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石
アルバム『石』について(文章:伊藤暁里)

1.スジ
こちらも2019年末のワンマンで演奏した曲群のうちのひとつ。メロウな曲。タイコの1stEP『霊感』の中に「夜」という曲がある。自分の知る限りでは、この曲が好きだと言ってくれる方は結構���い。こんなこと明かすのもどうかと思うが、「スジ」は、「夜」のような、メロウで「受けそうな」曲を作ろう、という邪な気持ちから作った曲である。
と、打ち明けてみても、やはりそんなに簡単にはいくものではなく、アレンジは難航した。度々、「この曲なんか普通だよね、良いんだけど」というような話になり、いいところまでいっている感はありながらも、なんかピンと来ない、という状態がしばらく続いた。具体的には、元のバージョンではイントロとアウトロがもっとシンプルなもので、ひっかかりがいまひとつなかった。
そこから、試行錯誤を繰り返して最終的な形に至ったのだが、結局何がきっかけでアレンジが進んだのかと考えると、『波』の録音を始めていたことだと思う。『波』を作りながら岡田君や澁谷さんと話したことが少しずつ自分のものになり、「スジ」のイントロとアウトロ、および各パートのアレンジが出来たような気がしている。そういう意味において、『波』の録音と『石』の楽曲制作を並行して進めたことは、かなり大変ではあったが頑張って良かったなと、今では思う。
「普通」という言い方をしたように、「スジ」は、最終形を聴いてもどちらかと言えばシンプルなアレンジの曲だと思う。ただ、それが退屈という意味ではなく、過不足ない演奏でスムーズな曲の進行を支えているように感じる。地に足の着いた、というと言い過ぎかも知れないが、いい塩梅に落ち着いている。
ゲストコーラスとして浮さんに参加してもらった。急なお願いを受けていただいてとてもありがたかった。浮さんのボーカルは、流麗な、とか、透き通った、というような形容が似合う一方で、イノセントな、とか、ネイキッドな、という形容も似合うと思う。オンリーワンである。
昔、麻雀のルールも知らないのに雀荘でバイトをしていたことがある。いわゆる「セット麻雀」と呼ばれる、4人で連れ立って麻雀を打ちに来る人達だけを客にしている店だったので、店員が麻雀を打つ必要はなかった。とはいえ当然、人が打っているのを見ると麻雀に興味が湧いてきて、先輩の店員さんに色々と教わった。「スジ」はその中で知った麻雀用語のひとつだ。興味がある人は調べてみるといいと思う。麻雀のスジがそうであるように、本当に信じられるスジなどというものは世の中にはない。それはいつだってそうなのだが、ここ数年、信じられるものを選ぶことが日に日に難しくなっているような気分になる。そういう気持ちで歌った曲.....などと言っても何も��決はしない、日々、学ぶしかない。
2.たった一本
2020年リリースのカセットテープ作品『ありあけ』に収録されている同タイトルの曲を、作り変えたもの。リアレンジだけでなく、後半に歌詞とメロディも追加されている。同じ曲の別アレンジが発表されることはよくあることだが、歌詞まで追加されたものが出るというのは聞いたことがない気がする。
「追加」という言い方は、本当は間違っていて、『ありあけ』を出した段階で後半の歌詞は既にあった。が、メロディを上手くつけられなかったし、元バージョンはテンポが遅く、前半部だけでも尺を結構使っていたので、後半は使わなかったのだった。
『波』の録音が始まって、なんとなく、「『たった一本』は後半の歌詞も入れてアルバムに入れたい」と思っていたのだが、いいアイデアが浮かばなかった。そんな中、スタジオでの録音終わりに、岡田君がデヴェンドラ・バンハートを流していたのを聴いて、ピンと来た。いや、ピンと来た、というより、「このコードとテンポ感そのままでたった一本をフルバージョンで歌えるぞ」という気がした。おお!と思いながらその日は帰って、翌朝また録音に向かう道中で、前日のアイデアを頭の中で練ってみると良い感じだった。そのまま歩きながらボイスメモに録音。それを元にデモを作った。デヴェンドラのどの曲かは、探してもらえれば分かると思う。
デモをメンバーに共有して、まず大堀さんのシンセベースアレンジが上がってきた。それがとてもよかった。ベースと一緒にパーカッションアイデアも入れてくれて、曲の方向性をリードしてくれたように思う。それに載せるような感じでギターが入って来て、全体的にスムーズにアレンジが進んだ。ギターは合計4本入っていて、なかなか凝っている。
メロディをつける際にサビ部分の繰り返しこそしたが、「たった一本」は、純粋な詩として書いた一編の詩がそのまま歌になった曲である。基本的に詩先ではあるが、「たった一本」は特に、よくこれが歌になったなと自分でも思う曲である。歌になる詩とならない詩というのが間違いなくあるようで、それを考えるのも面白い。是非、CDを買って活字で歌詞を読んでいただきたい。
ボンゴを録音するとき、適当なスタンドがなく、色々と試した結果シンセ用のスタンドにボンゴを挟んでそれを僕が手で押さえておく、というやり方に落ち着いた。スタンドの一部になったつもりでのぞみんが叩くボンゴを支える気分はとても不思議なものだったが、悪いものではなかった。ちょっとASMRっぽかった。
3.ママさんバレー
なかなかセンセーショナル(?)なタイトルの曲。攻めすぎているのではないかという理由から、一度は「バレー」というタイトルにもなりかけた。しかし、今思えばなにも攻めすぎているなどということはない。奇を衒っているのでも斜に構えているのでもなく、真正面から「ママさんバレー」という曲を提示しているつもりだ。英題はMother’s Volleyball Club。そのまんまではあるが、なんかビートルズみたいで気に入っている。
ギター2本の絡み合いが気持ちよく、とてもいい塩梅だと思う。ドラムとベースも含めて、何か特別面白いアプローチ目立つプレイをしている楽器はないものの、各々が少しずつの工夫を凝らしていて、歯車が気持ちよくはまっているような印象。
