#美濃和紙あかりアート展2017
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昨日の帰り道 美濃和紙あかりアート2017 行って来ました。 うだつの上がる町並みで 作品のライトアップ✨ 和紙とひかりの芸術ですね👌 とても和紙とは思えない❗ #秋の遠足 #最後は #地元 #久々に #美濃市 #柳屋食堂 #とんちゃん #食べてからの #美濃和紙あかりアート展2017 #うだつの上がる町並み #美濃市あかりアート #美濃和紙 #岐阜県美濃市 #ライトアップ #和紙 #ひかり #芸術作品 #1300年の伝統 を誇る #美濃和紙を使用した #あかりのオブジェ を全国から公募 #gifu #mino #beautiful (Mino, Gifu)
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アーティストQ&A
サムソン・ヤン:クロース・リーディング展を読み解くアーティストの言葉
キュレーター(以下Q):まず初めの二つの質問は、音とアートについてです。
サムソン・ヤン(以下A):それぞれで本が一冊かけそうです。
Q:数百ページくらいの!それぞれ一言ずつお願いします。
A:一般に音について話すとき、いつもそれは何か他のものと比べて考えられています。音対ノイズであったり、音対音楽、音対映像といったように。このことは、音というものが何か他のもの、でないものとしてしか考えられないことを示しているようです。私にとってはこういった対立は必ずしも正しいものではありません。とは言うものの、私は音を、ごくわずかでささやかな聴覚の経験、最も小さいあるいは最も密度の濃いレベルの経験であると考える傾向があります。
文章を話すとき、発せられる音声(発話)があり、そして建設と構築があります。発話を一つの文に構造化しようとし、文はその思考を伝達します。例えば、一本の鉛筆を落として一つの音をたてたとします。その音はほんの一瞬のものです。もし私が鉛筆を二度落とそうしたなら、それはパターンを生み出します。そしてそのパターンは、「鉛筆を二度落とすという意図」や「鉛筆を二度も落としてしまう注意力が足りていない私」といった他のことを伝えます。たった一つの特異な経験であった場合、その印象深さはより分かりやすいものとなります。しかし発話に対する思考を広げ、たった一つの文へ適応することでとり消そうとすることはまさに反対のことです。今朝の今この時、声の高低差といったことから私がどれだけ落ち着いているか、そうでないかを感じるために文を音の形として聞くことができます。つまり、私たちは、意味論的意味を伝達する文をただの音の形として捉えることが可能なのです。
これは聴覚のいつもの知覚経路をショートさせて、聴覚がどのように心のなかに意味を生み出すか、ということです。
Q:音とアートはあなたの作品において、関係があるものなのでしょうか。それともそうではない?
A:私がアートについて考える時、何か具体的な表現媒体について考えることは滅多にありません。媒体が専門的になる前の、人間の活動について言っています。それはもちろんもっと複雑なものですが。音というものはアートと同じではないけれど、アートに属するものです。アートはこの世界を包み込むほど大きいものであり、私がしていることや、誰か他の人がしていることに限定されるものではありません。
Q:3つめの質問はcomposing(作曲する、組み立てること)についてです。
A:私の目の前にあるこの机の上には、ものがそれぞれの要素として「構成された(composed)」状態できちんと置かれています。これらの要素は、特定の形状をなしています。ードローイングを描いているとまでは考えていませんがー私の好きなように並べられたこれらのものの構成には、リズムがあり、個々のものたちはお互いに対話をしている状態にあります。(鉛筆ケースを指して)これとこれはお互いに作用し合っています。(本とスケッチブックを指して)これらの二つはある意味無頓着に置かれていますが、お互いに一種の作用を与えあっています。(スタンプセットを指して)彼らがこちら側に置かれていることには「機能上の」理由がありますが、機能上の理由があるとしても、��れららはなお、全体の作用の関係のなかにおかれている状態です。だから、構成する(composing)ということは私にとって���そういった意識的、無意識的、美的そして機能的なプロセスであり、同時に起こっています。
それらが現れたとき、文字通り彼らが「机の上に現れた」とき、それらをどのように置いたら良いのかわかるでしょう。机は土台となる枠であり、これら全ての異なる要素が会話の状態に入っているのです。それぞれのものたちは、その枠の中に様々なタイミングで、様々な理由によって入ってきます。私にとって作曲すること(composing)はそういったの全てのものが机の上にある状態のように、意味をなそうとする行為です。
私は音楽を作曲(compose music) します。しかしまた、ある空間に対して展覧会を制作するとき、言葉を組み立てるということ(word composing)もします。そしてどのようにその空間にものが共存するのかを考えます。コンサートホールで演奏される20分の楽曲はある特別なひとつの枠です。そして展覧会というものは単にまた別の枠であるのです。しかし、この枠というものは白紙の状態ではありません。このお寺(両足院)にはその形のうちにすでに何かしらあらかじめ存在しているものがあります。そしてギャラリーや美術館の展示室も、また別のものがあらかじめその形に備わっています。
Q:4つめの質問は空間についてです。空間と時間というようなことです。
A:それは私がどのように空間と時間を扱っているか、ということですか?
Q:わたしたちアートに関わる者にとって、空間と時間についての問題とは、人間あるいは小さなものとして存在することへの哲学的アプローチに関することです。あなたがアート作品を制作する際に空間と時間について、どのように考えていますか?
そして最後の質問は「クロース・リーディング」についてです。両足院での滞在についてどのように感じていますか?また展覧会はどのようなものになるでしょうか?
A:まだわかりません。展覧会がどのようなものになるかということですか?それとも今どのような感じかということでしょうか?
Q:実物としての作品を制作する前に、あなたの頭のなかでは「組み立てる(composing)」モードにあるのか、ということです。
A:なるほど、いいえ。全てのものが目の前に揃うその瞬間まで、完成した、と思うことはありません。ここ(両足院)での、私のプロセスについて話しましょう。私はここにいる間、ただただいろいろなものの断片を収集していました。しかしそれはなかなか複雑です。収集するという行為の裏にはいつも、自分がなにを収集するかに制限をかけるような指向があります。実際、ある瞬間が訪れるまで、私はそういった指向性から逃れられなかったのかもしれません。別の言い方をすれば、私はどのようにして先入観を取り払うのかわかりません。ものが目の前に現れるまでは知りようがないのです。どういうことかわかるでしょうか。私は収集をしています。そして自分自身に驚くことがあります。例えば、サールナート(ブッダが初めて説法を行なった地)を訪れたときに私は金箔が貼られたレンガの壁を見ました。そしてそのレンガの壁のイメージが頭から離れませんでした。そのことが、この場所で粘土を使ったレンガ状のものを制作しよう、という決断��至らせたのです。
