#長途夜車
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uwizeye · 2 years ago
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蔡英文,是女皇時空穿越也是妲己現身
——《蔡英文秘史》揭穿秘密
民國104年(2015年)春節期間,位於台南市西北面的南鯤鯓廟代天府(五府王爺廟)抽出「武則天坐天」的「國運」簽,此簽隱喻民進黨主席蔡英文將成為女領導人。蔡英文上位,真的只是靠廟裡一支簽嗎?顯然不是!网上的一本《蔡英文秘史》向我们揭示了她是如何一步步的成为「穿越时空的女皇」,這就是她步步為營的結果。
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在李登輝的一手操弄下,陳水扁率領民進黨將國民黨趕下台,台灣首次政黨輪替。 蔡英文雖然在陳水扁政府中擔任陸委會主任一職,但始終無任何黨籍。 民國93年(2004年)大選塵埃落定之後,陳水扁再一次找到蔡英文,提出讓她出任民進黨不分區立委。 台灣的所謂立法委員,相當於美國國會議員,是手握實權很有油水的職位。陳水扁接二連三主動關照蔡英文,一方面有李登輝的囑託,另一方面也是想安插絕對的自己人,像蔡英文這樣的政治菜鳥自然是不二人選,因為完全能被自己拿捏。 作為交換條件,蔡英文若想進入立法院,必須先加入民進黨,保證按民進黨黨章黨紀行事,蔡英文欣然應允。 此時的她一直是民眾心中的清純「小龍女」 。
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蔡英文在擔任了兩年的立法委員後轉任到了行政機構擔任副主管,在陳水扁的一力護航下,蔡英文的仕途之路順風順水,沒有任何外部力量可以撼動。 民國95年(2006年),蔡英文被任命擔任行政院副院長。 民國97年(2008年),陳水扁狼狽下台,身陷囹圄,民進黨一敗再敗,走入死路。 民進黨在總統大選中挫敗,在520交出政權前,民進黨選出下野後第一位黨主席,選舉結果由當時有「小龍女」稱號的蔡英文打敗辜寬敏,當選黨主席。 這也是民進黨創黨以來首位通過黨員選出的女性黨主席。
民進黨的「四大天王」謝長廷、游錫堃、蘇貞昌和呂秀蓮雖然受挫,但卻在民進黨內各據山頭、擁兵自重,並不把蔡英文放在眼裡。 實際上,蔡英文之所以能高票當選民進黨主席,並不是因為黨內派系都支持她,而是「四大天王」互鬥,沒有一個人能接這個位子。 民進黨大老需要有人在前線收拾爛攤子,讓他們坐擁超然的權力,黨內若發生了什麼事,再來另外討論。但顯然,蔡英文並不想當��儡。
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在削弱陳水扁時代「四大天王」的同時,蔡英文也在培植自己的團隊。民進黨桃園縣長參選人鄭文燦、發言人蔡其昌、政策會首席副執行長劉建忻、文宣部副主任廖志堅,是蔡英文最為倚重的「政治新星」,被媒體稱為民進黨的「四小天王」。 通過四小天王領兵作戰,其他勢力慢慢淡出民進黨的決策核心,蔡英文逐步確立了自己的領導地位。
蔡英文在任民進黨主席的4年間,政治光環逐漸顯耀,不少綠營政治人物向蔡聚攏,這也讓蔡英文的聲望在不知不覺間有了進一步的飛躍,讓她有了角逐政壇的本錢。以蔡英文為核心的英系已初具雛形。 此後,蔡英文親歷新北市長選舉而高票落敗,黨內人氣居高不下,逐步奠定綠營共主的地位。
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蔡英文黨權在握之後,人們發現,她說的話許多人聽不懂,如「和而不同,和而求同」。 五市選舉時,蔡說「反ECFA是民進黨共同政見」,卻又表示民進黨一旦執政,不會推翻「前朝」政策; 她更表示ECFA有對台灣不利的條文,將來民進黨執政後會要求民意部門重審,但這些條文是什麼卻不明說。她同時留下「反十八趴又領十八趴」的紀錄,對此也從不做說明。
《遠見》雜誌民調曾顯示,蔡英文的兩岸政策是什麼?超過7成的人不知道。其實,蔡英文不為人所知的政策,何止兩岸關係而已。 其餘對島內政策、國外交往、經濟、農業,連民進黨高層迄無一人公開為她詳細闡述過。故而,這時期蔡英文的第二個綽號「空心菜」由此得名。其意為,蔡英文心中其實並無大政方針,她還遊走在雲裡霧裡。
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蔡英文第三個綽號「武則天」,則出自民進黨內之口。 武則天雖是中國第一個女皇帝,但專斷、跋扈、猜忌,又喜怒無常。 蔡英文自民國99年(2010年)投身選舉以來,前民進黨中常會,中常委柯建銘、陳明文等人紛紛表示,蔡英文競選政策他們並不清楚,希望蔡主席說清楚,以便他們在地方輔選,不料,這些話竟觸怒了蔡英文,她勃然大怒,足足罵了半個小時。 另一個場景,是蔡英文作為台灣總統參選人,常有被媒體包圍提問的時候,她曾憤而推開麥克風,責備記者「你們怎麼老是問這種問題?」。蔡英文對媒體的不耐煩已非第一次,如她常說「這話我已經說過了」, 或者一語不發,推開記者,拂袖而去。
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歷數蔡英文執政台灣時期的行為:從追殺國民黨的黨產到砍年金,從不認同「九二共識」到台海關係緊張,從八八風災重建到搭雲豹甲車笑臉勘災,從媚日諂美到熱臉蹭冷屁股,從甩鍋馬英九國民黨到污衊大陸��造假資訊給大陸扣黑鍋。縱觀蔡英文在當選總統後的政治行為,簡直幼稚的無語。毫無政治頭腦,完全是開啟了自顧自的自嗨模式,根本不在乎外界的反應和民眾的死活。當年的所謂「國運」簽,哪裡是「武則天坐天」,這貨分明是申公豹派去的妲己亂朝啊。
蔡英文不僅是李登輝時期「兩國論」的重要策劃者,也是陳水扁時期強烈阻撓台海關係改善的「幕後黑手」,更是國民黨執政8年中諸多「暴力事件」的策畫者
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民國97年(2008年)10月底,時任大陸海協會副會長的張銘清,以廈門大學新聞傳播學院院長的身份前往台灣參加學術交流活動,同時為陳雲林赴台打前站。民國97年(2008年)10月21日上午,張銘清在台南市南安平古堡參���時,突然衝出一大批綠營支持者,張銘清後腦被打,然後被推到在地,連眼鏡都飛了出去。當張銘清準備乘車離開時,甚至有台獨分子跳上座車車頂狂踩叫囂,試圖阻止他離開。 事後警方查出打人者為民進黨台南市議員王定宇,而蔡英文在對其進行問詢之後對外宣稱,「他並不是有意蓄謀的」。 兩周之後,海協會會長陳雲林正式抵達台灣,11月4日當天,正當兩會領導人在圓山飯店進行會晤之時,蔡英文組織了上萬綠營支持者包圍會場,名曰嗆馬圍陳。在蔡英文坐鎮指揮不斷鼓噪之下,示威人群逐漸失控,期間有人向員警投擲石塊和汽油彈,雙方發生激烈衝突,最終演變為近10年來最嚴重的流血事件,造成了超過450人受傷。
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民國98年(2009年)5月17日,台北凱達格蘭大道,民進黨主席蔡英文聯合支持者組織「嗆馬保台」5.17大遊行和跨夜靜坐示威,抗議時任總統馬英九。
在策畫多起暴力事件後,蔡英文將所有暴力輕描淡寫為「零星事件」,並立即將責任推卸到所謂的「黑道分子」身上。從此蔡英文在島內獲「暴力小英」稱號,並初步鞏固了蔡英文在民進黨內的地位。短短幾個月時間,她就像完全變了一個人似的,已經不再排斥街頭運動,甚至開始沉迷並享受這場權力的遊戲了。據報導,蔡英文在工作時善於軟硬兼施。在「陸委會」內部聽彙報時總是低著頭,頭髮遮住半邊臉,讓人感覺她沒在聽,但又會突然頭髮一甩、豹眼圓睜,拋出幾個問題,���彙報者答不上來,就會被痛批,原本以知性學者形象示人的蔡英文正式黑化,從「小龍女」徹底變身「暴力小英」。
從民國97-101年(2008年到2012年),四年時間里,蔡英文言行的幻與變、虛與實,使她的綽號由「小龍女」、「空心菜」轉為「武則天」、「暴力小英」。人們發覺,蔡英文其實並不是「小龍女」,那只是她一時的面具罷了。
《蔡英文秘史》下載地址:https://zenodo.org/records/10450173
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ak0gare · 3 months ago
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京都でよかったデートの記録 0412 6歳下の学生起業家と梅田でランチデート。なんでわたしと会おうと思ったんだろう?と思っていたら前の彼女が10歳以上年上だったとのことで合点、そしてとても好感度があがった。目が切れ長で歯並びが綺麗なところがとても好みだった。若いのに色気あるね、と言おうかと思ったけどわたしが言うと褒めているというより恫喝めく気がしないでもなくてやめた。起業してる人って頭よくてほれぼれするし、わたしの奇天烈な行動にも笑顔で聞き流してくれて、話が早くて助かる。 梅田から西梅田まで送ってもらった。 0414 清水五条の工房に行き、清水焼の器を買った。本当はマグカップだけでよかったのだけれど、どうしてもパスタ皿にひとめぼれして、すこし思い切った価格だったけれどこれも出会いだからと思って2つセットで買った。そしたら職人さんにとても感動されて「工房まで買いに来てくれたひと初めてなんです。嬉しいので一つなにかプレゼントします、なんでも」と言われ、恐縮して、追加で2つ茶碗をえらんで一つプレゼントにしてもらった。不恰好に膨らんだ厚い手が、さまざまな色に灼けていてとてもセクシーだった。蕎麦屋さんをいろいろ紹介してくれたが(一緒に行ってくれたらいいのに)と思っていた。 日が空いたけどやっぱり焼き物の職人さんかつ同世代の方と知り合う機会ないと思うから、蕎麦屋に誘ってみよう。蕎麦食べたらすぐ帰るから、って。 0418 「アンゼルム・キーファー:ソラリス展」を高橋君にとても勧められたので、絵を描く趣味があるという起業家を誘って2回目のデートをした。 わずかな隙間の窓から���れる昼間の陽射しの力だけで照らされてぎしぎし鳴る木の廊下を歩く。暗く翳った部屋の中で、彫刻や巨大なアクリル画をゆっくり見て回った。 暑い日だったのでそのあとジェラートを食べた。地下鉄の階段を下りながら彼が振り返って「楽しかったです」と恥ずかしそうに告げてきたのが印象的だった。 0418夜 吉田寮のKG+の展示を見に行った際、別なイベントが食堂でやっており、たまたま話しかけられて親しくなった人が哲学専攻の博士5年生だった。東京が地元で、高校時代から生粋のドラマーらしい。小説の話をしたら「仕事しながらものつくりも並行してる人���て本当にすごい」と言ってくれた。 院に進んだ時点で自分の人生は王道の、まっとうな人生からはずれている、と零していて、わずかに劣等感と矜持の両方を感じた。「自転車のサドル高すぎたから、今度直してあげるよ また寮来て」とLINEが来て、なんてかわいいデートの誘い方なんだろう、とそれだけでめろめろになった。 0421 シェアハウスを介して2度会った26歳の学部3年生から「もっと話してみたかったのでお茶しませんか」と直球のデートの誘いがあったのでよろこんで承諾してコーヒーショップヤマモトへ行った。 わたしのこと好きってコト⁉と思ったけどそういうことではなくて、単純に人間としてわたしに好奇心を寄せてくれたみたいでそっちの方がうれしいかもしれない。 とても綺麗な顔をしていて、わたしは好きじゃないけどめちゃ女の子からモテそうだなあと思ったらやはりそうだった。モテの弊害の話聞いて面白がる。波長があって、サンドイッチと1杯だけで3時間粘った。 3カ月後から東京へ引っ越すらしいので次は東京で会おうね、と言って別れた。 0421夜 桂離宮へ予約を取っていたのだが同行者飛んじゃったんだよねと熊野寮で船橋さんに愚痴った。「俺建築好きだし行きたいな」と言われたが、食堂で、本を読みながらごはんを食べているめがねの男の人がとてもセクシーで、どうしても目がいってしまい、彼が読んでいた本は「辞書で読むドイツ語」(何それ)で、好ましくてどうしようもなかった。 「彼は建築の学生だよ。学年は知らないな」と船橋さんが教えてくれた。「わたしあの人と桂離宮行こうと思う。ごはん食べながら本読むなんて、ありえないくらい貪欲だからわたしと気が合うよ」と宣言して、食べ終わった後彼の部屋に案内してもらった。「24日の16時に桂離宮に同行してくれませんか」とドアから出てきた途端いきなり要求した。とても緊張した。彼は突然の闖入者に戸惑いながらも面白がってくれて、「ゼミあるけど行きましょう」と言ってくれた。M1で、博士はヨーロッパで取る予定だそうだ。 「きみのコミュニケーションは気さくなんじゃなくてごり押しだよ」と高橋君に指摘されたが、本当にその通りだと思う。
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servant222 · 8 months ago
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2024/12/15 寝起きのコインランドリー
