしない日本!」「子どもの意見尊重ベースにして!」 ・自分たちに不都合な子どもの意見 ⇒「えっ、聞いた相手が小中学生ですよね」「それを元日朝刊の1面トップにするって…」←New!! 実際、すでに朝日新聞は子どもに「別姓でも気にしません」と語らせる記事を4年前に出してるんで、もし同規模の調査で産経新聞と真逆の結果が出てたら、喜んで元日朝刊の1面トップ記事にしてると思いますよ。 朝日新聞は自分たちが賛美的に報道してる「子どもの権利条約」を今一度読み返し、第12条「子どもの意見表明権」を声に出して復唱してみたらどうですか。子どもたちが自分に関わる意見を産経新聞紙上で堂々と表明している意義を尊重し、彼らの声に耳を傾けるべきでしょう。 以下、過去コレクション集です。 ・お仲間候補者が選挙戦でネット&SNSを活用 ⇒「●●フィーバーで大躍進!」「政治が面白い!」「人柄を信じられる!」 ・敵視候補者が選挙戦でネット&SNSを活用 ⇒「過熱するSNS!」「錯綜する情報!」「かつてなくデマが大量拡散した!」 ・与党議員に不記載が発覚 ⇒選挙特番で候補者紹介画面に「裏」「ウラ金」マーク ・野党議員に不記載が発覚 ⇒(ダンマリ) ・保守派言論人が差別発言 ⇒「人権侵犯だ!」「差別扇動者だ!」 ・左翼言論人が差別発言 ⇒「真意は測りかねる」「コメントは控える」 ・与党議員が批判を受ける ⇒「国民の声に耳を傾けろ!」 ・野党議員が批判を受ける ⇒「アンチの罵詈雑言!」「怒涛のような攻撃に辟易!!」 ・与党議員が事前運動疑惑 ⇒「公職選挙法違反!」「逮捕しろ!」 ・野党議員が事前運動疑惑 ⇒「政治活動の発言だ」 ・与党議員が地元有権者にクッキーを渡す ⇒「公職選挙法違反!」「買収だ!」 ・野党議員が地元有権者に日本酒を渡す ⇒「会合の対価だ」 ・与党議員が政治資金収支報告書に不記載 ⇒「裏金だ!」「脱税にあたる重大犯罪だ!」 ・野党議員が政治資金収支報告書に不記載 ⇒「単なる記載ミス。訂正したので問題ない」 ・与党が世襲候補者を擁立 ⇒「異常事態だ!」「政治不信を招く!」 ・野党が世襲候補者を擁立 ⇒「世襲っぽいけど世襲じゃない」 ・与党議員が不祥事で謝罪 ⇒「疑惑はより深まった!」 ・野党議員が不祥事で謝罪 ⇒「本人が撤回しているので、それでいいのではないか」 ・与党議員が特定宗教と付き合い ⇒「特定宗教から祝電や取材を受けるだけでもアウト!」 ・野党議員が特定宗教と付き合い ⇒「個人の思想なので問題ない」 ・与党議員が演説中に薬莢を投げつけられる ⇒「暴力ではなく抗議活動」 ・野党議員事務所に生卵が投げつけられる ⇒「民主制を脅かす卑劣なテロ!」 ・リベラル弁護士が懲戒請求や監査請求をやる ⇒「正当な権利行使!」 ・リベラル弁護士が懲戒請求や監査請求をやられる ⇒「リーガルハラスメントだ!」 ・与党や右派を批判し、ネタにする漫才 ⇒「見事な社会風刺!」「お笑いの本当の役割を教えてくれた!」 ・野党や左派を批判し、ネタにする漫才 ⇒「完全に無理」「冷笑系しぐさ本当にやめた方がいい」「テレビ消した」 ・与党議員が不倫疑惑 ⇒「ゲス不倫!」「辞職しろ!」 ・野党議員が不倫疑惑 ⇒「既婚者との交際問題」(不倫とさえ言わない)「今の報道の過熱ぶりは異常。批判できるのは身内だけではないのか」 ・韓国女性DJがビキニ ⇒「男性に媚びるのではなく、自己表現としてのセクシーさ!」「自分の好きな格好をして何が悪い!」 ・グラビアアイドルがビキニ ⇒「男性に媚を売り、性的消費を助長する!」「悪い大人に無理矢理着せられた被害者!」 ・天皇陛下の写真を燃やす映像展示 ⇒「表現の自由だ!」 ・二次元萌え絵広告 ⇒「環境型セクハラ!」「男が思い描く女の虚像!」「性的搾取だ!」 ・我が国が防衛力強化 ⇒「軍事大国になるぞ!」「1発撃てば何百発も返ってくる!」 ・北朝鮮からミサイル ⇒(ダンマリ) ・不法行為をおこなう外国人問題について国会質疑 ⇒「外国人差別だ!」「ヘイトスピーチだ!」 ・難民申請中の外国人が女子中学生に性暴行 ⇒(ダンマリ) ・福島第一原発から処理水を放出 ⇒「欺瞞だ!」「毒は薄めても毒!」「断じて許せない!」 ・中国の原発から、福島第一原発処理水の9倍量のトリチウムを放出 ⇒(ダンマリ) 「子どもの権利条約」(全文)
