#鰻の蒲焼き
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F爺の訪日の度(たび)に、日本の食べ物は押しなべて甘くなっています。 (これは、F爺の個人的な感想ではありません。長年海外に住む日本人の共通意見です。但し、台湾や広東料理圏に住んでいる人の意見は違うかもしれません) 昔の梅干しは、思い浮かべただけで両方の耳下腺からキュンと唾が出るほど酸っぱくてしょっぱい物でした。今の市販の梅干は、蜂蜜などの入った甘い物になってしまっていて、F爺の口には合いません。地方の物産展などで稀に塩と紫蘇の葉だけで漬けた梅干しや「梅漬け」が見つかると幸せになります。 昔、納豆は、生醤油(きじょうゆ)をかけて食べるものでした。今、市販の納豆の殆どは、タレと称する甘ったるい液体付きで売っています。大多数の消費者がその「納豆のタレ」をかけて食べているようです。F爺は、タレを捨てて、生醤油で食べます。そうしないと納豆を食べた気がしません。 日本の市販の漬物は、大根漬けも白菜漬けも茄子漬けも、すべて大量の葡萄糖果糖液糖入りです。甘過ぎて、F爺には食べられません。素材の味が消されてしまっています。 ケチャップもソースもポン酢も胡麻ダレも何もかも、昔に比べて甘味料の割合が格段に高くなっています。さまざまな国で素材そのものの味を生かした甘味の無い美味しい物を食べるのに慣れたF爺の舌は「不味い」としか感じません。 四国には、F爺の味覚に適(かな)い、美味しいと思える食べ物もたくさんあります。新鮮な魚を塩焼にして酢橘(すだち)を搾ったものなど絶品です。ところが、初めの頃、困ったのは刺身です。F爺は刺身が大好きで、たまに日本に滞在する時にはしょっちゅう食べるのですが、四国で食べる刺身は、どうにも納得の行かない味なのです。見たところ魚の鮮度に問題は無さそうだし、他の客は美味しそうに食べているので、もしかしたら自分の体調が悪いのだろうかとも思い、不思議でなりませんでした。 2012年の9月も末になってようやく突き止めた「犯人」は、醤油でした。このブログの記事第一号『F爺は「お遍路さん」』にも書いたことですが、四国で市販している醤油には砂糖が入っているのです。特に「さしみ醤油」あるいは「握りずし用」として売っているものには、大量の砂糖が入っています。四国の人にとっては「子供の頃から慣れた味」で美味しいのでしょう。F爺にとっては、生魚と山葵(わさび)と砂糖と醤油の組み合わせは、「未だかつて口に含んだことの無い奇妙な味」だったのです。 口に合わない醤油のせいで好きな刺身が食べられなくても、また何皿もいろいろ並んでいる中で煮豆だの佃煮だの見るからに甘そうなもの一、二品を外しても、残りの物をおかずにしてご飯を食べればお腹は一杯になりますから、四国の大概の宿では、遍路を続行するのに問題はありませんでした。ところが、一部の宿の提供する食事は、モロに甘い物ばかりがこれでもかと言うほど並べてあって、全く喉を通りませんでした。 2013年8月某日に種崎の渡しを利用した日に泊まった宿では、鰹の叩きにかかっていたタレが「ぽん酢に砂糖を加えた」と言うよりは「あんみつに酢を混ぜた」と言いたいほどの甘ったるさでした。タレを箸の先で口に含んだだけで気持ちが悪くなり、洗面所に駆け込んで口を漱がなくてはなりませんでした。「甘くない。ピリッとからい」という触れ込みの茄子と筍の煮物もモロに甘くて、これも洗面所に駆け込んで吐き出しました。煮物の魚には箸を付ける気にもなりませんでした。オクラのお浸しは砂糖で煮���めてありました(F爺にとっては前代未聞のゲテモノです)。漬物は、勿論すべて葡萄糖果糖液糖漬け。味噌汁までが濃厚な合わせ味噌を使ったものでした。