#黒炎の戦闘制服
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【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)
目次 ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)の基本情報 ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)のステータス ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)の着用可能キャラ ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)の評価 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)の基本情報 部位 衣装 レアリティ UR 入手方法 神器ショップ 価格 ダイヤ30個 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)のステータス 防御力+180 忍耐率+2% クリティカル防御+4% 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)の着用可能キャラ 【太陽】エスカノール 【傲慢の罪】ゴウセル 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(エスカノール)の評価 URの状態でゲットできる こちらは神器ショップで購入した時から最…
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひ���へほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕堅訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵��祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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「知球GrassShining3(メノス・グランデ)こと共有緑知が育てるファイヤー ⬇︎」
今回は「262週目」で色違い❤️🔥
今回は「30回全滅」🤌😁
現実の愛玩動物に絶対にクリア出来たはずなのにやられた回数:「4回」
家庭のお手伝いの為に試合放棄:「2回失敗」
おすすめは熱風を食らう事で蒸気機関を発動して最後の貴重な先手を掴み取るセキタンザン。🪨タイプの攻撃が二重弱点であらゆるレイドボスの下位互換のような易しさで、弱い相手にはトコトン弱い。51レベルで睨み付けるを覚える唯一鳥(こちらのパーティ全体が対象でこのエンドコンテンツの為に生きる技 中々のメンツが覚えてる���えるでやり返してもOKだし、凍てつく波動を考えると格闘タイプを連れてで賭けに出たコーチングもあり、一番厄介な炎技は特殊なので相性の悪さで助かってる) しかもダイマックスアドベンチャーで追い詰められて激しさを増してから追加技をされないのは今回の新主人公も含めると合計3体しか登場しないオマケ付き(なぜだろう??❓) 他にもダイストリームを発動できる基本的な水タイプのポケモンも安定して好ましく(相手が晴れに塗り替えるためには単体のダイバーンを使わなければならず、多角的な面から見ても全てがミスマッチしている)、元の難易度が低い為細かい事は気にしなくていい。火傷を負わされても兎に角殴って即終わらせる(この個体の特性は決まってプレッシャーだが、決着ターンの目安から能力値と相性を考えると炎の体だった方が真面目に辛いから楽観的に捉えて気楽に挑戦しよう) 他の鳥がモチーフ伝説にも有効な、撃ち落とす単体がゴリ押せるチート(使用者の1匹である耐性からもサイドンがマジで安定して強い)で、そこから地面攻撃も抜群で当たるようになるから改めて最低ランクCとBをウロウロ彷徨うToo EASY
⬇︎これはソードシールドに置いて本当にそう。エンドコンテンツの中で総合性能ダントツで最強、何度でも断言する。もうわかってるでしょ?群を抜いたワイドガードの圧倒的存在感




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水と岩の複合タイプは今回で言うなら頂点中の頂点 この中でも最強なのが切り札ダイマックスで命中率が改善された火力が馬鹿みたいなジーランス&スピードで勝るのは無い為にいわなだれで怯ませる事は出来ないがこちらも切り札として選ぶ事で不安を殺せる(道中で草タイプを拾うのが求められるケースなんてないから運用まで適当にやって大丈夫👌 ガチゴラスだとさらなる無双が出来る上に茶番のような運ゲーの開幕して余程のリアル妨害が無ければなんとかなる) だって、準伝説だし1匹でも大当たりアタッカーが居れば全部解決するから。個人的に思ってるんだけどファイヤーにワイドガード持ち(元のパワーが凄まじいキングラ��とサブウェポンが岩のコジョンド)をそのままの用途で使う必要なくない? やっぱりサワムラー使用時だけ発動するべきだと意見する、他のブログでダイバーンされたら全体を防ぐ置き物になると言われたペリッパーは特に回収を意識しないで行きました) 一戦目からAIがフシギソウを引いて、他はグッドの手札の中、安牌ヤレユータンに2回ライフを連続で沈まされた思い出は……さっさと懐かしくなれ💢(どうせ勝てたしよ〜最期まで殴り合いはわからない😁) 一番ましだと思える単鋼を妥協で拾うべきはギギアル、何故ならパワージェムでギリギリアタッカー要因に出来るから。でもどうしてもという時ぐらいしかおすすめは出来ない(ブログ主が好んで拾った回数はなし ゴルダックのすいすいがマジ最強) 一番変則な大金星だったのはプレイヤーがファイアロー&ゴンベで、AIがイオルブ&モンジャラのケース(混乱、痺れ、追い風、熱風の来ない幸運、更に後半からよく当たり出すようになる暴風) 氷タイプが表示されてるなら単体なら論外で、複合ならアマルルガが最強。何故ならファイヤーが抜群を取れない上、原始の力が古代を復活させる大いなる存在になる為。他にも厚い脂肪を持ったイノムーなど一見して連れて行ったらダメなタイプ相性を気にせずにルート選択画面で瞬時に見抜けばいい
ちなみにファイヤーは優遇の中でも選ばれし通常状態のリザードンより素早さ以外全て上位で準伝説アリなら間違いなく今回の新主人公一択 ホウオウとの差別化だって特殊と物理の違うアタッカーとして、しっかりしてる 図鑑に上下関係しかない恐竜ばっかりなんて嫌でしょ?パルワールドは怖いんだ、だって現実世界より夢がないから ダイマックスアドベンチャーは世の中的な意味でクソと言われてるが、AIが優秀だと放置し始める野郎が現れるし、レンタルポケモンを自由に選べると、厳選難易度と同じメンツを見る繰り返しになってより強くなる作業感要素がゴミクズに拍車を掛ける事になりかねない 任天堂を信頼するべきだ 絶対に2代用意して下さい(改造掴まされるのがポケモン世界で最も恐ろしいのだから👍)
28回目&56回目&146回目&170回目でワンターンキルしましたア‼️‼️ お金不足でレストランフードメニューが無くたって😞🍴💔、情報社会の賜物なトレーニングメニューがあるじゃない😁🧿✨
今回のケースで言うなら””””新しい血族のシックス様(15歳)&獅童正義さん(15歳)””””に292人の””””F(フェア):ヴァストローデ””””が戦う為に束になって掛かってようやく5%の可能性で勝てるかも知れないレベル。マジで別格の裏ストチート&ニューボス様(赤き究極の真実)⬅︎このお二人にあるのは性的羞恥心じゃなくて奪えば絶叫して全てを無に返す暗黒の誇りと自尊心。その一面を、発売されたかもしれない彼等のスピンオフをちゃんと読んでるであろう人なら”””霧島04(裏ストボス)”””が神として、悪魔として、腹黒さで、狡猾さ、リーダーとして、異質さ、………果ては純粋硬派柱アルテマジキチガイとして如何に劣った存在なのかわかります。だからもしも“”””””””””始まりの(獅童正義さん✖️シックス様)PureEgrosburst04””””””””””だった僅かな全盛期であれば三匹全ての個体が色違い&最高個体値で出来たウルトラネクロズマを甚大圧倒するスーパーレア度に強さも含めダントツチートップで、””””めだかボックスとゲイムギョウ界と北斗の拳””””の最強主要キャラ全員の究極上位互換としてその振る舞いを見せ付けるまでもなく同時にまとめて相手にしても1分でいとも簡単に皆殺しに出来る本編の完全なタイトルアンチテーゼでした(究極の赤き真実) “”霧島狩魔””とはルナアーラを喪失した設定上の劣化ネクロズマ、””無印04””とはソルガレオを喪失した弱体化の複製ネクロズマのようなもの。””””ラオウ様(真主人公)””””の話術で引き裂かれた結果、後世に名を残した偉大なる哲学者総勢のどこまでも続く果てしない研究と積み重ねられし先々の最高度な全宇宙神話よりも熱く輝いた融合は二度目のチャンスを与えない”””””お互い(チート&ニュー)”””””の裏切りの予期によってどこにでもいる”””善良な色違いフィオネ”””のひと夏の思い出より薄っぺらい無価値な過去ストパフォーマンスしか取り柄がない狂気系絶対悪だけの屑駒”””霧島04(裏ストボス)”””へと成り果てた(赤き真実)
“””純粋硬派柱SuperPureEgrosburst04 霧島狩魔(裏ストボス)「俺が、渇望してきた。オリギナール様…(赤き真実)……」”””

霧島04(中ボス)「魔法とは肉体で出来ることを装飾しただけの幻想だ。ただ、力を振るうのに責任を持つ必要は俺達にはない」高級ゴールドポーン/ケチャチャ「はい!この世は全て強者の物。黒人という劣等人種は一匹残らず支配しなくてはならない!私達黄色人種の漢達が!白人という神々の加護を受ける価値がある!続きをお話しください」霧島04(中ボス)「思いが詰まっていなくては本質を失う だから溢れる感情がしっかり着いていく拳で語り合う熱情が令和を迎えた現在も人気を誇り廃れない」ゴールドケチャチャ「お言葉ですが、無いよりある方がいい。力があれば、心のあり様なんてどうでもよいのです 私は主張します」霧島04(中ボス)「この世のあらゆる服を実態のない超能力で消し去る力があるとする。だがそんな魔術を公衆の面前で自分を対象にできるか?強力で確たる意志を持って初めて発動しなくては制御なき取り返しのつかない大失敗をして暴走の矛先は生涯自分を殺すだろう
俺達が格闘で戦う最大の理由だ。仮面ライダーになるならば相性、特殊能力なんて下らない進化はしてはいけない(赤き真実)」
“””””エルンスト・フォン・アドラー様(裏主人公)「オールアクションフォーマストダイ(赤き究極の真実)」”””””
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塔の頂上・最終戦3
化け物と成り果て、変わり果てたシュトゥールと対峙するのはフェリンソワ、エオレンスタ、アイヴァンヌ、ジニーエイラ、そしてサンディエゴ。獣の如き唸り声が時折聞こえる彼の姿に、その全員が複雑な表情をする。
どうしちまったんだよ、あいつ。
彼の姿を見た事が無かったサンディエゴ。投げかけた問いに対して、フェリンソワとエオレンスタが軽く答えた。
………少しだけ、ウバーデゴスさんから聞きました。元々は貴族でグリッシーニさんやマリナディアさんと少しだけ、交流があったのですが………家系が没落してからは行方を晦まして暫く音沙汰が無かった、と聞いています。 その間に何をしていたかと言うと、「ビジオ」と呼ばれる教団に拾われ、そこで他の拾われた者達と共に12年前のあの「UB戦争」を引き起こしたと聞いた。教団内での最後の戦いはウツロイドを使い戦うも、そこで「セブンスヘブン」のブリオッシュさんに倒され………終戦後に残党共々逮捕されて「異界監獄」に投獄されたけど、神経毒に寄生された所為でかなりの後遺症が残り、獄中で幻覚を未だに見る………とか言ってたね。
険しい表情をするジニーエイラ。そして、顔以外の原型が残らないまま、シュトゥールは唸り声と共に暴れ出した。
グッ………グルウゥゥゥウウアアア!!!
うわぁっ!?………もう、やるしか無いみたいね………。
彼の哀しき末路に心を痛め、ジニーエイラは振り下ろされた爪を回避する。只者ならぬその目付きと風貌に、死闘を覚悟して彼女が立ちはだかった。
本当にこの人が、あの4人を倒したの? …多分。何か変な雰囲気を感じる。
フェリンソワとエオレンスタが牽制攻撃をする傍ら、グゥエルのやり方に怒りを隠せないアイヴァンヌとサンディエゴ。
大罪人とはいえ、駒同然の扱いをするなんて。 とんでもない逝かれ野郎だな………。
その間にも、ジニーエイラが攻めていく。暴風を使いシュトゥールを吹き飛ばした………かに見えた。
………!?………なんて事!
盾を両手で構え、予め攻撃を防いでいた。おまけに今の彼には、野生の本能に目覚めたかの様に目が強く光り輝いている。
ギャオオオオォォォォ………!!
シュトゥールは拳で地面を殴り付け、尖った岩で攻撃してきた。
きゃっ!? おっと!
5人はバラバラに逃げてそれらを回避し、正面から飛び上がって逃げていたフェリンソワとエオレンスタが攻めに行く。
隙あり、です。 もう逃さないよ。
無数の空気の刃と、空中からの急襲。2人に軽やかに攻められ、思わず下がるシュトゥール。しかしその後方からは、アイヴァンヌとサンディエゴも向かってくる。
えぇいっ!!
だが、シュトゥールの方も追撃を許さない。再び両腕で尖った盾を構え、アイヴァンヌとサンディエゴの攻撃を捌く。尖った部分が2人に傷を負わせた。
サンディエゴさん! ちっ!またか!
行けそうで行けない。それでも、シュトゥールの防御が疎かになる瞬間、その隙を見逃さず捉える………その為に、立ち向かう5人。しかし!
しゅるるるるっ………
伸びる植物の蔓。音を立てている為に思ったより重量があるが、特別何かある訳でも無いただの植物の蔓である。それらがシュトゥールの合図と共に5人に襲い掛かった。
きゃああぁ!!! うわっ………!!
体が蔓に巻きつかれ、服の隙間に吸い込まれる様に伸びて擽ってくる。このシュトゥールの攻撃に、5人が苦しみ出した。
ちょ、ちょっと………っ! きゃあ!!
それでも何とかしようと、フェリンソワとサンディエゴだけは火炎を噴き出して対抗する。
多分これが!あのグリッシーニさんとマリナディアさんを沈めた蔓ですね! ああ!恐らくウバーデゴスさんとファジーフェさんも苦戦したに違いない!
蔓が燃えて黒く焦げ、解放された5人。だが、シュトゥールから無数の爆弾が飛んできた。それらに逃げる暇も無く………
どかどかどごおおおぉぉぉん!!
無数のミサイルの雨を、打ち上げる様に発射して掃討する。更に、生命エネルギーの塊をも同じ要領で降らせたのだった。身動きが取れないまま動かないでいるとそのままなぶられいたぶられて、かと言ってバインドを解けばそれはそれで続け様に追撃が襲って来る。
うぅ……っ! シュトゥールは今…何処に?
そう、グゥエルに連れられたシュトゥールはこの来る戦いの為に、魔改造されていた。原型で言うなら背中の棘鎧………ブリガンダインに武装用のバックパックを追加して、此処からミサイルや木葉、落石、そして果てにはエネルギー弾などを次々と撃ち込む事が可能となっている。さっき倒したグリッシーニやマリナディアと同じ様に、この圧倒的物量でごり押しする作戦に、フェリンソワ、エオレンスタ、そしてサンディエゴも追い詰められる。
きゃああっ!!
追加の落石。反撃に転じさせる暇も与えず、これであのウバーデゴスやファジーフェすらも倒してしまった。3人が力尽き、ダウンする。
上ならどうかなぁ?
飛んでいるジニーエイラの姿を見たシュトゥールはバックパックから木葉を撒き散らし、簡易的に煙幕を���ろうとしていた。しかし………
そこまでよ、やらせない。
何を考えているのか、殴られる至近距離の懐までアイヴァンヌが接近した。隙だらけの彼を斬り飛ばすが、倒れそうには無い。そして、アイヴァンヌに大きな拳が振り下ろされる。
イヴ!
直後、彼女が盾を構えて攻撃をブロッキングし、シュトゥールの攻め手が疎かになった。実は彼女は、その隙を狙っていたのだった。
今だよ!ジニィ!
そしてジニーエイラは、広げた翼でシュトゥールの体を打ち飛ばし、暴風を巻き起こして吹き飛ばした。
グガラアアアァァァァ………!!
暴風で背中の鎧が爆発して壊れ、派手に飛んだシュトゥールに止めを刺すアイヴァンヌ。双剣の一撃が、彼の心臓目掛けて交差した。
ギャオオォォォン………
噴出する血飛沫。元々貴族の生まれで、没落の果てに迎えたその男の末路は、最後まで大いなる力を持った者に2度も好き放題操られ、そして哀れな姿にされたまま敗れ去り力尽きると言う、あまりにも悲惨極まりない最期だった。
うーん………あれ? 終わったのか? ………ええ。
既に傷を負っているが、未だ倒れてはいない。ジニーエイラは持っていた傷薬で3人と自分を治療した。
私、聖なる灰を使って一度起こしてみる。それまで何とか………持たせてくれる?
アイヴァンヌの作戦に、静かに頷いたジニーエイラとサンディエゴ。
そうだね、イヴにお願いする! 終わらせよう、この戦争と悲しみを…!
アイヴァンヌのみ一旦別行動を取り、後の4人が持たせると言う算段の様だ。聖なる灰を握り締め、彼女は倒れている神達の元へと向かった。
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P3 Club Book pages 29-30 scan and transcription.


タルタロスの 不思議な ダンジョン
第1階層 : 世俗の庭テベル
第2階層 : 奇顔の庭アルカ
第3階層 : 無骨の庭ヤバザ
第4階層 : 豪奢の庭ツイア
第5階層 : 焦炎の庭ハラバ
第6階層 : 憂鬱の庭アダマ
第7階層 : 王居エレス
深層モナド
通常の影時間にも使われた影時間プラー。暗緑色ににじんでボヤける感じが禍々しい。
太陽の輝きが眩しい画面効果、ペルソナフレア。季節によって輝き具合が違ったりする。
Qタルタロスの不思議なデザインが大好きです。どこかの名画で見たような気もするのですが、タルタロスのデザインモチーフは?
美 名画というのは正しいな。デザイナー副島氏の希望で、タルタロスのテーマは、不可思議な空間、シュールレアリズムの要素を取り込む、というものとなった。そこで、オランダの画家マウリッツ・コルネリス・エッシャーや、イタリアの画家ジョルジョ・デ・キリコの作品のテイストを積極的に盛り込んだのだ。
天 各階層の名前が聞きなれないんですが、あれも何か神話から?
ア 肯定であります。ユダヤ教の世界観・死生観にある、7つに分かれた地上世界をそれぞれ示す名でありますね。モナドも同じくユダヤ教で、あらゆるものの構成要素「1なるもの」を意味する言葉であります。
順 あれ?モナド以外の階層って6つしかねえよな?7つの地上世界じゃひとつ余るぜ?
真 ニュクス・アバターと戦う直前の屋上みたいなフロアがあるだろ。あそこが第7層、王居エレスだ。
美 それ以外の各階層の、デザインコンセプトも聞いてきた。コメントを引用させてもらおう。
○第1階層
世俗の庭テベル
学校の雰囲気を残しつつ影時間の要素を入れて構成しました。隠し階層の深層モナドは1階層と同じくタルタロスの低い位置にある階層で、同じく学校のイメージを大きく残した階層になっています。
○第2階層
奇顔の庭アルカ
表面的な恐怖を出してみようと思い、デザインをしました。床の模様に騙し絵が仕込んであり、ある方向から見るとドクロに、反対から見ると天使に見えるようになっています。ケルトゴシックの建築やギーガーの歌などの要素で構成しました。
○第3階層
無骨の庭ヤバザ
エッシャーの騙し絵にある。昇り階段がいつのまにか下りになっているという不思議な感じを出そうとデザインした階層。辻褄が合わない様子を3Dモデルへ入れるのに苦労しました。壁の模様や、階段に見えるスロープなどに騙し絵の要素が入れてあり、結果的に今作のテーマが一番濃く出た階層になったと思っています。
○第4階層
豪奢の庭ツイア
欲の塊、ということで金色のダンジョンに。物語も中盤を越えて盛り上がってきているので、それにあわせてゴージャスな階層にしようと思い、宝箱の中身よりも豪華な素材でできている階層、と思って作成しました。
○第5階層
焦炎の庭ハラバ
混沌とした雰囲気を出したいと思いサイケデリック、螺旋模様をコンセプトに。終盤になり、ここまでの階層と変化が出るように抽象的なモチーフで構成しました。また次の第6階層へ入った時に大きな変化が出るようにと、黒い空間にしています。
○第6階層
憂鬱の庭アダマ
最後の決戦を前にして、無駄な物が無い状態にしようと思いました。壁や床に刻まれている溝は天の川や、宇宙、大気の流れを表現しており、ゴッホの描いた『星月夜』という夜空の絵の雰囲気を参考にしました。基本色調が白いのは、決戦を前に白装束という意味合いも含めています。
順 へー、色々考えてるなー。
美 タルタロスに関してはもうひとつ、「影時間ブラー」と呼ばれる特殊効果の存在が大きいな。これは影時間に常に使われているもので、 画面端がゆらゆら揺れるように見える。
ゆ そうそう、あれ実際に中を歩いてると、気持ち悪いんだよね~。
風 そういえば、色々な画面効果があちこちで効果的に使われていますよね。私は昼間の眩しい日差しのエフェクトが好き。
美 それは「ペルソナフレア」と呼ばれる特殊効果だ。スタッフ会心の力作らしいぞ。
ア あんびりーばぶる、であります。
美 アイギス、私のセリフを取るんじゃない······。
真 さて、まだ細々とした質問が残っているな。どんどん片付けるぞ。
Q今回、戦闘シーンが かなりコミカルなんですが、どうして?
