#竪穴式住居
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但馬レアスポット
その①香美町立小代古代体験の森🌳竪穴式住居🛖




なんと中に入れる

焚き火もできるよう

但馬アルペンロードの板仕野の棚田



兎和野の大カツラ





遊歩道は緑でいっぱい


最後は和池の大カツラ

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指宿市考古博物館 時遊館COCCOはしむれのすぐ隣り
@指宿橋牟礼川遺跡
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当日に急遽ディズニーパレードへ行くことになって、いつも素通りし��た公園へ行く機会ができた
公園というより遺跡🏠️
赤トンボさんは翔びながら交尾できるのね🔍️

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Sean bienvenidos japonistasarqueológicos, a una nueva entrega de arqueología japonesa, una vez dicho esto pónganse cómodos que empezamos. - Hoy nos trasladamos a las ruinas que se localizan, en la ciudad de Sagamihara, se localiza en la prefectura de Kanagawa, su situación geográfica es la región de Kanto ¿De qué periodo se trata? Se trata del período Jomon, este período estaría dentro del paleolítico. - Las primeras intervenciones arqueológicas se realizaron en 1973 para la construcción de la Ruta 129, se levantaron aproximadamente 18.000 metros cuadrados en el lado este del asentamiento circular, en dicho yacimiento se han descubierto 51 nuevas viviendas en pozos y otros restos y reliquias. - En el emplazamiento se han descubierto 51 nuevas viviendas en pozos y otros restos y reliquias, la vivienda de pozo más grande de la ciudad con un diámetro de 9 m, hay una vivienda con muchas capas de ranuras alrededor del perímetro, y se explica que ha sido reconstruida y utilizada durante varias generaciones. - 日本の考古学者たちよ、ようこそ。そう言われたら、くつろいで、さっそく始めましょう。 - 今日は神奈川県相模原市にある遺跡を紹介します。 時代は?縄文時代です。この時代は旧石器時代にあたります。 - 1973年に国道129号線建設のために初めて考古学的発掘調査が行われ、円形集落の東側で約18,000平方メートルが発掘された。遺跡からは、ピット内の51の新しい住居やその他の遺跡や遺物が発見された。 - 敷地内では新たに51基の竪穴式住居やその他の遺跡・遺物が発見され、市内最大の直径9mの竪穴式住居には、周囲に何層もの溝を持つ住居があり、数世代にわたって改築・使用されてきたことが説明されています。 - 気に入っていただけたなら幸いです。今後の記事でお会いしましょう。良い一週間をお過ごしください。 -
Welcome to Japanesearchaeology, to a new installment of Japanese archaeology. Having said that, make yourself comfortable and let's begin.
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Today we move to the ruins that are located in the city of Sagamihara, located in the Kanagawa prefecture, its geographical location is the Kanto region. What period is it? This is the Jomon period, this period would be within the Paleolithic.
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The first archaeological interventions were carried out in 1973 for the construction of Route 129, approximately 18,000 square meters were built on the east side of the circular settlement, at this site 51 new homes have been discovered in wells and other remains and relics.
- 51 new well dwellings and other remains and relics have been discovered at the site, the largest well dwelling in the city with a diameter of 9 m, there is a dwelling with many layers of grooves around the perimeter, and it is explained that it has been rebuilt and used for several generations.