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昨日は日勤だった。日勤の日は勤務時間にして夜勤の半分程なのに夜勤よりも疲れる気がする。帰ると何もしたくない。帰宅早々洗濯機を回しバイト終わりの子を迎えに行く。迎えから戻ったらコインランドリーに乾燥に行けば良いと思っていた。帰宅して簡単な夕食を作り子どもたちと食べる。こたつに入ってだらだらしていたらすっかり洗濯のことを忘れていた。気づけばもうすぐコインランドリーが閉まる時間。冬だし臭くなることも無いと信じ明日の朝にしようと諦めて眠りにつく。
先日の休みに歩いた山の記録も書きかけでまだ途中になっている。もう一週間が過ぎる。冬がどんどん先を歩いて行って追いつけない。
目が覚めて6時。まだ薄暗い中コインランドリーに向かう。眠った後はまだ動ける。眠りって大事だ。もう長い間睡眠とはあまり上手に付き合えていないのを残念に思う。冷たく濡れた洗濯物をドラムの中に入れてカードを入れる。30分。その間に昨夜荷物が届いているとメールが来ていたロッカーへ向かう。荷物を受け取り近くのコンビニで温かいコーヒーを買いコインランドリーに戻る。
店内のテーブルに朝日が差し込むのを眺めながら少し日常を振り返る。最近買ったスケジュール帳は予定よりも出来事。日々こんなにも慌ただしくごちゃごちゃとしているのにあっという間に1年が過ぎるので少しでも記録しておいたらさらりと過ぎてしまう1年がもったいなくないかもしれない、なんて思ったり。
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洗濯物をたたんでカゴに入れ帰路。すっかり明るくなってすれ違う車も増えた。そういえば今日は日曜日だった。帰ってたたんだ洗濯物をしまう。日がさしている庭に出て鉢植えや植木の様子を見る。こんなに寒くても葉の多い紫陽花の鉢植えは気を抜くとすぐに萎れてしまう。鉢植えだと植物自身も限界があって不自由なのだなと思う。気まぐれに挿し木をしたバラは随分と枝を伸ばし、花自体も最初の頃より大きく立派になってきた。冬が来たのにまだ蕾をつけ花を咲かせている。バラってすごい。
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今日も細切れの一日が始まる。夜勤なので昼間眠れると良いな。
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mmsshtmn · 3 months ago
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全くアレ↑とは関係ない話。
ただの愚痴なので読むことは非推奨。書いてストレスを発散。
某アプリでドタキャンされて宿無しの22歳がいて、遠いけど同じ沿線だったからお節介BBA発動して声かけ。どうやらこちらデビューも最近らしい。足なしでこれる距離でもなかったから、何となくカラオケとか満喫で始発まで凌ぐことを提案すると…散財をしたくないだとか。
まぁ、年齢的にそんな余裕もないんだろ。と思い、そしたら受け身じゃなくて手当たり次第にダメ元で自分から動いたらどうか?に対しては見つかる気がしない。終電後の時間だから寝ているのか何もこない。とのこと。まぁ平日の夜はね…。
代チャリだとうちまで40分くらいの距離。どうやら途方にくれてる様子だったからこちらから助け船を出してみた。来てもいい。だけど俺も明日仕事だからこの時間にはでる。来る気力があるのなら正直��帰り道の途中までチャリなり都市部の方へ行った方が良いよと代案を添えて。そしたら行っていいか?と。
うちの側のコンビニの位置を送り、いつ頃目安に着くか教えてほしい。と伝えた。
ところが30分経っても何も返事なし、若干イラッとしつつ途中の近いところでいい人見つかったかな?とも思い制限時間を設けて催促すると返事。
まぁその返事も身勝手。待たせてるから早く着こうという意思は伝わったが、行くって伝えてるから来ることは確実だし連絡も自転車乗ってるから…とごちゃごちゃ。いつ来るかもわからない人を睡眠時間削って待ってるって意味わからんし、要所要所で連絡するのが筋では?
こちらから助け船を出した訳だし乗り掛かった船だと思い待つ(←お節介BBA) 紆余曲折あり来た訳だがこれがまた…
来て早々、言い訳の嵐…。パニクってただの、代チャリ、スマホの充電がーだの、自転車乗ってたらそんなにメッセ確認できないだの…。思わずこっちから助け船を出したってのもあって待ったけど、そんなの俺には関係ないだろ。と、まぁ俺の見た目もあいまって、フワッと許してくれると思ってたんだろう。ストレートにおかしいだろ?ってことを伝えると、でも、でも…。素直にまず、待たせてすみません。ありがとうございます。では…?
多分言い訳するの癖になってて、無意識なんだろうなーと思ったからちょっとそこを突いてみたら、そっちが謝ろうと思ったのに被せてきたからだ。という。思わず笑ったけど。俺のせいだって言いたいんだ?って。
その癖、遠慮はない。寝巻き貸してください。シャワーかしたら暖かい湯が出るまで出しっぱにするし…タダの宿だと思ってるかもしれんけど、光熱費かかってるのお前も一人暮らしならわかってるだろって。なんだか、人間的にここまでレベルの低い子久々に見た。
朝、仕事で出る時間伝えてるから、帰る時間とか自分で管理しなと伝えて寝た。まぁギリギリまで起きねーのなんの。アラームもかけてない(忘れちゃったらしい笑)もう、親切にしてやる義理ないわな。と思いあえて出る5分前に叩き起こして、あと5分で出るから出る準備しろって言ったら焦って、髪だけでも…とか言い出すから、まず着替えて自分の荷物まとめろ。と促してやらせたらまぁ5分なんてあっという間だわな。髪少し長めだったから寝癖爆発してて、直したいとか言い出すけどタイムオーバー。しかもまさか食い下がって来やがったから、俺ももう出なきゃだったので、矢継ぎ早に詰めた。
・時間は伝えて自分で管理しろって言ったのに、アラームせず起きれなかったのはお前の責任。
・仕事にこれで遅れたらお前が責任とってくれるのか?
・俺が起こす義理はない。
・家主に迷惑をかけないのが常識だし最低限。
・時間がないのはお前が悪い。
ってことで爆発した寝癖のまま外出てもらうことに。しまいにはトイレ…とか言い始めたから戸締りしたいし待つ時間はない。駅まで頑張って我慢しろ。と追い出して鍵閉めて。小さな声でお邪魔しましたって言って来たから。
マジ邪魔だった。助け舟を出した俺が間違ってた。ってか宿代請求したいレベル。
とお伝えしたらポカーン。ってか、シャワーとかしてたら始発の時間そろそろだったからそこで追い出さなかった俺って本当にお人好しなのかね。あ、ちなみにイケないタイプだったから始めから体とかは求めるつもり0。純粋にドタキャン経験ある俺の同情的なお節介。アプリの画像、詐欺だったりなー笑 髪もおしゃれに伸ばしてるっていうよりは伸びっぱで清潔感なかったし、22歳とは思えぬ薄汚れ感。路���生活がとてもよく似合いそうでした。笑 もちろんブロックしよーって思ってアプリ開いたら向こうが一足先ににブロックしてて、マジで一発殴っておけばよかった。と冷静におもった笑
まぁ最後は大人気なかったが、これも経験ということで。変にお節介しがちでそこにも責任感を感じちゃうってなんなんだろう、自分自身にも若干呆れた。
色々端折ったのにこの文量😓事実はもっとやばかったんだが…。読む人はいないだろうが、つらつら書いてたら発散できた。すっきり。
どうぞ地獄へ突き落ちてくださいませ。
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yutakayagai · 5 months ago
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翌日、亮司は刈払い機を持ちながら「別荘」を出て、昨夜の叫び声が聞こえたところまで歩いて行った。しかし、踏みにじられた跡はあったものの、これと言って目立ったものは見受けられなかった。また、布を引き裂く様な音も聞こえたが、その残片すらなかった。嗚呼、酔っ払っていたからかなァ…。彼はそう思うことにし、昨日やり残したところに向かって行った。
一方、寮では一週間の当直を終えた大平が、持ち込んだ教科書や下着などをボストンバッグに詰め込んでいた。嗚呼、明日からまた授業が始まる。そう思いながら当直室を出て、駐車場へ歩いて行った。
大平は、昨日出会った八坂を忘れられずにいた。向こうから手を握りしめてきたのが、彼にはこの上ない喜びだった。これまで色んな生徒や教師から肉体を求められてきたが、心の底から嬉しく思ったことはなかった。オルガズムだけが総てだった。しかし、最近になり更年期が次第にその「勢い」にも陰りが出始め、また気分にも波があると感じ始めたのだ。そろそろオ◯ニーのやり方を披露するのを止めようかとも考えていた。そんな中での、まさかの出逢い…。大平は八坂への想いを強くさせていた。
「さて、次の当直はと…」
彼はスケジュール帳を確認した。あれ?と彼は思った。
「校長かよ!?」
岩﨑が当直に入ることは滅多にないが、どういう風の吹き回しだろう? とりあえず、
「まァ、たまにはやりたいのかなァ?」
と彼は密かに持ち込んだコ◯ドームを二つテーブルに置いた。
夕方になり、岩﨑が旅行用バッグを持ってやって来た。普段は背広だが、水色のボタンダウンシャツにカーキ色のチノパンツというラフな格好だった。彼は当直室に入ると、まずはテーブルの上に置いてあったコ◯ドームに目が向いた。彼は、
「な、何よ!? 誰が置いたのよ!?」
と廊下にまで聞こえる様な金切り声を上げた。旅行用バッグに入れてある当直のシフト表を見ると、
「��、あのどスケベ! アタシは童貞クンには手出さないわよ!」
と怒りを露わにした。その声に気付いたのか、石川が厨房から駆け付けた。彼女は、
「あらッ!? 岩﨑の旦那、いらっしゃってたのねぇ〜!」
とテンションを上げた状態で声をかけた。
「あら、忍じゃない。元気?」
「あらあら、コ◯ドームなんて大平先生用意しちゃって、旦那様のことを想って…」
「要らないわよ! アンタにくれてやるわよ!」
「え〜!? アタシ、未だ『ヴァージン』よォ〜」
「そんなの、サッサと卒業しちまいな!」
岩﨑は、石川の着ている白衣のポケットにコ◯ドームを突っ込んだ。まるで二人のやり取りは『夫婦漫才』の様だった。
石川は、今日から一週間は岩﨑には特別メニューを用意したと、献立表を示した。他の生徒には一日だけ、にんにくや生姜を贅沢に使った「豚肉のスタミナ炒め」を提供すると話したが、岩﨑にはコチュジャンをこれでもかと言わんばかりに入れた「プルコギ」にしたらしく、
「ケ◯の穴、火傷しちゃうわよ!」
と何故か喜んだ。岩﨑は激辛の食べ物が大好物だった。石川は彼のあらゆるところを知り尽くし、その都度「ツッコミ」を入れるのに長けていた。彼女は、
「ねぇ、校長? アタシ、いつまで厨房に立たなきゃならないの? 誰かイイ男、来ないかしら?」
と求人の状況を聞いた。岩﨑は、
「御免ねぇ〜、なかなか来ないのよ。一応、月給十八万以上では出してるンだけど…。イイ男だったら、アタシが食べちゃうわよ!」
と言った。
そんなやり取りをしばらく二人は続けていた。
秀一は、明日からようやく本格的に教壇に立てると、とりあえず片付いた部屋の中で、たまたま見つけたアルバムを眺めていた。それは高校時代のもので、当時所属していた陸上部で一緒だった同胞と写っていた。主に大会があった後、亮司がカメラで撮ったのだが、彼は写真が好きだった。時折、秀一と二人っきりで写っている写真もあり、彼の隣に立つ亮司は無表情だった。しかし、大会の後は緊張が緩んで一緒に食事へ行った時にはビール片手に陽気になり、その勢いであの仮住まいで激しい接吻と抱擁を交わした。
亮司の様な男(ひと)は、高校を卒業してからは一人も現れなかった。大学に進学してから間もなく、内部告発か亮司が教職を懲戒免職になったことを聞いた。恐らく、彼の妻だったのだろう。都立A高校の近くに仮住まいを借りていたのを知ったのだ。どういう経緯で知ったのかは不明だが、かなりショックだったらしい。それから亮司とは音信不通になってしまった。
秀一が教職を選んだのも、赴任し��高校の何処かでもしかしたら亮司と再会できるかもしれないという思いがあったからだった。しかし、都内の高校をあちこち渡り歩いたが、彼の目前に亮司は現れなかった。いい加減、そんな思いはかなぐり捨てようと、まァ、ある程度のキャリアもあるしと軽い気持ちで私立K高校に来たのである。その間、自分も一時期は同じ教員や生徒の一部と関係を持ったり持ちそうになったりしたが、亮司の様な激情沙汰に至ることはなかった。
私立K高校では、もしかしたら何かあるかもしれないと、秀一は何か胸騒ぎがした。理事長の貢や校長の岩﨑と出会った時、そんな予感がしたのだ。また、やはり心の中では亮司に対する思いは消えていなかった。嗚呼、もし再会できたら思いっきり愛して欲しい…。
明日から本格的に始まるK高校での生活に、秀一はアルバムを閉じると両腕でギュッと抱きしめ、ローテーブルの上に置いた。クローゼットの引き戸のホックには、明日袖を通す背広が掛かっていた。
真夜中になり、岩﨑は巡視を終えると宿直室に戻った。さて、シャワーでも浴びるかとシャワー室のドアを開けようとした時、「あの声」が聞こえてきたのだ。彼は、
