un39
un39
耽る
41 posts
→reblog 
Don't wanna be here? Send us removal request.
un39 · 8 months ago
Text
正気に戻りませんように
 何もかもがどうでもよくなる瞬間がある。夜に多い。生活のこと、それにまつわるお金のこと、将来の自分について、考えるのも頑張るのも全部を放棄していいような、諦めても誰かに許されたり咎められたりすることはないんだと悟ってしまうときがある。夜に多い。
 実際には全部を捨て去って、思考をやめて、ただ布団のなかでスマートフォンを開いて他人の近況を指一本でスライドさせたり、惰性で続けているソシャゲを開いては閉じたり、そんなことを繰り返すだけではあらゆることは成り立たないと知っている。私たちは、生活を成り立たせることで、社会で生きていく権利を得ているのだ。じゃあ私は私を諦めることを、いったい誰に許されていないんだろうと思う。
 都内のOLとしてタワマンに住むことも、結婚も出産も、私にとっては夢物語だった。気付きたくなかった。「まだまだこれからだよ」なんて気休めみたいな根拠のない言葉を信じてひたむきにいるより、布団にくるまってこうして文字をこぼしているほうがずっと楽だ。
 どうしたら良かったんだろう。あのとき出会っていたら、あるいは、出会っていなければ、違ったんだろうか。手放したくない救いを、いっそ取りこぼしていたら、違う何かが慰めてくれたんだろうか。
 取り戻せない時間を憂いて悲しんでも、これから先の自分を想像して嘆いても、何も意味がない、変わらないことを知っている。
 生きやすそうに生きてるひとはどうやっているのか、どういうふうに襟を正して、"あちら側"の人たちに近づけばいいのか、私にはそれがとてもむずかしいことに思える。
0 notes
un39 · 9 months ago
Text
それでも
 死ぬまでに会いたかった人に会ってきた。私が一方的に遠くから眺めていただけなので厳密には会ってきたという表現は不適当だけれど、たしかに同じ空間に存在していた。
 かれこれ10年以上好きで、あの場にいた誰よりも好きでいる自信があったけれど、私はきっと場違いで、思っている以上に距離があったように思う。イベントの間、物理的な距離を、勝手に心的距離に置き換えて、私とあの人は今これくらい離れているんだなあとぼんやり考えていた。
 その場の空気は私の体感したことのないもので、知らない界隈、他人だらけの空間で、彼は演者からもファンたちからも親しまれているようだった。それがとても尊いような、寂しいような、あの人は最初から私だけのあの人ではなかったけれど、なんでもないような秘密をつくっていた頃は、取り戻せないんだと、思い知らされてしまった。
 知らない世界だった。知らない世界の中に、部外者みたいに立っていた。世界の外から応援するのは、すこし苦しい。全部が傲慢で、浅はかな私は今でも私の声があの人に届くんじゃないかと信じてみたかった。
0 notes
un39 · 11 months ago
Text
明日の朝にはもうきっと
 10年以上追いかけていた人たちのライブに行った。初めて行った。やっと会えた。
 ふたりとも、夢中になって聞いていた時期の曲をたくさん歌ってくれて、あの場所に、あの頃の私がいた。たしかに好きだったと、今でも大切だと、思い出させてくれた。
 会いたい人には会えるときに。たまに呟く。忘れてしまうから、思い出せるように。
0 notes
un39 · 1 year ago
Text
 美人の手じゃないな、と思う。何十回、何百回も思ってきた。私の手は、美人の手じゃない。美人の手じゃ、ない。
 顔が整っている人は指が細くて長くて、爪の形が整っているのはどうしてだろう。私の指は短くて、爪も小さくて、そういうふうにしか生きられないと、生まれたときから決められていたみたいだ。
 本人の努力に関わらず、人から好かれやすい人がいる。お客様からも、先輩からも、上司からも、社長からも好かれて、気が付いたら昇進して、結婚して、幸せになっている。私が手に入れられなかったすべてをもっているのに、「ほんとはもっとこうしたかった、ああしたかった」と話しているのを聞くと、なにもかもがないものねだりだなあと思う。
