#野嶋昭生先生
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2024年1月20日

皇后杯JFA第45回 全日本女子サッカー選手権大会 準決勝 三菱重工浦和レッズレディース 3(4PK2)3 サンフレッチェ広島レジーナ@サンガスタジアム by KYOCERA 11916人/19分 安藤 梢、42分 猶本 光、45分+3分 立花 葉、61分 瀧澤 千聖、91分 中嶋 淑乃、112分 清家 貴子
浦和 ◯ 菅澤 優衣香、◯ 高橋 はな、◯ 塩越 柚歩、◯ 池田咲紀子
広島 ◯ 髙橋 美夕紀、◯ 立花 葉、✖️楠瀬 楓菜、✖️市瀬 千里

立花 葉

瀧澤 千聖

中嶋 淑乃
攻撃牽引のS広島R瀧澤千聖、浦和相手に2点差逆転は「成果」も…「決勝に行けるチャンスはあったので悔しい」(超WORLDサッカー!)
サンフレッチェ広島レジーナのMF瀧澤千聖が、三菱重工浦和レッズレディースとの激闘を振り返った。
S広島Rは20日、サンガスタジアム by KYOCERAで行われた第45回皇后杯準決勝で、クラブ史上初の決勝進出を懸けて浦和と対戦。
2点のビハインドを負うも、立花葉、瀧澤のゴールで追い付き、延長戦に入って直後の91分、中嶋淑乃のゴールで試合をひっくり返した。
だが、112分に再び失点を喫し、3-3のままPK戦までもつれると、浦和GK池田咲紀子の前に屈し、PKスコア2-4で涙を飲んだ。
瀧澤は[3-4-2-1]の左シャドーで先発出場し、110分までプレー。同点ゴールのほか、91分には突破からの折り返しで逆転ゴールの起点となるなど、攻撃を牽引した。
目まぐるしい展開となった激闘を終え、瀧澤は手応えや悔しさなど、様々な想いを口にした。
「立ち上がりは自分たちの流れが全然作れなくて、2点ビハインドもありましたけど、チームとしてやることはぶらさず、逆転まで持っていけたのは成果だと思います」
「でも最後、追い付かれてPKまで持っていかれたのは、自分たちのちょっとした甘さだったり、隙があったのかなと」
「決勝に行けるチャンスを自分たちで作れてはいたので、悔しいです」
序盤は相手のロングボール攻勢に付き合ってしまった上に、「予想以上にプレッシャーが早く」セカンドボール争いでも後手を踏んだ。球際でも「戦えていない選手がいた(中村伸監督)」と、指揮官からも厳しい指摘があり、チームの持ち味であるパスサッカーも息を潜めた。
ただ、後半は見違えるように躍動し、浦和を圧倒。敵将も「ゲーム(の主導権)を握られて耐える一方だった(楠瀬直木監督)」と残したほどだ。
「早いリズムで(ボールを回して)、(パスコースに)どんどん顔を出して受けようという意識してからは、すごく自分たちのサッカーができました」と、瀧澤も胸を張る。
滝澤が左に流れ、中嶋をサポートする関係が構築されつつあるのも見逃せない。
突破力に秀でた2人で同サイドを切り裂き、中央に髙橋美夕紀と上野真実、さらに大外から立花葉が飛び込む形が、幾度も見られた。いずれの得点も左サイドを契機に生まれている。
チームのストロングポイントの1つ、中嶋の活躍に比例し、「縦に行かせないチームが多くなってきた」と、相手の警戒度も上がっている。その対策を上回る1つの案として、瀧澤や髙橋が流れて中嶋をサポート。三者三様、それぞれの良さを生かした攻撃が構築されつつある。
「前回のリーグの対戦で縦を切ってきて、遠藤優さんと一対一をする場面が多かったという話を聞いていたので、今回は自分がちょっとサイドへ抜けてみるから、という話もしていました。そこはうまく使い分けができたかなと思います」
「(91分の逆転ゴールにつながった突破は)相手の高橋選手と一対一の状況だったので、もう思いっきり仕掛けようと。ゴール前も冷静に見えてましたし、その後のセカンドもレジーナが先に触って触ってという形のゴールだったので、練習でやってきた形ができたなと思います」
WEリーグカップを制し、この日の試合でも好ゲームを演じたS広島Rだが、リーグ戦では2勝2分3敗の8位。ただ、瀧澤が負傷から戻ってきたことや、3バックがフィットし始めたことで、復調の兆しを見せている。
再開後のカギを握るアタッカーは、「本当に点を取りたい」との意欲を見せると同時に、さらなるチーム力向上を誓った。
「リーグカップは外から見ている形で、リーグ戦の最初の方もなかなか調子が上がらないのを外から見ていただけだったので、自分が入って、どうにかいい方向へという思いでプレーしています」
「こうやっていい試合はできているので、これをオフに入ってゼロにするのではなく、新戦力も入ってくると思うので、ここまでの積み上げや成長にプラスして、ここからもっと上の順位へ食い込んでいけるようにしたいです」

「最高のゲーム」となった皇后杯準決勝、S広島Rの中村伸監督は転機のHTで何を伝えたのか(超WORLDサッカー!1月21日)
皇后杯準決勝で好ゲームを演じたサンフレッチェ広島レジーナ。中村伸監督は選手を称えるとともに、ハーフタイムに伝えたメッセージを明かした。
20日、第45回皇后杯準決勝の第2試合、三菱重工浦和レッズレディースvsサンフレッチェ広島レジーナがサンガスタジアム by KYOCERAで行われ、3-3で120分を終了。PK戦の結果、S広島Rは2-4で敗れ、初の決勝進出とならなかった。
S広島Rは劣勢の前半に2失点を喫したが、45+3分に1点を返して迎えた後半は流れが一変。同点に追い付き、延長戦開始早々には試合をひっくり返した。112分に浦和の維持を受け、最終的には敗れたものの、白熱の一戦を演じて見せた。
指揮官は試合後、「やるべきことを示し続けた最高のゲームだった」と、選手の奮闘を称えた。同時に、「足りないところを気付かせ、自分たちの良さを引き出してくれる」と、浦和に対しても敬意を示している。
「今、選手たちに伝えてきたのは『最高のゲームだった』と。良くなかった前半も含めて、自分たちが何をやらなければいけないのか、何が足りないのかと向き合い、後半や延長、PK戦へ向けて、しっかり自分たちのやるべきことを示し続けた最高のゲームだったと」
「力のある相手なので、押し込まれる時間帯もありましたけれど、毎回、我々の足りないところを気付かせてくれる相手ですし、自分たちの良さを引き出してくれる。そういう最高のゲームを毎回させてもらえますし、今日もそういうゲームができたことを嬉しく思っています」
後手を踏んだ前半と、圧倒した後半で何が変わったのか。中村監督は、渡邊真衣と柳瀬楓菜に発破をかけたことを明かした。
「まずハーフタイムに話をしたのは、闘えていない選手がいると。(攻守で後手を踏んでいた)ダブルボランチ2人に『お前たちがゲームを変えて来てみろ』と、話をして送り出しました」
「あとは自分たちの��トロングの部分、トレーニングしてきた部分をしっかりと出し切ること。それをしっかり選手が理解して取り組んでくれましたし、後半以降はより多く示し続けられたかなと思います」
リーグ戦では2勝2分け3敗。序盤の苦戦が響き、8位に沈んでいるが、後半のような戦い方が継続できれば、自ずと順位は上がってくるだろう。

石川と福井、大きさ逆転? 地震で海岸線隆起(北國新聞)
能登半島地震により、珠洲市から志賀町にかけての海岸線が隆起したことで、石川県の大きさが一時的に福井県を上回った可能性があることが、関係者への取材で分かった。
国土地理院(茨城県つくば市)によると、昨年10月1日時点の面積は石川県が4186・20平方㌔、福井県が4190・54平方㌔で、福井県の方が4・34平方㌔大きい。日本地理学会の調査グループが地震前の国土地理院の地形図と地震後の衛星画像などを分析した結果、能登半島全域の調査範囲内で約4・4平方㌔の「陸化」が確認され、両県の面積の差をわずかに上回った可能性がある。
同学会の後藤秀昭・広島大大学院准教授(地理学)によると、約4・4平方㌔は現在の河北潟ほどで「それなりの大きさ」といい、地震の規模を物語る。今後、海岸線は浸食により元の位置に戻ろうとし、陸化面積は今調査より小さくなる見通し。国土地理院の調査は満潮時に行うため、単純比較できないとしながら「日本列島は隆起、沈降が活発で、今回のような地震を繰り返して���成されてきた。歴史の一コマを見ているようだ」と指摘した。
同学会の調査では、地震の隆起などにより能登半島の約90㌔にわたって海岸線が前進し、輪島市門前町黒島町付近で最大約240㍍の前進が確認された。
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2016−12 南青山マンダラ

