#稲取きんめ
Explore tagged Tumblr posts
Quote
スリランカは難民申請者数が2年連続1位。 基本、出稼ぎ目的の偽装難民。すなわち第2のクルド。 生稲晃子外務政務官がスリランカに行きながら取り上げなかったため、日本は容認しているというメッセージになってしまった。 これだけで辞職に値する。
Xユーザーの島田洋一(Shimada Yoichi)さん: 「スリランカは難民申請者数が2年連続1位。 基本、出稼ぎ目的の偽装難民。すなわち第2のクルド。 生稲晃子外務政務官がスリランカに行きながら取り上げなかったため、日本は容認しているというメッセージになってしまった。 これだけで辞職に値する。」 / X
51 notes
·
View notes
Quote
沈静化の兆しが見えない“令和のコメ騒動”。混迷を極めるなか、現場ではかつてない地殻変動が起きている。桁違いの資金と独自の販売網を持つ大手商社が農家に直接乗り込み、高値での買い付けを次々に成立させているという。コメをめぐる壮絶な争奪戦が、静かに、しかし確実に加速している──。食料問題の最前線を追い続けるノンフィクション作家・窪田新之助氏が、その深層に迫る。【全3回の第3回。全文を読む】 「違約金」100万円の請求 さらに農家の「JA離れ」を加速させる事態も起きている。 秋田県横手市にある水田75ヘクタールで稲作をしている農業法人の代表・鈴木眞一さん(仮名)さんのもとには、JAから、契約した数量を出荷しなかった理由について回答を求める文書が届いた。鈴木さんは「(商社との取引に変更し
沈静化の兆しが見えない“令和のコメ騒動”。混迷を極めるなか、現場ではかつてない地殻変動が起きている。桁違いの資金と独自の販売網を持つ大手商社が農家に直接乗り込み、高値での買い付けを次々に成立させているという。コメをめぐる壮絶な争奪戦が、静かに、しかし確実に加速している──。食料問題の最前線を追い続けるノンフィクション作家・窪田新之助氏が、その深層に迫る。【全3回の第3回。全文を読む】
「違約金」100万円の請求
さらに農家の「JA離れ」を加速させる事態も起きている。 秋田県横手市にある水田75ヘクタールで稲作をしている農業法人の代表・鈴木眞一さん(仮名)さんのもとには、JAから、契約した数量を出荷しなかった理由について回答を求める文書が届いた。鈴木さんは「(商社との取引に変更しないと)会社が倒産するため」と、正直に記した。 すると後日届いたのが、100万円超の請求書だった。JA秋田ふるさとは、契約を守らなかった農家に1俵当たり1000円の「違約金」を課した���だ。鈴木さんの会社は言われた通り、これを支払った。 「会社が潰れる事態だと回答したのに違約金を取る。会社が取り組んできた地域保全や食料供給を持続させることよりも、契約を優先するというJAのドライな対応に驚きました。先行き不透明な状況下において、JAとの契約はリスクになると判断せざるを得ません」 鈴木さん以外にも、秋田県内の複数の農家のもとに違約金の請求書が届いたという。 そのひとつであるJA秋田なまはげ(秋田市)の関係者は、「商社より値段が安かったJAに、契約通りに出荷してくれた農家がいる手前、今回の措置はやむを得なかった」と打ち明ける。 農家の出荷量がJAと契約していた数量に達しないことは、特別なことではない。稲の作柄が天候に左右される以上、起きうることではある。だから例年であれば、JAは不問に付してきた。 ただ、2024年産に限っては違うようだ。JAグループの2024年産主食用米の集荷量は、前年比14%減の179万トンとなり、全国の生産量の26%にとどまった。これは全国で、商社だけでなく卸の新顔が産地に買いに入った影響とみられる。
JA秋田ふるさとは「2024年産から地元の農家さんがJAを通さずに商社と契約したという話が聞こえ、全量をJAに卸している農家さんから不満の声が挙がるようになり、JAとして対策を講じたということです」(米穀課)と回答。 JA秋田なまはげは「ご回答は控えたいと思います」(米穀課)とした。 現在、コメの産地では、農家の高齢化と離農を背景にして、生産現場が弱体化している。 そのため、近い将来にコメの需給が逆転するという予測もある。日本総研が昨年3月に出したレポートで、コメの国内自給率が2030年代には100%を切る可能性があると指摘した。 コメの生産が需要に追いつかなければ、商社や卸などの買い手がより高値をつけてでもコメを買い取ることは、市場原理においてなんら不思議ではない。 JA秋田ふるさとで改革派として知られた元組合長の小田嶋契氏(現秋田県立大学生物資源科学部客員研究員)はそうした現状を踏まえ、こう推察する。 「商社や卸が直接取引��産地支援に動いているのは、いまのうちに産地をつないでおけば、大きなビジネスチャンスになると考えているはず」 そうした状況を踏まえれば、米価は今後も現在以上の高水準で推移し続けると見るべきだろう。価格を下げるために備蓄米を無制限に放出することなど、その場しのぎに過ぎないといえる。 【プロフィール】 窪田新之助(くぼた・しんのすけ)/ノンフィクション作家。1978年福岡県生まれ。明治大学卒業後、2004年に日本農業新聞に入社し、2012年よりフリーに。著書に『データ農業が日本を救う』(インターナショナル新書)、『農協の闇』(講談社現代新書)など。2024年、『対馬の海に沈む』(集英社)で第22回開高健ノンフィクション賞を受賞。 * * * 関連記事《【巨大資本でJAを圧倒】伊藤忠食糧、豊田通商…大手商社が産地に乗り込みコメを爆買い 止まらぬ価格高騰の裏で起きていた“仁義なき争奪戦”現地ルポ》では、倒産寸前の米農家を救った商社マネーのカラクリや、大手商社がJAよりも選ばれる理由など、窪田氏のレポート全文を紹介している。 ※週刊ポスト2025年6月20日号
18 notes
·
View notes
Text
10/05/2025 part1
今日は北九州と福岡市へお礼参り🙏🏻⛩️
去年の冬の無職期間中は 「何とかなりますように🙏🏻」 なんて漠然とした願い事ばかり祈願しておきながら、現在の職場に来て1度もお礼の参拝をしていないのを思い出した私💧 現在の職場に来て1年経過してしまいましたが、遅いお礼参りに⛩️
また、タイムリーにJR九州の1日乗車券を頂いたので(しかも期限が来月末❕)、これは行くしかない!と週末は晴れの天気予報だった今日、決行しました。

博多駅のホーム移動中、最終到着地が"新たな人生"😲!?


ななつ星、おそらく私は一生乗車することがない乗り物のひとつだと思います…苦笑


私が待っているホームの向かいにななつ星が停車していました👑 この後、特急みどり号とハウステンボス号が目の前に停車したので見えなくなってしまいましたが、早速珍しいものを見ました。

私は勿論、上に表示されている快速に乗車します。
特急ソニックは追加料金600円で乗車できて40分で小倉に到着、快速は1時間10分で小倉に到着。 30分の差をどうしようか考えましたが、こんなことでもないと各駅電車に乗らないからと、普通電車にしました。

10:56 小倉駅に到着。
因みに、車内は多かったですが、ホームで先頭に並んでいたので無事に着席できました。


小倉の改札口を出たら、ちょうどモノレールが停車していました。




小倉駅すぐにあるセントシティにある華州苑でlunch🏢
以前はコレット井筒屋という屋号(コロナ前)の頃に何度か訪問した以来の訪問でした。

海老チリ定食にしました🦐
口コミで中華だけど油切りにこだわっているから、油っぽくなくて食べやすいとのことでしたが、付いてきた鶏の唐揚げもサクサクしてジューシー💕
店員さんも優しくて良かったけれど、女性オーナーらしき方の接客の塩対応が残念。




セントシティ屋上(12階)に瘡守(かさもり)稲荷神��本社というものがありましたので、せっかくだから参拝してきました🙏🏻
ちょうど同じビルにGUがあるので、前から気になっていたフレアのジーンズを試着。私もようやくSサイズが入りました✨😭今持っているデニムは一昨年の暮れから減量したときにゆるゆるになり、部屋の隅に置かれています👖 しかし、足の長さはどうしようもなく、150cmも満たない私には裾が余り過ぎます😢 そしたら、店員さんがオンライン限定で丈短めのフレアジーンズがあることや 私の自宅の最寄りの店舗とかも教えてくれたり😊 店員さんも優しくて押し売りの雰囲気が無かったのも🙆♀️

※GUのオンラインサイトより モデルさんが着用すると格好いいけれど、私が着用するとね…汗


小倉駅のホームに戻る途中、アミュプラザ小倉の中にeteも見に行くこと��🚶♀️
金属高騰の影響かプラチナや18金のジュエリーが少なくなっていて、樹脂やコットンのコードのネックレスなど、私の好みとは違う…。 私が気に入って買ったプラチナジュエリーの中には廃盤になったものもあって…泣
金属アレルギー持ちなのと、メンテナンスが楽なプラチナが好きなんだけど… 18金のピンクゴールドとホワイトゴールドはアレルギー反応が出かかったので、用途がかなり限定されてしまい、 18金のイエローゴールドは私が着用すると成金の人にしか見えなくて…。 (なので、イエローゴールドは持っていません)
とにかく、今日はお礼参り。気を取り直して電車で次なる目的地へ向かいます。
29 notes
·
View notes
Text