#日本#歴史#考古学#縄文時代#旧石器時代#先史時代#相模原市#神奈川県#関東地方#建築#考古遺跡#japan#history#archaeology#jomonperiod#paleolithic#prehistory#SagamiharaCity#KanagawaPrefecture#KantoRegion#architecture#archaeologicalremains#art#photography
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昨日は日記を更新してから、油性ペンを買って選挙へ行き、車で大崎図書館へ行きネームを描いていました。
お披露目するのは結構先になりそうですが、今色々描いております。人手も全く足りておらず;;アシさん募集ではあるのですが、その告知の出し方含め、色々相談中です;
それと大崎図書館では、今『釜神さま』の展示をやっていて、面白かったので載せてみました。
このお面、確かに私が小さい頃はいろんな家で見た気がするんですよね。実家でも祖父母のいた一階の廊下か何処かにかかっていたような気もするし…。確かに最近は見ないかもしれない。。
竈の神、火の神であり、台所の魔除けの神様らしいです。
東北はこう言った荒々しい見た目の神様が多い気がします。
先日実は、福島の宮畑遺跡へ行って来まして;
そこの説明で、竪穴式住居の中にある釜戸が、火を起こすところ、土器を埋めているところ、石、と縦に設置されてあるところが多いらしく、その石の用途がまだ詳しくはわかっていないと言うようなことを言っていました。
もしかすると、当時の神棚的な意味合いがあったのではないか?とも言っていて、釜神さまを見て、その話を思い出しました。
もし縄文時代の釜戸の石が、千年万年の時を超えて、すぐそこの時代まで形を変えて続いているのだとしたら、それって本当に本当にすごい事ですよね;;!?
帰ってからはネットの選挙速報をザッピングしていました。
参政党が13議席取れたのはとても喜ばしいですが、自民党の保守派の人達がこの反自民の流れに抗えず、落選してしまっているのは残念でした…。あとN党の濱田さん、めちゃめちゃ残念;;;;;;
これから立憲との大連立があるかもしれないとも聞いたので、是非、参政、保守、国民などと連携して高市さんを中心に内部からそう言った増税、移民推進などのグローバリズム政策に抗って貰いたかったです。
どちらにしろ、今は本当に日本のみならず、世界でも歴史の大きく動いている時間の中に、我々はいるのだなぁと実感しています。
そしてこういう政治を追っていると本当に、一足飛びでは良い方向に行くことは稀で、3歩進んで2歩下がるの繰り返しなんだなぁと痛感です。。
とりあえず、団結できるところは団結して、変な勢力の言うことは跳ね除けて、国民の声を(むしろ国民と団結して)聞いて頑張って欲しいです!
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古墳時代の集落跡 屋代遺跡群 発掘調査現場説明会を開催
古墳時代の集落跡 屋代遺跡群 発掘調査現場説明会を開催 市道一重山2号線の建設工事に先立ち進められている屋代遺跡群の発掘調査の現場説明会が1月26日に開催された。この埋蔵文化財調査は昨年9月から始まり、最初に平安時代(10世紀頃)の集落跡と水田跡が発掘された。千曲川が氾濫し甚大な被害をもたらした「仁和の大洪水」(仁和4年・888年)後に建設された竪穴式住居や墓が見つかっている。 さらにその下の地層から現れたのは約1600年前の古墳時代の集落跡。複数の掘建柱建物跡が確認され、井戸もあったが生活の痕跡があまり見られず、供えられた高坏土器などから祭祀が行われていた区画だとみられている。特筆すべきは幅7mを超える大溝の存在で、大規模な土木工事であることから時の権力者が居住していた可能性もあるという。大溝は集落跡を囲む広範な方形になっているとみられ、今後の調査に夢が膨らむ。
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【〈千年村〉研究ゼミ】 前期活動報告⑹〜韓国調査篇
初めまして、中谷研究室学部4年の碓氷です!
韓国千年村調査4日目(8月24日)
の動向をお知らせいたします、よろしくお願いします!
―――――――――――――――――――――――――――――――
7時半に起床したとき部屋はすでに明るく、早朝に新しく印刷した集落調査資料の補足版を、先輩方がホッチキスで留めている最中でした。
あわただしい朝。
すぐにチェックアウトを済ませられるようにスーツケースを持って、少し遅れて朝食に向かうと、ビュッフェ会場は多くの人でにぎわっていました。
スクランブルエッグ、 プルコギ、 キムチ …etc. 韓国のコーンフレークはやけにカラフル 中谷先生に、「朝は沢山飲みものをおなかに入れた方がいい」と言われたので、水とオレンジジュースとコーヒーとスープを飲むことにしました。飲みすぎて苦しい…。
今日も盛りだくさんな一日です。スケジュールは以下の通りです!
