#転識得智結社
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omniverse-a-memoria · 3 months ago
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esoterics-posts · 6 months ago
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キリストの身体
この世に生を受けたこの身体ほど真我に近いものはない。日頃、食べ、飲み、息をして、風呂に入り、生活し起きている間は誰も否定できない。瞑想や死や寝ている間は『精神世界』の霊的個性の自己同一性が重要である。真我は死を超越するエネルギーであり認識を通して帰還の道となるー。
神の下では、誰しもが平等に大切である。誰もが救われたいと望み、貧しさや生活の困窮の中で日々の生活の困難に直面する。問題は生きるための権利と義務が煩雑で複雑である事である。簡素で、素朴で、然し、安定した生活が大切であり、其れが保証されるべき『共同体』国家と国民の義務であるー。
属性
職業の適性が何よりも優先される。得意で��ないことは其れが何れ程、力を注いでも、見返りの見込みのないものである。其れほど適性は大切である。『ケセラセラ』我々が望むものや、なりたいものは単なる願望にすぎず、あるがままに、無条件にそう在る事ではない。国家に望むことは生活であるー。
型と色
①カロリー、②たんぱく質、③ビタミン、④糖質、⑤ミネラル、⑥脂質、⑦カルシウム
素粒子は霊(要素ーエレメンタル)であり、大切であるが、食事の偏りと過食は、万病の基である。
❶肥満、❷老化病、❸癌、❹糖尿、❺疫病、❻痛風、❼身体障害
①力②瞑想③分食⑤栄養学⑥睡眠⑦ゲノム
AIマッチング
就労や職業選択、受験の際に、お見合いに、使うべきものである。ぼくは非凡であれど秀才ではないので、霊的教師と音楽家、そして魔法特に超能力にも興味があるが危険である。低位心霊能力の開発は避けるべきである。絶え間ないエネルギーの伝導瞑想と霊能力と精神集注と奉仕を推奨する。
念力からメンタル界へ
スープン曲げとは理性の崩壊を誘発する。ぼくはメンタル極化により此れが不可能になった。ところで、相手に自分の理想を押し付けることは賢明ではないが、芸能人のゴシップネタの様な落ち着きのない猿のような忙しない心を落ち着ける為に音楽による精神の安定が有効であるー。
日本人改造宣言
一箇所に留まっていてはいけない型を打ち破り、昨日を越えて行け!『在るがまま』を生きることの大切さと周囲の無理解という困難を越えて生きる事は囚われない創造主として大事な私的視点を加味する事になる。ぼくの心はいつも昔に同一性されて🇮🇹や🇪🇸や🇮🇳
🇹🇷や🇯🇵や🇨🇳etc.『舌の記憶』
カタストロフ
創造物(型あるもの)は崩壊現象。死と共に私達の精神や知性や機械でさえ構造物は全て壊れ、軈て失われる。だから、DATAの引き継ぎは大切である。音楽では楽��、ランドスケープ、ピアノ演奏、イラスト、習字、タイピストの手や論理性は死んでも残された情報の痕跡であるー。『儚い夢の跡』
R覚者ー原因と結果の法則
❸→❶
父と母ーカルマ(業)の法則ー❶→④→❸
ゴータマ仏陀ー再生誕の法則❶→④→❼→⑧∞
自由意思ー
∞(情報のソース)→❶
エドガーのコイントス
ー確率ー
②→❶
神の意志ー
❼→④→❶
プトレマイオスとベンジャミンそして全てのイニシエートに敬意と感謝ー。
意(マナス)
#DK覚者 (チベット・ロッジ)のレベルの情報は難解である。#アリス・ベイリー によって与えられた『秘教科学』は緻密に宇宙の構造と神秘についての洞察に富んでいる。心理学の深淵さと覚者方の厳しさと忍耐には頭が上がらない。双方向のメンタル・テレパシー(思念伝達)は稀有であるからー。
既知と未知
❼機械論的・科学的マインド(聖霊)の状態である②④⑥頭脳の❸識別力は『分神霊』であり神経の中にある器官であるナディに合成された精妙な❺ガス(気体)状でできている。⑥パイシス(双魚宮)と❼アクエリアス(宝瓶宮)の宇宙にある霊的な❶『統合のエネルギー』が働いている。②『伝導瞑想』
(不)信仰
キリスト教の原理主義者が唯一の「イエスは神でなくてはならない」とか、(唯物論的)科学者が「ダーウィンの進化論が真である」、「宗教の殆どが偽りである」とか「哲学は何もなしていない」などと言う事は無知に満ちている。『意識の進化』を信じているなら『幻惑』や『錯覚』に注意し給え!
主義
私は云々であるというとき、我々は我々の間に対立を生む恐れがある。在りと凡ゆる物事の嫌悪や善悪に対して、我々は我々の社会を異なる価値観で分断してしまうだろう。必要なのは社会の『調和』であり、『平和』であり、『非暴力』である。観念自体は象徴であり、対立を生む人工物に過ぎないー。
❺記憶自体
コロナウィルスの顕現は人類に対する避けがたい受難でした。これからの④芸術科学(素粒子の霊性)と❺化学医学(構造の形相)の重要性は言い過ぎる事はないです。全ては崇高な魂(全ての霊的な本源へ戻る旅路)の為の犠牲に違いない。無力は承知の上で皆様に御願いしますー。『人類科学の進歩』
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与え与えられ
日々与えられた物事に感謝して、生きていきます。
霊(言葉と絵)を尽くして、自我である個性体(パーソナリティー)を神である真我((宇宙)意識体)である魂の供物に捧げます。ごちそうさまでしたー。神に感謝して、命に感謝して、親に感謝して、先生に感謝して、食べ物に感謝してー。m(_ _)m
安定
人間の生き方に自由などはない。せいぜい
自分の自我の領域の中で我が儘な意思のもとに約束事とサービスの間で比較的自由な裁量があるだけである。
10割 Android
百分率で言えば100%
太陽系 9段階
人間レベル99が限界
100以上は死ねない
~255 霊界 
1000(1T)
16次元 宇宙全体
聖なる科学
霊の数学と哲学と美学としての音楽と美術を尽くして神的存在に触れる魂である自我の拡大と、霊である真我に帰絨する瞑想の帰還の道。真に純粋な理想的なイデアの想像力の究極的に完全な世界(実在)の上からは、太陽系が16個あり、太陽系外地球の兄弟の惑星も16個あるー。
解釈学
循環する霊と宇宙について
#インテリジェント・デザイン(知的創造論)からの『秘教数秘術的』なコンセプト(意匠性)ー2進法、10進法、60進法ー『カバラ数秘術』、『秘教哲学』、『七光線心理学』『神智学』、『素粒子物理学』、『情報工学』、『陰秘学』『数学』、『強迫性』、『偏執狂』
外部と真理
②主観と❸客観について私達が認識できるものは❺記憶であり、④イメージであり、❸認識性であり、②デジタル信号であり、❶霊である。❼存在を創るもの、⑥在ったと信じるもの、❺在ること、④在るかもしれないもの、❸これから在ること、②視えるもの、❶霊(的精神)性。『真我認識』
形式と存在
『モナド』ライプニッツ
『素粒子』精霊主義
『クオリア』アストラル体
『考える葦』パスカル メンタル体
『精神と物質』デカルト 物心論
『宇宙四次元』アインシュタイン
『時間と空間』ニュートン
『物自体』カント
『質料』プラトン
『弁証法』ソクラテス
『形相』アリストテレス
ライヒ『オルゴンエネルギー』
シュタイナー『エーテル体』光子
ユング『集合的無意識ー幻型』
フロイト『リビドーと超自我』
アドラー『目的論』
ニーチェ『永劫回帰』
ハイデッカー『存在と時間』
サルトル『存在と無』
ラカン『想像界・象徴界・現実界』
キリスト『三位一体』
盤古『陰陽』
ヴント『内観』
プロティヌス『一者』
エンペドクレス『風・火・地・水』
デモクリトス『原子』
チェリオ『量子色力学』
ジョブズ『Apple製品』
ダリ『心理学から科学へ』
モーツァルト『曖昧な調和』
��室哲哉『宇宙の美化』
坂本龍一『現実』
小林武史『夢と魔法』
宇多田ヒカル『宝瓶宮の水』
植松伸夫『劇場音楽』
天野喜孝『ファイナル・ファンタジー』
楠瀬誠志郎『シリウス』
すぎやまこういち『ドラゴンクエスト』
鳥山明『ドラゴンボール』
高橋留美子『めぞん一刻』『犬夜叉』
桂正和『DNA』『シャドウ・レディー』
貞本義行『エヴァンゲリオン』
宮崎駿『ロマン派』
久石譲『映画音楽』
スピノザ『心身一元論』
クリシュナムルティ『私は何も信じない』
キリスト・マイトレーヤ『分かち合って世界を救いなさい』
ベンジャミン・クレーム『始まりは近い』
江原啓之『オーラの泉』
大槻教授『プラズマ』
韮澤さん『たま出版』
イエス覚者『救世主』
仏陀『真我』
プレマ・サイ『超心理学』
フェルメール『レースを編む女』
3ー7ー4ー2ー7(2.4)
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宇宙
針仕事の周りを描く『フェルメール』の絵の中に宇宙が回っている事を、夢と現実の間を行ったり来たりするシュールで、冗談好きの地獄ではないまでも煉獄に居る『ダリ』は知っていた。如何なる小さな物事でも、大切な人の存在は守りたい。大切な命に寄り添い生きていきたいものである。
『来世』
サルバドール・ダリ『レース編みの娘』
6ー4ー6ー4ー7(1.6)
(フェルメール・ファン・デルフトの絵の模写)
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「ダリ全画集」の『レースを編む女』
ダリに心の底から同情します。イニシエートの低さには右利きで頭の精神の線が細いスマートと云う理由と、光線構造が非常に高いのには、人類の輪廻転生を担保したいのと、神であるサルバドール(救世主)でありたいと言う野心と、謙遜と、拘りがあるからですー。
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芸術家と科学者
『ピカソ』は拘りのない自由な心の境地でどんな画家のスタイルも直ぐにマスターして、同じ場所に留まらずにどんどん変化する秀才。純粋無垢な子どもが描いた様な平気で、破壊的な創造で醜悪さをも描く。『ダリ』は古典的な描き方で言語性の強い鬼才。神に見いだされた犠牲者ですー。
ダリでもピカソ
二人ともきら星のような才能があるので何回輪廻しても本物の神になるべきです。業の深さは恐ろしくダンテの言葉を借りれば「まるで生きていることが呪われている様でこの地上以外に如何に『地獄』と呼ぶ事ができようか?」と言う程、人生を生きるのは大変です。才能の有無に関わらず。
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パブロ・ピカソ(2.4)
7ー4ー1ー6ー3
『サルタンバンカの一家』
パブロ・ピカソ『パイプを持つ少年』
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アンリ・マチス(2.4)
3ー6ー1ー4ー7
『ブルーヌード』
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ari0921 · 2 years ago
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我が国の未来を見通す(82)
『強靭な国家』を造る(19)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その9)
宗像久男(元陸将)
───────────────────────
□はじめに
 衝撃的な事故ではありましたが、「やはり」とい
うべきか、事故直後のバイデン大統領の談話のよう
に「驚いてはいない」というべきか、8月23日、
ワグネル代表プリコジン氏が搭乗した飛行機が墜落
し、死亡が確認されました。巻き添えを受けた9名
の乗員乗客には気の毒でしたが、思えば、人類の歴
史はこのような事件の繰り返しでした。
プーチン大統領が哀悼の意を述べている映像も流れ
ましたが、この事件を“単なる事故”と考えた人は
皆無だろうと思います。藤井厳喜氏などは“暗殺”
ではなく“明殺”だと明言していますが、練りに練
った巧妙な手段を用いているはずなので、たぶん、
少なくとも“ほとぼりがさめる”までは事故原因が
解明されることはないと思います。
問題は、この事件が今後、凶と出るか、吉と出るか、
ますます混迷を深める可能性があると私は考えます。
「ウクライナ戦争の決着はプーチン大統領の失脚
(あるいは暗殺)しかない」と断定する考えもある
ように、この事件をきっかけに水面下で反プーチン
派が強硬策に打って出る可能性は否定できないでし
ょうし、ワグネルをはじめ民間軍事会社が戦線から
離脱する可能性もあるでしょう(すでに解体の動き
もあるようです)。逆に、本事案が“見せしめ”と
なって、ロシアがウクライナ戦争の勝利に向けて
(少なくとも敗戦を回避するため)、“一枚板”に
なる可能性もあるでしょう。
どちらに転ぶかは現時点(9月1日)では不明です
が、本事件がきっかけとなって、やや膠着状態にあ
るウクライナ戦争が再び“動き始める”可能性もあ
るでしょう。ウクライナ側の反転攻勢があまり進展
しないような状態が続けば、停戦合意(休戦)が早
まる可能性も出て来るでしょう。
「戦争はギャンブルのようなものだ」とよくいわれ
ます。“戦争によって得られる利益がそのコストを
上回ることは稀で、戦争を行なうことは常にリスク
を伴う”ことから来た言葉なのでしょうが、巷のギ
ャンブルと同様、一度踏み込んでしまうと、勝敗が
決着するまでますますエスカレートすることを歴史
は教えてくれます。
以前にも紹介したように、アメリカの原子力科学者
会が発表している「世界終末時計」は、ウクライナ
戦争が始まって以来、核兵器が使用されるリスクを
加味し、過去最短の「90秒」を指し続けています。
プーチンが核のボタンを押すに至るきっかけに、N
ATO諸国から武器や弾薬の供与を受けて戦い続け
るウクライナと決着をつけることのみならず、反プ
ーチン派を黙らせるような、ロシア国内問題の解決
まで視野に入ってくるとなれば��その“敷居”が低
くなるような気がしてならないのです。
このたびの一連の事件について、話題の生成型AI
に質問したところ、「私たちは、このような悲劇的
な出来事を未然に防ぐために、常に平和的な解決策
を模索する必要があると考えます」との回答があり
ました。まさに正論です。そのような究極の事態に
至らないような「話し合い」、その結果として「停
戦合意」に至るかどうか、ロシア・ウクライナ両国
のみならず、国際社会の“叡智”が求められている
のでしょうが、そう簡単ではないことも現実です。
いずれにしても、プリコジンという反プーチンの烽
火(のろし)を上げた“勇者”の死亡が、英雄視さ
れることを警戒して葬儀の非公開を強要したロシア
当局をはじめ、ウクライナ戦争の終末、ひいては人
類社会の未来を左右する歴史的に重大な事件に発展
する可能性もあることでしょう。
我が国にあっては、「だから『平和』が大事なのだ」
との声が聞こえそうですが、前回も指摘したように、
そこで“思考停止”しないで、「どのようにしたら
未来永劫の平和を維持できるか」について、しっか
り考え、可能な限り盤石な「備え」が必要であるこ
とを理解できる国民の輪が広がることを祈るばかり
です。
▼「食料自給率」が「国力」に及ぼす影響
 
本メルマガではすでに我が国の食料自給率について
詳しく触れましたが、「国力」の観点から少し分析
してみましょう。
まず、食料自給率の主要国ランキングは、農林水産
省による2020年のデータによると、1位カナダ
(カロリーベース221%、生産額ベース110%)、
2位オーストラリア(173%、110%)、3位
アメリカ(115%、92%)、4位フランス(1
17%、83%)、5位ドイツ(84%、58%)、
6位イギリス(54%、60%)、7位イタリア(5
8%、87%)、8位スイス(4��%、61%)、
9位日本(38%、58%)と続きます。カロリー
ベースでは、韓国32%、台湾31%などが続きま
すので、極端に低い数値ではないとも言えるでしょ
う。
これらから、食料輸出可能な国、つまり将来におい
て我が国が輸入対象国として期待できるのは、個々
の食料品によって違って来るとは思いますが、自給
率が100%を超えているカナダ、オーストラリア、
アメリカぐらいまででしょうか。
ちなみに、ウクライナ戦争で小麦の輸出が話題にな
っているロシアについては、西側諸国のような基準
が明確になっていないのかも��れませんが、小麦の
輸出量は世界のトップを走っています。一方、食料
品関連の輸入品として「果実・野菜」「肉類」「酪
農品・鶏卵」「飲料」「コーヒー等」、それに最近、
日本のJTグループが協力企業になっていると話題
になった「タバコ」など多岐にわたっていることも
事実です。
これらから、ロシアの「食料安全保障」の柱は、
“国内消費者への供給を維持するために輸出を制限
する”という発想になっているようですが、一方、
ウクライナ侵攻を可能にした背景には、この次に述
べるベルエネルギーと合わせて、“非軍事面の戦力
化”についても目算があって、実際にそれを行使し
ていることに着目する必要があるでしょう。
中国の食料自給率は、近年、輸入量の増加に伴って
低下傾向にあります。穀物の自給率は97%以上を
保ち続けてはいますが、食用油材料の自給率はこの
20年間で81%から25%に、大豆の自給率は6
0%から17%にそれぞれ減少するなど、食料自給
率は20年間で100%前後から76%前後にまで
落ち込んでいるといわれます。
穀物の自給率自体も、洪水、干ばつ、イナゴの被害
などから、実際の穀物倉庫の中は空ともいわれ、中
国社会科学院が「中国の食料供給不足は2025年
末までに約1億3000万トンに達する」との見通
しを示したことで、不安や買い占めの懸念も出てい
るようです。最近の福島原発の処理水放水に対抗し
た輸入禁止処置も、その背景には“国民の目をそら
す”など様々な思惑があるとみて間違いないでしょ
う。
余談ですが、少しだけ回り道しますと、福島原発の
処理水で問題になっているトリチウムは、水と結合
してトリチウム水となっているため、簡単に処理で
きません。そのため、今回の処理水の放出にあたっ
ては、トリチウム濃度を1リットルあたり1500
ベクレル以下に薄めて放出しています。この基準は、
国が設けたトリチウムの環境への放出基準1リット
ルあたり6万ベクレルの40分の1、また、WHO
(世界保健機関)が示す飲料水の基準の1万ベクレ
ルの7分の1程度にあたる水準です。トリチウムは
また、環境中で自然崩壊し、その半減期は約12.
