#銘仙単衣
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apartment315 · 1 month ago
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etzco · 5 years ago
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実際はもっと暗い色なんだけど これから解いてく予定の#銘仙 (ぽい) #単衣 と #羽織 https://www.instagram.com/p/CCK6sRDpxsX/?igshid=13y9lrs69vm14
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toku36 · 6 years ago
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#お客様コーデ 奇抜な柄の #単衣 の #銘仙 ベース色が白地なので涼やか。 ビビッドな赤青の花柄が #刺繍 された #昭和初期 の #アンティーク帯 ・ 当店では アンティーク着物を一式 レンタルできます。 詳しくは、@toku36com で。 #宮川徳三郎商店 #アンティーク着物 #着物レンタル #京都 #西京区 #桂 #kimonofashion #kimonostyle #kimono #きものコーディネート #kimonogirl (京都着物 宮川徳三郎商店 Kyoto Kimono Store & Rental) https://www.instagram.com/p/BzhKFRtAsCg/?igshid=vdseqkqptcjh
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2ttf · 13 years ago
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heyatoengeki · 5 years ago
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部屋と演劇にまつわる話 in 京都
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@下京区, 京町家
野村  お菓子いただいてください。どら焼き(×2)と最中(×2)と、これ中村くんのチョイスで素甘です。
ゲスト 全く人数に対応していないですね。
中村  5品買ってきました。
福井  最中とどら焼きあわせて5でええやんって言うたんですけど、二人がシェアできるからって。素甘。
野村  これは酸っぱい。甘くない納豆のやつです。どうぞ。
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劇団速度『墓を放棄する部屋』(2019)  kyoto art hostel kumagusuku  撮影:城間典子
部屋から出たい
和田  ベーシックな質問なんですけど、この三人はどういう繋がりなんですか。
中村  去年仙台から東京に移ったんですけど、当時まだ東京での活動の予定がなくて、ただ単独でやるのもしんどいなって思っていて、そしたら福井くんがSCOOLで上演企画考えてるみたいな話を聞いて、じゃあ対バンみたいな形でやりませんかって声をかけました。でもやるなら何かコンセプトというか、共通する何かをベースにしようと。それで「部屋」があがったんですよね。
福井  お互い「部屋」から出れない。現実の「いまここ」から飛躍できないっていう。
和田  部屋に閉じ込められてた。
中村  台本を書いていても別の場所に行けないっていう。だからそろそろ部屋から出たかった。
福井  ただ始めるにあたって自分と中村さんの二人だけやと狭いからせめて三人ぐらいがいいなって。それで野村さんに声をかけました。その頃ゲストハウスでなんか作ってましたよね。
和田  kumagusukuだっけ。
野村  そうです。自分の部屋じゃなくて一時的に滞在する宿泊施設っていうのをベースにしたやつですね。話をもらったときは二人の「部屋から出たい」っていう話とかあんまり詳しく聞いてなかったんですけど、部屋っていう単位で考えたときに演劇が場所とどう関係してるのかっていうこととか個人的に興味があったので、三人で共通点がどれだけあるかはわからないけど、二つ返事でやりますって参加しました。だから僕は二人のように問題意識先行というよりかは割とふらっと参加した感じで、活動が始まっていろいろ話していくなかでいろいろ深めていった感じですね。あ。でもだったらさ、もう(部屋から)出たよね。
中村  出た(笑)。こないだ出てみた。SCOOLってギャラリーみたいなスペースなんだけど、お客さんの位置から絶対見えるところにキッチンがあったりトイレがあったり、言い方悪いけど中途半端な空間で。6月はそこをマンションの一���に見立てて、部屋に書き下ろすみたいなことをやったんですけど、それでSCOOLの空間のことはもうやり切ったなと思ったんです。それからチェーホフをやったりいろいろして、そろそろ外に出れるぞと。それでこの間初めてやったのが場面転換なんです。普通演劇の場面転換って、例えば部屋から野原になるっていうときに照明を変えるとか音楽をかけるとか、場面が変わったことを何かで説明するけどそれをしない。例えば、最初カップルだった二人が何の説明もなくヌルッと親子の関係に変わる。それは親子に変わってから2、3分して、子どもが「お母さん」って言うことによってはっきりわかるみたいな。そのやり方が場面転換として初めてしっくり来たんです。ここで時間を移動できたっていうことはそろそろ空間も移動できるんじゃないかと思って。この間はコンビニの前でたむろする若者二人からヌルッと漫画喫茶の店員になったり、ある部屋のリビングで喧嘩をする二人とか、車でドライブする三人とか、はっきり変えているわけじゃないけど、空間を移動していてもわかるなと。そもそもなんで部屋から出られなかったかというと、たとえば河原のシーンとかをこれぐらいの劇場のサイズでやったら河原が絶対小さいじゃないですか。そのときそこにいる俳優の状態に違和感があって。上演するこの部屋のこの大きさであればこれぐらいの声量でしゃべるよなとか。それだったら僕にもわかるっていう。この声の大きさの方を維持して崩さなかったら、部屋から出られましたね。
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屋根裏ハイツ『私有地』(2019)  SCOOL  撮影:本藤太郎
野村  部屋から出てみてどうでした?
中村  まだ落とし込め切れてないところもありますね。僕落語とか民話が好きで、あれは語りの世界だからいろんな空間に移動できる。その場で喋っている人はそこにいるっていうところは共通してるけど���その上で想像の中でどこかに行くっていう、それは僕も納得して見れるんです。それに近しいことをやろうとしているのかな。
和田  今の話聞いてると、多分中村さんは劇作家的な関心とか方法論と演出家的な演技に対するそれと両方あるんだろうなって思いました。福井くんは『インテリア』しか見れてないんだけど、劇作家っていうアイデンティティーはあるんですか?
福井  いわゆる「戯曲書く人」っていう意味だったらないです。戯曲と上演を分けて考えていないので。中村さんの話聞いてて思ったんですけど、空間や場所、つまりそこがどこであるかが別に問題にならない上演っていくらでもあるじゃないですか。あくまで身体やテキストに付随する要素でしかないっていう。お笑いはウケるかどうかって指標やから特にはっきりしてるけど、結局何がしたいねんっていう目的によりますよね。その辺中村さんはどうなるんですか。
中村  場所のリアリティーを利用してテキストを聞かせてるって感じなんかな。でもこの間のはジャルジャルとかラーメンズのコントみたいに、その空間とは関わりなく身体がそこにあるように見える感じが稽古の時からあった。でも、俳優にはSCOOLって空間にいるっていう感覚はちゃんと持っておいてもらったんだけど。
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劇場の話
福井  和田さんは上演する場所とか環境とかは普段どう考えてますか?
和田  どうしてるかな。公演を企画する段階で作るモチーフが決まっていても、具体的な演出プランはあまり立てずに稽古場に入るし、そのときにはすでに場所の条件が定まっているので、その会場で上演することを前提にクリエーションしています。劇場ツアーが決まっていたら、劇場ごとの状況を考えながらやってますね。逆に、野外だったりサイトスペシフィックな場所でやることが決まっていたら、たとえばあそこに道路があって交通量がそこそこあるから車の話をしようとか、あそこにセリアが見えるからセリアに言及しようとか、ここに大きい窓があるからここから見える景色の話をしてスタートしようとか、見えるものや状況を織り込んだり付き合ったりしながらつくっていく。でも、場所が決まる前やクリエーションに入る前にあらかじめ場所のことを具体的に考えてることはあまりないかなって気はします。
野村  この間『擬娩』やられてたじゃないですか。見れなかったんですけど、あれも確かE9初演でツアーでしたよね。ステートメントとかは読んでたんですけど、ああいうコンセプトとかテーマの作品だと例えばどういうことになるんですか。
和田  これまで公演をしてきたアトリエ劇研やこまばアゴラ劇場、Theatre E9 Kyotoやアトリエ銘苅ベースだと、早い段階で劇場のスケジュールが確定するのもあって、具体的な中身よりも先にそこでやるってことが決まります。アトリエ劇研のときは、創造サポートカンパニーに採択してもらっていたので、3年間やると決まっていた。それで、まあだらだら過ごしていると、ある日劇場から年間ラインナップを発表するので公演情報をくださいって言われて、はーやべやべタイトル決めなきゃってなって決めるみたいな(笑)。『擬娩』のときも、E9がオープニングプログラムの公演を募集していて、やるしかないっしょみたいな感じでなにはともあれ応募し、アトリエ銘苅ベースも新しい民間劇場で気になっていたし沖縄行ってみたいなと思って提携カンパニー募集に応募したら通って。だから、順番としては、E9と銘苅ベースそれぞれで公演するって決まったあとに作品のモチーフやタイトルが決まっています。もちろん、その作品のタネみたいなものはあらかじめ自分の中にあったりしたんだろうけど、どうも自分にはギリギリまで決めない癖があって、いつも劇場から急かされてから焦って決めてます。劇所のことは、ある程度プレーンな場所だと思ってやっているのかな。したためのここ最近の劇場本公演では美術家の林葵衣さんって人と一緒に作品をつくっているんですけど、林さんはまったく演劇の人ではなくて。彼女にいわゆる場面の状況を指示するような舞台美術をつくってもらいたいとか、飾り付けをしてほしいわけではない。俳優と関わり合って、上演の中で関係が変化していく、そういう相互作用を発生させるような素材を提案してみてほしいといつもお願いしています。だから、劇場の条件がある程度揃っていればどこででもできる。重要なのは、美術と俳優がどう関係するか、作品のモチーフとどう相乗効果を生むか、みたいなことを考えているんだと思います。
野村  ある程度の劇場ってことは、例えばその劇場が固有の「THEATRE E9 KYOTO」だっていうところまでは入ってこないってことですか?
和田  そうですね。作品の中身に直接アクセスしているかと言われると、微妙なところかな。無意識にはあるのかもし��ないですけど。E9とかは、京都に新しい劇場ができたからやりたい、みたいな、もうちょっと作品の外側にある気持ちで場所を選んでいます。『擬娩』が新しい劇場でやることと関わりがありそうなモチーフになったのは偶然ではあるんですが、そういった偶然がつながったらあたかもあらかじめ準備していたかのように積極的に言っていきますけど(笑)。だから、劇場を選ぶレベルと中身のレベルは私にとってはあまり関係ないかな。
野村  美術家と素材と俳優がうまく関わって相互作用的に時間を作っていくっていうのはわかります。それが劇場っていう環境ならよく見えるっていうのはもちろんあってですよね。
和田  そうそう。あと、劇場で初演を作る時には、いずれは再演したいなとか、うまくいったらいろんな劇場でツアーを回したいって魂胆がどこかにあるね。繰り返せることが面白いっていう面もあるし、これ一回しかできひんやんけ! みたいなアイデアはたいていなくなってしまう。美術家としゃべってると感じるんですけど、彼女たちは演劇は反復するんだよとかプリセットが必要なんだよってことを、あまり知らないんですよね。林さんとはもう三回もやってるからわかってもらえてるんですけど、序盤に出される案は「それ繰り返せるかな?」っていうものだったりもする。たとえば、美術全部燃やしたいのなら燃やすとしても、それと同じものを次の開演までに準備しないといけないっていう非常にプラクティカルな事情があってねっていう話を初期のころはけっこうしていました。美術の分野だと、ギャラリーに搬入して設営できちゃったらもう基本的には変わらないからそのままにしておく。演劇は、1時間半とかのサイクルでその場の状況がバーっと変わっちゃって、それをもう2、3時間したら元の状態に戻さなきゃいけない。そういう時間感覚は美術の人はあんまりないので。そのギャップは面白いんですけどね。
野村  劇場でやるっていう前提で始めると一回しかできないことは選ばないとかはそう。もちろんノリ打ちで1日しか上演しないとかだったら話は違うかもしれないですけど。ただなんで劇場やったらそうなるんかなっていうのは興味ありますね。
和田  野外でやるときとかは、もうここでしか上演できない、ここにスペシフィックなものを作るっていうモードになるね。
野村  SCOOLとかはどっちでもないですよね。
和田  確かに。中途半端っちゃ中途半端だけど。
野村  SCOOLでしかできないこともあるだろうし、別に無視してもできるだろうし。
福井  やりやすい人とやりにくい人ではっきり分かれそう。SCOOLで何回か上演見たけど、演出でやたらトイレが使われるんすよね。ベランダに抜けるあの扉とかもそうですけど。あるから使っちゃうっていう。
野村  はいはいって感じはするよね。
和田  まああるし使うかみたいなね(笑)
福井  あれトイレが搾取されてる感じする。借りられてるというよりなんか奪われてる。トイレのリアリティが。
中村  搾取ね。トイレが搾取されてるっておもしろいね。
野村  ジョーカーみたいなもんだよね。上演で一回だけ開けれるトイレみたいな。一回だけ効果発揮する。
福井  E9も舞台上の見えるとこに搬入口あるじゃないですか。ああいうのもあったら開けたくなる��んなんかな。(野村さん)開けました?
野村  開けてない(笑) 利賀(演劇人コンクール)の時は扉開けた。『冒した者』を一昨年に利賀演劇人コンクールでやって、去年京都のE9でやったんですけど。利賀山房はSCOOLみたいでは全然ないけど、劇場かと言われたら家っぽいし、家かと言われたら劇場っぽいみたいな場所で。舞台正面奥に両開きの扉があって、それ開けるとすぐ山肌が見えるんですけど、最後にそれを開けて月が見える見えないみたいな話をずっとする場面があって、実際は真昼間に開けるから、男が「月が昇った」って大嘘をつくっていう。E9でやるとなると、それがその搬入口になるんですよ。でもあれはあるから開けるでしょみたいな風にしか見えなかったからやめたんですよ。だから開けれなかった、むしろ。あとE9はブラックボックスで壁が黒なんだけど、天井と床のちょうど中間地点ぐらいで壁が割れてんのよね。だから一枚のフラットな壁ではなくてちょっと溝がある。それが最初なんか白っぽく見えて、無茶苦茶目立ってたから黒く埋めたんですよ。なんていうか、それは許される修正だなって思ったんです。要らないノイズだと思ったから。だからSCOOLでやるときも、例えばキッチンは自分にとって不要なのかどうかとか、ベランダに通じる扉は使うのかどうかとか、そういうこと考えるのは結構面白いし、なんか試されてる感じあるなって思いました。
福井  それはありますね。マレビトの会が東京芸術劇場でやってたとき、舞台上の壁三面に両開き扉が等間隔にバーって並んでるんですけど、その扉を全部片側だけシンメトリーになるようにブワーって開けっぱなしにしてて。何も特別な操作ではなく、あくまで俳優の導線のために開けているにすぎないんですけど、劇場の扉を全部半分だけ開けることで、劇場を「場所」にしてて、ああいうクールな手つきはいいなと思います。
和田  劇場にもいろいろあるから、ノイズの多い劇場だと細かいことにも色々気を配らないといけない。そういう意味では劇研は美しいブラックボックスだった。E9とか造形のstudio21とかアゴラとか、ブラックボックスと一口に言っても色々あるじゃないですか。SCOOLとかだったらもうそのままで全部オッケーって感じでもいけるけど、ブラックボックスのノイズは排除したくなる。なんでこうなってんだ!鬱陶しいな!って(笑)
野村  普段よりそこにあるものがよく見えたり、主張が強く見えたりするのはやっぱりブラックボックスにはあるけど、それは単純に黒いからだと思うんです。この間初めてE9使ったんですけど面白かったのが、僕も美術家・陶芸家と作品を作っていて、それで陶芸家の人がお客さんで何人か来てくれたんですけど、ブラックボックスで粘土見るのがすっげえ面白かったって言ってて。普段は背景が白いけど、黒の方が粘土がよく見えたって。劇場だとそこにあるもの、上演に乗っているものは全部普段よりも良く見せるけど、持ち込んでいないものは見せてはいけないというか、持ち込んでいないのに見えちゃうものっていうのは、隠蔽というか処理したくなっちゃう。
中村  僕、6月の時はSCOOLのトイレとかキッチンに宛て書きをして���たから、SCOOLのトイレ使ったんですけど、この間は使わなくて。SCOOLって会場は決まってたけど、SCOOLのことは一切考えないで台本も書いて、水場は動かせないのに、劇場からそれだったらセーフかなって。
野村  SCOOLで作品見たの中村くんの二回しかないんだけど、一回目も二回目も開演前のアナウンスを中村くんがしてて、アナウンス始める前に絶対こう、(部屋のトイレのドアを開ける)
中村  トイレチェックね。
福井  割とやってますよね。
中村  取り残されたら終わりだから。
野村  あれおもしろいなーって思いました。ロームとか大きい劇場もやってるけど。
和田  普通の劇場だと客席からトイレ見えないしね。
野村  SCOOLだと見える位置にあるから。
中村  恥ずかしいよね。
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椅子の話
福井  SCOOLは常設の客席がないから催し事ごとに椅子が並べられて客席が仮設されるけど、使用する団体によっていろんな配置のパターンが生まれるのが当たり前やけどおもろいなと思って。SCOOLって椅子が3種類、小さいキャンプチェアと普通のパイプ椅子とハイチェアがあって、6月の中村さんの公演のとき、キャンプチェアとハイチェアで二回見たんですけど、やっぱりそれぞれで印象が違って。ハイチェア回の方がシアターっぽく見えたんです。見た位置とかもあるんやろうけど、多分足が床についてなかったからなんですよね。日本の空間は床の水平面の差異によって空間を分節するみたいな話よく聞くけど、やっぱり壁より床がアツいなって。
和田  床の高さで空間の用途を変えるとかね。
福井  それこそ劇場も舞台と客席の床の高低差で空間を演出しがちやけど、それは例えばお客さんの足を床から浮かせるみたいなことでも実現するんじゃないかなって思いました。
ゲスト 椅子の話面白いです。私芸大出身なんですけど、当時木工で椅子を作るか映像作品を作るかっていう選択式の授業で椅子を作っていて。もともと椅子がすごい好きで、高校時代に椅子のスケッチ100個ぐらい書いたり、私がその学科に入ったきっかけも椅子だった��で。その椅子がどういう場所にあるのかもそうですし、座面の高さとか材質の違いとかで、その空間の過ごし方も違いますよね。椅子の話が出て、この話ならできるかもしれないと思って(笑)
福井  「劇場」は椅子が客席に固定されて建物と一体になってることが一つの要件になってるけど、そうじゃないところは椅子を並べること、客席を設えることから始めないといけない。昔公演で使ったギャラリーは座面の薄い丸椅子しかなくて、わざわざ外から箱馬持ってきて上に座布団敷いて客席作ったんですけど、座り心地がよくなっただけじゃなくて舞台を見る高さが低くなってよかったんですよね。お客さんのサイトラインを設定することから考え始めるのは大事やなと思います。
野村  ギャラリーマロニエでやったけど、椅子すらなかったよ。
和田  ギャラリーには基本椅子ないし、そもそもそんなに多くの椅子いらないもんね。
野村  その時はパイプ椅子を持ち込んだけど、椅子ないところで演劇やることってあんまないよね。外とかにしたって、なんやかんやあるじゃん椅子。
和田  それか、完全に立ち見か。
中村  こないだヌトミックがやってたよね。ホテルのオールスタンディングの。
福井  そういやこの間久々に一人で音楽のライブ行ったんですけど、ライブってどうおったらええんやっけみたいなこと考えて、なんか恥ずかしくなってきて。
和田  一人で来た俺がってこと?
ゲスト わかりますわかります。どこにいたら良いんかなみたいな。
福井  なんか「立ってる」ことが変におもろくなってきて。腕の位置とか重心預ける場所とかばっかり気になって。何しに来てんみたいな。誰に見られてるわけでもないのに。
野村  立ってるときって立ってる自分めっちゃ意識するよね。
福井  演劇で客席って身体を拘束する道具みたいに割と不自由な印象持たれるけど、身体と視点がある程度固定されるってむしろポジティブなことやと思う。上演に対してひとまず平等に安全な位置が与えられるっていう。
野村  直立して立ってることってあんまないよね、日常で。
福井  信号待ちとか電車の中とかかな。
中村  でもそんな長くないからね。ライブだと2時間とかあるし。
野村  しかも「電車待ってる」って目的がある。
和田  まわりとも了解がとれてるね。
中村  ライブって終了時間も言ってくれないしさ。あとめちゃめちゃ押すじゃん。あの本当に始まるんだろうか感とかの所在ない感じは演劇よりある気がする。
野村  その複数で行く人がライブは多いのかね。演劇って一人客多いよね。
中村  (自分は)一緒に行く人いないかもね。
福井  でも今の劇場ってそういう場所ですよね。別に何人で来ようが開演と同時に客席の照明が落ちたら個人対舞台っていう構造になる。
野村  なんか客席ごとグルになってさ、みんなで連帯して手をつないでたりしたらちょっとビビるだろうね。
中村  どういうこと?(笑)
野村  だから、観客みんな50人とかで示し合わせて、暗転してるあいだに手をつないで、明転したら出演者から見えるみたいな。
中村  あ、出演者は知らないでってこと?
