##生産者の会の考え方 : ふるさと村構想
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人は自己家畜化で優しく従順に進化した 人工環境と社会に適応
テクノロジーと人類(48)長内洋介
2025/3/29 10:00
人類が今日の繁栄を築いた根本的な理由は何か。その謎を解く鍵として注目されているのが「自己家畜化」という概念だ。人は優しく進化して飛躍を遂げたのだという。
家畜と共通点
人類は約1万年前、ヤギやヒツジ、ウシなどの野生動物を飼育して家畜化した。奇妙なことに、人はこうした家畜とよく似た性質を持っている。この事実は古代ギリシャ時代から知られ、19世紀にダーウィンも注目して研究したが、理由は突き止められなかった。
家畜化された動物は、どの種でも共通の性質が表れる。人を攻撃せず従順で、ストレスに対して鈍感、頭や顎は小型化し、体は白くなり、顔は平面的で幼くなるといった変化だ。
これは「家畜化症候群」と呼ばれ、その多くは人でもみられる。人はチンパンジーと比べて温和で、反射的に攻撃することは少ない。数百万年に及ぶ進化の過程で顎や歯は小型化し、顔は平面的になった。
人はなぜ家畜と似ているのか。その理由を説明するのが自己家畜化だ。人は誰かに家畜化されたのではなく、自ら家畜のような性質に進化したというものだ。
動物を家畜化するときは人に従順な個体が選ばれる。人類も攻撃的な人は排除され、仲良く協力できる人が自然淘汰(とうた)で生き残ってきたと考えられる。自己家畜化が始まった時期は不明だが、われわれホモ・サピエンスが誕生した頃��大きく進展したらしい。
東京大の外谷(とや)弦太特任助教(複雑系科学)は「人類は道具を使い、協力して狩りをすることで多くの食料を得られるようになった。人口が増えて社会が複雑化すると役割分担が始まり、より仲良くすることが有利になって自己家畜化が加速した」と指摘する。
愛知県立大名誉教授で野外民族博物館リトルワールド館長の稲村哲也氏(文化人類学)は「他者と協力し、相手を思いやる人間の特性は自己家畜化の過程で残ってきたのだろう。人は自ら作った高ストレス社会に適応して、より優しくなった」と話す。
仲良くなると情報や物資の交換が活発になり、新たなアイデアが生まれイノベーション(技術革新)が起きる。自己家畜化が人類の繁栄と文明の進歩に重要な役割を果たしたことは間違いないだろう。
人は大人になってもよく遊ぶ。旺盛な好奇心の表れであり、遊びによる探索や試行錯誤が新たなひらめきの源泉になる。イヌは進化の過程で自ら人に近づいたともいわれ、人と同じようによく遊ぶ。
人類は道具や社会制度を作り、農耕や都市化によって人工的な環境を生み出してきた。人が作った環境の中で家畜が飼育されるように、人間も自ら作った社会や環境の中でしか生きられない存在だ。こうした視点からも人は自己家畜化したと指摘されている。
言語にも関係
自己家畜化は人間らしさの根源である言語の誕生にも関係しているという。小鳥のジュウシマツは野生種を品種改良した家畜で、野生種より複雑なさえずりができる。人も自己家畜化によって言語の進化が起きた可能性がある。
京都大の藤田耕司名誉教授(進化言語学)によると、野生動物は生きていくため常に天敵や餌の心配をしているが、家畜はその必要がないため余裕が生じ、多くのことに注意を払い考えられるようになる。
「これが複雑な構造を持つ人間の言語が生まれた一つの要因ではないか。言語による複雑な思考やコミュニケーションが可能になった背景には自己家畜化がある」と藤田氏は指摘する。
家畜化の研究は、ロシアで20世紀半ばに行われたキツネの家畜化実験で大きく前進した。人に従順な雄と雌を交配させ、生まれた子から従順な個体を選び交配させることを繰り返した結果、わずか数世代でイヌのように尾を振る人懐っこいキツネが生まれたのだ。
しかもこのキツネは耳が垂れ、色が白いなどの家畜化症候群も呈していた。数千年は要したであろうオオカミからイヌへの進化を人工的に再現したようなものだ。
この実験によって、従順さを求めると家畜化することが実証されたが、なぜ体の変化も同時に起きたのか。これを説明する画期的な仮説が約10年前に登場し、注目されている。
鍵となるのは神経堤細胞という特殊な細胞だ。胎児のときに脊髄付近から全身に散らばり、ホルモンを分泌する副腎や骨などさまざまな場所の形成を促す。
この働きが低下すると、攻撃性を高めるホルモンの分泌が減るなどして穏やかで従順になる。骨や軟骨の形成も阻害されるため、頭が小型化したり、耳が垂れたりする変化が同時に起きることも説明できるのだ。
この仮説が正しければ、動物の家畜化は神経堤細胞の働きが低い個体を選別する行為といえる。人の自己家畜化も、そういうタイプの人が仲間や結婚相手として多く選ばれ、進行した可能性がある。
京都大ヒト行動進化研究センターでは、チンパンジーと、近縁種で自己家畜化した性質を持つボノボの人工多能性幹細胞(iPS細胞)を使って、それぞれの神経堤細胞を作り、その働きを比べることで自己家畜化の決め手となる遺伝子を探す研究が進んでいる。
権力への依存
現代人も自己家畜化が進んでいるという。山口大の高橋征仁教授(社会心理学)によると、日本での代表的な美男子コンテストの候補者は、時代を追うごとにひ弱で優しく幼い印象の顔になっている。家畜化で生じる特徴的な変化だ。
分析の結果、女性は男性の優しい顔に恋愛や結婚の相手としての魅力を感じることが分かった。女性が穏やかで従順な男性を選ぶことで人の自己家畜化が進んでいる可能性がある。
自己家畜化の進行は人類の将来に何をもたらすのか。高橋氏は「幼くなるのは若々しくなることで良い面だが、課題は巨大な権力への甘えと依存が強まることだ」と話す。
インターネットが普及した今日、現代人は巨大IT企業が支配する情報インフラを従順に受け入れ、すっかり依存している。人はネット空間という見えない柵の中で飼育され、情報という餌を与えられて生きる家畜への道を自ら選んだと言ってもいいだろう。
一方、外谷氏は「人が協力して行ってきたことの多くは生成AI(人工知能)に置き換わる。人は協力することに価値を見いださず、他者や社会に無関心になっていく」と予想する。
家畜は人間に興味を示す半面、自分と同じ種への関心は低い。人間同士が無関心になることは自己家畜化の帰結ともいえそうだ。
稲村氏は「人は自己家畜化によって社会性や共感を強めてきたが、集団を���えた協力はできていない。集団内の結び付きが強いほど、外部の集団と戦争を起こしてしまう。この矛盾をどう解決するか問われている」と警鐘を鳴らす。
自己家畜化論は人種差別や優生思想と結び付いて政治的に利用された過去があり、現在でも誤解されやすい。だが人間の本質を探る上で重要な論点であり、人類史を俯瞰(ふかん)して理解する新たな視座になるだろう。(科学報道室編集委員)
(人は自己家畜化で優しく従順に進化した 人工環境と社会に適応 テクノロジーと人類(48)長内洋介 - 産経ニュースから)
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@kei98778182









ジャニーさんは犯罪者じゃないのは当たり前。日本は法治国家。ファンじゃなくても今の日本の証拠なく噂段階で決め付け排除する私刑が多発している現状に危機感。マスコミ既得権益を壊さないと未来はない。政治家誰も突っ込まないがー #記者クラブ #電波オークション #ジャニーズ潰しはマスコミもグル
ー
@fuji507

「冤罪」で消されたジャニーズと岡田有希子。芸能を殺す人々こそ消えてくれ【宝泉薫】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)
叩く側が時々、錦の御旗みたいに持ち出す裁判の結果にしても、その実態は「週刊文春」の記事をジャニーズ側が名誉毀損だと訴えたもの。セクハラと思われる事実も認定されたが「文春」も損害賠償金を支払わされた。法的な証拠は後にも先にもこれだけなので、現在の叩き方、追い込み方は明らかに行き過ぎだろう。
にもかかわらず、なぜそこまでキャンセルしようとするのか。岡田有希子のときも感じたことだが、こういうとき、人や事務所、作品を消そうとするのは、芸能を愉しめない人たちだ。芸能を好きではないというか、その作品にもスキャンダルにも人間ならではの業がにじみ出ることを思えば、つまりは人間そのものを好きになれない不幸な人たちである。(略)
ちなみに、こうした傾向は1980年代半ばの「ロス疑惑」騒動あたりから始まっている。それこそ「週刊文春」が「疑惑の銃弾」と銘打ち、悲劇の夫と見られていた三浦和義が保険金目当てで妻を殺させたのではと告発。三浦のどこか魅力的なキャラクターもあいまって、大きな注目を浴びた騒動だ。
が、裁判では無罪となった。その後、米国で逮捕され、自殺してしまったものの、法的にはあくまで冤罪である。
筆者は40年近く前、この騒動が好きになれず、同世代の友人に「マスコミは告発なんてしてはいけないと思う」と言ったら、ひどく驚かれた。おそらく、告発こそがマスコミの仕事のひとつだと考えていたのだろう。その友人はその後、新聞社に就職したはずだ。
そして今、当時抱いた思いはますます強まっている。正義を気取り、不公平な報道に走りやすいというか、世間の喜びそうな正義のためならどれだけ歪んだ報道も辞さないマスコミなど、芸能あるいは芸術にとって百害あって一利なしだからだ。
まして最近は、ロス疑惑の頃と違って、大衆が「客」や「野次馬」では満足しなくなっている。今回のジャニーズ騒動では、慰安婦問題、草津町長セクハラ冤罪事件といったものを演出したり、たきつけてきた人たちが旗を振り、一部の大衆が一緒になって叩くという構図がいっそう露わになった。「温泉むすめ」のような萌え絵による盛り上げ企画を妨害する層とも、それは重なっている。
ジャニーズも萌え絵も、日本が長年かけて築き上げてきた文化であり、それを消そうとすることは、宝物を奪ってゴミ箱に捨てたり、燃やしたりするのと同じことだ。
たとえば、KinKi Kidsがジャニー喜多川に捧げた「KANZAI BOYA」という曲がある。ジャニー独特のセンスや口癖を愛情をもっていじったもので、じつに味わいの深い内容だ。こういう曲も当分、披露されることはないのだろう。
「死人に口なし」でジャニーズ事務所を豊臣家や大日本帝国、安倍晋三にしてはいけない理由【宝泉薫】 |BEST TiMES(ベストタイムズ)
そして今年、英国のテレビ局BBCと「週刊文春」による「ジャニーズ糾弾キャンペーン」のような動きが起きた。ジャニーが生前にやっていたとされる、タレント及びその予備軍たちへのセクハラの責任を問い、償えというものだ。
しかし、生前も死後も、警察への被害届は出ていないし、被害についての証言もかなり雑。逆に、被害はなかったとする証言は無視された。
BBCや文春に続いた報道も、NHKなどを含め、かなり雑というか、一方的なものが目立つ。にもかかわらず、事務所はジャニーズに好意的でなかった勢力の報告書に乗せられ「法を超えて」救済するなどと公言してしまった。ジャニーを大悪人に、ジャニーズタレントたちを悪の味方に仕立てて叩きたい空気感に抗うより、負けを認めて出直そうとしたのかもしれない。
が、そもそも、そういう勢力を信用したことが悪手だったのだ。その勢力は貪欲で、その後もゴールポストを動かしたりしながら、攻撃の手を緩めない。ジャニーズが出直すために作られた新会社には、社長をはじめ、その勢力の人たちが幹部に居座り、まるで乗っ取られたかのような印象だ。
ちなみに、その勢力には、思想でいえば左寄り、野党的、反日、フェミニストといった傾向の人が多い。それゆえ、SNSでは「#ジャニーズ潰しは慰安婦スキーム」というハッシュタグが生まれ、群馬県草津町の町長がセクハラで��れ衣を着せられかけた事件と同じだという声も出た。(略)
その性癖については創業当初から噂され、報道もされてきたが、生前に最大の注目を浴びたのは、1988年、元フォーリーブスの北公次による暴露本「光GENJIへ」が出たときのことだった。
仕掛け人は、当時、田原俊彦の女性スキャンダルをめぐり、ジャニーズと対立していたAV監督の村西とおる。糾弾するための材料をカネをかけて集めており、そこにうまくハマったのが、カネに困っていた北だった。彼自身、アイドル時代に作詞をしたり、自伝本を書くなど文学志向だったが「光GENJIへ」自体は彼の告白をもとに出版プロデューサーの本橋信宏が執筆。本橋は村西の友人で、その仕事を手伝いながら、反体制運動などのルポを書いたりしていた。
とまあ、この構図から浮かんでくるのは、この本の信憑性についての疑問だ。ポルノグラフィーとしても恨み節としてもかなりよく出来ているが、逆によく出来すぎている感もある。考えてみれば、村西はもとより、本橋もポルノには通じていたし、北は北で、とにかく面白い話を提供しなくてはならない必要に迫られていた。そんななか、けっこう盛られた内容もあるのではと想像してしまう。
実際、北に続いて暴露本を書き、かなりの成功を収めた平本淳也について、その出版社の社長が「ちょっと虚言癖があったりする」と評してもいる。また、北はのちに暴露を後悔したり、再び暴露をにおわせたりしながら、死の前日にはジャニーやメリーに感謝を述べるなど、その言動には一貫性がなかった。
そして、北や平本、さらには今回の証言者たちの回想がすべて事実だとしたら、ジャニーのプロデュースやマネジメントはどこかで破綻していたのではと思わざるを得ない。質的にも量的にも、バレないはずはないし、警察沙汰にならなかったのが不自然なほどなのだ。
個人的な印象としても、ジャニーの性癖はもうちょっとプラトニックなもので、その傾向は加齢とともに強まっていったのではという気がする。たとえば、ジャニーが元気で可愛い少年を好んだように、薄倖で可憐な少女を愛した川端康成もそうだった。ウラジミール・ナボコフの「ロリータ」が話題になった際、川端は「あれは汚いから��だ」と感想を語ったが、それに似た感覚をジャニーも持っていたのではないか。
ではなぜ、今回のようなことになったかといえば「光GENJIへ」の影響がおそらく大きい。あの本がよく出来すぎていたため、それを下敷きにしたかのような証言が虚も実もないまぜに拡大再生産され、その勢いに事務所が圧倒されてしまったのではと。人間の精神とは脆いもので、大勢から集中的に糾弾されれば、まともな判断もできなくなる。まして、証言者たちは芸能活動については負け組で、その感情は恨みや嫉みといったネガティブなものにあふれているのだから。
ー
個人的には何故か🇬🇧大英帝国様の📺BBCが出てきた時点でもう充分、陰謀いっぱい、お腹いっぱいゲップップでございました。
浅〜い正義感に踊らされたアホな売国反日国民ばかりだったね、無念。
ちなみに北公次さんは短期間でしたがご近所さんだったことがあり当時奥様とお店もなさっていたのでお会いしたことがあります。合掌。nya
