tausendglueck
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tausendglueck · 2 years ago
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20230212
ついにタイタニック3Dリマスター版が金曜日から公開されている。ドルビーシネマ観たさに東京まで行こうかとも思ったけれど家族に「頭を冷やせ」と言われてしまったので大人しく金沢のイオンシネマで手を打った。朝5時半に起きて、うたた寝しながら1時間半を鈍行に揺られて、いや眠いな…大丈夫かな…とちょっと心配しながら席に着いたけど何もかもは杞憂だった。だいたい同じところで泣くのだけど、楽団の人が最後に「Nearer My God to Thee」を弾き始めたところで初めて泣いてしまった。今までここで泣いてなかったのもちょっと驚きだけど。 タイタニック、信心深い人がたくさん出てくるんだよね。信心深い人ほどOh My Godと言い、そうでない人はOh my Goodnessをよく使うとどこかで読んだことがあったけれど、そう言われてみればタイタニックの人たちはみんなOh My Godと言っている。
映画が好きですと言ったらほぼ10割で「じゃあ一番好きな映画は?」と聞かれ、それに「タイタニックです」と答えたらほぼ9割で微妙な顔をされるか「ふ、ふーん」みたいな、なんだこいつただのミーハーじゃん…表立っては言えないけど…みたいな反応をされてきたのでそのうち映画が好きだともタイタニックが好きだとも言わなくなってしまったんだけれどもそれでもDVDは永遠に再生してしまうしオーディオコメンタリー版もたまに観てるし未公開シーン集も大好きだし、ある日そうやってタイタニックを観たあとになぜかそのときはそれだけで満足ができなくて、夜中にnoteを開いてタイタニックの何が良くて何が好きで何を愛しているのか、衝動と感情が赴くままに一気に書き綴ったのだけど、その記事がちょうど1年後くらいに金曜ロードショーでの再放送のタイミングに合わせてtwitterで広まってくれて、なんだか本当にたくさんの人に読んでもらって、信じられないくらいたくさんのコメントももらったりして、なんだか、そうでもされないと私は好きなものをちゃんと好きと言えないのかな? と思ったりもするんだけど、でもやっぱり、そんなことがあってようやく、私はタイタニックという映画が人生で一番好きなんですとちゃんと言えるようになった気がする。「私もタイタニックが人生で一番好き」というたくさんのコメントに背中を押してもらったりとか。その節はありがとう。もらったコメントはできる範囲でこっそりブックマークして、今でも元気がないときとかに読み返したりしています。読み返すたびに、好きなものはちゃんと好きだと言っていいんだなと再確認しています。でも私は本当にラッキーだった。SNSの世界で何が広まるかなんて正直わかんないものね。
午前十時の映画祭以来の、映画館でのタイタニックだったけれど、なんだかここまできたら、話の筋に泣いているというよりもこの映画がスクリーンで上映されているという現実そのものに圧倒されて泣いているという感じが一番近い。それにお客さんが私だけじゃないので、どこかで周りの反応を気にしてしまっている。だから周りの人がみんな泣いていたりすると、私も安心して泣けたりするんだよね。人の反応を気にすることなく観れるのがいちばんなんだろうけど、性格的にそれはどうしても難しいのだと最近ようやく認められるようになった。私はこの映画面白いと思うけど、周りの人はどうかな、そうで��ないかな、大丈夫かな…と思いながら見るくらいで私はちょうどいいのだと思う。でもタイタニックみたいな、人気も不動のものになってて過去にも何度も上映されているような映画はそこまでソワソワしなくていいから、安心。 映画が終わって、劇場にいた人たちが「初めて観たけどよかった」「やっぱり良かった」「最高の映画じゃん」と語りながら帰っていくのを見て、ここには愛しかないじゃんとまた泣きそうになってしまった。自分の好きなものは自分さえその良さを分かっていればいいのだと、私はそう言い切れるほど強くないので。やっぱり自分の好きなものを他の人も同じように好きなのだと実感できる瞬間が好きなので。私はつくづく孤独に向いてない人間だな。でも、孤独じゃなかったからこそ私は私であるのだと、それでいいのだと、思えるようになるまでに結構時間がかかりました。自分が持たないものを羨ましく思うものです。だけど、私は孤独じゃなくて、もう、それでいいのです。
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tausendglueck · 2 years ago
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20230129
朝起きたら雪で車が埋まっていた。寝ている間に魚津市には「顕著な大雪に関する気象情報」が出ていたらしい。全国ニュースにも取り上げられていたそうだ。何もかもが寝ている間に起こっていた。そのうち寝ている間に雪の重みで家が倒壊して死ぬかもしれない。とにかく朝起きて何の気なしに窓から外を見て目を疑ってしまったのだった。試しに長靴を履いて外に出てみた。足元に積もった雪はふわふわして、ぎゅっと音がした。朝は嘘のように晴れて、いつぶりかもわからない透き通ったいっぱいの青空を見た。
引き続き外に出たくないので、部屋にこもってPCを立ち上げてノートを広げてスマホとスピーカーをbluetoothで繋げて音楽をかけてひたすらSNSとノートを行ったり来たりしながら自分の小説のことを考えている。けれどメモしてもメモしても良いアイディアは出てこずに、音楽は進みゆく一方で、そしてtwitterは読み込みをしすぎて画面がバグって真っ白になって、そして部屋に一人きりだから、段々と病んでくるのだった。あー。ダメですね。これはダメです。書いても書いてもいろんな案は浮かぶはしから廃案になってゆく。そうそう、コロナのことを小説に入れ込むかどうかということをここ数日ずっと考えていたのだけれどそういえば今年の連休明けに2類から5類に移行するんだった。そうなったらまた世界はどうなるんだろう? なんだか始めから考え直しのような気がする。まだ移行してないから世界がどう変わるかわからないし、だけど運よくこれが書き上がる時が来るならその時はもう5類に移行したあとだろうし、さて困ったな。困ることが多い。コロナをどうするか以前に物語をどうするかという話もあるのに、でも物語の方もコロナをどうするかを決めないとはっきり固まってこないのだった。ああいやだ。今考えている物語は2017年にも一度書こうとしていてその時うまくいかなくて数年忘れて、そして今年頑張ってもう一度書いてみようと思ってまたプロットを練り直しているところなのだけどこんなことなら2017年のうちにちゃんと踏ん張って書いておくべきなんだった。2017年の私は2023年の世界がこんなことになってるなんて知らない。知らないなら知らないままで書いてしまえばよかったんだ、そうしたら今こんなに頭抱えなくてもよかったのに。そういえば職場の人、娘さんがインフルエンザに罹ってしばらく在宅勤務になったんだったな。コロナにインフルエンザに、気をつけなきゃならないことが山ほどある。
空はまた曇って、夜になるまでにまた雪が降るだろう。せっかく父が綺麗に雪かきをしてくれたのに明日になる頃にはまた埋もれているかもしれないな。ああ、会社に行きたくない。昨日の日記で今日は昼寝をしないことが目標��と書いたけれどこれを書いたら昼寝しそうだ、朝から考え事をしているとそろそろ眠くなってくる。誰かと話して小説の相談に乗ってもらいたいけれど都合よく付き合ってくれる友達もいないわけだ。小説の相談じゃなくてもなんでもいいから人と話して気晴らしがしたい。家族と話せばいいじゃないかといえばそういうわけでもなくて、家族はスラムダンクを読んだりテレビを見るのに忙しかったりして、こういう時は最適な話し相手ではないんだよね〜。ここまで書くのにBGMは宇多田ヒカルになって天野月子になってBUMP OF CHICKENになって宮野真守になって米津玄師になっているのに頭の中は1ミリも進んでいない。次の曲はエレファントカシマシです。
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tausendglueck · 2 years ago
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20230128
よし日記を書こう、と思ってPCの前に座っても結局1時間くらいはだらだらSNSを見て何も進まない。だらだらしているうちに何を書こうと思っていたのかも忘れる。そもそも書くことはなかったのかもしれない。ただ「日記を書く」という行為がしたいだけで内容は多分きっとどうでもいいのだろう。いや、どうでもいいことは、いや、あるな。きっとある。いつも形から入って中身のことは割とどうでもよくなってしまう私です。ということで気づけば週末になっている。今週はとにかく大雪に大騒ぎしているうちに終わってしまった。週のはじめに今季最強の寒波が来るということでどれほどのものが…と戦いていたけど案の定で、雪は降るわ風は吹くわ傘は差せないわ電車は止まるわで散々な目にあった。こんなにひどいものだったっけ? 高校時代のことを思い出そうとするけれど、あの時の私はあまりに朝が早過ぎて、冬の朝なんてほぼ夜みたいなもんでなんというかまだ世界は真っ暗なのに一人でホームに立って電車を待っていたことしか光景としては思い出せないのだった。電車を降りる頃にようやく世界は明るくなって、その、ちょっと明るくなった世界で今度は路面電車に乗り継いで、それで高校に行っていたんだった。そういうことは覚えているけれど電車が遅れたとか止まったとか、そんなことあったっけなと考えてみてもあんまり思い出せない。なかったことはないと思うのだけど、多分忘れてしまった。それで2023年の雪なのだけどいやもうしんどい、この時点でだいぶしんどい。雪のシーズンはこれからなのにもう半分しょげてしまっているのは年を取ったからだろう。カバンを肩に提げて雪の中を歩くのも傘に雪が積もって重くなっていくのも視界が悪いのもメガネが曇るのもダウンジャケットがびしょびしょになるのもどれもこれも少しずつ心がすり減っていく。雪を前にしては私などなんて無力だろうと思う。雪は音を消して降り積もる。どれほどの音がこの雪を前にして消えていっただろうと考える。この町の冬はいつも音をかき消されて、道ゆく人に声はなく、心まで無音になる。それが安らぎでもある。強制的に心が無音になるということは安らぎでもある、けれどそれも傘の重さに我に返ってしまうんだった。 今週末も警報級の大雪が、とニュースで報道されていたけれど今のところそこまでひどい雪は降っていない。昼間は日差しもあったりして、陽光が反射して雪目になってしまいそうだった。でも、雪は降っていないだけで昨日までの分はしっかり積もっているので結局外には出たくないのだった。
外に出たくないので、今日は朝からずっと本を読んでいた。年末に大量に買い込んだ分を消化しなくてはならない。朝にコーヒーを飲んだおかげでカフェインで脳がキマり、うたた寝することもなく一気に3冊を読んだ。最近は自分の小説のことを考えているので、アウトプットにインプットのバランスが追いついてちょっと心が安らいだ。小説はやはり良いな。居間のソファに座っているだけでどこにでも連れていってくれる。そういう、どこにでも連れていってあげられるような小説を書きたいけれどまだ自分でも全容を捉えきれないのでもう少し時間がかかりそう。なんだかんだ文句を言ったり愚痴を言ったり泣き言を言ったりイラついたりしょげたり色々あるけど書かないことには始まらない、始まらないんですよと自分を諭しながら今日も明日も小説のことを考える。雨宮まみも「才能という言葉に構っている場合じゃない」とかつてのお悩み相談コーナーで回答していた。実際その通りなのだろう。構っている場合じゃない。そんなことを言ってる暇があったら手を動かして、数をこなして、一つでも多くの作品を書き上げて、そして次へ行くべきだ。報われる道筋があるとしたらそういうところにしかない。わかってるよ? わかってるけどさあ! でも考えても考えても良いプロットにたどり着けなくて何も面白いと思えなくて誰の気持ちもわからなくて当然書き出しも構成も浮かばなくてそれでも何か考えなきゃとペンを置いたり取ったりを繰り返してノートに一行書いては「うーん」とか「これはない」とか書き足して結局何を言いたいのかわからないページが出来上がって、もう嫌だー! とか、なるじゃない。そういう時はちょっと優しい言葉が欲しかったりするじゃない。何を言いたいんだろうね。とにかく私は私で、下手なりにやってますよってこと? あんまり厳しいことも言ってやらないでねしょげるからってこと? はあ。
