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寒川神社⛩参拝後、西寒川支線へ🚲少しずつ🍁色付いてきました😊 #西寒川 #西寒川支線 #西寒川支線廃線跡 #寒川観光協会 #さむかわいい #寒川 #ビチスタイル #ビアンキ #ビアンキクマ #🚲🐻 #samukawa # .. #ロードバイクJP
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ウイスキーと今後の計画の話し合い
2018.6.21.20:21
こわがらないで、もう八時よ 安心して、まだ八時よ
お話の続きをしましょう
柔らかな闇と動き出す光
あたたかいケーキと あたたかくなる飲み物 ケーキは抹茶色で 飲み物は琥珀色です
喉があつくなって 安心します
こういうとき お水はチェイサーという名前に変わります
ずいぶんと平凡で わけのわからないところまで 歩いてきてしまったという気になります
わたしは 昨年の冬に弾いたピアノを聴いています なにもかもはじまりがなくて はじまりらしいところがしっかりあります
白熱灯は 火のそれよりも 優しい色なのかもしれません それはお日様に近いからかもしれません
今日はもう火を使う気になりま��ん だからこうして気楽にやっています わたしたちは栄養失調で死ぬかもしれないけれど その前になにかべつのことで死ぬかもしれません
今日はピアノを弾きました とても良いラインになりました それはずっと肉付きを帯びて どんどん色気を増していくように思えます
今聴いているピアノは ほとんどの人が下手くそだと言うと思います 音をそこで繋ぎました 道がわからずにてくてくと歩くと なにか知らない場所に行きついたりするものです そこには迷子の音がありました たしかにどこかにたどりつこうとする 迷子の音が聴こえます これをわたしばかりで 美しいと思い続けます 今日の音は たくさんのことが詰まっていたので いつもよりも美しかったし 本当に近い気がしました それでもこのときほど透明な音ではありません そんなことはわたしばかりが感じていることです
今日弾いたラインの ほとんどすべてが この日の迷子の歩みの道を そっくり辿ることで 道という道になり得てきました
線と湯気、道と足跡
今日は名刺がどうしてもすれなくて そのままなぞの会合へと向かいました 思いがけず一人顔を知る女の人がいた気がしました すぐに見えなくなって わたしはなんのこともなくその広場を後にしました
なにか懐かしい気にはなりました
羊だろうと狼だろうと みんな群れて固まることで安住の土地を得ます
正しさも美しさも楽しさも つねに自らの手で更新され 選択されていくものだと思います
なにがみんなにとっての幸せになるでしょう?
そこそこよくできたパッケージを 共有し合うことでなく 皆がそれぞれに何かを掴み取っていくことができる土台
ピアノが高揚モードに入ってきたのでオフしましたよ
個と個があるということをわすれずにおいておいて 個と個の狭間でない場所で なにかを示すことをしていくことがこれからの仕事になる気がします わたしのこれまでの役割はそのままで やり方は変わっていかなくては わたしの身体がもう多分もたないと思います
飲んだくれて墓石になるんですよ
わたしはもうわたしのために生きようと思います それが一番のだいじなことです
わたしは不快を感じたくありません わたしの意識する範囲で何者かが苦しんでいることが不快です 完璧な配列になっていなくては不快です なにもかもが慈しみ合う関係性が成り立っていない場に身をおくことが不快です 意識を広げれば広げるほど不快が大きくなるなら せめて小さな家の中の不快を排除したいだけです 家の中は世界と繋がっています 何もかもがまるっきり関係をたてるところはありません もしあるとすればそれは わたしとあなたという ひとつとひとつが対峙したときのみです 世界の輪郭がぼやけて ほかのなにもかもが見えなくなるとき そういう場所をしっています
それはひとつとひとつのみにありますが それはつらなって 大きなあみになったりします
それがその網の外を排他することになってはいけません
なにってわたしは これからのために考え事をしたいんですよ
今までのように頭ばかりで考えていたら 完璧なように思えたとしても わたしが疲れる計画になってしまうから 頭を麻痺させながら 身体と心に聞くんです
わたしが楽しくて みんなも楽しい しあわせでうれしい計画にしたいんです
キャット ロマンス ロマンティカ
しあわせの食卓 って、もうすでにあったじゃない
ここはテーブルであり、ベッドである
寝食
ねるところからたべるとこまで
ハレの日もケの日も
ここはテーブルでありベッドである ねこであり花であり器である 今日であり昨日であり明日でありその日である あなたであり、わたしである
ねこのくちづけふれずにおいで わたしに教えて だいじなこと
なんて説明したら良いの?
物が時と場所をつなぐ あなたとわたしをつなぐ
教えてわたしの案内人 教えてキスキャット
テーブルを囲いほほ笑みかける 灯りを消して夜に寄り添う
永遠のロマンスを このひと時に小さくこめて
Tomorrow Toyama
河内の意見 ゆるやかであったかいイメージにしたい 制作もゆるやかであったかく 守られているこの状態を持続させる中 熱を持って魅力を曝け出してやわらかに、しなやかに、アピールしていく感じ 連携プレーをもっと組む
女性的なつながり
犬的な社会でなく 猫的な社会 縦社会でなく横社会 このへんのガラスの社会はもともとこれに値する
キャット、なんだったっけ Creative Air Team methodology
CAT
汗だくにならない
物ではなく 人は背後にあるストーリーを買う
富山弁のシーエム(?)