野村  知らない知らない。めちゃくちゃ見るだろうね。ってぐらいなんかそういうこと想定してないよね。だから一方通行な感じする。
中村  安全な場所として処理してるかもね。こないだ『私有地』のとき、お客さんに「客が舞台に入ってきたらどうします?」って言われたわ。でもそのときは、自分はめちゃくちゃ観客信じてるなって思ったけど、なんか観客はよほどのことがない限り壊しには来ないんじゃないかって。壊しに来たら止めるけど、例えば舞台上にあるお菓子を食べに来たらセーフじゃないかみたいな。ビビるけど。そういうことを話しましたね。
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福井裕孝『インテリア』(2018)  trace
インテリアの話
福井  今度2月にやるやつなんですけど。お客さんに家から「インテリア」を一つ持ってきてもらって、始まる前にそれを舞台上に置いてもらうっていう演出があって。つまり、開演の段階で舞台上にはその日のお客さんと同じ数のもの、あと出演者と僕が持ってきたものが並んでいる。上演が始まると自分が置いたそれが段々違うもののように見えてくるというか、家から一緒に移動してきて上演中と同じ空間にいるのに、家の中での関係とはやっぱり変わって見えてくる。それで上演が終わったらまた持ち帰ってもらって元の部屋の元の位置に戻る。部屋について考えるときに「もの」を一つ媒介にするってことは最初から決めてたんですけど、それをこういう形でやってみようと思ってます。まだアイデアにすぎないですけど。
ゲスト 「もの」はどのくらいの大きさのものを考えてるんですか?
福井  なんでもいいです。自ずと持ち運びできるものにはなると思いますけど。よく見えないちっこいのがポツポツ並んでても、これぐらいしかカバンに入らんよなとか、様々な事情が見えていいなと思います。ただ実際どういう「もの」が集まるのかとか、それでどういう部屋のイメージが形��されるのかってことはそんなに問題ではなくて。それぞれが自分の部屋から持っていくものを選んで、中央線乗ってSCOOLに来て、ものを置いて、上演を観て、またものを持って自宅に帰る。この一連の中で「もの」との関係性が再活性化されるといいなと思っています。
ゲスト 昔、作った椅子を市バスで運んだことがあるんですけど(一同笑)。あんまり何度もやりたくないことで、やはり部屋のものなんですよね、椅子は。決して���が連れてバスに乗るようなものではないというか。そこで椅子を持っている私というものが客観的に観て不気味というか、ありえない組み合わせで、ここに椅子を持ってきてはいけないのではないかという気持ちになりました。
福井  それはどこからどこまで運んだんですか?
ゲスト 写真を撮影しようと思って、私が当時住んでいた家から梅小路公園まで運びました。
中村  公園で椅子の写真を取ったんですか?
ゲスト はい、野原みたいなところで。
福井  演劇でもそうですけど、舞台上にプリセットされてる美術とかは、当然どこか別の場所から人の手で運ばれてきて設置されてるわけですよね。その「もの」が経験した「移動」は上演の中では語られないし、観客は「もの」の背後に流れている時間を見ることはできない。舞台上にある「もの」がなんか「舞台美術」っぽく見えてしまうのは、そういう「もの」の履歴がわからないからだと思うんです。それがそこに設置されるに至るまでの過程や背景が何かしらの形で共有されれば、客席からの「もの」の見え方とか関わり方ももう少し豊かになるというか。
中村  コーラとか既製品を使うっていうのもそうなんですか。主体客体じゃないけど、誰もが知っている、触ったこともあるみたいな。消火器とかも。
福井  それはあると思います。すでに意味が強く形成されてる、イメージが共有されてるもの。
中村  コーラとか、長机とか。
福井  例えばコーラって「舞台美術」にはなりえないと思うんですよね。こちらがコーラに対して投げかけているイメージとコーラ側からこちらに働きかけてくるイメージとがほぼ一致してるから。だからあれは「コーラ」なのか?っていうことじゃなくて、「コーラ」って了解された「それ」がそこにあるっていう地点から始められる。逆に言えば、「舞台美術」はそれを見る人と対象との間に何かしら認識のズレやノイズがある。それを演劇的な想像力を働かせるための余白として良しとする考えもあるんでしょうけど、自分にとってはイメージよりも即物的な「それ」の方が重要なので、そっちに辿り着くための「もの」を意識的に選んでると思います。
 ものの話
福井  和田さんは上演の中で「もの」はどう考えてますか。
和田  したための一番最初の作品が一人暮らしの部屋がモチーフで。その当時学生だったので学生マンションみたいなところに住んでいたんですけど、この部屋って、私が来る前はここに誰かが住んでいて、私が出た後はまた誰かが住むっていうところだなと。じゃあここを自分の部屋と言える根拠は何かっていうことを考えて。自分に所属しているものがあるから自分の部屋だなと思う。その、巣材の方の問題と言うか、巣材はモバイルだから���っ越してまた別の巣を作れるよね、だから同じ場所に入れ替わり立ち替わり人が来るんだねっていうことをやって。だからそのときはひたすらものの話を稽古場でしていた記憶がある。
福井  以前、岡田(岡田利規)さんに話を聞いた時に、人とものの主従関係は空間の所有意識から来てるんじゃないかっていう話を聞いて。ホテルの部屋とかで過ごしている間、この時間ここは俺の部屋だって思うと、ここにあるテレビやポットやコップも俺のものだっていう発想になると。まず空間があってそこに「もの」が持ち込んでいくっていうのと、まず「もの」があってそれを取り囲んでいる空間を把握するっていうのと両方あり得ますよね。
野村  今、次にSCOOLでやるやつの稽古をしていて。出演者が一人だけでその一人と作っているんですけど、あんまりSCOOLっていうことから考え始めるのをやめようと思ってて。場所じゃなくて、そいつってことから始めようと思ってます。「部屋と演劇」っていう共通のコンセプトがあるなかで、部屋ってどういう場所だろうとか考えながら一人の人を見ていると、なんかその人が提示してくれるものが「そいつのもの」っていうことから出られないというか、多分そいつがコーラを持ってたら「そいつのコーラ」に俺は見えるんじゃないかなって思って。出演者が複数人いたらちょっと違うかもしれないけれど、一人っていうのがでかくて、なんかどうしたってドキュメンタリーっぽくなる感じが面白いなって。でもそうじゃないフィクションの部分もあって、でも完全なフィクションでもないみたいな、どっちつかずのものもあったりする。手垢がいくら付いていようがその人に所属している、あるいはしてないかもしれないみたいな曖昧なレベルのもの。それは部屋の中にあるものもそうで、例えば建物の壁はどうなんだとか、テーブルはどうなんだとか。テーブルはそいつが持ち込んできたものではあるけど、なんていうか準建築みたいなものでもあるよなとか。でも名刺は違うよなとか。そういう所属というかドキュメンタリーな部分、あるいはフィクションな部分はものによって振れ幅がある。それは言葉もそうで、自分の部屋について説明するときに、ユニットバスの説明はしていいけどシャワーカーテンの説明はしちゃだめだっていう、なんでかわかんないけどそういうのがあるなあと思って。
あともう一個、福井くんの言ってたことで、ものが移動するっていうのはシンプルに面白いなと思ってて。SCOOLがビルの5階にあるんですけど、その一階のふぢやっていうおもちゃ屋のおもちゃを全部SCOOLに移して「ふぢや」っていうタイトルで最初やろうと思ってたんですよ。そこはSCOOLなんだけど、中にあるものはふぢやのもので、タイトルも「ふぢや」で、実際にそこでおもちゃが買えるってなれば、それはもうふぢやじゃないかって。だからなんだって話なんですけど、1階と5階が入れ替わるっていうことが単純に面白いなと思って。劇場じゃない場所で中身をごっそり入れ替えることはできるんだろうかっていう。あそこがテナントビルっていうことは大きいと思うんですけど。
福井  そのふぢやの店主さんがあそこのビルのオーナーなんですよね。
中村  あ、そうなんだ。
福井  前SCOOLの土屋さんに聞いたんですけど、あそこのビル右半分と左半分でオーナーが違うらしいんですよね。SCOOLがある側はふぢやの店主さんがオーナーで、反対側は近くの八百屋さんがオーナーらしい。
野村  SCOOLはお金出して借りてるっていう建物だなって。SCOOLがビルの5階のス���ースを借りていて、そこを僕らがまたお金払って借りて、さらにお客さんがまたお金を払って見に来るっていう。SCOOLって一日利用料がいくらって決まってるんですけど、初期はみんなで時間いくらで貸そうかって話とかしてたよね。コワーキングスペース的にして。
中村  ああ。塾やろうみたいな。
野村  チケット代とかじゃなくて、お客さんは滞在する時間に対して払うみたいな。
和田  漫喫みたいな。
野村  そういうのが面白いねって初期の頃しゃべってましたね。
中村  ユニットバスはOKでシャワーカーテンはダメってすごい面白いなって思って。生々しさみたいな話なのかな?
野村  そうかもしれない。ユニットバスってなると、俺はこのユニットバスをどう使ってるとかじゃなくて、ユニットバスそのものから入れるけど、シャワーカーテンだと、ジメッとしてんだろうなみたいなね。
中村  なんかね。びっしょり感あるよね。
野村  水玉とかあんのかな。
中村  俺も今水玉模様の想像してた(笑)
野村  わかんないけどそういうところにいっちゃうのかなって。
中村  たしかにユニットバスって言われたときに水垢がって想像、その話の内容にもよるけど、その人固有のなにかを付着させずに単語を想像できるけど、シャワーカーテンはそうじゃない。その人が使わない固有のものじゃない感で想像するのが難しいなって思った。聞いたときに、だから生々しさみたいなことなのかなって。ここの二階に今日僕が泊まるんですけど、宿主の人がは置いといてくれた布団以外は何もものが置いてなくて、今話しているここより広いんすよ。だから話すなら上の方が良いんじゃないかって思ったんですけど、福井くんが二階の部屋見たときになんか生々しいなって言って。それは誰の生々しさだろうって思って、でも確かにふとんがびっちりあって、俺が今日ここで寝るんだとか、かつて誰かが寝てたとか、そういうことなんかな。なんでだろう?
福井  いや、そんな考えて言ったわけでもないと思う。
野村  ここがサラッと漂白されてる感じに対して、そうじゃなかったってこと?
福井  単純にここは一階であっちに玄関とか台所とかあって空間が開けてるけど、二階は寝室やからなんか変にプライベートなムードが演出されてる感じがして、それで生々しいって言ったんですかね。あんま覚えてないですね笑。
中村  まあたしかにこっちで喋っているほうが落ち着く気がする。
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中村  生々しいつながりなのかわからないですけど、美術が俳優と相互作用するっていうとき、小道具とかもその美術の範疇ですか?
和田  林さんとやるときは、具象的なものはほとんど使ってなくて。例えばアクリルの板みたいに、それそのものには強い意味はないものを舞台上に持ち込んで、それを最大限使うみたいな。窓、鏡、壁、とにかく見立てられるだけ見立てて、使えるだけ使いたおす。もともと林さんとやろうと思ったのは、彼女の作品が演劇的な香りがしたからというか、彼女の作品制作のプロセスにある行為が面白いという感覚があったからで。
ゲスト そのもの自体ではなくて、そのものからどういう行為が想起されるかっていう感覚がいいなって思ったってことですか?
和田  最初に林さんとやった『文字移植』という作品では、彼女の作品の手法をそのまま演劇にペーストしたみたいな感じでつくりました。彼女の作品の中に、口紅を塗って、キャンバスに向かってわーってしゃべる、その唇の痕がペインティングとして残っていくものがあって。ビジュアルとしても奇妙で面白いんですが、私にとってはアトリエの隅でこの子が口紅塗ってキャンパスになんか言ってるのがとにかく面白すぎると思って。それで、演劇の素質あるよ!みたいなことを林さんに言って誘って(一同笑)彼女は舞台美術というか演劇に関わることそのものが初めてだったので、どうやっていこうかみたいなことを話しました。舞台を飾りたいわけじゃないから、いらないものはいらないっていうふうにお互いに判断したいってこととか。あとわたしは、直接観たことはないけど、いろいろ読んだり映像を観たりする中で、自分が太田省吾の影響を受けている思っていて。たとえば『水の駅』のように水という素材と、劇の時間と俳優との関わりみたいな、ああいう仕事が美術家とできたら良いなと思っていた。太田さんの作品の美術っていうのは、美術と劇や俳優の身体とのインタラクションが重要なんだろうなっていう。そんな憧れみたいなものがありました。舞台美術はただずっとそこにあるのではなくて、痕跡が蓄積していくとか、状態が変化していくとか、徐々になくなっていくとか、俳優の身体と関わりを持ちながら変わっていくものが良いと思うんだよね、っていうようなことを、林さんと散々話して、彼女から素材を提案してもらうっていうプロセスでやってますね。だから素材そのものはシンプル。アクリル板とかオブラートとかテグス。テグスはテグスだし、アクリル板もただの透明な板だし、それを上演のレベルではいろんなふうに扱うっていう感じですね。だから具象的なものはほとんどないかな……バナナとかは使ったことあるけど。
野村  吊るしてましたね。
和田  食べたり潰したりしてましたね。そういう意味ではバナナはかなり生々しさ的な部分を補ってもらっていた気がするんですけど。
中村  すごい「見立て」封印時期っていうのが、今も続いてるんですけど。
和田  見立てないぞーみたいな(笑)
中村  クッキーは絶対にクッキーだっていう。それは僕の中で部屋から出られない時期と重なっていて、そのもの��それ以外のものにも見える状態を保つことができない病みたいなのが4年くらい続いているんですけど、それはなんでなんだろうな。見立てって魔法じゃないですか。過去の作品の時に、僕の演出力の問題ももちろんあったんですけど、具体的なものを置いた上でそれがなにか別の形に見えたりするっていうときに、たとえば水筒から水をジャーって流すのが滝に見えるとか、ションベンに見えるとか。でもそれがただのものにしかみえない、テキストと無関係のものってなってしまうと、集中できなくなるというか、うまく上演と観ている自分との間でピントが合わなくなるっていう時があって、それは稽古をしていると、今は滝に見える!っていうときと、今全然水筒にしか見えない、けどそれを水筒として俳優が使ってない、というときがあって。それを管理することができなかったんです。そのリアリティの管理の出来なさから、クッキーはクッキーでしかないっていう風に今辞めてるんですけど。
野村  違うものに見えてますよねって見せかけておいて、いやでも実はこれ全然クッキーですからみたいな、逆張りみたいなことはしないんですか?
中村  ああ、裏切るみたいな?ションベンだった水筒の水を飲むみたいな。
野村  水筒の水に決まってるでしょアハハ!みたいな。
中村  これ水ですけどって言ってのける部分とそうじゃない部分が時間でちゃんとつながっていれば面白いと思うんだけど、その時はそこが管理されていなかったというか。あー、いまちょっと役者は想像してる感じで動いちゃってますけど、お客さんは全員水筒だと思ってるだろうなみたいな。そのときは、水筒だと思っていても楽しめる状態をつくっていなかったというか、それで見立てをやめたんですよね。他人の戯曲だとできるんですけど。僕自身、かなり書くことと演出することがつながっているのかもしれない。
和田  座組に美術家を入れたのは美術家みたいな人を入れないとものを何も使わないからっていうのがあって。稽古場でいつも稽古していると、稽古場で見ているもので自分が満足したくなっちゃうので、俳優のパフォーマンスだけで成立するように作ってしまう。そもそも、大抵のことって何もなくてもできるじゃないですか。そうするともう素舞台で良いよね、みたいなことがしばらく繰り返されていて。それはそれでいいんだけど、ほっといたら自分は何もものを舞台に持ち込まないんだなってことがわかったから、別の脳みそを仲間に入れて持ち込んでもらおうっていうのが、美術家を呼んだ最初の動機なんです。もう一人、私が強い影響を受けているのは白井剛さんなんですけど、白井剛さんの『静物画』っていうダンス作品があって、それはりんごとかスプーンとかティッシュとかと踊ってるんですけど、そのものとの付き合い方が素晴らしいんですね。あの水準でないとものを使っちゃいけないと思うと下手に使えない、じゃあ、いらない。みたいな。それでものを使わなくなっていった。
ゲスト たしかにものに対するリスペクトとか、姿勢のの違いはあるかもしれないですね。下手に見立ててはいけないとかも。
和田  結局都合よく使ってるだけじゃんみたいな。
中村  そうそう。まさにそうです。
野村  搾取?(笑)
中村  そうそう、まさに搾取。それは福井くんの言葉だけど、でもいい言葉だよね。
和田  そのものを持っている身体の状態と向き合ってなくて、そのものの意味だけ持ってる、みたいなのは、見ていてすごい腹立つ。
野村  美術家の人ってものを大事にする感すごいあるじゃないですか。いくら演劇とはいえ、私はこの椅子は潰したくないですとか言われると、こっちもじゃあ潰しませんってなるから。
和田  優しい(笑)
野村  潰すのは簡単だけど、潰さないで成立させようとしたときにそこで生まれるものが結構面白かったりするから。そっちの方がものとそれを扱う人との関係がフェアな気がして面白い。俳優の補助とか、見栄え良くするとか、ものはそういう修飾するためにあるんじゃない。ともすれば、ものの方がよく見えるし、俳優が負けそうになる。そういう価値観がものに対して強くこだわるを持ってる人がいると生まれる。というのと、ものと素材はちょっと違うなと思う。ものは「これ」ってなるけど、素材だったら「木」ってなる。
中村  もうちょっと広いっていうか。
野村  うん。素材ってなるともうちょい話は変わってくる。水とか容器がないと形にならないものもいいなって思うんすよね。『水の駅』でコップを差し出すシーンとかはとても劇的で、音が消えるのももちろんだけど、水が溜まっていってるんだっていうことを人が想像するのが面白かったんですけど。まあ、あそこまでなると仕組みとかテクニカル面が気になるけど。(笑)
中村  どう流し続けるのかとかね。
野村  養生とかめっちゃしてんのかなみたいな。
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中村  去年の年明けにシアターコモンズでインドのシャンカルさんっていう演出家の方がやった「犯罪部族法」ってレクチャーパフォーマンスがすごい面白かったんだけど。導入で掃き掃除をするのね。リノ敷いた舞台を掃除をしていて、それが掃除をしているフリなんだけど、でもなんか10分くらい掃除していると、本当にホコリが溜まってくる。どう再現の管理をしているのかわからないけど、結果的にホコリがそこそこちりとりに溜まるのね。それを見たときに、あ、これくらいやったらいいんだ、本当に掃除している、それだったら信じられるというか、そこにめちゃくちゃ感動して。フリじゃないって。
野村  そういうことか。6月にやってるとき(『寝床』)に床を拭くシーンがあって、雑巾とかで水拭��しているんですけど、それでちょっとずつきれいになっていっていることにすごいコメントしてましたもんね。
中村  6回分公演やってるから本当にそこだけきれいになっていくの。そりゃそうですよね、水で拭いてれば。それは多分5分くらいのシーンだったけど。
福井  それ個人的には「部屋から出たい」っていうのと同じモチベーションでその先を見たいと思ってるんですよね。舞台をホウキで掃くことの実際性はいいんですけど、観客との間でそれを単純に「掃除」として成立させちゃうんじゃなくて、もっと別の何かに接続してしまうスキみたいなものを常に空けておきたくて。その方がむしろ現実の「掃除」っていう行為そのものも強くなると思うんですよね。
中村  搾取もされないし、一致しているというわけでもない、一致もしているがずれ得るみたいなこと?