部屋にいて世界が閉ざされているので最近twitterで俄に流行り始めた新しいSNS、Bondeeをインストールして部屋をいじってみたり数人のお友達と繋がってみたりした。すぐ飽きそう。飽きそうだけど、人の部屋を覗いたりできるのは楽しい。私は部屋に本棚とキーボードを置いてみたらさっきからアバターがずっとキーボードを弾いてばかりいる。そんなにピアノ好きだったっけ私、いや、好きだったな。忘れただけで。どれもこれもを忘れてばかりだ。Bondee、ちょっと使ってみるにアバター付きの動くLINEという感じなのだけど、その動くLINEで実生活の友達じゃなくインターネットのお友達と繋がっているというのはどこか不思議な感覚だ。お友達と呼んでいいのかな。インターネットで繋がっている人はいまだに、自分の中でどうカテゴライズされているのかわからない。お友達? どうだろう。でも私は結局雑なので、「インターネットで繋がってる人」くらいのカテゴライズで終わらせていると思う。友達でも知り合いでもない、ただ、インターネットにいる人たち。けれどだからどうでもいいのかといえばそういうことではなくて、ちゃんと自分の中には存在感があるから、不思議なんだよなあ。
明日も一応雪なので、本を読んだりBondeeをいじったりして過ごすのだろうと思う。昼寝せずに過ごすことが目標だ。気晴らしに二次創作でも書きたいけれどこれも何も浮かんでこないので多分むり。二次創作といえば、twitterでスラダン二次創作のイラストを自分なりに慎重に選んでいいねしてるつもりだったけどしかしそんなことをしているうちにおすすめツイートに上がってくるイラストがどれもBLになってしまってなんでよ?!?!と声が出そうになってしまった。全然いいんですけどね! 私なんかのためにせっせと楽しいタイムラインを構築してくれてありがとうございます。そんなわけで雪の土曜日でした。
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tausendglueck · 2 years ago
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20230122
今年はしょうもないことも含めて日記をたくさん書こうと年始に思っていたくせに年明け早々スラムダンクにBLごとハマってしまったおかげで脳のリソースが全部食いつぶされ二次創作を楽しんでいるうちに1月が下旬になってしまった。年明け早々こんな予定ではなかった。この、BLごとハマってしまう習性を修正したい。私の場合はまじで他のことが手につかなくなるからだ。いちいちBLに目を奪われていては私の人生はあっという間に終わってしまう。だけどそれはそれとしてスラムダンクまだ何回でも観に行きたいのだった。妹みたいな存在の後輩が本当は今日観に行くと言っていたのだけど熱が出たらしいので残念。熱が出たと言ってもコロナは陰性だったらしい。まあ、コロナが陰性だったとしても冬なんだしノロウィルスもインフルエンザもあるわけで、ままならないことだらけなわけです。私はそんな後輩を差し置いてまだまだ観に行ってしまいそうで恐ろしいわけです。だけど来月になれば鬼滅が劇場公開されるわけで、それにも行かなきゃならないなと思うととても忙しいわけです。人生がままなりません。終了。
昨日は土曜日で、早起きしてAMにスラムダンク、PMに『ケイコ  目を澄ませて』を観に行くつもりだったのだけど起きられなくてAMスラムダンクは諦めてケイコのみ。週末から大寒波の予報で、雪も降っていたのだけど覚悟を決めて映画館に出かけたら帰る頃にはため息が漏れるほどの美し���星空が広がっていてなんだか拍子抜けしてしまった。これを書いている今も部屋に日差しが差し込んでいる。大寒波の正念場はどうやら週明けのようですね。 さて『ケイコ  目を澄ませて』。各種SNSでは絶賛の嵐で、私も三宅監督の『きみの鳥はうたえる』がとても好きだったので結構期待して観に行ったのだけど、なんだか映画本体以外のところがどうにも気になってしまってあんまり感動もできずに終わってしまった。残念。残念だけど、でもやっぱりこの映画を聴者の私がすごくいい映画だった! と言ってしまうのはなんだか聾者の世界を搾取しているみたいで居心地が悪いのだった。岸井ゆきのの仕事が悪いわけでは断じてなくて、むしろ素晴らしい仕事でケイコを立ち上がらせていて、そしてそんな彼女を捉える画面もまた三宅監督の美意識というか、芸術性が遺憾無く発現されていてとても美しかっただけに、なんでこの映画を聾の役者が主演できないんだろうと逆に考え込んでしまった。多分だけど、この映画を聾の役者を主演に据えて撮ろうと思ったら知名度とか、もしかしたら演技力が担保されないからという理由で企画が通らなくて、でもじゃあなんで知名度がなくて、もしかすると演技力の担保もできないのかと考えたらその機会を与えてこなかったのはどっちなんだよという話で、いかに芝居や映画の世界が聴者のものだったのかということを突きつけられる気がして今でもやっぱり居心地が悪い。この週末に富山に三宅監督が舞台挨拶に来るのだけど、まあ金曜日なので私は仕事で行けないのですけど、どうして岸井ゆきのを主演に据えたのかを聞いてみたくもあるのだった。この映画を撮ろうと思った時に、聾の役者を主演に据えるという選択肢はありましたか? そういう選択肢もあった上で、結果的に、いろんなことを考えた上で岸井ゆきのに決めたんですと答えがあったら私はそれで満足するだろうか。わからないな。別に聾の人が主人公だからと言ってそういう映画や芝居は絶対に聾の人が演じるべきだ! とまでは言わないものの、聾の人をキャスティングするというという選択肢は絶対に残していてほしいだけなんですが… そういうことを断片的にツイートしたもののそれも居心地が悪くなって消してしまって、でも結局自分のために書き残しておくのがいいのかなということでこの日記に書いて終わりにする。あと、手話の勉強始めます。聴者と聾者の関係性については学生時代からずっとモヤついていていい加減不毛なので、少しでも有意義なものに結びつけたいと思いました。それにずっと興味があったことではあるので、それが見て見ぬふりができないところまで来たという感じかな。幸いにも今はyoutubeがあればかじる程度には勉強できるので、せめて自己紹介くらいは覚えたいと思っているところです。終わり。おわろう。この話はキリがないので終わりです。
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tausendglueck · 2 years ago
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20230105
2023年、あけましておめでとうございます。 変わらず日記を書いていきますので今年もよろしくお願いします。
年末年始の冬休みは『THE FIRST SLAM DUNK』を2回観て、叔母から借りた原作を何回も読み返しているうちに終わってしまった。冬休み初日に本をたくさん買い込んでいたのに、蓋を開けてみればアニメと漫画で終わってしまった。けれどしかしSLAM DUNK本当に素晴らしかったので、別に後悔はしていない。美容師の従妹と、この映画化は正直どうなんだろうね、声優も変わったしねと話していたけれど、何もかもは杞憂だった。バスケットボールの試合をアニメーションにするということの完璧な答えが示されていたし、宮城リョータのオリジンストーリーも、原作で語られていなかったからこそ漫画の隙間をうまくすり抜けて、それでいて抜け目のない物語になっていて、小柄な体でディフェンスをかいくぐる彼そのもののようだった。宮城家生き急ぎすぎでは? とは少し思ったものの気になりすぎない範囲。しかし私は三井寿を推しているのでいちいち彼にときめいていたのだが。そして桜木のようなキャラクターにも弱いので、彼の姿に泣いたのだが。まあいいです。とにかく試合のシーンは展開がわかっていたとしても手に汗握るし息が止まる。演出が抜群に素晴らしかった。上映中に無駄話をしてしまう系の迷惑な客を全員まとめて黙らせる演出。すさまじい一体感。時間が止まってしまえばいいのにと心から思ってしまう贅沢な映画体験。そして今この時代に提示された新しい形のエンド。人生最高の瞬間は刻々とアップデートされていく、していこうという力強いメッセージ。 部活ものを無条件に礼賛することはしたくないが、なんだかんだで小中高大ずっと部活をやってきた身としては、部活の系統こそ違うけれどもどこか共鳴してしまうものがある。そしてやっぱり、現実では必ずしもそうとは限らないとはわかっていても、頑張ればその分きちんと報われるという姿を見せてもらえるととても嬉しいのだ。そして彼らの姿はとても眩しい。ひたむきに努力して、仲間を大事にして、チームとして勝つのだと、そうやって全力で向かっていく彼らの姿はただ眩しくて、美しくて、そして羨ましい。漫画の中にいる彼らを追いかけるたび、私もこれだけ全力で、全力を超えて、部活に打ち込んでみればよかったと少し胸が痛くなる。もちろん漫画の話であることはわかっているけれど、でもやっぱりこういうのに弱いのだ私は。映画を観に行った帰り、高校生くらいの男の子が「俺、部活頑張るわ」と言っていたのがとても印象に残っている。そうだよね、部活をやりたいよね。頑張れば何か報われるかもって、思うよね。努力って美しいのかもって、思うよね。「本当に面白かった」と目を輝かせていたきみの声を私は当分忘れないと思う。 それにしても三井寿、よすぎる。ハッパをかけられると調子に乗って燃えるタイプのくせにめちゃくちゃなフラジャイルが同居しているところがよすぎる。自分大好きと自分大嫌いを共存させているところがよすぎる。中学から高校まで髪型のバリエーションが豊富なところがよすぎる。そもそも一度自暴自棄がいきすぎてぐれたというところがよすぎる。きっとぐれてた間いろいろあったんだろうな。センス抜群、なのに、もしくは、だからこそのフラジャイル。よすぎる。ボコボコにしてやりたい。いきなり性癖が出た。新年早々すみません。今年はもっと気軽に日記を発信していくためにかっこつけない内容も書いていきたいと思いますすいません。こんなことを書きましたがそんなことはどうでもよくて『THE FIRST SLAM DUNK』本当に素晴らしかったよという話です。
休日の間に高校演劇部の仲間たちと3年ぶりに会うことができた。昼間からビールを飲んで中華を食べながらひたすらあれこれと漫画を勧められた。ほとんど漫画の話しかしていない。それも私の方は聞くばかりでほとんどしゃべっていない。グループLINEのトーク画面は勧められた漫画のシェアでいっぱいになった。そうだった、この人たちは全国区レベルのオタクなんだった忘れていた。けれど人生は楽しそうで本当に羨ましかった。これはバカにしているわけではなくて彼女たちは本当に人生に張り合いがあって生き生きしているのだ。高校生から大学生になり社会人になり、環境をいろいろ変えながらも芯が全くぶれない彼女たちは見ていて清々しい。別の友人に、スラダンみたいな漫画読んだらなんかちょっと切なくならない? と言われたことがあるけれど、もっと限界超えて部活に打ち込めばよかったという意味で胸が痛くなることはあっても、たとえばあんな青春を経験しなかったから、あんな仲間がいなかったからちょっと切ないとかは一切思わない。私は私のできる範囲で全力を出して部活をしたし、行く先々でたくさん仲違いを起こしたけれど同じ部の仲間は今でもかけがえがない。そう考えたら真面目に学生時代を過ごしてよかったな、ものすごくテンプレートな真面目さではあったけれど、勉強でも部活でも、何かひとつでもひたむきに打ち込んだことがあって、そこにはいつも仲間がいたという経験と記憶は今でも私を支えることがある。
ひとつ上の先輩が今でも年に一度は同人誌を出しているという話をしていて、本当に偉い。この歳になってようやく作り続けることの意義がわかったような気がする。そうしないとまじで何も残らないからだ。ただでさえ30代に突入して時間は光陰矢の如しで過ぎていくのだから何か作り続けて世界に跡を残していかないとまじで何も残らない。もちろん残さなかったからって人生の意味は消えたりしないが、私だってせっかく少しだけでもものが書けるなら残しておくのに越したことはない。 今年の目標として、小説を1本書きたいと思う。できれば応募もしたい。でもまあ応募は来年でもいいとして、とりあえず2023年のうちに書き上げるところまでやってみたい。30代になって3年目、ただでさえ時間は爆速で過ぎて、その爆速で過ぎる時間を小説のために使っていいのか、評価されるかどうかもわからないことに時間を使う意味はあるのか、いろいろ、くよくよ考えてしまうけれど、いよいよ考え込んで手が止まってしまっては上述のとおりまじで何も残らないので、一年の成果物として、まずはあとに残るものを作るということがいいんじゃないだろうか。小説や文章のいいところは形になるところです。
新年早々自信がどっか行ってしまったり、飲み会って難しいなと思ったり、楽しい時間のあとは一人反省会が始まってしまって結局憂鬱になったり、そんなときは人との接触なんか全部やめちゃって本と漫画と映画だけで人生を過ごしていけたらどんなにいいだろうって思ったりもするけど、社会人として生きる以上人との対話、コミュニケーションは避けては通れないので、あまり自分を責めすぎずに肩の力を抜いて過ごしていけたらいいのだが、これもなかなか難しい。なかなか難しいけれど、自分でどうにかするしかないんだよな。同僚の人たちと行った新年会、おいしいローストビーフとステーキが食べ放題でびっくりした。ステーキが食べ放題ってなに? それはさておいて、今年の目標は「人と比べない」「なるべく遠出をする」「小説を1本書き上げる」です。人と比べるのが癖、出不精、気持ちが続かない私ですがなんとか1年をかけて達成していくべく努力していきたいと思います。努力っていうのは美しいものかもしれないからね。はい出たスラダン。しばらくはこんな感じです。振り出しに戻ったところで終わります。今年もよろしくお願いします。
