#阪神淡路大震災記念日
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実はこの『ひやかけ』もですが、和牛を使って自家製カレーうどんも作りましたが、非常に美味しい。
私の作るカレーうどんは、昔ながらの『カレー南蛮』です。
ルーで作るうどん屋さんも多いのですが、母に連れられ小さな頃から通っていた名店があり
その味を再現しています。その名店のうどん屋は、店の前を通りかかるといつもカレーの香りを漂わせており。。。お客の9割はカレーうどんを頼んでおりましたというぐらい本当に美味しいうどんの名店でした。
阪神淡路大震災の影響と共に閉店してしまったようです。
本当に残念です。記憶がずっと残るぐらい味を覚えております。
それぐらい���い入れがある味に仕上げました。その時にも大活躍するのがマルコメさんの築地 鰹節 伏髙のだしパックです。やっぱり美味しいだしを気軽に引くことです。とても大満足な仕上がりに。
ひやかけのダシは淡口でありながら力強く。
カレーうどんはだしをスパイスより勝たせると食欲が湧き立つような良い香りに。
お写真は麺リフトのお写真。
うん、料理を
愛を感じるお写真はとても良いですね。写真というものからその人の料理愛が伝わってくるので、どんな方の手料理もやはり良いなと思うものです。
主人が手打ちうどんを打ち、私がだしを用意しました。
料理研究家 指宿さゆり
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2025.1.17
1995年1月17日午前5時46分。私たちの沢山の大切なものが一瞬にして奪われ失っていきました。本日で30年経った今も、当時の記憶は決して色褪せることはなく、私達、みんなの心の傷、悲しみはこれからもきっと消えることはありません。震災で培われた「絆、思いやり、優しさ、支え合う心」沢山の大切なことを教訓として、私たちは震災から学びました。
あの日を忘れない。亡くなった方々に哀悼の思いを込めて、そして、今まで頑張って生きてこられている皆様にエールを込めて、音楽の力を信じて、阪神・淡路大震災祈念曲「しあわせ運べるように」の演奏動画をお送りいたします。
私の原点である震災当日のこの日に、Instagram平原誠之公式サイトを登録いたしました。公式サイトではこちらの「しあわせ運べるように」をスタートに、演奏動画を中心にお送りしてまいります。皆様どうぞフォローのほどよろしくお願いいたします。
震災が運んできた音楽の道。
2025.1.17 平原誠之
【平原誠之 公式Instagram 2025.1.17登録】
https://www.instagram.com/masayuki.hirahara_official?igsh=MTk0NTU5OGFrbmp1Yw%3D%3D&utm_source=qr
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2024.11.17
神戸の老舗ライブハウス チキンジョージにて
原始神母のライブ最終日。
毎年、顔出してるけど、今回はディビジョンベル
リリース30周年のツアー
今回、ベルギー人2名を連れて参加

日本で、こんなコンサート観れるなんて!と
大興奮してたよ!
気分が、上がりまくったのか
ビール頼みまくる!!13杯づつ飲んでるから
39杯!
途中から缶ビールになったから
生ビールの樽が無くなったんだな(笑)
チキンジョージの樽空けるました🍺

チキンジョージは、学生の頃に出演したライブハウス
95年の阪神淡路大震災で倒壊するも
同じ場所に復活をした伝説のライブハウスだ
当時、照明スタッフだったマサルさんが
今は専務取締役。
会場にもいらしてて、シャケとは
レベッカ時代からの付き合いだよ!って言ってた
打ち上げの途中で、記念撮影
Kaz.も入れ!と言われ、原始神母ツアー写真に
ビール飲みまくって、演奏にやられて
打ち上げでワイン沢山貰ってご機嫌でした
12月のシャケさんのライブの打ち合わせも
軽くしたよ〜
せっかくだし、セッションやるよ!
観に来てね(^^)

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安倍政治は若者世代を元気づけた
櫻井よしこ
安倍晋三総理が亡くなって1年。7月8日、各地で偲ぶ会が催され、東京・元赤坂の明治記念館での「安倍晋三元総理の志を継承する集い」はネット中継された。冒頭、2014年5月30日に安倍総理がシンガポールのアジア安全保障会議で行った基調講演の一部が紹介された。第二次政権を12年12月に発足させた安倍氏は、13年12月、靖国神社に参拝し、英霊たちに感謝を捧げ、日本人皆が夢をもって暮らせる国を創りたいと、アベノミクスを始動させた。エネルギーに溢れ、溌剌とした様子で氏は語っている。
「私はこの1年と半年近く、日本経済を今一度イノベーションがさきわい、力強く成長する経済に立て直そうと粉骨砕身、努めてまいりました。アベノミクスと人はこれを呼び、経済政策として分類します。私にとってそれは、経済政策をはるかに超えたミッションです。未来を担う新しい日本人を育てる事業にほかなりません」
新しい日本人とは「昔ながらの良さを、ひとつとして失わない日本人です」と簡潔明瞭だ。
具体的には「貧困を憎み、勤労の喜びに普遍的価値があると信じる日本人は、アジアがまだ貧しさの代名詞であるかに言われていたころから、自分たちにできたことがアジアの他の国々で同じようにできないはずはないと信じ、経済の建設に孜々(しし)として協力を続けました」と、アジアのリーダーたる自負心を語った。中国を強く意識した言葉でもあろう。
日本は中国とは違って、国民を大事にし近隣諸国を尊重する。日本の国柄はずっと前から古代の先人達がつくりあげ、残してくれたものだ。安倍氏は言い切った。「新しい日本人は、こうした無私無欲の貢献をおのがじし、喜びとする点で、父、祖父たちとなんら変わることはないでしょう」。
首相再登板を果たした安倍氏に世界は注目し、各国指導者たちは安倍氏に幾度も拍手を送った。日本の自分たちにできたことがアジアの国々で同じようにできないはずはない。相手への信頼、相手の可能性を評価し抽き出す前向きの姿勢は、インドをはじめアジア諸国���大いに歓迎された。それは日本の若者世代にも向けられていた。
命日の朝日社説
にも拘わらず、このような前向きの姿勢を見ることなく、何があっても安倍氏非難しかしないような朝日新聞は命日の社説で、安倍政治は「分断に満ちた荒々しい政治」だったと貶めた。
確かに平成から令和へと、日本社会における不公平感は高まった。また、社会保障のツケは次世代任せとでもいうかのような世代間の不公平という話で終わらせるのではなく、自分のことはもっと自分でやるのがよいと、自立を促す気概が強まった。朝日はそれを「分断に満ちた荒々しい政治」と切り捨てる。だが若者が置かれていた苦況を改善し、皆が働ける社会を創ったのは安倍氏である。21年12月3日の「言論テレビ」で安倍氏は語った。
「私が政権を取った2012年(民主党政権時代)の就職内定率は68%で、就職氷河期より悪かった。安倍政権時の最終的な就職内定率は98%に上がりました。すると新卒者が増えます。新卒者の給料は低いですから、平均実質賃金は低くなります。65歳以上で300万人が働くようになりましたが、現役時代よりは給料が低い。女性も300万人、新たに仕事を始めた。高い給料の方もいらっしゃいますが、結婚、出産を経て職場復帰した当初は、給料は低かったりします。パートから始める人もいますから、それらを足し合わせて平均すれば、実質賃金は低くなる。
しかし、その後は、だんだんと実質においてもプラスになっています。大切なことは総雇用者報酬、みんなの稼ぎを足し合わせたものです。総雇用者報酬は、民主党政権時代にはマイナス2兆円、安倍政権ではプラス35兆円です」
第二次安倍政権前の3年余りの民主党政権時代は若い世代にとっては極度の就職難だった。12年の正社員の有効求人倍率は0.48倍、安倍政権発足8年目の19年には1.14倍に上がった。全都道府県で1倍を超えたのは史上初めてだった
安倍氏は経済を成長させて皆が働き自立できる社会を創ろうとした。可能性が花開き、夢が叶う。広い未来が開ける。そんな社会を若者や女性に用意した。朝日新聞は認めないが、安倍氏の政策を真っ当に評価し、希望を託した人々は数知れない。そうした人々、老若男女が、安倍家による法要が営まれた東京芝の増上寺にも、奈良市の近鉄大和西大寺駅前の献花台にも、長い列をつくり献花した。
「勝てるんですか」
明治記念館での集いではもうひとつの安倍氏の肉声が伝えられた。19年1月28日、国会での施政方針演説だ。安倍氏は平成から令和への御代替りに触れ、平成の時代に起きた阪神・淡路大震災、東日本大震災に関して、天皇、皇后両陛下のお励ましが国民をどれほど慰め力づけたかを語った。その上で、明治天皇の御製を紹介した。
「しきしまの 大和心のをゝしさは ことある時ぞ あらはれにける」
今を生きる日本人も同じ気持ちで共に日本の明日を切り拓こう、と呼びかけた。
ロシアのウクライナ侵略戦争は、来る中国の台湾・沖縄侵略戦争と重なって見える。それ以前から米国の力は相対的に低下し、中国の脅威が強大化していた。100年に一度の危機に直面して、安倍氏は15年、野党とメディアの凄まじい反対、非難キャンペーンの中で支持率を13ポイントも下げながら平和安全法制をまとめた。
当時、自衛隊の最高幹部達に、安倍総理が聞いた。「勝てるんですか」と。その場に激震が走ったと当時の国家安全保障局次長、内閣官房副長官補、兼原信克氏は振り返る。
自衛隊は憲法上も政治上も厳しくタガをはめられていて、「米軍が助けに来なければ必ず負けるように作られた軍隊」だから、勝てるはずがない。それでは日本国は持たず日本国民は救われない。だから安倍氏は総理退任後も、台湾有事は日本有事、日米同盟有事だと警告した。GDP比2%の防衛費、核共有論の議論の勧めなどを提案した。
政治家として全力を尽くした安倍総理を振りかえるのに、朝日は相変わらず統一教会問題をとり上げる。9日の社説、「教団と自民党 社会の不信に向き合え」で安倍氏が「国政選挙で『教団票』を差配していたといわれる」と書いた。教団票は全国で6万~8万票、創価学会の力は600万~800万票だ。朝日が統一教会の6万~8万票を大仰に問題視するのなら、その100倍の創価学会をなぜもっと追及しないのか。
安倍氏貶めに走る余り、我を忘れる朝日の主張は的外ればかりだ。
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2025年1月20日