「な、何!?」
と周囲を見渡した。彼は脱ぎかけたTシャツを再び着て寮の外に出た。
「あッ、あん! あん! あん!」
何か鞭の様なもので叩く音が響く。校内で「SМプレイ」でもやってるのかしら!?と、岩﨑は恐怖感で震えながらもその声が聞こえる方向に歩いて行った。
雑木林に来た時、遠くの方に亮司が寝泊まりする「別荘」があったが、すでに日付も変わっている時間帯だったので照明は付いていなかった。それでも、
「も、もっと絞めて! 虐めて! 犯して!」
という声が響く。岩﨑の恐怖感は最高潮に達し、
「だ、誰かいるの!? 返事しなさいよ!」
と大声を上げた。しかし、何の反応もない。懐中電灯をあちこち向けてみるが、それに気付く気配もない。まさか、「おばけ」!? そう確信した途端、
「キャアァァァァァァ〜!」
と悲鳴を上げ、雑木林を跡にした。
その夜、岩﨑は布団にくるまって一睡もできなかった。
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chisasarasa · 2 months ago
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250228
今日は早く起きない、と決めていたから早く起きなかった。 のんびりしすぎて、米を炊くことも忘れてしまって、ざっと研いで、早炊き。 ほかほかを弁当につめて、ばたばたと家を出る。 昨日、友人と電話をしていた影響で、ついそのテンションで職場の研究室の人と話をしてしまう。そう、やたらと気やすく。 東京から、研究をするためだけに帯広に来た彼をとても応援したいと思ったから、とても応援している気持ちです、と伝えた。博士課程はあと3年あるらしい。
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250301
今日は最高気温が10℃をこえた。 マフラーなしでも、手袋なしでも、気持ちよく歩けた。 嬉しくて、嬉しくて、仕方がない。 アルバイトの休憩時間、外のベンチでコロネを食べる。 空が水色。雲がない。いい天気。 このまま春になってほしい。 また、雪が降るらしい。
今週は仕事が夜までだった彼と、ひさしぶりに会う。 見事なすれ違い生活を送っていた。 スーパーに行くのも、ドラッグストアに行くのも、たのしい。 頭が興奮状態でおしゃべりが止まらない。 ガチャガチャを回す。 これ以外だったらいいな、と思ったそれが出た。 犬のぬいぐるみのキーホルダー。あまり可愛くないのにずっと見ていると可愛くみえてきた。 晩ごはんは半額シールの貼られたお弁当。 途中で食べることに飽きてしまって、残りは彼に食べてもらった。
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250302
朝、少し寝坊して、顔を洗って、ぼんやり布団のへりに座る。 陽ざしがあかるい。 洗濯物がサーキュレーターの風で揺れている。 やっぱりこの土地で暮らし続けるのは私には無理だ、と思う。 閉じていたみたいな冬だった。 ここ数年、私をわたし、と書いていたけれど、最近は私になっている。
白髪が増えた。 見つけ次第抜いていたけれど、これから禿げてしまう可能性も考えると、白髪も一本の髪の毛だよな、と思い、今日は抜かなかった。 白髪のおばあちゃんになりたい。
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250303
朝、アルバイトへ向かう道は空が朝を迎える方向で、バッグミラーに映る空はまだ夜。 アルバイトをして、仕事をして、帰宅。 昨日の晩ごはんの残りの豚肉となすと玉ねぎの炒め物と、サニーレタスと少しの米を丼ぶりに盛ったら、たっぷりになって嬉しかった。 食べ終わると、そのまま横になってしまう。 疲れている。 すぐに身体がねてしまう。
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250304
朝、もう朝だな、と起きる。 ねる前に読めなかった本のページをめくる。
ふかいところで疲れていて、思考が負に回転する。 存在しているのか、していないのか、わからない、と思いながら仕事。 UVランプを交換しようとしたらうまくできず、人に助けてもらう。 余計なことばかりしている。
夜、知人とご飯を食べる。 ニョッキ。お皿いっぱいにもちもちとしていた。 いっぱいすぎて満腹になり、少しねむくなる。 知人は北海道で暮らし始めて、3年。 やっと今の暮らしの大切さを味わえるようになったと言っていた。 私はまだ落ち着けない。3年。ここで3年暮らしていたら、私も心の底からおだやかになれるのだろうか。
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250305
朝、ぼんやりとしている。 布団の上で正座のまま停止。 今日は休みで、何をしよう、と頭が考え始めたから立ち上がる。 美術館へ行く。 けっこう雪が降っていて、少し歩くだけで、雪にまみれる。 いろんな人の作品をみて、私は今、絵を描いていない、と思った。 絵に向き合う時間が少なすぎる。 もっと絵を描こう。
この間スーパーで大葉を買ったから、ささみに大葉と梅をつめて、焼いた。 薄味になってしまったけれど、おいしかった。
夜、このままだと私たち、離婚しちゃうのかな。 お互いがうなずいてしまうくらい、一緒に暮らしていることが苦しい。
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250306
朝、少し早起き。 くちびるの皮を剥いてしまう。 今日も雪が降っている。 雪のかかった町は日常から離れたしずけさで、深呼吸だ、と思う。 木が凍っている。樹氷というらしい。
夜、明日がたのしみなような気持ちでねた。
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250307
朝、日記を書こうと思って、朝、とだけ書いたところで、窓の外をみたら車が雪をかぶっていて、慌てて雪を降ろしに行く。 アルバイトに遅刻してしまうところだった。 ポテトサラダのためのじゃがいもの皮を剥き、今度は大学での仕事。 午前中に会ったときには髪の長かった人が、午後には坊主になっていた。 衝撃的過ぎて、ひさしぶりによく笑った。 いろんな人にからかわれたらしいけれど、案外似合っていた。
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shunya-wisteria · 8 months ago
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秋旅2024 - リゾートビューふるさと + 富山市内旅
秋は旅に限るよね、どこへ行こうか?そうだ富山いこう!
はじめに
どこかへ旅行したい気分、でもちゃんと考えて計画するのはめんどくさい気分。そういう時は一度行ったことのある場所の再訪が楽ちん。ということで今回は、2年ぶりに2回目の「リゾートビューふるさと」へ乗りに長野へ、そのまま終点の南小谷まで進んだ後、大糸線 糸魚川、えちごトキめき鉄道線・あいの風とやま鉄道線を乗り継ぎ富山まで行ってみました。いつも素敵なお写真が並ぶケイスケさんのブログでちょうど紹介されていた富山駅周辺にも惹かれたため。
リゾートビューふるさと 信越線・篠ノ井線・大糸線経由 長野→南小谷
リゾートビューふるさとの紹介は前回訪問時に記載しているので詳細は割愛。簡単にいうと土日を中心に運行されるリゾート快速で、長野から姨捨、松本、穂高を経て、緑(JR東日本)と青(JR西日本)の境界駅である南小谷に至るというもの。途中の姨捨と穂高では30分ほど停車し途中下車が楽しめるというもの。前回はまだ某疫病が終息しきっていないこともあり、神社参拝時の案内や車内での民謡演奏等、一部サービスは割愛されていましたが、今回はそれらも再開されていた点が大きな違いかな(あとは、指定券が300円くらい値上がりしたのと。。。)。あまり変わり映えしませんが、写真も何枚か。
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1枚目、朝一は立ち蕎麦で朝ごはん。長野駅には立ち蕎麦屋が何軒かありますが、今回はそのうち改札外 東口の榑木川にて、山菜キノコ蕎麦をいただきました。ひんやりした朝に温かい蕎麦は染みる。
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2枚目、穂高駅にリゾートビューふるさとに使用されるHB-E300のお顔。よい面構えですね。
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3枚目、車窓から楽しめる仁科三湖。訪れた日はお天気が微妙で。。。アルプスの山々は全然見えませんでしたが、仁科三湖(青木湖・中綱湖・木崎湖)は綺麗にみえました、山々の紅葉と合わせて一枚(これが何湖だったかは覚えていません。。。)。
4枚目、終点 南小谷駅周辺にて乗り換え待ち30分で散策。事前情報として認識はしていましたが、川の様子を見に行く以外は特にすることがないですねぇ、天気が良ければ遠くの山々の景色も楽しめるのかもしれませんが、あいにくの曇り空。
大糸線 南小谷→糸魚川
大糸線はこの先 JR西日本管轄の非電化エリア。輸送密度も小さく1両のディーゼル列車とローカル線の香り。列車は姫川に沿って右へ左へゆらゆらと、眠たくなりますね。
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1枚目、車窓から1枚。ガラスの反射と揺れに悩まされながらなんとか撮れたもの。ずっと川沿いを走るため大体景色はこんな感じ。
2枚目、終点 糸魚川にて1時間ほどの待ち時間。隣接するヒスイ王国館内のカフェでおやつタイム、わらび餅セット。上品なわらび餅とたっぷりの温かいお茶でほっと一息。ずっと座って列車にのっていただけでも疲れるものですね。
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3枚目、4枚目、ここまで運んでくれた列車と駅舎からの夕焼け。近年開業した新幹線の駅舎って大体同じような構造(既存の地上駅の横に背の高い新幹線駅舎を作って橋上駅舎で無理やりつなぐ形)に見え、この光景もやや見慣れたものに。
えちごトキめき鉄道 日本海ひすいライン・あいの風とやま鉄道線 糸魚川→泊→富山
ここから日本海沿いを進み富山へ。えちごトキめき鉄道とあいの風とやま鉄道の境界 市振の2つ先 泊にてえちごトキめき鉄道の車両からあいの風とやま鉄道の車両へ乗り換え。同一ホーム上に縦列駐車する2つ列車間の乗り換えという面白い体験。よく考えるとここからがこの旅の在来線で初の電車でしたね(リゾートビューふるさとはハイブリット気動車、大糸線・日本海ひすいラインはどちらも気動車)。JR西日本の近郊形車両ベースの車両は内装や音含め、何だか東海道本線の米原から先、琵琶湖線を走っている気分。
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日中であれば日本海の景色を楽しめるのかもしれませんが、時はすでに夜。真っ暗で何も見えませんでしたので、糸魚川駅での待ち時間に撮影したえちごトキめき鉄道の観光急行を。何やら撮り鉄っぽい方が何名かいらっしゃるなと思っていたら、こちらがお目当てのようでした。貴重な国鉄形の気動車は重厚感が違いますね。
富山城ライトアップ
富山駅には夜の到着。そのままホテルに直行したい気分でもあったのですが、富山城がライトアップしているとのことで重い腰をあげ。歩いても行ける距離ですが折角ならと市電に乗車。富山市内は市電が充実、かつ高頻度で運転されていて便利でした。富山駅の乗り場案内もわかりやすく好印象。
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訪れたときは世界糖尿病デーということでブルーにライトアップされていました。明りにいざなわれ城内へ、ゲームだったらこの後 ボスが出現しそうですね。。。
富岩運河環水公園
2日目は運河沿いに設けられた富山市民の憩いの公園。紅葉はじめのシーズンということもあり、紅葉と青空、それらが水面に映り込む景色が素敵でした(この日は午後から雨予報でしたが朝はご覧の通りの快晴でした)。
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ここには世界一美しいといわれている(?)スターバックスもあり、一応 こちらもからめて写真におさめてみました。アクセントにはちょうどよいかな、ちなみに朝から大混雑でした。
TOYAMAキラリ・富山市ガラス美術館
駅から市電で10分くらい、富山市ガラス美術館と図書館が入るTOYAMAキラリへ。隈研吾氏が設計した建物は、斜めに切り開かれた吹き抜け構造と、内装に木材がふんだんに使用された特徴的て面白い建物でした。広角で切り取るのが楽しすぎた。とはいえ幅広い年層の方が��らっしゃる公共施設ということで邪魔にならないように撮影はほどほどに、したつもり。
