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epilogue
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totemonemui · 9 months ago
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ダンジョン飯にどはまりしている記録
シャワーを浴びながらアニメを1話みることが習慣になっていた。見たことはないが気になっていたアニメのリストに入っていたからという成り行きで身始めたところ、どはまりしてしまった。
取り残された妹を救うために、魔物を料理して食べながらダンジョン踏破を目指すファンタジー。アニメ1期は24話で、漫画でいうところの8巻の途中まで制作・配信されている。
アニメを一気見して、続きが気になってしまいアニメ2期が待ちきれず、漫画も全巻Kindleで購入してしまった。大変な満足感だった。大人とは素晴らしいものである。
読み終わってから改めて、なんて良い作品だったんだと作者のインタビュー記事や別冊のイラスト集なんかも読み漁っている。
ものすごくキャッチーなタイトルに、キャラクターが明確な登場人物たち、そして分かりやすいゴール設定というシンプルなストーリー構成に見えて、取り扱っているテーマの複雑さというか、奥行き感にえらく感激してしまったのだ。
ダンジョン飯とは、お金がないのでダンジョンで魔物を狩ってそれを食べながら深層へ向かおうという話なのだが、魔物とはまず忌み嫌われているもので、作中にも「魔物を食べると魔物になってしまうんじゃないか」という心理的抵抗も描かれている。その魔物が大好きで知りたい、食べたいという好奇心満々なのが主人公のライオスである。
また、このダンジョンは「死ぬことができない」魂が身体に縛られてしまうという呪いがかけられている。
「食べる」「食べられる」、「生きる」「死ぬ」という生物の根幹に関わるテーマの重たさと、コメディ的な要素のバランスが素晴らしい作品なのである。
料理とは素材に手を加え、手間と時間をかけて、より吸収しやすく栄養価をあげて、美味しくすることができる工程である。そして、食べられたものは吸収され、自身の血肉となって取り込まれる。いわゆる生態系の一部になるのだ。
そして価値観や寿命の違う異種族のパーティで、同じ料理をみんなで食べる。
食べるということは、生きるということだ。それは生きるという行為が、食べるという行為と似ているということでもある。そして、食欲とは生きるための欲望であり、知的好奇心でもある。生理的欲求とは、グロテスクなものだ。みんなで食事をするというのは、社会的な行為でありながら、生理的な欲求を満たすセンシティブな一面もあるというのが不思議である。
美味しいと感じるためには訓練が必要だと、センシが放った言葉が印象的だった。味覚を鍛えるという意味だと思うが。
時間をやり過ごすだけが「生きる」ではない。欲求はみっともないものかもしれないが、それは生きる目的や希望になるのだ、ということや「食事」を通じた他者との関係性、工夫による可能性の広げ方、生き物を食べることそのものの意義、そういう様々なことがらについて改めて考えるきっかけをくれる、そんな作品だったと思う。
ちなみにインタビューで九井先生が語っていた、本作品のテーマは「食育」だそうだ。
(先生がゲーム好きで、年に40〜50本もゲームをしていたのは驚きだった)
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totemonemui · 9 months ago
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自分が二人いたとして、今この文章を書いている自分「じゃない方」にやってもらいたいことって、多分心のどこかでやりたくないことなんだろうと思った。会社からの帰り道、頭上を首都高が流れていて、空は見えなかったけれど曇っていた気がする。
なぜこんなことを考えていたかというと、結婚をしたいかどうかみたいなこと考えていたのだ。それをもう少し巻き戻すと、地元で生活している母と飼い犬、そして実家の今後についていつもどこか引っ掛かっている気がする。
自分と母親の年齢差は30である。父が67で亡くなったのもあり、なんとなく母の死後みたいなことが思ったより身近にあるのではないかという不安がずっと拭えない。
でも実際、自分が60歳になったとき母親が90歳だと思うと、最後の別れはまだまだずっと先なんだろうなというイメージもなんとなくもてる・・・が現実味はない。
いずれにしても、実家をなんとかしたいという気持ちはある。家の中を通り抜ける風、外から聞こえる車の音、視界のすみで寝ている飼い犬、ダラダラとした台所での家族の会話
そういうものが大事だと思えるようになったのは、社会人になってからだ。Gotchが歌っていた「実家だけがシェルター、現代のホーボーたちよ」という歌詞を時折思い出す。実家にいたときは、あんなに閉じこもって居心地悪そうだったくせにね。