森田 梅泉(笛)<BAISEN 忘年会ライブ>スペシャルゲスト増尾好秋(G) 開場:18:00 ¥3,200 開演:19:30 前売店頭 開場:18:00 ¥4,500 開演:19:00新元 店頭-8+ Closed for special event 出演:日比野 景 塚本 伸彦 M兵几D飛上雅 細田 真子(Pf)〈AII “BLEU" Program〉 Closed for special event オペレッタ「メリーウィドウ〜パリの恋人たち〜」 野間 美希(Pf) 開場:18:00 4,000 演出:角岳史 植売店頭・カンフェティ ¥3,700 原永里子(Vc)LIVE <セカンドCD発売記念>上杉彩(PF) 開場:18:30 品演:19:30(+1ドリンク別) 筋売店頭・カンフェティ 戸川純(Vo) 3,800 <戸川純avecおおくぼけい vol.2> 開場:17:00 ¥4,800 おおくぼけい(Pf/アーバンギャルド) 開演:18:00税売+ <MIHASHI MIKAKO RISING…---50年目の陥落…・> 聖児(Vo)/松本哲平(PI)< Sollatiege Matsuroto 開場:19:30) X'mas Special Live 開演:20:00ドリンク別) 前0?店頭 本園太郎(Vo.G) 田中 徹(Drs)本杉光司(B) 開場:18:30 5,500 猿三橋美香子(Vo)鬼怒無月(G)(ゲスト梅津和時(Sax.C) 開場:18:30 3,500 クリスマスLIVE~2017 関 淳二郎(G) 野崎洋一(Pf) & more 開演:19:30 Qdrink&dessert付) 葡売 店躓 キッチンドリンカーズ三橋美香子(Vo)スト 山本精一(Vo.G)仙波清盛(Drs)近藤(Key) 開演:19:301ドリンク8) 煎売店頭 三橋美香子と総本山三橋美香子(Vo)藤達郎(Key)井誠(八笛能)勝井祐二(Vn)植村弘(Drs) cm姫由美子(Vo) <愛!愛!愛!> 森若三栄子(Pf) 開場:12:00 ¥6,000 宇井かおり(Vo)���村直人(P)西村泳子(Vn)松浦このみ(語り)西村直(S.E) 開場:18:00 ¥4,000 設楽圭司(Sax,FI) 開演:13:00(チケット売り切れ 佛坂 咲干生(Tp) 開演:19:00(班 店頭 Jz Craze 安部 一城(G) <ジェイズクレイズ・Xマス LIVE 2016> 開場:18:30 ¥3,600 開演:19:30 前売店頭 浅井 雄作(B) 富松万里子(Pf)大澤 史郎(Vn) ペジヨン(韓国舞踊) <韓国舞家へジョンと素敵なアーティスト vol.1 ¥4,000 開液:19:001ドリンク別) Le Chiacchiere LIVE XIV 松尾 子(Va.Vn) 土屋 智明(和太鼓) 開場:17:00¥4,500 開演:18:00(売 店頭 今福優(和太鼓) 宮内 健(Per) &more 25年の歳月と共に舞い叩く? 前売 店頭 中嶋 ジョージ(Pf)山平嗣(二胡) 開場:15:00 三代目JSB (JinbaSoBa) Hitomi Mochizuki(Key) 開場:15:30 開演:16:30 ¥4,000 佐久間レイ(Vo) 25日: 岡田邦子(Vn)五十嵐彩子(Vn) 開演:16:00 山下国太郎(Vo.G) 歌と語りの音楽温泉 ¥5,000 陣馬そば山下屋 Mika Naramura(Vn) 忘年会LIVE Vol.2 Yukiko Yamashita(Per) AOb 50 2nd:服場:10:30+ドリンク3) 柏売 店頭 ヨース毛(Vc) ザッハトルテ くあわて小うのサンクトルテ> スト ¥4,000 都丸 智栄(Acc) クリスマスライブ 磯部 舞子(Vn) 開演:19:30(1ドリンク別) (前売 店頸-0+ =2days= 佐田 詠夢 開場:18:00 26日:開演:19:00 平成うたあわせ十二番 茜空?茜空く~薬学ごだこたえあわせ」?> special support 開場:18:30 ¥2,800 showmore / 横山千晶(mille baisers) 開液:19:30(ドリンク別) 0日:開8:52 山本達彦(Vo.Pf) MIKIKO(Vo) TOMMY(3#) ¥3,000 Live en Quatre Saisons ? Hiver) ¥6,700 Acoustic AKARA-忘年会ライブー 開場:18:30 JUNN(尺八)TAKA(篠笛) 開演:19:30+1ドリンク別) =2days= 開場:14:00税73E 店w 莉元 店頭 11日:開演:15:00 フレデリック・ヴィエノ(Pf) 斎藤ネコカルテッド"忘年会”ライブ(StVグリート田(2nd.Vn) 開場:18:30 ¥4,200 ほさか夏子(Vo)<~祝&DVD・CDリリースアニバーサリー・ライブ>自外の質を9 開場:17:30 ¥5,000 山田雄司(Va) 森亮一(Vc) 開演:20:00 織売店頭 渡辺 介(Per)吉久亜紀(Vn) 開演:18:30 (売店頭 Vo:クリステル・チアリ 近ナッコ 真��寺恵里竹内道郎 まるたまり 3場:14:00 ¥5,000 花柳輔蔵(日本舞踊)西川光(邦楽打楽器) Jam For Joy Vol.68 福富英明 G:安斎昌之 玉川雄ー 遠田篤 池田 昭代(語り)く語りて候> 開場:18:00 ¥3,800 姜小青(古箏)海老沼真二(Pf)大山喜善(R八) Key:あいあい小西真澄本真 まめ妓B:大野弘毅 河野誠志 MINA 三宅 惠介 開場:18:00(ドリング) 谷宮 愛美(箏)本百香(琵琶) 開演:19:00(元 店頭 「忘年会Live 2016」 Drs:新谷康二郎 おにぎり 沢木浩作 滝山清貴 ?演:19:00煮班店頭 Horns:座光寺基光(Tp) はぐれ雲永松(Tb) 藤野美由紀(Sax) 「関節炎」 出演:川端 二(劇団NLT)中島久之 藤木雄太(劇団アルターエゴ) *出演者は変更になる可能性がありますので、その際はご了承ください。 <月刊! ギイ・フォワシィ> 演出:中村 まり子 翻訳:中村 まり子 開場:18:00 ¥3,000 (wed) 開演:19:00 (1ドリンク別) 3,300 「動機」 出演:泉関 奈津子(劇団NLT) 邁 前功 店嗔 原マスミ(Vo.G)2016年最後の弾き語り 開場:16:00 開類:17:001ドリンク別) 演出:山崎哲史(花天月地プロジェクト) 翻訳:利光哲夫 精売 店頭 小杉 十郎太(Vo.G) ◆営業時間:開場・開演時間については各日��ケジュールをご覧ください。 松田 真人(Pf,Key) 開場:18:30 ¥4,700 (thu) ~ Birthday & Christmas Live ~ 粂絢哉(G) 開演:19:30 前売店頭・+ 前売券の販売・お問い合わせは、PM4:00からPM10:00までです。 南青山MANDALA ライブ終了後はBar TimeとしてAM12:00まで営業しています。 ◆ライブチャージ:特別に記してない場合ライブチャージにはファーストドリンクが含まれています。東京都港区南青山3-2-2 VRビルB1 仲井戸”CHABO”電市?土屋公平<CHABOのマジカル60'sツアー> ◆席には限りがありますので立ち見になる場合もございます。ご了承ください。 〒107-0062 TEL:03(5474)0411 開演:19:00(チケット売り切れ ◆当店での企画、催し物に関するご相談はお気軽にスタッフまでお問い合わせください. ◆今後のライブスケジュール情報は、受茶羅グループのWEB SITEでもご覧になれます。 www.mandala.gr.jp 町支 寛二(G.Vo) カンフル罪 ※E568k、Va)く?年忘れ、物忘れ、そう、悪えないもラーおいっとく?> 開場:16:00 ¥6,200 開演:17:00 (売店頭 Ol/jan./2017 <月刊!ギイ・フォワシィ> ¥4,000 南壽あさ子 劇作家ギイ・フォワシィの作品を一年間のロングラント演 01888 アコースティックコンサート2017 1orink別 移籍第一弾シングル & more ブラックでエスラリの効いた演劇にご明待ください。 Y3,000 「flora」が9月28日(水)に 1/11(wed)「動機」「相寄る魂」 18藤吉久美子Vo/NeW Ye/LNE2072011880021930 発売決定! 累計200万末を超える大人気RPG 上保美香子VOP1/森山優理子NG.P) ※21500081320 「アトリエ」シリーズの新作 フィリスのアトリエー 今後のライブ情報を cam ストリングオーケストラ 不思議な旅の鏡金期額〜」の オープニングテーマ& 先行してお知らせ! 松ヶ下 宏之No.Pi.G) イベントリスタートテーマが Ticket info, TEL.03(5474)0411 Cte BAND STYLE ONEMAN?お正だよ全員集合?¥4,200 26 Misko Plavi (ミシュコ・プラヴィ) THE TON-UP MOTONo SINGLE KEEP ON STANDING!! 2015.1.28 release 千駄ケ谷1 南青山3丁目 青山通りフランフラン■ リビエラ■ MARDRLA 東京メトロ 外苑前駅 「TA出口 西麻布! 東北・関東大農災におきましては、被災者の方々に謹んでお見舞い申し上げます。当店では皆様の安全を最優先して営業致します。また、収益の一部を義援金として被災地へ寄付させて頂きます。
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中産階級ハーレム① ─ 野球
①大正4(1915)年に大阪朝日新聞の主催で開催されることになった全国中等学校野球大会は、年々予選参加校が増えて人気を呼び、鳴尾運動場で行われた第9回大会(大正12年)準々決勝では観客がグラウンドにあふれ出して試合続行が困難になる事態となったことなどから、阪神電鉄が所有する西宮市の土地に大正13(1924)年に建設された、約6万人収容の甲子園球場に舞台を移すことになった。こうした野球熱の高まりにつれ、もう1つ全国的な大会の新設を望む声も増し、同年から大阪毎日新聞が主催する全国選抜中等学校野球大会(いわゆるセンバツ)もスタート。
大正3(1914)年に早慶明による三大学リーグ戦が発足、以降順次大学が増え、応援団の問題で早慶だけは対戦なしという変則リーグ戦が組まれるなど曲折の末、大正14(1925)年に東大も加盟して東京六大学リーグが結成された。さらに翌大正15(1926)年秋には六大学関係者が神宮奉讃会にはたらきかけ建設された3万3千人収容の神宮球場に舞台を移すことになった。②はその開場式の模様。
③早大の人気選手から東京日日新聞(現毎日新聞)記者となった橋戸頑鉄氏らの奔走で、中学・大学を卒業した野球選手たちが集う各地のクラブ・チーム、実業団チーム、鉄道局チームによる全国大会として都市対抗野球大会が昭和2(1927)年から開催され、第1回は大連満鉄倶楽部が優勝を飾った。
④当初「満員になるのに10年はかかる」といわれた甲子園での中等学校野球が大観衆でふくれあがるのに時間はかからず、中京商、松山商、明石中の「3強」が激突した昭和7(1932)年の夏の大会は連日超満員、スタンドの頂上からも観衆がはみ出し、危険な状態に。
⑤日本の野球は近代国家��なった明治初年にもたらされ、大正から昭和のはじめにかけ人気スポーツとして異常といっていいほどの発達を遂げたが、中心は当時の中等学校野球と東京六大学リーグで、大正期に日本運動協会というプロチームが生まれたが発展を見ずに終わった。また昭和7年、文部省の「野球統制令」により学生野球も大きな制約を受けることになった。その中にはプロチームとの試合禁止もあり、正力松太郎の読売新聞が昭和6年、9年の2度にわたって米大リーグ・チームを招いた際、相手となる日本チームは9年には学生抜きの社会人選手で構成され、中学生の沢村栄治やスタルヒンは野球部を退部して参加した。ベーブ・ルース(↑画像の先頭から2人目)やルー・ゲーリッグを擁する大リーグ選抜は17戦全勝と強さを示したものの、沢村が9三振を奪いゲーリッグのホームランによる1点に抑えた試合など注目を集め、この時の日本チームを母体として大日本東京野球倶楽部、後の読売ジャイアンツが生まれ、プロ野球は2度目のチャレンジで実ることに。
⑥米中との大戦を遂行する軍部から「野球は敵性スポーツ」との声が日々強まり、昭和18(1943)年春、文部省は東京六大学野球連盟に対しリーグ戦の中止と連盟の解散を通達した。秋には文科系学生の徴兵延期も中止され、10月16日、早稲田の戸塚球場で出陣学徒壮行早慶戦が行われた。試合後、両校の選手・応援団が「海ゆかば」を合唱、12月1日には全国の学徒が兵役に就いた。
⑦昭和22(1947)年8月2日、昭和天皇と皇后が後楽園球場で行われた都市対抗野球をご観戦になり、グラウンドにもお立ちになった。プロ野球の天覧試合より12年早く、戦争期の天皇の位置づけを思えば驚くべきことといえよう。
⑧都市対抗大会を中心に隆盛を築いた社会人野球。昭和31年の都市対抗では慶大を卒業したばかりの藤田元司投手の快投で横浜・日本石油が優勝。
⑨人気・実力で先行した六大学野球や社会人野球に対し、後れをとる形となったプロ野球も昭和25(1950)年の2リーグ制・日本シリーズ開催などで徐々に盛り上がりを見せる。盟主を自認する巨人の監督を追われた三原脩が西に下って西鉄監督に就任、31年から3年連続で古巣巨人を降して黄金時代を築いた。特に33年の日本シリーズは3連敗から4連勝するという逆転劇で、連投の稲尾和久は「神様、仏様、稲尾様」と讃えられた。
⑩昭和35(1960)年夏、36年春と2季連続で甲子園大会を制し、横浜市内をパレードする法政二・柴田勲。36年夏には三たびの対決となる「怪童」尾崎行雄の浪華商に屈した。
⑪読売ジャイアンツに大学球界のスター長嶋茂雄(昭和33)、高校球界の王貞治(昭和34)が入団、打撃タイトルを独占したり昭和40年以降9連覇の原動力となって国民的人気を獲得。子どもの好むもの巨人・大鵬・卵焼きと謳われる。
⑫昭和38(1963)年、南海の野村克也は捕手ながら52本塁打を放ち当時のプロ野球記録を更新。後にプレーイング・マネージャーを含め4球団で監督も務め、知将として手腕を発揮。
⑬昭和40年代初めに当時の六大学野球記録である通算22本塁打を放った田淵幸一(法政大)。戦前~戦後にかけ高い人気を誇った六大学野球は次第にプロ野球に押されたが、この時期には法政の田淵や山本浩二、明治の星野仙一や高田繁、早稲田の谷沢健一や荒川尭らが活躍して黄金時代の再来と称された。
⑭昭和40(1965)年秋に始まったドラフト会議の一期生として巨人入団した堀内恒夫投手、42年の対広島戦で投げてはノーヒットノーラン、打っては3ホーマー。
⑮昭和44(1969)年10月、「プロ野球の父」正力松太郎氏の死去と前後して、暴力団と関係し八百長を行う「黒い霧事件」が発覚。多数の選手が永久追放などの処分を受けた。
⑯昭和46(1971)年のオールスター第1戦でセ・リーグの先発・江夏豊(阪神)が9連続奪三振を記録。↑画像はパ・リーグ四番の江藤慎一(ロッテ)をうちとった瞬間。
⑰昭和48(1973)年の高校野球は、前年夏の予選でノーヒットノーランを連発するなど「怪物」の異名をほしいままにした江川卓(作新学院)の剛腕に沸く。準決勝まで進出した選抜大会での奪三振60は今も破られていない。卒業後は法政大⇒巨人で活躍したが、ドラフト指名をめぐるゴタゴタや肩の変調などで悲運のイメージが付きまとった。
⑱昭和49(1974)年10月、長嶋茂雄が「わが巨人軍は永久に不滅です」の言葉を残し現役引退。
⑲昭和52(1977)年9月3日の対ヤクルト戦、巨人の王貞治は鈴木康二朗投手から通算で756本目となるホームランを放ち、アーロンの持つ大リーグ記録を上回ったとのことで同年当時の福田内閣は国民栄誉賞を創設して表彰した。
⑳昭和54年夏の甲子園大会で壮絶なドラマが展開された。3回戦の箕島×星稜の試合である。箕島の石井毅、星稜の堅田外司両投手の好投で1対1のスコアで延長戦に。星稜が12回に1点をあげるとその裏、箕島は二死から嶋田宗彦捕手が同点ホームラン。星稜は16回にも1点を奪ったが、今度もその裏二死後に箕島・森川康弘外野手が同点ホームラン。そして大会規定の引き分けイニングに入った18回、箕島は2走者を置いて上野敬三内野手が左前へサヨナラ打(↑画像)して死闘に決着。
㉑同年の日本シリーズは広島と近鉄という創設当初は弱小だった球団による対決となり、3勝3敗の第7戦、広島が1点リードで迎えた9回裏、抑え投手の江夏豊が「江夏の21球」として語り継がれる巧投で無死満塁のピンチを切り抜け日本一に。
㉒同年、前年初の日本一に輝いたヤクルトの広岡達朗監督は、チームの不振が続いたうえ森、植村コーチの処遇をめぐり球団と対立、シーズン中の8月に退団した。解説者を経て昭和56(1981)年オフに西武ライオンズ監督に就任。1年目の57年に日本一に輝くなどヘッドコーチ⇒監督の森昌彦(祇晶)と西武黄金時代の礎を築く。
㉓昭和57年8月、横浜球場での大洋×阪神でとんでもない事件が起きた。7回表、阪神・藤田の三塁前小飛球をファウルと判定されたことに激昂した島野コーチが一塁コーチスボックスから走ってきて鷲谷塁審に暴行、その鷲谷塁審を守ろうとした岡田主審に今度は柴田コーチが暴行、選手たちが止めに入っても暴力をやめず全治2週間の傷を負わせるという前代未聞の醜態。
㉔KKコンビこと1年生夏(昭和58年)にエースと四番打者として甲子園を制覇した桑田真澄(左)と清原和博(右)。以降5期連続出場して2年生春・夏とも準優勝、3年生春がベスト4、そして最後の夏に再び優勝。
㉕昭和61年の最優秀選手は両リーグとも2年連続で三冠王を獲得した落合博満(ロッテ)とランディ・バース(阪神)。バースの打率.389は現在までプロ野球記録。
㉖昭和60年こそ阪神に屈したものの、その前後の時期、西武ライオンズが工藤、秋山、清原、石毛らの活躍で黄金時代に湧く。62(1987)年の日本シリーズでは、かつてドラフト会議で指名を確信していた巨人が盟友・桑田を指名したことで屈辱を味わった清原がその巨人を倒し日本一目前というところで男泣き。
中産階級ハーレム (JAGATARA, 詞・曲:江戸アケミ)
中産階級ってのもお安くないぜ
一度なったらやめられねえ
スコッチ・ウイスキー、
ファミコン・ソフト、週に一度のゴルフ場通い
できた女房にはげまされ カラオケ・パブでは人気者
満員電車にゆりゆられ 行きつく先は老人ホーム
たった一人の箱入り娘は 情報誌片手にロック狂い
アダルト・ビデオに胸ときめかせ 不倫さわぎもおつなもの
夏には夏で有給休暇 家族そろって海外旅行
にっこり笑ってシャッター押せば 楽しい思い出わいてくる
受験戦争と高度成長に乗り遅れた者は使い捨ての百円ライター
管理社会の落し子たちは 今日もディスコで踊りあかす
さしせまるエネルギー危機には 一億火の玉原子力
でも中産階級ってのはおかまいなしだぜ 今の日本を支えてる
中産階級ってのは最高だぜ 一度なったらやめられねえ
中産階級ってのは最高だぜ 努力しだいであんたもなれる
中産階級ってのは最高だぜ アンタもなってみろよ
中産階級ってのは、
中産階級ってのは、
中産階級ってのは ホントにいるのかい、
ホントにいるのかい?
中産階級ハーレム、
中産階級ハーレム、
中産階級ハーレム…………
ヤツは肥えた──!
ヤツは超えた!…………
頭そうじするんだ…………
だいじょうぶマイフレンド
※写真はすべてベースボール・マガジン社刊『激動の昭和スポーツ史』の「プロ野球・上下」「高校野球・上下」「社会人野球」「大学野球」より。旧ブログの運営元であるgooブログが2025年11月にサービス終了することになり、残しておきたい記事をピックアップして新ブログに順次再投稿していきます。
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Hello! Project 研修生発表会 2025 3月「Spring Is Here !」 :★★★☆(3.5) 出演:ハロプロ研修生 林仁愛・浅野優莉花・宮越千尋・西村乙輝・大坪茉乃・吉田光里・杉原明紗・服部琉愛・長野桃羽・坂本葵花・鈴木もあ・石川華望・根本花凛・宮﨑理帆・大野愛莉・樋口愛海・染谷彩良 ※牧野永愛は、テスト期間と重なるため、本公演を欠席させていただきます。 ロージークロニクル ゲスト:Juice=Juice MC:まこと
2025/3/2(日) Zepp DiverCity (東京) 開場:17:45開演:18:30
自分でも何がなんだかわからない。夕方の研修生発表会に行くべく電車に乗るが、車内でチケット忘れに気がつく。あっと思ったが後の祭り。チケットを取りに戻っても公演の最後に滑り込む形になるので、どっぷりと落ち込みながら帰宅し、プラチナチケットをゴミ箱へ投げ捨てた。 翌日、ぼーっと狼をみていると実力診断開催発表のスレが立っていた。「???、、、!!!」そう何と研修生発表会は今日だったのだ!ゴミ箱をひっくり返してチケットを回収。破らないで本当に良かった。開演まであと1時間。ちょい遅刻で間に合うかも!ほとんど寝巻きみたいな格好で家を飛び出し最寄り駅手前でまたもはっと気付く。何とチケットをまた忘れたのだ!!!!
10分遅れ着くとスタッフの方が席まで案内��てくれた。席は一般で取った最後方上手の席。私の右に立ってみている人がいて立ち見席なんてなかったはずだがと思ったら、どうやら上野先生のようで勝手に大変緊張した。
小学生研修生大量加入。とにかくみんな可愛い。将来の期待感に満ち溢れている。ほぼ小学4.5年で固めてきているので、次の新ユニット、もしかするとさらにその次の新ユニットのコアメンバーになるのだろう。 林無双。5月の実力診断テストにも参加するようなので2連覇を手土産にJJ入りするか。西村いつきちゃんはダンスが飛び抜けて跳ねていて目を引いた。ゲストのJJはりさち復帰後のJJを初めて見る。とにかくマイペースで活動して欲しい。
<今日のパンチライン> まこと「それでは先日から加入しました新人研修生を紹介しましょう」 林「それではどうぞ」 新人研修生「いえ〜いええい、いえ〜い、いえぇえい」
セットリスト> 01.色とりどり伸びよ!!/ハロプロ研修生 02.ヨリドリ ME DREAM[OCHA NORMA]/ハロプロ研修生 03.へいらっしゃい!~ニッポンで会いましょう~/ロージークロニクル MC 04.大好き100万点[モーニング娘。]/吉田光里・杉原 05.高輪ゲートウェイ駅ができる頃には[CHICA#TETSU]/宮越・大坪・服部 06.春 ビューティフル エブリデイ[モーニング娘。]/林・西村 07.三回目のデート神話[つばきファクトリー]/ロージークロニクル MC 08.私が言う前に抱きしめなきゃね/Juice=Juice 09.ロマンスの途中(2023 10th Juice Ver.)/Juice=Juice MC 10.初恋の亡霊/Juice=Juice 11.ナイモノラブ/Juice=Juice MC 12.スキちゃん[S/mileage]/長野・坂本・鈴木・石川・根本・宮﨑・大野・樋口・染谷 MC 13.あるべきキミであれ(新曲)/ハロプロ研修生 14.ウブとズル/ロージークロニクル 15.「アイドルはロボット」って昭和の話ね[ハロプロ研修生]/吉田光・杉原・服部・段原・工藤・松永・江端・川嶋 16.部活終わりに新しいジャージに着替える乙女心[ハロプロ研修生]/林・有澤・石山 17.念には念(念入りVer.)[こぶしファクトリー]/宮越・西村・大坪・井上・遠藤 18.泡沫サタデーナイト![モーニング娘。'16]/ハロプロ研修生 MC 19.Good bye & Good luck![Juice=Juice]/ハロプロ研修生・ロージークロニクル・Juice=Juice
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星辰選集
花鳥誌 令和6年8月号