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ガラス美術館は、エミール・ガレの展覧会が開催中。折角なのでガレの作品も鑑賞してきました(こちらの作品は写真撮影・SNS投稿OKのもの)。学がないので小難しいことはわかりませんが、シンプルに綺麗だなという感想と、目に見えないものを作るITエンジニアとしては、目に見えるもの・手にできるものは長い時を経てもこうやって残されていくということにちょっと羨ましさが覚えました(戯言)。
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終わりに
ガラス美術館訪問後は軽くお昼を済ませた後、早々に新幹線にて帰京しました。お天気も崩れてきていたので。
よって、かなりコストパフォーマンスの良くない旅をしてしまった気がしますが、たまにはこういうのもよいよね。1ヶ月後くらいの朝、旅路をゆっくり振り返りながらこのエントリをまとめてみた。
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winterain66 · 5 days ago
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25-7-18
労働。終業後、岡山駅で明日の切符を買う。今年の4月から精神障碍者保健福祉手帳でも100kmを越える乗車券に限って障がい者割引が適応されるので、助かる。 買い物をして一度帰宅して、明日の神戸行きの準備。荷造りを一通り終えて、行くかどうか迷ったけれど、結果的に、ながいひるのガザ支援のイベントへ出掛ける。日記の売上を寄付していたり、藤井さんのポストカードを預かったりする以上、やはり、行ける物なら行っておかねばならないと思ったので。到着すると店内はひとで溢れかえっていて、案内されたのは唯一空いていた一番前の席。50cmの距離でにないたさんの歌を聞いて、ジャーナリストの藤原さんの話を聞く。画面の向こうの情報だけでは伝わってこない、確かに実感や様々複雑な感情をともなった語りを目の前で聞くことができてよかった、というのも変だけれど、良かったと思う。改めて、遠くの私と関係のない出来事ではないと同時に、自分に何かができる、と思う事のナルシシズムを突きつけられた��実際に足を運ぶことはできないし、その目でみてきた人の前で、「何をすればよい?」という問いそのものが無力にすぎる。せめて目をそらし続けないでいること。二十一時過ぎに一旦休憩になって、さすがに体力的に限界で、そっと店を出て帰宅をした。恋人がすでに仕事から帰っていて、私が行く先も告げずに出掛けていたのでかなり心配をかけてしまった。心苦しい。 25-7-19 夜はうまく眠れず。中途覚醒が三回ほど。六時にセットしたアラームが鳴る前にはベッドから身を起こして、身支度をする。なにか大事なものを荷物に詰め忘れているような感覚が常に背中に張り付きながら、ソファで寝ていた恋人にいってきますと告げて、六時半過ぎに最寄り駅から電車に乗る。電車の中、特に何をするでもなくただ揺られていた。姫路駅で乗り換えて、九時過ぎに神戸駅着。コンビニでおにぎりと飲み物を購入。地下鉄に乗り換え、駒ヶ林で下車。商店街を抜けて、ふたば学舎へ到着。かつて学校だった建物、と聞いて思い浮かべていたイメージとは随分違うけれど、とても素敵な建築で、それだけでなにかとても嬉しくなる。
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自分のブースのスペースに辿り着き、おにぎりで腹ごしらえをしてから設営を始める。と、詩人の四塚さんが来てくださって、恐縮しながら挨拶をする。お菓子までいただいてしまった。こういう時にお返しになるものを用意していない自分の未熟さが恥ずかしい。始まる前にあちこちを探検しようと二階に上がろうとした階段にて、岡山で小説を書いている岡村さんに遭遇して挨拶をする。そうこうしているうちに、十一時を過ぎて、イベントがはじまった。3フロアに分散しているからか、ゆったりとした雰囲気で、立ち止まって詩と写真のカードを見てくださる人も多かった。こういうイベントの時には毎回、無料配布の詩と写真のカードを用意することが自分にとっての楽しみで、今回も気合を入れて数種類のカードを印刷会社に発注していたのだけれど、その甲斐はあった、と思う。本当は自宅のプリンターでする方がこだわれるし、経費も安く済むのだけれど。製本が間に合っていなかった日記本を糸綴じしながら接客をしつつ、気合を入れて今まで作ってきた本をすべて持ってきたのは失敗だったかもしれない、とかいろいろ考える。例えば、表紙だけ見ても何の本なのかわかりにくいだろう、手に取ってみていいものかどうか、お客としては迷う所だろうし。一通り製本を終えてからは、立ち止まってくださった方には少し声を掛ける方針に切り替えて、それによって何人かの方と印象的な会話をすることができて、嬉しかった。十五時過ぎ、お腹が空いてきて、昼食をとるついでに他のフロアを周る。2階の本屋のフロアは少し人が少ない印象、3階のzineメイン会場の講堂は流石に人が多く賑わっていた。四塚さんの詩集をもとめていったside Aエリアが中々見つけられなくて、迷った末に発見。詩集「スパーク」を購入。手作りのビーズの指輪をいただいて、うれしくて早速身につけた。昼食にピザとコーヒーを持って自分のブースに戻る。食べ終わってしばらくして、となりのブースの好青年がピザ片手に戻ってきたのが何か可笑しかった。ふ��ふらになりながら、終了時間の18時をむかえ、予定表に書かれていた交流会はどこで行われるのだろうとうろうろしていると二階の見本誌コーナーで風馬書店の三谷さんに遭遇。岡山で話せば良いだろうにとも思うのだけど、地元から離れたからこそか、何故か話が弾み、普段だとなかなか踏み込めない話をできた事が嬉しく思った。主催の沖さんにもお会いできた。満身創痍な様子で少し心配にもなったが、ありがたいことだと思う。誰もいなくなったので鍵を閉められてしまった多目的室の鍵を開けてもらって荷物を救出し、ホテルへ向かう。地下鉄に乗ったところで三谷さんから長田の美味しそうなお好み焼き屋の情報が送られてきた。もう少し電車に乗るのが遅ければ食べられたのに。残念。 ホテルについて、チェックイン。禁煙の部屋をとっていたはずが、オーバーブッキングで喫煙室しかないとのこと、ごねるのも面倒で、代わりの大浴場の入場券を素直に受け取って、客室へ。浴室でシャワーを浴びた瞬間にはふわっと父親の匂いが漂っていたものの、それ以外のスペースの臭いはそれほどでも無くて助かった。夕食をどこかに食べに行くつもりにしていたものの、その気力もなく、近くのスーパーでカップ麺を購入して食べる。恋人と電話で話す。普段は日常から外に出たいと思う事が多いのだけれど、今はそのいつもの生活が恋しい。
25-7-20
8時に起床。ポストカードを無料配布している旨の案内をスマホで作成して、ネットワークプリントに登録し、コンビニのプリンターで印刷。おにぎりと飲み物と差し入れ用にグミを購入。ふたば学舎へむかう。 四塚さんと三谷さんに差し入れのグミを渡して、偶然、あまりにふらふらしている沖さんを見つけたので自分用に買ったグミを差し入れした。肩にかけていたカメラを誉めてもらった。
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二日目、昨日に比べて熱のある来場者が多いような印象。写真のポストカードや靑生さんの絵を入り口にして、詩集を手にとってくださる方も多かった。あと、何度か「フィルムで撮っているんですよね」と声をかけてもらうことがあって、不思議な質問だと思った。その度に、「古いデジカメとかトイカメラです」と返すのだけれど、それも何か質問に対する回答として求められているものと違うような気がして、あの質問の意図ってなんなのでしょう、素朴な疑問。終盤に近づいて、周囲のブースの気になっていたzineを買わせてもらう。着ていた服を誉めてもらった。今の仕事をはじめてから決まった服装をすることに窮屈さを感じていて、最近今までと違った服装を試していることもありとても嬉しかった十五時になって、名残惜しく思いながら撤収。会場を出た後で、知り合った人々に挨拶をしておけばよかったとも思ったのだけれど、もう遅い。またどこかで会えるでしょう。
地下鉄に乗り込んで、神戸駅でロッカーに荷物を置いて、三宮へ。弟の進学に伴う引越しの手伝いで5~6年に数日滞在した頃の記憶と今現実の街並みが中々一致しなくって、知っている筈の場所に出会うまで少しの時間がかかったけれど、北野坂へ通じる道の角に位置するドトールとなか卯をみつけて、なんだか懐かしくなる。空腹だったので、なか卯で冷やしうどんをいただいてから、三宮センター街へ向かう。学生の頃に神戸に来るといつも辿っていた三宮から元町の古本屋巡りをしようと思って。あかつき書房、木目が印象的な看板も、何も変わらない佇まい。ステンドグラスなどを懐かしく思いながらアーケードを進み、記憶を頼りにセンタープラザの2階へ上がったところ、あったはずの古本屋は跡形もなく、ガチャガチャとアニメのショップになってしまっていた。少し寂しく思いながら、向かいのビルの5階のブックオフを冷かして、元町へむけて歩き出す。街並み、変わってしまっている所も多いのだろうけれど、私の記憶もだいぶおぼろげになってしまっていて、かえって懐かしい所ばかりが目につく。
商店街から少し離れて、今度はグーグルマップを頼りに1003へ。ビルの入り口の地面に1003と書かれたちいさな看板を見つけて、ああ、そうだ、こんな風だった、と思いながら階段を上がって、5階のドアを開くとあの時の空間がそのままに広くなったような店内。すさまじい数のリトルプレスやzineに圧倒されつつ、知っている作家の名前をみつけては嬉しくなった。本を買った後に店番の方と話していると、センタープラザ2階にあった古本屋は元町の商店街に移転しているらしいと教えてもらう。
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南京町を抜けて、途中、うみねこ堂書林の前を通ったがシャッターが下りていた。元町商店街に戻って、しばらく進むと、見覚えのある看板。清泉堂書店に辿り着く。学生の頃、「リルケ美術書簡」やロラン・バルトの書籍をみつけて嬉しくなって買いすぎてしまった記憶がよみがえる。気になる本を買って、満足したところで店を出たところ、店頭のワゴンによさげな「レ・ミゼラブル」をみつけてしまって、再びレジへ。
買った本で重たくなった両手をぶら下げて、商店街から少し外れて、小さな路地で「花森書林」を発見。こちらも「トンカ書店」だった頃に行こうとしたけれど、たしか当時はお休みされていた時期で叶わず、岡山でお世話になっているながいひるの店主の日記を通じてその後の経緯も聞いて、ようやく訪れることが出来たという思い。閉店時間の間際にお邪魔させてもらったので、ゆっくりとお店をみる事は叶わなかったのだけれど、なんだか懐かしい空間だった。今度はこの為だけに神戸に来たい、来ようという気持ちで、JR元町駅へ向かう。
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神戸駅で荷物を回収して、恋人へのお土産を買って帰りの電車で揺られながら、ふたばzineフェス主催の方の投稿を拝見する。SNS上でオープンになっているやり取りや現場の空気から私自身嫌な感じを薄々感じてはいたのだけれど、やはり色々とあった様子で、そういった事を表に出さないほうが賢明なのかもしれないけれど、それがもれでてしまうことは嫌じゃないなと思った。それはイベント中体感していた“場所と時間は用意した、ここをどう使うかはそれぞれにゆだねます”といった精神に通じるような気持ちよさで会ったのかもしれない。(こんなふうに適当に書けるのは外側の人間だからだろうけど)二十三時過ぎに家に到着。インスタント麺と冷凍食品で夕食を取って、シャワーを浴びて服薬、就寝。泥のように眠る。
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shihlun · 4 months ago
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風景的螢幕實踐 第4回 若松孝二與Chantal Akerman的密室=風景論
風景的螢幕實踐 佐佐木友輔
映像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔,以電影、攝影、美術、動畫中的「風景」與承載其影像的「螢幕」為主軸,自由橫跨各種作品進行討論的連載系列。本連載以1970年前後曾引發激辯的「風景論」為起點,嘗試進行當代更新。在第四回中,將聚焦於以「密室」作為舞台的兩部電影──導演若松孝二的《胎兒在密獵時》與導演Chantal Akerman的《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》。一方是粉紅電影的大師,一方則是聚焦女性日常生活的藝術家……這兩人之間,關於「密室」的觀點,究竟有何共通與差異之處?
