#群馬県立自然史博物館
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palsuke · 1 year ago
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群馬県立自然史博物館・かぶら文化ホール
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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catonoire · 8 months ago
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「弥生人は二度死ぬ 再葬墓ってなに?」展
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群馬県立歴史博物館で「弥生人は二度死ぬ 再葬墓ってなに?」展を見る。映画の『007は二度死ぬ』をもじったとおぼしき展覧会タイトルにつられて足を運んだ。
再葬墓(さいそうぼ)とは、遺体をいったん土に埋めるなどして白骨化させてから土器に納め、再び埋葬した墓のこと。群馬県は弥生時代の再葬墓の中心地のひとつなのだそう。
人骨の展示についての断り書きが最初にあった。人骨を無造作に研究対象にしていた過去が問題になって反省の動きが進んでいるようだし、このように立場を明らかにしておくのは大事だと思う。
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東日本の再葬墓出土品の代表者の皆さん。小さい土偶型のものには子どもの骨や歯を入れたらしい。弥生時代の人々も小さな子の死にはとりわけ心を痛めたのだろうなと思う。
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こちらは吉野ヶ里遺跡の祭祀土器。赤く塗られた特別な土器で、打ち割って埋納されたものと考えられている。
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プロローグとして九州北部の甕棺墓(かめかんぼ)が紹介されていた。
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ここからが再葬墓の展示の本番。まずは再葬のプロセスの紹介。まず岩陰などで埋葬・風葬する(一次葬)。その後、遺骨をとり出して解体・選骨。骨や歯に穴を開けてペンダントにしたり、骨を焼いて岩陰に置いたり、骨壺に納めたりする。最後に、管玉を割り、土器をまとめて埋める(二次葬)。
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下の写真は壺の中から全身の骨が見つかった珍しい例の展示。
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焼かれた遺骨の数々。四角い透明のケースに入っているものもすべて人骨。
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左は管玉など、右はさまざまな副葬品。
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再葬墓の源流は縄文時代の再葬にあるのではないか?と考えられる考古学的な証拠として、群馬県内の遺跡の出土品を展示している。
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下の数枚の写真は、群馬県内の弥生時代の遺跡である岩櫃山鷹の巣岩陰遺跡の土器が、ひさしぶりに集合しているところ。
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岩櫃山はこんな感じで岩が切り立っていて、���るのが楽ではなさそうである。
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このあと、群馬県内および隣県近県の遺跡ごとに出土品を紹介する展示がたくさんあった。キャプションにはところどころ学芸員コメントが入っており、たとえば「オバQみたいな口がキュート」とか……
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岩名天神前遺跡(千葉県佐倉市)の出土品を展示したケースの中には……
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「どの壺に入りたい?」……その発想はなかったが、たしかに「自分が入るならどれがいいかな?」と考えながら見ていけば、漫然と眺めただけでは似たり寄ったりにしか見えない土器の個性に気づけるかもしれない。
メインビジュアルに採用されたお方をさまざまなアングルで。
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弥生時代の人々の暮らしにフォーカスした展示。レプリカ法(土器などをシリコンで型取りし、表面に残っている微細な圧痕を電子顕微鏡で観察する分析法)によって、アワなどの穀物の痕跡が見つかっている。
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再葬墓が姿を消していった時代の遺跡の紹介も。
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再葬の儀礼に関連して、沖縄地方の洗骨葬についても取り上げられていた。撮影不可だったが洗骨葬の一部始終を収めた写真が展示されており、非常に興味深かった。
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siteymnk · 1 year ago
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2023年の文化活動(一覧)
昨年もたくさん行脚しました。特筆すべきはコロナ禍からの本格的な脱却、夏休みの北海道旅行、勤続30年目のリフレッシュ休暇で西日本周遊、だろうか。行きつけの美術館は展示替えの都度、再訪するルーチンが確立。思ってたよりコンサートにもたくさん行ってた(クラシック系が多い)。地方の美術館(県立レベルの)を攻略する楽しさを知ってしまったので、今年も隙を見て行ってみたい。
星野道夫 悠久の時を旅する@東京都写真美術館
プリピクテジャパンアワード@東京都写真美術館
野��里佳 不思議な力@東京都写真美術館
パリ・オペラ座─響き合う芸術の殿堂@アーティゾン美術館
ウェンデリン・ファン・オルデンボルフ 柔らかな舞台@東京都現代美術館
MOTコレクション コレクションを巻き戻す 2nd@東京都現代美術館
DOMANI・明日展 2022-23@国立新美術館
クリストとジャンヌ?クロード 包まれた凱旋門@21_21 DESIGN SIGHT
ハンドメイドジャパンフェス冬2023@東京ビッグサイト
室内楽・シリーズNo.22 デュオの世界 <チェロとピアノのための>@東京文化会館
驚異の声、驚異の言葉─未体験の音空間へようこそ!@横浜みなとみらいホール
Sit, Down. Sit Down Please, Sphinx.:泉太郎@東京オペラシティーアートギャラリー
3331によって、アートは『    』に変化した@3331 Arts Chiyoda
恵比寿映像祭2023@東京都写真美術館へ
同潤会アパート渋谷@白根記念渋谷郷土博物館・文学館
引き寄せられた気配@トーキョーアーツアンドスペース 本郷
東京都水道歴史館
開館60周年特別展「横山大観と川端龍子」@龍子記念館
0~8848M・地上の紋――中国空撮写真展@日中友好会館美術館
毎年恒例の岡本太郎現代芸術展@岡本太郎美術館
六本木クロッシング2022展:往来オーライ!@森美術館
わたしたちは生きている!セタビの森の動物たち@世田谷美術館
それぞれのふたり 萩原朔美と榎本了壱@世田谷美術館
平原まこと 50周年 メモリアルコンサート@東京国際フォーラムCホール
吉松隆オーケストラ傑作選 吉松隆の<英雄>@東京芸術
動物会議 緊急大集合!@ギンザ・グラフィック・ギャラリー
VOCA展2023@上野の森美術館へ
藤子不二雄のまんが道展@豊島区立トキワ荘マンガミュージアム
昭和レトロ館
ヴォクスマーナ 第49回定期演奏会@豊洲シビックセンターホール
第52回邦楽演奏会@国立劇場
ダムタイプ|2022: remap@アーティゾン美術館
アートを楽しむ 見る、感じる、学ぶ@アーティゾン美術館
画家の手紙@アーティゾン美術館
重要文化財の秘密@東京国立���代美術館
明治美術狂想曲@静嘉堂@丸の内
今井俊介 スカートと風景@東京オペラシティアートギャラリー
収蔵品展076 寺田コレクションハイライト(前期)@東京オペラシティアートギャラリー
ブルターニュの光と風@SOMPO美術館
情景の地 ブルターニュ モネ、ゴーガン、黒田清輝が見た異郷@国立西洋美術館
エドワード・ゴーリーを巡る旅@松濤美術館 応挙と蘆雪@東京黎明アートルーム
「ラ・フォルジュルネ2023」 公演番号:313止まらない!若き活力の横溢と抒情 公演番号:324大作曲家に楽器の制約ナシ!SAXカルテットによる名曲の解答
島じまん2023@竹芝桟橋
デザインフェスタ vol.57@東京ビッグサイト
東京みなと祭@東京国際クルーズターミナル
ルーヴル美術館展@国立新美術館
清澄庭園
大阪の日本画@東京ステーションギャラリー
第63回 海王祭@東京海洋大学 越中島キャンパス
マティス展@東京都美術館
都美セレクション グループ展 2023
夢と自然の探求者たち―19世紀幻想版画、シュルレアリスム、現代日本の作家まで@群馬県立館林美術館
原始神母 THE DARK SIDE OF THE MOON 50th ANNIVERSARY@日比谷公園大音楽堂
本橋成一とロベール・ドアノー 交差する物語@東京都写真美術館
TOPコレクション セレンディピティ 日常のなかの予期せぬ素敵な発見@東京都写真美術館