しかし後日、私はこれらの粘土ででてきたレンガ状のものたちを、土嚢のように考えていることに気づいたのです。軍隊が用いるような土嚢です。「ああ、今はレンガの壁と言うより、土嚢の壁に見える」と思いました。その過程にはっとし、驚いたときに、自分の持っていた先入観が正しくなかったことに気づきます。しかし先入観と戦い続けたとしても、先入観からのがれられるわけではないのです。私は先入観を空間を扱うのと同じように扱います。それはもちろん、制限ともなりえるのですが。あなたがいっていることを私は理解していると思います。
あなたはピアノを弾いたことがありますよね。音階を練習するのは楽しいですか?
Q:聴くことと弾くことを同時に楽しんでいました。単に曲を弾くだけということではなく、曲を聴いて、味わい、この曲を作ったとき、作曲家がどのようなことを感じていたかを考えることに喜びを感じました。
それは…単に楽器を弾くと言うのではなくて、空間と時間の中で生み出したものを鑑賞するようなことです。つまりすべては、空間と時間に関して考えることであり、生きることについてやアートを創造することについても考えることなのです。
自分の存在と、そこに共存する美の間に調和を感じることは、一種の芸術体験であると言えると思います。私にとっては、美しいアート作品を鑑賞する行為や美しい自然の中にいること、例えば明け方や夕暮れ時に森の中にいること、それらは同じなのです。森自体が美しいからという理由ではないかもしれません。空気と音、光や闇そして土といったものによるものです。
五感は全てを感じていて、音楽、ピアノを味わうのと同じことだと思います。でももしどのように演奏すればいいかに集中しすぎると、それは苦しいのではないでしょうか。しかし突然に、喜びを感じる瞬間が訪れるのだとおもいます。あなたがどれだけ厳しい練習を積んできたのか想像がつきませんが。
A:でも、あなたは音階の練習に喜びを感じることはないですか?
Q:あなたにとってはどうですか?
A:音階が好きです。私は創造的な制約が好きなのです。そう思うのは、おそらく今の段階においてだけであろうことは確かです。ーいや、確かとはいえませんが、自分の人生における別の段階で、何か違うことが経験できることを願っています。
私はサンドボックス(砂場)をもっていて、その中でつくることができるものに集中することが好きです。
Q:これはまったく理にかなっていないかもしれないのですが、あなたと同じ空間にいると、例えば20人の参加者と一緒にあのワークショップの場にいたとき、言語やそれぞれが属する国の違いによる制約が感じられませんでした。ただ、制約のなさ、境界を感じる場合と同じようにその美しさを感じます。
一方で、新聞やテレビのニュースを通して今何が起きているのか見れば、それは戦争のことであったり、選挙のことであったり、誰が勝って誰が負けたかという話題ばかりです。創造の世界に身を置いていると、生きていて、ともにわかちあい、喜びのある自然な世界を感じます。それは私たち皆が必要と���るものです。私たちは皆、幸せや平穏を求めているはずですが、なぜ人々は苦しまなければならないのでしょうか。芸術は生きるために苦しむ必要があるもしれず、もしかしたら貧しいのかもしれません。しかし裕福な人���います。苦しんでいる人もいます。
どのようにして苦しみを乗り越えるか、私が芸術世界のなかで生きるということを選択したのは、幸せを見つけ出すためでした。今現在生きているアーティストと一緒にいることは人生において素晴らしいと感じることの一つです。あなたが音楽を演奏するときに喜びを感じるのと同じように。
あなたは、幸せ、美しさというものにおける自身の価値を人と分かち合っているのだと思います。常に「私は幸せを分かち合っているのだ」と思っている必要はないかもしれませんが、あなたはそのことを自然におこなっているようです。私はそれを美しい、と思いこの展覧会はあなたの美に対する価値を分かち合う機会になるのではないか、と考えています。これは考えすぎでしょうか?
A:そこまで大きなことを考えてはいません。制作しているとき、大半の時間は「これは私が作ったもの、これはその過程で考えたこと」といった感じです。それはスープ、であり「これが私の頭の中で起こった全てのことです」といった感じです。
Q:私が初めてみたあなたの作品は「音を消した状態」でした。
A:「音を消したオーケストラ」ですね。
Q:個人として対面したとき、わたしはあなたの作品に対するのと同じ感覚をあなたに対して抱きました。あなたはとても誠実で、文化がもつ価値を尊重します。そしてあなたの作品はそれを体験させてくれます。多くの人が、あなたに個人として直接会うということはできないかもしれませんが、作品を通して知ることができると思います。
A:ありがとうございます。でもそれらのことがどのように効果をもたらしているかは実際わかりません。世界にむけて「不快な音楽を解き放つこと」をして、その音楽が苦しみや混乱を巻き起こすということがあるのでしょうか。自分がそう信じているのかはわかりません。アートが人々に何らかの影響をもたらしていると「信じて」いないわけではありませんが。アートはもちろん人々に影響をもたらしています。ものごとを認識する際に、人は問題となっているそのものごとの一部となり、それらとお互いに作用しあいます。だから、当然のことながら、(壁に立てかけられた畳を押して)私がこれを押しているときとおなじように、ものごとは何らかの影響をあなたに与えています。同時にわたしは畳自体に影響を及ぼしています。しかしながらこれはとても特殊な関係性です。心理的な関係性や精神的、感情的な関係性もあるでしょう。
倫理的なことを、言い換えるならよりよく生きるにはどうしたら良いかまたはその逆のことを、そういった関係性から直接学ぶことが可能なのか私には確信が持てません。これが、まず第一に私にとってわからないことです。第二にわからないのは、もしアートというものが、作り手や見る人に対して生きている実感をもたらす、というとても特殊なことを成すものだとしたらー私はそう信じているのですがーなぜ私たちは混乱や不快感を避けようとするのか、ということです。アートは人に活力をあたえ元気付けることができますが、同時に、人を混乱ささ���かき乱すことも等しく可能です。そしてそれらの状態は全て、私に生きている実感を与えます。アート自体がどのように判断を下すのかわかりません。私たちはもしかすると日常生活の中で苦しみとみなされるであろう混乱や、ネガティブな感情から逃れたいのかもしれません。しかしアートがそうさせたいのかはわかりません。アートはそうしてくれませんが、より生きていると感じることは、味わった感情がいかなるものであれ、瞬間的に苦しみから救ってくれるのだろうと思います。