美 たしかに、総攻撃の際の演出はやり過ぎだろうと思ったが。慣れると、あれはあれで面白い。
風 ほかの部分もそうですが、今までのシリーズと違う新しいことをやろう、という意欲が強く出ているのが、この戦闘シーンですよね。テーマは、「とにかく生き生きと楽しそうに!」だったそうです。
順 生き生きってのは、マジでうまく表現できてるよ��。コマンド入力待ちのときに、オレらがちょろちょろうろつく動きがあるじゃん か?アレ、けっこう処理が大変らしいんだけど、無理して入れた仕様らしいぜ。
天 楽しそうといえば、武器のデザインも面白いのが多いですよね。骨とかバス停とか。
真 あのグラブを装備させられたときは死にたくなったぞ······。ただ、本当はあの倍ぐらいのモデルが作られていたらしいが、事情があって未使用らしい。機会があれば、残りも見てみたいものだな。
順 できれば防具のグラフィックも変われば······ああ、男の夢、ハイレグアーマー······。
Qストレガのタカヤの剣青は、何か意味があるの?
順 おーい、チドリ。あの露出癖のある兄ちゃん呼んできてくれよー。
タ 誰が露出癖ですか、誰が。あれは失敗サンプルの証--烙印を飾るためのものです。
順 烙印?何だそりゃ?
ジ ペルソナ制御ができんヤツの肌にはな、暴走するペルソナの力が溢れて文様みたいなもんが浮かびあがるんや。タカヤの刺青の中心は、刺青やなくてその文様や。ホンマは、あんまり人には見せたないもんやけどな。せやから、ちょっとぐらい暑くても、露出がない服着とるんや。
順 げっ······マジ?あ!じゃあもしかしてチドリにもその文様が?だからいつも、あんなゴテゴテした服······?
チ これは趣味。
順 あ······そ、そう?
Qアイギスの姉妹機について話だけ出てきますが、具体的には?
ア 詳細は機密に抵触するため言えないのでありますが、試作1号機からわたしに至るまで、10機前後が開発されました。最初は、まさしくただの戦車だったであります。人型となったのは、わたしの前に作られた数欄にとどまり、さらにペルソナ召喚を可能にする核--黄昏の羽が搭載されているのは、わたしを含め、たった3機であります。ただ、わたし以外の2機は、10年前に起動する前に破壊されてしまいましたが······。
タカヤのタトゥー
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戦後の事件簿 「日本が受諾したポツダム宣言は、イギリス首相、アメリカ合衆国大統領、中華民国主席の名において発された。ソ連は後から加わり追認した。中共は、抗戦相手ではなかった。大日本帝国の一部を形成する朝鮮半島の住民と内地の住民も、戦火を交える敵同士ではなかった。しかし、どこまでも敗戦革命にこだわる報道関係者たちは、中国や韓国や北朝鮮に戦勝国とウソをつかせたうえで、日本に対する理由のない非難と恐喝をするよう唆している。そして、���国人や朝鮮人は本名を隠し日本人名を名乗っている。彼らの犯罪は、日本人による犯罪のように報道されるか、犯罪そのものが報道されない」という話を聞いた 図書館に行って朝鮮人の犯罪を調べたら、次のような記録が見つかった 1945年10月22日、大阿仁村事件が起こった。秋田県北秋田郡阿仁合町の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁村の伏影集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、双方数名が負傷した。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧の為に急行した 1945年12月24日、生田警察署襲撃事件が起こった。午後9時頃、50名を超える朝鮮人の暴徒が「岡山の刑事を出せ」と叫びながら署内に侵入。署員を拳銃・日本刀・匕首を突きつけて軟禁した上で、岡山県警察部の捜査員を探し始めた。捜査員らが脱出に成功した一方で、暴徒によって署内の警察電話線が切断されたため、警察署は外部との連絡手段を絶たれてしまった。その後、事件を聞きつけた連合国軍部隊によって暴動が鎮圧された。襲撃以前、岡山市内にて7人組による拳銃強盗事件が発生しており、強盗犯を追って岡山県警の捜査官が神戸市まで出張にきていた。この捜査員に生田署が協力していたため、暴徒の襲撃を受けることになった。もっとも以下に挙げた資料には、確かに報復を仕掛けたのは朝鮮人の一団であったが、元の拳銃強盗事件の犯人が朝鮮人であったのかどうかまでは記されていない 1945年12月29日、直江津駅リンチ殺人事件が起こった。午後7時頃、新潟発大阪行の列車が国鉄信越本線黒井駅に到着した。3人組の朝鮮人が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで彼らは列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある男性の乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。列車が直江津駅に到着すると、3人組は自分たちを阻んだ男性に対して、「乗降口から乗れないので仕方なくガラスを壊して乗ろうとしたのに何故妨害した」と詰め寄った。 男性に「窓から乗り込むという方法はない」と反論されたため、その男性を直江津駅のプラットホームに引きずり降ろし、駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して男性に襲い掛かり、メッタ打ちにした。男性は頭や左眼などに十数か所の��を負い、絶命した。警察が緊急配備したところ、直江津の病院で傷の手当てをしていた3人組を突き止めた。そして容疑を認めたため、殺人犯として緊急逮捕した 1946年1月3日、富坂警察署襲撃事件が起こった。正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した 1946年1月9日、生田警察署襲撃事件が起こった。翌年、三宮ガード下で賭博団が検挙されたことを受け、30 - 40人の朝鮮人が犯人の奪還を目的に再度署内に侵入したが、この事件も進駐軍の協力を得て鎮圧し、首謀者3人を検挙した 1946年5月13日、長崎警察署襲撃事件が起こった。午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている 1946年8月5日、富山駅前派出所襲撃事件が起こった。午後6時50分頃、富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した 1946年9月22日、坂町事件が起こった。午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲い���かって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された 1946年9月26日~29日、新潟日報社襲撃事件が起こった。在日本朝鮮人連盟などの朝鮮人16人が新潟日報社を訪れ、新潟日報社と読売新聞社の両社に対して、「坂町事件の報道に誤りがあると認め、ラジオ放送を通じて新潟県民に誤報であったという声明を出せ」と要求した。両社は「即答はできない」として、29日まで猶予してもらうことになった。その後読売新聞社は、9月28日になって譲歩し、誤報を認め謝罪記事を掲載することで話がついた。9月29日、朝鮮人16人が再度新潟日報社を訪れ、新潟日報社側の返答をせまった。新潟日報社は「警察の調査結果をまって善処する」と答え、彼等の要求を拒んだため、朝鮮人側は憤慨し、茶碗を投げつけたのを合図に一斉に暴れだし、社内の備品を破壊した。新潟警察署は、朝鮮人らを暴力行為等処罰ニ関スル法律違反で逮捕した 1946年12月20日、首相官邸デモ事件が起こった。の全国大会では、約1万人の朝鮮人が結集した。日本共産党の徳田球一も出席しており、徳田球一の演説の後、生活権擁護の決議文を採択し、午後1時頃に集会は一旦終了した。午後1時30分、「朝鮮人虐殺政策絶対反対」「吉田内閣は日本の敵だ」といったプラカードを掲げてデモ行進を開始。午後2時頃に首相官邸前に差し掛かると、突如警察官の制止を無視して官邸正門前に殺到した。警官隊は侵入を阻止するため門を閉鎖しようとしたが、デモ隊は投石やプラカードを振り回すなどして暴れ、遂に首相官邸に侵入した。午後2時30分頃にアメリカ軍憲兵隊が出動し、まもなくデモ隊全員を解散させた。この事件で、警察官23人が重軽傷を負い、拳銃2丁が奪い取られた 1947年10月20日、尾花沢派出所襲撃事件が起こった。朝鮮人7人は警察によるヤミ米摘発の鬱憤を晴らすべく、派出所の襲撃を計画し、午後3時頃に楯岡警察署の尾花沢派出所に乗り込んだ。警察官が不在だったため、派出所内の器物を破壊し、門標を取り外した後引き揚げた。その後、外出から戻った警察官が、派出所内の惨状を見て驚き、直ちに署に連絡した。その直後、前述の朝鮮人7人と他の朝鮮人30人が派出所を取り囲み、火鉢を投げつけるなどの暴行を働いた。楯岡警察署は隣接の新庄警察署や進駐軍の応援も得て、29人を逮捕した 1948年4月23日~25日、阪神教育事件が起こった。9時、大阪府大阪城前の大手前公園で、朝鮮人学校弾圧反対人民大会が開催された。集会には在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余が集結した。16人の代表が選出され、大阪府庁舎で大阪府知事・赤間文三との交渉を行うことになった。12時30分、大阪府庁知事室において副知事と朝鮮人代表者16人との交渉が始まったが合意には至らず、15時になって在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余の中からシュプレヒコールが起こった。同時に50人余の青年が行動隊を編成し、スクラムを組んで大阪府庁前の阻止線を突破した。15時30分には行動隊に続いて、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人など7000人余も大阪府庁に暴力で突入し、3階までの廊下を占拠。副知事は警察官の誘導で、戦時中に作られていた地下道を通って脱出した。17時頃には群衆が知事室になだれ込み、ドアや調度品を破壊するといった行動に出る。日本共産党大阪地方委員会に派遣されていた増山太助は川上貫一衆議院議員とともに知事室に駆けつけたが、収拾がつかない状態だった。夜になって大阪城周辺の各所で在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人によってかがり火が焚かれ、朝連としては川上を代表として交渉の場を作ろうとした。しかしそこへアメリカ軍や武装警官が到着し、在日朝鮮人や日本共産党関西地方委員会の日本人らと乱闘。在日朝鮮人のうち1人が死亡し20人が負傷した。警官側の負傷者は、31人だった。179人が騒擾罪で検挙された。4月25日には朝連や日本人約300人が南警察署に押しかけ逮捕者の釈放を要求したが、抗議に来た群衆に向けて警官隊が威嚇射撃を行い追い返した。翌4月26日に朝連は大阪東成区や旭区などで「朝鮮人学校弾圧反対人民大会」を開催。午後には朝鮮人代表者と赤間府知事との間で再度交渉が行われたが、15時40分に別室で待機していた大阪軍政部のクレーグ大佐が、交渉の中止と大手前公園に集結していた在日朝鮮人2万人の解散を指示。これに対し在日朝鮮人1600人のデモ隊が再び大阪府庁に向かい、武装警官隊の阻止線で投石を開始。武装警官隊は消防車に放水をさせ、デモ隊に突入し拳銃で発砲した。この衝突で当時16歳であった在日朝鮮人金太一が死亡する。検挙者は軍事裁判にかけられ、日本人9人と在日朝鮮人8人が重労働4年以下の判決を受けた。このうち当時の朝鮮総連の朴柱範兵庫県本部委員長は神戸刑務所に服役し、1949年11月25日に病気を理由に仮釈放されたが僅か数時間後に死亡した。事件解決後、大阪市警察局は、アメリカ陸軍第25師団司令部より感謝状が贈呈された。兵庫県非常事態宣言布告を報じた朝日新聞号外アイケルバーガー司令官の神戸視察を報じた神戸新聞10日に兵庫県知事・岸田幸雄は、朝鮮人学校に対して封鎖命令を発令。これを受けて14日に朝連は兵庫県庁を訪れ、岸田との交渉を要求した。言動はしばしば威圧的・脅迫的になった。4月23日に警官隊と米軍MPが朝鮮人学校灘校と東神戸校を封鎖すると、翌24日に封鎖に抗議する在日朝鮮人や日本人が兵庫県県庁前に集結。9時30分に兵庫県庁知事室で、岸田知事と神戸市長・小寺謙吉、検事正ら15人が朝鮮人学校閉鎖仮処分執行問題と在日朝鮮人の抗議集会対策を協議。協議が行われているとの情報は朝連にも伝わり、約100人の在日朝鮮人や日本人が兵庫県庁内に突入。知事応接室を占拠して備品などを破壊した後、壁を打ち破って知事室になだれ込み岸田知事やMPを拉致監禁するに至る。知事室に乱入した在日朝鮮人や日本人は電話線を切断して外部との連絡を絶ち、「学校閉鎖令の撤回」「朝鮮人学校閉鎖仮処分の取り消し」「朝鮮人学校存続の承認」「逮捕された朝鮮人の釈放」などを岸田知事に要求。半ば監禁状態にあって岸田は、17時に諸要求の受け入れを誓約。しかしその日の22時に岸田知事と吉川覚副知事・市丸検事正・田辺次席検事・出井兵庫県警察長・古山神戸市警察局長らが、占領軍兵庫県軍政部に召集され、23時に兵庫県軍政部が「非常事態宣言」を発令。軍政部の非常事態宣言によって兵庫県と神戸市の全警察官はアメリカ軍憲兵司令官の指揮下に入り、兵庫県庁への乱入者の徹底検挙命令と共に岸田知事が一旦受け入れた在日朝鮮人の要求への誓約を無効とした。25日早朝にMPと米軍憲兵司令官指揮下の警官による県庁乱入者の検挙を開始し、29日までに、1590人もしくは7295人 を検挙。日本共産党の神戸市議会議員・堀川一知も拘引された。4月28日には米軍軍政部の非常事態宣言も解除。検挙した者から主だった者を拘留し、23人を軍事裁判にかけた。唯一の日本人被告人だったは堀川は重労働10年の判決を受け、在日朝鮮人には最高重労働15年の判決が出されて刑期終了後は本国に強制送還されることになった 1948年10月11日~12日、評定河原事件が起こった。の10時から開会式が始まった。北朝鮮国旗の掲揚をめぐり仙台市警察が警告を発するなどのトラブルがあったが、1日目は特に混乱も無く終了した。2日目の10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。そのとき、酒を飲んだ数人の朝鮮人が会場内に入って歌を歌い始めた。これに同調する者が次々と現れ、赤旗を掲げてデモ行進するなど不穏な空気に包まれた。その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された 1948年12月9日、宇部事件が起こった。約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に���被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された 1949年1月25日、益田事件が起こった。島根県美濃郡益田町の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが約100名の朝鮮人に奪還された。翌日、被疑者9名を検挙したものの、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために警察官と乱闘になり48名が検挙された。逮捕されたもののうち9名が起訴され、騒乱罪で有罪となった 1949年4月6日~13日、枝川事件が起こった。午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようと���たところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した。もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。その後の交渉で朝鮮人側は暴行犯人の引渡しを確約したが、4月8日になっても引き渡さず、逆に捜査員の処分を求める有様であった。4月9日より、警察は枝川地区に架かる橋に検問所を設置、通行者全員に検問を開始した。それと並行して内偵調査を行った。その結果、警察官に暴行した容疑者が割り出されたため、4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された 1949年4月7日~11日、高田ドブロク事件が起こった。午前6時頃、取締部隊は朝鮮人集落に到着し一斉取締を開始した。早朝であったため、この取締そのものは整然と行われ、午前8時30分頃には引き上げた。午前10時40分頃から朝鮮人たちが高田市警察署に集結し始め、正午頃になると200人に膨れ上がり、検挙者の釈放を要求した。しかし警察側が断固拒否したため、警察署に向かって投石を行い窓ガラス十数枚を破損させた。4月8日も朝鮮人約200人が警察署前に集結し、釈放を要求した。4月9日正午、一人の朝鮮人女性が高田税務署に現れた。一人であったことから税務署を警備していた警察官も、一般の利用者と思って油断していたところ、あっという間に14・15人の朝鮮人女性が集まり、署長との面会を要求してきた。警備の警察官が退去を勧告したところ、「人殺し」と叫び座り込みをはじめた。午後1時になると多くの朝鮮人男性が押しかけ、税務署内に突入しようとしたので、小競り合いになり双方に負傷者を出した。4月10日、検挙者の自供により、高田市においても密造酒の醸造が行われていることが判明したため、在日朝鮮人連盟信越支部などを家宅捜査した。4月11日、約500人もの朝鮮人が高田市に集結、デモ行進を行った。彼らは市民に対して「警察が朝鮮人に対して不当な弾圧を加えている」「放火して高田市を灰にする」などと叫び牽制していた。ここに至り、警察もデモの首謀者12人を検挙したため、この事件も収束に向かい始めた 1949年6月2日~11日、本郷村事件が起こった。国家地方警察福井県本部若狭地区警察署の本郷派出所の警察官が朝鮮人地区の地図を作成したことについて、在日本朝鮮人連盟の幹部が抗議した。幹部は一旦戻り、在日朝鮮人70人を引き連れて、派出所を包囲した。そして中の警察官に暴行を加え、そのまま居座り続けた。若狭地区警察署は署員を急派したが、なおも居座り、6月4日になってようやく解散した。朝鮮人側は 暴行警察官の罷免 被害者に対する損害賠償 朝鮮人に対する謝罪 朝鮮人問題については、事前に朝連と連絡協議をすることなどを要求したが、警察は6月10日に朝鮮人2人を逮捕するために現地に向かった。待ち構えていた朝鮮人200人が、石や糞尿を投げつけて逮捕を妨害したが、なんとか強行突破し、2人を予定通り逮捕した。その後朝鮮人たちは、「民族弾圧、ファッショ警察の再現」と叫んで警察署前に居座ったり、「ファッシズム国警若狭地区警察の真相」と題するビラをばら撒くなど示威行動を続けた 1949年8月20日、下関事件[騒乱]が起こった。19日午後11時頃、朝連事務所前に約150人の在日朝鮮人が集結し、民団を非難する集会を開いた。集会そのものは特に問題なく終了したが、警備に当たっていた朝連の構成員と民団の構成員が路上で遭遇、乱闘となり、民団側が所持していた日本刀で朝連側に負傷者を出した。朝連は、これに報復すべく8月20日午前2時30分頃、構成員約200人を招集し、民団下関支部や民団構成員の自宅を襲撃した。そして被害家屋から金品を略奪するなどの狼藉を働いたあと解散した。このため、未明にも係らず市内は一時大混乱になった。下関市警察は、直ちに国家地方警察山口県本部に応援を要請した。国家地方警察は、自治体警察を含む山口県内の全警察に非常招集を発令、警察学校の学生をも動員した。県内各地から来る応援部隊の到着後、朝連や民団の施設を一斉に捜索を開始し、939 人の警察官のうち 14 人が負傷したが、73人を検挙した。翌日8月21日には、下関市警察と国家地方警察の合同による「下関事件合同警備本部」を設置するとともに、市内各所に検問所を設けて逃亡を阻止した。最終的に208人が検挙され、殺人未遂罪のほか、騒擾罪などで75人が起訴された 1950年3月20日、台東会館事件が起こった。10日午前9時、東京都の係官が台東会館に赴いた。警視庁では不測の事態に備えて多数の警察官を警戒に当たらせた。係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。旧朝連側は接収予定日の前日から、会館入口にバリケードを設け、周辺道路を巡回して警戒していた。3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した 1950年8月15日、連島町事件が起こった。1949年9月8日、GHQの指示を受けた法務府は告示第51号を出し、在日本朝聯と在日本朝鮮民主青年同盟に対し団体等規正令を適用して解散命令を下す。また朝鮮学校と民団総連も解散請求を受けた。これらの措置は在日朝鮮人の生活に直接の打撃を与えた。将来に不安を抱いた朝鮮人同胞らの中には、革命を叫んで公共施設を不法占拠し火炎瓶で武装した事件が起きた。こうした世情不安の中、岡山県浅口郡連島町で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり集会を強行したため、これを制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した 1950年11月20日~27日、長田区役所襲撃事件[第二神戸事件]が起こった。午後1時、約200人の朝鮮人が神戸市長田区役所に押しかけた。要求は「市民税免除」と「生活保護の徹底」である。しかし区長がこれを認めなかったため、区長を軟禁状態にして騒ぎ出した。神戸市警察は直ちに出動、30人が逮捕された。11月24日午前11時、約300人の朝鮮人が再度長田区役所に押しかけ、区長との面談を要求した。区長が拒否したため、朝鮮人たちは区役所に乱入し、窓ガラス等を破壊した上、出動した警察官に対しても暴力を振るったため、不退去罪の現行犯として26人が逮捕された。11月27日朝、24日に逮捕された仲間の奪還などを求め、姫路市、明石市、尼崎市などから約600人の朝鮮人が神戸に向かっているとの情報が警察にもたらされた。警察は甲号非常招集を発令、神戸市警察および国家警察兵庫県本部の警官約3000人に待機命令をかけた。長田区にある西神戸朝鮮人学校に神戸市在住の者も含め約千人の朝鮮人が集結。「祖国統一決起大会」を開催し、投石用の石や棍棒を用意するなど不穏な状勢となったため、正午頃に解散を命じたが、「犬め、殺してやる」「貴様等人民裁判にかけてやる」と暴言を吐いて命令を無視、午後3時20分頃には、学校から出てデモ行進を始めた。遂に警察は神戸市電湊川大橋停留所付近で検挙を開始したが、デモ隊は激しく抵抗し、約60人が逮捕された。その残党は新湊川沿いに北上、長田区役所や長田税務署を襲い、窓ガラスを割るなどした。最終的に179人が逮捕された 1951年1月23日、四日市事件が起こった。旧朝連四日市支部を接収しようとしたところ、居合わせた朝鮮人約20名が、器物やガラスの破片を投げつけたり、灰・唐辛子による目潰し攻撃をしたり、濃硫酸を浴びせて接収の妨害を行った事件。そのため、執行係官7名が全治2 - 3週間の重軽傷を負った。警察が出動して、公務執行妨害容疑で15名を検挙した 1951年3月7日、王子朝鮮人学校事件が起こった。当日、王子警察署は周辺の道路を封鎖し、同校生徒以外の群集の流入を阻止しようとしたが、群集はそれを無視し最終的に2000人が集まった。集会は午前10時から始まった。一方、学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の��霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。警察はこの事件で28人が重軽傷を負った 1951年6月13日、神奈川事件が起こった。横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した 1951年10月22日、下里村役場集団恐喝事件が起こった。下里村において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために村役場に押しかけた 1951年12月1日、東成警察署襲撃事件が起こった。午前11時頃、朝鮮人たちは旧御幸森朝鮮人小学校に集まり、東成警察署までデモ行進した。その後、元御幸森朝鮮人学校に集合し、12時15分ごろ東成警察正門前に到着した。さらに同署の東方道路から約20名、南方道路から20名が殺到し気勢を上げて署内に突入しようとしたので、大阪市警視庁機動隊はそれを阻止した。その際デモ隊は、クロールピクリン酸入りサイダーびん3本、投石や唐辛子を投げつけて抵抗した。