#j神社
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鞍馬の火祭
足の後ろが見えててかわいー 鞍馬由岐神社の火祭
手前の人の装束が普通と違うよ。長い武者草鞋のはずやのに足が立派だから一周できなかった? わらじと短い足袋と脚絆の前だけに見える。足に合う物が無かった? かわいー
引用元: 男絵師 @eroticdanji
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伊織 いおは、日本のグラビアアイドル、コスプレイヤー。ゼロイチファミリア所属。神奈川県出身。 2020年4月から12月まで芸能活動と並行して建築系の会社で働いていた。 ウィキペディア
生まれ: 1998年8月13日 (年齢 26歳), 神奈川県
身長: 151 cm
カップサイズ: J
スリーサイズ: 90 - 55 - 90 cm
デビュー: 2018年 -
モデル内容: 一般、水着
事務所: ゼロイチファミリア
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八神純子ー思い出は美しすぎて
作詞・作曲:八神純子 編曲:戸塚修
八神純子のデビュー曲「思い出は美しすぎて」。
ボサノヴァ調のこの曲、出だしからサンタナ風なギターを演奏しているのは、昭和J-popの最前線で活躍していた名ギタリストのひとり、矢萩秀明。
(この動画でギター弾いてる人だね)
レコードでも八神純子とどっちがメインかわからない程、ギターが鳴りまくる。
バックコーラスが全員男性なのもなかなかのセンス。(笑)
八神純子の弾いているステージピアノはヤマハのCP-70bでしょうか?
(これも超名機だね!)
しかし、八神純子の濁りのない歌声は何度聞いても素晴らしい。
この曲、リリースはディスコメイトレコード、マニュファクチャーとディストリビュートはビクター音産。
(ディスコメイトレコードって超久しぶりに聞いた。笑)
だよね。
昭和の頃は在京のテレビ局のほとんどがレコード会社を所有していました。
日本テレビのバップ、フジテレビのポニーキャニオン(一応現役)、文化放送のラジオシティレコード、そしてTBSのディスコメイトレコード。
(バップ、ラジオシティ・・・懐かしくて涙が出そうだ。笑)
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風景的螢幕實踐 第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
風景的螢幕實踐|佐佐木友輔
第1回 中平卓馬與西澤諭志的權力=風景論【前篇】
由影像創作者暨媒體研究者佐佐木友輔執筆,圍繞電影、攝影、美術與動畫中的「風景」與投射風景的「螢幕」為主題,縱橫論述各式作品的連載文章。以1970年前後的「風景論」爭辯為出發點,企圖加以更新。本篇首回將攝影師中平卓馬與西澤諭志對照,以大阪萬博為關鍵轉折點,思索現代社會中權力=風景的樣貌。 中平卓馬——風景的殘骸(Detritus)
中平卓馬與《風景的死滅》
1971年10月25日發行的松田政男著作《風景的死滅》(田畑書店)封面,使用了中平卓馬拍攝的海景照片。這張照片也出現在中平於1970年出版的《為了未來的言語》一書中,為書中跨頁照片右側經裁切後使用的版本。畫面上方三分之一為天空,下方三分之二則為白浪翻湧的海面,水平線略為右斜向下。水面上的複雜紋理、拍攝當下的模糊與晃動、粗顆粒感等元素交織在一起,構築出難以分割的視覺關係。再透過高光澤的銀墨印刷,反射出帶有物質感的黯淡光澤。
取下書衣後,書本本體的封面也同樣使用了海景照片,這次是取自《為了未來的言語》跨頁左側經裁切後的圖像。畫面中省略了天空,以海面全面覆蓋畫面為設計。印刷質地比封面更為粗糙,一眼看去甚至難以辨認是否為海洋。既像是沙灘表面的紋理,也彷彿是印表機故障所致的錯誤印刷。

如眾所周知,這種模糊晃動的照片正是中平卓馬在《Provoke》時期的典型風格。拍攝者或被攝者的移動造成的晃動與模糊、粗顆粒、曝光過度或不足、無視水平線的不穩定構圖……這些靜止畫面中卻具有動態特質的風景,既可視為中平攝影行為的刻印記錄,也強烈主張那是由「攝影機之眼」——與人眼截然不同的視角——所捕捉的風景。中平排斥那些如內心反射或意識形態投影般的主觀、感傷攝影,致力於將攝影作為如實記錄事物的工具。
《風景的死滅》收錄了許多與1960年代末至70年代初「風景論爭」有關的松田重要論述。而中平也是這場論爭的中心人物之一,透過攝影與言說雙重實踐,發展出獨自的風景論。若讀者對當時論述不甚熟悉,聽到「風景論」一詞,或許會以為是探討「以風景為主題的攝影」或「應該記錄哪種風景?哪種風景最美?」這類直觀問題。但對中平而言,「風景」是如同「一層塑膠膜般的面紗」,遮蔽了應真正凝視之物的存在。
某個夜晚,或許是清晨,我匆忙爬上地鐵的階梯。就在轉角處,與兩位少女不期而遇。她們短暫地愣住,確實是兩位少女。高個子的是姊姊,矮個子的是妹妹——這也無誤。但當我開始凝視她們,她們迅速失去「姊姊」、 「妹妹」、「少女」的特質。我急促地、盡可能大聲地喊著:「少女們、 姊妹們、建築物、工業區,這是少女啊!」若不這麼做,這些事物就會被 從我頭顱頂部下垂的那層塑膠面紗所吞噬——這層面紗才是將我眼前一切事 物還原為所謂〈風景〉的元兇,這點已不言自明。
當某物乍現於眼前,人往往將自身內在或意識形態投射其上、賦予意義,並用「風景」這層面紗將之覆蓋���從而無法看清真實的現實。為對抗此現象,中平選擇捨棄嚴格的取景與構圖,有時甚至不透過觀景窗,任憑直覺與偶然拍攝,即所謂的「模糊晃動攝影」實踐。他的目標不是捕捉風景,而是在風景將其覆蓋前搶先按下快門,揭露其背後真正存在之物。
進一步來說,中平的風景論也受到了松田政男提出的「作為權力批判的風景論」的影響。松田曾針對1968年連續槍擊事件犯人永山則夫的動機提出見解,認為永山是被國家權力強加的均質化風景所逼迫,才開槍試圖撕裂那景觀。中平亦呼應此說,指出:「若要撕裂被權力均質塗抹的『風景』,只需一聲槍響,一道閃爍的刀光便已足夠。」那份模糊晃動所帶來的粗暴感,正蘊含著如刀劍揮下的軌跡或子彈命中的衝擊。中平的攝影,是風景的屍體,是風景被殺害現場的記錄。 無止盡的貓捉老鼠遊戲
然而,「模糊晃動攝影」迅速樣式化與形式化,不僅無法再撕裂風景,反而變成模糊投射拍攝者內在的手段。具體實例便是中平對「發現日本(Discovery Japan)」(以下簡稱D・J)活動的猛烈批判。D・J 是國鐵(今JR)於1964年東京奧運與1970年大阪萬博後為避免旅遊熱潮冷卻而發起的觀光推廣活動。初期的幾張海報(如第2號、第3號),以模糊晃動手法拍攝結合了現代都市女性與鄉村風景的畫面,營造出「美麗日本」、「美好舊時代日本」、「故鄉」等難以具體指認的匿名式、抽象式圖像,激起觀者的旅遊情感。中平尖銳指出:「就如1970年萬博成功地轉移了我們對70年安保的關注,最終讓民族主義獲得歡呼,這個D・J活動亦具有將我們的視線自現實中的種種問題引開,並持續鼓吹民族主義的政治功能。」

對D・J的批判進而演變為對自己過去風格的反思與否定,中平捨棄原先的模糊晃動攝影,徹底排除個人情緒或意義投射,嘗試捕捉事物本來面貌。例如他在1971年巴黎青年雙年展中展出的裝置作品《循環——日期、地點、行為》,每天拍攝並當天沖印、展示,照片填滿整面牆、地板與接待台,營造出多視角、多元空間,對抗「我與世界」這種從單一視角理解世界的西方式遠近法構圖。他於1973年將這些實踐概念化為「植物圖鑑」,主張應該捕捉的是物對人的注視,而非人對物的情感投射。此過程中,中平的照片也逐步由模糊晃動轉為清晰、由夜晚轉向白晝、由黑白轉為彩色。
若硬要借用風景論的詞彙來說,中平可謂窮其一生,不斷切裂眼前出現的風景。然而,當他撕開破爛的面紗、試圖捕捉真實時,那景象轉瞬間又凝固成新的風景,視野再次被不可見的面紗覆蓋。若欲以另一手段再度撕裂,又會有新的風景湧現並阻擋視線。如此周而復始,宛如無盡的貓捉老鼠遊戲……
其實這不僅是中平作家的個人問題,或權力過於強大的證明,更關乎「風景」概念本身的侷限。文學評論家加藤典洋指出,「風景」的混亂來自於兩種相反行為同時被「風景」一詞涵蓋:一是將某地經驗對象化所形成的「風景化」;另一是風景本身被視為觀看對象而廣泛定著的「風景」。依此劃分,中平的攝影終究仍是「風景化」的範例——只是另一種尋找新風景的嘗試。即使是清晰的彩色照、多視角的裝置作品,一旦發表,就會被定型、樣式化、對象化,進入應被觀看的「風景」之列。只要繼續使用「風景」這一概念,我們就永遠無法真正逃脫風景。若真有自由的一刻,那也僅是舊有風景被新的風景取代前,那段短暫的過渡時期而已。
風景的殘骸——回顧展《中平���馬 火―氾濫》
自2024年2月6日至4月7日,在東京國立近代美術館舉辦了中平卓馬的回顧展《中平卓馬 火―氾濫》(策展人為攝影評論家暨攝影史學者增田玲)。對這場展覽,我懷有一絲擔憂——是否會將中平卓馬整個人生對象化,作為某種凝固成型的「風景」來呈現?從模糊晃動的攝影風格到「植物圖鑑」的創作,歷經急性酒精中毒導致的失憶,最終成為如純粹攝影機般,持續記錄現實的偉大攝影家——這樣的神話。或者,被視為投入與「風景」之間一場注定無法獲勝(同時也無法完全敗北)的戰鬥之中、悲劇又英雄的攝影家——這種浪漫化的想像。如果將中平對風景不斷切裂的苦行姿態加以通俗化,那他也可能被歸類為「一位不斷逃離陳腔濫調表現的攝影家」,成為另一種陳腔濫調。
然而,這些不安終究只是杞人憂天。毫無諷刺地說,在展場中,我一張也沒有看到能被稱為「如實記錄現實」的照片,也幾乎沒有見到任何企圖偽裝那類影像的展示設計。映入眼簾的,是龐大的風景殘骸——中平所切裂、撕成破布的風景面紗的碎片,有的作為「作品」,有的則作為「資料」或「記錄」呈現。

之所以產生這樣的印象,是因為展場中陳列的,多半並非強調藝術品獨一性與原真性的底片或原始印刷品,而是刊登於雜誌或書籍封面、裝置藝術的記錄照片等——這些反而強調攝影為複製技術媒介之性質的物品。其中甚至包含了一些在二手書店或拍賣網站上仍可購得的資料(雖然可能價格偏高)。這些大量生產的媒體,有些甚至原本就不以長期保存為前提,有的會被隨意翻閱、塗鴉、裁剪。借用電影與電視研究者保羅・格雷因奇(Paul Grainge)的用語,這類媒介可稱為「短暫媒體(Ephemeral Media)」。
“Ephemeral”這個詞原意是短暫、稍縱即逝,在媒體研究中還帶有邊緣性、一次性與可拋棄性等含義。或者,為了更進一步強調這些短暫媒體雖薄弱但仍具有物質性的特質,也許應採用電影與媒體研究者阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)提出的「殘骸(Detritus)」概念——原意為「碎片」或「有機堆積物」*。
將中平的照片視為「風景的殘骸」,其意義之一在於,將這些影像作為過去實踐過程中所產生的副產物或廢棄物來對待,有助於避免過度神話化與理想化,同時分析當時人們所處的「權力=風景」的動態樣貌,以及對其各種抵抗實踐的方式。
中平經常選擇以偽裝成他所刊登媒體的方式呈現自己的攝影。舉例來說,在名為〈囚禁之旅〉的報導中,他在看似觀光地的照片角落加上說明文字,例如「就像DISCOVER JAPAN海報中那樣的摩登打扮」、「再次不斷拍攝證據照片,反覆獲得安心」等,對觀光客的視線加以諷刺。
表面上看來,這與中平自己曾批判攝影被用作語言插圖的言論似乎相互矛盾,但他並不執著於原則與主張的一貫性,而是優先因應「權力=風景」每次變形後的樣貌,展開如游擊戰般的實踐——偽裝成敵人、寄生於敵人體內,從內部動搖、破壞之。
特別是當他偽裝成雜誌等短暫媒體時,實際上是在拒絕讓自己的攝影成為具永恆價值的紀念碑,而是鼓勵觀者將這些影像作為暫時性文獻,使用一次即丟,最好在它們凝固成「風景」之前就丟棄。