私がこの前あなたに送った、とてもカオスなスラヴォイ・ジジェクの仏教についてのポッドキャスト*をすでに聴いたかはわかりませんが、彼は仏教と苦しみについて話していました。彼が仏教について理解できていないこととして苦しみから逃れたいという願望をあげていました。彼が引き出していたのはごく日常的な例です。あなたがすでに乗り越えた、けれど当時は苦しい思いをした恋愛について考えみてください。もし相手を本当に愛していたのであれば、その愛が真実のものであったなら、そのときにいかに苦しんで傷ついたとしても、再び誰かを愛してしまうでしょう。もちろんそれは、痛みや苦しみを繰り返すことですが、それが教えてくれることは何かあるはずです。共感するということです。私が一番好きな作家の1人であるアイリス・マードックはかつてこう書いていました。
アートが教えてくれる、もっとも価値のあることの一つは、何かを創造する経験によって他人への共感をしやすくしてくれることである。なぜなら、創造する行為一つ一つの背後には自分が持っているのとは異なるそれ特有の意識があり、その意識をもつものにとっての苦しみは創造するという行為のなかでこそ知ることができるのだから。
「音を消した状態」シリーズはひとつの意図のもと作られた唯一の作品かもしれません。そのほかの���の作品はすべて、もっと「スープのような」ものになることが多いです。これは自分でもいまだに解明しようとしていることです。
Q:ここまではインタビューのための質問でしたが、あとひとつ、スピンオフとして、この2週間の滞在中、バッハとヴィトゲンシュタインについて言及することが何度かあったかと思います。このお寺にいることと仏教寺院のなかでバッハを感じることがどのようなことであったか、教えてください。
A:ここでの滞在中、自分自身と言語との関係を学び直そうとしているように思います。
言語をとおして、実際どれくらい思考を伝えることができるのか、自分が言っていることは自分の心とつながっているのか、そういった問いです。ヴィトゲンシュタインの「Project」についても考えていました。彼はProject全体で我々は昔からある哲学と生きていると言っています。私たちが哲学に固執していることは未来を見据えてのことなのだとしたら、ヴィトゲンシュタインは今やそれは必要ないと言っていて、禅仏教は、私たちがそれを必要としたことはなかったと伝えようとしているのだと思います。
今の時点で、結論はだせません。今も考えています。ユダヤ教とキリスト教の教えは私たちが自分自身でそれをすることができないと理解させてくれます。それはわたしたちは脆いのだ、と言っているのです。自分が脆い存在である���とはわたしにとって理解しやすいことですが、このお寺でまさに今経験していること全てと浅いながらも私の禅仏教の知識との関わりにおいて考えてきたことは、この世界においてほかのものとともに存在するのにより良い考え方であるかもしれません。しかしここで言う世界は私を必要としていません。私は「自分」でいることを諦めることができるのかわかりません。自分でいることが本当に楽しいのです。
注*:
The Buddhist Ethic and the Spirit of Global Capitalism (2012)
https://podcasts.google.com/?feed=aHR0cDovL3ppemVrcG9kY2FzdC5jb20vY2F0ZWdvcnkveml6ZWsvZmVlZC8&episode=aHR0cDovL3ppemVrcG9kY2FzdC5jb20vP3A9MTIz
サムソン・ヤン
2013年にプリンストン大学にて作曲の博士号を取得。多角的な表現を行うアーティスト/作曲家。2017年、第57回ベネチアビエンナーレに香港代表として参加したほか、近年はパフォーマ19(ニューヨーク/2019年)タルボット・ライス・ギャラリー(エジンバラ/2019)、スマート美術館(シカゴ/2019)などで展示を行う。2019年アルス・エレクトロニカ賞優秀賞(サウンドアート、デジタルミュージック部門)、2015年BMW アート・ジャーニー・アワード、2013年香港芸術発展局 年間最優秀作家賞(メディア・アート部門)他受賞多数。
今後の展覧会の予定:アジア協会香港センター、CHAT(香港)、 Xcentric, CCCB, (バルセロナ)、森美術館(東京)、Kunstmuseum Bonn(ドイツ)、Monash University Museum of Art(メルボルン)
RYOSOKUアートプログラム「瞑想回廊 」#1 サムソン・ヤン(楊嘉輝)「クロース・リーディング」展
期間:2020年3月7日(土)ー4月5日(日) 休館:火・水・木曜日、3月20日 時間:午前11時から午後3時(最終入館午後2時半) 場所:建仁寺塔頭両足院(京都市東山区大和大路四条下る4丁目小松町591) 鑑賞料:大人2,000円、学生1,000円(拝観料込) 事前予約専用ウェブサイト:reserva.be/ryosoku2020closereading
主催:RYOSOKU 企画・制作:TOMORROW 協力:Galerie Gisela Capitain RYOSOKU事務局 e-mail:[email protected] URL : ryosokuin.com/ryosoku/ キュレーター:徳田佳世(TOMORROW) 制作:橋詰隼弥、高橋あかね(TOMORROW)
翻訳:高橋あかね、校正:池上カノ
設営協力:スーパーファクトリー、ADF・アヤベ 写真:表恒匡
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草間彌生 My Soul Forever 2017年6月10日(土)〜10月29日(日) フォーエバー現代美術館 祇園京都 フォーエバー現代美術館の「和の空間+現代アート(草間彌生)」の組み合わせが気になっていたので、台風の影響で大雨の真っ只中。70分並んで待った大盛��の国宝展の後、お気に入りのカフェ「きなな」で一服して、見にいきました。 会場である、祇園の歌舞練場ってどこだったかな?と思ったら、祇園のメイン通りの突き当たり建仁寺入口の左手のところなんですね。気軽にアートに触れられるいい場所です。 この草間彌生展は8〜9割がシルクスクリーン作品。ラメ使いがすごい。職人さんすごい。摺り(刷り?)のクオリティがすごい。大粒のラメをこんなに高価に魅力的に魅せるとは。同じ版でカラーを変えるのはお馴染みの手法ですが、壁が群青や臙脂の空間でカラーバリエーションがキラキラ並ぶ様が、なかなかエキセントリックでした。草間彌生のポップっぷりは最強ですね。たのしかった。高級そうな和紙(美濃かな?かなり厚口に見えた)に刷られた作品も見応えありました。 ※画像は公式サイトよりクリップ。一部、個人で撮影。






