#鉄瓶のある暮らし
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wazakka-kan · 1 month ago
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鉄瓶職人・髙橋大益の鉄瓶「凹玉紋(ぼこだま)1.2L」当店初入荷でわたくしも今回初めて実物を手に取ってみた訳ですが、軽さ、重心のバランスの良さ、プロポーション、ディテールの美しさ、どれも秀逸。
想像以上に手馴染みよく、目が喜ぶたたずまい。毎日使うのが楽しいだろうなと浮かぶひと品です。
鋳物で凹模様を作るのは、手が掛かります。アラレ模様のような飛び出す凸模様は鋳型を彫れば出来ますが、凹だと鋳型にその形分、砂を盛る必要があるのですが、これが彫るより手が掛かる仕事。
下手に鉄の肉厚が減ると鋳型の中を鉄が回りにくくなるし、加減が本当に難しい方向性のデザイン。
凹玉は、水を注ぎ入れやすいように弦が倒れる仕様(通常鉄瓶の弦は倒れません)今の暮らしでの使いやすさを考えて作る方。
注ぎ口の美しさも相変わらず。
見た目では分からないとは思いますが、「細く落としてピタッと止める」コーヒーのドリップなんかで活躍すること間違いなし。
鉄瓶は扱いが難しいと言われますが、そんなことありません。
①お湯を沸かしたらお湯は使うor沸かした後はお湯をポットに移し(保温)→鉄瓶の中を乾燥させるべく、蓋をせず放置。
②鉄瓶は「お湯を沸かす専用道具」と思ってお使いください。麦茶を煮出すならお湯を鍋に移して鍋で抽出してください。鉄瓶に放り込んだらダメです。
2つ守ってくださればOK。簡単。
全体像はすっきりシンプル。胴から尻にかけてのなだらかなカーブが魅力的。
徐々に緩やかに変化していく曲線は、植物や動物が持つ形を写し取ったようなライン。
1.2Lだと実物は小玉スイカぐらいのサイズなんですが、小さいながら存在感が美しい鉄瓶です。
それにつけても、凹玉は私の購買意欲をチクチク刺激してきます。商品に手を出すようでは店が傾くと母から言われ続けているのですが、いいつけを破りたくなる…
髙橋さんの鉄瓶はどれも欲しくなるので困ります。今の私が買うならば、丸型鉄瓶と思っていましたが、凹玉も同等1位(すごく欲しい笑
通販→https://x.gd/roVJu
https://x.gd/roVJu
ちなみに、丸型鉄瓶は7月末入荷予定です。
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chisasarasa · 3 months ago
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241225
朝、夢をみていた。牧場に行きたかった。 牧場に行くためには火葬場を通らなければならず、通るためには一通り火葬の流れをやらなければならず、7万円かかると言われたから、車に乗って逃げた。
クリスマス。 嫌な気持ちも起きたけれど、それを吹き飛ばせるくらいおいしいディナーができた。 暮しの手帖に乗っていたレシピでチキンを作り、鶏肉から出た脂でレンコン、にんじん、アスパラを焼いた。 アンチョビなしでバーニャカウダーソースも作って、もりもり食べた。 あまりにもおいしくて、おいしいものを自分でつくれる感動があった。来年も作りたい。
夜、冬って終わるんだ、と気がつく。 冬が終われば、冬が終われば。
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241226
よくねた。 おいしいものをたくさん食べて、よくねて、すこやかだ、と思う。 雪が降っていたみたい。 窓の外が白くまぶしい。 今日は運転して、少し遠くまでいってみよう、と思っていたけれど、雪が降った初めての道を運転する勇気がなくて、やめた。 本をつくって、くるみのキャラメリゼを作った。 前に、タルトを食べたときに、皿に添えられたバニラアイスにくるみのキャラメリゼが入っていて、それがおいしくて、ずっと作ってみようと思っていた。 少しこげてしまったけれど、おいしかった。 次はくるみの渋抜きをしてつくってみたい。
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241227
アルバイトをして、額装屋さんにいって、作品を受けとる。 かっこよくしてくれた。 なぜか日本画みたいだな、と思う。 知り合いが働いている絵本カフェにいく。 カフェではあるけれど、カフェの様相ではなく、自宅をひらいていますといった風。 こたつに案内してくれる。 クッションに寄りかかって絵本をひらく。 ほっと息がつける。 ダヤンという猫の絵本。 猫のことは知っていたけれど、こういう世界の��だとはしらなかった。わちふぃーるど。ひらがなの可愛らしさ。
転勤のある人と暮らし、転勤のあるたびに知らない土地に暮らし、なんとかやっていて、我々はがんばっているよ、と、称えあう。
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241228
アルバイト。 6時から15時のシフトはやっぱり長くて疲れてしまう。 疲れたまま、携帯を眺めていたら夜になってしまった。
ふと思い立って彼に手紙を書いてみる。 こう、すきなことをして過ごしていられるのは彼のおかげでもある、と思った。 自由にしてくれてありがとう。
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241229
よくねた。 冬は早朝が夜みたいに暗いから、日が昇る少し遅めの朝に起きるくらいが気持ちいいのかもしれない。 数日、日記が書けていなかった。思い出しつつ書きつける。 そういえば、来年の日記帳を買っていない。
彼を空港に送っていく。 今年は、わたしは北海道で、彼は神奈川で、年を越す。
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241230
アルバイト。 仕込んだドリアが全部売れた。 ひとりでちゃんとできるか不安だったけれど、やってよかった。 ここで働くこと、嬉しいと思わないのは料理を作って誰かに食べてもらうことが作業になっているからかもしれない、と思った。
夜、何もできない。 ねむいのかもしれない、と思って、ねてから洗濯をした。 日記を書いて、ねた。 作業になっているのはアルバイトの話だけではないかもしれない。
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241231
朝、空があかるくなってきたころ、少し元気がでてくる。 いろんなことへの気持ちがちゃんと向く。 この年末年始で2025年の日記帳をつくってみよう、と思う。
雪が降っている。 スーパーまで歩く。今日を逃すと3日まで買い物ができない。 いくらを買おうかと思ったけれど、やめて、黒豆を買った。 正月気分が味わえればなんでもよかった。 家に帰って、黒豆の煮方を調べると、まず、水で戻すという工程があるらしく、それが大変に時間を経るものだったから、すぐさま水に浸けた。 黒豆を水に浸けただけなのにみるみると水は黒豆の色に染まっていった。 面白くて、何度も覗きに行った。 部屋を片付けているうちに夜になり、いよいよ黒豆を煮る。 中火にかけてアクを除き、それからはストーブの上に置いておいた。 祖母もそうして黒豆を作っていた。一緒にくぎか何かを入れていた。 わたしは途中で鉄瓶の蓋を入れた。
2024年が終わる。年が変わる。ただそれだけ。 3000年になる日も、いつかくるのだろうか。わたしはお墓で。
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yutakayagai · 11 months ago
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日付が変わり、浩志は本郷にいた。彼がいた時は木造三階建てだったが、今は鉄筋コンクリートに変わっていた。次女・愛美が経営し、みいはすぐ隣の木造二階建ての��に住んでいた。旦那は最近亡くなったらしく、愛美の夫と孫二人と一緒だった。
無論、明かりはすでに消されていた。浩志はみいには通夜か告別式に来て欲しかった。魂なので彼はスッと家内に入り、居間なのかそこだけ明かりがついていた。そっと覗くと、ダイニングテーブルにはみいと愛美が向かい合って座り、「越の寒梅」の一升瓶をテーブルの中央に置き、グラスを酌み交わしていた。相変わらず酒豪だなァと、浩志は苦笑した。みいは言った。
「…まさか浩志が逝っちゃうなンて。心臓に毛が生えているから、わたしより長生きするよねぇって思ったら…ポックリ逝っちゃった」
「…お母さん。お父さんもそうだったけど、男って案外弱いのよ!」
「嗚呼、三社祭や隅田川の花火には必ず遊びに来て、水戸の地酒…何だっけ?」
「ほら、『一品』よ」
「そうそう、一品の大吟醸を必ずお土産に持って来てくれて…つまンない」
「…でも、お母さん。独りで大丈夫?」
「…偕楽園には毎年行ってるからねぇ。確か、駅前に『Kホテル』があるし、大丈夫よ」
男は案外弱い、か…。そうかもしれない。親父もそうだった。まァ、ヘビースモーカーだったし、仕方なかったが…。でも、皆オレのことを言いたい放題言ってるなァ! 浩志は、美津雄や小百合だけではないと痛感した。
愛美は、みいのグラスに酒を注ぎながら聞いた。
「…でも、お母さん。本当に幸雄さんを連れて行くの?」
「…え? 連れて行くよ」
「…だって、浩志おじさんとは確か、二十歳近く齢が離れているのよ? 九十代のご老体で、大丈夫なの?」
「…大丈夫よ。毎朝、隅田公園を散歩しては言問橋近くの『Y湯』で朝風呂してるって言うし。だって、浩志にとっては『愛人』よ!? 連れて行かなきゃ、冥土の土産にならないわ。幸雄さん言ったのよ、浩志の骨ぐらい拾いたいって」
幸雄が未だ健在だったとは…。最後に会ったのは一昨年の隅田川の花火の時だったっけ。流石に、九十歳近くのご老体を酷使するのは申し訳ないと、その後は手紙のやり取りをするだけだった。曳舟にあった実家は手放し、今は橋場の方に住んでいると聞いた。結婚はせず、��浜に嫁いだ彼の姉の末っ子を養子にしたと聞いた。
浩志は、せめてポックリ逝く前に一度会っておけばよかったと後悔しながら、彼と付き合い始めた頃のことを思い出した。
幸雄との再会は、意外にも大学の敷地内だった。浩志がラグビーを始めたのは高校に入学してからだったが、大学ではアルバイトに明け暮れようと勧誘を受けても断っていた。しかし、一年生の夏頃にどうしても入部して欲しいと友人から懇願され、仕方なく引き受けたのだった。
これまでやっていた居酒屋のアルバイトを辞め、早朝の新聞配達だけにした。居酒屋の方は練習が連日あるので無理だと判断したのだ。しかし、一升瓶を見ると飲みたくなってしまうほど酒が大好きだったから、かえって辞めて正解だと彼は思った。
ラグビー部に入るや、すぐ都内の大学と練習試合が行われ、浩志もメンバーに選ばれた。当時、廃部寸前と言われていたほどに弱かったが、彼が入ったことにより次々へと勝ち進み、気付くと関東大会に出場を決めていた。最初は見くびっていた上級生も浩志を見直す様になり、学内でも有名になった。
そんな中、某新聞社から取材の申し出があり、浩志はインタビューを受けることになった。学長室に呼ばれ、ドアを開けた時、彼はびっくりした。カメラマンを率いて幸雄もいたからだった。幸雄もようやく再会できたと満面の笑みをみせた。
インタビューは三十程度だったが、取材を終えると幸雄は浩志に声をかけた。カメラマンも同行していたので彼はメモ用紙にメッセージを書き、浩志に渡した。その紙にはこう書かれていた。
「午後七時に銀座の時計台の前で待ってる」
いつもの様に練習を終えた浩志は、自転車を国鉄・御茶ノ水駅の前に止め、電車を乗り継いで銀座へとやって来た。銀座は、高校時代に長男・正夫や次男・岳次と一緒に日劇へ行った時以来だった。水戸にはない華やかさがあり、ネオンサインがあちこちに煌めいていた。時計台の下に幸雄は待っていた。学ランの第一ボタンを外し、浩志は笑顔をみせた。二人は五丁目にある釜めし屋へ向かった。そこでも互いのことを語り合い、時折幸雄は浩志の手を握ったり、膝に触れたりしていた。