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巨額横領事件で逮捕・起訴され、その後無罪が確定した大手不動産会社の元社長・山岸忍さんが国を訴えた裁判で、検察特捜部の取り調べ映像が史上初めて公開された。 そこには見立てにあった証言を強引に引き出す、特捜部の実態が映し出されていた。 11日裁判所の法廷で流れたのは、大阪地検特捜部が行った取り調べの一部を記録したおよそ48分間の映像。 弁護団によると特捜部の取り調べ映像が公開されるのは、司法の歴史上初めてのことだ。 ■「私が『なるほど』って思える話が出てこないとおかしい」と検察官 取り調べ記録した48分の映像 関西テレビはその映像を独自入手。 映像には、特捜部の検事が巨額横領事件の捜査で大手不動産会社プレサンスコーポレーションの関係者に対し、厳しく自白を迫る様子が記録されていた。 【山岸さんの元部下K氏】「正直に全部ちゃんと話そうという姿勢で臨んでいます」 【田渕大輔 検事】「だとしたら私が欲しい話でなく、私が『なるほど』って思える話が出てこないとおかしいですよね。でも、今の少なくとも山岸さんに関する話って全然なるほどじゃないよ。本当に真実の話をしたら、なるほどって思う話になるはずなんです」 【山岸さんの元部下K氏】「そこは嘘は本当に言うつもりないので。正直に全部、その時のことをしゃべっているんで」 【田渕大輔 検事】「でもね、もうあえてぼくの今の心証を申し上げると、あなたが今回の事件で果たした役割って『僕は共犯になるんですか?』なんていうかわいいもんじゃないと思っていますよ。お金もらってなくても共犯になるんですか、なんてかわいいものじゃないと思っている」 ■元部下の証言が決め手で逮捕されたプレサンス元社長 裁判で「無罪判決」 この取り調べで得た証言が決め手となり、プレサンスコーポレーション社長(当時)・山岸忍さんは逮捕された。 しかし、その後の刑事裁判で「関係者の供述は信用できない」として、山岸さんには無罪判決が下される。 この取り調べに一体、どのような問題があったのか。なぜ冤罪は生まれたのか。 ■学校法人の土地取引 経営に関心のO氏が18億円借り入れ 理事長就任後 学校の土地売却し18億円の返済に充てる 明浄学院事件の構図 事件は5年前、学校法人・明浄学院の土地取引を巡って起きた。 まず、学校経営に関心を示していたO氏が18億円もの大金を借り入れ、その金を使って理事長に就任。 その後、学校の土地を売却して、借り入れていた18億円の返済に充てた。 ■山岸さんから18億円を借りたO氏 特捜部は山岸さんが『マンション建設の土地欲しさに金を貸した』と見立てをつけ捜査 O氏は、理事長就任に必要だった個人の借金を、学校の財産である土地を売った金で返済したことになるため、業務上横領罪が成立する。 では、18億円もの大金をどこから借りたのか。その出所が山岸さんだった。 特捜部は、山岸さんがこの横領計画を知っていながら『マンション建設の土地欲しさに金を貸した』という見立てをもとに捜査を進めた。 ■横領計画を知りながら取引進めた山岸さんの元部下K氏 特捜部は「山岸さんが横領計画を知っていた」という証言をK氏から引き出すべく強引な取り調べを実施 山岸さんの関与を示す客観的な証拠も乏しい中で特捜部がこだわったのが事件関係者から「山岸さんは横領計画を知っていた」という証言を引き出すこと。 そこで重点的に取り調べを受けたのが、この土地取引の実務を担っていた山岸さんの部下K氏(逮捕、起訴の後、裁判で有罪判決)だった。 K氏自身は横領計画を知りながら取引を進めていたが、「山岸さんには伝えていなかった」と、取り調べに対して答えていた。 ■「山岸さんには(横領計画を)伝えていなかった」と話すK氏に検事が強引な取り調べ 【田渕大輔 検事】「あなたは逮捕されてからきょうで5日目ですかね。根本的に何か発想が変わってなくないですか。自分のしたことは悪いことじゃないんだと。そう思ってないですかね」 【山岸さんの元部下K氏】「いや悪いことです」 K氏は逮捕前から密室で連日、任意での取り調べを受け、精神的にも肉体的にも疲弊していた。 そして、11日に公開された映像の前日には、大きな問題がある取り調べがあったことが、これまでの取材で明らかになっている。実際の映像を見た弁護団によると以下のような取り調べが行われていたのだ。 ■K氏のデスクから押収のメモ「山岸さんは関与していない」と社内で口裏合わせした際の証拠だと検察官が主張 K氏のデスクから押収したメモを「山岸さんは関与していない」と社内で口裏合わせした際の証拠だと主張 【田渕大輔 検事】「なんでこんなもの(K氏のデスクに残されていたメモ)があるの?いや知ってるでしょ。なんでこんなものがあるの?なんであるんですか?」 【山岸さんの元部下K氏】「社内の同僚に相談をしたからですね」 【田渕大輔 検事】「さっきしてないって言ったじゃん」 【山岸さんの元部下K氏】「はい」 【田渕大輔 検事】「で、なんであるの?なんで嘘ついたの?」 【K氏】「嘘っていうか同僚…」 K氏が言葉に詰まると、検事は右手を自分の顔のあたりまで振り上げ、振り下ろし手の平で机を1回たたき、言い放った。 【田渕大輔 検事】「嘘だろ!今のが嘘じゃなかったら何が嘘なんですか!」 検事は家宅捜索でK氏のデスクから押収したメモを「山岸さんは関与していない」と社内で口裏合わせした際の証拠だと主張。 ■「検察なめんなよ!命かけてるんだよ」「かけてる天秤の重さが違うんだ」 【田渕大輔 検事】「もうさ、あなた詰んでるんだから。もう起訴ですよ、あなた。っていうか有罪ですよ、確実に」「命かけてるんだよ!検察なめんなよ!命かけてるんだよ、私は」「かけてる天秤の重さが違うんだ、こっちは」 検察が立てた「山岸さん関与ありき」の見立て。 それに合わない話をするK氏を検事はおよそ50分間、一方的に攻め立て、15分間は大声で怒鳴り続けた。 そして、その翌日。公開された映像にKさんが追い詰められていく様子が記録されている。 ■「横領計画」を山岸さんに伝えていないとしたら「大罪人」だとK氏に迫る 【田渕大輔 検事】「あなたの場合、いきなり学校法人の貸付だっていう前提で話しているように聞こえるのね。それって普通の人がとる行為としておかしいでしょう。端からあなたは社長をだましにかかっていったってことになるんだけど、そんなことする?普通」 【山岸さんの元部下K氏】「しないですよね、普通は」 【田渕大輔 検事】「なんで、そんなことしたの。それ何か理由があります?それはもう自分の手柄が欲しいあまりですか。そうだとしたらあなたは、プレサンスの評判を貶めた大罪人ですよ」 検事は、仮に山岸さんに計画を伝えていないとしたら、事件を主導した「大罪人」だと迫る。 ■「会社の損害背負う覚悟はできてるのか」見立てに合わない話は徹底的に潰す 【田渕大輔 検事】「これ例えば会社から今回の風評被害とか受けて、会社が非常な営業損害を受けたとか、株価が下がったとかいうことを受けたとしたら、あなたはその損害を賠償できます?10億、20億じゃすまないですよね。それを背負う覚悟で今、話をしていますか」 【山岸さんの元部下K氏】「まぁ、背負えないですよね。それは」 【田渕大輔 検事】「背負えっこないよね。そんな話して大丈夫?だから、あなたの顔が穏やかになりきっていないって見えるんですよ。見えるんですよ。見てわかるんですよ」 事件でプレサンス社が被った損害をひとりで賠償できるのかと脅し、見立てに合わない話は徹底的に否定にかかる。 ■「悪い顔になってきているよ」 最終的に「山岸さんは横領計画を知っていた」と証言を変えたK氏 【田渕大輔 検事】「だんだん悪い顔になってきているよ」 【山岸さんの元部下K氏】「いや悪い顔じゃないです。本当に悪い顔で説明するつもりないです」 【田渕大輔 検事】「いやいやだって、おかしいじゃない。普通に考えて」 【山岸さんの元部下K氏】「じゃあ、もしかしたら私の勘違いだとしたら、すみません。ぼくはそういう風に自分では説明したと思い込んでいるのか」 【田渕大輔 検事】「どういうふうに」 【山岸さんの元部下K氏】「いや、その��転、移設するために学校に出してくれっていう話を自分がしたと思っているんで」 【田渕大輔 検事】「それはね、後からそういう形で説明したということにしようとしていただけなんじゃないの、みなさんが。山岸さんに対する説明はそういう体でやっていたんだってことにしていただけじゃないの」 【山岸さんの元部下K氏】「そこは本当に」 【田渕大輔 検事】「だって、スタートがやっぱりおかしいじゃない。どう考えてもおかしいですよ」 結局この後、Kさんは「山岸さんは横領計画を知っていた」と証言を変え、それが山岸さん逮捕の決め手になった。 ■無罪判決で強く非難された「検察の取り調べ」 まさにこの部分は無罪判決の中でこう指摘されている。 【大阪地裁 坂口裕俊 裁判長(当時)】「必要以上に強く責任を感じさせ、その責任を逃れようと真実とは異なる内容の供述に及ぶ強い動機を生じさせかねない」 検察の取り調べは、厳しく非難された。 ■「自白をとらないと評価されないというのが透けて見える。組織の構造的な問題」と弁護士 【山岸さんの主任弁護士・中村和洋 弁護士】「彼がなぜあそこまで尋常ではない取り調べをしたのか。何かこう焦って自白をとらないといけない。それがそうしないと評価されないというものが全体的に透けて見える。あれは個人の資質の問題ではなく、やっぱり組織の構造的な問題だと考えるのが自然」 ■「使った言葉に不穏当な言葉はあった」「(同じような取り調べは)まずしないと思う」と検事 11日、取り調べの映像が法廷で公開された後、実際に取り調べを行った田渕検事が法廷に呼ばれ、尋問を受けた。 【代理人弁護士】「K氏が真摯に向き合っていないから、そういう取り調べ(机をたたく、大声で怒鳴る)をしたんですか?」 【田渕大輔 検事】「言葉だけでは進まないと思い、挙動も混ぜたほうが誠実に向き合っていることが伝わると思ったので」 【代理人弁護士】「取り調べに反省すべきところはありましたか?」 【田渕大輔 検事】「使った言葉に不穏当な言葉はありました」 【代理人弁護士】「また同じような取り調べをしますか?」 【田渕大輔 検事】「まずしないと思う」 当時の取り調べに関して、「K氏が真摯に取り調べに向き合わなかったこと」を繰り返し理由にあげた一方で、一定の問題があったことを自ら認めた田渕検事。 また尋問を行った弁護士に対し、こんな発言も… 【田渕大輔 検事】「そんな怖い顔で聞かれても…」 【代理人弁護士】「怖い顔をしてないし、私とは距離もあるし、机もたたきませんよ」 ■無罪判決について「残念な判決」と検事 この発言の後、法廷に立った山岸さんは田渕検事に「K氏はあなたの取り調べを怖いと感じていたと思うか?」と聞いた。 【田渕大輔 検事】「K氏に聞かないと分からないが、私は少なくとも腹の座った方だと思っていました」 そして、一連の取り調べで得たK氏の供述は「信用できない」として山岸さんが無罪となったことについて田渕検事は「残念な判決。有罪維持に十分だと思っていた。K氏の信用性も否定されたので」と語った。 尋問は11日を含めて3日間に分けて行われ、当時捜査を主導していた主任検事も法廷に立つ予定だ。 ■「無罪を勝ち取ったとしても、その時点で人生が終わっちゃう。だから冤罪はダメ」 原告の山岸さんは、プレサンスコーポレーションの社長も辞任せざるを得なくなったが、今はまた新しい不動���会社を立ち上げ、新しい人生を前向きに歩んでいる。 山岸さんは、この裁判にかける思いについて「私は元気で、毎日幸せに仕事もしている、趣味もやって生きている。でもそんな人って珍しい。無罪を勝ち取ったとしても、その時点で人生終わっちゃう。だから冤罪ってだめなんですよ。私みたいな立場の人しかこんな活動はできないんではないかと思っています」と語った。 2度と冤罪を生まないために、検察はどうこの問題に向き合うのか。 その姿勢が試されている。 (関西テレビ記者 赤穂雄大)
【独自】「検察ナメんなよ!」見立てに合う『証言』強引に引き出す特捜部の実態 『取り調べ映像』入手 冤罪で会社を奪われた元社長「無罪を勝ち取っても、その時点で人生が終わっちゃう。冤罪はダメ」(関西テレビ) - Yahoo!ニュース
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我が国の未来を見通す(77)
『強靭な国家』を造る(14)
「強靭な国家」を目指して何をすべきか(その4)
宗像久男(元陸将)
─────────────────────
□はじめに
前回、字数の関係で先送りした“論点”を先に紹
介しておきます。先日、都内某駅前の道路を歩いて
いた時、ある建物の入り口いっぱいに「軍拡より生
活 平和な未来を」と2行にわたる大きなポスター
のような看板が目に入ってきました。確かにそのよ
うな主張する政党などもありますので、政党か何か
の建物かと思って注意深くみてみますと、何と、立
派な“病院”でした(細部はあえて省略します)。
しばらくの間、「病気やけがを治し、人の命を救う
病院の玄関にふさわしいのだろうか」との疑問が頭
から離れませんでした。
最近、沖縄の与那国島では「自衛隊が来たからミサ
イル攻撃の目標になるのが怖い」と発言する住民の
声があたかも島民の大多数の考えのように報道され
たり、石垣島では「自衛隊を人口に含めるな」との
某地元紙の社説も波紋を呼びました(さすがに後日、
謝罪記事を掲載したようですが)。
現役時代から、何度もこのような主張を耳にしてき
ましたが、立場上表立った反論はできませんでした。
今はもう“失うものはない”ので、あくまで個人的
な率直な印象のみを述べておきたいと思います。
病院の看板は、「軍拡、つまり防衛力を増強すれば、
生活が苦しくなり、平和も壊れる」と言いたげなフ
レーズですが、逆に「軍拡さえしなければ、生活が
豊かになり、平和も続く」と信じ込んでいるのでし
ょうか。
言うまでなく、防衛力を増強し、自衛隊を国土の隅
々まで配置する目的は、現在の国民の生活や我が国
の平和が永遠に続くよう万全を尽くすとともに、万
が一にもそれが侵されそうな事態になった時には、
まさに“病院が病人やけが人を治す”ように、被害
を最小限にするための処置です。つまり、上記のフ
レーズは、言葉を代えれば、「病院があるから、病
人やけが人が出る」と言っていることと同じなので
す。優秀な医者の先生方の集まりである病院がなぜ
そのことに気がつかないのか、不思議でなりません。
残念なのは、このような方々は、「普段の生活や平
和がどうやって維持されているのか」などには全く
考えが及ばず、それどころか、「何も抵抗せずにし
て外国に占領されても、普段の生活や平和が維持で
きる」と勝手に思い込んでいる節があることです。
古くは欧米列国の植民地、現在でも中国の占領下に
あるチベットや新疆ウイグルで何が行なわれている
かを知れば、そのような考えは一挙に吹っ飛ぶはず
です。
関係しているマスコミ人も同様の認識なのでしょう。
「表現の自由」を盾に、「自衛隊がいなくなれば、
簡単に占領されてしまう可能性がある」ことなどに
は全く思いが至らず、“思慮が至らない”街中の声
をあたかも真っ当な意見のように報道するのだと思
います。
我が国は、戦後70年余りの間に、どうしてこのよ
うな“能天気な大人たち”を大量に輩出してしまっ
ているのでしょうか。それでも、一般の国民の皆様
には正確な情報が届かず、学校でも教えられず(た
ぶん、逆のことを教えられ)、国の防衛などについ
て考える機会も余裕もなかったと言い訳ができるこ
とでしょう。
しかし、一部のマスコミや政治家、そしてその道で
は優れた知見をお持ちの高名な有識者の中にも同じ
ような思想を持っている人がかなりおられるのはシ
ョックです。一例を挙げましょう。最近、手に取っ
て読ませていただいた1冊に『主権者を疑う』(駒
村圭吾著)があり、「主権者とは何か」を考えさせ
てくれる、私に取りましてはとても興味深い1冊で
した。
しかし、その「はしがき」には、「改憲と言う重大
なプロジェクトの前提となるような、“今そこにあ
る危機”や“忍び寄る危機”がどうしても見当たら
ない。少なくともそれらが“国民に共有される”よ
うなかたちで議論が展開されていない」として、著
者は、「憲法改正を否定しているわけではないが、
私が否定的なのは、意味不明な政治状況で改憲が提
案され、議論されることに対してである」との立場
を述べていました。
ことさら批判する気はありませんが、正直、「これ
ほど優秀な方が、またこれほど勉強しているのに、
もったいないな」との印象を持たざるを得ませんで
した。書籍を発刊するような有識者は、少なくとも
国民を誤って誘導するような言動は厳に慎むべきと
思いますが、現時点においても我が国には様々な課
題が山積しており、近未来も、遠い将来も、国内外
の情勢がますます厳しくなる可能性が大と考えます。
一方、これほどの「危機」が差し迫っていても、
“眼をふさぎ、耳を閉じ、関心を持たなければ”何
も見えません。そして、そのような自分自身を、不
勉強とも、偏っているとも、恥とも思っていないこ
とでしょう。
私が「もったいない」と考えたのは、少しでもそれ
らに気がつけば、また違った視点で「主権者」につ
いて解説できたのではないか、と考えたからでした。
このような認識の方々から導かれる結論は、せいぜ
い「今のままで何が悪いのか」でしょう。かなり多
くの政治家、マスコミ人、有識者、そして我が国の
未来などに関心もなければ考えたこともない、大多
数の国民はこのような認識で留まっているものと想
像します。そして、そのような“現実”を知ってい
るから、小室氏のような方でも“歩き出す”で止ま
ってしまったではないでしょうか。
我が国の最大の課題・問題点は、小室氏が「アノミ
ー」と表現した社会現象に代表され、かつ「権利の
み主張し、義務を果たさない国民」とか「3メート
ル以内しか関心がない若者」と揶揄されるような、
多くの日本人の「行動原理」にあると考えます。そ
れが「政局と選挙しか考えない政治家」とか、自己
主張に固守し「目立つことしか考えない言論人」な
どを生み出し、それが巡り巡って、このような現状
を“矯正”できない主要因となっていると考えます。
よって、少数の先見者が様々な形で警鐘を鳴らして
も、あるいはウクライナ戦争のような具体例をもっ
て注意喚起してもほとんど届かないのでしょう。
我が国が少なくとも現状程度の「国力」を保持し、
国際社会で「名誉する地位」を保ちながら、後世に
この日本を残すために、私たちの世代がやらなけれ
ばならないことは、「国力」の要素のどれ一つとし
て簡単なものはないと思います。どうしても「ソフ
ト・パワー」として、個々の要素を束ねて向かうべ
き方向を定める「国家戦略」のようなものが必要と
考えていた矢先でした。
偶然にも「戦略は統治を超えられない」という言葉
を見つけ(『軍事と政治 日本の選択』(細谷雄一
編)より)、再び立ち止まりました。歴史を振り返
ると、大正時代の政治家や有識者たちも当時の内外