他には胡麻豆腐がありましたが、これは、F爺は決して食べないものです(*)。結局、この宿の夕食で白いご飯以外にF爺の喉を通るものは何一つ無かったのです。F爺の長い旅行経験でも、こんな甘ったるいもの尽くしの食事を出す宿は初めて(**)です。 (*) 胡麻豆腐の味と舌触りをF爺は好みません。脂肪の塊であるため少量で満腹感を与えるので、分量をけちる店がコース料理によく加える品です。F爺は、脂肪がよく消化できない年齢になったことでもあり、胡麻豆腐の入ったコースは注文しない主義です。 (**) 秋田県の東南端の「大湯温泉」の一軒宿に2012年9月22日に友人と二人で泊まった時も熊肉の甘露煮、網茸(あみたけ)の甘露煮、蕨(わらび)の甘露煮、蕗の薹(ふきのとう)の佃煮・・・に始まる甘ったるいもの責めに遭いましたが、枝豆と鮎の塩焼きだけは砂糖も味醂もかかっていませんでしたから、この宿よりはいくらかマシでした。但し、無塩味噌汁というゲテモノには呆れ果てました。二人ともビールを飲み始めていたので自分で車を運転して別の場所に食事をしに行くことは出来ず、また代行運転のタクシーを頼むには人里から遠すぎてバカ高い物につく・・・というわけで、ビールだけは飲んで寝たのですが、夜中、空腹と怒りで一睡も出来ず、人生最悪の宿と呪ったのです。四国では、人生最悪宿の記録を更新してしまいました。 塩を掛けたご飯だけしか食べられないのでは、体が持ちません。こんな宿に泊まった翌日は、遍路道でコンビニの無い区間では、腹が減って動けないという惨めなことになります。 遍路道で何度か、駄目で元々と思いながら「甘くないものだけ食べさせてくれ」と頼んでみました。39番・延光寺と40番・観自在寺の間にある民宿「大盛屋」、43番・明石寺(めいせきじ)[通称は「あげしでら」または「あげしさん」]と44番・大寶寺の間にある小田の「ふじや旅館」など、いくつかの宿は、厭な顔一つしないで対応してくれました。親切な女将さんの笑顔が忘れられません。 かと思うと・・・F爺が予告通りの時刻に到着した時に自分たちが留守にしていたことは棚に上げて、喧嘩腰で「夕食はもう準備してあるから今頃そんな要望を出されても対応は出来ない。文句を言うならキャンセル料を置いて出て行け」と横柄な口を利いた��人のいる宿に当たってしまったこともあります。砂糖漬け・味醂漬け食品しか出さない宿だと分かっていたら、決して予約などするのではありませんでした。 観自在寺と41番・龍光寺の間にある津島町岩松の「三好旅館」では、電話予約の時、自発的に「食物アレルギーとか、これはどうしても食べられないというものがあったら言ってください」と言ってくれました。地元で獲れる天然鰻の蒲焼がこの旅館の自慢の名物料理なのですが、それを、F爺のために、塩焼きの魚で差し替えてくれたのです。ありがたいことでした。この旅館のもう一つの名物料理は、焼き海老(えび)。上に掛けたどろりとしたものの色がF爺の分だけ他のお遍路さんたちのとは違っていましたから、特別に甘くない味付けをしてくれたのだと思っています。 日本を訪れる外国人の大多数も、食べ物の過度の甘味のため、F爺と同じ悩みを抱えています。 ある日本在住の日本人料理店主が「食べ物を美味しくするために味醂や砂糖を使うんです。それが常識です。Fさんは味覚障碍者ですよ」と言っていましたが、F爺の考えは正反対です。日本以外の国で甘過ぎる食べ物に困ったことは無いのですから、「料理に砂糖や味醂を使うのは、誤魔化し。近年の日本は、味覚障碍国に成り下がった」と考えています。
味覚障碍 ? - F爺・小島剛一のブログ
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鰻といえば藤井猛九段の名言「こっちは鰻しか出さない鰻屋だからね。ファミレスの鰻に負けるわけにはいかない。」