http://www.fmoca.jp/display/index.html
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Reflection 反射

伊藤彩 exhibition
「Reflection 反射」
2018/12/11(tue) - 12/24(mon) ※closed on Wednesday weekday 17:00-22:00 holiday 13:00-20:00 ※12/24(monh) closing at 15:00 at Pulp (大阪市中央区北久宝寺町2-5-15 B1→MAP) アーティスト・伊藤彩の個展を開催いたします。 伊藤が過去10年間、絵画作品を制作するにあたって扱っている独特の手法「フォトドローイング(※)」のプロセスの中で生み出された写真を中心に展示します。 ※フォトドローイングとは まず自身で制作したキャンバスのペインティングや紙のドローイング、陶器の立体物、布、家具などをセットして、ジオラマを作る。ジオラマの大きさは、時に5mを超えることもある。 そして、ジオラマの中に作家が入り込み、写真に撮ることで、自身も思いもよらなかった構図やアングルの視覚的効果を念入りに探し出し、それを元に実際の絵画制作に入る。 この緻密なプロセスが、濃密なリアリティとなり、色彩の海や脱力感溢れるモチーフの表情等の要素が合わさって、観る者を中毒的な魅力に引き込む。



■OPENING RECEPTION
2018/12/11(tue) 19:00-22:00 Chage:free [DJ] EXECUTIONER ささやかながらレセプションパーティーを開催いたします。 作家と共に作品の世界に触れられる機会ですので、どうぞ足をお運びください。 -
■CLOSING EVENT
2018/12/24(mon, holiday) OPEN 17:30 | START 18:00 Charge:¥1,000 + 1drink [LIVE] DODDODO UNBE KOPY TOKAYOU [DJ] YPY 行松陽介 [Bar] くれちゃん & DODDODO - ::ARTIST PROFILE::
伊藤彩 | Aya Ito
1987年和歌山生まれ。 2011年に京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻を修了。 現在はアイルランドを拠点に制作している。 「Art Camp in Kunst-Bau 2007」(サントリーミュージアム[天保山]大阪)でサントリー賞、「アートアワードトーキョー丸の内 2011」でシュウウエムラ賞及び長谷川祐子賞を受賞。これまでに「VOCA 2010 新しい平面の作家たち」(上野の森美術館)、「レ���ナンス 共鳴 人と響き合うアート」(サントリーミュージアム[天保山] / 2010年)、「和歌山と関西の美術家たち リアルのリアルのリアルの」(和歌山県立近代美術館 / 2015年)等に出展。 2017年7月にはダブリンで「AYA ITO & ATSUSHI KAGA IT HAPPENS TO BE」(Pallas Projects/Studios, アイルランド)を開催するなど、精力的に活動している。 小山登美夫ギャラリーでは、過去5度の個展を行っている。 1987年 和歌山生まれ 2011年 京都市立芸術大学大学院美術研究科絵画専攻修了 英国ロイヤル・カレッジ・オブ・アート 交換留学 https://www.facebook.com/ayaitoartist/

- facebook eventpage:https://www.facebook.com/events/552486305195510/ Pulp twitter:https://twitter.com/PulpPictures Pulp instagram:https://www.instagram.com/pulp_gallery/ Planning&Direction:伊藤彩, Pulp 田窪直樹
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鷹取愛さんの本棚 in京都

京都で6年半暮らした鷹取愛さん。古本と紙雑貨のお店homehomeの人であり、「京都ふるどうぐ市」や「太陽と星空のサーカス」などイベントや展覧会の企画を多数行って忙しくしてる人。2017年5月、京都を引き払って東京へ戻るという、その引っ越し直前に家を訪ねて、その本棚を拝見しました。

――(朕)引っ越し準備で本も結構、処分しちゃったとか。
鷹取(以下、鷹):もう1段くらい棚があったけど、「東京蚤の市」とかに出しちゃって。かわいい雑貨みたいな本はもう全部売っちゃった。
――卒業した本。
鷹:うん、卒業。
――反対に言えば、残された本はまだ卒業してないということ。
鷹:そうかも。『火星の人類学者』(著・オリヴァー・サックス)は、学生時代にこれで評論みたいなのを書いたことがあって。例えば、急に目が見えなくなった人とか、体の一部を失った人がそれ以外のところが発達していくって本で。なんで、体とかこうなんだろうって。昔から廃墟がすごく好きだったんですよ。そこにかつてあったものとか、結構好きで。

――痕跡みたいなものですね。
鷹:うんうん。妖怪とかね。だけど、京都って意外に妖怪が少なくて、水木(しげる)さんの本でも、京都の妖怪って少ないんですよ。
――妖怪以上に怖いものがいるんでしょうね。
鷹:ねえ。そうだと思う。妖怪もいられないような街(笑)。
――廃墟の痕跡って具体的なものですけど、『火星の人類学者』の話はもうちょっと精神的なものですよね。
鷹:そっちも好きなんです。この本の話をbgm(gallery and shop。五条モールにある)の大久保(加津美)さんとしてたら、大久保さんが「僕が跳びはねる」みたいな本を貸してくれて(『自閉症の僕が跳びはねる理由』著・東田直樹)。まだちょっと読んだだけですけど面白い。人のなんだろうな、人間だけど通じないことがあるとか、言葉でもわからないことがあるとか。そういうことにも興味があって。

