#開封後しばらく日持ちする
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なぜ人は共産主義に騙され続けるのか
2019年08月20日 23時00分
なぜ人は共産主義に騙され続けるのか。私が共産主義の失敗を予見したのは小学2年生のときである。担任の先生が産休に入り、自習の時間��多くあった。私は与えられた課題に黙々と取り組んでいたが、普通の小学2年生が自習を課せられて、黙って勉強するはずがない。周りの生徒はみんな大騒ぎだったので、隣のクラスの先生が注意に来た。結局、私を含めクラスの生徒全員が罰を受けることになった。
私はそのとき、共産主義は絶対うまくいかないと確信した。私が小学2年生だった1978年当時、ソ連はまだ大国として健在で、共産主義は素晴らしいと考える人が多くいた。でも、私は彼らを信じなくなった。真面目にやってもやらなくても、みんな同じように怒られるなら、誰も真面目にやらない。結果の平等は絶対うまくいかない。そんな単純なことをなぜ大人は分からないのだろう。とても不思議だった。その11年後ベルリンの壁は崩壊し、さらにその2年後にはソ連も崩壊した。
ソ連が崩壊して以降も、数は少なくなったが共産主義を信奉し続ける人は存在し続けた。それがまた不思議だった。左翼はウソつきなのか、それとも単に学習能力がないのかという点が当時の関心事だった。正直で頭のいい人は左派にはなれないというレイモン・アロンの言葉を知ったのはその後のことである。
左翼とは何か。人はなぜ左翼になるのか。私にとって常に頭の片隅に存在し続けた謎であった。しかし、私の専門は工学であって人文社会科学ではないため、この問いは仕事として取り組むべきものではなく、ずっと放置したままだった。ところが、幸いにもここ2、3年の間に、その謎がかなり解けてきたのである。
1つのきっかけは、英語圏の政治系YouTuberのウォッチを始めたことである。そこで、欧米でも人々が左翼の横暴に苦しんでいる現状を知ることができた。それを通じて、欧米の左翼と日本の左翼の共通点を見出すことに成功し、左翼というものを一段高い段階に抽象化して理解することが可能となった。
もう1つのきっかけは、インターネット・SNSの隆盛により、大量の言語資源が簡単に取得できるようになったことである。私自身の専門分野の一つに人工知能があるが、インターネット上のビッグデータを機械学習に使えるようになったため、政治問題や社会問題に関する言説を定��的に分析できる時代になった。それにより、自らの理工系の知見を左翼の分析に使えるようになったのである。
今回はそのうち、欧米の左翼運動と日本の左翼運動の共通点から見える左翼像を紹介することにする。左翼運動は、人権、平和、寛容、多様性など常に美辞麗句を看板に掲げる。しかし、その運動の矛先は極めて恣意的に選ばれている。
日本の場合、左翼の人権運動は北朝鮮による拉致被害者の人権を無視する。平和運動も、中国や北朝鮮の核開発や軍拡に抗議をしない。反原発運動も、中国や韓国の原発には反対しない。これらに共通するのは、周辺諸国が日本を侵略しやすい状態を作り出す方向に運動が向いていることである。それゆえ、日本では「左翼=反日」と理解されていることが多い。日本人の目につく左翼運動にかかわる外国人は、みな反日勢力に見えるため、外国の左翼も反日的であるとの誤解を持つ保守系日本人は多い。しかし、それは間違いである。
欧米の左翼にとっての最大の敵はキリスト教的価値観に基づく西洋文明である。であるから、イスラム教などの異文化に対するトレランス(寛容)を主張しつつ、キリスト教的価値観を弾圧する。たとえば、米国の大学では学内のキリスト教徒のサークルを解散させるなどの動きがある。また、欧米のフェミニストは女性の権利を主張する一方で、イスラム系移民の性犯罪の被害を受けた女性に対しては口封じをする。
日本と欧米の左翼に共通する点は、いずれも自らの属する社会や文化を憎み、その破壊を意図していることである。その憎悪の感情は、過大な自己評価ゆえに、周囲が自分を正当に評価していないと不満を持つことから生じている場合が多い。ただし、これは全ての左翼に該当するわけではない。左翼運動は、さまざまな種類の人間の複合体である。
私は、左翼運動の構成員を次の3つに分類している。
1.中核層
自らが属する社会を憎み、それを破壊することを目指す人たち。見せかけの理想を掲げて活動を興し、その活動が社会の破壊に結びつくよう巧みに制御する。良心は無いが知的レベルは高い。
2.利権層
中核層に従うことで、活動資金や仕事(テレビ出演など)を得ることが目的の人たち。
3.浮動層
中核層が掲げた理想に共感する人たち。正義感に基づいて行動するが、いい人と思われたいという虚栄心があることも多い。知識を身に着けると、騙されたと気づいて活動から去る。
初代FBI長官のジョン・エ��ガー・フーヴァー氏は、左翼(コミンテルン)を
・「公然の(共産)党員」
・「非公然の党員(共産党の極秘活動に従事する人)」
・「フェロー・トラベラーズ(共産党の同伴者)」
・「オポチュニスツ(機会主義者)」
・「デュープス(騙されやすい人)」
の5種類に分類している。(この分類は、江崎道朗氏の著書『コミンテルンの謀略と日本の敗戦』に紹介されている。)このうちの最初の3つが中核層、利権層がオポチュニスツ、浮動層がデュープスに対応する。
正直で頭のいい人は左派にはなれないというレイモン・アロンの言葉に対応させると、中核層と利権層は不正直で頭のいい人であり、浮動層は正直で頭の悪い人である。その複合体が左翼というわけである。
保守派は左翼と違って単純な人が多い。そのため、上で述べた左翼の全貌が見えていない。左翼はみな浮動層であると勘違いして甘く見る。しかし、その認識自体が完全に左翼の術中に嵌っているのである。
左翼運動が巧みなところは、その運動において浮動層を前面に押し出すことである。中核層は基本的に表に出てこない。浮動層は善良な庶民であるから、左翼運動を叩く人は庶民の敵だとレッテルを貼れる。浮動層には悪意がないから、左翼運動の真の目的が破壊であるとの批判は濡れ衣に見える。彼らには知性も感じられないから、取るに足らない相手だと保守派も油断する。
左翼運動の知性の高さは、その攻撃先の選定に見て取ることができる。例えば、日本の自然保護運動を考えよう。彼らは、ダム、堤防、防潮堤、基地建設、高速道路、リニア新幹線、地熱発電のように、日本の安全や経済にプラスになる開発行為の自然破壊は非難するが、太陽光発電、風力発電、中国の珊瑚乱獲のように、日本にとって経済的・社会的マイナスが大きい自然破壊は問題視しない。中でも、発電に関する態度の違いは、それなりに高度な知識がないとこのような見極めはできない。
さらに左翼の頭の良さは、主力は上述のような攻撃先の選択をしつつ、それ以外の勢力はある程度意見を散らしている点にも見ることができる。これにより、批判されたときに傍流の人々を引き合いに出し、批判が不当なものであると反論できるように準備している。
左翼運動は、今後もその頭脳を駆使して庶民の味方を詐称し続けるであろう。現実には、彼らは庶民に選択の自由を与えない。自分の言いなりにならないものは、弱者であっても容赦なく叩きのめす。であるから、左翼はリベラリスト(自由主義者)とは最も遠い存在である。にもかかわらず、彼らはリベラルを自称し、その称号を社会的に広く認めさせることに成功している。
左翼の欺瞞を示す最も有効���手段は、過去の共産主義国家が何をしたかを思い起こさせることである。彼らは、常に庶民(労働者)の味方であると自称したが、過去全ての事例において特権階級が庶民を虐げる社会が生まれる結果となった。おびただしい数の人命も奪われた。その歴史をできるだけ多くの人に直視させることが、共産主義の悲劇を繰り返さないために最も重要なことである。
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翌日、会社からマンションに帰る途中、信也はJR上野駅向かい側のビジネスホテル「М」に近いところに、たまたまゲイ総合サイトからアクセスして見つけたバラエティショップ「B」に立ち寄った。いざゲイビデオに出演するとなると、モデルがどんなシチュエーションで相手と絡んでいるのか研究しなくてはと思ったのだ。しばらく裕美は漫画の〆切が近いと仕事場の方に泊まり込みになると、昼休み中にラインがきた。全く、〆切そっちのけで飲みに歩いているからだと、彼は呆れた。アシスタントの香織も、よく子持ちでありながらあちこち出掛けるよなと、未だに学生気分が抜けないのが不思議だった。
色々と小言を呟いてはいたが、少しは下半身の穴も「開発」しなくてはと、信也は真純にラインをし、「サ◯ソンビデオ」に出演することは伏せつつ、もっと気持ちよくセッ◯スをするにはどうしたらよいかと相談した。すると、真純から返ってきた言葉がこれだった。
「雄マ◯コで感じる様になれば沢山イクよ」
と文末にハート印が付いていた。彼は、
「信ちゃんとまたイッちゃいたいな」
と今度はハート印が三ケ付いていた。余程やりたいンだなと信也は苦笑した。
一方、憲一にも同様の質問をしたが、やはり「ア◯ル」が最高だとの回答だった。直腸と大腸��裏側に前立腺があり、そこを刺激されると普通に肉棒をしごいて淫液を出すより気持ちいいと話していた。彼は、三社祭の前日に真純と寝た時のことを思い出した。嗚呼、確か「潮吹き」をしたな…。あんな状態にオレもなるのかと信也は想像しただけで恥ずかしかった。しかし、問題は挿れるまでの下準備が大変そうだった。まるで鼻の穴にごぼうを突っ込む様なものだし、自分が経験した限りでは痛いの一言しかなかった。 そのことも相談したが、
「まずはラヴオイルで相手の『雄マ◯コ』で濡らし、最初は一本、徐々に二本、三本と拡げていけば大丈夫」
と、憲一からメッセージが返ってきた。また、
「あまりに好きだったら『雄マ◯コ』を舐めちゃうな」
ともきた。「舐める」!? 所謂「ケツ」の穴を!? 信也は生理的に無理と思った。元々、大きい方を排泄する為にあるものを舐めるだと!? オレにはできない! 彼は、縦線の入った『げッ!?』と言葉を放つイラストのスタンプを押した。それに対して憲一は、
「オレは信ちゃんのならペロペロしたいなァ〜」
とハート印を付けて返信した。
そんなやり取りを東西線と銀座線での移動時にしていた。今日は憲一も真純も休んでいるから、まァ、こんな時間にラインしても大丈夫だろうと思ったが…。時折、二人は昨日「Kバー」やホッピー通り、ゲイバー「Z」で撮った写メを添付していた。信也は泰典とずっと過ごしていたが、その間に二人は褌越しに他の客と「兜合わせ」をしたり、舌を絡ませ合ったりと好き放題やっていた。仕舞には、恐らく今朝ビジネスホテル「C」の部屋の中なのか、二人が「フィニッシュ」した後の様子もアップされ、かえって信也の方が赤面した。そのうちに下半身が反応し始め、彼はブリーフケースで股間を隠した。まるで、裸同然の透けた下着だけで卑猥なポーズをとったグラビアの女を見てオ◯ニーを隠れてやろうとする男子中学生の様だ。
信也は、先走り汁がスラックスにまで染み出していないか心配しながら上野駅で下り、バラエティショップ「B」を目指した。雑居ビルの二階に上がってすぐ左手にドアがあったが、開けると奇抜なデザインの下着や褌が陳列され、奥の方には無数のDVDが置かれていた。所謂「ケツワレ」が視界に入り、彼はハンガーに掛けられたものを手に取った。嗚呼、アメリカンフットボールやラグビーの時に穿くやつだなと思ったが、どういうシチュエーションの時に使うのか解らなかった。
一方、DVDの陳列棚に目を移すと、一見ゲイとは���縁な、黒髪を五分分けにした紺色のスーツを着た痩せ型の男が色々とパッケージを見ていた。彼は「エ◯ティックスキャン」のDVDをメインに探している様だった。二、三十代のスーツ姿のモデルがワイシャツのボタンをはだけさせ、比較的筋肉質な肉体を見せながらシースルーのビキニ越しに股間を「もっこり」させている。信也は「如何にも」感を漂わせているので、全然萌えなかった。彼は寧ろ、「Mr. H◯t」の様な普通の中年男が恍惚の表情を見せている方に欲情した。憲一も真純も、見た目は普通のおっさんだからだった。
