#順礼峠
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xx86 · 6 months ago
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2024年、乗り換え、バランス、神様
今年私的一番のニュースはと聞かれたら突然20kg痩せたのに健康上何も問題なかったことだ。3ヶ月で20kg。今ふりかえってみれば仕事の、正しく言えば仕事上での人間関係からくるストレスだったのだろう。あの頃、体重減少と共に少食になってランチはいつもおにぎり1つだった。カップラーメン2つ食べてた私が。いいの、元々少し太り過ぎだったから。でもすごいよね、ストレスで20kg痩せられるんだ。元部署へ、20kg分のストレスと健康をありがとう。おかげで履けなかったスカートが履けるようになったし、大半のボトムスは履けなくなった。衣服手当ください。
私がおかしいのだとずっと思っていた。いつも怒り狂っていたし、いつでも泣けた。そんな中部署を異動したらおどろくほど精神が穏やかになった。朝目が覚めた瞬間、仕事行けないやつだ、と体が固まることもほぼない。ごはんも食べられるようになった。元々居た部署にあのままいたら確実にメンタルぶち壊して今頃休職していただろう。
異動は転職というのはうちの会社で異動を経験した人が必ず言う言葉だ。部署ごとやっている業務も担当する分野も全く異なるので、関わる人達もまるっと違うけれど、今とても恵まれた環境な気がする。大変な部署にいたんだね、と新しい部署の人達に哀れまれてようやく報われた気がした。いやあの人たちはあの人たちで正しいのだろう、あの部署では。私が順応できなかっただけで。
ただ私が今の環境を手放しで喜べないのは、目の前にきた電車にただ乗り換えただけだからだろう。環境が変わっただけ。私はなにも変わってない。根本は何も変わっていない。今はトンネルを抜けたらトロピカルビーチだったけど、いつかこの電車も塩狩峠に向かうかもしれない。それってどうなんだろう。私は前の部署で上司と面談の度、結局は自分だと思うので、と何度も口にした。苦手な人が辞めれば楽になるか、部署を異動したら楽になるかと言われれば違うと思う。一瞬それで楽になったとしても自分が変わらなければずっと同じことで壁にぶち当たると思うと。その言葉をトロピカルビーチでふと思い出すのだ���そうだよなあ、至極真っ当だ。前の会社で上司に仕事は遊ぶ金稼ぐための暇つぶしと言われたことがある。早くそのマインドを手に入れたい。でなければ私きっとまたダメになる。
懺悔として、今年はお金に対してものすごくちゃんと出来なかった年だった。反省。部屋は綺麗に保てるようになったし、生花もお手入れし絶えず飾られている。本も沢山読んだし、栄養もなんとなく考えてごはんを食べてるし、色んな出会いがあって豊かな1年だった。その裏でお金に対してだらしなすぎた。穴の空いたお財布すぎる。友人に言ったらまた始まったと呆れられそうだけど、ほんとにほんとに今年はお金を大事にしなさすぎた。
欲しいものはどうやったって欲しい女の精神で生きてきて、なんだって自分で手に入れてきた。でも今年の買い物熱は異常すぎたのだ。これはストレスじゃなくて病。自分でも引いてる。リミッター外れるとこわいよね、人間。
8年程担当してくれている美容師さんに今年一番がんばったことを聞いたら禁煙と言っていた。禁煙外来にかかったらしい。やっぱ何かを辞めるって人の手を借りることも大事だよなあ。私もお金のプロに家計管理してもらおうかな。節約するためにお金を払うのウケるけど。あとママが税理士なのに娘がお金に対してこんなに雑なのもウケるな、ウケないけど。とりあえず見て見ぬふりしてるクレジットカード明細を掘り起こすところから始めよう。
何度か話しているけれど中学生の頃、この本は大人になったら意味がわかるんだろうな、と思った小説が多かった。大人になって読み返したら刺さりすぎて失血多量でぶっ倒れた。今はそれさえも超えて、そんな風に感じた時もあったなあ、という気持ち。懐かしい、遠い過去のような。水を弾く油のように、あの頃のよにすっと入っていかない。私は今アンダスタンドメイビーを読んでも血まみれにならないだろうし、首がもげるほど頷かないだろう。なんといってもあんな重たい本読む気力もないし。読むべき時に読んでよかったと思う。私は一度も故意で体に傷をつけたことはないけど、小説を読んで自傷行為をしていたのだと思う。読書が自傷行為からただの娯楽になってくれたことを、なってくれた自分をありがたく思う。心のバランスは変わっていく。成長や後退ではなく、流動的に。
ちなみに急激に痩せたからなのか年齢なのか、体調を崩すと洒落にならない感じになってきた。心だけではなく体のバランスも変わるから難しいよね。
どうかわたしだけの神様になって。わたしのことを許して、というのはアンダスタンドメイビーを読んで��時崩れ落ちた一言だ。なぜなら読む数ヶ月前に全く同じようなことをTumblrに書き綴っていたから。それを書き残した登場人物は自殺している。私は救ってほしかった。神様が現れて、全部を大丈夫にしてほしかった。
でもさ、今その本がしっくりこなくなったのならと礼は自分で自分の神様になったんだね、と律子に何の気なしに言われた。思わず突っ伏して泣きたくなった。
その言葉にどれだけ救われただろう。そうか、いつの間にか私は私だけの神様になっていたのか。私の人生にはいつでも神様がいて、その人が全部大丈夫にしてくれていた。そんな人がいなくなっても、私は生きていけるのだと、私は私だけで自分を抱きしめてあげられるのだと思えたことが、何よりも嬉しい。
常識というのは自身が30歳までに身につけた偏見という言葉を私は結構大事にしている。来年は20代ラストイヤーなのでできるだけ沢山の価値観に触れて、ウクレレとか弾きながら気楽に生きたい。クレジットカードの明細見ながら、健康的に。
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zazaizumi · 9 months ago
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ラダック2-4日目のメモ。
2日目は1日目の現金盗難とスマホ破壊のショック疲れで休養日にしてた。結局ゲストハウス近くの別の宿でスクーターを借りた。初日行ったところより200ルピーも1日あたりで安く、状態も悪くなかった。その後レー王宮とナムギャル・ツェモに歩いていった。ナムギャル・ツェモははじめて行ったチベット寺院で、小さいけれどインパクト大だった。道なき道をひとりトレッキング状態で靴の踏み跡に励まされながら必死に登り。普段閉じていることが多いらしい部屋が2つ開いていて。瞑想する人、五体投地する人。溢れんばかりのお供え。圧倒された。帰りに道なき道を行こうとする仲間を見つけると嬉しくなった。
3日目からスズキのアドレス125でスクーター旅開始。まずは日帰りで上ラダックのゴンパめぐり。巡ったのはティクセゴンパ、タクトクゴンパ、チェムレゴンパ、へミスゴンパ。本当は6つ周る予定がやっぱりじっくり見たくなっちゃうし、チェムレゴンパへの道が工事中で回り道探しで相当時間ロスしたので4つになった。4つでも相当お腹いっぱいになった。
道中はめちゃ��ちゃよかった。ヒマラヤ山脈の絶景まみれ。写真じゃ伝わらない山々の表情。写真にするとあれもこれも岩山やん、ってなりそうなんだけど。みんな表情が違うんだよね。郊外の奥に行けば行くほど交通量は減り、チンタラ行っても気にしなくていいし、かっ飛ばしても車通り少ないから安心できるし、楽しかった。あ~なんとか来れて良かった〜と何度も思った。初日からメンタルクラッシュしていたのが本当に蘇った。
そしてゴンパ巡りも感動した。
朝イチでティクセゴンパの朝勤行に行った。起きた瞬間これほんとにスクーター乗れるか?っていう疲労度で絶望感。6時-7時実施予定と思い5時前に起きて5時半頃に出発しよう、と思ったら宿の部屋移動や荷造りで出発が遅れ、6:40頃到着。終わっちゃう!とダッシュで大広間まで階段駆け上がったらまさかの7時開始で単に超息を切らした人になってしまって恥ずかしかった。
朝勤行は圧倒的だった。太鼓やラッパをジャンジャン楽器を鳴らすタイミングが多く、ややPerformativeな面もあるかなぁと思ったけど、でもそれもまた確実に祈りの伝統の系譜であることは確実で。圧倒された。10人くらいのお坊さんと3人の少年僧がいて。2種類くらいのお経が同士に混ざっては1つになり、偉いお坊さん代表なのかソロでお経を読むシーンとした時もあり。
写真や動画撮っている方多かったけど畏れ多くて出たところからそっと記録だけと撮らせてもらった。記録ってなんだろう、と思った。でもやっぱり記録しないと記憶から薄れてしまうことや人に伝えづらいこともあって。難しいなと思った。瞑想合宿でスマホや電子機器を全部預けた時のことを思い出した。とはいえお坊さんもスマホ持っていて、場所によっては休憩所でごろ寝しながらスマホ動画見てたりイヤホンしてたりするお坊さんもいた。現代だなと思った。
少年僧が私の近くにいて、時折お経のわかる部分なのかを唱えては止まったり、少年僧同士で喋ったりしていた。バターティーを注いでくれた。朝の寒い中、朝食もなしにダッシュした身に染みた。
ゴンパ内の地図や順路がないか少ないところがほとんどで、何よりも修行と祈��の場なんだなと思った。鍵がかかってて見れないと思った部屋の近くにちょうどお坊さんが通りがかって開けてくれる、というラッキーなときもあって。そうやって入れたお部屋はそこはかとないご縁を感じた。
タクトクゴンパは駐車場からの道で超迷ってやっと洞窟にたどり着いた。すごい場所にあった。中の洞窟はお供えのお金がびっしり貼られていて信仰を感じた。
チェムレゴンパはかなり思い出���い。けっこう離れたエリアにあるから訪問者数も少ない。GoogleMapの案内する道は思い切り工事中で、途中完全に道が途絶えている。ここからは徒歩で行くか?と行ったら幅20cmくらいの建設中の橋の端っこを通らされたりしてやばかった。その先に車が通っているのを見てぜったい裏道ある、と思って見つけた。のどかな村の中を3km近く延々と行く道。時々路面が数メートル単位で荒れていてスクーターだとガタガタする。やっとの思いでたどり着いたゴンパ。巨大なグル・リンポチェの像の部屋で一人きりになったら、よくここまで来れたな、という思いがこみ上げてきた。
帰ろうとしたらキッチンの料理人さんから声をかけられ、キッチンルームでバターティーとクッキーをいただいた。猫ちゃんがうろうろする。傍らでは若い僧侶が寝転がってスマホで動画を見ている。たぶん女性と話しているのを揶揄してるんだろうなという僧侶と料理人さんのど付き合いを眺めたりしていた。道迷いと空腹と睡眠不足でへろへろだったところでかなり回復した。
へミスゴンパも圧巻。ゴンパの中ではかなり大きいほうで撮影禁止エリアが特に多い。Museumも時間があったらもっともっといたかった。電子機器持ち込み禁止でロッカーにヘルメットもカメラもスマホも預けて見に行く身軽さと相まっていくらでもいられそうだった。
スクーターでよかったな、と一番思ったのがレーへの帰宅ラッシュ。朝はティクセゴンパの朝勤行めに6時前に出発したからレー周辺はガラガラだった。これが18時頃に帰ったらTheインドの洗礼。車間距離なんてものはない、割り込み、この車密度で!?ってなる追い越し、飛び出してくる歩行者や犬や牛、ルールの概念のないラウンドアバウト、突然ドアの開く路駐車。これ重たいMT車でどうにかするのマジできつかったと思う。たちゴケしたら終わる。しなくてもきつい。
睡眠時間は早朝便なりトラブル続きの情緒不安定なりでインドついてから4時間・3.5時間・6.5時間・6.5時間とかの睡眠負債貯め放題、しかも高山病なのか乾燥なのかで2,3度は確実に中途覚醒していてかなり疲労がやばいのを絶景とゴンパの荘厳さでどうにか持たせてた。
クラクションは鳴らすし鳴らされるしでもうまったく動じなくなった。これまでクラクション鳴らすのなんてブラインドカーブとウィンカーとの触り間違いくらいだったのに、一生分鳴らすし鳴らされてる気分。
4日目も盛りだくさんで書きたいことたくさんだけど。今日こそ早く寝る。
ざくっと印象的なことをメモるなら。
アドレス125にオイル交換ランプ��出たからお店行ったらインドホンダのアクティバ125に交換になった。ちょっと古そうに見えたから不安だったけど燃費よくて航続距離200km超えとアドレス125より長く、これならダーハヌーまで日帰りしても持ちそうと思えた。スピード上限が付いているらしく60kmしか出ないがまぁなんとかなる。追い越し最低限しかしないし。40kmくらいしか出てない軍車両とか故障寸前の車両が前のときで対向車線ガラッガラのときしか追い越さないし。のんびり行く。後ろに付かれたらガンガン追い越ししてもらってる。
スクーターでもなんとかモンベルバッグくくりつけられた。ただ縦置きにしたらヒップバッグと合わせてかなり座る場所がきつい。背もたれっぽくはなるが。
山だらけ、飽きない?と思ったらぜんぜん飽きない。あの山を超えたらまた違う表情の山。直線ありワインディング峠あり村あり。
リキルゴンパの人の少なさ、辺境ぶりがまたすごい。立体曼荼羅やスワスティカがあった。ここでもお坊さんと遭遇して鍵開けてもらえた部屋あってラッキー。
時々ヒッチハイクで手上げられる。すまない二人乗りできる自信はないのとシートに空きがない。
アルチ村で当てつけてたゲストハウスがどうしても見つからない。高級めホテル以外看板がなさすぎる、GoogleMapがあてにならなさすぎる。スクーター止めて降りて足で探すのが吉。
宿探ししてたら新鮮な牛のフンを踏んづけて滑りかける。でもそのうち土に帰るだけだしなぁ、と思う。