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tausendglueck · 2 years ago
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20221231
今年のことを考えてみると、やっぱり、住まいを移したのがいちばん大きな出来事だったように思う。高校卒業を機に実家を出て10年以上、20代すべての時間を都会で過ごしておいて私は32歳になって再び実家に戻ってきた。ひとえに、もう無理だと思ったからだった。ままならない心身を抱えてひとり都会で生きていくのはもう限界だと、会社に異動願を出した。幸いにもそれは受理されて、夏の盛りに、大阪の部屋を片付け、引き払って故郷の町に戻ってきた。今も実家から通勤している。 実家に戻ってきたことで、少なからず私は回復するだろうと思っていたし、願っていた。実際、回復した部分も大きかった。家族と過ごすのは、家族がそこにいてくれるだけで支えとなるものだったし、深い安らぎがあった。帰ってきてから私はよく食べるようになったし、よく眠るようにもなったと思う。人間としての私は確かに回復している。
けれど、実家で過ごすうち、私は私が手放したものの大きさもまた知ることになった。今まで私が大事だと思っていたもの、本を読むこと、映画を観ること、文章を書くこと、それらはこの小さな町にいては取るに足らない、誰に影響を与えることもない、誰が顧みることもない、ただただ些末なことだった。ここでは私の大切なものは何ひとつとして大事じゃない。��んなことに興じるより生活をつつがなく進める方がずっと大事なこと。私の日常はみるみるうちにルーティン化されていった。朝は早くに起きて、電車に乗って通勤して、残業もせずに帰って、母と買い物に行って、帰ってきたらお風呂に入って、遅い夕食を家族そろって食べて、なんとなくテレビを見て、明日も早いから、寝る。これだけだ。私の一日はたったこれだけのことに集約されてしまった。ここに読書や映画の入り込む余地はないし、入り込ませなかったところで日々には1ミリの影響もない。日々が生活にまみれていく。私の大事なものたちが、私に顧みられることなく腐って消えていく。 思えば、読書にしても映画を観るにしても、それらは多分に、私がいた環境がもたらしてくれたものだった。徒歩圏内に大きな本屋があったり、地下鉄で数駅行けば大きな映画館もあったり、私はそんな都会の環境に身をゆだね、甘んじていたのだった。環境に胡坐をかいていた。私は私の大事なものを自分の力で維持していると思っていたけれど、それは大きな間違いだった。私が住む街がたまたまそうだったのだ。私は苦労もなく、供給されるものを享受していただけだった。自分から取りに行かなくてはならない、自分の力で持ち続けていないといけない、そんな状況に置かれてはじめて、私にはその力が足りないのだと気づいた。私が能動的だと思っていたものは何も能動的ではなかった。現に私はこうして、毎日の変化なき生活に飲み込まれ、何をすることもなく、深海の底に沈みこんだようにしてぷくぷくと息をして、それだけだ。 それだけの人間になってしまうことに、考えが及ばなかった。
もし、このことに気づいていたら私は故郷に帰ってくるのをやめただろうかと考えて、今であれば、やめたと思う。自分の思う自分であるために、おそらく私は無理をしてでも都会にとどまっていなければならなかった。それに、きっとどのみち憂鬱だった。帰らなかったら帰らなかったで大阪でずっと病みとおして生活もままならず日がな泣いていたと思うし、帰ったら帰ったで生活に自分の大事なものをスポイルされて憂鬱になっていた。憂鬱の種類が違うだけで、どちらを選んでも私は逃げ場はなく憂鬱だった。今年もあと数日になっては、そんな年だったのだと諦めるしかない。今年は憂鬱のうちに過ぎた。
けれど友達がたくさん助けてくれた年だった。 上記を踏まえて年の暮れ、会いに行った東京の友達に「都会に来ることを考えた方がいい」と言われたのは当然のことだったと思う。友達は、書くということがどれほど私自身の人生であるかを静かな言葉で私に説いた。私は彼女を思って文章をひとつ書いた。自分だけの日記ではない、きちんとした文章を書くのはいつぶりかもわからなかった。こんな出来なら都会に引きずり出されてもしょうがないと思った。けれど彼女は去年自分と会ったときに書いてくれた文章よりもずっと良いと褒めてくれて、書くことがあなたの人生だよと、もう一度私に説いた。嬉しかったし、ほっとした。私は大事なものをずいぶん手放してしまったけれど、残っているものもまだ在るのだと思うと。 友達は私に電話をくれて、ひとしきり書くことについて私に説き、私はうんうんと頷くばかりで、そして彼女は最後に「何年かかってもいいから、新人賞を取りな」と言った。こればかりはすぐに頷くことはできなかったし、最後まで頷かなかったと思う。けれど私にそれほどの思いを寄せてくれる彼女という存在にただ感謝した。私は取るに足らない存在だけど、そんな私だけどこんなに力強い友達がいる。 結局大阪にいても、故郷にいても、憂鬱であることには変わりなかったけれど、それでもライブに行ったし、友達にも会ったし、完全に終わってしまった1年ではなかったとも思う。いくつになっても、私を迎え入れてくれる友達ができるということはただただ幸せなことだ。それだけは、それだけでもないけど、インターネットに感謝したい。おいしいレストランを紹介してもらったし、誕生日を祝ってもらったし、写真を撮ってもらったし、一緒に映画を観たし、一緒にお酒を飲んだ。友達はかけがえがなかった。大阪から離れると私はこの人たちからも離れてしまう、そうしたら私はきっともうこの人たちに会いたいと思わなくなってしまう、それがすごくさみしいと毎日泣いたけれど、離れてみて、友達は変わらずSNSに存在しており近況を知るには困らないので、さみしさは少しずつ薄れていっている。会わなくなっても、友達でいられるような気がしている。かつて同じ時間を共に過ごした記憶さえあれば、私は、生きていけるような気がしている。
生きていけるといっても難しい。来年になれば何がどうなるかもわからない。ただ、とりあえず、春に向かって、歩いていきたいと願う。寒い寒い故郷の冬と憂鬱を乗り越えて、春を迎えられたらいいと思う。取るに足らないと、手放してしまったものをもう一度集めに行きたいと思う。環境が変わってしまったから、完全に元通りになることはきっと二度とないけれど、それでももう一度拾いに行く旅に出たい。私は私を取り戻す、そんなたいそうなことではなくても、ただ、かつて私が好きだったものを、これ以上ないがしろにしてはいけないと思うのだ。それは友達と交わした約束でもあるし、ここに住む私を私が愛するために必要なことだ。そうして光の差す方向へ行く。今はどこに光があるのか全然わからないけれど、座り込んだままでも、じっと目をこらしていればいつか見えてくるのかもしれない。今年はきっと最後まで憂鬱のままに過ぎるだろう。年が変わったところでそれは同じかもしれない。けれど故郷の冬は長くてもいつか終わるから、雪が解けて、桜が咲く日をただ、待っていようと思う。待ちくたびれて何度も泣くだろうけれど、死なないようにだけ、気を付けて。
しかし毎年同じようなこと書いてる気がするけどね。お正月パワーということで、その気分が持続しない私ということで、なにとぞご容赦を。2023年はできれば穏やかで浮き沈みもそこまで激しくない年であってくれればいいと思います。私のバイオリズムは偶数の年が鬱で奇数の年が躁、そして嬉しいことも悲しいこともとにかく大きなことが起こるのが奇数の年なので、でもそんな激しい出来事にそろそろ身も心もついていかないので、できれば穏やかな年であってほしいです。30代も数年が経つともうそこまで大きな波乱万丈なんて望まない。こんな考え方も故郷の町に染まっているということなんだろうか、でも今はただただ、静かに過ごしたいと思うのです憂鬱なので。憂鬱なりに過ごしていくしかないんですよねああ毎日はとてもしんどい。今年もお疲れ様でした。
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tausendglueck · 3 years ago
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thin
祖母が退院した。 朝、ベッドから落ちて首を痛めた祖母を病院に連れて行くと首の骨が折れていたことがわかり、そのまま彼女は3ヶ月入院になった。3ヶ月の間にいろんな器具を取り付けられたり、手術があったり、大きな出来事も多かったけれど、たまに着替えを持って病院に行くと、コロナで面会こそ叶わなかったものの看護師さんからは「いつも笑顔で、発話も問題ないですよ」と言われ安心していた。そうして秋から冬になり、雪も降り、もうすぐ新しい年を迎えようとするこの12月に、ようやく祖母は退院した。 退院の日、午後休暇を取って早めに帰宅した。3ヶ月の間誰もおらず、物もなく、静寂に包まれていた祖母の和室に入るとそこは病院帰りの荷物にあふれていて、祖母は、テーブルに座っておにぎりを頬張っていた。ばあちゃん、おかえりと声をかけると、彼女は振り向いて、ああちいちゃんと、心から感動したような声を上げた。 かたや私は、祖母に向けた笑顔がひきつるのを果たして抑えられたかどうか分からない。私に声をかけられて、振り返って、立ち上がった祖母は、3ヶ月前を経て見る影がないほどに痩せてしまっていたからだった。 もともとふっくらした人だっただけに、痩せた姿を見るのは私の人生で初めてだったかもしれない。けれど3ヶ月の病院生活が彼女の体型を否応にも変えた。痩せた祖母は一回りも二回りも小さくなっていた。私は顔にぎこちない笑顔を張り付けたまま、どうして思い至らなかったのだろうと考えていた。どうして、3ヶ月を経て祖母が1ミリも変わらない姿で帰ってくるものと無邪気に信じていられたのだろう。
祖母の部屋を出たあと、今度は祖父のことを思い出していた。7年前に死んだ祖父。嚥下障害を起こし、晩年は骨と皮、という表現がまさにぴったりの、ぺらぺらで、しわしわで、やせ衰えた姿だった。痩せてしまった、ということは母から聞いていたものの、まだ大阪に住んでいた私はあまりぴんと来ていなかった。痩せたといっても、限度があるだろうと。けれどそうして次に帰省して祖父に会いに行ったとき、限度というものは存在しなかったのだと、私の想像をはるかに超えてくるものなのだと思い知った。まごうことなき骨と皮になってしまった祖父もまた、大阪から帰ってきた私を快く迎え入れた。私は、私を迎え入れる余裕があるなら何か食べて、としか、思うことができなかった。祖父の姿はあまりに衝撃的で、私もしばらく食べ物が喉を通らなかった。それから間もなく祖父は力尽きたように入院し、その2ヶ月後に死んだ。最後にお見舞いに行って、大阪に帰ってきた夜、電車の中で食べようと思って忘れていたおにぎりを部屋でひとり頬張りながら、涙が止まらなかった。 そんなことを思い出していた。
人が痩せた姿は、死を想起させる。老いた人ならなおさらだ。老いた人に痩せられると、理由のない無力感に苛まれる。この人は一歩も、二歩も死に近づいたのだと感じる。痩せた人は小さくなる。痩せた人は土気色の肌をしていて、血の気配がない。痩せた人に刻まれた皺は、もう二度と元には戻らない、その肌に永遠に刻まれてしまったもののような気がする。 痩せた人からは小石が小石とぶつかるような、そんな硬くて静かな音がする。痩せた人が笑うとき、命がむやみに燃えていると思う。痩せた人が歩くとき、その命は削れていると思う。 痩せた人は、常に死とともにあるのだと思う。
私もまた痩せている。以前はもっと痩せていた。 進学を機に実家を出て一人暮らしを始めたけれど、一人暮らしを始めてみて、自分はそもそも食べることにそこまで興味がないのだということに初めて気づいた。食材のためにお金が減っていくことの方が恐ろしくて食べる量が大幅に減ったり、大学の混んだ食堂が嫌でしばしば食事をスキップした。演劇部に入って体力勝負な毎日を過ごした。そうしたら1年と待たずに糸がほどけるように痩せていった。料理も嫌いだったから、食べずにいるのは楽だった。それに体重計の数字が減っていくことには達成感があった。痩せていくのは楽しかった。体が軽くなって、嬉しかった。羽が生えたような気分だった。痩せたせいでしょっちゅう体調を崩し、周囲に迷惑をかけていたけれど、それでも痩せていることは楽しくて嬉しかった。 働き始めてからは、私が私でいるために、痩せていることにこだわるようになった。都会にいて、私という個体を維持するために、痩せておくことを選んだ。仕事ができなくても自信がなくても痩せていれば、それくらいは頑張っているのだから、じゃあ生きていていいよと、言われるような気がした。生きていていいと思える実感が欲しかった。自分が頑張っている実感が欲しかった。実際、私は太りにくくて痩せやすい体質だったから、痩せている状態を維持することはそこまで難しいことでもなかった。バウムクーヘンばかりを食べて過ごした。甘いしカロリーもあるし、これで十分だと思っていた。全然十分じゃなかったから、痩せていたのだけど。
だけどここまで書いてみて、本当にそこまで切実なものだっただろうか? と、うすうす感じている。私が痩せていたのはただ痩せやすい体質だったのと食べることに興味がなかったからで、全然、痩せるために頑張ってなどいなかったんじゃないだろうか。頑張っている実感が欲しいとか、生きていていいと言ってほしいとか、もちろん、その側面は確かにあったかもしれないけれど、本当のところはただ面倒だったから、それだけのことだったんじゃないだろうか?
