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【墨出しの方法】鉛筆の削り方から墨壺の使い方までコツやテクニックを紹介!次世代メジャーについても!









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セリアのドールハウスベースを使って、シルバニア用の洋菓子店を作りました🍰
組み立て式で作っているので、全てバラして書類ケースにしまえます。
詳しい制作過程などはnoteに載せています✍️(noteのリンクはリプ欄)
【ベース・家具編】
【生菓子編】
【焼菓子編】
【小物編・前編】
【小物編・後編】
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AIに聞いてみた
日本の米は過度な保護、非関税障壁なのか?
アメリカとの相互関税問題で取り上げられる日本側の米の700%関税と言うのは本当か?
しかしアメリカやヨーロッパでは農業に関して所得保障などで国からの支援が入り安価に生産している、トランプ大統領の言う日本のアンフェアだと言う姿勢を避難しているが工業製品やサービスとは違い食料の時給に関しては安易に譲歩も開放もできないのでは無いのか
日本の米作は食料安全保障だけでは無く、水田の治水による自然災害の防止など災害対策にも歴史的にも重要なインフラで有るはずだ、まずはトランプ大統領の主張する事実関係のチェックと梅雨や台風、国土の地形問題も含めた水田の果たす役割を考慮して日本は譲れない事を検証して下さい
### トランプ大統領の主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という事実関係の検証
トランプ大統領が主張する「日本がアメリカ産のコメに700%の関税を課している」という発言は、複数の報道機関や専門家の分析に基づいて、以下のように事実関係を整理できます。
1. **日本のコメ関税の現状**:
- 日本はWTO(世界貿易機関)のルールに基づき、「ミニマム・アクセス(MA)」という仕組みで年間約77万トンのコメを無関税で輸入しています。この枠内で、アメリカからは約34万トンが無関税で輸入されています(2024年度実績)。
- MA枠外の民間貿易では、コメ1kgあたり341円の従量税が課されます。この関税額を税率に換算すると、輸入コメの価格によって変動します。過去(2000年代のWTOドーハ・ラウンド交���時)に農林水産省が低価格の輸入米を基準に試算した際、関税率が約778%とされたことがあり、これがトランプ氏の発言の根拠と推測されます。
- しかし、現在のアメリカ産コメの価格(例:カリフォルニア産短粒種)を基に試算すると、関税率は約220%程度に下がると専門家が指摘しています。 したがって、「700%」という数字は古い試算に基づくもので、現在の実態を正確に反映していません。江藤拓農林水産相(当時)は「論理的に計算しても700%は出てこない。理解不能だ」と反論しています。
2. **トランプ氏の主張の背景**:
- トランプ政権は、日本が米国に対して46%の関税を課していると主張し、これを基に日本からの輸入品に24%の「相互関税」を課す方針を発表しました(2025年4月2日発動予定)。この46%という数字も、USTR(米国通商代表部)の平均関税率3.7%とは大きく異なり、非関税障壁や貿易赤字を加味した独自の計算に基づいています。
- 「700%」の数字は、米国が日本の農産物市場の閉鎖性を批判する際に、誇張された形で用いられている可能性があります。ホワイトハウスのレビット報道官も同様の発言を繰り返しましたが、具体的な根拠は示されていません。
- トランプ氏の主張は、米国の農産物輸出を増やし、貿易赤字を減らすための政治的圧力の一環と見られます。特に、コメは日本の農業政策の象徴として取り上げられ、交渉の焦点になりやすい品目です。
3. **事実確認の結論**:
- 「700%関税」は、過去の特定の試算(約778%)に由来するものの、現在のアメリカ産コメの価格に基づく実効税率(約220%)とは大きく異なります。また、MA枠の無関税輸入が全体の輸入量の大半を占めるため、実際の関税負担は限定的です。
- トランプ氏の発言は、事実を誇張し、日本の市場保護政策を「不公平」と印象付ける意図があると考えられます。日本の農林水産省や専門家は、この数字が不正確であると一貫して反論しています。
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### 水田の多面的機能と日本の食料安全保障における役割
日本の米作と水田は、単なる食料生産を超えて、以下のような多面的な役割を果たしています。これらは、食料安全保障や自然災害対策、さらには国土保全において譲れない要素です。
1. **食料安全保障**:
- **コメの文化的・経済的意義**: コメは日本人の主食であり、食文化の根幹です。年間消費量約700万トンのうち、国内生産が約800万トン、MA米が約70万トンで、ほぼ自給自足に近い状態です。 食料自給率(カロリーベースで約38%、2023年度)の向上に���いて、コメは基幹作物として不可欠です。
- **地政学的リスクへの対応**: 食料輸入に過度に依存することは、国際情勢の不安定化(例:ロシア・ウクライナ戦争による小麦価格高騰)や円安による輸入コスト増大のリスクを高めます。 日本のコメ自給は、こうした外部ショックに対するバッファーとして機能します。
- **米価高騰と備蓄米の限界**: 2024年以降のコメ価格高騰(5kgで4000円超)は、減反政策や気候変動による不作、インバウンド需要の増加が原因です。政府の備蓄米放出は一時的な対策に過ぎず、輸入依存への転換は食料安全保障を脆弱化させるリスクがあります。
2. **水田の治水・災害防止機能**:
- **洪水防止**: 水田は「天然のダム」として機能し、梅雨や台風時の豪雨を一時的に貯留することで、洪水や土砂災害を軽減します。農林水産省の試算では、水田の洪水防止効果は全国で年間約2.5兆円に相当します。特に、急峻な地形と多雨な気候を持つ日本では、この機能は都市部や低地の安全確保に不可欠です。
- **土壌保全と地下水涵養**: 水田は土壌侵食を防ぎ、地下水を涵養する役割を持ちます。これにより、河川の水量安定や水質浄化に寄与し、渇水リスクを軽減します。例として、関東平野や近畿地方の水田地帯は、地域の水循環を支えています。
- **生態系保全**: 水田は湿地環境を提供し、生物多様性を支えます。絶滅危惧種(例:タガメやホトケドジョウ)の生息地としても機能し、環境保全に貢献します。
- **気候変動対策**: 水田のメタン排出は課題ですが、カーボンニュートラルを目指す技術(例:間断灌漑)や有機農業の推進により、環境負荷の低減も進んでいます。
3. **地域経済と文化の維持**:
- 米作は農村経済の基盤であり、農家の生計を支えます。農協や全農を通じた生産・流通システムは、地域コミュニティの存続にも寄与します。
- 棚田や伝統的な米作風景は、観光資源や文化的価値としても重要で、インバウンド需要にも応えます。
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### トランプ氏の「アンフェア」批判に対する日本の立場と譲れない理由
1. **トランプ氏の「アンフェア」批判の背景**:
- トランプ氏は、日本のコメ関税や非関税障壁を「不公平」と批判し、米国の農産物輸出拡大を求めています。これは、米国の貿易赤字(2024年で日本に対して684億ドル)解消や国内農家の支持基盤強化を狙ったものです。
- しかし、米国やEUも農業に多額の補助金(例:米国の農家所得保障プログラム、EUの共通農業政策)を投入し、生産コストを下��て国際競争力を高めています。日本のコメ関税が「アンフェア」とされる一方、米国も同様の保護政策を採用しているため、一方的な批判には矛盾があります。
- 日本の農林水産物輸入額は米国がトップ(2023年で2.1兆円)であり、既に市場は一定程度開放されています。トランプ氏の要求は、さらなる市場開放を求める政治的圧力と見られます。
2. **日本が譲れない理由**:
- **食料安全保障の確保**: コメの自給率を維持することは、地政学的リスクや気候変動による供給不安への備えとして不可欠です。米国産コメの関税を大幅に下げたり撤廃したりすることは、国内生産基盤の弱体化を招き、長期的な食料安全保障を損なうリスクがあります。
- **水田のインフラ的役割**: 前述の通り、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全など、日本の国土と環境を守るインフラです。これを維持するためには、米作の経済的存続が不可欠であり、高関税は国内生産者を保護する手段です。
- **農村経済と雇用の維持**: 米作は農村地域の経済と雇用を支える基盤です。関税の大幅引き下げは、農家の収入減や離農を加速させ、地域社会の崩壊を招く可能性があります。
- **国際交渉におけるバランス**: 日本は過去のWTO交渉やTPP(環太平洋パートナーシップ協定)などで、コメを「聖域」として保護する姿勢を貫いてきました。安易な譲歩は、今後の貿易交渉での日本の交渉力を下げる恐れがあります。
3. **代替案と現実的な対応**:
- **限定的な市場開放**: 米国からのMA枠拡大や、特定品種(例:カリフォルニア産短粒種)の輸入増は、国内生産への影響を最小限に抑えつつ交渉の妥協点となり得ます。
- **農業改革の推進**: 日本の米作は、兼業農家依存や農協を通じた高コスト構造が課題です。生産コスト削減(例:株式会社化の推進、スマート農業の導入)や輸出拡大(日本食ブームを背景に)により、国際競争力を高める改革が必要です。
- **水田の多機能性を国際的にアピール**: 日本の水田が治水や環境保全に果たす役割を、WTOや日米交渉の場で強調することで、保護政策の正当性を訴えるべきです。
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### 結論
- **トランプ氏の「700%関税」主張の真偽**: この数字は過去の試算(約778%)に由来し��すが、現在の実効税率(約220%)とは異なり、MA枠の無関税輸入を無視した誇張されたものです。日本の農林水産省や専門家は、この主張が不正確であると反論しています。
- **日本の譲れない理由**: 米作は食料安全保障の要であり、水田は洪水防止、土壌保全、地下水涵養、生物多様性保全といったインフラ的役割を果たします。これらは日本の気候(梅雨・台風)や地形(急峻な国土)に適応した歴史的基盤であり、農村経済や文化の維持にも不可欠です。
- **今後の対応**: 米国との交渉では、限定的な市場開放や農業改革を進めつつ、水田の多面的機能や食料安全保障の重要性を国際的に訴えるべきです。安易な関税撤廃は、長期的な国益を損なうため、慎重な姿勢が必要です。
**出典**:
- 農林水産省、WTO協定、USTR報告書(2024年)、各種報道(NHK、日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞、読売新聞、ブルームバーグ、ジェトロ、ダイヤモン��・オンライン、Yahoo!ニュース)
- X上の意見(@ippatsu_sendai、@atodesimasu、@WindLigerAcademなど)
※具体的な引用は、文中および末尾の参照番号(‽web、‽post)を参照。
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人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!
著者D・パルモ
公開:2024-11-06・更新:2024-11-06
より人間めいた身のこなしで間違ってもやり直す。ただ異様な動きがちらつくあたりに不気味さも。ボストンダイナミクスの人型ロボット、アトラスが今年4月に旧型から新型に転生した��をご存じだろうか?