Mr.H◯tのDVDを二本買うことにし、信也はディ◯トと「ペ◯ローション」の置いてある棚に歩いて行った時、先刻からDVDを探している男の携帯電話が鳴った。何処かで聞いたことがある声が聞こえてきた。
「大輔君、どう〜? カッコいい男の子があんあん言いながらお尻掘られてる様なもの、あったァ〜?」
「いやァ、パッケージだけじゃ解らないスよ! それっぽいの、何本か買って来ますよ」
「一応『レディース』雑誌だから、『ガチ』ゲイでもダメだと思うのよォ〜。いっその事、男だけど妊娠しちゃうファンタジー物にしちゃおうかしら?」
「先生、男に『子宮』はないスよ!」
「そうよねぇ〜、まさか『キ◯玉』に子どもできちゃエイリアンだもンねぇ〜」
この調子の喋り方とい、このトーンの声とい、嗚呼、彼が裕美の担当者なンだなと思った。家に置いてあったDVDは彼が買って来たンだなと、信也は思った。彼は、大輔には声をかけずにレジへDVDや「大人の玩具」を持って行った。チェック柄の紙袋に入れられ、外から見られない様に考慮はされていたが、何となく「ついに買っちまった」感が付きまとった。
途中、下谷神社にお詣りをした後、どうせ独りだしと信也はマンション近くのラーメンチェーン店「H」で日本酒も付け、夕食を済ませた。あまりに近所なのでなかなか来る機会がなかったなと、彼は餃子と野菜たっぷりラーメンを食べた。嗚呼、このまま風呂も済ませちゃおうと、「K湯」にも寄り、日替わり湯にどっぷり浸かりながらしばらく頭の中を空っぽにさせた。マンションに戻ると、彼は新しい下着に取り替え、部屋着のTシャツとスエットパンツに着替えた。そのままベッドに身を投げ、しばらく天井を見上げていたが、彼は枕の横に置いたバラエティショップ「B」で買った諸々を開封することにした。袋から出すと、真っ先にディ◯トと「ぺ◯ローション」が転がってきた。ピンク色のディ◯トは、意外とリアルにできていた。男の肉棒を模したものだが、キチンと血管が���き出ているところまで再現されていた。大きさがあるらしく、まずは最小のものから始めることにした。しかし、これを「雄マ◯コ」に挿れるのは抵抗があった。汚れてはいけないと思い、念の為に「コ◯ドーム」も箱で買った。
「オレは何やってるンだろ…」
と、内心バカバカしく思えたが総てはビデオ撮影の為だと割り切ることにした。
信也は、ベッドの上にバスタオルを敷き、とりあえず用を足すことにした。ディ◯トを挿れるのだからまずは「雄マ◯コ」の中をキレイにしなければと、トイレに向かった。数分後、用足しをすると彼は再びベッドに横たわり、タブレットで気になる動画をアプリで探しながらスエットパンツを脱ぎ、ブリーフ越しに一物を弄り始めた。時折、向かい側の姿見に映る自分自身の姿に視線を向け、内腿を開きながら腰を突き上げ、何度も股間を愛撫した。動画には、ワイシャツをはだけさせた中年風の男が白いビキニ越しに一物を弄っていた。ネクタイをだらりと襟に垂らし、如何にも仕事帰りという表情を見せながら、時折ビキニの端を引っ張り、勃起してきた「ムスコ」に欲情している。早くも信也は硬く太くなっていくのを感じ、Tシャツをたくしあげた。乳房を弄りながら、動画の男と一緒にオ◯ニーをしているかの様な錯覚に陥った。
「あん、ああん…」
おのずと信也はディ◯トに手が伸び、ブリーフ越しに己の肉棒に押し付けた。腰を左右に動かしながら、そのディ◯トを徐々に「雄マ◯コ」に移していき、突いた。すでにコ◯ドームは付いており、いつでも挿れることができた。彼は憲一か真純に絡まれているというシチュエーションでオ◯ニーにふけた。次第に肉棒の先端も先走り汁で濡れ始め、彼はブリーフを脱いだ。ぺ◯ローションで手指をヌルヌルにし、まずは雄マ◯コに人差し指を挿れ始めた。直腸を越えたところに「Gスポット」はあった。確かに、しこりの様なものを感じた。彼は中指も挿れた。微かに痛みはあるが我慢できるものではあった。チ◯ポはいったん萎えるも、先端からは先走り汁が滴っていた。そう言えば、ゲイビデオではしごいていたなと彼はチ◯ポの裏側を愛撫した。嗚呼、今のタイミングならディ◯トを挿れられそうだ。
コ◯ドームを被せたディ◯トにぺ◯ローションを塗りたぐり、そっと雄マ◯コに挿れていく。信也は恐る恐るだったが、見事に奥まで挿れることができた。
「嗚呼、入ってる…」
それをゆっくりと上下に動かしていく。彼は声を上げずにはいられず、
「あッ、あッ、あン…」
と、おのずと天井に下半身を上げて開脚した。もし裕美が偶然帰って来たら悲鳴を上げるだろうなと、彼は帰って来ないことをただ祈った。
グイグイとディ◯トを押し込み、信也は理性が麻痺していくのを感じた。じんわりと汗をかき始め、チ◯ポを弄っている左の手指が先走り汁でヌルヌルになっていくのを感じた。嗚呼、女になった気持ちだと彼は思った。そっとディ◯トを引き上げると、
「あッ、あああん!」
と黄色い声を上げた。この様子を憲一や真純にも見せたいと、いったん左手指を枕元にあったティッシュで拭い、近く��置いた携帯電話で動画を撮った。他人に痴情を見られることにエクスタシーを感じるのかもと、彼は自分自身の意外性を見出した。身体が火照り、片手に持った携帯電話を操りながらラインでオ◯ニーする様子を憲一と真純に送信した。三人は三社祭を共に行動するのに先立ち、予めグループラインをつくっていた。
尿意に近い切迫感を経験した挙げ句、
「イ、イク! イク! イク!」
と声を上げた。これまでにない、チ◯ポの先端から止めどなく乳白色の淫液が流れ、一部は跳び散った。右手指はベトベトに汚れ、もう一度シャワーを浴びなければと思った。もう片方の手でデ◯ルトを引き抜こうをしたが、
「いやァァァァァン!」
と、再び黄色い声を上げた。ズルズルと脱腸しそうな感じだった。一番小さいものを買ったつもりが、やはり用を足すだけの穴に突っ込むのはキツいと、信也は思った。下腹部や両太腿に跳び散った淫液をティッシュで拭い、用済みのコ◯ドームをトイレのゴミ箱に捨て、彼はもう一度シャワーを浴びることにした。
浴室から出ると、携帯のラインアプリに赤丸が付いていたので確認すると、憲一や真純からだった。二人共、信也の動画を見て「抜いた」のか、硬直したまま淫液を垂らした二人のチ◯ポが写メで送られていた。コメントはいずれも、
「信ちゃん、サイコ〜!」
「こんな気持ちイイの、初めて!」
と大絶賛していた。すでにライン自体が「ハッテン場」と化していた。まァ、スタンプ一つでも押しておこうと、信也はお気に入りのイラストレーターが描いた「ありがとう」というスタンプを送った。
彼は、いつ撮影の話が来ても良い様に、一日おきにア◯ルセックスの疑似練習をした。
-À suivre...
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1206
無事採卵を終えて昨日帰国した。 毎日まいにちただ言われるがままにクリニックに行っては排卵促進のための注射を打ち、エコー検診に耐え、あとはホテルに缶詰めになって縦書きのWordとひたすら向き合って過ごした。 勿論たまにはビーチに散歩しに行ったものの前の週に伊豆大島に泊まっていたこともあって2回も見に行ったらもう飽きた。基本持ち込んだ食糧を調理して食事をしていたので、食べたいときに食べたいものを食べられない、ということがかなりストレスだった。 ホノルルへ行くことになった時いろんな人に「この経験が小説に役立つといいね!」みたいなことを言われたし実際稀有な経験には違いないので何か思想に影響があるのかな? と思っていたが別にそんなことはなかった。日本で検診をするたび、どことなくずっとエージェントから卵子の入った大事な容れもの扱いされてる感覚はあった、それくらい。 興味深かったのは、生殖ビジネスについて警告を促していたこの記事だ。 ――日本で唯一、無償での卵子提供仲介を行う「OD-NET」理事長の岸本佐智子さんは、そもそも卵子提供に高額な報酬があることに疑問を唱える。 「卵子や精子はモノではありません。もし、卵子提供で生まれた子が大きくなって、自分と遺伝的関係のある女性がお金目当てに自分(卵子)を売ったと知ったら、大きなショックを受けるかもしれません。(中略) どんな出産でも、赤ちゃんが生まれさえすればゴールではありません。本当に大切なことはその先にある。提供する人も、提供を受ける人も、生まれてくる子の将来まで思いをめぐらせてほしい。 (https://www.moneypost.jp/853540) なるほどと思った。すでに採卵を終えてからこの記事を読んだのだけれど、興味深くはあった。 でもこうも思った。卵子提供する女性に対する批判をするのは……なんというか、立ちんぼやP活などの売春において売る側ばかり取り沙汰されて非難されたり摘発対象にされるのとあまりにも同じ構造な気がする。 売春とは違い、卵子提供はそもそも、「卵子譲ってくれませんか」と謳うエージェントがあるからわたしみたいに暇を持て余したやつもしくはお金に困っている苦学生がのこのこ、もしくは藁にもすがる思いで登録するのであって、それなのに卵子提供を求める夫婦やエージェントではなく「はーい」と手を挙げた側を糾弾するのはお門違いと言うかアンフェアすぎないか。 大金に目が眩んだことは認めるが、それよりも、子供をもうけるにあたって卵子提供者を年齢や容姿や学歴や職歴や病歴やアレルギーや遺伝子(祖父母まで遡って病歴及び死因を登録する)で選ぶ作業をこなしたレシピエントの方が、わたしなんかよりよほど非難の余地がありそうなのだけれど。 もちろん人身売買には違いないのでおおっぴらにするようなことでもない。でも実際に、わたしが大金と健康被害を引き換えに渡した17個の卵子(教えてもらえる)で喜んでいる人がふたりいることには違いないのだ。もちろんわたしが受け取る謝礼以上のマージンを取っているエージェントも喜んでいる。 とりあえず、原稿の方向性を立て直すことができたので休みを取った甲斐はあった。 家を空けている間後輩に貸していたのだが未開封のバターを半分以上使われているのを発見して、帰国早々うんざりした。性善説を取り下げた方がいいかもしれない、という変化なら得られたと言えよう。
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#たべもの #フィナンシェ #L'ARCHESTE
何が起こったのかよく分かりませんが、たった1回だけ応募しておいたラルケストの入場チケットが当たっていたのです……。
しかも元々行く予定だった日で応募するのを間違えて、1週間後の同じ曜日で応募。応募完了後に日付を間違えていたことに気付いたのですが、まあ当たらんだろ…としばらく放置。そしてアムールに出掛けた日の行きの電車の中で(そういえばこの前応募したやつどうなったんだ?)と抽選結果を見てみると……当たっ……とる……???
あれ?結構たくさんの人に当たるもんなのかな?と何気なくXで情報収集してみたところ、なんかとんでもなくプラチナ的なチケットを当てたようだぞ??
これは無駄にするわけにはいかぬ、と一週間後にまた戦場にいそいそと出掛けたのでした。
一週間前でもものすごい混みようだったんですが、この日は正午前でもさらに輪をかけたような混み具合になっていて、もうこの10階フロアに人が立っていない空間などないのではなかろうか……と思うくらいに黒山の人だかりでした。
私が当たった時間は、12時15分〜という枠。番号を見てみるに、���うやら先頭から2番目っぽい?初めは(開店直後の時間じゃないし、何か完売の味とかも出てるんだろうか?)と思っていたのですが、よくよく色々見てみると、ラルケストの今回の商品の中でも飛び抜けて人気のフィナンシェ「Ravie」という商品は、その日のうちに焼き上げているため、12時15分枠からの販売だとのこと。つまり私は、その日の2番に焼き立てフィナンシェを買える権利を得たと、そういうことだな????
