#額縁塗り絵
Explore tagged Tumblr posts
Text








#認知症介護のたすけ #梅にウグイス #額縁塗り絵
ああもうしばらくぶり過ぎて(T^T)
やっとレク出来たんデス。。。
それでも全員分は出来んかったんだけどね。。
額縁の中身ようやく入れ替えれた。
ウグイスがぶら下がってるように見えても
それも独創性。
自由でええのよ自由で。
こんだけ気温高めなら
リアル梅もそろそろかしら( ̄▽ ̄;)
#レクリエーション介護士 #北九州 #クラフト #塗り絵 #季節レク
0 notes
Text
#7 5月2日分
卒制テーマプレゼン日
初週のトップバッター緊張した。思い返すと3年ゼミのプレゼンも初週のトップバッターだったのでそういう運命かもしれない。3年次のプレゼンの失敗を繰り返さない為にパワポ作りと資料集めした甲斐があって内容はともかくプレゼンと資料は中々良い反応をいただけたのではと思った。
(すみません、昨日寝落ちて投稿できてなかった)
○貰った質問と意見
・全部人の形でいいのか、性別、等身は?
→人型にしようと思っている。「フィギュア」という言葉を聞いて一番最初に思い浮かぶのは人型のものであるし、フィギュアという単語を辞書などで調べると人形、というふうに書かれていたり人型という指定をしているものもある。そのくらいフィギュア��人型であるというイメージが強いのかなと思うので。(これに関してはもう少し調べてみようと思う。フィギュアの由来とかそういう事を遡っていけば見つかりそうな気がする。)性別、等身に関しては絵画技法に合わせて選択しようと思ってはいる。ただ、なんでその形(キャラクターにしたのか)というのを説得力を持たせる必要があるのかなと思った。
・フィギュアと他のものの境界をハッキリさせる必要は無いのでは?少なくともフィギュリンという置物に近い形のものがある
→今回のテーマ、先週までのテーマと違って造形の細さを追求するテーマでは無いので
・ボディペイントも人型の身体にアートを施すという点で似ているのでは無いか
→この発想はなかった。造形物、という無機物への装飾という視点からでしか調べていなかったので大きなヒントを得られそうだと思った。そういう視点から言えばファッション系を調べることもできそう。
・デコパージュのようにフィギュアに物体を貼り付ける表現もある
→確かにフィギュアをスパンコールで覆ったり(イメージは2000年代初期のガラケー装飾)するのも表現として幅が出て面白いなと思った。絵画技法だけに囚われず、そういう時代と共に流行して文化として記憶されている事を反映させるのも1つの手かもしれない。”デコ”について知らない部分もあるので少し調べてみようと思う。
・テーブル美術館
→調べてみたらモナリザがあのアルカイックスマイルのまま親指を立てていたり、額縁から出ていたりして発送が面白いなと思った。注目すべきは絵のタッチ?塗り?がそのまま生かされてるところだと思う。参考になりそうなので一体買ってみようかな……と思ったけど置く場所ないかも……。キャラフィギュア棚にムンクの叫びのフィギュアがいるのシュールすぎる。
・実際のマーケット市場でフィギュアがどういう扱いを受けているのか
→確かに村上隆のフィギュアが16億でやり取りされたりと美術品としての価値があるものもあるし、世界的に見て美術品のオークションの中にフィギュアもしくはそれに似た造形物が無いか探して見る必要がある。「フィギュア=オタクグッズ」という固定概念があるというのも実際のところ裏が取れている訳でもないのでそこも詳しく調べるべきである。
・自分がこれをやらなきゃいけない、自分にしかできない理由
→先生も仰っていたがこれから���るべき事、スタイルが確立して行くにつれ見えてくる課題でもある。自身が割と結論を急ぎすぎる、他の人の意見に影響を受けるタイプであるのでここをしっかり発掘しながら進めていきたい。11月には答えを出したい……。
○今日通して考えたこと
自分のスタイルをどう盛り込んでいくのかが今後の制作においての焦点になるだろうなと思った。まだそこに置いて自分のスタイルが分かりきってない、確立しておらず今これというものが見つからない。全部理屈付けなくてもいいという言葉も自身に刺さるものがあった。もうちょっと楽に考えて見ようかなと思う。(できるかは別として)
また、色の塗装について絵画技法を用いるにしてもある程度の規則性や必然性が必要となるなと思った。それは影の部分を暗い色にするであったり、既存の絵画表現から学べることも多いと思うので実際に美術館に足を運ぼうと思う。




























6 notes
·
View notes
Text
絵と額縁を買った話
Twitterで垂れ流すにはちょっと長くなりそうだったのでこちらでお話。 水彩系ブロガーさんの影響を受けて、額縁の大切さを感じた話と、絵を買った話と、それに合う額縁を買った話。
1.前書き(自分語り)
そもそも自分は水彩好きとして、どういう立場なのかというと、 ・水彩の独特の透明感・表現が好き ・水彩で描かれた風景画が大好き ・お絵描きするのも好きだけど、どちらかというと絵を描くよりも塗る方が好き。(元々、他人の絵に色を塗るのをメインに活動していた時期が長かった) という感じ。 だから、風景画を描くこともあるけど、基本的に下手の横好きで、他人様に見てもらうために努力をするとかしてないのである。 ↑そりゃ、見てもらえて、気に入ってもらえたらもっと嬉しいYo
そういう訳で、額というモノには一切興味もなく、自分には関わりのない事だと思ってました。
2.額の大切さを知った話
そもそも、マットという言葉すら知らなかった我が輩。 それを教えてくれたのは、水彩ブロガー、枯葉庭園さんでした。
枯葉庭園さんの記事は技法・画材・色・展示など、様々な分野があります。 文字通り、”色々”影響を受けていますが、額については完全に自分の範囲外の分野だったので、とても刺激を受けました。
額の記事、色々 ←リンク
額は、自分の絵に使うだけではなく、展示されている作品にも当然使用されているのですが、自分はそれに全く見向きもしてませんでした…💦
3.初めて額縁専門店で額とマットを購入した話
一応、簡易的な額はもっていたものの、ガラスやアクリル板ではない薄いプラ板の安いものだけでした。
枯葉さんが新橋の額縁店ファブリさんで個展されたのをきっかけに訪問し、キャビネサイズの額縁に合わせたはがきサイズのマットを作成してもらい、額縁とセットで購入しました。(←うまく説明できてる気がしない😂)

実際に自分の絵を入れると…… なんということでしょう。


重厚感が違う!と感動したものです。 自分の落書きの絵でも、額に入れるだけで印象がすごく変わるのがよくわかりました。
4.絵を買って、それに合う額縁を買った話
ちなみに、自分の家には絵はもらい物の絵が飾ってあるけど、家の雰囲気に合わせた絵ではなく、飾っている場所も無理矢理感があって、若干浮いている模様。
そんなさなか、マイナスイオンが溢れる風景画を描かれている水彩画家、小林啓子さんの個展で、なんと技法書に使用された作品が5,000~25,000円で販売されていました。
小林啓子さんの該当のブログ記事 ←リンク
木の1本まともに描けない自分、本物があった方がきっと勉強になるだろう、ということで、5,000~8,000円の木の作品でめちゃめちゃ悩んだ挙げ句、5,000円のシンプルな方の作品を購入させていただきました。

後で見たところ、SMサイズくらいだったぽいですね。
しばらくこのままお部屋に飾っていましたが、思い切って額を買ってみることにしました。 購入したのは世界堂の額、アイナ<ブラウン>八切(たしか)。 とてもシンプルな額です。 作品を持っていく勇気はなくて、脳内の記憶と照合しながら、 (この色で良いか……?) (この形で良いか……?) (この値段なら買えそう……) と売り場をうろうろしまくって購入しました。 めちゃくちゃドキドキしましたw
そして、作品を額に入れたら… マットだけだと、作品がすごいな、という印象だけど、額に入れると額込みで作品、という雰囲気が漂ってきました。

自分の部屋に飾るのがもったいなすぎて速攻居間に持っていって飾りました。 うちみたいなモノがごちゃごちゃしてて殺風景な家だと、大きくてゴージャスな絵よりも、シンプルな絵の方が映えるんだな、と感じました。
購入するとき、一番安い絵を選んだことで、 (値段で買ってる見たいに感じられたらちょっと申し訳ないな……) と思っていたのですが、うちにはこの絵が一番ぴったりだったんだ!とすごく感じました。
5.絵を買ったことで感じたこと
なんか買おうと思って買うのではなく、ピンと来た絵や、縁を感じた絵ってやっぱり思��入れが深くて、見てると温かい気持ちになります。
あと、居間に飾ることで、本物の植物も雑に何個かあるけど(父親の趣味)、植物とは違った豊かさを感じてお部屋に奥行きが出た気がする!
6.ついでに自分の描いた風景画も額装してみた
前に描いたアイスランドの絵、ガイド線が消えなくて残ってしまった悲しみは残るものの、折角描いたので、とりあえずマットをつけてみました。

こちらはA4サイズのマット。 ですが、なんとなくSMサイズのマットをつけたら、その分切り取り幅が増えるので、地面を減らして空の面積を増やしたら構図がよくなったので、SMサイズのまま、またしても八切サイズの額(訳あり品で安かった)を購入。

アクリル板のおかげでほんのり、ガイド線が目立たなくなってる(と良いなぁ)というのと、マット&額パワーでちゃんと絵になってる!と感じられました。 正直、かまぼこ枠よりもアイナのようなシンプルな枠の方がよかったけど、値段で買ったからしゃーないw
というわけで、 ・枯葉さんのおかげで、額の大切さを知った ・絵を購入したことと、絵と飾る場所の相性 ・自分の絵も額装するとちょっとテンション上がる ということを語り倒してみました。
2 notes
·
View notes
Text
2025/3/10 13:00:29現在のニュース
鉄道���社のアプリで定期券購入、三井住友カードが基盤 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/10 13:00:16) 三菱UFJ貸金庫、窃盗容疑で元行員を再逮捕 「金塊以外にも多額の現金を盗み出していた」逮捕は3回目(東京新聞)|dメニューニュース(東京新聞のニュース一覧|dメニュー(NTTドコモ), 2025/3/10 12:57:25) エスビーが輸入販売のジャム「ボンヌママン」にカビ、43万個回収([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:52:05) 大地震「すぐ帰ろう」はダメ 14年前の首都圏での教訓どう生かす:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/10 12:48:14) 国産シルク、継承の道を模索 夏休みの子供たちに蚕飼育キット配布も([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:45:23) 「5年後に蚕糸業はなくなる」日本の近代化支えた国産生糸、シェア0.15%からの打開策([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:45:23) 震災後の〝人間国宝〟認定「喜びもしない」 輪島塗だからこその思い(朝日新聞, 2025/3/10 12:40:30) 山陽新幹線50年、博多駅で記念式典 西日本の発展支える - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/10 12:36:45) 日産、運転席無人で自動運転 市街地で初めて実証 - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/10 12:36:45) 山陽新幹線50年、観光インフラへ加速 万博客を瀬戸内に - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/10 12:36:45) 村上春樹さん「浅いウソは必ず劣化」 単独インタで語った社会の分断 | 毎日新聞([B!]毎日新聞, 2025/3/10 12:36:43) ふるさとづくり大賞で団体表彰 芸術祭「はならぁと」、財政的苦慮も:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/10 12:36:16) ご縁でつながる物語 奈良県王寺町の地元愛あふれる本が相次いで誕生:朝日新聞([B!]朝日新聞, 2025/3/10 12:36:16) 97歳、夜間中学卒業 公立で最高齢 作文につづる「戦争はあかん」(毎日新聞, 2025/3/10 12:34:00) 10日も東北、秋田、山形新幹線で連結取りやめ続く 一部運休も([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 水没古文書を現地で再生 乾燥剤+冷凍庫で手軽に 奈良・橿原考古学研究所([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 捨てられる「残糸」をより合わせて新商品 靴下の産地、産官学がつむぐリサイクルの輪([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 有田焼の「色絵梅文大壺」や「源氏物語図帖」…梅と桜の名品公開 開花期に庭園も堪能([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 山陽新幹線開���50年 博多の名物が全国区になったわけ 新幹線がもたらした沿線効果([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 「フィンテックじゃないの?」 異端のフェムテック議連、男性優位の永田町で着々浸透 3・8 国際女性デー([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) プロ野球、SNSへの投稿制限 ファン離れなどの影響懸念もNPB「ルール内で楽しんで」([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 東急の堀江正博社長、渋谷の夜「エンタメ拡充を」 沿線は「健康年齢」高める My Vision([B!]産経新聞, 2025/3/10 12:33:36) 柏崎刈羽6号機非常用発電機制御盤から発煙 社員が消火、けが人なし(朝日新聞, 2025/3/10 12:33:14) <お水取り>童子ら 籠松明づくり([B!]読売新聞, 2025/3/10 12:33:06) 日本、海洋小国に転落危機 深海探査で中国に大きく後れ - 日本経済新聞([B!]日経新聞, 2025/3/10 12:30:31)
0 notes
Text