Xユーザーの蒲焼きさん
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20230730(sun)
北陸自動車道金沢東ICを降りて、かほく市の方へ進み日本海の海岸線に沿って走る自動車専用道路「のと里山海道」を北上。
午前中は石川県羽咋(hakui)市の「千里浜(chirihama)なぎさドライブウェイ」と「宇宙科学博物館コスモアイル羽咋」を楽しむ。
昼食は七尾(nanao)市にある「ごはん処一歩」がおすすめと聞いていたので、羽咋市から能登半島を東に横断するように進む。七尾までの街道沿いを走っていると、家々の瓦が以前行った富山の瓦と同じ黒瓦で、夏の日差しを受けて、艶やかな黒が美しかった。
食事は「海せん丼半盛セット」(1,480円)を注文。近くの七尾湾で採れた新鮮な魚を使っているという海せん丼(これでミニだそうです)。この味この値段いうことなし。ちなみに11時30分から開店ですが、この時間に行くと1時間待ちかな。ぼくたちも開店時間後に着いたので、予約後近くにある七尾フィッシャーマンズ・ワーフ能登食祭市場で時間をつぶす。(鰻の蒲焼き、美味しそうやったな)
食事の後は能登島大橋を渡って、石川県能登島ガラス美術館を見学。観光パンフを見せると、100円の値引き。ちょっと嬉しかった。
こんな夏の日の一日。
#のと里山海道#千里浜なぎさドライブウェイ#宇宙科学博物館コスモアイル羽咋#石川県能登島ガラス美術館#notojima glass art museum#ごはん処一歩#羽咋市#七尾市#七尾フィッシャーマンズ・ワーフ能登食祭市場
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カバヤキ
「猫飼好五十三疋」は、江戸時代の浮世絵師・歌川国芳による猫を題材にしたユニークな浮世絵シリーズです。その中で、川崎をもじった「蒲焼」は、猫が蒲焼の串に刺さっているかのようなユーモラスな構図で知られています。この絵では、猫がまるで鰻の蒲焼のように、串に刺さり、煙が立ち上る様子が描かれています。猫の表情はどこか満足げで、まるで美味しい蒲焼を堪能しているかのようです。国芳は、猫の愛らしい姿と、江戸の食文化である蒲焼を掛け合わせ、ユーモア溢れる作品に仕上げました。この作品は、猫好きだけでなく、江戸の風俗や食文化に興味を持つ人々にも人気があり、国芳の遊び心と独特��世界観を感じさせる一枚となっています。
手抜きイラスト集
#蒲焼(歌川国芳)#Kabayaki (Utagawa Kuniyoshi)#Kabayaki (Kuniyoshi Utagawa)#手抜きイラスト#Japonais#bearbench#art#artwork#illustration#painting
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白米の上に贅沢に敷き詰められた蒲焼がのった「うな重」にはうざく(鰻入り酢物)、一口茶そば、フルーツ、香物に、茶碗蒸しと肝焼きが付いてきます。 鰻は先代の焼く技術を受け継いだ唯一の弟子が、注文が入ってから新鮮な国産うなぎを手間暇惜しまず丁寧に焼き上げます。
かね春 (高知県高知市)
via 高知の連日行列が絶えない超人気店!「せっかくグルメ」にも登場した「うな重」 - ニッポンごはん旅)
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なんだかんだと慌しい日であった。
昨日の後始末なのだけど、なんか一日中謝っていた気がする。