Xユーザーの新田 龍さん: 「私の「ダブスタコレクション」にまた新作が加わりました。 ・自分たちに好都合な子どもの意見 ⇒「子どもの権利を大切にしない日本!」「子どもの意見尊重ベースにして!」 ・自分たちに不都合な子どもの意見 https://t.co/GmxglYGWRM」 / X
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大原 優乃は、日本のグラビアアイドル、女優、ファッションモデル、ダンサー、YouTuberである。エイベックス・マネジメント所属。Dream5の元メンバー。 鹿児島県川内市。 神村学園高等部卒業。 ウィキペディア
出生地: 鹿児島県 鹿児島市
生年月日: 1999年10月8日 (年齢 24歳)
身長: 154 cm
学歴: 神村学園高等部 (2018年)
事務所: エイベックス・マネジメント
公式サイト: プロフィール
愛称は、ゆーの、ゆのふぃー。趣味は、枝豆を育てること、雑誌を読むこと。特技は、犬と蛙の物真似。
魚のアレルギーがあり、加工食品も含めて食べることを控えている。一度でも魚の調理に使った器具を用いた他の料理や、魚の調理中の排煙や匂いなどにも過敏に反応してしまうため、飲食については��限があり、専用のメニューを用意してくれる学校選びなど、本人と家族は大変苦労したという。
文字は右手で書くが、その他は左利き。テレビドラマ『ゆるキャン△』(テレビ東京)で演じる「各務原なでしこ」が右利きだということに気づかぬまま、クランクイン前日に「右でやってみようか」と言われ、準備をする間もなくクランクインしてから練習したが全然つかめなくて悔しい思いをしたとインタビューで述べている。なお、同作品の第2シーズンにはなでしこが福原遥演じる志摩リンと共に鰻重を食べるシーンがあるが、前述の理由からなでしこが鰻重を食べる最中の姿は描かれておらず、撮影時も魚を扱うフリをしたり、代替食を用意したり、店舗外へ避難させたりと、徹底した安全対策が取られている。
2013年3月22日、当時13歳の大原は、Dream5のブログで、憧れのモデルとして桐谷美玲と北山詩織の名を挙げている。2019年3月24日(19歳時)のインタビューでは、土屋太鳳が女優としての目標で、芝居はもちろん、人柄や文章、表情の豊かなところにも魅力を感じていると言い、ダンサーとしての格好良さにも憧れていると答えている。
声優の高橋李依の大ファンを公言しており、自身が出演するドラマ『ガールガンレディ』(毎日放送)の主題歌を高橋が担当することになった際には高橋のTwitterにリプライを送った。
グラビアアイドルでは浅川梨奈を尊敬しており、グラビアで活躍できるのは彼女の存在があったからと公言している。浅川も「グラビアをけん引する存在」と大原を高く評価しているほか、後輩のアイドルにも人気が高く、本郷柚巴、田中美久、和泉芳怜などが大原のファンを公言している。
Dream5のメンバーとして活動していた頃にはすでに大きかったバストを目立たせないよう、晒(さらし)を巻いて活動していたという。
映像や雑誌を通して発信される大原のイメージは“いつも明るく前向きな女の子”であるが、先述したようなネガティブな実像とのギャップに悩んだことも多いという。大原本人は、グラビアモデルのデビュー当初は水着姿を撮られることに自信が無かったことや、生来の高い声も、Dream5に属していたころは他のメンバーとの調和が取れないと考え、自己紹介の際にわざと低めの声を使うこともあったことを述べている。
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←Read from right to left←
Perhaps the setting is that Malleus and Rollo are visiting the ruins. I'll leave it to your imagination as to why.
