#馬興瑞は次期政治局員として何故注目
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和四年(2022)1月3日(月曜日)
通巻7177号
ウイグル書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次期政治局人事で注目されるのか?
宇宙航空ミサイル分野の花形「哈爾浜工業大学」教授、副学長を経験した実績
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唐突に深セン書記から新卿ウイグル自治区党委員会書記に「栄転」した馬興瑞は、なぜ次記政治局人事で注目されるのか?
第一に彼は宇宙航空ミサイル分野で、軍の花形となった戦略ミサイル部隊に直結する哈爾浜工業大学教授、副学長を経験しているからだ。
第二に中国にシリコンバレーとして経済発展のめざましい深センの書記兼広東省省長だった。このポジションは歴代がそうであったように無言裡の躍進が約束されている。
鍵は深センという急発展の都会にある。
最初に深センを「見た」のは1970年代央、香港のホンハム駅からのんびりと汽車で行く(特急も新幹線もなかった)。国境の羅府のひとつ手前の駅からタクシー運転手が乗り込んできた「国境展望台まで安く行くから」とセールス。双眼鏡が設置されていた。中国は未だ鎖国していた。
(嗚呼、あれがレッドチャイナか)という感じだった。遠景にはみすぼらしい風景が展開していた。
80年代初頭だったと記憶するが、実際に深センに足を踏み入れたのは香港から旅行代理店が斡旋する日帰りツアーで、別刷のヴィザが日帰りなのに必要だった。写真二枚。外国人ツアーに紛れ込んだ。香港の波止場から蛇口港へ、揺れるフェリーに乗って。当時は広東省宝安県で、人口は2万人程度だった。ガイドが当方の服装、靴、時計に異様な興味を持っていることが分かった。
およそ文明化に遅れ、冷蔵庫は普及しておらず、もちろんエアコンはない。肉を天日のもと、屋台で売っていてビールもぬるい。時代遅れの電化製品と古着屋、貧しい漁村だった。歩道は舗装されておらず、行き交う車は滅法少なかった。
広州市までバスに揺られ、花園ホテルのバアで休憩。「あんた日本人か。所属する単位は何か?」と聞かれ、職業は自由に選べると答えると信じられない顔つきだった。広州市は中国一先進的な都会だが、当時、外国人が宿泊できるのは花園ホテルと中国飯店、東方飯店くらいだった。いまは無数の高層ホテルがあり、広州は中国一の所得を誇る。広州の繁華街をあるくと「ここは銀座か」と錯覚するほどに繁栄している。
トウ小平の南巡講話があり、先富論が叫ばれ、勝手気ままな投資も認められ、香港華僑、ついで台湾華僑が本格進出を始める。窓口は深センで、国境の橋にあった旅行代理店で、日本円で26000円を支払い、半年有効の数字ヴィザが取得できた。ものの20分だった。東京の中国大使館で不愉快な思いをしてヴィザを取得する必要がなくなった。
改革開放が本格化し、のっぽビルが建つようになると、深セン駅前には闇両替、妖しげなポルノ、薬屋には「長生きできる妙薬」とか。「80歳でも大丈夫」とか。電機部品の秋葉原のような安普請のデパートがあった。スマホどころが、電話機が並んでいて、旅行客は貸し電話屋に飛びこんであちこちに電話をかけていた。甲高い音響というより壮大な雑音が町中に響き渡った。
町はまだ普請中、道路は囚人が工事をしていた。何かハリウッド映画のスタジオを拡大したような風景で駅突き当たりのシャングリラホテルの最上階レストランから市内の全景が見渡せた。町辻のテントでは、横流しのセータやネクタイが山となって信じられないほど安い値段で売られていた。
以後、所要で香港へ行くたびに、深センに足を延ばし、何回か通っている裡に高層ビルが競うように林立し、地下鉄が縦横に、そして日本人向けのナイトクラブに妖しげなホテル。筆者の定宿は駅前のボロ旅館で一泊3000円前後だった。