【解説】あなたの住む地域で巨大地震が発生する確率は? 南海トラフ巨大地震「30年以内70~80%」→「80%」に引き上げナゼ?(日テレNEWS)
最大でマグニチュード8~9クラスとされる「南海トラフ巨大地震」の30年以内の発生確率が「80%程度」に更新されました。宮崎県で震度5弱を観測した13日の地震の影響はあるのか。また、全国で巨大地震が発生する確率は? 社会部災害担当・藤吉有咲記者が解説します。【週刊地震ニュース】
■巨大地震の想定震源域で地震
1月13日~19日までの期間、震度1以上の地震は45回ありました。

▼16日午前7時半ごろ、青森県階上町と東通村で震度3を観測する地震がありました。震源は青森県東方沖、地震の大きさを示すマグニチュードは4.8、震源の深さは53キロでした。
▼16日午前9時過ぎには、千葉県館山市で震度3を観測する地震がありました。震源は千葉県南東沖、マグニチュードは4.4、震源の深さは46キロでした。
南海トラフ地震の震源域でも地震がありました。
▼13日午後9時19分、日向灘でマグニチュード6.6の地震があり、宮崎市や高鍋町、新富町で震度5弱を観測しました。

日向灘では、去年8月にも大きな地震が起きていて、一連の地震活動とみられています。今回の地震では「南海トラフ地震臨時情報(調査中)」が出され、最大マグニチュード8~9クラスともいわれる巨大地震との関連性が調査されました。
■調査の結果、巨大地震との関連性は?

改めて、臨時情報の仕組みを振り返ります。
巨大地震の想定震源域でM6.8以上の地震が発生した場合、巨大地震発生と関連があるか、検討会を開いて慎重に地震の大きさを調べます。もし結果がM7.0以上であった場合、「巨大地震注意」を発表します。13日の地震では精査の結果、最終的にM6.6となったため、「巨大地震注意」は出されず、調査終了となりました。
“基準となるM7.0とはわずか0.4の差”ですが、マグニチュードが1違うとそのエネルギーは約30倍、2違うと約1000倍の差があります。M7.0というのは、今回の地震(M6.6)の4倍程度、規模の大きな地震となります。
■南トラ巨大地震の確率「80%程度」へ引き上げ、なぜ?
ただし、南海トラフ地震はいわゆる「平常時」であっても、高い確率で地震がおこるとされていることを忘れてはいけません。さらに、先週の「地震調査委員会」の発表でも長期的な確率は引き上げられました。
これまで南海トラフでは、M8~9クラスの巨大地震が、30年以内に「70~80%」の確率でおこるとされてきました。今回の発表では、これが「80%程度」に引き上げられています。
13日の日向灘の地震による影響で異変が…というわけではありません。巨大地震の発生確率は、「過去の地震の発生間隔」や「直近の地震」から計算されています。地震がおこらなければ、時間の経過とともに地震の確率は少しずつ高まっていくのです。
■北海道~関東でも大きな地震の確率上昇

また北海道沖合にある「千島海溝」と、東北から関東沖にある「日本海溝」周辺でも一部で巨大地震発生の確率が上がりました。
十勝沖では、今後30年以内にM8~8.6程度の地震がおきる確率が10%程度から20%程度に引き上げられました。ほかにも、宮城県沖では80~90%の高い確率で、M7.4前後の地震がおこるとされています。
■太平洋沖だけではない…「Sランク」活断層は?
さらに、活断層(=過去に繰り返し地震をおこしてきた断層)についても発表しています。阪神淡路大震災などはこの活断層による地震でした。

全国で主要な114の活断層のうち、30年以内の発生確率が3%以上と、最も高い「Sランク」の活断層に指定された場所が赤色で示されています。
今回、新潟県の「長岡平野西縁(せいえん)断層帯」が新たにSランクに入りました。大きな都市の真下にも、例えば、福岡の「警固(けご)断層帯」、大阪の「上町(うえまち)断層帯」などのSランク断層があります。
最も高い長野県などの「糸魚川―静岡構造線断層帯」の一部では、30年以内の発生確率は14%~30%でした。
■「活断層」地震の発生確率は小さい?
南海トラフの「30年以内80%程度」と比べれば、活断層の地震は低い確率にも見えます。

地震の専門家、環境防災総合政策研究機構の草野富二雄さんによりますと、活断層による地震は数千年単位と発生間隔が長いため、30年の区切りで見ると、発生確率は小さく見えます。ただ、「確率が低い=地震が起こらないという意味ではなく、いつかは必ず発生することを意味している」と注意を呼びかけています。
残念ながら、Sランクの地域だけが危ないわけでもありません。2016年の熊本地震は直前の評価では、30年の発生確率がほぼ0~1%でした。2024年の能登半島地震も、公表されていた活断層図とは別の、海底の活断層で大きな地震が発生しています。
改めて全国どの地域であっても油断せず、地震への備えをすることが大切です。