 世渡りがうまくて、融通が利いて、どんな人も笑顔にするような人間になれなかった。感情的で、屁理屈を並べて、正義感を振りかざすだけの薄っぺらい生き物にしか、なれなかった。
 何かひとつでも、希望があれば縋っていたくて、手のひらを見る。短い指。歳の分だけ刻まれた皺。
 大学のとき、「手相にハマってるんだ〜!」と言ってきた友達に手のひらを見せて、結婚線がないと言われたことを今でもずっと覚えてる。私はずっとひとりぼっちなのか、と思った。今、それが現実になりつつあって、ずっとくるしい。何の気なしに放った言葉がずっと呪いみたいに心の中に澱みをつくる。
 たかが占い、やっぱ当たらないよねーと笑い飛ばす未来は、あまりにも遠い場所にある気がして、手を伸ばしたくらいじゃ届かない。
 こうやって言葉をこぼして許された気になってる。あるいは厄落としの祝詞のように、あるいは免罪符のように、空に放って、落ちた場所は見えないまま。
0 notes
un39 · 2 years ago
Text
はちあわせ 
 この人に会えたら死んでもいいかな、と思っている人がいる。もう10年以上すきでいて、ずっと会いたくて、会いたいのに、会えずにいる人だ。
 きっともう一生会えないんだろうなと思う日もあれば、私の努力次第で会えるんじゃないかと思うこともある。会えてしまったときのことを考える。その日は私にとって人生の区切りになる。のかもしれない。
 自分が悪くて失敗したときにどうしようもなく落ち込んで世界から消えたくなって、そんな夜がたくさんあって、「でもまだ、会えてないからなあ」と独りごちては、もうすこし生きようと思い直す。まあ、元々死ぬ気なんてないんだけど。
 どんな服で、何色のアイシャドウで、髪型は、爪は、リップは、どんな私で会えるだろうか。そのときが来たら私はいったいどんな顔をしてなんて言うんだろう。感謝も愛もありきたりじゃない言葉で、あの人にふさわしい感性で、思いの丈を伝えられるだろうか。そんな来るかも分からない日のことを考えては、いつかの日のために備えている。物思いに耽って、沈んでみたり、浮かんでみたりする。そうやって、生き延びている。
 会えないことが延命措置になってるだなんて可笑しな話だなと思う。
1 note · View note
un39 · 3 years ago
Text
なれのはて症候群
 「始まるということは、終わるということ」
 世界一好きなバンドの初めての全国ツアーの千秋楽が始まる前に、私と同じくらいの熱量でそのバンドを追いかけてる子が、私の隣で、呟いた言葉。
 ライブに行くたびに、音を浴びるたびに、「終わらないで」という祈りにも似た気持ちが強くなる。もちろんそれは叶わないことで、曲数を重ねれば重ねるだけ、それに合わせて手を振り上げたら振り上げた分だけ、終わりに近づいていく。アンコールが一時間あればいいのに、明日の朝まで続けばいいのに。楽しさの中にある「必ず終わる」という虚しさは、正の感情に比例して大きくなってしまう。
 始まるということは、終わるということ。
 そこに含まれる真理と不可逆性は何度も私を絶望させ、生かしてきた。
 思い出にしたくないな、と思う出来事をいくつ通り過ぎただろう。私のことを、思い出にしないでほしかった。あなたにとっての現在に、ずっと私がいてほしかった。そんなことを思い出して、思い出してる時点で、私の中でも過去になってしまっているんだなあと思って、なんだかよく分からなくなる。
 思い出話に花が咲くのは、共有した時間が過去にしかないからで。あのときの話しか持ち合わせてないんだよね、お互いにさ。だって今は一緒にいないから。懐かしいねえ、って言うしかない。
 昨日見たテレビの話、今流行ってる音楽のこと、好きな漫画、映画、芸能人。今、一緒の時間を過ごしてたら、なんだって話せる気がしてるのに。今更あなたに伝えたいことがひとつも思い浮かばない。