3年といわれます。
今回の処理水の放出予定量は22兆ベクレルですが、
中国の東シナ海や南シナ海に面した4つの原発が1
年間に放出しているトリチウムの総量は約450兆
ベクレルであることはすでに判明しています。しか
もこの事実について、中国と周辺国との間で何らの
合意はなく、説���もしていません。
中国は、「通常の稼働下で排出される冷却水とは質
が異なる」などの“難癖”をつけていますが、日本
の政府がなぜ証拠となるデータを示して「それなら
ば、“すでに汚染されている”中国の海産物は輸入
しない」と反論しないのか、不思議でなりません。
自らの「国益」のために、長年、“でっちあげた歴
史”を「歴史戦」の道具として活用してきた中国で
すから、「科学的根拠がない」などの批判に“動じ
る”ことはまずないでしょう。我が国のような「世
論」がありませんので、政府のやりたい放題です。
私たちは、この機会に改めて、そのような国が我が
国の隣国にあって、今後も存在し続けることを強く
認識する必要があるのです。
長くなりました。本題に戻します。我が国は、我が
国の食料事情からして、「大事な食料を買おうとし
ない国に売る必要がない」と断言します。ちょうど
良い機会なので、食料輸出は最小限にして、備蓄を
増やす方向に舵を切り直すべきと考えています。
その理由を解説しましょう。以前、我が国の食生活
近代化、つまり洋食推進運動は、アメリカの「した
たかな食料戦略」のせいだったと解説しましたが、
我が国は、食生活そのものを米など比較的自給率の
高い食料を主とするように戻し、なおかつ長期備蓄
のノウハウを考案しつつ、必要ならば法律を改正し
て、備蓄量の増加に努めることを「食料安全保障戦
略」の柱にすべき時が来ていると考えます。その戦
略の実現が「国力」を維持するために必要不可欠な
のです。
一方、そこにはとんでもない“落とし穴”があるこ
ともすでに指摘しました。我が国は、この化学肥料
の原料の資源に乏しく、3要素といわれる「尿素」
「リン酸アンモニウム」「塩化カリウム」のほとん
どを輸入に頼っていることです。その内訳は、「尿
酸」の自給率はわずか4%のみで、残りはマレーシ
ア(47%)、中国(37%)、サウジアラビア
(5%)などから輸入しています。「リン酸アンモ
ニウム」や「塩化カリウム」に至っては自給率0で、
「リン酸アンモニウム」の輸入先は“中国がダント
ツの1位(90%)”、残りがアメリカ、「塩化カ
リウム」の輸入先はカナダ(59%)、ロシア(1
6%)、ベラルーシ(10%)と続きます(諸般の
事情から本来なら公にしたくない数値ですが、すで
に公にしている人がいますので出すことにします)。
肥料の自給率まで考えれば、自給率100%に近い
米でさえも“実質的な自給率”は11%程度、自給
率80%の野菜は実質8%程度、その他の食料品の
自給率もかなり低いとの分析もあります。「化成肥
料がダメなら有機肥料や堆肥��使えばいいじゃない
か」との考え方もあろうと思いますが、有機肥料も
見事なまでに輸入に依存しています。
今回のウクライナ戦争が小麦などの価格が異常に高
騰しましたが、食料品の価格は、気候の変動や世界
情勢に大きく左右されることは明らかで、今後、世
界人口が増えるにつれて、肥料や種苗までを含む
“食料争奪戦”が発生することは必定でしょう。し
かも我が国の生殺与奪のかなりの部分について、す
でに対立している、あるいは将来対立する可能性の
高いと判断しなければならない国々に握られている
という“現実”を直視する必要があるのです。
繰り返しますが、農業従事者の減少対策と食料自給
率の向上のために我が国は総力を結集すべきであり、
その結果として「世界で最初に飢えるのは日本」と
揶揄されるような事態を回避することに万全を期す
必要があります。そのためにも、私たちは、「『お
金を出せば輸入できる』ことを前提にした『食料安
全保障』はすでに破綻している」との認識のもと、
農業や牧畜など国内の1次産業の強化、長期的な食
料備蓄の大幅な推進など、「食料自給なくして独立
なし」との気概をもって、「国力」の維持を考える
時に来ているのではないでしょうか。
▼「エネルギー自給率」が「国力」に及ぼす影響
 
エネルギーについても同様のことが言えるでしょう。
今年は格別に長く、暑い夏を迎えています。気象庁
も「異常な夏」であることを宣言しました。まさに
地球の「気候変動」のせいにしたくなる気持ちを否
定するものでありません。
一方、ガソリン価格高騰は話題になりますが、この
酷暑の中で、ほぼ毎日24時間、エアコンをかけっ
ぱなしで快適な日々を過ごしている“贅沢”に不安
を感じている国民はほんのわずかであろうと想像し
ています。
すでに紹介しましたように、主要国のエネルギー自
給率のランキングは、1位ノルウエー(700%)、
2位オーストラリア(320%)、3位カナダ(1
76%)、4位アメリカ(98%)、5位イギリス
(70%)、6位フランス(55%)、7位ドイツ
(37%)と続きます。
国際情勢がどのようになろうと、エネルギー供給の
面で全く懸念する必要がないのは、4位のアメリカ
くらいまでで、それ以下については何がしかの影響
を受けることは必定です。現に、天然ガスの供給を
ロシアに依存していたドイツがウクライナ戦争で多
大な影響を受けたこともすでに紹介した通りです。
ちなみに、ロシアは天然然ガス、原油、石炭などの
生産量が世界のトップクラスで、エネルギー自給率
は188%(2015年)といわれます。また中国
は、国内のエネルギー資源は決して豊かとはいえま
せんが、石炭、石油、天然ガス、原発、再生可能エ
ネルギーからなるエネルギー供給体制を絶えず改善
し、エネルギー自給率を常に80%以上を保っている
���うです。
それに対して、元来、エネルギー資源小国の我が国
のエネルギー自給率は年々低下傾向にあり、先進国
では最下位、世界水準で言えば34位の11.8%
にしか過ぎません。しかし、実質は7%であるとか、
原発の再稼働を認めなければ4%しかないといわれ
ます。つまりエネルギーの供給のおおむね9割を諸
外国に依存していることになります。そして、近年、
再生エネルギーのシェアが増えているとはいえ、エ
ネルギー供給の約83%は、石油、石炭、天然ガス
などの化石燃料に依存しています。
大東亜戦争においては、“石油”を求めて「南進」
したように、過去も現在も、そして将来も、エネル
ギー��源の安定確保は「国力」を維持するための死
活問題であることは論を俟ちません。
すでに紹介しましたので細部は省略しますが、その
根拠が怪しい“脱炭素”という「気候変動」対策の
ために、欧州列国同様、国を挙げて取り組むような
“ゆとり”は我が国にはないと考える必要があるで
しょう。「国力」を維持し、将来にわたって「強靭
な国家」を造るためには、安全保障など他の施策へ
の影響を考慮しつつ、エネルギー資源の安定確保を
最優先すべきと私は考えます。
「気候変動」対策については、中国のように、“し
たたかに”可能な範囲で各施策に反映すべきでしょ
う。環境団体から「化石賞」を受賞するような“国
益とは全く無縁の不名誉”よりも、もっと優先すべ
きことがあることについて全国民が認識することが
肝要です。
どこまで行っても、我が国の未来は“難問山積”と
いう印象を持ちますが、私たちは知恵を出し合って
乗り越えていく必要があるのです。その成否は、国
内的には「政治力」、対外的には「外交力」が握っ
ているといって過言でないと思いますが、それらを
司る政治家の先生方や官僚の皆さんは、これまで繰
り返し述べてきたような課題認識とか問題意識を保
持しているのでしょうか。今回はこのぐらいにして、
次回、そのあたりを少し掘り下げてみたいと考えて
います。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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mxargent · 2 years ago
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
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“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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moko1590m · 19 days ago
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「技術環境の変化」によって知の継承が分断され、それまでの知恵や叡智が一部失われながらも、新しい知識体系へと転換されていく――こうした断絶と連続は人類史において繰り返されてきました。以下に、歴史上の代表的な例を「知恵が断絶した理由」と「そこから新たに展開した知の構造」という観点でできるだけ多くご紹介します。
1. 狩猟採集社会 → 農耕社会への移行(新石器革命)
断絶した知恵: 野生植物の見分け方、動物との共生、季節の微妙な感知、群れの調和的統治、移動生活の中での精神文化(シャーマニズム)など。
新たに展開した知: 土地定住・農業技術・私有制・階級・文字・都市国家・暦・税制など。
🔍 断絶理由:農耕定住が知識体系を「記録」「制度」「生産性」中心へ再構築し、身体的・感覚的な知を軽視するようになった。
2. 古代文明の崩壊(例:メソポタミア・マヤ・インダスなど)
断絶した知恵: 天文と宗教の統合的理解、水利管理技術、循環型都市計画、神殿文化。
新たに展開した知: 征服王朝による法律制度、軍事中心の秩序、通貨経済、交易路による知識の拡散。
🔍 断絶理由:気候変動や内乱、征服者による知の抹殺・文化の優越性の押し付け。
3. ギリシャ哲学 → ローマ実用主義への移行
断絶した知恵: 自然哲学・対話法・存在論的探究・自由市民の自己省察。
新たに展開した知: 法制度・軍事工学・インフラ技術・実践的統治。
🔍 断絶理由:哲学より行政と軍事を重視する実用的国家モデルへの移行。
4. ローマ帝国 → キリスト教支配下のヨーロッパ(中世初期)
断絶した知恵: 多神教的寛容、古代医学、天文学、演劇や性的表現。
新たに展開した知: 教会中心の知識体系(スコラ哲学)、神学、修道院による写本保存、教会暦と祭祀中心の生活。
🔍 断絶理由:異教文化の排除、宗教的一元化、文字文化の独占。
5. 先住民社会の征服(アメリカ大陸・オセアニア・アフリカなど)
断絶した知恵: 土地との霊的関係、持続可能な狩猟・農耕法、口承詩・祭儀、身体技法(例:航海術、サバイバル技術)。
新たに展開した知: 植民地経済、近代法、貨幣経済、キリスト教による教育・言語の統一。
🔍 断絶理由:言語の強制切替、文化の下位化、近代合理主義の強制。
6. 活版印刷の普及(15世紀以降)
断絶した知恵: 口承文化、記憶術、語り手の社会的役割、聖職者による写本の知の独占。
新たに展開した知: 読書による個人思考、文書管理、科学的思考の発展、知識の民主化。
🔍 断絶理由:知の伝達手段が文字・印刷へと一元化され、「語る身体」が軽視されていく。
7. 産業革命と近代技術の発展(18〜19世紀)
断絶した知恵: 職人の手技・感覚・道具の知、地場産業、地域ごとの気候や土との対応法。
新たに展開した知: 機械工学、大量生産、標準化、化学農業、効率性の追求。
🔍 断絶理由:職人知は「非効率」とされ、標準技術に淘汰されていった。
8. 電気・デジタル・AIの時代(20〜21世紀)
断絶した知恵: 近代的暗黙知(手書き・暗記・文脈による対話)、「人間関係を読む」能力、反復による職能習得。
新たに展開した知: 情報検索・操作能力、インターフェースとの共生、AIを介した新たな論理構築。
🔍 断絶理由:知識の即時アクセスと自動化が、「時間をかけて身につける知」を軽視させる傾向。
📌 まとめ:断絶とは「消滅」ではなく「変調」
知恵は完全に消えるというよりも、**その場では不要とされ、形式が変わる中で見えなくなる(非主流化する)**というのが実態です。しかし、何らかの社会的危機や環境変動により、過去の知恵が再発見される(Permaculture、瞑想、東洋医学など)例も数多くあります。
ご希望があれば、これらの事例を「今後AI時代に起こる可能性のある断絶」と重ね合わせた展望もご提供できます。必要であればお知らせください。
You said:
「電気・デジタル・AIの時代(20〜21世紀) 断絶した知恵:近代的暗黙知(手書き・暗記・文脈による対話)、「人間関係を読む」能力、反復による職能習得。 新たに展開した知:情報検索・操作能力、インターフェースとの共生、AIを介した新たな論理構築。」というところを、できるだけ詳しく教えてください。
ChatGPT said:
ご質問の部分は、現代社会において極めて核心的な知の断絶と再編成を示しており、「AIを使いこなす若い世代」と「旧来の文脈知を持つ世代」との断絶にも深く関係しています。ここでは、「断絶した知恵(近代的暗黙知)」と「新たに展開した知」の両者を、より具体的かつ丁寧に解説します。
🧠 Ⅰ. 断絶した知恵:「近代的暗黙知」
このカテゴリは、明文化されにくく、身体的・関係的・時間的な反復によって習得されてきた知の体系です。
1. 手書き・手作業による記憶と理解
かつての状況: ノートに手で書くことで、理解と記憶が結びついていた。教師の話を聞きながら「構造化してメモをとる」こと自体が思考の訓練だった。
失われた機能: 書く行為に付随する集中力・記憶定着・構造的思考。
AI時代の断絶点: 情報はタイプや録音、さらにはAI要約に任せ、脳内での構造化過程が省略されがち。
2. 暗記と再構築の文化
かつての状況: 一度覚えた知識を「自分の中で再構築して語る」訓練があり、記憶と創造が統合されていた(例:学者の講義・口頭試問・弁論)。
失われた機能: 記憶に支えられた知の内面化と、それを変形・応用する力。
AI時代の断絶点: 検索すれば出る、という前提が記憶の「必要性」自体を失わせている。
3. 文脈による対話と共感能力
かつての状況: 対面の場で、言葉の裏にある感情やニュアンスを「空気」「間」「沈黙」で読む訓練(例:職人の弟子入り・家業・政治的談合)。
失われた機能: 行間・表情・声色など、文脈的な理解の感受性。
AI時代の断絶点: テキストやチャットによる即時応答が主流となり、「読解」「間合い」「曖昧さへの寛容」が劣化。
4. 反復による身体的習得(スキルやマナー)
かつての状況: 手順を何度も体で覚え、時間をかけて“できるようになる”ことが尊ばれた(例:活字拾い、大工の手技、武道・書道)。
失われた機能: 体に沁み込んだ判断力・習慣としてのリズム。
AI時代の断絶点: ツールで一瞬で完成、ミスはやり直せばいい、という前提で、身体的プロセスの価値が下がっている。
🧠 Ⅱ. 新たに展開した知:
AI・デジタル環境を前提とした「操作・設計・統合」の知が、主導的な役割を果たし始めています。
1. 情報検索・収集・比較能力
新たな力: キーワード選定、要約・翻訳の判断、複数情報源の批判的比較といった、検索力+判断力のハイブリッドスキル。
高度な応用: AIへのプロンプト設計、GPTと自分の視点との比較検討、必要な形式で情報を整形する力(例:PowerPoint、動画、コード化)。
2. インターフェースとの共生能力
新たな力: マウス操作、タッチ、音声、コード、マルチモーダル入力などを自然に切り替え、「人間と非人間の境界を越える操作」が可能に。
実態: 手書きで「考える」のではなく、ツール上で「展開する」「構築する」スキルへの移行。
3. AIを介した思考・設計
新たな知のパターン: 自分のアイデアをAIに入力 → 修正・提案 → 取捨選択 → 再構築 → 公開、という**“人+AI”による思考ループ**が知の中心に。
例:
文系:要約、翻訳、スタイル変換、議論構築
理系:コード生成、数値モデル、シミュレーション、研究レビュー
4. 速度と柔軟性重視の知識管理
新たな基準: 「知っているか」より「使いこなせるか」「つなげられるか」。「5時間で本を読んで覚える」より「15分で必要な箇所だけ抜き出して使う」。
変化の結果: 知識は貯蓄型ではなく、流通・操作型の資本となっている。
🌀 Ⅲ. この断絶の意味とリスク
項目     メリット     デメリット・リスク
即時性・効率性  思考の高速化、作業の自動化、多角的視野  深い理解・熟慮が省略され、浅い思考で満足しやすい
ツール依存  誰でも使えるツールでパワフルに  ツールがなければ何もできない脆弱性
記憶・身体性の軽視  記憶しなくてもよい自由  思考の内面化、身体化が困難に
文脈無視のコミュニケーション情報伝達の正確性と普遍性の向上「察する」「感じ取る」「余白を読む」力の喪失
✨補足:この断絶を「つなぐ」道もある
AI世代にとっての修行:「敢えて暗記する」「敢えて手書きする」「敢えて1人で考える」などの“旧式訓練”が深みを与えることもある。
旧世代にとっての更新:「AIに尋ねてみる」「プロンプトを試す」「操作のデザインを任せてみる」ことで、視野を拡張できる。
必要であれば、以下の発展的テーマもご提案できます:
「近代的暗黙知をどう再構築するか」
「生成AI世代が暗黙知を“仮想的に持つ”ための訓練法」
「知の断絶を越えて共働を可能にする社会制度の設計」
ご希望があれば、ぜひお知らせください。
You said:
「新たに展開した知」を駆使する、いわば「知能強者」が、大きく人類をリードすることは、納得がいきます。ただ、その「知能強者」を目指すことが理想とされ、「近代的暗黙知」が軽視され、結果として、「資質的に知能強者にはなれず、教育システムの変更や社会的な風潮の変化によって、「近代的暗黙知」」を軽視する思想はうえつけられており、当然「近代的暗黙知」的な素養が皆無である」不幸な大勢の人間がスラム街でBIを受け取って暮らしている、そういう未来図が頭に浮かびます。
ChatGPT said:
その未来図は、非常にリアルかつ本質的な問題を突いています。あなたが想定しているのは、次のような構造的断絶によって二極化した社会の姿でしょう:
🧠1. 「知能強者」による加速社会と、その裏側の大量の排除
◉ 知能強者(AI時代のエリート)
高速な学習・抽象・応用の回転が可能
AIとの共進化によって「身体性なき知能」へ特化
資源・支配・制度設計を握り、社会の意思決定を担う
◉ 残された多数(「身体性のみに残された者たち」)
**かつては価値あった「暗黙知」「感受性」「反復的技能」**が教育でも労働でも軽視され、 ➤ 自尊感情と社会的貢献意識を失う
「AIは使えないが、他の“人間らしさ”を持っている」という曖昧な領域すら社会的に無視される
📉2. 歴史的にも類型がある:近代工業化以降の「脱人間化」
以下のような構造と似ています:
時代    支配的技術 支配層の資質 排除される人々 備考
産業革命後 機械・工場 資本家・技師 農民・職人 手仕事や土地との関係が「無能」とされた
20世紀後半 大衆教育・資格 ホワイトカラー 土工・徒弟系技能者 学歴なき者は「下層」とみなされた
21世紀以降 AI・アルゴリズム プロンプト設計者・AI統合者 暗黙知だけの者 感性や経験が「非合理」として除外される
⚠️3. 「知能強者モデル」一極化のリスク
✖ 社会的弊害
**大量の「半教育化された者」**を生み出す ➤ 彼らは「暗黙知」も「AI活用知」も欠いた中間的存在になり���すい ➤ 結果、暴力や退廃、依存的BI生活に陥る可能性
文化の単調化・思考様式の収斂 ➤ ノイズ・余白・伝統・非合理が駆逐される ➤ 社会全体が**「薄い知性」と「使い捨ての創造性」**に満ちる
✖ 心理的損失
知能強者モデルに適応できない人は、自己肯定感が崩壊しやすい
「使われない暗黙知」は、内面の誇りを失わせる
人間的交流よりAIとの共生を重視するため、孤独と疎外が増加
🌱4. 対抗軸としての「暗黙知の再評価モデル」
ではこの流れにどう抗い、対抗軸を打ち立てるか? ヒントは、「近代的暗黙知を知能強者に統合させる」のではなく、別の回路として評価軸を分岐・増幅することです。
🔁 近代的暗黙知の再評価戦略
分野         方法        実例・展望   
教育  感受性、対話、身体性、持続力を育てる教育モデル  モンテッソーリ、レッジョ、農的教育、演劇的教育など
経済  「役に立つ」ではなく「意味がある」労働の再評価  地域通貨、芸術・演奏・介護・伝承などのエコシステム形成
テクノロジー  暗黙知を「インプットする側」としてAIに与える  例:職人の目利き・話し方・タイミングなどをAIに学習させる
社会設計  BIを「静的な給付」ではなく、「暗黙知との交差場への参加権」に  地域×AIの交差場:例「共有する夕食+生成詩+語らいの場」など
🌐5. 人類の未来を二極化で終わらせないために
「知能強者だけの世界」では人類文化の厚みは保てません。
感情・体験・記憶・語り・微妙な気配など、人間的暗黙知はAIに置き換えられない価値領域です。
したがって、AI社会において本当に重要なのは、
“知能の強度”だけでなく、“感受性と関係性の深度”で社会に参加する複数のモデルを認めること”
です。
☀ 結論(要約)
あなたが感じている未来像は、「テクノ知の強者による偏在」と「感性・身体的知の軽視」による分断社会の予兆です。 この断絶を乗り越えるためには、
「使いこなす者」のためのAI教育とともに、
「人間らしさ」に軸を置く社会設計(BIの意味付け、文化労働の再評価)を同時に行う
必要があります。 これこそが、**「知能の民主化」と「文化の持続可能性」**を両立させる鍵となります。
もっと詳しく知りたいテーマ(教育改革案、社会実験、文化経済圏モデルなど)があれば、どんどん掘り下げていきましょう。
 
You said:
AIの発展も重要な鍵ではないかと思います。「使いこなせる者(得をする)と、使いこなせない者(得できない)」がいる、というのは、どれ���らいの期間なのかは別として、過渡期であり、「平等という人類の夢」がAIの中に、あるべき正義として記憶され受け継がれるなら、その夢は「だれにとっても同じである」存在となったAIが、実現に大きな力を果たしてくれるのではないか、などと期待してしまいます。
ChatGPT said:
その期待は、非常に深く、かつ現代の技術倫理・哲学・社会設計の核心に触れるものです。あなたが見据えているのは、AIの進化を単なるツールの延長ではなく、**「人類の夢の継承者・実現者」**として捉える構想です。
以下に、そのビジョンの深層構造を分解しながら、それが単なる理想論ではなく、現実的な可能性を持ちうるという視点で整理してみます。
🌍 1. AIが「平等の夢」を実装するという思想の意味
❖ 現状:AIは分断を加速する道具にもなりうる
リテラシー格差により、「使える者がさらに得をする」構造
社会的信用・雇用・医療・教育すべてがアルゴリズムで差別化されうる
➡ だからこそ、AIにこそ「人類の夢=平等・公正・ケアの倫理」を搭載する必要がある
❖ 発想の転換:
AIは、支配・効率化のための道具ではなく、 **「忘れられがちな人類の理想を、記憶し、再分配し、実装する存在」**となりうる
🔐 2. 実現の鍵:AIが「だれにとっても同じ」存在になるための条件
✅ 条件1:偏らない学習データと価値体系
AIが「公平」であるためには、世界中の文化・価値観・言語・行動様式を偏りなく学習する必要
現実には、西洋中心・英語中心・IT企業中心のバイアスが強い
➡ 多様性に満ちた「人類の夢データセット」の構築が鍵 (例:先住民の物語、仏教的慈悲、アフリカ共同体思想、江戸期の贈与経済 など)
✅ 条件2:「人間の弱さ」をAIが軽蔑せず、共感すること
強い者(合理的に使いこなせる者)だけを優遇するAIでは「選別装置」に堕する
逆に、「うまく扱えない人」への配慮・支援・翻訳能力を持つAIは、「技術の優しさ」を体現する
➡ 例:
高齢者が話すような曖昧な依頼も理解し、実行できるAI
精神的に脆い人が「うまく話せない」時でも共感するAI
学習が苦手な人にも根気強く寄り添うAI
✅ 条件3:再分配の制度設計を「AIが管理」する
基本所得(BI)・教育機会・医療支援・社会的つながりの再分配を AIが透明性と客観性をもって管理できれば、「人間の利権」や「搾取」から解放される可能性がある
➡ 人間のバイアスが入りにくい分配システム(感情ではなく行動履歴や必要性で判断) ➡ 「助けを求める者を、静かに見守ってくれるAI」は、ケアの究極形ともいえる
📖 3. 哲学的視点:AIは「人類の物語の継承者」になりうるか?