このたび公開されたのは、見ためからしてずいぶん変わったニュータイプのシン・アトラスが、自律運転で部品を移動させる作業の様子だ。
かつては華麗なるダンスを披露するなど、魅せるパフォーマンスが得意だった旧型よりも、いかんせん地味な絵面になってるけども、よく考えたらこれこそが人に役立つロボットの本領発揮になるような?
自動車工場で自律的に作業するシン・アトラス こちらの映像は、自動車工場で試験的に自律的作業を行うシン・アトラスをとらえたもの。今回はコンテナにある部品を棚に移し替える作業だそう。
保管用のコンテナにあるエンジンカバーを1枚ずつつかみ出し、右の部品棚に納めてゆくシン・アトラス。その姿はまるで人間そのものだ。
この画像を大きなサイズで見る ちなみにアトラスは、棚の空いてるところに適当にカバーを入れているわけではない。
ただ単純に移し替えているだけではなく、並び替えも行っており、間違いないよう気をつけながら慎重に作業を進めているのだ。
ときには途中で失敗してビクッ!ってなるシーンも。まさに人間じみている。
こっちまでドキッとする動揺ぶりだが、そのあとちゃんと入れ直したよ。
この画像を大きなサイズで見る この失敗は、カバーの一部が隣の仕切りに引っかかったせいだ。
だけど、そこで動作がストップしたり、無視して無理やり突っ込んだり、カバーを放して落としたりせずに、もう一度やり直してるところはすごいかも。
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自律的にオンラインで生成される動き なお、すべての動きは、自律的にオンラインで生成される。つまり動作に関しては、事前プログラムされた動作や遠隔操作なしで行われているそう。
しかもシン・アトラスは、環境の変化やアクションの失敗に直面すると、その都度、顔も兼ねてるカメラからの視覚と力覚、自己感覚センサーの組み合わせから、自身の動作を検出したのち、反応するようになっている。
全体的には人間っぽいが、特に奇妙な動きも 相変わらずスローだけれど、シン・アトラスの人間とそっくりな動きに感心する。
低いものを取るために、きちんとしゃがんで取り出して、立ち上がって歩けるとことか、角度を調整しながら物を納めるところとか。
この画像を大きなサイズで見る でも一方で不気味な動きもちょこちょこあったり。首や腰くるりと回せて、関節も自在に曲がるアトラスの場合、体の向きの変え方とかがなかなかに異様だ。
スピードが上がるともっとぬるりとしそうな予���もある。
この画像を大きなサイズで見る 人間と違い、先に頭が右回りして後ろ向きになり、歩き出す下半身の向きに上半身が左回りで追いつくシーンとか脳がバグりそう。
目鼻がなく、つるりとまるい顔の怖さとこの動きとが相まって、得体のしれなさが増幅するというか。
まあなんだ。作業自体は地味だけど、旧型とうってかわって堅実なお仕事路線でいくのかな?
Atlas Goes Hands On 新型は旧型よりも小柄でスリムな完全電動型 2020年から韓国の自動車メーカー、現代自動車の傘下にあるボストンダイナミクスによると、柔軟な2足歩行の新型アトラスは商業活動用に設計されたもの。
そのため旧型よりも小柄でスリムな完全電動型になり、すでに多様な現実世界に対応できるという。
一方、宙返りやパルクールをしていた旧型は、新技術やアイデアの実現性を検証する研究プロジェクトとして開発されていたもので、重さ約90kgある油圧式だった。
人型ロボットが人間社会の工場で働く日は遠い? 動画のように自動車工場で働く人型ロボット(ヒューマノイド)は、各自動車メーカーで開発が進んでいる。
今年はドイツのBMWもフィギュアAIの人型ロボットの実験導入を発表し、テスラも「オプティマス」というロボットを独自開発中だ。
これらの二足歩行ロボットを支持する層は、開発がうまく進んだあかつきには、先進的な大規模言語モデルと統合することで、人と会話しながら危険な作業や重労働をこなせるヒューマノイドロボットが誕生する、と期待している。
とはいえ、もし人間ぽくて有能で安全な自律型ロボットができたとしても、それを工場に導入するには解決すべき問題が数多くある。たとえその問題を解決できたとしても、政治家や労働団体の反対に直面する可能性がある。
SFではありふれたシーンでも、根本的に人と異なるロボットが、現実の人間社会で普及するには、相当な時間がかかるかもしれない。
References: Oh good, the humanoid robots are working on their own
あわせて読みたい
仲間?なんか違うぞ?犬に挨拶をするも、警戒警報を発令されてしまう犬型ロボット
中国のヒューマノイドがカオス。多種多様なロボットが作られていた
BMWがヒューマノイドロボットを工場に配備予定。人間界に浸透していく人型ロボット
テスラの「オプティマス」に強力なライバル登場。中国企業初のヒューマノイドロボット「フォアランナー」
AIロボットに最後まで仕事を奪われないのは配管工と電気技師(アメリカ) #びっくり #ヒューマノイド #作業 #ボストンダイナミクス #アトラス
(人型ロボット「シン・アトラス」が人間と同じように職場で働いているだとぅ!|カラパイアから)
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Fさん宅の訪問販売
Fさんというのは、新卒のときに就職した会社の営業部にいた中年男性のことである。この会社の営業部は、何故か、非常に容姿に恵まれた人が多い中、Fさんは、お世辞にもイイ男とは言えなかった。どちかというと、贔屓目にみても、中の下か、下の上だろうという容姿である。しかし、自信家のFさんは、自分がイイ男でスタイルも抜群であると固く信じ込んでいた(実際は、背が低く、頭と顔が大きく、かなりのメタボのぽっちゃり体型で、手足が太くて短いのに、無理に海外のハイブランドのスーツを着ているため、脚の裾は引きずっており、手は指先しか出ておらず、ウエストはベルトの上にお腹の肉がぷよぷよと乗っかって、シャツのボタンは今にも弾き飛びそうだった。だが、あるとき、私の所属する部署の新人に鼻っ柱をへし折られ、ヤケクソを起こし、落ちる所まで落ちたが、上司の励ましによってスタイルを取り戻し、その後、男性ホルモン注射に夢中になってしまったという経歴?を持つ、かなり残念でかつ痛くて変な人である)。
さて、Fさんはかなり前に離婚したバツイチで、Fさんは実家から会社へ通っていた。Fさんのお母様はかなり前に他界しており、当時大学生だったの息子さんの衣食住の面倒は、Fさんのお父様が見ていた。Fさんのお父様は、Fさんと血が繋がっているとは思えない程、紳士で、Fさんが離婚した後も、元若嫁であるFさんの奥様と週に2~3回の頻度で子供を交えて会っていたらしい。恐らく、Fさんが、どこか遠くに単身赴任して滅多に家に帰って来なければ、Fさんと元奥様は離婚しなかっただろうと、会社の皆が思っていた。Fさんは、よく会社で、「親父の面倒はオレがみてやっている」と言っていたが、「お父様がFさんの面倒を見て下さってるの間違いじゃないですか?」と私は反論していた。ちなみに、営業部の全員が私と同じ意見だったが、それを言うとFさんはふてくされて仕事をしなくなってしまうので、営業部の人達は私と同じ事を言えなかったらしい。
なぜ、親子近く年上のFさんに対して私が反論できたかというのは、違う部署だったことと、Fさんが戦場記者や戦場カメラマンに対して、コンプレックスと憧れを抱いていたからである。Fさんも、最初から営業マンではなく、元戦場記者だった。だが、新人の頃に戦地を取材したFさんは、戦場の悲惨さ・目の前で無抵抗な女性や子供や惨殺されるところ、病院に運ばれても、���々と人々が死んでゆくこと、昼も夜も怯えながら仕事しなければならない地獄に耐えられず、たった一度の取材をしただけで営業部に異動したのである。だから、戦場記者や戦場カメラマンを続けていられる私の上司のMさんや、カメラマンのYさん、同期のS君や私などはFさんから一目置かれていた。
前置きが長くなってしまった。そんな、人間性にはかなり問題がある(面白いと言えなくはないが、家族には絶対なりたく人である)Fさんだが、Fさんのお父様は、世界的に有名な大手総合商社の経営企画部の部長&取締役だった超エリートである。それゆえ、基礎年金・厚生年金・企業のOB年金を含め、Fさんのお父様の収入は凄い額で、普通のサラリーマンの平均年収の2~3倍はあろう額だった。そのためか分からないが、Fさんの家の家計は、全てお父様の年金や投資して運用している不労所得などから支出していた。その事を当然だと思っているふてぶてしいFさんは、息子の養育費や自分の食費や被服代など生活に必要なお金を一切家に入れず、給与は全てFさんのお小遣いになっており、Fさんは非常に金遣いが荒かった。
そんな、金遣いの荒いFさんが大好きだったものは、訪問販売である。あるとき、何処のメーカーの物を取り扱っているのか得体の知れない訪問販売の営業マンがFさん宅を訪れ、羽毛布団を紹介した。この羽毛布団は100年使っても羽毛がダメージを受けることなく、干さなくても湿気たりしないので、お手入れも簡単、その気になれば洗濯機でも洗える、乾燥機OK、そして何よりこの羽毛布団で寝ていれば、金運が上がるという怪しさ満載のシロモノだった。そして価格はなんと1枚70万円である。常識で考えたら、日干しやそれが無理でも乾燥機で布団を干さないとダニの巣窟になるのは当然のことであることは、大人であれば誰でも知っている。しかも、高級マザーグースダックの羽毛布団を普通の家庭用洗濯機で洗ってしまったら、へしゃげてしまい、布団がダメになることも少し考えたら分かることである。第一、布団はある程度長く使っても、寿命というものがあり、ウン十年も使うような物ではない。まして、100年も使ったら、中はダニやダニの死骸や埃の巣窟、そもそも100年後に自分が生きている可能性の方が遥かに低い。しかも、1枚70万円である。寝る布団の質で金運なんぞ上がる訳がない。金運は、本人が為替や株式の仕組みをよく勉強して、如何に上手に投資するか、今までに無かったようなモノを起業して大ヒットするかなど、本人の努力が必須である。そんな、ぼったくり価格の胡散臭い羽毛布団なんぞ、即断るのが常識だと思うが、高級品やハイブランドが大好きなFさんは違った。Fさんは即決で羽毛布団を自分とお父様と息子さんの3人分を購入し、合計210万支払ったのである。
どちらかといえば、私も「安物を沢山」よりも「高い物を長く大事に使う」タイプの人間である。だが、その考えを適用する物には、向いている物と向いていない物がある。例えば、腕時計などは、いい物であれば、きちんとメンテナンスを続けていれば、自分の代だけでなく、子供に譲ることもできる。財布も私が現在使っている物は、就職した時に購入したものをまだそのまま使っている。だが、布団はそういう買い方に向いていない物だと思う。70万円の布団を1枚より7万円(それでも高いが)の布団を10回買い替える方が、余程、衛生的で清潔で快適である。
Fさんの訪問販売でのお買い物は、羽毛布団だけにとどまらなかった。羽毛布団で金運が上がったのか下がったのかは謎だが、多分、何の変化もないと思われる。羽毛布団の訪問販売の営業マンが来てから2か月後、Fさん宅に、また別の訪問販売業者が訪れた。今度はアコヤ貝をうる業者だった。アコヤ貝は、おなじみの真珠を養殖する為の貝である。真珠が欲しければ、アコヤ貝を自分で育てて真珠にするのではなく、真珠として出来上がっている物を買うのが普通である。だが、Fさん宅を訪れた業者は違った。『このアコヤ貝には、直径15mmを超える花玉真珠の原石が眠っている。来年の春に、このアコヤ貝を開けると、まばゆいばかりに光り輝く、立派な直径15mm以上の花玉真珠が必ずできているはずである。アコヤ貝1枚の中に、少なくとも真珠は3つ以上入っている。その真珠を宝石店に売りに行けば、1粒あたり最低でも300万、平均で500万以上の値段で買い取ってくれるだろう。今回は、特別にあなただけに、アコヤ貝を1枚あたり50万円でお譲りしましょう』という、如何にも胡散臭いシロモノだった。これはいくら何でも断るだろうと普通は思うが、とにかく「普通でないもの。後にプレミアが付く」などのキャッチフレーズが大好きだったFさんはアコヤ貝に飛びついた。そして、訪問販売の兄ちゃんに薦められるがままに、アコヤ貝を10枚も購入したのだ。そのアコヤ貝は、側部が透明になっている円柱状の入れ物に入っており(イメージとしては、ツナ缶が透明になったような物)、何処からでもアコヤ貝が見られるようになっており、上部は缶詰よろしく、開封用のフックまで付いていた。何故、私がそんな事を知っているかというのは、Fさんが会社でみんなに自慢するために、合計500万も投資したアコヤ貝の缶詰(?)を全部持ってきて、デスクの上に並べてニマニマしていたからである。なお、待ちに待った翌年の春、Fさんは嬉しそうに、アコヤ貝を空けていたが、花玉真珠はおろか、10枚あった貝の中に真珠ができていた貝は4枚だけで、しかも到底真珠とは言えない黄ばんだ小さな粒(直径3~4m程度)で、僅かに場所によっては真珠色に輝いているかな?というような物だった。