福井  そうなんかな。一致していること自体はそんなに特別なことではないし、案外そのままやっちゃうってことの思い切りの良さしかなかったりする。それ以上の何かが生まれる気配がないというか。わかるけどそういう素朴さをありがたがるのはもうええかなっていう気分です。
中村  簡単だよね。わかる。食べればいいだけだもん。それはそう思う。しかもそれがあれでしょ?例えば物語的な役割を食べるっていう行為が背負った場合、食べていることが物語に意味を生むっていうことはあると思うけど、そういうことでもないでしょ?掃除をしている60分が掃除をしている以外にも見えるって。それは多分見立てとかだったらなるんじゃないんですかね。それは物語的な文脈とはまた別だなと思って、それを生み出すのは難しい。食べるのは簡単だなって思う。
福井  結局一致してることがもたらすリアリティというか真実性が見てる人にとって切実なものかどうかっていうのは考えますね。
中村  『冒した者』の中で粘土で食べ物を作るじゃないですか、絶対に食べられないのにお皿もちゃんと作って。あれを今思い出してた。全く違う行為だけど、でもなんか見立てとも違うなと思ったんだよね。あの魚は食えないんだけど、どうせ魚作ってるんだから食べてくださいよとも思わないけど、
野村  だって粘土だしね。
中村  そう「だって粘土だし」が勝ってて、行為として。
野村  しかも、行為としては料理してる風に見えるけど、料理って基本的には素材を解体していく行為だけど、実際は粘土という素材から形を作り上げていく。要するに逆の作業をしてる。魚を捌くじゃなくて、粘土いじりながら包丁みたいなナイフを使って魚を作っていくっていう。
中村  あれ、すごい不思議な質感を感じました。
野村  それは粘土ですってことでしかありませんよ、あれだけ時間をかけて食事を作った後に、結局食うのはマイムでやるみたいな。無意味というか、食事に見立ててるわけではないよー、粘土遊びしてるだけなんですっていうことを何回も何回も提示し続けるようにしていて。食っても良かったけどね、粘土。
中村  でも絶対粘土だなっていう生々しさじゃないけど、どこを省略するのかって話じゃないですか。それは多分でも食べられていたら、もうちょっと違うものを想像してしまう可能性はあるけど、食べられないじゃん絶対。みたいな本当に食べてたら心配になるし、普通に。それとは関係ないところにずっと粘土があるっていうのが良かったのかな。
野村  また素材の話になるけど、その形が変わり続けて固定されないでその終わりを決めるのは人間というか、決めることはできるけど決めない限りはずっと変わらない。上演時間っていうのは、普通は開演して終演するまででしかないけど、でも明日も上演するし、明後日も上演するっていうときの貫くものをずっと別の時間が流れていますっていう風に、別に粘土だったら潰れても治せるから。繰り返すことを抵抗なく受け入れられる素材だなって。木材とかだとちょっと違うけど。
中村  確かに。大変だなとかないもんね。
野村  実際は超大変だったけど、でもそう。明日もやるってことに抵抗なく終わることができる。やってることはフィクションだけど、それが繰り返されることで何回も上演されるっていうことはでも絶対そうで、フィクションの中に入り込んできてしまうとちょっと余計だったりする部分それが許せるようになるから面白いなとおもってて。
福井  サンドアートとかもそうですよね。リセットできる素材。
野村  よりこう同じことを繰り返しているっていうことの、作品から離れたときに余白的に広がる部分がある。一回の素晴らしいものを見せました、みたいなことには絶対にならない作品というか、だけど、でも終わった後も一回見て面白かったとか、全然だめだったとかじゃなくて、続いていくような仕組みが作品の中にあると良いよなと思ってました。そういうのは素材の力だったりする。人がどうこうとかじゃなくて、素材の力。
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sasakiatsushi · 8 years ago
Text
小説家蓮實重彦、一、二、三、四、
人間に機械を操縦する権利があるように、機械にもみずから作動する権利がある。 ーー『オペラ・オペラシオネル』ーー
一、
 二朗は三度、射精する。そしてそれはあらかじめ決められていたことだ。  一度目の精の放出は、ハリウッドの恋愛喜劇映画を観た帰りの二朗が、小説の始まりをそのまま引くなら「傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉を小走りにすり抜け、劇場街の雑踏に背を向けて公園に通じる日陰の歩道を足早に遠ざかって行くのは和服姿の女は、ど��見たって伯爵夫人にちがいない」と気づいたそばから当の伯爵夫人にまるで待ち構えていたかのように振り返られ、折角こんな場所で会ったのだしホテルにでも寄って一緒に珈琲を呑もうなどと誘いかけられて、向かう道すがら突然「ねえよく聞いて。向こうからふたり組の男が歩いてきます。二朗さんがこんな女といるところをあの連中に見られたくないから、黙っていう通りにして下さい」と、なかば命令口調で指示されて演じる羽目になる、謎の二人組に顔を視認されまいがための贋の抱擁の最中に起こる。
 小鼻のふくらみや耳たぶにさしてくる赤みから女の息遣いの乱れを確かめると、兄貴のお下がりの三つ揃いを着たまま何やらみなぎる気配をみせ始めた自分の下半身が誇らしくてならず、それに呼応するかのように背筋から下腹にかけて疼くものが走りぬけてゆく。ああ、来るぞと思ういとまもなく、腰すら動かさずに心地よく射精してしまう自分にはさすがに驚かされたが、その余韻を確かめながら、二朗は誰にいうとなくこれでよしとつぶやく。
 なにが「これでよし」なのか。ここは明らかに笑うべきところだが、それはまあいいとして、二度目の射精は、首尾よく二人組を躱したものの、ホテルに入るとすぐに新聞売り場の脇の電話ボックスに二朗を連れ込んだ伯爵夫人から先ほどの抱擁の際の「にわかには受け入れがたい演技」を叱責され、突然口調もまるで「年増の二流芸者」のようなあけすけさに一変したばかりか「青くせえ魔羅」だの「熟れたまんこ」だの卑猥過ぎる単語を矢継ぎ早に発する彼女に、事もあろうに「金玉」を潰されかけて呆気なく失神し、気がつくと同じ電話ボックスで伯爵夫人は先ほどの変貌が夢幻だったかのように普段の様子に戻っているのだが、しかしそのまま彼女のひどくポルノグラフィックな身の上話が始まって、けっして短くはないその語りが一段落ついてから、そろそろ「お茶室」に移動しようかと告げられた後、以前からあちこちで囁かれていた噂通りの、いや噂をはるかに凌駕する正真正銘の「高等娼婦」であったらしい伯爵夫人の淫蕩な過去に妙に大人ぶった理解を示してみせた二朗が、今度は演技と異なった慎ましくも本物の抱擁を交わしつつ、「ああ、こうして伯爵夫人と和解することができたのだ」と安堵した矢先に勃発する。「あらまあといいながら気配を察して相手は指先を股間にあてがうと、それを機に、亀頭の先端から大量の液体が下着にほとばしる」。  そして三度目は、伯爵夫人と入れ替わりに舞台に登場した「男装の麗人」、二朗への颯爽たる詰問ぶりゆえ警察官ではないにもかかわらず「ボブカットの女刑事」とも呼ばれ、更に「和製ルイーズ・ブルックス」とも呼ばれることになる女に案内されたホテルの奥に位置する「バーをしつらえたサロンのような小さな空間」ーー書棚がしつらえられ、絵が飾られ、蓄音機が置かれて、シャンデリアも下がっているのだが、しかしその向こうの「ガラス越しには、殺��景な三つのシャワーのついた浴場が白いタイル張りで拡がっており、いっさい窓はない」ことから戦時下の「捕虜の拷問部屋」を思わせもするーーで、この「更衣室」は「変装を好まれたり変装を余儀なくされたりする方々のお役に立つことを主眼として」いるのだと女は言って幾つかの興味深い、俄には信じ難い内容も含む変装にかかわる逸話を披露し、その流れで「金玉潰しのお龍」という「諜報機関の一員」で「かつて満州で、敵味方の見境もなく金玉を潰しまくった懲らしめの達人」の存在が口にされて、ひょっとしてこの「お龍」とは伯爵夫人そのひとなのではないかと訝しみつつ、突如思い立った二朗は目の前の和製ルイーズ・ブルックスをものにして俺は童貞を捨てると宣言するのだが事はそうは進まず、どういうつもりか女は彼に伯爵夫人のあられもない写真を見せたり、伯爵夫人の声だというが二朗の耳には自分の母親のものとしか思われない「ぷへーという低いうめき」が録音されたレコードを聞かせたりして、そして唐突に(といってもこの小説では何もかもが唐突なのだが)「こう見えても、このわたくし、魔羅切りのお仙と呼ばれ、多少は名の知られた女でござんす」と口調を一変させてーーここはもはや明らかに爆笑すべきところだが、それもまあいいとしてーー血塗れの剃刀使いの腕を自慢するのだが、その直後におよそ現実離れした、ほとんど夢幻か映画の中としか思えないアクション場面を契機に両者の力関係が逆転し、言葉責めを思わせる丁寧口調で命じられるがまま和製ルイーズ・ブルックスは身に纏った衣服を一枚一枚脱いでいって最後に残ったズロースに二朗が女から取り上げた剃刀を滑り込ませたところでなぜだか彼は気を失い、目覚めると女は全裸でまだそこに居り、これもまたなぜだか、としか言いようがないが、そもそも脱衣を強いた寸前の記憶が二朗にはなく、なのに女は「あなたさまの若くて美しいおちんちんは、私をいつになく昂らせてくださいました。たしかに、私の中でおはてにはなりませんでしたが、久方ぶりに思いきりのぼりつめさせていただきました」などと言い出して、いまだ勃起し切っている二朗の「魔羅」について「しっかりと責任は取らせていただきます」と告げて背中に乳房が押しつけられるやいなや「間髪を入れず二朗は射精する」。  帝大法科への受験を控えた二朗少年のヰタ・セクスアリスとして読めなくもない『伯爵夫人』は、ポルノグラフィと呼ばれてなんら差し支えないあからさまに助平な挿話とはしたない語彙に満ち満ちているのだが、にもかかわらず、結局のところ最後まで二朗は童貞を捨て去ることはないし��物語上の現在時制においては、いま見たように三度、何かの事故のようにザーメンを虚空にぶっ放すのみである。しかも、これら三度ーーそれもごくわずかな時間のあいだの三度ーーに及ぶ射精は、どうも「金玉潰しのお龍」が駆使するという「南佛でシャネル9番の開発にかかわっていたさる露西亜人の兄弟が、ちょっとした手違いから製造してしまった特殊な媚薬めいた溶液で、ココ・シャネルの厳しい禁止命令にもかかわらず、しかるべき筋にはいまなお流通しているもの」の効果であるらしいのだから、しかるに二朗は、一度として自分の意志や欲望の力によって己の「魔羅」に仕事をさせるわけではないし、彼の勃起や射精は、若く健康な男性の肉体に怪しげな薬物が齎した化学的/生理的な反応に過ぎないことになるわけだ。実際、物語上の時間としては過去に属する他の幾つかの場面では、百戦錬磨の女中頭の小春に技術を尽くして弄られようと、従妹の蓬子に「メロンの汁で手を湿らせてから」初々しくも甲斐甲斐しく握られようと、二朗は精を漏らすことはないし、ほとんど催すことさえないかのようなのだ。  つまりここにあるのは、その見てくれに反して、二朗の性的冒険の物語ではない。彼の三度に及ぶ射精は、詰まるところケミカルな作用でしかない。それでも三度も思い切り大量に放出したあと、二朗を待っているのは、今度は正反対のケミカルな効用、すなわち「インカの土人たちが秘伝として伝える特殊なエキスを配合したサボン」で陰茎を入念に洗うことによって、七十二時間にもわたって勃起を抑止されるという仕打ちである。三度目に出してすぐさま彼は「裸のルイーズ・ブルックス」にその特殊なサボンを塗りたくられ、すると三度も逝ったというのにまだいきりたったままだった「若くて元気なおちんちん」は呆気なく元気を喪い、更には「念には念を入れてとスポイト状のものを尿道にすばやく挿入してから、ちょっと浸みますがと断わって紫色の液体を注入」までされてしまう。サボンの効果は絶大で、二朗の「魔羅」はこの後、小説の終わりまで、一度として射精もしなければ勃起することさえない。物語上の現在は二朗がケミカルな不能に陥って間もなく終了することになるが、それ以後も彼のおちんちんはまだまだずっと使いものにならないだろう。七十二時間、つまり三日後まで。そしてこのことも、ほとんどあらかじめ決められていたことなのだ。  『伯爵夫人』は小説家蓮實重彦の三作目の作品に当たる。一作目の『陥没地帯』は一九七九年に、二作目の『オペラ・オペラシオネル』は一九九四年に、それぞれ発表されている。第一作から最新作までのあいだにはじつに三十七年もの時間が経過しているわけだが、作者は自分にとって「小説」とは「あるとき、向こうからやってくるもの」だと言明しており、その発言を信じる限りにおいて三編の発表のタイミングや間隔は計画的なものではないし如何なる意味でも時期を心得たものではない。最初に『陥没地帯』が書かれた時点では『オペラ・オペラシオネル』の十五年後の到来は想像さえされておらず、更にそれから二十二年も経って『伯爵夫人』がやってくることだって一切予想されてはいなかったことになるだろう。偶然とも僥倖とも、なんなら奇跡とも呼んでしかるべき小説の到来は、因果律も目的意識も欠いた突発的な出来事としてそれぞれ独立しており、少なくとも「作者」の権能や意識の範疇にはない。第一、あの『「ボヴァリー夫人」論』が遂に上梓され、かねてよりもうひとつのライフワークとして予告されてきた映画作家ジョン・フォードにかんする大部の書物の一刻も早い完成が待たれている状態で、どうして『伯爵夫人』などという破廉恥極まる小説がわざわざ書かれなくてはならなかったのか、これは端的に言って不可解な仕業であり、何かの間違いかはたまた意地悪か、いっそ不条理とさえ言いたくもなってくる。仮に作者の内に何ごとか隠された動機があったにせよ、それは最後まで隠されたままになる可能性が高い。  だがそれでも、どうしてだか書かれてしまった「三」番目の小説である『伯爵夫人』が、「二」番目の『オペラ・オペラシオネル』から「二」十「二」年ぶりだなどと言われると、それを読む者は読み始める前から或る種の身構えを取らされることになる。なぜならば、ここにごく無造作に記された「二」や「三」、或いはそこからごく自然に導き出される「一」或いは「四」といった何の変哲もない数にかかわる、暗合とも数秘学とも、なんなら単に数遊びとでも呼んでしかるべき事どもこそ、小説家蓮實重彦の作品を貫く原理、少なくともそのひとつであったということがにわかに想起され、だとすればこの『伯爵夫人』もまた、その「原理」をほとんどあからさまな仕方で潜在させているのだろうと予感されるからだ。その予感は、すでに『陥没地帯』と『オペラ・オペラシオネル』を読んでしまっている者ならば、実のところ避け難いものとしてあるのだが、こうして『伯爵夫人』を読み終えてしまった者は、いま、読み始める前から或る独特な姿勢に身構えていた自分が、やはり決して間違ってはいなかったことを知っている。二朗が射精するとしたら、三度でなければならない。二朗が不能に陥るとしたら、三日間でなければならないのだ。では、それは一体、どういうことなのか?  どういうことなのかを多少とも詳らかにするためには、まずは小説家蓮實重彦の先行する二作品をあらためて読み直してみる必要がある。数遊びは最初の一手からやってみせなければわかられないし、だいいち面白くない。遊びが遊びである以上、そこに意味などないことは百も承知であれば尚更、ともかくも一から順番に数え上げていかなくてはならない。そう、先回りして断わっておくが、ここで云われる「原理」とは、まるっきり無意味なものであるばかりか、おそらく正しくさえない。だが、意味もなければ正しくもない「原理」を敢然と擁���し、意味とも正しさとも無縁のその価値と存在理由を繰り返し強力に証明してきた者こそ、他ならぬ蓮實重彦そのひとではなかったか?
二、
 小説家蓮實重彦の第一作『陥没地帯』は、あくまでもそのつもりで読んでみるならば、ということでしかないが、戦後フランスの新しい作家たち、誰よりもまずはクロード・シモンと、だいぶ薄まりはするがアラン・ロブ=グリエ、部分的にはモーリス・ブランショやルイ=ルネ・デ・フォレ、そしてジャン=ポール・サルトルの微かな影さえ感じられなくもない、つまりはいかにも仏文学者であり文芸批評家でもある人物が書きそうな小説だと言っていいかもしれない。日本語の小説であれば、これはもう疑いもなく、その五年ほど前に出版されていた金井美恵子の『岸辺のない海』へ/からの反響を聴き取るべきだろう。西風の吹きすさぶ砂丘地帯から程近い、こじんまりとした、さほど人気のない観光地でもあるのだろう土地を舞台に、ロマンの破片、ドラマの残骸、事件の痕跡のようなものたちが、ゆっくりと旋回しながらどことも知れぬ場所へと落ちてゆくのを眺めているような、そんな小説。ともあれ、冒頭の一文はこうだ。
 遠目には雑草さながらの群生植物の茂みが、いくつも折りかさなるようにしていっせいに茎を傾け、この痩せこけた砂地の斜面にしがみついて、吹きつのる西風を避けている。
 誰とも知れぬ語り手は、まずはじめにふと視界に現れた「群生植物」について、「その種類を識別することは何ともむつかしい」のみならず、「この土地の人びとがそれをどんな名前で呼んでいるのかは皆目見当もつかないだろう」と宣言する。結局、この「群生植物」は最後まで名前を明かされないのだが、そればかりか、物語の舞台となる土地も具体的な名称で呼ばれることはなく、登場人物たちも皆が皆、およそ名前というものを欠いている。この徹底した命名の拒否は、そのことによって否応無しに物語の抽象性を際立たせることになるだろう。  もっとも語り手は、すぐさま次のように述べる。
 何か人に知られたくない企みでもあって、それを隠そうとするかのように肝心な名前を記憶から遠ざけ、その意図的な空白のまわりに物語を築こうとでもいうのだろうか。しかし、物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから、いかにも退屈そうに日々くり返されているこの砂丘でのできごとを語るのに、比喩だの象徴だのはあまりに饒舌な贅沢品というべきだろう。いま必要とされているのは、誰もが知っているごくありふれた草木の名前でもさりげなく口にしておくことに尽きている。