令和6年5月号の掲載句より再選
坊城俊樹選
この星辰選集は、私が各月の掲載句の中で、雑詠選・撰集選・さいかち集の成績などに関係なく、改めて俳句としての価値が優れていると判断したものを再度選句したものです。 言わば���その号における珠玉の俳句ということになります。
実朝の忌あり五山の揺るぎなし 渡辺 美穂 虚子もまた磐座に在り実朝忌 久保 光子 使はれぬ男雛の太刀の古りにけり 渡辺 彰子 春近し腕にはみ出すフランスパン 緒方 愛 正月が地獄の底に能登地震 多田 みす枝 人呑みし海ごつごつと寒の雨 白水 朝子 黒潮へいざなふ春の波止場かな 後藤 軽象 大寒や死にゆくものの息を見る 栗原 和子
クロッカス暮しそれぞれ三姉妹 渡辺 炳子 ものゝふの声は怒濤に実朝忌 天野 かおり ブラックホールより現はれし揚雲雀 津野 おさむ 半身は予知夢の中や涅槃西風 田中 惠介 錫杖をつき仏性は春を待つ 一倉 小鳥 春光の肩より満つる観世音 四宮 慶月 アネモネや母の絵筆のまだ濡れて 小寺 美紀 漁師町旧正月といふ祈り 小川 笙力
筆に生れ筆に死す恋近松忌 村上 雪 ひとり拝す寒雨に濡るる年尾句碑 松井 秋尚 春を待つごと新札の待ち遠し 小林 敏朗 強東風がまたそこで待ち伏せてゐる 藤森 荘吉 太箸や年長の椅子すはる吾 坂井 令子 熱燗や蘊蓄三昧里訛 松島 亜栄子 雪起し先づ地響きを立てし町 西村 史子 寒の雨誦経とよもす陽子墓碑 武山 文英
日のかけらせめぎ合ふまま薄氷 平山 邦子 日脚伸ぶ何かの卵蔓に揺れ 鍛治屋 都 復興の能登に恋猫ここか���こ 宮城 踏青 下萌や砂漠の真中にも家族 佐伯 緋路 またひとつ巨星堕つるか遠雪崩 松雪 耿子 こんなにも真面目な顔で春を待つ 渡辺 光子 長生きを嘆くをんなの初電話 上嶋 昭子
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お盆になり、水戸市内には他県から帰省したと思われる家族連れが市街を行き来していた。大樹の父・広樹の職場でもあるK百貨店も開店から閉店までの間、人出が絶えなかった。
広樹は二日だけ有給休暇を取り、一日は佐伯の父・浩志の墓参りに利江子も行った。性の手解きをしたかつての恩師に、広樹は手を合わせながら、
「大樹も大きく���ったし、浩二さんもよくしてくれてるし、先生のお陰です」
と言った。利江子も、
「先生は『愛のキューピット』だもンね〜」
と、墓石に生けた仏花を捧げた。
この夜、K百貨店の通り沿いにある郷土料理店で佐伯と大樹を交えて食事をした。
「愉しい〜!」
と、利江子は佐伯と一緒に南町のバーへ行った。一方、広樹は大樹を連れて家に戻った。流石に、呑兵衛の利江子には付き合ってられないと、彼も相当飲んでいた。父がすぐ風呂に入って寝てしまった傍らで、大樹は部屋のベランダに出て夜風に当たっていた。久しぶりに両親と過ごし、愉しかったが慣れない感覚もあった。いつも佐伯と過ごす時間の方が多いからだった。大樹は、
「明日、何しよう?」
と、お盆でもあるし久しぶりに小説でも書いて過ごそうと思った。
その頃、仁志も勇人と妻・光代と大町のフランス料理店で食事をしていた。勇人は、光代と会う時には必ずこのレストランと待ち合わせをしていた。
デザートを終えた三人は、互いにコーヒーや紅茶を飲みながら近況を話し合った。光代は、
「仁志が大学を卒業するまで、教育費の方はお願いします。それ以降のことは、考えさせて」
と言った。今のところ、離婚をする考えはない様だった。
光代は、勇人が同性の情人(アマン)がいること自体は、このご時世には仕方ないと思っていた。しかし、彼がその情人を家に招き、濡れごとをしたことに生理的な嫌悪感があった。しかも仁志と言う自分の息子がいる目前で…。
未だ小学五年生で、ちょうど第二成長期に入ったばかりの仁志にとって、父親が情人を連れて絡み合っているその情景は、ただショックでしかなかった。勤め先であるJ銀行から帰って来た光代に、仁志が泣きじゃくりながらすがり付いて来た時には、流石の彼女も激怒した。
翌日、土曜日でもあったので彼女は兄・美樹を連れて出て行った。しばらく仁志は父と口をきくことをしなかった。勇人も罪責感を抱えながら、家には情人を招かないことを誓った。
だが、仁志が中学校に入学し、自分も幼なじみの大樹と関係を持つ様になると、父と話す様になった。勇人は、我が子が同じ悩みを持つ様になったのは自分のせいかと、最初話をされた時は戸惑った。
「ちょっと、時間を頂戴」
と、再び会話のない日々が続いた。
『オレのせいで、仁志も同性に興味を…』
これを機に、情人であった川嶋耕平と別れようと、東京の本社に出張した時に勇人は銀座のカフェーで待ち合わせをした。川嶋は言った。
「息子さんが同性に目覚めたのは勇人のせいだと言うの? 否、同性であろうと最初は一度は憧れがそのまま恋愛感情になる場合もあるよ。もう少し、息子さんと話をした方がイイって…」
だが、別れ話をされたことに対しては、
「奥さんと子どもがいるのに、しかもベッドの上で勇人とエッチしたのは、誰だって生理的に嫌だと思う。そこまで考えなかったオレも悪い。家庭を壊した責任はオレにもあるし…」
と理解は示した。その言葉に、
「何もかもオレが悪いンだ。耕平のせいじゃない。一度その気になったら突っ走っちゃうのが、オレの悪いところなンだ」
とうつむいた。
結局、勇人は川嶋と別れることができなかった。上野駅の常磐線のホームで、人気を忍んで二人は接吻した。勇人は、
「耕平とは別れたくない…。光代も美樹も仁志も大事だけど、お前も同じくらい大事なんだ…」
とすすり泣きながら言った。
「大丈夫、いつか理解してくれるよ。泣かないで、切なくなるから…」
こう言って川嶋は、勇人の頬をつたう涙を指で拭った。
その後、勇人は仁志に、
「男だから女、女だから男を好きにならなきゃならないと言うことはない。病気でも何でもないよ」
と話した。一方、すでに大樹と肉体を何度か絡ませたことがある仁志は、
「でも、子どもは作れないよ」
と疑問を投げ付けたが、
「確かに子どもはできない。でも、愛することはできるよね?」
と聞いた。
「愛する」と言う意味が、未だ仁志には解らない様だった。肉体的な快楽を得ることは愛でなく「遊戯」だと、彼は思っていた。父は、それは「愛の表現」と言った。
それから仁志は、勇人に色々悩みを打ち明ける様になった。川嶋に対する感情も変わっていった。その間に性暴力の事件もあり、愛を伴わない絡みは恥辱しかもたらさないことを身をもって思い知らされてからは、父との距離がますます近くなっていった。
立志式を済ませた中学二年生の時、勇人は川嶋を仁志に会わせた。内心、仁志は母と���が出て行った原因をつくった犯人と思ったが、勇人にとっては親愛なる情人だと理解した。川嶋は、
「君のお母さんとお兄さんが別居した原因をつくったのは、決して許されることではないと思ってます。しかし、お父さんは君のお母さんとお兄さんと同じくらいに僕を必要だと思ってらっしゃるンです」
と、やや緊張しながら話した。仁志は、そんな川嶋を目前に、父は決して浮気に彼と付き合っているのではないと思った。彼は言った。
「僕も、実は同級生とお父さんや川嶋さんと同じ関係を持ってます。その同級生は僕にとって大事だし、決して肉体(からだ)だけを求めている訳ではありません。なので、お父さんが川嶋さんを母さんや兄さんと同じくらい愛していることに対しては理解しています」
この言葉に川嶋は安心したのか、顔を両手で覆い、すすり泣いた。隣で聞いていた勇人も号泣し、
「仁志、ありがとう…。理解してくれて、ありがとう…」
と頭を垂れた。涙を流すほど二人は肩身の狭い思いをしていたのかと、仁志は驚いた。
勇人は未だ、川嶋を光代には紹介していなかった。恐らく、理解されないだろうと思っていたからだった。しかし、いつかは話をしなければならない。その時期を勇人は見計らっていた。
レストランを出ると、勇人は光代にちょっと飲みに出掛けないか?と聞いた。それに対し、
「仁志はどうするの?」
と光代は聞いた。その様子を見ていた仁志は、
「オレ、家で待ってるよ。せっかくだから二人で行って来たら?」
と言った。勇人は、両親の気遣いをできる様になった仁志を心の中で喜んだ。
こうして勇人と光代は、家の鍵を仁志に渡すと水戸駅の方へ歩いて行った。
南町のバーに入るとカウンターには数名の客が座っていたが、その中に利江子と佐伯もいた。光代は、
「あれ? 大樹君のお母さんじゃない?」
と利江子の姿を認めたが、勇人はできれば二人っきりで飲みたかった。彼は、
「君と二人で飲みたいな」
と言った。
二人はテーブル席に座り、勇人は「ジョニーウォーカー」の黒ラベルをロックで、光代は「サンヴィヴァン」と言うアルマニャックをストレートで注文した。ブランデーグラスを掌の上で揺らしながら、光代は言った。
「思い出すわね、出会った時のこと。わたし、あの頃、末広町支店の窓口にいて、同僚に誘われた時にあなたと会って…。背広が似合ってて一目惚れしたのよ」
「そうだっけ?」
「あなた、背が高いしモテたンじゃない?」
「意外と、オレはモテなかったよ」
「そうだっけ? でも、仕事一筋だったもンね」
先刻、レストランで仁志の前で振る舞っていた様子とは違い、光代はリラックスしていた。やはり母親としての態度を見せたかったのだろう。彼女も酒は好きだった。主にブランデーを好み、その後も「サイドカー」と言うカクテルを注文した。
一方、カウンターでは利江子が陽気になっていた。彼女は、
「広樹君、ラグビー部に入ってたンだけど、顧問が浩志先生で、部活中にケガをして介抱されて部室に二人っきりになっちゃって…。その後、先生、どうなったと思う!?」
と、佐伯に質問を投げかけた。佐伯は、
「父さんのことだから、手を出したとか?」
と言うと、
「そうなのよ! 土埃は部室前の水道で洗い流したンだけど、膝にできた傷口をなめたンだって! そしたら広樹君ったら…」
と独りで盛り上がっていた。利江子は両手で顔を覆い、
「おチ○チン勃っちゃって、それに気付いた浩志先生ったら、エッチしちゃったンだって! あたし、数日後に広樹君からその話を聞いて漫画にしちゃったの」
と話した。流石に佐伯は絶句し、
「…父さん、馬鹿だなァ」
と溜息をついた。
まるで女子会の様な雰囲気だった。勇人と光代の座るテーブルからは仕切りがされていたので、まさかそんな話を大樹の母がしているとは考えてもいなかった。勇人は、光代に川嶋と会って欲しいと言うタイミングを見計らっていた。すると彼女の方から、
「そう言えば、あなたのお妾さんは元気?」
と聞いた。勇人は「お妾さん」と言う言葉にドキッとした。あまりに率直過ぎたからだ。彼は、
「『お妾さん』って、昭和じゃないンだから…」
と苦笑した。彼は続けた。
「あぁ、元気だよ。この間も東京で会って来た」
「何か、妬くわ」
「…申し訳ない」
「でも、大事な男(ひと)なンでしょ?」
「あぁ、君と美樹や仁志と同じくらい」
「会うと必ず寝るの?」
「…いつもじゃないよ」
「そう、意外ね。でも、それだけ絆が深いのね」
「…うん」
光代はグラスの中で煌めく金色を見つめながら、
「まァ、流石にあたしも寝ていたベッドでセックスしたのは、正直嫌だったなァ…」
と言った。勇人もグラスの中の若草色を見つめ、
「そうだよな…。本当に申し訳ないと思っている」
と言った。光代は話し続けた。
「でも、仁志がほら、性暴力を受けたでしょ? わたしもその話を聞いた時、血の気が引いたわ。あの子はあなたに似て顔立ちもイイし身長もあるし、あの頃はバスケットボールもやってたし、目をつけられたのね。わたしも殴り込みに行こうかと思ったら、あなたが行ってくれた。あの頃から考えが変わった。『嗚呼、勇人も父親なンだな』って…」
「その後、仁志はオレから離れなかったよ」
「知ってる。あの子から聞いた。『父さんがいないと怖い』って。どれだけ怖い思いをしたのか…」
「本当、大変だった」
この夜、光代から川嶋と会ってみたいと言った。彼女の方から話をしてくれたのは、勇人にとっては有難かった。
クローズの時間が近づき、勇人が会計をしようと財布を取り出したが、
「わたしが払うからイイよ」
と光代が言った。
「愉しいお酒だったし、今夜は嬉しかった」
その言葉に勇人は微笑んだ。
一方、利江子は酔い潰れてしまっていた。隣に座っていた佐伯は、
「ちょっと、大樹ママ! 寝ちゃダメですよ!」
と声をかけた。利江子は、
「う〜ん、広樹君呼んでぇ〜」
と呂律が回らない様子だった。光代も、
「利江子さん! もう閉店だって!」
と身体を揺らした。すると、
「あらァ〜、仁志君のママじゃなァ〜い。一緒に飲みたかったァ〜!」
と絡んだ。
結局、同じタクシーで一緒に帰って行った。光代は梅香のアパートから近いところで下車し、
「利江子さん、いつか飲もうね!」
と、視線は勇人の方を向いていた。
新聞配達のバイクが走り始めていた。ようやくひんやりとした空気に変わり、微かに東の方が明るくなっていた。
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j1030 TV界、就職状況
昭和30年代、NHKに続き、4チャンネルの日本テレビ、6チャンネルのTBS、8チャンネルのフジテレビ、10チャンネルのテレビ朝日、12チャンネルのテレビ東京の順に、民放は開局していった。 NHKは、ニュースが主体で、民放は、王、長嶋選手が活躍する野球放送、力道山が活躍するプロレス中継が、横綱的存在の番組であった。 世相も、戦後の混乱期を脱しバブルの助走時代、人々は工場で汗、油まみれに働き、野球放送とプロレス放送を見ることによってストレスをはらしていた。 当然まだ白黒放送で、放送時間も、現在みたいに、一日中放送しているわけではない。 夜のゴールデンタイムと昼メロが主で、昭和30年代後半になると、朝のモーニングショーがヒットし、その後、午後3時代の番組も放送されるようになったのである。 民放では、巨人戦、プロレスの放送権を持つ日本テレビは、後から開局したTBSやフジテレビに比べるとダントツである。 TBS、フジテレビは、日本テレビと比べると、横綱と序の口の勝負で、とても歯がたたない。 そこで、なんとか日本テレビに対抗出来ないものか、と考えたあげく、手を組み、両社で資本を折半し、カメラマンやオーディオマン、映像マン、照明など、番組制作技術スタッフプロダクションを設立したのである。 その会社は東通という会社で、後にカラー放送が始まり、バブルの時代になると破竹の勢いで伸びていく。 その後、日通、電通に迫り、日本の3通と呼ばれるまで急成長していくのである。 昭和40年、ひかるは、その東通の第1期生として華々しく入社したのである。 ひかるが夜学卒業時、求人板には、今の名だたる家電メーカー、東芝や日電、松下やソニーなど、設計関係や、それがらみの求人が所狭しと並んでいた。 テレビ関係の求人は殆んど無く、隅っこに一枚あっただけで誰も振り向かなかった。 ひかるは、難なくテレビ界に就職出来たのである。 (TV界が、これ程急発進、急展開する事は、誰も予測出来なかったのである) 求人広告で目を引いたのは、赤井電気という、中堅企業であった。 待遇が、他の会社に比べ、格段に良かったのである。 クラスの秀���達は、その赤井電気に殺到した。 15年前後、新聞の見出しに、赤井電気倒産の記事を見た時、胸をなでおろした。 会社更生法で、存続はしたようであるが、就職した、ずば抜けて頭の良かった友人達の顔が、頭をよぎったのである。 ひかるは、さほど頭がよくなくて良かった。幸運であったと、しみじみ感じたのである。 また、頭がよくなくて良かったと思われるような幸運が、これから先、何度もひかるに訪れるのである。
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俺、今日、誕生日!!
誕生日こそ、普通に過ごそう。
富田林古民家まるっとリフォーム工事
貝塚市水間町 新築 リフォーム坂口建設
誕生日やから、
朝起きて、仕事に行って、ちょっと遅くまで頑張って、帰ってきて赤飯をたべて、運動に行って普通の日に感謝する。

ケーキは明日いただきます。
っていいかっこ言うてるけど、先週に誕生日のご褒美を前借りして高知県に旅行行っちゃったんですけどね
(^_^;)すいません。
高知の話もですが、
昭和46年9月生まれの乙女座。
本日を持ちまして52歳らしいです(^_^;)
ちなみに同級生は
竹野内豊君に西島秀俊君
マジか(-_-;)
ちなみに1971年の出来事はというと
■NHK総合テレビが全番組カラー化を実施
■『仮面ライダー』放映開始
■マクドナルド日本第1号店が銀座にオープン
■円変動相場制移行
■アポロ14号、月に着陸
半世紀ってすごいですね。
昔のことは良いことしか覚えてないけど、50年も経つと、小さな自分史だわ。
そういえば盆休みのこと、夕方テレビをつけてると、
「白い巨塔」のドラマが放送されてた。
みんな俳優さんが若くてね、
主人公の唐沢寿明くんも若いけど、伊藤英明や佐々木蔵之介が研修医の若手やったりとなんか懐かしい、
この夕方の昔のドラマが面白くなって録画するようになったんです、
白い巨塔のが終わったら次は反町隆史の「��TО」がはじまりましてね、
反町隆史君も松嶋菜々子ちゃんも若いし、この後に結婚も♡
また反町くんが教えるクラスでイジメられてる生徒が小栗旬君だったりして、
なんか最近古いドラマがマイブームでサブスクでも探して見てしまう。
「IWGP」面白すぎる。
しかし、俳優さんもみんな若い頃からキャリアの積み重ねでしてね、
「人類史とは小さな自分史の積み重ねなのだ」
ってカギカッコまでつけて 良いこと言うてる風やけど、
当たり前のこと言うてるだけやんけ。
てね!
鼻の穴開いてませんよw
と言ってる間に12時まわって誕生日終わったわ(^_^;)
そそ、先週末の高知旅行も付き合ってもらえます?
前から言ってた、ソウダガツオの新子を食べに行く旅行。
新子て何や?と
1年未満の子供のことを新子というらしのですが、これが8月の末から9月の中旬までしか食べれないレアな食材。。
まぁ、テレビで新子がうまいとロケしてたのを見て思いたったミーハーな旅行。
そのために一度5月に四万十市まで下見に行ってというアホな旅行。
下の写真の上のほうが新子で、下の魚はもう大きくなりすぎて新子とは呼ばないらしいです。