冒頭の話に戻るが、自分が二人いたら「じゃない方」に結婚や子育て、仕事をしてほしい。社会的な役割を担ってほしいと思うと同時に、自分はそういうことから逃れたいのかと改めて気付かされた。 
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totemonemui · 10 months ago
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唐突なタイミングで文章ってどれくらい書けるんだろうという試みである。
もっと仕事のことを言語化しようと思った。出張からの帰路、新幹線でトンネルの中の真っ黒の窓を見ながら唐突にそう思った。多分言語化できていないから何となく嫌だ、何となく向かない、何となくというのが積み重なってふわふわと体積を食っているだけな気がする。
Twitterではなく、Xをスラスラとスワイプしていると途中で気持ち悪くなる。少し違う、くさくさした気持ちになってしまう。妬み嫉み恨み辛みを短い言葉で表情のないアイコンがずらずらと並んでいる気がしてしまう。そこに入り込むのが所謂インプレゾンビ。Xは情報収集としての機能がもはや無くなってしまって、なんだか治安の悪い、深呼吸ができない、都会の路地裏みたいな場所になってしまった。そんな気がする。自分のタイムラインだけなんだろうか。
労働が嫌い。好きなことを労働にしたくない、なぜなら労働が嫌いだから。責任が発生するのが嫌だ。気分で辞めたができないのも、目標設定やその達成、折衝業務、自分のものじゃない何かの売り買い、言語をメインにしたコミュニケーション、全部だるい。対価、それがだるいのだ。好きなことで食べていくのは、労働そのものを昇華させるのではなく、人生の大半を労働して過ごすのが「普通の人間の暮らし」なんだとしたらせめて好きなことを労働にした方が多少マシだよねくらいの、マジで気休めにしかならないと思う。好きなことなんて労働にするな。好きなことやってたらいつの間にか労働になってたなんて地獄だろと思う。好きなことで仕事を生み出していくというのはまた別なのだろうか。
兎にも角にも労働が嫌いだ。大嫌い。
あとは歩道を走る自転車に乗っている奴らも全員ムカつく。歩道を走る自転車が憎すぎて怨霊になってしまう。だから許してあげている。あんな奴らのために怨霊になんかなりたくない。道路交通法くらい守れよ。良い大人だろうが。それで子供に交通ルールは守りましょうねなんてどの口が言ってんだ…という風に延々と文句が出てきてしまう。
新幹線に乗っていて、多分フライトでは預け入れ荷物だったんでしょうねというくらい大型のスーツケースを座席上の荷物棚に載せている観光客を見ていた。その内事故でも起きないだろうかとヒヤヒヤしてしまう。
スポーツカーの背部についているフィンの意味を調べていた。気流による揚力をおさえるためとのことで、当たり前だけど飾りじゃないんだなあと納得。
安全の保証に関わる業務って、納得感のためにやっていて、そしてその納得感というのは案外大事という書き込みを見て、その通りだと思った。納得させて欲しいのだ、言葉巧みであっても。なぜなら誰も保証できないのだから。
動画を作っていて、楽しいと同時にネタの少なさにエライびびる。5分の動画でお腹いっぱいになってしまう。私は人と話すときに、何を身構えてしまうんだろうか。
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totemonemui · 1 year ago
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2029年、それ以降のことを考えて仕事をしている。 5年後どうなってるかなんて全然わからないな。 じゃあ5年前何してたっけ、どれくらい変わったんだろう。 2019年は神社の傍のアパートから引っ越しをしたところから始まった1年だった。 そうなると5年後は、全く別の人間みたいになっているかもしれないな。あの頃は、もっとユニークで今よりも多感で、たくさん言葉で遊んでいたな、と少し悲しくなった。 忙しくて��葉で遊ぶこともしなくなってしまった。言葉が紙に張り付くシールみたいになってしまった。前は立体的な模型みたいに、くるくるまわして遊んでいたのに。 そう思うと本当に悲しくなってくるな。 得られたものなんて、効率化された生活と、収入と、安定的な精神くらいか。それでも、時間の経過が救ってくれたことも多々あるし、無闇に過去を称賛したくはないが。 でもきっと当時も過去を懐かしんで、今を否定的に見ていたのかもしれないし。その都度で思ったことや感じたことを言葉や線で残しておくことは、必ず自分に返ってくる。 仕事や身の回りの人のこと、SNSなんかに脳のリソースの大半が割かれてしまっているのが常態化していて、何か時間を埋めるみたいなことしかできない。かなしい! 本当はもっと絵が描きたい(描けよ)本が読みたい(読めよ)みたいな話なのだが
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totemonemui · 1 year ago