【解説】南海トラフ「巨大地震」発生確率“80%程度”に引き上げ…勤務先や駅でどう行動する?「3日間」待機が推奨される理由とは(FNNプライムオンライン)
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2025/01/16 BGM: Lou Reed - NYC Man
今日は遅番だった。今朝、今日も今日とて「いっちょやるか」のノリで仕事をしつつ、ふと(またぞろ)自閉症というか発達障害について考えてしまった。過去、それこそぼくが生まれるよりずっとずっと昔をさかのぼってみて……果たしてぼくたちの先祖にあたる人たちにも発達障害者は存在しえたのだろうか。ぼくが聞いたところでは幾人かこの人は発達障害者だという疑いがきわめて濃い人もかつ��存在したようだ。著名なところではスティーブ・ジョブズやアルバート・アインシュタインがそうだと言われているし、もしかしたら織田信長や坂本龍馬だってそうだったのかもしれない(もちろんいまとなってはわかりようのないことだが)。だが、なんにせよ心に留めておくべきこととして、「彼ら」がそれこそまだ支援制度もなく、それどころか自分たちの生きづらさを説明する概念として「発達障害」「自閉症」を持たなかったがゆえにまさにイバラの道を満身創痍で生きたことがあるだろう……といったことを午前中考えてしまった。
いつのころからかともあれはじめてしまったこの日記においてこれまたさんざっぱら書きつづってきたが、ぼくも実は発達障害者でありそれなりにシビアな生を支援制度に頼りつつ生きて、なんとか暮らしている。困難は山のようにある。慣れきってしまったので、むしろ困難がない人生なんてもう想像できなくなってしまった。浴びるように酒を呑み、車を運転できず集中力も続かず雑談もできない自分をさんざん痛めつけたあの日々のことを思うと、あらためて遠くまで来てしまったなと思う(いや、いまでも不意に生じる飲酒欲求には気をつけないといけない)。「ぼくたち」は時に「天才」「職人」「スペシャリスト」と呼ばれたりすることもあるようだ。なんにせよ、「ぼくたち」の(時に病的にこじれることもある)こだわりがそうした形容を許すのかもしれない。あるいは、そうしたこだわりにプロ意識(プロフェッショナリズム)を見出す人もいるようだ……とかなんとか書きなぐってきたが、ぼくはどうなのか。ぼくの場合、たぶんぼくにも(「ごまめの歯ぎしり」的なものとして)プロ意識ないしこだわりはあるかもしれない。ある種、ぼくのライフスタイルを形づくっているものとして……いやでも、いざ「お前はなんのプロのつもりなんだ」と訊かれてしまうと黙るしかないのだが。
午後になり、昼食として弁当を食べ終えた後に今夜行う予定のプレゼンテーションのことをいま一度考えた。タイトルを「ぼくの修行時代」とした(パブロ・ピカソにあやかって「ぼくの青の時代」と名付けてもよかったかもしれないが、美術のことはまったくもってトーシロなのでやめた。ただ、Discordの日英言語交換のサーバで「My Apprenticeship」というぼくの案��ストレンジに響くことを指摘されたことも覚えておきたい)。仕事が終わり、部屋に戻って夕食を摂ってからいつもの時間にZoomで毎週木曜恒例のミーティングを始めることとなった。
ぼくのプレゼンテーションは主にぼくが20歳だったころのことを語った。今年50歳になるぼくが、いまから30年前の1995年にどんなことを思って生きていたか。阪神・淡路大震災が起こり、東京に住んでいたぼくにもそのニュースは(関西、とりわけ兵庫県で生まれ育った者として)深刻に響いたことを思い出せる。奇しくも明日17日はその震災から30年が経つのだった。それ以外にはオウム真理教事件(とりわけ、東京在住者として地下鉄サリン事件)が思い出される。そのオウムをめぐる報道のさなか、ぼくもそうしたカルトと呼ばれる人たちの恐ろしさ(ひいては、この国で宗教を信じることというか世俗と距離を置きつつ「よりよい生」を生きたいと願うこと)について、あれこれ考えたりもしたのだった。プレゼンテーションの草稿を事前に書けるゆとりもなかったので、しどろもどろになりつつもなんとかぼくの考えを発表し終えた。
その発表の一環として、ぼくが好きなスチャダラパーの曲「ボーズ Bar 〜『Yo! 国際 Hah』の巻〜」について語らせてもらった。そのリリックはいわゆる「国際派」気取りの俗物たちをこき下ろした毒の効いたものでいま聞いても充分凄味を持つものだ。そこから、参加者3人がもっぱらそうした「国際派」の概念(つまり「グローバル化」)についてあれこれ語らう。ぼくはいつも書いているが、兵庫県内のとある市にある会社に務めるしがない発達障害者に過ぎない。強いて言えば英語学習者の顔を持っているとは言えるが、そこからこうしたミーティングでつねづね他のメンバーの方々が見せる思慮深さや成熟した態度に多く学ばせてもらっている(いや、お世辞ではなく本音です)。なんとか今日も無事発表を終えた。ありがとうございました。
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2025/1/17 17:00:06現在のニュース
フジ社長、定例会見前倒し理由は「調査委設置の決定」 中居さん問題(毎日新聞, 2025/1/17 16:59:00) フジ社長「ないと信じたい」 タレントとアナウンサーの性的接触報道(毎日新聞, 2025/1/17 16:59:00) フジテレビ社長「現在まで説明せず、おわび」 中居正広さん女性問題 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/17 16:54:26) 中居さんから「女性とトラブル」と連絡 示談の動きも フジ社長会見(毎日新聞, 2025/1/17 16:51:50) フジ社長「極めてセンシティブな問題」23年6月把握 中居さん巡り(毎日新聞, 2025/1/17 16:51:50) フジテレビ、第三者委設置 事実関係調査へ 中居正広さん女性問題(毎日新聞, 2025/1/17 16:51:50) フジテレビ社長「現在まで説明せず、おわび」 中居正広さん女性問題(毎日新聞, 2025/1/17 16:51:50) フジテレビ、中居正広さん巡る社員関与を外部委員会で調査 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/17 16:51:38) 日産系部品メーカー、英国に新拠点 「日産だけにフォーカスせず」(朝日新聞, 2025/1/17 16:48:29) 南海トラフ地震想定し大阪府警が訓練 阪神・淡路大震災から30年(朝日新聞, 2025/1/17 16:48:29) 清泉女学院大、定員確保で一般入試中止 要項違反か - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/17 16:45:17) 乗り越えよう、記憶の継承「30年限界説」 阪神大震災30年 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/17 16:42:26) 兵庫県初代防災監が語る カネの有無で生まれる防災力格差の懸念 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/17 16:42:26) 戦後80年、盛り上がらなかった死刑廃止論 情報開示し今こそ議論を(朝日新聞, 2025/1/17 16:40:36) 異次元緩和、経済学者の評価定まらず 「プラス」は3割 日経エコノミクスパネル - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/1/17 16:39:36) 地方創生「積極的に提案を」 石破首相、次官連絡会議で指示(毎日新聞, 2025/1/17 16:37:32) 北国新聞社と福井新聞社が用紙を共通化 災害時でも安定供給めざす(朝日新聞, 2025/1/17 16:33:34) 荻野目洋子 実は“B面候補”だった不朽の名曲 意外過ぎる秘話にマツコ驚き「ええー!」(スポニチ) | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/1/17 16:30:27)
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毎日が記念日
1月17日は…
防災とボランティアの日
1995年1月17日午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。阪神・淡路大震災では、政府や行政の対応の遅れが批判された一方、学生を中心としたボランティア活動が活発化、「日本のボランティア元年」と言われました。これをきっかけに、ボランティア活動への認識を深め、災害への備えの充実強化を図る目的で、1995年12月の閣議で制定が決定され、翌1996年から実施されたんです。
なんで、日本はボランティア精神が受け入れ難いところがあるんだろうか?
【疑わしいAI-イチロウによる1月17日の出来事】
395年 - ローマ帝国のテオドシウス1世が死去し、帝国が東西に分裂する。
1773年 - ジェーン・オースティンが生まれる。
1873年 - アメリカの実業家、投資家のデビッド・ロックフェラーが生まれる。
1945年 - ナチス・ドイツのアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所がソビエト連邦によって解放される。
1961年 - アメリカの大統領、ドワイト・D・アイゼンハワーが議会に「軍産複合体」について警告演説を行う。
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日本の巨大地震の歴史