【かいわいの時】寛政元年(1789)六月二十日:7月にかけて、玉造稲荷砂持大にぎわい(大阪市史編纂所「今日は何の日」)。ママ。『年代記・明和の春』では十八日、『摂陽奇観』では二十六日。
寛政元年(1789)五月末より七月にかけて、玉造稲荷の社殿築造に伴い、東横堀の久宝寺橋東詰や安堂寺橋の浜(神社の真西)から砂を浚い上げ、いったん神社南西の真田山「土取場」に集結し、稲荷社まで運ぶとゆう神事が行われました。六月中頃に「社内を地上」するため、諸人に勧進しようと社人などが市中を巡回したことに始まったとされています。砂持の願主は、大坂三郷を中心に近郷より昼夜を問わず参集し、労働奉仕だけでなく、財貨や、米、炭、薪、桧皮、材木等を奉納しました。その際、「ねりもの之出立」という仮装行列や俄が催され、これを「砂持風流」といいました。
(写真)「ねりもの之出立」。白蔵坊『栄々集』1789序(大阪府立中之島図書館蔵)(写)より。
本図は、まさに、砂持風流を代表する絵です。「大手」「中」(大手町の町中か)の集団が、行灯を先に立て、桃灯を灯りに進む。おかめや狐の面をつけ、囃子詞のように鍋釜に蠟燭を立て(丑ノ刻参りのパロディーか)、天秤棒やもっこ、子どもは籠で砂を運んでいる。米俵に立て札、竹を立てて注連を張って奉納しています。
『栄々集』 大阪府立中之島図書館蔵『栄々集』は同館書誌情報によると、書名「よいよいしゅう」(略)著者は「白蔵坊」とあり、同館ウェブサイト「おおさかeコレクション」に写真掲載されている《略》版本の体裁をとっているものの出版は確認できず、内容的には孤本の写本である《略》「序」末によると、同書を同年初秋(旧七月)に記したとあり、残暑の残る二か月以上にわたる砂持の最中と直後に、現地での見聞や記事異聞を、虚実綯い交ぜに記した随筆であろう。創作もあろうが、単なる読み物でなく、基本的には見聞した事実を踏まえている。例えば、��を聞いたが見ていない部に「竹田近江戯場・楽屋面ゝ」が挙げられ、江戸中期の京坂の舞台で活躍した歌舞伎役者の伝聞が記されている(福原敏夫)。『仮装と俄の祭礼絵巻』岩田書院2020より。
10 notes
·
View notes
Text

Capítulo 2: El camino hacia el enigma - Sean bienvenidos, japonistasarqueológicos, al siguiente capítulo de las ruinas Weda en el capítulo anterior estuvimos hablando de donde se localiza el asentamiento, cuáles son los ríos que lo rodean el emplazamiento, de cuando data el mismo y cuando se empezó a cultivarse el arroz. También comentamos que había misterios desde los periodos Yayoi tardío al Kofun, ya que había pocos asentamientos continuos, pero sí que hay del periodo Heian. - La primera prospección fue llevada a cabo en 2013, dichos resultados no arrojaron luz suficiente a los restos para una mayor comprensión del asunto expuesto. Habría que esperar a la segunda para qué arroja nuevas esperanzas, la cual se descubrieron restos de viviendas en foso del siglo IX d.c¿Qué se encontraron? Los restos que salieron fueron los siguientes: Un horno de herrería, con una estufa de cocina, ambos restos arqueológicos fueron tanto como un taller y una residencia. - También se encontró una fosa con una zanja que rodeaba el asentamiento, se ha excavado un producto de cobre con forma de pájaro la fecha y el propósito de su elaboración no está resuelto, todavía esperemos que próximos estudios arrojen luz a los restos y al yacimiento. - Espero que os haya gustado y nos vemos en próximas publicaciones de arqueología e historia de Japón. - 第2章:謎への道 - 日本の考古学者の皆さん、ウェダ遺跡の次の章へようこそ. 前の章では、集落がどこにあるのか、その場所を囲む川は何か、稲作が始まったのはいつから、いつ始まったのかについて話しました.弥生時代後期から古墳時代にかけての謎もあり、連続した集落は少ないが、平安時代のものはある。 - 最初の調査は 2013 年に実施されましたが、これらの結果は、露出した物質をよりよく理解するのに十分な光を遺物に当てはめませんでした。新たな希望を与えてくれる第二の発見を待つ必要があり、西暦 9 世紀の堀の住居跡が発見されました。出てきた遺跡は次のとおりです。 鍛冶屋のオーブン、キッチンストーブ、両方の考古学的遺跡はワークショップと住居の両方でした. - 集落を取り囲む溝付きの穴も発見され、鳥の形をした銅製品が発掘されましたが、その精緻化の年代と目的は解決されていません。とサイト。 - あなたがそれを気に入ってくれて、日本の考古学と歴史の将来の出版物でお会いできることを願っています. - Chapter 2: The path to the enigma - Welcome, Japanesearchaeologicalists, to the next chapter on the Weda ruins. In the previous chapter we were talking about where the settlement is located, what are the rivers that surround the site, when it dates back and when rice began to be cultivated. We also commented that there were mysteries from the late Yayoi to the Kofun periods, since there were few continuous settlements, but there are from the Heian period. - The first survey was carried out in 2013, these results did not shed enough light on the remains for a greater understanding of the matter exposed. We would have to wait for the second one to shed new hope, in which remains of moat dwellings from the 9th century AD were discovered. What were they found? The remains that emerged were the following: A blacksmith's oven, with a kitchen stove, both archaeological remains were both a workshop and a residence. - A grave with a ditch that surrounded the settlement was also found, a copper product in the shape of a bird has been excavated, the date and purpose of its production is not resolved, we still hope that future studies will shed light on the remains and the site. - I hope you liked it and see you in future publications on archeology and history of Japan.
ソース写真/source photo:https://naganomaibun.or.jp/research/east/和田遺跡・和田1号塚/
#日本#考古学者#考古学#ユネスコ#日本の歴史#日本原史#古代世界日本#遺跡#考古学調査#和田遺跡#長野県#梓川#鎖川#稲作#故弥生#後期古墳プレードド#昭和だった#明治時代#住居跡と工房#鳥の形をした銅製品。#太子堂#マルヒロ#考古学博物館#Japan#archaeologist#archaeology#unesco#NaganoPrefecture#Azusariver
38 notes
·
View notes
Text