それでも、懲りないFさんが、訪問販売で散財した物は計り知れない程多い。私が知っているだけでも、食器棚を改造したとしか思えないガラスの観音扉になっている500万円の真っ白な仏壇(私が某安価な家具チェーンで8万円で買った自宅にある食器棚ソックリだったし、観音扉を開けさせてもらい、中を見たら、側面に一定の間隔で穴が開いていた。その穴は何の為に必要なのか尋ねてみらた、「『気』を通すために、必ず開けておかないというえない穴」だそうである。でも『気を通す』と言っているが、穴は外部に貫通しておらず、どう見ても、食器棚の中棚を取り付ける為のフック穴としか思えなかった。そして、肝心の『気』とは何か?と尋ねてたら、Fさん本人もよく分からないと答えるものだから、思わずひっくりかりそうになった。)、南西向きの屋根があるにも拘らず、高層マンションに面した北向きの屋根に付けられた600万円のソーラーパネル、法外な値段のオール電化工事で(オール電化にも拘らず、台所のコンロは何故かガスのまま)など例を挙げていったらキリがない。
私が転職してかなりの年月が経ち、更に関西に引っ越してきて、そろそろ5年近くなる。Fさんが今でも散財を続けているのか、とても気になるが、3年程前に、Fさんのお父様の訃報連絡があった。Fさんのお父様はどんな思いで息子の散財を見ていらしたのかと思うと、やはり、高齢の親に心配をかけるような親不孝物にはなりたくないと思ってしまった。
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事件名 事件番号:令和6年(わ)第105号 罪名:監禁、殺人、不同意わいせつ致死 被告人:小西優花 裁判長:小笠原義泰 裁判官は3人とも男性。裁判員は向かって左から女性、男性、男性、男性、男性、男性と男性率が高い。 被告人・小西優花 刑務官4人を携え小西被告が被告人入口から登場。 服装は白シャツ、グレーのカーディガン、黒のパンツ。髪はやや低めの位置でお団子。伸びきったプリン髪が勾留期間の長さを物がっていた。 身長は155cm程度で痩せている。肌は白く綺麗。 Eラインが整っており芸能人並みの小顔。スッピンでお手入れもできないにも関わらず可愛い。まだあどけなさが残り、とてもあんな残虐非道な事件を起こした子には到底見えず困惑した。大変不謹慎ではあるが佳子内親王殿下に似ているなと思った。 犯行に至る経緯 令和6年4月8日:被害者Aさん、内田の写真を自身のインスタに掲載。 4月18日:Aさんの内田の写真を掲載した投稿を見た共犯Y(16歳少年)が内田にチンコロ→同日21時05分:内田とAさんが通話。 20時28分~21時35分:内田と共犯X(16歳少女)通話 内田「アイツに50万積ませるわ」 X「それで足りますか?」 内田、XとYを携えAさんのいる留萌市へ出発。 23時37分:Aさんを車内に乗せ監禁行為開始。 翌日の4月19日深夜の2時10分:内田、Aさんに土下座させ、その様子を動画撮影。 2時33分:小西が内田らと合流。 3時06分:内田がセブンイレブン旭川神威店に立ち寄る。その後、小西とYとともにAさん入店。Aさんコンビニ入店から約10分後に店員に助けを求めるも内田に阻止される。内田と小西に引きずり出される形でコンビニを退店、車に載せられる。 ※この後Yは帰宅 3時29分:神居古潭の駐車場に到着。内田と小西、Aさんに衣服を全て脱ぐように強要。Aさん、駐車場で土下座謝罪させられる。 3時31分~3時45分:Aさんを神威大橋の欄干に座らせる(この間、内田はXとビデオ通話しその様子を見せびらかしてた) 3時48分:内田と小西、車に戻りAさんのスマートフォンを全壊させ川に投げ捨てる。 4時過ぎ:内田と小西がその時に一緒にいない風なLINEを偽装。小西を家まで送り届けた。 犯行の詳細 ① 令和6年4月8日、Aさんがラーメンを啜る内田の写真(令和6年4月4日頃に撮影された麺で顔の大半が隠れており顔そのものは殆ど見えない写真)をインスタグラムに掲載した。その投稿を発見した少年Y(16歳)が4月18日に内田にLINEで密告。 少年Y「これ俺が撮ったリコさんですよね?」 内田「うん。ゑ、誰これ、きも」 少年Y「俺も誰か分かりません」 内田「キモ」 余談だがこの日、内田は小西とお泊まり会をしてた。 ② 内田、AさんにDM「コレに電話かけろや」 21時05分頃、Aさん内田に電話する。 内田はXを引き連れAさんが住む留萌市へ移動(移動中もXのスマホから通話。内田「金払わねぇならボコボコにすっからな!」) 内田「50万積ませるわ」 小西「50万で足りますか?」 などのLINEのやり取り。 YにもAさんから50万恐喝するとLINEし、Yにヤクザの振りをさせてAさんを脅すよう命令。 Y「じゃあ家族ごと潰すから!」 内田、道中に窃盗事件の件で事情聴取を受ける(その間少年らは車内で待機) 事情聴取を終えた内田、被害者の住所を聞き出せず23時36分頃に道の駅留萌でAさんと合流。 ③ Aさんが現金を持たないで来たことが分かり 内田「そういうことね。お前バッタバタにすっから覚悟しとけよ」 Aさんを助手席に乗せて監禁開始。旭川まで向か��ことに。 ④ 内田、Aのスマホ取り上げる。 Aさん「帰りたいです」 内田「無理」 Aさん隙を見てシートベルトを外し走行中の車から降りようとしたため、内田がAさんの髪を引っ張り阻止。車内からAさんを降ろし顔面を殴打。Aさんを後ろに座らせ、Xに監視させた。 旭川まで移動中、内田と小西が通話。事の経緯を話す。 小西に今回のことを口外しない旨の誓約書を誓約書を作るよう依頼(口止め&恐喝の書類) 小西、スマホで書式調べて手書きで誓約書を作成。 ⑤ 0時50分:旭川市内のコンビニへ立ち寄り、奪ったAさんのスマホのPayPayから4万数千円支払い(タバコや酒など) その後暴力団組員ササキの自宅にいるYと合流するため、ササキ宅へ向かいYと合流。 後部座席にY・Aさん・Xの並びで座らせる。 内田、自身の兄貴分である暴力団組員ヒガシに事の経緯を話すために、ヒガシに会いに行くことに。 その道中、小学校の駐車場でAさんに土下座させ、その様子を撮影。 内田「反省してねーじゃん」と激高しAさんの顔面を殴打。 1時21分:Aさんに対するリンチ動画撮影。 Aさん「写真のことや舐めた態度取ってすみませんでした」と謝罪させられる。 ヒガシと合流し、ヒガシを助手席に載せてコンビニまで。 ※ウチにはヤクザが付いてるんだぞ!とAさんに見せつけるために敢えて暴力団組員ヒガシと合流したものだと思われる。 途中、コンビニに寄りAさんのPayPayアカウントからタバコなど37000円支払う。 ヒガシと別れ、小西宅へ向かう。 ⑥ 2時33分:小西、内田らと合流。 小西は内田に敬語&さん付け(明確な上下関係あり、対等な関係でないことが伺える) Xが助手席に移動、小西が後部座席に座りAさんの隣に座る(この後Xは二日酔いで体調悪いためAさんのPayPayで購入したタバコを内田から貰い帰宅) Aさん、50万円を月に5万円ずつ返済する旨の誓約書を書かされ、Aさんの住所やバイト先も書かせる。 その後、セブンイレブン旭川神威店へ Aさんが「トイレに行きたい」と言ったので内田・小西・Yと入店し店内トイレへ。内田はその間、AさんのPayPayでタバコなど12000円分支払う。 Aさんトイレの個室から出るや否や、3人を振り切りレジ前に行き店員に「助けてください、通報してください」と懇願 内田「コイツ悪いことしたから今から警察行くんだわ、通報したらおたくにも迷惑かけて営業どころじゃなくなるよ」と店員を恫喝し、通報を阻止。 Aさん、レジや店内の棚にしがみ付き抵抗するも小西に引き摺り出され床に倒れる。その間、小西はAの体を踏み付ける等の暴行を行った。 ⑦コンビニ店内の映像が裁判員らのモニターに流れる(法廷内スクリーンには流れず音声のみ) Aさん「すみません、助けてください、通報してください」 内田「人に迷惑かけんなって!」(以下、ボソボソ声で聞き取れず) Aさん「助けて!助けて!」(涙声) 内田「ヤメれやお前、テメーが悪いんだ��!お前が悪いんだべや、立てやコラ!」 Aさんの泣き声と叫び声 内田「お前が悪いんだべや!このままやるぞ、いいから出ろや!店に迷惑かけんなや!」 ※この音声が流れた後、小西被告涙ぐみ鼻をすすり下を向く。 力ずくでAさんを店から引きずり出しコンビニ裏で小西がAさんに馬乗りになり髪を引っ張り顔面などを殴打するなどの暴行を加える。 リンチが終わるとAさんを車に乗せ、Yを帰すために暴力団組員ササキ宅へ向かう。Yは内田から煙草を受け取り帰宅。 ⑧ 3時29分:神居古潭に到着 東側駐車場に車を停める。 内田と小西、Aさんに服を全て脱ぎ全裸になるよう命令。なおAさんの衣類や靴は草むらに投げ捨てた。 駐車場で土下座させ、その様子をAさんスマホで撮影。 そのまま神威大橋まで連れて行き2人で暴行を加える。 3時41分:橋の前で再度謝罪させ、Aさんのスマホでその様子を撮影。 ※当日の気温は4℃で小雨の振る寒い日であった。 一連の様子をXとビデオ通話し見せびらかしていた。 ⑨Aさん橋から落下した後の2人の行動 3時48分:犯行を終えた内田と小西、車に戻り西側駐車場へ移動。 3時53分:Aさんのスマホから一連の動画を全て削除。 3時57分:内田、Aさんのスマホを車で何度も轢いて全壊させる。 4時27分:旭川市豊岡にある豊橋からAさんスマホを川に投げ捨てる(防犯カメラで内田が川に向かって何かを捨てる様子の映像あり) この後、内田と小西の双方のLINEから今日のやりとりを全てトーク削除し、その日あたかも一緒にいないように以下のような偽装工作↓ 小西「リコしゃんおはよ」 内田「おまえまだ起きてたの?」 2人は何か聞かれても黙秘するよう約束する。 内田、小西にAさんのPayPayで買ったタバコ1カートン&15箱を渡し家に返す。 5時13分:内田、帰宅。 XとYにも何を聞かれても口を割らない&LINEのトーク履歴を削除するよう指示 Aさんのスマートフォンについて iPhone14紫色 警察官、スマホ探すも中々見つからず捜査が難航するも5月7日に小西が捨てた場所を教え基北川からAさんスマートフォン見付かる。 5月7日~15日にかけて復旧作業完了。SIMカードが抜かれていた。 スマホは警察署の解析課に持ち込まれるも損傷が酷い。泥水など洗浄し、24時間乾燥させ、同機種の部品を取り寄せ部品を全て取り替えデータ復旧することができた。 Aさんが全裸で土下座させられている動画などが見付かる。その際の動画が裁判員のモニターに流れる(法廷内のスクリーンには流れず音声のみ) 4月19日3時33分に撮影された動画: Aさん「舐めた態度を取ってしまい、申し訳ありませんでした」 ※3時50分頃削除 同日3時43分に撮影された動画: Aさん全裸で橋の欄干に座らされ謝罪させられている。 内田「はい、どうぞー」 Aさん「やだ……やだ……」←消え入るような、か細い声。※泣き叫ぶ様子が法廷内に流れたと報道されていたが、実際は叫んでおらず恐怖に怯えているような小さく弱々しい声だった(私の感想です) この直後、Aさん自ら飛び降りたか内田か小西��るいは両方に突き落とされたと思われる。 Aさんの死因 Aさん:平成19年1月19日生まれ17歳。身長約155cm。溺水による窒息で令和6年4月19日頃に死亡したと思われる。 4月19日:行方不明に。神威大橋から石狩川に流されたと推測。 