日本は、世界有数の地震大国として知られています。その歴史は古く、数多くの巨大地震が記録されてきました。ここでは、日本の巨大地震の歴史を振り返り、その特徴や現代��の影響について解説します。
過去の巨大地震と特徴
日本の地震の歴史は、古文書や地質調査などから紐解かれます。
古代・中世: 古代より地震の記録は存在しますが、定量的なデータは少なく、被害状況も推定が困難なケースが多いです。しかし、歴史的な文献からは、巨大津波を伴う地震や、大規模な地変による社会への影響が伺えます。
近世: 江戸時代には、宝永地震(1707年)や安政の大地震(1850年代)など、大都市を襲う巨大地震が頻発しました。これらの地震は、当時の社会に大きな打撃を与え、防災意識の高まりにつながりました。
近代以降: 明治以降、地震観測網の整備が進み、地震の規模や震源地がより正確に把握されるようになりました。大正関東大震災(1923年)、昭和東南海地震(1944年)、阪神・淡路大震災(1995年)、東日本大震災(2011年)など、現代人にも記憶に残る巨大地震が数多く発生しています。
これらの巨大地震は、共通して以下のような特徴を持っています。
プレート境界型地震: 日本の地震の多くは、太平洋プレートやフィリピン海プレートがユーラシアプレートに沈み込む際に発生するプレート境界型地震です。
広範囲にわたる被害: 巨大地震は、震源地だけでなく、広範囲にわたって強い揺れや津波を引き起こし、建物倒壊、火災、液状化などの甚大な被害をもたらします。
社会への影響: 大規模な災害は、経済活動の停滞、インフラの破壊、人々の生活への多大な影響など、社会全体に大きな打撃を与えます。
地震国日本における防災の取り組み
日本は、地震多発国として、古くから防災に力を入れてきました。
建築基準法: 建物の耐震性を確保するため、建築基準法が定められ、定期的な点検や改修が義務付けられています。
防災訓練: 学校や地域社会において、地震発生時の避難訓練や防災意識の向上のための取り組みが盛んに行われています。
早期警報システム: 地震発生直後に警報を発し、被害を軽減するための早期警報システムが整備されています。
ハザードマップ: 地震や津波などの災害発生時に想定される被害状況を示すハザードマップが作成され、住民への周知が図られています。
現代社会における地震対策
現代社会では、都市化が進み、人口が集中している地域が増加しています。そのため、巨大地震が発生した場合、その被害はかつてない規模になることが懸念されています。
インフラの耐震化: 鉄道、橋梁、ダムなどのインフラの耐震化が急務となっています。
情報伝達の強化: スマートフォンや��ンターネットを活用した情報伝達の強化により、迅速な避難誘導や支援活動が可能になります。
国際的な協力: 地震災害は国境を越えて影響を与える可能性があるため、国際的な協力体制の構築が重要です。
まとめ
日本の巨大地震の歴史は、人々の生活や社会構造に大きな影響を与えてきました。地震は自然現象であり、その発生を完全に予測することは困難ですが、防災意識を高め、適切な対策を講じることで、被害を最小限に抑えることができます。
些細な日常
犬も非常に激しいストレスでPTSDになり兼ねない巨大地震
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「てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」展

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で「鎌倉別館40周年記念 てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」展を見る。神奈川県立近代美術館では、阪神淡路大震災をきっかけに美術館における作品の保存修復に対する意識が高まり、2003年に葉山館が開館したのにあわせて保存修復専門職員を配置したとのこと。公立の美術館で保存修復部門を持っているところは少ないらしい。
展示室へ入るとまず目に飛び込んでくるのが、たくさんのさまざまな道具類。

修復技術者の用いる道具の中には、一般には知られていない特殊なものももちろんあるが、むしろホームセンターなどで売っていそうな汎用品のほうが多いようにも見え、興味津々。道具類に大胆さと繊細さが入り混じって宿っているようで、それがまた魅力的に映る。

最初のテーマは「てあて」。損傷したり劣化したりした作品を修復する作業は、具体的な方法はわからなくとも漠然となら比較的イメージがしやすいものだと思う。
村山知義《ヘルタ・ハインツェ像》。薄い板の上に書かれた小さいサイズの油彩。板の割れ、黄変したワニスなどが修復されている。

展示を順路通り見ていくと、あとの方でこの作品を輸送するための箱を見ることができる。これは「まもり」のテーマと関わっている。

古賀春江《窓外の化粧》。ワニスが盛大に黄ばんで汚れていたのを修復したら、見た目が劇的に変化して戸惑うほどだったとか。もとは川端康成が所有していたようで、額縁にクレジットが残してある。


江見絹子《むれ (2)》。かなり大きなサイズの油彩で、カンヴァスが筒状に巻かれた状態で寄贈されたため、巻き癖がついたカンヴァスをゆーーーっくりと引き伸ばさなければならなかったそう。厚く塗られた絵具の重みに耐えられるような工夫もしてあるとのこと。

朝倉摂《夫婦》。油彩用の木枠に張られた日本画。裏側には別の作品《街頭に観る》も挟まれており、修復にあたってそれぞれを別個に鑑賞できるようにした由。

朝倉摂《街頭に観る》。別に保管されていた部分(右側の縦長のところ)を継ぎ合わせたが、左下の部分は見つかっていない。

関根正二《暗き内に一点の光あり》《永遠の春》。スケッチブックの1枚の紙の両面に描かれたもの。紙が酸化して脆くなっていたため、酸化を抑えて柔軟性を取り戻す処置を施し、両面が見える額装に耐えられるようにしたとのこと。


「まもり」のパートでは、修復したものやまだ修復が必要でないものを適切に保存する取り組みが紹介される。
高橋由一《江の島図》。額縁自体も古く価値の高いものなので、外部に貸し出す際はオリジナルを模した貸出用額縁をつけているとのこと。下の写真の左がオリジナル、右が貸出用額縁。


村山知義《美しき少女等に捧ぐ》。油絵具の上に布を付けたコラージュ作品。全体的に傷んでいたが、布の部分を改善するのは難しいので、全体の調和を考えて油彩部分もあえて軽く清掃する程度にとどめたそう。なんでもかんでも修復すればいい��いうものではないということがわかる。アクリル板の入った額縁に入れたことで布が擦れて裂ける恐れがなくなった由(「まもる」案件)。

アンリ・マティス《シャルル・ドルレアン詩集》。リトグラフの版画集。全体的な紙の黄化、部分的な褐色の染みが見られたため、染みのひどかったページが修復されている。


そしてその保存箱。

アルベルト・ジャコメッティ《裸婦小立像》。これは「てあて」(修復)の経歴がなく、「まもり」の例として展示されていた。高さ10cmに満たない、ジャコメッティならではの針金のようにか細い石膏像(ブロンズとかではない!)を「まもり」つつ展示する作業にはとんでもない緊張感が伴いそうである。つまりここでの見どころは像を支えているパーツであり、写ってはいないがそれを設置する人の手である。


ちなみに、この展覧会の図録の表紙には、この像を設営しているところの写真が使われている。粗忽な不器用人には務まらない仕事だ……。

堀内正和《D氏の骨ぬきサイコロ》。これも修復歴はなく、「まもる」パートを構成する作品。

上の作品用の輸送箱。

作品の固定具一式。

空気環境管理関連資料。

虫害対策関連資料。なんかゴキブリホイホイに似た形のものがある……

最後のテーマは「のこす」。保存修復で作品を「てあて」し「まもり」、そこからさらに先を見据えて作品を「のこす」、という位置付けになっている。このパートでは映像やスライドショーによる解説が多かった。各々それほど長くはないので、時間の許す限り見たほうがいいと思う。
災害で被災した文化財を助ける文化財レスキュー事業に関する展示ケース。