午後九時になり、明日も新聞配達があると営団地下鉄・銀座駅の前で別れようとしたが、幸雄は引き止め、二人は人気のない路地に逃げた。そこで幸雄は浩志を抱きしめ、接吻をした。背部や臀部を弄られ、浩志も幸雄を求めた。全身が火照って彼は、
「…オレ、幸雄が好きで好きでたまらない。欲しい、もっと欲しい…」
と訴えた。幸雄も、
「新聞配達だったら、その時間までに行けばイイだろ? 君は可愛いよ、可愛くて仕方ないよ…」
と浩志の唇に触れた。
結局、幸雄は浩志を自分の住む向島のアパートに連れて行った。布団の上で二人は裸になり、愛し合った。この時に浩志は、これまで用を足す為だけの下半身の穴に幸雄の肉棒が挿れられ、その奥に潜む性感帯を弄ばされた。最初は声に出して痛みを訴えたが、幸雄と肉体が一体になったことに歓びを感じた。次第に、かえって抜かれると痛いことを知り、しがみつく様に幸雄の背部に腕を回した。大粒の汗を流しながら、浩志は自分の肉棒がいやらしいほどに先走り汁を流しているのを認めた。
「あッ、あん、ああん、あん…」
まるで女になったかの様な錯覚に陥り、幸雄の膝の上で彼は接吻を繰り返した。絡み合う舌と舌に幾重にも唾液が糸を引き、口角から滴りそうになるのを二人はすすり、呑んだ。次第に、幸雄は激情の故に浩志の乳房を鷲づかみにし、揺さぶった。
「あ、あぁ…。君が欲しい、もっと欲しい…」
浩志は、下半身の穴が火がついた様に熱くなっていくのを感じた。幸雄の肉棒が彼の性感帯に何度も突かれ、浩志は理性を失いかけていた。このまま彼の愛液を受け止め、妊娠しそうな感覚に陥った。もし子どもが宿せるなら産みたい、幸雄が好きで仕方ないと、浩志は思った。
オルガズムは二人同時に達した。浩志の下半身の穴に幸雄の愛液が注がれ、浩志の愛液が幸雄の肉体のあちこちに飛び散った。
「あッ! あん! あぁん! あァァァん!」
浩志は涙を流しながら声を上げた。幸雄は彼の両胸に顔をうずめ、
「はァッ! はァん! あん! あァァァん!」
とうめいた。
浩志も幸雄も恍惚な表情をし、未だ萎えぬ肉棒を露にしながら二人は接吻を重ねた。
時計は午前十二時を回っていた。電車はすでに運転を終了していた。二人はちり紙で飛び散った愛液を拭い、手ぬぐいで軽く身体を拭いた。浩志は下半身の穴に鈍い痛みを感じていた。幸雄は、
「痛かった?」
と聞いた。浩志は、
「否、大丈夫」
と横に首を振った。彼は、すっかり幸雄のことを自分の情人(アマン)として受け入れ、認識していた。彼は、童貞を喪失したことで何か自信の様なものを得た気がした。ブリーフを穿き、ランニングシャツの上からワイシャツを羽織ろうとした時、トランクスだけの幸雄が背後から抱きしめてきた。彼は言った。
「いつでもおいで、待ってるから…」
微かに腋臭の「匂い」がした。ブリランチンでまとめていた髪は乱れに乱れ、うっすらと無精髭が生えていた。浩志は、同性でありながら初めて「男」を感じた。そのまま彼は振り向き、接吻した。まるで映画のワンシーンの様だった。うっすらと涙を流しながら、
「いつでも抱いて…」
と言った。
嗚呼、このまま夜を明かしたいと、浩志は思った。
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oka-akina · 2 years ago
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1207-1211
1207 たくさん洗濯をした。朝から暖かかい日だった。キムチ鍋の残りにごはんと卵と餅を入れておじやっぽいものを食べた。この餅は母が仕事のお客さんからもらったもので(毎年餅つきするらしい)、食べきれないからと毎年わたしのところにもやってくる。わたしも食べきれなくて冷凍していたやつ。いや母はとっくに退職している。これはいつの餅だろう。いつのかわかんないけどふつうに食べられた���スープジャーにこれを入れてお昼にし、入りきらないぶんを朝食べた。
角川ふざけんなとバチぎれた日記を書いた。バチぎれた日記を書くとソワソワしてしまう。わたしはいろんなことをのろのろのろのろ考えているタイプで結論を遅らせがちなんだけど(意図して遅延させている面もある)、この件の差別的な宣伝文に関しては言える人がすぐ言わないとだめだと思った。「伝染する」はひどい。今後いろんな価値観や常識は変わっていく可能性があるけど、いま、この瞬間、「伝染する」にショックを受ける(受けた)人たちがいることを無視しちゃだめだと思った。どのような本も出版を妨げられるべきではないというのはそれはそうなんだろうけど、と同時にNOは言わなきゃと思った。このあいだの日記でも書いたけどわたしにはひどいミサンドリーがあり、自分のあたまで考えたつもりのことはまちがいだらけなんじゃないかと不安でたまらないし、実際しくじりも後悔も多い。でもそれはそれとして「伝染する」はありえねーわ。そう思ったいまのこの気持ちを大事にしたいと思った。
なんかいろいろ終わらなくて観に行きたかった映画を観に行けなかった。しょんぼりしながら帰って寝た。
1208 今日も暖かい。寒さに慣れてきたのもあるかもしれない。デニムのセットアップで出かける。セットアップって好き。太ってからメンズのセットアップをよく着るようになった。 甥の誕生日プレゼントを買う。妹にリクエストをきいたら絵本がいいとのこと。「からすのパンやさん」と「スイミー」が気に入っているからそれ以外のかこさとしかレオ・レオニとの指定。五歳になる。絵本の読み聞かせは書いてある文字をぜんぶ読んであげないと怒るそうで、奥付も音読しているらしい。偕成社、東京都新宿区市ヶ谷砂土原町…とかそういうの。わたしも親向けの解説とかぜんぶ読んでたな。
ブックファーストに行ったら絵本はほぼシュリンクされていて、中身が見られなくてちょっと困った。汚損防止だろうけど表紙しかわかんないんじゃネットで買うより不便だ…。 「どろぼうがっこう」、「だるまちゃんとてんぐちゃん」、「おんがくねずみジェラルディン」、「さんびきのやぎのがらがらどん」をチョイス。中身がわからないから自分の好きなものになる。ジェラルディンはえものおすすめ。だるまちゃんとてんぐちゃんだけシュリンクされてなかったのでぱらっと読んだ。こんないい話だったっけ…ちょっと泣きそうになった。
だるまちゃんがてんぐちゃんの持ち物をつぎつぎほしがり、お父さんに相談して近しいものを手に入れていく。天狗の下駄とか帽子とか。似ているものを探し、自分用を作り出していくさまがかわいくて面白い。あるときてんぐちゃんの鼻にちょうちょがとまって、だるまちゃんも長い鼻をほしがる。最初お父さんは蝶がとまるなら花だと思って色とりどりのお花を並べてみせるんだけど、ちがうそうじゃないんだ、花じゃなくて鼻なんだ、自分は長い鼻がほしいのだとだるまちゃんは訴える。お父さんはお餅をついて鼻を作ってあげて、だるまちゃんは立派な鼻を手に入れる。鼻の先に小鳥がとまって、てんぐちゃんも一緒によろこんで、めでたしめでたし。 めっちゃいい話だな。こういうのって、他人の所有物や身体の特徴をうらやましがるのはやめましょう、自分のあるがままを愛しましょう的なメッセージにしちゃいがちだけど、ほしいものをなんとかこしらえ手に入れるっていうのがいい。めちゃめちゃいい。飛躍しすぎかもだけどこれFTMの話だなって思った。
お昼はピザ。ドミノピザがブラックフライデーで600円というのをやっていて、ブラックフライデーってもう終わってないか?と思ったんだけど(一応ネットでも調べた、12/3までのキャンペーンと書いてあった)、店の窓には600円ですと書いてあるのでこれまだやってるんですかとたずねたらやっていた。一人で昼間からピザ食べるの浮かれてて面白いな。食べたらとても眠くなりやるべきいろいろが捗らなかった。夕方、通販とか書店さんへの荷物を送った。 夜ごはんはかぶと豚の炊き込みご飯。インターネットで見かけたレシピ。あとじゃがいもの煮物と、ほうれん草を炒めたやつ。ほうれん草はナムルかごまあえにしようかと思っていたけどめんどくさくなって塩胡椒で炒めた。炒めただけなのにやけにおいしくて、なんだか感心してしまった。それで(っていうのも意味わかんないと思うけど)久しぶりにヘミングウェイの『老人と海』を読み返した。
1209 甥の誕生日会。妹と妹の夫の勤めている会社の保養所みたいなところですき焼きを食べた。旅館みたいな畳の個室。甥が卵を割ってかきまぜてくれた。駅から保養所への道で父が転んで血だらけになり、店の人にばんそうこうをもらった。何やってんのと母は呆れ、父はばつの悪そうにしていた。これ以上言ったら機嫌が悪くなるからさっさと手当てして話題を変えようという連携プレーがあった。うちの父はいつも威張っていて口が悪く、その一方で信じられないくらいうっかり者で、離れて暮らしていると困った奴だなーとやや笑えるけど毎日一緒にいると扱いづらくて大変だろうなと思う。ただ母も言動に軽はずみなところがありわたしはしばしばぎょっとするので、まあちょうどいいんだろうなと思う。ちょっと飲みすぎた。瓶ビールを何本か飲んだあと、妹と父とわたしで日本酒の四号瓶をあけた。甥がどんぐりをたくさん拾った。一個ちょうだいと言ったら二個くれた。すべすべした立派などんぐりだった。すごく眠かったけど帰り道だったので新宿アルタ前のスタンディングにちょこっとだけ参加。STANDING DEMO QUEERS FOR PALESTINEっていうやつ。人多かった。帰ってから少し寝て、起きて小説を書いた。夜になっておなかがすいたのでコムタンを食べた。
1210 原稿を提出。ちょっとすっきりした気持ち。日記祭に行く。望月柚花さんと待ち合わせ。新しい下北沢にいまだ慣れないという話。ずっと慣れない気がする。バインミーを食べた。レバーペーストがこってりしていてパンがしっかり固くて、これだよ〜!というバインミーだった。 日記祭、わたしの探し方が悪いのかもなんだけど委託?の本がどこにあるのかよくわからなくていくつか見つけられなかった。売り切れもあった。うろうろ歩きまわって見つけらんない感じにきのうの父を思い出した。似てんのかな。口ばかり達者でうっかり者。でもいい天気であたたかくて、見つからないのもしょうがないなという気持ちになった。外でやるイベントいいな。隙間さんの『うつわ日記』と図Yカニナさんの『沖縄に六日間』を買った。 柚花さんと文章の話とか着物の話とかしながらビールを飲んだ。ミントマイナスマイナスのことを覚えていてくださってうれしかった。そしてしゃべっている途中、ネプリにしているステッカーのPalestinaのつづりがまちがってませんかと糸川さんがDMで教えてくださって、自分はほんとにうっかり者だな…と反省した。父はわたしの名前の漢字をしょっちゅうまちがえるのを思い出す。
ドーナツを買って柚花さんとバイバイし、国会前のデモへ。この日は黒のオールインワン(ツナギ)を着ていて、最近イベントとかスタンディングに行くときよく着てる。どこでも座れるしポケットいっぱいあって便利。日記祭行ってビール飲んでドーナツ持ってデモ行くのどうなんだと思いつつ、そのくらいで参加するおっちょこちょいがいてもいいような気もする。あとやっぱりこういうのにぶらっと行けるのは関東民の特権なんだろうなとは思うので、行けるやつは行っとくほうがいいかなと思っている。そこそこ元気で、子育てや介護やぜったい抜けられない仕事とかもないし。 国会前のデモは年齢層が高くてちょっとびっくりした。ナクバを生き延びたパレスチナ人のお孫さんという方がスピーチしていて、胸が詰まった。警察がすごく多かった。地下鉄の出口を出たところで「イベントに参加の人ですか?」と道案内されかけ、イベントではなくないか…?と思った。