静岡市葵区に位置する神社で、神部・浅間・大歳御祖神社の三つの神社の総称で、その歴史は大変古く、2,000年前にはこの地に鎮座していたと伝えられています
徳川家康とゆかりが深い神社で、現在の壮麗な社殿群は徳川幕府の指示によって造営されたもの
静岡県を代表するお祭りの一つ、廿日会祭が開催される神社としても知られています
静岡浅間神社の三社はそれぞれ造られた年代が異なり、最も古い歴史を持つのが神部神社で約2,100年前に造営され、平安時代には駿河国(現・静岡県)の総社になりました。
大歳御祖神社は2番目��歴史が古く、約1,700年前に造営されたと伝えられています。かつては奈古屋神社といい、静岡市の地主神です。
浅間神社は901年に後醍醐天皇の直接の命令により、富士山本宮から分祀されて神部神社のすぐ隣に祀られます。以来、富士山新宮として土地の人々の信仰を集めました。
三つの神社は明治時代まで、それぞれ別の家によって祭祀が行われていたと伝えられています。それとは別に、神社は造営されてから明治まで朝廷やこの地を治めた武将たちによって庇護を受けてきました。
徳川家康は14歳の時にここで元服を行い
彼は1582年に武田氏を攻略する際、勝利をしたら必ず壮麗な社殿を再建するという誓いを立て、神社の社殿を焼き払ってしまいましたが、その後、天下を統一した徳川家康は約束どおりに壮麗な社殿を再建。
その後、社殿は2度にわたり火事で焼失しますが、その度に徳川幕府によって再建され、現在の社殿群は1864年頃に再建されたもの。
江戸時代の間、神社は徳川家の祈願所として大いに栄えました。
明治時代になると別々の家で管理されていた三つの神社は、一つの神社となります。その後神仏分離令によって仏教的な物が境内から取り払われますが、神社が寂れたり荒廃したりすることはありませんでした。現在まで「おせんげんさま」の愛称で親しまれ、多くの方の信仰を集めています。

#神部神社
✡主祭神 大己貴命 #大國主命
✡ご利益 #延命長寿 縁結び 除災招福
崇神天皇7年(紀元前90)鎮座と伝わる駿河国最後の総社
#浅間神社
✡主祭神 #木之花咲耶姫命
✡ご利益 子授け安産 #婦徳円満
醍醐天皇の勅願により延喜元年(901)���富士山本宮浅間大社から分祀
全国1300社程ある分祀の中で1番大きくて古いお社
立川流彫刻が見所の神部神社と浅間神社 (改装中)
重要文化財指定の一つの建物に祀られており、比翼三間社流造りの建物の向かって右が神部、左が浅間の本殿
屋根付近に三代にわたり彫られ続けた立川流の彫刻が見所
大拝殿 二階拝殿 は神部・浅間 両方の拝殿で、社殿の上に更に別の社殿が載った浅間造りの代表的な建物
高さ25m殿内の広さ132畳
内部の十間の天井は一つに繋がっており各部屋ごとに狩野栄信・寛信によって八方にらみの龍と #迦陵頻伽 天人の天井絵が描かれているそう

🐅躍動感のある楼門
精密な彫刻が美しい壮麗な楼門は、総漆塗りで、2層部分には #當國總社冨士新宮 という二つの社名の扁額が掲げられている
家康公が今川家の人質であった時代に元服式が行われ
後に5カ国の大名となった家康公は天正14年9月11日に浜松城から駿府に移ると浅間神社の造営や臨済寺の再興を行った
毎年4月上旬に開催される静岡まつりの大御所花見行列は
家康公が大名・旗本を連れ浅間神社に花見に出かけたという言い伝えを再現したもの🌸

🪭舞殿 ぶでん は、江戸時代後期に造られた社殿群の中で唯一漆を塗っていない素木造り
虹梁に施された立川流の彫刻も彩色が施されていない
神社の例大祭である廿日会祭は、450年以上の歴史があり、毎年4月1日から6日にかけて行われ、静岡県指定の伝統芸能 #稚児舞楽 (ちごぶがく)で、みやびやかな衣装を着け子供たちが奉納舞をします

静岡浅間神社内の浅間神社
しずおかせんげんじんじゃ内のあさまじんじゃ
神部神社
かんべじんじゃ
楼門と舞殿は撮れましたが、一番メインの本殿が、どちらも改装中だったので、また何年か後に行ってみたいと思ってます🧚♀️


1 note
·
View note
Text
ユートピアを考えていた。
このなだらかなスロープをのぼる体はだいぶ軋んでいた。皆が支える滑車は見事に装飾され様々な色合いを纏い蔦をおおく絡めている。そこのミチを抜けると断層にあたるから、低く照らし尽くした桟道はなんぼもなく、曲線に沿って地下を巡ってください。厳粛な門扉は硝子でできており遠くまで見渡せていたが、ちょうど突きあたりの掉尾を飾るからなんてこともない、そこはゆるりとあればいい。 歩みだすときはどうせ坂道を転げるように自由を求める、いつかの雨晴れ。ひときれ振りまく苦笑いに流れるらしい わたしの日常は、腐った美術館だと畫けば、 fragileをのみこんでいった 無意識の傾げ、やわらかく暗がりを抱擁する低い空に神の皓さは具象する、湿っぽい賢者であろうと叩き壊した少々の本音はやはり馨り、あたりいちめんないような感覚と憂いたすべては酔彩、 (溜息、)羽とすれば咲くがいいか。 四六浮き積と漂う媒体、崩してむき出しに沈シンだ柔肌と、ちょうど上澄みの配列をいつかと散り敷かれる、 つまらない祝日がたどたどしく腰をおろして。 どうやら、読みかけの頁 と混じりあい 孤独を拐かしたように感じ、生身の体はまた地に湛む 一夜の姿を見せ/考える/ジオラマだと勝手、わらえばいいけど。しかしだよ。この雨はやまなかったが、あなたはやわらかなかおをして、たまにかがやいてみえる。 繊細は腐静仏と吸い寄せられ ひとつぶの常ジョウは物換星移 いま暁の��とですから ハンドルNでは風刺画にもなりゃしないが そうだな これは焼けた砂浜の車をやめて、素足で降り立ち おんなはまた/猥りがましいから胎をさすって。ビーチハットを目深に被り、奥に統べるように干潟を浚い、この瞳もなにもみえやしないが。キャンバス上を、流れてゆく先々を想像したときに。――と、まあそんなしあわせがほしかった。そう、声なき声で。いつかの稚気をそぎおとした某名のひとつとして、 それともなにか適した通勤バスのなかは温室じみて、しばらく床に落ちた水加減が混じり、座席はテンプレートのように日差しが溶け込み、にわかにひっくりかえした特徴は天地に蒼くざわめいた。 決して。軽く蒸れ乾いた沈黙(額縁)を、のそのそと 這い出ると/おおごえで/振り向けば、主張がない/視覚を 片々な素材を塗り重ね、或いは くたくたな結び目の一方に火をいれたばかりのものは、枢ククリ地図を片手に押し開き、この状態を完璧なものだと、一途にあり。こわばる実を幾つか抱いた木々がまたヒトカズに入イる。独自な悪路にさしかかるワダツミの質感までがアサギと可溜り、珠海の鳳獄や銀竜草ユウレイタケと解き、あっちこっちに群生し、おどろくほど弱い罠だとひとつ摘みとり、瞬く間に枯れて、どうせまわりはおだやかに過ぎゆくのですから もはや風であれ繋がれ、ほつれ目からそれぞれの人相を窺う、あるべきところへ薪は焚べられたのです。 怖気とは苦しみで悲しみで飼い殺した未知不明の蛇行を挟んでここに、種を蒔く。 無遠慮な灌木が芽吹きはじめる。侘しさが降り注ぎ窓に並ぶ。例えるなら眼鏡ごしに平行線の感傷とする。なにを掴み取ればよいのか。なにより御承知のとおり 喜劇覚書など粛々と眠るまえに ――ここに、延ばして掻きとるだけの今とは、ただただ下る 生活と通過する故に、蝋燭を立てインクを溢すのだから。その質感とあれば消沈の舵は荒廃を取り分け旨は潮流をややこと更け、刻としてうつほと孕む一筋のひかりを掴もうと手を伸ばし、ぬくみだけが輪郭と繊細に沁みて ……行く先をはじま���とみようが、柔らかな陽が透きとおったリネンのカーテンから現にみちみちて。シンプルないたみばかりが喉元を絞めるから。目覚めているようでどこか夢の最中あり、秒針も忙しない鼓動が重ならずに呼び起こしただけ切り抜きなのです (ひたぶる視覚に沿って包まれていたと、おもわれる、堺はまたどこかで傷付いて、脳裏ではたくさんのオリが生まれては消えていくのだ) ではやがて十坪に満たない明日になったら、赫々たる尊びも、ね――もう褪せた夏の秘色を解いたばかりの、あれら連中(労働者)はハリツケの丘を一蹴する。タンパク質が絵にかいたようなifの夢 (同時に朝もやと書き置き、手繰り寄せた白湯を啜った) 沖から外を眺め見ることが叶うよう、彫り込まれた深い庇が一夜のように天赦し、ゆるくズレていくと 人生のにぎわいにあたる。のちに複製され、舌の先まで熱い手のひらの流れに、記憶の隅に複雑に追いやられてしまい、なにもないほど、あたりまえになる このおとこの口から、光沢のある眼球まで感覚を欠けて、斜めから錠を取り付け、(まったく大袈裟な微睡みだと咳き込んでさぁ) 順序よく咀嚼させたものです。 ぬるい愚直なれ、鬱蒼とある なんぼか くねくねと、 まんべんなく虚脱感を肉体に添えるからだと 些細な歴史と覗き込めば銀河の畔もなれはて、一朝の圧倒を縫ってそれほど充てる、澪標の跡は手のひらだけに催涙雨と成す しかし豊かな光や深い影が情け無いかも知れません。いまやあなたの芝居がかった振る舞いも幅広く、自然という退廃美と永久欠番の黒鍵と奏でる自白なども、いろを混ぜ合わせ、憐れみひとつも感じないから。膿んだほとぼりとはきっと反復する、ほんのつかのまの名画だとして ではループする7番線の占いは―― 「どうってことねえの。」 ――もしシーラカンスの脊柱は太い中空の管~左右を除する足音が発する。そうしたなかで皆それぞれに閉ざされていて、晴た口吻のまどかに手を付けた展望のあぶき、かろやかに伏し拝みしどき、受け皿を序す貽貝の毒はへばれども堅く。くどくどとそれを憔悴爆撃とすくんでも老いても あれらはどうであろう《多機能携帯端末��徘徊する》 、と―― 並んでいるところに立って おとこは むかっていた、 碑錆びた名残りとある廟のようでも。 天体観望会は、アンタレスだけ満たし、うららかな裏を反して。考える葦であればびくともしない性格で。悠長に眠っているくせに。月蝕のあいだじゅう表情が消える。 (あなたのネグリジェを、黄昏が、さりげなく梳いたという) にんげんは俯瞰してみれば限りなく小さく、日常の如何にのっぺらとしたことよ。あの手この手も、多少の変化にびくつきながら過ごす、懐かしさもちょっとしたありえない夢も、抄録コラージュしたばかりで 気づけば景観を彫像する箱庭であるのに、ほんのすこしかいま見る窓辺では霧のむこうにある、風景とはひやりとなみだしたり、肖像がほころびたりするけれども、春がまた濡れている あなただとして 〈枝と花で飾る、ことを。〉 おもいかえしては此等、あるがまま 〝恣意ている〟から ゆらぎ (尾ひれがつく。そう想われるのだ) すりつぶす星の粒が、ゆがんだ波が寄せては引いて、いつかの桜花を兆すまで闇が浮かび落ちる、わずかな影が同形な足で真直な選を追いたら、すくわれ続ける。うたかたの日は昇り、また沈み、一匹の貧相な観賞魚アナタをおもいえがく 爛れた流星痕とは口遊んだ野火だったから 況して、それからずっとひかりはリビングダイニングに処方箋を継ぎ足す。あなたから仕切られた曲線で、くすんだ指で 蝶尾がそこら中ともしらぬものを仄カタムけ、真っ白に潰されたひかりに値いし、天穹と深海をいずれも結ぼれるように反射した六畳一間に わたしと金魚鉢ひとつ、空蝉と置いてな(筆舌に尽くしがたい) 2024/07/27
0 notes
Text
「てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」展

神奈川県立近代美術館 鎌倉別館で「鎌倉別館40周年記念 てあて・まもり・のこす 神奈川県立近代美術館の保存修復」展を見る。神奈川県立近代美術館では、阪神淡路大震災をきっかけに美術館における作品の保存修復に対する意識が高まり、2003年に葉山館が開館したのにあわせて保存修復専門職員を配置したとのこと。公立の美術館で保存修復部門を持っているところは少ないらしい。
展示室へ入るとまず目に飛び込んでくるのが、たくさんのさまざまな道具類。

修復技術者の用いる道具の中には、一般には知られていない特殊なものももちろんあるが、むしろホームセンターなどで売っていそうな汎用品のほうが多いようにも見え、興味津々。道具類に大胆さと繊細さが入り混じって宿っているようで、それがまた魅力的に映る。

最初のテーマは「てあて」。損傷したり劣化したりした作品を修復する作業は、具体的な方法はわからなくとも漠然となら比較的イメージがしやすいものだと思う。
村山知義《ヘルタ・ハインツェ像》。薄い板の上に書かれた小さいサイズの油彩。板の割れ、黄変したワニスなどが修復されている。

展示を順路通り見ていくと、あとの方でこの作品を輸送するための箱を見ることができる。これは「まもり」のテーマと関わっている。

古賀春江《窓外の化粧》。ワニスが盛大に黄ばんで汚れていたのを修復したら、見た目が劇的に変化して戸惑うほどだったとか。もとは川端康成が所有していたようで、額縁にクレジットが残してある。


江見絹子《むれ (2)》。かなり大きなサイズの油彩で、カンヴァスが筒状に巻かれた状態で寄贈されたため、巻き癖がついたカンヴァスをゆーーーっくりと引き伸ばさなければならなかったそう。厚く塗られた絵具の重みに耐えられるような工夫もしてあるとのこと。

朝倉摂《夫婦》。油彩用の木枠に張られた日本画。裏側には別の作品《街頭に観る》も挟まれており、修復にあたってそれぞれを別個に鑑賞できるようにした由。

朝倉摂《街頭に観る》。別に保管されていた部分(右側の縦長のところ)を継ぎ合わせたが、左下の部分は見つかっていない。

関根正二《暗き内に一点の光あり》《永遠の春》。スケッチブックの1枚の紙の両面に描かれたもの。紙が酸化して脆くなっていたため、酸化を抑えて柔軟性を取り戻す処置を施し、両面が見え���額装に耐えられるようにしたとのこと。


