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いつ、ってはっきりとはわからないんだけど、多分小学校高学年?中1?くらいのときに、「ハートフル」な人でありたいな、と理想の人物像を定めた瞬間があった。
ハートフルってなんやねんって話なんだけど、なんかたぶん、誰かの(そしてできるだけ多くの人の)心の拠り所みたいになりたい、ってことだったんだろうな。わたしは器用貧乏ではありつつも結局は何もかもで抜きん出ることができないタイプなので、人柄でしか勝負できないみたいな固定観念もあった。ハートフルさを誰と競うつもりだったんだ?あと人柄を自分でコントロールしようとするのってどうなんだとも思うし(みんな、自然とそうしているんだろうけども)、とにかくツッコミどころしかない。
でも、ツッコミどころしかない「ハートフル」を、案外今の今まで目指し続けているような気もする。けっこう長い間やってることになる。ひとに対して「「「善く」」」あろうと多少の無理をしつつも努力するし、誰か他者が「「「善く」」」あることを放棄しようとしているのを見ると、耐えられなかったりする。
善と悪なんてはじめから割り切れないし、わたしが何に対してどう考えているのかを静かにrepresentして、個として立っていればよいというだけの、簡単なことなのだが、それがなかなか難しい。それってなんか、自他の境界がうまく引けてないってことなのか?「ひとり」にならないといけない、ってそういうことか。
今取り組んでる戯曲は、「いのちのダイヤル」の電話相談室が舞台になっていて、わたしは相談者のひとりの役をやる。最近ほんとにカウンセリングを受けているので、コミュニケーションの時にあらわれる癖を言語化してもらったり、自分で見つめなおす機会が多くて、ずーっと考えごと中。みんなもよかったら、考えごとしに劇場に来てほしいです。


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創作日誌 Day14,15

神楽坂の稽古場をとってショートバージョンの稽古。審査会用に短くするのも今回で最後かーという感慨が…。
講評でだいたいいつもパフォーマンス作品を出してきた自分にとってショートバージョン作るのってわりといつものことだけど、それってまあ、ふつうのことではないんだよな。
切りたくない、気に入ってるシーンがたくさんできてることに気がつく。
ショートを作る時に、そのシーンの何が大事かをみんなに説明すべく言語化することがあって、それが、思ったより大事な作業だったかもしれない。もっちーのセリフの発語について、ショートバージョンを成立させるために「堂々としたひとりごと」っぽく、というようなことを言ったら、みんながアーー!と納得してくれたのが、なんか面白かった。普通に稽古するより、むしろ、ショート作る方が焦点が絞られるのかもしれない。七年間ではじめてショートバージョン作ることにやや前向きになれた瞬間だった(いまだに、なんでだよ、とは思うけど)
なんとか14分台まで縮められたから、あとは現地で調整。
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創作日誌 Day12-13
前日に準備して、現地で撮影!
天気がいい感じで、実際のロケーションでできたのがよかった。
地面とか冷たかったり、思ったより見切れたり、やっぱ予測してはいたけどいろいろ想定と違うことがある。でもそれが面白いような気もした。
「ベース」的なものはあるな、と確認できた。もっと空間に突き刺さらないとだめかも。