Door: Only those whose faces are etched in my memory may pass through here.
Rollo: In other words, facial recognition.
Malleus: Let's give it a try.
Rollo: It is impossible for us to open the gate.
Malleus:? With such a beautiful face?
Rollo: That's not the point.
Door: WHAT?
Door: Do you have a BEAUTIFUL FACE?
Malleus: See?
Rollo: Suit yourself.
Door: Stand where there is a hollow in the floor.
Malleus: Hollow.
(door opens with a bang)
Malleus: Beauty is a gift.
Rollo: I have nothing else to say.
This image is a parody of the work shown below.
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月7日(火曜日)
通巻第8584号 <前日発行>
中国軍、最新鋭ステルス戦闘機を披露、空母も三隻の陣容だが。。。
この二年間に14人の軍人が全人代から消えた。汚職容疑だ
******************************
2024年12月26日は毛沢東生誕131年にあたった。中国軍は最新鋭ステルス戦闘機J─36を公開した。いずれドローン攻撃機との共同連携による超近代的な戦争ができるようになると豪語した。
新タイプの戦艦076シリーズは、はやければ26年末までに就航すると海軍幹部は語った(『サウスチャイナ・モーニングポスト』、25年1月6日)。076は強襲揚陸艦で第一号艦は「四川」と命名された。
近代史を回顧すると、1894年、李鴻章率いるシナの北洋艦隊には外国人顧問団が多数。猛訓練を重ねていた。司令官は丁汝昌である。ドイツから輸入した装甲艦「定遠」「鎮遠」は当時、世界最高最強と言われた。ほかに無数の軍艦。李鴻章の北洋艦隊は偉容を誇示し、日本の海軍なんぞ歯牙にもかけない風情だった。
日清戦争での海戦は黄���海戦と豊島沖海戦で、結果は日本海軍の勝利だった。シナ自慢の定遠は大破、鎮遠は日本が戦利品として鹵獲し、つぎの日露戦争に投入された。
降伏した丁汝昌は敗戦の責任をとって服毒自決、日本側は丁寧に弔い、捕虜を厚遇した。軍人にはモラルがあった。
拠点は山東省青島の北、威海衛の沖合にある劉公島である。ここには江沢民の肝いりで建造された甲午戦争博物館がある(中国では日清戦争とは呼称しない。甲午戦争と命名してはいるが日本に負けたとは展示パネルには書かれていない)。
現在の中国海軍は空母三隻に原潜、上陸強襲艦、駆逐艦、巡洋艦など盛大な装備を誇り、空軍はアメリカのF22と並ぶ第六世代のステルス戦闘機のパイロット飛行に成功、また宇宙ロケット軍は米国より先に月の裏側に着陸し、有人宇宙ステーション、無数の通信、偵察衛星にくわえてキラー衛星も配備している。
壮大な軍事力である。アジア太平洋からインド洋を脅かす軍事的脅威となって西側の前に立ちふさがった。
さて、似ていないか。「張り子の虎」のはったり、日清戦争前夜の光景に。
空母が典型だろう。搭載機はスキージャンプで離陸は出来るが着陸がむずかしく、すでに訓練で六機が着陸に失敗し、パイロットは死亡した(うち一名は女性だったとか)。そこで垂直離着陸機を投入したら甲板に穴が空いた。二千度の高圧に耐えられる鋼材、特殊鋼ではなかった。いずれも故障ばかりで、一度訓練航海に出ると半年か一年はドックにはいる。