 バンドはある日突然解散する。ファンは「大切なお知らせ」という文字を見て、ひとつ大きく鼓動を鳴らして、開いた先の現実を受け止められない。今のご時世も相まって、解散ライブすらやらないまま、静かに終わってしまったグループやバンドをいくつも見た。それは私にとって他人事であって、他人事ではない気がした。そういうお知らせを見かけるたびに、胸がざわざわする。
 チケットを買ってライブハウスに行けばライブを見られることさえ、いつか過去になるかもしれない。当たり前じゃない時間を、まだ終わらないでいてくれている決意を、私はいつまで自分の現在にし続けられるんだろう。
 今はまだ、大好きな彼らを自分の人生の中心に置いていていいだろうか。「会えなくなるかも」なんて不安を持たずに、図々しくも会いに行っていいだろうか。
 私は、あと何回、彼らに会えるのかな。
 始まるということは、終わるということ。始まるということは、終わるということ。心の中で何度も反芻する。
1 note · View note
un39 · 3 years ago
Text
時間稼ぎ
 どこに行ってしまったんだろうなと思う人がいる。昨日までそこにいたのに、もう会えなかったりする。少しの寂しさを携えて、代わりの人を探す。そうやって生きてきた。
 痒い所に手が届く人はすごい。私はどうしても届かないことが多い。雑然としている部屋は私の心を表しているみたいで、いや実際に表しているんだろうけれど、なりたかった誰かを寄せ集めて、何者にもなれなかった私みたいで、たまに全部捨てたくなる。捨てないけど。年の瀬だから断捨離してみてもいいかなと思う。
 要領の悪さは昔からで、もっとこうしたらよかったのに、とか、自分が努力して努力して努力してそれでも掴めなかったものを、突然現れた人が掻っ攫って行って、私の中に残るのは結局虚無だけなんだよね。晒し者みたいになるのが惨めで、気にしてませんよって気取ってみるけど内心はぼろぼろだから、ぼろぼろだけど、誰の慰みも癒しにはならない気がしてるから、放っておいてほしい。死なない程度に。
 なんでもかんでも抽象的な書き方をしているうちに、自分という存在の輪郭もぼんやりしてしまっている。仕事も決まらない。私という存在が世界にいる意義もいつの間にかよく映し出せない。過去の自分の文章を読んで、「なんのこっちゃ」ってなるのは、少しつらくて、少し楽しい。いったいあのとき何に悩んでいたんだっけ。昔の��みが今は忘れてしまうようなちっぽけなことになったなら、まあ、いっか。覚えていたいことだけ覚えていられる便利な脳みそがあればよかったね。自分の言葉を反芻して、「なんて自分と同じ考え方の人なんだろう」って、大変前向きな生き方じゃないですか。
 思ってることはたくさんあるのに、書きたいことはひとつずつ拾わないと見つけられない。少しでも幸せな私が、この文章を読んで、「何言ってんだこいつ」って思えるような未来になりますように。
0 notes
un39 · 4 years ago
Text
度し難い
 私という人間はあまりにも空っぽで、存在している意味ばかり考える。日々。何もしたくないのに、何もしていないことに焦る。他の人が当たり前にこなしていることを一つもできていない自覚はあって、彼らが手にしているそれを、私はたぶんもう手に入れることはできないんだろうな、という確信だけが強くある。
 手放した数と、手に入れられなかった数は、どちらのほうが多いんだろう。中身を伴わない慰めも、気の置けない正直な言葉も、全部失くしてしまった。絶対に一生ずっと大切だと思っていたのに。一つずつ落としてしまった。
 誰がどこで何をしているのかをひとつも知らない。私がここで生きてることも、きっと誰も知らない。
 仕事を辞めて一年が経った。何もせずに一年が過ぎて、私は何者になりたかったんだろう。一年、何者にでもなれたはずなのに、何にもなれなかったな。
 やってみたいと思う仕事の求人を見つけて、数日かけて志望動機を考えて応募して、すぐに書類落ちの連絡がきて、そこで何かが切れてしまった。どこから間違えていたんだろう。やりたいことと、できることと、綺麗事は、全部似ているようでまったく違う。
 所謂「お祈りメール」をもらうたびに私の中で何かが死んで、私の中から私という人間の価値がなくなっていった。こうやってじわじわと、殺されていくんだなあと思った。