「まもり」のパートでは、修復したものやまだ修復が必要でないものを適切に保存する取り組みが紹介される。
高橋由一《江の島図》。額縁自体も古く価値の高いものなので、外部に貸し出す際はオリジナルを模した貸出用額縁をつけているとのこと。下の写真の左がオリジナル、右が貸出用額縁。


村山知義《美しき少女等に捧ぐ》。油絵具の上に布を付けたコラージュ作品。全体的に傷んでいたが、布の部分を改善するのは難しいので、全体の調和を考えて油彩部分もあえて軽く清掃する程度にとどめたそう。なんでもかんでも修復すればいいというものではないということがわかる。アクリル板の入った額縁に入れたことで布が擦れて裂ける恐れがなくなった由(「まもる」案件)。

アンリ・マティス《シャルル・ドルレアン詩集》。リトグラフの版画集。全体的な紙の黄化、部分的な褐色の染みが見られたため、染みのひどかったページが修復されている。


そしてその保存箱。

アルベルト・ジャコメッティ《裸婦小立像》。これは「てあて」(修復)の経歴がなく、「まもり」の例として展示されていた。高さ10cmに満たない、ジャコメッティならではの針金のようにか細い石膏像(ブロンズとかではない!)を「まもり」つつ展示する作業にはとんでもない緊張感が伴いそうである。つまりここでの見どころは像を支えているパーツであり、写ってはいないがそれを設置する人の手である。


ちなみに、この展覧会の図録の表紙には、この像を設営しているところの写真が使われている。粗忽な不器用人には務まらない仕事だ……。

堀内正和《D氏の骨ぬきサイコロ》。これも修復歴はなく、「まもる」パートを構成する作品。

上の作品用の輸送箱。

作品の固定具一式。

空気環境管理関連資料。

虫害対策関連資料。なんかゴキブリホイホイに似た形のものがある……

最後のテーマは「のこす」。保存修復で作品を「てあて」し「まもり」、そこからさらに先を見据えて作品を「のこす」、という位置付けになっている。このパートでは映像やスライドショーによる解説が多かった。各々それほど長くはないので、時間の許す限り見たほうがいいと思う。
災害で被災した文化財を助ける文化財レスキュー事業に関する展示ケース。

下の作品は、映像の中で修復の模様が紹介されていた屋外作品のひとつ、《SWING86-01》。作家の監修のもと、鉄が腐食した部分を錆びにくい素材に換えたり、塗料が剥落したのを塗り直したり、といった修復をこれまで4度にわたって行ったとのこと。このような保存修復のためには、作家が存命中なら作家本人と、故人なら遺族や著作権者との良好な関係を保つことが必須と言えそうである。

なお、屋外彫刻は年に一度、学芸員総出で点検を兼ねて清掃しているとのこと。たわしや高圧洗浄機で表面にこびりついた汚れを落とす作業は、もしかしたら通常業務とは毛色が違ってちょっとハレの気分になれて楽しいかも……?
展示とは無関係の余談。石の上に何か書いてあるので、これも作品なのかと思って近づくと……

“飲食の際はトビにご注意ください。手に食べ物を持っているとトビに狙われて危険です。”

0 notes
Text
いっぱい書いちゃったいやき
第1回通しを終え、雨ニモマケズチャリをこぎ、きっかけ会議を終え、ほっと一息ついたら眠りに落ちていて。
悪夢を見ました。カオリエンドウ、なぽりです。
今年一怖かったです。夢の中では今日の記憶が整理されるわけで。つまりそれはちゃうかのみんなが出てくるってことで。もう本当に、怖くて、グロくて、ストレスが爆発するような悪夢でした。夢の中でとある人を血みどろにしてしまったし、とある人を激ヤバサイコパスにしてしまいました。本当にごめんなさい。ただただ今日の記憶に強く印刷されていただけなのに。嗚呼、無慈悲。
悪夢でしたが、その人に無意識に抱いているイメージが現れた夢でもあったんです。私はこの人と喋ると安心するんだな、とか、この人はいつもカードゲームしてるな、とか、この人は困ったら助けてくれる人なんだな、とか。悪夢の中心部にいたのは架空のおっさんだったので、ちゃうかのみんなが私をおっさんから助けてくれたともいえます。ありがとう、みんな。
きっと眉間に皺を寄せて寝ていたんでしょう、心なしかおでこの部分に開放感があります。人生で一番くらいの悪夢でした。夢でよかった。人間不信になりそうなので、これからポケットにナイフを忍ばせて生きていこうと思います。よろしくお願いします。
さて、本日6/22(土)の稽古内容は
・発声
・第1回通し
・返し稽古
でした。
いやぁ〜みんなうまかったです。おいしかった。同期も、先輩も、後輩も、自分にしか出せない色を舞台上で塗っていてとても綺麗でした。2週間後には、もっと洗練された5枚の絵が、額縁に入れられることでしょう。
楽しいです、ちゃうか。
去年のオムニバス公演はスタオンでした。第1回通しを鮮明に覚えています。役者したかったなぁって、ちょっと寂しさを感じたこと、覚えています。ジャンパー膝だと診断され、泣く泣く安静に。でも全然治らねぇから今は待てずに役者しちゃってます。今年の抱負は膝に元気を取り戻すことです。みんなの演技を見て、膝はガシャガシャ笑ってます。いいぞ、この調子で治れ、カス膝。
変わるものです、環境も、人も、夢も。(膝も)。
変わると思っていたものが変わっていても、特に何も感じません。でも、変わらないと思っていたものが変わったとき、心が締めつけられたなら、それは変わってほしくなかったものなんでしょう。だからこそ、変化を受け入れることは難しくて、受け入れる度に強くなれるのだと思います。自分が確立しているものを打ち壊すのもよし、他人や物事の変化を受け入れるのもよし。
なんてったって本番の舞台には変化がたくさん棲んでますから。
#劇団ちゃうかちゃわん#第133回新入生参加型オムニバス公演#2024オムニ#鯛焼き#恋愛ゾンビみどりちゃん#用もなしでは怖いし#エンドロールが終わらない#学園転獄#君たちはどう演じるか#悪夢みちゃったいやき#みんなたいすき#みんなたいやき
1 note
·
View note
Text
vampire tomato ketchup (999字)
本当はトマトスパゲティが食べたいのに、ソースが服に跳ねるのを恐れてピザを選んだ私のことを、「妥協?」と友人は笑った。憐れむように。麺をフォークに絡め取ている彼女の髪は、ソースのイカスミと同じ黒。まるで自分の頭を食べているみたいだ。
それにしても。 妥協……?
目つきが険しくなっているのを自覚して、私は遠くに視線を逃がす。平日の昼下がり。客はまばらだ。 ふと、壁際の席の女性に目を奪われた。 とても絵になる女の子だった。 額縁におさめられているような。 ずっと昔からそこに座っていたような。 彼女が食べているのは新鮮なバジルをふんだんに使用したジェノベーゼ。軽やかなソースが細かく飛散するさまを私の両目は正確に捉えていた。チェスの手筋みたいに何方向にも枝分かれする飛沫。その多くが彼女のワンピースに付着する。ワンピースの色はソースと同じモスグリーン。寸分違わぬRGB。
私は思わず喉を鳴らした。
吸血鬼がトマトジュースを好む、という牧歌的な迷信を思いついたのはいったい誰だ? 笑ってしまう。
妥協というなら、血液以外はすべて妥協だ。ケチャップだろうと、ピザだろうと、運命の愛だろうと。私には物足りない。
ジェノベーゼソースで味付けされた女の子の隣に座る。彼女は動かない。ソースと同じ色のワンピース。その生地と皮膚に隠された甘い血液を思って私は震えた。許可も取らずに肩を抱き、髪を払って、ゆっくり顔を近づける。血の匂い。くらくらする。私は自慢の可愛い牙をすっかり露出させている。
「哀しいな」 「……え?」
彼女の口からこぼれた言葉に、私は動作を停止する。 彼女はこちらを見もせず、クスッと笑った。
「哀しいよ。何も見えてないんだね。ケチャップなんかで自分をごまかすから。私に血はない。壁に置かれた一枚の絵だもの。色落ちを補修するためにジェノベーゼソースを食べているだけ。あなたは志を高く持つべきだった。血液以外に何も摂取すべきではなかった。可哀相に。ケチャップなんかでごまかすから。色が濁って、周囲が見えなくなっている。一度混じったらもうおしまい。二度と元には戻れないんだよ。あきらめて別のものになるしかない。最初からそこを目指していたような顔をして。こっちのほうが良かったかも? なんて、悲惨な言い訳で自分を塗り潰しながら」
彼女はパスタを食べ続ける。私は自分の指を強く噛んだ。皮膚を破って中を見る。デュラムセモリナ。血は出ない。
1 note
·
View note
Photo

#tasuke #6号 #額縁塗り絵 #ガーベラ #ギャラリー とりあえずやり始めちゃった今回( ̄▽ ̄;) 流れで完成させたけど 業務押しちゃったのは申し訳なく( ̄▽ ̄;) できてない方も居られるので できた分のギャラリーです。 色んな花の色とか 色んな花の付き方した花束がありまして( ̄▽ ̄;) これ凄く助かってるわー。 お手軽でいいと思う。 #レクリエーション介護士 #北九州 #クラフト #季節レク https://www.instagram.com/p/CpeUdamrsxW/?igshid=NGJjMDIxMWI=
0 notes
Photo