田沼武能 人間讃歌@東京都写真美術館
発掘・植竹邦良 ニッポンの戦後を映す夢想空間@府中市美術館
プレイプレイアート展@ワタリウム美術館
下町七夕まつり@かっぱ橋本通り
モネ・ルノワール 印象派の光@松岡美術館
フィンランド・グラスアート 輝きと彩りのモダンデザイン@東京都庭園美術館
川崎水族館
F.A.T.2023 Summer Concert FireBird & AzBand & TAKEBAN@月島社会教育会館ホール
山下清展 百年目の大回想@SOMPO美術館
ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ@アーティゾン美術館
野又 穫 Continuum 想像の語彙@東京オペラシティー アートギャラリー
没後10年 映画監督 大島渚@国立映画アーカイブ
熊谷守一美術館
三井高利��越後屋@三井記念美術館
北海道旅行 ファーム富田 旭山動物園
恋し、こがれたインドの染織@大倉集古館
ブラチスラバ世界絵本原画展@うらわ美術館
特別展 古代メキシコ -マヤ、アステカ、テオティワカン@東京国立博物館
誰かのシステムがめぐる時@TOKAS本郷
東京大学総合研究博物館
第21回東京音楽コンクール(ピアノ部門)の本選@東京文化会館
テート美術館展@国立新美術館
ガウディとサクラダファミリア展@国立近代美術館
ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会@森美術館
コレクション展2023-3@青森県立美術館
大巻伸嗣 地平線のゆくえ@弘前れんが倉庫美術館
弘前昇天教会
旧五十九銀行本店本館(青森銀行記念館)
旧東奥義塾外人教師館
旧弘前市立図書館
山車展示館
弘前城
津軽藩ねぷた村
カトリック弘前教会
荒木珠奈 展@東京都美術館
ARTBAY TOKYO アートフェスティバル2023 CIRCULATION -ひともまちもせかいもめぐる‐@臨海副都心エリア
生誕140年 モーリス・ユトリロ展@横浜高島屋ギャラリー
全日本模型ホビーショー@東京ビッグサイト
デヴィッド・ホックニー展@東京都現代美術館
「あ、共感とかじゃなくて。」@東京都現代美術館
ステファン・サグマイスター ナウ・イズ・ベター@ギンザグラフィックギャラリー
福田美蘭 「美術ってなに?」展@名古屋美術館
生誕120年 安井仲治YASUI NAKAJI: PHOTOGRAPHS@愛知県美術館
フランク・ロイド・ライト  世界を結ぶ建築@豊田市美術館
漆の彩り・黒と金の幻想 - 高橋節郎@豊田市美術館(髙橋節郎館)
コレクション展 歿後20年 若林奮@豊田市美術館
2023年度 第2期 コレクション展@豊田市美術館
山田寅次郎展@ワタリウム美術館
Japan Mobility Show 2023@東京国際展示場
黒田記念館(特別室開室)
横尾忠則 寒山百得展@東京国立博物館
東京国立博物館の寒山拾得図
デザインフェスタ vol.58@東京ビッグサイト
永遠のローマ展@東京都美術館
上野アーティストプロジェクト2023 いのちをうつす ―菌類、植物、動物、人間@東京都美術館
動物園にて ―東京都コレクションを中心に@東京都美術館
第64回 日本版画会展@東京都美術館
「今こそ、ルーシー!」 ~LUCY IS HERE~@スヌーピーミュージアム
大原美術館
そして船は行く@高知県立美術館へ。
大塚国際美術館
コレクションハイライト@福岡市美術館
芥川龍之介と美の世界 二人の先達─夏目漱石、菅虎雄@久留米市美術館
遠距離現在 Universal / Remote@熊本市現代美術館
第3期コレクション展:宮崎県立美術館
MOTアニュアル2023 シナジー、創造と生成のあいだ@東京都現代美術館
MOTコレクション歩く、赴く、移動する 1923→2020 特集展示 横尾忠則―水のように 生誕100年 サム・フランシス
大巻伸嗣 Interface of Being 真空のゆらぎ@国立新美術館
第4回カルチャー芸術展@国立新美術館
第12回 躍動する現代作家展@国立新美術館
21世紀アートボーダレス展(2023)@国立新美術館
JAGDA国際学生ポスターアワード2023@国立新美術館
第63回全国矯正展@東京国際フォーラム
ゴッホと静物画―伝統と革新へ@SOMPO美術館
ピカレスク・ニュー展 Vol.8@ピカレスク
モネ 連作の情景@上野の森美術館
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fuyujitaku · 2 years ago
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 校正をした本が出ています。2019年に刊行された『恐竜・古生物ビフォーアフター』の続編です。
土屋健著、群馬県立自然史博物館監修、ツク之助絵 『も~っと! 恐竜・古生物ビフォーアフター』(イースト・プレス刊) https://www.eastpress.co.jp/goods/detail/9784781622101
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picnicism · 1 year ago
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北海道 国立アイヌ民族博物館———民族 川村カ子トアイヌ記念館———民族 平取町立二風谷アイヌ文化博物館———民族 八雲町木彫り熊資料館———芸術・文学 三笠市立博物館———総合 オホーツク流氷館———自然 北のアルプ美術館———芸術・文学 渡辺淳一文学館———芸術・文学 北海道大学総合博物館———総合 青森 青森県立美術館———芸術・文学 立佞武多の館———生活 棟方志功記念館———芸術・文学 岩手 鉄の歴史館———歴史 奥州市牛の博物館———自然 宮城 地底の森ミュージアム———自然 秋田 なまはげ館———生活 山形 天童市将棋資料館———生活 福島 いわき市アンモナイトセンター———自然 茨城 水戸芸術館 現代美術ギャラリー———芸術・文化 地図と測量の科学館———科学・技術 栃木 おもちゃのまちバンダイミュージアム———生活 群馬 高崎市山田かまち美術館———芸術・文化 埼玉 さいたま市大宮盆栽美術館———芸術・文化 千葉 航空科学博物館———科学・技術 東京 国立科学博物館———総合 インターメディアテク———総合 東京大学総合研究博物館———総合 宇宙ミュージアムTeNQ———科学・技術 東京大学農場博物館———科学・技術 東京理科大学 数学体験館———科学・技術 國學院大學博物館———歴史 「食と農」の博物館・バイオリウム———生活 武蔵野音楽大学楽器ミュージアム———芸術・文化 駒澤大学禅文化歴史博物館———歴史 文化学園服飾博物館———生活 大妻女子大学博物館———生活 早稲田大学演劇博物館———芸術・文化 東京工業大学博物館———科学・技術 豊島区立トキワ荘マンガミュージアム———芸術・文化 木組み博物館———生活 目黒寄生虫館———自然 板橋区立美術館———芸術・文化 Bunkamura ザ・ミュージアム———芸術・文化 国立西洋美術館———芸術・文化 東京国立博物館———総合 葛飾柴又寅さん記念館———生活 TAKAO 599 MUSEUM———自然 長谷川町子美術館———芸術・文化 新宿区立漱石山房記念館———芸術・文化 三菱一号館美術館———芸術・文化 サントリー美術館———芸術・文化 アーティゾン美術館———芸術・文化 印刷博物館———生活 日本科学未来館———科学・技術 国立公文書館———生活 神奈川 海上保安資料館横浜館———生活 馬の博物館———自然 新潟 フォッサマグナミュージアム———生活 石川 宇宙科学博物館コスモアイル羽咋———科学・技術 柳宗理記念デザイン研究所———芸術・文化 福井 福井県立恐竜博物館———自然 福井県年縞博物館———自然 越前がにミュージアム———生活 福井県立若狭歴史博物館———歴史 山梨 山梨県立考古博物館———歴史 北杜市考古資料館———歴史 釈迦堂遺跡博物館———歴史 清泉寮やまねミュージアム———自然 フジヤマミュージアム———芸術・文化 長野 井戸尻考古館——歴史 茅野市尖石縄文考古館———歴史 蜂天国———自然 鬼無里ふるさと資料館———生活 野尻湖ナウマンゾウ博物館———自然 松本市美術館———芸術・文化    田淵行男記念館———芸術・文化    市立大町山岳博物館———自然 碌山美術館———芸術・文化     岐阜 多治見市モザイクタイルミュージアム———生活 静岡 東海大学海洋科学博物館———自然 まぼろし博覧会———総合 龍ちゃんのカッパ館———生活 土肥金山(黄金館)———歴史 ふじのくに茶の都ミュージアム———生活 愛知 昭和日常博物館———歴史 トヨタ博物館———科学・技術 三重 鳥羽市立 海の博物館———自然 滋賀 海洋堂フィギュアミュージアム黒壁 龍遊館———生活 京都 漢字ミュージアム———生活 日本の鬼の交流博物館———生活 平等院ミュージアム鳳翔館———歴史 大阪 国立民族学博物館———民族 大阪中之島美術館———芸術・文化 カップヌードルミュージアム大阪池田———生活 大阪市立自然史博物館———自然 兵庫 神戸ファッション美術館———芸術・文化   竹中大工道具館———生活 奈良     ならまち糞虫館———自然 奈良金魚ミュージアム———自然 和歌山 太地町立くじらの博物館———自然 鳥取 水木しげる記念館———芸術・文化 ��根     仁摩サンドミュージアム———自然     奥出雲たたらと刀剣館———芸術・文化 岡山 奈義町現代美術館———芸術・文化    S-HOUSE Museum———芸術・文化    大原美術館———芸術・文化   招き猫美術館———芸術・文化 広島 海上自衛隊呉史料館(てつのくじら館)———科学・技術 山口 豊田ホタルの里ミュージアム———自然 岩国シロヘビの館———自然     土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム———歴史 中原中也記念館———芸術・文化 徳島 阿波おどり会館———生活 香川 ベネッセハウス ミュージアム———芸術・文化 地中美術館———芸術・文化 杉本博司ギャラリー 時の回廊———芸術・文化 ヴァレーギャラリー———芸術・文化 マルキン醤油記念館———生活 平賀源内記念館———歴史 愛媛 タオル美術館———芸術・文化 高知 四国自動車博物館———科学・秘術 隈研吾の小さなミュージアム———芸術・文化 高知県立牧野植物園———自然     福岡 TOTOミュージアム———生活 北九州市漫画ミュージアム———芸術・文化 福岡市美術館———芸術・文化 佐賀 中冨記念くすり博物館———生活 長崎 音浴博物館———生活 軍艦島デジタルミュージアム———歴史 熊本 阿蘇火山博物館———自然 大分 天領日田洋酒博物館———生活 鯛生金山地底博物館———自然     宮崎 国際うなぎLABO———自然 鹿児島 日本マンダリンセンター———自然     かごしま近代文学館———芸術・文化 沖縄 ハブ博物公園 ———自然
