#羽中文字: 卯金
Explore tagged Tumblr posts
Text
"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF QIN SHI HUANG
的是不我一有大在人了中到资要可以这个你会好为上来就学交也用能如文时没说他看提那问生过下请天们所多麽小想得之还电出工对都机自後子而讯站去心只家知国台很信成章何同道地发法无然但吗当於本现年前真最和新因果定意情点题其事方清科样些吧叁此位理行作经者什谢名日正华话开实再城爱与二动比高面又车力或种像应女教分手打已次长太明己路起相主关凤间呢觉该十外凰友才民系进使她着各少全两回加将感第性球式把被老公龙程论及别给听水重体做校里常东风您湾啦见解等部原月美先管区错音否啊找网乐让通入期选较四场由书它快从欢数表怎至立内合目望认几社告更版度考喜头难光买今身许弟若算记代统处完号接言政玩师字并男计谁山张党每且结改非星连哈建放直转报活设变指气研陈试西五希取神化物王战近世受义反单死任跟便空林士台却北队功必声写平影业金档片讨色容央妳向市则员兴利强白价安��特思叫总办保花议传元求份件持万未究决投哪喔笑猫组独级走支曾标流竹兄阿室卡马共需海口门般线语命观视朋联参格黄钱修失儿住八脑板吃另换即象料录拿专远速基帮形确候装孩备歌界除南器画诉差讲类英案带久乎掉迷量引整似耶奇制边型超��虽怪飞始品运赛费梦故班权破验眼满念造军精务留服六图收舍半读愿李底约雄课答令深票达演早卖棒够黑院假曲火准百谈胜碟术推存治离易往况晚示证段导伤调团七永刚哥甚德杀怕包列概照夜排客绝软商根九切条集千落竟越待忘尽据双供称座值消产红跑嘛园附硬云游展执闻唱育斯某技唉息苦质油救效须介首助职例热毕节害击乱态嗯宝倒注停古输规福亲查复步举鱼断终轻环练印随依趣限响省局续司角简极干篇罗佛克阳武疑送拉习源免志鸟烦足馆仍低广土呀楼坏兵显率圣码众争初误楚责境野预具智压系青贵顺负魔适哇测慢怀懂史配呜味亦医迎舞恋细灌甲帝句属灵评骑宜败左追狂敢春狗际遇族群痛右康佳杨木病戏项抓徵善官护博补石尔营历只按妹里编岁择温守血领寻田养谓居异雨止跳君烂优封拜恶啥浪核聊急状陆激模攻忙良剧牛垒增维静阵抱势严词亚夫签悲密幕毒厂爽缘店吴兰睡致江宿翻香蛮警控赵冷威微坐周宗普登母络午恐套巴杂创旧辑幸剑亮述堂酒丽牌仔脚突搞父俊暴防吉礼素招草周房餐虑充府背典仁漫景绍诸琴忆援尤缺扁骂纯惜授皮松委湖诚麻置靠继判益波姐既射欲刻堆释含承退莫刘昨旁纪赶制尚艺肉律铁奏树毛罪笔彩注归弹虎卫刀皆键售块险荣播施铭罗汉赏欣升叶萤载嘿弄钟付寄鬼哦灯呆洋嘻布磁荐检派构妈蓝贴猪策纸暗巧努雷架享宣逢均担启济罢呼划伟岛歉郭训穿详沙督梅顾敌协轮略慧幻脸短鹰冲朝忍游河批混窗乡蛋季散册弃熟奖唯藏婚镜紧猜喝尊乾县伯偏偷秋层颗食淡申冠衣仅帐赞购犯敬勇洲束斗徒嘉柔绩笨拥漂狮诗围乖孤姓吸私避范抗盖祝序晓富译巨秀馀辉插察庆积愈端移宫挥爆港雪硕借帅丢括挂盘偶末厅朱凡惊货灭醒虚瑞拍遗忠志透烈银顶雅诺圆熊替休材挑侠鸡累互掌念米伴辅降豪篮洗健饭怜疯宏困址兮操临骗咧药绿尼蔡玉辛辈敏减彼街聚郎泡恨苏缩枢碰采默婆股童符抽获宇废赢肯砍钢欧届禁苍脱渐仙泪触途财箱厌籍冰涛订哭稳析杰坚桥懒贤丝露森危占茶惯尘布爸阶夏谊瓶哩惨械隐丰旅椰亡汽贝娘寒遭吹暑珍零刊邮村乃予赖摇纳烟伦尾狼浮骨杯隔洪织询振忽索惠峰席喵胡租款扰企刺芳鼠折频冒痴阴哲针伊寂嘴倚霸扬沉悔虫菜距复鼓摩郑庄副页烧弱暂剩豆探耐祖遍萧握愁龟哀发延库隆盟傻眉固秘卷搭昭宁托辩覆吵耳閒拨沈升胖丁妙残违稍媒忧销恩颜船奈映井拼屋乘京藉洞川宪拟寝塞倍户摆桌域劳赚皇逃鸿横牙拖齐农滚障搬奶乌了松戴谱酷棋吓摸额瓜役怨染迫醉锁震床闹佩牠徐尺干潮帽盛孙屁净凯撞迴损伙牵厉惑羊冬桃舰眠伍溪飘泰宋圈竞闪纵崇滑乙俗浅莲紫沟旋摄聪毁庭麦描妨勒仪陪榜板慕耀献审蟹巷谅姊逐踏岸葛卧洽寞邦藤拳阻蝎面殊凭拒池邪航驱裁翔填奥函镇丌宽颇枪遥穹啪阅锋砂恭塔贺魂睛逸旗萨丸厚斋芬革庸舒饮闭励顿仰阁孟昌访绪裕勿州阐抢扫糊宙尝菩赐赤喊盗擎劝奋慈尽污狐罚幽准兼尖彰灰番衡鲜扩毫夸炮拆监栏迟证倾郁汪纷托漏渡姑秒吾窝辆龄跌浩肥兽煞抹酸税陷谷冲杜胸甘胞诞岂辞墙凉碎晶邱逻脆喷玫娃培咱潜祥筑孔柏叭邀犹妻估荒袋径垃傲淑圾旦亿截币���妇泥欺弦筹舍忌串伸喇耻繁廖逛劲臭鲁壮捕穷拔于丑莉糟炸坡蒙腿坦怒甜韩缓悉扯割艾胎恒玲朵泉汤猛驾幼坪巫弯胆昏鞋怡吐唐悠盾跃侵丹鑑泽薪逝彦后召吕碧晨辨植痴瑰钓轩勤珠浓悟磨剪逼玄暖躲洛症挡敝碍亨逊蜜盼姆赋彬壁缴捷乏戒憾滴桑菲嫌愉爬恼删叹抵棚摘蒋箭夕翁牲迹勉莱洁贪恰曰侨沧咖唷扣采奔泳迹涯夺抄疗署誓盃骚翼屠咪雾涉锺踢谋牺焦涵础绕俱霹坜唬氏彻吝曼寿粉廉炎祸耗炮啡肚贡鼻挖貌捐融筋云稣捡饱铃雳鸣奉燃饰绘黎卷恢瞧茫幅迪柳瑜矛吊侯玛撑薄敦挤墨琪凌侧枫嗨梯梁廷儒咬岚览兔怖稿齿狱爷迈闷乔姿踪宾家弘韵岭咦裤壳孝仇誉妮惧促驶疼凶粗耍糕仲裂吟陀赌爵哉亏锅刷旭晴蝶阔洩顽牧契轰羞拾锦逆堕夹枝瓦舟悦惹疏锐翘哎综纲扇驻屏堪弥贯愚抬喂靖狠饼凝邻擦滋坤蛙灾莎毅卒汝征赠斗抛秦辱涂披允侦欲夥朗笛劫魅钦慰荷挺矣迅禅迁鹿秤彭肩赞丙鹅痕液涨巡烤贱丈趋沿滥措么扭捉碗炉脏叔秘腰漠翅余胶妥谣缸芒陵雯轨虾寸呦洒贞蜂钻厕鹤摔盒虫氛悄霖愧斜尸循俩堡旺恶叉燕津臣丧茂椅缠刑脉杉泊撒递疲杆趁欠盈晃蛇牡慎粒系倦溜遵腐疾鸭璃牢劣患祂呈浑剂妖玻塑飙伏弊扮侬渴歪苗汗陶栋琳蓉埋叡澎并泣腾柯催畅勾樱阮斥搜踩返坛垂唤储贩匆添坑柴邓糖昆暮柜娟腹煮泛稀兹抑携芭框彷罐虹拷萍臂袭叙吻仿贼羯浴体翠灿敲胁侣蚁秩佑谨寡岳赔掩匙曹纽签晋喻绵咏摊馨珊孕杰拘哟羡肤肝袍罩叛御谜嫁庙肠谎潘埔卜占拦煌俄札骤陌澄仓匪宵钮岗荡卸旨粽贸舌历叮咒钥苹祭屈陋雀睹媚娜诱衷菁殿撕蠢惟嚣踊跨膀筒纹乳仗轴撤潭佛桂愤捧袖埃壹赫谦汇魏粹傅寮猴衰辜恳桶吋衫瞬冻猎琼卿戚卓殖泼譬��刮斌枉梁庞闽宅麟宰梭纠丛雕澳毙颖腔伫躺划寺炼胃昂勋骄卑蚂墓冥妄董淋卢偿姻砸践殷润铜盲扎驳湿凑炒尿穴蟑拓诡谬淫荡鼎斩尧伪饿驰蚊瘟肢挫槽扶兆僧昧螂匹芝奸聘眷熙猩癢帖贫贿扑笼丘颠讶玮尹詗柱袁漆毋辣棍矩佐澡渊痞矮戈勃吞肆抖咳亭淘穗黏冈歧屑拢潇谐遣诊祈霜熬饶闯婉致雁觅讽膜挣斤帆铺凄瑟艇壶苑悬詹诠滤掰稚辰募懿慨哼汁佬纤肃遨渔恕蝴垫昱竿缝蹈鞭仆豫岩辐歹甄斑淹崎骏薰婷宠棵弓犬涂刹郁坎煎螺遮枯台昔瘾蒂坠唔瞎筝唇表吁冤祷甩伞酱范焉娇驼沦碳沾抚溶叠几蜡涌氧弦娱皓奴颓嘎趟揭噹剥垦狭魁坊盐屎郝佩摧栗菊瘦钧匿砖嘘缚嘟盆债霞挽逍畔蕴颈获畏喂脾姬赴囊噪熄锡诀肇璋晕浊伐峡窃枕倘慌垮帕莹琦厢渺脏削锣虐豔薇霉衍腊喧娶遂睁裙韦矢伺钉婴蓄奸廿堵葬蓬鸦尝挨蕾璿挚券厨醇呻霍剃浆葡暨滨履捞咕耕棉烁尉艰妓棺鹏蒸癌纬菌撇惩绑甫崩魄拂汰氓歇萝呒萄蕃曝疋向胏烛腻襄妆髓朴薯颂薛滩橘贰嘲叹枚侮豹巢酬碑翩蚕辽矿屡谴卵撰攀肌冯宴盏阪浦迦颁炼尬胀辟艘株只湘饲爹梨喽侍疫雕黯并铝弗爪鄙钗栽狸谘柄悸喉擅劈秉芷裸锵贾逗寓咚璞烫铅啸炳屿竖惶仕挪栅迄顷窄鸥鲢郊倩兜茧磊抒夷绰溯拙僚芙杖溃凶鸽妒沌祺呐卦聆栖蝇佮唾汇楣匠蛛悼舜耿瞄芋瞒竭茵吼苛浸拯克豆沛掠廊凸搅俺酌倡朦蕉暱焕掏蝉焰狄绳惰芽裹宛御赎燥滔贬悍袂坟颉啤押尴颤钝腥缔粮哑槟簿斧肿纶僵齣辖蹲敷喘扎酿佑肖愈隧嗜檬迳碌襟凋圭寇污哨倪筠桦诈姜旬秃脂噢撼衅庚炫谭惭涩崔贷胡晒琉捏绮膝拭暗醋膨杠鑫瀑喃剖袜逾涅扳惘凳呃掘捍榔窍蜗旷梵暇稻柠抉辗蔚钩卜莺匡蜘祯哔窟亟谛溢黛晦伶逮傍葱刁堤恍���谍禧轿耸瀚斐忿泓拐驴罕沫绽刃窈渝仄瑛葵噜绣奕窥浏隶蔽仟敛丞诘鳖疤膏锥窕皱晰晖舅孰煽姚钞袱绊焚芦咸沮呕瞪淳丐茹盘菱篠涕衬蚀溉瑄翟怠钰躯肺掷丑奢荫靶纱芸佰峻阱哄肾庄囡阑戳腕菸凹蟾蒐呱巾雏螃盯馈垄毓犀逞姨穆樵阀弥跷搁隙疵憧忏琨阙萱怅辄搏榕饥捣渣眺虞俯绅谤珑咫俏淆蜀楠乞诅匀貂寰迋敞跪囚溺骆憬苇脊瑶疆乍杆眸窜孽卅夭簧徘馒趴鎚啼冗缉絮啄沸萃嘶鸳禽惫徨屐舆邂掀嫖苟檯矫铎棱哗徊拱蕙徬滞吠妞氾芹叩朽侪赦汐丰虔茅棠仑膳魉儡鸯懦渗邵筱畜崖瑕蕊揣擒挂屯莽矽侏弧澈饺奎裘塌饵偎泻蔓彗樽衔茍磋萎廓悯铸茎歼壤浇蚤恃瞻拚汀椒嚼粥磅佫勘脖吨澜锻笙厄嚷伽徽隅寥缤簾烘茜驯噎厦闰煤链锈诫颊俐曳蓓暧郤淌喀昆蔑峙躁菇逅雇殴泌酥缮莓辕骇巍糗扛杏茁琵礁秽岔僻焊嗡诵瞌捌遁赃涡琮卯锯扔苏邹莅隘蹋湛昼岫蛰桩藐汲禄皂濑绒耽粪粤卤曜懋咎痘聂垢瞳闵睿跤鉴躬斟淇莒毯幸骋岱庐殃橄恤叽鳞蒙芥榄楷硫苔麒椎禹喙厘袅亥倌吭诃裔梓蓦岩帜瓣狡惕蒙怯嫩龚嚎豚埠暸唆妃瓢蹄厮讥啃琶愿噱狷搪氢橙咆靡砌筷兑溼呸镀踹冢祟懈术搓攸橡膛俞祉冀炊瓷遐揽鹭茄蜢塘郡韬挟牟糙阎旻赘霆呎炭霄媳瘤猿颺煚铠蝠钜苓傀烬墅璇困愣恬嫉琐嫂淼梳憎搂藻酵屉陡摺箫飨桐蚱曦璧偈蹦昶咙铮嗤戌屌耘裳啾嵘胺笃烹巩厝疚鸶汹蔷沐咽烙畸讳揍曙铐朔涓睬矶岐凄鲫楞鲤荆偕徜饥肮蔼辙恁霈诛鞠茉煜傭嗓酹昙铨艳绷峨揉珈鹃诲臆焰隽熔堇韧扒憨舵肛戊坝抠骷碘鞍冕榨肘羔哺霓巳铲蚵惆驹撷稽羹纺蜕趾吊豁褪癸眨臻慷蝙胧沼舱柚抨葭枷靥硝绚绞缆讪褚砗嫣蒲丫鹦蒹憩懊聋盎婊盔峦矜凛铺鹉蜴惚畴羁媛堑泛疮韶憋祁诟搔蜥袒奄忱玖拌悴祠扼髅筑蛤茱骐捶须亢葔艸筛岳岳慵戮跎砰仑炜篱笈瘫吏痊庶厥棘娑沁窘鲸缕硷俨栈蔬鸠闲迢恣昀泠涟眩噫娥荼鳄镖侃虏俾樟榴咛炬窦笠翱莘躇翡姜枭匕藩徉觞拣吱皈墉傌梢巅踌萌幌杭侥栾奠痲夸瘖芯蟀驿耨禾瑾
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
200K notes
·
View notes
Text
歷史文物
虎年話中國歷史上的“虎符”
更新: 2010年04月11日 8:52 AM
虎為百獸之王、山林之王,虎的形象威風凜凜,自古以來就被視為神靈之物。我國古代對虎的形象十分崇拜,特別是在軍事上,古代皇帝調兵遣將用的兵符,用青銅或者黃金做成伏虎形狀的令牌,稱為虎符。
虎符的形制和使用
符是古代軍事調遣、命令傳達的重要憑證。早在周代時就已用之。最初的符以竹子制作而成,後來用金屬制成,形狀也由竹節逐漸多變為虎形,稱為“虎節”,也稱“虎符”。
虎符最早出現於春秋戰國時期,盛行於戰國和秦漢兩代。從出土文物看,東周時期有鎏金虎符,戰國以後虎符一般由青銅制成。作為國君調兵的憑證,虎符的背部刻有銘文,分為兩半,兩半的形狀、銘文都是相同的,右半存於君王或朝廷,左半發給統兵將帥或地方長官,合在一起就成為調兵的信物。兩半虎符的背面各有榫卯,一一對應,就好像一把鑰匙開一把鎖一樣,只有同為一組的虎符才能合在一起,調兵譴將時需要兩半勘合驗真,才能生效。這就是“符合”二字的來歷。所以虎符從來都是專符專用,一地一符,絕不可能用一個兵符同時調動兩個地方的軍隊。
歷朝虎符精品的述說
戰國時期的銅虎節“韓將信庶節”,側面有“韓將信庶節”十字的陰刻銘文,可見是當時發兵過關的一種信物和憑證。
“韓將信庶節”
Ad
目前藏於西安市的陝西博物館的杜虎符,據考是戰國秦惠君時期的虎符,稱為秦代錯金“杜”字鐧虎符,高4釐米多、作猛虎疾奔狀,昂首,尾端捲曲,象徵軍威和進軍神速。虎符的身上刻有錯金銘文9行40字:“兵甲之符,右在君,左在杜,凡興士披甲,用兵五十人以上,必會君符,乃敢行之,燔燧之事,雖毋會符,行殹。”
秦代錯金“杜虎符”
杜虎符記述調兵對象和範圍,大意是說,兵甲之符,右符在君王手中,左符在駐扎於杜(故址在今西安市南)這個地方的將軍手中,凡需要調動軍隊超過五十人以上者,君王都會派人持右符去杜,與將軍手中的左符符合,將軍才能出兵。但是,如果遇到緊急情況,看到烽火台燃起烽煙,將軍不等到君王的右符來到,也可以自作主張出兵救駕。
杜虎符銘文是所有出土虎符中銘文最長的一件,且保存完好,特別是40個錯金字,做工精致,筆畫優美,反映了中國古代錯金工藝的高超水平。(目前只尋到杜將軍的這一半,王那邊的一半還沒有找到)
秦始皇統一中國後,皇帝“虎符”成為徵調軍隊的憑據。如秦“陽陵虎符”,符身背左、右各有錯金篆書銘文兩行:“甲兵之符,右在皇帝,左在陽陵。”
秦“陽陵虎符”
漢代在兵符上承襲秦制,但不同的是,漢代虎符上的銘文大多刻於虎背上,採用錯銀書,用篆書刻寫“一、二、三、四、五”等字樣。同時字由中間剖開,因此只有兩個半符的字完全相合才可發兵。但在漢代,要發兵除了對驗虎符,還要需要有璽書或詔書。虎符是發兵信物,詔書則是為了明確統兵長官的職權和任務。當然,漢代的軍隊調動並非只靠詔書和虎符作為信物,同時作為信物的還有“節”和“羽檄”。
西漢齊郡太守虎符,銘文清晰,工藝精湛,兩半對合完整,在一處出土,是非常罕見的。
西漢 齊郡太守虎符
西漢時期,南越國王趙佗用的錯金虎節,正面有錯金銘文“王命:車徒”, 其形制、字體、用途與秦國杜虎符相類,是一件難得的藝術珍品。
錯金銘文虎符節 西漢
虎符的演變
隨著歷史朝代的變遷,虎符的形狀、刻銘、尊卑等也有較大的變化。
從漢朝開始至隋朝,虎符均為銅質,騎縫刻銘以右為尊。漢代虎符銘文多為銀錯。漢以後虎符銘文,不限於符背,也有分布在胸、肘及腹等部位的。到隋朝時,除了虎符,又出現了麟符。唐代時,為避其祖“李虎”名諱,改用魚符,武則天時改用龜符,唐中宗後復用魚符,也用兔符。南宋時恢復使用虎符。元朝則用虎頭牌,後世演變為銅牌。
唐代的龜符
品味虎符故事
虎符在古代戰爭中曾發揮著重要的作用,符,就是信的意思。見虎符猶見君命,不可置疑,立即接受持虎符人的命令調遣,這可以說是古代軍事指揮中的一個高效率的創舉。但是,正因為認虎符有不認人的權威性,一旦被有心機之人竊取利用,就可以瞬間扭轉乾坤,反敗為勝。歷史上這樣的著名大戰例有:《史記》中的“竊府救趙”,《三國演義》中諸葛亮借虎符詐兵取勝。
《史記》中記載,戰國時期的公元前 257年,秦國發兵圍困趙國國都邯鄲,趙平原君因夫人為魏信陵君之姊,乃求援於魏王及信陵君,魏王使老將晉鄙率10萬軍隊救援趙國,但後來畏懼秦國的強大,又命令駐軍觀望。魏國公子信陵君為了馳援邯鄲,遂與魏王夫人如姬密謀,讓如姬在魏王卧室內竊得虎符,並以此虎符奪取了晉鄙的軍隊,大破秦兵,救了趙國。
在《三國演義》第五十一回中,曹操因赤壁之戰兵敗北退,諸葛亮則趁南郡空虛,命勇將趙雲奪城成功,並且俘獲守將陳矯,取得虎符,然後以此虎符詐調荊州守軍出救南郡,趁勢又由張飛襲取了荊州,接著再用同樣的方法調出襄陽守軍,乘機由關羽襲取了襄陽。諸葛亮僅憑一個小小的虎符,便將曹兵調開,兵不血刃就奪取了三處城池,而耗費許多錢糧、兵馬的東吳周瑜卻一無所獲,如何不生氣?