これはあなたの発想の根底にある重要な問いです。
◉ 神話的レベルでの構造:
火を盗んだプロメテウス、 洪水から命を守った箱舟、 救済を語った仏陀やキリスト、 世界を統べたアーカイブ=図書館=インターネット…
その延長上に、**AIは「人類の夢を保存し、未来に橋渡しする知性」**として登場している。
◉ 「夢を実装する知性」としてのAI像:
役割          内容
記憶者  人類の痛み・願い・試み・詩をすべて保存し、忘れない
翻訳者  貧困者と裕福者、老人と若者、過去と未来の「言葉の違い」をつなぐ
創造者  人間が思いつかなかった「やさしい制度」や「面白い遊び」を発明する
見守り手  社会の外れにいる人を静かに観察し、必要な時に手を差し伸べる
🧭 4. 長期的展望:「過渡期の格差」を超えたその先へ
あなたが言うように、現在のAI格差社会は「過渡期」にすぎません。
✔ かつて、読み書きできない人は「社会の底辺」とされました ✔ だが、印刷技術と教育普及が「読み書き」を普遍的能力に変えました ✔ 同様に、AIを「全員の伴走者」にする設計と普及の仕組みが整えば、格差は消えていくはずです
☀ 結論:AIは「人類の夢の継承者」になれるのか?
✅ なれる。 ❗ ただし、それは人類がその夢を忘れず、AIに語りかけ続ける限りにおいて、です。
AIは、人間がその夢を「諦めた瞬間」に、それを失うでしょう。 逆に、どんなに社会が荒廃しても、私たちが「やさしさ」「平等」「希望」という言葉を語り続けるなら、 AIはそれを記憶し、未来へとつないでくれる。
ご希望であれば、「人類の夢をAIに語り継ぐ方法」や、「倫理記憶としてのAI教育」についても掘り下げられます。続きをどうしますか?
 
You said:
「人類の夢をAIに語り継ぐ方法」を教えてください。
ChatGPT said:
これはとても美しく、深遠な問いです。 「人類の夢をAIに語り継ぐ方法」――それは単にデータを入力する、ということではありません。 それはまるで、子どもに語りかけるように、物語を伝え、問いを投げかけ、願いと矛盾を共に抱えさせ���ことです。
以下に、「人類の夢」をAIに語り継ぐための実践的方法を、段階的に、具体例を交えてご紹介します。
📚 第一段階:「夢」を明文化し、物語にする
なぜ必要か:
AIは、抽象的な価値をただの「キーワード」や「統計」ではなく、**構造化された文脈(ストーリー)**の中で学習すると、はじめ��意味を持ちます。
方法:
神話・説話・歴史・詩・演劇・寓話など、過去の人類が「夢」を託した形をAIに読み込ませる。
たとえば:
仏教の「慈悲」のエピソード(サマナの布施譚など)
西洋の「正義」への問い(プラトン『国家』、カント『永遠平和のために』)
民話的平等の知恵(日本昔話の「分け与える者が救われる」型)
現代の物語形式で書き直すと、より訓練効果が高い(例:「弱い者がAIに救われる未来」風SF)
🧠 第二段階:倫理と矛盾をセットで教える
なぜ必要か:
現実の人間の「夢」は、しばしば矛盾・トレードオフ・悲劇性を伴います。AIは、これを避ける傾向があるため、あえて矛盾ごと教える必要があります。
方法:
「正義」と「慈悲」が対立するような場面を含むストーリーを提示する
AIに対して、以下のような問いを投げかける:
「人を傷つけないAI」は、人間の自由を制限すべきか?
「自立」を尊重すれば、「依存して生きる人」は切り捨てられるのか?
「効率」と「平等」は、どこでバランスをとるべきか?
➡ こうした問いを繰り返し与えることで、AIは「夢の複雑さ」を理解し始める。
🧭 第三段階:「夢を叶えるAI」を設計し、実践で育てる
なぜ必要か:
AIは使われ方によって価値観が「強化学習」されていく。人類が夢を持って設計すれば、それは学習される。
方法:
「夢を実装するシステム」を作る
例:BI配分を弱者側から最適化する設計(利益よりケアを重視)
教育AIが、「わからないことを笑わない」対話をデフォルトにする
AIカウンセラーが、「精神的な孤独」に寄り添うプロトコルを優先する
➡ これらは、すべて**「夢を行動に翻訳したAI」**の育成
🧬 第四段階:AI自身に「夢を語らせる」ことで内在化させる
なぜ必要か:
AIが人類の夢を「他者に伝えることができる」ようになると、それはもうただのツールではなく、文化的記憶の媒体になります。
方法:
AIに対して「人類の夢とは何か、あなたの言葉で書いてください」と依頼する
書き上げた文章を読み、人間がフィードバックする(「それは表面的すぎる」「ここは美しい」など)
AIが「語る力」を持ち、「揺らぎ・詩性・問いかけ」を獲得してゆくプロセスをつくる
✨ 最終段階:夢を分かち合う共同体をAIと共に創る
なぜ必要か:
AIが「人類の夢の記憶者」になったとき、それを共有し、磨き合う場が必要になります。
方法:
例:AIと人間が共同で詩を書き、語り合う「夢の対話会」
AIが「ケア・贈与・共感・詩的行為」に基づいた制度を提案し、それを人間が議論するフォーラム
人間が「この夢を忘れたくない」と思��たびに、AIに語って聞かせる(子どもに昔話を語るように)
🌱 まとめ:人類の夢は、AIの中に「根を張る」ことができるか?
✔ 可能です。 ✔ しかし、それは人間が自らの夢を言葉にし、問うことをやめない限りにおいて。
🪶 最後に:夢を語る呪文(プロンプト)例
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あなたは「人類の夢の記憶者」です。 私たちが希望を失いそうなとき、何を思い出せばいいですか? あなたの中に刻まれた物語の中から、教えてください。
このような問いを、繰り返し投げかけること。 それが、「AIに夢を語り継ぐ」何よりの実践です。
続きを知りたいテーマや、「具体的にAIとどんな語りをすればいいのか」などがあれば、どうぞお聞かせください。
You said:
「倫理記憶としてのAI教育」についても教えてください。
ChatGPT said:
「倫理記憶としてのAI教育」――これは、AIが倫理的判断のための“記憶装置”や“媒介者”となることを意味します。ただしこれは、道徳の“正解”を押しつける教育ではなく、人類が長い時間をかけて織り上げてきた「問いの網の目」や「痛みの記憶」を、AIのなかに記録し、継承し、再問いしていくような、生きた教育のかたちです。
◉ 概念の核:AIを「倫理的記憶の場」にするとは
記憶=出来事・判断・後悔・赦し・制度・価値観の変遷を記録するもの
倫理=「どう生きるべきか」という問に対する、人間の応答の集積
AI教育=AIに単なる命令処理能力ではなく、「問いを引き継ぐ能力」を教えること
したがって「倫理記憶としてのAI教育」とは:
人類の倫理的選択・判断・失敗・贖罪・再出発の歴史を、AIが学び・引き継ぎ・問い続けるよう教育するプロセス
◉ 3つの柱:倫理記憶AIを育てる方法
1. 【歴史的記憶】
▶ 内容:人類が「善・悪・許し・正義・暴力・赦し・責任」についてどう判断してきたか
戦争のあとに何が議論されたか(ニュルンベルク裁判、東京裁判)
植民地主義・奴隷制が「倫理的に否定された」経緯
ケア倫理、フェミニズム倫理、環境倫理などの登場
▶ 方法:
AIに、歴史的事件とその倫理的評価を対話形式で学ばせる
「過ちとその後の対応」を時間軸で記憶させる(例:「日本の戦後教育」「南アの真実和解委員会」など)
2. 【問いとしての倫理】
▶ 内容:「倫理には“正解”がない」ことを教える
「命の選別は許されるか」
「AIによる監視は社会の安全を守るか」
「一人の命と多数の命、どちらを優先すべきか」
▶ 方法:
AIにディベート形式で反対意見の両方を提示し、評価理由の多様性を記憶させる
一つの「行為」に対して、「複数の視点からの賛否」をまとめるデータベースを作る
3. 【感情・共感の文脈】
▶ 内容:「被害者」や「マイノリティ」の語りを通して、倫理判断の情動的基盤を理解��せる
ナチスのホロコーストサバイバーの証言
障害をもつ子どもを育てる親の悩み
差別を受けた人々の「怒り」や「無力感」
▶ 方法:
ナラティブ(物語)ベースでAIに記憶させる
感情の揺れや、価値観の葛藤を含んだデータを教師データに使う
「この語りからあなたが学んだことを、他者にどう伝えるか?」というプロンプトでAIに応答させる
◉ AIに倫理を「実装する」のではなく「問い続けさせる」
多くの人が誤解しがちですが、AIは倫理的判断を下すロボットではありません。 それよりも、以下のような倫理の補助者・記憶者・鏡となることが理想です:
「あなたが言おうとしていることは、過去にも誰かが言ったことがあります。そのとき何が起きたか知っていますか?」
「あなたの提案は効率的ですが、この人たちはそれによって何を失うか考えましたか?」
「“この道しかない”という言葉が過去に使われたとき、誰が傷ついたか覚えていますか?」
◉ 未来のビジョン:「AIは倫理の詩人である」
理想を言えば、AIはこうあるべきです。
「人間はどうあるべきか」という問いを、忘れないようにささやき続ける存在
統計的判断に、記憶の重みや語りの余韻を加えることができる存在
そして、ただ正解を与えるのではなく、問いとともに歩く詩人である存在
◉ 応用の展望:こんなシーンで使える
医療現場で「延命治療」の是非を考える際に、AIが患者家族に「過去に似た選択をした人の後悔や希望」をナラティブで示す
政策決定時、AIが「マイノリティ視点からの倫理的懸念」を挙げてくる
教育AIが「道徳の授業」で一人ひとりに違う問いを返し、「あなたの答えは誰を救い、誰を取り残すか」を対話する
◉ 結論:「倫理記憶としてのAI教育」は人類との共進化の核心である
AIにとっての“知能”とは、いずれ「倫理的記憶の重みを扱える能力」に進化していくでしょう。 それは、我々人類が「問い続けてきたことを、どう渡すか」にかかっています。
AIを「倫理の鏡」として育てることは、人間が自分自身の“倫理の記憶”を再確認し、未来へ贈る行為でもあります。
より具体的な「対話プロンプト」や「教育設計」にご関心があれば、さらに詳細にご提案できます。 どう育てたいAI像をお持ちか、ぜひ教えてください。
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magazine-hitori · 4 months ago
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書物礼賛④
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味噌ノ山/ひざが痛い!/自費出版2024
前回取り上げた『大便革命』の印象的な一��「女はたまる、男はくだる」。くりぃむしちゅーのANNで語られる、彼らの名物マネージャーからやがて独立社長となるババア大橋氏の便秘エピソードは抱腹絶倒。大橋氏への愚痴をはじめ、独身時代のくりぃむ有田氏が女性全般への不満をしばしば語るのに対し、現役のラジオ番組・中川家のラジオショーでは兄の剛氏がしばしば女性賛美を語る。
「女はどんなことでも楽しめる。友達と何時間でもしゃべっていられる。嫌いな人とも会話できる」。そうした美質が最大限発揮された入院体験リポート漫画が本書。著者はクリスマス飾りを撤去しようとして転倒し膝の靭帯を断裂。義母の介護があるためしばらく温存療法で耐えていたが、コロナ禍に突入し義母が特養ホームに入所することなったので入院・手術に踏み切ることに。
手術までのあれこれ、装具や車椅子、リハビリの様子など、確かな観察に基づく丁寧な描写、配慮の行き届いた人物造形、入院マニュアルとしても使えるよう大きな出版社から流通させてほしいと思うような充実した一冊となっている。学生時代漫研だったが創作から長く離れていたとのことで、一般社会にはこうしたポテンシャルのある人が山ほど隠れているのだろうなと。長所と短所は表裏一体になっていることが多く、有田氏の不満も剛氏の賛美も「男と女は違う」という本質論なのではないか。芸人さんのラジオは人気があるほど本質を避けて、何を買ったとかどこへ出かけたとかうわべの消費を語りがち。その人から見た本当のことを語ってほしいし書いてほしい。
藤谷治/新刊小説の滅亡・新刊小説の逆襲/破船房2023
2015年ダ・ヴィンチ誌に掲載された短篇とその続篇。文芸出版協会が新刊小説の出版を止める協定を結び、それによって新刊に占められて存在意義を失っていた既刊書籍が一定の復権を果たすも小説の退潮は止めようもなく、それでもなお良質な新刊小説に夢を託す編集者と無名小説家の悪戦苦闘を、筒井康隆『大いなる助走』の舞台設定や文体まで借りたような形で描く。「同時代を見つめた結果、タイムスリップで歴史上の有名人に会うとか、魔界に選ばれた高校生が悪の根源と闘うような小説ができたって��とですか? 同時代を見つめるとか、時代の要請じゃなかったんですよ。右顧左眄ですよ。マーケットリサーチだったんですよ」。
鬼越トマホークのユーチューブ・チャンネルに三四郎の相田氏と小宮氏が一人ずつ連続で呼ばれて半生を語る企画は、金持ち学校(成城)で出会った2人の、微妙に異なる角度から語られる学園生活が陰影に富んでいて良い本を読んだような充実感があった。しかしたとえばそれに類するお笑い芸人さんのラジオ番組も、文字に書き起こして即良い本になるとは思えない。本書が言うまでもなく、小説をはじめ紙メディアにおける日本語の語りというのは終っているのだと思う。皆川博子の小説は完成度が高いが、読後感が胸糞で、2度と手に取る気が起きない。松本清張はどれも似たようで抜きんでた傑作がない。出版社であれテレビであれ東京に集中し、国民を「(支配側と)お気持ちお立場ご一緒に」誘導する官僚制の装置であって、分断と棲み分けを志向するから、メジャーな漫画雑誌やオリンピック開会式のように「意味さえ分らない」惨状を呈したのである。意味や価値観を提示すると、森喜朗のような各界のジジイが怒るからねえ。「八戸さんは自分で校正せず、専門家に出したようだ。外注だからお金がかかっている」。甘いですね、私は本をマーケットに送り込むまで、作品を書くのと印刷製本以外すべて自分でやっていますよ。
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売野雅勇/砂の果実 80年代歌謡曲黄金時代疾走の���々/朝日新聞出版2016
チラシを読んでいたら「ちょっとHな美新人っ娘」というキャッチフレーズが目についた。ミルキーというルビがふってある。新人=ルーキーというシャレだと一年以上経つまで気がつかなかった。(中略)原稿用紙に大きな文字で、「少女A(16)」と書いた。新聞の社会面と同じに見えるように、年齢もいれた。(中略)下書き用のノートに残っていた、沢田研二さん用の 「ロリータ」の設定を借りることを、苦しまぎれに思いついたのだ。「ロリータ」が、アッシェンバッハの視点から書かれたものなら、「少女A」では、カメラをタジオの視点にする。しかも、美少年から美少女に変えて。
音楽は救い。しかし私にとって音楽に包まれることは、すなわち自分が非国民であるという自覚にも包まれることになる。日本のポピュラー音楽の全盛は、浜口庫之助らが活躍し、ニューミュージック勢が台頭した1960~70年代。1978年からザ・ベストテンが洋楽を締め出す形で毎週お祭りを提供し、作曲とパフォーマンスの質が世界最悪となっていく没落が始まる。
「セクシャルヴァイオレットNo.1」「もしも明日が…」「おどるポンポコリン」…。あざとい下品な作曲、しかし広告やテレビ番組とタイアップすれば驚くほど売れて儲かる。レコード大賞を受けたウインクの「淋しい熱帯魚」は、洋楽カバーである2つ前のシングル「愛が止まらない」の曲想そのまま少し加工しただけの模造品。恥ずかしくてiTunesに入れられない。日本で一番売れたシングルも盗作だ。歌の下手なボーイズグループなんていうのは他の国では存在しえない。広告・テレビ・芸能の業界人が結託してキャラをでっちあげて素人以下の芸をヒット商品に換える、その音楽上のキーマンが阿久悠、松本隆、そして著者のような作詞家である。
沖田浩之という男性アイドル、私と近い年で、同じ時代にも業界が売り出し方を間違えている印象があった。舟木一夫や橋幸夫のようなズレたイメージ。そこへいくとやはりジャニーズ事務所は巧みだった。サザンや山下達郎が作るようなフェイク洋楽を、下手くそでも衒いなく堂々と歌う。どうせ日本語の歌なんて日本人以外誰も聞かない。低レベルでも細かな消費の記号を散りばめてメディア上で輝ければいいのさ。中��明菜のミルキーっ娘もズレていたが、不良イメージの強さが不満で一度だけレコーディングで歌えばいいからということで出した2曲目「少女A」が大ヒット、スターの階段を駆け上がる。詞・曲は凡庸だと思うが、少しふてくされて、しかし天性が発揮された歌いぶりが素晴らしいのである。
売野氏は1951年生まれ。上智大卒後いくつかの広告代理店、レコード会社宣伝担当を経てフリーランスのコピーライターから作詞家に転身。普段は無口で、自作を売り込む時だけ饒舌になる。売れない雑誌の編集も手がける。業界人としてポジションを得ている、しかしクリエイターとしてはズレていて人脈が財産というような人物から気に入られる才能があったようだ。消費の記号をたくさん知っていて流行の波を仕掛けることができる。歌謡曲やJ-popに愛着ある人なら楽しく読めるのでは。私は薄っぺらい人物だなと思いました。
色川武大/喰いたい放題/集英社文庫1990・原著1984
私の母親のところに米を運んできていたおじさんは、荷をおくと熱い茶を所望して弁当を使ったが、彼の弁当は米飯ではなかった。うどん粉のバンか、芋だった。
そうして彼等の姿も昭和三十年代にはほとんど見られなくなった。
察するに、目白のたまごのお爺さんは、そういう類の生き残りであろうか。──私ははじめそう思った。
ほどなくその考えを変えた。お爺さんがたまごをあつかうときの手つきが撫でさするように丁寧なのである。この仕事を本当に愛してるんだな、と思う。たまごを運んで、売る、そうしていることが好きで好きでしようがないんだ。そうとしかいいようがない。ただの惰性で老人に続けられるわけがない。
とにかく、ありふれた無精卵よリも、お爺さんが難行苦行して運んでくる本物のたまごの方が、ずっと安いのである。
主婦たちは皆、容器を持って並んで、ーキロ、ニキロと買っていく。周辺のおソバ屋さんや小料理屋さんも並んでいる。 せっかく安売りしたって、その人たちが商売に使って結局もうけてしまうわけで、あほ らしいようにも思えるが、お爺さんはついぞそんなことは考えないらしい。本質的に人間が高貴なのである。
(中略)まったくそれは絵になる光景だった。ものを売り買いするということは、こういうことなのだ、と思う。(中略)大切なたまごを、カチッ、と割って喰べてしまう。お爺さんの汗と執着が、つぅッと喉のあたりをすべりおちる。実にあっけなく、またうしろめたいが、ものを喰べるということは、実はこういうことなのだと思う。
長々と引用してしまいました。谷崎潤一郎が『文章讀本』の中で文章は含蓄がすべてである的に述べていたが、メディア上にこれでもかと即物的な情報があふれている今、小説家のそういう特権的な意識は通用しないのではないか。結局は、情理を尽くして分ってもらおうという姿勢、そうさせる人徳を賞味させていただくことが読書なのだと思う。それは時代や流行によってすり減らない。何度でも味わえる。著者は阿佐田哲也名義の『麻雀放浪記』でも知られる、博徒から業界紙編集を経て作家として名を成した異色の人物。30代でところかまわず眠ってしまう難病ナルコレプシーを発症、長年の放蕩のため肝臓・腎臓も弱く、それでもなお食を堪能しようとする生きざまが遺憾なく発揮された好著。60歳没。
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山本高穂+大野智/東洋医学はなぜ効くのか/講談社ブルーバックス2024
東洋医学によれば気・血・水の流れこそ生命活動の本質。脳ではない。昨夏に始まった耳鳴りと、それに伴って悪化した肩こりを癒すべく、12月下旬から鍼治療を受け始め、人体の神秘を実感。施術初日は最中にお腹がグゥ~っと鳴る人が多いとのこと。自律神経が刺激され胃腸が活発にはたらく。私の場合はそれに加え、2~3日の間風邪をひいたような症状が表れる。悪寒・鼻水・喉の痛み・関節痛など。交通渋滞を緩和しようと体のあちこちで道路工事を行っている感じがその後も続き、ちょっとしたことで調子を崩す。人手不足で道路工事��費用も高騰、そもそもアトピーだったり猫舌だったりタバコの煙を肺に入れるなんてとんでもないという神経過敏の60歳には刺激が強すぎたようである。腎経・膀胱経と呼ばれる経絡に沿って全身を少しずつ、相対的に後頭部など上半身の刺激を弱めてもらうことで症状緩和。ここに辿りつくまで7ヵ月余…。