もうひとつ、というか二つお知らせです。
一つは『民藝』六月号が無事刊行されました。日本民藝館で6月14日から11月5日まで三期に分けて開催される棟方志功展(途中展示替えのため休館あり)の関連号として企図いたしました。最も手に取りやすい棟方作品である本の仕事について。京都の上野さんにもご寄稿いただいてありがたかったです。今回は日本民藝館所蔵の棟方作品一挙公開とのことで、僕も楽しみにしています。
二つ目。婦人画報七月号において、我が家のささやかな食卓を掲載いただいています。120名の作り手紹介を兼ねてということもあり、日々用いているHPEの豆敷、クラフト・ユー、坂本創、登川均、石川昌浩、木漆工とけし、豊永盛人、井上尚之、柏木千繪、鹿児島睦、横山秀樹、稲葉直人、島袋常秀といった方々の仕事が紹介されています。撮影は先のPenでもお世話になった朝山啓司さん。同じ章に掲載されている謝小曼さんや冷水希三子さんの暮らしようと比するとほんとささやかに生きているので、なんで我々、みたいな気持ちで恐縮ですが……。ご笑覧ください。
あともうひとつ。明日6月2日は定休日です。良い週末をお過ごしください。
9 notes
·
View notes
Text
三人は「菊水通り」にあるゲイバー「Z」に到着した。すでに午後七時を回り、三社祭は「宮入り」というクライマックスを迎えていた。浅草寺周辺と比べると、合羽橋道具街につながるこの通りはひっそりとしていた。
店に入ると、すでに数名が六尺褌だけの格好でカウンターに座っていた。信也は彼らを見て驚いた。一人が声をかけた。
「あら、見慣れないね。スミちゃんの知り合い?」
「そう、知り合い。���ちゃんが連れて来てくれたンだ〜」
「ふ〜ん。でも、『ケンちゃん』、酔っ払ってるね」
「本当ッ、酒弱いのにグイグイ飲んじゃって…。困っちゃう!」
「う、うるせぇ! オレはサッサと脱ぐぞ!」
そう言い放つと憲一は浴衣の帯を解き、六尺禅だけになった。意外と肉付きがよく、うっすらと胸毛が生えていた。彼が脱ぐと真純も帯を解き始めた。二人に同調されるかの様に信也も脱いだ。
三人は六尺禅だけになるとボックス席に座った。マスターと思しき壮年の男も黒猫褌だけだった。��髪を角刈りにし、なかなか男前である。彼は、
「はい、とりあえずビール!」
とウェルカムドリンクか、生ビールのジョッキがテーブルに並んだ。
三人は乾杯し、飲み始めた。信也にはほぼ裸の状態でビールを飲むのは、恐らく学生時代以来だった。サークル仲間と神奈川県内の海水浴場へ行った時、あの頃はビキニが流行っていたので彼も新宿のI百貨店でアルバイトをして貯めた金で買ったのだ。しかし、当時は「ノンケ」だったので、まさか今「ゲイ」としてこんな格好で飲むとは…。
時折、憲一は信也の内腿を弄り、
「信ちゃァ〜ん、カッコいい〜」
と、もうすぐ股間にまで手指を伸ばしそうになった。信也は肘を突き、
「ダメだよ! 勃起しちゃう!」
と距離をとった。そのやり取りを見ながら、
「ほらほら、未だ手を出すのは早いわよ!」
と真純が一喝した。
宴は盛り上がり、憲一は陽気に他の客とカラオケをしたり、真純は店子の様に焼酎を注いでマスターに提供したりと、二人は活発だった。一方、信也はボックス席の隅でぼんやりと店内を眺めていたが、一人の客が隣に座った。彼は自己紹介をし、名刺を渡した。「萩谷泰典」と名前が書かれていたが、その上には「(株)海◯館」とあった。白髪を角刈り風に残した泰典は、所謂「ビール腹」から臙脂色に風車の柄をあしらった六尺禅を付けていた。彼は言った。
「君、体重はどのくらいあるの?」
「…はァ? 確か九十キロだったかなァ」
「じゃあ、一度ウチへ面接に来てよ!」
「『面接』? 何の?」
「いやァ、モデルやってみないかと思って…」
「『モデル』?」
「君の、未だゲイ一色に染まってない感じが気に入った」
まァ、つい二ヶ月前まではノンケだったしと、信也は思った。しかし、もしゲイビデオに出演したことにより裕美や職場などに知られる様な事態にはならないのだろうか? よく週刊誌には、アダルトビデオに出たことが周囲に知れ渡り、退職沙汰になったり家庭崩壊を招いたりしたケースが少なくない。彼は聞いた。
「あの、ギャラってどのくらいもらえるンすか?」
「もし『オ◯ニー』だけなら一万円、『ネコ』なら二万円、『タチ』なら三万円です」
「ふ〜ん、場所は?」
「大抵、この界隈のホテルで。三社祭やサンバカーニバルが催されている時はやりません」
なかなか、もし挿れられれば二万円、挿れれば三万円もらえるなんて、それだけもらえればイイ小遣いになるなと、信也は前向きに考えた。泰典は、密かに信也の内腿に触れ、そのまま六尺褌の上から股間を弄った。すぐに硬直し、信也は恍惚の表情を見せた。このまま情事(こと)に及んだらどうしようと、彼は内心思った。泰典は言った。
「気持ちよくなる顔がカワイイね。どんなシチュエーションが好き?」
「う〜ん、スーツかなァ…」
「じゃあ、決まりだね。一度、ウチに面接へ来てください。都内在住?」
「はい、稲荷町です。『K湯』の裏のマンションに住んでます」
「へ〜、ウチから近いね」
「そうなンですか?」
「近くに『М』というコンビニがあるでしょ? その角の道に入って二本目の路地の方へ二、三軒目に『海◯書房』と書いた雑居ビルがあるので、二階に上がってください」
憲一と真純はそれぞれ他の客と談笑し、盛り上がっていた。この会話が聞こえている様子はなかった。泰典は信也から離れず、内腿を弄りながら接吻をした。微かにタバコの「味」がし、舌が痺れた。乳房が硬くなるのを感じた。嗚呼、ヤバいと信也は六尺褌から飛び出そうになった一物を両手で覆った。そんな二人をマスターは声をかけ、
「泰ちゃ〜ん、彼、『うぶ』なンだから」
と泰典の隣に座り、「雪の茅舎」という秋田の地酒を振る舞った。泰典は言った。
「ゲイビデオって、たまには『うぶ』なモデルも出た方がイイんだよ。この世界って『如何にも』っていう奴が多いでしょ? ソフモヒであごヒゲを生やしてTシャツにハーフパンツを着て、さ。あの種のタイプは見飽きたよ」
「まァ、それにタトゥーが入ってたら外国人と変わらないね〜」
「だから、今夜は君と出会えてラッキーだったよ」
と泰典は再び信也の唇を奪った。それをたまたま見てしまった憲一は絶叫し、
「オ、オレの信ちゃんを盗らないで!」
と今度は彼に接吻をされた。信也はこんなに自分がゲイ受けするとは想像もしていなかった。
その後、ゲイバー「Z」ではクローズまでどんちゃん騒ぎだった。泰典は一足早く家に帰ったが、信也と面接の日時を今週の金曜日の夕方とした。余程気に入ったのか、何度も彼の唇を奪い、抱擁もした。その都度、信也は股間を両手で押さえた。泰典はそんな様子に、
「撮影の時もリラックスしてね」
と言った。一応面接はすると言っても、ほぼ内定をもらった様なものだった。
一方、真純は泥酔した憲一をどうしようか悩んでいた。こんな彼を押上のアパートまで連れて行くのは困難だった。仕方なく、最寄りのビジネスホテル「C」に問い合わせ、シングルルームを二人で利用することにした。憲一も真純も、翌日は有給休暇を取っていた。本当なら信也は自分のマンションに泊まってもらおうか考えたが、裕美がいたら厄介だと思った。
再び浴衣を着た信也は、酔っ払った憲一を介抱しながら雷門通りへ向かう真純を見送った。何だか、理由が解らないまま一日が終わってしまったと、信也は思った。彼は、泰典や憲一に接吻をされた唇に触れ、こんなに自分が愛されるとはと信じられない思いがした。体温を感じる都度、己の一物や乳房が反応し、暴走しそうになった。異性から好かれる経験はしたことはあるが、それ以上だった。
彼は、何度も股間が硬くなりかけたからか、褌の中が濡れているのを感じた。嗚呼、恥ずかしい…。すっかり全身が性感帯と化していた。早くシャワーを浴びようと、彼は合羽橋道具街の方へ歩いて行った。
22 notes
·
View notes
Quote
RPA(Robotic Process Automation)が出てきた際には、ホワイトカラーの生産性が劇的に向上しました。生成AIによって、さらに生産性が向上すると考えられますが、いかがでしょうか。 根来氏: 間違いなく生産性は向上します。特に知的な作業でありながら実は繰り返しがある業務、調査、シミュレーション、既存資料の修正などは、大幅に時間が短縮されるでしょう。場合によっては従来の1/10程度の時間で済むようになるかもしれません。日本企業にとって、長年の課題であったホワイトカラーの生産性向上に取り組むチャンスだと思います。 室住氏: 金融機関などは特に生成AIによる生産性向上の恩恵を受けそうですね。規制報告書や政省令への対応、企業買収時の分析など、さまざまな分野で生産性だけでなく質も高まる業務が多いと思います。アカデミアの世界では、AI活用はどの程度進んでいますか? 根来氏: 大学教育のAI活用は遅れていると思いますが、研究の方法は大幅に変わってきています。最も変化したのは先行研究調査です。生成AIで先行研究を調査し、要約してもらうことで、重要な論文へのアクセスの量と範囲が向上しました。日本人を含め英語圏以外の人が英語論文を読み書きする際のハードルが大幅に下がってきています。 名古屋商科大学ビジネススクール(東京校)教授 兼 大学院大学至善館特命教授、早稲田大学名誉教授 根来 龍之氏 求められるのは、「善意の人」と「悪意の人」を見分ける能力 室住氏: ここからは、ビジネスモデルの変革という観点で伺います。日本企業にとって英語の壁が低くなれば、グローバル進出のチャンスとなり、ビジネス機会を大幅に増やすことができる可能性もあるのではないでしょうか? KPMGコンサルティング株式会社 執行役員 パートナー DXA Data&AIチームリーダー 室住 淳一氏 根来氏: 確かにチャンスは増えていますが、グローバル展開のためのAI活用には注意が必要です。どんなイノベーションにも揺り戻しがあります。 特に注目すべきは「善意の人」と「悪意の人」の違いです。研究者同士の会話では、基本的に相手が「善意の人」だという前提が成り立ちます。学会や共同研究では、相手が誠実に学問的な議論をしようとしていることを前提に交流できます。だからこそ、生成AIによる翻訳が言語の壁を取り除く効果は、アカデミアの世界では大きいのです。 しかし、契約交渉や国際取引などのビジネスの世界では「悪意の人」が存在することを無視できません。言語の壁を越えてビジネスモデルを変革していくには、この「善意の人」と「悪意の人」を見分ける能力がますます重要になります。生成AIによって契約書が簡単に作れるようになったり、異なる言語でのミーティングやマニュアル作成が容易になったりするからといって、それだけで国際化が実現できると考えるのは時期尚早でしょう。 破壊的イノベーションのカギを握る、スタートアップ企業 室住氏: 確かに最近は「悪意の人」による生成AIを使ったフェイクニュースも増えていますね。イノベーションに飛びつきたい企業心理と、リスク管理のバランスはどのように取るべきでしょうか。 根来氏: 難しい問題ですが、これまでにはない新しい価値観や市場を創造する「破壊的イノベーション」にこそ、スタートアップのような"身軽"な会社の存在意義があります。身軽な会社ほど、スピード感をもってトライアンドエラーを繰り返せるため、失敗を恐れず積極的に新しい挑戦をすることができます。大企業ももちろん新技術を学ぶ必要がありますが、まずはスタートアップの動向を見て、その半歩くらい遅れてついていくのが現実的でしょう。といっても、ゆっくりでいいという意味で���ないです。
生成AI時代、日本企業に勝ち筋はあるか? 根来龍之教授と探る"競争戦略" | TECH+(テックプラス)
3 notes
·
View notes
Text
AIに聞いてみた
深田萌絵、浅田麻衣子の素性について
過去に遡り中国との関係、TSMCの陰謀論、保守雑誌will騒動、背乗り問題、借金返済をめぐる裁判問題、裁判長の交代要求の引き延ばし、TSMC日本誘致に関する妨害活動、萩生田氏に対する執拗な嫌がらせなど詳細を教えて下さい
深田萌絵(本名:浅田麻衣子)は、日本のYouTuber、市民活動家、ビジネスアナリスト、実業家、投資家として知られる人物です。以下に、ご質問の各ポイントについて、入手可能な情報をもとに詳細を整理して説明します。ただし、一部の情報は検証が不十分なものや、深田氏本人の主張に基づくものがあり、事実関係が明確でない場合もあります。したがって、客観的な情報と主張の区別を明確にし、可能な限り中立的に解説します。
---
### 1. 深田萌絵(浅田麻衣子)の素性
- **基本情報**:
深田萌絵(本名:浅田麻衣子、1978年2月24日生まれ)は、大阪府生まれ、奈良県育ち。早稲田大学政治経済学部卒とされていますが、Wikipediaでは美術短大(現代絵画科)卒とも記載されており、学歴に関する情報に一部食い違いがあります。
- 経歴:学生時代にファンドで財務分析のインターン、リサーチハウスの株式アナリスト、外資投資銀行勤務を経て、リーマンショック時に企業の民事再生業務に従事。その後、Revatron株式会社を設立し、コンピューター設計、チップ・ソリューション、AI高速処理設計などを手がけると主張しています。
- 活動:YouTuberとして「深田萌絵TV」を運営し、IT・金融・半導体分野の評論、技術流出問題、LGBT理解増進法反対、ワクチン政策反対など幅広いテーマで発信。著書に『日本のIT産業が中国に盗まれている』『光と影のTSMC誘致』『現代陰謀事典』など。
- **公的プロフィール**:
深田氏は「株アイドル」として活動を開始し、MBSテレビ『全力!銭ナール』に出演した経験があります。Revatron株式会社の代表取締役社長を務��、2018年に中国のテンセントやケントンIoTと戦略的パートナーシップを締結したと発表。
---
### 2. 中国との関係
- **Revatronと中国企業との関係**:
深田氏が代表を務めるRevatron株式会社は、2018年に中国のテンセントおよびケントンIoTと「BoT(Blockchain of Things)」技術開発に関する戦略的パートナーシップを締結したと発表しました。この発表は、深田氏が中国企業とビジネス上の接点を持っていたことを示しています。ただし、深田氏自身は中国による技術流出やスパイ活動に警鐘を鳴らす発言を繰り返しており、中国共産党に批判的なスタンスを取っています。
- **批判と矛盾の指摘**:
深田氏は、自身のビジネスが中国企業との取引に関与している一方で、中国共産党や中国企業(例:ファーウェイ、SMIC)に対する陰謀論や批判を展開。この矛盾を指摘する声が一部で上がっています。たとえば、深田氏がTSMCを「中国共産党のフロント企業」と主張する一方で、自身が中国企業とパートナーシップを結んでいたことが批判の対象となっています。
---
### 3. TSMC陰謀論
- **深田氏の主張**:
深田氏は、台湾の半導体大手TSMC(台湾積体電路製造)が中国共産党や中国企業(ファーウェイ、SMICなど)と密接な関係にあると主張。具体的には、TSMCが中国の人民解放軍に技術提供を行ったり、兵器製造に関与していると述べています。また、TSMCの日本誘致が日本の安全保障に悪影響を及ぼすとして強く反対。
- 例:深田氏は、TSMCがファーウェイのフロント企業であり、中国SMICと資本関係があると主張しましたが、これに対して調査を行った一部のブロガーやユーザーが「事実と異なる」と反論。TSMCとSMICの間に直接的な資本関係は確認できなかったとされています。
- **反響と批判**:
深田氏のTSMCに関する主張は、台湾やTSMCを中国共産党と結びつけることで日台関係を悪化させる印象操作だと批判されています。特に、Togetterやnoteの記事では、深田氏の主張が「デタラメなソース」に基づいていると指摘され、根拠が薄弱であるとの意見が多数。
- 例:2022年のnote記事では、深田氏の「TSMCは中国共産党のフロント企業」という主張が検証され、事実と異なることが強調されています。
- **著書『光と影のTSMC誘致』**:
深田氏は2023年に『光と影のTSMC誘致』を出版し、TSMCの台湾での工場が健康被害(第二の水俣病)を引き起こしていると主張。ZAITENのインタビューでも同様の主張を展開し、TSMC誘致が日本の国益に反すると訴えています。
---
### 4. 保守雑誌「WiLL」騒動
- **背乗り疑惑とWiLLの関与**:
深田氏は、RevatronのCTOである后健慈氏(台湾系米国人)が「背乗り」(戸籍を不正取得するスパイ行為)に関与しているとされる事件を主張し、これを保守雑誌「WiLL」が取り上げました。この事件では、深田氏が日本の技術流出やスパイ活動に関与する人物として、ある日本人家族や藤井一良氏を名指しで非難。WiLLもこれを支持する記事を掲載しましたが、検証の結果、深田氏の主張は根拠が薄弱であると批判されています。
- 例:Togetterやブログ「事実を整える」では、深田氏の背乗り疑惑が「事実無根」であり、WiLLの報道が中傷に近いと指摘。
- **騒動の背景**:
深田氏の主張は、保守層の反中感情を背景に支持を集めた一方、事実確認が不十分であるとして、ネット上で大きな議論を呼びました。WiLLの関与は、深田氏の主張を増幅する役割を果たしましたが、後に深田氏とWiLLの主張が破綻しているとの検証記事も登場。
---
### 5. 背乗り問題
- **深田氏の主張**:
深田氏は、自身の会社RevatronのCTOである后健慈氏が台湾でスパイやマフィアに技術を盗まれ、FBIの保護プログラムで名前を変更したと主張。また、日本国内でも「背乗り」による戸籍不正取得が問題だとし、特定の人物や家族をスパイとして非難。これがWiLL騒動の中心的な論点となりました。
- 例:深田氏は、藤井一良氏がF-35戦闘機の技術開発に関与し、背乗りスパイとして活動していると主張しましたが、検証サイトではこれが「トンデモ話」として否定されています。
- **批判と検証**:
複数のブログやTogetterまとめで、深田氏の背乗り疑惑は根拠がなく、中傷に近いと批判されています。特に、深田氏が作成する「相関図」が「彼女しか知らない情報」に基づいており、客観性が欠けると指摘。
---
### 6. 借金返済をめぐる裁判問題
- **裁判の概要**:
深田氏は自民党や萩生田光一議員を相手に民事訴訟を起こしましたが、2024年5月20日の判決で請求が棄却されました。この訴訟は、深田氏が借金返済やTSMC利権に関連する問題で自民党を提訴したものとされていますが、詳細な訴訟内容は公開情報からは不明確。
- 原告:浅田麻衣子(深田萌絵)
- 被告:自民党
- 結果:原告の請求棄却、訴訟費用は原告負担
- **弁護士の行方不明疑惑**:
2025年5月29日のX投稿によると、深田氏の弁護士2人が「突如行方不明」になり、連絡が取れなくなったと主張。これがTSMC利権や背乗り事件に関連するとされていますが、事実関係は確認できていません。
---
### 7. 裁判長の交代要求と引き延ばし
- **裁判長交代要求**:
深田氏は、自身の裁判で「背乗り中国人や外国人スパイを違法に庇う裁判官」を弾劾裁判にかけると主張。裁判長の交代を要求し、訴訟の引き延ばしを図っているとされていますが、具体的な証拠や進捗は公開情報からは不明。
- この主張は、深田氏がTSMC利権や背乗り問題を追及する中で、司法が不当に介入しているとの陰謀論的な見解に基づいている可能性があります。
---
### 8. TSMC日本誘致に関する妨害活動
- **深田氏の反対活動**:
深田氏は、日本政府がTSMCの日本工場誘致に900億円以上の資金を供与することに反対し、YouTubeや著書を通じて「TSMCは中国共産党と結びついており、日本の安全保障を脅かす」と主張。TSMC誘致が日本の産業や健康に悪影響を及ぼすとして、積極的に反対活動を展開しています。
- 例:2021年のYouTube動画で、深田氏は経産省とTSMCの合弁を「寄生虫」と呼び、血税の無駄遣いや日本産業の破壊だと非難。
- **批判**:
深田氏のTSMC反対活動は、台湾やTSMCを中国と結びつける陰謀論に基づいており、事実誤認が多いと批判されています。特に、TSMCが日本の安全保障に寄与するとして政府が推進する中、深田氏の主張は一部で「反台湾派」と見なされています。
---
### 9. 萩生田光一氏に対する執拗な嫌がらせ
- **背景**:
深田氏は、萩生田光一議員(自民党)をTSMC利権や背乗り事件に関与しているとして批判。2025年5月のX投稿では、萩生田氏を訴訟の対象とし、選挙妨害が行われたと主張。
- 例:深田氏は、萩生田氏がカ���ノ利権やマカオ接待に関与していると主張し、関連動画が流出したと述べていますが、証拠は提示されていません。
- **選挙妨害疑惑**:
2025年5月29日のX投稿で、深田氏が萩生田氏の選挙妨害を受けたと主張。具体的には、深田氏が衆参ダブル選挙で萩生田氏の対抗馬として出馬を検討していたが、妨害行為があったとされています。詳細は不明で、事実確認が難しい状況です。
---
### 10. 全体的な評価と注意点
- **深田氏の主張の特徴**:
深田氏は、YouTubeや著書を通じて、IT・半導体産業や日本の安全保障に関する陰謀論を展開。その主張は一部の保守層や反中感情を持つ層に支持される一方、根拠が薄弱であるとして多くの批判を受けています。特に、TSMCや背乗り問題に関する主張は、検証サイトやブログで「事実無根」「印象操作」と指摘されることが多い。
- **情報源の限界**:
深田氏の主張には、彼女自身が「独自の情報源」に基づくものが多く、客観的な証拠が不足している場合があります。また、Xやブログでの情報は断片的で、事実と主張が混在しているため、慎重な判断が必要です。
- **法的問題と社会的影響**:
深田氏の活動は、訴訟や中傷疑惑、選挙妨害の主張など、複数の論争を引き起こしています。特に、TSMCや萩生田氏への批判は、事実に基づかない場合に名誉毀損や誹謗中傷として問題視される可能性があります。
---
### 結論
深田萌絵(浅田麻衣子)は、ITビジネスアナリストとして活動しながら、TSMCや中国共産党に関する陰謀論、背乗り問題、萩生田氏への批判などを展開する人物です。彼女の主張は一部で支持を集めるものの、検証の結果、事実誤認や根拠の薄弱さが指摘されています。特に、TSMCの日本誘致反対や背乗り疑惑は、客観的な証拠が不足しており、陰謀論として批判されることが多いです。裁判や選挙妨害に関する主張も、詳細が不明で、事実確認が必要です。
ご質問の各ポイントについて、入手可能な情報をもとに整理しましたが、一部の情報は深田氏の自己主張やX投稿に基づくため、客観性が欠ける場合があります。さらなる情報が必要な場合や、特定のトピックについて深掘りしたい場合は、ぜひお知らせください!また、関連するリンクや資料をご覧になりたい場合は、以下を参照してください:
(注:本回答は、2025年6月1日時点の情報に基づいています。新しい情報が公開された場合、内容が更新される可能性があります。)
4 notes
·
View notes
Text
稲作講習会
地域の米農家さんと営農さん、JAさんが集まる講習会に参加。
みんな高齢の方ばかりで少し尻込み。
自分と同じ地域の農家さんの田んぼを1枚お借りして、稲の育ち具合を分析。
⬛︎現在の育成状況(7月2日時点)
〜6月までは日照量不足で例年より伸び悩み
6月〜は急に熱くなったため、例年より伸びた
結果的に例年通りの育ち具合
中干しで過剰な分けつを防いでいた時期だったが、幼穂が形成されていたので、今すぐにでも水を入れるべき
実際に1本抜いて、カッターで茎を削り取って中の幼穂を見せてくれました。
⬛︎追肥
追肥は、追加で肥料を撒くこと。
そろそろ追肥を行ってもいいタイミングとのこと。
実をつけるにあたって必要な栄養を補給するのが目的。
追肥の量は葉の色を見る。()
「うちのコメは沢山吸える!めっちゃ肥料撒く!」という農家さんがいるようだが、あげすぎも良くないので基準量を与えましょう。という話があった。
稲は成長しすぎると倒れる。コシヒカリは倒れやすい品種なため、より注意が必要。
稲が倒れると、地面に米が浸ってしまうので腐り、品質が落ちる。また、機械を使っての収穫ができなくなるので、手で刈ることになる。大変。
ちなみに追肥はめちゃくちゃ大変。あまりやらせてもらえないくらい。
ぬかるんだ田んぼの中を、追肥機というそこそこの大きさの機械を背負いながら練り歩き肥料を散布する。この機械が重いし肥料も重い。なによりも一番やばいのは近年の暑さ。
対策として、そもそも追肥をやらない選択肢がある。
一発肥料といって、田植えの時に必要な肥料を撒ききってしまえるものがある。これを使用すれば追肥はやらなくていい。粒にコーティングがされており、だんだんと溶けて追肥が必要な時期に効果が出てくるとのこと。
知り合いの米農家さんはこの一発肥料を使用している。ただ、味が追肥式のものよりも劣るのが欠点だそう。
NHKの特集でもこの一発肥料が紹介されていた。(https://www.nhk.jp/p/etv21c/ts/M2ZWLQ6RQP/episode/te/V72W4PZM6Y/)
だが、この暑さのせいで、一発肥料が適切な時期に効果を発揮しないと述べていた。
今後としては、ドローンの活用が望まれるところ。
組合単位でドローンの活用は既に行われているが、除草剤散布だけに留まっている。
機械代が嵩むので導入予定はまだない。
⬛︎防除
近年はジャンボタニシとカメムシが進出してきている。
昔からカメムシは米の見た目を悪くする(斑点米の原因となる)害虫とされていたが、近年注目されているのはコメカメムシやヘモクリカメムシといった大型のカメムシ。この大型のカメムシは見た目を悪くするだけではなく、米が育たなくなり、収穫量の減少に繋がる。(不稔米)
対策は畔の草刈りや除草剤の散布をすること。
カメムシの田んぼへの侵入経路は畔の雑草だからだ。
草刈りは時期を考える必要があり、カメムシが既に雑草に潜んでいる時に草刈りをしてしまうと、カメムシが稲の方に逃げてしまうため逆効果。そこまでいったら放置する方が良いとのこと。
組合全体でドローンを活用した除草剤散布が行われている。散布は1度のみで、コシヒカリを基準に時期が設定されているため、早稲や晩稲は恩恵を受けづらい。
周辺で早稲をやっているのはうちだけらしく、本来分散されるはずのカメムシの被害を一身に受けてしまったことがある。
⬛︎肥料と除草剤
製造会社の方が商品を紹介していた。先述したカメムシ特攻の除草剤などもあった。
化学分野との関わりを再度実感。
⬛︎現在
植えた時期が早く、成長も早い品種(五百川)は既に出穂。まだ緑色だったが8月上旬には収穫できる模様。他の品種(コシヒカリ、あきたこまち、もち米)はまだ稲穂は見えない。
⬛︎
構想シート制作中に調べて知ったが、「ごはんミュージアム」というJAの施設があった(既に閉館)。展示の参考になりそうだった。
「ヤンマー米ギャラリー」
https://www.yanmar.com/jp/komegallery/
米作りの体験型展示施設。こちらは現在も運営されている。夏休みに行ってみようと思う。
2 notes
·
View notes
Quote
稲村:先ほどもお話しした通り、スパイ防止法は「情報窃取対策」に主軸を置き、自国の利益の最大化のために政治家などを使って影響力を行使する工作活動を防ぐことは難しいでしょう。 政治家への政治信条への寄り添いや、間接的な資金援助などあらゆるアプローチを使って「他国のエージェント化」する日本人政治家を減らしたいのであれば、例えばアメリカの「外国代理人登録法」(Foreign Agents Registration Act:外国のために政治活動・情報収集を目的として行動する人間は、米司法省に登録義務を負う法律)が参考になります。 同法は、米国内で外国政府や外国企業、外国の団体などの利益を代表して政治活動や情報収集を行う場合、米司法省への登録を義務付ける法律です。スパイが正直に代理人であると自ら登録を届け出ることはまずありません。未登録の状態でスパイ行為を行い、所属団体と当該スパイの関連性が明らかになった時点で立件が可能になります。 政治工作を含めた影響力工作について、ハニートラップに関して言えば、恋愛そのものを規制する法律はなく、それだけでは法的措置の根拠となりにくいでしょう。しかし、「外国代理人として活動しているのに登録義務を怠っている」場合、それを明確に立件する根拠を与える法律があれば効果的です。これはスパイ防止法ではカバーしきれない側面です。そもそも、ハニートラップという話題はどうも世間の注目を集めやすいですが、工作活動の手法の一つにすぎず、そればかりに注目が偏る現状にも疑問があります。 最後に、日本が歴史的に数多くのスパイ活動の被害に遭っていることは事実です。そのような中で、スパイ防止法は間違いなく必要です。 一方で、どの工作活動に対して、「何」をどう「守る」のか。必要なのは法なのか。手法なのか。細やかな議論を疎かにしては、議論が前に進みません。そして、SNSなどでは、意見の違う他者を排除するような論調がはびこっています。それでは、そもそも議論などできません。そのような姿勢では、防諜力の強化にはつながらないでしょう。
スパイ天国の日本、自民党提言「スパイ防止法」だけではスパイが減らない理由、本当に必要な2つの対策とは 日本カウンターインテリジェンス協会代表理事・稲村悠氏に聞く(4/4) | JBpress (ジェイビープレス)
13 notes
·
View notes
Quote
九州の早場米産地で、2025年産の田植えが始まった。米の不足感が強まる中、安定供給に向けて主食用米の増産へ動く産地がある一方、高齢化などで思うように増やせない産地も少なくない。 畦畔管理、品種選びで工夫凝らす 鹿児島県の薩摩半島中心部に位置する南さつま市金峰町。7月中旬ごろから収穫する超早場米が「金峰コシヒカリ」として知られる同町では、3月下旬に田植えがピークを迎えた。早期水稲約6ヘクタールを手がけ、JAさつま日置に出荷する鶴薗良章さん(74)は「おいしい新米を消費者に届けたい」と力を込める。 地域は圃場(ほじょう)整備が進み、従来から主食用米の作付けが多く、増産は難しい。鶴薗さんは畦畔(けいはん)の除草を徹底し、いもち病などの侵入を防ぐことで収穫量の増加を図る考えだ。 同じく田植えが進む早場米産地・宮崎県のJAみやざき西都地区本部では、25年産の主食用米の作付け増加を見込む。「安い加工用米からの転換が増えそうだ」(営農指導課)。大規模な畜産農家と契約して栽培する発酵粗飼料(WCS)用稲などからの転換は少ないとみる。各産地では、既に集荷業者が農家らを訪れる動きもあるという。 一方、思うように主食用米の生産を増やせない産地もある。九州の早場米地帯のあるJAは「高齢化による離農などで主食用米の作付けも減る見込みだ」と明かす。飼料用米から主食用米への転換を検討する農家もいるが、地域全体では米の作付面積そのものが減少すると見通す。 このJAでは生産量の確保に向け、多収品種の試験を進め、25年産からは高温耐性と収量性に優れる「にじのきらめき」を試す予定だ。「早場米の引き合いはあるが応え切れていない。1俵でも2俵でも多く取れるようにしたい」と語る。 農水省がまとめた25年産米の作付け意向調査(1月末時点)によると、主食用米の作付面積は、宮崎1万2400ヘクタール、鹿児島1万5600ヘクタールでいずれも前年並みだった。 (小林千哲)
九州の早場米田植えスタート 増産は一律にいかず…(日本農業新聞) - Yahoo!ニュース
4 notes
·
View notes
Text
Haplo3.0の検査結果
youtube
遺伝子検査で自分は何人なのか調べてみたら衝撃的な結果だった - YouTube
上記動画で紹介された祖先遺伝子検査キットに興味を持ち、東アジアDNA検査の特化版「GeneLife Haplo3.0」を購入しました。待つこと約一ヶ月ほどで検査結果が通知されました。