――学生のときに論文をって言ってましたけど、心理学かなにかやってたんですか。
鷹:桑沢デザイン研究所に行って、その時にとってた授業でなんだったかな、御手洗(陽)先生がこういう話が好きで、いろいろと薦めてくれたんです。クラゲは影で世界を察知しているとか、ハチは花を形で判断するとか。
――デザインを考える手前に、世界を認知する仕方にまで思いをいたすのはよさげな授業ですね。
鷹:ねえ。難しいことは私、得意じゃないんですけど。絵描きの山口洋佑さんって友だちがいて、宇宙のこととか話しはじめると止まらずにしゃべる感じなんですけど、その人に中沢新一を教えてもらって、よく読みました。
――『アースダイバー』とかのことを思えば、深層に入っていくという点では通じるかも。
鷹:つながるかわからないけど、だから、つげ義春もすごく好きなんです。
――大きな作品集がありますね。ちょっと高そう。
鷹:ううん、たしか下鴨神社の古本市で1,200円くらい。

――つげ義春の本がいくつかあります。
鷹:こっちは、帽子屋のしゃっぽさんという人がいて、浅草の帽子屋の息子なんですけど、一時期、沖縄で古本屋をやっていたこともある人で、しゃっぽさんのセレクトする本がすごく好きなんです。

――帽子屋のしゃっぽさんがセレクトした古本。アラーキーの本も結構、目につきますね。
鷹:この『恋する老人たち』(著・荒木経惟)をすごく好きな友だちがいて、まりっぺって今、東京の八丁堀でスペイン料理屋をやってるんですけど、その日によってこの本の好きなページを開いてトイレに置い��ます。まりっぺとは学生時代に『ぼんくら』ってフリーペーパーをやってました。
――フリーペーパー『ぼんくら』! それも読んでみたい。

鷹:荒木さんは、最近また新しくなって出た『さっちん』をまりっぺから借りて、その写真から銅版画をつくったことがあります。予備校の授業で銅版画があって。そこからすごくアラーキーに執着するようになって。 いちばん好きなのは『春の旅』。チロちゃんって猫が亡くなるやつで、4年くらい前かな、表参道でその展示をやってて、会場を5周くらいして、5周ともぜんぶ泣いて。たぶん、あんまりお金がなかったけど、がんばって買った本だったと思います。


――アラーキーの限定900部の写真集。『春の旅』というのも出てたんですね。
鷹:写真家さんがすごい好きで。いちばん好きなのは牛腸茂雄さん。桑沢(デザイン研究所)の写真の先生で、牛腸さんと同級生だった先生がいて、その三浦(和人)先生が牛腸茂雄のほぼ全作品を見せるような展覧会を三鷹かどこかでやってました。
――牛腸茂雄も桑沢デザイン研究所の学生だったんですね。『牛腸茂雄 1946−1983』、その回顧展にあわせて出された1冊ですね。
鷹:三浦先生のポートレイトもどこかに載ってます。目が大きくてすごく見透かされてるような気持ちになって、すごく好きな先生でした。

――牛腸茂雄のカラー写真というのもあるんですね。
鷹:これは、いまでも桑沢の授業課題であって、暗室に入っていろんな形を組み合わせるって授業で。私もやった。まったく一緒。
――牛腸茂雄って同時代じゃないけど、大好きなんですか。
鷹:ほんとだ、まさに私が生まれたくらい(に亡くなってる)。けど、その三鷹の展示はすごかったですよ。今、行方不明になっちゃった、仲良かった友だちと見に行ったんですよ。

――そのこととセットで思い出す。
鷹:思い出す。桑沢の同級生でキドコロって友だちで。卒業してしばらく経ってから行方不明になって、その4年後くらいに突然、私の誕生日に本が送られてきて、その本があるはず。
――そんなドラマのある本が���
鷹:これだ。なんか、すごい本で。

――奥山民江という画家の画集。独特なタッチの絵ですね。
鷹:昔、流行った曲とかが入ったCD-Rと共に。すごいよね。桑沢つながりでいうと、今は『POPEYE』とかでイラストを描いてる三上数馬って男の子が、学生時代にこういう雑誌をつくってました。
――ガチンコな漫画雑誌。すごい力作ですね。
鷹:これを毎年出して。三上くんはずっとこういう絵を描いてきたので、すごい。本をつくるの、お金もかかるし。いや~本を見せるの、楽しくなってきた。

――学生時代の記憶にまつわる大事な本が続々ですね。
鷹:ほんとに。でもちょっとビール飲もうっか。実家から金麦が送られてきたから。いりますか。
――いただきます。
鷹:あと思い出深い本だと、これ。『イヌイットの壁かけ』は超大事な本。表参道のIDEEの壁に絵を描くみたいなバイトを学生のときにしたことがあって、その時にこの本が売っていて、店員さんがいろいろ説明をしてくれて買ったんですけど、ほんとにいい本で。戦争とか恐ろしい出来事が繰り広げられてるけど、絵がすごくよくて。形をマネして描いたりしました。

――本のつくりもいいですね。
鷹:でしょう。めちゃくちゃいいいじゃん、最高。
――イヌイットにも興味があって…?
鷹:全然ないです。私はいろいろテキトーなので何も知らないし、その後も突き詰めるとかはなくて。その時によかったらって感じで。すいません。

――いや、でもこの本はいいですね。このいろんな壁かけを本にまとめようとした動機もよくわからないけど、こうして本になってみると、確かにすごくいい。
鷹:3年前くらいに三軒茶屋の生活工房かな、で展示をやってて、それもよかった。これは一生、大事な本ですね。あと、好きな本は…。

――笑福亭鶴光の本が気になりますよ。
鷹:この本(『続・かやくごはん』著・笑福亭鶴光)は、家が看板屋なんですけど、ずっとお父さんが鶴光のラジオを流してたんで。だから、小学校��ら帰ると鶴光の番組を聞いてて。しかも、お父さん、マムシとかをお酒に漬けてて、小学校から帰ると飲むものが赤マムシドリンクとかだった。1本しか飲んじゃいけないって言われて。
――鶴光の番組に赤マムシドリンクの小学生時代! ぐんと成長できそう。でも、この鶴光の本、表紙がやけにかっこいい。

鷹:中もいいんですよ。あんまり読んでないけど。…めちゃくちゃな本だな。
――昔の本って自由ですよね。
鷹:自由だった。ほら、「もしも女だったら」「if」って書いてある。こういう謎のデザイン、いいなあ。