タイコの音楽には、「リードギターを軸にしたオルタナティブロック」とでもいうような特徴が結成当初からあったと思う。一方で、1stアルバム『Many Shapes』を出した頃から、リードギターやオルタナな感覚に頼りすぎないアレンジを、いつも心がけて来た。バンドがあたらしいフェーズに進むために、それが必要なポイントだろうという気持ちがあったから。「ママさんバレー」は、そういった意識が結実したひとつの形だと思う。繰り返しになるが、どの楽器も目立っている感じがなく、かといってただ退屈なプレイをしている訳でもない、いい具合になっていると思う。岡田君も「バレーのアンサンブルはデモを聴いた時に完璧だと思ったよ」と言っておられた。嬉しいお言葉である。
2019年、新曲を作ろうと思って詩を書き始めたころ、最初に出来たのが「ママさんバレー」の元になった詩だった。井坂洋子の最初の詩集『朝礼』がとても好きで、その影響を受けて書いたと記憶している。『朝礼』には、全編を通じて、早起きして学校にいった時のような、しんとして心地よく張り詰めた空気が漂っている。色で表すとしたら白っぽい色だと僕は思うのだが、「ママさんバレー」は、そのまさに逆の、放課後の学校の黒っぽさをイメージして作った。親のママさんバレーについていき、夜の学校で友達と会う、あの特別な空気が好きで、今でもたまに思い出す。なぜだかそれは、どこか気恥ずかしいような、いかがわしいような雰囲気だった気がする。
4.音楽
ニューエイジ~俗流アンビエント感の強い曲。サビのシンセの音色が特にそんな感じで、『波』『石』を通して使い倒したシンセAlpha-Junoの「Bell Chime」という「まさに」なプリセット音色を使った。この2万円のシンセを日本で一番この有効活用しているのは自分なのではないかと思う。
この曲を作ったのは2020年末だった。アルバム2枚分の18曲まであと2曲という状況で、毎日「新曲、新曲、新曲......」と考えながら生活していたのを覚えている。結構大変だった。よくあることだが、あれこれ頑張っている時期の自分をあとから思い出すと、「今の自分からするととても無理だ」.と、信じられない気持ちになる。何かに集中している時というのは、特別な精神状態なのかも知れない。
「音楽」はアルバムの中でも色々と異色で、まず、ベースが2本入っている。正確な理由は忘れたが、多分思い付きで��ベースを2本入れましょう」と僕が急に言い出して、そうなった。急だったので、一度は大堀さんも「よくわからない......」という感じになったが、少し時間を置いて、とてもいい2本のアレンジを入れてくれた。もうひとつは、リズムマシンが入っているのに、のぞみんがノータッチであること。これは、「新曲早く作らなきゃ」という気持ちで、僕がデモにドラムまで入れてしまっていたから。ドラムが入っていること自体はよくあることで、時間があればそれを変えて行ったり生ドラムを検討したりすると思うが、時間がなかったのでそのままアレンジを進めたのだった。シンセも他の曲とは毛色が少し違い、どちらもひたすらにアブストラクトで不穏なプレイを繰り広げている。全体的にアレンジはとても気に入っている。
「Linn Drum」というハイエンドなビンテージドラムマシンのサンプルを使っているのだが、岡田君がたまたまそれの本物のサンプル(より高品質なサンプル)を持っていたので差し替えてもらった。さらに、ミックス中盤、おそらく深夜のテンションで、岡田君が「音楽 We Are the World ver.」というファイルを送ってきて、聴いてみると、「ドカドドドドン!」という「We Are the World」ライクなタムが追加されていて、最高だなと思ったのを覚えている。シンセ、ドラムマシンの音色も相まって全体的に80’sな、かつ謎にアブストラクトな、あまり聞いたことがない曲になっていると思う。
「スジ」「たった一本」「ママさんバレー」「音楽」に入っているエレキギターは、笹倉慎介さんがやっているguzuriという場所でリアンプという手法で録音した。リアンプとは、家などであらかじめパソコンのソフトに録音しておいた演奏を、後にアンプに通して再録音するやり方。失敗したから取り直すなどということがなく、あらかじめ弾いておいたテイクを録音するだけなので非常に効率がいい。我々のように遠方からメンバーが集まって制作をする場合にはぴったりだった。『波』もそうだが、自分たちの環境に最適なやり方を見つけることが重要で、そういうことを体感できたのはかなり大きい収穫だった。
「音楽」は、自分にとって音楽とは何だろうかと思いながら作った曲。考えてみれば、人生の中で長く続いていることが音楽くらいしかない。スポーツ、交友関係、仕事、云々かんぬん......。自分は大体のものに深入りできない人間性で、それで色々と失敗もしてきた。別に自分語りをしてエモい気分になっているとかではなく、そういう中でなんだかんだと音楽、バンドだけは続いている、続けられているなあと思う。Taiko Super Kicksも来年で結成して10年になる。自分の人生の中で10年続いていることが全然ないから、結構すごいことなのだろうと思う。
5.北欧BLACK
2019年にスタジオワークで作った曲群の中で恐らく一番初めに形になった曲。冒頭から続く2つのコード(ゆらゆら帝国の「おはようまだやろう」的な)で曲を作ろうとしていて、うまくいかず放置していたところに、別の気分で書いていた詩がちょうどハマッた。選挙に行った日、帰ってきてトイレで雑誌か何かの端に詩を書いた。
シンプルな曲ゆえに形にはすぐなったのだが、スタジオでアレンジを進めているときには、あまりにも単純過ぎるのではないかという気持ちだった。「短い曲をたくさん作ろう」とバンドで決めてから、そのテンションで曲を作り始めたところだったので、それ以前の比較的展開が多い曲作りとの違いに戸惑ったのかも知れない。間奏前と一番最後の2箇所で出てくる「ウーウーウーウーウーウー」というコーラス、フック?というのかわからないが、こういう要素がある曲も初めてだったのではないだろうか。何かとあたらしいことが多かったのだと思う。
