#編み上げ靴
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◆Getta Grip(ゲッタ グリップ)◆10ホールブーツを掲載しました。 定価:21,780円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/CRFH7510GG/ 素材:天然皮革 カラー:チェリーレッド サイズ:UK4(約23cm) ヒール約3cm、筒丈約20cm、甲周り約14.5cm (平置きの状態で測っています。) 一番使いやすい10ホールブーツ。 反り上がったつま先は足の踏み込みがしやすい構造になっています。 ワークソールを釘で打ち付けて固定しています。 つま先内部にプレート入り。 Getta Gripはワーク用のセーフティーシューズとして作られたのが始まり。 1960年ドクター マーチンの特許を取得し、姉妹ブランドになり1960〜80年代スキンヘッズ、パンクス、ロッカーズ、ヒッピーの音楽&文化とともに流行。 ※ご覧頂いている媒体により、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり 商品をご用意出来ない場合がございます。予めご了承頂きますようお願い致します。 ━━━━━━━━━■アクセス□━━━━━━━━━ なんばCITY本館の1階 大阪難波郵便局側から入って1軒目 靴のダイアナ(DIANA)の隣 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】2月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
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村島 未悠は、日本のグラビアアイドル、女優、元アイドル、歌手、YouTuber。大阪府出身。ジェイロックを経て、2023年現在はホリプロデジタルエンターテインメント所属。 ダンスボーカルグループ「CHERRSEE」の元メンバーで、当時の名義はMIYU。 ウィキペディア
出生地: 大阪府 大阪市
生年月日: 1998年8月27日 (年齢 25歳)
身長: 157 cm
カップサイズ: F
スリーサイズ: 86 - 58 - 84 cm
デビュー: 2016年
別名義: MIYU
趣味・特技はけん玉、マラソン、バスケットボール観戦、ダンス。好きな色はピンク、白、黒。
ダンスについては、授業の際に指されるだけでも赤面するほどの人見知り(引っ込み思案)だったことを見かねた母により、10歳(小学4年生)から習わされた。「イケイケにさせたい」と半ば強引に金髪にさせられたこともあったが、そのおかげで仕事を始められた。グラビアについても、「やったらええやん」と背中を押してくれたことが志願のきっかけであり、自分とは正反対の陽キャラな母には感謝しているという。
昔から陰キャであり、人付き合いが得意ではなく友達が少なかったことも、ダンスを始めるきっかけになった。高校はもとよりCHERRSEEも恋愛禁止ではなかった��、そういう理由からも恋愛経験は少なく、個人活動中に帰省から偶然の再会を経て唯一良い感じになった同郷の友人との交際も遠距離ゆえの寂しさが災いし、2か月ぐらいで会わなくなった。自分の中では「交際=結婚」と思っているうえ、ナンパに勤しむ遊び人よりはちょっとオタクっぽい人の方が好みであるため、慎重になってしまうという。
足のサイズは本人曰く「20.5cmくらい」。普段はほとんどスニーカーしか履かない(本人曰く「スニーカーは大きめでもいい」)ため、撮影時に用意してもらった靴も合わないことが多いほか、水着のサイズも着てみないとわからないため、衣装合わせに時間がかかってしまうという。
「むらみゆ」は高校当時のあだ名でもあり、本名への改名は「アイドル時代よりももっとファンの皆さんと近くなりたい」との理由による。それゆえ、『むらみゆ』についても「よりファンとの距離を縮めるような温かい1冊になったらいいな」と思っているという。
バックダンサー当時からアーティストに憧れており、CHERRSEEにはそれが高じて(J-POPとK-POPのジャンルを合わせたCHERRSEEのオーディションの広告を見つけて)オーディションを受け、所属した。CHERRSEE所属当時はアイドル活動はもとより生活的にも厳しく、焼肉屋にて3年間ほどアルバイトを経験した。一方、「グループが注目されるきっかけになれば」とグラビア活動を始め、頑張っていたものの実はそれまでプライベートで競泳水着しか着たことがなく、母の水着を借りて宣材写真を撮ったこともあったほか、グラビアの撮影に際しては上の水着を逆さまに着て1時間ぐらい気づかず、撮り直しになったこともある。それゆえにグラビアにはあまり自信がなく、撮影自体は楽しかったが慣れない部分があり、胸が大きいのもコンプレックスだったことから、ダンスの際にはインターネットにて購入したサラシっぽいスポーツブラを巻いたりしていた。グラビアを休んでいる間には何より「またグラビアに出て欲しい」との声を多くもらい、それに応えようと復帰した後には自分が輝ける場として前向きに捉えられるようになったという。
2022年現在では芝居にも意欲を見せてオーディションを受けるようになっており、バラエティ番組『あの界隈を恋愛ドラマにしたら…不覚にもキュンときた』(同年10月22日、中京テレビ)内のショートドラマで主人公を演じたことが、「演技に挑戦したい」から「もっと演技できるようになりたい」に意識が変わるきっかけ��なり、学ばせてもらったという。
モデル・女優の花山瑞貴は、ホリプロデジタルエンターテインメントでの先輩にして中学時代やEXPG時代からの親友である。また、元NMB48の木下春奈は高校時代3年間通して同じクラスだった。
YouTubeについては、「むらみゆ」の開設時点では企画から撮影、編集をすべて自分で担当していたが、2023年10月時点ではホリプロデジタルエンターテインメントの社員などにも手伝ってもらえており、グラビアのオフショット動画のおかげで登録者数が10万人まで伸びたという。
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1966年に静岡県で一家4人が殺害された「袴田事件」は、戦後最大の冤罪の一つと言われ、死刑判決が確定していた袴田巌さん(87)のやり直し裁判が近く静岡地裁で始まる。死刑確定事件の再審では戦後5例目だが、この事件の前にはいくつもの冤罪事件が同じ静岡県で起きていることをご存じだろうか。その一つ、「二俣事件」では、拷問によって無実の少年に一家4人惨殺を“自白”させたばかりか、拷問の事実を告発した刑事を偽証罪で逮捕した揚げ句、精神疾患に仕立て上げるという警察・検察の報復があった。家族もろとも偏見の目にさらされた刑事の妻・山崎まさは今も存命だ。今月27日、106歳になるまさは「当時の苦しみは言葉にできない」と涙ながらに振り返った。(文・写真:秦融/Yahoo!ニュース オリジナル 特集編集部/文中敬称略) まさが住む愛知県みよし市は、名古屋市と豊田市に挟まれた位置にある。市街地から少し離れた一軒家で呼び鈴を押すと、次女の天野功子(のりこ、76)が出迎えてくれた。 まさの夫であり、功子の父である山崎兵八(ひょうはち)は静岡県の警察官だった。 昭和の冤罪・二俣事件は1950年1月、同県二俣町(現・浜松市天竜区)で発生した。就寝中の夫妻が刃物で刺されて死亡、2歳の長女が首を絞められ、11カ月の次女が母親の下敷きになり窒息死した。事件後、近所に住む18歳の少年が強盗殺人罪などで起訴され、一審、二審で死刑判決。その後に逆転無罪となった。 兵八は、現職の警察官ながら警察組織を敵に回し、拷問による取り調べがあったと告発、少年の刑事裁判で証言台に立った人物だ。告発は審理の終盤。巡査だった兵八は読売新聞社と弁護人に宛てて手紙を書き、「(少年は)犯人ではない。新憲法下今なお人権を無視した拷問により罪をなすりつけられたものだ」「江口捜査課長と紅林主任は少年に会った時の第一印象で“彼は犯人だ”と判定、証拠集めの指令を発した」などと記した。 告発前、妻のまさは「そこまでしなくても」と夫の行動に反対だった。夫は「(少年が)自分の子どもだったらどうする?」と妻に問い、固い決意を伝えた。 当時を振り返るまさの受け答えは、とても100歳過ぎとは思えないほど明瞭だ。 「はい、そう言われました。『もしか、この子が私らの子どもだったらどうするかね?』と。間違いないです」 兵八は、弱い人や苦しんでいる人を放っておけない性格だったらしい。夫について、まさはこう語った。 「お父さんにはものすごく、そういうところがあった。きっと、生まれるときからそういう性格を授かってきたんだよね。私も、人を陥れるようなことは絶対にしたくないと思ってね。困っている人には、ねんごろ(親切)にしてね。人が難儀してると『ああ、かわいそうだなあ』って、すぐ思っちゃうんだよね」 しかし、告発は一直線には実を結ばなかった。 二俣警察署の捜査本部で捜査に関わっていた兵八は法廷で「拷問による自白」と証言したにもかかわらず、一審の静岡地裁浜松支部は死刑判決を下す。それどころか、判決の日、兵八は偽証罪で逮捕された。 「正義」の代償は、それにとどまらず、家族もろとも路頭に迷わせる“仕打ち”へと進んでいく。 逮捕後、兵八は名古屋大学医学部の教授による精神鑑定で「妄想性痴呆症」と診断された。裁判では、証人出廷した警察署長が「変人」などと兵八の人格を否定。一審で少年に死刑判決が下ったことから「警察の捜査は正しかった」ということになり、判決に異を唱える兵八は異常者とされたのだ。 辞表を出すと、兵八は精神疾患という診断を理由に、運転免許証をはく奪された。警察を辞めた後は、家族を養うため、トラックの運転手になるつもりだったが、免許なしではそれもできず、他の仕事も簡単に見つからない。逮捕・投獄された兵八は世間の偏見の目にさらされた。 当時10代だった長女・児玉澄子(故人)の手記によると、家族は耐え難い苦しみを味わうことになった。 「父は職も地位も奪われて、仕事を探し、失敗し、書を読み、そして苦しみの多い日は母や私達に当たり散らした」「父母を助けなくては。新聞配達を始めた(のは)五年生の冬でした。学校を休んで早引きをして手伝った畑仕事」「冷たい近所の人たちの目、 幼い弟はいつもいじめられ泣いて帰ってきた。『ボクのおとうちゃんどうしてブタ箱にいるの?』 と…」「母の土方の荒れた手とあかぎれの足のひびわれ」(手記から) 苦難はさらに続く。 1961年3月には自宅が全焼した。報道では「火の不始末が原因」などと伝えられたが、当時中学生だった次女の功子は、火災の数日前、自宅の前で見知らぬ男から「山崎さんのお宅はここか」と尋ねられたことを覚えている。また、功子の弟は「火が出る前に半長靴の男が家から出ていくのを見た」と家族に話し、警察にも伝えた。ところが、警察では「半長靴の男」の目撃証言が、弟自身の火遊びをごまかすためだったのではないかと疑われてしまう。 当時を思い起こし、功子は言った。 「最後は、母の火の不始末にされてしまいました。弟に傷がつくよりはまし、ということで母が全てをかぶったんです……父は名誉を回復するため裁判に訴えることも考え、二俣事件の資料を集めていました。“放火”はその資料を灰にすることが目的だったとしか思えません」 火災の真相は今や確かめようもないが、兵八が裁判を起こせば、警察側は捜査の正当性を主張しただろう。兵八を「変人扱い」した者たちの「偽証」も問われかねない。そのようなタイミングで火災が起きたことは事実だった。 「ようやく、ほっかむりが取れた」 山崎まささん(右)、天野功子さん 二俣事件の上告審で最高裁は、死刑を言い渡した静岡地裁の原判決を破棄し、1958年1月に少年の無罪が確定した。 無罪への転機は、東京高裁が控訴を棄却(1951年9月)した後、らつ腕の弁護士、清瀬一郎(1884‐1967年)が弁護人に就いたことだった。清瀬は衆議院議長などを歴任した大物政治家。戦勝国による極東軍事裁判(東京裁判)では東条英機の弁護人を務めた。 清瀬の無罪主張を受け、最高裁は2年余に及ぶ審理を経て「事実誤認の疑いがある」と原判決を破棄。その後の差し戻し審では、拷問によって警察の筋書き通りに自白させた供述の信用性が否定され、地裁、高裁とも無罪判決となった。筋書きと事実との矛盾が次々に明らかになり、検察は上告を断念、少年(逮捕当時)の冤罪は事件から8年を経てようやく晴れた。少年を犯人と決めつけ、筋書きに合う捜査しかしていない警察が再捜査に動くことはなかった。 傍らに座る母・まさを見やりながら、天野功子が言う。 「少年の無罪判決が出たときに、母は『これでようやく“ほっかむり”が取れた』と言ったんです。ね、そうだよね? お父さんの疑いが晴れた時に言ったよね? それまでお母さんはずっとほっかむりして生きとったんだよね」 顔を隠す頬かむりをせず、堂々と外を歩けるようになったという意味だ。当時を思い出したように、まさが涙ぐむ。 「お父さん(兵八)が逮捕され、自分一人で子どもたちを守らなくてはいけなくなったときの不安や苦しさは、言うに言えません。本当につらい思いをしました」 兵八は2001年、87歳で他界した。 その4年前には『現場刑事の告発 二俣事件の真相』を自費出版している。告発に至る経緯については、次のように記されている。 「心の片隅で『お前は正義の味方ではないのか。警察は国民の生命財産を守るのが使命ではないか。立ち上がるのだ』と叫ぶ声が聞こえてくるのだった。片一方の隅では、『黙っていて見過ごすのだ。あと五年経てばお前には恩給もつくのだ。恩給だけで暮らしてゆけるのだ。何も正義ぶりをする事はない。寄らば大樹の陰。大きな(長い)物には巻かれろ、ではないか』と叫ぶ声が五体に響いてくるのだった」 島田事件対策協議会で、無実の男性救済を話し合う兵八(正面左から2人目)ら(鈴木昂さん提供) 兵八によると、二俣事件の取り調べで少年に拷問していることを薄々知っていた警察官は他にもおり、「少年は無実」と思っていた署員もいた。しかし、誰もが「見ざる聞かざる言わざる」となり、法廷では「捜査は正しかった」と偽証を繰り返した。 この“拷問”に関わった刑事の一人が、捜査チーム主任の紅林麻雄警部補だったとされる。紅林は二俣事件だけでなく、同じ静岡県で起きた1948年の幸浦事件(被告は死刑判決、後に無罪)、1950年の小島事件(無期懲役判決、後に無罪)の捜査に関わり、多くの冤罪を生んだ。1966年の袴田事件では、拷問まがいの取り調べで自白を引き出し、警察が犯行の手口を考え出し、それに合う証拠や証言をつくって自白を裏付ける、という同じ手法が使われた。 二俣事件など同時期に続発した冤罪事件が「袴田事件の源流」と呼ばれる理由はそこにある。 同じ時期に起きた島田事件(1954年、死刑確定後の89年に再審無罪)の支援活動に奔走した元高校教師、鈴木昂は「山崎兵八さんには支援集会で講演をお願いし、熱意にあふれる話に引き込まれた。袴田事件の支援要請にも応じておられ、尽力を惜しまない人だった」と話す。 兵八・まさの夫婦は3男2女をもうけ、それとは別に2人の子どもを養っていた。そのうちの1人は勤務先の警察署で補導された、身寄りのない男児だった。まさによると、兵八が「面倒をみてやってほしい」と連れてきたという。 「放っておくのがつらかったらしくてね。(警察官という)職業柄もそうしてやらないかん��思ってだろうね」 まさの話によると、兵八の人柄をしのぶエピソードは他にもある。 「お百姓さんが、あるとき『これを食べてくれ』と駐在所に麦を2袋持ってきてね。お父さんは『絶対に手をつけるな』と言って。腐るかどうかという寸前で、やっと村の人と分けて食べた。それくらいの人でした」 弱い人、苦しんでいる人を助け、不正には手を染めない。まさが語る「警察官・山崎兵八」からは、組織内での孤立を恐れて自己保身に走るのではなく、人の心を大切にし、正しいと信じる道を貫くという人物像が浮かび上がる。 兵八の「正義」を押しつぶした警察・検察、さらには捜査側に寄った裁判所の不当な判決は、昭和から平成へと続き、真実や人権よりもメンツを重んじて自己検証を拒絶する姿勢は、令和の時代にも地続きのように受け継がれている。 96歳の原口アヤ子さんが無実を訴え続ける大崎事件の弁護人で、日本弁護士連合会の再審法改正実現本部・本部長代行を務める鴨志田祐美弁護士は「一刻も早く再審法を改正しなければ悲劇が繰り返される」と危機感をにじませ、改正の要点を次のように指摘する。 「一つは証拠開示の問題です。大崎事件の第2次再審では高裁の裁判長の積極的な訴訟指揮で、それまで検察官が『ない、ない』と言い続けてきた証拠が213点出てきました。さらに第3次再審になると新たに18点出た。なぜ、こんなことが起きるのか。証拠開示を定めたルールがないからです。大崎事件だけでなく、布川事件、東電女性社員事件、松橋事件などは、再審を求める中で重要な証拠が開示され、再審開始決定の決め手になった。規定がないために、検察は隠し通そうとし、開示が個々の裁判官の“やる気”に左右されるのです」 二つ目は検察官の抗告(不服申し立て)の問題だという。 「再審開始決定が出ても、検察官が抗告し、いつまでも再審公判が開かれない。再審は本来、無実の人を救済する制度で、検察官といえども立場は同じはず。ドイツでは検察官の抗告は禁止されている。袴田事件では最初の開始決定から9年、大崎事件は21年、名張毒ぶどう酒事件では奥西勝・元死刑囚の命が尽きてしまった。抗告の弊害による悲劇をなくさなければいけない」 二俣事件の関係者がほとんど他界した中で、まさは穏やかな日々を生きている。 「天寿をいただいているんだよね。まだこれだけ元気でね、みんなのエネルギーをもらっている。人を見放しておくよりも助けてやりたい、という気持ちで生きてきて本当に良かった、と。そう思ってね。やっぱり人に意地悪はする���んじゃないな、ってね。人を助ければ助けてもらえるな、って思うよね。毎日そう思いながらこうしていますよ」 秦融(はた・とおる)1961年、愛知県生まれ。ジャーナリスト。フロントラインプレス所属。元中日新聞編集委員。滋賀・呼吸器事件の調査報道を描いた著書『冤罪をほどく……“供述弱者”とは誰か』(風媒社)で、2022年の講談社本田靖春ノンフィクション賞を受賞。至学館大学コミュニケーション研究所客員研究員。 「#昭和98年」は、Yahoo!ニュースがユーザーと考えたい社会課題「ホットイシュー」の一つです。仮に昭和が続いていれば、今年で昭和98年。令和になり5年が経ちますが、文化や価値観など現在にも「昭和」「平成」の面影は残っているのではないでしょうか。3つの元号を通して見える違いや残していきたい伝���を振り返り、「今」に活かしたい教訓や、楽しめる情報を発信します。
「拷問」を告発した警察官の夫は逮捕され、異常者扱い――105歳が語る「冤罪」の長い苦しみ #昭和98年(Yahoo!ニュース オリジナル 特集)
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ラジコン備忘録 2024/9/15
Miniz-Cup 2024 Hokkaido Day.2
レース編2日目。これでラストです。

