#1人暮らし名古屋
Explore tagged Tumblr posts
Text
微笑ましい夕方のこと
バスでの微笑ましいエピソードです。高校生一緒になり会話が聞こえてきました。1,2年生ほどでしょうか「大学どこにするか考えている?」という会話が聞こえてきました。有名大学の名前も聞こえてきていましたが そのうち「一人暮らししたいよね」なんて嬉しそうな声のトーンで「部屋のインテリアとか可愛くしたいよね」そうそう、と会話はとても盛り上がってきていました 「でもさ、人見知りだから隣の人とか住んでると気になる」「都会だと、さっぱりしていて関係ない感じだよね」「大阪は、どうかな」などと 友人と未来を想像しながら、何が自分に合っているのかきちんと思いを口にすることができることに感動していました。 当たり前で簡単なことかもしれませんが、未来を想像することも、思いを口にすることもとても素晴らしいことだと考えています。 毎日の生活にゆとりを感じられなくなることもある時代の中で、心が温まるような感覚…

View On WordPress
#1人暮らし半田市#1人暮らし名古屋#1人暮らし寂しい#1人暮らし知多市#インテリア仕事#半田市心理カウンセリング#友人との話#名古屋市学生心理カウンセリング#学生の会話#学生進路相談#就活悩み#就活相談#常滑市心理カウンセリング#東海市子供心理カウンセリング#知多市子供心理カウンセリング#���路悩み
0 notes
Text