~~~~~~~~~~~~~���~~~~~~~~~~~~~~~~~
<8月24日のスケジュール>
9:30 扶蘇山城の見学 10:30 定林寺址の見学 11:00 嘉林郡集落の調査(郷校、官衙のある部分) 12:00 昼食は焼き魚とチヂミ、お肉の定食! 13:30 嘉林郡集落の調査(微高地集落のある部分) 15:00 弥勒寺および弥勒寺博物館の見学
~バス移動および地下鉄移動~
20:00 ホテルに到着 チェックイン! 21:00 夕食にサムギョプサルを食べました!(^^)! 0:00 明日に向けての作業 1:30 入浴、就寝
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
9:30 扶蘇山城― 8時半にはバスに乗車し、扶蘇山へと向かいました。扶蘇山は昔々百済の都であった扶餘郡に位置する山城で、
大河と山に囲まれた背山臨水の地形を一望できる最高の景観
を持っています。展望台は、赤く塗られた柱と緑に彩られた梁や垂木の色鮮やかな建物です(図1)。
図1.扶餘山城の色鮮やかな展望台(撮影:2024/08/24 碓井颯)
梯子を昇り扶餘を俯瞰すると、霞がかった空気の中で錦江がゆったりと右手側に流れています。遠くには山々、近くには多くの建造物によって奥行きが生まれています(図2)。
図2.扶餘山城の展望台からの眺め(撮影:2024/08/24 碓井颯)
千年村の集落調査では、山間部や都心から離れた僻地を巡るイメージを持ってしまうことが多いですが、
都市もまた集落のように住みやすい処に展開されるのだな~と
ここに住もうと決める集落住民と景観の美的・合理的豊かさから都を決定する王の心境は本質的に同じだったのではないか。
今昔一貫する地理的条件を感受する普遍的な人類の立場に立てた気がして少し嬉しかったです!
扶餘山城址には同時に竪穴式住居の遺跡も残っており、資料館も見学することができました。日本の竪穴式住居より堀が深く、大きな柱径が特徴です(図3)。
図3.韓国の竪穴式住居(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
山城見学に同行していただいた富井先生にこの理由を解説していただいたところによると、
寒さが厳しい韓国ならではの土を利用した断熱機構
であるようで、空気中に熱が逃げることを防ぐため、内部空間をなるべく土に触れるように工夫したものだと言います。韓国住宅によく見られるオンドルは、当初かまどから発生する熱を利用した暖房器具であり、その端緒は竪穴式住居にも見られるようです。
10:30 定林寺址― バスで少し移動し10時半頃、定林寺址に到着しました。滞在時間が短く急がなければいけないということで、
「全体重をかけて」
見学すべく駐車場からスマホだけを持って足早に(図4)。
図4.定林寺の石塔(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
中谷先生から定林寺と法隆寺の比較についてお話を伺いました。そもそも定林寺は百済の聖王が仏教熱心であった所以完成した寺院であり、
その影響は飛鳥時代の日本に多く及んでいるのですが、
大きく異なるのはその伽藍配置です。
講堂を含む回廊によって、金堂と塔が一直線に貫かれている定林寺に対し、法隆寺では講堂を離し金堂と塔を並列しています。
この故が敷地の広さや環境に起因するものなのか、国ごとの考え方の違いによるかは難しいところですが、類似点と相違点という観点から比較できたのは良いことです…(図5-9)
図5.定林寺の平面図(出典:「韓国の建築」,金奉烈著, 学芸出版社, 111ページ)
図6.法隆寺の平面図(出典:同朋舎出版刊文化庁文化財保護研究会監修「図説 日本の史跡 第五巻」)
図7,8,9.定林寺の様子(撮影:2024/08/24 口石直道)