6時間かけて高知県四万十市中村まで来たからには
とにかく、昼間の丼にはじまりまして、とにかくカツオ食べまくりました。


前回来たとき新子以外にもタタキのお店をリサーチ。
カツオ食べるなら「なかひら」って店にいってみたらいいとの情報。
ということは夜の一軒目は「なかひら」から。
噂では職人気質で、良いカツオが入らないとお店をしめるとか。
お店に入ると噂通りちょっと怖そうなマスター。
とりあえず、無難にポン酢のたたきと塩たたきを注文して食べる。
めちゃうまい。
すると怖そうなマスターが近づいてきて、
「美味しいか?どっからきたの?」
と聞くので、大阪ですと答えた。
マスター「カツオの刺し身食べてみるか?大阪では絶対食べられへんビリやぞ」
ビリ?
マスター「ビリビリや1時間前まで泳いでた」
中村では生きの良いピチピチ跳ねてる鮮度の良いものをビリと言うらしい。
それがこれです。

口に入れると、とにかくモッチモチなんです。
もちろん臭みもなくしっかりした歯ごたえでとにかく弾力が凄い。
ついでにヨコワの新子もいただき、これもモチモチ。
新鮮なササミのような食感。

何でも鮮度が大事なんよね。
世の中には、まだまだ美味しいもんがいっぱいある、食の冒険は続く。
帰りに前回行けなかった南国市の
「かいだ屋」に

最近 県外行ったら帰りにウナギシリーズなってるわ(^_^;)
高知県はほんまにええとこ。

もし、中村にカツオ食べに行くときは是非とも私に御一報下さい、
全力でアテンドはできませんが、旅のしおりなら作りまーす。
ということで、52歳の今年も仕事に遊びに頑張ってまいりますので、どうぞよろしくお願い致します。
貝塚市 岸和田市 泉佐野市 泉大津市 和泉市 泉南市 阪南市 熊取町 忠岡町 田尻町
天然素材スイス漆喰カルクオウォール
リボス自然塗料取扱店
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目次の表示・非表示を切り替え 野茂英雄 13の言語版 مصرىDeutschEnglishEsperantoEspañolفارسیSuomiFrançais한국어MalagasyРусский中文Bân-lâm-gú他 4 言語 ページノート 日本語 閲覧編集履歴表示 その他 閲覧編集履歴表示 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 この存命人物の記事には検証可能な出典が不足しています。信頼できる情報源の提供に協力をお願いします。存命人物に関する出典の無い、もしくは不完全な情報に基づいた論争の材料、特に潜在的に中傷・誹謗・名誉毀損あるいは有害となるものはすぐに除去する必要があります。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2015年3月) 野茂 英雄 2011年2月16日 日南市天福球場基本情報国籍 日本出身地 大阪府大阪市港区生年月日 (1968-08-31) 1968年8月31日(54歳)身長体重 6' 2" =約188 cm220 lb =約99.8 kg選手情報投球・打席 右投右打ポジション 投手プロ入り 1989年 ドラフト1位初出場 NPB / 1990年4月10日 MLB / 1995年5月2日最終出場 NPB / 1994年8月24日 MLB / 2008年4月18日経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) 大阪府立成城工業高等学校 新日本製鐵堺 近鉄バファローズ (1990 - 1994) ロサンゼルス・ドジャース (1995 - 1998) ニューヨーク・メッツ (1998) ミルウォーキー・ブルワーズ (1999) デトロイト・タイガース (2000) ボストン・レッドソックス (2001) ロサンゼルス・ドジャース (2002 - 2004) タンパベイ・デビルレイズ (2005) カンザスシティ・ロイヤルズ (2008)国際大会代表チーム 日本五輪 1988年野球殿堂(日本) 殿堂表彰者 選出年 2014年得票率 82.4%(324票中243票)選出方法 競技者表彰 この表について[表示] この表はテンプレートを用いて表示しています。編集方法はTemplate:Infobox baseball playerを参照してください。 ■プロジェクト:野球選手 ■テンプレート オリンピック 男子 野球 銀 1988 野球 野茂 英雄(のも ひでお、1968年〈昭和43年〉8月31日 - )は、大阪府大阪市出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。MLBのサンディエゴ・パドレスでアドバイザーを務める。 概要[編集] 「トルネード投法」と呼ばれる独特なフォームから繰り出されるフォークなどで三振を量産し、日本プロ野球(以下:NPB)とメジャーリーグベースボール(以下:MLB)で活躍した。 NPB時代はパリーグ初の沢村栄治賞を受賞(大阪近鉄バファローズが存在した時代に受賞した唯一の近鉄出身投手でもある)、平成初の投手三冠王を達成、パ・リーグ最多タイ記録となる最多勝利を4回獲得している。 MLB時代にはノーヒットノーランを2回達成、最多奪三振を2回獲得、新人王受賞といういずれもアジア人史上初の偉業を成し遂げている[1][2]。 NPB/MLB通算最多奪三振(3122)記録保持者。 2016年2月からサンディエゴ・パドレスのアドバイザーに就任[3][4][5]。 長男は2015年から2018年まで北海道日本ハムファイターズの球団通訳を務めた野茂貴裕[6][7][8][9]。また、シンレンサイのメンバー、三戸キャップは遠戚にあたる。 経歴[編集] プロ入り前[編集] 小・中学校時代は全くの無名選手であったが、「体を捻って投げると直球の威力が増す」と理解し、後のトルネード投法の原型となるフォームで投げていた。高校は近大附など名門野球部のセレクションをいくつか受けるも不合格となり、大阪府立成城工業高等学校(現・大阪府立成城高等学校)に進学する。高校では2年生からエースとなり、1985年7月19日に全国高等学校野球選手権大阪大会2回戦の大阪府立生野高等学校戦で完全試合を達成。3年時はベスト16(5回戦)進出などの成績を残す。高校時代の監督は後年その投法を振り返り、トルネードほど捻らないがその片鱗を感じたという意味で「つむじ風投法」と名付けた。 高校卒業時に既にプロから誘いがあったが、新日本製鐵堺へ入社(勤務先は子会社の新日鐵化学の総務部)。新日鐵化学での当時の給料は額面で11万9000円、手取りでは9万円ほど。新日鐵堺での1年目にはスライダーを習得できなかったため、最大の武器となるフォークボールを習得。2年目の1988年には都市対抗に出場。1回戦でNTT東京に完投勝ち、2回戦でも延長17回を投げ抜き大昭和製紙にサヨナラ勝ちを飾る。準々決勝は東芝の菊池総と投げ合うが早々に打込まれ敗退[10]。同年のワールドカップ日本代表に選出され、ソウルオリンピックでは銀メダル獲得に貢献している。1989年の都市対抗も準決勝に進出するが、大昭和製紙北海道に敗れる[10]。同年のインターコンチネンタルカップ日本代表となる。 名実共にアマチュアNo.1投手となった進路が注目される中で行われた1989年のNPBドラフトでは史上最多の8球団(阪神タイガース、ロッテオリオンズ、ヤクルトスワローズ、横浜大洋ホエールズ、福岡ダイエーホークス、日本ハムファイターズ、オリックス・ブレーブス、近鉄バファローズ)から1位指名を受け、抽選の結果、近鉄が交渉権を獲得した。推定契約金は史上初の1億円台となる1億2000万円、推定年俸は1200万円で、契約時に投球フォームを変更しないという条項が付け加えられた。 近鉄時代[編集] 1990年4月10日の西武ライオンズ戦でプロ初登板。その後勝利の付かない試合が続くが、4月29日のオリックス戦で日本タイ記録(当時)の1試合17奪三振を記録し、完投でプロ初勝利を挙げた。同年は新人ながら最多勝利・最優秀防御率・最多奪三振・最高勝率と投手四冠を独占したほか、ベストナイン・新人王・沢村栄治賞・MVPにも輝き、パ・リーグの投手が沢村賞の選考対象となったのは1989年からで、野茂はパ・リーグからの受賞第1号となった(2010年までに新人王と沢村賞を権藤博・堀内恒夫���上原浩治が、木田勇が新人王とMVPのダブル受賞を果たしているが、新人王・沢村賞・MVPをトリプル受賞したのは野茂だけである。ただし木田は、当時の沢村賞の選定がセ・リーグのみだったため受賞対象者ではなかった)。奪三振に関してはシーズン2桁奪三振試合21回、5試合連続2桁奪三振(当時)、三振奪取率10.99(パ・リーグ最高記録)など従来の記録を次々に更新し、「ドクターK」の異名に違わぬ活躍を見せる。 1991年には自身の記録を塗り替える6試合連続2桁奪三振を記録した。オールスターゲームでは第1戦(東京ドーム)に全パの先発投手として登板し、先頭打者の立浪和義をはじめ6奪三振を記録(1990年代の球宴では最多)する。第2戦(広島市民球場)では秋山幸二が自打球で負傷退場し、他に野手がいなかったため、代打で出場。結果は見逃し三振だったが、秋山が既に2ストライクだったため、記録上は秋山の三振。この時オリックスの中嶋聡のヘルメットを被って打席に立った。 1992年も18勝を挙げ、2年連続で最多勝や最多奪三振などのタイトルを獲得した。 1993年にも5試合連続2桁奪三振を記録。同時に1990年から1993年にかけ、史上初の新人年からの4年連続最多勝と最多奪三振のタイトル同時獲得を達成(新人からの4年連続最多奪三振は他に江夏豊がいるが、当時はタイトルではなかった)。 1994年は開幕戦の西武戦で4回までに11奪三振、8回まで無安打に抑えたが、9回に先頭の清原にヒットを打たれてノーヒットは途切れた。その後2四球で満塁となったとこで赤堀元之に交代したしたが、この試合前監督の鈴木啓示は「今日は野茂と心中や」とマスコミに発言しておりその言葉を聞いてた赤堀もそれを鵜呑みにしていたこともあり準備不足の中登板し伊東勤に逆転サヨナラ満塁本塁打を浴びて敗戦した[11](野茂も鈴木の言葉を信じていただけにこの降板でモチベーションは下がった[12])。7月1日の西武戦では1試合16与四球の日本記録を作ったが、191球を投げて3失点完投勝利を挙げた。8月に右肩痛のためシーズン途中で戦線を離脱したため8勝、126奪三振に留まり、最多勝と最多奪三振の連続記録も途切れた。 近鉄退団の経緯[編集] この節は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。出典を追加して記事の信頼性向上にご協力ください。出典検索?: "野茂英雄" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · dlib.jp · ジャパンサーチ · TWL(2016年11月) 球団との確執[編集] 1994年の契約更改では複数年契約と、団野村を代理人とした代理人交渉制度を希望したが、球団は肩を故障してシーズン後半を棒に振ったことを理由に拒否。この際球団は「君はもう近鉄の顔ではない」と告げたとされている。球団社長はマスコミに「年俸をもっとよこせ、ということでしょう」と述べ、要求はあくまで「年俸吊り上げのための口実」であり、「次の更改ではサインするでしょう」と楽観視していた。これに対し野茂は「お金の問題じゃないんです」と反論したが、この一連の動きに対してはマスコミも近鉄の意見に同調し、次第に孤立していった。更に球団フロントに対しては後に確執が表面化することになる球団OBの投手出身鈴木啓示に対して鈴木が監督になる以前の仰木彬監督の時代から不満をいだいていたと語っている。 開幕投手であるにも関わらず、球団関係者に本社の人間が来るので車を動かすよう要求された(藤井寺球場には選手専用駐車場が無かった)[13][14]。 観客動員が増えることで収入が増え、優勝したらその分年俸を上げなくてはいけなくなるため、契約更改の席で「(10.19決戦のように)熾烈な優勝争いをして2位に終わるのが一番」と言われた。 4年連続最多勝のシーズンオフに現状維持の年俸を提示された[15]。 球団は野茂が近鉄でプレーする意思を表明しない限り、トレードや自由契約ではなく「任意引退」として扱おうとした。自由契約にならない限り他球団でのプレーは出来ないためであるが、これがMLBへの挑戦を決意する1つ目の理由となった。代理人団野村は、野茂は当初からメジャー移籍を模索しており、近鉄球団から任意引退を引き出したのは作戦であったと後に明かしている[16]。 監督との確執[編集] もう1つの理由は、仰木の後任である鈴木啓示との確執だった[17]。野茂は近鉄への入団条件に「投球フォームの改造をしないこと」を挙げていた。当時の監督仰木彬はこれを快諾し[18][19]調整方法も本人に任せたため、野茂は仰木を信頼して尊敬するようになった。これに関してはメジャー在籍時の晩年に「自分を信頼してくれた仰木さんを胴上げするためにチームに貢献しようと頑張っていたが、仰木さんが監督を辞められたことでその気持ちは薄れてしまった」と語っている。更に1993年に監督に就任した鈴木は、自身が主に先発で317勝という実績を挙げた投手出身ということもあってか、フォームや調整法など様々な事に関して干渉した。また選手指導としても厳しい姿勢を見せつけていた。例として野茂は開幕戦で調子が整えばそれで良いという考え方で開幕前はスロー調整であったが、鈴木はオープン戦から結果を要求していた。立花龍司とのマンツーマン指導で遠投など自己流でスタミナを作っていたが、鈴木はひたすら走りこむことを要求し「では一体何周走ればいいんですか?」と問うと鈴木は「何周とかと違う。野球選手はひたすら走るもんなんや」と持論を押し通した。近鉄投手陣は立花に信頼を寄せていたが、立花が鈴木の冷遇によって1993年に近鉄を退団したため、投手陣の反発を買うこととなった。 監督就任直後、鈴木は道上洋三のラジオ番組への出演時に野茂について「三振は取るが四球が多すぎる。(投球)フォームを改造しなければ」「いまのフォームではいずれ通用しなくなる。その時に私に頭を下げてこられるかどうかだ」と野茂の制球力の悪さに不満を持ち、完全に野茂のフォームを否定していた。 こうした指導法が元で鈴木と対立するようになり、近鉄退団を決意する2つ目の理由になった。当時野茂とチームメイトだった金村義明は著書「勝てる監督 負けるボス」で、野茂の「僕は、別にどうしてもメジャーでやりたかったわけじゃない。ただ、あの監督(鈴木)の下ではやれないと思った、それだけなんです」という発言を紹介している。 これらの要因が重なった結果、野茂は球団フロントの制止を振り切り近鉄を退団しMLBに挑戦することとなった。自由契約ではなく任意引退扱いなのでNPBに帰った場合、近鉄に保有権があることになった。当時の野球協約68条第2項には「全保留選手は、他の球団と選手契約に関する交渉を行い、または他の球団の為に試合或る��は合同練習等、全ての野球活動をする事は禁止される」 となっていたが、任意引退前にコミッショナー事務局から任意引退による球団の保有権が外国の球団にまで及ばないことの言質を得ていたため、MLB球団と契約することが可能になった(その後、任意引退による日本人選手の流出に危機感を感じたNPB側が1999年に協約を改正し「外国のいかなるプロフェッショナル野球組織の球団をも含め」という条文を追加したため、現在ではNPBのみならずMLB球団を含め、任意引退した選手は世界各国のプロ野球球団と契約することが出来なくなった)。なお、近鉄は2004年にオリックスと合併したため、保有権はオリックスに移行したと解釈されている。
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ダ-ティ・松本 不健全マンガ家歴30年[-α]史 ●はじめに この文章は同人誌「FUCK OFF!7」において書かれたものをベースにして逐次増補改定を加えていき、いずれ歴史の証言として、[というほど大袈裟なものでは無いが…]一冊の本にまとめたいという意図のもと、近年どんどん脳が劣化していくダ-松の覚え書きとしても使用の予定。事実関係は間違いに気付き次第 訂正。同人誌発表時のものも今回自粛配慮して、実名、エピソード等を削除した箇所有り。有り難い事に某出版社よりすでに出版打診があったがまだまだその時期ではない、マンガを描く事が苦痛になったら活字の方も気分転換にいいかも…。 /*マークは今後書き加える予定のメモと心得たし。 ●前史/修行時代・1970 さいとうプロの短くて濃い日々…… 1968年に上京。数カ月後東京は戦場に。熱い季節の始まりだった。 2年後親元を飛び出し友人のアパートに転がり込む。場所は渋谷から井の頭線で駒場東大駅下車、徒歩5分。地図で見ると現在の駒場公園あたり。昼間でも裸電球を付けなければ真っ暗という馬小屋のような部屋。数メートル先には当時の建設大臣の豪邸が…。前を通りかかるだびに警備のおまわりがじろり。 いつまでも友人に迷惑もかけられないのでとりあえずアシスタントでも…と手元にあったマンガ誌をひっくり返し募集を探す。幸いさいとうプロと横山まさみち氏のところでアシ募集があり両方応募。どっちか一つ通れば…と思っていたら何と両方受かってしまい、双方に条件を聞く。当時高円寺 のアパート、風呂無し4畳半の部屋で相場12000円の時代。前者一ケ月の給料10000円、後者20000円との事。給料の方がボロアパートの家賃より安いとは…!どう考えても前者は食う方法がないと判断し、後者さいとうプロへ入社。 ここに居たのはたったの半年に過ぎないけれど今思えばこれだけで本が一冊描ける位の濃い半年だった。しかしこのあと2X年分も書かねばならないことを思えば今回はいくつかのエピソードを書くだけに留めよう。 ダー松が入った時は小池一夫氏[クビ?]、神田たけ志氏や神江里見氏、きしもとのり氏[現・松文館社長]等と入れ替わりの時で、きし氏の女遊びの凄さと神江氏の絵のうまさは伝説になっていた。現在「亀有」「ゴルゴ」が歴代単行本の巻数の多いベスト1、2位だが[ともに100巻を越えた]、3位は神江氏の「弐十手物語」[70巻以上]だという事は知ってる人は少ないだろう。 当時の制作部は、さいとうたかを[以下ゴリ]をトップに石川班[ゴルゴ13、影狩り]、甲良班[バロム1]、竹本班[シュガー、どぶ等]の3つに分かれ、それぞれのキャップにサブ・チーフが一人づついて、ヒラが2~6人いるというシステムで総16名。独立し現在も活躍中の叶精作、小山ゆう、やまさき拓味の3名がそれぞれの班のサブ・チーフ。ダー松は石川班で左右1メートル以内に叶氏とゴリにはさまれ、のんびり出来ない状態で、はなはだ窮屈。叶氏はほとんどマンガ家になりたいとも思った事のなかった人で、設計事務所みたいなところで図面を引いていた人がなぜマンガプロダクションに来たのか不思議だった。格別マンガ好きというわけでもなかったせいか現在まで全ての作品が原作もので、オリジナルは一本もないのはそのせい?祭りなどの人がうじゃうじゃ出てくる群集場面が得意。 やまさき氏は大の競馬好き、現在競馬マンガを多く描くのは当時からの趣味が生きたというべきか。もう一つの趣味である風俗についてはここでは書くのは差し控えよう。小山氏は後日ここの事務の女性と結婚するが、当時はつき合っているとは誰も知��ず、スタッフの一人がやめる時その女性に交際を申し込んだら、茶店に呼び出されて小山氏からと凄まれたと聞いたが嘘か本当かは不明。 ここでの生活は新入り[ダー松を含めて3名]は朝の9時前に会社に行き、タイムカードを押し、前日のごみをひとまとめして外に出し、トイレ掃除をして、16人分のお茶を2Fで入れて制作部のある3Fへの狭い階段をふらふら昇り、机ごとに置いて歩き、終れば、一息ついて買っておいたパンと牛乳を3分で食べて、やっとそれから仕事。しかし新入りの3名の内1人折茂は常に遅刻なのでいつも佐藤と2人でやっていた。佐藤も遅れる時はダー松1人で。辞めてから10年位、16人分のお茶を持って階段をふらふら歩きお盆をひっくり返す夢をよく見たものだが、実際ひっくり返したのは折茂と佐藤の2人で、よく茶碗を割っていた。 たまには夕方6時には帰れるが、普通は夜10時までで、アパートに帰って銭湯に行けばもう明日にそなえて寝る時刻、このくり返しの日々。週1日は徹夜で明け方に帰り、その時は当日の昼12時出勤。休日は日曜日のみで忙しい時はそれも取り消し。つまり休みは月3日。[これで給料2万円!]そんな日々の繰り返し。 夕方までは皆和気あいあいと仕事していたが、ゴリが夕方6時頃に「おはようさん」と現れると、全員無駄口がたたけなくなり、仕事場はシーンと静まり返り、以下その日が終わるまでは疲れる時間がただひたすら流れるのみ。 当時石川班は「ゴルゴ13」と「影狩り」を描いていたがゴリは主人公の顔と擬音のみ。マジックで最後に入れる擬音はさすがに入れる位置がうまいと感心。ゴルゴの顔はアルバムに大小取り混ぜてコピーがとってあり、忙しい時は叶氏がピンセットで身体に合わせて「これが合うかな~」といった感じで貼り付けていた。 その頃すでに「ゴルゴ」は近々終わると噂されていたが、現在もまだ続いているとは感嘆ものだ。 ゴリと石川氏が「ゴルゴ」の最終回の終わり方を話しているのを聞いたら、何ともつまらない終わり方。しかしあれから20年以上も経つ事だし、きっともっといい終わり方を考えてあるだろうなと思っていたら、先日TVで本人が最初から考えてある終わり方だと言うのを聞き、がっくり。企業秘密だろうから書かないが、作品の最初の方に伏線が数度出ているのでわかる人にはすぐわかる筈。 辞めた小池一夫氏とさいとうプロに何があったかは知らないが、漏れ聞く話では結構もめ事があったみたいだ。 「子連れ狼」で「ゴルゴ13」と同じ設定の回があった時、「小池のガキャー訴えたるー!」とゴリが吠えていたものだが、結局たち消え。さいとうプロ作品で脚本を書いた本人が辞めた後、他の作品で同趣向の作品を書いても著作権は脚本を書いた原作者のものだと思うがどんなものだろう。その回のタイトルは忘れたが、ある場所に居合わせた人々が武器を持った集団の人質となり、その中に素人だと思われていた主人公、実は殺しのプロフェッショナルがいて、次々とその集団を殺していく、といったプロットで、ミッキー・スピレーンの短編に同じような作品があり、本当に訴えていたら恥をかいたと思うが・・・。 そういえば事務の方には山本又一郎という男がいたが、後年映画プロデューサーとして 「ベル薔薇」や「太陽を盗んだ男」等を創る事になるが、この野郎が生意気な男で当時皆に対して10歳は年上、といった感じの振る舞いだったが後日俺と一つしか年が離れてなかった事を知り、そんな若造だったとは、と皆怒ったものだ。以来奴の事を「マタさん」から「クソマタ」と呼ぶようになる。 さて半年後に先輩たちが積もり積もった不満を爆発させる反乱事件が勃発し、2年は居るつもりでいたここでの生活も、辞めるか残るかの選択を迫られる。残ればさいとうプロの現体制を認める事となるので、ダー松も退社。 しかし反乱グループとは別行動をとって一人だけの肉体労働のアルバイター生活へ突入。超ヘビーな労働の製氷工場、人使いの荒い印刷所、命綱もない高所の足場で働く建設現場等々。トラックの助手をしていた時は運ちゃんが「本宮ひろしって知ってるか?うちの息子の友達でさぁ、昔、おっちゃんメシ食わしてくれーなんて言ってきたもんだが、今は偉くなっちゃってさー、自分のビル建てたらしいよ。赤木圭一郎みたいにいい男なんだ。」とうれしそうに話してくれたが、運ちゃんには悪いがそいつは今も昔も一番嫌いなマンガ家なんだ。あの権力志向はどうにかならんか。天下を取る話ばかりだもんなぁ。 ところで後日、単行本の解説で高取英が「さいとうたかをのヤローぶっ殺してやる!」とダー松が言ったなどと書いているが、小生はそんな危ない事言った覚えはないのでここできっちり訂正しておきます。 「会社に火ィつけてやる!」位は言ったかも・・・[嘘] 。 悪口は言っても別に怨みなど無い。ところでアシスタントとしてのダー松は無遅刻、無欠勤以外は無能なアシだったと反省しきり。理想的なアシスタントとはどんなものか、それはまた別の機会に。 *入社試験はどんな事を? *さいとうプロには当時ほとんどろくな資料は無かった? *ハイジャックの回の飛行機内部の絵は、映画「大空港」を社内カメラマンが映画館で写してきたものをもとに描く。 *当時のトーンは印刷が裏面にしてあり上からカッターでけずったり出来ない。 *トーンの種類は網トーンが数種、それ以外はほんの3、4種類位しかなかった。 *仕事中のB.G.M.はアシの一人が加山雄三ばかりかけるので大ひんしゅく。好評だったのは広沢虎造の浪曲「次郎長三国志」、初代桂春団次の落語。眠気もふっとぶ位笑えた。 ダ-松が岡林信康の「見る前に跳べ」をかけてるとゴリは「何じゃー!この歌は!」と怒る。名曲「私たちの望むものは」はこの男には理解不能。 ●1 9 7 1 ~ 1 9 7 4 持 ち 込 み & 実 話 雑 誌 時 代 当時は青年劇画誌全盛時代で、もともと望月三起也氏や園田光慶氏のファンで活劇志向が強く、 主にアクションもののマンガを描いて持ち込みに行っていた。今のようにマンガ雑誌が溢れかえって、山のようにマンガ出版社がある時代ではなく、数社廻るともう行くところがない、という状態で大手では「ビッグコミック」があっただけで 「モーニング」も「スピリッツ」も「ヤン・ジャン」も当然まだない。テーマを盛り込んだ作品を持って行くと編集から「君ィ、うちは商売でやっているんだからねぇ」と言われ、アクションに徹した作品を持って行くと「君ぃ、ただおもしろいだけじゃあねぇ」と言われ 「おい、おっさん!どっちなんだ?」とむかつく事多し。この辺の事は山のように書く事があるが、有りすぎるのでパス。 *そのうち書く事にする。 ただ金属バットで頭をカチ割って脳みそをぶちまけてやりたいような奴が何人もいたのは事実。今年[’97]「モーニング」に持ち込みに行って、断られた奴が何万回もいやがらせの電話をかけて逮捕された事件があったが、そのうちトカレフを持って殴り込みに行く奴が出てくるとおもしろい。出版社も武装して大銃撃戦だぁ!などと馬鹿な事書いてどうする!とにかく持ち込みにはいい思い出が何もない。そんな中、数本だけ載った作品は渡哲也の映画「無頼」シリーズの人斬り五郎みたいな主人公がドスで斬り合う現代やくざもの[この頃の渡哲也は最高!]、ドン・シーゲルの「殺人者たち」みたいな二人組の殺し屋を主人公にした『汚れたジャングル』、陽水の「傘がない」が好きだという編集さんの出したテーマで車泥棒とブラックパンサーの闘士とのロード・ムービー風『グッバイ・ブラザー』、拳銃セールスマンを主人公にした『ザ・セールスマン』、等々10本ちょい位。 さてその頃並行してまだエロマンガ専門誌といえるようなものがなかったような時代で、実話雑誌という写真と記事ページからなる雑誌に4~10ページ位を雑誌の味付けとして描かせてもらう。当時、お手本になるようなエロマンガなど皆無で、エロ写真雑誌を古本屋で買ってきてからみのポーズを模写。マンガで裸を描く事はほとんど初めてで、これがなかなか難しいのだがエロシーンを描くのは結構楽しい。当時出版社に原稿持って行き帰りにグラフ誌をどっともらって帰るのが楽しみだった。SM雑誌の写真ページも参考になる。なお当時のペンネームは編集部が適当につけた池田達彦、上高地源太[この名前はいけてます。また使いたい]等。その数年後、逆にマンガが主で記事が味付けというエロマンガ誌が続々と創刊される。 *さいとうプロをやめたあと編集や知人に頼まれて数人のマンガ家の所へ手伝いに行く。