土用丑は昨日だったようで、あちこち鰻の写真があがっていた。
すっかり忘れていたので、昼飯に「ちくわの蒲焼き丼」を食った。
まあこういうのは気のモンなので、タレさえ旨けりゃなんとか騙せる安い舌なのである。
家人は夕方から出かけて���まったので晩飯はひとり。




「キャベツのアンチョビパスタ」「セロリと豚のオイスターマヨ炒め」である。
はー疲れた。
ごちそうさん。
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鰻のせいろ蒸し。胡瓜とワカメの酢の物。
鰻はせいろ蒸し一択のとこで生まれ育った私。食べに行きたいけど、この数年でかなり値上がりしたので、自分で作ることに。
スーパーで特売だった鹿児島産の鰻の蒲焼、タレを混ぜた白米に錦糸卵を乗せて蒸すだけ。食べに行くよりかなりお安く、ヘルシオ蒸しで簡単だし、冷凍の鰻でもふっくら美味しい。
ああ、日本人で良かった!鰻大好き!
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2024年7月24日(水)

我が家は狭い敷地に細長い3階建て、1階と2階にトイレがある。下のトイレがトラブル、O工務店にお願いして新しいものに入れ替えていただいた。こうしてみるとタンクの形状がずいぶん違い、いかにもレトロな印象だ。給水管の位置やリモコンのデザインなども(ここには映っていないが)ずいぶん変化があって、20余年の歳月を物語っている。やはり、〇〇とトイレは新しいものが良いなぁ・・・。

2時起床。
日誌書く。
二度寝。
5時起床。
シャワー。
体重は150g減。

蕎麦の解凍を忘れたので、今朝は素麺をいただく。
珈琲を淹れ、洗濯物を干す。
弁当*2。
空き瓶缶、45L*1。
ツレアイを職場まで送り、いったん帰宅する。
O工務店からは8時30分工事開始とのこと、15分前に業者来訪、挨拶してO君を待たずに出勤する。

今朝も交通量は多いが、順調に到着。
換気、ラジオ体操第一、冷房を入れてからお茶を頂く。
水曜日は2限・3限<情報機器の操作Ⅰ(栄養学科)>、先週のエクセルテストの復習をして実習問題を解かせ、授業アンケートを実施して終了する。
昼前にO君からメッセージ、工事完了とのこと。
昼にはラジオ体操第二。
3限終わってすぐに退出する。