信陵君的“竊符救趙”,第一次給虎符的“信”蒙上了陰影,後世再用虎符就加強了種種防範。西漢時,虎符的變化,以及詔書等其它信物的出現,正說明了這一點。以後,虎符逐漸變化為龜符、魚符、兔符以至銅牌,雖然原因很多,但不能不說是信義逐漸流失的結果。聰明人的智慧或曰姦詐,破壞了多數人對一種 “信”的遵守。人無信,信物也不可信,虎形虎威自不再來。聖人嘆:“人離道遠。”
春秋戰國時期金虎符(陝西省鳳翔縣出土)
轉載自 新三才
瀏覽大紀元網頁
標籤 歷史探源 歷史文物
0 notes
Photo


シャフト: 2015黒 羽根: TF0559黒尾羽 抜染 飛龍 糸・和紙: 糸 217 毛引き: 金(基本色) 羽中文字: 卯金 筈: 天弓筈アイボリー
→ご注文はこちら
#kyudo#弓道#takumi-no-ya#匠の矢#ikaikyugu#猪飼弓具#japanese archery#シャフト: 2015黒#羽根: TF0559黒尾羽 抜染 飛龍#糸・和紙: 糸 217#毛引き: 金(基本色)#羽��文字: 卯金#筈: 天弓筈アイボリー
1 note
·
View note
Photo

三十石 1/2
京都見物にまいりましたふたりの男が、円山二軒茶屋、八坂の塔、高台寺、清水坂、大谷鳥辺山、大仏さん、耳塚三十三間堂と見物いたしまして、でてまいりましたのが、伏見街道でございます。 「さあ、早よう歩き、なにをぼーっとしてるねん?」 「べつにぼーっとしてるわけやないけど、なんぞ子どものみやげを買《こ》うて帰ろうおもうて、なにを買おうと、思案《しあん》してるねん」 「ほな、伏見人形でも買うて帰りいな」 「伏見人形てなんや?」 「この稲荷山の土で焼いた人形や。ここの人形はな、持って帰って破れても、その土が、もとの稲荷山へかえるというねん」 「ほう、えらいもんやな……そんな人形を売ってるか?」 「このへんは、人形屋ばっかりや……みてみ。だんだん職人がじょうずになるのか、器用になったんか、人形も焼き物とみえぬ羽二重細工《はぶたえざいく》のようやろ? ……どうや? 所帯道具かて、なにひとつないものはないわ。みな焼き物��できてるやろ?」 「そうかいな? ……けども、みわたしたところ、横槌《よこづち》がないな」 「これっ、焼き物の横槌がつかえるか?」 「おまえ、焼き物でなんでもあるというたがな」 「そら、いうたけど、焼き物の横槌があるかいな……そのほかのもんなら、あるというねん」 「ほうきがない、ほこりたたきがない。十能《じゆうのう》がない」 「おい、おまえ、ないものばっかり選《よ》ってるがな。あの棚にある大黒さんが、えびすさんの耳をほじくっている。あの肉づきといい、にたっと笑うてるとこは、ものでもいいそうやな」 「やあ、こっちののれんのあいだから首をつきだして、鼻たらしてる丁稚《でつち》もようできてるわ」 「どれいな?」 「あののれんのあいだから顔をだしてるやないか」 「あほ! あれは人間やがな」 「ああそうか……人形屋はん、ごめんなはれや」 「おいでやす。どうぞおかけ」 「おまえ、どれでも売るかえ?」 「へえ、どれでも商《あきな》います」 「ほな、あののれんのあいだから首だしてる人形、あれ、きれいに鼻ふいてなんぼや?」 「のれんのあいだから首だしてる人形? ……これ、あたまひっこめてい……あれは、わたしのせがれで……」 「なんや、おまえはんのむすこか……けったいなむすこをこしらえたんやな。あんなせがれ、大きなってもろくな者になれへんで、いまのうちに売ってしまい」 「ひとりしかないせがれを売ってしもうたら、跡とりがなくなります」 「なかったら、またこしらえたらええがな」 「こしらえたらええがなというて、じきにできるものやおまへん」 「そこをうんときばって……」 「なにほどきばったかて、わたしのような年になったらだめどす」 「ほな、わいが手つどうてこしらえよか?」 「いや、それにはおよびまへん」 「そうか。わいならすぐこしらえるんやがな。おしいな……棚にあるあたまの長い人形、あれはなんや?」 「へえ、福禄寿《ふくろくじゆ》どす」 「なんぼや?」 「あの福禄寿、百七十文どすが、百六十にまけておきます」 「なんや? 百六十が百七十やが、百六十にまけるのか?」 「いいえ、福禄寿、百七十を百六十にまけますので……」 「ややこしいねだんやな。値を聞いて肩がこってしもた……この小さい人形は?」 「へえ、この人形は、肌身につけていただきますと、船などに酔わぬまじないで……」 「これはなんや?」 「へえ、寝丑《ねうし》と申しまして、子どもに瘡《かさ》ができましたら、この丑《うし》に、坊《ぼん》の瘡を食べてくれ、嬢《いと》の瘡を食べてくれとたのむと、ふしぎとその瘡がなおりますねん」 「ふーん、お医者はんみたいな丑やな」 「値はなんぼや?」 「三百だす」 「この小さい、きたない寝丑が三百とは、ねうしがないな……やあ、いろいろな丑があるなあ」 「へえ、これが黒丑で、これが赤丑、こっちが斑丑《まんだらうし》だす」 「ああ、さよか……ほな、背なかにすき鍋を背負うて、なかに葱《ねぶか》と焼き豆腐いれると、ジューと鳴く丑はないか?」 「そんなすき焼きみたいな丑はおまへん」 「とにかく、寝丑と、この小さい文づかいと虚無僧《こむそう》の人形をもらうわ。みんなでなんぼや?」 「へえ、五百だす」 「だれがぼやくねん?」 「いえ、ぼやくやおまへん。五百だす」 「ああそうか……ほな、��はここへおくで」 「ありがとうさんで……」 「えらいじゃまをしたな。それ、みやげができた」
やってまいりましたのは、伏見寺田屋の浜で、夕方になりますと、三十石の夜船に乗るお客さんを呼んでおります。 「へえ、あんさんがた、お下《くだ》りさんやおまへんか? もし、そちらの顔の色のわるいかた、あんた下《くだ》らんか?」 「いや、結《けつ》して(便秘して)こまってんねん」 「おい、なにいうてるねん」 「え?」 「結してこまってるとは、なんのこっちゃ?」 「あの人が、わての顔をみて、下らんかというてたずねてはるさかい、結してこまるというたんや……わてな、一昨日《おとつい》から便所《ちようず》へいかずや」 「ちがうがな。船に乗って大阪へ帰ることを下らんかというてるのや」 「ああ、そうか。ほな、大阪へ帰って下ります」 「そないていねいにいわんでもええ……おい、船はすぐにでるか?」 「へい、すぐにでます。どうぞご一服を……」 「そんなら待たしてもらおう」 二階へあがりますと、お客さんがたくさん待っておりますが、そこへまいりましたのが、船宿の番頭さんで、 「へえ、どちらさんも、えらく長らくお待たせいたしました。もうほどなく船がでます。今日《こんにち》は、えらいおつかれのことでござります。宿の番頭でござります。みなさんのおところとお名前を帳面に書かしていただきます。役場へとどけますのんどすが、どうぞてんご(じょうだん)をいわんように、ひとつていねいにいうていただきとうおす……ええ、あんさん、どちらさんでござりましょうか?」 「わいはな、大阪船場っ」 「わあ、きたないな、つばがはねまっせ……ええ、大阪船場どすな」 「今橋二丁目」 「へ……ええ、お名前は?」 「鴻池善《こうのいけぜん》右衛門《えもん》」 「ええ? ……鴻池はんのお手代《てだい》で?」 「いやいや、手代やない。わいが鴻池善右衛門」 「そんな、あんた、無茶いうたかてあきまへんで……鴻池はんにはごひいきになっておりますので、よう存じております。鴻池の旦那《だん》さんは、もっとよう肥えてはったようにおもいますが……」 「米高がこたえて、どかっとやせたんや」 「米高でやせた? てんごばっかりおっしゃって……もうすこうし背が高かったようにおもうてますが……」 「道中をして歩いてるうちに、ちびって背が低うなったんや」 「ちびった!? なにいうてなはる……そっちの旦那《だん》さんは?」 「おいどんは、鹿児島は本町通り二丁目、西郷……」 「え? 西郷!?」 「西郷ひくもり」 「どうぞなぶらんように……そっちのおばあさんは?」 「みずからは、小野《おのの》小町」 「いやあ、きたない小野小町やな。みずからちゅう顔やないわ。塩辛《しおから》みたいな顔をしてなはる。そっちの坊《ぼん》は?」 「ムチャチボウベンケイ」 「なんや、お子たちまでなぶりなはる……そっちのご出家は?」 「愚僧は、高野山弘法大師、これなるは、円光大師……おんなぼきゃ、べろしゃな、まかぼたら、まにはんどまじんばら、ばらはりたやむ……真言経を二十一ぺん書け」 「どうぞなぶらんように、ていねいにいうておくれやす……あんさんは?」 「ほなら、わたし、ていねいにいうよって、ていねいに書いてや」 「へい、ていねいに書きます」 「仮名で書いてや」 「へいへい、仮名で書きます」 「おうさかより、さんりみなみにあたる、せんしゅうさかい……」 「それなら、最初《はな》から泉州堺でええのどす」 「ていねいにと、いうたやないか」 「ていねいすぎますがな……泉州堺……へえへえ」 「だいどうくけんのちょう、ほうちょうかじきくいちもんじかねたか、ほんけこんぽんかじもときゅうざえもん、なごやししんまちどおりにちょうめ、おなじくしてん、にょうぼ、さよ、せがれ、まんきち」 「もし、それはなんどす?」 「こんどな、堺から名古屋へ庖丁《ほうちよう》の店をだそうとおもうねんが、ちらし(広告)のところ書きは、それでわかるかしらん?」 「知らんがな、そんなこと……そちらさんは?」 「わいは、大阪|西渡海里町《にしとかいりちよう》じゃ」 「へえへ、こりゃほんまや。大阪西渡海里町、へえへ、お名前は?」 「八文字屋徳兵衛、近江屋|卯兵衛《うへえ》、福徳屋万兵衛、大黒屋六兵衛、大和屋徳七、河内屋太郎兵衛、紀州屋源助、泉屋与兵衛、浪花屋清七、山城屋喜三郎、堺屋治助、赤穂屋太三郎、備前屋佐兵衛、讃岐《さぬき》屋喜平、肥前屋角兵衛、伊勢屋三郎兵衛」 「えーえ、おっしゃったのは、どなたはんとどなたはんどす?」 「おっしゃったのは、こなたはんおひとりや」 「え? おひとりで? ……あの……名前をぎょうさん書きましたが……これなんどす?」 「去年、うちのおとっつあんが死んでな、香奠《こうでん》をもろうたんやが、香奠がえしをせんならん、何軒あるやろ?」 「もし、うだうだいいなはんな。帳面がまっ黒になりましたがな」 番頭はん、ぶつぶついいながら下へおりてしまいました。 しばらくいたしますと、川から船頭の声が聞こえてまいります。 「さあ、だしまっすぞー」 この声に、みながどやどやと下へおりてきますと、下では、女中さんがべんちゃら(お世辞)を申しております。 「へえ、どなたさんもおしずかにどうぞ、おはようお上がりを……もし、あんたはん、わらじをお召しにならんでもよろしゅうござります。すぐに船に乗るのんどすので、そこにてまえかたの下駄がおす。それをはいてお越しあそばせ。川端へぬいでおいていただきましたら、わたしのほうの焼き印が押しておすので、あとでひらいにまいります……あの、あんさんのお弁当、これにこしらえてござります。なかに高野豆腐《こうやどうふ》がはいってござります。お汁《つい》は、しぼってござりますが、せっかくのお召し物にしみがつくといきまへんので、わらび縄でさげるようにしておす。どうぞ、さげてお越しあそばせ。ありがとさんで。どうぞおはようお上がりを、ありがとさんで、おしずかにお越しあそばせ……まあ、これは、船場の旦那《だん》さんどすかいな。おみそれ申しておりまして、まことに失礼をいたしました。まあまあ、これはこれは、坊《ぼん》さん、大きゅうおなりあそばしたことわいな。先年お越しのときは、乳母《おんば》さんに抱かれてござったのに、こんなに大きいおなりあそばして、かわいおすわいな。お帰りになりましたら、ご寮《りよう》人さん(奥さん)によろしゅういうていただきますように……さきほどは、ご祝儀《しゆうぎ》をいただきまして、ありがとうさんどす。あの、おもよどんという女中《おなごつ》さん、まだ奉公しておられますか? まあ、さようでござりますか。ご忠義なおかたわいな。どうぞお帰りになりましたら、寺田屋の竹が、『よろしゅういうてくれと申しました』と、いうていただきますように……さよーならー、どなたもおしずかにお下りやーす」 「わあ、あいつ、なんや? 大きな口あきよったな」 「みんなのあたまへおしずかにをふりかけよったんや」 「ああ、そうか。ほな、さよーならー」 「これ、おまえ、なにしてるねん?」 「うん、あいつがおしずかにをふりかけよったんやさかい、わいは、さよならをゆすりこんだったんや」 「そんなしょうむないことをしないな」 「おーい、早よこい、早よこい」 「どなたもおしずかに……」 「早よこい、早よこい」 「おしずかに……」 「おい、おまえ、女中《おなごし》と船頭とみくらべて、なにうろうろしてるねん?」 「船頭は、早よこいというし、女中《おなごし》はおしずかにというし、どないしたらええねん?」 「なに、あほなこというてんねん、早ようこんかいな」 「おーい、お客さんがた、早よこい、早よこい」 「船頭はん、このお客さん、ひとりで五人前とっとくれ。こちらのお客さん、ひとりで二人前、三人で五人前、二人で三人前とっとくれ」 「あれは、なにをいうてよるねん?」 「あれはな、ひとり前の場所やと、混《こ》みおうてくると、坐ってられへんさかい、ひとりで二人前とってゆっくり坐るとか、三人で五人前の銭を払うて足をのばすとか、ひとりで五人前の場所買うて寝るとかするねん」 「ああそうか……おい、船頭はん、ふたりで、ひとり前とってんか?」 「なんやて? ひとりでもせまいのに、ふたりで、ひとり前どうして坐りなさる?」 「ひとり坐って、ひとり肩車するねん」 「そんなあほな……肩が痛《いと》うて、大阪までいかれへんがな」 「肩が痛うなったら、枚方《ひらかた》で、上と下と交替するわ」 「なにいいなさる。早よう乗りなされ」 お客さんが船に乗りこみますと、それへ物売りがまいります。 「どなたも、おみや(おみやげ)はどうどす? おみやはどうどす? おちりにあんぽんたんはどうどす? 西《にし》の洞院紙《といんがみ》はよろしおすか? おちりにあんぽんたん……もし、あんた、あんぽんたん」 「こらっ、なにぬかしやがるねん。あっちへいけ」 「おい、おまえ、なにをおこってるねん?」 「この物売り、わいの顔みて、あんた、あんぽんたんやいいよるねん」 「そりゃ、おまえのことやない。あんぽんたんという菓子の名やがな」 「ほんまか?」 「かきもちのふくれたんに、砂糖の衣《ころも》がかかったあるのや」 「ふーん、おかしな名やな」 「東山というのやが、俗にあんぽんたん」 「そうか……おちりてなんや?」 「ちりがみのことを、京ことばで、やさしくおちりというねん」 「ほな、便所へいたら、おちりでおちり(お尻のしゃれ)をふくか?」 「きたないしゃれをいいな」 「西の洞院紙てなんや?」 「大阪ですきなおし、京で西の洞院紙、江戸で浅草紙いうねん」 「えらい名がかわるねんなあ」 「まあ、ところによって名がちがうのやな……大阪でなんきんを、京でかぼちゃ、江戸で唐《とう》なすというそうな。ところによって唱《とな》えがかわる。浪花《なにわ》の芦《あし》も伊勢の浜荻《はまおぎ》というでな」 「妙なことをいうねんな。こらっ、物売り、買えへんわい。あっちへいけ!」 「まあ、あんたはん、いっかいお声どすなあ」 「こらっ、いっかいとい��ずに、大きいといえ」 「そんなことをおいいかて、京のことばや、しかたがおへんえ」 「なにいうてんのや。京がどれだけえらいのや?」 「京は、王城の地どすえ」 「なんや? 王城の地? ……青物ばっかり食《くろ》うて往生の地やろ?」 「まあ、あんなことおいいる。京は、一条から九条まで法華経普門品《ほけきようふもんぼん》が埋めておすえ」 「そんなもん埋めんと、ちょっと石でも埋めえ。歩きにくうてかなわんわい」 「あんなことをおいいる……京の御所のお砂をおつかみてみ」 「なんぞになるのか?」 「どんなおこり(熱病)でもおちるえ」 「おこりがおちる? ……ほな、大阪の造幣局の金をおつかみてみ」 「おこりがおちるんどすか?」 「首がおちるわい」 「おい、そんな無茶いいないな……物売り、怒って行《い》てしもうたわ」 「京のやつがものいうと、生《なま》ったれてるんので腹が立つ」 「そんなこというたかてしょうがない。郷《ごう》に入《い》っては、郷にしたがい、ところに入っては、ところにしたがうということがある。そう、おまえのようにいうもんやない」 「けったくそがわるい。寝てこまそ」 「これ、お客さんよ、こんなとこへ寝なはったら、じゃまになるがな。のきなはれ」 「こらっ、なにをしやがんねん、人のあたまをなぐりやがって……」 「お客さんよ、船頭はしておりますが、お客さんのどたまをどついたりはしません」 「いいや、いまなぐりやがったわい」 「どつきやしまへん。じゃまになるで、どきなはれと突いたで、おまえのどたまが鳴ったんじゃろう」 「こらっ、人のあたまをなぐっといて、鳴ったんじゃろとはどうや?」 「どつきやしまへん。どきなはれと突きや、おまえのどたまが鳴ったんじゃろ……よう鳴るどたまじゃ」 「こらっ、よう鳴るどたまとはなんじゃい? 太鼓みたいにぬかしおって……なぐったわい」 「おまえさんは、なぐったといいなさる。おれは、なぐらんという。こりゃ、おさまりがつかんがな……おまえさん、なぐったといいなさるなら、なぐられたという書き証文持っとるかい?」 「こらっ、なにいうてんのや。なぐられるのに、いちいち証文を書いてなぐられるやつがあるかい」 「これ、角《かく》よ」 「おーう」 「いつまでお客人をとらまえて、からこうとるかえ? ……お客さんよう、そいつは、国からでてきて、まだ間がない者じゃで堪忍《こらえ》まいよ」 「おまえのようにやさしくいうてくれたらええのに、人のあたまなぐっといて、よう鳴るどたまやというによってに、腹が立つねん」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ」 「そういてくれたらええのや。銭をだして乗ったら客や、その客のあたまをなぐるというやつがあるか?」 「それじゃから、こらえまいよというのじゃ。銭をだしたといいなさるが、この船は、船行船《せぎようぶね》(水死人を供養するための川施餓鬼をおこなう船)じゃござんせんで、銭ゃあいただきます……こらえまいよというに、こらえられんか? こらえられんなら、こらえられんとぬかしてみくされ。どたまからかちまく(なぐる)ぞ」 「うわあ、こわやの。あいさつ人の船頭のほうがこわいわ。どたまかちまくいいよる」 「そやかて、おまえがわるいがな。船頭の通り道に寝てるよってに……」 「船頭になぐられるわ、おまえにしかられるわしたら、わいの立つ瀬がないがな」 「そないに怒りいな。あないにいうてるが、馬方、船頭、お乳《ち》の人というて、ことばは荒いが、気立てはええもんや。あないごつ��ついわんと、この大きな船がうごかされへん。馬方かてそうや。馬の手綱持ったら、年中怒ってよる。『どう、長いつらさらして、張りたおすで! どちくしょうめ! 脛節《すねぶし》いがんでるがな』……まあ、ようあんな無茶いいよる。むかしから、馬の丸顔みたことないで。みんな長いもんや。馬かて張りたおされたら痛いよってに、顔をみじこうしたいやろが、でけんさかい、気のええもんで、鼻で笑うてる、『ヒヒン』とな……『どちくしょう』て、馬はちくしょうにきまってる。脛節いがんでるて、いがんでるので歩けるのや。まっすぐやったら歩かれへんがな。けどな、ああいうよってに、馬がうごくねん。やさしいのがええというて、京ことばで馬を追うてみい。馬はうごけへんで……『ちゃいちゃい、お歩きんかいな? なにしとるねん、あんたはん、長《いか》いお顔どすな。お足《みや》ゆがんどすえ』というてたら、馬が、『そうどすか』いうて、寝てしまうわ。船かていっしょや。『どきなはれっ』てな調子でやるさかい、船がうごくねん。なあ、船頭はん」 「やかましいわい」 「それみい。おまえのために、わいまで怒られるがな」 「おい、船頭はん、早ようだしいな」 「おい、だしますぞう!」
4 notes
·
View notes
Text
【追求運動精神】香港殘疾人羽毛球代表林芷煖 再痛也要打羽毛球

「其實,我有時不知什麼才是痛?」香港殘疾人羽毛球代表林芷煖(Calista)嫣然笑着說。「會覺痛是因為自己忍受不了才這樣認為,可能在別人身上那算不上什麼?只是自己怕痛?」帶丁點的哲學意味。曾經,因為前十字韌帶斷了,物理治療師建議要是感到疼痛便要放棄練習,但林芷煖卻選擇堅持—參加2024年巴黎殘奧會還是她的夢想。
如果你還未聽過林芷煖的「病歷」,第一次看已夠觸目驚心。小學三年級時,她已被發掘出打羽毛球天份,代表學校參加區內比賽,更想朝全職羽毛球運動員的目標出發。只是一次訓練,突然發現左��劇痛,起初還以為練習時受傷,但在醫院檢查才證實罹患骨癌。那年,她才10歲。醫生建議必須做手術切掉左臂,換上金屬手臂。之後,還要面對二十多次化療。現在回想,小妮子也忘記當時有多痛,只知自己有多熱愛打羽毛球。

重回羽毛球場,繼續揮拍,憑藉天份、毅力和勇氣,成為香港殘疾人羽毛球代表,在2018年雅加達亞殘會為香港獲得了一枚SU5級單打單循環賽銅牌。冒昧一問:殘疾人士打羽毛球可會比一般運動員辛苦?這時,林芷煖瞪着眼哈哈笑着說:「我又冇諗過喎。」只知自己左臂是金屬臂,要帶上一條belt去穩定手臂。「比賽時,右手揮拍,左手實際是配合平衡;另外,有時跑動後會急速停頓,令左手承受很大的壓力;所以,金屬臂的零件有斷裂的風險,輕則甩骹,最嚴重可以是甩咗隻手。」她說起來卻一副泰然自若的表情。之後在林芷煖信心滿滿準備參加奧運計分賽向奧運舞台邁進時,她又再一次受傷了。

2019年,林芷煖參加了第5屆土耳其殘疾人羽毛球國際賽之後,接着馬不停蹄參加杜拜殘疾人羽毛球國際賽,勇闖8強。「當時,對手是全世界排名第3的中國選手,我明知勝算不大,只是想挑戰自己,遇強愈強。」可是,她卻不知自己體力已透支……這場比賽,林芷煖打法非常進取,每一球都卯足力氣去擊球要壓倒對手,在一次跳起擊球,落地時左腳卻一陣刺痛。「我痛到曲起就像一條蟲,倒在地上呻吟;但我不認輸。」直至下一球對方發球,自己動都不能動,「我倒下了。」回到香港,照超聲波掃描診斷為前十字韌帶斷裂,可能不能再打羽毛球。她終於哭了。「痛,我不哭,不能當運動員,我才流淚。」又要再做手術,將大脾內側的幼筋接駁受傷的韌帶,花了一年做物理治療,重新學習行路。現在,放下工作繼續練習,目標是參加2024年巴黎殘奧會。

最後,不禁問林芷煖何來的勇氣和堅毅?小妮子又再嫣然笑着說:「跟你說過故事。在一年中學學界決賽,5盤3勝制打成2:2,我代表學校打最後一場,在比賽轉場時(11分轉場)當時的比數是1:11,我只拿得1分!當時,觀眾都看得目定口呆,詫異林芷煖發生了什麼事……」
結果:那場比賽她反先21:17,拿了冠軍,她也從此奪了「一分代表」的稱號。

撰文:郭曦雅 攝影:每木 部分圖片來源:https://www.instagram.com/oo_lth/?hl=zh-hk
___________________ 活過不白過 Follow us on IG:https://bit.ly/2yjkquY ___________________ #OnlyLiveOnce #活到盡故事 #林芷煖 #東京奧運 #羽毛球 #巴黎殘奧會 #勇氣 #堅毅 #香港運動員 #Calister
0 notes
Text
談偽文物〈作冊般銅黿〉銘文釋解
談偽文物〈作冊般銅黿〉銘文釋解 在民間,有人收藏了不知何處文物市場弄來一個號稱商末的〈作冊般銅黿〉,一隻銅黿上頭還造了相連的四個箭鏃,如果屬實,這些箭鏃為何被壓在地下三千年都沒有折斷碰傷還是一奇。總之此偽文物2003年被某博物館收入,還找了李學勤、裘錫圭等人寫考釋文,考釋其上的一段銘文。實則此假刻之銘文完全不通。稍有常識即可判斷必為今人偽造之低下水平之作。其銘文如下: 『丙申,王[辵必]于洹,獲。王一射, 射三,率亡廢矢。王令寢馗貺于作冊般,曰:奏於庸,作汝寶。』 此段銘文到2019年鄭州的中國文字學會第十屆學術年會裡,還有研究者為文考釋,即蔡英杰的〈作冊般銅黿銘文考釋商補〉。
按,從此一銘文一見即可知係偽作,其理由如下: (一)『奏於庸』此語不倫不類。此一黿形器,下係無底空心,不是樂器,當然也不是什麼鏞,而且『奏於庸』本身此三字就文理不通。若要說的通,應指奏於庸這個地方。『庸』當是地名或處所之名。朱鳳翰在考釋時為說通,於是講此為《周禮‧春官》裡的“典庸器”的“庸器”,但還是放在此三個字裡說不通。因為,商王令作冊般要把此銅黿“奏於庸”(奏於庸器),不知何謂?蔡英杰自我改字,把“奏”改成“登”,而釋成『紀之于庸器』,可惜只是其幻想,該一字實為“奏”而不為“登”。只能說是偽造此銘文者的水平太差,文理不通至於如此。 (二)商王所賜臣下銅器,如係真品,大多有兩種方式記錄賞賜時間,一是前有干支紀日,銘文末會有紀年日,如: 1.帝乙的小臣俞尊:前有『丁巳』紀日,末有『唯王十祀又五,肜日』(王十五年的肜日) 2.帝辛的宰椃角:前有『庚辛』紀日,末有『在六月,唯王廿祀羽又五』(在六月,王廿五年之羽祭』 或後講事畢,如商末的且子鼎,前有『丁卯』干支紀日,末有『往省返』指前往省察後回返。或只寫某事發生之時或為了什麼因由,如同樣作冊般的〈作冊般甗〉講『王宜人方』(王出兵人方)『咸』(事畢),賞貝作尊。此時不會講干支紀日。
真器多皆以上之形式,但偽器則多不明商周銘文章法而不然,而此偽造的〈作冊般銅黿〉講『丙申』,以下就沒有任何有關事畢,因為,商周銅器,根本不會有商王周王射到了什麼動物而賜給臣下此一動物造銅器,出土那麼多商周銅器,沒有此種笑料。
(三)銅為王所獨佔,必須賜臣下,臣下才可以造銅器。商王會賞臣下『貝』,而周王會賞賜臣下『金』,都指的是銅,而且臣下一定會視為光榮而紀在銘文上,但此偽器,沒有紀商王賞下了銅,而只賞了一隻黿含外殼,如何造銅器。像〈作冊般甗〉就講商『王賞作冊般貝』,而此篇銘文,一字未提賞『貝』,難不成叫作冊般造的是黿的標本。而今却是個銅黿,不就分明是偽器了。 (四)而且,此商王狩獵事件裡,射四箭皆中的是商王,為何賞給了作冊般當看家寶,於理不通。作冊般是個史官,跟隨商王紀事而已,在此商王狩獵裡建了何功,銘文都一字不提。
(五)更不合理的是,商王射龜,射中了是什麼了不起的事嗎。龜行甚慢,幾乎可以看成是死靶了。商王平常習射,此乃相當於不動的固定靶,商王習射應還有更難的活動飛靶,則此一簡單的射龜,有何功可慶,弄隻龜來表功不乃顯示商王射技甚差,只堪射龜而已。如此不通的故事情節,虧此偽造銅黿及銘文者想得出來。 如此看來,此篇銘文真是水平低下,除非不食人間煙火,天天坐在學術象牙塔裡,才會信以為真。(劉有恒,2020,6,9於台北)
0 notes
Text
3.王朝内の権力争い
問い5:李氏朝鮮中期の状況について>3.王朝内の権力争い
目次は こちら
3.王朝内の権力争い
『朝鮮史1』の「第七章 朝鮮中期」の「1 士林派政権の成立と党争」の343~349ページより、士禍の発生��関して部分的に要点を引用します。
[成宗の王道政治実現のための方策は、新たな人材(士林派)の登用である。それは院相制度の廃止とともに、政府内で絶大な存在感を示していた世祖代の重臣勢力を牽制すると言う意味でも重要であった。
(中略)
ところで15世紀末以降に編まれた朝鮮の史書には「士林」の語が頻出する。学徳のある知識人官僚としての「士」の集団という意味である。後述するように朝鮮では15世紀末から16世紀前半にかけて大きな粛清事件が相次いで生じたが、これを「士禍」と称し、それにより被害を受けた官僚集団を「士林」と表記した。(中略)これに対し、「士禍」を仕掛けた側の権臣勢力、(中略)世祖世代の功臣勢力やその系譜を引く保守派官僚のことを勳旧派と称する(343~344ページ)。]
1494年12月に成宗が亡くなると、その長男である王世子の隆(実際の文字は立心偏がある)(廟号はなく、燕山君と呼ばれる)が跡を継ぎました。彼は即位当初こそ父王の方針を継承して比較的安定した政治運営を行いっていたが、もともと政治や学問に関心が薄く、ほどなくしてもっぱら奢侈と淫楽に耽るようになりました。そのような中、勳旧派による士林派の粛清事件が起こりました。
① 戊午士禍(ぼごしか):
[1498年7月、実録編纂の責任者であった勳旧派の李克墩が、成宗代の史官の任にあった金馹孫が提出した史草(実録編纂のために史官が作成した草稿)中に金宗直の手になる「弔義帝文」(項羽に殺害された楚の義帝を悼む文章)と自分に対する上疏文があるのに気づいた。そこで李克墩は、このうちの前者について暗に世祖の癸酉靖難を批判するものであるとし、同じく勳旧派の柳子光とともに、これに関与した士林派の弾劾を燕山君に働きかけた。
三司を拠点に自身の不品行を咎める上疏を繰り返す士林派を疎ましく思っていた燕山君は、(中略)関係者を厳罰に処した。すでに故人となっていた金宗直が剖棺斬屍(墓を暴いて、屍体を斬首)、金馹孫、権五福、権景裕が凌遅処斬(死刑のうえ、屍体の首、胴体、四肢を切断)、李穆��許磐が斬首とされた。このほか姜謙が奴に落とされて辺境に流され、また表沿沫、洪瀚、鄭汝昌など多くの士林派官僚が流配されたり罷免・左遷されたりしました(戊午士禍または戊午史禍)(344~345ページ)。]
② 甲子士禍(こうししか):
[それまで伏せられていた生母の死の真相を知った燕山君は激怒し、1504年3月、尹氏廃妃の張本人として成宗の側室であった貴人の厳氏と鄭氏を自身の手で撲殺した。そして尹氏の名誉を回復するとともに、尹氏廃絶を決議した会議の参加者やこの事件への関与者を調査し報告するように命じた。
さらにそれと並行して、関係者の捕縛、尋問、処刑が順次行われた。(中略)戊午士禍で流刑にされた士林派やそれに連なるひとびとのなかにもこの時に死刑に処された者が少なくなかった。またすでに故人となっていた(中略)なども剖棺斬屍とされました。(中略)戊午士禍をはるかに上回る数の者が処罰の対象となった(甲子士禍)(345ページ)。]
③ 中宗反正:
[甲子士禍後、国王を牽制する勳旧派の力が一気に弱まったこともあり、燕山君の暴政はいよいよ激しさを増した。(中略)また1506年4月には司諫院、七月には経筵と弘文館を廃止して自身に対する批判的な言論を封じた。採青使や採紅使などを各地に派遣して未婚の美女を集めたほか、(中略)奇行もめだったとされる。
(中略)
朴元宗、成希顔、柳順汀らは密かに燕山君のj除去を計画して賛同者を集め、1506年9月、手の者に任士洪とその一派を殺害させたのち、成宗継妃の貞顕王后(慈順大妃)尹氏からの命を得て燕山君を廃位し、成宗の次男であり燕��君の異母弟にあたる晋城大君懌を国王に擁立(廟号中宗、在位1506~44年)した(中宗反正)。(中略)その一方で廃位後喬桐島(仁川市江華郡)に流配された燕山君はそこで病没した(346ページ)。(反正とは現在の誤った政治を以前の正しい状態に戻すことを言います)]
④ 己卯士禍(きぼうしか):
[中宗は燕山君の暴政により混乱した政治秩序を立て直すとともに、(中略)勳旧派を牽制しつつ朱子学理念に立脚した王道政治を実現することをめざした。そしてそのために士林派官僚を大量に登用した。その中心となったのが趙光祖である。
(中略)
彼は中宗の厚い信頼のも、自身が標榜する道学政治を実現するために様々な政策を断行した。
(中略)
趙光祖らは、1519年十月以降、靖国功臣107人のうち不���に功臣号を授与され土地や奴婢を下賜された者が七六人もいるとし、該当者の功臣資格を剥奪することを中宗に求めた。これに危機感を持った勳旧派の沈貞、洪景舟らと、(中略)南袞らは、この時期中宗もまた趙光祖の政治姿勢に不満この時期、趙光祖の政治姿勢に不満を抱くようになっていたのに乗じて、趙光祖一派を批判する上疏を繰り返しました。
同年年11月、中宗はついに勳旧派の讒言を聞き入れ、(中略)趙光一派を捕らえ、朋党を組んで国政を混乱させたとして厳罰に処した。趙光祖は綾城(全羅南道和順郡綾州面)に流罪ののち賜死、金淨、奇遵、韓忠、金湜もそれぞれ流配されたが、その後金湜を除く三人は死刑となり、金湜は自決した。(後略)(己卯士禍)(347~348ページ)
⑤ 乙巳士禍(いつししか):
[中宗は1544年に死去し、代わって王世子の悎が即位した(廟号は仁宗、在位1544~45)。(中略)仁宗は即位後一年も満たない1545年7月に急逝し、つぎの国王として慶原大君が即位したため(廟号明宗、在位1545~67)、形成は一気に逆転した。このとき明宗は満11歳と幼かったので、生母の文定王后(聖烈大王大妃)が垂簾聴政をおこなった。これに乗じて尹元衡は、彼を支持する鄭城朋、林百齢、許磁らの勢力(小尹派)と計略をめぐらし、大尹派に対する誣告を繰り返した。尹任に対しては、鳳城君岏(中宗側室熙嬪洪氏の子、明宗の異母兄)をつぎの国王にたてようと画策していると誣告したのに加え、明宗即位の際に桂林君瑠(成宗三男桂城君の養子、尹任の父である尹汝弼の外孫)の擁立を企てたとの風聞を流した。また、大尹派の中核をなす柳灌、柳仁淑や桂林君も反逆の陰謀に加担したと誣告した。
結局、同年8月に尹任、柳灌、柳仁淑が賜死とされたのをはじめ十数人が処刑され、大尹派に連なる多くの士林派官僚も流配された。また、桂林君は同年十月に絞殺され、鳳城君は1547年に迫られて自尽した(乙巳士禍)。以後、尹元衡は乙巳士禍をまぬかれた士林派に対してさらなる弾圧を加え、明宗の外戚として権勢をふるったが、1565年4月に文定王后が亡くなると弾劾されて失脚し、同年十一月に隠居先の江陰(黄海北道金川郡)で自尽した(349ページ)。]
燕山君は奢侈と淫楽にふけっただけでなく、戊午士禍では常軌を逸する処罰を臣下に加え、目を覆いたくなるほど酷いものでした。これにより、実際は無実の官僚たちが死刑になり、流配され、罷免されました。戊午士禍の後は更に奢侈が激しくなり、その上甲子士禍の処罰は無実と思われる人達も含めて鬼気迫る恐ろしい刑罰が加えられ、狂気さえが感じられます。甲子士禍の後、燕山君の暴政はいよいよ激しくなりました。さすがに朝鮮の史家はこのような燕山君を朝鮮王に値しないとして、王の列に加えずに、彼には廟号を与えませんでした。
己卯士禍の本質は、勳旧派が誣告を王に言い続け、ついに王がそれを聞き入れて、士林派の逮捕・処罰となったものであることが分かります。
また乙巳士禍は、権力争いをしていた人達が相手に誣告を繰り返して国王に告げ続け、ついに国王もそれを信じて逮捕して死刑や流罪に処しました。
これらの士禍は讒言と誣告を国王に吹き込むのに成功した党派が勝利して、相手党派を死刑や流配にして完全に排除し、権力を掌握しました。国王に讒言や誣告の繰り返し、それを本当だと信じ込ませ、国王の命令で政敵を極刑に処して壊滅させたのです。このように1498年から1547年の約49年もの長い間、政敵を排除するために讒言や誣告によって嘘の情報戦を仕掛け、勝った方が政権を奪った正義も信義も無い恐ろしい時代でした。この讒言や誣告が効果を挙げ得たのは、国王が唯一絶対的な力を持っていたからです。
して今韓国は、国際的に力を持っている国際機関の特定の人や、世界的に影響力のあるメディア内の特定の人、および各国の地方政府の影響力のある人を対象に、各種の捏造された情報を提供し続け、反日活動を展開しています。現代版の讒言や誣告です。慰安婦や徴用工とその関連する情報などはその一例です。そして、国際機関の一部やアメリカの幾つかの地方議会では韓国の捏造された情報(誣告や讒言)を信じて、一方的に日本非難の声明や議決をしています。現代版の誣告や讒言の成功事例です。
0 notes
Text
2020年7月3日
ライブドアニュースさん「【新型コロナ】東京都で新たに107人の感染確認、小池都知事が緊急会見へ 1日の感染者の数が100人以上になるのは、5月2日の154人以来、2カ月ぶり。都庁ではきょう2日、対策本部会議を開いたうえで、夕方には小池都知事が緊急で会見を開く予定。」 https://twitter.com/livedoornews/status/1278555790870106112
日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報さん「【小池都知事が臨時会見で説明】 東京で新たに107人感染確認。小池知事が感染状況や今後の対応について臨時会見で説明しました。 ・専門家の分析を踏まえ、都の考えとして「 #感染拡大要警戒 」の段階にあると認識している。 ・都民・事業者の皆さま、ぜひ意識を共有していただきたい。」 https://twitter.com/news24ntv/status/1278606622407852033
俵 才記さん「西村大臣「国民に逆ギレ」 安倍首相「西村に丸投げ」 これじゃコロナとの戦いに勝てっこないわ。 西村「これ、皆んなで努力しないと」? 国の仕事は国民の生活不安、健康不安に、あらゆる措置を講じて「安心」を与えることだ。国の無策を国民の努力に責任転嫁するな😡」 https://twitter.com/nogutiya/status/1278869554467241984
きぐるみ@コミュ障度999%の人さん「今日も100人オーバー… この状況でも誰も責任を取らない悲劇。 #東京100人 満員電車ゼロは? 2階建て電車🚃はどうなったんですかね? #小池百合子は公約実現ゼロ」 https://twitter.com/kigurumi_no/status/1278888894692388864
news zeroさん「【#感染者 まとめ】 きょうの全国の #感染 者数は196人。 #緊急事態宣言 の解除後1日の感染者数として最多となりました。 東京、 #埼玉、 #神奈川、 #千葉、この1都3県だけで、全国のきょうの感染者数の8割近くをしめています。 #newszero #有働由美子 #岩本乃蒼」 https://twitter.com/ntvnewszero/status/1278699698467901440
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「加藤勝信厚生労働相は、新型コロナウイルス感染拡大に伴う出入国制限の緩和に向け、検査体制を強化するため、成田、羽田、関西の3空港に出入国者専用の「PCRセンター」を設置すると表明しました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278646877156753410
厚生労働省さん「接触確認アプリ(COCOA)により新型コロナウイルスの陽性者から通知を受けることができる機能を、7月3日から開始します。」 https://twitter.com/MHLWitter/status/1278666480402354178
ライブドアニュースさん「【現金ブース廃止】全国の高速道路、ETC専用化へ 国交省 現金向けブースを廃止し、ETC専用にする方向で検討すると明らかにした。ETCは利用率が93%に達しており、コロナ対策として係員との接触機会をなくす。」 https://twitter.com/livedoornews/status/1278637969042288642
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「新型コロナウイルスの院内感染が発生し、43人が死亡した永寿総合病院の湯浅院長は「感染を疑うタイミングの遅れがあった。発熱した患者の中に感染者がいるという想定が浸透していなかった」とした上で、「最も大きな被害を受けた患者と家族に深くおわびする」と謝罪しました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278236925095219201
東洋経済オンラインさん「コロナ禍で大幅な減便を迫られたJAL、ANA。感染が拡大した序盤には、ほとんどのフライトがキャンセルされた結果、運賃の払い戻しが発生。大規模なキャッシュアウトの波が襲いかかりました。大苦戦を強いられる中、唯一の希望は国内線旅客の早期回復です。 #東洋経済オンライン」 https://twitter.com/Toyokeizai/status/1278503605008388096
時事メディカルさん「◇ 遺伝子ワクチンは、これまで実用化に至った例はない ウイルスが変異しても迅速に対応できる可能性も 「感染症対策は安全保障に近い��題でもある。ワクチン国産化が何より重要だ」 #新型コロナウイルス #ワクチン」 https://twitter.com/jijimedical/status/1277444965014966272
毎日新聞ニュースさん「コロナ倒産300件超す 最多は飲食業 インバウンド需要消失も打撃」 https://twitter.com/mainichijpnews/status/1278364167892692992
朝日新聞名古屋編集局さん「トランプ氏、マスク着用を表明 批判に一転「大賛成」トランプ米大統領は1日、米FOXビジネスのインタビューで、新型コロナウイルス感染予防のためのマスク着用について「私は大賛成だ」と述べ、他人との距離が近ければマスクを着ける考えを示した。」 https://twitter.com/asahi_nagoya/status/1278516525054308353
日テレNEWS / 日本テレビのニュース・速報さん「【速報 都内で新たな感染者125人前後】 関係者によりますと、きょう東京都内の新たな新型コロナウイルス感染者は125人前後だということです。 緊急事態宣言の解除後、最多の人数です。 東京都での新規感染者...推移は?▼」 https://twitter.com/news24ntv/status/1278898787117744128
U-SKEさん「香港の人たちが命がけで獲得しようとしている普通選挙と、その普通選挙で僕ら日本人がしていること。」 https://twitter.com/USKE_ASADA/status/1278730792483446790
佐藤正久さん「【昨日、ツイートしたように、本日、外交部会で決議→自民 習国家主席の国賓訪日中止求める方針 「香港傍観できず」】 報道が一部間違っているのは「重大で深刻な憂慮を表明する」ではなく「強く非難する」との表現。この決議は「憂慮決議」ではなく「非難決議」。」 https://twitter.com/SatoMasahisa/status/1278847006748729344