通いたくなるミュージアム全国137館 WEB版マップ | ブルータス| BRUTUS.jp
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kunzo-m · 7 years ago
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富岡まで来たのに製糸場を見ず、結局は恐竜を見る私だ #spinosaurus #mamenchisaurus #brachiosaurus #uintatherium #群馬県立自然史博物館 (群馬県立自然史博物館)
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kei70tokyo · 8 years ago
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. #みーさん #絶滅危惧種 #群馬県立自然史博物館 (群馬県立自然史博物館)
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2ttf · 13 years ago
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yuka-p · 7 years ago
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今日は買い物に行くついでに、昨日に引き続き御嶽山自然の森公園へ。 自宅から直線距離なら1km以下と近いのですが、川があるために大回りして約3倍の道のりになります。
私が着いた時には、4~5人の方がいらっしゃいました。 ここを訪れるのは年配の方が多いのですが、若い女性も熱心に写真を撮られていましたね。 彼岸花は、たった1日で蕾が少なくなっていました。
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ここは今では公園ですが、元は古墳。御岳山古墳または剛志村52号墳と呼ばれる前方後円墳で、鉄刀や埴輪などが出土したそうです。 すぐ近くにあった上武士天神山古墳=剛志村30号墳(現在は畑になっています)からは、東京国立博物館蔵の猪の埴輪(重要文化財)や首輪をした犬の埴輪(ぬいぐるみになったことがあるらしい)など多くの埴輪が出土しています。
戦国時代には、御岳山古墳は武士城(たけしじょう)となり、群馬県の歴史書の中には少しだけ登場します。 城と言っても、江戸時代のような豪勢な天守閣があるようなものではなく、大きめの砦のようなものだったと思います。 広瀬川と粕川が合流する高台となるため、見晴らしもよく川を天然の堀として利用できるために築かれたのでしょう。
川向うに見えるこんもりとした山を、子供の頃から気になっていました。 父に聞くと、「あれは古墳だ」と言われ、なんだか怖くて(古墳=お墓の認識はあった)近寄ったことはありませんでした。 現在は伊勢崎市内ですが、十数年前までは佐波郡境町だったため、旧伊勢崎市民としてはいつ公園として整備されたのかもわかりません。 整備されてからは、冬は福寿草・春は桜・夏は紫陽花・秋は彼岸花が咲く、広くて静かな公園です。
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kei139-line · 3 years ago
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【バーチャル恐竜博物館】オンライン講座第2弾!日本とカナダを結ぶ史上最大の魚竜「ショニサウルス・シカニエンシス」に関する講座を実施 〜北九州市立自然史・歴史博物館 大橋学芸員が登壇。2月12日(土)18時から開催〜
バーチャル恐竜博物館では、海外の博物館と連携した継続的な国際交流を促進するため、デジタルデータを活用した今後の共同研究の可能性や新たな魅力を探るとともに国内外の講師によるオンライン講座を実施しています。 このたび第2弾として、2022年2月12日(土)18時より北九州市立自然史・歴史博物館の大橋学芸員によるオンライン講座を開催いたします。本講座では、第1弾で登壇した群馬県立自然史博物館の真鍋特別館長と、カナダのロイヤル・ティレル古生物学博物館の故エリザベス・ニコルス博士が共同発掘し、2004年に新種として発表した史上最大の魚竜ショニサウルス・シカニエンシスについてお話しします。また3Dモデルで恐⻯が生きていた時の動きを推定するソフトウェアを開発した、ドナルド・ヘンダーソン博士もビデオ出演します。 オンライン講座 「化石と旅する世界…
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friendship-korea-japan-jp · 5 years ago
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3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
問い9:日本の朝鮮から撤退後について>3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
目次は こちら
3.日本が朝鮮に及ぼした形の無いもの
 日本は、1876年に朝鮮と交流を始めて、1945年に朝鮮から撤退した69年間に、形がなく目に見えないものも朝鮮に残してきています。以下に思いつくままにそれらを列記します。
①    李氏朝鮮時代は労働をすることを恥と思っていた両班が、1892年に科挙の廃止と、1894年の金弘集政権による身分制度の廃止と、総督府の身分差別を認めない政策とによって、労働をしても恥ずかしくない意識となり、新しい労働文化が生まれました。そして現在の韓国では、優秀な人々の労働の成果が生まれました。
②    李氏朝鮮時代は怠けて貧しさを装うことが自衛手段だった農民と漁民が、豊かになっても両班や官僚によって収奪されなくなったので、積極的に働く社会意識と労働文化が生まれ、朝鮮の新しい発展の原動力になりました。
③    物として売買され、人権も「姓」もなかった奴婢が、その身分から解放されたので、好きな姓名を持つことができ、日本統治時代には朝鮮人は原則的に全員が平等な社会の一員になりました。
④    李氏朝鮮時代は、地方の行政官が行政・警察・司法・徴税・軍事とすべての権限を持っており、その地方では絶対的な権力を持っていたので、思う通りに農民と漁民と奴婢から収奪し賄賂を受け取り、横領を重ねていたが、日本統治時代には行政と警察と裁判と徴税が分離されたので、諸悪と腐敗の根源がなくなりました。
⑤    李氏朝鮮時代は、国王と大臣が多額の賄賂を受け取って地方の行政官を任命し、各種職位を売っていましたが、日本の統治により国王も大臣も売官売爵ができなくなり、地方官は多額の賄賂の必要がなくなり、地方へ派遣された官僚は多額の賄賂のお金を取り返す必要がなく、その結果庶民からの収奪がなくなりました。
⑥    大韓帝国時代に韓国政府から日本へ財務顧問の派遣を要請するまでは、大韓帝国政府の財政は逼迫しており、その上皇室は国家財政から奪って贅沢な暮らしに耽っていましたが、財政顧問の指示で皇室財政と国家財政を分離して管理されるようになり、国王による勝手気ままな無限の享楽による国費の浪費ができなくなりました。
⑦    昔からおよそ500万人前後と言われていた朝鮮半島の人口が、1910年時点の人口調査では1312万人でしたので、それまでは徴税額の62%が地方官僚による横領が行われていたことが判明しました。総督府の正確な人口把握により地方官僚は横領ができなくなり、全額中央政府の収入になり、国家財政の不足は改善されました。
⑧    李氏朝鮮時代の法廷は、罪人とされた人に自白するまで拷問を加える場でした。その拷問はここに書きたくないほど残酷極まりないものであり、拷問と訊問が同時に交互に行われるのが当時の朝鮮の法廷であったことが、西洋人によって報告されています。日本の関与により直ちに近代的な司法制度に改定され、公正な裁判が行われるようになりました。そして笞打ち刑は朝鮮笞刑令廃止制令(1920年4月1日)で廃止されました。
⑨    李氏朝鮮時代の監獄は、狭い所に多くの囚人を男女区別なく押し込み、一人当たりの面積が0.47平方メートルであったと記述されています。日本統治時には日本やアメリカ並みの広さと処遇にして、少年と女性の受刑者を一般の受刑者と分け、出獄後の厚生を出来るように少年たちには学校の授業を行い、一般の受刑者にも職業訓練などの教育をして、出獄後の再犯の発生を防ぐことを主にしました。李氏朝鮮時代の刑罰主義一辺倒から再犯防止主義へと監獄行政が転換されました。