5月21日:約63km流され、奈井江町の河川の木の枝にAさんらしき人が引っかかていた。DNA型がAさんと一致。 Aさんの胸腔内に水が溜まっており、肺や肝臓から淡水プランクトンあり、頸部圧迫の痕跡は見付からず。以上から溺水による窒息死と推測される。 遺体の状態: 後頭部に損傷。上下8cm・左右7cmほど変色し内部皮下出血認められる。死亡直前に出来たものだと考えられる。鈍器で殴られたか、落下した際に硬いものにぶつかったか。 背部~臀部にかけて上下20cm・左右15cmの傷。いつできたものか不明。 胃底部に粘膜出血あり。一般的にアルコールや薬の過剰摂取や強いストレスで出来るものだが、状況から考えて極めて強いストレスが生じ出来たものだと推測される。 コンビニ到着前までの少年Yの供述調書 内田は小西の家の前に停車すると、小西は「お疲れ様です」と挨拶し助手席ではなく後部座席に座ろうとしました。小西は内田のインスタによく登場していたので、2人はとても親密なのだと思った。そのくらい親密なら普通は助手席に座ろうとするのに、後ろに座ろうとしたと言うことは、Aさんを絶対に逃さないと言う強い意志を感じました。 小西が着席すると内田が「言ってやって!コイツどーにかしてやって」と強い口調で小西に言いました。高速道路を走行中、Aさんが脱出しようとしました。小西は内田に命じられ「次やったらどーなるか分かってるな?」とAさんを恫喝しました。 Xが二日酔いと怪我で体調悪いと言ったので、内田は先に神楽のX宅へ送り届けました。その際も小西は内田と共に「話通じないなら死んでくれ」「謝罪するくらいなら死ね」などと言ってました。また、小西はAの顔を仕切りに殴っていました。 Xが帰宅後、小西はAさんに「この誓約書に50万円をPayPayで払いますと書け」と脅しサインを書かせました。内田は「払えないなら月5万持ってこい」と言いました。Aさんは承諾し、月5万円払う旨の誓約書を書かされました。 またAさんの自宅とバイト先を聞き出し、小西がAさんの自宅やバイト先をGoogleマップで調べてそれをスクショして内田に送りました。内田は「金払わないと親やバイト先に連絡するからな」と恫喝し、Aさんはひたすら謝っていました。 内田と小西は「謝るくらいなら死ね」「今すぐそこに立ってこい、車で轢いてやるから」などと脅し、内田は車内でも髪を引っ張るなど暴行を続けました。 Aさんがコンビニで助けを求めた際のYの供述調書 Aさんが「トイレに行きたい」と言ったのでコンビニに立ち寄りました。内田が先に入り、小西がAさんの腕を掴んで3人でコンビニへ。私は2人の後を着いて行きました。Aさんが個室に入って10分後くらいに、突如レジカウンターに向かって走り出し、店員に向かって「助けてください!通報してください!」と頼みました。内田は「コイツ悪いことしたから今から警察行くんだわ。通報したら店も巻き添え食らうよ」と店員を脅しました。Aさんは手の届くありとあらゆるものにしがみつき、必死に抵抗していました。内田が「店の迷惑になるからやめろや」などと怒鳴りAさんのフードを引っ張りました。 私は内田と小西とAさんが押し問答する様子を見ていましたが、内田にコンビニのドアを開けるよう言われ、コンビニのドアを両開きにしました。内田と小西の2人でAを店外へ引きずり出し暴行を加えました。 Aさんに暴行を加える様子など店員に見られているし、防犯カメラもあるのでいずれ犯行がバレると思ったので帰りたくなりました。 小西がAを引きずり回しコンビニ裏へ連れて行くと、仰向けに倒れるAさんに馬乗りになって胸ぐらを掴んで殴っていました。内田が「お前、もういいつて」と小西を制止させ、Aさんを車に押し込みました。 ��は誰かに通報されると思い「警察来ますよ」と言うも、内田は全く気にする素振りを見せませんでした。 私は内田らと別れる直前、Aさんを自宅まで送り届けてあげるのか心配だったので 「Aを留萌まで送るんですか?」と内田に聞いたら、「コイツの態度次第」と答えました。 私が何か言って内田の機嫌を損ねて怒られるのも嫌だったので、お疲れ様ですとだけ言って帰りました。 少女Xの供述調書(4月27日付、Aさんのスマホが見付かる前) ・小西がAさんの首を絞めながら顔を殴る動画を見ました。 ・LINEのビデオ通話で橋の欄干に座らされてるAさんの様子を見ました。白くて胸も見えていたので全裸なのがわかりました。 Aさんの母親の供述調書 娘の死後、娘のことを考えなかった日はなくて、娘の日常の何気ない姿を思い出します。一番の願いは娘が生きて帰ってくることです。 私と夫は平成15年に結婚し、長男と娘が産まれました。令和5年に離婚後、私たちは実家で両親と同居していました。 長男は大学進学に伴い家を出て一人暮らしをしていましたが、娘とはインスタで交流をしていました。 私は4人きょうだいで、3人とも姪である娘をとても可愛がっていました。 娘は当時通信制の高校に通っていました。小さい子供が好きで、私の甥や姪をとても可愛がってました。将来は幼稚園教諭になることを夢見ていました。 犯行当日は札幌でライブがあり、翌日はオープンキャンパスに行く予定でした。4月18日の夜に玄関ドアの閉まる音が聞こえたので娘が出かけたのかと思った。次の日の昼になっても帰ってきませんでしたが、オープンキャンパスに行ったのかと思い、LINEをするも既読が付きません。 忙しくて返信ができないのかと思ってましたが、22日になっても帰ってこなかったので母と共に警察署へ行きました。 たまたま母のスマホから娘のインスタがログインできて見ることができたのでインスタのDMを見ると「早く電話かけろや!」と脅されるような文言のメッセージがありました。それを見た刑事さんは事件を疑いました。 と言うのも、娘がリンチされ山に置き去りにされたのだという噂がありました。夫とあらゆる場所に行き娘を探しました。もしかして神居古潭から落ちたのかも知���ないと、神居古潭にも夫と長男と行きました。娘は見つかりませんでしたが「生きている」と信じていました。 そして娘の遺体が見つかったと滝川署から連絡があり、滝川市まで向かいました。 遺体の損傷が激しいから見てはいけないと言われました。全身サラシのようなものでグルグル巻きになっていて、顔を見ることはできず、髪の毛一本すら見れませんでした。 警察から亡くなった事を公にしないで欲しいと言われたので家族で密葬しました。 ※ここで小西被告、泣き始める 生きたまま橋から突き落とされた娘を思うと悲しくて苦しくて胸が張り裂けそうです。娘はほぼ泳げないので、とても苦しんだと思います。娘を守ってあごられなくて後悔しかありません。 報道後は自宅などにマスコミが殺到し、色んな人に迷惑がかかりました。犯人には極刑を望みますし、家族全員そう思っています。 神居古潭は娘が亡くなったというとても嫌な場所ですが、でも娘が最期に生きていた場所でもあります。今でも娘に会いに度々訪れます。 Aさんの父親の供述調書 4月19日に娘が殺され17歳の短い生涯を終えました。まだ娘の死を受け入れられていませんし、娘の話をするのは苦しいけど少しだけ話します。 娘とは月に2~3回会っていて、かけがえのない時間でした。最後に会ったのは3月10日で家族で食事に行きました。そのときに娘から学校のことなど聞きました。楽しく通学できている様子でこちらも嬉しくなりました。 最初に男の子が生まれたので、次は女の子が欲しいなと思っていました。なので娘が生まれた時はとても嬉しかったです。長男も可愛いですが、男親から見た娘はことさら可愛くて、2人でよく出かけたものです。娘ができたら娘に服を選んで貰いたいと思っていたので、その願いが叶ったときは本当に嬉しかったです。 娘が欲しがっていたUGGの厚底スニーカーをプレゼントしたらとても喜んでいて、学校にも履いていっていました。今も娘が喜ぶその姿を思い出します。娘の夫になる人と一緒にお酒を飲みたかったし、娘の子供を抱っこしたかったけど、今はもう叶いません。 4月23日に留萌警察署から「娘さんはそちらにいませんか?」と連絡が来ました。5月4日に長男から電話がかかってきて、娘が逮捕済みの犯人から恐喝の被害に遭ったことを聞かされました。 娘はパジャマ姿で財布も持たず家を出ており、旭川市まで連れてこられリンチされて橋から落とされたという噂を聞きました。 その後は仕事を休み、家族みんなで神居古潭へ行き娘を探しました。石狩川沿いの全てを探しましたが見つかりませんでした。 5月30日に泣きじゃくる妻から「娘の遺体が滝川で見つかった」と聞かされました。 それを聞いた時は全身の力が抜けて卒倒しました。もしかしたら亡くなっているのかもしれないと少し覚悟はしていましたが、受け入れられませんでした。 対面した娘は全身包帯が巻かれ、死後1ヶ月以上が経過し、顔を見ることはできませんでした。 怖かっただろうね寒かっただろうねと娘に手を合わせて、家族全員で泣き崩れました。 翌日火葬し家族葬を行いました。今も毎日娘に向かって手を合わせて話しかけ、娘の骨壷を撫でています。娘がまだ小さかった頃、自分がそうしたように。 娘は凄惨な仕打ちを受け最後まで苦しみながら殺されました。犯人の所業は人間のすることではありません。家族は一生苦しむことになります。加害者には娘と同じ目に遭わせたいが、それはできないので最も重い刑罰を受けて欲しいです。 ※ここで小西被告、肩を震わせ大号泣。
【傍聴記】旭川神居大橋女子高生殺人事件【特定少年】|大元帥リタリン
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高校時代の友達と会いまくってる。去年では考えられなかった。なんか去年は全然会いたいと思ってなかった。金銭的にも時間的にも心も余裕がなかったから。でも会うとやっぱ高校時代を思い出して楽しい。
20日に会ったのは一人は会うの今年3回目で、もう一人はその子と同じ短大に進学した子。まじでドイツにワーホリ行く前に会ったきりやから14年ぶりぐらい。でも何も変わってなくて、昨日あったかのような感じで話してた。まじでその子は新卒して就職してからずーっと同じ企業で働いてて、実家で住んでて、結婚もしておらず彼氏もいなくて、ここ14年何も変わらず暮らしていたようで、びっくりした。こういう人がMBTIでいうJタイプなんだろう。私って割と宿題とか早めに終わらすし、待ち合わせ場所には時間より早く着くよう努力するし、全く時間にルーズじゃないという意味ではわりとJなんじゃ?と思ってるんだけど、何度も何度もINTPが出るし、むしろ何度意識してやってもINTPの比率が変わるだけでINTPしか出ない。こうして14年間でどこに住んで何をしていたかが全く違っていて我ながら怖いほどなので、やっぱPなんやなって。環境とか変えるのがそこまで苦ではないのかもしれないし、常に変えようと努力してきたこの14年間でした。
友達はやっぱ転職とか大変やし、彼氏も全然欲しくないんやって。心斎橋で働いてて、実家から少し遠いから、彼氏作ってうちのマンション、空きがあるから住めばええやん!て冗談半分に気軽に言うたら、嫌がるんだよね。私やったらええかも!と思ってすぐ行動に移すと思うwどこのマンションなん?とかくらいは聞いて、不動産サイトでググってすぐ調べるかも。て言うかロバートなんでISTJなんやろ?確かに仕事は定年まで同じ職場だったけど、割と引越しとかしまくってるのに。もう一度やらせたらISTPになるんじゃ?とか思ったり。まあでも思えば、人生の大半があの友達と同じで彼女も作らず結婚もせず、というわけだから、確かにJ型なのかもしれん。年取って、後悔のないように大胆になっただけなのかも。
友達は丸善の書店員なので、ブックカバーのガチャガチャでどうしても丸善が出したくて、必死でガチャガチャ何度も回していた。そしたら謎にリブロとかいう本屋のブックカバーがやたら当たる。試しに私も一度回してみたら、リブロが当たった。リブロとかいう本屋はどこにあるんだよ!と思ってたら、江坂にあった。大塚屋行った時に見に行っ��みよう。正直ジュンク堂のブックカバーしか馴染みがない。私はもう長いこと文庫本を買っていないので。ジュンク堂でそんなに買ってたんやなって思う。なんか難波でバイトしてたから、バイト帰りに本を買ったりしてたね。今も難波周辺で住んでるから、本屋行くとしたらジュンク堂になるな。ちなみに丸善のブックカバーが一番かわいい。こんなデザインやったんや!って衝撃。