紐解いていくのが難しい。 むやみに痩せていたころの私を見て、両親や親戚はきっと心配していただろう。 私は一人で勝手に痩せているつもりだった。私が痩せていることは、誰にも何にも関係がないことで、誰に何を言われる筋合いもないと思っていた。けれど他人が痩せた姿に自分だってここまで動揺するのに、それならむやみに痩せていた私を見て周囲が動揺する可能性になぜ思い至らなかったのだろうか。私がむやみに痩せていて、周囲は動揺したかもしれない。もしかしたら悲しんだかもしれない。私がいつか本当に、近いうちに死んでしまうのではないかと恐れたかもしれない。その、人の感情の機微に、私はとても鈍感だった。もともと大した理想もなく食べずにいて、痩せて、その程度だったのだから、早いところ思い直してもっと食べていたらよかったんだ。私は何も考えていない。いつもぼーっとして、その場の雰囲気と自分の気分に流されて、流れゆくままに、染まりゆくままに生きて、ここまで来ているだけだ。それならもっと他者を思って生きたらよかった。 けれど他者の感情は関係なしに私は今でもできれば痩せていたい。単純に、痩せている自分の体型の方が好きだからだ。それに近いうちに死んでしまってはいけないことは分かっているけれどそれでも死にたい気持ちを消し切ることはできない。生きているのはしんどくて、つらい。この自分でこの世界に存在していることがしんどくて、つらい。もうこの自分で人間としての生を続けることは限界だと、常に思っている。そして多分、太っているとその死にたい気持ちがもっともっと強くなっていただろうから、だから、もしかしたら生き続けるために痩せていたいのかもしれない。痩せることと死ぬことと生きることは私の中で常にとても近い場所にあって、その3地点を私はぐるぐるとめぐっているのかもしれない。けれどそれも今はわからない。食べることに興味はない、食べずに済むなら食べずにいたい、けれど食べないことにそこまでの信念もないし、母の作った食事をはねつけられるほど強情でもない。 かと言って、やせ衰えた祖母や祖父のことを思って、ああなってはいけないから食べなくてはならないとすぐに納得することもできない。 なんて中途半端な意思だろう。
実家暮らしに戻ってから、痩せていたいという強い気持ちは少しずつ消えていっている。今はただ、体重は減りもしないし増えもしない、そんな状態がいい。むやみに痩せることもせず、かと言って積極的に太りにもいかず、ただ、今の状態が永遠に続けばいい。両親を心配させない程度に。両親を失望させない程度に。両親を悲しませない程度に。ここにも私の意思は薄く、地に足をつけることもせずただ日々の海にぷかぷかと浮いている。流れる方へ行く。思うことがあるとすれば、祖母には元気になってほしい、ふっくらしていた頃に戻ってほしい、死んだ祖父だって、どうせ死ぬならあんなに痩せなくてもよかったのに。他人に対してはそんなふうに思う。結局私は何を願っているのだろうと考えて、つまるところ、痩せようが太ろうが誰も傷つかない世界であれということなのかもしれなかった。それも、第一に「私が」傷つかない世界であれという、とても自分勝手な願い事なのだけれど。
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tausendglueck · 3 years ago
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Lily 2022
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 ちょっとゆうちゃん、なんでこんな変な動画ずっと流してるの? こんなの変えちゃってくださいよお姉さん!  二軒目に訪れたのはカウンターだけの、真新しい中華の店だった。先客であり店長の友人、端の席に陣取って甲高い声でのべつ幕無し喋り続けていた杏奈が、もう片方の端に座った私とゆりに声をかける。ゆりは苦笑しながらリモコンを手に取り、テレビに映っていた画面を止める。動画をザッピングするゆりが見つけたのは宇多田ヒカルの作業用BGMの動画だった。  あっ、宇多田があるよ。と、ゆり。  いいね。と、私。  いいですねお姉さんそれにしよ! ていうかカラオケしよ! と、杏奈。  宇多田は俺も女性アーティストの中では唯一聴く歌手ですね。と、店長。  一曲目が流れ出す。
(あり��とう、と君に言われると なんだかせつない)
 聴き慣れたフレーズを、誰にも聞こえないように口ずさみながら、今年は宇多田ヒカルが流れるのだなと思った。  去年、私とゆりの間を流れたOasisのことも思う。オアシスだね、と、流れる音楽を捕まえようとするかのように天井へと顔を上げた、クリスマスの日のゆりのことを思い出す。去年、向かい合って座った私たちは、今年、肩を並べてカウンターに座っている。
(The flavor of life.)
「初めて会ってからもう一年経つんだね」 「そうだね」 「あっという間だった。今年は何してたんだろう、息してるうちに終わっちゃった」 「小説を書いたでしょ。それに、住む場所を移すことはとてもエネルギーがいることだよ。息してただけなんてそんなことない」  一年ぶりに会ったゆりは髪が伸びて、深いキャメル色をしたイヴ・サンローランのコートを着ていた。神楽坂のスターバックスで待ち合わせ、二人で坂を上り、私がずっと行きたかった一軒目のバーのカウンターにて、私には葡萄のお酒を、ゆりにはジントニックを。  地元での暮らしはどう? と聞かれて、私はお酒を一口飲み下す。口の中に葡萄の香りがいっぱいに広がる。 「私の良さが一切生かされない感じかな」  答えると、ゆりは少し顔をしかめて、わかるよと大きく頷いた。 「持って生まれたものを褒められる場所と、後から獲得したものを褒められる場所の二つがあって、田舎は多分持って生まれたものを褒められる場所なのね。だけど私たちにとっては、後から獲得したものの方が大事でしょう。文章を書くことだってそう」  そう言って、ゆりはジントニックをくっと呷る。 「私が都会にいて、大事だと思っていたことは、あの場所では何にも、取るに足らないものだった」  カウンターに肘をついて、私はぽつり呟く。 「東京に来たらいいじゃない」  ゆりが軽やかに言った。私は振り向いて、えー? と笑う。するとゆりは、いや冗談抜きでさ、と返してくる。 「家賃がそんなに高くなくて、都心にも行きやすい物件ならいくらでも紹介してあげるよ」  悪戯っぽく笑うゆり。
 文章を書くこと。  もうどれだけの時間、その行為から遠ざかっていることだろうか。どれだけの間、私は私の手足を封じられ、東京にまで行って初めて本音も喉から出て来れるような、こんな状態になってしまっているのだろうか。故郷の冬に体は冷えて、感情も、思考も、言葉も、喉元と心臓で凍りついてしまう。心は重くなっていくばかり、まるで傘に雪がゆっくり降り積もっていくみたい。  夏の盛りに、私は故郷の町へ戻ってきた。望んだ異動だった。望んで帰ってきた場所だった。家族との時間は穏やかで、あたたかい真水の中に体を浸しているようだった。ここで私は生を取り戻すのだと思っていた。  けれど、どうやら違ったようだった。日を追うごとに私は真水の底へと沈み込み、ぷくぷくと泡を吐いて、吐き出せなかった酸素の分だけ息が苦しくなっていく。手足には錘がついて、水面に上がることも難しく、……
 ガタン、と突然音がして、私は体を震わせてキーボードを叩いていた手を止める。  屋根から落ちた大きな雪が窓にぶつかってきたようだ。  東京から戻ってきてすぐに故郷の天気は吹雪に変わった。今年いちばんだという寒気が空に留まり続けて、雪は夜の間も降り続き、この朝を起きると世界は真っ白になっていた。その世界の中をなおも埋め尽くそうとする灰色の雪の群れに視界は烟る。浅いホワイトアウトの予感にも人間一人ではなす術もない。
(さようならの後も消えぬ魔法 淡くほろ苦い)
 何の話をしていたんだっけ。
「今日はお友達だけの日だったんですか?」 「ああ、彼女たちは昔一緒にバイトしてた仲間で、もう10年くらい……あれ? みんなってもう30代?」 「にじゅうだいー!」  店長が振り向いた先で杏奈が絶叫する。その声の大きさに思わず瞬きをしてしまう。それからワイングラスに手を伸ばして、ふっと、笑ってしまう。  そんな20代ではなかった。杏奈と私では、過ごしてきた20代の模様は何から何まで違っていることだろう。綺麗な女友達に囲まれて、水を得た魚のように、機関銃の如く喋り続けている杏奈のことを少しだけ羨ましく思った。そんな20代ではなかった。だけどそれは、そうでしかあり得ないことだ。杏奈と私は違う人間で、違う体を持って、違う視界を持っている。足元に伸びている道も違う。私も杏奈もただ自分の道を通ってきただけで、むしろ、こうして同じ夜に同じ店で偶然にも出会ったことが、それが、奇跡なのだった。 「私ももう29だよやばいよ!」  まるで30代が来たら世界が終わるかのように叫び続ける杏奈にまた笑ってしまう。別に30代が来たって、大丈夫だったよ。日々はただ続いていくだけだよ。そのうちに自分が30代であることにも慣れていくよ。  そうしていろんなことを忘れていくよ。
 20代は10年全てを都会で過ごした。雪の降らない冬を知った。スニーカーで過ごせる冬に、からりと晴れ渡る冬に、心の底から感動した。都会に生きて、私が第一に得たものはこの明るい冬で、それが、最上にも近いほど大切なものだった。  心にふたつの冬がある。これだけは、持って生まれないとわからないこと。  都会の冬に身を置いて、その煌めく幸福を噛み締めながら、故郷の深い冬を思い、無心を目指して、私にはこれなのだと、これしかないのだと祈って、長い長い小説を書いていた日々。それしかいらないと思っていた私だけの時間。  記憶の中の故郷の町をあんなに愛していたというのに、今はどうして。
「やっぱり思うんだけど」  帰り道の神楽坂には冷たい雨が降っていて、私の傘にゆりを入れて、飯田橋駅へと向かう。雨音の中にゆりのパンプスが鳴る。歩き出してすぐに、ゆりが私を見ずに切り出す。 「文章を書くには心が動く必要があって、心が動くときっていうのは、人と会ったときなの」  うん、と私は傘の中で頷く。 「だから、今日のことを書いてみて。それでもしも、書けたものが去年よりいいものじゃなかったら、あなたは都会に来ることを考えた方がいいと思う」  ゆりはきっぱりと言い切る。 「自分の能力を維持するために、あなたはもっと苦しむべきよ」
 東京はどこに行ってきたの? と、両親の声がする。  東京は、神楽坂に。私は短く答える。
(どうしたの? と急に聞かれると ううん、なんでもない)
 ゆりの言葉を手帳に書き記しながら、部屋の中に宇多田ヒカルが流れ続ける。 (降りつもる雪の白さをもっと 素直に喜びたいよ) (自分のためにならないような 努力はやめた方がいいわ) (I love you more than you’ll ever know)
 風の音に顔を上げる。立ち上がり、カーテンに手を伸ばす。  雪が止むことはない。ここはもうすぐ閉ざされてしまうだろう。  ふと、何もかもは夢だったみたい。神楽坂の喧騒も、赤い灯りも、お酒や料理の味も、杏奈の声も、ゆりの声も、あの夜の全ては、この灰色の雪にかき消されてしまう。  “今日のことを書いてみて”  だけどゆりの声がするのだ。  何もかもを夢だったと、思ってはいけない。彼女のことを夢だったと、片付けてしまってはいけない。  いつやめてしまってもいいと思っていた。もう書けないし、書くこともないと思っていた。私にそこまでの切実さはないと、本当はそんなもの始めから持っていなかったと、だから、私がやめてしまったところで誰も困らないし、誰も気に掛けることはないし、それでいいと思っていた。この真水の世界で私はどうにか私自身の方を順応させて、家族と共に生きていけるならそれでいい、それがいいのだと思っていた。  だけど、まだこんなに、悔しいことが。  悔しいことがたくさんある。