初日はゲストハウスのつもりがホームステイにしたらほぼゲストハウス並ではという設備。子供がかわいい。ニコニコの奥さん。奥さんの娘さんかな?のチョンタ作りを眺める。WiFiないのはむしろ今の気分に合っている。
だんだん風呂洗髪毎日、洗濯毎回はいらないなという気持ちが強まってきた。この感想気候で驚くほど服が汚れた感じがしない。砂っぽくはあるが。なんか衛生命の日本からすると開放感すら出てきた。乾燥は正義。肌と唇は荒れるが対乾燥と対湿度だと後者のほうがはるかにコストかかると思う。オイルまめに塗ってれば乾燥はなんとかなる。サボるから良くない。
ぜんぜんざっくりメモじゃなくなった。どうあがいても今晩は10時には寝る。
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gilles1974 · 4 years ago
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. 暖かな冬晴れが続く今週。 今日は昨日の続き的に、七沢温泉から白山、長谷寺まで歩きました。 . 本厚木駅🚌〜 七沢温泉〜順礼峠〜物見峠〜貉坂峠〜白山〜白山神社〜桜山〜長谷寺(飯山観音) 〜本厚木駅🚌 →8.5Km/4h33m . 七沢から飯山へ「関東ふれあいの道」がつなぐこのルートは、適度なアップダウンと冬場の季節感を楽しむことができました。 昨日の日向薬師からのルートをつなげば、低山ロングハイクが楽しめるなぁ、とか思いながら、本日の最高峰、白山。 横浜ランドマークからスカイツリー、湘南平から利島まで見渡しつつ、恒例行事は昨日汲んだ七沢の湧水を沸かして「白山 de AFURI❗️」。七沢は’ZUND-BAR’さんのお膝元。なんだかイロイロキメすぎ感もありながら、自己満足に浸っていました。 根が生えそうになるのをこらえ北上、七沢神社⛩を参拝し、桜山を経て��山。長谷寺で飯山の観音様に今日の無事を感謝しました。 このルートは危険な場所もなく、気持ちよく歩けるので厚木の低山ハイクの代表格と言っても過言ではないと思いますね(^^) . #七沢 #飯山 #七沢森林公園 #飯山白山森林公園 #順礼峠 #貉坂峠 #関東ふれあいの道 #白山 #白山展望台 #白山神社 #桜山 #尼寺 #長谷寺 #飯山観音 #トレッキング #ハイキング #低山ハイク #低山 #山 #カメラ #写真 #写真好きな人と繋がりたい #山が好き #山が好きな人と繋がりたい #厚木 #神奈川 #niceatsugi #厚木らぼ #afuri #zundbar (白山展望台) https://www.instagram.com/yuya.urino/p/CX0k48gvu7V/?utm_medium=tumblr
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ononokichan · 6 years ago
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#M1打ち上げ by #ストロングゼロ ~芸人まるごとお疲れさま会~
M1おもしろかったー。順位は自分由来で実際のものではない。
1. ニューヨーク: 6位
敗退決定時のハケ方も含めて完璧だった。屋敷がふてぶてしい態度を貫いたのが良かった。鈍感幸福野郎にニヤけながらツッコむ形がニューヨークのスタイルなのに根本から評価されなかったのは歯痒かった。性欲強そうなところがいいな。
2. かまいたち: 2位
順番がミルクボーイと逆だったら結果は違ったかもしれない。「笑いの神が舞い降りたミルクボーイに生身の人間として立ち向かった気分」って言葉がまさにそうだと思った。それくらいミルクボーイが神がかってた。かまいたち自体の漫才は完璧だったから他にやりようがなかったと思う。
3. 和牛: 4位
川西さんの異彩なところは上品と東大阪を瞬時に切り替えられるところだと思った。敗者復活で勝ち上がったときに周りの仲間に「おっしゃー」って言ってるのを見て根が東大阪人なんだと思った。さらに女性にもなれるし。漫才自体はかまいたちもそうだったけど舞台を立体的に使っていてモダンだと思った。今年で最後にするみたいで、その鮮度を重んじた感覚が「料理人水田」っぽくて痺れてしまう。敗者復活のエネルギーを使っても優勝��辿り着けなかったのは続ける動機を奪ってしまいそうだ。その迂回は実は意図的だったのかなと少し勘ぐってしまう。
4. すゑひろがり: 9位
絶対に必要だった。
5. からし蓮根: 7位
カミナリのライバル。カミナリがライバル。
6. 見取り図: 8位
あの「〇〇って誰?」って後から言う形、なんか恥ずかしくなる。ワードセンスなのかな。ジャルジャルの「膝の峠越え」とかは面白く観れた。初期の意味わからんシャツ着て「首ちぎったろか」とか言ってたときは大好きだったんだけど、なんかインディアンスに通ずるような笑わせ方になってきちゃってる印象というか、それは岩井のいうところのお笑い風なのかもしれない。自分の感覚の正体の話として。でもベジータとかは面白かったなー。
7. ミルクボーイ: 1位
愛おしい。何を言ったらいいのか。感動でしかない。かまいたち、和牛、からし蓮根、そして去年の霜降り明星にも共通する点として舞台を広く立体的に使う手法があると思っていて、敗者復活でも多く見られたし、それがモダンな漫才の形になっていると思う。そうゆう状況においてサンパチマイクの上を反復し続けるだけの漫才が爆笑を掻っ攫う光景はさぁ。今回の決勝進出者で自分が唯一期待する芸人だったから、なんというか、「それ見たことか」的な不細工な歓喜をしてしまった。0と1を反復してるだけで1歩も動いてないのに「もうちょっと聞かせてよ」って真相に近づいていってる風にしてるのとか最高で、相槌の音程とかも完璧に調整されてて心地よすぎてリズムネタのようにも聞こえてくる。覚悟の角刈りキメた内海さんの後頭部の肉がスーツの襟に乗っかってるのとかも最高だった。金属バットにも続いてほしい。観る側がスタイリッシュさに食傷気味になってたというか、和牛に期待しすぎて解消されなかった欲求不満の反動がガチっと噛み合った気もする。
8. オズワルド: 5位
初めて見た。「理論上はそう」あたりで引き込まれた。かなりかっこよかった。去年の「会場の空気を一変させた霜降り明星の次に粛々と漫才した和牛」のかっこよさを思い出した。個人的には今年の和牛の次に位置すると思うし、もっと評価されていいだろって思う。
9. インディアンス: 10位
2003年、2004年のアンタッチャブルが2019年のM1に出たとして優勝できるかというと断言はできないやん。礼二も指摘してたけどザキヤマのクローンになれたとしてもそれは劣化でしかないしザキヤマはすでにいるわけだから。そしてキムは絶対に柴田にはなれないしね。今のインディアンスは自分は苦手で��。
10. ぺこぱ: 3位
「2019年M1でミルクボーイの次に幸せな漫才師」こと、ぺこぱ。最初は狩野英孝的な感じかなと思ったけど、スベリ芸には絶対にしなくて、そうゆう信用が漫才が進むにつれて強くなっていった。受け入れるツッコミってのは大自然とかもそうだし珍しくはないと思うけど、松陰寺さんはそれを叫ぶ形でやってて、そこに新しさを感じた。ゾンビランドサガの巽幸太郎に近いかもしれん。言葉の内容自体はキザなようなで実はキザではなくてバッドナイス常田の自己紹介に似ているかもしれない。あとは頭がデカい低身長が躍動する面白さに吉沢潤一のギャル男vs宇宙人を思い出した。というかレイ・リオッタに似てるくない?魅力が重層的過ぎる。
オズワルドが評価されないシステムの欠陥解決の為、マジカルラブリーのことを憶えてすらなくて、自分のCDの宣伝をして、からし蓮根の評論の時に和牛の曖昧な否定をまくし立てた上沼恵美子さんにはご退場頂いて、代わりを入れよう。矢作とかはダメなのか。
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myonbl · 5 years ago
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2020年4月3日(金)
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全国の大学では入学式もオリエンテーションも中止しているところが多数、しかるに私の職場では小規模校であるが故に、「三密(密閉・密集・密接)を避ける方策をとりながら通常授業が可能」との判断で予定通りのスケジュールが進行している。今日は健康診断+新入生のネットガイダンス+履修登録、このクラスで週明けから授業を開始する。これでいい��かという疑念は大いにあるが、2週目からは「遠隔授業」を最大限活用して感染拡大に抗したい。
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今朝も雑炊+フルーツヨーグルト+豆乳。
可燃ゴミ30L*1。
洗濯1回。
今日は教職員・学生とも健康診断、日常的に内科医のチェックを受けている私は、人混みを避けたいこともあってパス。
IM嬢来室、健康診断の前に私の好きな海老煎餅を差し入れに来てくれた。
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あらゆる役職から解放されたので、これまでの資料類を整理、今日もシュレッダー頑張る。蔵書も整理したいのだが、その前に春休みの「できる女プロジェクト」の教材=米朝全集+高橋留美子を何とかしなくてはならない。
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今日は三男は休みだが、ツレアイが弁当を詰めてくれた。
<note>で始めた「私と落語」、週1ペースで更新するつもりで第2回分の執筆作業。しばらくは「記憶の中の落語家」ということで、四天王から順番に自分目線の記事を書くつもり。まずは六代目笑福亭松鶴、ところが、調べ出すとあれもこれも、Evernote がどんどんと膨れあがる。
健康診断・学科ミーティングを終えたIM嬢来室、差し入れの煎餅とお茶を頂きながら Youtube で落語鑑賞。桂枝雀「さる」「龍探し」「干支と性格」、桂米朝「いもりの黒焼」。
解説事項は「書いたものが物を言う」、もちろん今の若い女性の身の回りでは出会うことの無い表現。「私があなたから金を借りて・・・」という設定で説明したが、分かってくれたかな?
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帰宅すると、年度がかわって初めての町内回覧板、松尾大社の祭礼の変更通知、なるほどね。
西大路七条・ライフへ買物、��と疲れたので惣菜購入。
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息子たちには鶏とアジの竜田揚げ、作り置き、タマネギとトマトの味噌汁。
私たちは、鯵フライと牡蠣フライ、ビールのメニューではあるが燗酒を頂く。
録画番組視聴。
上方落語の会・選▽笑福亭たま「源平盛衰記」
「NHK上方落語の会」から落語「源平盛衰記」▽源平盛衰記:「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰のことわりをあらわす。」このフレーズから始まる、源平合戦の噺(はなし)。倶利伽羅峠の戦いから、屋島の戦いでの那須与一の活躍、いわゆる「扇の的」までが描かれる▽番組後半は女子会トーク。きょうの落語:笑福亭たま、ご案内:南沢奈央・くまざわあかね、トークゲスト:笑福亭たま
 昨年6月の再放送、何度観ても楽しませてくれる。
この間、職場のメールがひっきりなし。対応は明日に回して早く寝る。
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ま、今週は自室を出ることがほとんどないので仕方ないね。
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2ttf · 13 years ago
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nagaterakimi · 6 years ago
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5/26やがて君になる~生徒総会~夜の部
はじめに
アニメやが君はおわったけど、原作は8巻で完結が発表された。舞台やラノベといった多メディア展開もあった。そして、ついにアニメのイヴェント。その当日の夜の部に参加してきました。昼も行きたかったなあ、と終わってからも思う。あの場所にいて楽しむという体験価値には、映像化とかでは及ばない。でも、映像化されたら買うだろう。
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暑い日・熱い日
5月なのに、無茶苦茶な暑い日だった。何の対策もしなかった日焼けが痛い。
ただ、それ以上に。夜の部だけに参加したとはいえ熱く盛り上がる良イヴェントだった。
キャストの皆さんの作品愛が随所にあふれていた。
まず、「きりーつ、れい!」で始まるいかにも学校行事風。
雰囲気のいいシーンを出し合っていくコーナー。生徒会風に議題として、会場の拍手で一番のシーンを決めることに。
沙弥香役の茅野さんが8話の紫陽花問答(燈→沙→侑→燈)シーンを、燈子役の寿さんが8話の「その嬉しいってどういう意味」を、堂島役の野上さんは11話の花火のシーン、槙役の��川さんは12話の水族館デートのイルカショーの場面の燈侑を挙げて、そして、侑役の高田さんは9話の体育倉庫のご褒美チューシーンを。
世田谷区民ホールの大画面大音量で視聴。演技の裏話や背景風景の美しさなどの話もあって、放送時の時とはまた違った感動がありました。こんなにやが君好きの人たちの歓声や拍手を聞きながら、やが君に浸れる時間…もう最高じゃないですか!