日比谷公園でドーナツを食べ、さっき買った日記を読む。隙間さんの日記、写真(LINEの画面のスクショ)がたくさん袋に入っているもので、���園でこの束をカサカサめくる時間がすごくいいなと思った。内緒話みたいな感じ。futouさんのツイッターから流れてきてなんとなく日記を眺めたことが何度かあって、すっかり忘れていたんだけどちょっと前にツイッターをフォローしてくださってああそういえばと思い出した。日記祭でお話してみたかったんだけどfutouさんから来ましたとか意味わかんないことしか言えなかった。このあいだ角川にバチギレた日記を書いたとき、「毎日書いてる日記だけど、怒っていることについて書くと日記ではなくなるな…。でもこの日これを考えていたという記録だからまあいいかという日記。」というツイートにいいねしてくれてうれしかったの。でもわざわざ言うことでもないなと思った。『沖縄に六日間』は旅日記的なものが読みたくて買った。装丁がすごくいい。国会前の時点でスマホの充電はだいぶ少なかった。電源のあるカフェとかに行けばよかったんだけど天気がよくて思わず公園でぼーっとしてしまった。『ピュウ』を読みすすめた。 体力的にきついかなーと思ったんだけど渋谷ハチ公前のプロテストレイヴをちょっと見に行った。すごくよかった。スピーチがパワフルなのもよかったけど、音楽がすごくよくて…。赤と緑のスモークもよかった。渋谷駅前、スリバチの底に煙と音と声が溜まり、うねっていた。通りすがりに足を止める人も多かったように見えた。これ何やってるんですかと聞かれたのでちょっと説明。ステッカーをあげた。つづりまちがってないほうのやつ。帰って肉を焼いて食べた。
1211 何も捗らない一日だった。きのうおとといと活動的に過ごして疲れているんだと思う。そりゃそうだよなと思う。労働の電話がかかってきたのを無視した。「こわいよお」とか言って布団にもぐった、部屋に一人でいるのにかわいこぶって。メールは返した。春菊とキムチでチヂミを作って夕飯にした。食べながら蘭たんの動画を見た。8番出口のやつ。夜になっても洗濯物はあんまり乾かなかった。今度参加するアンソロの小説を書き進めた。
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officek-paper · 2 months ago
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2015-12 吉祥寺マンダラ2
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尖 2水 3木 【TOMOKO MARIYA LIVE『谷のお部屋 #pray』】 毬谷友子:p? コノミ美希ミソロ+&/中川海(vo.※) ピロシキアンサンブルしまさとこ(vO)カノミ(g.cho) 【Folkweys Japan 】 山下由/シーサーズ 真黒毛ぼっくす/シバ(三橋乙) 18:30/19:30 前売¥2200 Aorco? tuninik 4金 寶田勇造3g棒瓶g 18:00/ 19:00 o??? 土 $ 18:00/19:00 前売¥3000 7月 8火 9水 【踊りエクボ唄いジワ】 ◆おこたんぺ(コンタクトジャグリング) ◆CAMEW/GAYAトライバルフュージョンベリーダンス) ◆トリンカファイブ(Komonとちくのストリートベリーダンスデュオ) ◆ Masami(ベリーダンス 金沢Studiovafla主宰) ◆ Violet Eva(バーレスク)◆タカダアキコ(ダンス) ◆ラブリー恩田(クラウン)◆ヨロ昆撫(ガレージカラオケ) ガリガリプロジェクト 丸山形史(b)渡辺源(g)川田千春(pf) グレーストーンズ水上(9)玉川雄一(9)村上(b)山本久(ds) 【N=I。十三歳記念日】 大竹創作(o.pf)/サムズ・マンボ・ペトロチカ RIQUO(vo.pf) &小森子(Sax) 斎すみれ(vo.pf) Ake kubota(synth.pf) 20:00 南本ふみ(vo.g)/大海有(vo.g)/小川酸(vo.g) 【渡しwith Friends ?ライブ・アルバム(LEGACY2015)発売記念マンスリーライブ? 「これぞ橋渡しアコースティック!〜山田さんと共に』】 金 渡辺隆期()吉森信(o 吉野弘志:山田見士(o) ザ・シダルマカバー/THE KANGA 石田洋介/シノ・マーベリック Battersea Powerstation+Kuroswadaiske 【第11回中嶋真実人門下生による発表会LIVE 】 <day 繁原義敦・早瀬実穂村田和華子・平田由季・森ゆき 日 ?【ゴマアプラのやみつきワンマンNight vol.2】 【?新エレクトリック大正集会〜】 改造エレキ大正琴バンド「文明退化」 ヨシダダイキチ/かわいしのぶ/fanaco/fuzzy/ないきさとみ/空中神士 日本エレクトリック大正琴連合「JETA」 辺藤達郎/清水一愛一葛岡みち/岡野勇に一田中悠美子 前売¥3500 NB?4000 drink 18:00/ 18:30 0300; 412! 18:00/19:00 当日¥3300 TOTEIN 19:00/19:30 ¥2500+drink 内橋和久(Resonant harp guitar) 竹田賢一(エレキ大正等)/七尾旅人(vo) AREPOSれいち(Vo)清水一登(pf) ナガタク永瀬晋(vo.g) 田窪|盛(9)/wakako(win) 杉山結香(g) 水 Arthur Fowler (vo.g) 高杉ケイ(g)田原キヨ(b) モモ(key) 川村シゲヒト(ds) 【ヤブコギpresent LIVE 〜ふゆのおとどけもの〜】 17木 Sen 千子(vo.g)吉田茂生(@)旅以子(c) カポウ(vo.ukulele musical saw)&池田司(g.cho fromキッコリーズ) ヤブコギ大寺節(Vo.pt kakapoなお(vo.g)柿沼期音(ds) feat 伊美友(部) 【三浦久年末ライブ in 東京】 金 三浦久(vo.g) 18:0. 【head69 x CLOCKWORK SUNSET presents 「Tequila A Gol Gol vol.13 ?暮れの元気なご挨拶?】 DJ.TAKA!/イマオカトモミ/人妻肉包丁慶子 kazaana THE 四十八手's/HERSHEY's(from 大阪)/head69 体井まさみち&ハイスプレイムレコード主催 「Acoustic live diamond in the rough』 AKKY&歌織 ・¥3000 松井まさみち/すずきももこ/You/Guu/Haru/Yumi 【?2マンライブ〜】 21月 丸本達也(o.g)竹内大輔(3)/又吉慶人(vo.g) 【BM'sのフリーダムなイヴイヴィヴ】 青山陽|the BM's 前売¥3000 当日¥3500 青山陽|(vo.g) 伊隆博(Key)千ヶ崎学(b)中原由(ds) ● 突ダンスフォー I(g) 阿部史彦(perc) 水 ●水中、それは苦しい 18:30/19:00 当日¥3200 ジョニー大蔵大臣(vo.g)セクシーバスタ林三(vin) アナーキー吉田(ds) 料金:¥2200+ドリンクオーダー(異なる場合はスケジュール表内に表記してあります。) 【浄夜2015】 黒色すみれさちる ゆか(vo.pf.acc) 当日¥3500 加藤千晶ガッタントンリズム 加藤千晶(vo.pf)鳥羽修(9)高橋結子(ds)河瀬英(b) 中尾麹二(t)多田薬子(sax) AKeta Mino (tp) 当日¥3300 drink 土 【?オールリクエスト大会?】 なぎら健壱os)+OWN RISK 前売¥3000 日 【~N=のマンスリーディvol.12?】 大竹創作(vo.pf)大竹幸平(9)畑野淳(b) 時間:開場 18:30/開演19:30 2I_. 南薬売※(02)大輔良知(6DX)福本賞久(1)) 17:30/18:30 drink 【劇舎カナリア 歌う劇場】 「月曜なのにかようショウ」 企画・城成・出演:ささいけい子(Vo)杉沼美幸(pf) ゲスト:川辺久遊招かれざるグスト:半魚人 2回公演 ist 15:30/16:00 2nd 19:00/19:30 ¥2500 〜MUしろうの忘年会〜 る*しろう#好治@)金美セ子(key.yo) 普限道(65) MUMU 8田耕|()本間太郎(key)植村圏弘(ds) 【大島賢治presents 「0O・S・H・I-M・A・NIGHT!」】 大島賢治三宅伸治/山川のりを/ 18:00/19:00 調先人/杉山章二丸/??T/朝倉裕太/などなど 【カウントダウンライブ「乙ミ・ライブ〜来年(申年)へ行こうか】 大竹創作(o.pf) 大竹幸平(9) 畑野淳(b) 21:00/22:00 このD手なのしし 出演希望の方は、デモテープ・写真をご用意の上ご来店下さい。 MONTH NEXT 1.2sat…・「新春ホルモン鉄道ライブ!」ーホルモン鉄道と熱女たちー 1.5tue…・・渋さ知らズ劇場 1.9sat ・AREPOS 1.10sun…中嶋真実人と音楽仲間の『新年会ライブ』 1.11mon…・・?リクエスト曲特集?滝本見司 1.16sat・佐験GWAN博 117sun…・橋渡し with Friends vol.4橋渡しメスキマノザラシ 南壽あさ子 メジャー 1StALBUM rPanoramas 2015.06.10 release TOY'S FACTORY nuco.nasuasaco.comm 羅音楽出版所属アーティストリリース情報!! THE TON-UP MOTORS メジャー 2nd ALBUM TKEEP ON STANDING!J 〒180-0003 ���京都武蔵野市吉祥寺南町2-8-6 Tel/Fax:0422-42-1579 MANDALA 2 第18通南ビル 吉祥寺駅 http://www.mandala.gr.jp ライブ終了後 AM0:00 まで営業しております。 2015 December LIVE SCHEDULE MANDALA 2 City Hole's Bar 12.22TUE BM'sのフリーダムなイヴイヴイヴ 青山陽-the BMs 青山陽一(og伊藤隆博(es) 崎学心中原由貴(cs) 12.26SAT オールリクエスト大会 なぎら健壱10g) OWN RISK
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shingoiwasaki-blog-blog · 5 months ago
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坂本美雨へ、捧ぐ、この名もなき詩人【死人】の、短編小説を|シンゴ
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いつまでも、こんなことを、していては、いけないな。それから、僕は、洗面所の、鏡へ向かい、久しぶりに、自分の顔を、じっくりと、観察してみた。そこには、約、1ヶ月分、放置された、伸び放題の、髭と、げっそりと、頬のこけた、僕の顔が、ドロンとした、目つきで、こちらを、疑り深そうに、ジッと、見つめる、僕の顔が、うつっていた。やれやれ、一体、僕は、今まで、どこの、どの世界を、ほっつき歩いていたのか。
それから、僕は、洗面台へ向かい、直子が、残していった、洋梨の形をした、��色の瓶のオーデオコロンの、隣にある、髭剃りを、つかみ、約、1ヶ月ぶりに、自分の、髭をそった。それから、蛇口をひねり、綺麗な水で、顔を洗い、うがいをして、できるだけ、時間をかけて、丁寧に、歯を磨いた。それから、部屋に、散らばっていた、コットン素材の、ブルーのTシャツに、薄い綿の、ベージュのチノパンツを、履き、かかとの、すり減った、薄汚れた、テニスシューズという格好で、アパートを、出た。外の、陽光が、僕を、優しく、包みこんだ。せわしく、鳴く、小鳥のさえずりが、僕の心を、どことなく、愉快な気分にさせてくれた。それから僕は、近所の、できるだけ、清潔感のある、床屋に入り、短く、五分刈りに、髪を、刈ってもらった。床屋の主人は、ラジオから、流れる、古い、オールディーズミュージックに、合わせて、口笛を、吹いていた。床屋をあとにした僕は、地下鉄に乗り込み、銀座にある、紀伊國屋へと、向かった。久しぶりに、街のなかを、歩いてみると、空は、晴れ渡り、空気は、澄んでいた。途中、小型犬を、散歩中の、身なりの良い、中年の女性が、何やら、ブツブツ独り言を言いながら、遊歩道に、生えている、雑草に向かって、話しかけている光景を、目撃した。この人は、今、一体、何を、やっているのだろう?