引入「殘骸」概念的另一個意義,是透過強調攝影的物質性,使本應是個人且僅一次性的風景經驗、或原本抽象且無形的權力得以具體化,從而能夠被收集、組合、改造與破壞。即便只是殘骸,中平的照片也非歸於虛無,而是作為具有短暫物質性的「物」留存至今。若非如此,我們便無從得知中平過去所身處的「權力=風景」��何,也無從理解他進行了怎樣的抵抗。
透過觀看那些具實體的照片——重複翻閱、塗鴉以創造新風景、收集後並列於桌上仔細比較、依時間順序排列來追蹤權力變化的樣貌——我們便能嘗試想像那些殘骸出現之前的風景原貌,或構想出與既有風景不同的風���。透過這樣的「接觸」體驗,我們不只是以知識方式理解歷史,而是以身體實感,體會自過去至今那層層堆積的歷史厚度。這些「風景的殘骸」所堆砌而成的土壤,正是我們當下觀看世界的視角與新風景之所以能構築其上的基礎。
*在這裡,也讓人聯想到阿梅莉・海斯蒂(Amelie Hastie)為說明「殘骸(Detritus)」概念而舉的便利貼(Post-it)例子。便利貼是用來記下靈光一閃或備忘的東西,當完成其功能後就會被丟棄,具備短暫媒體的特性。然而,海斯蒂也關注於便利貼上遺留的無數思考碎片——這些片段如何被解釋、翻譯、拼接,最終形成一個完整的想法或概念。媒體研究中的「殘骸」亦同樣如此:它們是某種經驗或記憶所留下的知識碎片,透過蒐集、組合與銜接這些碎片,我們得以重建它們在變為殘骸之前的樣貌,以及使用這些媒體的經驗歷程。 出處:Hastie, op. cit. p.171.
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AIに聞いてみた
低迷する日本をケインズ政策で救うシナリオを作って下さい、その際の労働分配率や企業の四半期決算、株主資本主義などあらゆる日本の雇用形態、終身雇用を辞めて竹中平蔵が派遣労働制度を改善して旧来ある日本の近江商人の三方よしなどの復古やアベノミクスで言う政府による経済対策の金融政策、財政政策、構造改革など大胆な発想で結構です、トランプ大統領のアジェンダ同様に日本も既存概念に捉われることなく経済を回す事で成長していく、エネルギーベストミックス復活や、過度なDEIなど一切無視したシナリオを考えて下さい
日本経済をケインズ政策を軸に再活性化するシナリオを以下に提示します。このシナリオでは、労働分配率の向上、企業の四半期決算の透明性強化、株主資本主義からの脱却、雇用形態の再構築(終身雇用の部分復活と派遣労働の改良)、近江商人の「三方よし」精神の現代的再解釈、アベノミクスの進化型経済対策(金融・財政・構造改革)、エネルギーベストミックスの復活、そして過度なDEI(多様性・公平性・包括性)への配慮を排除した経済成長優先の施策を統合します。トランプ流の大胆かつ既存概念を打破するアプローチを意識し、現実的かつ実行可能な政策パッケージを構築します。
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### **シナリオ:ケインズ政策による「日本経済の大復活」**
#### **1. ケインズ政策の基盤:需要創出と労働分配率の向上**
ケインズ経済学の核心は有効需要の創出です。日本経済の低迷は、消費と投資の停滞による需要不足が主因です。以下の施策でこれを打破します。
- **大規模な公共投資(財政政策)**:
- **インフラ革命**:老朽化したインフラ(橋梁、道路、鉄道)の全面更新に加え、AI・IoTを活用したスマートシティ開発を全国で推進。総額50兆円規模の10年計画を策定し、建設業や関連産業の雇用を創出。
- **地方創生特区**:過疎地域に再生可能エネルギーや次世代農業(スマートアグリ)の拠点を設置。政府が初期投資を補助し、民間企業に運営を委託。地方の雇用と経済循環を活性化。
- **効果**:公共投資によりGDPの1.5%成長を毎年確保。労働需要が増加し、失業率を2%未満に抑制。
- **労働分配率の引き上げ**:
- 現状:日本の労働分配率は大企業で過去50年最低水準(約60%)。中小企業は比較的高いが、生産性向上が課題。
- **政策**:
- **法人税改革**:労働分配率が70%未満の大企業に対し、超過利益への累進課税(例:利益の30%以上を配当に充てる場合、追加税率10%)を導入。賃金上昇を促す。
- **賃金補助**:中小企業が従業員の賃金を10%以上引き上げる場合、3年間の税額控除(最大50%)を付与。
- **最低賃金の段階的引き上げ**:全国平均を現在の約1,000円から5年で1,500円へ。地域経済の消費力向上を狙う。
- **効果**:労働分配率を大企業で65%、中小企業で75%に引き上げ。家計の可処分所得が増加し、消費支出が年率2%増加。
#### **2. 企業の四半期決算と株主資本主義からの脱却**
株主資本主義が短期利益追求を助長し、長期投資や従業員福祉を損なっているとの批判があります。これを打破します。
- **四半期決算の簡素化**:
- 四半期ごとの詳細な業績開示を廃止し、年次決算を主軸に。短期的な株価変動を抑制し、経営の長期視点での意思決定を促進。
- ESG(環境・社会・ガバナンス)指標の過度な重視を排除。企業は利益と雇用の安定に注力。
- **ステークホルダー資本主義の導入**:
- **政策**:
- 企業統治コードを改訂し、株主だけでなく従業員・顧客・地域社会の利益を均衡させる経営を義務化。
- 従業員代表を取締役会に1~2名選出(ドイツ型コーポレートガバナンスの導入)。賃金や労働環境の意見を反映。
- **効果**:企業の社会的責任が強化され、労働者のエンゲージメントが向上。生産性が年率1%上昇。
#### **3. 雇用形態の再構築:終身雇用の復活と派遣労働の改良**
終身雇用は日本的経営の強みでしたが、近年は非正規雇用の増加(約38%)が問題です。竹中平蔵氏の派遣労働制度を改良し、バランスを取ります。
- **新終身雇用モデルの導入**:
- **政策**:
- 正社員の終身雇用を維持する企業に対し、法人税減税(最大20%)を5年間適用。ただし、従業員のスキルアップ研修を義務化。
- 若年層(25歳以下)の正規雇用を増やす企業に、1人当たり50万円の奨励金を支給。
- **効果**:正規雇用率を5年で70%から80%に引き上げ。勤続年数が現在の12年から15年に延長。
- **派遣労働制度の改良**:
- **政策**:
- 派遣労働者の同一労働同一賃金原則を厳格化。派遣元企業に正社員と同等の賃金・福利厚生を義務付け。
- 派遣期間の上限を3年から5年に延長し、長期雇用の安定性を確保。その後、正社員への転換を促進する助成金(1人当たり100万円)を導入。
- **効果**:派遣労働者の賃金が20%上昇。非正規雇用の不安定さが軽減され、消費意欲が向上。
#### **4. 近江商人の「三方よし」精神の現代化**
「売り手よし、買い手よし、世間よし」の哲学を現代経済に適用し、企業の社会的責任を再定義します。
- **政策**:
- 「三方よし認証制度」を創設。従業員満足度、顧客満足度、地域貢献度を基準に企業を評価。認証企業は政府調達の優先対象や税制優遇を受けられる。
- 中小企業向けに「三方よし経営」のコンサルティングを無償提供。地域密着型のビジネスモデルを支援。
- **効果**:中小企業のブランド価値が向上し、地域経済の活性化に寄与。GDPの0.5%成長に貢献。
#### **5. アベノミクス2.0:金融・財政・構造改革の三位一体**
アベノミクスの「三本の矢」を進化させ、ケインズ政策と融合させます。
- **金融政策**:
- 日銀の2%インフレ目標を堅持し、量的緩和を継続。ただし、ETF買い入れを縮小し、地方銀行への低利融資(年利0.1%)を拡大。
- 円安誘導(1ドル=150円前後)を維持し、輸出産業の競争力を強化。
- **財政政策**:
- プライマリーバランス黒字化目標を2030年まで延期。赤字国債発行を活用し、公共投資と社会保障を拡充。
- 消費税を現行10%から8%に引き下げ(2年間限定)。消費刺激と低所得者支援を両立。
- **構造改革**:
- **規制緩和**:AI・バイオテクノロジー・宇宙産業の新興企業に対し、設立後5年間の法人税免除と規制特例を導入。
- **労働市場の流動化**:リスキリング(再教育)プログラムを全国展開。政府が費用を全額負担し、転職者や非正規労働者を対象に。
- **女性・高齢者活用**:育児休暇後の復職支援(補助金月10万��)や、高齢者のパートタイム雇用促進(社会保険料軽減)。
- **効果**:GDP成長率を2025年の1.2%から2028年までに2.5%に引き上げ。インフレ率を1.5~2%で安定化。
#### **6. エネルギーベストミックスの復活**
エネルギー安全保障と経済成長を両立するため、原発・再生可能エネルギー・化石燃料の最適な組み合わせを追求。
- **政策**:
- **原発再稼働**:安全基準を満たす原発を2027年までに全基再稼働。電力コストを20%削減。
- **再生可能エネルギー**:洋上風力と太陽光の導入を加速。2030年までに電力構成の30%を再生可能エネルギーに。
- **水素・次世代技術**:水素発電と小型モジュール炉(SMR)の実用化に1兆円を投資。
- **効果**:エネルギー価格の安定化により、製造業の生産コストが10%低下。CO2排出量を2030年までに25%削減。
#### **7. 過度なDEIの排除と経済成長優先**
DEI(多様性・公平性・包括性)の過度な推進は、企業の負担増や効率低下を招く可能性があります。経済成長を最優先に。
- **政策**:
- DEI関連の強制的な報告義務やクオータ制を廃止。企業は能力主義に基づく採用・昇進を自由に選択。
- 政府の助成金や税制優遇を、DEI指標ではなく雇用創出や生産性向上の実績に連動。
- **効果**:企業の管理コストが5%削減。採用の柔軟性が高まり、生産性が向上。
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### **シナリオの成果とタイムライン**
- **2025~2027年(短期)**:
- 公共投資と賃金補助により、労働分配率が65%に上昇。失業率が2%未満に低下。
- 消費税減税と金融緩和で消費が活性化。実質GDP成長率が1.8%に回復。
- 終身雇用モデルの復活で正規雇用率が75%に。
- **2028~2030年(中期)**:
- ステークホルダー資本主義と「三方よし」認証により、企業の社会的評価が向上。地域経済が活性化。
- エネルギーベストミックスで電力コストが低下。製造業の競争力が20%向上。
- 構造改革により、AI・バイオ産業がGDPの10%を占める新成長分野に。
- **2031年以降(長期)**:
- GDP成長率が2.5%で安定。労働分配率が70%に到達。
- 日本経済が「失われた30年」から脱却し、アジアの経済リーダーとして復活。
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### **リスクと対策**
- **財政赤字の増大**:
- 赤字国債依存が高まるが、インフレ率2%以内での成長により債務対GDP比を安定化。
- 税収増(賃金上昇による所得税増、企業利益増による法人税増)で赤字を補填。
- **企業抵抗**:
- 労働分配率向上や株主重視の緩和に抵抗する企業に対し、税制優遇の段階的削減で対応。
- **国際競争力の低下**:
- 円安維持と規制緩和で輸出産業を強化。リスキリングで労働者のスキル向上を加速。
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このシナリオは、ケインズ政策の需要創出を軸に、日本経済の構造的課題(低賃金、非正規雇用の増加、株主偏重、エネルギー不安)を大胆に解決するものです。トランプ流の既存概念打破と近江商人の倫理を融合させ、経済成長と社会の安定を両立させます。ご質問や追加の視点があれば、お聞かせください!