録音にあたっては、色々とアイデアを足していった。シンセ、コーラス、のぞみんのコーラス、などなど。その中でも、間奏後に入っている、「ウー」というハーモニーのコーラスが気に入っている。これもやはりこれまでのタイコにはなかったタイプのアレンジ。そう言えば、『波』のミックスが終盤に入り、『石』も進めねばという頃に、「『石』はシンプルな佳曲が多いアルバムというイメージだから、ボーカルとコーラスワークを『波』以上に頑張ります」という内容のSlackを送っていた。改めて聴くと、確かに少なくともコーラスワークは『波』より色々やってるな、と思う。
とはいえ「北欧BLACK」は、曲全体として、今までタイコがやってきたこととそう遠くはない、とも思う。刻みの細かいドラム、オブリガードが利いたギター、歌うベース。そのうえで、バンドなりのあたらしい語彙を追加したような感じかと思う。シンプルで短いながらも、程よくアイデアが詰まったポップソング。
6.BS
この曲ができるまでに、BSという曲を2パターンほど作ったと思う。小学生時代、土日によくあった光景として「BSで放送している囲碁の対局を父が寝そべって見ている」というのがあり、それをテーマに曲を作ろうとしていた。スタジオで合わせていて、しばらく取り組んではいたのだが、アレンジが固まらなくて結局最後まで作り切れなかった。
そのまま、旧BSはアルバム曲候補に入らないまま制作が進んでいったのだが、2020年に実家に帰ってから作った5行詩シリーズの中で、再度BSという言葉をとりあげた。過去のことではなく、今の光景として「夕飯後に母がソファに座ってBSの映画を見ている」というのがあり、印象的だった。それがそのまま歌になったのが、新BS。
この曲も、ギターでコード進行を作っていたところに、それとは関係なく書いていた詩がそのまま乗ったタイプの曲。このコード進行を作っていた時、実はなぜか自分のソロ作品を出したいと闇雲に思っていて(多分アルバム制作からの現実逃避)、バンドの曲と違うニュアンスのものを作ろうとしていた。そのため、キーが高めで、ファルセット前提になっているのだが、詩がすんなりハマッこともあり、バンドの曲作りに余裕は一切なかったこともあり、そのままバンドに持っていった。一曲全部ファルセットで歌う曲はアルバムの中では他になく、結果としては彩りがでて良かった��思う。
そこからのアレンジは比較的スムーズだった。取っ掛かりとして、ギターで弾いていたコードをシンセでドローンっぽく弾きなおしたものがしっくり来たので、そこにリズムマシン、ギター、ベースと、いずれも持ち味のあるフレーズが乗っていった。リズムマシンはパーカッションに近いニュアンスで面白いく、ベースも小気味いい。ギターは、『ありあけ』でも使ったTASCAMのカセットMTRを通して音色を作っていて、程よく輪郭が取れたような音になっている。岡田君もミックス時に色々エフェクトを加えてくれた。リズムが水っぽくなっていたり、ボーカルにグリッチっぽいエフェクトがかかっていたり。全体的に不穏な感じ。
家族、あるいはそれ以外の近しい人と一緒にいると、ふとした時に、この人も自分もいつかいなくなってしまうのだ、と寂しくなる時がある。そう感じるたびに、まあでもそういうものだから仕方ない、と自分を納得させる。それでも時々、新鮮に寂しくなってしまう。
7.最初の米
2020年の12月、『石』のベーシック録音をする予定だったのだが、録音日の数日前に父方の祖母が亡くなり、リスケになった。「最初の米」は、この時の祖母の死をきっかけに作った曲。アルバムのバランス的な観点から、3拍子か6/8拍子の曲が欲しいと思って、いくつかの曲をリファレンスしながら作った。
「最初の米」というのもなかなか面白い曲名で、TETRAの藤村さんに伝えた時には「ヤバイね笑」とコメントをいただいた。まあ一見すると「?」という感じかも知れないが、祖母の話を踏まえて、歌詞を読んでもらえると、最初の米が何のことなのかが伝わると思う。英題はIn the Small Altar。より説明的。ファーストライス、とかだと食事の作法みたいでまずいだろう、という気持ちもあり。
この曲のアレンジは難航した。難航したというか、増改築多数のいびつな物件のような感じ。岡田君に曲を共有した時に、テンポが遅めかつ曲尺が今作の中では長めだから、飽きさせない工夫が必要、というような話になったのがきっかけ。確かに「最初の米」はしっかり1番2番を繰り返すタイプで、かといってサビがある訳でもない、じーっと進んでいくような曲。アレンジ次第では冗長に感じられるのかも知れない。
その話を受けて色々とアイデアを足していった。2番Bメロからのドラムパターン、白玉のギター、コーラス、シンセ、エレピ等々。そこからまた減らしたり緩急をつけたりして、最終的な形に。結構モリモリではあるが、これくらい情報量があっていい曲だろうと感じている。
各メンバーのアレンジも、割と特徴的なことやっている感じだが、全体的に音数が多いので却ってひとつひとつは目立たない状態になっているかと思う。間奏のギターがとても好き。
8.ぽっち
福岡県久留米市の実家に帰って、ピアノを触りだした頃、えんえいと並行して作った曲。コードの響き重視で単純な進行を作りながら、頭にひっかかっていたぽっちという言葉をもとに、詩と曲を同時に広げていった。
コードが4つしかないうえに基本的に繰り返しのミニマル��展開なので、えんえいと同じ時期に曲はできていたものの、バンドでのアレンジが形になるのに時間がかかった。これもやはり、すでに始まっていた録音の経験があったからこそ、「最初の米」と同様にアレンジ上の工夫が必要だと考えて、リズムマシンと生ドラムの両方を使うという発想に至ったのだと思う。生ドラムとリズムマシンの併用と言えばSly & the Family Stoneを思い浮かべる。ギターとベースも結構ファンキーなアレンジになっていて、ちょうどスライっぽいと言えるのかも知れない。
生ドラムを入れるにあたって、一度私が仮のドラムを叩いたのだが、そのバージョンでは、細かいフィルをたくさん叩くうるさい演奏をしていた。2010年頃のTy Segallのような。ギターもTyよろしくうるさいファズを踏む想定で、全体的に突き抜けた感じの曲がひとつあってもいかなという考えだった。しかし、最終的にはプレイヤビリティやアルバムの雰囲気を鑑みて、突き抜け感というより、ピアノを聴かせるアレンジに修正した。拡がりがあって幻想的になった。ギターも、ファズは踏みつつ他のエフェクトを混ぜて、ビザールな雰囲気になっている。この路線で正解だった。