ヒェェ…と思って妹に話したら、今年の運使い切ったな、との��と。そうね。今年この後が怖い。
購入の条件として、一人1種類1個まで、合計5個まで、ということなので、母と妹と私の分で5個何を選ぶか……結構頭を悩ませましたとも。
そのうちの一つはもちろんRavie。本当は買ったすぐの焼き立て状態が一番ベストな食べ頃のようですが、山奥まで持って帰らなければならないのでそれは叶わず。その代わり持ち帰ってからもう一度温め直して食べました。

帰宅してから即妹宅で開封の儀。右からナチュール、カカオニブ、フレーバーティーの3種です。
書いてある通りに温めて、少し冷まして食べてみると、外側はサクッ、中は絶妙な具合にフワァ、で、バターの香りがブワッと広がって、うっっっっっま!!!!という感想です。日本語に擬態語があって良かった。いやはやすごい……。Xで皆さん絶賛されていましたが、これはそりゃあそうなるわ、という圧倒的美味しさでねじ伏せてくる食体験でした。
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Fさん宅の訪問販売
Fさんというのは、新卒のときに就職した会社の営業部にいた中年男性のことである。この会社の営業部は、何故か、非常に容姿に恵まれた人が多い中、Fさんは、お世辞にもイイ男とは言えなかった。どちかというと、贔屓目にみても、中の下か、下の上だろうという容姿である。しかし、自信家のFさんは、自分がイイ男でスタイルも抜群であると固く信じ込んでいた(実際は、背が低く、頭と顔が大きく、かなりのメタボのぽっちゃり体型で、手足が太くて短いのに、無理に海外のハイブランドのスーツを着ているため、脚の裾は引きずっており、手は指先しか出ておらず、ウエストはベルトの上にお腹の肉がぷよぷよと乗っかって、シャツのボタンは今にも弾き飛びそうだった。だが、あるとき、私の所属する部署の新人に鼻っ柱をへし折られ、ヤケクソを起こし、落ちる所まで落ちたが、上司の励ましによってスタイルを取り戻し、その後、男性ホルモン注射に夢中になってしまったという経歴?を持つ、かなり残念でかつ痛くて変な人である)。
さて、Fさんはかなり前に離婚したバツイチで、Fさんは実家から会社へ通っていた。Fさんのお母様はかなり前に他界しており、当時大学生だったの息子さんの衣食住の面倒は、Fさんのお父様が見ていた。Fさんのお父様は、Fさんと血が繋がっているとは思えない程、紳士で、Fさんが離婚した後も、元若嫁であるFさんの奥様と週に2~3回の頻度で子供を交えて会っていたらしい。恐らく、Fさんが、どこか遠くに単身赴任して滅多に家に帰って来なければ、Fさんと元奥様は離婚しなかっただろうと、会社の皆が思っていた。Fさんは、よく会社で、「親父の面倒はオレがみてやっている」と言っていたが、「お父様がFさんの面倒を見て下さってるの間違いじゃないですか?」と私は反論していた。ちなみに、営業部の全員が私と同じ意見だったが、それを言うとFさんはふてくされて仕事をしなくなってしまうので、営業部の人達は私と同じ事を言えなかったらしい。
なぜ、親子近く年上のFさんに対して私が反論できたかというのは、違う部署だったことと、Fさんが戦場記者や戦場カメラマンに対して、コンプレックスと憧れを抱いていたからである。Fさんも、最初から営業マンではなく、元戦場記者だった。だが、新人の頃に戦地を取材したFさんは、戦場の悲惨さ・目の前で無抵抗な女性や子供や惨殺されるところ、病院に運ばれても、次々と人々が死んでゆくこと、昼も夜も怯えながら仕事しなければならない地獄に耐えられず、たった一度の取材をしただけで営業部に異動したのである。だから、戦場記者や戦場カメラマンを続けていられる私の上司のMさんや、カメラマンのYさん、同期のS君や私などはFさんから一目置かれていた。
前置きが長くなってしまった。そんな、人間性にはかなり問題がある(面白いと言えなくはないが、家族には絶対なりたく人である)Fさんだが、Fさんのお父様は、世界的に有名な大手総合商社の経営企画部の部長&取締役だった超エリートである。それゆえ、基礎年金・厚生年金・企業のOB年金を含め、Fさんのお父様の収入は凄い額で、普通のサラリーマンの平均年収の2~3倍はあろう額だった。そのためか分からないが、Fさんの家の家計は、全てお父様の年金や投資して���用している不労所得などから支出していた。その事を当然だと思っているふてぶてしいFさんは、息子の養育費や自分の食費や被服代など生活に必要なお金を一切家に入れず、給与は全てFさんのお小遣いになっており、Fさんは非常に金遣いが荒かった。
そんな、金遣いの荒いFさんが大好きだったものは、訪問販売である。あるとき、何処のメーカーの物を取り扱っているのか得体の知れない訪問販売の営業マンがFさん宅を訪れ、羽毛布団を紹介した。この羽毛布団は100年使っても羽毛がダメージを受けることなく、干さなくても湿気たりしないので、お手入れも簡単、その気になれば洗濯機でも洗える、乾燥機OK、そして何よりこの羽毛布団で寝ていれば、金運が上がるという怪しさ満載のシロモノだった。そして価格はなんと1枚70万円である。常識で考えたら、日干しやそれが無理でも乾燥機で布団を干さないとダニの巣窟になるのは当然のことであることは、大人であれば誰でも知っている。しかも、高級マザーグースダックの羽毛布団を普通の家庭用洗濯機で洗ってしまったら、へしゃげてしまい、布団がダメになることも少し考えたら分かることである。第一、布団はある程度長く使っても、寿命というものがあり、ウン十年も使うような物ではない。まして、100年も使ったら、中はダニやダニの死骸や埃の巣窟、そもそも100年後に自分が生きている可能性の方が遥かに低い。しかも、1枚70万円である。寝る布団の質で金運なんぞ上がる訳がない。金運は、本人が為替や株式の仕組みをよく勉強して、如何に上手に投資するか、今までに無かったようなモノを起業して大ヒットするかなど、本人の努力が必須である。そんな、ぼったくり価格の胡散臭い羽毛布団なんぞ、即断るのが常識だと思うが、高級品やハイブランドが大好きなFさんは違った。Fさんは即決で羽毛布団を自分とお父様と息子さんの3人分を購入し、合計210万支払ったのである。
どちらかといえば、私も「安物を沢山」よりも「高い物を長く大事に使う」タイプの人間である。だが、その考えを適用する物には、向いている物と向いていない物がある。例えば、腕時計などは、いい物であれば、きちんとメンテナンスを続けていれば、自分の代だけでなく、子供に譲ることもできる。財布も私が現在使っている物は、就職した時に購入したものをまだそのまま使っている。だが、布団はそういう買い方に向いていない物だと思う。70万円の布団を1枚より7万円(それでも高いが)の布団を10回買い替える方が、余程、衛生的で清潔で快適である。
Fさんの訪問販売でのお買い物は、羽毛布団だけにとどまらなかった。羽毛布団で金運が上がったのか下がったのかは謎だが、多分、何の変化もないと思われる。羽毛布団の訪問販売の営業マンが来てから2か月後、Fさん宅に、また別��訪問販売業者が訪れた。今度はアコヤ貝をうる業者だった。アコヤ貝は、おなじみの真珠を養殖する為の貝である。真珠が欲しければ、アコヤ貝を自分で育てて真珠にするのではなく、真珠として出来上がっている物を買うのが普通である。だが、Fさん宅を訪れた業者は違った。『このアコヤ貝には、直径15mmを超える花玉真珠の原石が眠っている。来年の春に、このアコヤ貝を開けると、まばゆいばかりに光り輝く、立派な直径15mm以上の花玉真珠が必ずできているはずである。アコヤ貝1枚の中に、少なくとも真珠は3つ以上入っている。その真珠を宝石店に売りに行けば、1粒あたり最低でも300万、平均で500万以上の値段で買い取ってくれるだろう。今回は、特別にあなただけに、アコヤ貝を1枚あたり50万円でお譲りしましょう』という、如何にも胡散臭いシロモノだった。これはいくら何でも断るだろうと普通は思うが、とにかく「普通でないもの。後にプレミアが付く」などのキャッチフレーズが大好きだったFさんはアコヤ貝に飛びついた。そして、訪問販売の兄ちゃんに薦められるがままに、アコヤ貝を10枚も購入したのだ。そのアコヤ貝は、側部が透明になっている円柱状の入れ物に入っており(イメージとしては、ツナ缶が透明になったような物)、何��からでもアコヤ貝が見られるようになっており、上部は缶詰よろしく、開封用のフックまで付いていた。何故、私がそんな事を知っているかというのは、Fさんが会社でみんなに自慢するために、合計500万も投資したアコヤ貝の缶詰(?)を全部持ってきて、デスクの上に並べてニマニマしていたからである。なお、待ちに待った翌年の春、Fさんは嬉しそうに、アコヤ貝を空けていたが、花玉真珠はおろか、10枚あった貝の中に真珠ができていた貝は4枚だけで、しかも到底真珠とは言えない黄ばんだ小さな粒(直径3~4m程度)で、僅かに場所によっては真珠色に輝いているかな?というような物だった。
それでも、懲りないFさんが、訪問販売で散財した物は計り知れない程多い。私が知っているだけでも、食器棚を改造したとしか思えないガラスの観音扉になっている500万円の真っ白な仏壇(私が某安価な家具チェーンで8万円で買った自宅にある食器棚ソックリだったし、観音扉を開けさせてもらい、中を見たら、側面に一定の間隔で穴が開いていた。その穴は何の為に必要なのか尋ねてみらた、「『気』を通すために、必ず開けておかないというえない穴」だそうである。でも『気を通す』と言っているが、穴は外部に貫通しておらず、どう見ても、食器棚の中棚を取り付ける為のフック穴としか思えなかった。そして、肝心の『気』とは何か?と尋ねてたら、Fさん本人もよく分からないと答えるものだから、思わずひっくりかりそうになった。)、南西向きの屋根があるにも拘らず、高層マンションに面した北向きの屋根に付けられた600万円のソーラーパネル、法外な値段のオール���化工事で(オール電化にも拘らず、台所のコンロは何故かガスのまま)など例を挙げていったらキリがない。
私が転職してかなりの年月が経ち、更に関西に引っ越してきて、そろそろ5年近くなる。Fさんが今でも散財を続けているのか、とても気になるが、3年程前に、Fさんのお父様の訃報連絡があった。Fさんのお父様はどんな思いで息子の散財を見ていらしたのかと思うと、やはり、高齢の親に心配をかけるような親不孝物にはなりたくないと思ってしまった。
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私の手元に、古ぼけた書類の束がある。手製の表紙をめくると目に入ってくるのは軍の最高機密を意味する「軍機」の朱印だ。昭和16年12月8日、日米開戦の象徴となった真珠湾攻撃に関する詳細な計画、命令書である。なぜこんなものが私の元に来たのか、そして軍の機密のその中身とは――。 「進藤三郎」という男 昭和15年9月13日、圧倒的勝利に終わった零戦のデビュー戦を指揮し、漢口基地に帰還した進藤三郎大尉 平成12(2000)年2月2日、ひとりの元海軍少佐が88年の生涯を終えた。その人の名は進藤三郎。太平洋戦争に興味のある人ならまず知らない人はいないであろう戦闘機乗りである。 進藤は昭和15(1940)年9月13日、制式採用されたばかりの零式艦上戦闘機(零戦)13機を率い、中国・重慶上空で中華民国空軍のソ連製戦闘機33機と交戦、27機を撃墜(日本側記録。中華民国側記録では被撃墜13機、被弾損傷11機)、空戦による零戦の損失ゼロという鮮烈なデビュー戦を飾った。続いて、昭和16(1941)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃では、空母赤城戦闘機分隊長として第二次発進部隊制空隊の零戦35機を率いた。その後、激戦地ラバウルの第五八二海軍航空隊飛行隊長、空母龍鳳飛行長などを歴任し、筑波海軍航空隊飛行長として派遣先の福知山基地で終戦を迎えた。 戦後はトラック運転手や福島県の沼沢鉱山長などの職を転々としたのち、生家のある広島に戻って東洋工業株式会社に入社、出向した山口マツダで常務取締役まで務めた。 戦争中はその華々しい「活躍」がしばしば新聞にも載るほど著名な海軍軍人だったが、戦後は一転して平凡な会社員生活で、戦争の話はよほど心を許した相手にしか、最後まですることを好まなかった。 進藤が保管していた書類に入る前に、進藤自身の「真珠湾攻撃」について、1996年から99年にかけての私のインタビューをもとに再現しよう。 突然の転勤命令 昭和16年4月、新編された当時の赤城戦闘機隊搭乗員たち。中列中央・飛行隊長板谷茂少佐、その右・分隊長進藤三郎大尉。このメンバーのうち数人は、のちに第五航空戦隊に異動した 昭和14(1939)年、ドイツ軍がポーランドに侵攻したことに端を発する欧州での大戦は、日本がドイツと軍事同盟を結んだことで、もはや対岸の火事とは言えなくなっていた。日米関係は悪化の一途をたどり、昭和16年7月28日、日本軍の南部仏印進駐を機に、アメリカは日本への石油輸出を全面的に禁止、イギリス、オランダもこれに同調する。世にいう「ABCD包囲網」である。 この制裁措置は、石油その他の工業物資の多くをアメリカからの輸入に依存してきた日本にとって、まさに死命を制するものだったった。米英蘭との戦争は、もはや不可避と考えられた。海軍も、極秘裏に開戦準備に入る。 航空母艦赤城、加賀の第一航空戦隊、蒼龍、飛龍の第二航空戦隊を主力に、第一航空艦隊(一航艦=司令長官・南雲忠一中将)が新たに編成されたのは、昭和16(1941)年4月のことである。一航艦は、空母と少数の駆逐艦だけで編成されたが、実戦に際しては、臨時に配属する速力の速い戦艦、巡洋艦、駆逐艦などを合わせ、これが世界初の試みとなる「機動部隊」として作戦に従事することになっていた。 進藤は、機動部隊の編成にともなう人事異動で、南雲中将の座乗する旗艦赤城の戦闘機分隊長に転勤を命ぜられた。進藤の直接の上官、赤城戦闘機隊の飛行隊長は板谷茂少佐である。 「支那事変での長く続いた戦地勤務で、私の体は疲れ切っていました。できれば今度は内地の練習航空隊の教官配置につけてもらえないかと思っていた矢先の転勤命令。空母乗組は“搭乗員の華”、誰もが羨む配置なんですが、正直なところ、はじめはうんざりしましたね」 と、進藤は振り返る。 猛訓練で体が悲鳴を上げていた 機動部隊の旗艦・空母赤城。巡洋戦艦を建造中に空母に改装。当時世界最大級の航空母艦だった 空母搭載の飛行機隊は、洋上訓練や出撃のとき以外は、陸上基地で訓練を行うのを常としていた。搭乗員が揃うと、赤城戦闘機隊は、鹿児島・鴨池基地を拠点に、飛行訓練を開始した。 まずは、搭乗員全員の零戦での慣熟飛行から始まり、着艦訓練の前段階として、母艦の飛行甲板を想定した、飛行場の限られた範囲に飛行機をピタリと着陸させる定着訓練が行われる。5月になると空戦、無線電話、着艦訓練と、訓練もより実戦的になり、空戦訓練は、1機対1機の単機空戦よりもチームワークを重視する編隊空戦に重点が置かれ、2機対3機、3機対6機の編隊同士の空戦訓練が、実戦さながらに行なわれた。吹流しを標的とする射撃訓練も、さかんに行われた。 9月に入ると空母翔鶴、瑞鶴からなる第五航空戦隊が新たに機動部隊に加わり、赤城の搭乗員の一部は五航戦に転勤する。