藪柑子[Yabukōji] Ardisia japonica
藪[Yabu] : Thicket, bush
柑子[Kōji] : Citrus leiocarpa
Another name is 十両[Jūryō](Ten ryō). 両 is a unit of currency used in the past. In the Edo period(1603-1868), it was said that 十両盗めば首が飛ぶ[Jūryō nusumeba kubi ga tobu](if you stole ten ryō, your head would fly off). https://en.wikipedia.org/wiki/Tokugawa_coinage
The following is a story sent to the author from an unsigned philosopher.
封建時代に、江戸の或邸に一人の折助が居た。歳の暮に二分といふ金の必要に迫󠄁り、諸方を借りあるいたが、誰あつて貸す者が無いので、つく/"\斯世をはかなく感じ、長屋の梁に帶を打懸け、首を吊つて往生した。其傍に落散つて居た辭世の歌に、 『死んだなら只つた二分だといふだらう生きて居たらば二朱も吳れまい』 人情󠄁の輕���󠄁を喝破して、痛・骨󠄂に入る。千古の哲人、獨り君を推す。
[Hōken jidai ni, edo no aru yashiki ni hitori no orisuke ga ita. Toshi no kure ni nibu to iu kane no hitsuyō ni semari, shohō wo kari aruita ga, tare atte kasu mono ga nai node, tsukuzuku kono yo wo hakanaku kanji, nagaya no hari ni obi wo uchikake, kubi wo tsutte ōjō shita. Sono katawara ni ochi chitte ita jisei no uta ni, 『Shinda nara tatta nibu da to iu darō, ikite itaraba nishu mo kuremai』 Ninjō no keihaku wo kappa shite, tsū hone ni iru. Senko no tetsujin, hitori kimi wo osu.]
In the feudal era, there was a samurai’s attendant who lived in a mansion in Edo. At the end of the year, he was in need of Ni-bu(Half the amount of One ryō) and went around to borrow it, but no one would lend it to him. So, he hung a kimono sash on a beam of the tenement and hanged himself. And, the death poem that had fallen nearby said: 『If I die, they will say, "(He committed suicide) for only Ni-bu". But if I were alive, they wouldn't even give me Ni-shu(Quarter the amount of Ni-bu)』 He sees through the frivolity of humanity, and I feel it strongly in my heart. The eternal philosopher, I have a high opinion of you. From 無名の哲人[Mumei no tetsujin](Unsigned philosopher) By 福本 日南[Fukumoto Nichinan] Source : https://dl.ndl.go.jp/pid/952075/1/69
Every year on December 12, "Kanji of the Year" is announced at Kiyomizu-dera, Kyoto, and this year it was 金[Kin](Gold), which is also read as kane and means money. https://www3.nhk.or.jp/nhkworld/en/news/20241212_14/
12 notes
·
View notes
Text
和の最上VS洋のミシシッピ
38。これがなんの数字を表しているか分かりますか?
正解はメラルとミシシッピの身長差です。
自分の頭に竹物差しを当ててもなおそれよりも高い人間と話すってどういう感覚なんですかね。それはそれとして、初期のメラルはミシシッピと最上がどっちがどっちか分からず、ミシシッピを前にして「あれが最上…?」と50%をお見事���外していきました。確かに顔が見えないと二人の違いって一度や二度会っただけでは分からないのかもしれない。ちなみに声が低くて良いのが最上、テンションが高くて良いのがミシシッピです。これでみんなも見分けられるね!
ちなみにメラル氏曰く和っぽいのが最上で洋っぽいのがミシシッピらしいです。
それは名前の印象だけで決められているのではないか………???
ちなみに、最上の芸名はMO・GAでミシシッピの芸名は三船智です。
ほな最上が洋でミシシッピが和か……………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ということで三度目まして。アツい男の権化、六甲賽ロコ郎こと賽です。ん?いや、賽こと六甲賽ロコ郎か?まあどっちでもいいか。3回目ともなるとみんな俺の話しとかそろそろ飽きてきたと思うので、今日は少し趣向を変えていきます。
6/19 稽古日誌
本日の内容は
・発声
・シーン練
でした。
シーン練については前半をきっちり固めよう!ということで一回動きを消して読みだけでしっかり細かいところを突き詰めていきました。背水の陣の覚悟で行きますが、椿、かなり仕上がってます。
はじめてげきだんにはいった!これからいっぱいおしばいするぞー!!さいしょはかんたんなみじかめのきゃくほんをやってみよう!
表情管理が甘いテンポが早すぎるそこは遅いセリフがそもそも入っていない言い方に緩急がない動きが平坦読みが平坦動きの癖が良くないいい間違え噛み間違えタイミング間違え
Knock out
そうして昼練でも稽古でもボコボコにされた俺は、生まれ変わったーーーーーー
ら、いいなぁ。と思っています。
本当に奥が深い。最初は「一ヶ月残ってるのにもうセリフ覚えたんだがwwwwオムニ、”理解”っちゃいましたwwwwww」とか言ってたのに、やればやるほど自分の演技はもっと出せるもっとやれるとなってくる。終着点など無いということを、理解した。
が、とはいえ最初としてはかなり上出来だと思います。この一ヶ月で俺はマリアナ海溝より高く、エベレストより深いほど強くなったーーーー
ーー通し稽古、期待しといてくだ賽。
俺がこの一ヶ月で学んだこととしては、台詞を個として掴むことではなく、群として見るということです。こ���が一番大きい。自分の台詞を覚えていわないといけない関係上人の台詞にまで意識を伸ばすことはとても難しいですが、自分の役の人間は他の役の人間の言葉に反応して行動している。それを意識してみるとより自然で高度なお芝居ができるのかな、と最近は感じています。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
37期ミックスジュース
今回はこの一ヶ月に起こった37期にまつわるオモロエピソードを紹介していきます。
ということで
本日のおmenu
・ロールシャッハシンドローム
・あだ名メーカーとびぃ
・メラル、マリオカートワールドのバイト説
・俺のピクセルがこんなに可愛い訳ない
・図書館の守護神チロル
・37期限界カラオケ
…自分で書き出しておいてだけど、多いな。話したいことが多すぎる。
・ロールシャッハシンドローム
ーーーこれから観測される結末は、 確定していないが避けようのない厄難だ。 願わくは、閉じて開いた対称の輪郭が 鮮やかであらんことを。
ある稽古の翌日、思いつきで箕面の山を登ることになった俺とピとメラル。バスで降りた先の道を進んでいくと、山道から逸れた道にはいかにもご利益のありそうな祠が。
…え?願い事すんの?いや俺ド理系だし神も信じてないからそういうのは別にいいかなぁ。
「………」
「オムニが成功しますように」
「長台詞が上手く読めますように」
その瞬間、俺たちは世界と共鳴した。
と、いうことでイクラ椿の三人でエモクロアTRPG「ロールシャッハシンドローム」というシナリオをしてきました。本当に面白かった。(3/8)^3は、激アツだよぉ…
ちなみにイクラ椿とは
さい
ぴくせる
めらる
の三人のことです。分かりやすいね。ピが回してくれて人生初のTRPGだったのですが、本当にこれが初めてで良かったし、とても良い結末を見ることが出来ました。ありがとう、ピ。俺はお前のその目が嘘をついていないことはすぐに分かったからな。
ぜひ次回もやりたいし、他の人とも遊んでみたいですね。俺がもっと慣れたらロールシャッハシンドローム回してみたいので、まだ知らないよという人はひたすらにネタバレを避けてください。
・あだ名メーカーとびぃ
あー、授業だるかったー。普通に出席だけして話二ミリくらいしか聞いてないけどこんなんで俺は生きていけるんか………?
あっ、あんなところにとびぃいるやん。とりま話しかけるか。
「あっ、賽ちゃんじゃんおつかれー」
賽ちゃん!?!?!?
とびぃにじさんじ好きだったよね、近畿来たからには志摩スペイン村いきたいなーーー
「そうだね、レイたそも誘っていきたいなー」
レイたそ!?!?!?
「今日メラルたそと会って初めて話したけどよかったー!」
メラルたそ!?!?!?
こいつ、シンプルに人の呼び方がおもろい。なんや賽ちゃんって、初めて呼ばれたしこれからも呼ばれることあるんか。
………いや結構呼ばれ心地いいな。
ということでこれから俺のことは賽ちゃんと呼んでください。なんでかは知らないけどすごくスッと入ってくる。なんでだろう。
本人曰く人に変なあだ名をつけるのが趣味らしいです。そんなニュアンスのことを言ってた。皆さんもとびぃから是非変な呼び方されてくださいね(?)
・メラル、マリオカートワールドのバイト説
まず最初に定義をしておきますが、彼女のバッグは4次元ポケットとします。今回の講義ではこの前提を用います。
…え?証明?そんなもん理学部がやってくれるからいいんだよ。俺ら基礎工学部はそれを使って実際プログラムが動いたらいいの。
さて、彼女のバッグからは駄菓子和菓子洋菓子フルーツとこの世のありとあらゆる食べ物が出てきますが、その中でも特段TierSのものは何かわかるでしょうか。
そう、バナナです🍌
メラル家はバナナの自然生成スポット故家にたくさんのバナナがスポーンするらしいので彼女は常にバナナを頬張っていますが、これが俺の生活を大きく変えることになるのをメラルバナナ初見プレイの俺はまだ知らなかった。
そう、バナナはこの世のバグなのだ。
🍎りんご一玉200円
🍒アメリカンチェリー1パック800円
🍉小玉スイカ一玉1000円
うわー、高いなー。やっぱフルーツは一人暮らしで買うもんじゃないな。やめとこー………
そういえばメラルはバナナ愛好家だったな。バナナはここら辺にあるか………どれどれ?
🍌バナナ4房200円
200円!?!?!?
安すぎだろ。なんや二百円て。じゃあ50円で一個食べれるやん。嘘やろ?腹持ち最強食物繊維豊富便通最良稽古前最適のバナナが50円で食えるの?食堂の小鉢よりも安いやんけ。えなんでりんごは200円に対してバナナは50円なん???そんなん買うやん。
と、いうことで俺はバナナの虜となってしまいました。美味しいねぇ…
ちなみにピ……ちょっと待てよみんなこれを流石に彼ピと解釈してないよな。ピクセルのことです。あっぶね〜〜〜、ちゃんと言っといて良かった。
ちなみにピクセルは俺のバナナのラップの仕方を見てメラルのバナナと勘違いしたようです。なんで?いやシンプルに俺の親とメラルの親のラップのや��方が同じだけだろというと
「………え賽の親とメラルの親の匂わせってこと???」
なんでだよ。冷静沈着ボーイ���第一印象の俺のピクセルどこいったん。……っていうかちょっと俺もあんまわかってなかったけど、バナナのラップの仕方ってこの世に一通りじゃないの?外にバナナを持って行くやつは全員匂わせってこと???
…訳がわからなくなってきたから、この話はここでおしまいにしよう。
・俺のピクセルがこんなに可愛い訳ない
皆さん社会的釈迦ことみーらさんのYouTubeに投稿された東京03ならぬ東京30の動画は見ましたか?東京03のコントを30分でコピペするという非人道的な企画でしたが、その劇中のピがとても可愛かったです。百読は一見に如かず。ピの可愛さ、ご賞味あれ。
・図書館の守護神チロル
ここ最近図書館に行く用事が多かったのですが(主に涼みに行くかトイレの二択。本も読まなければ勉強もしていない。)、マジでチロルと会う。昨日とか一日に2回会った。共Aでも2回会った。シンプルに行動に関する脳回路が似ているのか…???ちなみに図書館にはまだ俺の知らない4階5階があるみたいなことをチロルが言ってた気がする。うちの図書館はゼルダのダンジョンなんか?
・37期限界カラオケ
〜稽古の休み時間〜
賽「うわ、なんか松屋食いてえ!」
もずく最上「わかる!!!」
稽古finish、石橋ダッシュ🏃♂️
ピ「なんか知らんけど俺も行くぜ!!!」
賽「うわ松屋カウンター席しかないやん!!!きっしょ!!!潰れr………いつかまたきます!!!」
なか卯ダッシュ🏃♂️
賽「カツ丼うめぇ!!!けどまだまだ騒ぎ足りねえよなぁ!!!」
男…いや、漢達「うおおお‼️‼️‼️」
と、いう経緯のもと、俺たちは気づいたらまねきねこにいた…
すごい楽しかったです。最上は解釈一致の歌い方で、多分前世は演歌歌手だったのだなと思います。あと可愛くてごめんがおもろすぎた。その声でその曲はずるいって。
そしてもずくはハイテンションすぎる。え、その歌い方でなんで喉が壊れない????????俺だったら喉の一つや二つや三つは持っていかれるが。なぜ声が枯れない????????人間じゃないのか????????
そしてピ、お前全ての歌う曲が解釈一致や。あーーーこれね!!!!あーーーーこれ歌うのね!!!!!!!!!あーーーーーーーこれ絶対歌うと思ってた!!!!!!!!
みたいな感じでとても楽しいカラオケでした。やっぱみんなフッ軽なのがいいね。稽古後ということもあり喉が開いてて気持ちよく歌えました。また行きましょう。まだ行ってないメンツも、稽古後でも稽古全然関係なくても。いつか金曜か土曜にオールでやってみたいな。前回はギリギリ日付は超えることが出来ました。その頃には俺ともずくの二人だけだったが………
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
と、いうことで雑談9割のアブラマシマシニンニクモリモリ稽古日誌をお送りしました。37期のみんなのおもろいとこについてちょっとでも知ってくれたらうれぴ。
稽古も後半戦になってきましたが、だんだんとなくなって行く自信、それに引き換えなんやなんや感じる成長、まだまだ降り積もる課題……
どうなるかわかんないけど、とりあえず第一回通しまでに納得できる形に持っていきます。ここまできたら、筋通しましょうや………
あ、
質問きてた
もしあなたに翼が生えたら、何をしたいですか?
答えは一択
実家に帰ります。
もうここんとこ週一くらいで親の夢を見ます。完全にホームシックというやつです。親と連絡を取るのはシブいのでほとんど業務連絡しかしないのですが、やはり深層心理では寂しがってるんですね。これに気づいたとき、「え!?!?俺可愛いー!!!!」と叫んでしまいました。その通りだよ可愛いね賽ちゃん。今日も瞳を閉じれば、親と焼肉を食べる夢、親のハンバーグを食べる夢、親と一緒に寿司を食べる夢、親の唐揚げを食べる夢………
お前飯の夢しか見てないやないかい
ホームシックというより、ホームフードシックでした。母親の作る揚げたての唐揚げが食べたい。早く帰省させてくれ。というか親が神戸の親の実家に帰るのでそこに合わせて唐揚げだけ無理やり食いに行こうかな。
なんだか思いつきで始めたリレーが思いのほか繋がってて嬉しいです。俺たちで、伝統を築いていこう。…ゴールデンチョコレート?なんのことですか?
次の人への質問は
受験生時代に一番むかついたこと
でお願いします。
ちなみに俺のこと一番むかついたことは、共テ1Aの図形が苦手すぎて模試なども含めて30年分の図形を回し、三角形五心方べき相似何もかもを把握したのに2025共テ本番で数十年ぶりの新傾向・空間図形が出てきたことです。満点はむずいけどちょっと捨てれば全然ノー勉でも点数取れる。俺の直前二週間の毎朝図形討伐30分はなんだったんだ…
ちなみに今回の文字数は5731字らしいです。そっから加筆しているので大体5850字くらい?俺のタンブラー4回弱で外公の台本ができるということですね。素晴らしい。実はちょこちょこ脚本を書いているので、秋公か新人公演にでも出そうと思います。俺��とろんとろんを越えるぞ……!!!
…ガチでどうでもいいんですけど、最上が2回生から3回生になるタイミングで表記が最上→最神になったら激アツ展開ですよね。以上、37期cool beauty担当賽がお送りしました。
2 notes
·
View notes
Quote
これが世界最大という超超巨大書店を、どーんと僻地でもなんでもいいから街が作れそうな平野に作ってほしい。その超超巨大さは世界第2位を突き抜けてほしい。 政府もテコ入れし、クラウドファンディングも募り、数多ある企業も全勢力が参入してほしい。もうとにかく全力をかけて作ってほしい。 「そんなことして失敗したらどうする?!バカじゃん?!」とか考えず作ってほしい。勝算とか考えず勢いで作ってほしい。 そこには和書だけではなく洋書もある。西洋の本だけではなく中国語の本、アラビア語の本、アフリカーンス語の本、とにかく片っ端から「いやこれいらんだろ」みたいな本だったとしてもすべておく。 なんなら和書が中央ではなく洋書が中央である。日本語を中心で考えてほしくはない。言語別に存在する知の量に応じた配分をしてほしい。 客層に応じてカテゴリ分けは必要だろう。1つの書店だけでなく複数の書店が統合してもかまわない。古本屋を集めてもかまわない。 「よくわからなくても物理の本を買うなら日本のここへ行け。たぶんあるから」という状態になっていてほしい。日本の中規模以上の書店はほぼすべてここに集める。 全勢力が協力してできた超超巨大書店を中央に据えて、その周りを他の超巨大書店が取り囲む。その周りは巨大書店。その周りは中規模書店、その周りには小規模書店。 海外からも片っ端から誘致する。必要なら補助金も出す。「バカなの?」とか「さすがに海外出店は難しいです」とか一蹴されるだろうが「まあ採算とれそうだからいいよ」と言われるまで粘ってほしい。 税金をたくさん投入してもかまわない。重要なことは「そこにある」「とにかく日本のここに来たらある」「お前のやりたいことは知らんけど本がほしいなら日本のここに行け」という願いが叶う場所だ。 例外を作ればそのブランドは失われる。このブランドこそが他国が追随不可能な圧倒性を生む。先行者利益だ。バカすぎて1つ1つで見るとデメリットしかない行為が、結合すると巨大な1つのメリットを作り出す。 どこかで手を抜くと終わる。そんなことまでする必要ないんじゃないのとか、それってめちゃくちゃ損しますよねとか言われようが、究極に本を集める。 書店と書店の隙間にはさまざまなカフェが立ち並ぶ。個人で経営するカフェからチェーン店が密集する。コンビニも立ち並び、公園には読書に適したベンチがある。公園は読書に最適化されている。 その街にはどこにでも椅子が置いてある。買った本をすぐ座って読む人向けのものだ。 この街には有名人が毎日のようにやってくる。たとえば「ビル・ゲイツが本を選びに来日!」など当たり前のことになるだろう。 読書家はこの街の付近に別荘をかまえる。なんにもなかった僻地の近隣に富裕層街が誕生し、地価がとんでもなく上昇する。意味不明なおいしい話だ。 一方で本を読むことが目的でない人間には居心地が悪い空間になる。この街に存在している人間はほぼ全員本かその周辺が目的なのだ。本以外が目的の人間は異様に目立つようになり警戒される。 街の中央部分は徹底的に、本、本、本、本、本、と本が存在するのが当然の本の密集空間になっている。普通の人間が「ここまですることはないんじゃ・・・だって採算とか・・・」とドン引きするぐらいの熱量で本で溢れかえっていてほしい。 地面に敷かれたタイルには、文章が書かれている。まっすぐ歩くと偉人の言葉などがそのまま読めるようになっているのだ。たとえば「良い本は私の人生におけるイベントである。」「本の無い家は窓の無い部屋のようなものだ。」「天才とは努力する凡才のことである」などという文が永久に書かれている。有名な書の冒頭部分だった��もあるし、古典文学もあるし、文学のみならず数式も書かれていたりする。それを読むだけで日が暮れる。 この街の広告はすべて本に関するものでいっぱいだ。ほかでは絶対に見られない、読書家にだけ向けた広告が撃たれる。「こんな難しそうな本の広告ある?」というのがそこここで見つかる。 たとえばベトナム語のマンガの新刊広告なども見受けられていてほしい。 この街にあるのは紙の本ばかりではない。電子書籍派のための書店もある。他では絶対採算がとれないような形の店であっても、「読書家が毎日のように集まることが普通」の街特有の書店ができる。たとえば巨大な8Kモニタにその人へレコメンドされた電子書籍が大量に表示され、立ち読みすることができるとか。「辞書専門店」や「単語帳専門店」や「栄養学書籍専門店」などがあったりもする。そういうものを作っても不思議と利益が出るのだ。 この超超巨大書店圏内部には研究所や大学なども誘致する。どのような言語でも関係ない。化学系のカテゴリが立ち並ぶ「化学通り」のようなところには実験器具専門店も立ち並ぶ。 そういうところは、基本的には英語がメインだ。英語の下に日本語が書かれている感じ。イメージ的にはハリーポッターだろうか。ときどき「なんで化学通りにオムライス専門店がこんなにあるんだよ」などということもあるかもしれない。秋葉原や神田にカレーがたくさんあるようなものだろう。 やや込み入ったところにはマイナーな本屋がある。「なんだよこの本屋・・・」という、見るからに���国感が漂う本屋だ。謎の部族の謎言語で書かれた謎の材質の本が置いてあるなど。ネクロノミコンのような本も見つかる。 石版などもなぜかある。読書向けの椅子専門店もある。「本のためだけの椅子専門店」が生存できる場所は日本ではここしかない。 しかし、この超超巨大書店群の主目的は「本の集積」である。そこから逸れるようなことがあってはならない。何か欲をかいて「ここに企業をうんたら」などとして利益を優先するとこの街はあっという間にその意味をなくし滅びるだろう。ありとあらゆる人々が周辺の利益を求めて集ってくる。そういうのを一蹴できるような体制であってほしい。 「この街意味ないだろ。なんで作った。赤字だろ」と罵られながらも存続する街であってほしい。そして、そう罵る人も、ひとたびその街に入ると「すげえ・・・この街は地球に必要だわ・・・」とどうあがいても認めざるをえないほど感動できる街であってほしい。街自体で見ると赤字なのだが不思議と日本経済が潤う源泉である摩訶不思議都市であってほしい。完全に未来へと投資された都市である。 この街では、夜もたくさんの書店が営業している。こんな大きな本屋が24時間営業できるのはこの街しかありえないとなっていてほしい。「夜眠れないな・・・本でも買いに行くか・・・」という人外の行動を普通にするような場所であってほしい。 街の周囲には民家が立ち並ぶ。ただしこの民家に住む民間人はややおかしい。本のために移住してきた狂信者たちだ。軒先には自分の選書が並び「1冊100円」などと書かれていることも多々ある。 富豪がゴッソリ買っていくことを見越して少し離れたところに在庫置き場がある。 富豪が「ではこの棚からこっちの棚まで」などと爆買いしていく。もはやテロリストのようなものだが、そんなことは気にせずまた入荷する。本はバカみたいに売れる。 近隣の都市はこの超超巨大書店都市のおかげで経済効果がある。 この街は、「日本人なら1度は絶対行け」と呼ばれる場所になる。そしてひとたびそこに立ち入れば「世の中にはこんなに知識があったのか」「世の中はこんなに頭のいい人たちで溢れかえっていたのか」ということが、嫌でも全身の細胞に刻みつけられる。伊勢神宮みたいなものだ。それよりも神々しいかもしれない。 そして、全身の細胞で体感したその人は、格段に読書するようになるだろう。それは地元へ帰っても同じことだ。一流を目の当たりにした者は一流になる。 取次の問題も、書店が潰れかけている問題も、日本人が本を読まなくなってしまっている問題も、経済が深刻化している問題も、だいたい解決できるだろう。 誰か作ってください。 ちなみに国防にも役に立ちます。一度作ってしまえばここを潰すやつは「バカ」なので。ペンは剣よりも強し! 書店は兵器です。 追記 ジュンク堂書店など大型書店が潰れかけているのは知っている。 ただそれは、「本がたくさんあっても意味がない」ので���ない。逆。 大型書店であっても、本が少なすぎるのが問題である。 だいたい日本語の本というのは大して範囲が広くない。 それに「物理本を読む人が少ないから本屋が潰れちゃう」というのも逆だ。 「物理本を読みたいと思う人を増やす。そのためには本屋すべてが潰れることも辞さない」という情熱が正道である。 本というのは知の源泉である。だから知識がない人に迎合すれば、潰れるのは自然だ。知識がない側に与するのだから。 本の機能はそれとは真逆であり、全体を引っ張り上げるものである。知識がない側が「欲しい」と願える場にすべきなのだ。 ない側に媚を売っていれば潰れて当然。 「この本は今は読めないけれど、読みたいと思う」そういうものがない。 「この本は内容はちんぷんかんぷんだけど、そういう本の存在を知っている」そういうものもない。 ジュンク堂書店などですら、知らない人々が多い。大型書店の重要性を知覚できていない。入ったことがない人間もいる。 だからこそドカンとぶち上げるのだ。 記事を読んでくれた人へ: 記事を読んでくれたのはありがたいが、たぶん自分が考えている規模と読んだ人が考えている規模に大きな差があると思う。 自分が考えているのは、もっとも小さく考えても深圳書城中心城の数十倍の大きさであり、既存の書店をちょっとだけ大きくしたものとか、蔵書が全く同一であるような大型書店が単に10個ある街という形ではない。 コーチャンフォーつくば店は50万冊、池袋ジュンク堂書店は150万冊、深圳書城中心城は400万冊、国会図書館は4685万点。Amazon Kindleは60万点。 自分が言っているのは、数億冊あるような書店群である。つまり、コーチャンフォーやジュンク堂書店や紀伊國屋書店は超超巨大書店(世界中の意味わからんハイレベルの本から選びぬかれ集まったエリート本屋)の周辺を取り囲む「日本区域最大の超巨大書店」の周辺を取り囲む「大型書店の1つ」という状態を考えている。ブックオフなどはその周りを取り囲む中型書店になるだろう。その周りを、身近にあるご近所の本屋さんがたくさんずらーーーっと並んでいるというような領域だ。いうならばこれが日本区域である。 世界の蔵書数はGoogleによると約1.3億冊であるらしい。日本区域内に別に中国語や韓国語の本があることもある。ただし日本区域の横には韓国区域だったり中国区域だったりする。その中国区域でもばかみたいにデカい超巨大書店があり、それを取り囲むようにジュンク堂書店並の大型書店があり、英語区域では……というような状態だ。言語別に分けられているだけでなく、「数学領域」で分けられていることもあり、そこでは「高校数学」の棚に世界各国の高校数学が並ぶ。数学の参考書を買いに来た高校生が、カメルーン人の中学生と仲良くなるみたいなことも想定できるわけだ。 地方のクソデカ本屋が数百個単位で入る「は・・・?」「この街が・・・全部・・・本屋さん・・・?」という規模の書店群である。 イメージとしては↓な感じ。 まもなく目的地の駅に近付く。電車にいる人々は全員が本を読んでいる。スマホを触っている人たちな���誰もいない。不思議な光景だ。多くの人がそわそわしている。初めて来た人たちが多いのかもしれない。 電車が駅に滑り込み走って降りる人々の後ろでのんびりと降りる。全く、はしゃぎすぎだろう。 降りた直後、本の形をした案内板が表れた。真っ先に飛び込んできたのは「↑ バベル中央書店」というやたらとデカい黒文字と、その下にあるやや大きな黒文字の「↑ 北区域書店」だった。 右を向くと・・・あれは・・・本の自動販売機?! 本を自販機で販売するのか。カルピスの作り方・・・自動販売機の歴史・・・Why could he make vending machines?・・・なるほど。 床には文字が書かれている。Station, State, Statue, Status. 何のことやらわからない。 改札を出る。改札を出ると、ああ、もうこれは本のテーマパークだ。最奥部に見える巨大な塔には雲がかかっている。おそらくあれが中央書店だ。その横には数えるのもバカバカしくなるほど書店が並ぶ。街には今まで見たこともないような人々で溢れかえっていた。ベンチでは読書をしている中東とおぼしき人が中国人らしき人と何やら議論している。彼らが話しているのは何語だろうか。 デジタルサイネージで目まぐるしく本の広告が入れ替わっていく。「サウダージにさようなら」「入門グロッキング」「般若心経の終焉」 ぼうっとしているとハトが飛んできた。ここでは何やら、ハトでさえ賢く見える。予算は5万円だったが、足りるだろうか。 Amazon倉庫でもないんだって。 なんか全然伝わっていなくてものすごく悲しい。 子どものときに巨大書店や巨大図書館に人生で初めて行ったときとか、論文と大学と研究の仕組みと接したときに、知の偉大さに震えたことがないだろうか。 目に見えないものは見えないことが多い。たとえば、ライブ会場に行ったことがなければライブの偉大さは本当にはわからないし、「本当にこんなにたくさんの人がファンなのだな」ということもわからない。 記号接地問題ともいうらしいが。 いま「自分が考えるクラスの巨大な本の集積地を人類の誰もが見ていない」というのが問題であると思う。誰1人として。 そういう知がたくさんあることは存在としては知っていても、「それを見たことがある人は誰もいない」のだ。いわば、月は見えるけど、月に行ったことは誰もいないような状態だ。 神田の古本屋街や、既存の大型書店というのは、いわば地球上にある月に似たところでしかない。「たぶんこれとこれがこうなると月」というふうにしか想像できない。だが月に行かなければ月の隕石は無いのだ。 ほとんどの人は、目に見えないなら存在しないと感じてしまう。マッチングアプリで人間を左右にスワイプするとき、人間ではないように扱う。それは人間として存在しているのに。 一方、眼の前に相手がいるとき、同じように左右に指を振って弾くのは容易ではない。これが目の前にあるかないかの大きな違いである。 自分が言っているのは、そういう知の集積の偉大さが理解できなくてもとにかくそこに行けば、「ああそういうこと」「人類は偉大だったのか」と、誰もがたちどころにわかってしまう場所がほしいということである。 それから、実現の不可否はともかくとして、「え、そういう本屋あったらめっちゃいいな〜〜〜〜〜〜〜〜〜」と感じてほしい。
ド田舎に世界各国の超超巨大書店が集積する都市がほしい
8 notes
·
View notes
Text
2025.3.11
昨日、心が疲れていたのでウィキッドのグッズを買いに遠回りをした。ウィキッドコーナーに次から次へ人が駆け寄り、「何か」を手にする。私もその1人になる。
ウィキッドのガリンダ(グリンダ)のふわふわのピンク色と人気者らしい傲慢な振る舞い。アリアナ・グランデが意地悪な人をやると思っていなかったので映画館の席で小さく驚き、しかし「ひたすらな人気者」の傲慢な無意識の悪質さの解像度の高さに感動し、そしてその彼女の必死さ・野心もよくわかり、エルファバの悲しさ、彼女が受ける差別、惨めさが苦しく、キャラクターの複雑さとエンターテイメント性の高さの両立で泣きはらしぼんやりとしてしまった。
そして昨日は心が疲れていたのでとりあえずグッズを買いに行った。スクリーンで提供された華やかさと綿密な仕事、あの中にある愛、物語そのものへの愛、ブロードウェイの歴史への愛と敬意、それまでの舞台を見た全員への愛、映画を見る人への愛、作品の中で踊る人たち全員のダンスと歌への愛、あらゆる虐げられた人への愛、あの愛としか言いようのない時間を手元に残せば世界を信じられるかもしれない。あのスクリーンの前で泣いた人みんなのことを信じられるかもしれない。
私は『アナと雪の女王』をかなり初期に見ていて、「ディズニープリンセスが!!引きこもっっった!!!!(そしてそこが映画の中で一番良い歌!!!)」という点に感動して泣いた。あの後にあんな風に大ヒットして話がややこしくなっていたけれど、『ウィキッド』も爆ヒットして欲しいし、ヒットした世界のことを私はとても好きだと思う。私は今まで無知だったので申し訳ないけれど(でも名作はいつまででも待っていてくれるものだから)、『ウィキッド』の映画は2時間40分の価値が大いにある。体感としてはブルータリストの1/7だった。
私は『ウィキッド』(part 1)が大ヒットする世界のことを愛せると思う。
グッズ売り場に残っていたものは既にかなり種類が少なく、特にガリンダ(グリンダ)グッズがほぼ無く、その分は花屋さんへ寄って綺麗なピンク色の花を買い、グリンダを思うことにした。
ふわふわのピンク色のスイトピーは甘い匂いがして、私は額に上向きで手のひらをかざし、少し涙ぐむ。
気に入っている花瓶はピンク色とグリーンの薄いグラデーションのガラスだ。
ピンク色の花を見ると、私はいつも岡崎京子の『pink』を思い出す。ユミちゃんの好きなピンク色。
pinkを読み直しながらアノーラについて思い出すと、「1989年の岡崎京子の方が2024-2025���のショーン・ベイカーよりクールじゃん」と思う。圧倒的にクールだ。あのラスト4ページの鮮やかさ。(浅野いにおが初期作(ソラニンの最初とかくらい)で丸パクリしてたよね、それがとても気持ち悪くてそれ以来浅野いにおが読めない)
シアワセなんて当然じゃない?
早くあしたになんないかな。そしたらあたしはワニとハルヲくんと夢の島。
あとがきの、「〝愛〟は通常語られているほどぬくぬくとなまあたたかいものではありません 多分。(中略)現在の東京では「普通に」幸福に暮らす事の困難さを誰もがかかえています。/でも私は「幸福」を恐れません。/だって私は根っからの「東京ガール」ですもん。」は全然古びない。
高畑勲がかぐや姫の中でフェミニズムを全てわかっていたように、岡崎京子さんもすべてが見えているんだと思う。可愛かったり綺麗だったり、可愛くなかったり綺麗じゃない人間のすべて。
ねえ?ユミちゃん、そうでしょう
3 notes
·
View notes
Text
よしもとかよ 「日々是好日」。vol.148 (2024/12/4 + 12/11 )
2024 4th + 11th december
M1 冬景色 (よしもとかよ と やまのしんちゃんズ)
M2 tenpu ki bai (Mayra Andrade) M3 alala das marinas (Milladoiro)
M4 time (Des'ree) M5 linnunmieli (Varttina) M6 ポテト (井上侑) M7 illumination (Secret Garden) M8 クリスマスに何します? (むぎ(猫))
[好日の素…漆器を愛でること。]