冒頭~間奏までのポコポコしたリズムマシンはポリリズムになっている。のぞみんはこういうパターンが得意だなと思う。「らしさ」のようなものが、ここにはもう見えている。拍子の頭が捉えづらいので、大堀さんはベースを入れるのに苦戦していたようだった。このベースにも大堀さんの「らしさ」がでていると思う。
苦戦と言えば、ボーカル録りに本当に苦戦した。なぜか分からないが、ピッチ感がうまく合わなくて、納得いくテイクが全然録れなかった。スケジュールの都合上、『石』のボーカルは全て私の自宅で一人で録ったのだが、一人で何曲もボーカルを録るのがいかに大変かを思い知った。ジャッジしてくれる人がいるというのは、とても重要なことらしい。
9.ニューライン
アレンジとミックスが最後まで決まらなかった曲。エレキギターの音色がしっくりこなくて、かなり土壇場で修正した。それでようやく、落ち着いた感じ。樺山には無理を言って申し訳なかった。
曲の構成も、デモ段階から大きく変わった。TETRAチームやエンジニア陣にデモを共有した際、「もっと短くて駆け抜ける感じがいいね」というような話になり、イントロ間奏アウトロなどをバシバシ削ってスッキリさせた。
土壇場で変わったのはギターの音色だったが、その前にも色々とアレンジの変遷はあった。この曲は、私にしては珍しくア���ギを弾きながら作った曲で、デモもアコギで作っており、そのアコギの音色と曲のコード感が相まって、若い感じというか、ストレートというか、そういう印象があった。その印象を散らすために、エレキギターやシンセなど、ウワモノを中心に色々と試しながら、最終的にはシンセ(曲の頭から入っている方)が方向性の軸になった。キッチュな、あるいはビザールな、ポップソングになったと思う。
このシンセを思いつくきっかけになったのは、”Blue” Gene Tyrannyの『Out of the Blue』というアルバム。2020年に初めて聴いたのだが、その一曲目「Next Time Might Be Your Time」がまさに、ビザールなポップソングいう感じで、とても感銘を受けた。と同時に、これは何かに繋がるのではないか、と思ってニューラインのシンセに取り掛かったのだった。
アレンジで工夫を凝らしてはしてはいるが、この曲はやっぱり、どこか若くて、青い曲だなと思う。だがその青さが、この曲の良さでもあるような気がする。デモを共有した時、のぞみんが冗談交じりに「MTのコンピに入ってる曲っぽい」と言っていた。私たちが大学の頃所属してバンドサークルMMTが、毎年学祭に合わせて作っているオリジナル曲のコンピレーションアルバムのことだ。確かに、どこかに戻ってきたような、だけど確実に歩を進めてはいるような、そういう感触のある曲なのかも知れない。その意味で、最後の曲にしたのも正解だったのだと思う。
制作を進めている時には、「この曲どうなんだろう」という心配も少しあった。しかし、今回のチームではそういう話も率直にできた。アレンジとギターの音色が固まる前、岡田君は「アルバムから削ってもいいと思う」と率直に話してくれた。夏目さんに意見を聞いてみると「これは、なんでもない系の曲。なんでもない、いつもの世界も楽しいと教えてくれる曲だから、アルバムの中にあった方が良い」と答えてくれた。そういう真摯な意見を聞ける環境があって、最終的にはなんとか全員納得のいく形でミックスを終えることが出来た。今回のチームで制作できたことを、とてもありがたく思う。
いいアルバムができてよかった。みなさん本当にお疲れ様でした。
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波
アルバム『波』について(文章:伊藤暁里)

1. 椅子の椅子
まずタイトルが気に入っている。1曲目にして正解だったなあと思うはじまり感のある曲。アルバムの出だしが「東大の親戚」っていいなあと。
完成系になるまで二転三転した。ギター2本の十六分の絡みにも試行錯誤したし、ドラムパターンも岡田君のアイデアでほぼ全編頭打ちにパターンになった。もとは今の間奏前のパターンが基本パターンだった。ベースも途中で歪ませた。フレーズ含めワイルドで良い。
面白いと思うのはBメロに入っているクラップ。最初は割とふざけて入れていたが、ありなんじゃないかっていう話になってきてそのまま採用。こういうのをOKにしだしたあたりから、アルバム全体に色んなアイデアが入れられるようになった気がする。ちなみにクラップやその他パーカス音に使っているのはYAMAHAのRX17というドラムマシン。再評価の兆しが全然ない安い機材。そういうものをどんどん使っていきたい。
椅子の椅子。高く積みあがった椅子に対峙しているイメージ。この椅子の連なりを崩すのにはどれくらい時間がかかるのだろうかというある種の諦観。だけど一つ一つ積み下ろしていくしかないとは分かっている。諦めているわけではない。松田青子の『スタッキング可能』のイメージが少しあるかもしれない、今思えば。
2. リフト
Robert Wyatt『Shleep』収録の「Alien」を聴いて、作った。ピアノで弾くと現代音楽~ミニマル・ミュージックっぽくなるような繰り返しのフレーズ。
そのフレーズに、冒頭「雪を掻いてコーンを立てる/張り詰めて清冽な朝だ」という詩の断片としてメモしていたものがハマッたので、そこから先まで作っていった。なので一応、詩先。というか今作は全て詩先。「いいばい」という地元福岡県の方言が出てくるが、英語のbyeやbyのイメージで、ナチュラルに聴こえるのではないかと思って初めて歌詞に方言を入れてみた。
アルバム制作に向けてアレンジのアイデアを出していきましょうとバンドで話してから、最初にこの曲の間奏のシンセアレンジがバチッと決まった。アルバム全体でシンセがかなり使われているが、この曲からそういう雰囲気は出来始めた気がする。