11:00 嘉林郡集落の調査― 昼からは、昼食をはさんで前後で嘉林郡と呼ばれる集落を巡りました。今回、調査班では二か所をピックアップしてめぐることにしました。
図10.嘉林郡の官衙の入り口を示す門(撮影:2024/08/24 安藤優花)
前半に訪問した場所は、
大きな郷校(科挙を受ける人々が通う学校)を持つ昔からの集落の中心地
と考えられます。郷校の存在を示す門を潜り抜けて集落に入っていきます(図10)。山の麓に位置する郷校付近では、細い路地を挟んで立派な邸宅が並んでいました。色鮮やかに葺かれた赤青の屋根スレートをあちらこちら横目に、ぐるぐると歩き回りました(図11)。
河川付近にも川を覆うようにスラブが敷かれ、RC造の住宅地が展開されていました。
川に臨むところには東屋が置かれ、なんとも快適���落ち着く場所でした~ 日本の夏にも似ていますが、やはり大きな違いは散見されるハングルです…!
図11.嘉林郡のくねくね道(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
後半は
広大な田んぼに囲まれた微高地集落です。
微高地(?)となるほどに丘は大きく盛り上がっていて、大小さまざまな住宅が余裕をもって配置されていました。
米もたくさん採れるから豊かな場所なんだろうと思いました。
上っていくと視界が開けました。
丘の頂上付近には、大きな樹が!
木の麓には椅子や無料で使える健康器具などが置かれ、集落民の憩いの場所となっているようです(図12)。この集落は錦江に囲まれてもいるのですが、錦江の堤防付近にも同様の樹と東屋があり、くつろいでいるおじいさん達に地域のお話を伺うことも出来ました。韓国の集落には気持ちの良いコミュニティスペースが集落単位でいくつも点在していて良いです!
図12.嘉林郡の大樹(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
12:00 弥勒寺― 最後は弥勒寺を見学しました。弥勒寺では3つの回廊のセットが一つにまとめられた建物配置を持っています。それぞれの回廊が一つずつ、計三つの塔を持ち、中央の木造の塔を二つの石塔が挟んでいるのですが(図6)、現在では復元された石塔しか残っていません。二つの石塔に挟まれた弥勒山がその象徴性を増していますね!
大きく開けた平原に白光する二つの塔が映え、
日差しがジリジリと照りつける中で白・緑・青の三色が鮮やかに焼き付きました
(図13-15)。
図13.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 小谷さくら)
図14,15.弥勒寺石塔跡(撮影:2024/08/24 安藤優花、小谷さくら)
弥勒寺見学後は付属の博物館を見学しキラキラした装飾品や生活陶磁器などを見ました。当時の王族や人々の生活の様子について、説明を聞きながら思いを馳せました。一つの考古学品の発見が様々な文脈で意味を持ち、歴史的な発見がダイナミックに展開していく様を感じることが出来ました。
16:00 帰りのバス― その後ソウルへ向けて再びバスに乗車し、3時間ほど車窓を眺めました。
韓国は右車線通行のため、追い越し車線は向かって左側です。
もう少しで市街につくというとき、
真っ赤になった日が沈むところでした
(図16)
教会やモスクなどの多種多様な建物のシルエットが逆行で暗んで、
ノスタルジックなソウルに車内一同盛り上がっておりました。
図16.ソウルの夕焼け(撮影:2024/08/24 碓氷創平)
地下鉄を乗り継いでホテルに着くころ、すっかりあたりは暗くなっていましたが、宿泊先は夜中まで明るくにぎやかな場所でした。ホテル近くのサムギョプサルの店で夕食を堪能し、一日を終えました。
以上が調査4日目(8月24日)の動きでした!いかがでしたでしょうか…?