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美談にするつもりはないけれど、やっぱり前職で直属になった元部長にはとても感謝していて、あの経験があったから今の自分があるんだということは身に染みて実感している。もちろん当時はあまりにしんどくて死んだ方がまだマシだと思うくらい思い詰めて視野が狭くなっていた時期もあったのだが、その物件が終わり、改めて話をする機会ができて、色々と彼なりに考えてくれていたんだということは本当に理解できるようになった。
あの経験がなければ、今の職には就けなかっただろうし、経験を実体験として言葉にできなかったとは思う。
時間が解決するものの大きさというものに驚いてしまう。
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totemonemui · 2 years ago
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カネコアヤノのNHKホール2日目に行った。
ものすごく楽しかった。かじりつくみたいに前のめりになって見入っていた。何度も見たことがあるはずなのに、初めて見るみたいな衝撃と高揚感。嬉しかった。こんなに楽しいんだということを知ることができて。
以下は箇条書き。
・爛漫-「自暴自棄よりも早く走るしか明るい部屋はないんだよ」というフレーズで、一年前の中野サンプラザのライブを思い出した。あのときは、ぎりぎりまで仕事をしていたので、自分の中でも「ライブに来ている場合ではないのではないか、仕事をするべきではないか」という気持ちと「でも今ここで退出することはできない、とても楽しみにしていたのだから」という気持ちの板挟みになり全く楽しめなかった。放心して、ずっと前列の人の背中を見ていた。その中で、このフレーズだけが光って聞こえたことを強く覚えている。
・やさしいギター-「私はあなたがいないと夜更かしばかり」という一説をきくたびに、恋人を思い出す。「優しさばかりが愛か分からずにいたい」分からずにいたいというスタンスが良い。はっきりさせたくない。
・エメラルド-「クローゼットの中で一番気に入ってるワンピース着ていくね、帰りには焼肉でも食べたい、大切なのは明るい明日だ」という歌詞に、ものすごく違和感をいただいた。匂いがついてしまうから、お気に入りのワンピースでは焼肉に行かないんじゃない?って。でも、そんなことより明るい明日のために焼肉を食べて帰ろうよって歌詞なのかもしれないと思うと、なんてささやかな時間なんだろうと思った。※全然印象は違うけど、今村奈津子の白いセーターという短編を思い出した。
・季節の果物-「優しくいたい、海にはなりたくない。すべてへ捧ぐ愛はない、あなたと季節の果物をわけあう愛から」の歌詞が好きだ。海にはなりたくないというのがすごく良い。優しさのイメージが具体的で。
・さよーならあなた-曲の前後半のギャップが、たたみかけるようで本当に楽しかった。笑ってしまった。
・ゆくえ-曲のアレンジが凄まじかった。こんな曲だったかと驚いた。ものすごく不思議な感覚だった。ぽつりぽつりと紡ぎ出された言葉というイメージがあった。他人との差異を煮詰めて濾過したら純粋な液体になった。
・気分-最後のサビの「理想ばかりじゃ、生きられないな」の凄みかたに、ぐっと引き寄せられる。というか、しびれる。こもってる。こめかみから耳にかけてのあたりがギュッとなる感じがする。
・こんな日に限って-「金色に光る完璧な海、生きているうちに、よかった、見れて」この歌詞の美しさにため息がでる。倒置的な言葉の並びもすごく好きだ。この順番が良い。この光景を思い浮かべて、「見れて」が最後にくるのは、それを追い越すほどの「生きているうちに」と「よかった」が来るからなのかと考えていた。ラストのアンソロからの「わたしたちへ」の流れは本当に衝撃的だった。途中から違う曲やんけというくらいの激しさ。ロックバンドだと唐突に思った。そう思うことが失礼なのかどうかはさておき。笑っちゃうくらい楽しくて、面白くてわくわくした。高揚感でいっぱいだった。かきむしるような、叫び声に近い。ギターってこんな生き物の鳴き声みたいな音がでるんだと驚いた。そこから「わたしたちへ」のイントロにつながった瞬間、閃光みたいにバチバチとステージが光って見えた。スペクタクルみたいに拡散するのに、鋭くて鮮烈な光だった。
・わたしたちへ-アルバムの中で一番好きな曲だった。終わって欲しくないずっと続いてほしいもっと見ていたいと心の底から思った。ドラムが壊れるんじゃないかというほど激しい最後のアンソロで、なんてかっこいいバンドなんだろうと涙が出た。(途中何度も涙ぐんではいたが)
かっこよかった。スタンディングオベーションだ。今年一番のステージだった。行ってよかった。本当によかった。体感を体験した。
楽しくて、嬉しくて、帰りにグッズ販売でタオルケットを買って帰った。このツアータイトルでもある、タオルケットは穏やかな。
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totemonemui · 2 years ago