空母一号は『遼寧』、ウクライナから鉄の塊を曳航し、十年かけて艤装工事を行った。二号空母は「山東」でおなじくスキージャンプ型である。
三隻目の空母『福建』はカタパルト方式だが、訓練の模様をなかなか公開しない。どのていどの技術を計測できないと米軍専門家はいう。
▼西側から盗んだ技術を活かす能力が欠如している
中国のハッカーがいかにして不器用な泥棒から軍事兵器を模倣するまでに成長したか。「米国のインフラと通信に対する大規模な『タイフーン』サイバー攻撃は、貴重なデータを収集し、カウンター防諜を阻止し、西側社会を大混乱に陥れることができる態勢を整えた」とサリバン補佐官は秘密会で説明した。戦争は総力戦だから別の手で攻める訳だ。
バイデン大統領の国家安全保障担当大統領補佐官からのメッセージは驚くべきものだったという。
サリバンは2023年秋ごろに、ホワイトハウスで秘密会議を開いた。その席で、「通信・IT企業幹部に対し、中国のハッカーらが米国の港湾、送電網、その他のインフラ施設を何十カ所も意のままにシャットダウンする能力を獲得した」と語り、「政府は侵入者を根絶するために企業の協力を必要とする」と述べた(『ウォールストリート・ジャーナル』、25年1月5日)。
寿司職人がちゃんと寿司を握れるようになるには三年かかる。昔は飯炊き三年と言われた。寿司の一流どころの板前さんは十年の修行を積んでいる。
中国軍が 最新の技術を盗んでも模倣しても、ノウハウがないから、つまり最新鋭の装備、兵器システムを誇示しようとも、それを使いこなせる軍人がいない。技術に追いつけないのである。
くわえて軍内の蔓延る汚職、部品や弾薬のチョロマカシ、横流し。品質管理の欠如。技術を修正し向上させようとする能力が欠如している。
2024年9月26日の『ウォールストリート・ジャーナル』は同年五月か六月頃に中国海軍の最新鋭原子力潜水艦が「沈没した」と報じた。これは武漢の造船所で発生した事故で「周」級の第一号艦だった。現在までに放射能漏れは確認されていない。
軍の高官で全人代委員(敢えて西側と比較すれば国会議員だ)のメンバーでもあった14人が、この2年間で失脚し、表舞台から消えた。理由は汚職容疑である。
中国人は賄賂賄賂賄賂賄賂賄賂の世界だから驚くことはないが、それにしても何と言うことだろう。習近平お気に入りの国防大臣が不在となり、新しい国防大臣も滅多に人前に出てこない。
苗華以下、なだたる軍人は規律違反とかで表舞台からいなくなった。
▼中国共産党の空軍創設も日本人パイロットが協力した
また西側では英・豪の退役軍人らが、高給でルクリートされて、中国空軍パイロットの訓練を指導していたことが判明し、問題となった。
台湾や韓国の半導体エンジニアが、やはり高給につられ、あるいはハニートラップにひっかかって中国の半導体開発と指導をしている。
日本人技術者も千名単位で中国企業に雇われていた。日本の文科省統計では日本の電気メーカーのトップクラスのエンジニアが中国へ196名、韓国へ490名、タイ、台湾へ350名が渡航したとするが、公式統計の三、四倍の日本人エンジニアが各地へ散っている
思い出すなぁ。フライングタイガーとは米軍の「志願パイロット」が中華民国空軍だといつわって事実上、対日戦で活躍したことを。
戦後の中国共産党空軍は、満州で残った日本人軍人が教えたのだ。
初の中国共産党航空学校「東北民主連軍航空学校」創設は、林弥一郎(関東軍第2航空部隊第4練成飛行隊隊長)が中国共産党中央東北局の彭真書記に要請され、中国空軍の創設に協力したのである。
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2025年3月9日(日)