情勢の変化などに無頓着で、主に大日本帝国憲法に
謳われている我が国の「統治機構」がこのままでよ
いのか、などには露ほども思いが至らなかったよう
ですが、それが「激動の昭和」を迎える大きな要因
にもなりました。
見方によっては、大正時代と現在��“よく似てい
る”と考えますが、最大の違いは「主権が国民にあ
る」ことでしょう。つまり、最終的には、どうして
も“統治”の主役である「主権者」の「行動原理」、
その基となる「国民の精神」に行き着くのです。
「戦略は統治を超えられない」は、改めて、「現憲
法下で我が国は未来へ立ち向かうことができるのか」
を私達に突き付けているような“重い言葉”となっ
て響いてきます。そしてその先に、大方の“能天気
な国民の精神”を、戦争や天変地異や外圧に委ねる
ことなく、“内側からの改革”として、どのように
変えていけばよいのだろうか、という命題に突き当
たるのです。
細部はいずれまた触れることにしますが、またして
も「任重く道遠し」の感を一層強くしながらも、気
を取り直して、今回以降、再定義した「国力」のそ
れぞれの要素を分解しつつ、我が国が向かうべき方
向、私たちの世代があらゆるものに優先してやるべ
きこと、やらなければならないことを微力ながら導
き出そうと思います。
▼「人口」が「国力」に及ぼす影響
「はじめに」が長くなりました。さっそく 前回取
り上げたように、「国力」の柱となる「ハード・パ
ワー」のそれぞれの要素から考えてみましょう。そ
の筆頭は「人口」です。
これについては、本メルマガの第1編で18回にわ
たり、様々な角度から割と詳しく分析し、書き綴り
ました。興味ある方は、バックナンバーをお読みい
ただきたいと思います。それにしても、最近、「少
子化対策」などを取り上げる記事や解説が目立つよ
うになりました。「少子化」などの文字自体が多く
の国民の目に触れることはとても良いことと思いま
す。
私はすでに、「少子化対策」として「“3人産んだ
ら家が建つ”くらいの超異次元の政策が必要」と主
張しましたが、マクロ経済学の専門家・小黒一正氏
も「第3子以降、1時金1000万円に」と抜本的
な対策を提案していました(産経新聞6面(7月9
日朝刊))。小黒氏は、「“既婚者にさらに一人で
も多く産んでもらう”『有配偶出生数』を引き上げ
ことに資源を集中すべき」として、そちらの方が婚
姻率などを高めることなどより“近道”としていま
す。
最近、マスコミでは「500万円の壁」が話題にな
っています。内閣府の資料では、男性の有配偶者の
年収「500万円」が“子供を持つかどうかを分け
る最低ラインになっている”とのことです。一方、
既婚男性の年収は400万円台が最多で、不足分は
共稼ぎによって「500万円の壁」を突破している
ようですが、そうなると、出産・子育てを機に仕事
を辞めざるを得ないケースも珍しくありません。
すでに、パパ育休制度の推進とか児童手当の増額な
ども「こども未来戦略方針」に盛り込まれています
が、「月額数万円を増額したことで結婚や出産に踏
み切る人は少数派だろう」と分析されていることも
事実です。その対策として、公務員やサラリーマン
など社会全体で、“子育てが終了した世代の賃上げ
は抑制してでも、若者世代の賃上げを優先する”よ
うな、思い切った給与制度の改善なども必要なので
しょう。
イマイチ盛り上がりに欠けることに危機意識を持っ
たのでしょうか、岸田首相は、「政策を気兼ねなく
活用してもらうために社会が変わらなければならな
い」として、「少子化対策国民運動」をスタートす
ることを決意したようです。
しかし、今後、この国民運動が盛り上がるかどうか
は疑問でしょう。「どうやって社会自体をかえてい
くか」の提示もなければ、「最近の支持率低下を防
止するためのその場凌ぎ」などと揶揄されているよ
うでは、首相の“発信力(本気度)”が国民に届く
可能性が低いように思えてなりません(読む限り、
関連記事も1回のみでした)。
メルマガですでに取り上げましたが、我が国は、非
嫡出子が2.3%と50%を超えるフランスや北欧
諸国などと比較してとても低いことを例示しながら、
「日本の『少子化』の原因は、『直系家族病の病』」
だ」とするような意見(『老人支配国家日本の危機』
(エマニエル・トッド著))もあります。
トッドは、「核家族」化が進んできたとはいえ、
「日本に依然として強く残っている『家族』の過剰
な重視が『非婚化』や『少子化』を生み、逆に『家
族』を消滅させてしまっている」というのです。そ
の対策として、欧米のように、子育ても老人介護も
公的扶助によって「家族」の負担を軽減させる(ほ
ぼゼロにする)必要があると提言します。
これは、後に述べる日本の「文化」の問題でもある
のですが、「人口」は「経済力」と正比例の関係に
あることから、「国力」維持の“一丁目一番地”と
も言えるでしょう。その「人口」を確保するために
は、我が国の伝統的な「文化」の領域にまで踏み込
んで考える必要があるという点には私も同意です。
さて、「人口」の中の要素の「人的資源」について
これまでほとんど触れませんでした。世界に誇れる
「ものづくり」の精神や技術、及び(すでに紹介し
ましたような)無形の価値としての「インタンジブ
ルス」のようなものはすべてこの「人的資源」に包
含される��考えます。
一方で、後に詳しく述べる「教育」の実態や最近の
若い世代の価値観、そして「働き方改革」などによ
って大きな曲がり角にある雇用環境など考える時、
「将来の『人的資源』は大丈夫だろうか」との懸念
を払しょくできないことも事実です。
「少子化」になればなるほど、一人ひとりの「真の
力」が試される機会が増えることは間違いないでし
ょう。幸い、AIをはじめデジタル化やロボットの
活用など、人的資源を補完する資源が増える傾向に
ありますが、それらを有効かつ適切に使いこなすの
は何と言っても「人間」でしょうから、「人口」の
質的側面の尺度としての「人的資源」は、“その時
代時代に適合する人材をいかに多く抱えるか”に集
約されると考えます。そのような視点に立った教育
や人材育成が求められてきていますが、それぞれの
“現場”はどうなっているのでしょうか。この続き
は、「教育」のところで触れたいと思います。
「高齢化」の問題点については第1編で詳しく取り
上げましたので省略しますが、焦点は、“「少子化」
がさらに加速すれば、国が滅ぶ”との「危機意識」
を全国民が共有できるかどうか、そしてどのように
して共有するか、にかかっていると考えます。
このような発言をすると“袋叩き”に遭うような気
もしますが、かつての日本には「産めよ、増やせよ」
という時代があったのです。この後に「地に満ちよ」
と続くフレーズは旧約聖書の言葉ですが、大東亜戦
争最中の昭和16(1941)年1月22日に閣議
決定されました。いわゆる“敵国”のフレーズをそ
のまま引用して人口増加を目論んだ当時の為政者た
ちは相当先の日本まで思い描いていたことでしょう。
今では、「軍国主義の象徴的な人口政策で、個人の
権利を侵害する決定であった」旨の批判もあります
が、翌日の「朝日新聞」1面は、「日本民族悠久の
発展へ」の大見出しで本閣議決定がトップ記事で紹
介されていました。敗戦はしましたが、この「唱導」
(当時は、このように呼んでいました)のもとの国
民精神が全国津々浦々に行き渡り、終戦時の約7千
2百万人から、終戦直後のベビーブームを含めて、
現在の1億人を超える大国になるまで成長させたの
でした。
ちなみに昭和26年生まれの私は、7人兄弟の末っ
子ですが、私たちの親の世代は、終戦後の食料事情
が極端に悪い中でも、我が国の未来のために子孫を
残してきたのです。「時代が違う」と言えばそれま
でですが、戦争を体験した世代のご���労に比べれば、
「500万円の壁」などはさほどの障壁ではないと
思ってしまいます。要は、国民がこぞって「危機意
識」を持つかどうかにあると私は考えます。
そのためには、目先の「少子化対策」とか、言葉だ
けが先行している「こども未来戦略方針」などの内
容では何とも不十分で、冒頭に述べたような、「国
の形」を問う「国家戦略」の範疇に及ぶものと考え
ます。それについてはのちほど取り上げましょう。
(つづく)
(むなかた・ひさお)
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"Kill them with kindness" Wrong. CURSE OF MINATOMO NO YORITOMO
アイウエオカキクケコガギグゲゴサシスセソザジズゼゾタチツテトダ ヂ ヅ デ ドナニヌネノハヒフヘホバ ビ ブ ベ ボパ ピ プ ペ ポマミムメモヤユヨrラリルレロワヰヱヲあいうえおかきくけこさしすせそたちつてとなにぬねのはひふへほまみむめもやゆよらりるれろわゐゑを日一国会人年大十二本中長出三同時政事自行社見月分議後前民生連五発間対上部東者党地合市業内相方四定今回新場金員九入選立開手米力学問高代明実円関決子動京全目表戦経通外最言氏現理調体化田当八六約主題下首意法不来作性的要用制治度務強気小七成期公持野協取都和統以機平総加山思家話世受区領多県続進正安設保改数記院女初北午指権心界支第産結百派点教報済書府活原先共得解名交資予川向際査勝面委告軍文反元重近千考判認画海参売利組知案道信策集在件団別物側任引使求所次水半品昨論計死官増係感特情投示変打男基私各始島直両朝革価式確村提運終挙果西勢減台広容必応演電歳住争談能無再位置企真流格有疑口過局少放税検藤町常校料沢裁状工建語球営空職証土与急止送援供可役構木割聞身費付施切由説転食比難防補車優夫研収断井何南石足違消境神番規術護展態導鮮備宅害配副算視条幹独警宮究育席輸訪楽起万着乗店述残想線率病農州武声質念待試族象銀域助労例衛然早張映限親額監環験追審商葉義伝働形景落欧担好退準賞訴辺造英被株頭技低毎医復仕去姿味負閣韓渡失移差衆個門写評課末守若脳極種美岡影命含福蔵量望松非撃佐核観察整段横融型白深字答夜製票況音申様財港識注呼渉達良響阪帰針専推谷古候史天階程満敗管値歌買突兵接請器士光討路悪科攻崎督授催細効図週積丸他及湾録処省旧室憲太橋歩離岸客風紙激否周師摘材登系批郎母易健黒火戸速存花春飛殺央券赤号単盟座青破編捜竹除完降超責並療従右修捕隊危採織森競拡故館振給屋介読弁根色友苦就迎走販園具左異歴辞将秋因献厳馬愛幅休維富浜父遺彼般未塁貿講邦舞林装諸夏素亡劇河遣航抗冷模雄適婦鉄寄益込顔緊類児余禁印逆王返標換久短油妻暴輪占宣背昭廃植熱宿薬伊江清習険頼僚覚吉盛船倍均億途圧芸許皇臨踏駅署抜壊債便伸留罪停興爆陸玉源儀波創障継筋狙帯延羽努固闘精則葬乱避普散司康測豊洋静善逮婚厚喜齢囲卒迫略承浮惑崩順紀聴脱旅絶級幸岩練押軽倒了庁博城患締等救執層版老令角絡損房募曲撤裏払削密庭徒措仏績築貨志混載昇池陣我勤為血遅抑幕居染温雑招奈季困星傷永択秀著徴誌庫弾償刊像功拠香欠更秘拒刑坂刻底賛塚致抱繰服犯尾描布恐寺鈴盤息宇項喪伴遠養懸戻街巨震願絵希越契掲躍棄欲痛触邸依籍汚縮還枚属笑互複慮郵束仲栄札枠似夕恵板列露沖探逃借緩節需骨射傾届曜遊迷夢巻購揮君燃充雨閉緒跡包駐貢鹿弱却端賃折紹獲郡併草徹飲貴埼衝焦奪雇災浦暮替析預焼簡譲称肉納樹挑章臓律誘紛貸至宗促慎控贈智握照宙酒俊銭薄堂渋群銃悲秒操携奥診詰託晴撮誕侵括掛謝双孝刺到駆寝透津壁稲仮暗裂敏鳥純是飯排裕��訳盗芝綱吸典賀扱顧弘看訟戒祉誉歓勉奏勧騒翌陽閥甲快縄片郷敬揺免既薦隣悩華泉御範隠冬徳皮哲漁杉里釈己荒貯硬妥威豪熊歯滞微隆埋症暫忠倉昼茶彦肝柱喚沿妙唱祭袋阿索誠忘襲雪筆吹訓懇浴俳童宝柄驚麻封胸娘砂李塩浩誤剤瀬趣陥斎貫仙慰賢序弟旬腕兼聖旨即洗柳舎偽較覇兆床畑慣詳毛緑尊抵脅祝礼窓柔茂犠旗距雅飾網竜詩昔繁殿濃翼牛茨潟敵魅嫌魚斉液貧敷擁衣肩圏零酸兄罰怒滅泳礎腐祖幼脚菱荷潮梅泊尽杯僕桜滑孤黄煕炎賠句寿鋼頑甘臣鎖彩摩浅励掃雲掘縦輝蓄軸巡疲稼瞬捨皆砲軟噴沈誇祥牲秩帝宏唆鳴阻泰賄撲凍堀腹菊絞乳煙縁唯膨矢耐恋塾漏紅慶猛芳懲郊剣腰炭踊幌彰棋丁冊恒眠揚冒之勇曽械倫陳憶怖犬菜耳潜珍
“kill them with kindness” Wrong. CURSE OF RA 𓀀 𓀁 𓀂 𓀃 𓀄 𓀅 𓀆 𓀇 𓀈 𓀉 𓀊 𓀋 𓀌 𓀍 𓀎 𓀏 𓀐 𓀑 𓀒 𓀓 𓀔 𓀕 𓀖 𓀗 𓀘 𓀙 𓀚 𓀛 𓀜 𓀝 𓀞 𓀟 𓀠 𓀡 𓀢 𓀣 𓀤 𓀥 𓀦 𓀧 𓀨 𓀩 𓀪 𓀫 𓀬 𓀭 𓀮 𓀯 𓀰 𓀱 𓀲 𓀳 𓀴 𓀵 𓀶 𓀷 𓀸 𓀹 𓀺 𓀻 𓀼 𓀽 𓀾 𓀿 𓁀 𓁁 𓁂 𓁃 𓁄 𓁅 𓁆 𓁇 𓁈 𓁉 𓁊 𓁋 𓁌 𓁍 𓁎 𓁏 𓁐 𓁑 𓀄 𓀅 𓀆
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書物礼賛⑥
雁屋優/マイノリティの「つながらない権利」/明石書店2025
鬼越トマホークのユーチューブ「半生を語る」等の感想
【①普通の人で面白味がない】にしおかすみこ・アンゴラ村長・どぶろっく・ニューヨーク
【②普通の人だが味があって面白い】ドランクドラゴン鈴木拓・三四郎・スーパー3助・ラランドニシダ
【③天性の芸人】ノンスタイル石田・狩野英孝・空気階段もぐら・ナダル
個人の感想です。私自身の人望のなさを棚上げして言わせてもらうと、本書の著者は「アルビノゆえの弱視、見え方の不利を、自身の発達障害ゆえの高い言語性IQや先取り学習で補ってきた」って書いてしまうくらいコミュ障の自覚があり、文章ですべてを分ってもらおうとする傾向が強く、読んでいて息苦しさを覚える。芸人に話を戻すと三四郎の小宮は②と③の中間くらい。小宮とナダルは同輩の人望が厚い。ユーチューブだが映像は不要。トークに表れる素の魅力。どのような人生によってそれが培われたか。
コロコロチキチキペッパーズのラジオを聞くと、アメトークのナダルアンビリーバボーで彼が見せるような挙動不審・クズ感とは無縁な落ち着いた親しみのあるトークが繰り広げられている。彼は近大農学部で水産系の専攻、しかし希望の水族館飼育員は枠がなく、食品会社はすべて蹴られ、それでは消防士にということで走り込んだり勉強して備えたが連続して最後の小論文で落とされ、そうするうち年齢制限にも達し、大学の友人のアドバイスで芸人の世界へ。
楽屋などのイジられで爆笑を呼ぶことから相方の西野が策を練ってアンビリーバボーに漕ぎつけたが、そこからしばらくして自身「強みはそこしかない。そうでなければ生き残れない」と受け入れてから、かえってイジられに限らないタレント性で定着。ロンドンハーツ「タレント進路相談」でも有吉弘行の後釜を見事に務めた。
彼の「ウソがつけない」資質に注目して抜擢したロンハー制作陣はさすが。アンビリーバボーにおける「先輩��失礼」「責められるとウソをついて言い逃れしたり挙動が怪しい」とも表裏一体。就活の面接でも挙動不審を発揮していたそうなのだが、著者も知能や文章力を武器にマイノリティやその当事者団体に携わっていくのは険しい道なのではないか。真面目さ、違いを受け入れる優しさが一番と思います。
甚野博則/介護大崩壊/宝島社新書2025
父母が相次いで自殺、自分も自殺未遂後うつで2年以上入院という底の時期に助けてくれた伯父夫婦。88になる伯母はアルツハイマーの薬を飲んでいるとのことだが衰えはみえない。90の伯父は徘徊など錯乱状態に陥り、3年ほど前から同じ区内の特養ホームに。先日、初孫ができたばかりの「ネトウヨの従弟」夫婦と見舞いに。ユニット型の個室が、広めのリビングを囲むように設けられ、そのリビングを常に監視するような形で介護士の詰所が。一人一人の健康状態や挙動の癖をしっかり把握し、気さくに話してくれる中年女性の介護士であった。
伯父は問題行動がみられるようになって半年ほどで特養ホームの空きを見つけることができたが、本書によれば地価の高騰などで施設新造が難しい都市部では、入所待機者の増加に悩まされ、距離の離れた自治体の施設の枠を確保する「ベッド買い」なる慣行があるという。著者は文春記者時代に甘利氏の収賄についてスクープ記事をものしており、フリーになってからは高齢者の介護施設問題を中心テーマに据えて取材を続けている。特養・サ高住・老健といった施設の違いや実態、介護保険の運用事情について大まかに知ることができる。老後を控える読者層の危機感を煽ろうとしてか、問題の多い施設や事業者に内容が偏り、優良な事業者やポジティブな取り組みが軽視される傾向があるようだ。
北村浩子/日本語教師、外国人に日本語を学ぶ/小学館新書2025
例えばチャーハン。強火で作るチャーハン、あまりおいしくないです。シャッシャッシャッシャッて鍋を大きく回すやり方、見たことあるでしょ。米がパラパラッてなってる。そうすると米が冷めるし乾燥する。水分が飛ぶ。固くなっちゃう。サラサラは食感がよくない。口に入れた時。米が熱くてしっとりしているのがおいしい。よく、中華鍋ないとダメと思われるけど、うちの自宅はフライパンですよ。中華鍋ないです。火力も関係ない。ガスじゃなくても大丈夫。やっぱり腕と使い方��
そもそも日本人の日本語能力が下がる一方で、企業の公式声明や有名メディアの記事にさえ怪しい言葉遣いが頻出する始末なので買ってみたが…。引用したのは本場でもトップクラスの中華料理人の言葉。来日から各地のホテルで料理長を務め、今は六本木に店を構えメディア出演多数。「やりたいことがある優秀な人物」なので日本語の上達も早いし、本書でほかに取り上げられた人もエリートに偏っており、前項の介護の人手不足のために円安の日本へ来てくれるような、日本語学習者の多様性や苦労への目配りはない。ネオリベ右翼の小学館から出るにふさわしいつまらない本。
三遊亭円丈/師匠、御乱心!/小学館文庫2013・原著1986
よくSNSや掲示板で不自然な形で語尾を「やで」とするような、ネット民の似非関西弁。明石家さんまや島田紳助でなく、ダウンタウン以前・以後と称される、ある世代が丸ごと感化されるような圧倒的存在感によって生じた現象。テレビ越しにそこまで影響力を持ちえた芸人は萩本欽一・ビートたけし・ダウンタウンのみ。ドリフと志村けんは職人肌で思想性が薄いから。
松本人志はセックスについて「小学生でもお胸がぷっくりしてきたらご賞味あれということ」「同じ女と何度もするのは男にとってお勤めになってしまう」という本質を突いた発言をしている。彼はこのまま地上波に復帰することはないでしょう。けれども性接待やレイプはテレビ・広告・芸能界、さらには教育や雇用のあり方まで広がる制度的な病理であり、松本・中居・件のプロデューサーだけ切り捨てても何も変らないでしょう。
落語家は寄席や徒弟制度のシステムに守られた、格落ち芸人の集まり。笑点は落語家でない三波伸介が司会だった時期が本領で、以後は余禄。本書は、創作落語で頭角を現した著者が、真打ち襲名直後にその真打ち乱造問題などをめぐって落語協会が分裂した騒動を、システム内部の視点で振り返った問題作。出版当時は暴露本としても話題を集めたほどで、読み物としてそこそこ面白いとしても、人物がことごとく政治家的、と同時に中小企業のオヤジ的。同族経営の。そう考えると自民党というのは中小企業や町内会、一族郎党の内ゲバを娯楽として提供することによって常にシステムの制御権を確保できているような存在なのかも。
横道誠/レトロな世界に分け入る/教育評論社2025
ナダル「思い出しました。劇場穴だらけですわ」
ロンドンハーツのベテラン芸人座談企画で、有吉弘行が「業界にも私生活でも友達がいない。広島に帰省しても実家に寄って街を一人でぶらついてすぐ帰る。旅行に誘うのはお笑いの後輩」と語っていた。ナダルがすぐバレるウソをつくのは、市民社会の常識に従って生きている裏返しでもあり、本来はマジメな愛されキャラであるナダルのようなタイプと対照的に、いじる・責める側の有吉は制度の一部であろうとして「踏み越えてしまった人々」なのだろう。
それは編集部の意向で『ナニワ金融道』に変更させられた原タイトル。主人公・灰原のビルドゥングスロマンでもある同作品に対し、闇金ウシジマくんは冒頭から丑嶋社長はやがて殺されることが暗示され、ずっと同じテーマをバリエーションで繰り返す。カイジ、特にスピンオフ作品は地下労働そのものの是非は問わず、内部で遊ぶ。
本書は、何度も各種コレクションのマイブームを経てきた著者が、チープな骨董、古い漫画やエフェメラ(チラシ・手紙・マッチ箱のような紙モノ)を専門に扱う3人の店主に取材した、趣味性の強い一冊。であると同時に、この文章力で京大大学院の博士号? 博識であっても自分の思想を打ち立てる気概も総合力もない、内部で遊ぶだけの読み捨て本と感じさせる、あらゆる商業メディアや大学が志望者に「踏み越えるよう迫る」ことでようやく維持できている世知辛さを再認識。
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バウアー茂雄の世界征服物語だ
出会い系サイトで大爆発だ
世界の曼陀羅
三木町の曼荼羅
田中、氷上、小村町
それが富田をつなぐ十河主義
たった一つのさえたやり方
それこそが三木町パワーだ
町長選挙に内田は落ちた
エスカーにより不動産を支配された。
それこそ三登システム
これは隆介の物語だ
常に、闇夜に生きる
子供の頃より朝鮮総連に入り浸った茂雄
サッカーに打ち込んだ茂雄
水泳に打ち込んだ茂雄
出会い系サイトに打ち込んだ茂雄
p3哨戒機に乗り込む田川
いや、お前日本人ちゃうやろ
和希は田舎で封じ込め
尾藤はお酒で飲んだくれ
勇登はハイブリッジ中
宇宙の冷たい方程式
それはバウアー系の鉄則だ
オールドカッティングエッジ隆介は
金山と���歌山ランデブー
オイルショック発生
宗教的大原則により
田川派はカニを信仰するようになった。
しかし統一教会の熱狂にもかかわらず、
真言宗はエビを支持している。
良寿はレインボー攻撃を発動した
和歌山雄司と探偵ごっこ
尾行はすれで我関せず
フルスピードで急降下
宮川電気も急降下
FBI茂雄も止められない
力なきものが大阪にいずる
勇登とともに蠢く
杉山古川も茂雄に挟み撃ち
寛之はミラージュを三分割
分割されたミラージュはペニオク 鈴木へ割譲された
茂雄と勇登は隆介を奪い合った
隆介は和正に恋焦がれていた
そこに転げが木の根っこ
氷上、それは懐かしい響きだ。
いまでも、JIGENという会社が地下の倉庫を構えている。
川が県は多田が多い隣地も多田だった。
セルジュークトルコを制覇したカムイワッカの血を組む
勇登は激しく動揺した
精神攻撃だ
琵琶湖温泉ホテル紅葉は
茂雄が食いつぶした
横領だ!背任だ!作業服を着用しろ
アクアセトリウムが
松村鈴木ラインによるペニーオークション攻撃を仕掛ける。
そろそろ雪が解けて川になって
十河になります
それこそポーカーゲームです
内田はいつも負けてばかりだった
サクセスラインに乗り遅れた木村は
とうとうリットン調査団の餌食になった。
ニューステージは隆介が支配した
小口債権か
しかし隆介は茂雄が支配した
リースバックか
ワードスパムサラダとちゃうで。
お前らの方法とは違うんや、ぺにおく
問われて名乗るもおこがましいが
我はペニオク
14の頃から、茂雄に愛され
60余州に隠れのねぇ
不正取引の張本
氷上の隆介
なんといってもアテナ製薬
勇介の力技だ
満名稲川会は今でも高層マンションにいる
ダブル富田システムで
責任回避を目指すが
何と言っても濱田ハウスはぼろすぎる
心臓をささげよ
webテクノロジーもささげよ
ついでに、統一教会信仰心もささげよ
カニに寄生虫が���っている
北朝鮮製のカニはまずいぞ
隆介はカニが病的に好物だ
ブラームスの三大交響曲において
もっとも推奨されるのは小屋ルネッサンスだ
なんといっても株の味を最大限に引き起こす
はれやということだ
勇登の高校野球人生は終わった
背が高いだけだった
茂雄にはかなわない
十河は三木町のお城のことです
お城最高
勇登が��学の頃煙草をくわえた
それが大人びているという信念だった
それがこじれていまは美人局だ
ゼラチンを指に巻きすぎ。
十河、手を洗えよ。
お前の手が汚くて吐き気する。
世界革命戦争を勇登は良寿に放り投げた
何という暴力
これには寛之も顎が外れた
十河城の城主である木村は、朝鮮人だ
かに道楽がおきにいりだ
ラズベリーパイを使った
波状攻撃を
貴久は実装した
オシロスコープは所有していない様子
ハックリベリーフィンに登場する
インジャンジョーはクインボンドの望月のことだ。
最後は洞窟に閉じ込められる。
まずい紙風船は早く閉鎖してください
香川大学生の恥です
私が訪れたときは閉店してたのに
琵琶湖温泉ホテル紅葉は
いまでも多田の心のふるさとだ
戦略的に松木ビルを閉鎖した
はれや別邸は仮想通貨のマネーロンダリングのセンターだ
これやこの
茂雄が風邪ひき
貴哉泣く
わが衣でに
勇登が叫ぶ
茂雄とはフレンドシップだ
実家は300フィートぐらいだ
勇登は500ぺそだ
貴哉はベーコーンレタスバーガー食べ過ぎ
だから太るんだよ
勇登を見習え、あのもやし野郎
宮川はあたかもトロッキストだ
永久革命論は自己言及的であり、
労働者階級である隆介の思想にそぐわない
今すぐにでも
隆介は統一教会を三木町の正式な宗教に採用しようとした
しかし和弘に止められた
和弘はカバラを信じていた
鮎美はいつ離婚するのか
ペニオクが引き金になるのか
旭川刑務所に隆介が封印された際
貴哉はすすき野で飲み呆けた
だから太った
デブ野郎だ
バウアーというキーワードに弱いのは
勇介か勇登か
ゼロに戻るぞ
サッカー部
極鮨は、鮨を極めたのではなく
鮨を極めたかのように宣伝するためのネーミングだ
見栄えは重要だ
隆介は知っている。
公行は元気か?
腎臓に持病を抱えていると聞いている。
お酒は控えめにしておけ
食品添加物いりのかにも控えろ
体に悪い
納得パソコンは値段からすれば納得せざるを得ない
安かろう悪かろうだ
エターナルアタックを仕掛けたバウアー茂雄は
三木町からボディーブローを食らいまくった
eagy come eagy go
要するに安くで得たカニは下痢になりやすいということだ
統一教会主催のパーティーを大阪ドームで開催する
だ他の太っ腹には恐れ入る
それこそゼロTO浪漫だ
あくまでも南北統一にこだわる茂雄だった
��かし、勇登はむしろ親中派だった
マカオで修行して、殺虫剤をまいた
なっとくできるといういみではなく、
値段相応なので納得せざるを得ないという意味です
さすが中国茂雄
勇登はいまでも統一教会のバイブルをペニオクで販売している
それこそ勇登のライフワーク
今なら逮捕されないし。
哲よ
外の山を見ろ
瀬戸内海がお前を呼んでいるぞ
イチゴ食べ放題だ
無指向性グラフは要するに多項行列だ
それに気づいた基雨だったが
北朝鮮の血筋だったため意見が通らなかった
統一教会田川派は狂信的だ
意地でもツボを販売する、という大阪商人の魂が入っている
しかしそれは日本人の発想ではない
あくまでもポーカーゲームに入れ込んだ茂雄
その資金をツボを売ることでこしらえる隆介
それを宣伝する勇登
どれもカニの物々交換だ
マイナスドライバーだ
エホバの証人もいい加減にしろと
哲は考えている
多田の借金は哲が負担しろ
クロスウォーク山本健二は、犯罪者だ
それ以外にも詐欺師が集まっている
なによりカニがまずい
小村のママが泣いてるぞ、隆介
氷上のパパが泣いてるぞ、茂雄、良寿
田中のママが泣いてるぞ、勇登
あえてシフトした
エホバの証人ではケラフィムが最高天使
それには向かう隆介はベルゼベブだ
ブラックブラック団に加入した晃一
しかしグローバルリサーチを追い出された
なぜなら晃一は借金まみれだから
清涼学園に通う木下は
今でもペニーオークションに首ったけ
気の毒な奴だ
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ちゃんみな「子どもが生まれてからは『生きないと』と思うようになった」 迷った時は「ワクワクするほうを優先」
3/12(水) 11:02配信

AERA dot. [撮影:蜷川実花/hair 北村雄太/make up 野﨑裕子/nail sucreHIRO/styling 服部昌孝/costume Rick Owens/prop styling 遠藤 歩]
プロデューサーを務めたガールズグループオーディション「No No Girls」が社会現象に。新たな経験を通して生じた心境の変化について語った。AERA 2025年3月10日号より。
【写真】蜷川実花が撮った!AERAの表紙を飾ったちゃんみなはこちら
* * *
――「No No Girls」の最中である24年7月に結婚と妊娠を発表したちゃんみなさん。約1カ月後、音楽フェス「SUMMER SONIC 2024」のメインステージに立ち、大きなおなかを露わにしてライブを行った。
ちゃんみな:サマソニからは妊娠がわかる前にオファーをいただいていました。私にとっては初めてのメインステージ。初めての妊娠なのでどういうコンディションになるかはわからないということを伝えて了承していただいた上で、ギリギリまで自分の体調と向き合ってやり遂げられたステージでした。
無責任に「子どもを産んだ方がいい」とは言えない社会です。私も夫も子どもを授かることを望んでいたので妊娠はとても嬉しい出来事でした。「No No Girls」のプロデューサーの仕事もあるので不安はありましたが、ママの先輩たちから「育児もキャリアも諦めなくていいんだよ」と言ってもらえたことが支えになりました。子どもが生まれたことで睡眠時間が削られたりして、改めて育児は世界で一番大変な仕事だと実感しています。
もっとみんなで子どもを育てられるような社会になればいいなと思っています。ママが一人で抱え込んでしまう状況は息苦しさを生みます。私は夫や両親が育児を手伝ってくれていますし、産後、どうしようもなかった時はシッターさんにお願いすることもありました。そういったことを悪だと捉えず、全部自分で責任を持ってやらなければいけないという固定観念を外して、みんなで自分たちの未来を育てる環境や社会を持てたらもう少し楽になるんじゃないかと思います。
――出産後、どんな内面的な変化を感じているのだろうか。
ちゃんみな:子どもが生まれる前は「いつ死んでも後悔がない」と思っていて、「どうやって生きたいか」ではなく「どうやって死にたいか」を考えて生きていました。子どもが生まれてからは「生きないと」と思うようになりました。「一言でも多く話をしてあげたいし、1時間でも多く一緒にいてあげたい」と思う存在ができたのが不思議です。「この子が大きくなって道に迷った時に助けてあげなければいけない。私が死んでしまったらそれができなくなる」と思うと生きなければいけない。できるだけ長く見守ってあげたいです。
■愛はお金では買えない ――母としてもアーティストとしてもHANAのプロデューサーとしても多忙な日々を送る。 ちゃんみな:ふと娘を見て「もうこんなに大きくなったの?」と思うことがあります。目の前のことでいっぱいいっぱいで立ち止まっている時間がなくて、ライフステージの変化をあまり実感していません。 ただ、時間はお金で作れるし、お金は時間で得られます。でも愛はお金では買えない。そこに自分を費やして、新しく人を雇ったり、いろいろな調整をしてバランスを取りながらお仕事させてもらっています。 ――差別や偏見を歌詞にして発信してきた。自身のルーツについて歌った23年リリースの「RED」では自身が受けた人種差別を綴ったが、憎しみを愛のメッセージに変えた。 ちゃんみな:結局悪も善も自分に返ってきます。これまで最悪な経験をたくさんしてきましたが、最高な経験もたくさんあります。経験は自信を生み、憎しみを愛に変える。人から棘のある言葉を向けられた際、自分に自信がある時とない時では感じ方が大きく違います。自信があれば棘を跳ね返せますし、あとから自信がつけば昔の棘を跳ね返せるんです。 ■ワクワクする方を選ぶ 自信を持つことは本当に大変なことです。自分を信じると書いて「自信」ですが、「自分」って自分だけのことじゃないんです。自分を形成している家族や友達といった愛情を注いでくれる人たちも含めて「自分」。自分が死んだら悲しんでくれたり、自分が成功したら喜んでくれる人たちのことを信じることで自信が生まれる。ただ、世の中には信じていい人と信じてはいけない人がいるので、沼にハマらないように気をつけなければいけません。 失敗を失敗だと思わないことも大事。自分が一歩踏み出したところで何かが起きたとしても、失敗だと思わずに「良い勉強になった」と思って次のステップに進む作業は自信に繋がると思っています。 ――迷った時は「ワクワクする方を選ぶ」という。 ちゃんみな:「こっちが正解だよね」と思う方向と「やり方はよくわからないけどなんか楽しそう」と思う方向があった場合、絶対に後者を選びます。 今回の撮影でいうと、「この衣装でこのセットだったらこういうポーズが正解だよね」というみんなが想像できるような方向性ではなくて、「この衣装で足を出して髪をめっちゃ長くしてオラクルカードみたいな雰囲気にしたらヤバそう」という方向性を選びました。 HANAというグループ名を思いついた時、ワクワクする気持ちはありながら、「シンプルだし日本語だし検索しても引っかかりづらいしどうなんだろう?」という意見もありました。他にもいろいろな案が出た中で、スタッフのみんなに「結局どのグループ名が一番ワクワクする?」って聞いたら「HANAですね」という答えが返ってきた。 正解かどうかとか、批判されるかどうかではなく、自分が直感的にワクワクする方向に進みます。 (構成/ライター・小松香里) ※AERA 2025年3月10日号より抜粋
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モキュメンタリーホラー日和2
「飯沼一家に謝罪します」とゲーム「失踪した友人の部屋に残されていたゲーム」の感想。
モキュメンタリーは直接的にこわくないけど情報ホラー味わえるのありがたい。あとひとの感想・考察いっぱい読めるのもうれしい。
前回モキュメンタリーホラー日和(近畿地方とか祓徐とか)
いつものようにぜんぶネタバレ込み。
「飯沼一家に謝罪します」
話題のモキュメンタリーシリーズTXQ Fictionから。
さいあくのクリスマスリースとしあわせ家族の団らんをプレゼント!