久しぶりに、紀伊國屋へ、入ってみると、大勢の人で、ごった返していた。それから、僕は、鮮魚コーナーへ、向かい、今まで食べていた、インスタントフードを一切やめ、できるだけ、艶のある、野菜を選び、魚、それから、オートミール、豚肉、オレンジジュースを、買い、アパートで、時間をかけて、チンジャオロース、それに、野菜スープを、作って食べた。
キズキよ、お前は、とうとう、直子までをも、お前の世界に、引きずり込んでしまったんだな。いいよ、直子は、お前にやるよ。そのかわり、そう、俺には、この宇宙、地上、霊界を、守る、義務感と言うものが、あるんだよ。そう、俺は、もう、お前と、学校を、抜け出しては、玉突き遊びに、明け暮れていた、そう、20代の、若者じゃないんだよ。
それは、飛行機の、プロペラの、音では、なかった。僕の、耳のまわりを、ゆっくり、迂回する、それは、小さな羽蟲の、音だった。リリーは、脱ぎ捨てた、パンティーストッキングを、気だるそうに、手にとり、何やら、ブツブツと、独り言を、漏らしている。昨夜の客はさ、、、そんで、あたし、途中で、面倒になってさ、帰りたいって、言ったの、そしたら、奴ときたらさ、5分で、終わらせるから、そんなこと言わずに、とにかく、シャワーを、浴びてこいって、しつこいときたら、ありゃしない。台所の、ながしには、もう、随分、前に、果物ナイフで、スッパリと、切り取った、パイナップルの、残骸が、腐乱しており、悪臭を、放っている。僕は、足元に落ちている、洋梨の、形をした瓶のオーデオコロンを、拾い上げ、ターンテーブルの上に、ことりと、置いた。デスクの上には、数冊の、古い、ペーパーバックと、パルムの僧院の、上巻が、無造作に置いてある。
グレートギャッツビー、序文
お前に、もし、仮に、理不尽なことを、言う人間が、現れたら、こう、考えるんだ。その人たちは、お前ほどに、恵まれた境遇には、いないのだと。父と、僕は、何かの、事柄について、深く、語り合った、という、思い出は、ないものの、この、父が、僕に、残した言葉は、成長した僕の、記憶に、しっかりと、焼きつけられ、後々まで、この言葉が、耳をついて、離れなかった。そして、少なからず、この、父の言葉の通りに、人付き合いをした、僕の周りには、いつも、一風変わった、人たちだけが、残ることに、なった。
ドローランを、一気に、飲みほした僕は、このドローランを、マイルス・デイビスに捧いだ。さらに、もう19ミリの、ドローランを、飲みほし、亡くなった妹に、捧いだ。さらに、もう、18ミリの、ドローランを、手にした僕は、世界の、ありとあらゆる、汚辱【おじょく】に苦しむ、アウトサイダーたちの、ために、飲みほした。
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enakuroda · 10 months ago
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丘へ
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星屑が記述する線の意味
光の傷が流れる意味
鳥の心が廃墟みたいに染まる世の
裏拍で聴く心音が、
筋繊維を月の文様に変える
そして、生後十ヶ月の僕が書いた紅い太陽は
現在も脳裏の雪を溶かしている
捧げながら、
崩落したと聞かされていた橋を飛び越える情動が月の血管を神さまみたいに切ることに至り、僕はあいまいで柔らかい手つきの少女のまぼろしを追って走っていた、世界から零れ落ちた言葉を集めながら、
星々は終身の息であると決めた世界の秩序を創造する老人はもういないから、きみは「祈りの廃墟の国」の底にある「翼の骨」を掘り出して、嘆きの高さで星座を創る、だから僕たちが触れる永遠はチェレンコフ光の靑で満ちている、その瞬間を見て、僕は泣いていた、泣きながら、熱が熱としてうつくし��ままであるように祈っていた、街は静かに燃えている、だから走って、雪の速度で
でもさ、僕たちの街が燃えるなら、昔、鉄塔の下できみが僕の腕に刻んだ「靑く澄む失語」の傷は記憶として永遠になるから、きみがその時何を考えていたのか僕にも触れられるかもしれない、数少ない希望として、
花が花であるように祈り続ける千年の樹海は毒を溜め込んで、解毒されないまま鎮静している、僕は奥に、もっとも深いところに入り込んで愛になるまでを待つ、手の先から順番に身体が樹木に変わってしまっても(何も抱きとめられない)、夜の暗闇に呑まれても忘れない(レーテを拒否しているから)、
その速度で、その純粋さで一角獣の言葉を記すことがぼくの意味であり手紙であるとき、靑いインクが軋轢する現象
すぐに墜ちてしまう靑空を綺麗な小瓶に詰めて永遠にするように、そして、
きみが何かを喪うことは祈りじゃなくて、赦しでもないただのよろこびを欠いた唄だから、それを避けて 灰が灰であるように 夜が夜であるように(Eternity touches eternity, like snow)、でも、
すべて偽の星座である 
でも、僕たちの生の痕跡である
その高度の構造を、射抜く昏がりは存在しないから
永遠になる 灰になる 群青として
ハレルヤ、
白夜、
(星の光が褪せてゆく、海の波音も消えている、大地はない、空もない 、ここには雪しか降らない、)
そして、
永遠に触れた指先が呪われたように生から離れてゆく深夜、僕たちがまだ識らない色調の花々が「滅びの朝」という意味に変わって、街の聖者は「赦すこと」と「怒りの日」のあいだで震えている、彼は善意の隠喩の鳥の死骸を拾い、僕たちが知っている丘に埋葬する、
そして世界はリンボになる、同じ速度でアダムが笑う 崩れるところを見ていてほしい
だから、言葉の意味を呪わずに、祈りの清さの梯子を掛けて、
日が暮れる美しい土地の記憶を描いて、
歪に狂わない丘へ行こう
きみが河の向こうへ渡るとき、月光は澄んでゆくから
太陽の無い対岸で、眠りの底に沈むとき、
丘の頂上に天使の死が引きずられてゆく。
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hokuto-yuasa-journal · 1 year ago
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20240625
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4時に起きる。
季節は夏あるいは梅雨入りといった様相だが、春を芽吹かせて別れも告げずいつの間にか去っていった冬を偲ぶこととする。
とまあ我ながら気障な書き出しである。春先に書いて下書き保存したままだった日記に成仏してもらおうと思う。
思えばこの冬は薪をたくさん割った。朝は暖炉の火をよく起こした。
比較的に火をよく見た冬だった気がする。
0から始める半野蛮人生活
薪割りで桜の枝から出てきた小さなカミキリムシの幼虫。いわゆる鉄砲虫というやつ。
いつもはそのま放っておくとセキレイやジョウビタキ、最近ではイソヒヨドリが目ざとく見つけてつっついている訳だが、どういう心境の変化かその虫を食べてみようと思った。(どういう心境の変化だろう。)
その昔、海の幸の恩恵に預かれない山間部ではタンパク源として食されていたという。
そもそも虫の存在自体にあまり忌避感はないものの食べるとなると別だ。昔からテレビ番組の『ウルルン滞在記』とか見ながら、もてなしとして食卓に虫を出されたらどうするだろうとかよく考えていた。
一時期謎に流行ったコオロギはイナゴと違って昔の日本人が食べてないんだからやめといたほうが…派である。そもそもコオロギは食性が雑食、いわゆるスカベンジャーだから多分不味い。耐熱性の細菌を持ってるとも聞いた。
それで言えば鉄砲虫は木を食べてるから比較的清潔な感じ。
しかも今回は桜だ。桜の生木は割ると木自体から桜の花の匂いがして、もはや乙な感じすらする。
1.5cmぐらいのを数匹洗ってからなるべく糞を出させるために紙に包んでおいた。しばらく経ってみると分泌された油で紙が透けてしっとりしている。すごい脂肪分だ。蝋状の物質で巣穴を塞ぐため、あるいは掘った穴を滑らかに進むためだろうか。
いざフライパンで空炒ると膨らんでインディカ米のような見た目に変わった。気が変わらないうちに口の中に放り込む。
む…。
ポップコーンですな。完全なるポップコーン。食感はポップコーンの下の方に溜まった少し殻がついてるやつに似てる。
もはや虫というより穀類としか思えなくなり食べた後の心理的な気持ち悪さもない。動く穀類だ。
ただシロスジカミキリとかブリブリのでかい幼虫だったらどうだったかなとは思った。下茹でしてから焼いたらいける気もする。
最近本栖���にいる大量の小さなエビをもはや野良エビチリとか野良かき揚げぐらいに考えてるのは虫食ったせいだと思う。
この歳になると日常の中で自分の観念の外側に出るような体験はなかなか無くなってくる。大体のことは想像出来てしまうし、あったとしてもトラブルだとかネガティブなものが増えてくる。そういう意味では40年間蓄積されたイメージの外側に出る非常に面白い体験だった。日常の中に冒険がある。
趣味程度に野菜を育てたりはするものの、狩りをしたり鶏を絞めて捌いたりとさっきまで生きていたものを潰して食べる、この身の内に取り込むという行為が日常の中にほとんど存在しないまま40歳まで生きてきた、というか生きてこれてしまった。
これはすごく歪つな、変なことなのではないか。
ちっこい虫を気まぐれに食っただけで何を急にとは思いますものの。
どこかで処理されパック詰めされた見知らぬ記号のようなものではなく、生の倦怠などとはまるで無縁の「生きる」という本能以外を持ち合わせない生き物たちを自分で捕まえて殺して食べる。そこからやってくる生き物としての強度があるのではないか、そんなことを思った。
その強さを文明や宗教でオミットしてしまったが故に、我々か弱き人間の苦悩や矛盾という面白さがあるのかもしれないが。
とはいうものの、釣りを始めたのは眠った狩猟本能をほんの少しだけでも目覚めさせるという目的もあった訳だが結局まだ食べてはいない。
あの目。
山羊とかと同じ黒い鏡のようなあの目だ。あれと目が合うと「とりあえず一回パス」を選択してしまう。
決して瞬きしない永遠を湛えた目。
逃がした魚は水の底で眠りにつく時その日の出来事を反芻するだろうか。あの目の中に私はどう映ったのだろう。
怯えていたりあるいは恨んでいるだろうか。 
たまにそんなことを考える。
温泉通い ♨︎
去年の秋頃ぐらいから町営の温泉施設に通いだした。300円で入れるので多い時は週3回。結局今は週1回に落ち着いた。
もとは何年か前に通おうとしたのだが一度行った直後にコロナウイルスが流行して休館になったため断念した。
ヨイヨイの爺さんらの病気自慢に聞き耳を立てたり曲がった背中の角度を見ていると案外自分が考えているより早くこうなるんだろうなと思う。
結局人間最後に残るのは健康かどうかぐらいしかない。
温泉。
一年通ったらどんな変化があるだろう。
心身ともに良い変化が起こる気がする。
定期的に人前で素っ裸になるのは良いかも知れない。
虚栄心みたいな要らん日常の垢が落ちる。
そういえばこないだ見たニュースによると今俄かに『湯治』がブームなのだという。週末に温泉に行って風呂に入る以外何もしないのだと。多分コロナ明けの外出疲れが出たとかそんな感じ。
思うにあの訳わからん日々にみんな傷ついたんだと思う。自分は幸いまだコロナに感染していないがあの時期に負った見えない傷を癒しに行ってる部分もどこかにあるような気がする。
それと去年から謎に始めたお灸もその効果が世界で注目されているとNHKの番組で特集していた。
自分の感覚だけに従って行動したつもりが、時を同じくして世の中で流行り始めていることだったり、集合無意識的に同期することを少し不思議に感じる。
またこれは集合無意識的な話なのかわからないが、去年の年末に地震の夢を見た。真っ青な海の上に浮いた厚さ20cmほどのガラス板の上に四つん這いで乗っていてユラユラと大きく揺れる夢。その二、三日後に能登半島で地震があった。
まあ後からなんとでも言えることかもしれない。
お酒
お酒を7年ぶりに飲んだ。
ゆうても薬用養命酒だ。
寝る前に20mlキメて寝る。
効果はまじで謎。
養命酒飲み始めた日は何故かやめた煙草を当たり前にぷかぷか吸う夢を見た。マルボロの薄荷煙草。今いくらすんのやろ。煙草やめてもう10年になる。
養命酒は二瓶飲み続けてみたが、お酒は飲んだら飲んだ分だけ脳細胞が死滅するというから継続するかは不明。一本2000円以上すんのもどうなのかというところ。これを切っ掛けにアル中のいわゆる「スリップ」みたいに不毛な晩酌を始めないかが少し気がかりだったが飲みたい気持ちは全く起こらず。
あたしゃ素面で生きますよ。
登山