⑩    李氏朝鮮時代には、経国大典がありましたが無視され、実際には国王や官僚によって統治が恣意的に行われていた面が多かった行政が、法体系を日本から移入して整備されました。『朝鮮総督府施政年報 昭和14年度』の「第1章 総説」の「第2節 法規の制定及整理」には、郵便・電信・工業所有権・著作権・会計などは日本と法制の統一を要するので、勅令をもって施行し、民法・民事訴訟法・刑法・商法・裁判・監獄・教育・地方制度・土地収用・永代借地・河川・港湾・水利組合・森林林野・漁業・鉱業・会社・銀行・金融組合・商業会議所・市場・鉄道・道路・寺刹・墓地・諸税・国税徴収・関税・医業・薬品・危険物・伝染病予防・行政執行・海事及水難救助・諸営業取締などの諸法規や法令は、朝鮮の実情に合わせて導入され、順次改正を加えながらこれらに基づいて行政を行ったことが記されています。人治から法治へと変化したのです。これにより、朝鮮の近代国家への脱皮が推進されました。これらの法体系は、日本が朝鮮から撤退した後もその多くが影響を残したものと思われます。
⑪    李氏朝鮮時代には、初等教育は書堂だけであり、書堂が女性を受け入れなかったのに対し、日本統治により小学校が普及して女性も学校へ行けるようになり、高等女子学校が57校もできて高等教育も受けられるようになりました。これにより、国民の半分を占める女性が学べるようになり、女性が男性と対等に学べる環境がつくられました。これは、最近女性大統領や大臣・長官が出るまでに女性の地位の向上するきっかけとなりました。また、家の中に閉じこもって昼間に屋外で姿を見せることがなかった女性が、日本統治時代には昼間から外に出るようになり、女性解放が進みました。
⑫    日本の統治時代に多くの朝鮮人の人材を育ちました。その一つは工場や会社を経営した人達です。『大韓民国の物語』の「第二部文明史の大転換」の「9 日本がこの地に残した遺産」の「人的な資本」の188ページには次のように記されています。
[何よりも貴重な人的資源は、店舗や工場、1920年代以降、前近代社会の褓負商(行商人)に代わって、固定した店舗をもつ商人の数がどんどん増加し、1938年段階では店舗の数が39万6000にも達しました。1939年の段階で、5名以上の従業員を雇用する工場や会社を経営する朝鮮人は4000名にも達します。その中に今日の韓国を代表する企業グループを創業した三星の李秉喆、LGの具仁会、現代の鄭周永らが含まれています。]
また、二つ目の人材グループは、学校卒業後に総督府や学校に就職した人達です。彼らは官吏として、教師として活躍しました。その数は約17万人に達していたと、『大韓民国の物語』に記されています。第三のグループは、銀行員・医師・法律家などです。第四のグループは日本へ行って会社や軍隊に入って日本の考え方や仕事の仕方を身に着けた人たちです。このような多くの多種の人材を育てて朝鮮に残してきました。彼らの多くは李氏朝鮮時代には存在しなかった職種の人達です。日本統治時代の教育をベースにして、日本人と一緒に仕事をする過程で、或いは日本へ留学をして、あるいは独自に道を切り開く過程で、これ等の朝鮮の人材が自らを育てたのです。或いは日本の軍隊に入って厳しい規律と強い意志で自らを鍛えた人も居たと思います。このような人材の存在が、日本が撤退した後の韓国の発展を牽引したと言えます。これも目に見えない日本が残した人的財産といえると思います。
⑬    1904年8月22日に締結した日韓協約より派遣された日本人顧問は、財政の��理や予算編成に関して租税法規を制定し、歳入の確実な増収を図ると共に、旧来の徴税機関による誅求の弊害を正し、宮内府の管理していた租税や専売事業などを政府に移したが、1905年の予算で207万円(現在価値で約414億円)が不足したので、1905年から1909年までの5年間で約2070億円を日本の国家予算(日本人の税金)で補いました。
⑭    また、日本統治時代になって総督府が設立されて、朝鮮の政府として活動を始めましたが各種の費用が不足して、日本から総督府予算の不足分を1910年から1943年まで毎年多額の資金を「補充金」および「公債」として日本から投入し、朝鮮の改革に使われました。『朝鮮総督府統計年報』によれば、「補充金」の合計額は4億6610万7052円で、「公債」の合計額は15億9363万8633円で、総計20億5974万5635円が日本から朝鮮へ支援金として投入されていました。当時の20億円は現在価値に直すと約2万倍となり、約40兆円です。
植民地からは何でも吸い上げるものと一般に思われていますが、朝鮮の場合には逆に日本本土の政府から、日本国民の税金と日本人から集めた資金で、朝鮮の酷い状態を改善する諸施策を実施するために、現在価値にして約40兆円もの莫大な金額が注ぎ込まれていました。これも目に見えない日本が残してきたものであるといえます。
⑮    李氏朝鮮時代には儒学の中の性理学だけが学問と看做され、その反動で仏教は弾圧され、寺は山奥に移り、仏像などは破壊されるかあるいは地下に埋められました。日本の統治時代に日本の考古学者などが総督府と共にそれを発掘し、博物館を創ってここに展示しました。朝鮮に博物館を造ったのは朝鮮人に暗殺された伊藤博文統監でした。この時点でこの博物館の展示品は、朝鮮古来の制度・風俗・宗教・美術・工芸・その他歴史的に参考になるもので、陳列の総点数は1万3375点に達していました。
さらに、総督府は1933年8月8日に「朝鮮宝物古蹟名勝天然記念物保存令」を制定して、朝鮮の文化財や天然記念物が海外に売り飛ばされることを厳禁して、保護しました。捨てられあるいは埋められていた遺物を発掘し、文化財として大切にして保存する考え方は、当時の朝鮮には無く、そして考古学も無く、考古学の専門家も居ませんでした。李氏朝鮮時代と大韓帝国時代には誰も顧みなかった文化財を発掘保存した行為は、日本が残した目に見えないものです。当時の朝鮮人はこの分野に関心が持たれていませんでした。陳列の総点数が1万3375点に達していたことは、朝鮮の発掘された文化財が大切に保存されていたことを物語っています。
⑯    李氏朝鮮時代から大韓帝国時代の初めまでは、学問は儒学が全てでしたが、朝鮮が日本へ門戸を開いて使節団を日本へ送ってから日本並みの学校制度への取り組みが始まりました。しかし、本格的に学校制度が日本並みに整ったのは総督府の教育への熱意と現在価値で14兆円を超える大型投資とを待たねばなりませんでした。日本が朝鮮から撤退した時点では、女性を含めて誰でも学校へ行けるようになり、李氏朝鮮時代のように身分と性別による学習の制限はなくなりました。総督府により朝鮮の僻地にまで教育の手が差し伸べられて文盲をなくす努力がなされ、教育の重要性が朝鮮人に認識され、朝鮮人の学問と知的水準が高まりました。そして、この学校教育は朝鮮人の人的資源の苗床になりました。
⑰    李氏朝鮮時代はまともな貨幣制度がなく、商業や経済の発展の阻害要因になっていました。大韓帝国から顧問として招聘された日本人が指導して貨幣制度と金融体制を整え、朝鮮が発展する基礎ができました。朝鮮は日本統治時代になって貨幣と金融制度が整った近代国家と成りました。この金融制度が整うことで、市場経済のシステムが機能するようになりました。この市場経済システムは朝鮮が日本統治時代になって初めて経験したものであり、日本が撤退した後の現在の韓国の体制の中にも引き継がれたものであるといえます。
⑱    日本が朝鮮と交流を始めた1976年の日朝修好条規が結ばれた頃から日本による併合までの朝鮮は、衛正斥邪運動が盛んであり、朝鮮が世界で一番文明度の高い国との思い上がりがあり、洋夷と倭夷を排斥して朝鮮の対外開放と近代化を阻止しようとする両班と義兵が盛んに活躍した時代でした。日本の統治を経た後は目立った対外排斥運動はなくなり朝鮮は外に向かって目を向けた状態となりました。これは韓国が発展する基礎となりました。
⑲    日本統治時代の初め頃まで、朝鮮の各地に匪賊・草賊が猖獗を極めており、住民は彼らに襲われる恐怖におののいていました。そこで総督府は、朝鮮全土の499カ所に隈なく日本人と朝鮮人からなる憲兵分遣駐屯地を設けると共に、匪賊討伐を行い、朝鮮から匪賊や草賊は消えました。これにより朝鮮の人々は安心して生活できるようになりました。
⑳    ⑳ 日本を見て開化派となった朝鮮の人たちと福澤諭吉の高弟井上角五郎の協力により、朝鮮初の近代新聞(官報)である『漢城旬報』が1883年に刊行されました。これは井上角五郎らが新聞の必要性を訴えて、朝鮮政府の外衛門の顧問となり、外衛門に博文局を設置してもらい、井上の指導と努力のもと発刊にこぎつけたものです。初めは朴泳孝と兪吉濬が居ましたが朴は左遷され、兪は米国に留学してしまったのです。この時に使われた漢字活字は三輪広蔵らが日本から持ち込みました。
 しかし、金玉均の政変の時、博文局は放火され印刷機械が焼かれて、『漢城旬報』は39号を以て、1884年12月に廃刊になりました。
 当時、朝鮮では全ての文書や書籍は漢文でした。それは当時の朝鮮の知識人は、ハングルは真の文字ではないとして馬鹿にしていたからです。そして相変わらず知識人の特権意識としての公式書には漢字(漢文)だけが使われていました。
 実は、ハングル文字の使用は燕山君によって禁止されていました。燕山10年(1504年)7月20日、「今後ハングルを教えるなかれ、学ぶなかれ、また既に学んだ者は用いてはならない。ハングルを知る者をすべて摘告するように漢城市内に発令せよ。それを知りながら報告しなかった者はその隣人と併せて罰する。」とのハングル禁止令が出されました。
 続いて7月22日には「所蔵されているハングル書はすべても焚書せよ」との指令が出されていました。
 1506年には中宗によってハングルを研究する唯一の公的機関である「革諺文庁」を廃止されていました。このことは『朝鮮王朝実録』に明記されている事実です。
 一方、福沢諭吉は朝鮮を文明国にするためには世界で起こっていることを知り、文明開化の意味を知る必要があると考え、ハングル文字の活字を世界最初に発案し、私費でハングル活字を作らせ、漢字・ハングル混じりの新聞の発行と普及に勤めたのです。
 1885年6月、博文局総裁と成った金允植は新聞再刊のために新たな印刷機とハングル活字の購入を井上に依頼し、福沢の門人の井上角五郎は帰国して福沢が造ったハングル活字と印刷機械を買い取って朝鮮に戻りました。朝鮮史上初の、漢字・ハングル混合文を用いた『漢城周報』の創刊号は、このようにして金充植と井上角五郎とによって1886年1月に発行されました。