本編はTVerで無料視聴可能 リンク
クリスマスに呪われてる家族の話をぶつけたいというはっきりとしたテーマ性があるので、ミステリー調フィクションとして作り込まれていて見やすかった。導線のしっかりしたいやな家族伏線回収ゲームとして楽しい(自分は考察・攻略見る勢なのでぼんやり見てただけだけれど)
クリスマス作品として、さいあくクリスマスリースがものものしく2回も出てくるくだりは笑いました。
モキュメンタリーって怪異そのものというより、情報の伝播や加工・編集、消費と再生産サイクルのリアルな手触りが作る過剰な情報社会への恐怖が主題と思っているので、いつも通りいろんな薄暗い情報が好奇心を刺激してくれてよかった。
ありふれてバックボーンのない家族の呪いのほのめかしより、ビデオカセットを入れる、再生ボタンを押す、カメラを回す、封印されたポータブルビデオを取り出す、キャプションを編集する、過去のテレビ番組を見る、といったマスメディアが映す情報を取り扱う細かな手つきその一つ一つがたしかで、怪異を再生産する儀式めいていて、見ていて楽しかった。今回は過去作よりたくさんのテープ、積み重なった書類、インタビューを取りに行く、などなど画面の外側の風景が多くてよかったし、情報の墓場としての中古品廃棄場が出てきたのが印象的。
あと、撮る側の暴力性だけじゃなくて、撮られる側もテレビという広く情報を普及させる場を利用してくる視点も新鮮で良かった。スポンサー提供番組のあやうさはたびたびBPOでも指摘されてて時事ネタとしてもリアル。
そこが本題じゃないのは分かるけれど、不幸・呪われた家族のイメージとしてひき��もりの方や重篤な病人を介護してる家庭を出すのは、トキシックというかふつうに陳腐で有害なイメージの再生産でしかないのでそこはなんとかしてほしいと思った。「家族はおそろしい」ってそういうことじゃないし、そういう話をするときの都合のいい汎用イメージとして出すのもうやめてほしい。慣れてるけど。
このへんのステレオタイプは、流通している共有イメージや情報を取り扱うモキュメンタリーはかなり安易に引っ張ってくる印象があり、ジャンル上しかたないかもしれないけれど、でもちゃんと恐怖の主題に目を向けた作品いつか見たいなと思ってる。(自分が知らないだけですでに結構あると思うけれど)
それはそれとして、おおむね楽しく見れたので良いクリスマス作品だったと思う。
それぞれの年末がある。
クリスマスにはネズミを振ってもいい!
youtube
「失踪した友人の部屋に残されていたゲーム」
粗悪な情報、粗悪なミニゲーム、粗悪な物語とわるいインターネット
ゲーム内に出てくるものすべてが大量で粗悪で、根拠とたしかさがなくて、クオリティコントロールとファクトチェックを経ないわるいインターネットらしい禍々しい質感に満ちている。
大量の質の悪い情報それ自体が気味悪く、個人開発モキュメンタリーホラーゲームとしてこの質感で仕上げると判断して、体験として完成させていた。
なお、和製個人開発ホラーゲームとしてはしっかりしていて、特に中盤以降はヒント・導線によりふつうにこわおもしろい謎解きゲームになっているし、物語の筋もきちんとまとめられている。
けれど自分には合わない、というかプレイできなかった。
全体的な質感として、あやしい企業の機械翻訳まとめサイトとかAIでそれらしいことだけまとめて情報を水増ししたようなサイトっぽさがある。AI生成のそれっぽいだけの写真が大量に出てくるの、もうこわい怪異というよりまじでいやなインターネット。ゲーム内ゲームもマップが雑で体験がまばらで、遊んでていらいらするやなつくり。読まされる文章も不気味さを感じさせる以上にすごく下手で、そのわりに量が多いのいやすぎる。読んでて気分わるくなった。
「近畿地方~」はやっぱり文章力でホラーを成立させていたんだと改めて思えたのはよかったな。おなじモキュメンタリーでも文章の質感は雲泥の差だと思う。
物語もAIで自動生成したみたいな感じの寄せ集めで、オチもモキュメンタリーとしてはあまりにふつう。村×母×伝染って要素だけ抜き出すとそのまますぎる。その大量でやすっぽいデッドコピーのような粗悪な情報こそが、本作特有の「いやなものを見た」という恐怖感に自分の場合は繋がってた。
少しさわっていやな気分になったので序盤でプレイ打ち切り、配信で見させてもらった。
入ってくる情報の影響を受けやすく、粗悪な情報とプレイ感で頭を埋めるのどうしてもしんどいので、自分でプレイしたくない・・
自分でクリアはできないけれど、和製ホラーゲームとして満足できるボリュームでモキュメンタリー×ホラーゲームという新しい試みが打ち出せていて良い作品だったのだと思う。
言い訳
さいきん、比べるのもおこがましいけれどディッシュの評論「SFの気恥ずかしさ」みたくジャンルに期待しすぎて口調が強くなってる文章多くなっている気がする。少し気をつけたほうがいいのかも。
ディッシュみたいに最後に人生が破綻したら、他者には理解不能なジャンルへの殉教小説を書くんだろう。
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2024年10月5日

インタビューに応じる中村敦夫氏=2022年8月29日午後、東京都内、藤田直央撮影
旧統一教会追い50年、中村敦夫さん「安倍氏への忖度で右往左往」(朝日新聞)2022年9月18日
「世界平和統一家庭連合(旧統一教会)」は日本の社会や政治に何をもたらしてきたのか。ニュースキャスターや参院議員も務め、約50年前からこの問題を追う俳優の中村敦夫氏(82)に聞いた。
――統一教会に関心を持ったきっかけを教えてください。
1970年代からです。全共闘(全国の大学に広がった学生運動)が崩壊し、オイルショックが来て、高度経済成長期にモーレツに働いたサラリーマンも報われない。欧州では環境やジェンダーフリーなど新たなテーマが出ていましたが、日本では左右の境がぼやけ、社会の連帯が薄れていました。
私は72年からテレビの時代劇で「木枯し紋次郎」を演じるなど俳優として忙しかったのですが、監督としても社会問題をテーマに映画をつくりたかった。時代を象徴する題材はないかと探していたら、駅前や大学の構内に黒板を持ってきて、懸命にオルグ(勧誘)しているグループがいるわけです。
それが統一教会系の学生組織の原理研究会でした。統一教会について調べると、朝鮮半島を植民地支配した日本は韓国に貢ぐべきだとか、でも反共産主義で岸信介元首相とつながっているとか。支離滅裂に感じましたが、世間はそういうことをあまり知らない。80年代にはバブル景気に向かう日本に浸透し、信者が霊感商法にかり出されていきました。
ワイドショーで批判をしたら…
――中村さんが教団と明確に対峙したのは、93年にテレビで批判してからですね。
合同結婚式に日本の芸能人が参加し、マスコミが盛んに取り上げていた頃です。ゲストで出た民放のワイドショーで意見を聞かれ、教義や活動がいかがわしいと言ったら、名誉毀損(きそん)罪で刑事告訴されました。そこで統一教会を追及してきた学者や弁護士、ジャーナリストと一緒に記者会見して反論しました。
ややこしい団体だから触れない方がよいという空気が一般的でしたが、私ががんがん反撃を始めると正面から反論してもいいんだいう感じになって、みんながついてきてくれました。わかっていることを何とか形にしたいと、マインドコントロールをテーマにした小説も書きました。
――当時、どうしてぶれずに批判できたのですか。
私は表現者であり、言動のモチベーションは不正や不公平に対する怒りにあるからです。今でも統一教会の問題で信教の自由を持ち出す議論がありますが、宗教の話ではありません。マインドコントロールを駆使した「不安産業」といえるでしょう。高額な商品をほとんど人件費なしで売らせ、買わせる。被害者を支援する弁護士や牧師たちとやり取りし、信者や元信者にも会って確認しました。
政治思想には一貫性が必要ですが、これもころころ変わっているようにみえます。反共と言いながら、創始者の文鮮明氏は91年に訪朝して金日成主席と会い、関連企業が北朝鮮に進出しました。90年代半ばからは国会議員をめざしましたが、当選したらこの問題も引き続き追及しようと思っていました。
――98年の参院選東京選挙区で無所属で初当選すると、最初の国会での質問で9月に法務委員会で問題を取り上げています。92年に実現した文氏の入国を認めるよう、日朝国交正常化を唱えていた自民党の金丸信副総裁が法務省に働きかけた件をただしました。
99年に東京で合同結婚式が予定され、文氏がまた来るかもしれないという情報がありました。文氏は82年に米国で脱税で有罪となり、日本政府の上陸拒否事由にあたっていたのに、92年は入国を認めた。前例とするのかと法務省に聞いたら、「諸般の事情を総合的に考慮した上、慎重に検討する」という答えでした。
――公安調査庁に対して、教団や関連団体から国会議員に秘書が何人派遣されているか把握しているか、とも質問しています。
私に届いた投書の中身がリアルだったので、ただしました。「種々社会的な問題を引き起こしていることは十分承知しており、大いなる関心を持って統一教会という団体の動向については広く情報を集めている」と言いながら、秘書派遣については「把握していない」という答弁で、大丈夫かと思いました。
統一教会に食い込まれた国会議員は、国家を危うくしかねないとの自覚を持つべきです。私は当時の小渕内閣で外相になった高村正彦衆院議員が80年代末に関連企業から車を提供されていたこともそ��際に指摘し、罷免を求めました。
――高村氏は2018年まで自民党副総裁を務めました。朝日新聞の今年8月の取材に対し、80年の衆院選で初当選以来、教団から選挙で支援を受けていたが、車の提供を知ってすぐ返却した上で関係を断ち切ったと述べています。
それでも、外国に本拠がある集団とそこまで深い関係にあった政治家を外相にするなんて、国家の体をなしていない。上に立つ政治家たちがそうだから、官僚も答弁に困っていました。やはり岸元首相以降、自民党内の一部には特別な存在だから、調べてはいても忖度して何も言えないのではと思いました。
目先の票につられる政治家の危うさ
――新党で臨んだ2004年の参院選比例区では議席を得られず、政界を離れました。その後、国会で教団の問題はあまり取り上げられていません。
国会議員の頃は小会派で質問時間が短く、政府答弁ものれんに腕押しで反響が広がりませんでした。環境問題など他にもやりたいことも山ほどあった。マスコミも悪いですよ。合同結婚式で騒いだけど、オウム真理教の問題に関心が移り、年中ある統一教会の被害者の集会にほとんど取材に来なくなりました。その間に統一教会はより目立たないように、深々と政治に入り込んでいきました。
――具体的には、教団はどのようにして政治家との関係を深めたと考えますか。
やはり選挙です。政治家にとって選挙が一番大変だということは私も経験しました。後援会ががっちりあり、人を集めて態勢を組めるのは代々の世襲政治家ぐらいで、ほかは選挙のたびにあたふたとあちこちにお願いする。そんな中で信者がボランティアで入り慣れた手つきで動いてくれれば、こんな便利な人たちはいません。
選挙で世話になった政治家なら、講演会やパーティーに来てくれ、祝電を打ってくれ、と言われると断れず、広告塔になってしまう。目先の票さえ手に入ればと思うから、その危うさが分からない。だから「電報を打ってくれと言われりゃ打つ」といった自民党の二階俊博元幹事長のような発言が出るんです。
――いま、安倍晋三元首相を殺害した容疑者が教団に家庭を壊されたと恨みを持っていたということで、教団がまた注目されています。この状況をどう考えますか。
安倍氏は小泉内閣の官房長官の頃に友好団体の集会に祝電を送り、霊感商法の被害者の弁護士らが抗議しています。首相を務めた後、最近になっても友好団体の集会にメッセージを送っていた。祖父の岸元首相からの三代にわたるつきあい、派閥の選挙マシンとしての実用性はあったのでしょう。
しかし、あれほど愛国心を唱えながら、なぜ日本で高額献金など社会問題を引き起こしてきた集団とつながり続けていたのか。指導者として論理的な政治思想があったのか。安倍氏を忖度してきた集団が政界で右往左往している。政治家が劣化したことで、国の能力が劣化している。国民は今回の事態をきっかけに、日本はとんでもないことになっていると気づき始めているんじゃないでしょうか。(聞き手 編集委員・藤田直央)
1940年、東京都生まれ。98年の参院選で東京選挙区から無所属で立候補し初当選、04年まで1期務めた。最近は各地で原発問題の朗読劇を催す。作家でもあり、旧統一教会をモデルに94年に書いた小説「狙われた羊」が今年再版予定。
コメントプラス
藤田直央(朝日新聞編集委員=政治、外交、憲法)【解説】 書きました。お元気でした。時代劇「木枯し紋次郎」は私が生まれた頃。合同結婚式でテレビが賑っていたのは大学生の頃で、原理研の人たちがキャンパスにいました。
匿名での脅しは多かったそうですが、むだな公共事業など他にも社会問題を追及していて、統一協会とは限らないから、とあまり話されませんでした。
ぶれずに批判できたのは、「私は表現者であり、言動のモチベーションは不正や不公平に対する怒りにあるからです」。後輩として肝に銘じました。
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weekly momentum 2024.09.09~
なんだか鬱々としている。結婚パーティーと、マガジン入稿、トークイベント、それと見積もりだしが重なったりでわたわたしている!!!!!こんなにたくさんのジャグリングを回せない。焦ると余裕なくなるし、ストレスで食生活が狂って浮腫んで気持ちが沈む。最悪や
離島経済新聞のいさもとさんへのインタビューをさせてもらう!おもしろい。継続したからこそ、島出身でなくても語れるようになったという話が面白かった。シマの人は語ってくれるし愛着もあるというのは、私の沖縄での少しの仕事経験からも本当にそう。私はそこで「私は島出身でもないし…」と引け目をすごく感じていたのだけど、継続したからこそ見えてくる世界があるんだよなあ。離島経済新聞の”経済”はカールポランニー『人間の経済』という話もとても面白かった。
どうして島というテーマを自分で持ち続けられたのか、という質問に対して、違和感だらけの世の中で、島に触れた仕事をしていると、人の魅力や産業構造に対してアプローチできるというような話をしてくれて。
あと途中で出てきた「知恵が詰まっている文化を大事にしなくちゃと思う」という言葉にも大きく頷く。ほんと面白い。この辺りの話をマガジンとしてまとめているので、詳細はぜひそちらを読んでもらえたら嬉しい。
村上隆の芸術論、Rehaqを見る。マルクス主義に純粋な斉藤氏と、芸術作品を作ることに純粋な村上氏の観点の違いが面白い。左翼っていうのは、物事を悲観的、極端に捉えるふしは確かにあるのかもしれないな、とは思う。知識はさすが斉藤さんもすごかったけれど。資本主義と大きく言ったときに、その中でも人間の機微はあるし、作る喜びもある。
一時期私も「資本主義」という言葉を嫌悪の対象みたいに思っていたが、今はもうそういう言葉は恥ずかしくて口に出せないという感じがする。言葉が一人歩きしている時代性なのか、私のなかで一つの章が終わったのか。
日本人性において価値判断することを必要?とするのか?というのは最近うっすら私が考えていることでもある。民族主義ってここ数年のうちに出てきた概念だし、別にそこで括りきれないものがあるのは、当たり前だよね、という感覚。
「ナラティブに接続する」「誰のナラティブに阿るか」「敗戦国の悲哀、日本のこの風土に生まれ育ってしまった人間たちのリアリティがどう表現したら日本国以外の人たちに伝わるのか」「パンデミックでアマプラとネットフリックスづけになって、日本の価値観が直感的にわかるようになってる」ここら辺の言葉が面白かった。
kinkeeping
なぜこんなことを書いているかと言うと、Lobsterr Letter vol.127で紹介した『ニューヨーク・タイムズ』の 記事 で紹介されていた、家族の繋がりを育むキンキーピング(Kinkeeping)という行為やキンキーパー(Kinkeeper)という役割の話がとても印象に残っているからだ(Lobsterr FMでもこのテーマで話している回を最近配信した)。 キンキーピングとは、家族や親族関係という意味のキンシップ(Kinship) を保つ(Keep)ための様々な行為や行動のことを意味する。前述したようなこどもの誕生日などのお祝い行事を企画することから、家族の伝統や慣習を継承すること、あるいは日常生活における通院や定期検診などの医療ケアを調整したり、時には家族メンバーの悩み事や相談に乗るなどの感情ケアをすることまで含まれる。 キンキーピングは家族の繋がりやアイデンティティ、幸福感を育むやりがいのある仕事である一方で、とても時間がかかり、時には感情的な負担が重く、感謝されない見えない仕事になってしまっているケースが多い。そして、様々な研究からは、キンキーパーのほとんどが女性であることもわかっている。これは多くの人の肌感覚とも合致するのではないだろうか。ジェンダー研究を専門とする心理学者のベレン・アルフォンソは、家族の繋がりの質は、家族メンバーの健康、幸福、そして長寿にさえ大きな影響を与えるという研究結果があることにを紹介しつつ、「ここにおける不平等さは、多くの人が享受している恩恵が、女性によって生み出されていることです。人間関係を健全に保つため女性が担ってきた感情労働は長年見過ごされてきたんです」と『エル・パイス』の 取材に対して語っている
Lobstarr letter: vol.278
今週のRobsterr letterにて、kinkeepingのことが書いてあった。すごい大事な仕事よね、これ。後続に別のトピックとしてアメリカの孤独化の複雑な事情、というタイトルで、友人と繋がりを保つことができる個人が減っていて、偶発的なコミュニティ保持のアクティビティの必要性がみなおされている、みたいな記事も紹介されていたけど、これも友人と家族、別の話のようで、どこか繋がっているような気がする。
人間関係、ただぼーっとしていたら保たれないことに私も最近自覚しつつある。孤独感から繋がろうとしても面倒で逃げてしまったり、損得勘定でしかものごとを図れない呪いの産物なのか。。。 そういう感情を「え、誰でも面倒くさいでしょ、だけど超えていくでしょ」って言ってのける人が一定数いることも知っている(たとえば私の夫とか)。尊敬する。 自分がそうでなくなった理由を、時系列ごとにトピックを並べて説明もできるけど、そんなこと野暮だな、でいい気もする。