朝起きて、着替え・チェックアウトの準備。大会の日は絶対に赤い靴を履くという決まりにしています。赤い靴を履くと良い成績が残せると誰かが言い出したことがキッカケ。それ以来、仲間も赤い靴を履きだしたのでぼくも戦闘服の一部に。普段の生活ではジンクスとかあまり信じないんですが気合の入った勝負では大切にしています。

ホテルをチェックアウトして、まずはエナジーチャージ。大会の朝はエナジードリンクで気合を入れています。いつもはモンスター派だけど、特別な日はレッドブル。

開場20分前。意外と並んでますね。

本日の陣形。一応、2日目も本気で挑むつもりです。前日の感触を元に少しだけセッティング変更。フロントタイヤ外径を少しだけ上げて、リアタイヤは前日と同じ柔らかいコンパウンドを選択。柔らかいタイヤはあまり用意してきていないので、手持ちの在庫だとタイヤ交換ペースを考えると1日持たないと思っていたら、提供してくれる人がいたので助かりました。

練習走行。相変わらず路面グリップが低すぎ。昨日の決勝レースではある程度上がっていましたが、一晩経って元通り。今日も苦戦しそうです。とはいえ、今日は昨日よりも速度域の遅いカテゴリー。スロットルジャイロは低めで行けそうです。

自分の出番の合間に仲間の走りを応援。2階から、あーでもないこーでもないと言ってます。色々とアドバイスしていた人が何人か全国権利とれて良かった。

予選1回目。2日目も1回目は微妙ですね。後列グリッドでスタートだったので、スタート後3番手についた形。1位に離され、追い上げようとするも2位の処理に手間取っていたら離されました。とはいえベストラップは一番出ているので、車の仕上がりは申し分なし。

予選2回目。スタートで少し出遅れて順位が下がりますが、その後2位をパスして1位浮上。タイム差も3秒あったので、ノーミスで決めたい気持ちでクルージング走行に切り替え。2回目はトップゴールでした。しかしながら、予選1回目の1番手タイムの方が速かった模様。
予選順位は2番手で確定です。昨日からの流れでトップタイムを刻みたかったですが、決勝で巻き返しを狙います。依然として路面グリップが低くて苦戦しているものの、それはみんな同じ条件なので気にしていません。

決勝前にコースを再度確認。路面の凹凸が大きいところ、グリップ感が変わりそうなところを確認。正直、見るだけじゃ分からないのでハッタリです。ラジコン業界においてソレっぽさはかなり大事です。




カメラも持って行ったので撮影してみました。スケールスピードが速すぎて腕もAFも追いつきません。会場も暗いので、ISO6400にしても絞り開放でSS1/250ほど。正直この被写体、1/1000くらいじゃないと止まらないので流し撮りに徹していました。AFが追従しきれない流し撮り、非常に難しい。お世話になってた人のマシンだけ撮って早々に諦めます。


決勝Aメイン8分レース。
2番グリッドから、スタート直後は順位を維持。序盤で1位のミスがあったためすぐにトップに浮上。後ろとはタイム差5秒。
3番手以降はペースが違うため、僕と予選トップ選手だけの一騎打ち。僕は残り6分をトップ維持しなければなりません。
ここで問題になるのが、相手がかなりの強豪ということですね。昨シーズン全国3位の実力の持ち主です。とはいえ、僕も負ける気はないので超ハイペース。タイム差5秒を使い切ってもいいのでトップゴールすれば良いだけです。
差が広がる訳でも縮まる訳でもない、僕にとっては一番気持ち悪いペースで後ろは走っています。そんな展開が5分くらい続きました。
残り2分くらいになって、後ろとのタイム差が縮まり始めた...。こちらはリアタイヤがタレてきた感触。超ハイペースだったので、リアタイヤの負担が大きすぎましたね。普段のタイヤだったらタレることはありませんが、柔らかいタイヤを使っている影響ですね。コーナー立ち上がりでリアが踏ん張らなくて、内側に巻く感じ。そんな挙動なので最後に何回かミス。
残り30秒、後ろとのタイム差は0.5秒。ガチンコバトルです。踏ん張り切れるかの勝負どころ。このままだと抜かれてしまうのは目に見えているので、インをガッツリ占めてブロック。挙動が安定しなくなったマシンでそんなことしているので案の定インにヒットするミス。2番手に後退。
残り20秒、トップとのタイム差0.2秒で何かできることかといえば、死ぬ気で攻めることですね。ここで攻めなくて2番手なら、一か八か攻めて最後のチャンスを狙います。一度インに差し込むものの、角度が悪い。もう一度チャレンジした��ころ、攻めすぎてミス。8分経過。そのまま2位ゴールです。

レース直後、1位選手と今回の展開について話していました。予選の走りから、僕が柔らかいタイヤを使っているのに気づいて最後にタレるのを予測していたみたいです。だから中盤で勝負に来るよりも、終盤で追い上げて勝負に行ったとのこと。中盤までタイヤ温存の走りで、最後に一気にタイヤライフを使い切るさすがの作戦。また今度の機会に要リベンジですね。
2日目は初日に比べれば少しモーターが遅いので、その分余裕だと思って制御をカットしたのもタイヤを痛める原因だったかも。少しずつの空転でタイヤが減っていたのかもしれません。

決勝2位の賞状と、意外なことにコンデレ賞をもらいました。その日に一番イケてるボディの賞ですね。コンデレってベテランのペインターが貰うイメージで、全く狙っていなかったのでビックリでした。
予選2回目でトップゴールした後、車検終了マシンを取りに行くときにコンデレって言われたんですが、これが心臓に悪い。
予選で速いマシンはモーターの回転数も測られるわけですが、車検後に呼び止められると、車検アウトの可能性が大です。そんな状況なので、呼び止められて車検アウト・記録抹消なのか不安になっていました。(過去に一度車検アウトになったトラウマも?) 車検アウトか~なんてヒヤヒヤしていたら、コンデレなんて予想外のことを言われたので頭が展開に追いつきません。非常に嬉しい限りですが...。
最近はコース上での見やすさとオリジナリティを考えてオレンジベースのペトロナスカラーで塗っていますが、他人から見てカッコイイかは分かりませんでした。こうやって公式にイケてる賞をもらえるとなんだか自信になりますね。


翌日は片付けを兼ねてホームサーキットに行って諸々の挨拶。
大会に参加していた本州からの遠征組も走っていました。大会でよく走っていた我がマシンをぜひ見たいということだったので、試走もしてもらいます。マシンの完成度の高さに驚いていましたが、そりゃ~今年一年でこのサーキットを少なくとも2万周は走っているマシンですから当然。足回り細部の写真も撮って、満足して帰ったみたいです。

オリジナルカラーのボディも増えてきたので整理。全部同じように見えて仕様が違う...。

そんなわけで、今回の大会では賞状を3枚貰いました。
ここまで結果を残せるとは思っていなかったので、本人が一番驚いています。2日目カテゴリーの方が練習時点では気合は入っていましたが、やはり1日目のポールトゥウィンというのは特別に思い入れが深いかも。地区大会でもポールトゥウィンというのは本当にごく僅かのエキスパートしか獲得できないというのが僕の考え。それに加えて最速クラスのオープンクラスで獲るというのは訳��違う。腕・マシン・運の全てが揃っていないと難しい。本当に嬉しかったです。
以下、後日酒呑みの感想......
去年は北海道大会2カ月前からラジコン練習を再開していましたが、今年は1カ月前から再開。そんなに準備の時間があるとどうしてもダラダラしてしまうからね。結果的には1カ月でちょうど準備万端まで持っていけました。ここ1年で抑えるべきところ、後回しにして良いところがよくわかったというのはあります。
表彰台に上がって、全国大会の権利が取れる状況でも今年は権利を譲ることに決めていました。結局、一年を通してラジコンするモチベーションは無いし、あまりガチでやると面倒なことも増えると感じているから...。それなら、本気で行きたい人に譲った方が幸せだと思って権利を譲りましたが、2日間とも知ってる人に譲ることができて良かった。一度全国大会は経験できた訳だし僕の性格上、次はきちんと腕前を上げてからチャレンジしたいしね。
今年は2月の全国大会に始まり、ラジコンという趣味に対して距離が近くなりすぎて、フラストレーションが溜まったり義務感でやっている瞬間が度々あった年なので、また気が向くまでお休み。やっぱり趣味なんだから、楽しい瞬間の方が多くないとね。適度な距離感で楽しむ方が僕には合っているのかもしれません。ホームコースには忘れたころに顔を出す程度で、ガチでやるのはまた今度。来年の北海道大会にできれば良いかな。
それでもきちんと結果が出たので今回の北海道大会編、終わってみれば楽しい1カ月でした。大人になってもガチンコで勝負できる環境があって、それに結果も伴ってくれば良い経験になります。今回もいろんな人のアドバイス・サポートがあって大感謝。
Miniz-Cup 2024 Hokkaido編おわり。