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創作日誌 Day11

参加:もっちー、ゆみ、しずる
衣装を決めて、まだできてなかった校内放送のシーンをつくり、段取りをつなげる。
校内放送のシーンはなんつか、けっこう「高校演劇っぽい」感じになって(しまって)、わたしこういうのが好きなんだなあと思った。
この日の帰りに椅子を買いに行ったり、バタバタがんばった。
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創作日誌 Day10
参加:しずる、もっちー
解説文(この作品のことをまとめた簡単な論文みたいなやつ)を書きながら、ついでに台本もエーイ!って仕上げた。まだ変えそうなところもあるけど、ひとまずね。
そしたら、各シーンをどういう解釈でやるのかかなりクリアになって、稽古が楽しくなった。ほんとよかったー。あとは、観客に対してどのくらいサービスするか、というバランス感覚の問題になっていきそう。やりたいことはかなり整理されつつある。
動画は、今日できたお気に入り振付。
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創作日誌 Day9
参加:もっちー、しずる、ゆみ、バーナ
久しぶりにゆみが合流。
これまで作っていた全員で出るシーンのことを共有。そのあと、ゆみと2人でじっくり話す時間をとる。
小学校のときに読書感想文をかかされたという『トルストイのアーズブカ』のことを教えてくれた。
身体の小さいねずみと、大きいライオンの話。
つかまったねずみが恩返しをするからどうか放してって言って、放してもらったあと、ライオンはある意味ねずみのことをナメてて、その「恩返し」のことを忘れていた。けど、ライオンがつかまったときに、縄をかじって解放してくれた。
小さいけどできることがある!みたいな作文を書いたって言ってた。かわいい。
その場でネット検索して、おはなし一覧表みたいなのを見つけた。なんでもいいからとにかく「強いもの」のおよめさんになりたい女の子の話も印象的だった。
『アーズブカ』は超短編で、イソップ童話とかから影響を受けたり、語り直したり、してるらしい。
「強い」とか「弱い」がひっかかる。どっちも、弱いものがもってる力とかを侮っていると、後で大変なことになるぞ、って話に読める。うまいこと使えないかなあ。
次回までにテキストをかためておく約束をする。
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創作日誌 下見編
取手校地の上演場所に、下見兼イメージ画像の撮影をしに行った。同じ研究室のよしみつくんがめちゃ手伝ってくれた。


やっぱりひらけてて、高いところから見下ろせるっていうのがすごくよい。そういう場所に魅力を感じる。

長さ測ったらすごいでかかった。

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創作日誌 Day8
参加:もっちー、しずる、バーナ、見学でますださん
一番最初と終盤に入るダンスのシーンを詰めた。おー、少しほっとする。シンクロ感が妙でいいと思う。
だるまさんがころんだもやってみた。ずっとできるこれ。ふざける度合いがちょうどいい人たちだ。
まだ肝心な言葉をうまく思いつけてない。けっこうエグいこととかを入れていっても、全然平気そう。まだプレーンな素材しかないから、これからどんどん味をつけていきたい。
この日稽古場に行く前に解説文を書き進めてて、「机上」(元作品)に対して自分が感じていた違和感をやっとことばにすることができ、どういう方向性で直せばいいのか少しわかった。キーワードになるのは、たぶん「(自分がもってる)加害性」とか、「被害を自覚する」ということ。
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創作日誌 Day6,7
参加:もっちー、しずる

6日目は作品の構成全体の相談、振付のネタ出し、わたしが今考えてることの話。漠然と「消えたい」って思うことや、転校生と仲良くなるのが得意だったこと。
そこから掬い出してもらう、みたいなことを、今回はやりたいのかも。自分のことを自分で語る恥ずかしさがあるけど、その分、みんなに協力してもらう。
7日目は、オープニングと後半に繰り返す大きめのシーンをゴリゴリ作る。
前日の話を経て、何の振り付けを何のテイでやるのか、が重要だよねってなった。少しだけ整理されてきた。
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創作日誌 Day5
参加:もっちー、とみやま
あっという間に5日目で早い。
まず、もっちーとの稽古はしばらく空いたので、ここのところの進捗について。
それから、質問のシート書いてきてもらったのを見て、そのことについて30分くらい話してから、終わりの方のシーンをどういうふうにするか考えた。
もっちーは前回わたしとしずるさんととみやまが書いたものをみて、情報量が多くて驚いていた。
「さようなら」って繰り返しながらわたしが踊るってことだけ考えていて、その場でもっちーがワークショップ的に私に演出してくれた。一回、「つくる」から「パフォームする」に方向を転換することができて、それがとてもありがたく感じた。終わり方のイメージがついたので、よかった。空間をかなり広く使えそう。
そっちがふくらんだので、もっちーと2人のシーンのネタ出しは最後の方の数分になったけど、私たちは、同じクラスにいて「いるなー」って意識はしているけど接触しない人たち、って感じのシーンがいいねという話になった。対称で動いたりとか。
今回の私は、「コリオグラファー」というよりも、「キュレーター」って感じだ(構成・演出の部分)。
自分のセラピーのためにつくる。ってはっきり言っていた自分に少し驚いている。でも、そう。
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創作日誌 Day4
参加:しずる、とみやま