 ハングル禁止令以来、公的な文書においてハングルが用いられることはありませんでした。しかし、この朝鮮において、政府の関与した新聞にハングル文の記事が採用されたのです。約382年間も顧みられなかったハングルが福沢諭吉と井上角五郎によって蘇ったのです。しかし残念なことに、赤字財政のため博文局が1888年7月7日閉鎖され、2年と6カ月で『漢城周報』は廃刊となりました。
 その8年後の1896年になってようやく、「独立協会」によってハングル文字の『独立新聞』が発行されました。この新聞は福沢諭吉が提唱したのと同じ主旨で、民衆の意識を呼び覚ますために、ハングル文字で発行されました。
 また、日本統治時代の学校の教科書は漢字・ハングル混合文で編成され、これが使われました。それまでは漢字だけの教育が書堂でなされていたのですが、日本の統治時代になって初めて190万人の小学生に対する6年間のハングル文の必須科目としての学校教育によって朝鮮人の識字率が大幅に向上し、文化や産業の発展の基礎になりました。
 現在の韓国の文字ハングルは、約382年間も公式には顧みられませんでしたが、福沢諭吉と井上角五郎によって再び日の目を見るようになったものであるといえます。しかしなぜか、現在の韓国の教科書は、上記の幾つかの大切な事実を完全に隠蔽して、若者に教えていません。
㉑    李氏朝鮮時代の末期まで、病気になると、医師といえる人と病院がなく、病気に対する知識もなかったので、巫女や祈祷師に依存して居たようです。日本統治時代になって医療制度が整いました。『歴史を偽造する韓国』によれば、京城帝国大学の医学部において最先端の知識と技術を持った朝鮮人が1929年から1943年の15年間で237名が卒業したことが記されています。その結果と総督府の努力により、身近に医者や病院ができて医療環境が整い、そこで診てもらうと病気が治るようになると、巫女や祈祷師に依存しなくなりました。
㉒    李王朝時代までの朝鮮は儒教の国でした。儒教は序列が基本です。その序列は儒教の生まれた中国は大中華で朝鮮はそれに次いで「小中華」で、儒教を知らない日本は「蛮夷」であるとして蔑視していました。
 日本の統治時代を通じて朝鮮の小中華思想は完全に消えたと思われましたが、まだ基本的な部分で残っています。例えば韓国では日本の「天皇」を「日王」と表記しています。蔑視していた日本が「皇」と称することは許せないので、皇より下の王の表現にして日本を蔑む侮日の気持ちが、現在でも「日王」の表現を用いさせていると思われます。
 これは日本に対して失礼極まりないことですが、そのことに韓国の人は気付いていなのか、あるいは気付いているからこそ、このような日本を貶める表現を使っているのかもしれません。
㉓    朝鮮では儒教の教えで「親からもらった体を傷つけてはいけないとの思想から、髪の毛は生涯一度も切らない習慣がありました。高宗が断髪令を出したところ、日本人とそのときの金弘集政権へ非難が集中し、国王はそれを撤回して、民衆に近代化の改革を進めていた金弘集総理を殺させました。このような激しい反発があった断髪令ですが、その後自然に髪の毛を切る人が増えて、日本の統治が終わる頃には殆どの人が断髪していました。これは日本が残したものと言えないかもしれませんが、その影響はあったと思います。
㉔    純宗は皇帝就任の3年後に勅諭を発して、日本との併合に踏み切りました。併合条約公布に際し大韓帝国皇帝が公布した勅諭を、朝鮮語の『朝鮮王朝実録/純宗実録3年』の邦訳を、『フリー百科事典Wikipedia』から引用して次に記します。
[皇帝、若(ここ)に曰く、朕否徳にして艱大なる業を承け、臨御以後今日に至るまで、維新政令に関し承図し備試し、未だ曽て至らずと雖も、由来積弱痼を成し、疲弊極処に至り、時日間に挽回の施措望み無し、中夜憂慮善後の策茫然たり。
 此に任し支離益甚だしければ、終局に収拾し能わざるに底(いた)らん、寧ろ大任を人に託し完全なる方法と革新なる功効を奏せしむるに如かず。故に朕是に於いて瞿然として内に省み廊然として、自ら断じ、茲に韓国の統治権を従前より親信依り仰したる、隣国大日本皇帝陛下に譲与し、外東洋の平和を強固ならしめ、内八域の民生を保全ならしめんとす。
 惟爾大小臣民は、国勢と時宜を深察し、煩擾するなく各其業に安じ、日本帝国の文明の新政に服従し、幸福を共受せよ
 朕が今日の此の挙は、爾有衆を忘れたるにあらず、専ら爾有衆を救い活かせんとする至意に出づ、爾臣民は朕の此の意を克く体せよ。
隆煕四年(1910年)八月二十九日 御璽]
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 上の大韓帝国皇帝が公布した勅諭は、新羅の最後の国王が、王子たちや大臣たちの反対を退けて、高麗に降ったときと同じ思いが記されています。純宗の勅諭のアンダーラインを付した部分の記述は、純宗の思いが、新羅の国王が高麗に降ったときと全く同じです。新羅の敬順王にとって隣に高麗があったように、純宗にとって、隣に日本があったのです。これも、日本が朝鮮に残した目に見えない影響だと思われます。
 「韓国併合ニ関スル条約」の協議調印に関する内閣総理大臣李完用への純宗皇帝の全権委員任命状を示します。御璽御名が印されています。
㉕    日本人は朝鮮から引き揚げる時、1000円だけ身に着けることが許されました。その結果、個人と企業などの銀行預金などの金融資産は全部朝鮮の誰かのものになったのです。日本が朝鮮から撤退しても、その時まで朝鮮では日本のお金が通用しており、朝鮮人も朝鮮の企業も、資産はすべて円です。ですから、円の価値を直ちに零にすることは不可能です。日本人が引き上げた後も、何らかの対策が取られるまでは、円の価値は朝鮮では保持されたはずです。その対策が執られても、それは円を変換(交換)する必要があるだけです。日本人が残して来た莫大な現金資産を、朝鮮人の誰かが自分の物にしたのです。
㉖    日本は朝鮮の地に,誰でも自由に活動できる資本主義経済システムを残してきました。1939年時点で、朝鮮に於ける職業別戸数がこのことを示しています。『総督府年報 1941』の「第1章 総説」の「第3節 戸口」によれば、
全戸数   :朝鮮人412万3646戸、 日本人 16万1400戸
農業    :朝鮮人292万5988戸、 日本人    7047戸
水産業   :朝鮮人    6万4355戸、 日本人    2233戸
鉱業    :朝鮮人    7万1532戸、 日本人    5966戸
工業    :朝鮮人  12万2341戸、 日本人    2万6478戸
商業    :朝鮮人  30万2704戸、 日本人    3万0725戸
交通業   :朝鮮人    4万6696戸、 日本人    9146戸
公務及自由業:朝鮮人  14万1572戸、日本人    6万6007戸
その他有業者:朝鮮人  34万6148戸、日本人    6731戸
無職    :朝鮮人  10万2249戸、日本人    7068戸]
 その他の外国人が1万1478戸ありましたが省略しました。農業と水産業と商業の一部の行商人以外の職業は、日本統治時代に生まれた新しい職業であるといえます。農民が冬季に副業としてやっていた家内の仕事は、独立した職業といえる状態ではなかったと思います。1910年の日韓併合を経て、1939年には朝鮮に新しい経済システムができていたのです。このことは、1939年の朝鮮経済が次のように成っていることから明らかです。倍率は1910年比です。
払込資本金:60.9倍12億1187万円(現在価値24兆円)
貿易総額 :40.1倍23億9524万円(現在価値48兆円)
銀行貸出金:36.8倍15億0644万円(現在価値30兆円)
 朝鮮人の誰も特定の職業に就くことを強制されていませんでしたから、これは誰でも自己の能力に応じて自由に参加できる資本主義経済システムであるといえます。この資本主義経済システムへは、朝鮮人が日本人の何倍も多く参加していましたので、日本が朝鮮から撤退しても急に消滅することはないと思われます。
 以上が、日本が1876年に朝鮮と交流を持ってから1945年に撤退するまでの69年間に朝鮮に影響を及ぼして残した無形の事柄です。
 なお、余談ですが、韓国に博物館を作り、韓国人に暗殺された伊藤博文公爵について、この暗殺をした人物を韓国は英雄として称えていますが、殺された伊藤博文公爵の朝鮮に関する考えを紹介したいと思います。
 その一つは、新渡戸稲造の『偉人群像』に、伊藤公爵が語った言葉として、「君、朝鮮人はえらいよ。この国の歴史を見ても、その進歩したことは、日本より遥か以上であった時代もある。この民族にしてこれしきの国を自ら経営できない理由はない。才能においては決してお互いに劣ることはないのだ」いっていたと記されています。このように、伊藤公爵は朝鮮人を高く評価し、併合には反対だと主張していました。そして、日清韓の連帯を唱えていました。日韓併合に反対していた伊藤が暗殺されてしまったために、その後、山県有朋の主導により日韓は併合への道を突き進むことになったのです。
 二つ目は、近年発見された伊藤公爵の明治38年(1905年)11月の日付のメモには「韓国の富強の実を認むるに至る迄」という記述があり、これについて京都大学教授の伊藤之雄は、「伊藤博文は、韓国を保護国とするのは韓国の国力がつくまでであり、日韓併合には否定的な考えを持っていたことを裏付けるものだ」としています。しかし、伊藤公爵は暗殺されてしまいました。残念ながら、これが現実です。
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me4kids · 8 years ago
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【日本 山形縣】純樸好客的山形。最上川遊船,新庄龜綾織,山居倉庫,本間美術館,羽黑山五重塔
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山形,一個位在日本東北靠日本海的縣份,
大部分去那邊不是為了秋天的楓紅,就是看藏王樹冰或滑雪。
十月中旬去,不好意思,二個都沒有。
就連曾經在日本工作過的捲爸哥哥,聽到要去山形就說:鄉下地方這時候有什麼好去?