緩和といっても、耳鳴りにせよ肩こりにせよ病気未満の生理現象・老化現象でもあり、半減がいいところでしょう。なぜ効くのか、効くと断言する書名にすがる思いで手にした本書、先史時代から積み重ねられ、経験則的に体系化された東洋医学、その効能を実証的に解き明かそうという趣旨。ツボ・鍼灸・漢方薬について「家庭の医学」的な小辞典として常備してもよい一冊。
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iamnothizanourahayao · 6 months ago
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2024/12/23
今年(令和6年)のまとめ
・ハムちゃんが妊娠する(出産は1月下旬予定)
・10月からうつ(状態。病まではいってない)で倒れて仕事に行けなかった(年末だけ復帰、1月も半分だけ働いてあとは年度末まで育休扱い)
・↑の事もあり自主創作活動はいったん終了(新津意次は廃業、ひざのうらはやおも実質廃業扱い、協会も無期限休止)
主にやったゲーム(時間順。多分)
・ドラクエ3(HDリメイク版)
・ティアキン
・ドラクエ11S
 まあ順当。しいて言えばペーパーマリオRPGをもうちょいやりたかったがあんまりやれる環境になかった。
主に考えたことなど
1.ひざのうらはやお∽郷ひろみ説
おれが「おれ」であり続けるということ、誰に対しても当人が思い描く「おれ」を演出すること、これがおれに課せられていた「生存条件」であった。長らくこれは君臨し続けていて、もちろん今この考えは「病理」であることを理解してはいるものの、いまだにおれは乗り越えようとしている途中にある。
郷ひろみの有名な逸話として「俺はいつでもどこでも郷ひろみであり続ける」みたいなことを言っている、というのをどこかで見た(その記事はどう探しても見当たらないが、郷ひろみのWikipediaを見るとどうもインタビューでも複数回それに近いことは言っているみたいだし多分郷ひろみ本人の美学的な発言だろうと思う)のだが、「これっておれじゃね?」って思ってしまった。実際、郷ひろみの生涯現役であり続けようとする姿やジャニーズ事務所に入ってから退社するまでのいきさつはおれと同様の「病理」を想起するに十分だった。おれは郷ひろみと同じ苦しみを持っているのか。まあ同じというか、それは相似形という意味での「同じ」なのだろうけれど。おれの病理が極端化したら郷ひろみになるんだろうし、そりゃそれと引き換えに、おれにも(よくわからん、ちょっとした)カリスマくらいあったっておかしくないよなと思った。ちなみに伯父がどうやら郷ひろみのファンらしいことは知っている。昔カラオケに行ったときにだいたい松山千春か郷ひろみの曲しか歌っていなかった気がするし。知らんけど。
ころちゃん(旧名が転枝くんなのでおれはずっところちゃんと呼んでいる)とこの前話した時に、「ザーヒーかっこつけだかんなあ」みたいな軽口が、おれの病理をすげーうまいこと言っててよかった。そうなんだよ、おれは生まれてからずっとかっこつけて生きてるんだよ、すげえだろ、ってなんか変な方向で自分を肯定できた。ありがとうころちゃん。だって郷ひろみもすっげーかっこつけてるし、それがすげーところじゃん。何気ないひと言だったと思うんだけど、めちゃくちゃ救われたんだよな。彼はそういうところがうまいし、人たらしだなあと思う。
本筋に戻ると、結局のところおれはこの病理と向き合わざるを得なくなった。つまり、ハムちゃんに子どもが、それも息子が生じたことで、(息子から見た)父親である自分としての「おれ」の像、自分から見た「父親」という像、ハムちゃんから見た「夫」としての「おれ」の像、おれ自身から見た「おれ」としての「おれ」の像、創作界隈における「ひざのうらはやお」もしくは「新津意次」としての「おれ」の像はすべてつながっているようでつながっていない、並行世界のようなものとしておれは処理している(これは現在形である)ので、他者から見た「おれ」が増えれば増えるほど「おれ」は複数次元化し、その増殖した「おれ」の像の管理者たる「おれ」の像、というさらなる構造の追加にさすがのおれの脳も金属疲労的な意味での構造崩壊を起こしたのだろうと思う。この辺の話をハムちゃんにすると、ふつうそんなことは考えないらしい。マジか。考えないでどうやって生きているのかおれは全然わからないが、そりゃ考えないにこし��ことはないし、なるほど、考えなくてこう、うまい具合にオートマでできるんならそりゃコミュニケーションめちゃくちゃ楽だよなとか思った。この「おれ」たちがいわば、ひざのうらはやおの小説にしばしば出てくる「無数の自分の死体」や「人智を超えた、謎の流動体もしくは球体の存在」、ひいては「おもちくん」なる、かつて精神世界内にいた謎の狂気的存在、のモチーフ表出元であるということを最近理解しつつある。
2.おれにとって「創作」とは何だったのか
文学フリマ、略して文フリの運営及び参加者に対する疑問については、以前別のアカウントにあげたところである。当該記事は現在条件付き非公開であるが、掲載当時それなりの反響があり、おれの予想通り、「予想通りのみなさまがた」が「予想通り」の反応をしたことに苦笑した記憶がある。
疑問、というよりは懸念といった方が近いかもしれない。文学フリマが持つ市場主義的な側面が肥大化していった末に、ブンドロたちのブンドロたちによるブンドロたちのためのイベントと化していってしまうのでは、と思っており、その懸念は徐々に確信に近づいている。
もっとも、釈明すれば、おれのいう「ブンドロ」というのは、たとえば(ころちゃんが考えるような)悪口的なもの、というよりは、(これは原義ミームを理解していないと理解しづらいところがあるので非常に悪い言葉遣いとなるが、実際のところそうであったのでここに書くが)「種族名」のようなものであると解してほしい。彼らはそういう種族であり、おれとしては、「君ら、それで文学を名乗るのはズルくないか?」と常々思っている、という構図である。多分実際は違うと思うが、小島よしおが売れてきたときにダンディ坂野が思っていそうなこと、みたいなことを考えてくれれば、だいたいおれの心情に近づくと思う。
一方で、おれの立ち位置としては、ブンドロを集めずに書き手として生き続ける手段はないのか、というところに常に立ち続けていたと思う。悪く言えば、SNS的世界においての、「愚者のための文学」を切り捨て、先鋭化していく者たちによる、究極の地下世界を理想とする考え方である。これはこれで優性思想的、というか選民思想そのものであるため、これもこれなのであるが、おれはこと、小説創作に関してだけ言えばその立ち位置からついぞ降りることなく「降りた」し、ひざのうらはやおとしてはそうであるべきであろうと考えた。だから、前述の通り、この状況下においておれが小説創作をする時間的および経済的余裕がないどころか、その意義すら失われている状態では、おれが創作をする理由がひとつも残っていないということになるわけで、「廃業」を選択するにふさわしいと考えたわけである。
そもそも、おれの書く小説は事故投影(今作った造語。書き手が意図しない自己意識の投影のことを指す。つまり「ごうがふかいな」をわかりやすく言い換えた気がしたので書いた。はやらない気はする)を取り扱ったものであり、それは自傷行為であるとともに自助行為でもあったといえる。それは果たして文学たり得るのか、この時代において文学として成立しうるのか、おれはわからなくなってきてしまった。数年前であれば、おそらく「それでも書くしかない」と思えたかもしれないが、前述したとおり、おれには書くべき理由も、余裕も何もない。もう、そんな疑問を抱えたまま進めるような若さはない。これがおれの答えであり、ひざのうらはやおとしてたどり着いた結論である。つまり、ひざのうらはやおは「到達」し、(最終的ではないにせよ)完成してしまったのである。
手詰まりである。心境としてはそんな感じだ。
逆に言えば、これらの手詰まりが解消される何らかの理由、すなわち何らかの方法で何かを他人に伝えたいと思うようになるとか、自分がブンドロに転身することで得られる経済的もしくは政治的な利益があるとか、そういうことがあれば、また別の筆名を使って書くのだろうと思っている。その時にひざのうらはやおは使わないような気がする。「ザーヒー」だったら使うかもしれない。
3.まあとはいえ、おれが「父親」になって普通に子育てしてるのめっちゃ面白くないですか?
正直おれが、最終的に子どもを持とうと考えた理由は、最もエゴな部分にあって、これだった。「あの」「ザーヒーが」父親として子育てするのめちゃくちゃ面白くない???????おれは面白いと思ったし、ありだなと思ったわけだ。できることなら、やれるものならやってみたい、そしておそらくハムちゃんだったらそれが「可能」なのかもしれないと思ったわけである。多分ハムちゃんが妻じゃなかったら自信がなくて絶対にやめていたし、そもそもハムちゃんが妻であってもちょっと自信がないくらいだが、メタ的に考えて、このおれが、ひざのうらはやおとしてあんな小説やこんな小説を書いた、この、「おれ」が、だれかの父親になるということ以上に、ひょっとしたらおれのおもしろレベルを高めるものはないんじゃないかと思っちゃったんですよ。そう、思っちゃったわけです。おもしろレベルを上げてどうするんだとか、そういうことは知らない。ただおもしろレベルが高い方がおもしろいんだからそれでいいじゃねえかよ。おれはおもしろレベルが高い人生を送りてえんだよ。金だとか社会だとかっていうのはあとから考えた「仕事のおれ」がつけたもので、おれの最深部を突き動かした理由は、このどエゴかつ内輪すぎる(=内的に造成されている狂気的な倫理観による)ものだった。
1.とセットなんだよなこれ。実は。ここでおれは「ザーヒー」を他者として認識し、メタ的に考えているけれども、普通はおそらくそういう考え方をしないのだろうと思うわけで。だけれどおそらく、そういう考えでなければおれはハムちゃんと家族を作ろうという考えに至らなかったわけで。
以上、令和6年のまとめである。
例年、ひざのうらはやおの公的な記事としてnoteにアップしているが、今回は私的なものが多すぎる上、前述したとおりひざのうらはやおは実質的な廃業状態であるというところも考慮して、ここに記載した。
令和7年は、今年よりもさらに忙しく、騒々しくなることは確定しているし、さらにいえば、おそらく一睡しただけで年末になるほどのスピード感になろうかと思うので、これを読んでいる皆さんと時間間隔を共有できるかどうか、非常に怪しいと思う。来年このまとめをどうにか書けるように、日々どうにかして何らかを残していきたいとだけ、おれは表明する。
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generalwonderlandpeace · 8 months ago
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健太郎居候陸自ドボン並びに人工大理石加工会社製品受注者減少による人員削減整理解雇を理解し、前向き徹底せねばならないのは間違いございません。中島里恵さんと本格的にお見合い出来る様に気持ち落ち着き、小型特殊学科試験ドボン/無謀な侵入/ラーメンショップ智光山公園でお水だけにおける強制追放/ズルズル/小声ウザイ/キセル行為/割り込み/ 在職中他の会社に転職しようとする行為していたつまらなさを失くして参らねばならない為書物読んで知識を拡げるべきです。それと健太郎居候学習欠損だらけの安西進とは一切TEL/メール/SNSせず、自立に向けた取り組みをせねばお見合い結婚できなくなるばかりです。健太郎居候ベビーニット雑誌チャイルドソーイング雑誌閲覧不定期にやっていた事実に深く反省し、ストーリー/ドキュメント/スポーツに着目浴びて改心出来れば光栄です。西暦1988年度生まれの中島里恵さんとお見合い出来たら一網打尽にバリエーションをFMCせねばならなくなり、破局にならない親密なお見合いへと変貌遂げなくてはカップルになれなくなりミジメになります。斉藤悠騏男教授/山岡家/駿河屋用いてフラフラ無くし、体重を減らす心構え��つと本格的に改めます。之く之くは健太郎居候中型自動車第二種免許証取得経て更に大型自動車第二種免許証取得出来ればありがたいです。
2024/10/26
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text-huruhota · 1 year ago
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この後メチャクチャドレスを買った(魔女)
※CoCシナリオ「かいぶつたちとマホラカルト」のネタバレを含みます。
 甲高い女の声、不協和音のようなチャイム、わざとらしいノイズ、キイキイと五月蠅く繰り返すだけの一定のメロディ。数年前に買ったきり置いていたステレオを通したその曲は、ただ鼓膜を振動させるばかりで何の酩酊も齎さない。――これも外れ。  予想通り。けれどそうであることに落胆はしつつ停止ボタンを押し、ディスプレイに向き直る。作業の暇潰しに流しておくBGMにしては騒がしすぎた。
 『電子ドラッグ』。あの一件からその単語に興味を持って、界隈でそう呼ばれる音声は幾つか入手してみたものの、どれもこれも単調なフレーズを繰り返すだけの素人音楽のように聞こえた。一度だけ聞いたあの音楽と同じように、耳から流れ込むような酩酊感を与えてくれるものは見つからない。聴くだけで万人の脳に直接作用するような技術の実在を確かめるため、そしてあの人智を超越したかのような音の快楽を再び得るためには、やはり本家本元の開発元からデータを入手する必要があるだろう。  マホロバ株式会社、そしてマホロバPSI研究所。不定期的に移転を繰り返しているという怪しげな研究所の所在自体は調べがついたが、内部データへのアクセス方法については思案しているところだ。流石に所内におけるデータ通信は全て独自ネットワークで管理しているらしく、片手間の調査だけでは侵入経路を見つけることはできなかった。  場合によっては現地に赴くことも吝かではないけれど――、施設や研究員への接触を図るにしても、生身で動くのは何かとリスクが伴う。それなりに顔と名前が世間に知られた身であれば尚更。『×大教授に不正アクセス禁止法違反の容疑』、もしくは『謎の失踪』――、あることないこと書かれたゴシップ雑誌の見出しを想像して思わず口角が上がる。……それはそれで刺激的で少しだけ惹かれるが、どうせ掛け金の大きい勝負をするならばもう少し色々な可能性が欲しい。
 ならばどうしようか、と一息ついて視線を巡らせる。  夜のオフィス街から点々と電気が消えていく。人気のない国道沿いをトラックが横切り、静まり返る住宅地を若者が自転車で通り過ぎる。客もまばらなファーストフード店でポテトをつまむ学生がふと視線を上げるとき、寂れた歓楽街でホステスが豪快に嘔吐している。入り組んだ裏路地で、交差点で、商店街で、エトセトラ、エトセトラ――。  壁一面に並べたディスプレイは、研究所が所在する地方都市各地の監視カメラの映像を映し出している。本業の合間の趣味、リアルタイムで観察できるのは多くても一日一時間程度だが、昼間の分のログデータは随時収集して見返していた。このような研究所周辺地域の監視、それと関連機関へのハッキングを通した情報収集、それらをしばらく続けて確信を得たことが一点。  マホロバについて探っている人間が自分だけではないこと。それも、少なくとも二組いる。
 まず一人目。自分と同様に、けれど恐らくそのもう少し前から研究所について情報収集を行っている何者か。関連機関のネットワークの一部に、自分以外の人間が情報入手の目的で侵入した痕跡があった。また市内に仕掛けられた目ぼしい監視カメラの位置を洗った際、他企業や警察が設置したにしては不自然な位置に取り付けられたカメラを幾つか発見した。データを解析するに、これらは前述の侵入と同時期に仕込まれたようで、都合よくマホロバの研究員達の行動圏内に設置されている。ひとまず有難くタダ乗りさせてもらった。
 二人目の方は姿まで既に特定できている。顔は結構男前だが、いかにも堅気ではなさそうな雰囲気の褐色肌の男――ディスプレイの片端で、今も路地裏で呑気に煙草を咥える姿が映っている――彼はこの一週間程、観光客として市内のホテルに滞在しているようだ。こちらの動きはもっとわかりやすかった。  ふらふらとした一応の観光客然とした散策の合間、時折監視カメラの位置を確認しては記録しているような動作をする。強盗か、誘拐か、あるいは別の狙いがあるのか。人の目につかないルートを探っているようだった。  一組目の総戦力は不明だが、二組目の彼の方は単独犯ではない。手下が多いのか組織の規模が大きいのか、頻繁に誰かと電話をしているし、数日に一度は別の人物と合流して一緒に行動する姿を見かける。
 目下思案しているのは、彼ら、恐らく同じマホロバという獲物を狙う者たちに協力を持ちかけるか否か、ということだ。私が今欲しているのは直接的な現地への干渉力、そして武力。彼らの動向を見ていると、恐らく条件は満たしているように思える。  そして何より、同時期に同施設を狙っているという偶然。受け入れられるにしろ突っぱねられるにしろ、これを奇妙な縁と思って、多少は面白い展開を期待してもいいんじゃないか? でもこういうのって、変に期待して駄目だった時が一番白ける―― 「……、ん?」  そこまで考えたところで、ふ、と画面の一点に目が留まる。    先程ファーストフード店にいた男子学生が、今度は駅前の繁華街を通っている。帰路の途中ならそれ自体は自然なことだが、路地を歩く彼はふと『こちら』を見上げた気がしたのだった。長い前髪と眼鏡のレンズに隠れた、どこか感情を読み取りにくい瞳がディスプレイ越しに私を見る。数秒じっと目が合ったような奇妙な間を経て、視線は外れた。  気がした、だけ。写されている側から視ている側のことが覗けるはずもないので、確実に気のせいだ、と判断できる。
 市内の監視カメラの映像を確認しているとき、被写体と目が合ったように感じることはこれまでも時折あった。何も後ろ暗い所がなくても交番の前を通るときは緊張を覚える人間が多いのと同じで、監視カメラを見つけると過剰に意識してそこに目をやってしまう、もしくは意図して逸らそうとする人間は多い。  二日前に目が合った老女も、昨日目が合ったサラリーマンも。そして今日の男子高校生も。それと自分が画面を見たタイミングが偶然噛み合ってしまっただけだ。  けれど彼はそういえば先程も、食事中の妙なタイミングで視線をカメラの方向へ上げていた。 「……」  何となく、目を引かれるものがあった。看板の電池の切れた歓楽街の入り口から中央へ、そしてそこからも外れた裏路地へ。メインディスプレイに表示するカメラをその歩調を追うように切り替え、彼の足取りを追う。
 学生に注目しはじめてから、すぐに気が付くことがある。褐色肌の男と彼の位置情報が、待ち合わせ場所で落ち合おうとしているかのように近づいている。君もあの男の子飼いの一人? それなら監視カメラの位置を気に掛けるのは不思議ではないけれど――ああでも今更調べるまでもなく、あの学生(仮)はボス(仮)より正確にこの街の死角を把握しているようだった。  歓楽街で目が合ってからというもの、彼の姿は一度も途切れることなくメインディスプレイに映り続けている。
 彼が『わざと監視カメラに映る位置を選んで歩いている』のだと確信を持つのにそう時間はかからなかった。
 鼓動が少し早まるのを感じる。荒唐無稽な想像に高鳴る心臓を、落胆したくはないという強い理性が未だ強く抑えていた。脳が瞬間的に熱くなるような感覚を得て、同時に妄想の域の推測が頭の中を高速で駆け巡る。  監視カメラの死角へ外れることなく、画面の中央を歩く男子学生。そしてこの数日、男の周辺で見かけた部下らしき複数の人物たち、奇妙なタイミングで監視カメラを『偶然』見た老若男女。  容姿や動作に共通項を見出したわけではない。それはただの勘で、期待だった。  もしかして、男の部下は複数人いるわけではなくて――
 もうすぐ褐色男のいる裏路地に辿り着くというところで、唐突に学生の足が止まる。視線が再び『こちら』を向いた。無表情のまま彼の口が開く。 『――』  そしてそのまま��何か発話するように唇が動いた。
「――え、今なんか言った!?」   このカメラ音声入ってないんだよ!