 消えていく音の中で、私はひとり、これしかないのだと祈っていた若き私を思い、書いてみてと声をかけてくれたゆりの横顔を思い、画面に向き直り、キーボードに指をのせる。  まだ、雪が止むことはない。
Lily 2022 / 20221219
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tausendglueck · 3 years ago
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20221126
生活を元に戻していこうと決めたのだから日記もたくさん書いていこうと思うのに、この日々にあっては書き記しておきたい出来事も気持ちもそこまで出てこない。適温の生活は凪いでいて、特筆すべきことも何も起こらない。眠気は変わらず毎日の時間にくっついて、瞼ばかりが下がっていく日々だ。手帳に書かれている短い日記を読み返してみても繰り返し「眠い」とばかり。それにしても最近は手書きの文字が汚くて他人事のように驚いてしまう。もう二度と昔のようには書けないのかもしれない。キーボードでばかり文字を叩いていればこんなことにもなる。特筆すべきではないと思うことをわざわざ書き出すことに意味はあるだろうか。けれどそもそもかつて私の日記に特筆すべきところがあっただろうか。
今日は家族がコンサートに出かけて、久しぶりに完全に一人でいる。さっきまで雷が鳴っていたので今夜はもう活動を諦めようとしていたけれど、思ったより早くに通り過ぎていってくれたので、パソコンを立ち上げ直して続きを書くことにする。
家族を送り出してから、婦人科と歯医者に行った。(婦人科のことは婦人科と言うのに歯医者のことは歯科と言わずに歯医者と言う)家の近所に最近できたこの婦人科では田舎に珍しく低容量ピルを処方していて、これからはネットで調達するしかないのかと思っていたところに僥倖だった。歩いて10分ほど。大阪にいた頃よりも婦人科が近くなった。切り盛りしているのはよく通る声をした女性の先生で、とても混雑していたけれど予約をしていたからほとんど待つことなく診察を受けられた。何か聞いておきたいことはある? と聞かれたので、やめるタイミングと答えると、そうだよねえと先生は笑った。だけどこの先10年くらいもずっと妊娠の予定はないの? ないですね、と答えると、先生はそっかと言った。でもまあ、何が起こるかわからないからね。いつか、あ、妊娠したいな、って思うこともあるかもしれないし。でもピルを飲んでるうちに閉経することもあるから、その時はそれでいいのよ。閉経したからじゃあやめましょうかって、そう言うこともあるし。 それを聞いて、私は、子供を産むという、女性にしかない機能を一度も使うことなく終わらせることを思った。子供を持たないことは私の大きなわがままのようにも思われた。だけど同時に、私は誰にも明け渡すことなく私のまま死ぬことだってできるのだと、そう考えれば安堵した。私は誰の母親になることもなく、死ぬまで、私の母の娘として生きる。私は自らの意志で持って生まれたこの機能を一度も行使することなく終わらせる。��もかもは私で終わり。 それらは尊大な甘えでもある、だけど確かに安堵した。そのことに嘘はつけない。 都会の街は私に何も求めなかったけれど、求められなかっただけ、私は身軽で、身一つで、自由に生きることができた。誰も私に恋愛も結婚も強要しないし、そんな声があるとすれば私の内側にあるものだけ。だから無視していればそれでよかった。街は私に何の干渉もしなかった。それでよかった。けれど故郷の町には見えなくても確固とした意思がある。この町に生きる人間全ては自分のものだと故郷の町は言う。自分のものなのだから、それぞれの家族を存続させるために、何より私を存続させるために、産めよ殖やせよと女性の体に指を差す。故郷の町はその町に住む人間である。大多数の意思が町を作る。町はその意思でもって生きる。人間は町そのもので、歯車でもある。あるいはアメーバ状の何か。ここは渾然一体に何かが溶け合っていて、冬の湿った空気のように重く、立っているだけで肩が痛くなってくる。 それでも手のひらに乗る小さな錠剤で、私は私を貫徹することができる。私を飲み込もうとするこの町に対抗することができる。身一つでも、立っていられるような気がする。それは不可能なことではないのだと、先生の話を聞いて、私は深く安堵する。
婦人科に行って一度家に帰って、歯医者の時間になるまでピアノを弾いて過ごした。かつての自分が叔母の結婚式で弾いた桑田佳祐の『白い恋人達』を今でも、いつまでも弾く。それとピアノの先生からもらった曲集の中に入っている『戦場のメリークリスマス』。冬が近いことを思う。もうすぐここは雪に閉ざされてしまうことを。白というよりも灰色な、この町の冬を。私の指はもう鍵盤をしっかり押さえられるだけの力はなく、運指の記憶も消えて、何度も間違える。譜読みすら怪しい。けれど間違えながら、何度も弾く。
歯医者から帰ってきて、音のない居間でずっとイーユン・リーを読んでいた。家族がいてはほとんど強制的についていたテレビの音が今日だけは聞こえない。雨が降ってくるまで読んでいた。暗くなる頃に読み終えて、まだ、余韻の中にいる。リーの小説には、ここに書かれていてほしいと思う孤独の形が過不足なく書かれている。リーの持つ孤独の形に共鳴する。リーがここまでひたむきに、誠実に、精緻に、自らが持つ孤独の形を書き出してくれることに勇気をもらえる。リーはいつも「ひとりであること」を語るけれど、それを読む私はひとりであって、ひとりじゃないようにも思える。いつも救われて、いつも勇気づけられている。 次は半分読んで放置していたルシア・ベルリンに手をつけようと思う。明日も変わらず一人なので、映画を観に行くつもりだ。映画館に行くのも1ヶ月ぶりになる。こうやって少しずつ、いろんなことを、取り戻して行けたら。そうこうしているうに雪が降って、全ては逆戻りになるかもしれないけれど。 だけどもうここは都会じゃないし、足の速い町でもないのだ。私一人がのろのろと歩いたところで、誰も気に留めないだろう。
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tausendglueck · 3 years ago
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20221120
初めてダウンジャケットを買った。今まであのボワボワしたシルエットをどうにも好きになれず、真冬が来てからも厚手のウールコートでしのいでいたけれど、今年は故郷の家に居を移してから初めての冬、そして10年以上ぶりに経験することになる故郷の冬。毎年、雪はまあまあ降るか、ものすごく降るかのどちらか。雪が降ったらダウンは要るよと母に言われ、私も私で今年こそは必要なのかなとちょうど思っていたから、それでもそんなに高くないダウンジャケットを一着買った。帰ってきてから母が「そういえばこれも同じブランドで前に買ってたわ」と、色違いを持ってきた。だから今年はこの二着で冬を過ごそうと思う。 ダウンジャケットを買った、と友人に話したら、「富山の冬は雪がすごく降って寒いでしょ、大丈夫? 死ぬんじゃないの?」と言われたので「そんなこと言ったって生きていかなきゃならないんだからしょうがないじゃない」と答えた。すると友人は電話口でふと笑って「いつも死にたいって言ってたあなたがそんなことを言うなんて、嬉しいね。その調子だね」と言った。 それを聞いて私は、そうかと思うに留まった。確かに生きていかなきゃならない、なんて、大阪に住んでいた頃、末期だった頃の私の口からは出てこなかっただろう。少なくとも今の私はこれから来るであろう冬を生きていかなきゃならないと思っている。生きていかなきゃどうしようもないだろう、と。 けれどだからと言って死にたい気持ちが綺麗さっぱり消し飛んだのかと考えてみたら別にそうでもない。何もかもが面倒だから、何もかもに自信がないから、何もかも悪い方向にしか行かなさそうだから、だから死にたいという気持ちは根本的にはまだ存在していて、その気持ちが生きていることと、私がこの口で「それでも生きていかなきゃならない」と言うことは同時に存在しうる。「生きていかなきゃならない」という気持ちは「死にたい」という気持ちを消してしまうものではない。ただ同時にそこにあって、干渉もせず、作用もせず、佇んでいるだけのもの。 これから冬が着て、私は初めてのダウンジャケットに袖を通し、雪が降りしきる中通勤をするだろう。死にたさをとりあえず横に置いて、明日も、明後日も、変わらず生きているだろうとなんとなく思いながら、雪に足を沈ませ歩くだろう。故郷の冬はずっと湿っている。水気の多い雪がずっと、ずっと、降っている。傘に雪が積もって、どんどん重たくなる。足元はずぶ濡れになる。けれどその湿った空気はどこか繭の中にいるみたいで、ふと、心が安らぐ瞬間がある。大阪や頭の街の冬がひたすらに、風が強くて冷たくて乾燥して、全身がとても痛かったことに比べれば、故郷の冬は、雪に生活を邪魔されようともどこか優しいものだと、私は思う。
ずいぶん寒くなって、そろそろ、冬物のニットを出さなければならないと思う。それからウールのコートも。今使っているトレンチコートは確か新入社員だった年に買ったもので、端々の色が落ちて、生地もくたくたになってしまっている。それでも、2万円程度で買ったこのコートの代わりになるようなものを今の今まで見つけられず、結局今年も使い倒して、買い替えることもなく、秋は早足で過ぎていった。紅葉は一瞬を彩って散り、秋晴れは雲に覆われて冷たい雨になった。年々、秋は早足になる。それでも今年は随分と、秋は持ち堪えてくれたような気もする。都会にいては紅葉を知らずにいたからか。故郷の冬は色づいて、曇って、雨が降って、束の間を青空が差して、いろんな変化があった。 その秋ももうじきに終わる。雨が降るたびに寒くなっていく。紅葉はもう散って、曇天と雪に覆われたスノウドームのような冬が、秋を凍らせていく。
今日は何も予定がない日曜日。ルシア・ベルリンを読みかけのまま置いていたけれど、1ヶ月ぶりの読書にはイーユン・リーを選んだ。午前中を使って50頁ほどを読んで、昼食のあとは家族で『キングスマン』を観た。これを映画館に観に行ったのももう7年前のことになるのかと思うと驚いてしまう。私はどこか、いつまでも25歳で時間が止まっているような感覚がある。いろんなことが洪水のように押し寄せてきて、心身が限界になって動けなくなった25歳の時間の中から、まだ抜け出せていないような気がする。気がするだけで、私はもう32歳で、立ち止まってもいられないし、あの時間からはすでに回復しているのだけど。それでもあの25歳で私の中の何かが決定的に変わってしまったことは確かだ。私は何でもできるわけじゃなかったし、どこまでも行けるだけの体力もなかった。それだけのことを認めるのに私は壊れる必要があったなんて、今となっては馬鹿な話だ。けれどそう思ったところで過去はもう変えられない。仕方がない。私が大阪から故郷の家に戻ってきたことも、望んだことではあったけれど、それはどこかで仕方がないことだった、きっと。そう思わないと、悲しくなってしまうから。悲しんだって、それも仕方がないから。悲しみは忘れずにいるためのほんの少しだけを手に取って、あとは捨ててしまうのが良いのだろう。かつてそんな出来事があったこと、それを覚えていられるだけの分があればそれでいい。悲しいことなんて放っておいてもこの先何度もやってくるのだから。その一つ一つを大事に抱えていることなんてできないのだから。どうしたって、この腕は二本しかないのだから。