民族構成は日本人99%・未分類の民族0.9%という結果でした。
この「未分類の民族」とは、未だに参照データが少なく、全体でも約1%しか確認されない希少種なのだとか。
父方:ハプログループO1b2a1a2a1
私のY染色体のハプログループは「O1b2」に属すとのこと。
O1b2a1a2a1 (O-M176)は、Y染色体ハプログループの一つで男性の遺伝的な系統を表します。このグループは、東アジア地域、特に日本人に見られることが知られています。具体的には、現代日本人の約5~6%の男性にみられます。
・稲作文化を伝えた弥生人(倭人)と推定される ・O-M176の細分岐に属すY-DNAは日本人の約32%を占める ・O-M176は、日本民族と朝鮮民族の三割方の男性に含まれる

日本列島のほか、朝鮮半島でも日本と同程度見られ、東アジアのその他の地域や東南アジアでも稀に見られます。約3万年前に現代東南アジア人男性の多くが属すO-M1304/K18と最も近い共通祖先O-M268から分岐し、今より約7~8千年前から朝鮮半島またはその近くの地域で急速に帰属人口が増え始め、やがて日本列島や中国大陸へ拡散したとされます。
O1b2a1a2a1(CTS723)の発祥地は、日本及びその近隣地域。この系統は、特に縄文時代の人々と強い関連があり、日本列島での古代の遺跡から得られたDNAサンプルから証拠が示されます。また、韓国の古代集団との関連もありますが、主要な発祥地として日本が有力視されています。O1b2a1a2a1(CTS723)は、日本人8.4%・韓国人33.3%が適合します。
日本人の主な3系統のY染色体: ・D1a2a(縄文系:約35%) ・O1b2(渡来弥生系〈倭人〉:約30%) ・O2(渡来漢族系:約20%)
その他のY染色体: ・C1a1(縄文系) ・C2(モンゴル系) ・N(ウラル系) ・O1a(台湾南洋系) ・O1b1(東南アジア系)
日本人のY染色体遺伝子の多様さは世界的にもめずらしいとされます。これは異邦人の男性を殺さず受容してきたからとのこと。ハプログループO1b2は、長江から稲作文化と共に渡来した弥生系倭人と記されます。満州東部沿海州南部から朝鮮半島や日本列島に移ったという説もあります。