この事件で3人が公務執行妨害罪で逮捕された 。12月16日午後、不法デモをおこない3隊に分かれ、生野区、巽町の工場を襲撃した 1951年12月18日、日野事件が起こった。10月18日午前11時30分、滋賀県蒲生郡桜川村に、在日朝鮮統一民主戦線や祖国防衛隊のメンバーが集結し、自転車にスピーカーを取り付けて自転車デモを行おうとした。滋賀県公安条例の届出を出していない違法デモであった。国家地方警察滋賀県本部蒲生東地区警察署では、これを制止しようとしたが、デモ隊は強行突破し、日野町内に侵入した。デモ隊は日野郵便局前で「朝鮮人強制送還反対」「軍事基地化反対」などの演説を行った。その間、周辺在住の朝鮮人が集まり、ピケを張ったりバリケードを作ったりした。そして警官隊に棍棒で襲い掛かったため、公務執行妨害罪で20人が検挙された 1952年2月21日~23日。木造地区警察署襲撃事件が起こった。国家地方警察青森県本部木造地区警察署は、傷害容疑で在日朝鮮人2名を逮捕した。これに対し、在日朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。2月23日に入り、在日朝鮮人約70名が署内への侵入を図って警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。また同日午後7時、応援に駆けつけていた弘前地区警察署の署員11人が、国鉄五能線木造駅を警備していたところ、在日朝鮮人に取り囲まれ、警棒を奪われる事件も発生している 1952年3月26日~30日、多奈川町事件が起こった。以前より多奈川町警察は、隣接の国家地方警察泉南地区署の応援を得、幾度も朝鮮人による密造酒の摘発を行っていたが後を絶たず、増加するばかりであった 1952年3月24日、大阪国税局は、同局泉佐野税務署・大阪地方検察庁岸和田支部・国家地方警察泉南地区署と合同捜査会議を行い、一斉摘発を決定。同年3月26日午前5時40分ごろ、泉南地区署に、国税局員45名・検事1名・副検事1名・検察事務官12名・制服警察官50名の合同捜査チームが集合。10班に分かれ、トラック10台に分乗し、多奈川町9ヶ所、深日町1ヶ所、計10ヶ所の密造場所に向かう。納屋や豚小屋に偽装された密造工場の各所で、朝鮮人による抵抗に遭うも、検察庁職員によって容疑者の逮捕、国税局員によってドブロク・コウジ・蒸留機などの酒造器具を証拠品として差押さえるなどし、各班は逐次南海電気鉄道多奈川線多奈川駅前に集合。この時、婦女子を先頭にした朝鮮人約200人がトラックの前に座り込んだり、大きな石をいくつも道路上に置いて交通を妨害。これを排除しようとした警察官が激しい抵抗に遭っている間、手薄な警備に勢を得た朝鮮人の数はさらに増え、ついには「生活権」を訴える怒号に扇動された朝鮮人が「殺してしまえ」とわめきながらトラックに殺到し、タイヤの空気を抜く、窓ガラスを叩き割る、トラックの運転手を袋叩きにする、差押えた証拠品を叩き落し���破壊・強奪する、被疑者を逃がすなどの暴挙に出た。 この危機を脱したトラック3台は集合場所の大阪拘置所に向かったものの、残る7台は駅前の国道で立ち往生となる。1個班につき警察官が5人と言う手薄な警備体制が招いた失敗であった。不測の事態を受けた合同捜査チーム総指揮官大坪検事及び泉南地区警察署長は、深日町警部派出所から国家地方警察大阪府本部に応援を要請。検挙は後日に譲ることとし、後日の検挙に備え多数の現場写真を撮影、道路上の妨害を排除しつつタイヤの空気を入れなおし、午前7時半ごろ、捜査チームは泉南地区署に引き揚げた。午前8時過ぎごろ、朝鮮人約30名が多奈川派出所に押しかけ「俺たちの生活をどうしてくれる」と抗議。間もなく代表者3名を残し引き揚げる。午前9時ごろ、取材に来ていた毎日新聞社大阪本社の記者がドブロク密造地区捜査取材のため多奈川派出所に向かう途中、朝鮮人の暴徒に囲まれて殴打され、石を投げつけられ、全治2週間の怪我を負う事件が発生。また、この騒ぎで城東税務署員も右手に怪我を負っている。事態を重く見た国家地方警察大阪府本部は27日・28日の2日間にわたり、現場証拠写真、現場に出動した警察官、第三者の証言から被疑者の割り出し、証拠収集にあたる。結果、被疑者17名を特定し、29日、暴力行為等処罰に関する法律違反、公務執行妨害および傷害ならびに酒税法違反容疑で逮捕状・捜査令状を大阪地検より受けた。同年3月30日午前2時、検事らをはじめ、大阪府下8地区署から制私服警官警察官・警察学校生徒など、約450名が大阪市城東区関目の大阪府警察学校に集結。午前5時すぎ、自動車・トラック約30台に分乗して多奈川町小田平、朝日、東、湊、深日町兵庫の5地区21ヶ所に急行し、逮捕、押収捜索にあたった。捜査員が被疑者を逮捕しようとした際、人糞を降りかけられる、手を噛まれる、水桶・たらい・マキなどを手当たり次第投げつけられる、クワ・こん棒などを振り回して暴れる、トウガラシの粉を投げて目潰し戦術に出るというようなことがあり、捜査員3名が打撲傷などを負ったが、前回ほどの組織的集団抵抗はみられなかった。この検挙の際、26日の暴行首謀者とされる3名が逃走。緊急逮捕を含む27名の逮捕者は取り調べののち、5名を釈放。残り25名を酒税法、公務執行妨害、傷害、業務妨害などの容疑で大阪地検に送庁、19名が起訴された。3月30日の検挙活動の際、朝鮮人1名が職務質問を受け逃走、追いついた警官ともみ合いになり拳銃の引き金が引かれ、弾が右腹部を貫通、重傷となり、数日後に死亡した 1952年5月1日、血のメーデー事件が起こった。GHQによる占領が解除されて3日後の、第23回メーデーとなったこの日の中央メーデーは、警察予備隊についての「再軍備反対」とともに、「皇居前広場の開放」を決議していた。大会は午前10時20分ごろ開会され、途中、全学連を中心として人民広場への乱入を扇動しようとする乱入者が相次いだものの、午後0時10分に閉会し、同25分より、北部・東部・南部・中部・西部の各コースに分かれて、予定のデモ行進に移った。デモ行進の途上でも、人民広場への乱入を扇動しようとする試みが相次ぎ、一部のデモ隊は当初のコースから外れて投石などを行ったほか、西部コース指導者は人民広場への乱入を拒否したために暴行を受けるなどの混乱が生じたものの、最終的には午後2時から4時にかけて順次に予定の解散地点に到着し、解散した。しかし特に混乱が著しかった南部コースを中心として、日比谷公園で解散したデモ隊の一部は、その中の全学連と左翼系青年団体員に先導され、朝鮮人、日雇い労務者らの市民およそ2,500名がスクラムを組んで日比谷公園正門から出はじめた。警視庁は、会場や行進中には主催者の自主的統制に待つこととしていたが、5,600名の部隊を編成して雑踏警備にあたっていたほか、各署員1万名以上を待機させて即応体制を整えていた。日比谷交差点を通過して無届デモを開始した群衆に対して、まず丸の内警察署長以下60名が制止したが、投石や竹槍・棍棒による攻撃を受け、13名の負傷者を出した。デモ隊は外国人の自動車19台に投石して窓ガラスを次々に破壊しながら北上した。馬場先門においては、第一方面予備隊と三田・東京水上・高輪の3警察署による470名の部隊が警備にあたっていたが、方面予備隊の一部が拳銃および若干の催涙弾を装備していたほかは警棒を携帯しているのみであった。またデモ隊は極めて先鋭的であったことから、周囲の一般通行人への被害も憂慮した方面予備隊長は車道の警戒線を解き、デモ隊は皇居前広場になだれ込んだ。乱入したデモ隊は、二重橋正面で警備にあたる丸の内警察署員および増援の第一方面予備隊2個中隊��対して投石を開始した。祝田町警備巡査派出所ではボックスが押し倒され、警察官は袋叩きにされて拳銃を奪われた。警察部隊は催涙弾を使用して鎮圧にあたり、午後3時頃には暴徒を中央自動車道まで後退させ、にらみ合いの状態となった。しかしこの頃、桜門および祝田橋でも警戒線が突破されたことで暴徒は8,000名に増加した。警察側も逐次に予備隊を配置転換して体制を強化したが、暴徒との攻防は激しく、一部ではやむなく拳銃を使用した。この結果、暴徒が混乱に陥ったことから、警察側は体制を整えて一気に鎮圧を図り、午後3時40分までには暴徒の大部分を広場外に排除した。しかし広場外に排除された暴徒はその後もしつこく攻撃を繰り返し、祝田橋では第一方面予備隊の隊員4名が包囲され、角棒で乱打のうえで凱旋濠に投げ込まれ、更に投石を加えられた。また他の隊員4名も包囲されて同様の暴行を受けそうになり、拳銃の威嚇射撃でやっと難を逃れる状況であった。またこのほかにも、警察官への暴行が相次ぎ、拳銃を奪われる例もあった。午後3時50分頃には、桜門前濠端側に駐車されていた外国人自動車14台を転覆させて火を放ち、炎上させたほか、付近をサイドカーで通行していた交通第一課員を取り囲んで暴行を加え、サイドカーにも放火した。その消火のため出動した消防隊も投石や殴打を受けて13名が負傷、ホースも切り破られた。これらの暴徒も午後4時頃には離散しはじめたが、その後も有楽町巡査派出所が襲撃されたり、また一部は日比谷公園に逃げ込んで投石を続けていた。皇居前広場・日比谷公園が平静を取り戻したのは午後6時過ぎのことであった。これらの騒動の結果、デモ隊側は死者1名、重軽傷者約200名、警察側は負傷者832名を出す流血の惨事となった。当日は警察予備隊の出動も検討されていたが、一般警察力によって収拾されたため、出動を命じられるには至らなかった。 なお、この事件に出動した「予備隊」とは「警視庁予備隊」のことであり、後の機動隊である。警察予備隊のことではない

1952年5月12日~25日、大村収容所事件が起こった。法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年5月13日、広島地裁被疑者奪回事件が起こった。午後2時55分から広島地方裁判所第二号法廷で勾留理由開示を開くことになっていた。対象となった被疑者は、4月30日と5月1日に、国警広島県本部安佐地区署古市町駐在所と民家に、それぞれ火炎瓶を投げつけて放火した容疑で逮捕された朝鮮人4人であった。勾留理由開示は予定通りに開廷されたが、傍聴席には多くの朝鮮人が陣取り、赤旗や北朝鮮旗が掲げられるなど異様な雰囲気での開廷であった。閉廷直前の午後5時20分、傍聴席の朝鮮人約200人が被疑者と傍聴者を分ける柵を乗り越え、被疑者に手錠をかけようとした看守を妨害して、被疑者4人を奪還した。広島地方裁判所の事務室には、万が一の時のために広島市警察の警察官約70人が待機していたが、現場に駆けつけたときには、既に逃走された後だった 1952年5月26日、高田事件が起こった。民団愛知県本部の顧問は、北朝鮮系の在日朝鮮人の脅迫を受け続けてきた。同年3月には自宅を襲撃されたり、殺害予告のビラが貼られたりしていた。午前5時40分頃、北朝鮮系朝鮮人数十人が顧問宅に侵入、ドアやガラスを破壊したりするなどの狼藉を働いた。顧問は何とか逃げ出し、名古屋市警察瑞穂警察署高田派出所に助けを求めてきた。まもなく顧問を追跡してきた一団が高田派出所に押しかけ、備品を破壊したり火炎瓶を投入したりして焼き討ちした。顧問は警察官の誘導で裏口から退避し、道を隔てた高田小学校正門より用務員室に向かったが、追いつかれ暴行により全治10日の傷を負った 1952年5月31日、奈良警察官宅襲撃事件が起こった。25日、桜井町で民団磯城支部書記長が、旧朝連系の在日朝鮮人に襲われる桜井町事件が発生した。国家地方警察奈良県本部は犯人を検挙し、奈良地検に送致した。5月30日、奈良市警察に国警磯城地区警察署から「在日朝鮮人の一団が奈良市に向かっている」との連絡が入った。在日朝鮮人の一団が奈良地検に突入したため、奈良市警は実力で排除した。このことから、旧朝連系は奈良市警に反感を持つようになった。襲撃を受けた奈良市警の警察官宅は、桜井町事件が発生した桜井町に所在していた。5月31日、桜井町の奈良市警警備課巡査部長宅に約10名の在日朝鮮人が覆面姿で押しかけて戸を叩いた。巡査部長の父親が戸を開けたところ、いきなり暴行を加え意識不明の重体にした。そして窓ガラスや障子を破壊して逃走した 1952年5月31日~6月5日、万来町事件が起こった。当時、宇部市には約3100人の在日韓国・朝鮮人が居住しており、大半が生活保護受給者だったが、市当局は彼らが「日中ブラブラしていた」ことから、「潜在収入��ある」として、生活保護費増額を見送っていた。朝鮮人側はこれに激昂し、以降、連日宇部市福祉事務所に押しかけ、市職員を吊るし上げた。6月3日になると約400人に達したため、宇部市警察は全職員を動員して対処したが、朝鮮人側はその隙をねらって、留守中の上宇部派出所を襲撃した。6月5日、宇部市万来町において、朝鮮人解放救援会山口県本部が「民主愛国青年同盟」を結成し、当日は県内各地から朝鮮人が多数集結した。うち約70人が午前11時に宇部興産の工場に乱入、守衛を殴打し、電話線を切断するなどの行為をおこなった。続いて民団の団員宅を襲撃した後、引き揚げた。警察は襲撃犯を逮捕するため、午後2時に解放救援会事務所を包囲した。警察は解散を呼びかけたが、朝鮮人側は投石などの手段で抵抗した。午後3時半より警察は実力行使を開始し、午後4時からは催涙ガス弾も導入してようやく鎮圧した 1952年6月10日、島津三条工場事件が起こった。午後4時頃、トラックに乗った祖国防衛隊所属の在日朝鮮人約50人が、京都市中京区にある島津製作所三条工場に押しかけ、守衛の制止を振り切って中に突入、破防法反対のアジ演説を行った。工場側の要請を受けた京都市警察堀川警察署の署員約15人が現場に急行、五十代くらいの朝鮮人が妨害したため、ただちに検挙し京都市警南部警邏隊のパトカーに収容した。すると、付近にいた朝鮮人約100人が騒ぎ出した。パトカーがサイレンを鳴らして発進し、春日通三条にさしかかったとき、多数の朝鮮人が前に立ちふさがり、車内に火炎瓶を投げ込んだ。パトカーはたちまち火の車となり、道を大きくそれて京都市バスの車庫に入り込み、バスに激突した。乗っていた8人の警察官は重軽傷を負った。検挙��も火傷を負ったが逃げおおせることに成功した 1952年6月13日、醒井事件が起こった。滋賀県坂田郡醒井村では、民団系と在日朝鮮統一民主戦線系の在日韓国・朝鮮人間で対立が起きており、10日と6月11日の2日連続で乱闘事件が起きていた。午前5時頃、国家地方警察滋賀県本部坂田地区警察署の警察官は、被疑者逮捕のために現地に向かったが、朝鮮人は事前に察知し、ピケを張るなどして自宅に立て篭った。朝鮮人側が、投石や棍棒を投げつけるなど被疑者の逮捕を妨害したため大乱闘となったが、警察はこれを鎮圧し公務執行妨害罪で48人を逮捕した 1952年7月7日、大須事件が起こった。日本社会党の帆足計と改進党の宮越喜助の両代議士が、ソ連及び中共を訪問して日本国政府の方針に反する「日中民間貿易協定」を結んだ後に帰国し、6日に名古屋駅に到着した。両代議士の歓迎のために約千人の群集が駅前に集合、無届デモを敢行したが、名古屋市警察によって解散させられた。その際に12人が検挙されたが、その中の1人が所持していた文書から、翌日の歓迎集会に火炎瓶を多数持ち込んで、アメリカ軍施設や中警察署を襲撃する計画が発覚した。7日、名古屋市警察は警備体制を強化し、全警察官を待機させた。午後2時頃から、会場の中区大須球場に日本共産党員や在日朝鮮人を主体とする群衆が集まり始め、午後6時40分頃に歓迎集会が挙行された。午後9時50分に集会が終わると、名古屋大学の学生���アジ演説を始め、その煽動によって約千人がスクラムを組みながら球場正門を出て無届デモを始めた。警察の放送車が解散するよう何度も警告したが、デモ隊は放送車に向かって火炎瓶を投げ込み炎上させた。警察は暴徒を鎮圧すべく直ちに現場に直行したが、デモ隊は四方に分散して波状的に警察部隊に対して火炎瓶・投石・竹槍・プラカードで攻撃を行い、路上の一般の乗用車に放火するなど、大須地区は大混乱に陥った。また、大須のデモ隊とは別に、アメリカ軍の駐車場に停めてあった乗用車を燃やしたり、中税務署に火炎瓶を投下する事件も発生している。この事件で、警察官70人、消防士2人、一般人4人が負傷し、デモ隊側は1人が死亡、19人が負傷した。名古屋市警察は捜査を開始、最終的に269人を検挙した。その内、半数以上が在日朝鮮人だった。捜査の結果、この事件は共産党名古屋市委員会が計画し、朝鮮人の組織である祖国防衛隊とも連携しながら実行に移されたことが分かった 1952年11月9日~12日、大村収容所事件が起こった。5月12日、法務省は朝鮮人410人を韓国の釜山に強制送還したが、韓国政府は125人については引き取りを拒否し、日本に送り返した。これらの逆送還者は大村収容所に収容された。逆送還者は、韓国政府の逆送還で収容根拠を消失したと主張し、収容所からの即時釈放を要求した。これに在日朝鮮統一民主戦線が同調し、「逆送還者奪還闘争」が繰り広げられた。11月11日午前10時30分、収容者の代表が所長との面談を申し入れたが、当局がこれを拒否したため、午後3時20分になって暴動が発生した。収容所の警備官や大村市警察の警察官は、催涙弾と消防車でこれを阻止し、ようやく鎮圧した 1952年11月19日~26日、五所川原税務署襲撃事件が起こった。仙台国税局は警察の協力を得て、青森県北津軽郡板柳町周辺の在日朝鮮人が経営する密造酒工場を摘発し、密造酒約100石、酒粕約400貫、その他容器約200点などを押収、酒税法違反として45名を検挙した。また、摘発を妨害したとして、在日朝鮮人7名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。その後、在日朝鮮人は「生活権の保障」と「職の斡旋」を要求し、国警板柳地区警察署と五所川原税務署に連日抗議活動を行った。11月26日には約60名が五所川原税務署に押しかけて署内に乱入し、署を占拠した
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🎼 00570 「Keep Fishin'」。
早いもので今週も "仮面ライダー" のお時間がやって参りました。今回は 「ショッカー首領出現!! ライダー危し (第67話)」 というお話です。地球の屋根といわれているらしい南アルプス。そのどこかにショッカーの ひみつ基地が隠されているさうです。そんなひみつの多いショッカーの色々を探っていたりする FBIのアンドレは 東京の滝和也と怪しげな通信機で連絡を取り合っているのですけれど、そこへ ショッカーのエンブレムをつけた 怪しげなフォルクスワーゲンが現れます。車の中には 日本語が妙に辿々しい 3人のショッカーの戦闘員の姿が。ショッカーの重要な情報を どうにかして掴んだアンドレは 10時にマナヅルカイガンでどうのこうのと 和也に伝えるのですけれど、電波の乱れで通信が途切れ途切れになってしまいます。そんなところに 壁にグリ���リと穴を開けてショッカーの新たなる怪人が現れました。どう見ても雪山には場違いな 海のいきものふうな ヘンテコ怪人は 炎をボワっと吹き出し、アンドレを山小屋もろとも爆発させて消し去ります。いい奴だったらしいアンドレ。仇を取ってやると 滝和也は ひとりごとのやうに胸に誓います。場面は変わり、アルプスに散ったアンドレの情報を元に 魚釣りを楽しみながら ショッカーが現れるのを待つ 緊張感のない和也とおやっさん。と、そこへ 空から 予想よりも立派で大きめな ショッカー飛行機が グワーンと現れ、パラシュートに付けた機密情報を パッと落として飛び去ります。それ行けっ!と 地面に落ちた機密情報を4人で拾おうと駆け込む戦闘員ですけれど、釣竿で "それ" をヒョイっと釣り上げた和也は おやっさんに それっ!とパスします。停めていた車に乗り込み、車を走らせた おやっさんですけれど、なんと 後部座席にノコギリザメの改造人間が乗っていたりして、背後からおやっさんを痛めつけます。最後の力を振り絞り、おやっさんを追ってきたバイクメン和也に 機密情報を投げ、気絶するおやっさん。サメは車から離れ、運転手不在の車はフラフラと走行を続け、とても危険な状態です。と、そこへ 颯爽とサイクロンで駆けつけた いつもと声の異なる 仮面ライダー第1号が 危うく魚のえじきになりかけたおやっさんの車を停車させ、見事救います。そのころ、検問所で警察らに化けていた戦闘員から逃げ惑う アクション和也。先週に引き続き、どういうわけか 本郷猛が不在な為、変身をしない仮面ライダー第1号が バッと駆けつけて、子門真人さんの "ライダーアクション" を流しながら 戦闘員と揉み合います。戦闘員を捕らえ、今週のショッカーの企みを白状させやうとする第1号。躊躇いもせずに 白状しやうとした戦闘員を絶命させ ライダーの前に立ち塞がるのは 先ほど おやっさんを気絶させた "太平洋の暴れ者、ノコギリザメの改造人間、ギリザメス" です。ぶつかり合う正義と悪。崖のやうな危険な場所で バッタとサメは はげしい死闘を繰り広げます。そんな中で 不意に ライダーキックをサメに浴びせる第1号ですけれど、サメも似たやうなサメキックを放ち、相打ちになります。必殺技を封じられて 絶体絶命な感が漂う正義のヒーローですけれど、アハハハハと 第1号は笑いながらコマーシャルに突入します。CMが明け、おむすび頭の地獄大使が何やら 顔の見えないショッカー首領とお話中です。どうやら今回、ショッカーは "V作戦計画" というガンダムでも出て来さうなオソロシイ作戦を企てているやうです。そんなころ、ショッカーの通信筒を手に入れた アクションお兄さんとおやっさんは ニューヨークのFBI本部に機密情報の翻訳を頼みます。複雑な暗号文をたった10分で解読する 本部のコンピューター。ショッカーは FBI本部を狙うべきなやうな気がしますけれど、翻訳された情報によると、横須賀付近の島に 世界各国の幹部、そして 首領が集まるさうです。「姿を見せない首領が いよいよ登場するのか!」 とおやっさん。場面は変わり、様々な国の支部長が ぞろぞろと "要塞島" という島を訪れます。潜水服姿で島の上陸を狙う滝和也ですけれど、何故かあっさりと "侵入者あり" との連絡が地獄大使に届き、第二次警戒体制に入ります。複数の戦闘員が 潜水服を脱いだ和也に わっと襲いかかり、構える和也。アクションお兄さんの腕の見せどころですけれど、どこからともなく第1号が現れ、バッタバッタと戦闘員をなぎ倒していきます。折角の "和也な場面" を台無しにした正義の男は、残りの戦闘員は和也に任せ、ひとりアジトに踏み込み、洞窟の奥に眠る "ショッカー世界会議" に飛び込みます。赤や黒のKKKのコスプレのやうな首領や幹部が勢揃いした一室で その姿は見れないものの、首領と会話を弾ませる第1号。実は 機密情報も世界会議もすべて 仮面ライダーを誘き寄せるための大掛かりな罠だったさうで、マネキンふうの "ライダー破壊人形" から 赤い色をしたガスを吹き出させます。そのガスは "アンドロガス" という恐怖のガスで、ライダーをひどく苦しめます。そこへ 「ライダー死ぬのだ!」 とサメ男が第1号に襲いかかります。「サメ、5分だ。5分で島は沈む」 と首領。が、ものの数十秒で 第1号を逃してしまう 役立たずなサメ男。何処からともなく "レッツゴー!! ライダーキック" が流れ出し、熱い戦闘が迸る中、海岸で戦闘員を倒しながら和也を探��第1号は 少しだけ浅めな 海の中でサメと死闘を繰り広げます。ふたりのスーツアクターの命懸けな戦いの最中、突然に放った "ライダーきりもみシュート" でギリザメスは爆死、島は沈む前に大爆発を起こして 弾け飛びました。
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[翻訳] ブラック・ライヴズ・マター運動から考えるインドのマイノリティ問題(2)
ブラック・ライヴズ・マター運動と連帯している(つもりの)インド人への5つの質問
2020年6月14日
アパルナー・ゴーパーラン(ハーバード大学人類学部博士課程)
ジョージ・フロイド、ブレオナ・テイラー、アーモード・アーバリー他、米国における数え切れないほどの非武装黒人市民の死は、伝染性の怒りに火をつけました。ロンドン、ベルリン、メルボルン、東京などの都市では、米国で拡大するブラック・ライヴズ・マター蜂起に連帯して大規模なデモが行われています。一方、私たちインド人は未だどのように反応すべきか模索しているところです。
エリート層の間で広がっている反応の一つは、ジャーナリストのラーナー・アイユーブが「#BlackLivesMatterハッシュタグをファッションアクセサリーとして身につける」と呼ぶもの、つまり、日和見的に運動の道徳的・文化的資本を利用するために運動について投稿やツイートをすることです。そんなことはやめましょう。もっとよい反応があるはずです。以下の5つの質問を自分自身に投げかけることで、あなたが本当にこの運動の信条を支持しているかどうかを見極め、もし支持するならそれを実践できるようになってください。
1. 自分個人は反黒人、または人種差別主義者ではないか?