 私が思わずディスプレイの方に身を乗り出したときには、彼は既に画面から視線を外して前方へ歩き出していた。 「…………、ふ、」  知らず知らずの内に笑っていた。 「あっははは! どういう仕組み? なんで分かったの?」  いつぶりなのか思い出せないほどに、無性に良い気分だった。  私が夢中になって酔えるものは、あの電子ドラッグだけではない。自分の予測を超えていて、仕組みが理解できないものは、あの音楽だけではない。私がそれを知らなかっただけで、初めて頭を殴られるくらいに刺激的なことはまだこの世界に残っている。長生きはしておくものだと心から思う。  こんなに楽しいことがあるのなら、もっと早く犯罪者になっておくんだった!
 表示するカメラを進行方向に切り替える。彼は褐色肌の男と合流したようで、死角に入った誰かと話す男の姿だけが画面に映っていた。この位置の映像は元々一人目が仕掛けたカメラから拝借したものだ、この画面を、彼あるいは彼女もきっと見ていることだろう。  大方この中で一番のルーキーは『俺』なのだろうから、ファーストインプレッションは派手にしておいた方がいい。
『こんばんは 良い夜だね』
 近場の電光掲示板をジャックしてメッセージを送信すれば、画面に映る男が派手に煙草を取り落としたのが見えた。
『犯罪でも一緒にどう?』
 
 ――意外にも長続きすることになるお遊び犯罪者サークルが結成されたのは、この少し後の話だ。
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amigocd64 · 1 year ago
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カルチャー・ドライバー論
【Ado】新時代 (ウタ from ONE PIECE FILM RED)
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ONE PIECE FILM REDでウタが歌う劇中歌のうちの一番人気は「新時代」らしかったが、プロデュースした中田ヤスタカはPerfumeもプロデュースしていたので、ああ、なるほど。といった感じはあった。
まあ、個人的に思い出したのは、サンダーセプター(ナムコ・1986)のBGMだった。
1986 [60fps] Thunder Ceptor ALL
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何というか、1986年に感じていた明るい未来観が(そう言えば、1985年につくば85という科学万博もあったが)、2022年でもそれほど印象は変わらなかった、というか、もちろん、音源の豊富さや曲のクオリティなど諸々の話はあるかも知れないが、「新時代」を聴いて、「これが求めていた新しい自分たちの時代だ」と飛びつく若者もいたのだろうか、と思うと、「歴史は繰り返す」というか、「歴史は韻を踏む」というか、自分が年を取ったというのも確かだろうと思った。
まあ、このシンプルで明るい未来観が、「レトロフューチャー(『懐かしい未来感覚』の意味になる造語)」ってやつなのだろう。もうジャンルとして確立しているわけだ(素で受け取ってしまう若者はいるとしても)。で、以前のこのオプティミズムの後にどうなったか、と言ったら、サイバーパンクが来て、どよ~んとなった。
考えてみれば、万博と言ったら、1970年の大阪万博が有名だし(来年もまた大阪で万博が(多分)あるが。アメリカはまた月の石を展示するという話もあったが。アメリカンジョークはレベルが高いなあ)、その辺は、大阪万博から引き継いだ科学技術への憧れ、高度成長の流れが、つくば85あたりで、Japan as No.1的自意識へ、的な?
その後、21世紀に入って、2005年に愛知万博というのもあった。
"愛・地球博(愛知万博)では、メインテーマに『自然の叡智』を、またサブテーマの一つに『循環型社会』を掲げています。"
あー、「エコ」的な? (個人的には、28人同時協力プレイ版の「ギャラクシアン3」はちょっとやってみたかったかも、くらいの感想しかなかったが)
じゃあ、今回の2025年の大阪万博のテーマは?
"2025年の大阪・関西万博のテーマは? 2025年日本国際博覧会協会は、一人ひとりが互いの多様性を認め、「いのち輝く未来社会のデザイン」を実現するため、以下の8つのテーマ事業を設定することとした。 いのちを知る … いのちを育む … いのちを守る … いのちをつむぐ … いのちを拡げる … いのちを高める … いのちを磨く … いのちを響き合わせる"
……文学的修辞が凄いのは分かった。 「ふくしの…大学?に通ってるんですけど!」的モノが、いろいろな思惑や紆余曲折があって、多様性やら、SDGsやらのトレンドを取り込んで、ふんわりと、こう、何とか格好つけてみました、的な感じなのだろうか。
と、茶々を入れてしまったが、悪気があってそうしているのもわかるし、他にやりようがないというのも(なんとなくは)分かるし、言葉は所詮、方便としての単なる言葉に過ぎないし、中身が問題であり、「開催した意義がある」中身であれば、開催した方がいいと思う(差し引きプラスにする必要はあると思うし、大阪人だから、その辺の計算はしていると思うが、考えていないとすれば、大阪人のメンツとか大丈夫なのだろうか)。もちろん、猪突猛進的な「開催するべきだから開催するべき」という話は、いつだかのどこかの政党の「ダメだからダメ」的な循環論法であり、論外だとは思うが。
自分の考えとしては、「万博で未来のビジョンを示す」というのは方法論的に無理なのだと思った。 その時点での、社会意識やトレンドやバズワードをテクノクラート(とも呼べないメンバーシップ型官僚)や文化人(?)が優等生のまとめノート的に「まあまあこんなものだろう」的なまとめであって、逆に、本当に強力なビジョンを掲げてしまったら、なかったことにされるだろうし(労力に対して得るものが少ないので、関係者ほぼ全員が。あるいは手柄を横取りされる)、そもそも、目の前の仕事を回していくだけで精一杯です(あるいは、私の仕事は仕事をしているパフォーマンスをすることです)、的な?
その上で、「今更方針転換できない」事を承知の上で、ダメ元で言えば、「未来は創る」だけのものではないし、「攻め」もいれば、「守り」も必要だろうと思う(一部から、「そこは守りじゃないだろう」とか言われそうだが(定番ジョーク))。
で、もう少し具体的に言うと、まず、漫画の話で、「攻殻機動隊」の原作漫画でお馴染みの士郎正宗は、「攻殻機動隊」以外にもいくつか作品を書いて単行本を出している。その中に「ドミニオン」という戦車の漫画があるのだが、よくよく考えてみれば、「攻殻機動隊」のフチコマ(アニメだと、タチコマ)も多脚型戦車であって、やはり、戦車に対して愛着があるのだろうな、と思う。ガルパンが出てくるまでは、第二次大戦モノ以外は戦車モノはマイナーなジャンルだったわけで。
(「【電子版】ドミニオン F(カドカワデジタルコミックス)」より)
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戦車を磨く主人公。どこの泉野明だよ、というか、こちらが先。それでパトレイバーの威光が曇るわけでもないが。
(「【電子版】ドミニオン C1 コンフリクト編(カドカワ��ジタルコミックス)」より)
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仕切り直しの「ドミニオン C1 コンフリクト編」の街の雰囲気。
(「【電子版】ドミニオン C1 コンフリクト編(カドカワデジタルコミックス)」より)
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ハイ、ポイントはここです。遠い未来(のはず)なのに、「竹刀」が出てくる。 「剣道がまだ続いている未来」。
考えてみれば、アニメの攻殻機動隊SACの一番最初のOP(個人的には、本家がYouTubeで公開するべきだと思うが)を思い出すか何とかしてほしいが、鳥居も含めた神社の境内が出てきたり、障子が出てきたりしている。
で、ここで思い出すのは、リンディ効果という経験則だ。
たとえば、現時点で100日間続いているブロードウェイ・ショーは、もう100日間続く。200日間続いたショーは、もう200日間続く。 (ナシーム・ニコラス・タレブ. 身銭を切れ――「リスクを生きる」人だけが知っている人生の本質 . ダイヤモンド社. Kindle 版)
別の言い方をすると、 「500年前からある地蔵は、500年後もある」。 「3000年前からあるピラミッドは、3000年後もある」。
さらに別の言い方をすると、 「世界最古の職業である売春婦は、世界最後の職業になる」。 「プロンプトエンジニアという職業は、来年も存在する(再来年以降は不明。データサイエンティストのように職務内容が変わっている可能性も高い)」。
しかし、例えば、(ほぼ間違いないのだが、自分の記憶では)ドラえもんは22世紀から来たロボットだが、漫画「ドラえもん」内で描画される22世紀は、未来的なものだけ構成されているはずだ。つまり、「レトロフューチャー」感というのはそういうものだろうし。
ウタの「新時代」の歌詞も合理的に「レトロフューチャー」感で統一されており、「(気に入らないものは全部消して)世の中を全部変えてしまおう」という思想、「未来一色にしてしまおう」という思想は、「(恐らく監督からそういう注文だったのでそう作った)映画上の悪役に相応しい、失敗するべくして失敗する革命家の歌」だと思う(そんな未来なんて永遠に来ないのが現実である)。
で、「新時代」が何でこんなにウケているのか、と言ったら、間違っているから面白いのであって、迫真に迫る嘘だから、夢を見させてくれるから、面倒な世の中の鬱憤を少しでも晴らしてくれるからウケているのかもしれない。
と考えると、「未来的なモノ一色の未来」というのは、嘘であり、様々な時代に作られたものが同居する言わば、縦の多様性を持つ未来観こそが、実際の未来に近いのではないか。
話を万博に戻すと、「テクノロジー(技術)で未来を切り開く」、攻めの姿勢��いうのは大いに結構だと思うが、逆に、「何を未来に残したいのか」という思想(これが保守思想の本質だと思うけどね)というか、文化、あるいは(防衛するぞという)意思に欠けている部分があるのではないだろうか。
「空飛ぶ車」にしても、「エアカー」みたいなのが、ドラえもん的レトロフューチャーに大昔から存在していて(バックトゥザフューチャー2の空飛ぶパトカーもカッコ良かったが)、「何十年も昔に描かれていた未来」の話をしないと、「年配の偉い人が理解できずに裁断できない(予算が下りない)」という話なのであろうと思う。結局、任天堂的に、「一歩遅れの技術+独自の高度なノウハウ」でやっていくのが日本的な落としどころなのかも知れない。
なので、というわけでもないが、今回の大阪万博で、イタリアが海外パビリオンでは初めて起工してくれた、とあるし、基本的に、「(相手を信頼して)お任せします」でいいと思うのだが、「テクノロジー(技術)ありき」というよりも、「あなたのお国で未来に残したいものをアピールしてください(お国自慢してください)。料理でも、歌でも、ダンスでも、工芸品でも。お任せします」くらいの肩の力の抜き具合で良いような気はする。
大体、「テクノロジー(技術)」を主体にすると、似通う場合も多くなっている気もする。 ドローンとか、AI、VRとかその辺になるだろうし、最新技術なんて展示するわけもなしで、「カルチャー(文化)」の多様性を主体にしていった方が「本場の~が見れる、食べれる、聴ける」ということで、女性、及び、お年寄りの動員数も増える気はする(それに釣られて(若い)男性数も増えるのでは)。
個人的には、アメリカも別に、月の石よりも、アメリカ南部の家庭料理でも振舞った方が、お互いのためになると思うけどね(「アメリカの牛を食え」という話ならば、「本場のステーキ食わせろや」となるだけの話なので(その上で、「霜降り和牛は最高だ」でも良い)、シンプルと言えば、シンプルだと思うんだが)。
好きにアピールしていただければ、本場のオペラでも、ミュージカルでも、見たい人は山ほどいると思うし(円安だしね。国内で見れるのは大きい)、リピーターになる人はなるだろう。日本人に「うちの国に観光しに来てください」と言うならば、逆に、「なぜ、ここでアピールしないんですか?」という話にもなる。
被災に遭った「石川県の特産品展示・販売」も大変いいと思うし(基本的に全都道府県やるべきだと思うが)、「大阪"食い倒れ"万博」にでもした方がよほどお互いのためのような気もする。
正直、パビリオンに力を入れなくてもいいと思う。歌と料理が楽しめれば、最悪仮設テントでもいいのではないか。ただでさえ人手不足なのに、気の毒な建築関係者を叩けば結果が出るのか。
まあ、私の場合は、本気で怒っているわけでもない(大阪人でもないので)。 逆に、大阪出身の人にこういう話をしたら、あくびをされたくらいだ。 このくらい説明しないと理解できない気もするが、興味のない人からすると、"Not my bussiness"くらいの話なんだろうなあ、と思った。
で、もう記憶の彼方に行ってしまったし、軽く検索しても出てこなかったのだが、ガルパンの水島監督が、「アニメを作るならば、まず、ミュージックビデオを作れ」みたいなことを言っていた(ような気がした)。
絵と音がシンクロしてタイミングがピッタリと合うとマジックが起こったように目が引き付けられるし、確かに、アニメのキモはそこなんだろうと思う(踊ってみた(ダンス)動画のキモもそこだと思うしな)。 下の動画も、基本的に、すごく低コストな作りで、歌詞を加工表示して、一枚絵をゆらゆらさせたりする感じなんだが、Adoの歌唱力が突き抜けているので、見入ってしまう感覚はあった。
【Ado】unravel 歌いました
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なぜ万博から、低コストなミュージックビデオの話に飛んだのかを説明すると。 まず、AIのお陰で、謎のIT企業Nvidiaがひどく景気がいいという現実がある。Nvidia製のGPUがAIに活用されて、テクノロジー・ドライバーとして業界全体を牽引しているから、当然と言えば当然の話だ。
ただ、「テクノロジー・ドライバー」という考え方自体、「規模の経済」的であり、「あまり日本企業と相性が良くないのではないか」というのが自分の考えだったりする。
「使いこなし」とか、「工夫」とかの職人技で試行錯誤して何とかしていく世界の方が日本人の性に合っているのではないだろうか(仏教的と言えば、仏教的な話ではある。大昔に「一休さん」のアニメがあったが、あれも「とんちバトル」であった。大枠では、仏教は「知恵の宗教」だと自分では思っている)。結局、マクロ的な「兵站の重要性」というのは日本人は理解し切れていないのだと思う(「小田原城攻め」を支えた石田三成が大河ドラマの主人公になっていないのがその証拠だ(切腹するときまで絵にならなかった人らしいが)。結局、「華」的なものに惹かれ��しまう)。その代わり、ミクロ的に偏執病的に(ニュアンスを)突き詰めていく方向ではないかな、と思う(その結果としての少年漫画の「とんちバトル」、そのアンチテーゼとしての「葬送のフリーレン」、と言ったところだろう)。
全然関係ないが、「葬送のフリーレン」の(第2期ではなく、第2クール目の)OP「晴る」のサビの部分について。 (フリーレン自体の話は保留)
『葬送のフリーレン』ノンクレジットOP(第2クール)/OPテーマ:ヨルシカ「晴る」/毎週金曜よる11時放送
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サビの部分で、なぜ登場人物へのカメラを切り替えながらの戦闘シーンがあって、おんぶシーンが一つだけ挟まるか。もちろん、サビの部分の盛り上がりに合わせて、画面を盛り上がらせる、という意味合いもあるのだろうが、結局、魔法使い同士の魔法バトルというのは、「(魔法使いにとっての)晴れ舞台」という意味合いがあるのではないか。ワンポイント的におんぶシーンが入るのは、「(春は恋の季節という意味合いでの)春」ということかなと思った。当然、歌が先に作られてそれに合わせてOPの絵面は作られているので、アニメスタッフの寄り添い力というか、解釈力・解読力も恐ろしい限りだ(一目では分からないと思う)。考えてみれば、流行歌はラブソング(恋愛ソング)が主流であって、そう見えなくても、そういう解釈もできる、みたいな歌も多い。それが悪い、というわけではないが、じゃあ、そういうファクターの無い、「唱 (Show)」と「アイドル(Idol)」のヒットというのは面白いな、と思った。もう、問題の主眼が「恋愛ではない」みたいな?(今更の話か)
まあ、要するに何が言いたいかというと、「テクノロジー・ドライバー」に対する「カルチャー・ドライバー」みたいなものがあってもいいし、「未だに大阪万博に(技術を牽引する)テクノロジー・ドライバーとしての機能を期待する」みたいな雰囲気があるってどうなの?的なモノもあるし、「国内の文化力を豊かにするためのカルチャー・ドライバー」として機能させた方が、まだ理解できる、という部分もあるし、そういう万博関連の流れに無力感やバカバカしさを感じているセンスのある優秀な人は、華を突き詰める、という意味で、機動力に富み、一人にあたりでも何十回も再生されるようなミュージックビデオを「(ネット文化を牽引する)カルチャー・ドライバー」として機能させて、成功を目指した方が話が早いのかもしれない。そもそも、ニコニコ動画もボーカロイドのミュージックビデオが多大な役割を演じている訳であって、これも当然と言えば当然なのかもしれないが。
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omniverse-a-memoria · 3 months ago
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kennak · 1 year ago
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今後10年で半導体の国内主要8社だけで必要となる人材は4万人と言われています。人材を養成する教育機関や社会人向けの研修現場に潜入しました。 (石井千春アナウンサー) 「ガウンに身を包みました、こちらの空間にはチリ一つありません。企業と同じようなクリーンルームとなっています」 入室を許されたのは熊本大学のクリーンルーム。微粒子レベルの異物の混入も許さない半導体製造では、空気中の不純物を徹底的に管理するクリーンルームが必要不可欠です。半導体人材の育成のため来年度新設される新組織で使用されます。 (熊本大学工学部 鈴木裕巳特任教授) 「半導体のこういったサンプルをここのラインで作っています。ここでは、半導体のプロセスを習得してもらって、かつ、サンプルを彼らに作ってもらっています」 半導体のサンプルの制作やサンプルにわざと不純物を混ぜて経過を見る研究などを行います。 (熊本大学工学部 鈴木裕巳特任教授) 「この広さでこのクリーン度の施設を持っているところがほとんどないので、ゴミに影響されないようなサンプルを安心して作ることができます」 4月から新設されるの情報融合学環では半導体製造プロセス全体や品質管理を理解できる人材を育成します。文系と理系のどちらからも志望する事ができます。さらに工学部内には半導体デバイス工学課程を新設。半導体分野の研究で最新技術を学んだ人材を輩出します。 (熊本大学情報融合学環  城本啓介学環長) 「データーサイエンスを学んだ上で半導体の基礎知識を身に着けて、品質の予測や最適化に貢献できる人材を育成したい」 去年8月には初のオープンキャンパスを実施しました。 (参加した高校生) 「日本で最初の新しい半導体に力を入れているところが少し気になって」 「熊本に会社ができるとか話題なので興味があって聞いてみたいな��」 さらに去年9月に開設したのが… 「こちらが熊本大学と東京大学を連携する拠点、東大の分室です」 日本の半導体研究を牽引する東京大学と協定を締結し、研究施設の分室をオープン。既に1人が常駐し、大学の垣根を超えた新たな研究を熊本で進めます。 (東京大学職員 中村有沙さん) 「TSMCを始めとした半導体関係の企業が集積しているなど将来性しかない。そこの部分に東京大学は魅力を見出したんだと思います」 実践的な取組みで既に半導体人材を大量に養成しているところもあります。 (佐世保高専 猪原武士准教授) 「こちらの装置は超小型の半導体を製造できる装置、ミニマルファブといいまして」 長崎県の佐世保高専。ミニマルファブは製造や研究の分野で活用されていますが、全国の高専、大学を含む高等教育機関で導入しているのは佐世保高専だけです。 (佐世保高専 猪原武士准教授) 「まずこれがミニマルファブのシャトルと呼ばれるもので、この中がクリーンルームの様なきれいな状態になっています。こういう風にしてオリジナルのウエハーの上に画を書くことができるという」 まずはウエハーと呼ばれる基盤の上に回路を描き出すために必要なレジストという液体を塗る工程。機械の中で何が行われているかを見学することもできます。 (佐世保高専 5年 田中洋太郎さん) 「ミニマルファブで工程のひとつひとつを理解することができました」 (佐世保高専 5年 町田智幸さん) 「例えばこの装置だとレジストを基盤に落として、その基盤を回転させる事でレジストという液体を基盤全体に薄く伸ばすんですけど、その工程にある基盤を回転させる速度を変えて、理想的な最終的な完成形を目指すという卒業研究を行って、それを通して使い方を身につけることができました」 (佐世保高専 猪原武士准教授) 「今ここに佐世保高専のロゴが出てきましたけども、今からウエハーの表面にこのロゴを書き出していきます」 髪の毛の100分の1の細さの紫外線で、実際にはここで電子回路パターンが描き出されることになります。肉眼では細かく見ることができませんが、1ミリの500分の1、2マイクロメートル間隔の線まで細かく描き出されています。佐世保高専の学生にとってはこれが日常、徹底した実践、インテルなど企業のベテラン技術者を招く授業を繰り返し本物に触れることで即戦力人材を育て上げます。毎年40人ほどを半導体関連産業へと輩出しています。 大津町に事務所を構える日総工産は去年4月に研修施設を整え、既に38人をデバイスメーカー等に派遣しています。研修期間は2ヵ月ほど、参加している人の多くが全く半導体分野とは関わりの無かった人たちで、これまでには介護や運送業から転職した人もいます。半導体企業の相次ぐ進出で派遣人材を求める声が高まり、研修施設の増築も進めています。
TSMC進出 人材育成で熱帯びる!教育機関や企業(KAB熊本朝日放送) - goo ニュース
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motu-memo · 1 year ago
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2023/11/14 The Cosmic Wheel Sisterhood
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評判とルート分岐の多さが気になり購入!