iPhone16Plus に続いて、iPadMini7 が届いた。壁紙は・・・これが落ち着くね(笑)。持ち運びするものなので AppleCare に加入すべきだが少々高い、そこで今回は<モバイル保険>のお世話になることにした。¥700/月で、端末3台まで保証してくれる。保険のお世話になることなどない方が良いのだが、安心感を買うと思えば決して高い値段では無いと思う(当社比)。

5時30分起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
珈琲をいれる。
洗濯物を干す。
8時30分、ゆうパックがiPadMiniを届けてくれた。
iPhone経由ですぐに初期設定完了。

macならともかく、外へ持ち出すこともあるので保険が必要、今回初めて<モバイル保険>にお世話になることにした。登録端末のシリアル番号と、それを撮影した画像を添付して送信、近日中に契約内容が送信されるはず。
9時過ぎにツレアイ(訪問看護師)が自転車で出勤、今日は1件だが昼近くになるだろう。
ライフ西七条店まで買物、昨日同様にビターチョコを買おうとしたが、もう2袋しか残っていなかった。

研究室から持ち帰ったプリンター(3台)と、以前使用していたモニター(27インチ)を処分すべく<PrinceFlower>にメール送信、すぐに電話があって、3/17(月)14時に主張査定の予約を取った。
11時40分、彼女から仕事終わりの連絡、ランチの用意を始める。

4人揃って2色スパ、タマネギとベーコン・タマゴとキャベツ。
録画番組視聴、<らくごのお時間>から
168回2025年3月9日 「通に聞く!上方落語の魅力ってなに?」
彼女は買物と、老健施設へボランティア訪問。
私は午睡。

早めに夕飯準備、残りもののすき焼き風うま煮、軟骨唐揚げ、レタスとトマト、納豆。
録画番組視聴、まずはサラメシ
(35)東日本大震災から14年
初��放送日:2025年3月6日 東日本大震災から14年。宮城県気仙沼市、漁港そばのある食堂では地魚を使った定食を朝から味わうことができる。地元出身の社員と店長を務める移住者、二人の物語▽お弁当ハンターの阿部了さんが岩手県花巻市の染め物工房へ。漁船に掲げる大漁旗などを製作する工房のお仕事とみなさんの弁当を拝見!▽福島県南相馬市のバス会社。“手に職をつけたい”と40代で一念発起してバスの運転手になった女性の仕事とサラメシを見つめる
いよいよ来週が最終回。
「日本の話芸」から
柳家小ゑん 落語「ぐつぐつ」
初回放送日:2025年3月9日 柳家小ゑんさんの落語「ぐつぐつ」をお送りします(令和7年2月2日(日)収録)【あらすじ】駅前の商店街に、おでんの屋台がある。客の相手でけっこう忙しそうなおやじ。鍋の中で煮立っているおでんたちに耳をそばだててみると……ぐつぐつ……「こんにゃく、向こうへ行けよ。ぬるぬるじゃないか」と怒っているのはイカ巻…▽三遊亭円丈さん主宰の「実験落語」の会で生み出された、小ゑんさん自作の新作落語
NHKの収録ということであちこちに配慮、客が慣れていない反応でそれがかえっておかしい。
名探偵ポワロから
第8話「グランド・メトロポリタンの宝石盗難事件」/ Jewel Robbery at the Grand Metropolitanシーズン 5, エピソード 8 過労のため医者から休養をすすめられたポワロは、ヘイスティングスと共に南の保養地ブライトンへ。だが、宿泊先のホテルで盗難事件が。興行師オパルセンの妻の真珠のネックレスが消えたのだ。ポワロは静養中だからとヘイスティングスに捜査を止められるが…。
片付け、入浴、体重は50g減。
パジャマに着替え、スコッチ舐めながら日誌書く。

歩数は足りないが、辛うじて3つのリング完成。
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