会場の投票の結果は高田さんが選んだ9話の体育倉庫ご褒美チューでした。私は、寿さんが選んだ「その嬉しいって~」をいい雰囲気からのこのすごい雰囲気という寿さんのこだわりにじんわりと納得したので、そちらに。エロ峠には勝てないか。
ラジオでおなじみだったやがて○○になる話では、キャラそのものになりきってしまった高田さん寿さんにたいして、茅野さんから発せられた「こんなの特別だよー」に感動です。特別かそうでないかで揺れてきた侑の物語を思い出し目頭が熱くなります。このように言及できる、キーワードを即座に出すことができる作品愛が、キャストさんたちのこだわりが熱い。高田さんの我田引水を地で行くさまは、見ていて爽快でしたね。
そして、生徒会朗読劇。なんと今回のために仲谷先生書き下ろしのオリジナル。なんて贅沢なんだ。さらに生で声の演技を見れるなんて。場面は11話の合宿。
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カレーを生徒会のみんなで作る話でした。アニメ本編ではただ静止画場面でしたが、ここをこのように膨らませてくるとは。
堂島が料理得意とか沙弥香は福神漬けにうるさいなど明かされるキャラ設定。ラジオのやが○コーナーも巧妙に入れ込まれて、会場の笑いを誘う巧みな構成。そして、侑と燈子のイチャイチャシーンもありでもう満腹です。侑が槙が堂島が沙弥香が、そして燈子が目の前に本当に存在しているかのような、そんな気すらしてくる素晴らしい時間でした。
お馴染みの大島ミチルさんのBGMも、ロビーでやが君の雰囲気を醸し出していた。私は、やがて君になるの音楽がとっても大好きで、聞かない日はないくらいなんです。好きな人みんなで共有できて幸せでした。
期待していた生歌も披露されました。
安月名莉子さんによるアニメOP曲「君にふれて」や9話の挿入歌「RISE」の演奏も歌もかっこよすぎた。どうやったらあんなに力強い声を出せるのか。ちょっと天然な安月名さんもかわいらしい。こういうギャップには惹かれるものがあります。
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そして、寿さん高田さんによるアニメED曲「hectopascal」。安月名さんから引き継ぐ形だったんですけど、次の2人が何を歌うかバラしてしまった安月名さんかわいい。高田さんも間違いとか言い忘れとかあって、同質的な人がそろってるんだなあと少し感心してました。
かわいらしい衣装で、作品世界を再現したかのような振り付けでした。惜しむらくは、席が後ろでなかなか見えなかった。映像化には本当に心底期待してます。最初は背中合わせなのが向き合ったり、距離が近く遠く動いたり、扉をノックするかのように手を振る2人が最高に尊かった。最後の2人の抱擁も。互いを思い慕い合う優しい空気感を永遠に感じていたかった。
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永遠はないですが、続くものはあるかもしれない。歌の披露のあとはすぐに終わりなのでした。このイヴェントが終わるだけで、作品世界は今後も続いてほしい。
キャストさんそれぞれから続編の希望が語られました。男性陣にも活躍の機会がまだまだあるわけで。5巻の堂島や7巻の槙は映像で見たい。そうしたところに触れつつ、女性陣からも続きがあってほしい旨のご挨拶があり、二期の発表はなくとも多くの人が望んでいればいつか……実現してほしい。
茅野さんの「佐伯沙弥香役の茅野愛衣です」をこれからも大事にしたいというコメントは、ささつ(佐伯沙弥香について)の第二巻を読んだばかりの私には響くもので、本当にそうであってほしい。次や今後があってほしいと願うばかりです。
寿さんの「ありがとう侑」という言葉も会場の反応に対する共感もこれからを感じて、やが君の愛をみんなで大切にしていこうと思えるものでした。
小糸侑役の高田さんからは、先行で最新話を読んだこと、買ってねと感極まりながら言っていてついつい私も電子版を買ってしまったけど。とにかく「言いたいセリフや伝えたい思いがまだまだある」ともう泣き声のようにおっしゃって、その上で「これからもやが君応援してくれますか」と問いかけ、それに歓声でこたえる会場のみんなが一体感ありの嬉しい時間をつくってくれました。
最後は生徒会長の燈子役の寿さんから、締めのあいさつと「きをつけ!礼」の号令がされるはずが、途中で高田さんが言い忘れに気づいて遮られました。
高田さんが何かしでかす感じなの最高においしい。なかなか強引なのも胆力あっていいですね。高田さんのラジオでの笑い声が豪快で好きでした。振り付けの説明忘れでしたが、会場の雰囲気が良くて、生徒総会いい雰囲気シーンを選べと言われたら私だったらこの場面でしょうか。最初から最後まで気の抜けない、楽しい時間が流れていた幸せなイヴェントでした。
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あふれる思いや語りきれないものがこのイヴェントを彩って最高の時間にしてくれたようです。会場に居合わせた応援する皆さんやアニメスタッフや電撃大王など関係者の皆さん、そしてやがて君になる原作者の仲谷先生には感謝しかないです。
すばらしかった本当に。
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物販もあっさりと順番が来て、私は多少並んだけど並ばない時間帯もあったようでした。右のクリアファイルはこちらが招かれた側なので、この3人はこっちを見ているわけですね。やが君では珍しい絵柄。
ガチャガチャは2回とも水族館の侑でした。山行きたいのあとの「侑が好き」の場面ですね。
メンダコ、これ可愛すぎる。やが君グッズとしても、そうでなくとも通用するかも。
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本棚横に吊るしてみましたが、デフォルメされてない目がかわいい。これからもやがて君になるを応援しつつ、注目していきたいです。
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occi-yuki · 6 years ago
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もはや何時以来の参加かすら思い出せずにいた。
元々は平田クリテリウムと開催され、そして今もクリテリウムとして開催されている、そう平田クリテリウムの話である  精力的活動連盟で名を馳せている「岐阜自転車競技連盟」による主催の定例レース形式練習会と言ったところでしょうか。 ええそうです、平田クリテの、あの平田クリテリウムです。 そろそろゲシュタルト崩壊してませんか、平田クリテリウム。 
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平田クリテリウム第4戦でした。 
その昔、毎��参戦していたもの、シクロクロスに注力しだしてからというもの理由もなくその名の通り脚が遠のいていましたが、昨年のロード成分不足気味のまま参戦したスズカロード5ステージでの成績から、同じ轍は踏まないと奮起し今年は春先からロードバイクにてレースに参加しようと思った次第である。 私事ながら青雲の志である。 そんな時に便利だなぁと思うのが東海圏でのレースの多さだ。
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※過去最高メンバーで臨んだ昨年の5ステージ、リザルトも過去最高でしたが自身としてはボロボロの内容だった。
他地域が少ないとかは一切思わないのだが(堺浜クリテや大磯クリテ、今もやってるのかなCSCクリテリウムシリーズ …など)やはり定期戦が地元で3シリーズもやっていることは幸せである。 平田クリテリウムにAACA(何の略だっけ?)そしてリトルワールドサイクルミーティングである。 ことリトルワールドに至っては隔月開催だが、レース中に世界一周が出来てしまうという副次的効果があり、最上級クラスのエキスパートに至っては世界15周も出来てしまうというお得感にあふれている。 言っている意味が分からない方はリトルワールドでググってみてください。 ドイツカーブに気をつけろ。
閑話休題  
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平田クリテだが過去出走を調べてみると最後の出走は4年ほど前、現NIPPOの中根君がゲスト参加したC1でボコボコにされたのも遠き日の思い出である。 そんな久々な平田クリテに前述の理由で出走しようと思い、月曜21時にPCの前でエントリー峠を越えるべくメールアドレスまで事前にコピーしておいて構える。 が、しかし今のエントリーシステムは事前登録制になっており、選手番号入れるだけで出来てしまうのね、進化してました平田クリテ。 悩みに悩んでキャップカバー不要なスタイリッシュC1へエントリーしたものの、クロスとは走り方も自転車も全く違うので不安しかなくスタート直前までC1で良かったかしら、C2の方が身の丈に合ってるんではなかろうかと不安のまま迎えたレース当日。 さもシクロクロスに行くような足取りで会場に向かうが、クロスに比べて機材が少ないのでスカスカの車内を見渡しては「忘れ物があるのではなかろうか」と不安が募るばかり。 
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今回から約3年乗り続けたBlockhaus67から2019イヤーモデルのBlockhaus67での初レース。 クリテリウム向きなハイエンドマテリアル”アルミニウム”モデルであるこのバイクでの初陣ですが、基本フレーム構成は変わらずジオメトリーも同じなのでポジションや走り方に対しての不安は一切なし。 機材に妥協なし、不安は己のフィジカルである。
はてさて会場につけばいつもの雰囲気で「嗚呼、平田ってこんな感じだったな」と思い出すことばかり。 いつの間にかプロにメガ進化していた殺気ぃーことサッキーや、クロスで大躍進の恩ちゃんなど若い選手が会場を埋め尽くしている雰囲気はとてもよかったです。
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そして今回自主映画を撮影しているらしく、パープルのスキニーパンツ、チェックのネルシャツの上にピチピチTシャツを着ている役者さんがとても目を引く。 さらにサイクルジャージに着替えたと思いきや懐かしのTモバイル(ウルリッヒモデル)のジャージに競輪選手も真っ青なショート丈のレーパンを召されておりまして、なんともアバンギャルド。 あの服は衣装さんが用意したのだろうか…。 幸いなことに、撮影スタッフがゾンビ化し暴れまわるような「ペダルを止めるな」的な行動がなかったのが残念でした。 
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そんな中、アップの仕方も忘れる醜態の私に場所を提供いただいたCLTハッチさんのスペースを間借りして準備をする。 C1は相変わらずの満員御礼みたいで、ロードらしいぼんやりとしたスタート後も刹那、ピリッとした空気に代わり場所取り激しくレースは進んでいく。
この平田クリテ初聴の方のために説明すると、河川敷にあるコースはいたってシンプル単純明快、平易かつ簡単明瞭で1周約2kmで長方形型のレイアウト。 故にコーナーはすべて直角という漢卍角度仕様となっており、土手側・川側ストレートからのコーナーは非常に狭く、車両は2台並んではいるのがやっとの幅員しかない。 そこに飛び込む直前のストレートエンドではNASCARばりの並走で3ワイド4ワイドが当たり前という、非常に殺伐としたライン争いも見どころであり一見の価値あり(多分)
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実際にレースが始まり噂には聞いていたが、最近のC1は以前にも増して前に前にという動きが強く、参加者レベルの向上をヒシヒシと感じる。 集団内でドラフティングに入っているだけではズルズルと下がってしまい、気が付けば最後尾なんてことばかり。 そう!今自分は試されているのだ。
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集団前々で展開しないと前述のコーナーからの立ち上がりでフルガスダンシングインターバルを強要されるので、もぅねそんな練習していない小生には筆舌に尽くしがたい地獄の幕開けですよ。
集団から千切れないようにもがく度にC2で序盤から集団に振り落とされた”こっこ”a.k.a高田氏の悲壮感が頭をよぎる。 イヤだ、あんな風にはなりたくない!
そんな思いを胸に、集団後方で千切れないようにひたすらもがいている自分のおぞましい姿が散見されていたことだろう。 これを見て今回平田に嫁が来ていたらと思うに「過去の栄光にすがった出来損ない!!」と"冷たい段ボール事件"の再現を期待させるのは火を見るより明らか。
さすが集団先頭でドンパチやっている選手たち、俺達の出来ない事を平然とやってのける、そこに痺れる憧れるゥゥゥ!  
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何周回目かもわからぬままインターバルマシンと化した自分は息も絶え絶えに、どパンチが効いたアタックが無かったため逃げ集団こそ成立しなかったが、そのおかげで集団ゴールとなりました。 えっ、順位ですか?よくわかりませんが平田なので良いんです。
ん?平均速度が44km/h?おぉう、そりゃねぇ…しんどいわな。
ただ集団に居ただけで何もできなかったが、今回のテーマである「集団内での立ち振る舞いを思い出す」と「レース感を取り戻す」は多少達成できたのかなと。 集団での走り方なんかは平田クリテのような場でしか練習出来ないので非常に有意義であり、一緒に走った選手も皆上手く走っていて怖い思いをすることはあまりなかったです。
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また来月も都合をつけて平田にAACAに世界15周にと、夏のスズカまでロード慣れをしていこうと思うばかりで。
一緒に走ってくれた選手の皆さん、安定の素晴らしい運営が光る岐阜車連の方々、本当にありがとうございました。
Photo M_Kanegon & M.HATTORI & Tomoya_Saito Thanks to all.