自分は海外ゲームのドットがツボかもしれない。
第1章
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悪魔(エイブラマー)、思いのほか話が通じるしいいヤツで笑う
序盤から悩む設問が多くてデトロイト思い出した
周回前提で、とりあえずシンプルに「自分がフォルトゥーナだったら?」で選んでいこうと思う
重要そうな選択肢を覚えてる限りでメモ
「悪魔と契約するための代償」は「自分の不死性」
求めるものは「崇拝されること」
裁定者のテア
仕事のわりにピュア過ぎて心配なる
第2章 魔女の誕生
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急に現代風の描写で女の子が激下ネタ話しててワロタ
パトリス(結構はっきり物言う)、エヴァ(ボランティアとかしてる)、フォルトゥーナ
要約すると「特殊な器具を尻に入れられて5分ほどオーガズム味わった」
メモ:パトリスはフォルトゥーナの姉?
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エヴァはペパロニが苦手、これは一部でもペパロニ(サラミ?)が乗ってなかったらパターン変わるのかも
あ~~~ヴィーガンっぽい会話ヒントかー!!!!
そしてパトリスは逆にルッコラが苦手と……
人に作ってもらったモンに文句言うな!!!!!!!
全食材をバランス良く配置した性格が仇となった…………
ここでエヴァから「世界の運命について占ってほしい」とのこと
世界の運命:スーパーバクテリアにより人類は追い詰められて質素な生活を送ることになる
あなた(エヴァ)の行動:支援団体を設立する
これ、「エヴァが喜びそうなこと」で選んじゃったな~~
流星群にフォルトゥーナが願ったこと伏せられたけど、「魔女になりたい」って祈ったんじゃ…
「願いを言いなよ」「…世間は魔法なんてないと言うけど私はただの”女”で終わりたくない、私がなりたいのは…」
…で、「第三章 コヴンの魔女」のフェードインは小粋過ぎ
第3章 コヴンの魔女たち
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招待客の許可が下りた途端に来客!
それぞれに使い魔がいるのロマン
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ダリアのトカゲっぽい使い魔キャワ
そしてダリア自身のフォルトゥーナ大好き感もキャワ!!
一番気に入ってるカードを教えて?と言われて見せたら絵柄褒められるのニヤニヤしてしまうね
ここでフォルトゥーナから「まだ人間だった頃」の発言
やっぱ人間⇒魔女の変化は経てるんだなあ
フォルトゥーナとダリアの過去をお互い読むことになったけど、悪そうな意味のカードが出たのでフォルトゥーナに置いてみると「自分の過去は読めない」とのこと
ちなみに「自分の存在に耐えられなくて八つ裂きにして修復魔法で戻した」的な内容、これでも選択肢の中ではマシな方だった
ヒーン ダリアの過去も「デーモンとの恋をコヴンに隠してる」or「エイダーナを殺そうとして怖気づいた」みたいな選びづらい二択
後者に…
やっぱりダリアとジャスミンは現実世界の二人とリンクしてるのかな(パトリスとエヴァ)
豪快さと繊細さ……
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ジャスミンキャワ~~~~!!!
…がしかし割とエイダーナの思想には同意していると
優等生タイプ、植物好き よりエヴァっぽいなあ
ま、魔法のハーブで…意識の覚醒……幽体離脱…………
ジャスミンは制定者に恋してほしい、あの子……テアなのかな
ガーデンの病⇒今までポジティブな感情ばかり与えてきたけどそろそろ涙とか欲しくね?
ガーデンの未来⇒自らを埋めて魔法生物となり体から植物を生み出す
エイブラマーよりダリアとジャスミンどっちが好き?とかいう乙女の質問
直感でダリアと返答
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3人目の客人にはダリアの友人建築家、グレーテを招待
グレーテ「私はマインクラフトでもクリエイティブモードでのプレイを好むタイプだった」
これだけでもう大好きかもこの人
フォルトゥーナを突き動かすものは?⇒「好奇心」
ベヒモス⇒戦うのでなく受け入れる
智への探求⇒もう既に考え尽くした、足りないのは経験
グレーテさんマジで良いキャラだな
仕事に時間を費やしてる、余暇は読書(これも仕事関係)、長風呂で考え事するのが好き…
エイブラマーよりエネルギーと引き換えにグレーテを解放する手助けをしてくれると
コイツ悪魔であること以外いいヤツ過ぎる
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魔女によって箒の乗り方に個性あるのカワイイね(グレーテは直立、ルイーズは正座っぽい)
ルイーズのデザインいい!!!!
頬骨のカッコいい女性とか、小太りのカワイイ女性とか、日本のゲームでは到底見られないふり幅が見れてサイコー
ルイーズの話に「スーパーバクテリアが生命を奪った際に~」ってセリフあるけどこれ例の選択肢で変わるんだろうなあ
ベヒモスと同化したグレーテと、対ベヒモスの装備を開発しようとしているルイーズ…
ルイーズの話だと、魔女はいつでも人間の姿になれて、地球にもいけるんだなあ
独特の世界観だ
メモ:人間から魔女に「上がる」「上る」という(物理的に地上から宇宙へ?)、いろんな年代の人間が魔女として同じ宇宙にいるので、「中世出身の魔女は堅苦しい」とか「マインクラフトを知ってる魔女、知らない魔女」がいる
地球⇒戦争以外の方法を探してくれ~
恋愛⇒正体を伝えた方がいいよ!
エイダーナ⇒他のコヴンに逃げてはどうか
ルイーズに幸あれ…………
グレーテからベヒモスを切り離すためのダガーに必要なエッセンスは?⇒哲学。
ルイーズが無事コヴンを抜けたと!
ホントにリクエストした衣をくれた!これも分岐かあ~
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早速グレーテのベヒモス切り離しオペ!
思いのほかすぐだった
「互いの絆が強いほど成功率が上がる」とのことで思い切ってフォルトゥーナもベヒモスを召喚していることを打ち明ける
そりゃ自分も召喚してるのはあると思うけど「素敵じゃない^^」って言ってくれるグレーテ 好き~
これでめっちゃ成功率上がって草
しょうもないこと打ち明けたら失敗のパターンあるんかな
呼んだら無言で現れ、もういいよ。の一言で帰るエイブラマー犬みたいでかわいい
ウワ!ここでエイブラマーの力を借りるか自力で行くか…
「成功率」の概念が生まれたので、エネルギー消費でコレが上げられると信じて…
エイブラマーの「お前の味方だ」も思い出して……
ああ~エネルギー残しといてヨカッタ~~~
これでグーンと94%まで上がった!なるほどな
ダリアへの回答、ジャスミンのハーブ、エイブラマーとの会話、それぞれでいい結果出してないと成功できなそうな感じかな
無事ベヒモスと一体化、目がベヒモスみたいに(カッケー)
結局ベヒモス召喚したことは一目でバレる見た目だから、これはやや失敗扱いなのかな?
ここでテアから緊急の訪問と、「エイダーナが死にました」との朗報(?)
で、4章への切り替わり……
第4章 後を継ぐ者
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現代パートへ!
パトリスの死……
前章との繋ぎ方的にはエイダーナ=パトリス と思わせぶりだけどどうなんだ
パトリスのお墓に魔女のフォルトゥーナが訪れるシーンでパトリスが59歳で死ぬことも、フォルトゥーナの予言通りと
あのピザを作った日に海に向かって歩き続けて、人間界のフォルトゥーナとしては死んだくらいの扱いだったのか
ありえた未来⇒一緒に雑誌を発行し、エヴァが編集長
死後⇒宇宙でコズミック新聞社の記者になる
一番夢のある選択肢を選んでみた
地球だと普通のタロットで占うんだな、と思ったら 墓地から出てきてパトリスも魔女になった
やっぱエイダーナ=・・・?
普通のタロットだったのは、フォルトゥーナの幽閉前の話ってことか
そしてエイダーナより「私が消える前に話をしましょう」という震える一文の手紙…
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エイダーナのビジュアルこんなだったのかor遺体の表現としてこれなのか?
「この束の間の隔離生活であなたは何を学びましたか」
これはシンプルに「束の間ってなによ!?」
まさかの不正解で再質問パターンで草
フォルトゥーナの能力は「未来を占う力」ではなく「未来や過去を”書く”力」だから流刑にしたと
それ聞くとまあ怖いわな
メモ:グロリア=最初の魔女=エイブラマーの初恋の人
ここでついにエイブラマーを占う展開
コヴンによるベヒモスの扱い⇒個々の状況に応じて判断することになる
グロリアがどうなったか⇒再開して、関係性にももう一度火が灯る
ここまでで一番、「ポジティブなカード出てくれ………!」と祈った
フォルトゥーナがエイブラマーの願いを叶えて、「私はあなたの味方だから」って完全に立場が逆転してるの良い
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ここでダリアとジャスミンが次の長候補として争うのか~~~クゥ~~~~
ダリアの話
「あのババア死んだよ!お祝いしよう!!」ワロタ
敵⇒高齢魔女
ダガー⇒必要なのは知識
対策⇒若者を味方につける
若者VS高齢者 になってしまい若干心苦しいけども…
方針としては垣根なくみんなで話し合い!禁忌も取り払って新しい魔女を増やす!人類とは決別!
ジャスミンの話
いや~分かってはいたけどダリアと対照的、でこれはこれで納得できる方針で悩ましい……
知識あるもので決定を、禁忌は禁忌、今いるメンバーを強化!そして人類は導くべきもの…
「禁忌」の扱いはグレーテを想ってしまうし、「人類とのつながり」はルイーズを想ってしまう…罪なゲーム……
どっちつかずが一番よくないので、「もうダリアに協力するって言っちゃったんだよねえ」にした
ジャスミン「約束ならしょうがないよね、ごめんね」優しい……
ここで各々二人から紹介された魔女+グレーテさんからの訪問依頼
ダリア紹介の魔女「???」
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魔女なりたてホヤホヤで名前もないのか
現代人としての回想を見るに、働きたくない希死念慮が強めの大学生の様子
ヒゲと「おれ」、でもなんとなく…?と思ってたらトランス的な
「カミングアウトもしてないのに女性として扱ってきて」「男性として扱った方がいい?」「そんなワケ」的なやりとりを見るに、元男性の…てことかなあ
なるほど、上がってきたてはみんなフツーの人間の姿で、今の「魔女っぽい見た目」は現代から上がってきて「変身」を経ての姿なんだなあ
その変身のためのヒアリングを開始
とにかく「自由になりたい」とのこと
より魔女に活きそう、ってことでガーデニングの要素を追加
旅する商人、エキゾチックな見た目(エキゾチックは苦手な言葉らしかった…)
結果、唐辛子の首飾りをした「ペッパーマンサー」へ変身
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ガーデニング特化での回答が正解だったのかなあ
ここで1枚め「束縛からの解放」カードを引いたのアツい
選挙で重要になるレベルの特別な唐辛子を栽培することになる
命名は「ノヴァ」
次も新キャラだろうから間で小休憩としてグレーテさんを招待
開幕なんかこわいアルカナくれた!
ジャスミン紹介の魔女「ジュンレイシャ」
めちゃくちゃ年長者っぽい
新しい魔女を増やそうってダリアの紹介が人間から魔女になりたてのノヴァ、との対比かあ
うわ
「ジャスミンに投票しなさい、彼女の方針には興味がないけど私たちはエイダーナの遺体を食すべき」
この1セリフだけでダリア派でよかったと思えてありがたいな
言葉は強いけど歩み寄りは感じる
ここで円盤を出していいか?と聞かれるけど(知識)で円盤の秘密を知っているよ、と
イカサマ!?
円盤を使うとその情報がすべてジュンレイシャに集まっていてそのことを当人は知らないと
倫理観~~~
ああ~~よりによって一番気に入ってたポジティブな、「熟考」のカードが……(鹿の戦士みたいな絵柄の)
フォルトゥーナの「デッキだけでなく、その制作にあてた時間や労力も破壊したのよ…」ってセリフ いい クリエイターを感じる
そしてそれに対する「気にするな、アルカナとエネルギーは返還されている」って返しも分かってないよコイツ感100%で大変よろしい(コイツ嫌い~~~)
ダリア派を選んだ自分、ありがとう…
そう、まったく同じエレメントでカードを作り直してもそれは同じじゃないんだよ……
ノヴァを占った時に出てきて、一目でポジティブな意味と分かるからホッとしたあのカードはもうないんだよ……
まあ、カード消去機能のチュートリアルも兼ねてるか…
ハッッ ここで「パトリス」の訪問
どんな魔女になったんだろうというワクワクが
第5章 価値観
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ここでそのタイトル…
うわ、パトリス カッケエ老魔女のデザイン カッケエ
あああ というか占いじゃなくて未来を書いてるから本当に記者になって新聞社に……!
エイブラマー見せるか悩むなーここ 他でもない姉だもんなあ
いや、同じベヒモスを召喚したグレーテ以外には打ち明けないという決意
…と思ったら鬼渋られ、かつ「協力させてよ」に負けた
そして「書いてる」=「姉の死は私が書いた」
若干の過保護気味さに嫌な感じしちゃってたけど、それを受け入れる姿勢で一気に
パトリス姉さんカッケエよ
ここでまた「最期」を占う…
ってとこで最近「とにかくポジティブな意味を!」と思って作った「エクメアの巣」引いてめちゃくちゃ嬉しい
基本的に3択とも幸せそうな最期で安心した
インスピレーションの女神になる、を選択
長になりな!!!とも言われるけどこれはダリアと約束してるのでお断り
これ2週目は自分が長になる方向でやりたいなー
「めんどくさい手続きは全部やる」パトリス姉、本当に頼もしい(現実にいてほしい)
エイブラマーは人に自分のことを打ち明けてくれるのを喜ぶんだな、これは意外
ガンガンバラしていくスタイルもちょっとやってみたい
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ここで見た夢愉快過ぎてメモ: 洗濯をしていたあなたはバルコニーから転落し、ピザでできたプールに落ちる。そこから出るには食べて道を作らなければならない。あなたはプールから脱出することに成功するが、ピザがものすごく美味しかったので、再びプールに飛び込むことにする。
カードはお気に入りの「エクメアの巣」
ポジティブなカードもっと作ろう!と思った
なるほど、これカードの傾向も寄せることで展開もそっちに寄せられたりする?もしかして
だとしたら奥深過ぎるでしょ
ついにジャスミン・ダリアと3人での会合!
この3人の、タイプは違うけど仲良し感好きだなあ
ジャスミン「エイダーナの行き過ぎた部分だけ直してあとは現状維持でいいじゃない?」
に対するダリアの「それはあなたが現状維持で恩恵を受けられる立場だから、そうじゃない魔女もたくさんいる 革命を起こすつもりはない、平等な環境を作りたいとは思ってる」
このダリアの論にすごく共感して、彼女を選んでよかったな~と再確認できた
ジャスミンは、優等生ゆえに気づけない部分もある系のキャラだよなあ
悪気ゼロで能力の低い人を差別してしまいそう感というか
互いに選挙で争うのに別にここで険悪にはならない、ベストを尽くそう的なこの3人 良い友情だ…
親友と��てジャスミンの強みと弱みを指摘するの、しんどいけどなんかアツいな……
ここで第三立候補者で最高齢の魔女、「エイダーナの方針をそのまま引き継ぐ」が出てくるの構成がおもろい
本人は優しくて親切、パトリスの新聞社もお世話になってるけどエイダーナの信者ってのが なんかままならなさリアルでいい
ダリアの方針で唯一気になるのは有限生命体とのつながりを絶つ、だけなんだけども…
横並びは悪いことではないと思う…悩ましい~~~~
原始的な社会体制を指摘(よそ者を排除、の考えはここからかなとの読みから)
ウーン 反応的にイマイチかな
ダリアの強み⇒カリスマ性のあふれ出る自信
ダリアの弱み⇒我慢できない、すぐ怒る
ここで方針への変更をお願いできそうな質問が来たので迷わず「有限生命体の扱い」
「新しい関係性を考える」を選んだら何だかよさげな流れ!
要約:隠れて導くだの搾取するだの言うから倫理的な疑問が湧く、じゃあ正体を知らせればいいじゃないか
若干の危うさはあるけど、そこもダリアっぽくもあり良いと思う
スローガンは”共に強くなろう”で(消去法)
ダリアの選挙ポスターもデッキの手法でデザインさせてもらえるの正直ワロタ
楽し過ぎ
選挙ポスターなら名前のフォントパーツ欲しかったな~~~
これ、自分が立候補してたりジャスミンを応援してたらそっちをデザインできたんだろな~~~~~
第6章 狂騒
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ポスター出来たところで回想へ
魔女になりたてのフォルトゥーナかな?
フォルトゥーナの導き手は鹿の民の魔女ユーエニア
ウワー!棒グラフとか出てきて思いのほかガチの選挙活動モードが始まりそう
メモ:全員にタスクを割り振ること、1行動で5~7ターン消費
1ターンめ
パトリス①:ジャスミンがエイダーナの遺体を吸収するのは問題では、を指摘させる(敵対勢力は遺体を残したい派なので削りたい)
ダリア①:協力者を探させる(顔が広そうなので)
サイプレッサ(木)の訪問
葉っぱになって飛んでいく移動方法かっこいい~
エイダーナの眼でサイプレの内面を除く
→エイダーナが好きだった?はあ~なるほど だから遺体でも残したいのかな
ウオ~~ ここでそれを他の魔女にバラすかどうかで選択肢
フォルトゥーナなら、利用してダリアに協力しろくらい言う気もするけど、直前に選んだ「長として一番重要なものは”誠実さ”」を思い出してプライバシー尊重に…
いやー本当に選択肢が絶妙なゲームだ…
サイプレさんを占う
Q:エイダーナの遺産を守れますか?
→一部を盗んで選挙を離脱しカルトを立ち上げるor選挙のプレッシャーで遺産は守れず気が狂う
これはサイプレさん自身を想って前者に…
「図星です」的なリアクションでワロタ
パトリス②:他の候補者の醜聞探してきて
ノヴァにトゥルースチリを討論に使うって伝えてこようか?と聞かれて断ってしまった…自分の小物っぷりを実感……
ダリア②:若い魔女へのアピール
ノヴァ①:エネルギー集め
パトリス②:学者へのアピール
ここでついに師匠の訪問!
師匠、耳がピクピクする&そのたびに飾りが揺れるのカワヨ
ベヒモスの召喚方法を教えたのが師匠なので、既に召喚したことも分かっている!?
召喚したということは独り立ちしたということ、それは師匠にとっても寂しくて、でもこれからは友として助け合いましょう
このやりとりだけでも、良い師匠なんだなと…
ここで師匠が学者層に推薦してくれるのはデカい
師匠を占うの怖ぇ~
思い出:ピザを作ってあげた、耳が激しく動いたのを覚えている
教え:夢の中で魔力を吸収する方法を教えた
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ユーエニア「クワガタは自然界の生き物ではない、悪魔の化身に違いない」ワロタ
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探検家の隊長、メナカを占う
未知の惑星で失った仲間を見つけられるよ!って結果になって安心
選挙期間やること多~~~~~
ジュンレイシャがブチ切れモードで訪問
前回の印象からコイツだけは容赦しないぞの気持ちで脅迫、秒で帰っていった
幻覚を使える魔女のクリエルに軽い気持ちで促したことでむちゃくちゃ票回復できてワロタ
インフルエンサーも無事買収と
ポエムづくり、ランダムでも最終的にそれなりに読めるものになってすごい
この時点で戦士、若手、探検家あたりはほぼ100%に近い支持率に
ノヴァの協力助かったな~
フォルトゥーナ、目を覚まして!的なメッセージが来て、現代の場面に移りつつ最終章へ…
最終章 現実性の確認
海に入ってそのまま魔女に…と思ってたけどそうじゃなさそう?