秋田書店「漫画ホット」で『ジェノサイド』を連載中の峰岸とおる氏の所へ行き、仕事が終わったあとまだ売れてない頃の榊まさる氏も交え酒を飲む/川崎のぼる大先生のところへ数日だけ/3000円たこ部屋/小山ゆうオリオンププロ *当時のアルバイトは記憶によると時給150~200円位/大日本印刷市ヶ��駐屯地/坂/ *一食100円/どんなに貧しい漫画家もみかん箱の上で書くやつはいない/TV萩原サムデイ *ろくでなし編集者 ●1 9 7 5 ~ エ ロ マ ン ガ 誌 時 代 に 突 入 実話誌は意外とエロは抑え目で描くように口すっぱく言われていたのだが、以前活劇っぽい作品を描かせてもらってたが潰れてしまった出版社にいた児島さんが編集する「漫画ダイナマイト」で打合せも何にもなしに好きに描かせてもらい、ここでエロマンガ家としての才能[?]が開花する。描いてて実に楽しく眠る時間がもったいない位で、人に睡眠時間が必要な事を恨んだ程。出来る事なら一日中休まず描いていたい気分で完全にはまってしまう。 初の連載作品「屠殺人シリーズ」はこの頃から/『漫画ポポ』。中島史雄氏は大学時代にこの作品を見ていたとの事で、トレンチコートにドクター・ペッパー模様のサイレンサーつきマグナム銃で遊戯人・竜崎一也が犯しまくり殺しまくり、サディスト、マゾヒスト、殺人狂、まともな奴が一人も出てこない性と暴力の祭典。ちなみにタイトルページは描かないでいい、との事でどうするのかと思っていたら編集部が中のワンカットを拡大してタイトルページを創り、1ページぶんの原稿料をけちるというせこいやり方だった。けちるといえば、原稿の1/3にCMを入れる際、原稿料を1/3削った会社もあり。 ●1 9 7 6 ~ 後に発禁仲間となる高取英と出逢い、『長編コミック劇場』で「ウルフガイ」みたいのをやろうと、怒りに震えると黒豹に変身してしまう異常体質の主人公を設定し、獣姦のイメージで「性猟鬼」なるエロマンガをスタート!しかしその号で雑誌が潰れる。この路線は今でもいけそうな気がするがどんなものだろう。 この頃の珍品に「快楽痴態公園」がある。タイガースに11-0とワンサイドで打ちまくられ、怒ったジャイアンツファンのおっさんが公園でデート中の女をずこずこに犯りまくり、その間にジャイアンツは9回裏に12-11とゲームをひっくり返してしまうのである!その時のジャイアンツの監督はもちろんミスター長嶋、先発堀内、打者は柴田、土井、高田、王、張本等々がいる。タイガース監督は吉田、ピッチャー江本、キャッチャーフライを落球する田淵、そしてあの川藤もいる。解説は牧野…… ●1 9 7 7 ~ 上記2作品を含む初の単行本「肉の奴隷人形」が久保書店より発行。後にリングスの会場で逢った佐竹雅昭氏はこの本が一番好きとの事だった。 「闇の淫虐師」もこの年スタート。一話完結でバレリーナ、バトンガール等々、毎回いろんな女たちをダッチワイフのごとくいたぶりまくるフェチマンガとして1979年まで続け、単行本は「堕天使女王」「裂かれた花嫁」「エロスの狂宴」「陶酔への誘い」「終りなき闇の宴」の全5巻。ちなみに今年「闇の淫虐師’97」を『コミック・ピクシィ』にて発表。いつか『闇の淫虐師・ベスト選集』でも出したいところ。 [’98に実現、’99には続刊が出る] ●1 9 7 8 ~ 久保書店より第2弾の単行本「狂った微惑人形」。収録作品の「犯された白鳥」は持ち込み時代に描いた初のバレリーナもの。結構気に入っていた作品なのに、後年再録の際、印刷所の掃除のおばさんが捨ててしまい、この世にもはや存在しない不幸な子となる。[’99に宝島スピード・ブックに本より直接スキャンして収録] エロ、グロ、ナンセンスの会心作「恍惚下着専科」を発表。サン出版より同名の単行本発行。また同出版より「コミック・ペット/堕天使画集」として今までの作品を続々単行本化。全10巻位。これは今でも古本屋で流通しているとの事で、まだまだ世間様のお役にたっているらしい。 この年、「堕天使たちの狂宴」を描いていた『漫画エロジェニカ』が発禁処分、来年でもう20年目となる事だし、当時の人たちと集まってその大放談を収録し「発禁20周年特集号」でも創ってみようかと計画中。さて当時の秘話としてもう時効だろうから書いてみるけど、前述の『堕天使画集』に「堕天使たちの狂宴」は収録される事となり、当然修正をガンガン入れて出版されるものと覚悟していたら、米国から帰国後出来上がった��を見ると発禁になった状態のまま再録されている!以下桜木編集長との会話 ダ/いや~、いい度胸してますね。 編/だって修正してあるじゃない。 ダ/その修正状態で発禁になったんですよ 編/・・・・・ ダ/・・・・ 以下どんな会話が続いたのか失念…… それにしてもサドの「悪徳の栄え」の翻訳本は発禁後20年以上して復刻されたけれど、「堕天使たちの狂宴」は半年もしない内に単行本になっていたとはエロ本業界とは何といいかげんな世界!しかし作品そのものは、今見るとリメイクする気にもならないどうという事もない可愛い作品で、結局あれもあの時代の姑息な政治のひとかけらに過ぎなかったのだろう。いい点があるとしたら一つだけ、それまでのエロマンガになかった瞳パッチリの少女マンガ的ヒロインを登場させた事位か。今の美少女エロマンガは本家の少女マンガもかくや!という位眼が大きいが当時としては画期的だったかも。 ●1 9 7 9 ~ この年の「淫花蝶の舞踏」は「堕天使たちの狂宴」よりずっといい/『漫画ソフト』。今年出た「別冊宝島/日本一のマンガを探せ!」でベスト2000のマンガがセレクトされているが、ダー松の作品の中ではこの作品が選ばれている。教師と生徒、二人の女たちが様々な男たちの手によってに次々ともてあそばれ、闇の世界を転々として再び巡り会う時、女たちは蝶と化し水平線の彼方に飛び去り、男たちは殺し合い血の海の中で屍と化す。ダー松作品にはこのように男根が女陰の海に飲み込まれてに負けるパターンが多い。[性狩人、遊戯の森の妖精、美少女たちの宴、人魚のたわむれ・・等々] この年からスタートの「性狩人たち」シリーズ[劇画悦楽号]はバレエ、バイオレンス、SEXの三要素がうまくからみあい、それぞれが頂点まで達する幸福な神話的作品だ。ここから派生した路線も多く、美少年路線は’83の「聖少女黙示録」へ。身体障害者路線は’80の「遊戯の森の妖精」、’84からの「美姉妹肉煉獄」へと繋がる。’81の最終話「ハルマゲドンの戦い」ではせりふなしで24ページ全てが大殺戮シーンという回もあり、中でも一度やりたかった見開きで銃撃戦の擬音のみという事も実現。こんな事がエロマンガ誌で許される時代だった。ちなみにこの回は[OKコラルの決闘・100周年記念]だが、何の意味もない。単行本は最初サン出版より、その後久保書店より「白鳥の飛翔」「少女飼育篇」「ヘラクレスを撃て!」「眼球愛」「海の女神」の全5刊。現在入手出来るのは後の3刊のみ。[「海の女神」も最近在庫切れ] この年出た「人魚のたわむれ」の表題作は性器に{たこ}を挿入するカットを見た編集長が「・・・[沈黙]・・・頭おかしいんじゃ・・ブツブツ・・気違い・・・ブツブツ・・・」と呆れてつぶやいていたのを記憶している。たこソーニューは今年出た「夜顔武闘伝」で久しぶりに再現。なおこの作品は’83にマンガと実写を噛み合せたビデオの珍品となる。水中スローモーションファックがなかなかよい。 ●1 9 8 0 ~ なぜか「JUNE」の増刊として作品集「美少女たちの宴」がサン出版より出版され、その短編集をもとに脚本化し日活で映画が創られる事となる。[「花の応援団」を当てたこの映画の企画者・成田氏は日活退社後「桜の園」等を創る。]その際、初めて映画撮影所を見学し、せこいセットがスクリーン上ではきちんとした絵になってるのを見て映画のマジックに感心。タイトルはなぜか「性狩人」で、’96にビデオ化された。監督・池田敏春のデビュー第2作となり現在までコンスタントに作品を発表しているが、出来のいい作品も多いのになぜか代表作がない。初期の「人魚伝説」が一番いいか。 この映画に合わせて「美少女たちの宴」を2~3回のつもりで「漫画ラブラブ」で描き出すがどんどん話がふくらみ、おまけに描いてる出版社が潰れたり、雑誌が潰れたりで雑誌を転々とし条例による警告の嵐がきた「漫画大飯店」を経て、「漫画ハンター」誌上で完結したのは’83になる。この作品でクリトリスを手術してペニスのように巨大化させるという人体改造ものを初めて描く。 この年の「遊戯の森の妖精」は身体障害者いじめ鬼畜路線の第2弾!森の中の別荘に乱���したろくでなしの二人組が精薄の少女の両親達を虐殺し、暴行の限りをつくすむちゃくちゃな作品で、雷鳴の中、少女の性器に男達のペニスが2本同時に挿入されるシーンは圧巻!しかしこのとんでもない男達も少女の性のエネルギーに飲み込まれ、朽ち果てていく・・・。 ●1 9 8 1 ~ 美少女マンガ誌のはしり「レモン・ピープル」誌創刊。そこで描いたのが「白鳥の湖」。虚構の世界のヒロインを犯すというコンセプトは、アニメやゲームのヒロインをずこずこにするという今の同人誌のコンセプトと同じかも。バレエ「白鳥の湖」において悪魔に捕われたオデット姫が白鳥の姿に変えられる前に何にもされてない筈がないというモチーフにより生まれたこの作品は、悪魔に男根を植えつけられたヒロインが命じられるままに次々と妖精を犯して歩き悪魔の娘となるまでを描くが、あまり成功したとは言えない。ただ人形サイズの妖精をしゃぶりまくり淫核で犯すアイデアは他に「少女破壊幻想」で一回やっただけなのでそろそろもう一度やってみたいところ。「ダーティ松本の白雪姫」はその逆をいき、犯す方を小さくした作品で7人の小人が白雪姫の性器の中にはいり、しゃぶったり、処女膜を食べたり、と乱暴狼藉![ちなみに両者をでかくしたのが同人誌「FUCK YOU!3」の「ゴジラVSジュピター」]この童話シリーズは意外と好評で続いて「ダーティ松本の赤い靴」を上記の単行本に描き下ろして収録。童話は結構残酷なものが多く、この作品も切られた足だけが荒野を踊りながら去って行くラストは原作通り。 *近年童話ブームだがこの頃もっと描いておけば「こんなに危ない童話」として刊行出来たのにとくやまれる。 「2001年快楽の旅」もこの本に収録。快楽マシーンを逆にレイプしてしまう、珍しく映画「2001年宇宙の旅」風のSF作品。 掲載誌を決めずに出来る限り多くのマンガ誌で描こうというコンセプトで始めたのがこの年スタートした「怪人サドラン博士」シリーズ。「不死蝶」シリーズや「美少女たちの宴」シリーズの中にも乱入し、「漫画ハンター」最終号では地球をぶっ壊して[その際地球は絶頂の喘ぎ声をあげ昇天する!]他の惑星へ行ってしまう。今のところ10誌位に登場。いつかこのサドラン・シリーズだけ集めて単行本化したいところ。ちなみに「サド」と「乱歩」を足して「サドラン博士」と命名。作者の分身と言っていい。 [後年、「魔界の怪人」として全作品を収録して刊行、04年現在品切れ中] この年描いて’82の単行本『妖精たちの宴』に収録の「とけていく・・」はレズの女たちが愛戯の果てに、肉体が溶けて一匹の軟体動物と化す、タイトルも内容も奇妙な作品。作者の頭もとけていた? ●1 9 8 2 ~ 1 9 8 3 ’83年に「美少女たちの宴」が完結。全てが無に帰すラストのページは真っ白のままで、このページの原稿料はいりません、と言ったにもかかわらず払ってくれた久保書店、偉い![明文社やCM頁の稿料を削った出版社=某少年画報社なら払わなかっただろうな……と思われる……]この作品以外は短編が多く、加速度をつけてのっていく描き方が得意のダー松としてはのりの悪い時期に突入。また10年近く走ってきてだれてきた頃でもあり第一次落ち込み期と言っていい。マンガがスタンプを押すように描けないものか、などとふとどきな考えまで湧いてくる。思えば一本の作品には、いったい何本の線を引いて出来上がっているものなのか。数えた馬鹿はいないだろうが数千本は引いている筈。一ヵ月に何万本とペンで線を引く日々・・うんざりする筈です。 この頃のめぼしい短編をいくつか書くと、少女マンガ家の家に税務調査にきた税務署員が過小申告をネタにねちねちいたぶるが、アシスタントに発見された署員は撲殺される。そして板橋税務署は焼き討ちにあう、といった作品「[タイトル失念]xx税務調査」。[後日読者よりこのタイトルを「色欲ダニ野郎」と教えていただく。ひどいタイトル *編集者のつけるタイトルはその人のセンスが実によくわかる。しかしサイテ-の題だなこりゃ…。 果てるまで「おまんこして!」と言わせながら処女をやりまくる「美処女/犯す!」はラスト、狂った少女が歩行者天国の通行人を撃ちまくり血の海にする。「嬲る!」はパンチドランカーとなった矢吹ジョーが白木葉子をサンドバッグに縛りつけ、殴って、殴って、殴りまくる。段平おっちゃんの最後のセリフ「・・ブスブスくすぶっちゃいるが・・・」「打てッ!打つんだ!ジョー!」「お前はまだ燃えつきちゃいねえ!」とはエロ・ドランカーの自分自身に向けて発した言葉だったのかも。トビー・フーパーばりの「淫魔のはらわた」は電気ドリルでアナルを広げてのファック!とどめにチェーンソーで尻を切断!いまだに単行本に収録出来ず。[’98の「絶頂伝説」にやっと収録]「からみあい」は夫の愛人の性器を噛みちぎる。「危険な関係」はアルコール浣腸をして火をつけ尻から火を吹かせる。この手は『FUCK YOU!2』の「セーラー・ハルマゲドン」で復元。そういえばこの作品の序章と終章だけ描いて、間の100章位をとばすやりかたはこの頃の「禁断の性獣」より。女性器にとりつき、男性器に変身するエイリアンの侵略により地球は女性器を失い滅亡する、といったストーリーで当時聞いた話では谷山浩子のD.J.でこの作品がリスナーの投書でとりあげられ、ダー松の名はダーティ・杉本と読まれたそうな。ヒロインの少女がひろ子という名前なのでこのハガキが選ばれたのかもしれないが、作者は薬師丸ひろ子からとったつもりだったのだが・・。[別にファンではない。] 「女教師狩り」は映画館で観客に犯される女教師とスクリーン上の同名のエロ映画の二本が同時進行し、一本で二本分楽しめるお得な作品。 ’83は’80に「漫画エロス」にて描いた「エロスの乱反射」の最終回の原稿が紛失したため単行本が出せないでいたのを、またまた「仏の久保さん」に頼んでラスト近くをふくらませて「漫画ハンター」に3回程描かせてもらい、やっと’85に出版。見られる事に快感を覚えるファッション・モデルが調教される内に、次第に露出狂となっていき、街中で突然裸になって交通事故を起こさせたり、最後はビルの屋上でストリップショー。そしてカメラのフラッシュの中に飛び降りていき、ラスト1ページはその性器のアップでエンド! 本格美少年・ゲイ・マンガ「聖少女黙示録」も’83。レズの姉たちの手によって女装に目覚めた少年がホモのダンサーたちに縛られなぶられ初のポコチンこすり合いの射精シーン。そして性転換して女となった主いるが、その中の’84の「白い肌の湖」はタイトルで解る通りのバレリーナものだがポコチンを焼かれた男が、一緒に暮ら人公が手術で男になった少女と暮らすハッピーエンド。この作品は単行本「美少女ハンター」に収録されてす二人の女と一人の男に復讐するエンディングがすごい!まず男の性器を切り取り、片方の女の性器にねじ込んだあと、その女の性器ごとえぐり取る。そしてその二つの性器をつかんだまま、もう一人の女の性器にフィストファック!のあげく、その二つの性器を入れたままの女性器をナイフでまた切って、ほとんどビックマック状態でまだヒクヒクうごめく血まみれの三つの性器を握りしめるとんでもない終り方!全くダー松はこんな事ばかりやっていたのかとあきれかえる。もう鬼畜としか言い様がない!しかし「ウィンナー」を二枚の「ハム」で包むなんて・・GOODなアイデアだ、又やってみよう。 ●1 9 8 4 ~ 「漫画ハンター」で「闇の宴」前後篇を描き、後日これをビデオ化。雪に包まれた六本木のスタジオで痔に苦しみながらの撮影。特別出演として中島史雄氏が絶妙の指使い、東デの学生時代の萩原一至が二役、取材に来たJITAN氏もスタジオに入ってきた瞬間、即出演で生玉子1000個の海で大乱交。カメラマンが凝り性で照明が気に入るまでカメラを廻さず、たった二日の撮影はやりたい事の半分も出来ず。撮影が終ると痔はすぐに完治。どうもプレッシャーからくる神経性だったみたいでこれに懲りてビデオは一本のみ。 この年の「肉の漂流」は親子丼もので、近所の書店のオヤジからこの本はよく売れたと聞いたが、一時よく描いたこのパターンは最近では「FUCK YOU!3」の「母娘シャワー」のみ。熟女と少女の両方が描けるところが利点。「血の舞踏」は久しぶりの吸血鬼もの。股間を針で刺し、噛んで血を吸うシーン等々いい場面はあるが、うまくストーリーが転がらず3回で止める。短編「果てるまで・・」は核戦争後のシェルターの中で、父が娘とタイトル通り果てるまでやりまくる話。被爆していた父が死んだ後、娘はSEXの相手を捜して黒い雨の中をさまよう。 またリサ・ライオンの写真集を見て筋肉美に目覚め、マッチョ女ものをこの頃から描き出す。しかしなかなか筋肉をエロティックに描くのは難しい。 ●1 9 8 5 ~ くたびれ果ててすっかりダレてきたこの頃、8年間働いてくれたアシスタント女史に代わってパワーのかたまり萩原一至、鶴田洋久等が東京デザイナー学院卒業後加わってダーティ・マーケットも第2期に突入!新旧取り混ぜておもしろいマンガをいろいろ教えて貰って読みまくる。「バリバリ伝説」「ビーバップハイスクール」「ペリカンロード」「めぞん一刻」「わたしは真悟」「Be Free!」「緑山高校」「日出処の天子」「吉祥天女」「純情クレイジー・フルーツ」「アクター」「北斗の拳」「炎の転校生」「アイドルをさがせ」「綿の国星」「いつもポケットにショパン」「バツ&テリー」「六三四の剣」永井豪の絶頂期の作品「バイオレンス・ジャック」「凄之王」「デビルマン」等々100冊以上とても書ききれない位で、う~ん・・マンガってこんなにおもしろかったのか、と感動! そこで眠狂四郎を学園にほうり込んで、今まであまり描かなかった学園マンガをエロマンガに、というコンセプトで始めたのが「斬姦狂死郎」。「六三四の剣」ばりに単行本20巻を目指すものの、少年マンガのノリは今では当たり前だが、当時はまだエロマンガとして評価されず、ほんの少し時代が早すぎたかも。’86に中断、今年’97に「ホリディ・コミック」にて復活!果たしていつまで続けられるか? →後に「斬姦狂死郎・制服狩り」、「斬姦狂死郎・美教師狩り」として刊行完結 前年末から始めた「美姉妹肉煉獄」は身障者いじめの鬼畜路線。盲目の姉とその妹を調教して性風俗店等で働かせ、娼婦に堕していく不健全・不道徳な作品で、肉の快楽にひたっていく盲目の姉に対し妹も「春琴抄」の如く己の眼を突き、自らも暗黒の快楽の世界にはいり、快楽の光に目覚めるラスト。 また、これからは女王様物だ!となぜか突然ひらめき「筋肉女」シリーズの延長としてフィットネス・スタジオを舞台に「メタル・クイーン」シリーズも開始。これは単行本2冊分描いたが、連載途中でヒロインの髪型を歌手ステファニーのヘア・スタイルにチェンジしたり、レオタードもたっぷり描けてわりと気に入っている。 10年近く描いた「美蝶」先生シリーズもこの年スタート!こうしてみるとマンガを描く喜びに満ちた大充実の年だったかも。 ●1 9 8 6 ~ この年は前年からの連載ものがほとんどだが、「エレクト・ボーイ」は空中でファックするシーンが描いてみたくて始めた初の超能力エロマンガ。コメディ的要素がうまくいかず2回で止める。この路線は翌年の「堕天使輪舞」で開花。 「夜の彷徨人」は自分の育てた新体操選手が怪我で選手生命を失ったため、その女を馬肉のごとく娼婦として夜の世界に売り渡した主人公という設定。しかし腕を折られ、女にも逆に捨てられ、そして事故によってその女を失ったあげく不能となってしまう。失った快楽を取り戻すため無くした片腕にバイブレーターを取りつけ、夜の街をさすらい次々と女たちをレイプしていくというストーリー。がっちり設定したキャラだったのにまったく話がはずまず、男のポコチンは勃起しないままに作品も不発のまま終る。 「斬姦狂死郎」が不本意のまま終わったため学園エロス・シリーズは「放課後の媚娼女」へと引き継がれる。当時見ていた南野陽子のTV「スケバン刑事・」とS・レオーネの「ウエスタン」風に料理。ラストの「男といっしょじゃ歩けないんだ」のセリフは一番好きな映画、鈴木清順の「東京流れ者」からのもじり。単行本は最初司書房から出て、数年後ミリオン出版から再販、そして’97久保書店より再々販ながら結構売れて今年また再版。この作品は親を助けてくれる有難い孝行息子といったところ。 ●1 9 8 7 ~ さいとうプロOBで那珂川尚という名のマンガ家だった友人の津田が「漫画ダイナマイト」の編集者になっていて、実に久しぶりに同誌で「堕天使輪舞」を描く。超能力エロマンガの第2弾。今回はエロと超能力合戦とがうまくミックスされ一応成功といっていい。この路線は「エレクト・ボーイ」とこの作品、そして’96の「夜顔武闘伝」も含めてもいいかも。一時、この手の作品は数多くあったが最近はめったに見かけない。しかし、まだまだこの路線には鉱脈が眠っているとにらんでいるがどんなものだろう。 ●1 9 8 8 ~ 「放課後の媚娼女」に続いて抜かずの凶一無頼控え「放課後の熱い祭り」を2年がかりで描く。’89に完結し司書房より単行本化。そして今年’97に改定してめでたく完全版として復刊!この頃が一番劇画っぽい絵で、たった2~3人のスタッフでよくこれだけ描き込めたなと改めて感心!エロシーンがちょっと少なめながら中島史雄氏がダー松作品でこの作品が一番好き、とお褒めの言葉を頂戴する。 TVで三流アマゾネス映画を見ている内、むくむくとイメージがふくらみ、昔から描きたかった西部劇と時代劇がこれで描けると、この年スタートさせたのが「不死蝶伝説」なるアマゾネス路線。昔々青年誌の創世期にあのケン月影氏がマカロニ・ウエスタンを描いていたことを知る人は少ないだろう。俺もあの頃デビューしていたらウエスタンが描けたのに、と思う事もあったが、このシリーズでほんの少しだけその願望がかなう。 この頃、アシスタントやってくれてた格闘技マニアの鶴田洋久に誘われ、近所の空手道場通いの日々。若い頃修行のため新宿でやくざに喧嘩を売って歩いたという寺内師範は、もう鬼のような人で、行けば地獄が待っていると判っててなぜ行く?と不思議な位休まず通う。体育会系はマゾの世界と知る。組手は寸止めではなく顔面以外は当てて可だったので身体中打撲のあざだらけ、ビデオで研究したという鶴田の体重をかけたムエタイ式の蹴りをくらい、右手が饅頭のように腫れ上がる。先輩たちの組手の試合も蹴りがもろにはいってあばら骨が折れたりで、なぜこんなヘビーな事をする?と思うが、闘う事によって身体の奥から何か沸き上がってくるものがある。スリランカの元コマンドと組手をやった時、格闘家の気持ちが少しだけ判るようになった。 ●1 9 8 9 ~ ’94まで続く「美蝶」シリーズでこの年は『ノスフェラトウ篇』を描き、シリーズ中これが一番のお気に入り。同人誌の「王夢」はこれが原点。 短編では「悪夢の中へ」はスプラッタ・エロマンガで久しぶりにチェーンソゥでお尻のぶった切り!はらわた引きずり出し、人肉食いちぎり!顔面叩き割り等々でラストに「ホラービデオの規制をするバカは俺が許さん!」などと書いているので、この年が宮崎事件の年か?世間は彼が日野日出志・作のホラービデオ「ギニーピッグ」を見てあの犯罪をおかした、としてさんざんホラービデオの規制をやっといて、結局見てもいなかったとわかったあとは誰一人日野日出志氏にもホラービデオさんにも謝らす゛知らんぷり。残ったのは規制だけで、馬鹿のやる事には全く困ったもんである。先日の「酒鬼薔薇・14才」の時も犯罪おたくの心理学者が、「これはマンガやビデオの影響です。」などと相も変わらずたわけた寝言をぬかしていたが、馬鹿はいつまでたっても馬鹿のまま。少しは進歩しろよ!お前だよ、お前!短絡的で幼稚な坊や、小田晋!よぅく首を洗っとけ!コラ! 「獣人たちの儀式」は退学者や少年院送りになつた生徒、暴走族、ヤクザ達が集まって酒盛りしながら女教師たちをずこずこにしてOB会をひらく不健全作品。編集長が「また危ない作品を・・・」とこぼしたものだが、岡野さん、田舎で元気にお過しでしょうか。この頃の「漫画エロス」には「ケンペーくん」だとか「アリスのお茶会」だとかおもしろい作品が載っていたものです。「爆走遊戯」は伝説のストーカー・ろくでなしマンガ家の早見純が一番好きな作品と言ってくれたが、なぜだかわからない。人の好みはいろいろです。以上3本は単行本「熱き唇の女神」に収録。 「ふしだらな女獣たち」はフェミニストの女二人が美少年をいじめる話。これは「氷の部屋の女」に収録。 ●1 9 9 0 ~ この年の「美蝶」シリーズは『ダンシング・クイーン篇』。マネキン工場跡でJ・ブラウンの「セックス・マシーン」にのせて5人プレイをするシーンや文化祭でのダンスシーン等々結構好きな場面多し。暗くて硬い作品が多いので、この「美蝶」シリーズは肩肘張らずに、かなり軽いノリでキャラクターの動きに任せて、ストーリーも、そして次のコマさえも先の事は何にも考えず、ほとんどアドリブで描いた時もある。 「不死蝶伝説」に続いてシリーズ第2弾「不死蝶」は2誌にまたがって2年位続ける。これも結構お気に入りの一遍。 ●1 9 9 1 ~ 1 9 9 3 「性狩人たち」の近未来版、といった感じの「夜��士」は学園物が多くなったので、マグナム銃で脳天をぶっとばすようなものが又描きたくなって始めたミニシリーズ。全5話位。松文館より単行本「黒い夜と夢魔の闇」に収録。 この年から知り合いの編集者がレディス・コミックを始める人が多く、依頼されてどうしたものかと思ったが、エロなら何でもやってみよう精神と何か新しい世界が開けるかも、という事から’94位までやってみたものの結果的に不毛の時代に終わる。与えられた素材が体験告白物という事で、非現実的なものは描けないという事は得意技を封印して戦うようなもので苦戦を強いられ、これって内山亜紀氏がやまさき十三原作の人情話を描いたようなミス・マッチングで不発だったかな。今後、もしやることがあれば美少年SMのレディス・コミックのみ。そんな雑誌が出来れば、の話だが。 いくつかやったレディコミの編集の一人「アイリス」の鈴木さんは同じさいとうプロOBで、マンガ・アシスタント、マンガ家、マンガ誌の編集、そして今はマンガ学校の講師、とこれだけ多くのマンガに関わる仕事をしてきた人はあまりいないだろう。これでマンガ評論でもやれば全て制覇だが・・・。 この頃はいつもと同じ位の30~40本の作品を毎年描いていたが、レディコミは一本30~40枚とページが多く結構身体にガタがきた頃で、右手のひじが腱傷炎になり1年以上苦痛が続く。医者通いではさっぱり痛みがひかず、電気針で針灸治療を半年位続けてやっと完治。その後、住んでいたマンションの理事長を押しつけられ、マンション戦争の渦中に巻き込まれひどい目にあう。攻撃するのは楽だが、話をまとめるなどというのは社会生活不適格のダー松には大の苦手で「お前等!わがままばかり言うのはいいかげんにしろー!」と頭をカチ割りたくなるような事ばかりで、ひたすら我慢の日々で血圧がガンガン上がり、病院通いの日々。確実に寿命が5年は縮まる。あの時はマジで人に殺意を抱いたものだが、今でも金属バット持って押しかけて奴等の脳みそをクラッシュしたい気分になる時もある。いつかこの時の事をマンガにしようと思っていて、まだ誰も描いてない「マンション・マンガ」というジャンル、タイトルは「我が闘争」。え?誰も読みたくない? この間に出た単行本は「血を吸う夜」、「赤い月の化身」「熱き唇の女神」[以上・久保書店] /「牝猫の花園」「真夜中の人魚たち」[以上久保書店]、「美蝶/放課後篇」「美蝶/ダンシング・クイーン篇」「不死蝶/鋼鉄の女王篇・上巻」[以上ミリオン出版]。 ●1 9 9 4 ~ 1 9 9 5 ろくでもない事が続くのは厄払いをしなかったせいか、このままここにいたら頭がおかしくなる、と15年以上いたマンションから引っ越し。板橋から巣鴨へ移動し気分一新!以前からうちもやりましょうよ、と言われていた同人誌創りをそのうち、そのうちと伸ばしてきたものの遂に申し込んでしまい、創らざるをえなくなる。しかもそれが引っ越しの時期と重なってしまい大いに後悔する。しかしいろんな人にお願いして何とか一冊でっちあげ、ムシ風呂のような夏コミに初参加。これが運命の分岐点。レディコミもこの年で切り上げ、以下同人街道をまっしぐら。現在まで「FUCK OFF!」が9まで、「FUCK YOU!」が4まで計10+&冊創る。 ’95からダーティ松本の名前にも飽きてきたしJr,Sam名でも描き始める。 レディコミ時代は松本美蝶。あと2つ位違うペンネームも考案中。 この間の単行本「氷の部屋の女」「双子座の戯れ」[久保書店]、「黒い夜と夢魔の闇」[松文館]、「危険な女教師/美蝶」[ミリオン] ●1 9 9 6 ~ 美少女路線の絵柄もこの年の「夜顔武闘伝」あたりでほぼ完成、今後また少し変化させる予定。しかしこの作品は超能力、アマゾネス、忍法エロマンガとでも呼ぶべきか。「グラップラー刃牙」みたいに闘技場での勝ち抜き性武道合戦までいきたかったけれど、残念ながらたどり着けず。 「冬の堕天使」は久しぶりの吸血鬼もの。都営住宅で生活保護をうけている吸血鬼母子のイメージが浮かび、そこから漫画家協会・加藤芳郎を撃つ有害図書騒動のマンガへ。吸血鬼少年が光の世界との戦いに旅立つまでを描き、「闇に潜みし者」は時空を越えて近未来での戦い。その間を描く作品を今後創らなければ。 「FUCK CITY 2006」はクソ溜めと化した近未来のTOKYOを舞台に久しぶりにダーティ・バイオレンスが炸裂!���ード・エロ劇画と同人誌風・美少女路線の合体は果たしてうまくいったかどうか?30ページほど描き足して、’97、9月にフランス書院のコミック文庫にて発売。[「少女水中花」] 「放課後の媚娼女」と「人形愛」刊行。[いずれも久保書店刊]前者は以前、上下巻だったのを一冊にまとめて。後者は近作を集めた同人時代を経ての初単行本で、同人誌を知らなかった読者はショックを受ける。メタルフアンから以下のようなお手紙を受け取る。「これはジューダス・プリーストの『ターボ』だ。ラストの『眠れる森の少女』は『レックレス』にあたる。しかしジューダスもその後『ラム・イット・ダウン』や『ペイン・キラー』という傑作を世に出した事だし、今後を期待したい」という意のダー松のようなメタルファン以外は意味不明の激励をうける。 ●1 9 9 7 同人誌「エロス大百科シリーズ」スタート!いろんな項目別に年2刊づつ計100ページ位を別刊シリーズとして出し続ければ10年で1000ページになり、以前「谷岡ヤスジ1000ページ」という枕に最適の本があったが、これも一冊にまとめて枕にして寝れば、目覚める頃は3回夢精しているなんて事に・・・などとまだたった40ページの段階で言っても何の説得力もないか。飽きたら2~3号でSTOPするだろうし・・。[推測通り「毛剃り」「美少年SM」「女装」3号でストップ中]冬にはやおい系にも進出の予定。 今年出した単行本は厚くて濃いエロマンガを集めた久保書店MAXシリーズ第2弾!「放課後の熱い祭り/完全版」と「夜顔武闘伝」オークラ出版。ともに大幅描き足して25周年記念出版として刊行。ティーツー出版よりJr,Sam名で「昼下がりの少女」、9月にはフランス書院より「少女水中花」の文庫本が出る予定で現在、この同人誌と並行して描き足し中。「斬姦狂死郎」第2部も「ホリディ・COMIC」誌にて6月よりスタート!年内創刊予定の『腐肉クラブ』なる死体姦専門のマンガ誌にも執筆予定。 さてさて25年間、旅行の時を除いて、現在まで2日続けてマンガを描かなかった事はほとんどない。これはその昔、伊東元気氏というマンガ家とお会いしたとき「今月何ページ描いた?」との問いに、「今月仕事ないんでぜんぜん描いてません」と答えたら、「そんな事じゃ駄目だ。仕事があろうがなかろうが、毎月100頁は描かなきゃ。」と言われ、以後その教えを守り[描けるページ数は減ったが]、マンガは仕事ではなくなり、朝起きたら顔を洗うのと同じで生活そのものとなり現在に至る。 今は何でも描けそうなハイな状態で、以前はたまには外出しないと煮詰まってしまうので週いち位ガス抜きをしていたものだが、最近はせいぜい月いち休めば十分の「純エロマンガ体」。[純粋にエロマンガを描くためだけの肉体、の意。ダー松の造語] こうしてふり返ると、この路線はまだえぐり足りない、これはあと数回描くべし、なぜこれを一度しか描かない!等々、残り時間にやるべき事、やりたい事の何と多い事! 爆裂昇天のその日まで・・・ 燃 え よ ペ ン ! なお続きは 1997年後期 1998年 INDEX
http://www.rx.sakura.ne.jp/~dirty/gurafty.html
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Science & Engineering Indicators 2018
一国の科学技術力は国際的な科学雑誌に発表される論文数に現れる。18年は論文数で米中逆転が明らかになった節目の年となった。NSFが同年発表した「科学・工学指標」(Science & Engineering Indicators)によると、16年の論文数は米国の40・9万本に対し、中国は約42・6万本と初めて世界のトップに躍り出た。日本は03年まで2位の座にあったが、16年にはインドにも抜かれ、6位に転落した。注目すべきはここでも伸び率である。中国は06年から16年までの10年間に論文数を2・2倍に増やしたが、米国は7%増にとどまった。日本は11万本から9・6万本に減らした。
一部専門家の間では「中国の論文は粗製濫造である」との指摘がある。中国の研究者にとってNatureなど重要な科学雑誌に論文が掲載されることは、名誉である以上に実利が大きい。研究費や高い給与を獲得するうえで重要なファクターとなっている。論文の「質」を示す指標に被引用度がある。学術情報・知財の世界的調査会社クラリベイト・アナリティクスは、毎年被引用度上位1%の論文を書いた研究者を発表しており、18年版では4058人が選出された。トップは米国の2639人、2位は英国の546人、中国は482人で3位にランクインした。日本は90人でベストテンにすら入らない。確かに論文の質ではまだ米国、英国に追いつかないが、15年の115人から4倍以上に増やしており、急速に差を詰める勢いだ。
分野別では、中国の強みが工学にあることが分かる。日経新聞が学術出版社エルゼビアと行った調査によると、最も先端的な研究テーマ30のうち、23テーマで中国の論文数がトップ、米国の首位は7テーマに留まった。注目度1位のペロブスカイト太陽電池は日本の宮坂力桐蔭横浜大学教授の発明によるものだが、論文数シェアでは中国が41%でトップ、米国が21%で2位、日本は6・9%で4位だ。また藤嶋昭前東京理科大学長が開拓した注目度12位の「光触媒」では、なんと論文の78・3%が中国発だ。さらに飯島澄男名城大学終身教授が1991年に発見したカーボンナノチューブを発展させた注目度16位の「カーボン量子ドット」の研究でも、中国が論文の61%を生み出している。
宮坂教授、藤嶋前学長、飯島終身教授ともノーベル賞候補だ。そのほか「ナトリウムイオン電池」「ニッケル・鉄酸化物触媒」「リチウム硫黄電池」「電気二重層コンデンサ」「酸化還元」「水素発生触媒」「核酸標的がん治療」「光熱療法」「炭素利用コンデンサ」「ナノ発電機」など、産業に直結する次世代技術の研究開発で、中国の論文数シェアは50%を超えている。
(FACTA5月号より)
https://www.nsf.gov/statistics/2018/nsb20181/report/sections/overview/r-d-expenditures-and-r-d-intensity
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シュワブ教授、大変ありがとうございます。そうですね、この間来た時から5年が経ちました。戻って来られたのを、うれしく存じます。 2012年の、12月26日、私は、再度、総理大臣になりました。当時、私の国で見たのは、ある高い壁の存在でした。その壁に、たくさんの人が、言葉が書かれているのを見た。日本はもう、終わっている、というわけでした。人口は減っている。その人口は、高齢化している。だから成長なんかできない、とそういう言い分でした。絶望の壁でした。悲観主義の壁だったのです。 以来、労働人口は、450万人減少しました。これに対し、私たちはウィメノミクスを大いに発動させ、女性が負う負担を軽減しながら、多くの、より多くの女性に、働くことを促しました。 その結果、今や、雇用された女性は200万人増えた。繰り返します、新たに付加される形で、200万人の女性労働力が増えたのです。女性の労働参加率は67パーセント、日本では歴代最高で、米国などより高い比率になっています。他方、お年を召した方にも働き続けていただけるようにする私どもの政策があって、65歳以上で元気に働く方も増えました。その増えた数が、200万人です。そんな状況だというのに、求職者1人に対して1つ以上の求人企業がある、しかもこれは国中どこでも同じだという、空前の状態になっています。就職したいと願う大卒者100人のうち、現に雇われる数たるや、98人。これも記録破りの数字です。 産業界の対応はというと、5年連続、賃金を今世紀に入って最も高い前年比2パーセント上げるという対応を示してきました。こうしたことの結果、私が総理在任中の6年間に日本のGDPは10.9パーセント���び、4,900億ドルを新たに加えました。雇用と所得が増え、それが需要を生んで、更なる雇用につながるという経済の好循環こそは、長らく待ち望んだものでしたが、今や根付きつつあります。そして成長を更に長続きさせるため、今やっていることは、生産性を強化する投資を引き出すことです。 最近、一つ新しい法律をこしらえましたが、それによって、向こう5年、34万人もの優秀な働き手に、外国から日本へ来てもらうことになりました。では貧富の格差はどうなったでしょう。私どもの政権期間中、それ以前一度��下がったことがなかった子供の相対貧困率が、初めて、かつ大きく、下がりました。政権発足以前、1人親家庭の子弟で高校を出た後、大学に進学した人の比率は、わずかに24パーセントでした。それが、直近の数字だと、42パーセントです。本年10月以降、教育無償化の施策が実地に移りますから、この数字は一層上昇することでしょう。 私たちは、貧富の格差を拡大しているのではなく、縮めているのです。絶望は、新たな希望によって拭い去られました。そして皆さん希望こそは、経済成長をもたらす最も大切な要素ではありませんか。高齢化していても、希望が生み出す経済として、実にもって成長は可能なのです。一つここは厳かに、宣言をしていいでしょうか。日本にまつわる敗北主義は、敗北したのです。 さて、6月には大阪で、本年のG20(金融・世界経済に関する首脳会合)サミットを開きます。是非これを、未来への楽観主義を取り戻すチャンスと致しましょう。希望が生み出す経済の実現は可能なのだと、確かめ合う機会にしようではありませんか。 常と同様、私たちはたくさんの問題について議論をするわけですが、本日は大きな点を2つ、たったの2つです、特に取り上げたいと思います。 最初に、私は本年のG20サミットを、世界的なデータ・ガバナンスが始まった機会として、長く記憶される場と致したく思います。データ・ガバナンスに焦点を当てて議論するトラック、大阪トラックとでも名付けて、この話合いを、WTO(世界貿易機関)の屋根の下、始めようではありませんか。 皆様、時は熟しました。我々、皆承知のとおり、これから何十年という間、私たちに成長をもたらすもの、それはデジタル・データです。そして何かを始めるなら、今がその好機です。何と言っても、毎日毎日、新たに生まれているデータの量は、250京バイト。これは一説によれば、米議会図書館が所蔵する活字データ全体の25万倍が、新たに追加されているというのと同じです。1年の遅れは、何光年分もの落後になるでしょう。一方では、我々自身の個人的データですとか、知的財産を体現したり、国家安全保障上の機密を含んでいたりするデータですとかは、慎重な保護の下に置かれるべきです。しかしその一方、医療や産業、交通やその他最も有益な、非個人的で匿名のデータは、自由に行き来させ、国境をまたげるように、繰り返しましょう、国境など意識しないように、させなくてはなりません。 そこで、私たちがつくり上げるべき体制は、DFFT(データ・フリー・フロー・ウィズ・トラスト)のためのものです。非個人的データについて言っているのは申し上げるまでもありません。第四次産業革命、そして同革命がもたらす、私たちがSociety 5.0と呼んでいる社会がメリットを及ぼすのは、私たち個人です。巨大で、資本集約型の産業ではありません。 Society 5.0にあっては、もはや資本ではなく、データがあらゆるものを結んで、動かします。富の格差も、埋めていきます。医療や、小学校から職業レベルまでの教育は、サブ・サハラ地域の小さな村落にも届くようになります。学校に通うのを一度は諦めた少女も、地元の村を越えて、可能性は青天井であるような、広い地平を目にすることになる。 私たちの課題は、もはや明らか。データをして、偉大な格差バスターにしないといけないのです。 AI、IoT、そしてロボティクス。データが動かすSociety 5.0は、都市に新たな現実をもたらすでしょう。私たちの都市は、ありと、あらゆる人たちにとって、もっとはるかに住みやすいものになります。 5年前の私の約束は、今でも同じです。古くなった規制を変えるため、私は私自身をドリルの刃として、突き抜け続けます。成長のエンジンは、思うにつけもはやガソリンによってではなく、ますますもってデジタル・データで回っているのです。よく私たち、WTOの改革が必要だと言いますが、ともすると、いまだに農産品ですとか、物品の世界で、つまり距離や国境が重要になる世界で、私たちは考えています。新たな現実とは、データが、ものみな全てを動かして、私たちの新しい経済にとってDFFTが、つまりData Free Flow with Trustが最重要の課題となるような状態のことですが、そこには、私たちはまだ追いついていないわけです。それにしても、ある意味、デジャブの感じがします。ジョン・D・ロックフェラーがスタンダード・オイルを大きくしていた頃のこと、ガソリンの使い道を、誰も知りませんでした。そこで、近くのカイヤホガ川に捨てたというのですが、そのガソリンは何度も火事を起こしています。我々人類は、ガソリンの価値を知るに至るまで、30年とか、40年も掛かっています。それが、20世紀も20年を過ぎようという頃になると、ガソリンは自動車を走らせ、飛行機を飛ばせていたわけです。 データについても、同じだとは言えませんか。私たちがインターネットを壮大な規模で使うようになったのは、1995年頃です。でも、21世紀も20年を数えようという頃になって、データが、我々の経済を回している事実にようやく気がつきました。この際、大阪トラックを始めて、それをとても速いトラックとする。そのための努力は、私たち皆が共にできるといい、米国、欧州、日本、中国、インドや、それに大きな飛躍を続けているアフリカ諸国が、努力と共に成功を共有し、それでもって、WTOに新風が吹き込まれるというふうになればと願います。 大阪では、で、皆様、ここからが第2のポイントですが、私は、気候変動に立ち向かう上において、イノベーションがなせること、またイノベーションがどれほど大事かということに、大いに光を当てたいと考えています。それと申しますのも、今から大切なことを言いたいのですが、今必要とされているのは、非連続だからです。この際想起いたしますと、IPCC(国連気候変動に関する政府間パネル)は、最近の1.5度報告で、こう言っています。2050年をめどとして、人間活動が生む二酸化炭素の量は、差引きゼロになるべきだ、つまり、今後もなお残る二酸化炭素の排出は、空気中にあるCO2を取り除くことによって、差引き帳尻が合うようにしないといけないというのです。 今や、手遅れになる前に、より多く、更に多くの、非連続的イノベーションを導き入れなくてはなりません。二酸化炭素というのは、皆様、事と次第によっては、一番優れた、しかも最も手に入れやすい、多くの用途に適した資源になるかもしれません。例えば、人工光合成です。これにとって鍵を握るのが、光触媒の発見でしたが、手掛けたのは日本の科学者で、藤嶋昭(ふじしまあきら)という人です。メタネーションというと年季の入った技術ですが、CO2除去との関連で、新たな脚光を浴びています。今こそCCUを、つまり炭素吸着に加え、その活用を、考えるときなのです。それから水素です。水素は、一次エネルギーであるだけでなく、エネルギーのキャリアでもあって、むしろそちらの方が重要なくらいですが、価格が安く、かつ、手に入れやすくならないといけません。我が政府は、水素の製造コストを2050年までに今の1割以下に下げる。それで、天然ガスよりも割安にする、ということを目指す考えです。 この先、私どもはG20諸国から科学、技術のリーダーたちを日本へお呼びし、イノベーションに、力を合わせて弾みをつけたいものだと思っております。これもまた、皆様にお話しできますのを喜びとするところでありますが、我が政府は昨年の12月、世界に先駆けて、TCFD(気候関連財務情報開示タスクフォース)に沿うかたちでの、ガイダンスを明らかにいたしました。世界規模で、ESG投資が増えており、過去5年の間に、その規模は9兆ドル余りも増加しました。既に、巨額ではあります。しかし、環境イノベーションのためには、今一層、お金が回るようにしなくてはなりません。この度作成したガイダンスは、より多くの会社に、非連続イノベーションのため、一層多額の資金を使ってくれるよう促すものとなるでしょう。 緑の地球、青い海のため投資をするといいますと、かつてはコストと認識されました。今ではこれが、成長の誘因です。炭素をなくすこと、利益を得ることは、クルマの両輪になれる。私ども政策立案者は、そういう状態を現出させる責務を負っている。このことも、今年、大阪で強調してまいります。 太平洋の、最も深いところ。そんな場所で今、あるとんでもないことが進行中です。太平洋の、底。そこにいる小さな甲殻類の体内から、PCBが高い濃度で見つかりました。原因を、マイクロプラスティックに求める向きがあります。私はやはり大阪で、海に流れ込むプラスティックを増やしてはいけない、減らすんだというその決意において、世界中挙げての努力が必要であるという点に、共通の認識を作りたいものだと思っています。経済活動を制約する必要などなく、ここでも求められているのはイノベーションなのです。そのため大阪でジャンプスタートを切って、世界全体の行動へ向かっていきましょう。 ここからが、第3の、かつ最後の点。それは、日本は何を重視するかということです。 日本は、フリーで、開かれていて、ルールに基づいた国際秩序を保全すべく決意を固めるとともに、その強化のため、打ち込みたいと考えています。そこで皆さん、私は大きな喜びとし、また誇りとするところでありますが、2018年12月30日をもって、私どもは、ついに、TPP11(環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定)を発効させるところにこぎ着けました。そればかりではありません。もう一つ、やはり喜び、誇りと共に、発表いたしたいことがあります。2月1日、といえばもうすぐそこですが、日EU(欧州連合)の経済連携協定が、これまた発効するのです。これら2つのメガディールによって生じるスケール・メリット、そして効率は、世界全体を潤すことでしょう。この際皆様に、国際貿易システムに寄せるべき信頼を、立て直しませんかと訴えるものであります。 国際貿易システムとは、公正、透明で、知的財産権の保護や、電子商取引、政府調達といった分野に効果を持つものとなるべきなのです。 TPP11と、日EU経済連携協定は、どちらとも、正しくそこを狙っています。始めるなら、ここからでしょう。米、欧、日本は力を合わせ、WTOの改革に、なかんずく政府補助金ルールの改革を主導してまいりましょう。そして大阪トラックは、言うまでもありませんが、データ・ドリブン経済の時代に、WTOの意味合いを高めていこうとするものなのです。 皆様、私は冒頭で、成長をつくり出す上で、何よりも大切なのは希望だと申しました。希望とは、明日を待ち望むことです。翌年を、そのまた翌年を、そして10年、20年先を期待することです。私の国は、幸運に恵まれました。 今後10年、私どもが開きますイベントは、本年のG20、ラグビー・ワールドカップ、明年のオリンピックとパラリンピック、2025年の大阪・関西万博に及びます。最も大切なこととして、本年は、200年ぶりに、私どもの天皇陛下が御譲位になり、皇位の継承が行われます。新しい時代の、夜明けです。再び強く、また活力を得た日本は、皆様方の祝福の下、開かれて、民主主義であって、かつ法を尊ぶ国々の最も有力な一角を占めながら、世界の平和と繁栄に、力を尽くしてまいります。ありがとうございました。
世界経済フォーラム年次総会 安倍総理スピーチ
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 10月12日(水) #先勝(戊戌) 旧暦 9/17 月齢 16.2 年始から285日目(閏年では286日目)にあたり、年末まであと80日です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . 「さてっ」とか「よしっ」って💦 つい、口走ってしまう自分にクサイなぁ って🤣😆🤣それに、自宅に帰った時 に、お茶を急須に入れて飲んだら 堪らなく旨い⭕️🙆⭕️🙆にには参ったw . それに、この頃に聴くようになった のが、YouTube MUsicで邦歌が良いw それも、演歌とか流行歌ですよね😅 歳とって爺になると「演歌」良く 聴こえるようになるんだよって叔父 が云ってたの思い馳せてしまう今朝。 . さて、もうってか😅💦水曜日じゃ ないですか\(^O^)/ ワーイ!今週も 今日を凌ぐと前半戦が終わっちゃうw 「早いですな✋」「あっというま」 これも、変な口「���」です🤣😆🤣 . 今日一日どなた様も💁♂お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋♂ モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #浅沼稲次郎暗殺事件(アサヌマイネジロウアンサツジケン). 1960(昭和35)年10月12日(水)大安.で東京都千代田区の日比谷公会堂で開催された自民党・社会党・民社党3党首立会 での演説中だった日本社会党中央執行委員会委員長の浅沼稲次郎氏が右翼少年(17歳)山口二矢に刺殺された事件。 山口は現行犯逮捕され「後悔はしていないが償いはする」と残し、東京鑑別所内で「天皇陛下万才、七生報国」との 遺書を残し自害しました。 山口は幼い頃より新聞やニュース読み、国体護持の闘争に身を投じて政治家たちを激烈に批判し早くから右翼思想を持つ 兄の影響を受けて右翼活動に参加するようになり、16歳で愛国党総裁赤尾敏の演説を聞いて感銘を受け日本愛国党に 入党し青年本部員となった。 左翼活動家は日本人を誤った方向に導くと決意し、左翼活動家へのテロを決意する事になる。 当時中国を訪問した浅沼稲次郎が、「一つの中国」論に賛同し「アメリカ帝国主義は日中両国人民の共同の敵」と発言し た事が起因になったと云われて居ます。 山口が浅沼殺害時に、ポケットに入れていたとされる斬奸状には以下の文面が書かれていた。 汝、浅沼稲次郎は日本赤化をはかっている。 自分は、汝個人に恨みはないが、社会党の指導的立場にいる者としての責任と、訪中に際しての暴言と、国会乱入の 直接のせん動者としての責任からして、汝を許しておくことはできない。 ここに於て我、汝に対し天誅を下す。 皇紀二千六百二十年十月十二日 山口二矢。 . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。 寝坊は、もっての他とされますね😅💦 . #PRの日. 広報・PRの仕事を教え、プロフェッショナルを育てる学校エファップ・ジャポンを運営する株式会社ミエ・エファップ・ジャポンが制定。 . #芭蕉忌(#時雨忌・#桃青忌・#翁忌) 俳諧師・松尾芭蕉の1694年の忌日。 . #豆乳の日. 「豆乳(とう[10]にゅう[2])」にちなみ、日本豆乳協会が制定。 . #ネット銀行の日. ネット銀行をより多くの人に知ってもらうことを目的に株式会社ジャパンネット銀行が制定。 . #長嶋引退表明, 1974(昭和49)年10月12日(土)、#ミスタージャイアンツ と呼ばれたプロ野球巨人の #長嶋茂雄 さんが記者会見で現役引退を表明。 . . #育児の日(毎月12日). #わんにゃんの日(毎月12日). #パンの日(毎月12日). #豆腐の日(毎月12日). . . #民族の日 (マドリード)Dia de la Raza. #イスパニアの日(スペイン). #聖母アパレシーダの日・子供の日(ブラジル・サンパウロ). #たまごデー(アメリカ大陸発見記念日・コロンブスデー・columbusday). . . ■本日の語句■. #団結は力なり(ダンケツハチカラナリ). 【意味】 ひとりひとりの力は小さくても、団結すれば大きな力となる。 . . 1990(平成2)年10月12日(金)先勝. #小林よう (#こばやしよう) 【ファッションモデル】 〔東京都〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CjllVSeBY4pj1h8icZ4lCS7qS9DZ_iiXFDNpOw0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先勝#浅沼稲次郎暗殺事件#prの日#芭蕉忌#時雨忌・#桃青忌・#翁忌#豆乳の日#ネット銀行の日#長嶋引退表明#ミスタージャイアンツ#長嶋茂雄#育児の日#わんにゃんの日#パンの日#豆腐の日#民族の日#イスパニアの日#聖母アパレシーダの日・子供の日#たまごデー#団結は力なり#小林よう#こばやしよう
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『軍事研究を哲学する――科学技術とデュアルユース』 Philoshophy of Military Reseach : Dual-Use of Science & Technology 出口康夫・大庭弘継 編
昭和堂
近刊 2022年8月予定
装幀を担当しました。
AI搭載のロボットやドローンと自律型兵器、サイバー攻撃とサイバーセキュリティ、 生命科学と生物兵器。そして開発当初から軍民の境界が曖昧な原子力と宇宙利用……。
今日、私たちは軍民両用(デュアルユース)技術が氾濫する社会のただなかに、すでに生きている。
本書は、こうした先端技術(エマージングテクノロジー)の社会実装がもたらす倫理的・法的・社会的諸問題「ELSI」に、文理の垣根を越えた「総合知」で挑む。