是啊,山形縣面積有9323平方公里(約1/3台灣大),人口卻只有一百一十萬出頭(山形市就占了1/4)。
可想見我們這一圈所經之處還真是鄉下地方,米,櫻桃,以及西洋梨為著名農產品。
不過,繞了一圈回來之後,收獲也算不少,尤其是對那邊的 "人情" 的體驗感受最深。
雖然是鄉下地方,但也感受最直接道地的日本。
出仙台後一路往北,過大崎之後接47號公路往西,橫越本州島。
這段路基本上跟松尾芭蕉在1702年出版的 "奧之細道"中,記敘他與弟子途經東北的路線是相近的。
所以如果您放大 google map,會看到 "奧之細道" 的中文字樣。
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中途會經過 "鳴子峽",賞楓的著名地點,極美的峽谷,我們卻只能從小巴上眺望無緣下車。
因為我們要在二個小時內趕到最上町,準時搭上二點半出發的遊船。
這艘停在終點的芭蕉丸,不知是否就是當年松尾芭蕉搭的同型船隻。
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最上川,全長229公里,日本三大急流之一。
此處二岸都是天然的杉木,不算高大,但卻很茂密。山也不算很高,水面寬闊。
這條河還有個特點,那就是整條河流域都在山形縣境內,沒有跨到別的縣市。所以又稱為山形的母親之河。
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我們每個團員除了船票之外,還拿到這張有個小國旗的感謝字樣。
應該是之前就預約的緣故,每個人的姓名都工整地打在上面。
最上町這個地方在311的時候應該影響不大,畢竟內陸地區離海嘯很遠,但仍然感恩我們的幫忙。
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使用的船隻很平穩,但需要脫鞋盤腿而坐,對胖子捲爸有點辛苦。
加上舟車勞頓,此時已經有點感到無力,頭昏腦脹。
搭的是扁平船,大多平穩,但有時駛到淺處,底部不時還是會與河底石塊相撞,製造些緊張氣氛。
雖說是三大急流,但似乎不是滿水季節,只覺得有時會 "快" 一點而已。
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折返點有賣點熱食,不用下船,直接拉開窗戶就可以點餐。(船夫很直接地告訴我們,這是他家經營的)
有人點烤香魚,有人喝咖啡。
但最厲害的還是熟門熟路的在地日本人,上船前已經準備好橘子放在桌上慢慢享用。
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我們的中文導遊曾姐,點了一個蒟蒻,她說是這邊的名產,一串好像才80日圓。
全程約一小時,比像像中要快很多。因為船夫一直在說話,回程的時候還會唱點傳統歌謠。
途中他介紹了某個岸邊就是當年阿信的拍攝點,我只看到一片雜草與蘆葦,畢竟年代已久。
最上川芭蕉游船 本社&古口港(戸沢藩船番所)
地址:山形県最上郡戸沢村大字古口86-1
預約網址:http://www.blf.co.jp/
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再開個半小時,天黑前來到一間小屋。這裡是新庄龜綾織傳承協會
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二樓,可以體驗傳統龜綾紋編織法。
我是有聽沒有懂,這邊拉一下,那邊提起來....就這麼一層一層疊成了一張小杯墊。
傳統的龜綾織是用絲綢,加上編織費時費工,所以很貴。體驗的時候用的是毛線,所以體驗費用不貴,500日圓就能做個小杯墊喔。
新庄亀綾織伝承協会
營業時間:早上10:00~17:00
地址:新庄市十日町1509-2
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再過三十分鐘,來到山形新幹線的終點 "新庄車站"。
這外表非常現代亮麗啊,不愧是山形中部的主要大站。
不過,出了站之後就是小鎮一個,與這裡明暗的對比差異甚大。
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站體的左手邊,就是我們拜訪的地標:新庄最上國際漫畫博物館
這裡的 "最上"應該指的不是 "最棒" "最好" 的意思,而是這裡的地名 "最上"。
站體挑高的大廳,高掛著一幅大型風箏,剛看到還會嚇一跳呢。
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"博物館" 本身其實是在尾端,並不算大,也只有一層。
但是懂日本的漫畫迷應該會在這找到喜歡的東西。
捲爸只隱約記得年輕時喵過的幾本灌籃高手,以及現在跟小朋友一起看的柯南,其餘什麼都不懂。
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新庄,據說是日本漫畫家密度最高的地方。
因為冬天下雪太多沒地方去,只好在家裡畫漫畫。(導遊說的....)
館中所展出的也以新庄出身的幾位漫畫家作品為主,像是富檻義博,岡田理知,阿部 yutaka
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這位捲爸就熟悉了,他是妃小亮的最愛,怪盜基德。
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裡面的漫畫是讓你看到飽的,場地也十分舒適,有點像圖書館。
對這幾位漫畫家有興趣的朋友,可以看到他們的真跡作品一定會很高興。
新庄・最上漫畫博物館
營業時間:早上09:00~18:00
地址:新庄市多門町1-2 (新庄火車站裡)
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晚餐,要吃吃新庄在地著名的 "雞燴麵"。
其實離車站也不遠,但在巷子裡加上街道有點昏暗,自己可能不好找。
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老闆很有耐心地等我們點完十多人的餐點,知道是台灣團 (嘰嘰喳喳一堆),還特別加麵加蛋不用錢。
所以每個人都有一碗無敵飽滿,口味不同的雞燴麵。
上面這碗是捲爸的,根本就吃不完啊。湯頭還是有點鹹...麵條粉粉的口感很不一樣喔。
新旬屋麺新庄若葉町店
Shinshun'yamen Wakaba Shinjo-cho shop
營業時間:10:30–14:30, 16:30–21:00 週二公休
地址:9-33 Wakabamachi, Shinjo, Yamagata Prefecture 996-0025日本
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其實昨晚那碗麵根本沒吃完,因為捲爸得了重感冒。
迷迷糊糊喝了二罐藥水,第二天早上才發現自己在一間旅館醒來。(還好旁邊沒躺著陌生人....)