僕は小学校と高校でサッカー部に所属していた(中学はバスケ部)。フィジカルとメンタルが強くなかったが、足元の技術は多分そんなに悪くなく、リフティングは得意だった。リフティングは1000回できればあとは一緒、という1000回の壁みたいなものがあって、小学校��頃はよく1000回目指して練習していた。リフティングの調子がいいのは、大体早起きできた冬の朝だった。気持ちがスンとして神経が研ぎ澄まされて、周りのことは気にせず、集中できた。
3. えんえい
2020年7月から諸々の状況を踏まえて実家に帰っているのだが、「えんえい」は実家に帰って最初にできた曲。家のピアノに久しぶりに触っているうちに、できた。この曲ができて、アルバムのイメージが広がった気がする。あたらしいものになる感じがした。アレンジもメンバーの個性がすごく出ていると思う。どのパートもいいと思うが、とくにドラムのパターンが好き。
ちなみにこの曲は、もともと冒頭~「待っている」くらいまで違うコードとリズムで何となく曲ができていたものを、ピアノを触りながら作り変えた。これ以外の曲にも作り変えた曲は多い。「椅子の椅子」もそう。基本的に詩先なので、コードやメロを優先せずよりフィットするものを探している感じ。
TETRAのみんなや岡田君、澁谷さんと本格的に制作が始まりだした頃、最初に岡田君のプロディース視点でのエディットが入ったのがこの曲だった。バンドのアレンジの精度がグッと上がったような、各々の意図を汲みながらクオリティが増幅されたような、そういうものが返ってきて、みんなで「めっちゃいいねー!」となったのをよく覚えている。「岡田君とすごくいいものが作れそうだ」と思った。
この曲も小学校の頃のイメージ。そこから現在に至るまでの時間について、そしてこれからも進んでいく時間について。過去への憧憬ではないが、時々、小学校の下駄箱の先に今も僕が立っているような気分になる。もし彼と話せたら、僕は何を話すだろうか。彼は僕にどんな言葉を返すだろうか。そういう気分は、これからもずっと続いていくのだろうと思う。
4. コーンクリーム
インタールード的な、めちゃくちゃ短い曲をやりたいと思って作った曲。Frankie Cosmos『Close It Quietly』収録の「Self-Destruct」という45秒の曲を聴いてこういうのいいなあと思った記憶がある。
コード進行がアンニュイで切なくて気に入っている。実はかなり長い間温めていたというか何度も曲で使おうとして使えていなかったもの。ようやく形にできて嬉しい。ちなみにFrank Oceanの『Blonde』の中にもこれに近いコードの曲が2曲あって、初めて聞いた時彼もこれが好きなのかと嬉しく感じた。
歌詞は、コロナ禍でとくに外出に敏感だった頃、毎日書いていた数行の短詩シリーズの中のひとつ。狙ったわけではないが、4曲目で4行詩になっていて少し気持ちいい。「渦中」という言葉を使うにふさわしい時期に、ある種まっすぐすぎる表現になっているのかも知れない。だけど、これまでの人生の中で今こそまっすぐであるべき時代はなかったような気がしている。まっすぐでいい。
もともとはアウトロがあってもう少し長い曲で、その尺で録音していたのを、ミックス最終段階で削った。
5. 合間
もともとギターで作っていた曲を岡田君サジェストでシンセに換えた曲。ジョンレノンの暗い曲みたいなイメージで、いい感じになった。ギリギリのラインな��サさのシンセが気に入っていて、ANTI RECORDSのあまり人気じゃないバンドのようなイメージを勝手に抱いている。絶妙な気持ち悪さのあるギターも良い。
この曲も、短詩シリーズに歌をつけたもの。生活の中でふと訪れる合間のような瞬間について。自分でも面白いと思うが、「コーンクリーム」も「合間」も、特に歌を想定せず書いた詩であるにも関わらず、一言一句変えることなくそのまま歌にできている。一方で、全然歌にならない詩もある。やっぱり、自分の中で歌に近いフィールや語感で書いている詩と、それとはまた違う詩があるのだろうと思う。いずれにしても、今作を通じて自分の作曲の「型」が出来てきたような気はする。
ちなみにメインのコードで使っているシンセは、Rolandのα-Juno。「椅子の椅子」「リフト」「えんえい」含め、今作全般で多用している。いわゆるFM系のデジタルな味の���るシンセだが、同類の流行っているシンセに比べて人気も知名度も低い、ゆえに安価。そうでありながら、色々調べているとシンセ好きの間では結構評価は高いらしい。こういう機材ばかり持っている。
6.火遊び
B面頭の一曲。当初は前半に入れようと話していたが、岡田君の提案でこの位置に持ってきた。いい転換ポイントになっていて、正解だった。「火遊び」「青梅」「椅子の椅子」「リフト」の4曲は、2019年末のワンマンライブ「talkback」で披露した。このワンマンは2部制をとったもので、後半の部では新曲を7曲程やった。『波』に入っていない曲もあり、それらは『石』に入っている。そういう意味では、この新曲群がアルバムの土台になっていると言える。「talkback」フライヤーの裏面に書いた文章にもあるように、この新曲群を作っていた頃、これまでのタイコとちょっと違うぞ、というあたらしい風が吹いていたような感じがする。
「火遊び」は、タイコとしては結構テンポの速い曲。狙って速くしたとか、何かに影響を受けて...という感じではなく、冒頭アコギで弾いているリフから作っていったと記憶している。アレンジは完全にバンド内完結で、岡田君の手は入っていない。タイコらしい、フレーズが絡み合ってぶつかり合うアレンジ。
幼少期に、近所の工事現場で火遊びをして火事を起こしてしまい、消防車や警察が来る騒動になったことがあった。結構ちゃんとした火事である。その時のことを描いた歌詞。そして。2番では、「いま」のことを歌っている。
7.青梅
ドラムの録り音が非常にいい。『波』の中では一番いい。静かな曲なので、細いスティックとモフモフした何かがついたビーター(バスドラムを押し叩くやつ)を使ってドラムを演奏してもらったのだが、その音色とセッティングがベストマッチしたのか、とても奥ゆかしいきれいな音が録れた。ちなみにドラムとベースを録音したのは浅草橋にあるツバメスタジオ。当初岡田君が「北野映画の事務所みたいなところだよ」と言っていたので、よほど殺伐とした空気が漂っているのかなと少々不安だったが、ビルの7階にある、ベランダからの景色が気持ちいい、良いスタジオだった。