手遊びに描いている #コーヒー または #紅茶 と#本 。 ここ数年のお気に入りが #窓 。 #額縁効果 も狙えるし、物語も感じられる。 ということで、シールや #塗り絵 にもよく登場しています。 大阪教室も窓でした。 今回は #冬景色 にしてみました。 ところで、先日の関西出張には #スタンプ をされている方がたくさんきてくださいました。 これまで「スタンプ」と聞いてもよくわからなかったのですが、どういうものか教えていただいて納得。 スタンプや画材を組み合わせることでオリジナルの世界ができるんですね。 フレキシブルな塗り絵、とも言えるかしら。 おもしろいと思いました。 教室のご感想をポストしてくださった方がいらっしゃいますので、覗いてみてくださいね。 @nakayoshi_life さん @peudejoie さん @happysalt_village さん @apoco13 さん 見落としてた方がいらっしゃいましたら、教えてくださいませ。 教室にご参加ありがとうございました! #art #coloredpencil #winter #window #cup #anthropologie #jam #book #handlettering #beltadesign #coffee #色鉛筆 #冬 #コーヒーと本 #お茶と本 #ベルタデザイン #絵を描く暮らし https://www.instagram.com/p/B5H8rYPJJMr/?igshid=hbqlzq1rhyv4
#コーヒー#紅茶#本#窓#額縁効果#塗り絵#冬景色#スタンプ#art#coloredpencil#winter#window#cup#anthropologie#jam#book#handlettering#beltadesign#coffee#色鉛筆#冬#コーヒーと本#お茶と本#ベルタデザイン#絵を描く暮らし
0 notes
Text
民藝の100年 memo
白樺同人は印刷物として、西欧の美術動向を吸収するのに役立った。
リーチ、lovelyとメモるのかわいいな、、、
交通手段として失われていく船を前近代の象徴として、またインターナショナルなイメージとして、北前船の交易品は蒐集された
朝鮮民族美術館の宮廷の建物をミュージアムにした際に、朝鮮家具の卓子という書棚が展示ケースとして活用される。また日本民藝館のケースはこれがルーツであり、鈴木繁男が拭漆を施したものである。
日本民芸術館設立趣意書 「自然から産みなされた健康な素朴な活々した日を求めるなら、民藝Fork Artの世界に来ねばならぬ」と、蒐集対象は民衆に用いられた日常の雑具と規定した。表紙は青山二郎の染付羊歯文平猪口
船箪笥の図案が文字っぽいあしらいがされているところがあり、また留め具が非常に多い。上に持ち運びのための取手?がついている。
越後タイムスは吉田正太郎の依頼を受けたもので、中身は新聞のような紙版がなされている。下手物が特集?されていて、紙面中央には器の図版、特集タイトルの上にある花の図案は何だろうか。、、また展示体系のして、額装してあるが、マージンにマージンをとる、ビジュアル的な良さがあった。
東こぎん肩布の図案は菱形の図形が組み合わされ、また縫い?の荒さ?がとても良い。が肩布って何に使うもの?
日本民藝品図録の紙面、民藝品が画面中央にモノクロ印刷で置かれており、右下にノンブルが漢数字で入っている。このノンブル、各ページ同ポジになく、圖三十二 など。 印刷方法に依存しているところもある?
紙縒卍文八角膳の天板の模様が気になる。中央から何かそういう形で押し付けたような、掘ったよあなかたち。木目ではないが、荒い目でみるとそういうふうに認識してしまう。漆を塗る過程によるものな気はするが。
柳宗悦や濱田庄司らはイギリスと韓国の家具を高く評価する。またハーバード大学附属フォッグ美術館の招きを受け、欧州経由で渡米。スウェーデンの北方民族博物館やスカンセン(野外博物館)にしょくさつされて、将来の民族美術館の構想を温める。アメリカでは素朴な味わいの聖書の挿絵を蒐集。ボウバックアームチェアスプラッタあるタイプの意匠が非常に好き。たびたび出てくる、クネクネとした。人のような植物のような版画的に造形、図版は何に由来しているんだ、、。
スパリップウェアが掛け流しの重要な参照点となる。
マイケルカーデューの紙皿がとても素晴らしい。化粧土をかけた後に櫛形を施したらしいが、櫛形の曲がるときのスナップが妙な歪さをうんでいる。たぶん私が好きな最たる理由は色だが。
聖書の挿絵が意外とコミカルでおもろかった。ノンパースで、バットが空間に浮いていてお祈りしてるもか、そんな高くない。高座にいるとか。ドイツのもの。
1920-30 日本の近代化にあわせ、大正末から昭和の初期にかけて、矛盾が露呈してきて(誰目線だ?)都市に対する郷土という概念が成立する。民俗、民家、民具、民藝などの生活文化を再評価する動きが高まり、都市生活者の趣味という側面とともにかっぱつかする,
柳田と柳が話したのは一度だけらしく、過去の歴史を正確にするのが民俗学であると柳田は主張し、柳はこうあらねばならくという世界に触れていく使命を担うのが民藝だと��いたが、ふたりはその違いを確認するにとどまった。表層的だが、柳田の民俗学論に共感するが、どちらが善でどちらが悪という話でもなく、どちらも持ち合わせているような気もするので、派はないがグラデーション的には柳田スタンスか、私は。
緑草会編 民家図集の紙面が良かった。頁上部に図版があり、下に設計?ラフとテキストが200字ほど、これらは印刷工の仕事?1930
京郊民家譜の河井寛次郎の装丁が素晴らしく良い。イッチン描き風の文字が現代的な視点ではかたりパンクだが、実際イッチン的な素朴さを当時は感じていたのか?
20世紀初頭、大津絵が再評価されるが、これが良いのが格子の裂を多用した表装で柳も大津絵の新しい見せ方と高く評価したそう、普通にタータンっぽくもあるが、もう少しばあさんっぽい。
芹沢銈介は絵馬を集めてたらしいワ。
山本鼎の木鉢のデザイン画がとっても良いが、クラフト紙に水彩?で書いてる、これが一発書きとは思えないので、これを書いていく過程で決まるかたちもあると思うが、逆にこれを見て作れる職人もすごいな、設計図とか別にあるのかな、
民藝同人によって蒐集されたものの中には道具としての生命を終えたものもあるが、煙で燻され、磨き込まれて深まった色合いや皿の味わいを「見る」という用途をもっていると柳はいった。
赤絵丸文繁鉢、丸という枠に図案をされる。赤と緑、生成りのような黄色なかな。活発である。縁の黒が効いているのもあるか。アウトラインをつけることによって、おもちゃ感が強い。がキムチとかをポンと入れたくなる高貴さはある。
美の標準 そのニ 工藝第2号において、柳はふたつの挿絵を入れ、なぜ一方が不十分で、一方が優れているかを示しこれによって美の標準をはっきりさせたいと思っている。これは言葉によらず、具体的に一見して分かるから読者にも興味があると思う。とかなり読者に寄り添った、へんしゅうをしているが、悪いものの例には有名なものを、いい例には無名なものをいらるという編集方針がとても良い。そのものを押し出すのではなく、考えを押し出すのだ。また12回の連載を終え、悪い方の例になるものを写真に撮るのがなかなか面倒になったらであるなどといっている、笑
雑誌 工藝 は雑誌そのものが工芸的な作品であるべきであるという発想のもとつくられており、布表装にしたり、用紙に和紙を使ったり、豊富な小窓絵と写真を使ったりという工夫が凝らされてた。
雑誌 工藝の芹沢銈介のはたらきがめちゃくちゃに良い。扉絵の挿絵、これらのにじみなどに芹沢の影を感じた。また、線の形として、あまり勢いはなく、熟考された上での手癖っぽい感じ、またそれが直線とのコントラストを産み、なお良い。
民芸フォントと���されたところで、柳が「非個人的な字」を見出したとある。壺の局面に書く際のいっちんの手法の不自由さが、個性の角をとるということだが、浄瑠璃、芝居の番付、提灯の文字、将棋の駒なども近しいという。が芹沢の手癖的な文字の方が私は愛おしいと思うが、あれは違う?いっちんのパンクな感じは、もしかしてグラフィティてきなところに繋がりを感じられるかもしれない。不自由な手法という意味では。
柳も仮名のかたちとして注目した、浄土真宗初期の版本の文字が非常に良いが、版画なのか、、文字の上に家紋的な図版が、レイヤーで捺印されていて、字と図の境界を曖昧にしている。が良くみると推されている圖はぜんぶおなじで、なんか訂正印みたいでもあるが、なにか用途がある?
織物の袖無長衣 サイシャット族 | 台湾の色彩と図案のバランスが素敵だが、テキスタイルの柄に依存して、ライン先の記事全体の形がキュッとなっているのもかわいい。また、ライン的に入る柄には縫いの位置ととても関係性がありそうで、これも素朴さの所以かもしれん。
雑誌 民藝でも見られたが、柳は本文ページと表装のコントラストがないことを嫌ったそうだった。「表具に用いる素材としての布又は髪の色をら本品と近いものから選びますとその結果が至って無難なことが見出されました」とある。
山陰新民藝品展覧会 1932のパンフレットが美しい。図版が自由に配されつつ、その周りにキャプション、中央に四角く囲った民藝品のリストが固く組まれている。
柳の拭漆机の棚に彫られた、4枚の花の図案が美しい。深く掘りエッジを立たせることで、シャープな印象をつくるが、これも柳のシャープ好きを裏付けるものか?
日本民藝地方民窯展 展示風景1940がめちゃくちゃによい、地図から糸を引き、器よ結びつける。非常によい。
柳と芹沢で制作された全長13メートルの巨大な日本民藝地図、旧国名による区分に都道府県を協会を重ね、オーバラップさせる。また鉄道網を走らせ、民藝品を記号化したものをつかい、500を超える産地をマッピングしたよのたが、ここまでのレイヤーを作るながら、意外とあっけら��んとした。色面の印象が強い、ビジュアルで、いけいけとしながも力強い。芹沢の色彩感覚がめちゃくちゃよく、赤、深緑、黄色、緑っぽいグレーに、白文字金文字、ときおり赤文字で入る地名のカリグラフィーがめちゃくちゃ心地よい、地図はベタで、海は陸に沿って若干コントラストがついている。ふわふわしそうな、色使いたが、鉄道路線の黒がコントラストを1番上のレイヤーでつくり、横に広がり続けるビジュアルに流れる視線を留めてくれる。民藝品のアイコンが素敵、そこまでディテールを排除せず、色数も極端に絞らず、揚々としている。
抱瓶とよばらる酒瓶の一種でかたちが三日月型のらいんになっているのは腰に当てて方から下げて携帯したことによるもの。しかし現在でではサイズ感的に絶対置きだろと思いつつ、なんなら水指であるが、これも用途の転換と呼べるものか。
生成り本文頁にモノクロの写真をおく、だんだんページは焼けてきて、独特なコントラストをつくる。
青森の伊達げら、の模様がかわいい。記事のつくりによって図案がワープしている。
芹沢銈介の海外中の挿絵が良かった。家が消失してもなお、仕事が続けられる体制がとれているところに自分的に芹沢を見た。どんな状況でもものづくりに向き合えるのは最低限の環境、それなりのスペースと採光、そんなに必要とされる条件は厳しくないのかもしれない。
文字絵 忠 | 考 朝鮮半島 文字絵芹沢のものが有名なので、あまり朝鮮などにそういう意識がなかったが、なんか図の割合多くないという感じと、なんかちょっと稚拙な図案に強筆という印象。
スウェーデンのヴィルヘルムコーゲの澱青釉碗がすごく、深く名前の通り澱んだ青としているにもかかわらず、輝きがあり、骨太なかたちが素敵だった。
河井寛次郎のキセルシリーズの現物を始めてみたが、ネットで見るよりも格段にエロティックで、原案デッサンは至って素直な感じ。メカニカルなエロさがあるが、河井寛次郎自身も、「本当の民衆的工芸のメカニカルは機械産業が後継になる」って言った
5 notes
·
View notes
Text
色鉛筆向きの消しゴムについて考える話
(あるいはコーリン色鉛筆に思いを馳せる話と見せかけて、天然ゴム系消しゴムの嘆きを語る話)

シードのCP-10という消しゴムが色鉛筆に向いているという話を聞いたことがあったのですが、この前初めて行った額縁屋さんで目に入ったのでなんとなく購入してみました。
と言うわけで、買ったからには試さねば!と言うことで、手持ちの消しゴムで油性色鉛筆を消してみただけのお話。
1.使用画材
消しゴムかけるだけにしても、どんな色鉛筆で、どんな紙が、と色々あるかと思ったので、下記の条件で試してみました。
紙 ・ホワイトワトソン ・アルビレオ ・ニューTMKポスター
ホワイトワトソンは水彩がほとんどだけど、稀に色鉛筆でもつかうので。 アルビレオは色鉛筆で使いがち。 (そもそも最近あんまり色鉛筆使ってないけど) ニューTMKポスターは、自分では色鉛筆画で使ったことはないけれども、ニューTMKポスターで色鉛筆を使っている人を見たので。
色鉛筆 ・ホルベイン アーチスト色鉛筆 ・ファーバーカステル 赤缶 ・コーリン(旧日本製のヤツ) ただし、赤色だけはもう無くなってて、代わりにトンボのもの(多分NQってやつ)。

ホルベインのはプロ仕様のねっちょり系。 ファーバーカステル赤缶はかなりライトな塗り心地。
コーリン色鉛筆……。○○年前に中学校の授業で使うから親に買ってもらったもの。 日本製はもう入手できないのに、今回の比較でめちゃくちゃ塗り心地が良いことに気づいてしまったのでした😇 発色も良いし、頻度は少ないもののずっと使ってきたせいか、塗り心地がしっくりくる。 タイ製のも同じ感じだろうか。
ホルベインほどではないけど、比較的粘度があって色が濃く塗れるし重ね��りもできる。 トンボのがライトな塗り心地だったので学童用?色鉛筆にもこんな違いが……!と今更ながらわかったのでした。
関係ないけど、この色鉛筆にある大事な思い出が詰まっているし、この色鉛筆を買った文房具屋さんも思い出す、地味に思い出の詰まった色鉛筆でもある。

それぞれの紙に、それぞれの色鉛筆で赤・青・黄の色を塗っていきました。 ホルベインもファーバーカステルもそのままの色名はないので、それっぽい色ですが。
消しゴム(話が長いので注意)

①シードCP-10 今回のお試しのきっかけ。 果たして色鉛筆にぴったりなのだろうか……!? ちなみにこのサイトによると、特殊な油分が含まれていて、それが色鉛筆やワックスの吸着性を高めているとかなんとか。 ちなみに筆跡に沿って消すと良い、とのことだが今回の実験はこのサイト見る前にやったのでもう遅いのであった。
②プラス エアインソフト 我が輩さんが○○年使用し続けているお気に入り消しゴム あんまり見かけないのが悲しみ。 柔らかくて、もっちり包み込むように消す感じが好きなのであった。
③大学のオープンキャンパスか何かでもらった謎の消しゴム でも、直径7mmでかつその形状から、ステッドラーの細長いヤツに似ている気がする。OEMとかそういうのだろうか。 地味に使い勝手が良くて気に入っている。 消し心地は多分スタンダードな感じな気がする。スタンダードがなんなのか知らんけど。
④MONO ゼロ 細かい所消し用に買ったけど、出番はそんなにない。 ③の方がむしろ出番は多い。細かい消しかすが多く出るのと、紙が汚くなりがちな気がする。 多分、絵を消すのに向いてない。文字とか線を消すのが向いてる。
⑤シード スーパーゴールド 今知ったんだが、廃番……だと……!? マジかよ!天然ゴム系消しゴムって滅多になくて、ようやく手に入った!って喜んでたのに! 大昔は天然ゴム系消しゴムも愛用していたけれどもだんだん手に入らなくなってきて諦めていたという過去を持つ我が輩なのだ。 大変にショックなのだ。 昔使ってたのはメーカー不明の緑色のヤツで、軽い消し心地ですんごい良く消える。欠点は臭いと、画用紙は速攻紙が駄目になる力強さ! 30分くらいかけて検索しまくったら、ライオン事務機のスーパーソフトSF-100ってやつ?がそれに似てる気がする。昔から緑でソフトなヤツが好きだったんだな、我が輩。 ライオンじゃなくて似たような消しゴムがあったような…って思ったら、ライオン事務機で出してるけど、作ってるのはタグチ……!そういうことだったか! ちなみに、このブログに画像が載ってました。
話が長くなりましたが、この実験のために初めて使いました。スーパーゴールド。
2.消してみた

↑はい結果。
・ホワイトワトソン

まずはホワイトワトソンから。
紙に凹凸があるので、ホルベインをゴリゴリ塗るとクレヨンみを感じるですね。
◆ ◆ ◆
ホルベイン。 ねっちょりしてるせいか、消しゴムをかけると3色が混ざり合って黒っぽく汚くなる😂 そんな中、唯一綺麗に消せたシードスーパーゴールド。 次に消えてる気がするのはモノゼロ。ただし、力入れて消したせいか、何度も消しゴムがボロボロに崩れた。 そのほかはどんぐりの背比べ。
ファーバーカステル赤缶。 青が残りがちだけど消しゴムの差はそんなに感じない。
コーリン&トンボ たまたまなのかもしれないが、CP-10が一番消えてない気がする!ていうか、3色が混ざって汚くなっちゃった。 エアインとスーパーゴールドは消しゴム本体のサイズがデカいのが鍵なのか、消しゴム範囲の縁の汚い部分が少ない。
・アルビレオ

ほんのりとした凹凸が柔らかい塗り感を感じさせます。 なので、色鉛筆で塗るときは一番この紙使ってる気がする。 元々コーリンを使っていたせいか、コーリンの発色がちょうど良い気がする。 というか、コーリンに合ってるから、この紙を色鉛筆で使うようになったのだろう。
◆ ◆ ◆
ホルベインはマジ消しゴム泣かせ! ホワイトワトソンは凹凸の凹部分のおかげか、比較的消えた感があるのに、凹凸の少ないアルビレオは色鉛筆の染みつき感がすごいことに……
ファーバーカステル赤缶はやっぱり消えやすいな。 でも緑缶だったらきっとホルベインと同じになってたんだろうなぁ。
そしてまさかのCP-10が、色鉛筆の種類問わず一番汚くなっちゃった! それ以外だと、スーパーゴールド→エアインソフト→謎消しゴムって感じかなぁ。
・ニューTMKポスター