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転職活動が既に形をもって自分に降りかかってきていた今年の冬。
あっという間に無職が終わりそう。あと2週間経てば新しい職場に乗り込まなくてはならない。右手は愛嬌を抱え、左手は金属バットを握りしめながら。
図書館に行って本を読んだ。いつまで建築の分野に片足をつっこんでいられるだろうと思う。でも作品集も図面集も見ているだけで楽しいのだ。
朝早く起きて用事を済ませ、午後は図書館で調べ物をし、夕方に帰宅してゲームをするという日常がずっと続けば飽きるだろうか。
もっとずっと無職でいたい。
生活を思い切りやり切りたい。冷蔵庫の中身を消費するのに料理をしたり、調べて実践を繰り返して、生活という軸をもっと大切にしたいと思う。
現場から帰ってきてまだ仕事している恋人の背中を見ながら、こんなに頑張れるだろうかとぼんやり思った。
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totemonemui · 3 years ago
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漠然とした怒りと、漠然とした不安と、漠然たる漠然。やらなくちゃならないことを100個、机の右から左に並べていって、多分3個めくらいで飽きる。飽きる自信がある。並べる前から焦り、並べながら焦り、自己否定と開き直りを繰り返していると、自己発電でヒートしてしまいそうになる。
多分たった1週間のために、この先の人生(安定しているように見える人生)を手放すんだと思う。今あるこの微々たる余裕は金銭面に由来する。もし自分がもっと生活に困っていたら、きっと藁にもすがる思いで労働していた。金を持つものの道楽だ、自由なんて、とも思う。世間知らずで無鉄砲だとも、思う。
最近、心動いたことはあるか。好きな物を、繰り返し繰り返し消費してはいないか。最近、心動いたことはあるか。レビューばっかり見てはいないか。
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もうすこし、罪悪感なく生活がしたい。
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totemonemui · 3 years ago
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社員独身寮を出ることにした。別に同棲の目処があるわけでもないし、来年の夏は京都にいたいと思ってるこのタイミングでの引っ越しはあまり上手ではないんだろうと思っていた。でも、プリンセスメゾンで「いつ来るか分からない日を待つよりは今のベストをつかみたい」とあった台詞がいつだって引っかかっていた気がする。
仕事で朝一に行政協議があって、北口のビジネスホテルに何泊かしたことがある。その時、この街に住んだらこんな感じなのかな〜と思いながら朝の駅までの道を歩いた記憶がある。その街に本当に住むことになるとは思わなかった。
旧居が5.6畳で、新居は7.3畳。収納も含めて広くなった。前はかなり詰め込んでいた印象だが、今は何だか空間を持て余している気がする。なんだかんだ物が多い人間だなと思った。もう少し痩せたら着たいとか、〜だったら使いたいとか、まだ自分が確定状態じゃないベストじゃないという意識があるんだろうか。押入れの中が収納の下手さを物語っている。それでいて収納家具を増やしたくないという強い気持ちもある。もう少し時間をかけながら作っていきたい。あと新居の良さは、防音性だと思う。扉一枚閉めただけでほとんど音が聞こえなくなる。すごい。びびる。RCなめてた。もうこんなの木造に住めねえや…。
アレクサを導入した。電気をつけたりエアコンつけたり買い物リストを追加したりするのにはなしかけてる。echo dotとfireTVで肥やしになっていたプロジェクターがまた使えるようになったのは良かった。またたくさん映画を見たい。
引っ越しに合わせて大きく買い換えたものが二つ。
ベッドを無印の脚付きマットレスに変えた。シングルにしたけど、やっぱりセミダブルにすれば良かったかなと悩んでいる。返品するかもしれない。
あとドラム式洗濯機を買った。色々悩んで、Panasonicにしようと思っていたが、家が古く水栓の位置が低いようだったので諦めてAQUAにした。結果的には壁ピタ水栓に変えたのでPanasonicでも良かったのかもしれないが…。まだ使い勝手はわからない。とりあえず部屋中に洗濯物を干して暖簾がわりにするのをやめたい。高い買い物だったと思うが、浴室乾燥がついている物件を選んでも洗濯物を干すという行為は省略できないということと、浴室乾燥機付き物件が今の家賃プラス2万円だとしたら約2年で元が取れるしな〜と思い購入に至った。壁ピタ水栓を取り付ける際に馬鹿力で壁にめりこませてしまったので今後の水漏れが1番怖い。