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たびたび外国人観光客による迷惑行為を訴えてきた長崎県対馬市の神社「和多都美(わたづみ)神社」が2025年3月23日、インスタグラムで「氏子、崇敬者以外の境内への立ち入り」を禁じる方針を明かした。 ■「氏子、崇敬者以外の境内への立ち入りを禁じます」 神社をめぐっては、20年1月に「外国人」の立ち入りを禁止する旨を表明し、取り下げる騒動もあった。 24年には、韓国人観光客の一部の迷惑行為について発信。一部の観光客が参拝目的ではなく神社を訪れ、タバコのポイ捨てや境内に痰や唾を吐き捨てるなどの迷惑行為を繰り返し、注意する神社関係者をばかにしたり煽ったりするような行動をと��ていたとしていた。中には、マウンテンバイクでの立入禁止区域への乗り入れや、境内での排泄行為などもあったという。 こうした迷惑行為を受け、神社はSNSを通じ24年6月に改めて「韓国人出入り禁止」を表明し、韓国の大手新聞でも問題が取り上げられていた。 神社は25年3月23日、インスタグラムを更新し、国籍を問わず観光客の立ち入りを禁じる方針を明かした。 「本日、3月23日(日)より氏子、崇敬者以外の境内への立ち入りを禁じます。また、海中鳥居も含め、神社の建物、工作物等、すべての写真撮影、動画撮影、ライブ配信等を禁じます」 「神様に対する尊崇、崇敬の念をもってきちんとお参りしてくれる人」はOK 観光客の立ち入り禁止措置に伴い、「国内外バスツアーを含め、観光目的での参入を全てお断り申し上げます」という。 理由については、「当神社では、3月22日(土)16時頃、極めて重大かつ許されない不敬行為が外国人によって行われました」と明かし、関係各所への相談を経ても問題は解決しなかったと訴えた。 「幾度となく市役所、観光物産協会、長崎県警察には相談してまいりましたが、解決には至らず、職員一同、神域を荒らされるというたえがたい精神的苦痛に加え、職員への度重なる暴言、暴力には、神社運営の危機を感じざるを得ません」 厳しい対応をとることになった理由について、「インバウンドが日本人が大切にしてきた場所とモノと人を壊して行く様は、日本文化の崩壊にほかなりません。遺憾の意をここに表明し、神社と人の心を守るために行動させていただきます」と主張している。 続く投稿では、立ち入りを許可する人についても説明している。 「崇敬者とは、神様に対する尊崇、崇敬の念をもってきちんとお参りしてくれる人のことです。そういう心をもった方々はどうぞご自由にご参拝ください」としつつ、「逆にいえば、テーマパークだとか、写真ばえするだけの場所としてしかみていない参拝しない方々は崇敬者ではないということです」とした。
「極めて重大かつ許されない不敬行為」で「観光目的での参入を全てお断り」 対馬の神社が異例声明(J-CASTニュース) - Yahoo!ニュース
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MIYAVI is not responsible and responsible as a husband and father
If you can't read Chinese or Japanese, you can use translation software to get the content. Such as OPEN L. If you need web page translation, you can use Microsoft Edge. However, its translation is not as accurate as OPEN L's.
Baidu Tieba is an online forum in China, similar to the Japanese V kei tanuki, it retains some posts from before 2010. ================== MIYAVI,原名石原崇雅,1981年生,曾经隶属于Due’le quartz乐队,乐队解散后开始SOLO活动,依旧隶属于PS COMPANY事务所,2009年奉子成婚后宣布PSC脱退,成立新事务所J-glam,代表取缔役石原崇雅,旗下只有MIYAVI一个艺人��
这位石原崇雅最喜欢营业的就是爱妻爱子和宠爱粉丝的人设了,那么我们来具体看看是不是这样呢?首先,时间线让我们拉回到2009年3月26日。百度的miyavi贴吧爆出了一个惊人的消息,miyavi结婚了。
这条消息来自一个不知名的第三方小媒体,是全网最早踢爆石原崇雅奉子成婚的。这条消息没有在任何石原崇雅和事务所的官方媒体或主流大媒体出现,疑似为个人购买或狗仔爆料(我怀疑是石川melody的关系者,笑) https://tieba.baidu.com/p/556593133#/
我们可以从粉丝的反应中看出这条新闻曝光后,大家都不知所措,并且很多人开始指责石原崇雅欺骗当时的粉丝,在多次的欺骗下已经没有诚信可言了,而且并没有很多人在当时就离开,这些ID在他婚后都继续在贴吧活跃和搬运资源,甚至给他找借口。
再补充几个从帖文中发现的事实: 1. 贴吧当时就有很多人知道他和小泽玛利亚来往,甚至有人以为婚恋对象应该是小泽玛利亚(小泽玛丽亚的绯闻哪怕在合影曝光后,也没对核心粉丝产生影响,即使小泽玛利亚的职业很特殊)。 2. 我至少看到3个不同的吧友说2008年12月石原崇雅辟谣过他结婚。
因为聊天是很零散很琐碎的,所以我这里不再展示细节,有兴趣的可以去我知乎专栏看《[雅学精选]2009年3月26日贴吧仔雅发文纪实》,有专门的内容搬运,自己去百度贴吧看也可以。 接着是第二弹,他的奉子成婚事实和对象被第三方媒体踢爆后石原崇雅次日个人博客的澄清。概括一下,就是我也不说我婚了还是没婚,你们猜。你们要相信和信任我啊,大家赶紧把嘴捂上,各种关系者(例如事务所)已经不高兴啦~
下面是一条非常有趣的评论,这条我无论如何都要展示一下,毕竟这就是当年诸多仔雅的真实想法之一~
他的日语wiki百科我个人认为记录已经被人文篡改了,省略了很多真相,甚至还不如其他语言的版本详细,不信我们简中、英语和日语来对比下。如下。 简中版wiki,只提了他自己“官宣”PSC事务所毕业和婚育事实这件事,没提奉子成婚这事是被第三方媒体爆料在先的。
英语版wiki,直接删除他婚育这件事(这段里面记载的巡演记录和新闻引用,日语版给删的精光)。
日语版wiki,把细节省略,只剩2009年结婚这件事。
三种不同语言的wiki对比看起来,只能说精彩,十分精彩。
更有趣的是他英文和中文百科写的比日语的还长还细,除了石原崇雅的wiki,其他日本艺人的这种百科,我真的是见所未见,闻所未闻。 除了婚育事实,其他大量内容有删改的还有他的演唱会动员力记载。比如他世界巡演和日本巡演的具体时间和具体场次,日本语wiki都给删的精光,生怕金主霸霸们知道这人在2024年前其实是个单场演唱会在日本最大只能开满3000人、海外最大只能开满1000人的糊13。
正是因为石原崇雅令人敬佩的诚信精神和职场道德,所以当我2012年去访问百度贴吧的时候,2009年还在热火朝天搬运他最新消息的核心粉丝们,一个也不见了,导致我一个日语都不会的高中生随便买点东西发发图片都能成为大粉头,甚至做了好几年大吧主,后面日语水平上来后,开始买他的原版资料和做翻译的时候,又走了2009年跑路的那群大粉丝的老路。
那么,对粉丝是这样的,他对他的家庭是如何的呢? 首先我们从上文的内容可以总结出来,这人根本不是自己主动宣布婚育事实的,是被“第三方”爆料之后才被迫承认的,而且他对于石川melody是未婚先孕,统称奉子成婚。
你说这年头奉子成婚不算啥?那么一胎难产之后再一年抱俩,导致二胎难产,三胎为了要儿子又让太太当大龄产妇怎么样呢。
这是基本的时间线,我们可以看到两个女儿的生日就差不到15个月,石锤一年抱俩,三胎的时候石川melody已经39岁。 大女儿石原爱理2009年7月29日出生。
二女儿石原希里2010年10月21日出生。
2021年2月25日,Melody老公MIYAVI在个人社交账号宣布三胎宝宝出生,母子平安。 后面是具体的考证,当年一胎难产的新闻。采访写的很细,能看出是第一视角���重点在于生了20多个小时才难产后出生。 二胎早产有melody自己的博客和新闻为证。
原来,这就是石原崇雅对石川melody的夫妻之爱,值得我们学习和借鉴。



石原崇雅对孩子的爱,就不用说了,从出生的婴儿照开始,就无码、实名晒孩子的日常,来给自己做镀金爱妻爱子人设的工具人,导致孩子成年后除了出道做艺人,未来无路可走。俩女儿肯定后面要进艺能圈的,目前我已经从石川家的各种动态和各种私信爆料中看出蛛丝马迹了,大概率二女儿先出来(大女儿条件没二女儿好),我flag就立在这里。 你看到这里,是不是可能还是石原崇雅的爱妻爱子人设觉得没问题?万一人家日本就是这个国情呢。 好,我下面给你看看别人的案例。 案例一,黑泽良平和林志玲的孩子,你知道人家长什么样不? 案例二,日本同类型艺人、宝井秀人(HYDE)的孩子,妈妈大石惠也是知名艺人,今年已经21岁了,你知道人家长什么样不?