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tausendglueck · 3 years ago
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20221116
先週、一度大阪に行った。まだ私自身が大阪に住んで働���ていたときに取ったCoccoのライブのためだ。ツアー日程を見ても土日の公演はなく、次点として金曜日の公演は大阪と札幌しかなく、札幌まではいけないので結局どこに住んでいようと今回は大阪公演しか行けなかった。けど、やっぱり名古屋くらいでもう一回行きたかったなと思っている。 今年はCoccoに縁があって、5月にも新しいアルバム『プロム』の全国ツアーで大阪公演に行った。だからこれは半年ぶりのCocco、だけど半年後にもう一度会えることはただ幸運だった。20年音楽を聴いてきた彼女、この歳になって年に二度もライブに行けるなんて思ってもいなかった。生きていれば何が起こるか本当にわからないと思う。 楽しい時間、幸福な時間というのは矢のように過ぎて、私はすでに家に帰りつき、仕事をしているけれど、気持ちの時間はまだ先週で止まったままでいるような気がする。日がなTwitterでCoccoの名前を検索し、他人がpostしたライブの感想ツイートを読み漁ってばかりいる。そしてやっぱり、もう一度行きたかったなとソファに寝そべりながら思う。
楽しくても、楽しくなくても、時間は矢のように過ぎていく。Coccoのライブも先週になってしまったし、私が異動の内示を受けて大阪から故郷の町に帰ってきてもう3ヶ月。まだ3ヶ月?わからない。けれど、もう3ヶ月であるような気がする。 故郷の町に流れる時間は大阪のそれよりゆるやかだ。ゆるやかで、温度はぬるま湯くらい。夏だろうと冬だろうと、ぬるま湯くらい。大阪のように熱かったり冷たかったり、することがない。大阪の街の空気はどちらかといえばきんと冷たかったような気がする。冷たかった、というか、張り詰めていたのかもしれない。それは街が進む速さであり私自身の精神がそう見せた幻だった。今となっては、もう幻。だんだん忘れていくだろう。 忘れていくように、この町はできている。この町は住む人をまるまるごくんと飲み込んで、沈めてしまう。私は町の底でぷくぷく泡を吐き出して、常に眠気に包まれながら生きている。下がってゆく瞼に抗うことは難しい。眠るたびに私は大阪の街のことを忘れていく。かつて自分が10年以上暮らしていた大阪。人の喧騒、雑踏、駆け抜けていく地下鉄、迷路のようだった梅田、中之島にずらり並んでいた高いビル群、きらびやかさと汚さが一緒くたになった心斎橋、思わずため息が出る漏れるほどに美しかった御堂筋のイルミネーション。 懐かしさも追いつかない速さでこの指先から滑り落ちていく。
元気になったねと、友人が言う。 大阪にいた頃から毎日のように電話をしていたこの人が言うのだから本当にそうのだろう。私は大阪にいた頃より穏やかだし、時折憂鬱に沈み込むことがあってもそれは本当に時折のことで、今の方が口数も多いしよく食べている。書いてしまえばなんでもないことだけれど、大阪にいた私は今考えたら本当に病んでいたのだと思う。毎日泣いていたし、言葉は言おうとする端から瓦解してただうめき声が漏れるばかりで、ろくにものを食べず、自由だったけれど確かに病んでいた。もううんざりだと思っていた。早く故郷に帰りたかった。だけど帰ってしまえば私がこの街で築き上げた人間関係がなくなってしまう、この人たちに会いたいときっと思わなくなってしまう、それがとてもさみしいと毎晩泣いた。 今、希望通りの異動になって、故郷に戻ってきた今、元気になったねと言われるようになった。
けれど、やっぱり、大阪の街を恋しく思う。どこまでも自分勝手だけれど。 元気になったら、途端に都会が恋しい。あの自由な時間の中にいつまでもいたかった。自分ひとりの裁量ですべてを決められる時間の中にいたかった、いるべきだった。私は安寧を手に入れる代わりに何かもっと大きなものをごっそりと手放した。だから都会に住む人には居れるだけそこに居たらいいよと言ってあげたい。居れるだけ居たらいい。そうしないと守れない自分の中の何かがある。都会にいなくては支えられない自分というものがある。あった。私はそれを手放してしまって、今、このぬるま湯の温度をした時間の中にひとり沈み、ぷくぷくと、息をしているだけの。 息をしているだけの。
次はいつ大阪に行けるだろうなと考えて、永遠に行かないようにも思えた。Coccoがまた週末にライブをやってくれるなら行くこともあるだろうか。友達が私を呼んでくれるなら行くこともあるだろうか。けれど、離れた人はやがて忘れ置かれてしまうから、大阪にいる友達には同じ大阪にいる友達を大事にしてほしいと思うし、私は忘れ去られてしまう人間でそれでいいと思う。私はこの町で、高校時代で一度死んだ人間関係に再び油を差していくのがいいだろう。どう思うにしたって今私がいるのは大阪の街ではないことだけは確かなのだ。それなら故郷の町に居てできることを探していくよりすべはない。 先週、大阪の部屋から持って帰ってきた本棚を実家にて組み立てて、積みあがっていた本の箱たちがようやく片付いたので、まずはこうやって、少しずつでも生活を整えていくことから。本棚がないからという理由で1ヶ月以上ろくに本を読んでいなかったので、まずは、ベッドサイドに積み上げていた本を読んでいくことから。それからまた、映画館に行って、できるかどうか分からないけれど文章を書いて、それを生活に織り込んでいけたら。 そうしてこの町にもう一度根を張っていく。仕事をこなし、家族を愛し、この町で静かに生きていく。
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tausendglueck · 3 years ago
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寂寞 / 20220627
毎月、体が生理に負けている。 ピルを飲み続けて随分軽くなった生理でも、歳を追うごとに通過するのが大変になっていく。今日も体調が悪いからと言葉を濁して会社を早退して帰った。 思えばピルも飲まずに自然な生理で生きていた頃はまだ体力があったということなのだろう。この困難な数日間を通過できるだけの体力。歳を取り、私はそれを失っていきつつあるのだ。痩せていくなら当然だ、あらゆる力がこの体から滲み出して溶けていく。私はもう歩くのもやっとで。
文章を作るのもやっとで。
近く、この街を離れることになるかもしれないという予感が、それに伴って付随するさみしさが、今の私を苛んでいる。 毎日さみしくて仕方がなくて、友人に電話をかけては泣いている。私がここを離れたいと思っているということは、ここで作った人間関係を捨ててもいいのだと自分が思ってることだと泣いて。いずれはどんな人とも今生の別れとなる日が来ることがただ悲しいのだと泣いて。もうこの人たちとは私は会おうと思わないかもしれない、それがさみしいと泣いて。 毎日飽きもせず泣いている。秋も待たずに鳴いている。
このさみしさはlonelinessでもなく、solitudeでもなく、私自身が先回りして自ら取りに行ってきたmissingだ。だから馬鹿なことをしているのだと思う。しなくてもいいことを、思わなくてもいいことをあえてやっているのだと思う。あえてやることで、いざ本当にこの街との別れが決まったとき、すっと受け入れられるのだというかのように。本当に決まったとして、同じようにさみしいのは、今と同じ以上にさみしいのは、当たり前のことなのに。
あなたの希望がちゃんと通るように、人事にはきっちり伝えておいたからねと上司が言った。ありがとうございますと、私は頭を下げた。 この人に助けてもらった。ちょうど去年の今頃、離職を考えていた私をこの会社に引き留めてくれたのはこの人だった。あなたの病はあなたのせいではないと言ってくれて、私を救ってくれたのだ。 この人とも、今月で別れてしまう。もうこの人がいつも飲み会の二次会で連れて行ってくれた北新地繁華街の片隅の、優しいママがいる小さなスナックにももう行くことはないだろう。
私がもういくらか強かったなら、丈夫だったなら、病んでいなかったなら、私はまだこの街に留まることを選べただろうか。けれどもう私はこの街で一人生きることに疲れてしまった。それが全部の答えだ。 郷里に帰りたい。強く思う、私はもう郷里に帰りたい。 ここで手に入れた人間関係から遠ざかってもいいと思えるくらいに。
また涙が一滴、二滴。
かつて短い間恋人関係にあった男が今では音信不通だとその友人たちから聞いたその夜、浅い眠りの中で彼が夢に現れた。 他愛のないことを話した。それでも最後には鞄を持って行ってしまった。明日まではここにいるよと彼は言い、でも明日は私に会わないでしょうと私が言うと、そうだねと答えた。 目が覚めたとき、心の底から悲しかった。もう一度眠ればまた会えるかと思ったけれど、これは夢で、現実ではないんだ。一人打ちひしがれていた。あんなに大事に思っていた、彼との日々を愛していた、けれどきっともう二度と会うことはない。よしんば会えたとして、私が大事に愛し続けた20歳の彼の姿はもうどこにもないだろう。彼は学生時代の人間関係にケリをつけたのだろう。それを誰も責めることはできない。それは間違っていない。彼の選択は、何も、間違ったことじゃない。
だけど会いたいと思う。元気? と、一言だけでも、声をかけたいと思う。
彼からもらった指環はまだ私の右手の薬指にあって、今まで失くすこともなくここにある。これを失くさないでいるうちは彼は生きているのだと思うようにしている。けれど今、そんなことに何の意味があるだろうか? どんな意味があっただろうか? 私の指に彼がくれた指環が嵌まっていることが、今までそんなに意義あるものだっただろうか? 現に、彼はもうここにいない。きっと会うこともない。私の祈りは無為だった。ただ、自分本位で無為だった。 この指環が彼を連れてきてくれるわけでもないのだ。指環は指環として、ただそれだけのもので、もらってからもうすぐ10年が経とうとしているそんな、ただの指環に、一体どれほどの力があると言うのか。
出会わなければよかったねと、目覚めてしまった朝に呟く。 君との毎日を愛していた、君は一番の親友だった、けれど、恋人にはならなくてよかったよね、と、行ってしまった面影に目を伏せる。 会いたいと、指環を見つめながら思う。
あなたがそんなにさみしいなら恋人を作るというのもありかもしれないねと友人は言うけれど、もう今更、そんなことが私に巡ってくるとも思えない。 いつか、職場の後輩の人が結婚をすると言うので、プロポーズの準備の話やそれからの話を飲み会の席でうんうんと聞いたことがあった。そして帰ってきたその夜、私は友人に電話して、どうして彼のようなことが、私には訪れなかったのだろうと言って滂沱の涙を流した。なぜ訪れなかったのだろう、私は何をしていたのだろう、私を選ぶ人なんて、そんな人は一体どこにいるんだろう。日々を丸ごと愛した彼のような人、未だ指環を大事にせず��はいられない人以上に好きになれる人なんて、この先現れるんだろうか?