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sumiekawakami-blog · 5 years ago
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甲斐駒ヶ岳〜黒戸尾根から〜 正面に仙丈、北岳、富士山、後方に八ヶ岳の絶景と「仙人が舞う」霊峰を満喫
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甲斐駒ケ岳 2967m へ黒戸尾根経由で標高差約2200mの旅
「甲斐駒に行きましょう」と、山友のSさんから突然のお誘い。おりしも2020年は昨年の洪水の被害で南アルプス連峰全域に及んで長野側からのアクセスができないため、山梨県白州から標高差2200mの旅となる。ただえでさ黒戸尾根は鎖場や梯子が続く体力と気力の勝負のルート。その上、コロナ感染予防の対策で七丈小屋は定数50人を8人に限定しているため、行くならテント泊しかない。
そもそも東���から山梨県に移り住んだのも、ここ日野春からの甲斐駒の荘厳なたたずまいに恋したからだった。でも数年前北沢峠から初めて登った憧れの頂きからはあいにくの雨で眺望はなく、表面は白い花崗岩がざれていて、あたかも月面に舞い降りたようだった。前日に登った仙丈ヶ岳の緑あふれる稜線があまりにも美しかったこともあり(北沢峠にキャンプすると、一日目は仙丈に二日目は甲斐駒に登れるのだ)、「甲斐駒は眺める山で登る山ではない」と決め込んだ。家から毎朝拝められるだけあって、私にとってはまさに「近くて遠い山」となった。Sさんは「眺めていたらムラムラと登りたい気持ちが湧いてきた」というが、試しに真夏特有の真っ青な空に突き抜ける頂を眺めてみると、あまりの険しさにゾクゾク感しかみなぎらない。
ところが、七合目にある七丈小屋の管理人で自身も国際的に活躍する登山家である花谷泰広氏の解説によるバーチャル登山の動画が私の心を揺さぶった。「里山、山岳信仰の聖地としての歴史、そしてアルパインの醍醐味、その全てが楽しめる」と語る花谷氏。山道のあちこちにお地蔵さんなどの石像が残存し、現在でも修行の信者さんが毎年頂上へお参りに登るだけで、縄文時代の土器までが発見されたという。遥かなる歴史に思いを馳せて、いま一度雲の上に突き出たその頂を眺めると、「おいで」と語っているようにも見えないこともない。
5:20am 竹宇(ちくう)甲斐駒ケ神社 (770m)出発
竹宇駒ヶ岳神社は名水百選でも知られる尾白川渓谷への入り口でもある(白州には甲斐駒神社と名がつく神社が二つあるので注意)。日が上がった朝五時過ぎ、駐車場にはすでに車が20-30台停まっていて、テント泊や車中泊をしたパーティーが身支度をしていた。神社で登山の安全をお願いし、神社前の吊り橋を渡る。下には南アルプスから流れる清流が朝日を浴びて光っている。
橋を渡るといきなり九十九(つづら)折りの急登。下界は連日「危険な暑さ」(!) が続き、本日は都心に比べれば過ごしやすい北杜市でも最高気温は33度を超える予報だ。日陰では気温が下がるとはいえ、テント泊の重装備の登りに息が上がる。しばらく行くと川の声は聞こえなくなり、ここから笹の平までは比較的穏やかな上り。樹林帯の山道をまったりと行く。
7:40 笹の平 2:20(コースタイム2:30)
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名前の通り、笹に覆われた平地だが標高1500mといえば、八ヶ岳でいえば主峰・赤岳の登山口のある美濃戸口と同じくらい。つまり、普段なら登山口に立つ前にすでに二時間以上歩いたことになる。笹の平はまた横手甲斐駒神社からとの合流地点でもある。横手甲斐駒神社を起点とするこの「横手道」は、1817年の開山以来、信者たちが頂上にある本宮を目指す道として現在でも使われている。開山の祖・権三郎は、古来より「仙人が集い、俗世の者は入山が許されない」とされてきたこの山を霊峰とするため、生家の松本から何度も出向いて許可に漕ぎ着けた上、「木を渡って岩をよじ登り、身の毛もよだつ絶壁を伝い、岩下に伏し、飢餓と戦い、辛苦を重ね、神や仏の加護で頂上を極めた」。「駒嶽開山威力不動尊御由来記」(小林千代丸著、1931年)という。かつはこの参道に33体の石像があったというが、そのうち現存している何体がここから少しずつ姿を現す。苔に埋もれ、顔の輪郭も薄くなった地蔵像が歴史の深さを物語る。
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熊笹の森に続くなだらかな坂をのんびり進むこと数分、ジグザクの急登が始まる。これが噂の「八丁登り」だ。のどかな森林風景だが、暑さで大量の汗をかき、汗を拭おうとすると、ポシェットのハンカチまでぐっしょりだった。慌ててアミノバイタと水を補給。
ジグザクを抜けると樹林帯に岩がにょきにょきとそびえ立つ苔の森にやってくる。朝日に輝く苔と時折顔を出すきのこを楽しみながら尾根を目指す。
8:10 前屏風の頭 樹林帯が終わり岩場にかかった鎖が現れた。ここで少し休憩。この先「刃渡り」と呼ばれる岩場が始まる。
10:05 刀利(とおり)天狗 標高2049m 笹平から2:25(コースタイム2:00)
ところどころ両側が切れ落ちて狭い岩場が現れるのが「刃渡り」と呼ばれるゆえんか。時々、ふわっと風が抜けて暑さが吹き飛ぶ。梯子や鎖場を超える途中でいくつもの石像が姿を現すと、すぐ上が刀利(とおり)天狗の祠(ほこら)だった(三合目付近)。ここまで出発からすでに四時間半で本日の終点・七丈小屋までは約半分の行程か。標高は2000mを超えたが、これでも長野サイドの登山口である北沢峠と同等というから、恐るべし黒戸尾根!しかし「これからが���番」と気を引き締めた瞬間に下りが始まり、長くダラダラと続いている。白樺の林の木陰が太陽の陽を浴びて美しいが、降りた分は登り返さなければならないと思うと楽しめない。下りが終わると鞍部(コル)に至る。ここが5合目か。このあたりに五丈岩という岩掘った礼拝所(明治25年)の跡があるというが、見つからないまま五合目の祠(ほこら)まで進む。
10:55 am 五合目の祠(ほこら)刀利天狗から0:50 (コースタイム1:00)
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切りたった岩の下に並ぶ石像郡。山谷氏のバーチャル登山ビデオによれば、ここにある石碑の多くは昔からこの地に祀られていたが、何体かは昨年2019年の大雨の際に流されたのち、地元や甲斐駒神社の関係者が文化財保護のためにこの場所に集めたもの、という。この際、崩れ落ちたハシゴも修復された。そもそも、これらの石碑は信者が担いで登ってきたといわれるが、一人では持ち上げられないほど重いものもあったという。
ここから鎖、ハシゴが続くが、みなさんの努力のおかげできちんと保全、修復されている。中には垂直に近いハシゴもあるが、ゴツゴツの表面加工をしたプラスチック(?)で太い丸太型になっている。八ヶ岳・赤岳の真教寺尾根や、北アルプス槍ヶ岳頂上直下にかかっているアルミ材のハシゴに比べれば、断然安定感もあり滑りにくい。
六畳橋(6合目)を超え核心部へ
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六条橋と呼ばれる長い橋を超えると、いよいよ本日の核心部。鎖・ハシゴの連続で慎重に進む。と、二つ目の橋を上がったところに、大きな岩場が出現。片足を欠けて上に上がった時、ぐらっと重い荷物に体が揺さぶられる。えっ。次はどこに足をかけるの?真下は橋で、その橋のしたには昔使われていたという古い橋が二重になっているが、その下はどうなっている?一瞬、固まってしまい、思わず前を進んでいたSさんに声をかける。
「待ってくださぁい!どこに足かけましたぁ〜?」と、私。 「あっ、そこに削った場所があるから!そうそう、もう少し上!」 岩にしがみついた状態で、足をかける窪みを探す。「あっ、ありました、階段状のくぼみが!」 片足を次のくぼみに、そして鎖を両手で持って、そう、三点確保!腕に力を入れて、ぐいっと体を上げると、うまくリズムがとれた。岩をよじ登ったところで今度は片側が切り立った岩場。緊張の連続で半分涙目になった。こんな気持ちを味わったのはここ数年で初めてだった。
怖いという感情は極めて主観的なもので、怖いと思えた場所も経験値で乗り越えられる場合もあれば、まったく安全と思えた場所が気象状況で地獄になることもある。私は一人で登ることが多いので、怖いと思ったら無理をせず引き返すことにしているし、実際に引き返して、二度目、三度目で登れた場所もある(冬の天狗岳には三度目でようやく登れた)。今回のように、一緒に登人がいてくれる場合、いつもよりちょっぴり背伸びができる。山友に感謝。
12:05 am 七丈小屋 五合目より約2時間(麓より6:45、休息含む)(コースタイム約7時間)
手元のガーミンで8キロの表示を見た時点であと1時間はかかるかと覚悟していたが、あっけないくらいあっさりと小屋が姿を表した(実際なんの表示も見なかった)。走行距離9.5 km。二時ごろにはなると覚悟していたけれど、コースタイムより速く着いたのにびっくり。
(小屋は戦後、古谷さんという方が青少年の育成のために建てたと言われる)。小屋の前の水道からは噂通り冷たい水が迸っていた。まずは喉の乾きを癒し、上から下まで汗びたしだったので、ここで失礼して水をかぶらせていただいた。
テン場はトイレのある第二小屋を通り過ぎて、梯子を登ってからさらに上の場所にある。歩いて3分ほどと言われたけれど、疲れていたせいかいつまでたっても着かない。どこかで間違えたのだろうか?一度小屋まで戻って、道順を確認すると「一本道ですから迷いませんよ」という。実際、一本道で迷いようはないのだけれど、それほど疲れていたということか。
テン場からは、真正面に鳳凰三山のオベリスクと富士山が見える。
今回の山行の目的のひとつは、 新型コロナウィルス感染と共に生きる「新生活」に対応した一人用テントを試すことだった。各自設営、食事もジェットボイルのみ共有。コロナ下では「マイテント、マイフード」がスタンダードになっていくのかも。設営して明日の天気をチェック。着いた時には景色が見えたのに、だんだんと雲行きも悪くなってきた。明日は昼から雨の予報。下りが苦手の私たちは果たして雨の中、今来た険しい道のりを下れるのか‥‥。しかしここまで来て、頂上を踏まずに帰るのも惜しい。日の出と共に行動し、万が一雨が降った場合も焦らず慎重に下る、と方針を立てた。早めに就寝。テン場からトイレまでは歩いて3、4分あり、山道は一部切り立っているところもあるので、夜用をたすには要注意。
Day 2: 4am 起床 4:50 am 出発
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七丈小屋の由来はすばり「七合目」(2,400m)。「合目」というのは標高や距離ではなく、歩行時間や労力といった主観的な要素で決まったものらしい。テントからみた風景だとかなり上まで来たような気がするが、頂上まではコースタイムにして二時間半、標高差は2967-2400=567m。甲斐駒ヶ岳神社からの標高差2200mと照らし合わせても70%の行程というのもうなずける。
テン場は東側に面しているので五時前になるとすでに空が朝焼けで染まっている姿が見える。ここからが本番!鎖場が続き気は抜けないが、東には鳳凰三山(地蔵岳のオベリスク)と富士山、そして正面には甲斐駒ヶ岳の白い山頂が見えてくるのでモーチべーションは全開に!だんだんと木が少なくなっていき、森林限界を超えつつあることが肌で感じられる。8合目御来迎場 5:48 8合目から左にそれた場所に岩小屋があるというが、見つけることはできず。
この猛々しい岩肌が夏山の稜線の醍醐味。時々、一陣の風が抜け、標高の高さを教えてくれる。そしていよいよ、黒戸尾根の象徴とも言われる「烏帽子岩の二本の剣」(9合目)とその後ろに姿を現す鳳凰三山と富士山!(6:19 am)
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富士山、鳳凰三山をバックにそびえる烏帽子岩の二本の剣(9合目)
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9合目を超えると、白い花崗岩の岩肌が輝く山頂が近くに見えてくる。しかし、歩くとこれが非常に長く感じられる。ようやく甲斐駒ヶ岳神社の本殿に到達(6:40am) 信者の方々の山道はここが終点というが、山頂はまだ先の祠。
山頂(6:55) 正面は仙丈ヶ岳、左手は富士山、そして右手には八ヶ岳!