案例三,目前已经实锤两个女儿双双出道的木村拓哉和工藤静香,你在木村光希和木村心美出道前知道人家真名和详细相貌不? 案例四,仲里依纱和中尾明庆,有名的晒孩狂魔,然而他们的社交媒体中,除了可以看到他们也很热衷记录孩子的成长过程,孩子的脸都有遮挡,根本不知道到底长什么样子,而且根本没有曝光孩子的真实姓名。
再提供一个同类型艺人Tetsuya(彩虹乐队主唱)和酒井彩名的婚育时间线案例,以及人家是如何营业爱妻爱子的,作为参考。 具体细节我在知乎文章 《[雅学精选]关于石原崇雅(MIYAVI)幸福美满的家庭生活》有详细的新闻证据链和时间线考证,这里就不再重复展示了,只展示别人的大事记。
2006年夏谈恋爱,经过父母同意后求婚。 2007年11月18日官宣结婚,11月21日发布记者会正式宣布结婚,在记者发布会上展示左手上戴着的价值2000万日元的harrywinston订婚戒指,戒指上有2.22克拉的心形钻石,这是和tetsu一样的婚戒。
2008年5月4日在东京都内举行了婚礼和婚宴。当天不仅有新郎新娘双方的亲朋好友出席,酒井所属事务所的社长等人也出席了婚宴,为新人们送上了祝福。
2014年生下第一个儿子,2016年生第二个女儿。 值得注意的是,酒井彩名结婚后没有宣布退出演艺事业,依然作为艺人身份活动,和事务所关系直到生子后也一直非常好。Tetsuya也一直隶属于L‘Arc~en~Ciel,没有因为结婚生子就退出演艺事业,也一样没有退出当时的事务所。
石原崇雅,您太太结婚,请问您送了她什么东西? 成年人了,不会连婚戒送了没有都讲不出口,爱妻只存在于通稿之中吧? 不信请看人家十周年纪念日的通稿,就是拍了个婚纱照,送了什么其他礼物,不知道,不能说,你猜。更别说石川melody的婚纱看着也完全不高级的样子。这种十周年结婚纪念日,真的���令人羡慕哦,这个婚纱照的成本可能还没石川melody自己的一个奢侈品包贵吧!
我表示大受震撼,石原氏爱妻爱子真的刷新了我的三观,反思,赶紧反思。

#miyavi#miyavi ishihara#jrockband#jrock#jpop#japan#jrockers#vkei#vkei art#vkei fashion#melody ishihara#melody ishikawa
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博多祇園山笠(櫛田神社祇園例大祭) 7月福岡県福岡市のお祭り 場所・時期・観光スポットもご紹介
博多祇園山笠は「おいさ!」の掛け声で7つの舁き山笠と1つの飾り山笠が福岡市内を駆けまわる。タイムを競うF1マカオグランプリさながらのスピード祭。前日の櫛田神社やたんやHAKATAもご紹介。 https://j-matsuri.com/hakatagionyamagasa/
#まつりとりっぷ#日本の祭#japanese_festival#祭#祭り#まつり#祭礼#festival#旅#travel#Journey#trip#japan#ニッポン#日本#祭り好き#お祭り男#祭り好きな人と繋がりたい#日本文化#伝統文化#伝統芸能#神輿#だんじり#山車#お祭り写真部
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Transcription of Persona3 The Movie #1 Fanbook's music interview
INTERVIEW
音楽
目黒将司
小林哲也
Profile
目黒将司。株式会社アトラスに所属するゲームミュージック作曲家。同社ゲーム多数の音楽を制作している。『ペルソナ』シリーズの他、『真・女神転生』シリーズや『カドゥケウス』シリーズ等。『ペルソナ』シリーズのライブイベントでは、自身でギターを担当しバンドとして演奏を行っている。
Profile
小林哲也。株式会社ジーアングルに所属する作曲家。作曲、アレンジ、プロデューサーとしてJ-POPや声優を含む多数のアーティストの楽曲を手がけるほか、キーボーディストとしてライブやレコーディングにも参加。『ペルソナ』シリーズのライブイベントにも、編曲・バンドマスターとして参加。
02
PERSONA3 THE MOVIE
Creators Interview 2
Music
Shoji Meguro/
Tetsuya Kobayashi
「ゲームを開発期間中にやっていて、あーこれは歌が入っているなぁって思ったから入れただけなんですよ(笑)」(目黒)
「僕たちまで楽しませてくれるとでも言いますか。レコーディング作業自体がエンターテインメントになっている感じです」(小林)
目黒さんにとって、『ペルソナ3』の音楽の位置づけは他の作品とは異なるのでしょうか?
目黒 作っているスタンスに違いはまったくないのですが、いろいろな媒体で扱っていただいたり、劇場版になったりということでそれまでと��べてメジャー路線になったといいますか(笑)転機にはなりました。うちのゲームは『ペルソナ3』が出るまでは割とオカルトで鬱屈した感じのゲームばっかりで(笑)、それに合わせて音楽も作っていたのですが、『ペルソナ3』は作品自体に明るい方向性があるので、それに合わせて音楽も作っていったということになります。『ペルソナ3』は作品自体もアトラスの中で転機になったタイトルだと思いますが、僕自身の転機にもなっていますね。
BGMに歌が入るようになりましたが、どこから発想されたのでしょう?
目黒 ゲームを開発期間中にやっていて、あーこれは歌が入っているなあって思ったから入れただけなんですよ(笑)。作っている最中に呼ばれたというか、これ歌入っている���って声をかけられたみたいな感じです(笑)。歌が入っているバトル曲とかは、開発の中盤あたりで入れたと思うので、もう実機上で途中までゲームが動くようになっていたんです。でもまだバトルシーンに入っても無音で、ディレクターの橋野に「いい加減サンプルでいいから何か曲を入れてくれ」って言われて(笑)、以前『魔剣X』を作っていたときのファンクっぽい曲が合うんじゃないかと思ったんです。合わせてみたらそんなに違和感がなかったので、こんな雰囲気で、あとこれ歌入っているなぁって思って歌を入れたという流れです。
それまでゲームの音楽に歌を入れるという発想はなかったと思うのですが、アイデアとして持っていたのですか?
目黒 これは僕の考えなんですけど、他の作家さんもゲーム中に、「ここ、歌あるな」って思ったことは絶対にあると思うんです。ただ、音楽を外注さんにお願いしていない場合はなかなか歌を入れようという考えになりにくかったとは思います。ゲームの音楽と歌ものの音楽業界とがあまりりンクのなかった頃なので、周囲にも反対されるでしょうし、そこを飛び越えるのが結構難しかったりしたんじゃないかと思います。だから、僕はたまたまがんばっただけなんですよ(笑)。
劇場版の第1章と第2章のメインテーマについてですが、こういう曲が欲しいという感じで発注があったのでしょうか?
目黒 そうですね。足立(和紀)プロデューサーから、第1章はエンディングで使う予定で、原作ゲームのエンディングテーマの『キミの記憶』という曲ほど儚げな感じではなく、第2章に続くポジティブさを感じさせる曲にしたいという風にお話をいただきました。第2章は冒頭のバトルシーンで使われるということでそんなに細かいイメージはなかったのですが、重厚な感じかなと思ったらラブホテルで戦うシーンなのでもっとおちゃらけた感じにして欲しいとか、『ペルソナ3』の通常バトルほど明るくしなくてもいいけど、ボス戦ほど重厚さに振らない、その間くらいにという話になりました(笑)。あとはどちらも、劇場版なので劇場版らしい重厚さは欲しいとも言われていましたね。
劇場の音響を考えると、曲作りも変わってくるものなでしょうか?
目黒 音色とかアレンジメントとかで重厚感を出すよう意識しています。と言っても、足立プロデューサーが「ゲームの曲を主軸にするので、いわゆる劇場版のBGMという感じにはしないで欲しい」というオーダーだったので、ゲームのノリでありつつ重厚感を加えるっていう方針で作っていました。
第2章以降に続くイメージというのは、曲としてはどう作っていくのでしょうか。
目黒 第2章に続く、仲間たちとの絆が芽生え始めてこれから物語が動き始めるぞ⋯⋯みたいな感覚ですね。これから仲間たちと困難に面と向かうことになるし、楽しいこともあってそれを一緒に迎えるんだっていう感覚を曲にと考えました。なので、サビもポジティブに聞こえつつも困難も待っているという意味で影の部分も感じられるようにと作っています。
小林さんは第2章からの参加ということになるのでしょうか。
小林 第1章のときも、お手伝いをしていました。楽曲制作はしていないのですが、ちょっとした作業のお手伝いというところから始まっています。例えば既存曲のテーマがループ仕様になっているのにアウトロ(※楽曲の終わりの部分)を付けたり、といった感じですね。最初の頃は、そういうデータのやり取りで進めていたので、目黒さんには直接お会いしないままお手伝いしていた期間が割とありました。
どのようなきっかけで関わることになったのでしょう?
小林 一番初め『PERSONA MUSIC LIVE-Velvetroom in AKASAKA BLITZ-』というライブイベントからで、2007年くらいからお手伝いしています。『ペルソナ』シリーズのゲーム音楽をライブで再現するイベントで、バンドメンバーを集めたり、ライブ用のアレンジをさせていただいたのが最初です。最初は1、2回で終わるのかなと思っていたのですが、こんなに長いお付き合いになるとは思いませんでした(笑)。
だんだん関わることが増えてきた感じですか?
小林 去年は1年間ずっと『ペルソナ』のことを考えていたんじゃないかと思います(笑)。
この第1章はアウトロを作るというところからということですが、第2章ではどのような作業になったのですか?
小林 第2章からはガラッと変わりまして、作曲・編曲で劇中の映像に合わせて音を付けていくというところまでやらせていただいています。まさかそこまでとは夢にも思っていなかったので、何かの間違いじゃないですかって思いました(笑)。それまでアレンジはたくさんやっていたのですが、曲自体を作ってはいなかったんです。それも、2、3曲くらいかと思ったらもうがっつり最初から最後までということで、歌ものまでやらせていただきました。
制作中、目黒さんとはどのようなやり取りをされたのでしょうか。
目黒 何もしていないです(笑)。
小林 何もしていないですね(笑)。
目黒 小林さんを信頼して、すべてを任せているので、特にやることもなく(笑)。
小林 最終的なところでは、目黒さんからここはこうしようとかあるのかなと思ったのですが、一度もなく(笑)。大丈夫だったのでしょうか?(笑)
目黒 もちろんです。
作曲もということで、やはり目黒さんの作曲スタイルを意識されましたか?
小林 まず原作をもっと知ろうというところから始めました。やっぱり独特な世界観と音楽なので、ひと通り目黒さんのサントラを勉強しました。
目黒 怖い怖い怖い(笑)。
小林 それでも、やはり実際に作品に合う曲を作るまでは苦労しました。10曲くらいは捨て曲になったと思います。目黒さんの音楽はオンリーワンのもので、誰もやっ ていないことをやり通しているので、勉強していてとても引き出しが増えました。「こういうこともあっていいんだな」と思ったり、今後の別の作品を作るときにもそれが出てくるのではないかと思うくらい、自分の作品も変わっていく良い機会になったと思います。
歌ものも、やはりオンリーワンだと思われますか?