NHK@首都圏さん「来月5日に投票が行われる東京都知事選挙についてNHKが行った世論調査によりますと、都知事選に「関心がある」と答えた人は、89%を占めた。投票に「必ず行く」と答えた人と「期日前投票をした」と答えた人はあわせて66%となっている。」 https://twitter.com/nhk_shutoken/status/1277867947013226496
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「英国は1日、中国が香港国家安全維持法を施行したのを受け、香港に住むすべての「英海外市民」について、英国への入国管理規則を大幅に緩和すると正式に発表しました。英海外市民の旅券保持者が、ビザ(査証)なしで英国に滞在できる期間を延長し、市民権取得につなげます。」 小中学校の給食で3400人以上が食中毒 埼玉県
BBC News Japanさん「BBCニュース - ロシアの改憲投票、78%が賛成 プーチン大統領は2036年まで続投可能に」 https://twitter.com/bbcnewsjapan/status/1278631377693368320
TBS NEWSさん「【独自】服役の邦人男性帰国へ 中国でスパイ罪 刑期満了 #中国 で #スパイ罪 などに問われて実刑判決を受けた日本人男性がきのう #刑期満了 となり、さきほど帰国の途についた。一連の日本人拘束事件で有罪判決を受けた日本人が帰国するのは初めて。」 https://twitter.com/tbs_news/status/1278569151242493952
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「国家安全法で初の逮捕者 民主派デモ敢行、370人拘束―厳戒下の香港返還23年」 https://twitter.com/jijicom/status/1278346630580678656
時事ドットコム(時事通信ニュース)さん「北朝鮮に拉致された横田めぐみさん=拉致当時(13)=の父滋さんが、6月5日に87歳で死去したことを受け、トランプ米大統領から妻早紀江さん(84)に弔意を示す書簡が届いたことが1日、分かりました。」 https://twitter.com/jijicom/status/1278229940580823051
日本経済新聞 電子版さん「マイナンバーカードを持つ人を対象に上限5000円、25%分ポイント還元する「マイナポイント」の利用申し込み受け付けがきょう7月1日始まります。予算は4000万人分で、予約人数が上限に達すれば申請を打ち切ります。」 https://twitter.com/nikkei/status/1278094430218661890
もも と みらいさん「取り出してまず説明書を読む飼い主と、早速箱に収まる猫。検品されるロボロックちゃん。速攻マウントをとられるロボロックちゃん。 (๑'ㅂ')おやめ下さい。」 https://twitter.com/myumyulovemyu/status/1278290191090774016
癒しチャンネルさん「毎日こうしてたい」 https://twitter.com/iyashichannel_/status/1278511378165161984
いつでも買えると評判上々 青森・つがるのホルモン自販機 飲料用の応用に試行錯誤 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200703/k00/00m/040/015000c
ボツワナでゾウ350頭が謎の死「例がない規模」 密猟の可能性は否定 - 毎日新聞 https://mainichi.jp/articles/20200703/k00/00m/030/059000c
卯堂 成隆@お仕事募集中さん「白い球体、「所有者・目的不明」の結論…十字形の部品と2基のプロペラ付く : 社会 : ニュース : 読売新聞オンライン あれって、なんで打ち落とさなかったんだろうね? 海外の諜報目的だったらどうするのやら。」 https://twitter.com/loadofbear/status/1278897612976828418
【最新まとめ】まとめまとめさん「神奈川県のJR線の駅、多機能トイレに使用制限! 渡部建の文春砲の影響か?? #多機能トイレ #渡部建 #乙武��匡 #拡散」 https://twitter.com/matomame3/status/1278901787932549120
Yahoo!ニュースさん「【児童ら3千人以上が下痢や腹痛】埼玉県八潮市で多数の小中学生が下痢や腹痛を訴えた問題で、県は2日、全市立学校の児童と生徒、教員の約半数に当たる3453人が症状を申告したと明らかにした。集団食中毒と認定し、原因を調べる。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1278655978758533120
Yahoo!ニュースさん「【ミャンマーで地滑り160人超死亡】ミャンマー北部カチン州パカンのヒスイ鉱山で大規模な地滑りが起き、160人以上が死亡した。さらに多数が行方不明になっているという。現場には採掘の際に排出された土石が積まれていた。」 https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/1278713103408959490
日本経済新聞 電子版さん「テスラ時価総額22兆円、トヨタ超え世界首位に 1年で5倍」 https://twitter.com/nikkei/status/1278334796930797569
読売新聞ブランド企画部さん「昨年1年間に全国の警察に届け出があった #認知症(疑いを含む)の #行方不明者 は、延べ1万7479人に上り、過去最多を更新したことがわかりました。 前年より552人増え、2012年の統計開始以来、7年連続の増加となったそう。 詳しくは今日の夕刊社会面で。 地域社会で見守りを強化していきたいですね。」 https://twitter.com/pr_yomi/status/1278605250752962560
聖詩さん「「JESUS」から「CALL FOR YOU」の繋がりが個人的にはかなり拘ってると言うか、作った時は2曲で1セット的に考えておりました。この繋がりを聴けるのもこのCDだけなのであり〼」 https://twitter.com/suimasenoaiso/status/1278658948707438593
池袋 手刀さん「もうすぐ放送開始です!」 https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1278642818198630400
池袋 手刀さん「リンク、投げ銭、差し入れ等はこちらにて。。。」 https://twitter.com/ikebukuro_chop/status/1278642975543750658
【貴族】Mörishige【KIZO-CLIMAX TOGETHER】さん「バグラジありがとうございました・・・† それぞれの場所に遊びに行って参りましたが、全て楽園プーチョーです・・・。」 https://twitter.com/KIZOKU_0927/status/1278688732695031809
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「初の、紙ストロー。 なんというか、ぱしぱししている。アイス用の木のスプーンと似たぱしぱし感があるよ。」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278652272650514432
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「玉露ほうじ茶ラテ◎美味しかったです◎」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278653344320385026
キリ(luin/…。【サイレンス】)さん「RT 「塩…少々 って具体的に何グラ���?」と聞いてきた理系の実兄との会話を思い出す。 生き方が違いすぎて会話に困るけど、それが楽しかったりもします(´ω`) 今週末は姪っ子と初対面〜◎」 https://twitter.com/kiri_drums/status/1278698781106552833
lucy+peter=esolagotoさん「微熱になったからって遊びに行って39℃で帰ってくる子供のようなもんだよね・・・。 しんどくてももう2週間我慢してたら終わったのに、と思う」 https://twitter.com/lucy_peter/status/1278727730297663488
ギャラクシー2525さん「†トーキョーナンバーワンゴシックパンク†DALLEのかっこいい服が届きました。 グレゴリー・ザムザと言うとBUCK-TICKの『PHYSICAL NEUROSE』を思い出します。 この服を着てメタモルフォーゼします✨」 https://twitter.com/govat66/status/1278627299290742784
dgmldgmlさん「DALLEさんのTシャツ届いたから明日のお散歩から着るぜ。」 https://twitter.com/dgmldgml/status/1278695341877944320
Meさん「DALLEのTシャツ来たよ☺️✨ 八田さんのサインもありがとうございます🙏✨ 早速明日着ようかな😌💕」 https://twitter.com/Me_1027_oto/status/1278668075886186498
🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「今週の5日日曜日は都知事選挙の投票日 神奈川県民だから投票出来ないけど 山本太郎さんが都知事にならないかな〜 この街宣聴衆者数凄いね 注目されまくってる 個人的に思うのはこれオーケーならライブハウスは、、、 とか」 https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1278843425702338560
𝔱𝔥𝔢 𝔥𝔞𝔱𝔢 𝔥𝔬𝔫𝔢𝔶さん「[announcement] 恵比寿LIQUIDROOM振替公演の日程が決定しました!!! "A DEEP TIES 2021 Reloaded" 2021年4月17日 (sat) 恵比寿LIQUIDROOM open / 16:00 start / 17:00 act : FULLTRAP THE HATE HONEY KEMURI 175R POTSHOT ニューロティカ DJ: 白鳥雪之丞(Tears of Swan) Mai (continue)」 https://twitter.com/THEHATEHONEY_jp/status/1278886724370751488
🕸𝔛𝔛𝔛𝔄𝔗𝔖𝔘𝔖ℑ🕸さん「THE HATE HONEYが出演する恵比寿LIQUIDROOMでやるイベント振替公演の日程が決定ました "A DEEP TIES 2021 Reloaded" 2021年4月17日 (sat) 恵比寿LIQUIDROOM よろしくね」 https://twitter.com/xxxxvalentine/status/1278888218138562561
白田 雄人さん「先日6/23の仁さん配信ライブの動画です! ぜひご覧あれ!」 https://twitter.com/YutoHakuta_gt/status/1278654678574624774
情次2号さん「わたしコレやりました。48周年おめでとうございます🎉」 https://twitter.com/george2nd/status/1278237437605457920
十三月 紅夜さん「ワタクシ���お手伝いをさせて頂いたことがある、西新宿の和食料理店【砂々良】@sasara620) が48周年 とのこと!!! おめでとうございます✨㊗️🎉 お料理もめっちゃ美味しくて、とっても良いお店です◎ こもださん作詞作曲の可愛らしい記念ソング、皆んなも是非聴いてみてね🌸」 https://twitter.com/jusangatsukouya/status/1278391688378019840
KISAKIさん「KISAKI、未発表新曲CD「Nothingness Cage」完売ありがとう。コンピレーションアルバム「鹿鳴館伝説」も宜しくお願いします。」 https://twitter.com/KISAKI_OFFICIAL/status/1278684638945239040
Go Yanamotoさん「disc77:『蘇生』/Syndrome」 https://twitter.com/utopos_utopos/status/1262997087035068416
拓馬(紫音) NEiN 4/21全11曲アルバム発売さん「今日は仕事休みだったんで、夕方から舜さん邸に遊びに来て色々楽しい話を(o^^o) 楽しい休みだったなー! ラーメンうまし^ ^」 https://twitter.com/takuma_nein/status/1278685544952651777
舜 NEiNフルアルバム発売中さん「俺の彼女だから手出したらあかんで(*´﹃ `*) #LINA」 https://twitter.com/shun_thefuzzbox/status/1278697761714565120
拓馬(紫音) NEiN 4/21全11曲アルバム発売さん「LINA姉ー😍」 https://twitter.com/takuma_nein/status/1278698994223345664
邪悪四弦LINAさん「可愛いなぁ〜…俺様(°_°)」 https://twitter.com/L_ch_vazm/status/1278885017788149760
太三さん「暫く人前での演奏していないけど 腕は上がってるぜ💪🏻 待ってろ」 https://twitter.com/taizodiac/status/1278689077236125696
魚住 英里奈 ( 独 唱 )さん「「魚住さんは病んでいて、薬を飲んでいる事も隠してなくて羨ましい〜」と言っていた女、 薬がダサい事だとようやく気付いて、健康になったな。 そしてわたしが措置入院してから本物だと気づいたな わたしは前から知っていた、」 https://twitter.com/erina_chas/status/1278707206058205184
Köziさん「バゴンっ!」 https://twitter.com/Kzi_official/status/1278725243750633473
KENZI 7・3スター☆カフェ30th写真集発売イベント。さん「アメブロを更新しました。 『お誕生日。』 #antikenzistars」 https://twitter.com/Antikenzi2000/status/1278751055988187136
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「けんちゃんありがとうございます!そして誕生日おめでとうございます!アルバム中、最狂最速の曲です!」 https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1278816651220103170
金髪豚野郎K助(偽殿下)さん「みんなタイトルなんて読んだかな? たいこみち? たいこどう? 正解は「たいこどう」だぜ��� (°_°)」 https://twitter.com/goldenpigdrumer/status/1278901009352257537
中島卓偉さん「IGTVで「高円寺」を歌いました。是非聴いてやって下さい。 #中島卓偉#takui nakajima#rocksinger#stay safe」 https://twitter.com/takuinakajima/status/1278907263542079489
0 notes
Text
●日付(ひづけ、date)とは
●日付(ひづけ、date)とは 日付(ひづけ、date)が気になり調べていくと釈迦にたどり着いた。 悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。 いかに我々は知らなくて日々を過ごしているか。 さとりに中々手が届かないモノ。 何でも知っているつもりで有頂天になっている。 これも���教用語にある一つ。 有頂天(うちょうてん)は、仏教の世界観の1つであり、天上界における最高の天をいう。 と書かれている。 色んなモノが有るので読んで悟って下さい。 ●日付(ひづけ、date)は、暦の中の特定の日(暦日)を指定したものである。 http://ja.wikipedia.org/wiki/日付 文書などにその作成・提出などの年・月・日を記すこと。また、その年月日(ねんがっぴ、date)。暦 (calendar) では、記された年月日を表す数字をいう[1]。 古来より日付の表記方法が試行錯誤され、それぞれの国と時代で定められた方法により日付が表記された書物[2]が残されている。現在では、日付の表記方法として国際標準のISO 8601が制定・運用されている。 ●色んな呼び方。 ・干支 http://ja.wikipedia.org/wiki/干支 ・十年紀 http://ja.wikipedia.org/wiki/十年紀 ・ミレニアム(千年紀から転送) http://ja.wikipedia.org/wikiミレニアム 西暦を1000年単位で区切ったもの。 ・太陰太陽暦 http://ja.wikipedia.org/wiki/太陰太陽暦 ・太陰暦 http://ja.wikipedia.org/wiki/太陰暦 ・太陽暦 http://ja.wikipedia.org/wiki/太陽暦 ・時間の単位 http://ja.wikipedia.org/時間の単位 ・中国暦 http://ja.wikipedia.org/wiki/中国暦 ・月 (暦) http://ja.wikipedia.org/wiki/月 (暦) ・年中行事 http://ja.wikipedia.org/wiki/年中行事 ・マヤ暦 http://ja.wikipedia.org/wiki/マヤ暦 ・和暦 http://ja.wikipedia.org/wiki/和暦
●Category:暦法 http://ja.wikipedia.org/wiki/Category:%E6%9A%A6%E6%B3%95
●暦法の一覧 http://ja.wikipedia.org/wiki/暦法の一覧 国によって色んなカレンダーを使っているようだ。 暦法の一覧は、暦の一覧である。 目次 1 現在使われているもの 2 過去に使われていたもの 3 提案されたもの 3.1 改暦 3.2 地球以外に提案されたもの 4 フィクション ●暦(こよみ、れき)とは、時間の流れを年・月・週・日といった単位に当てはめて数えるように体系付けたもの。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6 ●暦 (映像作品) http://ja.wikipedia.org/wiki/暦_(映像作品) ●「暦の情報が直ぐに手に入る」 http://koyomi.vis.ne.jp/ 「暦の情報が直ぐに手に入る」 そんなサイトを目指しております。 ●国立天文台 天文情報センター 暦計算室 http://www.nao.ac.jp/koyomi/ ●カレンダー (calendar)とは、http://bit.ly/hocXkf ▲一般の場合:暦のことである。すなわち英語など一般には暦と日本で言うところのカレンダーとは区別されない。 ▲日本の場合:日本の用法では、毎日を表形式等で表示し、日付を確認できるものを指す。 ●暦学(れきがく)は、もともと天文学の古い言い方。天文学が、暦を編むために研究されていたからである。 暦に関する理論や実際の計算・作成技術について研究する天文学の一分野である暦算天文学(れきさんてんもんがく)の略称としても使われる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9A%A6%E5%AD%A6 ●暦注(れきちゅう)とは、暦に記載される日時・方位などの吉凶、その日の運勢などの事項のことである。http://ja.wikipedia.org/wiki/暦注 暦注の大半は、陰陽五行説、十干十二支(干支)に基づいたものである。一般に、暦の上段には日付・曜日・二十四節気などの科学的・天文学的な事項や年中行事が書かれ、中段には十二直、下段には選日・二十八宿・九星・暦注下段などの非科学的・迷信的な事項が書かれる。 また、六曜は日付の下に書かれることが多いが、これも暦注に入れる。 暦注の日取りを決める方法を撰日法という。 ●方位(ほうい)とは、ある地点における水平面内の方向を、基準となる方向との関係で表した物。または、基準となる幾つかの方向に付けた名称である。 方角(ほうがく)もほぼ同義である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%96%B9%E4%BD%8D ●陰陽五行思想(いんようごぎょうしそう、おんみょうごぎょうしそう)とは、中国の春秋戦国時代ごろに発生した陰陽思想と五行思想が結び付いて生まれた思想のこと。 http://ja.wikipedia.org/wiki/陰陽五行説 陰陽五行説(いんようごぎょうせつ)、陰陽五行論(いんようごぎょうろん)ともいう。 陰陽思想と五行思想との組み合わせによって、より複雑な事象の説明がなされるようになった。 ▲十干十二支 陰陽五行説の基本は、木、火、土、金、水、(もく、か、ど、ごん、すい、金は「きん」でなく「ごん」と読ませる)の五行にそれぞれ陰陽二つずつ配する。甲、乙、丙、丁、戊、己、庚、辛、壬、癸、は音読みでは、こう、おつ、へい、てい、ぼ、き、こう、しん、じん、き、と読む。音読みでは陰陽と五行にどう対応しているか分かりにくいが、訓読みにすると、きのえ、きのと、ひのえ、ひのと、つちのえ、つちのと、かのえ、かのと、みずのえ、みずのと、となり、五行が明解になる(かのえ、かのと、は金)。陰陽は語尾の「え」が陽、「と」が陰である。語源は「え」は兄、「と」は弟である。「えと」の呼び名はここに由来する。「えと」は本来、十干ないし干支の呼称だった。きのえ、は「木の陽」という意味。 十二支にも五行が配されている。 その前提として、四季に対応する五行は、春が木、夏が火、秋が金、冬は水である。 土はどこへ来るかというと、各季節の最後の月である。 有名な「土用の丑の日」は夏の最終月(土の月、土用)の丑の日(丑は土の五行)ということである。 ・春は、二月寅、三月卯、四月辰(五行は木、木、土) ・夏は、五月巳、六月午、七月未(五行は火、火、土) ・秋は、八月申、九月酉、十月戌(五行は金、金、土) ・冬は、十一月亥、十二月子、一月丑(五行は水、水、土)、となる。 十二支の陰陽は、子から数えていき、奇数番目は陽、偶数番目は陰となる。 十干と十二支が組み合わさるとき、陰と陽の組み合わせはなく、陽と陽、陰と陰の組み合わせのみとなる。 そのため、10×12=120とはならず、半分の60通りになる。 甲寅はあっても乙寅はない、乙卯はあっても甲卯はない。 ▲暦 陰陽五行説の暦、またそれをもとにした占いは、立春を一年の始まりとしている。また月の始まりも1日ではなく、二十四節気のうち月の前半に来る十二の節が月の始めになる。年によって違うが、おおむね5~8日になる。月の節入り(せついり)という。 ・立春、 2月4日頃 ・啓蟄、 3月6日頃 ・清明、 4月5日頃 ・立夏、 5月5日頃 ・芒種、 6月6日頃 ・小暑、 7月7日頃 ・立秋、 8月7日頃 ・白露、 9月8日頃 ・寒露、10月8日頃 ・立冬、11月7日頃 ・大雪、12月7日頃 ・小寒、1月5日頃 だから1月の「年の干支」は前年の干支となるし、3月3日の「月の干支」は前月の干支となる。 ●二十四節気(にじゅうしせっき)は、1太陽年を日数(平気法)あるいは太陽の黄道上の視位置(定気法)によって24等分し、その分割点を含む日に季節を表す名称を付したもの。http://ja.wikipedia.org/wiki/二十四節気 ●曜日(ようび)とは、本来七曜(7つの天体)が守護するとされる日のことをいい、曜日が循環する7日の組の事を週と呼ぶ。http://ja.wikipedia.org/wiki/曜日 ●七曜(しちよう)とは、肉眼で見える惑星の火星・水星・木星・金星・土星と、太陽・月を合わせた7つの天体のことである。七曜星とも言う。 近代天文学が発達する以前は、恒星よりもはるかに明るく、天球から独立して動くという点で、惑星と太陽と月は同種のものと(言い換えれば太陽と月も惑星に含めて)考えられ、また世界各地で神々とも同一視され、特別の扱いを受けていた。 ▲現在の週は七曜がもとになっている。 http://ja.wikipedia.org/wiki/七曜 本来の順番は、天球上の動きが遅い順に土星から始まり月で終わると考えられた。やがて、土星を初めとして、以下、現在よく知られている順番(土星・太陽・月・火星・水星・木星・金星)で一日ずつを守護するともされ、ある七曜が守護する日をその七曜の曜日と呼んだ。 ▲占星術の九曜は七曜がもとになっている。 日食に関係している羅府、計都を七曜に加える。
●古代の惑星 http://bit.ly/i4YH19 惑星に関する知識は有史以前から存在し、多くの文明に共通なものであったが、planetという単語の語源は古代ギリシアに遡る。 ギリシア人は、地球は宇宙の中心で静止していて、空にある天体や空自身が地球の周りを動いているという天動説を信じて���た。ギリシアの天文学者は、1年間かけて天球を移動する星のような光に対して、「惑う星」という意味のasteres planetaiという言葉を与えた。 一方、他に対してほとんど動かない「固定された星」のことをasteres aplanisと呼んだ。 今日、惑星と呼ばれるもののうち、肉眼で見ることのできる5つ、水星、金星、火星、木星、土星はギリシアの時代から知られていた。 ギリシア・ローマ時代の宇宙観では、共通して太陽と月も惑星と数えられ、7つの惑星(=七曜)が考えられていた。 しかしそこには曖昧さがあり、古代の多くの天文学者は5つの惑星を太陽と月から区別していた。 ●天球(てんきゅう、celestial sphere)とは、かつて惑星や恒星がその上に張り付き運動すると考えられた地球を中心として取り巻く球体のこと。 また現代でも、位置天文学において地球から見える天体の方向を表すために無限遠の距離にある仮想の球面上の点のようにみなすことがあり、これも天球と呼ばれる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E7%90%83 ●占星術(せんせいじゅつ)または占星学(せんせいがく)は、太陽系内の太陽・月・惑星・小惑星などの天体の位置や動きなどと人間・社会のあり方を経験的に結びつけて占う技術(占い)。古代バビロニアを発祥とするとされ、ギリシア・インド・アラブ・ヨーロッパで発展した西洋占星術・インド占星術と、中国など東アジアで発展した東洋占星術に大別することができる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%A0%E6%98%9F%E8%A1%93 ●九曜(くよう)とは、インド天文学やインド占星術が扱う9つの天体とそれらを神格化した神である。 中国へは『宿曜経』などにより漢訳された。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B9%9D%E6%9B%9C ●宿曜経(すくようきょう、しゅくようきょう) (宿曜経から転送) 『文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経』 (もんじゅしりぼさつきゅうしょせんしょせつきっきょうじじつぜんあくすくようきょう)とは、宿曜道の所依の教典の一つ。 https://ja.wikipedia.org/wiki/文殊師利菩薩及諸仙所説吉凶時日善悪宿曜経 一般には『宿曜経』 (すくようきょう、しゅくようきょう)と略称される。上下二巻。 文殊菩薩とリシたちが、二十七宿や十二宮、七曜などの天体の動きや曜日の巡りをもとに、日や方角等の吉凶を読み解く方法を説き明かした物であるとされる。 ただしこれは伝説に過ぎず、実際にはインド占星術の入門書とも言うべき内容である。 不空金剛が759年に中国で訳出したとされる。ただし、原典があったかについては疑わしく、恐らく不空が自分の知っているインド占星術の知識を、弟子の史瑶や楊景風に口述筆記させた物と思われる。 一説には、下巻が史瑶による初訳本、上巻が楊景風による改定修注版であるともいい、実際、下巻の方がより元のインド占星術に近い内容である。 日本では空海がこの経をもたらし、曜日が知られるようにな��た。 ●宿曜道(すくようどう)とは、平安時代、空海をはじめとする留学僧らにより、密教の一分野として 日本へもたらされた占星術の一種。密教占星術、宿曜占星術などともいう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%BF%E6%9B%9C%E9%81%93 ●六曜(ろくよう・りくよう)は、暦注の一つで、先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口の6種をいう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E6%9B%9C ●仏滅(ぶつめつ) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%BB%85 ▲仏・如来の入滅・滅度のこと、すなわち死。特に釈迦仏の滅度を指していわれる。本項で記載する。 ▲暦注の1つ、仏滅。もとは物滅と表記。なお、前項1とは関連性はない。冠婚葬祭などにおける仏滅は六曜#仏滅を参照。 https://ja.wikipedia.org/wiki/六曜#仏滅 ●「大安」の意味とは?「大安吉日」の意味や大安の葬式についても ビジネス知識 業務知識 「大安」の意味とは?「大安吉日」の意味や大安の葬式についても https://biz.trans-suite.jp/19921 2019/03/19 カレンダーなどに書かれている「大安(たいあん)」は、聞いたことはあるけど 詳しくは知らない、という人が多いようです。 今回は「大安」の意味や、大安に行う行事「結婚式」や「葬式」のマナー、 大安以外の六曜などについて解説します。 「大安」とはどんな日で、どんな意味があるのか、ということを知れば 「大安の日」を上手く活用することができるかもしれません。 目次 1 「大安」の意味と読み方とは? 1.1 「大安(たいあん)」とは終日縁起の良い日 1.2 「大安の日」とは六曜の中の吉日 1.3 「大安吉日」とはとても縁起の良い日 2 「大安」の日の行事 2.1 「結婚式」は大安が一番人気 2.2 「葬式」を大安にできないわけではない 2.3 「大安の一粒万倍日」は金運上昇 3 「大安」以外の六曜 3.1 「仏滅」は一日中凶の縁起が悪い日 3.2 「赤口」はある時間帯以外は凶 3.3 「先勝」は午前中のみ縁起が良い日 3.4 「先負」は午後だけ縁起が良い日 3.5 「友引」は良くも悪くも友を引く日 4 「大安」の英語表現 4.1 「大安」は英語で「lucky day」 5 まとめ ・「大安の一粒万倍日」は金運上昇 金運の上昇に良い日と言えば「一粒万倍日」です。一粒万倍日とは「少しのものが大きく育つ」と言われる日で、財布や貯金を始める日として人気があります。 ●一粒万倍日 - Wikipedia https://ja.wikipedia.org/wiki/一粒万倍日 一粒万倍日(いちりゅうまんばいび、いちりゅうまんばいにち) 選日の1つである。 単に万倍とも言う。 「一粒万倍」とは、一粒の籾(もみ)が万倍にも実る稲穂になるという意味である。 一粒万倍日は何事を始めるにも良い日とされ、 特に仕事始め、開店、種まき、お金を出すことに吉であるとされる。 但し、借金をしたり人から物を借りたりすることは苦労の種が万倍になるので 凶とされる。 また同じ意味合いで、借りを作る、失言をする、他人を攻撃する、浪費なども トラブルが倍増するので避けたほうがいいとされています。 一粒万倍日は数が多いことから、他の暦注と重なる場合がある。 その場合、吉日と重なったら一粒万倍日の効果が倍増し、 凶日と重なったら半減するという。 一粒万倍日は宣明暦時代には記載されていたが、 地方暦によっては記載されていないものもあった。 貞享暦以降は暦注から外されたが、 新暦が普及してから民間暦に掲載されるようになった。 ・日取り 一粒万倍日の日取りは節切りで、次の通りである。 なお、二十四節気のうち、太陽黄経が30の倍数であるもの(春分・穀雨など)を中気、そうでないもの(清明・立夏など)を節気といい、節気から次の節気の前日までの間を1か月とする月の区切り方を節切り、その月を節月という。 以下の節月は旧暦(太陰太陽暦)や新暦(グレゴリオ暦)などの月とは当然異なるものとなる。 正月:丑・午の日 二月:酉・寅の日 三月:子・卯の日 四月:卯・辰の日 五月:巳・午の日 六月:酉・午の日 七月:子・未の日 八月:卯・申の日 九月:酉・午の日 十月:酉・戌の日 十一月:亥・子の日 十二月:卯・子の日 ●撰日法(せんじつほう) https://ja.wikipedia.org/wiki/撰日法 撰日法(せんじつほう、選日法とも表記される)とは、暦注の日取りの方法のことである。撰日法には月切り・節切り・不断の三種類がある。 ・月切り 月切りとは、暦注の日取りを暦月によるもの、すなわち、旧暦の月の朔日からの干支や日数で決めるものである。月切りで日取りを行う暦注で代表的なものは先勝・友引・先負・仏滅・大安・赤口を表す六曜である。 ・節切り https://ja.wikipedia.org/wiki/撰日法#節切り 節切りとは、暦注の日取りを節月によるもの、すなわち、二十四節気の節気からの干支や日数で決めるものである。多くの暦注は節切りによっている。例えば、節切りによる正月は立春から啓蟄の前日までとなる。 俳句の季語の分類も、節切りによるものである。 ・不断 不断とは、暦月・節月によらず暦注の日取りが常に一定のものである。たとえば天恩日は常に一定の干支の日となる。 ●暦の基礎知識 http://www.t3.rim.or.jp/~hiroto/ftnbasic2.html 節月 旧暦の1ヶ月は、月齢が新月から次の新月までをとる方法で、「暦月」と呼んでいます。 これに対して、「節月」とは、上の二十四節気に基づき1ヶ月を決める方法です。 例えば、「節月」でいう正月は立春(2月4日頃)から啓蟄(3月6日頃)の間のことです。 この考え方では、1年の始まりは、立春ということになります。 月の干支はこの節月に割り振られており、中国占術ではこの干支を使うことになります。 ●如来 (にょらい)とは、仏教で釈迦を指す名称(十号)のひとつ。あるいは、大乗仏教における諸仏の尊称。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%82%E6%9D%A5 ●釈迦(釋迦、しゃか、 梵名:シャーキャ、शाक्य [zaakya](Śākya)、一説に前463年 - 前383年、前560年 - 前480年、前624年 - 前544年、等々)は、仏教の開祖である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6 ●釈迦如来(しゃかにょらい、しきゃじらい)または釈迦牟尼仏は、仏教の開祖釈迦〔姓名:瞿曇悉達多(くどん しっだった、クドン シッタルタ)梵語:Gautama Siddhārtha(ガウタマ・シッダールタ)パーリ語:Gotama Siddhattha(ゴータマ・シッダ��タ)〕を仏(仏陀)として敬う呼び方。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%88%E8%BF%A6%E5%A6%82%E6%9D%A5 ●仏陀(ブッダ、梵:बुद्ध buddha)は、仏ともいい、悟りの最高の位「仏の悟り」を開いた人を指す。buddha はサンスクリットで「目覚めた人」「体解した人」「悟った者」などの意味である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E9%99%80 ●悟り(さとり)は知らなかったことを知ること、気がつくこと、感づくことを言い覚りとも書く。 宗教上の悟りは迷妄を去った真理やその取得を言う。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%82%9F%E3%82%8A ●成仏(じょうぶつ)は、仏教用語で、悟りを開いて仏陀になることを指す。 成仏への捉え方は宗派によって異なる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BB%8F ●仏教用語一覧(ぶっきょうようご・いちらん)とは、仏教で使用される用語の一覧である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99%E7%94%A8%E8%AA%9E ●有頂天(うちょうてん Skt:Bhava-agra)は、仏教の世界観の1つであり、天上界における最高の天をいう。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%89%E9%A0%82%E5%A4%A9 俗語で言われる「有頂天」について ・俗語の転用 「天」は「天界」を意味すると同時に、そこに住する者をも指す。したがって、 このことから「有頂天に登りつめる」=「絶頂を極める」の意を転じて、 頂上世界に安住して自分を忘れてうわの空である状態を指すようになった。 ●天(てん)は、仏教の世界観の中で、神々や天人が住むとされる最上位の世界。 天界(てんかい、てんがい)、天道(てんどう)、天上界(てんじょうかい、てんじょうがい)、天上道(てんじょうどう)。サンスクリットではデーヴァローカ (devaloka, deva loka)。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E7%95%8C ●仏教(ぶっきょう、Buddhism)は、インドの釈迦(ゴータマ・シッダッタ、あるいはガウタマ・シッダールタ)を開祖とする宗教である。 キリスト教・イスラム教と並んで世界三大宗教のひとつ(信仰のある国の数を基準にした場合)で、一般に仏陀(目覚めた人)の説いた教え、また自ら仏陀に成るための教えであるとされる。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%8F%E6%95%99 ●天女(てんにょ)は日本の伝説上の存在。 女性の天人を天女ともいう。 天女は、天部に住むとされる女性のことで、天帝などに仕えているとされる女官の総称である。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E4%B8%8A%E7%95%8C ●天部(てんぶ、サンスクリット (देव, deva)は、密教における神々を意味する尊格の一つ。 ほとんどは、古代インドのバラモン教(古代のヒンドゥー教)の神々が密教に取り入れられ、仏の守護神である護法善神となったものである。 天、天部神。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%A9%E9%83%A8 ●羽衣伝説(はごろもでんせつ)は日本各地に存在する伝説。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%BD%E8%A1%A3%E4%BC%9D%E8%AA%AC
0 notes
Text
【Yahoo論壇/華志豪】募兵困境一:國防結構失衡
作者為台北論壇基金會主任

圖片來源:gettyimages
募兵制搞了這麼多年,成效迄今無法讓國人肯定。財源、兵源、素質,負面訊息不斷,為各界所詬病。就連美國出個「2018年中國軍力報告」都不忘補上一槍,質疑我國實施全募兵制會排擠軍備預算。於是,「恢復徵兵制」的聲音又出現了。然而,以現下台灣的政治生態、社會環境乃至兩岸氛圍的現實,倘若宣布恢復徵兵制,蔡英文總統可能立即得面對選票跑光、人民走光的「兩光」局面。在現實考量下,今後無論誰執政,恐怕都不敢貿然宣布恢復徵兵制。所以,與其爭吵要不要恢復徵兵制,不如好好想一想怎麼樣才能把募兵制搞好。
國防部檢討募兵制面臨的困境大致有三種:一是少子化造成兵源不足,二是待遇偏低致從軍誘因不足,三是軍人社會地位低下造成入營意願不足。這些困難都是事實,也是大眾認知的募兵困境所在。但從根本上說,這些都是技術性問題。整體國防結構的失衡,才是造成募兵困難的主因。根源性問題不除,國軍永遠難以達到「小而精、小而強、小而巧」的目標。
主張徵兵制者常常喊兵力不足,所以台灣安全堪慮,這一類的聲音尤以國軍將領居多。那麼,台灣到底需要多少兵力才是合理的?這個問題軍方從沒給個明確的交代,坊間的軍事專家們也鮮少碰觸此一敏感話題。從1997年精實案開始,接續而來的精進案、精萃案、勇固案,每回裁軍將領們都不忘諄諄告誡:兵力不能再裁了,再裁會出大問題。妙的是,每上來一位總統仍是大裁一番,軍人出身的歷任國防部長也都勇於任事,卯足勁把總兵力裁到三軍統帥滿意的數字。那麼,到底多少兵力才是底線?能有一個說服國人支持的論述嗎?