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あれだけ心配していた天気も山頂では雲一つない晴天となり、正面は仙丈ヶ岳、左手は富士山、そして右手には八ヶ岳という絶景が楽しめた。小屋からは約二時間で上がってこられた。一昨年前の夏、仙丈ヶ岳(3,030m)からこちらを眺めていたことを思い出し、あれから二年の月日を経て、自分が反対側の甲斐駒から仙丈ヶ岳に対峙しているという、ちっぽけではあるけれど満たされた瞬間を味わえた。 実際は仙丈ヶ岳の方が60メートルほど高いけれど、黒戸尾根から登れたという自信と2年間の奇跡を踏み締めて、気持ち的にはちょっとだけ高いところにいる。
長い長い下り。。。
帰り道、鞍部手前の五合目小屋跡に立ち寄る。明治時代に修験行者のために小屋を開いた植��嘉衛氏のレリーフが今も残っている。5丈岩は岩を削ってつくられた礼拝所という。
5合目小屋跡
ここまで順調な下りだったが、小雨が降り始めちょうど刃渡りに差し掛かったところで雷が鳴った。周りは何もないまさに刃の上を渡っている状態だ。まだ遠いだろうと立ち止まってのんきに写真を撮っていたら、後ろから走ってきた男性の二人組が「伏せろ!」と声をあげる。驚いて伏せるとがらがらがらーっとすぐ近くに雷が落ちた。えー、こんなところで?後ろの男性二人は猛スピードで駆け抜けるけれど、両方が切り立った峰で走るだけの余裕がなく、足がすくんだところでまた落雷。がらがらがらー。思わず鎖を思いっきり握りしめてしまった。後ろからNさんが「手を離して!」の声。周りに遮るものがない露出した岩場で鉄にしがみつく、というNGをやらかした!慌てて岩場から降り、今後は木下に隠���ようとすると、またしても「木の下は危ない!」との声。。。落雷の怖さを全く理解していない自分の不甲斐なさ。。。
八丁坂ならぬ八丁滑りとカエルの恐怖
森に入り、ひとまず落雷の危険は回避することができたが、次の難所は八丁坂という急な坂。雨のおかげで路面の泥がつるつるになっており、どう降りても滑ってしまう。ストックを立てて踏ん張るもののつるりとお尻から入ってしまい身体中泥だらけに。おまけに地面には大きなカエルがゲコゲコと飛び回り、落ちた瞬間に地面でカエルと睨み合うことになりかねない。後ろからきたトレランのみなさんは転びもせずスイスイと駆け抜けて行くので、私の脚力と技術不足のせいなのだろうが、すでに足が弱っているところで思わぬ難所となった。
しかし悪天候も一時的で、八丁坂を越えてるとあとは比較的なだらかな野山が続く。ホトトギスの花弁が愛くるしく帰りを迎えてくれた。
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tak4hir0 · 4 years ago
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皆さんは国道1号線をなんと呼んでいるだろうか。私は生まれも育ちも神奈川県中央部の綾瀬市なのだが、昔から「イチコク」と呼んできた。 しかしながら、最近になってそれは極めてローカルな呼称であることを知った。国道1号線のことを「イチコク」と略すのは、神奈川県のいわゆる湘南地域だけなのだ。 生まれてこの方、ずっとイチコクと呼んできた 日本に数ある国道の中でもトップを飾る国道1号線(正式には線をつけず国道1号)は、かつて江戸と京都・大坂を結ぶ大動脈であった東海道を踏襲する道路である。 その道筋は日本橋から京浜地域を南下し、保土ヶ谷・戸塚を経て湘南・西湘地域を西へと進み、箱根峠を越えて静岡県へと続いていく。 江戸時代に整備されたかつての主要街道、東海道を踏襲する国道1号線 私が住む綾瀬市は片瀬江ノ島で有名な藤沢市の北側に隣接しており、湘南エリアからはギリギリ外れた位置にある。とはいえ藤沢市との行き来は多く、国道1号線に接する機会もそれなりにある土地柄だ。  そのような環境において、私はずっと国道1号線を「イチコク」と略してきた。いつからかは定かではないが、おそらく周囲の人々の影響を受けて自然とそう呼ぶようになったのだろう。 大磯町には旧東海道の杉並木が残っており、なかなかに風情がある ところがだ、近年になって某キャンプツーリング漫画を読んでいたところ、国道1号線を「国1」と略しているのを見て驚愕した。 おいおい、国道1号線は「イチコク」であって「コクイチ」ではないだろう。――と思いつつも気になったのでネットを検索してみると……なんということだろう、国道1号線を「イチコク」と呼ぶのは湘南とその周辺地域だけだったのだ。 生まれてこのかた40年間、なんの疑いもなく「イチコク」と呼び続けていた身にとって、これは天地を揺るがす衝撃的な大事件であった。 京浜地域では国道1号線をニコクと呼ぶ さらに調べを進めたことろ、同じ神奈川県であっても横浜市や川崎市の京浜地域では国道1号線の呼び方が異なることが判明した。 東京都の城南地域(品川区・大田区)から川崎市、横浜市鶴見区・神奈川区にかけての京浜地域では、国道1号線と国道15号線が並走して通っている。その沿線では海側の国道15号線を「第一京浜国道」、内陸の国道1号線を「第二京浜国道」と呼んでおり、それぞれ「イチコク」「ニコク」と略しているのだ。 京浜地域において、「イチコク」は「第一京浜国道」こと国道15号線を指す 国道1号線は「第二京浜国道」であり「ニコク」なのだ イチコク圏の身からすると実にややこしいものであるが、国道1号線の歴史を紐解いてみると、この区間においては「ニコク」と呼ぶ方が正しいように思えてくる。 というのも、最初に国道の番号が定められた明治18年(1885年)の当初は現在の国道15号線が1号国道であり(旧東海道を踏襲しているのもこのルートだ)、現在の国道1号線は昭和27年(1952年)の道路法による路線指定において新たに定められた区間なのだ。 京浜地域の国道1号線はこのような変遷があったのだ 故にこの区間においては、元祖国道1号線である国道15号線を「イチコク」、新道である現在の国道1号線を「ニコク」を呼ぶのは、道路ができた順番からしても自然であるといえる。 国道1号線の略称についてアンケートを取ってみた 神奈川県内でも地域によって国道1号線の略称が異なることが分かったが、その範囲はどのように分布しているのだろうか。また神奈川県以外では国道1号線をどのように呼んでいるのだろうか。 それらの疑問を解消すべく、より広くの方々からアンケートで意見を募ってみることにした。 設問は以下の通りである。 Q1:出身地域を教えてください (できれば市町村区名も) 神奈川県湘南地域 神奈川県横浜市・川崎市 神奈川県その他の地域 東京都23区内 東京都23区外 神奈川県・東京都以外の関東地方 東海地方 関西地方 その他 Q2:現住所の地域を教えてください(できれば市町村区名も)  Q1と同じ選択肢 Q3:国道1号線をなんと略しますか?(略すとしたらなんと略しますか?) イチコク コクイチ ニコク R1 その他(自由記述) Q4:国道1号線の略称として「イチコク」という言葉を使ったり聞いたことがありますか? 自分で使う 家族や友達が使う 聞いたことがある 聞いたことがない Q5:国道1号線の略称について、思うことがあれば自由にご記入ください このアンケートをはげましひろばとTwitterで募集したところ、約500件にも及ぶ回答を頂くことができた。ご協力いただいた皆様にはこの場を借りてお礼を申し上げたい。本当にありがとうございました。 改めて設問を見直してみると、アンケートとしてはやや不十分であったと反省している。まず年齢によって呼称が異なる可能性を考慮して年代を教えてもらうべきであった。地域についても東京都の城南地域は分けるべきだったし、川崎市・横浜市も京浜地域とそれ以外で分けるべきであったように思う。 またQ3の選択肢に「R1」とあるが、これは私の父親に国道1号線をなんと略すかと聞いたら即座に「アール・ワン」と答えたからだ。国道1号線→ルート1→R1ということで、「まぁそう呼ぶ人もいるんだろうな」と思い選択肢に入れたのだが、結果的にR1を選ぶ人はごくわずかであり選択肢に入れる意味はあまりなかった。 私の父親は妙に小洒落た呼び方を使いたがる(過去記事「津軽弁が分からない」より) 「イチコク」と呼ぶ範囲は意外と広い さて、アンケートの結果を見ていこう。 まず国道1号線を「イチコク」と略す地域についてであるが、これは神奈川県藤沢市・茅ヶ崎市・寒川町・平塚市・大磯町・二宮町・小田原市にかけての、湘南・西湘が中心であることは間違いなさそうだ。 湘南・西湘はほぼすべての人が「イチコク」と呼んでいるという結果であった 任意記述のご意見を見ても、この地域では昔から自然と「イチコク」と呼んでいたことが伺える。なぜ「イチコク」なのかは分からないが、周りの人々が皆そう言っていたので、自分も「イチコク」と呼ぶようになった、というものである。 都内ではいちこくは15号のことで驚いた。 湘南ではいちこくは国道1号のことだったから。 海側からいちこく にこくだと聞き あぜんとした。騙されてたのかと思った。 by さなまささん(神奈川県藤沢市出身・東京都墨田区在住)  身の回りでも国道1号線を「イチコク」としか呼んでいなかったのですが、よく考えると省略するのであれば「コクイチ」と呼んでいても良いはずで、なぜ「コク」と「イチ」を入れ替えているのか不思議です。(寿司をシースー呼びしたりするのと同じ理由だったらどうしよう) by でこさん(神奈川県藤沢市出身・在住) 茅ヶ崎育ちです。子供の頃は「国道」って呼んでいました。国道1号線が絶対エースだったからです。高校生になって東海道線と国道134号の間に住む友人ができたり、免許を取って他の国道がある地域に車で行くようになると「イチコク」呼びもするようになりました。 by すた・けいさん(神奈川県茅ヶ崎市出身・川崎市中原区在住) 国道1号線沿いの店舗を「イチコク沿いの店」と呼んでいた。 by ぶんちゃんさん(神奈川県茅ヶ崎市出身・東京都在住) 家族、親類、友人・知人が皆「イチコク」と呼んでいたので、大人になってだいぶ経ってからメディアか何かで「コクイチ」を聞いて一瞬何を指しているのか理解できなかった by 牛蒡さん(神奈川県中郡大磯町出身・東京都在住) 「コクイチ」と言う方が周りに多く、しかし自分は「イチコク」育ち。今さら変える気は無いので強い気持ちで「イチコク」と言っております。 by むすすさん(神奈川県小田原市出身・在住) また私が住む綾瀬市や大和市など、湘南に隣接する内陸の地域でも「イチコク」と呼んでいる人は多い。 一方で、湘南に隣接する内陸部といっても相模川より西側の厚木市・伊勢原市・秦野市では「イチコク」はあまり使われていないようだ。この地域では国道246号線(ニーヨンロク)の方が圧倒的に存在感があり、国道1号線はさほど身近ではないためだろう。 丹沢山麓においては、国道といえばイチコクではなくニーヨンロクなのだ イチコク圏は湘南地域に留まらず、横浜市においても国道15号線が並走しない地域では「イチコク」が使われている。さらには三浦半島の横須賀市でも「イチコク」と呼ぶという証言が複数あり、その範囲は私が想像していた以上に広いようである。 イチコク、が一番しっくりくる by あとむさん(横浜市戸塚区出身・東京都江東区在住) ちょっとヤンチャ系の先輩はおしなべてイチコクでした。金沢区からイチコクは少し遠いので(そしてより都会にあるので)、よりヤンチャ度が増すとして格好つけて使われてたのかもしれません。 by さなさん(横浜市金沢区出身・東京都葛飾区在住) イチコク一択かと思っていたので他の呼び方があったことに驚きました by ののさん(神奈川県横須賀市出身・川崎市在住)  家族もイチコク呼称ですし、コクイチと呼ばれているなんて全く知りませんでした。地域カルチャーの違いで何かを言われることへの憧れがついに叶うのかも知れません。 by のじょむさん(神奈川県横須賀市出身・在住) ヤンチャな人が「イチコク」を好んで使っていたということは、「イチコク」という言葉はヤンキー文化が関係しており、その辺のクラスタによって国道1号線からかなり距離がある横須賀市まで伝播したとも考えられそうである。 横須賀でも「イチコク」という呼称が使われているとは思ってもみなかった 確かにわざわざ「コク」と「イチ」をひっくり返すところとかちょっとヤンキーっぽい気もするな……と思ったが、次の投稿を見てその考えは改められた。 生まれてこの方横浜に住んでいます。国道一号線の略称は「イチコク」しか聞いた事がありません。 両親(60代、共に神奈川県出身)にも聞いてみましたが、やはり「イチコク」だと言い、「なんでそんなこと聞くの」という顔をされました。 by コアラ町さん(神奈川県横浜市出身・在住) ここで注目すべきは60代の方も当然のように「イチコク」という呼称を使っているという点である。ヤンキー文化の隆盛より前から地元に根付いていた言葉である可能性がありそうだ。 戦前の文献などでは「国道〇号」を「〇号国道」と表記するものがある。戦後に現在の国道1号線が定められてからも「1号国道」という言葉が使い続けられ、それを略して「イチコク」と呼ぶようになったのではないだろうか。個人的な憶測であるが。 ちなみに牛丼チェーンの「すき家」では、国道1号線沿いにある店舗はすべて「1国〇〇店」という店名で統一されている。すき家は横浜市の生麦駅に存在した1号店がルーツらしいので、ひょっとしたらイチコク圏の影響を受けているのかもしれない。 国道1号線沿いのすき家は、すべての地域で「1国〇〇店」という店名だ おおむね予想通りな「ニコク」の範囲 続いて国道1号線を「ニコク」と呼ぶ地域であるが、これはおおむね予想通りの範囲に収まっていた。東京都の城南地区から横浜市の神奈川区にかけて、国道15号線沿いの京浜地域である。 家の近くは、第二京浜と呼ばれていて、ニコクが一般的でした。国道1号だと、知ったのは高校生くらいかも。 by まっちょさん(東京都品川区出身・練馬区在住) 国道1号線なのに「ニコク」って変だな?とはどこかのタイミングでよぎったのですが、深くは考えないままずっとニコクニコク言い続けてきました。家族はもちろん、学校の友達もニコクで通じていましたし、むしろそれ以外の略称を聞いたことがありません。 by ケヒヒさん(神奈川県川崎市鶴見区出身・静岡県浜松市在住)    川崎に住みはじめて最初イチコクと聞いたとき国道1号線のとこかと思ってたけど、よくよく聞いてみるとイチコクは国道15号線のことで国道1号線のことはニコクと言うのを知ったときはすごい紛らわしいと感じた けどすぐ慣れた by まじんさん(関東地方出身・神奈川県川崎市在住)  一時期、横浜市鶴見区に住んでいましたが、周りの人間はニコク(二国?)と呼んでいました。このアンケートを見て、住んでた人にラインで聞いてみましたが、みんな「二国って言う」と返信がきました。 by 照り焼き地銀さん(鹿児島県薩摩川内市出身・在住) ニコク圏は地元出身者のみならず、他地域から引っ越してきた人々も「ニコク」という呼称を使っている印象だ。しかし最近では「ニコク」と呼ぶ人は減少しているらしく、略さず「第2京浜」と呼ぶ人も少なくないようである。 区内の国道1号沿いに住んで40年余りです。 うちの親も、嫁の親もニコク沿いなので、みんな使います。 一昔前よりは、ニコクを使う人が減った気がします。他地域からの流入増のため? by H+A/Sさん(東京都大田区出身・品川区在住) 略ではないですが、周りの人はみな「第二京浜」と呼んでいます。 by 匿名さん(東京都品川区出身・在住) 引っ越してきて、ニコクと呼ばれているのに驚きましたが、ニコクよりは第2京浜と呼んでる人の方が多い気がします。 by しんいちさん(大阪府大阪市出身・東京都品川区在住) 「ニコク」のランドーマークである、昭和16年(1941年)に架けられた響橋 また第二京浜国道の略とはいえ、国道1号線を「ニコク」と呼ぶのはやはり少々特殊である。