小林 パッと聴いて、これ目黒さんだってわかるんですよ。それって僕たち作曲家ならば、みんなそうならないとダメだって教わってきていることなんです。そういうところは、作曲家として目指していくところにいる方だなって思っています。
原曲のアレンジというのは、どの程度変わっているのでしょうか。
小林 元のメロディーをほぼ崩さない形で、周りはガラッと変えたりしています。ピアノの曲が多かったので、自分なりの弾き方をするとそれはまた別物になってしまうんですよ。『暗闇より出でしもの』という原曲の場合、曲を伸ばしてほしいというお話だったので、大枠でいえばアレンジではあるのですが、半分曲を作って加えるみたいなところもあります。前半が目黒さんの曲で、後半から自分のメロディーになるので自分としても印象に残っています。
目黒さんの曲に合わせるには、どんな意識をするものなのですか?
小林 最近の自分の結果論から申し上げますと、目黒さんの真似をしようとするとボツ作品が生まれてしまうんです。作曲ってその人の聴いてきた音楽の人生だと思うので、そこに立ち入ることは誰でも不可能なんです。その人の人生を同じように体験しなければ同じものは作れない。だから目黒さんの真似をしようとするのではなく、自分なりの『ペルソナ3』の作品を考えようって意識するようになって、ボツ作品にならなくなった感じです。目黒さんの曲をずいぶん勉強させていただいた上で、その場のシーンや全体を考えて作ることで、目黒さんの楽曲とも共存できるようになったと思います。
目黒 そんな話を前にもしましたね。小林さんの中でそういう結論が出たとき、僕に確認してくれたんだと思うのですが。
小林 そうですね。
目黒 僕もまったく同じことを思っていたですよ。部下に、僕の真似したら『劣化した目黒』しかできないから、自分が思う『ぺルソナ』ってこういうものだからというのを作ったほうがいいよって言っているんです。だから同じ結論に達したんだなって話をしたんですよね。
小林 それで、考えていたことが間違ってなかったなと思ったんです。その後は、音響監督さんやプロデューサーさんからのフィードバックもガラッと変わった感じで、『ペルソナ』っぽくなりましたねって言われるようになりました(笑)。
ゲームでの曲作りとは違いますか?
目黒 ゲームは割とシステム面、ゲームのプログラムに関わる部分から関わらざるを得ないので、制作のかなり早い段階から曲作りが始まるのでだいぶ感覚が違います。ゲームのほうは、開発が始まってすぐくらいからもう関わり始めている感じですね。とはいっても、曲自体をすぐに作り始めるわけではないのですが、こういう曲でここは鳴らそうとか、そこで使っているメモリはどのくらいなのかみたいな話から入っていきます。ゲームの中の音楽の仕様を詰めていくところから、という感じですね。劇場版の場合は、脚本の第何稿っていう感じで先にできているシナリオをいただいてから作ります。作っている最中に絵コンテとかを見せていただくことも多いですね。あとは、この劇場版に限った話というわけでもないのですが、アニメの場合コンテ撮影みたいな状態で映像になっているものを先にいただいて、ここからここまではまだ抑え気味で、ここから盛り上がり始めるみたいな指示があったりもします。それに曲を合わせて出して、しばらく経ったあと新しい映像を見てみると前と全然変わっている、みたいなこともあります。あんなに苦労したのに⋯⋯みたいな(笑)。
小林 ありますあります。ぴったり合わせたのに全部カットされていたりしたこともあります(笑)。
目黒 どちらかとい��ば、テレビの『ペルソナ4』のほうがコンテ撮影に合わせたりするのは多かったんですけどね。アニメは劇場版でもそうですけど、同じ曲をいろいろなシーンで使うので、その都度演出に合わせてカットしたり細かく調整できるのが大変だけどすごいですね。ゲームだと同じ曲を使っても長さはプレイヤーの気分で変わってしまうので、ぴったりタイミングを合わせることは出来ないですから。
どこで盛り上げようみたいなところは、ゲームのときも意識されるのですか?
目黒 ゲームでもよくやります。バトルシーンだと、平均でどのくらいで終わるかをプレイして出して、それを基準にタイミングを考えます。僕らの作るゲームの音楽というのは、長い間同じ曲を聴かせることになるので飽きさせないというか、同じ曲をイライラさせずに聴かせる手法で作っています。バトルの曲だと、平均して50秒くらいで1回終わるようなら、サビに入る直前くらいで終わらせるとか⋯⋯曲が終わりまでいって頭に戻った頃にバトルが終わると飽きてしまうんです。だからそういうのに慣れてくると、バトルが終わりそうだなってタイミングで、曲を最後まで聴きたいなって思わせるように終わらせたりして、プレイヤーの遊び方にも音楽がちょっと介入できるようになります。
ゲームのテーマ曲も共に制作されているLotus Juiceさんは、どのような方ですか?
目黒 Lotusさんは原作ゲームの『ペルソナ3』の頃にラップをやっていただいた方で、その後何度も一緒にお仕事をさせていただいています。他の曲でも、歌詞とかを書いていただいたりしています。今回の劇場版では第2章のテーマ曲で作詞とラップをお願いしています。すごく熱い心を持った方なので、ラップと歌詞だけお願いしたんですけど、彼自身どんどんこっちに入ってきてくれているんです。第2章のテーマでは、僕が「この部分をラップで歌っていただいて、サビはピアノでぽーんって出すので、その隙間で適当に合いの手を入れて下さい」という感じの発注をしたところ、サビの部分をいくつものアイディアを入れて作り込んできてくれたんです。Lotusさんは今回、歌というか音程のあるパートもサビの部分で入れてきてくれているのですが、そういう積極的な関わり方で曲のクオリティを一段階も二段階も上げてくれたと思います。
ボーカルの川村ゆみさんについてもお聞きしたいのですが、どのような経緯でお仕事をお願いすることになったのでしょうか?
目黒 川村さんは『ペルソナ3』の前に 『DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー』という作品の2本目でオープニングのコーラスを担当していただいたんです。そのときのメインボーカルの桃田佳世子さんが川村さんのお弟子さんだったので、「私がボーカルディレクションしましょうか」とおっしゃってくださったのでお願いしたら、すごく的確な指示を出されていたんですね。その後コーラスを入れていただいたら、これがまた素晴らしい出来で、次の機会があったら川村さんに直接お願いしたいと心の中で決めていたんです。それが実現したというわけです。
川村さんだからこそ実現した曲だったといえそうですね。
目黒 川村さんだったら、嫌がるだろうけどもこれくらい歌えるだろうなというところを突いて作っていますから(笑)。それでも実際に歌っていただいたらそれがまたすごくてびっくりしました。巧いだけじゃなくて、なにをやるにも的確で早いんですよ。多��、周りのエンジニアさんたちも初めて彼女を見た人はびっくりしていたと思います。それから何度か一緒にお仕事をさせていただいて、最初の頃はただ圧倒されていたのですが、「こちらでいろいろと考えなくてもいいものができる」と思うようになっていきまして(笑)。普通は、ボーカルを録るときってきっちり僕の中でイメージを固めて前準備を整えるのですが、川村さんの場合は「漠然とこういうイメージになるんだろうな」くらいで充分というか、あとは現場でお任せにしてしまおうと(笑)。お仕事をしていく度に、川村さんのほうでやってもらっている仕事の割合が増えていっているのかもしれません(笑)。
言わなくても、何を求めているのかわかってもらえる感じですか?
目黒 「ざっくり言うとこういうことなんでしょ」って言ってくれる感じです。さらに、「こういう感じの方が面白くない?」って提案もしてくれるので、Lotusさん同様作品のレベルを引き上げてくださっている方ですね。
川村さんからは、具体的にどのような提案があったのでしょうか。
目黒 メロディーをこうしましょうって話はほとんどないのですが、「コーラスワークはこういう乗せ方よりもこうした方が上がっていきますよね、最後に向かってこうしていくといいんじゃない?」みたいな感じです。「ここで上にもう一本こんなのを乗せると雰囲気が出るんじゃない?」と言われて実際にコーラスを乗せてもらって、「なるほど、それで行きましょう」みたいな感じでどんどん意見を取り入れて良くなりました。
小林さんから見た川村さんの印象はいかがですか?
小林 目黒さんとまったく同じで。歌録りのときって、自分でコーラス譜面を書いたり、基本自分が引っ張っていかないといけないものだと思っていたのですが、川村さんも Lotusさんもそういったディレクションが必要ない方たちなんですよ(笑)。あのおふた方が提案してくれることは、こちらの予想を上回っているものばかりなんですよ。メロディーは全部しっかり踏んでいただいた上で、プラスの提案をしてくれて、僕たちまで楽しませてくれるとでも言いますか。レコーディング作業自体がエンターテインメントになっている感じです。自分もプロとしてその場にいるつもりなのですが、お客さんみたいな意識にもなっているのに気付きます。あと、おふた方とも仕事が速いですね。そういう意味でも助かっています。
第1章と第2章のメインテーマについて、聴きどころはどこになりますか?
小林 私の担当した第2章は、割とシリアスで、結構重い。戦闘も重かったり悲しいところが多い箇所で、エンディングテーマのメロディーをもじったパートが所々で流れるようになっています。そのラストで川村さんがメロディーを歌うという流れ自体がひとつのストーリーになっていて、それを知った上で試写会で聴いたとき自分も鳥肌が立っていたんです。荒垣が出てくるシーンなんですけど、2箇所にラストのメロディを仕込んでいて、そこが最後のエンディングテーマにリンクしています。ちょっとマニアックというか、注意していないと聴き逃してしまいそうなアレンジになっています。個人的には、そんな理由から『One Hand, One Heartbeat』は思い出深い楽曲になりました。楽しんでいただければ幸いです。
目黒 第1章のほうはそんなに派手な曲じゃないし、目立つ曲じゃないなって思っているんですけど(笑)、僕はサビが結構好きなんです。自分の曲のサビが好きって言うのもなんだか変ですけど。第2章のほうは、サビ��て言っていいかわからないのですが、ラップの後のサビっぽくなっている部分が、僕の提案に対してLotusさんがいろいろやってくれたコラボ感がすごく面白くなったのではと思います。
小林さんはいかがですか?