進藤の回想。 「猛訓練が進むにつれ、疲労がどうしようもないほど蓄積してきました。体がだるく、食欲もない。8月には黄疸の症状も出始め、周囲から『君の目は黄色いじゃないか』と言われるほどでした。これはもう、海軍をクビになっても仕方がない、休暇療養を願い出ようと決心したんですが……」 ところが、そう決心した矢先の、進藤の記憶によれば10月1日頃、各航空戦隊の司令官、幕僚、空母の艦長、飛行長、飛行隊長クラスの幹部が、志布志湾に停泊中の赤城の参謀長室に集められ、ここで南雲中将より、「絶対他言無用」との前置きのもと、真珠湾攻撃計画が伝えられた。航空参謀・源田実中佐からは、この作戦に対応するための訓練を急ピッチで進める旨の指示もあった。 少佐の本音 揚子江上空を飛ぶ零戦一一型。進藤大尉が撮影した 「しまった。これを聞いたからには、休ませてくれとは言えないな」 と、進藤は観念したと言う。傍らにいた板谷少佐が、やや興奮の面持ちで、 「進藤君、こりゃ、しっかりやらんといかんな」 と、声をかけてきた。だが、解散が告げられ、基地に帰る内火艇に乗り込むときに、 「俺たちはただ命令通りに死力を尽くして戦うだけだが、その後始末はどうやってつけるつもりなのかな」 と、誰にともなくつぶやいた板谷少佐の言葉がいつまでも心に残った。こちらのほうが本音なんだろうな、と進藤は思った。 昭和16年10月には、戦闘機隊の訓練は仕上げの段階に入りつつあった。訓練項目に航法通信訓練が加えられ、コンパスと、波頭を目視して判断する風向、風力を頼りに長距離を飛ぶ三角航法、無線でモールス信号を受信する訓練などが行なわれた。高高度飛行の訓練も実施され、耐寒グリスを塗った20ミリ機銃による、高度8000メートルでの射撃訓練も行われた。一航戦では、18機対18機の大規模な空戦訓練も実施された。二航戦は9機対9機、五航戦は3機対3機までしかできなかったという。 11月に入ると、志布志湾に機動部隊の6隻の空母と飛行機が集められ、11月3日、南雲中将より機動部隊の各艦長にハワイ作戦実施が伝達された。その日の夜半、「特別集合訓練」が発動され、翌4日から3日間にわたって、全機全力をもって、佐伯湾を真珠湾に見立てた攻撃訓練が、作戦に定められた通りの手���で行なわれた。 〈十一月四日 「ハワイ」攻撃ヲ想定 第一次攻撃隊 〇七〇〇(注:午前7時)発進、第二次攻撃隊〇八三〇発進。十一月五日 第一次〇六〇〇、第二次〇七三〇。十一月六日〇五〇〇ヨリ訓練開始〉 と、進藤はメモに書き残している。11月6日には、戦闘機隊が半数ずつ、攻撃隊と邀撃(ようげき)隊の二手にわかれ、攻撃隊はいかに敵戦闘機の邀撃を排除して攻撃を成功させるか、邀撃隊はいかに攻撃隊を撃退するか、という訓練も行なわれた。激しい訓練で、攻撃隊の九九式艦上爆撃機のなかには不時着する機も出た。 特別集合訓練が終了すると、赤城、蒼龍は横須賀、加賀、飛龍は佐世保、翔鶴、瑞鶴は呉と、それぞれの母港に入って準備を行い、飛行機隊はふたたび、陸上基地に戻って訓練を続けた。このとき、戦闘機が洋上で単機になってしまった場合に備えて、無線帰投方位測定機(クルシー)を使っての帰投訓練が熊本放送局の電波を利用して実施されている。 覚悟を決めた日 第二次発進部隊制空隊(零戦)指揮官・進藤三郎大尉の命令書(軍機) 11月中旬には、各母艦は飛行機隊を収容し、可燃物、私物の陸揚げや兵器弾薬、食糧の最後の積み込みを終え、佐伯湾に集結した。 赤城が佐伯湾を出たのは、11月18日のことである。行動を隠匿するため、出航と同時に、各艦は厳重な無線封鎖を実施した。 空母6隻を主力とする機動部隊は北へ向かい、千島列島の択捉島(えとろふとう)単冠湾(ひとかっぷわん)に集結した。湾の西に見える単冠山は、すでに裾まで雪に覆われていた。11月24日、6隻の空母の全搭乗員が赤城に集められ、真珠湾の全景模型を前に、米軍の状況説明と作戦の打ち合わせが行われた。機動部隊の行動についてはもちろん、攻撃隊の編成や各隊ごとの無線周波数など、詳細な作戦計画が、すでにでき上がっていた。進藤が保管していた機密書類はこの日の日付から始まっている。 11月26日、機動部隊は単冠湾を抜錨、各艦、単冠山に向かって副砲、高角砲の試射を行った。凍てつく空気に、砲声が轟いた。艦隊はそのまま針路を東にとった。 「自信を持って戦いに臨める。しかし、今度こそは生きて帰れないだろうな」 と、進藤は、遠ざかってゆく雪の単冠山を見ながら、しばし物思いにふけった。 時化模様の航海が続いた。護衛の戦艦、巡洋艦、駆逐艦、補給船、潜水艦など、総勢31隻もの艦隊を、隠密裏にハワイ北方までたどり着かせなければならない赤城艦上の機動部隊司令部は緊張の連続だった。 12月1日、機動部隊は日付変更線を越えた。機動部隊は日本時間で行動するので、時差で時間感覚がずれてくる。この日の御前会議で、日本は英米との開戦を決定する。 12月2日、「新高山ノボレ 一二〇八」 と���う暗号電報が、聯合艦隊司令部より届いた。これは、「X日(開戦日)を12月8日とす」という意味である。開戦は、12月8日午前零時と決まった。ただし、日米の外交交渉次第では、まだ作戦が中止になることもあり得る。しかし反転命令は出ず、矢はついに弦を放れた。 12月8日午前1時半(日本時間)。第一次発進部隊が次々と6隻の空母を発艦した。 第一次発進部隊は、零戦43機、九九艦爆51機、九七艦攻89機(うち雷撃隊40機、水平爆撃隊49機)、計183機で、総指揮官は淵田美津雄中佐である。第一次攻撃では、雷撃隊が二列に並んで停泊している米戦艦の外側の艦を攻撃、水平爆撃隊が上空より内側の艦を爆撃する。さらに艦爆隊は飛行場施設を爆撃することになっていた。 そこらじゅうで火柱が 九九式艦上爆撃機。急降下爆撃を行う 機動部隊の各母艦では、第一次の発艦後、すぐに第二次発進部隊の準備が始められた。 第二次は零戦36機、九九艦爆78機、九七艦攻(水平爆撃のみ)54機、計168機が発艦し、うち零戦1機と艦爆2機が故障で引き返している。こんどは、艦爆が第一次で撃ちもらした敵艦と飛行場を狙い、艦攻が敵飛行場を水平爆撃することになっていた。 赤城から発艦するのは、零戦9機と九九艦爆18機。2時13分、進藤の搭乗する零戦、A1(本来はローマ数字だが、機種依存文字のためアラビア数字で表記)‐102号機は、その先頭を切って発艦した。第二次発進部隊の総指揮官は瑞鶴艦攻隊の嶋崎重和少佐、進藤は、制空隊(零戦隊)全体の指揮官を務める。 「第一次の発進を見送ったときにはさすがに興奮しましたが、いざ自分が発進する段になると平常心に戻りました。真珠湾に向け進撃中、クルシーのスイッチを入れたら、ホノルル放送が聞こえてきた。陽気な音楽が流れていたのが突然止まって早口の英語でワイワイ言い出したから、これは第一次の連中やってるな、と奇襲成功を確信しました」 第一次に遅れること約1時間、真珠湾上空に差しかかると、湾内はすでに爆煙に覆われ、ものすごい火柱が上がっていた。心配した敵戦闘機の姿も見えない。空戦がなければ地上銃撃が零戦隊の主任務になる。進藤はバンクを振って(機体を左右に傾ける合図で)各隊ごとに散開し、それぞれの目標に向かうことを命じた。 「艦攻の水平爆撃が終わるのを待って、私は赤城の零戦9機を率いてヒッカム飛行場に銃撃に入りました。しかし、敵の対空砲火はものすごかったですね。飛行場は黒煙に覆われていましたが、風上に数機のB-17が確認でき、それを銃撃しました。高度を下げると、きな臭いにおいが鼻をつき、あまりの煙に戦果の確認も困難なほどでした。それで、銃撃を二撃で切り上げて、いったん上昇したんですが」 頭によぎった最悪のシナリオ 開戦を告げる昭和16年12月9日の新聞紙面 銃撃を続行しようにも、煙で目標が視認でき���、味方同士の空中衝突の危険も懸念された。進藤は、あらかじめ最終的な戦果確認を命じられていたので、高度を1000メートル以下にまで下げ、単機でふたたび真珠湾上空に戻った。 「立ちのぼる黒煙の間から、上甲板まで海中に没したり、横転して赤腹を見せている敵艦が見えますが、海が浅いので、沈没したかどうかまでは判断できないもののほうが多い。それでも、噴き上がる炎や爆煙、次々に起こる誘爆のすさまじさを見れば、完膚なきまでにやっつけたことはまちがいなさそうだと思いました。胸がすくような喜びがふつふつと湧いてくる。 しかしそれと同時に、ここで枕を蹴飛ばしたのはいいが、目を覚ましたアメリカが、このまま黙って降参するわけがない、という思いも胸中をよぎります。私は昭和8年、少尉候補生のときの遠洋航海でアメリカに行き、そのケタ違いの国力と豊かさをまのあたりにしていますから、タダで済むはずがないことは容易に想像できる。これだけ派手に攻撃を仕掛けたら、もはや引き返すことはできまい。戦争は行くところまで行くだろう、そうなれば日本は…………負けることになるかもしれないと、このときふと考えました」 空襲を終えた攻撃隊、制空隊は、次々と母艦に帰投し、各指揮官が発着艦指揮所の前に搭乗員を集め、戦果を集計した。進藤は、赤城の艦爆隊と合流して帰還した。南雲中将が、わざわざ艦橋から飛行甲板上に下りてきて、「ご苦労だった」と進藤の手を握った。 ほどなく、最後まで真珠湾上空にとどまっていた総指揮官・淵田中佐の九七艦攻が帰艦する。大戦果の報に、艦内は沸き立った。しかし日本側にとって残念なことに、いるはずの敵空母は真珠湾に在泊していなかった。 艦上では、第三次発進部隊の準備が進められている。蒼龍の二航戦司令官・山口多聞少将からは、蒼龍、飛龍の発艦準備が完了したとの信号が送られてきた。しかし、南雲中将は、第三次発進部隊の発艦をとりやめ、日本への帰投針路をとることを命じた。 激しい戦闘の代償 日本機の空襲を受けるハワイ・真珠湾の米艦隊 「当然もう一度出撃するつもりで、戦闘配食のぼた餅を食いながら準備をしていましたが、中止になったと聞いて、正直ホッとしました。詰めが甘いな、とは思いましたが…………」 体調不良を押してここまできたが、ようやく任務が果たせた。緊張の糸が切れた進藤は、そのまま士官室の祝宴にも出ず、私室で寝込んでしまった。 真珠湾攻撃で日本側は、米戦艦4隻と標的艦1隻を撃沈したのをはじめ、戦艦4隻、その他13隻に大きな損害を与え、飛行機231機を撃墜、あるいは撃破するなどの戦果を挙げた。資料によって異なるが、米側の死者・行方不明者は2402名、負傷者1382名を数えた。いっぽう、日本側の損失は、飛行機29機(第一次9機、第二次20機。う��零戦9機、九九艦爆15機、九七艦攻5機)と特殊潜航艇5隻で、戦死者は64名(うち飛行機搭乗員55名。別に、12月9日、上空哨戒の零戦1機が着艦に失敗、搭乗員1名死亡)。米軍の激しい対空砲火を浴びて、要修理の飛行機は100機あまりにのぼった。 ――ちなみに、真珠湾攻撃当時、連合艦隊司令長官・山本五十六大将57歳、機動部隊指揮官・南雲忠一中将54歳、航空参謀・源田実中佐37歳、攻撃隊総指揮官・淵田美津雄中佐39歳、第二次発進部隊指揮官・島崎重和少佐33歳、雷撃隊指揮官・村田重治少佐32歳、第一次制空隊指揮官・板谷茂少佐32歳、第二次制空隊指揮官・進藤三郎大尉30歳、加賀戦闘機分隊長・志賀淑雄大尉27歳、そして昭和天皇40歳だった。 真珠湾攻撃の帰途、二航戦の蒼龍、飛龍は、ウェーク島攻略作戦に参加するため、本隊を離れた。残る赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴は、12月23日から24日にかけ瀬戸内海・柱島の泊地に投錨する。各艦の飛行機隊は、零戦隊は佐伯基地経由で岩国基地へ、艦爆、艦攻は鹿屋基地経由で宇佐基地へと向かい、ここでしばしの休養が与えられた。 進藤は、12月25日、岩国基地から呉海軍病院に直行し、軍医の診察を受けた。診断の結果は、「航空神経症兼『カタール性』黄疸」、二週間の加療が必要とのことで、そのまま入院することになった。十二月三十日付で赤城分隊長の職を解かれ、さしあたって任務のない「呉鎮守府附」の辞令が出る。この日から広島の生家での転地療養が認められ、進藤は、ひさびさに正月を両親と迎えることができた。 再び始まる苦しい戦い 昭和17年11月、進藤大尉がラバウルに向け出発直前、東京駅にて 「海鷲・進藤大尉」の帰郷は誰からともなく近所に伝わり、毎日のように真珠湾の話をねだりに客がやってくる。子供たちは、道で進藤の姿を認めると、憧憬のまなざしで、直立不動になって挙手の敬礼をした。 真珠湾攻撃から帰った進藤は、療養生活を送ること2ヵ月半、ようやく黄疸の症状もおさまり、昭和17(1942)年2月12日、〈大分海軍航空隊司令ノ命ヲ受ケ服務スベシ〉の辞令を受けて大分空に着任。四月一日、戦闘機搭乗員の訓練部隊として徳島海軍航空隊が新たに創設されると、その飛行隊長兼教官に補せられた。 最前線・ニューブリテン島ラバウルで作戦中の第五八二海軍航空隊飛行隊長兼分隊長への転勤辞令が出たのは、昭和17年11月8日のことである。処分しそびれていた真珠湾攻撃の軍機書類の保管を元海軍機関大佐の父に託してラバウルに向かう。五八二空に着任したとき、進藤は新たに部下となる隊員たちに、 「海軍戦闘機隊のモットーは編隊協同空戦だ。搭乗員が戦果を挙げる陰には、整備員や兵器員といった裏方の努力が不可欠である。けっして一人の手柄を立てようなどとは思���ず、より長く、より強く、一致団結して戦い抜くように」 と訓示をした。そして、進藤の長く苦しい戦いがここから始まる。
1941年12月8日の「真珠湾攻撃」に「零戦35機」を率いて参加した当事者の「貴重な証言」(現代ビジネス) - Yahoo!ニュース
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25年4月4週目〜5月1週目
先週のジャズバーに行くため、お昼のコーヒーを飲んだつもり貯金。1回150円として、節約できた分を貯金。この150円だって、以前の職場ではかからないコスト(お湯でインスタントを溶いたりしてたから)だったはずなのに、東京は不便で誘惑が多くて本当にお金がかかる。
ゴールデンウィークは3連休。たった3連休なのだから気合いが入ってしまわないよう気をつけてるけど、ついつい浮わついていろいろやりたいことがを思いつく。まず部屋の片付け。家族にゴミ部屋と呼ばれて、ハンガーラックがちょうど壊れたこともあり部屋は悲惨な状態に。今年は試験受けるのやめたし、本気で部屋をなんとかしたい。と思ってとりあえず手近なところにある洋服でいらない物を捨てたりリサイクル回収に出したりした。あと前の会社の書類関係。入社以来いろいろずっと取ってあったけど、もう流石に見返すことはないだろうとかなり捨てた。大体シュレッダー事項なのでここで時間がかかった。アメリカに研修に行った時のレポートはその時のことや気持ちを忘れたくなくて取っておいた。あと入社以来徐々に増えていった金融機関系の書類。ひどいものは封も開けてなかったけど、開けて分別して、要らなそうなものは直近以外分を捨てた。ここまでで3連休は終了。部屋の状況としてはあまり変わってないように見えるけど、私的には大進歩。まず物の場所を決めるにしてもしまい先が空いてないみたいな状況なので少し空間を開けた感じ。