いまとは逆で香港の中間階層のサラリーマンは、香港のマンションが高くて手が出ないので、深センでマンションを買い、毎日、およそ35万人が香港へ通勤していた。三洋電機の深セン工場を取材したこともあった。
いまの深センは中国のシリコンバレー、ハイテク企業が蝟集し、テンセント、ファーウェイ、鴻海精密等々。日本人学校もある。人口は1760万人。高層ビルは350棟以上。飛行場は二つ。株式市場もできた。新幹線は武漢とも、上海とも繋がった。広州市経済圏とはマカオ対岸の珠海、仏山、中山、東莞と広州市までの沿線衛星都市が急発展し、メガロポリスの人口は1800万人くらいだろうか、広州市経済圏と深センを併せると上海メガロポリスを超える経済力がある。
だからこそ広州市、深セン市、そして広東省の書記に誰がなるかが、北京、上海と並んで注目を集めるのである。
広東は革命元帥のひとり葉剣英とその一族が長く治め、下放されたトウ小平を梅県で匿った。剣英の子、葉選平を説得して北京へ呼び寄せ、ようやく広東の経済力を手にしたトウ小平は、広東省書記、広州市書記を中央から任命した。だから広東省書記を経験した李長春、張徳生、王洋が政治局常務委員となり、同書記経験組の胡春華(副首相)に次期人事のスポットがあたり、中央の大幹部への確実な階段となる。
しかもシリコンバレーで繁栄を築いた深セン特別市の書記を経験すると、さらに早い出世階段を駆け上る。
近年、張高麗、李鴻忠、そして先月、深セン市書記兼務広東省長の馬興瑞が、新彊ウイグル自治区書記に移動し、「悪代官」と呼ばれる陳全国と交替することになった。前者ふたりは政治局常務委員に上り詰めた。したがって馬興瑞の政治局入りは確実である。
張高麗はテニスの女王との不倫関係がばらされ、スケベジジィとして有名になったが、天津特別市書記からトップセブン入りした。そのあとの李鴻忠も2016年以来、天津市党委員会書記である。
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余命懲戒請求アラカルト18
余命三年時事日記さんのブログです http://yh649490005.xsrv.jp/public_html/2017/07/01/1701-%e6%87%b2%e6%88%92%e8%ab%8b%e6%b1%82%e3%82%a2%e3%83%a9%e3%82%ab%e3%83%ab%e3%83%8818/ 引用 (全文引用) 6月26日川崎であるつどいがあった。 ちょうど70年前の朝鮮人の蛮行により犠牲となった税務官追悼集会である。 その一部始終を掲載する。 (資料) 川崎で密造大検挙 川崎で密造大検挙 出たでた樽詰めの濁酒 (神奈川新聞 昭和22年6月25日発刊分) 川崎市櫻本町三丁目、入江町、水ノ江町の朝鮮人部落濁酒(※4)検挙は廿三日午前十一時半から行われた。横浜検察庁の富田、(※4)両検事の指揮の下に県警本部公安課、経済防犯課、刑事三課、鶴見、川崎両署ならびに横浜市内各署から応援を求め武装警官二百名と出動税務官吏百名合計三百名は十数台のトラックに分乗、部落を包囲して交通を遮断し、益田川崎税務署長以下神奈川、横浜の両署から応援の税務官百余名が片っぱしから自宅内の調査をはじめる。 多くの家には大カマドが置かれてあり、ボイラーをすえつけているものもある。タンスや床下にコウジや米をかくしてあるもの、糠で二重カベをつくってそのなかにコウジを入れてあるもの、つまれた藁のたばをどけてみるとその中からタルやカメにつめた酒がでてくる。もっとあるはずだと付近のアシの原っぱをさがしてみると出てくる出てくるタルづめの酒だ。部落の中はぶちまけられた酒が芳じゅんな香りを放つ。路上に米をぶちまいたものもある始末。 かくして午後六時半までに実に七時間にわたる大捜索で証拠品の濁酒は密造者と一緒にトラック二十余台につまれて横浜検察庁にはこばれた。今度の検挙は全国でも珍しい大がかりのものとなった。 暴漢に襲われ間税課長重態 神奈川税務署間税課長端山豊造※5は廿四日午後九時半ころ、京浜川崎駅前で数名の暴漢におそわれ、打つ、ける、なぐるの暴行をうけてこん睡した。