――急に投稿欄がはさまったり。
鷹:私が最初、勤めてた文房具屋さんでも雑誌に「文房具、売ります」って投稿して、連絡があった人には手づくりのカタログを送って、そこから注文をもらうってやり方でした。
――いまどき、そんな物の売り方があるんですね。
鷹:ヨーロッパの文房具を扱ってたんですけど、今はもうないです。
――看板屋で鶴光だったことを思えば、最初に見せてもらったつげ義春とか、自然につながってきますね。鷹取さんの普段からはそんなに昭和を感じることはないですけど。テキトー
鷹:唐十郎の芝居とかめっちゃ行ってました。下北沢のスズナリ劇場とか。その隣りの映画館はいきなり閉まっちゃったんですけど、そこで杉作J太郎の舞台挨拶付きの短編上映も見に行って。その頃、すごい青春だな。
――『下北沢物語』という本もありますね。
鷹:うん。通ってた高校がシモキタから2駅のところで、その頃はカラオケ館にしか行ってないんだけど、高校の頃の打ち上げとかもシモキタで。いまは謎の駅になっちゃって、いろんなことが悲しいけど、この本に載ってるみんなの話、すごい面白いです。

――そうそうたるメンバーが書いてますね。
鷹:柄本明さんとか、三軒茶屋とかシモキタでよく見かけます。10年くらい前までやってた「うさや」って駅前の飲み屋で飲んでたら、その息子が来たり。
――柄本佑さん。そういうエピソード、東京っぽさを感じます。
鷹:そんなのでもないけどな。芸能人ってよりは普通に。たとえば、京都でも街を歩いてたら、知り合いの山下(賢二)さん(ホホホ座)に会うような感じで、その街にふつうに住んでる人って感じで。この本読むと、シモキタが好きになる。うめのくんが仕入れてた本だったと思う。
――homehome店主のうめのたかしさん。この度、鷹取さんと同じタイミングで京都を離れて、実家の北九州へ。
鷹:この本もいいかな。古本で買ったら、めっちゃ落書きがしてあって。

――1日ごとにその日にあった出来事などをまとめた本。書きいれてあるのは、��っとこの日、誕生日の知人の名前ですね。
鷹:ここに書くんだなぁって。けど、よく見ると、いろんな字がまじってるから、飲み会とかやった時にみんなで書いちゃったのかなって。
――巻末に索引もついて、ちゃんとしたつくりの本だけど、最後の12月31日の後に謎のイラストがあったり、突然、カレンダーが挟まったり。
鷹:最高ですね。なんで今こういうムダがないんだろう。
――なかなか企画書に含められないから、こういうページは。

鷹:ムダ系な本、いいな。もっと見せたいな。
――『宇宙人の死体写真集』もありますね。
鷹:うん。これも内容のない本で。

――だけど、やけに状態がいい。古本屋で見たら買うかも。
鷹:買っちゃうよね。ムダ系じゃないけど、これもなかなか。普段見ると、具合が悪くなる。たぶん、あまり開かないほうがいい本。ちゃんと元気な時に読もうって。
――『韓国の仮面』。仮面はこわいですね。よく、この近距離で撮影したな。
鷹:そういう系のも好きです。

――その横には島尾伸三夫妻の本も。
鷹:チープなのに憧れてるのかな。なんだろう、あーそうだ、今、ちっちゃいものをすごく集めてて。小さい人形とか。

――そのノリですね。洋書系の本もまだ開いてませんでした。
鷹:これは下鴨神社の古本市で買ったんですけど、超ヤバイ。ヘンリー・ダーガーも好きで、それとはちょっと違うけど、なんか刺さったり、死んだりしていて、うわっ痛いって感じの、それも好きなんです。すいません。

――えぐめな場面をヘタウマタッチで描いてて。
鷹:怖いんだけど、馬の形がすごくかわいかったりして。ヘンリー・ダーガーもそうですけど、さみしいところも好きです。1,000円くらいで買ったと思います。
――インディアンの歴史みたいですけど、何を描いてるんでしょうね。
鷹:字とかはダサくてちょっと読めないから、そこは見てない。ガチャガチャしたものが好きなのかな。フンデルトヴァッサーも好きなんで。でも、最近は全然開いてませんね。

――あ、このあたり(の棚)はZINE、ミニコミ的な感じで。『やだ』、タイトルもいいですね。


鷹:早稲田の学生だったキーチャンって面白い子がいて、いいんですよ。東京で知り合う面白い人は、早稲田の人が多い気がする。
――いかつい表紙のもあります。
鷹:鈴木哲生さんってデザイナーの人が、グループ展『大恐竜博』で売ってた漫画。話も超面白いですよ。

――岡本綺堂の原作で。ツカミがすごい。
鷹:このあたりのがよかったら、これも好きだと思う、『車掌』。
――あ、僕も結構持ってます。
鷹:いいですよねー。なんかマジメじゃないのがいいのかな。デザインもちょっとかっこいい。

――今こそって感じのミニコミですけど、最近長らく出てない気がします。 鷹:なんか真面目じゃないのがいいんだなあ。 ――遊ぼうと思っても意外に遊べない。 鷹:デタラメでいいのにねえ。意外と生きていけるんだよね、デタラメでもね…。

――背がなくて積んであるのはZINE関係ですね。大きさがバラバラやし、本棚ムズいですよね。 鷹:ね、わかんない。これは、新宿眼科画廊でやってた展覧会の図録。 ――1回行ってみたいんですよね、新宿眼科画廊。 鷹:これは、IIBA galleryって、神戸でデザイン事務所がやってるギャラリーができて、最初の展示が横浪(修)さんで。そこで作ってた本。 ――三宮ですよね。 鷹:すごいいい空間。 ――本もいい作りですね。 鷹:あと、こういうの。すごく昔の本で、Gomaとか杉浦さやかさんとか、イシイリョウコさん、すげさわかよさん、落合恵さんとか。山村光春さんが仲良いメンバーと作ってた。こういう本、���意外と無いなと思って。 ――「初恋BOOK」。言うても10年経ってないですよ、2009年発行だから。 鷹:あ、そっかー。