何故かFilmarksでクリップしてた『ジャンヌ・ディエルマン ブリュッセル1080、コメルス河畔通り23番地』が上映されているのを知り、渋谷で18時から3時間超えにやや気持ちが渋ったが、せっかくの連休なので連休初日に予約をしていった。渋谷の映画はとにかく寝る。打率7割くらいじゃないか。Bunkamuraに限って言えば9〜10割かもしれない。なんでだ。そうして渋谷で映画を観るのが憂鬱になる。でも休前日に眺めるBunkamuraのラインナップは魅力的。これは心に余裕がある証拠だ。映画を観て疲れたとしても消化することができる自信がないとそうは思えない気がする。そして今回も寝た。前半、なかなかゆったりと生活を描く映画で眠くなりそうな雰囲気ながらも眠くならなくてすごい、いいぞ、と思ってたけど後半でちょっとずつ寝た。話の流れは分かった��ど、そういう映画じゃないのだ。生活のちょっとした違和感に気づかなければならないのだ。終わってみれば冗長に感じた描写も無駄なことなど1つもなかったのだと思った。ちょっぴり現代アートのインスタレーションみたいな映画だった。
そしてTSUTAYAディスカスで台湾映画を2つ借りた。まずアン・リーの初作品『推手』を。父親3部作の父親の俳優さんは同じ方が演じているのですね。その辺も話の雰囲気も小津映画っぽい。小津映画より劇的だけど、小品ながら味わい深い感じ。息子が台湾からアメリカに呼び寄せた父親の話。こんな作品撮ってたなら、アン・リーのその後のハリウッド作品って彼が本当に撮りたい物なの?という気がしないでもない。逆にそういうものを撮りたくてアメリカへ行ったのかな。
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明治公園コクバイ、最高裁へ! 東京高裁は違法性判断を避け控訴棄却の不当判決

丸2年をかけて争ってきた「明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟」控訴審は、2025年2月27日、判決日を迎えた。初めて見る顔の裁判長が「代読する」と宣言し、「控訴棄却」の結論だけ読み上げて、さっさと退席した。被控訴人側のJSC・国・東京都は全員欠席。あっけない幕切れに、ほぼ満員の傍聴席から次々と抗議の声が上がった。
弁護士会館に移動し、弁護士さんから解説。東京高裁は、控訴人のうち4団体については裁判に訴える資格がないとする地裁判決を維持しばっさり切り捨てた上で、元明治公園住人の控訴人2名について地裁判決における重要な箇所を書き換えてきた。それは東京地裁の執行官が、JSCの仮処分申立に対し裁判所が許可した「公図」とは異なる地図(JSCに渡されたもの)に基づき執行した、裁判所決定に含まれないエリアからも強��執行をやってしまったという、信じがたい落ち度について東京地裁が「違法性はない」と判断した部分。控訴審において重要な争点のひとつであった部分について、東京高裁はまるごと書き換え、執行範囲ではない公衆トイレにあった荷物を執行したとしても元明治公園住人2名には「損害はない」と、控訴を棄却。憤懣やるかたない結果となった。
いうまでもなく一審判決は、東京地裁があきらかな身内びいきをしたとしか思えない不当な内容だった。そもそも、文科省傘下の国直轄の組織JSCが国策オリンピックを楯に野宿者追い出しの仮処分を申し立てるという暴挙をやすやすと認め、裁判で争う機会を与えない「断行の仮処分」の決定を行ったのは東京地裁である。証人尋問であっけらかんと「公図は見ずにやった」と明言し杜撰な強制執行をやらかした執行官も、東京地裁の人間だ。その東京地裁が下した、公図は分かりにくいから執行範囲外まで執行する間違いはよくあることだと「違法性はない」と明記した地裁判決が、はたして妥当か? 地裁判決が妥当か否かの判断をあらためて行う、そのための控訴審ではないのか。違法性を判断した上で損害の有無を認定する、それこそ東京高裁が為すべき役割なのではなかったのか。
東京高裁は2年も審理しておきながら、違法性についての判断を避けた。控訴審で私たち原告団は、主に①執行範囲外まで執行した執行官のデタラメの違法性、②たんなる占有補助者とされ弁明の機会もなく損害を被った元明治住人原告について実際住んでいたことの証明、③4団体切り捨てへの異議 について証拠の補充を行い、とくに①については執行当日の現場でカメラを回しまくっていた謎の白ヘル軍団の撮影映像を入手すべく、被控訴人JSC、東京都、そして国=現場責任者である執行官を追及した。しかし、いずれも白ヘル軍団を知らない(!?)と言い張り、東京高裁は私たちの文書提出命令申立をすべて退けた。原告側の証拠となる撮影は暴力で封じた執行官が、すぐ近くで撮影していた白ヘル軍団を知らぬ存ぜぬでお咎めなし、それどころか杜撰すぎる強制執行の実態が明らかになったにもかかわらず徹頭徹尾執行官をかばった東京地裁判決の、まずい部分のみ書き替えて控訴棄却とした今回の東京高裁判決は到底受忍できる代物ではない。
「つまり高裁は判断を避けたってことか?」「逃げたってこと?」「トンコ判決だ!」と怒りの声はつきることなく、おさまらない私たちは再び東京高裁前に移動して、「不当判決を許さないぞ!」「オリンピック追い出しを許さないぞ!」と皆で抗議の声を上げた。夜は、後楽園の文京シビックセンターに移動して報告集会を開催。集会報告は別途「反五輪の会」ブログに掲載いたします。
そして、明治公園コクバイのこれまでを熱く見守ってきてくだ���ったみなさまへ、重大なお知らせです。このたびの控訴棄却を受けて、「明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟」原告団のうち「国立競技場周辺に暮らす野宿生活者を応援する有志」が、3月12日、最高裁に上告しました。2013年に始まったJSCらとのオリンピック追い出しの攻防を元明治公園住人たちとともに闘ってきた責任ある団体として、控訴審判決直前に亡くなった原告Yさんの怒りも引き継ぎ、最後の最後まで闘い抜きます。
上告にかかる裁判費用の最終カンパをあらためて呼びかけます
(カンパ口座:三井住友銀行町屋支店(普)7122609)
どうかラストまで明治公園コクバイにご支援・ご注目のほど、よろしくお願い申し上げます!
明治公園オリンピック追い出しを許さない国家賠償請求訴訟原告団
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Jersey Brown 麹プレミアムヨーグルトスイーツ
久々の麹プレミアム!!
メディアでご紹介させていただいたり、イベントで販売させていただいたりと何かとお世話になってる推しヨーグルト🫶
先日ついに工場見学にお伺いさせていただくことが叶い、お土産にも持たせてもらったのでお礼を込めて再掲。
新千歳空港の「ジャージーブラウン」や帯広の「KEY’S CAFÉ ジャージーブラウン帯広店」で買える他、お取り寄せもあるのでぜひぜひに。
※お目当ての際は在庫があるかお問合せ推奨
スペック
十勝ミルキーさんの乳製品ブランド「Jersey Brown」の箱入り高級ヨーグルト✨
☑︎ ジャージー生乳(十勝高田牧場産 / NON-GMO給餌) ☑︎ ホルスタイン生乳(川西産) ☑︎ 生クリーム(北海道産) ☑︎ 米麹(北海道産) ☑︎ 蜂蜜(十勝産) ☑︎ ビートグラニュー糖(北海道産)
と、原材料はこだわり満点のオール北海道産👏
米麹が入って���から風味が超独特。
製法
①硬めに凝固するヨーグルトを製造し水切り ②独自に配合・加熱溶解した他原料を投入 ③カードが壊れない絶妙な加減でミキシング ④ろ過網に通してヨーグルトの粒を均一にする
という独自の製法で、仕込みから完成までなんと5日間😳💦
一度に作れる量にも限界があって、オンラインの発送は隔週という貴重品🙏✨
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
淡いベージュのような色味。
表面の絞り跡から濃厚さが伝わってくる。
すくいあげるとモッッッツァ!!
濃過ぎてスプーンからなかなか落ちん😍
たまに黒い点々が見えるのは黒米。
コクの強いチーズのような香りが独特で、ヨーグルトじゃないみたい😳
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ふぁぁぁぁぁ!!
うまぁぁぁぁぁ!!!!!
濃厚でムースのような不思議な食感🤍
水切りヨーグルトやけど空気をたっぷり含んでて、ふわふわとモッタリが両立してる☁️
口溶けはなめらかで、どこかクリーミーな印象も。
そして素晴らしい香り𓂃 𓈒𓏸
チーズスイーツのようでもあり、甘酒にも近い発酵感もあり、しっかりとしたお乳のコクを感じながら、みんなが去った後に出番とばかりに香る蜂蜜。
舌にじーんと染み込むような贅沢な味わいで、豊かな香りにうっとりするクイーンオブ発酵食品👑
濃厚すぎて、そのまま食べるのがもったいない。
何かに塗りたくなっちゃうほど。
この異次元のおいしさ、ぜひヨーグルト好きなみなさんに楽しんでみてほしい…!!
塩気のあるクラッカーに合わせてもいいし、実は凍らせてもおいしい。
ティファニーブルーの箱も可愛くて、贈り物にも超おすすめ!
============================ 無脂乳固形分 13.0% 乳脂肪分 8.5% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 163kcal たんぱく質 6.1g 脂質 9.3g 炭水化物 13.6g 食塩相当量 0.1g ※全量は200g ————————————————— 原材料名 生乳(北海道十勝産)、米麹、乳製品、砂糖、蜂蜜 ————————————————— オンラインショップ価格 1,599円(税込) ————————————————— 製造者 有限会社 十勝ミルキー ============================








2022年6月14日のレビュー

Jersey Brown 麹プレミアムヨーグルトスイーツ
6/19(日)、新鮮市場 東本郷店様とのコラボイベントで販売予定のヨーグルト、その2!
4月にフジテレビ「ポップUP!」でご紹介させていただいたところ注文殺到で、今なおオンラインショップでは4~5ヶ月待ちの品。
特別に限定24個でお取り扱いさせていただけることになりました🙌✨
売り切れ御免!
ご入用の方はお早めの時間帯に🏃♀️💨
スペック
十勝ミルキーさんの乳製品ブランド「Jersey Brown」の箱入り高級ヨーグルト✨
☑︎ ジャージー生乳(高田牧場産 / NON-GMO給餌) ☑︎ ホルスタイン生乳(川西産) ☑︎ 生クリーム(北海道産) ☑︎ 米麹(北海道産) ☑︎ 蜂蜜(十勝産) ☑︎ ビートグラニュー糖(北海道産)
と、原材料はこだわり満点のオール北海道産👏
米麹が入ってるのがポイントで、乳酸菌が元気になってくれるんだとか💪
仕上がりの風味は超独特。
まるでチーズスイーツみたいとのお声も🧁
製法
①硬めに凝固するヨーグルトを製造 ②独自に配合・加熱溶解した他原料を投入 ③カードが壊れない絶妙な加減でミキシング ④ろ過網に通してヨーグルトの粒を均一にする
という独自の製法で、仕込みから完成までなんと5日間😳💦
量産できない貴重品🙏✨
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ティファニーブルーを彷彿させる立派な箱から瓶を取り出すなんて、もうこの体験だけでうっとり💓
瓶も青い牛柄でめちゃめちゃキュート🐄
そして開封するとその質感にびっくり!
ムースみたい。
すくうと「モツァッ」って鳴るふわふわねっとりな質感🤍
スプーンにまとわりついて、ツノが立ちまくる濃厚仕立て😍
やや生成色の仕上がりで、時折見られる黒い点は黒米🌾
甘くコクのある独特の香りがほんまにチーズスイーツみたい。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ふぁぁぁぁぁぁぁぁ😭💕
なんだこれは!!!!!!!
何回食べてもすごい…
言葉に起こすのがすっごい難しい、それぐらい新感覚。
ねっとり、モッツァリ、ふんわり🤍
不思議な食感で、じゅわっと滲み出てくる甘みがだんたん艶っぽい蜂蜜の甘みに移り変わってゆくのが快感。。。
鼻から抜ける発酵の香りがなんとも言えん極上の体験で、いつも言っちゃうけど「クイーン・オブ・発酵食品」✨🏰✨
ヨーグルトにこんな可能性があったなんて😭💕
ムースのようでもあり、レアチーズのようでもあり、どこか甘酒のような風味もあり。
発酵の風味��気持ち良すぎてクセになる🤍🤍🤍
アレンジ①
塩気のあるクラッカーと合わせると旨み倍増🙌
ワインのアテにどうぞ🍷
アレンジ②
冷凍させると米麹の香りがクッキリ✨
ヒンヤリしてると比較的軽く食べられるから、進みすぎ注意⚠️
🛒 Jersey Brown オンラインショップ
============================ 無脂乳固形分 13.0% 乳脂肪分 8.5% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 163kcal たんぱく質 6.1g 脂質 9.3g 炭水化物 13.6g 食塩相当量 0.1g ※全量は200g ————————————————— 原材料名 生乳(北海道十勝産)、米麹、乳製品、砂糖、蜂蜜 ————————————————— オンラインショップ価格 1,599円(税込) ————————————————— 製造者 有限会社 十勝ミルキー ============================
箱入りの状態

中身



2021年1月6日のレビュー

十勝ミルキーさんの乳製品ブランド「Jersey Brown」のヨーグルト!
“濃厚な味わいと、ムースのような口当たりの良さ、チーズケーキのようなミルキーなコク”
で、
”従来の乳製品を超越した高級スイーツのようなヨーグルト”
とのこと。
🥇 北のハイグレード食品S 2019 選定品 🥇 十勝ブランド登録★★★★★認定品 🥇 十勝ブランドグランプリ2020 ベストof 十勝(総合)部門 グランプリ受賞
と、華々しい受賞歴のある逸品。
特殊な作り方をしていて、仕込みから完成までなんと5日もかかるそう。
製法
まずは硬めに凝固するヨーグルトを製造。
出来上がったところに、独自に配合・加熱溶解した他原料を投入し、カードが壊れない絶妙な加減でミキシング。
最後にろ過網に通してヨーグルトの粒を均一にして完成。
こだわりの原材料
高田牧場さんのNON-GMO給餌のジャージー牛の生乳
川西産のホルスタイン生乳
十勝産の蜂蜜
北海道産の米麹
北海道産の生クリーム
北海道産のビートで作ったグラニュー糖
と、原材料はどれも北海道産✨
さすが生クリーム入り、無脂乳固形分 13.0%、乳脂肪分 8.5%とすんごい数値。
カロリーも普通のヨーグルトの倍ぐらいあって、数字だけでもうおいしい🤤💕
米麹が入ってるのが、どういう感じなんやろう🤔
甘酒ヨーグルト的なもの?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 開封 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
ティファニーブルーの可愛い箱🎁✨
それを開けると青い牛柄の瓶!!