 だから実のところ命名は誰にでも許されているのだし、そこ��口にされる名はありきたりのもので構わない。実際、わざわざ記すまでもないほどにありふれた名前を、ひとびとは日々、何のこだわりもなくごく普通に発話しているに違いない。そしてそれは特に「群生植物」に限らない話であるのだが、しかし実際には「誰もが知っているごくありふれた」名前さえ一度として記されることはない。凡庸な名前の、凡庸であるがゆえの禁止。ところが、ここで起きている事態はそれだけではない。かなり後の頁には、そこでは弟と呼ばれている誰かの「ここからでは雑草とちっともかわらない群生植物にも、ちゃんと名前があったんだ。土地の人たちがみんなそう呼んでいたごくありきたりな名前があった。でもそれがどうしても思い出せない」という台詞が記されており、もっと後、最後の場面に至ると、弟の前で幾度となくその名前を口にしていた筈の姉と呼ばれる誰かもまた、その「群生植物」の名を自分は忘れてしまったと告白するのだ。つまりここでは、名づけることのたやすさとその恣意性、それゆえのナンセンスとともに、たとえナンセンスだったとしても、かつて何ものかによって命名され、自分自身も確かに知っていた/覚えていた名前が理由もなく記憶から抜け落ちてゆくことのおそろしさとかなしみが同時に語られている。ありとあらゆる「名」の風化と、その忘却。覚えているまでもない名前を永久に思い出せなくなること。そんな二重の無名状態に宙吊りにされたまま、この物語は一切の固有名詞を欠落させたまま展開、いや旋回してゆく。そしてこのことにはまた別種の機能もあると思われるのだが、いま少し迂回しよう。  右の引用中の「物語はとうの昔に始まっているのだし、事件もまた事件で特定の一日を選んで不意撃ちをくらわせにやってきたのではないのだから」という如何にも印象的なフレーズは、語句や語順を微妙に違えながら、この小説のなかで何度となく繰り返されてゆく。これに限らず、幾つかの文章や描写や叙述が反復的に登場することによって、この小説は音楽的ともいうべき緩やかなリズムを獲得しているのだが、それはもう一方で、反復/繰り返しという運動が不可避的に孕み持つ単調さへと繋がり、無為、退屈、倦怠といった感覚を読む者に喚び起こしもするだろう。ともあれ、たとえば今日という一日に、ここで起こることのすべては、どうやら「昨日のそれの反復だし、明日もまた同じように繰り返されるものだろう。だから、始まりといっても、それはあくまでとりあえずのものにすぎない」という達観とも諦念とも呼べるだろう空気が、そもそもの始まりから『陥没地帯』の世界を覆っている。  とはいえ、それは単純な繰り返しとはやはり異なっている。精確な反復とは違い、微細な差異が導入されているからではなく、今日が昨日の反復であり、明日が今日の反復であるという前後関係が、ここでは明らかに混乱を来しているからだ。この小説においては、物語られるほとんどの事件、多くの出来事が、時間的な順序も因果律も曖昧なまましどけなく錯綜し、あたかも何匹ものウロボロスの蛇が互いの尻尾を丸呑みしようとしているかのような、どうにも不気味な、だが優雅にも見える有様を呈してゆく。どちらが先にあってどちらがその反復なのかも確定し難い、起点も終点も穿つことの出来ない、方向性を欠いた反復。あたかもこの小説のありとある反復は「とうの昔に始まって」おり、そして/しかし、いつの間にか「とうの昔」に回帰してでもいくかのようなのだ。反復と循環、しかも両者は歪に、だがどこか整然と絡み合っている。しかも、それでいてこの小説のなかで幾度か、まさに不意撃ちのように書きつけられる「いま」の二語が示しているように、昨日、今日、明日ではなく、今日、今日、今日、いま、いま、いま、とでも言いたげな、現在形の強調が反復=循環と共存してもいる。それはまるで、毎日毎日朝から晩まで同じ演目を倦むことなく繰り返してきたテーマパークが、そのプログラムをいつのまにか失調させていき、遂にはタイマーも自壊させて、いま起きていることがいつ起こるべきことだったのかわからなくなり、かつて起こったことと、これから起こるだろうことの区別もつかなくなって、いまとなってはただ、いまがまだかろうじていまであること、いまだけはいつまでもいまであり続けるだろうことだけを頼りに、ただやみくもに、まだなんとか覚えていると自分では思っている、名も無きものたちによるひと続きの出し物を、不完全かつ不安定に延々と繰り返し上演し続けているかのようなのだ。  二重の、徹底された無名状態と、壊れた/壊れてゆく反復=循環性。『陥没地帯』の舞台となる世界ーーいや、むしろ端的に陥没地帯と呼ぶべきだろうーーは、このふたつの特性に支えられている。陥没地帯の物語を何らかの仕方で丸ごと形式的に整理しようとする者は、あらかじめこの二種の特性によって先回りされ行く手を塞がれるしかない。「名」の廃棄が形式化の作業を露骨な姿態で誘引しており、その先では程よくこんがらがった毛糸玉が、ほら解いてみなさいちゃんと解けるように編んであるからとでも言いたげに薄笑いを浮かべて待ち受けているだけのことだ。そんな見え見えの罠に敢えて嵌まってみせるのも一興かもしれないが、とりあえず物語=世界の構造そのものを相手取ろうとする無邪気にマクロな視点はいったん脇に置き、もっと単純素朴なる細部へと目を向けてみると、そこではこれまた見え見えの様子ではあるものの、相似という要素に目が留まることになるだろう。  たとえば「向かい合った二つの食堂兼ホテルは、外観も、内部の装飾も、料理のメニューも驚くほど似かよって」いる。しかし「ためらうことなくその一つを選んで扉を押しさえすれば、そこで約束の相手と間違いなく落ち合うことができる。目には見えない識別票のようなものが、散歩者たちをあらかじめ二つのグループに分断しており、その二つは決して融合することがない」。つまり「驚くほど似かよって」いるのにもかかわらず、二軒はひとびとの間に必ずしも混同を惹き起こしてはいないということだ。しかし似かよっているのは二つの食堂兼ホテルだけではない。他にも「まったく同じ様式に従って設計されている」せいで「どちらが��役所なのか駅なのはすぐにはわからない」だの、やはり「同じ時期に同じ建築様式に従って設計された」ので「旅行者の誰もが郵便局と取り違えて切手を買いに行ったりする学校」だのといった相似の表象が、これみよがしに登場する。建物だけではない。たとえば物語において謎めいた(この物語に謎めいていない者などただのひとりも存在していないが)役割を演じることになる「大伯父」と「その義理の弟」と呼ばれる「二人の老人」も、しつこいほどに「そっくり」「生き写し」「見分けがつかない」などと書かれる。  ところが、この二人にかんしては、やがて次のようにも語られる。
 あの二人が同一人物と見まがうほどに似かよっているのは、永年同じ職場で同じ仕事をしてきたことからくる擬態によってではなく、ただ、話の筋がいきなり思わぬ方向に展開されてしまったとき、いつでも身がわりを演じうるようにと、日頃からその下準備をしておくためなのです。だから、それはまったく装われた類似にすぎず、そのことさえ心得ておけば、いささかも驚くべきことがらではありません。
 先の建築物にしたって、後になると「二軒並んだ食堂兼ホテルは、いま、人を惑わすほどには似かよってはおらず、さりとてまったくきわだった違いを示しているわけでもない」だとか「学校とも郵便局とも判別しがたく、ことによったらそのどちらでもないかもしれぬたてもの」などといった書かれぶりなのだから、ここでの相似とは要するに、なんともあやふやなものでしかない。にしても、二つのものが似かよっている、という描写が、この物語のあちこちにちりばめられていることは事実であり、ならばそこにはどんな機能が託されているのかと問うてみたくなるのも無理からぬことだと思われる。  が、ここで読む者ははたと思い至る。相似する二つのものという要素は、どうしたって「似ていること」をめぐる思考へとこちらを誘っていこうとするのだが、それ自体がまたもや罠なのではないか。そうではなくて、ここで重要なのは、むしろただ単に「二」という数字なのではあるまいか。だってこれらの相似は難なく区別されているのだし、相似の度合いも可変的であったり、そうでなくても結局のところ「装われた類似にすぎず、そのことさえ心得ておけば、いささかも驚くべきことがらでは」ないというのだから。騙されてはならない。問題とすべきなのは相似の表象に伴って書きつけられる「二」という数の方なのだ。そう思って頁に目を向け直してみると、そこには確かに「二」という文字が意味ありげに幾つも転がっている。「二」つ並んだ食堂兼ホテルには「二」階があるしーーしかもこの「二階」は物語の重要な「事件の現場」となるーー、市役所前から砂丘地帯までを走る路面電車は「二」輛連結であり、一時間に「二」本しかない。とりわけ路面電車にかかわる二つの「二」は、ほぼ省略されることなく常にしつこく記されており、そこには奇妙な執着のようなものさえ感じられる。陥没地帯は、どうしてかはともかく、ひたすら「二」を召喚したいがゆえに、ただそれだけのために、相似という意匠を身に纏ってみせているのではないか。  「二」であることには複数の様態がある(「複数」というのは二つ以上ということだ)。まず、順序の「二」。二番目の二、一の次で三の前であるところの「二」がある。次に、反復の「二」。二度目の二、ある出来事が(あるいはほとんど同じ出来事が)もう一度繰り返される、という「二」がある。そして、ペアの「二」。二対の二、対立的(敵味方/ライバル)か相補的(バディ)か、その両方かはともかく、二つで一組を成す、という「二」がある。それからダブルの「二」、二重の二があるが、これ自体が二つに分かれる。一つの存在が内包/表出する二、二面性とか二重人格とかドッペルゲンガーの「二」と、二つの存在が一つであるかに誤認/錯覚される二、双児や他人の空似や成り澄ましなどといった、つまり相似の「二」。オーダー、リピート、ペア、ダブル、これらの「二」どもが、この小説にはあまねくふんだんに取り込まれている。オーダーとリピートが分かち難く絡み合って一緒くたになってしまっているさまこそ、前に見た「反復=循環性」ということだった。それは「一」と「二」の区別がつかなくなること、すなわち「一」が「二」でもあり「二」が「一」でもあり得るという事態だ。しかしそれだって、まず「二」度目とされる何ごとかが召喚されたからこそ起こり得る現象だと言える。  また、この物語には「大伯父とその義理の弟」以外にも幾組ものペアやダブルが、これまたこれみよがしに配されている。あの「二人の老人」は二人一役のために互いを似せていたというのだが、他にも「船長」や「女将」や「姉」や「弟」、或いは「男」や「女」といった普通名詞で呼ばれる登場人物たちが、その時々の「いま」において複雑極まる一人二役/二人一役を演じさせられている。この人物とあの人物が、実は時を隔てた同一人物なのではないか、いやそうではなく両者はやはりまったくの別の存在なのか、つまり真に存在しているのは「一」なのか「二」なのか、という設問が、決して真実を確定され得ないまま、切りもなく無数に生じてくるように書かれてあり、しかしそれもやはりまず「二」つのものが召喚されたからこそ起こり得た現象であり、もちろんこのこと自体が「反復=循環性」によって強化されてもいるわけだ。  こう考えてみると、もうひとつの特性である「無名状態」にも、抽象化とはまた別の実践的な理由があるのではないかと思えてくる。ひどく似ているとされる二者は、しかしそれぞれ別個の名前が与えられていれば、当然のことながら区別がついてしまい、相似の「二」が成立しなくなってしまうからだ。だから「二軒並んだ食堂兼ホテル」が名前で呼ばれることはあってはならないし、「女将」や「船長」の名が明かされてはならない。無名もまた「二」のために要請されているのだ。  陥没地帯は夥しい「二」という数によって統べられていると言っても過言ではない。それは文章=文字の表面に穿たれた数字=記号としての「二」から、物語内に盛んに導入された二番二度二対二重などのさまざまな「二」性にまで及んでいる。二、二、二、この小説に顕在/潜在する「二」を数え上げていったらほとんど果てしがないほどだ。とすれば、すぐに浮かぶ疑問は当然、それはどういうことなのか、ということになるだろう。なぜ「二」なのか。どうしてこの小説は、こうもひたぶるに「二」であろうとしているのか。  ここでひとつの仮説を提出しよう。なぜ陥没地帯は「二」を欲望するのか。その答えは『陥没地帯』が小説家蓮實重彦の一作目であるからだ。自らが「一」であることを嫌悪、いや憎悪��、どうにかして「一」に抗い「一」であることから逃れようとするためにこそ、この小説は無数の「二」を身に纏おうと、「二」を擬態しようと、つまり「二」になろうとしているのだ。  すぐさまこう問われるに違いない。それでは答えになっていない。どうして「一」から逃れなくてはならないのか。「一」が「一」を憎悪する理由は何だというのか。その理由の説明が求められているのだ。そんなことはわたしにはわからない。ただ、それは『陥没地帯』が「一」番目の小説だから、としか言いようがない。生まれつき、ただ理由もなく運命的に「一」であるしかない自らの存在のありようがあまりにも堪え難いがゆえに、陥没地帯は「二」を志向しているのだ。そうとしか言えない。  しかしそれは逆にいえば、どれだけ策を尽くして「二」を擬態したとしても、所詮は「一」は「一」でしかあり得ない、ということでもある。「二」になろう「二」であろうと手を替え品を替えて必死で演技する、そしてそんな演技にさえ敢えなく失敗する「一」の物語、それが『陥没地帯』なのだ。そしてこのことも、この小説自体に書いてある。
 つまり、錯綜したパズルを思わせる線路をひもに譬えれば、その両端を指ではさんでぴーんと引っぱってみる。すると、贋の結ぼれがするするとほぐれ、一本の線に還元されてしまう。鋭角も鈍角も、それから曲線も弧も螺旋形も、そっくり素直な直線になってしまうのです。だから、橋なんていっちゃあいけない。それは人目をあざむく手品の種にすぎません。
 そう、複雑に縒り合わされた結ぼれは、だが結局のところ贋ものでしかなく、ほんとうはただの「一本の線」に過ぎない。ここで「二」に見えているすべての正体は「一」でしかない。あの「向かい合った二つの食堂兼ホテル」が「驚くほど似かよって」いるのに「ためらうことなくその一つを選んで扉を押しさえすれば」決して間違えることがなかったのは、実はどちらを選んでも同じことだったからに他ならない。このこともまた繰り返しこの物語では描かれる。河を挟んだ片方の側からもう片側に行くためには、どうしても小さな架橋を使わなくてはならない筈なのに、橋を渡った覚えなどないのに、いつのまにか河の向こう側に抜けていることがある。そもそもこの河自体、いつも褐色に淀んでいて、水面を見るだけではどちらからどちらに向かって流れているのか、どちらが上流でどちらが下流なのかさえ判然としないのだが、そんなまたもやあからさまな方向感覚の惑乱ぶりに対して、ではどうすればいいのかといえば、ただ迷うことなど一切考えずに歩いていけばいいだけのことだ。「彼が執拗に強調しているのは、橋の必然性を信頼してはならぬということである」。二つの領域を繋ぐ橋など要らない、そんなものはないと思い込みさえすればもう橋はない。二つのものがあると思うからどちらかを選ばなくてはならなくなる。一番目と二番目、一度目と二度目、一つともう一つをちゃんと別にしなくてはならなくなる。そんな面倒は金輪際やめて、ここにはたった一つのものしかないと思えばいいのだ。実際そうなのだから。  それがいつであり、そこがどこであり、そして誰と誰の話なのかも最早述べることは出来ないが、物語の後半に、こんな場面がある。
 よろしゅうございますね、むこう側の部屋でございますよ。(略)女は、そうささやくように念をおす。こちら側ではなく、むこう側の部屋。だが、向かい合った二つの扉のいったいどちらの把手に手をかければよいのか。事態はしかし、すべてを心得たといった按配で、躊躇も逡巡もなく円滑に展開されねばならない。それには、風に追われる砂の流れの要領でさからわずに大気に身をゆだねること。むこう側の扉の奥で待ちうけている女と向かいあうにあたって必要とされるのも、そんなこだわりのない姿勢だろう。
 躊躇も逡巡もすることはない。なぜなら「こちら側」と「むこう側」という「二つの扉」自体が下手な偽装工作でしかなく、そこにはもともと「一」つの空間しかありはしないのだから。そしてそれは、はじめから誰もが知っていたことだ。だってこれは正真正銘の「一」番目なのだから。こうして「一」であり「一」であるしかない『陥没地帯』の、「一」からの逃亡としての「二」への変身、「二」への離脱の試みは失敗に終わる。いや、むしろ失敗することがわかっていたからこそ、どうにかして「一」は「二」のふりをしようとしたのだ。不可能と知りつつ「一」に全力で抗おうとした自らの闘いを、せめても読む者の記憶へと刻みつけるために。
三、
 小説家蓮實重彦の第二作『オペラ・オペラシオネル』は、直截的にはジャン=リュック・ゴダールの『新ドイツ零年』及び、その前日譚である『アルファヴィル』との関連性を指摘できるだろう。小説が発表されたのは一九九四年の春だが、『新ドイツ零年』は一九九一年秋のヴェネツィア国際映画祭に出品後、一九九三年末に日本公開されている。同じくゴダール監督による一九六五年発表の『アルファヴィル』は、六〇年代にフランスでシリーズ化されて人気を博した「レミー・コーションもの」で主役を演じた俳優エディ・コンスタンティーヌを役柄ごと「引用」した一種のパスティーシュだが、独裁国家の恐怖と愛と自由の価値を謳った軽快でロマンチックなSF映画でもある。『新ドイツ零年』は、レミー・コーション=エディ・コンスタンチーヌを四半世紀ぶりに主演として迎えた続編であり、ベルリンの壁崩壊の翌年にあたる一九九〇年に、老いたる往年の大物スパイがドイツを孤独に彷徨する。  『オペラ・オペラシオネル』の名もなき主人公もまた、レミー・コーションと同じく、若かりし頃は派手な活躍ぶりでその筋では国際的に名を成したものの、ずいぶんと年を取った最近では知力にも体力にも精神力にもかつてのような自信がなくなり、そろそろほんとうに、思えばやや遅過ぎたのかもしれない引退の時期がやってきたのだと自ら考えつつある秘密諜報員であり、そんな彼は現在、長年勤めた組織へのおそらくは最後の奉公として引き受けた任務に赴こうとしている。「とはいえ、この年まで、非合法的な権力の奪取による対外政策の変化といった計算外の事件に出会っても意気沮喪することなく組織につくし、新政権の転覆を目論む不穏な動きをいたるところで阻止しながらそのつど難局を切り抜け、これといった致命的な失敗も犯さずにやってこられたのだし、分相応の役割を担って組織にもそれなりに貢献してきたのだという自負の念も捨てきれずにいるのだから、いまは、最後のものとなるかもしれないこの任務をぬかりなくやりとげることに専念すべきなのだろう」。つまりこれはスパイ小説であり、アクション小説でさえある。  前章で提示しておいた無根拠な仮説を思い出そう。『陥没地帯』は「一」作目であるがゆえに「一」から逃れようとして「二」を志向していた。これを踏まえるならば、「二」作目に当たる『オペラ・オペラシオネル』は、まずは「二」から逃走するべく「三」を擬態することになる筈だが、実際、この小説は「三」章立てであり、作中に登場するオペラ「オペラ・オペラシオネル」も「三」幕構成であり、しかも「三」時間の上演時間を要するのだという。これらだけではない。第一章で主人公は、豪雨が齎した交通機関の麻痺によって他の旅客ともども旅行会社が用意した巨大なホールで足止めを食っているのだが、どういうわけかこの空間に定期的にやってきている謎の横揺れを訝しみつつ、ふと気づくと、「いま、くたびれはてた鼓膜の奥にまぎれこんでくるのは、さっきから何やら低くつぶやいている聞きとりにくい女の声ばかりである」。
 いまここにはいない誰かをしきりになじっているようにも聞こえるそのつぶやきには、どうやら操縦と聞きとれそうな単語がしばしばくりかえされており、それとほぼ同じぐらいの頻度で、やれ回避だのやれ抹殺だのといった音のつらなりとして聞きわけられる単語もまぎれこんでいる。だが、誰が何を操縦し、どんな事態を回避し、いかなる人物を抹殺するのかということまでははっきりしないので、かろうじて識別できたと思えるたった三つの単語から、聞きとりにくい声がおさまるはずの構文はいうまでもなく、そのおよその文意を推測することなどとてもできはしない。
 むろんここで重要なのは、間違っても「誰が何を操縦し、どんな事態を回避し、いかなる人物を抹殺するのか」ということではない。この意味ありげな描写にごくさりげなく埋め込まれた「たった三つの単語」の「三」という数である。まだある。主人公が実際に任務を果たすのは「ここから鉄道でたっぷり三時間はかかる地方都市」だし、このあと先ほどの女の突然の接触ーー「かたわらの椅子に身を埋めていた女の腕が生きもののようなしなやかさで左の肘にからみつき、しっかりとかかえこむように組みあわされてしまう」ーーが呼び水となって主人公は「最後の戦争が起こったばかりだったから、こんな仕事に誘いこまれるより遥か以前」に「この国の転覆を目論む敵側の間諜がわがもの顔で闊歩しているという繁華街の地下鉄のホームでこれに似た体験をしていたこと」をふと思い出すのだが、そのときちょうどいまのようにいきなり腕をからませてきた女と同じ地下鉄のホームで再会したのは「それから三日後」のことなのだ。  「三」への擬態以前に、この小説の「二」に対する嫌悪、憎悪は、第三章で登場する女スパイが、いままさにオペラ「オペラ・オペラシオネル」を上演中の市立劇場の客席で、隣に座った主人公に「あなたを抹殺する目的で開幕直前に桟敷に滑りこもうとしていた女をぬかりなく始末しておいた」と告げたあとに続く台詞にも、さりげなく示されている。
 もちろん、と女は言葉をつぎ、刺客をひとり始末したからといって、いま、この劇場の客席には、三人目、四人目、ことによったら五人目となるかもしれない刺客たちが、この地方都市の正装した聴衆にまぎれて、首都に帰らせてはならないあなたの動向をじっとうかがっている。
 なぜ、女は「二人目」を省いたのか。どうしてか彼女は「二」と言いたくない、いや、「二」と言えないのだ。何らかの不思議な力が彼女から「二」という数の発話を無意味に奪っている。実際『陥没地帯』にはあれほど頻出していた「二」が、一見したところ『オペラ・オペラシオネル』では目に見えて減っている。代わりに振り撒かれているのは「三」だ。三、三、三。  だが、これも前作と同様に、ここでの「二」への抵抗と「三」への擬態は、そもそもの逃れ難い本性であるところの「二」によってすぐさま逆襲されることになる。たとえばそれは、やはり『陥没地帯』に引き続いて披露される、相似をめぐる認識において示される。どうやら記憶のあちこちがショートしかかっているらしい主人公は、第一章の巨大ホールで突然左肘に腕を絡ませてきた女が「それが誰なのかにわかには思い出せない旧知の女性に似ているような気もする」と思ってしまうのだがーー同様の叙述はこの先何度も繰り返されるーー、しかしそのとき彼は「経験豊かな仲間たち」からよく聞かされていた言葉をふと思い出す。
 もちろん、それがどれほどとらえがたいものであれ類似の印象を与えるというかぎりにおいて、二人が同一人物であろうはずもない。似ていることは異なる存在であることの証左にほかならぬという原則を見失わずにおき、みだりな混同に陥ることだけは避けねばならない。