リブロで久しぶりに文庫本を買おうかな。でも欲しいものがない…買うほどでも…とか思ってしまう。
無理矢理色々考えて候補にしているのが、高校時代から気になっていたけど読んでいなかったリンドバーグ夫人の「海からの贈り物」。なんか岡田斗司夫が長距離飛行のリンドバーグのこと話してて、それでそういえばその夫人の本があったよなあ〜って思い出して。夫婦で有名ってすげえよなあって。ていうか女性がただの「夫人」ていう。結婚して初めて人権が与えられるみたいな時代ってつくづく怖いなって。いまではたぬかなみたいな女性が170ない男は人権ないとか気軽に発言する時代やけど。あれから100年経たないうちに、女が男の人権ないwとか冗談混じりで言える時代が来るなんてな。それ考えると歴史を知っていると全部が小さなことなんだなって思ったり、今の常識が昔の非常識なんだなってつくづく実感する。女性のズボンなんかも、今じゃ普通だし、一定数の保守的な女性はズボンしか履きたがらないとかあるけど、昔は女性がズボンを履くのが恥ずかしいっていう感覚だったからね。今ではスカートを履くのが冒険!みたいに言う人が一定数いるわけで、昔を知る人からは、まるでパラレルワールド。足が太くてスカートなんて履けない!とかいう人いるけど、足の太さとか関係なく、昔の女性ははスカートしか履けないんだよなあ。
あとの候補はさくらももこの日記。タイトル忘れたけど、なんかカラーで最近日記が出てたような。あれ可愛かったし、なんかサクッと読めそうやからええかなあって。あの程度なら。
そういえば、文庫本くらいの情報量多いかんじで、大量のパターンとか製図方法の書いてある本ってないんかなあ。それでは小さいから記載のQRコードを読み取れば、PDFでパターンが読み込める、みたいなさ。そんなんあったらめっちゃ欲しい。なんか本って嵩張ってでかいし、電車の中とかで気軽に見れて、自分でデザインを考えたりできるのがあれば絶対私は買う。いつか私がパターン本を製作できるほどになったら、まじでこの文庫本形式で出すことを考えてみたい。まあでも文庫本形式って普通はベストセラーになった本を小さく手軽にって感じやから、そういうのは出版社的にはあかんのかもしれんけどね。
岩波文庫が好きで昔集めてたなあ。あの古めかしい雰囲気が好きすぎる。正直岩波文庫は古本でいくらでも買えるけど、あえて新品を本屋で買うのが好きだった。あの茶色い背表紙が棚に並んでるのが嬉しかったなあ。
それか、普通に文庫本ではなく、英語の問題集とか買って、ブックカバーつけてもらうのもアリかもしれん。B4サイズぐらいの問題集ならなんか普通にカバーつけてくれた気がする。
ちなみに友達は雑誌にも希望ならカバーつけてるっていうててびびった。ブックカバーつけてもらうために今度友達の書店でパターン本を買おうかな…とか思ったり。
ᙏ̤̫͚
私の高校は2年からコースを選んで、3年まで同じクラスっていう感じやったんやけど、高1の頃、同じクラスだった子が、なんか私と一緒のコースを選ぼうとしてきたんだよな。私は美術コースと迷って情報コースを選んだ。パソコンの部屋、冷暖房完備だし新しくて快適でいいなと思ってて結構好きで。美術室は別に快適ではなかったし、課題とか毎回あれば割と大変そうやしで、結局快適さで選んだね。一応美術部だったから、美術室もわりと行ったしな。
その子とは3年間同じクラスだった。それで、修学旅行とか遠足とかの班で2人だけではやばいから、他のどっかのグループに入れてもらおうって感じで、一年の時同じクラスだった子だけどオタクグループに所属してた子と、全然話したことないけどなんかクラスの中心っぽい雰囲気のグループといて、私はスクールカーストとか気にせず、知ってる子のいるグループに声かけようかと思ったんだけど、友達はオタクグループを嫌がって、カースト上位っぽいグループに声かけて、グループに入れてもらって仲良くなった。なんか他にも2人組で仲良くしてた子が入ってきて、気づけばすごい大きなグループになってた。合計8人。なんか青春マンガとかでも8人ものグループってなかなかないと思う。キャラ設定考えるのも大変そうやなw偶数だったのがよかったのか、あんまりグループ内で揉め事もなく、平和に2年間過ごせて幸せな高校生活だったと思う。まあ、グループという概念よりも、なんかクラスの女子ほとんど全員と話したことがあるし、オタクグループ以外とは仲良くしていたって感じ。こんなふうになるとは思っていなかったが、私は今思えばスクールカースト上位層だったのかも。でも、友達は別の可愛い子グループの子にも気に入られてたり、2人で遊んだりしてたし、今思うときっとその子がクラスのカーストトップくらいやったのかもな。私は話したことはあっても人見知りを発揮してそこまで仲良くなれんかった。一年の頃に仲良くなった子がなんか私を独占したい系の子で、他の子と仲良くしてると謎に嫉妬してくる感じだった。大人になってもそういうところがある。なんか実際私以外仲のいい友達はいないらしい。まさか当時はこんなふうになると思っていなかった。コミュ力は普通にあると思ってたので。こんなに人の好き嫌いというか、選り好みする子だったのか…というかんじ。まあ、この世の中に人間はたくさんいて、仲良い子が私の知らないうちに他の人と会って仲良くしてても、私は正直何も思わんし、この人はこんなにいい人で魅力的だから色んな人に好かれててすごいなあとしか思わない。嫉妬とか独占欲はない。基本1人でもええタイプやしな。確か北海道の修学旅行で、とある嫌われてる子が私とその一年から一緒の友達の間に入ってきて、多分はたから見たらなんか私からその友達を取って行ったみたいに見えたんだろうね。可愛い子グループの子たちが気を遣って隣に座って話しかけてきたことがある。私は音楽聴きながら1人で座れて家のようにリラックス気分でめっちゃラッキーって感じだったから、何でこの人ら変わりがわりにこんなに来るんやろ?って感じで正直面倒に感じた。私、バスの中だと妄想の世界に旅立つからねw仲間はずれにされて悲しんでるわけではなく、ガチで一人でいたかったのに。正直普通の女子には理解できない感覚だったんだろうね。
一年の時の友達で美術コースを選んだ子のクラスメイトの女子が私のこと一目惚れしたとか言って、電車の中でめちゃくちゃ見つめてたとかいちいち報告されて、なんか怖かった記憶。そんなん言われても…て感じ。ていうかその子めっちゃ美人だったんだよなあ。なんかハーフとか?で高身長だしモデルもやってたような子。そんな美人になぜこんな私が?て感じ。その子は普通にええ子みたいなんやけど。結局全然友達にはなれんかったなあ…なんか怖くて苦手だった。原因は私のコミュ力の無さやね…難しい…なんか友達多いかと思われがちだけども、面倒くさくも感じてしまう。
昨日友達が家でクリスマスパーティーしてて、呼ばれてたんだけども、ロバートが風邪ひいて行けなくなった。それが正直謎に嬉しい。
ᙏ̤̫͚
そういえばクリスマスソングの定番、Carol of the Bellsとだんじりの音に何か近いものを感じる。単調な音の繰り返し加減が。この曲途中でだんじりの音に変えても違和感ないんじゃ?とか思う。
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るんぺんパリ【RunPenParis】