松田政男〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉(1969)
人們聽到「風景」這個詞時,腦中浮現的往往是山川河海或城市街景等戶外場景。但若將「風景」定義為:透過將場所經驗物化為「值得觀看之物」的過程中所產生的產物,那麼建築物的內部空間也就能成為風景。事實上,曾引領風景論爭的松田政男,在其重要論文〈作為風景的性──若松孝二與密室的烏托邦〉中,就將「密室」與「風景」這兩個關鍵詞結合起來,深入分析若松孝二的電影。
在本文中,筆者將從松田的密室=風景觀點出發,重新解讀若松電影,並假設Chantal Akerman的電影也可視為某種密室電影,進而進行比較與分析。
以粉紅電影大師之名聞名的若松孝二,與足立正生等人共同持續創作充滿性與暴力的作品,堅持反權威立場,並在國內外引發眾多爭議。1965年,其作品《壁中秘事》在第15屆柏林影展上映時,甚至遭到觀眾辱罵,在日本國內也被稱為「國恥電影」,飽受批評。但這些聳動風評與實際觀看若松作品時的印象,卻存在落差。實際上,他的電影中幾乎看不到刻意煽情的情色描寫,反而多是令人沮喪壓抑的性愛與暴力,經常在封閉的密室中展開。
松田引用矢島翠的話說:「只要有一間房、一個男人、一個女人、一張床,粉紅電影便能成立。」並據此將若松的電影定位為「密室的劇場」。當時,若松電影的主要觀眾群是年輕男性。他們並非如電影中人物般性解放者,而是閉門在自己房間苦讀至深夜,靠著廣播中女性播音員的聲音自慰──這樣一群擁有「被隔離的認真」特質的青年。對這樣的觀眾來說,若松電影並非為了釋放被壓抑的性衝動而存在,反而更像是「應被持續反覆思索的對象」,即是一面讓人凝視自身慾望的鏡子。
在這裡,松田將幾個密室結構性地重疊──電影院作為密室、若松電影中描繪的密室、觀眾所處的自家密室,以及他們的內心世界這座密室。
若松孝二《胎兒密獵時》(1966)──思辨的、概念化的密室
換句話說,若松電影中的密室,不僅是攝影機所進入、實際進行拍攝的物理空間,同時也是為了「反覆思索」而被建構出的、帶有高度思辨性與抽象性的概念空間。例如,足立正生擔任編劇、若松執導的《胎兒密獵時》(1966)所發生的場景,是一間為拍攝而被塗成全白的「白盒子」密室。主角丸木戶定男(由山谷初男飾演)不只是具有自身背景與故事的角色,他也承載了「施虐性」這一抽象概念。與他同住密室中的江守由香(志摩美波飾)則被設定為與定男前妻長得一模一樣。也就是說,這部作品中不僅是密室本身,連其內部的人物都經過「漂白」,喪失原本的個體性,轉而成為年輕男性觀眾內心投射的「螢幕」。
建築學家原廣司曾將近代社會主導的空間概念命名為「均質空間」。這類空間排除了自然環境、地域特性、文化意涵與宗教性,因其具備完全一致的屬性,因此可作為任何用途的「空白空間」。而《胎兒密獵時》中的密室,正是透過全白塗裝而構築出的均質空間。再加上如水波般閃爍的光照打在這空白空間上,進一步為其賦予了新的意義。這樣的密室,成為懷抱「反出生主義」思想的定男,投射其「回歸母胎願望」的場所。他對自己被生下此世感到怨恨,否定「家庭」這種再生產體系,卻又在這「母胎的烏托邦」中化身暴君,一次又一次地鞭打著被囚禁的由香。
密室的螢幕之上,映照出對家父長制與「母親」這一存在的扭曲慾望。
在〈作為風景的性〉中,松田分析了《壁中秘事》、《胎兒密獵時》,以及由若松企劃製作的《New Jack & Betty》(沖島勳,1969)中的密室。他指出:像是否定生育、肯定亂交等反權力與反家父長制的行動,只能在如此具有思辨性與母胎性的密室中實現。同時也指出,欲突破此種母胎烏托邦所面臨的「終末觀的缺失」──即無具體戰略去改變現況的無力感。總的來說,若松與沖島所描繪的密室,正是1970年前後那群年輕男性觀眾的閉塞感與退行慾望的映照,並藉由這些密室,促使觀眾省思自身處境,探索變革的可能性。
風景的對立語/同義語作為密室
接著,松田提到了若松孝二當時的最新作《二度處女GO GO GO》(1969)。他指出,在該片中,被封鎖出口的公寓屋頂成為廣義上的「密室」。四周所圍繞的不是住宅的牆壁,而是透過鐵網望去的藍天、東京鐵塔與高樓大廈等城市風景。松田從這些看似普通的風景中,看見了包圍我們、並與我們對立的國家權力的運作。
「若是國家權力,它會大膽切斷風景──例如直接貫通東名高速公路。我們享受暢快駕駛的那一刻,正是風景將我們緊緊束縛、〈權力〉將我們全面擄獲的時刻。」
在這個脈絡下,「密室」一詞獲得了對風景的雙重意涵。一方面,密室被看作是對抗作為國家權力的風景的私人領域──是個人內心與性慾的領域。然而另一方面,它也成為在四面被權力風景圍困、無處可逃的絕境象徵。根據文脈不同,密室既可以是風景的對立語,也可以是其同義語。
如果說躲進「母胎的烏托邦」中能暫時保身,那麼人終究無法永遠安於其中。總有一天,必須親手「粉碎那溫暖母胎的烏托邦」或「炸毀密室的牆壁」。當松田這麼說時,「密室」就已經被明確地視作「風景」的另一種表達。而他將真正試圖破壞密室牆壁的行動者,指向了連續槍擊殺人犯──永山則夫。
永山在東京、京都、函館與名古屋四地犯下四起殺人案。他的動機並非單純源自個人怨恨或家庭環境,松田反而認為,他是為了劃破那覆蓋全國、到處均質的風景=權力而扣下扳機……透過這種寫法,松田企圖將原本只能以「情境」或「密室」等抽象詞彙描述的概念,具體化為「風景」這一可視形象,從而更清楚描繪出應當對抗的敵人。
然而,在現實中,永山的子彈尚未撕裂風景,就已奪去了兩名保全與兩名計程車司機的性命。他的反抗行動最終以五名勞動者的死亡作結,包括被判死刑的永山自己──成了悲劇的終局。
同樣地,松田指出,在若松電影中與男性觀眾一同苦悶的主角們,也只能藉由選擇悲劇性的結局來逃離密室=風景。例如,在《胎兒密獵時》中,定男被奪走了原本用來虐待由香的刀子,接著被由香反過來刺殺致死。
這名出於自保而犯下殺人行為的由香,在密室中與定男建立起一種扭曲的共犯關係。她既拒絕被當作理想的「妻子」或「母親」,也試圖逃出這個作為母胎烏托邦的密室。然而,另一方面,也正因為由香的反叛與她撕裂密室=風景的行動,松田=若松試圖傳達的權力批判計畫得以完成,定男也在被殺死的同時獲得某種解放。
這個原本應該只是「被反覆思索之物」的思辨性、概念性的密室,實際上並非只有思考主體可以主導的自律空間。無論是在維持密室的階段,還是要破壞它的瞬間,「女性」這個他者總會被召喚而來,被迫同時扮演忍受暴力與施加暴力的角色。*
Chantal Akerman《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)──呈現「另一種觀看方式」
距〈作為風景的性〉發表約五年後,在比利時,Chantal Akerman完成了《Jeanne Dielman, 23 quai du Commerce, 1080 Bruxelles》(1975)。這部電影將攝影機帶進Jeanne Dielman(由Delphine Seyrig飾)與她的獨子同住的公寓中,觀察她的日常生活。正如本文開頭所提,這部作品同樣可被視為一種「密室電影」。
兩位導演對密室的處理,乍看之下截然相反。定男所打造的是一個將牆壁漆成白色���冷峻極簡的無機密室;而Dielman的房間則充滿了各種物品。僅在廚房一隅,就排列著食材、調味料、碗盤、圍裙、抹布、手巾、洗劑、刷具等家務用具。Dielman實際使用這些工具進行烹飪與清理。Akerman使用固定攝影機與長鏡頭,耐心地記錄她沉默而專注地重複著每日家務的模樣。相較於若松孝二透過思辨與抽象的密室,描繪作為應被思索對象的「性」與「暴力」,Akerman所描繪的家務,是一連串具體的動作與身體行為的累積。
電影理論家Teresa de Lauretis讚揚《Jeanne Dielman》提出了一種「不同的觀看方式」。早在當時,已經有不少理論試圖批判傳統男性中心的電影美學,或探索屬於女性的美學,但如果所依賴的理論本身仍是由男性所建構,那麼就難以真正脫離男性主導的世界。de Lauretis主張,與其沿用既有理論去正反辯證,不如從根本重新審視:「那些長久以來被認為不具美感價值的事物,是否真的就不具美感?」例如,《Jeanne Dielman》中的女性日常行為──煮飯、洗碗、打掃──在傳統以接吻或爆破為價值中心的電影中,根本被視為無足輕重的瑣碎日常,甚至長期被從銀幕中排除。但Akerman透過改變觀看視角,使這些原本「未及於美」的行為成為應被觀看、被重視的風景。她並未順從男性美學的語言進行否定或肯定,而是展現出「美」可以存在多種可能。
Jeanne Dielman與丸木戶定男
不過,《Jeanne Dielman》與《胎兒密獵時》之間,以及作為密室主體的Dielman與定男之間,並非僅存在對比,也存在數個重要的共通點。
Jeanne Dielman每日按部就班地執行例行公事,而這些日程中也包含了賣淫。第二天的下午,她如往常般接待客人,但從這裡開始,生活節奏開始出現失衡:客人逗留過久,使她不得不丟棄煮到一半的馬鈴薯;泡咖啡也泡不好;逛遍多家店也找不到想買的鈕扣;甚至平時常坐的咖啡館座位也被人搶先佔走……隔天,她用剪刀刺死當天的客人,滿手與滿身是血地癱坐在餐桌前,陷入恍惚。
電影中並未明確說明這起殺人事件的動機,但從她日常節奏逐步崩潰至最終衝動殺人的過程卻描繪得極為細緻,展現出異常的說服力。回頭看來,Dielman對秩序的堅持有些過頭──她總是極度在意既定順序與物品擺放位置。雖然目的與手段不同,但她與定男同樣是試圖建構一個排除不可控制他者的密室,並將自己封閉其中。
Dielman的「例行公事」不僅限於家務,也包含賣淫與外出行程。無論是洋裁店還是咖啡館,她總試圖消除所有偶發因素,並期待自己與他人都能維持一貫的行為模式──就如同松田政男對《二度處女GO GO GO》中的主角所指出的,她將私人的密室延伸到了戶外風景中。然而這樣的嘗試,最終被客人的意外行為打破,她也因此陷入必須「屈服於變化」或「排除他者」的二元選擇。Dielman與定男一樣,最終也走上了透過對他者施加暴力,來維持密室並走向自我毀滅的道路。
與都市節奏連結的密室
我們已經知道,在若松電影中,密室既可視為風景的對立語,也可為其同義語。而這一點,也可用於理解《Jeanne Dielman》。該片可被解讀為一部風景論電影,描繪資本主義與國家權力所建構的「均質風景」中人們無法逃脫的處境。
Jeanne Dielman的公寓到了夜晚,會被窗外光線照亮──那可能是霓虹燈、汽車車燈或其他無法明確分辨的燈光。不同於《胎兒密獵時》中水面般柔和的光影,Dielman屋內所接收到的光線節奏規律卻令人不安──近乎痙攣,喚起一種生理上的焦躁感。它彷彿象徵著Dielman的神經質與過度拘謹,但更像是來自外部世界的一種強迫訊息,促使她不得不那樣行動。
這種節奏,也可以被歸入電影史上一個視覺化都市節奏與人體機械化的譜系之中──像是《The Electric House》(Buster Keaton, 1922)、《Ballet Mécanique》(Fernand Léger, 1924)、《Modern Times》(Charlie Chaplin, 1936)等作品。在這些作品中,工業化社會的節奏滲入了人的身體。而Dielman所處的密室,也同樣成為了資本主義下無盡的生產與再生產鏈的一部分。她透過堅持日常規律來維持現狀、賦予其價值,進一步合理化變革的「不可能」。此外,她也順從市場邏輯,不得不販售自己的性來維繫生活。若定男是靠與他者的扭曲共犯關係來維持密室,那麼Dielman則是靠自我壓抑與勞動,努力維繫密室的秩序──但她依舊無法完全阻擋外界的侵入。
Chantal Akerman《Saute Ma Ville》(1968)與「密室=風景」的掙扎
Akerman在《Jeanne Dielman》中,一方面以深情凝視女性日常動作,另一方面卻也清楚意識到:這些活動隨時都可能被風景=權力吞噬與操控。這種自覺,也強烈體現在全片無可逃離的壓迫感與悲劇結局中。即便殺了一個男人,這一刀仍無法劃破風景;她與兒子的明日,只會更加艱難。這點與懷抱革命幻想、迎向死亡、對共犯由香之未來漠不關心的定男,形成決定性的差異。