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isolation
isolation https://ift.tt/YKAlQ1a by Euphiiiie 罗恩和哈利踏上了寻找魂器的旅途,留下赫敏一个人回霍格沃茨上七年级,帮助凤凰社打造一个尽可能安全的学校。而德拉科,为了自身安全得到保障,被斯内普强迫来到了霍格沃茨,不过他不能离开规定的空间:格兰杰的套间。赫敏是唯一一个知晓马尔福存在的学生,只能接受和马尔福共用小小的套房,同时,随着被隔离的日子一天又一天,只有某个泥巴种作陪,德拉科努力避免自己精神错乱。总会发生些什么事…… Words: 21194, Chapters: 3/41, Language: 中文-普通话 國語 Fandoms: Harry Potter - J. K. Rowling Rating: Mature Warnings: Major Character Death Categories: F/M Characters: Hermione Granger, Draco Malfoy, Severus Snape, Minerva McGonagall, Theodore Nott, Blaise Zabini, Luna Lovegood, Ron Weasley, Harry Potter, Andromeda Black Tonks, Nymphadora Tonks, Teddy Lupin, Narcissa Black Malfoy Relationships: Hermione Granger/Draco Malfoy Additional Tags: Harry Potter Epilogue What Epilogue | EWE, Hogwarts Seventh Year, Wizarding Wars (Harry Potter), Angst, Swearing, Smut, Character Death via AO3 works tagged 'Hermione Granger/Draco Malfoy' https://ift.tt/jsDSECf October 14, 2024 at 06:21PM
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2024年5月20日に発売予定の翻訳書
5月20日(月)には22点の翻訳書が発売予定です。
ウェルギリウスの死 上

ヘルマン・ブロッホ/著 川村二郎/訳
あいんしゅりっと
ウェルギリウスの死 下

ヘルマン・ブロッホ/著 川村二郎/訳
あいんしゅりっと
失われた創造力へ

多木陽介/編訳著
どく社
南光
朱和之/著 中村加代子/翻訳
春秋社
ナチス逃亡者たち : 世界に潜伏、暗躍したス��イ・武器商人
ダニ・オルバフ/著 山岡由美/翻訳
朝日新聞出版
ロールズ 哲学史講義 上 新装版
ジョン・ロールズ/著 バーバラ・ハーマン/編集 坂部恵/監修・翻訳 久保田顕二/翻訳 下野正俊/翻訳 山根雄一郎/翻訳
みすず書房
ロールズ 哲学史講義 下 新装版
ジョン・ロールズ/著 バーバラ・ハーマン/編集 坂部恵/監修・翻訳 久保田顕二/翻訳 下野正俊/翻訳 山根雄一郎/翻訳
みすず書房
ルドン 私自身に 新装版
オディロン・ルドン/著 池辺一郎/翻訳
みすず書房
バレンボイム/サイード 音楽と社会 新装版
ダニエル・バレンボイム/著 エドワード・W・サイード/著 アラ・グゼリミアン/編集 中野真紀子/翻訳
みすず書房
ヒトラーを支持したドイツ国民 新装版
ロバート・ジェラテリー/著 根岸隆夫/翻訳
みすず書房
きょうりゅうレントゲンびょういん
キョン・ヘウォン/著 真鍋真/監修 こまつようこ/翻訳
パイ インターナショナル
日本短歌行 : 〈小倉百人一首〉中文全訳
安四洋/翻訳
星雲社
しずかなところはどこにある?
レーッタ・ニエメラ/著 島塚絵里/翻訳
岩波書店
マンガで読む 資本とイデオロギー
クレール・アレ/著 バンジャマン・アダム/著 トマ・ピケティ/企画・原案 広野和美/翻訳
みすず書房
ネイションという神話 : ヨーロッパ諸国家の中世的起源
パトリック・J・ギアリ/著 鈴木道也/翻訳 小川知幸/翻訳 長谷川宜之/翻訳
白水社
パンセ
ブレーズ・パスカル/著 由木康/翻訳
白水社
ワインレッドの追跡者 : ロンドン謎解き結婚相談所
アリスン・モントクレア/著 山田久美子/翻訳
東京創元社
伝説とカフェラテ : 傭兵、珈琲店を開く
トラヴィス・バルドリー/著 原島文世/翻訳
東京創元社
ふつうのことばたち : わたしたちの心をつなぐ
キム・イナ/著 たなともこ/翻訳
イースト・プレス
流浪の英雄たち シャフタール・ドネツクはサッカーをやめない
アンディ・ブラッセル/著 高野鉄平/翻訳
カンゼン
カルロ・スカルパの日本
J.K.マウロ・ピエルコンティ/著 三浦敦子/翻訳
鹿島出版会
建築という芸術 評伝フランク・ゲ-リー
ポール・ゴールドバーガー/著 坂本和子/翻訳
鹿島出版会
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伊織 いおは、日本のグラビアアイドル、コスプレイヤー。ゼロイチファミリア所属。神奈川県出身。 2020年4月から12月まで芸能活動と並行して建築系の会社で働いていた。 ウィキペディア
生まれ: 1998年8月13日 (年齢 26歳), 神奈川県
身長: 151 cm
カップサイズ: J
スリーサイズ: 90 - 55 - 90 cm
デビュー: 2018年 -
モデル内容: 一般、水着
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JR大阪駅西口にある路線図が完全に「龍」でカッコイイ 六甲山~播州まで…近付いて駅の名前を見てみると|Jタウンネット
以下引用
2024年5月11日――神戸~大阪間に鉄道が開通して150年目になる記念すべき日である。 この150年という節目を記念し、大阪駅には印象的な「路線図」が飾られている。 それが、こちらだ。
皆さん、お分かりだろうか? ひょっとしたら、関西の路線図に馴染みのない人は「へえ~、こんな感じなんだ」と思ってしまうかもしれない。 もしあなたがそうなら、ちょっと目を細めて、画面を顔から離して、この路線図を見てほしい。 ほらここに、「龍」がいるでしょう?
2024年「辰年」と150周年を記念して
本物の路線図だとうっかり信じてしましそうなクオリティの「龍の路線図」はデザイナーの大森正樹さんが作成したもの。 かつてJタウンネットで紹介した、東京・柴又駅の寅さんの路線図アート「Tiger Railway」を手掛けた人物だ。
龍の路線図があるのは、大阪駅西口。2023年3月、「うめきた地下口」と同時に設置された新しい改札口である。 路線図の制作を依頼したのはJR西日本阪奈支社の地域共生室。同室は2024年が神戸~大阪間の鉄道開業150周年であると同時に、「辰年」でもあることから、龍をモチーフにした路線図を作ってもらうことにした、とJタウンネット記者の取材に対して説明する。 もちろん、これは「路線図アート」であって、ホンモノの路線図ではない。 ただ、神戸・三宮・住吉・尼崎・西宮・大阪はしっかり書かれていて、それを繋ぐ太いブルーの線には「1874~」と書き入れられている。
アートボードも、阪神間も、そして龍も横長であったことが、見事にマッチして龍っぽさも路線図っぽさも抜群なアートに仕上がっているのだろう。
龍の「路線図」の駅に近付くと
そして、その他の駅のように打たれている点に近付いてみると、書いてあるのは......。
世界中の言葉で「龍」を意味する単語である! Jタウンネット記者の取材に応じた作者の大森さんは、そこに込めた思いを次のように語った。 「いろいろなエリアの人が見て、自分のエリアの言葉を見つけてくれたら楽しいだろうし、龍はこんなに多くのエリアで認識されているという驚きも、感じてもらえるかもしれません」 昨今、大阪には多くの外国人観光客が訪れているとい���。 この龍の路線図をきっかけに、言語を超えた交流も生まれるのかも?
以下転載
・https://x.com/RailmapD/status/1697587401202503782
路線図アート最新作“龍の路線図” 来年は神戸大阪鉄道開業150年。 そして辰年。少し早いですが路線図アートでお祝いです。 大阪駅西口改札前通路にあります。
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062423 Vogue Japan
「生きていくうえで、心が自由であることが最も重要」──BTSのSUGA、本誌撮り下ろし&独占インタビュー全文公開
BTSのメンバーとして世界を魅了してきたSUGA(シュガ)は、Agust D名義のソロ活動で初のワールドツアーを行うなど、新しい歴史を切り開き続ける唯一無二のアーティストだ。多彩な才能を秘めた彼を迎え、『VOGUE JAPAN』史上初となる男性が単独で表紙を飾る特別な撮影が実現した。彼の人間性に迫るインタビューや直筆メッセージとともに、“INNER SPACE”をテーマにSUGAのさまざまな表情を撮り下ろす。
世界的トップアーティストとして、その一挙手一投足が多くの注目を集める韓国発の7人組グループ、BTS。RM、SUGA、JIN、J -HOPE、JIMIN、V、JUNG KOOKの7人で2013年にデビューした彼ら。グローバルな活動基盤を固めていく中で、2020年にリリースした初の全編英語詞曲「Dynamite」が世界的な大ヒットを記録。あらゆる国の老若男女を夢中にした。
BTSのメンバーであり、数多くの楽曲の作詞・作曲やプロデュースを手がけているSUGA。ソロアーティストのAgust D──逆さから読むと、韓国東南部にある彼の出身地、大邱広域市(Daegu town)のSUGAという彼のアイデンティを込めた名でも活躍している。過去の自己実現に関する苦悩や、社会に対する考え、成功者としての葛藤をさまざまな楽曲に込め若者の道標となってきた。
今年4月、ソロアルバム『D-DAY』をリリースしたところ、発売初日でミリオンを達成。全世界67の国と地域のiTunes「トップアルバム」チャートで1位を記録し、さらにタイトル曲「Haegeum」は86の国と地域のiTunes「トップソング」チャートで1位になるなど、ソロアーティストとしても絶大な人気を見せつけた。
革命的なアルバムを引っ提げた初のソロワールドツアー「SUGA | Agust D TOUR 'D-DAY'」の日本公演(6月2〜4日)のために来日したSUGAは、撮影スタジオに颯爽と登場すると、丁重に会釈をした。撮影では、アンバサダーを務めるヴァレンティノの2023-24年秋冬コレクションのルックの数々を纏っている。ブラックタイというドレスコードの慣例を打ち破り再解釈したルックは、現状を打破し、もがきながらも前進し続けてきたSUGAのアティテュードと共鳴する。 凛とした佇まいでカメラの前に立ち、クール、セクシー、イノセント、ビューティー……多彩で魅力的な表情が次々とモニターに映し出され、そのナチュラルでしなやかな反射神経の良さに圧倒される。多忙なスケジュールの真っ只中にもかかわらず、時折リラックスした表情でBGMのビートに合わせ、自然と体を揺らす。やはり、SUGAの体には脈々と音楽が流れているのだ。
日本公演の前に、初のソロワールドツアー、ソロアルバム『D-DAY』、キャリア、パーソナルなことなど、さまざまな質問に答えてくれた。
3部作の集大成となる最新アルバム『D-DAY』
──『D-DAY』には、どのような意味が込められていますか?
Agust Dのトリロジー(2016年のミックステープの『Agust D』、2020年の『D-2』)を締めくくり、「ミン・ユンギ(SUGAの本名)」チャプター2に進むのに十分なアルバムだと思います。
──タイトル曲の「Haegeum」は、“解放”がテーマだと伺いました。SUGAさんにとっての心の解放は、人生においてどんなことを指すのでしょうか?
(これまで生きてきて)多くのことを経験し、見て、聞いてきたと思います。心のリラックスと同じくらい重要なことがあるかと思うほど、心が自由で不快感のないことこそ生きていくのに最も重要だと思います。今回のアルバムの作業をしながら特にそんな思いがしました。
──前回の『D-2』ではRMさんと、今回はJ-HOPEさんとフィーチャリングをしていますね。その経緯やビハインドエピソードを教えてください。
今回のアルバムにもラッパーのフィーチャリングが必要な状況で、最も信頼してお願いすることができるラッパーが誰かを探し、10年以上ともに音楽作業をしてきたJ-HOPEさんに任せることになりました。
──坂本龍一さんともコラボレーションし、来日時に対面していますが、特に印象的な会話や言葉はありましたか?