目 次
序 論 デュアルユースとELSIに取り組む総合知にむけて(出口康夫)
第Ⅰ部 歴史から考える
第1章 歴史学的手法で論点を整理する(喜多千草) 第2章 学術会議声明、そのビフォー・アフター(玉澤春史) コラム① 軍事研究と基礎研究(本田康二郎) コラム② 十五年戦争期の日本の医学犯罪は「戦争の狂気」のせいか?(土屋貴志) コラム③ 論理学と軍事(村上祐子)
第Ⅱ部 個別の技術から考える
第3章 原子力のデュアルユース問題は単純か(濱村 仁) 第4章 宇宙開発・利用とデュアルユース(橋本靖明) 第5章 先端生命科学研究――微生物学研究と生物兵器開発の境界(四ノ宮成祥) 第6章 サイバーセキュリティとデュアルユース性(荻野 司) 第7章 自律型兵器と戦争の変容(久木田水生) コラム④ 先端生命科学と情報技術の進展(井出和希)
第Ⅲ部 哲学・倫理学から考える
第8章 功利主義と軍事研究(伊勢田哲治) 第9章 デュアルユースは倫理的ジレンマの問題か――研究の自由と制限(神崎宣次) 第10章 正戦論の研究は、すなわち軍事研究なのか(眞嶋俊造) 第11章 学術と安全保障の折り合いをつける――日本学術会議声明を受けて(大庭弘継) 第12章 デュアルユースからミックスドユースへ(出口康夫)