これは簡単な質問ではありません。個人的人種差別とは、単に黒人やマイノリティ(もちろん宗教的、カースト的マイノリティも含む)に対する直接的な嫌悪感だけを意味しません。そこにはステレオタイプ化、暗黙の偏見、ホワイトウォッシング、エキゾティシズム、政治的純血主義、内婚制などなど、私たちの社会化過程に深く埋め込まれている多くのものが含まれています。
この種の人種差別に個人の心の中だけで取り組むことはできません。これを覆すためには、若い頃から学校や家庭での反人種差別教育を制度化する必要があります。米国の黒人活動家たちは、毎年2月の学校における黒人歴史月間を義務化したり、差異について教えるための教材を作成したりするキャンペーンを行ってきました。
しかし、インドでは、周知のようにインド人の成人の大半が人種差別主義者である以上、親や教師が子どもたちに差異の受容について教えることはありそうに思われません。インド人のクリケット選手は黒人の同僚を侮蔑的に「カールー〔黒んぼ〕」と呼びますし、インド人の芸能人は美白クリームのセールスパーソンですし、デリーでアフリカ人住民を追い回す群衆はインド人の政治家が指揮しているようです。
在外インド人は、カースト的特権に守られつつ反人種差別闘争の恩恵を受けてきましたが、今ではドナルド・トランプ米大統領のような白人優越主義的指導者の側につくことが多くなってきています。実際、この世界的な蜂起のさなか、多くの人は、インドで最も明瞭な正義のアイコンであるガンディーが反黒人的人種差別について間違った側に立っていると見ています。抗議者たちが奴隷所有者の像と並んでガンディーの像を標的としていることは、あらゆる種類の個人的人種差別を取り調べ、取り消すことが、黒人の命は大事だと言うためのシンプルな前提条件であることを私たちに思い起こさせるはずです。
2. 自国での反マイノリティの暴力に見て見ぬふりをしていないか?
自らに問うべき第二の質問は、自分の国のマイノリティの命を大事だと思うか? です。インドでこの問いが今ほど緊急性を帯びている時期は過去ほとんどありませんでした。交戦殺害から拘禁下の死亡と拷問まで、極端な過剰警備から裁判なき逮捕まで、日常的な嫌がらせから失踪に至るまで、インドにおける警察の暴力という重荷はマイノリティに真っ向から降りかかっています。
2019年のある調査はインドの警察官の50%がムスリムは犯罪を犯す可能性がより高いと考えていることを示しましたが、それはおのずから明らかです。
ほんの数ヶ月前、デリー警察はヒンドゥトヴァ〔ヒンドゥー・ナショナリズム〕支持者に加わって市内のムスリムを攻撃しましたが、これは警察が法よりもむしろ多数派権力の執行者として働くという数十年来のパターンを踏襲しています。実際、ジョージ・フロイドのリンチ動画が拡散していたちょうどそのころ、道端で警察に猛烈に殴られ、国歌を歌わせられた若いムスリム男性フェーザーンの動画も拡散していました。このようにしてフェーザーンや他の多くのムスリムが殺害されてきましたが、これまでのところ抗議も逮捕も告発も免職もなければ、怒りの広がりもありません。
ダリットやアーディヴァーシーも同様に、警察が主として上位カーストによる暴力の協力者であることを知っています。警察は、カースト・ヒンドゥーを被疑者とする事件を取り上げるよりも、自らがマイノリティを拘留し、陵虐し、恐喝し、強姦し、大量殺害する傾向が強いのです。"ダリット リンチされた"でグーグル検索すれば、"アフリカ系アメリカ人 リンチされた "と同じくらい恐ろしいヘッドラインが出てくるでしょう。
だから、もしあなたがジートゥー・カティーク(2月にラージャスターン警察の拘留中に死亡した26歳のダリット男性)のことを気にかけないのであれば、ジョージ・フロイドの名前を唱えてはいけないですし、もしパンデミックの間に恣意的に逮捕されている何十人ものムスリムに言及しないのならば、黒人の刑事施設収容について話してはいけません。
3. 警察、刑務所、軍、その他の国家の暴力装置の存在に疑問を抱けるか?
黒人の命は大事だと言いたいのに、インドの警察、軍、刑務所、反テロ法を「愛国的に」支持しつづけているすべての人たちにとって悪いニュースがあります。急速に主流になりつつあるブラック・ライヴズ・マター運動の流れは、マイノリティの市民権のために、あるいは人種差別的な警察に反対して闘っているのでもなく、罪を犯した警官の逮捕だけを要求しているのでもなく、警察の再教育や法制度改革も全く要求していません。その代わりに、彼らは警察活動と刑事施設への収容の完全な廃止を求めているのです。
奴隷制廃止論者たちが「奴隷制を修整したり改革したりすることはできず、廃止する必要があると考えていた」ように、今日の警察廃止論者たちも、制度化された刑罰によって私たちがより安全になることはないと理解しているので、警察や刑務所(それ自体が奴隷制の副産物)を改革するのではなく「消滅に至るまで(それらを)縮小」しようとしています。彼らは、貧困、ホームレス、精神疾患、依存症の問題を「犯罪」としてパッケージしなおすことは「病気の代わりに症状を治療している」に等しく、また、その治療法(拘留や国家の暴力)はしばしば病気そのものよりも悪いと主張します。
以上が、(フロイドが殺害された)ミネアポリスの街頭や数え切れないほどの他のアメリカの都市からの要求が、警察の予算を打ち切って解散させ、コミュニティに基礎を置く治安対策に置き換えるというものになった理由です。
インドでは、国民の半数が裁判を経ない警察の暴力を容認しているため、警察の廃止はばかげたアイデアのように映ります。残りの半数でさえ、警察活動の範囲を縮小しようとは主張していません。善意のNGOは、法の支配を強化するためにはインド警察の能力を高める必要があると主張する報告書を発表しています。ジャーナリストたちは、インドの警察官の数が人口10万人当たりたった144人しかおらず、国連が推奨する222人に届かないありさまを嘆いています。ヒューマン・ライツ・ウォッチでさえ、警察予算の増額を求めています。議論全体の焦点はインドの警察への投資をどうやって増やすかということなのです。
しかし、これでは警察活動とはただ警察の話というだけではなく、既存の秩序を強制するための実力行使の話であるという事実を見逃してしまいます。定義上、準軍事組織、軍事組織、刑務官、そして認可を受けた自警団を担い手とするインドにおける警察活動は、教育、福祉制度、公衆衛生が得ているよりも大きな予算を既に享受しているのです。ゆえに、今のところインドでの警察廃止は想像もつきませんが、もしあなたにそれを想像する勇気がないならば、この運動を自分の主張とすることはできません。
4. 貧困を道徳の問題とか、自然なことだとか、あるいは当たり前のことだと考えていないか?
警察廃止は、ただ警察活動を終わらせるだけでなく、そもそも警察活動を必要とする不平等な社会を終わらせようとしています。街頭のアメリカ人が、インドで我々も目にするようなことを単なる「人権的」要求というより「経済的」要求となし、刑罰制度の予算を打ち切って、代わりに学校、病院、住宅、社会保障、そしてすべての人、とりわけ疎外された市民のための仕事に公的資金を投入するように呼びかけているのは、このためです。
抗議者たちは、米国の多くの都市の予算の最大40%が警察活動に使われていることを指摘していますが、これは暴力や薬物乱用の予防、精神衛生、手頃な価格の住宅、学校に支出される金額を合わせたよりも大きいものです。もしこの資金が武装した警邏隊ではなく、住民に投資されていたら、コミュニティはどれほど安全になるでしょうか?
一方、インドでは、ムスリム、ダリット、アーディヴァーシーは、貧困層の中で最も貧しく、警察や群衆が彼らを捕える前から既に「息ができない」のです。ゆえに、9人の人々が国の半分と同じだけの富を所有していることにあなたが腹を立てている場合に限り、また、インドが国家予算の9%を軍事費に使いながら保健には3%しか使っていないことに怒っている場合に限り、どうぞ黒人の命は大事だと言ってください。しかし、もしも貧困が世襲され、マイノリティが投資対象から排除されるインドのシステムを倫理的におぞましいと思わないのであれば、あなたは運動の同盟者たりえません。
5. 革命的な要求や対立を招く行動を恐れていないか?
米国における現下の抗議活動は、インドにおける市民権修正法に対する抗議行動と比較されてきました。どちらも抗議者の大部分が若年層で、大都市から小さな町まで異議申し立てが広がり、多数派グループが結束して押し出してきて、警察や政治家から暴力的な対応を受けました。しかし、外見的には似ているものの、2つの抗議活動は本質的に異なります。
何よりもまず要求が守勢的(この法律を取り消して既存の秩序に戻ろう)であった市民権修正法に対する抗議行動とは異なり、ブラック・ライヴズ・マター運動の要求は攻勢的(警察活動を廃止して既存の秩序を変えよう)でした。運動の一部の派閥が改革を求めても、他の派閥から大衆が直接責任を負うための革命的な代替案がすぐさま提案されます。
ブラック・ライヴズ・マター運動は戦術もまた革命的であり、マーティン・ルーサー・キング・ジュニアの市民的不服従とブラック・パンサーズの戦闘性の両方を生かしています。だからこそ、今日の運動の最も力強いシンボルは、ミネアポリス警察第3分署の炎上であれ、イングランドの港に奴隷所有者エドワード・コルストンの像が投げ込まれたことであれ、ホワイトハウスの外で抗議者が州軍に催涙ガスを投げ返したことであれ、すべて集団的に法を破った瞬間なのです。
これらのイメージは、シャーヒーン・バーグ〔デリー南部の街区〕での平和的な座り込みをシンボルとする市民権修正法反対運動とはまったく対照的であり、その戦術は、政府によるメディア報道支配と運動支援の輪の解体をゆるす一方で、抗議者を守勢的立場に置いてしまいました。これらのことから、今ではあまりにも当たり前になってしまった縮小版サティヤーグラハ(敵愾心や影響力を欠いた座り込み)を再考することが早急に必要であることがわかります。
しかし、もしもあなたが異議と正義よりも法と秩序が好きで、一人前の役割とリスクを引き受けることなく革命家を装いたいというのならば、黒人の命が大事とは言わないでください。
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最初の特攻を命じたことによって、「特攻の産み親」と呼ばれることになった大西瀧治郎中将は、天皇が玉音放送を通じて国民に戦争終結を告げたのを見届けて、翌16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。
特攻作戦を採用した責任者といえる将官たち、前線で「おまえたちだけを死なせはしない」と言いながら特攻を命じた指揮官たちの中で、このような責任のとり方をした者は他に一人もいない。
そして、ひとり残された妻・淑恵さんも、戦後、病を得て息を引き取るまで33年間、清廉かつ壮絶な後半生を送っていた。
最初の慰霊法要に駆け込み、土下座した貴婦人
終戦の翌年、昭和21(1946)年3月のある日、全国の有力新聞に、
〈十三期飛行専修予備学生出身者は連絡されたし。連絡先東京都世田谷区・大山日出男〉 との広告が掲載された。
空襲で、東京、大阪、名古屋はもちろん、全国の主要都市は灰燼に帰し、見わたす限りの廃墟が広がっている。
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)は昭和21年1月、「公職追放令」を出し、旧陸海軍の正規将校がいっさいの公職に就くことを禁止した。日本の元軍人が集会を開くことさえ禁じられ、戦犯の詮議も続いている。広告を見て、「戦犯さがし」かと疑う者も少なからずいたが、呼びかけ人の大山のもとへは全国から続々と連絡が寄せられた。
戦争が終わってこの方、掌を返したような世の中の変化で、生き残った航空隊員には「特攻くずれ」などという侮蔑的な言葉が投げかけられ、戦没者を犬死に呼ばわりする風潮さえもはびこっている。そんななか、大勢の戦友を亡くして生き残った者たちは、戦没者に対し、
「生き残ってすまない」
という贖罪の気持ちをみんなが抱いている。それは、はじめから陸海軍を志した、いわばプロの軍人も、戦争後期に学窓から身を投じた予備士官も、なんら変わるところがない率直な感情だった。
「十三期飛行専修予備学生」は、大学、高等学校高等科、専門学校(旧制)を卒業、または卒業見込の者のうち、10万名を超える志願者のなかから選抜された5199名が、昭和18(1943)年10月、土浦、三重の両海軍航空隊に分かれて入隊、特攻戦死者448名をふくむ1616名が戦没している。呼びかけに応じて集まった予備学生十三期出身者たちの意思は、
「多くの戦没者同期生の慰霊こそ、生き残った者の務めである」
ということで一致した。そして、同期生たちが奔走し、GHQ、警察、復員局の了承をとりつけて、ふたたび10月30日の新聞に、
〈十一月九日、第十三期飛行専修予備学生戦没者慰霊法要を東京築地本願寺にて行ふ〉
と広告を出し、さらにNHKに勤務していた同期生の計らいで、ラジオでも案内放送が流れた。
昭和21年11月9日、国電(現JR)有楽町駅から築地まで、焼跡の晴海通りを、くたびれた将校マントや飛行靴姿の青年たち、粗末ななりに身をやつした遺族たちが三々五々、集まってきた。築地本願寺の周囲も焼け野原で、モダンな廟堂の壁も焦げている。寺の周囲には、機関銃を構えたMPを乗せたジープが停まって、監視の目を光らせている。焼跡のなかでその一角だけが、ものものしい雰囲気に包まれていた。
広い本堂は、遺族、同期生で埋め尽くされた。悲しみに打ち沈む遺族の姿に、同期生たちの「申し訳ない」思いがさらにつのる。読経が終わると、一同、溢れる涙にむせびながら、腹の底から絞り出すように声を張り上げ、「同期の桜」を歌った。
歌が終わる頃、一人の小柄な婦人が本堂に駆け込んできた。「特攻の父」とも称される大西瀧治郎中将の妻・淑惠である。
大西中将は昭和19(1944)年10月、第一航空艦隊司令長官として着任したフィリピンで最初の特攻出撃を命じ、昭和20(1945)年5月、軍令部次長に転じたのちは最後まで徹底抗戦を呼号、戦争終結を告げる天皇の玉音放送が流れた翌8月16日未明、渋谷南平台の官舎で割腹して果てた。特攻で死なせた部下たちのことを思い、なるべく長く苦しんで死ぬようにと介錯を断っての最期だった。遺書には、特攻隊を指揮し、戦争継続を主張していた人物とは思えない冷静な筆致で、軽挙を戒め、若い世代に後事を託し、世界平和を願う言葉が書かれていた。
昭和19年10月20日、特攻隊編成の日。マバラカット基地のそば、バンバン川の河原にて、敷島隊、大和隊の別杯。手前の後ろ姿が大西中将。向かって左から、門司副官、二〇一空副長・玉井中佐(いずれも後ろ姿)、関大尉、中野一飛曹、山下一飛曹、谷一飛曹、塩田一飛曹
昭和19年10月25日、マバラカット東飛行場で、敷島隊の最後の発進
淑惠は、司会者に、少し時間をいただきたいと断って、参列者の前に進み出ると、
「主人がご遺族のご子息ならびに皆さんを戦争に導いたのであります。お詫びの言葉もございません。誠に申し訳ありません」
土下座して謝罪した。淑惠の目には涙が溢れ、それが頬をつたってしたたり落ちていた。
突然のことに、一瞬、誰も声を発する者はいなかった。
われに返った十三期生の誰かが、
「大西中将個人の責任ではありません。国を救わんがための特攻隊であったと存じます」
と声を上げた。
「そうだそうだ!」
同調する声があちこちに上がった。十三期生に体を支えられ、淑惠はようやく立ち上がると、ふかぶかと一礼して、本堂をあとにした。これが、大西淑惠の、生涯にわたる慰霊行脚の第一歩だった。
生活のために行商を。路上で行き倒れたことも
同じ年の10月25日。港区芝公園内の安蓮社という寺には、かつて第一航空艦隊(一航艦)、第二航空艦隊(二航艦)司令部に勤務していた者たち10数名が、GHQの目をぬすんでひっそりと集まっていた。
関行男大尉を指揮官とする敷島隊をはじめとする特攻隊が、レイテ沖の敵艦船への突入に最初に成功したのが、2年前の昭和19年10月25日。三回忌のこの日に合わせて、一航艦、二航艦、合計2525名の戦没特攻隊員たちの慰霊法要をやろうと言い出したのは、元一航艦先任参謀・猪口力平大佐だった。安蓮社は、増上寺の歴代大僧正の墓を守る浄土宗の由緒ある寺で、住職が猪口と旧知の間柄であったという。