用意してきた質問シートをつかって、「教室にいなかったあの子」についていろいろ話したあと、振付作り。わたしとしずるさんが並ぶと、「セット感」が強くあっておもしろい。双子みたいになった。
いなかった子、はどこの学校にもいて、それぞれ全然違う子なんだけど、並べた時に、「類型」みたいになるとやだねって話をした。
コンタクトホーフに、ネグリジェみたいなドレスきた女の子ふたりのシーンあるよね。
当面はこんな感じで、わたしとだれかがほぼ一対一(+とみやまの見守り)でシーンを作っていく感じになりそう。
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創作日誌 Day3


参加:しずる、ゆみ
本番で使う上演場所の探索。あとおしゃべり。
変な形をしたウッドデッキと、取り囲む沢山の窓。高さをうまく活用したり、空が見えたりする特性をうまく生かしたいところ。

おしゃべりは、しずるさんと、最近話した子供とのことなど。8歳の子に、何歳かで止まれるならいつがいい?と尋ねたら、「8歳!」って言ったらしい。1年生からマスク生活してる人々は、それなりに小学校生活を満喫していて、今が一番楽しいらしい。
運動会もない、文化祭もない、だからかわいそう、って思うのは、19年以前を知ってる年上たちの傲慢なのかもしれない。
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創作日誌 Day2
参加:もっちー、しずる、とみやま
むかし演劇部の高校生と一緒に作った振り付けを、ダンサーたちとなぞって、続きを考える回。どういうテイで作ったのか思い出したり、説明したり。
当時、つま先がポイントだったかフレックスだったかとかがあまりくっきりしていなかったなーとかを、共有するときに思い出した。なんかあの振り付けは「彼ら」の身体から出てきたもの(そして、それぞれの身体でそれぞれに味付けられたもの)なんだなって思った。
再構成にあたり、それをまた自分たちの体で編み直すみたいなこと、なぞって、馴染ませて、変形させていくことをやらねばならない。
あと、ウォーミングアップにやった言葉カテゴリーの時の必死の身体が面白い。あわあわしてた。
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創作日誌 Day1