回顧 Akerman 的首部短片《Saute Ma Ville》(1968),她親自飾演主角,完成家務與晚餐後,在鏡子上以美容霜寫下「Ça suffit!(到此為止!)」,接著點燃瓦斯,引爆整個房間。影片中對日常細節的描繪、自選悲劇性結局、手持鏡頭的拍攝與僅以聲音表現爆炸──都與若松電影互為呼應。不同的是,此作明確將殺意對準「城市」本身,正如其法文標題「Saute Ma Ville(炸毀我的城市)」。這正與松田政男風景論的「風景=權力結構」觀形成強烈共振。
從《Saute Ma Ville》到《Jeanne Dielman》的過程中,我們可以看到Akerman對「密室=風景」之不可切割性的絕望,以及儘管如此仍試圖開一條裂縫的苦苦掙扎。從歷史上來看,被囚禁於「密室=風景」中的主要受害者,多半是女性,是家庭主婦。從1970年代中期起,「風景論」的主題,也開始融入家庭劇與情感劇,轉化為對「主婦的一日」的各種變奏與再現。
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*補充說明:值得注意的是,在2000年代至2010年代間興起的所謂「零年代批評」(ゼロ年代批評)語境中,也反覆出現與「作為母胎烏托邦的密室=風景論」同構的論述。代表性論者如東浩紀在其著作《遊戲性寫實主義的誕生》(講談社現代新書,2007年,頁321)中為《Kanon》(1999)、《AIR》(2000)等美少女(色情)遊戲辯護,指出這些作品蘊含一方面展現父權主義男子氣概、另方面又對此抱持嫌惡與反省的雙重結構。
對此,宇野常寛在其著作《ゼロ年代の想像力》(早川書房,2008年,頁204)提出反駁,認為東所謂的「自我反省」實際上未發揮反省功能,而只是鞏固並延續男性佔有女性的欲望的表演形式。此外,宇野也追溯了男性御宅文化的源流至漫畫家高橋留美子,批判其所創造出的「如箱庭般的世界裡,被美少女角色包圍,過著樂園般重複日常生活的結構」,���之為「母性ディストピア(母性反烏托邦)」(頁211)。
再如評論者てらまっと(Teramatto)於文章〈どんでん返しのヘテロトピア──『じょしらく』と震災後の日常〉(《週末批評》,2022年5月21日)中指出,動畫《じょしらく》(2012)描繪的五位美少女落語家的「樂屋」,看似與外界隔絕的烏托邦,但實則是社會性與政治性不斷滲透其中的怪異空間──他稱之為「滿是漏洞的樂屋」。這種對「密室」與「風景」模糊邊界的描寫方式,正可視為動畫領域中的密室=風景論,其與松田政男在若松電影中對密室既為風景的對立詞又為其同義詞的論述形成對應關係。
從這個角度來看,如何釐清1970年代初期的風景論爭與2000年代「零年代批評」之間的異同,無疑也是未來值得深入探討的重要課題之一。
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yu-en · 10 months ago
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2024.09.28
10月に地元で会う約束をしているYから、彼女の好きな小説家のサイン本を買ってきてほしいと頼まれた。それで、今日の昼から池袋の本屋を回ったけれど、どの店でもとうに売り切れているようだった。時間を持て余して、大学図書館へ向かう。
大学時代の同級生と数年に一度出している同人誌の次号を、今年の12月に発刊することになった。私はもう短歌をやりたくなく、短歌以外に何を出せばいいのかも分からない。そのまま同人誌用には何も書かないで過ごしていたのだけれど、主宰が面白がったので、数日前に書いた自室の記録を加筆修正して寄稿することにした。卒業生カードで入館し、しばらく文章を直していた。こども園で働くFさんを幼稚園教諭と呼ぶことが正しいか分からず、「あなたの職業って何て書くのが正しい?」とメッセージを送る。正式には保育教諭というのだと教えてくれた後「カリスマ保育教諭とか?」とおどけた台詞を付け足すのがFさんらしかった。
ペンを持つ右手が疲れてからは散歩に出かけた。好きな本屋を経由して、自由学園明日館へ行った。正面入口に着くと「“本日は結婚式で貸し切りのため外観のみの見学”ですって、あらあ、おめでとうございます」と看板を読み上げている人がいた。その声色に少しの落胆も滲んでいないことが良かった。芝生や窓を眺めて、売店でポストカードを1枚買った。
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明日館を出てから、Hと落ち合うまでを東京��術劇場で過ごした。その場所で長い時間を過ごすのは、大学の入学式以来だった。地下1階から最上階までを目的もなく往復して、何枚か写真を撮った。最近はカメラを持つのが楽しくて、写真を撮っては投稿している。その頻度を自覚すると、自分の饒舌さに嫌気が差してくるので、記録しておきたい写真を一度に残すためにこれを書いている。この投稿は写真まみれです。
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芸劇の椅子に座っていると、目の前のエスカレーターで降りてくるHと目が合い、手を振る。外では何かの���祭が開かれていて、その賑やかさから逃げるように東へ向かった。目的地とした喫茶店が閉まっているのを確認し、散歩に切り替える。テーブルと椅子を外に出しているミニストップを見つけ、カフェオレを買ってそこに腰かけた。テーブルを指差しながら「いい店知ってるんだよね」と自慢げに話すと「ダセ~」と笑われた。京都のお土産を渡した。Hと一緒に暮らすWさんの分も含めて、少し量の多いお香にした。
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今日は曇り空で、街全体が白く見える日だった。電線や工事現場の壁が落書きのように浮いていた。途中、ワインの空き瓶を入口に並べている店があり、「テイクフリーかな」とふざけると「喧嘩用じゃない?」と返される。酒瓶を持って殴り合うジェスチャーをする。
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都電荒川線の駅に行き着き、降りる駅も決めずに乗車する。「電車というよりは線路を移動するバスと呼ぶほうが近いね」と話しながら、googleマップ上で路線をなぞる。飛鳥山公園という場所に城のような山型遊具があることを知り、そこを目的地とした。
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飛鳥山公園は、とても良い公園だった。目的としていた城は、遊具と呼ぶには気が引けるほど大きかった。かつて実際に走っていたらしいSLや子供用の船、頭を垂れた幾種もの動物たち、遊びきれないほどの遊具があった。すべり台よりも象が主体になっている遊具を見て、三崎亜記の『象さんすべり台のある街』という短編を思い出した。城の中で遊びたかったけれど、子供やその親たちが楽しそうにしているのを邪魔したくなく、また違う時間帯の様子を見たかったこともあって、「夜にまた来ましょう」と決めて公園を出た。
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喫茶店で一杯ずつ酒を飲み、Hの喫煙のために王子駅まで歩く。Hが「めっちゃ良い公園だったな」と呟くので「過去形にしないで」と返すと、「めっちゃ良い公園であり続けるだろうな」と訂正してくれる。それがツボに入り、しばらく笑っていた。私と同じくHもこの街が気に入ったらしく、「ここは住み良いのかな」と引越しまで検討しているようだった。
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日の暮れたころに公園へ戻ると、昼にいた子供たちは姿を消していて、代わりに大学生くらいの年頃の集団が点在していた。うち1つのグループが手持ち花火をしていて、遠くからその火を眺めていた。城の中へも入って、物見へ立ってみたり、すべり台で遊んでみたりした。ずっと楽しかった。もう営業終了していたけれど、小さなモノレールの駅もあった。“飛鳥山山頂駅”と看板の出ているのを見つけて、「下は“麓駅”なのかな」とHが言うのを確かめに行くと、“公園入口駅”と掲げられていた。冬にも来たいね、早朝も良いだろうね、ここで花見をしたら楽しいだろうね、と話をした。どの季節のどの時間にも、自分たちの楽しそうにしている様子が想像できた。
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Hと別れて部屋に戻り、撮った写真を眺めていた。動物たちの写真を見て、新しい部屋でここへ来たいと思う。皆それぞれ好きな動物がいて、その動物たちと彼らとが近くにいるのを見たかった。「いつかみんなで行きたいです」とメッセージを書きながら、象は何頭かいたけれど、イルカはいなかったことを思い出す。オットセイはいた。城の写真も併せて送ると、Rさんから「籠城したい」と返信があり、それがRさんらしくて好きだった。
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kensasuke23 · 1 year ago
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今日から夏休み。帰省します。昨夜は仕事が終わってすぐに出発。東北道長者原SA下りで車中泊。朝飯は牛タン定食でした。
今回は秋田道を横手で降りて、大仙市から国道105号を北上するというルート。あまり通ったことがありません。
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途中、阿仁の異人館と伝承館を見学。こんな山深いところに明治の頃から本格的な洋館があったとは、なんとも異様です。
銅山開発の技術指導に雇われた外国人の官舎だそうです。
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お昼は北秋田市のレストパークしらかみで辛味噌ラーメン。ホルモンの名店とうたっているお店。ホルモンが入ってました。美味かった。
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最後は伊勢堂岱遺跡を見学しました。よく見ると、もっと注目されていい資料がありますね。
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centuryrecords · 2 months ago
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このままオフィスで一生を終えるなんて、と新卒入社した会社をエスケープして二年。
この風来坊生活ももうすぐ最後を迎えようとしている。
北から南まで、長い一人旅は(良くも悪くも)夢のような日々だった。縁もゆかりもない土地で暮らすには果てしない自由と恐れが伴う。
次の場所でもやっていけるだろうか、そんな心配はいつも杞憂に過ぎなかった。
話しかけてもらえて嬉しかったから、今度はこちらから声をかけてみる。相手のいいところを見つけたら、熱が冷めないうちに素敵ですねと伝えてみる。何度かすれ違いながらも、ふと視線がぴったり合う。年齢も性別も、国籍も趣味もこえて、心の通った瞬間があった。
同時に見つけた流れ星
荒波のスワンボート
いつまでも答えの出ない会話
月ごとのプレイリスト
交換した文庫本
通り雨に打たれた帰り道
途中下車同好会
おそろいのキーホルダー
海を見ていた夜明け
母国語の挨拶
何でもない日のパーティー
打ち明けあった秘密
寄り道ばかりのドライブ
なぜか知っている古い歌
・・・
私はいつしか誰かの娘に、孫に、姉に、妹に、そして友達になっていた。
見送られる側はいくら繰り返しても慣れないけれど、親しくなればなるほど別れ際はあっさりしていた。覚えたての誕生日、事故や災害のニュースが流れてきたとき、思い浮かぶ顔が一人、また一人と増えていく。紛れもない事実が私をほんの少し強くしてくれた。