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1030 TV界、就職状況
昭和30年代、NHKに続き、4チャンネルの日本テレビ、6チャンネルのTBS、8チャンネルのフジテレビ、10チャンネルのテレビ朝日、12チャンネルのテレビ東京の順に、民放は開局していった。 NHKは、ニュースが主体で、民放は、王、長嶋選手が活躍する野球放送、力道山が活躍するプロレス中継が、横綱的存在の番組であった。 世相も、戦後の混乱期を脱しバブルの助走時代、人々は工場で汗、油まみれに働き、野球放送とプロレス放送を見ることによってストレスをはらしていた。 当然まだ白黒放送で、放送時間も、現在みたいに、一日中放送しているわけではない。 夜のゴールデンタイムと昼メロが主で、昭和30年代後半になると、朝のモーニングショーがヒットし、その後、午後3時代の番組も放送されるようになったのである。 民放では、巨人戦、プロレスの放送権を持つ日本テレビは、後から開局したTBSやフジテレビに比べるとダントツである。 TBS、フジテレビは、日本テレビと比べると、横綱と序の口の勝負で、とても歯がたたない。 そこで、なんとか日本テレビに対抗出来ないものか、と考えたあげく、手を組み、両社で資本を折半し、カメラマンやオーディオマン、映像マン、照明など、番組制作技術スタッフプロダクションを設立したのである。 その会社は東通という会社で、後にカラー放送が始まり、バブルの時代になると破竹の勢いで伸びていく。 その後、日通、電通に迫り、日本の3通と呼ばれるまで急成長していくのである。 昭和40年、ひかるは、その東通の第1期生として華々しく入社したのである。 ひかるが夜学卒業時、求人板には、今の名だたる家電メーカー、東芝や日電、松下やソニーなど、設計関係や、それがらみの求人が所狭しと並んでいた。 テレビ関係の求人は殆んど無く、隅っこに一枚あっただけで誰も振り向かなかった。 ひかるは、難なくテレビ界に就職出来たのである。 (TV界が、これ程急発進、急展開する事は、誰も予測出来なかったのである) 求人広告で目を引いたのは、赤井電気という、中堅企業であった。 待遇が、他の会社に比べ、格段に良かったのである。 クラスの秀才達は、その赤井電気に殺到した。 15年前後、新聞の見出しに、赤井電気倒産の記事を見た時、胸をなでおろした。 会社更生法で、存続はしたようであるが、就職した、ずば抜けて頭の良かった友人達の顔が、頭をよぎったのである。 ひかるは、さほど頭がよくなくて良かった。幸運であったと、しみじみ感じたのである。 また、頭がよくなくて良かったと思われるような幸運が、これから先、何度もひかるに訪れるのである。
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