 自分でもどうしたいのか分からなくなって、たまに猛烈に首を吊りたくなる夜がある。猫が私の部屋に来て、ベッドの上で喉を鳴らすから、生きなきゃなあと思い直して、頭を撫でる。なんとなく涙がぽろぽろと出てきて、この子が天寿を全うするまで、少しでも多くの幸せを感じられますように、と祈りたくなった。
 書きたいことも書けることも生きてる意味も何もない。なんにもないんだ、今の私に言えるのは、猫が可愛いということだけで。それ以外は何も分からない。
 暗闇の中に立ち止まって、歩くことをやめてしまった。どっちに進んだらいいのか、何も見えないから。
 そうしてまた、誰にも見つからない場所に言葉を溢す。
0 notes
un39 · 4 years ago
Text
余白
 久しぶりに長い文章を書きたくなった。何も持たずに生まれたけど、こうやって自分の考えていることを文字に落とし込む作業が苦ではないことは忘れずにいたい。
 三月はテレビの番組改編の時期らしく、いろんな番組で「◯◯さん卒業!」と銘打って、四月からいなくなってしまうその人に、レギュラー陣がお祝いや別れの言葉を述べて、互いに笑ったり泣いたりしている。働いていた頃、たいしてテレビなんて見ずに身体の電源をオフにしては布団になだれ込んでいたはずなのに、上澄みしか知らないその番組を見ては涙が出てしまう。自分が退職したときに重ねている、というにはあまりにも私のそれとは違っていて、私はあんな風に仰々しく見送られたわけではなかったけれど、一番お昼を一緒に食べて、一番良くしてくれた先輩が最後にぽろぽろと零した涙に、私もつられて泣いてしまった。それだけだったけれど、それで充分だったようにも思う。
 誰が辞めてもいなくなってもあまり悲しんだことがなかったから、誰にも悲しまれないと思っていた。ありがたい、と言うのも違う気がするけれど、なんとなく、ほっとしたのを覚えている。
 人生は、出会いと別れの連続、とは誰が言い出したのか、言い得て妙だなと感じる。
 私の人生には、言葉もなく終わってしまった別れが途方もなくある。もう二度と元には戻れない関係や、知っているだけの連絡先、二度と交わされない言葉、死ぬまで果たされない約束。それらはあまりにも無機質で、表面化された別れそのものよりも強い不可逆性を内包しながら私に襲いかかってくる。主に、一人の夜に。眠れずに瞑った瞼の裏に。私はその重さに耐えられず、泣いてしまう。脳裏には決まって、約束ひとつで繋がれるのに、互いの気持ちひとつで寄り添えるのに、きっともう会うことのない人たちの顔が浮かぶ。
 決別を込めた「もうさよならだね」より、曖昧に濁した「いつかまたね」のほうが、残酷だと知ってしまった。
0 notes
un39 · 5 years ago
Text
手渡しの優しさひとつ
 死にたいと思った気持ちが、どれほど本気なのか、他人と比べる術を持っていないので、私の希死念慮は相対的に見てどれくらい強いものなのか、一生知ることはできない。だけど、なんとなく、「あ、もういっかな」くらいのほうが、死ぬときも簡単なのかもしれないと思う。思い詰めて思い詰めて、「死ぬぞ死ぬぞ」って準備したって、最後の椅子を蹴り飛ばすことはできない気がする。大切なのは勢いとノリ。告白と自殺は似てるのかもしれない。「では、私はこれから死にます」って宣言して死ぬのはダサい。なんの前触れも、誰への言い訳も未練もなく、突然終わるほうがセンセーショナルだ。
 私の企画しているちょっとした催し物に、「やっぱり行けません」と連絡がきて、馬鹿みたいに泣いてしまった。こんな時期というのもあって、一人また一人と参加者が減っていって、そのたびに相手に対する失望と、自分に対するやるせなさが募っていたのだけれど、今日の連絡で心が死んでしまった。大変丁寧で長文な断りの文章ってなんだかひどく滑稽で、相手を傷つけないように気を遣った拒絶に対して、それでも私はやっぱり傷ついてしまうから、今もまだしっかり読み返していないし、返事もできてない。