明日は調査をまとめるポスターセッションを行います
25日の日記も乞うご期待!!
読んでいただきありがとうございました!!
#sennen#nakasemi
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文化とDNA
水中で出会う生き物は、下等で原始的である。文化的で進化した僕たちとは大違いだ。
しかも、水中で出会う生き物何百年前から今と大差なく暮らしていたのだろうし環境変化がなければ何百年後も今と変わりなく暮らしていくのだろう。 10年もたてば激変してしまう僕らの生活様式から見れば、何の変化もないに等しい。
変化に乏しい環境の中で、自らもさほど変化せず大昔のまま、そのまま生きてきているんだ。
にもかかわらず、彼らの行動は、僕らと同じだ。
男の子は女の子を好きになり、かっこよく見せようとしドキドキしながらデートに誘い、恋が実れば、愛をはぐくみ、お互いのDNAをシャッフルした次の世代を作る。
やっぱり同じだ(^O^)
海の生き物は、海が変わらずある限り、ただそこで何も変わらず同じことを繰り返す。 僕らは、火星のエアドームの中でも同じことを繰り返すのだろう。 縄文の竪穴式住居の中と同じように・・・。 どんどん変わり続けながらも同じことを繰り返す。
僕らと海の生き物は余りに違いすぎるのに余りに同じすぎる。何がそうさせるのだろう?僕らが持つもので海の生き物が持たないもの?
その答えは『文化』じゃないかと思って考えてみた・・・
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「文化の定義」が曖昧なので、この話での定義をしておきましょう。 ここではとても広義です。
生物がみずからの手で築き上げてきた有形・無形の成果の総体。学習によって伝習されるとともに、世代を超えて伝達されるもの。DNAの指令のように先天的に備わるものではなく、ある世代の個体または個体群が後天的に取得した性質でありかつ次の世代へ世代を超えて伝達されるもの。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
文化を持つための条件 についても考えてみた。下記の3つが必要ではないだろうか?
条件1 後天的に取得する能力がある事。文化になる元の性質をある個体が後天的に取得しなけらば何も始まらない。 (文化を作る能力)
条件2 他者への情報伝達手段を持つこと。コミュニーケーション能力がなけれ ば機会があっても伝えられない。 (文化の伝達能力)
条件3 文化を伝達する機会がある事、異なる世代間、親子間で一緒に暮らす時間がないとそもそも伝える機会がない。機会がないと何も生まれない (文化の伝達機会)
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
文化の凡例 音楽・哲学・数学・パソコン・高層ビル・飛行機・戦車・トンカツ・呪い・宗教・ミッキーマウス・・・
imoというメスのサルが、芋を海水で洗いだし、それが世代を超え、グループの習慣となる。新たなる文化の発生。あまりにも有名な幸島のサルの話。
猛禽類では、親が半殺しの獲物を巣に連れ帰り子供に狩猟の練習をさせることが知られている。これは、狩猟の方法やその地域に住む餌の種類生態などを伝えていると考えられる、文化だ。しかし、同じ鳥類でも他の鳥の巣に卵を産むという托卵をするカッコウなどは、伝達機会さえ持たないわけで文化を持たない。鳥類から一部の種は文化を持ち始めるのだろう。
少し解り難いものでは・・・すっぱいものや苦い物が食べられるのも文化。本来、酸味は腐敗、苦味は有毒を意味する。食べてはいけない物を避けるために先天的に備わっている味覚である。が、幼児期親がこれは食べてもOK!という情報とともに食べさせると子供は食べても大丈夫と学習する。そして自らの子供にもそれを引き継ぐ、まさに文化である。文化がDNAの指令を上書きする訳である。
文化の方がDNAの指令よりも優先順位が上という訳である。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□ 海の生き物の魚は文化を持ち得るのかと考えてみよう~