この紙は今回試した中で一番凹凸がなくて、一番色鉛筆らしい筆跡に。 でもなぜか、ファーバーカステル赤缶の色のりがちょっと悪かった。 ホルベインは逆にこの紙の方が色鉛筆らしさが生きてて良い気がする。
柔らかい色鉛筆ほど凹凸が少ない紙の方が向いてるのか……? まぁあくまで今回は消しゴムのためにこってり塗ってるから、普通に塗るのとはまた別だろうけど。
◆ ◆ ◆
そして、この紙だけ右側が余っちゃったので、妙に消えの良いスーパーゴールドと同じ天然ゴム系消しゴムであるコヒノールのマジック消しゴムを試して見ることにしました。
紛らわしくてゴメンネ。 しかも、消しかすがやたら出まくって汚いのに特別それほど消えないという悲しみ。 これは鉛筆向けだ……! いやでも、コヒノールのマジック色鉛筆の消しゴムバージョンっていう立ち位置なんじゃないの君?違うの?名前だけ??
◆ ◆ ◆
コヒノールは見なかったことにして他の消しゴム達。 やっぱりCP-10は汚れがち……? そしてスーパーゴールドは汚れにくくて良く落ちる。 (なんかフッ素加工のフライパンみたいだ)
3.消してみた2
今度は色鉛筆の種類ごとに見ていこう。 紙は上から順にホワイトワトソン、アルビレオ、ニューTMKポスター。
・ホルベイン

はっきり言おう。 この色鉛筆はなるべく消しゴム使うな、と。
だがしかし、そんな中にあって不思議と色が濁らなかったスーパーゴールド。 やはり1個500円というのは伊達でないのか!? ゴム消しゴム(消しゴムにゴムって入ってるのにあえてゴムってつけないといけないのややこしいな)だからかと思って試したコヒノールのマジック消しゴムはダメダメだったので、やはりスーパーゴールドがスーパーすごいのだろう。
モノゼロも、汚れはするモノの(モノ消しだけにモノの……(ややこしくなるので静かにしてくれ))、細い消しゴムによる圧力の問題なのか、意外と落ちてる気はする。
その理屈だと、ナゾ消し(ナゾの消しゴムって描くの面倒になってとうとう略し始めたぞ……!)ももっと消えてくれそうな気はするけどエアインさんの方がまだ消えてる気がする。 贔屓目かもしれん。
CP-10はどうしてこうなった……?
・ファーバーカステル赤缶

はっきり言って、どれも大差なく消しやすいですね。 終了。
・コーリン(赤だけトンボ)

CP-10はやっぱり汚れがち……😢 モノゼロも同じく、厚塗りしやすい紙ほど汚れる……
一番汚れてるの、相性が良いって思ってるコーリン×アルビレオってあたり、紙と相性が良いほど汚れやすいとかあったりして。
長らく付き合いのあるコーリンとエアインソフト&ナゾ消しは汚れにくくてそれなり。
4.総括
シード スーパーゴールド 優勝🏆
なんでシード スーパーゴールドは廃番になったのですか!? ラテックスフリーが時代というのか……😭 と嘆きたくなるくらい圧倒的に綺麗に消せました。
誰かスーパーゴールドの後継のハイパーゴールドで試してスーパーゴールドとの違いをおしえて下さい。 (自分はもうやらんぞ)
ちなみに大昔愛用していた緑のゴム消しゴムはめちゃくちゃ紙(画用紙)を傷めたのですが、スーパーゴールドはどの紙も傷めませんでした。 これは画用紙だったから駄目なのか、スーパーゴールドもコヒノールマジック消しゴムも紙に優しい使い心地だったからなのか、かの緑の消しゴムがない今、もはやわからん…… (画用紙買ってスーパーゴールドとマジック消しゴムを使えばある程度参考にはなるだろうが面倒だ)
個人的にはエアインソフトも安定してそこそこ消せてる気がしました。 やはり優しく包み込んで消してくれる優しさが好きよ……! (↑贔屓目が入っているので鵜呑みにせず、ご自身の目で確かめて下さい)
モノゼロは、そこそこ消せるけど、消しゴムが圧力に負けて崩壊(折れたり崩れたり)したり紙が汚くなったり、というデメリットもあった。
もらい物謎消しゴムはモノゼロ程じゃないけど細かく消せるし、それなりに消せるけど、若干消しゴムが崩壊した。 消しかすはモノゼロより出ないのがありがたい。
そして今回の記事のきっかけのシード C-10。 マジ君、色鉛筆のための消しゴムじゃないのか!? って問いただしたくなるくらい微妙でした。
今回は三原色もどきをゴリゴリに塗ってるので、混ぜたらそりゃ黒っぽくなるというハンデを背負っているので、通常の使い方であればこんな汚くなる事はないのでしょう。
が、それって他の消しゴムもそうじゃん。 汚れても、他の消しゴムより色鉛筆が消せてればいいのに、他の消しゴムと比べても特に大差ない…… (スーパーゴールドと比べたらむしろ消し味落ちる)
という、違う方向でびっくりの結果に終わったのでした。
0 notes
Photo

やっと額縁とインナーの柄描けた よく眠れそう。
カーテンの柄や部屋の柄、インナーの一部の柄などは今回は線画ではなく、塗装として描くのでまた違った雰囲気になるでしょう。
この絵は塗らないとなにも始まらないので本当に風邪を引いて困っていました。線画だけで映える絵もあれば塗らないと始まらない絵も私の中にはあります。
形が見えただけでもよかったです。えっと、塗りがたまっているのでそろそろ残っている線画の塗装段階に入っていきます。minecraft speedrunもしてから、ですが。一か月くらい線画やラフ描かなくても経験上技術的に変わらないはずなので一つのラフ描きながら塗っていきます。
1 note
·
View note
Text
あるいは永遠の未来都市(東雲キャナルコートCODAN生活記)
都市について語るのは難しい。同様に、自宅や仕事場について語るのも難しい。それを語ることができるのは、おそらく、その中にいながら常にはじき出されている人間か、実際にそこから出てしまった人間だけだろう。わたしにはできるだろうか? まず、自宅から徒歩三秒のアトリエに移動しよう。北側のカーテンを開けて、掃き出し窓と鉄格子の向こうに団地とタワーマンション、彼方の青空に聳える東京スカイツリーの姿を認める。次に東側の白い引き戸を一枚、二枚とスライドしていき、団地とタワーマンションの窓が反射した陽光がテラスとアトリエを優しく温めるのをじっくりと待つ。その間、テラスに置かれた黒竹がかすかに揺れているのを眺める。外から共用廊下に向かって、つまり左から右へさらさらと葉が靡く。一枚の枯れた葉が宙に舞う。お前、とわたしは念じる。お前、お隣さんには行くんじゃないぞ。このテラスは、腰よりも低いフェンスによってお隣さんのテラスと接しているのだ。それだけでなく、共用廊下とも接している。エレベーターへと急ぐ人の背中が見える。枯れ葉はテラスと共用廊下との境目に設置されたベンチの上に落ちた。わたしは今日の風の強さを知る。アトリエはまだ温まらない。 徒歩三秒の自宅に戻ろう。リビング・ダイニングのカーテンを開けると、北に向いた壁の一面に「田」の形をしたアルミ製のフレームが現れる。窓はわたしの背より高く、広げた両手より大きかった。真下にはウッドデッキを設えた人工地盤の中庭があって、それを取り囲むように高層の住棟が建ち並び、さらにその外周にタワーマンションが林立している。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。そのちょうど境目に、まるで空に落書きをしようとする鉛筆のように東京スカイツリーが伸びている。 ここから望む風景の中にわたしは何かしらを発見する。たとえば、斜め向かいの部屋の窓に無数の小さな写真が踊っている。その下の鉄格子つきのベランダに男が出てきて、パジャマ姿のままたばこを吸い始める。最上階の渡り廊下では若い男が三脚を据えて西側の風景を撮影している。今日は富士山とレインボーブリッジが綺麗に見えるに違いない。その二つ下の渡り廊下を右から左に、つまり一二号棟から一一号棟に向かって黒いコートの男が横切り、さらに一つ下の渡り廊下を、今度は左から右に向かって若い母親と黄色い帽子の息子が横切っていく。タワーマンションの間を抜けてきた陽光が数百の窓に当たって輝く。たばこを吸っていた男がいつの間にか部屋に戻ってワイシャツにネクタイ姿になっている。六階部分にある共用のテラスでは赤いダウンジャケットの男が外を眺めながら電話をかけている。地上ではフォーマルな洋服に身を包んだ人々が左から右に向かって流れていて、ウッドデッキの上では老婦が杖をついて……いくらでも観察と発見は可能だ。けれども、それを書き留めることはしない。ただ新しい出来事が無数に生成していることを確認するだけだ。世界は死んでいないし、今日の都市は昨日の都市とは異なる何ものかに変化しつつあると認識する。こうして仕事をする準備が整う。

東雲キャナルコートCODAN一一号棟に越してきたのは今から四年前だった。内陸部より体感温度が二度ほど低いな、というのが東雲に来て初めに思ったことだ。この土地は海と運河と高速道路に囲まれていて、物流倉庫とバスの車庫とオートバックスがひしめく都市のバックヤードだった。東雲キャナルコートと呼ばれるエリアはその名のとおり運河沿いにある。ただし、東雲運河に沿っているのではなく、辰巳運河に沿っているのだった。かつては三菱製鋼の工場だったと聞いたが、今ではその名残はない。東雲キャナルコートが擁するのは、三千戸の賃貸住宅と三千戸の分譲住宅、大型のイオン、児童・高齢者施設、警察庁などが入る合同庁舎、辰巳運河沿いの区立公園で、エリアの中央部分に都市基盤整備公団(現・都市再生機構/UR)が計画した高層板状の集合住宅群が並ぶ。中央部分は六街区に分けられ、それぞれ著名な建築家が設計者として割り当てられた。そのうち、もっとも南側に位置する一街区は山本理顕による設計で、L字型に連なる一一号棟と一二号棟が中庭を囲むようにして建ち、やや小ぶりの一三号棟が島のように浮かんでいる。この一街区は二〇〇三年七月に竣工した。それから一三年後の二〇一六年五月一四日、わたしと妻は二人で一一号棟の一三階に越してきた。四年の歳月が流れてその部屋を出ることになったとき、わたしはあの限りない循環について思い出していた。

アトリエに戻るとそこは既に温まっている。さあ、仕事を始めよう。ものを書くのがわたしの仕事だった。だからまずMacを立ち上げ、テキストエディタかワードを開く。さっきリビング・ダイニングで行った準備運動によって既に意識は覚醒している。ただし、その日の頭とからだのコンディションによってはすぐに書き始められないこともある。そういった場合はアトリエの東側に面したテラスに一時的に避難してもよい。 掃き出し窓を開けてサンダルを履く。黒竹の鉢に水を入れてやる。近くの部屋の原状回復工事に来たと思しき作業服姿の男がこんちは、と挨拶をしてくる。挨拶を返す。お隣さんのテラスにはベビーカーとキックボード、それに傘が四本置かれている。テラスに面した三枚の引き戸はぴったりと閉められている。緑色のボーダー柄があしらわれた、目隠しと防犯を兼ねた白い戸。この戸が開かれることはほとんどなかった。わたしのアトリエや共用廊下から部屋の中が丸見えになってしまうからだ。こちらも条件は同じだが、わたしはアトリエとして使っているので開けているわけだ。とはいえ、お隣さんが戸を開けたときにあまり中を見てしまうと気まずいので、二年前に豊洲のホームセンターで見つけた黒竹を置いた。共用廊下から外側に向かって風が吹いていて、葉が光を食らうように靡いている。この住棟にはところどころに大穴が空いているのでこういうことが起きる。つまり、風向きが反転するのだった。 通風と採光のために設けられた空洞、それがこのテラスだった。ここから東雲キャナルコートCODANのほぼ全体が見渡せる。だが、もう特に集中して観察したりしない。隈研吾が設計した三街区の住棟に陽光が当たっていて、ベランダで父子が日光浴をしていようが、島のような一三号棟の屋上に設置されたソーラーパネルが紺碧に輝いていて、その傍の芝生に二羽の鳩が舞い降りてこようが、伊東豊雄が設計した二街区の住棟で影がゆらめいて、テラスに出てきた老爺が異様にうまいフラフープを披露しようが、気に留めない。アトリエに戻ってどういうふうに書くか、それだけを考える。だから、目の前のすべてはバックグラウンド・スケープと化す。ただし、ここに広がるのは上質なそれだった。たとえば、ここにはさまざまな匂いが漂ってきた。雨が降った次の日には海の匂いがした。東京湾の匂いだが、それはいつも微妙に違っていた。同じ匂いはない。生成される現実に呼応して新しい文字の組み合わせが発生する。アトリエに戻ろう。

わたしはここで、広島の中心部に建つ巨大な公営住宅、横川という街に形成された魅力的な高架下商店街、シンガポールのベイサイドに屹立するリトル・タイランド、ソウルの中心部を一キロメートルにわたって貫く線状の建築物などについて書いてきた。既に世に出たものもあるし、今から出るものもあるし、たぶん永遠にMacの中に封じ込められると思われるものもある。いずれにせよ、考えてきたことのコアはひとつで、なぜ人は集まって生きるのか、ということだった。 人間の高密度な集合体、つまり都市は、なぜ人類にとって必要なのか? そしてこの先、都市と人類はいかなる進化を遂げるのか? あるいは都市は既に死んだ? 人類はかつて都市だった廃墟の上をさまよい続ける? このアトリエはそういうことを考えるのに最適だった。この一街区そのものが新しい都市をつくるように設計されていたからだ。 実際、ここに来てから、思考のプロセスが根本的に変わった。ここに来るまでの朝の日課といえば、とにかく怒りの炎を燃やすことだった。閉じられた小さなワンルームの中で、自分が外側から遮断され、都市の中にいるにもかかわらず隔離状態にあることに怒り、その怒りを炎上させることで思考を開いた。穴蔵から出ようともがくように。息苦しくて、ひとりで部屋の中で暴れたし、壁や床に穴を開けようと試みることもあった。客観的に見るとかなりやばい奴だったに違いない。けれども、こうした循環は一生続くのだと、当時のわたしは信じて疑わなかった。都市はそもそも息苦しい場所なのだと、そう信じていたのだ。だが、ここに来てからは息苦しさを感じることはなくなった。怒りの炎を燃やす朝の日課は、��ーテンを開け、その向こうを観察するあの循環へと置き換えられた。では、怒りは消滅したのか?