地域外の人には通じないことが多く、会話ではより分かりやすい呼び名を使用する人もいる。 ニコク、が正しい略称だと思いますが、その由来や成り立ちを知らない他人に伝えるときに伝わりにくいので、イチゴウ、イチゴウセン、などと呼んでいます。 高輪付近では桜田通と呼んだりもしますが、イチコクは15号のことなので、イチコクとは絶対に呼びません。 by きあれこさん(東京都港区出身・大田区在住) 関西出身者に「ニコク」が通じない。東京人でも国道1号(第二京浜)を日常的に使う人にしか通じない気がする。気がするだけで本当は通じるのかも知れないけど。不安なので「第二京浜」と言うようになってしまってとても悔しい。 by くさちびさん(東京都品川区出身・大田区在住) このように「ニコク」に関して寄せられたご意見には熱いものが多く、ニコク圏の方々のこだわりと葛藤が伺える。 イチコク圏の私としては国道1号線の略称は「イチコク」しかないと思っていたのだが、国道1号線の歴史を知った今では旧国道1号である15号線を「イチコク」と呼ぶのは適切だと思うし、現在の国道1号線を「ニコク」と呼ぶのもやぶさかではない次第である。 ただし、国道1号と15号の合流点である「青木通交差点」からその先は、「イチコク」であることは譲れない。 「ニコク」は国道15号線の終点にあたる「青木通交差点」までだ 東海地方は「コクイチ」が断トツ お次は箱根峠を越えて西へと進もう。東海地方では「コクイチ」と呼ぶ人が圧倒的多数であり、現在は他地域に住んでいる人も、東海地方出身者はもれなく「コクイチ」と呼んでいる。特に静岡県民のコクイチ率は、なんとなんとの100%であった。 静岡県ではすべての人が国道1号線を「コクイチ」と呼ぶのだ 今回のアンケートにおいて東海地方の方々が口をそろえて言っていたのが、「コクイチ」以外の略称があるなんて知らなかった、というものである。 コクイチ以外に略称があるなんて、考えもしなかったです… by にゃん太さん(静岡県沼津市出身・在住) コクイチ以外の略称をこのアンケートで初めて知りました by まなさん(静岡県富士市出身・在住) 「コクイチ」以外の選択肢があることに驚いた。 by わいさん(静岡県静岡市出身・海外在住) 国1の略称が「コクイチ」以外にあること自体、びっくりです。少なくとも私の周りでは他に聞いたことがありませんでした。 by けろけろさん(静岡県静岡市出身・浜松市在住) 「コクイチ」以外の呼び方(略し方)があるなんて考えたことすらありませんでした by しおんさん(静岡県袋井市出身・在住) 他の略称があるとは思わなかった by 麻生さくやさん(静岡県浜松市出身・在住) コクイチ以外きいたことなかった by 匿名さん(愛知県豊橋市出身・在住) コクイチ以外の略し方があること自体まったく知らなかったし考えたこともなかった。 by おやいずさん(愛知県岡崎市出身・在住) これはもう、東海地方ではコクイチ以外の呼び方なんてありえないというレベルである。 どうやら親の世代から「コクイチ」という呼称が付け継がれ、完全に地域に根付いているようだ。 親が「コクイチ」と行っていたのでそのまま覚えました by みまりさん(静岡県静岡市出身・在住) 静岡県民にとっては国道一号線と書いてコクイチ。 by adiasさん(静岡県藤枝市出身・神奈川県在住) コクイチは静岡ローカルな言い方だって聞いた事があります。 by ずっきーさん(静岡県静岡市葵区出身・東京都文京区在住) ちなみに私が「コクイチ」という呼称を知った漫画の作者も静岡県の出身であり、漫画の台詞として「コクイチ」を出したのもごく自然なことだったのだろう。 静岡県の国道1号線はやたら長い上に風景の変化が少なく、走っていて結構つらい 東海地方において「コクイチ」は強いこだわりをもって使われているようで、それ以外の呼称を使おうものならよそ者扱いされること請け合いだ。 仕事ですこし東海圏にいたが、つい国道1号をイチコクと言ってしまうと、また横浜出身者が!みたいな横浜出身者あるあるの一つみたいな責め方をされた(笑) by 県庁所在地と政令指定都市出身は出身を市名で名乗っていいと思う委員会さん(横浜市出身・在住) ちなみに東海地方以外の方からは、「コクイチ」は国家公務員採用一種試験を連想するという意見が多数寄せられた。 関西地方は「イチゴウセン」が多い(ただし京都市は通りの名) 最後は国道1号線の西端にあたる関西地方である。アンケートを見てみると、関西ではあまり略さずに「1号線(イチゴウセン)」あるいは「1号(イチゴウ)」と呼ぶ方が多いようだ。 また京都と大阪を結ぶ国道であることから、ご年配の方は「京阪国道」という呼称を使う人もいるという。 略す方が違和感あります。 by わかばっ!さん(大阪府枚方市出身・在住) そもそも略す人は周りにいないですね 京阪国道という人はお年寄りなどでいます by てっちりさん(大阪府守口市出身・静岡県浜松市在住) ただし京都市に限っては国道1号線という言葉自体ほとんど使われておらず、「五条通」など通りの名前で呼んでいるという。 学生時代京都に住んでいたので、イチコクもコクイチも全く通じず、五条通と言ってやっと通じる(京都市内の国道一号線もなかなか複雑…) みつるさん(神奈川県厚木市出身・在住) 京都市内の道にはほとんど名称が付いているため、国道と兼用されている場合でも国道とは呼称しないことがほとんどです。国道1号線も堀川通や五条通、九条通と兼用されており、「国道1号線」という呼称では位置が曖昧であるため使われないのかと思います。京都市内で国道1号線が何度か直角に曲がることも「国道1号線」という呼称を使いづらい(ひとつの道と認識しづらい)一因かもしれません。 ぴかーどさん(京都府京都市出身・大阪府吹田市在住) 京都市内の地図を見てみると、国道1号線は碁盤目状の通りをカクカクと折れ曲がっている。なるほど、確かにこれでは国道1号線というだけでは場所を特定しづらく、通りの名で呼ぶ方が簡潔だ。 こうも折れ曲がっていると、通りの名前で読んだ方が分かりやすい とまぁ、関西地方では国道1号線をあまり略すことはないようだが、大阪から北九州の門司を繋ぐ、かつての山陽道を踏襲する国道2号線は「ニコク」と呼ばれているという。 しかし国道2号線の別名である「第一阪神国道」から「イチコク」と略す人もおり、その場合は国道43号線が���第二阪神国道」であり「ニコク」なのだとか。 京浜地域の国道1号線と同様、阪神地域の国道2号線においても呼称の相違があり、こちらもまた一筋縄ではいかないようである。 阪神地域もまた、国道2号線の呼称問題を抱えているのだ 国道の呼び方あれこれ 今回は私の個人的な興味に基づき国道1号線の略称について調べてみたが、寄せられた回答を見ていると、それ以外の国道も各地によってさまざまな呼び方があるようだ。 基本的に1桁や2桁の国道は「〇号線」読みが多いようだが、3桁になると数字で呼ぶようになる。私の周辺でも国道246号線を「ニーヨンロク」、国道467号線を「ヨンロクナナ」というし、他にも国道36号線は「サブロク」、国道156号線は「イチコロ線」などと呼ばれているようだ。 興味深いところでは国道23号線を「メイシ」や「メイヨン」(名四国道)、国道258号線を「リャンウーパー」(麻雀用語から?)、国道122号線を「ワンツーツー」(なぜ英語?)など、各地に独自の呼称があるようである。そのような各地の国道呼称を調べてみるのも面白そうですな。 余談だが、国道15号線沿いにあるJR鶴見線の、その名も「国道駅」 この駅が実にシブく、素晴らしいたたずまいを見せていた
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gilles1974 · 5 years ago
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. 薄曇りな冬の某日 七沢森林公園をトレックリング . 森のアトリエ、さくらの道より。 春を待ちわびるミツマタの開花が始まっていました。 春の足音は少しづつ、近づいているようです。 . #七沢森林公園 #ふじだな公園 #森のアトリエ #順礼峠 #とうげの広場 #ながめの丘 #もみじ展望台 #やまゆり展望台 #おおやま広場 #さくらの園 #みつまた #ミツマタ #三椏 #七沢 #森の里 #厚木 #神奈川 #ミニベロ #サイクリング #ハイキング #トレッキング #トレックリング #厚木らぼ #niceatsugi #カメラ #写真 #写真好きな人と繋がりたい #山が好き #山が好きな人と繋がりたい #2020厚木市広報写真コンクール (七沢森林公園・桜の園) https://www.instagram.com/p/B8YCXYtAJvK/?igshid=r19xfhll8zj6
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suikeuya · 5 years ago
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先週から開催されました秋田ふるさと村AnC、長岡クラフト、ご来場いただき、ありがとうございました。 遅ればせながら、お礼を申し上げます。 次は10/24-25に新潟ふるさと村クラフトに出展予定です。 イベント時に頂きましたご注文は、順次仕上げていきますので、今しばらくお待ちください。 以下雑記(長いです) 長岡から帰宅途中、HR/HMを聞きながらノリノリで走っていた時です。 突然ボッとの音と供にAccの電源が落ちました。そして漂う焦げた匂い。あっ、この匂い知ってる〜。と思いつつ止まる場所を探しますが、辺りは夜の峠道。 落ちるスマホのナビ。 幸い車はディーゼルなので、バッテリが死んでも動きますし、LEDライトも常備です。 最悪を想定したとしても、何とかなりそうです(実際、以前にオルタ死亡でもなんとかなりました)。その後、最低限のチェックをして3時間かけてそのまま帰ってきました。 原因ですが、やはりカーステのアンプでした。しっかり破裂しておりました。 中華製のBluetoothアンプかと思っていたのですが、違ったようです。ごめんなさい中華製アンプさん。全く信用していなくて。 ここ迄CPが良いとは思わなかったの。 #秋田ふるさと村 #秋田ふるさと村クラフトフェア #長岡 #長岡クラフトフェア #中華アンプ #安心のディーゼルエンジン https://www.instagram.com/p/CFrD6ADnFNU/?igshid=ul019hfco0re
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tsuntsun1221ts · 5 years ago
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2020.06 大月縦走(寂しょう尾根 )
▼寂しょう尾根はGPS登山アプリ必携 、少しでも道に違和感があればすぐに確認するべし ▼    
梅雨の晴れ間で天気が少し良くなるみたいなので、比較的近場である秀麗富嶽十二景から富士山を臨めればいいなと思い、大月へ向かう。何回か紹介しているが、JRの休日おでかけパスは日帰り登山の場合非常に優秀で、茂原から大月間が途中駅乗り降り自由で約2700円、更に特急あずさを往復で使っても交通費(電車)の総額が5000円台に収まるという有能ぶり。茂原⇔大月で乗車賃片道2640円なのでほぼ半額である。
大月周辺は多くの山があるが、今回はやまと天目山温泉から北上して湯ノ沢峠に登り、そこからハイキング的な感じで南下して秀麗富嶽十二景のひとつである大蔵高丸から富士山を臨み、さらに南下して米背負峠からやまと天目山温泉に戻るという周回ルートを予定していた。
やまと天目山温泉へのバスは大月駅から3つ隣の甲斐大和駅から出る。甲斐大和で降りるとバスはすでにほぼ満席状態だが、なんとか乗れた。これは臨時バスで、定時のバスが直後にやってくるので全員ほぼ待たずに乗れ、また待機人数に応じてさらにバスの増発もしてくれるみたいなので安心。やまと天目山温泉は甲斐大和から約10分(300円)で到着するが、徒歩だと1時間かかる。ここで降車したのは2人だけで、ほとんどは終点の大菩薩に行く人達だろう。 まぁ百名山で人気の山だからな。このバスに乗り切れず甲斐大和で定時のバスを待機した人たちも含め、この時間帯に大菩薩に入山するのはざっと60名か。
【コースタイム】天目山温泉(0925)→歩道分岐 (1025)→湯ノ沢峠 (1100)→大蔵高丸 (1125)→ハマイバ丸 (1150)→米背負峠 (1220)→滝子山 (1320)→寂しょう尾根 →登山口 (1455) →笹子駅 (1520) 総距離18.6km
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温泉から湯ノ沢峠へ向かう道の約半分を4人組の外国籍の人たちと一緒に喋りながら進んだ。長年日本に住んでいるため日本語ペラペラで、ピーター・バラカンというDJの音楽イベントで知り合った仲間らしい。なかなか無い機会なのでいろんなことを話していたが、やっぱり外国人から見たら日本人が行列に並ぶのは理解できないとのこと(うどん屋さんに2時間以上待ってるのを見たことがあるとか)、まぁさすがに自分でもアホらしいと思うけど。今回の山行も、みんな大菩薩の方に行くけど、自分らと同じくマイナーで静かな道が良いという人は少ないね、ということである。実際、自分ら5人しかいない。
ちなみに温泉から1時間ほどはずっと車道のゆるい上り坂となる。40分くらい一緒に歩き、そこからはお先に失礼する。彼らのルートは湯の沢峠までは一緒だが、そこから自分は南下するのに対して彼らは北上し、大菩薩の手前の石丸峠まで向かうとのこと。
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看板が立っており、 車道と歩道の分岐点である。大丈夫なのか?と思う感じの歩道だが、ここで車道へ行ってしまうとかなりの遠回りなので、勇気を持って歩道へ進む。(写真では直進)
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歩道は沢道で、渡渉が何度もある。
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ところどころ道が荒れていて不明瞭なので、なんとなくこっちが道っぽいという感じで進むしかない。少し迷ったりしたが、その都度登山アプリで確認する。冒頭の登山アプリ必携の注意はここのことではない。
暫くは車道と同じくらいの傾斜だが、峠に近くなると段々きつくなってくる。おまけに風が通らず沢が近くて湿気があり、蒸す。
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分岐から約30分、沢の道を登り続けて湯の沢峠駐車場に到着する。
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駐車場は20台くらいしかとめられないか、そこまで大きくはない。今日はまだスペースに余裕があった。
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駐車場から登山道に向かうとすぐにカウンターが設置されており、これから向かう方向を自己申告する。自分は大蔵高丸とハマイバに。
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動物避けの柵の中を進むと湯の沢のお花畑に着く。この景色を見て、前にも1度来たという記憶が蘇った。大月に来たのは覚えていたが、そのときのルートが一部かぶっていたのは忘れていた。