魚は、脳も小さく思考に適しているとは思えない。後天的に取得するこ とは少ないだろう。限定的に後天的に取得する性質や行動などはあると思う。同じ魚でも環境により行動などは変わることがあるわけでそれは後天的に習得した性質。条件1の文化を作る能力は非常に限定的だと考えるべきだろう。
たとえ後天的に取得した性質があったとしても条件2の文化の伝達能力があるのだろうか? 体を使ったシグナル(婚姻色・威嚇行動・まいったのサイン)や音声(威嚇音)などは魚でもコミュニケーション出来てはいる。しかし、これも後天的に取得した何かを伝達するにはかなり難しそうだ。
しかし条件1と2にかかわらず・・・習得した後天的な性質は残念ながら文化に発展しない。何故ならば彼らにはその性質を次の世代に条件3の伝達する機会を持たないからだ。
ある個体が後天的に取得したすべての事は、世代が変わると、その個体が死ぬとご破算になってしまう。消え去るのだ。まぁ、卵から生まれた子供と親は会うことがないから伝えようがない。 ベラやハナダイのように産みっぱなしの種ではもちろん、クマノミのように卵を守る魚でも生まれた子供を合うのはハッチアウトの瞬間だけ・・・
魚には文化を伝達する機会自体がない。
一部子どもを口の中で保育する種などは、子供と親という違う世代が、一緒にいる時間が確保されているのだから条件3の伝達機会を持つと言えなくはないだろうが・・・3つの条件を考えるとやはり無理があるとしか言いようがない。
魚は文化を持たない。持ち得ない。 先天的なDNAの指令のみで動いている。まさに遺伝子の乗り物でしかないのである。
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
海の生き物も僕らも生物学的な存在意義は等しく同じである。 遺伝子を次世代へ伝えるための乗り物として存在する。 ただ遺伝子に書き込まれた仕様書どおりに設計され、動いている。 DNAが生物の主体であり僕らも含めて個体はその世代だけDNAを運ぶ乗物にすぎない。 DNAが運転手で車が僕らなのだ。(注1)
その車たる個体が勝手に文化を創り出し、世代を超えて引き継ぎ,運転手たるDNAの指令をさえ上書きし変える。 よく考えるととても妙な話に思える。
文化とは乗り物が進化して運転手に反乱をおこしているのか? 文化は生物学的な存在意義をも変化させようとしているのであろうか?
□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□□
生き物は、進化し、環境に適応し、世代を超えてDNAをつないでいく。DNAの戦略は、自然淘汰(自然選択)である。次の世代を作る時様々な変異体を作る。今の環境などに決していい性質を持たない物、ある意味不良品も作る。その不良品は生き残れず子孫を残せず自然淘汰され消える。それでもまた不良品を作り続ける。ある時環境が変わりその不良品と思われた���質が役に立つ時がくるかも知れない。その時は不良品が適正品になり、より多く生き残りたくさん次の世代を残し、新たなる主流となるのだ。ゆるやかな変化にはこれで対応可能だし、そうやって生物は何千年もの間命をつないできた、いや、DNAをつないできたのである。
文化はそこに劇的な変化をもたらしたのかも知れない。
たった1世代が後天的に会得したものを丸々次の世代に伝えられる訳である。 例えば生存を脅かすような寒波が襲来したとしよう。 自然淘汰では、寒さに強い形質をもった者が多く生き残り、寒さに弱い形質をもった者は死にまくる。皮下脂肪が厚い者・毛深い者・大きくまるい体の者の子供が増えるのだ。しかしその寒波に対応したニューバージョンの人類が出来上がるまでに、人口が激減し、壊滅の危機を迎え、数世代経過してやっとこさだ。 でも文化なら・・・火をおこす方法・毛皮を服にする方法・靴の発明・風を防ぐ壁・・・それを見つけ伝えれば即次の世代から対応可能だ。劇的な変化にも対応可能である。
自然淘汰では生存率に差をもたらす自然環境の力(選択圧)が次の世代を徐々に変えていくわけであるが、文化では生存率には差をつけない物も伝える事が出来る。DNAに書けない液晶ワイドテレビの設計図や哲学・宗教なども伝達できる訳である。次の世代は前の世代の後天的に取得したものをフル活用できる。 自然淘汰などの何百倍のスピードでいや自然淘汰では永遠に会得できない物を手に入れる事が出来る。その結果、実に様々な事を、無駄なことも含めて、膨大な情報を、次世代へ伝えることができるわけである。