 この「似ていることは異なる存在であることの証左にほかならぬという原則」は、もちろん『陥没地帯』の数々の相似にかんして暗に言われていたことであり、それは「一」に思えるが実は「二」、つまり「一ではなく二」ということだった。しかし、いまここで離反すべき対象は「二」なのだから、前作では「一」からの逃走の方策として導入されていた相似という装置は、こちらの世界では「二」から発される悪しき強力な磁場へと反転してしまうのだ。なるほどこの小説には、前作『陥没地帯』よりも更にあっけらかんとした、そう、まるでやたらと謎めかした、であるがゆえに適当な筋立てのご都合主義的なスパイ映画のような仕方で、相似の表象が次々と登場してくる。女という女は「旧知の女性に似ているような」気がするし、巨大ホールの女の亡くなったパイロットの夫は、第二章で主人公が泊まるホテルの部屋にノックの音とともに忍び込んでくる女、やはり亡くなっている夫は、売れない音楽家だったという自称娼婦の忌まわしくもエロチックな回想の中に奇妙に曖昧なすがたで再登場するし、その音楽家が妻に書き送ってくる手紙には、第一章の主人公の境遇に酷似する体験が綴られている。数え出したら枚挙にいとまのないこうした相似の仄めかしと手がかりは、本来はまったく異なる存在である筈の誰かと誰かを無理繰り繋いであたかもペア=ダブルであるかのように見せかけるためのブリッジ、橋の機能を有している。どれだけ「三」という数字をあたり一面に��布しようとも、思いつくまま幾らでも橋を架けられる「二」の繁茂には到底対抗出来そうにない。  では、どうすればいいのか。「二」から逃れるために「三」が有効ではないのなら、いっそ「一」へと戻ってしまえばいい。ともかく「二」でありさえしなければいいのだし、ベクトルが一方向でなくともよいことはすでに確認済みなのだから。  というわけで、第三章の女スパイは、こんなことを言う。
 ただ、誤解のないようにいいそえておくが、これから舞台で演じられようとしている物語を、ことによったらあなたや私の身に起こっていたのかもしれないできごとをそっくり再現したものだなどと勘違いしてはならない。この市立劇場であなたが立ち会おうとしているのは、上演を目的として書かれた粗筋を旧知の顔触れがいかにもそれらしくなぞってみせたりするものではないし、それぞれの登場人物にしても、見るものの解釈しだいでどんな輪郭にもおさまりかねぬといった融通無碍なものでもなく、いま、この瞬間に鮮やかな現実となろうとしている生のできごとにほかならない。もはや、くりかえしもおきかえもきかない一回かぎりのものなのだから、これはよくあることだと高を括ったりしていると、彼らにとってよくある些細なできごとのひとつとして、あなたの世代の同僚の多くが人知れず消されていったように、あなた自身もあっさり抹殺されてしまうだろう。
 そもそも三章立ての小説『オペラ・オペラシオネル』が、作中にたびたびその題名が記され、第三章で遂に上演されることになる三幕もののオペラ「オペラ・オペラシオネル」と一種のダブルの関係に置かれているらしいことは、誰の目にも歴然としている。しかしここでいみじくも女スパイが言っているのは、如何なる意味でもここに「二」を読み取ってはならない、これは「一」なのだ、ということだ。たとえ巧妙に「二」のふりをしているように見えたとしても、これは確かに「くりかえしもおきかえもきかない一回かぎりのもの」なのだと彼女は無根拠に断言する。それはつまり「二ではなく一」ということだ。そんなにも「二」を増殖させようとするのなら、その化けの皮を剥がして、それらの実体がことごとく「一」でしかないという事実を露わにしてやろうではないか(言うまでもなく、これは『陥没地帯』で起こっていたことだ)。いや、たとえほんとうはやはりそうではなかったのだとしても、ともかくも「二ではなく一」と信じることが何よりも重要なのだ。  「二」を「一」に変容せしめようとする力動は、また別のかたちでも確認することが出来る。この物語において主人公は何度か、それぞれ別の、だが互いに似かよってもいるのだろう女たちと「ベッドがひとつしかない部屋」で対峙する、もしくはそこへと誘われる。最後の場面で女スパイも言う。私たちが「ベッドがひとつしかない部屋で向かい合ったりすればどんなことになるか、あなたには十分すぎるほどわかっているはずだ」。「二」人の男女と「一」つのベッド。だが主人公は、一つきりのベッドをそのような用途に使うことは一度としてない。そしてそれは何度か話題にされる如何にも女性の扱いに長けたヴェテランの間諜らしい(らしからぬ?)禁欲というよりも、まるで「一」に対する斥力でも働いているかのようだ。  こうして『オペラ・オペラシオネル』は後半、あたかも「一」と「二」の闘争の様相を帯びることになる。第三章の先ほどの続きの場面で、女スパイは主人公に「私たちふたりは驚くほど似ているといってよい」と言ってから、こう続ける。「しかし、類似とは、よく似たもの同士が決定的に異なる存在だという事実の否定しがたい証言としてしか意味をもたないものなのだ」。これだけならば「一ではなく二」でしかない。だがまだその先がある。「しかも、決定的に異なるものたちが、たがいの類似に脅えながらもこうして身近に相手の存在を確かめあっているという状況そのものが、これまでに起こったどんなできごととも違っているのである」。こうして「二」は再び「一」へと逆流する。まるで自らに念を押すように彼女は言う。いま起こっていることは「かつて一度としてありはしなかった」のだと。このあとの一文は、この小説の複雑な闘いの構図を、複雑なまま見事に表している。
 だから、あたりに刻まれている時間は、そのふたりがともに死ぬことを選ぶか、ともに生きることを選ぶしかない一瞬へと向けてまっしぐらに流れ始めているのだと女が言うとき、そらんじるほど熟読していたはずの楽譜の中に、たしかにそんな台詞が書き込まれていたはずだと思いあたりはするのだが、疲労のあまりものごとへの執着が薄れ始めている頭脳は、それが何幕のことだったのかと思い出そうとする気力をすっかり失っている。
 かくのごとく「二」は手強い。当たり前だ。これはもともと「二」なのだから。しかしそれでも、彼女は繰り返す。「どこかしら似たところのある私たちふたりの出会いは、この別れが成就して以後、二度とくりかえされてはならない。そうすることがあなたと私とに許された誇らしい権利なのであり、それが無視されてこの筋書きにわずかな狂いでもまぎれこめば、とても脱出に成功することなどありはしまい」。『オペラ・オペラシオネル』のクライマックス場面における、この「一」対「二」の激しい争いは、読む者を興奮させる。「実際、あなたと私とがともに亡命の権利を認められ、頻繁に発着するジェット機の騒音などには耳もかさずに、空港の別のゲートをめざしてふりかえりもせずに遠ざかってゆくとき、ふたり一組で行動するという権利が初めて確立することになり、それにはおきかえもくりかえしもききはしないだろう」。「二」人組による、置換も反復も欠いた、ただ「一」度きりの逃避行。ここには明らかに、あの『アルファヴィル』のラストシーンが重ね合わされている。レミー・コーションはアンナ・カリーナが演じるナターシャ・フォン・ブラウンを連れて、遂に発狂した都市アルファヴィルを脱出する。彼らは「二人」になり、そのことによってこれから幸福になるのだ。『ドイツ零年』の終わり近くで、老いたるレミー・コーションの声が言う。「国家の夢は1つであること。個人の夢は2人でいること」。それはつまり「ふたり一組で行動するという権利」のことだ。  かくのごとく「二」は手強い。当たり前だ。これはもともと「二」なのだから。しかも、もはや夢幻なのか現実なのかも判然としない最後の最後で、主人公と女スパイが乗り込むのは「これまでハンドルさえ握ったためしのないサイドカー」だというのだから(これが「ベッドがひとつしかない部屋」と対になっていることは疑いない)、結局のところ「二」は、やはり勝利してしまったのではあるまいか。「二」が「二」であり「二」であるしかないという残酷な運命に対して、結局のところ「三」も「一」も歯が立たなかったのではないのか。小説家蓮實重彦の一作目『陥没地帯』が「一の物語」であったように、小説家蓮實重彦の第二作は「二の物語」としての自らをまっとうする。そして考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、このことは最初からわかりきっていたことだ。だってこの小説の題名は『オペラ・オペラシオネル』、そこには「オペラ」という単語が続けざまに「二」度、あからさまに書き込まれているのだから。
四、
 さて、遂にようやく「一、」の末尾に戻ってきた。では、小説家蓮實重彦の第三作『伯爵夫人』はどうなのか。この小説は「三」なのだから、仮説に従えば「四」もしくは「二」を志向せねばならない。もちろん、ここで誰もが第一に思い当たるのは、主人公の名前である「二朗」だろう。たびたび話題に上るように、二朗には亡くなった兄がいる。すなわち彼は二男である。おそらくだから「二」朗と名づけられているのだが、しかし死んだ兄が「一朗」という名前だったという記述はどこにもない、というか一朗はまた別に居る。だがそれはもっと後の話だ。ともあれ生まれついての「二」である二朗は、この小説の「三」としての運命から、あらかじめ逃れ出ようとしているかに見える。そう思ってみると、彼の親しい友人である濱尾も「二」男のようだし、従妹の蓬子も「二」女なのだ。まるで二朗は自らの周りに「二」の結界を張って「三」の侵入を防ごうとしているようにも思えてくる。  だが、当然の成り行きとして「三」は容赦なく襲いかかる。何より第一に、この作品の題名そのものであり、二朗にははっきりとした関係や事情もよくわからぬまま同じ屋敷に寝起きしている、小説の最初から最後まで名前で呼ばれることのない伯爵夫人の、その呼称の所以である、とうに亡くなっているという、しかしそもそも実在したかどうかも定かではない「伯爵」が、爵位の第三位ーー侯爵の下で子爵の上ーーであるという事実が、彼女がどうやら「三」の化身であるらしいことを予感させる。『オペラ・オペラシオネル』の「二」と同じく、『伯爵夫人』も題名に「三」をあらかじめ埋め込まれているわけだ。確かに「三」はこの小説のあちこちにさりげなく記されている。たとえば濱尾は、伯爵夫人の怪しげな素性にかかわる噂話として「れっきとした伯爵とその奥方を少なくとも三組は見かけた例のお茶会」でのエピソードを語る。また、やはり濱尾が二朗と蓬子に自慢げにしてみせる「昨日まで友軍だと気を許していた勇猛果敢な騎馬の連中がふと姿を消したかと思うと、三日後には凶暴な馬賊の群れとなって奇声を上げてわが装甲車舞台に襲いかかり、機関銃を乱射しながら何頭もの馬につないだ太い綱でこれを三つか四つひっくり返したかと思うと、あとには味方の特殊工作員の死骸が三つも転がっていた」という「どこかで聞いた話」もーー「四」も入っているとはいえーーごく短い記述の間に「三」が何食わぬ顔で幾つも紛れ込んでいる。  しかし、何と言っても決定的に重要なのは、すでに触れておいた、二朗と伯爵夫人が最初の、贋の抱擁に至る場面だ。謎の「ふたり組の男」に「二朗さんがこんな女といるところをあの連中に見られたくないから、黙っていう通りにして下さい」と言って伯爵夫人が舞台に選ぶのは「あの三つ目の街路樹の瓦斯燈の灯りも届かぬ影になった幹」なのだが、演出の指示の最後に、彼女はこう付け加える。
 連中が遠ざかっても、油断してからだを離してはならない。誰かが必ずあの二人の跡をつけてきますから、その三人目が通りすぎ、草履の先であなたの足首をとんとんとたたくまで抱擁をやめてはなりません、よござんすね。
 そう、贋の抱擁の観客は「二」人ではなかった。「三」人だったのだ。しかし二朗は本番では演技に夢中でーー射精という事故はあったもののーー場面が無事に済んでも「あの連中とは、いったいどの連中だというのか」などと訝るばかり、ことに「三人目」については、その実在さえ確認出来ないまま終わる。つまり追っ手(?)が全部で「三」人居たというのは、あくまでも伯爵夫人の言葉を信じる限りにおいてのことなのだ。  まだある。一度目の射精の後、これも先に述べておいたが伯爵夫人は二朗に自らの性的遍歴を語り出す。自分はあなたの「お祖父さま」ーー二朗の母方の祖父ーーの「めかけばら」だなどと噂されているらしいが、それは根も葉もない言いがかりであって、何を隠そう、お祖父さまこそ「信州の山奥に住む甲斐性もない百姓の娘で、さる理由から母と東京に移り住むことになったわたくし」の処女を奪ったばかりか、のちに「高等娼婦」として活躍出来るだけの性技の訓練を施した張本人なのだと、彼女は告白する。まだ処女喪失から二週間ほどしか経っていないというのに、お祖父さまに「そろそろ使い勝手もよくなったろう」と呼ばれて参上すると、そこには「三」人の男ーーいずれも真っ裸で、見あげるように背の高い黒ん坊、ターバンを捲いた浅黒い肌の中年男、それにずんぐりと腹のでた小柄な初老の東洋人ーーがやってきて、したい放題をされてしまう。とりわけ「三」人目の男による見かけによらない濃厚な変態プレイは、破廉恥な描写には事欠かないこの小説の中でも屈指のポルノ場面と言ってよい。  まだまだある。二朗の「三」度目の射精の前、和製ルイーズ・ブルックスに案内された「更衣室」には、「野獣派風の筆遣いで描かれたあまり感心できない裸婦像が三つ」と「殺風景な三つのシャワーのついた浴場」がある。伯爵夫人が物語る、先の戦時中の、ハルピンにおける「高麗上等兵」のエピソードも「三」に満ちている。軍の都合によって無念の自決を強いられた高麗の上官「森戸少尉」の仇である性豪の「大佐」に、山田風太郎の忍法帖さながらの淫技で立ち向かい、森戸少尉の復讐として大佐の「金玉」を潰すという計画を、のちの伯爵夫人と高麗は練るのだが、それはいつも大佐が「高等娼婦」の彼女を思うさまいたぶるホテルの「三階の部屋」の「三つ先の部屋」でぼやを起こし、大佐の隙を突いて「金玉」を粉砕せしめたらすぐさま火事のどさくさに紛れて現場から立ち去るというものであり、いざ決行直後、彼女は「雑踏を避け、高麗に抱えられて裏道に入り、騎馬の群れに囲まれて停車していた三台のサイドカー」に乗せられて無事に逃亡する。  このように「三」は幾らも数え上げられるのだが、かといって「二」や「四」も皆無というわけではないーー特に「二」は後で述べるように伯爵夫人の一時期と切っても切り離せない関係にあるーーのだから、伯爵夫人が「三」の化身であるという予感を完全に証明し得るものとは言えないかもしれない。では、次の挿話はどうか?  三度目の射精の直後に例の「サボン」を投与されてしまった二朗は、今度は「黒い丸眼鏡をかけた冴えない小男」の先導で、さながら迷宮のようなホテル内を経巡って、伯爵夫人の待つ「お茶室」ーー彼女はあとで、その空間を「どこでもない場所」と呼ぶーーに辿り着く。そこで伯爵夫人はふと「二朗さん、さっきホテルに入ったとき、気がつかれましたか」と問いかける。「何ですか」「百二十度のことですよ」。今しがた和製ルイーズ・ブルックスと自らの「魔羅」の隆隆たる百二十度のそそり立ちについて語り合ったばかりなので、二朗は思わずたじろぐが、伯爵夫人は平然と「わたくしは回転扉の角度のお話をしているの。あそこにいったいいくつ扉があったのか、お気づきになりましたか」と訊ねる。もちろんそれは、小説の始まりに記されていた「傾きかけた西日を受けてばふりばふりとまわっている重そうな回転扉」のことだ。
 四つあるのが普通じゃなかろうかという言葉に、二朗さん、まだまだお若いのね。あそこの回転扉に扉の板は三つしかありません。その違いに気づかないと、とてもホテルをお楽しみになることなどできませんことよと、伯爵夫人は艶然と微笑む。四つの扉があると、客の男女が滑りこむ空間は必然的に九十度と手狭なものとなり、扉もせわしげにぐるぐるとまわるばかり。ところが、北普魯西の依怙地な家具職人が前世紀末に発明したという三つ扉の回転扉の場合は、スーツケースを持った少女が大きな丸い帽子箱をかかえて入っても扉に触れぬだけの余裕があり、一度に一・三倍ほどの空気をとりこむかたちになるので、ぐるぐるではなく、ばふりばふりとのどかなまわり方をしてくれる。
 「もっとも、最近になって、世の殿方の間では、百二十度の回転扉を通った方が、九十度のものをすり抜けるより男性としての機能が高まるといった迷信めいたものがささやかれていますが、愚かとしかいいようがありません。だって、百二十度でそそりたっていようが、九十度で佇立していようが、あんなもの、いったん女がからだの芯で受け入れてしまえば、どれもこれも同じですもの」と,いつの間にか伯爵夫人の語りは、またもや「魔羅」の話題に変わってしまっていて、これも笑うべきところなのかもしれないが、それはいいとして、ここで「四ではなく三」が主張されていることは明白だろう。とすると「ぐるぐるではなく、ばふりばふり」が好ましいとされているのも、「ぐるぐる」も「ばふりばふり」も言葉を「二」つ重ねている点では同じだが、「ぐる」は「二」文字で「ばふり」は「三」文字であるということがおそらくは重要なのだ。  そして更に決定的なのは、伯爵夫人がその後に二朗にする告白だ。あの贋の抱擁における二朗の演技に彼女は憤ってみせたのだが、実はそれは本意ではなかった。「あなたの手は、ことのほか念入りにわたくしのからだに触れておられました。どこで、あんなに繊細にして大胆な技術を習得されたのか、これはこの道の達人だわと思わず感嘆せずにはいられませんでした」と彼女は言う。だが二朗は正真正銘の童貞であって、あの時はただ先ほど観たばかりの「聖林製の活動写真」を真似て演じてみたに過ぎない。だが伯爵夫人はこう続けるのだ。「あのとき、わたくしは、まるで自分が真っ裸にされてしまったような気持ちになり、これではいけないとむなしく攻勢にでてしまった」。そして「そんな気分にさせたのは、これまで二人しかおりません」。すなわち二朗こそ「どうやら三人目らしい」と、伯爵夫人は宣告する。二朗は気づいていないが、この時、彼は「二」から「三」への変容を強いられているのだ。  ところで伯爵夫人には、かつて「蝶々夫人」と呼ばれていた一時代があった。それは他でもない、彼女がやがて「高等娼婦」と称されるに至る売春行為を初めて行ったロンドンでのことだ。「二朗さんだけに「蝶々夫人」の冒険譚を話してさしあげます」と言って彼女が語り出すのは、先の戦争が始まってまもない頃の、キャサリンと呼ばれていた赤毛の女との思い出だ。キャサリンに誘われて、まだ伯爵夫人とも蝶々夫人とも呼ばれてはいなかった若い女は「聖ジェームズ公園近くの小さな隠れ家のようなホテル」に赴く。「お待ちしておりましたというボーイに狭くて薄暗い廊下をぐるぐると回りながら案内されてたどりついた二階のお部屋はびっくりするほど広くて明るく、高いアルコーヴつきのベッドが二つ並んでおかれている」。こうなれば当然のごとく、そこに「目に見えて動作が鈍いふたりの将校をつれたキャサリンが入ってきて、わたくしのことを「蝶々夫人」と紹介する」。阿吽の呼吸で自分に求められていることを了解して彼女が裸になると、キャサリンも服を脱ぎ、そして「二」人の女と「二」人の男のプレイが開始される。彼女はこうして「高等娼婦」への道を歩み始めるのだが、全体の趨勢からすると例外的と言ってよい、この挿話における「二」の集中は、おそらくはなにゆえかキャサリンが彼女を「蝶々夫人」と呼んでみせたことに発している。「蝶」を「二」度。だからむしろこのまま進んでいたら彼女は「二」の化身になっていたかもしれない。だが、そうはならなかった。のちの「伯爵」との出会いによって「蝶々夫人」は「伯爵夫人」に変身してしまったからだ。ともあれ伯爵夫人が事によると「二」でもあり得たという事実は頭に留めておく必要があるだろう。そういえば彼女は幾度か「年増の二流芸者」とも呼ばれるし、得意技である「金玉潰し」もーーなにしろ睾丸は通常「二」つあるのだからーー失われた「二」の時代の片鱗を残しているというべきかもしれない。  「二」から「三」への転位。このことに較べれば、回想のはじめに伯爵夫人が言及する、この小説に何度もさも意味ありげに登場するオランダ製のココアの缶詰、その表面に描かれた絵柄ーー「誰もが知っているように、その尼僧が手にしている盆の上のココア缶にも同じ角張った白いコルネット姿の尼僧が描かれているので、その図柄はひとまわりずつ小さくなりながらどこまでも切れ目なく続くかと思われがちです」ーーのことなど、その「尼僧」のモデルが他でもない赤毛のキャサリンなのだという理由こそあれ、読む者をいたずらに幻惑する無意味なブラフ程度のものでしかない。ただし「それは無に向けての無限連鎖ではない。なぜなら、あの尼僧が見すえているものは、無限に連鎖するどころか、画面の外に向ける視線によって、その動きをきっぱりと断ち切っているからです」という伯爵夫人の確信に満ちた台詞は、あの『陥没地帯』が世界そのもののあり方として体現していた「反復=循環性」へのアンビヴァレントな認識と通底していると思われる。  「このあたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて保た��ているあぶなっかしいこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねませんから、いまはひとまずひかえておかれるのがよろしかろう」。これは伯爵夫人の台詞ではない。このような物言いのヴァリエーションは、この小説に何度もさも意味ありげに登場するのだが、伯爵夫人という存在がその場に漂わせる「婉曲な禁止の気配」だとして、こんな途方もない言葉を勝手に脳内再生しているのは二朗であって、しかも彼はこの先で本人を前に朗々と同じ内容を語ってみせる。一度目の射精の後、まもなく二度目の射精の現場となる電話ボックスにおける長い会話の中で二朗は言う。「あなたがさっき「あたいの熟れたまんこ」と呼ばれたものは、それをまさぐることを触覚的にも視覚的にも自分に禁じており、想像の領域においてさえ想い描くことを自粛しているわたくしにとって、とうてい世界の一部におさまったりするものではない。あからさまに露呈されてはいなくとも、あるいは露呈されていないからこそ、かろうじて保たれているこのあぶなっかしい世界の均衡を崩すまいと息づいている貴重な中心なのです」。これに続けて「あたくしの正体を本気で探ろうとなさったりすると、かろうじて維持されているこの世界の均衡がどこかでぐらりと崩れかねないから、わたくしが誰なのかを詮索するのはひかえておかれるのがよろしかろうという婉曲な禁止の気配を、あなたの存在そのものが、あたりに行きわたらせていはしなかったでしょうか」と、小説家蓮實重彦の前二作と同様に、先ほどの台詞が微細な差異混じりにリピートされる。こんな二朗のほとんど意味不明なまでに大仰な言いがかりに対して、しかし伯爵夫人はこう応じてみせるのだ。