1月以来、 度々能登の祖父母の家へ出向いて 片付けをしているのですが、 日帰りだとどうしても 作業より移動に時間が取られてしまい また、少人数での作業なので なかなかすべての部屋が 満足に片付くということがな��… 前回ようやく 台所が片付いたタイミングで 倒れた食器棚の中にあった ほこりだらけの古びた漆器を 数点持ち帰り、 ダメ元で洗ってみたところ、 写真を撮ろうとすると こちらが映り込むほどに 艶が復活! そして手に取ったときの なんともいえないしっとりとした触感に 驚いたのでした。 そういえば、納屋にもまだ 漆器の何某かがあったはず…というわけで 先月ようやく 11か月ぶりに納屋の2Fに足を踏み入れることに。 いろいろなものが 倒れたり傾いたりしている中に、 ありました…漆器たち! 以前、番組に出演してくれた かみしばいのマアサさんが 助っ人に駆けつけてくれて、 漆器の入った箱を運び出してみると およそ20人分以上の御膳や器が 入っていました。 かつては冠婚葬祭のさまざまを それぞれの家で行っていたため、 これだけの量の器が残っているのです。 陶器やガラス器の類は いくらか友人に使ってもらっているのだけど 漆器は手入れも難しそうだし 使うシチュエーションも限られるかな…と 敬遠してしまっていたところもあります。 祖父母が大切に保管してきたものとはいえ さすがにそんなにたくさんはもう必要ない、でも ゴミとして捨てるのはさすがに心が痛む…と 話したところ、マアサさんが 「つなぐおわんプロジェクト」に お願いしてみてはどうか、と。 「つなぐおわんプロジェクト」は 被災したおうちにあって 処分される輪島塗の器を引き取って クリーニングし、販売し、その収益を 被災地支援にする、という取り組み。 https://lit.link/notoowanproject 後日、少しだけ手元に残して 無事にお引渡しが済みました。 輪島塗の職人さんや作家さんの手による 漆器を購入して応援するのも もちろんいいと思いますが、 古くは江戸時代のものから (我が家の器は幕末のもののようでした) 明治、大正の時代につくられて 大切にされてきた漆器を あたたかな思いと共に 暮らしの中で生かしていただけたなら、 それもまた素敵な 支援のかたちのひとつではないかと思います。
* * * * * * * * * * *
[日々是食べたい!… じゃがいもと鶏もも肉の酢煮]

すっかり寒くなりまして、 食卓に並ぶものも 変わってきたのではないでしょうか。 鍋ものや煮込み料理を ハフハフといただく時間は、 寒い季節ならではの 幸せかもしれません。 そんな煮物の中でも わたしのお気に入りのひとつが じゃがいもと鶏もも肉の酢煮。 名前の通り、酢を加えて煮る シンプルな煮物です。 ほくほくのじゃがいもと 鶏もも肉のうまみ、そして 加熱によって角の取れた 酢のまろやかな酸味が とてもおいしい! 辛いのがお好きなら 一味を加えるのもおすすめです。 シンプルだからこそ、 大切なのがお出汁。 市販の簡易出汁をつかって つくったこともあったのですが この煮物については ちゃんと鰹節と昆布で 出汁をひいてつくる方が おいしいと思います。 そして、その残ったお出汁を スープとして 二度たのしんじゃったりも…! ごはんを加えて ぞうすい風にするのもアリです。 さっぱり、ほっこり、そして なんだか元気が出ちゃう気がする 大好きな一品です。
6 notes
·
View notes
Text
高校時代の友達と会いまくってる。去年では考えられなかった。なんか去年は全然会いたいと思ってなかった。金銭的にも時間的にも心も余裕がなかったから。でも会うとやっぱ高校時代を思い出して楽しい。
20日に会ったのは一人は会うの今年3回目で、もう一人はその子と同じ短大に進学した子。まじでドイツにワーホリ行く前に会ったきりやから14年ぶりぐらい。でも何も変わってなくて、昨日あったかのような感じで話してた。まじでその子は新卒して就職してからずーっと同じ企業で働いてて、実家で住んでて、結婚もしておらず彼氏もいなくて、ここ14年何も変わらず暮らしていたようで、びっくりした。こういう人がMBTIでいうJタイプなんだろう。私って割と宿題とか早めに終わらすし、待ち合わせ場所には時間より早く着くよう努力するし、全く時間にルーズじゃないという意味ではわりとJなんじゃ?と思ってるんだけど、何度も何度もINTPが出るし、むしろ何度意識してやってもINTPの比率が変わるだけでINTPしか出ない。こうして14年間でどこに住んで何をしていたかが全く違っていて我ながら怖いほどなので、やっぱPなんやなって。環境とか変えるのがそこまで苦ではないのかもしれないし、常に変えようと努力してきたこの14年間でした。
友達はやっぱ転職とか大変やし、彼氏も全然欲しくないんやって。心斎橋で働いてて、実家から少し遠いから、彼氏作ってうちのマンション、空きがあるから住めばええやん!て冗談半分に気軽に言うたら、嫌がるんだよね。私やったらええかも!と思ってすぐ行動に移すと思うwどこのマンションなん?とかくらいは聞いて、不動産サイトでググってすぐ調べるかも。て言うかロバートなんでISTJなんやろ?確かに仕事は定年まで同じ職場だったけど、割と引越しとかしまくってるのに。もう一度やらせたらISTPになるんじゃ?とか思ったり。まあでも思えば、人生の大半があの友達と同じで彼女も作らず結婚もせず、というわけだから、確かにJ型なのかもしれん。年取って、後悔のないように大胆になっただけなのかも。
友達は丸善の書店員なので、ブックカバーのガチャガチャでどうしても丸善が出したくて、必死でガチャガチャ何度も回していた。そしたら謎にリブロとかいう本屋のブックカバーがやたら当たる。試しに私も一度回してみたら、リブロが当たった。リブロとかいう本屋はどこにあるんだよ!と思ってたら、江坂にあった。大塚屋行った時に見に行ってみよう。正直ジュンク堂のブックカバーしか馴染みがない。私はもう長いこと文庫本を買っていないので。ジュンク堂でそんなに買ってたんやなって思う。なんか難波でバイトしてたから、バイト帰りに本を買ったりしてたね。今も難波周辺で住んでるから、本屋行くとしたらジュンク堂になるな。ちなみに丸善のブックカバーが一番かわいい。こんなデザインやったんや!って衝撃。

リブロで久しぶりに文庫本を買おうかな。でも欲しいものがない…買うほどでも…とか思ってしまう。
無理矢理色々考えて候補にしているのが、高校時代から気になっていたけど読んでいなかったリンドバーグ夫人の「海からの贈り物」。なんか岡田斗司夫が長距離飛行のリンドバーグのこと話してて、それでそういえばその夫人の本があったよなあ〜って思い出して。夫婦で有名ってすげえよなあって。ていうか女性がただの「夫人」ていう。結婚して初めて人権が与えられるみたいな時代ってつくづく怖いなって。いまではたぬかなみたいな女性が170ない男は人権ないとか気軽に発言する時代やけど。あれから100年経たないうちに、女が男の人権ないwとか冗談混じりで言える時代が来るなんてな。それ考えると歴史を知っていると全部が小さなことなんだなって思ったり、今の常識が昔の非常識��んだなってつくづく実感する。女性のズボンなんかも、今じゃ普通だし、一定数の保守的な女性はズボンしか履きたがらないとかあるけど、昔は女性がズボンを履くのが恥ずかしいっていう感覚だったからね。今ではスカートを履くのが冒険!みたいに言う人が一定数いるわけで、昔を知る人からは、まるでパラレルワールド。足が太くてスカートなんて履けない!とかいう人いるけど、足の太さとか関係なく、昔の女性ははスカートしか履けないんだよなあ。
あとの候補はさくらももこの日記。タイトル忘れたけど、なんかカラーで最近日記が出てたような。あれ可愛かったし、なんかサクッと読めそうやからええかなあって。あの程度なら。
そういえば、文庫本くらいの情報量多いかんじで、大量のパターンとか製図方法の書いてある本ってないんかなあ。それでは小さいから記載のQRコードを読み取れば、PDFでパターンが読み込める、みたいなさ。そんなんあったらめっちゃ欲しい。なんか本って嵩張ってでかいし、電車の中とかで気軽に見れて、自分でデザインを考えたりできるのがあれば絶対私は買う。いつか私がパターン本を製作できるほどになったら、まじでこの文庫本形式で出すことを考えてみたい。まあでも文庫本形式って普通はベストセラーになった本を小さく手軽にって感じやから、そういうのは出版社的にはあかんのかもしれんけどね。
岩波文庫が好きで昔集めてたなあ。あの古めかしい雰囲気が好きすぎる。正直岩波文庫は古本でいくらでも買えるけど、あえて新品を本屋で買うのが好きだった。あの茶色い背表紙が棚に並んでるのが嬉しかったなあ。
それか、普通に文庫本ではなく、英語の問題集とか買って、ブックカバーつけてもらうのもアリかもしれん。B4サイズぐらいの問題集ならなんか普通にカバーつけてくれた気がする。
ちなみに友達は雑誌にも希望ならカバーつけてるっていうててびびった。ブックカバーつけてもらうために今度友達の書店でパターン本を買おうかな…とか思ったり。
ᙏ̤̫͚
私の高校は2年からコースを選んで、3年まで同じクラスっていう感じやったんやけど、高1の頃、同じクラスだった子が、なんか私と一緒のコースを選ぼうとしてきたんだよな。私は美術コースと迷って情報コースを選んだ。パソコンの部屋、冷暖房完備だし新しくて快適でいいなと思ってて結構好きで。美術室は別に快適ではなかったし、課題とか毎回あれば割と大変そうやしで、結局快適さで選んだね。一応美術部だったから、美術室もわりと行ったしな。
その子とは3年間同じクラスだった。それで、修学旅行とか遠足とかの班で2人だけではやばいから、他のどっかのグループに入れてもらおうって感じで、一年の時同じクラスだった子だけどオタクグループに所属してた子と、全然話したことないけどなんかクラスの中心っぽい雰囲気のグループといて、私はスクールカーストとか気にせず、知ってる子のいるグループに声かけようかと思ったんだけど、友達はオタクグループを嫌がって、カースト上位っぽいグルー��に声かけて、グループに入れてもらって仲良くなった。なんか他にも2人組で仲良くしてた子が入ってきて、気づけばすごい大きなグループになってた。合計8人。なんか青春マンガとかでも8人ものグループってなかなかないと思う。キャラ設定考えるのも大変そうやなw偶数だったのがよかったのか、あんまりグループ内で揉め事もなく、平和に2年間過ごせて幸せな高校生活だったと思う。まあ、グループという概念よりも、なんかクラスの女子ほとんど全員と話したことがあるし、オタクグループ以外とは仲良くしていたって感じ。こんなふうになるとは思っていなかったが、私は今思えばスクールカースト上位層だったのかも。でも、友達は別の可愛い子グループの子にも気に入られてたり、2人で遊んだりしてたし、今思うときっとその子がクラスのカーストトップくらいやったのかもな。私は話したことはあっても人見知りを発揮してそこまで仲良くなれんかった。一年の頃に仲良くなった子がなんか私を独占したい系の子で、他の子と仲良くしてると謎に嫉妬してくる感じだった。大人になってもそういうところがある。なんか実際私以外仲のいい友達はいないらしい。まさか当時はこんなふうになると思っていなかった。コミュ力は普通にあると思ってたので。こんなに人の好き嫌いというか、選り好みする子だったのか…というかんじ。まあ、この世の中に人間はたくさんいて、仲良い子が私の知らないうちに他の人と会って仲良くしてても、私は正直何も思わんし、この人はこんなにいい人で魅力的だから色んな人に好かれててすごいなあとしか思わない。嫉妬とか独占欲はない。基本1人でもええタイプやしな。確か北海道の修学旅行で、とある嫌われてる子が私とその一年から一緒の友達の間に入ってきて、多分はたから見たらなんか私からその友達を取って行ったみたいに見えたんだろうね。可愛い子グループの子たちが気を遣って隣に座って話しかけてきたことがある。私は音楽聴きながら1人で座れて家のようにリラックス気分でめっちゃラッキーって感じだったから、何でこの人ら変わりがわりにこんなに来るんやろ?って感じで正直面倒に感じた。私、バスの中だと妄想の世界に旅立つからねw仲間はずれにされて悲しんでるわけではなく、ガチで一人でいたかったのに。正直普通の女子には理解できない感覚だったんだろうね。
一年の時の友達で美術コースを選んだ子のクラスメイトの女子が私のこと一目惚れしたとか言って、電車の中でめちゃくちゃ見つめてたとかいちいち報告されて、なんか怖かった記憶。そんなん言われても…て感じ。ていうかその子めっちゃ美人だったんだよなあ。なんかハーフとか?で高身長だしモデルもやってたような子。そんな美人になぜこんな私が?て感じ。その子は普通にええ子みたいなんやけど。結局全然友達にはなれんかったなあ…なんか怖くて苦手だった。原因は私のコミュ力の無さやね…難しい…なんか友達多いかと思われがちだけども、面倒くさくも感じてしまう。
昨日友達が家でクリスマスパーティーしてて、呼ばれ���たんだけども、ロバートが風邪ひいて行けなくなった。それが正直謎に嬉しい。
ᙏ̤̫͚
そういえばクリスマスソングの定番、Carol of the Bellsとだんじりの音に何か近いものを感じる。単調な音の繰り返し加減が。この曲途中でだんじりの音に変えても違和感ないんじゃ?とか思う。
2 notes
·
View notes
Text
るんぺんパリ【RunPenParis】