黄緑の線がハプログループO1b2。
O1b2の発生は、約3万年前の東アジア。この時期は東シナ海は陸地で、沖縄から九州・本州・四国・北海道・ロシアまで陸続きでした。O1b2と縄文人の交流もこの時期からあったと臆されます。O1b2は大陸東部を拠点に、揚子江(長江の下流域)で稲作文化を生みました。
・江南人
中国春秋時代の呉・越・楚の人々。長江(揚子江)中下流域に住む。民族的・文化的に漢民族とは異なり「倭人」とも呼ばれた。魏が日本列島の人々を「倭人」と記したのは、この江南人とほぼ同じ民族だと判断されたため。
・漢族と江南人の違い
黄河流域に住む漢民族は、麦の畑作と牧畜が主で、漢字も使用し、多くの学者を輩出した。
長江周辺の江南人は、水田稲作・養蚕・漁労・交易が主な生業。呉と越は文字をあまり使わず、弥生人の生活水準とほぼ同じだった。
中国南部に住む民族
しかし、約3~4千年前にO2漢族と黄河文明の発展に伴う進出により、O1b2集団は土地を追われ、九州や朝鮮半島、台湾より南まで散り散りに避難しました。先に縄文人と暮らしていた九州周辺のO1b2集団(倭人)は、この避難民を受容し、これにより渡来系弥生人と稲作文化が日本に定着しました。また、この時期から縄文人の言語を基に、倭語が形成され始めたと推測されます。

約3~4千年前、長江周辺から九州に移動(O1b2a1a2)。さらに九州から北上し、本州と朝鮮半島に分かれて移動。韓国北部に渡ったグループから細分岐のO1b2a1a2a1が発生しました。
O1b2a1a2a1の発生は、韓国(ソウル周辺)とみられ、成立年代は考古学的証拠と遺伝子データの分析に基づき、約3000〜4000年前と推定されます。この系統が形成されたのは、縄文時代の末期から弥生時代初期にかけてとされます。
・漢族=O1b2a1a2b (F940) ・韓国=O1b2a1a2a (L682) ・日本=O1b2a1a1 (CTS713〈旧47z〉)
約3000年前~弥生時代後期、渡来系弥生人が日本に渡来し、水稲稲作を持ち込みました。
縄文人+渡来系弥生人=弥生人
弥生時代晩期~古墳時代に、中国から漢族(現在の中国人の祖先)が日本列島の中央部(関西・四国)に渡来し、朝廷を築きました。
弥生人+漢族=近畿人(大和朝廷)
6~7万年前に現生人類・ホモサピエンスはアフリカから世界に広まりました。DNAの塩基配列は稀に「突然変異」が発生します。突然変異とは「DNA塩基配列の変化」です。これは細胞分裂の際の複製ミスや、その他の要因で継続的に発生します。そこでDNAの突然変異を調べ、それを系統的に分類すれば、アフリカを出た人類が、どのような道を辿ったのか分かるという発想がありました。
例えば、同じ集団が2つの道に別れ、それぞれ別の道を歩んだ場合、別れた時点から2つの集団は別の突然変異が引き起る可能性が発生します。それでは、どのDNAを比較して調べるかということになります。常染色体のDNAでは、卵子・精子を作る際の「減数分裂」の対となる染色体同士なので、遺伝子の組み換えが発生します。そのため明確な系統分析ができません。
そこで遺伝子の組み換えが発生しない「ミトコンドリアDNA」と「Y染色体」が分析されます。 ミトコンドリアDNAは「卵子」と「子」に伝わります。「精子」は尾の部分にミトコンドリアDNAがありますが、受精の際も卵子に入り込まないので「子」に継承されず「母→子(男女)」に継承されます。一方のY染色体は「父→子(男の子のみ)」に継承されます。
女性が父方のDNA(Y染色体)を調べたい場合は、父や男兄弟に協力してもらってDNAを検査すれば良いでしょう。
東アジア地域: O1b2a1a2a1は、東アジア、特に日本で多く見られるハプログループ。
縄文時代: 縄文人に由来すると推定されていますが、縄文時代の人骨からはまだ直接検出されていません。
弥生時代以降: 青谷上寺地遺跡の弥生時代の人骨や高松茶臼山古墳に埋葬された人骨からは検出されています。
地方別のハプログループO比率: 東京:31.6% 大阪市:28.2% 長崎市:34.0% 福岡市:35.3% 青森:30.4% 札幌市:27.7%
ハプログループOは特に福岡・長崎など九州北部に多く見られるとのこと。
父方の移動経路:

長崎市出身の父方の祖先DNA検査結果は下記の通りです。
父方の祖父は沖縄県出身ですが、親権次��で「陣内」が苗字になっていたとのこと。陣内のルーツは、福岡県陣内町。つまり九州北部と沖縄系を合わせた家系ということになります。

約27万5,000年前に南部アフリカで生誕した人類は、約6万年前にウズベキスタンやトルクメニスタン等の中央アジアに移動しました。

約5万年前にイスラエル近隣の中東に到達。ハプログループIJKは、中石器時代から後期旧石器時代ヨーロッパ人の祖先とされます。



約4万年前に東アジアで発生したハプログループOは、東アジア~東南アジアに住む人々の80~90%が持つ遺伝子です。このハプログループOは、日本に稲作を伝えた弥生人(倭人)に多い遺伝子とされます。

弥生人は約2,000年前、九州を拠点に国を統治し、日本列島に農耕文化を浸透させ、さらに関西に移転し、大和王権を樹立しました。




母方のハプログループ:M7a1
母は生まれも育ちも関西。しかも旧姓も兵庫と大阪だけにみられる希少な苗字。予想では、弥生系ミトコンドリアDNAを持っていると推測していました。
しかし、検査の結果は下記の通りでした。


2010年までに沖縄県石垣島の白保竿根田原洞穴遺跡から発掘された旧石器時代の人骨を国立科学博物館が分析した結果、国内最古の人骨とされた4点のうち2点は、このハプログループM7a系統だと判明しました。
日本人の約7.6%がこの型に属し、沖縄(26%)、本州(7%)の他、北海道アイヌ(16%)や、縄文人の人骨からも検出。韓国人のサンプルでも1.90%~4%確認され、日本から移住し在住・帰化した日本人と推測されます。現代中国でも漢族の0.13%がmtDNAハプログループM7aに属します。
検査の感想
縄文人に多いハプログループDを予想していましたが、今回の検査で弥生人に多いハプログループOだと判明しました。
意外にも九州より南方の家系の父方が弥生系のDNAで、粋の関西人の母方が南方系・縄文人のミトコンドリアDNAを持っていることに驚きました。