富山ガラス Glass CAT made in Toyama
Glass Creative Air Team
GCAT じいネコ富山
ロマンスにつなげて売っていく いろんな時代の幸せの時がある いつだってそこにあなたとわたしがある
ペット 子供
富山の薬
薬瓶 暮らしの薬瓶 しあわせなきもちになるテーブルウェア、ベッドウェア
こしのひすい、腰の青シリーズがあるなら、 薬瓶由来のものをこもんてーまにするべき
薬瓶の形を抽出するのでなく 薬瓶の概念を抽出し生活雑貨に注入する
乾杯が楽しくなるグラス ワインを冷やす、お花もいれられる大きな瓶 あたたかなきもちになるキャンドルホルダー 空間を包み込む灯りをデザインするランプシェード 普段のお水がおいしくなるグラスとジャー
薬��りはどこへでも
ふだんの暮らしに必要なのは お医者様ではなく 家の中の住民の あたたかく美しいこころである
富山のガラスは 家の中の特効薬に 変わらぬ形をとどめて いつも大切なものを守る 美しい時をかざる
先用後利 「用いることを先にし、利益は後から」とした富山売薬業の基本理念である。創業の江戸時代の元禄期から現在まで脈々と受け継がれている。始まりは富山藩2代藩主の正甫の訓示「用を先にし利を後にし、医療の仁恵に浴びせざる寒村僻地にまで広く救療の志を貫通せよ。」と伝えられている。
富山市は、ガラスのまちへと… ということを決めた時、 産業にすることを先ずの目的にせず、 その環境を整え、広く知識を学ぶこと、価値観や可能性を広げることを試みた。 富山のガラスは、不思議なほどに多様性に富んでいる。 誰もが独自の道を各々に探す 研究所は、技術習得よりも、自己の表現追求に重きを置いた 伝統的なものを引き継いで習得することに囚われることなく、多文化のものも取り入れることに躊躇することなく、国内外の様々な作家を招��ての教育に取り組んできた。 工房は、作家たちが各々の制作に取り組みやすくなるような仕組みを作り、県内外からも作り手の集まる場になった。 まちの様々な注文をうけ、たくさんいろいろな種類のガラスの製品を作り出してきた。 たくさんの人びとがガラスの魅力、ガラスの楽しさを感じ、喜んでもらいたいという思いから、体験の工房ができた。
それは、薬のときにもあった、先用後利の思いがもとにある。 約25年経ち、富山のガラスは、たくさんの人びとの支えによって、思いによって、深く大きくなった。 これから、富山のガラスは、今までよりも、もっと人びとの生活に寄り添い、人びとの暮らしを豊かにすることに、新しい一歩を踏み出していくことを決めました。
市民の方々に支えていただいた恩恵を、返していく より発展させていく ガラスウェアを一大産業にしていく
事前使用システム
使いやすさを感じていただくために 〜日間レンタル可能
おまけ(おみやげ) 編集 富山の売薬の1つの特長としておまけ(おみやげ)を渡すことがあげられるが、江戸時代後期から行われているおまけで人気があったのが、富山絵(錦絵)と呼ばれた売薬版画(浮世絵)で、歌舞伎役者絵、名所絵(風景画)、福絵などいろいろな種類が擦られ全国の家庭に配られた。そのほか紙風船をはじめ、「食べ合わせ」の表や当時の歌舞伎���情報や、紫雲英の種など軽いものを中心に日本中に配った。また上得意には、輪島塗や若狭塗の塗箸、九谷焼の盃や湯飲みなどをおみやげとして渡していた。現在もおまけは渡しているが、高級品の進呈は業界の取り決めによりほぼなくなっている。
北原照久は『「おまけ」の博物誌』(PHP新書)で「おまけ」のルーツを求め、「富山が生んだ日本初の販促ツール」という一章を設けている。wikiより
富山のガラスを買ったら、薬のパッケージ入りのお菓子がつく、など
このガラスがあることで、家の中にしあわせがやってくる、不調(不幸)が回避される、というようなワクワク、あたたかい気持ちになるようなパッケージ、商品を考える。
お菓子が難しいならミニレターセットなどでもいい。
うれしくなるノベルティ
紙風船
小さなグラス拭きの布などでも。
バレンタインのときはそれにちなんだ、アクセサリーに近いもの、クリスマスの時は愛に効く薬、など、シーズンなどによって変えることで、商品そのもののビッグチェンジを毎回しなくても、スタンダードラインはそのままで、喜んでもらえる。
また、「庶民哲学」のような言葉を広めたとされる[10]。例えば、「高いつもりで低いのが教養 低いつもりで高いのが気位 深いつもりで浅いのが知識 浅いつもりで深いのが欲の皮 厚いつもりで薄いのが人情 薄いつもりで厚いのが面の皮 強いつもりで弱い根性 弱いつもりで強い自我 多いつもりで少ない分別 少ないつもりで多い無駄」などである。
ラグジュアリー層にこそ受け入れられる可能性のある、文字入り(手書き風)グラス、など
遊び心のある人に、「お薬グラス」などとして。もちろん、ステムをつけるなどして、安っぽくならないように。ラグジュアリーの中に、ラグジュアリーに浸るのをもうよしとしない、すこし?さらに教養の高い?層を狙う、またそういう人たちが増えることを願って。
海外にも飛翔した「富山売薬」
この「売薬歌」で「満州支那の奥地よリ メキシコ南洋の果てまでも」と歌われている点についてだが、富山売薬は明治期に日本人の大陸進出などに伴ない、海外にまで進出していった。主として海外へ移住する日本人を追ってのものだったが、明治42年(1909)の『富山売薬紀要』によると、同19年に藤井諭三がハワイで配置売薬を始めたのを皮切りに、土田真雄が韓国へ、隅田岩次郎が清国アモイヘ、寺田久平や重松佐平が上海へと飛翔した。明治40年代の輸出売薬従事者��43名と4社。朝鮮半島、中国大陸、ハワイ、台湾、ウラジオストックなどから、さらに、遠くブラジル、インドにまで、富山売薬は日本人の行くところ、どこへでも進出して行ったのである。
ガラスも海外へ!
ブランドネーム、ロゴ、コンセプト
とやまる
とやま
富玻璃
Ecchu
こしの
越の国
越
便
BIN TOYAMA
BIN
phial phi・al /fάɪəl/ 【名詞】【可算名詞】 小型ガラス瓶; (特に)薬瓶,アンプル.