家は沼だね。一度手を入れると気が済むまでやりたくなる。怖いね。でかい机がほしくて、パルプボードボックスの上に600×1800の天板を載せる術を考えている。
引っ越す度に、太宰治の津軽から「命あらばまた他日。元気で行こう。絶望するな。では、失敬」という末尾の一節を思い出す。傷心して青森に行ったときに十和田市現代美術館と青山県立美術館を見てぶん殴られた帰りの駅中のラーメン屋で食べた底に書いてあった一説だ。
絶望するな、では失敬。
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totemonemui · 3 years ago
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ゴールデンウィークに直島と豊島に行った。不意に見たベネッセアートミュージアムホテルがその日一室だけ空いていて、今行かなかったら向こう3年は行かないかもしれないと思って何の迷いもなく予約した。
贅沢を丸呑みしたような夜だった。海の音、生き物の気配、騒々しさのない行き届いた部屋。誰のことも思わなくて済んだ。もしかしたら自分は何も悩んでなどいないのかもしれないと思ったのを覚えている。答えは出ていて、答えに辿り着けないだけで、全然悩んでなんかないんだな〜って。
あと、思い立ったら何度だって来れるんだと思えたのはとても嬉しい。好きな場所には何度でも行こう。どうせ生きてる間しか行けないし。
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totemonemui · 4 years ago
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年末年始ぶりに帰省した。
退院した母の様子を見にいくため、愛犬をペットホテルに引き取りにいくため、そして療養型の病院に入院している父と面会するため。
金曜に有給を取って、4連休にした。3泊4日の帰省、本当によく食べた。
スーパーの秋刀魚と炊き込みご飯のお弁当、蕎麦屋の天ざる、レトルトのカレーにお味噌汁、ファミレスのジャンバラヤ、白菜・お揚げ・きのこと葱を入れたアゴ出汁鍋、ケーキ屋のプリン、中華のテイクアウト、あやめ団子に二人が持ち寄ったお土産の数々、出産で里帰りしてた友人から貰った千葉の梨。
人と一緒にご飯を食べるのはやっぱり楽しいし、食事という感じがする。
ケーキ屋で鬼滅の刃の話をして「よもやよもやだ」と言って笑ったり、相撲を見たり、そういうのも楽しかった。母に触れない愛犬の不思議そうな顔、思ったより深い壺の奥で泳ぐ白っぽいメダカ、抜け毛を気にする母の仕草。父と母の結婚式の写真。四人でディズニーシーに行った時の集合写真。目盛を書いてスケール代わりにされる孫の手。
父は思ったよりも元気で安心した。声の抑揚が大きいのは理解できる話とできない話の差が如実だからだ。母のこと、お金のことを気にしていた。もともと寡黙だった父の変化は驚きこそしたが、それほど大きくショックを受けた変化ではなかったと思う。が、それが母にも現れたらどうしようかとも思った。大丈夫かな、大丈夫だといい。
帰りたくないな。かといってずっとここにもいれないし。
この秋の休日が続いて欲しいとも思った。
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totemonemui · 4 years ago
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都現美で二回目のマンダース展を見た後、コレクション展を足早に回った。最後の宮島さんの作品が目に入った瞬間、ここにはこれがあったんだと安堵した。ここに来ればこの作品に会えるみたいな安心感。閉館まで椅子に座ってパタパタと変わりゆく数字を眺めていた。
ボケっとできる場所だ。そういう場所をもっと自分の中で増やしたい。通ってた喫茶店は禁煙になってから寄らなくなった。そしたら閉店してた。悲しかった。
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totemonemui · 4 years ago
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金曜の夜はバリバリ仕事モードで土日もやるぞという気持ちがあるのに、土曜の朝起きた瞬間から全く何もする気がなくなってしまう。机周りに物が増えすぎたからから、デスクでアニメばっか見てるからそういう体制になってしまったからか。大体日曜の午後くらいからやらなかったことに嫌気がさして更に現実逃避してしまう。おもっきり予定を入れておけばメリハリが出るんだろうか。日曜の夜に会社の近くに泊まればいいのかとも思ったが面倒になる。
終電に走る気力もなくタクシーを使えばいいかというダラダラとした出費もそのうち痛くなってくるのだろうか。
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totemonemui · 4 years ago