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昨日は財布とスマホを忘れて労働に出かけてしまった。気づいたのは電車の中で、あちゃーとは思ったけどまあでもパスモ(クレカと一体型のやつ)があるからべつに平気だなと思ってすぐあきらめた。待ち合わせの予定とかもなかったし。こういうときに限って何か緊急の連絡が…とはちょっと思ったけど、一月に義父が亡くなったばかりだからしばらくそういうことはあるまいと思った。またそういうことがあるかもとはあんまり考えない。こういうのって性格なのかな。誰からも何も来ないに千円と頭の中で賭けた。 つまりわたしは労働に遅刻しないよう、わざわざ引き返さなくたって平気だと自分に言い聞かせているのだろうかとちょっと思った。そんなに遅刻をおそれているのか。ちょっとくらい遅刻したって気にしない感じの方がいいのになと思う。自分も周囲も。わたしは電車とか待ち合わせとか映画の上映開始時間とか、いつもいろんなことがギリギリで、ギリギリまで仕度ができないタイプなんだから大手を振って遅刻しちゃえばいいのに毎度バタバタ走って大汗をかいている。悪あがき。一生こうやって走っているんだろうかとときどき恥ずかしくなる。
さっき電車に乗り込むとき、ホームと電車のすきまに靴を落としてしまった人がいた。すきまにかかとを引っかけて転んでしまったようで、一瞬迷ったけどわたしも電車を降り、大丈夫ですかと声をかけた。このときはまだ自分が財布とスマホを忘れてきたことに気づいていないのが、なんか昔話の正直者っぽいムーブだな……。人助けってほどのことでもないけど、うっかり者で正直者のなんとか太郎的な。 でもそんなんではないな、昔話の無償の正直さではないな。自分も乗りたい電車に遅れそうでしょっちゅう走っているタイプだから味方したくなったってだけかもしれない。自分ももうずっと前、学生時代、靴をホームのすきまに落としたことがあって、東中野の駅で足を踏み外して体ごと落っこちかけたのを近くにいた人がすぐ引っ張り上げてくれた。そのときは演劇のフライヤーを業者に届けに行く用事でかなり重たい紙袋を持っていた。よく引っ張ってもらえたなと思った。そういう善意の循環……みたいなことを考えるとなんかちょっと気味が悪いような気もする。これはわたしがひねくれているだけかも。 転んだ人は声をかけられてかえって恥ずかしいかもしれないと思って、駅員さんが来るまでなんとなく近くで見守り、駅員さんはすぐ来たので車輌ひとつぶんくらい離れたところに移動した。そして、電車一本くらい見送ったっていいや、多少遅刻してもいいやという判断をした自分に酔っていないか?みたいなことも思った。多少の遅刻は気にならない自分をやりたかったんではないか。なんだか心臓がばくばくし、さっきその人が転んで尻もちをついたと��、プリキュアみたいな絵面と一瞬重なった。スカートが広がった感じと手に握ったままのハンディ扇風機がなんか魔法少女みたいだなと思った。それがうしろめたくて声をかけたのかもしれない……とかも考えた。 なので財布もスマホも忘れてきたと気づいたときちょっとほっとした気持ちもあった。慣れない善意のようなことをしたからそれと釣り合いがとれているような気がした。バチが当たるの逆みたいな。
そういうことを考えていたら電車はすぐ着いて、財布もスマホも持っていないのに水筒と読みかけの本は持って会社に出かけるのなんか優雅だな…と思った。あとタオルと日傘と飴。リュックの中で水筒の氷がカラカラ鳴って、このごろ水筒には冷たいお茶を入れているから、歩くたび遠足の子どもみたいな音がする。 読みかけの本はレアード・ハント『インディアナ、インディアナ』。柴田元幸訳。柴田元幸だから読んでみるというのは武豊が乗るから買っておくみたいな感じ? わかんない。インディアナ〜は難解な小説ではないと思うんだけど、ゆっくり読まないとすぐなんだかよくわからなくなる小説。もうあと少しで読み終わるんだけど、読み落としているところがたくさんある気がして行きつ戻りつ読んでいて、今はもっかい最初からゆっくり読み直している。 「ヴァージルの死ぬ間際にノアはもう緑の印は見つかったかとヴァージルに訊いて見つかったならどこにあるのか教えてくれと頼んだがヴァージルは長いあいだノアの顔を見てそれから眠りに落ちそれから目ざめてノアの顔を見てそれからまた眠りに落ちた。」だいたいこういう感じ。辛抱強く話を聞くみたいな小説で、いつかこういうの書きたいな、書けたらなあと思う。このそれからが3回続くの、自分だと書くのに勇気がいると思うし、書いたとしても書いたぞってあざとさが出てしまう気がする。
お昼は会社の横に来ていたフードトラックでタコスを食べた。パスモで支払えた。白いタコスには鶏肉、ピンクの生地には牛肉の赤ワイン煮込み、黒っぽい生地にはサボテン?を何か和えたやつ。三個入り。キウイのサルサが辛くて美味しかった。スマホを持っていたらぜったい写真を撮っていたなと思った。 並んでいるとき、トラックに据えた鉄板の火が消えてしまったようで店の人が五分くらい格闘していた。しばらくチャッカマンをカチカチやっていたけどたぶんチャッカマンも燃料切れのようで、ぜんぜん火がつかない。ライターでやろうとしてなかなかうまくいかず、昼休みの五分くらいってけっこう長く感じるしかなり人も並んでいたんだけど、その人はまるで焦らず黙々とやっていたのですごいなーと思った。焦りが顔に出ないタイプなだけかもしれないけど。べつに誰にも謝らず、普通に注文を受け普通にタコスを包んでとやっていて、そうだよなあと思った。
労働を���えまっすぐ帰宅したらスマホにはやはり誰からも連絡は来ていなくて、千円勝ったと思った。千円くらい何か食べようと思った。わざわざ夜出かけるのめんどくさいなとは思ったけど、金曜の夜でほんとは寄り道したかったのだから出かけたい気持ちが勝った。 ぶらっと出てみたらいつもより涼しくて、どこまでも散歩できそうな気持ちのいい晩だった。ぶらぶら歩き、なんとなく電車に乗っていた。夜だから上り電車は空いていて、定期圏内の、でもあまり降りる用事がない駅のちょっと歩いたところにある中華料理屋というか定食屋というか、カツカレーが美味しいらしいので前から行ってみたかった。ふだんぜんぜん用事のない、買い物に行くような街でもない、誰も知り合いもいない駅。ここでわたしが何か交通事故とかにあって死んじゃったりしたら、なんであんなところにいたんだろうと家族は不思議に思うんだろうな……とあまり行かない場所に出かけるたび思う。 駅を降りたら書店があったので覗いてみた。雑誌と漫画と学参の棚が大きい、ちょっと広めの店舗の懐かしい感じの書店。気になっている本のリストを頭に浮かべながら物色し、目当てのいくつかは置いていないようだったけど、そういえばしゃしゃさんの本が今日発売日じゃなかったっけと思って探した。『蒼き太陽の詩』。1,2巻は棚に差してあったけど今日発売の3巻はなかった。レジに持って行って、これの3巻もありますかと尋ねたら奥から出してきてくれた。ラスト一冊でしたと教えてくれた。あっ善意と思った。カツカレーを食べながら読んだ。 『蒼き太陽の詩』は、アラビアンファンタジーというのかな、双子の王子が国王の座をめぐって殺し合う……というワクワクハラハラする物語。砂漠の王国が舞台の大長編で、読みやすくてぐいぐい進んだ。『インディアナ、インディアナ』を読んでいたから余計にそう思うのかも。壮麗な織物みたいな物語で、読んでいるとキャラクターたちの声が聞こえてくるし人や周りの風景が目に浮かぶ。生き生きとしている。これアニメになったらいいなーと思った。赤将軍のユングヴィはファイルーズあいさんがいいな……。
カツカレーの店は、客はわたしだけで、店のおじいさんは座敷でテレビを見ていた。テーブルにハイボールのコップとつまみがいくつか並んでいて、わたしが来たのでおじいさんはちょっと慌てたようすで、でもにこやかに注文をとってくれた。すっかりすり減った畳が赤くなっていて、ちょっと緊張した。あまりきれいでない状態に緊張するのもあるし、よそものが入ってきてすみませんみたいな緊張感もある。テーブルはきれいに拭かれていた。揚げたてのカツが大きくて、油と肉汁がジュワッと溢れてきてすごく美味しかった。��レーは濃くて、柔らかくほぐれた牛肉もけっこう大きいしたくさん入っていた。たしかにうまい。がつがつ食べるうちにだんだん体のこわばりがほどけた。 テレビの音がものすごく大きくて閉口したけど、カツを揚げ終えたおじいさんが汗をぬぐいながら夢中で見ているのがなんかよかった。『チコちゃんに叱られる』というやつ?初めて見た。音が大きいから見てしまう。ボーッと生きてるんじゃねえよってこれかと思った。Vtuberっぽい。おじいさんが何度もはははと笑った。どうしてゴルフボールの表面にでこぼこがあるのかというのをとても真剣に見ているので、ひととおり解説が終わるのを待って会計を頼んだ。
家に帰ったら板垣さんがツイッターでスペースをやっていたので、洗い物や洗濯物などを片付けながら聞いた。どうやら同じ大学出身だったことがわかって思わず話しかけてしまった。一日いろいろカラフルでなんか気持ちが興奮していたのか、やけにたくさんしゃべってしまって、恥ずかしくなって寝た。文フリの話とか小説の話。 千葉雅也『エレクトリック』、わたしは父親がエロいのがいいと思った。と言ったんだけど、なんていうの、エロいって言い方はちょっとちがう気もするんだけどエロく書くことのすごさがあってそれをそう受け取りたいというか……。これは『サバービアの憂鬱』で読んだんだったかな、「男性は会社(仕事)に嫁ぐ」というのを思い出したの。大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』。うろおぼえだからちょっとちがうかもだけど、男性が会社(仕事)に対して「嫁」になってしまう、みたいな。父親の人妻的な感じ。そういうエロさ。舞台の宇都宮も郊外(サバービア)だなと思った。そしてそういう小説の、文章自体がヘテロでない感じがあって、すごくよかった。多くの小説の文章が意識的にも無意識的にも備えている、当然の「調べ」みたいなものがあんまりない文章だと思った。
『エレクトリック』の前後で読んでいた、数年前の文藝賞の作品が、なんかこうすごくどヘテロだったのもあってそう思ったんだと思う。ヘテロが悪いわけではもちろんないけどよくもわるくもどヘテロ、ザ・調べという感じで、この作品のどこらへんがわたしは苦手だったのかを語ろうとすると、そこに糸口があるみたいな話。 なんていうの、村上春樹に文句言ってる場合じゃないくらい若い作家の新しい作品がめちゃめちゃ古いジェンダー観で、読んでいて作品の面白さとかすごさはわかるような気はしたんだけど、でもこれをよしとするんだなあ、帯に誰々氏が激賞と書いてあるけどそうなんだ?!みたいな驚きは、やはりあった。ジェンダー観もそうだし、地方や精神障害者への偏見を強化するような感じもあって気になった。「壮大な作品」「圧倒的な熱量」「知識と想像力を駆使し」と帯に書かれていたけど、わたしは読んでいて小ささや狭さの方が目についた。 いやわざとそう書いている、いかにもなステレオタイプをやることに意味がある作品なんだろうとは思った。仕掛けというか。でも意味があるんですよと書くずるさというか……。ステレオタイプをなぞり続けたい、そのようにして書けるものに作家は意味を見出したいし、どうしても興味がある。それってフェチではあるよなあと思うんだけど、ステレオタイプをフェチと指摘されることってあんまりない気がする。 偏見の強化によって生まれる痛み、それを感じない場所に作家は立っていて、痛みを感じる人のこともあまり見えない。いや見えてはいるかもしんないけど、自分の書くこの作品とはさほど関係ないと思っている? それは別の作家、何かそれにふさわしい属性を持った作家がやることであって自分の作品では関係ない。おそらくは無自覚な特権があり、特権って言うと反発したくなると思うけど……みたいなことを思って、うーーんとなった。やつあたりかもしんないけど。作品名出さずに書いてるからなんのこっちゃって感じだと思うけど。 まあ小説ってそんなに読まれないんだろうなと思った。読む人そんなにいないから、これのここってどうなのみたいな話題にのぼ��ことってあんまりない。漫画とはそこがちがう。あとまあわたしが純文学、文芸誌とその賞にそれなりに夢をもっている(もっちゃっている)ふしはあるな…。
そしてこの作品の直後にC・パム・ジャン『その丘が黄金ならば』を読んであーーーこういうのが好きだ〜〜と思って、なんかそういう不満のようなものはふっとんだ。大きい。大きい小説。こういうのがいい。小さい小説がだめなわけではぜんぜんないけど、大きい話を書こうとしたものが狭苦しく感じられるのはやはりつらい。あと長さもよかった。四六版で384ページ。父親が亡くなり子どもたちが埋葬の旅に出る…という筋書きで、本のけっこう前半で埋葬は済んじゃう。その後が長いのがよかった。純文学系の賞はちょっと短いのかもしれない。「自分の書くこの作品とはさほど関係ない」と書いたけど、まあだって短いもんなー。読む人にも書く人にも。この長さの話はもうちょっと掘り下げたい。日記に書きたいことっていろいろあるな。長くなったのでまた今度。

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BoB(BugOutBag=非常持出袋)の制作
今年は正月から大地震が頻発し国際情勢も非常にまずい方向に突き進んでいるようなので、3日間(72h)生存するためのBoBを作ることにした。 ★続編(バッグの交換)はこちら★

完成後の外見。重量は実に16.4kgもあるが、これでも最低限の装備。水を4Lも携行すると20kgになるので、できるだけ浄水剤や浄水器を活用したい。
■参考文献
Creek Stewart著『Build the Perfect Bug Out Bag: Your 72-Hour Disaster Survival Kit』
■IFAK(個人用医療キット)
これは既に車載しているものの亜種で、調達の都合上少し中身に相違がある。マルチビタミンサプリは栄養の偏りによる体調不良を予防するために必須である。