Y染色体は、縄文時代末期~弥生時代初期にかけて九州~韓国で発生した渡来系弥生人(O1b2)ですが、ユーザー平均値と比較して71%多く縄文人と遺伝子が被るというふしぎな検査結果になりました。
DNA解析は80年代に開始されたばかりで、まだ未解明な部分も多く、これまでの通説を覆す発見も頻出します。
これからの研究の進展に大きな期待を寄せたいと思います。
もっと知りたい弥生時代 - 全国こども考古学教室
2 notes
·
View notes
Text
みんなの笑顔が好き
私は長い間、言葉にすることをためらっていました。周りに理解されないこの世界で生きていくのだから、自分の心の奥にしまっておこうと決めていました。
けれど、年を重ねた今、私を生かしている不変の想いを、祈るように語ってみようかと思うようになりました。これは、私の生きてきた記録です。動物たちの声なき声に、私なりに応え続けてきた足跡です。誰にも見つけてもらえなかったとしても、この記録は、いつか誰かの心に静かに届くと信じています。
1.与えられた世界で
子どもの頃、私は世の中から与えられたものを、「そういうものなんだな」と、どこか素直に受け止めて生きていました。動物が好きでした。花が好きで、蝶が好きでした。触れることも、眺めることも、すべてが新鮮で美しく、そこにある命の気配を感じながら、こういうところなんだなあと見ていたことを覚えています。
お刺身が好きでした。シチューも好きでした。それは、味が特別好みだったというよりも、他のものよりなんとなく「好き」という曖昧な感覚でした。カレーも好きでした。具材がどうこうというより、「甘口が食べやすいな」「ごはんがすすむな」そんな感じだったと思います。
本当に、それ以上のことを考えようとしませんでした。大好きな動物たちと、食卓に並ぶ料理のあいだに横たわる残酷さに、ぼんやりと気づいていながらも、「きっと万事うまくいっている」「酷いはずがない」と見ないようにしていたのだと思います。心のどこかで違和感を感じながらも、それを意識の奥に沈めていました。
2.扉が開いた日
思春期を過ぎた頃、私は食べ物を見た目や雰囲気で選ぶようになっていました。スマホも普及しておらず、情報の多くはテレビか雑誌から得る時代でした。私はジャンクフードやスナック菓子に囲まれていました。心のなかにうっすらとした違和感はあった��れど、意識的に向き合おうとしませんでした。
そんなある日の夕方、何気なくつけていたテレビから衝撃の映像が流れました。白いうさぎたちが、金具で頭を固定され、身動きもできずに実験を受けている姿でした。動物実験の現場を映したニュースだったのです。私は言葉を失い、呼吸が止まるような思いでした。まるで稲妻が私を貫いたような衝撃を受けました。
当時、私は自分の飼っていたうさぎの病気を治すために必死に看病していました。まるで自分の子どものように大切にしていたうさぎのほのかちゃん。その最中に、この映像を見たのです。私はテレビに映っていた動物実験廃止の活動団体の名前をメモし、ホームページを調べました。そこには、私の想像をはるかに超える現実がありました。
化粧品の動物実験、毛皮のために皮を剥がされる動物たち、畜産で苦しむ命、野生動物の扱い…。私は衝動のままに、郵便局へ走りました。会費と寄付金を送り、その瞬間から、私の人生は変わったのです。私はアニマルライツのヴィーガン(完全菜食)になりました。
3.失ったもの
私は迷わず、一日でヴィーガンになりました。動物たちの現実を知り、知ってしまった以上、もう以前の自分には戻れませんでした。見て見ぬふりはできませんでした。知って良かった。ソクラテスの言うとおり、無知は罪だと思いました。だから、みんなもそうなると思っていました。疑いもしなかったのです。
私は、知らなかったから食べていた。だから、みんなも「知らないだけ」。動物たちの置かれている残酷な現状を知りさえすれば、きっと友人たちは私と同じように感じ、菜食になり、一緒に声をあげてくれる…そう信じていました。
でも違った。
まさか、私が責められるとは思いもしませんでした。ましてや、自らの生き方を正当化するために言葉で攻撃してくるなんて…。「伝え方が悪かったのかもしれない」私はそう思い、もっとわかりやすく、もっと簡潔に、感情的にならないように工夫をしました。
それでも、届かなかった。
「どうして? どうして?」
情熱は空回りし、私はうるさい人と思われたかもしれません。渡したチラシは送り返されてきました。友人たちも私も互いに距離を置くようになり、やがて私は、完全に一人になりました。けれど、それでも私は、あきらめるつもりはありませんでした。絶対にどうにかしなければという使命感に満ちあふれていたのです。
4.絶望の中で
私は毎日泣いていました。動物たちが苦しみ、もがき、叫び声をあげる姿が、頭から離れなかったのです。起きているときも、目を閉じているときも、残酷な映像が脳に直接送られてきている感じでした。私は謝り続けました。何度も何度も、心のなかで、口に出して。
「ごめんなさい」と。
人間の罪は、同じ人間である自分の責任だと。人類に絶望しながら、自分もまた残酷な人類の一員であることがいたたまれませんでした。でも、だからこそ思ったのです。「私が人間に生まれたことには意味がある」と。動物たちを苦しめているのが人ならば、動物たちを救えるのもまた、人にしかできないのだと。
私は、何かをせずにはいられませんでした。駅前でのチラシ配り。パネル展。講演会。デモ行進。自作のホームページで発信し、図書館や地域の施設にリーフレットを置いてもらい、イベントに参加しました。少しでも多くの人に「現実」を知ってもらいたくて、同じように苦しんでいる同志を見つけたくて、わかりやすく、伝わりやすくすることに心を砕きました。
絵本も出版しました。動物の法律が変わろうとしていた年には、議員に何度もFAXを送りました。まだスマホがない時代です。やれることは、全部やろうと最善を尽くしました。
そんななか、私の心は少しずつ削られていきました。
情報を正しく伝えるには正確な資料が必要なので、動物実験や畜産の現場を映した写真や映像を取り寄せました。しだいに家の中は、大キライな重たい情報で満たされてきました。会報やメールでも、見たくない、知っているはずの残酷な現実が、何度も届きます。
「私はもう知っているのに!どうして、また見なきゃいけないの? 知らない人が見ればいい‼」
叫びたい気持ちを抑えながら、それでも私は、正しく伝えるために見続けました。そして、限界を迎えたのです。
5.沈黙の季節
私は人が怖くなりました。電話が鳴るだけで胸が苦しくなり、コンセントを抜きました。布団から出られず、ただ泣き、眠り、また泣きました。唯一外に出たのは、愛するうさぎのほのかちゃんのごはんを買いに行くときだけでした。ほのかちゃんは、いつも私の涙をなめていました。彼女の存在だけが、私の心を現実世界に繋ぎとめていました。
私は、自分��うつ病なのだと感じていた。今からもう二十五年以上も前のことです。電話ひとつかけられず、病院に行くことさえできなかった。誰か助けてほしい。でも、その「誰か」はどこにもいませんでした。
パソコンで「うつ病の症状」を検索すると、すべてが当てはまっていました。けれど、当時は今のように気軽に相談したり、質問できるSNSや動画の解説もありません。私はただ、苦しみもがきながらも、自分でどうにかするしかなかったのです。
人と話して傷つけられることに異常に敏感になっており、誰かと関わることが吐き気のするくらい苦しかった。だから私は決断するしかありませんでした。
「私は鬱を自分の力で治す」と。
精神世界の本を読みあさり、スピリチュアルなグッズに救いを求めました。ゲームや映画に逃避し、そして、祈りました。絵を描き、涙を流し、眠る日々。そんな状態でも、私は諦めたくありませんでした。絶対に、何か出来ることをしたい。どうにかしたいと強く思っていました。この狂った世界で犠牲になっているほのかちゃんの仲間たちを、ひとりでも多く救わなければならないという想い。そして、残酷な人類の一員として、彼らに与えた苦しみの責任を、自分が全て背負わなければならないという責任感と、深い絶望の中にいました。
きっと私なら乗り越えられる。だからこそ、この試練は私のもとにやって来たのだと、毎日自分に言い聞かせながら。
6.祈りを描く
私は、絵を描くことに没頭するようになりました。朝から晩までアクリル絵の具を広げ、静かな部屋の中で一人、天使の絵を描き続けました。描いているあいだだけは、現実から切り離された別の世界にいるような感覚でした。心の重さや痛みが、色となり、形となり、キャンバスの上に塗り固められていく感じでした。
出来上がった作品は、最初に思い描いたものとは全く違うものになっていました。けれど、そこには確かに私の魂が映り、祈りの希望が込められていました。
自然界との共同創造…私はそれを「コークリエイティブ・サイエンス」と呼ぶようになりました。100枚描けたら奇跡が起きる。そう信じて、私は描き続けました。やがて、作品は300枚を超えました。絵は、私の感情の記録であり、祈りであり、生きた証です。
私は絵のおかげで、鬱の暗闇から少しずつ抜け出していくことができたのだと思います。引きこもりだった7年間。そのうちの3年は深い闇の中で眠り続けていました。残る4年間で、私は一進一退を繰り返しながら、光のほうへ歩き出すことができました。その間、生活を支えてくれた家族には、心から感謝しています。その支えがなければ、私は餓死していました。そして何より、絵という姿の見えない希望との対話が、私の命をつなぎとめてくれました。
7.生きる努力
私は、自分の力で生活していきたいと強く思うようになりました。そのためにはまず、仕事をしなければなりませんでした。週に3日、1日4時間。選んだのは、家族経営の小さなハーブ専門店。人の出入りが少なく、ここならできるかもしれない、そう思ったのです。
けれど、現実は違いました。
「おはようございます!」と笑顔で出勤し、「お疲れさまでした」と元気よくドアを閉めたあと、私の仮面は砕け散りました。涙が止まらず、吐き気すら覚え、苦しくてしばらく休まないと家に帰る力が出ませんでした。心と体が、まだ外の世界に耐えられないのだと感じました。
ある日、店長が電話を切ったあと、不意に言いました。
「鬱は甘えなんだよ」その言葉は、ナイフのように心に刺さりました。その電話の相手が、うつ病のお客様だったと後から知り、私は深く傷つきました。
店を辞め、次に選んだのは、特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)での入浴介助の仕事でした。週3日、午後のみの勤務。身体はくたくたになったけれど、汗を流すことで、心が少し軽くなるのを感じました。体を動かすほうが、苦しい思考から意識をそらすことが出来る…それが、当時の私にとって大きな救いになりました。
その後も、私は少しずつ仕事を広げていきました。職業訓練校で資格を取り、正社員として介護士になりました。がむしゃらでした。鬱の再発を恐れながらも、初めての一人暮らしに喜びを感じていました。
特別養護老人ホーム(介護老人福祉施設)で3年、デイサービスで2年、介護事務、サービス付き高齢者住宅、和菓子屋、菜食レストラン、介護老人福祉施設のランドリー清掃…。
どの仕事に就いても、私は一貫してアニマルライツの菜食を貫いてきました。けれど、同じ信念を持った人には、一度も出会うことはありませんでした。
「こんなにもいないのか…」
SNSが普及した今なら、X(旧Twitter)やFacebook、Instagramで同志を見つけることは出来ます。けれど、日々の暮らしの中で、「同志と出会う」ということはありませんでした。彼らもまた、きっと私と同じように、一人でこの世界に立って頑張って生きているのだろう。もう、受け入れるしかありませんでした。変わり者なのは、私だった。
「みんなはどうしてなの?」と嘆いていた過去の私に、今なら言える。
少数派なのは、私のほうだったのだと。
8.やさしさを選び続ける
今、私は毎日、ヴィーガンの食事をSNSに載せています。日々、絶望して元気のない自分を励ます“ごはんの記録”です。
AIで描いた自然や動物たちのイラストも、フリー素材として提供しています。見た人の心が少しでも和らぎ、命を愛おしく思ってくれたら…、それが願いです。
YouTubeでは、狂った世の中で生きる同志の道しるべになればと思い、思想家や哲学者の本を朗読しています。本当に苦しいとき、祈ることしかできなかった経験から、祝詞や祈りの言葉も発信しています。
動物や、地球のすべての生きものの犠牲を減らす生き方はあります。その方法は、菜食です。「何もできない」と嘆くことはありません。たった一人でも、菜食を選ぶことで、命を救っていることになります。毛皮を買わないことで、犠牲を減らすことが出来るのです。
「植物だって生きている」と意地悪く言ってくる人がいます。けれど私は、こう���えます。
「そんなことは、あなたより知っています。知らないとでも思ったのですか?」
動物を食べなければ、動物を殺さなくて済みます。簡単なことです。
私は、動物を殺してまで食べたいと思いません。あなたは、動物を殺したいのですか?
動物虐待は犯罪です。
かつて、菜食である私に無理やり肉を食べさせようとした人がいました。それは、虐待です。いじめです。モラルハラスメントであり、パワーハラスメントです。やめてください。
言いすぎでしょうか?
私は、菜食を始めて25年以上になります。最初の3年はヴィーガンとして、その後もヴィーガンを目指した菜食を続けています。
世の中は、確実に良くなってきています。 プラントベース、マクロビオティック、ヴィーガン商品が、今ではスーパーでもコンビニでも手に入るようになりました。動物実験を廃止した国も増え、動物実験を行わない製品も多くなっています。確実に良くなっています。
そして、これから、もっともっと良くなっていきます。
高齢者虐待をなくそう!
児童虐待をなくそう!
そして、
動物虐待をなくそう!
私たち人間は、徳を積む生きものです。そのことを、私は信じて生きています。
生きものに優しい人間が増えますように
この記録を、ここまで読んでくださってありがとうございます。私は、自分の中に芽生えた違和感を大切にして生きてきました。周りに理解されなくても、自分の心が感じた痛みを、ないことにはできなかった。見て見ぬふりはできませんでした。誰かに笑われても、攻撃されても、私は自分の感じた「優しさ」の感覚を信じてきました。
動物たちは、人間よりもずっとずっと愛情深く、まっすぐで、正直で、信頼できます。一緒に生活したことのある人なら、きっとうなづいて下さると思います。
誰も犠牲にしないで生きていくことは、現実的に難しいかもしれません。けれど、犠牲を減らすことは出来ます。小さな選択の積み重ねが、世界を静かに変えていくと、私は信じています。この記録が、やさしい風となって世界を変えていきますように。
以上
2 notes
·
View notes
Text