成長が止まっていると言うならそうなのだろう。私はいつまでも22歳と23歳の間を行ったりきたりして、それ以降の年月を惰性で過ごしてきたと言うならそうなのだろう。けれど惰性で過ごしてきた年月の中にも新しくできた人間関係があって、私はそれを大事にしたいと願って、それでも私自身の根深い疲労がその近くで生きることを拒んで、私が高校を卒業してからずっと根を張ってきたこの街から離れることを、郷里に戻ることを切に望んでいる。惰性で生きたにしては、色んなことを、経験した。
今日もさみしいと呟く。もう会えなくなるかもしれない人の顔を思い、もう二度と再会は叶わないであろう人の顔を思い、ここで過ごしたすべての日々のことを思い、あらゆる感情がないまぜになって「さみしい」という4文字に帰結する。loneliness, solitude, missing, 全部が包括されてゆく。
今日も夜がやってくる。私が涙を流す夜がやってくる。夜が終われば明日になって、明日になればまた会社に行かなくてはならない。何の力も無くなった体を引きずって。たださみしさに支配された体を引きずって。
このさみしさはどうしたら消えるだろうか。何を得られたら私はさみしくなくなるだろうか。何が足りているならば、私は孤独ではないと言えるだろうか。どこで、何が起きていれば、あるいは何が起こらなかったなら、私は別れを告げずにいられただろうか。この先もずっとこの街にいられただろうか。
分からない。もう何にも、分からないんだよ。
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tausendglueck · 3 years ago
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ずっと真夜中 / 20220611
ゆりを私と写真家のグループLINEに招待し、彼女から電話がかかってくる頃には午前3時になっていた。twitterのspace機能でしゃべっていたゆりと、映画の感想を電話で言い合っていた私と写真家は午前2時にインターネットで合流し、話の流れでグループLINEで通話しようということになったのだった。いつもの通りゆりはそうと決まれば自分がホストであるspaceも半ば強引に落とし、私が招待したグループLINEにやってくるなり電話をかけてきた。
何を話したんだっけね。
深夜のゆりは大抵は酔っていて、いつも上機嫌にあれこれと喋る。酔っているとは思えないくらいにいつも理知的に話すので私にはそれが信じられない。けれど一夜明ければ自分の話していたことの半分は忘れているという、それも私には信じられない。彼女はそうやって、自分の、どれほどの秘密を他人に明け渡してそして忘れていっているのだろう。その危うさに私は彼女の孤独を見る。酩酊しないと人に話せない、心のうちを人に明け渡すことができない頑なさと、それが故に彼女が抱えているのであろうさみしさのことを思う。
ゆりは小説を書くという。そして、ゆりの小説を切望している人々は皆彼女に賞を取って欲しいとも望んでいるらしい。彼女はそのプレッシャーに呻いていた。あなたは数学者タイプだから、そんなあなたが答えのない世界である小説というもので何を書くのかとても楽しみだよと写真家は言った。賞が取れなくたってそれでゆりの小説の価値が落ちるわけがないとも。私は「小説はさあ…ふっと浮かぶシーンがあるじゃん?」なんて、また抽象的な話しかしなくなり言語化がポンコツだと二人から詰られる。だけどゆりが周囲からのプレッシャーに呻いている時に、私がそんなふうにして「小説なんてふっと浮かんだものをガッと掴んでごにゃごにゃにして書けばいいんだよ」なんて説得力も何もあったものじゃないポンコツLINEを送ったおかげで肩の力が抜けたのだと言ってくれて、私のポンコツもたまには役に立つのだとちょっと嬉しくなったのだった。
夜が深くなるごとに、ゆりのさみしさがぽつり、ぽつりとこぼれ落ちてくる。
私には、ゆりは、自分が幸せになることよりも先に、気高くあれと、誇り高くあれと、自分に課しているように見える。実際、それはきっとそうなのだろう。そんなゆりはいつも美しい。
けれどゆりの人生には、いろんなことが起こる、ように私には見える。どうしてそんなことが起きなくちゃならないんだとこっちが言いたくなるようなことまで、ゆりの人生には起きてしまうように思うのだ。その度にゆりは悲しみに暮れ、傷を増やし、ぼろぼろになっていく。ゆりはいつも美しくて、そして痛ましい。それでも、自分の人生に何が起ころうとも、それでも私はこの人生を戦うのだというゆりの姿は美しくてだけど手を触れたらガラス細工のように壊れてしまいそうなんだ。本当は儚さだって、そこに確かにあるはずなのに、それを振り払って自ら荒野に立とうとする人。荒野のどこかに咲いている、一輪の花を探しに行こうとする人。
ゆりをどうか、誰か引き留めておいてあげてと私は願う。
あなたはもっと幸せになるべき人だよ。 私はゆりちゃんに幸せになって欲しいと思ってるよ。
私と写真家がそう伝えると、ゆりの声が湿ったような気がした。 ねえ、いつか三人で、東京で集まれる日を夢見ていようよ。ゆりのために駆けつける私たち二人のことを思っていてよ。遠くに住んでいて、日常的に会える友達には勝てないかもしれないけれど、遠くの地でのんびり生きている、私たちのこともたまには思い出してよ。何を与えてあげられるか、わからないけれど。
ゆりは自分があなたたちを愛する代わりに私に資する人間になって欲しいと語る。私はゆりに何ができるだろう。何を以て、彼女に資する人間たりえるだろうか。畢竟、それは自らの人生を自らのために生きるということだろう。自らの人生を他人のためにしないことこそ、ゆりを愛せる資格となるだろう。私はゆりのために生きない。けれどゆりを、助ける準備はいつでもできている。
ゆりのことを愛している。
4時に電話は終わり、私は寝不足のままに起きて3回目のコロナワクチン接種に出かけ、帰ってくるとゆりが「私たち4時までしゃべってたの?」とグループLINEにpostしていた。案の定、ゆりは話したことの半分くらいしか覚えていなかった。それでもいいよ、ゆりの秘密はここからどこにも行かないから。ゆりの秘密は私の中で濾過されて、やがてすうっと、私も忘れていくだろう、ゆりもそれを望むだろう、だからゆりはいつまでも気高いまま。
私たちのグループLINEにはゆりによって「ずとまよ」という名前が付けられた。正直、私は夜が全然長くない人間だけど、ゆりがいる真夜中なら。
ゆりが笑っていられる真夜中ならば。
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tausendglueck · 3 years ago
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20220603-04
なんでこの歳まで生きてんだろうな、という問いは多分頭から消えない。 6月3日に32歳になった。 なんでこの歳まで生きてんだろな、と思う割には私は仕事を休んで映画を見に行き、買い物をし、一人でカラオケに行き、バーに行って誕生日を祝ってもらった。毎年誕生日は仕事を休むと決めている。コロナ禍に入る前は旅先で誕生日を迎えるのを楽しみにしていたけれど、ここ数年はもっぱら大阪の自室で誕生日を迎えているので少しつまらない。もっと、鳥みたいに自由でいたいのになあ。猫でもOK、とにかく私は働きたくないだけだ。
32歳になった。偶数の歳だ。思えば31歳は奇数の歳だったから、どこか片足で立っていたような不安定さが常にあった。それが偶数になったので、両足で立っているような感覚に変わった。今、少しだけ、凪いでいる。ずっと憂鬱で友人に心配ばかりかけていたけれど、32歳になって、ちょっと、楽になったような気もしている。なんでこの歳まで生きてんだよ、という問いもまあ頭にはありながら。全く、私の予定ではこういう人生であるならもうちょっと早いうちに自然と消失しているはずだったんだけどな。でも特に体に不備があるわけでもないし自殺する勇気もないしで、それならまだ当分生きるということだろう。信じられない。私の消失の予定が、あるいは予定ですらなかったのかもしれない、消えていく。
もういい加減生きるということに本腰を入れろということ。私はあまりに自分の消失の予定にかまけすぎて全然生きていなかった。もういい加減腹を括れということ。この先待っていたってそうそう消失の予定はやってこない。
でも、それにしても何で生きてるんだろう。 生きて、何か��すべきことが私のような人間にもあるということだろうか。
6月4日、友達のゆきほちゃんが企画してくれたパーティーにお呼ばれした。 人見知りがいささか度を越している私がゆきほちゃん以外初対面のパーティーにお呼ばれするとはなんと緊張する、けれども私の誕生日会なのだと言われると主賓ということで行かないわけにはいかないし、ああでも困ったな、何を話せばいいんだろうな、どんな顔して行けばいいんだろうな、そう思いながら手土産のワインを買った。
果たしてパーティーはとても楽しかった。当たり前だけどみんな大人なので、険悪な空気になることもなければ話題に詰まって気まずい空気になることもなかった。持参したオレンジワインを飲み、美味しいタコスを食べ、ゆきほちゃんが弾くギターに合わせて何曲か歌った。ベランダの窓から入ってくる風が気持ちよかった。差し込んでくる光は眩くて、写真を見返すとみんな夢の中にいるみたいだった。
全く知らなかったのだけど、ケーキとプレゼントもいただいた。本当にお誕生日会じゃないか!32歳になってもケーキを用意してくれる友達がいて、ロウソクを吹き消せることがあるなんて思ってもみなかった。Make a wish. 何を祈ろうか? 少し考えて、「幸せになりたい」と口にした。
そう、幸せになりたい。私は、ただ、幸せになりたいのだ。
何があなたの幸せなの? と聞かれるとき、それはまだ、これだとはっきり説明することができないのだけど、それでもやっぱり、私の幸せの幾らかは、いや大半は、こうして何かを書くことに結びついているのだろうと思う。私が何かを書いて、小説でも散文でもエッセイでもいい、それが、人の目に留まって、誰かの心を動かすことを、私は今でも切に望んでいる。私の書くものにそこまでの才はないかもしれない、32歳になってなおインターネットに書き散らしているくらいだからきっとその程度だ、それでも望んでいる。この文章が、私の文章が、誰かの心に触れますようにと。
誰かの記憶に残りたい、私自身は忘れられてしまってもいい、ただ私の書いたものたちだけは、誰かの記憶に残って永遠にもここに存在していられたらいい。ふと、思い出してもらえるような文章が書けたら。いつまでも心にあり続けるような文章が書けたら。心を素手で掴んでめちゃくちゃに情緒をかき乱すような文章が書けたら。それが叶うなら、私自身はいつ消失しても別に構わないと思うのだ。けれど、叶っていないから、まだ生きるしかないんだ。
そしてそんな文章を書くためには私は生きることに本腰を入れないとそれは叶わないんだ。
パーティーは昼前から夜まで続いて、21時ごろに部屋に帰った。 グループラインで写真が送られてくるたびに、幸せだった。Twitterでパーティーのみんながツイートしているたびに、幸せだった。 いつまでこの街にいられるかわからない、もしかすると2ヶ月後には去ってしまう街かもしれない、それでも私はこの大阪という街で、尊い友達を作ることに成功したのだ。それは10年この街で生きてきて、ささやかに積み重ねてきた祝福だろう。私は祝福されていた。いい一年にしようと思うくらいには、生きようと思うくらいには、私は心から幸せだった。