急(※4)で川崎署員がかけつけたとき暴漢は逃走、端山氏を私立新川病院に収容手当を加えているが頭部と腹部の内出血で重態である。 端山間税課長殉職 (神奈川新聞 昭和22年6月27日発刊分) さる廿三日川崎市櫻本町附近の朝鮮人部落濁酒密造検挙に参加した神奈川税務署間税課長端山豊造※5氏は、同夜九時半ごろ帰宅の途中京浜川崎駅附近で暴漢に襲われ負傷、市立新川病院に収容手当中だったが、廿六日午前十一時半腹部内出血がもとで遂に絶命殉職した。犯人は川崎署で厳索中だがほぼ目星がついている。 間税課長殺しの一味捕わる 警官隊、町内を包囲 他の暴行事件が検挙の糸口 (昭和22年8月8日付 神奈川新聞) さる六月廿三日、川崎市櫻本町一帯部落の濁酒密造一斉検挙に参加してこの※※川崎駅前で暴漢数名に襲われて致命傷を受け殉職した神奈川税務署間税課長端山豊造氏(48)の殺害犯人捜査は事件後ただ���に横浜検察庁の指揮を受けて川崎署に捜査本部を置き、刑事課が苦心の捜査を続けていたが、このほど漸くその全貌を掴み、七日※※は再び町内を急襲し、犯人らを逮捕した。 即ち七日午前三時86名の武装警官は川崎署に集合、四時に櫻本町と池上新田の2区域を急襲、これを包囲して犯人検挙にかかり、主犯・白川※※、金本陽哲、本山永夫、秋山波和、安本政治、柳遠大、※政高ら八名を逮捕した。主犯の白川はいち早く逃走、警官の威嚇射撃を浴びながら四~五丁追跡されて、遂に捕らわるなどの大捕り物帳であった。 一味は端山課長に暴行する直前の廿三日二十時頃、小川町映画街で佐々木末次に全治一ヶ月、伊藤博に全治十日の傷を與えた集団暴行をした事が発端となったものである。 間税課長殺し一味に判決 (昭和23年11月30日付 神奈川新聞) 昨年六月廿三日、川崎市内の密造酒一斉検挙に※だした神奈川税務署間税課長端山豊造氏(48)を袋叩きにして殴り殺し一味の公判は、廿九日横浜地裁篠原裁判長の係りで開かれ、それぞれ次のような判決言い渡しがあった。 川崎市櫻本町ニノニ明大生 鄭容誅 懲役6年 同 金本溶詰 懲役7年 川崎市池上新田中留耕地 鄭半※ 懲役5年 同安本政治、学生・柳遠大は、いずれも同(筆者注:懲役)六ヶ月以上一年以下の不定期刑 慰霊碑文 故・大蔵事務官端山豊造氏は終戦後、世態の劇變(げきへん)に伴う道徳の頽廢(たいはい)に因り、税法違反、日に多きを加えんとするに際し、神奈川税務署間税課長として、これら悪質犯則の摘発に日夜鞅掌(おうしょう)しつつありたるが、偶偶(たまたま)昭和二十二年六月二十二日第三國人酒類密造の報に接し、率先課員を統卆してこれが取締に當(あた)りたる處、不幸凶漢の不逞の報復に遭い、遂に前途有為の身を犠牲に供し、その職に殉ずるに至りたるは、寔(これ)に痛歎の極みにして遺族の哀情を察するとき真に哀悼に堪えざるも、君が烈々たる職責遂行の信念と事に當りての果敢な行動とは、全国六萬税務官吏の旗標として同僚を奮起せしむると共に、國民の正義感に訴え、弛緩せる道義心を肅然たらしむものあり。茲に、同僚有志として君が殉職を卹(あわれ)む者相諮り、資を捐(す)て碑を建て、君が名聲(めいせい)を永く後世に傳えんとするものなり。 昭和二十五年十月一日 東京国税局長 坂田泰二 誌 (資料ここまで) 事件から70年がたち、朝鮮人の手法も変わった。暴力が法のねつ造と司法組織の乗っ取り支配に変わり、弱者になりすまし、ヘイトを主張するまでに大変身している。 昨年6月5日川崎デモにおける在日、弁護士、裁判所、川崎行政、川崎市長、検察の連携プレイは見事であった。共産党がどこまで関与しているかはわからないが、主導権がどちらにあろうとも、まさに集大成である。 もう少しで在日川崎国完成というところまできている彼らにとって、在特会や瑞穂尚武会の存在は目の上のたんこぶを通り越してまさに天敵であろう。 今年5月に瑞穂尚武会から川崎におけるリベンジデモの意識調査の依頼があり、同時に参加の呼びかけも行ったところ、異様な反応で、その結果6月中のデモは延期となった。 とにかく参加希望者が多すぎた。