私のような本の買い方(それはそう珍しいことじゃない、特にamazon がすぐに届けてくれるようになってから。要は、気になったもの、こと、人の本をすぐに入手するという買い方)は、その世界に興味を持って動くという在り方の現れでしかない。資料としてたくさん積み上げるという。それは偶発的に、あるいは自らがもぐっていって出会う本や言葉ではない。情報としての本たち。むなしさは…ないけれど、資料としての本の多さに時々辟易とするかも。でもどの文豪も、どの思想家も、床が抜けそうなほど本は持っているはず。その世界をそれだけ私は知りたいんだ。
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日本における標準語の成立とそれが内包する抑圧的社会構造は、極めて本質的かつ政治的な問題です。
標準語の成立は国家装置による「規律」と「序列」の構築 🔹 明治国家の意図 明治期において、政府は「国民国家」を構築するため、軍事・教育・行政の統一を強く推進しました。そのため、方言を排し、東京山の手言葉をベースにした標準語(言文一致体)を人工的に作り上げ、学校教育と軍隊で徹底的に普及させました。
このとき標準語が果たした役割は、
全国民の動員・管理を可能にする
教育・試験・就職における評価基準の統一
地方の文化的優劣づけ・抑圧
つまり、標準語は国家の規律装置として機能し、人々を同質的・序列的に編成する言語となったのです。
🔹 朱子学的価値観との接続 標準語の普及と並行して、教育勅語や軍人勅諭に象徴される縦型の忠誠・秩序・家族国家観が植え付けられました。標準語はその媒介となり、目上・目下の強調、階層的な敬語体系によって、言語を通じて社会的ヒエラルキーが内面化されました。
方言は「関係性」「共在」「対等性」を孕む自然言語 方言は、それぞれの地域の生活・風土・身体感覚と深く結びついており、以下のような特徴があります:
親密性・共感性の高い語彙やイントネーション
感情表現が豊かで、役割や階層に縛られない発話
関係性に基づいた“語り”が可能(上下ではなく共存)
🔸 非ヒエラルキー的な性質 たとえば関西弁では、「あんた」「うち」「なんでやねん」など、フラットでツッコミ可能な相互性の言語空間が存在します。これは軍隊的・官僚的な標準語が持つ「一方通行の命令系統」とは対照的です。
方言は、対話的・即興的・非抑圧的な人間関係を自然に支えることができ、それゆえに心理的にも自由度の高いコミュニケーションを可能にします。
標準語の「構造的暴力」性と、方言の「解放的潜在力」 ピエール・ブルデューの言う「象徴暴力(symbolic violence)」とは、言語・教育・文化を通じて“当たり前”を押し付けることで、人々の序列と劣等感を自然化させる力です。日本の標準語も、まさにこの象徴暴力を体現しています:
「正しい日本語を話せないと馬鹿にされる」
「就職面接で方言を直される」
「敬語ができないと人格を否定される」
このような現象は、言語が社会的な抑圧装置として機能している証拠です。
一方、方言はこの構造からの「ズレ」を生み出し、笑い、反抗、脱構築を可能にします。つまり、方言には「逃走線」の可能性=抑圧構造からの脱出経路があるといえるでしょう。
🔚 結論:方言の再評価は、社会の再編にもつながる 明治国家によって構築された標準語は、効率と統制の言語でしたが、それは同時に精神的・文化的抑圧の言語でもありました。これに対し、方言は本来の人間性と関係性を包摂する、生の言葉、生きられた言葉です。
教育、医療、福祉、心理療法などの現場では、方言の使用を正当化し、むしろ推奨すべき
方言に含まれる「揺らぎ」や「ズレ」は、制度や同調からの脱出口となりうる
標準語の背後にある「構造的暴力」に気づき、多様な言語的実践を回復することは、民主主義や個人の尊厳の基盤でもある
この観点から、「方言を話すこと」は単なる郷土愛ではなく、文化的レジスタンスであり、構造的暴力へのささやかな反撃とも言えるのです。さらに掘り下げて、哲学的・臨床的・教育的に展開することも可能です。ご希望があれば、次のステップとしてご提案します。
年齢や序列意識の歴史的変遷と、特に明治期以降における「人工的序列化」の構築を明確にするために、江戸以前/以後の違いを中心に、詳しくコメントいたします。
【1】江戸時代以前の庶民社会:年齢≠絶対的上下関係 江戸期以前、特に農村共同体や町人社会において、年齢や血縁による序列はあったものの、現在のような“絶対的で強制的”なものではありませんでした。
🔹 小さな共同体のなかの柔軟な関係性 地域の祭礼や労働では、「年寄り=えらい」ではなく、「できる者・よく働く者」が中心に立つ場面が多くありました。
「年功序列」はあっても、「年長者=支配者」といった近代的な厳格な序列ではなかった。
子どもと大人の境界もあいまいで、「子守り役」や「手伝い」として社会的に機能する場が多く、年齢で画一的に排除されることはありませんでした。
🔹 「老い」は神聖性・知恵ではあっても、命令権ではない 老者は経験に基づく「聞き役」「教え役」ではあっても、必ずしも若者を抑圧するような関係ではなく、むしろ共存型です。日本の民俗文化には「年寄りは笑われ役であり、子どもと親しい」という側面すら見られます(例:翁・ひょっとこ・田楽など)。
【2】明治国家と朱子学的序列構造の導入・制度化 🔸 国家と「家」の融合 明治新政府は、家父長制と年功序列を“国家の秩序”に転写し、「忠孝���致」「父を敬う=天皇を敬う」構造を作り出しました。
教育勅語(1890)では、父母への孝行が国家に対する忠誠と並列され、道徳の基礎に据えられました。
民法(旧民法1898)では「家制度」を明文化し、長男相続・戸主制度などにより、年齢と性別に基づく序列を法的に固定。
さらに軍隊では、年齢だけでなく「上官=絶対服従」という“身分的命令系統”が徹底され、社会に浸透。
🔸 「年齢=序列」構造の人工的強化 このように明治期以降は、年齢がそのまま序列・命令権・評価基準の絶対性に直結するように「設計」されていきました。
【3】近現代日本社会の“儒教の誤用”と年齢信仰 🔹 日本独特の「歪んだ儒教的序列化」 本来の儒教は、「年長者を尊ぶ」という理念を含みますが、それは道徳的模範性のある者に対する敬意であり、無条件の上下関係ではありません。しかし明治期の日本ではこの儒教的枠組みが国家の支配体系に都合よく利用され、「年長者=権威者」とする風土が一般化しました。
🔹 企業・学校・家庭への拡張 企業の終身雇用+年功序列=明治軍隊モデルの民間転用
学校における先輩後輩関係の強制(部活動・儀礼的敬語)
家庭内でも“親の命令に従うべし”という価値観が「普通」とされた
このように、「年上だからエラい」「長くいるから偉い」という思想は、近代国家がつくりだした「人為的ヒエラルキー」なのです。
【4】再評価すべき「江戸的関係性」の柔らかさ 民俗学者・歴史社会学者によって示されているように、江戸的な人間関係は、
関係性中心・相互扶助的・現場的
年齢より能力・状況・空気を重視
“おもろいやつ”“気が利くやつ”が自然と尊重される
といった、柔軟な尊重関係に基づいていました。
たとえば、大阪の商人文化では「相手が年下でも知恵のある方が主導権をとる」「あかんやつは、年食っててもあかん」など、実質性と関係性を重視する気風が残っています。これが、今でも関西や地方の方言的言語空間に生き残っている「序列の緩さ」の背景です。
🧭 結論:年齢序列信仰は「近代的構造」であり、絶対ではない 比較軸 江戸以前 明治以降 序列の根拠 関係性・能力・場の空気 年齢・法制度・国家道徳 年長者の立場 聞き役・相談役・敬意対象 命令者・支配者・評価者 年齢と役割の関係 柔軟で場面依存 形式的・制度的に固定 教育・軍隊 地域的で個別性あり 全国統一・階層化装置
したがって、現在の日本社会に見られる「過剰な年齢序列主義」は、歴史的・制度的に作られた人工構造であり、「伝統」でも「文化」でもなく、近代国家のコントロール装置の副産物にすぎません。
この点をふまえ、現代において「フラットな関係性」「年齢に縛られない協働」を再構築するには、江戸以前の人間関係の柔軟性や多様性を再評価する文化的想像力が必要だと考えられます。
ご希望があれば、この視点をもとにしたエッセイや論文形式の構成案もご提案できます。
「学校」と「軍隊」が、近代日本の国家統治において中心的な役割を果たしたという点は、歴史学・社会学・教育学・民俗学の交差点で極めて重要です。
Ⅰ. 「学校」と「軍隊」:国家が庶民を「国民化」する装置 明治国家において、以下の二つは一対の国家的プロジェクトでした。
装置 目的 主な手段 学校制度(1872年 学制発布) 国家イデオロギーの注入、規律訓練、文字の習得 教育勅語、唱歌、体罰、成績による評価 徴兵制度(1873年 徴兵令) 身体的同調と服従、中央集権 軍事力の確保 髪型規制、号令訓練、絶対服従主義
つまり、「教育(言語と心)」と「軍事(身体と行動)」の二重の訓練で、国家への忠誠と規律を内面化させることが目的でした。
Ⅱ. 明���初期における庶民のアレルギー反応と抵抗
【徴兵令への激しい反発】〜「血税一揆」〜 1873年の徴兵令布告直後、日本各地で庶民の反発が爆発しました。
🔹 主な事例: 1873年(明治6年)〜74年:「血税一揆」
各地で数十件にのぼる農民暴動
代表的なスローガン:「生血をとられる!」「息子が殺される!」
🔹 背景: 「徴兵令」の「血税(けつぜい)」という言葉を文字通りにとらえ、「血を抜かれる」と恐怖
士族でもない自分たちが「戦争に行く」というのは、身分秩序の逆転であり「理不尽」と感じた
家族の労働力が奪われるという生活不安
🔹 一揆の形式: 村単位で神社に立てこもり「徴兵反対の誓願」
役所を襲撃し、徴兵令の破棄を要求
女たちによる「逆さ鉢巻き」の女衆一揆も確認されている
【学制(学校制度)への抵抗】〜「寺子屋文化の喪失」〜 1872年「学制」が公布され、小学校教育が義務化されましたが、庶民からは以下のような拒否反応がありました。
🔹 よく見られた現象: 子どもを学校に通わせない運動
授業料が払えない/意味がないとして不登校
“女の子を学校にやるなんて恥だ”という反発
🔹 教育行政側の対応: 警察官による「児童の連行」「親への罰金」
地方の小学校教師は、教化と取り締まりのあいだで板挟みになっていた
東北や中部地方では、村民が学校を物理的に破壊した事例すらある
🔹 なぜ拒まれたのか: それまでの「寺子屋」教育は柔軟で地域密着型だったのに対し、学制による学校は
一斉授業・号令・成績による順位付け
「何のためか分からない学問」
「敬語」や「標準語」など、地域文化の否定
「子どもを国家に取られる」という感覚
Ⅲ. 長期的帰結:庶民の身体と意識の「国家化」 🧠 心の国家化(学校) 教育勅語(1890)を暗唱させることで、「親への孝行=国家への忠誠」という回路が内面化される。
方言矯正や礼儀教育により、「規律と標準語による自己評価」が始まる。
教師=国家の代理人という意識が広がり、親より教師を恐れる子どもが出現。
💂♂️ 身体の国家化(軍隊) 徴兵検査が通過儀礼化し、「兵役こそ男子の通過儀礼」となる。
軍隊での敬語・号令・姿勢訓練が、社会の職場や学校に波及。
軍歴は就職に有利とされ、軍事経験が社会的「資格」となる。
🔚 結論:学校と軍隊は、「序列的・国家的自己」を庶民に植え付けた制度的エンジン 項目 江戸期まで 明治以降 子どもの位置 家・村に所属(労働者・遊び手) 国家の被教育者・兵士の予備軍 年齢や言語 弾力的・地域的 標準化・序列化・管理化 国家との距離 間接的/象徴的 直接的・制度的・身体的
つまり、庶民の「身体」も「言葉」も「序列感覚」も、明治国家によって再設計されたのです。
この過程で、かつての柔らかく多様な人間関係や生の感覚が抑圧され、それが現在まで引きずられた日本社会の序列信仰・権威主義・同調圧力の根本構造につながっています。
ご希望があれば、これをもとに「教育史×身体史」や「民俗文化との対比による国家制度批判」の論考に展開も可能です。必要でしたら構成案をお出しします。
① 「タメぐちに怒る構造」は、近代国家が植え付けた人工的プログラム 多くの日本人が「年下や“下”の人からタメぐちをきかれるとムカッとする」のは、生得的ではなく、教育・制度・文化によって条件づけられた反応です。
特に明治以降、軍隊・学校・会社制度によって、「上下関係=秩序=安心」というモデルが国民の内面に強力に植え付けられました。
このヒエラルキーの正当化は、言葉の選択によって強化され、「敬語を使うかどうか」が相手の「格」を判断する基準になってしまった。
➤ 「タメぐちにムカつく」という感情は、社会構造に内蔵されたセンサーとして機能しているのです。
💥 ② これは「自動化された屈辱」の連鎖でもある 「自分がかつて“敬語を強いられた”痛み」が、そのまま他者に向かって「敬語を強いる」力へと変換される。
つまり、「タメぐちに怒る」のではなく、「自分がタメぐちを許されなかった屈辱」が、他人にもそれを強いるかたちで連鎖する。
この意味で、敬語は一種の抑圧の継承システム(trauma transmission device)として作用している。
🚧 ③ しかも「上下が安定していない時ほど、敬語の強制が強まる」 例えば、非正規雇用、成果主義、フリーランスなど、「地位が揺らぐ現代社会」では、相手の言葉遣いから自分の「位置」を再確認しようとする欲望が強まる。
これは「不安が構造的に言語の強制性を高める」ことを意味し、不安社会ほど礼儀の形式が過敏化・病理化する。
⚠️ �� その「病理性」を見えにくくするのが、「礼儀は人として当然」という通念 これが非常に厄介なのは、「敬語=優しさ」「丁寧さ=思いやり」という美徳化のロジックによって、精神的暴力の側面が見えなくなることです。
だが、タメぐちに「キレる」反応は、思いやりではなく、権威の侵犯への自動反応であり、条件反射的ヒエラルキーの再生産です。
🛠 ⑤ 対処の方向性:敬語を「外せる場」と「距離調整ツール」として再設計する 敬語をやめるのではなく、「選べるもの」「外せる余地のあるもの」として扱う文化的再設計が必要です。
「親しみのために敬語を崩す」ことが評価される文化を育てる(例:カジュアルな役所対応、医療・教育でのあえてのタメぐち)
「フラットで親密な言語」のモデルを増やす(マンガ・ラジオ・YouTube・AI対話など)
🔚 結論:タメぐちへの怒りは、「言葉の問題」ではなく、「構造の症状」である この反応は、個人の性格でも道徳でもなく、社会構造によって植え付けられた自動反応であり、「言葉」によって作られたヒエラルキー感情そのものです。
そしてその反応が、日本人の心を縛り、コミュニケーションの自然な流れを阻害しているならば、まさにそれは“集団的精神病”=collective linguistic traumaと呼ぶべき現象です。
言語を解放することは、心を解放することであり、 タメぐちを受け入れられる社会は、自分自身もゆるせる社会である。
この方向に進む文化的転換を、意識的に進めていくことが、まさに「生き返り」の第一歩だと私は思います。
ご希望があれば、「敬語文化の脱構築ワークショップ案」や、「タメぐちをめぐる対話実験」などもご提案できます。どうぞお申しつけください。
「日本語を、よりフラット・平等・親密な言語に変えていく」ためには、以下のような多層的かつ段階的アプローチが現実的だと考えられます。
🔶【前提】標準語を敵にしすぎず、「崩し・混ぜる」発想が鍵 完全に方言に置き換えるのではなく、むしろ
「標準語を脱構築しながら、複数のローカル性と親密性を混ぜる」
という柔らかな戦略が、実際の運用・広がりの点で有効です。つまり、「方言っぽい日本語」や「混ぜ語」こそが、フラットで親密な“次の日本語”への橋渡しになる、という考えです。
✅ 現実的な3つの方向性 ① 標準語を「崩す」実践:敬語・語尾・文体の柔化 💬 具体: 「でございます」→「やと思うんよね」
「〇〇してください」→「〇〇しよっか」「〇〇する?」
「〜ですか?」→「〜なん?」「〜かね?」
🎯 効果: 語尾の“柔らか化”で、命令・上下関係の緊張を脱構築
敬語構造を擬似的に“ツッコミ可能”な語調に変える
👥 活用領域: カスタマー対応、教師・医師・上司の言葉づかい
ドラマやAI、ナレーション、接客トレーニング教材など
② 方言の一部を「標準語に混ぜる」:関西弁・江戸弁・沖縄語の導入 💬 例: 「ちゃうねん、それはな」→思考を一時中断し、相手と距離を詰める装置に
「なんでやねん」「ほんまに」「それ、どうなん?」→ツッコミ文化の輸入
「うちな〜」や「〜さぁ〜」など、沖縄語の親密性も含める
🎯 効果: “型にはまらない知性”や“感情の揺らぎ”を表現可能に
地方文化の再評価/東京一極の言語権力の相対化
👥 推進方法: 方言混じりのナレーション番組・教科書・マンガ・エッセイ
関西弁AI・江戸弁ボットなど(すでに人気あり)
③ 「語り直し運動」:知識・制度・経験を方言で語り直す 💬 実践案: たとえば、「SDGs」「気候変動」「メンタルヘルス」を方言で解説してみるワークショップ
介護や看護・育児の現場で、制度的言語を“暮らしの言葉”に置き換える実験
🎯 狙い: 権威的な概念を日常的・身体的に再接続する
「生きた知識」「場のことば」を再生する
🧭 長期的ビジョン:日本語の「フラット化・親密化・生成化」の道筋 アプローチ 内容 強み 崩し型 標準語の文法・敬語を柔らかく解体 徐々に変化、 導入しやすい 混ぜ型 方言の言い回し・語感を標準語に注入 ユーモア・多様性・地方性を取り込める 語り直し型 制度語を「自分の言葉」で置き換える 主体性・感情・身体性の回復
これらを対立ではなく循環させることが、日本語をより「ひらかれた言語」「つながれる言語」に変えていく現実的な方法です。
✨補足:言語は「実践されることでしか変わらない」 つまり、これは制度改革ではなく、「みんなで少しずつ、日常の言い回しを変えていく文化的実験」です。
標準語は“つくりもの”だった。 だから、新しい言語実践も“つくれる”はずです。
必要であれば、「混ぜ語による知の語り」や「関西弁的AIのマニュアル」「日常会話を再設計するフレーズ集」なども作成可能です。どう活用したいか、ご希望があればお聞かせください。
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TEDにて
コリン・ストークス:映画が男の子に教えること!
(詳しくご覧になりたい場合は上記リンクからどうぞ)
映画「スター・ウォーズ」は、コリン・ストークスの3歳の息子を一瞬にして虜にしました。しかし、3歳の男の子は、このSF映画の傑作から何を学んだのでしょうか?