生きているうちに会える回数は限られている、と当たり前のことを思う。貰ったものは数えきれず、もうとっくに両手から溢れている。返しきれなかった分はこれから出会う誰かに差し出せる人間でありたい。
きっとすべてが必然で、学びの旅の途中にいる。こんな時代のこんな世界で見つけてくれてありがとうございました。
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kyoto4 · 1 year ago
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『 貨物列車で行こう!』長田 昭二 緒 (文藝春秋)
わたしも乗りたい。
第一章 ついに貨物列車に乗る! 貨物線を歩く/乗れないから乗りたい――そこにロマンがある/人知れず日本の物流を支える駅/極限までのスリム化/「拳一つ分」の隙間/動力車の拠点「機関区」/ついに貨物列車に乗る!/突然の鉄道無線/いよいよ「貨物専用線」に進入/東京で貨物列車を見ない理由 第二章 ルポ・東京貨物ターミナル 鉄道貨物の全容を見るべく「東京タ」へ/貨物列車に乗って貨物駅に向かう/「新鶴見信号場」とは/梯子段を上る「垂直乗車」/「ブレーキ、ゆるめーゆるめー!」/心躍る〝短絡線〟/「いよいよ来たか……」貨物列車は地下へ/羽田空港の下を通る点線=東京港トンネルへの憧れ/昭和で見た夢が令和に実現/添乗区間が延長した!/「東京タ」の構内をほぼ二往復/輸送量は毎年約一〇三%の伸び/高まる大型コンテナのニーズ/変わりゆく物流の仕組み/日本最大の貨物駅にある「中央研修センター」に潜入/異常生時の対応を学ぶシミュレーター/ここに座った以上は定時運行遂行の義務がある/「輸送指令」は〝二度呼び〟が基本/懐中電灯一つで長大な列車を点検 第三章 経営再建と未来の貨物輸送――JR貨物トップインタビュー 「変えるをよし」の企業風土が自信をもたらした/さらなる被害が予想される南海トラフ地震への対策/経営が厳しいJR旅客会社が増えた現状/貨物輸送の新提案・新幹線による鉄道輸送は?/総合的な輸送体系「モーダルコンビネーション」という概念/「安全」のための人材確保と労働環境の整備が不可欠/あらゆる物流の集積地点「東京レールゲートWEST」/銀行員、ハウステンボス……様々な経験から生まれた経営軸/「企業として安全はすべての基盤である」/原風景は「貨物列車のある情景」/「ベテランから若手へ」鉄道を支える、技術を受け継ぐ仕組み/運転士によるリレー方式――確立された輸送体系が強み/鉄道貨物が抱える問題をテクノロジーで解決できるか/従来の設備を有効活用「積替ステーション」/「空荷」を解消した「ビール列車」 第四章 広島車両所探訪記 重要拠点・広島/迂回運転を実現した「匠の技」/歴史を刻む広島車両所/「日本一」の車両所/全般検査と重要部検査奈々枝歴史ゆえの「使いにくさ」/「走って磨かれて輝く」車輪/時に親子、時に兄弟/機関車にはトイレがない/憧れの〝車掌車〟の現実/ベテランから若手へ「技の伝承」/車両所は「大きな家族」 第五章 「セノハチ」貨物列車添乗ルポ――広島貨物ターミナル駅‐西条駅 フィーダー輸送の拠点/数字に出てこない忙しさ/日本一のフォークリフトドライバー/営業面の司令塔/もし列車が遅れたら……信号扱い所の修羅場/〝途中下車〟できない貨物は……/鉄道マンにとっての〝難所〟はマニアにとっての〝名所〟/九州と首都圏を結ぶ物流の大動脈/居住性に優れた運転室/無線の通信に沸き上がる感動/普段乗れない貨物線を走行/本格的な上り坂へ――補機本来の業務開始/上り線には架線が二本/「ノッチオフお願いします。どうぞ」/登りきって連結を外す/「ポウッ!」遠ざかる本務機/待ち時間も切らさない集中力/「発車!」「進行!」一人ぽっちで走り始める/視界も広く、軽快に走る/帰りのほうが忙しい/シカ、イノシシ……夜に遭遇する動物たち/登りと同じ十三分で「瀬野八」を下り終える/列車は貨物専用線へ。時速八十キロで快走/廃車を待つ〝もみじ色〟の機関車/物流を支えるプロの技と知恵 第六章 「文藝春秋」を北に追え!――青函トンネル貨物列車添乗ルポ 大きなミッションを持って貨物列車に乗り込む/「文藝春秋」十月号の積み込みを見学/貨物の積み下ろしや旅客の乗降は行わない「青森信号所」へ/貨物列車でなければ通れない区間に感じるロマン/中村さんが席を譲ってくれた理由が判明/トンボが乱舞する田園地帯を疾走/青函トンネル五十三キロを貨物列車はひた走る/世界第四位、長大トンネルの入口/しばらくすると飽きてくる……運転士の眠気対策は/地上に出たと思ったら次々とトンネルが……/津軽海峡と函館山を望む〝絶景路線〟/急に無数の線路と並走するようになり……/三〇五九列車は定刻より二分遅れで到着/「北斗9号」で三〇五九列車を追跡/コンテナ貨物取扱量全国二位の「札幌タ」/十七時間五十分の鉄路の旅/「盛りだくさん」にもほどがある一日の終わり/一日半ぶりの対面/「イクラ丼」か「混載丼」か/「あとがき」に代えて
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yutakayagai · 1 year ago
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七月になり、ようやく広樹のギブスが取れ、サポーターだけになった。通学は自転車に戻り、時折ラガーシャツにも袖を通した。
一方、克也は広樹が辞めないで済んだことに胸を撫で下ろしたが、未だ自分自身の気持ちを言えずにいた。浩志からは、
「いつまでもウジウジしてンじゃねぇよ! チ◯ポ付いてるンだろ!?」
と一喝されていたが、男同士が好きになることに対して罪責感があった。未だ、同性愛が世間的にタブーとされていた時代である。浩志が大学生だった昭和三十年代の後半と比べると、五十年代の前半は女装したり女言葉を使ったりする芸能人も多く活躍したが、やはり偏見はあった。
夏休みになり、秋の試合に向けて練習にも力が入った。浩志も普段はポロシャツとジャージーと言う格好だったが、時折ラガーシャツとラグビーショーツでグランドに現れた。そんな姿に漫画研究会の利江子たちは、
「あれぇ〜? ヒロシったらラガーマンになってるぅ!」
「きゃッ! なんで、あんなにラグパン短いの!?」
「いゃァ〜ん、何か誘ってない?」
「ラグパンって、パンツ穿かないンでしょ!? エッチぃ〜!」
と、相変わらず盛り上がっていた。そんな彼女たちに浩志は、
「鶴田ッ! 一応、穿いてるぞ!」
とラグパンの裾をチラッと上げてみせた。何故、アタシの名前を知ってるのとびっくりしながら、
「ヒロシ、このスケベっ!」
と笑い転げた。他の同級生は黄色い声を上げていた。
休憩時間になり、広樹は予め作っておいた麦茶の入ったやかんを二つ、ベンチのある日陰に置き、部員に声をかけた。皆、待ってましたと言わんばかりに詰め寄って来て、麦茶の注がれたプラスチックのコップを手に取った。浩志も蛇口の水を頭から浴び、
「このまま昼飯にするぞ」
と、眼鏡を片手に持ちながら首に掛けたタオルで頭を拭き、彼は校舎に戻って行った。
その間、日陰で弁当を食べたり芝生に横になったりと、それぞれ休んでいた。克也もケヤキの幹に寄りかかった。視界には空になったやかんや、プラスチックのコップを片付ける広樹の姿があった。なかなか告白できずにいる克也は、
『今なら言えそうな気がする』
と立ち上がった。そっと近づき、広樹の手を取った。
「加藤先輩…?」
「ちょっと来て」
そう言われるがまま、広樹は克也に手を引っ張られた。連れて行かれたのは部室だった。窓を全開にしていたが殆んど風が入らず、蒸し暑かった。十二畳はあるかないかの室内で、克也は広樹と見つめ合った。両手を握りしめ、
「額田君、好きだ」
と克也は唇を奪った。身体を密着させ、広樹の背部に両腕を回し、愛撫した。広樹は嫌がることなく、奪われた唇が克也のものと一体になる様な感覚を得た。
ラグパンの中で股間が隆起していくの互いに感じながら、二人はブリーフ越しに恥部を弄った。内腿から汗が垂れ、次第に濡れていった。克也はこれまで抑えてきた感情を露にしながら喘ぎ、広樹のラグパンを脱がせた。
「あぁん、はァ、ああん…」
鼻息を粗くさせながら、二人はブリーフを膝まで下げ、肉棒の裏側を合わせながらしごいた。
「あッ、あん、ああん…」
先走り汁で手指を汚しながら、克也は広樹のラガーシャツを胸元までたくし上げ、乳房を咥えた。
「イ、イキそう…」
「オ、オレも…」
オルガズムは二人一緒に達した。ドクッ、ドクッと粘度が強い乳白色の愛液を流し合い、克也は広樹の唇を求めた。広樹も舌を絡ませ、二人は暑さも忘れて愛し合った。
練習を終え、体育館に併設されたシャワーを浴びた部員はそれぞれ、制服に着替えて帰って行った。浩志もワイシャツとスラックスに着替え、職員室の扇風機で涼んでいた。嗚呼、今日は飲みにでも行こうかなァ…。そう思っていると、
「…先生」
と克也が訪れた。浩志は、
「何だ、帰ってなかったの?」
と気だるそうな声で聞いた。克也は言った。
「オレ、額田君に告白しました」
「へぇ〜、良かったね。…で?」
「…そのままエッチしちゃった」
「へぇ〜、良かったね」
何も考えずにこう言ったが、否、「エッチしちゃった」って、何が? ようやくコトの真意に気付いた浩志は、
「ハァァァァァァ〜!?」
と上半身を起こした。
「犯っちまったのか!?」
「声が大きいよ!」
「…お前、溜まってたンだな」
「何か、気持ちが大きくなっちゃって…」
克也は、徐々に真顔になっていく浩志の様子に、嗚呼、怒られるのかなと不安になった。しかし、浩志はバンッと彼の背中を叩き、
「よくやった! これでこそ男だ! 気持ち良かったっぺ!?」
と、寧ろ喜んだ。何だ、この先生!?と克也は呆然とした。そして、浩志は克也の股間を鷲づかみにし、
「イイぞ、イイぞ! その調子でガンガン攻めろ! 若いってイイなァ〜!」
と揺さぶった。
「や、やめッ…! おしっこ漏れちゃう!」
もし誰かいたら問題になるなと、克也は思った。
この日を機に、克也と広樹は浩志から色々と「性のてほどき」を受けた。時折、部室で『さぶ』や『アドン』などのゲイ雑誌を渡され、ア◯ルセックスの仕方も山奥のモーテルで「伝授」された。克也は、
「オレは純愛が好きなのに!」
と心の中で叫びながらも、沸々を込み上げてくる肉欲に負けて広樹と絡んだ。広樹も、克也を所謂「セックスシンボル」としてしか見られなくなり、ラグビーショーツから覗くブリーフに生唾を飲んだ。克也の家も若宮町にあった為、水府橋の下で毎日の様に愛し合った。
一方、ラグビー部の成績は劇的に飛躍した。これまで県大会で二回戦以上は勝ち進められなかったのが、関東大会でも上位の方まで成績を残した。他県のシード校を打ち破った時には、浩志は嬉しさのあまりに、
「これも皆、克也と広樹の『愛』あってこそだ!」
と口走り、二人は火消しに追われた。
そんな克也と広樹だが、個別に利江子から漫画のネタに色々とインタビューを受けた。あまりにしつこいので、
「イイじゃん、愛してるンだから。好きにさせてくれよ」
と広樹は言い切ったが、
「えぇ〜!? そんなにラブラブなのぉ〜!? だったらイイじゃ〜ん!」
と、寧ろ彼女の創作意欲に火をつけてしまった。
広樹は浩志との思い出を「熱弁」した。途中、浩二は笑いをこらえるのに骨折り、
「う、嘘ッ!?」
「それ、本当ですか!?」
「高校生だったのに!?」
云々と、何度も聞き直した。
二人が話している間、大樹は座布団を半分にして折り、枕の様にして眠っていた。寝息を立てている我が子を気にしながら、広樹は目頭をハンカチで押さえた。今は高校生だった二人を浩志が手を出し、淫乱にさせたことを信じられないと思っているが、その数年後には中学生になったばかりの大樹をまさか自分がそうさせることになろうとは、考えてもいなかった。
午後九時を回り、広樹は大樹を起こした。
「長居をしてしまってすみません。告別式には妻が来ますので…。私、K百貨店に勤めておりまして、明日から秋に催される物産展の関係で北海道へ行くンです。克也、否、加藤さんは通夜には行けるそうです」