Phial of T
phial 【名詞】 1. 薬を入れるビン(特に針から注入できるよう殺菌して密閉した容器)(a small bottle that contains a drug (especially a sealed sterile container for injection by needle)) ちょっとちがうかな
KOBIN
KOBIN ROBIN
ばいやく ちょっといや
Kusuri たぶんだめ
薬瓶をモチーフにしたロゴがあるべき ハートとかつけたい 家庭の病、なんにでもきく!!っていう当初のむだな彼らの自信を、喜んで反映させたい
くすりだちゃ びんっちゃ とやまだちゃ おくすりいるけ のまれんか しとかれ しられ
Koshinoharu 越波瑠 越春 越治(これでもこしのはる、と読む!) 越晴!
おくすりのように人を癒し生活を豊かにする的な〜
過去の歴史より
気をつける?こと
富山売薬最大の試練「売薬印紙税」
富山売薬はこうして明治以降も伸張・発展を続けた。 しかし、それは厳しい試練にさらされてのものだった。 明治政府は「維新」の言葉からもわかるように、諸事を西欧化に一新することを基本とした。それは医薬・医療制度でも同様であった。政府は明治3年(1870)、衛生上、危害を生ずる怒れのある薬の販売を禁止し、有効な薬の製造を奨励する-との趣旨から「売薬取締規則」を発令し、従来の売薬の取り締まりに乗り出した。 当時、「神仏・夢想・家伝・秘方・秘薬」などの言葉を用い、「万病に効く」といった、あまりにいい加減な「妙薬」なるものが巷に野放し状態だったからである。富山売薬にとって不幸だったのは、西洋医学を第一とする維新政府関係者あるいは当時の有識者らには、漢方薬などとともに富山売薬の和漢生薬類の薬も、巷の「まがいものの薬」と同様に写り、「効果のない気休めだけの薬」との偏見の目で遇されたことである。 こうした政府の偏見で導入されたのが、明治15年(1882)に布告され、翌16年1月1日から施行された「売薬印紙税」だった。明治10年(1877)の西南の役以降の財政破綻の打開と、その後の伝染病対策費捻出のためとされているが、その背景には、「売薬の薬など害にさえならなければ、あってもいいが、なくなっても一向に構わない-」とする政府の売薬に対するいわゆる無効無害主義の立場があった。 新税は、定価1銭から10銭までは1割、それ以上は5銭増すごとに1銭の印紙を製品に貼付することを義務づける形で課せられた。これは売薬業者にとって大変な重税であった。特に当時、全国の売薬で大さな地位を占めていた富山の売薬業界が受けた打撃は深刻で、同15年に富山の売薬生産額672万円、行商人9,700人だったものが、「売薬印紙税」導入後の同18年には生産額50万円、行商人5,000人にまで激減した。わずか3年でおよそ12分の1にまで規模が縮小したのである。まさに壊滅状態に近かった。 「売薬印紙税」は、大正15年(1926)に廃止されるまで、44年もの間、売薬業界を苦しめ続けた。実は、前述した富山売薬人らの海外飛翔も、海外売薬にはこの重税が免除される特典があったからともされる。
近代薬事法規制度への対応
しかし、明治政府が行った、西欧にならった薬事関係法制などの近代化は、富山の売薬業界などには過酷なものであったが、反面、近代国家建設にとっては当然なことであった。明治10年(1877)に太政官布告された「売薬規則」では、薬の品質確保を重点に、製薬を主とする売薬営業者を規定し、さらに製薬せずに販売だけを行う請売業者、実際に薬を売り歩く行商人といった区分を初めて明確にした。製薬を行う売薬営業者は、「薬の品質に個々に責任を負うべし」とされたため、こうした政府の方針に対応して、より良質な医薬品製造のため明治9年(1876)に現在の広貫堂の前身である調剤所広貫堂が設立された。明治10年代に入ると、富山では売薬業者らが共同で次々と会社を設立し、また、薬学校も設立した。 これには政府も呼応し、売薬に対する考えを「無効無害主義」から「有効無害主義」に転換していく。 それが「売薬印紙税」の廃止につながっていくのだが、それに先見ち大正3年(1914)、政府は「売薬法」を制定し、より有効で安全な医薬品製造のため、西欧先進諸国と同様に薬剤師制度を設け、「薬剤師あるいは薬剤師を使用する者、または医師でなければ薬を調製してはいけない」とした。ここで初めて製薬に「薬剤師」の関与を義務づけたのである。 それまでの売薬業者は、行商から帰っては自宅で思い思いに次に配置する薬を自ら製造し、また行商��出かけた。だが、この「売薬法」制定の後は、薬剤師を使用するか、あるいは薬剤師を雇用している会社においてでなければ製造ができなくなった。また、その薬の処方も、従来のように「家伝」「秘方」などと称して秘密にしておくことは許されず、配合成分を公開することが義務づけられた(各業者は一部に家伝などの未公開の薬も扱った)。 ちなみに「売薬」という言葉は、戦時下の昭和18年(1943)に公布・施行された薬事法の制定まで、現在でいうところの「市販医薬品」の意味で法律上でも使用されていた。しかし、薬事法で薬は「日本薬局方医薬品」と「局方外薬品」に大別され、「売薬」は「局方外薬品」と同一に医療品全般に一括されることとなり、法律の文面から「売薬」の文字は消えた。
「富山売薬三百年」存続の秘訣