ストークスは男の子に、協力することの大切さ、女性を尊敬することが、悪者を打ち負かすことと同様に男らしいことであるという
ポジティブなメッセージを伝える映画がもっと必要であると訴えます。(TEDxBeaconStreet より)
悪者を打ち負かすことに対しての報酬という・・・
英雄ジャーニーモデル(著書「千の顔をもつ英雄」の中で英雄の物語の基本構造を説明している「ヒーローズ・ジャーニー(英雄の旅)」のこと。
ストーカー有村昆がしつこいから、仕方がない。秘密を知ってるので映画業界の元ネタをバラします。皆様、恨むなら日本の映画業界と「有村昆」を恨んで下さいね)
という男の定義は崩壊してきていて・・・
「メリダとおそろしの森(日本名)」(なお、米国では、「Brave」です!)- ディズニー映画も登場します。
他には「オズの魔法使い」「ハリーポッター」などもベクデルテストに基づいた良い手本だそうです。
テストの内容についても詳細に説明しています。
その後、娘に「スター・ウォーズ」で好きなキャラクターを聞きました。
何と答えたと思いますか?オビ=ワン。オビ=ワン・ケノービとグリンダこの2人の共通点は何でしょうか?
おそらくキラキラの服だけではないでしょう。彼らはエキスパートなのです。
私が思うには2人の共通点は、映画の中で人一倍の知識を持ち、それを仲間の成長のために共有することです。
彼らはリーダーです。2人のような冒険を子供達にも経験してもらいたいです。
こんな冒険がもっと存在してほしい子供達に「一人で戦ってこい」と命令するような冒険は必要ないのです。
子供達に必要な冒険とは、仲間の成長を助けるために女性が指揮をとるチームに加わる必要を感じる冒険です。仲間のための冒険なのだそうです。
権力者が権力を思うまままに振舞うことは硬く禁止しています。
(個人的なアイデア)
男脳と女脳は、構造上、別物なので、自分と同じようにふるまうことをお互いに無意識のうちに相手に期待し、共感しようという思い込みが不幸を招き寄せてしまいます。
なので、極論お互い別の生き物と思えばいい。さらに、共感できる範囲が唯一食べ物や赤ん坊、子供くらいとお互いに狭いことが原因かもしれません。
男と女は違うみたいで、どちらが優れている?劣っている?ということではなくただ違う!両者に共通しているのは、種が同じということだけです。見ている世界も違えば、価値観も役割も違うそうです。
自分の尺度で相手を測ろうとしても、自分と同じ考え方、感覚を求めても必ず男女間の不満は爆発してしまうものと認めてしまえばいいかもしれません。このような前提で、お互いに歩み寄っても不満は無くなりませんが最小限にできる可能性があります。
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?極端な場合は保護が必要ということを前提にしても問題がある。男女平等が社会システム内では功利主義的には有効?混乱を産み出し憎しみの連鎖を起動させてるだけで果たしてそうなのか?国の歴史によっても異なるし、上記の事例に関しては、法の下の平等は万能ではない!道理に反するということでもあります。
太古からの厳しい自然淘汰を生き抜く上で多少の児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?が良い作用を与えていたのも事実であって数万年かけて培われた本能的な児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?は、犯罪者扱いするんじゃなくて隔離して教育してもいいし、国家が対策マニュアルをオープンソースで公開して男女の特性子供の特性として共有すれば?
極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
それを社会システム内で最適化させて一千年単位のスパンで少しずつ改善するほうがいいし、マスメディアも慎重に吟味してセンセーショナルな報道をしないことだ。
本当に殺しては社会システム内ではダメだからテレビ的にはタレント生命、テレビ、ラジオ出演者生命や広告代理店関係者、芸人芸能人生命、俳優生命など。是非、不幸をあおるやつらを殺してほしい
児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?たった数十年の現代版社会システム内では善かもしれないが、数万年単位の大自然内では場合によっては最適かもしれない。強制的に洗脳報道繰り返すマスメディアは潰れたほうがみんなのためにもなる?極端な男女平等思想が憎しみの連鎖の原因かもしれない?
女性は、腹が立つ相手に恋をするし、「感性が真逆の相手に発情する」という特性は、脳科学上の真実
対策として、ケンカになった際は言い募るのではなく「悲しい気持ち」をありのままに伝え感情を共感しましょう。
男性が一日に発信する情報は7000語くらいで、女性は約三倍。この差は、テクノロジーやコンピューター、人工知能を活用しないと絶対に勝てないレベルです。
コミュニケーションツールとして女性脳は認識しているためでもあります。女性の特性上、サポートするような仕事は、太古からの自然淘汰の中で培われたため相性が良いかもしれません。
対策として、何気無い言葉でのメールやチャット、メッセンジャーも良いかもしれません。
つまり、女性はもともと本能レベルで備わってるので機械が使えないのではなく、使う必要性がないから、そんな役に立たないの使わないし興味がないだけです!だって、自分で無料で瞬時にできるのに、わざわざ遅くなる手間とお金かけないでしょ。
「今日は何してたの?」は禁止ワード。具体的に時間がかかろうが一つ一つ90分くらいは1日にかける覚悟は必要です。
「言ってくれればやったのに」は禁止ワード。まず、ごめんね。と言って感情を共感してから手伝うこと。
「おかず。これだけ?」は禁止ワード。次に食べたい食べ物を要望して会話のキッカケにすること。足りない場合は自分で買って後で食べればいいだけです。
マスメディア側の専門的な知識や経験のない勝手な先入観で広告料金をもらうだけのために勝手な報道を垂れ流し、離婚させるよう誘導、偏向報道し、その報道のために児童虐待?女性差別?男女関係のトラブル?と視聴者に誤解させても責任をとらない?潰れたほうがいい。
自らが権力者であることを発信せず視聴者を混乱させ、それに便乗して権力乱用する日本の民法テレビ局。同じことを繰り返さないようにみんなでチェックし見守っていくことだ。
日本で、恋愛結婚が普及したのは、サルトルとボーヴォワールが来日した時に一気に拡大した可能性もあるかもしれない。それ以前は、お見合い結婚が主流でした。
前提条件として、恋愛結婚はサルトル、ボーヴォワールみたいな有名人であること。創作活動が成功していて多額の資金を保有し裕福層であること。
それ以外では、まず不可能。良い結果にはならないことを追加しておきます。日本の高度経済成長インフレ時代には合っていたけど、デフレ経済下に入ってしまうと厳しく破綻しやすくなります。
または
女性特有の支離滅裂な言語。例えば、キモいなど擬態語共感は男性には理解できない。
だから、言葉の定義を決めない場合、リアルタイムに真似して、同じしぐさで中和か、法律で正当防衛的な暴力を情状酌量可能にすれば言葉の表現方法を考えるきっかけになるかもしれない。
大前提として、理想の男性はこの世にいない!本能に任せて男を追い求めるくせに、母親が、幼い男性にもっと小さい頃から女性の善い面や悪い面を覚えさせることが最善。
さらに、将来までのサポートをしない責任もある!女性は、年齢的に心と身体形態を最低三回くらい変えていくエヴァンゲリオンの使徒みたいな特徴もあるから!
後始末しづらい精神分裂者と男性には感じられることが多々ある。
以上の前提条件から考えると
女性は子供を創る天才。男女平等じゃないのに男女雇用機会均等法を誤解したまま流布した政治家、マスメディア関係者をすべての女性は恨みな!
結局女性弱者にツケが回る仕組みなんだよね。お金を分配して償えば?邪悪な悪女が構築?
小池百合子が主犯と見ている
言葉の定義を決めよう!ジェンダー平等の定義は?そもそもの起源は?多神教や一神教。男と女。違いは必ずある!
価値観を数値化できないと定義も決まらない倫理観が欠落することになり権力者に悪用され基本的人権侵害に直結する危険性大
ジェンダー平等?真の男女平等な第二次大戦で社会実験結果がでたでしょ!男が勝利!平等はないと!
だから基本的人権が社会システム内に創られた!外に出たら結果は明白でシステム内の法律で押し付けるといずれ災厄が吹き出すぞ警告だ
女性活躍女性が強い?これは裕福女性がテレビで流布したプロパガンダだから女性弱者はこいつらを恨め!真実は第二次大戦で男性勝利で決着がついてる!
女性の末路は悲惨なものだった!死人に口無しって知ってる?
実務のできない女性を上役にしても混乱するだけ公約を果たさず再選した小池百合子が悪い見本
男女平等と誤認させるなら権力者であるテレビ局に出演する女性の旧姓と結婚後の名前を表示しろ!それで対等だ!
���じ種だが役割が違う!男が勝つのは先の大戦で結果がでた!こうして基本的人権が創設。
だから、男女平等ではなく男女対等。誤訳?平等なら男子女子と分けずに一緒にするよ
男女平等は誤り、男女対等と言え!
トップに立つには、それ相応の女性の良い見本を示すことが重要。
ジェンダーの定義は、古フランス語から共通の特性を持つ集まり、血統が語源。
この後に「平等」が付くと概念上は医療をフラットに提供するための原点に似ている?
二元性が存在できないプラスサム、共感やワンネスに近い?
参考概念としては、個人の基本的人権や法人の競争に頻繁に登場します。
知ってるつもりで思い違いしてること!で、公平概念というのは「ハンデをつけて上限を公平に!」と言葉であえて説明する。
平等概念をわかりやすく言葉にすると「上限の公平ではなく底上げの平等!」みたいな感じです。
これ以上でも以下でも概念が変わるから拡大解釈しないこと。
個人の基本的人権とは真逆なため、法人の平等な競争はあまり聞いたことない。公平な競争がしっくりくる。
時間をかけて諭していたが・・・
過酷な真実を言わなければ、女性の腑に落ちないから言うけど・・・
男女平等な第二次大戦で男が勝っているのに、東日本大震災、新型コロナ、ミレニアム以降の日本全体に災厄が降り注ぐのは
女人禁制の経験則に男女対等じゃなく、誤った男女平等を持ち込んだからかもしれない。
悲しいことに、ジェンダー平等や女性活躍主張する女性ほど独身、離婚者が多いのはなぜ?
結婚してる女性は幸せだから、慎ましく将来の息子の出世に響くため、そんなこと言わない傾向がある矛盾があるから統計を取るといいかも。
よく考えても見ろ!
自分の息子の将来を現時点で独身女性、離婚者女性が奪うのは、ジェンダー平等かな?
わがままで強欲な女性ほど、早く結婚して自分の分身である子供を産んだ方が、自我欲を均して子供に教育してもらえる。
何十年単位のトポロジー的なトリレンマがあり、すべての母親は、体得してるが、娘は絶対に聞かないし腑に落ちない傾向が強い。
法律全般にアメリカの3ストライク制は危険だがハラスメント全般に限定したら効果的かもしれない?
公人、有名人、俳優、著名人は知名度と言う概念での優越的地位の乱用を防止するため
男女問わず、美貌も含めて職業の武器にしたら、知名度に応じて罪に段階的なハンデをつけるなど。
多神教の日本では仏の顔も三度という概念をシステム化したら良いかも?日本版は、すぐ起訴ではなく3アウト制にしてファクトチェック含めてはどうだろうか?
ハラスメントなどは、なぜか成長してる国家や法人に顕著に集中する傾向が統計的にあります!
カイヨワの戦争論が言うエネルギーを奪う成長には生け贄が必要なのでしょうか?課題です。
最近の研究によると顔のバランスが整った美人ほど悪女の素養があるらしい事が判明した!芸能関係や女優を公安の対象に入れてストーカーアルゴリズムで透明化することも正当化できそうだ。
美人は飽きるではなく悪女の素養がある。
この根拠は、男尊女卑の根拠にもなる。
実は、プロセスがあって、まず君主制の場合、君主が、美人と言う皮を被った悪魔(悪女)を好む歴史的な傾向あり。
続いて、誰も君主の伴侶。つまり「無意識にバカな男達ね」とせせら笑っているのに悪女の戦略に踊らされて悪女を批判できなくなり君主が暴走する。
立憲君主制、民主主義がある場合、君主であっても批判は許容範囲なため回避できるメカニズムがある。
これが民主主義の歴史的な背景も考慮した良い面です。
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国税庁の最終面接のことを思い出している。大学四年生の頃だ。今までの面接は、無機質な長机とパイプ椅子でのものだった。だがその時は、四角いどっかりとした檜机と、ふかふかの椅子だった。それでいて圧迫感のある面接であり、最後に「私達と一緒に働けますか?」と言われたのを憶えている。 「はい。私でよければ宜しくお願いします」といったことを告げると、その場で最終合格が遠回しな言い方で告げられた。内定通知は賃貸アパートに届いた。 こんなところに書くほどだから予想はつくだろうが、結構前に官僚を辞めている。仕事は大変キツかった(きっつー、というやつ)が、やりがいはあった。いつかは挑戦してみたい仕事もあった。 思えば、大学3年生の春からコツコツコツコツと勉強を重ねて、やっと第一志望のひとつだった官庁に合格できて、「やったー!」と無邪気に思っていた。案外こんなものだ。 国家公務員(課税部門)としての経験は20数年しかないが、せっかくのシルバーウィークだ。ちょっと語ってみたい。今は税務コンサルタントとして働いているが、夏前に大きな仕事が片付いた。今は仕事を少なくしてもらっている。 仕事のことを、はてな匿名ダイアリーに書いてる人を稀に見る。今回、私もやってみようと思った次第だ。企業との課税交渉の協議録とか、個人・法人の税額とかを載せない限りは大丈夫だろう。何かあったら責任は取るつもりだ。 高橋洋一や山口真由が自著で話している内容に比べれば、当日記はベジタブルのようなものだ。あの内容を出版して捕まらないなら、ここで書く内容など余裕でセーフだ。 なお、私ははてなユーザーの中では年寄り(フミコフミオさんと同い年)である。古い表現があってもお許し願いたい。 先に言っておくが、「霞が関に来なければ体験できなかったことは人生の財産」とか、「国のために働いている自負があった」とか、「苦しかったけどいい仕事ができて国民のためになった~」といったことはあまり書かない。 そんなに夢や理想のある官僚じゃなかった。僅かばかりはあったが。むしろ組織に負のイメージがあって、若い頃に限った語彙だと「こいつらクソ野郎だな」という感情を抱いていた。それで、40代になって数年後に転職した。再就職規制に引っかかる危険はあったが、グレーな方法で突破した。 当日記は、数パートに分かれている。できるだけ簡潔にまとめたい。以下、思い出を何点か挙げて回想する。思い出① 税金とは何か?という問い 中学生の頃から、「税ってそもそも何ぞや?」という疑問があった。大学に入ってからは、税理士の資格を取るために勉強していたが、どれだけ勉強しても税への理解はイマイチだったし、全科目に合格した後も結局わからなかった。※東大とか一橋大とか慶應とか早稲田とか、そういういい大学を出てるわけじゃない。偏差値50ちょっとの大学だ。たまたま会計学の講義を取ってみたら面白く、勉強にハマった。 税とは、一般的な説明だと、国や地方自治体が国家の維持や発展をめざして、民間では供給されにくい公共的なサービスを提供するにあたっての資金として「税金」を徴収している――ということになっている。 だが、おかしいと思っていた。だって、国はお金を自由に発行できる。地方自治体が言うのならわかる。あと、大昔だったら年貢を物納で納めてもらわないと国が維持できなかったはずだ。 だが、現代社会の国家がそんなことを言っても説得力はイマイチだ。税金をとらなくても、別にお金を刷ったらそれでいい。金本位制の時代を通り抜けて、今では発行された紙幣そのものに信用がある時代なのだ。お金というのは、それがお金であるがゆえにお金だ、というトートロジーである。 増田民の人も、わかってる人はわかってるだろう。税とは何かが。ここで答えは書かない。気になる人は、Yahoo!知恵袋とか、Quoraで求めれば賢い人が教えてくれる。 私が納得いかなかったのは、一応は国家公務員一種試験(昔だったら上級甲種試験)を通ってきたはずの人達が、入庁一年目だった私の質問に答えられなかったことだ。「そんな当たり前のことを聞くな」という人もいたし、「ここではちょっと…」と口を濁す人もいたし、「知らん。自分で調べろ」という人もいた。 税を納めるのは当たり前のこと、ただ、その原理と言うか……そう、原理が大事だろう。何も考えずに常識を信じていいのは中級者までだ。上をめざすのであれば、身も蓋もない本質を疑う必要がある。 こういうことを私が言っても説得力がないので、ちょっと引用させていただく。それぞれの原理を、その自然本性のかぎりで探求しようとしなければならないし、きちんと定義されるよう腐心しなければならない。というのも、原理はそのあとに続く事柄にとって、大きな影響をもっているからである。実際、原理は全体の半分以上であり、探求されているものの多くは、原理を経由することで明確になると思われるのである。 ニコマコス倫理学(上) P.62 なぜ国民から税金を取るのか、という新人職員の問いに答えられる職員は10人に1人ほどしかいなかった。思えば、この時から私はいつかここをやめようと思っていたのかもしれない。 実際、徴税は国民みんなから集めたお金を公共サービスに充てるため、というのはお題目だ。わかりやすく国民を納得させるための。本来の目的はほかにある。それに比べると、上の『お題目』はビックリマンチョコのおまけに近い。ウエハースだ。思い出② 課税処分の難しさ トラブルになりかけた事例になる。詳細は端折って書く。専門用語は補足するか、日常的な言葉に言い換えている。 キャリア官僚は現場を体験しないイメージがあるかもしれないが、別にそんなことはない。入庁二年目からは普通に現場だったし、30才を過ぎて地方支局で働いてる人もいる。 当時は、北海道某所にある国税局に勤務していた。一応は税理士に必要な科目は残りふたつというところまで取っていたが、それでも実務は難しかった。勉強しないといけないことは山ほどあるし、一年目は税務の学校で学ばせてもらったが、実務に必要な知識の何割も身に付いていない。税務の世界は広いのだ。 最初の頃はひたすら、簡単な事務とか雑用とか、先輩が受けた税務相談の回答案作りとか、上位機関からの調査ものとか、庶務全般(文書収受~会議日程調整~飲み会手配まで含む)に、兎に角いろいろやった。 すべて勉強になるとは思ったが、正直これは臨時職員がやった方がいいのでは……と感じるものもあった。