神風特攻隊敷島隊指揮官・関行男大尉。昭和19年10月25日、突入、戦死。最初に編成された特攻隊4隊(敷島隊、大和隊、朝日隊、山桜隊)全体の指揮官でもあった。当時23歳
昭和19年10月25日、特攻機が命中し、爆炎を上げる米護衛空母「セント・ロー」
寺は空襲で焼け、バラックの一般家屋のような仮本堂であったが、住職は猪口の頼みに快く応じ、特攻隊戦没者の供養を末永く続けることを約束した。この慰霊法要は「神風忌」と名づけられ、以後、毎年この日に営まれることになる。
遺された「神風忌参会者名簿」(全六冊)を見ると、大西淑惠はもとより、及川古志郎大将、戸塚道太郎中将、福留繁中将、寺岡謹平中将、山本栄大佐、猪口力平大佐、中島正中佐……といった、特攻を「命じた側」の主要人物の名前が、それぞれの寿命が尽きる直前まで並んでいる。
生き残った者たちの多くは、それぞれに戦没者への心の負い目を感じつつ、慰霊の気持ちを忘れないことが自分たちの責務であると思い、体力や生命の続く限り、こういった集いに参加し続けたのだ(ただし、軍令部で特���作戦を裁可した事実上の責任者である中澤佑中将、黒島亀人少将は、一度も列席の形跡がない)。
東京・芝の寺で戦後60年間、営まれた、特攻戦没者を供養する「神風忌」慰霊法要の参会者名簿。当時の将官、参謀クラスの関係者が名を連ねるなか、淑惠は、亡くなる前年の昭和51年まで欠かさず列席していた
十三期予備学生の戦没者慰霊法要で土下座をした大西淑惠は、その後も慰霊の旅を続けた。特攻隊員への贖罪に、夫の後を追い、一度は短刀で胸を突いて死のうとしたが、死ねなかった。ずっとのち、淑惠は、かつて特攻作戦渦中の第一航空艦隊で大西中将の副官を勤めた門司親徳(主計少佐。戦後、丸三証券社長)に、
「死ぬのが怖いんじゃないのよ。それなのに腕がふにゃふにゃになっちゃうの。それで、やっぱり死んじゃいけないってことかと思って、死ぬのをやめたの」
と語っている。
大西瀧治郎中将(右)と、副官・門司親徳主計大尉(当時)。昭和20年5月13日、大西の軍令部次長への転出を控えて撮影された1枚
暮らしは楽ではない。夫・大西瀧治郎はおよそ金銭に執着しない人で、入るにしたがって散じた。門司は、フィリピン、台湾での副官時代、大西の預金通帳を預かり、俸給を管理していたから、大西が金に無頓着なのはよく知っている。淑惠もまた、金銭には無頓着なほうで、もとより蓄えなどない。
家も家財も空襲で焼失し、GHQの命令で軍人恩給は停止され、遺族に与えられる扶助料も打ち切られた。
昭和3年2月、華燭の典を挙げた大西瀧治郎(当時少佐)と淑惠夫人
自宅でくつろぐ大西瀧治郎、淑惠夫妻。大西が中将に進級後の昭和18年5月以降の撮影と思われる
焼け残った千葉県市川の実家に戻って、淑惠は生きるために商売を始めた。最初に手がけたのは薬瓶の販売である。伝手を求めて会社を訪ね、それを問屋につなぐ。次に、飴の行商。元海軍中将夫人としては、全く慣れない別世界の生活だった。
昭和22(1947)年8月上旬のある日、薬瓶問屋を訪ねる途中、国電日暮里駅東口前の路上で行き倒れたこともある。このとき、たまたま日暮里駅前派出所で立ち番をしていた荒川警察署の日下部淳巡査は、知らせを受けてただちに淑惠を派出所内に運び、近くの深井戸の冷水で応急手当をした。
「質素な身なりだったが、その態度から、終戦まで相当な身分の人と思った」
と、日下部巡査はのちに語っている。柔道六段の偉丈夫だった日下部は、元海軍整備兵曹で、小笠原諸島にあった父島海軍航空隊から復員してきた。後日、淑惠が署長宛に出した礼状がもとで、日下部は警視総監から表彰を受けた。だが、その婦人が誰であるか知らないまま8年が過ぎた。
昭和30(1955)年、日下部は、元零戦搭乗員・坂井三郎が著した『坂井三郎空戦記録』(日本出版協同)を読んで坂井の勤務先を知り、両国駅前の株式会社香文社という謄写版印刷の会社を訪ねた。日下部は、昭和19(1944)年6月、敵機動部隊が硫黄島に来襲したとき、父島から硫黄島に派遣され、そこで横須賀海軍航空隊の一員として戦っていた坂井と知り合ったのだ。
香文社を訪ねた日下部は、そこに、あの行き倒れの婦人がいるのに驚いた。そして、この婦人が、大西中将夫人であることをはじめて知った。日下部は淑惠に心服し、こののちずっと、淑惠が生涯を閉じるまで、その身辺に気を配ることになる。
淑惠が、坂井三郎の会社にいたのにはわけがある。
淑惠の姉・松見久栄は、海軍の造船大佐・笹井賢二に嫁ぎ、女子2人、男子1人の子をもうけた。その男の子、つまり大西夫妻の甥にあたる笹井醇一が、海軍兵学校に六十七期生として入校し、のちに戦闘機搭乗員となった。
笹井醇一中尉は昭和17(1942)年8月26日、ガダルカナル島上空の空戦で戦死するが、戦死するまでの数ヵ月の活躍にはめざましいものがあった。ラバウルにいたことのある海軍士官で、笹井中尉の名を知らぬ者はまずいない。
その笹井中尉が分隊長を務めた台南海軍航空隊の、下士官兵搭乗員の総元締である先任搭乗員が坂井三郎だった。笹井の部下だった搭乗員はそのほとんどが戦死し、笹井の活躍については、坂井がいわば唯一の語り部となっている。
坂井は、海軍航空の草分けで、育ての親ともいえる大西瀧治郎を信奉していたし、
「敬愛する笹井中尉の叔母ということもあり、淑惠さんを支援することは自分の義務だと思った」
と、筆者に語っている。
坂井は淑惠に、両国で戦後間もなく始めた謄写版印刷店の経営に参加してくれるよう頼み、淑惠は、実家の了解を得て、夫の位牌を持ち、坂井の印刷店のバラックの片隅にある三畳の部屋に移った。日暮里で行き倒れた数年後のことである。
だが、坂井には、別の思惑もある。淑惠が経営に関わることで、有力な支援者を得ることができると考えたのだ。坂井の謄写版印刷の店は、福留繁、寺岡謹平という、大西中将の2人の同期生(ともに海軍中将)ほかが発起人となり、笹川良一(元衆議院議員、国粋大衆党総裁。A級戦犯容疑で収監されたが不起訴。のち日本船舶振興会会長)が発起人代表となって株式会社に発展した。
出資金は全額、坂井が出し、名目上の代表取締役社長を淑惠が務めることになった。会社が軌道に乗るまでは、笹川良一や大西に縁のある旧海軍軍人たちが、積極的に注文を出してくれた。淑惠は、香文社の格好の広告塔になったと言ってよい。
「裏社会のフィクサー」の大西に対する敬意
淑惠には、ささやかな願いがあった。大西の墓を東京近郊に建て、その墓と並べて、特攻隊戦没者を供養する観音像を建立するというものである。
苦しい生活のなかから細々と貯金し、昭和26(1951)年の七回忌に間に合わせようとしたが、それは到底叶わぬことだった。だが、この頃から慰霊祭に集う人たちの間で、淑惠の願いに協力を申し出る者が現れるようになった。
大西中将は、まぎれもなく特攻を命じた指揮官だが、不思議なほど命じられた部下から恨みを買っていない。フィリピンで、大西中将の一航艦に続いて、福留繁中将率いる二航艦からも特攻を出すことになり、大西、福留両中将が一緒に特攻隊員を見送ったことがあった。このときの特攻隊の一員で生還した角田和男(当時少尉)は、
「大西中将と福留中将では、握手のときの手の握り方が全然違った。大西中将はじっと目を見て、頼んだぞ、と。福留中将は、握手しても隊員と目も合わさないんですから」
と述懐する。大西は、自身も死ぬ気で命じていることが部下に伝わってきたし、終戦時、特攻隊員の後を追って自刃したことで、単なる命令者ではなく、ともに死ぬことを決意した戦友、いわば「特攻戦死者代表」のような立場になっている。淑惠についても、かつての特攻隊員たちは、「特攻隊の遺族代表」として遇した。
「大西長官は特攻隊員の一人であり、奥さんは特攻隊員の遺族の一人ですよ」
というのが、彼らの多くに共通した認識だった。
そんな旧部下たちからの協力も得て、昭和27(1952)年9月の彼岸、横浜市鶴見区の曹洞宗大本山總持寺に、小さいながらも大西の墓と「海鷲観音」と名づけられた観音像が完成し、法要と開眼供養が営まれた。
昭和27年9月、鶴見の總持寺に、最初に淑惠が建てた大西瀧治郎の墓。左は特攻戦没者を供養する「海鷲観音」
その後、昭和38(1963)年には寺岡謹平中将の筆になる「大西瀧治郎君の碑」が墓の左側に親友一同の名で建てられ、これを機に墓石を一回り大きく再建、観音像の台座を高いものにつくり直した。
墓石の正面には、〈従三位勲二等功三級 海軍中将大西瀧治郎之墓〉と刻まれ、側面に小さな字で、〈宏徳院殿信鑑義徹大居士〉と、戒名が彫ってある。再建を機に、その隣に、〈淑徳院殿信鑑妙徹大姉〉と、淑惠の戒名も朱字で入れられた。
この再建にあたって、資金を援助したのが、戦時中、海軍嘱託として中国・上海を拠点に、航空機に必要な物資を調達する「児玉機関」を率いた児玉誉士夫である。児玉は、海軍航空本部総務部長、軍需省航空兵器総局総務局長を歴任した大西と親交が深く、私欲を微塵も感じさせない大西の人柄に心服していた。大西が割腹したとき、最初に官舎に駆けつけたのが児玉である。
昭和20年2月、台湾・台南神社で。左から門司副官、児玉誉士夫、大西中将
児玉は、昭和20(1945)年12月、A級戦犯容疑で巣鴨プリズンに拘置され、「児玉機関」の上海での行状を3年間にわたり詮議されたが、無罪の判定を受けて昭和23(1948)年末、出所していた。
巣鴨を出所したのちも、淑惠に対し必要以上の支援はせず、一歩下がって見守る立場をとっていた。「自分の手で夫の墓を建てる」という、淑惠の願いを尊重したのだ。だから最初に墓を建てたときは、協力者の一人にすぎない立場をとった。
だが、再建の墓は、大西の墓であると同時に淑惠の墓でもある。児玉は、大西夫妻の墓は自分の手で建てたいと、かねがね思っていた。ここで初めて、児玉は表に出て、淑惠に、大西の墓を夫婦の墓として建て直したいが、自分に任せてくれないかと申し出た。
「児玉さんの、大西中将に対する敬意と追慕の念は本物で、見返りを何も求めない、心からの援助でした。これは、『裏社会のフィクサー』と囁かれたり、のちにロッキード事件で政財界を揺るがせた動きとは無縁のものだったと思っています」
と、門司親徳は言う。
鶴見の總持寺、大西瀧治郎墓所の現在。墓石に向かって左側に海鷲観音と墓誌、右側には遺書の碑が建っている
大西瀧治郎の墓石右横に建てられた遺書の碑
墓が再建されて法要が営まれたとき、淑惠が参会者に述べた挨拶を、日下部巡査が録音している。淑惠は謙虚に礼を述べたのち、
「特攻隊のご遺族の気持ちを察し、自分はどう生きるべきかと心を砕いてまいりましたが、結局、散っていった方々の御魂のご冥福を陰ながら祈り続けることしかできませんでした」
と、涙ながらに話した。
「わたし、とくしちゃった」
淑惠は、昭和30年代半ば頃、香文社の経営から身を引き、抽選で当った東中野の公団アパートに住むようになった。3階建ての3階、六畳と四畳半の部屋で、家賃は毎月8000円。当時の淑惠にとっては大きな出費となるので、児玉誉士夫と坂井三郎が共同で部屋を買い取った。ここには長男・多田圭太中尉を特攻隊で失った大西の親友・多田武雄中将夫人のよし子や、ミッドウェー海戦で戦死した山口多聞少将(戦死後中将)夫人のたかなど、海軍兵学校のクラスメートの夫人たちがおしゃべりによく集まった。門司親徳や日下部淳、それに角田和男ら元特攻隊員の誰彼も身の周りの世話によく訪ねてきて、狭いながらも海軍の気軽な社交場の趣があった。
「特攻隊員の遺族の一人」である淑惠には、多くの戦友会や慰霊祭の案内が届く。淑惠は、それらにも体調が許す限り参加し続けた。どれほど心を込めて慰霊し、供養しても、戦没者が還ることはなく、遺族にとって大切な人の命は取り返しがつかない。この一点だけは忘れてはいけない、というのが、淑惠の思いだった。
大西中将は生前、勲二等に叙せられていたが、昭和49(1974)年になって、政府から勲一等旭日大綬章を追叙された。この勲章を受けたとき、淑惠は、
「この勲章は、大西の功績ではなく、大空に散った英霊たちの功績です」
と言い、それを予科練出身者で組織する財団法人「海原会」に寄贈した。大西の勲一等の勲章は、茨城県阿見町の陸上自衛隊武器学校(旧土浦海軍航空隊跡地)内にある「雄翔館」(予科練記念館)におさめられている。
昭和49年、大西瀧治郎を主人公にした映画「あゝ決戦航空隊」が東映で映画化され、淑惠は京都の撮影所に招かれた。大西中将役の鶴田浩二、淑惠役の中村珠緒とともに撮られた1枚
淑惠は、毎年、この地で開催されている予科練戦没者慰霊祭にも、欠かさず参列した。
「こういう会合の席でも、奥さんはいつも自然体で、ことさら変わったことを言うわけではない。しかし短い挨拶には真情がこもっていて、その飾らない人柄が参会者に好感をもたれました。大西中将は『特攻の父』と言われますが、奥さんはいつしか慰霊祭に欠かせない『特攻の母』のようになっていました」
と、門司親徳は振り返る。
昭和50(1975)年8月、淑惠は最初に特攻隊を出した第二〇一海軍航空隊��慰霊の旅に同行し、はじめてフィリピンへ渡った。
小学生が手製の日の丸の小旗を振り、出迎えの地元女性たちが慰霊団一人一人の首にフィリピンの国花・サンパギータ(ジャスミンの一種)の花輪をかける。特攻基地のあったマバラカットの大学に設けられた歓迎会場では、学長自らが指揮をとり、女子学生が歌と踊りを披露する。警察署長が、慰霊団の世話を焼く。
予想以上に手厚いもてなしに一行が戸惑っていたとき、突然、淑惠が壇上に上った。
「マバラカットの皆さま、戦争中はたいへんご迷惑をおかけしました。日本人の一人として、心からお詫びします。――それなのに、今日は、こんなに温かいもてなしを受けて……」
涙ぐみ、途切れながら謝辞を述べると、会場に大きな拍手が起こった。
淑惠は、翌昭和51(1976)年にも慰霊団に加わったが、昭和52(1977)年6月、肝硬変をわずらって九段坂病院に入院した。この年の4月、二〇一空の元特攻隊員たちが靖国神社の夜桜見物に淑惠を誘い、砂利敷きの地面にござを敷いて夜遅くまで痛飲している。
「こんなお花見、生まれて初めて……」
77歳の淑惠は、花冷えのなかで嬉しそうに目を細め、しみじみつぶやいた。
九段坂病院5階の奥にある淑惠の病室には、門司親徳や、かつての特攻隊員たちも見舞いに駆けつけ、人の絶えることがなかった。児玉誉士夫は、自身も病身のため、息子の博隆夫妻に見舞いに行かせた。香文社時代の同僚、遠縁の娘など身近な人たちが、献身的に淑惠の世話をした。日下部淳は、警察の仕事が非番の日には必ず病院を訪れ、ロビーの長椅子に姿勢よく座って、何か起きたらすぐにでも役に立とうという構えだった。
昭和53(1978)年2月6日、門司親徳が午前中、病室に顔を出すと、淑惠は目をつぶって寝ていた。淑惠が目を開けたとき、門司が、
「苦しくないですか?」
とたずねると、小さく首をふった。そして、しばらくたって、淑惠は上を向いたまま、
「わたし、とくしちゃった……」
と、小さくつぶやいた。子供のようなこの一言が、淑惠の最期の言葉となった。淑惠が息を引き取ったのは、門司が仕事のために病室を辞去して数時間後、午後2時24分のことであった。
「『とくしちゃった』という言葉は、夫があらゆる責任をとって自決した、そのため、自分はみんなから赦され、かえって大事にされた。そして何より、生き残りの隊員たちに母親のようになつかれた。子宝に恵まれなかった奥さんにとって、これは何より嬉しかったんじゃないか。これらすべての人に『ありがとう』という代わりに、神田っ子の奥さんらしい言葉で、『とくしちゃった』と言ったに違いないと思います」
――門司の回想である。
淑惠の葬儀は、2月18日、總持寺で執り行われた。先任参謀だった詫間(猪口)力平が、葬儀委員長を務め、数十名の海軍関係者が集まった。納骨のとき、ボロボロと大粒の涙を流すかつての特攻隊員が何人もいたことが、門司の心に焼きついた。
こうして、大西淑惠は生涯を閉じ、その慰霊行脚も終わった。残された旧部下や特攻隊員たちは、淑惠の遺志を継いで、それぞれの寿命が尽きるまで、特攻戦没者の慰霊を続けた。戦後すぐ、芝の寺で一航艦、二航艦の司令部職員を中心に始まった10月25日の「神風忌」の慰霊法要は、元特攻隊員にまで参会者を広げ、平成17(2005)年まで、60年にわたって続けられた。60回で終わったのは、代のかわった寺の住職が、先代の約束を反故にして、永代供養に難色を示したからである。
大西中将の元副官・門司親徳は、「神風忌」の最後を見届け、自身が携わった戦友会の始末をつけて、平成20(2008)年8月16日、老衰のため90歳で亡くなった。昭和と平成、元号は違えど、大西瀧治郎と同じ「20年8月16日」に息を引き取ったのは、情念が寿命をコントロールしたかのような、不思議な符合だった。