富山売薬の家の次男に生まれ、昭和26年(1951)に単身東京に出て、一代で都内を中心に約150店舗、従業員約600名を擁するドラッグストアを育て上げた人がいる。平成12年(2000)9月に東証2部に株式上場も行なった全国有数のドラッグストアチェーンである株式会社セイジョーの創業者で社長の斎藤正巳氏である。 同社は、他の大手ドラッグストアとは少々趣が異なる。社員1人当たりおよび売り場面積単位当たりの売上高が抜群に高いのだ。徹底した社員教育と説明販売で「薬局の東大病院」の異名をとり、利益率はドラッグストア業界ナンバーワンを誇る。その斎藤社長が、経営に積極的に取り入れているのが「富山売薬三百有余年存続の秘訣」であるという。 斎藤社長は言う。「富山売薬とは本来、個人業者のものだ。いろんなことを勉強していて話題が豊富で、話もうまい。知識プラス説得力もある。説得する貫禄もある。また、話し相手のいないご老人の話も上手に聞いてあげる。だからお客さんは『いい話を聞いた』『この人にまた訪ねてきて欲しいから、この人の置き薬を飲もう』という気になった。値引きも言い出さない。これがただの物販だったら、『もっと安くしろ』『もっと安く薬が手に入るよ』となる。富山の売薬さんは置き薬以外のところで、仲人もしたり、田畑の作り方の指導をしたり、いっぱい『タネ』を撒いてきたのだ。これが富山売薬に限らず、ほんとうの意味での商いではないでしょうか」。 同社の社員教育は、まず徹底した顧客への接客態度に始まる。挨拶から釣銭の出し方に始まり、それから医薬品などに関する知識へと移る。最近では、ロイヤルカスタマー登録という顧客サービス制度も設け、幾度も来店する顧客に関しては、レジなどで名前で呼びかけるように社員教育しているという。店頭販売において顧客一人ひとりを「個」で捉えるまでに指導しているというのだ。コンピュータによる情報管理でそれがいっそう可能となった。 では、この顧客一人ひとりの「顔」を実際に見て、その一人ひとりに個々に対応してきたビジネスの代表は何か。それは言うまでもなく一軒一軒の家庭を訪ね、その家の人の「顔」と「生活の揚」をしっかりと見て商いを行なってきた、他でもない富山売薬だった。
「礼儀作法」「教養」「モラル」
そうした「他人の生活の場」に足を踏み入れるにあたって、富山売薬人たちは砕身の注意を払ってきた。それには決して欠かしてはいけないルールがあった。それは「正直」であり、「勤勉さ」であり、さらに仏壇があれば必ず手を合わせ、その家のご先祖さまにまで敬意を表するといった「礼儀作法」であった。 置き薬を長年愛用してきた、ある地方のお得意先が作った川柳に、「戸を閉めて、またおじぎするクスリ売り」というのがある。富山売薬人にとっては、薬を売���ことだけが商いではなかったのである。その前に、いかに礼偽正しく、美しくお客さんの前で振舞うか、自分の身のこなし、一つ一つをいかに洗練されたものにするかが勝負だったのである。その礼儀正しい態度にお客さんも応え、決して粗末に応対はしなかった。かつて、50年間に一度も値引きをしたことがなかったと話した富山の売薬さんは、その秘訣を「それはひとえに、正しい礼儀作法のお陰です」と語った。 富山売薬が三百有余年の風雪に耐えてきた要因に「先用後利の商法」「懸場帳」等などいろいろ挙げられる。そのいずれもが正しいかもしれない。しかし、それを超えて、その基本にあったものは、顧客を「個」で捉え、「個々」に対応し、その際に「正直」「勤勉」「倹約」を旨とし、さらに「礼儀作法」「教養」「モラル」に裏づけされた売薬人個々の「人間カ」だった。ひとえに、この「ヒト」に支えられて、富山売薬は江戸期から明治・大正・昭和という時代の風雪を乗り越えてきたように思えてならないし、この基本は平成の世になっても、その後も、なんら変わらないのではなかろうか。
わっしょいわっしょい
どうどう!
乾杯しましょう
なにも決まっていないけれど!
きっとなにか良いものに決まる気がするよ
とにかくこのあたりまで、こられてうれしい
抱きつきたいきぶんです!なにかに
なにかと楽しみですよん
おやすみなさぁい
とぅるとぅとぅとぅ〜
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どろぶね
戦国BASARA 左近と三成 アンソロ「海にゆく」寄稿
「海に出たいんすよ。船貸してもらえません?」
天気晴朗、波はきわめて穏やか。船を出さない理由は見当たらないが、しかし出す理由もない。漁の季節でもなければ、祭りの時期でもない。そもそもこの男はここの人間ではなく、海というものにおよそ縁があるとも思えなかった。対面に座って笑う男の顔をうつす一つきりの眼を、長曾我部元親はぎゅうと眇めた。色濃く滲む訝りの気配を隠そうとすらしなかった。
「やだなあ、勿論タダで貸してくれなんて言う訳ねーっしょ! 金もちゃんと用意してあるし、大事なお仲間のみなさん寄越せとかも言わねっすから。舟だけでいいんですって! ……ああ、でもそうだよな。俺一人ッきりだし、ただの小舟じゃ辛いかな? ちゃんと帆が張れて���、風を受けて進めるほうがいいなー、なんて」
歌でも唄っているような、耳を上滑りする物言いだった。
音を立てる頭陀袋をじゃらじゃら振りながら口上を述べている。途中からはこちらと会話をしているというより、大きな独り言を聞かされているのに近いように思えた。
「あんたらの城があったのは大坂や近江だ、もっと近くにも港はあったろう。どこへ向かうか知らねえが、ただ船を出すなら堺や紀ノ川あたりで事は足るだろうよ。なんでわざわざここへ来た? サヤカの所にゃ行かなかったのかい」