自己紹介 2024年11月4日追記 6116文字】 三重県伊賀市(旧名:上野市)出身 伊賀市(旧名:上野市)に 1976年(3歳)から 1996年(23歳)6月まで住んでいた 1976年以前の記憶と出生は不明 津市にある施設にいたと聞いた覚えがある 三重県亀山市に二つか三つ年上のお兄さんいるらしいが あった事は一度もない 30代の頃に一度だけ電話で話をした 父方に引き取られたお兄さんに 母親の事を聞いた 母親は別の人と再婚し離婚して 娘さんと一緒に暮らしているらしい 父親は再婚して自分と同じぐらい娘さんがいるらしい お兄さんはおじいさんの事を尊敬していて 中国語を勉強してるらしい あとは色々と聞いたけど 覚えているのはそれぐらいの内容で もう二度と話す事はないだろうと その時に思ったけど お兄さんの顔がどんな顔なのかは 見てみたい気持ちは少しある
伊賀市でそこそこ有名なのが 伊賀流忍者で忍者屋敷は今も昔も変わらない内容で 営業している それは去年に末っ子を連れていったから確認済 外観はただの古い家だけど 中に入ると意外と見応えはある 観光施設って感じ 伊賀牛は金谷のすき焼きが有名で 森辻が新しい様相なってから焼肉を食べた 個人的には伊藤の牛丼が好きだ 油が多い感じのお肉だから 100gも食べ���ば満足感がある 上野天神祭の鬼行列も有名かな ひょろつき鬼が子供の頃は本気で怖かった 銀座通りが歩行者天国になり 的屋がならぶ 高校生の頃はリング焼きが100円ぐらいで 何個も買って食べた 今年は10月18・19・20(金土日) 19(土)は久しぶりに一人で一日中お祭りを楽しむ予定だったけど 昼前から雨が降ってきて鬼行列は中止 午前中は親戚を3件回って、おみやげを渡した 午後に実家によって車を駐車して 歩いて上野天神祭へと向かった いつも泊まる「伊賀上野シティホテル」は1泊10000円以上も高い 16800円だった。この日は駐車場も使えなかった 夜の19時から同級生のお店「クワトロNo.4」に初めていった 30年ぶりにちゃんと会ったガキさんは すぐに気がついてくれた 居心地がよかったので閉店の1時までカクテルを8杯ぐらい呑んだかな 意外と安くて8200円だった 次の20(日)は上野天神祭に参加している同級生のオデに会って 鬼行列の準備風景を写真に撮って 上野天神さんの近く紅梅屋でおみやげを結構買って 桔梗屋で上生菓子とお茶を飲んで 静岡へ帰った 松尾芭蕉は俳句で有名で伊賀出身で 小学生の頃はがっつりと俳句を作らされる 俳句はいやいや作らされたので 俳句番組は見ない 俳聖殿の中には過去の優秀な俳句が収められていたかな 普段はこれといって何もないけど 俳聖殿のたたずまいは何か「The Haiku」という感じ 上野城のお堀の高さ日本2位? 一時期は日本1位説もあった 中学生の頃は上野城で体育の授業があったり クロスカントリーレースで走らされたり 高校生のデートも上野城が定番だったのか それらしき男女がイチャついていた 夜のライトアップは不気味なお城に見えた 一応、桜の名所なのかな 高校生の頃に一つ年下の子とつきあっていた頃は よく上野城をさんぽした 帰りはその子の家の近くまで送っていった この子はとても純粋な子で 自分にはもったいない子だった 半年もつきあっていないが 今でも純粋で幸せになっているかなと思い出す事もある もう向こうは忘れているだろうけど 伊賀の街には銀座通りとか丸の内とか 東京で聞くような名称が多く使われている 地元のうわさでは東京が伊賀の真似をして 街を作ったとの話がよく出てくるから 誰か本気でテレビとかで調べてほしい気もする いまだに東京が伊賀のマネをした説を 親戚がまじめな顔でいいだす時があるから 本当に真実が知りたいけど 自分が調べるほどは興味がない 2004年(平成16年)11月1日に 伊賀市に変わってから 上野市駅が忍者市駅になり 近鉄の電車��ったのが伊賀鉄道になり 電車がコスプレになった 駅前には銀河鉄道999のメーテルと哲郎の銅像があり 産業会館がハイトピア伊賀になった 産業会館だった時にマルキンのパン屋が近くにあった そこのシナモンパンが子供の頃から大好きで 今はもう手に入らない もう一度、あのシナモンパンが食べてみたい あと小さなパチンコ店「マルト」があった 「フルーツパンチ」という機種で勝った覚えがある あと「麻雀物語」もあったかな 「海物語」という機種が記憶の最終機かな 上野で住んでいた時期に一日で20万近く負けて それからパチンコは完全に辞めた じつはその後もたまにしたが ���当に気晴らし程度で その内にきっぱりとやめた スロットが主流になったら なおさら興味すらなくなった 新天地もなんかおしゃれなサビれかたで 「新天地Otonari」となった 街は高校生の頃の面影は薄くなったけど 何となく残っている上野市街は今でも魅力的だ 新天地には映画館もあった気がする 当時は賑やかな商店街だった 当時からあった「喫茶店フランセ」は今もある 大きな化粧品店は更地になっていた 高校の時の知り合いが「クワトロNo.4」という バーを経営しているが、まだ入った事はない いつか行ってみたい気持ちはある ただダーツバーらしく 常連っぽい人たちのたまり場っぽいイメージで 気楽入れなさそうな雰囲気はある 一度だけ朝方にお店の扉までいったけど バーの扉って感じで雰囲気はあった 最近は実家で一人暮らしのおかんの様子を見に よく帰省するようになったけど 若い頃は年一回も帰省しなかった 最近の伊賀でよく立ち寄るのが 「菓匠 桔梗屋織居」と 「HANAMORI COFFEE STAND」と 「岡森書店白鳳店」で 岡森書店は、Kマーホの名で出版した 「トイレの閃き」が背表紙の色が抜けた状態で 25年以上も本棚に置いてくれている これを見ると初心に戻れて まだまた創作していこうとがんばれる この岡森書店の店長さんは従姉の同級生で 小学校の先輩の同級生でもあり この店長の妹さんは自分と同年代で それにしても伊賀は狭いなと感じる
市部という地区だったと思う 近くに市部駅という無人駅がありその近くの 依那古第一保育所に5歳から6歳の2年間通った おかんは自分の送り向かいのために 自転車を乗る練習して そのおかんが運転する自転車の後ろに乗って 途中の田んぼに二人で落ちて 泥だらけになった おかんは去年の年末まで 81歳でまだ自転車に乗って 小田町の坂を下っていたらしい いまは親戚から危ないからと 召し上げられた 小学校6年卒業までは上野市依那具にある 市営の城ケ丘住宅で過ごした この市営住宅はもう40年以上も その雰囲気を変えずに今でも残っている こ��は伊賀市の文化遺産にしていいほどの時間が止まった場所だ いまだに汲み取り式の便所の換気の煙突が立ち並んでいる このカオスな感じは小学生の頃の不便な生活を思い出させる あの生活で暮らしたから今があるのは確かだ 小学校の通学路にある 垂園森でよく遊んだ 現在も存在しているが オバケが出そうな森 この森は当時通っていた依那古小学校の校歌の歌詞にも出て来る イメージ的には幽霊が出そうな森だけど 何か不思議な生き物が住んで居そうな森に見えた きつねも出そうだし おばけも幽霊も心霊も もしかするとタイムスリップして 小学生の頃に戻れそうな気もする森だと変な懐かしさを感じる 近くには無人駅の市部駅とにらめっこしている森 中学校から市街の上野城の 城下町で過ごした 当時はカオスな市営城ケ丘住宅から出れる事が本当にうれしかった 小学校までの友達とも飽きてしまっていたので寂しくはなかった 当時から色々な物にすぐに飽きては新しい物が好きだったので そっちのワクワク感で本当にうれしかった そして築20年以上の中古の一軒家で2階建て 自分の部屋がありトイレは汲み取り式だけど洋式で あこがれの上野の街で住める事もあって本当にうれしかった
そして近くの崇廣中学校に通う事に 中学校の3年間は 転校生という立場と 中一で足の骨折 バスケ部の試合で名張の体育館で遊んでいて 二階から飛び降りたら右足のかかとがにヒビが入った その夏にはバスケ部をクビになり陶芸部に入った 中二で腕の骨折 どちらも遊んでいての骨折2回 中三の高校受験で いい想い出は無い
高校2年生で 小学校の時にサッカーで出会った 旧友とバンドを組んだ RCサクセションのコピーで 「雨上がりの夜空に」「トランジスタラジオ」 「ベイベー逃げるんだ」「サマーツアー」 「サントワマミー」「いけないルージュマジック」 「いいことばかりはありゃしない」 「どかどかうるさいR&Rバンド」 旧友が作ったオリジナル曲「ガレージの上のR&Rバンド」 一番のモテ期だった気がする ただバンドをやっている自分を見て 好意を寄せられても違うなと思った バンドをしていない時はただのバイトに明け暮れた 高校生だったから バンドマン目線のそういう女子には興味がなかったから 冷たい感じだったかも 本当にこの時期がこれまでで一番楽しかった。 高校生の頃はたくさん恋をしたが 自分が不器用だったので自分が好きだった人からは つきあえてもすぐにフラれた 人を好きになることに迷走し始めて 最終的に好きになる事はやめて なんとなくという感情で奥手に過ごしていった そのせいか、他校の女子からゲイだとウワサされる事もあった なぜそうなるか不思議だったけど 当時は楽しければなんでもよかった
1993年 一人暮らしを始め��� やっと自由になった気がした 2年間ぐらいは金が無くて 通帳の残高は毎月マイナス50万 カツカツ生活 家賃と車のローンがきつかった 1996年7月から 2003年7月の 7年間は茨城県と千葉県の県境 利根川の近くに住んでいた この界隈を走るタクシー運転手の 態度は本当にムカつくから こっちも態度悪く乗ると 気分の悪さはお互いさまになる 関東平野は景色が無く ここでの生活は落ち着かなかった 食文化も人も気候も水も 肌に合わなかった 特にうどんの汁が濃いだけのシンプルな味は げんなりさせてもらった ただ寺原駅近くの「ふる川」はよく通った とくにカレーめちゃくちゃ美味かった この「ふる川」は今もやっている 当時はお店の小学生の女の子が手伝っていた 夫婦だけでやっていて 週3回ぐらい夕飯でお世話になった 「さば定食」もよく食べた気がする
1997年から パソコンをミドリ電化で38万で購入して 作詞やネットに興味を持つ まどみちお詩集を読みだす 作詞に近い詩を書き始める 「Kマーホ」という名で 詩を書き始める 目標を300篇と決めて 詩を思いついたら メモをつけるようになる 週末は家に引きこもり 一日中、音楽を聴きながら パソコンがあるのに まだワープロで詩を清書していた
1998年から2002年まで 「Kマーホ」の名で 詩に団体に参加したり 詩の賞に応募したり 詩集を自費出版したり この当時参加していた詩の団体には もうドロドロとした 詩を書く人や あまりにも読み解けない詩や 暴力的な人や いい人もいたけど 自分とは全然目指している方向が 違うので2年目ぐらいで辞めた それからは詩の団体に興味は無くなった それから 自費出版した詩集を 全国の小中学校や 全国の図書館へ寄贈して 活動を休止 理由は2000年に結婚してから 集中して詩を書く時間が無くなってきたから 2002年に2つの詩集を出版して 詩の事は全部段ボール箱へ入れた
2003年から2019年まで 育児に重点を置いて生活をする この時期は友達とも連絡を 切っていたので のちに死亡説や宗教説が出ていたらしい 2003年7月から 現在は静岡県在住 もう20年以上住んでいる
2019年 るんぺんパリ【RunPenParis】の名で 詩を書き始める SNSでの詩の発信を始める るんぺんパリ【RunPenParis】とは フランスはパリの街を ぺんを持って 走るという意味から 【RunPenParis】ができた 1973年8月1日生まれ(もう51歳) しし座 O型 右利き 詩・詩集・ことばをデザイン アート・写真・小説・ペン画 松尾芭蕉の生家がある伊賀市で 十代までを過ごし 俳句が幼少期から 身近に存在していた 二十代から詩を書き始めて 「Kマーホ」名で活動(1999-2002) 詩集6冊を出版して活動休止
その後 松尾芭蕉の俳句のような シンプルな言葉遊びを 詩で出来ないかと考えていた中で 令和元年(2019)に 「るんぺんパリ【RunPenParis】」の名で 活動を再開 SNSに140文字に 言葉をデザインした詩 「140文字詩」を 毎日投稿する活動を始める 2023年9月に140文字詩が 1200作品に到達した事で 「140文字詩」を全国へ さらに世界へと 俳句のように広く知られる 存在になって欲しい ◆るんぺんパリ【RunPenParis】作品一覧 【2023年】Amazonで販売 2023/12/27第2フォト集「ほちきす それでは あかんで」 2023/12/2 第1フォト集「とめても ええか ほちきすで」 2023/11/23 第16詩集「もあいの ねごとを よみとる」 2023/9/16 第15詩集「さんもじ もしくは よんもじ」 2023/9/9 第14詩集「のこりの あぶらは わるもの」 2023/9/2 第13詩集「あそびも しごとも たいふう」 2023/8/26 第12詩集「かいてきな しつどに おぼれる」 【2022年】Amazonで販売 2022/12/6 第11詩集「やくそくは よなかの おひるに」 2022/11/3 第10詩集「みさんがの ともだちの たまんご」 2022/10/7 第9詩集「くうきと さんその かつさんど」 2022/9/3 第8詩集「さついを こめた いもけんぴ」 2022/8/7 アート作品集「やさいに つめる にくえらび」 2022/2/14 アート作品集「よなかに ひかる かみぶくろ」 2022/1/1 第7詩集「みかんの むくちな きもち」 【2021年】Amazonで販売 2021/9/8 第6詩集「そんな ことばは さよなら」 2021/8/3 第5詩集「あさに おくれた なんて」 2021/6/5 第4詩集「すいかの たねの ちょうこく」 2021/5/31 第3詩集「たんぽぽの たまご ひとつで」 【2020年】Amazonで販売 2020/7/27 第2詩集「こよい こよりの そらから」 2020/3/2 詩小説「すきから あいへ おやすみ」 【2019年】Amazonで販売 2019/7/21 第1 詩集「ところで あした あいてる」 ◆Kマーホ 作品一覧(1999-2002) 【2002年】 2002/4/30 第6詩集「眠立体(ねむりったい)」 2002/4/4 第5詩集「コールサック」 【2000年】 2000/7/31 第4詩集「マガサス星人」 2000/1/31 第3詩集「おしりとサドルが あいますか」 【1999年】 1999/8/1 第2詩集「テレビジョン」 1999/5/1 第1詩集「トイレの閃き(ひらめき)」 【受賞】 2001年 詩「眠立体(ねむりったい)」第6回トワイライト文学賞 2000年 詩「永遠の親友」信越郵政局長賞 1999年 詩「トイレの閃き(ひらめき)」第1回万有賞 1998年 作詞「地球のウラハラ」第31回日本作詞大賞新人賞候補ノミネート
#runpenparis#art#paris#artist#artistreet#詩#vogue japan#るんぺんパリ#詩集#japan#アートブラッシュ#アート#アートワーク#アートギャラリー#アート作品#個展#自己紹介#伊賀#伊賀市#上野天神祭#140文字詩#写真#ぺん画#伊賀出身
2 notes
·
View notes
Text
東京五輪から2年 湾岸はいま
悪夢のようなTOKYO2020大会から2年が経った。 五輪のために姿を変えられたあの場所は、巨額の資金を費やして建てられた会場は、白いフェンスに閉ざ���れていた公園は、いま一体どうなっているのか。 湾岸エリアを中心に、フィールドワークを行った。
①築地市場
築地本願寺から場外市場に向かう。日曜日。外国人観光客、親子連れ、カップル。賑わいは築地市場があった頃と変わらないように見えた。どの店にも、昼食を目当てに沢山の人が並んでいる。
立体駐車場の最上階から市場のあった方を見下ろす。縦横に走るターレ、魚の並ぶケース、積み上げられたトロ箱、林立する仲卸の看板――それらが全て消え去り、でこぼこの、剥き出しのコンクリートだけが灼熱の太陽に焼かれていた。その一部は駐車スペースに。数台の自家用車。物悲しくなるぐらいしょぼい。
駐車場のわきに、築地市場の仲卸とおぼしき店名のプレートを付けたターレが放置されていた。よく見ると、ナンバープレートを外した痕がくっきりと残っている。
石原元都知事が主導した2016年五輪招致当時、築地市場を潰してメディアセンターを作��という話が出ていた。2020東京大会ではそれが「駐車場」にかわり、市場は2018年10月に東京都によって閉鎖された。選手村から競技場への輸送のために新たに作られた環状2号の全面開通は、五輪閉幕から1年以上も過ぎた2022年12月。五輪招致が、都民の台所を打ち出の小づちのように利権を生み出す空虚な「一等地」に変えてしまった。
築地を舞台にしたある連載漫画の中で、目利き一筋の主人公は何故か移転に何の葛藤もないまま「豊洲で頑張っていこう」と仲間に呼びかけていた。築地市場83年の歴史は、急速に「なかったもの」にされようとしている。
②月島
東京では五輪の前から、競技会場と直接関係のない場所でも各地で再開発が起こっていた。晴海にも程近い、湾岸エリアに位置する月島もまたその1つ。もんじゃストリートで有名なこの町は、一本裏道に入ると古い木造家屋が軒を連ねる下町らしさが残っている。私たちが2017年に訪問した際は、月島1丁目西仲通り地区再開発計画のためにもんじゃストリートの店舗が軒並み閉店していた。
そして今回訪ねてみると、MID TOWER GRANDなる地上32階、高さ121mの超高層マンションが建ち(2020年10月竣工)、その1階にもんじゃ屋などの店舗が入っていた。 月島ではさらに地上48階、高さ178.00mのタワマンを建てる月島三丁目南地区第一種市街地再開発事業、地上58階、高さ199mのタワマンを建てる月島三丁目北地区第一種市街地再開発事業が控えている。フィールドワークの後で知ったことだが、この月島三丁目再開発計画には反対運動や行政訴訟も起こっているとのこと。長年暮らしてきた人々の���吹が聞こえるような町並みが、大手開発業者によって姿を変えられようとしていることには胸が痛む。
③晴海選手村
カンカン照りの選手村跡地。ここはHARUMI FLAGなる高層マンション群として開発され、完成すれば5,632戸12,000人が暮らす街になるという。未だ工事中で通行できるのはメインストリートの車道のみ。焼けつくような暑さの中、誰もいないコンクリートだらけの空間は殺伐とした雰囲気が漂っていた。
選手村をめぐっては、東京都が適正価格の10分の1という不当な安さで都有地を三井不動産ら11社のデベロッパーに売却したとして住民訴訟が起きている。五輪という祝賀的なイベントが作り出す例外状態によって、公共財産が民間資本に吸い上げられた象徴的な場所だ。
街の中心に近づくと、左手には、大会中、大量の食材廃棄が問題となった食堂の跡地が、中央区立の小中学校(2024年度開校予定)として整備されていた。
右手には三井不動産の商業施設「ららテラス」。その1階には「東京五輪���振り返りスポーツの力を発信する施設」として「TEAM JAPAN 2020 VILLAGE」が設置されるらしい。五輪と三井不動産のどこまでも続く蜜月がうかがえる。
その先では道路を挟んで左右両方の街区で50階建ての2棟の超高層タワーマンションが目下建設中だった。
選手村を訪れるとき、2018年、建設工事中に2人の労働者が亡くなったことを思わずにはいられない。その街区は、労働者の死という痛ましい現実を塗り固めるようにSUN VILLAGE(太陽の村)という輝かしい名前で分譲されている。 この街区だけではない。この街全体が、五輪によって引き起こされた問題などまるで何もなかったかのように成り立っている。この街ではとても生きていけない、生きた心地がしない。生気を抜かれたようにその場を後にした。
④潮風公園、お台場海浜公園