参加:もっちー、ゆみ、とみやま
13時から公民館の部屋をとっていたのだけど、1時間ほど前から目の前の公園で遊ぶ。
どんな作品にするかってことで結構思い悩んでいて、体を動かすとか、外で風にあたるとかの気持ちよさをちょっと最近忘れていたかもしれない。とても楽しかった。
縄跳び、けんけんぱ、だるまさんが転んだをやった。
よく考えたらどれも結構体の動きを制約する感じのものだったな。自分は子供の頃、速く走るとか遠くまで投げるとかの必要がある遊び(鬼ごっこやドッジボールなど)だったり、精神的な駆���引きを感じがちな遊び(かくれんぼとか)に苦手意識があったんだけど、今日やったようなものたちは、単純に身体の感覚を味わったり、身体をコントロールする技術を高める遊びだったな、そういうのは好きだった。
後半はゆみ、もっちーと、それぞれの立場で「子ども」と触れ合う機会に、どういうことを思ってるかとか、学校にいなかった友だちのこととかを、聞いたり話したりする時間にした。
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映画
「14歳の栞」というドキュメンタリー映画を見に行った。キネカ大森は初めて。場所としてはそんなに遠くないはずなんだけど1時間くらいかかった。
クラスの35人全員と、監督たちが話したことが記録されている映画。物語性があえて出ないように編集されていることが良い。過剰な作為が見えなくて。
吹奏楽のメトロノームとテニスやバスケの足音とかボールの音がリンクしていく編集がとても素敵だったりした。躍動のリズム。
中学生くらいの人間って、なんか至って大真面目に、理にかなってないこと言ったりするけど、本人としてはすごい真剣なんだよな。…っていうこととかを、身体感覚として思い出した。
みんなの、教室に来れてないクラスメイトへの眼差しが、よかった。自分の学校にいた、彼女や彼のことに思いを馳せた。決定的なことがあって来れなくなったのかなぁという友達もいたし、突然思い出したようにやってきて、普通に一緒に過ごしたけど、その後会えなかった子もいたなぁ。
あと、実習校にいた中学生たちは、今どうしているかなぁ。
具体的な記憶は、まじでトリガーになる。
自分の作品、ふわっとしたことしか決まってなくて、どうしようかと思っていたんだけど、「不在」に目を向けるのはいいかもしれないとインスピレーションをもらった気がする。そもそも、自分が学校に関することを作品でやろうと思ったのは、もし自分がコロナ禍に中学生だったら、「行かない」ことを選択できたのではないか?って何となく思ったのが発端だった、と思い出した。これは重要な思い出し。
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カタカナ言葉
今日、面談してもらって、自分の書いた文章の中に入っている「クリエーション」って抵抗ないの?と指導教授に聞かれ、ああ、確かに抵抗はあるけど、他の言葉が適切と思えなくてやむなく使ってしまっているなと思った。
でも、本当にやむなく?代替できる言葉、探せばあるのかな?私の作品解説文、ひょっとしてカタカナだらけになって爆死するかもしれないので、ここで一度、自分が何を意図してそういう曖昧な言葉を使いたいのか、整理してみたい。
「パフォーマンス」
自分にとっては、「演劇」でも「ダンス」でもない、あるいは両方に当てはまるものにこの語を使いたくなる。けど自分の作品だったら、「作品」とか「(タイトル)は〜」って言えばいい。自分がこの語を使いたくなるのは、美術界でいう「パフォーマンス・アート」では多分ない。パフォーミング・アーツの方。じゃ、パフォーミング・アーツはなんて言ったらいいんだろう。上演芸術?パフォーマンスアートはちょっと怖いけど、パフォーミングアーツは怖くないのなんなんだ。でも、両方を繋いでいる人もいるって知ってる。「上演」ってシンプルに言い換えることもできそう。それとか、「(○○の)演技」とかね。
「クリエーション」
創作期間や創作現場、創作過程、そのもののことを言いたい。クリエーション・ワークショップって書いてたところがあったけど、うーん、そういうのは、普通に使う言い回しだとは思うけど、「創作と発表がセットになったプログラム」って言えばもっとわかりやすいのかな。
「プロジェクト」
これが一番広い言葉な感じ。一緒に面談したゼミ仲間Oさんは、昔はよくプロジェクトって言葉使ってた〜と言っていた。「劇団って言いたくなくて」とも。それもめちゃくちゃわかる。「試み」とか、「枠組み」とか、「集団」とか、「実験」とか、全部含まれそう。アートプロジェクトって言いたい時は、もっと詳細に書くべきなんだろうか。
「ワークショップ」
実はこの語、自分の作品についての文章に書くという上では危険かもって思った。何を目的としているのかによって、場そのものの性質が変わるから。学校現場でやるワークショップと、プレ稽古の(作品を作るための)ワークショップ、は全く別物。両方の場に身を置くことがあって、自分のなかではしっかり使い分けているつもりだけど、この語だけでは、例え演劇関係者であろうとも伝わらないと思った。私は学校現場の話をしてるつもりなのに、いつの間にか野田秀樹の「ワークショップ」の話になっていたりする…。