「行ったには行ったんすけどね。話をしたら、こっちに行けって言うから」
「なんだってお前は海へ出る? 探しものかい、佐和山の犬よう」
振っていた袋を目の前の床に放り、問われた男は立ち上がった。
眠り人が床を這い出て歩くような、ひどくおぼつかない足取りをしている。
「傍に居るって、そう言ったんだ。だったら探さなきいと。でなきゃ、俺が俺じゃあなくなっちまう」
訪ねてきた男――島左近は、上座の元親を見下ろしながら言った。
「三成さまを探さなきゃ。きっと海にいる、俺を連れてってくれるって言ったんだ。これだけ地上を探して見つからないなら、海で待ってるに決まってる」
目ばかりがきらきらと輝いて、朝焼けに輝く海のようだった。
天下泰平、江戸の世の土佐での出来事である。
■ ■
「見渡す限りの昏い波だ。絶望というものに姿があるなら、あのような姿をしているに相違あるまい」
指先で茶碗の淵を弾く白い指先を見つめながら、左近はそれが一定の調子で軽快に行われるのに気が付いた。
城下の子供が口ずさむような、たわいのない童歌の節をなぞっている。
ここは彼の故郷からほど近い。きっと馴染みのものなのだろう――この人とそれが結びつくことを、少しの驚きと共に左近は見つめていた。
張った高台までべったり釉薬の塗られた茶碗は茶人好みだが、それが茶会の席に供されることはない。
たまにこうして引っ張り出されては、三成の酒器になるばかりだ。
この方が効率的だからと言って聞かないのだ。左近はいつも酌もできずに、話を聞いてばかりいる。
「踏んだ床板が心許なく揺れる、まるで泥土でできた船だ。鍛え上げられた筈の豊臣のの兵が、みな赤子か老人のように転がっていた。秀吉様の御志という心の支えがなければ、およそ私とて耐えられたものではない。起きたま��悪夢を見るようなものだ」
ゆらり、ゆらり、ゆらり。茶碗の中で水面が揺れている。
商い人の領民が献上した酒だという。この近江でつくられた新酒らしい。
小さな湖のような碗の中に、流れる川を見る。左近と海にゆかりはないが、川は海につながっているのだ。
甘い香りを放つ水面を眺めながら、三成の話に耳を傾けた。彼が主の命で赴いた船旅、訪れた海のこと。
「鎮西の荒地に城を築き、豊臣の将兵をそこへ集結させる。対馬を経由し海峡を渡る。日ノ本で入手できる外つ国の地図は地名も道も不正確だ、道中で土地の者に金を渡して案内をさせる。言葉は通じずとも、国の荒廃は明らかだ。疲弊した民を取り込むのはさほど労苦の要ることはない。そもそも兵の練度が比較にならない、実につまらん戦だ」
「海の向こうの国って聞くと、あったかい所なのかなって思ってたんすけど」
「まったく逆だ。一面の不毛の地、閉ざされた冬の国――海の果てには地獄があると、兵どもが口々にささやいたものだ」
三成が碗を手に、遠くを見るように目を細める。
「海かあ。俺は行ったことがないから」
燈火の影の落ちる白い顔に視線を向け、左近は口を開いた。
「ねえ三成さま、どんな気分なんすか。絶望みたいな色をした海を越えて、地獄みたいな所に行ってさ。辛かったり苦しかったり、三成さまでもそんな気がした?」
「まさか」
遠い記憶の果てから、三成がこちらへ視線を戻す。
酒気に浮く薄い色の瞳に行燈の炎が映りこんで、ゆらゆらと揺れていた。
「ひとつ剣を振るい、荒れ果てた地に血が落ちる。割れた大地をそれが潤す。不毛の土に咲く徒花だ。苦難の果てに辿り着いた地獄を、さらなる深淵に落としてゆく。地獄の釜が深くなるほど、秀吉様の御世が盤石となる。そこが戦地であるなら、振りまく苦しみこそが私の喜びだ。海を渡れど変わりはない。帰還せよとの命を拝した時には口惜しささえ覚えたほどだ。私が戦端を開いていれば、地図をまるごと豊臣の色に染め上げて秀吉様に献上したものを」
左近が彼に出会うよりも、まだ少し前の話だった。
「もう海に出る事ってないんすか、三成さま」
「暫しの間はあるまい。日ノ本の情勢が極めて不安定な今とあらば、まずは地場を固める事こそ先決だ。次に外つ国と事を構える事があるなら、秀吉様がこの国全土を掌握された後の事になる」
文机の引き出しを開き、三成が折りたたんだ紙を取り出した。折り目が毛羽立ち、墨を幾度も入れた形跡がある。この国の勢力図と、周囲の国々の名が記された地図だった。
「次に行くんなら、また前と同じ場所っすか?」
「いいや、違う」
書き込みの多い場所を指した左近の手を掴み、三成は列島を挟んだ逆側に動かした。
「おそらく次は南方だ。交易と政治の要衝がある、攻め落とす価値はそちらの方が高い。貴重な兵と金子を割いて、わざわざ実り少ない場所へ出向く道理もなかろう。伝え聞く限り、肥沃で美しく豊かな土地だという。今でこそ異人の手に落ちているが、豊臣の力があれば造作もあるまい。秀吉様に献上するのにふさわしい、海に浮かぶ宝玉だ」
酒精のためか、触れた三成の手に珍しく血が通っていた。手の暖かさが少しだけこそばゆい。
「ねえ、三成さま。次に海に行くときがあったら、俺も連れてってくれますよね」
問い掛けからややあって、三成の口元がわずかに綻んだ。他の者が見たのであれば、見落としてしまうかもしれない程だった。
「好きにしろ。遅れをとるなら捨ててゆく、せいぜい気を張って追って来ることだ」
戦の合間の小休止、穏やかな会話は美しい記憶として左近の脳裏に焼き付いた。
そしてそれきり、二度とそんな機会の訪れは来なかった。
赴いた戦場で傷を受けて倒れ、気付けば荒野に一人きり。
ようやく帰り着いた時、佐和山も大坂も、三成の居るべき城はもぬけの殻だった。
■ ■
ぎ――い、ぎい、ぎい。