這就是新庄市區,位於九樓的房間幾乎已經是最高的樓層。
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次日驅車來到羽黑山遊客中心,體驗一下最傳統的山岳信仰,本次日本東北行重頭戲。
身著白服的在地嚮導,吹著海螺出發了。
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這裡就是著名的羽黑山入口。(其實就在馬路旁邊啦,感覺起來好像在深山裡)
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嚮導解釋了什麼是 "出羽三山"。
這是山形縣內三座山的總稱:分別是羽黑山(414M),月山(1984M)以及湯殿山(1504M)
這三座連在一起的山形,分別代表 "現在","過去" 以及 "未來"。
所以你若能走上一遭,就能體悟人生的道理。
為什麼要穿著白衣?其實這是死人穿的衣服。
穿著它,代表你有對此生抱著必死覺悟的信念,才能走這段修練之旅。
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說著說著,就有一群著白衣的修練者也要出發了。
當天可是下著毛毛雨的陰冷天,修練者當然無法使用雨具,只有一根木杖。
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一開始並不是往上爬,而是往下走。底部是幾間小神社,代表死後審判你的地獄。
難怪這幾間有點陰森.....
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然後跨過這座紅色的神橋,就進入了神界。
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橋上就可望見瀑布下的小神社,參拜一下就可以正式出發
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瀑布的水是來自于溶化的雪水,在天氣比較適合的日子裡,著白衣的修練者會泡在這裡,算是進入神界的淨身儀式。
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   走個一二百公尺緩坡,這裡有顆巨大的千年樹爺爺特別顯眼,因為周圍其它的樹齡都明顯小很多。
從前有棵樹奶奶在旁邊陪它,現在更顯寂寞。
這個角度是最棒的,因為也可以照到後面的五重塔。
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 即將到達日本國寶,羽黑山五重塔。
全部都是用原木製成,沒有用到一根釘子。而且據今已經有600年歷史。
中間用了一根原木貫穿,算是最原始但也最有效的防震技術,
讓這近30公尺高的巨塔在地震頻繁的日本安然無恙這麼多年
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 更特別的是,每層塔的寬度都差不多,並非上小下寬那種,所以建築工藝又更困難了一些。
之所以如此,是怕冬天的積雪會壓垮,所以將最上方的屋頂做大一些,分散雪落到其它塔層增加重量。
每年春天都要派人上去除積雪,據說落地的聲音還能在山谷中產生回音呢。
我想,這裡冬天應該是不會有人來的。
所以積雪一層又一層往上蓋,那又會是極少數人才能看到的奇觀。
因為下雨,所以我們的行程只到五重塔。不然,就得去爬將近 2500 階的石梯到羽黑山頂。
你說這是好是壞?省了點力氣,但下次來的機會又是何時?
我想是山神覺得我們悟性不高,根本還沒有決心領會生與死的交關,還是留我們在俗世吧。
羽黑山 出羽三山神社
地址:山形県鶴岡市羽黒町手向字手向7
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原本導遊的安排是,讓大家爬完山好好補充體力,所以午餐安排得特別一些。
沒想到這群懶鬼,根本沒流什麼汗,就可以吃到好料。
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這裡是平田牧場,在地有名的炸豬排店。主打的是 "金華豬"。
我本來以為這只是當地的小吃,回國後一查,哇,這家還曾經是料理東西軍的 "特選素材" 之一呢。
平田牧場就在山形縣庄內,那我們來的這間有可能就是本店了喔?? 
東京等大都市也看得到平田牧場的分店,沒想到我們直接殺到總部來了。
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 這豬肉的厚實程度實在很棒,咬勁十足又沒什麼豬味,外皮也非常酥脆好吃。
只不過當下不知道它的名氣,囫圇吞棗地嗑完了。
其實當天我們有點遲到,外面排了約15位老先生老太太在等位子。
看到我們一群 "年輕人" 就這麼走了進去,實在有點不好意思。
所以大家都吃得非常快....趕緊讓位子出來
 平田牧場とんや Hirata Bokujo Tonya
營業時間:11:00–15:00, 17:00–21:00
地址:山形県酒田市みずほ2-17-8 ガーデンパレスみずほ1F
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  酒田市,從地名就知道這裡盛產各式米酒。
做米酒要有好米,山形縣也是東北地區的米倉之一,提供關東關西地區充足的糧食。
在這接近最上川的出海口,就有一個百年的山居倉庫,用來儲存來自上中游的稻米。
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這裡之所以有名,除了它的稻米儲藏功能之外,是因為旁邊高大的櫸木林道實在太漂亮。
這裡也是當初阿信取景的所在。
之所以種櫸木,是希望它高大的樹影能提供穩定的溫度與濕度,
沒想到種柳成蔭,遊客著迷的是它們夢幻般的橘紅色調。
呵呵呵,我們去的時間不對,沒有浪漫的紅葉,還飄著毛毛細雨,所以沒什麼美感。
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山居倉庫以前像個小島,利用四方的水路將米運過來。所以會看到這種小型碼頭,還有當時用的船隻。
山居倉庫
地址:酒田市山居町1-1-20
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接著來到十分鐘車程外的本間美術館。
出發前看到行程表,就覺得這一定不是什麼有趣的地方。
本來就沒什麼美術天份,還要到小地方來一個沒聽過的美術館?
沒想到,這裡面充滿了驚奇。
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沒想到館長田中章夫親自出來迎接!!! 
當時他穿著西裝,頂著超有藝術氣息的髮型,完全是職人世界的代表
原本還有距離感,沒想到田中館長愈來愈親民,也愈來愈搞笑,一定要找出照片和大家分享。
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本間美術館是日本戰後第一間私立的美術館,展示山形縣大地主本間家的收藏品。
本間家當時靠著運送農產品到關西的生意而發達了起來,但並沒有因為有錢而財大氣粗。
相反地,他替酒田地區的居民開發了生計,並且辦教育等等,是個有錢卻熱心鄉里的大好人。
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 這裡收藏了許多浮世繪作品
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當時可是沒有電視與網路的啊,所以你要知道遠方的情況,只能經由他人口述。
所以浮世繪裡有一派專門將遊記的所見所聞畫出來,用視覺來傳達異地的人文與風情。
上面這張,就是歌川廣重對山形縣最上川的描繪。各位可以往上翻一下照片,是不是很像呢?
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這張是明治三年,新政府命令東本願寺的現如上人到北海道見聞的畫作。一共十五幅。
一系列從自然,人文,農作到日常生活都有,也因為圖像,開啟了日本對開發北海道的興趣。
明治二年,原來被稱為蝦夷地才正式被改名為北海道。
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本間美術館除了展覽品,另一個亮點就是當初本間家的別墅也開放給大家參觀。叫做 "清遠閣"
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田中館長特別去拿了鑰匙,為我們打開了只有天皇或藩主才能通過的大門。
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清遠閣二樓的視野。我所站的後方還有個小小的禮品販賣部。旁邊還有幾組明代的古董家具。
參訪當天只以為這些桌椅是古董而不敢碰,沒想到回來一查,那裡居然是個小喫茶室。
一份咖啡或抹茶配上和菓子只要500日圓,就可以享有當初蕃主才有的特權。若您有機會到訪請別錯過。
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清遠閣三不五時也會有很棒的藝術品在此。這個就是維新大將西鄉隆盛的書法。
雖然他沒有留下照片,但憑幾張畫像可以得知西鄉非常魁梧雄壯,如此狂放的字體也算見字如見人。
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三樓的景色。日系庭園的美,從這個角度看得最清楚。
東西南北方向所種的植物與擺放的石頭,都有其意義。
尤其是這個方向,正對著酒田地區的鳥羽山,可惜今天看不到。遠近借景的造園工藝真的非常細心。
三樓本來是沒有的,大正十四年為了迎接東宮殿下(後來的昭和天皇)的到來而加蓋的。
這裡有面 "牆",特別沾上了金箔,不同的光影會有浮雲的影子跑出來。
館長不斷強調本間家並不是個浮誇的人,但他在選材與做工方面,的確有高於一般水平的要求。
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這個花園也有個名字 "鶴舞園"。相傳是建造當時有隻鶴飛了過來。
從鶴舞園中央回望清遠閣,真的很漂亮。
 本間美術館
營業時間:早上09:00~16:30
地址:日本〒998-0024 Yamagata Prefecture, Sakata, Onaricho, 7-7
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因為早上沒有爬羽黑山,所以我們的行程提早了一個鐘頭到下榻酒店。
沒想到,幾乎所有的工作人員都在門口迎接,還揮著中日二國國旗。當下很感動.....
早早進入超級迷你的房間,還好窗簾一拉開,清新的酒田街景讓空間沒那麼擁擠。
這間酒店應該也是酒田市的最高建築.....