大西夫妻の人物像について、門司は生前、次のように述べている。
「大西中将は、血も涙もある、きわめてふつうの人だったと思う。ふつうの人間として、身を震わせながら部下に特攻を命じ、部下に『死』を命じた司令長官として当り前の責任のとり方をした。ずばぬけた勇将だったとも、神様みたいに偉い人だったとも、私は思わない。だけど、ほかの長官と比べるとちょっと違う。人間、そのちょっとのところがなかなか真似できないんですね。ふつうのことを、当り前にできる人というのは案外少ないと思うんです。軍人として長官として、当り前のことが、戦後、生き残ったほかの長官たちにはできなかったんじゃないでしょうか
奥さんの淑惠さんも、無邪気な少女がそのまま大人になったような率直な人柄で、けっして威厳のあるしっかり者といった感じではなかった。でも、人懐っこく���民的で、人の心をやわらかく掴む、誠実な女性でした。長官は、そんな淑惠さんを信じて後事を託し、淑惠さんは、つましい生活を送りながら、夫の部下たちやご遺族に寄り添って天寿を全うした。
正反対のタイプでしたが、理想的な夫婦だったんじゃないでしょうか。いまの価値観で見ればどう受け止められるかわかりませんが……」
そう、現代の価値観では計り知れないことであろう。責任ある一人の指揮官と、身を捨てて飛び立った若者たち。そして、自決した夫の遺志に殉ずるかのように、最期まで慰霊に尽くし続けた妻――。
「戦争」や「特攻」を現代の目で否定するのは簡単だ。二度と繰り返してはならないことも自明である。しかし、人は自分が生まれる時や場所を選べない。自らの生きた時代を懸命に生きた人たちがいた、ということは、事実として記憶にとどめておきたい。
旧軍人や遺族の多くが世を去り、生存隊員の全員が90歳を超えたいまもなお、全国で慰霊の集いが持たれ、忘れ得ぬ戦友や家族の面影を胸に、命がけで参列する当事者も少なくない。彼らの思いを封じることは誰にもできないはずだから。
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第24話 『水と油の漂泊者《バガボンド》(4) - もう一度』 Opposite vagabonds chapter 4 - “One more chance”
魔術に精通した者達の間で、まことしやかに囁かれる噂。
しかし、それは噂ではなく、現実だった。
『不定形の怪物』が表立って目撃されるようになったのは、最近になっての事である。
屍者を冒涜する者共が至った境地、屍体を完全に融解しその状態を維持したまま操る術は、もはや禁忌を超え、これまでに想像も検討もされなかったものである。
水銀に似た形質ではあるが、単純な魔法生物の代表たるスライムに似た見た目とは裏腹に、その内部は非常に複雑な構造になっている。
全身には形状と性質こそ変貌しているが筋繊維に似た組織が張り巡らされ、術者がその繊維の収縮を意識する事によって、形状を多様に変化させて蠕動する。
また、その際限のない繊維の緊縮により組織の一部を硬質化し、切断や刺突をも可能な形状を作り出す事にも成功している。
本来の人間の筋組織に対する意識とは著しく乖離したその身体構造は、人間の意識そのものでそのままに動かす事すら難しい。
不定形を操作する術者は、まるで熟達した大道芸人の曲芸のように複雑な肉体操作を求められる事になる。
しかし、その高い操作難度と技術的な実現難度を乗り越えた先には、恐るべき屍体性能が対価として待ち受けている。
"自由自在に動き回る、硬化軟化も自在の液状の戦士"がもたらす戦闘能力は、骨と関節の制約を受ける人型の肉体を持った者の比ではない。
それを止める方法は、分厚い鋼鉄に閉じ込める、水底に沈めるなどの、Buriedbornesの術そのものの遮断のみである。
さらに上回る戦闘能力以外においては、とも言えるが、それを見出した者は、未だかつていない。
屍者の軍勢との戦いのために、生き残った人類側が、真っ先に人類の本来のあるべき姿から逸脱していったのだ。
日が落ちた沼地には、静寂が訪れて、生き物の鳴き声ひとつ聞かれる事はない。
沼地の奥、打ち捨てられた廃屋のひとつに、結界が張られている。
崩れかかった家屋の中で、小さな焚き火が焚かれていた。
その傍らには、3人が思い思いの姿勢で座り込み、焚き火を見つめている。
その表情はそれぞれに異なるが、共通して見受けられる感情は、不安と緊張であった。
ビアンカのそれは、最も深刻であった。
戦いの後、彼女は一人取り乱し、集落での依頼を諦めてこの地を去る事を提案した。
だが、ジョセフもゴードンも、首肯はしなかった。
この違いに、『乗りかかった船』に対する互いの意識の差が顕著に現れていたと言える。
ビアンカは、この時代の人間において、当然の判断をしていた。
生きる事が再優先事項であり、たとえ受けた仕事であろうが、そのリスクが手に負えるものでないなら、逃げるのが正しい選択だ。
依頼人も、所詮は赤の他人である。
命を懸ける義理など、あろうはずもない。
ジョセフは違った。
彼にとっては、人々を守る事は、命を懸ける価値のある仕事であった。
そして、命を懸けて戦い、そして勝利と生存を勝ち取る強い自信も、彼にはあった。
術者でないジョセフの『不定形の怪物』に対する認識の違いも、あったかもしれない。
ゴードンは、その内心においては、ビアンカ以上に逃げ出したい気持ちが強かった。
しかし、同時にジョセフと共に戦う事に、強い意味も見出していた。
『何もできない自分からの脱却』という、曖昧な目的に、その命を委ねていた。
ここで逃げ出せば、自分は一生、半端者だ。
ただ、一度は失い、拾われた命である、という意識もあった。
その心理はやや複雑ではあったが、「逃げよう」とは言い出せないほどには、それ以外の感情が強かった。
何故あの不定形が自身を狙うのかはわからない。
わかっている事は、屍者の抜け殻から作られた怪物を、何者かが操っているという事だけだ。
「向かう前に、できるだけの事はしておかないとな」
ジョセフが小さく呟いた。
ここから一里と離れていない地点に、ビアンカは異質な魔力の蠢きを察知していた。
それが誘拐犯である可能性は、高い。
そしてそ��で、あの怪物が待ち受けている可能性も。
ジョセフは、懐から小さな壺や、短刀、粉薬などを取り出して並べていく。
言葉に反応せず無言で焚き火を睨んでいたゴードンも、並べられていく品々に気を引かれ、目線を動かした。
「…そんなに持っていたのか、必要そうには見えんが」
「魔法が使えん俺は、いざと言う時にできる事を増やしておかんとな」
そういうと、ひとつずつ手入れをし始める。
ビアンカは変わらず、焚き火を見つめたまま震えを堪えるように腕を抱いたまま蹲っている。
「…指輪、もう返そうか」
逃れられぬ死の可能性が、この先に横たわっているのを感じる。
できるだけの事はしておかないと、その言葉を反芻し、ゴードンは覚悟を決めつつあった。
「…あんたも、因果な性分してるんだな」
ジョセフはゴードンを見て、苦笑した。
「ところで聞いておきたかったんだが、その杖は…」
ジョセフは、ゴードンが懐中に携えた杖を指さした。
ゴードンは、微笑を浮かべながら、語り始めた。
「これはな、いつかギャンブルで手ひどく損をした時にな…」
無数に立ち並び揺らめく灯火の明かりが、沼の水面を鈍く照らしている。
列石めいた松明の回廊の先に、悪臭が漂う不清潔で小ぢんまりとした円屋根の小屋が佇んでいる。
その中からは、聞くものの精神に悪影響を及ぼしかねない異様な呪詛が響いてくる。
見れば、その小屋の傍らにうず高く積まれたものは、ゴミでもなければ、飼い葉の類でもない。
骨、肉、臓、その全て、それも何十人分もの遺体が雑多に混ぜられ、積み上げられたものだ。
この山だけでも、この地で行われた恐るべき所業の全てを物語っている。
その山を険しい表情で睨みつけながら、小屋に向かって歩む人影が視界に入る。
ジョセフだ。
少し離れた沼の岩陰から様子を伺っていたゴードンは、両手に握った杖を、一層強く握りしめた。
沼を真っ直ぐに小屋に抜けて、高台になった入り口の板に足をかける。
その瞬間、小屋の戸が弾け飛び、そこから黒ずんだ土塊がせり出してくる。
ジョセフは咄嗟に跳躍し、後方の沼地に着地、あるいは着水し、その手を逃れる。
小屋の中から次々土塊が溢れ出し、明らかに小屋の大きさ以上の量の土になる。
やがてその土塊は2階建ての馬小屋ほどの大きさになるとぐにぐにと形を変え、やがて人の形を取り始める。
そしてそれを追って、小屋の中から呪詛を唱えながら醜怪な男が這い出してくる。
「なるほど、犯人は呪術師様って奴か?」
ジョセフは懐中から短刀を取り出し、男目がけて投擲する。
土塊人形が足を払うと、短刀はその足に突き立って、やがてその中にぐにぐにと取り込まれていった。
「…様子見からだな、これは」
ジョセフはそうつぶやいて、腰から剣を抜き、構える。
土塊人形の大木のような腕がジョセフに迫るが、一閃が走り、斬り飛ばされた腕は斜め後方の松明をなぎ倒しながら地面に落ちた。
「そんなもんか?」
ブツブツと呪術師が何かを唱えると、切り飛ばされて欠けた箇所から、また新しい土の腕が生える。
足元も生えた腕と同様に蠢き、足元の泥を吸い込み、その体の内に取り込んでいる事がわかる。
大きさが縮む事もない。
さらに迫る人形相手に、ジョセフは腕となく足となく次々と斬り飛ばすが、失うのと同じ勢いで新しい四肢を生やし、次の一撃を繰り出してくる。
このままでは、呪術師に近寄る事もできない。
「キリがねぇ…!」
ついに、人形の腕がジョセフを捉え、その拳で全身を掴み、握り込んだ。
だが、それと同時に、人形の頭部に何かがぶつかり、陶器が割れる音が響く。
投げつけられた壺の中から液体が滲み出て、人形を頭部から濡らした。
「喰らえッ!!」
岩陰から飛び出したゴードンが、手にした松明を投げつけた。
松明が人形に直撃すると、液体を伝って火が瞬く間に広がり、その上半身全体が一気に炎上した。
さらにゴードンは2つ3つと壺を投げつけるにつれて火の手が強くなる。
ジョセフの体にも火の手が迫り、衣服の一部が発火する。
しかし、ジョセフが力を込めると、それまで流動的で頑丈だった腕がひび割れ始め、やがて砕け散り腕から解放され、沼に落ち込んだ。
身を起こして目をやると、ゴードンの足元に落ちた斬り飛ばされた腕の倒れた松明の火に焼かれた部分が固まっている。
僅かな時間のうちに、ゴードンは土塊人形の弱点を見破ったのだ。
「やっぱりアンタは、すげぇ奴だよ!!」
水を得た魚のように、ジョセフが剣を振るって土器と化し身動きができなくなった土塊人形をバラバラにする。
呪術師は慌てて詠唱を再開し、新たな土塊人形を作り出そうと足元から新しい土が生え始める。
「遅ェ!!」
一瞬の隙を逃さずジョセフは呪術師の懐に踏み込むと、喉元に剣を突き立てた。

呪詛は途絶え、代わりにゴボゴボと液体の吹き出す音に変わる。
手応えあった。
傷口から銀灰色の液体が吹き出て、撒き散らされる。
「銀…?」
呪術師の腹部から突如白い棘が突き出ると、ジョセフの胸を貫いた。
「ジョセフ!!」
岩陰から、ビアンカが飛び出す。
突き刺された棘がジョセフから抜け落ち、ジョセフはよろめき、後方に倒れ伏す。
呪術師から吹き出した液体は次第に集まり、呪術師の足元でひとつの塊を成した。
駆け寄りながら、ビアンカは短く詠唱し、掌を突き出すと、無数の光弾が放たれる。
しかし、不定形の怪物はその間隙を縫ってビアンカに迫り、腹部を貫いた。
駆けていたビアンカはそのまま倒れ込み、動かなくなる。

これらの様子を、ゴードンは呆然として見ていた。
当然、それはほんの数秒の出来事だったかもしれない。
不定形の奇襲は、ほぼ完璧な形で成し遂げられた。
常人に何かが出来るような時間などなかった。
震えが止まらず、立っているのがやっとだった。
静かに液状の怪物が足元に迫り、眼前で形を変え、人じみた何かに姿を変え、静止した。
それは口を開き、ハッキリと喋り始めた。
「お前…ノ… 記憶を貰う… 崩壊前の… 記憶を…」
そう言うと、不定形は再び形を崩し、液状化して、ゴードンの肉体に這い寄る。
液体が、顔を伝い、口、鼻、耳、目の隙間から、徐々に肉体に這入ってくる。
じわじわと肉体の感覚が失われていくのがわかる。
恐怖もあった。
しかしそれよりも心を支配したのは、自分に何ができるのか、だった。
何もできなかったか?
土塊人形の弱点を突き止めた。
前金を引き出した。
俺にできる事が、あったじゃないか。
このまま死を待つ?
そんなのは、ごめんだ。
逃げ場はない。
やるしかない。
俺には俺の、俺にしかできない事がある。
ここまで来たのだ。
ジョセフや、ビアンカでもできない、自分だからこそ出来る事を、やれ。
心に灯ったひとかけらの勇気が、ゴードンを突き動かした。
残された全霊の力を振るって、杖を振り上げた。
それに呼応して、彼を覆った地平線が、せり上がる。
否、それは、水の壁である。
沼の水がまるで断崖のように盛り上がり、猛烈な勢いでゴードン目掛けて収束していく。
ゴードンの体内に忍び込もうとしていた液体は、一瞬動きを止めた後、猛烈な勢いで肉体から這い出していく。
しかし、間に合わない。
怒涛の勢いで全方位から迫る大津波がゴードンと不定形を襲い、一瞬で、ジョセフやビアンカの肉体諸共、その一帯の全てのものをその濁流の内に飲み込んだ。
この様子を上空から眺めていた者がいたとしたら、沼に透明な水瓶が突如現れたように見えたであろう。
瞬く間に沼地中から集められた水はその水瓶に収められ、��の内側では激流が渦を巻いている。
その渦中で、不定形はその外側に逃れようともがいてた。
しかし、ゴードンは杖を強く握りしめ、離さない。
肉体こそ激流に翻弄されているが、見開かれ血走った瞳には、確固たる決意の光が満ちている。
まるで排水口のように、あらゆる水が外側からその中央に向かって流れ込み、外に向かおうとする者を内側へと押し戻す。
右往左往し、激流の中から外へ向かう流れを求めて、不定形はのたうち回るが、その動きを抑えるように、ゴードンは杖を振るい、内側へ、内側へと水の流れを変え、不定形を水中に押し止める。
"潮の杖"と呼ばれる遺物が持つ力は、ただ「水を自在に操る」程度の力であった。
しかし、その力は、沼という地形と、Buriedbornesの術で動く怪物という相手において、存分に発揮される事となった。
Buriedbornesの術は、厚い鋼鉄や、深い水底において途絶える。
次第に抵抗の力は弱まり、そして最後には、それまで意志を持って動き続けていた不定形は、その全身がまるで本来の水銀質を取り戻したかのように、突然水中で霧散し、散り散りになって融けた。
ゴードンの意識は、その姿を確認すると糸が切れたように途切れた。
目を醒ますと、そこは3人が焚き火を囲った廃屋の中であった。
あの時と同じように、焚き火が床板を暖かく照らしている。
夢だったのか?
身を起こしたが、僅かな希望は報われる事はなかった。
磁気のように白くなったジョセフが、傍らに横たわっている。
焚き火の向こうで、幽鬼のような面持ちのビアンカが、焚き火を見つめていた。
貫かれたはずの腹部は、既に塞がれている。
全くの跡がないわけではなく、傷があった箇所の皮膚にミミズ腫れが残されている。
回復魔法を受けた直後の影響である事は、ゴードンにも覚えがあった。
ジョセフの傷口も、或いは同様のものが残されていた。
だが、ゴードンが手を差し出すと、彼の手は、もはや氷のように冷たかった。
ゴードンは数秒の逡巡の内に、無数の言葉を絞り出した。
しかし、そのどれもが、この場に相応しいものにはなりえなかった。
「…すまない」
ゴードンは片膝をつき、頭を下げた。
だが、ビアンカは力なく笑った。
「あなたのせいじゃないわ。無理矢理にでも、私が彼を止めるべきだった」
「だが…」
「それに、あなたがいなければ私も死んでいたのだから、感謝こそすれ恨むつもりはないわ」
その声は震えていた。
彼女が彼にどんな想いを抱いていたのか、想像する他ない。
それが一方ならぬものであった事は、確かであろう。
だが、それに報いる手段がどれだけあろうか。
「できるだけの事はしておかないと」
亡き友人が、そう言ったような気がした。
ゴードンは、ジョセフの冷たくなった指に見覚えのある輝きを見て取った。
細く頼りない指輪は、ジョセフの太い小指に、収まっていた。
誰よりも勇敢な男は、もういない。
彼の魂を気高きものに育てた者の元へと、還った。
残された自分は、彼のようになれるだろうか?