無事に到着する。
京都は結構雨が激しかったようで、3男がベランダの洗濯物を取り込んで扇風機の風をあててくれていた。

ライフ西七条店で買物、鰻の蒲焼きと肝、それに鱧を追加する。
amazonから予約していた本が2冊届く、これは明日紹介しよう。

夕飯、鰻の蒲焼き・肝焼き・鱧の落とし・ナスの煮浸し・きゅうりとわかめの酢の物・トマト+SAPPORO CLASSIC。

今夜も枝雀、「地獄八景亡者戯」。
例によって終わる頃には睡魔到来、布団に引き込まれる。

久しぶりに歩数クリアして3つのリング完成。
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【かいわいの時】宝永五年(1708)二月三日:曽根崎新地に茶屋株等許可(大阪市史編纂所「今日は何の日)
曽根崎新地は、宝永五年(一七〇八)に蜆川沿の西成郡曽根崎村の地内を開発して成立した。同年二月の町触によって、地代銀の永久免除・十五年間の無役・茶屋株や風呂屋株など諸株所持を認めるという前提のもと入札者を募り、高金額を提示した者が落札する、という方法が採られた。開発後、新地は天満組に編入され、さらに三町に町割りされ、各町に町年寄が置かれた。落札者には町触通り、茶屋株などの所持が認められるとともに、「株付屋敷」も下された。茶屋では一株につき二人の茶立女を置くことが許可されたが、現実には遊女としての営業が中心であった。��わゆる「新地」が、遊里(遊所・遊廓)の代名詞として用いられたのは、このためである。
西高津新地は、享保十八年(一七三三)に西高津村のうち、紀州街道沿の長町以東のニ―七石余の畑地を開発して成立した。谷町二丁目の福島屋市郎右衛門と立売堀三丁目の備前屋善兵衛の両名が、「新町屋」の建設を幕府に願い出て、許可を得たのち開発に着手した。そのとき両町人は西高津村から地所を買い請けている。開発後の地所は、町人の「請地」とされ、翌十九年九月に新地の繁昌や開発者の助成のため、茶屋株三二株が与えられている。延享二年(一七四五)正月には、大坂代官支配から大坂町奉行所支配となり、南組に編入されている。そのとき、新地は九町に町割りされ、各町に町年寄が置かれた。ただし大坂三郷へ編入されても、年貢負担は継続され、さらに町役も他町並に納めるという両役負担となっている。
この二つの新地開発を請け負ったのは町人であり、その点で「町人請負新地」と呼ぶことができる。だが、開発の契機に注目してみると、曽根崎新地は大坂町奉行所の町触、つまり幕府の意向が開発の契機となっており、一方、西高津新地では町人が開発を出願している。その点で二つの新地を区別することができる(松永友和)。「新地開発をめぐる幕府政策と訴願運動-難波新地の開発を中心に-」関西大学史学・地理学会『史泉 巻108』2008より。
(写真)「浪華曾根崎図屏風」1700代(大阪歴史博物館蔵)舟遊び図。
図中央に曾根崎川(蜆川)が流れ、舟遊びに興じる人々が描かれています。左には『曾根崎心中』お初・徳兵衛の道行きの舞台ともなった梅田橋が架かり、橋の下には鰻の蒲焼・酒を売る舟も描かれています。曾根崎川南岸の堂島新地は元禄元年(1688)に開発され、北岸の曾根崎新地は宝永五年(1708)にできました。いずれも新地振興策として幕府から茶屋などの営業が認められ、茶屋や料亭が軒を連ねる遊所として賑わいました(水都大阪2009開催記念事業・企画展「水都大阪再発見」大阪市より)。
「浪華曾根崎図屏風」は六曲一双で、この舟遊びを主題とする左隻と、堂島新地の遊里風景を描いた右隻からなる。
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うなぎ つるや | 浅草新仲見世商店街(しんなか)
2025/3/6
浅草行ってみたいお店
国産うなぎがお手頃!
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【三保松原~日本平】


また富士山方面へ行ってきた。 前の週は寒くて雨で翌週も雨、この週だけ温暖な天気で、駿河湾青い空も青い富士山でかい三保松原である。

静岡と言えばやっぱ鰻だな、鰻屋さん多い。 白焼と蒲焼が両方食べられる看板メニューを食べた。




日本平ロープウェイで久能山東照宮へ。 家康のお墓があるだけあって絢爛豪華な装飾。 巫女さんら関係者の皆さんは毎日一番下の鳥居から、千段以上の階段を登ってくるんだと。 ロープウェイからでも階段かなり登るよ。



日本平夢テラスからの景色が素晴らしかったよ。 お約束のソフトクリームはバナナ味にしたけど、みんなミカン味食べてた。


宿がある静岡駅に向かう途中、登呂遺跡へ近寄ってみた。 普通に公園になってるのね、あの登呂遺跡が。 公園だから24時間入れるけど、駐車場が16時半まで。 残念ながら過ぎちゃったから車停められない。 周辺に駐車場が一切無いから入れなかった。