可愛い🐄💕
おおお、なんかすごい質感😳
クリーム色で、注いだ後がシワ���ぽく残ってる。
すくいあげてみると、ムースみたいにモツァッとすくえて、ザラザラした断面。
黒い点々が入ってるのは何者??
香りはかなり弱めで難しい。
なんかこっくりした甘い感じが遥か遠くに…
甘酒っぽいのかなぁ??
これは食べてみるまでまったく想像つかん。
そういや十勝ミルキーさんって、あのひと瓶5,000円の超高級ヨーグルト「クレマドール」の製造もされてるメーカーさん💓
この質感みて思い出した!!
でも見た目は似てても、麹入りやしかなり違うものになってるはずよなぁ🤔
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧ 頂きます🙏 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・୨୧
うわっっっっっっっっ😍
すっごい風味!!!!
甘酒にも近いけど、蜂蜜やヨーグルトの香りと混ざり合って、まったく知らん新たなスイーツの香りが生まれてる🎉
清涼感と甘みと癖のあるチーズが混ざったような、複雑でひゃーっと鼻から抜ける勢いのある香り💕💕💕
質感はふわっふわ、口溶けはゆっくりで、黒い粒が口の中にちょっと残る。
発酵食品!!!って感じがすごいから、もしかしたら好き嫌いは分かれるかもやけど、ハマる人は思いっきりハマっちゃう香り❤️
わたしはドストライク💘
クイーン・オブ・発酵食品👸🏼✨
これはスプレッドとしても十分に使えるほどの濃厚さ。
ワインのアテでもいいのかなぁ。
ヨーグルトというよりチーズスイーツって言われた方がしっくりくるかも🧀🤔
こんなに濃厚やのに、香りが突き抜けてるから、甘さや脂質味が重く感じられん。
ついつい進んでしまって危険😂
塩気のあるクラッカーに乗せてみたら、旨みが倍増して恐ろしいスイーツになった❤️❤️❤️
ところで、突然変なこと書くけど、このヨーグルトってひらがなの「み」の香りがする。
あんまり人に話してこんかったけど、わたしは共感覚を持っているらしく、音に色が見えたり、香りに音がついたりする。
100人に1人は持ってるらしい共感覚。
どなたか同じように香りに音がついたりする方いらっしゃいませんか。
============================ 無脂乳固形分 13.0% 乳脂肪分 8.5% ————————————————— 栄養成分(100gあたり) エネルギー 163kcal たんぱく質 6.1g 脂質 9.3g 炭水化物 13.6g 食塩相当量 0.1g ※全量は200g ————————————————— 原材料名 生乳(北海道十勝産)、米麹、乳製品、砂糖、蜂蜜、(一部に乳成分を含む) ————————————————— 通常価格 1,599円(税込) ————————————————— 製造者 有限会社 十勝ミルキー ============================
箱入りの状態

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26歳ニワトリを抱えて なにがだけど
先日わたしは26歳になった。去年は日付を跨ぐ頃にシャワーを浴びて入念に耳の後ろを泡立てていると25歳を迎えた記憶があるが、一年というのはなんと早いものだ。今年は前期授業の最終日で鮮やかに寝坊し、タクシー出勤をした(寝坊したわたくし 野良タクシー )。前期が終わるということで、次に行くのは9月。当分大学には出向かないということで、普段会わないひとたちにも挨拶をしようと各部署各学科を巡り、歩き挨拶してまわったがほとんど結局誰とも会えず。唯一ちゃんと会って話せたのは成澤さん、農園の管理人である。「ひさしぶりだね〜」 と成澤さん。最近の近況報告から生活のなかの自家発電の話になり、わたしはセルフカットと最近のセルフお洗濯の話をした。成澤さんは家の畑および田んぼと山羊&ニワトリと、大学の畑を整備するNOW ON 二毛作をしているのだが、その話を聞き、あとは最近始めたカヤックについて教えてもらった。十分な装備で行わないカヤックは"命懸けのレジャー"だと言うことで、(レジャーが命懸けなの良すぎるだろ)と思いながらお話しした。せっかく農園まで上がったので、誕生日にニワトリを抱えるのはオツかもしれん。と思い農園のニワトリ(家畜ゆえに名前がない)を抱きかかえ、成澤さんに写真をとっていただいた。この日はニワトリの機嫌が悪く抱えてもすぐに羽をばたつかせ降りてしまうので成澤さんに、おとなしくなってもらう方法がありますかと聴くと「それはね、ラグビーボールみたいにして脇に抱えてやったらいいよ〜」 と言いながら、ニワトリをトライするかの如く脇で挟み込み、加えて顔を掴み、「暗くしてやるとね〜、すぐ寝るんだよ〜」 といういつものクレイジーさを見せてくれた。「成澤さん、今寝かせてくれなくてもいいですよ。」というと、そう〜?といいながら降ろし、わたしも同じように抱え、ほんとにおとなしくなって笑った。成澤さんは写真を撮るときシャッターを切りながら(いいね〜)とおっしゃっていた。農園から降りるときに実のつきたてのししとうたくさんと、ニワトリが一日に一個しか産まない卵をもらった。うれしい。
お昼すぎまでだった授業はその後に卒制の相談を2件ほど受け16時前に。そ��から成澤さんと話し込んだので帰宅したのは19時であったが、夜になるとゆかりさんから家に行っていいですかとのこと。誕生日だからかなケーキかもなと思い、「でもフォーク足りないかも!」と電話口にて伝えると、『桐島部活辞めるってよ』 の名シーン 「ごめんね、なにがだけど」 頭の中でがリフレインする。だれもケーキなんて言ってないのにフォークがないかもと言うわたし……、 「なにがだけど、ね笑」と補足した。
21時半頃にカイくんとゆかりさんがうちにくる。夜ごはんのおすそ分けに豚キムチまで持ってきてくれ("まで"ってなにがだけどね……) 「タイヘイはあっちで待っててと一旦部屋を出される。ふたりが何かを準備している間にスピーカーにつながっている自分のiPhoneでスティービーワンダーの『Happy Birthday』を流した(いえ、さっぱり、なにがなんだけどね)。しばらくすると部屋に呼び戻され、わたしは健気に"何か"を取り分けるであろうお皿を両手に持って部屋に戻ると、なんとそこには小さなとらやの包みに入ったプレゼントとミニケーキが3ピースあり、ケーキには炎色反応のギミックがすこし特別なロウソクが刺さっていた(ほんとにありがとう)。ケーキを前にして雑談をし、いい加減にして、ありがとう〜とロウソクを吹き消し。拍手してもらった。プレゼントは何かまったく検討がつかなかったのでクイズ形式に。箱の中身はなんだろな的な要領でここにあるのはなんだろう。目を瞑って開封を行ったが、まったく検討がつかず答えには到底辿り着けなかった。プレゼントはキャンプ用のガスコンロであった(最高すぎ)。とてもうれしい気持ちに包まれ誕生日プチパーティーまで開いてもらい。大満足であったが、最後にもう一歩誕生日の権限を振りかざし、3人で写真を撮ろうと提案した。試し撮りでふたりの写真を撮って画角を調整してから、セルフタイマーで10連写の設定で撮ると、1枚ごとのインターバルが半秒ほどあったおかけで、1枚しっかり決め込むよりもとても力の抜けたいい表情のわたしたちが撮れた。これがなによりの誕生日プレゼントだわね……。メッセージやSNSで祝ってくれた人たちもありがとう。26歳も鋭意……。
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【AIと協力して、西木野真姫を世界で一番可愛くしてみた】
西木野真姫は神田明神の境内に佇んでいた。 澄んだ空気の中、彼女は真剣な表情で手を合わせ、心の中で願いを託す。
「私の可愛さを、もっとみんなに知ってもらえますように。」
真姫は自分の可愛さに絶対の自信を持っていたが、それを認めてくれる人々がまだ足りないと感じていた。 その欲望が、彼女を神田明神へと導いた。
鈴が一人でに揺れ、綺麗な音が不意に響き渡った。 真姫は一瞬驚いたが、その音を自分への応えだと信じ、満足げに微笑んだ。
「これでみんな私を愛してくれるはず。」
その願いが、どれほど恐ろしい形で叶うのか、真姫はまだ知らない。
――――――――
数日後、秋葉原は異常な事態に陥った。 真姫を見た人々が一様に、彼女に彼女に心を奪われた。
「すげー可愛いな、今の子……」 「音ノ木の子かな……」
さらに奇妙なことに、彼らは次第に真姫の幻覚や幻聴に囚われるようになり、自傷行為に走る者も出始めた。 真姫がその場にいなくても、彼女を一度視界に入れるだけで心を奪われる。 これが「真姫の影響」だと後に呼ばれる現象だった。
警察は速やかに秋葉原を封鎖。 影響を防ぐため、真姫の姿が映る映像や写真を徹底的に規制し、SNSやマスメディアでの拡散を禁止した。 これが功を奏し、被害は秋葉原に限定され、全国的な拡大は防がれた。
その中で唯一、真姫の親友である矢澤にこだけが影響を受けなかった。 この特異性に注目した警察は、にこに協力を要請。 彼女は迷いながらも、それを受け入れた。
――――――――
警察は無人機や遠隔操作型ロボットを駆使し、真姫を捕獲する作戦を展開した。 しかし、彼女に近づこうとする人間が真姫の虜になり、次々と無力化される中、にこが重要な役割を果たした。
「真姫ちゃん、もうおとなしくして!」
にこの声が届いたのか、真姫はついに動きを止めた。 こ��して、数多くの犠牲を払った末に真姫は捕らえられ、東京都某所の地下施設に隔離された。
――――――――
地下施設では、真姫の影響を最小限に抑えるための厳格なルールが制定された。
・真姫は何もない部屋(真姫の部屋)に隔離する。これは何がどのような影響を与えるか分からないためである。 ・部屋の周囲に数メートルのバリケードを設置し、近づかないようにする。半径3メートル以内は危険区域とする。 ・誰も真姫の部屋に入ってはならない。 ・生き物を真姫の部屋に入れてはならない。 ・真姫のお世話はロボットを介して行う。または矢澤にこが行う。 ・真姫を元に戻すための資料を作成する際も、映像や写真の撮影は禁止する。 ・マスメディアへの映像や写真の提供は厳禁。特にこのルールは厳守しなければならない。テレビに真姫が映れば、全世界が真姫の影響下に置かれる恐れがある。 ・真姫を外に出してはならない。 ・最も重要なルール:万が一、真姫が外に出てしまった場合は、あらゆる手段を用いて「解決」しなければならない。
警察と政府は秋葉原の復興に尽力しつつ、真姫を元に戻すための方法を模索し続けた。 しかし、真姫は元に戻すためのあらゆる「治療」と軟禁生活に苦痛を感じていた。
――――――――
ある日、真姫は隙を突いて部屋を脱出した。 暗い廊下を駆け抜ける彼女の足音が響く。 真姫は自分の力でこの場所から抜け出し、再び自由を手に入れることを願っていた。 「真姫ちゃん……絶対に出ちゃダメだって……何回も言ったはずニコよ……?」 しかし、出口の前で彼女を待ち受けていたのは、銃を構えるにこの姿だった。
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)1月6日(月曜日)弐
通巻第8583号
トランプ政権は「さようならDEI」である。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使が日本から去る。
*************************
トランプの大勝の意味は極左政権だったバイデン時代の終わりではない。米国をはんぶん破壊した「オバマ時代」(バイデン時代とはオバマ院政だから合計12年)の終焉なのである。
「民主党の高層部に陣取った極左集団はくさっている。全体主義と変わらない」と言って、RKJもトゥルシー・ギャバードも飛びだした。前者はトランプ政権で厚生長官、後者は国家情報長官となる。
オバマ・バイデンの十二年間つづいた「悪政」とは、公務員や追随する広告代理店や弁護士やコンサルタントを動員して欺瞞の政治目的を拡販してきたこと、「人道主義」をいう美名で隠蔽した中身とはアメリカを社会主義的全体主義国家と塗り替えることだった。
第一に「人口構成が運命だ」という妄想があった。白人の出生率が激減している一方で、黒人、ヒスパニック、アジア系の移民が急増し、人口構成を逆転する趨勢を加速させる。
そうすれば極左政党が半永久的に政権の座を維持できるという妄想に基づいた計画だった。
反対の選挙結果だった。ヒスパニックと黒人の民主党支持が顕著に激減し、そのうえ労組が民主党支持から離れた。
これらの基層部分は依然として民主党へ入れたが、曾ての固定票ではなくなっていた。民主党の牙城といわれたNYCやロスでトランプは大幅に得票を増やした。
第二にオバマ院政下にあったバイデンは就任後、90の連邦機関に人種優遇とDEI規則を義務付けた。「左派のネオ・レイシズム」である。
全米でアンチDEI運動が燎原の火のように燃え広がった。
第三に国境開放を解放し、1600万人とも言われる不法移民を受けいれたことは逆にヒスパニック系の票を失った。『聖域』といわれた都市は治安悪化に悲鳴を上げた。
第四に石油・ガス産業に対するグリーン・ニューディール戦争は、環境問題に関心のある若い有権者を引き寄せるはずだった。石油ガス業界を「オバマ院政』(バイデンの四年)で完全に敵に回した。皮肉にも環境規制強化が中国のEV産業を飛躍させアメリカの三大巨人の経営をふらふらにした。自動車労組も幹部を別として、バイデン支持を離れた。
第五に反イスラエルキャンペーンである。ハマス支持の過激派の言動をバイデン、ハリス政権は正当化したが、反イスラエル、そして反ユダヤ主義の左派の票を獲得でき���かった。そればかりか民主党の基盤だったユダヤ人の相当数が共和党へ鞍替えした。
▼『オバマ時代』とは『ポストモダン宗教』だった