下の作品は、映像の中で修復の模様が紹介されていた屋外作品のひとつ、《SWING86-01》。作家の監修のもと、鉄が腐食した部分を錆びにくい素材に換えたり、塗料が剥落したのを塗り直したり、といった修復をこれまで4度にわたって行ったとのこと。このような保存修復のためには、作家が存命中なら作家本人と、故人なら遺族や著作権者との良好な関係を保つことが必須と言えそうである。

なお、屋外彫刻は年に一度、学芸員総出で点検を兼ねて清掃しているとのこと。たわしや高圧洗浄機で表面にこびりついた汚れを落とす作業は、もしかしたら通常業務とは毛色が違ってちょっとハレの気分になれて楽しいかも……?
展示とは無関係の余談。石の上に何か書いてあるので、これも作品なのかと思って近づくと……

“飲食の際はトビにご注意ください。手に食べ物を持っているとトビに狙われて危険です。”

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2024年5月4日

Youは何しに海外へ?超円安のGWに「裏金」議員含む多くの自民議員が渡航 事前提出の「渡航計画書」は非公開(MBSニュース)2024年5月4日
円安、超円安である。一時1ドル160円台に突入した。政府・日銀による為替介入の可能性も指摘されるが、それでも150円台で推移している。ゴールデンウィークとはいえこんな時期に海外旅行するのは大変である。日本から食材を買ってしのいでいるハワイ旅行の映像などを見るとなかなか涙ぐましいものがある。
さて、そんな円安の最中、このゴールデンウィーク期間中(4月27日~5月6日)に国会議員も海外へと渡っている。
岸田総理はフランスやブラジルなどを訪問

まず、岸田内閣からは14人が渡航している。岸田文雄総理が5月1日~6日の日程でフランス、ブラジル、パラグアイを訪問。フランス・パリでのOECD閣僚理事会や各国首脳との会談を行う。上川陽子外務大臣は同じくフランスを始め、マダガスカル、コートジボワール、ナイジェリア、スリランカ、ネパールと多彩。閣僚の場合、上記OECDの理事会があることに加え、国会日程の合間を縫って外交日程を組まざるを得ない事情もある。
自民党は4月28日の衆院補選で「3敗」したが、党内には岸田総理“お得意”の外交で支持率を少しでも上向きにできれば…との淡い期待もあるようだ。
GW中に登院できない議員はほとんどが自民党…萩生田、塩谷氏など「裏金」処分議員の名前も

一方で、そのほかの国会議員。GW中に国会へ登院できないという届け出をした衆議院議員はのべ34人。写真は4月25日付けの公報に掲載されたもの。衆議院の公報上ではこの期間に国会へ出られないということしか確認できないため、34人すべてが必ずしも海外渡航とは限らないのだが、政権中枢に近い木原誠二議員、ベテランの船田元議員、甘利明議員のほか渡海紀三朗政調会長の名前がある。なかには派閥の政治資金パーティーをめぐる「裏金」事件で、2728万円の不記載があった安倍派「5人衆」の1人、萩生田光一元政調会長や、安倍派の座長だった塩谷立議員の名前もある。パッと見ただけで自民党の議員が圧倒的に多いことがわかる。塩���議員は処分を受けて離党し無所属となったが、あとは立憲民主党の中川正春議員を除くとすべて自民党所属で、たまたまかもしれないが公明や維新、共産の議員はいない。実に34人中32人が自民党だ。
「エッフェル塔」写真で物議の松川るい議員はGW期間中2回渡航


続いて参議院議員はのべ17人。参議院の場合、公報上に日程とともに渡航先、ごく簡単な目的も確認できる。こちらも安倍派に所属し「裏金」事件で問題となった議員がいる。政治資金収支報告書に2400万円の不記載があった山谷えり子議員(全国比例)はアメリカへ。876万円不記載の堀井巌議員(奈良選挙区)はグアテマラへ、306万円が未記載だった佐藤啓議員(奈良選挙区)は韓国へ、それぞれ渡航する。

また、去年夏、自民党女性局の研修で訪れたフランス・パリにあるエッフェル塔前で撮った写真がSNS投稿され、批判を受けた松川るい議員(大阪選挙区)はこの間2回渡航する。政治経済事情を視察するため前半の4月26日から6日間はオーストラリアへ、後半の5月2日から3日間は韓国へという予定だ。観光産業復興の状況視察のためタイへ赴くれいわの山本太郎議員、シンガポールで政治経済事情を視察する社民党の福島みずほ議員などもいるが、それでものべ17人中11人と多数を占めるのは自民党であった。
国民の目から見えにくい議員の渡航…その中身と費用の実態は?
そもそも国会議員の海外渡航はどういった手続きを経て行われるものなのか。衆議院事務局に問い合わせると、いまの通常国会など国会開会中は各議員が「請暇(せいか)」を届け出るのだという。聞きなれない言葉だが、暇(いとま)を請うという意味で一定の期間、国会へ登院がかなわないことを願い出るという主旨だそう。渡航の期間が7日以内の場合は議長の許可が、7日以上の場合は本会議での了承が必要だという。実際に海外へ渡航する場合、各議員は所属会派に請暇届と渡航計画書を出し、あらかじめ議会運営委員会の理事会で了解を得るのだという。
ただ、問題は、残念ながらこの海外渡航の中身やお金が一般には見えづらいことだ。例えば先日、自民党の麻生太郎副総裁はアメリカへ渡航した。4月22日からむこう4日間渡航するとの届を出して許可されている。たしかにこの事例などはアメリカのトランプ前大統領に面会するなどしたことがニュースとなり、何を目的に渡航したかは一般の方の目にも触れることとなった。
しかし、一方で多くの議員の場合、海外渡航の実態はなかなか見えない。事前に会派や議運に提出する「渡航計画書」なるものは非公開だ。また、あくまで議員個人の活動であるため、渡航後、国会などで活動報告が義務づけられてもいない。さらに、渡航費については各委員会や公式な議員派遣団とは異なるため予算がついておらず、各議員が処理する形で公表が義務付けられているわけではないため、どのように渡航費をねん出しているのかもわからない。毎年この時期に議員団として海外渡航し議員外交をしている例もあり、個々の議員がSNSなどで発信している例もあるのだろう。ただ、当方のようなメディアがよほど細かく各議員の活動をチェックし、渡航の中身や費用について問い合わせでもしない限り広く知られるところとはならないだろう。
国会議員たるもの海外で研鑽を積み議員交流を深めることは必要で、海外渡航すべてを否定するものではない。届や渡航計画書を出して議運の了解を得ての渡航だけに「旅行」ではないと信じたいが、あまりに議員の裁量と性善説にたった運用だとも感じる。Youは何しに海外へ。今後の議員活動や国会での質疑にどう生かされていくのか。連休明け以降の仕事でまた見ていきたい。(MBS東京報道部記者兼解説委員 大八木友之)