 学生時代、飲み会の幹事をやったとき、一度出席すると連絡をしてきた後輩が、数日前になって「ごめんなさいやっぱり行けません」と連絡してきて、慌てて居酒屋へ人数変更の連絡を入れたらさらにそのあと「何度もすみません、やっぱり行けそうなんですが」と言ってきたことがあって、「ああ、この人は今まで生きてきて大人数の飲み会の幹事をやったことがないんだろうな」と思ったことを、思い出した。ちなみにこの後輩には「私はもうあなたが欠席するって連絡をお店に入れてしまってるから、自分で店に連絡してもらえる?」と返したら「じゃあ行くの諦めます」と言われた。好きにして、と思った。彼女にとって、行けても行けなくてもどちらでもいいようなイベントだったんだろうな。他意はないけれど、言い出しっぺが得をすることってあまりない。「あなたが言い出したんだから」という魔法の言葉でぜんぶ自分に降りかかってくる受難を、私は受け止め切れる器量がなかった。所詮、浮かれてるのはお前だけだよ、と突きつけられたとき、笑って返す余裕も、怒り狂って殴る気力もなく、ただただ傷ついて、その傷口を見せないことに必死になってしまう。同じだけの傷を、相手につけられたらどれだけ楽だろうと思っても、それができるほど冷酷な人間にはなれなかった。
 遺書を書く気にはなれないので、死んだとき棺桶に入れてほしいものリストでも作ろうかな、と思う。
0 notes
un39 · 5 years ago
Text
深慮の底
 何もできない。何もできなくなったね。誰に言うでもなく、ぽつりと思う。好きな場所に行けず、好きな人に会えない。なんのために生きてるんだっけ。考える。私が死んでも、私の好きな人は悲しまない。私が勝手に好きなだけだから。じゃあなんで好きなんだっけ。
 愛に見返りを求めちゃいけない、って言った人、聖母のように誰かを愛したんだろうか。報われない感情は、最後どこへ行くのだろうか。好かれたいわけじゃなかった。私が好きだと言い続けることで、少しでも心が救われていたらいいなと思っていた。烏滸がましいことだと気付かないふりをした。
 いつまでも他人行儀みたいな会話をする。好きです。かっこよかったです。ひとつずつ言葉にして、呟くみたいに伝えたけれど、届く前にどこかに飛んでいったのかもしれない。声に出さなきゃ、音にすらならないと思った。そんなことも、何もかも、全部、攫われてしまった。戻ってくるか分からない時間が、ぎこちない瞬間が、恋しい。
 会いたいだなんて、毎日思っている。
1 note · View note
un39 · 5 years ago
Text
正しい指標
 死ぬことは、救いなのか?みたいな質疑ってどれほど使い尽くされた命題なんだろう。
 去年まで、生きることと死ぬことの不可逆性について、あまり深く考えたことがなかった。あまり深く考えずに、日々の生活に疲弊して、死にたいと言っていた。そしたら、大好きなバンドのボーカルが死んだ。彼について言葉にして残そうと思ってはやめてしまった。好きだと思う気持ちにも、悲しみにも、優劣はないはずなのに、私なんかが書いちゃいけない気がしていた。悲しくてたくさん泣いたのに、残されたメンバーがめぐったツアーにも行ったのに、今でも「二度と会えない」ことへの実感が湧かない。いずれ書こうと思って仕舞っている気持ちも、気が付いたときには酸化してしまうのだろうか。一周忌にはファンがこぞって生前の写真を載せてポエムを呟いたり追悼と称してイラストを描いたりするのだろうか。そう考えると少しだけ憂鬱な気分になる。悲しみの大きさを、表明の大きさで判断してはいけない、RT数やいいねの数で測れることにどれほどの意味があるのだろう。分かっているのに。
 毎日死にたくて、死にたくなくて、好きな音楽を聞いたり、コンビニで食べたいものを探したり、寒い部屋で布団にくるまったりしながら生きている、気がする。毎年ライブに行っていたアーティストは有名になって、今年は初めてチケットを取れなかった。大好きなものがひとつずつ遠ざかっていってしまう焦燥感と向き合いたくないから全部見ないふりをしている。
 特別な人間になりたかったなあ、と思う。特別な人間になって、私の好きな人を「特別な人間に好かれてる人」にしたかった。好きだから、私が、好きな人を高いところまで引き上げたかった。利己的で、浅はかな、凡人の発想だと思う。けれど、生き延びるために必要だった。