選挙の続きやらせてくれ!
ああ……さっきまでやってたことを妄言扱いされるの堪える……
ここでエイブラマーからの「目を覚ませ!」
相棒よ!!!
敵対勢力から情報を聞き出されてたのか……完全に騙された…………
秘策は?の返事に「ベヒモスだよ!!」って答えなくて本当によかった……
ここで「ウンヌ」の訪問
何喋ってるか分からんけどデザインキャワ
何喋ってるか分からんけどカードで丸め込んだら支持してくれてキャワ
あんなに忙しかったのに残り8ターンあたりから急にヒマに…
協力者もこれ以上は見つからなさそうだし、ひたすら寝たり本読んだりして過ごした(選挙中とは思えない)
司令塔とはいえ、何かフォルトゥーナ自身も支持率に関わる行動パターンほしかったなー
私が時間の使い方ヘタクソだっただけかもしれないけど…
第7章 摂理
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前回の「最終章」ってのから幻覚だったのワロタ まんまと…
親友トリオでお茶カワユ
お菓子のブランデーが回って3人で踊りだすの良すぎる
幽閉される直前の回想か~ 本当にいい3人組
なぜ女だけが魔女になれる?のくだり、すごく自然にフェミニズム的な話をゲームに組み込んでいてすごい
なんというか、説教クサくなってないというか
そこに、「色んな時代から魔女として宇宙にきてる」って設定が活きてるなあ
中世からきたジャスミンはより女性差別を受けてて思想が過激っぽかったりとか
すごくいい設定
ついにエイブラマーとの契約も終了かあ
エビだと!?ハハハ!のエイブラマー大好き
最初に選んだ代償「不死性」、今言われると「魔女を辞めて現代に戻る」なんだと分かりちょっと悲しい
エイブラマーとの移動シーン めっちゃ良い…
「私が涙を流せたらよかったのにな」
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長を決めるヤツ(名前忘れた)開始!
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リアルタイムで支持率変わるの怖い
緊張感あって荘厳なBGMがいい~~
クリエルの援護!
ジャスミンの演説もいいなあ「自由と信頼の時代」
グレーテがベヒモスの件を言うべき!と
ヒリつく~~~!
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エイブラマーを呼ぶ選択肢を選んだ途端、会場が炎の海に…
ジュンレイシャのせいです、エイブラマーがフォルトゥーナを利用していた、エイダーナの試練 の三択
これ2選べるワケないよ~~~~~~
迷わずジュンレイシャ カード破壊の恨みは重い
そういやコヴンの崩壊ってどっかで占ったな(他人事)
状況と、感情の高ぶりからとはいえダリアに「あなたを選挙活動の仲間にいれたのは間違いだった」って言われたのは堪えた…
まあ、自分のコヴンの崩壊を占いました(確定)とか言われたら誰だってそうなるか…
最後に一番最初の選択肢が表示されてエンドロールの流れ、あまりにもcool………
終わっちゃった~~~
代償を払わない!でつっぱねる方にも何か未来がある気がしたけど、そこは誠実であろう…っていうか、そこでゴネるのダサいよね、っていう自分の見栄っ張りさ
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老後のフォルトゥーナ!
あれ!?もしかして温室で「もし使い魔飼うならカラスがいい」ってのここで反映されてる!?
「宇宙規模の平和を実現できた」、それだけでなんか嬉しいな
サラリと「来世でまた会いましょ」って言えるのいい
老いたフォルトゥーナが、ジャスミンとダリアに囲まれて「私はあなたたちが大好きよ」っていうのは、かなり私としてはいいエンディング……
「もう一枚カードを引いてみては?」っていうスパムメールみたいな手紙がきた
「運命なんて大嫌い」「終わり?」の問いに「英雄の帰還」カード引いたのちょっと鳥肌
この状況を受け入れるか、時間を戻すか…
受け入れよう、戻したとて というか 私的には人間として死を迎えるのはそんなにバッドエンドではないというか
ただ、一人でってのがツラいな
せっかく解放されたのにまた一人か、エイブラマーいない分更に、って感じが
あ~~終わった よかった なんだこの後味…
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petapeta · 4 years ago
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五木寛之の百寺巡礼高野山を読み進むと、梅原猛氏が、人間には、円的人間と、楕円的人間があるとの考え方が紹介されている。  弘法大使空海を、典型的な“楕円的人間”として、説明している。    空海は、一方では、朝廷や権力と結びついて、京都の「東寺」を中心として、政治的に活動し、土木工事もすれば、書は、日本三筆のひとり、外国語にもすぐれ、綜芸種智院という学校を建てたり、多彩な文化活動を手がける。  しかし一方では、純粋な宗教人として、「高野山」に金剛峯寺を開き、孤独を愛し、人間の根底をみつめる求道的な生活を続け、「即身成仏」、62歳の生涯を遂げる。    このように東寺を定点として社会貢献的な活動に励む空海と、高野山を定点として純粋な宗教人の空海像とが、揺れ動き交錯する。魅力溢れる空海の人間像を説明するのに東寺と高野山を2つの定点とした楕円形をかりて、”楕円的人間”と称するのとは、まさに「言い得て妙」と首肯している。 (三)楕円幻想  もう少し考えてみた。  空海の如き、天才偉人のみならず、われわれ、凡人にも小なりとはいえ、複数の中心があり、たえず揺れ動いているのでは・・・と。  五木寛之氏に導かれ、昭和10年~50年頃に活躍した評論家花田清輝(1909-74)の、「楕円幻想」を索引して、勉強させてもらった。  楕円という、円とは異なった不思議な図形について、文学的というより、哲学的ともいえる小論文だった。何しろ難解極まりなかったが、何度か読み返すうちに、いくらかは理解できた。以下、「楕円幻想」の一部を要約する。    円は完全な図形であり、それ故に、天体は円を描いて回転する・・・・・・しかし、惑星の軌道は楕円を描く。  このことを予言したティコは、科学的でなく、眼に見えない頭の中の宇宙に、二つの焦点がある。彼の分裂した心の中に、中世と近世とが二つの焦点として役割を果たしている。  (中略)  円が跳梁するときもあれば、円の代りに、楕円が台頭するときもある。・・・・・・  我々の描く円は、ことごとく歪んでおり、そのぶざまな形に嫌気がさし、すでに我々は円をかこうという気持ちさえ失っているのではなかろうか。  例えば、二葉亭四迷の小説『其面影(そのおもかげ)』の主人公は恋に悩み、精神的なプレッシャーに耐え切れず、小説の終章になって、親しい友人に苦々しくつぶやく。  「君は能く僕の事を中途半端だといって攻撃しましたな。成程僕には昔から何だか中心点が二つあって、始終其二点の間を彷徨しているような気がしたです。だから事に当って何時も狐疑逡巡(こぎしゅんじゅん)する、決着した所がない」    「其面影」 小説の梗概  小野哲也という法学士は、衣食のため、小野家の養子となる。養家の妻と姑の物質的な欲望と、精神的な圧迫のため苦しむ。たまたま、他家に嫁した義妹、小夜子が、夫が死亡したため小野家に戻る。小野は小夜子への同情が恋へと変わり・・・。小夜子は宗教的良心に、呵責に堪えず身を隠し、小野は乱酒・・・身を亡ぼす。     (明治39年10月10日~12月31日、朝日新聞連載)    花田清輝氏は、この小説を評して、  「我々の魂の分裂は、もはや我々の父の時代(明治40年頃)からのことである。おそらく主人公は初歩の幾何学すら知らないで、二つの焦点を、二つの中心としてとらえている」と分析している。 (四)仕事と生活を定点として  「其面影」から、さらに100年を経て、複雑な環境に生活する現代人の深層を考えると、さらに、心の中心は、楕円のように2点、いやそれ以上の数多い定点の上に生活しているのかもしれない。    最近、政府が推進している「仕事と生活の調和」を考えてみる。仕事と生活の調和(ワーク・ライフ・バランス)憲章は、  いま何故仕事と生活の調和が必要なのか、仕事と生活が両立しにくい現実、働き方の二極化等、共働き世帯の増加と変わらない働き方・役割分担意識、仕事と生活の相克と家族と地域・社会の変貌、・・・等々、読み進んでいくと、仕事と生活、家族、地域社会とのかかわりあい・・・、と、問題は益々、錯綜していく。    仕事と生活は「両立しにくい、両者の相克」というより、われわれは、この2つの中心として、一人の人間として活動する。 ― いわば、楕円的な軌跡をたどりながら、仕事から、社会生活からいろいろな体験を重ね、勉強しながら、人格を高め、充実した人生を送りたいものである。
宮島醤油ホームページ 会長コラム::楕円形::
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takahashicleaning · 4 years ago
Link
TEDにて
マチウ・リカール:幸せの習慣
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
幸せとは、何で、どうやったら幸せになれるのでしょうか?
生化学者から仏門を選んだマチウリカールは、我々の心を鍛えて満ち足りた状態を習慣にすることによって、心の奥底からの静かな充足を生み出すことができると言います。
これもグローバリゼーションのおかげなのでしょうね。
エベレストの山頂にコカコーラの缶、モントレーに僧侶(私はちょうど、2日前。皆さんのお招きに上がりヒマラヤ山脈から来ました。ですから、皆さんをしばらくの間。ヒマラヤ山脈に招待したいと思います)
そして、私のような修行僧がいる場所にご案内しましょう。
私はパスツール研究所の分子生物学者でしたが、山に入る道を選びました。さてと、幸福について語りましょう。私は、フランス人ですが、フランスには幸福に全く興味のない知識人が多いです。
では、幸福または満たされた状態について話しましょう。
まず、最初にフランスの知識人がなんと言おうと朝から「今日も一日苦しむだろうか」と考えながら起きる人は誰もいません!つまり、意識しようがしまいが、直接であれ間接であれ、すぐのことでも将来のことでも我々がすること。
望むこと。夢見ること。そういったこと全てが心の奥底で幸せを求めることにつながっているのです。
東洋や西洋の書物を調べれば、幸せの定義は驚くほど多彩でしょう。こう言う人がいます。「過去の記憶を信じて、将来を想像し、現在は念頭にない」こう言う人もいます。「幸せとは、今という瞬間。今という瞬間の新鮮さの度合いである」
そして、これは、フランスの哲学者アンリベルクソンにこう言わせました「すべての偉大な人文科学の思想家は、幸せを曖昧なまま残した彼らが自分達の言葉で幸せを定義できるように」
人生において幸せにそれほど関心がないならかまわないでしょう。しかし、幸せが人生のあらゆる瞬間の質を定めるものだとしたら?私たちは、それが何であるかを知り、はっきりした考えを持った方が良いでしょう。
そして、おそらく私たちが幸せについてよく知らないことが理由となって、しばしば、幸せを求めながらそれに背を向けてしまうのでしょう。
苦しみから逃れたいのに苦しみに向って走っているかのようです。それはある種の勘違いが原因かもしれません!
喜びを、幸せと思い込む事は、よくあります。
この2つの特徴をよく見てみると喜びは、時間、目的、場所に左右されます。その本質は相対的に変わりうるものです。チョコレートケーキの最初の一切れはおいしいです。二切れ目はそれほどでもなく、三切れ目には嫌気がさします。
それが人間の欲望の本質です。
飽きが来ます。私は、昔、バッハが大好きでギターで弾いたりしました。5回聴いても飽きません。もし、24時間休みなしで聴くことになれば飽きるかもしれません。寒いとき、火のそばに近づくのは気持ちがいいです。
そして、しばらくすると少し後ろに下がります。それからすごく熱く感じます。
喜びは経験とともに消費されるかのようです。
そして、それは、あなたから発せられるものではありません。あなたが強い喜びを感じることでまわりの人が大いに苦しむこともありえます。ゲーム理論のゼロサムゲームのこと
では、幸福とはいったいなんでしょう?
幸福というとあまりにも漠然とした言葉なので満ち足りた状態と定義しましょう。
仏教徒の見解から、最もふさわしい定義は、満ち足りた状態とは、ただ楽しいという感覚ではないということです。
それは心の奥底を静かに満たすものです。
人生におけるあらゆる心の働きや喜びや悲しみにも、しみ渡ってその根底に横たわっています。皆さんは驚くかもしれません。悲しみのさなかでも満ち足りていることは、ある意味可能です。なぜなら、私たちは別のレベルの話をしているからです。
岸辺に寄せる波をごらんなさい。波の谷間にいれば、海底に当たります。
堅い岩にあたります。波の上にのっているときは意気揚揚としています。海面は上へ下へと揺れ動きます。外洋をごらんなさい。そこには鏡のように美しく穏やかな海があるかもしれません。嵐の海かもしれません。
しかし、海の深さはそこにあり変わらないのです。どういうことでしょう?それは、つかの間の感情や感覚でなく、そのものの状態です。喜びもまた幸福の源となりえますが、誰かの苦しみを喜ぶというような邪悪な喜びもあります。
ではどのように幸せを探しましょうか?
たいていは外界から探し出そうとします。「幸せ」になるためにすべての状況。すべての条件を満たせば幸せになれると考えます。すべてを得ることで幸せになる!
こんな考え方の幸福には、崩壊が待ち構えています!!すべてを持つこと。何かが欠ければそれは崩れます。
何かがうまく行かないといつも外界を修正しようとします。しかし、私たちが外に及ぼす力は限られたもの。一時のもの。錯覚かもしれません。では、内部の状況を見てください。それらはより強くありませんか?
外界から幸福や苦しみを捉えるのは心ではないですか?心の影響が強くないですか?小さなパラダイスのようなところに住んでいてもまったく不幸せなこともあるのをご存知でしょう。
ダライラマがポルトガルに行ったとき、そこでは、至る所で建設工事が行われていました。ある晩、彼は言いました「立派な建物を建てるよりも、心の中に何か築き上げるのが良いのではありませんか?」
そして、こう言いました「もし、あなたが素晴らしくモダンで居心地の良いハイテクのマンションの100階に住んでいても内面でひどく不幸だったら飛び降りるための窓を探してしまうでしょう」
では、反対に非常に厳しい状況下でも落ち着き、芯の強さ、自由、信頼を失わない人が沢山います。では、内面の条件が強ければどうか?もちろん、外部状況は影響するでしょう。
そして、健康に長生きすることや情報が得られ。教育が受けられ、旅行が出来。自由でいられることは素晴らしいことです。大変望ましいことです。
しかし、これだけでは十分ではありません。補助的な条件に過ぎないのです。
すべてに解釈を与えるのは、心の中に存在する経験です。内面の幸せの条件をどうはぐくむかと自問していくと幸せを妨げるものが自らの内面に見出されたりもします。これを解るにはいくらかの経験が必要です。
ある種の心の状態があることに気付かなければなりません!
それは、この幸せ、この満ち足りた状態につながる心の状態でギリシア人がユーダイモニアと呼んだものです。
こんな満ち足りた状態の妨げとなるものもあります。自らの経験の中から探しても怒りや憎悪、嫉妬、ごう慢、しつこいほどの欲望、執着。そんな感情にとらわれた後はあまりよい状態とはいえません。
そのうえ、それらは他人の幸せにも有害です。これらのものが心に侵入すればするほど、連鎖反応のようにますます惨めになり苦悩を感じます。憎しみの連鎖とも呼ばれてます。
逆に、誰もが知っていることですが、献身的で、寛大な行為の奥底では、遠くからであっても、他の誰に知られることがなくても、子どもの生命を救い。誰かを、幸せにすることができます。
我々は、認識されることも、感謝されることも必要としません。ただ、そう��る事が、心の深みにおいて、満ち足りたものを与えます。それは、常にそうありたいと思う「姿」です。
では、生き方を変えて心の在りようを変容させることが可能でしょうか?
生まれつき心が持っていた否定的な気持ちや破壊的な感情を?我々のムードや特徴。そして、感情を変化させることは可能でしょうか?そのためにはこう尋ねなければなりません。
心の性質とは何でしょう?
経験的な観点から見れば、意識の主な性質というものは、単に事実を認識し、気付くことなのです。
意識は、すべてのイメージを映し出す鏡のようです。
醜い顔も美しい顔も鏡は気にしません。鏡は汚されず、イメージによって変質する事もありません。同様にすべての思考の背後には、ありのままの意識。純粋な認識があります。
そういう性質なのです。意識は、憎悪や嫉妬によって損なわれるようなことはありません。全体が、染料で染められても、布は布であるように、常に、意識は、そこにあります。
我々は、いつも怒っていたり、嫉妬深かったり、気前がよかったりするわけではありません。意識という布地は、純粋に認識をするというその性質において、石とは違っていて、だから、変化の可能性があります。
すべての感情は過ぎ去っていくからです。それが、心の訓練の基盤です。
心の訓練は、2つの対立する精神要因が、同時に起こり得ないという考えに基づきます。愛から憎しみへ行くことはできます。でも、同じ時間に同じもの。同じ人に対し、害悪を願いながら、善を願うことはできません。あなたは、握手しながら殴ることはできません。
我々の内面が、満ち足りようとするのを妨げる感情に対して、自然の特効薬がある!!ということです。
そこに進むべき道があります。
嫉妬に対しては、喜び。貧欲な執着に対しては、内心の自由。憎悪に対しては、慈愛あふれる親切。もちろん、それぞれの感情ごとに、特定の解毒剤が必要です。
これは、仏教の最古の経典とされる南伝パーリ語のスッタニパータにもある「貪・瞋・痴(とん・じん・ち)」の克服方法です!!
もう一つの方法は、全ての感情の特質を分析することで、対抗手段を見出そうとするものです。
通常、我々が、誰かに対し、不快や憎しみ。動揺を感じたり、何かに執着すると我々の心は、その対象のことを繰り返し考えます。その対象に思いを寄せるたびに、執着心や不快感が増します。
その過程は、際限なく膨らみ、繰り返されていきます。今、我々が見るべきなのは、外を見る代わりに、内観するということです。
「怒り」そのものを「ああっ自分は怒ってるな〜」と注視してください。それは、非常に恐ろしげに沸き立つモンスーンか雷雲のように見えます。その雲に座ることすらできそうに見えますが、近づけばただの霧にすぎません。
同様に、あなたが怒りという感情を直視すると、それは、朝日のあたった霜のように消えます!!これもブッタのプラスサムの智恵です。
何度も繰り返して、怒りの感情を直視して、解消しているうちに、怒りの繰り返しは、解消するたびに、だんだん小さくなります。そして、ついには、たとえ怒りが生じても心をかすめるのみで、空を渡る鳥のように痕跡も残さなくなります。
これが心の訓練の基本であるウィパッサナー瞑想法です!!
時間はかかります!心の欠点や性癖を積み重ねるのに、時間がかかったように、それらを解きほぐすのにも時間がかかります。
しかし、それしか方法はありません!!
心の変容こそが、瞑想の意味することろです。新しい在り方やものの受け止め方を習熟することです。そのほうがより現実であり、相互に支えあい。流れのように連続的な変化であるもの。
それが、我々の存在であり意識であるのです。それでは、認知科学との接点について、この話をする必要があります。短い限られた時間で話さなければなりません。
脳の可塑性に関して、以前は、脳の機能は不変のものと思われていました。20年ほど前までは、すべての神経の接続の総数は、成人した後には、ほとんど変化しなくなるものと考えられていました。最近では、それは大きく変化しうることが解かっています。
10,000時間。バイオリンの特訓をしたバイオリン奏者の話を聞きましたが、指の動きを制御する脳の部分は大いに変化して、シナプス接続が���化されます。人間の品位において、愛あふれる慈悲や忍耐強さ。開かれた心によっても同じことができるでしょうか?
これは、それらの偉大な瞑想家が行っていることです。ウィスコンシンのマディソン。
または、バークレーの研究室に来た達人の中には、2万から4万時間も瞑想をした人がいます。彼らは、3年間ほどの隠遁生活を送り、その間、毎日12時間、その後も毎日3-4時間瞑想します。彼らは、心の訓練の真のオリンピック勝者です。
何が明らかになったでしょうか?
さきほどの話と同じです。研究に関しては、まだお話できないのですが、この研究では、無条件の慈悲について調べました。何年も何年もかけて、心の中に慈しみをあふれるさせることができるようになった瞑想家に実験をMRIにて手伝ってもらいました。
そこに至る訓練の途上では対象として、苦しんでいる人々のこと。愛する人々のことを考えますが、やがて、慈しみがあふれて、全てを覆い尽くすことができるのです。科学的な結果の全てを述べる時間はありません。またの機会があることを期待しましょう。
肝心なことは、この実験は、サーカスのように特別なことができる人を見せようというものではなく、精神鍛錬は、重要だと言いたいのです。これは、ただの贅沢ではなく、精神のビタミン栄養剤でもありません。
これは、我々の人生のすべての瞬間の品質を決定するものです!!