I’ve looked at love from both sides now From give and take and still somehow It’s love’s illusions that I recall I really don’t know love Really don’t know love at all “Both Sides Now” / Joni Mitchell
私は人生も愛も、まだ何も知らない。まだ掴みきれない。それなら、掴むために生きよう。幸せを手繰り寄せて、人生の、愛の、正体を知ろう。本腰を入れて生きるとは、多分、そういうことだ。
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tausendglueck · 3 years ago
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20220531
ピルは一ヶ月のうちの大半、私を穏やかにしてくれるけれど、休薬期間の一週間だけは、その一ヶ月に抑えつけられた揺らぎが一気に押し寄せてくる。何の食欲もなく、何を見ても心は動かず、何をしても安らがない。ただ眠っていたいと、そればかりを願う。何も食べられず、体は動かず、薄暗い部屋で上司に生理で体調が悪いから休みますとメールを打った。馬鹿らしい。私の生理なんてピルがかなり軽くしてくれて、この程度で休むなんて数年前の私だったら呆れ返っていただろうに。
今、死にたいと願っている。願っているけれど、これも、それも、全てはこの一時的な憂鬱が書かせるものであると思うので、今日の日記もまた、どこにも真実はないのだろう。
日記を書くといっても、何もしていない。ただ眠っていた。最近の日記の中にいる私は眠ってばかりいる。上司から了承の返信を確認してからすぐに寝て、昼に起きて、何も食べられず、かといって何も食べないわけにはいかないので財布だけを持って近所のお菓子屋さんに行った。甘いものでも食べないよりはまし。 お菓子を包んでもらっている時に、店員さんから「菅田将暉の着服史は買いましたか?」と尋ねられる。彼女と私の間には菅田将暉が結んだやわい友情のようなものがある。それもかつて私がカリギュラのトートバッグで店を訪ねた時に「カリギュラ!観に行かれたんですか!」と声をかけてもらってからだ。それから彼女と私はレジの短い時間で菅田将暉の話をする。着服史はまだ買ってないのだと伝えると、すごく良かったですよすごいボリュームで、とにかくすごく良かったですといつもの可愛らしい満面の笑顔で言ってくれるので、思わず「買います」と言ってしまった。ぜひ! と彼女は笑って、私はお菓子を受け取ってお店を出る。次にお店を訪ねる時までに着服史を買っておかなくてはならない。
それにしても「着服史」すごい名前だ。着服って確かにそうなのだけど。
それからお菓子を食べてまた眠って、眠って、長い夢を見て、目を覚ましてもだるいので、何も考えていない頭で床にヨガマットを敷いてストレッチをして、筋トレをする。腹筋60回。それからシャワーを浴びて、ルシア・ベルリンの新刊を手に取ったけれど、数行読んでもうだめになってしまった。
憂鬱。憂鬱が巣食う。
できればずっと眠っていたい。朝も昼も夜もなく、ずっと。何にも邪魔されることなく、ずっと。長い夢を見て、夢の方が現実だと思えるほど、ずっと。だけどそんなことできないから、明日は会社に行く。考えるだけで憂鬱が巣食う。憂鬱に食い殺されてしまう。会社を辞めてしまいたいと思う。けれど思うだけできっと辞めないだろうということも分かっている。いつも袋小路で、出口がない。眠っていたい、ずっと。
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tausendglueck · 3 years ago
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20220529
生理痛なのか筋トレの筋肉痛なのか分からないお腹の痛みを抱えてずっと寝ていた。天気予報では大阪30℃とかになっていて、なるたけ今日ばかりは快適でいたい私は早々にエアコンをつけて日中をほとんど寝ていた。というか、朝から夕方まで寝ていた。一応洗濯機を回すために起きて、再配達を受け取るために起きて、なんとなく本を読むために起きて、はしていたけれど、ほとんどの時間を眠っていた。少し開いたカーテンの隙間から見える空がずっと明るいうちは、ずっと寝ていた。
生理になるととにかく寝ていたいので食欲が消える。それでもお腹は空くもので、久しぶりにUber Eatsでスタバのラテとホットサンドとスコーンを注文した。ふと思い至って、Uber Eatsと同じように利用していたUber Eatsの亜種みたいなサービスのアプリも立ち上げてみると、5/25でサービスが停止されていた。道理でここ最近通知が来ないものだと思っていた。ちょうど2020年の、コロナ禍が始まったばかりの頃に立ち上がったサービスだったように覚えている。なんとなく街がなし崩し的に元通りになって、テイクアウトの需要も落ち着いて、結局Uber Eatsに淘汰されるしかなかったか。私は2年間スマホに入れていたそのサービスのアプリをそっと削除して、Uber Eatsの画面に戻った。
眠っているといろんな夢を見る。今日は今まで読んできた好きな漫画のキャラクターにまつわる夢が多かった。
外が暗くなって、ようやく涼しくなってきたのでエアコンを切って、さっき川上未映子の『春のこわいもの』を読み終えた。朗読に適した長さの短編集だなと思っていたら実際に岸井ゆきのがkindle audioで朗読していた。そういえばそうだった。そんな告知も見たような気がする。川上未映子は過激派とまでは言わないけれどそれなりにファンで、ファンなのだけど、やっぱり私の川上未映子は『ヘヴン』なんだよなあと新作が出て、読むたびに思うのだった。ということでやっぱりこの本を読んでも私の川上未映子は『ヘヴン』のままだった。ブッカー賞を逃したのは残念だったけれど、それで『ヘヴン』の価値が目減りするわけではないのだから、これからも私は折に触れて『ヘヴン』を読み返すだろう。
ということで次はルシア・ベルリンを読まなくてはならない。
新しいクレジットカードが届いたので思いつくサイトにアクセスしてクレジットカード情報を変更しに回っていた。それだけで少し疲れる。カードのアプリを久しぶりに開いたら身に覚えのないほどポイントが貯まっていて逆に不安になる。引き落とし明細を見ても覚えのある買い物しかしていない。
今週で5月が終わるのだなと思うとなんだか信じられない。それでも誕生日にはしっかりと休暇を取った。何をするのかまだ決めていないけれどとりあえず化粧水を買いに行かなくてはならない。私の31歳ももうあとは終わりに向かって粛々と収束していく。数週間くらい前まではなんとか足掻こうともしていた気がするけれど、足掻いたところでどうしようもない。終わるなら終わるで、しょうがないのだ。32歳に何をするかを考える方が建設的だ。差し当たって新しい小説を書きたいと願っているけれど、夏に会社の昇級試験を受けなくてはならないので、しばらくは勉強なのかもしれない。また心身が荒れる。
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tausendglueck · 3 years ago
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20220528
洗濯機を回すために9時ごろに起きて、スイッチを入れてまた眠って次に起きたら10時で、洗濯物を干してまたベッドに戻ってごろごろして、何も食べないうちに歯医者に行く時間になって私はTシャツを着替えてパーカーを羽織る。私の歯医者は虫歯ではなく予防歯科なので、1時間ほどをかけて歯を掃除してもらう。私の歯を掃除してくれるのは毎回ギャル気味で耳にもバンバンピアスを開けている女の人で好感が持てる。今日も1時間程度で終わって3,000円程度を支払って、横断歩道を渡ってすぐのところにある小さなイタリアンのお店で朝食兼昼食を食べた。
16時に今度はネイルをオフしてもらいにサロンに行く。暑いですねと話をして、私がCoccoのライブTシャツを着ていたのでCoccoの話になった。Coccoお好きですか、今は全然聴かないですけど、昔ですよね、そうですよね、昔ですよね、ライブもいいですね、なんか、泣いてしまいそう。 それから近所の公園の外周を30分ほど散歩した。Coccoを聴きながら。日差しが差したり止んだり、その空の下で私の腰ほどもない身長の子供たちが嬌声を上げながら走り回っていく。足元にボールが転がってくる。私は屈んでそのボールを蹴った小さな男の子へボールを転がしてやる。父親はスマホに夢中で息子がよその女にボールを拾われていることにも気づかない。
公園でギターを弾いて歌う異国の男性。
帰宅してしばらく寝転がってから松浦理英子『ヒカリ文集』を読み終えた。私にヒカリのような友達や知り合いはいないけれど、愛情を持たないからと言ってその人に心がないはずはなく、愛情がないからと言ってその時どきの真心がないわけでもない。愛情がない=冷たい、ではない。そんなヒカリがとても魅力的に描かれていてさすが松浦理英子だと思うのだった。私はずっとヒカリを、かつて好きだった女の子になぞらえて読んでいたけれど、それを本人に言うときっと彼女は怒るのだろうな。それでも私には彼女とヒカリはよく似て見えた。
本を読まないくせに買いはするので渋滞していくばかりで、次は川上未映子『春のこわいもの』を手に取る。これを読み終えたら、次はルシア・ベルリン。それも読み終えたら、今度はイーユン・リー。次は、次は、次は…
外が暗くなってきて、そういえば食べたかったんだと、私はまた靴下を履いて外に出て、近所のラーメン屋でニラが山ほど入ったラーメンを食べた。 食べ終えて店を出ると世界は群青色になっていて、私はしばらく部屋に帰らずふらふらと15分ほどを歩いた。群青が紺に変わるくらいで部屋に戻った。 先日体重を測ったら2kg増えていて愕然として寝込んで泣いてひどい有様だったけれど、私の痩身志向を知っている友人が「それくらいまだ痩せてるよとは言わないからさ、どうやって痩せるかを考えよう」と言ってくれたので助かった。去年実家で休養しているときになんとなく始めた筋トレをもう一度始めることにして、食事の量を少しだけ減らした。筋トレはやりすぎると体が炎症を起こして熱が出るということを自分の実績として知っているので、ほどほどに。毎日やると多分熱が出るので、ほどほどに。今もお腹が筋肉痛でひどく痛くて、でも便秘が治った。いいこともある。
日記を書きはするけれど、創作物は書けないでいる。幸せになりたい、と最近よく口にする。でも、じゃあ幸せってなんだろうねって話になって、結局は、書いたものが人に読まれたり評価されたりすることがきっと私の幸せで、それなら卒論が賞を取ったときは今すぐ死んでもいいくらいだったよと言ったら、あなたの幸せはとても具体的な形をしているねと言われた。これといった幸せがない代わりに不幸でもなかった人生と、基本的には鬱屈しているけれどある時死んでもいいくらいの幸せに殺されそうになる人生だったらどちらがいいだろう。けれどきっと私の人生とは後者で、それならあと何回、私は幸せに殺されそうになるだろう。どれほどの幸せが、私を本気で殺そうとしてくれるだろうか。
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