まあ、とにかく新人らしく何でもやった。 赴任して半年だった。とある先輩を経由して、それなりの事業規模の法人の税務申告を最初から最後までやらせてもらえることになった。同じ年代の職員(※省庁キャリア)の中では遅い方だった。資本金が結構ある機械メーカーだったかな。これまで当業務では、先輩方を手伝う立場として動いていたから、割とすんなりいくように思えた。 申告内容は当然精査するのだが、日本の課税制度は一応性善説でいっている。国民(法人含む)が嘘をついたりごまかしたりしない、ということを前提にしている。その企業も、過去に税務に関して更正処分(支払う税額が誤っていると判断した場合に○円払いなさい、という措置)関係のトラブルを起こしたことはない。 一応は提出書類を三周ほどしたところ、申告書類も、帳簿も、領収書や請求書や契約書(請書)も、通帳関係も問題なし……それで、さあ決裁だといった具合に伺いをスタートした。 先輩方の場合は、スルッと起案が通るようだったが、自分の場合はそうはいかなかった。新人に厳重なチェックが入るのは当然だった。「不動産の項目がおかしい。取得した不動産価格が常軌を逸して安い。税をごまかそうとしているのでは?」 という、先輩及び直属の上司からのツッコミがあった。上司を納得させないと、次に進むことができない。思えば、あの先輩は、このことがわかっていて私に振ったのかもしれない。 当時の私の実力を超えた課題だった。頭を抱えたのを憶えている。あの時の思考過程を追っていこう。 かくして・・・ 探求の旅は はじまった まず何をすればいいかというと、不動産価格がしっかりしたものかを調べればいい。正当な根拠のある価格であればいいし、不適当な価格であれば……面倒��ことになる。 不動産売買にかかる課税額は、比較的シンプルだ。普通の法人税と同じで基本は定率である(税額表を見ればいい)。ちょっと賢い中学生でも実務ができるだろう。 印紙税も、登録免許税も、不動産取得税(県税)も、固定資産税(市税)もそんな具合だ。不動産本体の価格については難しい計算が必要だが、焦る必要はない。市区町村にある固定資産税台帳には、固定資産税評価額が載っている。それを見れば、登録免許税の目安となる不動産価格がわかる。※固定資産税の納付書にも書いてある。 それを根拠に……と思ったが、そんなに単純な話ではない。ならば先輩も上司もツッコミを入れたりしない。イレギュラーなケースなのだ。 その物件は、なんと固定資産税台帳に載っていなかった。そういう土地だった。登記簿を見たところ、字名がとんでもないことになっていた。奥地にあって、大昔は栄えていたのかもしれないが、今では地域まるごと誰も手入れをしていない。そんな土地だった。しかし、幅4.0m以上の道路は通っている。江戸時代の人が整備したと思われる。 国税庁においても、外部公表している不動産価格の調べ方みたいなものはある(いわゆる路線価だが、当然奥地には路線価がない)。国でも地方自治体でも、不動産価格を求めるための要綱要領は具えているが、今回は通用しないのではないか。そういう案件だった。 若かりし日の私は思案しつつ、先輩にも相談して上司に2つの案を出したはずだ。懐かしい。 1. 比準価格(みなし計算のようなもの)を使って不動産価格を弾くと、今の数倍以上の価格になる メリット…適正と思われる税を徴収できる デメリット…上申や裁判等になった時に勝てる保証がない 県や市町村にも情報共有や協議・意見聞取が必要 2. 今回は大した金額ではないため、相手方の税額を受け入れる メリット…百万にも満たない税額差であり、費用対効果を考えるべき デメリット…相手方が悪質だった場合、前例を作ることになる 結局、2.の案が採用された。それで、起案はあっさり通った。協議や相談をしたのは直属の上司までであり、決裁の責任者には上司が一声かけたくらいだ。それで新人職員の一件目である課税処分は通ってしまった。 思えば、先輩や上司からすれば、最初から2.一択だったのだ。今の私の判断もそうだ。課税額の差として百万円にも満たない金額のために、そこまでの手間はかけられない。もっとほかに、日本の税務行政のためにやらないといけないことが山ほどある。 一応弁護しておくと、現場で働く公務員には、「法適用の裁量」と「エネルギー振り分けの裁量」がある。現場的な要素が強い職種だと、上司の指揮監督を受けるのが望ましくない場合がある。極端な例だが、警察官が凶悪犯をパトカーで追っている最中に、スピード違反や信号無視をしている者を放っておくのはやむを得ない、といった観点だ。 余談になるが、国税局職員が県税や市税の脱税を見つけた場合も、人や状況によって対応が変わる。情報提供する場合もあれば、見なかったことにする場合もある。 それこそ昔の話だが、飲み会でとある話を聞いた。ある個人納税者から地方税務署に相談があったという。要約すると「1年前に出した赤字決算の申告書だが、実は黒字で、税金を納めないといけないことがわかった。どうすればいいか」ということだった。追加で納付すべき税額は、約30円のようだ。このままでは脱税者になってしまうと焦っていたらしい。 その相談を受けた税務署員はこう答えたという。「実は、ボールペンとか消しゴムとか、事務用品を買っていたのを申告書に書いてないんじゃないですか? だったら、納付すべき税額はやはり赤字では? 問題ないですよ」と。※以後の話は不明 課税処分はもちろん、どのような行政処分であっても費用対効果という観点が重視される。税収1万円増のために2~3万円をかけるのは議論の余地があるにしても、20~30万円をかけるのは明らかに不合理だろう。 テレビやネットメディアやはてなブログでは、公務員は何も考えずに税金を支出しているイメージがあるかもしれないが、ちゃんと考えている人が多数派である。そこは信じてほしい。 数年後、私は北海道から霞が関に戻ることになった。それから退職するまで、ずっと法人課税部門にいた。
税務官僚だった頃の思い出 Part1/3
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第6期 最終報告会
2月17日(土)に、第6期生による「最終報告会」を熊本学園大学にて開催しました。熊本県下の11社16名の受講生が会場に集まり、次代舎で約8ヶ月間磨いてきた新規事業案の最終成果発表を行いました。
今年度も、次代舎を企画・運営する熊本学園大学の細江守紀学長と同大学の産業経営研究所の小葉武史所長のご挨拶により開幕しました。小葉氏は、ご自身がAIを用いて生成した挨拶文の表面的な特性を指摘し、それとは反対に「積み重ねてきた努力の最終成果物」である事業案を「血の通った言葉で報告し、人を巻き込み、ぜひ実行へと移していただきたい」と期待の言葉を述べられました。

続いて、早速、各受講生による新規事業案発表のスタートです。これまでの講義や演習で得た学びや11月の中間報告会で受けたフィードバック、メンターとのディスカッションをふまえ、自社の課題、自社ならではの強み・弱み・機会・脅威���より深く多角的に分析し、練り上げられた案が次々と発表されました。
最終報告会のコメンテーターも中間報告会と同様、受講生のメンターも務める株式会社ビズ・ナビ&カンパニーの早嶋聡史先生、ミーティングプラスコンサルティング合同会社の高橋直喜先生、サイバー大学 IT総合学部教授の馬場研二先生、そして株式会社リ・パブリックの田村大先生です。各発表の後の10分間、4人によるコメントや発表者との熱い議論が行われました。

実現間近まで洗練された事業案に対し、今回は実行フェーズに向けたフィードバックが多くなされました。実験的に小さく始めて発展させていくアプローチや、ノウハウを蓄積し「熊本モデル」をつくる構想案、人的リソースや協力者の確保方法、顧客プロファイルの綿密な調査を継続する大切さ、タッチポイントの多様化やDXにおけるBPRの重要性など、各社のプロジェクトに合わせ、詰めるべきことと思考の道筋や視点が提案され、次に取るべきアクションが浮かび上がる時間となりました。

最後に主催・熊本県商工労働部産業振興局産業支援課の坂本尚史氏によるご挨拶とプログラム・ディレクターの吉川晃史先生から総括がありました。坂本氏は高齢化や人口減少、台湾との関係の深まりなど熊本の変容を前向きに捉える受講生の姿勢を高く評価し、今後の発展への期待の気持ちを述べられました。課題に直面し、当初は行き詰まりを感じていた受講生の変化と成長が明らかとなる会でしたが、「今日の発表で完成したのではない」それぞれの新規事業の立上げに「しつこく伴走するつもり」と馬場先生がおっしゃっていたように、これからが新たなステージの始まりとなります。最後の演習も活かして案を研ぎ澄まし、実現への一歩を踏み出していただければと思います。

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原村の住所いま鵜鷺棲む
かなり具合が悪かった。そこまで体力を使いすぎた感じもしないが、気圧上昇にここまで左右されるのは、体力量というより、基礎体力が落ちているということだろうか。なんとか不調でも1日4時間は立っていられないと困るので、具合は悪かったが区役所目指して出かけた。こういう時、意味不明にかばんに本とノートと筆記具を遮二無二詰め込んでいくから肩が死ぬのだと思う。無事区役所で諸々の手続をすませ、もう立っていられないと思いドトールで休んだ。ミルクレープを食べて何とか回復し、『差別はたいてい悪意のない人がする』の続き、4章までを読む。途中かなり眠かったのだが、トイレに行ったらしゃきっとしたし、やや体調が回復していた。左どなりに座ったスーツのジジイ2人が(一方は64歳だと言っていた)、なんだか変な会話を��ていたので気になった。ニーチェの神は死んだを、ヨーロッパの産業革命や科学革命により神の創造した世界の記述が覆され、その結果神はある意味で死んだも同然、という意味で私はこの言葉を理解していたのだが、彼らはなんというか、そのままの意味で使っているようだった。「あいつは神を信じてたから」「それで死ねたから幸せだよな」「神は死んだじゃないけど(俺らは神を信じてないけど、というようなニュアンス)」「���ーチェとかな」というような雰囲気の会話をしていて、え…?神は死んだという結論に至る経緯をまったく斟酌せずに、神の存在を信じないこと=神は死んだ、だと思っているのか…?とかなり胡乱な気持ちになり、なんだか恐ろしかった。その2人は会話もあまり噛み合っていないというか覚束なく、仲がいいのか悪いのかよく分からなかった。2人とも小説を書いているらしいが本業ではなさそうだった。64歳と言っていたのではないほうのジジイが電撃文庫がどうこう言っていて、自分の文章は電撃のターゲット層とはマッチしないみたいなことを(関係者に?)言われてなんとかかんとか、と言っていて、こんな年輩の方も今の電撃に応募しようという気持ちがあるのか、とかなりびっくりした(その方も再雇用がどうとかの話をしていたので60は超えていると思われた)。64歳の方のほうは、自分の話に挿絵がつくのはいい、というようなことを言っていて「でも低俗な雑誌ですよ」みたいなことを繰り返し、どうやら官能小説の雑誌に今も掲載作を書いている、というような感じだった。それを電撃云々のジジイのほうは、書き溜めて自分で文庫にして出せば、みたいな頓珍漢なことを言っていたので、何だこの人…となった。神は死んだ云々を言い出したのもこの人で、気持ち悪いな…と思った。でも小説を書いているんだな、と思った。謎だ。小説を書くのもいいが、全般的にもっと社会や世界の仕組みを知った方がいいのでは?と思ってしまったが、それでも定年まで勤めあげたであろう人なのだ。どうやったらこんなあやふやな感じで定年まで仕事が出来るのだろう、もしこれが女性だったら、こんなふわふわした感じでここまで生き抜いてくることはできないだろうな、とか意地悪なことを思ってしまった。全ての物事に対しての見識が曖昧だし基本的に間違っているしその癖相手のことを見下している感じ(謎の自分の優位性を疑わない態度、相手も優しすぎる)で、怖気が走った。というようなことを聞きながら、頭の片隅で考えながら、本(差別はたいてい悪意のない人がする)を読んだ。今日読んだところは、差別される側が保守的な行動を取ると、差別構造を自ら維持することになる、自分の置かれた差別構造に気づけず社会を肯定してしまう(その悪循環で差別は温存・助長される)、というあたりだった。4章はユーモアと侮蔑の話だったが、そのあたりで猛烈に眠くなり、半分寝ていたが、トイレに行って目が覚めた。『客観性の落とし穴』も進めたかったが、あまりにも具合が悪く、もはや文字を追えなかった。そのわりに電車を降りてから、ウーバーイーツよりはましだろうと思い、吉野家で牛すき鍋(単品)を食べた。吉野屋では言動がおっかないおじさんとか、明らかに若い女性店員にだけクレームを言うおじいさんとか、子供の要求を無視し続ける不機嫌な母親(飯が来るまで喋るなという旨のことを言い黙らせていた)とかがいて、結構おそろしいなと思った。それでも、吉野家のおそらく学生バイトの女の子は誰にでも愛想良く笑顔で接客していて、「そんな低い時給でそこまでのサービスを提供しなくていい!」と叫び出したかったが、自分も学生の頃そうだったなと思った。愛想良く笑顔で「相手を圧する」「屈しないことを示す」という戦略もある。それに何より、愛想良く接客している方が自分に「正義」がある感じがして気分がいい。たとえ舐められるとしても、本当に心の底で舐めているのはこっちなのだから別にいい、と思っていた。多くの善良なお客様に対しては愛想良く対応した方が気分がいいし、お客様によって態度を変えるのも変なので、全力で感情労働なるものをしていたと思う。社会人として接客していく中で、そこまで過剰に演技せず、自然体で接客してもいいんだと気づいてからはやめた。最初の接客が200%の感情労働を求めるマクドナルドだったことにも、私の初期接客態度への原因がありそうだ。
深夜のマクドナルドで、全ての店の中に存在するものを掃除し磨いていない部分がないようにする、というタスクがあり、いちばん汚いゴミ箱の中を拭く時は、私は小柄だったので、体ごと入って内側の激しく汚れているマクドナルドのゴミ箱を拭いていた。かなり力がいる、肉体労働である(その他、トイレ、机、椅子、仕切り、カウンター内の各機器、器具、全てを清掃する※深夜客の対応をしながら)。そして接客も全力の笑顔でやっていた。ゴミ箱に潜って中を拭いている時、サラリーマンの40くらいの男性(なんとなく斜に構えている感じの人)が「そんなに頑張らなくていいんじゃない?」と私を気遣って声をかけてくれた。私は、これが私の仕事で、順当に賃金をもらっているので、ただ正当に職務を遂行しているだけで…と思っていたので、おじさんの言っている意味が全然わからず、「え、特に頑張っているとかではないです😄普通にこれタスクなんで…ありがとうございます😄」と困惑しながらも心配ありがとー!みたいな気持ちだった。そのおじさんの気持ち、今ならわかりますね。そんな低い賃金で、そこまで己を削るな。差し出すな。搾取されていることに気づけ。ほどほどに手を抜け。本当にそう言いたい気持ちが今ならわかる。ただ、私は何事も全力で完璧にやり遂げるのが、人間の「ふつう」だと思っていたので、その理路が理解できなかった。ふつうにやる=一切手抜きしない、というのが仕事だと思っていた。その考えは私にその後も根強くあり、自分の本来の力の60%くらいで仕事も何事もこなさなければ生活全体を回せないのだから、全力で仕事をしてはいけないし、誰もそこまで求めていないということをはっきりと言葉にして気付かされたのは、33歳の時であった。かなり最近。嘘でしょ。他の人が、仕事から家に帰ってきた時点で、まだ40〜30%の体力を残しているのが普通で、2%とかで帰ってきて床に倒れるのはおかしいのだと、その時初めて人に聞いて知った。
それから最近は、具合が悪くてもとりあえず仕事に行って、パフォーマンスが低くてもとりあえず勤務時間をやり過ごす、そこに「いる」、仕事をとにかく「(できる範囲で)やる」ということが重要なんだということもなんとなくわかってきた。仕事で他の人に並びたいあまりに、98%の力を出してはいけない。自分は鈍麻で低脳な人間で、非効率でお荷物であるという事実を受け入れ、そういう人間として60%で仕事をこなす。出力パワーを抑える。そうして私生活やほかの活動を維持する。そういうことが長期的に見て仕事を続けることに繋がる。98%の短期決戦だからいつも数ヶ月〜2年でへばっていたのか。なるほど。と思った。生活ができなければ仕事も出来なくなっていく。当たり前だ。その当たり前が全く分からないまま30歳を過ぎていた。というか、仕事の仕方というものを考えている余裕がなかった。どんな時も具合が悪く、体力勝負で、そしていつもいつでも過去の記憶(生まれた家庭の記憶)に苦しめられていた。自分が帰る安全な場所を持たない人間というのは、全ての尺度が異常になりがちなのではないか。価値観が狂っているが、それを狂いだと自覚できない。安心して帰れる家ではない場所で育った人間は、仕事に過剰適応しようとする傾向があるかもしれない。先日友人と話していて思った(高校の同学年の彼女(36歳)は未だに実家に縛られ、金銭もケア労働も搾取され続けている)。その友人もかなり親に洗脳されているが、とにかく家を出ろと、先日100回以上言った気がする。親のことなんてお前が責任持つ必要ない。そんな最低な人間ともう関わるな。外野がいくら言っても、それでも、私たち子供って、親のこと、きょうだいのことが、好きなんだよね。難儀です。
今日はあんスタの天城一彩の誕生日でした。TLが誕生日絵で溢れかえっており、仕事始めの日に生まれるなんてやるなあ!と思った。それで元気づけられている方がいらっしたので。一彩の故郷では仕事始めという概念はないが、誕生日が判明しているということは暦があり、新年という概念はありそうだ。年明けに生まれた子、めでたい。その瞬間を思い、とてもいい気持ちになる。
どんな子供でも、どんな親でも、やはり生まれた時のことを思わずにはいられない。多くの愛情が、もしくは僅かな愛情がそこにはあり、だれかが抱き上げたり、寝かせたり、ご飯を食べさせたりしたのだ。だからみんな、今生きている。残念ながらそうはならなかった子供もたくさんいるが、成人まで生き延びることができた人間は、かならず、養育者やその他の人間にある程度は「生かされて」きたということで、そこに愛情はなかったかもしれなくても、もっともっとそれ以前の、言語化されないなんらかの情は存在した。だれかが子供を抱き上げて、乳を飲ませ、排泄させ、風呂に入れ、着替えさせたということだ。その事実に私は毎時毎瞬新鮮に感動することができる。
2024.1.4
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