こうしたオバマ・バイデンの十二年間に猖獗した「ポストモダン宗教」はオバマ時代に急速に勢力を拡大した。妖しげなNGO、コンサルタントと称して企業の幹部に落下傘降下し、顧問弁護士とか社外取締役として当該企業のWOKEを見張った。
消費者の反乱がおきて、バドワイザーなど、販売を四割も落とした。BLMなど過激な活動家グループ、インスタントな財団、公務員組合などが納税者の資金で支えられた。
この急拵えの亜官僚システムは連邦および州の機関、公立学校、そしてアメリカ企業に強制した『研修』と称する仕組みにあった。つまり「DEI産業複合体」だった。
トランプ政権は「さようならDEI」である。
学生ローンの減免など、「平等保護」ではない。多くの異議申し立てがあり、各地で訴訟に発展した。トランプ政権のDOGE設立と、その大鉈で崩壊しそうだ。
オバマ政権は系列の左派知識人を動員し、例えば欠陥だらけのイラン核合意について、主流メディアや政治エリートに虚偽や誤解を招くような話を売りつけ、その後、反対意見を封殺した。
この仕組みは、 ロシアゲート、ハンター・バイデンのラップトップ、その他多くの多くの論点において、有権者の70%が主流のニュースメディアを 信用しなくなり、FOXニュースとカールソンの番組とネットの記事とトランプのXへの投稿、SNSに拡がった保守の主張への支持となった。
バラク・オバマは巧みな演説で時に人々を感動させた(というより誤解させた)が、このようなホワイトハウスの陰湿で陰謀的な政治が民主党を全体主義的ムードへと導いた。惨敗後、民主党執行部は空中分解、自ら首を絞めたのだ。
米国の財界、ウォール街は雪崩のようにトランプ政権にアプローチを進めている。
メディアもすっかり様変わりだ。ワシントン・ポスト政治風刺漫画家が、同紙オーナーがトランプを思わせる銅像前に土下座する様子を描いた漫画の執筆し、それが没になった直後、辞任した。
漫画家のアン・テルナエスは「私がペンを向けた対象や人物のせいで漫画が削除されたのは初めて」と投稿した。その風刺漫画には、アマゾンの創設者でワシントン・ポストの所有者であるジェフ・ベゾスや、フェイスブックとメタの創設者マーク・ザッカーバーグ、その他のメディアやテクノロジー界の大物たちが、巨大なトランプ銅像(金日成親子を思わせる)の前でひざまずいてお金の入った袋を掲げている様子が描かれていた。ABCニュースを所有するディズニー社のシンボルであるミッキーマウスがひれ伏している姿も描かれた。
ABCニュースは、ニューヨークでの性的虐待裁判の報道をめぐってトランプが名誉毀損で訴えた事件で、1500万ドルの和解に同意した。
テルナエスは風刺漫画の不掲載は今回が初めてだとし、「これは状況を変えるものであり、『報道の自由』にとって危険だ。民主主義は暗闇の中で死ぬ」と逆の捨て台詞を残した。
『オバマの家来』エマニュエル駐日米大使はやっと日本から去る。
最悪の評判を取りながらもウクライナ支持、LGBTQ法の強要など、忠実にオバマの社会破壊活動を実践してきたが、つぎには民主党全国委員会の委員長への立候補を検討している。
エマニュエルは2009~10年にオバマ大統領の首席補佐官を務め、シカゴ市長に当選し、バイデン大統領から駐日大使に指名された。この背後にオバマがいたことは明白、そもそもバイデン政権の閣僚は殆どがオバマの指名だった。
日本にとってじつに迷惑千万の外交を展開した。
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チャップアップ 育毛剤
Chap Up
インチキです、毛は1本も生えません!頭の毛は濃ゆくなりません!買ってはいけません。
全く効果ありません。ただの水です、私は一年くらい使用しましたが、効果ありません、美容クリニックの人もあれはただの水ですと言ってました。
効果なし、、むしろ逆効果かも
抜け毛防止のために買いました。 しばらく使っていましたが、、効果は全く無く、むしろ抜けていく気がしたので使用するのを止めました。 結構たかいのに残念でした。。 日本で効果が承認されているのはミノキシジルのみなので、最初から素直にミノキシジル配合の製品を使っておけば良かったと後悔しています。 この手の商品は、その効果に希望を持って高額でもつい買ってしまいます。。
こりゃダメだ
半年ほど使用しましたが、全く効果がないどころか抜け毛が増えました。 自分に合わなかっただけかもしれませんが… 解約を申し出たところ「コロナの影響もあり連絡が遅くなっていましたが、次回より割引価格で継続頂けます」と言ってきた。 コロナの影響って…もう少しマシなウソつけよ
AGAで悩んでるなら買わないほうがいいです。
約3年くらい使ってきましたが全く生えませんし、どんどん悪化していきました。 ��りゃミノキシジルもフィナステリドも入ってないのですから当然と言えば当然ですけど。 フケは減った気がするので、保湿効果は多少あるのかな?何もしないよりかは気持ち的な問題で良いのかもしれません。 AGAで薄毛になっているならミノキシジルとフィナステリドを使った方がいいです。 購入の仕方によっては月額でこれの半分以下に抑えられます。
半年使ったが全く効果なし
半年間使い続けましたが自分には全く効果が見られませんでした。返金制度を受けようと電話するも未開封の品物を残しておかないと受けれないとその時知り受けれず悲しい思いをしました。返金制度を受けたい方は保証書の小さな文字を熟読しとくのをお勧めします。
効果なし!
シャンプーとセットの契約をしました。 まず、三か月目で全く効果が実感できなかったので解約を申し入れたところ、「これまでは下地作りです。効果が実感できるのはこれからです」とのことで、更に3か月継続。結果は同じ。残念ながら全く効果を実感できませんでした。
効きませんね
1年くらい使ってみましたが全く効果はありませんでした。その後AGA治療を受けた医師に製品を見せたら、発毛する要素の無い成分しか含まれていないと言われ、騙されたと思いました。定期購入の解約の際も、電話したところしつこく永続を薦めてきます。効果がないので要らない!と強く言うとようやく引き下がる有り様です。
騙されないで!!
育毛剤って言われている全ての商品は全部嘘です!!ちなみに、シャンプーも洗い流すのでの全く効果はありません!!本当に治しないならAG Aで治した方が生えます。ちなみに、ある成分が入ってないと絶対に生えないし効果はありませよ。
全く効果ない上高いのでやめた方がいいです
全く効果を感じられない上に、高いから絶対買わないほうがいいです。お金をドブに落としたようなものでした。全額返金と言っても、初回の物だけだし、初回の明細書、保証証、使い終わった容器のから、全部を揃えてないとだめらしく、使い終わった容器のからがなく、返金もして貰えず、今後一切買おうと思いません
全額返金保証は「効果がなかったら使った分も返金」ではなく単なる返品対応でしかない!!
次の二点においてこの商品は信頼するに値しないものと評価します。
①一番大事な発毛について全く効果がない!!
②「永久返金保証」が単なる返品対応でしかなく、「ご満足いただけない場合」の保証では断じてない!!
①は説明するまでもない。二ヶ月使用したが全く効果が出る兆しすらなかった。②が発毛剤として効果がないこと以上に強く訴えたいことです。
「永久返金保証書」には、「本商品にご満足いただけない場合(中略)返金することを約束致します」と謳っていますが、返金を受けるためには未使用のローション、サプリメント各1個が必要になります。つまり、「未使用品を返品したらその分の代金を返します」というごく当たり前の返品手続きでしかなく、「商品に自信があるから使ってしまったとしてもかかった費用を返金します」といった類いのシステムでは決してありません。
つまり、手元にある分を使い切って効果がないため返金を受けようとしても返金は絶対に受けられません。
さらに、解約を電話でしか受けないのは他の会社の商品でもあることですが、解約を申し出ると「何ヶ月使ったのか」と必ず尋ね、その一ヶ月から数ヶ月上乗せした期間を例示して「このくらい使わないと効果がない」などと契約の更新を迫ってきます。
商品の効能云々以前に、販売している会社がこういうふうですので、とても万単位のお金をかける価値があるとは思えません。皆さん十分にご注意ください。
詐欺商品
期待して購入しました。人気No1の商品との記述でしたので信用してたのですが全く効果なし。過大評価は全く嘘の詐欺品? 費用を返金して欲しいです。Amazonで扱ってもらっては困ります。
全く効果なし
全く効果なし。
少なくとも発毛効果はありません。
商品の成分表を見ても発毛を促進する効果は無いです。育毛、というより頭皮の状態を良くする効果はあるかも知れません(実際効果があるかは分かりませんが)。唯のヘアトニックが何故ここまでの値段なのか、何を根拠に効果もない発毛を売りに出しているのか 全く説明もないまま、売れてることだけを全面に出して何も知らない客に買わせようとする典型的な商法です。購入の際は後悔のないよう、自己責任で
買うな
かなり使っていますが全く効果が無いため買わない方がいいです
効果無し
成分は市販の1000円台の育毛剤と変わらない、全く効果無し。
半年使用しましたが効果一切あらわれず。
主人用に購入してから約半年間使用しました。全く変わらずというより、むしろ以前より薄くなった気がします。
大手サイトの情報ではこのチャップアップは92%以上の方に効果があったとなっていますけど、残り8%に入ってしまったのでしょうか。
初回購入後すぐお電話を頂き「半年以上継続することで効果が実感できます、しかも半年契約すると毎月500円安くなります」と押され、悩んでいる側としては契約したくもなります。
解約時に気付いたのですが、効果がなくても全額返金されるのは初回の1本のみなので、色々と悔しい思いをしました。
また参考にした大手サイトを今朝見たら、おすすめがチャップアップからマスターピースという育毛剤になっていましたのでレビューされていた方も継続して気付いたのでしょうね。
主人も私も期待していただけに残念でなりません。
効果もサービスもおすすめできるものではありませんでした。
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幸雄は二日間、佐伯家でお世話になった。その間、浩二は時間を見て茨城県内をドライヴして回った。一日目は大子の袋田の滝や常陸太田の西山荘など県北、二日目はつくばの学園都市や土浦の霞ケ浦などの県南の名所を回り、常陸秋そばや常陸牛も堪能した。美津雄は小百合とずっと家にいたが、浩二の幸雄に対するおもてなしが異常だと思った。しかし、まァ、恐らくこれが冥土の土産になるンだろうと小百合は美津雄に話し、様子を見ることにした。
東京に一足早く戻ったみいは、夕方になると電話をした。彼女は、
「浩二さん、御免なさいね〜。幸雄さんも齢なンだからそちらでお陀仏されちゃ困るンだけど…。一応、橋場の息子さん達には事情を説明して了解を得てるので、何かあったらお電話してくださいね」
と話した。浩二は、
「いえいえ、とんでもないです。筑波山へロープウェイを使って筑波山神社にもお詣りをしましたが、その際に息子さんを連れて万博にも連れて行ったらしくて、記念公園に来た時はとても喜んでらっしゃいました。今のところお元気ですよ」
と伝えた。
いよいよ翌日、美津雄と小百合と一緒に東京に戻ることになった前夜、幸雄は荷物をまとめていた。浩二は様子を見に部屋を訪れ、忘れ物はないか聞いた。彼はないと言ったが、
「申し訳ないが、こんな年寄りの最後の我儘だと思って聞いて欲しいンだが…」
と話した。浩二は何ですかと聞くと、
「後でもイイから、浩志と一緒に撮った写真を送ってくれないかのぅ…。もしオレが死んだ時に、息子らに棺の中に入れて欲しいと遺書に残そうと思って…」
と言った。もはや浩志のいないこの世には未練はなく、明日にでも死んで構わないとの事。だが、幸雄さんは長生きしますよと、一昨日の夜、浩志と絡む夢を見て夢精してしまったことを思い出し、苦笑しながら浩二は話した。
そして、朝になって幸雄は美津雄と小百合と一緒に水戸駅へ向かい、浩二と改札口で別れた。彼は、
「色々よくしてくれて、本当にありがとう」
と、両手で浩二の右手を握りながら会釈をした。やはり九十代とは思えない、背筋が伸びた様子に浩二は改めて驚いた。年齢詐称でもしているのではと疑うほどだった。
幸雄たちを見送り、家に戻った浩二は再び独りになった。色々あり過ぎて疲れたなと思いながら応接間のソファに横になった。彼はそのまま昼過ぎまで寝入ってしまった。窓を全開にし、風がカーテンを翻しながら室内を行き交う。心地よさの故になかなか起きれずにいると、インターホンが鳴った。誰だろう…? 浩二はソファから身体を起こし、声をかけた。その声は江利子だった。珍しいなと彼は思った。
「こんにちわ。お休みでしたか? 御免なさ〜い」
「いえいえ、先日はありがとうございました」
江利子の片手には、広樹の職場でもあるK百貨店のショッパーがあった。今、営業終了したI百貨店の跡地に移転するらしく、新店舗が建築中だった。江利子に差し出されると、
「そんな、お気遣いいただかなくても…」
と浩二は断ったが、彼女は満面の笑みを浮かべながら言った。
「実は、わたしたち、佐伯先生のお宅の隣に引っ越すことにしました!」
佐伯家の隣には、祖父母の代からずっと一組の夫婦が住んでいたが、最近子どもが水戸の郊外に二世帯住宅を建てたとのことで売却し、最近取り壊されて更地になっていた。浩二は、
「かえってよろしくお願いします。でも、何故?」
と聞いた。江利子は話した。
「佐伯先生から、『大樹君、共働きで面倒を見るのが大変ならオレが代わりに見てやるよ。浩二もいるし』と、生前言われてたンです。まさか亡くなるとは思わなかったから…。でも昨夜、先生が夢に出て来たンです! 『わりぃな、オレが約束しておきながら果たせずにくたばっちまって…。でも、浩二がいるから大丈夫だっぺ』って」
オイオイ、オレは何も聞いちゃいねぇよと内心思いながらも、
「…父さんが、夢に?」