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去年は武甲山の後に北八ヶ岳の蓼科山で山納めして、今年の山始めは奥多摩から御岳山まで縦走して頂上の武蔵御嶽神社に登拝した。
震災の後にNHK・Eテレの『見狼記』というニホンオオカミを探し求める人々を追ったドキュメンタリーを見て狼信仰の山、御岳山に登ったのが自発的に山に登るなどという非合理的行為の始まりだった訳だが、ぐるりと月日は巡り色んなことがあったことを山の神様に報告した。
その後春先に天子山塊の毛無山から雨ヶ岳を縦走、金峰山にも登った。人様に迷惑はかけるまいと個人的に禁じてきた雪山登山だったが登山歴も7年目ということもあり慎重を期して���った。いつもは地下足袋だがアイゼン着けるために久々に登山靴履いた。
誰もいない森の奥で木漏れ日の落ちる雪をザクザクと踏み音を立てて歩くのはとても心地が良かった。
途中立ち止まって踏み跡を振り返りしんと静まり返った森の中にいると昔思ってたより随分知らないところまで来ちゃったなと思った。ここは一体どこなのか。
この風景の遠い向こうに過ぎてった日々や出会ったり別れた人々や出来事がある訳だ。
みんなそれぞれの新しい日々を暮らしている。家族を作り、あるいはこの世界からもういなくなった人もいるのかもしれない。人の営みの当たり前のことがなんだかとても不思議なことに思えた。
しばらく立ち尽くしていると30mほど向こうの木陰に昔の恋人の幻影を見た。
冬の森の真っ白い光の中で真夏みたいな服を着て立っていた。
なんとなく、そんな気がしただけだ。
もうずっと昔。
いつかどこかの海辺で、真夏の日差しの中、砂浜にぽつんと佇む雪山の中年男の幻を彼女は見たかもしれない。
そうだったらバランスが取れるなと思った。
充電期間もそろそろ終わりだ。
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2gsahoko-intermission · 1 year ago
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『異人たち』感想
後ろ向きに前へ進む物語が好きだ。
取り返しがつかなくなってしまった過去へ惹かれつつ、弔いながら、それでもそろそろとした足取りで前進していこうとする物語が好きだ。
今年冬に見た『インヘリタンス — 継承 — 』も、最近見た『異人たち』も、そうした喪に服す歩み方をしていた、とても好ましかった。
ロンドンに一人暮らす40歳の脚本家アダムは、12歳の頃に事故で両親を喪っている。脚本のアイディアを練りに生家を訪ねると、生前の姿をした両親の幽霊と再会を果たし、親子として時間を過ごすようになる。また、同じマンションに暮らす青年ハリーと出会ったアダムは、久方ぶりに親密な関係をハリーと結んでいく。思春期の手前、ゲイとしてのセクシュアリティを告白する前に両親と別れてしまったアダムは、1990年代初頭の知識のままの両親の知識と感覚にショックを受けながらも、自らのゲイとしての生き方を受け入れてもらいたいと切に願い、両親も戸惑いながら折り合いをつけようとする。しかし、アダムがいつまでも生家に通うのはよくないと判断した両親は、アダムとの再びの別れを決める。去り際の両親にハリーとの関係を後押ししてもらったアダムは、初めてハリーの家を訪ねる。そこは空の酒瓶だらけで荒れており、寝室には変わり果てたハリーの姿があった。ハリーも幽霊だったのである。しかしアダムはハリーの手をとり、自らの部屋へと招き入れる。
『異人たち』は生者と死者が同じ座標の中にいて、消えかかる時を除いて、質量を伴った具体的な存在として死者たちはアダムの前に現れる。アンドルー・スコットにポール・メスカル、クレア・フォイにジェイミー・ベルの演技巧者たちの競演が、生者と死者の共在する世界としての説得力を十分に支えていた。特に、両親との生活を中途で断たれてしまったアダム演じるアンドルー・スコットの、ベソベソに泣いて寂しさと切なさを訴える姿の寄る方なさには胸が締め付けられて仕方がなかった。
思えば、生者がルーツに関わる場所へと旅をし、死者と邂逅し、束の間のモラトリアムに濃厚な時を過ごすという設定は、セリーヌ・シアマの『秘密の森の、その向こう』を想起させられる。『秘密の森の、その向こう』も『異人たち』も、突然手の届かない場所へ隔たってしまった親しい人との関係を創造的に再構築して、自他区を異なる視角から受け止めようとする。喪失の寂しさと慈愛が同居しており、どちらも個人的にはかなり好みだ。
分たれてしまった人との関係の再構築とはいわば、後ろ向きに前を進むのと同義である。アダムは生家への二度目の来訪で、母にゲイであることをカミングアウトをする。異性愛がデフォルトである母には大層ショックを受け、せっかく入れた紅茶をすぐにシンクに捨てて、アダムに帰るよう暗に促しさせする。三度目の来訪では、息子がゲイであることに薄々気づきつつケアまで至らなかった父は、アダムに謝罪し、かつてのアダムが最も欲していたハグをやり直す。この二度目と三度目の帰省で、アダムは母や父の反応に生々しく傷つきながらも、あの人だったらこう言うであろう、あの時代に生きた人だったらこのように振る舞うであろう、やっぱりそうか、と答え合わせをしているようでもある。しかし決して���解されないだろうとハナから決めつけて当たり障りない関係に徹するのではなく、事故によって時が止まってしまった両親と、約30年分時を経た場所からアダムは丸ごと存在を受け止めるよう呼びかける。両親に呼びかけることを通して、アダムは自身のあり方も内省し、ハリーとの関係をより真剣に捉えていく。後ろを向きながら歩く足元は不安定かもしれないが、だからこそ、その足運びには決然たる力を込める必要がある。
アダムの決然たる力を最も感じさせるのは、ハリーが幽霊だったことが明かされるクライマックスだろう。「ゲイ」と「クィア」どちらがフィットするか議論し、規範的な家族の枠組から逸脱することの寂しさを語らい、隣り合わせで地下鉄に乗り、クラブで踊り、体調不良時はケアをし、セックスし…と、あんなに親密に付き合っていたはずのハリーが死者であったことが分かるのは、かなりのどんでん返しでショッキングな展開とも言える。だが、アダムは必要以上に動揺しない。むしろ、ハリーとの関係を継続していくことを決める。これは、幽霊の両親と関係を結び直したからこそなせる決断であると言える。ハリーが生きている間に起こり得なかった親密さも、後ろ向きに歩を進めることでアダムは改めて育てていこうとするのだ。
前だけを向いて、前進し続けられるのなら、それに越したことはないのかもしれない。
けれども、後ろ向きに歩いて過去に思いを馳せる時間が、人生のちょっとした跳躍板となることを、私たちはおそらく経験的にわかっている。ゲイの孤独と恋愛、世代間の認識の差を丁寧に描いた『異人たち』に、クィアでありつつ同性愛者ではない私が(そしておそらくマジョリティの観客層も)エンパシーを覚えたのは、誰かの喪に服す瞬間が遅かれ早かれ否応なく訪れるからだろう。 本作は、密着して眠るアダムとハリーが夜空に瞬く星となるイメージで締め括られる。ひとりで構成されたこじんまりとした世界の物語が、世界を覆う夜空にまで拡大していく。この射程の広さ・懐の深さが、『異人たち』の大きな魅力である。
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wazakka-kan · 10 months ago
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営業中。鉄瓶職人・髙橋大益さんから、越後屋的プレゼント、姫りんごのペーパーウェイトいただきました(宝物にする
鉄の落ち着いた色合いなのに、瑞々しさを感じます。張りのある果皮、果肉を想像できてしまう、可愛らしくも美しい姫りんご。
店内に飾っておりますので、ちょっと見ていってくださいな(お福分け
わたくし、狭いアパート暮らしなので自室を飾ることはしておりませんが、お店番やりながら、店で過ごしているおかげで満足しているせいもあります。好きなものに囲まれて幸せというアレ。
雇われ仕事だった時は、アクセサリーだったり、目の端に何かしら自分の気に入るものを配置して、ストレスフルな時間をやり過ごしていたなと思い出します。
それは、私以外の誰にも意味がないものだったと思いますが、私は確かに、癒されていたなと思うのです。
小さい人形が並んでいるコーナーを見て、「ここは趣味の店なのね」と言う方がいらっしゃいますが、私は趣味の店をやっている意識はナッシング。
心を満たす何かが必要な方には、必需品かもしれませんしね。
そういうひと品を探しに、ぜひ江古田へ遊びに来てくださいね。
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chisasarasa · 1 year ago
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240129
朝、気のすむまで布団の中にいてやろう、と思って、ぼんやり目を開けたりとじたり、していた。 絵を描きたい、と思う。 手つかずの引越しの準備がうらめしい。 展示をひらく。最終日。 文学フリマや本屋さんでわたしを知ってくれた人が来てくれて、ほんとうに嬉しかった。みてくれている人がいる。そのことを実感できた。これはすごいこと。
設営したのと同じようにスーツケースと大きな袋に絵をいれる。 壁が白くなった。 自分ひとりで持ち帰る。
夜、つかれたのだと思う。なみだを流して、ねた。 終わったら、すがすがしい気持ちになると思っていたのに。
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240130
朝、起きたくない、と思わなかった。 いつまでもねていてよかったのに、楽しみな予感がしたから、起きる。 部屋が散らかっている。床の上にはいろいろなものが落ちていて、何かをまたがないと歩けない。もともと片付けは苦手だけれど、展示に際して、すべてを投げ打っていたため、ほんとうに足の踏み場もない部屋になっていた。 さすがにひどいと思って、片付ける。 銀行に用事があったから、散歩がてら歩いて、喫茶店でナポリタンを食べた。 本を読んだり、詩をかいたり、していた。 帰り道、リサイクルショップで鉄瓶とホーローの蓋つき取っ手つきの容器を買う。遅れてやってきた解放感かもしれない。 これから、引越しなのに、荷物を増やしてしまって。
頭が幸福に浸されていて、今日1日ずっとお風呂上りみたいだった。
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240131
朝、目覚ましをかけ忘れていて、寝坊。 燃えるゴミ、出せなかった。 髪形を調べる。髪形を変えたい、と思っている。ずっと。 でも、どうしたいのかみつからないまま、いつも同じ髪形になっている。 夜、本をつくって、ねた。
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●お知らせ
展示「ひとひらのくらし」についてまとめました。 お時間あります時に、のんびりとご覧いただけましたら嬉しいです。
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itokawa-noe · 2 years ago
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パレスチナ料理を食べてきました(中編):高橋美香さんのスライドトーク
 ★追記:申し訳ありません。tumblerのアカウントを持っていないと記事が途中までしか読めないようなので、noteに記事を移植しました。こちらからお読みいただけますと助かります…
この記事は「パレスチナ料理を食べてきました(前編):申し込みから入店まで」のつづきです。
「パレスチナ料理を食べてきました(後編):いただきます!」へとつづきます。
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●スライドトーク
 美香さんはご自身で撮られた写真をスライドに映しながら、ヨルダン川西岸地区の、ヘブロン、ビリン、ジェニン難民キャンプという三つの地域についてお話をしてくださいました。以下の文章は、伺った内容の一部を私の視点でまとめたものです。
・記憶や理解の不足を補うために、ネット上の記事や美香さんの著書『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)を参照しました。当日のお話とは若干の差異があることをご了承ください。
・写真を共有しなければ伝わりにくい話や美香さんご自身の言葉で聞いていただきたいエピソードは除きました。後日アーカイブが公開されるそうなので、そちらをぜひ観てください!!!