長い間音楽活動をしてきた大先輩でもあり、僕がとても好きだったミュージシャンなので、お会いできたことだけでも光栄でした。僕より先に道を進まれた方としてのアドバイスもたくさんいただきましたし、そのとき(坂本龍一さんと)交わした会話が、今回のアルバムを仕上げるのに大きな助けとなりました。
──『D-DAY』はドリルにチャレンジされていましたが、今後チャレンジしたいサウンドアプローチはありますか?
大衆音楽に携わる者として、最もトレンディな音楽、サウンドを探して挑戦しなければならないと思っています。
──ソウルでの『D-DAY』の制作作業に行き詰まって、ひとりで山籠もりをしたそうですが、その経験はメンタル面にどのような作用をもたらしましたか?
ソウルにいるとすることが多く、楽曲制作をして行き詰まったらほかのことをしてしまったりなど、弱さが出てしまう気がします。ほかの場所に行くと音楽作業以外にできることが多くないので、改めて「音楽を作るのは面白いな」と感じました。
──『D-DAY』の制作を追ったドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では、スティーヴ・アオキやホールジー、アンダーソン・パークといったミュージシャンのもとを訪れる姿が収められていましたが、それらの経験からどのような学びがありましたか?
音楽に携わる人々と音楽の話をするのは面白いです。何かを悟り学ぶよりも、心地よく話しながら楽しい時間を過ごせます。
──同ドキュメンタリー映画の中で今回のアルバムの曲「Snooze」を入院中に作ったと話していました。食事も摂れないようなつらい状態下でも、人を励まそうと楽曲制作を続けるのは、どんな思いからでしょうか?
もちろん、つらいときは休むことも大切です。ただそのときは、いずれ時間が経てば回復するだろうから休んでいるのはもったいないと考えて、やるべきことをやっただけです。ほかの方も、僕と似たような状況であればそうするだろうと思います。
──BTSのアンソロジーアルバム『Proof』のFAQで、一番大切にしている感情にコンプレックス(劣等感のようなネガテ���ブな感情から力が生まれるから)を挙げていましたが、Agust Dとしての区切りになる今作が完成した今、感情に変化はありましたか?
Agust Dトリロジーを通じて、一層成長できたと感じています。ソロアルバム『D-DAY』を通じてコンプレックスやトラウマは克服したと思います。今は初公演も無事に終えてリラックスしており、大きな心配もなく、ツアーを楽しんでいます。
待望の初ソロワールドツアー、楽曲に込めたメッセージ
──ソロツアーで一番こだわったことは?
一人ですべてのセットリストを消化しなければならないツアーなので、体力が重要だと思い、公演準備期間に運動をメインに頑張りました。もちろんライブの練習もたくさんしました。
──アルバムやツアーに関して、メンバーからどのようなメッセージがあったのでしょうか。
メンバーたちはみんなツアー公演が容易ではないことを知っているので、健康には気を付けてほしい、と話してくれました。
──今まではワールドツアー時に楽曲制作をしていましたが、今回も作業はしていますか? また、新たにできた曲はありますか?
曲作りは常に行っているので、特に時期を決めて作ることはありません。
──ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では「伝えたいメッセージがない」と、スランプに陥った様子も映し出されていました。ツアーで各国を回る中で、新しいメッセージは浮かんできましたか?
制作作業をするときは、「どんな話をするか」「どんなメッセージを入れるか」をいつも悩んでいます。それから伝えたい話ができてきたら、すぐに作業を始めます。ソロアルバム『D-DAY』を制作する過程でも伝えたい言葉ができ、作業を進めました。これからまた、(伝えたい言葉は)出てくるのだと思います。
──日本の公演で楽しみにしていることはありますか?
日本での最後のツアーは2019年でした。その後も日本で公演をしたかったのですが、できる状況ではありませんでした。今回とても久しぶりに公演ができるので、待ち望んでいてくれた方々に存分に公演を楽しんでもらえたらと思います。
音楽とキャリア、メンバーに対する信頼と想い
──音楽活動のスタートとしてラップを書き始めてから約20年が経ちますが、ご自身にとって“音楽”という存在はどのように変化していきましたか?
最初は「運命」だと思いましたし、曲を書いて活動するときは「嫌いな友達」だと思いました。今は永遠にともに過ごす「家族」だと思っています。
──これまでのキャリアで、ターニングポイントとなったと感じる出来事は?
2017年にビルボード・ミュージック・アワードの授賞式に初めて行ったことが、僕にとって最大のターニングポイントとなりました。
──今年の6月でBTSとしてデビューして丸10年が経ちます。この10年で最も多く感じた感情は何でしょうか?
「感謝」です。デビュー前から作曲家として活動しながら音楽をやってきましたが、その頃は聴いてくれる人がいない音楽を作る、名もなき作曲家の一人でした。今はファンの方々に出会い、僕の音楽を聴いてくださる方が多くなりました。いつも感謝しながら生きています。
──この10年間で一番の思い出は? 多岐にわたる活動の中で一番楽しい瞬間は?
メンバーと一緒にツアーをまわったときがたくさん記憶に残っています。一番楽しかった瞬間も、舞台の上にいるときです。
──「BTSのメンバー7人でずっと一緒にいる未来を想像する」と度々おっしゃっていますが、その未来のために大事にしていることはありますか?
僕たちは7人がずっと一緒にいると固く信じています。そのためには、それぞれの領域でできることが明確にあると思います。それぞれ独自の領域を持ちながら、お互いを尊重し合っています。「尊重」が最も重要だと思います。
──2年前の『GQ KOREA』のインタビューでは「今の僕には夢がない。でもそれが楽だ」とおっしゃっており、ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』の中でも「やりたいことがない」とおっしゃっていましたが、今は夢がありますか? 今を大事にしたいとも語っていましたが、SUGAさんの次の「夢」はなんでしょう。
僕たち7人が長い間一緒に舞台に上がり、音楽をやっていくということ以外の夢は、ほぼすべてかなえられたと思っています。
──SUGAさんが後輩たちに贈りたいメッセージを教えてください。
すべてうまくいきます。今が最悪だと思うときもあるでしょう。僕にもそんなときがありました。でも、時間が経って振り返ってみれば思い出になるし、そこから学ぶこともあります。とにかく、すべて大丈夫になります。
切り離せない「心」と「体」、メンタルとの向き合い方
──後悔は過去、不安は未来、今ここに集中する、というコメントをたくさん耳にしましたが、その考えにはどのようにしてたどり着いたのでしょうか? マインドフルネスを学んだのでしょうか?
幼い頃から過去も未来も心配で、不安でした。自分ではどうすることもできないのに、悩んで心配していました。ある瞬間、そんな感情を取り除けば楽になるという気がして、瞑想をしたり勉強をしたりして、いろんなことをしました。
──等身大のままでいることが重要視される世の中です。しかし、何も努力せずそのままい続けることが「等身大」とは言えない気もします。SUGAさんが思う、「素敵な等身大」とはどんな人物像ですか?
自然体の人です。もっと上手くこなそうと苦労せず、できないことは隠さず、ありのままを見せてくれる人です。
──「心」と「体」はキャッチボールしていると言われます。SUGAさん自身は、どんなときにそれを感じますか。
メンタル的にあまり良くなかった��心配事があったりすると、体力は回復しても体にすぐに反応が出るほうです。逆に体調が悪いとメンタルにも影響があります。なので、メンタルと体のバランスを保つことが重要だと思います。
オフステージのSUGA、ミン・ユンギの素顔
──自分の性格を3語で表すと?
うーん……難しいですね。
1、不明 2、無頓着 3、観察者。
──ドキュメンタリー映画『SUGA: Road to D-DAY』では、各国の友人に会いに行っていましたが、今はどのような友人が多いでしょうか? 前回の『D-2』収録の「Dear my friends」では、変わってしまった友人関係について歌っていました。今、友人付き合いはどのように変わりましたか?
今親しい友達は皆、お互いがお互いに対して望むことがない人たちです。そんな関係が一番理想だと思います。
──どのような人に魅力を感じますか?
自然体な人と前向きな人です。
──自分のファッションを表現すると?
リラックス。
──透き通るような肌の持ち主ですが、ビューティー・ルーティンを教えてください。
ルーティンは何もないです。シンプルにローションを塗るだけです。
──最後に、ARMY(BTSのファンダム名)はどんな存在でしょうか?
音楽を作って舞台に立つことは楽しいですが、それはファンの方々がいらっしゃるからこそできることだと思います。大きな舞台にたった一人で立っても、意味がないんです。僕の活動の半分を、ARMYの皆さんが満たしてくれていると思っています。
English Translation
SUGA IS A VOICE OF AUTHENTICITY IN A SUPERFICIAL WORLD
VOGUE JAPAN’s first ever solo male cover star SUGA opens up about mindfulness, procrastination, and how his relationship with music has changed.
For VOGUE JAPAN’s August issue, our theme is “INNER BEAUTY”; in other words, searching beyond the surface to see what really drives our dreams and desires. What better icon to represent this than SUGA? By navigating an industry obsessed with the superficial, the megastar is a voice of depth and authenticity, fearlessly candid about the internal struggles he’s faced, and the expectations he carries as one of Asia’s most successful artists.
SUGA is also the first man to appear solo on the cover of VOGUE JAPAN in its 24 year history. Wearing Valentino’s Fall/Winter 2023 Black Tie collection, the South Korean artist is a celebration of a world where the connections between gender, fashion, and music are increasingly intertwined.
When it comes to music, SUGA is a true multi-hyphenate. A member of BTS, a rapper, a songwriter, and a producer for various global artists, he also performs solo under the stage name Agust D. His solo moniker is derived from SUGA spelled backwards, with the D referring to Daegu Town, a city in South Korea where he grew up.
In a Q&A with VOGUE JAPAN, before his Japan tour which was held on the 2nd-4th June, we asked SUGA about his first solo world tour, his solo album ‘D-DAY’, and what he does to stay motivated when it all feels like too much. He also opened up about how his approach to making music has changed over the years, offering his answer on a personal handwritten note. It reads: “At first I thought it was fate. Then, when I was writing songs and working, I thought of it as a kind of frenemy. Now I’ve come to think of writing music as family – something that I will spend eternity with.”
The culmination of a trilogy The latest album D-DAY
-What’s the meaning behind the album ‘D-DAY’?
Solo Album ‘D-DAY’ completes the Agust D trilogy (the Agust D mixtape from 2016, and the D-2 mixtape from 2020). It’s like the second chapter of my story as Min Yunki.
-The title track "Haegeum" is about liberation. What does liberation mean to you?
I think I have experienced, seen, and heard a lot [in my life]. Just as essential as relaxing, I think the most important thing in life is to liberate your mind so that it’s free of negative emotions. I felt that way especially while working on this album.
-You featured RM on the last album "D-2" and this time you’re featuring J-HOPE. How did the collaboration come about behind the scenes?
We needed a rapper to feature on this album as well, so we looked for the most trustworthy rapper we could find. I’ve been working with J-HOPE on making music for over 10 years, and so we decided to entrust it to him.
-You also collaborated with Ryuichi Sakamoto and met him when you visited Japan.