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湯ノ沢峠から大蔵高丸まではハイキング気分で行け、しかも湯の沢峠に車を止めたならあっという間(約30分)で到着できる。 この高原のような風景が気持ちいい。
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大蔵高丸からは期待通り富士山が見えた、この富士山が本日最初で最後だった。本日の目的は一応達成。この山頂で昼食のおにぎり2つ食べて出発。
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その先も小さなアップダウンはあるが、ほぼハイキングみたいなもの。
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ハマイバ丸は樹林で囲まれており特に景色はない、と思って通過してしまったが、実はここも秀麗富嶽十二景のひとつである。見逃していたんだと思うが、どこか木々の間から富士山が見えるはず。日差しがあったのはここまでくらいで、以降はずっと曇りっぱなしだった。
予定より早く降下点である米背負峠に到着してしまった。このまま下山するのもなんか物足りないので、さらに南下して滝子山まで進むことにする。
△▼これより先は一部の道が不明瞭極まりないので、ちゃんと地図を用意しておくこと▼△
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まず迷ったポイントはここ、一度広い峠のような空間に出る。それまではなんとか登山道を見極められたけど、ここではそれが途切れ、しかも見渡した限りではテープも看板も無かった。GPS機能付きの登山アプリがあれば現在位置も方位も道も示されているので、積極的に使用することを勧める。
その後はまた道が復活するので順調に進むことができる。
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滝子山直下はかなり急(数分で登れるけど)。
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山頂は開けているのでさぞ涼しいかと思いきや、無風で蒸し暑い。ここも秀麗富嶽十二景のひとつなのだが、周囲は雲で覆われているため富士山は見えない。
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その代わり反対側の大菩薩方面は黒岳までなら見えていた(雲がかかっている左の方かな?)。どこから歩いてきたのかは定かではないが、雲がかかっていない最奥の山は通過していると思う(たぶん大蔵高丸か?)。
滝子山から最寄りのJR笹子駅へはいくつかルートあるが、今回は(多分最短ルートの)寂しょう尾根を下る。
再度警告するが、ここからは
▼GPS登山アプリ必携、 少しでも道に違和感があればすぐに確認するべし、手遅れになる ▼    
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寂しょう尾根へ向かう手前に「危険」の看板あり。このときは「北アルプスならともかく、大月で危険の看板なんて大したことないだろう」と思い甘く見ていたが、マジで危険なので心してかかるように。
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写真で載せても全く伝わることはないが、一応載せてみると、山頂直下でいきなり60°はあろうかという崖の連続。岩ならまだよいが、場合によっては土の道もあるので、足元が崩れ落ちないかどうか慎重に。その後も相当な傾斜の細い尾根道で、これが30分ほど続く。 おまけに道が不明瞭な箇所がいくつかあり、他の人が間違えた道に釣られるとヤバイことになる。とにかくすごい傾斜なので、早く異変に気が付かないと取り返しのつかないほど下ってしまい、元の道に合流するために登り返すのにかなりの体力がいる (正規の道ではないので登り返すにしてもとっつきがかなり少なく、滑落の危険も高い)。トラバースしての合流は傾斜がキツすぎるため無理だろう。「この道は変だ」と少しでも思ったらアプリで確認し、自分の正確な現在位置と登山道から外れているかどうかを確認すること。紙の地図でもいいが、正確に読図し精密に現在位置を割り出さないと戻れないかもしれない。まぁ地図が無理なら、手っ取り早い話「上に戻れ」だ。現代機器は積極的に活用しよう。自分は3回ほど道を間違え、そのまま進んでいたらと思うと少しゾッとする。全て前の登山者の踏み跡に釣られた。もう少し注意深く周りを見ていれば道は(たぶん)わかったと思う。
一方、登りでこの道を使用する場合は、とにかく尾根を登る方向に進めばいいだけなので道迷いはあまり心配することは無いと思う。その代わり、酷い急登を1時間以上かけて登り切る体力は必要(腰を掛けれる休憩場所はないと思っておくこと)。まぁ岩登りが好きな人とかは好きかも。自分も登りでなら再度来てもいいかな。
ストックは完全に邪魔になるから使用しないこと。腕は岩や木などに掴まって身体を支えるために使ったほうが良い。ストックを信頼してバランスを保つのは危険である。
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途中木々の切れ間から下界が見えるが、まさかと思うがこの標高差を下るのか?実際いつもの登山でやってるんだろうけど、こう見えるとえげつないな。ちなみに滝子山からゴールの笹子駅までの標高差は約1000m。
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徐々に普通の尾根道となり、かなり平和な道となる。 途中で鉄塔と遭遇する。あと、風が全く吹かず暑すぎて汗がダラダラ出てきた。麓近くは25℃くらいはあったかもしれない。
一度車道に出るが、その時はまだ車道を歩かず、近くに登山道の続きがあるのでそちらを下る。
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滝子山から1時間半くらいで登山道を抜け、車道を笹子駅に向かって歩く。ここから笹子駅までは30分ほど。
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道中、中央自動車道を跨ぐ。
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振り返るとさっき降りてきた山が見える。中央の民家の右上に、さっき写真で載せた鉄塔がちょんと写っている(かなり分かりづらいが、写真中央やや右、電柱の先端と先端の間)。
尾根は危険だけど楽しくはあった。ただし、今回みたいに結構歩いたあとについでに行くとこではない。登りで使用するか、下りの場合ならサクッと終わらせる方が良い。今回とは別のルートもあるので、あくまで選択肢の一つである。
大月周辺は富士山が綺麗に見える山が多くオススメ。もっと開拓しよう。
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aburakame · 5 years ago
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【完売御礼】 ・ ヒヅミ峠舎 三浦圭司 三浦アリサのうつわ展「言葉のない詩」 ・ 本日の第二弾のご紹介を終えて。 ・ 改めてお二人が紡ぐ「詩」の世界の素晴らしさに、心が揺り動かされております。 ・ 最終日はもう少し先ですけれど。 ・ 圭司さんに初めてお会いしてから今まで歳月を振り返ると。 ・ 油亀でヒヅミ峠舎、お二人の作品をご紹介できることの喜びを。 ・ ひしひしと感じて、うるっときてしまいそうに。 ・ 次回はいよいよ最後のご紹介。 ・ 第三弾の作品の数々がお目見えです。 ・ 13日(土)11時よりスタートとなります。 ・ 目下のところ、web担当スタッフが撮影、採寸中。 ・ 最後の最後まで、スタッフ一丸となって頑張るぞ!! ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・ <受け渡し時期のご案内> 2020年6月6日(土)→13日(土)の期間は、ご注文はいただけますが「出荷業務」をお休みいたします。その期間にいただいたご注文は、6月14日(日)から受付順に発送いたしますのでご了承ください。 ・ <受注メールについて> 火曜日はお問い合わせや受注メールのご返信をお休みしております。ご注文いただいた方へのご返信は、翌営業日以降に順次お送りいたします。 ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・ アートスペース油亀企画展 #ヒヅミ峠舎 三浦圭司 三浦アリサ のうつわ展「 #言葉のない詩 」 ※新型コロナウイルス感染拡大防止のため、実店舗での開催をとりやめ、「web通販展」のみの開催となります。 2020.6/6(土)11時スタート。 ・ ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆ ・ #アートスペース油亀#油亀#器#うつわ#うつわ好き#陶器#陶芸#陶芸作品#陶芸作家#丁寧な暮らし#暮らしを楽しむ#食器#和食器#小皿料理#器のある暮らし#器好きな人と繋がりたい#染付#おうち時間#ceramic#pottery#japan 8時間前 (アートスペース 油亀) https://www.instagram.com/p/CBP-TJclQtX/?igshid=h9nyji8319lk
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benediktine · 6 years ago
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【サイクリストのマナーが問われる“ヤビツ問題” 下りは減速・上りは譲り合いで相互理解を】 - cyclist : https://cyclist.sanspo.com/475364 : https://archive.fo/YkYGL 2019/06/21 11:30 「グッド・チャリズム宣言プロジェクト」瀬戸圭祐さんがリポート
 東京近郊のヒルクライマーにとって“聖地”化している、神奈川・秦野市のヤビツ峠。ここヤビツ峠では近年自転車利用者と、地元住民やクルマなど他の道路利用者とのトラブルが問題化し、激増したサイクリストのマナー改善が求められている。自転車のマナー向上と安全意識の啓発活動に取り組んでいる一般社団法人「グッド・チャリズム宣言プロジェクト」(通称:グッチャリ)が、今年もヤビツ峠周辺でマナーアップ活動を実施した。 (リポート:グッド・チャリズム宣言プロジェクト理事 瀬戸圭祐)
 {{ 図版 1 : 休日にはクルマも自転車も交通量が増えるヤビツ峠。安全確保を最優先に走りたい Photo: Keisuke SETO }}
◇         ◇
■《活動への新たな賛同者も》
 まず最初にお断りしておくと、これはヤビツ峠で増加しているヒルクライマーを糾弾するものではない。むしろ目標を持って前向きにトレーニングを行っている姿勢はとてもポジティブに思う。実際、今回のマナーアップ活動に参加していただいたサイクリストの中にも、いわゆる「坂バカ」と呼ばれる坂好きなサイクリストの姿があった。
 {{ 図版 (省略) : 秦野駅に集まり始めた参加者たち Photo: Keisuke SETO }}
 グッチャリのヤビツ峠でのマナーアップ活動は2017年からスタートし、今年で3年目となる。参加者は荒川や多摩川、三浦半島や奥武蔵などで活動しているグッチャリのメンバーがほとんだが、今回はこれまでのグッチャリの活動をメディアやSNSなどの情報で知り、それに賛同して初めて参加してくださった方が何人もいらっしゃった。
 さらにグッチャリのイベントを知って裏ヤビツから峠で合流してくださった方など、総勢20人以上の参加者で活動することができた。我々の活動がサイクリストに認知され、「より良い自転車社会」に向けてご協力いただける方が増えていくことは嬉しい限りだ。
■《特に危険なスタート直後の市街地》
 {{ 図版 2 : ヤビツ専用のマナーアップチラシを作製。カスタマイズ版なら説明しやすい Photo: Keisuke SETO }}
 国道246号線の名古木(ながぬき)の交差点にあるコンビニが、ヤビツ峠でタイムアタックを行うヒルクライマーのスタート拠点としてよく使われている。ここで全体ミーティングを行い、初参加の皆様にマナーアップ活動やサイクリストへの声のかけ方、チラシの渡し方などを説明した。
 上り始めると、蓑毛(みのげ)という集落までの最初の数kmは市街地の中を走る。勾配が強く、直線が多い道路であるため、上るのはきつい。が、下ってくる自転車はスピードが出やすい場所である。この区間が、下り自転車が問題視される危険な場所といわれている。
 {{ 図版 3 : 蓑毛の集落に向けて一直線に伸びる道。住民との事故が多い危険地域だ Photo: Keisuke SETO }}  {{ 図版 4 : マナーアップを呼びかけるのぼりが、随所に掲げられている Photo: Keisuke SETO }}
 そしてその区間には、秦野市がとった対策として「自転車マナーアップ」「歩行者に注意」といったノボリが随所に掲げられている。
 それでも中には時速数十km以上の猛スピードで下ってくるサイクリストもいて、大声で「スピード出しすぎ危険!」と叫ぶが、そのまま減速せずに走り去ってしまう人もいる。また、上りの場合も、特にタイムアタックなどをしている人はスタート直後は脚もフレッシュなので、見通しの良い直線路になるとタイムを稼ごうとしてスピードを出す人が少なくない。
 市街地で交通量も歩行者もそれなりに多いこの区間での安全速度の順守や、歩行者や他の道路利用者への思いやりと譲り合いが、ヤビツ問題における最も重要な課題といえるだろう。
■《一部のクライマーが与えるマイナスイメージ》
 蓑毛の集落を抜けるとヤビツ峠に向かって本格的な山道が始まる。2車線から1車線になり、カーブの多いワインディングロードで見通しもあまりきかなくなる。しかし交通量は減るので、ヒルクライマーにとっては「ここからが本番」という気持ちになりやすい。
 マイペースで上っていると、後方から迫りくる気配を感じた。振り返ると、すぐ横をヒルクライマーがあまり車間も開けずに我々を追い抜いて行った。「抜きまーす」「お先に失礼します」といった声かけもなければ、挨拶もない。こちらから挨拶したり「頑張ってください」と声掛けをしたりしても、返事をしない人もいた。
 {{ 図版 5 : マイペースで上っていると、アスリート系ライダーがダンシングで追い抜いて行く Photo: Keisuke SETO }}
 必死でトレーニングをしていたり、タイムアタックの最中で言葉を発する余裕がなくても、会釈やアイコンタクトなどで挨拶を返してくれると少しは救われるの��が…。コース取りのライン上に私がゆっくり走行しているからか、猛スピードで抜かれると邪魔扱いされているような雰囲気さえ感じる。最短ラインで抜き去ろうとするところに対向車が現れ、クルマが慌ててブレーキを踏み込むという場面もあった。そんな彼らの走りにはベテランサイクリストでもヒヤッとすることがあるのだから、初心者にとっては恐怖すら感じるかもしれない。
 {{ 図版 (省略) : タイムアタックしている人たちは競うように上って行く Photo: Keisuke SETO }}
 もちろんそんな人ばかりではない。むしろ声掛けをして抜いて行き、挨拶もする人が大半。多くのヒルクライマーがマナーを守りながらトレーニングをし、周りに迷惑をかけることなく自己研鑽に励んでいるのだが、そういったマナーの悪いサイクリストが少しでも存在することで全体のイメージが悪くなってしまう。