 よろしくお願いいたします。
 
【はじめに】
 「今起きていることは10月7日に唐突にはじまったことではない」というお話から、トークは始まりました。私の記憶を文字に起こすかわりに、同じ内容について美香さんご自身が書かれた文章を引用します。
"パレスチナの状況がきちんと日本に伝えられることは少なく、空爆や「テロ」のときだけ一時的に注目されてその部分だけを切り取られて、まるで「突然起きたものごと」のように報じられるということが少なくありません。根本的な問題である占領・封鎖・入植・人権侵害といった「問題」を押しつけられたまま、公正な解決もなされず、そのなかでひとびとのいとなみが続いていること、ましてや、そのいとなみがどんなものであるのかということが報じられることは少ないように思います。" (高橋美香『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)p43より)
「『パレスチナ』と言われて、みなさんがイメージする地図はどれですか?」
 問いかけとともに映しだされたのは、4つの地図でした。
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(当日使用された画像と同じ内容を示す図をhttps://altertrade.jp/archives/11771 から転載しました)
 緑色の部分がパレスチナの領土です。イスラエルによる侵攻が進むにつれて面積が減り、現在はすっかり狭くなった土地が、さらに虫食い状態になっています。
“虫食いの主な原因が入植地と分離壁の建設です。入植地は国際法では違法とされているにもかかわらず、今や西岸地区では200の入植地に70万人のイスラエル人が住むまでに拡大しています。” (https://altertrade.jp/archives/11771 より)
 この分離壁によって分断された街のひとつが、ヘブロンでした。
・分離壁:「パレスチナ人テロリストの侵入を防ぐ」という名目でイスラエルが建設した高い壁。多くの場所で、境界線を越えてパレスチナに入りこみ、その土地を奪っている。
・入植地:イスラエルが占領地に建設する国際法違反のユダヤ人のための住宅など。
(高橋美香『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)p6より)
【へブロン】
 ヘブロンという地名には聞き覚えがありました。今回のランチトリップの前日に参加した「<パレスチナ>を生きる人々を想う学生若者有志の会」主催のデモで、ヘブロン出身の方のスピーチを聞いていたのです。
「子どもの頃の自分は、人が大人になる前に死ぬのを当たり前のことだと思っていた。パレスチナから出て初めて、外の世界ではそうでないことを知った。ガザの子どもたちは今も、人が大人になる前に死ぬのが当たり前なんかじゃないことを、知らずにいる」
 この言葉が頭から消えず、帰りの電車でヘブロンについての記事を読みました。その土地で暮らす人たちが入植者によって自由と尊厳と命が奪われつづけてきたことを知りました。
 ですが、美香さんの写真と言葉を通じて知る占領と入植の実態は、私の漠然とした想像を遥かに超えるものでした。
 上述の記事にも出てきたシュハダ通りの写真を、美香さんは見せてくださいました。栄えていたというかつての面影はどこにもなく、今はゴーストタウンと化しているとのこと。通りに面した店は軒並み閉店に追いやられ、もともと一階建てだった建物の上に建て増しする形で作られた二階に、入植者が住みつきました。一階と二階のあいだには、二階から投げ捨てられるゴミへの対策として金網が張り巡らされています。
↓は参考画像です。美香さんが見せてくださったのと似た状況を撮った写真を(https://x.com/O_toshihiro/status/1719027240498085921?s=20)からお借りしました。
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 屋上に設置された生活用水を溜めるための貯水タンクを銃撃して穴を開ける、台所に火炎瓶を投げ込むなどといった入植者による暴力の例が、写真とともに次から次へと挙げられました。こうした命に関わる“嫌がらせ”がひっきりなしに行われている。それがヘブロンの日常なのだそうです。
【ビリン村】
 ビリン村と、後述するジェニン難民キャンプは、美香さんが長期にわたって取材されている土地です。ビリンではアブーラハマ家、ジェニンではアワード家の一員として生活をともにしながら、日々の暮らしを撮りつづけてきました。
 ビリン村のアブーラハマ一家は、農業やヤギの放牧、養蜂などを生業としています。土地に根づいた暮らしはしかし、入植者によって破壊されました。一家の畑がトラックで踏み荒らされるのを、イスラエルの兵士は止めなかったどころか守るようにエスコートしていたそうです。
 村の土地を断ち切る形で鉄条網の分離壁がはりめぐらされ、その向こう、壁を通して見える目と鼻の先に、入植地が作られました。
 週に一度、毎週金曜日に、この分離壁に反対するデモが行われるようになりました。壁の前に立って声を上げる住民に向かって、銃弾、催涙弾、家畜の排泄部と化学薬品を混ぜた汚水が飛んでくる。デモの参加者は昼のあいだに記録され、夜中に兵士が家に押し入ってきて連行されたり、逮捕には及ばずとも嫌がらせを受けたりするそうです。催涙弾のガスを吸いすぎて亡くなった方の話や、本人はなんの暴力もふるっていないにも関わらず「言動が周囲の暴力を誘発する」として17ヶ月のあいだ収監された方の話など、耳を疑うような話がつづきました。
 かつて鉄条網だった分離壁は、今ではコンクリートの巨大な壁になっています。命を賭けてデモをしたところで堅固な壁は壊せないという諦念から、デモの参加者はめっきり少なくなったそうです。
 そんななか、今も毎週デモに参加している人の一人がイランさんです。イランさんはイスラエル人。マイクとスピーカーを持ってやってきて、デモを妨害する兵士たちに向かってヘブライ語で「これが国を守るということか?」と呼びかけるのだそうです。
 「少数ではあるけれど、そういう人もいます」美香さんは仰いました。「イスラエル対パレスチナという構図では、とらえきれないものがあります」とも。
 ビリン村の話のなかで特に心に残ったのは、アブーラハマ家の息子ハムディさんの言葉です。
「よそからここを訪ねてくる人たちはみんな、金曜日のデモだけ見て帰ってゆく。ミカは日常の暮らしを撮れ。そうでないと、なぜみんなが命がけでデモをやるのかわからないだろう」
 そうした日常の話もここに書けたらよかったのですが、美香さんが親しい家族や友人のこととして話してくださったものを私が文字にすると、大切なものが薄まってただの情報になってしまいます。ですのでそちらはぜひ、アーカイブや美香さんのご著書でふれてみてください。ビリン村での日々については『パレスチナ そこにある日常』(未来社)に書かれているそうです。
(できることなら、この文章を読んでくださっているあなたの脳内のスクリーンに美香さんの写真を投影したいです。人物を撮ったものは特に、撮られる側のみなさんが自然なやわらかいお顔をされているものが多くて、すごくよいんですよ。たとえば、ハムディさんがお母さんを抱きしめてキスするところを撮った一枚。ハムディさんとお母さんのあいだの、それから撮られるおふたりと撮る美香さんのあいだの、おたがいを大切に思う気持ちが伝わってきて、大好きです。本の表紙になっているので、よかったらこれだけでも見てください)
 入植者のトラックによって土地を踏み荒らされたアブーラハマ一家ですが、その後長い時間をかけて畑を作り直し、家畜小屋を建て、客人にコーヒーをふるまうためのしつらえを整えたとのこと。生い茂る緑にかこまれて飲むコーヒーは、とてもおいしそうでした。
 あの畑は今、どうなっているのだろうか。そろそろ見にゆかなければ。ビリン村の話を、美香さんはそんな言葉で結ばれました。
【ジェニン難民キャンプ】
 ジェニン難民キャンプは、イスラエル建国によって追放された76万人のパレスチナ人の住居のひとつとして、1953年に作られました。当初は布製のテントだった「仮住まい」は、時とともにコンクリートの建物へと姿を変え、現在はひとつの街のようになっています。
 この地域はシオニストのあいだで「テロリストの温床」と目され攻撃に晒されつづけてきました。わけても2002年の第2次インティファーダの際には、イスラエル軍の侵攻によって多くの人が殺されました。こちらの写真は、そのとき破壊された建物の瓦礫や自動車の残骸を集めて作られた、馬のモニュメントです。
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(画像は https://note.com/yuki_phototabi/n/n1e4d6e2f0f91 からお借りしました)
 馬はキャンプの入り口に立って当時の記憶を伝えていましたが、去る10月末、イスラエル軍によって運び去られました。
 ここジェニンで、美香さんはアワード家の人たちと生活をともにしました。狭い家にみんなで雑魚寝、朝は毎日「だれか、朝食のパンを買うための1シェケルコインを持ってない? ポケットのなかとか布団の下とかに?」とごそごそ探しまわるところからはじまる、そんな一家ですが、美香さんが出そうとする自分のぶんの生活費は決して受け取ろうとしなかったそうです。
 こちらのアワード家とその周辺の人たちにまつわるエピソードを、美香さんはごくごく近しい大切な人たちのこととして、生き生きと語ってくださいました。なかでも忘れ難いのが、アワード家の次男のムハンマドさんと、その親友マジドさんの話です。
 幼馴染のふたりは、大人になってからもトロピカーナというレストランでともに働いていました。仕事が終わったあとはいったん各々の家に帰るのですが、シャワーを浴びて着替えてからまた落ちあい、つれだって遊びに出かけるのが日課だったそうです。「ほんとうにね、朝から晩までずっと一緒で。ムハンマドとマジドは兄弟よりも仲がいいんですよ」ちょっぴり飽きれるような、とびきり眩しいものをみるような、そんな表情で美香さんは話してくださいました。
 現在、ムハンマドさんはトロピカーナとは別の店で働いています。マジドさんとの思い出があちこちに残った職場に勤め続けるのが辛くて、仕事を変えなければならなかったためです。
 マジドさんは、キャンプに侵入してきたイスラエル兵に射殺されました。ただその場に居あわせたがために、銃撃に巻きこまれて亡くなったのです。
 マジドさんだけではありません。別の幼馴染のハムザさんも、「キャンプを占領者から守るために」と戦闘員になり、殺されました。マジドさんやハムザさんのような直接的な形ではないものの、一家のお父さんのイマードさんもまた、第二次インティファーダの際にイスラエル軍から受けた尋問と暴行に心と身体を蝕まれ、数年の後に亡くなっています。大切なものを守るために戦闘員になった若者たちは「テロリスト」の烙印を押され、その捜索過程で身内が殺されることも珍しくないそうです。(戦闘員の親戚の家にミサイルが撃ち込まれて破壊された様子を、スライドで見ました)
「ジェニン難民キャンプにも日常はあります。でもその日常のなかで、一人、二人、三人、ぽつんぽつんと死んでゆく。殺されてゆくんです」
 静かに語る美香さんを前に思い出したのは、前日のデモで聞いたスピーチでした。
「子どもの頃の自分は、人が大人になる前に死ぬのを当たり前のことだと思っていた。パレスチナから出て初めて、外の世界ではそうでないことを知った。ガザの子どもたちは今も、人が大人になる前に死ぬのが当たり前なんかじゃないことを、知らずにいる」
 自分がこの言葉の意味を抽象的にしかとらえられていなかったことを、突きつけられました。
 長男のカマールさんが「武装組織の戦闘員となった友達を支援した」という罪で逮捕された際の、アワード家の話です。本人の身の安否は言うまでもなく、カマールさんのまだ幼い子どもたちが家に残されたという意味でも、一家の大事な稼ぎ手を失ったという意味でも、事態は二重三重に深刻です。ところが、お母さんのマハさんが美香さんに向かって嘆いたのは、ニワトリの餌代のこと。「もう、どうすればいいのよ! カマールが『自分が餌代を稼ぐから���って言うから飼いはじめたのに」