沖合で艦船は錨を下ろした。軋むような鈍い音が響いている。
元親の命令に従って、小さな舟が降ろされた。甲板から渡し板が延ばされる。
長曾我部の兵が積み荷を乗せ、畳まれた帆を掛けた。
礼を述べながら、足取りも軽やかに左近が下りてゆく。小舟に乗るのは一人きりだった。
「ありがとっす、長曾我部さん。風もあるし、これなら自力で進めそうってね」
「……おい、最後に聞かせな。舫いを解くかどうかは、それ次第で俺が決めるぜ」
元親の言葉に、左近が目をまるくした。二度、三度と瞬きをして、いいっすよ、と声を上げた。
「石田を探してどうするつもりだい。いまさらあいつに会って、一体何をどうしようってんだ」
問いかけは、左近を困らせるには十分な内容だった。
「どうって……そんなこときかれても、」
三成さまに会いたい、会いたい、会いたい。そればかり考えてここへ来た。
会ってどうするのだと問われると、答えが見つからない。
姿を見る事が、あの人の名を呼ぶことが、あの人の傍に居るのが目的になっていたのだ。
「解んねっすけど、そうだなあ……三成さまなら、今のこの国を許さない。すっげー怒って、目とか吊り上げてさ、きっと江戸まで走ってくっすよ。海の向こうにいるんなら、三成さまは知らないんだ。だったら教えてあげなきゃ、戦場に三成さまを呼び戻さないと。��して俺は今度こそちゃんと付いて行くんだ、戦う三成さまの傍にいる。左腕に近しいところに居るから、俺は島左近でいられるんだ」
「……そうかい」
左近の言葉に、元親は多くを返さなかった。
背後の部下へ声を張り上げる。小舟を繋ぐ舫い綱が解かれた。
「なら俺は止めやしねえよ、好きにしな。西に阿弥陀がありゃ、南には補陀落がある。望む所に行けるかは知らねえが、悪くても浄土にゃ辿り着くだろうよ。てめえの石田によろしくな」
錨あげえ、と元親が声を張る。よく通る声だった。
踵を返し、ゆらゆらとした足取りで甲板を歩く。
ゆっくりと艦は逆行し、小舟の周りをぐるりと迂回する。
兵たちはちらちらとこちらを窺っていたが、元親は左近に一瞥もくれなかった。
そうして艦はゆっくりと、遠くの陸へと去っていった。
■ ■
南の海は静かで、透き通って青い。見渡す限り輝いている。
帆をいっぱいに張ると、風を受けて小舟は南に進んだ。みるみる陸地が遠ざかってゆく。
足元は頼りなく揺れて、目の前がぐらぐらする。頭の中を直につかんで揺さぶられているようだった。
小舟の床板に横になり、左近は目を閉じた、気分はよくないが、波の音は心地よい。
乾いた唇を舌でなぞると、びりびりした塩の味がした。揺れる舟の中、左近はゆっくりと眠りに落ちた。
目を覚ましたのは寒さのせいだった。月が煌々と頭上を照らしている。
いつのまにか夜になっていたのだ。吹きすさぶ風の冷たさに堪えかねて、積まれた荷をほどく。
中身は灯明と食糧と水、それから方角を図る器具と防寒具。
分厚い布で体を包み、左近は震えながら縮こまった。
三成が指した南の国は、かつて赴いたという北方よりも遥かに遠かった筈だ。まだまだ時間がかかるに違いない。
積み荷の水を少しだけ口にして、左近は再び目を閉じた。
そうして朝がきて、昼が過ぎ、夜が来た。
それを幾度も繰り返した。
陽の照りつける日もあれば、ひどい雨の降る日もある。
曇天の退屈な日が数日続き、太陽を見ないまま日が暮れる。
ひとたび眠りに落ちた後に目を覚ますと、どのくらい眠っていたのかを判別できなくなった。
数刻うとうととしていただけかもしれないし、数日の間眠りに落ちていたのかもしれない。
起きている間は水をちびちび飲んで、食糧を口にする。
空腹と咽喉の渇きのさなか、記憶の片隅にある三成の姿を脳裏で繰り返し繰り返し過ごす。
三成の声が頭の中で響いている時間が、今の左近には唯一の幸せだった。
波の揺れも寒さも、心地よくさえ感じる。月も星もない闇の中、左近は目を閉じた。
どれほどの時間が経っただろう。
次に目を覚ましたのは、瞼の向こうの明るさのためだった。
目を開き、舟の中に起き上がる。夜が明ける瞬間だ。紫色に染まる暁の空、名残の星と銀色の月が西に沈む。
朝靄にかすむ水平線の果てに、太陽がゆっくりと姿を現していた。
きらり、きらり、見渡す限りの波が光を受けて揺れる。穏やかな風が吹いていた。さあっという音と共に波が揺れる。
砂金を波間にちりばめたような光景に、左近は思わず立ち上がった。
太陽と月の真ん中で、波に揺られて立ちつくす。
美しい光景だった。この世のものとは思えないほどに。
不意に左近は元親の言葉を思い出した。
彼は言っていた、海の果てには浄土があるのだと。
「―――そうだ、そうだ、そうだ。ああ、俺は何をやってるんだよ、」
長い期間話すことを忘れていた左近の唇は、まともな声を紡ぐことが出来なかった。
声にならない呻き声を、ただ左近一人が聞いている。
脳裏に過る姿、刀を携えたあの人がそぞろ歩く。
記憶の中で彼は囁いた――振りまく苦しみこそが、自らの喜びなのだと。
「いるわけない、いるわけなかった。三成さまが浄土になんて居るわけがない」
東の空から太陽が昇り、月の姿を完全にかき消した。見渡す限りの光の波。
「三成さま。……三成さま、三成さま、みつなりさま、」
会いたい、会いたい、会いたい。そればかり考えてここへ来た。
左近にはもう残っていなかったのだ。それ以外には何も。
「遅くなってごめん。今いくよ、三成さま」
きらり、きらり、輝く波間に小舟が浮かぶ。
白い帆を張り、風の向くまま進む。帆を操る者は誰もいない。
波間に忘れ去られた無人の舟は、ゆらゆらと波に身を任せて流れていった。
■ ■