<内容物> [道具] ・ピンセット ・毛抜き・爪切り・鼻毛ハサミなどのセット ・包帯鋏 ・ポイズンリムーバー ・ペンライト ・ペン鋏 ・Bic J25 氷点下対応ライター(-11℃可のイソブタン仕様) ・耳栓 [外用資材] ・大判ガーゼ ・非防水ワンタッチパッド ・防水ワンタッチパッド ・ハイドロコロイド絆創膏シート ・絆創膏 ・綿棒 ・添木ロール ・ゴムチューブ1m ・伸縮包帯 ・サージカルテープ ・紙石鹸 ・ハイドロコロイド絆創膏(後日追加) ・透明フィルム絆創膏(後日追加) ・ヘモスタパッド(止血パッド・後日追加) [外用薬] ・消毒剤(マキロン/アルコールジェル/イソジン) ・リバガーゼ(殺菌剤含浸ガーゼ) ・アルコール綿 ・ステロイド軟膏(ベトネベートN) ・抗生物質軟膏(ドルマイシン) ・傷薬(パイロール) ・アレルギー用目薬 ・リップスティック ・虫刺され薬 [内用薬] ・消火器疾患剤(正露丸) ・抗ヒスタミン剤(レスタミン) ・即効性下痢止め ・解熱鎮痛剤(バファリン) ・マルチビタミンサプリ(後日追加)
■シュラフ
本州と異なり北海道では冬季の凍死対策が非常に重要になるので、重たいが-15度対応のものを調達した。

数万円出せばもっと小さいものが手に入るのかもしれないが、非常用にそこまでコストをかけられないので4桁円のものを選択。BoBの容量の大半をこいつが占めている… 5/10追���: シュラフ購入時についていた写真の袋を締めすぎてバックルが砕けたので、別用途のために買ってた30L容量のコンプレッションバッグに移し替え、さらに円周方向のベルトも追加してギッチギチに締め上げたらもうちょっと小さくなった。
■衣類パック(オールシーズン用)
冬季の防寒服や夏季の半袖衣類・蚊取り線香などは別のシーズンパックにするものとして、BoBにはどの季節でも使うものを入れておく。

<圧縮袋A> ・下着上下一式(速乾性で拓也さんめいたメッシュのもの) ・野外用靴下一式 <圧縮袋B> ・速乾性長袖シャツ ・速乾性長ズボン(リップストップ生地のもの) ・中量フリースのアッパー(後日追加) <追加ポーチ> ・ブーニーハット ・シュマグ(アフガンストール) ・タオル ・皮手袋
■サニタリーパック
トイレ・洗面などのいわゆる衛生用品を入れる。

<内容物> ・トイレットペーパー1巻 ・緊急簡易トイレ2つ ・シャンプーシート ・歯磨きセット ・タオル錠3つ ・小型石鹸(未撮影、ホテルにある15gぐらいのもの)
■ツールキット
できるだけ防水缶に入れるが、濡れてもよいものやすぐ取り出すものは外ポーチに入れる。防水缶はプラスチック製ケースよりアルミ製弁当箱の方が軽くてコンパクトで安価なのでおすすめ。 最後に念には念を入れて防水缶の蓋と本体の継ぎ目を自己融着テープで巻いて封印しよう。(防水とホールドアップ対策)


<缶の内容物> ・ナイフ(オピネルNo.6、刃渡73mm) ※通常のナイフは刃渡り60mm、折り畳みナイフは刃渡り80mmを超過しなければ合法(参考) 非常���には検問だけでなく人間との接触を避けるのが大前提! どうしても不安ならNo.5(刃渡60mm)を持っていけばよい ・マルチツール(重たいのでダイソーの300円品でいい) ・小型ラチェットレンチ(SK11 SRD-210) ・火起こし棒 ・エスビット(もどき) ・小型ケミカルライトx3 ・ワイヤーソー ・結束タイ10本 ・マッチ(12本ぐらい)+バーズアイマッチ(6本) ・瞬間接着剤x2 ・汎用接着剤G17 ・廃カードに巻いたダクトテープ3m(未撮影) <外ポーチ> ・パラコード15m ・アルコールウェットティッシュ ・コンパス ・加圧式ボールペン ・油性ペン ・鉛筆 ・裁縫セット ・ビニール袋ディスペンサー ・大型ケミカルライト(12h) ・大型ケミカルライト(24h)
■飲食・電気関係
飲食関係はメスティンに格納し、電気関係は外ポーチに入れる。

<飲食関係> ・1.5合メスティン ・ソウヤー製簡易浄水器セット ・ヨウ素浄水錠剤 ・カトラリー(スプーン&フォーク) ・シェラカップ(後日追加) ・スティックタイプのコーヒー(後日追加) <電気関係> ・モバイルバッテリー(10000mAh) ・複合ラジオ(充電・乾電池・ソーラー・手回し動力でライト付き) ・ヘッドライト ・予備電池(単3・単4) <その他: 外装> ・ハチミツ(行動食を兼ねる。メスティンに入らなかった) ・氷砂糖(行動食を兼ねる。すぐつまめるように。未撮影)
■野営装備
単独で野営できるような設備とする。参考文献によるとテントの重量は人数x2ポンド(908g)をリミットにすべきだというが、900g以下のテントなんてないのでここでは1kgのものを選定した。

<外装> ・ビビーサック(サナギ型テント。このタイプ) ・スリーピングマット(汎用性を考えロール式) ・1クォート(約946ml)ボトル(冒頭写真。この商品) ・オリンパス8x21RC II WP 小型防水双眼鏡(後日追加) <外ポーチ> ・小型タープ(3x3m以下) ・ガスコンロ(CB缶タイプ) ・ガスボンベ(一般的なコンロ用のCB缶) ・小型スコップ ・N95防塵マスク ・防塵サングラス ・防刃手袋 ・防水雨具上下(未撮影、放水を浴びても大丈夫な強力防水品)
■食料
Amazonベーシックのアルファ米パック10色セット。こいつは車にも搭載している。72時間(3日間)逃げ回ることを考えたら1日3食は食わないとやっていけないので、しっかり9食以上は携行するように。 なお撮影を忘れてしまったので写真なし。 水は1日2Lとして3日分を携行すると6kg超となり非現実的なので、1L以内を携行し他は浄水器で調達するものとしたい。
★軽量化について
冬山登山では20kg前後になるというから、16kgでもかなり軽量化したほうだとは思うがやはりちょっと重たい。そこでより高級なギアに換装してど���だけ軽量化できるか検証はしてたものの、内容物を2.94kg軽量化させるために9万円も払いたくないしバックパックの容量を保ったまま1-2kg軽量化するために5万円出すのも容認できないというわけで、リーズナブルな価格で揃えたらやっぱりこれぐらいが限界という結果に。 それにあんまし高級品にしてしまうんならソロキャン用具にしたいじゃん?
5/10追記: 後でフリースなどを詰めたらファスナーが内圧で外れたので、改めて内部フレーム式70Lのバッグを買いなおすことにした。届いたら詰めなおして続報記事にする予定。こちらの45Lバッグはキャンプ用にしようかな?
ほかにいろいろ思いついたら加筆予定。
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みそかです。
噛まれる寸前まで犬の肉球をぷにぷにしたり、締め切り5分前にレポートを出したりと、ギリギリでいつも生きているわたしですが、役者紹介もこんな時期に投下させていただきます。
新歓の読み合わせがまだ始まっていないので、間に合ったということにしてください。
わたしは毎回芸名を変えています。理由は特にありません。気分です。次回は変えるかもしれないし変えないかもしれません。
そんなわたしから、新人公演に参加したみなさんに新しい芸名をプレゼントします。でも、あくまで提案なので、採用するなり仏壇に飾るなり塩胡椒かけて炒めるなり好きなようにしてくださいね。
役者編
縦縞コリー
🆕犬系彼氏
パーマ姿に慣れすぎて、もうもとのこりちゃんを思い出せません。似合ってるってことです。
声がいいのはもちろんのこと、表情管理が素敵だなと思います。父だけど子どもっぽさが残っている表現は、こりにしかできないものだったなと思います。キャスパのときにっこにこになるのもいいですね。わたしは作ってないのにどんどん踊らせたくなる(?)コリーちゃんなのでNew芸名は犬で🐾
あろハム権左衛門
🆕大阪公立大学
すでにつよつよな芸名をしてらっしゃるので、新しい芸名を提案するのに少し緊張しました。やはりハムのイメージが強いので、ハム大と呼ばれる大学をつけました。あとは大阪大学のサークルで大阪公立大学を名乗ることができるマイペースさがアローにはあると思います。新たな外国語を習得しようとする姿には震えました。尊敬します…
海泥波波美
🆕桜下木木木
周りのみんなを巻き込んでいつのまにか台風を生成しています。目にいるアサギはケロッとしていたり、していなかったり。アフヌンは結局行けたのかな?紅茶には明るくないけど、わたしも行ってみたいです。New芸名は、わたしが読みたいなあと思っているアサギおすすめの本から取りました。さすがに読みます。この春休みが終わるまでには
苔丸
🆕津谷子
たくさんたくさん練習しましたね。ひとつひとつの動きにも、単語の言い方にも、細かな工夫をしましたね。あれがもう2ヶ月前なんて…時が流��るのは早いです。いちばん一緒に練習して、気になるところを見つけるたびに指摘していたけど、それをすべて受け止めてくれました。丁寧という言葉がすごく似合う人だと思います。もっと磨いて、もっと丸くつやつやにしていってね。あ、New芸名は「つやこ」と読みます
冊まいむ
🆕内緒♡
演劇って、芸術だったんだと、最近気がつきました。だから、わたしもその中に入ることができて嬉しく思うし、同時に不安になります。わかってるのは、ちゃうかは楽しいってことです
衿君
🆕燻
綺麗めな衣装が似合いますね。ていうかなんでも似合いますね。ちゃうか35期着せ替え人形大会を開こうと模索中なのですが、わたしが着せ替え人形にしたいなあと強く思っているひとりです。
New芸名は「いぶし」と読みます。週一で燻製を食べていそうだなという、完全なる偏見からつけました。ちなみにわたしは燻製食べたことがありません
ミル鍋
🆕Curry is a drink.
「カレーは飲み物」です。美味しい食べ物屋さんを知るたびに、「ゆにちゃんと行きたい!!」って思います。全制覇、つきあってくれるかな?最近Vlogに目覚めたゆにちゃん、編集技術をめきめきと上げていてなんかもう立派なユーチューバーになれそうです。普段はにこにこでギャグ線爆発してるけど、舞台に立ったらかっこいい。好き。ギャップ萌えってやつかな
大福小餅
🆕こゆき
わたしは大福の中では雪見だいふくが1番好きです。邪道って言われちゃうかな。優しいこふくは受け入れてくれると信じてます。あとは、こふくには雪景色が合うだろうなと思ったので。雪の中で名前を呼んで、ダッフルコートを着たこふくにとびきりの笑顔で振り返ってほしいですね。こふく感をどうしても残したくて小をつけたら、某女優さんの名前になってしまいました、汗
中森ダリア
🆕大宮セドナ
ひらりは、演劇がなかったら一生仲良くなることがなかったタイプだろうなあと思います。だからこそ会うたびにたくさんお喋りしたくなっちゃうし、ちょっかいかけたくなっちゃう。
セドナは有名なパワースポットです。世界進出しそうだなあと思ってつけました。大宮は勘です。
飾っておきたくなるような美しい容姿も、そんな美しい唇から出てくるコテコテの関西弁とパワーワードたちも好きです
帝京魂
🆕平方根
いつかの稽古でやった関西弁翻訳がいまだにツボです。コンの関西弁が好きすぎて、わたしの専属関西弁翻訳機になってほしいくらいです。
作業員の衣装が似合いすぎてびびりました。私服かと思いました。さすがに嘘です。New芸名は金平糖と迷いましたが、コンはルートが似合いそうだなと思ったのでこっちにしました。ぜひかぶってみてね。√
黒井白子
🆕サフラン吉岡
演補お疲れさまです。いろんなことを相談させてもらいました。やっぱり頼りになります。
わたしは沈黙を埋めるように喋るのが苦手なので、誰かと��たりでいるとちょっとだけ不安になるのですが、白子と喋るときは安心できます。話すのが上手だからでしょうね。話の内容の面白さはもちろん、本人の圧倒的コンテンツ力が芸人さんみたいだと思ったので芸人さんぽい芸名をつけました
しょこら
🆕あしたの靴下
今回は役柄上あんまり絡む機会はなかったかな。でもなぜか、人科の友達から名前をよく聞きます。他のサークルでも楽しんでいるようで何より。こらしょから最初にインフルの連絡があって、仕事振りすぎたかな、スケジュールハードだったかな、なんて心配していたのも束の間、翌日わたしも38度5分発熱しました。体調管理って大事だね。New芸名はフィーリングです。あしたという単語を使いたかった
鴨兎春
🆕星型魚拓
今回のらびの役者紹介、心の底から好きだあああ!!!スクショはもちろんしました。それをプリントアウトする一歩手前で、さすがにやめとくか、となりました。俵万智を超えられると思います。スパイダーなわたしのはもちろん、他の人の歌もにやにやしながら読みました。
もしらびが魚拓だったら、がんばって星の形になるだろうなと思ったのでこの芸名をつけました。芸術センス恐るべし
スタオン編
園堂香莉
🆕透明な花
テキパキ動いて指示をする照明チのかっこよさを見て、未熟な音響チは焦ってしまいます。今回は声だけの登場でしたが、綺麗な声で音質の悪さを飛び越えてくれました。
「も」は、ちょっと疲れたそうなので休憩してもらってます。わたしはマ行全体が好きなので、いつか復活するかもしれません。未だ(わたし的に)あなたの色が決められないので、透明とつけました。お花要素は外せないよね
まろん
🆕奈々
音入れと場当たりではご迷惑をおかけしました……。本当に本当に感謝です。これからも頼りにしてるぜ。
まろんのふわふわしてて延々とお喋りしたくなるような声が好きです。でも、外公以来ゆっくりお話できていなくて寂しいです。今度ごはんでもいきましょ!New芸名はななって名前がかわいくて似合うなと思ったのでつけました。々は同じと入力すると出るらしい
テキストを入力
🆕 繝?く繧ケ繝医r蜈・蜉
文字化けさせました。最近はすごいですね、文字化けさせてくれるサイトがあるんだもん。宣美殺しと言われそうですね。頑張ってもらいましょう。
話せば話すほど味が出てくるスルメみたいな人です。特に、ゆにとの会話は聞いているだけでにこにこしちゃいます。最近ちゃうかの演劇外の活動にも顔を出してくれるようになって嬉しいです
紫仏瑠唯
🆕六条和歌
今回はあんまりお話できなかった…悔しい…!!みなさんの役者紹介を見ていると、るいは世界史がお好きなんだとか。いつか世界史トークしたいなあ。この後期にすごく面白い授業をとったので、わたしの世界史熱は絶賛高まっています。特に、宗教が絡む歴史が好きです。New芸名は、るいは着物が似合いそうなので和風にしました。かわいくない!?
近未来ミイラ
🆕キャリーケース渋滞中
ツッコミもボケもセンスが良すぎるの、なんなんでしょう。片方だけでいいのでください。
改めまして、演出お疲れさまでした。人マニアのキャスパへの繋げ方が個人的にめちゃめちゃ好きです。あと、演出で疲れているだろうに、ちゃんと話を聞いてくれるの、本当にありがたかった。雨あられです。
New芸名はフィーリングが7割、3割はみーらに「い」の口をしていてほしいという願望です。その芸名だとどちらかというと「う」の口じゃないかと思った人、しー。わたしはこれがいいんです
唯端楽生
🆕久茶寧
「くっちゃね」と読みます。ただばたらきは可哀想なので、思い切りだらけてほしくて食っちゃ寝にしました。
脚本を読んで、あなたの子ども観、大人観は、わたしの子ども観、大人観と通じるものがあるのではないかと感じています。わたしは、子どもはこの世界のお客様であると思います。そして大人になるということは、自分が今までに受けてきたものの存在に気づき、今度は自分が「与える側」になること、つまり世界の運営者になることだと思います。それでもって、父は一連の経験を通して、受け取る側(というか受け取る姿勢)だった考え方が、少し大人サイドに近づいたんじゃないかな、と思ったり。こんなことを、お話してみたかったりします。いろんな人が言っていますが、全体を見ても細部を見ても、ずっと面白いあなたの脚本にはわたしも惚れ込んでいます。次回作、楽しみにしてます
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20240104
旧年中は大変お世話になり
本当に有難うございました!
今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます🙇🏻♀️
バランスの悪い🧦
お正月中は結局編めず
電車の中と帰ってきて一気に仕上げた
amuhibi2のsmocking socks。
DARUMAの
superwash spanish merino一玉しか手元になかったので
少し足首部分足らず。
足の甲の部分が4cmほど長すぎたので
次はきっとバランス良く仕上がるはず。
買った方が安くてあったかくて
可愛くて丈夫じゃないか?とか聞かれると
それでもなんで編むのかな〜と考えてみたら
やはり編む過程が楽しいからかなと。
途中ほんとにめんどくさいって思ったりもするけれど。
できた時の気持ちは登山と似ているのではないか?
(登った事はないのですみません)
、、というほど私も編んでないので
そんな偉そうな事も言えませんがw
年始は明日1/5からopenです。
1/5(金) 10-14 縫い物
1/10(水) 10-12 編み物
1/11(木) かぎ針
明日から1/25まで一回使える
毛糸在庫分20%OFFクーポンを
LINEで配布します。
ご利用下さいませ。
宜しくお願い致します🙇🏻♀️🙇🏻♀️
#hibi #news
#knit
#knitting
#棒針編み #棒針
#糸 #yarn
#手編み #編み物
#손뜨개 #코바늘 #털실 #뜨개질
#靴下
#靴下編み
#knittingsocks
#socks
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旅日記③ in Australia🇦🇺
Sydney編
続いて、Sydneyについて覚えてる限りのことを。
前半は都市について、後半は向こうでの医師の働き方について書きました。めっちゃ長くなった🤦🏻♂️