■《道路利用者はサイクリストだけではない》
 ヤビツ峠への道は自転車だけでなく様々な人たちが利用する。ヤビツ峠がトレイルランニングの拠点になったことで、道路を走るランナーも増えつつある。登山者が道路を歩くこともある。オートバイのツーリングコースとしても人気があり、またクルマのドライブルートにもなっている。もちろん、公共交通機関であるバス路線でもあり、レジャーだけでなく仕事や生活でクルマを使う人も多い。
 {{ 図版 6 : ランナーとも声掛けでコミュニケーションを取りたい Photo: Keisuke SETO }}  {{ 図版 7 : モーターバイクともハンドサインやアイコンタクトで Photo: Keisuke SETO }}
 今回は、ランナーやバイクツーリングの方々の比率が増えたように見受けられた。例年ゴールデンウィークにマナーアップ活動を行っているが、今回は6月の日曜日ということもあってか自転車の比率が少なかったのかもしれない。
 自転車同士の挨拶はサイクリストのマナーだが、他の道路利用者とのコミュニケーションも大切だ。特にここでは、すれ違う、あるいは後ろから抜く際にランナーに声掛けをするのは、サイクリストとしてのマナーだと思う。ランナーの中には突然声を掛けられて一瞬驚く人もいるが、皆一様に笑顔で挨拶を返してくれて、お互いが気持ちいい。挨拶が互いのリスペクトにつながって行くのである。
■《少しでも意識してもらえるように》
 例年、GWのヤビツ峠は何十人ものサイクリストで溢れる。しかし今回の6月のヤビツ峠は天気が良いにもかかわらず、滞在しているサイクリストはせいぜい十数人だった。一方で、峠につけばすぐに下ってまた上るといった、激しいトレーニングをしている人の姿が目についた。
 {{ 図版 8 : 峠で休んでいるサイクリストの皆さんにヤビツでのマナーについて理解を求める Photo: Keisuke SETO }}
 峠にいるサイクリストにマナーアップチラシを渡して啓発活動を行うが、実際にチラシを受け取って話を聞いてくれる人は、もともとルールやマナーを理解している人が多い。挨拶を無視するようなヒルクライマーは、とんぼ返りで下って行くか、そのまま通過して行ってしまう人が多く、話しかけることも難しかった。
 それでも何人かはヤビツで起きている問題を知らず、我々が話しかけて初めて知ったようだった。こうして話をすることで、次回ヤビツを訪れたときに思い起こし、意識してもらえるだけでも活動の意義はあるのだと信じている。
 {{ 図版 9 : ヒルクライマーの人たちにも話をすると好意的にチラシを受け取ってくれた Photo: Keisuke SETO }}
 ある参加者の方がチラシを渡したサイクリストは、地元秦野市在住の方だった。ご自身はサイクリストとしてヤビツ峠を楽しみつつも、地元住民の方々からサイクリストが白い目で見られていることに痛みを感じていると話していたそうだ。そして、その方からマナーアップ活動に対し「ありがとうございます」といわれたという。
■《道路利用者同士、互いの思いやりを》
 今回初めてマナーアップ活動に参加いただいた方々からは、「今後もサイクリストがヤビツ峠を楽しむことができる環境を維持していくためには、まず地元の方々にサイクリストが歓迎されることが必要だと改めて感じた」「周りのサイクリスト全てがルールを守り、危険走行をしなくなることで、違反しづらくなるような環境になると信じたい」「少しでも多くの方に広がっていくよう、今後も活動を続けていきたい」といったコメントが寄せられた。
 {{ 図版 10 : 今回の活動にはグッチャリメンバー以外の方々も、多数ご参加いただいた Photo: Keisuke SETO }}
 ヤビツの問題はヤビツだけでなく、サイクリストのマナーやルール順守が課題になっている全国各地のフィールドでも対策が必要な共通のテーマだろう。ハード面の対策よりも、自転車利用者の意識の改善が大切なのかもしれない。公共の道路という場において、それぞれが被害者にも加害者にもならないためには各々がどうすべきなのか。サイクリストに限らず、全ての道路利用者がお互いに思いやりの気持ちを持って、マナーやルールを守ることを呼びかけ続けて行く必要がある。
 「より良い自転車社会」に向けて今後も活動を続けていきたい。
●瀬戸 圭祐瀬戸圭祐(せと・けいすけ)  中学高校時代にランドナーで日本全国を走り、その後北米大陸ロッキー山脈、北極圏スカンジナビア山脈、欧州アルプス山脈、西ヒマラヤ/カラコルム山脈、ヒンズークシュ山脈などを単独縦断走破。著書は「ジテツウ完全マニュアル」「爽快!自転車バイブル」「自転車ツーリング ビギナーズ」「自転車生活スタートガイド」など多数。現在は自動車会社に勤務しつつ、NPO法人自転車活用推進研究会理事、(一社)グッド・チャリズム宣言プロジェクト理事などを務め、より良い自転車社会に向けた活動をライフワークとしている。
{{ 「一般社団法人グッド・チャリズム宣言プロジェクト」ウェブサイト : https://good-charism.com/ }}
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carguytimes · 7 years ago
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モリゾウがWRCの表彰台に。TOYOTA GAZOO Racingがラリーフィンランド連覇【WRC2018】
WRC(世界ラリー選手権)ラリーフィンランド。TOYOTA GAZOO Racing WRT(World Rally Team)は首位発進の8号車オット・タナク/マルティン・ヤルヴェオヤ組が優勝。7号車ヤリ-マティ・ラトバラ/ミーカ・アンティラ組も3位に入り、W表彰台を獲得した。 Day2(7/27 金)から本格的な競技が開始した。SS2 モクシ1(Moksi 20.04km)から始まるDay2のスタート順はランキング上位から。シリーズリーダーのヌービル組(ヒュンダイ i20 クーペ WRC)、オジェ組(フォード フィエスタ WRC)はコース上に浮いている埃を払う役となり、9位・7位とタイムが伸びない。 しかし3番目のタナク組はトップタイムをマークした。2位はマッズ・オストベルグ/トルステイン・エリクセン組(シトロエンC3 WRC)。3位にはテーム・スニネン/ミッコ・マルックラ (フォード フィエスタ WRC)。4位にはラトバラ組が7位からジャンプアップした。ラッピ組はSS内でスピンとエンジンストール、総合10位と順位を下げた。 SS3 ウッリア1(Urria 12.28km)ではラトバラ組がトップタイムを叩き出し、3位に浮上。タナク組は3位であったが、オストベルグ組との差を広げる。しかし、SS4アッ��マキ1(Assamaki 12.33km)で、オストベルグ組がトップタイムでこのイベントで初めて、タナクから首位を奪う。 SS5 アーネコスキ(Aanekoski 7.71km)ではタナク組が再び首位を奪い返す。昼のサービス終了後、午後最初のSS6 オイッティラ1(Oittila 19.34km)では再びオストベルグ組がトップタイムを奪い首位を再奪取。SS7モクシ2でもオストベルグ組が首位を奪うが、タナク組も同タイムで差は開かない。 SS8ウッリア2ではクレイグ・ブリーンスコット・マーティン組(シトロエンC3 WRC)がトップタイムを奪う。このイベントからダンパーメーカーとサスペンションレイアウトを変更して来たシトロエン。昨年のリサーチデータを反映したマシンが躍動する。2位にはラッピ組、3位にはラトバラ組が入り、トヨタ勢が昼のサービス後から調子を上げる。 SS9アッサマキ2では、SS8で後れを取ったタナク組がトップタイムでオストベルグ組を逆転。2位に入ったラッピ組は順位を8位に上げた。SS10アーネコスキ2でもタナク組はトップタイムで、オストベルグ組に4.3秒の差をつけた。 SS11ハルユ2はDay1にSS1で走った出走順の影響が少ないターマック路面。オジェ組、ヌービル組が1-2と気を吐いた。しかし、タナク組も2位と同タイムの3位。8位に終わったオストベルグ組との差を5.8秒迄開いた。 迎えたDay3(7/28 土)。圧巻のトヨタデーが幕を開けた。SS12パイヤラー1(Paijala 23.92km)をタナク組が2位ラトバラ組/オストベルグ組(同タイム)に8.5秒の差を付けると、SS16トゥオヒコタネン2(Tuohikotanen 2 8.95 km)迄5連続トップタイムを奪う。 SS17,18ではラッピ組が首位を奪うと、この日のSSを全てTOYOTA GAZOO Racing WRTがステージウィンを飾った。 Day3終了時点で、首位タナク組と2位オストベルグ組の差は39.0秒迄広がった。ラトバラ組は総合3位でオストベルグ組と5.4秒差迄接近した。ラッピ組は総合4位迄浮上した。 Day4(7/29 日)のSS20ラウカー1(Laukaa 11.74km)はオストベルグ組がトップタイムだが、3位タナク組とのタイム差36.1秒と2.9秒しか詰まらない。ラトバラ組は2位。ラッピ組はここで横転・リタイアを喫した。 SS21ルーヒマキ1(Ruuhimaki 11.12km)はラトバラ組がトップ。オストベルグ組は2位。しかし、タナク組は5位だが33.3秒の差を維持している。 SS22ピーラヤコスキ1(14.90km)トップはラトバラ組、2位はオストベルグ組。3位にはタナク組が入り、差は32.2秒。一方、オストベルグ組とラトバラ組の差は2.5秒迄縮まった。最終SSのルーヒマキ2はパワーステージ。上位5台にはボーナスポイントが付くので、フルアタックとなるこのSSを制したのはタナク組。優勝に華を添えた。 2位にはオストベルグ組が入り、3位のラトバラ組から2.8秒差を守り切った。4位にはランキングトップのヌービル組が入り、総合9位(2pt)にパワーステージポイント(2pt)を加え4ポイントを獲得して153ポイント。 総合5位(10pt)を獲得して132ポイント迄積み上げたオジェ組に対し、6ポイント詰め寄られたに留めた。ランキング3位のタナク組は総合優勝(25pt)+パワーステージ優勝(5pt)の30ポイントを獲得。ランキングは変わらないが合計107ポイントとなり、上位2台を脅かす存在となった。 マニュファクチャラー(製造者)選手権ではTOYOTA GAZOO Racing WRTは201ポイントとなり、2位のM-SPORT FORD WORLD RALLY TEAMの202ポイントに1ポイント、トップのHYUNDAI SHELL MOBIS WRTの228ポイント迄27ポイントと迫った。 オット・タナク 「すべて自分が望んだように進む完璧な週末となりました。金曜は早い出走順によりかなり苦労しましたが、その後はリードを拡げて行く事ができました。完璧な準備をしてラリーに臨み、チームも手厚いサポートをしてくれました。私にとってホームイベントのようなこの1戦で、フィンランドに拠点を置くチームと共に挙げた優勝は特別なものです。そして、サポートしてくれた人々の前での勝利は格別な気分です。」 また、現地入りしていたチーム総代表で、トヨタ自動車社長 豊田章男氏も次のコメントを発表した。 「トヨタガズーレーシングワールドラリーチームの本拠地で母国とも呼べる、ここフィンランドでの勝利が、これほど嬉しいものとは思いませんでした。この感動をもたらしてくれたチームのみんなにお礼を言いたいと思います。この場に一緒にいさせてくれて、その一番高いところからの景色を見させてくれて本当にありがとう!  18年振りの復帰から2年目で、こんなにも我々が地元の皆さんに温かく迎え入れてもらえていることを知るとともに「母国」で勝利することの喜び、素晴らしさを知ることができました。応援してくださったファンの皆様に、あらためて感謝いたします。本当にありがとうございました。今シーズンの戦いはまだ続いて参ります。エストニア、フィンランド、日本の国旗が並んで掲げられる姿を今後もファンの皆様にご覧いただけるように、引き続き、チームのみんなと努力を重ねてまいります。応援よろしくお願いいたします。」 ラリー・フィンランド 総合結果 1 オット・タナク/マルティン・ヤルヴェオヤ (トヨタ ヤリスWRC) 2h18m49.5s 2 マッズ・オストベルグ/トルステイン・エリクセン(シトロエンC3 WRC)+36.1s 3 ヤリ-マティ・ラトバラ/ミーカ・アンティラ (トヨタ ヤリス WRC) +42.4s 4 ヘイデン・パッドン/セバスチャン・マーシャル(ヒュンダイi20クーペWRC) +1m31.1s 5 テーム・スニネン/ミッコ・マルックラ (フォード フィエスタ WRC) +1m49.1s 6 セバスチャン・オジエ/ジュリアン・イングラシア (フォード フィエスタ WRC) +2m11.3s 7 エルフィン・エバンス/ダニエル・バリット (フォード フィエスタ WRC) +2m23.3s 8 クレイグ・ブリーン/スコット・マーティン(シトロエンC3 WRC) +3m03.8s 9 ティエリー・ヌービル/ニコラス・ジルソー (ヒュンダイ i20 クーペ WRC) +3m43.7s 10 アンドレアス・ミケルセン/アンダース・ジーガー (ヒュンダイ i20 クーペ WRC) +8m12.1s リタイア エサペッカ・ラッピ/ヤンネ・フェルム (トヨタ ヤリス WRC) WRC次戦は第9戦ラリー・ドイチェランド。イツ西部のボスタルジーを中心に8月16日から19日に開催される。コースはターマック(舗装路)だが、ブドウ畑を縫う様にはしるツイスティな狭道、軍事演習場内の滑り易く両脇にブロックの並ぶコンクリート路、一般的な峠道など、様々な舗装路を走行する。 また、勝田貴元/新井大輝/足立さやかの3名はGAZOO Racingラリーチャレンジプログラムの一環としてTOMMI MAKINEN RACINGよりフォードフィエスタR5でWRC2クラスへ参戦した。 足立さやか選手がコ・ドライバーを務めるヤルッコ・ニッカラはSS2でコースアウト、デイリタイヤとなった。翌日(Day3)再出走。大量ペナルティを受け上位争いの可能性が無い中、クラス上位に伍するタイムも記録した。Day4は細かなトラブルに悩まされつつもクラス14位/総合48位でフィニッシュ。 新井大輝選手はSS1でバリアーに接触、Day2のSS3でコースオフ。再走したものの上位争いから脱落。Day3もSS12でスタビライザー破損に始まり、一日を通して細かなトラブルに悩まされが、Day4はトラブルなく走り切ってクラス7位/総合24位で完走を果たした。 勝田貴元はDay2にWRC2クラスで6位を走行、上位を伺っていたが、SS8:ウッリア(Urria)2でパワステのトラブルから、マシンの左後輪が千切れるクラッシュを喫し、修復不可能でこのラリーを終えた。 (川崎BASE・写真:TOYOTA GAZOO RACING/Jaanus Ree/RedBull ContentPool) あわせて読みたい * 【#スバコミ SUBARU MOTOR SPORT 応援プロジェクト】Vol.4 全日本ラリー選手権・嬬恋 観戦レポート * 奴田原文雄選手が手ほどき。塚本奈々美のNUTAHARAラリースクール レポート * SUSIモード搭載? ヤリス新エンジンを投入効果で首位発進!【WRCラリーフィンランド】 * 得意の高速グラベルで反撃開始! TOYOTA GAZOO Racingと日本人選手の活躍に期待【WRCラリーフィンランド】 * BMW Team StudieのBMW M4 GT4が2連勝。ブランパンGTアジア・富士戦は日本人が大活躍 http://dlvr.it/QdHvPW
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