国産小麦100%の旨味ふくよか『自家製手打ちうどんの冷かけ』
主人が手打ちうどんを打ち、私がだしを用意しました。
おいしいなと思う有名店の味を思い出して仕上げましたが、さらに美味しく仕上がったのも
マルコメさんの築地 伏髙監修のだしパックを使って。非常に仕上がりが絶品でございまして、香り豊かに堪能しつつ味見が進む進む。
夫婦でもグルメ取材(グルメ雑誌、本)などでも仕事で色々なお店にも訪れました
『手打ちうどん』プライベートでもたまに行く外食です。
中でもやはり手打ちが何よりも好きですのと、私のお料理教室のカリキュラムの一つに『手打ちうどん』のレッスンがございまして大変、大好評でしたのを思い出します。
手打ちうどんでも、柔らかな喉越しのものもございますし、跳ね返るような強さで噛み締めるうどんもありますよね。昔ながらの大阪うどんはやわこいけれど香り高い関西のおだしと絶妙な味わいです。福岡のうどんは角がなく、ツルツルと喉越しが美味しいなどなど。。。
また秋田のうどんの稲庭うどんは、また違って大変美味しいおうどんでもあります。埼玉のおうどんのゴワゴワした噛み締めて味わうおうどんも非常に美味しいですよね!
日本全国、自慢のうどんがたくさんございます。
それらを意識しつつ、私たちがもっと美味しく家にあるもので作り上げられる『手打ちうどん』を
意識して今回、完成させましたと言いますか(笑)完成しました。
国産の小麦を使うと、非常に小麦の味わいがございます。これはやはり外国産とはまた違う美味しさです。
ふくよかで広がる風味は、ずっと味わいたいぐらいの美味しさです。
そしてしっかりとした弾力のある強い麺に仕上げたことで、兵庫県で人気のある手打ちうどん屋さんの麺に近いものに仕上がりました。小麦が、そちらのおうどん屋さんは外国産なので風味が全く異なりますが。
そして冷かけの出汁がまた最上級のお味で、さらにおだし香る。。。。。
おうちが外食以上になるというテーマでいつも、食卓を盛り上げておりますがまさにそれがピッタリ。
さまざまなジャンルを美味しく食べ歩いてきているので、今回の手打ちうどんの冷かけはお店以上に美味しく仕上がりました。ご馳走さま。
料理研究家 指宿さゆり
ーーーーーーーーーーー
#料理研究家指宿さゆり
#レシピ開発
#レシピ制作
#レシピ制作専門スタジオ
#料理は教養
#食は品性
#japanesefood
#ご当地グルメ
#日本橋ランチ
#麺スタグラム
#築地
#日本橋グルメ
#銀座グルメ
#新橋グルメ
#渋谷グルメ
#東京グルメ
#鰹節
#有名店
#伏髙監修だしパック
#だしパック
#noodles
#築地伏髙
#うどん
#マルコメ
#冷かけ
#料理写真
#うどん大好き
#讃岐うどん
#手打ちうどん
#ひやかけ
#レシピ制作専門スタジオ#料理研究家指宿さゆり#神戸料理教室#レシピ開発#料理は教養#レシピ制作#神戸グルメ#インスタ映え#レシピ#スパイス#手打ちうどん#うどん#冷かけ#ひやかけ#讃岐うどん#自家製#マルコメ#築地#築地伏髙#鰹節#だしパック
2 notes
·
View notes
Text
2025年4月27日(日)

久しぶりに長男夫婦が顔を出してくれ、6人で食卓を囲んだ。月初めに引っ越したばかりということで、生活が大きく変化したのは私と同様である。互いの近況報告をしながら、楽しく酒を酌み交わすことが出来た。幸い、距離はあるが市バス205系統乗換なしで行き来出来るのはありがたい。明日は(私以外)みな仕事があるので、早々に切り上げた。大君、色々とお気遣い、ありがとー!

6時起床。
洗濯開始。

朝食を頂く。
洗濯物を干す。
珈琲を淹れる。

しばらくサボっていたが、【露の新治出演情報】をThreadsで更新する。
ツレアイは月に一度の奈良での太鼓練習、近鉄東寺駅まで送る。今日は伏見稲荷の祭、規制があって混雑している。

コレモ七条店で買物、息子たちのランチはうどんに決定。
BSでド���ャースの中継、今日は大谷君が打っていい流れになる。

息子たちのランチ、前回気に入った味噌焼きうどん。私は残りご飯を片付ける。
ユニクロ五条店で、昨日注文した二男用の肌着を受け取る。そのまま近鉄東寺へ向かい、彼女をピックアップして帰宅する。
彼女はあれこれ買物に、私は早い目に夕飯準備を始める。
長男夫婦がやって来て、久しぶりに6人の食事、用意したスパークリングワインで乾杯、その後は頂き物のお酒、話は弾むが明日はみなしごとなので2時間程度でお開きに。

録画番組視聴、ブラタモリの第四夜、懐かしい松阪の風景もずいぶん変わっている。
お酒が効いて睡魔到来、片付けもせぬままに布団の中へ。
夜中に目覚め、ご飯をセットする。

エクササイズが少し届かなかった。
5 notes
·
View notes