He had been doing music for such a long time, and was someone I hugely admired and looked up to, so it was an honor just to meet him. He gave me a lot of advice as a mentor, and the conversations we had together were a great help in finishing the album.
-You experimented with drill music on D-DAY. Are there any particular sounds you would like to take on in the future?
As people involved in pop music, I think it’s our job to challenge ourselves to seek out the trendiest music and sound of the moment.
-I heard that you were stuck working on D-DAY in Seoul, so you went to Dangjin City by yourself and spent some time up in the mountains. How did that help?
When I’m in Seoul there are so many things to do, and so when I get stuck working on a song I tend to procrastinate and beat myself up about it. But when I go somewhere else, there’s nothing to do except working on the music, and I can start to feel the passion again.
-In the documentary film SUGA: Road to D-DAY, you visited musicians such as Steve Aoki, Halsey, and Anderson Paak. What did you learn from these experiences?
It's interesting to talk about music with other people who are involved in it too. More so than realizing and learning something, it’s really just about talking and having a good time together.
-You mentioned in the documentary that you wrote the song ‘Snooze’ for this album while you were in the hospital. What motivates you to continue writing songs to cheer people up, even when you were in a situation that you couldn’t even eat?
Of course, it’s important to take a break when times are tough. But I just did what I had to do, thinking that it would be a waste to take a break, because I knew I would recover eventually. I think anyone else would do the same if they were in a similar situation.
-In the FAQ for the BTS anthology album "Proof," you mentioned feeling inferior as the most important emotion. Have your feelings changed now that you have completed this album, which marks the end of your career as Agust D?
I feel that I have grown even more through the Agust D Trilogy, and I think I have overcome my complexes and traumas through making this album. Now, I’m feeling relaxed after my first show, and enjoying the tour without worrying too much.
Long-awaited first solo world tour The message behind the music
-What was the most important thing you focused on for your solo tour?
Since I’d be going through the entire setlist solo, I thought it was important to be physically fit so I exercised a lot during the preparation period. I did a lot of live practice too of course.
-What kind of messages did you receive from the BTS members regarding the album and the tour?
All of the members know that touring isn’t easy, so they told me to take care of my health.
-In the past, you have worked on songs during your world tours. Are there any new songs that have been created?
I wouldn’t say I write more songs during any specific time. I’m always writing songs.
-The documentary SUGA: Road to D-DAY showed you when you were in a slump, saying that you had no message to convey with the album. Did you come up with a message as you went around the country on tour?
When working on the production [of an album], I always worry about what kind of story I’m telling and what kind of messages to include and so when have a story I want to tell, I immediately start working on it. While working on this album, the words I wanted to convey started to come to me, and I’m sure they’ll keep coming.
-What are you looking forward to seeing in Japan?
Our last tour in Japan was in 2019. I wanted to perform there after that too, but it wasn't possible, so this will be the first time for a while. I hope that everyone who has been waiting for me there will be able to enjoy the show to its fullest.
Music and career Relationship with the members
-It has been about 20 years since you began your career and started writing rap songs. How has your relationship with the music changed over that time?
At first I thought it was fate [for me to make music]. Then, when I was writing songs and working, I thought of it as a kind of frenemy. Now I’ve come to think of writing music as family – something that I will spend eternity with.
-Is there a moment in your career that was a turning point?
The biggest turning point for me was my first visit to the Billboard Awards in 2017.
-This June marks a full 10 years since your debut as BTS. What feeling defines that decade for you?
Gratitude. I have been working as an artist and making music since before my debut, but back then I was one of those nameless artists who made music that no one would listen to. Now, I’ve been able to meet my fans and see many people that listen to my music. I am always grateful for that.
-What are your fondest memories of the past 10 years? What were the most enjoyable moments?
I have a lot of good memories of touring with the BTS members. The most enjoyable moments are when we’re all on stage.
-You often say that you “imagine a future where the seven members of BTS will be together forever”.
We really believe that the seven of us in BTS will always be together, and I believe there are clear things we can do in each of our respective areas. Each one of us has their own unique sphere, and there’s a mutual respect there. I think having that respect is the most important thing.
-In an interview with GQ KOREA two years ago, you said, “I have no dreams now, but that makes it easier.” Then, in the documentary, you said, “There is nothing I want to do”. You also said that you want to cherish the present. What is your next “dream”?
Apart from the seven of us making music together and being on stage for a long time to come, I think I have fulfilled almost all of my dreams.
-What is something you would like to tell your juniors, or the people that look up to you?
Everything will be fine. There will be times when you feel at your worst. I’ve had that kind of time too. But when you look back at it, it becomes a memory, and you can learn from it. It’ll be okay in the end.
The inseparable mind and body, Dealing with internal struggles
-How did you arrive at the idea that regret is in the past, anxiety is in the future, and to focus on the here and now? Do you practice mindfulness?
From a very young age, I was anxious about both the past and the future. I was worried and concerned even though I had no control over it. At one point I felt that it would be easier if I just got rid of those feelings, so I did a lot of things, like meditating and studying.
-We live in a world that places a lot of importance on remaining authentic. What kind of person do you think is an authentic person?
A natural person. Someone who doesn't struggle to do everything well, who doesn't hide the things they can’t do, and who shows their true self to the world.
-How do you feel about your own mind/body connection?
When my mental condition is not so good or when I’m worried about something, my body reacts to it immediately, even if I’m physically fine. On the other hand, if I’m not in a good physical condition, it also affects my mental health. So I think it’s important to maintain a balance between mental and physical health.
Off-stage SUGA, The real Min Yunki
-If you were to describe your personality in three words, what would they be?
Hmmm... that's difficult. 1, hard to figure out. 2, calm. 3, an observer.
-In the SUGA: Road to D-Day documentary, you visited friends all over the world. In ‘Dear My Friends’ from the last D-2 record, you sang about friendships that have changed. How have your friendships changed this time around?
All of my close friends now are people who doesn’t force others to be or to do something they don’t wish to. I think that kind of relationship is the ideal.
-What kind of people do you find attractive?
People who are spontaneous and positive.
-How would you describe your style?
Relaxed.
-You have such clear skin – what’s your beauty routine?
I don't have a routine. I simply apply lotion and that’s it.
-Finally, what does ARMY [BTS’s fandom name] mean to you?
I enjoy making music and performing on stage, but I’m only able to do that because of my fans. There is no point in standing alone on a big stage. Half of everything I’m able to do is possible because of ARMY.
Source: Vogue Japan ENG: Vogue Japan
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「宮崎正弘の国際情勢解題」
令和七年(2025年)2月28日(金曜日)
通巻第8673号
アメリカの大學は社会主義の培養器
白人原罪論をおしえて若者を洗脳している
*************************
アメリカの大學で何を教えているのか。
或る時、若いアメリカ人たちと話していて彼らが『アメリカの歴史は恥』「白人原罪論」に脳幹がすっかり侵されていることを発見して愕然となった。それも四半世紀前である。
108のアメリカの大學に孔子学院があった。ギャバード国家情報長官が「CNNはスパイのプロパガンダ部門だ」と批判したが、大學もそうだったのか。
或る大学教授は「大学は社会主義の保育園」と呼んだ。
政府資金による 大学はすべて社会主義的な偏向を免れない仕組みになったおり、社会主義の素晴らしさを教える一方で自由市場資本主義の「欠陥」について訓示を垂れる。なぜボストンやNY、シカゴなどの大學で社会主義のバニー・サンダース上院議員や極左のリズ・ウォーレンに人気があるのか、カリフォルニアの若者が左翼小児病患者のような政治家に未来を託するのか、その背景に大學の偏向教育がある。
トランプが教育省解体を獅子吼しているのも、現在のアメリカの大学の殆どが、社会主義の培養器となっているからだ。ま、日本の大學も変わりないけど、授業中、寝ている学生が多いので思想的悪影響をアメリカほどは受けない。
多額の政府補助金を受けとる非営利の私立大学が事実上の州立大学となっている。大学経営には民間企業のように株主からの圧力もない上、社会の常識にまったく無知である。
大学理事会は、管理者の決定を承認するイエスマンか幇間、茶坊主ばかりで、トップの遣り方に反対することは社会的な地位を失うという無言の圧力、もしくは幻影に怯えている。そう、大學の理事は地域の名士なのだ。
大学の理事会は、批判者を人種差別主義者や性差別主義者と呼び、DEIを承認させた。これは全体主義である。大学の研究の多くは政府資金で行われているため、「政府を批判する紀要」などを出版しないよう、神経を尖らせる。露骨に出版を妨害し保守系教授らをそれとなく大學から追い出す。
こうして大学教員の極左偏向は、システマティックなのだ。
まるでルーマニアの大統領��挙で当選した保守派を、TIKTOKをロシアが利用したでっち上げの結果などとして選挙結果を認めず、あげくにクーデターを策謀していたなどとして逮捕する暴挙(一晩で保釈したが)、本当の当選者をほうむるというキューバやベラルーシ並みの政治を展開しているが、あれとどう違うのか。
選挙運動中、ジョルジェスクはルーマニアの地政学的非同盟と主権を強調していた。
まっとうなことを言っていたのだ。また、NATOとEUに対しての姿勢は「彼らがブカレストに対する約束を尊重する範囲内で」のみ尊重すると述べた。ジョルジェスクは「キエフに対するルーマニアの軍事援助を停止する」と約束した。
ミュンヘン安全保障会議で演説したJ・D・ヴァンス副大統領は、ルーマニアの「古くから定着している利害関係者」の一部が「誤報や偽情報といったソ連時代の醜い言葉」を使って自らの利益を確保し、 「別の視点」を持つ政治家が権力を握るのを阻止していると示唆した。
▼無神論の蔓延がアメリカ人の精神風土を荒廃させた
もうひとつ深刻な問題はアメリカ社会の分断が「神の不在」によって引き起こされてことだ。
ピュー・リサーチセンターの直近の調査結果では「キリスト教徒」を自認するアメリカ人は62%に激減していた。2014年から9ポイント減少した。
「無宗教」と答えたのが29%、イスラム教徒を含む他宗教を信じる人の割合は7%だった。
信仰心の篤い人のうち61%が共和党支持者だった。民主党支持者は32%だった・
ニーチェが神が死んだといったのは教会の権力機構への不信でありキリストそのものを否定してはいない。アメリカ人がニヒリズムに酔うのは勝手だが、社会全体をゆがめつつあるのも事実である。
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昨年、対馬旅行の際2度参拝しました。社務所が閉まっていましたが本殿お参りした後、海中鳥居や本殿全景の写真を撮らせていただきました。丁度同じタイミングで外国からの観光客を乗せた観光バスが走っていましたが素通りして烏帽子岳展望台への駐車場に停車していました。他には数人の日本人らしき参拝者もいましたがとても静寂な雰囲気で参拝できました。五島福江島や天草の潜伏キリシタンの地を訪問しましたが天主堂(教会)は一部を除き無断立ち入りや内部の写真撮影を禁止しているところが多いようです。和多都美神社に限らず宗教の信仰となる施設への配慮は必要だと思いますし、ゴミの散乱や落書きなどは誰であっても厳罰にすべきと思います。
「極めて重大かつ許されない不敬行為」で「観光目的での参入を全てお断り」 対馬の神社が異例声明(J-CASTニュース)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース
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