白く光沢のあるアトリエの床タイルに青空が輝いている。ここにはこの街の上半分がリアルタイムで描き出される。床の隅にはプロジェクトごとに振り分けられた資料の箱が積まれていて、剥き出しの灰色の柱に沿って山積みの本と額に入ったいくつかの写真や絵が並んでいる。デスクは東向きの掃き出し窓の傍に置かれていて、ここからテラスの半分と共用廊下、それに斜向かいの部屋の玄関が見える。このアトリエは空中につくられた庭と道に面しているのだった。斜向かいの玄関ドアには透明のガラスが使用されていて、中の様子が透けて見える。靴を履く住人の姿がガラス越しに浮かんでいる。視線をアトリエ内に戻そう。このアトリエは専用の玄関を有していた。玄関ドアは斜向かいの部屋のそれと異なり、全面が白く塗装された鉄扉だった。玄関の脇にある木製のドアを開けると、そこは既に徒歩三秒の自宅だ。まずキッチンがあって、奥にリビング・ダイニングがあり、その先に自宅用の玄関ドアがあった。だから、このアトリエは自宅と繋がってもいるが、独立してもいた。 午後になると仕事仲間や友人がこのアトリエを訪ねてくることがある。アトリエの玄関から入ってもらってもいいし、共用廊下からテラス経由でアトリエに招き入れてもよい。いずれにせよ、共用廊下からすぐに仕事場に入ることができるので効率的だ。打ち合わせをする場合にはテーブルと椅子をセッティングする。ここでの打ち合わせはいつも妙に捗った。自宅と都市の両方に隣接し、同時に独立してもいるこのアトリエの雰囲気は、最小のものと最大のものとを同時に掴み取るための刺激に満ちている。いくつかの重要なアイデアがここで産み落とされた。議論が白熱し、日が暮れると、徒歩三秒の自宅で妻が用意してくれた料理を囲んだり、東雲の鉄鋼団地に出かけて闇の中にぼうっと浮かぶ屋台で打ち上げを敢行したりした。 こうしてあの循環は完成したかに見えた。わたしはこうして都市への怒りを反転させ都市とともに歩み始めた、と結論づけられそうだった。お前はついに穴蔵から出たのだ、と。本当にそうだろうか? 都市の穴蔵とはそんなに浅いものだったのか?

いやぁ、 未来都市ですね、
ある編集者がこのアトリエでそう言ったことを思い出す。それは決して消えない残響のようにアトリエの中にこだまする。ある濃密な打ち合わせが一段落したあと、おそらくはほとんど無意識に発された言葉だった。 未来都市? だってこんなの、見たことないですよ。 ああ、そうかもね、とわたしが返して、その会話は流れた。だが、わたしはどこか引っかかっていた。若く鋭い編集者が発した言葉だったから、余計に。未来都市? ここは現在なのに? ちょうどそのころ、続けて示唆的な出来事があった。地上に降り、一三号棟の脇の通路を歩いていたときのことだ。団地内の案内図を兼ねたスツールの上に、ピーテル・ブリューゲルの画集が広げられていたのだった。なぜブリューゲルとわかったかといえば、開かれていたページが「バベルの塔」だったからだ。ウィーンの美術史美術館所蔵のものではなく、ロッテルダムのボイマンス・ヴァン・ベーニンゲン美術館所蔵の作品で、天に昇る茶褐色の塔がアクリル製のスツールの上で異様なオーラを放っていた。その画集はしばらくそこにあって、ある日ふいになくなったかと思うと、数日後にまた同じように置かれていた。まるで「もっとよく見ろ」と言わんばかりに。
おい、お前。このあいだは軽くスルーしただろう。もっとよく見ろ。
わたしは近寄ってその絵を見た。新しい地面を積み重ねるようにして伸びていく塔。その上には無数の人々の蠢きがあった。塔の建設に従事する労働者たちだった。既に雲の高さに届いた塔はさらに先へと工事が進んでいて、先端部分は焼きたての新しい煉瓦で真っ赤に染まっている。未来都市だな、これは、と思う。それは天地が創造され、原初の人類が文明を築きつつある時代のことだった。その地では人々はひとつの民で、同じ言葉を話していた。だが、人々が天に届くほどの塔をつくろうとしていたそのとき、神は全地の言葉を乱し、人を全地に散らされたのだった。ただし、塔は破壊されたわけではなかった。少なくとも『創世記』にはそのような記述はない。だから、バベルの塔は今なお未来都市であり続けている。決して完成することがないから未来都市なのだ。世界は変わったが、バベルは永遠の未来都市として存在し続ける。

ようやく気づいたか。 ああ。 それで? おれは永遠の未来都市をさまよう亡霊だと? どうかな、 本当は都市なんか存在しないのか? どうかな、 すべては幻想だった? そうだな、 どっちなんだ。 まあ結論を急ぐなよ。 おれはさっさと結論を出して原稿を書かなきゃならないんだよ。 知ってる、だから急ぐなと言ったんだ。 あんたは誰なんだ。 まあ息抜きに歩いてこいよ。 息抜き? いつもやっているだろう。あの循環だよ。 ああ、わかった……。いや、ちょっと待ってくれ。先に腹ごしらえだ。
もう昼を過ぎて久しいんだな、と鉄格子越しの風景を一瞥して気づく。陽光は人工地盤上の芝生と一本木を通過して一三号棟の廊下を照らし始めていた。タワーマンションをかすめて赤色のヘリコプターが東へと飛んでいき、青空に白線を引きながら飛行機が西へと進む。もちろん、時間を忘れて書くのは悪いことではない。だが、無理をしすぎるとあとになって深刻な不調に見舞われることになる。だから徒歩三秒の自宅に移動しよう。 キッチンの明かりをつける。ここには陽光が入ってこない。窓側に風呂場とトイレがあるからだ。キッチンの背後に洗面所へと続くドアがある。それを開けると陽光が降り注ぐ。風呂場に入った光が透明なドアを通過して洗面所へと至るのだった。洗面台で手を洗い、鏡に目を向けると、風呂場と窓のサッシと鉄格子と団地とスカイツリーが万華鏡のように複雑な模様を見せる。手を拭いたら、キッチンに戻って冷蔵庫を開け、中を眺める。食材は豊富だった。そのうちの九五パーセントはここから徒歩五分のイオン���仕入れた。で、遅めの昼食はどうする? 豚バラとキャベツで回鍋肉にしてもいいが、飯を炊くのに時間がかかる。そうだな……、カルボナーラでいこう。鍋に湯を沸かして塩を入れ、パスタを茹でる。ベーコンと玉葱、にんにくを刻んでオリーブオイルで炒める。それをボウルに入れ、パルメザンチーズと生卵も加え、茹で上がったパスタを投入する。オリーブオイルとたっぷりの黒胡椒とともにすべてを混ぜ合わせれば、カルボナーラは完成する。もっとも手順の少ない料理のひとつだった。文字の世界に没頭しているときは簡単な料理のほうがいい。逆に、どうにも集中できない日は、複雑な料理に取り組んで思考回路を開くとよい。まあ、何をやっても駄目な日もあるのだが。 リビング・ダイニングの窓際に置かれたテーブルでカルボナーラを食べながら、散歩の計画を練る。籠もって原稿を書く日はできるだけ歩く時間を取るようにしていた。あまり動かないと頭も指先も鈍るからだ。走ってもいいのだが、そこそこ気合いを入れなければならないし、何よりも風景がよく見えない。だから、平均して一時間、長いときで二時間程度の散歩をするのが午後の日課になっていた。たとえば、辰巳運河沿いを南下しながら首都高の高架と森と物流倉庫群を眺めてもいいし、辰巳運河を越えて辰巳団地の中を通り、辰巳の森海浜公園まで行ってもよい。あるいは有明から東雲運河を越えて豊洲市場あたりに出てもいいし、そこからさらに晴海運河を越えて晴海第一公園まで足を伸ばし、日本住宅公団が手がけた最初の高層アパートの跡地に巡礼する手もある。だが、わたしにとってもっとも重要なのは、この東雲キャナルコートCODAN一街区をめぐるルートだった。つまり、空中に張りめぐらされた道を歩いて、東京湾岸のタブラ・ラサに立ち上がった新都市を内側から体感するのだ。 と、このように書くと、何か劇的な旅が想像されるかもしれない。アトリエや事務所、さらにはギャラリーのようなものが住棟内に点在していて、まさに都市を立体化したような人々の躍動が見られると思うかもしれない。生活と仕事が混在した活動が積み重なり、文化と言えるようなものすら発生しつつあるかもしれないと、期待を抱くかもしれない。少なくともわたしはそうだった。実際にここに来るまでは。さて、靴を履いてアトリエの玄関ドアを開けよう。

それは二つの世界をめぐる旅だ。一方にここに埋め込まれたはずの思想があり、他方には生成する現実があった。二つの世界は常に並行して存在する。だが、実際に見えているのは現実のほうだけだし、歴史は二つの世界の存在を許さない。とはいえ、わたしが最初に遭遇したのは見えない世界のほうだった。その世界では、実際に都市がひとつの建築として立ち上がっていた。ただ家が集積されただけでなく、その中に住みながら働いたり、ショールームやギャラリーを開設したりすることができて、さまざまな形で人と人とが接続されていた。全体の半数近くを占める透明な玄関ドアの向こうに談笑する人の姿が見え、共用廊下に向かって開かれたテラスで人々は語り合っていた。テラスに向かって設けられた大きな掃き出し窓には、子どもたちが遊ぶ姿や、趣味のコレクション、打ち合わせをする人と人、アトリエと作品群などが浮かんでいた。それはもはや集合住宅ではなかった。都市で発生する多様で複雑な活動をそのまま受け入れる文化保全地区だった。ゾーニングによって分断された都市の攪拌装置であり、過剰な接続の果てに衰退期を迎えた人類の新・進化論でもあった。 なあ、そうだろう? 応答はない。静かな空中の散歩道だけがある。わたしのアトリエに隣接するテラスとお隣さんのテラスを通り過ぎると、やや薄暗い内廊下のゾーンに入る。日が暮れるまでは照明が半分しか点灯しないので光がいくらか不足するのだった。透明な玄関ドアがあり、その傍の壁に廣村正彰によってデザインされたボーダー柄と部屋番号の表示がある。ボーダー柄は階ごとに色が異なっていて、この一三階は緑だった。少し歩くと右側にエレベーターホールが現れる。外との境界線上にはめ込まれたパンチングメタルから風が吹き込んできて、ぴゅうぴゅうと騒ぐ。普段はここでエレベーターに乗り込むのだが、今日は通り過ぎよう。廊下の両側に玄関と緑色のボーダー柄が点々と続いている。左右に四つの透明な玄関ドアが連なったあと、二つの白く塗装された鉄扉がある。透明な玄関ドアの向こうは見えない。カーテンやブラインドや黒いフィルムによって塞がれているからだ。でも陰鬱な気分になる必要はない。間もなく左右に光が満ちてくる。 コモンテラスと名づけられた空洞のひとつに出た。二階分の大穴が南側と北側に空いていて、共用廊下とテラスとを仕切るフェンスはなく、住民に開放されていた。コモンテラスは住棟内にいくつか存在するが、ここはその中でも最大だ。一四階の高さが通常の一・五倍ほどあるので、一三階と合わせて計二・五階分の空洞になっているのだ。それはさながら、天空の劇場だった。南側には巨大な長方形によって縁取られた東京湾の風景がある。左右と真ん中に計三棟のタワーマンションが陣取り、そのあいだで辰巳運河の水が東京湾に注ぎ、東京ゲートブリッジの橋脚と出会って、「海の森」と名づけられた人工島の縁でしぶきを上げる様が見える。天気のいい日には対岸に広がる千葉の工業地帯とその先の山々まで望むことができた。海から来た風がこのコモンテラスを通過し、東京の内側へと抜けていく。北側にその風景が広がる。視界の半分は集合住宅で、残りの半分は青空だった。タワーマンションの陰に隠れて東京スカイツリーは確認できないが、豊洲のビル群が団地の上から頭を覗かせている。眼下にはこの団地を南北に貫くS字アベニューが伸び、一街区と二街区の人工地盤を繋ぐブリッジが横切っていて、長谷川浩己率いるオンサイト計画設計事務所によるランドスケープ・デザインの骨格が見て取れる。 さあ、公演が始まる。コモンテラスの中心に灰色の巨大な柱が伸びている。一三階の共用廊下の上に一四階の共用廊下が浮かんでいる。ガラス製のパネルには「CODAN Shinonome」の文字が刻まれている。この空間の両側に、六つの部屋が立体的に配置されている。半分は一三階に属し、残りの半分は一四階に属しているのだった。したがって、壁にあしらわれたボーダー柄は緑から青へと遷移する。その色は、掃き出し窓の向こうに設えられた目隠しと防犯を兼ねた引き戸にも連続している。そう、六つの部屋はこのコモンテラスに向かって大きく開くことができた。少なくとも設計上は。引き戸を全開にすれば、六つの部屋の中身がすべて露わになる。それらの部屋の住人たちは観客なのではない。この劇場で物語を紡ぎ出す主役たちなのだった。両サイドに見える美しい風景もここではただの背景にすぎない。近田玲子によって計画された照明がこの空間そのものを照らすように上向きに取り付けられている。ただし、今はまだ点灯していない。わたしはたったひとりで幕が上がるのを待っている。だが、動きはない。戸は厳重に閉じられるか、採光のために数センチだけ開いているかだ。ひとつだけ開かれている戸があるが、レースカーテンで視界が完全に遮られ、窓際にはいくつかの段ボールと紙袋が無造作に積まれていた。風がこのコモンテラスを素通りしていく。