いや、彼になる事は、到底叶わないだろう。
それでも、ジョセフから受け取ったものは、今ではゴードンの中で、確かな火を灯していた。
「彼を弔おう、そして集落に戻るんだ」
ゴードンは、立ち上がった。
~おわり~
「ショートストーリー」は、Buriedbornesの本編で語られる事のない物語を補完するためのゲーム外コンテンツです。「ショートストーリー」で、よりBuriedbornesの世界を楽しんでいただけましたら幸いです。
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【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)
目次 ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)の基本情報 ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)のステータス ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)の着用可能キャラ ▼【グラクロ】【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)の評価 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)の基本情報 部位 衣装 レアリティ UR 入手方法 神器ショップ 価格 ダイヤ30個 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)のステータス 防御力+180 忍耐率+2% クリティカル防御+4% 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)の着用可能キャラ 【暴食の罪】マーリン 【コレクター】マーリン 【無限】マーリン 【コスチューム】黒炎の戦闘制服(マーリン)の評価 防御面を強化できる 衣装コスチュームが強化できるのは主に防御関連。防御力、…
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📛 116 「仮面ライダー」 #88。

今週も 「仮面ライダー」 のお時間がやって参りました。今回は 「怪奇 血を呼ぶ黒猫の絵 (第88話)」 というタイトルのお話です。いきなり 「ニャーっ!」 と男性を襲う化け猫怪人が登場します。「ネコとヤモリの合成人間ネコヤモリ!作戦のために本郷猛を引きつけておくのだっ!」 とブラック将軍の命を受けたネコは早速行動に移ります。場面は変わり、目の周りを青く染めたヤバミな男性が、暗い部屋で黒猫の絵を描きながら左手を切って血をぼたぼたと流しています。こどもが真似をしたら大変ですけれど、そんな兄ちゃんを隣の部屋から そうっと覗くちいさな弟。兄ちゃんってヤバミだって顔をしています。エヘヘへとうすら笑いを浮かべながら絵を描く兄ちゃん。かなりビョーキです。翌る日の夜 「悪魔の血によって描かれた黒猫の絵は 増殖細胞によって乗り移りが出来るのだ」 と、本人にしか分からないやうな奇怪な台詞を飛ばすブラック将軍。目が黄色くピカっと光る、クリスチャン・ラッセンもびっくりな、壁に掛けられた黒猫の絵から 「オレの名はネコヤモリ!ニャーーッ!」 と飛び出すネコ。「ウニャーーーァァァアアア!」 とネコ。「ニャー ニャッニャッ!」 と ちょっとやかましいネコ。「ふふふふふ、これでこの密室殺人のニュースが本郷猛の耳にも届くはずだ!ネコヤモリ!今度は本郷猛を狙えっ!」 と世界征服を企んでいるとは思えない、銭形平次ふうな (小規模な) ころしばかりをさせて喜ぶブラック将軍。そんなころ、冒頭のイカれた兄ちゃんの様子がおかしいと思ったら急に倒れちゃったんだと少年 (弟)。「おやっさん、滝は!」 と この番組の主役。「3日姿を見せていない」 とガール。FBIの指令で出張に行っているらしい滝和也隊長。点けていたラジオから変死事件がどうのこうのと言っているのが耳に入り、見つめ合う猛とおやっさん。早速 現場に急行する猛。勝手に入った部屋には 怪しげな黒猫の絵が飾られています。その絵をじいっと見つめる猛。すると 先ほどのやうに 黒猫の目がビカビカっと光り、どういう仕組みなのでせうか、飛び出してくる黒猫。「猫がっ!」 と猛。「ニャー!」 とネコ。「ゲルショッカーの改造人間か!」 と猛。「さうよ、ネコヤモリよ!」 と軽く自己紹介とこれからの予定を本郷猛に報告して スウッと消えるネコ。「さうか!ネコヤモリは 自由自在に絵に出入りすることが出来るのか!」 と飲み込みがやたらと早い猛は ヤバミな兄ちゃんのところに急いで向かいます。「本郷猛!何の用で!」 とヤバミな兄ちゃん。「ゲルショッカーのアジトに案内して貰おうか!」 とストレートな猛。兄ちゃんは 突然に 化け猫怪人に変身します。「さうよ、俺がネコヤモリだ!」 と "田中" という表札のある玄関をさささと小走りで駆けていくニャース。そんなニャースを追う猛。田中さんの玄関前の原っぱで揉み合うふたり。隙を見つけた猛は 「ライダー 変身!とぅっ!」 と変身をキメ込みます。逃げるネコ。追う第1号。戦闘員がかけつけ、ネコの逃走を手助けします。「ニャー!ダー!」 ゆれるカメラの中で殴る蹴る飛びかかるネコとバッタ。傾斜の急な階段で "キャットファイヤー" なる炎をジーン・シモンズばりに吹かすネコニャース。「仮面ライダー!勝負を預ける!だが今度こそ貴様たち」 をどうのこうのしてやるんだニャーなんて言いながら お知らせに入って貰います。お知らせが明けると 「今日の警備体制はこれでいきます」 と 世界平和会議 (In 熱海) という会議で警備を任されていたりする滝和也は、壁に掛けてある黒猫の絵が気になっています。「君、それは?」 と和也。「殺風景な物ですから」 と黒猫の絵とおじさん。ふーんとその場を離れた 詰めの甘い和也隊長を他所に 「準備完了しました」 と ひそひそと何処かに報告をしている おじさん。そんな頃、おじさんから報告を受けていたっぽいゲルダムなショッカーのアジトでは "科学者誘拐作戦" なる作戦と "ライダー本部襲撃作戦" を同時に企てているやうで、東京と熱海間は 80km あるさうですけれど、そんな離れた場所で 2分間の間に行ったり来たり出来るニャースを使って作戦成功だニャって感じみたいです。「日本、いやアジアを奪う作戦」 と 世界征服は諦めたのかブラック将軍。そんなころ 「おやっさん!絵から怪人が飛び出すんですよ!」 と猛。「何が黒猫だよ」 とおやっさん。すでにスタンバイしている黒猫。「ライダー隊!みなごろしだ!」 と黒猫から変身をキメるネコニャース。狭い部屋で ニャー!と叫ぶニャース。そのころ国際会議では 「コンフィデンス、サンキュー」 と眼鏡男子外国人が英語で何かお話をされています。「すべての準備は完了した!ネコヤモリ!いまだ!」 と 何が いまだ!なのかは良く分かりませんけれど、とにかく今らしいブラック将軍の命で 襲っていた猛の前から忽然と姿を消すニャンコ。「ネコヤモリ!なぜ消えたんだ!」 と驚く猛。そんな中 「あと1分っ」 と お湯を入れたインスタントラーメンを待つかのやうにネコヤモリを待つブラック将軍の姿が。場面は戻り、姿を消したニャースがどうして姿を消したのかってことに ピン!と来て 「滝が警備している平和学会は!」 とさけぶ猛は 慌てながら 「滝っ!滝っ!本郷だ応答せよ!その絵を叩き壊せっ!」 と黒猫が描かれた絵を叩き壊せだなんて無茶なことを言う猛の声に ハッとしてGood!な和也は あの絵を見るも、既に絵の中には黒猫はいません。時すでに遅しだニャー!とニャース登場。「本郷!ゲルショッカーの怪人だ!」 と和也はとりあえず猛に無線で伝えます。「しまった!」 と ささっと変身を済ませ、サイクロンで空に舞い上がった仮面ライダー第1号は 東京から熱海まで スピード違反を顧みず爆走します。そんなころ、海がきれいなバルコニーのやうな場所へ逃げ惑う会議関係の科学者と彼らを守る滝和也の姿が!ネコニャンコに殴られる滝和也。そんなところに 時間の都合とサイクロンのグンバツな性能により 「ゆくぞ!とぅっ!」 と放送時間内に現場に到着した 仮面ライダー第1号。形勢逆転、科学者を襲う戦闘員の皆さんをひとりずつ襲う滝和也。熱海な風景をチラッと覗かせながら 「ライダー返し!」 をニャンコに浴びせる第1号。ふたりして崖に着地します。「しねっ!ニャー!」 とキャットファイヤーを吹かすネコ。それは熱くてたまらんと ネコパンチならぬ 「ライダー パンチ!」 を繰り出す第1号。顔を手で覆うニャース。「ライダーチョップ」 もついでに浴びせる第1号に 「バカめ!もうひとつの武器があるのだ!ヤモリ吸盤だ!吸い取ってやる」 と放送時間ギリギリにもうひとつの武器を使って 仮面ライダーの生体エネルギーか何かを吸い取らうと狙うネコキャットに そろそろお開きの時間です!とばかりに 「とぅっ!ライダーキック!」 を ビシッと喰らわす第1号。「ニャァァァアアアアアア!」 とキックを浴びて吹っ飛んだネコヤモリは大爆発を起こすのかと思いきや、なぜか人間の姿?に戻ります。「あれは お兄さんだ、サトルくんも喜ぶだらう」 と第1号。何だか不思議な展開のラストはさておき、ぼくたちわたしたちの仮面ライダーは またひとつゲルダムの魔の手から限定された人々を守りました。
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デキウス・フルグラトル・オンブラ 外見年齢は30台半ば~後半 192cm 魔族 地方領主 ・外見・ かすかに癖のある黒髪、深紅の瞳、褐色の肌。 年齢は不詳で、本人も記憶に無い。外見年齢は30代半ば。 黒革のロングコートに、大鎌に形状変化する大剣ウルムガルナ(夜の精霊)が得物。 筋肉質で時折無精髭が生えていることもある。 不敵な笑みを浮かべている事が多く、人前では滅多に真面目な顔を見せない。 ・性格・ 詭弁家で人を弄することに長ける。 人を食ったような喋り方をし、気の許せない雰囲気を持つ。 自分の欲望には小気味いいほどに忠実。 おおよそ貴族らしからぬ行動が多く、領地争いの小競り合いなどでは先陣を切る事もしばしば。 しかし領地や領民といえるものは殆ど無く、荒れて捨てられた土地に酔狂で棲みついている状態。 自治領を拡げる事は全く考えてないが、侵略しようとするものは容赦なく一族根絶やしになるまで殲滅する。 気の遠くなる年月を生きている為、常に自分にとって興味の引くもの、未知のモノ、思い通りにならない者を好む。 愛を知らず、それに関連する感情がかなり欠落している。 ・生態・ 現在より約17000年前、人の願いや欲望が原初の闇に創造を促したことによって生まれた歪な対の土着神。 今の城があるあたりに当時の人間が神殿を作ったので、そのあたりでのらりくらりと生きていた。 兄であるデキウスは強大な力を持つ代わりに酷薄で愛を知らず、能力的に子孫を残せない。 魔界に住む妹神は力はない代わりに愛情深く7大将軍のカルハロスの妻。 普段食は殆ど取らず、自作の酒を摂取する。 基本的な成分は血液と精気だが、蒸留と熟成を繰り返してかなり濃縮されている。 見た目は血液のように濃い赤をしており、この世の何とも言いがたい芳しい香りがする。 あえて言うならば花のような香り。 人間界では蒸留された酒が唯一近いものといえ、人間が口にする料理は動植物の死体をこね回したもの、程度の認識。 戯れに同じものを楽しむ事も出来るが、エネルギーの還元率が全く違う為、あまり意味も興味も成さない。 酒は毎年11月に仕込みをし、そのための材料の一部である冥界や魔界の花を温室で育てている。 魔力で闇や影を操る事が出来、影を奪い相手を攻撃させたり、防御に使ったり、影に魔力を隠匿して相手を監視する事も出来る。 また、自らの影で自立型のドッペルゲンガーを作る事も可能。 人間界にあって魔族が支配する夜の闇に包まれているシルヴェス内では無制限に力を発揮する事が出来るが、あえて昼夜の区別がはっきりしている交易都市ベールヴァルトとの国境に居を構えている。 闇の魔導師や、闇に堕ちる者との契約を握る事もあり、強い怨嗟や憎悪を抱く人間の元へ現れる。 召喚に応じる事は滅多に無く、強烈な感情を持つ者に興味を引かれた時、気紛れに姿を見せる。 召喚された時に与える力は本人の源流ともなる原初の闇、真闇の類のもので召喚者の望む力に変化する事が出来る。 闇属性の為殆どの属性攻撃は通用せず、唯一物理と光属性にのみダメージを負う。 時折意識を闇に溶け込ませている事があり、その時は境界がかなり曖昧になっている。 それによって傷を回復させたり、失われた魔力を補填できる。 長時間闇に溶け込んでいるとそのまま戻れなくなる為、自室以外で闇と同化する事は緊急時を除いては滅多にない。 +-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+-++-+-+-+-+-+-+-+-+-+-+- ルベウスとは旧知の仲で、城を訪れるルベウスから外の国の話を聞いたりしている。 性格的には真逆なはずだが、互いに認め合い、この不思議な関係を楽しんでいる。 魔貴族が一堂に集まる「ルーフェロの夜」の前後3週間はルベウスに強制的に開催地であるオディールへ連行され、宴へ顔を出す。 オディールを支配するのはルベウスの主人であり、旧五神と呼ばれる強大な力を持つ神の一柱。 「ルーフェロの夜」が開催されている間は身形も貴族らしく整えさせられる。 左右の耳にイヤーカフがピアスのように肉に食い込んでいる。 また親指に大ぶりのスタールビーの指輪を嵌めており、どちらもルベウスから与えられたもの。 イヤーカフにはルベウスの魔力が貯める事が出来、炎と雷を放つ��とが可能。 ルベウスに月長石のピアスをつけさせた時に神の呪を受けた彼の右目と視神経と痛覚を共有している。 また一時期聖族に説得され聖界に席を置いていたが堕天した際腐食した翼を失い、その代り今はルベウスの魔力によって特定の状況下で浮かび上がる赤い竜の刺青がある(普段は全く見えず、滑らかな肌) 更に新月の時には黒竜の刺青も浮かび、アストラル体の竜の翼が表れる。 堕天時ルベウスによって与えられた竜の血の影響と思われる。 聖界にいた時期はほんの1000年程だが、聖界に引き上げられた事によって銀髪碧眼、白い肌へと変化。 土着の神ゆえの奔放さの為、様々な部署を盥回しにされながら主天使としてルベウスと共に魔族討伐を主に行う任につく。
移動はバイコーンと呼ばれる二本の角を持った魔馬。
デキウスが自ら地方を巡り集めた優れた馬を造魔を使って品種改良を繰り返しているため美しくもあり凶悪。 表皮は青黒く、鬣は白金の炎で、毒のブレスを吐く。 巨体とブレスにより、かなりの戦闘能力があり、下級魔族等は蹄に踏み潰される事も。 一日500kmの移動が可能と囁かれる程の体力と俊足を誇る。 短距離ならば闇や影を使って移動も可能。 あまり長時間闇に溶け込むと分離に時間がかかるので短距離(1km程度)のみ。 私兵の殆どは戯れの延長で作り出した造魔で構成されており、絶対服従であるが攻撃力は低い。 攻撃要員というよりは肉の防壁であり、手っ取り早く影を作り出す為のもの。 魔獣などが相手の場合は気をそらすための餌代わり。 意思や欲などといった物は全く無く、他者が精神的に操る事は不可能。
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回想録・雨見と黒飴(終)
あの海で、いつかの時と同じ戦いが始まった。
「それ!」「始めるよ!」「うわ……!」
デバイスに触れ、新たな力…「メガシンカ」を果たした2人に、気圧されそうになるサンドレシュ。露出が増え、新たに機械の爪を両腕に構えた黒飴、大きな砲台を手にした雨見の強さは如何程なのか。
「やるね!だけど…」「うわぁ!?」「それ!」
余りにも素早いサンドレシュのその動きに翻弄され、仰け反る雨見。そして彼が射出した2本の矢に対して、持っている砲台にオプションで隠されていた盾を展開し、攻撃を防ぐ。
「やられる訳に行かないよ!」
反撃するべく、彼女は砲台の大きな砲身からエネルギー砲を発射し、サンドレシュを飛ばした。3門の砲台は水で満たされており、小さな砲身から熱湯や冷気を飛ばす事も可能である。
「うわ!」「こいつも食らってもらうぜ」
機械仕掛けの爪を展開する黒飴。硬度の高いその爪は、裂いたものに深い傷を負わせる程に強い。おまけに、火を吹き出せばより凄まじいダメージを与えられる武器である。
「そうは行かないよ」「!」「(…さあ…わかるかな…)」
姿を消すサンドレシュ。そしてこの時、彼は2人より先に見てはいけないものを目の当たりにしたらしい。だが今は戦闘が先だと、雨見に左から襲い掛かる。
「ど…何処なの!?」「こっちだよ!」「きゃあああ!!」
彼に吹き飛ばされてもなお、体勢を立て直す雨見。一瞬で照準を合わせ、両端の小さな砲身から冷気のビームを飛ばした。
「ぐぁ!」「そしてもう1発だ」「うっ!………やるねえ」
黒飴からダメ押しの爪による一撃が飛んだ。しかしサンドレシュもまた、カウンターの2本の矢が飛ばされる。
「うわぁぁ!!」「………ちょっと、この辺にしようか」「うん、そうだね…初めてだし、ちょっと疲れてきちゃった」
矢が黒飴に刺さる。思ったより痛い。だが、勝負はそこでおしまいとなった。それは、2人が初めてメガシンカを使っただけあって、思ったよりスタミナの消耗が早かったのをサンドレシュが見越しての事だった。メガシンカを解き、3人は改めて今回の話について聞く。夜を迎えて。
「雨見ちゃん」「え?」「…さっき、僕が姿を消したよね?実はあの時陰に隠れてて、トイレに女の人の幽霊が見えた」「何だって?そいつは…まさか」「そう、そのまさかの噂されている幽霊だ。君たちに会う前どころか、僕が生まれる前からあの幽霊はいた。子供の頃は見えなかったけど、今ははっきりと見えた」「そっか………」「今、確信した。全てが繋がったね。あの時も、あの時も、そしてこの時も」「うん」「後はどうやってその幽霊の姿を暴くか、なんだけど…」
3人が話をしていたその背後から、無数の人魂が飛んできた。不気味に動き回るその人魂は雨見に向かって来る。
「雨見!後ろだ!!」「…近寄らないで」「(…君が…)」「誰なの」「いつまでも隠れてないで、姿を現してもらうよ」
彼女は怒りを露わにし、黒い波動を放って人魂を撃退した。3人が追っていた、噂された幽霊。その正体はサンドレシュによって白日の下へと曝される。
「君が、この海を彷徨う幽霊だね?」「(ふー………そうだ………私は………この海で死んだ………溺れて………)」「海で…死んだ…?」
ボサボサの短髪、怠そうな目、よれた服装。不気味な人魂の様に燃え上がる首元の爆炎。その幽霊は、不気味に話しかける。だが、会話は幽霊が見えるサンドレシュにしか出来ない様で、2人は何の会話をしているか分からなかった。
「サンドレシュ?お前一体何を…」「今は幽霊と話をしている。何かあったら言うから!」「うん」「(そう………私の名は………アンジュリナ………)」「アンジュリナ………か」
多分、その女性の幽霊は外見からして25歳前後と言ったところか。かつて住んでいた海を彷徨う事になったのは、彼女によれば死ぬ前からこの姿で、何者かに斬られ殺されてしまったらしい。
「(そこにかつていた3人………矢を使うもの………刀を使うもの………そして私は………魂を使うもの。………私が殺されたのは、刀を使うものに………)」「そっか。でも誰なんだい、矢を使うものって」「(矢を使うものと言っても………貴方ではない………私が言うのは………違う誰か)」「………なるほど。じゃあ何故あの時…2人を狙った?」「(あの男の人は………私が嫌いな熱さの火を………燃やしていたから………あの女の人は………私に無いものを持っていて………私が嫌いな水を………使えるから。だから消したかった)」「!」
話を聞いていくサンドレシュ。だが次の瞬間、油断してた隙を狙い不意打ちで人魂が飛んだ。
「うわぁ!?」「まずい!」
2人に向かって飛んだ人魂を、サンドレシュは2本の矢で消し飛ばした。
「(百鬼夜行のお時間です………)」「大変だ。彼女を成仏させよう」「うん!」「終わりにしてやる…!」
この攻撃を威嚇射撃と断定した3人は戦闘を開始し、この海で何年も前から噂されている幽霊………アンジュリナと、遂に直接対決する。全てはこの霊の安寧を願い、成仏させる為に。
「出て来い、さもなくば………」「(………そうね)」「わぁ!?」「こいつだったのか!」
攻撃体制を取るサンドレシュに、消していた姿を現す。それは、まさに衝撃的な会い方と言っても過言では無い姿。生き霊となって暴走する彼女を救うには、倒して天に還すしかない。2人はメガシンカを遂げ、この危険な任務に立ち向かう。
「(………消えてもらう)」「そうはさせない!」「てぇーい!!」
無数の人魂を飛ばすアンジュリナに対して、矢を飛ばしたサンドレシュ。そして雨見も、手に持っている砲台から熱湯を発射して攻撃を掻き消す。そして2人に気を取られている間に、黒飴が上から爪で襲撃する。
「はぁ!!」「(くっ!…小賢しい)」「うっ!?」「分身した…!?」「こ……これじゃどれが本体か分からないよ!」
影分身を行い、アンジュリナは3人に狙いを定めさせない。無数の彼女の分身を前に攻撃の手を止めてしまう。
「何か………何か無いのか!?」「うーん…」「………あ!」「どうした、黒飴くん」「1つだけあったぜ。それは………!」「えっ!?」
何と、アンジュリナの分身の前で素早く動き回り逆に彼女を翻弄する。そして黒飴は、1つだけ動揺して動きが変わったその分身に対して、攻撃を仕掛けた。
「(な、何だそれは!?)」「幽霊でも、動揺するんだな」「(でもまだよ!まだ………)」「そいっ!」「(いやああぁ!!)」「燕返し………成功したな」
ノックダウンしたアンジュリナ。しかしそれでも、彼女は諦めない。燃え上がるフルパワーの一撃が、3人を襲う。
「(まだ………終わりじゃ無いわ!!)」「あついっ!!」「うわ!!」「何と言う炎だ!これ程までの陰気なオーラが………!」「分かるの?」「何となく………な」
黒飴の言っていた通り、彼女の首元の炎はまだ彼女が生きていた頃の過酷な環境で、死んで行った者達の無念や怨念が彼女の炎によって浄化され、静かに燃える陰気な炎となっていたのだった。
「ふっ!!」「(ぐぁ………!)」「終わらせるよ。天に還す前に1つだけ聞くけど」「最後に言い残したい事は無いか?」「折角だからね。何かあるなら教えてほしい」
サンドレシュの陰からの一撃を受けて、既にもう戦えないアンジュリナ。だが3人は、彷徨える幽霊の願いを最後に聞く。
「(………もう一度………やり直したい………生きていた………あの頃に………)」「それが最後の言葉でいいんだな」「行くよ」
静かに涙を流し、頷くアンジュリナ。そして、雨見の水の大砲と黒飴の爆発の火が彼女を吹き飛ばした。
「………行ったね」
天に還る霊。こうして、長きに亘って海を彷徨っていた幽霊は、3人の手によっていなくなってしまった。任務を終え、雨見と黒飴はメガシンカを解いた。