 でもね、二朗さん、この世界の均衡なんて、ほんのちょっとしたことで崩れてしまうものなのです。あるいは、崩れていながらも均衡が保たれているような錯覚をあたりに行きわたらせてしまうのが、この世界なのかもしれません。そんな世界に戦争が起きたって、何の不思議もありませんよね。
 いったいこの二人は何の話をしているのか。ここであたかも了解事項のごとく語られている「世界の均衡」というひどく観念的な言葉と、あくまでも具体的現実的な出来事としてある筈の「戦争」に、どのような関係が隠されているというのか。そもそも「戦争」は、前二作においても物語の背景に隠然と見え隠れしていた。『陥没地帯』においては、如何にもこの作品らしく「なぜもっと戦争がながびいてくれなかったのか」とか「明日にも終るといわれていた戦争が日々混沌として終りそびれていた」とか「戦争が始まったことさえまだ知らずにいたあの少年」とか「戦争の真の終りは、どこまでも引きのばされていくほかはないだろう」などと、要するに戦争がいつ始まっていつ終わったのか、そもそもほんとうに終わったのかどうかさえあやふやに思えてくるような証言がちりばめられていたし、『オペラ・オペラシオネル』の老スパイは「最後の戦争が起こったばかりだったから、こんな仕事に誘いこまれるより遥か以前」の思い出に耽りつつも、知らず知らずの内にいままさに勃発の危機にあった新たな戦争の回避と隠蔽に加担させられていた。そして『伯爵夫人』は、すでに見てきたようにひとつ前の大戦時の挿話が複数語られるのみならず、二朗の冒険(?)は「十二月七日」の夕方から夜にかけて起こっており、一夜明けた次の日の夕刊の一面には「帝國・米英に宣戦を布告す」という見出しが躍っている。つまりこれは大戦前夜の物語であるわけだが、ということは「世界の均衡」が崩れてしまったから、或いはすでに「崩れていながらも均衡が保たれているような錯覚」に陥っていただけだという事実に気づいてしまったから、その必然的な帰結として「戦争」が始まったとでも言うのだろうか?  伯爵夫人は、二朗を迎え入れた「お茶室」を「どこでもない場所」と呼ぶ。「何が起ころうと、あたかも何ごとも起こりはしなかったかのように事態が推移してしまうのがこの場所なのです。(中略)だから、わたくしは、いま、あなたとここで会ってなどいないし、あなたもまた、わたくしとここで会ってなどいない。だって、わたくしたちがいまここにいることを証明するものなんて、何ひとつ存在しておりませんからね。明日のあなたにとって、今日ここでわたくしがお話ししたことなど何の意味も持ちえないというかのように、すべてががらがらと潰えさってしまうという、いわば存在することのない場所がここなのです」。だからあなたがわたくしを本気で犯したとしても「そんなことなど起こりはしなかったかのようにすべてが雲散霧消してしまうような場所がここだといってもかまいません。さあ、どうされますか」と伯爵夫人は二朗を試すように問うのだが、このとき彼はすでに「サボン」の効用で七十二時間=三日間の不能状態にある。  そしてこの後、彼女はこの物語において何度となく繰り返されてきた秘密の告白の中でも、最も驚くべき告白を始める。そもそも先に触れておいた、二朗こそ自分にとっての「三人目らしい」という宣告の後、伯���夫人は「お祖父さま」にかんする或る重要な情報を話していた。自分も含め「数えきれないほどの女性を冷静に組みしいて」きた「お祖父さま」は、にもかかわらず「あなたのお母さまとよもぎさんのお母さまという二人のお嬢さましかお残しにならなかった」。事実、隠し子などどこにもいはしない。なぜなら「それは、あの方が、ふたりのお嬢様をもうけられて以後、女のからだの中ではーーたとえ奥様であろうとーー絶対におはてにならなかったから。間違っても射精などなさらず、女を狂喜させることだけに生涯をかけてこられた。妊娠をさけるための器具も存在し始めておりましたが、そんなものはおれは装着せぬとおっしゃり、洩らすことの快感と生殖そのものをご自分に禁じておられた」。ならばなぜ、そのような奇妙な禁欲を自ら決意し守り抜こうとしたのか。二朗の死んだ兄は「「近代」への絶望がそうさせたのだろう」と言っていたというのだが、それ以上の説明がなされることはない。  だが実は、そうはならなかった、というのが伯爵夫人の最後の告白の中身なのだ。「ところが、その晩、そのどこでもない場所で、たったひとつだけ本当のできごとが起こった。ここで、わたくしが、お祖父さまの子供を妊ってしまったのです」。どういうわけか「お祖父さま」は伯爵夫人の膣に大量に放出してしまう。それが不測の事態であったことは間違いないだろう。だがやがて妊娠は確定する。当然ながら彼女は堕胎を考えるのだが、「ところが、お祖父さまのところからお使いのものが来て,かりに男の子が生まれたら一郎と名付け、ひそかに育て上げ、成年に達したら正式に籍に入れようという話を聞かされました」。こうして伯爵夫人は「一郎」を産んだのだった。しかもそれは二朗が誕生する三日前のことだったと彼女は言う。やはり隠し子はいたのだ。一郎はその後、伯爵夫人の母親の子として育てられ、いまは二朗と同じく来年の帝大入学を目指している。「しかし、その子とは何年に一度しか会ってはならず、わたくしのことを母親とも思っていない。ですから、ほぼ同じ時期に生まれたあなたのことを、わたくしはまるで自分の子供のようにいたわしく思い、その成長を陰ながら見守っておりました」。この「女」から「母」への突然の変身に、むろん二朗は衝撃と困惑を隠すことが出来ない。それに伯爵夫人のこのような告白を信じるにたる理由などどこにもありはしない。むしろ全面的に疑ってかかる方がまともというものだろう。二朗は自分こそが「一郎」なのではないかと思いつく。そういえば何度も自分は祖父にそっくりだと言われてきた。容貌のみならず「おちんちん」まで。それについ今しがた、伯爵夫人はここが「どこでもない場所」であり、それゆえ「明日のあなたにとって、今日ここでわたくしがお話ししたことなど何の意味も持ちえないというかのように、すべてががらがらと潰えさってしまう」と言ってのけたばかりではないか。その舌の根も乾かぬうちにこんな話をされて、いったい何を信じろというのか。  ことの真偽はともかくとして、ここで考えておくべきことが幾つかある。まず「一郎」が伯爵夫人と「お祖父さま」の間の秘密の息子の名前だというのなら、二朗の死んだ兄の名前は何だったのか、ということだ。そもそもこの兄については、曰くありげに何度も話題にされるものの、小説の最初から最後まで一度として名前で呼ばれることはなく、そればかりか死んだ理由さえ明らかにされることはない。幾つかの記述から、亡くなったのはさほど遠い昔ではなかったらしいことは知れるのだが、それだけなのだ。まさかこちらの名前も「一郎」だったわけはない。一郎が生まれた時には二朗の兄は生きていたのだから……書かれていないのだから何もかもが憶測でしかあり得ないが、結局のところ、兄は二朗を「二」朗にするために、ただそれだけのために物語に召喚されたのだとしか考えられない。そして別に「一郎」が存在している以上は、兄には何か別の名前があったのだろう。いや、いっそ彼は「無名」なのだと考えるべきかもしれない。実在するのかどうかも定かではない「お祖父さま」と伯爵夫人の息子には名前があり、確かにかつては実在していた筈の二朗の兄には名前が無い。「どこでもない場所」での伯爵夫人の最後の告白を聞くまで、読む者は二朗の兄こそ「一郎」という名前だったのだろうと漫然と決め込んでいる。だからそこに少なからぬ驚きが生じるのだが、つまりそれは「二」の前に置かれている「一」がずらされるということだ。その結果、二朗の「二」はにわかに曖昧な数へと変貌してしまう。それどころか彼には自分が「二」ではなく「一」なのかもしれぬという疑いさえ生じているのだから、このとき「一」と「二」の関係性は急激に解け出し、文字通り「どこでもない場所」に溶け去ってしまうかのようだ。  もうひとつ、このことにかかわって、なぜ「お祖父さま」は「一郎」の誕生を許したのかという問題がある。彼にはすでに「二」人の娘がいる。その後に奇妙な禁欲を自らに強いたのは、すなわち「三」人目を拒んだということだろう。「二」に踏み留まって「三」には行かないことが、二朗の兄言うところの「「近代」への絶望」のなせる業なのだ。つまり「三」の禁止こそ「世界の均衡」を保つ行為なのであって、このことは「お祖父さま」の爵位が子爵=爵位の第四位だったことにも暗に示されている。ということは、彼はひとつの賭けに出たのだと考えられないか。確かに次は自分にとって「三」人目の子供になってしまう。それだけは避けられない。しかし、もしも伯爵夫人との間に生まれてくるのが男だったなら、それは「一」人目の息子ということになる。だから彼はおそらく祈るような気持ちで「一郎」という名前をあらかじめ命名したのだ。逆に、もしも生まれてきたのが女だったなら、その娘が果たしてどうなっていたか、考えるのもおそろしい気がしてくる。  「三」の禁止。仮説によるならば、それは『伯爵夫人』の原理的なプログラムの筈だった。「一郎」���めぐる思弁は、そのことを多少とも裏づけてくれる。だがそれでも、紛れもない「三」の化身である伯爵夫人の振る舞いは、この世界を「三」に変容せしめようとすることを止めはしない。彼女は二朗を「三」人目」だと言い、たとえ「一郎」という命名によって何とか抗おうとしていたとしても、彼女が「お祖父さま」の「三」人目の子を孕み、この世に産み落としたことには変わりはない。「一」郎の誕生を「二」朗が生まれる「三」日前にしたのも彼女の仕業だろう。やはり「三」の優位は揺るぎそうにない。だから二朗が射精するのは「三」度でなければならないし、二朗が不能に陥るのは「三」日間でなければならない。考えてみれば、いや考えてみるまでもなく、このことは最初からわかりきっていたことだ。なぜならこれは小説家蓮實重彦の第三作、すなわち「三の物語」なのだから。  そして、かろうじて保たれていた「世界の均衡」が崩れ去った、或いはすでにとっくに崩れてしまっていた事実が晒け出されたのが、「ばふりばふりとまわっている重そうな回転扉」から「どこでもない場所」へと至るめくるめく経験と、その過程で次から次へと物語られる性的な逸話を二朗に齎した自らの奸計の結果であったとでも言うように、伯爵夫人は物語の末尾近くに不意に姿を消してしまう。どうやら開戦の情報を知って急遽大陸に発ったらしい彼女からの言づてには、「さる事情からしばらく本土には住みづらくなりそうだから」としか急な出奔の理由は記されていない。かくして「三」は勝利してしまったのか。本当にそうか。実をいえばここには、もうひとつだけ別の可能性が覗いている。すなわち「四」。ここまでの話に、ほぼ全く「四」は出てきていない。しかし「三」であることから逃れるために、いまや「二」の方向が有効でないのなら、あとは「四」に向かうしかない。では「四」はいったいどこにあるのか。  伯爵夫人が「伯爵」と出会ったのは、バーデンバーデンでのことだ。「あと数週間で戦争も終わろうとしていた時期に、味方の不始末から下半身に深い傷を追った」せいで性的機能を喪失してしまったという、絶体絶命の危機にあっても決して平静を失わないことから部下たちから「素顔の伯爵」と呼ばれていたドイツ軍将校と、のちの伯爵夫人は恋に落ち、彼が若くして亡くなるまでヨーロッパ各地で生活を共にしたのだった。バーデンバーデンは、他の土地の名称と同じく、この小説の中では漢字で表記される。巴丁巴丁。巴は「三」、丁は「四」のことだ。すなわち「三四三四」。ここに「四」へのベクトルが隠されている。だが、もっと明白な、もっと重大な「四」が、意外にも二朗の身近に存在する。  二朗が真に執着しているのが、伯爵夫人でも和製ルイーズ・ブルックスでもなく、従妹の蓬子であるということは、ほぼ間違いない。このことは、ポルノグラフィックな描写やセンセーショナルな叙述に囚われず、この小説を虚心で読んでみれば、誰の目にも明らかだ。この場合の執着とは、まず第一に性的なものであり、と同時に、愛と呼んでも差し支えのないものだ。確かに二朗は蓬子に触れられてもしごかれてもぴくりともしないし、小春などから何度も従妹に手をつけただろうと問われても事実そのものとしてそんなことはないと否定して内心においてもそう思っているのだが、にもかかわらず、彼が求めているのは本当は蓬子なのだ。それは読めばわかる。そして小説が始まってまもなく、蓬子が伯爵夫人についてこともなげに言う「あの方はお祖父ちゃまの妾腹に決まっているじゃないの」という台詞が呼び水となって、二朗は「一色海岸の別荘」の納戸で蓬子に陰部を見せてもらったことを思い出すのだが、二人の幼い性的遊戯の終わりを告げたのは「離れた茶の間の柱時計がのんびりと四時」を打つ音だった。この「四」時は、二朗のヰタ・セクスアリスの抑圧された最初の記憶として、彼の性的ファンタズムを底支えしている。それに蓬子は「ルイーズ・ブルックスまがいの短い髪型」をしているのだ。二朗は気づいていないが、あの「和製ルイーズ・ブルックス」は、結局のところ蓬子の身代わりに過ぎない。そして何よりも決定的なのは、蓬子という名前だ。なぜなら蓬=よもぎは「四方木」とも書くのだから。そう、彼女こそ「四」の化身だったのだ。  小説の終わりがけ、ようやく帰宅した二朗は、蓬子からの封書を受け取る。彼女は伯爵夫人の紹介によって、物語の最初から「帝大を出て横浜正金銀行に勤め始めた七歳も年上の生真面目な男の許嫁」の立場にあるのだが、未だ貞節は守っており、それどころか性的には甚だ未熟な天真爛漫なおぼこ娘ぶりを随所で発揮していた。だが手紙には、緊急に招集された婚約者と小田原のホテルで落ち合って、一夜を共にしたとある。婚約者は誠実にも、自分が戦死する可能性がある以上、よもぎさんを未婚の母にするわけにはいかないから、情交には及べないーーだがアナル・セックスはしようとする、ここは明らかに笑うところだーーと言うのだが、蓬子は「わたくしが今晩あなたとまぐわって妊娠し、あなたにもしものことがあれば、生まれてくる子の父親は二朗兄さまということにいたしましょう」と驚くべきことを提案し、それでようやっと二人は結ばれたのだという。それに続く文面には、赤裸々に処女喪失の場面が綴られており、その中には「細めに開いた唐紙の隙間から二つの男の顔が、暗がりからじっとこちらの狂態を窺っている」だの「あのひとは三度も精を洩らした」だのといった気になる記述もありはするのだが、ともあれ二朗はどうしてか蓬子のとんでもない頼みを受け入れることにする。彼は小春を相手に現実には起こっていない蓬子とのふしだらな性事を語ってみせさえするだろう。それは「二」として生まれた自分が「三」からの誘惑を振り切って「四」へと離脱するための、遂に歴然とその生々しい姿を現した「世界の均衡」の崩壊そのものである「戦争」に対抗し得るための、おそらく唯一の方法であり、と同時に、あるとき突然向こうからやってきた、偶然とも僥倖とも、なんなら奇跡とも呼んでしかるべき、因果律も目的意識も欠いた突発的な出来事としての「小説」の、意味もなければ正しくもない「原理」、そのとりあえずの作動の終幕でもある。
(初出:新潮2016年8月号)
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kohanakonohana · 8 years ago
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支部展最終日にお当番。 熱心なお客さまが数組あって、いろんなご質問を頂戴しました。 時節柄もあり、紗と絽の違いについてのお話は、他の方からも含め多かったです。 着物を好きでいてくださる方、興味を持ってくださる方に直にお会いできるのは、やはりいい機会だと思います。 県外からお友達も来てくれて、嬉しい1日でした。 今日は3年前に私が織った「標」を母が単衣に仕立て、祖母からもらった帯締め、大伯母が娘時代の絽を仕立て直していた帯に、曾祖母の銘仙端裂を半襟にして。 やはり着物は、いろんな意味で楽しいです。
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release-info · 6 years ago
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野波麻帆さんが新潟で本気の日本酒旅! お酒とおつまみを楽しむ旅マガジン電子雑誌「飲み旅本。」Vol.4を公開 酒蔵の多い都道府県TOP10、ぽん酒占い、缶つまを使ったおつまみレシピや、日本酒自販機がある駅に立ち寄る日帰り飲み鉄紀行など 無料で読める電子雑誌を発行する株式会社ブランジスタ(本社:東京都渋谷区、代表取締役社長:岩本恵了、証券コード:6176)は、本日、お酒のおつまみ缶詰「K&K 缶つま」シリーズを販売する国分グループ本社株式会社(本社:東京都中央区、代表取締役会長兼CEO:國分勘兵衛、以下、国分グループ)と共同で、お酒とおつまみを楽しむ旅“飲み旅”にフォーカスした「旅色」の別冊、「飲み旅本。Powered by 旅色」vol.4を公開しました。 “男前女子”のニュー旅スタイル「飲み旅本。Powered by 旅色」 http://bit.ly/2yeY7X8 ■ テーマは「新潟で本気の日本酒旅」  お酒大好き!という女優の野波麻帆さんが、地酒王国・新潟で日本酒をとことん楽しむ旅へ。酒蔵をメインに、日本酒堪能スポットを訪れて、肌で感じて飲みまくる……。“男前女子”にぴったりな飲み旅を提案しています。また、おつまみ缶詰「K&K 缶つま」を使った、日本酒と相性抜群のアレンジおつまみレシピや、自分に合う日本酒がわかる診断テスト、星座別にラッキー日本酒を教えてくれる占いなど、日本酒を楽しみ尽くす情報を紹介しています。須藤元気さんや、笑い飯・哲夫さん、元NMB48の高野祐衣さんといった著名人が贈り物としておすすめする、イチオシ日本酒を紹介したページも必見です。   □ 野波麻帆さんが新しい冬旅スタイルを発見! 新潟で本気の日本酒旅 http://bit.ly/2MFJvqJ  酒蔵数、日本酒消費量ともに全国1位を誇り、新潟大学で世界初の「日本酒学」が開講するなど、正真正銘の地酒王国といえる新潟で、女優・野波麻帆さんが日本酒をとことん楽しむ旅へ。冬こそ訪れるべき酒蔵での角打ち体験に、新潟の日本酒堪能スポット巡りと、これぞまさに“男前女子”な飲み旅を体験しました。“飲むための旅”にすっかりハマったという野波さんの楽しげな表情は、動画でも公開しています。 野波麻帆さんの飲み旅動画 https://youtu.be/4cxZIsyVPuw □ 美酒と共にほっこり時間が叶う 冬にぴったりな新潟のほろ酔い宿 http://bit.ly/2sVpnrz □“缶つま”を使って簡単アレンジ 日本酒と味わいたい とっておきおつまみ http://bit.ly/2MLBFw5 ◇ 燻製つぶ貝とごろっと長芋のわさび醤油和え ◇ ホクホクじゃがいもとししゃもの和風ポテサラ ◇ 牡蠣とクリームチーズのレモン黒胡椒焼き ◇ スモーク鮭ハラスとしそ香る手まりおにぎり ■ 鉄道タレント・木村裕子のほろ酔い飲み鉄紀行 ~東京からふらっと行けちゃう日帰り旅3選~ http://bit.ly/2sUHZbu  鉄道タレントの木村裕子さんがおつまみとお酒を携え、冬の飲み鉄旅へ。今回は、東京から日帰りでも行きやすい、会津鉄道編、富士急行編、氷見線編をご紹介。とても珍しい地酒の自動販売機がある駅や観光列車など、この時期ならではの鉄道旅行を教えてくれました。 ■ 缶つま×日本酒×キャンプ最強説! いつもの酒がもっと特別になる“キャンプ飲みのすすめ” http://bit.ly/2ME0hqk キャンプ飲みの極意を、野外研究家でもある“キャンプおじさん”ことベアーズ島田キャンプさんがご紹介。