ほら、 幕は上がらないだろう、 お前はわかっていたはずだ、ここでは人と出会うことがないと。横浜のことを思い出してみろ。お前はかつて横浜の湾岸に住んでいた。住宅と事務所と店舗が街の中に混在し、近所の雑居ビルやカフェスペースで毎日のように文化的なイベントが催されていて、お前はよくそういうところにふらっと行っていた。で、いくつかの重要な出会いを経験した。つけ加えるなら、そのあたりは山本理顕設計工場の所在地でもあった。だから、東雲に移るとき、お前はそういうものが垂直に立ち上がる様を思い描いていただろう。だが、どうだ? あのアトリエと自宅は東京の空中にぽつんと浮かんでいるのではないか? それも悪くない、とお前は言うかもしれない。物書きには都市の孤独な拠点が必要だったのだ、と。多くの人に会って濃密な取材をこなしたあと、ふと自分自身に戻ることができるアトリエを欲していたのだ、と。所詮自分は穴蔵の住人だし、たまに訪ねてくる仕事仲間や友人もいなくはない、と。実際、お前はここではマイノリティだった。ここの住民の大半は幼い子どもを連れた核家族だったし、大人たちのほとんどはこの住棟の外に職場があった。もちろん、二階のウッドデッキ沿いを中心にいくつかの仕事場は存在した。不動産屋、建築家や写真家のアトリエ、ネットショップのオフィス、アメリカのコンサルティング会社の連絡事務所、いくつかの謎の会社、秘かに行われている英会話教室や料理教室、かつては違法民泊らしきものもあった。だが、それもかすかな蠢きにすぎなかった。ほとんどの住民の仕事はどこか別の場所で行われていて、この一街区には活動が積み重ねられず、したがって文化は育たなかったのだ。周囲の住人は頻繁に入れ替わって、コミュニケーションも生まれなかった。お前のアトリエと自宅のまわりにある五軒のうち四軒の住人が、この四年間で入れ替わったのだった。隣人が去ったことにしばらく気づかないことすらあった。何週間か経って新しい住人が入り、透明な玄関ドアが黒い布で塞がれ、テラスに向いた戸が閉じられていくのを、お前は満足して見ていたか? 胸を抉られるような気持ちだったはずだ。 そうした状況にもかかわらず、お前はこの一街区を愛した。家というものにこれほどの帰属意識を持ったことはこれまでになかったはずだ。遠くの街から戻り、暗闇に浮かぶ格子状の光を見たとき、心底ほっとしたし、帰ってきたんだな、と感じただろう。なぜお前はこの一街区を愛したのか? もちろん、第一には妻との生活が充実したものだったことが挙げられる。そもそも、ここに住むことを提案したのは妻のほうだった。四年前の春だ。「家で仕事をするんだったらここがいいんじゃない?」とお前の妻はあの奇妙な間取りが載った図面を示した。だから、お前が恵まれた環境にいたことは指摘されなければならない。だが、第二に挙げるべきはお前の本性だ。つまり、お前は現実のみに生きているのではない。お前の頭の中には常に想像の世界がある。そのレイヤーを現実に重ねることでようやく生きている。だから、お前はあのアトリエから見える現実に落胆しながら、この都市のような構造体の可能性を想像し続けた。簡単に言えば、この一街区はお前の想像力を搔き立てたのだ。 では、お前は想像の世界に満足したか? そうではなかった。想像すればするほどに現実との溝は大きく深くなっていった。しばらく想像の世界にいたお前は、どこまでが現実だったのか見失いつつあるだろう。それはとても危険なことだ。だから確認しよう。お前が住む東雲キャナルコートCODAN一街区には四二〇戸の住宅があるが、それはかつて日本住宅公団であり、住宅・都市整備公団であり、都市基盤整備公団であって、今の独立行政法人都市再生機構、つまりURが供給してきた一五〇万戸以上の住宅の中でも特異なものだった。お前が言うようにそれは都市を構築することが目指された。ところが、そこには公団の亡霊としか言い表しようのない矛盾が内包されていた。たとえば、当時の都市基盤整備公団は四二〇戸のうちの三七八戸を一般の住宅にしようとした。だが、設計者の山本理顕は表面上はそれに応じながら、実際には大半の住戸にアトリエや事務所やギャラリーを実装できる仕掛けを忍ばせたのだ。玄関や壁は透明で、仕事場にできる開放的なスペースが用意された。間取りはありとあらゆる活動を受け入れるべく多種多様で、メゾネットやアネックスつきの部屋も存在した。で、実際にそれは東雲の地に建った。それは現実のものとなったのだった。だが、実はここで世界が分岐した。公団およびのちのURは、例の三七八戸を結局、一般の住宅として貸し出した。したがって大半の住戸では、アトリエはまだしも、事務所やギャラリーは現実的に不可だった。ほかに「在宅ワーク型住宅」と呼ばれる部屋が三二戸あるが、不特定多数が出入りしたり、従業員を雇って行ったりする業務は不可とされたし、そもそも、家で仕事をしない人が普通に借りることもできた。残るは「SOHO住宅」だ。これは確かに事務所やギャラリーとして使うことができる部屋だが、ウッドデッキ沿いの一〇戸にすぎなかった。 結果、この一街区は集合住宅へと回帰した。これがお前の立っている現実だ。都市として運営されていないのだから、都市にならないのは当然の帰結だ。もちろん、ゲリラ的に別の使い方をすることは可能だろう。ここにはそういう人間たちも確かにいる。お前も含めて。だが、お前はもうすぐここから去るのだろう? こうしてまたひとり、都市を望む者が消えていく。二つの世界はさらに乖離する。まあ、ここではよくあることだ。ブリューゲルの「バベルの塔」、あの絵の中にお前の姿を認めることはできなくなる。 とはいえ、心配は無用だ。誰もそのことに気づかないから。おれだけがそれを知っている。おれは別の場所からそれを見ている。ここでは、永遠の未来都市は循環を脱して都市へと移行した。いずれにせよ、お前が立つ現実とは別世界の話だがな。

実際、人には出会わなかった。一四階から二階へ、階段を使ってすべてのフロアを歩いたが、誰とも顔を合わせることはなかった。その間、ずっとあの声が頭の中に響いていた。うるさいな、せっかくひとりで静かに散歩しているのに、と文句を言おうかとも考えたが、やめた。あの声の正体はわからない。どのようにして聞こえているのかもはっきりしない。ただ、ふと何かを諦めようとしたとき、周波数が突然合うような感じで、周囲の雑音が消え、かわりにあの声が聞こえてくる。こちらが応答すれば会話ができるが、黙っていると勝手に喋って、勝手に切り上げてしまう。あまり考えたくなかったことを矢継ぎ早に投げかけてくるので、面倒なときもあるが、重要なヒントをくれもするのだ。 あの声が聞こえていることを除くと、いつもの散歩道だった。まず一三階のコモンテラスの脇にある階段で一四階に上り、一一号棟の共用廊下を東から西へ一直線に歩き、右折して一〇メートルほどの渡り廊下を辿り、一二号棟に到達する。南から北へ一二号棟を踏破すると、エレベーターホールの脇にある階段で一三階に下り、あらためて一三階の共用廊下を歩く。以下同様に、二階まで辿っていく。その間、各階の壁にあしらわれたボーダー柄は青、緑、黄緑、黄、橙、赤、紫、青、緑、黄緑、黄、橙、赤と遷移する。二階に到達したら、人工地盤上のウッドデッキをめぐりながら島のように浮かぶ一三号棟へと移動する。その際、人工地盤に空いた長方形の穴から、地上レベルの駐車場や学童クラブ、子ども写真館の様子が目に入る。一三号棟は一〇階建てで共用廊下も短いので踏破するのにそれほど時間はかからない。二階には集会所があり、住宅は三階から始まる。橙、黄、黄緑、緑、青、紫、赤、橙。 この旅では風景がさまざまに変化する。フロアごとにあしらわれた色については既に述べた。ほかにも、二〇〇もの透明な玄関ドアが住人の個性を露わにする。たとえば、入ってすぐのところに大きなテーブルが置かれた部屋。子どもがつくったと思しき切り絵と人気ユーチューバーのステッカーが浮かぶ部屋。玄関に置かれた飾り棚に仏像や陶器が並べられた部屋。家の一部が透けて見える。とはいえ、透明な玄関ドアの四割近くは完全に閉じられている。ただし、そのやり方にも個性は現れる。たとえば、白い紙で雑に塞がれた玄関ドア。一面が英字新聞で覆われた玄関ドア。鏡面シートが一分の隙もなく貼りつけられた玄関ドア。そうした玄関ドアが共用廊下の両側に現れては消えていく。ときどき、外に向かって開かれた空洞に出会う。この一街区には東西南北に合わせて三六の空洞がある。そのうち、隣接する住戸が占有する空洞はプライベートテラスと呼ばれる。わたしのアトリエに面したテラスがそれだ。部屋からテラスに向かって戸を開くことができるが、ほとんどの戸は閉じられたうえ、テラスは物置になっている。たとえば、山のような箱。不要になった椅子やテーブル。何かを覆う青いビニールシート。その先に広がるこの団地の風景はどこか殺伐としている。一方、共用廊下の両側に広がる空洞、つまりコモンテラスには物が置かれることはないが、テラスに面したほとんどの戸はやはり、閉じられている。ただし、閉じられたボーダー柄の戸とガラスとの間に、その部屋の個性を示すものが置かれることがある。たとえば��黄緑色のボーダー柄を背景としたいくつかの油絵。黄色のボーダー柄の海を漂う古代の船の模型。橙色のボーダー柄と調和する黄色いサーフボードと高波を警告する看板のレプリカ。何かが始まりそうな予感はある。今にも幕が上がりそうな。だが、コモンテラスはいつも無言だった。ある柱の側面にこう書かれている。「コモンテラスで騒ぐこと禁止」と。なるほど、無言でいなければならないわけか。都市として運営されていない、とあの声は言った。 長いあいだ、わたしはこの一街区をさまよっていた。街区の外には出なかった。そろそろアトリエに戻らないとな、と思いながら歩き続けた。その距離と時間は日課の域をとうに超えていて、あの循環を逸脱しつつあった。アトリエに戻ったら、わたしはこのことについて書くだろう。今や、すべての風景は書き留められる。見過ごされてきたものの言語化が行われる。そうしたものが、気の遠くなるほど長いあいだ、連綿と積み重ねられなければ、文化は発生しない。ほら、見えるだろう? 一一号棟と一二号棟とを繋ぐ渡り廊下の上から、東京都心の風景が確認できる。東雲運河の向こうに豊洲市場とレインボーブリッジがあり、遥か遠くに真っ赤に染まった富士山があって、そのあいだの土地に超高層ビルがびっしりと生えている。都市は、瀕死だった。炎は上がっていないが、息も絶え絶えだった。密集すればするほど人々は分断されるのだ。

まあいい。そろそろ帰ろう。陽光は地平線の彼方へと姿を消し、かわりに闇が、濃紺から黒へと変化を遂げながらこの街に降りた。もうじき妻が都心の職場から戻るだろう。今日は有楽町のもつ鍋屋で持ち帰りのセットを買ってきてくれるはずだ。有楽町線の有楽町駅から辰巳駅まで地下鉄で移動し、辰巳桜橋を渡ってここまでたどり着く。それまでに締めに投入する飯を炊いておきたい。 わたしは一二号棟一二階のコモンテラスにいる。ここから右斜め先に一一号棟の北側の面が見える。コンクリートで縁取られた四角形が規則正しく並び、ところどころに色とりどりの空洞が光を放っている。緑と青に光る空洞がわたしのアトリエの左隣にあり、黄と黄緑に光る空洞がわたしの自宅のリビング・ダイニングおよびベッドルームの真下にある。家々の窓がひとつ、ひとつと、琥珀色に輝き始めた。そのときだ。わたしのアトリエの明かりが点灯した。妻ではなかった。まだ妻が戻る時間ではないし、そもそも妻は自宅用の玄関ドアから戻る。闇の中に、机とそこに座る人の姿が浮かんでいる。鉄格子とガラス越しだからはっきりしないが、たぶん……男だ。男は机に向かって何かを書いているらしい。テラスから身を乗り出してそれを見る。それは、わたしだった。いつものアトリエで文章を書くわたしだ。だが、何かが違っている。男の手元にはMacがなかった。机の上にあるのは原稿用紙だった。男はそこに万年筆で文字を書き入れ、原稿の束が次々と積み上げられていく。それでわたしは悟った。
あんたは、もうひとつの世界にいるんだな。 どうかな、 で、さまざまに見逃されてきたものを書き連ねてきたんだろう? そうだな。
もうひとりのわたしは立ち上がって、掃き出し窓の近くに寄り、コモンテラスの縁にいるこのわたしに向かって右手を振ってみせた。こっちへ来いよ、と言っているのか、もう行けよ、と言っているのか、どちらとも取れるような、妙に間の抜けた仕草で。