「K百貨店にお勤めですか? 大変ですね。道中、気を付けて」
玄関で広樹と大樹を見送ると、茶の間に戻って浩二は残っていたお茶を飲み干し、片付けた。徐々に、彼は浩志との永遠の別離がきているのだなと実感した。
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chisasarasa · 3 months ago
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250204
朝、雪が積もり積もっている。 車がふっくらと雪をかぶりきり、ひとつのオブジェのようになっている。 アルバイトも大学の仕事も、休み。 大学の仕事は昨日のうちに休みにしてもらっていたから落ち着いていられたけれど、アルバイトはどうするか決めておらず、ずっとそわそわとしていた。 結局、休み。 休みを決めてからも落ち着かず、iPhoneをみてはとじていた。 紅茶を淹れて、ヨーグルトを食べて、BUMP OF CHICKENを聴く。 少しずつ、大丈夫だよって自分に言い聞かせる。休みにするということがこわい。 雪は降り続けている。 こんなにも積もっているのにまだ降るのか、とあきれる。 お昼を過ぎたころにようやくやんで、雪かきをする。 129㎝積もったらしい。 このあたりの雪は水分が少ないとはいえ、スコップいっぱいにすくえば、重い。それなのに、スコップですくえる雪なんてたかが知れていて、途方に暮れる。ほんとうに目の前の雪をすべてかいて、問題なく生活ができるところまでもっていけるのか、わからなかった。 それでもやるしかなかった。 やらない限り、終わらないのだった。 3時間くらい雪かきをして、途中、ご褒美にハーゲンダッツを食べた。 そのあとすぐくらいに除雪車がやってきて、一瞬で雪をかいていった。
身体を動かし、疲れたのか、気絶するようにねた。
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250205
朝、身体が痛い。 筋肉痛だ。 肩も腕も腰も。 それでも、気持ちは元気で、わたしはもっと身体を動かすようにした方がいいのかもしれない、と思った。
仕事へいく。 大学全体が雪をかぶっていて、歩ける道が少ない。 遠回りをして研究室へたどりつく。静かだ。人が少ない。 わたしも休めばよかった。雪の積もった道路は除雪されてはいるもののガタガタとしていて、振動する運転がこわかった。 15時ごろに実験を教えてもらっている博士課程の人と出会うまで、声を発していなかった。 その人は雪に携帯を落とし、壊してしまったという。 雪はあんなにもふんわりとしているのに、やっぱり水なんだ、と思う。
夜、キャンドルを灯して、日記を書く。 やっと自分の速度を取り戻せてきた気がする。 雪が降り積もって、強制的に制作から離れられたのがよかったのかもしれない。 やらなきゃでなく、つくりたい、と思ってつくることができそう。 身体も頭もぼんやりとしてしまう。 21時には布団にはいり、ねた。
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250206
朝、ずっとねむっていた。 早くねた分、早く起きられるかと思っていたけれど、見事なまでにねむっていた。 たぶん、今のわたしに必要な睡眠だった。 筋肉痛はなおっていない。 フルグラを食べて、本を読む。小説の世界に入り込む。 もう今日は始まっているのに、まだ始まっていないことにしているみたいだった。 あわてて立ち上がる。
仕事をして、帰ってきたら絵を描いて。 適当に晩ご飯をすませる。 雪道の運転で疲れたと、彼は長いこと自室の床にねころんでいた。 彼が晩ごはんを食べ始めたころ、わたしはねた。
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kennak · 6 months ago
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2024年3月、突然、身体が動かなくなって救急搬送され、呼吸困難に陥った朝ドラ常連俳優の小堀正博さん。感染症が引き金となる多発性の神経障害『ギラン・バレー症候群』であると診断。誰しもかかる可能性がある、難病だ。 『ギラン・バレー症候群』という名前を聞いたことがあるだろうか? 突然の脱力感に始まり、手足や顔面の麻痺、最悪の場合には呼吸困難に陥ることもある恐ろしい病だ。  俳優の小堀正博さんがこの病気にかかったのは、2024年3月。「それまでは健康そのものだった」という小堀さんを襲ったのは、突然の脱力感だった。 花粉症かなと思っていたら突然の脱力と呼吸困難 「2月半ばくらいでしたでしょうか。数日の間、微熱が出て、目やのどがイガイガする症状がありました。でも時季も時季だし、“ついに僕も花粉症デビューかな?”と思っていたんです。  僕は家庭教師の仕事もしているのですが、3月9日のオンライン授業中は手に力が入らず、ペンも持てなくなっていました」(小堀さん、以下同)  翌朝には38度台後半まで熱が上がり、夕方にはベッドから起き上がれず、トイレに這って移動をしたものの、そのまま動けない。慌てて救急車を呼び、即入院となった。 「救急隊を待つ間は不安で不安で……。到着した救急隊の方からは“感染症からくる脱力では?”と言われましたが、頭の中はハテナマークでいっぱい。訳がわかりませんでした」  病院で点滴を受けたが、翌日に容体が急変してしまう。 「朝方、呼吸ができなくなってしまい、ICU(集中治療室)に移されたんです。ナースコールも押せなかったことは覚えているのですが、そこから記憶は途絶えています。気がついたときには全身が管だらけでした」  ギラン・バレー症候群は、免疫システムが自分自身の末梢神経を攻撃することで起きる難病のひとつだ。まだ原因は十分に解明されていないが、感染によることが多い。  症状は、脱力感やヒリヒリ感、身体や顔面の筋肉の麻痺などで、小堀さんのように呼吸困難が起きる割合は患者の20~25%。まれに重症化し、合併症により3~5%が命を落とすこともある。  年代を問わず罹患する可能性があるが、特に成人男性に多くみられる。  治療では、早い段階で血液から抗体を除去する『血漿(けっしょう)交換』や『免疫グロブリン点滴療法』を行えれば後遺症が残りにくいと考えられている。 「僕の場合、緊急入院した病院に脳神経内科があったので、担当医が“ギラン・バレー症候群では?”と疑いを持ってくれて、すぐに治療ができたんです。  きちんと検査をしてからとなると、治療の開始が遅れるし、そこは本当によかったですね。ただ、急変するのは想定外だったようで、医師からも“ここまで一気に症状が進んだ例を見たことがない”と言われました」 幻聴や幻覚による不眠で神経がおかしくなり……  何とか危機を脱し、意識が戻ったが、本当に大変だったのはそこからだった。 「少しだけ手を動かせるようになったのは、2週間後の3月末でした」  声を初めて出せたのは、そこからさらに半月後。それまではコミュニケーションはすべて文字盤を使っていた。 「病室のエアコンが寒いとか、ちょっとしたこともすべて文字盤を使わなければならないのがすごくもどかしかったです。顔の筋肉も麻痺しているから、表情で伝えられない。自律神経も乱れてし��って体温調節ができず、3月でまだ寒い日もあるのに身体の下に氷枕を5つも入れたりしていました」  同時に幻聴や幻覚の影響による不眠に悩まされる。 「神経がおかしくなっていたんでしょうね。その場にいない家族の声が聞こえたりするんです。自分の身体につながっている機械の音もうるさくて、夜中も1時間半ごとに目が覚めてしまう。  このころは治る見通しも立っていなかったので、頭がハッキリするにつれ“もう役者としてはおしまいだ”と考えてしまい、絶望感に苛まれました」  人工呼吸器を外して自発呼吸に戻れたのがゴールデンウイーク明け。そこから1日3時間のリハビリが始まった。 「少しずつできることが増えるので、リハビリ自体はつらくありませんでしたが、以前のように動けるとはまったく思えませんでした」  そんな中、家庭教師として関わっている生徒やその家族からの励ましの声が大きな支えになったという。 「僕の生徒さんは受験生も多いので突然、連絡が取れなくなって迷惑をかけてしまったという申し訳ない気持ちでいっぱいだったんですが、オンラインでメッセージを集める『WEB寄せ書き』をいただいたんです。とてもうれしかったですね。  教えるのも好きなので、俳優を続けられなくてもこの仕事があれば大丈夫だと思うと、気持ちも少しラクになりました」  そんな毎日の中、希望になったのが次の仕事だった。 「7月に広告の撮影が入っていたので、それまでに何とかしなきゃという気持ちだけが当時の支えでした」  撮影日から逆算して退院することを目標に定め、リハビリに力を入れた。 「それで身体も顔もかなり動くようにはなったのですが、やっぱり意のままに、というには程遠くて。演技に不可欠な表情が思うようにつくれないし、左半身の動きも悪いまま。俳優として現場に戻れるとは思えませんでしたね」 4か月以上の入院生活後、退院してからは……  途中、転院を挟みながらリハビリを地道に続け、4か月以上にもわたる長期入院の末、7月26日に退院。  しかし、体重は入院前と比べて13キログラム減。痩せたことでお尻の肉がなくなって骨が当たるため、痛くてトイレに座っていられない状態だった。  今は体重も元に戻り、主にオンラインで家庭教師をしつつ、週1回リハビリに通っている。日常の静的な動きならほとんど問題ない程度には回復したが、走ったりジャンプしたりするのはまだ難しいという。 「例えば、ゆっくりしか歩けないので、横断歩道は信号が青になった直後じゃないと最後まで渡れません。外出時は時間に余裕をもって出るようになりました。  今の僕の状態をわかったうえでやらせていただける仕事もあるし、まだ難しくてお断りさせていただくこともある。でも一日一日、できることが増えていくのはうれしいです。この調子で、ゆくゆくは何の制限もなく芝居ができるようになりたい。目下の目標はそれです」  病気の特性上、食事制限や行動制限もないそうで、徐々に以前の自分に近づいている感覚はあるとか。 「再発の可能性も、実はゼロではないそうです。だから感染症には気をつけないといけないし、担当医には食中毒を引き起こす細菌である『カンピロバクター』への感染には特に注意が必要と言われました。  でも、怖がっていたら何もできないので、無理のない範囲でリハビリと仕事を続けていきたいですね。ゆくゆくは趣味の野球が以前のようにできるようになりたいですから」  驚異的な早さで回復した小堀さん。ただ、中には後遺症が残ってしまう患者もいるのが、この病気の怖いところだ。 「僕はありがたいことにさまざまな幸運が重なり、ここまで回復することができました。  今もこの病気で苦しんでいる方やそのご家族から、たくさんご連絡をいただきます。回復した一例として希望となれるよう、これからもこの病気に関する発信をしていきたいです」  また、ギラン・バレー症候群は難病ではあるものの、日本では『難病医療費助成制度』の対象外となっている。高額療養費制度を使えば負担は減るものの、医療費は高額になる。  元気なときはピンとこないかもしれないが、事前にこの病気を知っておくことが自分や周囲の人を助けることにつながるかもしれない。 小堀正博(こぼり・まさひろ)●大阪府在住。2006年、映画『かぞくのひけつ』でデビュー。『舞いあがれ!』『おちょやん』『まんぷく』『べっぴんさん』『マッサン』などのNHK朝ドラやCMで幅広く活躍。並行してオンライン家庭教師の仕事にも注力 取材・文/遊佐信子
「花粉症かなと思ったら難病」朝ドラ俳優を襲った病魔、救急搬送と“幻聴”のリアルを聞いた(週刊女性PRIME) - Yahoo!ニュース
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