「行かないことが支援」善意の拡散が変質 能登にいま漂う空気は(朝日新聞 連載:増幅の先に 「みる・きく・はなす」はいま 第6回)2024年5月4日
「『みる・きく・はなす』はいま」は、1987年5月3日に朝日新聞阪神支局が襲撃され、記者が殺傷された事件をきっかけに始まりました。憎悪、差別、不寛容……。今回は、デジタル空間で増幅された感情が現実社会にもたらす影響を報告します。
元日の能登半島地震。二次災害の懸念があり、道路事情の問題もあって、報道機関もなかなか被災地に入れない。どこで何が起きているのか、情報は乏しかった。
翌2日、主に石川県のグ��メ情報を発信していたX(旧ツイッター)のアカウントが呼びかけた。
「被災地にボランティアや支援物資を届けに行く人はちょっと待って! 先の熊本地震でも個人支援に起因した渋滞が問題になっていました」
何度か投稿するうち、語気は強まる。
「もういいや、はっきり言います。災害直後に一般車両が現地に乗り入れることは『本来助かるはずだった方の生命をみすみす失わせる行為』です」
瞬く間に拡散し、表示回数は1800万を超えた。
県も能登方面への外出自粛促す
県にも、渋滞の情報が次々と寄せられた。個人ボランティアの受け入れ態勢も整っていなかった。県や県警も3日以降、「能登方面への不要不急の車での外出は控えて」などと被災地入りの自粛を促すメッセージを出した。
「行かないことが支援」。そんな言葉が、SNSで広まっていった。
東京都内の自営業男性は4日、「やっぱりまだ早いかもな。状況見て考えたい」と投稿した。過去の災害でボランティアの経験があり、自身も被災地の力になりたいと考えたという。
1月6日からの3連休を控えた5日には、石川県知事の馳浩が「現在、個人のボランティアは受け付けておりません」と投稿。表示回数は3千万を超えた。都内の30代男性も5日、写真投稿サイト、インスタグラムのアカウントで「この三連休は絶対能登に行かない!」などと投稿した。被災した石川県七尾市の出身。「少しでもふるさとの役に立てればと思った」
だが、善意で拡散された呼びかけは、違った意味を持っていく。
「自粛の空気が続いたことはさみしい」
「正直邪魔だと思う」「無計画に現地入り」。災害救援のNPOに同行して3日から被災地に入ったジャーナリストの津田大介(50)は、SNS上で批判を受けた。被災地入りした政治家らも「炎上」した。
東日本大震災以来、何度も被災地を訪れ、ツイッターで発信もしてきたが、こんなことは初めてだった。昨夏から仕様が変わり、表示回数に応じて収益が入るようになったことで、扇動的な投稿で数字を稼ぐ人が増えた影響もあるとみる。
「ガソリンを現地で調達した」。事実ではないことも広まった。NPOに迷惑をかけないよう、5日になって、どんな準備をしてどうやって現地に入ったかをXで詳細に説明した。
地震発生直後に被災地入りしたNPO法人カタリバ(東京都)は、これまで8カ所の被災地で支援してきたノウハウ通り、自活できる道具を持って向かった。だが、5日夜、避難所の一角に子どもの居場所スペースをつくる活動についてネット上で報告すると、「ボランティアごっこしか出来ないゴミ」などとXに中傷の言葉が並び始めた。
4人の子がいる石川県七尾市の女性(43)は当時、SNSを見る余裕もなかった。避難所の一部屋で5日ごろから子どもを預かってもらい、炊き出しの手伝いや被災した家の片付けができた。津波から逃れた時のフラッシュバックが出た際は、専門スタッフから助言ももらった。「本当にありがたかった」
重機操作などの技術を持った職人らによるボランティアネットワーク「DRT JAPAN」の吉村誠司(58)は1月2日から被災地に入った。1995年の阪神・淡路大震災以降、数々の現場に赴いてきた。
活動に対し、ネット上では「自衛隊や警察、消防の邪魔をするな」という声もあったというが、被災地では一度も非難は受けなかったという。
行くべきか行くべきでないか。それぞれの人の状況も異なり、明確な正解があるとは思わない。ただ、能登では時間が経ってからも、経験や技術のある人たちが目立ち、これまでの被災地とは異なると感じた。
「技術や経験がなくても人の役に立ちたい。そう素直に思った人がなんとなく排除されてしまう、自粛してしまう空気が続いたことはさみしい」
悩み続けた自治体「難しかった」
石川県輪島市の自宅が地震で倒壊、火災で全焼した漆芸家の桐本滉平(31)は、3カ月近く過ぎても知人らから「手伝いに行きたいけど、迷惑になるからやめた方がいいかな?」と言われることがつらかったという。
「被災地でやれることは今もたくさんある。何より思いを寄せている人たちにいまの被災地の姿をみてほしい」。3月22日、「1月に『まだ能登に行くな!』とSNSで大拡散してくださっていたみなさま、もういつでも能登にいらして大丈夫ですよ」とXに投稿した。
県戦略広報課長の素都明子は「決して一律に支援を拒んだわけではなかったが、様々な組織や部署の要望を、短く明確なメッセージにするのは難しかった」と振り返る。得られる情報は限られ、刻々と変化した。いつ、誰に、どんな支援を求めるのか。それともまだ控えてもらうのか。悩み続けたという。=敬称略
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1月17日(水)
おはようございます!
阪神淡路大震災から29年を迎えた朝。やはり今は能登半島地震で被災された方々が心配です。いまだに余震が続き、不安な日々が続いていると思うと心苦しいです。一日も早く安心出来る生活が戻ることを願います。先日にもお伝えしましたが、レジ前で皆様からお気持ちで頂戴しましたチップは全て日本赤十字社に義援金寄付させて頂きました。本当に有難う御座います。
さてさて、写真のバーガーですが、久しぶりのベーコンジャムバーガー🍔🥓🐷✨今回はザ★キャノンボールラン最後の限定としてクリスピーオニオン、パインチーズ&ベーコンジャムで作らせて頂きます!超少量数なのでメニューには載せてませんが、インスタご覧になられた方限定で🙏1750円+tax
クリスピーオニオン、エッグチーズ&ベーコンジャムは1800円+tax
【本日のパイ&ケーキ】
●オールドファッションアップルパイ
●ピーカンオートミールパイ
●ブルーベリーサワークリームパイ
●オレオチーズケーキ
●ソルティーハニーパイ
【本日のクッキー】
●カウボーイクッキー
●ハワイアンクッキー
●チョコチャンククッキー
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⚠️AUNTY-MEE BURGER 20周年 記念企画スタンプラリー『キャノンボールラン』のチラシ、ダコタの住所が間違っておりました。私どもの不手際でご迷惑をおかけ致しております。
(誤)長尾町707-1
(正)長尾町宅原707-1
です。宜しくお願い致します。
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【お客様へ】
⚠️お席のご予約はお受けしておりません。店内のご利用は、ご来店頂きました順番にご案内しておりますので、来られましたら必ずスタッフにお声がけ下さい。
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店内のご利用は、混雑時はお席の譲り合いにご協力お願い致します。(目安 : お食事のご提供から約60分)
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テイクアウトはお電話にてご注文承ります。☎️078-986-1237 です!事前のご注文でお引渡しもスムーズです。※タイミングでお時間が少しかかる場合もございます。ご了承下さい。
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当日のご予約は、開店前の朝9時からお電話にてご注文承ります。当日ご来店頂いてからのご注文はかなりお時間がかかる場合もございますのでご注意下さい。
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またスタッフ少人数のため、11時から営業が始まりますと、お電話に出れない場合もございます。少し時間をあけて 再度お電話頂けると幸いです。
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ハンバーガーだけでなく、ご一緒にパイ🥧やケー��🍰、クッキー🍪もテイクアウトも承ります。
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⚠️ハンバーガーはお引き渡し後、1時間以内にお召し上がり下さいね!
パイ・ケーキ類は速やかに冷蔵庫で保管し、当日中にお召し上がり下さい。
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駐車場はお店の周りに5台、第2駐車場に5台と数に限りございます。出来るだけ乗り合わせてのご来店でお願い致します。また駐車場内での事故や盗難等トラブルにおきましては一切の責任を負いかねますのでご注意下さい。
では本日も素敵な一日をお過ごし下さいね😊👍✨✨✨
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2024.1.5
昨日はピアノの弾き初めでした。
例年の新春コンサートでは、ヨハン・シュトラウスを始め華やかな作品を中心にお送りしてまいりましたが、今年はどうしても明るい気持ちになれず、急遽前日に思い切って全曲プログラムを変更をして、コンサートタイトルを「祈り」と題しました。
1日間での譜読み・暗譜・朗読の暗記に沢山のエネルギーを消耗しましたが無事に終えることが出来ました。
オリジナル曲の阪神・淡路大震災祈念曲「いのちの尊さ」では、29年前の私の震災経験を話しながら歌詞を読み上げて哀悼の意を表しお送りしました。
次に演奏した「心の瞳」は、1985年8月12日JAL123便の墜落事故でこの世を去った坂本九さんの遺作をお送りしました。1985年5月12日に発売された作品で墜落当日もNHKでこの作品が公開収録されていました。
坂本九さんの葬儀では娘さまがこの曲を献奏されました。
犠牲に遭われた520名の方々のご冥福をお祈りし今まで度々私は当時の映像を繰り返し見て過ごしておりました。
この度の1月2日のJAL516便エアバスA350-900型機と海上保安庁の航空機MA722との衝突事故で居た堪れない気持ちになり、どうしても「心の瞳」を演奏したいと思いました。5名とペット2匹の尊い命が奪われましたことに心からのお悔やみを申しあげます。
この2曲のほか祈りをテーマにしたプログラムでお送りし皆さまと共に掛け替えのない祈りの時間を共有することができ胸が一杯です。
コンサート最後の私の呼び掛けで、皆さまの温かなご支援に感謝申しあげます。終演後すぐに団体を通して、能登半島地震の災害義援金として御寄付をさせて頂きました。
重ねて心からの御礼と感謝を申しあげます。
今後も音楽を通じて、皆さまお一人おひとりのお心の支えになれますように、そして平和活動を繋げてまいります。
それが私に与えられた使命だと感じております。
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瀬尾夏美『声の地層』刊行記念朗読&トーク