ちょっと考えてみると、私自身はもしかすると、学校現場でやるようなものと、作品を作るためのものとの「ちょうど中間」を目指したいのかもと思う。本気で作品を作るんだけど、その中で何かが救われてほしいみたいなこと考えてるわ。作品を作る人たち(またはそれを頑張れない人たち?)のために、コミュニケーションとかセラピー(自助グループ?)みたいなものを目的とした会…。
===
なんかこの話を先生とOさんとしてる時に、最近の政治ってカタカナとか新しい語で誤魔化そうとしてくるよねって話になって、ほんとそうだなって反省した…。なんやねん東京アラートって…緊急事態宣言と何が違うん?みたいなことを思っていました。私もしっかりうんざりしていました。ので、もう少し丁寧に、ある語の中の要素を、一個ずつお弁当詰めるみたいにきちっと整理して、ちゃんと書きたいと思いました。今日はそんな感じ。
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昨日、自分は本当に修了できるのか?!みたいなことをはじめとした漠然とした不安に駆られ、ちょっとやばいかもと思ったが、そんときLINEしていた友人にモヤモヤを打ち明け、無理にでも寝なねと言ってもらい、すぐに寝たら、朝は思ったより悪くない目覚めだった。バイトへ向かう乗り換えはうまくいったし、昼はカオソーイたべた。
修了制作やその解説論文の詳細を決めなくてはならない時期に来ている。わたしは、この前の「オン・ザ・ウェイ・ホーム」をベースにして、パフォーマンスの作品を作りたいと思っているけど、あの作品が、思ってたより去年の自分の考えてることと違う方向に育ってきちゃったなというのが正直なところ、ある。外での上演、劇場ではないところで、自分やパフォーマーの体に何が起こるのかっていう観察を書こうと思ってたけど、ほんとにそれでいいのかな?
一昨年からws研修会に通っていてファシリテーションのことを考えている。いやすい場所ってどういうところだろう?という…。複数回学校に足を運び、児童生徒と活動してみた中で、自分自身の歩みなどを具体的に思い出し、自分の考えかた(スクールカーストや学歴のようなステレオタイプなものに支配されていて、集団の中で自分の身の程みたいなものをはかるのにもそれらを適応しようとする)がやはり学校の中で育まれてきてしまったのだと自覚をして、あんなに学校がいやだったのだから、潔く不登校になれたほうが豊かだったんじゃないかって思うことがある。それで、「おとといの学校」というプロジェクトにまとめて、学校や小〜高校生(やそれにあたる時代)のことを考える作品をいくつか作ろうと思った。
場所と身体のことも大事だし、そもそものはじまりはそうなんだけど、今のわたしにとってはこのこと↑は割と重要だなと思っていて、演じる行為そのものについてよりも、作る過程で参加メンバーたちに話を聞くこと、ただひたすら自分たちの学校生活について思い出したりすることを大事に思ってしまった(それはそれで良いんだけど)部分がある。
それを、どうやって文章にまとめたら良いのだろうか?と思った。初演からのことをまとめればいいのかな?たとえば、、
2016年 机上の沈黙
↓
2020年 机上の沈黙 The Essence of Re-creation
↓
2021年 オン・ザ・ウェイ・ホーム(ソロ、WIP)
↓
2021年 オン・ザ・ウェイ・ホーム(仲町の家、ワークショップと成果発表)
みたいな…。それぞれについて、じぶんなりの発見とかを綴ればいいのかしら。発見なんてあったかしら…いや、あったよな。自分を自分で研究する、みたいな。
やっぱり2016年と2020年のあいだには、教育実習とか学校ボランティアとか介護等体験とかがあって、それは私にとってかなりでかかった。あと幼稚園のワークショップもあった。隙間隙間に部活の高校生との共同制作とか交流もいろいろとあったわけなのだけど、わたしのことを「作る人」だと思っていない子供達とかお年寄りとかもとうぜんながらいて、コミュニケーションの前提みたいなものが全然ちがうなと感じたりした。それが稽古場に還元されているかどうかはまだ、わからないけど。
それと修士に入ってから、自分のクリエーションもいくつかやったけど、俳優として舞台に出ることも積極的にやった。関わってきた作・演出の方たちは共通して、書くこと/お芝居をつくることにどこか救われているように見えた。いちばんの自分の希望は、こんかいの修了制作の一連をやることで自分を苦しめるのではなく、解放してやりたい、ということだなと思った。大変なのはわかってるけど、自分を救うために作りたいよなって思った。
この先、シリーズでなんとなくやってみたいこと、今気になってること
・少なくとも45分くらいの作品にはしたい。
・来年の、地域の助成金か、文化庁関係か、何かしら予算を取ってきちんと公演を打ちたい。
・子供の頃のリアル作文を使う。
・「女性徒」をもっとよく研究する、成り立ちや読み解きについていろいろ調べる。
・いまは、通学路の羅列。見る人が自分のことを考える時間は作れたけど、もっと踏み込みたい。ドラマの部分をつくりたい。
・台車みたいなものに乗ってゴロゴロ移動する
・修学旅行のはなし。上野公園に集合するはずが、なぜか藝大の中に迷い込んでいる修学旅行生たち。
・場所やモノを見立てること。現実と虚構を行き来
・イマーシブシアターってなんぞや?
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