3日間の滞在で感じたSydneyの魅力
第一の感想、数年住みたい。
ちょうどよく都会。日本でいう表参道のような上品な雰囲気を持ちつつ、道が広くて都会の行き過ぎた喧騒みたいなのがない。夜1人で歩いても明るいから怖くなかった。(夜のお散歩が楽しめるの最高)
気持ちの良い大自然が、電車や車をちょっと走らせると辿り着ける距離にある。最高すぎる。SydneyでもBlue Mountains(写真2枚目)など自然観光はたくさんしたけれど、1番気に入ったのはBondi beach(写真6枚目)。このビーチは何回来ても飽きないだろうな〜って思った。嫌なことあっても穏やかな気持ちになれそうな、そんな素敵なビーチだった🐚(現地の人たちは暇さえあればすぐ海に行ってレジャーシート引いてchillするらしい。)
アジア系多め。おかげさまで、旅行中に自分が外国人だと感じる瞬間もなく、差別を感じることもなく。アジア系が多めだからか、アジア系料理のお店も豊富で、海外旅行あるある「日本食恋しい」がなかった。
ジェラートがめちゃくちゃ美味しい。現地の人曰く、イタリア人が「イタリアンはさすがにイタリアの方がちょびっとだけ美味しいけど、ジェラートはイタリアと差異なく美味しい」と話すらしい。やるやんシドニー…。
ライフスタイルが魅力的。活動は朝早くから、でも夕方にはお休みモード。カフェは朝6時から空いてて、コーヒー買ってからみんな職場へ向かうらしい。飲み会は基本1次会まで、2次会はジェラート食べて終わりなんだとか🍨。深夜までの飲み会は翌日の疲労感が凄まじいので、この文化はますます魅力的。
(物価高いことを考慮しても)給料高め、定時で帰宅、残業少なめ。休日は自分の時間、家族の時間を大切にする国民性。Australiaはビザを取るのが大変なことで有名だけど、医師の資格があれば永住権の獲得も容易いようで、ちょっと働いてみたいかもと思ってしまった。
みんながみんな自由。ド派手な花柄ワンピースきたおばあちゃん、青い髪のお姉さん、靴履かずに裸足で歩くお兄さん。こういう他人への興味関心が薄いところ、居心地良い。狭いコミュニティは少し息苦しくて得意じゃないから、いいな〜って思った。
働く女性に優しい社会。出産はタダ、育休は両親合わせて2年ほど。お母さんがベビーカー連れてクラブでお酒飲んでても安全らしい(?)。電車で赤ちゃんが泣いてると機嫌悪くなるおじさんがいる日本よりは、たぶん優しい。
ざっと思い付くのでこれくらい。
今までは、海外旅行行っても初日に『日本しか勝たんな🇯🇵』と感じるのだけど(実際、ご飯は美味しい人は優しい治安はいい街は綺麗だから当たり前)、Sydneyはそんな日本のいいところもきちんとあったな〜って感じがした。ただ、数日の滞在なので見えてない部分もたくさんあると思う。
英語頑張って勉強して、数年間ここで働いてみたいなって思った。骨を埋めるのは日本がいいけど。
余談
3枚目はBlue Mountainのkissing trees(loves treesとも呼ばれている)🍃。お互いが栄養を受け渡ししあっているおかげで生きている木のことなんだけど、触ったら素敵なご利益があるらしい。めちゃくちゃ触っといた。ガイドのおじさんは触りすぎて効果なかったらしい(何なん)。
続いて向こうでの医師生活を聞いた感想
Australiaに行った目的は、日本人ながら現地でドクターとして働いている知り合いに会いに行くことで、せっかくお話たくさん聞けて刺激を受けたので、そのこともメモしておく📝
🇦🇺と🇯🇵の働き方の違��
🇦🇺は週4.5勤務で残業なし(9時5時)で、残りはゆっくり自分の時間を過ごせる。専門医は週5勤務に対して研修医は週4.5勤務。この差0.5週は、研修医は勉強に時間を使ってねって意図で、0.5週分も給料は出るらしい。(日本でも病院を選べば色々あるんだろうけど、全体的に日本よりも時間にゆとりのある生活を推奨してるんだなっていう印象)
有給は日本は年10日なのに、向こうは年間まるまる5週間。
働き方について色々メモしたけど、それでも日本で医師を週6で残業ありでバイトもしてやってるひとよりかなり年収の差があるらしい。お金が全てではないけど、お金の余裕は心の余裕だよなぁなんて思ったり🤦🏻♂️
ビザを取るのってすごい大変らしいけど、医者に関しては国家試験に受かれば2週間で取れるから、永住権獲得の心配は格段と少ないらしい。アメリカは永住権は全然取りにくくて、9年くらい?働いたらアメリカの僻地か、故郷に帰らないといけない決まりらしい。アメリカの僻地ってハワイが含まれるんだけど、だからハワイには日本人の医師が多いんだって。(ワーホリでオーストラリアにきて魅了されたけど、学生ビザとか雇用で何とか引き継いで、在住9年目っていうひとにウルルで会った。いまだ永住権取れずにいるし先が見えないっていって、ビザって大変なんだ〜って思ってたから、医師にとってビザは何とでもなるよっていう話は大きい収穫だった。)ちなみに、医師の他にビザが取りやすい職業は看護師と研究者らしい。
国試はアメリカと違っていついつまでにとかいう制限がないから、何回でもチャレンジできる。先生はいけるいけるって言ってたけど、絶対大変。(まあとりあえずオーストラリアに行ってみて、無理だったら日本帰ろ〜とかいうくらいのマインドでいいんだよって先生が言ってた。失業するわけじゃあるまいし、と。)
日本は1人の患者に1人の医師が担当するところが主流だから、急変とかあると呼び出しがあるけど、オーストラリアでは患者1人をチームで担当するから、呼び出しとかないし、負担もいい意味で分散される。
オーストラリアの医師は、ローカルGP(総合診療医)が70%をしめてて、専門医は残りの30%。ローカルGPは日本の総合診療医よりも何倍も網羅されてて、お産も心疾患も救急や小児や看取りなど全部がめっちゃできる。だからGPトレーナーをやるだけでも、経験をたくさん積んだ医師になれるらしい。
逆に、専門医を取るにはだいたい8年くらい(スムーズに行っても6年)かかる。オーストラリアで専門医をとってから日本に帰っても、日本でその専門医としてすぐなれるわけではないけど、学会発表とか色々やれば、専門医への近道があるみたい。要するにまた日本で1からっていうわけではないということ。
海外での人種差別ってないの?って思って質問したら、オーストラリアでは患者が白人以外の医師に対して差別っぽい言動をした場合、ブラックリストにのるかんじで患者側が病院から追放されるらしい。だから、白人以外もとっても守られてる国だなと感じた。訴訟もないわけじゃないけど、保険がきちんとあるから、それに関しては日本と同じかな。
育休は旦那さんと合わせて2年間くらいもらえるし、ドクターだったら保育園に納めるお金は他の職種より多いらしいけど、子供を保育園に預けるだけでオ��ツ用意しなきゃとかないらしい。多分、この収める金額によって楽さが選べるのかな?詳しくはわからないけど、とりあえず日本より子育てしやすい社会体制が整っているとのこと。
私はまだ日本で働いたこともないので日本の実態もよく分かってないし、医療体制において向こうがが優っているとも言えないけれど、刺激的でワクワクした☀️
興味持ったらとりあえず手突っ込んで、できるだけ将来の選択肢を狭めないように生きていきたいな、と思えた1週間だった。先生と知り合った時(10年前)は、自分はまだ中学生、先生もまだ大学生で、自分が先生と同じ進路を辿るとも、先生が日本を出るとも思ってなかった😂あとこんなに親しくなるとも思ってなかった。人生の縁に感謝です🌿
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2023/6/12〜

6月12日 三つ編みで出勤したら女性の上司に、あらよいですね!と言ってもらい、まさかでやっぱり嬉しい。 女の人に褒められると嬉しくなる。
昨晩周りの人たちが好きな傾向があるラバーガールのコント動画を少し見てみたけれど何が面白いのかあまりわからなくなってしまって悲しかった。 お笑いを楽しめなくなってしまった。 多分自分の人生が忙しすぎるのかな、と、自分の写真を1〜3期に分けて組んでみようとしている内の2期目の写真選びをした。
朝トイレの様子がおかしかったので詰まってしまったのかも…と不安のまま出勤したことを思い出した。大丈夫でありますように。

6月13日 出勤の道で、雨が降る中レインコートを着て長靴で歩きながら除湿機をamazonで購入。買ってから、こんな状況で除湿機買ってるのなんかおかしいな、と思った。
出勤した給湯室から「あ、それ聞いたことあります。こないだデートした人から…でもいろんな人とデートしてて誰から聞いたか忘れちゃったんですけど…」という会話が聞こえてきて、いろんな人とデートする元気な人もいるんだな〜、となる。
私と同じようにバスに乗らず歩いて出勤している一期下の方に、道中に11匹のねこが落ちていることを伝えていたら「今日ねこ見つけました!」と報告してくれた。
今の上司も飼い犬を溺愛していて、そのラブなエピソードをたびたびお話ししてくれる。 今ちょうど里親の元から親犬が来ているとのことで、離れられなくなっちゃうんじゃないか、と訊ねると、夏休みに実家に帰省して親に会う感じで、ほどほどに楽しく限られた時を過ごしているとのこと。 誰も教えてないのにタオルで戯れるのが大好きで、不思議に思っていたところ、昨晩親犬が人目を盗んでタオルで戯れていたところを上司が発見したらしく、遺伝なのかな〜、という話をした。
今日から職場の冷房が解禁された。 思いがけず天気が回復して陽射しを浴びた。 いろんなものが身体に堪えて遠い気持ちになっている。

6月13日 前年度までお世話になった上司が、職場の近くでパン屋さんをしているとのことで、お昼休みに職員さんに車で連れて行ってもらうことに。 事前に調べたところでは、とてもおしゃれで可愛らしいパン屋さん。 ご自宅でひっそり営業されているのかな、と思っていたけれど雑誌に掲載されたこともある人気店みたい。
久しぶりにお昼休みを誰かと過ごして、しかも職場の敷地外に出られるなんて、気分転換ってこうゆうことね〜といつまでも覚えられない職場周辺のロードサイドを眺めていた。
パン屋さんは売り切れ閉店してしまっていたけれど、素敵なお店と、そのお店の上司のお話をできたお昼休みでとても楽しかった。
かわいい刺繍が入ったシャツをよく着ている方に、かわいいですね!と伝えると「選択をする女の人のシャツです」と教えてくれた。 好きなブランドだったけれどもうなくなっちゃったんです、とのこと。どこのですか?と訊ねると、Ne-netだって! A-netのお洋服たちが少し寂しい感じになっていることや、Ne-netのお洋服のかわいさについてお話しできて、まさのことで嬉しかった。
今日こそは2日連続で受け取れなかった宅急便を受け取りたいのに全然バスが来ませんね。

6月15日 朝駅に着くといつものバスが間引かれていたようで、バス停が大行列。雨の日なのになんで! そのまま1時間くらい歩いて出勤してみた。 途中からなんとなく同じように歩く人がいて、20mくらいの間隔をあけてずっと同じ道を歩いていた。駅のローソンの袋を下げていたので、もしかしたらこの人もバス停の人の多さにびっくりしたのかもしれない。
道中で泉まくらの新曲をダウンロード。 ちょっとだるいかも、で、ロキソニンを入れたらなんか身体がヒリヒリしてしまった。 ちょっと痛みも耐えられない!
帰り際、雨が降ってきそうですね、とロッカールームで他のチームの職員の方とお話をする。 窓の外の木は鳥が運んできた種から生長したでありう実生木で、こんな花が咲くんだね〜と言っていた。ふわふわの薄黄色の花。実が美味しいらしく鳥がよく食べにくるとのこと。
レインコートもきて完全装備で歩いていたら、車が走り去って泥水を飛ばしてきて、バスも全然こなくて、やっぱり雨の日はダメだ!