3 notes
·
View notes
Text
iFontMaker - Supported Glyphs
Latin//Alphabet// ABCDEFGHIJKLMNOPQRSTUVWXYZabcdefghijklmnopqrstuvwxyz0123456789 !"“”#$%&'‘’()*+,-./:;<=>?@[\]^_`{|}~ Latin//Accent// ¡¢£€¤¥¦§¨©ª«¬®¯°±²³´µ¶·¸¹º»¼½¾¿ÀÁÂÃÄÅÆÇÈÉÊËÌÍÎÏÐÑÒÓÔÕÖרÙÚÛÜÝÞßàáâãäåæçè��êëìíîïðñòóôõö÷øùúûüýþÿ Latin//Extension 1// ĀāĂ㥹ĆćĈĉĊċČčĎďĐđĒēĔĕĖėĘęĚěĜĝĞğĠġĢģĤĥĦħĨĩĪīĬĭĮįİıIJijĴĵĶķĸĹĺĻļĽľĿŀŁłŃńŅņŇňʼnŊŋŌōŎŏŐőŒœŔŕŖŗŘřŚśŜŝŞşŠšŢţŤťŦŧŨũŪūŬŭŮůŰűŲųŴŵŶŷŸŹźŻżŽžſfffiflffifflſtst Latin//Extension 2// ƀƁƂƃƄƅƆƇƈƉƊƋƌƍƎƏƐƑƒƓƔƕƖƗƘƙƚƛƜƝƞƟƠơƢƣƤƥƦƧƨƩƪƫƬƭƮƯưƱƲƳƴƵƶƷƸƹƺƻƼƽƾƿǀǁǂǃDŽDždžLJLjljNJNjnjǍǎǏǐǑǒǓǔǕǖǗǘǙǚǛǜǝǞǟǠǡǢǣǤǥǦǧǨǩǪǫǬǭǮǯǰDZDzdzǴǵǶǷǸǹǺǻǼǽǾǿ Symbols//Web// –—‚„†‡‰‹›•…′″‾⁄℘ℑℜ™ℵ←↑→↓↔↵⇐⇑⇒⇓⇔∀∂∃∅∇∈∉∋∏∑−∗√∝∞∠∧∨∩∪∫∴∼≅≈≠≡≤≥⊂⊃⊄⊆⊇⊕⊗⊥⋅⌈⌉⌊⌋〈〉◊♠♣♥♦ Symbols//Dingbat// ✁✂✃✄✆✇✈✉✌✍✎✏✐✑✒✓✔✕✖✗✘✙✚✛✜✝✞✟✠✡✢✣✤✥✦✧✩✪✫✬✭✮✯✰✱✲✳✴✵✶✷✸✹✺✻✼✽✾✿❀❁❂❃❄❅❆❇❈❉❊❋❍❏❐❑❒❖❘❙❚❛❜❝❞❡❢❣❤❥❦❧❨❩❪❫❬❭❮❯❰❱❲❳❴❵❶❷❸❹❺❻❼❽❾❿➀➁➂➃➄➅➆➇➈➉➊➋➌➍➎➏➐➑➒➓➔➘➙➚➛➜➝➞➟➠➡➢➣➤➥➦➧➨➩➪➫➬➭➮➯➱➲➳➴➵➶➷➸➹➺➻➼➽➾ Japanese//かな// あいうえおかがきぎくぐけげこごさざしじすずせぜそぞただちぢつづてでとどなにぬねのはばぱひびぴふぶぷへべぺほぼぽまみむめもやゆよらりるれろわゐゑをんぁぃぅぇぉっゃゅょゎゔ゛゜ゝゞアイウエオカガキギクグケゲコゴサザシジスズセゼソゾタダチヂツヅテデトドナニヌネノハバパヒビピフブプヘベペホボポマミムメモヤユヨラリルレロワヰヱヲンァィゥェォッャュョヮヴヵヶヷヸヹヺヽヾ Japanese//小学一年// 一右雨円王音下火花貝学気九休玉金空月犬見五口校左三山子四糸字耳七車手十出女小上森人水正生青夕石赤千川先早草足村大男竹中虫町天田土二日入年白八百文木本名目立力林六 Japanese//小学二年// 引羽雲園遠何科夏家歌画回会海絵外角楽活間丸岩顔汽記帰弓牛魚京強教近兄形計元言原戸古午後語工公広交光考行高黄合谷国黒今才細作算止市矢姉思紙寺自時室社弱首秋週春書少場色食心新親図数西声星晴切雪船線前組走多太体台地池知茶昼長鳥朝直通弟店点電刀冬当東答頭同道読内南肉馬売買麦半番父風分聞米歩母方北毎妹万明鳴毛門夜野友用曜来里理話 Japanese//小学三年// 悪安暗医委意育員院飲運泳駅央横屋温化荷開界階寒感漢館岸起期客究急級宮球去橋業曲局銀区苦具君係軽血決研県庫湖向幸港号根祭皿仕死使始指歯詩次事持式実写者主守取酒受州拾終習集住重宿所暑助昭消商章勝乗植申身神真深進世整昔全相送想息速族他打対待代第題炭短談着注柱丁帳調追定庭笛鉄転都度投豆島湯登等動童農波配倍箱畑発反坂板皮悲美鼻筆氷表秒病品負部服福物平返勉放味命面問役薬由油有遊予羊洋葉陽様落流旅両緑礼列練路和 Japanese//小学四年// 愛案以衣位囲胃印英栄塩億加果貨課芽改械害街各覚完官管関観願希季紀喜旗器機議求泣救給挙漁共協鏡競極訓軍郡径型景芸欠結建健験固功好候航康告差菜最材昨札刷殺察参産散残士氏史司試児治辞失借種周祝順初松笑��焼象照賞臣信成省清静席積折節説浅戦選然争倉巣束側続卒孫帯隊達単置仲貯兆腸低底停的典伝徒努灯堂働特得毒熱念敗梅博飯飛費必票標不夫付府副粉兵別辺変便包法望牧末満未脈民無約勇要養浴利陸良料量輪類令冷例歴連老労録 Japanese//小学五〜六年// 圧移因永営衛易益液演応往桜恩可仮価河過賀快解格確額刊幹慣眼基寄規技義逆久旧居許境均禁句群経潔件券険検限現減故個護効厚耕鉱構興講混査再災妻採際在財罪雑酸賛支志枝師資飼示似識質舎謝授修述術準序招承証条状常情織職制性政勢精製税責績接設舌絶銭祖素総造像増則測属率損退貸態団断築張提程適敵統銅導徳独任燃能破犯判版比肥非備俵評貧布婦富武復複仏編弁保墓報豊防貿暴務夢迷綿輸余預容略留領異遺域宇映延沿我灰拡革閣割株干巻看簡危机貴揮疑吸供胸郷勤筋系敬警劇激穴絹権憲源厳己呼誤后孝皇紅降鋼刻穀骨困砂座済裁策冊蚕至私姿視詞誌磁射捨尺若樹収宗就衆従縦縮熟純処署諸除将傷障城蒸針仁垂推寸盛聖誠宣専泉洗染善奏窓創装層操蔵臓存尊宅担探誕段暖値宙忠著庁頂潮賃痛展討党糖届難乳認納脳派拝背肺俳班晩否批秘腹奮並陛閉片補暮宝訪亡忘棒枚幕密盟模訳郵優幼欲翌乱卵覧裏律臨朗論 Japanese//中学// 亜哀挨曖扱宛嵐依威為畏尉萎偉椅彙違維慰緯壱逸芋咽姻淫陰隠韻唄鬱畝浦詠影鋭疫悦越謁閲炎怨宴援煙猿鉛縁艶汚凹押旺欧殴翁奥憶臆虞乙俺卸穏佳苛架華菓渦嫁暇禍靴寡箇稼蚊牙瓦雅餓介戒怪拐悔皆塊楷潰壊懐諧劾崖涯慨蓋該概骸垣柿核殻郭較隔獲嚇穫岳顎掛括喝渇葛滑褐轄且釜鎌刈甘汗缶肝冠陥乾勘患貫喚堪換敢棺款閑勧寛歓監緩憾還環韓艦鑑含玩頑企伎忌奇祈軌既飢鬼亀幾棋棄毀畿輝騎宜偽欺儀戯擬犠菊吉喫詰却脚虐及丘朽臼糾嗅窮巨拒拠虚距御凶叫狂享況峡挟狭恐���脅矯響驚仰暁凝巾斤菌琴僅緊錦謹襟吟駆惧愚偶遇隅串屈掘窟繰勲薫刑茎契恵啓掲渓蛍傾携継詣慶憬稽憩鶏迎鯨隙撃桁傑肩倹兼剣拳軒圏堅嫌献遣賢謙鍵繭顕懸幻玄弦舷股虎孤弧枯雇誇鼓錮顧互呉娯悟碁勾孔巧甲江坑抗攻更拘肯侯恒洪荒郊貢控梗喉慌硬絞項溝綱酵稿衡購乞拷剛傲豪克酷獄駒込頃昆恨婚痕紺魂墾懇沙唆詐鎖挫采砕宰栽彩斎債催塞歳載剤削柵索酢搾錯咲刹拶撮擦桟惨傘斬暫旨伺刺祉肢施恣脂紫嗣雌摯賜諮侍慈餌璽軸叱疾執湿嫉漆芝赦斜煮遮邪蛇酌釈爵寂朱狩殊珠腫趣寿呪需儒囚舟秀臭袖羞愁酬醜蹴襲汁充柔渋銃獣叔淑粛塾俊瞬旬巡盾准殉循潤遵庶緒如叙徐升召匠床抄肖尚昇沼宵症祥称渉紹訟掌晶焦硝粧詔奨詳彰憧衝償礁鐘丈冗浄剰畳壌嬢錠譲醸拭殖飾触嘱辱尻伸芯辛侵津唇娠振浸紳診寝慎審震薪刃尽迅甚陣尋腎須吹炊帥粋衰酔遂睡穂随髄枢崇据杉裾瀬是姓征斉牲凄逝婿誓請醒斥析脊隻惜戚跡籍拙窃摂仙占扇栓旋煎羨腺詮践箋潜遷薦繊鮮禅漸膳繕狙阻租措粗疎訴塑遡礎双壮荘捜挿桑掃曹曽爽喪痩葬僧遭槽踪燥霜騒藻憎贈即促捉俗賊遜汰妥唾堕惰駄耐怠胎泰堆袋逮替滞戴滝択沢卓拓託濯諾濁但脱奪棚誰丹旦胆淡嘆端綻鍛弾壇恥致遅痴稚緻畜逐蓄秩窒嫡抽衷酎鋳駐弔挑彫眺釣貼超跳徴嘲澄聴懲勅捗沈珍朕陳鎮椎墜塚漬坪爪鶴呈廷抵邸亭貞帝訂逓偵堤艇締諦泥摘滴溺迭哲徹撤添塡殿斗吐妬途渡塗賭奴怒到逃倒凍唐桃透悼盗陶塔搭棟痘筒稲踏謄藤闘騰洞胴瞳峠匿督篤凸突屯豚頓貪鈍曇丼那謎鍋軟尼弐匂虹尿妊忍寧捻粘悩濃把覇婆罵杯排廃輩培陪媒賠伯拍泊迫剝舶薄漠縛爆箸肌鉢髪伐抜罰閥氾帆汎伴畔般販斑搬煩頒範繁藩蛮盤妃彼披卑疲被扉碑罷避尾眉微膝肘匹泌姫漂苗描猫浜賓頻敏瓶扶怖附訃赴浮符普腐敷膚賦譜侮舞封伏幅覆払沸紛雰噴墳憤丙併柄塀幣弊蔽餅壁璧癖蔑偏遍哺捕舗募慕簿芳邦奉抱泡胞俸倣峰砲崩蜂飽褒縫乏忙坊妨房肪某冒剖紡傍帽貌膨謀頰朴睦僕墨撲没勃堀奔翻凡盆麻摩磨魔昧埋膜枕又抹慢漫魅岬蜜妙眠矛霧娘冥銘滅免麺茂妄盲耗猛網黙紋冶弥厄躍闇喩愉諭癒唯幽悠湧猶裕雄誘憂融与誉妖庸揚揺溶腰瘍踊窯擁謡抑沃翼拉裸羅雷頼絡酪辣濫藍欄吏痢履璃離慄柳竜粒隆硫侶虜慮了涼猟陵僚寮療瞭糧厘倫隣瑠涙累塁励戻鈴零霊隷齢麗暦劣烈裂恋廉錬呂炉賂露弄郎浪廊楼漏籠麓賄脇惑枠湾腕 Japanese//記号// ・ー~、。〃〄々〆〇〈〉《》「」『』【】〒〓〔〕〖〗〘〙〜〝〞〟〠〡〢〣〤〥〦〧〨〩〰〳〴〵〶 Greek & Coptic//Standard// ʹ͵ͺͻͼͽ;΄΅Ά·ΈΉΊΌΎΏΐΑΒΓΔΕΖΗΘΙΚΛΜΝΞΟΠΡΣΤΥΦΧΨΩΪΫάέήίΰαβγδεζηθικλμνξοπρςστυφχψωϊϋόύώϐϑϒϓϔϕϖϚϜϞϠϢϣϤϥϦϧϨϩϪϫϬϭϮϯϰϱϲϳϴϵ϶ϷϸϹϺϻϼϽϾϿ Cyrillic//Standard// ЀЁЂЃЄЅІЇЈЉЊЋЌЍЎЏАБВГДЕЖЗИЙКЛМНОПРСТУФХЦЧШЩЪЫЬЭЮЯабвгдежзийклмнопрстуфхцчшщъыьэюяѐёђѓєѕіїјљњћќѝўџѢѣѤѥѦѧѨѩѪѫѬѭѰѱѲѳѴѵѶѷѸѹҌҍҐґҒғҖҗҘҙҚқҜҝҠҡҢңҤҥҪҫҬҭҮүҰұҲҳҴҵҶҷҸҹҺһҼҽҾҿӀӁӂӇӈӏӐӑӒӓӔӕӖӗӘәӚӛӜӝӞӟӠӡӢӣӤӥӦӧӨөӪӫӬӭӮӯӰӱӲӳӴӵӶӷӸӹӾӿ Thai//Standard// กขฃคฅฆงจฉชซฌญฎฏฐฑฒณดตถทธนบปผฝพฟภมยรฤลฦวศษสหฬอฮฯะัาำิีึืฺุู฿เแโใไๅๆ็่้๊๋์ํ๎๏๐๑๒๓๔๕๖๗๘๙๚๛
see also How to Edit a Glyph that is not listed on iFontMaker
#FAQ#ifontmaker2#Symbols#Dingbat#Cyrillic#Greek#Coptic#thai#character set#character sets#list#language
9 notes
·
View notes