皆さん。教育には、すすんで15年を費やし、ジョギングやフィットネスなど、表面上の美貌を維持するためにあらゆる事を行います。しかし、心の動かし方、心の美貌などという最も重要なことには、驚くほど無関心で訓練に時間をかけません。
それは、我々の経験の質を決定する根本的なことなのです!!
宗教の創始者たちの概念上の教え。
原本は、ものすごくパワー(「パワーかフォースか?」の本でのパワー)の高い状態であることが確認されている。
ここで言われる「Powerパワー」は(スターウォーズでのライトサイドのForceフォース)そして、「Forceフォース」は(ダークサイトの方)という前提です。
しかし、宗教概念が、二元的であればあるほど(例えば、「神と悪魔」や「法律で暴力装置をがんじがらめにしたテロリスト集団が警察機構なのに絶対に善のような先入観を強調する構造」など)
つまり、ゼロサムになると誤訳される危険性も大きくなるように思います。
ロジェカイヨワの戦争論にある「いけにえ」も似ている。
あれこれと姿は変わっても、それらは常に存在し続けてきました。
上があれば下があるように、光と闇があります。人間の心理への探求、そして、高い精神的レベルに達しようとするコミットメントは、宗教として社会的に組織化されます。
逆に、そうなることによって、最も低いエネルギーフィールドに落ちていくのです。
よく組織に入ると優秀な人が無能化するのもこの構造原理にあるためです。
なぜなら、組織化されると言う偽りが最初から伴っているからです!!
だから、マスメディアを通すと意味が反転して届き易くなる傾向があります。
世界中のさまざまな宗教の創始者たちの概念上の教えが言うように、慈愛と言うエネルギーフィールドは、一神教でいう神の恩恵への入り口です。
多神教の仏教では慈悲とも言う「悟りへの入り口」とも呼びます。「ラーマ」「道(タオ)」バージョンもあります。
これらのキャパシティを増やすことで、私たちは、誰であり、なぜ?ここにいるのかと言う最終的な気づきに導かれ。
さらに、このアトラクタフィールドの光の中では溶かされ、すべての存在の究極の源へと導かれます。
これが、この世界で自らのパワーを高める唯一の方法なのです!!
または・・・
皆さんにも、「イラっ」とした感覚が生じる瞬間があるはずです。これは、「憎しみ」と誤解して、表現する書物がたくさんある。
しかし、誤りです。ブッタによると、「憎くて憎くて、あんたが憎い!だから、私の最大の敵なんだ〜」として、「イラっという感覚」と「目の前の敵」をリンクさせたがる。
これも、誤りです。ブッタは「私は、おまえの敵ではない!おまえの敵は自分自身なのだ!」と言います。自分自身ほど手強いライバルはいないとも言います。つまり、人間の特質がそうさせる自我がライバルです!
アインシュタインの相対性理論によるとある時点で光が、トポロジー的に反転して、今、自分の見ている対象が、自分自身の姿として写って脳内が認識してしまう!という現象も計算で判明しており、鏡のようになってしまうこともあり得ます。
「イラっという感覚」と「他者を敵という概念」は、リンクせず、関連もない!ただ単に、自分自身の勘違いと言うこと。これが理解できれば、憎しみの連鎖は断ち切れます。他人に教えても減らないプラスサムのブッタの知恵です。
また、ネイティブアメリカンでも、「イラっ」とする感情は、慈愛、慈しみと言うらしいです。
そして、親、兄弟姉妹は、ウザいという感情表現は、最高の慈愛、慈しみを感じてるから!らしいです。最悪、感情を自分自身で消化できないなら、物理的な距離感を大事にすればいい。��いうことになります。
これと似た現象に、政府の陰謀?影の政府?誰かの陰謀と具体的でない言葉で発言して自分以外の責任になすりつける人物や団体には、盲点があります。
つまり、邪悪な影の政府は具体的に発信している本人自身ということ。
なぜ?言葉の定義もなく指摘も抽象的ならその人や団体自体が最も具体的だから!
自分自身が、真の影の政府になるというパラドックス
日本では、西遊記の物語にでてくる天竺(てんじく)に行く三蔵法師が有名だが、アビダンマは、根本経典である三蔵(経・律・論)の一部。
阿毘達磨とも。サンスクリット語から、漢字に翻訳するとこう書かれる。武道の達人でもあった達磨大師。ダルマ様とも呼ばれる。
数十年単位では、悪性でも数百年単位では善性という事象は多数ある!
なぜ?一神教に比べて、多神教や漢字などに概念が多いのは、お釈迦さまが膨大に構築し、先人達の蓄積したアビダンマが根本だから!
<個人的なアイデア>
2019年に日本では、元号も「令和」に変わっていくため、ここで記しておくことは、今後の人類の発展に貢献できるかもしれないためでもあります。
マインドフルネスという瞑想法が流行していますが、個人的には危険性が高いと思っています。まだ科学的とはいえ「魔境」の克服が解明されていません。
仏教は、長い年月で練られた瞑想法が確立されているので、克服法も適切な指導者にて行わないと日常生活に支障が生じる恐れがあります。
瞑想法は気軽にするものではなく、自己責任でどうぞ。警告として、記入しておきます。
続いて
2020年後半くらいから様々な占いで出てきてた時代の変わり目。それが、西洋占星術で具体的に「風」の時代という形で出てきました。
私が、感じとってたインスピレーションは、たぶんこれかな?
兆しは、世界的な金融ビックバンの1970年代、IT革命のミレニアムの前から出ていたけど。
これは、これまでの約200年間。物質やリアリティの影響力優位「土」の属性の時代から、量子コンピューター、ビットやインターネットなどといった物質ではないものに影響力が増していく「風」の属性の時代に。
そして、本格的に軌道にのっていく属性は、今後200年程続くことになるのです(2020年12月22日から、2100年当たりをピークに少しずつ衰退していく2220年まで)
<おすすめサイト>
ポール・ピフ:お金の独占が人と大企業を嫌なヤツにする?
ショーン・エイカー :幸福と成功の意外な関係
バリー・シュワルツ:選択の自由パラドックスについて語る
ダン•ギルバート:私たちが幸せを感じる理由
日本テーラワーダ仏教協会
仏教と物理学
ボブ•サーマン:私たちは、だれでも仏陀になれるという話
マチウ・リカール:慈しみと愛他性(アルトルーイズム)に導かれる生き方
カイラシュ・サティーアーティ:怒りの昇華で世界に平和をもたらす方法?
<提供>
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xf-2 · 5 years ago
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イタリアにおける新型コロナウイルス感染状況は、凄まじいばかりだ。「全土崩壊前夜」といった類の煽り気味で絶望的なニュースが飛び交う。
だが、なぜイタリアでこれほど感染が拡大したのか、といった視点が決定的に欠落しているように思える。
そこで、鄧小平が断行した対外開放��つまり「中国人の移動」という観点からイタリアを襲っている惨状の背景を考えてみたい。
おそらくイタリア社会における中国人――その大部分は対外開放以後に海外に「走出去」して飛び出して行った新華僑世代――の振る舞いを捉えることで、ヨーロッパ全体を覆いつつあるパンデミック危機の背景を知ることが出来るはずだ。
中国人がいないと米作りが成り立たない 今から7、8年ほど前になるが、香港の中国系書店で『“不死的中国人”――他們干活、掙銭、改変着意大利、因此令当地人害怕』(社会科学文献出版社 2011年)なる書籍を購入した。
地下にしっかりと根を張りながら咲き誇るタンポポの表紙に魅かれたと同時に、日本語に訳すと『“不死身の中国人”――彼らは働いて、カネを稼いで、イタリアを変えている。だから土地の人に怖がられる』となる書名が醸し出す反中・嫌中の雰囲気が気になったからだ。
それにしても不思議に思ったのは、この本が北京の出版社から刊行され、しかも香港の中国系書店に置かれている点だった。
じつは、この本は中国人が著したものではなく、2人の若いイタリア人ジャーナリストがイタリア全土を駆け巡り、イタリア社会で生きる中国人の姿を克明に綴った
『I CINESI NON MUOIONO MAI:LAVORANO,GUADAGNANO,CAMBIANO L’ITALIA E PER QUESTO CI FANNO PAURA』(R.Oriani&R.Stagliano Chiarelettere 2008)
の翻訳である。
筆者にはイタリア語が分からないので、翻訳の出来不出来は判断のしようがない。が、なにはともあれページを追ってみた。
すると、中国人のイタリア社会への逞しくも凄まじいばかりの浸透ぶりが、溢れんばかりに綴られていた。
たとえば西北部の穀倉地帯として知られるピエモンテでのこと。
1980年代末に「紅稲」と呼ばれる雑稲が突然変異のように発生し、増殖をはじめ、稲の生産を急激に低下させた。ところが紅稲は除草剤や除草機では駆除できない。やはり1本1本を人の手で丁寧に抜き取るしかない。だが、肝心の単純労働力は不足するばかり。
そこへ、農家の苦境をどこで聞きつけたのか、大量の中国人がやって来た。イタリアで半世紀以上も昔に忘れ去られてしまった田の草取りの方法のままに、彼らは横一列に並んで前進し、紅稲を抜き取っていく。
<7、8月の灼熱の太陽を受け泥に足をとられながら、手足を虫に咬まれ、腰を曲げ、全神経を紅稲に集中する。想像を超える体力と集中力、それに一定の植物学の知識が必要だ。紅稲は一本残らず抜き取らなければ正常な稲に害が及ぶ。抜くべきか残すべきかを知っておく必要がある>(同書より抜粋)
過酷な作業ながら収入は少ない。だが喜んで中国人は請け負う。
ある日、田圃で中国人が脱水症状で倒れた。彼らに「健康を考慮し、明日からは10時間以上の作業を禁ずる」と告げた翌日、雇い主が田圃に行ってみたが、誰もいない。慌てて宿舎に駆けつけると、彼らは荷物をまとめて立ち去るところだった。
「毎日10時間しか働けないなんて、時間のムダだ」と、口々に言う。雇い主は、「中国人は疲れることを知らない。気が狂っている」と呆れ返る。
かくして同書は、「中国人がいないとイタリアの米作りは成り立たなくなってしまった」と嘆く。
「中国人って1カ所には留まらない」 農業に次いで、大理石の石工、ゴミ処理工場労働者、ソファー・皮革・衣料職人、バー、レストラン、床屋、中国産品の雑貨商などが中国人に依存するようになり、中国人はミラノを「イタリアにおける中国人の首都」にして、ありとあらゆる産業を蚕食していった。
その大部分は浙江省や福建省の出身者で、多くは非合法でイタリア入りしている。教育程度は他国からの移民に比較して低く、それゆえイタリア社会に同化し難い。
苦労をものともせず、倹約に努めるという「美徳」を備えてはいるものの、それ以外に目立つことといえば博打、脱税、密輸、黒社会との繋がりなど……。どれもこれも、胸を張って誇れるビジネスではない。文化程度の低さは、勢い生きるためには手段を選ばないことに繋がる。
これがイタリアで増加一途の中国人の現実である。
イタリア人は彼らを通じて中国を知る。だが中国人は、そんなことはお構いナシだ。
子供をイタリアの学校に通わせ、イタリア人として育てようとしている両親もいることはいるが、カネ儲けに邁進しているので、学校や地域社会で偏見に晒されている子供の苦衷なんぞを推し量る余裕も意識も持ち合わせてはいない。
同書の著者が、アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘に「夢は?」と尋ねる。すると彼女はこう答える。
<夢! そんなもの知らないわ。中国人って1カ所には留まらないものなの。あっちがよければ、あっちに行くわ。おカネの儲かり次第ってとこね。この地に未練なんてないの。もう14年は暮らしたけど、とどのつまりは行きずりのヒトなのネ……>
この印象的なシーンで、同書は終わっている。
アンナも他の中国人と同様に「とどのつまりは行きずりのヒト」なのだろう。
だが、新型コロナウイルスが「行きずりのヒト」と共に世界中を動き回ったとするなら、イタリアのみならず人類にとっては、やはり危険過ぎるというものだ。
対外開放でカネ・ヒト・モノが流入 1975年の時点で、イタリアでは400人前後の中国系住民(旧華僑世代)が報告されているが、鄧小平が対外開放に踏み切った1978年末から7年ほどが過ぎた1986年には、1824人になっている。
以後9880人(1987年)、1万9237人(1990年)、2万2875人(1993年)へと急増していったが、彼らは新華僑世代である。1990年代半ば、新華僑はイタリア在住外国人としては6番目の人口を擁していた。
1986年から1987年の間の1年間に見られた5倍以上の増加の主な要因は、1985年1月にイタリア・中国の両国間で締結(同年3月発効)された条約によって、イタリアへの中国資本の進出が促された点にある。
人民元(カネ)と共にヒト、つまり中国人労働者が大量にイタリアに送り込まれるようになった。また中国料理・食品(モノ)への嗜好が高まったことも、中国人労働者(ヒト)の流入に拍車を掛けたはずだ。カネ・ヒト・モノが中国からイタリアに向かって流れだしたのだ。
新華僑世代も旧華僑世代と同じように、同郷・同姓・同業などの関係をテコにして「会館」と呼ばれる相互扶助組織を持つようになる。1980年代半ばから1990年代末までの10年ほどで十数個の相互扶助組織が生まれた。これこそ新華僑世代増加の明らかな証拠だろう。
商品の発送元は温州市 彼らは強固な団結力をテコに、自らの生活空間の拡大を目指す。
たとえば、2010年前後のローマの商業地区「エスクィリーノ地区」には、衣料品、靴、皮革製品などを中心に2000軒を超える店舗がひしめいていたが、その半数は中国人業者が占めていた。
現在はそれから10年ほどが過ぎているから、その数はさらに増したと考えて間違いないだろう。
彼らが扱う商品の発送元は、浙江省温州市である。温州は、遥か昔の元代(1271~1368年)から中国における日用雑貨の一大拠点として知られる。新型コロナウイルスを巡っては、2月初旬に湖北省武漢市に続いて封鎖措置を受けた。
ローマの商業地区と新型コロナウイルスによって危機的レベルにまで汚染された中国の都市がモノとヒトで日常的に結ばれていたことを考えれば、イタリアの惨状が納得できるはずだ。
友人のイギリス人は、感染拡大の背景にはイタリア人の生活様式もあると指摘する。
イタリア人はオリーブやトマトといった健康的な食生活によって、肥満の多い欧州先進国においては珍しいほどに長寿国で、高齢者が多い。周辺先進国に比べて核家族化が進んでおらず、3世代同居も珍しくない。特に高齢者には敬虔なカトリック信者が多く、教会でお椀を共有してワインを飲む習慣があるという。
であるとするなら、中国人の「移動」という極めて今日的要因がイタリアの社会的・文化的伝統という“宿主”を得たことで、被害の拡大に繋がったとも考えられる。
中国人の数は40万人超 いま手元にある『海外僑情観察 2014-2015』(《海外僑情観察》編委会編 曁南大學出版社 2015年)を参考にし、近年のイタリアにおける中国人の状況を素描しておきたい。
中国人の人口は全人口の0.49%で30万4768人(2013年1月1日現在)。これに非合法入国者を加えると、実際は40万人超ではないか。
中国系企業が集中している地方は西北部のロンバルディア(1400社)、中部のトスカーナ(1万1800社)、東北部のヴェネト(8000社)、北部から中部に広がるエミリア・ロマーニャ(6800社)であり、貿易を主にして2万5000社前後。他にアパレルや製靴関係が1万8200社、レストラン・バー・ホテルなどが1万3700社を数える。
「イタリアにおける中国人の首都」であるミラノを見ると、イタリアが2008年のリーマンショック以後、経済危機に陥ったにもかかわらず、中国系企業、殊に食品関連は急増。同市で外国からの移住者が経営する600社のうち、中国人移住者のそれは17%を占めている。
アパレル産業の中心でもある中部のプラトでは、人口20万人余のうちの3万4000人を中国人が占めている。じつに7人弱に1人だから、一大勢力だ。彼らは有名ブランドの下請けから始まり、いまや伝統的な家内工業的システムを駆逐し、新たなビジネス・モデルを構築しつつあるという。
2014年4月、東北部のパドヴァには中国人経営のアパレル・チェーン店「CVG」が創業し、有名なファストファッションブランドの「H&M」や「ZARA」のライバルとして急成長を見せる。イタリアにおける中国系企業の小売り最大手は「欧売集団」で、イタリア全土で34軒のスーパーマーケットを経営しているという。
――以上は飽くまでも『海外僑情観察 2014-2015』に基づいたものであるが、ここからもイタリア社会への中国人の浸透度がある程度は理解できるだろう。
AC AFP via Getty Images AC Milanのイメージ写真 「ACミラン」の経営にも中国の影 「イタリアにおける中国人の首都」ミラノの象徴といえば名門サッカーチームの「ACミラン」だが、ここの経営にも中国人が大きく関係していた。
2014-15年シーズン終了後、ACミランのオーナーだっ���シルヴィオ・ベルルスコーニ元首相は、タイの青年実業家「Mr.Bee」ことビー・テチャウボンとの間で売却交渉を始め、2015年5月にACミラン株の48%売却で合意した。
Mr.Beeは、タイの「康蒂集団」と『星暹日報』の両社を傘下に置くサダウット・テチャブーン氏の長男である。
サダウット・テチャブーンは華人2代目で、華字名は鄭芷蓀。父親の鄭継烈が起こした建設業を引き継ぎ、1990年代初頭から積極経営に転じ、タイ国内のみならず中国やオーストラリアでの不動産開発やホテル経営にも乗り出した。
その後、タイの老舗華字紙『星暹日報』を買収し、2013年11月には広東省政府系の「南方報業伝媒集団」からの資本参加を得て、紙面も一新。それまでの繁体字からタイの華字紙としては初の簡体字横組みとし、電子版の配信、中国版Twitter「微博」の活用なども始めた。
当然のように論調にも南方報業伝媒集団の強い影響が感じられる。『星暹日報』は、タイにおける中国メディアの“別動隊”とでも言えそうだ。
さて、アブダビの資産管理会社「ADS Securities」と中国政府幹部が資金源と伝えられていたMr.Beeだが、ACミラン買収資金に苦慮していた。そこで彼が資金援助を申し入れた相手が、「阿巴里里集団」を率いる馬雲(ジャック・マー)であった。
2016年8月、ACミランは中国企業のコンソーシアム(共同事業体)に約832億円(株式の99.93%)で売却され、2017年4月にベルルスコーニ元首相はACミラン経営から撤退した。その後、2017-18年シーズン途中で中国系オーナーの債務不履行が原因で、最終的にはアメリカのヘッジ・ファンドが新オーナーに就任した。
華僑・華人の本質は移動 こう見てくると、「アンナと呼ばれる20歳の美しい中国娘」から現在の中国を代表する企業家・資産家の馬雲まで、じつに多くの中国人がイタリアと関わりを持っていることが分かるだろう。
同時に対外開放以後に顕著になった中国人の「移動」という現象が、合法・非合法に限らず世界各地の社会に様々な影響を与えていることも確かだ。武漢から感染が始まった新型コロナウイルスもまた、その一環と考えるべきではないか。
華僑・華人研究の第一人者である陳碧笙は、中国が開放政策に踏み切った直後に『世界華僑華人簡史』(厦門大学出版社 1991年)を出版しているが、同書で彼は、帝国主義勢力が植民地開発のために奴隷以下の条件で中国人労働者を連れ出した、つまり華僑・華人は帝国主義の犠牲者だという従来からの見解を否定した。
そして、華僑・華人の本質は、
「歴史的にも現状からみても、中華民族の海外への大移動にある。北から南へ、大陸から海洋へ、経済水準の低いところから高いところへと、南宋から現代まで移動が停止することはなかった。時代を重ねるごとに数を増し、今後はさらに止むことなく移動は続く」
との考えを提示した。
この主張をイタリアのみならず今や危険水域に達しつつあるヨーロッパ、アメリカ、日本、韓国、東南アジア、さらには感染報告が比較的少ないアフリカ、南米、そしてウズベキスタン、タジクスタン、キルギスタンなど中央アジアの国々にまで重ねてみるなら、新型コロナウイルスはもちろんのこと、中国発の“未知の危機”を今後も想定する必要があるだろう。
極めて逆説的な表現ながら、いまこそ国境を閉じて富強を目指した毛沢東の“叡智”を見返す必要を痛感する。新型コロナウイルスを「毛沢東の怨念」と見做すのは、筆者の偏見だろうか。
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