といってもスタッフの呼びかけで100人程度、その他もその程度だったのだが、たかが総勢300人程度のデモであっても、難しいらしい。 1.スケジュール告知によりかなりの参加が見込まれるが概数がつかめなかったこと。 1.一般参加者が多く、想定外の危険の可能性があったこと。 1.リーダーのグループや組織の参加者の把握、コントロール状況が不明だったこと。 1.全体行動をコントロールできる実行態勢作りが難しかったこと。 1.実態が見えない、なりすまし組織参加者が多数いたこと。 1.プラカード等の偽装工作が予想されたこと。 1.TBS報道特集にみるカウンターはわずか20名程で反カウンターが予想されたこと。 1.昨年とはデモについて力関係が逆転しており、衝突必至が予想されたこと。 1.警備には限界があり、双方で2000人規模の衝突を分けることは物理的に無理なこと。 等々、いろいろとあり延期されていたが、これは人数を限定して7月中に行われるようだ。 主催者はもちろん五十六パパである。デモの話が出たときに有田がわめいていたが、ツイッターはすぐ削除されていた。脊髄反射なんだな。いよいよ入れ墨部隊を率いて直接対決が見られそうだが、また野間君と一緒に座り込み作戦かな。 余命は歩行が困難なのでデモ関係には参加ができないのだが、公園使用許可から昨年と同様の手順で進めるということであるから、また、ねつ造事件を繰り返すか、しらんふりして逃げるかにも興味がある。 1.また青丘社が周辺立ち入り禁止申し立てをするか? 1.昨年と同じ5名の代理人弁護士がつくか? 1.公園使用許可の回議書裁可は、また市長を入れて16人? 1.市民文化局人権男女共同参画室は不許可に関わりながら同じ開示通知書が出せるか? 1.建設緑政局緑政部みどりの企画管理課、市民文化局人権男女共同参画室は参加? 1.横浜地裁は1人移動のようだが、申し立てがあった場合、再度担当となれるか? 1.過去に例のないでっち上げ犯罪がセットで行われた。11日以降、またやるかな? 1.すでに検察が告発対象となっている。弁護士、裁判官、検察官のそろい踏みは超豪華! 本日は関係者連絡会議である。この件はまたお知らせする。 この稿のあとは神奈川弁護士会の特集となる。まだ千葉県弁護士会からの通知書がないが、それなりに段取りを進めていく。もう各弁護士会は司法もどきでいろいろとやってくるだろうが、対応する必要は全くない。放置一拓である。あちらさんが設定した処理規定であるから懲戒請求後のすべては相手側の処理である。 さて、お預かりした懲戒請求書は、第一波が6月5日、第二波が6月19日、第三波が7月2日と日付記入が終わり次第発送しているが、ここまでで、すでに異変が起きている。 地検でもそうであったが、同じ事案であるのに、それぞれ対応が違うのは単に裁量権任せの施行規則任せということであろうが、いかにもいいかげんである。 要するにどこかの国のようにゴールポストが動くのである。 各弁護士会の対応もまったく同様で、通知書発送や、もちろんその内容についてもかなりの違いがある。また不思議なのは、同じ弁護士会で、同じ内容の懲戒請求ならば既定のそれも前回とまったく同じ処理であるから常識的には速くなるはずである。 ところが第一波に数日で対応した弁護士会にまったく動きがない。つまり、全体の基本的なマニュアルもなければ個々のマニュアルもないということである。対応の遅い弁護士会ほど問題を抱えていて隠蔽にはしるので、いろいろ、くどくどと条件をつけてくるが、すべてあちら側の土俵の問題である。ただの民間団体である。放置しておけばよい。 今般の懲戒請求の初期対応で日弁連は大失敗している。日弁連の規則に懲戒請求を受けた場合は必ず通知をすることというような規定があるのだろうか。綱紀委員会にあげたとかその他の経過報告通知が義務づけられているのだろうか。事実関係を証明する証拠をつけろという規定があるのだろうか。 日弁連はその点は各弁護士会に任せているというだろうが、統一して個々への通知をしている点では統一的対応を指示したのだろうと思われる。まあ、どうでもいいことであるが、多分に嫌み的な個々への通知があと24000件も残っている。