 実現不可能な未来は過去に置いてきた。今はもう、どうやって生きたらいいのかも、私自身が生きてる価値も、なにもかもが分からなくなってしまった。同じことを繰り返して、怒られたり間違えたり落ち込んだりして、毎日が過ぎていく。たまに楽しいことがあって、明日が来なければいいのにな、と思いつつ眠る。日々は巡る。一生変わらない。真夜中に抱く憂愁も、消えることはない。何かをしてもしなくても、今この瞬間でさえ、緩やかに遠のいていく。こんな他愛のない独白すら、いつか愛おしく感じる日が来るのだろうか。
0 notes
un39 · 6 years ago
Text
夢見が悪い
 馬鹿みたいなことで阿呆みたいに泣いて、無愛想を責められたって変われなかった。
 嫌いなものは嫌いだし、好きなものは好きだし、こだわりもなにもない人の気持ちが分からない。知ってしまったから。夢中にならずにいたら楽だったのかもしれないけど、なんてつまんない人生なんだろうって想像したらゾッとする。「初めから出会わなければ」って出会いたかった人の台詞にしか聞こえないんだよなあ。
 「仕事なんだから、やりたいやりたくないの問題じゃない」って呪いの言葉みたいに自分へ跳ね返ってきてなんだかすごく頭が悪い人間になった気がした。わがままを言ったって何も変わらないことを知ってる。不平不満を誰にも漏らさず口を噤んだ賢いあの人。ひとつひとつが積み重なって全部だめになる前に辞めたんだろうな。なんて想像で語られるのって嫌だな。秘密が女を美しくするなら私はオンナになれないまんまみっともなく年だけ重ねていく。
 寝落ちして目覚めた朝に、化粧を落とし忘れたことに気が付いて最底辺に落ちた気がしたけどきっと全部気のせい。思い違い。そうやって少しずつ誤魔化して、身動きが取れなくなったときにすべてを後悔して恨むんだろうか。今こうやって思いついた言葉を零していく作業にもひとつも意味がないことを知ってる。死んだら終わりなんだってことを。
 書きたくて言葉にして残そうと思った気持ちも、私より必死な人に飲み込まれて結局ゆるやかに消えていく。あのときの慟哭。匂い。目線。衝撃。取り繕って笑ったこと。悲しくて一人泣いたこと。誰かに気を使って自分の気持ちを押し込めるのは違うと思うから、せめて自分は誰かの気持ちを押し込める人間にはならないようにいたいなって強く思っている。
 自己肯定感が低いわりにプライドばかりが高くて、失敗を咎められたくないのに、成功を褒められると嘘なんじゃないかと疑ってしまう。いろんなことを書き記してもきっとこれを読んで一番共感できるのは未来の自分だし、思い出せなくても、認めたい。言葉でも写真でもいいから立ち止まって振り返って懐かしむための媒体がたくさん必要だと感じる。いなくなったのに、そこにいると思える。
 衝撃は幻で、妄想は現実で、遠い未来が本物で、泣いたり笑ったり困ったりしながら生きたがる、私は表現者でありたかった。
0 notes
un39 · 6 years ago
Text
饒舌
 ずっと会いたい人と、もう二度と会えない人。私にとっての大切は、私にとってだけ大切であればいいな、と思った。
 失恋ソングを聴いて自分のこと歌ってるって思えるのは幸せなんだろうか。はたして。ずっと忘れられない人がいて、私はあの人と結婚すると思っていた、けど、違ったらしい。
 死にたいな、と思うことが、増えた。なんというか、明確に「死にたい!」という強い意志があるわけではなく、ただなんとなく、このまま誰かの何かに劣等感を抱きつつ自分という人間を好きになれないまま泣きたい気持ちをずっと心に潜ませてたまにいなくなってしまったあの人の音楽を聴いてひっそり泣いたりしながら生きていくことに、とてつもなく嫌気がさしてしまう瞬間が、増えた。私は結局私でしかないので何者にもなれなかったし、きっとこれからもなれないし、幸せにもなれないし、会社を辞める勇気もなくて、あーあ、だっせえな、って思いながら惨めになるくらいならいっそ死ん��ゃいたいな、と思う。