自然淘汰を利用してDNAは乗り物である生物を進化させてきた。 より良い車は運転手をより良く運ぶからだ。 DNAは車をデザインし、変異させ、自然淘汰で長い年月をかけより良い車を作り上げてきた。(キリンがほんとにいい車かどうかは?だけどまぁかっこいい、キリンの4mの首を作るには600万年かけているそうだ。)
ある時点で車の性能は非常に良くなり、自ら思考する能力ももった。基本デザインは(体の構造など)DNAの指令で作るが、そのオプション機能や運用などを車自身に(生物に)与えたのである。それが文化なのである。DNA自らの指令をも上書きする許可を出したのである。知能をもった車は、うまく生き残るすべを次々考えつきそれを伝えた。道具を使い、武器を作り、狩猟道具を作り、農耕をはじめ、家畜を飼い、強固な家を造り、水路を作り、トラクターを作り、医学を作り、病気を治し、なかなか死なない、環境に変化にもすぐに対応するDNAにとっては非常に優秀な車になったのである。
これは進化した乗り物が文化でDNAに反乱をおこしている訳ではない。
実はDNAが自らををより良く運ぶ乗り物を文化で作っているのだ!!!。 文化もDNAの産物なのである!!! DNAが頭のよくなった車に与えた白紙の設計図が文化なのである。
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文化がDNAの戦略ならば・・・ 変化した僕らは文化という戦略が必要であり、変化しない魚は文化という戦略を必要としなかっただけなのではないか???
陸上という変わり続ける環境下では、DNAも自分を運ぶ車を素早く的確にデザインチェンジしなければならなかった。自然淘汰以外の方法でのデザインチェンジを模索したら、文化があったのじゃないだろうか?
水中という変化に乏しい環境では、自然淘汰という緩やかなモデルチェンジだけで十分だったのだろうか?
僕らと海の生き物は余りに違いすぎるのに余りに同じすぎる。 しかし・・・ 手押し車とプリウスも余りに違いすぎるのに余りに同じすぎる。
彼らと共に僕らが持つもの。 僕らだけが持つもの。
文化とDNA
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(注1)ダーウィンが僕らが神の子ではないことを見つけてしまったのであれば、ドーキンスは、僕ら自身が主体ではなくDNAの乗り物でしかない悲しい現実を突き付けたのである。読んでいないのであれば、『利己的な遺伝子』リチャード・ドーキンスは、必読である。悲しいほどにちっぽけな生物学的な存在意義の現実を突き付けられ、自らの社会学的な存在意義の再構築を可能にしてくれる。
生物学の本であり哲学書でもある。昔、哲学や神学が科学であったように・・・。
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知られざる弥生ライフ を読んだ
「え?弥生土器なのに縄文がついたものがあるって本当ですか」という副題がついている。
なんか電子図書館で新刊を眺めてて縄文時代のものと一緒に軽い読み物っぽいのが並んでたので予約して借りた。実際軽い読みものというかカラフルな写真やイラストが豊富なムック形式。弥生時代の基本的な情報から各地の遺跡の紹介といった内容。特にすごく新しい話というのもないけど、竪穴式住居の上から見た形が縄文時代は円から楕円形が一般的だったのが次第に矩形になっていったというのが、ほーなるほどとは思った。工具の発達に伴ない弥生時代に入ると木材を丸太のままでなく板材にしたりして利用することが増えてきたので、板材をたてかけて作るようになってそれをやりやすくするためかもとかいう説。弥生時代も進むと2本の柱に梁を渡す構造ができてきて建築様式も変化していく。このへんも深掘りするとおもしろそう。
縄文時代版も順番待ちなのでそのうち読む。