鷹:これ、テニスコートって学生時代から見てる友達のコント集団が、ライブの時に公演の後みんなに渡してるフリーのZINE(『私物』)。

――すごい! こんなん配ってんねや。 鷹:牧寿次郎さんデザイン。 ――フリーで配られたんですか? 鷹:そうなんです。テキストや漫画、テニスコートがやってるラジオなんかがあって、懺悔シリーズ。クレームがあってそれに対する返信の手紙みたいな連載があるんですけど、超イイ本なんです。

――関西に来てないですよね。 鷹:一度プリンツに呼んだことがあります。 ――その時は、ラジオのCDとか配ってましたね。 鷹:うんうん配ってた。ずっとデザインが立花文穂さんだったんですけど。 ――立花さんが作ってる雑誌で連載してるじゃないですか。それでも見てました。 鷹:そっか、『天体』…じゃなくて『球体』。ちょっと前の『BIRD』って超おしゃれ雑誌で…あ、ないわ。もう売っちゃったかな。 ――女の子の雑誌ですよね。 鷹:特集の最初の1ページ目で、リーダーの神谷さんが文章を書いてて。それがすごくズレてて面白かったんですけどね。 ――へえ。それにしても、この冊子はだいぶ凝った作りですね。こんなんくれるんやったら絶対行くなあ。

鷹:これは学生時代の同級生の二艘木洋行の、共同っていう東京の駅に昔あったギャラリーで展示をやってた時のZINEなんですけど。 ―この方の絵、以前にどこかで作品を見て、謎やなーって思ってて。つかみどころがないっていうか、まさに現代アート感。桑沢の同級生?

鷹:あ、そうです。イラスト研究会っていうのを一緒に作って、一緒に毎週絵を描いて講評してました。 私は彼の絵がすごく好きで、毎回講評の度に持って帰って、カラーコピーさせてもらってスクラップして。 ――ええ〜。そんなに! 鷹:もう好きすぎて。 ――この振り切った装丁も、作品と合ってますね。 鷹:うん。で、ニソくらい変な人でいうと、この今度この家で展示(鷹取さんが引越しに際して住んでいた家で「小田原亜梨沙×山フーズ×山ト波展示会」を行った展覧会。5/18~5/21)やってもらう小田原亜梨沙ちゃんも、すごく変なんです。彼女は何回も同じ絵を繰り返し描く。同じ情景を何枚もちょっとづつ違う形で仕上げる。顔を少しリアルにしたり、簡易にしたり、というのを繰り返したりする。石とか岩とかがよく出てくるんですけど。

――何のシチュエーションやねんっていう。

鷹:頭の中の記憶を辿って描いていて。参加者の過去の記憶をヒアリングして、刺繍入りのTシャツを作るワークショップもやってます。 ――ほほう。絵もいいけど、刺繍もかわいいですね。 鷹:そうなんですよ。 ――このカクカクっとしたね。 鷹:かわいいを超えてくるんですよね。 ――ちょっと(イヌイットの刺繍と)似てますよね。 鷹:似てるかもー! ――これやばい。

鷹:犬とパンを食べあってる。いいよねー。 ――いいですね。 鷹:亜利沙ちゃんの展示もしよかったら。 ――きますよ。 鷹:山フーズとのコラボ作品を作ろうと思ってます。絵の中に本物の食べ物があったり、絵をちょっとくりぬいて、本物を組み合わせたり、とか。 鷹:そうだ、もう1個見せたいものがあったんだけど…(ガサゴソ)。あ、これこれ! 私の「山と波」のロゴも作ってくれた加瀬透君が結構前に作った漫画本。あ、でも2011年か。


――へえ。 鷹:桑沢の���輩。 ――いいなあ、面白い人楽しいなあ。 鷹:はい、次、この本なんですが、私も結構デタラメなんで、タイトルとかを決めるときにいつも参考にしてるんです。 ――そういう本あるよね。

鷹:ヨーンじいちゃんの話し方が突拍子もなくて、目次も「ヨーンじいちゃん、舌をだす」「ヨーンじいちゃん染めものをする」「ヨーンじいちゃん、三角パンツ」とか。

――意味がわからん(笑)。どうやったら買えるんですか、こんな本。意味わからなさすぎて買いづらくないですか? 鷹:ね、なんで買ったんだろう。 ――まあでも、これ(推薦図書)ついてるから、その世界では有名なのかな。確かに、自分じゃない言葉が欲しい時ありますよね。 鷹:もう一本金麦飲んでいいですか(笑)。

――そっち(棚)全然見れてない。漫画とかあんまり無いですか? 鷹:漫画は…少ないね。 ――つげ…ですかね。

――詩集あるじゃないですか。 鷹:これね、私の本じゃないんです。人が置いてった本で。返さないといけない。 ――確かにちょっとノリがちゃいますね。 鷹:安部慎一も好きですよ。

鷹:この間、安部慎一展が3か所でやってました。 ――そっか、今人気なんだ。 鷹:安部慎一のすごいいい漫画ですよ。 ――安っ! 500円。 鷹:すごいですよね、それ。シリーズで2巻もあるんだけど、見つからないですね。 ――これはなかなか。
鷹:で、これいい本。『猫のジョン』っていう。

――へえー、どっちやねん、っていうね。 鷹:これもいいんだよ、『フルフル』。表紙のクマがベロでてるやん、いいなあと思って買ったの。

――そこ1点で(笑) これだけなんかノリが違いません? 鷹:そっか、なんか変(笑)。 ――変で好き? 話も「ししゃもという魚を見たことありますか」って…。 鷹:あんまり読んでないから覚えてない。 ――まあ、そんなねえ、覚えてられないですよね。本ってほんま覚えられない。 鷹:覚えられないなあ。あと、尊敬している人の一人。沢野さん、すごく好きです。

――お〜! そんな本あるねんや。山登ってる人ですよね。ふーん。この本もいいですね。 鷹:いいですよね。 ――いいなあ。やっぱりずっと売れない、手放せない本たちですか? 鷹:うん、引っ越しに際して、すっごい手放したけど。 ――それでもなお。 鷹:そうですね。これ、『西荻夫婦』とかも多分一生一緒に読むだろうな、と思います。