 会社を辞めたら、整形したら、ライブに行くのを諦めたら、違う場所に住んだら、恋人ができたら、好きになれる何かが見つかったら、そしたら、人生は楽しくなるんだろうか。全部分からなくなってしまった。好きだったものが実感として少しずつ好きではなくなっていく感覚がすごく不快で、どうして私はずっと好きでいられないんだろうってまた自分が嫌になる。手に入れたかったんだろうな。自分のものには決してならないってことに、気付いちゃった。「じゃあ嫌いになろう」ってそんな簡単にもいかなかった。一番好きだったとき、「嫌いになることなんて絶対にない、この気持ちが冷めることなんて、永遠にない」と思っていたはずだった。そうやって、根拠のない絶対を積み重ねて永遠を履き違えて生きてきてしまった。
1 note · View note
un39 · 7 years ago
Text
境界線
 永遠に続くわけじゃない。何かに縋るのは、それがなくなったときに自分も消えてしまうんじゃないかって不安がいつもつきまとう。
 自分の人生には何もないと思った瞬間に生きてる意味が分からなくなって、自殺した有名人を調べていた。自分で死ぬことは、悪いことなんだろうか。いろんな境遇の人がいる。人生を続けるよりも終わらせて楽になりたいと思ったから死んだ。死ぬ瞬間、本当の本当に何を思ったかは本人にしか分からない。それは本人だけのもの。死んだ後に「やっぱり死ななきゃよかったなあ」なんて思えるのかどうかすら、生きてるうちには絶対に分からないことだ。
 楽しいことがないのはきっと自分が悪いから、友達がいなくて、実家に帰ってもなんとなく家族と話して、猫と遊んで、また一人暮らしの部屋に戻るだけ。朝がきて働いて眠って働いて眠って休みの日には一人で何もない一日を過ごしてまた朝が来る。人生ってなんなんだろう。結婚したら何か変わると信じてたけど、そんなこともないのかもしれない。将来起こり得る何かに期待しないときっと本当に何もなくなるから、信じていたいんだと思う。
 死にたいのと生きたくないのは全然違う。ただ、自分から死を選択する人の中には、そこまで深く考えていなかったり、死を重く捉えてない人もいるんだろうなと漠然と考える。生きることと死ぬことが同じくらいの比重になるときが、ある。このまま生きるのと、ひと思いに死ぬのなら、後者の方が楽かもな〜くらいの。
 人が死ぬと悲しい。周りの人は、涙を流して悼む。有名人なら尚更。どうしてあの人が、って。あなたが何を知っているのって。「悔やんでも悔やみきれません」って言ってる人が本当に時間を巻き戻せたとして、どれくらい助けてくれるんだろう。
私のことを、どれくらい助けてくれるんだろう。
5 notes · View notes
un39 · 8 years ago
Text
社会人B
 入社したての頃、私に対してとても冷たいひとがいた。仕事を聞いてもそっけない返事や嫌味っぽい小言を返された。まだ社会人になりたてのペーペーだった私はその態度にとてもショックを受けて、嫌われていると思い込んだ。けれど、あるとき同期に「〇〇さん、俺ら(新入社員)に対して冷たすぎじゃない?」と言われて、ハッとなった。私にだけではなかったのか。他の新入社員たちも、その人が自分たちへ当たりが強いのを感じていたらしい。安堵とともに、社会には「仕事ができない」という理由だけで相手を差別する人間が存在することを知った。
 夢も希望も持たずに社会に出た私だったけれど、このときばかりは「この人より仕事ができるようになって見返してやる」と思ったのを覚えている。入ってすぐなんだからできることが少なくて当たり前だとしても「こいつにこれは無理」「ここまでが限界」と思われるのが何より嫌だった。そこには「どうせこいつにはそんなことまでできない」という諦めが含まれている気がした。そんなことないと大きな声で言えるようになりたかった。そういったハングリー精神に似た何かと、それに相反する感情が渦巻いて、一年目は仕事を辞めたくて辞めたくて仕方がなかった。誰にも心を開けずに、毎日朝が来るのがつらかった。ずっと口癖のように「辞めたい」と言っていた。たまの連休に実家に帰り、母親に愚痴をこぼして、帰りのバスで大好きな音楽を垂れ流しながら泣きそうだった。このままずっと、目的地に着かなければいいのに、と思った。