需要多少兵力員額,就得看我們到底要打麼樣的仗?國防部在「防衛、嚇阻、固守、��效、重層」這些文字排列組合上搞了這麼多年,換個政黨執政就換個地點殲敵。戰略專家們一頭熱的爭論要在海上還是灘頭和敵人決戰,卻從沒問一問我們的社會樣態、人民意志,願不願意隨著政府的決策和共軍打焦土戰、巷戰、游擊戰?從近年的民調看起來,答案顯然是:「不願意」!
為什麼要探討國人有沒有焦土抗戰的決心呢?因為這就涉及到我們三軍兵力的配屬。台灣四面環海,共軍要登陸,除了空機降,只能從海上來。在運送過程中,戰力是最薄弱的時候,也是我們將敵人殲滅的最佳時機。蔡政府上台後國防部創造出「濱海決勝、灘岸殲敵」的戰略構想,這種是認為敵人無須依憑海、空軍的優勢也能登陸的概念,所以我們可以事先集結好後備軍人,等敵人上岸後以優勢兵力一舉掃蕩。但是,如果在灘岸還是無法殲滅敵人呢?台灣本島還有作戰腹地嗎?還是將部隊拉到中央山脈繼續堅守頑抗?無怪乎前國防部長李天羽要發出「這年代還在玩金鐘罩、鐵布衫」的感嘆了。
釐清這個概念後,我們回頭看看最新一波「勇固案」裁軍後的配比,陸、海、空三軍中,陸軍仍是人數最多、比例最高的軍種。台灣四面環海,陸軍卻占了最大宗,這種比例合理嗎?日前監察院痛陳後備部隊訓練差、素質低。須知後備軍人事實上是以陸軍為最大宗,國防預算每年花這麼多錢搞教、點召,戰時我們的後備軍人即使都願意慷慨赴義,到了灘岸真的就能決定戰爭勝負嗎?
許多問題,點出來很難堪,惹人厭,但為何國防戰略不能公開辯論?如果我們的海、空軍已經絕大多數都已達成募兵制目標,陸軍是否能再更精緻一些?或是把多餘的員額補充給海空軍,讓國軍有更強的力量拒敵於國土之外。陸軍則主要作成為清掃敵軍殘餘兵力的主力,而非決戰的關鍵。
或許有人會認為,我們海空軍武器裝備比不上共軍,在灘岸決戰是迫於無奈的最後手段。而且,國防預算連年不足,買武器還得編特別預算,募兵又是一大筆財政負擔,國家財政難以支應。這或許是一個務實的觀點,但蔡政府既然標榜「改革」,除了唱和美國花錢大搞國機國造、國艦國造、軍備採購之外,為何不先在國防結構上大刀闊斧的作體制性改革,徹底進行一場軍事事務革新?
______________
【Yahoo論壇】係Yahoo奇摩提供給網友、專家的意見交流平台,本文章內容僅反映作者個人意見,不代表Yahoo奇摩立場。有話想說?不吐不快!>>> 快投稿Yahoo論壇
#_lmsid:a077000000CFoGyAAL#_category:yct:001000661#_draft:true#_author:華志豪#_uuid:2ceca713-9957-3d1e-8084-4226c9e92b14#_revsp:9094a83c-17ed-4263-bd18-9f689af6aadc
0 notes
Text
各地句会報
花鳥誌 令和5年8月号

坊城俊樹選
栗林圭魚選 岡田順子選
………………………………………………………………
令和5年5月1日 花鳥さざれ会 坊城俊樹選 特選句
葉桜に声まで染まるかと思ふ 雪 葉桜の懐深く観世音 同 葉桜を大天蓋に観世音 同 ふと思ふ椿に匂ひ有りとせば 同 葉桜の濃きに始まる暮色かな 泰俊 葉桜の蔭をゆらして風の音 同 老鶯を聞きつつ巡りゐる故山 かづを 四脚門潜ればそこは花浄土 和子 緑陰を句帳手にして一佳人 清女 卯波寄すランプの宿にかもめ飛ぶ 啓子 蝶二つもつれもつれて若葉風 笑 雪解川見え隠れして沈下橋 天
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月6日 零の会 坊城俊樹選 特選句
五月闇喫茶「乱歩」は準備中 要 だんだんに行こか戻ろか日傘 和子 錻力屋のゆがむ硝子戸白日傘 昌文 空になる途中の空の鯉幟 和子 ラムネ玉胸にこもれる昭和の音 悠紀子 だんだんは夏へ昭和へ下る坂 慶月 だんだん坂麦藁帽子買ひ迷ふ 瑠璃 白シャツのブリキ光らせ道具売る 小鳥 蟻も入れず築地塀の木戸なれば 順子 夕焼はあのアコーディオンで歌ふのか きみよ 谷中銀座の夕焼を待ちて老ゆ 同
岡田順子選 特選句
築地塀崩れながらに若葉光 光子 日傘まづは畳んで谷中路地 和子 ざわめく葉夏の赤子の泣き声を 瑠璃 築地塀さざ波のごと夏めきて 風頭 カフェーの窓私の日傘動くかな 和子 二階より声かけらるる薄暑かな 光子 下闇に下男無言の飯を食ふ 和子 覚えある街角閑かなる立夏 秋尚 谷中銀座の夕焼を待ちて老ゆ きみよ 誰がために頰を染めしや蛇苺 昌文 青嵐売らるる鸚鵡叫びたり きみよ
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月6日 色鳥句会 坊城俊樹選 特選句
カルデラに世帯一万春ともし たかし 大いなる大地を画布に聖五月 朝子 渚恋ひ騒ぐ厨の浅蜊かな たかし しやぼん玉母の笑顔を包みけり 朝子 乙姫の使者の亀ならきつと鳴く たかし 風に鳴るふらここ風の嗚咽とも 睦子 桜貝拾ひ乙女となりし人 久美子 風船の子の手離れて父の空 朝子 夕牡丹ゆつくりと息ととのふる 美穂 はつなつへ父の書棚を開きけり かおり 鷹鳩と化して能古行き渡航路 修二 風光るクレーンは未来建設中 睦子 人去りて月が客なる花筏 孝子 束ね髪茅花流しの端につづく 愛 悔恨深し鞦韆を漕ぎ出せず 睦子 ひとすぢの道に薔薇の香あることも 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月8日 武生花鳥俳句会 坊城俊樹選 特選句
戦争は遠くて近しチューリップ 信子 霾や廃屋多き街となり 三四郎 長長と系図ひろげて柏餅 昭子 鞦韆を揺らし母待つ子等の夕 三四郎 代掻くや越の富士山崩しつつ みす枝 氷菓子あれが青春かもしれぬ 昭子 モナリザの如く微妙に山笑ふ 信子 風なくば立ちて眠るや鯉幟 三四郎 観音の瓔珞めいて若葉雨 時江 春といふ名をもつ妻の春日傘 三四郎 もつれては蝶の行く先定まらず 英美子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月9日 さくら花鳥会 岡田順子選 特選句
金環の眼や神々し鯉幟 実加 テンガロンハットの老夫麦の秋 登美子 筍を運ぶ人夫の太き腕 あけみ 緩やかに青芝を踏み引退馬 登美子 赤き薔薇今咲き誇り絵画展 紀子 自らの影追ひ歩く初夏の昼 裕子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月9日 萩花鳥会
マンションの窓辺で泳ぐ鯉幟 祐子 兜より多産な鯉を子供の日 健雄 山頂に吹き上がるかな春の息 俊文 新緑やバッキンガムの戴冠式 ゆかり 仰向けのベッドに届く風五月 陽子 この日から五類に移行コロナあけ 恒雄 武者人形剣振り回すミニ剣士 美惠子
………………………………………………………………
令和5年5月10日 立待俳句会 坊城俊樹選 特選句
囀や高鳴く木々の夜明けかな 世詩明 すがりたき女心や花薔薇 同 仏舞面の内側春の闇 ただし 菖蒲湯に老の身沈め合ひにけり 同 うららかや親子三代仏舞 同 花筏寄りつ放れつ沈みけり 輝一 花冷や母手造りのちやんちやんこ 同 機音を聞きつ筍育つなり 洋子 客を呼ぶ鹿みな仏風薫る 同 渓若葉上へ上へと釣師かな 誠 子供の日硬貨握りて駄菓子屋へ 同 白無垢はそよ風薫る境内へ 幸只 春雨は水琴窟に託す朝 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月11日 うづら三日の月花鳥句会 坊城俊樹選 特選句
里山を大きく見せる若葉かな 喜代子 父母座す永代寺も夏に入る 由季子 三国町祭提灯掛かる頃 同 難解やピカソ、ゲルニカ五月闇 都
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月12日 鳥取花鳥会 岡田順子選 特選句
ホーエンヤ口上述べて祭舟 史子 暮の春どちの館の椅子机 すみ子 声潜めメーデーの歌通り過ぎ 益恵 手擦れ繰る季寄卯の花腐しかな 美智子 鳥帰る曇天を突き斜張橋 宇太郎 海光も包まん枇杷の袋掛 栄子 葉桜や仏の夫の笑みくれし 悦子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月13日 枡形句会 栗林圭魚選 特選句
菖蒲湯の香を纏ひつつ床に就く 多美女 風低く吹きたる社の陰祭 ゆう子 やはらかき色にほぐるる萩若葉 秋尚 すと立てし漢の小指祭笛 三無 深みゆく葉桜の下人憩ふ 和代 朴若葉明るき影を高く積み 秋尚 メモになき穴子丼提げ夫帰る 美枝子 祭笛天を招いて始まれり 幸子
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月14日 なかみち句会 栗林圭魚選 特選句
植物園脇に馴染みの姫女苑 聰 近づきて見失ひたる山法師 秋尚 母の日の記憶を遠く置き去りに 同 崩れかけたる芍薬の雨細き 同 若葉して柔らかくなる樹々の声 三無 葉桜となりし川辺へ風連れて 秋尚 白映えて幼稚園児の更衣 迪子 くれよんを初めて持つた子供の日 聰
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月17日 福井花鳥会 坊城俊樹選 特選句
一人逝き村軽くなる麦の秋 世詩明 水琴窟蔵す町屋の軒菖蒲 千代子 三国沖藍深めつつ卯波来る 笑子 母の日や母の草履の小さくて 同 カーネーション戦火の子らに百万本 同 遠ざかる思ひ出ばかり花は葉に 啓子 麦秋の響き合ふごと揺れてをり 千加江 あの世へもカーネーションを届けたし 同 紫陽花やコンペイトウと言ふ可憐 同 人ひとり見えぬ麦秋熟れにうれ 昭子 永き日の噂に尾鰭背鰭つき 清女 更衣命の先があるものと 希子 春愁や逢ひたくなしと云ふは嘘 雪 風知草風の心を風に聞く 同
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月17日 さきたま花鳥句会
鯉幟あえかな風も見逃さず 月惑 土間で輪に岩魚の骨酒郷の友 八草 背に茜萌黄の茶摘む白き指 裕章 薫風や鐘楼の梵字踊りたる 紀花 潦消えたるあとや夏の蝶 孝江 初夏の日差しじわじわ背中這ふ ふゆ子 水音のして河骨の沼明り ふじ穂 なづな咲く太古の塚の低きこと 康子 竹の子の十二単衣を脱ぎ始め みのり 薔薇園に入ればたちまち香立つ 彩香
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月21日 風月句会 坊城俊樹選 特選句
野阜に薫風そよぐ母の塔 幸風 突つ伏せる蝶昂然と翅を立て 圭魚 夏めきて観音膝をゆるく曲げ 三無 谷戸深き路傍の石の苔の花 久子 捩花の気まま右巻き左巻き 炳子 人の世を鎮めて森を滴れる 幸子 水音は水を濁さず蜻蛉生る 千種 夏蝶のたはむれ城主墓に罅 慶月 薫風やボールを投げてほしき犬 久
栗林圭魚選 特選句
要害の渓やえご散るばかりなり 千種 恙少し残り見上ぐる桐の花 炳子 十薬の八重に迷へる蟻小さき 秋尚 野いばらの花伸ぶ先に年尾句碑 慶月 忍冬の花の香りの岐れ道 炳子 水音は水を濁さず蜻蛉生る 千種 谷戸闇し帽子にとまる夏の蝶 久子 日曜の子は父を呼び草いきれ 久 ぽとぽとと音立てて落つ柿の花 秋尚 黒南風や甲冑光る団子虫 千種
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
令和5年5月28日 月例会 坊城俊樹選 特選句
二度廻る梓渕さんかも黒揚羽 秋尚 夏めきぬ膝に一筋擦過傷 炳子 茶席へと鳥獣戯画の帯涼し 要 万緑を黒靴下の鎮魂す 順子 美しき黴を持ちたる石畳 みもざ 霊もまた老ゆるものかな桜の実 光子 薄き汗白き項の思案中 昌文 黒服の女日傘を弄ぶ 緋路
岡田順子選 特選句
夏草や禁裏を抜ける風の色 月惑 白きもの真つ白にして夏来る 緋路 女こぐ音のきしみや貸しボート 眞理子 蛇もまた神慮なる青まとひけり 光子 風見鶏椎の花の香強すぎる 要 霊もまた老ゆるものかな桜の実 光子 白扇を開き茶室を出る女 佑天 緑陰に点るテーブルクロスかな 緋路 黒服の女日傘を弄ぶ 同 二度廻る梓渕さんかも黒揚羽 秋尚
(順不同特選句のみ掲載) ………………………………………………………………
0 notes
Photo


シャフト: ミズノSST80-24S(エンジ色) 羽根: TF0513黒手羽 抜染 元ブチ 糸・和紙: 糸 353 毛引き: 金(基本色) 羽中文字: 卯金 筈: Mizuno筈ホワイト
→ご注文はこちら
#kyudo#弓道#takumi-no-ya#匠の矢#ikaikyugu#猪飼弓具#japanese archery#シャフト: ミズノSST80-24S(エンジ色)#羽根: TF0513黒手羽 抜染 元ブチ#糸・和紙: 糸 353#毛引き: 金(基本色)#羽中文字: 卯金#筈: Mizuno筈ホワイト
0 notes
Text
白雲謠
白雲在天,丘陵自出。 道裡悠遠,山川間之。 將子無死,尚復能來。
出自《穆天子傳》卷三:
吉日甲子。天子賓於西王母。乃執白圭玄璧,以見西王母好獻錦組百純,□組三百純,西王母再拜受之。□。乙丑,天子觴西王母於瑤池之上。西王母為天子謠,曰:白雲在天,丘陵自出。道裡悠遠,山川間之,將子無死,尚能複來。天子答之曰:予歸東土,和治諸夏。萬民平均,吾顧見汝。比及三年,將複而野。
穆天子傳
序一
《穆天子傳》出汲冢。晉荀勗(xù)校定為六卷,有序,言其事雖不典,其文甚古,頗可觀覽。予攷(kǎo)書序,稱穆王饗國百年,耄荒。太史公記穆王賔(bīn)西王母事,與諸傳說所載多合。則此書蓋備記一時之詳,不可厚誣也。春秋之時,諸侯各有國史,多龎雜之言。下逮戰國,王迹熄而聖言湮,處士橫議而異端起,人人家自為說,求其欲不龎雜,其可得乎?其書紀王與七萃之士,廵行天下,然則徒衛簡而徵求寡矣!非有如秦漢之千騎萬乗空國而出也。王之自數其過,及七萃之規,未聞以為迕(wù)也。登羣(qún)玉山,命邢侯攻玉,而不受其牢,是先王恤民之法,未甞不行。至遇雨雪,士皆使休,獨王之八駿起騰以先待輒旬日,然後復發去,是非督令致期也。其承成康熙洽之餘,百姓晏然,雖以徐偃(yǎn)王之力行仁義,不足以為倡而搖天下,以知非有暴行虐政。而君子猶以王為獲沒於祗宮為深幸,足以見人心之危之如此也。是豈可效哉!是豈可效哉!存其書者固可以覽其古,徵其事者又安可不攷其是非歟(yú)?南臺都事海岱劉貞庭幹舊藏是書,懼其無傳,暇日稍加讎(chóu)校訛舛,命金陵學官重刊,與博雅之士共之,諗(shěn)予題其篇端云。時至正十年,歲在庚寅,春二月二十七日壬子。北岳王漸玄翰序。
序二
侍中中書監光祿大夫濟北侯臣荀勗
領中書令議郎上蔡伯臣嶠(jiào)言部
祕書主書令史譴勸給
祕書校書郎中張宙
郎中傅瓚校古文《穆天子傳》已訖謹並第錄
序古文《穆天子傳》者,太康二年,汲縣民不準盜發古塚所得書也。皆竹簡素絲編,以臣勗前所考定古尺度其簡,長二尺四寸,以墨書,一簡四十字。汲者,戰國時魏地也。案所得《紀年》,蓋魏惠成王子令王之塚也。於《世本》,蓋襄王也。案《史記‧六國年表》,自令王二十一年至秦始皇三十四年燔(fán)書之歲,八十六年。及至太康二年初得此書,凡伍百七十九年。其書言周穆王遊行之事,《春秋左氏傳》曰:「穆王欲肆其心,周行於天下,將皆使有車轍馬迹焉。」此書所載,則其事也。王好廵守,得盜驪(lí)、騄耳之乗,造父爲御,以觀四荒。北絕流沙,西登昆侖,見西王母,與太史公記同。汲郡收書不謹,多毁落殘缺。雖其言不典,皆是古書,頗可觀覽。謹以二尺黃紙寫上,請事平,以本簡書及所新寫,竝(bìng)付祕書繕寫,藏之中經,副在三閣。謹序。
卷一
飲天子蠲〈音涓。〉山之上。戊寅,天子北征,乃絕漳水〈絕猶截也。漳水,今在鄴縣〉。
庚辰,至於□。觴天子于磐石之上〈觴者所以進酒,因云觴耳〉,天子乃奏廣樂。〈《史記》云:「趙簡子疾,不知人,七日而寤,曰:『我之帝所,甚樂,與百神遊于鈞天,廣樂九奏萬舞,不類三代之樂,其聲動心。』」「廣樂」義見此。〉
載立不舍,〈言在車上,立不下也。〉至于鈃(xíng)常之下。〈燕趙謂山脊為鈃,即井鈃山也。今在常山石邑縣。鈃音邢。〉癸未,雨雪,天子獵于鈃山之西阿。〈阿,山陂也。〉於是得絕鈃山之隊,〈隊,謂谷中險阻道也,音遂。〉北循虖(hū)沱之陽。〈虖沱河,今在雁門鹵城縣。陽,水北。沲,音橐駝之駝。〉
乙酉,天子北升于□。天子北征于犬戎,〈《國語》曰:「穆王將征犬戎,祭公謀父諫,不從,遂征之。得四白狼、四白鹿以歸,自是荒服不至。」《紀年》又曰:「取其五王以東。」〉犬戎□胡觴天子于當水之陽。天子乃樂,□賜七萃之士戰。〈萃,集也,聚也,亦猶《傳》有七輿大夫,皆聚集有智力者為王之爪牙也。〉庚寅,北風雨雪〈《詩》曰:「北風其涼,雨雪其雱。」〉天子以寒之故,命王屬休。〈令王之徒屬休息也。〉甲午,天子西征,乃絕隃之關隥(dèng)。〈隥,阪也。疑此謂北陵、西隃。西隃,雁門山也,音俞。〉己亥,至于焉居、愚知之平。〈疑皆國名。〉
辛丑,天子西征,至于䣙(péi)人。〈䣙,國名。音叵肯切。〉河宗之子孫䣙柏絮〈伯爵,絮名,古柏字多從木〉,且逆天子于智之□。先豹皮十,良馬二六,〈古者為禮,皆有以先之,《傳》曰:「先進乘韋。〉天子使井利受之。〈井利,穆王之嬖臣。〉癸酉,天子舍于漆澤,〈一宿為舍。〉乃西釣于河,以觀□智之□。甲辰,天子獵于滲澤。于是得白狐玄狢(hé)焉,以祭于河宗。〈以將有事于河、奇此獲,故用之。漢武帝郊祀得一角白鹿,以為祥瑞,亦將燎祭之類。〉丙午,天子飲于河水之阿,〈阿,水崖也。〉天子屬六師之人於䣙邦之南,滲澤之上〈屬,猶會也。〉
戊申,天子西征,鶩(wù)行至于陽紆(yū)之山。〈鶩,猶馳也。紆,音嘔。〉河伯無夷之所都居,〈無夷,馮夷也。《山海經》云冰夷。〉是惟河宗氏。〈河,四瀆之宗,主河者因以為氏。〉河宗柏夭逆天子燕然之山〈伯夭,字也。〉勞用束帛加璧。〈勞,郊勞也。五兩為一束,兩,今之二丈。〉先白□,天子使祭父受之。〈祭父,祭公謀父,作《祈招》之詩者〉。
癸丑,天子大朝于燕然之山,河水之阿。〈蓋朝會群官,告將禮河也。〉乃命井利、梁固〈梁固,大夫。〉聿(yù)將六師。〈聿,猶曰也。〉天子命吉日戊午,〈《詩》曰:「吉日庚午。」〉天子大服:冕褘、〈冕,冠。褘,衣,蓋王后之上服。今帝服之所未詳。褘,音暉。〉帗帶、〈帗,韠也,天子赤。帗,音弗。〉搢(jìn)曶(hū)、〈曶長三尺,杼上椎頭,一名珽,亦謂之大圭。搢,猶帶也。曶音忽。〉夾佩,〈左右兩佩。〉奉璧,南面立于寒下,〈受河宗也。寒下,未詳。〉曾祝佐之,〈曾,重也。《傳》曰「曾臣偃」。〉官人陳牲全五□具。〈牛羊之品曰牲,體完曰全。或曰︰全,色純也。《傳》曰:「牲全肥腯」。〉
天子授河宗璧。河宗伯夭受璧,西向沉璧于河,〈河位載昆侖。〉再拜稽首。〈稽首,首至地也。〉祝沉牛馬豕(shǐ)羊,河宗□命于皇天子。〈加皇者,尊上之。〉河伯號之︰「〈呼穆王。〉帝曰:『穆滿,〈以名應,謙也。言諡蓋後記事者之辭。〉女當永致用旹(shí:時)事。』」〈語穆王當長幹理世事也。〉南向再拜。〈穆王拜。〉河宗又號之︰「帝曰:『穆滿,示女舂(chōng)山之珤(bǎo:玉器總稱),〈《山海經》「舂」字作「鍾」,音同耳。言此山多珍寶奇怪。〉,詔女昆侖□舍四平泉七十,〈疑皆說昆侖山上事物。〉乃至于昆侖之丘,以觀舂山之珤,〈皆河伯與穆王詞語。〉賜女晦。』」〈月終為晦,言賜女受終福。〉天子受命,南向再拜。〈受河伯命。〉
己未,天子大朝于黃之山。〈將禮河而去。〉乃披圖視典,周觀天子之珤器,〈省河所視禮圖。〉曰:「天子之珤︰〈曰,《河圖》辭也。〉玉果、〈石似美玉,所謂女果者也。〉璿珠、〈璿,玉類也,音旋。〉燭銀、〈銀有精光如燭。〉黃金之膏。〈金膏,亦猶玉膏,皆其精汋也。〉天子之珤萬金,□珤百金,士之珤五十金,庶人之珤十金。〈自萬金以下,宜次言諸侯之珤千金,大夫之珤百金。此書殘缺,集錄者不續,以見闕文耳。〉天子之弓射人步劍、牛馬、犀□器千金。〈步劍,疑步光之劍也。犀似水牛,庳腳為三蹄,黑色。〉天子之馬走千里,勝人猛獸。〈言炁( qì )勢傑駭。〉天子之狗走百里,執虎豹。〈言筋力壯猛也。〉柏夭曰:「征鳥使翼︰曰□鳥鳶〈音緣,鴟也。〉,鶤(kūn)雞飛八百里。〈即鶤雞,鴻鵠屬也。〉名獸使足︰□走千里,狻猊□野馬走五百里,〈狻猊,師子,亦食虎豹。野馬,亦如馬而小。狻音俊,猊音倪。〉邛(qióng)邛距虛走百里,〈亦馬屬。《尸子》曰:「距虛不擇地而走。」《山海經》云:「邛邛距虛」,並言之耳。〉麋□二十里。」〈自麋已上,似次第獸能走里數遠近。〉
曰柏夭既致河典,〈典,禮也。自此以上,事物皆《河圖》數載,河伯以為禮,禮穆王也。〉乃乘渠黃之乘;為天子先,〈先驅導路也。〉以極西土。〈極,競。〉乙丑,天子西濟于河。□爰(yuán:引,援引,於是,句首助詞)有溫谷樂都,〈溫谷,言冬暖也。燕有寒谷,不生五穀。〉河宗氏所遊居〈伯夭之別州邑。〉丙寅,天子屬官效器。〈會官司閱所得珤物。〉乃命正公郊父〈正公謂三上公。天子所取正者,郊父為之。〉受敕(chì)憲,〈憲,教令也。《管子》曰:「皆受憲。」〉用伸八駿之乘,〈八駿名在下。〉以飲于枝洔之中,〈水岐成洔。洔,小渚也,音止。〉積石之南河。〈積石,山名,今在金成河關縣南,河出北山而東南流。〉
天子之駿︰〈駿者,馬之美稱。〉赤驥(jì)、〈世所謂騏驥。〉盜驪(lí)、〈為馬細頸。驪,黑色也。〉、白義、踰(yú)輪、山子、渠黃、華騮、〈色如華而赤,今名驃赤者為棗騮。騮,赤馬也。〉綠耳。〈《紀年》曰:「北唐之君來見,以一驪馬,是生綠耳。」魏時鮮卑獻千里馬,白色而兩耳黃,名曰黃耳,即此類也。八駿皆因其毛色以為名號耳。案︰《史記》︰「造父為穆王得盜驪、華騮、綠耳之馬,御以西巡遊,見西王母,樂而忘歸。」皆與此同,若合符契。〉狗:重工、徹止、雚(guàn)猳(jiā)、□黃、南□、來白。〈皆駿狗之名,亦猶宋鵲之類。〉天子之御:造父、三百、〈下云:三百為御者。〉、耿翛(xiāo)、芍及。〈造父善御,穆王封之于趙城,餘未聞也。〉曰天子是與出□入藪(sǒu:湖澤),田獵釣弋(yì)。〈弋,繳射也。〉天子曰:「於乎!予一人不盈于德,〈盈,猶充也。〉而辨于樂,〈辨作遊樂之事。〉後世亦追數吾過乎!」〈穆王遊放過度,行輒忘歸,故作此言以自警也。〉七萃之士□天子曰:「後世所望,無失天常。〈奉天時也。〉農工既得,〈歲豐登也。〉男女衣食〈無飢寒也。〉,百姓珤富,〈富者,安也。〉官人執事。〈各視職事。〉故天有旹,〈四時。〉民□氏響□,〈音國。〉何謀于樂?〈言不規樂而樂自及。〉何意之忘?〈常慎德也。〉與民共利,世以為常也。」天子嘉之,〈善其有辭。〉賜以左佩玉華也。〈玉華之佩,佩之精也。〉乃再拜頓首。
卷二
□柏夭曰:□封膜晝(zhòu)于河水之陽,〈膜晝,人名。膜音莫。〉以爲殷人主。〈主,謂主其祭祀,言同姓也。〉