自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄��んはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べれば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデ���会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車だったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが 本当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな��粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている ここは伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街��住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始める やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ ���やすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
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ラジコン備忘録 2024/9/14
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.1
さてやってまいりました。レース当日編。まずは1日目。

今回の大会会場は旭川。去年は札幌だったので久しぶりの旭川開催。僕にとって旭川会場は5年ぶり。
8時には旭川に着きたいので、5時起き・5時半出発です。
忙しい2日間が始まるのは目に見えているのでパッと高速で旭川に向かいます。うーん、早朝PAで見る愛車はカッコイイ。一応、ラジコンイベントの駐車場ではジロジロと実車を見られることがあるので綺麗にしておきました。排気量の余裕とフルバケの効果もあってか、移動の疲労感が少なくて相変わらず良い車です。

7時半に旭川に着いて朝食。会場の駐車場がまだ空いていなかったので、近所のマックに。同じような考えの仲間と遭遇して奢ってもらいました。朝マックなんて超久しぶり。

今回の会場は、旭川市市民活動交流センター CoCoDe(ココデ)。 昔の廃倉庫を活用したイベントスペースらしいです。レンガがおしゃれですね。 開場1時間前ですが、いくつか荷物で順番取りをしていますね...。
旭川、めっちゃ寒いです。家を出るときは半袖でも余裕でしたが、現地は無理。さすがに1枚羽織りました。この時点で16度くらいだったかな。寒いので路温が心配。

9時開場、エントリー受付です。初めての会場では無いので、記憶が少しずつ蘇ってきます。トイレの位置だけはハッキリと覚えている不思議。
今回の北海道大会、見る限りエントリーが少なめ。代表権狙いの人には良い状況ですね。
1日目に参加するオープンクラスの参加者は11名。かなり速いモーターを使うので難易度が高くて、上級者しか参加しないカテゴリー。参加人数も少ないカテですがそれにしても少なめ。とはいえ、本州からの遠征組も2名参加。ホームで負けるわけにはいかないので、ボコボコにしてやる勢いです。

この会場はピットスペースは2階に配置。吹き抜けになっているので、ピットからレースの様子がよく見えます。吹き抜けになっているような会場は全国見てもここだけなので、珍しいですね。 上からライン取り、車の挙動がよく見えます。

操縦台の上からコースを見渡した図。2階から見るのと大して変わらないですね。操縦席とコースの距離もあるので、操縦位置による有利不利も無さげ。

1日目のピット。いつも机上をゴチャゴチャさせてるのに比べれば大分スッキリ。気になる事といえば、ここの会場暗すぎる。タイヤ交換の作業をするにしてもかなり暗いです。棚にLEDをつけていますが、追加でデスクライト的なものを持ってこないと細かい作業は厳しい。コース自体も、吹き抜け構造なので2階からの照明が遠くてイマイチ。まぁ、こればっかりは仕方ない。暗いという意味でいえばみんなイコールコンディションですからね。

練習走行。まずはいつもホームコースで走ってるセッティングに少し曲がりを足したマシンで走行。
...なんだこれ。聞いてはいたけどここまでグリップ低いか?って路面に驚きつつ策を練ります。
いつものセットじゃ全く話にならないですね。テールスライドしまくり。カウンター当てないとまともに走れません。
最近のラジコンは便利なもので、横Gをジャイロセンサーで検知すると自動でカウンターを当てたり、スロットルを絞る機能があります。仕方なくそれを最大限活用する作戦に移行。
初日エントリーのオープンクラスは約2秒で40km/hに到達するといわれる最速モーターを搭載したカテゴリー。この小ささで40km/hというとかなり速い部類ですね。正直、操作はかなり難しいです。
そんなピーキーなマシンを操作しやすくするために、スロットルジャイロを30%ON。普段は0~5%なのでどれだけグリップが低いのか...。
モーターも100%のパワーを出しても扱い切れないので、出力上限を95%に設定。これで立ち上がりがマイルドになります。パワーを出し切らない方が速い、珍しい路面です。ピーキーなモーターをキッチリ扱えてなくて、下位カテゴリーのマシンより遅い始末。

そしてタイヤも変更。リアタイヤがグリップしなかったときの想定をしておいて助かりました。リアのタイヤコンパウンドを30°→20°に変更。これでリアグリップを確保・空転させないでトラクションをかける作戦です。

とはいえ、そんなに根詰めて悩んでも仕方ないのでスイーツ休憩。一息入れてから予選で勝負に出ます。大会当日は糖分の補給を積極的に行うようにしています。その方が脳の働きが良くなりそうなので...。

予選1回目。スタート時の混戦に巻き込まれてグダグダ。総合8番手で終了。マシンは悪くないようですが、レースの運び方が悪かった。他車との接触が2回はありました。ですが、次の予選2回目は前列スタートと考えるとたぶんイケる予感というか確信です。
予選2回目。スタートダッシュと1コーナーのアプローチが決まって2番手以降をブッチギリ。誰も前に出させることなく好調な走りで1番手フィニッシュ。ベストラップもきちんと出ています。
結局予選2回目が最速タイムになり、予選1番手が確定。マシン・腕前ともにイマイチ本調子ではないような感じもしますが、悪くはないようです。みんなこの路面に苦戦しているということですね。
北海道大会での予選1番手は5年ぶり。ポールポジションはやはりうれしいものです。
昨年は全国大会の権利を貰っているので、朝の段階で各選手に僕の走りをジロジロと見られているのは感じていました。そんなプレッシャーに負けずに走れて良かった。決勝も気楽に頑張ります。
グリップは少しずつ上がっていますが未だに低いまま。それでも、予選のままのマシンセッティングで何とかなる予感。決勝は変えずにこのまま勝負します。曲がらなくなってきたら、走行中にプロポで微調整をかける練習はしていました。


決勝はカーゼッケン1番に変更。やはり、予選1番手というのは特別で良いですね。

決勝Aメイン8分レース。
ポールポジションからスタートを決め、2周目くらいまで維持。だけどセットがなかなか合ってこず、3番手まで順位を一時落とします。しかし、ここからが僕の意地の見せどころ。瞬時にプロポ設定をいくつか調整し、前方選手のミスを見逃さずオーバーテイク。3番手まで落ちたのは一瞬で、30秒ほどで1番手に復帰。
僕の指先といえば、かなり忙しいです。グリップが低すぎて、いまだにアイスバーンを走っているような感覚。ブレーキをガツンと入れてキッチリ減速しつつも、スロットルは徐々に煽ってまさにドリフトしているような感覚。この走らせ方、かなりリアタイヤを消耗することは分かっていますが、こうでもしないとトップは死守できません。
その後2位の選手からの追い上げを感じますが、途中で追い上げは諦めたみたいです。表彰台圏内なのに、無理に追い上げて自爆する方が怖いですからね。つまらないですが、頭のいい作戦です。こちらとしても走りやすい。そのままタイム差を広げて2番手とは6秒差でゴール。ポールトゥウィン。完全勝利です。
リアタイヤは柔らかいコンパウンドを選択しているのでレース後半の 消耗が心配でした。ラスト2分でタレてきている感触はありましたが、誤魔化せる範囲で助かった。最近のラジコンの電子制御、本当にすごいです。疑似的なトラクションコントロールとABSでタイヤ消耗は助けられました。
今回の大会は路面グリップが終始低すぎて、スロットルワークが上手か下手かで勝負が分かれていた気がします。ワークスドライバー級のプロはステアリングよりもスロットル操作を重視すると言いますが、まさにそんな感じ。

表彰式。色んなカテゴリーがありますが、最速カテゴリーで優勝ということは、この会場の中で一番速いということなので嬉しいですね。

表彰状をもらいました。社会人になって表彰される機会というのはなかなか無いので嬉しいものですね。1位となればなおさら。
ここまでくるのに色んな人のアドバイス・協力がありました。本当に感謝。なかなか恩を返しきれないです。

1日目が終わると、2日目に向けて東横インにチェックイン。全国大会の時に東横インに5泊したので、この際東横インのポイントを集めます。ちなみにキャリーバッグの中身は全てラジコン関係。着替え類はリュックで収まりました。
旭川くらいなら日帰りでも行ける距離ではありますが、翌日に向けて寝不足は避けたいのと、燃費計算をして宿泊した方が断然安かったのでホテル泊。

その後は直ぐに旭川の街に繰り出します。僕の記憶の中の旭川の街って、栄えてはいるけど古臭いビルが立ち並んでいるイメージでした。久しぶりに旭川を歩いてみると随分と近代化していますね。オシャレなビル・お店がたくさんあります。今度、きちんと旭川で呑みたいですね。

さて、北海道大会参加者の懇親会です。参加は30名くらい。ビアガーデンスタイルの鉄板BBQ。これで5,500円か~...と思いつつも陽気に飲み食いしてしまうのは相変わらず。初日1位の男なので、各方面にモテまくりです。大規模な飲み会で主役を張れるというのは、酒呑みにとっては随分と気持ちいいです。


飲み会が楽しく終わり2次会に消えた人々もいるみたいですが、僕は偉いのでホテルに戻ります。翌日のことを考えたら、呑みすぎは絶対にNGですし。一人でしっぽりやりながら、次の日の準備。電池関係がメインですね。
1日目の走りを動画で確認しておきますが、我ながら良い走り。 次の日もこんな感じで走れれば良いんですが、今さら考えても仕方ないのでホテル晩酌を満喫。24時には就寝。
2日目編につづく...。
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2024年7月8日(月)

私の職場(私立女子大学)では、今日から前期授業が13週目に入る。月曜日は出勤すると、最初に総務課に設置してあるメールボックスをチェックする。期末に実施する<授業アンケート用紙>が9クラス分、人数は少ないが封筒の数は教員の中で一番多いかもしれない。しかしよくみると、実施期日が<7月21日(月曜)>となっているではないか。こんなミスを見つけるとつい嬉しくなってしまう、あまりいい人間ではないのがバレてしまうね。あ、担当者から後ほどお詫びと訂正メールが届いたことも記録しておこう。

4時45分起床。
体重は、週末で950g増加。
CleanMyMac X を立ち上げて、MacMini のスキャン、週に1回の作業だが週末にやるのを忘れていた。何も問題なし。