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唐突に思い出したメロディーは、自分をどこにも連れて行ってはくれなくて、ただ過去その曲を聞いた時の自分とのズレを浮き彫りにする。
駅まで走ったのに終電に間に合わなかった。それならゆっくり煙草を吸えば良かったと思った。
ずっと渦中にいるので全然落ち着かなくて、混乱状態が継続中。手当たり次第になっていると、どれもこれも解決しない。問題が常に問題のまま周囲に散乱していて、感覚が麻痺している。過去の自分へ、全然ちゃんと出来てないです。未来の自分は、ツケがまわってくると思うから先に謝っときます。
全然倒れない丈夫な身体は幸か不幸か。
何がしたくてここにいるわけでもない、なりたい自分が明確なわけでもない。開き直って、問題が明るみになるたびにすみませんと謝りながら呆れてもらうしかできない。ただ、しゃがみこむことも出来ず、立って進めていることは事実。それが諦めと妥協の結石でも、吐くことを覚えられないままの弱さでも。
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totemonemui · 4 years ago
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土曜日は大抵3時ごろまでボーっとしてしまい、どこにも行かず、何も作らず、気づくとどこも閉館間際で、なんかいいか、もうみたいな気持ちになってしまう。
金曜日は仕事の終わりが全く見えなくて、結構絶望感に似た気分になった。焦りと躊躇いと不安が、時間の速さと比例して加速する。本当に大丈夫なんだろうか。ハンドリングがめちゃくちゃ苦手で嫌になる。終電間際の帰路、無性に走ってみたくなった。まだ走れる、まだ行けるという気持ちと裏腹に肺は苦しく運動不足を実感する。その日は明日が怖くて3時まで起きていた。
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totemonemui · 4 years ago
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何もしないことに休日を費やす。1Kをつなぐ扉はこんなに軽いのに、玄関の扉は重い。空間を接続するという意味で同じ役割をもつはずの建具に社会的役割の違いを感じる。玄関の扉を開けることは社会参加の一つじゃないですか?社会参加するための装い、表情、体調、気持ちの持ち方が重くのしかかる気がする。 あー、なんかゴッチの歌に「自宅だけが要塞・避難する場所」みたいな歌詞があったなとふと思って、インターネットをうろうろして探したら、Good New Timesだった。オリジナルは「実家だけがシェルター 現代のホーボーたちよ」だった。
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包まれていない花束を抱えて歩くMVはすごく良い。 そういえば人に花を送ったことはあるけれど、貰ったことは覚えている限りないかもしれないな。 表彰台にのることもなかったし、何かしらの記念事も少なかった気がする。 贈り物として花を選ぶって、めちゃくちゃフィジカルな行為だなと思う。時間と場所を制限されるからだろうか。
久しぶりの在宅勤務だったので、最近聞き逃していたオールナイトニッポンをかけながら作業していた。星野源が日常の歌詞について話していたのが印象に残っている。「みんなが好きなものが好きでもいいんだよ、同じでもいいんだよって誰も歌ってなかったから歌詞にしようって。そのためには先に、みんなが嫌うものを好きでもいいんだよって言わなきゃ」といった内容の話だった。ああ、なるほどなーと思った。なるほどなというのは、今まで何の気なしに聞いていた歌詞が、今更意味をもった言葉として立ち現れた現象そのものに対しての納得。
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totemonemui · 4 years ago
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去年水彩画の道具とスキャナーを買い、水彩とデジタルで遊んでたけれど、なんだかんだペン画が一番しっくりくるし描く過程も含めて好きなんだと実感した。線が好きんだと思う。点をつなぐよりも、面を塗るよりも。
今年はたくさんペンで絵を描きたい。
見た光景を見たまま書いたり描いたり出来たらどれほど良いだろうと思う。自分の身体を介した途端、全く別物になってしまう。技術不足ももちろんあるけれど、事実としての光景をそのままアウトプットしようと尽くしても尚どうしても現れる出癖こそが自分という媒介の個性なんだろうけれど、多分それは今欲しいものじゃなくて、ありのままをありのままで表したい。コピーでもトレースでもなく。とか、言葉は仰々しいが、ひらたく書きたいものを思うように書けるようになりたいというだけで、まあ技術不足です。精進。
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