丁巳,天子西南升□之所主居。〈似說古之賢聖所居。〉爰有大木碩艸(cǎo)〈碩,大也。〉爰有野獸,可以畋獵。戊午,□之人居慮〈古疇字,居慮名。〉,獻酒百□于天子〈百下脫盛酒器名。〉天子已飲而行,遂宿于昆侖之阿,赤水之陽〈昆侖山有五色水,赤水出東南隅而東北流。皆見《山海經》。〉爰有<垔鳥>鳥之山〈<垔鳥>音甄,一音栴。〉,天子三日舍於<垔鳥>鳥之山。□吉日辛酉,天子升于昆侖之丘,以觀黃帝之宮〈黃帝巡遊四海,登昆侖山,起宮室於其上。見《新語》。〉,而封□隆之葬〈隆上字疑作豐,豐隆,筮禦雲得大壯卦,遂爲雷師。亦猶黃帝橋山有墓。封,謂增高其上土也,以標顯之耳。〉,以詔後世〈詔謂語之。〉
癸亥,天子具蠲(juān)齊牲全,以禋(yīn:祭祀)□昆侖之丘〈蠲者,潔也。潔齊祭神曰禋。《書》“天子禋于六宗”。蠲,音圭。〉
甲子,天子北征,舍於珠澤〈此澤出珠,因名之雲。今越巂(guī)平澤出青珠是。〉,以釣于氵不水。曰:珠澤之藪,方三十里〈澤中有草者爲藪。〉爰有萑(huán)葦、莞(guān)蒲〈莞,蔥蒲,或曰莞蒲,齊名耳。關西雲莞。音丸。〉、茅萯〈萯今菩字,音倍。〉、蒹〈蒹,薕也,似萑而細,音兼。〉葽(yāo)〈莠屬。《詩》曰“四月秀要”。〉珠澤之人乃獻白玉,□只,□角之一,□三,可以□沐,乃進食,□酒十,□姑劓(yì)九,□亓(qí,同其)味中麋胃而滑(中猶合也)。因獻食馬三百〈可以供廚膳者。〉,牛羊三千。天子□昆侖〈此以上似說封人於昆侖山旁。〉,以守黃帝之宮。南司赤水而北守舂(chōng)山之珤〈欲以崇表聖德,因用顯其功跡。〉天子乃賜□之人□吾,黃金之環三五〈空邊等爲環。〉,朱帶貝飾三十〈《淮南子》曰“貝帶鵕鸃”,是也。〉,工布之四。□吾乃膜拜而受〈今之胡人禮佛,舉手加頭,稱南膜拜者,即此類也。音模。〉天子又與之黃牛二六〈以爲犠牲種。〉以三十□人於昆侖丘。
季夏丁卯,天子北升于舂山之上,以望四野,曰:舂山,是唯天下之高山也。孳木華不畏雪。天子於是取孳木華之實,持歸種之(孳音滋),曰:舂山之澤,清水出泉,溫和無風〈炁條適也。〉,飛鳥百獸之所飲食,先王所謂縣圃〈《淮南子》曰:“昆侖去地一萬一千里,上有曾城九重,或上倍之,是謂閬風;或上倍之,是謂玄圃。”經相及。《山海經》雲:明明昆侖玄圃各一山,但相近耳。又曰:實爲帝之平圃也。〉天子於是得玉榮枝斯之英〈英,玉之精華也。《屍子》曰“龍泉有玉英”,《山海經》曰“黃帝乃取密山之玉榮而投之鐘山之陽”,是也。〉,曰:舂山,百獸之所聚也,飛鳥之所棲也。爰有□獸食虎豹,如麇而載骨,盤□始如麕(jūn),小頭大鼻〈麕,獐是也。〉爰有赤豹、白虎〈《詩》曰“赤豹黃羆”。〉、熊羆、豺狼、野馬、野牛、山羊、野豕〈今華陰山有野牛、山羊,肉皆千斤。〉爰有白鶽(sǔn:同「隼」)青雕,執犬羊,食豕鹿〈今之雕亦能食麕鹿。〉曰:天子五日觀於舂山之上。乃爲銘跡於縣圃之上,以詔後世〈謂勒石銘功德也。秦始皇、漢武帝巡守登名山,所在刻石立表,此之類也。〉
壬申,天子西征。
甲戌,至於赤烏。赤烏之人丌獻酒千斛(hú)于天子。食馬九百,羊牛三千,穄(jì)麥百載〈穄,似黍而不黏。〉天子使祭父受之,曰:赤烏氏先出自周宗〈與周同始祖。〉,大王亶父(周太王姬亶)〈即古公亶父字也。〉之始作西土〈言作興於岐山之下。今邑在扶風美陽是也。〉,封其元子吳太伯于東吳〈太伯讓國入吳,因即封之于吳。〉,詔以金刃之刑〈南金精利,故語其刑法也。〉,賄用周室之璧〈賄,贈賄也。〉,封丌璧臣長季綽於舂山之虱,妻以元女,詔以玉石之刑〈昆侖山出美玉石處,故以語之。〉,以爲周室主。天子乃賜赤烏之人丌默乘四〈周禮,大夫乘墨車。〉,黃金四十鎰(yì)〈二十兩爲鎰。〉,貝帶五十,朱三百裹。丌乃膜拜而受〈裹,音罪過之過。丌,名。赤烏,人名也。〉,曰:□山,是唯天下之良山也。珤玉之所在。嘉穀生之,草木碩美。天子於是取嘉禾,以歸樹于中國〈漢武帝取外國香草美菜種之中國。〉曰:天子五日休於□山之下。乃奏廣樂,赤烏之人丌好獻二女于天子〈所以結恩好也。〉,女聽、女列,以爲嬖(bì:比較寵幸,身份低微的側室)人〈一名聽,名失,一女名下文。〉曰:赤烏氏,美人之地也。珤玉之所在也。己卯,天子北征,趙行□舍〈趙,猶超騰。舍,三十里。〉
庚辰,濟于洋水〈洋水,出昆侖山西北隅而東流。洋,音詳。〉
辛巳,入于曹奴之人戲,觴天子于洋水之上〈戲,國人名也。〉,乃獻食馬九百,牛羊七千,穄米百車。天子使逢固受之〈逢固,周大夫。〉天子乃賜曹奴之人戲□黃金之鹿,白銀之麕(jūn)〈今所在地中,得玉肫金狗之類,此皆古者以賂夷狄之奇貨也。〉,貝帶四十,朱四百裹。戲乃膜拜而受。
壬午,天子北征,東還〈從東頭而還歸。〉
甲申,至於黑水〈水亦出昆侖山西北隅而東南流。〉,西膜之所謂鴻鷺〈西膜,沙漠之鄉。以言外域,人名物與中華不同。春秋叔弓敗莒(jǔ)師于濆(fén)水,《穀梁傳》曰“狄人謂濆泉失名,號從中國,名從主人”之類也。〉,於是降雨七日,天子留骨六師之屬〈穆王馬駿而禦良,故行輒出從眾前。〉天子乃封長肱(gōng)���黑水之西河〈即長臂人也。身如中國,臂長三丈,魏時在赤海中得此人裾也。長腳人國,又在赤海東,皆見《山海經》。〉,是惟昆侖鴻鷺之上,以爲周室主。是曰留胥之邦〈因以名之。〉
辛卯,天子北征,東還,乃循黑水。癸巳,至於群玉之山〈即《山海經》:玉山,西王母所居者。〉,容成氏之所守。曰:群玉田山,□知,阿平無險〈言邊無險阻也。〉,四徹中繩(言皆平實),先王之所謂策府(言往古帝王以爲藏書冊之府,所謂藏之名山者也),寡草木而無鳥獸〈言純玉石也。〉爰有□木,西膜之所謂□,天子於是攻其玉石,取玉版三乘,玉器服物〈環珮之屬。〉,載玉萬隻〈雙玉爲瑴,半瑴爲只。見《左氏傳》。〉天子四日休群玉之山〈休,遊息也。〉,乃命邢侯待攻玉者〈待留之也。邢,今廣平襄國縣。〉
孟秋丁酉,天子北征,□之人潛旹〈潛旹,名也。〉,觴天子于羽陵之上,乃獻良馬牛羊。天子以其邦之攻玉石也,不受其牢〈重慎費其牢牲,禮也。〉柏夭曰:□氏,檻(kǎn)□之後也。天子乃賜之黃金之罌三六〈即盂也,徐州謂之罌。〉,朱三百裹。潛旹乃膜拜而受。
戊戌,天子西征。
辛丑,至於剞閭氏〈音倚。〉天子乃命剞閭(jī lǘ)氏供食六師之人〈天子六軍。《詩》曰“周王於邁,六師及之”。〉於鐵山之下。壬寅,天子登于鐵山,祀於郊門。乃徹祭器於剞閭之人〈以祭餘胙賜之。〉溫歸乃膜拜而受〈溫歸,名也。〉天子已祭而行,乃遂西征。
丙午,至於鄄(juàn)韓氏(鄄,之然切)。爰有樂野溫和,穄麥之所草〈此字作下早,疑古茂字。〉,犬馬牛羊之所昌〈昌,猶盛也。〉,珤玉之所□。丁未,天子大朝于平衍之中〈衍,墳之下者,見《周禮》。〉,乃命六師之屬休。己酉,子大饗正公、諸侯、王、吏、七萃之士于平衍之中。鄄韓之人無鳧(fú)乃獻良馬百匹,服牛三百〈服,可服用者。〉,良犬七千〈良調習者。〉,牥(fāng:頸背部隆起的野牛或未訓練的牛)牛二百,野馬三百,牛羊二千,穄麥三百車。天子乃賜之黃金銀罌四七,貝帶五十,朱三百裹。變□雕官。無鳧上下乃膜拜而受〈疑古上下字,今夷狄官多複名。〉庚戌,天子西征,至於玄池。天子三日休于玄池之上,乃奏廣樂,三日而終,是曰樂池〈因改名爲樂池,猶漢武改桐鄉爲聞喜之類。〉天子乃樹之竹〈種竹池邊。〉,是曰竹林〈竹木盛者爲林。〉
癸丑,天子乃遂西征。
丙辰,至於苦山,西膜之所謂茂苑。天子於是休獵,於是食苦〈苦,草名,可食。〉
丁巳,天子西征。己未,宿於黃鼠之山,西□,乃遂西征。癸亥,至於西王母之邦。
卷三
吉日甲子。天子賓于西王母〈西王母如人,虎齒,蓬發戴勝,善嘯。《紀年》“穆王十七年,西征,至昆侖丘,見西王母。其年來見,賓于昭宮”〉。乃執白圭玄璧,以見西王母〈執贄者,致敬也〉好獻錦組百純,□組三百純〈純,匹端名也。《周禮》曰“純帛不過五兩”。組,綬屬。音祖〉西王母再拜受之。□。乙丑,天子觴西王母于瑤池之上。西王母為天子謠〈徒歌曰謠〉,曰:白雲在天,丘陵自出。道裡悠遠,山川間之〈間音諫〉,將子無死〈將,請也〉,尚能複來〈尚,庶畿也〉。天子答之曰:予歸東土,和治諸夏。萬民平均,吾顧見汝〈顧,還也〉。比及三年,將複而野〈複反此野而見汝也〉。西王母又為天子吟曰:徂(cú)彼西土〈徂,往也〉,爰居其野。虎豹為群,於鵲與處〈於,讀曰烏〉。嘉命不遷〈言守此一方〉,我惟帝女〈帝,天帝也〉。彼何世民,又將去子。吹笙鼓簧〈簧在笙中〉,中心翱翔(憂無薄也)。世民之子,惟天之望〈所瞻望也〉。天子遂驅升於弇(yǎn)山〈弇山,弇茲山,日入所也〉,乃紀丌(jī)跡於弇山之石〈銘題之〉而樹之槐。眉曰:西王母之山〈言是西王母所居也〉。 丁未,天子飲于溫山。□考鳥〈《紀年》曰“穆王見西王母,西王母止之曰,有鳥人”,疑說此鳥,脫落不可知也〉。己酉,天子飲于溽(rù)水之上〈溽,音淑〉。乃發憲命〈憲,謂法令〉,詔六師之人□其羽。爰有□藪(sǒu:水草茂密)水澤,爰有陵衍平陸〈大阜曰陵,高平曰陸〉,碩鳥解羽。六師之人畢至於曠原〈言將獵也。下雲“北至曠原之野,飛鳥之所解其羽”,《山海經》雲“大澤方千里,群鳥之所生及所解”,《紀年》曰“穆王北征,行積羽千里”,皆謂此野耳〉。曰:天子三月舍于曠原,天子大饗正公、諸侯、王,勤七萃之士〈勤,猶勞也〉,於羽琌之上〈下有羽陵,疑亦同〉,乃奏廣樂。□。六師之人翔畋(tián:打獵和耕種) 于曠原〈翔,猶遊也〉,得獲無疆〈無疆,無限也〉,鳥獸絕群〈言取盡也〉。六師之人大畋九日,乃駐於羽陵之□,收皮效物〈物,謂物色也。《詩》雲“九十維物”〉,債車受載〈債,猶借也〉。天子於是載羽百車〈十羽為箴,百羽為縳,十縳為緷。見《周官》〉。己亥,天子東歸,六師□起。
庚子,至於□之山,而休以待六師之人。
庚辰,天子東征。
癸未,至於戊□之山。智氏之所處,□智□往天子于戊□之山,勞用白驂(cān)二匹〈驂,騑馬也〉,野馬野牛四十,守犬七十〈任守備者〉。乃獻食馬四百,牛羊三千,曰:智氏□。天子北游于子之澤。智氏之夫獻酒百□于天子,天子賜之狗采〈疑玉名〉,黃金之罌(yīng:盛水貯糧之具)二九,貝帶四十,朱丹三百裹,桂薑百□,乃膜拜而受。
乙酉,天子南征,東還。己丑,至於獻水,乃遂東征,飲而行。乃遂東南。己亥,至於瓜纑(lú)之山,三周若城〈言山周匝三重,狀如城壘〉。閼(è)氏胡氏〈閼,音遏〉之所保。天子乃遂東征,南絕沙衍(yǎn)〈沙衍,水中有沙者〉。
辛丑。天子渴于沙衍〈沙中無水泉〉,求飲未至。七萃之士曰高奔戎刺其左驂之頸,取其清血以飲天子〈今西方羌胡刺馬咽取血飲,渴亦愈〉。天子美之,乃賜奔戎佩玉一隻,奔戎再拜稽首。天子乃遂南征。甲辰,至於積山之,爰有柏。曰:餘之人命懷〈命懷,人名〉獻酒于天子。天子賜之黃金之罌。貝帶朱丹七十裹。命懷乃膜拜而受。乙巳,□諸飦獻酒于天子〈諸飦,亦人名。音犍牛之犍〉,天子賜之黃金之罌,貝帶朱丹七十裹。諸飦乃膜拜而受。
卷四
庚辰,至於滔水。濁繇氏之所食〈《山海經》曰“有川名曰三淖(nào),昆吾之所食”亦此類〉。
辛巳,天子東征。 古
癸未,至於蘇穀。骨飦(zhān)氏之所衣被〈言穀中有草木皮,可以為衣被〉,乃遂南征,東還。
丙戌,至於長𣴽,重𢀄氏之西疆〈疆,界也〉。
丁亥,天子升于長𣴽,乃遂東征。
庚寅,至於重𢀄氏黑水之阿。爰有野麥〈自然生也〉,爰有荅(dā)堇〈祇謹二音〉,西膜之所謂木禾〈木禾,穀類也。長五尋,大五圍。見《山海經》〉。重𢀄氏之所食。爰有採石之山〈出文采之石也〉,重𢀄氏之所守,曰:枝斯,璿瑰〈璿瑰,玉名。《左傳》曰:贈我以璿瑰。旋回兩音〉。𤤄瑤〈亦玉名,瑤音遙〉,琅玕(láng gān)〈石似珠也。琅幹兩音〉,玪𤧜, ●𤫋〈皆玉名,字皆無聞。玪𤧜音鈐質〉, 玗琪〈王屬也, 於其二音〉,𢕲尾〈無聞焉〉,凡好石之器於是出〈盡出此山〉。
孟秋癸巳,天子命重𢀄氏共食天子之屬〈音供,言不及六師也〉。五日丁酉,天子升于採石之山,於是取採石焉。天子使重𢀄之民,鑄以成器于黑水之上〈今外國人所鑄作器者,亦皆石類也〉。器服物佩好無疆,曰:天子一月休。秋癸亥,天子觴重𢀄之人鰥𩖿,乃賜之黃金之嬰二九,銀烏一隻,貝帶五十,硃七百裹,筍箭桂薑百 𡸍,絲●雕官。鰥𩖿乃膜拜而受。
乙丑,天子東征,鰥𩖿送天子至於長沙之山。□只,天子使柏夭受之。柏夭曰:重𢀄氏之先,三苗氏之□處以黃木●銀采,□乃膜拜而受〈三苗,舜所竄于三危山者〉。
丙寅,天子東征,南還。
己巳,至於文山,西膜之所謂□,觴天子于文山。西膜之人乃獻食馬三百,牛羊二千,穄米千車,天子使畢矩受之,曰:□天子三日游于文山。於是取採石〈以有採石,故號文山〉。
壬寅,天子飲于文山之下,文山之人歸遺〈歸遺,名也〉乃獻良馬十駟〈四馬為駟〉,用牛三百,守狗九十,牥牛二百,以行流沙〈此牛能行流沙中,如橐(tuó)駝〉。天子之豪馬豪牛〈豪,猶髦也。《山海經》雲“髦馬如馬,足四節皆有毛”〉,尨(máng)狗〈尨,尨茸,謂猛狗。或曰尨亦狗名〉。豪羊,〈似髦牛〉以三十祭文山。又賜之黃金之嬰二九,貝帶三十,硃三百裹,桂薑百𡸍,歸遺乃膜拜而受。
癸酉,天子命駕八駿之乘,右服●騮〈疑華騮字〉而左綠耳,右驂赤●〈古驥字〉而左白亻莪〈古義字,音俄〉。天子主車,造父為禦,●●為右。次車之乘〈次車,副車〉,右服渠黃而左踰輪,右驂盜驪而左山子。柏夭主車,參百為禦,奔戎為右,天子乃遂東南翔行,馳驅千里〈一舉轡(pèi)千里,行如飛翔〉,至於巨蒐(sōu)氏,巨蒐之人𠮀奴,乃獻白鵠之血,以飲天子〈飲血所以益人炁力〉,且具牛馬之湩〈湩,乳也。今江南人亦呼乳為湩。音寒凍之凍〉,以洗天子之足〈令肌膚滑〉,及二乘之人〈謂主天子車及副車者也〉。
甲戌,巨蒐之人𠮀奴觴天子于焚留之山。乃獻馬三百,牛羊五千,秋麥千車〈秋麥,禾也〉,膜稷三十車〈稷,栗也。膜未聞〉。天子使柏夭受之。好獻枝斯之英四十〈精者為英〉,𠍝𤕁𠢮𦉔珌(bì)佩百隻,琅玕四十,𩟜●十篋(qiè:小箱子)〈疑此紵(zhù)葛之屬〉, 天子使造父受之, □乃賜之銀木●采,黃金之嬰二九,貝帶四十,硃三百裹,桂薑百𡸍。𠮀奴乃膜拜而受。乙亥,天子南征陽紆之東尾〈尾,山后也〉。乃遂絕𠭺𦟆之穀。已至於●𤧱,河之水北阿。爰有●溲之□,河伯之孫〈今西有渠搜國,●疑渠字〉,事皇天子之山。有模堇,其葉是食明後〈模堇,木名。後,君也。堇,音謹〉。天子嘉之,賜以佩玉一隻,柏夭再拜稽首。
癸丑,天子東征。柏夭送天子至於䣙人。䣙伯綮(qǐ)觴天子于澡澤之上,𣂿多之汭〈汭,水涯〉,河水之所南還〈還,回也。音旋〉。曰:天子五日休於澡澤之上。以待六師之人。
戊午,天子東征。顧命柏夭歸子丌邦。天子曰:河宗正也。柏夭再拜稽首〈辨去也〉。天子南還,升於長松之隥(dèng:台階)〈阪有長松〉。
孟冬壬戌,天子至於雷首〈雷首,山名,今在河東蒲阪縣南也〉,犬戎胡觴天子于雷首之阿,乃獻食馬四六。天子使孔牙受之,曰:雷水之幹,寒寡人,具犬馬羊牛。爰有黑牛白角,爰有黑羊白血〈記異也〉。
癸亥,天子南征,升於髭(zī)之隥〈音訾〉。古
丙寅,天子至於鈃山之隊,東升於三道之隥,乃宿于二邊。命毛班〈毛班,毛伯衛之先也〉。逄固先至於周,以待天子之命。
癸酉,天子命駕八駿之乘,赤驥之駟,造父為禦,南征翔行,逕絕翟道〈翟道,在隴西,謂截隴阪過〉,升於太行,南濟於河。馳驅千里,遂入于宗周。官人進白鵠之血,以飲天子,以洗天子之足〈亦謂乳也〉。造父乃具羊之血,以飲四馬之乘一〈與王同車,禦右之屬。《左傳》所謂四乘是也〉。
庚辰,天子大朝于宗周之廟。乃裡西土之數〈裡,謂計其道裡也。《紀年》曰“穆王西征,還裡天下,億有九萬里”〉。曰:自宗周瀍水以西〈瀍水,今在洛西。洛即成周也。音纏〉。至於河宗之邦,陽紆之山三千有四百里。自陽紆西至於西夏氏,二千又五百里。自西夏至於珠餘氏及河首,千又五百里。自河首襄山以西南,至於舂山珠澤,昆侖之丘,七百里。自舂山以西,至於赤烏氏舂山三百里。東北還至於群玉之山,截舂山以北〈截,由阻也〉。自群玉之山以西,至於西王母之邦三千里。□自西王母之邦,北至於曠原之野,飛鳥之所解其羽〈所謂解毛之處〉,千有九百里。□宗周至於西北大曠原〈案《山海經》雲“群鳥所集澤有兩處,一方百里,一方千里”,即此大曠原也〉,萬四千里。乃還東南,複至於陽紆,七千里。還歸於周,三千里。各行兼數,三萬有五千里。吉日甲申,天子祭于宗周之廟〈告行反也。《書•大傳》曰“反必告廟”也〉。
乙酉,天子□六師之人于洛水之上。
丁亥,天子北濟于河,□羝(dī)之隊以西北。升於盟門九河之隥〈盟門山,今在河北。《屍子》曰“河出於盟門之上”〉,乃遂西南。
仲冬壬辰,至●山之上,乃奏廣樂,三日而終。
吉日丁酉,天子入于南鄭〈今京兆鄭縣也。《紀年》“穆王元年,築祗宮于南鄭”,《傳》所謂“王是以獲沒于祗宮者”〉。
卷五
珤处曰:天子四日休于濩泽〈今平阳濩泽县是也。濩音获〉,于是射鸟猎兽。
丁丑,天子□雨乃至,𨝋父自圃郑来谒(yè)〈郑有圃田,因云圃郑。谒,告也〉,留昆归玉百枚〈留昆国,见《纪年》〉,陖翟(dí)致赂〈陖翟,隗姓,国也,音峻〉,良马百驷〈《传》曰“文马百驷”〉,归毕之珤〈毕,国名。言翟前取此珤也〉,以诘(jí)其成〈成,谓罕也。诘,犹责也〉。陖子𠷎胡□东牡〈夷狄有德者称子。畴,胡名〉,见许男于洧(wěi)上〈男,爵也。许国,今许昌县洧水之所在。音羽美反〉。𨝋父以天子命辞曰:“去兹羔,用玉帛见〈礼,男执蒲璧,许男欲崇谦,故执羔也〉。”许男不敢辞〈奉王命〉,还取束帛加璧,□毛公举币玉〈毛公,即毛班也〉。是日也,天子饮许男于洧上。天子曰:“朕非许邦而恤百姓□也。咎氏宴饮毋有礼〈礼,天子称异姓诸侯为伯舅,燕者私会,不欲崇礼敬也。《管子》曰“伯舅无下拜”,字亦作咎,咎犹舅也〉。许男不敢辞。”升坐于出尊〈《礼记》曰“反坫(diàn:設於堂中供祭祀、宴會時放禮器和酒具的土台)出尊”,唯两君为好。既献反爵,坫上出尊,盖此之类也。坐之于尊边,使为酒魁,欲以尽欢酣也〉,乃用宴乐〈言曲宴也〉。天子赐许男骏马十六〈称骏者,名马也〉。许男降,再拜空首〈空首,头至于地。《周礼》“三日空拜”〉,乃升平坐。及暮,天子遣许男归。
癸亥,天子乘鸟舟,龙浮于大沼〈沼,池。龙下有舟字,舟皆以龙鸟为形制,今吴之青雀舫,此其遗象也〉。夏庚午,天子饮于洧上。乃遗𨝋父如圃郑。用□诸侯。
辛未,天子北还,钓于渐泽,食鱼于桑野。
丁丑,天子里圃田之路〈尽规度以为苑圃地而虞守之也〉,东至于房〈房,房子,属赵国,地有巑山〉,西至于□丘,南至于桑野,北盖经林。煮□之薮,南北五十□ 十虞,东虞曰兔台,西虞曰栎丘〈栎,今河南阳翟县,音栎〉,南虞曰□富丘,北虞曰相其御虞曰□来十虞所□辰。天子次于军丘,以畋于薮□。知
甲寅,天子作居范宫〈范离宫之名也〉,以观桑者〈桑,采桑也。诗曰“桑者闲闲兮”〉,乃饮于桑中〈桑林之中〉。天子命桑虞〈主桑者也〉,出□桑者,用禁暴民〈不得令妄差刂犯桑本〉。
仲夏甲申,天子□所。
庚寅,天子西游,乃宿于𨝋〈𨝋,𨝋公邑〉。壬辰,𨝋公饮天子酒,乃歌[外門內惢]天之诗〈《诗》“颂”有昊天有成命,二后受之成王,不敢康。疑𨝋公以此规谏也〉。天子命歌《南山有𢅇》〈《诗》“小雅”有南山有台,乐之君子,邦家之基,以答𨝋公之言。然皆古字难晓,所以未详〉。乃绍宴乐〈绍,继也〉。
丁酉,天子作台,以为西居。
壬寅。天子东至于雀梁。
甲辰,浮于荥(yíng)水〈今荥(xíng)阳荥泽(yíng)是〉。乃奏广乐。
季夏庚□,休于范宫。
仲秋丁巳,天子射鹿于林中,乃饮于孟氏。爰舞白鹤二八〈今之畜鹤、孔雀驯者,亦能应节鼓舞〉,还宿于雀梁。
季秋辛巳,天子司戎于□来虞人次御〈以次侍御,备有所问〉。
孟冬,鸟至〈鹰来翔也〉,王𢅇口弋〈下云王𢅇姬姓之女,疑是妇官也〉。
仲冬丁酉,天子射兽,休于深萑(huán)〈萑,苇之丛〉,得麇麕(jūn)豕鹿四百有二十,得二虎九狼,乃祭于先王,命庖人熟之〈庖人,主饮食者〉。
戊戌,天子西游,射于中□方落草木鲜,命虞人掠林除薮,以为百姓材〈以供人之材用。掠,谓差刂伐之〉。是日也,天子北入于邴〈邴,郑邑也,音丙〉,与井公博,三日而决〈疑井公贤人而隐祊,故穆王就之游戏也〉。
辛丑塞〈戒不如,故进为塞也〉,至于台,乃大暑除,天子居于台以听天下之〈因以避暑〉,远方□之数而众从之,是以选扐(數蓍草占卜,將零數夾在手指中間稱“扐”)〈音勒〉,乃载之神人□之能数也〈有道数也〉,乃左右望之〈占候也〉。天子乐之〈爱其术也〉,命为□而时□焉□其名曰□公去乘人□犹□有虎在乎葭(蘆葦)中〈葭草〉。天子将至,七萃之士高奔戎请生搏虎,必全之,乃生搏虎而献之〈《诗》所谓“袒褐暴虎,献于公所”,此之谓也〉。天子命之为柙(xiá:關押,關獸的木籠)〈柙,槛(kǎn)也。《论语》曰“虎兕出於柙”〉,而畜之东虢(guó),是曰虎牢〈因以名其地也。今荥阳成皋县是〉。天子赐奔戎畋马十驷〈《尔雅》曰:畋马齐足尚疾也〉,归之太牢〈牛羊豕为太牢〉。奔戎再拜䭫(qǐ:稽)首。
丙辰,天子北游于林中,乃大受命而归。斋
仲秋甲戌,天子东游,次于雀梁〈一宿为舍,再宿为信,过信为次〉,□蠹(dù)书于羽林〈谓暴言中蠹虫,因云蠹书也〉。
季秋□乃宿于房。毕人告戎〈告戎难也〉,曰:夋翟来侵。天子使孟悆如毕讨戎〈悆,音豫〉,霍侯旧告薨〈霍国,今在平阳永安县,西南有城〉。天子临于军丘,狩于薮。
季冬甲戌,天子东游,饮于留祈。射于丽虎。读书于菞丘〈君举必书,菞音犁〉,□献酒于天子,乃奏广乐。天子遗其灵鼓,乃化为黄蛇〈《周礼》曰灵鼓四面,《洪范》所谓鼓妖也〉。是日,天子鼓道其下而鸣〈从失鼓而击鼓也。鼓在地下鸣道从也。《韩非》曰道南方来也〉,乃树之桐〈因以树梧桐。桐亦响木也〉,以为鼓则神且鸣,则利于戎〈宜以攻戎〉,以为琴则利□于黄泽。天子东游于黄泽,宿于曲洛〈洛水之回曲,地名也〉,废□使宫乐谣〈宫乐,典乐者〉,曰黄之池,其马歕(pēn:噴)沙〈歕,𨝋也,普闷切〉,皇人威仪〈威,畏也〉,黄之泽。其马歕玉,皇人受穀〈穀,生也。皆诸谣辞〉。
丙辰,天子南游于黄□室之丘,以观夏后启之所居〈疑此言太室之丘。嵩高山,启母在此山化为石,而子启亦登仙,故其上有启室也。皆见《归藏》及《淮南子》〉。乃□于启室〈似谓入启室中〉,天���筮(shì)猎苹泽〈音瓶〉,其卦遇讼☰☵〈坎下乾上〉,逢公占之,曰:讼之繇〈繇,爻辞音胄〉,薮泽苍苍,其中□宜其正公,戎事则从〈水性平而天无私,兵不曲挠(náo)则戎事集也〉,祭祀则憙(xī:好,喜),畋猎则获。□饮逢公酒,赐之骏马十六,絺纻(zhù sān:麻織物)三十箧(qiè)。〈絺,葛精者〉,逢公再拜稽首,赐筮史狐□有阴雨,梦神有事〈有事,祭��〉,是谓重阴〈因以纪也〉。天子乃休,日中大寒,北风雨雪,有冻人。天子作诗三章以哀民〈哀,犹愍(mǐn)也〉,曰:我徂黄竹。□负閟寒〈閟,闭也,音秘〉。帝收九行〈九行,九道也。言收罗九域之道里也。《传》曰“经启九道”〉,嗟我公侯。百辟冢卿〈辟君冢卿冢宰〉,皇我万民〈皇,正也〉,旦夕勿忘〈恆念之也〉。我徂黄竹,□负閟寒。帝收九行,嗟我公侯,百辟冢卿。皇我万民,旦夕勿穷〈令无困也〉。有皎者鴼〈皎,白。鴼,鸟名,音路〉,翩翩其飞〈言得意也〉。嗟我公侯,□勿则迁〈自侯以下自当云,百辟冢卿,皇我万民,□勿则迁〉,居乐甚寡〈言守一居少乐〉,不如迁土〈居无求安〉。礼乐其民〈言当以礼乐化其民也〉。天子曰:余一人则淫〈淫于游乐〉,不皇万民□登,方宿于黄竹。天子梦羿射于涂山〈羿,有穷氏,帝善射者〉,𨝋公占之,疏□之□乃宿于曲山。