――ふむふむ。読んだことないなあ。 鷹:結構苦しいです。 ――ここへ来る前、トランスポップギャラリー行ったんですけど、少し前にやまだないとの春画企画をやってたみたいですね。 鷹:知らなかったー!
鷹:あ、懐かしい、これも思い出深い。二十歳ぐらいにお世話になった、埼玉のyuzuriというお店で買ったのかな。

――いいですね、これねえ。 鷹:ホホホ座の山下さんも大好きな本だって話したことあります。 ――山下さん、意外に真面目な本好きですもんね。

鷹:蛭子さんの本もいいですよ。 ――脱力系とちゃんとしたものと、両方好きなんですねえ。 鷹:蛭子さん好きです。私ももっとテキトーに生きたいですねえ。 ――なかなかねえ(笑)。

鷹:東京でテキトーだと、ちょっと本当にマズいのかなと思って。 ――東京で何をするかは決まってないんですか? 鷹:実家の看板屋さんの手伝いもしようかなと思ってます。 ――ええ〜。看板屋、面白いじゃないですか! 鷹:そうなんですよ、今まで関わっていた人たちとも一緒に仕事ができるかもしれない、と思って。親ももうすぐやめてしまうかもしれないし、最後に一緒に働いてもいいかな、っていうのもあって帰ろうかなと。 ――看板屋、場所はどこなんですか? 鷹:地元は町田市です。 ――あ、それで町田の図書館の本が…。 鷹:そうなんです。 ――僕も最近、20年ぐらい借りてた本をこっそり返しましたけどね。 鷹:大丈夫でしたか? ――わからんように置いてきた(笑)。

鷹:この本は、表紙とこれ(写真右の雑貨)がすごい似てて、買っちゃった。似てない? ――まあ似てるけど…気持ち悪いと思いつつも買っちゃうやつですね。GIFアニメとかで似てるの見たことあります。 鷹:最���にこれ見て欲しい、tupera tuperaが昔に作った『MUSHI HOTEL』。

――へえ。 鷹:虫研究者が虫研究のための、虫をなくしちゃって。泊まったホテルで、こんな変な場所でいっぱいいたっていう。良い本。 ――うまくやってますね。

鷹:で、私が生涯一番好きな画家のnakabanさんのいいマンガです。 ――確かにいいマンガ。 鷹:こっち(写真右)は、nakabanさんに1ページめ描いてもらった木のノートです。 ――木なんだ、これ。 鷹:木に版を刷ってる。このノートには、私が毎日マンガ描いてたの。 ――えーっ。貴重なやつ出た。日記代わり? 妄想? 鷹:本当にあったことを描いてた。

――いいっすねえ。 鷹:本当? もう止まっちゃって、こんな最後余っちゃったけど…また描こうかな。そういえば、横山雄くんのデザインで、「ニコラ」っていう東京のお店が発行するZINEにマンガを描いたので、よかったらみてください。 ――なるほど、また見てみます。
鷹:何度もごめんね、あとひとついいですか。専門学校の時に撮ってた写真。

――濃いですねえ。

鷹:これいい構図でしょ? ――男くさいですね。 鷹:これは高校の写真。東京農業大学の付属に通ってて。それの野球応援で、応援してるとこ。大根踊りっていうのをやるんですけど。 ――点を取ったら? 鷹:1点取ったら1大根踊り、2点取ったら2大根踊り。 ――名前がダサい…。

鷹:なつかし〜。 ――S✳︎M✳︎Lっていうのは? 鷹:子供、大人、おじいちゃん、かな? わかんないけど。 ――年齢? 鷹:年齢かな、年齢だと思う。当時からテキトーだったんです(笑)。もうこれは治らない感じだね。そんな感じでした。 ――いえいえ、かなり��くさん教えていただきまして。ビールまでいただいてしまって、ありがとうございました。

(2017年5月に訪問)
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美濃和紙の灯りのオブジェが「うだつの上がる町並み」の夜をより幻想的に。|“行きたい”イベントがきっと見つかるイベントキュレーションサイトT3V
2017年の10月。秋のを感じに岐阜県美濃市に行きませんか?うだつの上がる町並み周辺は懐かしさと情緒を感じる観光スポットが沢山。「美濃和紙あかりアート展」と一緒に是非散策を楽しんで下さいね。…
このイベントを詳しく見る
出典:[T3V]TokiTechTV
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2017年6月24日 美濃DiAngelo 岐阜大学医学部ジャズ研リーベ・パルツェOBバンド《Hot Surgeons》セッション記録から一部抜粋。 同グループの年内の予定は、2017年10/14(土)17:00 美濃市うだつの上がる町並み内ポケットパーク(観光協会前広場)にて野外無料ライブ。 *美濃和紙あかりアート過去作品展示期間
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6/24(土) 美濃市DiAngeloで定期的に集まり演奏を繰り返して来ている《Hot Surgeons》のライブが行われました。伝統ある岐阜大学医学部ジャズ研『リーベ・パルツェ』OBの中で外科の分野に進んだ方々のグループということで、バンド名が付けられています。美濃では市立美濃病院の阪本院長先生(ds)の呼びかけにより始まりました。
思い返してみれば、DiAngelo創生時の2002年~2003年には第1外科バンドの意味で「1外バンド」と言われここで集まったことがありました。当時はテナーサックスの安村さんも美濃病院に勤務されていた頃。実際にお会いするまでは、日々病院のボイラー室にこもり熱心にサックスの���習をするドクターがいるとの「噂」を聞いていたものです。情熱と一緒にコミカルで牧歌的な印象を抱いていました。自分は当時24歳。15年ほど時間が流れた今、毎年10月中には美濃市のうだつの町並みのイベントに呼んでいただき野外演奏をします。ある年にはライブと一緒に美濃病院長・阪本先生の『音楽と健康』をテーマにしたトークが大好評で。沢山の一般市民の方々と、普段と違う顔を見せる自由で無邪気なお医者さん達が笑顔で交流する様子がとても嬉しいです。小さくてニッチなライブスポットの店主冥利に尽きるというもの。
《Hot Surgeons》年内の予定 2017年10/14(土)17:00 美濃市うだつの上がる町並み内ポケットパーク(観光協会前広場)にて野外無料ライブ *美濃和紙あかりアート過去作品展示期間
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