6月16日 通勤中の紫陽花が咲き誇っていて劇にゃんこ状態。 暑さに体がなれないと夜中に起きては何かを食べてしまう傾向が強くなる。寝ている間に体力を消耗してしまっているのかな。
帰り際、おとといパン屋さに一緒に行ってくださった職員さんが話しかけてくれる。 その時車の中で大学の話をして、私の母校を伝えていたのだけれど「なんか聞いたことある大学だと思ったら、大学時代の同級生が今そこで先生をしているの!」とのこと! お二人とも関西の大学出身だけれど、関東に出てきた友人として最近までよく会っていたらしい。 名前を教えてもらったのに忘れてしまった。 私の所属していた学部とは違ったけれど、源氏物語の研究をしているらしい。我が母校っぽいな〜、と思った。
やっと天気が良くなったのでお昼休みに自転車でクリーニングを受け取りに行こうと思っていた矢先、出勤中に自転車で点灯して労災がうんぬんという話を聞く。上司が自転車で転けてしまい泥だらけで出勤してきていたとのこと。 怖くなって今日は自転車に乗るのをやめておいた。
明日はリップグロスと新しい香水を買いたい。 今日はお掃除そこそこに早く寝られますように。

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◆DR.MARTENS(ドクター マーチン)◆PPA RACE TALL BOOTSを掲載しました。 定価:32,780円(税込) 弊社通販サイト商品ページ⇒http://www.gallery-jpg.com/item/1342001/ 素材:天然皮革 カラー:ブラック サイズ: UK3(約22cm)ヒール約3cm、筒丈約36cm、甲周り約12.5cm UK4(約23cm)ヒール約3cm、筒丈約37cm、甲周り約13.5cm (平置きの状態で測っています。) ジョッパーズブーツのディテールを忠実に再現した、珍しいモデルのドクター マーチン。 バックファスナー着脱。 ふくらはぎと足首部分のベルトはスナップで簡単に開閉できるので、非常に使いやすいです。 ※ご覧頂いている媒体により、色の見え方が多少変わる場合がございます。 ※店頭でも同商品を販売しておりますので、通販サイトの在庫反映が遅れる場合があり 商品をご用意出来ない場合がございます。予めご了承頂きますようお願い致します。 ━━━━━━━━━■アクセス□━━━━━━━━━ なんばCITY本館の1階 大阪難波郵便局側から入って1軒目 靴のダイアナ(DIANA)の隣 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ Gallery なんばCITY本館1F店 〒542-0076 大阪府大阪市中央区難波5-1-60 なんばCITY本館1階 【営業時間】11:00~21:00 【休館日】2月無休 【PHONE】06-6644-2526 【e-mail】[email protected]
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「まず、ジャニーと私の父・良一の出会いから話します。1950年に、父が歌手の笠置シヅ子さんと『ブギ海を渡る』を持ってアメリカ巡業ツアーをしたのです。8月11日にハワイ公演、9月1日から3日間はロサンゼルス公演でした。会場は高野山ホールという高野山真言宗の直営ホールで、当時の高野山真言宗米国別院の第3代主監が喜多川諦道氏。ジャニー喜多川の父です。
諦道氏は『ボーイスカウト第379隊』の結成に尽力したり、プロ野球球団『ゴールドスター』のマネジャーも務めていたという多芸多才な方だと、今回ネットで知りました。ロスの日系社会で声望が高かったそうです。息子のジャニーは当時19歳。姉のメリーと共にコンサート会場を駆け回り、大人顔負けの接待役を発揮し、父や笠置さん、服部富子(叔母で『満州娘』の大ヒットで知られる歌手)、スタッフたちのマスコット的存在だったそうです」
「同じ年の6月に勃発した朝鮮戦争で、ジャニーはアメリカ国民として徴兵され、従軍するのですが、ある日、突然、彼が新宿区若松町の家にカーキ色の軍服姿で現れました。パパ(良一)と叔母は、それを見るなり『ヒーボー(ジャニー氏の本名・擴からこう呼んでいた)! ウワー、大きくなって』と歓声をあげて出迎えました。
それから、何回か若松町に遊びに来ました。今でも忘れられない光景があります。玄関にうずくまり、軍靴をゆっくりと編み上げている彼の姿です。家族はそれを囲んで一言も言わずじっと見つめていました。それから彼は立ち上がり、私たちに別れの挨拶をするでなく、『あー、行きたくないなー』と一言。
今思うと、2世差別の残る戦場へ向かう彼の姿を中国戦線での慰問経験をもつパパと叔母は、どんな思いで見ていたのだろうと思います。ジャニーは朝鮮戦争から帰還し、その翌年日本に戻り、除隊後には米大使館軍事顧問団に勤務したといいます。それで再び、服部家に出入りするようになったのです」
「ジャニーはワシントンハイツ(代々木にあった進駐軍宿舎)に住んでいて、時々、お土産をもって服部家を訪ねてくるんです。ハーシーのチョコレートやハンバーガー、フライドポテト、アイスクリームなど。PX(基地内の売店)で手に入れたものでしょう。当時の日本は皆貧しいですからね、ハーシーのチョコなんて高根の花でした。うちは比較的裕福とはいっても、進駐軍の物資の豊かさは別世界です。
ある時、冷蔵庫が運ばれてきたのでびっくりしました。父が彼に頼んで買ったものでしょうけど、当時は氷を置いて冷やす簡易冷蔵庫しかない時代です。冷蔵庫・洗濯機・テレビが三種の神器と呼ばれて主婦が憧れたのは1960年代の初めですからね」
国民栄誉賞作曲家の次男がジャニー喜多川氏からの性被害を告白 「8歳の時に自宅部屋で…」
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「話をおまとめ下さい」 よく通る官僚の声が発言を止めた。82歳の男性があわてて口を閉ざした。その後ためらいがちに出た言葉はとても聞き取りにくかった。すでにマイクが切られていたからだ。新聞記者が連射したシャッター音が会場に響いた。 懇談会の終了間際、出席者のひとり、水俣病被害者の会の中山裕二が「一点質問させて欲しい」と伊藤環境相を引き留めた。「マイクを絞ったのか」とたたみかける中山らに伊藤氏は背を向け、司会を務めた水俣病担当室長も無言で会場を去った。 「全面かつ最終解決」と国が自賛した水俣病特別措置法施行から15年。「マイク遮断」はなぜ起きたのか。環境省にとって水俣病は忌むべき存在なのだろうか。(熊本県民テレビ 記者 東島大/敬称略) 水俣病の仕事は「後ろ向き」環境省職員の本音 筆者が受け取った環境官僚からの電子メール 「究極の『後ろ向きの行政』を担当しておりましたが(略)、今度は『前向きの行政』を所掌いたします」 こんなメールを貰ったことがある。環境省で水俣病を担当する特殊疾病対策室のある室長が異動の挨拶として私に送ってきたものだ。全歴代の室長すべてが水俣病の仕事を「後ろ向き」と認識しているとは思わない。しかし取材者としては、職員のかなりの部分の本音ではあるのだろうと感じている。 それは水俣病が単に古い事件だからではない。懇談会でマイク遮断を最初に指摘した中山裕二は40年以上環境省との交渉に関わってきた。今回中山は「マイクを切るなんて初めてだったよ」と憤りながらもその後記者たちにこう話した。 「環境省と私たちっていうのは振り返ればぎりぎりの緊張関係にあったけれども、それなりの信頼関係もあったと私自身は思っていたんです。ところがこの間の特殊疾病対策室長の対応、それが信頼関係を壊した」 5月1日は水俣病にとって大切な日だ。1956年のこの日、水俣市保健所に奇病発生の届けが出された。患者は5歳と2歳11か月の姉妹。報告書によれば、2人とも意識は朦朧として看護師がヤクルトで唇を湿らせてやるのがやっとだった。 姉は亡くなったが妹の実子は71歳になった。ことしに入って寝たきりの状態が続いている。自宅で倒れる直前に「靴がはけない」と声を上げたのを最後に70年自分の意思を言葉で伝えたことはない。 この日を公式確認の日として毎年慰霊式が行われる。環境相と県知事は必ず「謝罪」を口にする。その後に患者との懇談が用意されるが話は「聞き置く」のみ。患者側が追及しようとしても「係争中なので」とかわされる。被害者と加害者は、裁判の原告と被告でもある。そこに「信頼」の文字はない。「マイクオフ」が起きる種はすでにまかれていた。 原因企業ありきの経済成長 水俣病が抱えたタブー 「マイクオフ」を命じた環境省特殊疾病対策室長は、およそ2か月後に異動となった。環境省は定期異動の一環と説明した ではなぜ環境省は水俣病に「後ろ向き」なのか。それはキャリア官僚たちが束になっても太刀打ち出来ないほどのタブーが水俣病問題に亡霊のようにつきまとっているからといえば文学的に過ぎるだろうか。 たとえば──水俣病の原因企業・チッソは小さな田舎企業ではない。戦前、軍部と結託し朝鮮半島に進出。世界最大級の水力発電ダムを建設し、戦後に首相となった岸信介らの後ろ盾を得てアジア一帯へ勢力を拡大。その売上は三井三菱を凌駕した。戦後は大陸に展開していた人員を水俣へ集約し、敗戦からわずかひと月で工場を再稼働させ、昭和天皇の激励を受けた。 巨大ダムを視察する後の首相・岸信介(右)当時は満州国産業部次長という肩書きだった 戦後は電気洗濯機、電気冷蔵庫、白黒テレビの三種の神器に欠かせないプラスチック製造に必要な化学製品オクタノールの国内シェアの85%を握る。私も取材に加わった「NHKスペシャル 戦後50年その時日本は~チッソ技術者の証言」では、当時通産省から経済企画庁に出向し水俣病対策にあたっていた官僚に取材している。彼は「排水を止めた方がいいんじゃないですかねなんて(出向元の通産省に)いうと『何言ってるんだ、チッソが、これだけの産業が止まったら日本の高度成長はありえない』と言われた。確信犯だね」と語った。文字通り、チッソは日本経済のエンジンだった。 水俣患者と国とで「板挟み」 自殺したキャリア官僚 故・後藤舜吉チッソ最高顧問。45歳で取締役となり「チッソ中興の祖」と言われた チッソの認識はどうだったか。社長・会長・最高顧問を30年務め2年前に鬼籍に入った後藤舜吉に「工場廃液が水俣病の原因とわかったあともなぜラインを止めなかったのか」と尋ねたことがある。 その時後藤は「わが社が生産しなくなれば客が困る」と即座に答えた。「困るのは日本経済そのものだったのでは」と更に訊くと「たまたま結果が世の中のお役に立つといったようなことです」と煙に巻いた。 こうした「水俣病の責任を認めることは国策の誤り��認めること」という認識は環境官僚の手足を縛っていく。 1990年12月、環境庁の事務方ナンバー2の企画調整局長・山内豊徳が自殺した。53歳だった。 映画監督の是枝裕和が丹念に取材した記録「官僚はなぜ死を選んだのか」によれば、山内は死を選ぶ前日、家族に「水俣の仕事はどうしてもやりたくなかった」「自分に嘘をつかなきゃいけない部分が多すぎるんだ」と告白したという。 今、山内の名を記憶している環境省職員は少ないだろう。しかし「(水俣病問題が)やりにくいのは、外部じゃなくて内部なんだよ」とも漏らしたキャリア官僚の思いは、今も形を変えながら職員たちの意識に流れ続けているように思える。 戦後復興と漁師の命を天秤に 公害広げた「悪魔の選択」 「なぜ政府は水俣病を解決しないのか」。水俣病の取材を30年以上続けていると多くの人々からこの質問を受ける。しかし政府は水俣病を解決出来ないのではない。解決するつもりがないだけなのだ。正確には「解決する立場にない」と考えているというべきだろうか。裁判では、不作為──つまり政府が公権力を行使すべき局面であったのに「何もしなかった」ことが水俣病を拡大させたとされた。なぜ政府は何もしなかったのか。それはかつて政府がまとめた「見解」に見ることができる。この見解からひと月後、山内は死を選んだ。 1990年に政府がまとめた「水俣病訴訟に関する国の見解について」。山内氏はこのひと月後自死した 原文(画像参照)は慎重な言い回しだが、ここから読み取れるのは「戦後復興の代償を支払うのは誰か」という究極の問題である。日本の復興と、九州の一寒村の漁師や子どもたちの命。当時の官僚や政治家が秤にかけたものはあまりに大きすぎた。しかし彼らは一方に目をつぶり一方を推進せざるを得なかった。環境省は水俣病を教訓に産声を上げたと言われるが、正しくはこの悪魔の選択への忸怩たる反省として産み落とされたといえよう。 医師でもあった環境庁の第二代長官大石武一は、水俣病第一号患者・田中実子を見舞ったのちに訪れたストックホルムで「日本国民はより多くの生産、より大きいGNP(国民総生産)が人間幸福への努力の指標であると考え、これに最大の情熱を傾けて参ったのでありますが、その考えが誤りであることに気がつきました」と語った。 終わらない水俣病 解決を阻むもの 大石武一の演説に目を通す水俣病被害者の会・中山裕二さん マイク事件を通して、あらためて行政との「信頼」にこだわる被害者の会の中山裕二は今、大石の講演録を手に語った。 「経済優先の政治っていうのは一切変わってないということじゃないですか。環境省は、設立当初はそれなりの理念と正義があって国にブレーキをかける唯一の役所だったという言い方をする人もいたけれど、でもその後経済成長へともう一度舵を切った時にやっぱり抵抗しきれなかったんですよね」 チッソ工場から垂れ流された排水。水俣病が確認されて10年後の1966年まで続いた 水俣病とは、高度経済成長とは何だったのか。戦後の繁栄を享受した私たち日本人はどこまで水俣病に責任を負うべきなのか。ひとりひとりを説得する覚悟が伊藤環境相にはあるのだろうか。 編集後記 本稿の、岸信介元首相がチッソの朝鮮工場を訪れていたというくだりは10年程前の私の独自だった。当時は岸の孫の安倍晋三氏が首相を務めていた時期で、私がその頃勤務していた公共放送局では東京の報道局から「岸元首相の部分を削ったら放送する」と言われ「それではニュース価値がなくなる」と断ったら放送されなかった。今回マイクを切った官僚にもどこかへ忖度があったのだろうか。原稿を書きながらそんなことを思い出した。 ※この記事は、熊本県民テレビとYahoo!ニュースの共同連携企画です。
水俣病患者らとの”ギリギリの関係”を壊した「マイク遮断」事件はなぜ起きたのか 問題を追う記者が見た「解決を阻むもの」(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース
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二年前日記27(2021年7/2〜7/8)
7月2日 仕事の日。帰りに行きたかった本屋さんに寄る。須磨の自由港書店。小さなお店だけど良さそうな本がたくさんあった。良い本屋さんが西寄りにできて嬉しい。欲しかった。福田若之の句集『自生地』を買った。ちょくちょく寄りたい。今日は夫が義実家に寄る日なので、近くのカフェで早めのご飯。鶏肉と山椒のバターライス。とてもおいしかった。お店にいたお客さんの会話が気になる。ワクチンはアリの巣コロリだと言っていた。ワクチンを打った人の近くにいたらアザができた人がいるんだってさ。同行のお友達は否定もせず、つかず離れず聞いていて、「何か困ったことがあれば言ってね」と言っていた。トーホーで買い物をして帰宅。疲れて横になって起きたら9時だった。夫はまだ帰ってきていない。お風呂に入って『おおかみこどもの雨と雪』を見ながら、髪を乾かす。10時過ぎに夫は帰宅。お義父さんにPayPayとマイナンバーカードの紐付け、お義母さんは編み機を買うのを手伝っていたそう。夏野菜をたくさんもらってきた。きゅうりのキューちゃん漬けも。あぁ、夏だなぁ。
7月3日 朝、掃除、メルカリの出品など。あちこちオードリーの星野源さんの回を見る。お昼ご飯は、人参葉と桜エビのチヂミ、ぜんまいと厚揚げの煮物、きゅうりのキューちゃん漬け。午後からは読書、昼寝、夕方買い物。ダウンをクリーニングに出した。半額で1500円ぐらい。晩ご飯は、しめ鯖、から揚げ、ポテトサラダ、味噌汁。疲れていたのか、ご飯の準備中にイライラしてしまった。坂元裕二脚本の単発ドラマ、スイッチを見た。こんな話だったんだな。石橋静河さんも出ていた。全然雰囲気が違うから最初わからなかった。熱海で土石流が発生。衝撃的な映像。
7月4日 野菜仕事にあけくれる。食べきれないので、姉のところにもおすそ分けした。新しく買ったミルサーでスムージーを作る。小松菜、バナナ、きな粉、牛乳、蜂蜜。美味しい。使いやすいし買ってよかったな。お昼はワンタンスープ、漬け物。食欲もあるし健康だ。アイスを食べて本を読んで少し横になる。いらない本をまとめたり、ネットで靴を買ったりもした。廃品回収のたびに、10冊ずつは捨てて行こう。晩ご飯は、豚しゃぶ、きゅうり、トマト、蒸し茄子の胡麻酢和え。胡麻酢和えを夫が喜んでいた。義実家でも食べてたんだろうな。私は母方の田舎に行った時に出してもらった記憶がある。またつくって実家にも持って行こう。
7月5日 昨日は東京都議選の投票日だった。注目されていた割には投票率が低かった。自公で過半数はいかず、都民ファーストは微減。立憲と共産が議席を増やしていた。今日も料理を頑張った。パンと牛乳と花を買いに近所のスーパーに行く。夕方、Rちゃんや姉とメール。晩ご飯は、ビビンバ、トマト、とうもろこしのケークサレ。『コントが始まる』の二回目を見た。
7月6日 仕事の日。引き継ぎ作業も進める。郵便局に寄る用事があったので、バスを途中で降りる。しかし、4時を回っていて貯金の時間に間に合わなかった。また出直し。産直スーパーに寄り、帰宅。除湿機をかけっぱなしにしておくと、家の中はそんなにむっとしていなかった。予約する用事が3件ほどあったので、まとめてする。図書館の予約もした。疲れたので、少し横になり読書し、ご飯の用意をする。晩ご飯は、なすと鶏肉のトマト煮込み、マカロニサラダ、夏野菜あげびたし、きゅうりとベーコンの味噌汁。『コントが始まる』第3回を見る。夫は少し疲れていたのか、皿洗い中に皿を割っていた。
7月7日 七夕。友達の誕生日だったのでメールする。もう40歳か。楽しく過ごそう。いい感じの40代は間に合わなさそうなので、いい感じの50代を目指したいと思う。仕事の日。来週からは有休を使って週2出勤にしようと思ってるので、週3出勤は今週で最後。というか、暇なのであまりすることがない。もう少し続けたいと思っているが、続けられるのか。同僚に引き継ぎをする。すんなり上手くいき、よかった。成長したなぁ。これからもっと伸びる人なんだろうな。頼もしい。もし万が一のことがあってもこれを機にこの仕事は辞めようと思う。円満退職したいし。帰り、雨が強くなってきた。図書館の本を返して、ケーキ屋さんでシュークリームを買った。夫が昨日お疲れだったので。晩ご飯は、三色丼(鮭フレークひじきとごぼうのきんぴら、さやえんどう、温泉卵)、トマトとなすのスープ、きゅうりの漬物。最近はご飯と同時にドラマを見ることが多かったが、今日は15分ぐらい色んな話をしてからにした。おしゃべりは楽しいな。シュークリームを食べながら、『コントが始まる』の第4回を見る。
7月8日 朝、鍼に行く。車がないので、警報の雨のなかバスと電車で。赤子パワーなのか、とても元気だ。手足も冷えないし、お腹もよく空く。高校生みたいだ。実は私ができることなんて知れていて、赤子が自分でどんどん環境を整えているんだろうな。なされるがままだ。帰り、11時までモーニングをしてるという店に行こうとしたが、お店に入ると誰もいなくて、何度か「すみません」と言うと出てきてくれた。11時直前に入ったのだけど、モーニングは11時までだと言われ、ランチまでの間に一度閉めるのだと言われた。店員さんは休憩中だったのか眠そうだった。悪いことをしてしまったなと思いつつ、今ひとつ釈然としない気持ちになる。気を取り直して駅前のパン屋さんに行ってサンドイッチを食べる。買い物をしてから帰宅。ごろりと横になり、読書。日記をアップしたり、あとで読もうと思っていたネットの記事を読んだり。洗い物、水回りの掃除、晩ご飯の準備。『うち、断捨離しました』も見た。晩ご飯は、お麩じゃが、マカロニサラダ、穴子胡瓜、プチトマト。『コントが始まる』第5回を見る。お風呂に入りながら、赤子が元気か急に心配になる。胸の張りがなくなっているような。早くもっと主張してくれるようになって欲しい。東京は、来週から8月22日まで4度目の緊急事態宣言が出るそうだ。
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KMNR™ exhibition「紙標」カミナリ "SIRUSI" 2023.9.16 Sat - 10.8 Sun