 生活だ、と思いました。家族が逮捕されようと続いてゆく生活がここにある。マハさんたちのように、暴力に晒されながらも日常を続けている人たちがいる。糧を得るために働き、死んでゆく命があれば生まれてくる命もあり、瓦礫をどかした裏庭に植え��オリーブやレモンの苗木は子どもたちの背丈とともに伸びてゆく。そうした一日一日のつみかさねが、銃撃で、空爆で、断ち切られる。ジェニンではそれが当たり前のことになっている。
 今一度、はじめに引いた美香さんの言葉を、その続きを加えて引用します。
"パレスチナの状況がきちんと日本に伝えられることは少なく、空爆や「テロ」のときだけ一時的に注目されてその部分だけを切り取られて、まるで「突然起きたものごと」のように報じられるということが少なくありません。根本的な問題である占領・封鎖・入植・人権侵害といった「問題」を押しつけられたまま、公正な解決もなされず、そのなかでひとびとのいとなみが続いていること、ましてや、そのいとなみがどんなものであるのかということが報じられることは少ないように思います。空爆の犠牲者も、「テロリスト」と一方的に断罪されるひとびとも、ただの数ではなく、名前も顔もない「テロリスト」でもなく、わたしたちと同じ時代に生きた個性あるひとびとなのだということを忘れたくありません。" (高橋美香『パレスチナに生きるふたり ママとマハ』(かもがわ出版)p43より)
「10月7日以降、西岸でも260人ほどの人が殺されています。しかしそれは、ほとんどニュースになりません」
 ヘブロン、ビリン、ジェニン。三つの地域を、そこに暮らす人たちの営みを、美香さんのガイドを通じて知った今、この事実が今まで以上に重く胸にのしかかります。
 ここには書きませんでしたが、美香さんが子どもたちと自由劇場で人形劇を観たときのお話も、そこに至るまでの経緯もふくめ、聞けてよかったです。アーカイブで、たくさんの方に聞いてほしいです。
▶︎「パレスチナ料理を食べてきました(後編):いただきます!」へつづく
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naokorganic · 3 years ago
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【最近の掘り出し物。】 鉄瓶。蓋は松ぼっくり。 先日の鎌倉散策での、 古道具屋さんで見つけた、 素敵な素敵な、掘り出し物。 朝の白湯。たまらないです。 まろやかでなんとも美味しい。 そして、コーヒーや中国茶、 お客様とのティータイムに至るまで、 めちゃくちゃ重宝しています。 鉄瓶は、これまでも ずっと欲しかったのですが、 大事にできるか心配で、 長く迷っていたもの。 中古なのに、とても綺麗。 そして、松ぼっくりが可愛くて 運命感じたのですよね😍💓 手放した、いつかの誰かへ。 うちでとても大切に使うので、 どうぞ安心してくださいね、 どうもありがとう。 #harmonywithearth #ハーモニーウィズアース #毛利奈緒子 #ホリスティック思考 #鉄瓶のある暮らし #松ぼっくり #白湯生活 (Organic Healing Salon& Atelier『Harmony with Earth』Naoko Mohri) https://www.instagram.com/p/ClJRVjEp2G4/?igshid=NGJjMDIxMWI=
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mitsu-maru · 3 years ago
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Bleu
 記憶というのはポインタとデータで出来ている。いつからか、そのように僕は信じている。忘却とはデータの在り処を指し示すポインタを失った状態であり、データそのものは確かに残っているのだと。何らかの切っ掛けでポインタが復元された時、記憶は鮮やかに蘇る。たった今まで自分が忘れていたことにすら驚くほどに。紅茶に浸したマドレーヌは暮らしに満ちている。長く生きれば生きるほど、過去が未来よりも重くなるから。
 記憶のポインタは厳密な一対一対応ではなく、大なり小なり誤差が生じる。本来想起されるべき思い出の一部が欠落したり、少しずれた思い出が蘇ったりする。あるいは、なかった記憶が新たに生成された���もする。これは僕が2022年11月20日の午後、「Solarfault, 空は晴れて」という本を読んだ時に生じた反応を元に生まれたテキストである。記憶というのは揮発性であるだけでなく発泡性でもあるから、1週間という時間は記憶を発酵させるに十分な時間だ。読んだ小説の感想文が新たな小説であっていけない理由はない。
 青い、作用の定かでない、おそらくはあまりよろしくない液体。小瓶。『ロスマリン』だと思った。図書館で借りたハードカバーの本だった。少年たちが夏休みに高層ビルディングを抜け出して旅立つ先は暖かい海だった。映像の中で少年と犬が白い浜辺を走っていた。オゾンホールが話題になっていた世紀末。姉はフロンが使われているという理由で旧型のエアブラシをゴミの日に捨てた。その頃、一度塗った色をCtrl+Zすることはできなかった。読み終えた本の感想をTwitterで検索することはできなかった。Amazonは夜中に切らしたPPC用紙を翌日の夕方に届けてはくれなかった。
 大学進学を機に上京し、僕は私鉄の駅から坂道を登って、サンドイッチ屋のT字路を左に曲がってどこかの企業の借り上げ社宅の側を抜けた先にある青いアパートで暮らした。とても青い家だった。九州から上京した人間には東京の日暮れは地球が丸いことを実感させるほどに早く、うどん屋のつゆはありえないほど黒かった。レン��カーで意味もなく夜の新宿を走り回って、ラーメンを食べた。殺人事件が起きそうな間取りの海辺の一軒家でペペロンチーノを作った。サークルに入って本を書いた。酔い潰れた関西人の介抱をしながら、寝言も関西弁なんだと妙に納得した。
 敷地の外れの外れに、今はないその建物はあった。自治の名の下にビラがばら撒かれ、インクの匂いが漂い、アニメソングが館内放送で流れるような建物だ。そういえばビラを配っていたあの団体も青という字を冠していた。季節を問わず週に一度僕たちは集まって、ただひたすらに話をした。それが僕たちの活動だった。生協の缶ジュースは少しだけ安かった。年齢も専門もバラバラな学生たちが、教養を無駄遣いしていた。時々真面目に小説を書いて本を作り、批評会で真剣に意見を交わしたりした。僕たちの掟はただ一つ、描き始めた物語を必ず完結させること。開いた物語は閉ざされなければならない。それさえ守れば何をやろうと自由だった。その頃茨城県でバケツで流し込まれた液体が青い光を放った。
 学園祭で小遣い稼ぎをするために部員総出で占い師の真似事をした。タロットカードから客が望む物語を紡ぎ出すのは即興小説の訓練だ、というのが建前だった。原価がただ同然の占い屋はなぜだかいつも大繁盛で、僕たちのサークルは本の印刷代には困ることがなかった。
「久しぶり」
 堤が話しかけてきたのは、夫の不倫を見て見ぬふりをしつつ、別れる決心ができないと悩んでいる女性の背中を押してしまった直後だった。
「俺のことも占ってよ」
「顔見知りのことは占わないようにしてるんだ」
 本当に占いがお望みなら、と後輩のテーブルを指差す。堤は肩を竦めて、三百円を支払った。後片付けを終えた後、二人でステーキを食べに行った。安くて硬い牛肉にニンニクと醤油でえげつなく味をつけた代物だが、その頃の僕らにはそれでよかった。紙エプロンに跳ねたステーキソースが抽象画のようだった。
「なんだ、その。元気そうだな」
「どういう意味だよ」
「別に」
「ああ、聞いたのか」
「聞いたとも。なんで教えてくれなかった」
「教えたからといって、何が変わるわけでもないだろう」
「そりゃあ、そうだけどよ」
「じゃあ、いいだろ」
 堤は煙草をくるくると回して言葉を探した。最後まで、出てこなかった。
 小さなゲーム会社でアルバイトをした。携帯電話で話をしながら深夜の住宅街を歩いた。千駄ヶ谷のモスバーガーが秘密基地だった。自分たちが作っていたゲームのことは欠片も好きになれなかったけれども、スタッフ同士で話しているのが好きだった。六本木のライブハウスには月一で通っていた。お目当てのバンドの対バン相手のファンが自分の周りで激しく踊り出して、つられて踊っていた。強い人が集まる、という噂のファミリーレストランに自転車で乗り込んでカードゲームの対戦を挑んだりした。初めて中央特快に乗って八王子まで行った。
「で、いつ?」
 帰りの電車は適度に混んでいた。冷蔵庫にマグネットで貼り付けたメモのことを思い出した。換気扇の調子が悪いから業者に連絡すること。そうメモしてから何ヶ月が経っただろう。その頃僕はもう自炊することを止めていて、冷蔵庫には赤ワインとチーズしかなかった。黒い服ばかり選んで着るようになっていた。たまたま見つけた美容院の美容師と気があって、好きなように自分の頭を作品にしてもらうことしていた。この時は確か、虎をイメージした金のメッシュの入った黒髪だったと思う。ギターなんて一度��弾いたことがないのに、スタジオを借りてエアバンドのアー写を撮った。悪ノリしてロゴも作った。
「まだ決まってない。決まっていたとしても、お前には教えない」
「そう」
 エアバンドのベースは、本当のベーシストだった。本当はギターが弾きたかったらしいが、手が小さくてコードがうまく押さえられなかったんだと笑っていた。雷と餃子で有名な街から、時々都内に遊びに来ていた。常軌を逸した方向音痴の彼にとって、乗り換えはいつだって至難の技だった。コンピュータグラフィックスを専攻していた彼を、八王子の某大学の教授のところまで無事に送り届けるのが今日の僕のアルバイトだった。この頃のインターネット回線はZoomで面談するほど力強くもなく、クラウド環境はGitHubで自分のポートフォリオを公開できるほどではなかったから、修士論文の指導をしてもらうために直接会いに行く必要があったのだ。
「お前がいなくなるのは嫌だなあ」
 そんなことを面と向かって言われたのは当たり前だが初めてだった。正直少しだけ心が揺らいだ。努めて僕は平静を装い、東へとひた走る列車の窓から外へと視線を移した。刻一刻と時は迫っていた。冬が始まっていた。セーターの袖を鼻に押し当てた。
「バンドはエアなんだ。ギタリストがいなくたって、やっていけるさ」
「エアじゃなかったら、よかったのにな」
「そうしたら、ツアーには必ず宇都宮を入れてやるよ」
「絶対MCでいじられるやつじゃないか」
 東武線の駅の側、一階が物販になっているライブハウスを幻視する。もちろんバンドはエアなので、歌詞も曲もない。それでもステージの上で僕たちは青いライトに照らされていた。ライブの後半で必ずやる定番のバラード曲を歌えば、正確にハモってくれるという信頼があった。電車が新宿駅について、ベーシストと一緒に湘南新宿ラインのホームまで歩いた。
「それじゃあ、またな」
「ああ。今日はありがとう」
 手を振って僕らは別れる。僕には、これが最後だと分かっていた。携帯電話が鳴る。新宿駅は人が多すぎて、誰も僕のことを気にも止めない。運命が僕を迎えに来る。もうすぐだ。こうして世界は分かたれる。
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keredomo · 3 years ago
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遠くに鳥の啼く声が聞こえる。近くかもしれない。
 人の気配がすると、それだけで心が穏やかになる。私はこの世から疎外されていないのだと思って安心する。
 私がもうだめになってしまったことを、最初に察知したのがあまねだった。  休日をひたすら胡乱に過ごし、月曜がきても、仕事は山積みであるにもかかわらず体がまったく動かなくなってしまった。とっぷり日が暮れて、ようやく起き上がることができた身でそのことを世間に報告したら、すぐさまあまねから連絡がきた。  事情を説明したところ、「君はしばらく、他者に生かされるがままになったほうがいい」と言う。その他者役はわれわれが引き受けようと申し出てくれて、あまねとのりこが暮らす、静かで清潔な家に身を寄せることになった。