キャンプの魅力がグッとつまった動画にも注目です。 島田キャンプさんのキャンプ動画 https://youtu.be/lkQ7qUblBfA ■ コラム □ 知れば酒がもっと旨くなる! 日本酒事始 http://bit.ly/2sT6c1x  日本酒学、日本酒名称辞典や、日本酒診断テストなど、奥深い日本酒の世界を特集。 □ 日本酒好き著名人がイチオシの1本を推薦! お祝いにもお土産にも絶対に喜ばれる “贈りたい日本酒” http://bit.ly/2MD75of  須藤元気さんや、笑い飯・哲夫さん、元NMB48の高野祐衣さん他のイチオシの1本を紹介。 □ 酒蔵数の多い都道府県、上位10位までを詳しく紹介 全国の酒蔵マップ http://bit.ly/2sUHWMQ □ 12星座でみる ほろ酔いぽん酒占い http://bit.ly/2MFexiD □ 新潟の名店「魚仙」の店主・板谷さんに聞いた! 日本酒に合わせたい缶つま10選 http://bit.ly/2sUHXQU □ 知っているようで意外と知らない? 漫画で知る“男前女子”ってこんな人! http://bit.ly/2ME0iuo ■「飲み旅本。」媒体概要 URL:http://bit.ly/2yeY7X8 創刊日:2017年10月12日 価格:無料 発行:株式会社ブランジスタ 監修:国分グループ本社株式会社 編集長:播磨雄介 ■ 株式会社ブランジスタについて URL:http://bit.ly/2mluzUo 本社所在地:〒150-0031 東京都渋谷区桜丘町20-4 ネクシィーズスクエアビル 代表者:岩本 恵了 設立:2000年11月 事業内容:電子雑誌出版・電子広告・ソリューションサービス ■ 国分グループ本社株式会社 会社概要 URL:http://bit.ly/Ytiz2F 本社所在地:103-8241東京都中央区日本橋1-1-1 代表者:代表取締役会長兼CEO 國分勘兵衛 設立:1947年(創業:1712年) 事業内容:酒類・食品・関連消費財にわたる卸売業及び流通加工、配送業務、貿易業ほか 本リリースに関するお問合せ  株式会社ブランジスタ  広報担当:田口隆一 e-mail:[email protected] TEL:03-6415-1183 国分グループ本社株式会社  広報課 e-mail:[email protected] TEL:03-3276-4121 #飲み旅本 #飲み旅本。 #野波麻帆 #mahononami #@mahononami #新潟 #日本酒 #新潟県 #ぽん酒 #酒蔵 #お酒 #おつまみ #男前女子 #国分グループ本社 #国分グループ #国分 #おつまみ缶詰 #缶詰 #K&K缶つま #缶つま #國分勘兵衛 #飲み旅 #別冊 #電子 #フォトジェニック #食 #食材 #スペシャルナビゲーター #ナビゲーター #フリーペーパー #PR #ご当地グルメ #ご当地 #グルメ #ブランジスタ #タイアップ #観光 #宿泊 #旅館 #旅色 #旅色コンシェルジュ #旅 #無料 #電子雑誌 #食 #ランチ #体験 #厳選 #プロモーションメディア #メディア #プロモーション #国内 #国内旅行 #食べ歩き #ほろ酔い #旅行 #雑誌 #タレント #モデル #お土産 #土産 #名物 #女優 #コンテンツ #女子旅 #問屋 #旅気分 #家飲み #小旅行 #旅感 #レシピ #旅情感 #酒場 #飲み #居酒屋 #おしゃれな #リラックス #夜景 #ワイン #カンパイ #乾杯 #Amuse #時短メニュー #おこもり #ステイ #本 #アレンジメニュー #アレンジ #メニュー #2人旅 #女子 #卸売 #グルメ #達人 #紹介 #酒 #男前 #旅スタイル #卸 #CEO #共同 #女性 #女 #自宅 #オリジナル商品 #商品 #購入 #アウトドア感 #出演 #牛肉 #牛 #肉 #日本橋 #日本橋1-1-1 #ものぐさ女子 #ものぐさ #缶つまプレミアム #缶つま倶楽部 #ROJI日本橋 #セレクトショップ #缶つま★レストラン #缶つまGLOBAL TOUR #世界のおつまみ #缶つまVEGETAPAS #おしゃれ #缶つまSmoke #缶つま熟成 #缶つま匠 #缶つまホルモン #缶つまスパイシー #國分勘兵衛 #日帰り #酒蔵巡り #ワイナリー #ワイナリー巡り #日帰り旅 #日帰り旅行 #ワイン #葡萄畑 #日本ワイン #国産ワイン #品種 #OIV #製造 #ラベル #見学 #ワインバー #温泉旅行 #食事 #缶つまレシピ #田村酒造場 #石川酒造 #東京 #東京都 #福生 #日本酒 #本音でハシゴ酒 #動画 #晩酌 #つまみ #酒器 #ジャケ買い #開放感 #ペアリング #ちょい足し #ピクニックごはん #ピクニック #クミン #ローストビーフ #大葉巻き #パスタ #サラダ #マンガコラム #日本ワイナリー #プレゼント #散策 #部屋飲み #赤パプリカ #スモーク #うずら卵 #肉巻き #タコ #枝豆 #カラフル #オムレツ #ボカド #メキシカン #コーンビーフ #チーズ #春巻き #オクラ #ミニトマト #サーディン #サブジ風 #馬刺し #カルパッチョ #トマト #バケット #キッシュ #クリーム煮 #デコポン #ホットデザート #デザート #ストレス #宿 #オープンテラス #贅沢宿 #絶景 #ほろ酔いスポット #景色 #ご当地おつまみ #男前な飲み旅 #初体験 #youtube #日本酒自販機 #駅 #日帰り飲み鉄紀行 #飲み鉄 #地酒 #地酒王国 #須藤元気 #笑い飯 #哲夫 #NMB48 #元NMB #元NMB48 #高野祐衣 #著名人 #贈り物 #イチオシ #冬旅 #酒蔵数 #日本酒消費量 #1位 #新潟大学 #日本酒学 #世界初 #角打ち #角打ち体験 #飲むための旅 #美酒 #ほろ酔い宿 #ほろ酔い #燻製つぶ貝 #燻製 #つぶ貝 #長芋 #わさび醤油 #ポテサラ #和風ポテサラ #ししゃも #牡蠣 #クリームチーズ #黒胡椒焼き #鮭ハラス #スモーク #鮭 #ハラス #おにぎり #木村裕子 #鉄道タレント #会津鉄道 #富士急行 #氷見線 #地酒の自動販売機 #自動販売機 #酒自動販売機 #キャンプ #島田キャンプ #キャンプおじさん #ベアーズ #野外研究家 #日本酒名称辞典 #日本酒診断テスト #日本酒診断 #診断テスト #お祝い #お土産 #酒蔵数 #酒蔵数ランキング #酒蔵マップ #ぽん酒占い #漫画 #観光列車 #自販機 #地酒自販機 #キャンプ飲み #長岡銘品の館 ぽんしゅ館 #130銘柄 #利き酒 #試飲 #白瀧酒造 #仕込み水 #酒米 #へぎそば #量り売り #ぽんしゅ館 #八海山 #八海酒造 #杜氏 #魚仙 #環翠楼 #旅館おかやま #古城館 #丸山温泉 #もろみ #醪 #酒蔵map #お座トロ展望 #お座トロ展望列車 #会津田島駅 #会津田島 #富士登山電車 #お福酒造 #ベアーズ島田キャンプ #呑んで #shimadadesu #ヒロシキャンプ研究所 #島田浩史 #Instagram http://bit.ly/2ME0jys
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鳳来寺山l山全体が天然記念物!歴史が息づく見どころ満載な登山コース紹介
アイキャッチ画像出典:PIXTA
鳳来寺山(ほうらいじさん)ってどんな山?
出典:PIXTA
標高 所在地 体力レベル 難易度レベル 695m 愛知県新城市門谷鳳来寺 ★★ ★★
愛知県新城市に位置する鳳来寺山。岩肌が印象的な山で、新日本百名山のひとつに数えられています。山全体が原生林に覆われており、1931年には国の「名勝天然記念物」にも指定。古くから天台宗や真言宗の密教の道場として栄え、現在でも多くの貴重な史跡や寺院が残る霊山です。
麓から伸びる参道の階段は1425段を数え、山中には「鳳来寺」や「東照宮」などの歴史的建造物が多く点在。また、秋には紅葉の名所として多くの人で賑わいます。
1300年の歴史的を刻む鳳来寺
出典:PIXTA(鳳来寺)
鳳来寺は、歴史ある「真言宗五智教団」の寺院。703年「利修仙人」が祈祷により天皇の御病気を治し、そのお礼として創建されたと伝わるお寺です。 1648年には、鳳来寺を家康誕生ゆかりの地として崇める徳川家光によって、日本三大東照宮とも言われる鳳来寺山東照宮が建設されました。
圧巻の迫力「傘杉」
出典:PIXTA(傘杉)
仁王門から100mほど参道を登ったところに、樹齢800年の見事な「傘杉」がそびえ立っています。「新日本銘木百選」に選定される国の天然記念物で、周囲7.5m・樹高約60mの大きさは、近年まで日本一の高さとして知られていました(現在は2位)。周囲にも大杉が多く生息し、天高く伸びる姿は圧巻です。
声の仏法僧「コノハズク」の生息地
出典:PIXTA(コノハズク)
鳳来寺山の山中には、愛知県の県鳥にもなっている貴重なフクロウ「コノハズク」が生息。その鳴き声が「ブッポウソウ」と聞こえることから、コノハズクは「声の仏法僧」とも呼ばれ親しまれています。
鳳来寺山の登山適期は?
出典:PIXTA(鳳来寺山の紅葉)
鳳来寺山の登山無雪期は4月頃から11月頃まで。その中でもやはり紅葉の時期が人気で、11月の中旬から下旬が最盛期。険しい岩肌と色とりどりの紅葉のコントラストはまさに絶景。毎年秋には「鳳来寺山もみじまつり」も開催され、多くの登山者や観光客で賑わいます。 天気も必ずチェック
GPSアプリやココヘリも忘れずに!
登山時には必ずGPSアプリなど地図の準備はしておきましょう。また、もしもの遭難時に、登山者を早く見つけ出すことに特化したサービス「ココヘリ」も登山の新常識となりつつありますよ。
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あなたのスマホに登山用の地図アプリは入っていますか? もしまだ入れていないのなら、今すぐアプリをダウンロードしましょう! 地図アプリを...
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年間3000件ともいわれる山岳遭難。そのうち4割が道迷いによるものといわれています。編集部では道迷いをはじめとするあらゆる遭難において...
1425の石段を歩く!定番の表参道コース
提供:YAMAP
【体力レベル】★★☆☆☆
日帰り
コース距離:約8km
コースタイム:約5時間
参考:YAMAP
【技術的難易度】★★☆☆☆
・登山装備が必要 ・登山経験、地図読み能力があることが望ましい
凡例はこちらをクリック:グレーディング表
表参道登山口→鳳来寺山自然科学博物館→仁王門→鳳来寺本堂→鳳来寺山山頂→瑠璃山→天狗岩→鷹打場→鳳来寺山東照宮→鳳来寺本堂→→鳳来寺山自然科学博物館→表参道登山口 鳳来寺山のメインコースとなる表参道の特徴は、なんと言っても1425段もの石段を越えていくところ。そのため標高は低いですが、登りごたえは十分です。山中では霊山らしい史跡や寺社をはじめ松尾芭蕉や若山牧水の句碑や歌碑も多く点在。見どころが多いので、登山客を飽きさせることのないコースになっています。
コース詳細
提供:ヤマレコ/WashiTabi
今回は参道入口、三ノ門のすぐ側にある「笠川駐車場」からスタート。15分ほどで鳳来寺山の登山口に到着すると、日本で3番目に長いと言われる石段が始まります。登ってすぐの道脇に松尾芭蕉の句碑もありますよ。
出典:PIXTA(仁王門)
朱色の橋を渡り石段を登ると、立派な仁王門が現れ迫力ある二対の仁王像に出迎えらます。
提供:PIXTA(傘杉)
傘杉がそびえるあたりは、登山道脇に巨木杉が立ち並ぶ壮観な景色。
提供:ヤマレコ/bigriki(松高院)
石段を登っていくと「松高院」や「医王院」など数々の寺院跡が登場します。霊山らしい独特の雰囲気が感じられますよ。
提供:ヤマレコ/bigriki(石段)
所々に何段目か表した看板が。表参道ルートは、緩急ある石段が続くコースなので体力的にきつく感じるかもしません。
出典:PIXTA(鳳来寺本堂)
1316段の階段を登り切ると、ついに鳳来寺本堂が現れます。トイレも併設されており、本堂の向かいには大きな休憩舎もありますので、お参りを済ませたらひと休みしましょう。
提供:ヤマレコ/WashiTabi(勝岳不動)
鳳来寺本堂からは本格的な登山道に。道中には、寿命を悟った利修仙人が亡くなったとされる「勝岳不動」や、阿弥陀如来像を作成した杉の木「六本杉」などが見られます。
提供:ヤマレコ/WashiTabi(鳳来寺奥の院)
木の階段や桟橋がある登山道を更に進むと、今は損壊が激しい「奥の院」が現れ眺望も開けてきます。そこから15分ほど登っていくと山頂です。
出典:PIXTA(鳳来寺山山頂)
鳳来寺山山頂は岩がゴロゴロしており、山頂標識と道標の他にベンチも設置されています。残念ながら木々に囲まれて、山頂からの眺望はほとんど望めません。
提供: ヤマレコ/bigriki(瑠璃山からの眺望)
鳳来寺山の頂を踏んだ後には、ここから目と鼻の先にある「瑠璃山」を目指しましょう。尾根を進むと10分ほどで、見晴らしのよい瑠璃山に到着。大きな岩陵の頂からは奥三��の山々が望めます。
提供: ヤマレコ/WashiTabi(天狗岩)
鳳来寺山山頂に戻ったら尾根沿いの「東海自然歩道」を歩いて「天狗岩」へ。眺望のよい天狗岩からは気持ちのいい景色が広がり、少し先にある展望台からは南アルプスも満喫できます。
提供: ヤマレコ/WashiTabi(鷹打場)
天狗岩を下って、分岐を「鷹打場」方面へ。分岐から3分程で岩陵の鷹打場展望台に到着。こちらも眺望が良く、正面にはハートの地形をした山が望め、撮影ポイントとしても人気です。
出典: ヤマレコ/bigriki(木の階段)
最後の見どころ、鳳来寺山東照宮を目指して下りましょう。木の階段や橋を数カ所通りますが、雨の日は滑りやすいので要注意。
出典:PIXTA(東照宮)
山中に佇む立派な東照宮がお出迎え。お参りや記念撮影を済ませたら、ここから10分ほどの鳳来寺本堂に向かいます。本堂からは往路の登山道を戻り、表参道登山口まで下ってゴールです。
駅から歩いて登れる!行者も越えた裏参道コース
提供:YAMAP
【体力レベル】★★☆☆☆
日帰り
コース距離:約11km
コースタイム:約6時間
参考:YAMAP
【技術的難易度】★★☆☆☆
・登山装備が必要 ・登山経験、地図読み能力があることが望ましい
凡例はこちらをクリック:グレーディング表
湯谷温泉駅→湯谷峠→鳳来寺山東照宮→鳳来寺本堂→鳳来寺山山頂→瑠璃山→天狗岩→鷹打場→鳳来寺山東照宮→湯谷峠→湯谷温泉駅 「湯谷温泉街」からスタートするコースで、湯谷温泉駅から歩いて登頂可能。こちらは裏参道コースと呼ばれ、かつては修験者が難所の岩場を越えた道として知られています。途中からは「東海自然歩道」と合流。登山道は鉄階段などが整備されており、特筆すべき難所もありません。
コース詳細
提供: ヤマレコ/bun-iopapa(茶畑の分岐)
湯谷温泉駅からすぐ近くにある、湯谷温泉駐車場の奥から登山道に入って行きます。舗装路を過ぎてしばらく歩くと茶畑が出てきますので、分岐の看板を左方向に進んでいきましょう。
提供:ヤマレコ/bun-iopapa (登山道の鉄階段)
しばらくは林道はが続き、山道が始まると辺りは樹々で鬱蒼としてきます。
提供: ヤマレコ/bk138(湯谷峠)
約1時間登ると、東海自然歩道と合流する「湯谷峠」に到達。樹々に囲まれた峠には、石碑や道標の他にベンチも設置されています。
提供: ヤマレコ/bun-iopapa(鳳来寺山パークウェイの歩道橋)
湯谷峠からほどなく、「鳳来寺山パークウェイ」にかかる歩道橋に出ます。歩道橋を渡り、石垣の間を進み「行者越」へ。
提供: ヤマレコ/bk138(行者越)
かつては、この行者越が鳳来寺参道の最大の難所とされ、江戸時代までは修業のために険しい岩場を越えていました。今では木橋が渡されているので、難なく通過できます。
提供: ヤマレコ/WashiTabi(東照宮に向かう舗装路)
行者越を登りきって尾根まで出ると、テーブルやベンチもある広い休憩所に到着。そこから登山道を進むと、山頂駐車場から続く舗装路に合流します。舗装路を歩いて東照宮を目指しましょう。
出典:PIXTA(鳳来寺山東照宮)
東照宮からは鳳来寺を巡り、先程紹介したコースと同様に山頂を目指してぐるっと周回します。登頂後は東照宮まで戻って、往路と同じルートで湯谷温泉まで下りましょう。
立ち寄りたい周辺施設情報
見どころの多い鳳来寺山の麓には、たくさんの観光ポイントや温泉などが充実しています。登山と一緒に満喫して、さらに素敵な1日にしてみてはいかがでしょうか。
湯谷温泉
出典:PIXTA(湯谷温泉)
鳳来寺山の麓、鳳来峡の宇連川沿いに位置する湯谷温泉。「日本百名湯」にも選ばれる湯谷温泉は、開湯が1300年以上と歴史ある古湯で、川沿いには風情のある旅館が軒を連ねています。温泉街の入口には温泉スタンドもあり、他には無料で利用できる「利修仙人の足湯」も人気。登山で疲れた体を湯谷温泉で癒してください。 住所:新城市豊岡字地蔵元6 電話番号:0536-23-7613(新城市観光課) 営業時間:9:00〜18:00 料金:無料 ※湯谷温泉での日帰り入浴は、各旅館によって営業時間や料金が異なります。湯谷温泉の公式HPにて確認してください。 湯谷温泉HP 鳳液泉 利修仙人の足湯
鳳来寺山自然科学博物館
出典: Facebook/鳳来寺山自然科学博物館友の会
鳳来寺山の表参道入口付近に「鳳来寺山自然科学博物館」があります。鳳来寺山を中心とする郷土の成り立ちや、そこで生きる貴重な動植物についての展示が充実。中庭ではフクロウ(大コノハズク)が見学でき、夏にはモリアオガエルの卵なども展示されています。こちらに寄れば、鳳来寺山をより深く理解することができるでしょう。 住所:新城市門谷字森脇6番地 電話番号:0536-35-1001 営業時間:9:00 〜17:00 定休日:火曜日(※7月20日~8月31日、11月は無休開館) 料金:高校生以上210円/中・高生100円 鳳来寺山自然科学博物館
四谷の千枚田
出典:PIXTA(四谷の千枚田)
新城市の山あい、鞍掛山の麓に広がる見事な棚田が「四谷の千枚田」です。開墾から400年もの歴史があり、約1300枚もの棚田が作り出す風景はとても美しく幻想的。また、季節や時間帯によって様々な表情を見せてくれる千枚田は1年を通して人気の観光名所です。懐かしい日本の原風景を味わうことができますよ。 住所:新城市四谷 電話:0536-29-0829(新城市観光協会) 料金:無料 駐車場:20台 四谷の千枚田
アクセス・駐車場情報
鳳来寺山の登山口へのアクセス方法、および最寄り駐車場の情報をお伝えします。観光地のため混雑して無料駐車場に止められない場合は、近隣の有料駐車場を利用しましょう。
表参道登山口
鳳来寺山へのメインルートの表参道登山口へは、無料駐車場の中で1番近くにある「笠川駐車」がおすすめ。無料駐車場は他にも、木戸駐車場、合鏡駐車場があります。ちなみに登山口から近い場所に有料駐車場もありますので、混雑や状況によってご自身で選択してください。 【車でのアクセス】 東名豊川ICより国道151号線経由して新城方面へ約1時間。 三遠南信自動車道鳳来峡 ICより国道151号線経由で豊橋方面へ約40分。 住所:愛知県新城市門谷笠川 駐車台数:17台 料金:無料 トイレ:有り 【公共機関でのアクセス】 JR飯田線「本長篠駅」下車→豊鉄バス田口新城線「鳳来寺」下車。
湯谷温泉駐車場
湯谷温泉から鳳来寺山を目指す際には、湯谷温泉にある公共の「湯谷温泉駐車場」に駐車しましょう。駐車場の奥からそのまま登山口へと進むことができます。電車でお越しの際は、湯谷温泉駅から湯谷温泉駐車場まで歩いて5分ほど。 【車でのアクセス】 東名豊川ICより国道151号線経由して新城方面へ約1時間。 三遠南信自動車道鳳来峡 ICより国道151号線経由で豊橋方面へ約40分。 住所:愛知県新城市豊岡地蔵元 駐車台数:約50台 料金:無料 トイレ:有り 【公共機関でのアクセス】 JR飯田線「湯谷温泉駅」下車。
鳳来寺山パークウェイ山頂駐車場
こちらは、山頂から1番近い駐車場になります。鳳来寺山に最短で登頂を目指す場合は、パークウェイ山頂駐車場に止めましょう。駐車場からは舗装路の参道を通り、鳳来寺や東照宮まで簡単に行くことができます。 【車でのアクセス】 東名豊川ICより国道151号線を利用して新城方面へ、鳳来寺山パークウェイを経由して約1時間。 三遠南信自動車道鳳来峡 ICより国道151号線経由で豊橋方面へ約40分。 住所:愛知県新城市門谷鳳来寺7−27 電話:0536-35-1074 駐車台数:180台 営業時間:8:00〜18:00 料金:510円 トイレ:有り 【公共機関でのアクセス】 JR飯田線「本長篠駅」下車→豊鉄バス田口新城線「鳳来寺山頂」下車。(土日祝のみ運行) JR飯田線「湯谷温泉駅」下車して徒歩約50分。(タクシー8分) 豊鉄バス時刻表
鳳来寺山は魅力的な名所が満載!