曲の展開も気に入っている。例えばよくある「A⇒B⇒サビ⇒2A⇒2B⇒サビ」などのように、同じ展開に戻ってくるのではなく、まっすぐ進んでいくもの。「A⇒B⇒C⇒D」で終わる感じ。詩先で曲を作るようになってから、ポップミュージックの一般的な構成に縛られたくない、という気持ちが強くなった。曲になることを想定せず、詩の赴くままに曲が展開していく、そういうものを作りたいと考えるようになった。「青梅」は、その一つの成果だと思う。
アレンジは、あるタイミングでガラッと変わった。スタジオで合わせた段階で「これではつまらない」という感じになったので、いくつかの違う気分でのテイクをボイスメモに録音した。その中に、これはいけそうだ、というのがあり、そこからデモを再度制作し、現在の形になっていった。
この曲もエディットなしのバンド内完結。シンプルで、あまり無駄のないアレンジになっていると思う。間奏が特に気に入っていて、よく人からもいいねと言われる。ずらしてスキマを埋めるようなやり方。これもタイコの持ち味の一つ。前半と間奏あたりを中心に、割とヨレ気味というかいささか間延びしたノリになっている感じだが、この曲に関してはそれも味かなと思う。
歌詞は、終電を逃しましたっていうだけの話といえばそれまでだし、それだけではないといえば、それだけではないのかも知れない。
8.たましい
ボツになっていたのを2、3回作り直した曲。実はこの曲も2019年のワンマンでやろうとしていて、スタジオでアレンジを試みていたがうまくいかなかった。その時点でもすでに色々試してはいた。メロディやコードは悪くないしうまく形にしたいなと感じながらも、ボツにしたままアルバム制作が始まった。
今年タイコが『波』『石』の2枚のアルバムを出して、「急にどうした」と思われている方もおられるかも知れないが、もともと、2020年に本格的に制作を始めた段階では、16~18曲入りのアルバムを作りたいと話していた。まずワンマンで演奏した7曲があって、それ以外に「えんえい」「ぽっち」「コーンクリーム」を含むデモ4曲(1曲ボツった)、それから『ありあけ』に入れた「たった一本」も含めて、合計で12曲はあります、という体でもって、録音と同時並行で曲作りを進めて18曲までもっていこうとしていたのだ。今思えば結構見切り発車ではある。まあでもアルバム制作ってこんな感じで始まることが多い気もする。
で、たましいをもう一度テーブルの上に持ってきたのは初回のツバメスタジオでの録音を終えた後だった気がする。「えんえい」「ぽっち」と、ピアノでの曲作りに慣れてきて、「たましい」のコード感はピアノでもいけそうだなと思ったのでリアレンジした。思った通り、うまくハマッた。そこから諸々のアレンジを開始した。
この曲は、二重にも三重にもエディットが入っていて、今作におけるデータやり取りをベースにした制作手法が結実したものだと思う。ピアノの方向性ができたあと、まずはリズムパターンをのぞみんに入れてもらった。この時点で、自分とは違う拍の解釈(三拍子を四拍子で捉える)で返ってきたのでおおっと思ったのだが、ここで一回そのリズムパターンを伊藤がエディット。エディットというか音を抜いて、三拍子にも四拍子にも聞こえるようにした。加えて、ピアノのボイシング(和音の置き方)を調整したうえで、他の楽器を入れていった。シンセ(伊藤)、ギター(樺山)、ノイズ(大堀)。この曲では大堀さんはベースを弾いておらず、代わりにノイズみたいな音を入れている。まあ樺山のギターもノイズみたいなものだが…。シンセに関しては、「えんえい」や「リフト」のアレンジで岡田君と話していたことがとても参考になった。それは、音の減衰をズラしていくこと。拍の頭や終わりで音が切れることが多いと単調に聴こえるので、なるべくランダムっぽく、音の繋がりを分かりづらくすると、アブストラクトに聴こえる、と。こういう学びは大きかった。その意味では、録音と曲作りを同時並行に進めたのも意味はあった。
そうこうしてバンド側である程度アレンジが見えたものを岡田君に渡して、そこにまたエディットや追加のシンセが入った。中盤、リズムマシンの刻みが細かくなって畳みかけるところや、クリスタルな音色のシンセ、等々。レトロなニューエイジ感とはまた違う、Visible Cloaksのようなデジタルな質感のシンセがあたらしい、キラキラしていて。アウトロも、一旦は刻みが細かくなる岡田ver.になったのだが、ここは自分の趣向でこばやしver.に戻した。まさに四拍子で捉えているのがハッキリわかる箇所だから、残したかった。こんな経緯で、完成形に至った。
この曲のもうひとつ面白いところは、デモ制作とレコーディングの堺が曖昧なところ。例えば、「えんえい」のピアノは場所を借りてちゃんと録ったのに対して、「たましい」のピアノはデモで入れていた実家のピアノがそのまま本番テイクになっている。また中盤に入っているライドシンバルは、「えんえい」のデモ段階で入れた近所のスタジオのドラムセットの音を切り取って使ったもの。狙ったわけではなく、制限がある中で可能なリソースを使っていき、その過程がそのまま作品になっている感じ。そのため、録音する時にもこれが実際の音源に使われるか分からない状態でやっている。とりあえず曲作りを進めている感じで、結果それがそのまま録音物になる。自分としては、このあり方は理想形だと考えている。音楽に、練習と本番はない。「練習」としての演奏であってもそこに固有の何かが必ずあるはずだ。レコーディングの現場で、そういうものを捉えるのは中々難しい。現場では、「技術」や「演奏力」や「経験」などが必要で、それらをクリアしたうえではじめて、現場でしか生まれないものが出てくる感じがする。それよりも、家の自室でああでもないこうでもないと考えながらテイクを重ねたり音を打ち込んだりする営みを記録することの方が、今の自分には大事だ。そういう意味で、今作、とくに「たましい」では、理想形のひとつに近づけたと思う。
9.ラッキーG