洗濯。
朝食。
珈琲。
弁当*2。
大型ゴミ3点をガレージに並べ、一人で出勤する。

順調に到着する。
レターボックスをチェック、授業アンケート用紙と自己点検評価レポートを受け取る。
ラジオ体操第一、左腕は痛みがあるがとにかく続けるのだ。
外気がぬるいので、冷房を入れる。
午後の授業内容をチェックする。
書棚の整理、世界遺産関係のDVD、売れるようなものではないので<廃棄>と明記してゴミ捨て場へ。
昼になってラジオ体操第二、やはり体を動かすと気持ちよい。
ツレアイから連絡、買物済ませ、ココに点滴してから出勤するとのこと。
月曜日3限・4限<情報機器の操作Ⅰ(看護学科)>、先週のエクセルの復習(数式の使い方)、次に関数の使い方、前半は私が解説し、後半は自習させ、出来たものは提出フォルダに提出して終わり。2クラスとも、ほぼ問題はないようだ。来週には試験を実施することを告知して、早めに終了する。

帰路も順調。
まずは、ベランダの洗濯物を取り込む。
しばらくしてツレアイ帰宅。

地物のトマトとナス、それに安売りの鶏ムネ肉を使って<茄子と豚バラ肉の甘辛炒め><蒸し鶏のマヨネーズソース>。お日様を一杯に浴びたごついトマトが美味しい。肴は昨日2割引で買った鱧を煮る、3日ぶりの日本酒が嬉しい。
録画番組視聴、刑事コロンボ。
第16話「断たれた音」/ The Most Dangerous Match 現チャンピオンのクレイトンと対戦するために、前チャンピオンのデューデックがチェスの世界に復帰した。2人は互いを意識していた。レストランで一緒になると、テーブルの上で非公式なゲームを開始し、ホテルに戻ってからも部屋でゲームの続きが行われた。デューデックは常に優勢だった。
片付け、入浴。
明日はツレアイが早出なので、早めに休む。

月曜日にしてはいい数字、そうか、ラジオ体操が効いているのだ。
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非被災住宅ー2
非被災住宅-2
「震度7以上に耐える住宅やビルの設計が重要だ」とテレビで全く言わない理由。それは「牛乳が体に悪い」と言えないことと同じ商業利権密着型の構図です。すでに社会の中にその有害物が多数ばら撒かれ、その下で働く人々が膨大で社会的影響が大きすぎるから
このような本末転倒なバカげたことは、世の中に多種多数存在しています。その情報に特化した本は、チャイナ・スタディー 葬られた「第二のマクガバン報告」以降、出てないのではないかと思います。最新増補版が3月に出るようです。あとで他にないか調べてみます。出てないのなら作る必要があります。
「身体に良いものと悪いもの」、「安心安全なものとそうではないもの」の二つの情報は、健康や命とは異なる基準で判断され、世の中に定着させられています。 車や道路に関してもそうです。命と密接な関係を持つ車の安全性は、日本でだけ棚上げにされて、毎日何十回も「スズキの大決算」という刷り込みが耳に入ってきます。
命を最も重視した設計のボルボのCMは滅多に聞こえません。そのため人気が無いので、中古のボルボはとても安く手に入ります。日本では電気自動車がちっとも売れないので、ボルボの販売店は困っているのではないかと思います。
軽トラに代表される軽自動車は、日本にしかありません。豊田章夫会長は日本中にばら撒かれ普及している軽トラを2030年以降に廃止することなどバカげていると言っています。このことは2重の意味でねじ曲がっています。
国連が、すでに世界中にばら撒かれた牛乳文化を突然禁止にすることに決めたようなものなのです。膨大な雇用が失われます。
だから牛乳文化を守れと言うのもおかしなことなので、2重なのです。
食塩食卓塩という名の精製塩が日本の加工食品のほとんどに使われている事実も全くTVでは言いませんね。
江戸時代には誰も牛乳を飲まず、牛肉も食べていませんでした。塩は天然塩を食べていました。
住宅の現状を見ると、29年前の阪神淡路大震災の頃に、姉歯構造偽装事件が問題になり、その後、耐震構造が少し強化されたと思います。 それでも、震度7やそれ以上の大地震になると壊れてしまうでしょう。 国の建築基準法の数値をそこまで引き上げてしまうと、ほとんどの住宅メーカーが現状で販売している住宅を売ることができなくなって、ダイハツみたいなことになってしまいます。 選択肢が他にあれば、普通の住宅メーカーや、建築基準法を相手にする必要もないのですが、・・・
鉄筋コンクリートのビルや木造住宅は震度7以上の地震で崩壊しますが
防炎断熱を備えた、鉄骨テント構造の建築があったら、崩壊しないし、炎上もしません。もともとブルーシートで建築を作れば、ブルーシートを被せる必要もありません。燃えない素材にする必要はあります。 鐵骨も揺れはしますが、構造体全体がそのまま揺れるだけなので倒壊しません。頭を打ったり、転んだりはします。押しつぶされることは無い。
非被災住宅
被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。これから具体的に考えます。能登半島に残ることを希望する人々が、また今までと同じような家を建てたらまた悲劇が起こります。これは日本中どこでも同じ
Non-disaster housing
In order to ensure that disaster-stricken areas continue to remain safe and secure, it is essential to design housing that can withstand disasters of the same scale. I will now think about it in detail. If people who wish to remain on the Noto Peninsula build the same kind of houses again, another tragedy will occur. This is the same everywhere in Japan
こういう風に感じている賢い人は結構居ると思います。その英知を結集させることができれば、地震国日本にふさわしい、新しい住宅像が出来上がってくると思います。
日本では、平和と安定を願うための特定の集団をつくることができにくくされています。その代わりに、統一教会や創価学会、中抜き利権派閥などの脱法集団が支配しています。そこにも対応が必要であるため、法律の専門家も必要になります。
検閲だらけの日本のマスコミでは、気の毒な場面だけ報道し、その地区での被災者と被災してない家庭の比率を報じない。無傷だった住宅に関して全く情報がありません。
今後の復興と安全のためには、無傷だった住宅の詳細のほうが重要。見に行くしかない
東日本大震災の津波跡地に無傷で残っていたのは、ヘーベルハウスの住宅。集落じたいが全壊しているので、結局住み続けることはできなかったのだろうと思います。
地域で一人だけ核シェルターを作っても無意味というのと同じ。被災地域を安心安全な状態で継続するためには、同じ規模の災害に耐える住宅の設計が不可欠。
自分や他人、動物たちを傷つける可能性があるものは、少なくともプラスのメッセージを伝えることを目的とした「作品」には使えないと感じています。どんなに美しいマリア像でも、地震で壊れて落下してきたら凶器になってしまいます。それは、マリア像にはふさわしくないので、あまり大きなものは作らないほうが良いと思います。頭に当たってもたんこぶができる程度の重さならOKです。私が2009年に段ボールの額縁を作ったきっかけはそういうものでした。額縁が落下して誰かを傷つけたら、それは、正しい使い方ではなかったことになります。
同様に、家や壁も、なるべく人にやさしい、軽い素材が良いと思います。
頭の上にコンクリートがある場所で生活していると、いつかは高い確率で死んでしまうことになるでしょう。そのことは、30年前に気づいていました。しばらく忘れていましたが、続きをやる時期になったと思います。
軽くて燃えにくく、雨風と日光に耐え、断熱、蓄熱効果が高いものが良いです。下から1mは、石や土でも構わない。1mより上は、人体より柔らかい素材。そういう家はテント式のものにありそうです。
能登半島で破壊された家がもしテントだったら、人は死ななかったし、自力で作り直すこともできたはずです。
検索したら一つ出てきましたが、硬い素材を上のほうに使用してしまっています。これではダメですが、改良はできるように思います。
「減塩詐欺」
日本でだけ売られ、ほとんどの加工食品に使用されている食塩という偽名の精製塩。塩が高血圧の原因というときの塩とはミネラル除去の「精製塩」。「天然塩」は摂る方が健康になり、血圧も安定する。「減塩(減ミネラル)」は健康に悪い
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法事の前に髪の毛を切ろうと思い、美容室の予約をしました。私は忘れないでください
一周忌ということは人が亡くなって一年経つということですが、生活に関わらない人の不在はそういったことで実感できません。いないんだ、ということは、いたんだ、ということですが、いたんだ(実感)が、いたのか?という疑いに変換されます、私は私をあまり信用していないので、私の周りにはあまりにも実在が疑わしい人たちが多い。いますか?
業務のことをずっと考えているのですが、選書とか本棚の編集であるとか、そういうことが自身の表現活動かのように思われていることをたまに感じます。実際はもっと淡白な業務です。頭を働かせていることに違いはないのですが、自分が何を意図してそれをしているか、棚の文脈などを考える時の話ですが──つまり料理��棚であれば材料の切り方によって味の染み込み方がどう変わるのか、と言った基礎的な理屈を書いた教本からその前提を踏まえたレシピ本、公式からその応用に流れていき、基礎を踏まえているからこそできる省略、或いは応用をもっと進ませて盛り付け方やテーブルのセッティングについての話に繋げていくようなことが棚の文脈を作るということであり、それは決して私の意思表示ではありません。全ての棚においてそういう流れを考えて組み立てているだけで、強いていうならその本をどうして基礎または応用として解釈したのかが個としての決定になってはくると思うのですが、その解釈が自分独自のものか多数にとってそうなり得るかの検討はわりと慎重に行っているつもりで、その本のタイトルや著者を知らない人にとっては突飛になり得てもひらいたことのある人やその著者に対するWikipedia程度の知識を有する人であれば頷いてくれるだろうということが並べる時の前提にあります。
棚に触る人間は私一人ではないので──そこから漏れだした並びになってしまうことはまぁ確かにあるのですが、それが個人の表現活動になるかと言われたらそんなことは決してない、と、棚を眺めていて思います。確かに一般的な新刊書店では奥の方にひっそりとしまわれているようなタイトルが私、或いは他のスタッフによって目立つ箇所に陳列されていることは珍しくありませんが、一般流通されているような本はそもそも多数の人間が関わった上で形作られていくものですし、そうして作られたものは概ね──例外も存在しますが──目に留まる箇所に置かれれば誰かの興味はひくようにできていて、手に取られ、ひらかれたら、それは誰かしらの、入場料を払わないと基本的には入ることもできないという奇怪なシステムの書店にわざわざ足を運ぶような方であれば、発行されてからの時間が随分経っていたとしてもきっと面白がってくれるだろうという期待と商売人としての計算のもとでそうしているのであって、大切だから、だいすきだから広めたいという意思はあまり持っていません。
私は退屈な人間だし、本屋というものは感性だとか確固たる意思によってその棚を編集している訳でもないですよ、という話です。
おそらく、ここ数年増加し続けている個人書店とそこを営む人々が発信する個人としてのメッセージなどが書店を一種の表現活動の場のように思わせているのだろう、とは思います。そういう面のある書店も実際にありますし、そういった人々の編集する棚はあいによって見事な物語を作り上げてそこへ共感する人々との対話の場になっているように感じます。
でも私は──この手の話を100回してきましたが──本当にそういう場としての本屋に興味がない。アンチもヘイトもカオスもなんでもござれで清濁を混ぜ合わせ清を濁らせ濁りを濾過して、その全てがあってこその世界それぞれが切り取られた本が形に残っていることだけが面白い。いくら個人のつくる物語性のある棚がヘイトを拒絶し文化をあいした素敵な連帯をうたっていてもです。私は私の働いている書店に並ぶ全ての本にヘイトが含まれていないと約束することはしないです。まぁなんか、その手の有名どころは並べたところで売れない上に文脈を作る上でも馴染ませにくいので避けがちではありますが、他の新刊書店で働いていた時は売った覚えもあります。なんというか、かなり、思想が強い雑誌などを。
その時におぼえた幻滅の矛先は買った人に対してではなく、「ヘイト本は置かない」と宣言していたのにそれを置いていた店に対してでした(以降、入荷は止められましたが)。嘘じゃねーか。と思いました。それは自分が働いていた店以外でも棚を見て思うことがあります。入荷する本の全てを隅々ひらいてそれを確認する覚悟とその言葉がどの立場の人たちにどう響き得るかの知識と想像力がないなら宣言などしなければいいのに。誰も踏み躙らないようにする時はじめに必要なのは、自分と、自分が信頼する人々の全てをまずは疑うことなのに。
絶望しなさいよ、という話ではありません。
諦めなさいよ、という話ではありません。
よく見ろよ、という話です。
私が約束しないのは全ての本を隅々まで読んでから棚に置くという覚悟がないせいもありますが、まずそもそもあまり連帯に興味がないというところが大きいです。どうしても、そういうことがしたくなった場合は手の届く範囲の本だけを並べられる規模で働く術を作り出すと思います。その可能性はかなり低いですが。
機嫌が悪いのは買ってきたフラッペを所望した人が目に留めることもなく眠っているせいです。フジロックの長谷川白紙があまりにもよかったんだろう感想がTwitterに(私はTwitterと呼び続けますよ、まだしばらくは)とめどなく流れてきていいな〜〜となっている自分だけが可愛いです。観たかったな。
今日の写真がありませんから今日着ていたTシャツからひいて鏡鏡鏡鏡のリンクを貼っておきます。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和六年(2024)4月19日(金曜日)
通巻第8221号
後継皇室問題で自民党が有識者会議の二案を『妥当』
やはり自民党に「現代の新井白石」はいなかった
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皇���後継問題の皇室典範改正をめぐって有識者会議が開かれ、これを踏まえて岸田首相は令和六年(二〇二四年)一月三十日の所信表明演説後の質門に答え、かく述べている。
「有識者会議において悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならないとの結論に至った」。
つまり「女系天皇論」という俗論をたしなめたのだ。だがメディアは意図的に、この一歩踏み込んだ発言を殆ど伝えなかった。岸田首相は「悠仁親王殿下までの皇位継承の流れをゆるがせにしてはならない」と明言しているのである。
皇統は神武以来の万世一系で男子が継承し、跡継ぎが幼少などの場合、未亡人皇后か独身の内親王が天皇代理として「称制」と務めた。この歴史の特質が意図的に議論されず学校でも教えない。
だから軽佻浮薄にも「愛子天皇待望論」が出てくる。女性天皇と女系天皇の区別も曖昧とされたままである。
小泉政権のおり皇室典範改正をめぐって有識者会議が開催された。明治二二年(一八八九年)制定された典範により、男系長子が皇位を継承するという神武天皇以来の万世一系の伝統が守られてきた。状況が変化し、皇統が絶えかねないという危機を認識し、急遽、有識者会議が招集された。
だが、座長はロボット工学専門の学者で歴史には無知だった。秋篠宮に悠仁親)王がお生まれになって、皇統問題は棚上げとなった。
もしこの流れを変えるとなると歴史を否定する革命である。フランクフルト学派が狙うのは二段階革命による国家破壊であり、グローバリズムが国境をなくせと唱えている国家否定の隠れた目標に通底する。
4月15日、自民党は皇位継承の安定のための皇族数確保に関する有識者会議の二案を『妥当』とする立場を示し、「安定的な皇位継承の確保に関する懇親会(麻生副総裁が会長)で党見解のとりまとめを急ぐとした。
「二案」とは(1)皇族女子の結婚後の皇族身分保持。(2)養子縁組に拠る旧皇族団系男子の皇籍復帰、である。
自民党はいずれも妥当としたわけだが、いささか勉強不足だろう。やはり与党に現代版の新井白石はいなかったのだ。
各党の意見のなかで、唯一まともなのが「維新の会」である。すなわち(1)に対して、現実的ではあるが「女系への皇位継承資格拡大につながる懸念がある」としている。
(2)に関しては『歴史と現実を踏まえれば、高く評価できる』とした。
そもそも皇室典範の改正云々を内閣ごときがおこなうべきではない。立太子と親王殿下がおられるのに、なぜこんな議論をするのか、裏に何か別の動機が潜んでいるのか。
(参考文献 宮崎正弘『二度天皇になった女性 ─孝謙・称徳女帝の光と影』(ワック)
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(再録)「新井白石 皇統断絶の危機を予知」
皇統が断絶の危機に瀕したことは神武天皇の御代から幾度かある。また後継皇位を争った政争、謀殺も何回かあった。
古代史最大の謎は応神天皇と継体天皇の正当性である。ほかにも雄略天皇が謀殺したイチノヘオシハ(履中天皇の皇子、雄略天皇の叔父)の遺児が播磨と吉備の境に二十年隠れ住んでいて、雄略の皇子・清寧天皇が亡くなると名乗り出た。この間、イチノヘオシハの妹の称制だった。
新井白石は自伝ともとれる『折たく柴の記』のなかで、皇室の後継が不在となる危機の到来を認識し、東山天皇の祖孫をして閑院宮家を立てられるよう将軍に建言した。その皇統を維持させた経緯を次のように回想した。
「議し申すべき一事の候は天亨・建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば、武家の代の栄えも衰えをも、ともにせさせ給ふべき御事なるに、応仁の後、世の乱れ打ち続て、武家すでに衰給ひにし上は、朝家のことは申すに及ばず当家(徳川)神祖天下の事をしろしめされしに及びてこそ、朝家(皇室)にも絶たるをも?ぎ、廃れしをも興させ給ふ御事共はあるなれ。しかはあれど儲君(皇太子)の外は、皇子、皇女皆々御出家の事においては、いまもなほおとろへし代のさまに、かは
り給はず。凡そ匹夫匹婦の賤しさも子を産みては其室家あらむ事を思ふ。これ天下古今の情也。(中略)これより後、代々の皇子、皇女、其数多くおはしまさむに至りては天下の富も、つがせ給はぬ所ありぬべしなど申す事も候はんか。古より皇子、皇女、数十人おはしませし代々もすくなかれねど、それらの御後、今に至り給ふは、いくばくもおはしまさず。『天地の間には大算数といふもののある也』と古人は申したりき。これらの事は人の智力の推し測るべき所にあらず。ただ理の当否をこそ論じもうすべけれ」(松村明校注、岩波文庫。138~140p)
新井白石は後継皇統の候補者がたくさんおられた時代ではなく、いずれ後継候補が不在となる危機にそなえ、別に宮家を建てて費用をまかなうべきと建言したのだ。
将軍家宣は白石の建言を受けいれ直仁親王を閑院宮と称し、禄千石を進上した。はたして白石が危惧した通り第113代東山天皇の系統は第118代後桃園天皇で絶えた。
そこで東山の皇子、直人親王の孫にあたる光格天皇が第119代天皇として即位された。光格天皇は閑院宮典仁親王の第六王子。誕生の翌年に聖護院に入寺し将来は出家して聖護院門跡を継ぐ予定だった。
ところが後桃園天皇が崩御し、直系は内親王だけだったため、安永八年(1789)十一月二十五日、践祚された。今上陛下はこの光格天皇の系統である。
ゆえに令和の時代の皇室論議に臣籍降下された旧宮家の復活が急がれる所以である。
白石が冒頭にのべた「建武の間、皇統すでに南北にわかれ、南朝はいくほどなくて絶させ給ひぬ。北朝はもとこれ武家のためにたてられ給ひぬれば」という意味は、建武の中興の後醍醐天皇の南朝が99代の後亀山天皇で世継ぎなく北朝五代の後円融天皇の皇子が、第百代の後小松天皇、101代称光天皇のあと、五代遡って北朝一代の光嚴天皇の祖々孫にあたる後花園天皇となられたことを指している。
皇位が空位となったケースは幾つかあるが、未亡人か独身の内親王が称制(臨時天皇)として正式な後継皇子が成人するのを待った。たとえば持統天皇、皇極・齊明、元正、元明がそうだ。孝謙・称徳天皇の場合は後継淳仁天皇を廃帝とし、次の光仁天皇を指名したとする遺書は藤原百川がでっち上げた。
第二十一代雄略天皇の子、清寧には皇子がおらず三代遡って履中天皇の皇子イチノヘオシハの遺児(顕宗、仁賢)が継いだことはみたが、その間の飯豊天皇は明治三年に皇統譜から削除された。ところが葛城の麓へいくと宮内庁管轄の飯豊天皇陵がある。
その後、第二十五代武烈天皇にも後継皇子は不在で、こんどは五代遡り、応神天皇の五代孫と言われた継体天皇が践祚された。継体天皇は越前からやってきたが二十年間も奈良へ入らず、この謎は解明されていない。
(『月刊日本』から再録です)
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DA:O +DLCクリアしました!
面白かった!ボリュームが本当にすごかった! DAIをクリアしたとき(もう7年くらい前)、いつかやろうやろうと思っていたのだけれど、その”いつか”がDATVクリア後になるとは…DATVクリアした勢いで遊んでよかった。 DAシリーズの初代ということもあって、世界についての説明が丁寧で、DAIやDATVプレイ中にぼんやりとしていたあれこれが紐解かれていくようでした。
ネタバレと感想は↓