表がにわかに騒がしくなったのに気が付き、目を通していた書物から視線を上げる。
漏れ聞こえた声から、何となく様子を察する事はできた。この小さな島の主であるのは間違いないが、この地の領主が訪ねてくるのは珍しい。履物を取り出して、縁側から外へ出た。
歓迎して駆け寄る人々の群れからは距離を置きながら、見覚えのある姿にゆっくりと近づいて行く。
「またか、長曾我部。尋ねてくるなら事前に伝えろと、何度告げれば貴様は理解する」
「なに、もののついでさ。近くの海まで寄ったんでな、ちっと顔を見たくなってよ」
群がる出迎えに声を掛けながら、ゆっくりと元親は歩を進めた。
「不便はしてねえかい。こいつらに良く言っちゃいるつもりだが、何かあったら遠慮なく言ってくれ」
「別段不足はない、それに、貴様も言った筈だ。私はあの日に死んだのだ、死人に気遣いなど無用だ。私のことなど捨て置けばいい」
「おいおい、そういう意味で言ったんじゃねえんだがな」
笑ってそう言いながら、元親は背後を顧みる。
今しがた自分が上陸した南の海の方角を、ぎゅうと目を細めて見据えた。
「なあ、聞いてもいいか」
「私に拒む権利など、元よりない」
「つれねえなあ! なあ、もっと楽しそうな顔ってできねえのかい。野郎共が困ってたぜ、何を喜ぶか解らねえから、何をどうしていいかさっぱり解んねえとよ」
「楽しむ? 喜び? 貴様は何を言っている。それは貴様から私への命令か」
投げかけられた問いかけに、男は――領主の客人は首を横に振った。
「貴様は生きろと私に告げた。だから私がここに居る。それだけの事だろう。どうしてそれが必要になる。つまらぬ問い掛けはやめろ」
用が無いなら私は戻る。そう言い残し、男は元親に背を向けた。元来た道を進み、屋敷へと戻って行く。
「待ってくれ、もう一つだ。もう一つ聞かせちゃくれねえかい」
元親の心に、迷いがなかったと言えば嘘になる。
左近の探し人はずっとここにいたのだ。
昔馴染みが彼を寄越したのは、それを知っているからに他ならない。
それでも元親は左近を海に出した。
左近は再びの戦をこの国に呼ぶと口にした。光を浴びる友の姿が脳裏を過ぎる。
ようやく迎えた太平の世だ。元親の天秤は最初から、どちらを捨て去るかを決めていた。
選ぶまでもない事の筈だ。それなのに、心はひどくざわついた。心臓に嵐がやって来たかのようだった。
「……なあ石田。ここ最近のことだ。あんたを訪ねて、誰ぞ人は来なかったかい」
胸の裡を押し殺すように、つとめて常通りを装って元親は口にした。
「貴様以外の客人? 私に?」
元親の言葉に振り返った男――かつて凶王と呼ばれたその人は、静かに告げた。
「私を訪ねるものが、この世のどこかに居るというのか?」
その言葉に、元親はそっと目を閉じる。
安堵しているのかもしれないし、そうではないのかもしれない。
胸の奥にわだかまるものの名に、元親は覚えがなかった。
「そうだな。もうどこにも居ねえんだったな」
再び元親は振り返った。陽の光を受けた水面が、きらりきらりと輝いている。
空は晴れ渡り、波は穏やか。
海の向こうには何もなく、ただ水鳥が舞うばかり。
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泥(小説)
電気ストーブの真っ赤に焼ける芯をじっと見ている。 オレンジ色の光がじわっと広がる棒を、思い切って握りしめたい衝動に駆られる。なぜだろう。自殺したいのだろうか。 きっとそうに違いない。 人は生きている間ずっと生きたがっているわけではない。結果としてどんな場合も常に生きているだけだ。 その最中、楽しいこと、愉悦、快楽、生の実感…とやらにありつくことが度々あるだけだろう。 電気ストーブを見つめるだけの時間が私の人生に必要なのだろうか。こんなことのために今を生きていると誰が言うのだろうか。無為ではないか。だからう��かり死にたくなるのではないか。 いやそうとも言えまい。 なにせほら、現に“こう”だ。 無為に見つめているといいながらもそれに端を発して言葉がつらつらと出てくるじゃないか。体のいい暇つぶしにはなっているじゃないか。 無駄、無為、無意味なんてやつは言葉にしたそのときすでに本質を失っている。ただの暇つぶしになってしまうのだ。 ならばもういいだろう。 虚無と握手する気にもならない。 電気ストーブのスイッチをちきっと決して、ジャンバーを羽織って外に出る。 雨はもうあがっていた。アスファルトに植木鉢から溢れ出た泥水がぞろぞろと伸びているが気にすることは無い。自分のボロ靴もあの泥とどっこいどっこいの汚さだ。 しかし気の毒なのはふだん鉢を管理している隣家のばばあだ。強風に煽られ鉢は軒並み倒れて転がり、草花は地べたに力なく伸びている。 恵みの雨もほどほどに、ということかな。教訓めいたものを受け取った気がしないでもないが、自分は忙しい。 コンビニに向かうのだ。 電信柱がぼうっと伸びる東京の街。 もう4月だというのに朝の空は冬の面影に震えているようだ。 寒さのせいだろ、怖いんじゃないね、とは井上陽水が歌ったものだが。この場合は寒さのせいだろうな。昨夜の嵐にやられたのか、毛羽がボサボサになった鳩が屋根にとまって震えている。いつも景気の良い鳴き声、「グーグルー、ポッポー。グーグルー、ポッポー」は聞こえない。 あれは晴れの日に限るのだろうか。 道路にやたら新聞やら袋やらが落ちている。風で飛ばされてきたのだろう。 そのすべてが晩に吹いた風の方向に並んでいるのが面白い。街路樹や金網に引っかかるビニール紐なんかも、よく観察するとすべて東へと流れている。 