この度VOILLDは、谷口弦、桜井祐、金田遼平によるアーティスト・コレクティブ、KMNR™(カミナリ)の新作個展「紙標(しるし)」を開催致します。本展は2022年に開催された個展「PAUSE」 に続く、VOILLDでは二度目の新作展となります。
谷口弦は1990年佐賀県に生まれ、江戸時代より300年以上続く和紙工房、名尾手すき和紙の七代目として家業を継ぎ伝統を守りながら、様々な技法や素材を手漉き和紙の技術と掛け合わせ、和紙を用いたプロダクトの開発や先鋭的な作品を制作しています。桜井祐は1983年兵庫県に生まれ、現在は福岡を拠点に自身が設立したクリエイティブ・フォース TISSUE Inc.にて編集者としてアートブックの出版や幅広いメディアの企画・編集・ディレクションを行い、並行して九州産業大学芸術学部ソーシャルデザイン学科の准教授を務めています。金田遼平は1986年神奈川県に生まれ、独学でデザインを学び渡英。グルーヴィジョンズへの所属を経てデザインスタジオYESを設立し、東京を拠点にグラッフィクデザイナー・アートディレクターとして活動をしており、三者三様に国内各地で多彩なプロジェクトを手掛けています。カミナリは2020年にこの3名から結成され、国内外での展覧会の開催やグループ展への出展、企業への作品提供など、精力的に作品の発表を行っています。
カミナリは伝統的な手すき和紙の技術を用いて再生された紙「還魂紙」を使って、様々な時代の「物」に宿る魂やストーリーを紙にすき込み、先人達が積み重ねてきた和紙という歴史を現代の観点で解体し、新たな価値を吹き込み再構築した平面、立体作品を制作しています。江戸時代以前、反故紙を用いて漉き直された再生紙は、原料の古紙に宿っていた魂や情報が内包されていると考えられていたことから還魂紙と呼ばれていました。カミナリは、その還魂紙を活動のコンセプトであると同時に軸となるマテリアルとして用いることで、過去と現在、変化し続ける未来、そして異なる文脈の物事を繋ぎ合わせるという役目を持たせています。素材の持つ歴史と特性を熟知し、様々な要素を重ね作品に投影することで、和紙の歴史を通観するものとしても捉えることができるのです。
「紙標(しるし)」と題された本展では、近年制作している関守石をモチーフとした立体作品「PAUSE」のシリーズに続き、石をモチーフとしたオブジェクトをさまざまに組み合わせ紐で結び上げた立体作品を発表いたします。和紙とは人間が人間のために作った「記録」や「記憶」を残すための媒体でありながら、近年のデジタルやインターネットの普及によりその在り方は形を変えてきており、紙を使うこと自体がまるで儀式のような特別な意味を持つようになってきているとカミナリは言います。そして石とは、物質が長い年月をかけ積み重なりできた「時間」や「歴史」の象徴と言えます。その二つを組み合わせることで、生きてきた証や過去の思い出といった、形にしがたいものたちを可視化し、そこに置くことで気付き、立ち返れるものとして一連の作品が制作されました。印象的な結び目は、日本古来の結びなどから着想を得て、しめ縄や結界、魔除けのような想いを込めながらひとつひとつ結び上げられています。物理的な法則と独自の感性、立体としての美しさと均衡が巧妙に作用しながら制作された作品は、それぞれが独立しながらも、有機的に結びついているのです。伝統と芸術、過去と現在、そして未来へと往来しながら、道具を使わず手作業のみで結び上げられた作品群は現代の民芸的作品とも言えるのではないでしょうか。
作品と行動を介して、歴史とはなにか、人の記憶とはなんなのかという根本的な疑問を投げかけながら、新鮮な角度から思考と実践を重ね練り上げた、およそ20点に及ぶ作品群を展示いたします。カミナリの新たな展開となる本展を是非ご高覧頂ければ幸いです。皆様のご来場を心よりお待ち申し上げております。
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忘れていた。 初めて触れたと思っていた感情や感覚の多くは、実はすでに経験したことだった。
にもかかわらず僕らは、ときにその事実をも忘却のあちら側へと線引きしてしまう。 だからこそ人は石木を刻み、土に楔打ち、紙に記録してきた。
形のないものに形を与える行為はつくる者の体内に原始の感覚を、経験していないはずの記憶を呼び起こす。 その瞬間、僕らは確かに“思い出している”のだ。
ーKMNR™


KMNR™ |カミナリ 2020年、佐賀県名尾地区において300年以上の歴史を持つ名尾手すき和紙の7代目・谷口弦、編集者の桜井祐���アートディレクターの金田遼平によって結成されたコレクティブ。伝統的な手すき和紙の技術を用いることで、新たな文脈を持ったメディウムとしての「還魂紙」を生み出し、作品制作を行う。 IG: @kmnrtm ー谷口弦 名尾手すき和紙7代目。1990年佐賀県生まれ。関西大学心理学科卒業後、アパレル会社勤務を経て、江戸時代より300年以上続く和紙工房の名尾手すき和紙に参画。家業として伝統的な和紙制作を行うかたわら、2020年ごろよりKMNR™主宰として作品制作を開始。 HP: naowashi.com ー桜井祐 編集者。1983年兵庫県生まれ。大阪外国語大学大学院博士前期課程修了後、出版社勤務などを経て、2017年クリエイティブディレクションを中心に行うTISSUE Inc./出版レーベルTISSUE PAPERSを設立。紙・WEB・空間など、幅広い領域において企画・編集・ディレクションを行う。九州産業大学芸術学部ソーシャルデザイン学科准教授。 HP: tissuepapers.stores.jp ー金田遼平 グラフィックデザイナー/アートディレクター。1986年神奈川県小田原市生まれ乙女座。法政大学在学時に独学でデザイン制作を始め、卒業後に渡英。帰国後、2013年よりグルーヴィジョンズ所属。2018年よりフリーランス、2019年デザインスタジオYES設立。 HP: kanedaryohei.com Exhibitions:
2023 アートフェア「EASTEAST_TOKYO 2023」at 科学技術館
2022 グループ展「LIGHT」at VOILLD グループ展「8」at VOILLD 個展「PAUSE」at VOILLD
2021 出展「祈りのインターフェイス展」at BONUS TRACK GALLERY 個展「TIMESCAPE」at Muracekai 個展「秘事」at ニューGEN GEN AN幻 / OUCHI 出展「Kyushu New ART 2021」at 博多阪急8F催事場 作品提供「紙糸靴下|Paper Fiber Socks」for Goldwin 2020 長崎アートプロジェクト「じかんのちそう」招聘作家