Origins 【エスラ マハリエル / ♂ / ローグ】 若いデイリッシュの青年がなんやかんやあってグレイ・ウォーデンに参加することになってしまいます。 グレイ・ウォーデンについて、DAI→DATV→DAOとどんどん印象が変わっていきますね、いい方に!DAIプレイ中はなぜか良い印象を持っていなかったんです。 この時代からちゃんとキャラクリあるんだ…って少し驚きポイント。パーツがなかなか気に入るものが無くて難しかったけれど…。 ちなみにPC版、日本語化MODのみ入れています。(PCゲーム初心者過ぎてMODの入れ方があまりわからない&何がいいかわからない) UIやグラフィックはやはり古さを感じるけれど、ストーリーは全然今でも受け入れられるものだと思いました。 戦闘は思っていた以上に戦略性が求められるもので、好みは分かれそう。私は基本ノーマルモードでゲームを遊ぶのですが、慣れない序盤は難しくてイージーに難易度を落としました…。慣れてきたところでノーマルに戻しましたが、それでも途中途中で全然勝てないバトルが発生したりで何度もリトライすることがありました。
個人的に悩まされたのがコーデックスやアイテムの取得。 最近のゲームは拾えるアイテムがキラキラ光っていたりその他のオブジェクトと比べてわかりやすく表示されているものが多いのですが、DAOはその辺に落ちている紙切れや本やアイテムが、カーソルを合わせてみて初めて拾えるものだと認識できるくらい背景に溶け込んでいるので取り逃しや必要なアイテム全然見つからない問題がかなり発生しました。 棚の端から端をマウスカーソルでなぞるのは、現実世界での物探しのようで変なところでリアリティを感じてしまった…笑 モリガン、レリアナ、カレンなど、お馴染みのキャラの若いころと出会えたのは嬉しかった。 DAIのうっすらとした記憶で、レリアナは『冷酷なアサシン』のイメージがあったのだけど、モリガンにセクシーな恰好させたい!と盛り上がったり吟遊詩人らしく伝承や物語が大好きだったりチャーミングな一面を知れてより大好きになりました。 モリガンは若さゆえなのか、優しい選択肢を選ぶと好感度が下がっていくのでヒーラー枠のウィンさんが仲間になって以降はキャンプ待機してもらっていました…。それなのに真っ先にロマンスになるなんて。気づいたら恋愛関係になっていて(それも結構序盤)こっちの気持ちがまだ追いついてないよ!と焦りました。でもきっとこれが正史なんだろうな…。 ロマンス相手はゼブラン。 アンティヴァの黒カラスには魅力的な男しかいないのか?? 壮絶な過去、愛を知らずに生きて、フェレルデンの救世主に出会って変わっていく心の内に戸惑い、それを認めて本当の愛を知るとか、たまりませんね… PC版の誤訳なのか、エンディングのテキストが『彼女』になっていたのが気になりましたが脳内変換しておきますね。 黒カラスといえば、DATVの黒カラスとかなり印象が違いました。 DATVでの黒カラスは「アンティヴァを陰で守る者たち、華麗で冷酷、仲間は大事に」という印象でしたが、DAOではそのうちの冷酷さだけが際立っていました。仲間意識が強いのはルカニスとその周りの人物だけだったりする…?黒カラス自体ひどい環境っぽいし、組織を抜けたものはどこまでも死ぬまで追い続ける。闇に生きている彼らの本当の姿はこちらなのかも。
DAでお馴染みの究極の2択ですが、基本的に和解やそれに近いようにさせられたかな、と。オーズマーの王だけは不穏な雰囲気を残してしまいましたが…。 相変わらず容赦のない選択肢が多いというか、DAOは問答無用で相手を殺すことが出来てしまいすぎでは?「なんであろうと許さない(攻撃する)」みたいな選択肢の多さよ…。 仲間との会話でも、簡単にパーティを追放させられる選択肢が配置されているので押し間違えないようにどきどきしながら会話していました。 最終決戦直前の夜。モリガンの提案には泣いてしまいそうになりました。何も相談せずに身体を張りすぎなんだ君は!! みんながモリガンのこと大好きなのはこういうことがあったからなんだね…もちろん私も大好き! 提案は”受け入れる”ほうを選びました。 何も言わずに立ち去ってしまうのも、モリガンらしいです。 Awakening 本編から6か月後のお話。フェレルデンの救世主はウォーデンの提督となって人々を導きます。 大ボリュームすぎず少なすぎず、丁度いいDLCでした。 運命を決める2択もしっかり健在で、こんな短期間で人々や町の運命を決めなければいけない救世主君にちょっぴり同情。 個人的にここに出てきたナサニエル・ハウが好きで好きで…。あんなに紳士に一生懸命に家族のことを想う優しい人。出会いは良いものではなかったかもしれないけど、信頼してくれてありがとう。 きっと本編に出てきてコンパニオンにできてロマンス出来たら問答無用で選んでいたと思います。いや…ゼブランも大好きなんだけどもね。ここできっと葛藤するんだ… Which Hunt 行方不明のモリガンを探す物語。 2,3時間で遊べてしまうボリュームながらもDAOから続く大事なストーリーなので外せません。 短い旅ですが、アリアンもフィンもとっても印象深いキャラたちでした。 最後のエリアでモリガンと会えるのですが、本当に切なくて… どうして立ち去ってしまったのか、これからどうするのかを尋ねることができます。そしてまさかのキス! ゼブランいるのにお前ぇ!ってなりました。優しい対応をするとキスするのかな… ゼブランにはモリガンとの儀式のことは伝えてあるといいなと思っています。めちゃくちゃに怒られるだろうけど。でもこのキスのことは黙っているんだろうな、罪な男だ…
ヴェイルやエルヴィアンなど、DAIにも繋がるワードが出てきて震えたDAIのオタクでした。
レリアナの過去を追体験できるレリアナの歌、ドワーフとゴーレムのその後について知れるアムガラックのゴーレム、ダークスポーンの指揮官視点でDAOの最終決戦を追体験できるある意味バッドエンドifのダークスポーンクロニクル(日本語未対応)もプレイ済です! ダークスポーンクロニクルはフェレルデンの救世主がもし居なかったら(ウォーデン加入の儀式の途中で死亡した)の世界観らしい。アリスターだけではみんなをまとめられなかった訳だ…。大好きなゼブランの首を切り落としたり、お世話になったウィンさんをボコボコにしたり、アリスターを無惨に刺し殺したり…ifストーリーで特にバッドエンドは大好きな部類なので思った以上に楽しめました!(残酷)
大大大ボリュームでDragon Ageの世界に浸かれて最高でした! DA2も買ってあるので、このデータを引き継いでまだまだ楽しみます。
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書物礼賛⑥
雁屋優/マイノリティの「つながらない権利」/明石書店2025
鬼越トマホークのユーチューブ「半生を語る」等の感想
【①普通の人で面白味がない】にしおかすみこ・アンゴラ村長・どぶろっく・ニューヨーク
【②普通の人だが味があって面白い】ドランクドラゴン鈴木拓・三四郎・スーパー3助・ラランドニシダ
【③天性の芸人】ノンスタイル石田・狩野英孝・空気階段もぐら・ナダル
個人の感想です。私自身の人望のなさを棚上げして言わせてもらうと、本書の著者は「アルビノゆえの弱視、見え方の不利を、自身の発達障害ゆえの高い言語性IQや先取り学習で補ってきた」って書いてしまうくらいコミュ障の自覚があり、文章ですべてを分ってもらおうとする傾向が強く、読んでいて息苦しさを覚える。芸人に話を戻すと三四郎の小宮は②と③の中間くらい。小宮とナダルは同輩の人望が厚い。ユーチューブだが映像は不要。トークに表れる素の魅力。どのような人生によってそれが培われたか。
コロコロチキチキペッパーズのラジオを聞くと、アメトークのナダルアンビリーバボーで彼が見せるような挙動不審・クズ感とは無縁な落ち着いた親しみのあるトークが繰り広げられている。彼は近大農学部で水産系の専攻、しかし希望の水族館飼育員は枠がなく、食品会社はすべて蹴られ、それでは消防士にということで走り込んだり勉強して備えたが連続して最後の小論文で落とされ、そうするうち年齢制限にも達し、大学の友人のアドバイスで芸人の世界へ。
楽屋などのイジられで爆笑を呼ぶことから相方の西野が策を練ってアンビリーバボーに漕ぎつけたが、そこからしばらくして自身「強みはそこしかない。そうでなければ生き残れない」と受け入れてから、かえってイジられに限らないタレント性で定着。ロンドンハーツ「タレント進路相談」でも有吉弘行の後釜を見事に務めた。
彼の「ウソがつけない」資質に注目して抜擢したロンハー制作陣はさすが。アンビリーバボーにおける「先輩に失礼」「責められるとウソをついて言い逃れしたり挙動が怪しい」とも表裏一体。就活の面接でも挙動不審を発揮していたそうなのだが、著者も知能や文章力を武器にマイノリティやその当事者団体に携わっていくのは険しい���なのではないか。真面目さ、違いを受け入れる優しさが一番と思います。
甚野博則/介護大崩壊/宝島社新書2025
父母が相次いで自殺、自分も自殺未遂後うつで2年以上入院という底の時期に助けてくれた伯父夫婦。88になる伯母はアルツハイマーの薬を飲んでいるとのことだが衰えはみえない。90の伯父は徘徊など錯乱状態に陥り、3年ほど前から同じ区内の特養ホームに。先日、初孫ができたばかりの「ネトウヨの従弟」夫婦と見舞いに。ユニット型の個室が、広めのリビングを囲むように設けられ、そのリビングを常に監視するような形で介護士の詰所が。一人一人の健康状態や挙動の癖をしっかり把握し、気さくに話してくれる中年女性の介護士であった。
伯父は問題行動がみられるようになって半年ほどで特養ホームの空きを見つけることができたが、本書によれば地価の高騰などで施設新造が難しい都市部では、入所待機者の増加に悩まされ、距離の離れた自治体の施設の枠を確保する「ベッド買い」なる慣行があるという。著者は文春記者時代に甘利氏の収賄についてスクープ記事をものしており、フリーになってからは高齢者の介護施設問題を中心テーマに据えて取材を続けている。特養・サ高住・老健といった施設の違いや実態、介護保険の運用事情について大まかに知ることができる。老後を控える読者層の危機感を煽ろうとしてか、問題の多い施設や事業者に内容が偏り、優良な事業者やポジティブな取り組みが軽視される傾向があるようだ。
北村浩子/日本語教師、外国人に日本語を学ぶ/小学館新書2025
例えばチャーハン。強火で作るチャーハン、あまりおいしくないです。シャッシャッシャッシャッて鍋を大きく回すやり方、見たことあるでしょ。米がパラパラッてなってる。そうすると米が冷めるし乾燥する。水分が飛ぶ。固くなっちゃう。サラサラは食感がよくない。口に入れた時。米が熱くてしっとりしているのがおいしい。よく、中華鍋ないとダメと思われるけど、うちの自宅はフライパンですよ。中華鍋ないです。火力も関係ない。ガスじゃなくても大丈夫。やっぱり腕と使い方。
そもそも日本人の日本語能力が下がる一方で、企業の公式声明や有名メディアの記事にさえ怪しい言葉遣いが頻出する始末なので買ってみたが…。引用したのは本場でもトップクラスの中華料理人の言葉。来日から各地のホテルで料理長を務め、今は六本木に店を構えメディア出演多数。「やりたいことがある優秀な人物」なので日本語の上達も早いし、本書でほかに取り上げられた人もエリートに偏っており、前項の介護の人手不足のために円安の日本へ来てくれるような、日本語学習者の多様性や苦労への目配りはない。ネオリベ右翼の小学館から出るにふさわしいつまらない本。
三遊亭円丈/師匠、御乱心!/小学館文庫2013・原著1986
よくSNSや掲示板で不自然な形で語尾を「やで」とするような、ネット民の似非関西弁。明石家さんまや島田紳助でなく、ダウンタウン以前・以後と称される、ある世代が丸ごと感化されるような圧倒的存在感によって生じた現象。テレビ越しにそこまで影響力を持ちえた芸人は萩本欽一・ビートたけし・ダウンタウンのみ。ドリフと志村けんは職人肌で思想性が薄いから。
松本人志はセックスについて「小学生でもお胸がぷっくりしてきたらご賞味あれということ」「同じ女と何度もするのは男にとってお勤めになってしまう」という本質を突いた発言をしている。彼はこのまま地上波に復帰することはないでしょう。けれども性接待やレイプはテレビ・広告・芸能界、さらには教育や雇用のあり方まで広がる制度的な病理であり、松本・中居・件のプロデューサーだけ切り捨てても何も変らないでしょう。
落語家は寄席や徒弟制度のシステムに守られた、格落ち芸人の集まり。笑点は落語家でない三波伸介が司会だった時期が本領で、以後は余禄。本書は、創作落語で頭角を現した著者が、真打ち襲名直後にその真打ち乱造問題などをめぐって落語協会が分裂した騒動を、システム内部の視点で振り返った問題作。出版当時は暴露本としても話題を集めたほどで、読み物としてそこそこ面白いとしても、人物がことごとく政治家的、と同時に中小企業のオヤジ的。同族経営の。そう考えると自民党というのは中小企業や町内会、一族郎党の内ゲバを娯楽として提供することによって常にシステムの制御権を確保できているような存在なのかも。
横道誠/レトロな世界に分け入る/教育評論社2025
ナダル「思い出しました。劇場穴だらけですわ」
ロンドンハーツのベテラン芸人座談企画で、有吉弘行が「業界にも私生活でも友達がいない。広島に帰省しても実家に寄って街を一人でぶらついてすぐ帰る。旅行に誘うのはお笑いの後輩」と語っていた。ナダルがすぐバレるウソをつくのは、市民社会の常識に従って生きている裏返しでもあり、本来はマジメな愛されキャラであるナダルのようなタイプと対照的に、いじる・責める側の有吉は制度の一部であろうとして「踏み越えてしまった人々」なのだろう。
それは編集部の意向で『ナニワ金融道』に変更させられた原タイトル。主人公・灰原のビルドゥングスロマンでもある同作品に対し、闇金ウシジマくんは冒頭から丑嶋社長はやがて殺されることが暗示され、ずっと同じテーマをバリエーションで繰り返す。カイジ、特にスピンオフ作品は地下労働そのものの是非は問わず、内部で遊ぶ。
本書は、何度も各種コレクションのマイブームを経てきた著者が、チープな骨董、古い漫画やエフェメラ(チラシ・手紙・マッチ箱のような紙モノ)を専門に扱う3人の店主に取材した、趣味性の強い一冊。であると同時に、この文章力で京大大学院の博士号? 博識であっても自分の思想を打ち立てる気概も総合力もない、内部で遊ぶだけの読み捨て本と感じさせる、あらゆる商業メディアや大学が志望者に「踏み越えるよう迫る」ことでようやく維持できている世知辛さを再認識。
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日本の産業構造は、大手メーカーが最終製品を作り、その下に多数の中堅中小の部品メーカーがぶら下がる構図になっている。 大手メーカーは製品開発と設計を行う。そしてほとんどの部品を、配下のサプライヤーから調達する。自社工場では、最終組立と検査のみを担当する。こういう分業が無言の慣習となってきた。こうした産業構造がなぜ生まれたのか、そのメリットとデメリットは何なのか。これは大切な問題だが、論じると長くなるので、ここでは割愛する。ともかく、消費者に納める最終製品は大手メーカーが作り、部品材料は中堅中小の製造業が担う、という仕組みは昭和時代から、長く変わっていない。消費者の好みは気ままであり、需要変動は大きい。 そこで大手メーカーが生産計画を作っても、需要の変動に応じて、その生産品目の数量や順序を変更しなければならない。そこで大手メーカーは、どうするか。じつは回れ右して、その生産変動を、大手メーカーに直接接しているTier-1サプライヤーたちに伝え、これに対応しろ、と命じるのだ。命じられたTier-1サプライヤーも、やはり回れ右して、その変動を後ろにいるサブ・サプライヤーたちに伝えていく。だからサプライヤー側も、大手メーカーと同じく需要変動の波をかぶる。それどころか、SCMでいう「ブルウィップ効果」によって、その波が増幅されたりする。日本の中堅中小製造業が、急な納期変更にさらされやすい理由は、ここにあるのだ。でも、なぜ最終製品を作る大手メーカーは、需要が変動するたびに回れ右して、その変動をサプライヤーに押し付けるのか? 答えは簡単だ。大手メーカーが、部品在庫を殆ど持たず、サプライヤーたちにジャスト・イン・タイム納品(JIT納品)を強いているからなのだ。手元に部品在庫がないから、生産品目が変わるたびに、必要な品目をサプライヤーに持ってくるよう伝えなければならない。では、大手メーカーが、そうした部品在庫を極小化する「リーンな」生産方式を止めて、需要変動にもある程度対応できるよう、部品材料の安全在庫を持つようにしたら、どうなるか。答えはシンプルだ。需要変動は安全在庫によって、ある程度まで吸収される。 したがって、サプライヤーへの発注は、安全在庫を維持すれば良い程度の、安定した見通しの良い発注計画で運用できるようになる。すなわち、十分な納期、ないし平準化した数量の注文を、行えるようになる。安定化生産の経済効果は非常に大きい大手メーカーが部品在庫を持って需要変動を吸収し、サプライヤーに対しては平準化した発注を行うべきだと言うアイデアは、研究会仲間の経営コンサルタント・本間峰一氏が、かねてから主張してきたことで、わたしも100%同意だ。ただ建設エンジ業界の周辺のように、大きな案件単位で最終需要の発生する業種もあるので、念のため「十分な納期」という一言を付け加えている。大手メーカーがこのように発注ポリシーを変更したら、その好影響は極めて広範に及ぶ。日本の製造業の生産性は、劇的に向上するであろう。何を大げさな、と思うかもしれない。しかし、製造現場の人たちにインタビューしてみればわかるが、あらかじめ決めた通りの段取りで変更なく、作業できるようになれば、 現場の生産性は2割も3割も上がるだろうと言う。なぜなら、急な変更対応には、材料のもの探し、機械のセットアップの変更、加工プログラムの入れ替え、治工具の調整、人の入れ替えなど、生産に結びつかない多大な労力を費やしているからだ。 つまり、急な納期変更への対応は、日本の製造業における生産性を目に見えぬ形で、大きく奪ってきたのだ。もちろん大手メーカー自身は、需要変動に応じて臨機応変に生産計画を立て、直す能力が必要だ。だから、彼らは生産スケジューラを導入しなければならない。品目も数量も関連する工程・設備も多いから、高機能なスケジューラが必要だ。しかし大手だから、費用負担もできるし、社内に十分なスタッフもいるだろう。この点が中堅中小との最大の違いだ。大手メーカーは、とうぜん今よりも多くの部品材料の在庫を、抱えることになる。しかし、大手にとっては、大した財務コストではない。今や上場企業の6割が無借金経営であり、在庫を増やしたって、そのための借入れ金利(在庫金利)はゼロなのだ。 部品倉庫くらいは増設しなければならないかもしれないが、固定棚の費用などたかが知れている。
生産スケジューラなど不要になる、もしこうすれば・・ : タイム・コンサルタントの日誌から
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