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なりたい自分、変わりたい自分、叶えたい夢や願望、変えたい状況、そして本当にあなたが望む未来へと、私が持つスピリチュアルな能力と、あなたのガイドやハイヤーセルフと繋がり、メッセージを通訳しながら、あなたの望む現実・未来の創造や本当の自分の人生を生きる為のお手伝いします。
伊勢神宮のお膝元 伊勢のスピリチュアルヒーラー 松本 じゅんこです☺︎
第三回 倭姫の足跡を巡る旅
井手口克利さんにお願いして
ご案内・教えて頂きながら 伊勢神宮の勉強会✏️
第三回目は
倭姫御陵を出発して隠岡遺跡
遺跡ではなんと普段は入る事のできない
竪穴式住居(天地権現式住居)に入らせて頂き
土器まで触らせて頂くとゆうミラクルが起きました。
そして
川添神社→園相神社
和井野のお祠→川上の清水→乙女岩
南伊勢では
鵜倉公園でハートの入江 天空のブランコ
信じられないくらいに美しい南島から��太平洋
そして
仙宮神社では365段の階段を登って
巨大な磐座に感動しました。
磯部では
佐美長神社ではまさかの仙宮神社から受け取った
メッセージが繋がっていてビックリしました。
伊雑宮では井手口さんのおかげで
また違った伊雑宮に出逢いました。
1日で時代と時空を超えた濃厚な倭姫の足跡を巡る旅
そして伊勢志摩の美しい自然に癒され、透明になって
また、この様な場所に住まわせてもらっている事に感謝しかありませんでした✨
今日も知らない事ばかり1つ1つ知れて嬉しかったです。
素晴らしい1日をありがとうございました✨🙏✨
感性、感覚、感情を日々大切に
自分と繋がり
自分の望む人生を創造する
1人でも多くの方が
本来の自分の生き方を見つけ
イキイキとした毎日を過ごして頂けますように🙏✨
Enjoy🌝❤️
Shangrilaスピリチュアルリーディングセッションでは、あなたのハイヤーセルフやガイドと繋がり、お一人お一人丁寧にあなたへのメッセージや現実に沿ったアドバイスをお伝えしていきます🌝
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本当のあなたと
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℡090-2617-8527(21時まで)
ヒーラー
松本 じゅんこ

#伊勢神宮#スピリチュアルリーディング#スピリチュアルカウンセリング#スピリチュアルヒーリング#三重県#宇宙#伊勢市#自分を大切にする#エネルギーヒーリング#スピリチュアル#エネルギーワーク#自分を愛する#伊勢志摩#倭姫
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【縄文の家】製作期間30日! サラリーマン2人で竪穴式住居を作ってみた #8 Primitive Japan: Building a Bamb...
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竪穴式住居とランドマークタワー by kazu saito
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三内丸山遺跡センター 縄文時代の集落跡 復元された建物がいっぱい! 大型堀立柱建物(一枚目)はこの時代にどうやって建てられたんだろう…?しかも壁や屋根はまだ分かってないとか! #青森 #三内丸山遺跡 #遺跡 #大型堀立柱建物 #縄文 #竪穴式住居 #高床式倉庫 #日本 #日本一周 #日本一周中 #日本一周バイク旅 #日本一周カメラマン #旅 #journey #trip #バイク好きな人と繋がりたい #バイク乗りと繋がりたい #バイク #motorcycle #honda #cb650r #canon #eos #5dmark4 #photo #photooftheday #photographer #photography #fmyphoto https://www.instagram.com/p/CpflRPgpTPc/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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