『ありあけ』を作った時、新曲を一曲入れようと決めていたのだが、その候補として最初に作ったのが「ラッキーG」だった。結果としては、「たった一本」を新曲として入れることになり、「たましい」同様「ラッキーG」も一旦ボツに。とはいえ、アルバムの制作を進めるにあたってとにかく曲を増やさないといけなかったから、必然的にボツ曲を掘り返すことになった。「ラッキーG」も改めて使えないか考えてみたが、バンドアレンジにするイメージが全くなく、もし入れるなら聴かせるポイントが何か必要だなと思っていた。そんな時にふと、いつか岡田君が「18曲もあるなら1曲のぞみんが歌うとかもいいかもね」と言っていたのを思い出した。....確かそうだった、と今久しぶりに思い至る。そうして、デモっぽい荒い質感のまま、のぞみんボーカルにして、全体的な味わいで聴かせられるのはないかと考えるようになった。岡田君には本当に感謝である。
そういう方向性で、バンドとしてもイメージできた気がしたので、データやり取りで制作に取り掛かったものの、これも中々最終形に行くのが難しかった。曲自体が相当に単調なので、デモの質感や女性ボーカルの味で聴かせるといっても、ただただショボい曲になってしまう。第一段階として各楽器とボーカルを入れてデモを作ったが、「これはいけるのか...?」という不安を拭えない感じで、どうしようかと悩んでいた。
ちなみにこの曲の制作を進めていた時期は「たましい」よりも後。「合間」「コーンクリーム」も形が見えていて、なおかつ、録音のリスケが重なるなどがあり先行きも見えないので「アルバムを2つに分ける」という路線が固まった後だった。できている曲を、先に出してしまおう、と。で、曲の分け方と仮の曲順を考えて、全体像を見るために先に出すアルバム(通称「アルバムA」)をひとまず並べてみて、まだ不安な「ラッキーG」を最後に置いたのだった。そのまとまりを各所に聴いてもらったのだが、夏目さんは「この曲いる?」と言い、そして澁谷さんは「名盤を辞退してますね(笑)」と言っていた。まあ確かに、そういう印象になる状態ではあったと思う。で、「ラッキーG」をどうするかという話にバンドでもなったが、絶対に入れるべきという思いは強かった。バンドとしても、「たましい」で終わるのはきれいすぎるよねという感覚はあったようで、どうにか「ラッキーG」をブラッシュアップしようと色々と試みた。
その時に自分の念頭にあったのは、Frank Oceanの『Blonde』だったと思う。『Blonde』全体に漂っているあの内省的な雰囲気と生々しさ、ドキュメント感。ジャンルや曲自体の雰囲気は全然違うが、最後に「ラッキーG」を持ってくる意図は、アルバム全体としてそういう生々しさを出したいというのもあった。その観点で、リズムマシンと伊藤ギターをラインではなく自室のアンプから出し、マイクで録ってみた。録音前後の物音も残して、粗雑な印象に、あとはベースのコードやテンポなども調整して、どうにか、形になったという感じ。
「ラッキーG」とは、昔実家で飼っていた「ラッキーゴンタ」という犬の名前。歌詞にある通り、姉と父で意見が割れたので合わせて「ラッキーゴンタ」と名付けることになった。結果、みんなは「ラッキー」と呼んでいるのに父だけが「ゴンタ」と呼び続けるという、謎の状況になってしまったが…。『波』全体に通底するテーマだが、過去とどう向き合うか、どう付き合うかということをよく考えていた。過去に引っ張られるでもなく、過去のことを忘れるのでもないようなあり方。ひとり出版社「夏葉社」の島田潤一郎さんが出版社を立ち上げるに至る経緯のようなものを著した『古くてあたらしい仕事』という本がある。そこで島田氏は「あたらしさ」について、「いまの時代に忘れられがちなもの、いまの時代に光があたっていないものが、ある日ふと新鮮なものとしてこの目にうつる」と述べている。それが、絶版本の復刊を主要な���業とする彼の仕事である、と。僕はこの言葉にとても共感したし、広く過去のこと、古いことを考えるときにも、同じことが言えるのではないかと思った。忘れていたことさえも忘れていたような昔のことが、あるいはつとめて忘れるようにしていたことが、ある日ぽんとこころの中に浮かぶ。それは、ただの記憶の断片なのかもしれないが、一方では、いまの自分にあたらしい気持ちや気分をもたらしてくれることもある。昔の出来事の意味が後から分かることもある。言い方を換えれば、わたしたちは過去の意味をまだ全て分かっていない。その意味では過去の出来事だってあたらしい。
「ラッキーG」を最後の曲にしたのは、正解だった。
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3/30(金)にTaiko Super Kicksのセカンドアルバム『Fragment』リリースツアー・ファイナルとなる、ワンマンライブが開催されます。 それにともない、メンバーにメールインタビューをしました。
“Fragment” Release Tour Final
Taiko Super Kicks ONEMAN LIVE
3/30(Fri) @渋谷 TSUTAYA O-Nest Open 19:00 / Start 20:00 ADV ¥2,500+1D / DOOR ¥3,000+1D
☆チケットのご予約は3/29(木)23:59まで、メールで承っております。 件名を「3/30予約」とし、本文にお名前・枚数・電話番号を記載して [email protected] までご連絡ください。
☆前売りチケットを購入していただいた方に、特典としてTaiko Super KicksのドキュメンタリーDVDを差し上げます。
1、3/30のワンマンライブについて言いたいこと
ライブの質が日に日にあがっているように感じます。実際にあがっているのだと思います。最近は僕たちのライブを見ていない人、名前は知ってるけどライブを見たことがない人、などなど、色々な人に今回のワンマンを見てほしいです。ご期待ください。 (アキサト)
ネスト好きだから楽しみです。(のぞみ)