馬鹿な対応をしたものだ。 なぜ、個々への通知が義務付けられていないかというと、その証左として神奈川弁護士会の連絡事項があげられる。 <1.懲戒請求者が2人以上あるときは、協議によって懲戒請求者代表1人を選任し、書面で届け出てください。 なお、原則として今後の通知又は連絡は、懲戒請求者代表宛にいたします> もし個々への通知が義務づけられているならば代表云々はないはずである。また、この件は実に不思議である。懲戒請求は個々にしているので、他に誰がということは一切わからない。当然、協議などしようがない。大和会もまとめて送付しているだけで、別に委任状その他何の処理権限もなければ情報の取得や保管もしていない。 日弁連が1件不備として大和会に返済してきた懲戒請求書及び関係がないとして大和会に返送してきた関東弁護士連合会宛懲戒請求書は再送、彼らの責任で返送してもらうことになる。 ではなぜこんな事態になったのだろうということだが、これは1にも2にも読み違いである。ちょいと脅しのつもりだったのだろうが、まったくの誤算だった。 第五次告発においての懲戒請求書の署名は、最初の時点で辞退者が3名、そして送付開始後、通知に驚いた2名の方が辞退されているが総数約1600名のうちわずか5名である。 個々への通知は、これを狙ったのだろうが、明らかに大失敗。個々への通知という大変な事務作業だけが残されてしまったというお話である。 以下、いかにばかばかしい対応をしているか簡単に赤字でコメントを入れておいた。 神奈川弁護士会 調査開始通知書 [調査請求日] 平成29年6月27日 本会が対象弁護士を懲戒しない旨の決定をしたとき又は相当の期間内に懲戒の手続を終えないときは、懲戒請求者は、弁護士法第64条によって日本弁護士連合会に異議を申し出ることができます。 別に懲戒など誰も期待していないからそれはいいが、相当な期間内とはどれくらい?懲戒の手続きを終えないとはどういうこと? 日弁連に異議なんて誰も申し立てなどしないだろう。 なお、懲戒の事由があったときから3年を経過したものは、弁護士法第63条によって懲戒の手続を開始することができないことになっております。 時効という観点から規定しているのであろうが、殺人事件のような帰結事案とは違い、事件が継続しているものは時効が始まらない。今回の懲戒請求の朝鮮人学校補助金支給要求声明は組織の長が発したもので、この内容は組織に継続して引き継がれるものである。 3年たって声明が継続して有効であるのに懲戒の手続を開始することができないとするのはどういうこと? 1.懲戒請求者が2人以上あるときは、協議によって懲戒請求者代表1人を選任し、書面で届け出てください。 なお、原則として今後の通知又は連絡は、懲戒請求者代表宛にいたします。 懲戒請求者は個人である。協議などしようがない。当然、代表選任は不可能である。 要するに今後は通知をしないということ? 2.通知文または文書の送付先を変更したときは、直ちに書面で届け出てください。 3.追加書面(請求書類等)は、調査の関係上、甲号証として6通ご提出くださいますようお願いいたします。対象弁護士が複数の場合は、その数だけ増やしてください。ご提出いただきました書面は返却いたしませんので、予めご了承ください。原本は複写して、複写をご提出ください。 *本件に関する書類等は、懲戒請求事案についての調査等に利用します(書類等については、対象弁護士へ交付することがあります)。 調査が必要な事案など出していない。声明を発出した年月日からすべて明らかである。すでに該当弁護士は第五次告発までに告発されており、告発事由も明確である。いったい証拠にこれ以上何が必要なのか? 公園使用許可に関する虚偽申し立てなどは、当該弁護士を事情聴取する話であろう。 引用以上 拡散希望します 余命三年時事日記 余命三年時事日記ハンドブック 余命三年時事日記2 余命三年時事日記外患誘致罪 余命三年時事日記共謀罪と日韓断交
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