つまり昨日の嵐は東に向かったのだ。 東へ、東へ。 weapons of mass destruction の歌詞にそんなものがあった気がする。 自分が大好きなandymoriの曲だ。 東へ、か。自分が向かっているコンビニはちょうど西にあるが。 コンビニに行く予定をキャンセルするのは足どりを変えるよりも簡単なことだった。 嵐の跡を追っていくのも悪くはない。 そう思わせたのは早朝の冷え込んだ空気もあったのだろうか。 道を変えて東へと歩いていく。 街を散策する上で方角だけをあてにさまようことなどそうあるものではない。 自分なりに、あちらが東、西、南、北、というふうに見極めながら、とことこと歩き続ける。一軒家はどれも窓が閉まっており、人が起きている気配はない。 街はまだ眠っている。起きているのは自分だけだ。 気まぐれな街灯が昇りかけた陽に気づかぬままうつろうつろと照っている。 なにやら心弾む自分がその下を通り過ぎた。 嵐の足跡は道路���外れてもまだまだ見つかった。 全体的にある方向へしなっている杉の木。 その隣の家の窓から、でかいくしゃみが聞こえてくる。 あさげにくしゃみはよく響く。鼻水をすする音もなんとなく聞こえる気がする。 この時期は花粉シーズンだ。しなった杉の木が放つ花粉を一身に受けた家は免疫機能が暴走したようで、やや騒がしかった。 そうした一方で、すこし歩けば静かに寿命を迎えた家が佇んでいる。これが東京の街だ。 主人を失えば家などこんなものだろう。灰色の窓ガラスには内側からガムテープが貼ってあり、ひび割れ防止とみられるがところどころちゃんと割れている。ネズミでも入ったか、あるいは嵐で飛んできた小石でもぶつかったか。 屋根の瓦が剥がれているところもある。剥がれた隙間を見つめると二つの丸い光が見えた。ネズミにしてはやけに大きい。どうやら天井裏に野良猫が住みついているようだ。 人がいなくなった東京を支配するのは猫かもしれない。 またすこし歩くと、割れた瓦のかけららしきものが道路に散乱している。 風に吹かれて落ちたものを車が轢いて潰したようだ。しかし嵐ごときで瓦が飛ぶとは物騒なものだ。 そんなことを考えながら廃屋の通りを抜けスタスタ歩いていくと、今度はカラスが道端に落ちている。 死んでいるのか。近寄ってみると、ピクッと動いて驚いた。カラスは一声ぎゃーと鳴き、あっという間に飛んでいった。 まさか道路で寝ていたのだろうか。気絶していたのだろうか。あるいはさっきの猫と喧嘩でもしたのかな。空中に撒き散らされた黒い羽をぼうっと見つめる。 風はもう吹いていないようで、羽はへなへなと落ちてあたりに散らばった。 なんとなく羽を避けて歩いた。いくら汚れた靴とはいえ動物の病気をもらうわけにはいかない。 たかが散策であっても危険認識は働くようだ。気が抜けないのはめんどくさい。 しかしたかが散策も長く続かなかった。河川敷に行き当たったのだ。 土手を割るように伸びるアスファルトの階段を登り、土手上のサイクリングロードに立つと、眼下に川と駐車場が広がった。 すこし目線をそらせばゴルフ場が見える。駐車場はそこの客専用のものだろう。 駐車場に阻まれて川には降りられない。 徒労の果ての風情のない景色にしばし憮然とした。釈然としない。すぐ諦めた。 憮然と釈然の無駄遣いだ。 嵐は川を越えて向こうの街に行ったようだ。 川の水は荒れているがじきに流れを取り戻すだろう。元の澄んだ色に変わるまで2日とかからないだろう。 自然と頭に「ここで帰ろう」という想いが浮かんだ。 ゴルフ場の奥に橋がかかっているが、向かい側には渡れない。 あちらの街にはよくない噂がいくつもある。 この街の飴売りはこちらからあちらには決していかない。 自分の近所には、あちらの街から越してきたという噂の親子もいる。父親のことで娘がいじめられたそうだ。 あちらからこちらへくる車のナンバーはすべて他県のものだ。 アスファルトにみみずが落ちてふやけている。雨につられて出てきたのだろう。 気の毒には思うが、手が汚れるので救うことはしない。 このことを後悔する日がくるかもしれない。 そう考えながら、河川敷をおりた。 朝陽はいよいよ煌々と照り始め、街のすべての街灯は役割を終えて消えてしまった。 ジョギングのために河川敷に向かう老人とすれ違う。会釈されたがとっさのことで返せなかった。 あの老人はこの道を来たのだろうか。 であればくしゃみの音も聞いただろうし、瓦の破片やカラスの羽を避けてきただろう。 土手の上ではみみずや水たまりを避けるのだろう。 そして、あちらの街にはいかずにこちら側の河川敷だけ走るのだろう。 缶コーヒーを買った。 コンビニに寄るのはやめた。このまま帰る。コンビニの軽い店内放送を聞く気分では到底なくなった。 自動販売機をみると、思い出すのだ。 この街で起きたあんなことを。 父は決して話すなと言っていたが、父自身その日がいつか来ることをわかっていたのではないか。秘密を抱えた心はいつか必ず決壊してしまう。 嵐のように去来し、かつてあった形を少しずつ、しかし大きな範囲で変えてしまう。 しかし今日はそうではない。 謎を解くわけでも、因縁に決着をつけるわけでもない。 これからなにかが起こることを予感させるものもない。 私が人生を変えるきっかけとなる日でもない。 ただ平凡な嵐が過ぎた街の朝だ。 泥だらけの靴をはらうと、早足で元来た道を歩き続ける。 帰ったらオンラインでスプラトゥーンをやると心に決めていた。 了
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