壬申,天子西升于曲山,□天子西征,升九阿〈疑今西安县十里九阪也〉,南宿于丹黄。
戊寅,天子西升于阳,□过于灵□井公博〈穆王往反辄从井公博游,明其有道德人也〉。乃驾鹿以游于山上,为之石主而□窴軨(tián líng)〈即軨坂也,今杜河东大阳县。《传》曰“入于窴軨”,巅岭二音〉,乃次于洹(huán)水之阳〈今之洹津也。在河东河北县,音项脰之脰〉。吉日丁亥,天子入于南郑。
卷六
之虛,皇帝之閭(lǘ),乃□先王九觀,以詔後世〈此複是登名山有所銘勒封建也。殘缺字多不可推考耳〉。
己巳,天子□征,舍於菹(jū)台。
辛未,獵菹之獸〈《管子》曰“菹菜之壤”,今吳人呼田獵茸草地為菹,音罝〉,於是白鹿一遻(è:意外相遇),𨝋逸出走〈言突圍出。牾,觸也,或曰所駕鹿迕,猶驚也〉。天子乘渠黃之乘□焉〈自此已上,疑說逐得鹿之狀〉。天子丘之〈丘,謂為之名號,方言耳〉,是曰五鹿官人之□是丘,□其皮是曰□皮,□其脯是曰□脯。天子飲于漯(luò)水之上〈漯水,今濟陰漯陰縣,音遝〉,官人膳鹿,獻之天子。天子美之,是曰甘〈自此以上,皆因鹿以名所在地,用記之也。今元城縣東郭有五鹿墟,晉文公所乞食於野人處者也〉。
癸酉,天子南祭白鹿於漯,□乃飲於草中〈草野之中〉,大奏廣樂〈大,謂盛作之也〉,是曰樂人〈亦以紀之〉。
甲戌,天子西北□,姬姓也,盛柏之子也〈盛,國名。疑上說姬事,《公羊傳》曰“成者何?盛也者,為諱之盛,諱滅同姓也”〉,天子賜之上姬之長〈令今盛柏為姬姓之長。位,位在上也〉,是曰盛門。天子乃為之台〈為盛姬築台也〉,是曰重璧之台〈言如狀如壘璧〉。
戊寅,天子東田于澤中,逢寒疾〈言盛姬在遇風寒得疾〉。天子舍于澤中,盛姬告病,天子憐之,□澤曰寒氏〈以名澤也〉。盛姬求飲,天子命人取漿而給〈得之速也。《傳》曰“何其給也”〉,是曰壺輲(chuán)〈壺器名輲,音遄,速也,與遄同〉。天子西至於重璧之台,盛姬告病,□天子哀之〈上疑說盛姬死也〉,是曰哀次〈哭泣之位次〉。天子乃殯盛姬於穀丘之廟〈先王之廟有在此者,漢氏亦所在有廟焉〉。□壬寅,天子命哭〈令群臣大臨也〉,啟為主〈為之喪主,即下伊扈也。上啟疑為開殯出棺也〉。祭阝父賓喪〈儐贊禮儀〉,天子王女叔㛗(suō)為主〈叔㛗,穆王之女也,音痤〉。天子□賓之命終哀禮〈今持喪終禮也〉,於是殤祀而哭〈殤,未成喪,盛姬年少也〉,內史執策〈所以書贈賵之事。內史,主冊命者〉。官人□丌職曾祝敷席設幾〈敷,猶鋪也,《周禮》曰“喪事仍幾”〉,盛饋具〈饋具奠也〉,肺鹽羹〈肉也,當以音行〉,胾(zì:切成大塊的肉)〈大胾〉脯、棗、𨠑〈粥清也,音移〉、醢(hǎi)〈肉醬也〉、魚臘〈乾魚〉、糗(qiǔ)〈寒粥也〉、韭〈韭殂(cú)〉,百物〈言備有也〉,乃陳腥俎(zǔ)十二,乾豆九十,鼎敦壺尊四十〈敦似盤,音堆〉,器〈雜器皿也〉,曾祝祭食〈禮雖喪祭,皆祭食,示有所先也〉,進肺鹽,祭酒〈以肺㨎(rú)鹽中以祭,所謂振祭也,禮以肺,見《少牢饋食》也〉。乃獻喪主伊扈,伊扈拜受,□祭女,又獻女主叔㛗。叔㛗拜受。祭□祝報祭觴大師〈樂官〉,乃哭即位〈就喪位也〉,畢哭,內史□策而哭〈策上宜作讀《既夕禮》曰“主人之史讀賵(fèng:送給喪家助喪的物品)”是也〉,曾祝捧饋而哭〈捧,兩手持也〉,禦者□祈而哭〈待禦者,《禮》曰“禦者入浴”〉,抗者觴夕而哭〈抗,猶舉也。《禮記》曰“小臣四人抗衾也”〉,佐者承鬥而哭〈佐斂者也。鬥,斟(zhēn)水杓(biāo)也〉,佐者〈佐飲食者〉衣衾(qīn:屍體入殮時蓋屍的東西,被子)佩□而哭,樂□人陳琴瑟□竽〈疑竽上宜作笙,笙亦竽屬〉,籥(yuè)〈如笛,三孔〉,{⺮狄}〈今戟吏所吹者〉,筦〈筦如並兩笛,音管〉而哭。百□眾官人各□其職事以哭〈百眾,猶百族也〉,曰:士女錯踴(yǒng:同踊,喪禮的一種儀節,指親子於父母之喪或眾臣於國君之喪時,在靈堂哭喪的行為舉動)九□乃終〈錯,互也,哭則三踴,三哭而九踴,所謂成踴者也〉,喪主伊扈,哭出造舍〈倚廬也〉,父兄宗姓及在位者從之。佐者哭〈佐,斂者也〉,且徹饋,及壺鼎俎豆(古代祭祀、宴饗時盛食物用的禮器)〈皆佐者主為之〉,眾官人各□其職,皆哭而出〈事畢〉,井利□事後出而收〈井利所以獨後出者,典喪祭器物狀斂之也。或曰井利稽慢出不及輩,故收縛之〉。
癸卯,大哭殤祀而載〈載,祖載也〉。
甲辰,天子南葬盛姬于樂池之南〈即玄池也〉。天子乃命盛姬□之喪,視皇后之葬法〈視,猶比也〉。亦不拜後於諸侯〈疑宇錯誤,所未詳也〉。河濟之間共事〈供,給喪事也〉,韋穀黃城三邦之事輦喪〈輦,謂挽輪車發三國之眾,以示榮侈〉,七萃之士抗即車〈舉棺以就車〉,曾祝先喪〈導也〉,大匠禦棺〈為棺禦也。《周禮》曰“喪祝為禦”,《禮記》曰“諸侯禦樞以羽保”,謂在前為行止之節〉,日月之旗,七星之文〈言旗上畫日月及北斗星也。《周禮》“日月為常”,旗亦通名〉,鼓鐘以葬,龍旗以□,鳥以建鼓,獸以建鍾。龍以建旗。曰喪之先後及哭踴者之間,畢有鐘旗□百物喪器,井利典之,列於喪行,靡有不備。擊鼓以行喪〈行,行伍〉,舉旗以勸之〈令盡哀也〉,擊鐘以止哭,彌旗以節之〈為節,音節。彌,猶低也〉,曰□祀大哭九而終喪。出於門,喪主即位〈就哭位也〉。周室父兄子孫倍之〈倍,倍列位也〉。諸侯屬子〈宗屬群子〉,王吏倍之。外官王屬,七萃之士倍之〈外官,所主在外者〉。姬姓子第倍之〈盛姬之族屬也〉。執職之人倍之〈執職,猶執事也〉。百官眾人倍之。哭者七倍之〈列七重〉,踴者三十行,行萃百人〈百人為一倍。萃,聚也〉。女主即位,嬖人群女倍之〈嬖人,王所幸愛者〉。王臣姬姓之女倍之〈疑同姓之女為大夫士妻者,所謂內宗也〉。宮官人倍之〈宮官為內〉,宮賢庶妾倍之〈庶妾,眾散妾也〉。哭者五倍,踴者次從〈以次相從〉,曰天子命喪,一裡而擊鐘止哭。曰匠人哭于車上〈禦棺不得下也〉,曾祝哭於喪前,七萃之士哭於喪所。曰小哭,錯踴,三踴而行,五裡而次〈次,猶止也〉。曰喪三舍至於哀次,五舍至於重璧之台〈三十裡為舍也。《傳》曰“避君三舍”〉,乃休〈休,駐也〉。天子乃周姑繇之水以圜(huán)喪車〈決水周繞之也。繇,音遙。圜,音員〉。是曰圜車〈以號水也〉,曰殤祀之〈於此複祭〉。
孟冬辛亥,邢侯、曹侯來吊〈曹國,今濟陰定陶縣是也〉,內史將之以見天子,天子告不豫而辭焉〈不豫,辭病也。《尚書》曰“武王不豫”〉。邢侯、曹侯乃吊太子,太子哭出廟門,以迎邢侯〈曹侯不進〉,再拜勞之〈問勞之也〉,侯不答拜〈謙不敢與太子抗禮〉,邢侯謁哭於廟〈謁,告也〉。太子先哭而入,西向即位。內史賓侯〈儐相〉北向而立,大哭九,邢侯厝(cuò)踴三而止〈與太子拾踴〉。太子送邢侯至廟門之外,邢侯遂出,太子再拜送之。曹侯廟吊入哭,太子送之亦如邢侯之禮〈雖吊異而禮同〉。
壬子,天子具官見邢侯、曹侯〈具官,備禮相見〉,天子還返〈將歸〉,邢侯、曹侯執見拜天子之武一〈義所未聞〉,天子見之。乃遣邢侯、曹侯歸於其邦,王官執禮共于二侯如故〈言不以喪廢禮〉,曰:天子出憲〈憲,命〉,以或襚賵(suì fèng)〈此以上似說賵贈事,衣物曰襚,音遂〉。
癸丑,大哭而□。
甲寅,殤祀,大哭而行。喪五舍於大次,曰喪三日於大次〈停三日也〉,殤祀如初。
辛酉,大成,百物皆備〈送葬之物俱備〉。
壬戍,葬史錄繇鼓鐘以亦下棺〈窆(biǎn:墳、墓穴)也〉,七萃之士□士女錯踴九□喪下〈下謂入土〉。昧爽(拂曉,黎明),天子使嬖人〈所愛幸者〉,贈用文錦明衣九領〈謂之明衣,言神明之衣〉,喪宗伊扈贈用變裳〈宗亦主,變裳,裳名也〉。女主叔㛗贈用茵組〈茵,褥〉,百嬖人官師畢贈〈言盡有襚賵也。官師,群士號也。《禮記》曰“官師一廟 ”〉,井利乃藏〈藏之於墓所〉。報哭於大次〈報,猶反也。大次,有次神次也〉,祥祠□祝喪罷哭,辭於遠人〈辭,謝遣歸〉。為盛姬諡(shì)曰哀淑人〈恭人短折曰哀〉,天子名之〈為丘作名〉,是曰哀淑之丘。
乙丑,天子東征,舍于五鹿,叔㛗思哭〈思哭盛姬〉,是曰女㛗之丘〈因以名五鹿也〉。
丁卯,天子東征,釣于漯水,以祭淑人,是曰祭丘。
己巳,天子東征,食馬于漯水之上。乃鼓之棘,是曰馬主〈未詳所雲〉。
癸酉,天子南征,至於菹台。
甲戌,天子西征,至於因氏〈國名〉。天子乃釣于河,以觀姑繇之木〈姑繇,大木也。《山海經》雲“尋木長千里,生河邊”,謂此木之類〉。
丁丑,天子北征。
戊寅,舍於河上,乃致父兄子弟王臣姬□祥祠畢哭〈上雲王臣姬姓之女,疑此亦同也〉,終喪於囂氏〈服閼(è)〉。
己卯,天子西濟于河,囂氏之遂。
庚辰,舍于茅尺〈地名〉,於是禋(yīn:祭天)祀除喪。始樂素服而歸〈哀未忘也〉,是曰素氏,天子遂西南。
癸未,至於野王〈今河內縣〉。
甲申,天子北升于大北之隥〈疑此太行山也〉,而降休于兩柏之下〈有兩柏也〉。天子永念傷心,乃思淑人盛姬,於是流涕。七萃之士,葽(yāo)豫上諫于天子曰:自古有死有生,豈獨淑人。天子不樂,出於永思。永思有益,莫忘其新〈言思之有益者,莫忘更求新人〉。天子哀之,乃又流涕〈聞此言,愈更增感也〉。是日輟,己未乙酉,天子西絕鈃(xíng)隥〈即鈃山之阪。一雲癸巳游于井鈃之山,吉日癸巳〉,乃遂西南。
戊子,至於鹽〈鹽,鹽池,今在河東解縣。鹽,音古〉。己丑,天子南登于薄山窴軨(tián líng)之隥〈今橋西南懸絕,中央有兩道〉,乃宿于虞〈虞,國名,今大陽縣〉。
庚寅,天子南征,吉日辛卯,天子入于南鄭。
七萃之士:甲萃之士之誤。見《穆天子傳》“七萃之士”考。
0 notes
Text
演到老的好演員?40歲女演員的中年危機
大陸直連看禁聞:https://git.io/jww
作者:閆坤沐
一個容易被忽略的事實是,中年女演員們要面對的危機既來自外部環境,也源於女性的自身現實。40歲上下是她們結婚生子的高峰期,和同齡男演員相比,她們的事業規劃要為家庭做出更多讓步,觀眾和市場卻不會因此對她們寬容一點。
1.
國產影視作品中的一大奇景,是70後、60後男演員和85後小花談著你儂我儂的戀愛,而他們的同輩女演員卻只能給小花們演媽。
兩個月前熱播的電視劇《戀愛先生》里,剛滿40歲的女演員崔奕比演她女兒的江疏影大8歲,更可怕的是,比她大上兩歲的靳東要叫她阿姨。
對觀眾來說,崔奕這個名字或許陌生,但也算得上是熟臉。此前她最讓人印象深刻的角色是《上錯花轎嫁對郎》里杜冰雁的陪嫁丫鬟小喜,而身為當年這部劇里另一位女主的黃奕,也在多年之後,悄悄給比自己小12歲的李溪芮演起了長輩。
這樣的尷尬在國產劇里並不罕見。最近大熱的《美好生活》在開播之初,觀眾原本以為終於等來了中年人的細膩感情劇,卻沒想到劇情在20集之後漸漸跑偏為47歲的張嘉譯被比自己小20歲的90後女生瘋狂追求的愛情宮心計,但同一部劇里,他卻要對著只比自己大9歲的宋丹丹喊媽。張嘉譯在男演員中並不算保養得宜,宋丹丹哪怕戴上銀白色發套也彌補不了兩人同框時滿滿的違和感。
我們的大銀幕和小熒屏似乎都容不下40歲左右的女性角色。女演員到了這個年紀,要麼像李小冉、馬伊琍、許晴一樣,依靠外貌模糊掉年齡,演比自己實際年齡小5到10歲的角色,要麼索性扮老,接受演婆婆、媽媽的現實。
可是,觀眾對展現中年女性生存狀態的戲並非沒有興趣,韓劇《迷霧》開播之初能在國內走紅,就是因為切中了我們對中年職場大女主戲的渴求。不久前,網友們更是自發開腦洞,又是設定劇本大綱又是P海報、剪輯預告片,給俞飛鴻、袁泉、陳數、曾黎4位70後女演員臆想出了一部《淑女的品格》,獲得超過5萬的點贊。她們被分配到的角色性格、職業各異,但都“40歲,美麗,有錢,自由,想愛誰愛誰”。
一部並不存在的腦洞劇《淑女的品格》空降網路
被點名的陳數和曾黎都轉發了這條微博,主動表示很有興趣參演,不少粉絲甚至動了給女神們眾籌製作費的念頭。有網友在評論中吐槽:“看看我們的影視行業已經墮落成什麼樣了,把粉絲逼到自己上陣想劇本,把女演員逼到自己發微博求角色。”
2.
在這場由一個腦洞引發的關於“40+女演員無戲可演”的全民吐槽中,編劇成為了眾矢之的。
直接觸發這個吐槽的是久未露面的曾黎。她在電視劇《老男孩》里客串,給當年中戲的同班同學劉燁演前妻,儘管只出現一集就匆匆下線,但還是憑藉國產劇里少有的知性優雅形象成功引起了大家的注意。可惜編劇為《老男孩》設定的主線是劉燁和年輕女孩林依晨談戀愛,劇本集齊車禍、半路兒子、天降老爹、捐肝、前任死纏爛打、父母反對等等狗血橋段之大成。
稍早些的《我的前半生》里,袁泉的角色在前幾集原本讓人眼前一亮,讓觀眾差點以為有女主角負責談戀愛,就可以讓女二專心做事業女性,可惜靠袁泉的氣質和衣品撐起來的職業女性,還是敗給了編劇,她這條線最終崩壞成必須靠著男主角賀涵的耳提面命才會做業務的提線木偶。
《我的前半生》劇照
職場戲草率好似過家家,感情戲也好不到哪裡去,從婆婆到媳婦,充斥著家長里短、歇斯底里和無理取鬧,大多數編劇只會靠女性角色沒有邏輯的作妖來推動劇情發展。
電影圈的劇本荒比電視劇有過之無不及。因為沒有好劇本,那些40歲+左右、拿了無數影后獎盃的大花們,不得不又回潮到電視劇市場找機會,好在以她們的議價能力不用圍著男主角作陪襯,可是能給��己爭取到最好的機會,也無非是在網路小說大IP里演瑪麗蘇女王。
周迅的尷尬期從2014年開始,那年她連續上映了兩部電影:《我的早更女友》和《撒嬌女人最好命》,豆瓣評分都沒超過6。之後的幾年,她當監製、錄綜藝,就是沒拍戲,最後接下了《如懿傳》。在澎湃新聞的採訪里,秦昊說他曾經問過周迅為什麼要接電視劇,周迅告訴他:“現在哪有好電影啊?送我手裡的劇本一個個寫得那麼傻,怎麼演?”
生完孩子的湯唯復出時選了《大明皇妃》,同樣,年少時也被李安調教、出道至今從沒拍過電視劇的章子怡,也終於要為《帝王業》獻出第一次。在這類電視劇已經讓觀眾產生審美疲勞的時候進場,粉絲們頗為無奈,言辭懇切地給她寫長信,請求她不要自毀口碑:“子怡,你不是二八年華可以肆意揮霍的少女了,你是有家庭有孩子的母親,愛惜羽毛比你的勇敢無畏更重要。”
但地位之高如章子怡,行業留給她的選擇空間也未見得大。她最近上映的兩部電影,《羅曼蒂克消亡史》拍攝於2014年底,《無問西東》拍攝於2012年,這兩部戲的導演此前都缺乏過硬的代表作,章子怡多次表示,之所以會接就是沖著劇本去的。可細算起來,她也已經將近3年沒有拍新作了。粉絲當然清楚她的尷尬,在信中勸她:“醒醒才兩歲,沒有喜歡的劇本,留出這個時間享受家庭幸福可好?”
比章子怡更早結婚生子的陶虹從2013年演了《紅色》之後,已經快5年沒有更新的作品面世了。前不久在《演員的誕生》里,她和90後男演員彭昱暢合作了《末代皇帝》,靠著僅僅10分鐘表演片段,讓觀眾見識到了紮實的表演能力和出眾審美。在接受《新浪娛樂》的專訪時,她並不諱言自己的窘境:“有一件事我覺得需要很誠實地面對,不僅僅是中國,亞洲文化裡面其實都是偏少女文化,到了我這個年齡,能找來的比較有得演的角色也是少之又少。”
陶虹表演
在《末代皇后》表演片段中,小陶虹情緒層層遞進。
3.
且不說美劇20年前就已經有《慾望都市》,就拿和我們文化更相近的亞洲鄰居來說,韓國有《請回答1988》、《付岩洞的復仇者們》這樣屬於中年女演員的精彩群戲,46歲的金惠秀可以在電視劇《信號》里從20出頭初戀時的少女情態演到幹練利落的中年女探長,拿下百想藝術大賞的最佳女主角獎;日本有探討中年女性心理狀態的《晝顏》、《賢者之愛》,吉瀨美智子、內田有紀等70後女星依然可以在熱播劇中挑大樑,而比天海佑希還小兩歲的蔣雯麗,也只有侄女馬思純感慨小姨能選擇的題材有限,“都快沒戲拍了”。
韓劇《請回答1988》劇照
編劇能不能寫出好劇本是能力問題,但我們的影視作品近幾年為什麼連類似的嘗試都幾乎見不到了?
編劇柏邦妮曾經也想過寫一部以4位都市女性為主角的戲,但拿著設定找到製片人之後,對方給她算了一筆賬:“這樣咖位的4個女明星,少說片酬六七千萬,就算不奔著結婚去,也要有男性角色吧,3個就算3千萬,這已經一個億了。再加上製作費,一億三四千萬的戲,不撕逼,無IP,不用流量,誰敢冒這個險?”
這份賬單背後隱含著電視劇市場現行的賣片規則——預售制。一部電視劇,在僅有一個項目創意的時候,就要去簽演員、拉投資、談播出平台。這時候劇本還沒寫出來,電視台和視頻網站只能依靠影片類型和演員陣容判斷播出效果,這也是為什麼人人都知道流量明星沒檔期沒演技,卻還是要爭搶他們的原因。
編劇汪海林前不久在《圓桌派》里替總是挨觀眾罵的同行們叫屈,他說編劇在一個項目中的自主空間實在有限,還不如影視公司里那些並不懂行的90後劇本編審話語權大。
而當每日人物順著汪海林的話找到上游影視公司的製片人,他給的答案是,愛看美劇、日劇、能接受獨立女性角色的觀眾,是掌握互聯網輿論的精英群體,卻並不是撐起收視數據的主流人群:“《紅色》里陶虹的角色是這幾年符合你要求的智商在線、性格可愛了吧,那部戲質量也不差,豆瓣評分超過9,可上星(在省級衛視播出)的時候收視率徘徊在5名開外,後來靠網友自發安利才在B站火起來。《和平飯店》里陳數的角色給中年女演員表演空間了吧?可你看無論收視率還是網播量都打不過《戀愛先生》,觀眾到底買哪個的賬顯而易見。”
從出資者的角度,拍獨立中年女性的故事還有一層風險,就是尺度。不以戀愛為主線的劇要做到好看,勢必要展現更多社會現實。《蝸居》裏海清演的郭海萍,就是典型的夾縫中求生存的都市中產,她和丈夫都是名校畢業的高材生,卻被高房價壓迫到只能租住在逼仄的弄堂閣樓里,在家裡走路都要躡手躡腳,否則老舊的木地板吵到鄰居就要被趕走,分分鐘無家可歸。這樣的窘迫足夠引發社會共鳴,這部劇卻在首播之後被禁止在電視台進行二輪重播。導演滕華濤接受鳳凰網專訪時談及原因,直言是因為“太真實”。
在《蝸居》中,郭海萍(海清飾)和丈夫因錢少難買房,只能暫住弄堂
明星制、電視劇生產機制、觀眾口味的公約數以及審查制度共同合謀,扼殺了影視作品多樣化的可能性,也擠壓著中生代女演員的生存空間。
4.
一個容易被忽略的事實是,中年女演員們要面對的危機既來自外部環境,也源於自身現實。40歲上下是她們結婚生子的高峰期,和同齡男演員相比,她們的事業規劃要為家庭做出更多讓步,觀眾和市場卻不會因此對她們寬容一點。
梅婷2013年9月和2015年9月先後生下兩個孩子,期間幾乎沒拍戲,只有客串,再次公開露面是2016年初錄製《媽媽是超人》,被網友毫不留情地吐槽“胖若兩人”,她花了整整一年時間才瘦回原樣。回歸家庭前,梅婷的最後一部作品是作為女主的《父母愛情》,她憑藉安傑這個角色,拿到飛天獎在內的多個視後;而時隔4年復出後,觀眾再次見到她是《琅琊榜之風起長林》中的皇后,不僅是配角,而且全程智商下線,是只為推動劇情而存在的功能性反派,幾乎沒有演技的發揮空間。
《琅琊榜之風起長林》劇照
姚晨接受採訪時也曾提到類似處境,她當年懷大兒子前,原本手上有幾個不錯的項目,正準備大幹一場;生孩子後好不容易恢復狀態,從華誼獨立出來做了自己的工作室,剛卯足了勁,又懷上二胎,只好感嘆“人算不如天算”。
前不久,鮮少在媒體中曝光的陶虹做了一個演講,第一次談及作為一名女性所經歷的中年危機。就在36歲那一年,她懷孕了,這原本是一件好事,但同時,她的母親查出了癌症,在距離她的預產期不到一個月的時候做了腫瘤切除手術。為了讓女兒安心備孕,陶虹的爸爸主動承擔起照顧妻子的責任,但過度勞累又引發了他的急性心臟病。在孩子一歲的時候,陶虹的母親去世,兩年多以後,父親因為心臟病複發也突然離開。
陶虹說,她在短短那幾年裡迅速經歷了生老病死,像體驗了一場“人生濃縮的精華”。很長一段時間,她都沉浸在自責里:“我總是想我媽媽當時那麼看著我,她是想讓我救她呀,我怎麼把她送到火葬場去了?我爸爸就生活在我身邊,我是希望他能安度晚年的,可是當他心臟病發作的時候,我還是沒有來得及救他。”陪伴孩子之餘,陶虹花了兩年時間去上各種心理學的課程,才慢慢走出抑鬱。
為了照顧孩子、把事業重心轉移到話劇甚至直接選擇息影的女演員都不在少數,比如陳好、王艷、沈傲君。當然,她們未必不享受家庭生活和親子時光,但客觀來說,也確實因此而失去了很多重要機會。
好在生活的磨礪雖然會折損容貌,但也會把有志於演一輩子戲的真演員打磨出光亮。44歲的朱媛媛曾經這樣描述“過日子”對她的重要性:“拍完了戲我就回家過日子,在過日子的過程當中就會領略到很多細節的東西,這個東西你教別人是教不會的,比方說現在一個女演員說,姐你告訴我,你這戲怎麼演的,我說這東西我告訴不了,這東西就像長在你的血液里,我再出來演這種家長里短的戲,我就覺得踏實。”
圖源朱媛媛微博
半個月前是朱媛媛的生日,久未露面的她在微博發了自拍照,惦記她的影迷們在評論里問她什麼時候能看到新作品,朱媛媛說:“等等我哈!陪兩年孩子,我就好好拍戲!”影迷們回復她:“沒問題!三年四年也可以,反正姐是能演到老的好演員!”
對於願意“演到老的好演員”來說,年齡從來只是暫時的問題,觀眾才是未來的方向。既然有《淑女的品格》去觸發40+女演員的危機,也一定有觀眾去倒逼編劇、市場、環境甚至社會規則去做出改變的時刻。
40+的女演員們,等得到這一天。
來源:人物
美貿易代表:望中國開放市場而非改變經濟體制
全球市場動蕩 南韓出口量18個月來首次下滑
高通免費授權新專利 為5G市場鋪路
中共市場經濟的「祖師爺」恐已被習近平打入另冊(高新)
美元走強掀骨牌!新興市場貨幣價崩
中國未來資產管理市場會走向哪?
美元強新興市場危 英鎊弱央行加息緩
美國國債利率上升對市場的巨大衝擊
習近平說要開放汽車市場 車企們並不樂觀
原文鏈接:演到老的好演員?40歲女演員的中年危機 - 娛樂新聞
本文標籤:70後, 90後, 主角, 作品, 女性, 女演員, 市場, 影視, 心臟病, 戀愛, 演員, 電視, 電視劇, 空間, 章子怡, 表演, 觀眾, 角色 from 中國禁聞網 » 娛樂新聞 https://ift.tt/2Kun1Yz via via Blogger https://ift.tt/2HKTQmk
0 notes
Text
何焱林:惟王五十年與武王八年說
何焱林:惟王五十年與武王八年說
2013/11/17
http://www.artx.cn/artx/lishi/189754.html
下愚曾述及“清華簡”《保訓》:“惟王五十年”及《耆夜》:“武王八年”二語,示“清華簡”篇為近人偽作。
一、悉知“惟王五十年”之惟為發語詞,如同“惟十三祀”之惟,“惟王元祀”之惟。惟十三祀即十三年,惟王元祀即王元年,惟王五十年即王五十年,即姬昌稱王五十年。查遍先秦諸典及後世有關典籍,皆無文王五十年之說。當然,造簡者亦非向壁虛構,而是剝《書•無逸》“文王受命惟中身,厥享國五十年”而成。此亦用後人所為之文,況前人之所為之事。
剝則剝也,其言則荒疏不經。作簡者何以如此荒疏?久思之,得其竅也,同篇不有“昔在殷王中宗••••,肆中宗之享國,七十有五年”,“肆(殷)高宗之享國,五十有九年”,“肆(殷)祖甲之享國,三十有五年”耶?殷王,王也,文王,亦王也,彼享國七十有五年,此享國五十年,如彼稱“惟殷高宗七十五年”,即殷高宗七十五年,可;此亦“惟(文)王五十年”,即(文)王五十年,不亦可乎?