2011年に発生した東日本大震災以降、自身の経験を言葉にして伝えようとする人びと、あるいは他者の経験を語り継ごうとする人びとにたくさん出会い、話を聞いてきた瀬尾夏美さん。
『あわいゆくころ—陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『10年目の手記—震災体験を書く、よむ、編みなおす』(共著、生きのびるブックス)などを刊行してきた瀬尾さんの最新作『声の地層 災禍と痛みを語ること』(生きのびるブックス)が、11月に刊行されました。
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『声の地層』は、2021年1月から2022年春までの連載と、3本の書き下ろしで構成されており、新型コ���ナウイルス感染症の拡大や気候変動による自然災害、ロシアによるウクライナ侵攻など、予想もしなかった災禍に揺れる社会の記録にもなっています。
そう、災禍は突然訪れる。ほとんどのまちが災禍と災禍の間にある。そんなわたしたちの日常を支えてくれるのは、過去の災禍を経験した人びとの声を聞き、隣り合う人たちと話し合い、未来の暮らしを積極的に考えていくこと。その架け橋になるのが、個人個人の想像力を受け入れる器としての詩や物語だと思います。
『声の地層』のひとつひとつの章は、「物語」と「あとがたり」で構成されています。物語があることで、第二次世界大戦や阪神・淡路大震災や東日本大震災などの災禍の痛みが、誰しもの痛みと繋がり得るんだと思えます。それはきっと遠方の戦地で生きるひとりひとりとも。
たくさんの語りを聞いてきた瀬尾夏美さんに、物語の朗読と、この本を書く中で考えたこと、これからについて、お話いただきます。
--- 瀬尾夏美『声の地層』刊行記念朗読&トーク 日時:2023年11月30日(木) 開場:19時 開演:19時30分 終演:21時 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28-10鈴木ビル3F/三軒茶屋駅から徒歩5分)
チケット: 会場参加(定員18名さま):1500円 会場参加+『声の地層』¥2310=3810円 配信参加:1000円 配信参加+『声の地層』¥2310=3310円 *すべて見逃し配信付き(1ヶ月間)
申込:https://peatix.com/event/3763844/view
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《瀬尾夏美さん選書フェア》 期間:2023年11月29日(水)〜12月11日(月) 会場:twililight(東京都世田谷区太子堂4-28- 10鈴木ビル3F&屋上/三軒茶屋駅徒歩5分)
瀬尾夏美さんが「これまでに影響を受けた15冊」を選び、 それぞれにコメントを寄せています。
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《プロフィール》 瀬尾夏美 (セオ ナツミ)
1988 年、東京都生まれ。土地の人びとの言葉と風景の記録を考えながら、絵や文章をつくっている。2011年、東日本大震災のボランティア活動を契機に、映像作家の小森はるかとのユニットで制作を開始。2012 年から3 年間、岩手県陸前高田市で暮らしながら、対話の場づくりや作品制作を行なう。2015年、宮城県仙台市で、土地との協働を通した記録活動をするコレクティブ「NOOK」を立ち上げる。現在は、東京都江東区を拠点に、災禍の記録をリサーチし、それらを活用した表現を模索するプロジェクト「カロクリサイクル」を進めながら、“語れなさ” をテーマに旅をし、物語を書いている。著書に『あわいゆくころ—陸前高田、震災後を生きる』(晶文社)、『二重のまち/交代地のうた』(書肆侃侃房)、『10年目の手記—震災体験を書く、よむ、編みなおす』(共著、生きのびるブックス)、『New Habitations:from North to East 11 years after 3.11』( 共著、YYY PRESS)がある。
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. (^o^)/おはよー(^▽^)ゴザイマース(^_-)-☆. . . 1月17日(火)#先勝(乙亥) 旧暦 12/26 冬土用入 月齢 24.7 年始から17日目に当たり、年末まであと348日(閏年では349日)です。 . . 朝は希望に起き⤴️昼は努力に生き💪 夜を感謝に眠ろう😪💤夜が来ない 朝はありませんし、朝が来ない夜 はない💦睡眠は明日を迎える為の ☀️未来へのスタートです🏃♂💦 でお馴染みのRascalでございます😅. . やっぱり自家用車がある生活って 一気に生活水準が上がった気分に なり、ゆとりと云うか生活に潤い がありますよね✋雨も寒さも気に ならない✋ストレスから解放されます。 週末日曜と暖かな日が続きました が、昨日は雨で寒く午後より晴れ 間も見え夕焼け🌆も綺麗でしたが 雨で辺りが浄化され冷えた感じが しましたよ✋まぁ~これが普通の 冬の時季ってもんでしょ✋20日の 金曜日には「大寒」ですからね✋ . 今日一日どなた様も💁お体ご自愛 なさって❤️お過ごし下さいませ🙋 モウ!頑張るしか✋はない! ガンバリマショウ\(^O^)/ ワーイ! ✨本日もご安全に参りましょう✌️ . . ■今日は何の日■. #防災とボランティアの日. 1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。 1995年(平成7)年1月17日(火)仏滅.に発生した阪神淡路大震災。 そのときにボランティア活動が大きな力となったことから、災害への備えとともにボランティアの大切さを認識する日とされている。 . . #先勝(サキガチ、センカチ、センショウ). 陰陽道(おんみょうどう)の六曜日の一つ。 この日は勝負ごと、訴訟や急用などに運がよいとされ、早い時刻ほど良くとされ、午後は凶になるなどの俗信がある。 . #月徳合日(ゲットクゴウビ). 他の吉と重なると特に吉の日です。 引っ越しや結婚、リフォームなどにも吉とされます。 . #大犯土(オオツチ). 選日の一つ。 土、椎、槌。 庚午から丙子までの7日間を大犯土、戊寅から甲申までの7日間を小犯土という。 その間の丁丑を間日、犯土間日、中犯土といい、この日は犯土には含まれない。あるいは犯土には含まれても犯土の禁忌は存在しない。 犯土期間には土公神が本宮、あるいは土中に��るため土を犯してはならない。 土に休養を与えるべき日とされ、土に関することは慎むべきとされています。 . . #阪神淡路大震災記念日. 1995(平成7)年1月17日(火)仏滅.午前5時46分、淡路島北端を震源とする兵庫県南部地震が発生しました。 . #防災とボランティアの日. 1995(平成7)年12月の閣議で制定されました。 . #おむすびの日. 米に関係する民間企業やJA等でつくる「ごはんを食べよう国民運動推進協議会」が2000(平成12)年11月に制定し、2001(平成13)年から実施。 . #第二次オイルショック(#Oilcrisis). 1979年に第二次オイルショック。 . #ウェーク島占拠. 1899(明治32)年1月17日(火)大安.に軍事政策の一環で基地構築の為にアメリカ合衆国が領有宣言した。 . #湾岸戦争開戦記念日. 1991(平成3)年(木)先勝.アメリカ軍を主力とする多国籍軍が、イラクとクウェートのイラク軍拠点に攻撃を開始し、湾岸戦争が勃発しました。 . #尾崎紅葉祭(#静岡県熱海市). . #ひょうご安全の日(兵庫県) . . . #国産なす消費拡大の日(毎月17日). #いなりの日(毎月17日). #減塩の日(毎月17日). . . ■本日の成句■. 一輪咲いても花は花(イチリンサイテモハナハハナ). 【意味】 たとえ小さく目立たない存在でも、その存在自身には何ら変わりはないと云う事。 . . 1986(昭和61)年1月17日(金)先勝. #長谷部優 (#はせべゆう) 【女優、元アイドル/dream、DRMのメンバー】 〔岐阜県〕. . . (Saburou, Kumamoto-shi) https://www.instagram.com/p/CnfS0eoh9yy4O6LqmlyNO_mPuHAm4WXJulwYTg0/?igshid=NGJjMDIxMWI=
#先勝#防災とボランティアの日#月徳合日#大犯土#阪神淡路大震災記念日#おむすびの日#第二次オイルショック#oilcrisis#ウェーク島占拠#湾岸戦争開戦記念日#尾崎紅葉祭#静岡県熱海市#ひょうご安全の日#国産なす消費拡大の日#いなりの日#減塩の日#長谷部優#はせべゆう
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六麓荘町(ろくろくそうちょう)は、兵庫県芦屋市の町名及び同地の高級邸宅街。「丁目」のない単独行政地名。 神戸市、大阪市および阪神間の市街地と瀬戸内海を俯瞰する六甲山地の南東麓斜面の海抜200 - 250メートル地点に位置する。1928年に払い下げられるまでは国有林で[5]、現在も芦屋市の自然環境の一部分を形成している。 芦屋の一部は元々、大阪財界人の別荘地として開拓されていた。六麓荘町の開発は、明治後半から大正時代にかけ、日本一の富豪村[6]と呼ばれた住吉村(現・神戸市東灘区)や夙川、香櫨園など近隣地域の影響を受けた延長上のものであった。1928年(昭和3年)から富商・内藤為三郎ら大阪財界人の手によって、国有林の払い下げを受けて当初197区画、数万坪にのぼる宅地造成を行ったことから始まった。六麓荘という地名は「風光明媚な六甲山の麓にある別荘地」に因み名付けられた。電線類地中化など先進的な街づくりが取り組まれた[5]。 六麓荘の開発は、1928年(昭和3年)に大阪財界人のひとり森本喜太郎が発起人になって、土地開発・住宅造成の会社である「株式会社六麓荘」を設立したことが始まりである。社長には上記の内藤為三郎、専務に森本喜太郎が就任した。この当時は、資金があまり準備できず、2人は協賛金や株の手付けなどの資金調達に専念した。 この地帯も国有林であったので、国有林の払い下げなどの運動については、法律に長けた取締役の瀬尾喜二郎が国との交渉にあたったとされる。 六麓荘開発のコンセプトは、この地を「東洋一の住宅地」とすべく香港の九龍半島やその対岸の香港島の白人専用街区をモデルに開発が行われた[5]。南斜面の起伏のある恵まれた地形を有効に利用し、スケールの大きな住宅地が形成された。例えば、細い山道にすぎなかった道を幅6メートル以上に拡幅して、1区画につき少なくとも300坪から400坪以上を標準とした。また、自然の地形を尊重した曲線道路により、住宅地全体が構成され、造成時に切り出された石材は石垣や石橋、庭石に利用。山林の赤松もできるだけ残されて庭木などに活用された。 敷地内に流れる山からの湧水を小川として取り込むほか、溜池や道路を流れる川には橋をかけた。さらに、特色として上水道は経営地の最高部に貯水池を設け、下水道はヒューム管を埋設。都市ガスも導入している。また、電気については、電柱が著しく風致を損なうとして、多額の費用をかけて日本で初めてとなる電線類の地中化が行われた。道路の保全と美観上の問題を含めて全面的な道路舗装を行い、安全面にも留意している。開発当初の1区画の敷地規模は、平均300 - 1000坪以上である。 六麓荘最大の特色として「六麓荘町内会」が開発直後から組織されていることが挙げられる。なお、「町内会」を別に「自治会」と称する事もある。町内会は環境保護・景観保護の為に、ある意味においては、治外法権的な役割を果たしており、町の住民は、開発当初から町内会独自の協定を設けて高級住宅街の維持に努めてきた。協定では、建物は一戸建ての個人宅に限り、新築と増改築には町内会の承認が必要である。 町内での営業行為は一切禁止しているため、マンションや商店、自動販売機は全くない[5]。町内会員により構成される六麓荘町内会(六麓荘土地有限会社)は、道路部分の土地所有権を有している。開発当初は道路を区分所有していたが、管理に限界があり、有限会社を設立することで共有財産とした。しかし、有限会社での自主管理にも限界があったために、芦屋市に無償貸与して市による管理が行われることになった。 新規居住者は、入居時に、町内会の入会金を支払いとともにこれとは別に月々の管理費を支払っている。これらの資金は、共有施設がある駐在所兼公会堂施設の維持・管理と町内会の活動経費に充て��れている。新規入居者は、計画時に芦屋市から申請の内容が町内会に伝えられ、町内会でこれを承認するという手続きをとっている。セキュリティー面では、1930年(昭和5年)に町内会が無償で建物を提供して、芦屋警察署の六麓荘駐在所が開設された。 現在の建築条例(旧建築協定)は敷地面積を400平方メートル(121坪)以上とし、400平方メートル未満の面積への分筆も禁止され、用途は2階建以下の一戸建個人専用住宅に限られる。建物の高さは最高10メートルで、軒の高さは7メートル以下とし、営業行為も一切禁止で他にも色々な制限がある。 上述の厳しい制約から、賃貸契約や会社名義(社宅)としての利用が不可であると勘違いされる事も多いが、建築条例を充たした建物であれば居住形態の制限等は無い。賃貸(借家)住まいや社宅住まいの住人も数多く存在している。 バブル経済崩壊、阪神・淡路大震災以後の近年では世代の交代や高額の相続税の支払いが原因で、土地を手放すケースが増加した。そのうえ前述している紳士協定に過ぎない「建築協定」では風致を維持することができなくなることが懸念されるようになる。そのため住民は強制力のある条例による景観保護を市に求めることとなった。 住民の要望を受けて芦屋市は「建築協定」をそのまま「条例」に格上げした「景観保護条例」を市議会に提出した。「景観保護条例」は、2006年(平成18年)12月22日の芦屋市議会で全会一致で可決されて、2007年(平成19年)2月1日から施行となった。通称「豪邸条例」として話題になった[5][7]。
六麓荘町 - Wikipedia
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