出典:PIXTA(鳳来寺山一本松)
一段一段石段を登りながら、刻まれた歴史に想いを馳せる山行が楽しめる鳳来寺山。山中では鳳来寺をはじめ東照宮や寺院跡など見どころが満載です。絶景の紅葉や傘杉などの豊かな自然にも癒されますね。普段の登山とは違う、鳳来寺山ならではの雰囲気を味わってみてください。 【登山時の注意点】 ・登山にはしっかりとした装備と充分なトレーニングをしたうえで入山してください。足首まである登山靴、厚手の靴下、雨具上下、防寒具、ヘッドランプ、帽子、ザック、速乾性の衣類、食料、水など。 ・登山路も複数あり分岐も多くあるので地図・コンパスも必携。 ・もしものためにも登山届と山岳保険を忘れずに! ・紹介したコースは、登山経験や体力、天候などによって難易度が変わります。あくまでも参考とし、ご自身の体力に合わせた無理のない計画を立てて登山を楽しんでください。
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xf-2 · 8 years ago
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https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171005-00020313-nksports-soci 村上春樹氏は今年も受賞逃す ノーベル文学賞発表 10/5(木) 20:05配信 日刊スポーツ 騎士団長殺し第1部  ノーベル文学賞が5日午後1時(日本時間午後8時)、スウェーデンアカデミーから発表され、英国人小説家のカズオ・イシグロ氏が受賞し、残念ながら今年も村上春樹氏(68)は受賞を逃した。  2006年にノーベル賞の登竜門といわれるチェコの文学賞「フランツ・カフカ賞」を受賞して以来、ノーベル賞発表シーズンになると、作品が世界50言語以上に翻訳されている村上氏は毎年のように名前が挙がっている。今年も英大手ブックメーカー、ラドブロークスの予想オッズは5倍で、2番人気だった(1位は現代アフリカ文学を代表するケニア出身のグギ・ワ・ジオンゴ氏の4倍)。  15年はベラルーシの女性ジャーナリスト、アレクエーシビッチ氏、16年は米歌手ボブ・ディラン氏が受賞し、文学の枠にとらわれない選考が続いていたが、アジア圏の受賞者は12年の莫言氏(中国)を最後に4年間出ていないことから、今年は期待が高まっていた。
ノーベル文学賞を受賞した日系英国人小説家のカズオ・イシグロ氏
↑おめでとう!カズオ・イシグロ氏
「わたしを離さないで 」(ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ
左:「日の名残り」 (ハヤカワepi文庫) カズオ・イシグロ
右:The Remains of the Day (FF Classics) (English Edition) Kazuo Ishiguro
超売国奴の村上春樹が今年も英���ックメーカーなどに「ノーベル文学賞の有力候補」(2番人気)とされながら、またまた受賞を逃した!
「ザマァ見ろ!」だ!
今年2月に発売された村上春樹の新作「騎士団長殺し」は南京大虐殺をステマ(宣伝)する悪質な反日小説だったため、特に今年は何が何でも受賞してほしくなかった!
本当に良かった!!
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20171005-00000040-dal-ent たけし、村上春樹は「大したこと書いてねぇ」に爆問太田が歓喜「本当にその通り」 10/5(木) 10:18配信 デイリースポーツ  タレントのビートたけしが5日、テレビ東京系「おはよう、たけしですみません。」に出演。発表間近のノーベル文学賞で受賞が期待されている村上春樹について「あいつの本だって大したこと書いてねえ」とバッサリ切り捨て、“アンチ村上春樹”の太田光を喜ばせた。  たけしは4日の放送をドタキャンし話題となったが、この日は病人の格好をして、無事?生出演。ノーベル賞が続々発表になっていることから、自身が書いた本「アナログ」についても「ノーベル賞狙おうか」などと話した。  これを聞いた“アンチ村上春樹”の爆笑問題・太田光は「これ(アナログ)が取ったら、村上春樹、悔しいでしょうねえ」と喜々とした表情。するとたけしは「アイツの本だって、大したこと書いてねえ」とバッサリ。続けて「『ボクはなぜ走るのか』とか、『走ることによって』とか、『黄色の横のこの色は』とか、何言ってやがんだって」と批判すると、太田は「本当ですよ」「本当にその通り」と、心底同調していた。  太田は今年2月に村上春樹の新作「騎士団長殺し」が発売されたときにも、NHKの番組で「読者に対するサービス精神がなさ過ぎる」など猛批判を繰り広げていた。
まー、ビートたけしもいろいろ問題多いし、太田光に至っては完全に反日左翼だが、二人とも村上春樹についての評価だけはマトモだ!
村上春樹について許せないことは、奴が超反日売国奴だということだ!
▼売国奴!村上春樹の売国言動▼
平成24年(2012年)9月28日付の朝日新聞朝刊に、尖閣諸島・竹島をめぐる領土問題について、「領土問題の国民感情は安酒の酔いに似ている。ヒトラーの結末と同じになる」と日本の政治家や論客などを批判した長文のエッセーを寄せた。
そのエッセーは、尖閣諸島と竹島の問題は、支那と韓国が一方的に悪いにもかかわらず、何の非もない日本にのみ抑制を強いる酷く偏った内容だった。(
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平成26年(2014年)11月3日、毎日新聞とのインタビューで「(日本が起こした戦争に)中国人も韓国人も怒っているが、日本人には自分たちが加害者でもあったという発想が基本的に希薄だし、その傾向はますます強くなっているように思う」と述べ、日本国民を批判した。(
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平成27年(2015年)4月17日付の東京新聞とのインタビューで「日本は周辺国が納得するまで謝るという歴史意識を持たなければならない」、「謝罪は恥ずかしいことじゃない。日本人は韓国の国力が上がって、自信を喪失したから率直に受け入れてないだけ」、「他国に侵略したという大筋は事実なんだから。」などと述べた。(
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平成29年(2017年)2月発売の小説『騎士団長殺し』の中で、次の台詞を挿入し、南京大虐殺をステマ(宣伝)した。
「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」
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ノーベル文学賞は支那政府批判の支那人が受賞!領土問題で日本の右傾化を非難した村上春樹は落選
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村上春樹「日本は周辺国が納得するまで謝るべき」「侵略した大筋は事実」・安倍談話に謝罪を促す
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村上春樹を不買運動しよう!「騎士団長殺し」で南京虐殺を宣伝、ステマ!繰り返す反日言動を許すな
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アパホテル過去最高の業績!2月も稼働好調!大陸激減、台湾や香港が増える・元谷、村上春樹を批判
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さて、改めて今年2月に発売された村上春樹の新作「騎士団長殺し」が、どれほど南京大虐殺をステマ(宣伝)する悪質な反日小説だったかについて説明しておく。(詳細記事:
村上春樹を不買運動しよう!「騎士団長殺し」で南京虐殺を宣伝、ステマ!繰り返す反日言動を許すな
村上春樹の『騎士団長殺し』は南京大虐殺をステマ(宣伝)する反日小説!
不買運動をしよう!
村上春樹著「騎士団長殺し」より一部抜粋 その年の十二月に何があったか? 「南京入城」と私は言った。 「そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。しかし四十万人と十万人の違いはいったいどこにあるのでしょう?」 もちろん私にはそんなことはわからない
>そうです。いわゆる南京虐殺事件です。日本軍が激しい戦闘の末に南京市内を占拠し、そこで大量の殺人がおこなわれました。戦闘に関連した殺人があり、戦闘が終わったあとの殺人がありました。
「戦闘に関連した殺人」って、普通は戦争の戦闘で敵兵を殺すことをいちいち「殺人」などとは呼ばない。
>日本軍には捕虜を管理する余裕がなかったので、降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。
ふざけんな!
いい加減なことを言ってんじゃないよ!
「降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。」というのは、明らかに事実と異なり、悪質な捏造だ!
まず、「市民の大方を殺害してしまった」という事実は全くない!
市民(一般人)の虐殺についてはゼロで間違いない!(後述)
次に、「降伏した兵隊の大方を殺害してしまった」というのも真実とは異なる。
確かに南京では降伏した支那軍将兵の数が多過ぎたこともあり、降伏した大量の支那兵が暴動を起こした際に合法的に殺害した「幕府山事件」はあった!
しかし、幕府山事件は、降伏した支那兵どもが暴れ出したために、日本軍はやむを得ず殺害したわけであり、日本軍の正当防衛、あるいは戦闘再開(延長)となる合法的な出来事だった。
したがって、「降伏した支那兵の不法殺害」についても無かったに等しい。
敵兵の不法殺害については、あったとしても最大で数百人程度であり、村上春樹の小説の中の「降伏した兵隊や市民の大方を殺害してしまいました。」という台詞は事実とあまりにもかけ離れている!
南京戦に参加した畝本正己は、資料、証言を更に整理し検討し、【昭和63年=1988年】に発行した『南京戦史』(偕行社)で、撃滅・処断推定約1万6千人、うち不法殺害の可能性があるのは歩66第1大隊の捕虜処断最大約8百人の一例のみとの結論を出している。
つまり、「捕虜の不法殺害」の犠牲者は、0人~800人というのが結論だ。
「捕虜の不法殺害」について議論となるのは概ね「幕府山事件」のことだが、この「幕府山事件」というのは上述したとおり捕虜が暴動を起こしたことに対する鎮圧だから「捕虜の不法殺害」には該当しない。
「幕府山事件」については『「南京大虐殺」はWGIPのメインテーマです』と題された次のサイトの中で非常に詳しく説明されている。
ごく一部だけ抜粋し、以下に掲載する。
http://1st.geocities.jp/nmwgip/nanking/Bakufu.html 幕府山事件 宣誓に依らざる捕虜解放に関する誤解 1.『戦史叢書』の公式見解 幕府山事件と呼ばれる捕虜暴動鎮圧事件は、反日宣伝勢力から違法な捕虜殺害、捕虜虐殺の冤罪を浴びせられ、「南京大虐殺」の象徴として採り上げられることも多い事件です。 捕虜殺害を強調するのは、市民不法殺害の主張を維持できなくなっている反日勢力の悪足掻き、と言えないこともありませんが、やはり、反論すべき点は反論しておくべきでしょう。 まず、幕府山事件とはどのようなものであったのかについて、公式の戦史である戦史叢書の見解を引用します。 ―――――――――― ・・・・第十三師団において多数の捕虜が虐殺したと伝えられているが、これは15日、山田旅団が幕府山砲台付近で1万4千余を捕虜としたが、非戦闘員を釈放し、約8千余を収容した。ところが、その夜、半数が逃亡した。警戒兵力、給養不足のため捕虜の処置に困った旅団長が、十七日夜、揚子江対岸に釈放しようとして江岸に移動させたところ、捕虜の間にパニックが起こり、警戒兵を襲ってきたため、危険にさらされた日本兵はこれに射撃を加えた。これにより捕虜約1,000名が射殺され、他は逃亡し、日本軍も将校以下7名が戦死した。・・・・ (戦史叢書『支那事変陸軍作戦<1>昭和十三年一月まで』) ―――――――――― 2.『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』の日記と自称する物 この様に戦史の公式見解においては、「幕府山事件」なるものは捕虜暴動に対する自衛発砲と明言されています。 これに対する反日宣伝勢力の拠り所は、独自に参戦者から収集したと称する「日記」「メモ」です。 では、小野賢二・藤原彰・本多勝一編『南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち』より、彼らの収集した資料の中で幕府山事件がどのように「証言」されているか見てみましょう。 (中略) 山田支隊が意図したのは、労役に使用するという派遣軍司令部の意向に背いた、宣誓に依らざる解放です。 派遣軍司令部の意向に背くものであったのですから、秘密裏に行わなければなりませんでした。 宣誓に依らざる解放だったが故に、圧倒的多人数の捕虜の反撃を警戒して重武装が必要でした。 山田支隊の捕虜解放が宣誓に依らざる解放にならざるを得なかったということが理解できれば、重武装の必要性は最初から論点にもなりません。 解放目的の連行・自衛発砲説には、些かの破綻もありません。 破綻があるとすれば、単に銃殺したという証言を計画的殺害に結び付ける違法殺害説の方です。
>正確に何人が殺害されたか、細部については歴史学者のあいだにも異論がありますが、とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。
「おびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺された」とは、いったい何のことを言っているのか?
流れ弾や誤爆によって死んでしまった市民のことを言っているのか?
しかし、流れ弾や誤爆による市民の死亡は如何なる戦争・戦闘にも付き物であるが、むしろ市民を安全区に集めた南京戦では非常に少なかった。
また、一部に「日本軍は一般市民と便衣兵とを区別でできず、一般市民を便衣兵と間違えて殺害した」などと主張する連中もいるが、一般市民と便衣兵を間違えることはなかった!
安全区内の便衣兵(民間人を装った支那兵)摘出作業は、第十六師団によって慎重かつ正確に行われた。
日本軍は便衣兵摘出の際、体つきの他、坊主頭、鉄帽子の日焼け跡、手の銃ダコ、下着(兵隊服)、市民の証言などをも確認したので、便衣兵と間違えて一般市民を処刑したことはなかった。
兵民分離査問に立会した内田義直氏(陸軍省通訳官・第十六師団警備司令部配属)は、その実態を次のように述べている。
「中国人の言葉には地方訛りがある。南京を守備した中国軍は、広東、広西、湖南の兵隊で南方訛りであって、言葉で兵隊と市民の区別は難しかった。しかし、体つきを見れば兵隊と一般市民とは、直ぐ区別がつく。自治委員会の中国人と一緒に相談しながら分離作業をやったので、一般市民を狩り立てることはなかった。上着だけが民間服で、下着が兵隊服のものが多く、すぐ見分けがついた。」(
詳細記事
ただ、上記のような日本軍による正確な便衣兵摘出作業などについては良く知られておらず、一般男性が処刑されたと勘違いして見ていた人も少なからず居たようだ。
なお、便衣兵(ゲリラ)を発見したら処刑するのは、古今東西の原則(もちろん合法)だ。
戦場においてゲリラ=便衣兵(軍服ではない民間人の服を着た卑怯な兵士)から狙われるほど恐ろしいものはない。
制圧したと思って村や町に入ると、建物の陰から鉄砲の弾が飛んでくる。
敵兵を探しても、いるのは善良そうな顔をした人々だけ…。
あるいは、少年少女だと思って油断していると突然懐から拳銃が出てきて撃ち殺されたりする。
ゲリラ戦・便衣隊戦術は民間人を戦闘に巻き込む。
便衣兵と判明すれば殺すしかない。
便衣兵を殺さなければ、その後も支那軍は癖になって便衣隊戦術をエスカレートさせ、日本軍や一般市民の被害は拡大する一方だ。
支那軍に多数の便衣兵が存在したにもかかわらず、それでも日本軍は南京だけでも約1万人の支那軍将兵を捕虜として保護し、最後まで生存させた!
▼日本軍が保護した結果、支那軍の生存捕虜が約1万人だった資料▼
1937年12月14日
 これらを総合すると堯化門(仙鶴門鎮)付近の捕虜約7,200名を中央刑務所(第一監獄所)に護送し収容したことはあきらかである。 『南京戦史』P324
歩兵第38連隊戦闘詳報第12号附表備考 『1、俘虜7,200名ハ第10中隊堯化門附近ヲ守備スヘキ命ヲ受ケ同地ニ在リシガ、14日午前8時30分頃数千名ノ敵白旗ヲ掲ゲテ前進シ来リ午後1時武装ヲ解除シ南京ニ護送セシモノヲ示ス』 (1、俘虜7200名は、第10中隊堯化門付近を守備すべき命をうけ同地にありしが、14日午前8時30分頃数千名の敵、白旗を掲げて前進し来り午後一時武装を解除し南京に護送せし者を示す。) 第16師団 歩兵38連隊戦闘詳報 附表第3 戦闘詳報12号附表 『南京戦史資料集』P594
1937年12月29日
「捕虜1万5百」 『朝日新聞』昭和12年12月29日
1937年12月~1938年1月
 なお、城内に収容された捕虜のその後については、『南京戦史』第六章第六節「南京付近に収容した捕虜の状況」に詳しいが、最初一万人程度の捕虜が収容され、翌昭和十三年一月六日に「三千六百七十人もいるそうだ」と第十六師団経理部の小原立一少尉の日記に記されている。約半数が昭和十二年末ころ上海に送られたものと見られ、残りが汪兆銘の南京政府軍に編入されたという事実はよく知られている。 『本当はこうだった南京事件��P387 板倉由明著 日本図書刊行会
一方、支那軍は、支那事変のあった8年間で、投降したり負傷したりして捕まえた日本兵を捕虜として保護したことは全くなかった。
支那軍は、「反���兵士」(違法)にする極めて少数の日本兵を除き、1人残らず日本軍将兵を惨殺した。
まさに「皆殺し」だった。
日本軍が南京だけでも1万人以上の支那兵を捕虜として保護したのとは、対照的だった。
そして、日本軍が南京で一般市民を不法に殺害した事例は、1件もなかった!
●南京大虐殺完全否定のまとめ
日本軍による南京市民虐殺はなかった(0人)。
まず、南京市民の大半は、日本軍が南京を陥落させた1937年12月13日以前に南京を脱出して日本軍が占領した上海などに避難していた。
南京に残った約20万人の南京市民も全員が安全区に避難し、安全区以外の南京城内に善良な市民は誰一人として居なかった。
南京城内の安全区以外には誰も居なかったのだから、そこで虐殺など起こるわけがない。
次に、南京に残った全市民が集められていた安全区内の状況だが、12月13日に日本軍が南京を陥落させる前と比べ、日本軍占領後の南京安全区の人口は増加した。
日本軍による南京占領後、南京の治安が回復すると、日本軍が占領していた上海などに避難していた南京市民が戻って来て南京の人口は増加した。
陥落から何日か経ち、安全区内で日本軍による約10件の強姦事件や同程度の掠奪事件が発生したが、これら事件は、日本の軍関係の裁判を司る法務部で把握されている。
日本軍将兵は道端で拾った靴を持ち帰っただけで掠奪事件として軍法会議にかけられたりしていたが、「虐殺」事件は南京に居た憲兵隊などに通報されたことも全くなかった。
また、15人の安全区国際委員会メンバーや100人を超す日本人報道関係者などは南京に長期間滞在していたが、誰も1度も日本軍による虐殺を目撃しなかった。
虐殺事件に関しては、目撃が0件で、現地の憲兵隊などへの通報も、憲兵隊などによる発見もなかった。
更に、支那国民党は南京戦を挟む1937年12月1日から1938年10月24日までの約1年間に300回も外国人記者などに記者会見をして日本の悪事を宣伝したが、1回も南京で虐殺があったと言わなかった。
最後に、戦後しばらく経ってから自白した元日本兵が何人か居たが、これまで本名で証言をした人は例外なくすべて嘘であったことが確認されている。
よって、日本軍による南京虐殺事件は0件だった。
以上のとおり「南京大虐殺」については、事実関係として完全に虚構(捏造)であり、日本軍によって虐殺された南京市民はゼロ(0人)だった。
村上春樹は、小説の登場人物の台詞として「とにかくおびただしい数の市民が戦闘の巻き添えになって殺されたことは、打ち消しがたい事実です。中国人死者の数を四十万人というものもいれば、十万人というものもいます。」と言わせているが、これは間違いなく「南京大虐殺は事実だ」という嘘の主張をステマ(宣伝)している!
村上春樹は、これまでにも何度も何度も繰り返し、日本の歴史認識や領土の主張を批判し、特ア(支那や南北朝鮮)を利する言動を行ってきた。
今回の「騎士団長殺し」では、小説の中で南京大虐殺を肯定するステマを行っており、日本国民はこれ以上村上春樹を野放しにしておいてはいけない!
もう村上春樹の不買運動を大々的に行わなければいけない時期に来ている!
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toku36 · 6 years ago
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apartment315 · 9 days ago
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apartment315 · 1 month ago
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apartment315 · 9 days ago
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apartment315 · 9 days ago
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