人の一生は季節や行事、年齢、結婚などさまざまなもので区切られます。中には億劫なものもあるけれど、不確かな未来に向かって歩き続けるためには、足場としての「区切り」が必要なのだと思います。我々は『Fragment』を作りました。そしてこのネストでのワンマンは、Taiko Super Kicksが新しい場所へまた歩き続けるための大きな「区切り」です。そして皆さんの生活にとっても良い瞬間になれば嬉しいです。(カバヤマ)
新しく歩き出す、考えはじめる、向かう、その前の転がる時間がツアーとして、その中の1つの仕切りや壁にコツンと当たる感じになると思います。そこで見られる風景と印象がその先の広がりを予想させてくれる気がしています。集大成ではない、ひとまずの一発。しかし、本当に一回限りの、世界がそこに詰まるような。これまでの僕たちの活動が散りばめられていて、それぞれの記憶を持ちつつ、演奏し、打ち上げに参加したいです。(アキオ)

2、リリースツアーのおもいで
◎台北へん 3/3@Revolver・3/4@WALL
個人的に初めての海外だった。迪化街で食べた魚団子のスープの味が忘れられない。ライブ会場は若者のエネルギーが充満していた。YouTubeにMVがある曲を演奏するとイントロでみんな反応してくれて、インターネットの力を感じた。終演後、お客さんに「You Are Shining Star.」と言われて照れた。深夜の公園で、少し真剣な話をした。(カバヤマ) 人や犬がまっすぐ自分の思い通りに歩いていた。その分他人の視線が気にならなかった。その分自由に歩けた。個人的な街歩きが楽しかった。(アキオ)
ご飯が美味しかった。特にルーローハン。 (アキサト)
なんだかなつかしかった。そして切なかった。(のぞみ)
◎名古屋へん 3/17@ブラジルコーヒー
ブラジルコーヒーでみんな定食を食べながらライブを見ていて最高だろうなと思った。客として行きたい店だ。あきさとが張り切っていて、僕のミスに怒っているのだと思ったが、自分の作った曲にエモ状態にされていた。人のことはわからないなと実感。(アキオ)
ブラジルコーヒー最高。(のぞみ)
ブラジルコーヒー大好きです。 (アキサト)
音もしっかり出せる夢のカフェ、ブラジルコーヒー。道行く人が、ショーウィンドウみたいなガラスの向こうからライブの様子をチラリと見て、通り過ぎていく光景が綺麗だった。そんな中で見たテト・ペッテンソンとmeiさんの演奏は格別でした。ムードは大事だ。 (カバヤマ)
◎福岡へん 3/23@UTERO
ユーテロでよあけとのダブルレコ発。地元で演奏できて嬉しかった。杜氏をしている父親が、作った焼酎を6本も差入れしてくれた。ユーテロのバーカウンターにはニルヴァーナの『In Utero』のブックレット付きBOXが飾られていた。共演した方々とたくさん話して、少し福岡訛りが戻った。 (カバヤマ)
豚バラ串が焼き鳥なのに当たり前にあることを知った。出番前に渋い喫茶店、ブルーマーシャンに行くと、樺山かあきさとの友人らしき女子が友達と話していた。フラグメントは2曲くらいしか聴けてないらしい、樺山の友人。(アキオ)
福岡すんでみたい。(のぞみ)
もつ鍋が美味しかった。(アキサト)
◎岡山へん 3/24@BLUEBLUES
ライブハウスの控え室にダブルベースがあり、弾いたら気持ちよかったので、そのような弾き方、べちべちと弾くスタイルで弾いてみると、良いライブができた。打ち上げの餃子屋の2号店を開くときは僕が店長をやる約束をしたりした。(アキオ)
商店街のハイカラな街並みと看板のセンスがツボだった。「忘れ貝」という名前のスナックに行ってみたい。会場のBLUE BLUESは、ロッヂのような内装でとても素敵だった。自分たちは木のステージと相性が良い気がする。OFFTOWNの皆さんの暖かい人柄から岡山が良い所なのだという事が伝わる。(カバヤマ)
チェーンじゃない喫茶店がたくさんあってよかった。(のぞみ)
餃子が美味しかった。 (アキサト)
◎京都へん 3/25@UrBANGUILD
本日休演のライブを見ているときに、岡崎京子が『チワワちゃん』のあとがきに書いている「人はいろんなことがコワいんだなとおもう、そしてわたしは、自分がいろんなことがコワくなくなるように、これらのマンガを描いたような気がする」っていうのを思い出した。これまでのこともこれからのこともぜんぶ大丈夫だと思った。(のぞみ)
アバンギルドは別の世界と繋がっているような、不思議な感じがする。ライブは一瞬の出来事のように感じた。トリの本日休演の演奏はあまりにかっこよく、一ヶ月くらいやって欲しかった。宿に戻ったら、ツアーが終わる寂しさのあまり外に出て一人街をふらついた。 (カバヤマ)
桜が咲いていて、浅くて綺麗な川の近くにある桜は、花びらと水が完璧で、なんとまあ風流なこと、と言ってしまった。一人で帰るのはそれほど寂しくなかったが、自分のいない写真をみると疎外されたような気持ちだ。(アキオ)
アバンギルドの料理が美味しかった。 (アキサト)

3、最近好きなもの
① 辛いもの。CoCo壱の5辛以上に日々挑戦しています。辛くてうまいものの情報を待っています。②サブウェイのサンドイッチ。単に好きな野菜を多くしたり嫌いな野菜は減らしたりするのではなく、具材に合わせて野菜を選ぶことに醍醐味を感じます。ツナに、チーズ、オニオン、オリーブ、これだけがとても美味しいです。③死んだ人々のことについて。自分の生を考えることは、昔生きていた自分でない人の生を考えることでもあるのだと考えています。(アキサト)
全く思いつかない。(アキオ)
黒糖ロールパン、美酢 (ミチョ)、中村公輔さん、灰野敬二さん、『エレクトリック・ギター革命史』、ハライチのターン(カバヤマ)
ジャ・ジャンクーと田島貴男(のぞみ)

4、これからやりたいこと
人の家でギターを弾いたりして遊びたい。 (カバヤマ)
ひとやものに思いを馳せたり、想像を膨らませたりすることを大事にしていきたいです。 (アキサト)
携帯で簡単に映像を撮り、撮り溜まったものを編集して上映する。自動的に身体的な文を書き、発表する。独りでできて、対価があることをはじめる。(アキオ)
はたらきものになる。自分の心をもっともっとちいさくする。(のぞみ)

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