ビーチバレーボールの会場設営のため何年もフェンス封鎖されていた潮風公園。わたしたちは初めて公園内に入った。こんなに広かったのか!無観客のくせに、この公園全体を占拠していたなんて、ほんとうに厚かましい。
東京湾の対岸の埠頭にはコンテナが並んでいる。海をみてみると、うっ!海水は泥沼のような色。しかし、なぜか匂いはせず、潮の匂いさえもしない。ファブリーズでもしているのか?
わたしたちは、野宿の人たちが寝ていた場所を探して公園内を歩いた(東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織員会による追い出し→https://x.gd/ZJP4d)。木がたくさんあってなかなか住み心地よさそうだと思っていたら、屋根のある排除ベンチにたどり着いた。なんて醜いデザインなのだろう。
次に「トイレのようなニオイ」と話題になったお台場海浜公園のビーチへ、匂いを確認しに行った。「遊泳禁止」の看板があり、スクリーニングのためと記してあったが、やはり汚染が懸念されているのだろろう。このビーチの海水も濁っていて、潮の匂いさえもしない。怪しい水質だ。
しかし、暑すぎる。灼熱の日差しの下で、ビーチバレーボールや、トライアスロンをやって、汚い海に飛び込んでいたのか。 知れば知るほど、��リンピック・パラリンピックは地獄だ。
⑤有明
有明の旧会場エリアへ。グーグルマップで見ると、どうやらこの一帯は「有明オリンピック・パラリンピックパーク」と名付けられたらしい。いまや地に落ちた電通がオリンピックでちゃっかりゲットした、唯一黒字と言われる有明アリーナへ。SNSではステージが見えない席があると不評を買っていたが、「ディズニーオンアイス」をやってるらしく、猛暑の折、駅から会場まで大勢の人だかり。
有明体操競技場はこの5月に「有明ジメックス」と名を変え、株式会社東京ビックサイトが運営する展示場としてオープンしたらしい。第一印象は「・・・神社?」世界的ウッドショックの最中に木材を山のように使って、10年程度で取り壊される予定とのこと。こんなに立派にする必要あったのか?
そこからゆりかもめの駅を越えると、フェンスで囲われた草ぼうぼうのワイルドな一角が。有明BMX会場跡地だ。グーグルマップには「有明アーバンスポーツパーク(2024年4月開業)」とあるが、いまのところ影も形もない。スポーツ施設より原っぱ公園の方が需要あるのでは?
有明テニスの森公園は工事パネルが外されて、開放感に溢れていた。こんな素敵な場所を何年もオリンピックのために囲って、市民を排除してきたかと思うとあらためて腹が立つ。
真夏の炎天下に火を燃やし続けた聖火台があった夢の大橋にも立ち寄った。観覧車が無くなっていた。東京都はこの夢の大橋を含むシンボルプロムナード公園の一角に、新たに聖火台置き場をつくって飾っている。東京都はいつまでオリパラの亡霊にすがる気か。。
⑥辰巳・東京アクアティクスセンター
アクアティクスセンター
「威圧」を形にしたような巨大建造物。
建物の周りには木陰がなく、取ってつけたような弱々しい植栽が施されている。
正面外の、広すぎる階段は、車いす利用者でなくても、大げさすぎてびっくりする。コンクリートが日射で熱い。ゴミ一つ落ちていないのは、人が寄り付かないからだろう。
その下にたたずんで私は、ピラミッド建設のために労働を強いられている人のような気持ちがした。
ここは、公園の一部であった。近くに団地もある。誰でも入って、海からの風を感じながらくつろぎ、出会う場所だったはずだ。
5年前に訪れた時は、工事中で巨大な支柱がそびえたっていた。三内丸山遺跡にインスパイアされたのかと思ったが、出来上がったのは帝国主義の終点のようなしろものだった。
「お前たちが来るところではない。」という声がどこからか聴こえる気がした。
知ってる。だから入ってみた。静かだ。人っ子一人いない、空調が効いて冷え切っている。だだっ広いロビーの小さな一角に、TOKYO2020オリパラのポスターたちがいまだに展示されていた。
競争をあおり、序列化し、勝者に過剰な価値を与え、「感動」を動員するスペクタクルがここで続けられるのだ。
生きていくのに必要な潤いをもたらす公園に、このような醜悪なものが君臨しているのを私は許せない。
炎天下の湾岸エリアを丸1日かけて回った。TOKYO2020跡地は、廃墟になっていると思いきや、むしろ多くの場所でまだまだ開発が続いていた。開発への飽くなき欲望と「レガシー」への執着、五輪災害は閉幕後も延々と残り続けている。 この日撮影した映像を使って「オリンピックって何?東京からパリ五輪1年前によせて」という動画を作成し、1年後に五輪開幕が迫るパリでの反五輪の闘いに連帯を示すメッセージとした。 From Tokyo To PARIS, NOlympicsAnywhere
youtube
21 notes
·
View notes
Text
2024年8月28日(水)

<銀座ライオン>のアプリでは、一日一回<LUCKY GACHA>を回してポイントを貯めることができる。月末失効ポイントがもったいないので、台風対応で急きょ休みになったツレアイと街に出た。<京都シネマ>で<エターナル メモリー>を観て、<銀座ライオン四条烏丸店>でランチビールを頂く。いやぁ、胸もお腹も満たされたいい一日となりましたとさ。

5時起床。
日誌書く。
体重、500g増。
洗濯機回す。

朝食。
珈琲。
三男の弁当。
空き瓶缶、20L*1&45L*1。
西大路七条から13系統に乗って四条烏丸へ、京都シネマは9時40分開場、10分前に着いたが高齢者の姿が多い。

彼女の希望で選んだ作品
著名なジャーナリストである夫、アウグスト・ゴンゴラと、国民的女優でありチリで最初の文化大臣となった妻、パウリナ・ウルティア。20年以上に渡って深い愛情で結ばれたふたりは、自然に囲まれた古い家をリフォームして暮らし、読書や散歩を楽しみ、日々を丁寧に生きている。そんななかアウグストがアルツハイマーを患い、少しずつ記憶を失い、最愛の妻パウリナとの思い出さえも消えはじめる―。本作は、アルツハイマーを患った夫アウグストと、困難に直面しながらも彼との生活を慈しみ彼を支える妻パウリナの、ささやかな幸せにあふれる丁寧な暮らしと、ふたりの愛と癒しに満ちた日々を記録した感動のドキュメンタリーであり、真実のラブストーリーだ。
誠実で丁寧な暮らしの積み重ね、ゆっくりと感動が広がる。
帰路、私は<セントラルスクエア花屋町店>で猫砂とカルカンを購入、彼女は<ダイソー西七条点>でココのご飯を入れるためのスプーンを購入。

台風は相変わらずノロノロ。
汗をかいたので、着替えて2度目の洗濯。
Jcomから着信、チューナーのチェック、9/1(日)13時でアポを取る。
<MQJ>のニュースレター制作、彼女は原稿書き、私は来年からWebサイトを閉じるのでメールアドレスを新しく作成。レンタルサーバーを解約してこのtumblr以外は廃止する、これも終活なり。
彼女と3男でココに点滴、私は夕飯用意。

夕飯は3日間昆布締めしておいたポークを焼く、おいしく出来上がった。
録画番組視聴、名探偵ポワロ。
第2話「鳩のなかの猫」/ Cat among the Pigeonsシーズン 11, エピソード 2 中東の王国ラマットで革命が起き、アリ殿下が殺害される。殿下は死の直前、親友のイギリス人、ローリンスンにあることを依頼していた。数か月後、イギリス では名門女学校、メドウバンク学園の新学期が始まる。アリ殿下の婚約者だったラマットのシャイスタ王女も転入してくる。ポワロは知人のバルストロード校長 に後任者選びの助言を求められ、しばらく滞在することに。そんな中、深夜に体育教師スプリンガーが殺害される。
終わって片付け・・・、の前にダウンしてしまった。