夕食は駅近くの居酒屋で初静岡おでん。 花金でめちゃ混み&賑やかだった。 静岡おでんと言えば黒はんぺんが有名だけど、私は黒くない他の練り物が食べたことなくて珍しくて美味しかった。
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【東京】赤羽「川栄」
【有吉木曜バラエティ】うなぎの名店『川栄』孤独のグルメ ドラマ舞台の名店の今 2025/1/9放送 東京都北区赤羽1-19-16 #有吉木曜バラエティ #有吉弘行 #松重豊 #中島颯太 詳しく見る↓
赤羽駅「川栄(かわえい)」 食べログでcheck! うなぎと鳥料理を専門とする料理店 創業当時から継ぎ足し使われているという秘伝のタレは、三代目に受け継がれる今も、川栄の味を支え続けている。 このタレで焼き上げられたうなぎは、香ばしい香り��ふっくらとした身が特徴で、長年地元の人々に愛されてきた。 うなぎは、うな丼やうな重として提供され、白焼き、一度漬け、蒲焼きと様々な調理法で味わうことができる。 【火曜サプライズ 東京 赤羽 川栄】石原良純&長嶋一茂&DAIGO60分一本勝負! お休みで行けなかったうなぎ屋さんは? 2019/6/4放送 住所 東京都北区赤羽1-19-16 TEL 050-5869-0614 ホームページ 川栄|赤羽の鰻と焼鳥の店 創業1946年 赤羽の酒処、鰻とほろほろ鳥料理が食べられる店… ホームページをcheck!
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【おせち料理の逸品】室町創業 400年の歴史 うなぎ料亭「山重」監修の 迎春弐段重 豪華47品目
二段重に47品目のボリューム感、各食材ならではの風味はもちろん、長年の伝統と職人技も期待できる、豪華、豪華、豪華なおせち料理です。
黒豆、昆布、数の子といった定���料理も豪華な仕上がりのうえ、瀬田鰻蒲焼き、手毬海老、蟹柚子酢仕立て、活あわび福良煮、活海老艶煮など、「うなぎ料亭」ならではの豪華な魚介料理が豊富な印象。
重箱に盛り付け済みで冷凍から解凍するだけの手間いらず、彩りも美しいおせち料理の逸品です!
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110歳から教わる長寿の秘訣
わたしの祖父は大正生まれです。 現在、存命中の日本の男性長寿者2番目だということを最近知りました。 白寿の時に祖父が長年書き溜めていた日記を冊子にした際、 長寿の秘訣を聞いてみました。 「好きなことして、 好きなものを食べるだがや」 そういえば100歳の時にはタクシー乗って好物の鰻の蒲焼を、 105歳の時にはお寿司を一緒に食べに行きました。 110歳のお誕生日にはホームの方が、名前にちなんでカツ丼を用意してくださったようです。

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鰻重
関東風の蒲焼
焦がしバターとごぼうのソース
黒とうもろこしの芯のご飯
粗挽き黒胡椒とバルサミコ
以前うざくを提供した時は大きめ鰻を鉄串を刺して直焼きの関西風蒲焼きで皮パリパリ、身がジューシーな方向性でした。
今回は生きたまま捌いて竹串に刺し直焼きして蒸して、更に炭で焼く伝統的な江戸前仕事。
適度に脂が落ちてさっぱりふっくら仕上がるため、ご飯との一体感も考えてこの焼き方を採用しています。
土用の丑の日のイベントの経験を活かして、最近ふっくら感をより強調させるために竹串の打ち方を変えました。

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地方のうなぎ飯で有名な柳川の「せいろ蒸し」にしても、名古屋の「櫃まぶし」にしても浜松周辺や諏訪湖周辺それと関西、中国、九州地方の一部に残っている「背開きで蒸さないうな重」にしても、すべて合理性を考えて生まれ、その中で庶民に受け入れられたものだけが残ってきたと私は思います 関西と関東の蒲焼の違いを 「脂の好き嫌いで関東は蒸すようになった」と言う説では 明治に入り「牛鍋」が爆発的な人気を呼んだと言う話しとは合わない気がします。 天然うなぎの脂肪は「トロ」や「養鰻」などと違いそんなに気にならないさらっとした味と実感しておりますし、もし脂が受け入れられ「トロ」が人気が出たのなら、逆になぜ関東風の蒲焼はすたれる事が無く、未だに広がり続けているのでしょうか? どうしても引っ掛かっていました。 最初に私も考えていた「うなぎの質による違い」とか、河川の違いでは、鉄道により流通範囲が広まった時から差は無くなるはずです。また西日本でもウナギの好むゆったりとした川や餌の豊富な場所はいくらでもありました。 腹開きと背開きの変わった理由を「蒸し」だけの違いによる説明だけでは例外の地域が多く、的から外れているように感じます。 また「切腹を嫌って・・・」などと言う説は、私から見れば論外です。 と、偉そうに書いてしまいましたが、今まで関東と関西の違う理由を色々な先生が考えていますが、私と同じような考えの方がおりませんので、たんなる「うなぎ屋」の戯言かもしれませんね。 ただ私は「関東で消えた関西風」のすべてにあてはまる理由は、「経営面的な考え方」だけだと今の段階では思っています
鰻雑学- うな繁
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