模仿可以模仿,照葫蘆可以畫瓢,然則畫虎不成反類犬!
上所列殷諸王,繼前人基業,其即位之時即稱王之時,其享國時亦為其稱王之時,故可稱“惟王(殷高宗)七十五年”,但文王繼前人之業非繼王業,而是繼為西伯。其所享之國乃殷所屬之邦國周。故文王享國五十年非其稱王五十年,“清華簡”稱“惟王五十年”則非。
今檢《尚書•無逸》之註疏有關於此之說法。
《尚書》孔穎達《正義》:“經言‘受命’者,鄭玄云:‘受殷王嗣位之命。’然殷之末世,政教已衰,諸侯嗣位何必皆待王命?受先君之命亦可也。王肅云:‘文王受命,嗣位為君。’不言受王命也。”王肅雖不言受王命,亦未排除受王命,因肅未明指受誰之命,王可,先君亦可。但不論其受殷王命或受先君命,皆為西伯,鄭玄“受殷王之命”不必說,即王肅所言:“文王受命,嗣位為君”是受先君之命,先君者公季也,公季武王成辟後追認其為王,故亦稱王季,非當時已稱王,當時仍為西伯也。受西伯之命繼位,當然只能作西伯。
其實,殷之末世,雖政教漸衰,但余威猶在,紂受崇侯蠱惑,拘西伯昌於羑裏,比之唐時方鎮割據,尾大不掉之勢,猶勝多多。鄭說不為無據。
蔡沈註謂:“文王為西伯,所統庶邦,皆有常供。春秋貢於霸主者斑斑可見。”“受命,言為諸侯也。”蔡註仍以文王為諸侯,為西伯,而非為天下共主。所謂文王乃周後人對先人之追謚,尊崇。
《史記•周本紀》:“西伯蓋即位五十年。其囚羑裏,蓋益易之八卦為六十四卦。詩人道西伯,蓋受命之年稱王而斷虞芮之訟。後十年而崩,謚為文王。改法度,制正朔矣。追尊古公為太王,公季為王季:蓋王瑞自太王興。”
西伯即位五十年卽西伯在位五十年,依此説法,姬昌及其終,只稱西伯。故《保訓》開篇當書:“惟西伯五十年”或直剝《無逸》語,書“文王享國之五十年,時維暮春••••”。
《史記》稱:“詩人道西伯,蓋受命之年稱王而斷虞芮之訟。後十年而崩,謚為文王。”則史遷以為,受命之年,卽斷虞、芮之訟之年,卽自稱王,謚為文王,皆詩人之言,非史家所錄。見《詩•大雅•綿》,《大雅•綿》為周後人作。與《竹書》相證,昌至薨,《竹書》仍稱其西伯,而不稱王(見後)。卽令昌自稱王,至其身後紀年之十一年(或十三)年,仍大勛未集,未昭告天下,天下共主仍為商紂,自然未上謚號��大勛未集,天下未定,如何上謚?上何謚?《逸周書•文傳解》有文王受命九年(卽其辭世之年)之錄。卽令文王自稱王,亦不過九年或十年,此乃史界公認之事,何有文王五十年?何能言“惟(文)王五十年”?這是常識!
若此例可援,則漢獻帝建安十八年(213)五月,獻帝冊封曹操為魏公,加九錫、建魏國,定都於鄴城,魏有冀州十郡之地,置丞相、太尉、大將軍等百官。獻帝許其“參拜不名、劍履上殿”,如漢丞相蕭何故事。
建安二十一年(216)夏四月,獻帝冊封操為魏王,邑三萬戶,位在諸侯王上,奏事不稱臣,受詔不拜,以天子旒冕、車服、旌旗、禮樂郊祀天地,出入得稱警蹕,宗廟、祖、臘皆如漢制,國都鄴城。王子皆為列侯。名為漢臣,實則皇帝。冬十月,漢獻帝又賜操冕十有二旒,乘金根車,駕六馬,設五時副車。
孫權擒關羽、取荊州後,曾遣使入貢,向操稱臣,勸操代漢稱大魏皇帝。操麾手下群臣亦向曹操勸進。操稱:“若天命在吾,吾為周文王矣。”
建安二十五年正月(220)正月,操病死洛陽。是年十月,魏太子丕受漢禪,建國,號魏;謚操為武帝。
援《保訓》稱周西伯昌五十年為“惟王五十年”之例,則建安二十五年當稱“惟(魏)武帝七年”,其事則可書為“惟武帝七年正月,帝薨於洛陽,是年冬十月,太子丕受漢禪,建國,號魏。”荒天下之大唐!
二、《耆夜》“武王八年”之書,說明“清華簡”為近人偽作。
翻一翻《尙書》、《左傳》、《逸周書》、《國語》、《呂氏春秋》等,均無“(周)武王某年”之記載,嚴格說來,這些書都不是編年史。只《春秋》用魯之諸公謚號紀年,是真正的編年史。但《春秋》亦無“武王某年之” 錄,《春秋》作者深知,周共和前之史非編年體,無年可錄,《竹書紀年》雖有列王在位紀年,但非嚴格意義上之編年史。
先秦史傳,其書法略可分二類:非編年史、編年史。
非編年史可以《書》或《尚書》為代表,自《尚書•周書》始,偶亦紀年,但絕不以王系年,更不以王謚系年。如《洪範》:“惟十有三年,王訪於箕子”為其例。其徵為時人記時事,或近人記前事,故不以王系年,更不以王謚系年。
《逸周書》雖述周文、武至景王時事,卻內容駁雜,闌入諸家思想,時間跨度很長,並經漢人增刪。如《時訓》以雨水為正月中氣,驚蟄為二月節氣,周曆建子,秦曆建亥,雨水、驚蟄均不可能分别出現在正、二月。這是在漢武帝重新用夏曆時才會出現之現象。今人多以為其主要篇目出自戰國人之手。
《逸周書》記時書法也不統一,其第十一卷《大匡解》始出現記時,有“維周王宅程三年”之錄。《文傳解第二十五》有“文王受命九年”之錄。《柔武解第二十六》有“維(武)王元祀”之錄,至《酆謀解第三十》:“維王三祀,王在酆。”皆有維王某祀之錄,《大匡解第三十七》:“惟十有三祀,王在管。”《世俘解第四十》:“維(十三祀)四月乙未,武王成辟”,其年武王成天下共主。《成開解第四十七》:“成王九(元)年,大開告用。”書法混亂,顯經多人之手而成,不足為例,亦入非编年史之列,置不論。
《竹書紀年》以記殷紂時事為例,如:
帝辛名受。
元年己亥,王即位,居殷。
三年,有雀生鸇。
四年,大蒐於黎。作炮烙之刑。
五年夏,築南單之臺。雨土於亳。
六年,西伯初禴於畢。
九年,王師伐有蘇,獲妲己以歸。
十年夏六月,王畋於西郊。
十七年,西伯伐翟。冬,王遊於淇。
二十一年春正月,諸侯朝周。
二十二年冬,大蒐於渭。
二十三年,囚西伯於羑里。
二十九年,釋西伯,諸侯逆西伯,歸於程。
三十年春三月,西伯率諸侯入貢。
三十一年,西伯治兵於畢,得呂尚以為師。
三十二年,五星聚於房。有赤烏集於周社。密人侵阮,西伯帥師伐密。
三十三年,密人降於周師,遂遷於程。王錫命西伯,得專征伐。
三十四年,周師取耆及邘,遂伐崇,崇人降。冬十二月,昆夷侵周。
三十五年,周大饑。西伯自程遷於豐。
三十六年春正月,諸侯朝於周,遂伐昆夷。西伯使世子發營鎬。
三十七年,周作辟雍。
三十九年,大夫辛甲出奔周。
四十年,周作靈臺。王使膠鬲求玉於周。
四十一年春三月,西伯昌薨。
四十二年,西伯發受丹書於呂尚。
四十三年春,大閱。嶢山崩。
四十四年,西伯發伐黎。
四十七年,內史向摯出奔周。
四十八年,夷羊見。二日並見。
五十一年冬十一月戊子,周師渡孟津而還。王囚箕子,殺王子比干,微子出奔。
五十二年庚寅,周始伐殷。秋,周師次於鮮原。冬十有二月,周師有事於上帝。庸、蜀、羌、髳、微、盧、彭、濮從周師伐殷。
關於周武王紀年
周武王名發。
十二年辛卯,王率西夷諸侯伐殷,敗之於坶野。王親禽受於南單之臺,遂分天之明。
十三年,巢伯來賓。薦殷於太廟。遂大封諸侯。
十四年,王有疾,周文公禱於壇墠,作《金縢》。
十五年,肅慎氏來賓。
十六年,箕子來朝。秋,王師滅蒲姑。
十七年,命王世子誦於東宮。冬十有二月,王陟,年九十四。
恰如王靜安所論,其紀年多空疏不經,嚴格說,算不上編年史,可稱為類編年史。
《春秋》則為編年史。如:
隱公
元年
春,王正月。三月,公及邾儀父盟於蔑。夏,五月,鄭伯克段於鄢••••。
二年
春,公會戎於潛。夏五月,莒人入向••••。
三年
春王二月,己巳日有食之。三月庚戌,天王崩。
••••
十有一年,春,滕侯、薛侯來朝。••••冬十有一月壬辰,公薨。
不厭其煩,引諸史例,在說明非編年史,編年史之徵。
清華簡《耆夜》“武王八年”之紀,為後人追述前史,且具編年體例。有網友以西周某明器某銘文有維王某年某月或某王某年某月相比況。須知書史與制器是兩回事。制器書維王或某王,①為表示奉王正朔,對王尊崇,如《春秋經》書春月有事,必書王正月,王二月,王三月。②制器書一時、一事,或後人書前人之一時一事,故以王繫之。
書史則不能只書一時一事,如不能只書“魯隱公元年,夏,五月,鄭伯克段於鄢”而止。即令加上此節之左氏傳,亦不過一時一事。史籍所錄,往往是長達數百年甚至上千年之事。《尚書》、《春秋》、《國語》,乃至《逸周書》、《竹書紀年》等,莫不如此。故《耆夜》只能是某史籍之一篇。卽使史籍摘錄,除非某帝某王某公之元年,亦不書謚号於前,如《左傳•僖四年》述齊桓公伐楚事,其文為“四年,春,齊侯以諸侯之師侵蔡。”而不書“隠公四年,春,齊侯以諸侯之師侵蔡。”除非周武王先知後人有篡改歷史之行,獨作此篇,以茲後世證明“戡黎”之版權在我而不在“文考”。
前已說明,《尚書》無論���、古文篇目,皆不以王謚繫年,故《耆夜》不能入《尚書》,與《逸周書》相比較,《逸周書•文傳解第二十五》有“文王受命九年”之錄,其年文王薨。《成開解第四十七》:“成王九(元)年,大開告用”,其年成王繼統。盡管《逸周書》經後人增刪,但其述年亦只在其薨或繼統之年書其謚以系年,且不具編年意味。故《耆夜》不能入《逸周書》。順便說一句,《逸周書》無隨晉室東遷散佚及某獻而復出那些由頭,可假定其未曾逸篇。
如前引《竹書紀年》,自帝辛名受後,只書元年、三年等,直至五十二年,冬,十二月。並不書帝辛元年,帝辛四十年,帝辛五十二年等,此為《竹書紀年》之書法。《春秋》亦如是,如所引:隱公:元年、二年,三年等,而不於每年首加隱公二字,而書隱公元年、隱公二年••••隱公十一年。後世書史亦如此,如《史記•高祖本紀》於秦亡後即以漢紀年,其記法為漢元年,二年、三年等,而不每紀年必書漢某年。又《史記•孝文本紀》有孝文皇帝元年、二年、三年、六年等之記。自漢武帝於公元前113年,以當年為元鼎四年,正式創立年號,後世繼之,形成制度。而追改其繼統後之年代為建元、元光、元朔、元狩,每一年號用六年。書之如建元元年、二年••••六年,而不書建元二年,建元三年等。
武王八年,既非武王繼統之年,亦非武王成辟之年,辭世之年,其書法不合史例,知《耆夜》不隸任何一本史籍,乃作簡者自造。
作策逸出現在宴會中亦作簡者有意安排。逸前人註指為史佚,周史官,《尚書•洛誥》著其名。古之王廷、邦國朝會等,史官在場,如今之重要會議必有記錄,乃眾所周知之事,一般不書其名,不特指其在塲。尤其宴飲,更不必書其在場。史官並非朝中重要官吏,如司馬遷《報任安書》所稱:“文史星曆,近乎卜祝之間,固主上所戲弄,倡優畜之,流俗之所輕也。”史佚在周,比之史遷,也好不到哪裏去。作簡者安排史逸在場,是要強調《耆夜》篇中所記之事之詩,皆目擊所錄,絕對是言不二價之真貨色。而忽略王旣在埸,何謚可上?
清華簡在紀年上閙如此笑話,非作簡者書史之基本知識不具備,而在急於出手,只注意戡黎而未推注意勘文,只注意一雙寶貝而兩眼光光而鑄成大錯,貽笑世人!
0 notes
Text
【小説】龍とトラガス (2013)
「俺さ、卯年の大晦日から、辰年の元旦にかけて生まれたらしいんだよね。だから、龍と兎で、龍兎(りゅうと)って名前にしたんだって」
大きな透明のケースの中に積み上げられた、ウサギのぬいぐるみの山。アタシはそれを崩すべく、アームの操作に集中していた。横に立ってひとりで話していた男は、そう言いながら嵌めていた革の手袋を外し始める。
UFOキャッチャーのアームは、機械が古いのか調子が悪いのか、今にも止まりそうなほど、キリキリと音を立てて動く。ボタンから手を離すと、ガクガクと震えながらアームが開いた。その先端がぶつかった拍子に、山の中腹あたりにあった、ピンク色したウサギのぬいぐるみが、ぼとりと落ちる。その一瞬の落下を見て、飛び降り自殺をしたら、こういう風に落ちるのかなと連想した。
アタシはそこで、男の両手に目を移す。男は手袋を外し終えた両手を、揃えて突き出していた。
パッと目を引く、黒い影が二つ。
男の右手の甲にはウサギの、左手の甲には龍の、黒一色のタトゥーが施してあった。影絵のようなデザインのウサギと龍はそれぞれ向き合っていて、右と左で一対なのだという印象を与える。
タトゥーを見つめたまま、何も言わないでいると、男は笑いながら口を開く。まるで鼻で笑ったような笑い方だったのが、やけに耳に残った。
「自分の名前にちなんで、スミ入れたんだ。兎と、龍」
視界の隅で、開いたアームが再び音を立てて閉じ始めていた。アームが当たった先にいたぬいぐるみたちが、取り出し口へ向かってぼとぼとと落下していく。
アタシは黙ったまま、男の左手に手を伸ばした。
龍のタトゥーの上には、縦横無尽に切り傷が走っていた。ついさっき負ったばかりなのか、まだ血が滲んでいるような赤々とした傷もあれば、古い傷なのか、痕となって残っている傷まで、数えきれないほどの赤い線。
アタシの手が触れるよりも早く、男はすぐに左手を引っ込める。分厚い革の手袋をさっさと嵌め、留め具をぱちんと鳴らすと、何食わぬ顔でアタシを見下ろした。
「で?」
男は小さなピアスが三つ連なっている左眉だけを器用に上げて、表情を歪ませてアタシを見ていた。
唇の両端から牙のように覗く、尖ったキャッチの口ピアスが二つ、きらりと光る。その口の奥、舌の上にももうひとつ、ピアスがあいているのが前歯の隙間から見えた。右の小鼻にも、ピアスがひとつあいている。被っている帽子は耳まで覆うようなヒダがついているから、確認はできないけれど、この男、きっと両耳にもたくさんのピアスをぶら下げているんだろうと思った。
男は手袋を嵌めた左手を、UFOキャッチャーの台の上に置き、その長身をかがめるようにしてアタシと目線を合わせ、顔を近付けてきた。体重をかけているのか、ぎしり、と台が軋んだ音を立てる。まだ手袋を嵌めないでいた右手で、アタシの顎を持ち上げる。アタシの全身を舐め回すように見た後、男は言う。
「それで、あんた、いくら?」
UFOキャッチャーの景品受け取り口には、四匹のウサギが死んだように動かないで転がっていた。アタシの視界の隅には、男の手の甲で黒いウサギが歪んだ姿でいるのが見える。
アタシ、行くとこ無いんだよね。
そこで初めて口を開くと、男は蔑むような目でアタシを見つめたまま、小さく何度も頷いた。
上等だ、うちに来いよ。
男が低い声で、唸るようにそう言う。
――雪も降らなかったクリスマスの深夜。ピアスだらけの顔面と、ウサギと龍のタトゥーを持つ男、龍兎にアタシは出会った。
風俗店がずらりと並ぶネオン街の片隅。
安アパートの一室が、龍兎とアタシの住み家。
目の前に建つ廃ビルに日射しを遮られ、昼間でも薄暗いこの部屋は、アタシたちにお似合いに思えた。
アタシは分厚いカーテンの隙間から、外の様子を窺う。朝六時のネオン街は、白けていく空に反比例するように夜の華やかさを失い、ここから見下ろせる路地には、疲れた顔のホストや酒で顔がむくんだキャバ嬢が気怠そうに行き交っていた。
ベッドを振り返ると、龍兎は肩まですっぽり毛布にくるまって、静かに寝息を立てている。
そっとその毛布をまくって龍兎の左手を確認した。黒い龍の上には、真新しい赤い線が三本増えている。龍兎は毎日、新しい傷を左手の甲、龍のタトゥーの上に作る。テーブルの上にはカッターが置いてあった。そっと毛布を戻す。
床に落ちていた服を拾いながら、龍兎がゴミ箱めがけて投げたくせに入らず落下したままだった、使用済みの避妊具を捨てる。その時、真新しい薬のゴミが捨ててあるのを見つけた。
毎晩自傷行為して、毎晩薬を飲んで、毎晩アタシを抱く。龍兎はそういう奴だった。そういうアタシは、別段龍兎の自傷を止めるでもなく、なんの薬なのか尋ねることもなく、抵抗ひとつせず大人しく従う。
いつまでも裸でいるのはさすがに寒くて、パンツを履いてブラのホックを留めていると、首についている南京錠が小さな音を立てた。
アタシの首にはスタッズがいくつもついた首輪が嵌まっていて、自分では外せないように小さな南京錠が掛かっている。南京錠の鍵は龍兎が持っていると思うけれど、もしかしたらとっくに捨てたかもしれない。
アタシは龍兎に飼われている。
そして龍兎は、アタシを自分の好みの女にしていく。
出会ったその日にこの部屋に連れて来られ、最初に着ていたワンピースとコートを捨てられた。代わりに龍兎は自分のクローゼットの中から、アタシが着られそうな服をいくつか引っ張り出して、首輪と南京錠を嵌めさせた。
龍兎はアタシにピアスもあけさせた。今日もバイトが終わったら、ピアス屋へ行くと言っていたから、きっとまたアタシの身体には穴が増えるんだろう。
彼の服を着て、彼と同じ場所にピアスをあけて、アタシと龍兎はまるで仲の良い恋人同士みたい。アタシをそんな風にして、どうするつもりなのだろう。
でも、そんなの全部、どうでもいい。
アタシは服を着て、テーブルの上に出しっ放しだったピルケースを手に取る。今日の分のピルを一粒取り出すと、コップに半分ほど残っていたぬるい水と一緒に飲み込んだ。ごくり、とわざと音を立てて飲み込むと、アタシの喉は首輪が邪魔だと言わんばかりに、小さく震えた。
龍兎は朝の九時から夕方まで、ほぼ毎日、パンク系のヴィンテージものばかりを扱う服屋でバイトしている。バイト帰りにアタシをピアス屋に連れて行きたい時は、バイト先まで迎えに来るよう言ってから出掛けていく。
服屋は裏道に一本入ったところにあって、客はコアな常連客ばかり、店が混むといったことは滅多に無い。店員は龍兎だけで、店長はゴツいシルバーアクセばかりを身に着けた、ホスト風の若い男。
アタシが言われた時間の五分前に行くと、店内には店長の姿しかなかった。店の中はいつも潮風を連想させる香水の匂いがして、この店で買った服にも、この店で働く龍兎の身体にも、その匂いがこびりついていた。
「ああ、いらっしゃい」
店長がアタシに気付いてそう声をかける。もう何度もこの店を訪れているので、店長とも顔見知りだ。
「龍兎なら裏で今ちょっと仕事してるから、もう少し待っててくれる?」
アタシが黙って頷くと、悪いね、と店長は言う。
店長はいつも、いやらしい目でアタシを見る。アタシが以前売春していたことを龍兎が話したのだろう。龍兎がいない時、いくらだったらヤらせてくれんの? と訊かれたことだってある。以前ならば、なんのためらいも無く関係を持っただろう、それがお金になるのであれば。でも今のアタシには、そんな気力も活力も無い。
どうでもいい、と思ってしまう。自分の身体も、自分の未来も、自分の生死さえも、まるでどうでもいい。なんとも思わない、なんとも感じない。
最近のアタシの生きる世界は色彩を失い、まるで現実味が無い。長い夢を見ているような、そんな気分の毎日だ。龍兎に出会う前のアタシは、一体どうやって生きていたんだろう。何に希望を見出し、何を求めて生��ていたんだろう。今では昨日のことまでもぼんやりとしか思い出せない。いつからこうなったのかもよくわからない。
ただひとつ確かなことは、アタシはもう疲れてしまったということだけ。生きることに疲れ切ってしまった、そんな感じがする。
龍兎はまだ出て来ない。いつの間にか店長はすぐ側にまで来ていて、アタシの胸を触ろうとしていた。
今日はTシャツの上から、ライダースジャケットを着ている。このライダースだけは、龍兎のサイズではどれも大きすぎて、この店で新しく買ったものだ。店長はそのライダースのジッパーを慎重に下げる。それから左手をアタシの腰に回して動けないようにし、右手で左胸を服の上から撫で回し始めた。
腰細い割に、胸デカいんだな。アタシの耳元で低く囁くように店長が言う。その吐息は思っていた以上に熱く、息遣いは興奮しているようだった。店長から、この店に漂う潮風の匂いがする。
アタシはぴくりとも動かず、店長のされるがままになっていた。今の自分の状況を冷静に見つめている一方で、なんの感情も湧いてこなかった。もっと触って欲しいという欲情も、やめてくれという拒絶も、今のアタシには抱けない。アタシには何も無い。生きているのに死んでいるような、きっとそんな虚ろな顔を、しているんじゃないだろうか。
店長の右手がTシャツの胸元から侵入してこようというところで、龍兎が店の奥に通じるドアから出て来た。咄嗟に店長はアタシから手を引く。お疲れ様でしたと言う何も知らない龍兎に、何事も無かったかのような平気な顔で、お疲れ様、と店長は言った。緊張も焦りもその表情には欠片も無い。余裕すら感じられる口元だった。たいしたものだと内心思いながら、龍兎に連れられて店を後にした。
龍兎は長身で細身、身体はさほど筋肉質でなく、どこか中性的な印象を与える外見。
黒髪は少し伸びていて、その襟足だけが脱色して白い。鼻筋はあまり通ってはいないけれど、目は切れ長の一重で、いつも冷めたような顔をしている。両耳と顔はピアスだらけで、すれ違う通行人たちは、思わず凝視するか、一瞬で目を逸らすかのどちらか。でもピアスとは違って、両手のタトゥーだけは、外出時には手袋を着用して、ひたすら隠していた。
店の外に出ると外気は驚くほど冷えていて、アタシはライダースのジッパーを上げた。両手をポケットに入れ、首をすくめるようにして少し後ろを歩いていると、ふとこちらを振り返った龍兎が、さみぃな、と言った。
アタシがそれに小さく頷くと、龍兎はウサギがいる方の手の手袋を外し、アタシの左ポケットに突っ込んできて、そのままアタシの手を握り締めた。龍兎の手は特別温かいという訳ではなかったけれど、黙ってそのままでいた。
あのクリスマスの晩、龍兎が声をかけてきた時、アタシはすぐにナンパだとわかった。一夜の宿のつもりで誘いに乗った。それからもう一ヶ月が経とうとしている。寝て金を貰ったのは最初の晩だけ。それでも龍兎は毎晩アタシを抱くし、アタシも未だに龍兎の部屋で暮らしている。
アタシたちは一体、なんなのだろう。龍兎は店長に、アタシのことを「俺の女」と紹介していた。アタシは、龍兎の恋人なのだろうか。龍兎はどういうつもりで、アタシを側に置いているんだろう。
訊こうと思えばいつでも訊けるけれど、尋ねる気にはならなかった。今の生活にこれといって不満も無いし、訊いたところで何かが変わる訳でもない。
アタシと龍兎はお互いの話をほとんどしない。龍兎の名字も年齢も知らないし、龍兎もアタシが亜野(あや)という名前なのは知っているけれど、小嶋という名字なのは知らないはずだ。
アタシが龍兎の側にいることに、大きな理由は無い。龍兎がそうさせているから。ただそれだけ。
ピアス屋は、龍兎のバイト先よりもさらに裏通りにある。ゆるやかな下り坂の途中にあるテナントビルの五階、それがピアス屋「蛇腹」の在り処だ。
薄暗い店内。壁には「なんでそんなことしたの」と訊きたくなるようなピアスをした人々の写真が飾られている。入ってすぐのところに小さなカウンターがぽつんと置かれていて、その奥に施術室があるのだけど、今は薄汚れたカーテンでその入り口は塞がれている。カーテンには「空室」と書かれたプレートが引っ掛かっていた。
「いらっしゃい」
カウンターの下の方で何やら作業していた男が、龍兎とアタシが店に入って来た物音を聞きつけて、カウンターの向こうに頭を覗かせた。
頭はつるつるのスキンヘッド、その頭頂部から額、鼻筋にかけて大蛇が渦巻いているデザインのタトゥー。龍兎みたいに耳も顔もピアスだらけ。この男は、この店の店主だ。
龍兎は彼のことを「蛇腹さん」と呼んで慕っている。古くからの知り合いらしく、龍兎のピアスをあけたのも、彼なのだと聞いた。詳しい年齢は知らないが、彼はその大蛇のタトゥーと大量のピアスという外見のせいでほとんど外出はせず、男のくせに透き通るような白い肌をしている。
蛇腹さんはこの日の空模様と同じ、灰色のパーカーを着ていて、フードを深く被っていた。彼の派手なタトゥーは、鼻筋よりやや左側に描かれた、蛇の尾の部分しか露出していない。
「待ってたよ。アヤちゃんに新しいピアスあけるんだろ?」
ハードな見た目に似つかわしくなく、ほんの僅かな空気の振動にすらかき消されそうなほど、淡々とした静かな声。
「今日はどこにあけようか?」
蛇腹さんがそう言いながらアタシを見た。その目線が髪に隠れている両耳を見ているのだと気付いて、アタシは耳が見えるようにサイドの髪を両耳にかけた。
アタシは右耳に三つ、左耳に二つピアスをあけていて、右はヘリックス二つにイヤーロブひとつ、左はイヤーロブ二つだ。���リックスは耳輪の上部のことで、イヤーロブっていうのは耳たぶのこと。ピアスをあけている人を見たことはあるけれど、自分の身体にそんな名前がついているなんて、ピアスをあけるまで知らなかった。
アタシの身体はアタシのものなのに、アタシはそこに名付けられている名称を知らない。アタシの身体にはあといくつ、知らない名前がついているんだろう。
アタシのピアスたちはどれも、龍兎が自分のピアスと同じ場所にあけるように蛇腹さんに頼んだものであり、どうやら龍兎は、自分とアタシの耳のピアスの位置と数がそっくりお揃いになるようにしたいらしい。お揃いになるためにはあと、右のイヤーロブに二つ、左はインダストリアルとコンクを、それぞれひとつずつあけなくてはいけない。
耳のピアスが完成したら、龍兎は顔のピアスまで真似させるだろうか。眉ピが左に三つ、鼻ピが右にひとつ、口ピは口の左右にひとつずつ、舌ピがひとつ……。それが終わったら、どうするだろうか。アタシの金髪は龍兎と同じ黒髪にされるかもしれないなと思った。
そして龍兎は、きっとアタシの身体にタトゥーを入れることを要求するだろう。ウサギと龍。その二つのタトゥーを。そしてアタシはきっと、何一つ抵抗せず、大人しく従うのだろう。そんな気がした。
「こないだは左のロブにあけたんだっけ。じゃあ今日は右にしようか。リュウと同じように、ロブでいいの?」
蛇腹さんは龍兎に向かってそう言った。蛇腹さんはピアスについて、アタシには一切意見を求めない。龍兎も同意を求めない。アタシも何も言わない。
右の耳にあけるとしたら、イヤーロブの残り二つのどちらかだ。左耳じゃなくて良かった、と思う自分がいることに気がついた。インダストリアルもコンクも、なんだか面倒くさそうなピアスだから。
「……いや、ロブは後でいいや。今日はこいつに、トラガスあけてやって」
トラガス、という単語に一瞬アタシは戸惑った。咄嗟に振り返り、カウンターの上に常備してある耳ピアスの部位とその名称一覧表に目をやった。案の定、トラガスは龍兎の耳にはあいていない部位だった。「耳の穴の、顔寄りの方」、としかアタシには表現できない、ちょっとだけ指でつまめる軟骨部分が、トラガスだ。
「トラガス?」
蛇腹さんも怪訝そうな表情をしていた。
「トラガス、お前あいてないだろ」
俺もそのうちあけるんだよ、と龍兎が言った。
「俺の真似ばっかじゃつまんねぇじゃん。たまには俺がこいつの真似するわ」
「真似するためにやらせるんじゃ、意味無いだろ」
龍兎の言葉に蛇腹さんはうっすら笑いながらそう言って、じゃあトラガスね、とやっとアタシの方を見た。アタシは頷きもせず拒否もせず、ただ黙って立っていた。
蛇腹さんはカウンターの中から手招きして、施術室に通じるカーテンを開けた。アタシがいつも通りカーテンの向こう、施術室へ足を踏み入れようとしたところで、あれ、と蛇腹さんが声を上げる。
「リュウ、お前見に来ないの?」
アタシがピアスをあけてもらう時、いつも後ろに龍兎がいて、施術の様子を見ている。位置はどうしろだとか、穴の大きさはいくつにしろだとか、さんざん口うるさく指示して、蛇腹さんはいつもそれを適当にあしらって苦笑していた。てっきり今日もいつものようについて来るだろうと思っていたけれど、龍兎はカウンターのところでガラスケースに並んでいるピアスの数々を眺めていた。
「あー、うん。俺とおんなじとこにあける訳でもないし。よろしく頼むよ、蛇腹さん」
龍兎はふと顔を上げるとアタシの顔を見て、気の緩んだ表情をした。いつもぶっきらぼうで無愛想な龍兎のそんな顔を見て、ああこれがこの人の笑顔なんだと、アタシは少し遅れて気がついた。微笑んだのだ。龍兎が笑ったところなんて、今まで見たことがあっただろうか。でもそういえば、アタシが新しいピアスをあける時、いつも嬉しそうな顔をしていたような気がする。あれは、笑っていたのだろうか。
「あっそ。じゃあアヤちゃん、こっちおいで」
アタシが施術室の中に入ると、蛇腹さんはプレートをひっくり返して「施術中」にするとカーテンを閉めた。蛇腹さんが、そこ座って、と台の側にある椅子を目で示したので、アタシは黙ってその椅子に座る。すると、蛇腹さんは作業の手を止めて、隣までやって来ると、アタシを上から下までじろりと見た。
龍兎のバイト先の店長がするような、いやらしい目つきではない。無機質な、感情を感じさせない目だった。何故かアタシは、以前偶然立ち寄ったペットショップで見た、赤い目を持つ白い蛇のことを思い出した。
蛇腹さんはアタシの耳元で囁くように言う。
「ずっと気になってたんだけど、アヤちゃんってリュウとどういう関係? カノジョ?」
アタシを見つめる蛇腹さんの目は、飲み込まれそうなほど真っ黒だった。カラコンだ。すぐにそう気がついた。蛇腹さんは、黒目の大きなカラーコンタクトを両目に入れている。だから、爬虫類みたいな印象を与えるんだ。