今日はこんなもの。
4 notes
·
View notes
Text










午後4時。渋谷に向かう京王井の頭線。夕暮れ時の柔らかな日差しのなかでまどろみかけた僕は、ある駅から乗り込んできた“ざわめき” に頭を上げた。ルーズ・ソックスを直すどこかそわそわした顔もあれば、世界史の教科書にアンダーラインを引く難しい顔もあるかと思えば、こっちではプリクラを一面に貼った鏡で口紅をひく顔もある。それぞれの夕方。となりに座った女子高生はヘッドフォンをカバンから取り出した。僕は自分のカセットのプレイボタン を再び押した。ラベルには「Shake/DOUBLE」と書いてある。
「東京はやっぱり、外に出ると人がいっぱいで疲れちゃうかな」 (TAKAKO)
「休みの日?何もやってない。ほんと何もやってないよね、私(笑)」 (SACHIKO)
新潟出身の美人姉妹はとびきりクールだ。そんな噂を聞いていた。
「崩さないようにしてるんだよね。写真もたくさんあるなかからよりすぐって」 (SACHIKO)
「いいのを選んでね (笑)」 (TAKAKO)
「ふたりで撮ってるじゃないですか。別々に撮れないでしょ。で、写真チェックがあるんですけど、自分たちに見せてもらうときにお互い自分の顔しか見てないの(笑)。それで気に入ったやつをふたりでガーッと言い合うんですけど。この「BED」のは・・・・・・」 (SACHIKO)
テーブルの上にあったのは彼女たちが去年リリースしたマキシ・シングル 「BED」。
「これはふたりの意見がかぶったのが1枚しかなかったんです」 (SACHIKO)
「そうなのよね」 (TAKAKO)
「すっごいいっぱい撮るなかで、“わたしはこれオッケー”っていう写真がいつもけっこうあ るんだけど、このときはふたりともオッケー出 したのが1枚だけだった」 (SACHIKO)
「ほんとにこれだけ(笑)」 (TAKAKO)
これまでのダブルの写真、すべて見たわけではないが、このジャケットはもっともハッピーな空気に包まれた一枚と言っていいだろう。
「そう。このときのジャケット写真のコンセプトとか全部わたしが決めたんですね。で、これのテーマは一応、“愛��だったんです。やっぱり“幸せになりたい”ってね、みんなの願いじゃないですか。そういうのをちゃんと形にしたくって。ハードなところを出してくっていうのももちろんあるけど、ただハードにしてクールにしてるのはちょっと大人げないというか。ただスネてる子供っぽいなっていう。だから、まず最初に自分がもっと広い愛を持ってることをやってから、ハードな面とかクールな面を見せたかったんですよね」 (TAKAKO)
「これ、ハートの形になってるんですよ。偶然なんだけど」 (SACHIKO)
「BED」のジャケット。よく見れば、ふたりの髪がハートの形を描いている。
「一瞬聴くと、暗い曲っていうか、失恋したみたいな曲なんですけど。ちゃんとブリッジで “この部屋のすみでも、ずっと黙ったままでも、 そばにいればわかりあえる”って展開してるんですよ。だから、結局はわかりあえるってことを言いたいんだけど、ま、その前につらい時期もあるよねっていう。ジョブンですよ、ジョブ ン」 (SACHIKO)
大学で言語学を学んだ姉は“ジョブン”と言った。まるでどこか違う国の言葉みたいに。
「本当のストーリーはハッピーで。わたしたちはすごい信用しあってるから絶対にわかりあえるのよっていう歌なんです。で、1番2番は、 その“序文”(笑)」(SACHIKO)
笑う顔もすごくいいのに。もっと笑顔の写真 を出せばいいのに。
「そうですね。やっぱり自意識過剰なんで、すごい緊張しちゃうんですね」 (SACHIKO)
「東京はやっぱり、外に出ると人がいっぱいで疲れちゃうかな」 (TAKAKO)
「休みの日?何もやってない。ほんと何もやってないよね、私(笑)」 (SACHIKO)
新潟出身の美人姉妹はとびきりクールだ。そんな噂を聞いていた。
「崩さないようにしてるんだよね。写真もたくさんあるなかからよりすぐって」 (SACHIKO)
「いいのを選んでね (笑)」 (TAKAKO)
「ふたりで撮ってるじゃないですか。別々に撮れないでしょ。で、写真チェックがあるんですけど、自分たちに見せてもらうときにお互い自分の顔しか見てないの(笑)。それで気に入ったやつをふたりでガーッと言い合うんですけど。この「BED」のは・・・・・・」 (SACHIKO)
テーブルの上にあったのは彼女たちが去年リリースしたマキシ・シングル 「BED」。
「これはふたりの意見がかぶったのが1枚しかなかったんです」 (SACHIKO)
「そうなのよね」 (TAKAKO)
「すっごいいっぱい撮るなかで、“わたしはこれオッケー”っていう写真がいつもけっこうあ るんだけど、このときはふたりともオッケー出 したのが1枚だけだった」 (SACHIKO)
「ほんとにこれだけ(笑)」 (TAKAKO)
これまでのダブルの写真、すべて見たわけではないが、このジャケットはもっともハッピーな空気に包まれた一枚と言っていいだろう。
「そう。このときのジャケット写真のコンセプトとか全部わたしが決めたんですね。で、これのテーマは一応、“愛”だったんです。やっぱり“幸せになりたい”ってね、みんなの願いじゃないですか。そういうのをちゃんと形にしたくって。ハードなところを出してくっていうのももちろんあるけど、ただハードにしてクールにしてるのはちょっと大人げないというか。ただスネてる子供っぽいなっていう。だから、まず最初に自分がもっと広い愛を持ってることをやってから、ハードな面とかクールな面を見せたかったんですよね」 (TAKAKO)
「これ、ハートの形になってるんですよ。偶然なんだけど」 (SACHIKO)
「BED」のジャケット。よく見れば、ふたりの髪がハートの形を描いている。
「一瞬聴くと、暗い曲っていうか、失恋したみたいな曲なんですけど。ちゃんとブリッジで “この部屋のすみでも、ずっと黙ったままでも、 そばにいればわかりあえる”って展開してるんですよ。だから、結局はわかりあえるってことを言いたいんだけど、ま、その前につらい時期もあるよねっていう。ジョブンですよ、ジョブ ン」 (SACHIKO)
大学で言語学を学んだ姉は“ジョブン”と言った。まるでどこか違う国の言葉みたいに。
「本当のストーリーはハッピーで。わたしたちはすごい信用しあってるから絶対にわかりあえるのよっていう歌なんです。で、1番2番は、 その“序文”(笑)」(SACHIKO)
笑う顔もすごくいいのに。もっと笑顔の写真 を出せばいいのに。
「そうですね。やっぱり自意識過剰なんで、すごい緊張しちゃうんですね」 (SACHIKO)
東京に来て3年と少し。ふたりは地方都市のイケてる姉妹から日本で一番イケてる姉妹へと進路をとったのだが・・・・・・。さて、その物語の “序文”とはどんなものだったのだろう?
「最初の音楽活動? 18か19のころ、新潟でイベントで歌をうたうっていうアルバイトがあったんですね。で、友達の紹介でサチコがまずそれをやって。そのあと、もうひとり紹介してくれってことで、わたしもいっしょに歌うことになって」 (TAKAKO)
「わかります?(笑)」(SACHIKO)
思い浮かべていただきたい。舞台は新潟、イベントの名前は、どんどん祭り。
「新潟市内に古町っていう繁華街があってですね・・・・・・」 (SACHIKO)
「若者が集まる・・・・・・」 (TAKAKO)
「その特設ステージで歌ったのが初めてかな」 (SACHIKO)
「そのときは全部洋楽のカバーで。マドンナとか、TLCとか、マライア・キャリーとか。あ と、ロックンロールもやりました。ほんと洋楽ならなんでも」 (TAKAKO)
「“キャント・テイク・マイ・ア〜イズ・オフ・ユ~”とか(と歌い出す)」 (SACHIKO)
「マドンナは・・・・・・、“ユー・ベタ・ライク・ハンキ〜パンキ~”とか、TLCは、“ベイビベイビ・ベイビィ〜”・・・・・・」 (TAKAKO)
「それを突然歌うんです」 (SACHIKO)
「わたしたちがやる直前までは、屋台みたいのでビンゴ・ゲームとかやってて、子供がバーッといるわけですよ」 (TAKAKO)
「そんなところで急に歌い出しても誰もいないんですけどね(笑)」 (SACHIKO)
「そうこうしてるうちに、知り合いの人がオーディションにテープを送ってくれたんですね。それがデビューのきっかけで・・・・・・」 (TAKAKO)
クール・ビューティは誕生した。2枚のシングル「For me」「Desire」に続いて、実はラブな美曲「BED」。そして、「Shake」と、姉妹のテンションは上がっていく。
「「Shake」はアップめな曲なんですけど、もともとはミディアム・テンポが好きなんです ね。でも、今までの曲――「 今までの曲―― 「For me」はミディアム、「Desire」は速くて、また「BED」 でミディアム。で、気づいたんですけど、「Desire」ってライブで映えるんですよね」(TAKAKO)
「だから、ここはもうひとつ速い曲が必要だ
ねって話で」 (SACHIKO)
「メロディが先にあって歌詞・・・・・・っていう曲 が多いと思うんですね。でも言葉自体が持って るサウンドもあるでしょ。今回の「Shake」 は・・・・・・、というかこれから先もずっとなんですけど、言葉が持つ響きを大事にしていきたいですね」 (TAKAKO)
妹は大いなるビジョンを抱き、姉は妹に「サッチャン!」と怒られながらもステップを踏む。 姉は休みは家にいると言うが、ダンスフロアが、 ナイトライフがこれほど似合う姉妹もそうはいない。たとえば、RHYMESTERのMummy-D、 MELLOW YELLOWのKOHEIの兄弟と絡み合った「BED (DOUBLES)」。たとえば、 ZEEBRAをフィーチャーした 「Shake」のリミックス。また、マキシ・シングル「Shake」には m-floのtakuがトラックを手がける 「Make Me Happy」というロマンティックな曲も入っ ている。
「最初はこの「Make Me Happy」もリードの候補にあがっていたんです。でもやっぱりトラックが洋もので、日本語をAメロにのせるのが難しいなって。それで英語の割合が多いんですけど、この曲」 (TAKAKO)
「ここの英語のところは全部、文句なんです。 彼氏に対する。でもちょっと言えないかもってことなんですね。だから英語なの(笑)。だけども、本当の心のなかのことは日本人だから日本語なんです(笑)」(SACHIKO)
本当の心のなか、それは・・・・・・・・・ “一番近い世界に星が降って欲しい。一番近いあなたをそう信じ続けたい”。そう、ふたりの恋愛。これを語らずにインタビューは終われない。
「たぶん、サッチャンは女王だと思う。表面的には非常に人を立てるような感じなんですけど(笑)」 (TAKAKO)
「ん~。たしかにそんな気がする(笑)」 (SACHIKO)
「私は女王様ぶってるけど、実は違うっていう」(TAKAKO)
「実は、犬(笑)」(SACHIKO)
初夏に予定されているアルバムには、そんなふたりの恋愛がにじんでいるのだろうか?
「今、アルバムでは、超ラブラブなのを書くようにしてます」 (SACHIKO)
「なんか強い感情っていうと、悲しみとか辛さだったりするじゃないですか。痛みや辛さがどうしても勝っちゃうんで、難しいんですけど …」(TAKAKO)
地方都市��育ち、鍛えられ、美しくなった姉妹の歌。ときに躍り、ときに濡れ、甘く切なくふたつの声は奏でられる。今、日本に生き、 R&Bやヒップホップを愛する少年少女。特に少女―シスターが“こうなりたい”と願う存在としてのDOUBLE。いきなりそんなポジションに立ちかねない。そんな勢いがふたりにはある。井の頭線の電車のなか、女子高生は口紅をひきながら、ルーズ・ソックスを直しながら、 「Shake」を聴くはずだ。
「もうひとりお姉ちゃんがいて、厳しいですよ、私たちの曲には」 (SACHIKO)
「でも、そのうち踊ってる。いいときは、超いいじゃん!とか言って(笑)」 (ΤΑΚΑΚΟ)
#JAMSiS#19990415#DOUBLE#ダブル#Double_Japan#DoubleSACHIKO#SACHIKO#サチコ#DoubleTAKAKO#TAKAKO#タカコ#SuperSister#J_RandB#JRnB#RandB#QUEENofRandB#Y2K#1999#90s#1990s#雑誌
3 notes
·
View notes
Text