と、ついに他人の夢にまで出始めたか!?と呆れてしまった。
利江子は仏前に線香をあげ、先生の好きなお酒買って来たわよ〜と備え、満代先生となかよくねと言い、帰って言った。突然の知らせに浩二は考え込んでしまったが、まァ、これも父さんの遺言だと受け止め、引き受けるかと決心した。
一年後に、広樹と江利子が小学五年生に進級した大樹を連れて来て、浩二は二人が仕事でいない時には面倒をみることになるのだが、最初は結婚も子育ての経験もなく戸惑うばかりだったものの、大樹も次第に浩二がいるのが当たり前だと思う様になっていった。そして、中学校に入学して間もなく大樹は精通し、第二成長期を迎えるのだが、浩二を最初の情人(アマン)として受け入れることになった。浩二も彼を愛し、一緒に寝ない時はないほどに布団の中で絡んだ。嗚呼、父さんの悪いところを譲り受けてしまったと、後に彼は後悔するのだった。
東京に戻った幸雄と美津雄・小百合は、上野駅の中央改札でみいと幸雄の甥が待っているのを認めた。別れ際に美津雄は、
「じいさん、元気でな」
と言った。幸雄は深々と頭を下げながら、
「…本当にお世話になりました。これ以上、思い起こすことはないよ。明日にでも逝っちゃってもイイ」
と話した。それを聞いたみいは、
「ほらほら、縁起でもない! ダメよ、浩志君だってびっくりするわ」
と強い口調で言った。
甥・俊介は幸雄が持っていた荷物を持ちながら、
「お義父さん、疲れたでしょ? ウチに帰ろう」
と声をかけた。俊介より幸雄の方が身長が高いことに美津雄と小百合は驚いた。
こうして幸雄はみいと俊介と一緒に地下鉄の乗り場の方へ向かって行った。美津雄と小百合も、御徒町駅前のスーパー「Y」で正夫と岳次が飲もうと誘われているので、このまま上野広小路を目指した。
この夜、俊介と家路に着いた幸雄は夢を見た。幸雄は、何故か浅草の「Kバー」で独りデンキブランを飲んでいたが、後から浩志が来て向かい側の席に座った。客はおらず、店員だけが二人の為に注文を受けていた。互いに齢を重ね、串カツやもつ煮を肴に二人はグラスを傾けた。完全に貸切りだった。夜なのか外は静かだ。ほろ酔い気分で二人はKバーを出て、車も人もいない歩道を言問橋の方へ歩いて行った。東武鉄道すら通らない、静かな花川戸の界隈を二人は歩いて行った。幸雄にとっては異様に感じたが、浩志がこの場を用意してくれたのだろうと思うことにした。
言問橋のちょうど真ん中に立った時、幸雄の脳裏にオスバルドプグリエーゼの「思い出」が流れた。両腕を広げ、浩志の片手を握り、もう片方の手を彼の腰に回した。二人は円を描く様に踊り始めた。夜空を仰げば満月が見え、その光が二人を照らしていた。浩志は幸雄の胸元に顔を寄せ、涙を流した。腰に回していた方の手指で幸雄は、浩志の頬を伝う涙を拭った。
「…泣くのはおよし」
そう言いながら、幸雄は浩志に接吻した。いつしか、未だ学生服を着ていた浩志に同じことをしたなと幸雄は振り返った。これを機に、浩志はアルゼンチンタンゴのレコードを集め始めたのだ。最初に買ったのは藤澤嵐子だったっけ? 「夜のプラットホーム」が大のお気に入りで、楽器で効果音をも表現するタンゴの魅力に惹かれ、すぐにアルマンドポンティエルのレコードを買い求めていた。「花火」と言う曲が脳裏に流れる中、隅田川花火大会の時には浅草の人気ないところで激情のままに浩志を愛したっけ? 次から次へと思い出が蘇り、幸雄も涙を流した。嗚呼、永遠に踊り続けたい…。しかし、まるで映画の様にブラックアウトし、夢は終わってしまった。
朝になり、幸雄は目を覚ました。上半身を起こしながら、
「…夢か」
と言葉を洩らした。彼は、近いうちにあの世へ逝くかもしれないと思った。
数日後、幸雄のところに郵便物が届いた。開封すると、恐らく彼が定年で新聞社を退職した時だろう、互いに笑顔を見せる浩志とのポートレートが入っていた。幸雄は俊介にその写真を見せ、大いに喜んだ。
そして、浩志の四十九日が終わったとみいを通じて話を聞いた夜、眠る様にして幸雄は九十余年の生涯に幕を下ろした。告別式には浩二も参列し、みいも駆け付けた。俊介は、
「まさか浩志さんの四十九日が終わった後に亡くなるなんて…。何か運命の様ですね」
と話した。みいはハンカチで目頭を押さえながら、
「…何だかんだ言って、これで良かったのかもね」
と言った。浩二も、
「きっとあの世でタンゴを踊ってますよ」
と、幸雄の遺影を見ながら涙を浮かべた。
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川の詩人
彼女はお喋りだ
そのくせだれかが話しかけようとすると
もう先へ行ってしまっている
自分でもよく分からない
一体どこまで自分でどこから自分じゃないのか
仕方ないじゃない、と彼女は云う
立ち止まったとたんに
わたしはわたしでなくなってしまうんだもの
変転と移動だけの人生って
傍で見ているほど気楽じゃないのよ
彼女の背後で
雨雲がぴかぴか光っている
いつか永遠に己を解き放つ瞬間が訪れるだろうか
孕んでも孕んでも
彼女のお腹はほっそりしている
石の詩人
雲に憧れる気持ちがまったくないといえば
やっぱり嘘になりますね
いや、月になりたいとは思いません
大きさこそ違え
僕らは本質的に同じですから
(雨が、あがって、風が吹く。
雲が、流れる、月かくす。)
地上にありながら
深みを予感することが僕の仕事です
(そして夜になると重たい地球は沈んでゆく
星々の隙間を抜けて孤独にむかって)
その日の彼は
なぜか珍しく饒舌だった
モグラは相槌を打とうとしたが
なんだか恥ずかしくなってまた土にもぐった
木の詩人
いつ死んだっていい
ずっとそう思いながら生きてきたような気がする
ふと、あたりを見回せば
いつの間にか自分が一番歳をとってた
誰にも言っていないが
彼はいまや歩くことができた
それが特別な祝福であるとも思わなかったが
夜、村はずれの一軒家の垣根越しに
ラジオの声を盗み聴くことの
あの後ろめたい歓びを手放すつもりも
毛頭なかった
ラッパの詩人
その内実において
彼は洞だった
丸く開かれたロのなかの
限りなく滑らかな漏斗の表面を
空や、媒煙や、少年の震える睫毛や希望は
流れ落ちていった
その外観において
彼は畸形の口吻だった
それは中断された吐息を思わせた
だがその鋭利な外縁からは
鉱石や、水や、骨や、稀に羽虫を封じた琥珀が
迸った
午睡から覚めてバルコンに立つと
夕陽が彼を金に染めた
誰ひとり彼の地声を聴いたものはなかった
アホの詩人
崩れかけた塀の向こうの
物置小屋の庇の下に座りこんで
洟垂れ小僧どもに恐々と覗かれながら
えへらえへらしている
垢と泥にまみれた裸に
透明なビニールシートだけを纏って
風の舞う早春の丘の斜面を
駈け降りてくる
どろりと濁った片眼の端から
笑う女の
歯茎を盗み見ている
アホの詩人は
しどろもどろのうちに真理の炎に焼かれ
また我知らず詩をお漏らしした
雨の詩人
この世の森羅万象に触れることが
彼の野望だった
人前ではそんなそぶりは露ほども見せずに
俳句を捻ったりしていたが
一粒の砂をどんなに見つめても
世界はおろか砂漠だって見えなかったが
一滴の雨の雫には
たしかに全てが映っていた
屋根屋根と森と
小川と虻の羽音と鉄橋と
かなたにけぶるひとすじの海と
貨物船も
空の高みに生まれて
地面に叩きつけられるまでの時間を
測るようにして生きてきた
その最後の衝撃は雨粒ほどの音もたてなかったが
それともあれは上昇だったのだろうか
この世の一切合財を同時に感受しようとして
眩量に襲われることだけが
彼の才覚だった
-四元康祐『詩人たちよ!』
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ドゥザライトシング
CDをパソコンに取り込むドライブが壊れた。今はサブスクの時代だと言うし、私もSpotifyとかやってるし、YouTubeだってあるし、スマホがあれば今や旧譜も新譜もたいがい聴けるのであるが、私が出るのを楽しみにしているアーティストの音源はCDまたはアナログで出され、YouTubeにもサブスクにも無い、ということがままある。
そもそも私は、楽しみに待っていた新譜を手に入れたら、自分ちに帰ってまずヘッドホンで1曲めからじっくりと聞きたい派である。家に帰るのが待ち切れず、吉祥寺のDisk Union(Parcoの地下に移転する前)で入手したCDを、お店の階段を降りながらバリバリと開封し、ダイヤ街の中にあるネットカフェに入ってブースで聞いた、なんてこともあったが、そういうのも含めてとにかく最初は一人で1曲目から最後まで早送りも巻き戻しもせずに通して聴きたい。なんなら曲順も見ないで1曲目はなんだろう、どんな1音で始まるんだろうとわくわくしながら聴きたい。その前にどこかでかかったりするのを聴いてしまった時の無念さは、ビデオに録画している野球の試合について、出会い頭に知人から「今日ホークス負けましたね」と言われた時の無念さに似ている。
と言いながらも、Spotifyをうろついている時に気になるアーティストが新譜を出しているじゃないか!と気付いたりすると、そこで我慢できずに聴いてしまうこともある。するとどうだろう、1曲目をちょっと聴いてあんまり好きじゃない場合や、1曲目を聴いているうちにほかにどんな曲が入っているのかを聴くのが待ち切れない場合には、どんどん飛ばしてしまったりし始める。しまいにはそんな暮らしに慣れ、飛ばし飛ばし聴いたなかで好きな曲があればそればかりを繰り返し聴き、順番通りに全部聴くことはあまりなくなってしまう。サブスクで気に入ったらCDを買ったりBandcampでデータで買ったりするが、結局スマホに取り込んでしまうと、好きなやつばっかり聴いている。なんて流行りに引っ張られるタチなんだ私は。
そんなふうに自分が変わってしまっていることすら自覚しないままに過ごしていたここ数年だった。ところが、CDをデータ化して持ち歩いて好きなやつだけ好きな時に聴くための最初の入り口であるドライブが壊れてしまったのである。しかもうちはCDカセットデッキが1台(A:音がとても好きなやつ)、アナログとCDとラヂオが聴けるデッキが1台(B:音がAMラヂオのよう)、という環境で、デッキAはほぼ壊れており、CDを入れてPlayボタンを押すとラヂオがかかり、音量調整の「+」を押すとカセットがスタートする。ちなみにカセットデッキは二度と開かなくなっていて、15年以上前に入れた、自分のドラムと鼻歌が録音された世にも恐ろしいカセットが入りっぱなしなので、誰かがうちに遊びに来た時に間違えてデッキAの音量「+」ボタンを押してしまわないように細心の注意を払って生きている。
つまり、CDをちゃんとした音で聴くにはデッキBにヘッドホンを差して聴くしかない。しかしデッキBには、今何曲目とか、今の曲は何分かとかを表示する小窓が無い。進む/戻るボタンはあるので曲を飛ばしたり戻したりはできるが、1回しか押してないのに2〜3曲進んだり戻ったりする。しかも、たとえば10曲入りのアルバムの9曲目で「進む」ボタンを押すと、気を利かせて10曲目を通り越して頭に戻った上で曲を進め、2曲目がかかったりする。初めて聴くやつだとどこからどこまでで1枚のアルバムなのか、もうひと通り聴いたのかどうかもわからなくなってしまう。
大変前置きが長くなったが、そんなわけで私はここ数ヶ月で入手した楽しみなニューアルバムを、家のデッキBにヘッドホンを差して、曲を飛ばさず早送りもせず聴くことになった。ヘッドホンは有線なのでデッキBの近くにしかいられず、ほかのことはできない。そうすると、音楽を聴くためだけの時間が1日のうちに何回かやってくるようになった。さらに、アルバムを聴く前にライブで聴いてお気に入りだった曲がかかると大喜びして聴いていたのは最初のうちだけで、好きな曲と好きな曲の間の待ち時間のようだった曲のことが、何度も通して聴くうちにだんだん好きになり、好きな曲の順位が日を追うごとに変わっていった。
これはまさに昔レンタルレコードを借りて来て聴いていた時の、あの少ない情報、少ないお小遣いを駆使して入手したアルバムを聴きながら起こっていた現象じゃないか。2025年2月の私は、むしろこれでいろんな音楽を聴いて、好き嫌いがどういう感じで変わっていくのかを楽しみにしている。
そんなわけで、無くしたことにも気付いていなかった感覚がまた私のところにやってきて、こんなことってあるんだなあ、と珈琲を飲みながら悦に入る毎日を送っているのだが、ここで大きな問題が1つ。家で音楽を聴くためだけの時間が大量に日々に注入されたために空前の寝不足になっていて、それはまあどうにかするとし���も、やっぱり外を歩きながら、またはドライブしながらそのアルバムの曲を聴いたりもしたい。ここで選択肢が3つ。
A CDを取り込むためのドライブを買う
B CDウォークマンを買う
C CDをカセットにダビングできるデッキとカセットのウォークマンを買う
Aがもっとも便利で上記の問題を一挙解決してくれることは間違いない。ただ、あっという間に私は数ヶ月前の自分に戻ってしまうだろう。Bは、取り戻した力を再び失うことなく、問題の一部を解決できそうだ。しかしきっと新しいCDウォークマンには小窓がついているに違いないので、私はしだいに曲飛ばしや早送りをしだす恐れがある。Cは今のシン中原由貴を保ちつつ、外出時にもこのCDしかない音楽を聴ける。ダビングできるデッキとウォークマンの2つを買わなきゃならないし、ダビングもしなきゃならないし、車で聴くには車用のカセットデッキも買わなきゃいけなくなるし、冷静に考えると意味がわからない気もするが、今のところ最有力候補はCだ。
しかし今月末までは金欠のためAもBもCも買えない。もっと言うと今シンバルが欲しいのにこんなの買ってる場合じゃない。というわけで、ひとまず月末までじっくり考えてみようと思う。自分にぴったりの正しい選択をしたい。A〜Cのどれがよいかを提言したい方、またはDの提案がある方は、そっと私に連絡をくれたらうれしい。

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