 10月の、秋は更け、冬の入り口に立っているこの季節に綴る、居候日記。私のことが好きだというだけではなく、何とか私の力になりたいと思ってくれる人がいるのだと、そうして実際に力を貸してくれるのだと、思い知るための日記。そのことをきちんと理解して、実感して、自分は生きていてよいのだと思い知るための日記。  私がなにをもって生きていてよいとされるのか、それを知るための日記。自分は人に生かされているということを知るための日記。人に生かされているということが、人を生かしていることにつながるのだと、きちんと知るための日記。
 *
 ひととおり家の片付けをして(部屋中に物が散乱し、机の上には本が積み上がり、抜けた髪が床中に散らばり、空の酒瓶が窓際に並び、網戸は破れていた)、お泊まりセットを準備して、読みたい本をいくつか揃えて、居候先へ向かう。  のりこが「いらっしゃい」と迎えてくれた。あまねもリビングに出てきてくれている。「ちょうどひと段落したところなんだ、いろいろの仕事が」と言う。私が買って送りつけてあった、家みたいな形のかわいい箱ワインをかわいがる。「いい匂いの水が好きなんだ」と言って、ロゼワインを炭酸水で薄めてレモンを足して飲むあまね。
 あまねは平常運転。彼が緊張したり慌てたり落ち着きなくうろうろしていないというだけで、君を迎え入れるのに無理なんかないんだよ、と思ってくれているのがわかる。  のりこの顔をみると、私が家に来たことをすごく喜んでくれているのがわかる。うれしいとき、のりこはにこにこして、そわそわする。  ここにいていいのだと思える。声をかけられて、言葉を交わして、ここにいると生きた心地がする。
 「きれいだね」と私を見てうっとりした声でのりこが言う。「ゆりさん、発光してる」。  のりこはこれまでもしょっちゅう私にきれいだきれいだと言っていたけれど、今日もそう言ってくれるのだなと感じ入った。  心と生活はぼろぼろになってしまったが、自分のたましいはまだ光を失っていないのだと、そう思えた。それは、どんな慰めよりも、どんな労りよりも、いまの私の存在に響く言葉だった。
 夕食どき、あまねが作ってくれた食事を供されるがままに食べる。「生きていなよ」という意味をもつ料理。青野菜をほおばる私を見て「この世でいちばん美しい青虫」と笑うのりこは、この世でいちばんきれいな目をしている。  このひとは、この世の光を繊細なまなざしで見つけて、もっともよい言葉でそれを写しとる、そういうことを生業にしている。のりこといると、青い空をつらぬこうとして伸びる鉄塔や、薄い白色でとおくに浮かぶ秋の雲、ほうせんかの弾けるように庭にひびく鳥の声、夕闇にむかう空気の静かな色、そういうたくさんの、世界が発光する瞬間を私も受け取るようになる。そういうひと。  世界は輝いているのだという、大事なことを思い出させてくれるひと。
 「私たちは言葉のために生きているのだから」と言ったとき、それが字義どおりの意味であることをすんなり受け取れるひとのそばで呼吸して、私は心といっしょに失ってしまった言葉を少しずつ取り戻すような心地がする。
 この家では、同じ空間に「言葉がなにであるか」を知っているひとがいて、私は安心して本を読む。本を読んで、そこに記された言葉のひりつきに肌を痛めれば、すぐさまのりこに泣きつくことができるのだった。  こんなの書けない。これは私が書きたかった。書かないのならば生きていてはいけないと言われたような気がして心が苦しい。そう言ってめそめそと泣きつけば、のりこは「ゆりさんはそちら側のひとではない?」と、肯定も否定も下手な慰めも無闇な同情もせずに、事実だけを返してくれた。
 「ゆりさんは、書くことが救いになるひとだよね」と言うとき、のりこ自身もまたそういう者として生きていることがわかるから、おおげさな言葉ではなく、たんなる事実として受け取ることができるのだった。「そうだね」。
 もうこれ以上孤独をごまかしきれないほど、自分が生きる意味を自分に言い聞かせることすらできないほど、弱り果てていた。  それを察知して、受け入れてくれたのがこの家であることは、私の生にとってもっとも正しい救いとなった。  言葉を失い、それによって救いを失っていた私に必要なのは、言葉を取り戻すことだったのだと、この家にいることで少しだけ言葉を取り戻した時に気づいた。あまねものりこも、考え、そして書くことを人生の中心に置いているひとで、ここにいると、私も「書く身体」を取り戻せる。  「書く身体」は「読む身体」と同じものであった。居候の初日、ふたりが書いている横で学術書を読んでいたら、あまねは「勉強合宿みたいなことはしなくてもいいんだよ、ただのんびりと過ごしてくれれば、それで」と苦笑したが、私は自分が数か月ぶりに「読む身体」をやれていることが、たまらなくうれしかった。少しだけ、私を取り戻したような気がした。
 *
 「ゆりさん、来てくれてありがとう」と、あまねがいない時にのりこに言われた。「ゆりさんが受けた傷の話を聞いた日から、あまねさんはずっと調子が悪そうでね。わたしは怒りがともなっていたけど、彼はゆりさんの傷にものすごく傷ついているらしかったの。でも、ゆりさんが来てくれて、調子がよくなったように見える。だから、ありがとう」。  それを聞いて、とてもおどろいた。
 苦しい話なので、話す相手は選んでいた。あまねが私の不調を見抜いて「調子が悪そうだね」と声をかけてくれたとき、この長年の友人にならば打ち明けてもいいだろうと思って話したのは、迂闊なことだったかもしれないと反省した。思っていた以上に、彼は私に心を割いていて、私の傷に傷つくほどに私になじんでいたのだった。そうでなければ私の不調をあれほど鋭敏に察知できるはずもないのに、そのことに気を配れもしないほど、弱り果てていたのだとあらためて知る。他者の心を巻き込んでおいて「あらためて知る」なんてあまりにも図々しい話だが、あらためて、知った。
 頼ってよかったと思った。頼れるかたちで手を差し伸べてくれてありがとう、と思った。居場所をくれてありがとう。ごはんを作ってくれてありがとう。私の傷で傷ついてくれて、ありがとう。
 あまねが作ってくれる食事は、もう私たちの付き合いは10年を超えていて、何度もあまねのごはんを食べさせてもらってきたが、それらはすべて、私が食べられるものたちだった。  のりこも私も、そしてあまねも、食事を摂ることにたいして深刻なエラーを抱えているので、三人ともが食べられる食事にはおびただしい条件が付きまとうのだったが、あまねはそこを上手にクリアして、のりこと私にごはんを作ってくれるのだった。  お昼ごはんに鯖とトマトとゴーヤのカレーを作ってくれた日には、米のかわりに生のほうれん草を食卓にどっさりと置いて、「米も少し食べるといいけど、あとはこれで食べな」と言うのだった。
 あまねのごはんを食べて出社したところ、飢餓感と苛立ちを散らすために毎日のように変な時間にむさぼっていたローソンのチキンスティックが今日は欲しくなかった。
 *
 私が詫びの品として買ってきたシャインマスカットを生のまま食べて、のりこが「まぼろしのような味がする」と言った。
 シャインマスカットの味はシャインマスカットの味であると感じてやさぐれていた私はそのまばゆさに呼吸を忘れた。
 翌日の昼、あまねが残りの果実を生クリームの��ンドイッチにしてくれた。のりこは「贅沢」と言いながら、上手にサンドイッチを食べられずにぼとぼととマスカットを白い皿にこぼしているあまねを見てけらけら笑う。
 私はその光景を眺めながら、自分が少しずつ生きることに前向きになっているのを感じる。
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shingoiwasaki-blog-blog · 9 months ago
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狐の嫁入り🤘🦊🤘 - zshingoの日記
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いつまでも、こんなことを、していては、いけないな。それから、僕は、洗面所の、鏡へ向かい、久しぶりに、自分の顔を、じっくりと、観察してみた。そこには、約、1ヶ月分、放置された、伸び放題の、髭と、げっそりと、頬のこけた、僕の顔が、ドロンとした、目つきで、こちらを、疑り深そうに、ジッと、見つめる、僕の顔が、うつっていた。やれやれ、一体、僕は、今まで、どこの、どの世界を、ほっつき歩いていたのか。それから、僕は、洗面台へ向かい、直子が、残していった、洋梨の形をした、緑色の瓶のオーデオコロンの、隣にある、髭剃りを、つかみ、約、1ヶ月ぶりに、自分の、髭をそった。それから、蛇口をひねり、綺麗な水で、顔を洗い、うがいをして、できるだけ、時間をかけて、丁寧に、歯を磨いた。それから、部屋に、散らばっていた、コットン素材の、ブルーのTシャツに、薄い綿の、ベージュのチノパンツを、履き、かかとの、すり減った、薄汚れた、テニスシューズという格好で、アパートを、出た。外の、陽光が、僕を、優しく、包みこんだ。せわしく、鳴く、小鳥のさえずりが、僕の心を、どことなく、愉快な気分にさせてくれた。それから僕は、近所の、できるだけ、清潔感のある、床屋に入り、短く、五分刈りに、髪を、刈ってもらった。床屋の主人は、ラジオから、流れる、古い、オールディーズミュージックに、合わせて、口笛を、吹いていた。床屋をあとにした僕は、地下鉄に乗り込み、銀座にある、紀伊國屋へと、向かった。久しぶりに、街のなかを、歩いてみると、空は、晴れ渡り、空気は、澄んでいた。途中、小型犬を、散歩中の、身なりの良い、中年の女性が、何やら、ブツブツ独り言を言いながら、遊歩道に、生えている、雑草に���かって、話しかけている光景を、目撃した。この人は、今、一体、何を、やっているのだろう?
久しぶりに、紀伊國屋へ、入ってみると、大勢の人で、ごった返していた。それから、僕は、鮮魚コーナーへ、向かい、今まで食べていた、インスタントフードを一切やめ、できるだけ、艶のある、野菜を選び、魚、それから、オートミール、豚肉、オレンジジュースを、買い、アパートで、時間をかけて、チンジャオロース、それに、野菜スープを、作って食べた。キズキよ、お前は、とうとう、直子までをも、お前の世界に、引きずり込んでしまったんだな。いいよ、直子は、お前にやるよ。そのかわり、そう、俺には、この宇宙、地上、霊界を、守る、義務感と言うものが、あるんだよ。そう、俺は、もう、お前と、学校を、抜け出しては、玉突き遊びに、明け暮れていた、そう、20代の、若者じゃないんだよ。
それは、飛行機の、プロペラの、音では、なかった。僕の、耳のまわりを、ゆっくり、迂回する、それは、小さな羽蟲の、音だった。リリーは、脱ぎ捨てた、パンティーストッキングを、気だるそうに、手にとり、何やら、ブツブツと、独り言を、漏らしている。昨夜の客はさ、、、そんで、あたし、途中で、面倒になってさ、帰りたいって、言ったの、そしたら、奴ときたらさ、5分で、終わらせるから、そんなこと言わずに、とにかく、シャワーを、浴びてこいって、しつこいときたら、ありゃしない。台所の、ながしには、もう、随分、前に、果物ナイフで、スッパリと、切り取った、パイナップルの、残骸が、腐乱しており、悪臭を、放っている。僕は、足元に落ちている、洋梨の、形をした瓶のオーデオコロンを、拾い上げ、ターンテーブルの上に、ことりと、置いた。デスクの上には、数冊の、古い、ペーパーバックと、パルムの僧院の、上巻が、無造作に置いてある。
グレートギャッツビー、序文
お前に、もし、仮に、理不尽なことを、言う人間が、現れたら、こう、考えるんだ。その人たちは、お前ほどに、恵まれた境遇には、いないのだと。父と、僕は、何かの、事柄について、深く、語り合った、という、思い出は、ないものの、この、父が、僕に、残した言葉は、成長した僕の、記憶に、しっかりと、焼きつけられ、後々まで、この言葉が、耳をついて、離れなかった。そして、少なからず、この、父の言葉の通りに、人付き合いをした、僕の周りには、いつも、一風変わった、人たちだけが、残ることに、なった。
ドローランを、一気に、飲みほした僕は、このドローランを、マイルス・デイビスに捧いだ。さらに、もう19ミリの、ドローランを、飲みほし、亡くなった妹に、捧いだ。さらに、もう、18ミリの、ドローランを、手にした僕は、世界の、ありとあらゆる、汚辱【おじょく】に苦しむ、アウトサイダーたちの、ために、飲みほした。
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