北海道の実家で暮らしていた頃、祖母が親戚に電話するとき、しばしばこう言っていた。 「夢に出てきたから」 私が大学進学で東京に出た後、祖母との電話で同じ言葉を何度か聞いた。 祖母が亡くなったあと、今度は実家の母から同じ言葉を聞く機会が増えた。 わざわざ夢に出てきたことを口実にしなくても、用はなくともただ電話をかければいいのに、と、その言葉を聞くたびに思い、同時に、ほとんど場合は用もないのに連絡はしにくいし、自分だって近況を確認するためだけに電話もメールもしないな、と自己問答を繰り返していた。 とはいえ、本を読むときに紙面と顔の距離がだんだん遠くなってきた最近では、これを口実に連絡を取る気持ちがよくわかるようになった、のだけど、なんだか気後れするのと勇気がなくてできない小心者のため、わかるようになったどころか、うらやましかったり、憧れたりする。
この時期、ここを離れて別の場所に向かう姿が周りに多くなる。今は大学にも勤めているせいもあるし、年齢的なものもあるし、不意のものもある。向かった先での少なくても確かな幸福と、より少ない不幸を心から願うとともに、なんだか取り残されるような気持ちにもなる。今では、別の場所に向かったひとの中にも、SNSでその消息を知ることができるひとも多いけど、それでも会いたくなったり、声を聞きたくなるのはなぜだろう。それはそれぞれの元気な姿を確かめたいのと同時に、置いていかれたような寂しさのせいなのかもしれない。
北海道の片田舎に生まれ、東京に出てきた後7回引っ越し、フランスで生活した後、三重県に移住し、仕事で日本各地や海外に行くことが多いため、思い入れがある場所がたくさんあるけど、その愛着は場所そのものというよりは、そこに紐付いているひとへの郷愁の方が強いように感じる。だから、そこにいたひとが移動してしまうと、自分の思いだけがその場所に残されてしまうような寂しさを感じるようにも思える。
今年、私が演出で関わる大きな作品のうちの2つ、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」、三重県総合文化センター開館30周年記念・三重音楽発信 オペラ「カルメン」のために原作を調べていると、それぞれのタイトルロールである2人、奔放で自由な生き方をしているように見えるこの2人、ヘッダとカルメンも、似たような寂しさに付きまとわれているように感じる。自分の場所や価値観ははっきりしているのに、所在がないように感じたり、向かうべき場所や行くべき場所がないような寂寥感。実直なものや純粋なものがまぶしくて、憧れているのに目を背けてしまうような。
もしかしたら、ヘッダもカルメンも、別の場所に向かったひとが夢に出てきて懐かしさが湧いてきても、用もなく連絡できないひとなんじゃないか…と思うのは、自分に寄せすぎなのかもしれない。
私も祖母や母のように、もう少し年月が経つと、「夢に出てきたから」と朗らかに連絡できるようになるんだろうか。ただ、なれたとしても、連絡先がわからなかったり、もう物理的に連絡できない場合もあるし、立場も気にしてしまうから、歳を経ると状況はどんどん複雑になっていく一方でもある。
やれやれ。
———————————
現在、2つの公演で出演者を募集しています。
ひとつは、8月末に三重県文化会館で上演される、第七劇場「ヘッダ・ガーブレル」(原作:イプセン) https://dainanagekijo.tumblr.com/post/743038362283327488/heddaaudition
もうひとつは、同じく三重県文化会館で11月に上演される、三重県総合文化センター開館30周年記念・三重音楽発信vol.11 オペラ「カルメン」(作曲:ビゼー) https://www.center-mie.or.jp/bunka/release/detail/20231201.html
昨年10月末に「三人姉妹」ツアー知立公演を終えたのち、同会場で地域の学校招待公演として「赤ずきん」を上演し、11月に三重オペラ協会「サンドリヨン」(マスネ作曲)の演出、12月に名古屋芸大の同僚・浅井さんが運営するダンスハウス黄金4422で開催された村上春樹を題材にしたワークショップ/ショーイング、年明けて1月に名古屋市西文化小劇場にて名古屋芸大・舞台芸術領域2年生の劇場実習発表「白雪姫」、2月に三重県文化会館制作・絵本コンサート「そっとそおっと」と、名古屋芸大・ミュージカルコース卒業公演「ヘンゼルとグレーテル」(ジャスティン・ロバーツ作曲)と、名古屋芸大・オペラ「ヘンゼルとグレーテル」(フンパーディンク作曲)を演出しました。
来週3月���旬には、今年度の演出納めとなる、名古屋芸術大学[音楽の森]家族のための朗読コンサート「おやゆび姫」があります。 https://nua-ap.tumblr.com/post/740564053731229696/onmori23
その後、中旬と下旬に「ヘッダ・ガーブレル」と「カルメン」のオーディションが続き、いつのまにか新年度になっているのでしょう。
今年もすでに2月が終わろうとしています。ついこの前、新年になったと思ったのに。この調子だと、一週間後には今年も終わってるんじゃないだろうかとも思えます。
2 notes
·
View notes
Text
稽古日誌
新しい役者紹介が投稿されたと思ったか!!
残念、これは2週間前の稽古日誌です。
4/3(金)の稽古内容です!
一旦過去を振り返るのも悪くないだろう↓
シーン練
キャスパ練
またまた(シーン練をするのが)難しい役を貰ったな〜って思ってます。けど、おかげでらびさんとソウル❤️🔥andメイト👯♀️になれた気がしてよかったです。
前回演じた役との共通点といえば、また主人公の元カノ...とか、なんとも言えない関係性なんですよね。気付いた時はなんとびっくり!ジョジョジョ〜!って感じでしたが。今回は脚本家の性癖のアテではなくてよかったです。
あれ...?
なんかハセハセしてきたな...
あなたは間違えているわ役者紹介
みなさんが日々の暮らしでちょっとずつ間違えていそうなことを、私長谷川が正しく伝えていきます。長谷川がどのくらい責めるかは、運次第です。
北山役 錫蘭リーフ
妥協点を間違えてそう。箱で作業してて「2時?うーん、まだ大丈夫かぁ」とか、お酒飲んでて「いつもより飲んでるっけ、まあいけるいける」とか言ってそう、知らんけど。でもそういうところよ(理不尽)
頑張るセイロンさんに、乾杯。
今井役 園堂香莉
朝のお急ぎ時間に内巻きと外巻きを間違えてそう。先に左側を巻いた時点で気付くけど、何事もなか���たかのようにシンメトリーに巻き出してリカバリーしそう。で、それはそれで結局納得するんですよね。......そういうところじゃないですか!?(???????)
長谷川役 海月
みんなは間違えているわ......みんな、間違えている......
スミはカタカナ表記です
楽田役 森々仙入
声量間違えてそう。なんか出す予定じゃなかったのにデカい声出ちゃって相手も本人も焦ってそう。それか小声で喋ろうとしてるのに意図せず大声になってそう。声が勝手に出たんじゃない、あなたが出してるの。←この構文結構煽り性能高くてすき
なーんにもわかってないんだな←こっちもすき
安岡役 黒井白子
ちゃんとしたルーティンあるのに行程を1ミリずつくらい間違えてそう。牛乳を30秒温めようとしたら手が滑って500wを600wにしててアチチみたいな。黒の靴下と紺の靴下同時に取っちゃうみたいな。完璧とうっかりを黄金のバランスで両立しててほしいランキングNo.1
白子さんには何もいえません......
鹿島役 和來
幕と間違えて黒のスカート持ってきてそう。持ち場について自分で気付いて間違えたーって周りと一緒に笑ってそう。きなこが勝手に持って来たんじゃない、スカートが来たんだ。つまり悪いのはスカートです。
高木役 粕味
書類やらプリントやらの注意書き見間違えて記名忘れてそう。ひっそりとデカいやらかしをしてるやつね。でも今回の公演期間はしっかりしてるイメージだったよ。なんかトラブっても、なつめならなんとかなるんじゃない?(他人事)
名取役 叶イブ
言わずもがな、女性の身体の触っていい箇所を間違えていますね。これは偏見ではなく事実です。ふぃーちゃん、自覚がないのよ。触っているというよりむしろ、撫で回しているという自覚がないの。
桜井役 水原一PAY
なびちゃん......あなたは間違えている。この芸名。控えめに言って、アウトよ。
牧野役 暁レミエル
料理する時、最初に切るものの順番から容器まで決めてるのに、いざ始めてから順番間違えてるのに気付いて「うわっ」ってなってそう。でもなんか、えるを責めるのって違う気がするのでやめときます
阿部役 鞠凸二郎
「鞠」の字間違っててほしい。自分で書けないんじゃない?という期待を込めて。なんかちょいキモいんだよね、鞠の字って。でも自覚がないのよ。最後にあなたの師匠(たぴ様)が投稿した稽古日誌、覚えてる?あなたは鞠凸二郎という名前を使ってるんじゃない、その名前に使われている。
渡辺役 中森ダリア
もう一つの方のサークルで間違えてネットミーム言っちゃダメですよ。いや、意外と許される雰囲気なんかな知らんけど。そこら辺気になる。最近Twitter始めたらしいですね。いや、そんなんダメですよ。
店長役 雨々単元気
ジョジョの師匠。もしてにが照明チーフだったら絶対一回はプラン図のデータを間違えて全消ししてそう。卓のデータも消しちゃってそう。
(全て空になったデータを見て)綺麗ね......
奥さん役 東愛莉
マンションの自分の部屋間違えてそう。で間違えて入ろうとした部屋の人となんか仲良くなってそう。あず気さくすぎてオモロい(爆笑)。家に帰って来ない日だって、ある。
警官役 帝京魂
コンクリートの色がついた部分だけ歩こうとして間違えて白のブロック踏んじゃって密かに残念がってそう。横断歩道の白だけ踏むとかもやってそう。良い意味で。足が勝手に動いたんじゃない、あなたが踏んだの(適当でごめんなさい)
脚本家 近未来ミイラ
あ!大先生!ちょっとちょっと改訂はいけませんよ。一度それで通したものが“間違い”だったことにはなりません。
......と、演出未経験の私なら言ったと思うんですけど、脚演を経験した身からすれば改訂に至るまでの苦悩が分かるのであまり責められません。本当にお疲れ様でした。
演出 筝
舞美チと会計やりながら演出任されるのは完全にキャパ間違えてるんご......どれかしらは誰かに仕事回せたはずんご......と心配だったんですが、なんとかしちゃいましたね。えらいです。最後に二人で出かけた時��こと、覚えてる?二人で一緒に丸十に行った。あれもう3日も前のことよ。もうそんな前か.....よし、またどっか行くぞ。
<余談>
すいません店員さん
あすいません練習です。
すいません、「私は間違えているわ」みたいに、「私間違えているわ」の間に「は」を入れても通じるだろ?
でも、すいません店員さん
あすいません練習です。
すいません、「あなた間違えているわ」みたいに、「あなたは間違えているわ」の「は」を抜かしてしまうと、急にデヴィ夫人みたくなってしまうんだよ
この現象は他でも見られる。例えば、月曜の22時にテレビをつけるだろ?で、月曜から夜ふかしを見るだろ?そんときにさ、私達は自然と「あんた間違えてるわ」って聞いてんだよ。長谷川のセリフと何ら変わりはないはずなのに、マツコの音声で再生されちゃうし、伝わっちゃうんだよ。すごくない?
物分かりの良すぎる牧野「うわマジじゃん、すっげ」
2 notes
·
View notes
Quote
兵庫県知事らの疑惑を追及していた元県議の竹内英明さんが亡くなった。SNS(ネット交流サービス)上で誹謗(ひぼう)中傷を受けていた。 竹内さんに記者が最後に会ったのは、昨年7月。忍者に興味を持った長男が「お城が見たい」と言い、真っ先に顔が浮かんだのが国宝・姫路城を選挙区に抱える竹内さんだった。 県議会調査特別委員会(百条委)などの対応で多忙を極めていることは分かっていた。姫路を訪れることだけ伝えると「水くさいこと言うな!」と歓迎してくれた。竹内さんの家族と私の家族で夕食を共にした別れ際、長男に「今度は(ハリウッド映画『ラスト・サムライ』でロケ地になった書写山)円教寺を案内するわ!」と声を掛けると、見えなくなるまで手を振っていた。 竹内さんとの交流は2003年5月、初任地の姫路支局から続いている。竹内さんがその前月、29歳で姫路市議選に初当選した。私の3歳上。お互い駆け出しで青臭く「古くさい政治や行政を変えよう」と意気投合した。 ◇市職員厚遇で事実探求 竹内さんが常に口にしていたのは「市民のために」「子どもたちの未来のために」。次世代への借金を残さないよう、行財政改革をライフワークとした。竹内さんの市議会での質問に興味を抱き、私は05年1月、市職員互助会の厚遇問題を取材した。 当時、市は互助会に年間約2億3000万円を補助していた。税金を使っているにもかかわらず、市が発表する予算書には「互助会」の名や金額は一切なく、補助の事実すら分からない仕組みになっていた。 竹内さんは信頼関係を築いた市職員から、互助会の内部文書を入手。公開されている決算書や事業一覧などと突き合わせ、疑問点や矛盾を指摘し、事実を積み上げて市を追及した。市が共済費として補助金を計上していることを白日の下にさらしたが、加えて記者の取材にも通じる大切なことを私に教えてくれた。「隠されていることを暴くだけが大事なわけやない。職員が当たり前だと思ってやっていることの中に、間違っていることがたくさんある」 毎日新聞は、正規の退職金とは別に最大100万円を支給する「ヤミ退職金」など、民間からかけ離れた福利厚生事業の実態を連載記事で報じた。市民からの批判を受け、市は互助会への公費支出を4分の1に縮小。互助会は積立金のうち、約10億円を市に返還した。 ◇苦情も誇り 成果の一方、竹内さんには、有権者からの苦情がかなり寄せられた。恩恵が受けられなくなった市職員、互助会の事業縮小で旅行券や図書券などの支給が打ち切られたことにより、売り上げが減った市内の商店主からだ。 「本屋に入ると『商売あがったり!』と文句言われて本が買えんわ」という竹内さんの表情は、言葉と裏腹に明るかった。票が減る恐れがあるにもかかわらず「何も悪いことしとらん。これが地方議員の存在意義や」と誇らしげだった。 私は06年に姫路を離れ、竹内さんを直接取材する機会はなくなった。竹内さんは07年に県議に転身。県でも行財政の在り方を追及していることを報道で知り、陰ながら応援していた。 竹内さんの姿勢は21年8月に斎藤元彦知事が就任してからも変わっていない。斎藤知事に対し、竹内さんは「阪神大震災を経験した兵庫県のトップが県庁から車で20分離れた場所に住んでいることの是非」「県職員の6割を在宅勤務にする方針に対し、職員の多数が県民サービスの低下になるため反対している」などの問題意識を、県議会でぶつけてきた。職員から寄せられた声を基に、職員の意欲を保つことが県民のために何より重要という信念からだった。 いずれも、斎藤知事から前向きな答弁を引き出すことはできなかった。それでも竹内さんは、職員から「知事にはどう響いたか分かりませんが、職員には染みましたよ」とメッセージをもらったことを教えてくれ、「少しは存在意義あったかな」とはにかんでいた。 ◇「生き抜いて頑張る」 そういう竹内さんの元に、百条委設置後も県職員や県民からさまざまな情報が寄せられていた。県に関連公文書を情報公開請求し、「今いろいろ調べとる」と、裏取りに懸命だった。県民のために事実を調べ、誤りがあれば指摘して正す。駆け出し時代の理念は、当選回数を重ね、「ベテラン」といわれる立場になっても変わっていなかったのだと思う。 県議会の不信任決議を受けた斎藤知事が出直し選に臨み、SNSで県議らへの誹謗中傷が激しくなった昨年11月、竹内さんとLINE(ライン)のやりとりをした。励ましの言葉に迷っていると、「あれ、10億円市民の金に戻したよ。間違いなく俺の一番の仕事やね」と姫路市職員互助会の記事を感謝された。県では、もっと大きな行財政上の問題を指摘してきた竹内さんの「一番の仕事」はその後にたくさんあったはずだ。 知事選直後に県議を辞職した後は、しばらくそっとしておいてほしいだろうと、連絡を控えてしまった。年末、何も言わずに贈ったお歳暮に、LINEでお礼が届いた。「いずれ落ち着いたらなんとか生き抜いて頑張ります」。「生き抜く」は、ただの比喩だと思っていた。この頃かなり弱っていたと、亡くなった後に共通の知人から聞いた。 竹内さんは、今回の知事選直前まで、ほぼ毎日ブログを更新していた。1年前の23年10月6日のブログにはこう書いている。 「選挙でつらいときやその他この仕事をしてしんどいときに考えることがある。それは簡単に言えば、私がここにいることの意味があるかどうか。私がいてもいなくても何もかわらないなら私はいらない」 ◇震災が原点「子どものために」 知事選中、誹謗中傷にさらされた竹内さんは「自分の存在意義はない」と思い詰めてしまったのではないか。存在意義、ありますよ。あなた以上の地方議員がどこにいるというのでしょうか――。最後の数カ月で、この励ましの言葉を伝えられなかった私自身が、ただ悔しい。 竹内さんは、政治を志したきっかけのひとつとして、阪神大震災でのボランティア活動を挙げた。大学在学中、東京から神戸に戻って1カ月間、被災した子どもたちと一緒に遊んであげたり、話を聞いてあげたりしたという。「子どもたちの未来のために」という信念の原点になったそうだ。 竹内さんが旅立ったのは、阪神大震災の発生から30年を迎えた翌日だった。自分のことが、わずかでも追悼の祈りの妨げにならないように。私の友人の中で、一番義理堅い竹内さんは、最期まで誰かのことを気遣って、そう考えたような気がしてならない。【酒井雅浩】 ◇相談窓口 ・#いのちSOS 「生きることに疲れた」などの思いを専門の相談員が受け止め、一緒に支援策を考えます。 0120・061・338=フリーダイヤル。月・木、金曜は24時間。火・水・土・日曜は午前6時~翌午前0時 ・いのちの電話 さまざまな困難に直面し、自殺を考えている人のための相談窓口です。研修を受けたボランティアが対応します。 0570・783・556=ナビダイヤル。午前10時~午後10時。 0120・783・556=フリーダイヤル。午後4時~同9時。毎月10日は午前8時~11日午前8時、IP電話は03-6634-7830(有料)まで。 ・まもろうよ こころ(https://www.mhlw.go.jp/mamorouyokokoro/soudan/sns/) さまざまな悩みについて、LINEやチャットで相談を受けている団体を紹介する厚生労働省のサイトです。年齢や性別を問わず、自分に合った団体を探せます。 ・こころの悩みSOS(https://mainichi.jp/shakai/sos/) 悩みを抱えた当事者や支援者への情報のほか、相談機関を紹介した毎日新聞の特設ページです。
亡くなった元兵庫県議 竹内英明さんが示した「地方議員の存在意義」(毎日新聞) - Yahoo!ニュース
2 notes
·
View notes
Text
長々と「ゴーストワールド」考