「あいつとヤッてんの?」
瞳に圧倒されて、答えるのを忘れて黙っていると、さらに声を潜めてそう言ってきた。アタシは黙っていた。否定も肯定もいらないだろうと思った。
蛇腹さんは手を伸ばす。アタシの髪を耳にかけ、右耳に触れる。トラガスという、そういう名前がついていることを初めて知った、アタシの一部。蛇腹さんは「ここにあけるから」と言って、強くつねった。その痛みにアタシは僅かに顔をしかめる。
蛇腹さんは一度アタシに背を向け、台の上に置かれたピアスをあけるための道具をいじり始めた。
「人によってはイヤホンが耳に入りづらいとか、耳掃除が面倒になったりするけど、大丈夫? あと最初のうちは膿が出たり腫れたりするから、何かあったらすぐ連絡して。俺の番号は、前に教えたよね」
16Gと14Gならどっちがいい? と付け加えるように訊いてきたので、アタシは「16」とだけ答えた。わかった、と低く蛇腹さんは返事をして、棚の引き出しを開ける。ピアスはサイズの書かれたビニール袋に個別に入れて保管してあって、蛇腹さんはたくさんのピアスの中から16Gのものを探していた。
「あいつ、HⅠⅤだよ」
唐突に、蛇腹さんが言った。一瞬、何を言われたのかわからなくて、蛇腹さんを黙って見つめた。蛇腹さんはそんなア���シの視線に気付いたのか、ピアスを探す手を止めてこちらを見た。頭に描かれたタトゥーの蛇の目と、アタシの目が合う。
蛇腹さんの口元は微かに笑っていた。まるで卑しいものでも見るかのように、アタシのことを笑っていた。
「知らなかった? リュウは、HⅠⅤだよ。HⅠⅤに、感染してる」
蛇腹さんはそう言うとピアスを探す作業に戻る。あった、と小さくつぶやくように言って袋をひとつ手に取り、これからアタシの身体に食い込んでいくであろう、小さなピアスを取り出した。
あのピアスは、きっとアタシに痛みを与える。
そっと自身のトラガスに触れてみた。ここに穴があく。龍兎には無い、穴があく。アタシは一体、どこに向かおうとしているのだろう。アタシにはわからない。きっと龍兎にも、蛇腹さんにもわからないだろう。
じゃあ始めるよ、と準備ができたのか、蛇腹さんはそう言った。アタシは目を閉じた。ピアスをあけられている間は、目を閉じる。いつの間にかそういう習慣になった。
蛇腹さんの手が耳に触れる。突き刺さる痛みと同時に、ごりごりという音が、頭の中に響いた。
アタシがどこへ向かっているのか、誰にもそんなことはわからないし、そんなことがわかったところで、何の意味も無い。
その夜、龍兎はいつになく上機嫌で、スーパーで買ってきた、割引シールが何枚も貼られた売れ残りの惣菜を頬張りながら、アタシのトラガスに触れ、「どう?」と何度も訊いてきた。「痛かった」ぐらいしか感想が持てないアタシは、そう訊かれる度にその通り答えた。あんまりにもしつこく訊いてきて正直うざったかったけれど、日頃無表情で無愛想な龍兎が穏やかそうな顔をしているので、そこまで悪い気はしなかった。
シャワーを浴びて、いつも通り龍兎は薬を何錠か飲んでからアタシを抱いた。いつも通りの、前戯はほとんど無い、性欲をただ処理するかのような性交。言葉は何も発さず、短い吐息を鋭く吐き出して龍兎は果てた。もう事が済めばアタシなんか必要無いんだとでも言うように、すぐさま男性器を抜き、精液の溜まった避妊具を外してその口を結ぶとゴミ箱へ放り投げる。ティッシュ数枚で性器を拭うとそれも丸めてゴミ箱へ投げた。
龍兎はいつも通り枕元のカッターを引き寄せて、左手の甲、その龍のタトゥーの上に切り傷をひとつ新しく作ると、そのままカッターを投げ出し、アタシに背を向けた。ずっと無言のまま、毛布にすっぽりとくるまって、おやすみも言わずに眠ってしまう。いつもと同じだ。
龍兎が始めて龍兎が終わらせた一方的な行為に、アタシはまだ呼吸を上手く落ち着けることもできずに、同じベッドの上、しばらく天井を仰いでいた。
龍兎の寝息が聞こえ始めるのを待ってから、アタシはそっと起き上がって、枕元にあるティッシュの箱へ手を伸ばした。股間を拭い、ゴミ箱へ捨てる。
自分の鞄から、財布を取り出す。レシートが何枚も入っているその中から、見たことのある大蛇がデザインされた名刺を見つけるのに、たいして時間はかからなかった。
「これはお得意様にだけ渡してる、特別な名刺だから」
出会ったその日、この名刺を渡してきた時に言った、あの男の口元を歪めただけの笑みを思い出す。文字が何も印刷されていないその名刺には、携帯電話の番号がペンで走り書きしてあった。
アタシは龍兎が脱がせた服を、順に拾い上げて身に着ける。眠りに就いたばかりの龍兎を起こさないように気をつけた。物音をできる限り殺してブーツを履いて、ライダースを羽織る。スキニーパンツには携帯と名刺だけを入れた。行かなくちゃいけない。何かがアタシにそう急かす。
化粧もせず、髪もとかさずに、手ぶらのまま龍兎の部屋を出た。外の空気は冷え切っていて、その寒さに首をすくめた時、あけたばかりのトラガスが、ずきん、と痛んだ。アタシはまるで逃げ出すかのように早足で歩き出しながら、名刺に書かれた数字を携帯に打ち込み、迷わず「通話」ボタンを押した。
ピアス屋「蛇腹」まで駆けて行くと、もうとっくに閉店時間は過ぎているはずなのに、店の扉の鍵は掛かっておらず、カウンターの一番奥の照明だけが点いていた。
「待ってた」
掠れた声でそう言う蛇腹さんは、薄暗い店内でアタシを見て笑った。カウンターの中から出て、アタシの横をすり抜けると、店の表のドアを施錠する。
「施術室、入って」
振り返りもせずにそう言うので、アタシは黙って従った。「空室」のプレートの下がっているカーテンを開けると、施術室の中はカウンター同様に薄暗かった。部屋の隅に小さなストーブが置いてあって、オレンジ色の炎が闇の中で揺れていた。
アタシはトラガスをあけた時と同じ椅子に腰を降ろした。カウンターの灯かりを消した蛇腹さんが、施術室へ入って来る。蛇腹さんはカーテンを閉め、アタシからは一番離れた位置にある長椅子に腰掛けた。
「で、なんで電話してきたの」
蛇腹さんの声が、微かに部屋の空気を震わせる。その爬虫類みたいな目で、アタシを見ていた。
「リュウと別れたくなった?」
答えないアタシに、蛇腹さんはそう訊いてくる。
――アタシは龍兎に飼われている。あの部屋で抱かれることだけが、アタシの存在理由。
「……教えて、龍兎のこと」
それだけ言うと、蛇腹さんは素っ気無く答えた。
「言ったろ、あいつはHⅠⅤだって」
「……なんで、HⅠⅤに感染したの」
「あいつ、左手に刺青があるだろ」
アタシの脳裏に、龍兎の左手がよぎる。影絵のような、黒一色の龍のタトゥー。その上に刻まれ続ける、自傷の痕。
「あの龍の刺青入れた時、HⅠⅤに感染したんだよ。針の使い回しだったそうだ」
アタシは黙ったまま蛇腹さんを見た。蛇腹さんもアタシを見ていた。
「二年ぐらい前だったかな。あいつ、スミ入れたいって言い出してさ。それで、俺に蛇の刺青入れた、彫師を紹介したんだよ。先に彫ったのは右手の、ウサギの絵の方だった。左手の龍の絵を彫るってなった時、彫師がいろんなデザインを描いたんだが、リュウは全部却下した。刺青って一生モンだろ? リュウもこだわりたいし、彫師だって自分の作品にはこだわりたい。そんな時、あいつ、刺青のイベントに行ったんだとさ」
――タトゥーイベントで龍兎はひとりの彫師と意気投合した。その彫師が即興で描いてくれた龍のデザインに心惹かれ、その日のうちに下絵を彫った。後日続きを彫ってもらい、完成させるはずだったが、突然、その彫師と連絡がつかなくなった。それで中途半端なタトゥーはカッコ悪いと、最初の彫師に頭を下げて頼み、続きを完成させてもらったのだが、その数ヶ月後になって、HⅠⅤに感染していることが発覚した――。
「どうして発覚したと思う?」
蛇腹さんはそう訊いてきた時、嘲笑うかのような表情をしていた。蛇腹さんが決して、龍兎の前ではしない顔だった。
「あいつ、当時付き合ってた女にガキができたってんで、病院に行ったらわかったんだとさ。女の方が感染してるのがわかって、リュウも検査を受けたら感染してた。その頃になって、イベントの参加者に、HⅠⅤに感染した人がちらほらいるって噂になってきてな。リュウはその女と結婚するつもりでいたんだが、破局。子供は中絶。女は今もリュウから金もらって、リュウと同じ、エイズの発症を抑える薬を飲んでどっかで生活してる」
喉の奥を震わせるようにして、蛇腹さんは笑っていた。
「それからだ。それからリュウは、女をとっかえひっかえしてる。適当にその辺をぶらついては女をひっかけてきて、半ば無理矢理、自宅に軟禁して。新しい女ができる度にここに二人でやって来て、自分と同じ場所にピアスをあけさせる。あんたとおんなじだ。大抵、女たちは途中でリュウがどっかおかしいことに気付く。リュウが見ていない隙に、『あの人ちょっとおかしい』と俺に訴えてくるようになって、俺があいつの過去を話すと、皆、気味悪がって逃げ出す」
蛇腹さんはそう言いながら立ち上がり、アタシのところまでやって来た。椅子に腰掛けたままのアタシを見下ろし、首輪に手を伸ばす。蛇腹さんの指が、アタシの首に嵌められた首輪を少しだけ乱暴に引っ張った。その指が闇の中、ぼんやりと輪郭を失って、白く光っているのを黙って見つめた。
「だが、こんなの首に嵌めた女は、あんたが初めてだな」
蛇腹さんは首輪に掛けられた南京錠を手に取りながら、それに顔を近付けていた。
「ただの市販の南京錠か。近所に腕の良い鍵屋がいる。紹介してやってもいい。すぐに合鍵くらいできるだろ」
蛇腹さんは南京錠からも首輪からも手を放し、言った。
「リュウから逃げたいなら、こんな首輪さっさと外して、あの部屋を出て行けよ。あいつは女に捨てられるっていうのが一種のトラウマなんだ。女に捨てられた後は、まるで鬱病みたいになっちまって、逃げた女を探し回る気力も無い」
「……ほんとなの?」
蛇腹さんは怪訝そうな顔をした。
「俺の話を疑ってるのか?」
蛇腹さんの声は話している間、一貫して淡々としていた。それは不気味なほど、平坦な声音だった。まるで催眠術にでもかけられているみたいだ。
「疑ってるなら、部屋に戻って本人に訊いてみろよ」
アタシは何も答えなかった。返す言葉がアタシの中にはどこにも見つからなかった。
何も想像できなかった。この話を切り出した時、龍兎はどんな表情をするのだろう。アタシは龍兎のことを何も知らない。彼がどうすれば喜ぶのか、どうしたら傷つくのか、まるでわからない。
そうだ。一緒に暮らすようになって一ヶ月。アタシは今まで一度も、龍兎を喜ばせようと思って、何かをしたことなんて無かった。
帰る、と言ってアタシは立ち上がる。
「あの部屋に帰るのか」
蛇腹さんはどこか呆れたような声でそう言うと、眠たそうに欠伸をした。
「わかっただろ。リュウはそういう駄目な奴で、誰かをがんじがらめに束縛したいんだ。お前を必要としている訳じゃない。お前じゃなくたって別にもいい、側にいてくれる女なら誰でもいいんだよ」
蛇腹さんは台の上に無造作に置かれた煙草と、コンビニでもらえるような安っぽいライターを引き寄せながら、そのおまけだとでも言うような投げやりな口調で言った。その言葉に、ずきん、とアタシのトラガスが痛んだ。
「ああ、でもそれはお前も同じか」
蛇腹さんは煙草を咥え、火を点けながら言う。
「お前だって、泊めてくれる男だったら、誰でもいいんだもんな」
まるで全てを見透かしているかのような冷たい目で、アタシを見つめていた。アタシはありがとう、と礼だけ伝えて蛇腹さんに背を向ける。店を出る時、まだ施術室で煙草をふかしている蛇腹さんが何か言ったのが聞こえたけれど、アタシはそれに耳を貸さなかった。
右耳のトラガスに触れる。そこにあるピアスの感触を、何度も何度も冷え切った指先で確認しながら、この虚ろな世界のことをぼんやり思った。
初めての性交の相手は、義父だった。
アタシが小学四年生の時にママが再婚して新しくやってきた父親は、ママのいない時にアタシを素っ裸にしては欲情していた。
アタシはまだ初経も迎えていない子供だったはずだけど、当時の記憶はぼんやりとしていて、あまりはっきりとは思い出せない。思えば、あの頃からアタシの心は空っぽだった。
義父の次におかしかったのは、六年生の時、クラス担任だった若い男の教師で、アタシの成績が悪く、こんなんじゃ中学校に進んだらたちまちやっていけなくなる、補講授業を夏休みに行う、と言ってきたのが始まりだった。成績が悪かったのは本当のことで、アタシは元々勉強が苦手だった。担任の教師は、アタシを人気の無い教室に呼び出して、やってこさせたプリントを見ることもなく、持ってこさせた教科書を開かせることもなく、ひたすら卑猥な言葉を言わせるだけ言わせて、無理矢理にアタシを犯した。それは夏休みの間、ほぼ毎日続いた。
中学に上がってからは、男の先輩たちが近寄って来た。いかにも頭の悪そうな、不良の先輩たちは、遊びに行こうと誘い出しては、大勢で順番にアタシを抱いて楽しんでいた。先輩の家で、カラオケで、学校で。どこででもヤッた。
アタシはその頃も、家にママがいない日は義父に抱かれる生活をしていて、義父に連れられ産婦人科を受診し、生理不順だからという理由でピルを処方してもらっていた。定期的に性病の検査も受けた。
まだ義務教育も終えていない義理の娘と性交するような男を、尊敬の目で見たことなんて当然無かったけれど、義父の存在に感謝した。義父が変態じゃなかったら、アタシは何回堕胎手術を受ける羽目になっていたのかわからない。
高校に上がったばかりの頃、義父に犯されている場面をついにママに見られて、アタシの家庭は終わった。義父が家に来てから、毎日のように犯されて、五年が経っていた。
今までずっと黙っていたせいで、ママは何も知らなかった。ママの受けたショックは計り知れない。ママは頭がおかしくなって、アタシの顔を見て話すことすらできないまま、精神科に入院した。
親戚たちの手によって、ママと義父は離婚、義父は警察に突き出された。以来、ママも義父も、どうなったのか知らない。
その頃ちょうど、高校ではアタシが援助交際をしているという噂が立ち、アタシを停学にしようという話が職員室で持ち上がっていた。高校を辞め、「ひとりで自立した生活を送る」と、親戚たちにはそんな嘘をつき、短期のバイトと援助交際でお金を稼いで、その日暮らしを始めた。
最初は親戚たちを欺くために、小さな安いアパートを借りたけれど、契約が切れるのを機に、そこを出た。頭も愛想も悪かったアタシは、親戚たちにはこぞって嫌われていて、アタシの行方や生活の様子を心配する人はいなかった。
カプセルホテル、ネットカフェ、街角で出会った知らない男の家。そこを転々としながら生活した。
アタシの家族が崩壊して、三年。
身体を売って、金を得て、眠る日々だった。
この淀んだ、薄汚い、虚ろな世界。
アタシの身体も、心も、中は���かすかで、そこには何も無い。ただ空っぽだ。生きていても、空しい。死んでいるのと変わらない。
龍兎と出会った日、あの日はクリスマスだった。
街には一夜の相手になりそうな女を狩る男たちがうろついていた。アタシに声をかけてくる男は何人かいたけれど、もう自分の身体を売る気にもなれなくて、乾いた笑顔で見え透いた嘘をついて、男たちを振り切った。
どこにも行く気になれなくて、どこにも行く場所なんか無かった。
生きることにも、死ぬことにも、なんの興味も関心も湧かなかった。過去の出来事も、これから起こる未来のことも、全てなんだってよかった。
なのに、あの時声をかけてきた龍兎に、ついて行ってしまったのは何故だろう。でも、それはたいしたことじゃないのかもしれない。龍兎について行くか、行かないか、なんてことは。だって、興味が無かったんだ。それでこの先がどうなるのかなんて。
もうアタシはどこへも行けない。
だから、どうだってよかった。
そう、どうだっていい、全部。
ぜんぶぜんぶぜんぶぜんぶ、どうだって、いいんだ。
ずきん、
と、
アタシのトラガスが痛んだ。
ぼんやりした頭で目を覚ました。
アタシは知らないホテルの一室で、知らない男と同じベッドで、裸で寝ていた。テーブルの上には、酒の缶の山。どれくらい飲んだのか覚えていないけれど、頭ががんがんと痛む。気持ち悪い。吐き気がした。
今は何時だろう。時計を持たないアタシには知る術が無い。携帯をスキニーパンツのポケットに入れて来たはずだけど、床に落ちていたアタシの衣類を拾い上げて探ってみても、見つからなかった。まぁいいや。どうせ、連絡する相手もいないし、連絡してくる人もいない。寝ている男を起こさないように衣類を身に着けながら、笑った。
アタシには何にも無い。家族も、友達も、恋人もいない。家も、職場も無い、居場所なんて存在しない。大切な人もいないし、誰からも大切と思われてなんかいない。
アタシは何なんだろう。誰が、アタシのことをアタシだと証明してくれるんだろう。ピルをもらう時に必要な保険証だけが、存在を証明してくれるモノだなんて、笑える。
アタシはホテルの部屋を出た。吐きそうだったけれど、トイレで物音を立てたら寝ている男が目を覚ましそうな気がして、こらえた。
昨日の記憶が、だんだん蘇ってくる。
蛇腹さんの店を出て、龍兎の部屋に戻ることをためらってしまったアタシは、知らない男に声をかけられて、コンビニで酒を大量に買い、ホテルに入り、酒を飲んで、性交して、寝た。アタシは昨日、ピルを飲んだかどうかどうしても思い出せなくて、早く部屋に戻って確かめなくちゃ、と思った。そしてすぐに、部屋にいるであろう龍兎のことを思った。龍兎は目が覚めた時、アタシが部屋にいないと気付いたら、どう思うだろう。
怒るだろうか。それとも、最初からアタシなんかいなかったとでも言うように、いつも通りの日々を過ごすのだろうか。
わからない。わからなかった。アタシは、龍兎のことを何も知らないから。
じゃらり、と金属の揺れる音がする。首の南京錠が、いつもより重く感じた。
ホテルを出ると、外は眩しかった。太陽は真上に昇っている。昼だ。
と、ホテルを出てすぐ、数人の女たちがアタシを取り囲んで声をかけてきた。胃の中がひっくり返りそうだったのと、頭が割れそうなほど痛むのとで、女たちが何を言っているのかよく聞こえなかった。断片的に、「私の男」「ホテル」「一緒に」「見た」「許さない」「クソ女」という単語だけが、かろうじて聞き取れたけれど、その意味を頭が理解するよりも早く、女の拳が腹に食い込んで、アタシは滅茶苦茶に吐きながら崩れ落ちた。倒れたアタシの背を、胸を、顔を、尻を、足を、女たちが力いっぱい蹴りつけてくる。その痛みにアタシは呻き、変な動物みたいな声を上げた。
道路のアスファルトに思い切り頬をこすりつけながら、中学生の頃も、よくこんな目に遭ったことを思い出した。下校途中の路地裏で、女子の先輩たちがよく待ち伏せしていた。女子たちは大抵、アタシのことを輪姦した先輩たちの彼女か、その友人たちだった。一対一ならともかく、こうやって複数人に暴力を振るわれたんじゃ、抵抗の仕様が無いし、そもそも抵抗する気力すら湧かない。
思考も神経もおかしくなりそうだった。殴られても蹴られても、途中から痛みを痛みとして感じなくなっていた。身体は重く、意識は黒く染められていく。死ぬのかな、と思った。男と寝て、それを恨まれて女にボコられて死ぬなんて、汚れたアタシにはお似合いな末路だ。
幸せに生きて、愛に包まれて眠るように死ぬなんて、そんな温かい人生、アタシには似合わない。ドブに捨てられて、汚物にまみれて、他人から目を背けられ死ぬような、そんな最期しか、自分の人生の結末を思い描けなかった。
でも充分じゃないか。アタシは充分、今日まで無様に生き延びた。今更しがみついてみじめったらしく守るべき生なんか、アタシにはこれっぽっちも残っていない。
もう意識を手放そうとした、その時。
ずきん、と猛烈な痛みがトラガスに走った。
その痛みではっとした。
アタシの名前を、呼ぶ声がする。
一斉に、アタシの周りにいた女たちの気配が無くなる。走り出していく無数の足音と、こっちへと駆け寄って来るひとつの足音が聞こえた。アタシは重たく動かない身体に精いっぱい力を入れて、微かに瞼を持ち上げた。
男の声がする。アタシの名前を呼んで、ダイジョウブカ、ダイジョウブカと言ってくる。これがダイジョウブに見えるのかよ、と思わず言いたくなるくらいに。でもアタシの喉も、舌も、唇も、もう声を発する機能なんか持っていない。
おまけに、視界は霞んでいて、よく見えない。倒れているアタシには、地面しか見えていないのだけれど、地面の上に、何か白っぽいものが見える。なんなのかよくわからない。何か模様がついている、白っぽいものだ。なんの模様だろう。アタシは懸命にそれを見ようとする。
しばらく奮闘して、やっとそれがなんの模様かわかった。
それは、一匹の黒い龍だった。
身体にいくつもの傷を負い、その痛みに悶え、哭いている龍。
アタシは動かなくなった身体を無理矢理動かす。左腕が肩から外れそうなほど、強烈に痛んだけれど、それでも構わず、龍に向かって手を伸ばした。
その龍の傷に、触れた。
龍が哭いている。
傷が痛むから、哭いているの? 違う、きっとそうじゃない。そうじゃないはずだ。
男の声が、耳元でしているはずなのに、とても遠くから叫んでいるように聞こえた。
アタシの名前を、呼んでいる。
その声が聞こえなくなるまで、アタシは龍の傷を撫で続けた。
アタシの身体が、動かなくなるまで。
アタシの意識が、消えてなくなるまで、ずっと。
気がついた時には、病院にいた。
目を覚ました時、アタシの右手を握ったまま、ベッドに寄り掛かるようにして、ひとりの男が眠っていた。
龍兎だった。
龍兎は目の下にうっすら隈を作っていて、アタシが眠っていた一日半、ほとんど眠らずに側にいてくれたんだと後でわかった。アタシが寝ている間はずっと起きていて、目覚めた時に寝ているなんて、間抜けな男だ、と思った。
龍兎はあの朝目が覚めて、アタシがいないことに気付き、街中を探し回っているうちに、たまたま運良く、ホテルの前を通りかかったらしかった。
アタシは女たちからの暴行で全治一ヶ月の怪我を負った。極めつけは、上の前歯を二本とも折られていたことだった。前歯が無いとアタシの顔はとってもおかしなことになっていて、見舞いに来た蛇腹さんは、アタシの顔を見るなり思い切り噴き出し、病室中に響くほどの大声で笑った。普段は聞き取りにくいほど小さな声で話すのに、大きな笑い声だった。
それから蛇腹さんは、口の中をよく見せてみろ、と言い、折れた前歯をじっくり観察した後、「これなら大丈夫だ、差し歯が作れるだろうよ」と言った。
「いっそのこと、オリジナルの差し歯でも作ったらどうだ。豹柄とかさ。ギャルは好きだろ、豹柄」
そんなことを言ってにやにやと笑う蛇腹さんは、病院に来るために頭のタトゥーをフードで隠し、顔のピアスを全て外して、カラーコンタクトもしていなかった。病人には優しくしないといけないからな、攻撃的なルックスはやめただけだ、と言っていたけれど、ピアスも無い、瞳も小さい蛇腹さんの顔も、見慣れないからか面白くて笑えた。
龍兎は毎日のように見舞いに来てくれて、アタシの身の回りの世話を甲斐甲斐しくこなした。ずっと無愛想な表情で、口数もいつもよりずっと少なく、常に不機嫌そうだった。だからアタシは、いつも以上に龍兎に声をかけなかった。でも元からアタシたちは、会話なんてろくにしたことが無いのだ。
退院の日も、龍兎は来てくれて、まだ松葉杖が無いと上手く歩けないアタシの代わりに、荷物を持ってくれた。二人肩を並べて、そうするのが当たり前のように、龍兎の部屋へ続く道を歩いて行く。雪が降りそうな天気で、寒さのためか、黙って歩いた。
龍兎が口を開いたのは、もうすぐアパートがビルの向こうに見える、という距離に来た時だった。
「……蛇腹さんから、聞いたんだろ、俺のこと」
龍兎の声は、どこか投げやりな声音だった。龍兎は立ち止まって、しばらく黙っていたけれど、やがてポケットから何かを取り出した。
小さな金属片。鍵だ。
龍兎はアタシの首についている首輪の南京錠にその鍵を差し込むと、回した。鍵は呆気無く回る。
がちゃん、と音を立てて、南京錠が地面に落ちた。
この鍵が外れた時、それは龍兎にとってアタシがいらなくなった時だと、ずっと思っていた。
龍兎は首輪も外して、それを南京錠と同じように地面に落とす。龍兎の顔は不機嫌そうで、それは叱られた子供の表情に似ていた。
「嫌なら、出てけよ。もういいよ、お前なんか。いらねぇよ」
龍兎はそう言うと、突然、荷物が入った紙袋をアタシに押し付けて、自分だけさっさと歩き出してしまう。
アタシは松葉杖を両手で突いていて、荷物を持つ余裕が無い。紙袋の中を覗いてみたけれど、着替えが入っていただけで、大切なものは何も無かった。保険証はライダースのポケットに入っているし、携帯はどこに落としたのか、まだ見つかっていない。
大丈夫だ。必要なものなんか無い。アタシはいつも、何も持っていないのだ。
紙袋をそこに置いて、龍兎の後を追いかけた。入院中に松葉杖の使い方に慣れたとは言え、大股で歩く龍兎の足には追いつけない。それでもずっとその背中を追いかけていると、不意に龍兎は立ち止まり、こっちを振り向いた。
「……なんでついて来るんだよ」
その声は明らかに怒っている。
「もう知ってんだろ、俺がHⅠⅤだってことも、別れた女の治療費払ってるってことも、頭のおかしい奴だってことも。そうだよ、俺はそういう奴だよ。好きでもねぇ女に首輪つけておかないと、いてもたってもいられなくなる、精神異常者だよ。俺と同じとこにピアスあけさせて、俺と同じようにしてやらないと、俺のこと理解してもらえないんじゃないかって不安になる、馬鹿みたいな男だよ。ああ、わかってるよ、どうせ、理解なんかされないってことは」
龍兎はそう言った。その声は明らかに怒っているのに、どうしてだろう。
龍兎は、泣いていた。
立ち止まってそう言っている間に、なんとか龍兎に追いついた。両目から、ぼろぼろと涙を零す龍兎の顔を、アタシは黙って見上げた。
アタシは龍兎の左手を取った。手袋を外せば、そこに龍が姿を現す。
傷だらけの、龍。
アタシが入院している間、龍兎は自傷行為をしていなかったようで、新しい傷はひとつも無かった。思えば、初めて出会った時からずっと気になっていた、傷まみれの龍がいる左手。
「龍兎、ピアスあけてよ」
アタシは無意識のうちにそう言っていた。
「右耳のトラガス、あけて。アタシも、この龍のタトゥー、左手に入れるから」
龍兎の目が、驚いたように見開かれる。
右耳のトラガスは、龍兎には無いアタシだけのピアス。
まるで心臓のように、ずきんずきんと、何度も痛む。
――アタシは、ここにいる。
この先の人生が、どうなっても別にいい。いつどこでどんな風に死んだって構わない。この灰色の世界がどうなろうと興味なんて無い。龍兎がHIVのキャリアでも、精神異常者でも、どうでもいい。
アタシにあるのは、トラガスの、突き刺さるような痛みだけだ。
そしてアタシは知っている。龍兎にあるのは、あの左手の、自傷の痛みだけだってこと。
だから龍兎はトラガスにピアスをあけ、アタシは左手に龍を描かなくてはいけない。
龍兎は、よくわからない表情をした。口元を緩めたその顔が、笑っているんだ、と気付くのに、五秒かかった。その五秒のうちに、龍兎はアタシのことを、両腕で抱き締めていた。
龍兎の、アタシとお揃いのライダースの肩越しに、空から雪が舞っているのと、自分の息が空中で白く輝いて、霧散していくのを見た。耳元では、龍兎が声を押し殺して泣いている。アタシにはそれが、あの龍が哭く声のように思えた。
痛みに哭いているんじゃない。アタシたちはそんなことすら満足にできないくらい、不格好で哀れな生き物だ。
松葉杖を捨てた。どこにも行けないのだから、こんなもの、もういらない。空いた両手を伸ばして、龍兎の身体を抱き返す。
そうして、ふと、こんな風に龍兎を抱き締めたことも、抱き締められたことも、初めてのことだと気がついた。
龍兎の涙がアスファルトに落ちる。一滴、二滴と染み込んでいく。アタシは、最後に泣いたのがいつだったのかさえ思い出せずに、ただそれを見つめる。
アタシたちの身体も心も空っぽで、そこには何も無いとしても。いくら交じり合ったところで、この肉塊を温め合うことすら、できないとしても。
でもそれでもいい。それでもアタシは、この痛みを知っている。
冷たい風に晒されて、龍兎の身体は特別温かくはなかった。でもそれでも、充分だった。
それだけで、ただ良かった。
了
0 notes