「うん。今日はありがとう」「会えて良かった」「僕もまた、君達とまた会えて良かったよ」
そして次の日。雨見と黒飴は、共に住む家のベランダから空を見上げていた。
「あの幽霊………何だったんだろうね」「さあな」「……ところで、何か忘れていた様な気がするの」「何だ」「………水着持って来るの忘れた」「いや、それかよ!」「まあ、いいか。また海行けばいいし」「………あの海はもう大丈夫だろうな。たまに行くくらいにして、違う海に行こうか」「うん!そうだね!」
今はまだ、時を忘れて楽しむ2人。任務での疲れを吹き飛ばす為、休む日を思い切り過ごしていく様だ。
………
だが、神界のI.A.では少し騒ぎが起きている。
「一体何があったんですか?」「[Aile]から、新任の王がやってきたそうなんです………」「成程。名前は?」「それが………」
そして、中位なる世界の[Aile]では、新たな王が着任しようとしていた。長い髪、豊満な体、そして首元の燃える火炎。高貴な服装に身を包むその王は、女性であった。
「名前をどうぞ」「初めまして。アンジュリナと申します」
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スパイク・リー監督・主演『ドゥ・ザ・ライト・シング』 (その1:物語の現場はどうなっていたか) 原題:Do The Right Thing 制作:アメリカ. 1989年. スパイク・リー監督自身が主役のムーキーを演じて1989年に制作した本作は、ほぼ完全に31年後の2020年5月25日にミネソタ州ミネアポリスで起きた、「黒人男性拘束死事件」を再現した内容になっている。31年前の映画が現在を再現するのは通常ではありえない話だが、ここに本作の重要なポイントがある。
映画はパブリック・エネミーの”Fight The Power"をBGMに、ティナ役のロージー・ペレスがボクシング・グローブをつけて踊りまくるシーンからはじまる。"Fight The Power"は本作のために作られたヒップホップ曲で、文字通り権力(The power)と闘おうとアジるものだ。 また、歌詞の冒頭にある「Another summer」は、人種問題に関係する事件がしばしば夏に起こることに関連づけたものだ。1) BGMが終わり本編がはじまるとすぐに、街の「ウィ・ラブ・ラジオ」DJダディが、「Hot!」「最高気温は37℃」「溶けるヘアスプレーは止めておけ」などと繰り返すのも、人種問題の多くが真夏に繰り返されてきたからだろう。開始からの数分に込められたこうしたメッセージは、これから同種の問題が起こることを強く示唆するものだ。 映画の進行を詳細に記録した理由 本稿を書くにあたり、はじめは物語を簡略に記���しようとした。しかし、書き進めるうちに、スパイク・リー監督がこの映画に込めたメッセージを理解するには、作品に描かれた現場をできるだけ詳しく知る必要があると思うようになった。 なぜなら、この映画の主人公は街の住民たちであり、その地域で暴動が起き一人の黒人が死に至る理由を理解するには、だれか一人の心情や行動を知るだけでは無理があると思ったからだ。本作に主人公がいないわけではない。スパイク・リー監督自身が演じるピザ配達員ムーキーが中���人物として重要な役回りを果たしている。殺害されるのは黒人ラジオ・ラヒームだ。彼を殺害したのは白人警官たちである。 しかし、暴動による人の死は、手の込んだ偽装殺人ではない。殺人の意図を持った犯人が暴動を偽装して目的人物を殺すのとは異なり、環境の変化が起点となって被害者が出る。その意味ではカミュの『異邦人』の世界に近い。主人公ムルソーは「太陽が眩しかったから」という理由でアラビア人を射殺した。 だが、『ドゥ・ザ・ライト・シング』に『異邦人』のような不条理さはない。黒人が死に至る背景には合理的な理由がある。ただし、その背景は文化や歴史のように深くて複雑だ。この不合理ではないが複雑な歴史的背景を少しでも理解するには、事件の発生にかかわる「環境の変化」、つまり刻々と変化する事件の現場を知る必要があると思った。 以上が、本稿で長々と映画の進行に沿って概要を書き留めた理由である。できるだけ現場を書き留めようとしたが、割愛した部分もある。それでも、かなり長い記述になった。 もし、すでに『ドゥ・ザ・ライト・シング』をご覧になった方は、以下の記述は読み飛ばしていただき「その2:事件の背景と本作に込めらたメッセージ」をご参照いただければ幸いである。 なお、文中で引用した会話の部分は括弧に入れ、原則として太字で示した。 はじまりを告げる真夏の微妙な平衡感覚 物語は黒人、イタリアン、ヒスパニック、コリアンなどが暮らす1989年当時のブルックリン、通称ベッドスタイを舞台に描かれる。 早朝のベッドスタイの一角に、白のリンカーン・コンチネンタルらしいクルマが横付けになる。サル親子が開店準備にやってきたのだ。店の前はゴミだらけだ。長男のピノが空き缶を蹴り上げる。彼らは街の外の人々だと思わせる。現在は治安も良くなったようだが、映画は当時のベッドスタイを、クーラーの修理にもパトカーの警備が必要な場所として描いている。背景に映る建物の外壁には "BED-STUY DO-OR-DIE" の壁画が見える。文字通り、当時のベッドスタイは生きる覚悟がいる場所だった。 映画の主人公はこの場所で生活するさまざまな人々だが、主にピザ屋「Sal's Famous Pizzeria」を経営するイタリア系アメリカ人のサルと息子二人、店の配達員ムーキー、大型ラジカセで”Fight The Power"を響かせながら歩くラジオ・ラヒーム、ムーキーの友人でサルの店に通い詰めのバギン・アウト、どもりの路上写真売りスマイリー、市長というあだ名の酔っ払いダー・メイヤー らを中心に描かれる。 住民たちは「クソ暑い!」「ゴロツキ!」「平和を!」「酔っ払いじいさん!」「愛だって?」「ママなんか、くたばれ!」などと口汚い言葉を飛ばし合う。言い合いは日常茶飯事だ。ピザ屋ではピノとビト、ムーキーが口論をはじめる。長男のピノは、ムーキーと仲がいい弟のビトが気に食わない。ビトをムーキーの前でたしなめる。 「お前は、ビト・フランゴーネだ。ビト・モハメッドじゃねえ」 「モハメッドはよしてくれ」 「悪いか」 「オレはカゲキ派じゃねえ」 白人警官が乗ったパトカーがベッドスタイの街を巡回する。行き交う白人警官と黒人の目線が、互いの薄目に憎しみを込めて描かれる。目線で結ばれた映像がスローモーションで流れる。サングラスをした警官が「クソったれ」ともらす。イタリア系、アメリカ系、アフリカ系、そして韓国系それぞれのアメリカ人が互いを罵り合う日常。しかし、ときに警官は白人と黒人のケンカを仲裁し、新品のスニーカーを踏まれた黒人は、誤って踏んだ街の白人と、なんとか折り合いを付けて生きる様子も描かれている。 その微妙なバランスを象徴するのが、ラヒームの4本の指をつなぐ指輪だ。ラヒームは右手に ”LOVE”、左手に ”HATE"のナックルリングを嵌めている。ムーキーはピザの配達途中にラヒームの指輪を褒めたことでその意味を聞かされる。 「左拳の "HATE"、これが原因で人間は殺し合う。」 「右拳の "LOVE"、この5本の指が人の魂に触れる。」 続けてラヒームは、両方の拳はいつも戦い、最後は「愛の右手のKO勝ち!」と右手を振り上げる。そして、「ムーキー、おれはお前を愛している」と言って話を終える。ラヒームのTシャツには "BED-STUY DO-OR-DIE" の文字が見える。ラヒームは真夏の陽炎に揺れながらも炎上に耐えるベッドスタイの象徴のようだ。 平衡を揺さぶる生活の疲れ 街並みを背景に、DJダディがミュージシャンの名前を読み上げる。ブルックリン出身のラッパー、ダディ・ケイン、R&Bのルーサー・ヴァンドロス、戦後ブルックリンでも活躍したジャズピアニスト、セロニアス・モンク・・・読み上げられる名前の数は60を下らない。DJは「あんたたちのおかげで、我々は毎日の暮らしに耐えている」と語りかける。偉大なミュージシャンへのリスペクトが街の人々をクールダウンに誘う。 ピザ屋でサルが長男のピノに「おれは疲れた」と漏らすシーンがある。ピノは店を売り払って引っ越そう、黒人はイヤだ、ここは猿の惑星だ。友達が笑うんだと言う。 しかしサルは、おれはここで25年やってきた。なぜそんなに憎む、おれはビザを食べた子供らが大人になるのを見てきた。お前の友達は食わしてくれるか、家賃を払ってくれるか、本当の友達がお前を笑うか、この窓から子供たちが育っていくのを見てきた、俺はそれを誇りに思うと諭す。二人が語り合うピザ屋の通り向こうには、コリアン系アメリカ人夫婦が営む雑貨店が見える。 話が終わりかけたころ、ガラス窓の向こうから写真売りのスマイリーが、キング牧師とマルコムXの写真を買ってくれと言い寄ってくる。穏健な改革派だったキング牧師、暴力は時に改革につながるというマルコムX、その二人が手を取る写真が「正しいこと」の立ち位置の難しさを象徴している。 サルは、スマイリーに向かって「働け! 仕事を探せ、消えやがれ!」と罵るピノを制し、スマイリーに2ドルを渡しその場を取り持つ。開店直後にもサルは息子らの反感のなかで、掃除を申し出たメイヤーにお金を渡していた。店が破壊された翌朝にも、サルはムーキーに、投げつけるようにだが給料を渡す。サルはこの街で唯一、お金を提供する側の人物として描かれている。だが、登場人物の多くは無職だ。 出口のない「正しいこと」 この街の人々はみなピザ屋の常連客だ。バギンは日に三回もサルの店にやってくる。しかし、「月賦で支払うか?」とからかわれたバギンはサルと言い争いをはじめる。 「壁の写真に黒人がいない、白人だらけだ」 「黒人の写真なら自分の部屋に飾れ。オレの店にはイタリア系の写真を貼る」 「客は黒人だけだ。黒人から金を取っているくせに!」 こうして罵り合ったあげく、バギンは「こんな店、ボイコットだ!」と叫んで店を出る。このときはムーキーが「お前はイカレたのか? オレが迷惑だ。」とバギンに不快感を示す。ムーキーは「黒人でいろ」というバギンの声を背に店に戻るが、サルには「二度とバギンを店に入れるな」と言われる。ムーキーはいう。 「ここは自由の国だ」 「自由だと? 自由などない、ここはオレの店だ」 サルになじられたムーキーは諦め顔で配達に向かう。その道すがら、通りでメイヤーに呼び止められ「正しいことをしろ」と声を掛けられる。アパートの階段ではスマイリーに出会い、「給料もらったら、写真を買うよ」と約束する。ムーキーの正しさは自由の行使と抑圧に挟まれたままだ。 愛と憎しみはいつも同居して戦っているというラヒーム。黒人の写真がないことに腹を立て、サルの店のボイコットに動くバギン。キング牧師とマルコムXの写真をアピールするスマイリー、黒人でいろというバギン。正しいことをしろというメイヤー。働いた分の金は渡すが自由はないというサル。この街は猿の惑星だ、街を出ようというピノ。黒人ミュージシャンを敬愛するDJダディ。そして、働く気も乏しく、働き口があったとしても収入はわずかだ。 さまざまな事情と生活の疲れに覆われた真夏の黒人街・・・こうして、陽炎に揺れるベッドスタイの街に、事件への伏線が張られていく。ここまでが『ドゥ・ザ・ライト・シング』の前半である。 平衡点をさまよう人々の熱気 ボイコットを決意したバギンは街の仲間を誘う。しかし、「なんでだ、サルが何をした? あのウマいピザをか? 頭がイカレタか、ノーだ!」「わたしたち、あのピザで育ったの」と、誰も取り合おうとしない。ムーキーにも「バカなマネはよしな」と窘められる。妹のジェイドにも、「くだらない、別のことにエネルギーを使ったら! 街のためになることをやって」と言われる始末だ。バギンの不満もまた、出口を求めてさまよいはじめる。 一方で、サルの店ではムーキーが「お前は給料に見合った働きをしていない。このままじゃクビだ」とサルから罵声をあびせられる。妹のジェイドと店で食事をしようとしていた気持ちを挫かれたムーキーは、ジェイドに妙に親切なサルに下心を感じとる。ムーキーはジェイドを店から連れ出し忠告するが、すぐに反論に会う。 「二度と店にくるな、サルはお前とヤリたがっている」 「いらぬお世話よ、私は大人。家賃も払えない兄貴のくせに!」 「いいかげんに独り立ちして!」 言い争う二人の後ろの壁には、"TAWANA TOLD THE TRUTH(タワナは真���を語った)"の落書きがある。タワナ(タワナ・ブロウリー)は本作が制作される二年前、警官を含む6人の白人男性に輪姦されたと告発した黒人女性の名前だ。だが、その後陪審院は申し立ては虚偽だと結論づけた事件として知られている。 この落書きはムーキーの気持ちにも、サルの潔白を表すようにも見え、人々の平衡が崩れはじめたことを暗示するかのようだ。ここを乗り切れば陽は陰っていく。だが、こうしてベッドスタイの午後はさらに熱を帯びていく。 このあと、配達先のティナのアパートでじゃれ合う恋人のティナとムーキーの姿は、街と人々の熱気の行方を巧みに表現している。抱きたくてたまらないというムーキーに、ティナは「暑い日にセックスはイヤ! ここは37℃あるのよ」という。それでも服を脱がせるムーキー。だが、ムーキーは冷蔵庫から氷を取ると、裸のティナに氷を滑らせてティナの身体を冷やすのだ。ここにDJの「愛する二人に冷風を届けよう」の声とともに、スローな曲が被さる。愛こそが過剰な熱気を冷やすと思わせる描写だ。 ボイコットが街と人の平衡を破る 街には、サルが気に食わない者もいる。黒人の写真がないことに不満を漏らすバギンと、ラジオの音に文句を言われたラヒームの二人だ。 夜になり二人が出会う。「あいつは、ドン・コルレオーネ気取りだ。キザったタレ目のシルベスター・スタローン。ボイコットだ!」「賛成だね。その通りだ。兄弟!」と、バギンとラヒームは意気投合する。スマイリーが通りかかり「ま、ま、まま・・・マルコムX」とからむ。キング牧師ではなくマルコムXなのは、穏健が暴力へと転じたことの暗示だろう。こうして、まず三人が真夏の平衡点を超えていく。 サルの店は閉店時刻を迎え、給料が渡されようとしていた。そのとき、常連の若者たちが店を訪れる。サルはいったん閉めた店を、ピザ4切れまでだと客を通す。給料を手にアパートに帰り、ティナとのセックスを楽しみにしていたムーキーは落胆する。そこへ、ラジオで “Fight The Power" を鳴らしながらラヒーム、バギン、スマイリーの三人がやってくる。 「音を切れ!」 「写真を掛けろ!」 「ジャングル音楽を切れ!」 「バカヤロー!」 「閉店だ、出て行け!」 「くたばれ!」 「イタリア野郎!」 あらん限りの罵声が飛び交うなか、ついにサルが護身用のバッドを握り締める。ムーキーが叫ぶ。 「サル! バットはよせ!」 「黒のチンポ吸い! くたばれ!」 その瞬間、サルのバットがラジオ目掛けて振り下ろされる。熱気はついに平衡点を超えた。爆発だ。カウンター越しにラヒームがサルに襲いかかり、居合わせた者たちの乱闘が始まる。サルとラヒームは縺れ合ったまま通りに転がり出る。 警棒で首を絞められ窒息死するラヒーム 間も無くパトカーで駆けつけた警官たちが二人を分けに入る。バギンは手錠を掛けられ、パトカーに押し込まれる。一方では、三人の警官がラヒームを羽交い締めにしてサルから引き離す。だが、警官たちは背後からラヒームの首を警棒で絞め上げたたまま緩めようとしない。 「放せ! 死んじまう!」 「やりすぎだ!」 もがきながら警官の腕を振り解こうとするラヒームの左拳に、 "HATE" のナックルリングが光る。ラヒームの足は宙に浮いたままだ。悲鳴が上がる。 「ラヒーム! ノー!」 警察に首を吊るされたラヒームの動きが止まる。息絶えたラヒームの右手に "LOVE" のリングが見える。人々が口々に怒りの声を上げはじめる。 「殺人だ。あいつらまた、黒人を殺しやがった!」 「黒人の街で、黒人が殺された」 「黒人を皆殺しにする気か?」 「もうガマンできねえ」 「ポリ公ななんか、おっ死ね」 残骸とゴミが散乱するベッドスタイの夜の街から、ラジオ・ラヒームの巨体を乗せたパトカーが走り去る。 ピザ屋に投げられた憎しみのゴミ缶 警官が去った店の前で茫然と立ち尽くすムーキー、サル、ビト、ピノ。そこへ群衆が詰め寄る。抗議の声が上がる。ラヒームの死への怒りがサルらへと向けられたのだ。一触即発の状況だ。 「ここまでにして帰れ、後悔することになるぞ」 「サル父子に責任はない」 メイヤーが懸命にとりなすが収まらない。サルらに向けて人々が叫ぶ。 「また黒人を殺しやがった」 「お前らをぶち込んでやる」 「ラジオがいけないのか」 「それで殺されたのか?」 「"写真をかけろ"と言ったから?」 その喧騒のなかサルらの表情を見入りながら、もう限界だというように頭を抱えるムーキーの姿があった。両手で顔を覆い祈るような表情を見せたあと、ムーキーはゴミ缶に向かって歩き、ゆっくりとゴミ缶を手にする。両手にゴミ缶を抱えたムーキーが店に歩み寄る。そして、 「憎しみだ!」 の叫び声とともに、ムーキーは店の大窓目掛けてゴミ缶を投げつけた。 「ガシャーン!!」 崩れ落ちるガラス。この瞬間を境に、破壊、叫び、暴力、悲鳴へが爆発する。人々が店になだれ込み、椅子、テーブル、食材、店のすべてが破壊し尽くされ、レジからは金貨が盗まれる。「何てことしやがる」「オレの店に手を出すな!」とサルが叫ぶが、破壊行為は止まらない。 怒声と破壊音が飛び交う混乱のなか、おろおろとスマイリーが店に火を放つ。燃え上がるサルの店。壁に飾られた白人たちの写真フレームが割れ、写真が燃えていく。冷静だったはずの住民も拳を振り上げ、「燃やせ! 燃やせ!」と叫び声を上げる。 やがて、群衆の一部が次はお前らだと、サルの店の向かいにあるコリアン雑貨店に向かう。しかし、「俺、白人。違う、オレ黒人。みんなと同じだ」という店主の窮余の叫びが笑いを誘い難を逃れる。その様子を茫然とながめる、イタリア系のビト、ピノ、サル。 パトカーと消防車が駆けつける。警官が家に帰れというと、ムーキーは「ここが家だ!」と叫ぶ。警官に捕まりそうな群衆の一人が、「放せ、アラバマのバーミンガムじゃねえぞ」と抗議の声を上げる。消防の高圧放水を浴びた黒人の住民たちが、次々と吹き飛ばされる。 この情景は、かつて公民権運動の中心となったバーミングハムでの運動家と警官の衝突になぞらえたものだろう。2) このときも子どもや聴衆に向けて激しい放水が行われた。「やめて! やめて!」と叫ぶ住民をメイヤーが抱きしめる。そのそばには、道路に座り込むムーキーの姿があった。燃え盛る炎に 「Fight the power!(権力と戦おう)」とナレーションが被さる。微笑みを浮かべたスマイリーが、焼け残った壁に売り物のキング牧師とマルコムXの写真をピン留めする。 翌朝に訪れる「涼しい」日常 ベッドスタイの街に翌朝が訪れ、DJダディの ”愛の言葉” が流れる。 「こちらは、"ウィ・ラブ・ラジオ"局」 「しゃべってるオレは"愛のダディ"」 「君らは仲良く暮らして行きたくないのか?」 「まぎれもない真実だよ、ルース」 そして、ラジオから「今日も猛暑だ! 起きろ」の音声が流れる。ティナの部屋の同じベッドで目を覚ますムーキーに、「父親らしくして」とティナが文句をいう。別のアパートの一室ではメイヤーが「街は無事だったか」と尋ね、「私たちもね」と答える声がする。 給料をもらいにアパートを出たムーキーが、丸焼けになった店跡で力なくたたずむサルの元へと歩みを進める。 「何だ」 「給料を払ってくれ」 「クビだ」 「ラヒームが死んだんだぜ」 「知ってる。あの野郎がボイコットを叫び。お前は黙って見てた」 「ラヒームが殺されるのもね。店には保険が下りるさ」 「これは金の問題じゃない」 「オレがこの腕で作り上げた店だ!」 「給料は給料だろ? 払ってくれ」 週給の250ドルを要求するムーキーにサルは、罵りながら100ドル紙幣を丸めては500ドルを投げつける。2枚を投げつけて返すムーキー。だが、最後にムーキーは地面に落ちた200ドルを手に子どものいるアパートに帰って行く。 ラジオからニューヨーク市長の談話を伝えるDJの音声が流れる。昨晩の騒動に関するものだ。 「原因を調査し、同様の事件の発生防止に全力を注ぐ」 「市長の我々の市長(メイヤー)からビールをおごらせよう」 「選挙が近づいているよ。選挙名簿に早く登録を」 「暑さは当分続くよ。今日の言葉は"涼しさ"」 「"涼しさ"だよ」 「愛のダディが補償する真実だよ」 「では、我らの兄弟ラヒームにこの曲をーーー」 カメラが捉える風景は焼け落ちたサルの店から、通りを歩むムーキーの姿へ、そしてゴミが散乱したままの通りを横切る白人の夫人と紳士を捉え、遠景に"BED-STY DO-OR-DIE"と記された壁面を映し出す。 このあと、穏健な改革を目指したキング牧師と、暴力は時に改革のために必要だとするマルコムXの言葉が流れ、最後に「(本作を)無意味に警官に殺された6人の黒人の家族に捧げる」との字幕が映されて映画は終わる。その筆頭に掲げられたEleanor Bumpursの殺害事件について、Wikipediaには次のように書かれている。3)
1984年10月29日、ニューヨーク市警によるエレノア・バンパーズ銃撃事件が発生した。ニューヨーク市警は市の命令を受け、ブロンクスの公営住宅からの立ち退きを執行しようとしていた。バンパーズは高齢者であるうえに、障害のあるアフリカ系アメリカ人だった。警察の援助を要請する際、住宅局の職員は、バンパーズが感情的に乱れていたこと、沸騰した煮汁を投げると脅したこと、立ち退きに抵抗してナイフを使用していたことを警察に伝えた。バンパーズがドアを開けるのを拒否したことで、警察が押し入る格闘のなか、警官の一人が警官ンパーズに発砲した12ゲージのショットガン2発が致命傷になった。 この銃撃事件は、1980年代のニューヨークで人種的緊張を煽ったいくつかの黒人の死亡事件の一つで、障害者や感情的に不安定な人への対応のまずさにより、警察内部に変化をもたらした。バンパーズを撃ったスティーブン・サリバン巡査は、第二級過失致死罪で起訴されたが、最終的には無罪となった。バンパーズの家族は市を1000万ドルの損害賠償を求めて訴え、20万ドルで和解した。
他の5人はいずれも黒人で、このうち4人は警官による発砲、あるいは逮捕後の暴力による犠牲者である。Michael Griffithは白人の暴徒により殺された。Edmund Perryは17歳の少年だった。 (その2:事件の背景と本作に込められたメッセージ)
1)例えば、1919年の夏から初秋にかけて発生した人種暴動事件を指す「赤い夏」や、1965年8月にかけてアメリカ合衆国のワッツ市(現在はロサンゼルス市に吸収)で発生した暴動事件など。 2)Wikipedia「バーミングハム運動」 https://ja.wikipedia.org/wiki/バーミングハム運動 3)Wikipedia「エレノア・バンパーズ銃撃事件」 https://en.wikipedia.org/wiki/Shooting_of_Eleanor_Bumpurs
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