私がテリー・ツワイゴフ監督の映画「ゴーストワールド」と出会ったのは、2000年代中盤のことだった。映画館ではなく、ツタヤでDVDを借りて実家のリビングで観た。コロナ禍によってビデオ・DVDレンタル屋としてのツタヤが街から消えた今になって振り返ると、あの日からずいぶん遠くに来てしまったことを実感する。
映画冒頭、アップテンポなジャズが流れ出し、こぶしの利いた男性シンガーの声が重なる。「シャンフェケシャンフゥ」--何語だか分からないが、気分を高揚させる陽気なグルーヴ。しかし、映像はアメリカ郊外の白いマンションで、音楽の古めかしさと不釣り合いな印象を与える。
カメラはマンションの外から窓の中を捉えつつ、右へと移動する。それぞれの窓の向こうにいる住人たちが部屋でくつろいだり食事をしたりといった光景がいくつか展開された後、濃いオレンジの壁紙の部屋が映し出される。部屋の中央で、黒縁眼鏡をかけたぽっちゃりめの女の子が、黒髪のボブを振り乱して踊っている。傍らには昔ながらのレコードプレーヤー。そこから大音量で流れる「シャンフェケシャンフウ」--アメリカにおけるサブカル眼鏡女子の強烈な自己主張は、無機質な郊外の光景へのレジスタンスのようだ。
細かい台詞やキャラクターは忘れてしまっても、このシーンだけは鮮烈に頭に残っている。この映画が何を描こうとしているのか、冒頭を観ただけで分かった。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさ。そんな存在を愛おしむ監督の眼差し。
2時間弱の物語の中では、高校を卒業したものの進路が決まらない主人公イーニドが迷走に迷走を重ねる。そして、彼女が何かを成し遂げるようなラストも用意されていない。
ありがちなティーンエイジャー文化に埋没する無個性なクラスメイトや郊外の退屈な人々を馬鹿にしている割に自分自身もぱっとしないイーニドの姿は痛々しいが、十代の自分にも確かにそんな一面があったことが思い出され、いたたまれない気持ちになる。それでも、映画を見終えた私の心には温かい余韻が残った。監督が最後までイーニドに寄り添い続けていることが伝わってきたから。
2023年下旬、何の気なしに見ていたX(旧twitter)で、ゴーストワールドのリバイバル上映を知った。絶対に行かなければと思った。あの名作と、映画館で出会い直したい。 上映が始まって約1ヶ月後の2024年1月、再開発によって円山町から宮下に移転したBunkamuraル・シネマの座席で、私はイーニドたちと再開することになった。
改めて観てみると、最初に観た時の感動が蘇ったシーンもあれば、初見では気付かなかった要素が見つかったシーンもあり、希有な鑑賞体験になった。 これ以降、個人的に気になった部分を列挙してみる。
自由という試練
物語の序盤で、主人公イーニドと幼馴染みのレベッカは、揃って高校を卒業する。式が終わると、イーニドとレベッカは会場から走り出て、卒業生が被る伝統の角帽を脱ぎ、校舎に中指を突き立てる。二人とも大学には進学せず就職もしないので、これからは受けたくない授業を受ける必要もなく、大人として自分の道を選ぶことができる。スクールカースト上のポジションに惑わされることもない。
しかし、コーヒーのチェーン店で働きながら親元を離れて暮らすためアパートを探し始めるレベッカとは対照的に、イーニドは将来のビジョンを持てないまま高校の補講に通い、髪を派手な色に染めてみたり、映画館のアルバイトを一日でクビになったりしている。ルームシェアをする約束を果たす気があるのかとレベッカに問い詰められれば「自立、自立って馬鹿みたい」と滅茶苦茶な言葉を返して怒らせ、家に帰ってからベッドで泣く。イーニドは自由を満喫するどころか、自由を持て余しているように見えた。
高校生の頃は、学校の教員たちが決めたルールに従い、与えられたタスクをクリアすることが求められていた。経済的に親に頼っている分、親や家族というしがらみもある。大人の介入を避けられない年代にいるうちは、人生の問題を大人のせいにすることもそれなりに妥当だ。
しかし、高校を卒業してしまえば、もう人生の諸問題を安易に大人のせいにできない。複雑な家庭の事情に悩まされていても、「もう働ける年齢なんだから、お金を貯めて家を出ればいいんじゃない?」と言われてしまう。
自分の進路を選び、やるべきことを見極めて着実に実行することは、何をすべきなのか指示してくる人間に「やりたくない!」と反抗することよりもはるかに難しい。与えられた自由を乗りこなすだけの自分を確立できていないイーニドの戸惑いと迷走は、滑稽でありながらも、既視感があってひりひりする。
シスター��ッドの曲がり角
この映画には、イーニドとレベッカのシスターフッド物語という側面もある。十代を同じ街で過ごし、お互いの恋愛事情も知り尽くしている二人が、高校卒業という節目を境に少しずつ噛み合わなくなってゆく過程が切ない。二人とも、相手を大切に思う気持ちを失ったわけでは決してない。それでも、環境の変化が二人の違いを鮮明にし、今まで通りではいられなくなる。
イーニドもレベッカも、世界をシニカルに見ている点は共通している。派手に遊んでいたクラスメイトが交通事故で身体障害を負ってから改心し、卒業式のスピーチで命の尊さを語っていたことに対して「人間そんなに簡単に変われるわけない」と陰で批判したり、卒業パーティーでも弾けたりせずぼそぼそ喋っていたりと、どこかひねくれた態度で生きている。世の中が用意する感情のフォーマットに素直に乗っからない低温な二人の間には、確かな仲間意識が見て取れた。
しかし卒業を契機に、二人の関係はぎくしゃくし始める。 イーニドは仮に卒業できたものの、落第した美術の単位を取得するため補講に出なければならない。スムーズに卒業したレベッカはカフェのチェーン店で働き始め、アルバイトではあるが社会に居場所を得る。卒業したばかりの頃はイーニドと一緒にダイナーに行き、新聞の尋ね人欄に出ていた連絡先にいたずら電話をするといった行動にも付き合っていたレベッカだったが、アルバイトも続かずルームシェアの部屋探しにも消極的なイーニドに徐々に愛想を尽かす。イーニドが中年男性シーモアとの関係を隠していたことが、さらに二人の距離を広げてしまう。
イーニドは古いレコードを集めるのが好きで、一癖あるファッションを身に纏い、多少野暮ったい部分はあるにしても自分の世界を持っている。バイト先でも、上司の指示に違和感を覚えれば分かりやすく態度で示す。表面的にはリベラルな国を装いつつ水面下では依然として差別が行われているアメリカ社会に対しても、批判的な眼差しを向けている。
しかし、それを表現した自分のアート作品が炎上した際、イーニドは作品を批判する人々に対して展示の意義を説明せず、展覧会の会場に姿を見せることすらしなかった。どんなに鋭い感性があっても、表現する者としての責任を全うする姿勢のないイーニドは、アーティストにはなれないだろう。黒縁眼鏡の媚びない「おもしれー女」ではあってもカリスマになる素質はなく、かといってマジョリティ的な価値観への転向もできないイーニドの中途半端さは、何とも残念である。
一方レベッカは、シニカルな部分もありつつ、現実と折り合いを付けて生きてゆけるキャラクターだ。店に来たイーニドに客への不満を漏らしながらも、上司に嫌味を言ってクビになったりすることはない。経済的に自立して実家を出るという目標に向かって、地に足の着いた努力ができる。
そして、レベッカは白人で、イーニドより顔が整っている。二人がパーティーに行くと、男性たちはユダヤ系のイーニドに興味を示さず、レベッカにばかり声を掛ける。 どう考えても、社会で上手くやってゆけるのはレベッカの方なのだ。
卒業を契機に、高校という環境の中ではそれほど目立たなかった二人の差が浮き彫りになる。置いて行かれた気持ちになるイーニドと、現実に向き合う意欲が感じられないイーニドに苛立つレベッカ。どちらが悪いわけでもないのに、高校の時と同じ関係ではいられない。絶交するわけではないけれど、何となく離れてゆく。
人生のフェーズに応じて深く関わる人が変わってゆくのはよくあることだし、どうにもならない。それでも、楽しかった長電話が気まずい時間に変わったり、昔だったら隠さなかったことを隠すようになる二人を見ていると、人生のほろ苦い部分を突きつけられるようで、胸が締めつけられる。
シーモア:大人になりきらないという選択肢
冴えない中年男性シーモアは、この映画におけるヒーローでありアンチヒーローだ。平日は会社員だが、休日は音楽・レコード・アンティークオタクとして自分の世界に耽溺し、友達も似たような同性のオタクばかり。せっかくライブハウスで女性が隣に座っても、音楽の蘊蓄を語って引かれる。そのくせ「運命の出会い」への憧れをこじらせている。自分の世界を持っている人間の素晴らしさと痛々しさを、これでもかと体現しているキャラクターだ。
イーニドとシーモアの出会いは、イーニドのいたずら電話がきっかけだった。新聞の尋ね人欄を読んでいたイーニドは、バスで少し会話をした緑のワンピースの女性にまた会いたいと呼びかける男性の投書を発見し、この気持ち悪いメッセージの発信者を見てやろうと、緑のワンピースの女性を装って電話をかける。会う約束を取り付け、待ち合わせの場所に友達と共に向かうと、呼び出されたシーモアがやって来る。
待ちぼうけを食らうシーモアを陰で笑いものにするイーニドだったが、別の日に街で偶然見かけたシーモアを尾行して、彼がレコードオタクであることを知り興味を持つようになる。シーモアのマンションで開かれたガレージセールで、イーニドはシーモアが売りに出した中古のレコードを買い、会話を交わし、徐々に距離を縮めてゆく。
シーモアが自宅でレコードオタクの集まりを開いた日、イーニドはシーモアの部屋に入る機会を得、彼のコレクションと生き様に驚嘆する。
恐らくイーニドは、シーモアという存在から、アーティストやクリエーターにはなれなくても自分らしさを手放さずに生きられると学んだ。たとえ恋愛のときめきが去ったとしても、シーモアの残像はイーニドの中に残り、社会と折り合いを付けられない彼女の行く先をささやかに照らすのではないだろうか。
(そして、シーモアの姿が、一応仕事や勉学などで社会と折り合いを付けながらも、家庭を持たず読書や映画鑑賞や執筆に明け暮れる独身中年の自分と重なる。その生き様が誰かの未来を照らしたりすることはあるのだろうか。もちろん作家として誰かの人生に言葉で貢献するのが一番の目標ではあるものの、映画を観た後、最低限シーモアになれたらいいなという気持ちになった。初見の時と感情移入するキャラクターが変わるというのは、なかなか新鮮な体験。)
矛盾を抱えたアメリカ社会への言及
最初に観た時はイーニドや一癖あるキャラクターたちが織り成す人間模様にしか目が行かなかったが、二度目の鑑賞では、画面の端々に映り込むアメリカ社会への皮肉もいくつか拾うことができた。
ライブハウスのシーンに、ブルースに影響を受けたと思われる白人のボーイズバンドが登場する。ヴォーカルは「朝から晩までcotton(綿花)を摘む毎日さ」みたいな歌を熱唱する。確かにブルースにありがちな歌詞だ。しかし、綿花を摘む労働をさせられていたのは主に黒人であり、白人は黒人をこき使う側だったはず。労働者の心の拠り所として作られたブルースという文化を、ブルジョワである白人が無神経に簒奪しているという皮肉な現実が、この短い場面にそっと描かれている。
また、イーニドとレベッカが一緒にパーティーに行くとレベッカばかりが男性に声を掛けられる件には既に触れたが、声を掛けてくる男性はほぼ白人だ。アジア系の男性や黒人男性などがレベッカをナンパすることはない。たまたま二人の住む街が白人の多い地域という設定なのかもしれないが、このようなキャスティングが決まった背景には、制度上の人種差別がなくなっても人種によるヒエラルキーが社会に残っているという監督の認識があるのではないかと感じた。
そして、個人商店がチェーン店に取って代わられ、住宅地が画一的なマンションで占められ、街が少しずつ個性を失ってゆく描写もある。レベッカが働くカフェ(ロゴがスターバックス風)やイーニドがバイトをクビになるシネコン内の飲食店は、無個性なチェーン店そのものだ。モノやサービスが画一的になり、雇用や労働のスタイルも画一的になり、マニュアル通りに動けない人間が排除される世界へのささやかな批判が、様々なシーンの片隅にそっと隠されている。
この映画は、十代の葛藤を単なる自意識の問題として片付けず、矛盾だらけで個性を受け入れない社会にも責任があると言ってくれていた。改めて、監督や制作者たちのティーンエイジャーに対する温かい眼差しを感じた。
ラストシーンをどう解釈するのか
ネタバレになるので詳細は伏せるが、この映画のラストシーンは比喩的で、どう受け止めるのが正解なのか分からない。イーニドの人生に希望の光が差すことはなく、かといって大きな絶望が訪れることもなく、自分を命がけで守ってくれた人の思い出を胸に強く生きることを誓うみたいな展開にもならない。とにかく、分かりやすいメッセージのある終わり方ではないのだ。
(映画館を出た後にエレベーターで乗り合わせた若いカップルも、やはりラストの解釈が難しいという会話をしていた。)
私自身は、このラストを、イーニドが他力本願な自分から卒業することをようやく決意したという意味に捉えている。
これまでのイーニドは、心細くなれば友人のレベッカやジョシュを呼び出し、映画の中盤以降ではシーモアにも絡んでいた。人生に行き詰まれば、誰かを頼って気を紛らわす。偶発的に何かが起こって道が開けないかな、みたいな感覚で生きているような印象だった。 しかし、物語の終盤で、一時はイーニドにとってヒーローだったシーモアが、突然遠のく。レベッカとも既に疎遠になっているイーニド。そして、不思議なラストシーン。イーニドは、私たちに背中を向けている。
イーニドは、自分を導いてくれるヒーローも、どう生きるべきか教えてくれる天使も、どこにもいないということに気付いたのではないだろうか。 人間は最終的には孤独で、自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかない。ラストシーンのイーニドからは、彼女が紆余曲折の果てに辿り着いた人生の真理が滲んでいるように思える。
そして、イーニドの後ろ姿は、スクリーンのこちら側にいる私たちに対しても「自分の人生は自分で切り拓いてゆくしかないよ」と語りかけている気がする。どう生きるべきか、映画に教えて貰おうなんて思うなよ。自分で行動して、傷ついたり恥をかいたりしながら、自力で見つけるんだ。
以上が私なりの解釈だが、違う見方もあるのかもしれない。他の人の批評も検索してみたい。
おわりに
Bunkamuraル・シネマでの「ゴーストワールド」上映は明日で終わる。しかし、各地の名画座での上映はまだ続くようだ。これからも沢山の人がイーニドたちに出会うことを想像すると、自然と笑いがこみ上げる。
イーニドの冴えない青春は、観た人の心に何をもたらすのか。
これを読んで少しでも気になった方は、是非スクリーンで、ラストシーンまで見届けてください。
4 notes
·
View notes
Text

おやゆび姫
名古屋芸術大学 Presents
音楽の森 家族のための朗読コンサート「おやゆび姫」
2024年 3月8日(金)・9日(土) 名古屋芸術大学 東キャンパス 8号館スタジオ ほか
会場へのアクセスはこちら
-
3月8日(金) 18:30〜 「おやゆび姫」
3月9日(土) 13:00〜13:45 ワークショップ 14:00〜 「おやゆび姫」
※「おやゆび姫」は各回開演15分前より開場
-
名古屋芸術大学地域交流センターでは、毎年、子どもたちとその家族のためのコンサートと、体験型イベントをお届けしています。大学のあるこの北名古屋市のみなさんに、音楽の楽しい体験をしていただき、そしてその後に、ゆっくりとコンサートを聴いていただく催しです。 子どもたちは、絵本や童話の世界が大好きです。それは、素敵なお話を読んでいると、きらめくたくさんの音と、色とりどりの光に満ちた空想の世界が限りなく広がるからです。私たちは、子どもたちの心の中にそんな空想がたくさん広がり、いつか本当に、子どもの時に空想した素敵な世界を創ってくれることを夢見て、今年も「音楽の森」をお届けいたします。今年はアンデルセンの童話「おやゆび姫」です。ごゆっくりお楽しみください。
-
家族のための朗読コンサート「おやゆび姫」
クラリネット > 中村由加里 ファゴット > 岡野公孝 ピアノ > 服部響子 ソプラノ > 伊藤ゆり子 朗読 > 藤島えり子
原作:ハンス・クリスチャン・アンデルセン 構成:丹羽康雄 演出:嗚海康平 音楽:梶田美香 絵:三宅世梨菜
照明:嗚海康平/松原沙耶華(3年)、鈴木日奈子・宮原羽菜(2年) 音響:中根美咲・福国隼大(3年)、植松風香・北川正菜・ニ木陽菜・松木花水実(2年)、上之未来(1年) 制作:小田原一華・河合恒平(2年)、齋藤寧々・田中蒼真(1年) 主催:名古屋芸術大学 地域交流センター
入場料:500円(未就学児無料)
お申し込みはこちらから(webフォーム)
※入場料のお支払いは、当日精算のみ(現金)
お問い合わせ:舞台芸術領域 舞台プロデュースコース[email protected]
-
ワークショップ おやゆび姫がきいている音ってどんな音?
小さなおやゆび姫は、森に咲くお花の中で、土の中で、川の近くで、そして高い空で、いったいどんな音をきいているんだろう。大きなきみにはわかるかな。 おやゆび姫のお話をみんなで読みながら、「音」を想像して、その音を音具等で作ってみる体験型イベントです。 おやゆび姫の暮らす世界にとびこんでみましょう。
※音具とは、楽器ではない音を出す道具のこと
日時:3月9日(土)13:00〜13:45(12:30受付開始) 会場:Art & Design Center EAST(東キャンパス内) 推奨:小学校低学年 定員:15名
※無料・要予約
お申し込みはこちらから(webフォーム) 企画:名古屋芸術大学 舞台芸術領域 舞台プロデュースコース
-

藤島えり子(朗読)
東海地方を拠点とし、2015年度より5年間、愛知県の劇場「長久手市文化の家」の契約アーティスト”創造スタッフ”として活動。近年の主な出演は、下鴨車窓「漂着(kitchen)」(2022)、第七劇場「三人姉妹」(2023)などストレートプレイのほか、国際芸術祭あいち2022ジョン・ケージ「ユーロペラ3&4」、親子で楽しむ 0歳からのミュージカル「ヘンゼルとグレーテル」など、ジャンルの垣根を超えた作品にも出演。
-
中村由加里(クラリネット)
愛知県立芸術大学卒業。第21回岐阜県ソロコンテストにおいて最優秀賞受賞。日本クラリネット協会主催第4回アンサンブルコンクール3位入賞。アイリスクラリネットカルテット 、ウインドアンサンブルGAJA 各メンバー。一宮市アーティスト・イン・レジデンス登録アーティスト。名古屋芸術大学非常勤講師、愛知県立芸術大学 病院アウトリーチプロジェクトコーディネーター、岐阜県立各務原西高等学校吹奏楽部非常勤講師、愛知県立一宮南高等学校部活動指導員。
-
岡野公孝(ファゴット)
愛知県立芸術大学卒業。チェコ共和国プラハ音楽院研究課修了。2019年桐朋学園大学富山オーケストラアカデミー研修課程修了。2015年小澤征爾の音楽塾オペラ出演オーディションに合格し、M.ラヴェル作「子供と魔法」に参加する。ファゴットを青谷良明、前田信吉、トマーシュ・フランティシュの各氏に師事する。現在はフリーランスのファゴット奏者として関東、中部で活動する。(株)ヤマハミュージックジャパン嘱託講師。
-
服部響子(ピアノ)
愛知県立芸術大学音楽学部卒業。第8回中部ショパン学生ピアノコンクール銀賞、第5回ショパン国際ピアノコンクールin ASIAアジア大会出場、第15回日本クラシック音楽コンクール全国大会入選、第17回江南ピアノコンクール第1位など受賞。2009年~2016年までヤマハピアノデモンストレーターを務める。2014年~響子ピアノ教室主宰。全日本ピアノ指導者協会正会員。ピティナ新人指導者賞、ピティナ指導者賞、ブルグミュラーレッスン賞4回受賞。
-
伊藤ゆり子
6歳からピアノを始め18歳で声楽に転向。名古屋芸術大学音楽総合コース卒業。在学中に大学50周年記念ガラコンサートや第44回オペラ公演「泥棒とオールドミス」(レティーシャ)、第49回卒業演奏会、歌曲の夕べ等に出演。同大学院音楽研究科2年在学中。声楽を馬場浩子氏に師事。
-
フライヤーレイアウト:橋本デザイン室

2 notes
·
View notes