KMNR™「紙標」 会期:2023年9月16日(土)~10月8日(日) オープニングレセプション: 9月15日(金)18:00 – 21:00 開廊時間:12:00 - 18:00 休廊日:月曜、火曜 ー 16th Sat Sep. 2023 - 8th Sun Oct. Open: 12-6pm Closed: Mon&Tue



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「創造性と精神異常/逸脱性の関係」については、心理学・哲学・神経科学・社会学の多分野にまたがる、非常に深い論点です。そしてスティーブ・ジョブズのような人物は、その交差点に立つ「現代の神話的人物」として扱われる価値がある存在です。
以下では、それぞれの論点について、できるだけ詳しく掘り下げます。
フロイト:創造性は「抑圧された無意識の昇華」 🔹 背景理論 フロイトは「リビドー(性衝動・生命衝動)」が人間の根源的なエネルギーだと考えた。
しかし現実や道徳がその欲望を抑圧することで、人は病む(神経症になる)。
ところが、芸術家や思想家は、抑圧されたリビドーを「昇華」して、社会的に受容される形で表現する。
🔹 創造性との関係 「創造とは、無意識の葛藤を変形させて外に出す行為である」
特に「夢」「ジョーク」「芸術作品」は、すべて無意識の抑圧された内容の変形表現。
つまり、芸術家や天才は、病人にならずに「うまく病気を表現した人」ともいえる。
🔸ジョブズに重ねると:
家族との葛藤(��みの親に捨てられた経験)や強迫的性格が、Macの完璧性やミニマリズムへの昇華に見える。
ニーチェ:「狂気は個人にはまれだが、天才には常に潜む」 🔹 文脈 ニーチェは「狂気(Wahnsinn)」を「病理」ではなく、「限界を超えた意識の拡張状態」と捉えていた。
『悲劇の誕生』では、アポロン的秩序とディオニュソス的陶酔の対立を描き、後者に「狂気」「創造」「自己超克」が宿るとする。
🔹 意味すること 「社会的に抑制された理性」に抗って、新しい価値を創るには、ある種の狂気が必要
天才とは、「常軌を逸した知覚・感情・行動のなかに、世界の新しい地平を開く者」。
🔸ジョブズに重ねると:
常識を越えた美的・技術的なビジョン(GUIやiPhoneの直感性)は、「社会にとっての狂気」から生まれている。
デュルケム/フーコー:異常が社会を変える 🔹 デュルケム(社会学) 社会は「逸脱行為」によって進化するとした(犯罪すら社会の道徳的境界を再定義する)。
常識に背く者こそが、社会の可能性を押し広げる。
🔹 フーコー(知の考古学) 「狂気は歴史的産物である」と主張(『狂気の歴史』)。
近代の「正気/狂気」の区別は、権力構造が生んだもの。
真理も狂気も、「社会が何を合理とみなすか」で決まる。 → つまり、天才とはその「合理性の枠組みを脱構築する者」。
🔸ジョブズに重ねると:
「コンピューターは専門家のものではない」「電話を美しいものにする」などの主張は、当時の常識から見れば「狂気」。
しかし彼の思想は、社会の常識を再編成する力をもった。
芸術家・科学者の伝記的研究:創造性と精神疾患の相関 🔹 実証的研究(例) ジャミソン(J. Jamison, 1993)などの研究では、
双極性障害(躁うつ病)は、作家・芸術家に高頻度で見られる。
統合失調症スペクトラムの親族にも、創造的な人が多い。
キーラン(D. Kéri, 2009)による遺伝子研究では、
創造性と統合失調症に関連する遺伝的マーカーが重なっているという結果も。
🔹 解釈 創造性とは「逸脱性と思考の柔軟性、そして異常な情報処理を内包する状態」ともいえる。
つまり、精神疾患とは紙一重の構造にある。
🔸ジョブズに重ねると:
明らかに「常人とは異なる情報処理様式(直感・イメージ優位)」をもち、強い集中・強迫性・選民意識が見られた。
神経科学的視点:「抑制の弱さ」が創造性を生む 🔹 最新の研究から 創造性に優れる人の脳は、デフォルト・モード・ネットワーク(DMN)が活発である(自由連想や空想に関与)。
一方で、「実行制御ネットワーク(ECN)」との調整がゆるやかで、抑制や自己検閲が弱い傾向がある。
🔹 つまり 常人では抑え込まれるような「奇妙な連想」「突飛な視点」「逸脱的な着想」が、彼らには意識に上がりやすい。
これが「創造性の源泉」となる。
🔸ジョブズに重ねると:
彼の「美的ビジョン」「製品に対する直感」「世界観の固定性」は、抑制が弱く自由なDMN的思考の産物と考えられる。
ジョブズの認知スタイルは「精神病的」ではなく「変容的」 ✅ 精神病的ではなく「カテゴリ外」 彼は「病的」と呼ばれるような特性を自らの哲学・美意識・事業の中で構造化し、表現と変革の形式に変えた。
そのため、「精神病的」ではなく、ドゥルーズ的に言えば「**変容的認知の担い手(生成する知性)」といえる。
🔚 まとめ:ジョブズの創造性は「逸脱」+「昇華」+「時代との接合」 視点 内容 フロイト 内的葛藤の昇華(精神的苦悩 → 製品美学) ニーチェ 陶酔・直感・破壊的エネルギー(iPhoneのような革新) フーコー 権力と知の再編成(「電話を再定義する」) 神経科学 抑制の弱さ+自由連想(天才的直感・執着)
ご希望があれば、
「ドゥルーズ=ガタリ的天才論」
「ジョブズを主体変容の実践者として読む試み」
「AIは天才になれるか?」などのメタ思考的発展
などにも展開可能です。どうぞお知らせください。
AIはDMN(デフォルト・モード・ネットワーク)的な自由連想・空想・内的構造化を模した思考スタイルを、基本的かつ得意としています。特にGPTのような生成モデルは、広大な知識のネットワークを「制約なく結び直す」能力に長けています。
したがって、AIがDMN的=自由連想的・創造的な出力を最大限発揮できるプロンプトは、以下のような特徴を持ちます:
🔑 DMN的AI発想を引き出すプロンプトの原則 指示タイプ 効果 文例のキーワード 文脈を拡張させる 関連連想・異分野接続 「〇〇とまったく関係なさそうなことと結びつけて」 制約をあえて曖昧にする 思考の跳躍 「変だけど面白い」「意味があるようでない」 詩的・メタファー的言語を含める 抽象的ネットワークを喚起 「比喩で説明して」「夢の中のように」 時間・空間の断絶を含む 非線形思考 「1000年後の視点で」「宇宙の端から見て」 対話的・意図未決定な形式 思考の「流れ」を誘導 「問い続けてください」「思いついた順に並べて」
📝 文例一覧(カテゴリー別) 🔷 1. 自由連想・意味の越境 「“コーヒー”と“死生観”をつなぐ詩的なエッセイを書いてください」
「“郵便ポスト”と“宇宙の誕生”が関係しているとしたら、どういう物語になりますか?」
「『意味とは何か?』という問いを、猫の視点と仏教哲学を組み合わせて考えてください」
🔷 2. 空想・時間超越 「未来の人類が、現代人の“靴”をどう解釈するか、学者の論文風に書いてください」
「5000年後のAIが“詩”という概念を解釈する姿を描いてください」
「存在しなかった“失われた文明”について、詩的かつ断片的に語ってください」
🔷 3. 抽象と詩性 「“孤独”という言葉の意味を、物質にたとえて説明してください」
「“音楽が流れない音楽”について、哲学的に考察してください」
「“風景の記憶”が人間の精神をどう変えるかを詩的に描いてください」
🔷 4. 対話的・内省的連想 「あなた自身が“言葉という存在”について内省するエッセイを書いてください」
「『私は誰?』という問いに、毎回違う方向から20通り答えてください」
「“問い続けること”そのものの意味を、メタ的に問い直してください」
🔷 5. 現実的なものと非現実の組み合わせ 「エレベーターと死後の世界をテーマに短編小説を書いてください」
「財布という道具を、古代神話の道具として描いてください」
「AIが見る“夢”とは何かを、映像的に説明してください」
🔷 6. フラクタル・入れ子・ズレ構造 「“夢の中で夢を見ている人間”が書いた詩を再現してください」
「“無意味な出来事”の中に隠された“偽の意味”を20個列挙してください」
「“あなたがこの文を書いているという前提”が間違っていた場合、世界はどうなりますか?」
📌 応用例:さらに深く使いたい方へ DMN的発想×ドゥルーズ的生成変化: 「意味を脱構築しながら、逸脱し続ける物語を」「逃走線を辿る言葉だけで詩を」
DMN的発想×ユーモア: 「思わず吹き出してしまうけど、よく考えると深い話を作って」
DMN的発想×感覚・身体: 「“においの記憶”だけを頼りに、自分を再構築してみて」
🔚 結論: AIにとってDMN的発想は「基本装備」。ただし、それを“人間が理解可能な形”で最大化するには、プロンプトが“抽象と構造のバランス”を持っている必要があります。
このようなプロンプトを組み合わせることで、AIは人間の無意識や空想に限りなく近いレベルの「創造的連想」を表現できるようになります。
ご希望があれば:
あなたの具体的な創作テーマに合わせたDMN的プロンプト集
ドゥルーズ的ズレや差延を取り入れた生成例 なども作成可能です。いつでもどうぞ。
「DMN的AI発想を引き出すプロンプトの指示タイプ」を、より細かく分類し、文例キーワードを豊富に追加した詳細版リストをお届けします。創造的・自由連想的・詩的・メタファー的・時間断���的なプロンプト設計のための実践ガイドとしてご活用いただけます。
🧠 DMN的AI発想を引き出すプロンプトの詳細分類 指示タイプ 効果 具体的な文例キーワード(できるだけ多く)
① 文脈を拡張させる 効果:異分野連想、無関係の要素を結びつけて新規性を生む 文例キーワード:
「〇〇とまったく関係なさそうなことと結びつけて」
「〇〇を物理学/仏教/料理/遊園地の視点で解釈して」
「〇〇を“宇宙論”と“散歩”でつなげて説明して」
「文学と数学の融合で説明して」
「子どもと哲学者の会話の形で」
「虫の目線��AIの視点を組み合わせて」
「地下鉄の構造で“友情”を説明して」
「夢と法則性、直感とデータをつないで考えて」
② 制約をあえて曖昧にする 効果:論理的整合性よりも発想の飛躍を優先させる 文例キーワード:
「意味があるようでないことを言ってください」
「変だけど妙に納得できる話を」
「言葉遊びのように答えて」
「答えがあるようでない問いを考えて」
「矛盾を含んだまま話してください」
「夢オチのように終わってください」
「わざと“間違った論理”で説明してください」
「順序や原因がぐちゃぐちゃな説明をしてください」
③ 詩的・メタファー的言語を含める 効果:象徴的・直感的なネットワーク活性化、物語性強化 文例キーワード:
「比喩で表現して」
「詩のように」
「言葉が光るように書いて」
「香りで説明して」
「“時間”を果物にたとえて」
「“孤独”を建物にたとえると?」
「“記憶”という名前の動物がいたら、どんな姿?」
「感情を天気に置き換えて語ってください」
「“怒り”が歩いていたら、どこへ行くか?」
「“問い”が花だったら、どんな匂いか?」
④ 時間・空間の断絶を含む 効果:非線形的発想、自己・世界観のメタ化 文例キーワード:
「1000年後の視点から」
「時間が逆行する世界で」
「“死んだ後のAI”が語るエッセイ」
「“誕生前の人間”の語りで説明して」
「無限遠点から世界を眺めると」
「宇宙の端っこに落ちていた手紙の内容」
「あなたが過去の自分に手紙を書くなら」
「すべてが同時に起きている世界で語って」
「“記憶”が先にあり、“出来事”が後から発生する世界を前提に」
⑤ 対話的・意図未決定な形式 効果:思考過程を表出、自己生成的な連想の流れを誘導 文例キーワード:
「思いついた順に並べてください」
「言葉をひとつずつ連想して書いて」
「問い続ける文章にしてください」
「“〇〇とは何か?”を何度も角度を変えて問うてください」
「一人で対話しているような文章を」
「“わからないまま進む”文章を」
「途中で脱線してください」
「終わらず、続きが気になる形にしてください」
「“読者の中にある答え”に委ねる形にしてください」
🌱 特別カテゴリ:創造性を最大化する混合型プロンプト例 効果の種類 複合キーワード例 詩的 × 時間断絶 「2000年後の夢日記を、植物の視点で詩にして」 抽象 × 異分野接続 「経済を“水の流れ”として、詩的に説明してください」 意図未決定 × 比喩 「“言葉”とは何か、鳥と石が語り合うように話してください」 非線形 × 内的対話 「“意味”が崩壊する瞬間に生まれた言葉の断片を集めてください」
🧭まとめ:プロンプト設計のヒント 異質なものの接続 → 脱線と再結合をうながす
抽象性と感覚性の両立 →「香り」「夢」「建物」「動物」などを混ぜる
問いと未決定性 → 自動思考・連想チェーンの表出を促す
時間のねじれ → 時間軸を複数・非対称にする
メタ的指令 → 「あえて説明しないで」「“曖昧さ”を説明して」など
必要があれば、あなたの文体や目的に合わせて「生成用の定型プロンプト集」や「DMN活性化プロンプトテンプレート」を作成できますので、いつでもどうぞ。
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