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雖然規格上比較傳統,但地方上若有宴會或結婚,有可能還是會選這裡。
我們受邀參加六點的 "宴會",其實主客就是我們一群十多人,酒店幾乎全員出動招待。
當然,舞台上那幅國旗是很醒目的。
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酒店特別將酒田的地方特色小吃搬了上來,像是個小夜市。
有棉花糖,章魚燒,可樂餅,酒田燒,還有一攤是東北地震後災民所想出來的煮食方法。
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這位師傅當場料裡了二條魚,示範生魚片的做法
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  這位是飯店主廚,親自下來為我們做 "酒田咚咚燒"。
只不過手下似乎給錯了麵糊,讓他慌了手腳,看他緊張的臉,似乎在說 "我可不能在貴客面前漏氣"
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當然,除了夜市小吃,還有主食,再加碼流水麵線,新鮮水果(柿子與麝香葡萄無敵美味)等等。這一餐吃的東西實在非常多。
對我們這群常常吃大餐的部落客,老實說,餐點並不算頂級美味,像那塊牛排的醬汁就有夠鹹.....
但讓我感動的是,這間酒店的認真態度。
年輕的社長主動出來打招呼,並且詢問哪裡可以改進。年輕的服務生,盡了一切辦法對我們說英文。
我在這邊看到了大都市裡的日本人所沒有的客氣,以及來自內心的真誠。
大家都知道的,日本人常過於禮貌而善於隱藏。但我並不覺得酒田,或是整個在山形接觸過的朋友有這種毛病。
相反地,他們身上似乎有股比傳統還傳統的天真,跟都市人有很大的差異。
 酒田市豪華花園酒店
Hotel Rich&Garden Sakata
地址:1 Chome-1-1 Wakatakecho, Sakata, Yamagata Prefecture 998-0834日本
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最後一天,二個半鐘頭要從鶴岡一路沿著山形自動車道趕回仙台機場,約130公里的路途,等於從日本海奔回太平洋側。
此時看到山頭才開始有點紅葉.....
沒關係,反正我這次的收穫很多,下次有機會再來。
 💁 日本仙台、山形縣五天四夜行程:
Day1 ✅ 桃園 ▶仙台機場 ▶仙台車站 毛豆小街▶津田鮮魚店 ▶仙台市日航城市酒店(點我看房價)
Day2 ✅ 早餐 ▶ J-Connection Space 和服/書法/七夕手做飾品體驗 ▶六丁目農園中山店(午餐)▶仙台大觀音 ▶仙台泉Premium Outlet ▶ 仙台皇家公園酒店(點我看房價)▶【飯店瑜珈體驗+露營芋煮鍋體驗(晚餐)】
Day3 ✅ 早餐 ▶越野腳踏車/原木採香菇體驗  ▶牛仁仙台泉店(午餐:仙台牛燒肉)▶最上川芭蕉游船 ▶ 新庄龜綾織▶新庄最上國際漫畫博物館▶新旬屋麵(晚餐:雞燴拉麵)▶新格蘭飯店(點我看房價)
Day4 ✅ 早餐 ▶羽黑山 五重塔 ▶平田牧場 酒田店(午餐)▶山居倉庫 ▶本間美術館 ▶海港市場(酒田)▶ 酒田豪華花園酒店(點我看房價)
Day5 ✅ 早餐 ▶鶴岡加茂水族館 ▶鶴岡文化市場FOODEVER ▶仙台機場 ▶桃園機場
 💁感謝
仙台市 https://www.city.sendai.jp/
山形縣 http://yamagatakanko.com/
H.I.S三賢旅行社 https://goo.gl/WQlO4E
原文出處:【日本 山形縣】純樸好客的山形。最上川遊船,新庄龜綾織,山居倉庫,本間美術館,羽黑山五重塔
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honyade · 5 years ago
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藤森照信 × 門井慶喜トークイベント&サイン会 『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』(平凡社)刊行記念
建築史家であり、複合施設「ラ コリーナ近江八幡」や「多治見市モザイクタイルミュージアム」など斬新な施設を生み出す建築家・藤森照信さんの新刊書籍『藤森照信 建築が人にはたらきかけること』(平凡社)の刊行を記念した対談&サイン会を開催いたします。
対談ゲストには小説家の門井慶喜さんをお招きします。 門井さんは東京駅を設計したことで知られる建築家・辰野金吾の野心と葛藤を描いた新刊『東京、はじまる』(文藝春秋)を藤森さんとほぼ同時期に刊行されます。
建築家と小説家という、立ち位置の異なるお二人によるジャンルを越えた建築トークをお楽しみください。
[対象書籍のご紹介] 『建築が人にはたらきかけること』藤森照信著 老舗菓子メーカーの複合施設やモザイクタイルミュージアムなど、斬新な施設を生み出す建築(史)家の著者が語る人生と独自の文明観。
『東京、はじまる』門井慶喜著 江戸から東京へ。急速に近代化する街の形を決定づけた建築家・辰野金吾。今日につながる景色を創った男の野心と葛藤を描き出す。
[参加条件] 銀座 蔦屋書店にて下記の商品をご購入いただいた方にご参加いただけます。 ・イベント参加券 1,500円/税込 ・イベント参加対象商品書籍『建築が人にはたらきかけること』藤森照信著 2,260円/税込(うち書籍代 1,760円) ・イベント参加対象商品書籍『東京、はじまる』門井慶喜著 2,480円/税込(うち書籍代 1,980円)
[申込方法] ・店頭 ・お電話 03-3575-7755 ・オンラインショップ ※オンラインショップでの受付は2020年03月03日(火)午前10時の受注分までとさせていただきます。
[注意事項] *参加券1枚でお一人様にご参加いただけます。 *イベント会場はイベント開始の15分前から入場可能です。 *当日の座席は、先着順でお座りいただきます。 *イベント参加者によるイベントの模様の撮影、録音、記事化はお断りしています。 *参加券の再発行・キャンセル・払い戻しはお受けできませんのでご了承くださいませ。 *止むを得ずイベントが中止、内容変更になる場合があります。
【プロフィール】 藤森照信 (ふじもり てるのぶ) 1946年、長野県生まれ。建築史家・建築家。 東京大学名誉教授、東京都江戸東京博物館館長。 専門は日本近現代建築史。 著書に『建築探偵の冒険・東京篇』(サントリー学芸賞、ちくま文庫)、『明治の東京計画』(毎日出版文化賞、岩波現代文庫)、『日本の近代建築』上・下(岩波新書)、『人類と建築の歴史』(筑摩書房)など多数、近著に『近代建築そもそも講義』(共著、新潮新書)などがある。 1991年、45歳のときに神長官守矢史料館で建築家デビュー。 熊本県立農業大学校学生寮で、2001年日本建築学会賞作品賞を受賞。 ほかに自宅タンポポハウス、ニラハウス、高過庵、低過庵、多治見市モザイクタイルミュージアム、ラ コリーナ近江八幡などがある。 建築に自然を取り込む美学を探求し続ける。
門井慶喜 (かどい よしのぶ) 1971年群馬県生まれ。 2003年「キッドナッパーズ」でオール讀物推理小説新人賞を受賞。 16年『マジカル・ヒストリー・ツアー』で日本推理作家協会賞(評論その他の部門)を受賞。18年『銀河鉄道の父』で直木賞を受賞。 著書に『屋根をかける人』『家康、江戸を建てる』『定価のない本』『自由は死せず』などがある。 他、近代建築を訪ね歩くルポ『ぼくらの近代建築デラックス!』(万城目学氏との共著) 、エッセイ集『にっぽんの履歴書』、新書『徳川家康の江戸プロジェクト』、ビジュアルブック『日本の夢の洋館』(写真・枦木功)、本郷和人氏との対談『日本史を変えた八人の将軍』など幅広く活躍する。
会期 / 2020年03月04日(水) 時間 / 18:30~20:00 場所 / BOOK EVENT SPACE 主催  銀座 蔦屋書店 定員 / 60名 問い合わせ先 / 03-3575-7755 協力 / 平凡社/文藝春秋
チケットのご予約はこちら オンラインショップでの受付は2020年03月03日(火)午前10時の受注分までとさせていただきます。
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kuzo-fudosan · 6 years ago
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群馬を知る♪
秋晴れの中、富岡市にあるもみじ平総合公園の中の群馬県立自然史博物館へ行ってきました。 お天気が良く、車外に出ると枯れ葉の匂いが混じったすっきりとした空気が とても心地良くもありました。
『地球の生い立ち、自然と生命の進化の歴史、群馬県の自然と環境について楽しみながら学べます。貴重な恐竜の標本を展示する国内屈指の博物館』
と言うだけあって、建物もとても大きく恐竜好きな方にはたまらない博物館だと思いました。
恐竜、めっちゃ大きくて口アングリ! こんな大きな生き物が昔は居たんですねぇ~~。
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シロクマ君もでっかい!!
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うーん…考えさせられますね。
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近くにはススキと眼鏡橋の様な風情のある橋のある池がありました。 釣り人さんがお一人いたかな。
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ゆっくりのんびりできる公園でした。
片貝
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kiritsuaiko · 6 years ago
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群馬県立自然史博物館ミュージアムショップにて、kiritsuaikoの指輪のガチャガチャ(全5種 300円)の販売が始まりました!
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