 ただ「辞めたい」と言うのは簡単だけど「はい、どうぞ」と言われるのが嫌だった。わがままなんだろうな、と思う。今自分が辞めても誰も困らないし、いなくなったあと「今年の新人は根性がない」だなんて囁かれるだけだ。そう思うと悔しかった。「この人たちが一番困るタイミングで辞めてやる」と何十回も思った。なんでもできるようになって、いなくなったら困る人間になってやる、と。
 誰も助けてくれなくて、笑われて憐れまれて悔しくてトイレで泣いたこと。今でも忘れられない記憶がたくさんある。 必死だったのかどうかは、自分ではあまりよく分からない。ただ、辞めたかったはずなのに、辞めないまんま、続けてきた。一つ一つ覚えていくたびに、少しずつ周りと打ち解けていった気がした。任される仕事が増えて、「あなたになら頼める」と言われるのはとても気持ちが良かった。冒頭に書いた私に冷たかったあの人は、今、私にとても信頼を置いてくれている。
 これは決して社会人の美談じゃない。私は今までいろんな人に「3年は続けるべきだ」と言われ続けてきたけれど、3年働いてみて、全然そんなことはないな、と感じる。辞めたいのならさっさと辞めるべきだし、次の仕事は案外見つかる。20代のうちは選択肢を狭めてしまうのが一番もったいないと思う。 ぼんやりと考える。私は、あとどれくらい、今の職場にいるだろう。「一番困るタイミングで」と思っているうちに人間関係がどんどん色濃くなっていって「困らないとき」を探してしまうようになった気がする。それは私にとって良いことであり、悪いことだと思う。今でも辞めたい理由はたくさんある。辞めたくない理由も、少しある。急に襲ってくる虚しさに、太刀打ちできない夜もある。このまんま辞めたくて働いてたまに休んで好きな人たちに癒されて回復してまた働いてそれを繰り返して死ぬのかな、それは嫌だな、と思う。新入社員の頃に抱いていたのとはまったく別物の「辞めたい」という気持ちを最近ずっと抱えている。
 じゃあどうして働いてるんだろう、とふとした瞬間に考えるのだけど、今はまだ、しわしわのワイシャツにアイロンをかける慌ただしい朝を繰り返している。
3 notes · View notes
un39 · 8 years ago
Text
灰色の灰かぶり
 罪深いおんなが多いな、とおもった。
 深夜にひらくtumblrは不安定で寂しがりで生温くて心地いい。誰も他人を気にしないくせに、みんな誰かに気にされたいんだろうな。いろんなものを抱えながら眠る前にひっそりと。私だけじゃなかった。
 免罪符にもならない言葉を並べて、赦されたくて、楽になりたくて、記憶を辿る。思い出したくないことばかり思い出して、思いきり目を瞑る。頭が痛いわけでもないのに眉間に皺が寄っている。
 嫌われたって怒られたって悪口を書かれたって自分を変えられない。自分よりちゃんとできてるひとたちへの劣等感だけが募っていって生きてる意味が薄れていってお酒を飲んだら気持ちが楽になった気がしたけれどその場しのぎの魔法は次の日に吐き気を残して消えていた。生きてるんだな、って、存在理由をなくした部屋の布団にうずくまってすこしだけ泣きたい気持ちだった。
 一人で暮らし始めてから、いま私が消えてもしばらく誰も気づかないんだろうなあ、と考えるようになった。べつにだからどうしたわけでもない、消えるわけでもない。ただ、いま世界にとって私は、生きてても死んでてもどっちでもいいんだろうな、とおもう。誰にも関心を持たれずに生きているのは、死んでいるみたいだ。何をしてもいいし、何もしなくていい。息を吸って、吐いて、止めてもいい。こんなに寂しくて泣きたくて堪えきれない切なさが、自由なのか。
 歌が歌えたら、曲が作れたら、楽器が弾けたら、絵が描けたら、映像が作れたら、何が変わっていたんだろう。
 会社を辞めれば、結婚すれば、海外に行けば、何が変わるんだろう。
 縋っていられる選択肢をひとつでも多く手元に残しておきたいだけだ。いまも。
 結んで開いた手のひらから零れ落ちた憂鬱だけが、私を私だと認める証なのだ。
3 notes · View notes